秋葉原無差別殺傷事件

1、はじめに(これまでの経緯)

みなさん、こんにちは。

月刊精神分析編集部Aです。

今号の月刊精神分析は「秋葉原無差別殺傷事件2」をお送りします。

3月24日に加藤智大被告に死刑判決が言い渡されると思われます。

社会に与えた影響の大きさ、犯行の計画性、どれをとっても「情状酌量の余地が認められて終身刑」と言うのは有り得ないし、僅か数分で十数名の全く無関係な人々を無差別に死傷させた彼を社会は許しはしない。当然「死刑判決」が下されるでしょう。一縷の望みがあるとしたら、彼の生まれ育った環境が彼の中に特殊な自我を内在化したと言う事が認められれば・・あるいは、更正の可能性を期待されて、終身刑があるかも・・でも、亡くなった方が7人ですから・・orz。

更にこの裁判、日本の裁判制度は三審制ですから、控訴、上告していくと、裁判の長期化も見込まれます。

以前作成したサイト「月刊 精神分析 2009年09月号 特集秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大」(事件発生から1年3ヶ月後に作成)には数千件/月のアクセスがありました。

加藤智大被告の公判がすすむ度に、公判の様子がネットのニュースで取り上げられ「秋葉原無差別殺傷事件」「加藤智大」を検索キーワードとしてGoogle検索され、その度にサイトのアクセスカウントが大きく伸びる・・それが繰り返されたのです。

その様に世間の注目を集めた事件であるのにも関わらず、現在、ネットで裁判に関連する反響をチェックすると「釈然としない」「期待外れ」と言った内容が多い。

それはなぜでしょうか?

それは、公判の中で、「なぜあの様な事件が起きてしまったのか?」「二度とあの様な事件が起きない様にするにはどうしたらいいのか?」「加藤被告の心の闇とは何なのか?」と言った根本的な問いに対する明確な答えが出て来ていないからに他なりません。「被告:加藤智大を死刑に処す」と言う結果のみがでて公判が終了する事が、更に失望感を助長させているのだと思います。

例えば、加藤被告からナイフで刺され重傷を負った元タクシー運転手湯浅洋さんは、なぜ事件を起こしたのか、約1年という長い裁判を通じても、被告から納得できる答えが得られない怒りを抑えながら、こう話したと言う・・「真相も分からないまま裁判が終わってしまっていいのだろうか。このまま終わったら、時間の無駄になる」と。

前出の「月刊 精神分析 2009年09月号 特集秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大」の中で、私はこう発言しました。
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加藤智大少年時代編集部A まず私の所感です。秋葉原通り魔事件発生!の一報をきいた時に、私の頭に浮かんだ犯人の顔は、加藤智大ピース暴力団関係者の様な凄みのある顔、または麻薬中毒患者の様な一目見て狂人とわかる顔だったのですが、実際の事件現場の彼はメガネをかけジャケットを着た優男(やさおとこ)で意外でした。更に事件の報道時にテレビ画面にでる顔は卒業アルバムの所謂「ピース」した顔写真で、これもまた真面目そうな顔で数年後この人が数分で何人もの人の命を奪う事になるとは思えません。むしろ、昔の自分もこんな感じだったなぁと親近感を覚えました。更に続けざまに報道される彼の生い立ちにも興味を持ちました。
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彼の生い立ちや生活環境を知る度に「もし彼の側に僕がいたならどう言う言葉を彼に伝えただろうか?」と考え「もしかすると自分も一つ間違ったら彼の様になっていたかも知れない」と思う事もありました。

今号の月刊精神分析は、加藤智大被告と同じように「主体」を奪われて育った人間、「編集部A」が、加藤智大被告の無意識(コンプレックス:複合観念体)に迫ります。

巻末に特別付録として、秋葉原通り魔 弟の告白(週刊現代平成20年06月28日号)と、法廷ライブ(東京地裁:村山浩昭裁判長:平成22年07月27日)携帯掲示板への書き込み(平成20年06月05日~08日)を添付しました。


加藤智大逮捕注釈:「秋葉原無差別殺傷事件秋葉原通り魔事件)」とは、2008年(平成20年)6月8日に東京・秋葉原で発生した通り魔事件のことである。この事件で7人が死亡、10人が負傷した。

その社会的影響は大きく、事件を連想させるテレビドラマの放映延期、秋葉原歩行者天国の一時中止。ダガーナイフの販売規制。銃刀法の改正。防犯監視カメラの設置。犯罪予告情報共有ウェブサイトの開設。・・・など、各方面に影響がでた。

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、死刑を求刑された元派遣社員、加藤智大被告(28)の第29回公判が平成23年2月9日、東京地裁(村山浩昭裁判長)で開かれ、加藤被告が「今は事件を起こすべきではなかったと後悔し、反省しています。遺族と被害者の方には申し訳なく思っています」と意見陳述した。弁護側は最終弁論で「死刑を科すべきではない。人を殺すこと自体が目的ではなかった」と極刑回避を求めた。公判はこれで結審し、判決は平成23年3月24日に言い渡される。

平成23年03月03日 月刊 精神分析 編集部 A

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追記:平成23年03月25日 裁判の判決は予想通り。以下報道より引用

2008年に7人が死亡、10人が重軽傷を負った東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、殺人罪などに問われた元派遣社員加藤智大被告(28)の判決で、東京地裁の村山浩昭裁判長は24日、完全責任能力を認めた上で「人間性を感じられない残虐な犯行だ。日本全体が震撼(しんかん)したといっても過言ではない」として、求刑通り死刑を言い渡した。

 弁護側は、記憶の一部欠落を理由に「精神障害による心神耗弱か喪失だった疑いがある」と主張していたが、判決理由で村山裁判長は「精神障害を疑わせる事情はなく、刑事責任を問うのに十分な責任能力を備えていた」と退けた。

 動機については、被告が苦悩を書き込み、唯一の居場所と感じていた携帯電話サイトの掲示板に、2008年05月下旬から「成り済まし」や「荒らし」が現れ、いらだちを募らせたと指摘。

 職場で作業服が見つからなかったことも重なって怒りを爆発させ「大きな事件を起こし、嫌がらせをやめてほしいと伝えたかった」と認定した。背景には「家族や友人、仕事を失い、居場所がないという強い孤独感があった」と述べた。

 判決によると、被告は2008年06月08日、歩行者天国にトラックで突っ込み、3人を殺害、2人にけがをさせた。ダガーナイフで通行人を次々に刺し、4人が死亡、8人が重軽傷を負った。警察官1人も襲ったが、けがはなかった。(共同)

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2、登場人物プロフィール

惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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宣照真理近影
宣照真理(せんしょうまり)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。
宗教色の強い家庭に生まれ育つ。
二十代の頃、原因不明の疾病に苦しむが転地療法にて完治した経験から、心の作用に興味を持つ。
ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。
惟能先生の著書の特集サイトへのリンクは上記参照。

「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーを受けている。
連絡先:lacan.fukuoka@gmail.com

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3、小学校時代・主体の奪取

子供の主体性を、親は自分の欲望の為に奪い取る。

日本人のメンタルティとして「跡取り(あととり)」「二代目」を歓迎し、親の生活スタイル、家業、信仰などを子供が継承する事を歓迎すべき事、喜ばしい事、当然の事とする風潮がある。

歌舞伎の世界など「子孫が継承する演芸文化」であっても、才能のないものは大名跡の襲名はできない。血縁者に能力がなければ、妾の子を養子を迎える。にも関わらず、日本の一般家庭で、親が子供の主体をまったく無視し、自分の欲望の為にロボットの様に扱い、子供が意に背くと家から追い出し、食事を与えず、生存権を脅かし、虐待までするのはなぜなのであろうか?

秋葉原無差別殺傷事件の加害者:加藤智大を語る時に、どうしても避けて通る事ができないのが、その母の存在である。当然の事ながら、私は彼の友人でも知人でもないので、その生活環境は各種マスコミ・・例えば週刊現代の「弟の告白記事」やネットに掲載される「法廷ライブ」「携帯掲示板への書き込み」でしか知る事ができない。

しかし、その断片的な情報からでも、加藤被告の母親の異常な教育法を窺い知る事ができる。そして「この人は一体どう言う育ちをして、自分の息子達(加藤被告には弟がいる)に何を求めたのだろうか?」と言う疑問が沸いてくる。

まず、分かっている客観的な事実を述べる。

<家族の肖像>

加藤智大の母は、(才媛:さいえん)とうたわれて地元の名門、青森県立青森高校に進学。「地元の弘前大に行くくらいなら......」と県外の国立大を受けたが、かなわず、金融機関(信用金庫)に就職した。

加藤智大の父親は青森市に育ち、県立高から同じ金融機関へ。2人は間もなく結ばれ、男児2人をもうけた。長男が加藤智大である。妻が夫より4つ年上であり、加藤被告が生まれた時に、父23歳、加藤被告の母27歳であった。

父親は努力を重ね、学歴のハンディをはね返し、各支店の営業を統括する役職に上り詰めた。

教育熱心な母親は、祖父母に「教育には口を出さないで」とくぎを刺した。「子供は必ず大学へやる」。高卒の夫婦は厳しい態度でわが子に臨んだ。

<母のスパルタ教育とは?>

ネットを検索すると、大々的に彼女の教育方法が掲載されている。

高卒の夫婦には「高卒(こうそつ)」と言う学歴が相当コンプレックスだったのか?兄弟二人にスパルタ教育を施している。

小学生の頃から珠算やスイミングスクール、学習塾に通わされた。
友人の家に遊びに行くことも、友人を家に呼ぶことも禁止。
作文や絵画は親の検閲がはいる(先生ウケする様に親が指示命令)。
見ることが許されたテレビ番組は「ドラえもん」「まんが日本昔ばなし」。
男女交際禁止。女子から来た年賀状は「見せしめのため」に冷蔵庫に貼った。

加藤被告の携帯サイトへの書き込み
「親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられたから勉強は完璧」「親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ。俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ」

小学校低学年から「北海道大学工学部に行くように」と言われ、無理やり勉強させられていた。

また、強烈な以下のエピソードがあります。
さらに、完ぺき主義の母親は、常に完璧なものを求めてきました。...母親の作文指導には「10秒ルール」なるものもあったという。兄弟が作文を書いている横で、母が「検閲」をしているとき、「この熟語を使った意図は?」などという質問が飛んでくる。答えられずにいると、母が、「10、9、8、7...」と声に出してカウントダウンを始める。0になると、ビンタが飛んでくるというわけである。この問題における正解は母の好みの答えを出すことであったが、そこで母が求めていたのもやはり「教師ウケ」であった。

週刊現代が報じた加藤の弟の告白『家族4人で食事を取っていたら途中で母が突然、アレ(加藤のこと)に激昂し、廊下に新聞紙を敷き始め、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、「そこで食べなさい」と言い放ったんです。アレは泣きながら食べていました』。(編集部注:加藤被告は食事をするスピードが遅く、早く食器などの洗い物を済ませたい母親はかっとして上記の行動をとったらしい)。

近所の主婦の証言として、雪が1メートル以上積もった極寒の日に加藤が薄着のまま数時間も外に立たされていたという話が出てくる。「もういいんじゃない」と声をかけても、母親は取り合わなかったという。親類が「もう少しおおらかに育てたらどうか」と忠告したこともあったというのだ。(サンデー毎日)

ここまでくると「教育」と言うより「虐待」である。

高校卒業の肩書きでも、金融機関と言う組織の中で認められて働いている夫がいるのにも関わらず、なぜ、自分の息子にことさら「大学」と言う学歴を強制したのだろうか?もし、本人が望んだのならまだしも、何もわからない小学校低学年からレールを敷かれ、勉学を強制された加藤被告はどう言う毎日を過ごしたのだろうか?

ここまでの事を自分の息子に強いる加藤被告の母は大変なコンプレックス(複合観念体)=精神分析の世界では「無意識」を持っていた事になる。

加藤被告の育成環境を精神発達論的視点でみると「親の欲求」を満たす為の道具とされた加藤被告は明らかに「主体」を奪取されている。

子供に大切なのは、自我を認められ、自己肯定感をつくること。まず母親に何でも受け入れてもらい、母との間に信頼関係を築くこと。その上で他人と良好な関係を築いていく事。まず最優先されるのはこれである。

以上の事が欠落している限り、子供は常に自己肯定感が持てない人生を送る事になってしまう。自ら「携帯電話依存症」と言い、携帯サイトに書き込まれた加藤被告の書き込みは「自己否定」の塊のようである。

精神分析の世界では、子供を産み育てる意味は2つあると言う。

参考:オールOK子育て法と子供を産み育てる意味

1、育児を通して自分を振り返るため。我が子を世話し、育てながら、きっと自分の母もこうして自分を世話し育てたのだろうと、自分の育てられた過程を想像し、自分を知る手がかりとなる。

2、自分を理想的に育てなおす為。母は100%良い母ではないため、不適切であったり、人によっては子どもを叩いたりした。子どもとして傷ついたり、不満・欠如を持って生きてきた子ども時代の自分がいる。それを今度、自分の子どもを理想的に育てる。そうすることで、自分を理想的に育てなおすことにもなる。

1はともかく、2に関しては、大学に進学できなかった自分の代わりに、息子はなんとしても有名大学に進学させるという自分の理想を持って加藤智大被告を育てたのである。もっと言えば、その自分の願望(野望)を成就させる為に男の子を2人も産んだのである。

これは決定的に誤りである。子供の人生を自分のコンプレックスを解消する為の道具に使っている。母親は加藤智大被告誕生の25年後、どえらいシッペ返しをくらう事になったのである。

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<編集部Aの場合>

私の育成環境は「宗教」に主体がある家庭だった。毎日朝夕「お経」を唱えないと罰があたるとか、他の宗教は悪魔の教えであると言い聞かされ、色々な可能性に思いっきり挑戦し、何にでも興味を持つ幼少期、少年期に、宗教呪縛的な教育を施された。

ある程度年齢を重ね、先の見えた世代には宗教的安らぎや心の救いも必要なのかもしれないが、何も知らない幼い子供に宗教的戒律を重視した生活様式を強制するのは決して好ましいものとは思えない。明らかに子供の可能性を摘み取ってしまうものであると思う。私はこの宗教的呪縛から開放されるのに相当の時間と労力を費やした。

あくまでも「主体」は子供のものである。子供は親の欲望を満たす手段や道具ではない。

どこの世界に、毎日1時間も2時間も仏壇の前に正座してお経を唱えるのを喜ぶ子供がいるだろうか?

私の父の世代は、戦中に育ち、終戦間際に予科練入隊を経験した様な言わば全体主義的国家観の中で強権的教育を受けた世代である。父は何かにつけて「予科練だったら云々という制裁を受けた」と口にしていた。父は戦争時代と言う時代背景に拘束され、その子供達は、戦後民主主義的価値観の中で主体性を持ち自由闊達に育ったかと思えば、そうではなく、別の思想、価値感、宗教的呪縛の中で育ったのである。

加藤家と同様、長男の私は家を飛び出したも同然、次男の弟は未だに実家に引きこもったままである。

父の世代は戦争によって呪縛され、子供の世代は宗教によって呪縛される。主体はいつも別のところにある。

私は思うのである。「あぁ加藤智大被告も主体を奪われ、自分を生きる事ができなかった人なんだな・・」と。

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4、中学・高校校時代(思春期 反抗期)

思春期を迎えると・・反抗開始。

小学校までは、親に追従していた子供も、思春期になると、親よりも体も大きくなり、親の思うがままという様なわけにはいかなくなる。案の定、加藤被告も反抗を始める。ネット上から象徴的な文言を集めてみる。

<家庭内暴力>

加藤被告の母親の供述。「被告は小学生の頃は反抗するより、泣いていました。中学生になると物に当たって暴れたり、部屋の壁に穴を空けたりしました。中学2年生のときには、成績のことで被告と口論となり、顔を殴られたことがありました。私はそれ以降、被告とあまり口をきかなくなりました」

加藤被告の供述。「中学時代に母親を殴ったことがある。食事中に母親が怒り始めた。ほおをつねったり髪をつかんで頭を揺さぶられたりした。無視すると、ほうきで殴られ、反射的に手が出た。右手のグーで力いっぱい左のほおのあたりを殴った。汚い言葉でののしられた。悲しかった。」

母親は学歴を求める一方で、加藤被告の将来の夢や恋愛を否定した。

加藤被告の母親の供述「中学3年のころ、被告がレーサーになりたいと言い出したので、危険だから絶対やめるように言いました。女の子とも交際していたようですが、成績にプラスにならないからやめるように言いました」

その後、加藤被告は母親の望む通り、青森県立青森高校に進学したが、成績が低下。友人と過ごすことが多くなり、母親との接触は少なくなっていった。

加藤被告の母親は高校時代の容疑者について親しい知人に「2人で食事するのがとても苦痛。(1997年に神戸市で連続児童殺傷事件を起こした少年)『酒鬼薔薇聖斗』と同じ年(17歳)なんだよ。怖いんだ」と漏らしている。具体的に何が怖いかは語らなかったが、おびえた様子だったという。(編集部注:加藤家家族年表でチェックすると、加藤智大被告と神戸の少年Aはほぼ同年代である)

学校内でも「加藤が切れると何をするかわからない」と言う評判で、学校文集のネタにもされていた。

結果的に加藤被告は青森県立青森高校での成績は振るわず、中日本自動車短大(岐阜県)に進学した。

加藤被告の母親は「私は、被告が昔から車が好きだったので、自分で進路を決めて良かったと思いました」と発言しているが、それは真意ではない筈。だとしたら小中学校時代のスパルタ教育はなんだったのか?県立青森高校のその向こうには有名大学入学と言う母親の欲望があった筈だ。子供の主体を奪取してまで欲した母親の望みではないか。

以下引用。
また、加藤被告自身にしても、成績が良くなかったとはいえ、青森県下一の進学校に在籍していた加藤にとって、より好みさえしなければ大学に進学する事も可能だっただろう。短大を選んだのは、子どもを学歴社会の勝者にするべく必死にやってきた母に対する反発のようなものがあったからではないか。それを裏づけるように、加藤が高校を卒業する際に生徒会誌に残したのは、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する少女(綾波レイ)が、理不尽な戦いを強いる司令官に告げた決別のセリフである。)

綾波レイ 赤い瞳の少女

「ワタシはアナタの人形じゃない。赤い瞳の少女(三人目)」

・・・「片田珠美著:無差別殺人の精神分析」(新潮社)から引用。

こうして「息子は必ず大学に入れる」と言う母親の欲望は満たされる事はなかった。更に、加藤智弘被告の弟も、有名進学校に入学するも僅か三ヶ月で退学。その後、五年間もの引きこもり生活を続けた後、上京。弟は事件を東京で知ることとなった(編集部注:秋葉原通り魔 弟の告白より)。
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<編集部Aの場合>
尋常性乾癬
私の場合も、思春期に親への反抗が始まりました。ただ、私の場合は小心者の為か、もっと巧妙な反抗を始めました。まず、高校で、乾癬と言う皮膚病が始まりました。次に、大学受験の前日に、リベド血管炎(アレルギー性血管炎)と言う病気を発症しました。ダイレクトに母親を攻撃したり、周りの他人に迷惑をかけるのではなく、自分で自分を攻撃する事によって、今の生活から逃げ出そうとしたのです。簡単に言えばストレス性の病気になったと言う事です。心理学や精神分析的には自分で自分を攻撃するサディスティック的、マゾヒスティック的精神構造という事なのでしょう。
リベド血管炎
自分で自分を病気にするなんてやめとけばいいものを、病気になる位当時の生活がイヤだったのでしょう。私は自身の経験から、思春期の原因不明の病気は、かなりの確率で心的負担から発病している病気が多いのではないかと思っています。

加藤被告の場合は自分の外に、私の場合は内(自分自身の身体)に、攻撃性を向けたのでした。こういう差も多分、心(精神)の構造が異なっている為に表現方法に違いがでるものと思われます。

<思春期とオートバイ>

オートバイへの興味。経済状況の違いでしょうか?今の若者はそうでもなさそうですが、私たちの世代では、16歳になるのを心待ちにしていました。それは16歳になれば原動機付き自転車の免許が取得できるからです。バイク雑誌を読みあさり、オートバイを介してエンジンや車体構造、メカニズムに興味を持ち、道路交通法や、世の中のルールを学び、同じ興味をもつ他者との関わりが始まるのもこの頃です。そういう意味ではオートバイはよい教材とも言えます。

それで、私もどうしてもオートバイに乗りたくて親に購入をねだりましたが当然の様に却下されました。理由は「危険だから」「必要ない」と。子供の私には到底納得のいかない答え。

なぜあの頃、あんなにオートバイに乗りたかったのか?今はわかります。子供はオートバイに乗る事ができれば、親に支配された環境から離れて行動できるからです。深夜だろうが早朝だろうが時間を気にせず、ガソリンさえあれば遠くに遠くに走っていけます。子供からすれば「親離れ」できるツールなわけです。

なぜあの頃、親があんなに強固にバイクに乗るのに反対したのか?今はわかります。逆に親からすれば、オートバイは子どもを自分たちの支配下から連れ去る悪魔のツールなのです。分離する事で生じる不安感を精神分析の世界では「分離不安」と呼んでいます(ウィキペディアでは、場面緘黙症の付随する問題として解説)。

尾崎豊 15の夜
尾崎豊のナンバーに「15の夜」という歌があります。歌詞を引用すると「盗んだバイクで走りだす 行き先も解らぬまま 暗い夜の帳の中へ 誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれたきがした15の夜・・」まさしく、親=社会からの解放と自由を求める思春期の精神構造を現しています。

私は、大学生になってからオートバイをアルバイトで購入し、仲間をつくり近県へツーリングにでかけ、20歳で独り北海道一周ツーリングへ旅立ちます。そして昨年、ハーレーダビッドソンでアメリカ大陸横断の旅を実現しました。

いくら親が分離不安から「危ないから」と子供を引き止めても、子供は自由、独立、解放を求め走りだす、旅に出る。健全な精神の成長を伴った子供は、いつまでも親の支配下で引きこもってはいなのです。そういうものなんです。

狂い咲きサンダーロード(石井聰互監督:1980年:山田辰夫)の劇場パンフレットに作家の戸井十月さんがこう記していたのを今でも覚えている。「若者は祭りを欲している。オートバイは親を轢き殺す鉄の馬」だと。

以下蛇足。

法定ライブの記述に、《仙台に単身赴任していた父親。加藤被告の短大入学を機にバイクを買ってあげたという》「バイクが壊れ、被告から修理代を要求されたときに口ゲンカになり、それ以来、関係が疎遠になりました」と言う記述があります。

弟の告白記事にも「(アレは)岐阜ではバイクに乗っていました。バイクで青森まで帰省したこともありましたし、サーキットでのバイクのレーシングチームのスタッフとして働いたこともありました。私はバイクには詳しくないのですが、帰省した時に見かけたのはレースに出るような形のバイクでした」と言う記述があります。

加藤智大被告はなんというバイクに乗っていたのでしょうか?知っていたら教えて下さい。lacan.fukuoka@gmail.com

平成17年4月から埼玉の自動車工場で働いていた頃70万くらいの車を買わされた。
平成18年5月から茨城県つくば市の住宅関連部品の工場で働いていた。夏頃、掲示板の人間関係の悪化がもとで、車で自殺しようとした。「8月31日に青森県の道路で車に乗って対向車線を走るトラックに正面衝突しようと思いました」「決意して、いよいよこれからという時にメールの着信があり、気になったので車を止めようと思いました。Uターンしようとしたところ、縁石に車をぶつけて走行不能になりました」・・との記述があります。

加藤智大被告はなんという車に乗っていたのでしょうか?知っていたら教えて下さい。lacan.fukuoka@gmail.com

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5、短大時代-社会人

加藤智大被告は青森県立青森高校卒業後、中日本自動車短大(岐阜県)に進学した。

彼の短大時代の情報はあまり多くない。

ただ、中日本自動車短大(岐阜県)は自動車整備士を育成する学校なのだが、加藤被告は整備士の免許を取らないまま卒業している。青森県立青森高校出身の彼の頭ならわけなく取得できそうなのだが、どうも父親に反発(アピール)の為に取得しなかったらしい。加藤被告の場合は、自分の人生にとってマイナスになる事(つまりは親の期待を裏切る事)をする事が自分の意思表示になるらしい。自嘲主義がみてとれる。

私(編集部A)の場合は、自虐(疾病)が意思表示になっていて、主体を奪われた状態で育った者の特性を考える上で面白い。普通に考えれば「・・が気に入らない」とか「・・はイヤだ」等と言えばいいのだが、主体が奪われている為に言えないのだ。

短大卒業後(2005年04月)、加藤被告は仙台で一人暮らしを始めた(仙台市内の警備会社に契約社員として勤務)、岐阜の中日本自動車短大を卒業したものの整備士の免許も取得しておらず、青森県立青森高校卒としてはかなりステータスの低い警備員として働いていた事になる。母親も時々訪れたというが、会う事はあまりなかったという。そんな加藤被告から2006年平成17年08月(茨城県内の住宅建材を製作する工場勤務中)に「これから死ぬから後はよろしく」と突然電話がかかってきたという。

加藤被告の母曰は公判でこう証言している「私は、借金があると言っていたので、私が返してあげるから、必ず帰ってくるように言いました。それと、私が辛くあたったことも原因の一つだと思い、謝るから帰ってきなさいとも言いました」。

その後、実家に戻ってきた加藤被告(青森市で運送会社勤務)。母親は(加藤被告が)疲れていたようなので、具体的には何も尋ねなかったという。

月刊 精神分析 2009年09月号で加藤智大被告の短大卒業後の動きをGoogle Mapに書きだしてみたが岐阜-青森間を放浪している様なMapとなった。まるで、故郷(青森:両親)との距離感がつかずに、その間を振り子の様に動いているようだ。


より大きな地図で 加藤智大転職マップ を表示

加藤被告の母曰く「その後、加藤被告は『精神科に行きたい』といいましたが、あまり意味がないと思ったので、そうアドバイスし、結局行きませんでした。」

この時、よきカウンセラーや、心理療法士と出会うような機会があれば、ひょっとしたらこのような事件の発生を回避できたのではないか?と思えるのだが、結局、そのチャンスも母親自身が潰している。

そして母親は、夫婦間の問題から2007年平成18年05月に夫と別居。加藤被告もまた一人暮らしを始め、敷金や礼金、車の頭金50万円なども母親が預金から捻出(ねんしゅつ)してあげたという。

「罪滅ぼしのつもりでした」

そして母親は2007年平成18年08月に加藤被告と会った後、音信不通となり(加藤被告は11月より静岡県裾野市の関東自動車工業東富士工場に勤務)、2008年平成19年06月08日にラジオで加藤被告の凶行を知ったという。

加藤智大被告にしてみれば、一縷の望みをかけて故郷:青森に帰ってみたものの、両親の別居、離婚問題が勃発。やはり、故郷にも自分を温かく迎えてくれる場所はないのだな。・・と思ったのではないか?故郷に母はいない。絶望である。

加藤被告の母は「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません。被害者や遺族の方には申し訳ないと思いますが、経済的な損害賠償は不可能です。私は被告を見放すことはなく、できる範囲でこたえていきたいです」と話していると言う。

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<編集部Aの場合>

私の場合、地元のレベルの低い大学に入学し、その大学で一生懸命勉強しました。まともに教授の話を聞いている学生が少ない様な酷い大学でしたが・・。そんな環境の中で、独り自分を失わず勉学に励むのも大変でした。おかげさまで優秀な成績で大学を卒業する事ができ、名の知れた企業に正社員として就職する事ができました。・・と言っても、私の卒業当時は、日本の経済状況はバブル経済に突入していく景気のよい時代でしたので、たまたまラッキーだったのかもしれません。もし、私が加藤智大被告と同じような経済状況の中、親との関係もうまくいってない時に、社会に放り出されたらどうなっていたでしょう?正社員になれず、派遣社員として将来の展望も描けないまま働く立場だったとしたらどうだったでしょう?

