事故と精神分析

1、はじめに

みなさん、こんにちは。月刊精神分析編集部Aです。今回のテーマは「事故と精神分析」です。先月号では、私のアメリカ大陸横断をソースに「自分探し」「旅」を考察しました。今月号は、帰国した我が身に降って湧いた災難(と思っていた)をソースに、精神分析を考察します。

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2、登場人物紹介

惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
喜道 進・編集部Aのスーパーバイザー 。
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喜道進近影
喜道 進(きどう すすむ)
本名:竹田 雅信(たけだ まさのぶ)
1950 (S.25)1月生まれ(二男一女の父)
1996 (H.08)惟能創理氏より教育分析を受ける
2006 (H.18)精神分析家指導者養成講座受講
2006 (H.18)竹田精神科学研究所を設立
2008 (H.20)千代田区神田小川町に東京研究所を開設
2009 (H.21)埼玉県熊谷市籠原南に埼玉研究所を開設
現在、池袋コミュニティ・カレッジ講師。東京千代田区・熊谷市において多くの人の心のケアを行いながら『人間学講座』として「暮らしに活かす心理学」「明るい家庭づくり」「指導者養成講座」などをロータリークラブ、ライオンズ・クラブはじめ各所で講演している。
連絡先:takeda.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー) 月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。 ラカン精神科学研究所福岡支所 1963(S.38)年3月12日生まれ 出身:福岡県福岡市。 コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。 飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。 ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。 参考に、惟能の著書の特集サイトへのリンクをはっておきます。

月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーを受けている。
連絡先:lacan.fukuoka@gmail.com


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同僚Kさん:福岡県南部のO市出身。独身、47歳(編集部Aとほぼ同年代)。編集部Aの同僚。人生の概ねを派遣社員の立場で過ごす。東京、長野など他県での就業経験、水商売系の就業経験がある。素朴な地方成年と言った風貌。危なげな宗教に勧誘されたり、ネットワークビジネスや各種セミナーへの参加経験もあり「思考は物質化する」などと言ったサイコ系の会話もできる人物である。

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3、事故発生、処置と経過

喜道進  まず、事故の状況を聞かせて下さい。

その日、私は8時迄に出勤すればよかったので、通いなれた道を少し急ぎ目に自転車を走らせていました。通常は、もっと早朝出勤なので、今時分は真っ暗の中を出勤するのですが、その日は、健康診断が予定されていたので、たまたま8時出勤でした。

自転車は、流行りのクロスバイクと言われるスポーティーな自転車です。競技用ではありませんが、タイヤが細く、車重も12キロ位。一見してママチャリとは違う自転車です。

その時、私は、歩道ではなくて車道を走っていました。いつもは、人通りも殆どなく、深夜営業のタクシーや、新聞配達のカブ。朝帰りのサラリーマンとすれ違う位なのですが、その日は7時半位でしたので、既に街は目覚め、大型トラック群が商品資材の輸送の為に動き出していました。

狭い車道を後ろから大型トラックが走ってきます。不安定な自転車で走っているのに側を大型トラックが走るのは気持ちイイものではありません。私はごく普通に車道から歩道に進路変更をしました・・・いつもの様に。そうです、まったくいつもの様に。

自転車を購入したのは7月で、アメリカに行っていたとは言え、かれこれ2、3ヶ月は毎日の様に走っています。その間、無事故だったにもかかわらず・・。

前輪はうまく車道から歩道に移動できたものの、後輪が段差にひっかかり、そのまま大転倒。通常は、手足を擦り剥く位の怪我で終わりそうなのですが、沢山の教材テキスト、教本、資料が入ったリュックを背負っていた為、後ろから背中を押される様に転倒してしまい、左顔面をアスファルトで痛打してしまいました。

すぐに立ち上がったのですがメガネが吹っ飛び、顔から血が滴り落ちています。その時は、鼻を痛打していましたので「鼻血」だと思っていました。左膝もズボンが破れ擦り剥いています。

