事故と精神分析

1、はじめに、

みなさん、こんにちは。月刊 精神分析 編集部Aです。今回のテーマは、2010年11月の特集「事故と精神分析」と2011年06月の特集「事故と精神分析2」と先月、2011年11月の特集「事故と精神分析3」に続いて、「事故と精神分析4 父への反逆」です。

精神分析を語る上で、自身の事故体験が続くのは、好ましい事ではないのですが、偶然にしては気味の悪い事故や事件が続いていますので、惟能創理先生の分析を解説します。

ここ数ヶ月、月刊精神分析シリーズは、私、編集部Aの自己分析シリーズが続いています。読み物としては、色々な症例を紹介した方が面白いのですが、精神分析の性格上、その症例の殆どは一個人の心の病に根ざしたものであり、公にする事が難しいのが実情です。一部、精神分析家の先生とクライアントの間で了解を得て掲載しているものもありますが、それは、ほんの一部に過ぎません。そう言う事情もあって、最近は編集部A自身の病歴や事故歴や育った家庭環境など公にできる範囲で記事にしている次第です。

平成23年12月31日 月刊 精神分析 編集部A

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2、登場人物プロフィール

惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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迎意愛近影

迎意愛(むかいあい)
精神分析家。シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)主宰。1954年和歌山県生まれ
連絡先:signifiant1@gmail.com




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安情共恵近影

安情共恵(あんじょうともえ)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。
宗教色の強い家庭に生まれ育つ。
二十代の頃、原因不明の疾病に苦しむが転地療法にて完治した経験から、心の作用に興味を持つ。
ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。

現在「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーとインテグレーター養成講座を受けている。

性格分析:自己分析、コンピューターのSE(システムエンジニア)をしてきただけあって、緻密な作業ができるA型(血液型)人間である。自分の部屋はちらかっていても許されるのだが、漫画本の1巻から・・はきちんと順番通り並んでいないと気が済まない。物事は手順を考えて、1から順番に進めていく。よって「適当にやってみて駄目でした」という事は出来ない人で、やるからには成果が出ないとかっこ悪いと感じ、失敗を恐れるタイプである。
連絡先:lacan.fukuoka@gmail.com

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3、無意識に苛まれる

「無意識に苛まれる。」

月刊精神分析を発行するたびに、私自身このフレーズを数多く使いました。

私は、精神分析的視点から多くの臨床事例を見て来ました。

私が、一年前から旅客輸送業務に携わってから、私自身の身の上に不可思議な事件、事故が起こるようになりました。精神分析的視点を持っていなければ「厄払い」にいくところですが、事件や事故の意味付けが面白く・・と言っては不謹慎なのですが、さらには、我が身に降りかかっている事だけに、私にとって事は大変切実です。

今月も私の「無意識」が「現象化」した事例をお送りします。意識が全く意識できない「無意識」が織り成すドラマ。

今回の事件で惟能先生は「完結」とおっしゃいました。

これで「完結」と信じます。

私は痛い目にあいたいとは思わないし、もちろん他人様を傷つける事なんて滅相(めっそう)もないと考えている。

にも関わらず、車両が大破する様な事故ではないものの、自分自身が外科病院の手実台の上にのり、他人に打撲症を負わせたのは事実である。

私は意識していないのに、無意識は勝手に、そして巧妙に、現象界を動かしていきます。

今回、私の身に降りかかった更なる事件を、惟能先生の分析を踏まえながら、今月の精神分析をお送りします。

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4、無意識は巧妙である

世の犯罪者が検挙された時に言うセリフはこうである。

「魔が差した」「つい出来心で」

そこには、まるで、自分がいない。まるで、他の違う主体が存在して、自分とは異なる主体が罪を犯したの様な言葉を吐く。それ故に世間は「反省の色が見えない」と酷評するのであろう。

