事故と精神分析

1、はじめに

みなさん、こんにちは。月刊 精神分析 編集部Aです。今回のテーマは、2010年11月の特集「事故と精神分析」に続いて、半年ぶりに「事故と精神分析2」です。

先月号の2011年05月の特集「無意識」の中でも、車の運転と無意識について「8、運転は無意識で」の頁で考察しましたが、今月号は私自身が体験した交通人身事故をソースに再び「事故と精神分析」「無意識」を考察します。

ここ数ヶ月、月刊精神分析シリーズは、私、編集部Aの自己分析シリーズが続いています。読み物としては、色々な症例を紹介した方が面白いのですが、精神分析の性格上、その症例の殆どは一個人の心の病に根ざしたものであり、公にする事が難しいのが実情です。一部、精神分析家の先生とクライアントの間で了解を得て掲載しているものもありますが、それは、ほんの一部に過ぎません。そう言う事情もあって、最近は編集部A自身の病歴や事故歴や育った家庭環境など公にできる範囲で記事にしている次第です。

平成23年06月30日 月刊 精神分析 編集部A

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2、登場人物プロフィール

惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。
宗教色の強い家庭に生まれ育つ。
二十代の頃、原因不明の疾病に苦しむが転地療法にて完治した経験から、心の作用に興味を持つ。
ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。
惟能先生の著書の特集サイトへのリンクは上記参照。

「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーを受けている。
連絡先:lacan.fukuoka@gmail.com

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3、事故事例1

ある日の事。私はタクシー乗務員をしていた。

あの事故を起こすまで、私は15年間無事故無違反の優良ドライバーであり、当時世間で騒がれていた飲酒による重大事故など私には無関係であると思い込んでいた。

当時の記憶を呼び覚まそう。

JR博多駅の筑紫口のデイトス新幹線入り口へお客様をお送りした。お客様曰く「22時17分の新幹線に間に合いますか?」との事。福岡市の繁華街・天神の昭和通りからのご案内で微妙な時間だった。私は「間に合う様に頑張ります」と応えタクシーを走らせた。

「天神橋口」「日銀前」を通過。橋を渡りすぐ右折。那珂川沿いの一方通行を下り、左折し明治通りに入り、西日本一の歓楽街・中洲を通過。「祇園町西」の交差点を左折し、「はかた駅前通り」を下り博多駅博多口へ。何も変わらないいつもの乗務だった。

お客様は新幹線をご利用との事。なるべく早くスムーズに新幹線の改札に行けるように、駅裏の正面の筑紫口ではなく、ヨドバシカメラの脇道(一方通行)へタクシーを侵入させ、新幹線デイトス入り口へ車を寄せた。

22:07着。17分の新幹線には間に合う時間だ。「よかった間に合った」

早速、会計処理、お客様にドアサービスをした。お客様からは笑顔を頂き、ささやかな仕事の充実感を味わった。そして、運転席に戻り、運賃を集金袋に入れ、空車ボタンを押し、シートベルトをして、ギアをバックにいれ1.5メートルバックした(そのままハンドルを右にきって発車すると左バンパーを駐車してある自転車に擦りそうだったので)・・・その時!

後方より「バタン」っと音がした。ドアを閉めるような音、でも、ドアより後方からしたような・・「まさか!」車外に出て車両の後方を確認すると、成人女性が左足を押さえ座り込んでいた。「痛い痛い」と足をさすり顔を顰めている。

信じたくなかったがこれは現実だ。私がバックする時に後方を確認しなかった為、僅か1.5メートルのバックでも、人を撥ねてしまったのだ。

泣こうが喚こうがもう後の祭り。
即救急車を呼ぶ。
携帯電話のボタンを押す。指が震えた。
続けて会社に緊急連絡。警察に連絡。
駅の周辺の為、すぐ人だかりができた。
殆どの人は野次馬。ただ傍観しているだけ。
ありがたい事に、駅周辺の飲食店勤務の方だろうか・・女性の脚を冷やす為にビニール袋に氷をいれてもってきていただいた。ありがとうございました。