自転車は、サドル部分に擦り傷がついて曲がっただけで走行には全く問題ありません。仕方なく、その足で会社に向かい会社で顔面を洗浄。病院に向かいました。

顔を洗浄した時点でわかったのですが、出血部位は鼻ではなく、鼻と上唇の間を切っていました。ぱっくり傷が開いていましたので素人の私が見ても「これは縫わないと駄目だな」と解るくらいでした。

(追記)・・・今月のタイトル画像の向かって右が事故直後に病院で医師が撮った写真(縫合前)。唇が腫れていて左右非対称になっているのがわかりますよね。向かって左が事故後、1ケ月位の状態です。ほぼ傷口も埋まり、傷跡も目立たなくなりました。・・・

案の定、病院での処置はレントゲン撮影による骨折の有無の検査。傷口の洗浄、消毒、麻酔の後、数針縫合。痛み止め、抗生物質の処方でした。

先生曰く「これだけ酷い怪我なのに、鼻を骨折したり歯を折ってないのは不幸中の幸いでしたね」との事。

一週間後に抜糸をして腫れや痛みは治まりつつあったのですが、頭部の左側が腫れて痛みを感じました。これについて医師は抗生物質を処方。

喜道進  事故に遭った時、最初に思ったこと、感じたことはなんでしょう。大変なケガだったのに、意味を分析して貰おうという気もちは何でしょうか。

自転車での転倒や傷口の縫合処置も少年時代以来の経験でしたので「これにはきっと何か意味があるに違いない」と思い、惟能先生のセラピーで先生に事故の様子と経過・状況を話して、この事故の意味を分析して頂きました。

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4、はじめに心ありき

喜道進 精神が病んでいると、身体に現われる、いわゆる「病は気から」ということは一般的には想像できますが、精神が事故やケガにつながる!とは一体どういうことか説明していただけますか?

確かにそうかもしれませんね。では、ここで、「自転車で転倒した事」から「セラピー(精神分析)」に話がつながらない読者の方の為に解説を入れます。

私は青年期、ある難病に苦しんでいました。原因不明の病です。当時、そこに確かに症状が出ていました。ところが、大学病院でいくら検査しても「異常なし」の結果しか出てきません。医師は、症状に対して対処療法を繰り返します。原因がわからないので、取りあえず「痛みを和らげる」とか、できてしまった「傷の治りを早くする」と言った処理・療法しかできません。悪くなっては良くなる。良くなっては悪くなる。・・そんな事が十数年続きました。ところが、私がこの難病を克服する時がやって来ました。離婚し、結婚生活から解き放たれ、退職し、会社から解き放たれ、引越しして、生活環境自体を変えました。

そうしたところ、あれほど私を苦しめた難病の症状が一切出てこなくなりました。医学的に言えば、私の行った行為は「転地療法」にあたるものかもしれません。ちなみに、

「転地療養. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(てんちりょうよう)とは、住み慣れた土地を離れて別な環境に身を置き療養すること。治療方法の一種。」・・とあり、更に「かつては、治療方法が解明されていない病気等の治療に用いられた。このため、裕福な患者を収容するための療養所(サナトリウム)や別荘地が、高原地域などに設置された。現代でもストレス性の症候(無自覚性のものも含めて)などに対して、転地療養の効果(転地効果)は認められているところである。その点では、小旅行やハイキングですら広義の転地療養と考えられる。」と書いてあります。

いみじくもWikipediaに書いてありますが「青年期に私が罹った難病もストレス性の病だったのだな」と今、確信しています。

その後、縁あって「精神分析」の世界を知った私は惟能創理先生(当時は道越羅漢と名のられていた)の著書「心的遺伝子論 産み分け法」を読んで「あぁ、なるほど!」と心と身体の深いつながりを我が身と我が身に起こった難病への羅患で理解したのでした。

先生の著書の一文を下記に抜粋して紹介します。

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はじめに心ありき (惟能先生の著書より)

病院でこんな場面を目にした。私が診察室に入ったら、前の患者さんがまだ医師の説明を受けているところだった。医師が男性患者に一言こう言った。

「入院するしかないな」

すると患者の冴えなかった表情に一瞬喜悦が走った。彼は確かに微笑んだ。待ち望んだ吉報を聞いたかのような表情を浮かべた。そのとき私は、彼は病気を自分で創ったんだなと思った。

