秋葉原無差別殺傷事件タイトル画像

0、秋葉原無差別殺傷事件動画

<上記の映像は劇場版「臨場」の冒頭のシーンです。本映画は作家・横山秀夫の原作を基に、2009年からテレビ朝日系列にて放送されたドラマ「臨場」の映画版です。通り魔殺人事件や、犯罪者の精神鑑定など、現代社会が抱える問題を扱っており、刑法39条に対する問題提起も。監督は『探偵はBARにいる』の橋本一。>

上記の映像は実際の秋葉原無差別殺傷事件の映像ではありませんが、事件発生当時の様子を表現している映像としては秀逸であると思います。

<秋葉原無差別殺傷事件発生当時の報道番組>

img04.jpg

2012年7月10日、秋葉原無差別殺傷事件の加害者、そして裁判の被告人、加藤智大氏が書いた本が出版された。この本は加藤智大氏自身が、なぜ日本犯罪史上類を見ないほど凶悪とまで言われる無差別殺傷事件を起こしたのか?その理由を説明し、更に事件の防止策まで記述している。

Amazonのユーザーレビューをみてもカスタマーレビューは1件しか登録されていないし、評価は星2つである。

私も一読した後は、どこか空虚な気分になり他人に「読んでみて。為になるから。感動するし」等と勧める気にはならなかった。

だが、しかしである、精神分析的視点を持った私は、中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」(朝日新聞出版)とこの本「」を合わせて何度も読み直した、すると・・この本の価値がみえてきた。

秋葉原無差別殺傷事件は日本犯罪史上類を見ないほど凶悪な案件と言われている。加藤智大被告が書いた本「」の中で本人曰く、「事件を起こした原因は、携帯の掲示板を荒らした成りすましに警告する為」。更に「被害にあった人々は他人であって、警告の手段としての道具(ツール)に過ぎない」と明確に述べている。

事件発生当初は、「生活に疲れた」「誰でもよかった」派遣労働者の反乱だとか、負け組が勝ち組に一矢を報いた事件だとか報道されたが、本書ではそれを明確に否定している。

・・とすると、なぜ、警告の為に無差別殺傷事件を起こさねばならなかったのか?なぜ、17名もの他人を警告の手段として殺傷できたのか?・・・もう一度、ここを深く掘り下げなければならない。

果たして加藤智大被告の著書「」を読み解けば、文字通り「解」は導きだされるのか?

今月は、私と一緒に彼の精神分析をしてみましょう・・と言いたいところですが、

*精神分析と精神鑑定は別物です。精神分析とは、セラピストとクライアントの間でなされる対話によるコンプレックス(複合観念体)の解消・書き換え作業の事。

・・と言う事から、本サイトでは、加藤智大被告の著書「」をソースに、精神分析的視点から、彼の無意識(コンプレックス:複合観念体)を炙り出し、秋葉原殺傷事件を「分析」してみます。

平成24年10月31日 月刊精神分析 編集部A

感想メールはlacan.fukuoka@gmail.comにお願いします。

現在、公判中である為、加藤智大氏は東京拘置所に収監されている。控訴審が進んでおり、9月12日に判決が言い渡される予定。

9月12日の判決報道は下記の通り
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<秋葉原殺傷>2審も死刑判決...東京高裁、弁護側の控訴棄却

毎日新聞 9月12日(水)13時34分配信

東京・秋葉原で08年、17人が死傷した無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派社員、加藤智大(ともひろ)被告(29)の控訴審判決で、東京高裁(飯田喜信裁判長)は12日、1審の死刑判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。

控訴審の審理に被告は出廷せず、弁護側は▽殺意は必ずしも強固ではない▽犯行の背景に幼少期の不適切な養育が影響している▽立ち直りの余地は十分ある--と死刑回避を主張。精神鑑定実施も請求したが、高裁は却下した。検察側は「死刑を選択すべき事案というほかない」として控訴棄却を求めていた。

1審・東京地裁判決(11年3月)によると、被告は08年6月8日午後0時半ごろ、東京都千代田区外神田の歩行者天国の交差点にトラックで突入、5人をはねて3人を死なせた。さらにトラックを降り、ダガーナイフで12人を刺し4人を死亡させたほか、10人に重軽傷を負わせた。

1審判決は主な動機を「携帯電話の掲示板サイト上での嫌がらせをやめてもらいたいと伝えるためだった」と被告の公判での説明に沿って認定した。「背景には周囲への不満や孤独感があるが、個人的事情で第三者に危害を加えることなど到底許されない」と指摘。「危険な性格・行動の傾向は根深く、立ち直りは著しく困難」として、求刑通り死刑を選択した。弁護側は「犯行時、心神喪失か心神耗弱の状態だった」と死刑回避を訴えたが、地裁は精神鑑定結果などから完全責任能力を認めた。【和田武士】
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以上引用

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1、はじめに

今月もお会い出来ましたね。月刊精神分析編集部Aです。あれからもう4年も経ってしまいました。そう「あれ」とは2008年6月に発生した秋葉原無差別殺傷事件の事です。

ウィキペディアより引用
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秋葉原通り魔事件(あきはばらとおりまじけん)とは、2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔事件である。7人が死亡、10人が負傷した。マスメディアや本件に言及した書籍においては「秋葉原無差別殺傷事件」として報じられることが多い。
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以上引用。

月刊精神分析では過去2回。この秋葉原事件を取り上げています。

秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大 月刊 精神分析 2009年09月号はこちらから。
秋葉原無差別殺傷事件2 加藤智大 月刊 精神分析 2011年03月号はこちらから。

今回、新たにこの事件を月刊精神分析で取り上げようと思ったのは、この事件をテーマにした興味深い本が2冊発行されたからです。

1冊目は、ジャーナリストの中島岳志さんが事件の加害者の加藤智大被告が、どういう生い立ちで、どういう状況であの事件を起こすに至ったのか追跡取材した「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」と言う本。

2冊目は、事件の加害者:加藤智大被告自身があんな事件を起こしたのか?自己分析した「」と言う本です。

秋葉原無差別殺傷事件から一定の時間が経過し、各種メディアが色々な報道をし、特集番組を放映しましたが、本当のところは、あの事件はなぜ起こったのか?そして、どうしたら、再発防止ができるのか?未だにこの解答は得られません。

今回、月刊精神分析編集部は、上記の新刊2冊の情報をもとに、新たな視点で、秋葉原無差別殺傷事件を分析します。

平成24年10月31日 月刊精神分析編集部A

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2、登場人物

加藤智大

加藤 智大(かとうともひろ)
1982(S.56)年生まれ
出身:青森県。
中日本自動車短大卒業。
2008年6月 東京・秋葉原で事件。
2011年3月 東京地方裁判所にて死刑判決。
2012年9月 東京高等裁判所(控訴審)にて死刑判決。
著書に「」(批評社)。

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中島岳志

中島岳志(なかじま たけし)
1975(S.49)年生まれ
清風高等学校卒業。
大阪外国語大学外国語学部(ヒンディー語学科)卒業。
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。
2009年1月、週刊金曜日編集委員に就任。
2010年『表現者』編集委員に就任。
2010年 朝日新聞書評委員に就任。
現在、北海道大学公共政策大学院准教授。
著書に「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」(朝日新聞出版)。

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片田珠美

片田珠美(かただたまみ)
親和女子大学教授
1961(S.36)年生まれ
出身:広島県。
大阪大学医学部卒業。
京都大学院人間・環境学研究科博士課程修了。
京都大学博士(人間・環境学)。
フランス政府給費留学生としてパリ第八大学でラカン派の精神分析を学ぶ。
精神科医として臨床に携わりつつ、精神分析視点から犯罪病理を研究。著書に「攻撃と殺人の精神分析」(トランスビュ-)、「こんな子どもが親を殺す 」(文春新書)、「17歳のこころ 」(NHKブックス)、「薬でうつは治るのか? 」(洋泉新書)、「無差別殺人の精神分析」(新潮社)他。

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惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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迎意愛近影

迎意愛(むかいあい)
精神分析家。シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)主宰。1954年和歌山県生まれ
2011年10月より埼玉県在住。二女の母。
奈良教育大学卒業するも、教師にならず、営業職に就く。結婚、義母の介護。
物心ついた時から生きる意味を問いかけ、38歳の時、精神分析に出会う。
精神分析により、自己を知ることで、生きる意味を見出せると確信し、惟能創理氏に師事する。
女であることの素晴らしさと重要性を痛感し、自らも精神分析家(インテグレーター)となる。
自らの体験と「オールOK子育て法」を引っさげ、女たちよ賢明であれと全国を行脚するべく奮闘中。
連絡先:signifiant1@gmail.com

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安情共恵近影

安朋一実(やすともかずみ)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。
宗教色の強い家庭に生まれ育つ。
中学校1年生の時にクラスの数人からいじめられ転校した経験がある。
二十代の頃、原因不明の疾病に苦しむが転地療法にて完治した経験から、心の作用に興味を持つ。
ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。

現在「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーとインテグレーター養成講座を受けている。

性格分析:自己分析、コンピューターのSE(システムエンジニア)をしてきただけあって、緻密な作業ができるA型(血液型)人間である。自分の部屋はちらかっていても許されるのだが、漫画本の1巻から・・はきちんと順番通り並んでいないと気が済まない。物事は手順を考えて、1から順番に進めていく。よって「適当にやってみて駄目でした」という事は出来ない人で、やるからには成果が出ないとかっこ悪いと感じ、失敗を恐れるタイプである。
連絡先:lacan.fukuoka@gmail.com

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3、書籍紹介

月刊精神分析で最初に秋葉原事件を取り上げたのが「秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大 月刊 精神分析 2009年09月号」でした。サイトの中で分析のソースとして使用したのが、神戸親和女子大学の片田珠美教授がかかれた「無差別殺人の精神分析 」(新潮社)という本です。本書は、秋葉原事件が起きて約一年後の2009年5月25日に出版されています。片田教授はアメリカの犯罪学者レヴァンとフォックスが「人が大量殺人を引き起こす要因」としてまとめた六要因を次の様に紹介しています。
無差別殺人の精神分析
(A)素因
①長期間にわたる欲求不満
②他責傾向
(B)促進要因
③破滅的な喪失
④外部のきっかけ
(C)容易にする要因
⑤社会的、心理的な孤立
⑥大量破壊のための武器の入手

加藤智大の人生を振り返りながら、精神分析的手法で、事件を解説しています。もともと精神分析学は人の無意識に焦点をあてた学問ですので、客観的なデータを提示して云々する事はありません。しかしながら、片田教授は説得力のある言葉を並べながら、加藤智大の無意識を分析します。しかし、多分、加藤智大被告がこの本を読んだらなんと言うでしょう?たぶんこう言う筈です・・・「私は大事件を起こして、私の居場所である携帯サイトの掲示板を荒らした成りすましに心理的に攻撃したかっただけ」・・と。
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img04.jpg最近(2012年7月10日)、秋葉原無差別殺傷事件の被告である加藤智大氏自身が著した「」(批評社)。ちなみに国語辞典で「解」と調べると、かい【解】1、意味をときあかすこと。解釈。また、その説明。→解する。と出てくる。つまりこの本は、秋葉原無差別殺傷事件の加害者:加藤智大自身が事件の意味をテーマにして著した本と言う事になる。加藤智大氏は、出前の片田珠美教授の様に「精神分析学」の専門家ではないし、特に心理学を深く学んでもいない。そんな彼が、自分自身がしてしまった事としての「秋葉原無差別殺傷事件」に真摯に向かい合い、彼なりの「意味」「解」を綴っている。

今現在、Amazonのユーザーレビューは1件しかない(星マークは2つ)。ネット上の読書感想文を拾っても、本書の中の記述が読者が期待する事とかけ離れている為か「買わなければよかった」「はやく刑を執行すべき」などと言った辛辣な言葉が並ぶ。

確かに私もこの本を読んで「普通の人が読んで琴線に触れる部分」が少なく「身銭を払って購入する類の本ではないと評価される」のも理解できる。・・・だが、ちょっと待てよ、日本犯罪史上類を見ない死傷者17名を出した犯罪加害者が事件の発生から4年経った今、独房の中で反省し、真摯に事件を凶行するに至った経緯を綴った本である。我々も真摯に受け止め彼が求めた「事件の意味」を読み解く必要があるのではないか?

ある意味「加藤智大はそんな事で17名の見ず知らずの他人を殺傷してしまったのか」を逆転させて「そんな事で、人は17名の人を殺傷しまうのか?」と言う「人間の狂気」を命題として受け止めなければならないのではないだろうか?

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img05.jpg北海道大学公共政策大学院准教授の中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」(朝日新聞出版)。中島准教授が加藤被告が生まれ育った青森や、中日本自動車短期大のある岐阜。職を転々とした
宮城県仙台市、埼玉県上尾市、茨城県常総市、静岡県裾野市、事件が起こった秋葉原を実際に訪れ加藤智大氏の周辺を丹念に取材して構成した力作。なぜ加藤智大があの様な事件を起こすに至ったのか?・・理解するためには、丹念に彼の生い立ちや生活環境を取材し積み上げていく必要があったと本書の中で説いている。

現在、本書のAmazonのユーザーレビューは16件。星マークは4となっている。・・という事は、めちゃくちゃ面白い読み物ではないが、それなりに購入する価値はあったと言う読者の評価だろう。

ユーザーレビューの中には「淡々と事実を積み上げたルポ」と評価する向きもあったが、私はそうは思わない。実際に、著者自身が加藤智大が生活した環境を自分の目でみて、空気を吸って、その時々の加藤智大の心情を察しながら秋葉原に至る軌跡を追ったのが本書である。

加藤智大と多くの共通点を持つ私は「加藤智大は一線を超えて凶行に走った。しかし私は思いとどまった。その差、違いは何なのであろうか?」と言う視点で本書を読んだ。

本書の終盤。中島准教授は、ツナギ紛失事件が起こり工場をエスケープし最寄りの駅に徒歩で向かう加藤智大氏の心情を推察する。彼の目前の風景を実際にみて、その時々の加藤智大の携帯掲示板への書き込みを紹介し、彼の心の有り様を掘り下げていく。

あぁ誰か何か言ってやれよ。このままだとこいつは本当に秋葉原に行ってしまうぞ。はやくその掲示板から離れて、悪魔のロジックから離れろ!。・・福井までいってダガーナイフを購入。2トントラックをレンタル予約。秋葉原へ出発。惨劇の時は刻々と近づいて来る。加藤智大の心情を共有できる人は読んでいてドキドキする筈。

むしろ、ドキドキしない想像力が希薄な人や、生活していく上での視野が狭窄している人の方が危ないのではないか?・・そう思わずにはいられない。
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今月号の月刊精神分析は以上の3冊の本をソースとして話を進めていきます。

*加藤智大の「解」出版について。
2012年09月07日中島岳志のフライデースピーカーズで取り上げられました。
札幌のコミュニティ放送「三角山放送局」にて放送済。現在、USTREAMにて聴くことができます。
http://www.ustream.tv/recorded/25237061

*中島岳志さんが加藤被告が事件当時住んでいた静岡県裾野市の様子をレポートをしました。駅からアパートへの道、勤め先だった関東自動車工業、仲間との溜り場になっていたコンビニ・・・。加藤被告の生々しい日常の風景を紹介。
2010年09月03日中島岳志のフライデースピーカーズ
http://www.ustream.tv/recorded/9319422

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4、大きな2つの疑問の「解」

加藤智大「解」より

加藤智大は日常の孤独を埋める為に携帯電話のサイトで利用できる掲示板を利用していた。彼がスレッドを立ち上げ掲示板利用者に対してネタをふる。他の掲示板利用者から、そのネタに対する反応がある事が、彼の喜び、満足感の獲得、孤立からの解放となっていた。そんな彼の行為を邪魔する利用者が現れた。携帯サイトの掲示板を荒らすもの・・「荒らし」と「成りすまし」。

加藤智大は「」のあとがき(おわりに)でこう述べている。

以下、加藤智大「」より引用
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(大事件を利用して成りすましらを心理的に攻撃した)私は、見ず知らずの人をまるで道具のように、人を人とも思わぬ犯行で殺傷しました。無差別殺傷事件の動機は、社会に不満があり、社会から抽出した人を殺傷して復習した、とされるのが一般的ですが、私は社会への不満など持っておらず、秋葉原の通行人に対しては何の思いもありませんでした。むしゃくしゃして誰でもいいから殺したい、と、やつ当たりで殺傷したのではありません。自分の目的のために、まるで道具のように、というより、まさに道具として人命を利用した、最悪の動機でした。
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以上引用

本当にそうだろうか?少なくとも、たかが携帯電話の掲示板を成りすましに荒らされたぐらいで、成りすましに心理的に攻撃する(おまけにその効果はわからない)為に、静岡から福井までダガーナイフを購入しに行くか?静岡から2tトラックをレンタルして秋葉原まで自走していくか?

普通の人間はそんな事はしない。

加藤智大は収監された拘置所の中で自己分析し、一生懸命考え「解」を求めたのだが、果たしてそれは「正解」だろうか?

世間の人々は納得できる「解」を求めている。

以下のページで、2つの大きな疑問の精神分析的「解」を考察する。

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5、なぜ加藤智大は無差別殺傷事件を起こしたのか?

<大きな疑問その1、精神分析的「解」なぜ無差別殺傷事件を起こしたのか?>

精神分析の世界では、人は無意識に操られていると言う。意識ではなくて無意識。無意識とはコンプレックス(複合観念体)の事である。人は幼少の頃体験した辛く苦しく悲しい体験を意識上に留めておけなくて、コンプレックス(複合観念体)として意識下、無意識に押し込めてしまう。

そして、そのコンプレックス(複合観念体)は人が成長し成人してからも、色々なきっかけで表象し、人が意識できない状態で、色々な働き(悪さ)をする。

加藤智大氏も、自分が抱える無意識にはうっすら気がついているようで著書「」の中でこう書いている。

以下、加藤智大「」より引用
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「人のせい」

・・・考えたところ、私のものの考え方に問題があることに気づきました。・・何故このようなものの考え方になったのかと考えて自分の人生をさかのぼってみましたが、最初からそうだった、としか考えられません。このような考え方に変わったきっかけになる出来事は無く、こうして自己分析するまでは、この考え方は当たり前のこととして、何の疑問も持っていませんでした。
 とすると、これは幼少の頃の親、特に母親から受けた養育の結果だということになりそうですが、このように書くと、人のせいにしている、と批判されるのでしょう。

・・・しかし私はテレビやマンガ等を制限されるように、外から得られる情報を減らされ、つまり、相対的に母親から受ける影響が大きい中で育てられてきました。他に選択肢が無い私が母親のコピーになっていくのは私の責任ではありません。・・・知らないことはできません。

コピー、と書きました。そのコピー、元である母はというと、自分が絶対的に正しいと考えている人でした。母親の価値観が全ての基準です。その基準を外れると母親から怒られるのですが、それにたいして説明(弁解?)することは許されませんでした。
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以上引用

加藤智大の母親の虐待じみたスパルタ教育法は既刊の月刊精神分析でも取り上げた。

100%母親へ服従。そこからはみ出す事は許されない。なぜなら母親は絶対的に正しいのだから。正しい母への反逆は、虐待によって制圧された。精神分析学における精神発達論は「オールOK!子育て法」を推奨しているが、加藤智大の母の教育法は全くの逆で「オールNG!子育て法」である。子どもの主体は徹底的に押さえつけ、母親の主体に服従させ、無条件に受け入れさせる。

この「オールNG!子育て法」で育てらてた子ども(加藤智大氏)はどうなったかと言うと、すべて自分が正しいと思い行動し、自分の意と外れた他人に対しては、説明なしにいきなりの暴力で従わせる人間に育ったのである。

そして、彼自身はそう言う考え方を「当たり前のこととして、何の疑問も持っていなかった」のである。

幼少の頃から虐待や折檻を受け、痛みを伴う制圧をされ続ければ、当然、彼の意識下(無意識)にコンプレックス(複合観念体)が刷り込まれたに違いない。

「正しいのは俺」、だとすれば、「相手が間違っている」。「間違っている相手は問答無用で制圧」して当然。・・・

ちなみにこう言った「1」か「0」か?「白」か「黒」か?「俺が悪いか」か「相手が悪い」か?と言った中唐(ちゅうとう)のない性格を精神分析の世界では「肛門期的性格」と呼びます。

こうして、手段を選ばず暴力に訴えて他人を自分に服従させて当然とする人格が形成されたのである。

加藤智大の心理ロジックは以下の通り。

1、自分の掛け替えのない携帯サイトの掲示板を「成りすまし」に荒らされた。
2、「成りすまし」はルール違反だから100%相手が悪い。
3、このままでは、社会的な「死」を意味する「孤立」状態になってしまう。
4、「成りすまし」に攻撃を加えたいが、相手はどこのだれだかわからない。
5、ならば、世の中の誰もが知る事になる「大事件」を起こして、「成りすまし」に精神的な苦痛を与えよう。

・・この様にたかが「携帯サイト」から「大事件」に話が飛躍するのが無意識の恐ろしいところで、更に、本人は「当たり前」の事としている。加藤智大にしてみれば、幼少の頃からされてきた母子関係のルールを自分が母親の立場にたって他人に適用しただけの話なのだ。

大変シンプルで分かり易い。

しかし、次に別の大いなる疑問が残る。

なぜ加藤智大は無関係の他人を巻き込んだのか?と言う疑問。

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6、なぜ加藤智大は無関係の他人を巻き込んだのか?

<大きな疑問2、精神分析的「解」なぜ無関係の他人を巻き込んだのか?>

ここで次の疑問が湧いてくる。もし、そういった極端な思考を刷り込まれたにせよ、その手段としてトラブルと無関係の他人に対して平気で「殺人」を行うのか?という疑問である。通常なら「いくらなんでも一線は越えられない」と思うのが常人であろう。

昔、青年時代にミスターバイクというバイク雑誌を読んでいた時に、ライターの佐藤信哉(さとうしんや)氏が誌上に書いた文章を読んで「ハッ」とした事があった。ミスターバイクはバイク雑誌であるから、バイクの利用者に対して、バイクに乗ることの楽しさや利便性を訴求し、どんどんバイクに乗ってもらう事を推奨する事を前提とした雑誌媒体である。それを前提としてバイクメーカーは広告代理店を通してバイク雑誌に広告を出し、自社のバイクを宣伝する。「当社のバイクはこんなに高性能でアナタの欲望を満たす事ができますよ」と。バイクの部品や、バイク用のウェアを製造しているアパレルメーカー、免許取得の為の教習所まで・・みんな理屈は一緒である。1980年代のバブル期は「バイクブーム」と言う言葉まであり、普通の大学生が長期のローンを組み、数十万円もするオートバイを所有する事が普通の時代であった。

時代背景を説明する前置きが長くなってしまったが、私が「ハッ」した文章の件は以下の様だった。

「バイクで他人をはねたらどうなる?そいつの親、兄貴、妹・・・そんな事考えたくもない」

そう・・・バイクは大変楽しく開放感が得られる乗り物でありますが、可能性として他人を殺傷してしまう事が有り得ます。そして、もし、貴方が運転するオートバイで他人を跳ね飛ばしたらどうなりますか?死んだ人、その人の親兄弟の事。そこまで貴方は考えていますか・・・?と言う問いである。一般公道を走るバイクはプレステのカーレースゲームとは異なり、生身の人間の生死に直結する乗り物である。

当時私はバイク中心の生活を送っており通学はもちろんバイク、交友関係の殆どがバイクを通して知り合った人々であっただけに、バイクに関わる事で負う最大の問題を読者である私に突きつけた佐藤信哉氏の文章は衝撃的で私の脳裏に記憶される一文であった。

話を秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大氏の「」に戻そう。

」の「他人」の頁。P.112にこう記している。

以下、加藤智大「」より引用
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私にとって、秋葉原の通行人は他人でした。繰り返しますが、他人だから殺してもいい、ということではありません。他人のことはどうでもよく、「どうでもいい」とすら思わない、何かを考える対象から外れていました。

・・・おかしいのは、そう思える人の範囲が普通よりかなり狭い点です。
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以上引用

なぜ、加藤智大は携帯掲示板を荒らす「成りすまし」への警告のアピールとして、秋葉原の全く他人の通行人を殺傷する事件を起こす事ができてしまったのか?

加藤智大の「」の中に「他人」の定義はこう記されている。

「他人(全く接点の無い第三者)」と。

古来日本の文化の中には「縁」という言葉があった。仏縁。良縁。悪縁。縁談。縁に触れて。袖振り合うも多生の縁。・・・私は、この言葉を私の頭の中で長きに渡って「袖振り合うも多少の縁」と勘違いしていました(笑)。

要は「一見他人と思える人、自分とは無関係に思える人とも、実は多くの関係性があるのですよ・・世の中はそれで成り立っているのですよ。マナーを守りましょう。他者に思いやりを持ちましょう。優しく接しましょう・・」と言うのが日本社会のコンセンサス(合意形成)です。

ところが、加藤智大の場合、自分と接点がある人は「他人」ではない。にも関わらず、それ以外はすべて「他人」で「どうでもいい」とすら思わない、何かを考える対象から外れていました。・・と述べている。

この考えのいたらなさはどうやって培(つちか)われたのであろうか?

精神分析学の精神発達論からすると、加藤智大の養育史に因るものと言わざるを得ない。
」や中島岳志(なかじま たけし)氏の著者「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」(朝日新聞出版)を読んでも母親の徹底した偏狭教育が見て取れる。

人は誰でもそうだが、生まれてから最初に発生する対人関係=「母子関係」である。そして、人は母親が抱いて授乳しなければ生きていけない存在であり、生殺与奪(せいさつよだつ)・・生かすも殺すも母次第なのである。

そんな母親から加藤智大はどう育てられたのか?