私自身も旅客輸送会社のサービス乗務員となり、無事故無違反でお客様に満足して頂いて、世の中に貢献して、お給料を頂こうと意識している筈なのに、現実(現象界)は、必ずしもそうはなっていない。

いいかえると「上手く行ってない」。事故や事件が起こる度に、惟能先生のセラピー(精神分析)を受けて、その「意味」を追求している。・・そしてその度に「あぁまた無意識にしてやられた」と思うのである。

他人がきいたら、まるで反省していないような、無意識のせいだとして何の反省もしていないかのように受けとられるのが怖く感じる。

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5、父への反逆:錯誤行為

精神分析の世界では、事件・事故、錯誤行為、などは、格好の無意識の分析の材料となる。つまり無意識=意識していない行動・・という捉まえ方である。

今回の私の「事件・事故、錯誤行為」を説明します。

私は現在、旅客輸送業務に携わっている。旅客輸送は、国土交通省の管轄で、許認可事業であるので、労働者や事業者は厳しい規制・規則に基づいて日々の業務を遂行している。
日々の走行距離や労働時間、営業区域も厳格に決められており、違反するとペナルティを課せられたりする。

今回の私の「錯誤行為」は、営業区域の運用規定に違反し行為であった。

そもそも、旅客輸送業務は、各々の地域にある「協会」によって定められている「営業区域内」か、出発地もしくは、到着地が「営業区域内」でなければならない。

ある日ある時私の行動(覚悟行為)はこうだった。

ある歓楽街の店舗からの呼ばれた私は高速道路を使って、お客さんを遠い他市までお送りした。当日は深夜、雨が降っていた。お客さんを目的地まで送った帰り、高速道路にのる前に、マクドナルドで用を足そうと車から降りた。そこに傘をさした男性がいた。

「すみませんが、乗せてもらえませんか?こんな時間でなかなか車が捕まらないんですよ」男性は私に懇願した。私は彼を可哀想に思い、自分の状況を深く考えずに、その男性を彼の自宅までお送りした。

もちろん、私にとっては営業区域外での営業となってしまった。

後から考えれば、もちろん私のした行為は立派な違法行為だ。

会社に戻ってからシコタマ怒られた。

以上が私のしてしまった錯誤行為である。

惟能創理先生に事の顛末を報告し、分析を依頼した。

先生は即こう言った「掟破りは父への反逆」だと。

たしか、精神分析の世界では、自分を抑えるのは超自我であり=父性である。子供の精神発達論からみても「世の中のルール」を子供に教えるのは父の役目となっている。

・・にも関わらず私は何も深く考えず・・つまり私の無意識はルールを逸脱する事によって現象界で「父への反逆」を表現したのだ。私のコンプレックス(複合観念体)は、見事に私と言う人間がどうしたらルールを逸脱するのかわかった上で、あの日、あの時マクドナルに傘を差した男性を派遣してのだ。

私の場合、大事故を誘引する様な「大幅なスピード超過」や「信号無視」によってルール違反、掟破りをする事はまずありえない。よって、無意識は、上記の様な凝った設定を現象界にセッテングしたのである。

無意識は巧妙である。

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6、父の模倣

クリスマス・イヴの前夜、23日に、あるお客様をお迎えに行った。マンションの前に車を停車し、インターフォンを探した。昨今のマンションは凝ったつくりのマンションが多く、外からはエレベーターの位置やインターフォン、郵便受けの位置がわかりにくい場所にあったりする。一つは防犯目的かもしれない。

マンション前の通路の右手にインターフォンをみつけた。歩み寄ろうとする自分の顔面に激痛が・・なんと自分が入り口だと思ったところは、全面ガラス張りだったのだ。ギャグではない。鼻血、唇が切れて、前歯の先の方が三本欠けた。