特に私の場合は原因不明の皮膚疾患をかかえたままでしたので、一瞬たりとも不安感から開放された事はありませんでした。そう言う意味においては、私もまた別の意味のハンディを抱えていたのでした。

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6、事件3日前から事件当日

一昨年、月刊 精神分析 2009年09月号 特集 秋葉原無差別殺傷事件を作成する際に、秋葉原無差別殺傷事件のあらましを調べました。

私はその時「加藤智大って、すごいな」と感心しました。まず、彼の行動力、企画力、実行力。もし彼が、広告代理店に勤務していたら間違いなく「社長賞」ものです。

事実、彼は自ら携帯サイトに書き込んだ「ワイドショー独占」と言う予告を実現しました。この行為を経済効果に換算すると幾らになるのでしょうか?数十秒のTVスポットだけでな百万単位のお金が動く業界です。

もし、彼の力が世の中の人々を楽しませる方に向いていたらと今更ながら悔やまれます。

検察側も犯行の計画性は丹念に調べていて、論告求刑で「犯罪史上まれに見る凶悪重大事件。改善更生を期待するのは困難だ」と断言。精神障害にも罹患しておらず、3日前から犯行を準備していたことなどから、「完全責任能力を有していたのは明らか」と法廷で述べている。


より大きな地図で 加藤智大ダガーナイフ購入の旅 を表示
準備された凶器

より大きな地図で 加藤智大 静岡県裾野市から秋葉原への旅 を表示

1、6月5日、勤務先の関東自動車工業のロッカーでツナギが見つからず、激高して帰宅。

2、凶器の準備:通販では6月8日(犯行予定日)に間に合わないと、6月6日、静岡県裾野市から福井県福井市大和田町のYAMATO エルパ店まで、直線距離で260Kmを自ら新幹線に乗って調達。

3、身の回りの整理:6月7日パソコンやゲームソフトは秋葉原で換金。

4、凶器の準備:犯行予定日の前日(6月7日)、静岡県沼津市のニッポンレンタカー沼津駅南口営業所(静岡県沼津市大手町3-6-20)を訪れ、「裾野から御殿場までの引っ越しに使いたい。3人分の荷物がある」と2トントラックを予約。

5、事件当日(6月8日)、朝、愛用のゲーム機は友人にプレゼント。

 秋葉原に着いたのは正午少し前。いったん車を置いて、パチンコ屋のトイレで、掲示板のスレッドに「秋葉原で人を殺します」と書き込む準備をした。実際に事件が起きることで成り済ましなどをした人たちが罪悪感や恐怖感を感じることがあると思った。しかし送信ボタンは押せなかった。編集してしまうと事件を開始することになる。できれば起こさずに問題を解決したいと思ったが、その後、送信した。

 トラックを発車させ、歩行者天国に突入すべく、車を走らせたが、交差点の手前で赤信号になった。本能的に信号に従って進行し、駅のロータリーを回って反対方向から進行したが、信号が青で通過した。事件を起こすことに抵抗があった。

 3回目通過した後、そのまま離れて自宅へ帰ることも考えたが、自分の帰る場所はどこにもないと気付き、結局やるしかないと思った。事件を起こさなければ、掲示板を取り返すことはできない。家族はいない。仕事は辞めた。職場の友人関係も終わると思った。

 今になって考えてみると、現実の方が大切なものがいっぱいあったし、居場所もあったように思えて後悔している。4回目で突入した。

秋葉原無差別殺傷事件現場

△TOP

7、公判にて・・反省しています。

ネットの報道によると・・・
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東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、死刑を求刑された元派遣社員、加藤智大被告(28)の第29回公判が09日、東京地裁(村山浩昭裁判長)で開かれ、加藤被告が「今は事件を起こすべきではなかったと後悔し、反省しています。遺族と被害者の方には申し訳なく思っています」と(棒読みで)意見陳述した。弁護側は最終弁論で「死刑を科すべきではない。人を殺すこと自体が目的ではなかった」と極刑回避を求めた。公判はこれで結審し、判決は03月24日に言い渡される。
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との事。

事件の被害者、遺族にしてみれば「反省しています」で終わられたのでは「憤懣やるかたない」どころの話ではないだろう。

3月24日、加藤智大被告への死刑判決が出された後、被害者のタクシー運転手の湯浅洋さん(57)はマスコミに取材にこうこたえている。

以下引用
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秋葉原殺傷:「何が真実だったのか」被害男性 死刑判決で

白昼の秋葉原を恐怖と混乱に陥れた加藤智大(ともひろ)被告(28)に極刑が言い渡された。法廷で謝罪の言葉を重ねる一方、心を閉ざすかのように親友や被害者の面会を拒絶してきた被告は、身動きしないまま判決を受け止めた。「何が真実だったのか」。事件を語り継いできた被害者の元タクシー運転手、湯浅洋さん(57)は判決後、やるせない思いを募らせた。

「この上なく重い刑です。理解できましたか」。24日午後3時過ぎ、東京地裁104号法廷。判決を読み終えた村山浩昭裁判長に問われると、加藤被告は「はい」と小さく答え、いつも通り傍聴席の被害者に向かって深々と一礼した。「死刑判決を受け入れる気持ちになっているのか」。湯浅さんはそう感じたが、被告の内面はうかがえなかった。

被害に遭った後、湯浅さんは事件を考える集会に参加した。若者たちが「加藤さん」と被告に共感を持つ様子が気になり、事件をもっと知りたいと思った。

被告は自身の3人の子供と同年代。被告に死刑を求めるのは「割り切れない」とも思うが「法の最高刑が死刑である以上、死をもって償うべき事件。死刑以外は考えられない」という。

2010年01月から30回に及んだ公判の多くを傍聴した。無表情で淡々と話す被告の姿が印象に残った。「君の人となりが見えない」。今月、被告に手紙を出し、東京拘置所に2度足を運んだが、被告に拒否されて面会はかなわなかった。

被告に刺された右脇腹の約15センチの傷が今も時折うずく。しびれは一生消えないと医者に言われた。「まだ分からないことがたくさんある。第2、第3の加藤被告を生まないために、いろんな人に考えてもらいたい。今後も経験を語り続け、加藤被告本人の話も聞きたい」。傷とともに歩み、事件を考え続けるつもりだ。

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以上引用

しかしである。加藤智大被告、彼にしてみれば、幼少期は鬼母に虐待されまくり、県下の有名進学校、青森県立青森高校で落ちこぼれ、親の期待には応えられずに青森から遠く離れた岐阜の無名の中日本自動車短大へ。更に、就職時期は平成不況、就職氷河期のまっただ中。有名企業で正社員として働く事もできず派遣社員として明日をも知れぬ労働環境の中でまるで工場の中のロボットの様に働き、心を許せる友も異性の友人もおらず、携帯サイトのコミュニケーションだけが彼を人として成立させていた状況で、スレッドを立てれば荒らされ、工場へ行けば作業服が見当たらない。

仕事も辞め、住む場所もない。自分をあたたかく迎えてくれる故郷もない。友人関係も異性もいない。常に孤独感に苛まれる。どこにも自分の居場所はなく、受け入れてくれる人もいない。

その状況に「あぁ、俺はもう用なし」なんだなと本人が意味をつければ「最後に俺と言う人間の存在を思い知らせてやる!」と「無差別テロを企てる」人間も現実に存在したと言う事です。
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<編集部Aの場合 人生のリセットと事故体験>

私の場合、35歳の時、テロを決行しました。ただし自分の場合は自爆テロでした。結婚生活はうまく行かない。相変わらず皮膚疾患は治まらない。人間関係は破綻。仕事上の評価も得られない。実家は宗教優先主義。

毎日毎日、皮膚疾患の痛みに耐えながら通勤する。しかし、病気の事は周囲には話さない、いや、話せない。会社にハンディがある事を知られるのが嫌だったから。おまけに私は「絶対正しい宗教」を実践している家の長男なのだ。病気にはなっていけない。因果応報。正しい事をしていれば、正しい結果が出るはずだ。両親にも自分がこんなにも追いつめられている事すら話せない。相談しても「お経を唱える回数が少ない」「お前の生活姿勢が誤っているから病気になるのだ」と突き放されるのはわかっている。今から考えても恐ろしい家庭である。そうこうしているうちに病気は悪化の一途をたどる。帰宅すると同時に床に倒れこみ、家の中では四つん這いになって生活する。歯を磨く為に洗面台に立つことも、トイレに用を足しに行くにも不自由する始末。・・・もうダメだ。

もう絶えられない!・・。とうとうその日が来た。

この生活、この家、この家族関係、この価値観は絶対間違っている!

離婚。退職。転職。見知らぬ土地へ引越し。家族との絶縁。まさしく今までの人生のリセットです。他人を殺す事はありませんでしたが、私は自分で過去の自分を殺しました。明らかに「自殺」です。私にとっての「秋葉原無差別殺傷事件」は私が35歳の時にやってきたのです。

そして、転居してから半年後、慣れない仕事で疲労が蓄積してしまった為か、自動車の運転中、居眠り運転で自損事故を起こしました。60km/h位で走行中、道路脇の樹木に衝突。衝突の直前、目を開けるもののブレーキは踏めず、目前でラジエターから蒸気が噴出し、フロントガラスにヒビが入るのを見た。一瞬の出来事。その後は、夜の為何もみえず。車は勢い余って180度反転。すべてのタイヤがパンク、前後のバンパーがふっとんだ。運転者の自分はシートベルトをしていた為に、奇跡的に擦り傷程度で助かる。自身の左脇にシートベルト痕ができる程の衝撃であったが、その痕も一週間で消えた。首の後ろの痛みも数日で治まった。胸を強く圧迫された為に直後は呼吸ができず、自力で車外に脱出するものの、道路脇で四つん這いになって「はぁはぁ」呼吸をしていた。

後続車の方に助けられ、救急車で日赤病院に運ばれる。頭部、胸部のレントゲン写真を撮られるものの異常なし。診断は体の各所の軽い打撲のみであった。

看護婦さん曰く「今夜はサッカーワールドカップで日本の試合を放送中だから急患はないわよね・・と話していたら貴方が担ぎ込まれたのよ」・・そう中田英寿ら日本代表がピッチを駆けまわっていたまさにその時。(後から調べた結果:1998年FIFAワールドカップ開催中の事で、日にちは、6月14、20、26日の何れかだった筈。もう10年以上も前の事である。)

今から思えば、あれが私の生まれ変わりの(再生)の儀式であったのだろう。自分が生まれ変わる為の生贄(いけにえ)が当時乗っていた乗用車だったのだ。今までの自分を殺す代わりに、自分の分身の乗用車を破壊したに違いない。

あれが私自身の秋葉原事件だったのである。

もし、魔が差してシートベルトをせずに、普段は有り得ない居眠り運転をして、樹木に衝突し、ハンドルで胸部を強打するかフロントガラスを突き破って車外に放り出され、無残な姿で息を引きとっていたら世間の人々は何と言っただろうか?「うそ!」「なぜ?」「まさか?」「どうして?」「信じられない」と言ったに違いない。しかし、総ては必然なのである。私は、事故ではなく「自己再生」の儀式を経て、以前の自分とは異なった価値観を持つ自分を誕生させ今も生き延びている。お陰さまで仕事は長時間勤務で重労働だがストレス性の病気とは無縁である。更に、現在の私は15年間無事故無違反を継続中の模範ドライバーと言う事になっている。お笑いである。

以下蛇足。

生まれ変わった私がした事。経済的束縛からの脱出。バブル崩壊の年。平成元年、二千数百万円のマンションを購入した。当時、日本経済はバブルの真っ盛り。いくら地方都市でもこのまま土地やマンションの値段が上がり続けたらサラリーマンの給料では持ち家どころか分譲マンションの購入も難しくなる。そんな状況の中、私は35年ローンを利用し、あるマンションを購入した。ローンの仕組みは初年度から数年は支払金額を安く設定してステップ償還(今や死語?)という奴だった。金利はたしか4.25。ゼロ金利が当たり前の今に比べれ「高!」と即答なのだが、バブル当時は4.25が史上最低の金利だったのである。時代は変わる。これは間違いない事実である。

実際に購入したマンションは快適で、ビデオやレーザーディスクを購入、3ナンバー車、バイクを複数台所有、表面的、経済的には楽しい生活を装っていたのだが、この分譲マンションと言う奴。「家賃程度の支払」と言うキャッチフレーズに惑わされて購入すると大変な事になる。

ローンの支払というものは、自分の経済状況はまったく顧みられない。生きようが、疾病しようが、失業しようが、絶対返済しないといけないし、支払いが遅延するとご丁寧に延滞金まで請求される。更に、マンションは管理費。固定資産税もかさむ。なかなか維持管理するのは簡単でないのだ。

いままでの生活をリセットした自分に未だについてまわるのが、この住宅ローンという経済的呪縛だ。「この月々のローンの支払いをやめたい」自由に生きる事を決意した私の敵は、私を経済的に縛り付ける憎っくき「住宅ローン」である。色々検討した結果、ローンは返済すればいいと言う結論に達した。以降、それから4年間で35年ローンを完済した。私の「経済4年戦争」は私の勝利に終わった。もう、銀行には金利は払わない。月々数千円のローンの償還表が手元に届いてから更に半年。ローンの支払いは終了した。その時の美酒は体の細胞一個一個に染み渡った様だった。これで、私は「低収入者になる権利」を獲得した。心底ほっとした。もう、月々安定した収入を得なくても、低収入でも生きていけるのだ。インフレ時代からデフレ時代へ。時代にマッチした生き方を獲得した。笑。人間生まれ変わればこんな事もできるんです。

今日の自分を殺し、新しい生まれ変わった自分で明日を生きる。この話は後から紹介する「投企」につながっていきます。

それでは、加藤智大被告の秋葉原無差別傷害事件にはどういう意味があったのだろうか?次項で精神分析家の分析を披露します。

△TOP

8、精神分析家の分析

天海有輝のセラピー日記より

分析家の独り言 112 (秋葉原通り魔事件)

日時: 2008年06月12日 08:23 天海有輝

また凄惨な事件が起きた。
加藤容疑者についていろいろな情報が出てきた。
私が最初にこの報道を聞いて思ったのは、会社にいって作業着であるつなぎがなかった、それをみて加藤容疑者は、「やめろってか」と思いキレたとのこと。
よほど加藤容疑者は、これまで排除されてきた人なのだろう。
例えば同じように、作業服であるつなぎがなかったとする。
しかし100人が100人、加藤容疑者と同じことを思わない。
そこにその人独特の意味の付け方が在る。
ラカンは、人は意味の病に陥っているという。
「やめろってか」という意味の付け方、誰もそんなことはいっていない。
たまたま誰かが移動させたのかもしれない、事情はわからないが。
「やめろってか」と思うということは、彼がこれまで生きてく間に、そう思う、そう意味つける心の構造を作ってきたということ。
冷静に対応するなら、会社の人に自分のつなぎがないが知らないか、聞けばいい事。
ここにその人のコンプレックスがあらわれる。
自分を否定されず、排除されず、人と良好な関係を築いてきた人なら、彼のような意味の付け方はしないだろう。
人や自分への信頼をもてるかどうか、それがキレる程度にも影響するだろう。
キレて無差別に人を殺傷するのか、家庭内で暴れるのか、物にあたるか、友人に愚痴るか、スポーツなどで発散するのか・・・などなど。
残念ながら彼には愚痴れる友人や彼女もいなかったようで、孤立感をもっていたのだろう。
加藤容疑者は事件を実際に起こしてしまったが、その手前にいる人達もいるだろう。
どうか思いとどまって、行動化しないで欲しい。
攻撃性をこういう形で出しても、本当の解決にはならない。

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天海有輝のセラピー日記より

精神分析家による秋葉原通り魔事件分析

日時: 2008年06月17日 00:24

<秋葉原通り魔事件>

又しても、日本の家庭崩壊と社会の病理が生み出した、凄惨な通り魔事件が起きた。

私は瞬時にあの大阪の死刑となった「宅間」を憶い出し、彼の再来だと思った(附属池田小事件)。あの無差別性は「社会と人間の不条理」を世に現して、宅間の殺人動機と同一であると確信した。すると、正にあの6月8日は宅間の事件日だった。

とまれ、加藤も、あの記者会見で判る通りの夫婦の許に育てられ、あのサイトに書き込まれた彼の文面からも判るように、「主体性の奪取」による、彼の主体性の抹消こそ、彼の動機のすべてである。あの夫婦、彼の両親の関係は、週間ポストの見出しにあるように、テレビを見ていた人誰もが抱いた印象を見事こう表現していた『倒れた妻をまるで荷物のように抱えた父親』と。そして、その前に夫は、妻が泣き崩れているのに、一瞥もくれず、自分の荷物だけを先に家に入れていた。

2008年06月10日 加藤両親謝罪会見
日テレニュース24(2008年06月12日夕方放送) 息子が重大な事件を犯しまして・・・・大変申し訳なく思っております。

 ただ子供を自らの自己愛の満足のために操り、主体性を奪い取りそして「見捨てた」。「中学になった頃には親の力が足りなくなって捨てられた」と彼は書いている。

夫婦の自己愛の道具にしたことと、見捨てられたことで、彼の心は壊れた。

あとは、親とそれへの憎しみを投影して、社会と人々に復讐することだけの主体が作りだした、「独占」行為しかなくなった。そうして選ばれたのが「ワイドショウの独占」だった。事件を起す、それも飛び切りセンセーショナルなもので、それは「無差別殺人」しかなかった。

彼はこうして、日本の家庭崩壊した現状を先鋭的に示したのである。これは警告ではない、精神病理が現象化し始めた、パンデミックなのだということをわれわれは知るべきである。

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金谷精神療法研究所から

今月のメッセージ

2008年07月01日

とんでもない事件(秋葉原通り魔事件)が起こった。

6月8日(日)歩行者天国で賑わう昼下がり、東京秋葉原で無差別殺人。
7人が死亡、10人の方が重軽傷を負った。犯人は現行犯で逮捕されたが時すでに遅し、大惨事になってしまった。こういう事件が起こると「何故?こんなひどい事をするのか」と誰もが疑問に思う。

しかし、これを明確に解明する人はいない。ワイドショーや新聞などでコメントを発表されている大学教授や犯罪心理学者、皆完璧にはずしている。

ラカンの精神分析は、言葉と行動を見てその根本原因をずばり解明する。
しかしながら世の中と言うものは、有資格者や有名大学の教授と言う何かしらの肩書きのある人のコメントには耳を傾けようとするが、我々の言う事には一切耳を貸そうとはしない。

コメンテーター曰く「逮捕された加藤智大容疑者(25)は自己顕示欲があった」とか、「派遣労働者で不安定な雇用体制から先行きの不安による犯行だろう。」等と語っておられましたが、彼を分析するならば以下のようになる。

彼は親に、特に母親に作られた優等生である。小学校の時に母親が書いた作文で賞をもらい、母親が描いた絵で賞をもらった「作られた優等生」である。中学までは成績がよく有名進学校に入学したとたん成績は中の下、言わば落ちこぼれになったと言っても過言ではない。

今の今まで親が指示・命令し誘導して来たものを急に高校になって、親の学力がついて行けなくなったら見捨てる。自分の力でやったことが無い人間が、自分ので決定し行動することなど出来るわけがない。

「人間は学習したこと以外は出来ないのである。」

おまけに母親は加藤容疑者が脱落すると彼を諦め、弟に力を入れていった。

彼はどう生きていけばいいのか? さ迷い不安定になり誰一人彼の境遇や気持ちを理解してやろうとしなかったのだろう。

彼は自己顕示欲ではなく、あらゆる手段で特にサイトなどを利用し自ら叫んでいたのである。
『俺のことを見てくれ!』『俺を守ってくれ!』『俺を助けてくれ!』と。携帯サイトに細かく犯行予告をしていたのは、「誰かが止めてくれると思った」と後日彼が語った事が証明している。人間が一番辛く悲しいのは「孤立無援」になる事だ。社会でも「村八分」はきつい。犯罪を犯して刑を受ける一番きついのは「独房」に入れられることだ。
彼は誰からも見捨てられその上、親にも、これでは生きていけるはずがない。

次は「何故あの時あの場所だったのか?」人間はイメージで動く。「あんなことをしたらいけない」頭では分っていた。それぐらいの知恵はあったであろう。これも後日判明した事であるが、一回で凶行に走ったのではなく、何回か周りを走ってためらっていた。

では何がそうさせるのか?精神が作り上げるイメージである。人間は生まれてから2年ぐらいの間は認識能力も言語理解力・表現力は無いに等しい。
その間はイメージで動いている。感覚で捉えたものを何かしらのイメージを作って、それで行動する。大人には訳が分らず異様に見えるが子供には普通である。
こうして知恵より先にイメージで行動することを身につけているから、知恵を超えるものが発生するとイメージで動いてしまう。

彼は自分の世界を地獄と規定していた。自分の世界を表現するならば天国は要らない。故に歩行者"天国"を抹殺し地獄にしなければならない。犯行直後の光景はまさに地獄絵図のごとくであった。

人間は親に育てられた通りに行動し生きて行く。私もこの場を借りて何度も言い続けているが、子供を育てるのは母親で、教育するのは父親である。母親は子供の要求に「オールOK!」で接し、ただただ与え続ければよい。必要なのは"抱っこ"と"まなざし"である。

我がままになり、自己主張をする子供に育て、後に父親が社会の厳しさ、ルールを論理的に教えて行く。

こうした夫婦の絶妙のコンビネーションによる子育てがこの様な悲惨なことにはならない方法なのである。

最後に手前味噌で申し訳ないですが、私のクライアントがこの事件のニュースを見て「一つ間違えば確実に家もあのようになってた可能性がある。分析を信じひたすら行動してきたおかげで、今は幸せに暮らす事が出来ている。感謝し自らを誉めたい」と。共にそれをみて来た私も本当によくわかります。

この様な言葉を聞くとこの理論を一歩も引かず推し進めてきたことは、正しかったと感じています。

この様な事件を起こす原因は養育の仕方にある事に気付いてほしい。母親が優しく尽くしてくれて、父親が真剣に守ってくれる、そんな家庭からこんな惨い犯罪は起こらないと断言する!

金谷精神療法研究所

所長 真理攫取

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宣照真里のセラピー日記より

分析家の独り言 229 (秋葉原通り魔事件から1年)

日時: 2009年6月 8日 09:02

まだ記憶に新しい、世間を震撼させた秋葉原通り魔事件から1年が経った。

分析に来られる親御さんの中には、「うちでも世間で起きている事件がいつ起こるかわからない」、「第二の秋葉原事件が起こるかもしれない」と言う方がいる。

同世代のクライアント達は、「加藤被告の気持ちがわかる」とか、「共感できる」と言う。

しかし、実際に行動化するとしないでは、大きな違いである。
加藤被告の心の闇を解明することはできるだろうか。

思い起こされるのは、神戸連続児童殺傷事件の自称酒鬼薔薇聖斗や、すでに平成16年9月14日死刑執行(享年40歳)されている、大阪池田小学校で児童を殺傷した宅間守。

原因があっての結果なのだから、無差別殺人を起こすに至った原因を徹底的に探ってみたいものである。

事件を起こした彼らの中にあった攻撃性、憎しみ、不満、寂しさ、孤独・・・
彼らに、一人でも彼らの話に耳を傾け、理解しようとする人間がいたら、事件を起こさずに済んだかもしれないと分析の中で語りあうことがある。

やはり会話と理解、それらを育ってくる過程で、まず親といかに体験し学習できたか。

ネット等で彼らの生い立ちを読む限り、そういうものがあったどころか、反対に寒い中薄着で外に締め出されたなど、世間では躾の範囲か?といわれるが、分析的に言えば明らかな虐待があった。

やられた子はやり返す。

親にやり返せば家庭内暴力。

それ(親)を超えて社会が悪いとなり、無差別化すれば事件となる。
おそらく、親御さんの中には自分の子どもにそういった不安を持っておられる方もいるだろう。
残念ながら事件一歩手前の予備軍は、少なくないと思う。
私は事件となる前に、なんとか未然に防ぎたいと切に願い、日々分析を通してクライアントと接している。

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宣照真里のセラピー日記より

分析家の独り言 315 (東京・秋葉原の無差別殺傷事件、加藤智大被告)

日時: 2010年1月28日 23:48

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(27)の初公判が28日、東京地裁で開かれた。

加藤智大被告(27)が、事件で重傷を負った東京都江東区の元タクシー運転手、湯浅洋さん(55)に謝罪の手紙を送っていた。

加藤被告は、この手紙の中で、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この度は本当に申し訳ございませんでした。
言い訳できることは何もありません。
私は小さい頃(ころ)から「いい子」を演じてきました。
意識してやっているわけではなく、それが当たり前でした。
そのことがあるので、取り調べを受けている時から「申し訳ない」と思っている自分は、はたして本当の自分なのか、という疑念がありました。
形だけの謝罪文はいくらでも書けますが、それは皆様への冒涜(ぼうとく)でしかなく、これは本心なの か、いつもの「いい子」ではないのか、と常に自問しながら書いています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と書かれている。

彼は、親に気に入るいい子を演じてきたのだろう。

おそらくそうしなければしかられる、家庭内での自分の待遇が悪くなったのだろう。

いい子を演じることは当たり前のことで、意識してやっているわけではないという。

いい子をするとは、自分の主体性や欲望を抹殺し、他者((親)に主体性を奪われていただろう。

だから、今謝罪している自分さえ、本当の自分の気持ちか、相変わらず小さい頃からしてきた「いい子」なのか、自分でもわからないのだ。

いい子いい人を演じていると、本当の自分が一体何なのかわからなくなる。

彼は自分を持たず、抜け殻のまま他者(親)の望むように生きてきた。

自分の感覚、考え、気持ちを持ち、それらを承認され肯定されないことは自我の死に等しい。

子育てをする親御さんたち、今一度子どもへの対応を振り返り反省して欲しい。


加藤被告は、次の様にも書いている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「皆様には夢があり、温かい家族、恋人、友人などに囲まれ、人生を満喫していたところを私がすべて壊してしまった。
取り返しのつかないことをしてしまった」「私にはそういったものはなく、それらを理不尽に奪われる苦痛を自分のこととして想像できず、歯がゆい」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼には温かい家族、恋人、友人などに囲まれることも、人生を満喫することもなかった。

せめて誰か彼の言葉に耳を傾ける人がいたら、ここまでの事件を起こすことは避けられたかもしれない。

いい子ではなく、まず彼の言うことをしっかり聞ける親がいたならと思う。


更に、次の様な文章もある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうせ死刑だと開き直るのではなく、すべてを説明することが皆さまと社会に対する責任であり、義務だと考えています。
真実を明らかにし、対策してもらうことで似たような事件が二度と起らないようにすることで償いたいと考えています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
是非その様にして欲しい。

彼の心の闇を解き明かすことで、今後同じような事件が起こらないようにしたいものである。

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宣照真里のセラピー日記より

分析家の独り言 399 (ラカン精神科学研究所HP7万件アクセス:月刊精神分析2009年9月号 秋葉原無差別殺人事件)

2011年3月25日 10:31

ラカン精神科学研究所のHP並びに各サイトへのアクセスが、昨日一日で3400ほどあり一気に7万を越えた。

昨日は、秋葉原連続殺傷事件の加藤智大被告の裁判で判決が言い渡される日であったため、秋葉原連続殺傷事件を検索する人達のアクセスが増えたと思われる。

月刊精神分析2009年9月号 秋葉原無差別殺人事件

昨日の裁判で、08年6月に東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件で、17人を殺傷したとして殺人などの罪に問われていた加藤智大被告(28)に対し、東京地裁は24日、死刑を言い渡した。

判決で東京地裁は、「犯行を思いついた発想の危険さ、残虐さ、冷酷さは被告人の人格に根差したものであり、更生は著しく困難である」と述べた。

被害者の皆さんにとっては当然の結果であり、望まれることだと思う。

しかし、彼が死刑になったとしても、第二、第三の加藤被告が現れないとは限らない。

可能なら、彼の養育史を丹念に聴き心の構造を分析し、今後同じような事件を予防するために私たちが知り考える事が出来ないかと思う。

△TOP

9、スーパーバイザーの話

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私が精神分析を受けている惟能先生に次の問いを投げかけてみた。

Q1、加藤智大被告があのような事件を起こしたのはなぜか?世の中には虐待を受けて育った人や、派遣社員として待遇の悪い中で生きている人、家族関係がうまくいっていない人は沢山います。なぜ、加藤智大被告はあのような事件を起こしてしまったのでしょうか?

A1、それは、加藤被告の精神構造を分析してみないとわかりません。少なくとも、三つの決定的なエピソードが発掘できないとわかりません。私は三点測量と呼んでいます。

ただ、あの事件の規模から推測すると、加藤被告はずっと抑圧されてきたのでしょう。あるきっかけでそれが臨界点に達してあんな事件になってしまったのでしょう。

Q2、加藤智大被告には弟がいますが、兄はあんな大事件を起こしたのですが、弟の方は5年間引きこもっていたそうです。同じ母親から育てられたのにこの違いはなんでしょうか?実は私の弟も引きこもっています。

A2、これも詳しく分析してみないとはっきりした事はいえませんが、兄は家を離れる力量があったのだすが、弟の方はそういったパワーすらなかったと言う事です。何れにしても母親の接し方に問題があったのは事実ですね。

・・・ここで先生に意地悪な質問を投げかけてみた。・・・

Q3、先生。それでは、精神分析は、起こった結果について後付けで色々理由付けをしているだけと言われてしまっても仕方ないのではないですか?

世間では、二度とあんな事件が起きないようにするにはどうすればいいのか?と言う事に感心があるのだし、裁判では、死刑判決が出るのは当然だし、加藤被告が「事件当日の事はよく覚えていません、でも、やってしまった事は事実です。携帯サイトの荒らし行為をやめさせたくてやりました。」・・・で裁判が終わってしまっては、今後、第二第三の秋葉原事件が起きてしまいます。

A3、先程も言いましが、精神分析をする上では、無意識を発掘する事がポイントです。本人も意識できない(意識していない)無意識を意識化する事がセラピーの肝です。私は結果を受けての事後分析もしますが、クライアントの語りから、その人の未来の予測もできます。

Q4、そういえば、先生の著書の「心的遺伝子論 産み分け法」もひとつの予測ですよね。この夫婦の関係から生まれてくるのが男の子か女の子か予測できてしまう。もう一歩踏み込んで、セラピーによって望む性別の赤ちゃんを授かる事ができるなんて・・私も先生の本を読んで精神分析の理屈がよくわかりました。

A4、そうです。ですから、裁判では精神分析ではなく「精神鑑定」で加藤被告の責任能力の有無を問う展開になっていますが、なぜ?起こったかについては「精神鑑定」は無意味です。検事と弁護士の間で法によって裁かれれば、当然、死刑判決でしょう。あの、事件の意味を問うならば、じっくり時間をかけて加藤被告の精神分析をするべきです。さっき三点測量の話をしましたが、数学の世界で三点がわかれば、二次曲線を描くことができますから、次に出現する4点目の位置は容易に導きだされるでしょう。過去から現在、現在から未来、そしてその先に現れる未来が予測できるのです。

<編集部Aのまとめ>

思い出した。そういえば、フィボナッチ数列ってありました。

先生の著書「運命は名前で決まる」から引用

元々ラカンの言う「知」には、自我理想は含んでなくて。「我思う、故に我在り」と思う我在り、というコギト(編集部注:我思う、ゆえに我あり・・は、ルネ・デカルトが自著「方法序説」の中で提唱した有名な命題である)の連続性を言ったものである。それを敢えて私は、その知の中に今の自分と比較参照することで対立する未来の自分の姿を想定した。その未来の自分に向かって生きることを、実存主義では「投企」といった。人は不断に投企し続けていく存在なのである。次々と生まれてくる未来の自分を「知」とするなら、フィボナッチ数列(無限に続く数列)は成立する。

それには前提がある。未来の自分に今の自分が予想どおりに重なる、という前提の元に数列は成り立つ。しかし、必ずしも現実は、思い通りにいかず、例えば、母に愛されたいと思っていても、そうではなかった場合、数列は崩れる。そこには別な数値が入り、それまでの連続した自己は崩れて人間ではないものになってしまう。何故なら、人間が人間として成立するのは、この不断の自分の連続性(歴史性)に他ならないからである。違った数値はそれまでの人生を断ち切ったり、欠落をつくったり、停止させる。このとき。人生は空虚になり、充実感を失う。充実とは、この不断の連続性のことだったのだ。

人間に停止はなく、永遠に手に入らない「知」に向かって投企し続けていくだけの存在なのである。それが生きていくということなのだ。むしろこの「知」に牽引されながら生きる。この「知」を失ったときに、人は死ぬ。生物としての死ではなく、人間としての生の終焉を迎える。

名付けられた名前こそ、その「知」なのだ。知は変化していく。それにつれて名前も変わるべきなのだ。なのに人は名前を変えない。それができるのは、作家ぐらいなものだ。

もっと、人間は自由に名前を変え、未来の知に向かって生きるべきなのだ。べき、と言ったのは、進化して行く精神が本来と考えるからだ。その本来性を国家と社会と常識と文化と教育が、それを奪っているからである。名前を変えるエネルギーがあれば、人はきっと自ら運命を変えることもできる。だから変えるべきだ、と言うのである。

引用終わり。

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10、加藤智大と私の共通点

サイトの「はじめに」で、彼に親近感を覚えたと書きましたが、サイトを作成している過程で、更に似ていると思う事がでてきましたので以下にまとめてみます。

1、きびしい家庭の長男として生まれる。
2、小学生の頃から塾、習い事に通わされる。
3、両親は固い職業についている。
4、両親は世間体を気にする。外面がよい。
5、引きこもりの弟がいる。
6、バイク、車好き。
7、家族関係があまりよろしくない。実家とは疎遠。
8、父は子供の教育に無関心。母にまかせっきり。
9、職場や生活する上での不満の表現の仕方が似ている。自分は悪くないと思いながらも、それを正面きって主張できずに、別の事で相手に知らしめようとする。適切に自我が育っていないとこうなるという事がよくわかる。(わかりにくかったらすみません)
10、孤独感を感じている。共感するフレーズ:まわりは全部敵。
11、加藤被告はサイトで知り合った人達に会いに行く旅(旅行)をしている。私も学生時代「鶴瓶・神野のぬかるみ世界」と言うラジオ番組を熱心に聴いており、その番組を通して知り合った人々にあう旅に出掛けた事がある。あれは、親とか家庭とかに支配された場所以外に自分を受け入れて人や場所を求める行為であったのだと思う。

以下、異なるところ

1、加藤被告は学校で「切れるタイプ」だったらしいが、私の場合は切れる事はできず、内にストレスを溜め込むタイプだった。よって私は、ストレス性の疾病を抱える事になった。私のスーパーバイザーの惟能創理先生は私を「退却神経症」と診断した。加藤被告はストレスを外出してあの様な事件を起こしてしまったのだろう。

2、私が社会に出た頃は世の経済状況が活況をていしていたので就職先に不自由はなかった。加藤被告の場合は、すでに平成不況に突入しており、製造業の雇用体制も派遣社員を採用する事が当たり前の状況であった。(小泉純一郎首相時代の2004年、規制緩和政策のもと労働者派遣法が改正され、製造業の派遣が解禁された為、同じ製造業にたずさわる立場でも正社員と派遣社員と言う立場の違い・・格差が発生したのは加藤被告にとってストレスを増幅させたに違いない)

3、加藤被告の掲示板の書き込みを読むと、異常に自己評価が低い。彼の容姿はそこまで劣悪ではないし、異性と接する事ができないと思い込んでいる様。

私が、加藤被告に親近感を感じるのは、「あぁそれってわかる」と思える部分が多いからである。例えば「彼女がいればこんな不幸な事にはならなかった」と言うような書き込みや自己評価としての「不細工」と言う表現など。

私自身はここ数年、精神分析の知識を吸収する事によって、男の場合、異性関係は「母との関係」の延長線上にあるんだと言う事が理解できた。ある場面では知らなければよかったと思うこともあるのだが、私にとって母とはこの世の中に一人しかいないのだから仕方ない。

例えばこうである。加藤被告の携帯掲示板の書き込みをこう読み替えてみよう。

「彼女がいれば、仕事を辞めることも、車を無くすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった/希望がある奴(やつ)にはわかるまい/ 彼女さえいればこんなに惨めに生きなくていいのに。」

この「彼女」を「母性を持った母」と読み替えれば、加藤被告がいかに母を熱望しているかがわかります。世界中の総ての人間が敵にまわっても、どんな状況になっても自分を愛して受け入れてくれる母。それさえあれば、どんな苦難にも立ち向かっていけるのに。自分にはそれがない。・・・と、加藤被告は自ら携帯依存と自虐しながら訴えているのです。

母なる大地。母校。母星。母港。母国。母を内在していない精神の脆さがわかりますか?