マスコミが取材した記事や、弟の告白記事(週刊現代)、種々の取材書籍から情報を集めると・・・。

1、男女交際禁止。中1、中2の時彼女ができるが母親から交際をやめるよう迫られる。交際を続けるなら転校させる。彼女から来た手紙を冷蔵庫の上に掲示される。脅迫と見せしめである。交際反対の理由は異性に関心を持つと勉強の妨げになるから。
2、友人を家に連れてくる事を禁止される。
3、門限あり。
4、クラブ活動の禁止。中学校時代、母親から部活動は反対されるも、友人に無理やり軟式テニス部へ入部させられ秋の新人戦で好成績をおさめた。新聞に名前が掲載されると母親は手のひらを返すように応援をはじめた。
5、視聴が許されたテレビ番組は「アニメ日本昔話」と「ドラえもん」

・・つまり、加藤智大は母親に支配された時空の中で生活しており、母親が自分の理想とする子どもにする為に情報さえも統制された中で育成されたのである。まるで、独裁者に支配された北朝鮮の人民の様に。

こういった環境下で育つ子どもの世界観が偏狭になる事は有り得るだろう。ある種、洗脳に近いものがあるのかもしれない。

加藤智大の母親の事を記述するたびに考えてしまう事がある。私が子ども時代にも「教育ママゴン」なる、子どもに過度の期待をする母親像があったが、加藤智大の母親の様に徹底した情報統制と暴力(虐待)による制圧を持ってしてまで、我が子に自分の理想とする道を歩ませる事に血道(ちみち)を上げるのはなぜだろうか?と。

中島岳志の著書「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」にはこうある。P.36

以下引用
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加藤は小学校の頃から、勉強ができた。学校での成績がよく、スポーツもできた。
母は成績には厳しかった。「テストは100点を取って当たり前で、95点を取ったら怒られた」(2010年7月27日、東京地方裁判所公判)。
両親は共に高卒。大学には進学できなかった。
母はそのことがコンプレックスだったようだ。彼女は、名門の青森高校出身で成績もよかったが。「地元の弘前大学では満足できない」と言って県外の国立大学を受験。しかし、実力及ばず不合格で、大学進学そのものを断念したという。彼女は大学に行くことができず。高卒で終わってしまったという劣等感を抱いていた。この負の感情は子供に対する過剰な期待へと変質する。母は加藤が低学年のときから、青森高校、北海道大学工学部に進学することを目標に定めていた。
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以上引用

親が自分が成し得なかった夢(欲望)を子どもに果たさせる。つまり、自分の欲望を子どもを道具として満たすのである。

壮大なる加藤家の実験結果はどうであろうか?まるでロボットの様に扱われた加藤智大は青森の名門青森高校に進学するところまでは母親が理想とする道を歩んだ。が、加藤智大ロボット化の夢はそこで潰える事となる。

青森高校入学前から加藤智大はやる気を失っていた。

中島岳志の著書「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」にはこうある。P.52

以下引用
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田中邸に溜まっていた仲間のうち、谷村は同じ青森高校に進学した。谷村によると加藤は入学前からすでに勉強のやる気を失ったいたという。
加藤は言う。
そもそも勉強は好きではなかったし、一定の母親の要求にも応えたので、もういいだろうと思いました(2010年7月27日、東京地方裁判所公判)。
このような姿勢は、すぐに成績に現れた。入学後最初の試験では「ビリから2番目」の成績だった。
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以上引用

更に状況は悪化する。

高校生という事は年齢は15、16、17。思春期を迎える。この時期、人は生殖器以外でも外形的性差が生じ、やがて生殖能力を持つようになり、心身ともに子供から大人に変化する。親から庇護される自分、○○の子どもではなく。自分としての自分。自己アイデンティティ(自我同一性)を獲得する時期である。

自我同一性をウィキペディアでは以下の様に解説している。

以下引用
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青年期は、「自分とは何か」「これからどう生きていくのか」「どんな職業についたらよいのか」「社会の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいのか」といった問いを通して、自分自身を形成していく時期である。そして、「これこそが本当の自分だ」といった実感のことを自我同一性と呼ぶ。
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以上引用

直前まで母のロボットになっていた加藤智大は、思春期を迎えても「自我同一性」を獲得できずにいた。

母親によって植えつけられた加藤智大の社会性制御プログラムの中には「自分と関係のある人間」と「それ以外の他人」と言う区別しかなく。他人とは、「どうでもいい」とすら思わない、何かを考える対象から外れた「他人」なのである。

「他人は、生きようが死のうがどうでもいい・・とすら思わない他人」

日本式道徳教育的言葉を用いれば「情緒の欠落」とでも表現できるのであろうか?「人の心の痛みがわかる人になりましょう」とか言う標語があるが、加藤智大の場合、母親から躾(しつけ)と称して日常的に体罰・虐待を受けていたので「痛み」に対してい鈍感にならざるを得なかったのかもしれない。この部分については彼が同情される部分ではある。

彼の頭の中では刻一刻と時間が経過する中で事件の青写真ができていた。

2008年05月27日 関東自動車工業の塗装工程の工程長より契約終了(6月末)を打診される。
2008年05月28日 日研総業から他の工場へを紹介される。
2008年05月29日 主と友達になりたい女性出現。携帯サイトの掲示板でトラブル発生。「荒らし」「成りすまし」出現。「私を殺したのはあなたです。」「みんな殺してしまいたい」
2008年05月30日 秋葉原でナイフを買うつもりが靴とネタのCDを買って帰る。 
2008年05月31日 掲示板荒れ放題。
2008年06月01日 「成りすまし」もいなくなった。掲示板から誰もいなくなった。
2008年06月02日 掲示板に一人取り残される。
2008年06月03日 派遣契約終了延期を知らされる。散髪。「月刊アームズマガジン」購入。
2008年06月04日 掲示板で「土浦連続殺傷事件(2008年03月発生)」に言及する。
2008年06月05日 ツナギ紛失事件発生。怒り爆発。職場放棄。漫然と犯行の意思を固める。
事件の青写真完成。

中島岳志の著書「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」にはこうある。P.202

以下引用
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加藤の脳裏には、「殺人事件」の決行以外、何も思い浮かばなかった。自分をバカにする奴、自分を無視する奴。自分に振り向かない奴、自分を部品のように扱うや奴。彼ら/彼女らの心に、自分を刻みたい。自分に目を向けさせたい。自分の事を思ってほしい。
彼の承認欲求の出口は、はっきりしていた。

やりたいこと・・・殺人
夢・・・・・・・・ワイドショー独占
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以上引用

2008年06月06日 福井県でダガーナイフ購入(通販では8日に間に合うか微妙)。
2008年06月07日 秋葉原でソフト処分。2tトラックレンタル予約。
2008年06月08日 6月8日午後12時33分 秋葉原無差別殺傷事件決行。

携帯サイトの掲示板の「成りすまし」に対する心理的攻撃は以上の様なプロセスで実行された。加藤智大にとって、無差別殺傷事件はだたそれだけのものであり、秋葉原の歩行者天国でトラックではねられたり、ナイフで刺し殺された人達は、加藤智大とは無関係の他人であり、目的の為に利用された道具なのである(加藤智大自身が公判の中でそう述べている)。「どうでもいい」とすら思わない他人。

北海道大学工学部に入学させる筈が、秋葉原で無差別殺傷事件を起こしてしまった息子・・・。せっかく、青森県立青森高校に入学したのに、ここまでは予定通りだったのに。・・加藤智大の母親はどう思っているのだろうか?

ちなみに加藤智大本人は、その著書「」にこう書いている。P.115

以下、加藤智大「」より引用
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「してはいけない」だけでは止まれない

偉そうなことを書くようですが、「してはいけないから」という理由だけで好ましくない行動を思いとどまるというのは、偽善です。何かやらかす人は、大抵、していけないことだとわかっていてもしてしまうものです。「いけないことだとわかっていたけど、仕方なかった」とは、よくある言い訳です。なお、何度でも強調しておきますが、私は、仮に成りすましらを心理的に攻撃してしまったことは仕方がなかったのだとしても、その手段として秋葉原無差別殺傷事件を利用したことまでを仕方ないことだと主張するつもりは一切ありません。

「してはいけない」について、何故それがしていけないことなのか、その理由があるはずです。例えば、人としてはいけないとか、相手が困るからしてはいけない、という理由が考えられます。

人としてしてはいけない、という人は、プライドが高い人だと思われます。つまり、人としてしてはいけないことをしなかった自分を自分で評価できる人だから、そのように思いとどまることができます。しかし、「自分」が無い私には考えられません。また、相手が困るから、と言う点については、既に書いた通り、私は自分にごく近い周辺の人のことしか考えられなくなってしまった人ですので、これもそのようには考えられませんでした。
私にも、友人等以外の人が相手であっても、社会的に考えてしていいことといけないこと、という感覚はあります。私にとって何故してはいけないことがしてはいけないことになるのかと考えとところ、それがルールだからではないかと思いました。ですから「してはいけない」というより、「それがルール」と無意識に考えている気がします。

話は変わりますが、万引きはしてはいけないことです。多くの人はがそう思っているはずです。そのしてはいけないことをしていけない理由は人それぞれあると思いますが、私にとって「犯罪だから」になります。また、書くまでもなく、殺人はしてはいけないことです。これも多くの人がそう思っているはずです。こちらも人それぞれあると思いますが、私にとってはやはり「犯罪だから」になります。

書きにくいことですが、私にとって、刑罰を無視すれば、万引きも殺人も、ハードルの高さは変わりません。と書くと、凶悪犯罪である殺人のハードルが軽犯罪である万引きのそれと同じ低さなのか、と誤解されると思いますが、そういうことではありません。凶悪犯罪、軽犯罪という区別をせず、どちらも「犯罪」という高いハードルだということです。
多くの人にとって、万引きと殺人とでは「してはいけない」の度合いが違っていると思われます。特に殺人については語気を強めて「絶対にしてはいけない」となるのでしょうけれど、私にとってはどちらも淡々と「してはいけない」と考えるだけでした。「自分」が無い私に信念は無く、してはいけないのはそれが社会のルールだから、というだけのことですから、「してはいけない」という思いで思いとどまることができなかったのはないか、と考えられそうです。
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以上引用

この文章を事件で親族を失った方が読んだらどう思うだろうか?本人が「自分が無い私」と書いている通り、他人事として殺人をしてしまった事を「推測」している。・・そのものの文章である。加藤智大にとって「一線を超えるか超えないか」の境界は「万引きをするか止めるか」と淡々と同意で並べられる事柄だったと言う説明である。加藤智大の場合、他人との関わり、繋がり、関係性、流行りの言葉でいうところのヒューマンリレーションの問題があったのは確かである。

加藤智大は「他人を巻き込んでしまった」理由を明確に説明できず、意識上「・・と考えられそうです。」などと、自分がしてしまった事を推測で説明している。加藤智大は取り調べ中、捜査官から「行動には必ず理由」があると迫られたと言う。精神分析的に最大限に彼の無意識(コンプレックス:複合観念体)を解釈し、意味をつけるとこうなる。

以下引用
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とんでもない事件(秋葉原通り魔事件)が起こった。

6月8日(日)歩行者天国で賑わう昼下がり、東京秋葉原で無差別殺人。
7人が死亡、10人の方が重軽傷を負った。犯人は現行犯で逮捕されたが時すでに遅し、大惨事になってしまった。こういう事件が起こると「何故?こんなひどい事をするのか」と誰もが疑問に思う。
しかし、これを明確に解明する人はいない。ワイドショーや新聞などでコメントを発表されている大学教授や犯罪心理学者、皆完璧にはずしている。

ラカンの精神分析は、言葉と行動を見てその根本原因をずばり解明する。
しかしながら世の中と言うものは、有資格者や有名大学の教授と言う何かしらの肩書きのある人のコメントには耳を傾けようとするが、我々の言う事には一切耳を貸そうとはしない。

コメンテーター曰く「逮捕された加藤智大容疑者(25)は自己顕示欲があった」とか、「派遣労働者で不安定な雇用体制から先行きの不安による犯行だろう。」等と語っておられましたが、彼を分析するならば以下のようになる。

彼は親に、特に母親に作られた優等生である。小学校の時に母親が書いた作文で賞をもらい、母親が描いた絵で賞をもらった「作られた優等生」である。中学までは成績がよく有名進学校に入学したとたん成績は中の下、言わば落ちこぼれになったと言っても過言ではない。

今の今まで親が指示・命令し誘導して来たものを急に高校になって、親の学力がついて行けなくなったら見捨てる。自分の力でやったことが無い人間が、自分ので決定し行動することなど出来るわけがない。

「人間は学習したこと以外は出来ないのである。」

おまけに母親は加藤容疑者が脱落すると彼を諦め、弟に力を入れていった。
彼はどう生きていけばいいのか? さ迷い不安定になり誰一人彼の境遇や気持ちを理解してやろうとしなかったのだろう。

彼は自己顕示欲ではなく、あらゆる手段で特にサイトなどを利用し自ら叫んでいたのである。
『俺のことを見てくれ!』『俺を守ってくれ!』『俺を助けてくれ!』と。携帯サイトに細かく犯行予告をしていたのは、「誰かが止めてくれると思った」と後日彼が語った事が証明している。
人間が一番辛く悲しいのは「孤立無援」になる事だ。社会でも「村八分」はきつい。犯罪を犯して刑を受ける一番きついのは「独房」に入れられることだ。
彼は誰からも見捨てられその上、親にも、これでは生きていけるはずがない。

次は「何故あの時あの場所だったのか?」人間はイメージで動く。「あんなことをしたらいけない」頭では分っていた。
それぐらいの知恵はあったであろう。これも後日判明した事であるが、一回で凶行に走ったのではなく、何回か周りを走ってためらっていた。

では何がそうさせるのか?精神が作り上げるイメージである。人間は生まれてから2年ぐらいの間は認識能力も言語理解力・表現力は無いに等しい。
その間はイメージで動いている。感覚で捉えたものを何かしらのイメージを作って、それで行動する。大人には訳が分らず異様に見えるが子供には普通である。
こうして知恵より先にイメージで行動することを身につけているから、知恵を超えるものが発生するとイメージで動いてしまう。

彼は自分の世界を地獄と規定していた。自分の世界を表現するならば天国は要らない。故に歩行者"天国"を抹殺し"地獄"にしなければならない。犯行直後の光景はまさに地獄絵図のごとくであった。

人間は親に育てられた通りに行動し生きて行く。私もこの場を借りて何度も言い続けているが、子供を育てるのは母親で、教育するのは父親である。母親は子供の要求に「オールOK!」で接し、ただただ与え続ければよい。必要なのは"抱っこ"と"まなざし"である。

我がままになり、自己主張をする子供に育て、後に父親が社会の厳しさ、ルールを論理的に教えて行く。

こうした夫婦の絶妙のコンビネーションによる子育てがこの様な悲惨なことにはならない方法なのである。

最後に手前味噌で申し訳ないですが、私のクライアントがこの事件のニュースを見て「一つ間違えば確実に家もあのようになってた可能性がある。分析を信じひたすら行動してきたおかげで、今は幸せに暮らす事が出来ている。感謝し自らを誉めたい」と。共にそれをみて来た私も本当によくわかります。

この様な言葉を聞くとこの理論を一歩も引かず推し進めてきたことは、正しかったと感じています。

この様な事件を起こす原因は養育の仕方にある事に気付いてほしい。母親が優しく尽くしてくれて、父親が真剣に守ってくれる、そんな家庭からこんな惨い犯罪は起こらないと断言する!
以上引用
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上記は、精神分析家ネットワークの金谷精神療法研究所(兵庫県神戸市)所長 拈湧 笑界(ねんゆ しょうかい)さんが、事件発生当時、サイトに掲載された「今月のメッセージ」を下記に引用したものです。過去の、月刊精神分析でも引用しましたが、敢えて再掲します。事件から4年経った今でも核心をついている文章は色あせません。

以下引用
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今日は「秋葉原無差別殺傷事件」を子育ての事例として、分析家として感じていることを書きます。

この事件は、まだ記憶のどこかに衝撃的な事件の一つとして、残っていることと思います。
ここでは、「加藤智大(以下「彼」と呼ぶ)の養育環境が特別ではない」ということを書きたいと思います。

「彼」の母の養育法を『月刊精神分析「秋葉原無差別殺傷事件2,3」』から一部引用してみましょう。(中略)その他、作文指導の「10秒ルール」、ローカの新聞紙の上へぶちまけた食事を食べさせられたエピソードetc

これだけ読めば、かなり極端な養育環境であり、虐待だとさえ思うことでしょう。
ところが、今や日本の大半の家庭で、同じようなことが行われていると言ったらどうでしょうか。
《我が家は絶対違うと》言えるでしょうか。

私なりに読み替えてみたいと思います。
「彼」の養育環境を精神分析の観点からいうと
『主体性の剥奪』です。
ちょっと難しい表現ですが、
「彼」の「~したい」という欲望をすべて奪われ、母の言いなりになるしかなかった状況(環境)を指します。
もっというと
子どもの気持ちを無視し、親の言いなりにコントロールすること、です。

このように書くと、どうでしょうか?
子どもに自分の想いを押し付けていませんか。
・ゲームや遊びやおやつ、食事、服装、時間の制限をする
・塾や習い事を勧める
・早くしなさいと急き立てる(早く食べなさい、塾や習い事へ行きなさい)
・友達を選ぶ(あの子と遊んではダメ)etc

このように言うと、大抵のお母さんは
黙っていたら、際限なくゲームをしたり、自分の好きなことだけしかしない。
そうすると食事もまともにせず、宿題もせず、お風呂にも入らず眠ってしまう。
私は子どものためを思って言ってるんです。
このように反論されます。

「彼」の母親と、どれだけ違っているでしょうか?
このような環境の中で育った子どもは、将来どうなっていくかは想像できるでしょう。
誰かに指示されないと意見を言えない、動けない=指示待ち、受身の人
果ては、いじめられたり、人が怖くなる=対人恐怖、視線恐怖、広場恐怖など
人が怖くなると、人に合わないようにする=引きこもる
押し殺していた怒りが爆発=家庭内秒力、リストカット、虐待、非行、殺人「彼」(加藤智大)

こうして「彼」(加藤智大)へと繋がる道筋が予測できるのです。
だからといって、すべての人が彼のようになる言っているのではありません。
ただ、
《子どものために》との想いが、
気が付かないうちに、彼と同じような環境の中にわが子を追い込んでいる可能性がある、
のではないだろうかと問いかけてもらいたいのです。
そして、あなた自身はどうだっただろうか、と問いかけてもらいたいのです。
もし、私も同じだったと、思い当たる人が居たなら、その人は
かなり高い確率で、誰かに(ほとんどが我が子)同じ想いをさせていると言えるでしょう。

それらに気が付いたなら
今からそれを書き換える方法があります。
それが「オールOK子育て法」です。
シニフィアン研究所では「オールOK子育て法」を全国へと展開中です。
子どもの年齢に関係はありません。
詳しくはこちらまでお問い合わせください。

シニフィアン研究所 迎意愛
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以上引用
以上はシニフィアン研究所(埼玉県上尾市)ブログからの引用です。

以下のページでは私の体験も交えながら、もう少し深く「加藤智大の精神構造」を分析してみたい。

△TOP

7、なぜ加藤智大は「かまってちゃん」なのか?

加藤智大は携帯サイトの掲示板の中で他の利用者から「かまってちゃん」と呼ばれていた。加藤智大本人がその著書「」の中で「中毒と言った方がいいかもしれません」と記述するほど、多くの時間と労力を携帯サイトの掲示板の費やしていた。

そして、加藤智大は著書「」の中で「孤立」を以下の様に表現しています。

p.12
以下引用
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空白とは、孤立している時間です。孤立とは、社会との接点を失う、社会的な死のことです。社会との接点とは、自分の行動の理由になる相手のことです。
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以上引用

p.16
以下引用
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それは、世の中からたったひとり、取り残されたかのような感覚でした。マジックミラー越しに世界をみているようなものです。私から見えている相手には私がみえていない状態、私の頭の中にいる人の頭の中に私がいない状態であり、孤立への恐怖の始まりでした。
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以上引用

p.17
以下引用
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そうして間接的に掲示板に関わっている時間は、孤独です。孤独ではありますが、しかし、掲示板の友人のために、と、社会の接点がある状態ですから孤立はしておらず、孤立への恐怖はありません。
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以上引用

P.25
以下引用
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孤立すれば、自殺はもう目の前です。私は肉体的な死には特に感じるものはありませんが、社会的な死は恐怖でした。ですから、孤立の恐怖から逃れるために自然と自殺が思い浮かんでくるのだと思います。この時点で自殺の手段が思い浮かんできたかは覚えていませんが、日時は、8月中旬のとある日に決めていました。
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以上引用

上記の加藤智大の文章をそのまま真に受ければ「孤立」が如何に「恐怖」と直結していたかが伺い知れる。それは彼に「自殺願望」を呼び起こす程であったのだ。

常に人の頭の中にいる自分を確認したい。目の前の人の頭の中に自分がいない事は「孤立」であり、それは社会的な死であり、自殺したくなる程の出来事・・加藤智大はそう訴えている。

心の底にその様な感情が渦巻いているのならば、常に、人と接し、その人との関係性において、自分の存在を確認し続けなければならない。もし、それが出来なくなったら死にます。と。

こう言うクライアントの語りを耳にすれば精神分析家は即こう言う筈だ。

「貴方は母の内在化に失敗した人です」と。

いみじくも「ラカン精神科学研究所」殿のブログに以下の文章があったので引用する。

以下引用
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第2回インテグレーター養成講座で「自我論Ⅱ 幼児期の自我と対象関係」・・中略・・について解説した。

「まなざし」という対象関係を母と結べなかった人は、内在化のイメージが薄い。人は自分にまなざしを向けられ、見られるところに、自己の存在が明らかになる。子どもは人形を相手に、母が自分に語りかけるように語りかけ遊ぶ。それは人形がスクリーンとなって、内在化したイメージを人形に投影している姿である。

という話をしたところ・・・クライアントから、自分の子どももそのようにして遊ぶが、周りの子どもの友だちはごっこ遊びをしても、お母さん役になる子が居なくて、赤ちゃん役やお姉さん役しか居ないという。

こういう遊びを私たちも子どもの頃にした、その名前は「お母さんごっこ」だったと思う。ところがこれでは「お母さんごっこ」ではない。あえて私が名付けるなら「お母さん不在ごっこ」である。

家庭でお母さんは子どもに適切な「関心」や「まなざし」を向けているのだろうか。適切に子どもを世話し関心や愛情を向ければ、子どもの中に良い母イメージが内在化される。
ところが、仮に母親が子どもに命令・指示し、自分の思い通りに子どもを動かそうとしたりしたなら、子どもの中には悪い母イメージが内在化される。また、世話をしなかったり、あまり関わらなかったり、まなざしを向けなかったとしたら、先程いったように内在化のイメージが薄い。

こういう人は自分を印象付けたい。自己存在の内的対象関係があいまいであると、自己存在を確実なものにしたいから、自分を相手に押し付けたくなる。相手の中に自分を打ち込みたくなる、殴るほどに打ち込みたくなる。

しかし自分の存在がしっかりしていれば、相手に自分を印象付けたいとは思わない。自分を売り込みたいとか、好かれたいとも思わない。相手の好きなように受けとればいいと思う。

クライアントは、人から自分がどう見られるかに腐心している。無能だと思われないか。容姿がおかしいとか、気持ち悪いと思われないか。悪口をいわれているのではなどと。
それは彼らの心の中に描かれたイメージをみているのであって、現実など見えていない。
分析(セラピー)はこの内在化された悪しきイメージを書き換えることに、時間を費やすことになる。
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以上引用

精神分析学の精神発達論の中には「適切な養育方法」が説かれている。特に重要な項目に「母のまなざし」がある。赤ちゃんや幼児を観察しているとすぐわかるのだが、常に子どもは「まなざし」「視線」を探している。まなざし=母の存在だからだ。そして、母のまなざしと語りかけをいつも感じて、それを心の中に「内在化」する。平たく言えば、心の中に刷り込むと言ったニュアンスだろうか?いつでも万能の良母の「まなざし」を感じ、それを「内在化」する事によって、子どもは万能感を獲得する。

常に万能の母が一緒にいる感覚。物理的に母がそばにいなくても、内在化された母は、普遍的に子どもの中に存在する。これがひいては、子どもの成長時の「自己肯定感」につながっていくのだ。

ここからは推測の域を脱しないが大胆に推測してみよう。

幼少の頃から適切な世話を母親からされなかった加藤智大は良母を内在化するどころか、自分を力づくで抑圧する「鬼母」を内在化してしまった。常に監視され、母の意に沿わないと無言で体罰を加えられる。自分の存在はない「加藤智大という主体」は最初から存在していない。加藤智大は「私の頭の中にいる人の頭の中に私がいない状態」を恐怖し、「私の頭の中にいる人の頭の中に私がいる状態」を求めるのは当然である。最初から自分が存在しないのだから、だとしたら、他者の中に自分の存在を求めるしかないではないか。もし他者の中に自分が存在しないなら、それは=「孤立」=「社会的な死」=「自分の存在の否定」なのだ。

これで、なぜ加藤智大が「なぜ掲示板でかまってちゃんと呼ばれたか?」「なぜ極端に孤立を恐れたのか」謎解きができた。

以下参考
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「孤独」と「孤立」の言葉の意味の違いは何でしょうか?

「孤独」は「孤」も「独」も同じ意味の漢字を重ねたもので、「ひとりきりであること」、「その状態を寂しく感じること」を意味します。

一方「孤立」は「孤(=ひとりきり)」+「立つ」ですから、「他者から切り離されて、味方や理解者がいないこと、その状態」を意味します。
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以上引用

△TOP

8、なぜ加藤智大は携帯サイトの掲示板にはまったのか?

この命題の謎を解くキーワードは「本音」と「建前」である。

この部分については、私も加藤智大と五十歩百歩なので、私の体験談を以下に記述する。

私の実家は父方の祖母に支配されていた。所謂(いわゆる)、絶対権力者は祖母であり、誰も歯向かえなかった。祖母は自身の権威付けと理論武装の為にある新興宗教に入会し、家族も自動的に宗教組織に組み込まれていった。

そもそも、祖母は「自身の権威付けと家族を支配する道具」として宗教を選択したのだから、端から「仏の道を極めよう」などと言う気持ちはなく、折に触れて宗教的教義や思想を自分の都合のよい様に利用した。

「法華経の行者である貴方は仏子です」と耳触りのよい言葉を真に受け、随分、自己中心的な言動を繰り返した。例えば共働き時代の母の給料を自分が巻き上げる時は「佛の名のもとに母の給料を搾取」した。自分の意に沿わない言動をとる者には「今に罰があたる」と凄(すご)み、自己都合で家族と親戚を振り回した。

当の私は、幼少の頃からそんな祖母とそれに追従する両親の姿をみて「はやくこの家から離れなければ」と思うものの、「宗教活動をしないなら家から出て行きなさい」と言う親の言葉(おどし)に制圧されて、表面上は「従順な信者」を装って生活していた。これが、家の中での私の「建前(たてまえ)」である。

更に私は学校という社会的組織の一員でもあった。ここでも私は「よい生徒」である為の「建前」に沿って生活していた。しかし、学校という組織の中では、家庭内の建前である「従順な信者」は隠していた。学校という組織では必ずしも「従順な信者」が歓迎されるとは限らない。嫌、新興宗教の信者などいじめの対象になる場合すらあるのだ。

こう言う事情から私の場合は、家庭内で「従順な信者」、学校内では「よい生徒」と言う2つの「建前」を使い分けて生活していた。本当の自分、「本音」の自分は「毎日仏壇のの前で何時間もお経をとなえたくない」し「行きたくもない塾には行きたくないのだ。」

加藤智大が漠然と抱いている「家庭」のイメージと私が思っているそれと共通している。
学校や会社であった他愛ない出来事を話なから囲む団欒・・と。
テレビドラマの中でよくでてくるシーンで一般の家庭では、それが当たり前なのだろう。
しかし、残念ながら加藤智大と私にはそれがなかった。

<なぜか?加藤智大の場合>

加藤智大は「(本当の自分ではない)母親が理想とする加藤智大」を演じ続けねばならなかった。学校でも家庭でも。本来、家庭でも本当の自分をだせて、学校でも本当の自分を出せれば、自分を生きていいる自分を「家庭の団欒」で語れるのだろうが、母が理想とする加藤智大を演じ続けている加藤智大は、毎日の演技の内容を家庭で母に報告する必要はなのである。加藤の演技を評価するのは母親である。そして、・・・

テストで95点とったら怒られた。・・そんな母親の前で学校内で起こった他愛ない出来事を楽しく語れるだろうか?とても食事どころではなくなる筈だ。

加藤家では、一緒に食卓を囲むものの、食事が終わればすぐ各々が2階の各々の部屋に戻って行くそうだ。想像して欲しい・・それって「アウシュビッツ収容所」?