また、二年に一回とか定期的に入院する人がいるとか、何度も骨折する人、手術の頻回者とか、病院通いの好きな人とか、病院に見舞い行くとその種の話に事欠かず、いろいろ聞かされる。総じて入院する人は病気が好きとしかいえない様に見えてしまう。健康で休むより、病院のベッドで寝ている方を選んだのである。そう私には見える。

これは心身症や精神医学では、「疾病利得」と言う言葉で定義される。

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この文章を読んで、私は、かつて我が身に起こった「難病への羅患」と「完治」は、私にとっては「疾病利得」と「疾病利得の放棄」だったのだと確信したのです。

自分でも気がついていない心の作用(無意識)が身体に病として作用する事例です。
こういう事は古来日本でも仏教用語で言うところの「色心不二」で知られています。

注釈:色心不二 (しきしんふに)「色」とは「色法」のことで、物質・肉体など外形的なものをいい。「心」とは「心法」のことで、目に見えない精神的側面をいいます。「不二」とは、仏法における生命の見方を端的に示した重要な言葉で、表面的には色・心、肉体と精神は別々のものとして区別されるが、その深い次元おいては、一つに融合していることを表現しています。(仏教用語辞典より抜粋)

さて、今回のソースは私の自転車事故です。「病気と事故は意味が違うんじゃない」と言う声も聞こえてきそうです。笑。しかし、精神分析の世界では総ての事は「必然」であり「偶然」は無いと言われています。総ての物に「意味」が有り、「無意味」な物は存在しないと解きます。

喜道進 Aさんも精神分析を学んでいるので、ご自分でも「これこそが本件の原因かも・・」と思っているところがあるのではないですか? 

今回の自転車事故には、どういう意味があるのでしょうか?まず、自己分析してみます。

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5、自己分析(同僚のKさんと)

さて、今回の事故の当事者は私です。

精神分析の世界を知り「無意識(コンプレックス)」の存在も理解している筈の私は当然、この事故の意味を考えました。以下は、会社で一緒に研修を受けている同僚のKさんとのやりとりです。

昼休み、一緒に昼食をとりながら・・。

K「しかし、なんで、あのタイミングでAさんは事故にあったのでしょう?」
A「事故って言うか・・勝手に自分がこけただけなんですけどね。でも、タイミングは丁度、実技講習の2日目だったから、本当の自分は、実技講習を受けたくなかったのかな?」
K「それはあるかも。自分も昔、派遣社員としてある会社に行った事があるんですけど、初日から車のタイヤがパンクして・・・ここは自分には合わないのかなぁと思った事がありますよ」
A「へーそんな事もあるんだ。でもさ、本当に実技講習がイヤなら、もっと派手な怪我をして鼻骨折とか前歯折ったりすれば本当に実技講習どころではなかったんだけど、鼻の下を切る程度の怪我だったからなぁ・・微妙だね。・・・そうだ、たまに、ある期間毎に会社を辞めるって言い出す奴がいますよね」
K「確かにいますね。そういう人」
A「本当に嫌ならサッサと辞めればいいものを、決まって2、3ヶ月毎に・・あのぉ僕会社辞めようと思うんですけどぉ・・って言い出す奴。あれは、そうやって周りの関心を引きたいんですよ。あれは、もろ、無意識の働きですね」
K「あぁ、そう言われてみれば、そうですねぇ」
A「ただ、無意識の恐いところは、自分ではわからないから無意識なんですよね。人から言われて・・あぁそうかって思えれば、それはもう無意識ではなくて、言語化して無意識ではなく意識したって言えるんですけど」
K「無意識ですかぁ・・ちょっと難しいですねぇ」
A「そ、そ、自分で意識できないから無意識、わかったら無意識でなくなります。ひょっとしたら自分の無意識は、この仕事を嫌がっているのかもしれません」
K「なるほど」
A「今夜、先生のセラピー(精神分析)を受ける予定なので、色々、きいてみますよ。傷は治りつつあるんですけど、最近、身体の調子もあまりよくないし」
K「怪我の意味がわかったら教えて下さいね」
A「はい。あ、そろそろ時間ですね。いきましょうか?」
K「そうですねぇ」

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6、事故分析

喜道進  大きなケガでしたが、ハーレーを駆っての、艱難辛苦のアメリカ大陸横断旅行では事故を起こさなかったのに、歩道と車道の境目での大事故に理不尽なものを感じませんでしたか?