「mother」mをとったら「other」。

母なる証明
息子は犯人じゃない!俺はやっていない。「この子を守るのは、私しかいない」

あぁ、この世でただ一人の母から愛されなかった男の悲劇がここにある。

私も生まれる時期が少し遅かったら、切れるタイプの人間だったら、自責傾向ではなく他責傾向の精神構造だったら、ひょっとしたら加藤被告と同じような事件をいつかどこかで起こしていたかもしれません。そう感じる事ができるから、加藤被告に同情、共感できるのでしょう。

何かの拍子に加藤智大被告と知り合っていたら?もし、バイクや車などの趣味を通して知り合っていたら?彼は僕にどんな言葉を投げかけてきただろうか?バイクや車の自慢話?体験談経験談?世の中に対する不満?将来への不安?彼は頭がいいから、きっと理論的で理詰の話をしてきたのではないか?携帯掲示板の不毛なやりとりではなく、自虐的自嘲的な表現ではなく、もっと何か前向きなコミュニケーションが出来ていたら・・と思う。彼は、携帯サイトで知り合った人たちに会う事を目的にした旅行もしている。しかし、彼の心の松明が灯る事はなかった。

残念でならない。

そして、今も日本中に加藤被告に共感、共鳴する人は沢山いる筈。

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11、終わりに

今月は、加藤被告への判決が出されました。あの日から、どれだけの時間が流れた事でしょう。

私は東京に往く度に秋葉原を訪れます。安いSDカードはないか?掘り出し物はないか?と思いながらも、なぜかしら、あの加藤被告が逃げ込んだ路地に入っていきます。「ここで、警官と対峙して、ここで取り押さえられて・・・」と心の中で思い、あの時の報道の映像が脳裏に浮かびます。

亡くなった人、怪我をされた人、救命に奔走した人、逃げ惑った人、飛び交う怒号と悲鳴。

なぜ、あんな事が起こったのか?どうしたら起こらなかったのか?

まるで、あんな事が無かったかの様に、秋葉原という街はあり続けます。

行き交う人達を眺め「この人達もいつか狂気の加害者になるのか?被害者になるのか?」と思いながら・・・・

平成23年03月03日 月刊精神分析編集部A

ご意見ご感想はlacan.fukuoka@gmail.comへ

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参考:部屋はその人の精神内界

今回の事件で、加藤被告が「サイトを荒らすのをやめて欲しくて事件を起こしました」と公判で述べていました。

被害者や遺族にすれば「たかが掲示板を荒らされた事くらいで」と思われて当然だと思います。

しかし、私はサイトの記述が引き金になって起こった凄惨な事件を思い出しました。みなさんは覚えていますか?「佐世保小6女児同級生殺害事件」を。

2004年(平成16年)6月1日午後0時45分ころ、長崎県佐世保市の佐世保市立大久保小学校の3階学習ルームで6年生で毎日新聞社佐世保市局長の御手洗恭二(みたらいきょうじ/当時45歳)の長女の怜美(さとみ)ちゃん(12歳)が大量の血を流して倒れているのを担任男性教諭(当時36歳)が見つけ、119番通報。救急隊が急行したが、すでに心肺停止状態だった。その後、長崎大学医学部で司法解剖した結果、死因は首を切られたことによる失血死と判明した。

服に血がついていた女子児童(当時11歳)に事情を訊いたところ、カッターナイフで切りつけたことを認めた。長崎県警は女児を補導し、夕方、児童福祉法に基づき、佐世保児童相談所に通告した。

刑罰・法令に触れる行為をした14歳未満の少年(触法少年)は刑事責任を問われないため、逮捕されることはない。警察は児童福祉法に基づき、児童相談所に通告。相談所は関係者への調査を基に訓戒、在宅指導、施設入所措置を決めるか、殺人など凶悪事件の場合は家庭裁判所へ送致する場合もある。家裁は審判開始か不開始を決め、審判では保護観察、児童自立支援施設や養護施設への送致―の保護処分を決定する。2003年(平成15年)7月1日、長崎市で中1男児(当時12歳)が幼児(4歳)を誘拐したあと、駐車場の屋上から突き落として死亡させた事件では、この手続きで児童自立支援施設への送致が決定された。

長崎県警は佐世保児童相談所から委託を受け、同日夜は加害女児の身柄を一時、保護した。長崎県警によると女児は反省している様子で、「すまないことをした」「ごめんなさい、ごめんなさい」と涙を見せているが、動機については話していないという。

ウィキペディアより引用
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事件の背景:5月下旬頃、遊びで被害女児が加害女児をおんぶしたとき、加害女児に「重い」と言い、加害女児は腹を立て「失礼しちゃうわ」と言った。その後、被害女児は自分のウェブサイトに「言い方がぶりっ子だ」と書いた。それを見た加害女児は何らかの方法で入手した被害女児のパスワードを使ってその記述を削除した。しかしその後再び同様の書き込みをされ、加害女児は被害女児に殺意を抱いた。被害女児は自分の掲示板が不正に書き換えられたことについて「荒らしにアッタンダ。マァ大体ダレがやってるかワかるケド」と書いた。それを受けて加害女児は被害女児のネット上のアバターを消去した。
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精神分析の世界では「部屋はその人の精神内界」と言います。

以下、引用です。

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ラカン精神科学研究所

天海有輝のセラピー日記より

分析家の独り言 105 (子どもの自我を育むために)

思春期の子どもさんがおられるお母さんと話す中で、お母さんが子どもの部屋に勝手に入るというのをよく耳にする。

部屋が汚いとか、片付かかないのを見かねて、お母さんが子どもの了解を得ずに部屋に入り掃除いていることもある。

家は親のものでも、子どもに部屋を与えたら、その部屋は子どものものである。

例え親であろうとも、子どもの許可無く入ってはいけない。

ましてや掃除と称して、子どものものを勝手に触らないこと。

いつもクライアントに話すことだが、部屋はその人の精神内界と同じであるから、勝手に入るということは、土足で人の心に踏み入るのと同じ。

それをされて不快な想いをしないわけがない。

特に思春期の子どもは、自室にこもり、いろんなことを考える。

自分はこれからどういう方向に行くのか、行きたいのか、自分とは何かなど・・・

それを部屋が汚いとか、「ああせえ」、「こうせえ」とうるさくいわれたのでは、落ち着いて考えることもできない。

部屋が片付かないということは、その子の心の中の整理がつかないということである。

ならばそっとしておいてやること。

心の整理がついてくると、自然と部屋も整理されてくる。

あるうつ病者の部屋は足の踏み場もなかった。

分析を受けるうち、部屋の端っこにあったベットが真ん中に置かれ、そこに続く1本の道ができた。

開くことのなったカーテンが開けられるようにもなった。

2008年04月30日

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自分のサイトをホームページと言う。そのサイトは自分の家、陣地、立ち位置、自分の領地・・・或いは、自分そのものなのである。決して他人が立ち入ってはいけない。

場合によってはこっ酷い報復を受けてしまう。秋葉原無差別連続事件の様に、佐世保小6女児同級生殺害事件の様に。

親が引きこもりの子供の部屋に入ったが為に、傷害事件に発展したケースもあるときく。

部屋はその人の精神内界である事を覚えておいて下さい。

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参考:Youtube動画


秋葉原無差別傷害事件に関係ある動画を紹介します。

勝谷誠彦さんのコラムの花道
TBSラジオ『ストリーム』のコラムの花道を収録したもの。加藤智大の携帯掲示板への投稿内容を鋭く分析。事件を神なき国のテロと評す。

事件直後のテレビ報道を収録
Youtubeで拾いました。当時のマスコミでの取り上げ方がよくわかると思います。

携帯掲示板への書き込み
携帯掲示板への書き込みを男性のナレーションで読み上げています。加藤被告がいかに主体を奪われた状態であったか、いかに孤独感に苛まれていたか、よくわかります。

秋葉原事件報道
一旦リストラを告知される。携帯電話への書き込み。作業場に行ったらつなぎが無かった。やめろってか!

秋葉原事件 翌日の様子
秋葉原事件の翌日の様子 犠牲者の友人などが現場を訪れた。

秋葉原事件 翌日の様子2
「世の中が嫌になった」同世代の反応

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ある人の死刑判決への感想

以下引用

加藤智大被告に対し東京地方裁判所が死刑判決を言い渡し、表面上は事件に1つの区切りがつきました。

それでも被害者やその家族、この事件に衝撃を受けた人たちは何らかの区切りを見い出せたわけではありません。

毎日新聞の記事を取り上げます。

東京・秋葉原殺傷:加藤被告に死刑 被害男性「何が真実だったのか」
http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2011/03/25/20110325ddm012040077000c.html

毎日新聞の記事も1年ほどでインターネット上から消えてしまうため、少し記事の中身を貼り付けておきたいと思います。

加藤智大被告に刺された被害者の男性が裁判を傍聴し続けたものの、「無表情で淡々と話す被告の姿が印象に残った。『君の人となりが見えない』。今月、被告に手紙を出し、東京拘置所に2度足を運んだが、被告に拒否されて面会はかなわなかった」とあります。

続く段落で、加藤智大被告の父親の談話が載っています。

「何であんなことしたのか本人にも分かってないのでは...」。加藤被告の父親(52)は青森市内で7日「私らとしては見守るしかない」と心境を語った。被害者に対しては「ただただ申し訳ない」と沈痛な表情で謝罪した。加藤被告は法廷で、事件の背景として「小さい頃の母の育て方が影響した」と語り、24日の判決も「母親の虐待とも言える養育によって人格にゆがみが生じた」と指摘した。だが父親は被告の発言について「後付けの理由のように思う。よそさまと比べて教育がそれほど違っていたとは思いません」と述べた。自身は仕事で忙しく、被告の教育にほとんど関与しなかったといい「子供のことは妻がやると決めていて、口を出すのは良くないと思った。ただ、どこの家庭にもあることでは」と話した。

判決後の対応は「本人が決めること。私らがどうこう言う筋合いではありませんので」と言葉少なだった。被告は弁護人以外との面会に応じておらず、両親も事件後、本人に会っていないという。

加藤智大被告が逮捕後、被害者からの面会要求も拒否し、両親とも会っていないのが分かるのですが、両親が東京拘置所まで面会のため出向いたのかは書かれていません。

これまでの報道を見て推測する限り、両親は加藤智大被告に面会に行ってないのだろうと考えられます。

息子を突き放し、よそよそしさすら感じられます。

殺人事件を起こした息子に面会するとなると、世間一般では甘やかしているのではないかと思われがちですが、そこはやはり親の責任で息子を叱責し、責任を問う言葉をかけるべきではないかと自分は考えます。

ですが加藤被告の両親は息子に冷淡で、叱責の言葉すらかけるつもりはないように感じられます。

これだけ親子関係がこじれているのには相当の理由があったはずなのですが、父親は「どこの家庭にもある」と言い放ち、まったく気にする素振りも示しません(内心では苦悩しているのかもしれませんが、それが伝わってこないところが奇妙です)。

ちなみに両親は被害者への賠償のため自宅を売却するなど手を尽くしており、まったく無責任な人ではありません。

だからこそ余計に、息子に対するよそよそしさが際立って見えるのです。

頑ななまでに息子と向き合おうとしない態度に、この家族が抱えた亀裂の深さが伺える気がします。

加藤被告の両親は事件を起こす前に別居、離婚していたとの報道もありました。

親子だけでなく、夫婦の間にも深い亀裂を抱えていたわけです。

夫婦としても、親子としても情緒的な交流がなく、殺伐とした家庭だったのでしょうか?

それを「どこの家庭も同じ」だと言ってのける父親の認識にぞっとせられます。

加藤智大被告の頑なで自分の殻に閉じこもるような人生は、この両親によって方向付けられたのは間違いないでしょう。

この親子は1度として腹を割って話し合う機会がなかったのかもしれません。

以上引用。

この「ある人」はネット上のブログに裁判の経過にあわせ、逐一、秋葉原連続殺傷事件に対する自分の考えを述べていた。私は、世間の一般(マジョリティ:majority)の方々の意見はこうだろうなと思いながら読まさせていただいていた。

加藤智大の母は、自分の息子が無差別殺傷事件の加害者となり、多くの報道関係者が自宅前に詰めかけた時に、倒れてしまう=相当なショックを受ける(ネット上では演技だと言う者もいるが)まともな人である。県下でも指折りの進学校、県立青森高校卒で地元の信用金庫に勤務し、社内恋愛の後、二児をもうけ、専業主婦になった。トレンディな人である。

加藤智大の父は、地元の高校を卒業し、信用金庫に勤務し、それなりに出世し、社内結婚をして、二人の男児をもうけ、自分の息子が無差別殺傷事件の加害者となり、多くの報道関係者が自宅前に詰めかけた時に、逃げも隠れもぜずきちんと説明対応ができる人である。

しかし、夫婦関係に問題があり(現在は修復しているのかは定かではない)、夫婦ともに、子供の教育に関しては、あまり褒められた事をしていない。

この、秋葉原事件の恐ろしさは、実はここにあるのだと思っている。

世界を震撼させた事件を起こした被告の両親や家庭環境は、実は、ごくありふれた環境だったのだ。

教育ママゴンと仕事は真面目にするが家庭と妻を顧みない、子供に無関心な父。別に珍しくはないのである。覚せい剤に走るわけでもなく、ギャンブルに溺れるわけでもない。家まで建てて、安定した会社(信用金庫)に勤務して、今風に言えば「勝ち組」の家庭である。

精神分析的視点で話すと、
子供の自我を育てる、子どもが生きていく為の自己肯定感を内在化させるのは母親の役目。そして、それが母性を持つ者の役割。その後、子供に社会のルールや規範を教えるのは父親の役目。それが、父性を持つ者の役割。と言う考えがあります。

そいう視点で「加藤智大」をみた時に、彼の携帯掲示板への書き込みをみると、ネタの部分や、ホンネの部分が混在しているにせよ、明らかに自己喪失、自己否定の文脈が読み取れます。母親の教育方針も、法廷で証言された彼の生い立ちからすると、彼に主体はなかったと言っていいと思います。更に、父親は、そういう母親の教育方針に口出しせず(口出しできなかった?)、黙認したのです。

そうして、秋葉原無差別殺傷事件は起きました。因が変わらなければ、再びこの種の事件は繰り返されるでしょう。

秋葉原無差別殺傷事件は、宅間守が起こした附属池田小事件と比べられますが、私の考えでは、村社会から孤立していった都井睦雄が起こした津山三十人殺し事件八つ墓村:横溝正史のモデル)や、経験なカトリック信者の息子が起こした西口彰事件復讐するは我にあり:佐々木隆三のモデル)やルネサンス佐世保散弾銃乱射事件と共通項が多いと思います。ネットで情報を検索すると、色々過去の文献や動画が簡単に閲覧できますのでみなさんも考えてみて下さい。

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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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付録1、法廷ライブ(東京地裁:平成22年07月27日)

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(1)】

母親「経済的な損害賠償は不可能...私は被告を見放さない」
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(27)の第16回公判が2010年07月27日午前10時前、東京地裁(村山浩昭裁判長)で始まった》
 《今回の公判からは、注目の加藤被告本人の被告人質問が行われる予定だ。半年前の今年1月28日の初公判では起訴内容を認め「私にできるせめてもの償いは、どうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します」と話した加藤被告。秋葉原の歩行者天国で無差別に通行人を殺傷するという理不尽極まりない惨劇を引き起こした理由が、ついに法廷で語られるときがやってきた》
 《これまでの15回にわたる公判では、重軽傷を負った被害者9人や目撃者ら計34人が検察側証人として出廷。「まるで戦場のようだった」「人生最悪の日だった」「死刑しかないと思う」などと語り、凄惨(せいさん)を極めた事件当時の状況が生々しく再現されてきた》
 《多数の証人尋問が行われることになったのは、弁護側が加藤被告や被害者、事件関係者などの供述調書の多くの部分を不同意としたためで、被害者の遺族が「傷口に塩を塗るような思いやりのない行為だ」と弁護側の法廷戦術を痛烈に批判する場面もあった》
 《法廷での加藤被告は時折、持参したノートにメモを書き記す以外は、終始無表情で視線を落としたままだ。ただ5月25日の第10回公判で、男性被害者の妻が「一つだけでも良いから、みなさんに良いことをしてほしい」と語りかけると、顔を紅潮させ、目に涙を浮かべるシーンもあった》
 《事件から丸2年となった6月8日の現場交差点では、遺族や関係者が献花台に花を手向け、被害者の冥福(めいふく)を祈る姿が見られた。「二度と同じ事件が起きないように...」。しかし、6月22日には、広島県の自動車工場で、従業員らが乗用車にはねられ、12人が死傷する事件が起き、元期間社員の容疑者は「秋葉原の事件のようにしてやろうと思った」と供述。加藤被告の引き起こした事件が、別の事件を誘発する事態に発展した》
 《加藤被告はなぜ、凶行に走ったのか。負の連鎖を断ち切るためにも、加藤被告の動機の解明は必要不可欠だ。果たして加藤被告は被告人質問で、闇に包まれた心の内をすべて明らかにするのだろうか》
 《法廷は、これまで同様、東京地裁最大の広さを誇る104号法廷だ。傍聴人の入廷が終わり、午前9時57分、加藤被告が向かって左手の扉から法廷に姿を現した。いつものように黒のスーツに白いワイシャツ姿で、頭は丸坊主で眼鏡をかけ、無表情。やはりいつものように傍聴席に向かって一礼し、向かって左手に位置する弁護人席の前の長いすに腰を下ろした》
 裁判長「それでは、開廷します」
 《村山裁判長は、この日の予定として、7月8、9の両日に青森県で行われた加藤被告の両親に対する証人尋問の結果を要旨の告知として朗読し、その後、弁護人の被告人質問を行うことを告げた》
 《向かって右側に位置する女性裁判官が口を開く》
 裁判官「それでは、7月8日に行った被告人の母親に対する証人尋問の要旨について述べます」
 「私は、青森高校を卒業後、地元の金融機関に就職しました。そこで同僚だった被告の父親と知り合い、昭和55年に結婚しました。その後、主婦となり、57年に長男である被告が生まれ、その3歳下に次男が生まれました。その後、62年に夫の職場が五所川原市から青森市に変わり、その年に家を建てました」
 《2人の子供が生まれ、マイホームも完成。ここまでの加藤家は平和そのものだが、その直後から、夫婦仲が悪化していったようだ。女性裁判官が、抑揚のない声で朗読を続ける》
 「引っ越してからは、夫が毎日のように酒を飲んで帰るのが遅く、暴れたり、帰宅しないこともあり、私はイライラし、子供たちに八つ当たりすることがたびたびありました」
「たとえば、被告を屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすまねをしたり、お尻をたたいたり。被告は食べるのが遅かったので、早く後片付けをしたくて、食事を茶碗(ちゃわん)からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」
 「もっとも、子供たちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました。単に不満のはけ口ではなく、なにがしか子供たちにも理由があったと思います。ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」
 「長男と次男に同じようなことをした記憶がありますが、どちらかというと長男である被告に強く当たりがちだったと思います」
 《子供たちにきつく当たる母親を、父親は静観していたようだ》
 「私が夫の前で怒ることもありましたが、夫は止めてくれませんでした」
 《要旨の告知は、母親が加藤被告をどう見ていたかに移る》
 「私は被告について、物覚えが早くて頭のいい子だと思っていましたが、一方で、あまり言うことを聞かない子だとも思っていました」
 「私は被告に、北海道大学や東北大学を目指してほしいと思っていて、自分と同じ青森高校に行ってほしいと思っていました」
 《母親は加藤被告に対し、学歴と安定した職業を求めていたが、父親は加藤被告の進路について何も言わなかったという》
 《加藤被告が中学生になると夫婦仲はさらに悪化。母親は加藤被告にイライラをぶつけたという》
 「被告は小学生のころは反抗するより、泣いていました。中学生になると物に当たって暴れたり、部屋の壁に穴を空けたりしました。中学2年生のときには、成績のことで被告と口論となり、顔を殴られたことがありました。私はそれ以降、被告とあまり口をきかなくなりました」
 《母親は学歴を求める一方で、加藤被告の将来の夢や恋愛を否定した》
 「中学3年のころ、被告がレーサーになりたいと言い出したので、危険だから絶対やめるように言いました。女の子とも交際していたようですが、成績にプラスにならないからやめるように言いました」
 《その後、加藤被告は母親の望む通り、青森高校に進学したが、成績が低下。友人と過ごすことが多くなり、母親との接触は少なくなっていった》
 《高校卒業後、加藤被告は自動車関係の短大に進学した》
 「私は、被告が昔から車が好きだったので、自分で進路を決めて良かったと思いました」
 《短大卒業後、加藤被告は仙台で一人暮らしを始めた。母親も時々訪れたというが、会うことはあまりなかったという。そんな加藤被告から平成18年8月に「これから死ぬから後はよろしく」と突然電話がかかってきたという》
 「私は、借金があると言っていたので、私が返してあげるから、必ず帰ってくるように言いました。それと、私が辛くあたったことも原因の一つだと思い、謝るから帰ってきなさいとも言いました」
 《その後、実家に戻ってきた加藤被告。母親は疲れていたようなので、具体的には何も尋ねなかったという》
 「その後、被告は『精神科に行きたい』といいましたが、あまり意味がないと思ったので、そうアドバイスし、結局行きませんでした」
 《そして母親は、19年5月に夫と別居。加藤被告もまた一人暮らしを始め、敷金や礼金、車の頭金50万円なども母親が預金から捻出(ねんしゅつ)してあげたという》
 「罪滅ぼしのつもりでした」
 《そして母親は19年8月に加藤被告と会った後、音信不通となり、20年6月8日にラジオで加藤被告の凶行を知ったという》
 「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません。被害者や遺族の方には申し訳ないと思いますが、経済的な損害賠償は不可能です。私は被告を見放すことはなく、できる範囲でこたえていきたいです」

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(2)】

「つぐないのため、すべて話す」 「掲示板の荒らしやめさせる」ことが動機
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)。青森県で行われた母親の証人尋問の読み上げが終わり、続いて父親への証人尋問内容の読み上げに移った》
 《仙台に単身赴任していた父親。加藤被告の短大入学を機にバイクを買ってあげたという》
 「バイクが壊れ、被告から修理代を要求されたときに口ゲンカになり、それ以来、関係が疎遠になりました」
 《それでも短大卒業後、加藤被告が仙台に就職したので、妻が加藤被告のアパートを訪れるなど家族とは交流があったという》
 「ある日、被告と連絡がつかなくなり、アパートに行くときれいに荷物が引き払われていました」
 《姿を消していた加藤被告が青森の自宅に戻ってきたのは平成18年の夏ごろだったという》
 「妻から自宅に戻ったと連絡を受けました。被告は借金を抱えていました」
 「音信不通だった被告が自宅に戻ってきてうれしかったので、借金の原因については聞きませんでした」
 《自宅に戻った加藤被告は大型免許を取得。運送会社への就職も決まったという》
 「青森駅まで送ってくれたときに被告は『ばかでごめんね』と話しました。私は『ずっと自宅にいていいからね』と言いました」
 《その後、単身赴任を終えて青森の自宅に戻った父親だが、休みの日以外は、加藤被告と顔を合わせることはなかった》
 《19年5月、被告に『別れることになった』と離婚の話をしたのが、被告と顔を合わせた最後になったという》
 《19年8月に、妻が家を出るよりも早く、加藤被告は家を出ていったという》
 《加藤被告が家賃を滞納していると連絡を受けた父親がしばらく、代わりに家賃を払っていたが被告とは連絡が取れなかった》
 「この事件が起こるまで、(被告は)青森の運送会社で働いていると思っていました」
 「今回の事件は妻から聞き、青森署まで行きました。びっくりしてなぜなんだと思いました」
 《ショックを受けた父親。勤務先を休職した末に退職したという》
 「私はなぜ、被告が事件を起こしたか分からない。でも、支える気持ちはあります。被告は裁判でありのままの気持ちを話してほしい」
 《被害者や遺族への謝罪の言葉で父親の証言は締めくくられ、裁判官は読み上げを終えた》
 《ここで、村山浩昭裁判長が弁護人による被告人質問の開始を告げた》
 裁判長「それでは被告人質問を始めます」
 《加藤被告が法廷で話すのは1月28日の初公判以来だ》
 《初公判では、『せめてもの償いは、どうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します』と話した加藤被告。凶行に至った経緯をどう語るのか》
 《ゆっくりと席を立った加藤被告は、いつものように白いシャツに黒いスーツ姿で証言台の前に座った》
 裁判長「言いたくないことがあれば言う必要はありません。答えるときは質問をよく聞いて、質問と答えが重ならないようにしてください」
 《裁判長の言葉に応じるように、加藤被告はマイクを自分の顔にゆっくりと近づけた》
 弁護人「これから質問していきます。まず、どういう気持ちで裁判に臨んでいますか」
 被告「被害者の方、ご遺族の方に申し訳なく思っています。裁判についてですが、つぐないの意味がありますし、事件を起こした理由の真相を明らかにすべく、お話をすべてしようという思いで臨んでいます」
 《はっきりとした口調で淡々と話す加藤被告》
 弁護人「なぜ話そうと思ったのですか」
 被告「私が起こした事件と同じような事件がまた起こらないように、参考になるようなことをお話できると思いました」
 《被告は身を固くして前方をじっと見つめている》
 被告「ある被害者の方が、反省したところで被害は回復しないと言っていました。それは分かっているけれど、それでも自分が今やるべきことをやろうと思いました」
 弁護人「事件についての記憶がない部分がありますか」
 被告「はい」
 《一瞬、間をおいた後、被告が再び話し始めた》
 被告「どうしても思いだせない部分については今まで努力してきました。ご遺族の方や被害者の方、今まで裁判所に証人に来てくださった方にご迷惑、ご負担をかけて申し訳ないと思っています」
 弁護人「これから生い立ちや事件の経過について聞いていきます。どういう気持ちで事件を起こしたのですか」
 被告「はい。私はインターネットの掲示板を使っていたのですが、自分のスレッドに私になりすます偽物や、荒らし行為を行う者がいたので、対処してほしいと掲示板の管理人に頼みました。(こうした人たちに)自分が事件を起こしたことを知らせたかった」
 弁護人「どういう意味があるんですか」
 被告「私が事件を起こしたことで、私に対して嫌がらせをしたことを知って、事件に対して思い当たるふしがあると思ってほしかった。私が(荒らし行為や、なりすましを)本当にやめてほしかったことが伝わると思っていました」
 《被告は感情を出さないようにしているのか、淡々と話し続けている》
 弁護人「復讐(ふくしゅう)しようと思ったのですか」
 被告「そういうことではないです。(荒らし行為や、なりすましを)やめてほしかったということを伝えるための手段です」
 弁護人「秋葉原の事件を起こす前に、やめてほしいと伝えたことはありましたか」
 被告「はい。掲示板に事件をほのめかすことを書き込むことで、怒っているとアピールしたりしていました」
 《事件を起こした動機について、被告は淡々と語り続けている》

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(3)】

「掲示板は自分が帰る大切な場所」 子供のころ「2階の窓から落とされそうに...」
 《引き続き、元派遣社員の加藤智大(ともひろ)被告(27)に対する質問が続いている。加藤被告は膝に手を置き、前を向いたまま微動だにせず、よどみなく質問に答えていく。加藤被告の心中を引き出そうと、若い弁護人は丁寧な口ぶりで質問を続ける》
 弁護人「逆に(掲示板の)利用をやめるということはできなかったのですか」
 被告「できなかったです」
 弁護人「それはどうしてですか」
 被告「掲示板は他に代わるものがない大切なものだったからです」
 弁護人「掲示板がそれほど大切なものだったということですか」
 被告「大切なものというより、大切な場所だった」
 弁護人「どうして、そういう大切な場所になったんですか」
 被告「ネットの社会があります。本音で(友人らと)ものを言い合える関係が重要だった」
 弁護人「あなたにとっては、どういう場所だったんですか」
 被告「帰る場所。自分が自分に帰れる場所でした」
 弁護人「場所が重要だったんですか」
 被告「掲示板も重要だったが、そこでの友人、人間関係が重要だった」
 弁護人「現実は建前といわれていましたが、掲示板でなく、現実に話し合える友人はいなかったんですか」
 被告「そういう人はいませんでした」
 弁護人「掲示板でも(書き込み内容を)文字通りにとったら間違いになると言っていた」
 被告「本音ではあるが本心ではないということです」
 《被告は弁護人の方を向くことなく、まっすぐ前を向いたまま、動揺もみせずに答え続ける》
 弁護人「(掲示板では)どういう嫌がらせがあったのですか」
 被告「暮らし、大切な人間関係が乗っ取られた。壊された。奪われたという状態になりました」