サイレンを鳴らし、意外と早く救急車がやってきた。
女性が救急車に乗せられている時に、警察の事故係りが到着。

運転免許証と車の車検証、保険証の提示を求められた。

被害者女性は、左足の打撲(骨折の恐れあり)で近郊の救急病院へ搬送された。

警察の事故係りの方から「音がしてブレーキを踏んだのか?」ときかれるが、そもそもほんの少しバックをしたかっただけなので、ギアをバックギアにいれて、アクセルをチョンと踏んで、ブレーキを踏む一連の動作をした時に、いつもは聞こえない音がしたと説明した。

結局、1メートルだろうが1.5メートルだろうが、車両を後退させる時に「後方を確認していなかった自分の過失は明らか」だった。

警察の事故係りの検分が終了した後、会社へ戻り、車載のドライブレコーダーのSDメモリカードを社内の事故対応担当者へ提出した。

事故の報告書を作成し提出の後、被害者女性が搬送された救急病院へ向かう。

私は、もし女性が骨折していたり、入院しなければならない様な状況、後遺症が残る様な状況だったらどうしよう。そればかり気にしていた。

被害者の方に病院で改めて謝罪。
診断の結果、左足の膝、足首の打撲。翌日、病院からでた正式な診断書では、全治二週間ということだった。

会社の上司に被害者女性を自宅までお送りしてもらい、自分は営業を続けた。事故の加害者になった事で、どこか気分は萎縮してぎこちない営業をした様な気がする。振り返ってみてもあまり鮮明な記憶が残っていない。

被害者の方をご自宅までお送りした会社の上司からは「被害者の方はAさんの事故後の迅速な対応がよかった」と言われていたという。また、被害者ご自身も「自分も不注意だった」とも言われていたという。被害者の方は現在のところ特別な悪意は持たれていないので、事後処理も円滑に進む見込みとの事。

翌日、早速、警察から呼び出し。

「言いたいことは言わなくてよろしい」と言う前置きをきいてから調書の作成。私は担当者の調書の作成に協力した。非常にシンプルな事故なので簡単に作成され私は異議なくサインした。同時に事故現場の位置関係を示す見取り図もみせられた。警察の方にも余計な仕事を増やしてしまった。

「行政処分は安全運転義務違反で通常4点。女性が入院する様な重大な事故ではありませんから。多分6点はないです。後は検察の判断です。私たちの仕事は捜査までで、後は検察の仕事です。」と事故係の方はおっしゃった。

その翌日、会社の事故係りと共に、被害者の女性宅を訪問。被害者とご家族に謝罪。事故発生から3日間で事後処理終了。

これから後、被害者に対する補償関係は、会社が契約している保険会社が窓口となる。

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4、事故の意味(事故事例1)

前頁の事象を持って、私への社会的制裁が課され、社内でもペナルティが課せられた。それで、一応は事故処理は終了となったが、精神分析の知識を持ってる私には、大いなる疑問が残った。そう、この「事故の意味」を知りたくなったのだ。

私はこの「事故」にも「意味」がある筈と考え、事故の翌日、惟能先生に緊急で電話セラピーをお願いした。

先生に私が起こした事故の詳細を話した。

精神分析の世界では錯誤行為(過ちや間違い)、就寝中にみた夢、そして事故行為に無意識が反映されるとされ、非常に重大な精神分析の材料となる。

先生から「事故を起こす直前に何か変わったことはありませんでしたか?」と尋ねられた。

私は「そういえば、事故を起こす2、3日前に実家の父から携帯電話に電話があったみたいで着信履歴が残っていました。それで、実家の母に何かあったのか?と思いました。が、特に話す事は無かったので放っておきました。」と答えた。

先生曰く「それだ!貴方は、実家からかかってきた電話の着信履歴で貴方は貴方の無意識(コンプレックス:複合観念体)が刺激されて今回の事故を起こしたのです。つまり、貴方は母を跳ね除けたかったのです。「俺に関わるな!」と・・貴方の無意識が現象化したのが今回の事故です。女性はおいくつの方でしたか?」

私「確か四十代後半だったと思います」

先生「貴方の中の母のイメージがその年齢と言う事です」

私「とすると計算して私が14ないし15歳の頃の母の年齢ですね。丁度、私がイジメにあっている頃の年齢になりますね。確かにあの頃の私は、思春期特有のエネルギ-が噴出してきているものの、学校の校則に拘束され、実家の宗教組織に拘束され、最も梗塞感(塞がって通じないこと)を味わっていた時期です」