もちろんかんじました。これは何かある!と。

さて、いよいよ本論です。交通事故の場合、一般的には現場検証を行ないます。しかし、精神分析では事故の当事者の「心の中」「無意識(コンプレックス)」を探っていきます。

惟能先生に事故の様子と経過・状況を話して、この事故の意味を分析して頂きました。

私から惟能先生への質問。

先月、渡米して大型バイクでの大陸横断中はカスリ傷一つ負わなかったのに、帰国して、新しい職場に自転車で通う途中、それも生活道路で、縫うような怪我を負ってしまう事の意味は何か?どう考えても理不尽極まりない。風邪はひくし、顔の左側は腫れるし、頭痛までする。今ふうに言えば「ツイてない」。昔ふうに言えば「お祓いに行った方がよい」・・状態である。

惟能先生から私への質問は多岐に渡りました。

鼻の下の傷の向き。縦か?横か?:横。
腫れた顔は、自分の左か右か?(確認):左手側。
今の仕事でストレスに感じている事は何か?:軍隊調の朝礼→直立不動で、社内で決められた文言を暗唱しなければならない。昔から暗唱は苦手である。
今の仕事は、自分にとってどうか?:生活のリズムを変化させるのは大変だが、前職に比べると福利厚生などに待遇は大幅に改善できる予定。

惟能先生の分析

惟能先生:わかりました。意識と無意識のズレが今回の事故の原因です。まず、自転車で転倒したのは・・・Aさんはいみじくも「転倒した原因は、前輪に後輪がついてこなかった」と言いました。原因まさしくこれです。いいですか・・この場合、前輪が意識、後輪が無意識です。Aさんは、意識上は会社に行きたかった・・しかし、無意識はそうではなかった。したがって・・・「前輪(意識)に後輪(無意識)がついてこなかった」=転倒となったわけです。

編集部A:へーそうなのか。・・・と感心しながらも、ネット上で確認していました。確かに、心を扱った他のサイトで、意識と無意識の関係をバランスで走る自転車の前輪、後輪に例えて解説しているのを発見しました。
前輪:舵を切る方が意識を司る前輪
後輪:基本的な動力が発生するのは後輪
・・・こんな切り分けでした。なるほどね。

惟能先生:Aさんが転倒した時に負った傷も、左の上唇と鼻の間、左の膝。腫れたのも顔面の左側・身体は心のモニターですから、如実に左側(無意識側)がサインを発しています。つまり、意識はOKですけど、無意識はNGと言うアンバランスが発生しています。

編集部A:先生、左側が無意識を表すのですか?

惟能先生:そうです。

(注釈 編集部A:私は全く知らなかったのですが、後日、ネットで調べてみると、一般的に右顔が意識が現れ、左顔に無意識が現れる事になっているようです。Googleで検索してみると色々な例が出てきます。その根拠は、右脳:空間把握や音楽など、創造的で直感的、左脳:計算処理や言語など、合理的で論理的・・とあり、脳の左右と体の左右はクロスしてリンクしているので、右顔が意識が現れ、左顔に無意識が現れるらしいです。)

惟能先生:次に、上唇と鼻の間に出来た傷は横に走っています。これは「鼻」:臭覚と「口」味覚の分断です。会社で気になる「臭い」はありませんか?