<なぜか?私の場合>

前述の通り、私の生まれ育った家庭は表面上熱心な新興宗教の信者という事になっており、私を含む家族全員が宗教組織に中に組み込まれていた。もちろん、子ども時代は、自分の周りの見るもの聞くもの総てに興味を持ち、自分を主体として事の善悪や良い悪いの価値感を身につけていくものなのだが、私の場合は宗教という価値観が最初からハメられていれていて、そこからはみ出す事は許されなかった。「絶対正しい宗教」「因果応報」「報恩感謝」・・・事あるごと、支配する方に都合のよい宗教用語が振りかざされる。つまり私もまた本当の自分、本音の自分を生きる事が許されなかったのである。

事が上手くいけば「正しい宗教のおかげ」、事が上手くいかなければ「信心が足りない」「お経を唱える時間が短い」と私に非がある事になってしまう。そう言う家庭の食卓で誰が日常の他愛ない事を報告するだろうか?途端に飯がまずくなるのはわかっている。

<本来あるべき家庭とは?>

精神発達過程にある子どもに対して過度の干渉や、親や家が持っている価値観の強制は禁物である。なぜなら、子どもの主体性を奪ってしまうから。

子どもが何をしても受け入れてもらえない・・「あぁ親は本来ある自分ではなくて別の自分になる事を望んでいるのだな」・・と悟ったら、子どもは「本来の自分」と「親が望む自分」の二人の自分を生きなければならなくなる。これは毎日毎日本当にしんどい。辛い。

本来なら家庭外で、傷つけられたり、消耗したりした心と体を癒し、また外に打って出るエネルギーを充電するのが家庭の筈だ。ところが家庭内、特に母親に素の自分、ありのままの自分を受け入れてもらえない、承認してもらえないとすると、本当の自分は毎日毎日殺され続ける事になる。

この自分が自分である事の承認欲求が満たされない日々が続くと、将来に渡って色々な問題を抱えることになる。

さて、その著書「」の中で加藤智大は携帯サイト掲示板の事をこう記している。
以下引用
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本当に楽な場所でした。
掲示板は行く場所ではなくて帰る場所になりました。
掲示板に依存しているというより、中毒を言っていいかもしれません。
携帯サイトの友人が自分にとって家族同様かそれ以上の存在になりました。
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以上引用

つまり、加藤智大にとって携帯サイトの掲示板での他者とのコミニュケーションが、自分を自分として受け入れてくれる自己承認を満たす場所であったから・・・だから加藤智大は携帯サイトの掲示板にはまったのだ。
中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」から引用
P.100
以下引用
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加藤は裁判の中で、掲示板への書き込みを「本音のネタ」というタームを使って説明している。
彼にとって「本音」とは「人の事を意識することなく『これを書いたら嫌われてしまう』などと考えず」に表現することだという。それに対して「建前」は「相手を傷つけないように、きれいごとを並べること」だという。
加藤にとって現実の友人や会社の同僚との関係は、どうしても「建前の関係」になってしまう。現実での「親しい人」とのコミュニケーションは、どれほど親しくても「建前」が介入してしまい、「本音」の関係を結ぶのは難しい。言いたいことがあっても「嫌われてしまう」ことを恐れて、口にすることができない。そうすると必然的に「建前」が前面にせり出し、「本音」が隠される。
加藤はリアルな他者と「本音の関係」を構築したかった。自分の思っていることを率直に吐露しても、それをしっかり受け止め、本当の自分を承認してくれる他者が欲しかった。しかし、彼には本音を吐くことがどうしてもできなかった。
同じ職場の同僚、同じ地元の友人。
彼らは、同じ文脈を持った他者だった。彼らに「本音」をぶつけ、嫌われてしまうと、それは特定の環境までも失うことを意味した。同僚に嫌われれば、快適な職場を失うことになり、友人に嫌われれば、地元を失うことになる。リアルな世界の「タテの関係」(上司/部下、先輩、後輩)と「ヨコの関係」(同じ場を共有する友人)では、「本音」を吐き出すことのリスクが高かった。
しかも加藤は、母の「教育」の影響で自分の思いを相手に伝えることが極度に苦手だった。彼は言葉に直接的な伝達ではなく、行動による間接的な伝達を繰り返した。「本音」をぶつけることへのトラウマと恐怖が、心のどこかに潜んでいた。
彼は、現実の友人との「本音の関係」を断念し、携帯サイトでの人間関係に、それを見出そうとした。彼はリアルな友人がいるにもかかわらず孤独を感じていた。そして、その孤独を超えて「本音の関係」を構築するために、掲示板への書き込みを繰り返した。
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以上引用

中島さんは上記の分析で加藤智大の心の構造をよく解き明かしていると思います。精神分析的な解説を付け加えると、本来、子どもの言動を受け止めて万能感を無意識(複合観念体:コンプレックス)にすり込む(内在化する)のは母の大きな役割なのですが、加藤智大の場合、母が真逆の教育方法(オールNG子育て法)を採用してしまい、加藤智大が主体を伴う「本音」を出す事をことごとく叩き潰してしまった為に、加藤智大は負のコンプレックスを内在化してしまいました。幼少の頃から刷り込まれたコンプレックスはそう簡単に払拭(書き換え)できません。彼は一生このコンプレックスに苛まれ、最後には秋葉原無差別殺傷事件を起こしてしまいます。

この部分が私も大いに感じるところで、幼少の頃から「宗教」の名のもとに、やれ「罰があたる」とか「宿業・宿命」「因縁」などといったおどろおどろしい宗教用語のもとで、自分の主体を奪われ続けると、宗教に主体を乗っ取られた自分(建前の自分)と、本来の欲望を満たそうとする自分(主体を持った本音の自分)が常にせめぎ合い、心の中での葛藤が続きます。それが体(身体)に表象したものが、私の場合は「過呼吸」であったり、「軽いパニック障害」であったり、原因不明の「皮膚疾患」であったわけです。

<私が思春期にはまった深夜放送>

蛇足ながら私の場合は何にはまったかと言うと・・・
ラジオの深夜放送にはまりました。
もちろん私が思春期を迎えた時代にはインターネット環境は世の中に存在しませんでした。1980年代前半の話ですのでテレビ番組に一個人が気軽に参加する事はありません。もし個人名がテレビで流れる事があったらそれはこれこそ大事件を起こした時でしょう。ただし、ラジオの世界は少し違っていて、あるパーソナリティがリスナーからの投書を番組内で紹介し、感想を述べたり、アドバイスをしたり、やりとりに時間がかかる状況ではありましたが、パーソナリティとリスナーと言う関係性が、承認する側、承認される側といった立場になれるメディアでした。

各放送局で看板番組
スマッシュ!!11
オールナイトニッポン
パックインミュージック
サタディ・バチョン
鶴瓶・新野のぬかるみの世界・・・など。

ある一定の年齢以上の方は、受験勉強の合間に・・・などといいながら、深夜放送のパーソナリティの会話にはまっていたのではありませんか?

番組にハガキを投書して、もし、番組放送中に読まれでもしたらすごく心が解放された気分になりませんでしたか?・・それは、会社の中の自分でもない、学校での生徒や学生でもない自分・・所謂(いわゆる)建前の自分ではない、自分としての自分(本音の自分)を他者に承認してもらった喜びだったのだな・・と私、今頃になって理解しました。

キーワードは、本当の自分(本音の自分)の承認

加藤智大にとって携帯電話の掲示板だけが本音の自分を承認してくれる場所であり、更に、その掲示板の向こう側の人々に本当の自分を承認してもらおうとしたのである。

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9、なぜ加藤智大は突然きれるのか?

秋葉原無差別殺傷事件発生当時からマスコミの取材によって加藤智大の「突然きれる性格」は喧伝されていた。

県下で有数の進学校、青森高校に入学した成績優秀スポーツ万能、明るく元気な加藤智大容疑者。しかし彼には「もう一つの顔」がある。それは突然「きれる」という暴力的側面である・・・などと二面性を強調した報道のされ方をしていた。
中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」より引用。
P.54
以下引用
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加藤は、静かにキレるタイプでした。とにかく地雷のスイッチがどこにあるかわからない。これは高校を卒業して社会人になってからも同じでした。彼の地雷原がどこにあるのか、最後までわからないままでした。

そう谷村は語る。

谷村は一度、高校時代に加藤に殴られたことがある。谷村が友人4人ほどと待ち合わせて食事に行こうとしていたところ、加藤がやってきて、唐突に右手で顔面を殴った。そして何か言い残して去っていった。

谷村は、なぜ殴られたのかまったくわからなかった。加藤が言ったことも、まったく聞き取れなかった。

そのため、二人の関係はしばらくの間、気まづいものになった。谷村は加藤を避け、会話もなかった。田中宅に行っても、加藤の自電車が停めてあると、中に入らずに帰った。1ヶ月ほど経ったとき、仲間が仲介してくれて、二人の関係は修復された。しかし、殴られた理由はわからずじまいだったという。加藤はこのとき何も語らなかった。

加藤は次のように証言している。

ゲームに対してケチをつける言動が彼にあった。口で言うことができずに、殴ることで伝えたかった。(2010年7月27日、東京地方裁判所公判)

谷村は、殴られた理由を加藤の担当弁護士から聞いて初めて知った。「そんなこと話してくれたらよかったのに」と思ったという。
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以上引用

では、なぜ?<加藤智大はなぜ突然暴力をふるうのか?>

これは加藤智大本人の自己分析によって謎解きは終わっている。彼の著書「」の中でこう述べている。

P.64
以下引用
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人のせいにする、とは、実際は自分が悪いのに、それを棚に上げて相手が悪いことにしてしまうことです。そこから、何故人は私が人のせいにしていると批判するのか、何故私は人がが私のせいにしていると感じるのか?を考えたところ、私のものの考え方に問題があることに気づきました。

過失割合の問題がそうです、私には100%相手が悪いか、100%自分が悪いかの二択しかありませんでした。私のこの考え方が原因で、例えば、客観的に見て6対4ぐらいで相手が悪いトラブルであっても、私が10対0にしてしまうために、私から見れば「0」を「4」とし、相手からみれば「4」を「0」にされた、というように、お互いが人のせいにしていると感じることになっていました。

何故このようなものの考え方になったのかと考えて自分の人生をさかのぼってみましたが、最初からそうだった、としか考えられません。このような考え方に変わったきっかけになる出来事は無く、こうして自己分析するまでは、この考え方は当たり前のこととして何の疑問も持っていませんでした。

とすると、これは幼少の頃の親、特に母親から受けた養育の結果だということになりそうですが、このように書くと、人のせいにせいにしている、と批判されるのでしょう。もし、私が母親とそれ以外の何かのうち、自分で母親の教えを受け入れたくせに「母親のせいで」などと主張するなら、それは批判されても仕方ありません。しかし私はテレビやマンガ等を制限されるように、外から得られる情報を減らされ、つまり、相対的に母親から受ける影響が大きい環境におかれ、まら、母親の価値観が絶対正しいものとされる中で育てられてきました。他に選択肢が無い私が母親のコピーになっていくのは、私の責任ではありません。確かに、その一択を拒否する手段はあります。母親を殺すか、私が自殺すればいいことです。しかし、「有害情報」を遮断されていた私には、その発想はありませんでした。知らないことは、できません。

コピーと書きました。そのコピー元である母親はと言うと、自分が絶対的に正しいと考えている人でした。母親の価値感が全ての基準です。その基準を外れると母親から怒られるのですが、それに対して説明(弁解)することは許されませんでした。一応「なんで○○しないの」と怒られるのですが、「なんで○○しないの?」ではなく、「なんで○○しないの!」と質問ではなく命令でした。「なんで○○しないの」と言われて説明(弁解)しても「そんなことはいいから○○しなさい」と怒られるだけなのですから、私は次第に何も言わなくなりました。

私のやり方も同様です。誰かが私に対して、私の価値感で間違ったことをしてくると、私は怒りました。今考えると私も悪いのですが、当時はそうは考えていません。相手が100%悪いと考えています。相手が何を言っても全く聞く耳を貸さず、時には力ずくで黙らせました。私が親に対して自分が全て悪いと考えて対応していたように、私から攻撃された相手も自分が全て悪いと考えて対応してくれると思っていたからです。
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以上引用

具体的な母親の加藤智大被告への接し方を既刊の「月刊 精神分析 2009年09月号 秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大」から引用する。

以下引用
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幼少から厳しく育てられた。
冬の寒い日に(話は青森である)薄着で外に立たされているのを見た近所の人がいる。
小学生の頃から珠算やスイミングスクール、学習塾に通わされた。
友人の家に遊びに行くことも、友人を家に呼ぶことも禁止。
作文や絵画は親の検閲がはいる(先生ウケする様に親が指示命令)。
見ることが許されたテレビ番組は「ドラえもん」「まんが日本昔ばなし」
男女交際禁止

また、強烈な以下のエピソードがあります。
さらに、完ぺき主義の母親は、常に完璧なものを求めてきました。...母親の作文指導には「10秒ルール」なるものもあったという。兄弟が作文を書いている横で、母が「検閲」をしているとき、「この熟語を使った意図は?」などという質問が飛んでくる。答えられずにいると、母が、「10、9、8、7...」と声に出してカウントダウンを始める。0になると、ビンタが飛んでくるというわけである。この問題における正解は母の好みの答えを出すことであったが、そこで母が求めていたのもやはり「教師ウケ」であった。

更に週刊現代6/28号「秋葉原通り魔 弟の告白」(前編)から引用します。
加藤智大容疑者が中1の時である。

『食事の途中で母が突然アレに激高し、廊下に新聞を敷き始め、、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、「そこで食べなさい!」と言い放ったんです。アレは泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていました』

父も黙っているばかりで助け船も出さず、弟も横目で見ながら食べ続けている......

以上引用
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これも鬼母の躾(しつけ)と称する虐待によってなされた事だ。

加藤智大は幼少の頃からスパルタ教育を受けていた。

母から突然ひどい行為をうける。
そしてその理由は一切語られない。
自分のしたことの何が母の意に沿わなかったのか?
自分で考えて理解して改(あらため)なさいと言う事だ。

つまり、加藤智大は幼少の頃から母親にされ、無意識に植え付けらた行動パターンを自分の周りの他人にも当たり前の事として用いていただけのことである。

説得力のある話である。幼少の頃から母親からそう教え込まれた。自分にはそれ以外の選択肢もなかった。それを当然の事として受け入れ、自分の行動パターンとした。

以上の事柄が「なぜ加藤智大は突然きれるのか?」の解である。

加藤智大は、加藤智大からみれば「わけもなく突然体罰を加える母に育てられた」更に「体罰を加えられた理由は自分で考えなけらばならない」更に「体罰を与えられたのは自分が100%悪いのだから自分で悪い部分を改なくてはならない」。

こうした加藤智大のマザーメソッドによって、秋葉原無差別殺傷事件は起こったのである。

肛門期的性格。
1か0(ゼロ)か?
お前が悪いか俺が悪いか?
俺が正しいなら、お前が100%悪い。

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10、なぜ加藤智大は突然会社を辞めるのか?

秋葉原無差別殺傷事件発生当時、加藤智大被告は「日研総業」(東京都)からの派遣で、静岡県裾野市の関東自動車工業東富士工場の塗装ラインで働いていた。

その為、事件を起こした動機が加藤智大の派遣社員と言う不安定な労働環境にあったからとする一部マスコミの論調があった。

事実を調べてみると、加藤智大は、短大卒業の後、全国を転々とするものの、正社員として雇用されていた時期もあり、加藤智大が「派遣社員」だっから=「事件を起こした」と言うのは誤りである事がわかる。

しかし、私が着目したのは彼の仕事の「辞め方」である。彼の足跡を追うと、円満退社で退職をした形跡がない「ある日突然出勤しなくなる」「行方をくらます」と言ったよろしくない辞め方が圧倒的に多い。その辞め方を加藤智大自身は「飛ぶ」と表現している。

「飛ぶ」をウィキペディアで調べてみると。風俗業界の用語として下の説明がでてくる。

以下引用
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飛ぶ
コンパニオンや男性従業員が無断で店を辞めること。大概は店の雰囲気についていけない者が多く取る行動だが、中にはコンパニオンや従業員からのイジメなど、パワハラやモラハラによって、これを選ぶ者も少なからずいる。酷い場合には店主導で成績の悪い、または嫌われたコンパニオンや従業員へ給与を払わなくて済むように無断退店に追い込む例もあり、その場合は「飛ばし」と呼ぶ。ソープランドに限らず、性風俗や水商売全体で浸透している用語だが、場合によっては一般企業でも用いられる。
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以上引用


より大きな地図で 加藤智大転職マップ を表示

2001年04月~03年03月 中日本自動車短大(岐阜県)
2002年 卒業まで半年になり、突然、地元(青森)の国立大(弘前大学)への編入希望を出した。
2003年02月~05年02月 人材派遣会社「東洋ワーク」(仙台市)警備事業部からの派遣で同市内の警備業務につく。入社半年後、準社員扱いで内勤へ。その後「自己都合」で辞めた。(実際は、現場でのトラブルがもとで現場から無断帰宅、さらに所長に配置担当者としての提案を潰された事への抗議で突然の退社)。
2005年04月~06年04月 人材派遣会社「日研総業」(東京都)からの派遣で埼玉県の日産ディーゼル工業上尾工場に勤める。同社によると加藤容疑者は大型・中型トラックの車両組み立てラインで、部品を取り付ける作業に従事。06年4月中旬に(突然無断欠勤)し、連絡も取れなくなったため、同社と日研総業との間で加藤容疑者についての契約を2006年04月18日付で打ち切った。(実際は、派遣のくせにと発言した現場正社員への抗議で退社)。
2006年05月~06年09月 人材派遣会社「フジワーク」からの派遣で茨城県つくば市の住宅建材を製作する工場に勤務。3カ月で理由も告げずに退社した。(実際は青森で8月31日に自殺未遂時に職場を無断放棄)。
2007年01月~07年09月 運送会社「八洲陸運」(青森市)入社。試用期間を経て、4月から正社員に。「一身上の都合」で、9月15日付で退社。(実際は携帯電話の掲示板サイトで知り合った全国の知人にあう旅を決行する為に退社)。
2007年11月~08年06月 人材派遣会社「日研総業」(東京都)からの派遣で、静岡県裾野市の関東自動車工業東富士工場で塗装検査工程で働き始める。2008年06月05日ツナギ紛失事件発生の為、職場放棄
2008年06月08日 秋葉原無差別殺傷事件発生。

職を転々とする・・腰が落ち着かない・・何をしても長続きしない・・石の上にも三年、昔から社会適応できないダメ男に対する言い方である。事件報道でよく耳にする犯罪者に対するステレオタイプの文言は、「住所不定、無職の某(なにがし)は職を転々とし・・」。

最近は、就職氷河期が続き、相次ぐ企業リストラで終身雇用が崩壊、非正規雇用者の割合も増え続けているので、「働く・勤労」と言った概念が一昔前とは大きく異なってきている。世の中は「平成」に入ってずっと不況なのである。と言うことは、既に成人して社会で勤労を始めた世代に好況知らずの人々が出始めたと言う事である。

「戦前戦中派」「戦争を知らない子どもたち」「高度成長期」「バブル経済世代」「就職氷河期」・・時は流れて「好況を知らない子どもたち」時代は変わるのだ。

加藤智大は1982年(昭和57年)生まれであるから、7歳の頃が日本経済の絶頂期。しかしながら、彼が成人した2002年(平成14年)、既に世界は不穏な21世紀に突入し、ちょうど就職氷河期(1993年から2005年)に社会人となってしまう不運に見舞われた。

加藤智大の場合、上記のマップをみていただくとわかるのだが、短大(岐阜県)を卒業した後に、職を変えると同時に生活する場所も大きく変えている。もちろん加藤智大自身も生き物としての帰巣本能があったから自殺の場所に青森を選択(2006年08月)したのであろうが、青森県の雇用情勢を反映してか、最初の就職先である東洋ワーク(宮城県仙台市:約1年半)と八洲陸運(青森県青森市:約1年)で正社員で勤務した期間除けば、殆ど派遣社員の立場で働いている。

では、加藤智大に職能がなかったから職を転々とせざるを得なかったのか?答えはNOである。

加藤智大にとって最初の職場となった東洋ワーク(宮城県仙台市)は主に東北地方を拠点とする人材派遣会社である。宮城県の方なら知っていて当然の企業らしい。加藤智大は短大卒で同社に入社。工事現場などにトラックや群衆の誘導員・警備員として派遣される仕事に従事した。

一言で「誘導員・警備員」と言うと世間ではステータスの低い仕事とみられるだろうが、誰でも簡単に出来る仕事だろうか?基本、屋外での仕事である。猛暑の日、東北地方の寒さの中、適切な判断力を駆使してトラックや群衆を安全に誘導しなければならない。忍耐力や自己健康管理能力ができないと務まらない。

加藤智大はそんな仕事を若干二十歳でこなし、半年後には準社員扱いで「内勤」に抜擢され、今度は現場で働く社員の仕事の割り振り、スケジューリングを任される様になる。会社も馬鹿ではないので、加藤智大の仕事ぶりを評価しての処遇だった筈である。順調に行けば、将来、管理職への展望も開ける・・加藤智大は期待の人材(ホープ)だったのである。

その後彼は、日研総業から派遣社員、日産ディーゼル 自動車部品のピッキング作業に従事する。フジワークから派遣、茨城県つくば市に住宅部品を製造する工場勤務、八洲陸運(青森県青森市)で試用期間を経て正社員登用。トラックを任され給食(牛乳)のトラックでの配送業務をこなす。日研総業から派遣で静岡県裾野市の関東自動車工業の自動車塗装検査工程に従事する。

彼の勤務態度は良好で無断欠勤など皆無。・・なのだが、

なぜか、何れの仕事を辞める時は「円満退社」ではない。それはなぜか?キーワードは「いつもの行動パターン」「抗議」「アピール」である。

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」より引用。

P.12

以下引用
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彼は、事件の直接の動機を<掲示板での成りすましや荒らしを行う人へのアピール>だという。「自分が自分に帰れる場所」「大切な居場所」と考えていた掲示板。そこに自分のニセ者が現れ、大切なネット上の人間関係を荒らしていく。彼らにそのような行為をやめるよう警告しても、聞き入れようとしない。掲示板の管理人も書き込み禁止の措置をとってくれない。それがどうしても許せなかったのだと言う。彼は、事件を起こすことで「本当にやめてほしかったことが伝わる」と思ったと言う。

加藤は、子供の頃からの「自分のものの考え方」を次のように表現する。

言いたいことや伝えたいことをうまく表現する事ができなかった。言葉でなく、行動で示して周りに分かってもらおうという考え方でした。

彼はこのような「自分のものの考え方」によって、職場や友人関係で不満がたまると、その内容を直接言葉で相手につたえるのではなく、不満を持っていることを相手に知らせるための「行動」を起こし、「アピール」することを繰り返してきたという。そして、今回の事件も、そのような自分の生来の行動パターンによって引き起こされたのだという。

さらに彼は、このような「アピールしてわからせる」というあり方を、「おそらく、小いころ、母親からの育てられ方が影響している」と述べ、母の虐待に近いしつけの厳しさに遠因があると語った。彼は、母の意に沿わないことを言ったり不満を述べたりすると、さらに厳しく叱られるため、次第に思っている事を口に出さず、行動でアピールして相手に理解させる性質が身に付いたのだという。
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以上引用

「9、なぜ加藤智大は突然きれるのか?」でも分析したが、結局のところ、母親の誤った養育方針によって、加藤智大は、他者に自分を理解してもらう方法として、「言語」によるコミュニケーションではなく、自分が抗議行動を起こす事によって自分の意を相手に推察してもらう方法をとるようになったと言う事である。

・・と言うか、幼少の頃から母親の意に沿わない言動を行うと虐待や折檻を受け、さらに、虐待される理由を自分で推測し改める事を教え込まれた加藤智大はそれ以外の方法は最初から選択する余地もなく、それが当たり前であり前提ルールとして無意識レベルで刷り込まれたのである。

だから、
警備員である自分に指示に従わないトラック運転手が現場にいる事をわからせたくて、現場から無断帰宅して東洋ワークをやめる。自分は仕事のやり方の改善を提案したのに「派遣のくせに黙ってろ」と言った現場の正社員に抗議する為に無断欠勤した。自分は遠距離の学校に牛乳を届ける為にはやく出発しているのに、配送先で遊んでいると影口をたたかれた事に抗議する為に、わざと最後に出発し、配達時間に間に合わせるために高速道路を自腹で利用し、その領収書を影口をたたいた奴のトラックに置いた。・・のである。

悲しいくらい不器用な加藤智大である。

そして全く同じ理屈の延長線上に「秋葉原無差別殺傷事件」が引き起こされるのである。

なぜ加藤智大は突然会社を辞めるのか?

解:加藤智大には幼少より母親に刷り込まれた行動パターンがあって、不平不満がたまると、ことば(言語)によってではなく、抗議行動(アピール)によって、それを相手に推測させる手段をとる為、それは=「会社を突辞(とつやめ)」=「飛ぶ」事に直結する。したがって、加藤智大は必然的に仕事が長続きしない事となってしまった。

わざわざ辞める事でもない会社に対する「不平不満」を「無断欠勤」などの「会社を辞める事に直結」する様な行動で訴える加藤智大の行動パターンは普通の人には理解されないだろう。しかし、幼少の頃から自分の主体としての言葉を奪われた人間が自分のプライドを守りながら自分の意を伝える方法として上記の手段を用いる様になる事は有り得ると私は思う。例えば「いじける」というのも、ある意味、もの事が自分の意にそぐわない時の抗議行動である。更に言うと私の実弟も引きこもりであるし。加藤智大の実弟も高校入学直後から成人するまでの五年間・・引きこもっていた。

加藤智大が健全なコミュニケーション能力を獲得できていれば「秋葉原無差別殺傷事件」は起きなかったのである。

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11、加藤智大のリアルとネットの友人たち

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」から引用

P.15
以下引用
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彼はネット上の知り合いを「本音で繋がることができる関係」と捉えていた。現実の友人では、どうしても透明な関係を結べない。しかし、ネット上で同じネタを共有できる仲間は、自己を真に承認してくれる相手に思えた。
現実は「建前」で、掲示板は「本音」。
そう語った加藤の言葉にこそ、この事件と現在社会を読み解く重要なカギがある。
彼はリアルな友人がいたにもかかわらず孤独だったのか。なぜ、ネット上の仲間にのみ「自己承認」を求めたのか。なぜ現実社会ではダメだったのか。そして、そんな加藤に対して一定の共感が集まるのか。
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以上引用

加藤智大は孤独だったと言う。

孤立は「社会的な死である」とまで言い切った。

そんな彼には本当に誰一人として心を開いて接する人がいなかったのか?