先生「今回の事故は、如何に貴方が母に囚われているかと言う事を現しています。母と分離しましょう。もっともっと多くを語って、早く、コンプレックを解消しましょう(無無意識の言語化)。理想的には実母が単なる老婆に見える様になる事です。」

私「先生、タクシー会社では、一度、乗務員が事故を起こすと、連続して事故を起こす可能性が高いといいます。私もそうなのでしょうか?タクシードラバーにとって事故は一番怖い事なので・・」

先生「貴方の今回の事故は、世間で後ろ向きの無意識を持った人が起こすバック事故ではないですから心配ありません。それよりも、貴方は15歳でとまっている貴方自身の時を動かす事が重要です。精神分析の世界ではこういう状態を固着(こちゃく)と言います。心理学者のエリク・H・エリクソンは、人間が健全で幸福な発達をとげるために各発達段階で達成しておかなければならない課題として8つのステージを設定しました。インテグレーター養成講座のテキストをみてみて下さい。」

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以下参考。エリクソンの発達段階

エリク・H・エリクソンが提唱した発達課題の各段階とその心理的側面は、以下のとおりである。ちなみに左記が成功、右記が不成功した場合である。

Stage One:乳児期 信頼vs不信
Stage Two:幼児前期 自律性vs恥・疑惑
Stage Three:幼児後期 積極性vs罪悪感
Stage Four:児童期 勤勉性vs劣等感  
Stage Five:青年期 同一性vs同一性拡散
Stage Six:初期成年期 親密感vs孤独感
Stage Seven:成年期 生殖性vs自己吸収 
Stage Eight:成熟期 自我統合感vs嫌悪・絶望
エリクソンの場合、必ずしも成功のみが賞賛されているわけではなく、不成功もそれなりに経験する必要性もあるとされている。両者の統合したものが正常な成長に寄与する。また前段階の発達課題は次段階の発達段階の基礎となるので、エリクソンの発達課題からなるライフサイクルはピラミッド型でよく表される。

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事故から一ヶ月位経っての追記:

もし今回の事故が私のコンプレックス(無意識、複合観念体)を現象化したものであるのならば、事故の被害者の方は、どうなるのだろうか?

「私の無意識を現象化する為にキャスティングされた人」と言う事になってしまう。つまり、私の無意識を現象化する為に私が跳ね除けたかった母親役を母に代わって演じた人である。

更にもう一歩踏み込んで考えてみよう。もし、被害者が私と同じように、精神分析家に「事故の意味」を問うたとしよう。

多分、精神分析家は被害者(彼女)にこう尋ねた筈だ。

「事故を起こす直前に何か変わったことはありませんでしたか?」
そう、コンプレックスを刺激される様な事、いつもと違う事がなかったか?きいた筈だ。

そして、多分、彼女は日常生活を思い返し「そう言えば・・」と何かを語る。
精神分析家は、そこに登場する何か?もしくは誰か?をヒントに彼女の無意識を分析する。

更に、事故の加害者は何歳ですか?と尋ね「貴方の無意識の中の◯◯のイメージがその年令と言う事です」と語るだろう。

つまり私が、母を跳ね除けたくて、現象界で彼女を跳ねた事の裏返しで、被害者の彼女は、撥ねられる、またはそれを意味する事を無意識に持ち、私が加害者として起こした事故の被害者として現象化した・・と言える。

少なくとも理論上、理屈上はそうなる。

もちろん詳細は、被害者の方の精神分析をしてみないとわからないのだが・・・。

事故後、数日経って事故映像を見る機会があった。
個人タクシーはどうか知らないが、法人タクシーの殆どには防犯上ドライブレコーダーが搭載されている。

事故時の映像をみて驚いた。私は、被害者は、私のタクシー進行方向左側のデイトス入り口か、もしくはコンビニから対面に渡ろうとして私のタクシーの後部を通行したのだと思い込んでいたのだが、実際は、左後方の歩道を通り、わざわざ私のタクシーの直後を通って道路対面に渡ろうとしたのだ。