 弁護人「なりすましとはどういう行為ですか」
 被告「私以外の人が書き込むことです」
 弁護人「荒らしとはどういう行為ですか」
 被告「やり方は色々あるが、嫌がらせの行為。人との交流ができないような状態にする行為です」
 《弁護人は、核心に迫ろうと、ほんの少しだけ間をおいた》
 弁護人「(友人との)交流がある大切な居場所を壊された。そのことが、この事件の原因だと思っていますか」
 被告「その中の一つです。私にとっては(原因と考えることは)3つあります」
 弁護人「掲示板が一つですね。あとは」
 被告「そのもの。私のものの考え方です。次が掲示板での嫌がらせ行為。掲示板に依存していた私の生活の在り方。その3つが原因と考えます」
 弁護人「その中で、一番重要と考えるのはなんですか」
 被告「私のものの考え方が一番だと思います」
 弁護人「どうして?」
 被告「私の考え方、事件を思いつくことがなければ、何も起こらなかった。思いつかなければ、起きるはずがないからです」
 弁護人「具体的にどのような考え方が間違っていたと思いますか」
 被告「言いたいことや伝えたいことをうまく(表現)することができなかった。言葉でなく、行動で示して周りに分かってもらおうという考え方でした」
 弁護人「(現実社会でなく)別の所でアピールして分からせる。そういう考え方になったのはどうしてですか」
 《被告が一瞬下を向くような動きを見せる》
 被告「おそらく、小さいころ、母親からの育てられ方が影響していると思います」
弁護人「親のせいだということですか」
 被告「そういうことではないです。感情的にではなく、今まで考えてきて、自己分析した結果、そう考えます」
 弁護人「(事件後)ずっと考えていたということですが、親をうらんでいますか」
 被告「そういう気持ちはないです」
 《弁護人は、準備した紙に目線を落としながら、質問を続ける》
 弁護人「掲示板に依存していたことも原因といわれていますが」
 被告「私のものの考え方で、(掲示板での)嫌がらせから事件を思いついた。ほかに何かあれば。掲示板以外の所で解決できたのではないかと思います」
 弁護人「事件を起こしたことをどのように思っていますか」
 被告「起こすべきではなかったと思うし、後悔しています」
 弁護人「これから、長い時間をかけて詳しく聞きますが、説明を逃れようとする気持ちはありますか」
 被告「そういう気持ちはありません。一生懸命お答えしていきます」
 《ここで、男性弁護人から、女性弁護人に質問者が交代。被告の幼少時代、特に被告の人格形成に大きな影響を及ぼしたとされる母親についての質問になる。女性弁護人が適切と判断したようだ》
 弁護人「子供のころにさかのぼって聞きます。生年月日を教えてください」
 被告「昭和57年9月28日です」
 弁護人「生まれはどこですか」
 被告「青森県五所川原です」
 弁護人「生まれてからずっと五所川原ですか」
 被告「青森市内に引っ越しました」
 弁護人「どんな家に住んでいましたか」
 被告「最初はアパート。その後に実家を新築しました」
 弁護人「新築したのはいつごろですか」
 被告「幼稚園ぐらいだったと思います」
 弁護人「誰と一緒に住んでいたのですか」
 被告「父、母、弟です」
弁護人「家族以外で親戚(しんせき)との交流はありましたか」
 被告「最初はありました」
 弁護人「最初というと?」
 被告「いつのまにか親戚の家に、遊びにいくことがなくなりました」
 弁護人「交流というのは遊びに行くという意味ですか」
 被告「そういうことです」
 弁護人「父方と母方の両方。おじいちゃんとおばあちゃんの家にも遊びに行っていましたか」
 被告「はい」
 弁護人「いつごろまでいっていましたか」
 被告「小学校のころまでです」
 弁護人「その後はいかなくなった」
 被告「はい」
 弁護人「ご両親も」
 被告「家族は会っていたようですが、自分だけいかなくなりました」
 《被告の家族と被告の間には、すでに小学生のころから距離があったようだ》
 《経歴を中心に質問をしていた女性弁護人も、少し間をおいた》
 弁護人「小さいころのことで一番記憶にあることはなんですか」
 被告「アパートに住んでいて、母親にトイレに閉じこめられたことです」
 弁護人「何歳ぐらいの時のことですか」
 被告「3歳ぐらいだったと思います」
 弁護人「どうして閉じこめられたのですか」
 被告「理由はよく分かりません」
 弁護人「わざと?」
 被告「そう思っています」
 弁護人「なぜ、そう思っているのですか」
 被告「窓がないトイレで、電気を消されたことがあったからです」
 弁護人「理由が分からないが、閉じこめられた記憶があると」
 被告「そうです」
 弁護人「お母さんからされた記憶が一番記憶に残っている」
 被告「はい」
 弁護人「青森市に移ってから、お母さんから何かされましたか」
 被告「2階の窓から落とされそうになったことがあります」
 弁護人「なぜ?」
 被告「その直前に、母が夕食の準備をしていて、3つの皿にキャベツの千切りを盛っていたが、子供のいたずら心で、一つの皿にまとめたら、母親が激怒しました。そういうことがありました」
 弁護人「いたずらに怒った」
 被告「はい」
 弁護人「窓から落とされそうになった状況を具体的に教えて下さい」
 被告「首の後ろを押さえつけられて、体は窓の外に大きくせり出したような形になった」
 弁護人「そうされてどう感じた?」
 被告「落ちると思いました」 
 弁護人「冗談だとは思わなかったんですか」
 被告「自分は落ちないように必死だった。抵抗しなければ落ちていたと思います」
 弁護人「母親が過剰になることはよくあったのですか」
 被告「よくあった訳ではないが...。何が原因か分からないが、家から閉め出されたことがありました」
 《これまで質問にとまどうことのなかった被告も少し言葉を詰まらせた》
 弁護人「あなたのいたずらが原因ですか?」
 被告「覚えていないです」
 弁護人「理由がないのに怒られる。毎回そうだということですか」
 被告「毎回よく分からない。説明をされないということです」
 弁護人「何が悪いか教えてくれない」
 被告「そういうことです」
 弁護人「母親との楽しい思い出はありますか」
 被告「特に思い当たることはありません」

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(4)】

笑われながら風呂に沈められ...スタンプ10個で罰 「母の意沿わぬと怒られる」
 《女性弁護人の質問が続く。幼少期の親に対する思い出について、落ち着いた口調で答える加藤智大(ともひろ)被告(27)。背筋を伸ばしてじっと裁判官席に視線を向けている》
 弁護人「嫌なことばかりが記憶に残っているのですか。お父さんとのいい思い出とかはありますか」
 被告「アパートの駐車場でおもちゃの車に乗って一緒に遊んでいました」
 弁護人「お父さんとは遊んでもらっていたのですか。いい感情を持っていたのですか」
 被告「小学生くらいからは何も聞かずに母親と一緒になって怒るようになり、(父親への感情も)変わってしまいました」
 弁護人「だんだんとお父さんへの感情も変わってしまったのですか。ほかに遊んでもらったことは?」
 被告「車のラジコンで遊んでもらった記憶もあります」
 弁護人「自宅が新築になってからは、残っている記憶とかはありますか」
 被告「一緒に遊んでもらった大工さんに対してあこがれの気持ちを持つようになりました。大工さんになりたいと母親に伝えたら怒られました」
 弁護人「大工さんと一緒に遊んでもらって、あこがれを持つようになったのですか。お母さんはどう言いましたか」
 被告「『何でそんなものになりたいの』と言いました」
 弁護人「その言葉の意味は分かりましたか」
 被告「いえ。分かりませんでした」
 弁護人「お母さんに対してはどうして大工さんはだめなのか聞かなかったのですか」
 被告「聞きませんでした。そうしたことを言える環境じゃなかったです」
 弁護人「どうしてですか」
 被告「抵抗したりすると怒られてしまうと思いました。母親の意に沿わないことをするとさらに怒られます」
 弁護人「何か具体的なエピソードはありますか」
 《加藤被告の口調が少し早くなる》
 被告「母親から何かするように言われて、それをうまくできなかったら10を数えるうちにやりなさいと言われました」
 弁護人「できなかったらどうなるのですか」
 被告「何らかの罰を与えられるのです」
 弁護人「それで抵抗することをやめたのですか」
 被告「そうです」
 弁護人「大工さんのほかに夢はありましたか」
 被告「レーサーになりたいと考えました」
 弁護人「F1レーサーのようなものですか。お母さんに話すとどう言われましたか」
 被告「そんなものになるべきじゃないと一蹴(いっしゅう)されました」
 弁護人「どう思いましたか」
 被告「悲しかったです」
 弁護人「転校してからお母さんとの間で残っている記憶はありますか」
 《加藤被告の発言と呼吸を合わせるように質問を続ける弁護人》
 被告「お風呂で九九を教えてもらいました。湯船に入っている間に暗唱しなさいと言われました」
 弁護人「お母さんも一緒にお風呂に入っていたのですか。嫌な記憶はありますか」
 被告「間違えるとお風呂に沈められました。頭を押さえつけられて沈められました」
 弁護人「どんな気持ちでしたか」
 被告「大人しく沈められていました」
 弁護人「沈められているときにどんな言葉をかけられていましたか」
 被告「笑われていました」
 弁護人「お母さんはふざけて沈めていたのでしょうか」
 被告「苦しくなるまで沈められていたので、ふざけていたということはないです」
 弁護人「もう一緒にお風呂に入りたくないとお母さんに言わなかったのですか」
 被告「ありませんでした。結局はやらされるからです」
 《時折、視線を書類に落としながらも、村山浩昭裁判長が目を合わせるように加藤被告の表情をじっと見つめる》
 弁護人「ほかにどんな怒られ方をしましたか。泣いてしまったことはありますか」
 被告「よく泣いていました。でも泣くことでお母さんに怒られる材料になりました」
 弁護人「どんなことがありましたか」
 被告「口にタオルを詰められてその上からガムテープを張られたことがあります」
 弁護人「黙れという意味ですか」
 被告「たぶんそうだと思います」
 《機器の不調からか村山裁判長が発言のやりとりにストップをかける。書記官が裁判官席の前を行き来して、30秒ほど中断した》
 弁護人「ほかにはありますか」
 被告「私が泣くたびに母親がスタンプカードをつくりました」
 弁護人「スタンプカードとはどういったものですか?」
 被告「押すところが10個あって、スタンプが10個たまると罰を与えられました」
 《弁護人の質問にすべて即答で答える加藤被告》
 弁護人「罰とは何ですか」
 被告「いろいろありましたが、屋根裏部屋に閉じこめられることがありました」
 弁護人「屋根裏部屋はどんな所でしたか」
 被告「サウナのようなひどい所でした」

【秋葉原17人殺傷 第16回 被告語る初日(5)】

「床に食事ぶちまけられ...」 幼少期の母親の仕打ちを告白
 《引き続き、加藤智大(ともひろ)被告(27)の子供時代についての質問が続く。女性弁護人の質問は加藤被告と家族の関係に移っていった。特に母親との関係について強調する質問が続いた》
 弁護人「家族だんらんの思い出はありますか」
 被告「ないです。だんらんとはいいたくないです」
 弁護人「なぜだんらんとは言いたくないのですか」
 被告「リビングに集められてカードゲームをやったりしましたが、楽しくなかったのでだんらんとは言いたくないです」
 弁護人「あなたにとってだんらんではなかった」
 被告「はい」
 弁護人「嫌々、参加していたんですか」
 被告「嫌々ではないですが、嫌々参加しているように見せないようにしていました」
 弁護人「家族みんなで食事をするときはありましたか」
 被告「ありました」
 弁護人「家族みんなでですか」
 被告「最初は4人でした」
 弁護人「最初というのはどういうことですか」
 被告「いつからか父親が帰るのが遅くなったので、母と弟と3人になりました」
 弁護人「食事は楽しくなかったんですか」
 被告「はい」
 弁護人「なぜですか」
 被告「会話がなかった上、3人で黙々と食べていただけだからです」
 弁護人「お母さんから黙って食べなさいといわれていたんですか」
 被告「そういうわけではありませんが、雰囲気がそうでした」
 《前を見たまま微動だにしない加藤被告》
 弁護人「家族で食事をしているときに記憶に残っている出来事はありますか」
 被告「私は食べるのが遅いので、食べきれなかったのを新聞の折り込みチラシにぶちまけられて食べるように言われました」
 《子供のころの出来事を淡々と告白する加藤被告》
 弁護人「お母さんにですか」
 被告「はい」
 弁護人「いつごろですか」
 被告「小学校3年生ごろからです」
 弁護人「チラシにですか」
 被告「いつもはチラシですが、1度だけ廊下の床にぶちまけられたことがありました」
 弁護人「いつもというのは何度かあったんですか」
 被告「何度もありました」
 弁護人「お母さんが食器を片付けたいからですか」
 被告「そういうことです」
 弁護人「食べるのが遅かったのはなぜですか」
 被告「私が食べるのが遅かったのもありますが、量も多かったです」
 弁護人「量が多いことを断ることはできなかったのですか」
 被告「言えませんでした」
 弁護人「どうしてですか」
 被告「母のやり方や性格を考えると、最悪、食事を抜かれるということが容易に想像できたからです」
 《加藤被告は、決して楽しいとは言えない子供のころの出来事についても丁寧な口調で話し続けた》
 弁護人「チラシに食事を撒かれてどうしたんですか」
 被告「必死で食べました」
 弁護人「どんな気持ちでしたか」
 被告「屈辱的でした」
 《加藤被告は相変わらず、無表情で前を見据えたまま》
 弁護人「チラシにご飯を撒かれたときはお父さんや弟さんはいたんですか」
 被告「食卓にいました。チラシに撒かれたときは弟がいました。廊下に撒かれたときは父親もいました」
 弁護人「お母さんは弟さんにはしなかったのですか」
 被告「弟は賢いのでがんばって早く食べていました」
 弁護人「あなたも早く食べなかったのですか」
 被告「がんばったが間に合いませんでした」
 弁護人「お父さんは廊下に食事が撒かれているときに何か言わなかったのですか」
 被告「見て見ぬふりをしていました」
 弁護人「かばったりはしてくれなかったのですか」
 被告「そうですね」
 《弁護人は加藤被告が家族の間で、違う扱いを受けていたということを強調する質問を続ける》
 弁護人「食事について逆に抜かれたことはありましたか」
 被告「それもありました」
 弁護人「どういうときにですか」
 被告「あるとき父の部屋で漫画を見つけて、見ていたら母親に見つかり食事を抜かれました」
 弁護人「お父さんの部屋に入ったことに対してですか」
 被告「そうではないと思います」
 弁護人「漫画を見ていたことに対してですか」
 被告「おそらくそうだと思います」
 弁護人「お母さんには何か言われなかったのですか」
 被告「言葉で説明をされてはいないので」
 弁護人「どんな漫画を読んでいたんですか」
 被告「少年誌のジャンプなどの漫画雑誌です」
 弁護人「お父さんの部屋にあったということですが、あなたの家では子供に漫画は与えられてなかったのですか」
 被告「はい」
弁護人「お父さんのをこっそり見ていたんですか」
 被告「はい」
 弁護人「弟さんも見ていたんですか」
 被告「はい」
 弁護人「お母さんは弟さんにも同じことをしたんですか」
 被告「いえ」
 弁護人「どうしてあなただけなんですか」
 被告「感じとして、私だけが母親の目の敵にされているような感じがしました」
 弁護人「全般的にですか」
 被告「つまり、私がされたことを弟はされていないので」
 弁護人「一緒にやっていてもあなただけに」
 被告「はい」
 《加藤被告は少し強めの口調で話した》
 弁護人「家族で旅行に行ったことはありますか」
 被告「ありました」
 弁護人「どのくらいの頻度で行ったんですか」
 被告「小学校4年生ごろから中学校2年生ごろまで、夏休みに年に1回行くことがありました」
 弁護人「お父さんも一緒ですか」
 被告「そうですね」
 弁護人「楽しい思い出ではないのですか」
 被告「旅行に行ったことは覚えていますが、旅行で何があったとかはほとんど覚えていません」
 弁護人「楽しい思い出はなかったのですか」
 被告「母が全部決めて連れて行かれました」
 《弁護人が加藤被告の前にあるモニターに家族旅行の写真を映す。加藤被告は写真をのぞき込むようにじっと見た》
 弁護人「写真1はあなたの家族の写真ですね」
 被告「そうですね」
 弁護人「どんな写真ですか」
 被告「秋田県に行ったものだと思います」
 弁護人「写真2はどういう写真ですか」
 被告「よく分かりません」
 《加藤被告は弁護人から示された写真を1枚1枚じっと見つめる》
 弁護人「あなたとお父さんが写っていますね。旅行の写真ではないのですか」
 被告「1と同じようなので同じところだと思いますが、思い出せません」
 弁護人「写真4はどういう写真ですか」
 被告「青森県内の橋に行ったときの写真だと思います」
 弁護人「よく覚えていないのですか」
 被告「はい」
 弁護人「あなたとお母さんが写っていますね」
 被告「はい」
 弁護人「写真5はどういう写真ですか」
 被告「いつ撮ったのかよく分かりません」
 弁護人「旅行ですか」
 被告「旅行だと思いますが、どこに行ったか分かりません」
 弁護人「写真を見てどう思いますか」
 被告「天真爛漫な弟と無表情な私が写っており、当時の私の精神状態がかいま見えます」
 弁護人「どんな精神状態だったのですか」
 被告「さほど楽しくないのに楽しく見せるそんな状態です」
 《席に戻る弁護人。加藤被告は写真を見つめていた》
 弁護人「旅行や家族団らんは母親に強要されたということですが、自分の意志を示して何かやってもらったことはありますか」
 被告「ないと言っていいです」
 弁護人「全然ですか」
 被告「ほとんどなかった」
 弁護人「パソコンを買ってもらったことがありますよね」
 被告「買ってもらったというより、買ってもらわされたというのが正しいです」

【秋葉原17人殺傷 第16回 被告語る初日(6)】

小学校高学年までおねしょ 「おむつはかされ屈辱的だった」
 《加藤智大(ともひろ)被告(27)に対する弁護側の質問が続く。女性弁護人は加藤被告がパソコンを親に買い与えられた経緯について尋ねる。加藤被告はこれまで「パソコンを買ってもらわされた」と説明をしていた》
 弁護人「『欲しくない』といえばよかったんじゃないですか」
 被告「母親としては買ってやりたかったので、それを否定しては怒られると思いました」
 弁護人「小学生のとき中耳炎になりましたね?」
 被告「『耳が痛い』と母親に訴えましたが、『痛いふりをしている』といわれて取り合ってもらえませんでした。自分が痛がっている横で、母親と父親と弟が食事をしていました」
 《加藤被告はその後病院に行き、中耳炎と診断されたことが判明した。女性弁護人は質問をガラリと変える》
 弁護人「大きくなるまで、おねしょをしていましたね?」
 被告「はい。小学校高学年のころまで」
 弁護人「母親に何か言われたことはありますか?」
 被告「『何でおねしょをするの』と怒られ、オムツをはかされました」
 《女性弁護人の手によって過去が赤裸々に明かされていく。加藤被告は動じた様子もなく、背筋を伸ばして明瞭(めいりょう)に答える》
 弁護人「どんな気持ちでしたか」
 被告「屈辱的でした」
 弁護人「オムツはどんなものでしたか」
 被告「布のものでした」
 弁護人「赤ちゃんがはくようなものですか」
 被告「そういうものです」
 弁護人「洗濯しましたか」
 被告「はい。わざわざ外の物干しざおに干され、さらし者にされました」
 《女性弁護人は加藤被告の横顔を見つめながら、質問を続ける》
 弁護人「屈辱的でしたか」
 被告「はい」
 弁護人「勉強やスポーツで優等生だったようですが、学校生活はどうでしたか」
 被告「家にいるよりはマシでした。勉強は嫌いでした」
 弁護人「成績は良かったんじゃないですか」
 被告「母親に無理やり、勉強をさせられていました」
 弁護人「良い点を取って楽しくなかったですか」
 被告「それはなかったです。テストは100点を取って当たり前で、95点を取ったら怒られました」
 弁護人「絵がコンクールに入賞したり、詩や作文が評価されていましたね?」
 被告「形式上はそういうことがありました」
 《独特な言い回しで答える加藤被告。女性弁護人が「形式上」の意味を尋ねると、加藤被告は淡々と答え始める》
 被告「私が書いたものではなく、母親が手を入れたり、母親がほとんどやったりして、私の名前で出しました」
 弁護人「お母さんが書いたのですか」
 被告「夏休みには私が最初にやるのですが、母親が手を入れていき、私のものではなくなっていくということがよくありました」
 弁護人「作品が評価されても、自分が評価されていると感じなかったのですか」
 被告「はい」
 弁護人「将来の進路について言われたことはありますか」
 被告「小学校低学年のときから、北海道大学の工学部に行くよう言われていました」
 弁護人「中学、高校についてはどうですか」
 被告「北海道大学に行くことが大前提で、中学のころは青森高校、県内トップクラスの進学校に行くことが当然という空気でした」
 弁護人「自分では『どうしたい』という希望はありましたか」
 被告「車が好きだったので、車関係の仕事を考えていました」
 《弁護人は加藤被告が小学校時代に足が速いと評価されていたことに質問を移すが、加藤被告は自虐的とも受け取れる発言をした》
 被告「学校のイベントで自分だけが一生懸命やり、一番になった。そして陸上部に入って練習して、足が速くなっていった」
 弁護人「もともと得意ではなく、みんなが手を抜いたということですか」
 被告「はい。そういうことです」
 弁護人「好きなスポーツは?」
 被告「小学生のときは陸上部ではなく、野球部と考えていました。小さいころ、近所のお兄さんと草野球をやっていたから、野球に興味がありました。みんなで1つのスポーツをやることにあこがれていました」
 弁護人「それでも野球部に入らなかったのですか?」
 被告「母親に『入りたい』と言いましたが、『ダメ』の一点張りでした。理由は説明されなかったので、分かりませんでした」
 弁護人「今から思えば、なぜだと?」
 被告「小さいころから野球を(本格的に)やっている子に交じっても、レギュラーになれないと思ったからでは」
 弁護人「お母さんは外から評価を受けさせたいと思ったのでしょうか」
 被告「はい」
 《正面を見据えながら答える加藤被告。弁護側は被告人質問を通じて、加藤被告の人格形成に母親の教育が強い影響を与えたことを浮き彫りにしたいようだ》
 弁護人「小学校には制服がありましたか」
 被告「私服でした」
 弁護人「服を自分で選びましたか」
 被告「母親が前の日に選びました」
 弁護人「自分で選んだことはありますか」
 被告「選ぼうとしたことはありました。母親は着ていく服を私の部屋にあるタンスの上に置くのですが、あるとき、私は自分で選んでそこに置きました。母親はそれを無言で床に投げ捨てました」
 弁護人「(母親は)どうしてそんなことをしたのですか」
 被告「最初は服の組み合わせがダメだと思いました。別の組み合わせを試したのですが、何度(服を)置いても投げ捨てられました。結局、『自分が着たい服はダメ』と言いたかったのでしょう」
 《進路、部活、通学服。着せ替え人形のような幼少期を過ごした加藤被告はいま、黒いスーツ姿で証言台に座り、微動だにせずに答えていた》

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(7)】

「中学時代付き合ったのは2人」と"恋愛遍歴"も 母親「やめないと転校させる」
 《女性弁護人が加藤智大(ともひろ)被告(27)の小学校時代について質問を続ける》
 弁護人「小学校のころに仲の良い友人はいましたか」
 被告「いました」
 弁護人「何人ぐらい?」
 被告「数人ですね。一緒に遊ぶような友達はいました」
 弁護人「友人が家に遊びに来ることもありましたか」
 被告「最初はありました」
 弁護人「最初は、というのは?」
 被告「友達が帰ると、母親がこれ見よがしに部屋の掃除を始めるので、『家に人を入れるな』ということだと思い、友達を連れて行かなくなりました」
 弁護人「小学校時代、友人とけんかをしたりトラブルになったことはありますか」
 被告「小学校1年生のころだと思いますが、友達をひっかいたことはあります」
 《20年以上前の話だが、加藤被告はよどみなく答えていく》
 弁護人「どうしてひっかいたのですか」
 被告「集会か何かで列になったときにはみ出したクラスメートがいて、『ちゃんと並べよ』という意味でひっかきました」
 弁護人「カッとなったということですか」
 《加藤被告は少し考えるように間を置いた後、質問に答えた》
 被告「暴力を振るいたかったわけではなく、『ちゃんと並べよ』ということを伝えたくて、そういう行動を取りました」
弁護人「言葉で伝えようとしなかったのですか」
 被告「そういう発想はありませんでした」
 弁護人「他に小学校時代、友人に暴力を振るったことはありますか」
 被告「低学年の時ですが、工作の時間が終わって誰がのりを片づけるかで2人が争っていたので、この2人をげんこつで殴って自分で片づけたことがあります」
 弁護人「なぜ手が出たのですか」
 被告「複数ある手段から選んだというわけではありません」
 弁護人「カッとなると手が出るのですか」
 被告「単純にそうではありません」
 弁護人「伝えたいことがあると手が出るのですか」
 被告「...それで伝えようとしました」
 《続いて、弁護人が「中学校時代のことについて質問します」と前置きした後、質問を始めた》
 弁護人「中学校時代のことで、何か覚えていることはありますか」
 被告「中学校でソフトテニス部に入りたいと母親に言ったところ、『どうしてだ』と言われましたが、私はすぐに入部したかったので粘ったところ、試験で10番以内になることを条件にされました」
 弁護人「なぜソフトテニス部に入りたかったのですか」
 被告「当時通っていたそろばん教室の1つ上の先輩がソフトテニス部に入っており、学校帰りにその先輩に見つかって部員として登録されてしまったのです」
 弁護人「やりたくて入ったわけではないのですか」
 被告「はい」
 弁護人「ソフトテニスをやってみてどうでしたか」
 被告「楽しくないわけではありませんでした」
 《積極的にソフトテニスを始めたわけではなかったようだが、弁護人によると、加藤被告は入部後、大会で入賞するなど頭角を現していったという》
 弁護人「そのうち活躍するようになり、お母さんの態度は変わりませんでしたか」
 被告「はい。それまではことあるごとに『(部活を)やめなさい』と言っていたが、秋の新人戦で入賞し、新聞に名前が載ったところ、手のひらを返したように応援するようになりました」
 弁護人「他に中学時代にあったお母さんとのことで、覚えていることはありますか」
 被告「はい。お弁当の件です。贅沢な話ではあるんですが、無駄に豪華で量も多い弁当を出されていました」
 弁護人「豪華なお弁当で良かったのでは?」
 被告「豪華過ぎるものだったので、クラスメートの視線が冷たいというか...」
 弁護人「うらやましがられていたということですか」
 被告「最初はそういう感じでしたが、やがて冷たい視線が刺さるというか...」
 《幼い頃から母親に厳しく教育されていたという加藤被告。母親への複雑な心境を打ち明けた》
 弁護人「中学時代、学校の成績は良かったのですか」
 被告「はい。母親に教材を与えられてやっていました」
 弁護人「10番以内の成績という母親との約束は守れていたのですか」
 被告「秋の(ソフトテニスの)新人戦までは守っていましたが、それ以降は(10番以内という条件は)なくなりました」
 弁護人「その後はどのくらいの成績だったのですか」
 被告「それでも20番前後程度だったと思います」
 弁護人「進路についてはどうでしたか」
 被告「(母親の)母校に行くことがすでに決定されていた感じです」
 《加藤被告は母親の出身校である県立青森高校に進学している》
 弁護人「あなたも青森高校に行きたかったのですか」
 被告「むしろ行きたくありませんでした。工業高校か地元の私立の高校に行きたいと思っていました」
 弁護人「それはなぜですか」
 被告「車が好きだったということと、試験で点を取るためのお勉強ではなく、もっと現場に近いものが...。工具を持ちたいと思っていました」
 《加藤被告は高校を卒業後、岐阜県にある自動車整備士を養成する短大へ進学している》
 弁護人「お母さんにはそのことを話したことはありますか」
 被告「ありません。話したところで、青森高校に行かせられることは明らかでしたから」
 弁護人「青森高校でもいいや、という気持ちもあったのですか」
 被告「(実家から)近いからいいや、という思いと、母親と大学に合格したら車を買ってもらえるという約束をしたので」
 弁護人「それが励みになっていたのですね」
 被告「はい」
 《この後も、加藤被告の中学時代の友人関係についての質問が続く。加藤被告は部活の仲間と集まって遊ぶ一方、中学3年ごろから「クラスの中で一人浮いていると感じるようになった。避けられていた」と説明。クラス委員などに選ばれたのも「立候補してやったというより、やらされていた」と話した》
 《続いて、弁護人は加藤被告の"恋愛遍歴"についても質問していった》
 弁護人「中学の頃、女の子と付き合ったことはありますか」
 被告「はい。覚えているのは2人です」
 弁護人「初めて付き合ったのは?」
 被告「中学2年のころです。クラスメートです」
 弁護人「どんなお付き合いでしたか」
 被告「一緒に学校から帰るとかです。何となく始まって、何となく終わりました」
 弁護人「2人目は?」
 被告「中学3年の時です。やはり何となく始まって何となく終わった感じでした」
 弁護人「自然消滅したということですか」
 被告「いいえ。母親に『あの子と付き合うのはやめなさい』と言われました」
 弁護人「なぜ付き合っているのが、お母さんに分かってしまったのですか」
 被告「自室の机の引き出しの中の手紙を発見されたのです」
 《母親は加藤被告の机を勝手にのぞいて手紙を見つけ、「付き合いをやめないと転校させる」と迫ったという》
 弁護人「反抗はしなかったのですか」
 被告「したところで転校させられるのは明らかなのでしませんでした」
 弁護人「中学校時代にお母さんにしたことを覚えていますか」
 被告「2年か3年の時に一度殴りました」
 《母親を殴った理由について弁護人が尋ねると、加藤被告は「ちょっと経緯が長くなりますがよろしいですか」と断り、説明を始めた》
 被告「食卓で黙々とご飯を食べていたところ、母親が何かのことで私に怒り出し、頬をつねったり髪をつかんで揺さぶったりしていたのですが、私はそれを無視していました。その後、私が洗面所に移動したところ、母親がついてきて、本格的に殴りだしたので反射的に手が出てしまったのです」
 弁護人「どんな風に殴ったのですか」
 被告「右手で。グーで。力いっぱい、左の頬のあたりを殴りました」
 弁護人「お母さんに暴力を振るったのは...」
 被告「後にも先にもこれ1回です」
 弁護人「どんな気持ちでしたか」
 被告「悲しかったです。何でこうなっちゃうんだろうという気持ちでした。涙が流れました」
 《弁護人が「質問を一度ここで切りたいのですが」と提案すると、裁判長が休廷にすることを告げた。約1時間半の休憩をはさみ、午後1時半から引き続き被告人質問が行われる》