2冊の書籍の中には色々なエピソードが書き込まれている。

リアルとネットの友人たちを以下に取り上げる。

秋葉原無差別殺傷事件を読み解く上でVIP(very important person)な人々を紹介する。

<加藤智大の出身地:青森県青森市の友人たち>

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」の文中では仮名で登場する。

谷村:小学校6年生の時に転校し加藤の同級生となる。実家が近かった。中学・高校の同級生。加藤は自分の内面を語らない。加藤から一度殴られた事がある。札幌の大学へ進学。青森にて就職。青森での自殺未遂後、加藤の歓迎会に参加。それ以降、一緒にゲームセンターに通うなど親密な関係になる。加藤家に両親の離婚話が持ち上がりAPで暮らすようになった以降、加藤は頻繁に谷村をAPに誘った。谷村が入院した時には加藤は見舞いにいっている。

田中:中学校時代の仲間。短大卒業後、仙台で再び親密になる。その後、就職で東京へ。青森での自殺未遂後、加藤の歓迎会に参加。

村田:中学時代からの友人。青森での自殺未遂後、加藤の歓迎会に参加。歓迎会の後、加藤に説教をする。加藤智大が八洲陸運に就職する前に一緒に二泊三日の車の旅(各地のゲームセンターをめぐる旅)にでる。。

沢口:仙台の彼のアパートが友人達のたまり場になる。

岡本:青森での自殺未遂時、安否確認の電話をする。加藤の歓迎会に参加。

<仙台時代の同僚(半年先輩)>

img09.jpg大友秀逸(おおともしゅういつ):東洋ワーク時代の同僚。大友氏は加藤の半年先輩にあたる。車やアニメを通して親しくなる。レガシーの改造車を所有。加藤智大の最初の車:スバルインプレッサを10万円で購入してあげる。

大友氏は事件後、本名を公開し積極的に各メディアに登場し発言している。
事件から3年後、ニコニコ動画の企画「ニコ生スペシャル 秋葉原事件とはなんだったのか?」に出演している。http://live.nicovideo.jp/watch/lv38019483

参考:資料1、仙台時代の東洋ワークの同僚、大友秀逸氏

<青森(八洲陸運)時代の同僚>img12.jpg八洲陸運の同僚の女性:バレンタインデーに義理チョコをもらうと、お返しに通販で珍しい酒を購入。加藤智大は八洲陸運の花見の良い場所を確保する為に苦心し、諸先輩から褒められる。

藤川さん:八洲陸運で一緒のチームの先輩。居酒屋経営者。狂牛病問題で店の売上が激減した為、昼間のアルバイトとして八洲陸運での配送業務に従事する。安易に「将来、ゲームセンターの経営をしたい」等と発言する加藤を「お前、世の中をなめているだろ」と説教した。それ以降、加藤智大は藤川に私的な相談をするようになる。加藤智大がネットでの自分の姿を明かした唯一のリアルな世界の人物が藤川である。加藤智大の中で、建前の関係である会社の先輩という立場の藤川に対しては、本音であるネットの中の自分を晒すことができた。多分、加藤智大は藤川さんの中に、他のリアルな人々の中にない何かを見出したのだろう。

参考:資料2、居酒屋で泣いていた加藤智大

<青森時代の出会い系サイトで知り合った女性>

2007年07月末。青森でひとり暮らしを始めた加藤智大は「出会い系の交際サイト」で女性と知り合った(青森市在住)。

参考:資料3、出会い系で知り合った女性が語る加藤智大

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」から引用

P.111
以下引用
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8月1日。加藤は、彼女を「浅虫温泉花火大会」に誘った。二人は花火を見たり、屋台で食べ物を買ったりして楽しんだ。
翌2日。加藤は彼女を自宅のアパートに誘った、彼女は誘いに応じた。
それから、彼女は何度か彼の家に遊びに言った。部屋では一緒にテレビを見て過ごした。
加藤はこの女性のことを、地元の友人には一切話さなかった。日常的に一緒に遊んでいた谷村も、アパートに遊びに来る女性がいることは知らなかった。しかしこの頃、加藤がUFOキャッチャーで女性用のぬいぐるみを大量に取っているのを不思議に思ったという。一方、加藤はこの女性を藤川の居酒屋には連れて行った。藤川は「若くてかわいい子」という印象を持った。
加藤は彼女のかとを「ネットを使って仕事をしている人」と紹介した。藤川は「なんでお前がこんなキレイな子を連れてくるんだ」と冷やかした。
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以上引用

<携帯電話の掲示板サイトで知り合った人たち>

福岡県北九州市の男性が管理人を務める携帯サイトの掲示板「テキトウ」上で二人の女性と知り合う。加藤のハンドルネームはクロの子。他者からは「くろちゃん」と呼ばれた。

加藤智大はこの携帯サイトの掲示板で二人の女性と知り合う「群馬の女性」「兵庫の女性」である。

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」から引用

P.113
以下引用
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「群馬の女性」は、加藤よりも2歳上だった。彼女は23歳のときに付き合っていた男性との間に子供ができたために結婚したが、夫は子供が1歳のとき借金を作って失踪した。彼女は大きなショックを受け、精神的に不安定になった。
彼女は両親を関係が悪かった。そのため中学校を卒業後すぐ就職し、親に頼ることなく生きてきた。ようやく自分の家族ができたと思った矢先に、夫が突然姿を消し、生活は不安定になった。
彼女は両親に子供を預けることができず、生活費を工面してもらうこともできなかった。そのため生活保護を受給し、新しいアパートで幼い子供との二人暮らしをスタートさせた。
彼女は不眠症を抱えていた。どうしても眠れず、不安が大きくなったとき、彼女は携帯サイトの掲示板に書き込みを行った。掲示板では、相手が自分の事情や背景を知らないため、身近な人よりも深い話ができた。普段は趣味の話や日常会話程度のことを書き込んでいたが、どうしても辛いときには、自分の悩みや苦しみを書いた。
彼女はもともと「ダイサン」を使っており、そこで加藤と知り合った。彼女も加藤と同様に「ダイサン」を離れて「テキトウ」を使うようになり、2007年8月以降、掲示板でやり取りをすることが多くなった。
加藤は、相変わらず自虐的なことやカップルへの妬みを書き込んでいた。管理人の男性によると、彼は「容姿をネタにして笑いをとっていた」という。しかし、彼のキャラは普通の人にはなかなか理解されなかった。彼は「キュウカイ」や「テキトウ」でも厳しい言葉で攻撃され、ひはんをされることがあった。
そんなとき彼をフォローしてくれたのが「兵庫の女性」だった。彼女は当時18歳。しかし、掲示板では19歳だと語っていた。
加藤が本格的に「テキトウ」で書き込みを行ったのは、8月に入ってからのことだった。そして、次第にこの掲示板が彼の居場所となり、重要なネット上のコミニティとなっていった。
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以上引用

加藤智大の著書「」を読んでも、交友関係の詳しい話はでてこない。この辺は、各新聞記者の取材記事や、中島さんの本の記述から推測するしかない。

で、青森の友人たちの話が色々でてくる。もちろん加藤智大は、小学校、中学校、高校と青森県青森市で過ごしたのだから、地元の旧友達は存在していて、事ある毎に、一緒の空間でテレビゲームをしたり、漫画を読んだり、ゲームセンターにいったり、居酒屋に飲みにいったりしてる。あれほどネットの掲示板に「友人がいない」と書き込んでいたのにもかかわらず・・である。

img10.jpg2006年08月30日。死に場所を地元青森のバイパスと決め、対向のトラックと正面衝突を試みるも失敗に終わった時も、青森の友人達には自殺予告のメールを送信している。これは、加藤智大が地元の友人達とのつながりを重視していたからに他ならない。

しかし、青森の友人達からみても、加藤は本音を吐露せず、突然キレる加藤の地雷のスイッチがどこにあるのか最後までわからなかったと言う。

実を言うと私も友人は多い方だったのだが、その友人と呼べる人達に対して自分の内面をどれだけ晒せたかと言うと、長きに渡ってペルソナ(仮面)を付けていた。自分の「本心を」隠して常に「建前」で接していたのである。

前述したが、私の生まれ育った環境は父方の祖母主導の家庭であった為に、私は自分で自分を生きられず、常に宗教団体の組織活動を中心とした家庭環境の中で、個人と言うより、宗教組織の一員の立場で育った。家族からは常に宗教的言葉で物事を指導される(指導と言うのも家庭内で使用される文言としては適切ではないかもしれない)。「毎日毎日朝夕仏壇の前に正座して長時間お経を唱えたくない」と思いながらも、反抗すれば「家を追い出す」と脅迫される。仕方なく宗教中心の家のあり方に追従せざるを得ない。そんな自分は認めたくないのだが、それが、あの実家に生まれた者の宿命として受け入れて生活していた。

が、しかしである。本来の自分でない自分を、学校の同級生に語れるだろうか?私は物心ついた時期から、自分の意に沿わない家庭環境である実家の事は友人と呼べる人にも話さなかった。自分が本当の自分と思える自分と、現実の自分が異なっていたからだ。精神分析的に説明すると、「本来の主体を持った自分でない自分」を生きなければならなかった自分がそこにいるのである。「こうありたい」と思う自分と、「それと異なるリアルな自分」が存在していた。毎日毎日二人の自分の帳尻を合わせるのに精神的に疲れていた。その思いは思春期を迎える頃、体の異常として表層に現れたのであった。

多分、加藤智大も幼少からの母親の教育によって、主体を徹底的に潰され、操り人形の様に育ってきたので、本来の自分の姿でない、母親からみて良い子の加藤智大を演じ続けてきた筈だ。そんな演技を続けてきた自分の本音を、リアルな世界の友人達に話せるだろうか?リアルな世界の友人関係が崩れれば、かりそめの自分の居場所さえもなくなるのだ。崩れた友人関係は修復できるのか?子どもの自分にはそれは恐怖でしかなかった。

・・・話して、そんな「素の自分」「本音の自分」を全面的に受け入れてもらえるだろうか?実母にさえしてもらえなかった事を他人に求められるだろうか?そんな事はできない。もし受け入れてもらえなかったらどうする。母もNG。母以外もNG。どこにも自分の居場所はなくなるのだ。その恐怖は、幼少からこう言うめにあってきた者にしかわからないだろう。私は中学校1年生の時に学内でいじめられ転校した経験がある。家庭内でも癒されず、学内ではいじめられ、すごく辛かったのを記憶している。あの時の他者への復讐心が何かしら今の自分の原動力になっている様な気がする。幸いにして私の場合は秋葉原無差別殺傷事件を起こすような心の構造ではなかったようだ。(現在、教育分析を受けているので私自身の精神構造も徐々に解き明かされるだろう。)

・・・だから、加藤智大と私は、自分の本心、本音をひた隠しにしてひたすら自分を親が求める理想像に合わせて生活してきたのだ。

そんな加藤智大がみつけた「本音の自分」が心地よくいれる場所を発見した。ここなら自分にあれこれ指示命令する母親はいない。「本音の自分」を受入れて相手をしてくれる(承認)場所。・・それが携帯サイトの掲示板である。こうして加藤智大は本音の自分を承認してくれる大切な場所を獲得したのである。そして更に、その場所を人としての人生(命)をかけて守ろうとしたのである。

加藤智大が使用していた携帯電話は「auのW42SA(鳥取三洋電機製)発売日:2006年10月6日」で写真を見る限り、二つ折の所謂「パカパカ」色はピンク。当時auはダブル定額キャンペーンを展開中で、いくら携帯サイトを閲覧してもパケット代がある一定以上にならなかったのも携帯サイト利用者が増えた原因。現在はスマフォへの移行が加速中。世の中の変化が激しい。ちなみに「ダブル定額」は2004年8月1日より開始。2005年5月1日より「ダブル定額ライト」がスタート。従って、加藤智大はauのダブル定額ライトに加入し、W42SAの四角い液晶画面に自分の思いを叩きつけていた事になる。青森のバイパスでの自殺未遂が2006年08月30日であるから、未遂から1ヶ月経って落ち着きを取り戻し、新機種のauのW42SAを購入。新しく購入した携帯電話で再度、携帯サイトの「突極交流掲示板(改)」「適当でいいんじゃね」にハマったのだろうと推測できる。

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12、加藤智大の「愛と青春の旅立ち」

携帯サイトの掲示板でできた友人は「群馬の女性」「兵庫の女性」「福岡県北九州市の携帯サイトの管理人」の三人である。加藤智大にしてみれば、建前でしか付き合えないリアルな友人ではなく、本音の自分を認め受け入れてくれるネットの大切な友人達である。

加藤は、管理人に会いにいく旅を企画した。青森からリアルな青森時代の友人が住む宮城県仙台市を経由し、群馬、兵庫、福岡県北九州市まで日本の本州を縦断する長旅である。Google地図でルート図を作ってみた。


大きな地図で見る

簡単に本州縦断と言うがGoogle地図によると、518 km - 約6 時間59 分の行程だそうだ。現実には走りっぱなしというわけにはいかないし、行ったら戻ってこなくてはならない。普通に考えてゆうに1,000 kmを超える旅になる。仮に訪問地で宿泊して丸1日滞在する事を考えると、片道一週間でも短いくらいで、加藤智大が会社:八洲陸運に対して「二週間の休み」を申請したのも理解できる。しかし、当たり前だが、社員が「二週間遊びに行く」ためにすんなり仕事を休ませる会社がある筈もなく、結局、加藤智大はせっかく手にした正社員の立場を捨て、北九州市の「携帯サイトの管理人に会いにいく旅」を決行するのであった。文字通り職をなげうってでの一大決心の上の旅である。

加藤智大は2007年09月15日付けで会社を退職しているので、それ以降に「人生の一大イベント」としてこの旅にかけたのである。記録では青森(A)を出発し仙台(B)を経由して群馬(C)についたのが9月17日の夕方。兵庫(D)に着いたのが20日。21日福岡県北九州市(E)着。23日北九州発。25日群馬着。26日青森着。行程を追ってみるとかなりのハイペースで高速道路を多用しての移動だった事が伺える。出発したのが16日だとすると丸10日の自動車旅行だった。

<見知らぬ友人達に会いにいく旅>

自分を支配する親や、ローカルな環境から離れ、自分が本音を話せる遠地の友人達にあいにいく旅とはどんな旅であろうか?

実は私も加藤智大と同じような旅をした経験がある。加藤智大の自動車旅行は彼が25歳の誕生日を迎える直前の旅行であったのだが、私の場合は大学在学中の卒業旅行という位置づけだった。ちなみに私が会いにいったのは、当時人気の深夜番組、OBCラジオ大阪の「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」と言うラジオ番組で知り合った全国のぬかるみリスナー(通称ぬかる民)であった。250ccのオートバイで福岡を出発し、広島、芦屋、神戸、大阪、京都、舞鶴からフェリーに乗って小樽、十勝・・と北海道一周をして無事、福岡へ戻った。約3週間の旅。親元を3週間も離れる事自体初めての体験だったので、自分としては「大冒険」に近い感覚だった。親に支配された環境から離脱し、本当の自分を受け入れてくれる人々に会いに出かける。当時は携帯電話もなく、先様とどのようなやり取りをして会ったかも忘れてしまった。だが、自分が自分である為、親の傘下にいない自分、その自分が今この瞬間足を踏ん張っている・・・そんな自分を確認しながら旅をした記憶がある。青森から北九州への旅は加藤智大にとって本当の自分を見つけにいく旅であった筈だ。

スタンド・バイ・ミー(そばにいて、私が正しいということを信じて、私を支持して、私を応援してという意味。1986年公開のアメリカ映画)では、心に傷をおった4人の少年の小旅行(ひと夏の冒険)を描いている。

人の成長段階で、自分が望む旅を自分自身の主体の発露として決行するのは大事なプロセスだと思う。

「加藤智大と自分は一緒だ」「加藤智大にシンパシー(共感)を感じる」、秋葉原無差別殺傷事件と言う凶悪犯罪を起こした加害者・・刑事被告人の加藤智大にある一定のシンパシーが集まる。

それは、幼少の時から、主体性を奪われ親の操り人形となって、自分を殺して生活し、思春期を迎え、本当の自分とは誰だ?と自分探しの旅に出る。自分を自分と承認してくれる他者を求め遠路はるばる旅に出る。・・・そう言う経験をする、そう言う衝動にかられる人々が一定数存在するのと一致する。

人の心(精神)はそう言う発達段階を辿(たどる)るようになっているのである。

詳しくは精神分析学の精神発達論「自我の発達」を学ぶ事をお勧めします。

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13、加藤智大に迫り来る「孤立」の恐怖

加藤智大の「愛と青春の旅立ち」が終わった時点で、2007年09月28日。加藤智大は25歳になった。秋葉原無差別殺傷事件が起こる2008年06月08日まで、既に1年をきっている。

この旅で加藤智大は何を得たのだろうか?「群馬の女性」は彼を自宅に泊め、彼の吐露を受け入れた。「兵庫の女性」に好意を告白するもふられてしまう。「北九州の掲示板の管理人」は加藤智大をあたたかく迎え、朝まで飲み明かし、一緒に観光を楽しんでいる。

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」から引用
P.119
以下引用
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翌21日、加藤は北九州に到着し、管理人の男性と会った。加藤はこの男性にも大量の土産を渡した。
その夜、二人は朝まで飲んだ。「群馬の女性」や「兵庫の女性」の話も話題に出た。ダーツバーにも行った。翌日、管理人は加藤を観光に連れて行った。二人は門司のタワー(門司港レトロ展望室)に上がり、景色を楽しんだ。
img08.jpgその夜もまた、二人で飲んだ。
加藤は、子供の頃から母が厳しかったことを話し、「居場所がない」とつぶやいた。居酒屋を出た後も、ラーメン屋の隣の空き地で話し込んだ。
加藤は「友達がいない」と言った。管理人は「オレたち友達だろう」と慰めた。加藤の目から涙がこぼれ落ちた。加藤は「ありがとう」と言い、涙をぬぐった。
翌23日、加藤は北九州を出発した。そして、再び「群馬の女性」の家を目指した。
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以上引用

本音の自分を受け入れてくれるネット上の友人たちは、リアルな自分を受入れてくれたものの、加藤智大の乾いた心は満たされない。

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」から引用
P.120
以下引用
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26日、加藤は青森に帰って行った。
2日後の28日は、彼の誕生日だった。約2週間ぶり青森に戻った彼は、誕生日に自殺することを考えた。「兵庫の女性」にはフラれ、正社員になった仕事も辞めてしまった。家族もバラバラ。自分にはもう居場所がない。
そう考えた加藤は、今度こそ死のうと思った。
そんなとき、彼の携帯電話が鳴った。「兵庫の女性」からのメールだった。そこには「20歳になったら遊びにいくよ」と書いてあった。
加藤は、この女性の年齢を19歳と思い込んでいた。誕生日も知っていた。
「あと半年したら、会いにきてくれる」
彼は嬉しかった。小さな希望が生まれた。「そこまでは死ねない」と思った。彼は自殺をいったん保留することにして、新たな仕事を探した。
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以上引用

立て続けに希望は打ち砕かれていく。

ところが、後日、彼の希望は立て続けに打ち砕かれる。

加藤智大が19歳だと思いこんでいた「兵庫の女性」は実は18歳だったのだ。というと会いに来てくれるのは半年後ではなく、一年半後である。そんなに待てない!加藤智大は絶望する。

この時点で加藤智大の中に明確な自殺願望が生まれる。「死にたい」死が優先。死ぬ他に何か微かな希望があれば、その希望を頼りに生きていく。その希望が失せたら選択するのは「死」・・彼の行動は「死」が優先される事となる。

絶望した加藤智大は、一縷の望みを「群馬の女性」に求める。10月27日、再々度、群馬へ向かう。青森から群馬である。加藤智大が求めに求めている。それは何か?・・・「母」それ以外にはない。自分をあたたかく迎え、癒し、常に受け入れてくれる。100%無条件に愛し続けてくれる母。加藤智大は自分だけの母を求めて三千里の旅に出たのだ。精神分析学視点でみると加藤智大は明らかに母を求めている。

しかし、10月28日「群馬の女性」に性的な行為を試みて気まずくなった。

本音の自分の受け入れ先であった筈の「兵庫の女性」も「群馬の女性」もNGだった。失意の加藤は東京へ向かった。今度は群馬→東京。もう、無職で住所不定。明らかに精神的にも不安定な状況。加藤智大はJR秋葉原駅で飛び込み自殺を試みている。しかし別の人身事故で中央線が止まっていて、自殺を思いとどまっている。

これ以降、加藤智大は上野の駐車場に車を駐車したまま半月もの間、車上生活を送った。傷心の加藤智大はさらに追い討ちを受ける。「群馬の女性」に彼氏がいる事が判明したのだ。母に彼氏がいてはいけない。これ以降、加藤智大は「群馬の女性」との連絡を絶った。一縷の希望を託して青森から訪ねていった群馬の女性に彼がいたのだ。

「もう何もない」加藤智大。彼の心中は察して余りある。・・それでも彼は心の底で微かな希望を待ち望んでいた。

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」から引用
P.128
以下引用
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img11.jpgさて、彼は、約半月もの間、駐車場に停めた車の中で過ごした。すると不審に思った駐車場の管理人が警察官を呼び、職務質問がはじまった。
「何をしているのか」と問いかける警察官に対して、加藤は「自殺を考えている」と打ち明けた。すると警察官は、自殺を止めるよう説得した。
警察官は、加藤の車が青森ナンバーであることに反応した。この警察官は生まれが北海道で「同じ北国の出身だ」という話になった。
このときの警察官の調書が残されており、裁判の中で紹介された。調書によると、この警察官は加藤に対して、次のようなアドバイスを送ったという。

生きていれば辛いこともあるが、楽しいことは必ずある。君はがんばりすぎだから、肩の力を抜いたほうがいい(2010年07月29日、東京地方裁判所公判。)

加藤は泣いた。
駐車場の管理人は、とりあえず料金を払ってほしいと話した。駐車料金は「¥33,500」にもなっていた。彼は手元に現金がないため、借用書を書いた。管理人は「年末までに返してくれればいいから」と言った。
加藤は、自分を信頼してくれたことに心を動かされた。そして、「なんとしても応えないと」と思った。
彼は、これを契機に立ち直った。管理人に駐車料金を払うことが、彼の当面の目標になった。
彼は、その日のうちに秋葉原にある派遣会社・日研総業に生き、派遣の登録を行った。
生きよう、と思った。
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以上引用

青森から群馬、群馬から東京上野。並外れた行動力があるのにも関わらず、ちょっとした事で、「死のう」と思ったり、「生きよう」と思ったり、加藤智大の「自我」があまりにも脆弱な様子が伝わってきます。

普通の人からすると「なんとフラフラした男か」と思われるだろう。しかしながら、この時点で加藤智大には「人生の目標」や「掴む夢」「望む夢」もなく、あたたかく彼に寄り添う「心」もなく、そもそも幼少の頃からすでに「自分という主体」を母によって剥奪された彼には「生きる意味」そのものも失っていた。だから加藤智大は「たかが¥33,500」の駐車料金の支払いに生きる意味を見いだす事になる。

加藤智大は青森県下でもトップの青森県立青森高校を卒業したエリート街道を歩みかけた優秀な生徒だった筈なのに・・・。彼の中で彼はずっと「孤独」だった。

昨今「自分が何をしたいのかわからない」「自分さがしの旅」などと言った主体喪失状態を表すキーワードをよく見聞きする。この平穏な日本を言う国の中で、物質的には満たされた世の中で、主体喪失を嘆き浮遊する人がなんと多い事だろう。

今、このサイトをみているあなたに問う。あなたには「本当の自分」がいますか?あなたの「生きる意味」は何ですか?

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14、加藤智大のリアルとネットの逆転(倒錯)

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」から引用
中島氏が面白い分析をしている。

P.146
以下引用
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連日、加藤はネガティブな書き込みを繰り返した。自分がうまくいかない理由を、すべて「不細工だから」という理由に還元し、恨みつらみを書き連ねた。もはや「ネタ」と「ベタ」の区別がつかなくなっていた。
彼は「ベタ」な現実を「ネタ」化したが、一方で、その「ネタ」が「ベタ」な現実に跳ね返ってきた。現実のデフォルメを繰り返していると、虚実の境目が曖昧になっていった。すべてフィクションの「ネタ」であれば、「ネタ」の強度だけで楽しめただろう。現実と掲示板の書き込みを切り離し、ゲームのように楽しむことができただろう。しかし、彼は現実の延長上で「ネタ」を大量生産した。「ネタ」と「ベタ」は、どこまでも土続きだった。
また彼は「ネタ」で繋がった人間との「ベタ」な付き合いを重視した。彼にとって「ネタ」への評価は「ベタ」な自分への承認だった。
だから、「ネタ」へのレスがないと「ベタ」な寂しさが加速した。彼は書き込みへの反応がないときは、他者からのレスを引き出すため、書き込みに力を入れる。ウケなければ寂寥(せきりょう)感を埋めるために、さらに書き込みに力を入れる。
加藤は、出口なきループに突入した。彼は掲示板への依存度をますます深め、恒常的な「満たされなさ」と不遇感を肥大させていった。「ベタのネタ化」は「ネタのベタ化」を生み出し。現実の自分を苦しめていった。
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以上引用

本音が語れる場所=携帯サイトの掲示板。それは自分の主体が存在する場所であった。・・ところが、ネット上の自分は日常の自分をデフォルメした自分であった為に、デフォルメ化した自分を受入れてもらえないと、寂しがこみ上げてくる。「俺の存在を承認しろ」と加藤は更に書き込みを繰り返す。

今や、「ネタ」を繰り出す「ベタ」な自分への承認こそ、彼の生を支える重要な要素であった。つまり、加藤智ア大にとっては「ネット上の自分命」なのだ。

もともと現実社会での主体(自分が自分である事)が希薄な加藤智大がみつけた自分が自分でいられる場所:携帯サイトの掲示板・・自分がスレッドを立て、不細工ネタを書き込む。閲覧者がスレッドを訪問し、加藤智大の不細工ネタに反応しレスを書き込む。

自分が自分でいられる場所で、他者が自分を承認してくれた。

加藤智大は初めて「生きがい」と言えるものを携帯サイト上に見出したに違いない。彼の無意識(コンプレックス:複合観念体)は自分を無条件に承認してくれる「母」を求め続けていた。

携帯サイト上に残された加藤智大の書き込みの「彼女」の部分を「母」に読み替えてみるとよい。

彼女「母」さえいればこんなに惨めに生きてなくていいのに

彼女「母」がいることが全てなのか? それが全てですが何か お前らには当たり前のように彼女「母」がいるからわからないだろうね 女「母」がいれば仕事を辞める必要が無かったし 彼女「母」がいれば車を売る必要も無かったし 彼女「母」がいれば車のローンもちゃんと払ってるし 彼女「母」がいれば夜逃げする必要も無かったし 彼女「母」がいない、ただこの一点で人生崩壊 どんどんダメになってきた。

加藤智大は、こんなにも狂おしく「母」を求めている。男は基本マザコンと言うが、男にとって母の存在とは絶対的な存在の「神」に近いものではないのだろうか?

ネットで検索すると「男神(おがみ)」と言う言葉は存在するが、その存在感は女神(めがみ)の足元にも及ばない。

ウィキペディアより引用
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女神(めがみ)
美しい若い女性や、ふくよかな体格の母を思わせる姿のものが多い。中にはモイライの様な年老いた女神や、カーリーの様な恐ろしい姿の者もいる。大地や美や性愛を司る神は、各地においてたいてい女神である。それらは往々にして母性と結びつけられ、まとめて地母神と呼ばれる。

山の神(やまのかみ)
実際の神の名称は地域により異なるが、その総称は「山の神」「山神」でほぼ共通している。その性格や祀り方は、山に住む山民と、麓に住む農民とで異なる。どちらの場合も、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを謙遜して「山の神」という表現が生まれた。このような話の原像は『古事記』、『日本書紀』のイザナミノミコトとも一致する。
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以上引用

加藤智大の本州縦断の旅は実はリアルな母を「群馬の女性」「兵庫の女性」の中に求めた「母を訪ねて三千里」であったのである。

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15、加藤智大自身が考える事件の防止策

P.150
以下引用
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自分が防止しなければならないと思っているのは「むしゃくしゃして誰でもいいから人を殺したくなった無差別殺傷事件」ではなく、一線を超えた手段で相手に痛みを与え、その痛みで相手の間違った考え方を改させようとする事件です。
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以上引用

世間が期待しているのは前者の無差別殺傷事件であるから、「」に書かれている事が秋葉原無差別殺傷事件に興味を持っている人の期待にそぐわないものになっている。

更に後者については「躾と称し子どもを虐待する親の行い」と同意である。

防止策は簡単である。言葉で説明し相手に納得させればよい。ただこれだけである。
やはり加藤智大は自分が「主体」と「言葉」を失った人間だという事を理解できていない。

ここに加藤智大、彼の最大の不幸がある。

話しの大前提が彼の中の「無差別殺傷事件でない事件」を土台にしているので、甚だチープなものになっているのでつまらないが加藤智大が述べる事件の防止策を以下に列記する。

1、事件を思いとどまる理由を作る。
「まぁいいや、それより○○しよう」と思える「○○」を多く集めておく。
2、怒りがおさまるまでの時間稼ぎをする。
「居酒屋で酒を飲む」「バッティングセンターで汗を流す」
3、自分の逃げ場となる社会的接点を多くもつ。
・・・まったくの期待はずれである。

加藤智大がしなければならないのは、母に奪われた「(主体の伴った)言葉」を取り戻す事である。

他者と円滑なコミュニケーション能力があれば、彼の人生は絶対こうはなってなかった筈だ。

「痛み(暴力)で相手の間違った考え方を改させる」事をせず、相手の心に届く言葉を発すればよかったのだ。

突然きれて級友や同僚に暴力をふるう事もなかった。職場環境が自分の意に反する状況になったとしても粘り強く交渉すればよかった。もし退職するにしても円満退社ができた筈だ。少なくとも無断退職の汚名はきせされずにすんだ。建前の社会に身を置かなければならなかったにせよ、もっと主体のある自分を自分の言葉(本音)で語って他者との関係を結べた筈だ。

精神分析的視点で加藤智大の養育史をふりかえると、残念ながら鬼母の誤った養育法(オールNG子育て法)によって、主体と言葉を欠損し、良い母を内在化できなかった為に、思春期以降、自己同一性も得られなかった。加藤智大自身もこの件は感じているようでその著書の中でも「自分がない私」という表現が何回も出てくる。

加藤智大の人間関係の中で、ただ一人ネット上の自分(本音の自分)を晒した人がいる。青森の八洲陸運で一緒のチームの先輩で居酒屋経営をしながら昼間のアルバイトでトラックの配送業務をしていた藤川さん(仮名)だ。加藤智大の不幸は藤川さんの様にリアルな世界で彼を承認してくれる人(理解者と言い替えてもよい)を数多く獲得できなかった事だ。ネットの住人の人々に会いに行く旅を決行する為、八洲陸運を退職した後、藤川さんとの関係も終わってしまった。

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16、加藤智大の事件を止められた可能性

精神分析的視点からみても、秋葉原無差別殺傷事件は多くの示唆に富んでいる出来事であり、加藤智大にシンパシー共感する私は、日々報道されるネットの記事にも注目してしまう。

以下引用
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加藤被告側が上告=秋葉原無差別殺傷

時事通信 9月25日(火)16時26分配信

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人などの罪に問われ、一、二審で死刑判決を受けた元派遣社員加藤智大被告(29)の弁護側は25日、判決を不服として最高裁に上告した。