まるで、映画「オーメン」で被害者(生贄:いけにえ)がサタンに操られるかの様に、あまりにもタイミングよく(悪く)、私がタクシーを切り返そうとする直前に、タクシーの直後にやってくる。

歩道の後方から歩いてくる間に、いくらでも歩道を渡る事はできたのに、歩道からわざわざ、駐車している私のタクシーの直後に降りてくる。まるで、そうするのが必然・当然であるかのように。・・・無意識は恐ろしい。正直、私は背筋がぞっとした。

事故当日、病院に伺った時に、被害者は「私は、左右を確認して、車のバックライトがついてない事を確認した」と仰っていたが、バックライトに映し出された映像では、少なくとも歩道から降りる直前に「停まって左右を確認している」様子は確認できなかった。

考えてみれば、そこまで思慮深い人はわざわざ動き出すかもしれないタクシーの直後に近づこうとしない筈。

人は、意識上は「十分に安全を確認した」としているのにも関わらず、無意識に支配された実際の行動・行為は、あまりにも無防備、不用意である。

こうしている間にも、世の中で頻発している交通事故。例えば「アクセルとブレーキの踏み間違い」・・これも所謂錯誤行為であるが、これも明らかに無意識によって引き起こされている事故の一例である。

当たり前の様に「イヤホンで耳を塞ぎ、スマートホンに視線を落としたまま、道路を横断しようとする歩行者」そして「無灯火の片手運転の自転車」。私には、まるで「殺して下さい」と言っている様にみえる。

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5、事故事例2

事故事例1からそう日が経っていないある夜の事。もう時刻は深夜1時になろうかとしていた。当時私は夜勤をしており、どうしても深夜0時前後に眠気がさして困っていた。

あの時も、眠気がさして「少し仮眠をろうか」と比較的スペースに余裕がある路地へタクシーを左折した時に起こった。

場所はいつも通るキャナルシティへ続く裏道。ちょうど角に病院がある。

交差点を左折すると、目前右から無灯火の自転車Aが道路を横断してくるのが見えた。「おっと危ない」と私はブレーキを踏み衝突をさけた。
ところが今度は後部に何か衝突する音。ドアを開け右後方をみると自転車Bに乗った男性がいた。

私が「ぶつかりました?」ときくと、その男性は「おまえ、なんでとまるとや!」と私に文句を言ってきた。「前を横切ろうとした自転車いましたので・・」と私は返答した。なにしろ後方で起こった事なので私には詳しい状況がわからない。先日の事故もそうだが、私が事故に関わる時は「後部」だの「バック」だの・・どうも後方が鬼門の様だ。

男性が手を痛そうにしているので「救急車を呼びましょうか?」と言ったのだが男性はその必要はないと立ち去ろうとした。一緒にいた女性(別の自転車Cに単独で乗車)にも「後から何かあると困りますから連絡先を教えていただけませんか?」とお願いしたのだが、その女性も「もういいですから」と男性と一緒に立ち去った。

さて、事の次第を会社に連絡をすると、最寄の派出所に行って事故の報告をする様にとの指示。

最寄の派出所の前で車両を点検すると、車の後部トランク上部に自転車のハンドルのブレーキレバーでついた傷と凹みがあった。更に車両の後部ナンバープレートの右側にも多数のすり傷があった。なんせ、事故現場は街灯もなく真っ暗だったので今頃傷を確認するハメになったのだ。

この時初めて、傷が車両後部にあった事が確認でき、状況的には私が左折時に自転車を巻き込んだのではなく、ブレーキをかけた私の車両が、後方を道路を横断しようとした自転車の進路を塞ぐ事になり、停車した私の車両の後部に自転車が接触した事故である事がわかった。

警察からは、事故が起こった時点でなぜ110番通報しなかったのか?と言われたが、もし事故検分となれば、いくらこちらの過失が少なくても人身事故の加害者という立場が発生する。そうすれば、タクシーを運転して乗務していた私にとって極めて不利な状況が発生していたので、結果的に自転車を運転していた方が立ち去ってくれて幸運だったと思う。車両の傷は修理すればいいのだが、運転免許の点数は累積し下手すれば免許そのものが取り消しの憂き目にあう可能性もあるのだから。