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(8)】

高校入学最初の試験「ビリから2番目」 車買う約束反故で進学拒否
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)。1時間半の休憩を挟み、午後1時半から弁護側の被告人質問が再開された》
 《白いシャツに黒いスーツ姿の加藤被告が入廷。傍聴席に一礼し、弁護側の前に座ると、村山浩昭裁判長が再開を告げた》
 裁判長「では、午後の審理を始めます。引き続き被告人質問を行います。被告人は証言台の前の席に座ってください」
 《証言台の前の席に座る加藤被告。小さな声で弁護人と何か話している》
 《女性弁護人が、質問を始めた》
 弁護人「中学生までのことを聞いてきたので、高校からのことを聞きたいと思います」
 《進学校だという青森高校に進学した加藤被告》
 弁護人「青森高校に合格してうれしかったですか」
 被告「特にうれしいとは思いませんでした」
 弁護人「母親は喜びましたか」
 被告「喜んでいたようです」
 弁護人「ほめてくれたりはしましたか」
 被告「覚えていません」
 弁護人「入学してからの成績はどうでしたか」
 被告「最初の試験はビリから2番目でした」
 弁護人「中学ではトップクラスだったのに成績が下がったのはどうしてですか」
 被告「単純に勉強しなかったからです。そもそも、勉強が好きではなかったし、一定の母親の要求に応えたのでもういいだろうと思いました」
 弁護人「成績が下がったのはショックでしたか」
 被告「ショックというわけではないですが、まずいなと思いました」
 《その後、加藤被告は、勉強をして成績を100番巻き返し、真ん中より下まで上げたという》
 弁護人「がんばって成績を上げた後の母親の反応はどうでしたか」
 被告「特にありませんでした」
 弁護人「下がったときはどうでしたか」
 被告「どうして勉強しないのかといわれてばかりいました」
 《加藤被告は背筋を伸ばし、ためらうことなく質問に答えていく》
 弁護人「高校卒業後の進路はどうしようと思っていましたか」
 被告「当初は北大工学部を考えていましたが、せっかく青森高校に入ったから、自分のイメージだともっと現場に近いところに行こうと思いました」
 《しかし、大学に行くのをあきらめた加藤被告。その裏には、母親との"約束"があった》
 弁護人「なぜ大学進学をあきらめたのですか」
 被告「中学のころ、母親に大学に行ったら、車を買ってあげるといわれていました」
 《被告は、言葉を選ぶように続けた》
 被告「母親に、北大から変更したいと言ったら、(自分が希望している大学は)ランクが少し下がる大学だったのですが、そんなとこなら車を買ってあげないといわれ、あてつけもあってやめました」
弁護人「どうして進学自体をやめたのですか」
 被告「そのことで、約束を反故(ほご)にした母親に対して、約束をちゃんと守ってほしい、ということを伝えるためです。あえて大学に行かないことを選びました」
 弁護人「大学に行くのをやめたら自分の損になると思いませんでしたか」
 被告「全く考えませんでした」
 《質問は高校時代の友人関係に移った》
 《中学に続いて、高校でもソフトテニス部に入部した加藤被告。しかし、途中でやめてしまったという》
 弁護人「なぜ途中で部活をやめたのですか」
 被告「もともと始めたくて始めたわけではなかったし、だらけた空気の中でやりがいを見いだせませんでした」
 《部活をやめた加藤被告は、大きな家に住む友人の家に入り浸るようになった。4人ほどが集まり、好きなことをして遊んでいたという》
 弁護人「特に気の合う友人はできましたか」
 被告「青森から証人として来てくれた友人です」
 弁護人「彼は被告に突然殴られたことがあると言っていました。なぜ殴ったのですか」
 被告「ゲームに対してケチをつける言動が彼にあった。口で言うことができずに殴ることで伝えたかった」
 《大学進学をやめたときと同じく、自分の気持ちを伝えられず突然行動に出た加藤被告》
 弁護人「なぜ先に殴るという行動に出たのですか」
 被告「よく分かりませんが、自分のいつもの行動パターンのように思います」
 《弁護人は、高校時代の加藤被告の趣味についての質問に移った》
 《自動車が好きだった加藤被告は、高校2年から3年にかけて、カートにのめり込むようになった》
 《カートにかかるお金は、自分の昼食代をあてたり、友人から借金していたという》
 弁護人「カートが上達したことで誰かに評価されましたか」
 被告「スタッフの方にうまくなったね、とほめてもらいました」
 弁護人「そのとき、どう思いましたか」
 被告「すごく嬉しかったです。やりたくないことではなく、自分のやりたいことで努力して結果を出してほめられてすごく嬉しかったのを覚えています」
 《高校卒業後、加藤被告は自動車整備士の資格が取得できる短大への進学を決めた》
 《加藤被告の進路にこだわっていた母親は、短大への進学について何も言わなかったという》
 弁護人「母親はなぜ何も言わなかったと思いますか」
 被告「もうあきらめたんだろうと思います」
 弁護人「進学校で挫折したという見方をされるのをどう思いますか」
 被告「自分では挫折と思っていません。必死で勉強やってだめなら挫折かもしれないけれど」
 《高校時代は『挫折ではない』と繰り返す加藤被告。しかし、進学した短大でも、うまくはいかなかった》
 弁護人「短大で自動車整備士の資格を取得しなかったのはなぜですか」
 被告「最初から取るつもりがなかったわけではないです。自分の奨学金が父親に振り込まれたのですが、父親が渡してくれなかったことへのアピールで、父になぜだろうと考えさせたかった。思い当たるふしがあって、関連づければ気づくだろうと思いました」
 《資格取得をやめる一方で、加藤被告はうまくやっていた寮の仲間との間にもトラブルを抱えることになり、卒業前に、寮を出ることになったという》
 《相部屋の友人のいびきがうるさく、アピールしようとした加藤被告が壁をたたいたところ、逆に仲間から無視されるようになったという。『いつものパターン』だ》
 被告「(いびきがうるさかった)彼が私の友人に声をかけるような形で無視が始まりました」
 《被告は、はっきりとした口調で続けた》
 被告「彼らのたむろしている部屋にエアガンを撃ち込んでやろうかと考えました」
 弁護人「実際に撃ち込んだのですか」
 被告「撃ち込んでいません」
 弁護人「分かってもらえないので行動したのですか」
 被告「はい」
 弁護人「当時、エアガンを持っていたのですか」
 被告「はい」
 弁護人「なぜエアガンを持っていたのですか」
 被告「寮の仲間とサバイバルゲームをするために持っていました」
 《寮の仲間ともうまくいかなくなり、資格取得もやめたことから、卒業寸前に寮も追い出された加藤被告。卒業できたものの、頼った先は、仙台の友人だった》

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(9)】

警備員の仕事で誘導無視のダンプに"ブチ切れ" 「現場放棄して帰宅した」
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)への弁護人質問が続く。女性弁護人は短大卒業後、仙台に住む友人のアパートに居候したときの様子について尋ねる》
 弁護人「両親のところに行こうとは思わなかったのですか」
 被告「実家に戻るということはとりあえず、考えませんでした」
 弁護人「どうしてですか」
 被告「最初から選択肢にありませんでした」
 弁護人「居候していたときはどんなことをしていましたか」
 被告「一緒に遊んだり、ハローワークに行って仕事を探したりしました」
 弁護人「どんな仕事を探しましたか」
 被告「自分にできそうな仕事を探していました。工事現場で歩行者などを誘導する警備員の仕事を探していました」
 「友人が先に仕事を見つけ、仙台のアパートを引き払ってしまったので、住む場所を失いました。背に腹は代えられないので、実家に連絡してお金を融通してもらい、市内でアパートを借りました」
 弁護人「お母さんは何と言っていましたか」
 被告「合鍵を作ることが条件になりました」
 弁護人「どう思いましたか」
 被告「嫌でしたが、背に腹は代えられませんでした」
 《加藤被告は「背に腹は」と強調した。母親に対する複雑な思いがうかがえる》
 弁護人「就職活動はどうなりましたか」
 被告「求人で見つけた警備会社に決まりました」
 《加藤被告は短大卒業後の平成15年7月、警備会社で働き始める。ただ正社員ではなく、アルバイト採用だった》
 弁護人「仕事はどういう内容でしたか」
 被告「工事現場で赤い棒を持って、人や車を誘導していました。ただ現場は最初だけで、内勤に抜擢(ばってき)されました」
 弁護人「内勤ではどんなことをするのですか」
 被告「営業の社員が契約してきた工事現場への警備員の配置を計画していました」
 《弁護人は加藤被告に勤務状況について質問。加藤被告は時給700円で月に300時間前後働き、多いときで25~26万円程度の月給を受け取っていたことを説明した》
 弁護人「やりがいは感じましたか」
 被告「はい。生活も充実していました」
 弁護人「職場でトラブルを起こしたり、トラブルに巻き込まれたりしたことはありましたか」
 被告「一度、現場を放棄して帰宅したことがあります」
 弁護人「なぜですか」
 被告「内勤時代に(工事現場で)人が足りず、現場に出ました。現場から一般道路に出ようとしたダンプカーに停止するよう指示を出しましたが、指示を無視して飛び出していきました。『指示に従わないなら誘導員は要らないだろう』と帰りました」
弁護人「ダンプへの抗議として?」
 被告「そういうことです」
 弁護人「直接言えばよかったのではないですか」
 被告「今思えば、そうでした。上司にこっぴどく怒られ、(工事に関係する)会社に謝りに行きました」
 弁護人「職場での人間関係はどうでしたか」
 被告「1人を除き良好でした」
 弁護人「1人とは?」
 被告「自分が所属していた営業所の所長です。所長は自分自身のこと、成績のことしか考えず、人の話を聞かないイメージがあり、うまくいかなかった」
 弁護人「所長と衝突したのですか」
 被告「直接衝突はしませんでしたが、私が『これはどうでしょう』と提案しても、一見聞いているようで何も聞いておらず、採用も拒否もせず(提案を)つぶされました」
 弁護人「つぶされるとは? もう少し説明を」
 被告「放置された、という意味で使いました」
 《加藤被告は所長に不満を募らせながらも、同僚たちと食事に行ったり、ゴーカートで遊んだりと充実した生活を送った。地元の友人とも付き合いがあり、このころは事件当時に直面していた孤独とは無縁だったようだ》
 弁護人「この会社で働いているとき、車の免許を取りましたね?」
 被告「はい。平成16年春だったと思います」
 弁護人「それまでに取らなかった理由は?」
 被告「母親が『大学に行ったら車を買う』という約束を反故にしたことへのアピールでした」
弁護人「では、なぜこのときに取ったのですか」
 被告「母親から『お願いだから取って。お金も出すから』と言われました」
 《加藤被告はその後、この警備会社を退社することになる。弁護人はその理由について質問する》
 被告「待遇というよりも、所長に提案しても許可も採用もされず、手応えがなかった。それが理由です。所長へのアピールで辞めました」
 弁護人「なんで辞めることがアピールに?」
 被告「自分がいなくなったら、会社が少し困った状況になり、そうなったら(所長が)どうして私が辞めたか考えると思いました。私が何が言いたかったのか伝わると思いました」
 弁護人「辞めてしまっては自分が損するのではないですか」
 被告「今思えばそうです。当時はアピールのことで頭がいっぱいでした」
 《再び登場する「アピール」という言葉。加藤被告は不満を募らせた場合、相手に直接気持ちを伝えず、後先考えずに行動を起こす傾向にあるようだ》
 《加藤被告は退職後、アパートを引き払い、仙台市内の友人の家に居候を始める。合鍵を持っていた両親には何も告げなかった》
 弁護人「両親がアパートに訪ねてくると思わなかったのですか」
 被告「そこまで考えていませんでした」
 弁護人「心配すると思いませんでしたか」
 被告「両親のことは頭にありませんでした」
 《そして、加藤被告はこの友人方に居候をして職探しをしていたころから、携帯電話のサイトにアクセスするようになったという》
 弁護人「このころから掲示板を使うようになりましたね?」
 被告「当時はゲームをしていて、そのゲームに関する情報を探すためにサイトにアクセスして、サイトにあった掲示板を使うようになりました」
 弁護人「このころから掲示板に書き込むようになったのですか」
 被告「このころは掲示板べったりではなかったです。ゲームに必要な情報がほしいとき、質問を書き込みました。その程度の使い方でした」
 《加藤被告は派遣会社に派遣登録して、平成17年4月から埼玉県内の自動車工場で働き始めた》
 弁護人「埼玉に行くことは両親に伝えましたか」
 被告「いいえ。最初から両親に伝えることは頭にありませんでした」
 弁護人「連絡先は教えましたか」
 被告「携帯電話を変えましたが、(新しい電話番号は)教えませんでした」
 弁護人「両親と関係を切りたかったのですか」
 被告「携帯電話の掲示板にアクセスして、月の通信料が数十万円になっていた。別の携帯(会社)に変えれば、通信料が定額4000円くらいになるので、携帯電話を変えました」
 弁護人「職場での人間関係はどうでしたか」
 被告「悪くはなかったです」
 弁護人「寮に住みましたか」
 被告「はい。派遣会社が借りた3LDKのアパートに3人で住みました」
 弁護人「遊んだりしたのですか」
 被告「勤務時間が違うので、関係は薄かったです」
 弁護人「職場以外の人間関係は?」
 被告「(故郷である)地元の友人にメールしました」
 弁護人「ほかには?」
 被告「掲示板上でも友人ができました。仕事以外の時間は掲示板に充てていました」
 弁護人「休日はどのように過ごしましたか」
 被告「ゲームをしたり、掲示板に書き込んだり、秋葉原に行ったりしました」
 弁護人「秋葉原にはよく行ったのですか」
 被告「たまに1人で行きました」
 弁護人「どうして行ったのですか」
 被告「地理的に近く、私がゲームが好きだったからです。私もオタク的要素を持っていたので、秋葉原に自然と興味を持つようになった」
 《微動だにしない加藤被告。淡々とした証言から、「孤独」「掲示板」「秋葉原」という事件を引き起こしたときの環境が徐々に出来上がっていく様子が分かる》

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(10)】

掲示板の仲間失い自殺を決意 「トラックに正面衝突しようと...」
 《加藤智大(ともひろ)被告(27)に対する弁護人質問は、埼玉県内の自動車工場での同僚との人間関係に移る。加藤被告は相変わらず背筋を伸ばして証言席に着いており、疲れた表情を見せることはない》
 弁護人「職場でもオタクといわれたのですか」
 被告「電車男がはやり、オタクであることをネタにして同僚と話をしたこともありました」
 弁護人「オタクであることをコミュニケーションに使っていたのですか」
 被告「はい」
 弁護人「このころ埼玉の工場で車を買いましたよね。どうしてですか」
 被告「生活が安定してどうしても欲しくなったんだと思います。70万円くらいの車を買わされました」
 弁護人「車はローンですか」
 被告「はい。ローンです」
 弁護人「経済的には苦しくなりましたか」
 被告「若干苦しくなりました。日曜日にアルバイトをしたりしました」
 弁護人「ローンがあるのにどうして仕事を辞めたのですか」
 被告「自分が担当する製品の部品の置き方について正社員の人に相談したところ、『派遣のくせに。黙ってろ』といわれ、正社員へのアピールのためにも辞めました」
 弁護人「派遣のくせに、といわれたことで何か行動は取りましたか」
 被告「派遣元の上司に相談したところ、派遣先の上司と話をしたらしく、話はつけてあると言われました」
 弁護人「なぜ、それでも辞めたのですか」
 被告「職場の上司からも『もう少しがんばろう』とか『よくやっている』といわれたりしましたが結局、『派遣のくせに』と言った正社員からは何もいわれなかったことが引っかかっていました」
 弁護人「なぜ、『派遣のくせに』といわれて腹が立ったのですか」
 被告「がんばっていたのでショックも大きかったんだと思います」
 弁護人「なぜ直接、派遣先の上司に相談できなかったのですか」
 被告「そもそもそういうことは思いつきませんでした」
 弁護人「退職の手続きはきちんとしたのですか」
 被告「いや。ある日突然会社からいなくなりました」
 弁護人「なぜですか」
 被告「急にいなくなることが、会社へのアピールの形だと思ったからです」
 弁護人「それで派遣先の上司に(加藤被告の思いが)伝わると思ったのですか」
 被告「そうです」
 《会社を辞めたあと、加藤被告は仙台の友人宅などを転々。しかし、この間も両親と連絡を取ることはなかった》
弁護人「新しい仕事はどうやって見つけたのですか」
 被告「求人で見つけました。住むところもなかったので派遣以外の普通の仕事は見つかりませんでした」
 《平成18年5月から、加藤被告は茨城県つくば市の住宅関連部品の工場で働くようになる》
 弁護人「次の仕事は働いてみてどうでしたか」
 被告「面白かったです。寮があってそれぞれが個室を与えられていました」
 弁護人「勤務条件などはどうでしたか」
 被告「はっきりと覚えていませんが、残業が4時間ほどつくことがありました」
 弁護人「同僚との人付き合いはどうでしたか」
 被告「ほとんどありませんでした。私が使う機械が大型だったこともあり、ほかの同僚とは隔離されているような感じでした」
 弁護人「無視されたり、仲間外れにされるようなことはなかったのですか」
 被告「はい」
 弁護人「仕事以外の日はどうやって過ごしていたのですか」
 被告「車をいじったり、秋葉原へ行ったりしていました」
 弁護人「誰かほかの人と出かけるようなことはありましたか」
 被告「ありませんでした」
 弁護人「つくばの工場では、いつまで働いていたのですか」
被告「3カ月ほど働いていました」
 弁護人「平成18年の夏ごろまでですか」
 被告「はい」
 《加藤被告は、このころから、インターネット掲示板上での人間関係が悪化し、徐々に孤独感を強くしていったという》
 弁護人「夏ごろにはどのようなことを考えていましたか」
 被告「自殺を考えるようになりました」
 弁護人「なぜですか」
 被告「掲示板の仲間と仲良くなったのに、私が厳しい意見を書き込んだことで仲が悪くなり、掲示板から人がいなくなりました。(掲示板の)管理人にも迷惑をかけてしまい、生きづらくなりました」
 弁護人「あなたにとって掲示板とはどういう場所でしたか」
 被告「帰る場所といってもいいです。かなり潜り込んでいましたから」
 弁護人「自殺を考えるようになったのはいつごろからですか」
 被告「覚えていません。何かエピソードがあるわけでもなかったです」
 弁護人「どうやって死のうと思ったんですか」
 被告「8月31日に青森県の道路で車に乗って対向車線を走るトラックに正面衝突しようと思いました」
弁護人「どうして8月31日なのですか」
 被告「借りていた額は10万円程度でしたが、サラ金会社の返済期限が8月31日だったからです。限度額ぎりぎりまでカードを使い切ってから死のうと思いました」
 弁護人「場所はどうして青森なのですか」
 被告「地元にしようと思いました。地元の友人たちに死んだことが伝わるようにしようと」
 弁護人「自殺する前に会社を辞めて身辺をきれいにしようとは思いませんでしたか」
 被告「思いませんでした。どうせ死ぬのだからあとはどうでもいいと...」
 《加藤被告は自殺の決行予定日に向け、関東から北へと車を走らせる》
 弁護人「31日には青森にたどりついたのですか」
 被告「そうです」
 《ここで、村山浩昭裁判長が15時20分まで約30分間の休廷を告げる。証言席から立ち上がり再び手錠をかけられた加藤被告は、無表情のまま傍聴席に一礼して、法廷をあとにした》

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(11)】

酒飲んで自殺図る... 「飲んだ酒の種類は?」質問に割って入る裁判長
 《約30分間の休廷を挟み午後3時20分、元派遣社員の加藤智大(ともひろ)被告(27)が再び、東京地裁104号法廷に入ってきた。傍聴席に向かって一礼すると、弁護人席前の長いすに着席。村山浩昭裁判長に促され、加藤被告が証言台の前に座ると、村山裁判長は「では弁護人の方で続けて下さい」と再開を告げた》
 弁護人「車で自殺しようとしたことがありましたね」
 被告「はい」
 弁護人「その日の行動を説明してください」
 被告「朝に、弘前市内のコンビニで酒を飲んで、速度が出せるバイパスに向けて出発しました」
 弁護人「それから」
 被告「その前に、自殺するというメールを青森の友人に送り、母親に自殺をするという電話をしました」
 弁護人「内容は?」
 被告「トラックに車でつっこんで自殺をするといった内容です」
 弁護人「どうして送ったのですか」
 被告「交通事故でなく、自殺ということをはっきりさせるため、あえてメールを送りました」
 弁護人「母親への電話ではどんなことを話しましたか」
 被告「これから自殺するということを伝えました」
 弁護人「反応は?」
 被告「何か言っていましたが、途中で切りました」
 弁護人「どうして電話をかけたのですか」
 被告「青森の友人と同じで、事故でなく、自殺ということをはっきりさせるためです」
 《弁護人は、加藤被告が自殺しようとした経緯について質問を続ける》
 弁護人「酒を飲んで車を運転したことはこれまでありましたか」
 被告「ありませんでした」
 弁護人「どれぐらい飲みましたか」
 被告「缶で1本か2本です。お酒が弱いのでかなり飲んだ方になります」
 《村山裁判長が質問に割って入る》
 村山裁判長「(飲んだ)お酒の種類は?」
 被告「カクテル的な甘いお酒です」
 弁護人「弘前のバイパスに向かって、その後は?」
 被告「決意して、いよいよこれからという時にメールの着信があり、気になったので車を止めようと思いました。Uターンしようとしたところ、縁石に車をぶつけて走行不能になりました」
 《被告が事故を起こした状況の質問が続く》
 弁護人「走行不能になり、自殺の考えは変わりましたか」
 被告「あきらめず、応急修理をしてもらおうと考えました。レッカーを呼んで、ディーラーに車を持って行き、一時的に走れるようにしてもらおうと考えました」
 弁護人「何のために」
 被告「もう一度自殺するためです」
 《自殺に対する執着心を感じさせるが、結局、ディーラーに車の修理を断られたという》
 弁護人「何を考えたのですか」
 被告「自殺をあきらめることになりました」
 弁護人「この車を使うこと以外は考えなかったのですか」
 被告「考えませんでした」
 弁護人「なぜ?」
 被告「メールで予告しているし、それ以外の方法で自殺するわけにはいかないと考えました」
 《その後、加藤被告は事故車を実家に移動させた》
 弁護人「実家に帰るのは何年ぶりでしたか」
 被告「短大を卒業して以来、3年ぶりぐらいになります」
 弁護人「母親に会って何と言われましたか」
 被告「『良く帰ってきたね』と」
 弁護人「他には?」
 被告「『ごめんね』と言われました。おそらく自分の幼少のころにしたことを謝ったのだと思います」
 《加藤被告は母親の話になると、ずっと膝の上に置いていた手で顔をかくなど、少し落ち着きがなくなる様子をみせる》
 弁護人「何に謝ったのですか」
 被告「はっきりしませんが、そう感じました」
 弁護人「言葉以外は」
 被告「ハグされました」
 弁護人「抱きしめれたということ?」
 被告「はい」
 弁護人「物心ついてからハグされた記憶は?」
 被告「覚えがないです」
 弁護人「今後について何か言われましたか」
 被告「『家にいていい』と言われました」
 弁護人「この日、自殺をしようとしたことについて話しましたか」
 被告「一度精神病院にいってみたいと話しました」
 《被告が再度顔をかく》
 弁護人「何で精神病院に行こうと思ったのですか」
 被告「自分でも何で自殺しようと思ったのか分からず、おかしいと感じたからです」
 弁護人「母親は何といいましたか」
 被告「『そんな所にいっても意味がない』と言われました。結局いけませんでした」
 《今度は自殺を予告するメールを送った友人の話に移る。加藤被告は、メールや電話の返答があったことを明かし、迷惑をかけたとして反省の弁を述べる》
 弁護人「メールや電話の返信を受けてどう思いましたか」
 被告「心配をかけたり、迷惑をかけて申し訳なかったと思いました」
 《少し間をおいて、男性弁護人は、被告の実家での生活について質問を続ける》
 弁護人「どんな生活を送っていましたか」
 被告「良く覚えていないが、ぼんやりとしていました。実家には母親と二人で暮らしていました」
 弁護人「仕事をしようという気持ちはありましたか」
 被告「無気力というか、何も考えられない状態でした」
 《その後、加藤被告の祖父の葬式で送迎のため車を運転した際に、親戚から運転をほめられたことで、運転手を目指すようになった経緯を説明していく》
 弁護人「親戚に車の運転をほめられてどう感じましたか」
 被告「とても嬉しく思って、バスの運転を考えたり、トラックで修行をしようと考えたりしました」
 弁護人「無気力だった生活から仕事をしようと思うようになった」
 被告「はい」
 《祖父の葬式後には、自殺のメールを送った友人らを実家に呼び、酒を飲んだ話に変わる》
 弁護人「何か自殺のことについて話しましたか」
 被告「酔った友達から、『自殺なんかするな』と説教されました」
 弁護人「どう思いましたか」
 被告「ありがたくもあり、申し訳なくもありました」
 《加藤被告は、運転手を目指し、就職活動に至る経緯を述べていく。運転経歴が必要でなかなか就職先が見つからなかったが、平成19年1月に地元・青森市の運送会社に就職した》
 弁護人「どんな仕事内容だった?」
 被告「牛乳の配達で、自分のトラックを運転し、決められた時間に、決められた場所に、決められた通りに納入する仕事でした」
 弁護人「仕事自体をどう感じていましたか」
 被告「やりがいはありました」
 弁護人「どのような点が?」 
 被告「トラックの荷物を預けられて、信用されていると感じたことと、運転自体も楽しいものでした。何より自分の荷物を待っている人がいることが嬉しかったです」
 《同僚との付き合いについて質問が及ぶ》
 弁護人「同僚とはどのような付き合いをしていましたか」
 被告「仕事ではあまり接点はありませんでしたが、休日は居酒屋に集まってお酒を飲んだりしました」
 弁護人「友達に何かしてあげたことはありましたか」
 被告「UFOキャッチャーでとった景品をあげたりしました。喜んでいる様子をみて嬉しかったです」
 弁護人「逆に友人から何かもらうことはありましたか」
 被告「バレンタインデーに女性からプレゼントをもらいました」
 弁護人「あなただけにですか」
 被告「みんなもらいました」
 弁護人「お返しはしましたか」
 被告「1カ月後に、通販で珍しいお酒を見つけたので、それをあげたら、喜んでいたようでした」
 弁護人「他に、イベントとか、友人との思い出は?」
 被告「花見をしたことがありました」

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(12)】

「普通の家族になりたい...」 願った矢先に両親が離婚話
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)。男性弁護人は、加藤被告が青森市の運送会社に勤務していたときの様子を質問していく》
 《花見で場所取りをして先輩にほめられたといい、居場所を見つけたかのような加藤被告だったが...》
 弁護人「同僚とトラブルはありましたか」
 被告「ある同僚から私が人の見ていないところで休んでいるんじゃないか、さぼっているんじゃないかと言われたことがありました」
 「それぞれ配達する場所が違うから、私のように遠いところに配達する人は早くに出ます。会社に決められた時間通りに行動していただけでした」
 弁護人「それで、どうしましたか」
 被告「そう言われるのがイヤだったので、全員の積み込みが終わった後に出発するようにしました」
 弁護人「配達は間に合ったのですか」
 被告「普通では間に合わないので、有料道路を自腹で使って間に合わせました」
 弁護人「その同僚とはどうなったのですか」
 被告「有料道路の領収書を集めて、さぼっていると言った同僚のトラックに置いておくことを繰り返しました」
 《仕事ぶりをアピールした加藤被告だったが、同僚は領収書が置かれた意味に気づくことはなかったという。弁護人が続きを促した》
 被告「後日、私がその先輩の胸ぐらをつかむということがありました。さぼっていたと言われたことに対するアピールでした」
 《加藤被告は今公判で、口では伝えられず、行動に出てしまうことを『アピール』と表現する》
 被告「相手としてはカネを払えばいいのかというので、そういう問題じゃないと。間に(別の)先輩が仲介に入ってくれました」
 弁護人「有料道路のレシートをトラックに置いたのは、さぼっていると言われたことへの不満を表したのですか」
 被告「(それで)通じるはずだと思っていました。直接言うという考えはありませんでした」
 《ほかにも、同僚との間では貸したトラックの洗車をめぐり、トラブルになったという。弁護人は質問を変え、実家の家族との関係を尋ねる》
 弁護人「実家に帰ってきて、母親との関係は変化しましたか」
 被告「私の方で大人の対応といいますか、家族のやり直しといいますか、母親と会話する努力を始めました」
 弁護人「努力しようとしたのはなぜですか」
 被告「私自身大人になったんだろうと」
 弁護人「どんな努力をしたのですか」
 被告「仕事から帰ってくると母親が用意しくれた夕食を食べ、なんでもないようなことや、その日あったことを談笑しようと思いました」
 弁護人「それまで母親と自分から話すことはありましたか」
 被告「ありませんでした」
 《落ち着いた様子で、母親との関係を話す加藤被告。父親との関係も結び直そうと努力したという》
 弁護人「父親との間では、どんな努力をしましたか」
 被告「(父親は)単身赴任で仙台にいたのですが、週末に帰ってきたとき、父親を駅まで送ったときに、『バカでごめん』と言いました」
 弁護人「自分をバカと言ったのはどうしてですか」
 被告「いろいろあるんですけれど、行ける大学に行かなかったりとか、(自動車整備士の)資格を取らなかったりとか、そういったこともろもろです」
 弁護人「(そのとき)父親からは何か言われましたか」
 被告「父親からは『ずっと家にいればいい』と言われました」
 《加藤被告の声がほんの少しだけ震えた》 
 弁護人「家族をどうしたかったのですか」
 被告「せめて話のできる普通の家族になりたいと思いました」
 《家族をやり直したいと思った加藤被告。しかし、その願いがかなうことはなかった》
 《父親は単身赴任から戻ってきたものの、離婚が決まったのだ》
 被告「ある時、私が寝ているところを父親にたたき起こされて、突然『離婚する』と言われました」
 弁護人「予想していましたか」
 被告「いえ、予想していませんでした」
 弁護人「どう思いましたか」
 被告「悲しかった覚えがあります。家族をやり直ししようと思っていたところだったので」
 《両親に、離婚をやめてくれるよう頼むこともできず、母親に言われるがままに、再び家を出た加藤被告は青森市内で一人暮らしを始めた》
 《弁護人は、質問を変え、加藤被告が利用していたインターネットの掲示板について詳しく質問していく》
 《加藤被告は、青森に戻ってきた後、今まで使っていた掲示板の記録を消してしまったことから、アクセスできなくなり、新しい掲示板を利用し始めたという》
 《弁護人は、掲示板の使い方について説明を求めていった》
 弁護人「2ちゃんねるとあなたが使っていた掲示板はどう違いますか」
 被告「距離感です。私が使っていたのは特定少数の人のですが、2ちゃんねるは、不特定多数のコミュニティーです」
 弁護人「具体的に言うと」
 被告「私が使っていたのは高校のクラスのようなもので、2ちゃんねるは大学のようなものです」
 弁護人「もう少し説明してください」
 被告「高校のクラスだとお互いの顔を知っていますが、大学だと知っている人は少ないし、ほとんどが他人です。それをたとえました」
 《掲示板に対する質問を、加藤被告はすらすらと説明していく》
 弁護人「あなたの使っている掲示板では、どんなことが話題になっていましたか」
 被告「何でもあり、です。オタク的な話題だったり、関係ないような話題だったりしました」
 弁護人「被告自身はどんなことを書き込んでいましたか」
 被告「自分のスレッドを作って、落ち込んでいるというような感じのことを、ことさら大げさに書き込んでいました」
 弁護人「どんなレス(返信)がつきましたか」
 被告「真剣に心配してくれるような書き込みがありました。嬉しく思ったけれど、申し訳なくも思いました」
 弁護人「それはなぜですか」
 被告「実際の事実よりも落ち込んだような書き込みをしたからです。だましているようで申し訳なかった」
 《望んでいた家族とのやり直しをできなかった加藤被告。大げさに書き込みを続けて、掲示板のレスに、慰めを求めるようになっていった》