12日の二審東京高裁判決は、加藤被告の精神障害は認められないと判断し、責任能力を争った弁護側控訴を棄却した。加藤被告は控訴審に一度も出廷しなかった。
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以上引用

控訴審に一度も出廷ていしなかった被告ですが、最高裁へ上告を行った模様。一二審ともに「死刑判決」に不服があるとして上告になったのでしょうが、この上告にどのような意味があるのか今後も注視したいと思います。

さて、このページのテーマ「事件を止められた可能性」を語ってみたいと思いいます。我が精神分析の師匠:惟能 創理(いのうそうり) が語気を強めって言った件があるので以下に記載したいと思います。

以下、加藤智大「」より引用P.40
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img15.jpg予定通り東京に着くと、私は車を駐車場に捨てました。ところがいつもと違って、自殺の日時が思い浮かんできませんでした。ですから、秋葉原でホームレスをしながら、掲示板に期待したり、出会い系を試してみたりと、社会との接点を探し続けてもいたのですが、得られはしませんでした。私は2006年夏に自殺騒動で迷惑をかけた「前科一犯」ですから、昔からの友人を頼ることはできませんでしたし、車のローンを踏み倒したうえに夜逃げ状態ですから、迷惑がかかることを考えると、昔からの友人にも運送会社(八洲陸運)での先輩(藤川さん)にも連絡はできませんでした。
そうして、自殺を決行するにも思いとどまるにも決め手を欠いていたところ、所持金が尽きそうになったことをきっかけに自殺へと動き始めました。最後に残った金で切符を買い、私は中央線のホームに上がりましたが、そこに、ちょうど人身事故で中央線が止まったとアナウンスが入りました。来ない電車には飛び込めません。私はどうすればいいのかわからなくなり、ぼんやりと、駐車場の車で寝ていればそのまま死ぬかも、などと考えていました。
どれくらいの時間が過ぎたのかはわかりません。気づくと、駐車場の管理人が警察官を連れてきていて、その警察官に、何をしているのかと問われました。久しぶりの人との会話に涙があふれました。ごまかすこともできずに、自殺しようとしていると、そのまま答えたところ、「生きていればいいこともある」と言われ、私の心は凍りつきました。それは、「(俺は何もしてやらないけど)生きていればいいこともある(だろうから、ひとりで勝手に頑張れ)」ということだからです。
絶望していると、駐車場の管理人から、とりあえず駐車場から車を出すように言われました。金が無い、と答えると、料金は年末まででいいから、とも言われました。その瞬間、私は生きなくてはいけなくなりました。年末までに駐車料金を返済するという約束を果たさなくてはいけないからです。金銭の問題ではなく、私を信用してくれたその駐車場の管理人とのためと、頭が働いたものです。私としても、その約束がある限り、孤独になっても絶対に孤立はしません。自殺のことなど、一瞬で消えて無くなりました。
2007年11月中旬のことでした。年末までは余裕がありません。そのまま駐車場を出してもらった私は、急いで仕事を探し始めました。
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以上引用

青森での正社員の職とアパートでの一人暮らしと言った生活環境の総てを捨てて「日本本土縦断のネットの友人を訪ねる旅」を決行したものの、心の孤独を埋める事はできず、失意の加藤智大は死に場所を求め東京上野の駐車場に車(父所有のワゴンR)をとめ、飛び込み自殺を試みるものの思いとどまり、車上生活者となります。その間の駐車料は¥33500で約半月間も車上生活を送る事となります。この間に自暴自棄になり何かしらの事件を起こしても不思議ではなかったのですが、加藤智大を不審者とみなした駐車場の管理人が所轄の警察官に相談する事によって、浮遊する加藤智大は「未納の駐車料金の支払いの為」と言う理由で派遣会社(日研総業)に登録し、加藤智大の最後の職場になった静岡県裾野市の関東自動車工業東富士工場に向かう事になりました。

ここで、師匠:惟能創理が語気を強めて私に語った言葉を紹介しよう。

自殺願望を持った人や、自殺意図者に対して「あまっちょろいヒューマニズム」を翳(かざ)して「生きていればなんとかなる」等と、その場しのぎのいい人ぶった無責任な発言を絶対にしてはならない。・・・

そう惟能先生は仰った。確かにそうなのである、もし、この時に所轄の警官が事を「無銭駐車事件」として立件し、加藤智大の青森の実家へ連絡し身柄の引き取りを依頼していれば、加藤智大は更なる漂流をする事もなく青森に戻った筈である。いくら子供に対して無関心を決め込んでいる加藤智大の両親と言っても、実の息子が青森から東京まで出て行って、他人様に迷惑をかけ、警察のお世話になっている事態を認識すれば、我が子の追い詰められた状況を認識し、自宅で静養させ、地元の精神科に通わせた可能性もなくはない。
青森から東京に車を運転して上京し、上野の駐車場で半月も車上生活を続け、所持金も持たない、自殺意図者に対して「生きていればなんとかなる」と無責任な指導をし、駐車料金の支払いに関しては、加藤智大に借用書を書かせる事によって犯罪として立件しなかった。悪く言えば丸め込んでもみ消した。これが、2007年11月中旬の事で、2008年06月の秋葉原無差別殺傷事件の半年前の事である。事件の被害者の遺族にしてみれば、この警察官がしかるべき処置をしていれば秋葉原無差別殺傷事件は起きなかったかもしれないと悔やまれるだろう。

人が溢れかえっている大都会東京。その人口は一千万都民。関東近県から流れ込む労働人口を考えれば、その数はとんでもない数になる。所轄の一警官は毎日毎日天手古舞いで、無銭飲食だの、無銭駐車を一件一件立件するなどとてもとても手が回らないと言うのが本当の事で、彼らに「いかりや長介」さんが演じた踊る大捜査線の「和久平八郎」のような警察官や刑事象を求めるのは酷と言うものだろう。

こうして自殺意図者の加藤智大は、隠れた犯罪意図者のまま、日研総業によって、派遣切りが待つ「関東自動車工業東富士工場」(静岡県裾野市)へ送り込まれ、数日後には働き始めている。加藤智大の身元保証人には誰がなったのか?青森の加藤智大の両親は、秋葉原無差別殺傷事件が起こるまで、実の息子が静岡に住み、派遣社員として「関東自動車工業東富士工場」で働いている事など全く知らなかったのである。

事実、加藤智大は上記の引用の中で、所轄の警察官の対応を・・「生きていればいいこともある」と言われ、私の心は凍りつきました。それは、「(俺は何もしてやらないけど)生きていればいいこともある(だろうから、ひとりで勝手に頑張れ)」ということだからです。・・と絶望したと書いている。

中島岳志の著書「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」の中のP.127の「上野の駐車場」の頁では警察官のアドバイスによって、加藤は泣いた。・・とだけしか書いていないし、別頁では、

以下引用
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例えば、上野の駐車場で職務質問した警官と駐車場の管理人。同じ北国出身をいう話題から、「生きていれば辛いこともあるが、楽しいことは必ずある。君はがんばりすぎだから、肩の力を抜いたほうがいい」と語った警官に、涙を流した。
駐車料金を「年末までに返してくれればいいから」と言って暖かく見送ってくれた管理人に対して、彼は手土産を持って事務所に現れ、料金を返した。車のローンは放置したのに。
-----------------------------------------
以上引用

加藤智大の著書の記述をそのまま読むと、泣いたのは「久しぶりの人との会話に涙があふれました。」・・つまり、東京の雑踏と人ごみの中に埋もれ誰とも会話してなかった加藤智大が久しぶりに人間と会話できた事自体に涙があふれたのであり、その後の「生きていればいいこともある」と言う警察官の無責任なアドバイスには絶望した。

それが本当の処であり、加藤智大は駐車場の管理人に対して借用した半月分の駐車代¥33500の返済の為に静岡県に流れたのである。いつもの様に、車がなくても働ける職場、会社が寮(住む場所)を確保してくれる職場、青森の借金取立て人に居場所がバレない職場を条件として働く場所を探した筈だ。それが、静岡県裾野市の「関東自動車工業東富士工場」であった。

歴史に「たら」「れば」は無いと言うが、秋葉原無差別殺傷事件を防ぐチャンスはあともう一度あった。2006年08月30日に青森での車を使った自殺に失敗した加藤智大は、三年半ぶりに実家に戻ったのだが、

中島岳志の著書「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」のP.86には以下の様に書かれている。
以下引用
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加藤は母に対して「一度精神科の病院に行ってみたい」と相談した。しかし、母は「意味がないのでは」と返し、結局、医者にかかることはなかった。彼はしばらくの間、何も考えられない状態になり、無気力な毎日を過ごした。
-----------------------------------------
以上引用

ここでも、母が加藤智大の主体を潰している。この時に加藤智大が精神科にかかるなり、セラピーやカウンセリングを受けて、心の構造をみれる人から適切な助言を受けて、彼の心に寄り添うことができれば、加藤智大が少しでも自分(主体)を取り戻し、八洲陸運の藤川さんの様な立場の人たちとより多くのリアルな関係を結べていたら、ひょっとしたら秋葉原無差別殺傷事件は起こっていなかったかもしれません。

既刊の月刊精神分析の2010年09月号 マイケル・J・フォックス と セラピーでは、30歳の若さで難病:若年性パーキンソン病を発病し自暴自棄になりアルコール中毒状態になったマイケルに対して、妻のトレイシー・ポランさんがセラピーを勧めた事を解説しました。マンハッタンのウェスト・サイドで開業しているユング派のセラピスト:ジョイスの助けによって、見事にマイケルは立ち直り、その後、マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団設立するに至るわけです。

日本とアメリカではセラピーや精神分析に関する土壌が違いすぎますので一概には言えませんが、少なくとも2度、加藤智大が秋葉原無差別殺傷事件を回避するチャンスがあった事を記しておきます。

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17、加藤智大とBUMP OF CHICKEN 『ギルド』

BUMP OF CHICKENの「ギルド」

人間という仕事を与えられて どれくらいだ
相応(ふさわ)しいだけの給料 貰った気は少しもしない
いつの間にかの思い違い 「仕事ではない」 解っていた
それもどうやら手遅れ 仕事でしかなくなっていた
悲しいんじゃなくて 疲れただけ
休みをください 誰に言うつもりだろう
奪われたのは何だ 奪い取ったのは何だ
繰り返して 少しずつ 忘れたんだろうか
汚れちゃったのはどっちだ 世界か自分の方か
いずれにせよ その瞳は 開けるべきなんだよ
それが全て 気が狂う程 まともな日常
腹を空かせた抜け殻 動かないで 餌を待って
誰か構ってくれないか 喋らないで 思っているだけ

人間という仕事をクビになって どれくらいだ
とりあえず汗流して 努力をしたつもりでいただけ
思い出したんだ 色んな事を
向き合えるかな 沢山の眩しさと
美しくなんかなくて 優しくも出来なくて
それでも呼吸が続く事は 許されるだろうか
その場しのぎで笑って 鏡の前で泣いて
当たり前だろう 隠してるから 気付かれないんだよ
夜と朝を なぞるだけの まともな日常

愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて
逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる
汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ
構わないから その姿で 生きるべきなんだよ
それも全て 気が狂う程 まともな日常
与えられて クビになって どれくらいだ 何してんだ
望んだんだ 選んだんだ 「仕事ではない」 解っていた

加藤智大とBUMP OF CHICKEN 『ギルド』

中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」の中の見せ場はここだ。実際に加藤智大が生活した場所を取材し、彼が吸ったであろう空気感を伝える中島氏の著作は秀逸だ。

なかでも、ツナギ紛失事件が起こってからの加藤智大の心情を描写してるところは素晴らしい。まるで映画のワンシーンの様な映像が脳裏に浮かぶ。

img06.jpg

中島岳志の著書「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」にはこうある。P.190

以下引用
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加藤は、出入り口のドアを蹴飛ばした。そして、工場の門をくぐり、駅に向かって歩き出した。
彼は掲示板に書き込んだ。

 作業場行ったらツナギが無かった。辞めろってか。わかったよ。

その頃、控え室では、床に散乱したツナギを同僚らが片付けていた。すると、そこには加藤の名前が書かれていたツナギがあった。「なんだ、あるじゃん」と同僚たちは言い合った。
担当者がツナギがあることを伝えるために、加藤に電話をかけた。しかし、加藤は電話に出なかった。

 電話うぜ。
 電話が来るとウェブが使えん。
 書き込みが中断されるのがウザイ。

最寄りのJR岩波駅までは、徒歩20分。苛立ちを抱えた加藤は、足を速めた。

参考

資料8、関東自動車工業東富士工場→JR岩波駅Google地図で線を引いてみると徒歩で20分の道程。特に目立つ商業施設もなく。工場ありきの地域である事がわかる。

 BUMP OF CHICKENの「ギルド」

岩波駅から裾野駅へは、たったひと駅。しかし、電車の本数は少ない。
加藤は駅のホームで沼津方面行きの電車を待った。なかなか来ない。イライラする。すべてが上手くいかない。
加藤の脳裏に一曲の歌が流れた。
BUMP OF CHICKENの「ギルド」だった。
彼は、掲示板に歌詞を書き込んだ。

 美しくなんかなくて
 優しくもできなくて
 それでも呼吸が続く事は許されるだろうか

電車が到着した、乗った。裾野駅までは5分。彼は車内で書いた。
やっぱり時期的に限界か。

img07.jpg

あっという間に、裾野駅に着いた。電車を降りて陸橋を渡り、駅舎の改札をくぐった。そして書き込みを送信した。

参考

資料9、JR裾野駅→加藤君のアパートGoogle地図で線を引くと色々な事がわかった。裾野駅から加藤君のアパートCOSMO☆439(裾野市富沢446-15 307号室)まで徒歩で20分。利用していたコンビニセンスストアはローソン。お持ち帰りの牛丼を購入していたのは「すき家」。加藤君は、裾野駅と岩波駅を往復する「気が狂う程 まともな日常」を送っていた。駅の周りは古くからの商店と、全国展開するチェーン店が混在している日本全国どこにでもある風景。大規模な工場が点在する地域なので、駅を少し離れると道幅がやけに広くなる。

 その場しのぎで笑って
 鏡の前で泣いて
 当たり前だろう
 隠してるから気づかれないんだよ

これもBUMP OF CHICKENの「ギルド」の一節だった。一字一句間違えていない。完璧だ。彼はこの曲の歌詞を、完全に暗記していたのだろう。何度も何度も聞き込んだのだろうか。「ギルド」は、2004年に発売されたアルバム「ユグドランシル」に収録されている。曲の冒頭は、次の様な歌詞で始まる。

 人間という仕事を与えられて どれくらいだ
 相応(ふさわ)しいだけの給料 貰った気は少しもしない
 いつの間にかの思い違い 「仕事ではない」 解っていた
 それもどうやら手遅れ 仕事でしかなくなっていた
 悲しいんじゃなくて 疲れただけ
 休みをください 誰に言うつもりだろう

この後の歌詞には「誰か構ってくれないか」というフレーズもでてくる。そして、曲の中盤から後半にかけて、加藤が書き込んだ歌詞が登場する。
さらにこの曲は、おわりに向けて次のように歌う。

 愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて
 逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる
 汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ
 構わないから その姿で 生きるべきなんだよ
 それも全て 気が狂う程 まともな日常

加藤の脳裏には、この歌詞も流れたはずだ。そしてこの言葉は、加藤に突き刺さったはずだ。
しかし、彼はこの部分を書き込まなかった。彼には、書き込む勇気がなかった。世界を「受け止める:勇気がなかった。「その姿で生きる」勇気がなかった。「逃げ込んだ檻」から「引きずり出」されるがのが怖かった。「気が狂う程まともな日常」を受け止められなかった。
加藤は、重要なところで自分と向き合うチャンスを失った。彼の心に突き刺さる言葉をスルーした。
また逃げた。
もう逃げ場はないのに。
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以上引用

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18、加藤智大の心に届いた言葉

中島岳志の著書「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」にはこうある。P.227

以下引用
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言葉、言葉、言葉

いったい、どうすればこの事件を食い止めることができたのだろうか。これから、この事件への共感を食い止めることはできるのだろうか?

ここで振り返っておきたいのは、加藤の人生のリアルな人間関係の中で「本音」の関係が築かれた瞬間があったということである。彼は「現実は建前」で「ネットは本音」という「二分法を法廷で語ったが、そんな単純な構造が成立しないことも、彼は承知していた。
私がどうしても気にかかるのが、藤川との関係だ。
加藤は、ネット上の書き込みを、ほとんどの友人や同僚に知らせなかった。関東自動車の同僚にハンドルネームや書き込みを行っている掲示板を聞かれても、彼は決して答えようとしなかった。地元・青森の友人たちには、掲示板への書き込みを行っていることすら語ることはなかった。
しかし、藤川には違った。
彼はネット上で出会った女性を紹介し、書き込みの内容まで話していた。さらに、藤川をミクシィに招待し、自分のネット上の交友関係を晒した。
なぜ、加藤は藤川にだけ、「本音」を晒したのか。
それは藤川の「言葉」がきっかけだった。
「藤川さんはある意味、社長じゃないですか。うらやましいですよ。勝ち組ですよ」と語る加藤に対し、藤川は怒った。そして、自分の境遇を話し、加藤の心と向き合った。
加藤は涙を流した。
そこには「言葉」があった。加藤に届く「言葉」があった。「世界」と「言葉」が結びついた。
これをきっかけに、加藤は「建前」を突破し、藤川に「本音」で接近した。
この踏み出した一歩は大きかった。なぜなら、加藤は藤川の言葉によって、自己と対峙したからだ。自己を問い、自己を見つめることで、彼は他者に開かれた。それは、ほんの小さな隙間だった。しかし、彼は間違いなく「本音」を開いた。他者への可能性を回復した。
そんな藤川から、加藤は離れていってしまった。
なぜなんだ。
どうして事件前に、藤川に電話一本できなかった。なぜ、藤川との関係の大切さに気づかなかったんだ。気づいていたのに、気づかないふりをしたのか。それとも、気づいていたことを忘却したのか。

他にも、加藤の心に届いた言葉はあった。
例えば、上野の駐車場で職務質問した警官と駐車場の管理人。同じ北国出身をいう話題から、「生きていれば辛いこともあるが、楽しいことは必ずある。君はがんばりすぎだから、肩の力を抜いたほうがいい」と語った警官に、涙を流した。
駐車料金を「年末までに返してくれればいいから」と言って暖かく見送ってくれた管理人に対して、彼は手土産を持って事務所に現れ、料金を返した。車のローンは放置したのに。
福井のミリタリーショップの店員とは笑顔で会話し、帰りの電車の中で「人間と話すのっていいね」と書き込んだ。
そこにあったのは何気ない言葉だった。しかし、加藤はそんな言葉を通じて、世界を信じた。それがたとへ一時だったとしても、彼の心は動いた。自然と笑がこぼれた。涙もこぼれた。言葉こそが彼の岩盤のような他者への防波堤を穿(うが)ち、頑なな姿勢を突破した。
人間は言葉の動物だ、人は言葉の産物として生きている。個人としても、集団としても。
加藤はそのことを熟知していた。ただ、そのような言葉は、リアルの世界ではなく、ネットの世界に存在すると考えた。現実と言葉を分離させた。
加藤は、リアルな世界のスタート地点で躓(つまず)いた。やはり母という軛(くびき)は大きかった。母からの問答無用の暴力と強制は、彼から言葉を奪っていった。実際、彼は作文を母から検閲・矯正されることで言葉を奪われた。
だからこそ、加藤は逆説的に言葉に敏感になった。彼が文中で発する言葉はネガティブでありながら、鋭利だった。誰かに届いてほしいという切実さが、文字から滲み出ていた。
しかし、リアルな世界で彼の言葉を受け止めてくれる者は、ほとんどいなかった。そこでは「建前」の言葉のやり取りしか行われず、本当の言葉は誰とも交換できなかった。だから、彼は友達がいるのに孤独だった。
加藤は、他者との対面的なコミュニケーションを軽視し「行動でアピールする」という習慣を身につけた。自分の「本音」をしっかりと言葉で伝えず、突発的な行動によって気づかせる。というパターンを繰り返した。表層的な言葉への不信の結果だった。
一方で、加藤はリアルな身体性を伴わないネットに「言葉」を求めた。そして、「本音」の関係を求めて、自らの言葉を小さな長方形の画面に叩きつけた。
だから、彼の掲示板に書き込まれた言葉は、事件後、多くの人に反転して届いた。それは一種の文学だったからだ。文学が発動される瞬間を、彼は無意識に生きていたからだ。
しかし、建前=リアル/本音=ネットという二分法は、彼の人生の中で何度も入れ替わった。リアルの言葉に心を動かされる一方、ネットの言葉に失望することも繰り返しあった。単純な二分法が成立しないことなど、彼は経験上、熟知していた。
だからこそ、彼はリアルの「言葉」と向き合うべきだった。自ら作り上げた岩盤を、意思をもって崩すべきだった。自己と対峙することが怖くても。
一方、加藤にとって、「人間と話すのっていいね」といえる場所があまりにも限定されていたことも事実である。職場での「タテの関係」や「ヨコの関係」には、どうしても利害が関与する。やはり、どうしても空気を読まなければいけない。言いたいことなんて、何でも言えるわけがない。
だから、直接的な利害を伴わない「ナナメの関係」が、社会では重要なのだ。加藤にとって、藤川は仕事の同僚でありながら、利害関係があまり関与しない他者だった。駐車場の管理人も、ミニタリーショップの店員も。
しかし、そんな他者と出会える場所は、現代日本社会では限られていた。居場所をみつけろといっても、そんな場所はどこにあるのか。そもそも派遣労働で各地を転々としていた彼は、アパート周辺のコミュニティとは切断された存在だ。
立ち寄る店は、コンビニと牛丼チェーン店。そこに会話や人間関係などなかった。
居場所なんて見つけられるわけがなかった。「ナナメの関係」を作る前提が、彼の生きる社会にはそもそも欠如していた。
だから、「人間と話す」ためには、福井まで行かざるを得なかった。あるいは、お金を払って風俗店に行くしかなかった。
しかし、それは虚脱感と虚しさが伴った。彼は風俗店を出てから、ひどい頭痛に悩まされた。それは事件当日まで直らなかった。身体が無意識に拒否反応を起こした。

加藤は、裁判中、無表情だった。
しかし、一度だけ、涙を見せた瞬間があった。それは、事件で負傷した男性の妻が「亡くなった人のためにも、どうかひとつでもいいことをしてもらいたい」と語りかけた瞬間だった。彼は顔を紅潮させ、目を潤ませた。この日は、法廷を出るときに傍聴席を直視することができなかった。彼は、いつも必ず行う一礼ができなかった。
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以上引用

さすが、極め細やかな取材をされた中島さんは深い洞察力で加藤智大の心の構造を分析しています。

私も加藤智大と同様に幼少の時から特殊な家族・家庭環境によって主体を剥奪された「言いたいことが言えない」「言葉を奪われた」状態が長く続いた為、無意識にコンプレックス(複合観念体)が刷り込まれてしまいました。そう言う人間は、自分の主体を持って他者との良好な関係を築く事が難しくなります。

事実、私自身も、加藤智大の中に「昔の自分」をみてしまうので彼の言動の一部にシンパシー(共感)を持ちます。

私の場合は精神分析療法の存在を知り、心の構造や、精神発達論を学んでいる最中に「秋葉原無差別殺傷事件」が発生しましたので、余計、加藤智大の存在は衝撃でした。

当然の様に、控訴審でも「死刑判決」が出てしまいましたので、過去の宮崎勤事件を前例とすると、加藤智大も死刑囚として刑に服する時がくるのでしょう。

今更思います。成熟した日本社会で、物質的に豊かになりすぎた時代で、精神的に死の恐怖と同じくらいの孤独感に苛まれている人が数多くいるのはなぜなのでしょうか?

仕事の効率や生産性を追求した結果がこれでは本末転倒なのではないでしょうか?今一度、人が「人とは何か?」という大命題に立ち返る必要があると思います。そして、その時はキーワードは「言葉」です。

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19、加藤智大とガンスリンガー・ガール

中島岳志さんの著書「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」にはこうある。P.137

以下引用
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ある時、月山は、加藤をマージャンに誘った。加藤はアニメ「ガンスリンガー・ガール」のDVDを全巻持ってきて、合間に鑑賞した。彼は、すべてのセリフを暗記していた。DVDを見ていると、実際より少し早くセリフを言い続けた。アニメが好きな月山でも、「内心、引いていた」。

加藤は、しばしば自分のコンプレックスを笑いにした。彼は前髪が後退していることを気にしていたが、白い帽子を上にずらして「どげんかせんといかん」と東国原英夫(宮崎県知事=当時)の物まねをして笑わせた。一方で、月山の目には、加藤は、「心の内を出さない人」と映っていた。月山は「過去に何かあって、本音を相談しにくいのでは?」と感じていた。
加藤は月山に自分の女性の好みについても、冗談めかして語っていた。加藤は次のように言ったという。・・・
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以上引用

私は「ガンスリンガー・ガール」を調べた。

ウィキペディアより引用

以下引用
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『GUNSLINGER GIRL』(ガンスリンガー・ガール)

あらすじ

「少女に与えられたのは、大きな銃と小さな幸せ。」(単行本1巻帯より)

物語の舞台は架空の現代イタリアを中心としたヨーロッパ。イタリアは国内に地域間対立や思想対立を抱え、テロや暗殺などの暴力活動が絶えなかった。イタリア政府・首相府は、表向きには障害者への様々な支援を行う組織として公益法人「社会福祉公社」を設立する。しかしその実態は、身体に障害を持った少女たちを集め、身体の改造と洗脳を行い、反政府組織に対する暗殺をはじめとした超法規的活動を行わせる闇の面を持った組織だった。少女たちは、「義体」と呼ばれる人工の肉体と引き換えに、時に危険すら顧みられることなく銃を手に戦う運命を背負わされた。
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以下引用

間違いない、加藤智大はガンスリンガー・ガールの中に自分を見たに違いない。

身体に障害を持った少女たち
身体の改造と洗脳
「義体」と呼ばれる人工の肉体と引き換え
運命を背負わされた

母によって主体を奪われた加藤智大。情報統制と有無を言わさぬ強制、自分の自由と引き換えに、望みもしない北海道大学工学部受験と言う運命を背負わされた加藤智大。

・・だから、加藤智大は「ガンスリンガー・ガール」に感情移入し、同一化し、全てのセリフを暗記し、実際より少し早くセリフを言い続けた。・・のだ。

月山に対して決して「心の内を出さない人」であっても、加藤智大本人が意識しようがすまいが、加藤智大の無意識(コンプレックス:複合観念体)は、「俺はガンスリンガー・ガールなんだ!」と月山に対して訴えていたのだ。

そんな事すれば、友人が引いてしまうのはわかっている筈なのに、あえて、巧妙に「ガンスリンガー・ガール」のセリフを借りて、月山に叫んでいたのだ。

「俺はガンスリンガー・ガールなんだ!」・・と。

たった1つの想い貫く 難しさの中で僕は
守り抜いてみせたいのさ かけがえのないものの為に
果たしたい 約束

疑問だらけの世の中 答えは見つからないまま
それでも前に進むの Why?
空へと伸びるイトスギ 真っすぐ指し示した道
今という奇跡を信じよう

夢みたいな現実 この手で変えられるものなら

たった1つの想い貫く 難しさの中で僕は
守り抜いてみせたいのさ かけがえのないものの為に
波打っている鼓動に誓うよ 燃え尽きるまで走り続けよう
生きぬいてこそ 感じられる 永遠の愛しさの中
果たしたい 約束

丘の下咲くヒマワリ 眩く広がる黄色は
希望の光を照らすよ

変えられるものなら 違った生き方あるはずと

全て懸けよう 与えられた 時間の中で輝いていたい
ただ息をしてここに居るだけ それだけなのに溢れ出す気持ち
僕には僕の幸せがある そう思えるだけでどれほど
この瞬間が 愛おしいほど 光を放ってゆくよ