職業ドライバーだった自分にとって「連続して人身事故の加害者」となれば精神的ダメージの方が遥かに痛いのである。

先日の事故といい、今回の事故といい、なにかしら不思議な事故が立て続けに起こっている様な気がする。夜中の13:00に、無灯火の自転車が道路を横断して私の車両前方の進路を塞ぎ、事故を回避する為にブレーキをかけた事によって、車両後方で他の自転車の進路を塞いでしまい、そこで事故が発生するなんて、何かによって仕組まれた事故なのではないか?と思いたくなる。

会社の先輩乗務員からは「当たり屋の仕業では?」と言われたのを覚えている。

結局、今回の事故は私が所属する会社の社内でも「私の被害事故」と言う扱いになった。

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6、事故の意味(事故事例2)

さて、被害事故は被害事故としても、また事故が発生した事は事実で、私は惟能先生のセラピーで再び「この事故が意味するものはなにか?」と問うた。

私は、先生に、今回、遭遇した事故の詳細を語った。

先生「車両後部にぶつかった男性は何歳位ですか?」

私「40代でも20代でもないから30歳位です。」

先生「それでは、貴方の30代の出来事を語って下さい。貴方は30代はどんな生活を送っていましたか?」

私「私は29歳で結婚しましたから丁度、結婚生活を送っている最中ですね。ただ結婚生活は5年で終わりましたけどね。今から思えば、実家の宗教に反撥して、宗教に迎合しそうもない女性と結婚しただけでしたので、殆ど偽装結婚の様なものでした。そうそう、当然、宗教中心主義の実家には反対される結婚でしたので、家には内緒で結婚しました。当時、実父は私にこう言いました。「裏切られた様だ」と。それをきいた私は心の中でこう言い返しました。『不可能を可能にする宗教』『一家和楽の宗教』等々・・と散々私を裏切り続けたのは貴方達ではないか!と・・・。」

先生曰く「それだ!正しく(まさしく)『裏切り』です。」

私「え?」

先生「自転車は表ではなく裏を切ったのでしょう?『裏切り』です。今回の事故は貴方のコンプレックスとして刻まれた言葉である『裏切り』を現象化した事故です。」

私「はぁなるほどね、確かに裏切りだ」。

先生は続ける「貴方の進路を妨害した自転車Aは貴方のお父さん。そして、自転車Bと自転車Cの男女は30代で結婚していた貴方と貴方の奥さんです」。

私「先生、でもなんでこんなに立て続けに事故が起こるのでしょうか?タクシー乗務員の私にしてみれば一番避けたい事なんですが。二度ある事は三度あるって言うじゃないですか?」

先生「多分、前回の事故が発生してからこの種のコンプレックス(無意識)の現象化のスイッチが入ってしまったのではないですか?芋づる式にでてきますよ。秋葉原事件の加藤智大と一緒ですよ。自分に内在化したイメージを外在化させる現象化が起こっただけです。加藤智大は他人を傷つける事で、秋葉原の歩行者天国を地獄に変えた。貴方の場合、自分を困らせる、自虐という事で、貴方に内在化しているイメージを事故を発生させる事によって外在化しているのです。」

私「先生、それは困ります。そんなに簡単に私の過去のコンプレックスが現象化したら・・事故が頻発したらタクシー乗務員はやってられませんよ。」

先生「それを回避するには、コンプレックスを語って現象化する前に言語化する事です。父を語り、母を語り、当時の事、貴方が生まれ育った上でのエピソードを語る事です。言語化すれば、無意識は意識化されます。そして現象化されません。」

私「先生、理屈はわかりますけど、私自身、私の中にどれだけのコンプレックスが内在化しているかなんてわかりませんよ。」

・・・しかし私は、一件の事故からこれだけの分析を行う精神分析の世界は面白いし、恐ろしい理論であると感じた。意地悪く考えれば、その時々、起こった事象に後付けで理屈をこじつけているだけと言ってしまえばそれだけの事なのだが・・・

私「先生、以前話した事がありあましたけど、精神分析の世界を知って自分の家の家系図を書いてみたんですが、父も〇彦、父の男兄弟も◯彦、私も〇彦、弟も〇彦・・私は気づかない内に、自分の子供が男だったら〇彦と付けるのが当たり前と思っていて、それが家のシキタリ、伝統だと思っていました。これも無意識のなせる業ですね。」