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(13)】

「不細工で彼女いない」 自虐ネタ書き込みウケ狙う
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)への弁護人質問が続く。加藤被告が青森市内の運送会社で働いていた当時、はまっていた掲示板について、男性弁護人が利用状況を尋ねると、加藤被告の口からはネット用語が次々と飛び出す》
 被告「掲示板では『レス禁』(書き込み禁止)になり、書き込みができなくなりました」
 弁護人「どうして書き込みができなくなったのですか」
 被告「私の書き込んだことが『荒らし』(悪質な書き込み)と判断されたからです」
 弁護人「『レス禁』について説明してください」
 被告「掲示板の管理人が書き込みをした携帯電話を特定して、書き込みができないようにすることです」
 弁護人「この掲示板がレス禁になり、どうしたのですか」
 被告「別の掲示板に引っ越しました。(利用する)人は少なかったですが、雑談したり、ネタ(の書き込み)があったりしました」
 《加藤被告の「引っ越す」という表現からはネットへの依存度がうかがえる》
 弁護人「その掲示板への書き込みはいつごろからですか」
 被告「平成19年...、もとい、18年10月ころからだったと思います」
 弁護人「その掲示板には書き込みのテーマがあるのですか」
 被告「特にありません。何でもありでした」
 弁護人「ハンドルネーム(掲示板上の名前)は付けましたか」
 被告「設定しました。ほかの掲示板の住人(利用者)からハンドルネームを付けるように言われていました」
 弁護人「なぜですか」
 被告「ハンドルネームがなければ、『名無し』と呼ばれます。ハンドルネームがあれば、特定されます」
 弁護人「掲示板をどのように利用しましたか」
 被告「自虐ネタを書いたり、面白いニュースを見つけて書き込みました」
 《以前はゲームに関する情報収集、雑談目的で書き込みをしていたとする加藤被告。弁護人は、このころから書き込みの性質が変わってきたことを指摘する》
 弁護人「利用の仕方が変わってきたのですか」
 被告「はい。面白いことを書いて、レス(返事の書き込み)をもらいたかったです。本音でネタを書き込んでいました」
 弁護人「本音とは?」
 被告「建前に対しての本音。人のことを意識することなく、『これを書いたら嫌われてしまう』などということを考えず、書きたいことを書きます」
 弁護人「建前とは?」
 被告「逆に相手を傷つけないように、きれいごとを並べることが建前です。ただ本音は本心ではないです」
 弁護人「説明してください」
 被告「(書き込んだ)文字の内容が、そのまま考えていることだと思われると困るということです」
 《加藤被告の分かりにくい説明に、法廷内には困惑が広がる。弁護人は質問を続ける》
 弁護人「『本音のネタ』の意味について説明してください」
 被告「一言でいえば、冗談。実話を元にしたもの、脚色したもの、まったくの作り話もネタになります」
 弁護人「何を期待してネタを書いたのですか」
 被告「ウケを狙っていました」
 弁護人「何を期待してウケを狙ったのですか」
 被告「ウケた人からの返事を期待しました。返事をもらえると嬉しく、『1人じゃない』と感じられました。掲示板は私にとって、居場所。1人じゃないと感じられたんです」
 弁護人「ほかの人が自分のことをどう思っていたと思いますか」
 被告「『おもしろいやつ』と返信を返してくれていると思いました。掲示板上での人間関係が大切でした」
 弁護人「どのような人間関係でしたか」
 被告「私にとっては家族のような...、家族同然の人間関係でした」
 《地元の青森で働きながらも、ネット掲示板にのめり込む加藤被告》
 弁護人「地元には高校時代の友達もいましたよね? 現実世界に居場所をなくして、掲示板にのめりこんだのですか」
 被告「そういうわけではありません。現実にも親しい人間はいました」
 弁護人「書き込んだものを見ながら、説明をしてください」
 《弁護人は掲示板を印刷した紙を持ちながら、加藤被告に近づく。加藤被告の横に立ち、紙を示しながら質問を始める。加藤被告は証言台のマイクが邪魔で紙が見えにくかったらしく、マイクの位置をずらした》
 《村山浩昭裁判長や検察側、弁護側はそれぞれの卓上に置かれたモニターで紙を確認する。傍聴席から見える大型モニターには映し出されず、どのような書き込みがされているのかは分からない》
 弁護人「これは2006(平成18)年12月のクリスマスイブに書き込みましたね」
 被告「はい」
 弁護人「『宝くじが当たった』『ホテルを予約する』と書いていますが、見た人はどう思うと考えていましたか」
 被告「分かる人が見れば分かるネタです。私は『不細工で彼女がいない』という自虐的な書き込みをしてきました。だから(クリスマスイブの書き込みも)ネタだと分かります」
 弁護人「『ホストクラブで自爆テロ』と書いてあります。実際に自爆テロを考えていたのですか」
 被告「そういうことはありません」
 《加藤被告はさらに弁護人に質問される形で、実際に書き込んだ文章の趣旨を説明していく》
 被告「ゲームセンターで順番待ちをしている人がいるのに、ゲーム機に座り続ける人のお尻から、財布を抜いていいですか」
 「ゲームセンターで楽しんでいるカップルに乱入していいですか」
 「ゲームセンターの音楽ゲームで(リズムに合わせて)ボタンを押している人の横で、同じ音楽をかけて嫌がらせをしていいですか」
 「ゲームセンターでゲームをしないのにイスに座っている人間をポア、オウム真理教の事件で使われていた言葉ですが、殺していいですか」
 《加藤被告はときおり鼻付近を触りながら、掲示板閲覧者の笑いを取るために書いたとされる文章の意味を説明する。当然のことながら、傍聴人の間では笑いは起きない。女性の裁判官は赤色っぽいハンカチのような布で口元を押さえながら、加藤被告を見つめていた》

【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(14)完】

仕事以外の時間は書き込み...「掲示板の人間関係が大切」
 《男性弁護人による加藤智大(ともひろ)被告(27)の被告人質問が続いている。弁護人が証言席の隣に寄り添い、加藤被告が書き込んだインターネット掲示板の印刷書類に目を落とす》
 弁護人「どういうことが書いてあるのですか。言葉の意味は?」
 被告「ゲームセンターで彼女がなかなか取れないものを、横から取っていいかというようなことを書きました」
 弁護人「不満を持ったとか、邪魔をしようとか、言葉通りのことをしようと思ったのですか」
 被告「面白がってもらおうと思い、書き込みました」
 弁護人「冗談ということですか」
 被告「はい」
 《傍聴席からは、書き込みの内容が分からないため、加藤被告と弁護人のやり取りを聞いて想像するしかない》
 弁護人「最後のコメントですが、この言葉の意味は何ですか」
 被告「ゲームセンターでイチャイチャしているカップルに火をつけてやろうと書いてあります。書き込みは冗談ですが...」
 弁護人「ネット上の住人はあなたの冗談に対して冗談で答えているということですか」
 被告「はい」
《午後5時前、村山浩昭裁判長が弁護人に対し、この日の審理終了を打診するが、弁護人はさらに5分の延長を求め、村山裁判長が了承する》
 弁護人「掲示板の書き込みや文章を作成する際に、どういったことを考えていましたか」
 被告「ほかの住人を面白がらせようと思っていました」
 弁護人「イチャイチャしているカップルは不愉快ですか」
 被告「不愉快だとストレートに書き込むとネタというよりも不満になってしまいます。だから(放火するという表現のように)ひねった書き方をするようにしていました」
 弁護人「『殺してしまう』とか、『死ね』とかいう書き込みはどういう意味ですか」
 被告「冗談です。ネタを面白くするためのエッセンスです」
 弁護人「掲示板の中でのやりとりは、一般の世界ではどういった意味を持ってくるのでしょうか」
 被告「せいぜい居酒屋でのばか話程度。冗談を言い合っているような感じです」
 弁護人「やめなさいという反応があれば、それについてはどう考えますか」
 被告「それは空気を読めずに説教するような反応だと思います」
 弁護人「ゲームセンターに関する書き込みなど、この日は9つのスレッドを立てていますが、この日は特別多いのですか」
 被告「いいえ。仕事以外の時間はすべて書き込みをしますので...」
 弁護人「どうしてここまで書き込みをするのですか」
 被告「掲示板の人間関係が大切だからです」
 弁護人「友人とは電話やメールでもやりとりができるのではないですか」
 被告「電話やメールは離れている人同士のやりとりです。掲示板は同じ場所を共有している人同士のやりとりです。(住人は)私の部屋に遊びに来てくれる人のような感覚です」
 弁護人「弁護人からは以上です」
 《午後5時02分、村山裁判長はこの日の審理終了を告げた。加藤被告は、両脇の係官に法廷の外へ進むように促されたが、傍聴席に向かって一礼。無言のまま法廷を後にした》
 《次回の公判は7月29日午前10時から、この日と同じ東京地裁104号法廷で開かれ、引き続き弁護人による被告人質問が予定されている》
 =(完)

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付録2、秋葉原通り魔 弟の告白(週刊現代平成20年06月28日号)

狂気の兄と歪んだ母の愛

 まずは、今回私が話をすることに決めた理由から説明させてください。先日、私の父が自宅の前で、事件に関して報道陣を前に詫びる姿を、テレビで見ました。ワイドショーの出演者の中には、父の謝罪会見の様子を見て、機械的すぎる」「用意された文章を覚えて読んでいるようだ」などと言う人もいました。

 これだけ社会に大きな影響を与えた事件です。家族が犯した過ちについて話すことは、私たち自身を傷つける結果になることはわかっています。しかし、被害者・遺族の方々に与えてしまった、想像を絶する苦痛、また国民の皆さんに与えた不安を取り除くためには、謝罪だけではなく、事件に関して何らかの説明をすることが必要だと思いました。"犯人"と同じ屋根の下で過ごした影響を説明することが、今回の凶行を起こした原因を紐解くきっかけになればと思い、この手記を発表することにいたしました。

父の電話で兄の犯行を知る

 その日、私は勤務先で仕事をしていました。夕方頃、勤務先のテレビから秋葉原で大量の人が殺されたというニュースが流れてきました。そのときは、他人事だと思っていたのですが、勤務が終わり、夜の11時に帰宅すると、父から、
「智大が重大な事件を起こして、お前のところにも大きな影響が来る。詳しいことは後で話すから、とりあえず、そこを出なさい」
 と電話がありました。私は何のことかわからなかったのですが、とりあえず家を出なければ、と思い、しばらく身を寄せておけないか、と知人に電話をすると、
「お前の兄貴って加藤智大って名前?秋葉原事件の犯人だぞ」
 と言われました。本当にびっくりしたのと同時に、アイツなんてことをやってしまったんだ!と思いました。そのとき、なにより真っ先に心配したのは勤務先のことです。次に心配したのが母のことでした。
 その夜のうちに勤務先の社長さんに連絡をして退職させていただきました。大切な職場だったので翌日からの仕事の引き継ぎをお願いしていると、社長さんは、
「こんな時でも仕事のことを考えるなんて。なんで君みたいなやつが・・・・・・」
 と涙声で答えました。
 翌日以降、報道陣がうちにかけつけ、アパートに住むこともできなくなったので引っ越しをし、現在は、知人のところにお世話になっています。
---------------------
(編集部)平穏な暮らしを襲った悲劇。彼が平静を取り戻すには多くの時間が必要だが、時がたつにつれ少しずつ、兄への憎しみと怒りがあふれてきたという。彼は兄のことを「犯人」「アレ」と呼ぶ。このことからも、兄に対してもつ深い憎悪の念を窺い知ることができる。
---------------------
 犯人は私の兄です。しかし、アレが高校を卒業してからの7年間、私とは完全に音信不通でした。何年か前の正月に、実家にいるアレの姿を見かけましたが、話はしていません。そのときが、アレの姿を見た最後となりました。
 私の両親が厳しい教育方針をとっていたと、よく報じられていますよね。しかし、私が小学生のころは、ごく普通の幸せな家族だったんです。夏休みには毎年、家族旅行に出かけ、食事の時も笑って話しあったりしていました。兄との関係もその頃までは良好で、、「SDガンダム」のプラモデルを作って交換したり、二人で「ホワイトベース(ガンダムに登場する戦艦)」のプラモデルを組み立てたりしていました。ただ、こうした関係が続いたのは私が小学校3年の頃までです。それ以降は、まともに話をしたことがありません。

書いては捨てて「先生ウケ」を

 家庭の中が少しずつ冷えていったのは、私が小学校4年生頃からです。それ以来、一年経つごとに、家族の仲は悪くなって行きました。家には、父・母・犯人・私と、個人ごとに部屋があり、別々に寝ていました。母は1階、残りの3人は2階です。家族が顔を合わせるのは食事の時だけ。母が食事を告げると3人が部屋から降りてきて無言で食卓を囲み、また各々の部屋に帰る。そんな毎日です。当時、子供だったこともあって、なぜ関係が冷えていったのかその原因はわかりませんが、家族のなにかが変わっていく様子は、感じとることができました。

 報道では父の厳しさが強調され、スパルタだったと言われていますが、それは間違いです。たしかに手を上げたこともありましたが、それは父親が男の子にする普通のしつけの類でした。父はむしろ口で注意するくらいで、子供に干渉するタイプではなかった。母の厳しさのほうが、強く記憶に残っています。今にして思えば私たちの将来のことを心配してのことだったのかもしれませんが・・・・・・。

 犯人は犯行数日前の携帯サイトへの書き込みの中で、親がかいた作文や絵を学校に提出していたと言っています。それを聞いた人は、母が筆を持ち作文や絵をかくのだと誤解されると思います。実際は、作文に関してはテーマや文章、絵に関してはやはりテーマや構図を母が指示するのです。与えられるテーマの根底にあるのは「先生ウケ」でした。私たちはまるで機械のようにそれに従って文章をかき、絵を描くのです。こうして母の狙い通り、先生たちはその文章や絵を褒めてくれました。

 子供たちの考えを把握したいからなのか、私たちの書く作文には必ず目を通していました。私はそれを「検閲」と呼んでいました。母は「検閲」によって、私が書いた言葉を、先生ウケする言葉に書き換えました。

 母は常に完璧なものを求めてきました。原稿用紙に作文を書くときに一文字でも間違えたり、汚い字があると、書き直しです。消しゴムなどを使って修正するのではなく、途中まで書いたものをゴミ箱に捨て、最初から書き直しになります。書いては捨て、書いては捨ての繰り返しで、一つの作文ができあがるまでに1週間近い時間がかかるのが常でした。良い教育が良い将来に繋がると信じる母の愛は、過剰な形で私たちに与えられました。

 また自由にモノを買うこともできませんでした。私もアレも小説を読むのが好きだったのですが、、本を自由に買うことはできませんでした。本を買う際は何がほしいかを伝える必要があり、さらに読んだ後に読書感想文を書いて母に見せなければなりませんでした。

 本だけではありません。ほしいモノがあったときは常に母に許可をとる必要がありました。だから、私はモノをほしがるということ自体なくなりました。
 一般的に、母親というものはヒステリックなものだと思います。母も同じで、怒るのは主に「テストの成績が悪い」といった、成績に関することです。そこから「口のききかたが悪い」「態度が悪い」と論点がずれていって体罰にエスカレートすることもありました。

 犯人は、母が「より優秀な弟を自分よりかわいがっていた」ということを供述しているようですね。成績に関しては私のほうが優秀だったので、たしかにアレのほうがよく怒られていたかもしれません。

 アレが中学1年の時のことです。その日の夕食も、家族が無言で食卓に付いていました。なぜそうなったのかは忘れてしまいましたが、食事の途中で母が突然アレに激昂し、廊下に新聞紙を敷き始め、その上にご飯や味噌汁などその日の食事を全部ばらまいて、
「そこで食べなさい!」
 と言い放ったんです。アレは泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていました。私は食卓の上の食事を食べながらそれを横目で見ていました。そのときは父も黙っていました。

女の子の年賀状が冷蔵庫に貼られ

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(編集部)加藤容疑者の弟は、テレビのニュースで兄の姿が映るたび、しばしうつむいて、体を震わせた。やはり「兄があの凶悪事件の犯人である」という現実に向き合うことは、彼にとってまだ受け入れがたいところがあるようだ。
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 "オタク殺人者"などと犯人は呼ばれていますが、子供のときは、「オタク」と呼ばれるような要素は皆無でした。テレビは1階に1台ありましたが、見るのは禁止でした。許されていた番組は『ドラえもん』、『まんが日本昔ばなし』だけです。私は中学2年になるまでこの二つの番組しか見たことがありません。テレビを見る習慣は家庭内にはなく、ニュースさえも見ませんでした。

 ゲーム好き、という報道も多くありますが、アレが家にいるときにゲームを長時間している姿を見たことはありません。ゲームは土曜日に1時間だけでというのがルールでした。家にはプレイステーション2がありましたが、アレが最初に買ったのは「グランツーリスモ」、次に買ったのが「バイオハザード」。中学の卒業文集に出ていた「テイル オブ デスティニー」は3番目に買ったものでした。また、マンガや雑誌なども読んだことがありませんでした。今でもマンガや雑誌を読む習慣はありません。

 さらに、友達を家に呼ぶことも友達の家に行くことも禁止されていました。友達を呼ぶことが禁止されていたのは、「お菓子をあげるのがめんどくさい」「ゲームをやられるのが嫌い」というのが理由のようです。ただし、特別扱いの友人が犯人に一人、私には二人いました。犯人は小学生のときに、その一人だけを家にあげています。私は中学時代に二人、家に友達を呼ぶことが許されました。

 <俺のモテ期は小4、小5、小6だった>と犯人が犯行直前に掲示板に書き込んだことが報じられています。確かに、勉強はできましたし、スポーツ万能でした。何より足が速かった。良い意味で目立っていたので、モテていた可能性はあります。しかし、母は男女の関係に関しては過剰なまでの反応を見せました。アレが中学生のときに、クラスの女の子から年賀状が来たことがありました。そこには「好き」というようなことが書いてあったと記憶していますが、なぜかそれが、見せしめのように冷蔵庫に貼られていました。
 中学1年のとき、私にも、女の子から同じようなハガキが来たのですが、食事のときにバンッとテーブルにたたきつけて、
 「男女交際は一切許さないからね」
 と言いました。異性という存在は、徹底的に排除されていました。テレビを見ないせいもありますが、女性アイドルの名前と顔など一度も覚えることはありませんでした。だから、事件と秋葉原を結びつけるような報道には、どうにも納得ができないんです。

 徹底的な管理が家庭内では行われていましたが、犯人と私が通った中学校も、また奇妙なところでした。そこの教員たちの教育はまるで軍隊のようでした。アレは中学時代にテニス部に所属していました。私も中学時代はテニス部でした。そのテニス部の顧問だったAはいわゆる熱血で、
「何のためにテニスをやっているんだ」
 と、生徒を横に並べて叫びました。生徒もそうした教育に"洗脳"されていたので、問いかけられた生徒は決まって「勝つためです」と声をそろえます。Aは私の担任でもありましたが、合唱コンクールなどで声が低く音程が合わない人間がいると、
「やる気がないならやめろ!」
 と大声をあげ、生徒は、
「やめません!やらせてください!」
と誰しもが答えていました。まるで軍隊のような感じで、それが当たり前のことと思われていました。生徒の個性などというものは存在さえしませんでした。
アレと私は3学年離れていますが、アレが在校したときの教師陣と私が学んだ教師たちは一緒です。当時の私と犯人は、家でも学校でも厳しく管理されていたということです。

爆発した兄、血を流した母

 成長するに従って、「犯人」は犯行期を迎えます。爆発したのは中学3年の頃でした。私と母とアレが3人で自宅にいたときのことです。母と兄は下の階に下り、私は自分の部屋にいたのですが、何か母と兄が口論をしていたのが聞こえたんです。口論が終わったころ、下に降りると、普段メガネをかけている母がメガネを外して泣いていたんです。顔をティッシュかハンカチで押さえていたので、血が流れていたんだと思います。そこで兄が母を殴ったんだと理解しました。どうしたの?と尋ねると母は何も答えません。その後、母は1階の自室にこもって、その日の夕食はありませんでした。それ以降、アレが母を殴った姿を見たことはありませんが、その一件で犯人は感情を爆発させることを覚えたのでしょう。

 暴力の矛先が向けられたのは部屋の壁です。だからアレの部屋の壁は穴だらけになっています。学校でも、何かイライラすることがあって素手で教室のガラスを割ったことがありました。横に並んだガラス窓を拳で叩き、何枚ものガラスを破壊したそうです。血まみれになって家に帰ってきたのを覚えています。怒りを溜め込むということをしなくなり、瞬発的に暴力が出るようになりました。同じ環境で育ったせいか、私自身も壁を蹴ったり殴ったりすることがくせになったんです。恥ずかしい話ですが、私が引き払ったアパートの部屋の壁は少しへこんでいます。

 あれは地域でも一番の人間が集まる「セイコー【県立青森高校】」に入学しました。アレがセイコーに合格したことに、本当に両親は喜んでいました。冷えた関係ではありましたが、合格祝いのパーティーが開かれました。普段は酒を飲まない父も酔っぱらって上機嫌になりました。そういえば、報道では父が酒を飲んで暴力を振るったなどと言われていますが、父は家では酒を飲みません。冷蔵庫の中に酒の類が入っているのは見たことがありません。合格祝いの時に父が酔った姿を見たのが、私が初めて見た「酔った人間」です。そのくらい、酒は家庭から離れたものでした。

 両親に祝福されて高校に入学した犯人ですが、秀才ばかりが集まっていたので、中学では秀才だった彼が、あっという間に普通の人になりました。母もだいぶ成績について注意をしたんだと思います。しかし、あれは、聞こうともしなかった。母は口にこそ出しませんでしたが、そのとき母の期待は私に移ったんだと思います。私への愛情の移行を犯人は敏感に嗅ぎとり、自分は必要のない人間だと誤解したんだと思います。母に、
「俺より弟を優先して、俺を見放すのか!弟だけにしたいんだろう」
 と詰め寄っている姿を目撃したことがあります。
 そんなアレを見て母も自信をなくしたんでしょう。私が中学2年の時に"ルール緩和"が行われ始めました。テレビが見られるようになりました。高2の兄はこのとき、テレビを買ってもらいました。

"洗脳"した母を許す弟と憎む兄

 私はそれまで、こうしたルールの多くがどこの家庭でも行われているものと思い込んでいました。ところが、高校入学後、自分の育った家庭や中学がかなり変わったものであることに気付き、衝撃を受けました。私は自分は"洗脳"を受けていたことに気がつきました。そのとき、私は母を恨みました。犯人ももしかすると、高校進学時に同じことを感じていたかもしれません。犯人は高校を卒業し、自動車整備学校に入学しました。岐阜にある短大(中部日本自動車短期大学)ですので、アレもそのときに岐阜に引っ越しました。アレは車が大好きで、子供のころからよく車のプラモデルを作っていたんです。

 しかし、岐阜ではバイクに乗っていました。バイクで青森まで帰省したこともありましたし、サーキットでのバイクのレーシングチームのスタッフとして働いたこともありました。私はバイクには詳しくないのですが、帰省した時に見かけたのはレースに出るような形のバイクでした。

 私は20歳で東京に移り住み、そこで先日まで働いていた勤務先に巡り合ったんです。今の自分にとって唯一楽しいことは仕事です。東京で一人暮らしをするのに充分な収入はありませんでしたが、父が家賃の援助や携帯電話の支払いをしてくれたりもしました。犯人は借金だらけと報じられていますが、そういえば、アレが以前、事故を起こしたことがありました。家にカネの無心の電話をかけてきたのを覚えています。私の家賃を助けてくれた父ですから、その時も、そのおカネを払ったと思いますし、最近まで何らかの援助もしていたと思います。

 また父と母は不仲で別居をしていると報道されていますが、それは間違いです。昨年秋ごろ、父が母の貯蓄を勝手に使ったうえに、父に借金があることが判明し、母がある期間だけ家を飛び出してしまった。それだけです。父の借金の理由はわかりませんが、黙って私を援助してくれる父です。こうしたことが借金の原因だったかもしれません。いずれにしろ、私たちが一家離散状態だったなどということはありません。
---------------------
(編集部)同じ教育を受けてきた弟と兄。一方は働く喜び、日々を楽しむ喜びを知り、充実した生活を送っている。もう一方は仕事、生活、社会に対する怨恨から、殺人犯へと転落した。一体その違いはどこにあったのだろうか。
---------------------
 "洗脳"。厳しい躾や教育をそう呼んでいた私ですが、、20歳の時、上京する前に母とようやく理解し合えました。母と邂逅したのです。母が、
「お前たちがこうなってしまったのは自分のせいだ」
 とつぶやき、私に謝罪してきたんです。実は私は、3ヶ月で高校を辞めた後、実家の部屋に引きこもっていた時期がありました。だからある時期私は、うまくいかない状況を母のせいにしてきました。私は母の謝罪の言葉をきっかけに、母を許すことができました。犯人が供述中に自分の生い立ちを語って『ないた』と報道されていますが、私は犯人が両親に対して申し訳ない、という気持ちでないているわけでは絶対にないと思っています。なぜなら、アレは今でも両親を強烈に恨んでいるはずだからです。自分の境遇に涙しただけだと思います。

 同じ家庭、環境におかれながら私が犯人と同じことをしないのは、外の世界に飛び出し、苦しみながらもそれまで欠けていたものを手に入れたからだと思います。だからこそ、テレビ画面で、泣き崩れる母の姿、また白髪が増えた父の姿を見て、何よりも二人のことを心配しているんです。

 音信不通で、何をしているのかさえわからなかった犯人は、私にとって家族ではなく他人にしか思えません。事件のせいで私は喜びの場所であり、社会との接点であった勤務先を失いました。私も犯人を憎むものの一人です。しかし、それでも私たちは家族です。知人のもとに身を寄せながら、ただ一人、被害者の方や遺族の方たちの受けた想像を絶する苦痛を思い、震える毎日を送っています。おそらく母や父も同じような気持ちでいると思います。

 被害者.遺族の方たちへ謝罪を行うことがせめてもの償いだとは思います。しかし一人ひとりに謝罪していこうとしても、力尽きて全員の方に謝罪できなくなってしまうほど今は疲労困憊しています。私の家の恥部をさらすことで、犯人が犯行に及んだ説明の一端になれば・・・・・・。そのことが現在の私にできるすべてだと思っています。亡くなられた方のご冥福と、傷を負った方の一日も早い回復を、心より祈ってやみません。

母の近況と、自分に起こったこと

 事件から約2週間が経ちました。事件後、両親が自宅前で開いた謝罪会見で、母が泣き崩れる場面が何度も報じられました。私は、テレビ画面に映し出された母の姿を直視することができませんでした。母は大丈夫だろうか・・・本当に心配になりました。会見があった翌日、父から突然、
「母さんの具合が悪いから入院させる」
 という連絡がありました。母は、自分が育て方を間違ったせいで、多くの人が命を落としたと責任を感じ、ひどく思い悩んでいるのでしょう。それ以降、母から時おり電話がかかってくるのですが、母は大声で泣きながら、
「ごめんね。ごめんね」
 と、その言葉だけを何度も繰り返すだけです。気持ちが不安定になっているため、強い薬を飲んでいるせいでしょうか、電話越しに聞こえてくる母の声は、呂律が回っていません。
 一刻も早く遺族の方にお詫びをしなければならないのですが、母が苦しんでいる姿を思い浮かべると、すぐにでも母に会いたいという気持ちのほうが、日に日に強くなっています。
 父も事件後、こまめに私に電話をかけてきて、自分の状況や、母の状況を手短に伝えてくれます。
 あれから、私の身にも、大きな出来事がありました。6月15日のことです。万世橋警察署・捜査本部カワシマさんという方が署から電話してきて、
「聞きたいこと、協力してほしいことがあるので、来てください。時間と場所は上司と話して決まったらまた連絡します」
 との電話がありました。万世橋署ではマスコミが多いということから築地署に出向いてほしいと、その日のうちに再び電話がありました。「協力」と言いながら、署の取調室に呼び出されるのは不可解だなと思い、承諾はしたものの、かなり不安でした。

 それでも協力しなければと思い、数時間後に出向くと伝えました。しかしあの日以来、事件のことを考えると体の調子が悪くなる、そんな日々が続いています。このときも体調が悪化したため、担当の方に「日にちをずらしてほしい」と相談するため、指定された携帯電話にかけました。しかし30回ほどコールしても出てもらえず、留守番電話にもなりませんでした。その後に、カワシマさんという方が、
「弟から一切連絡がない」
 と言い、私と関係がある人たちから事情聴取を行い、私の口座番号まで調べたと聞きました。
 事件に関する多くの報道にも目を通しましたが、なかには私が違和感を覚えるものも少なくありませんでした。特にショックだったのはある週刊誌に掲載された、伯父のコメントでした。
「同じ環境で育ったという点からみれば、弟も同じ過ちを犯す可能性がある」
 と伯父は発言し、それがなんの悪気もなく掲載されていました。また、私が高校を中退した後、コンピューター関係の専門学校に進んだという報道も見ました。しかし、私が進んだ先は税理士の専門学校です。私が"犯人"と血が繋がっているとはいえ、警察や報道から私も犯人であるかのような扱いを受け、自分に関する間違った情報が平然と世に流されてしまうとは思いもしませんでした。

 それでも被害者の方の受けた痛みを考えれば、私の受ける社会的な制裁も当然なのでしょう。今回の事件が、あまりに多くの人を傷つけてしまったという、現実の重さを痛感する毎日が続いています。

叱るのも怒るのも理由を説明しない

 前回、私は、私の家の内情について、本当にありのままのことを書きました。

 母が新聞紙の上に食事をぶちまけ、それを兄に食べさせたこと、私たち二人の作文を、母がすべて"検閲"していたこと、テレビは『ドラえもん』と『まんが日本昔ばなし』しか観てはいけなかったこと、そして、"アレ"が母を殴った日のこと----。すべて包み隠さず赤裸々に書いたため、わが家が「奇妙な家族である」と思われた方も多いことでしょう。「うちの家族と似ている」そう思われた方もいるかもしれません

 たしかに家族の間に相当な距離があったことは事実です。事件後、私の家族に関することが日々報じられましたが、父や母に関することをわたしがあまりにも知らなかったことに、私自身が大きな驚きを覚えました。父が勤め人であることはわかっていましたが、私はこれまで、父の勤務先さえ知らなかったのです。父は信用金庫に勤務しており、母とはその職場で知り合ったこと。(略)

 前回も述べましたが、私は自分が小学校3年生ぐらいになるまでを"ハッピーな時期"と呼んでいます。それ以降、冷え始めた家庭ですが、その頃まではわが家にも、"家族団欒"というものが存在していました。毎週日曜日の夕食後になると、1階の居間に家族全員が集まって、ババ抜き、七並べ、ページワンという順番で、トランプゲームをやるのが恒例でした。無機質で冷徹な殺人鬼になった犯人ですが、負けが込むと犯人は、
「ちくしょーっ」
 などとおどけて悔しがっていました。あの頃、家庭の中に笑顔があったのです。

 兄弟の関係においても"ハッピーな時期"の犯人は面倒見が良く、アレに連れられて、よく一緒に遊びに行きました。一番の思い出は、2人が小学生の時に、近所の空き地に雪を使って2人だけの"秘密基地"を作ったことです。私は壁を作り、アレは雪でテーブルや椅子などの内装作りを担当しました。ただ、作ろうとした基地があまりにも大きすぎたため、結局完成せずに、翌日大雪の中に埋もれてしまいました。

 私が幼い頃から、父が酔って家庭内で暴力をふるい続けていたかのような報道もありました。しかし、父がそんな顔を見せたことは一度もありません。ただ、父が最も激怒したときのことは覚えています。それは私が小学校3年のことです。父と花札をやっていて、私が負けそうになって、ちゃぶ台をひっくり返したことがあったのです。そのときは父に拳で殴られました。ただ、これを「家庭内暴力」というのは、過剰だと思います。

 母も含めて私の家族全員に言えるのは、叱ったり、怒ったりするときに、その理由を説明しないことです。だから私は幼いときから、怒られた理由を自分で考えねばなりませんでした。また、それを不可解なことだと思ったこともありませんでした。犯人が過度に独善的な判断・行動をとるのは、こうしたことが影響しているのかもしれません。

母の学歴劣等感と"10秒ルール"

 作文の"検閲"については前回述べましたが、このことについては、まだ思い出すことがあります。アレが小学校5年生のときです。夏休みの家族旅行で岩手の龍泉洞に行ったのですが、旅行から帰ると母は、アレに旅行に関する作文を書かせました。アレが書いた作文の冒頭は、
「龍泉洞に入ると冷たい空気が僕を包んだ。気温12度に僕は驚いた」
 というものでした。そのときの母は少し機嫌が悪かったようで、何度も冒頭部分をやり直しさせました。「龍泉洞」と書き出した瞬間に、「ダメ」と言って原稿用紙を捨て、「龍泉洞に入ると」と書いては、「やり直し」と言ってまた、原稿用紙を捨てる。その繰り返しが異様だったので、横にいた私はこの冒頭の書き出しを今でも暗記してしまっているのです。