編集部A:それって「臭い」から、私が何かコンプレックスを刺激されたのではないか?と言う観点ですよね。

惟能先生:そうです。きっと何かある筈です。Aさんの身体はそれを訴えているのですから。

編集部A:臭い・・ん・・思いつきません。もし私のコンプレックスを刺激するとしたら、子どもの頃から強制された宗教行為関連ですかね。あぁ、そう言えば、朝礼の時、軍隊みたいに整列させられて、挨拶文言を暗唱させられるのは、子どもの頃、仏壇の前に正座させられて、お経を唱えさせられるのと似ていますね。

惟能先生:それだ!わかりました。やっぱりラカンが言っている事は正しかった。Aさんは、朝の会社の行事から、Aさんが幼き頃に強制され続けた宗教行為によって形成された無意識(コンプレックス:複合観念体)を刺激されたのです。そして、意識は精力的に新しい仕事に取り組もうとしているのに、無意識は、それにブレーキをかけてしまった。文字通りバランスを崩してしまった。よって、バランスで走る自転車で転倒することによってそれを表したのです。会社の朝礼に、幼き頃のイヤな思いをした「臭い」を嗅ぎとったのですよ。

編集部A:へーそういう解釈ができるのですね。で、先生、僕はどうしたらいいのですか?

惟能先生:言語化する事によって貴方の無意識は意識化されて無意識ではなくなった。もう大丈夫です。貴方は、もう、子どもの頃の様にイヤな宗教を強制される事はありません。安心して新しい仕事に取り組んで下さい。

編集部A:そうですか。ありがとうございました。

喜道進  ところで、ある刺激が発生すると、自分のコンプレックスに作用して、今回のように事故を起こすのだったら、あらかじめ意識化しておけばこのような悲劇は起きないことになるとは考えられませんか?

編集部A:そうですね。確かに痛い目にあいたくないですからね。

喜道進そんな方法はないものなんでしょうか。?

惟能先生:それにはセラピーしかありません。

編集部A:なんとか自分で除去したり、書き換えたりは出来ないのでしょうか?

惟能先生:無意識は、自分で思い出す事が辛いからこそ、無意識界に閉じ込めている。いうならば、ゴミみたいなものなんです。

編集部A:やはり、自分では意識できないから、やっかいなんですね。心の片隅で「本当はそうなんじゃないか?」と疑いながらも抱えているもの・・コンプレックス(複合観念体)とは困ったものですね。しかし、人が、言葉を駆使し、意味を付けてしまう事によって成り立っている社会で生活している以上、これはついてまわるものなのでしょう。これからも、精神分析の知識を蓄積して、自分の無意識を解き明かして行きたいと思います。なるべく痛い目に合わないうちに。^^

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7、終りに

今月の月刊精神分析は、私自身に起きた自転車事故をソースとして、無意識の世界に迫ってみました。

惟能先生の分析は以上の通りです。そして、あの事故から1ケ月経って私の鼻の下の傷は癒えつつあります。更に、あれから毎日、同じ自転車で通勤しているのですが、特に危ない目にあったりはしていません。

研修も無事終了し、会社員として普通に生活しています。

事故に合わないのは「一度痛い目にあって、自転車の運転に慎重になっているから」なのでしょうか?それとも、本当に悪さをした無意識が意識化されたから、あれから問題なく生活できているのでしょうか?

なんとも客観的に比較証明できないから困りますね。口の悪い人は「そういうのは後から何でも解釈できるもの。それを信じるか信じないか?宗教の様なもので、精神分析なんて、もっともそうな理由付けを後から付けたしているだけ」って言うかもしれませんね。

ただ、結果のデータを沢山集めて、それをもとに、現象を予測する事は、僕たちの日常生活でも科学的にやっていたりします。卑近な例では、コンビニエンスストアのPOSとかそうです。理由はよくわからないけど、ビールは気温が28℃を超えると売れ出すとか・・たしかに、現象としてそう言う事が起きるのは事実として認知されていて、メーカーは消費量を予測し商品を生産し、小売業者は販売量を予測し発注しているわけです。

精神分析の世界では、体は心のモニターとして捉えています。体におこる現象・・病気や事故も、心の働きとして解釈するならば、心のあり方(この場合は無意識になります)を変える事によって、体に現れた病気も治す事ができるでしょう・・という理屈です。

古来、日本では良くない事が起きると「お払い」をするとか言いますよね。「今年は厄年。厄払いをする」とか確かに言います。

これも、心の有り様を変える事によって、事故や病気から身を守る日本人の知恵だったのかもしれません。

来月、またサイトでお会いしましょう。

平成22年11月30日 月刊精神分析 編集部A 

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8、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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