独りで進むには 長すぎる道のり
誰かがこの扉 開けないか待ってる

たった1つの想い貫く 難しさの中で僕は
守り抜いてみせたいのさ かけがえのないものの為に
波打っている鼓動に誓うよ 燃え尽きるまで走り続けよう
生きぬいてこそ 感じられる 永遠の愛しさの中
果たしたい 約束

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20、事件の被害者:湯浅洋さん(タクシー運転手)の事

<秋葉原殺傷 社会のせいにするな...重傷の男性やっと復帰へ>img13.jpg
10月11日2時31分配信 毎日新聞

東京・秋葉原の17人殺傷事件から約4カ月。休日の歩行者天国を襲った加藤智大被告(26)の凶行に、17人の被害者と遺族らは今も苦しみ続けている。

6月8日。東京都江東区のタクシー運転手、湯浅洋さん(54)は、加藤被告のトラックにはねられた人を救助しようとして刺された。意識を失い、目覚めたのは4日後。長男祥人(あきひと)さん(27)ら子供3人がのぞき込んでいた。「何だ勢ぞろいして」。ダガーナイフは横隔膜に達し輸血量は6リットル。「腸に達していたら死んでいた」と告げられた。

宮崎県内の高校を卒業後に上京。10年間、ホテルで料理を修行し、29歳で地元に戻りカレーショップを開いた。しかし1年で失敗。親族から借金し、長女のミルク代にあてた。運転手に転じて生計を立て、今も貯金を取り崩しながら暮らす。それでも悲壮感はない。「勝ち負けはどうでもいい。自分に負けなければいい」。そう信じている。

加藤被告は携帯電話の 掲示板に世間への恨みの言葉を書き連ねた。「勝ち組は死んでしまえ」「ネットでも現実でも孤独だった」--。同情できない。みんな必死に生きている。「事件を社会のせいにするのは違う。(加藤被告は)てめえに負けたんだ」。来月には仕事に復帰できそうだという。【神澤龍二】

<男がドン、血に染まる制服 秋葉原事件被害者の運転手>

2008年6月27日3時0分 asahi.com

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、トラックにはねられた被害者を介抱している最中にナイフで刺され、九死に一生を得た国際自動車のタクシー運転手湯浅洋さん(54)=東京都江東区=が、朝日新聞記者の取材に応じた。湯浅さんは、男に刺された瞬間の激痛、そばの警察官が襲われた時の様子を生々しく語った。

17人が死傷した事件で、重傷者が取材に応じたのは初めて。19日に退院した湯浅さんは「秋葉原は好きじゃない。あの日はたまたま通っただけ」と回想した――。

8日午後0時半。湯浅さんのタクシーは、JR秋葉原駅近くで客を降ろし、神田明神通りを西に進んだ。歩行者天国だった中央通りとの交差点で赤信号で止まった。

「ドーン」という音に続いて、「キャー」という悲鳴が響いた。時速40キロくらいで蛇行するトラックが見えた。

「なんて下手くそな運転だ」。そう思った瞬間、トラックが人をはね、そのままタクシーの脇を走り過ぎた。

約2カ月前、勤め先で救命講習を受けたばかりだった。「自分に助けられる命であれば」。タクシーを降り、倒れていた男性に駆け寄った。

顔はパンパンに腫れ、血だらけだった。自分より年上に見えた。そばにいた女性に「頭を打っている。動かさないほうがいい。ほかの人を助けにいこう」と言って立ち上がった。

その瞬間、男がドンとぶつかった。「痛い」。男を目で追うと、警察官をたたいているように見えた。この男が加藤智大容疑者(25)=殺人容疑で逮捕=だと後に知る。

右脇腹が熱いように感じた。手で触るとべっとりと血のりがついた。「切られている」。会社の制服がみるみるうちに真っ赤に染まる。立っている力がなくなり、そのまま倒れた。

救急車に乗せられた。現場に居合わせた消防団員の「もう少しで病院だ。がんばって」という声を最後に気を失った。

意識が戻ったのは4日後だった。加藤容疑者のナイフが肺を破って横隔膜や肝臓に達し、4時間の手術を受けたと聞かされた。

病床で警察の事情聴取を受けた。現場で介抱した男性の安否を尋ねてみた。亡くなったと聞き、「そうですか」と肩を落とした。男性は19歳の大学生だった。

退院後も、傷口はずきずきと痛む。

「ショックが大きすぎて、事件に遭った実感も、加藤容疑者への怒りもわかない。むしろ彼が家族にも友人にも理解されなかったというなら、かわいそうにさえ思える」

だが、外出すると、恐怖がよみがえる。若い男性を見ると、ナイフを持っているのではと警戒し、そばを歩くのを避けてしまう。

退院の翌日、警視庁の警視総監室で、警察庁長官と警視総監の表彰を受け、メダルを受け取った。ずしりとした重さに、亡くなった7人の命の重みを感じた。「そう思えるのも、生きているからこそ」

湯浅さんは宮崎市出身で、高卒後に上京。ホテルの料理人を10年務め、飲食店経営に乗り出したが、数年で失敗。トラック運転手を経てタクシー運転手になった。

加藤容疑者の実情は報道などで知った。「私も店を失敗したけれど、勝ち組、負け組なんてどうでもいい。人に迷惑をかけずに生きていればいいことはある。私はそう信じて生きてきました」

九州の病院で療養し、体調を整えたうえで再出発するつもりだ。(山田優)

<「なぜ君が」と加藤被告に返信 秋葉原事件で重傷の元運転手>

「字を見ると丁寧で読みやすく、こんな手紙を書ける人間がなぜ重大な事件を実行してしまったのか。手紙の中の君を見て悔やまれます」―。17人が死傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、殺人罪などに問われた元派遣社員加藤智大被告(27)=公判前整理手続き中= から謝罪の手紙を受け取った被害者の元タクシー運転手湯浅洋さん(55)が、加藤被告あての手紙を弁護人へ送った。

湯浅さんは、手紙を出そうと9月からノートに下書きを始めたが、筆がなかなか進まなかった。そこへ加藤被告から手紙が届き、予想外の文章や字体に驚いた。

「直筆の手紙から、報道でしか知らなかった被告の姿が初めて見えてきた」。被告への思いを便せん4枚にまとめ、今月17日に投函した。

湯浅さんは現場で血を流して倒れていた人を助けようとしたところを背後から加藤被告に刺され、重傷を負った。

事件の記憶を「ほとんどない」と手紙に書いていた加藤被告。その記憶を呼び起こすように、湯浅さんは体験した状況を詳述した。「自分がやったことを分かってほしい。被害者である自分が書いた言葉ならば、被告なりの反省ができるのでは」と期待を込める。

今後も手紙のやりとりを望み、「もっと君を見せてくれませんか」という言葉で結んだ。
2009/11/22 17:27 【共同通信】

<秋葉原無差別殺傷から4年 重傷のタクシー運転手、現場へ>

2012年6月9日(土)08:05 (産経新聞)

「凶行 風化させてはいけない」

7人が殺害され、10人が重軽傷を負った東京・秋葉原の無差別殺傷事件は8日で4年を迎えた。ダガーナイフで脇腹を刺され、重傷を負ったタクシー 運転手、湯浅洋さん(58)は、発生時刻に現場をタクシーで通過しながら、「事件を風化させてはならない」と現在の心情を語った。

「あの日も、こんなふうによく晴れていたな」。午後0時半過ぎ。湯浅さんは4年前に信号待ちをしていたのと同じ場所にタクシーを止め、惨劇の舞台となった交差点を見つめた。

当時、秋葉原で乗客を降ろし、移動中だった湯浅さん。衝突音と悲鳴に周囲を見渡すと、路上にあおむけに倒れた男性の姿があった。「交通事故かな」。車を降り、救護しようとしたところ、背中に衝撃が走った。シャツを持ち上げるように勢いよく吹き出す血に気づくと、後はのたうち回ることしかできなかった。

「何が起きたか全く分からなかった。現場を見ても被害者という実感が持てないほど」と話す。事件後は長期休職を余儀なくされ、体調の不安から他業種に転職したが、昨年再びタクシー会社に就職した。

事件の真相を知るため、加藤智大(ともひろ)被告(29)=殺人罪などで1審死刑、控訴中=に面会を求める手紙を送ったが、「会えなくてすみませ ん」などとする2通の返事が届いた後、連絡は途絶えた。どんな文章を書けば彼の心に響くのか。「手紙を書いては捨てるの繰り返しで、投函(とうかん)がで きない」(湯浅さん)という。

この日の交差点脇には花束や千羽鶴などが積まれ、手を合わせる人の姿があった。「まだ事件を覚えている人がいることに安心した」と話して続けた。「加藤君が真実を語り、そこから社会が教訓を得なければ凶行は繰り返される。決して風化させてはいけない」
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以上報道から引用

湯浅洋さんはあの日、仕事(タクシー乗務員)で秋葉原に行って、偶然、事件の被害者になってしまった人である。それも命に関わる傷を加藤智大から負わさせられている。にも関わらず、上記引用記事の様に、積極的にマスコミに登場し「加藤智大」を理解しようと裁判を傍聴し続けている。実子がちょうど加藤智大と同じくらいの年齢で、まるで自分の子供が事件を起こしたかのように「なぜ君が?」「なぜあんな事件を?」と事件の本質を解き明かそうとされている。

湯浅さんが登場しているニコニコ動画で「自分が理解できない加藤智大」に対してもどかしさや苛立ちを持っておられる様子が伝わってくる。多分、世の中の多くの人々は湯浅さんと同様な感覚で事件を捉え、加藤智大にイラつきを抱えているのだろう。

湯浅さんは日本人のスタンダードな感性で加藤智大から発せられる言葉に耳を傾けられているのだが、裁判中、加藤智大の口から出る言葉は「建前」ばかりで、「本音」の言葉は発せられないと嘆く。なぜなら、加藤智大にとって裁判とは社会的な公の場であり、そこでは決して「本音」が受け入れられない場所だからである。よく裁判で総てを明らかにと言うフレーズをきくが、裁判とは検察と弁護人との量刑闘争の場である。

今回出版された、加藤智大の著書「」に目を通しても、加藤智大自身が「本音の言葉」を失ってしまっている為に、嘘ではないにせよ、上っ面をなぞっている感は否めない。

むしろ、中島岳志氏が書かれた「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」の方が、加藤智大の心の構造や加藤智大と家族やリアルな友人関係、ネットでの人間関係を浮き彫りにされている。

精神分析の世界は、本人が意識できない自分。加藤智大自身でさえ、なぜ自分があんな行動をしてしまうのか?なんであんな事にイラつくのか?と言った無意識(コンプレックス:複合観念体)を掘り下げていく学問である。私自身が加藤智大と同様に「主体を奪われ、親の欲望を満たすツール」であった為に、加藤智大を知るごとに彼に共感(シンパシー)を抱き、「あぁ永遠に加藤智大の本質は理解されないだろう」と諦めに似た気持ちを持ってしまう。私自身もある種のもどかしさを抱き続けるのである。

ニコ生スペシャル『秋葉原事件とは何だったのか?~1・25論告求刑を受けて~』
http://live.nicovideo.jp/watch/lv38019483
↑この動画はニコニコ動画でまで参照できます。

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21、終わりに

親や育った家庭環境に主体を奪われ、自分を生きてこれなかった人々は世の中に沢山いると思います。

秋葉原無差別殺傷事件という凶悪犯罪を引き起こしてしまった加藤智大の中に「かつての自分」を見つけた人々によって書き込まれた・・・加藤智大に共感(シンパシー)を感じるという趣旨の記述をネット上に散見する事ができます。

「自分も一歩間違えば秋葉原事件の加害者になったかもしれない」

月刊精神分析誌上で三度(みたび)「秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大」を取り上げた私自身も間違いなく「もう一人の加藤智大」に違いありません。

精神が発達する過程において「主体」と「言葉」を奪われた人々によって引き起こされる事件が今後も続くでしょう。

最後に、「」を出版された加藤智大さんと、「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」を書かれた中島岳志さんに謝辞を述べておわりにします。ありがとうございました。

平成24年10月31日 月刊精神分析 編集部A

ご意見ご感想はlacan.fukuoka@gmail.comまでお願いします。

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資料1、仙台時代の東洋ワークの同僚、大友秀逸氏

加藤智大の友人「彼は普通の人、真実語って」img14.jpg
僕の知っている彼はまじめで前向きだった――。17人が死傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件から2年。

殺人などの罪に問われている被告の友人が26日、事件を風化させまいと、親しかったころの被告の素顔を市民講座で語った。

NPO団体が主催する講座で話したのは、元派遣社員加藤智大(ともひろ)被告(27)の友人で、 会社員の大友秀逸(しゅういつ)さん(34)。

加藤被告が2003年から05年まで勤めた仙台市の警備会社の同僚だった。2人とも青森出身で、一緒に通勤し、 毎晩のように夕飯を食べた。加藤被告が埼玉県の自動車工場へ転勤した後も、06年春ごろまでは連絡を取り合っていた。

加藤被告が職場で100人の警備員を現場に配置する責任者だったことや、 自宅にこもって一日中、同じゲームをやり続ける凝り性な一面もあったことなどを紹介。

「彼は冷静で知的なごく普通の人。彼が真実を語ってくれるのを待ちたい」と話した。 被告の知人として、これまで何をどう語ればいいのかわからなかった。 だが、事件で重傷を負った湯浅洋さん(56)がその体験を語り、「被告のことを知りたい」と訴えていることを知った。 湯浅さんに連絡をとり、この日の講座が実現した。

「社会が事件や被告のことを考え続けてほしい。だから、今後も自分たちが知っている真実を語っていきたい」。 大友さんと湯浅さんの共通した思いだ。

秋葉原事件・加藤被告の元同僚、会えるなら「殴ってやりたい」

東京・秋葉原で2008年に起きた、7人死亡、10人負傷の無差別殺傷事件。この事件で殺人罪などに問われた加藤智大被告の論告求刑が、2011年1月25日、東京地裁であり、検察側は「死刑」を求刑した。同日25日にニコニコ動画で生放送された番組「ニコ生スペシャル『秋葉原事件とは何だったのか?~1・25論告求刑を受けて~』」には、事件で重傷を負った湯浅洋さんと、加藤被告の元同僚の大友秀逸さんが出演。湯浅さんが「被告の目を見すえて話しがしたい」と静かに言葉を口にした一方、大友さんは「思いっきり殴ってやりたい」と重く力を込めて語った。

事件当日、湯浅さんはトラックに跳ねられた人を介抱していたところを刺された。「私の行動があと1秒早かったり遅かったりすれば、事件に関わらなかったかも知れない」と、ある種の使命感から加藤被告の裁判を何度も傍聴している。「私たちにくれた謝罪の手紙から読み取れたものと、公判中の被告の言葉とは違うもののように感じた」と、湯浅さん。論告求刑を受け、「事件を起こそうとトラックに乗った加藤被告と今の被告とは違うはず。今からでも真実を語ってほしい」という。

■元同僚「思いっきり殴ってやりたい」

一方、元同僚の大友さんは、宮城県仙台市での約2年間を加藤被告と過ごしている。論告求刑を聞き、「『来たか』と思った」と大友さん。当時、事件現場の近くで働いていたこともあり、やりきれない思いから「僕はまだ友達だと思っている」と、被告に手紙を書いた。公判で加藤被告は、大友さんについて触れたというがその詳細はわからないという。しかし、大友さんは「『まだ友達だと言っている人がいる』という内容であると信じたい」と話す。

大友さんはこれまで、事件直後のメディア報道に疑問を感じたほか、「自分自身、どうしたいのかわからない」という思いにとらわれ、長いあいだ公の場に姿を現さなかった。遺族に相談し、今回、2年半ぶりに自分の思いを語ることにしたといい、司会者の「加藤被告にどんな言葉をかけたいか」という問いには、「いろんな思いがあるので、うまく言えない。もし被告と会えることがあるなら、思いっきり殴ってやりたい」と語った。

「加藤智大という人間が見えないと、この事件がわからない」と、湯浅さん。「事件のありのままを知りたい」という気持ちに、加藤被告が答える時は来るのか。判決は、3月24日に下される予定だ。(土井大輔)

ニコ生スペシャル『秋葉原事件とは何だったのか?~1・25論告求刑を受けて~』
http://live.nicovideo.jp/watch/lv38019483
↑この動画はニコニコ動画でまで参照できます。

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資料2、居酒屋で泣いていた加藤智大

秋葉原事件から1年

居酒屋で泣いていた加藤容疑者(2009/6/8)

写真・加藤智大被告が通つていた青森市内の居酒屋。
左奥のテーブルが加藤智大被告や仲間たちの指定席だった

7人が死亡し、10人が重軽傷を負った東京。秋棄原の無差別殺傷事件から8日で1年。殺人罪などで起訴された元派這社員加藤智大被告は、第1回公判前整理手続きを効日に控える。

「世の中が嫌になった。誰でもよかった」と供述したとされる加藤被告だが、地元青森には心を許した仲間がいた。

加藤智大被告(26)はいつも泣いていた。生まれ育った青森市の繁華街にある居酒屋。薄暗い店の一番奥にあるテーブルで、男性店主(43)は「世の中をなめてるだろ」とたびたび説教をした。

出会いは市内の運送会社だった。売り上げの下がった居酒屋を維持するための昼間のアルバイト。2007年1月に入社した加藤被告と同じチームになった。トラックの洗車を毎日欠かさないまじめな性格で、徐々に仲間とうち解けた。

2、3カ月に1回、6人ほどの仕事仲間が店に集まった。会社や上司の愚痴、それぞれの身の上話。

「ゲームが好きなんですよ」。決して酒の強くない加藤被告も趣味の話をするようになった。将来の夢も語った。「ゲームセンターの経営をしたい」。真剣に原価計算などについて店主に尋ねてきた。半画「ゲーセンで何万円も使った」と無計画な一面ものぞかせる。店主は「それ、おかしいんじゃないの。経営者になるなら考えがあめえよ」ときつく諭した。仲間の一人が低い収入で結婚することの悩みを打ち明けた。加藤被告もつられるよう「家族伸が悪い。家に帰りづらい」とこぼした。店主はあえて突き放す。

「社会人なんだから独立して家庭を築けばいい」。むせび泣くような低い声が、客の帰った店内に響いた。

07年秋、加藤被告が店に顔を出した。「ネットで知り合った群馬の友達に会いに行く」と小旅行に出る報告だった。白いジャケツトに白ズボン姿で車に乗り込んだ。道中「今、仙台に着いた」と楽しそうなメールが届いた。

「人をだますのはよくない」。翌日、ネットの掲示板に書き込まれた一言に店主は目を見張った。「相手が来なかったんだ」と直感した。以来、加藤被告は電話に出なくなり、一切の連絡が途絶えた。

昨年6月8日、事件を伝える映像には、最後に見たときと同じ白いジャケツト姿があった。

数日後、店に仲間が集まり、無言のままニュースに見入って酒をあおった。ネットに「現実では誰にも相手にされない」などと書き込んでいたことが報じられ、誰ともなく「じゃあ、おれらは何だったんだ」とつぶやいた。

事件から1年。店には以前と変わらず仲間が訪れる。起訴された加藤被告は東京拘置所に拘置され、6月22日に第1回公判前整理手続きを控える。

もう、いつもの席に彼が座ることはない。「何かあったのなら青森に帰ってくればよかったのに。おれらがいて相談にも乗れたのに」。店主の思いは今も消えない。
いま、店主は手紙を出そうと考えている。「おれたちのことを忘れたことを後悔しろ」と。

デーリー東北より

ネットに「現実では誰にも相手にされない」などと書き込んでいた・・・
「じゃあ、おれらは何だったんだ」

当然だ。上司が連れて行った訳でなく、仲間が自然に集まった席で会話する位である。この人の事を他の仲間が解決出来るわけでない。でも、このネットのことをかつての仲間にメールでも知らせてくれたら、事件は無かっただろう。仕事もまじめである程度のことも任されたくらいで、能力があったと推測される。かつての仲間にメールを送らなかったことは、この人の「ミス」であり、極限状態のノイローゼだったようだ。あの赤の他人でも「殺人は悪いことである。しかし、そのようになった過程はわからないわけでない。・・・」と言ってくれるのだから。

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資料3、出会い系で知り合った女性が語る加藤智大

あるネット上の記事の引用。
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【女性と接点】秋葉原通り魔事件加藤智大容疑者のメル友女性告白 東京・秋葉原の連続殺傷事件を引き起こした加藤智大(ともひろ)容疑者(25)。

犯行前に「友達ほしい」「彼女さえいればこんなに惨めに生きなくていいのに」と掲示板に書き込み、孤独な生活ぶりがうかがえるが、1年前の一時期、容疑者には「トモ」と呼んでくれる親しい女性(23)がいた。女性に加藤容疑者の素顔について話を聞いた。

6月8日午後。彼女は秋葉原の連続殺傷事件を報じるニュース速報にくぎ付けになった。殺人未遂の現行犯で逮捕された男の名前が、自分の知人と同姓同名だったからだ。

夜になって、容疑者が逮捕された場面などが映像で繰り返し流れ、青森県出身であることが報じられた。それを見て、彼女は容疑者があの「トモ」だと確信した。

携帯サイトで知り合い、「トモ」と呼んだ
彼女がトモと初めて会ったのは昨年7月末だった。

携帯電話の出会い系サイトで知り合い、メールを何通かやりとりした。送られてくるメールは笑顔や悲しい顔などのカラフルな絵文字入りで、2、3行の短いものがほとんどだったが、一度始まると何往復もした。

お互いに青森市に住んでいることが分かり、トモは「会いたい」と言ってきた。

市内の駐車場で待ち合わせをした。ありふれたチノパンとシャツを着て、髪形には気を使っていないような印象を受けた。

「きっと彼女はいないんだろうな」
そう思った。

名前を「ともひろ」と読み当てると、トモは「珍しいな。1回で読めた人」と笑顔をみせた。彼女はトモと呼ぶことに決めた。
img11.jpgトモの軽乗用車に何度か乗せてもらった。車内は整頓され、後部座席にはUFOキャッチャーで得たらしいディズニーなどのキャラクターもののぬいぐるみが4、5個並んでいた。会話はあまり弾まなかった。ラジオやCDはかけず、車内はシーンとしていた。

「この車、ずっと乗っているの?」

「前はスポーツカーに乗ってたんだけど、事故起こした。今度、GT-R買いたいんだ」

2人ともゲームが好きで、よくゲームセンターでUFOキャッチャーをやった。一度だけカラオケにも行った。歌を歌うのは好きらしく、一般の人は知らないようなアニメ系の歌を次々と入れていた。

8月1日には2人で「浅虫温泉花火大会」に遊びに行った。屋台で食べ物を買ったり、花火を携帯電話の動画に撮ったりして半日過ごした。2人でいる間、トモは携帯電話の着信などを気にする様子はなく、親しい友人はいないようだった。

「オレと一緒になればいいのに」
     
花火大会の翌日。「親に家を追い出された。アパートに引っ越したから来ないか」と自宅に誘われた。

部屋はアパート1階の1LDK。電気はまだ通っておらず、中は真っ暗だった。壁紙は張り替えたばかりらしく、清潔な感じがした。玄関にはスリッパが2足並んでいた。向かって右側にトイレと風呂、その奥にキッチン。左側奥には居間、その手前に小さな寝室があった。

居間は10畳以上あり、フローリング床でテレビと大きなクリーム色のL字型ソファが占拠していた。「お金には困っていないのかな」と思う一方でこうも思った。

「こんな大きなソファに1人でいたら寂しいだろうな」

寝室には青っぽい絨毯が敷かれ、しわひとつない黄緑色のカバーがかかったベッドがあった。自炊をしている様子はなく、冷蔵庫にはその日の分のコンビニで買ってきた食べ物やプリンなどしか入っていなかった。

一度、コンビニで買ってきた缶入りのカクテルを部屋で飲んだことがあった。トモは何本か飲んでも変わらず、酒は強そうだった。

部屋では2人でもっぱらテレビを見て過ごした。夕方にはニュース番組をみることが多かった。バラエティー番組を見ているときなどは、トモは口元に手を当ててクスッと笑うこともあった。

「オレと一緒になればいいのに」

本気かウソか分からないが、トモがそんなふうに言ってきたことがあった。彼女は「それはないから」と、それとなく交際を断った。

帰り際には必ず、「また来ていいから」と言われた。何度目かに自宅を訪れたとき、突然、合鍵を手渡された。
戸惑いながら「いや」と言うと、トモは「いつでも来ていいから」と鍵を手のひらに押し込んできた。
「誰かに頼られたいのと、自分も誰かに頼りたいのかな」
そう思って鍵を受け取ったが、彼女がその鍵を使うことはなかった。

8月も終わりに近づき、気がつくとメールのやりとりは途絶えていた。
彼女が連絡先を変えたこともあり、それ以降連絡は一切取っていない。

「生きていれば何とかなる」と言っていたのに...
     