現実に家系図をみてわかった事は、父方の祖母の影響下にあった男はすべて名前に「彦」がついていると言う事でした。わかってしまえば何でもない事なんですが、もし私が以上の事を理解して意識化しなければ、私は無意識に私の子供にも〇彦と名付けしていた筈でそれは恐ろしいものを感じます。

私「だって父方の祖母は既に他界しているのにも関わらず、ずっと祖母の影響は連綿と続いている事になるわけでしょう?」

先生「今、貴方は『祖母の影響下』と言ってますけど、それは間違いです。正しくは『祖母の支配』と認知しましょう。刻印を消して、新しい自分を刻みましょう。余程意識して行動しないと、長きに渡って刻まれた刻印はなかなか消えません。」

先生のこの指摘の後、直後、私は再び『祖母の影響下』という言葉を使ってしまい、私に刻まれた刻印を痛感した。

私「以前先生は、私の父は愛と憎しみで、父の母への憎悪から、交通事故を起こしたと分析されました。父の交通事故の被害者は、実は父の母の身代わりであると。ところが、この事故の賠償金は父の母が所有をしていた家屋を処分する事によって支払われたとききました。交通事故は父の母への反抗であったのにもかかわらず、結局は賠償金の支払いで父の母へ更に逆らえなくなったのです。」

先生「それは『反抗と容認』ですね。」

私「それで父は私に対して『就職』や『結婚』といった人生の大きな選択事に関して必ず介入してきます。母(私から見れば祖母)に支配された父は、当たり前の様に私を支配しようとします。自分のコピーを作るかの様に。それを精神分析の世界では『世代間連鎖』と言います。私からみれば明らかに負の世代間連鎖です。」

先生「そうです。誰かがそれに気がついて、その連鎖を断ち切らない限り延々と連鎖は続きます。」

私「まったく。子供の私にすれば、祖母と父の間で、自己愛者と自己愛者に飲み込まれ去勢され、飲み込まれた子供と言う共謀関係ができてしまうのは仕方ないとして、その関係を、父と私の関係にも導入されると私は大変困るし迷惑だと思います。私まで巻き込まないで欲しいと強く思いました。」

先生「それ!巻き込み!『巻き込み事故』に気をつけてください。

私「あぁ、そんな事言い出したら『〇〇事故』なんて山ほどありますよ。もらい事故とか。」

先生「例えば秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大は、幼少期から母に主体性を奪われ、地獄をみてきました。そこで、秋葉原の歩行者天国を地獄にすると言う現象化を行ったわけです。貴方の場合は、他者に対して現象化を行わないかわりに、自分を自虐する事によって現象化するわけです。貴方が、思春期から原因不明の皮膚疾患を患ったのも現象化(身体化)の一つです。そして今月立て続けに起こった事故もその自虐パターンだと言う事です。」

私「先生、もし、それはそうだとしても、タクシーに乗務して生計を立てている私は事故で現象化するのが一番困るのですが・・・。」

先生「とにかく言語化です。現象化する前に言語化して下さい。」

私「先生、これは理論的な話なのですが、無意識、それも負の無意識は、言語化できずに現象化してしまうと当たり前の様に負の現象を出現させてしまいます。そうではなくて、正(プラス)の無意識で、自分にとってプラスになる現象を出現させる事はできないのでしょうか?」

先生「それは世の宗教の多くが試みている事です。それでは、私が、幸福になる方法を教えましょう。まず最初に、1、自分を知る。次に、2、他者を知る。更に、3、お互いを理解する。そして、4、他者に関心をもつ。最終的に、5、愛する。・・と言う事です。」

私は、なんとなく幸福になるのは5つのステップがある事は読み取れるのだが、読み返して思った。2から5はすべて他者との関係である。と言う事は、幸福は自分の存在だけでは有り得ないもので、結局は他者との関係において実現すると言う事と読み取れる。そして、『他者との関係=なるべく避けたいもの』と思っている私には幸福とは遠いものなんだなと納得する。