 さらに、母の作文指導には「10秒ルール」というものがありました。犯人と私が作文を書いている横で母が"検閲"をしているとき、
「この熟語を使った意図は?」
 などと聞かれることがありました。熟語を使う意図など考えていないので、答えられずにいると、母が、
「10、9、8、7・・・」
 と声に出してカウントダウンを始めます。0になるとビンタが飛んできます。この問題における正解は、母好みの答えを出すことです。母が求めるのは、教師ウケする答えでした。答えがわからず黙っていると、
「10、9、8、7・・・」
 と再びカウントダウンとビンタが延々と続きます。私が泣いて答えると、またビンタが飛んできます。泣くと、正しい答えを言っても、不正解になるのです。完璧な答え方をするまで、母は許しませんでした。

 今回の報道で、母が大学受験に失敗していたことを知りました。母は"学歴"というものに対してコンプレックスがあったのでしょう。

 私は、母とアレが通った高校とは別の高校に進学したのですが、入学後、携帯電話も持たずテレビを見る習慣もなかった私は、同級生たちから異様な目で見られる存在になりました。そんなこともあって私は高校を数カ月で中退したのですが、高校を辞める条件として母が私に要求したのは、翌年に母と兄が通ったセイコーを受験することでした。当時の私は二度と高校生活に戻る気持ちはなく、セイコー受験も形ばかりのものでしたが、落ちたときの母の怒りは相当なもので、母は2週間ほど実家に帰ってしまいました。それほど、私たちに求めるものが強かったのです。犯人は、そうした母の強い期待に、耐え切れなかったのかもしれません。あの当時、私や犯人に、母自身の考えや、怒った理由などを少しでも説明してくれれば、私たちの人生ももう少し違ったものになったのではないかと思います。

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付録3、携帯掲示板への書き込み(平成20年06月05日~08日)

秋葉原無差別殺傷事件で逮捕された加藤智大容疑者が、書き込んだとみられる携帯サイトの掲示板の主な内容は次の通り。 (ダイジェスト版)

■■■■6月5日■■■■

06:17 作業場行ったらツナギが無かった/辞めろってか/わかったよ

11:51 犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする

12:05 「誰でもよかった」/なんかわかる気がする

12:32 東京の道路って面倒くさい

12:33 トラックで行くのは無謀かもしれん

■■■■6月6日■■■■

01:44 あ、住所不定無職になったのか/ますます絶望的だ

02:48 やりたいこと...殺人/夢...ワイドショー独占

02:54 工場で大暴れした/被害が人とか商品じゃなくてよかったね

02:55 それでも、人が足りないから来いと電話がくる/俺(おれ)が必要だから、じゃなくて、人が足りないから/誰が行くかよ

 同  誰でもできる簡単な仕事だよ

03:00 別の派遣でどっかの工場に行ったって、半年もすればまたこうなるのは明らか

03:07 仕事に行けっていうなら行ってやる/流れてくる商品全部破壊してやる

03:09 彼女がいれば、仕事を辞めることも、車を無くすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった/希望がある奴(やつ)にはわかるまい

03:10 で、また俺は人のせいにしてると言われるのか

 同  いつも悪いのは全部俺

05:04 出勤時間になると目がさめてしまう/もう行かないんだから寝かせてくれ

06:41 とりあえず出発しよう

07:06 飛び込み自殺で東海道線がとまりました/何もかもが私の邪魔をします

08:10 三島まで出れた

08:15 こだまに乗れる/名古屋に1016着予定で、乗り換え5分でひかりに

09:46 こっちまで電車で来たのは、トヨタの期間工に応募して落ちたとき以来だ

10:35 米原で乗り換えだ

10:37 長良川超えた/堤防でいちゃついてるカップル、流されて死ねばいいのに

11:14 買い物/通販だと遅いから福井まででてきた

14:39 店員さん、いい人だった

14:42 人間と話すのって、いいね

17:59 三島ついた

20:30 うん/長旅だった

20:49 ナイフを5本買ってきました

■■■■6月7日■■■■

06:37 さあ出かけよう

08:03 今日は秋葉原/お金をつくりに行く

09:14 隣の椅子(いす)が開いてるのに座らなかった女の人が、2つ隣が開いたら座った/さすが、嫌われ者の俺だ

10:45 秋葉原ついた

11:41 定価より高く売れるソフトもあった

13:14 レンタカーに空きがなかった/トラックじゃ仕方ないかも

13:43 さあ帰ろう/電車に乗るのもこれが最後だ

15:35 大きい車を借りるにはクレジットカードが要るようです/どうせ俺は社会的信用無しですよ

16:01 小さいころから「いい子」を演じさせられてたし、騙(だま)すのには慣れてる/悪いね、店員さん

16:03 無事借りれた/準備完了だ

19:36 「死ぬ気になればなんでもできるだろ」/死ぬ気にならなくてもなんでもできちゃう人のセリフですね

20:34 もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる

20:53 中止はしない、したくない

■■■■6月8日■■■■

05:21 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います/みんなさようなら

05:44 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな

11:45 秋葉原ついた

 同  今日は歩行者天国の日だよね?

12:10 時間です


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加藤智大容疑者(25)のものとみられる携帯サイトの書き込みは次の通り
(以下詳細版)

【2月25日】
午後0時56分 寂しくなったらペットを飼えばいいじゃない(本人以外の書き込み)
58分 「死んだときの悲しさがある(本人以外の書き込み)」
午後1時2分 命あるもの、いつかは死にます 死んだ者を行動の理由にしちゃいけない、って誰かが言ってました

【26日】
午前10時36分 自殺といえば 虫歯の痛みは自殺を考えるのに十分な痛みですね こればかりは
【27日】
午前3時7分 報われない努力は、人の心を蝕みます 生き方を変えれば、穏やかに 幸せに生きれます
10分 生き方コロコロ変えるのもイィけどな 壁にぶつかる度に道変えるのは逃げてるだけだろ?(本人以外の書き込み)
38分 アンタ人を好きになったことあるか?(本人以外の書き込み)
43分 もちろんありますよ それは苦しかったのを覚えていますし、その体験は間違いなく私を成長させてくれました
4時26分 さあ、転職しましょう 女性と全く関わりのない職場へ 地元を離れ、他県が良いでしょう そして、携帯のアドレス帳から女性を全て消しましょう 苦しいのは最初だけです
午後1時58分 負け組は生まれながらにして負け組なのです まずそれに気付きましょう そして受け入れましょう
2時21分 この考えこそが女性を意識しているのではないか、という屁理屈もありますが、否定はできません 未練があるのでしょう だからこそ、こうして何度も自分に暗示をかけ、変わろうとしているのです
【29日】
午前4時10分 同僚が会社の寮に17歳の少女を泊めて、警察に逮捕されました そこまでして彼女を作って幸せですか?
5時11分 秋葉原へ行きましょう(本人以外の書き込み)
22分 来月、お買いものをしに行きますよ
午後8時26分 とにかく最後に「私は幸せです」と付け加えてみましょう(本人以外の書き込み)
38分 きょうは残業4時間です 私は幸せです
44分 週末なのに予定がありません 私は幸せです
【3月1日】
午前2時29分 何もしていないのに時間だけが過ぎていきます 私は幸せです
4時16分 興味がなくなりました、なんて書いておいてやっぱり気になる私を誰か殺してください
午後7時38分 ガソリン空っぽでした 車も、独りで乗れば燃費がいいです 私は幸せです
【2日】
午前4時27分 このまま死んでしまえば幸せなのに そう思うことが多々あります
37分 死んだら幸せかどうか死んでみないとわかりませんよね
46分 では静岡でお待ちしております
8時56分 「そうじょ」まで入力したら「躁状態」を予測変換した私の携帯は、もはや私と同化する勢いです
午後10時46分 ミサイル、欲しいです
11時43分 皮膚がはがれるのはなにかの病気でしょうか 痛いです
【5日】
午後7時40分 これから社会では事務系エリート・技術系エリート・低賃金でも文句も言わずに仕事をする底辺層 これらの人材が必要とされるそうです 我々のような「普通な人」は必要ないそうです
【6日】
午前5時22分 書き込みをしてもヒット数が自分の分しか増えないのは正直さみしいものがありますね... はじめからわかっていたはずなのですけれど
29分 どうやら私はうざいようです 俺KY俺KY俺KY俺KY
【15日】
午前4時19分 疎外感 孤独でも、きっと幸せになれるはず きっと
34分 こうして携帯をいじっているのは幸せなのでしょうか
35分 携帯の充電も満足にできなかったころに比べたら、幸せなのでしょう
39分 好きな人に彼氏ができました 私は幸せです
【16日】
午前0時40分 パソコンなんか購入してみました それだけの給料があるだけで幸せですね
6時4分 合コンに誘われました あり得ません たとえ1億円積まれても行きません
午後1時23分 例えるなら、RPGのイベント戦闘のような こちらが負けることは確定しているのです 裏技や機会を使って無理やり勝っても、その先にはバグかゲームオーバーしかありません
【17日】
午後5時20分 中学生でしょうか、仲良く手をつないであるいている男女を何組か見かけました 以前の私ならトラックでひき殺したい衝動にかられていましたけれど、今はそんなことはありません 心からおめでとうと言いたいです
【25日】
午後6時11分 不細工でも収入があれば嫁はもらえます あなたは嫁がイケメソの彼氏と遊ぶ金を稼いでくるのですけど それで幸せだというならば止めませんけれど、私は不細工の皆さんにはだまされて欲しくありません もっとも、年収400万円にも満たないハケンの私にはまるで関係のない話ですけれどね
【31日】
午前1時51分 自分を制御できない私に彼女などできるはずが無いのです 幸せなど夢のまた夢
53分 いっそ、全員殺せばいいような気がします
2時28分 日勤だと考える時間が出来るから嫌です 仕事も慣れてきたらいろいろなことを考える余裕がでてきて嫌です
29分 徹夜のまま出勤します 私がクビになっても誰も困りませんし
49分 生活するのにいっぱいいっぱいだった頃は何も考える余裕がなかったのでしょう 以前の生活レベルが戻るにつれて、以前と同じ悩みがまたでてきます
52分 同じように解決出ず、同じように暴走して、同じように堕ちて、同じように後悔するのでしょうか 同じ失敗を何度すれば学習できるのでしょうね、私は
55分 もう車は買えないですし、部屋も借りられませんから、以前より生活レベルは落ちているのでしょうね 幸せか、と訊かれれば、不幸ではない、とは答えられるでしょうか
56分 サイクルがどんどん短くなっていくのが怖いです 最後にはどうなるのでしょうか
3時6分 眠いです ですが、寝てはいけない時間です イライラします 半年前と同じ状況です
【4月3日】
午後4時20分 親の話が出ましたのでついでに書いておきますと、もし一人だけ殺していいなら母親を もう一人追加していいなら父親を
8時43分 引っ越ししたり転職したりするのも良いかもしれませんね 私は次はどこに行きましょうか
【5日】
午前10時46分 出先で職場の同僚と会ったのですけれど、怪しいと言われました キモいうえに怪しいとなると、警察に任意同行を求められそうな勢いです 仕方なく帰宅です
午後2時54分 お金が余る、というのもおかしな話ですけれど 予定が無くなったので月に8万円くらい予算が浮いています なにか有意義に使って幸せになりたいものです
3時6分 当面の目標はバイクの購入でしょうか 250ccまでなら住民票があれば買えるよなのでなんとかなりそうです
【6日】
午前0時2分 根拠がないのに自信だけはある人がたまに居ますけれど、正直、殺意がわきます
21分 そういえば、介護施設のバス運転手に応募したことがありましたけれど、二次試験で落ちました
8時56分 本当は銃が欲しいのですけれど、私には許可は下りないのは間違いありませんもの
9時49分 笑うことはストレス解消になるのだそうです 最後に笑ったのはいつでしょうか いわゆるお笑い番組を見ても、くすりとも笑えない私は異常ですか
【7日】
午後1時33分 仕事の時間が迫ってきています 別に仕事は嫌ではありません もちろん楽しくありません 時間がつぶせてお金も貰えるなんて、素晴らしいことですから
(時間不明) 春です 今日から環境が変わった方がたくさんいらっしゃいます 皆さん楽しそうです できるなら、私も半年に一回ペースで転職・引っ越ししたいものです
午後3時14分 頭が痛いです ガンガンするというか、もっと鈍い痛みです めまいがします 頭を振ると、視界が遅れてついてきます ちょっと仕事に影響がでるかもしれません
24分 甘えんな、と言われましても、甘えたくて頭痛になっているわけではありませんし、困ってしまいます 健康なのが一番です
【11日】
午前4時24分 異動になりました 随分キツい工程に入りました 辞めたいです もう稼ぐ必要もありません 一人で細々と食べて行ければいいのですから
25分 異動先で、「お前は捨て駒にされたんだよ、ギャハハ」と言われました まさに、私に相応しい役目です
【12日】
午前4時20分 アトピーでしょうか 背中がプツプツです イケメソなら、「私が薬を塗ってあげるよ(はぁと)」、となるのでしょう 不細工な私には、キモい、汚いという罵声しか聞こえてきません
【14日】
午前5時21分 誰でもいいから殺したい気分です
6時15分 会社に着いてから仕事を始めるまでの時間に携帯を触るしかない自分はなんなのでしょうか
午後6時17分 日勤の時は残業は最大55分です 時間が余ってしまいます 夜勤なら3時間以上残業して、帰って寝るだけなのですけれど 虚しい時間です
【15日】
午後5時9分 ネットから卒業すれば幸せになれるという人が居ます 私の唯一の居場所を捨てれば幸せになれるのでしょうか すなわち、死ね、ということなのでしょう 死ぬことが幸せなのかどうか、私にはまだわかりません
【16日】
午前11時6分 GWには一度田舎に帰ります ご飯を食べに行くだけですけれど 楽しい楽しい独り旅ですよ ラジオだけが友達です
午後3時55分 月に10万円くらいずつ貯まるのですから、冬にはバイクが買えそうです ワクワクしますね
5時11分 私が勝手に友達だと思っている人は居ますけれど、相手が私をどう思っているかは分かりません 向こうから何かに誘ってこないということは、私はただの鬱陶しい不細工なのでしょうね
7時53分 誹謗中傷されるということは、存在だけは認められているということですから 無視されている不細工な私は、その存在すら認められていません
【17日】
午後5時57分 私は今の職場に要らないようです 先輩方の間に入って邪魔にならないように仕事をしているふりをするだけで何も言われません 教育担当の方も自分の仕事をしているだけです 以前の私ならヘコんでいたでしょうけれど、今は違います プラスに考えれば幸せでです 何もしなくてもお給料が貰えるのですから
【18日】
23時35分 馬鹿みたいに単純作業です その単純作業すらできない私はなんなのでしょうね
【19日】
午前8時51分 寝ぼけながら電話帳整理してたら20件しかなくなりました 全部仕事関係です
【20日】
午後1時55分 欲望に素直になっていいのでしたら、繁華街の歩行者天国にトラックで突っ込みたいです そんなことしませんけれどね
【21日】
午前0時11分 私は内向的ではありませんよ 後先を考えずに暴走するくらいの行動派です
【24日】
午前0時46分 私より幸せな人を全て殺せば、私も幸せになれますか? なれますよね?
4時21分 きょうも華麗に無視されています 皆さん、私の存在そのものを否定していますよね
40分 雨が降るなんてきいていません 地球規模で私に嫌がらせをするのですね
午後3時46分 書類の関係的に私は車を購入できないようです もう、何にすがって生きたらいいんですか
【25日】
午前5時5分 大型車に乗れる、というのは特技になるのでしょうか 免許があれば誰でも乗れますし、特技にはならないですよね
6分 趣味は車、だったはずなのです 自分の車も持っていないのに趣味が車というのもおかしな話です
午後2時28分 恋愛を楽しめるのは25歳までだと聞いた事がありますけど、もうとっくに過ぎてしまいました もっとも、不細工には恋愛する権利がそんざいしませんけど
【26日】
午前4時12分 お仕事終わりです 楽しい楽しい9連休です
【5月1日】
午前9時45分 私もネットで知り合った可愛い友達がいますよ 彼氏ができたそうなので、遊びに行くことはできませんけれど
午後1時40分 以前マネキンを運ぶ仕事をしたことがあります うんざりです
42分 ハゲは嫌です 最近ベジータになりつつありますけれど
4時24分 車が好きですけれど、今は諸事情で乗れません 何か新しい趣味がないかな、と考えています
【3日】
午後5時52分 怒るような出来事が身のまわりで起きないのでしょう 幸せそうで良いことです ですがたまにはニュースもみてくださいね
6時55分 知っている女性は2人だけ 一人は彼氏がいて、もう一人は掲示板にのみ存在する人
【4日】
午後0時29分 GT-Rについてですけれど、ものすごい車だと思います リミッターを外すだけで300キロが出せ、しかも車内で普通に会話ができるとは、驚きです 値段は1200万円くらいでも良かったと思います この評判を確認したトヨタが二番煎じをするのは明らかで、非常に腹立たしいです
【5日】
午後0時1分 高校までは部活をやっていましたけれど、私は特にモテませんでしたよ? ちなみにテニスとバドミントンです 大学からは、モータースポーツを趣味のレベルでやっていました
4時26分 免許はちゃんとありますよ? 更新もまだまだ先です 免停になるなんて、何をしたらなれるのか不思議でなりません なった人が居るなら見てみたいものですね
【6日】
午後8時23分 ネットで出会いは気持ち悪いのだそうです 私の全てを否定されている気分です
【7日】
午前10時44分 今日は仕事が早く終わるようです 駅前で女の人に声をかけてみようと思います
56分 、と思いましたけれど止めます 通報されかねません 前向きなのと無謀なのは違いますよね
【9日】
午後4時29分 メル友募集でもしてみたら?、という書き込みがありました どんなに仲良くなっても必ず「顔写メちょうだい」というメールが来ます そして送った瞬間、音信不通です これも、中身ではなく顔で判断される良い例です
5時28分 私も「アニメやエロゲーがあれば幸せ」という人種ならよかったのですけれど、不幸なことに現実に興味があるのです
6時6分 私の職場にも大卒の新人が来ました もちろん派遣の私より高給です 当然、彼女もいるでしょう 羨ましい話です
11時24分 自殺寸前の女性を説得して自殺をやめさせた人がいるようです その人はその女性に対して責任を取れるのでしょうか? 中途半端な正義感はかえって他人を苦しめます
【10日】
午前6時53分 自分が被害者だと思っているうちは何も進展しない、のだそうです 不細工に産まれた、というのは自分が悪いのですか? 私が何をしたというのですか?
9時11分 「容姿による足切り」 面接するまでも無く見た目で対象外、ということですね
午後4時34分 携帯ばっかりいじっていてはダメということらしいですけれど、現実では誰にも相手にされませんもの ネットなら辛うじて、奇跡的に話してくれる方がいます
午後5時33分 まずは何かを愛することから始めろよ(本人以外の書き込み)
50分 奇麗な言葉を並べても不細工に恋愛は無理ですよ イケメソなら大切にしたいと思わなくても沢山の人がよってくるでしょうし、不細工がどんなに大切にしたいと思ってもそれは迷惑以外のなにものでもないようです イケメソなら「大切にされてる」と思われるのでしょうし、不細工ならストーカー扱いです 中身なんか関係ありませんよ
58分 迷惑かどうかは相手が決めることだろ? 女をひとくくりにお前のイメージだけで固めるなよ とりあえず女友達作れ(本人以外の書き込み)
6時47分 子供は親の作品です、自分の優秀さの証明です 世間体がありますから、体だけは育てていただきました 大切な物は携帯です
54分 親の作品とか要ってる時点で愛されることを分かってないじゃないか それとも分かろうとしてないだけなのか?
7時23分 皆さん無責任に行動してみろと仰いますけれど、その行動結果に対しては誰も返事をくれません 私が失敗しているのを酒の肴にでもしているのではないかと思います
40分 顔に起因することはどうしようもありません 初恋を10年引きずった私ですから 女々しいとかキモいという声が聞こえます
9時32分 コンビニで女性の店員が私にお釣りを渡す時に、間違っても手が触れないように細心の注意を払うのには慣れています しかし、お釣りをなげられるのには我慢がなりませんでした 店長とオーナーを呼びましたけれど、私がなぜ怒ったのか理解できないようでただくちだけ「すみません」と言うだけです その女性店員も「不細工うぜぇ」と思っていたのは間違いありません
【11日】
午前1時35分 最初の仕事を今まで続けていればそれなりの地位の収入はあったのに、馬鹿だな、と思います 女性を理解する以前に、転職しても引っ越ししても女性の知り合いが一人も増えていない、というところがポイントです もう若くありませんから
午後6時20分 この嫌われ者が、というスレがありました 間違いなく私のことだと思いました スレを開いたらやっぱり私のことでした
【12日】
午前0時58分 車が好きですが買えません 銃が好きですが許可がおりません
1時6分 空気銃の免許持ってる(本人以外の書き込み)
10分 うらやましいです もし私に許可が下りてもライフルを持てるのは10年後です そんな年老いてからでは遅いです
36分 なぜ?てか何の銃がほしいんだよ猟銃か?クレー用か?(本人以外の書き込み)
48分 一般人の感覚なら弓道やアーチェリーになるのでしょうか ライフルで標的射撃がしたいです
56分 好きな音楽はとくにありません 特に男声の曲は一切聴かないのでカラオケに行くと困ります マンガも特にみません 私は職場ではヲタク扱いですけれど、一般人のマンガやアニメの話についていけません 小説も読みません 小学生の頃に読書感想文を書くために読んだ程度です 服は着れればなんでもいいです バイクに乗っていた時期はそれなりに機を使いましたけれど、今では自転車もありません 広がる要素がありませんよ テレビを見ていたりしても興味を持つものがないのです 私、病気ですか? 基地外ですか基地外なんですね
2時2分 空気銃ではなく、薬装のがいいです ライフルが撃てる射撃場は少ないらしいですね 富士山の近くならありそうな気はするのですけれど
9分 以前は車やバイクで出かけたり、車やバイクを整備したりしていました 最近は、書き込みの時間を見ていただければわかると思いますけれど、仕事と睡眠以外の時間はほとんど携帯を触っています
24分 一つ分かりました 貴方にはある種の「衝動」が必要なようです その人の人生を変える大きなものとの遭遇のことです(本人以外の書き込み)
31分 衝撃的な行動の後には後悔しか残りませんでした 確かに人生は変わりました 良くない方向に、ですけれど 人生が良い方向に変わるような事件が起きるのはエロゲーの主人公だけですよ
11時54分 刑務所ではご飯とおみそ汁の他におかずが3品もつくそうです お正月には特別な食事もあるようです 刑務所以下の生活をしている私はいったい何なのでしょうか
午後0時13分 こんな時間から拘束されて、解放されるのは明日の朝4時です やはり不細工には人権などないのですね
【13日】
午前8時8分 現実が見えた いや、もう死のうか もう生きる価値なんて結局無かったよな 薬のんで飛び降りよ 消えたい 生きてても楽しいことなんてない
【14日】
午前4時11分 否定されることで自分を維持しているのだと思います 私はここに書き込みしてくれるみなさんのおかげで助かっています いつもギリギリですけれど
7時26分 大切にしたい人が寂しい思いをしていてそれが悔しい 愛じゃまいか 動け!主!(本人以外の書き込み)
午後1時32分 皆さんの期待通り、しっかりふられましたよ もちろん悲しいですけれど、ある種の満足感はあります
【15日】
午前0時47分 (献血をしたことがあるのだが)ホームレス時代にお菓子とジュースを目当てにしただけです そんなにいい事ではないです
4時36分 私はブラックですから、消費者金融にもお金を貸してもらえません もちろんローンも組めませんし
午後3時19分 全て消しました アド帖も履歴もバックアップも、消しました それでも、しばらく忘れられないでしょう
25分 先日マンションのベランダから転落して助かった男の子が今度は紐に絡まってしぼうしたそうです あくまでも事故扱いだそうです 私も「事故」で死ねばよかったんですよね お父さん、お母さん、頑丈でごめんなさい
8時20分 ゲームは飽きました 今は何をしても楽しくありません
【16日】
午後3時33分 死ねよ
6時10分 自殺もできないへたれです
【17日】
午前4時40分 酷い残業でした 世間一般に仕事と認められない仕事ですから、仕方ないのでしょう 当然、彼女もできませんよね
10時25分 休みの日は家でおとなしくしているのがベストです それ以外はあり得ません
50分 体のリズムを入れ替えるのには半年経っても慣れません もう若くありませんから、なかなか大変です
11時50分 体中を虫が這っているようなこの不快感はなんなのでしょう
【18日】
2時39分 死んでいるのと同じですよ
4時41分 昔は料理したりもしましたけれど、もう数年やっていませんね 家には炊飯器すらありません お腹が空いたら適当に何かを食べるだけです そこには楽しみも喜びもありません
午後8時30分 整形したらしたで、今度は性格も矯正しなくてはいけないようです 25年かけて歪んだ性格ですから25年かけたら元に戻せるでしょうか
【19日】
午前1時53分 世界に唾を吐き冷笑するようになれば立派な負け犬です
5時58分 観光バスの運転手になりたいと思っていたのですけれど、ドライバーを選ぶのはガイドなのだそうです 希望が断たれました
午後4時8分 自殺は罪です...(本人以外の書き込み)
20分 どんな罪になるのか教えてください
25分 人間は生まれた時から死に向かって生きてます 親より先に逝くのは何より親不孝です(本人以外の書き込み)
44分 つまり、私を産んだ男女への最高の復讐になるのですね よくわかりました
47分 両親を恨んでんの?(本人以外の書き込み)
5時0分 殺しても足りません
20分 ここまで何故暗くなれるの?もっと人生楽しんで親や兄弟や友達に感謝して下さいよ...(本人以外の書き込み)
25分 親は知りませんし、兄弟は行方不明です なにかする時につき合ってくれる友達(相手も友達だと思っているかは別にして)感謝しています
41分 両親はとっくに離婚して行方不明です 生死も不明です こんな事書けば、不細工の不幸自慢ウザい、構って厨は死ね、などと言われるのでしょうね
午後6時58分 あなたが想像できる限りの不細工以上の不細工です
7時17分 顔のレベル...0/100 身長...一六七 体重...五十七、歳...二十六 肌の状態...最悪 髪の状態...最悪、輪郭...最悪 普段会う人の人数...0 普段話す人の人数...0 自分の好きな所...無し 自分の嫌いな所...全て 最近気を使っていること...無し これだけは他人に負けられないこと...無し
34分 皆さん私を無職扱いしますけれど、どうやったら仕事をしないで生活できるのか教えていただきたいです すぐにでも実践したいです
11時25分 そうですね だって主のやってる仕事って昼夜連続2交代の工場勤務のくせに会う人が0の仕事ですからね そんな仕事ありません(本人以外の書き込み)
30分 そういう意味ですか でしたら毎日300人くらいの人には会っていると思いますよ いえ、ホームレスは仕事をしていませんでしたね 私の仕事も仕事と認められませんからね
【20日】
午前零時8分 努力しただけで認められるのは学生だけです 結果を伴わない努力はむしろ無駄です ぶっちゃけ、顔以外にも女性に嫌われる要素が沢山ありますから、どんなに欲しくても彼女はできません
37分 服や靴に金を使えない貧乏人は対象外ということですね よくわかりました
10時55分 二交代の工場勤務が底辺な仕事とは思えないけどな(本人以外)
【23日】
午後4時15分 明日は雨のようです 新しい趣味を始めるなということでしょうか 全てが私の敵です
31分 (新しい趣味は)カートです レンタルしてくれるのですけど、雨の日は営業しないそうです
【27日】
午前4時51分 私、6月でクビだそうです 次はどこにいきましょう いい街ありますか?
53分 やはり、何もかもが私の敵です
55分 生産が大幅に減るので派遣は必要ないようです
5時32分 帰る家がある皆さんがうらやましいです
47分 主は何県住みなの?(本人以外の書き込み)
51分 現在は静岡県です
58分 限界も近かったですし、ちょうど良かったかもしれません 環境が変われば適応するまでは彼女どころではありませんから
【28日】
午前3時46分 そういえば、携帯の請求書がまだ来ません 勝手に止められたら発狂します
午後2時51分 300人規模のリストラだそうです やっぱり私は要らない人です
3時0分 中には、辞められたら困る、と言われる人も居るようです そんな人でも、居なくなっても工場は普通に稼働できてしまいます 本当に必要とされている人はいるのでしょうか
17分 何も悪いことをしていないのにどうして、と思っていたのですけど、不細工な私は存在自体が悪なのですね
22分 全てが悪い方に回っています どん底だと思っていたら、二重底だったのですね どこまで落ちるのでしょうね
8時52分 クビ決定なのにやる気を出せというのは無理な注文です
9時52分 ちょっと悲しいことがあった 命って大事ですね
【29日】
午前零時45分 不細工な私の命の価値はゴミ以下ですよ
同 疲れました
午後3時 社員の方から、この機会にちゃんとした会社に就職したらいい、と言われました 彼女がいれば仕事も辞めませんでしたし、引っ越しもしませんでしたよ 当たり前じゃないですか
31分 会社の都合でクビなのでどうしようもないのはわかっています それでも、例えば直属の上司が形だけでも抗議するなど、ちょっとしたことで部下のやる気を引き出せると思うのですけれどね
11時6分 ちゃんと正社員をしていた時期もあります 私は真面目に仕事はしていました タバコを吸ってサボっていたイケメソな先輩には彼女は居ましたね 女性の事務員さんも居ましたけれど、仕事以外で接点はありませんでした
【30日】
午前5時5分 こんな時間まで残業するなんて、やはり他人には認められない底辺の仕事なんですね
【5月31日】
(時間不明) みな死んでしまえ うわべだけの友達 言葉だけの友達 みんな敵 本当の友達が欲しい なんか悪いことした?
【6月3日】
午前5時50分 起きた なんでちゃんと起きるんだろ
51分 そのまま寝てれば楽なのに
同 なんだかんだ言って出勤してる
同 頑張る理由もないのに出勤してる
52分 世紀末的な眠さ
6時 イライラする まだ何かに期待してる自分にイライラする
3分 彼女なんか絶対できないのに
4分 諦めれば幸せになれるのに
15分 人を救うのは人 救ってくれる人を得るには金がいる 結局、人を救うのは金
18分 どれだけ金があったら友達になっともらえるんだろ
19分 イケメソだったらお金なんかなくても友達できるのに
8時34分 アホくさ
36分 ライフワークバランス、だってさ
37分 身近に語り合える人が必要、だってさ
10時45分 どうせ一人だし
同 ネットですら無視されるし
同 表面だけの薄っぺらなつきあい
50分 それすら希薄
58分 俺もみんなに馬鹿にされてるから車でひけばいいのか
11時7分 俺も女なら良かったのに
午後1時29分 いつまでたっても一人
3時46分 仕事おわり 今日はこのまま出かけてみる 一人で
49分 工業も運輸も、底辺か
54分 駅にぬこがいた 無視された 俺だけ
56分 ぬこが鳴いてる
同 なんでかな
57分 不細工だからか そうか
59分 電車きた のった ぬこ残った
5時 髪切った 不細工のくせに、髪切った
2分 隣の女の人が寝てる 倒れてきたら困るから逃げた
4分 ふじおか ずっと藤岡だと思ってた 富士岡だったんだ
5分 スーツの女の人がぼーっとしてる 6月病かしら どうせ部屋に帰れば彼氏がいるんだろ
6分 「仕事がつらいの~」 笑わせんな 楽な仕事なんかないよ
7分 愚痴ってもちゃんと聞いてくれる彼氏がいるんだろうが 幸せだろ
9分 リコピンにはストレスを抑える効果がどうのこうの トマト、食べようかな 一人で
11分 停車は一発で決めてよ
12分 新入社員の群れが乗った 電車の中で大騒ぎ 高校生と変わらん
13分 こういう「明るい」奴じゃないと彼女はもちろん女友達もできないんだろ
14分 まあいいや 本社に通報しとこ
同 とりあえず、弁当でも買って帰ろ
33分 歩くの辛い 俺だけ一人
35分 真面目に生きると損
同 どうせ彼女もできないし
36分 望まれずに産まれて 望まれて死んで
40分 つまみだけ買ってお酒を買い忘れた
42分 女子小学生に話しかけられた 華麗にスルーした
同 どうせ不細工なおっさんですよ
48分 指をさされて殺さないようになW(本人以外の書き込み)
53分 ただいま、と、誰もいない部屋に向かって言ってみる
56分 虚しいだけ
午後6時0分 鶏肉が硬くて食べられない
2分 お弁当に椎茸が2つ入ってた
17分 余ってる女の人なんているわけないし
18分 だからといって、あまりものの男どうしで傷を舐め合う気もない
20分 これを書けば人気者になれるかと思ったら、そんなことはないみたいね
同 やっぱり女じゃなきゃだめか
23分 イケメソが一人で何人も彼女つくるのがいけないんだと思う
38分 新聞の勧誘が来た さんざんからかって帰してやった
39分 人口の男女比はおおよそ1対1なんだから、そんなにたくさんの男性が余るわけがない
40分 余る理由はただ一つ、イケメソがたくさんの女性を確保してるから
同 俺が余る理由は不細工だからだけど
43分 女性を集めて実験をしてみたい
44分 顔写真を何枚か見せて、「この中で彼氏にするならどれですか」と訊いてみたい
同 みんな普通にイケメソを選ぶだろ
45分 性格は?、とか逆に訊いてくる人は絶対にいない
同 結局、顔なんだよね
48分 部屋が広すぎるんだよ
49分 一人なら3畳でいいよ
50分 部屋の2/3は使ってないし
同 寂しさが際立つだけ
52分 部屋の中に携帯のカチカチ音が虚しく響いてる
同 電気くらいつけよう
54分 部屋は明るい 気持ちは暗い
同 携帯ごしでも友達がいるはずだったのに
55分 管理人が偽に対処してくれなかった日から、誰もいなくなった
同 みんな俺を避けてる
56分 避けてるんじゃないのか、優先順位があとなだけなんだよね
57分 お前らの中で俺の順番がずっと来ないだけなんだよね
58分 他の人がどんどん割り込むから一生俺の順番が来ないだけなんだよね
9時3分 初対面の人とどうやって仲良くなるんだっけ、ってスレがあった 大人になると、なにもかも汚いもの
4分 女の人とどうやって仲良くなるんだっけ 小学生のころは普通に接してた気がする
【4日】
午前0時41分 ぶっちゃけね、後輩に彼女ができたみたい その幸せ自慢を毎日されてる いい奴なんだけど、自分の中のどす黒い感情が抑えられない
43分 祝福してあげたい気持ちももちろんある 同じくらい殺意もある
44分 そのイライラは、社員のくせに仕事ができないバカに向かってる
45分 派遣のくせに社員に説教とか 一人辞めちゃったから、次のターゲット
46分 どうせ今月でクビだもん、好き放題やらせてもらう
47分 お前らは「そういう性格だから彼女ができない」って言うんだろ
同 逆だよ 彼女ができないからそういう性格になんの
51分 眠い なぜか目がさめる
同 なんか病気なのかしら
52分 イライラして眠れやしない
53分 一人で寝る寂しさはお前らにはわからないだろうな
54分 ものすごい不安とか、お前らにはわからないだろうな
55分 彼女いる奴にも彼女いない時期があったはずなのに、みんな忘れちゃってるんだよね 
同 勝ち組はみんな死んでしまえ
同 そしたら、日本には俺しか残らないか あはは
58分 俺がなにか事件を起こしたら、みんな「まさかあいつが」って言うんだろ
同 「いつかやると思ってた」 そんなコメントする奴がいたら、そいつは理解者だったかもしれない
1時5分 お腹すいた また夜中に食べるのか
同 明らかにおかしい 
同 こうやってイライラしてるから猫も寄ってこなかったんだろうか
6分 人も寄ってくるわけないか
7分 現実でも一人 ネットでも一人
8分 友達だったはずの人が来てたけど、リア充でさぞかしお疲れのご様子
同 つか、そんなに都合がいいタイミングで出現するはずないし
9分 全身が痒い イライラする
27分 レトルトのご飯、レトルトの牛丼、レトルトのお味噌汁 素晴らしい夜食だ
39分 お腹いっぱい
同 頭はからっぽ 
41分 どうしてみんなが俺を無視するのか真剣に考えてみる
同 不細工だから 終了
5時32分 起きた 目覚めは最悪
35分 職場まで走っていく夢だった そこまでして仕事しなきゃいけないのか
42分 おかしな夢だった
43分 唐突に小学生の頃を思い出した
44分 人生にはモテ期が3度あるらしいけど、俺のモテ期は小4、小5、小6だったみたいだ
51分 考えてみりゃ納得だよな 親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧 小学生なら顔以外の要素でモテたんだよね 俺の力じゃないけど
52分 親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ 俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ
53分 中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられた より優秀な弟に全力を注いでた
55分 中学は小学校の「貯金」だけでトップを取り続けた 中学から始まった英語が極端に悪かったけど、他の科目で十分カバーできてたし
57分 当然、県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ 高校出てから8年、負けっぱなしの人生
同 つまり、悪いのは俺なんだね
58分 自分で頑張った奴に勝てるわけない
59分 あ、服もそう
6時0分 好きな服を着たかったのに、親の許可がないと着れなかった
2分 服を選ぶのが嫌で嫌で仕方なかった
3分 服なんてどうでもいい 中学以降は制服だったから良かった
6分 学歴の代わりになるのが資格だからね 人生何が起きるか分からんし
14分 大型免許しか無い
19分 つまり、俺が悪い
20分 人生、何も起きない 起きても良い方向に向かうわけがない
同 今まで全ての変化が悪い方だったもの
同 悪いのは俺なんだろうけど
21分 全て、悪いのは、俺
8時33分 「無事故で帰ろう あなたを待ってる人がいる」 安全標語だそうで バカにされてる気分です
34分 待ってる人なんか居ない 俺が死ぬのを待ってる人はたくさんいるけど
10時46分 俺にとってたった一人の大事な友達でも、相手なとっては100番目のどうでもいい友達なんだろうね その意識のズレは不幸な結末になるだけ
11時11分 一人でランチ
午後3時30分 仕事おわり 帰ろう 一人で
33分 女の人とお話してる同僚に話しかけられたけど無視してきた お楽しみのところを邪魔しちゃ悪いもんね
35分 バスを待ってられないから電車で帰ろう 一人で
38分 スポーツカーに女乗せてる奴が居た 事故ればいいのに
39分 助手席に女乗せてる奴に税金かければ日本の財政難は解決すると思う
40分 トラックのタイヤが外れてカップルに直撃すればいいのに
47分 電車こない
49分 相変わらず一人
同 ひとりぼっち
50分 誰もいない
同 いるのかいないのか
51分 どうでもいいのか
52分 みんな俺を敵視してる
同 味方は一人もいない
53分 この先も現れない 一生無視される 不細工だもの
同 俺以外にこんな奴はいない だから誰にも理解されない
54分 いつまでたってもひとりぼっち
同 電車きた 乗る 一人で
59分 汚いものを見るような目で見るなといっているのにどいつもこいつも
4時0分 一駅だけ 降りる 一人で
1分 またコンビニ弁当か
2分 食費を減らせ、なんて言われたけど 一食で1000円以上使ってるよ
4分 昨日は1500円か
6分 じゃあキャバクラに行けって言われそう あれは一人で飲むより嫌
7分 コンビニも飽きた
27分 女のくせに車運転してる奴ってなんなの 彼氏の車乗れよ いない訳ないだろ
同 2000円超えたわ 貯金削らないとね
30分 今日も一人寂しく飲もう
32分 イライラする
34分 お前らの不幸ごっこを見てるとイライラする
35分 お前らは不幸を楽しんでるだろ 幸せそうでうらやましいよ
37分 いいよな イケメソは不幸話をすればみんなが同情してくれるもんね
38分 車ももてない不細工は存在価値なし アシにもなれやしない
41分 自販機が1000円札を受け入れてくれなかった
同 蹴ったら壊れた 最初から壊れてるものを壊しただけだから、罪じゃない
42分 帰宅 遠い
5時5分 どうしよう
7分 土浦の何人か刺した奴を思い出した
9分 米、肉、野菜、魚、海草、酒 結構バランスいい食事なのかも
14分 もう夏か 嫌な季節だ
同 春も秋も冬も嫌いだけど
15分 一番マシなのは秋かな
同 別れの時期 ざまあみろ
18分 一缶じゃ足りないや
20分 チャンスは全ての人に平等に与えられるべき 生かせるか生かせないかはその人次第
21分 もしかして、俺、チャンスを逃してるわけ? そんなチャンス、人生に一回もなかったけど
22分 チャンスをチャンスと認識できてないのか そんなはずはない 
23分 おにぎりが余った なんだか、食べたくない
30分 社内恋愛すんなとは言わないけど、社内でイチャイチャされると殺意がわく ていうか、士気が落ちる
31分 プレス機に潰されて死ねばいいのに
32分 生ハムがちょっとしょっぱい
36分 汗疹かゆい
同 引っ掻いたら流血した
48分 痛い
52分 どうして俺だけ一人なんだろ
6時1分 みんな裏切る 結局一人にされる
7時19分 具合悪い
27分 飲みすぎた
45分 ちゃんと吐けた 素晴らしいことだ
46分 まだ呑める それとも一旦寝てまた起きてから呑むべきか
47分 薬が無いからポカリを一緒に飲んでみたら、よく回った
同 気分の問題かも
48分 なんか体中ぶつぶつだ
51分 なんで一人なんだろ
52分 不細工だから 終了
58分 女性にとって、彼氏は自分の価値を証明するもの 故に、不細工には彼女ができない
59分 他人に「○○さんの彼女」と認識されるのが嬉しい 他人に自慢したいから彼氏つくるのか
8時6分 友達ほしい
7分 でもできない なんでかな
同 不細工だから 終了
10分 眠くて、痒くて、眠れない
9時18分 彼女さえいればこんなに惨めに生きなくていいのに
【5日】
午前4時28分 一人は嫌
32分 また長い一日が始まる
同 ただただ苦痛なだけ
33分 また幸せ自慢を聞かされるのか
同 8時間耐えなきゃ
34分 どうせ俺が悪いんだろうけど
35分 顔が全て
37分 どうせ何をしても「努力不足」って言われる
38分 それなら何もしないほうがいい
同 イケメソなら努力に結果がついてくるのに
40分 眠い
41分 寝たのに眠い
42分 管理人は起きてるのかしら 起きててもどうせ無視なんだろうけど
43分 俺も女だったら管理人が守ってくれるのにな
45分 この何もできない中途半端な時間はいらない
48分 そして誰もいなくなった
同 俺が書き込んでるといつもそうだよ
49分 こんなの努力でどうにかなる問題じゃないし
51分 だいたい、まともな人間がこんな時間にいるはずないし
52分 朝からイライラする
同 ああ、そういえば、クビ延期だって
53分 別に俺が必要なんじゃなくて、新しい人がいないからとりあえず延期なんだって
54分 派遣がやってた作業をやりたがる正社員なんているわけない
同 自分は無能です、って言ってるようなもんだし
55分 後輩の幸せ自慢から逃れられると思ったのに いつまで聞いてればいいんだろ
56分 しゃらくせえよ
同 いつまでも我慢できるとも思えない
57分 次の職場には多少の女性がいるはずなのに
58分 宝くじは買っても当たらないけど、買うことすら禁じられた そんな気分
59分 環境が変われば環境に対応するのにいっぱいいっぱいになるから、しばらくは「彼女ほしい」とか思わなくてすみそうなのに
5時0分 今までそうやって耐えてきた もう半年だし、そろそろ限界
2分 今回は少し頑張りすぎた 早くリセットしないと
3分 どうせどこにいっても一人だろうけど
4分 歳も歳だし、使ってくれるとこも減ってきた
7分 みんながいうことはいちいちもっともなんだが それは普通以上の顔の場合にしか当てはまらない
8分 勝手に勘違いした俺が悪い
9分 努力して彼女ができるならみんな努力してるっつーの
10分 顔だよ顔 全て顔 とにかく顔 顔、顔、顔、顔、顔
11分 こんなにやる気ないんだからさっさとクビにしてくれ
12分 今週は土曜日も出勤 どうせ一人でやることないんだから、別にいいけど
14分 彼女がいることが全てなのか? それが全てですが何か
15分 お前らには当たり前のように彼女がいるからわからないだろうね
16分 彼女がいれば仕事を辞める必要が無かったし
17分 彼女がいれば車を売る必要も無かったし
同 彼女がいれば車のローンもちゃんと払ってるし
18分 彼女がいれば夜逃げする必要も無かったし
19分 彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊
同 どんどんダメになってきた
20分 逆に、今はこんな状態だから彼女ができても困るんだけど 迷惑かけまくりだし
21分 ああ、そんな心配する必要なかったね 不細工な俺には絶対彼女ができないもの
同 彼女ほしい、けどできたら困る なにこの矛盾
22分 どうすりゃいいのさ
24分 社交性を持てって お前らが不細工と関わらないんだろうが お前らが避けてるんだろうが
25分 いつも悪いのは俺
28分 目覚ましが鳴った 起きてるっつーの
29分 何が彼女のモーニングコールじゃ 死ねばいいのに
30分 どうせ一人だよ 悪いかよ
33分 最初からなにもしない奴なんていない 結果が出ないからなにもしなくなる
38分 結果がでないのに続ける奴はバカ
43分 これ見よがしに男物と女物の下着を並べて干してる奴ってなんなの 火をつけてほしいのかしら
45分 何も考えてない奴らって幸せそうでうらやましい
49分 なんだかんだでちゃんと出勤する俺ってなんなの
51分 出勤することと仕事をすることは別だけど
53分 お前ら他人の気持ちなんか考えたことないだろ
同 それなのに彼氏彼女がいるってことは、顔が全てだってことだね
56分 バカにつける薬はない
57分 他人の迷惑を考えられない奴は死ね
同 あ、不細工な俺は存在自体が迷惑なんだっけ
午前6時4分 日に日に人が減ってる気がする
5分 大規模なリストラだし当たり前か
17分 作業場に行ったらツナギが無かった 辞めろってか わかったよ
19分 鮮やかに帰宅 やってらんね
20分 バスないや また電車か
同 駅遠い
23分 すんなり出れたし 守衛は出る方にも気を使わなきゃだめだよ
26分 電話うぜ
31分 電話くるとウェブが使えん
34分 書き込み中断されんのがウザい
36分 お前らが首切っておいて、人が足りないから来いだと? おかしいだろ
44分 電車遅い
49分 きた のった
50分 やっぱり時期的に限界か
54分 お前らは明日が来てほしいか? 来てほしいだろ 幸せだもんな
午前7時0分 ツナギ発見したってメールきた 隠してたんだろが
5分 また俺が悪いのか
7分 見事にはめられた
12分 会社の奴が部屋に先回りしてる予感
24分 おなか痛いや
同 暴れたら腕も痛くなった
26分 怪我して病院にも行けないのに
27分 降ってきたかな
28分 まだまだ歩かなきゃいけないのに
32分 やっぱり悪いのは俺だけなんだよね こうやって邪魔者を排除するわけですね
34分 疲れた 歩くのは疲れるよ
37分 職場と往復するだけで2時間っておかしくね
同 通勤手当もないのに
39分 すれ違った女子高生が大きく避けた イケメソならぶつかりにいくんだろ
44分 やっかい払いができた会社としては万々歳なんだろうな
45分 やっぱり会社の奴がいた ツナギあったよ、だと 自分で隠しておいてよく言うよ
47分 やることが無い
54分 お腹いたい
59分 お腹びちびち
8時14分 呑む
21分 微妙なつまみしかない
23分 でも呑む
26分 不味い
41分 奥さんも子供もいる社員も消えたんだっけ
同 守りたいものがあるなら頑張れるはずだと思うんだけど
48分 スローイングナイフを通販してみる 殺人ドールですよ 
同 実際投げたって刺さらないだろうけど
10時44分 明日福井に行ってくる
45分 福井市民居る? 居ても無視か
11時4分 暇だ 暇で暇で仕方がない
6分 往復2万か まあいいや
29分 眠い
36分 アホみたいに電話してくんな 出る気ないんだから
37分 電池が減ってく
44分 ていうか、電話できる時間があるなら人員に余裕があるんだろ 別に俺が居なくてもいいじゃん
45分 平日の昼間にふらふらしてる奴にはろくなのが居ないだろうね
51分 犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする
午後0時2分 ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり やっぱり人って大事だと思う
4分 人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし 難しいね
5分 「誰でもよかった」 なんかわかる気がする
7分 バイクか 欲しいけど買えないもんな
32分 東京の道路って面倒くさい
33分 トラックで行くのは無謀かもしれん
1時6分 片道4時間か
20分 一人の虚しさは異常
2時49分 遠いコンビニまで行くの面倒くさい また近いとこでお釣り投げてもらおうかな
57分 雨、やんでる 素晴らしいことだ
3時0分 俺、病んでる 素晴らしいことだ 
3分 人は簡単に裏切るけど、お金は絶対裏切らない
6分 お金があれば幸せとはいえないけど、彼女がいるなら幸せ
37分 今日はお釣りを投げられなかった
39分 やっぱり、他人の幸せを受け入れることはできません
42分 知ってる奴ならなおさら
同 降ってきた まだ許可してないのに
45分 「ちょっとしたことでキレる」 幸せな人がよう言う
46分 ギリギリいっぱいだから、ちょっとしたことが引き金になるんだろ
47分 いつも悪いのは俺
49分 いつも悪いのは俺だけ
55分 俺を無視するお前らは一切悪くない
同 「他人」がどうなろうと知ったことではないんでしょ
56分 友達の一人もいない俺の気持ちがお前らにわかるか わかるわけないよな
4時0分 同じ悩みを持った人同士なら、いろいろ共感できるはず 俺と同じ悩みの奴なんか居ない
2分 日本の人口は、男性の方が一人だけ多い だから俺だけが余る そういうことか
8分 そんなわけがないな 女性の方が平均寿命が長いのに男女比が同じくらいということは、若い世代は女性の方が少ないってこと 少ない女性をイケメソが独占するんだから、俺ら不細工は余って当然 そういうことだね
28分 少しお金が足りないかも
5時41分 友達ってなんだろね
42分 たくさん居ればよかったのに
同 0と1を永遠に往復するだけ
43分 友達募集するときは、他に友達がいない人を募集しなきゃだめか
44分 でもどうせすぐに別の友達ができて、俺を裏切るんだ わかってる
同 だから、俺には友達ができない
45分 当然、彼女もできない
同 死ぬまで一人 死んでも一人
53分 彼女の誕生日プレゼントで悩むとか、贅沢の極みだな
57分 プレゼントね 大事な友達にお礼がしたくて、でもお金が無くて、マフラーを編んでみたことがある
6時5分 結局、来るなって言われて渡せなかったけど 一人でバカみたい
同 ほどいて捨てた 二度と編み物なんかしないし
23分 なんで何も言わないの、って 言ってもどうにもならないから 今までどうにかなった試しがない
23分 全て無駄
28分 鏡を見た なんか眉毛が剃られてた なんか細くなってる キモい
57分 どうせすぐに裏切られる 嫌われるよりなら他人のままがいい
同 俺には支えてくれる人なんか居ないんだから
59分 一歩踏み出したら、あとはいくだけ
7時2分 とりあえず、明日は頑張ってみるよ
3分 いや、仕事にはもう行かないけど 忙しくなりそうだ
10分 眠い なんども昼寝してるのに眠い
【6日】
午前1時44分 あ、住所不定無職になったのか 2時48分 やりたいこと...殺人 夢...ワイドショー独占
55分 俺が必要だから、じゃなくて、人が足りないから
3時 また別の派遣でどっかの工場に行ったって、半年もすればまたこうなるのは明らか
4分 あ、もしかしてこのスレとかも晒(さら)されるのかしら
5時4分 出勤時間になると目がさめてしまう
9時46分 こっちまで電車で来たのは、トヨタの期間工に応募して落ちたとき以来だ
11時1分 福井に向かってみる
14分 通販だと遅いから福井まででてきた
午後1時9分 買い物終了 たったこれだけのために往復2万とか、バカじゃないですよ
8時49分 ナイフを5本買ってきました
51分 とりあえず、投げてみよう
【7日】
午前6時51分 肝心なものを忘れるとこだた
8時3分 お金をつくりに行く
7分 最低6万円は欲しいな
9時23分 離れたとこに行って立ってる そこまでして避けるのかよ
11時14分 買取32000は舐めてるだろ
34分 最低70000だ
41分 定価より高く売れるソフトもあった さすが秋葉原
午後1時14分 レンタカーに空きがなかった トラックじゃ仕方ないかも
43分 電車に乗るのもこれが最後だ
50分 できれば4tが良かったんだけど
3時35分 大きい車を借りるにはクレジットカードが要るようです どうせ俺は社会的信用無しですよ
4時1分 騙すのには慣れてる 悪いね、店員さん
8時34分 もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる
53分 中止はしない、したくない
【8日】
  【秋葉原で人を殺します】
午前5時21分 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら
44分 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな
6時0分 俺が騙されてるんじゃない 俺が騙してるのか
2分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される
3分 大人には評判の良い子だった 大人には
 友達は、できないよね
4分 ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた奴らがいる
5分 全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し嬉しかった
10分 使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全てが俺の邪魔をする 31分 時間だ 出かけよう
39分 頭痛との闘いになりそうだ
7時12分 一本早い電車に乗れてしまった
30分 これは酷い雨 全部完璧に準備したのに
47分 まあいいや 規模が小さくても、雨天決行
41分 晴れればいいな
10時53分 酷い渋滞 時間までに着くかしら
9時48分 神奈川入って休憩 いまのとこ順調かな
11時17分 こっちは晴れてるね
45分 秋葉原ついた 今日は歩行者天国の日だよね?
午後0時10分 時間です