立派な労災である。

通常、全面ガラスバリのところにはワンポイントのマーキングがされているのだが・・・。

車を運転しての事故ではないが、私自身が大変痛い思いをした。

さて、惟能創理に上記の事故の報告をすると・・・さすがに交通事故ではないが、事故は事故である。

今回の先生の分析はどうだろう?と期待した。

先生の分析は例によってダジャレバージョンで「貴方はインターフォンが押せなかったんでしょう?」「押せなかった」「おすでなかった」「雄でない」・・・わかりますか?つまり「雄・男でない」と言う、無意識の現象化が今回の事故です。

ついでに言うと、インターフォンを押すのは「指」ですよね。指も男性の象徴です。

なるほど、例によって、まるで「ダジャレや言葉遊び」の様な、コンプレックス(複合観念体)の現象化が今回の事故だと言う解釈である。

今回は、車絡みの事故ではなくほっとした。どうやら無意識も学習してくれたようだ。こんな調子で、事故絡みで今プレックスを現象化すると、点数が累積され「運転免許取消」とあいなる事を。

こんな調子で、コンプレックス(複合観念体)が現象化していくと免許がもたない。実は私は25日で会社を辞める予定だった。自分の考えでは。このままで免許取り消しのリスクが多すぎる。一年間はハンドルを握らずに過ごそう。そうすれば、それ以降、もし違反しても点数は累積されずに免許取消のリスクは回避される・・。ところが、会社から引き止めにあい、退職願は破り捨てられた。

ここ数ヶ月、私を苦しめている父へのコンプレックス(複合観念体)。息子が父のコピーをするのは世間でも普通にある事らしい。

いつか「知っているつもり(日本テレビ)」で、ある小説家がとりあげられていた。件はこうだ・・「放蕩のかぎりを尽くした実父に愛想をつかせて嫌悪していた筈なのに、気がついてみれば、自分も父と同様の放蕩の道に入り、家族を悲しませている事に気が付き愕然とした・・・」。

人は生きていく上で、自分はこうなりたいと言う「自我理想」を描くという。多くの子供たちは、身近な尊敬できる父をモデルにするケースが多いらしい。ただ、実父が子供の目からみて尊敬できる父かどうかは怪しい場合もあろうし、件の様に、自分が否定した筈の父の生き方を子供が無意識に模倣してしまうケースがある。

日本人のメンタルティは、世襲を好む環境にあると思う。やれ二代目だの三代目だの、家業の継続(=生き方の継承)を奨励し、進学する大学や、職業、配偶者選択まで関与してくる。親はいついつまでも、子供を自分の影響下、支配下に置いていきたいものらしい。

実を言うと私の実父の若かりし頃、自動車で交通事故を起こしている。その事故以来、父はハンドルを握る事はなかった。私の記憶にも父が自動車を運転しているシーンはない。ただ、実家のアルバムの古い写真・・・そう、子供たちがおそ松くんのイヤミのシェーのポーズをしている傍らにかつて父が所有していた自動車を確認する事ができるのみである。

今回の私の行動も、そういった父の行動を私の無意識は私に模倣させようとしたのかもしれない。子供側も父の模倣を望んでいるのだとしたら、永遠に主体は私から遠のいていき、私が私を生きられなくなってしまう。

常に無意識(複合観念体)は、私の意思とは関係なく、私を、私が望む方向でない道に誘導して、無意識の存在をアピールしようとしているようだ。

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7、三つ子の魂百まで

ここ数ヶ月、我が身に降りかかった事故・違反、錯誤行為(誤り)を振り返ってみると、なにかしら自分のコンプレックス(複合観念体)との関わりがある事がわかる。

もちろん、その都度、精神分析家:惟能創理氏に分析を依頼しているので、私自身がその分析を受け入れられるか?という不完全な部分もあるのだが、もともと、精神分析学が、自分が意識できない無意識:コンプレックス・複合観念体にスポットをあてる学問なだけに、まず、信じる事が前提となる。