私「先生、自分の生活史を振り返ってみても、3、4、5は、自分に欠落していたところ、または避けていたところです。なぜ自分が他者と互いに理解しようとしなかったのか?また、他者に関心を持とうとしなかったのかは、自分の意識で説明ができます。幼少の頃から宗教中心主義の実家の一員として生活してきた私は、実家の一員である限り、教団の一員として行動する事を強いられていました。つまるところ教団が支持する政治団体を支援したり、他者を勧誘しなければなりませんでした。

一生懸命宗教活動をしている人には申し訳ないのだが、私は、お経を唱えることで、種々の問題が解決して幸福が訪れると説く宗教に対して不信感が強く、どうしても信者になりきれなかった。例えば、北朝鮮人民として生まれながら、金日成(キムイルソン)金正日(キムジョンイル)を信奉できず、表向きは従順な態度をとりながら、虎視眈々と脱北する機会をうかがっている北朝鮮人民の様な立場であった。

そんな私が、自分の事を他人に語る事ができるだろうか?他人に関心を持てるだろうか?他人に関心を持つ時は、その他人を勧誘(オルグ)の対象としてみた時だ。そういった他者との関係が、相互理解たりえるだろうか?私は否だと思う。よって、私が物ごころついてから、『私の心の葛藤』を知る他者は存在しなかったのである。

だから、私は私の葛藤を無意識に押し込め、皮膚疾患を起こす事によって身体化してたのだ。実家を離れる事によってピタっと皮膚疾患が起こらなくなったのはこれで説明がつく。

本当の私を知る他者はいない。私を知らない他者に私は関心を持てないし、もたなかった。謎の私に関心をもつ他者もいないし、私も他者から関心を持って欲しくなかった。父は事ある毎に私に「人は一人では生きられない」と言った。私は心の中で「したくもない宗教を強制されたり、属したくもない宗教組織に絡めとられるくらいなら、一人で生きていく」と反撥していた。

そう、若き私の座右の銘は「一人で生きていく」だった。

したがって、その先には「他者との関係で生じる"愛"は到底存在しなかった」。

これが私の生き様であった。

先生「貴方は、これから貴方に欠落している、3、お互いを理解する。4、他者に関心をもつ。最終的に、5、愛する。を実践して下さい。」

先生曰く、今回のセラピーは通常の30回分位の高密度のセラピーでだったと言い残されて帰られた。一生懸命、過去を想い出し語り、先生の分析する私の内なる無意識を理解しようとした私も疲れた。

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7、自虐からの脱出、愛すると言う事。

先生はこのセラピーの時、こう語った。

両手で他者の首を締める様な形を作りながら・・

先生「他者を殺したい程の憎しみを持つ事がありますね。」

今度は、両手で自分の首を締める様な動きをしつつ・・

先生「でも貴方の精神構造は他人を殺すのではなく自分を・・・ですね。」

そして、今度は両手を他者に差し出す様な形、握手する様な形に変え・・

先生「これからは、そうではなく他者を愛する事をすればいいんです。」

つまり、愛憎裏表と言う表現もある。愛と憎しみはセットなのである。先生が言いたかったのは、憎しみのエネルギーを自虐で表現するのではなく、他者を愛する力にしましょうと言いたかったのではないだろうか?そして、他者を愛するステップは・・・

1、自分を知る。次に、2、他者を知る。更に、3、お互いを理解する。そして、4、他者に関心をもつ。最終的に、5、愛する。・・と言う事。

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8、おわりに

今回の月刊 精神分析いかがでしたでしょうか?

以前、私が経験した事故を切り口に、自分自身の無意識(コンプレックス:複合観念体)に迫ってみました。

精神分析の世界では錯誤行為(過ちや間違い)、就寝中にみた夢、そして事故行為に無意識が反映されるとされ、非常に重大な精神分析の材料となります。

貴方が知らない貴方がそこにいます。

そして、貴方が気付かないうちに、貴方は貴方が知らない貴方に支配されているのです。精神分析は、無意識を言語化する事によって、無意識による支配から貴方を解放します。

そして、貴方は貴方がなりたい貴方になる事ができるのです。

興味が涌いてきたなら、ネットで調べてみて下さい。無意識をやさしく解説したサイトも沢山存在します。貴方も無意識に支配されている事に気付き、愕然とするかもしれません。

平成23年06月30日 月刊 精神分析 編集部A

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9、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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