加藤容疑者は彼女にとって「お兄さん」のような存在だったという。口数は少なく、自分の家族や悩みについて話すことはなかった。
その代わり、彼女の話はよく聞いてくれた。
当時、人間関係に悩んでいた彼女に対し、加藤容疑者は「生きていれば何とかなる。何かあってもオレがいるから」と優しく励ましてくれたという。

当時を振り返り、彼女は「あんなふうに言っていたのに、自分がそうなったら(事件を起こしたりしたら)ダメだよ」と語る。

彼女は加藤容疑者について「病んでいたり、悩みがあるようには思えなかった。もし悩みがあったのなら、私が聞いてあげていれば、あんなにたくさんの人を殺さずにすんだかもしれない」と唇をかむ。
わずか1カ月間のつきあいだったが、今回の事件で、彼女自身もショックから立ち直れないでいる。

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資料4、秋葉原殺傷17回公判・法廷ライブ

秋葉原殺傷17回公判・法廷ライブ

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(1)】
ネットの世界で「引きこもり」 返信ないと募る"不安と孤独"
2010.7.29 11:31

 (9:57~10:10)
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(27)の第17回公判が29日午前10時前、東京地裁(村山浩昭裁判長)で始まった》
 《この日の公判でも、前回に引き続き、加藤被告の被告人質問が行われる予定だ》
 《前回公判では、加藤被告が今年1月28日の初公判以来、半年ぶりに口を開き、「つぐないの意味で、事件を起こした理由の真相を明らかにすべく、すべてお話しする」と宣言。生い立ちから家庭環境、人格形成、インターネットの掲示板依存など、犯行に至るまでの経緯について、はっきりとした口調で語った》
 《加藤被告は犯行動機について「インターネットの掲示板で嫌がらせをしてきた人たちに事件を起こすことで本当に嫌がっているということを伝えたかった」と証言。さらに、事件を起こした原因について「私の考え方、掲示板での嫌がらせ、掲示板に強く依存した私の生活の在り方」と3つ挙げた》
 《犯行の背景に「言いたいことや伝えたいことをうまく表現できず、言葉でなく行動で示して分かってもらう」という考え方があったとし「母親の育て方が影響している」と分析。「トイレに閉じ込められた」「窓から落とされそうになった」「風呂で九九を間違えれば湯船に沈められた」「食事が遅いと食事をチラシや廊下にぶちまけられた」など、加藤被告が「屈辱的」と感じ、父親も「異常」と表現した母親の行き過ぎとも思える「しつけ」の数々が明らかにされた》
 《弁護人とのやり取りからは、説明もなく厳しく当たる母親の「しつけ」により、自分の意見を伝えず突然攻撃的になる「行動パターン」が形成され、事件を引き起こしたという構図が浮かび上がった》
 《被告人質問2日目となる今公判。加藤被告は、何を語るのだろうか》
 《東京地裁最大の広さを誇る104号法廷は、傍聴人でほぼ満席状態となっている。午前9時57分、村山裁判長に促され、加藤被告が向かって左手の扉から姿を現した。これまで同様、黒のスーツに白いワイシャツ姿。少しつまずいて一瞬驚いたような仕草(しぐさ)を見せたが、いつものように傍聴席に向かって一礼し、向かって左手に位置する弁護人席の前の長いすに腰を下ろした。無表情で落ち着いた様子だ》
 裁判長「それでは、開廷します」
《村山裁判長が、前回に引き続き、弁護人質問を行うことを告げ、加藤被告に対して証言席に座るよう促した。加藤被告はゆっくりと立ち上がって着席。マイクを手前に近づけて調整した》
 《男性弁護人が立ち上がった。前回の続きで、加藤被告が「自分の帰る場所」と表現するほどのめり込んでいたインターネットの掲示板について質問していく》
 弁護人「ずっとダイサンという掲示板を利用していたのですか」
 被告「いや、そうではないです。キュウカイという掲示板を扱うようになりました」
 《前を見据え、大きくはないが、はっきりとした口調で答える加藤被告》
 弁護人「どうしてその掲示板を使うことになったのですか」
 被告「なぜだったか分からないのですが、ダイサンを追い出されることになって、キュウカイに引っ越しをすることになりました」
 弁護人「時期はいつごろですか」
 被告「平成19年の春ごろだったと思います」
 弁護人「キュウカイはどういう掲示板ですか」
 被告「それまでのダイサンと変わらず、雑談したり、ネタがあったり、そういう掲示板です」
 弁護人「どのくらいの人数がいたと思いますか」
 被告「十数人いたと思います」
弁護人「あなたはどういう風に利用していたのですか」
 被告「ダイサンのころと変わらず、スレッドを乱立するような使い方です」
 《独特の「掲示板用語」を使う加藤被告。弁護人は一般の人に分かるように説明を求める》
 弁護人「乱立とはどういうことですか」
 被告「掲示板上にスレッドを連続して大量に作成するような使い方です」
 弁護人「実際に書き込んだ内容は?」
 被告「これも変わらずネタです」
 《加藤被告は左手で、左ほおの辺りをポリポリとかいた》
 弁護人「そこでは、ダイサンと同じようにずっと乱立というやり方だったのですか」
 被告「そうではなく、あるとき、掲示板の管理人から怒られ、乱立をやめるようになりました」
 弁護人「どういうやり取りがあったのですか」
 被告「ある日、レス禁といって、掲示板に書き込みができないようになり、管理人にどうしてレス禁になるのか問い合わせたところ、『乱立は迷惑だ』と。それで私も反省したということです」
 弁護人「どういう風に利用することになったのですか」
 被告「乱立をやめて、一つだけ自分のスレッドを立てて、そこに次々と書き込みをしていくように変わりました」
 弁護人「内容自体は?」
 被告「内容自体、変化はないです」
 弁護人「ほかの掲示板のスレッドや書き込みを見ることはなかったのですか」
 被告「いや、見るんですが、それに対しても、普通は書き込みをするんですが、あえて、自分のスレッドに返信するように。ちょっと回りくどいですが、引きこもったような」
 《インターネットの世界なのに「引きこもり」という表現を使う加藤被告。弁護人はさらに掘り下げて質問していく》
 弁護人「掲示板に反応がないと、どういう気持ちになりましたか」
 被告「返信や書き込みがないと、掲示板に誰もいないということですから、1人になってしまったような孤独を感じて、何か不安な気持ちになりました。自分のスレッドにおかしな書き込みを連発したり、乱立したりしました」
 弁護人「どうしてそういうことをしたのですか」
 被告「意図的ではないのですが、不安感が紛れるような気がして...」
 弁護人「ネタを書き込んでいたということですが、本当の気持ちではないものですか」
 被告「いや、そういうものではないです」
 弁護人「作り話ですか」
 被告「いや、実際のこともあります」
弁護人「どういった内容か説明してください」
 被告「本心もあれば、おもしろおかしく、まったく考えていない出来事も。実際にはなかったことを、作り話としておもしろおかしく誇張したり、いろいろな書き方をしました」
 弁護人「自分のスレッドに書き込んでくれた人についてどう思いますか」
 被告「数あるスレッドの中で選んで入ってきて書き込みをしてくれることは、彼らの中で私の優先順位が高いので、うれしく思いました」
 弁護人「ほかの人が書き込んでくれることをどう感じていましたか」
 被告「現実では相手の方から遊びに来てくれることはなかったのですが、掲示板では、より親しく感じていました」
 《弁護人は、少し間を置いて質問を続ける》
 弁護人「掲示板のやり取りで、あなたが求めていたのは本当の気持ちですか」
 被告「そうではなく、お互い気を使わないで、気楽にというか、そういう環境を望んでいました」
 弁護人「一日の生活で、掲示板を利用しないということは考えられますか」
 被告「考えられないです」

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(2)】「
誕生日に自殺考えていた」 知人女性宅では同じ布団に寝て...
2010.7.29 11:50

 (10:10~10:30)
 《男性弁護人が引き続き、加藤智大(ともひろ)被告(27)にネット掲示板の利用方法について聞いていく》
 弁護人「キュウカイとその他の掲示板はどういう利用の仕方をしていたのですか」
 被告「予備でテキトウという掲示板も利用していました」
 《「キュウカイ」「テキトウ」というのは、いずれも加藤被告が利用していた掲示板の名前だ。加藤被告はキュウカイこと「究極交流掲示板(改)」という掲示板に、「秋葉原で人を殺します」というタイトルのスレッドを立て、「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」など、犯行予告ともとれる書き込みをしていた》
 弁護人「テキトウはこの前、法廷に来てくれた彼が運営している掲示板ですね?」
 被告「はい」
 《掲示板運営者は、弁護側証人として出廷している》
 弁護人「テキトウはどのくらいの人が利用していたのですか」
 被告「多くて数人です。ほとんどは無人の状態でしたが、たまに5、6人集まっていました」
 弁護人「あなたの言う無人とは、どういう状態のことですか」
 被告「無人というのは、掲示板上に新しいスレッドが立てられたり、新しい書き込みがなされるのが一切ない状態のことです」
 弁護人「テキトウではどんな書き込みをしていたのですか」
 被告「雑談をしていました」
 弁護人「なぜテキトウを使うようになったのですか」
 被告「掲示板の管理人から誘われ、義理で使うようになりました」
 《弁護人は掲示板についての質問を終え、被告が働いていた青森市内の運送会社での人間関係について聞いていく》
 弁護人「働いていて不満はありましたか」
 被告「ありませんでした」
 弁護人「同僚と飲みに行ったり花見をしたりしていたということですが、人間関係についてはどう思っていましたか
被告「特にこれといったことはなく、可もなく不可もなく働いていました」
 弁護人「その後も運送会社で働いていたのですか」
 被告「途中で辞めました。平成19年の9月半ばです」
 弁護人「どうしてですか」
 被告「旅に出ることにしたからです」
 弁護人「旅とは?」
 被告「テキトウの管理人に福岡まで遊びに来いと言われたので、福岡まで行く旅です」
 弁護人「その後のことについてはどう考えていましたか」
 被告「9月28日が誕生日なので、その日に自殺しようと考えていました」
 弁護人「どうしてですか」
 被告「なぜかということはよく分かりません」
 《加藤被告はまるで他人事のように淡々と答える》
 弁護人「どういった方法を考えていたのですか」
 被告「青森市内のある駅で、そこを通過する特急に飛び込もうと考えていました」
 弁護人「なぜその方法にしようと思ったのですか」
 被告「その特急が駅を通過するのがすごく速いので、『これなら即死できる』と思った記憶があります」
 弁護人「会社を辞める際はどのようなやり取りをしたのですか」
被告「当初、2週間くらい休暇がほしいと言いましたが、それは無理だと言われたので『じゃあ、辞めます』となりました」
 《同僚の慰留を振り切り、加藤被告は運送会社を退職する。このときの心境について尋ねられると、加藤被告は「自殺することを考えていたので、会社を辞める辞めないというのは二の次だった」と語った》
 弁護人「旅はどのようなものでしたか」
 被告「自分の車でテキトウの人が住むところを回りながら、(管理人が住む)福岡へ行くというものでした」
 《旅に利用した車は、加藤被告が実家を出て一人暮らしを始める際、母親から渡された資金で購入したという》
 弁護人「まず旅に出て、どうしましたか」
 被告「最初は仙台に向かいました。昔からの友人がいたので、そこに泊めてもらいました」
 弁護人「仙台ではどのように過ごしましたか」
 被告「彼とゲームをしたりご飯を食べたりしました」
 弁護人「仙台の友達にはこれから福岡に行き、掲示板の仲間と会うという話をしましたか」
 被告「しませんでした」
 弁護人「掲示板を利用していることは話しましたか」
 被告「しませんでした」
 弁護人「それはなぜですか」
 被告「意図的にではありませんが...。自分でも掲示板を利用したり、旅をしたりすることを痛々しく感じていたから言えなかったのではないかと思います」
 《「痛々しい」という言葉の意味について弁護人から問われると、加藤被告は「恥ずかしいという意味に近いです」と返答。自身の"掲示板漬け"の生活に対する、複雑な心境を打ち明けた》
 《加藤被告はこの後、仙台から群馬へ移動。ここで、テキトウで交流していた女性と過ごしたという》
 弁護人「元々はどういう予定だったのですか」
 被告「(女性が)平日の昼が都合がいいということだったので、朝着いてから一緒に過ごし、夜には出発する予定でした」
 弁護人「実際はどうでしたか」
 被告「前日の夜に着いてしまったので、そこから一緒に過ごしました」
 弁護人「夜は何をしましたか」
 被告「お酒を飲んで...。あ、お酒というのはフルーツ系の甘いカクテルなんですが、それを飲んで過ごしました」
 弁護人「その人は1人で住んでいたのですか」
 被告「いいえ。子供がいました。3歳ぐらいだったと思います」
 弁護人「過ごしてみてどうでしたか」
 被告「楽しかった感じです」
 弁護人「その後はどうしましたか」
 被告「私は車で寝ようとしたのですが、彼女が『部屋で寝ればいいじゃん』と言ったので、部屋で寝ることにしました。布団は一つしかなかったので、一緒の布団で寝ることにしました」
 弁護人「そのときは子供も一緒でしたか」
 被告「はい」
 弁護人「翌日はどうしましたか」
 被告「予定通りゲームセンターに行ったり、カラオケに行ったり、買い物をしたりしました」
 弁護人「その日の夜はどうしましたか」
 被告「また彼女の部屋でお酒を飲んだと思います。そして、彼女の部屋で寝ることになりました」
 弁護人「どうして2泊することにしたのですか」
 被告「彼女といるのが予想外に楽しく、1泊増やしました」
 《加藤被告が次に向かったのは兵庫県。ここでも、テキトウで交流していた女性とゲームセンターに行くなどして2日ほど過ごしたという。そして、テキトウの管理人の男性が住む福岡へ向かった》
 弁護人「管理人にはどんな服装で会いましたか」
 被告「スーツです」
 弁護人「なぜですか」
 被告「以前、掲示板の雑談で、私がネタで『着る服がない。普段は作業着かスーツだ』と言って(書き込んで)いたためです」
 弁護人「その姿を見て、彼はどんな反応をしましたか」
 被告「笑っていました」
 《この日は管理人に連れられて行ったバーで、生まれて初めてのダーツをするなどして過ごし、翌日は周辺を観光。その後、再び兵庫と群馬に寄って、青森に帰ったという》

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(3)】
「セックスするつもりで来たのか」 抱きついた知人女性に責められて...
2010.7.29 11:58

 (10:30~10:45)
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)。男性弁護人による被告人質問が続いている》
 《福岡へ旅行した加藤被告。誕生日に自殺するために故郷の青森へ戻ってきたが...》
 弁護人「青森へはいつ戻ってきたのですか」
 被告「9月の26か27日に予定通り戻ってきました」
 弁護人「自殺する予定は変わらなかったのですか」
 被告「やはり予定通り自殺すると考えていました」
 弁護人「誕生日の9月28日にですか」
 被告「はい」
 《自殺を決意していた加藤被告の心を動かしたのは1通のメールだった》
 弁護人「なぜ自殺しなかったのですか」
 被告「メールがきました。兵庫の女性からです」
 弁護人「どんな内容だったのですか」
 被告「20歳になったら遊びに行くよ、という内容でした」
 弁護人「自殺する気持ちはどうなりましたか」
 被告「彼女は19歳だったので、20歳になったら、というのは半年後なので、それまでは死ねないので自殺は保留するということです」
 弁護人「保留とはどういうことですか」
 被告「それまでは自殺しないことになったということです」
 《男性弁護人は、加藤被告の表情に気を配りながら質問を続けた》
 弁護人「(旅行以降も)地元で過ごすことになったのですか」
 被告「はい」
 弁護人「地元での付き合いはどうですか」
 被告「福岡でダーツを覚えたので、高校時代の友人をダーツに連れて行ったりしました」
 弁護人「ダーツ以外はどこかに遊びに行ったり、家に来てもらったりはしましたか」
 被告「はい。私の部屋に来てもらって遊んだりはしました」
 弁護人「旅をする前に運送会社は辞めたんですか」
 被告「はい」
 弁護人「仕事はどうしたのですか」
 被告「自殺をやめたので、探したのですが、うまく見つかりませんでした」
 弁護人「運送会社に戻ろうとは思わなかったのですか」
 被告「辞め方がまずかったので、戻してくれとお願いするわけにはいきませんでした」
 弁護人「運送会社の同僚とはどうなりましたか」
 被告「その後、飲み会に誘ってもらいました」
 弁護人「家族との関係はどうなりましたか」
 被告「平成19年の夏ごろ、家を出されてからは親との接触はありませんでした」
 弁護人「旅から戻ってきてからも?」
 被告「はい」
 《落ち着いた口調で加藤被告は淡々と答えていく》
 弁護人「自殺するという考えはどうなりましたか」
 被告「その後再び考えるようになりました」
 弁護人「どうしてですか」
 被告「(メールをくれた)彼女が19歳ではなくて、18と判明しまして、彼女が会いに来るのは1年半後になると、そんな先の約束なんか分からない、というので、自殺を思いとどまる理由にはならなくなったからです」
 弁護人「自殺方法は考えましたか」
 被告「東京の中央線に飛び込んで自殺する方法を考えました」
 弁護人「どうして自殺しようと思ったのですか」
 被告「覚えていません」
 弁護人「具体的にいつごろに自殺とか考えましたか」
 被告「時期までは決めていませんでした」
 弁護人「その後どう過ごしましたか」
 被告「月末に群馬の女性のところに行きました」
 《加藤被告は背筋を少し丸め、証言台のマイクに向かって話し続けた》
 弁護人「どうして群馬の女性のところに行くことになったのですか」
 被告「群馬の女性の家の近くのラーメン屋さんが閉店するので、食べに行くというのがきっかけです」
 弁護人「彼女と別れた後はどうするつもりでしたか」
 被告「予定通り、東京の中央線を目指すつもりでした」
 《群馬の女性の元を訪れた加藤被告。東京での自殺を考えていたため、故郷の青森には戻るつもりはなかったという》
 弁護人「(群馬では)どうやって過ごしていましたか」
 被告「前回同様、普通に遊んでいました。ゲームセンターに行ったりショッピングセンターに行ったりしました」
 弁護人「夜はどう過ごしましたか」
 被告「彼女の部屋で、酒を飲みながら話をしていました」
 弁護人「翌日は?」
 被告「掲示板の住人がもう1人いまして、合流することになりました」
 弁護人「夜はどう過ごしましたか」
 被告「3人でお酒を飲みながら過ごしていたように思います」
 弁護人「どんな話をしましたか」
 被告「よく覚えていません」
 弁護人「夜はどうなりましたか? 3人で泊まることになりましたか」
 被告「はい」
 《加藤被告は、言葉に詰まることもなく、よどみなく答えていく》
 弁護人「泊まってからはどういうことがありましたか」
 《落ち着いて証言していた加藤被告だが、一瞬の間を取って続けた》
 被告「その夜、私が甘えるようなかたちで、彼女のおなかのあたりに抱きつくことがありました」
 弁護人「その後どうなりましたか」
 被告「彼女から激しく拒絶する感じがありました」
 《加藤被告は、弁護人に促されるままに続けた》
 被告「とにかく、いけないことをしたんだと分かりまして、気づいたら、どこかのコンビニの駐車場にいました」
 《その後、加藤被告は女性の部屋に忘れ物を取りに行くことになったという》
 弁護人「彼女から何と言われましたか」
万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)
 被告「『私とセックスするつもりで来たのか』と責められました。『そうではない』と答えました」
 弁護人「信じてもらえましたか」
 被告「いいえ、聞いてもらえませんでした」
 弁護人「それからどうしましたか」
 被告「仕方がないので、自殺するため上京する途中で寄ったと話しました」
 弁護人「彼女からどう言われましたか」
 被告「自殺なんか、考えていないで、私に悪いと思っているなら、青森に帰って、ワンピースでも買ってくれたら許してあげる、と言われました」
 弁護人「それでどうなりましたか」
 被告「彼女は自分が強姦されそうだったと(言っていましたが)、でも私は強姦するつもりではなく、事実ではないことで責められましたが、表面上は了承するにとどまりました」
 《女性から強姦しようとしたという"誤解"を受けたと感じた加藤被告。その後、女性とは連絡を絶ったという》

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(4)】
「肩の力を抜いて」 自殺思いとどまらせた警察官の言葉に涙
2010.7.29 12:10

 (10:45~11:00)
 《"群馬の彼女"とのやりとりをネットの掲示板に書き込んだ加藤智大(ともひろ)被告(27)。その書き込みが彼女に見つかってしまう。男性弁護人は彼女との仲が悪くなり、自殺を考えるようになった経緯について聞いていく》
 弁護人「彼女は書き込みを見つけてどういった対応でしたか」
 被告「『私のこと何だと思っているの』と激怒のメールが来ました」
 弁護人「それでどうしたのですか」
 被告「そのスレッドを封鎖して、ハンドルネームを使うのをやめました」
 《彼女とのやりとりを境に、加藤被告はハンドルネームの使用をやめ、「名無し」として利用を続けたという》
 弁護人「『名無し』として書き込みをして、掲示板の利用者は同じ人が書いていると分かるのですか」
 被告「分からなくなってしまいました」
 《弁護人は質問を選ぶように、黙り込んだ》
 《数秒の沈黙の後、掲示板の話から、東京に向かう話に質問を変える》
 弁護人「その後、東京に向かったのですか」
 被告「はい」
 弁護人「東京では何がありましたか」
 被告「車を上野の駐車場に乗り捨てる形で入れて上野と秋葉原の間をプラプラしていました」
 弁護人「それでどうしましたか」
 被告「当時、私が中央線だと思っていた総武線のホームに入りました」
 弁護人「それでどうしましたか」
 被告「中央線が人身事故で止まっているというアナウンスが流れました。電車が止まっていたので自殺が出来ないと思ってホームを出ました」
 弁護人「それでどうしましたか」
 被告「車に戻り、車の中で寝ていれば死ねるかなと思い、車にいました」
 《しばらく車にいた加藤被告。駐車場の管理人と警察官が話しかける。加藤被告は警察官の質問に「自殺を考えている」と話す》
 弁護人「警察官には何をしているのかと聞かれ、何と答えましたか」
 被告「自殺を考えていると言いました」
 弁護人「あなたが自殺を考えていると言って警察官は何と言いましたか」
 被告「『自殺はやめよう』と説得をされました」
 弁護人「あなたが使っていた車はどんな車でしたか」
 被告「父の車を借りて使っていて、青森ナンバーでした」
 弁護人「警察官はどこの出身でしたか」
 被告「確か北海道で同じ北国の出身という話になりました」
 弁護人「警察官は何と言っていましたか」
 被告「自殺を思いとどまるよう説得しようとしていました」
 弁護人「何と説得されましたか」
 被告「どう言われたかははっきり覚えていません」
17人が死傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件の現場となった交差点=平成22年1月28日(古厩正樹撮影)
 弁護人「そのときの警察官の調書があります。そこには『生きていれば辛いこともあるが楽しいことは必ずある。君はがんばりすぎだから肩の力を抜いた方がいい』と言われましたね」
 被告「そうだったかもしれません」
 弁護人「あなたはそこで泣きましたね」
 被告「泣いていたように思います」
 弁護人「そのとき駐車場の管理人はどういうことを言っていましたか」
 被告「とりあえず、車を出してくれと言われました」
 弁護人「駐車料金を延滞していましたね」
 被告「はい」
 弁護人「いくらですか」
 被告「3万3500円だったと記憶しています」
 弁護人「駐車代金をどうしましたか」
 被告「そのときに持ち合わせがなかったので、借用書を書きました。管理人の方は『年末まで返してくれればいいから』と言ってくれました」
 弁護人「どう思いましたか」
 被告「そのように自分を信頼してくれて、なんとしても応えないといけないと思いました」
 弁護人「車で死のうという考えはどうなりましたか」
 被告「なくなりまして、スイッチが入ったように前向きになりました」
 弁護人「どういう思いからですか」
 被告「管理人の方に駐車料金を返すことが生きる目標に設定されました。そういっても過言ではないです」
 《事件からさかのぼること約半年前の、平成19年11月半ばの駐車場での出来事をきっかけに、前向きな考えになった加藤被告。その日のうちに秋葉原の派遣会社に行き、事件前まで勤めていた「関東自動車工業」での仕事を決める。2日後に仕事を始める》
 弁護人「どういう仕事をしていたのですか」
 被告「車のボディの塗装の最終検査です」
 弁護人「どこに住んでいましたか」
 被告「アパートを借りて寮に入ることになりました」
 弁護人「車はどうしましたか」
 被告「そのまま乗っていました」
 弁護人「仕事内容を詳しく教えてください」
 被告「目で見たり、手でなでたりしてボディの表面に不具合がないかチェックします。不具合があれば端末に入力していました」
 弁護人「勤務形態はどうですか」
 被告「朝6時から昼3時までと、昼4時から翌日の0時40分までの2交代で、月から金まで交代交代にやるシフトです」
 弁護人「残業はありましたか」
 被告「夜勤のときは3、4時まで残業することもありました」
 弁護人「1日の検査は何台くらいですか」
 被告「400台くらいです」
 弁護人「どんな職場環境でしたか」
 被告「暑い現場でした」
 弁護人「気温としてはどのくらいですか」
 被告「40度を軽く超える現場でした」
 弁護人「働き始めたころの仕事の負担はどうでしたか」
 被告「正直久しぶりの仕事で相当体がきつかったという覚えがあります」
 《仕事のきつさに一時はやめることも考える加藤被告だったが、駐車場の管理人との約束を心に誓い、仕事を続け、年末に約束を果たす》
 弁護人「お金を返す約束はどうなりましたか」
 被告「年末には全額をお返ししました」
 弁護人「どういう方法ですか」
 被告「手みやげを用意して直接事務所に行ってお返ししました」
 弁護人「電話とか郵送とかは考えませんでしたか」
 被告「はい」
 弁護人「直接返そうと」
 被告「はい」

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(5)】
車の検査ミス疑われ、「何じゃい!」と激怒
2010.7.29 12:24

 (11:00~11:15)
 《引き続き、加藤智大(ともひろ)被告(27)が、派遣社員として静岡県の関東自動車工業東富士工場で働いていた当時の状況について、弁護人が質問していく。インターネットの掲示板で知り合った友人や、工場の同僚との関係について、加藤被告は淡々と質問に答えていく》
 弁護人「(自殺をやめ、働こうという意欲のきっかけになったという)駐車場の管理人に駐車代を返すために働いて代金を払い、『ありがとう』といわれたとき、どう感じましたか」
 被告「申し訳ないような不思議な気持ちになりました」
 弁護人「その後、関東自動車で働くことの目標は、何を持ちましたか」
 被告「(掲示板で知り合った)兵庫の女性を思いだし、会いに行くのを目標にしました」
 弁護人「それはいつごろですか」
 被告「平成20年3月ごろです。彼女に彼氏ができたということで会うのは自重しようと思いました」
 弁護人「会うのは自重しようと思ったということですが、メールはしましたか」
 被告「20年の5月半ばにメールをしました」
 弁護人「どういう内容のメールをしましたか」
 被告「その彼女が掲示板に『自分のせいで彼氏とうまくいかない』と書き込んでいたので、彼女に『彼氏とちゃんと話をするように』という内容とか、『誕生日おめでとう』とかを書いてメールを送りました」
 《掲示板で知り合った女性に彼氏ができた後も、加藤被告は好意を持っていたようだ》
 弁護人「ほかの人と何かやりとりは?」
 被告「『元気か』というような内容のメールが福岡から来ました。『富士山の麓(ふもと)で働いているから遊びに来いよ』と返信した覚えがあります」
 《弁護人の質問は、工場の同僚との関係に移る》
 弁護人「職場でのことを聞きます。同僚とトラブルはありましたか」
 被告「2度ありました」
 弁護人「どういうものでしたか」
 被告「1度目は、自動車を検査するときにもめました。検査は向かい合って行うんですが、私の向かいの人から、車の中央付近の検査について『ここはチェックしたの? ここは?』と何度も大きな声で責められました。実際は相手が見逃していたんですが。それで私は『何じゃい!』と大きな声で言い返したというのがありました」
 《同僚に責められて激怒した当時の様子を振り返る加藤被告だが、口調はこれまでと同様に落ち着いており、よどみなく語られる》
 弁護人「もう一つはどういうことがありましたか」
 被告「工場内にはクーラーが入っているんですが暑いんです。ある先輩のところはクーラーが直撃して寒いところだったので、クーラーが止まっていたとき、その彼が止めたんだろうと私が勘違いして『ふざけんな!』と言ったことがありました」
弁護人「そのときは持ち場は離れましたか」
 被告「いやそういうことはありません」
 《工場の同僚とのトラブルに続き、仕事以外での付き合いについて質問が及ぶ》
 弁護人「仕事以外での付き合いはありましたか」
 被告「いろいろ遊びに行ったりしました」
 弁護人「平成19年の8月からですか」
 被告「はい」
 弁護人「どういう付き合いですか」
 被告「仕事が終わったら工場の向かいのコンビニで話したり、初詣に行ったりした友達もいました」
 弁護人「休憩時間は何をしましたか」
 被告「同僚と雑談をしたりしました」
 弁護人「何人かのグループですか」
 被告「はい、そうです」
 弁護人「親しくなったのは弁護側の調書で読み上げられた人ですか」
 被告「はい」
 《加藤被告は裁判官の方を向いたまま、落ち着いて質問に答えていく》

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(6)】
アキバで"エロ関係"やメイド喫茶... 「同僚の思い満たすよう案内」
2010.7.29 12:49