なにか、いかがわしい宗教の前提の様だが、人が我が身に降りかかる事象・・いい事も悪い事も含め、なぜ?と考えた瞬間から、自分で考えられる、理由付けかれる範囲を超えた事については、運命だの、神の思し召し(かみのおぼしめし)だの、科学的にその根拠が証明できない領域に入って行かざるをえない。

ある宗教は念仏を唱えることを推奨し、ある宗教はお題目を推奨し、ある宗教は神への懺悔を推奨する。

精神分析学では、自分の意識下に押し込めた、無意識下に形成されたコンプレックス(複合観念体)の書き換えを推奨する。

コンプレックスの書き換えの方法は、無意識の意識化=言語化である。

自分で自分の無意識を意識化した途端に、無意識は無意識でなくなるのである。

しかし、宗教的な言葉で言えば「宿命」の様に蓄積し、こびり着いた無意識はなかなか意識化されず、簡単にコンプレックス解消とはいかないのである。

ただ、何かしらのきっかけで発作がおきるような。過呼吸やパニック症候群の様な心身症的な症状については、その発作がおきる根拠を、意識化に形成されたコンプレックスが何かしらのきっかけで刺激された時に起きうる症状と既定すれば、「いつ、なぜ、あんな発作がおきるかわからなくて常に不安感を持つ」という呪縛からは解放される。

ここ数年、私は過呼吸も、突然込み上げてくる内なる不安感も体験していない。調子の悪い時に、たまに、不安な気持ちが込み上げてくる事はあるが、心の準備ができているので、「あ、きそうだな」と心の防波堤を持つ事ができるのである。

敵を知り、自分を知れば百戦危うからず・・である。

まぁ、過去、私が追突した車を運転していた方の免許証をみせてもらったらその方の誕生日(年月)が自分の父と同じだったりして、気味が悪かったりした(単純に確率は356分の1である)が、私のそれなりの学習能力はあるので、何かしら自分が成長していく過程で、祖母や父、母との関わりあいの中で、無意識(意識下)に抑えこんで無かった事にしたかった事象(コンプレックス:複合観念体)があって、それが、私の意(意識)とは何の関係もなく、あるきっかけ(仏教用語で言えば「縁に触れて」)で、作動して悪さをするのだろう・・・と私自身は理解した。

世の中の人々は「無意識に・・した」とか、「まるで暗示にかかった様に」とか、自分の意に反して行った事象を説明するが、それは、まざしく「無意識」の存在を認めて、「無意識」と言うものに対峙して、自分の運命を「無意識」から解き放つ行動をしなければ、その人はずっと「無意識」に」呪縛されたまま生きていくのである。

そう言う事を学問にしたのが「精神分析学」であると私は理解した。

古来日本の諺にもある「三つ子の魂百まで」というのは、ずばり、幼少期に培われた「無意識」がその人の人生を決定すると言う事を伝える先人の知恵なのであろう。

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8、おわりに

惟能先生は、既刊で「運命は名前で決まる」と「心的遺伝子論 産み分け法」の2冊の著書を出版されている。Amazonで購入できる本ではないので、所謂、自費出版である。

現在、「事故と精神分析」(仮名)と言う3冊目の本を執筆されている途中だそうだ。彼が「事故」を精神分析を語る上でのテーマとして取り上げているのは「事故を装って現象化する人に内在化するコンプレックス」の解説が大変興味深いに違いない。

事故の被害者、加害者となれば、「興味深い」というレベルで事が終わらないので大変なのだが、意識的には避けたい「事故」を起こすのはなぜか?どうして「事故」が起こるのか?惟能先生はわかりやすく執筆されるに違いない。

多分、私のこの一年間の間に体験した事故も事例として紹介されるのであろう。

もちろん、私としては、これ以上、事故の加害者にも被害者にもなりたくない。

全力で、日々、無意識に翻弄されず、常に「平常心」をモットーに、日々過ごしていきたいと念願する次第である。

平成23年12月31日 月刊 精神分析 編集部A

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Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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