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付録4、挫折から暴力、家族崩壊

秋葉原無差別殺人男の「闇」...挫折から暴力、家族崩壊

母は「酒鬼薔薇事件」に脅えていた

東京・秋葉原で7人が殺された無差別殺人事件で、殺人未遂の現行犯で逮捕された加藤智大容疑者(25)は幼少期から高校卒業までを青森市内で過ごした。父と母、3歳下の弟の4人家族。長男の加藤容疑者への期待は特に大きく、そのしつけの厳しさは近所でも有名だった。小中学校時代は成績優秀で人気者だったが、県内のエリートが集まる県立青森高校へ入学後、印象が変わり、暴力をふるうようになった。母はそのころから、息子と同世代の「酒鬼薔薇事件」におびえていた。

「うちの子が怖い。一体どうなってしまうのか」

1998年、高校に入学した容疑者と食事時に2人きりになる恐怖を、母親はやつれた顔でPTAの活動仲間だった近所の主婦にもらした。

長男の家庭内暴力におびえる母親。修羅場はこのころから始まっていた。相談を受けた主婦は「弟さんがいるときは少しは違うようで、ホッとするとも話していた。青高(せいこう=青森高校)に入ったのはいいけど、勉強についていけなくなってゲームばかりしていると嘆いていた。彼が15歳の時に酒鬼薔薇の事件があって、ちょうど同じ年ごろだったから、お兄ちゃんの性格的な問題をかなり気にしていた」と振り返った。

中学時代はソフトテニス部に所属していた。

神戸連続児童殺傷事件は97年、神戸市須磨区で2人の児童が殺害された。当時14歳の加害少年は「酒鬼薔薇聖斗」を名乗り、新聞社に犯行声明を送りつけていた。

同世代の犯罪はその後も続き、2000年5月1日には愛知県豊川市で当時17歳の少年が老夫婦を殺傷。同年5月3日には佐賀から福岡へ向かう西鉄高速バスを当時17歳の少年が乗っ取り、3人を刃物で死傷させた。この事件でも「犯行声明」がネットに公開されていた。母親の危惧(きぐ)は、最悪の結果を招くことになる。

父親は8日夕、勤務先の労働金庫に「家庭の事情で1週間の休暇をとりたい」と連絡を入れ、「どうやら、(犯人が)息子らしいので」と説明したという。母親は昨年夏、近所への挨拶もなく、いつのまにか自宅からいなくなっていた。家族はすでに崩壊していた。

青森市郊外の自宅は事件当日からカーテンが閉められたまま。かつて母親が丹精に花を育てた庭は、殺風景に荒れていた。加藤容疑者の一家は、どう崩壊に向かったのか。

加藤容疑者は幼いころ、そろばん教室や水泳教室に通い、両親のしつけの厳しさは近所でも有名だった。幼い加藤容疑者は厳冬下に薄着で長時間、外へ放り出されることもあった。ブルブル震えて黙って立つ様子を見かねた近所の老人が「もう許してあげて」と口を出すと、母親は「お兄ちゃんもいけないことをしたんだから、しようがない」と拒否したという。近所の主婦は「お父さんが厳しいならお母さんが守ってあげればいいのに、そこまでしなくてもというくらい2人で怒っていた。逃げ場がなくて子供が気の毒と思ったこともある」と話した。

それでも小学校時代の加藤容疑者は「足が速くてクラスの人気者だった」(同級生)。中学ではソフトテニス部に所属し、当時の教師は「成績優秀で、リーダーシップがあり責任感の強い子だった。スポーツでも勉強でもいろんなことを先頭に立ってやっていた。明るくて元気がよくて誰もが認めるがんばり屋だった」と当時の様子を話す。

高校進学後、印象はガラリと変わった。再会した友人は「髪がボサボサで、内向的になっていた」と驚いた。高校当時の副主任(59)は「おとなしく、特別に問題を起こすでもなく記憶にない生徒だった」と話すが、このころ家庭内暴力も始まっていた。中学までは常にトップクラスだった成績も、県内屈指の進学校では平均以下からさらに下がっていった。

卒業後は岐阜の中日本自動車短大へ進学。この年は学年360人中、4人の東大進学を含むほとんどが4年生大学へ進学する中、短大へ進学したのは2人だけだった。加藤容疑者を園児のころから知る主婦が高校卒業後の進路について尋ねると、母親は「悪いけど進学か就職かも聞かないで」と答えたという。

高校卒業前、加藤容疑者は教員に「やっぱり前から考えていた中学校の先生になりたい」と打ち明けていた。中日本自動車短大に進学後も担任の教師に、中学教諭になる目標を語り、卒業時の進路調査には「弘前大学進学希望」と報告していた。

その夢がかなうことはなかった。両親は離別。加藤容疑者は事件前、会社の同僚に「親が借金を重ねるから青森から飛んだ。ろくでもねえオヤジだ」と悪態をついている。自身が書き込んだ携帯サイトには、成績優秀だった小中学校時代を振り返り、「親に『いい子』を演じさせられていた」とある。こんな書き込みもあった。

「高校出てから8年、負けっぱなしの人生」

加藤容疑者は警視庁の調べに、「事実は隠さずに話します」と素直に応じているが、生い立ちや家族の話になると涙ぐむこともあるという。

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付録5、流転の人生 はい上がる道失い

加藤容疑者の高校卒業後の足取り

午前5時半過ぎ、バスが市内を回って男たちを拾う。国道を北上する間、晴れていれば朝日に輝く富士が左手に見え隠れする。だが、窓の外を眺める者はいない。

6時過ぎ、静岡県裾野市の関東自動車工業東富士工場に着く。日本経済を支えるトヨタ自動車の子会社。6時半、始業の合図で派遣社員の一日が始まる。東京・秋葉原の17人殺傷事件の加藤智大(ともひろ)容疑者(25)は、塗装の汚れを肉眼で調べる工程を担当していた。

わずかなほこりの付着も許されない。10分間のトイレ休憩と45分間の食事を除き8時間立ち詰めで、数時間の残業もざら。汚れを見逃せば工程長が飛んでくる。下手をすれば始末書を書かされる。

「塗装面をにらんでいると、すぐに目が痛くなる。手でこするから目が真っ赤になる。初日で辞める者もいるが、やつはまじめだった」。一緒に働いた20代の派遣社員が言う。「トヨタの期間工(契約工員)になりたいと言っていた」。応募したが、不採用。

はかない夢だった。

5月半ばリストラのうわさが流れた。同22日、工場の空調が壊れ、ふだん物静かな加藤容疑者が「暑い」とイライラを爆発させた。

今月3日、派遣社員200人を50人に減らすと伝えられた。米国の低所得者向け高金利住宅ローン(サブプライムローン)や原油高の影響で工場は生産を15~20%縮小する。そんな理由は知らされない。「月末で辞めてもらう」。150人がそのひと言で収入を断たれることになった。

何かが決壊した。5日の出社後に暴れ、姿を消した。

青森市の名門、県立青森高校(青高=せいこう)を卒業して、流転の人生が始まった。

人口8500人の岐阜県坂祝(さかほぎ)町。入学した中日本自動車短大の周囲は里山と田畑が広がる。夜になるとカエルが鳴き、街の灯が遠くに見えた。イタリアの国立フェラーリ工業専門学校と提携し、整備士を目指す若者が全国から集まっていた。

加藤容疑者は併設の学生寮に入った。周辺にはコンビニと、中華料理店が1軒。

短大を出て、派遣社員として各地を転々とする。埼玉と茨城では派遣会社の借り上げ社宅で暮らした。

埼玉の社宅を見せてもらった。3DKのマンションに3人で住む。6畳間3部屋を1部屋ずつ使い、キッチン、風呂、トイレは共用。だが、キッチンの流しに食器はなく、生活臭がまるでない。誰もが6畳間にこもり、音漏れに細心の注意を払うせいか、部屋全体が静まり返っている。

茨城の社宅では、疲れきって帰宅した40代の派遣社員がこぼした。「事件で派遣に偏見を持たれたら迷惑だ。正社員になれず、仕方なくやっている」

津軽半島の海沿いに、加藤容疑者の母親(53)の実家はあった。才媛(さいえん)とうたわれて青高へ進む。「地元の弘前大に行くくらいなら......」と県外の国立大を受けたが、かなわず、金融機関に就職した。

父親(50)は青森市に育ち、県立高から同じ金融機関へ。2人は間もなく結ばれ、男児2人をもうけた。加藤容疑者は長男だ。

父親は努力を重ね、学歴のハンディをはね返し、各支店の営業を統括する役職に上り詰めた。教育熱心な母親は、祖父母に「教育には口を出さないで」とくぎを刺した。「子供は必ず大学へやる」。高卒の夫婦は厳しい態度でわが子に臨んだ。

期待通り青高に合格し、母親は実家に「智大が合格した」と喜びの電話を入れた。

高校1年の夏。「成績が振るわない」。母親は沈んだ顔で親類に打ち明けている。夫婦仲は冷えた。

両親は10日、報道陣の前に姿を見せ、母親は地面に崩れた。テレビで見た親族が電話すると、母親は「亡くなられた方に償いきれない」と泣いた。

よりどころとなるべき家は壊れ、派遣社員としてどこにも根を張れずに流れていく。浮き草が最後にたどり着いたのは、虚実入り乱れる「アキバ」だった。

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