 (11:15~11:30)
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)への弁護人質問が続く。男性弁護人は、静岡県の自動車工場の同僚との交流関係をゆっくりと尋ねる》
 弁護人「同僚とはどういった付き合いがありましたか」
 被告「車2台でドライブに行ったことがありました」
 弁護人「ほかには?」
 被告「秋葉原を案内したことがありました」
 弁護人「ほかには?」
 被告「カートに連れて行ったり、ご飯に行ったり、お互いの部屋を行き来したことがありました」
 《同僚との私生活での交流についての質問が続く》
 弁護人「同僚とドライブに行ったときのことを詳しく聞かせてください」
 被告「平成20年1月か2月ごろ、5人で、日帰りで伊豆にドライブに行きました」
 弁護人「(その時は)どういった思いでしたか」
 被告「普通に楽しかった思いがありました」
 《少し間をおいて、男性弁護人は、今回の事件が起きた秋葉原について、同僚と遊びに行った際の経緯を尋ねる》
 弁護人「同僚と秋葉原に行ったことがありますね」
 被告「はい」
送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区
 弁護人「どういった形で行くことになったのですか」
 被告「同僚がテレビで見たのか、行きたいと言い出しました。工場では、私は"オタクキャラ"だったので、『詳しいだろう』ということで案内してくれと言われたのだと思います」
 弁護人「同僚からオタクキャラと思われていたということですが、どういった話をしていたのですか」
 被告「ゲームの話題が多かったと思います」
 《静岡の工場では、被告は"オタクキャラ"を受け入れていた様子がうかがえる》
 弁護人「(秋葉原に行った)時期は?」
 被告「平成20年3月ごろだったと思います」
 弁護人「案内するのにどんな準備をしましたか」
 被告「秋葉原のどこに興味があるのか聞き、同僚の思いを満たすように、どのように回るのが効率的か、考えて計画しました」
 弁護人「(秋葉原では)どういう風に過ごしましたか」
 被告「まず1人がパソコンを見たいといい、中古ショップを案内しました。もう一人はエロ関係なら何でもいいと。もう一人はディープな秋葉原を知りたいと言っていたので、いくつか知っていたところを案内し、最後に秋葉原といえばメイド喫茶だろうと思い、そこに連れて行きました」
 弁護人「同僚はどんな様子でしたか」
 被告「恥ずかしそうにしていました」
 弁護人「(全体的に)同僚の様子は」
 被告「楽しそうにしている様子をみていて、(自分も)楽しかったです」
 《秋葉原に同僚と行った際の質問から、ゴールデンウイーク(GW)に、同僚と青森県に旅行したときの質問に移る》
 弁護人「GWはどういうことをしましたか」
 被告「友人(同僚)と二人で青森までドライブに行き、父から借りっぱなしの車を返そうと思いました」
 弁護人「なぜ同僚と一緒に行ったのですか」
 被告「親しかった同僚のおばあちゃんが青森に住んでいました。ある日の夜に2人で出発し、次の日の夕方に青森に着いて彼をおろしました」
 弁護人「それから?」
 被告「ショッピングモールに車を放置して(静岡に)帰りました」
 弁護人「事前に両親に連絡はしましたか」
 被告「しませんでした」
 弁護人「青森に着いてからは?」
 被告「していません」
 弁護人「どうして?」
 被告「そうしたことは頭にありませんでした」
 弁護人「地元の友達と連絡をしようとは思いましたか」
 被告「そうしたことも考えましたが、連絡することはありませんでした」
 弁護人「どうして?」
 被告「平成19年に自殺を考えて青森を出てから、車のローンを払うのをやめていたり、借りているアパートもそのままで、夜逃げ状態で出たので、私と友人が親しくすることで友人に迷惑がかかると思い、接触しませんでした」
 弁護人「どういった迷惑がかかると思ったのですか」
 《被告が少し言葉に詰まった様子をみせる》
 被告「犯人的な私を、かくまっているように借金取りに思われると、迷惑がかかると思いました」
 弁護人「ほかにドライブ中に心配したことは?」
 被告「道中にNシステムがあって、車のナンバーを見られていて、(警察に)捕まるのではないかという心配がありました」
 《被告は、青森を出てから、常に強迫観念にかられていたようだ。ただ、質問に答える被告の様子は淡々として変化はみられない。男性弁護人の質問は、青森の友人との交流関係に戻る》
 弁護人「静岡でも青森の友人からメールを受け取っていましたか」
 被告「はい」
 弁護人「メールの返信は?」
 被告「メールが来るたびに、同じような理由(借金取りから友人が目を付けられる)で迷惑をかけると思い返信はできませんでした」
 《再び静岡の工場の同僚との関係の質問に移る》
 弁護人「静岡の同僚と遊んだ思い出は」
 被告「カートをしに行ったことがありました」
 弁護人「最初に同僚と行ったのはいつごろですか」
 被告「20年ごろだったと思います」

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(7)】
「顔が普通以下では彼女ができない」 自らの書き込みを解説
2010.7.29 13:20

 (11:30~12:00)
 《元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(27)が派遣先の静岡県内の自動車工場で働いていたころ、同僚とカート遊びに行った話について、男性弁護人が聞いていく。カートの後は焼き肉を食べ、カラオケにも行ったという》
 弁護人「カラオケではどんな感じでしたか」
 被告「持ちネタというか、おもしろがらせる歌をあえて歌うような感じでした」
 弁護人「みんなの反応はどうでした?」
 被告「すべったのもあるし、笑ってもらったのもありました」
 《工場で派遣切りされた話へと質問が移る》
 弁護人「静岡の工場で働いて、ほかにどのようなことがありましたか」
 被告「平成20年5月末に、6月末で派遣契約を解約すると通知されました」
 弁護人「予想はしていましたか」
 被告「突然のことでした」
 弁護人「今後について会社からはどのように言われましたか」
 被告「会社としても初めてのことで、ほかの工場を紹介するということでした」
 《加藤被告は正面を見据え、表情を変えずに淡々と述べていく》
 弁護人「あなたはどうしましたか」
 被告「派遣切りの話が出た日に、次に行く工場を決めました」
 弁護人「なぜその工場に決めたのですか」
 被告「工場の人間関係が良かったので彼らとの関係を続けたかったのと、近くの工場だったのもあって決めました」
加藤智大被告。高校の卒業アルバムから(提供写真)
 弁護人「派遣切りで、工場と書面のやりとりはしましたか」
 被告「工場の偉い人に呼ばれ、(契約は終わるが)最後まできちんとやるようにというものに署名させられました」
 弁護人「させられたという表現を使っているが、自発的に署名したのではない?」
 被告「そうではなく、させられました」
 弁護人「どう思いましたか」
 被告「最後までやるつもりだったのに、信用されていないというか、見くびられているような対応をされ不愉快でした」
 《弁護人は、加藤被告が静岡の工場に派遣されていた当時の掲示板の利用状況に話題を移した。加藤被告が使っていた「キュウカイ」という掲示板への書き込みについて尋ねていく》
 弁護人「書き込んでいた内容は?」
 被告「相も変わらず、雑談やネタを書いていました」
 弁護人「書き込みの仕方はどのように変わっていきましたか」
 被告「このころ、掲示板に教会の牧師のように説教をする人が現れました。それを利用して、世の中のブサイクを幸せに導くという教会の牧師をイメージした書き込みをしました」
 《裁判官や弁護人、検察官の手元にあるモニターには書き込み内容が分かる資料が映し出されているが、傍聴席からは見ることができない。弁護人は加藤被告の隣に立ち、書き込みの内容について聞いていく。村山浩昭裁判長は口元にハンカチをあてながら、じっとモニターを見つめている。弁護人は特定の書き込みについて、加藤被告に尋ねた》
 弁護人「書き込んである内容を説明してください」
 被告「要するに、顔が普通以下の男性には彼女ができないということです」
 弁護人「『報われない努力は人の心をむしばみます。生き方を変えれば穏やかに幸せに生きられます』。これはあなたの書き込みですか」
 被告「はい」
 《弁護人は加藤被告の別の書き込みも読み上げた》
 弁護人「『逆上がりは努力でできるようになるが、彼女は努力してもできない。顔の見かけが平均以下の人は彼女はできない。彼女を作る努力より、ほかのことをしたほうがいい』。本気で考えていたのですか」
 被告「そうではありません。あくまでネタです」
 弁護人「『これこそ真理だ。あなたをたたえます』そういう(加藤被告の書き込みを見た人からの)書き込みがありますが?」
 被告「本当にそんなことを思っているのではなく、私のネタにネタをかぶせて返してきている。その程度のものです」
 《加藤被告は独特の言い回しで、自らの書き込みに対するレスについて説明する。聞き終わると弁護人は元の場所に戻った》
 弁護人「書き込みの内容はその後どうなっていきましたか」
 被告「なんでもかんでもブサイクにこじつけるように変わっていきました」
 弁護人「自分が見かけのことで悩んでいたのですか?」
 被告「そうではないです」
 弁護人「ブサイクを話題にしていたのはなぜ?」
 被告「ブサイクというキーワードは掲示板上で興味を引きやすい、話題になりやすい単語。そうしたものを出すことで、ネタを評価していくというか、そういう要素からです」
 《裁判長は加藤被告に弁護人の前の席に戻るよう促し、休廷することを告げた。加藤被告は傍聴席に一礼し、退廷した。約1時間半の休憩をはさみ、午後1時半から引き続き被告人質問が行われる》

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(8)】
ネットのなりすまし続発に「人間関係乗っ取られた」と怒り
2010.7.29 15:21

 (13:29~13:57)
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)の被告人質問が約1時間半の休憩を挟んで再開した》
 村山浩昭裁判長「それでは被告が入廷します」
 《白いワイシャツに黒いスーツ姿の加藤被告が再び東京地裁104号法廷に入った。加藤被告がいつものように傍聴席に一礼し、弁護側の前の長いすに座ると、村山裁判長が再開を告げた》
 裁判長「午後の審理を始めます。引き続き被告人質問を行います。被告は前へ」
 《加藤被告は証言台前の席に着き、午前中に引き続いて男性弁護人が質問を始めた》
 弁護人「午前中の話では当初、インターネットの掲示板に牧師をイメージしたキャラクターで『自分がブサイクだ』と書き込んでいたとのことですね」
 被告「はい」
 《加藤被告は午前中の審理で、「世の中のブサイクを幸せに導く教会の牧師をイメージした書き込みをしていた」と証言していた》
 弁護人「それが何でもかんでも『自分がブサイクだ』との書き込みに変わっていったとのことですね?」
 「実際に自分の見かけをどう考えていたのですか」
 被告「いいか、悪いかといわれれば、悪い方と感じていましたが、掲示板の書き込みのようにどうしようもないブサイクと思っていたわけではありません」
 《加藤被告はややうつむきがちに前を向いて淡々と答えていく》
 弁護人「では、書き込みの内容を示したいと思います」
 《証言台に掲示板の書き込みを印字した資料が置かれ、それが法廷内の大型モニターに映し出される。資料には細かい字でびっしり書き込み内容が記され、傍聴席からは判読できない》
 弁護人「この書き込みの意味は?」
 《加藤被告は弁護人が指し示した個所を読み上げた》
 被告「先輩に合コンに誘われました。引き立て役に私が必要だったのでしょう。お金が必要ないとのことで、お酒を飲み、1人が帰ったので、私も帰りました。いまごろ、私のことで盛り上がっているのではないでしょうか」
 弁護人「この内容は?」
 被告「これもネタです。実際にはやっていないけど、『自虐ネタ』として書き込んだものです」
 《加藤被告はこれまでの審理で、掲示板の話題を盛り上げるため、本当の話ではないが、自分が「ブサイク」だというイメージに合った話題を書き込んでいたと証言していた》
 《弁護人が平成20年4月の別の書き込みを示し、被告に読むようにうながした》
 被告「ゴールデンウイークに田舎に戻りました。楽しい1人旅です。ラジオだけが友だちです」
「旅行の計画をしているときは幸せな気がします。0泊3日の強行軍です」
 弁護人「これは実際の話ですか」
 被告「いえ、実際は友人と2人で青森に行きました」
 弁護人「なぜ、なかったことをわざわざ書き込んだのですか」
 被告「ブサイクキャラでやっていたからです。ブサイクは友だちができないということに合わせて現実に起きたことを書き換えて紹介したということです」
 《弁護人が別の資料を加藤被告に示した。被告の書き込み部分は黄色い蛍光ペンで線が引かれている》
 弁護人「あなたが書いたものですね」
 被告「はい」
 弁護人「別の人があなたのブサイクの程度を質問したことへの返信ですね。どう書きましたか」
 被告「『あなたが想像できるブサイクさ以上のブサイクです』と書きました」
 弁護人「なぜこう書いたのですか」
 被告「実際に思っているように『ちょっとブサイクです』と書いてもおもしろくない。ネタとしておもしろくするために書いたものです」
 《弁護人が次々に加藤被告自身の書き込みを示しながら読み上げていく》
 弁護人「『1人でカラオケです。5人は入れる部屋です』。これもあなたが書いたものですね」
 被告「はい」
 弁護人「これもあなたのものですね。『1人で焼き肉を食べてきました。慣れって怖いですね』『フリータイムが終わったので帰宅です。充実した1日でした。1人でなかったらどんなによかったか』...」
 「実際はどうだったのですか」
 被告「実際は5人で行きました。これも自虐ネタです。ブサイクは友だちができないと書いたので、1人で行ったように書き換えました」
 《弁護人がまた別の書き込みを示した》
 弁護人「これはハンドルネーム(ネット上で使う名前)を書いていませんね。ほかの人からどう見えたと思いますか」
 被告「牧師キャラに合わせ、『です、ます』調を使っていたので、ハンドルネームがなくてもほかと区別されるように工夫しました。大勢の『名無し』(ハンドルネームがない書き込み者)とは別の1人の人と認識されていたと思います」
 弁護人「しかし、自分がブサイクだとはあなただけが書き込んでいたわけではないですね」
 被告「掲示板でよくある話題の1つでした」
 《弁護人が資料の中から加藤被告が書いたものではない、掲示板の書き込みを示していく。「おれはブサイク。涙が出る」「写メ(携帯電話のカメラ)で自分の顔を撮ったらブサイクが写っていた」...といった書き込みがみられる》
 弁護人「これはあなたが書いたものではない?」
 被告「はい」
 《弁護人は「自分はブサイクだ」ということをテーマにした書き込みを次々に示していく》
 弁護人「これも違う?」
 被告「はい」
 弁護人「これも?」
 被告「はい」
 《次々に資料をめくっていた弁護人が額の汗をふき、ふーっと息をはき、別の質問に移った。加藤被告は前を見すえたまま、鼻の下をかいた》
 弁護人「掲示板に『荒らしに遭った』とか、『なりすましをされた』と書いていましたね。『なりすまし』とはどういうことですか」
 被告「私以外が私になりすまして書き込んでいたということです」
 弁護人「それによってどうなりましたか」
 被告「自分が掲示板上で存在しなくなる。自分とそれ以外の境界があいまいになりました」
 弁護人「それはどういうこと?」
 被告「ほかの人から見れば、私が書いたものが私のものととらえられなくなったり、ニセ者が書いたものを私のものととらえられてしまったりしました」
 弁護人「それによって掲示板上の人間関係はどうなりましたか」
 被告「人間関係を乗っ取られ、奪われたという状態になりました」
 弁護人「具体的にいってどういうことですか」
 被告「例えば、自分の家に帰ると、自分とそっくりな人がいて自分として生活している。家族もそれに気付かない。そこに私が帰宅して、家族からは私がニセ者と扱われてしまうような状態です」
 《なりすましに対する怒りを証言する加藤被告。だが、声の調子は平坦(へいたん)なまま、前を見すえて淡々と答えていった》

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(9)】
「私を殺したのはあなたです」...掲示板で怒り爆発させた被告
2010.7.29 16:02

 (13:57~14:30)
 《加藤智大(ともひろ)被告(27)が書き込んでいたインターネットの掲示板で、「自分はブサイクだ」ということをテーマに、加藤被告の書き込みをまねて書き込む「なりすまし」が現れたことについての質問が続いている》
 《男性弁護人は法廷内の大型モニターに、加藤被告やなりすましが書き込んだ内容を映し出した。加藤被告は証言台のモニターに映った書き込み内容を見ながら質問に答えていく》
 弁護人「これがなりすましの書き込みですか」
 被告「はい」
 弁護人「どうなりすましたのか説明してもらえますか」
 被告「この人はあえて(自分と同じように)『です、ます』調にしているのと、改行を文に入れているのをまねしていることからなりすましといえます」
 弁護人「今までにあなたが書いたのに似せて書かれたんですか」
 被告「はい」
 《書き込み記録に記された、誰がどの端末から書き込んだのかなどの情報が判別できる「ユーザーエージェント」という項目や、インターネット上に書き込む際に改行などを行うタグについて加藤被告が詳しく説明する。インターネットへの精通ぶりがうかがわれる》
 弁護人「ほかの人たちは(加藤被告の)ニセ者が書いているのに気づいていなかったのですか」
 被告「はい」
 弁護人「『不細工(ブサイク)でごめんなさい』という書き込みはなりすましですか」
 被告「はい、そうです」
 弁護人「その次に『うぜえよ。不細工、不細工って。そんなことわかっているから』とあり、それに対して『ごめんなさい。不細工だからしかられるのですね』などとありますが、なりすましがほかの人とやりとりをしているということですか」
 被告「はい、そうです」
 《モニター画面から表示が消え、弁護人は弁護人席に戻り質問を続けた》
 弁護人「なりすましの人と荒らしはどういうものがありましたか」
 被告「やり方はいろいろありますが、大量に改行を書かれることで掲示板が見づらくされたりしました。正常な人とのやりとりがやりづらくなる行為です」
 《弁護人は荒らしの手口の1つである、書き込みで改行を繰り返す行為の意味を質問していく。1ページの表示が限られている携帯電話のインターネットでは、改行を繰り返すことにより、何も書かれていない空欄が表示されてしまうのだという》
 《弁護人は再び大型モニターに掲示板の記録を映し、具体的な荒らしの書き込みを示した。そのとき傍聴人席から「もう少し大きく表示してください」との声が上がった。表示が小さな字で表示されるため、傍聴人席からは非常に見づらい》
 弁護人「実際の書き込みで説明してください」
被告「『<br/>』というのがある分だけ改行されるので、記録では4行だけですが実際の掲示板では50行ぐらい改行されてしまいます」
 弁護人「それ以降も同じようなのが続きましたか」
 被告「はい。続きました」
 弁護人「荒らしが続いた後はほかの人の反応はどうでしたか」
 被告「ほとんどなくなりました」
 弁護人「そういう状態をどう思いましたか」
 被告「非常にいやな思いでした。怒りがあったといえます。それまで良好な人間関係を奪われた怒り...」
 《荒らしに掲示板での正常なやりとりを妨害されたことの怒りを思いだしてか、加藤被告は怒りと言って少し言いよどんだ。弁護人は掲示板で書き込んだ人と、掲示板外で交流したかったのかを質問していく》
 弁護人「書き込みをしてきた人と直接連絡をとったりして友人をつくりたいと思いましたか」
 被告「いえ、それはないです」
 弁護人「『GREE(グリー)での名前教えて』という書き込みがありますが、これはどういう意味でしょうか」
 被告「GREEというサイトがあり、個人のページを持つようなサイトなんですが、そこに行けばもっとなれ合い的に友達をつくったりできるところなんです。そこでの名前を教えてくれと言われたということです」
 弁護人「『お断りします』と書き込んでいますが、なぜ断ったのですか」
 被告「別にネットを使って現実でメールをやりとりする友達を求めていたわけではなかったからです」
 《弁護人は、加藤被告が行った、なりすましや荒らし対策について質問していく》
 弁護人「こういったなりすましや荒らしにはどう対応しましたか」
 被告「(書き込みをする元になる)スレッド(テーマ)を編集して『なりすましがいる』とか書き込んだりしました」
 弁護人「収まりましたか」
 被告「収まりませんでした。なりすましに対する我慢の限界に来たので、荒っぽい口調に変えました。なりすましに対して怒っている意志を表示するためです」
 弁護人「『何かが壊れました。私を殺したのはあなたです』と書いていますが、これはどういう気持ちですか」
 被告「なりすましの人を指して、私は怒りましたという表現を示しました」
 弁護人「次は『みんな死んでしまえ』と書いていますね。これは?」
 被告「私は怒っているんだということを意図して書きました。なりすましや荒らしを本気で嫌がっていてやめてほしいと思って書きました」
 弁護人「スレッドを編集してなりすましがいると書いたことでなりすましは減りましたか」
 被告「いえ、減りませんでした」
 弁護人「その後、『主? 偽?』とか『主じゃないね。主は書き込みが雑じゃないから』とか書かれています。その次にはこれはあなたの書き込みですかね。『本物は偽物扱い』と書いています。」
 「また、ほかの人が『偽は消えろよ』と書いています。この書き込みの意味を説明してくれますか」
 被告「私が口調を変えたので、偽物扱いされるのも今考えれば仕方ないんですが、当時は私の書き込みを本物と認識できないのに憤慨している様子が表れています」
 弁護人「別の人が『少し見ないうちに何があったんだ?』と書いています。またほかの人が『主どうしたの? ついに狂った?』『なんだこれ? 主はどれだ?』と書いています。この3つの書き込みは?」
 被告「口調が変わっても私だとわかる人もいたようだが、一方で偽物がいてわけがわからなくなっている人もいたという様子です」
 弁護人「あなたがなりすましに対応するために口調を変えても収まらなかったんですね」
 被告「はい」
 《次に弁護人の質問は荒らしやなりすまし対策として、掲示板の管理人に加藤被告がコンタクトした様子に移る》
 弁護人「あなたが直接荒らしに連絡したことはありましたか」
 被告「それはありません。私には権利はありません。管理人が唯一あります」
 弁護人「具体的にはどう対処するんですか」
 被告「荒らしの書き込みをする人を『レス(レスポンス、返信の意味)禁』にしてくれとメールで送りました」
 《モニターには、荒らしの対処のために加藤被告が管理人に送ったメールの内容が映し出された》

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(10)】
「殺傷系の事件起こすこと考えた」 凶器購入に向かうが...
2010.7.29 16:57

 (14:30~14:53)
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)。掲示板への「なりすまし」の書き込みの削除に悩んでいたことに関して、男性弁護人の質問への証言を続けている》
 弁護人「(掲示板の)管理人に連絡をして、書き込みの削除をしてもらいましたか」
 被告「いえ、(削除依頼の)メールは一切無視されました」
 弁護人「無視されたときどう思いましたか」
 被告「ほかの人には対応するのに、どうして自分だけという気持ちがありました。怒りに近い感情でした」
 《ここで、若い男性弁護人から別の男性弁護人に質問者が交代。被告に資料を見せながら、掲示板上の具体的な書き込みについての質問に移った》
 弁護人「5月30日は仕事でしたか」
 被告「はい」
 弁護人「31日は?」
 被告「夜勤だったので、31日の朝に仕事が終わりました」
 弁護人「31日はどのように過ごしましたか」
 被告「秋葉原に刃物を買いにいきました」
 弁護人「刃物は何のために?」
 被告「はっきりとした記憶はないのですが、何かしらの殺傷系の事件を起こすことを考え、凶器として必要な刃物を買いにいったんだと思います」
 弁護人「殺傷系の事件を起こそうと思った記憶があるのですか」
 被告「そのように考えていただろうと思うだけで、記憶があるわけではないです」
 弁護人「どうしてそう思うのですか」
 被告「出来事と行動の意味を考えてそのように考えています」
 《男性弁護人が被告の横に立ち、資料を見せながら掲示板上の書き込み内容を説明。これまで前を向いて証言していた被告は、目の前に置かれた資料がよく見えないのか、めがねを直すしぐさをする》
《弁護人は、被告が警察に書き込みや荒らしのことを相談するような書き込みをしたことについて、その理由を尋ねた》
 弁護人「どうして警察を持ち出したのですか」
 被告「掲示板上ではどうしようもないと思い、問題を現実に持ってきて、解決できないかと考えたんだと思います」
 弁護人「(荒らしの)スレッドを削除できないのですか」
 被告「できます」
 弁護人「他人のなりすまし行為を削除することは?」
 被告「できます」
 弁護人「削除すればよかったのでは?」
 被告「削除する前に、読まれてしまえば変わらない。また、嫌がっていると思われるとさらにエスカレートすると思ってそういうことはできなかった」
 《男性弁護人は、再度被告の横に立ち、資料を見せながら説明する。被告が「死んでも手をたたいて笑う意味を教えてください」と自分が死んだ後について書き込んだ意味について尋ねた》
 弁護人「どうしてこのような書き込みをしたのですか」
 被告「なりすましに対して、自殺という手段でそうした嫌がらせ行為を嫌がっていることを伝えたかったんだと思います」
 弁護人「(実際に)自殺しようと考えましたか」
 被告「いや、自殺したところで、一般人なので、どこの誰か分からない。なりすましにも伝わらない。アピールにもならないと思いました」
 弁護人「自殺する考えはこの時点ではなかった?」
 被告「そう思われます」
 弁護人「そう思うとは?」
 被告「書き込んだ記憶自体がないです」
 《加藤被告は、掲示板への書き込みになると、断定口調から語尾をあいまいにし、他人事のような言い回しが目立つ》
 《31日午後6時半ごろから、同8時ごろに「上野に行ってみる」と被告が書き込むまでの間のことを男性弁護人が尋ねる》
 弁護人「書き込みに時間が空いているが、この間は、何を考えてましたか」
 被告「時間が空いている間に、前の書き込みに対する怒りも落ち着いたように思われます」
 弁護人「上野に(刃物を買いに)行こうと考えたのは?」
 被告「おそらく、合法的な手段がみつからず、事件というアピールという方法をこの時点で思いついたのではないかと考えられます」
 《「はっきりした記憶がない」というだけにまるで他人事のような受け答えが続く》
 弁護人「殺傷系の事件とはどのような方法を考えていたのですか」
 被告「掲示板でスレッドを編集し、その通りの事件を起こすことを考えていたのだと思います」
 弁護人「この時点で、トラックやナイフの使用。秋葉原という場所を考えていましたか」
 被告「そういった覚えはないです」
 弁護人「殺傷系の事件を起こそうと決定していた?」
 被告「そういうことではなく、(事件を)起こさない方法を考えていました」
 《この時点では、なりすましらに怒りはあったが、実際に事件を起こすまでの決意はなかったようだ。男性弁護人は、被告が上野から秋葉原に向かった経緯を質問した》
 弁護人「上野では何をしましたか」
 被告「実際には靴を買いました」
 弁護人「そのあと秋葉原に行っていますが?」
 被告「前に駅で広告を見て覚えていた店に行きました」
 弁護人「その店では刃物は売っていなかった?」
 被告「そうです」
 弁護人「どうしましたか」
 被告「自分の(気持ちの)スイッチが変わり、ゲームやCDを買って静岡に帰りました」
 弁護人「ほかの店で刃物を買おうとは思いませんでしたか」
 被告「そうしたことは頭にありませんでした」
 《男性弁護人は再び、被告の横に立ち、資料を見せる。「新幹線の車両販売の人におつりを投げつけられた」との書き込みについての説明を求めた》
 弁護人「なぜこのような書き込みをしたのですか」
 被告「自分だけそのような扱いを受けることを、いつものブサイクネタのように書き込んだんだと思います」
 《男性弁護人は弁護人席に戻り、質問を続ける》
 弁護人「6月1日は何をしていましたか」
 被告「特に何をしたという記憶はありません」
 弁護人「前日に殺傷事件を起こそうと思ったことについては?」
 被告「そうしたことを考えていた覚えはありません」
 《男性弁護人が、資料を提示するため、加藤被告の隣に立ち、加藤被告が書いた「殺人を合法にすればいいのか」との書き込みについての質問に移った》
 弁護人「どうしてこのような書き込みをしたのですか」
 被告「書き込みでいかにも事件を起こすようなアピールをなりすましにしたかったのだと思います」
 《依然として他人事のような語り口調だ》
 《村山浩昭裁判長が「休廷をしたいのですが、どうですか」と言葉を挟んだが、男性弁護人は、追加質問を求めて、認められた》
 《男性弁護人は、被告が2本のゲームソフトの名前を挙げた書き込みを示し、書き込んだ理由を尋ねる》
 弁護人「(関係者の間では)事件を想起させるゲームソフト名とされています。なぜそのような書き込みをしたのですか」
 被告「やはり、なりすましをしている人たちに、事件を起こすような印象を与えることを考えたのだと思います」
 《前を向いて淡々と証言する被告の姿勢は変わらない》

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(11)】
「自殺に他人を巻き込むなら目標100人」... 膨張する妄想
2010.7.29 17:24

 (15:25~15:55)
 《約30分間の休廷をはさみ、加藤智大(ともひろ)被告(27)が再び入廷し、証言台の前の席に座った。男性弁護人は無差別殺傷事件を想起させる「殺傷系ゲーム」の話から質問を続ける》
 《弁護人は加藤被告の横に立ち、インターネットの掲示板の加藤被告の書き込み内容を法廷内のモニターに映し、書き込みの意味を質問していった》
 弁護人「『目標100人ぐらい。もっとやりたい』と書いてあるが、この書き込みを説明してください」
 被告「少し前に自殺はなんでいけないのかということを書き込んだりしていて、自殺に他人を巻き込むなら目標は100人というような意味です」
 弁護人「実際に考えていたのですか」
 被告「考えていませんでした」
 《弁護人は資料を指さして、さらに別の書き込みについても聞いていった》
 弁護人「『ログ(書き込み記録)って残るんだよね』とありますが、これは?」
 被告「事件を起こしたあと、荒らしやなりすましが書き込みを消しても、記録って(掲示板の)運営会社で確認できるんだよねと書くことで、ニセ者や荒らしに警告していました」
 《弁護人は掲示板への書き込みの質問から、6月3日の加藤被告の行動へと質問を変えていく》
 弁護人「6月3日のことで覚えていることはありますか」
 被告「髪を切りに行って、本屋にも行きました」
 弁護人「どこまで?」
 被告「御殿場です」
 弁護人「本屋では何を買いましたか」
 被告「エアガンの雑誌を買いました」
 弁護人「なぜエアガンなのですか」
 被告「友人の趣味が私のやっていた趣味と近かったので、昔やっていたエアガンを紹介したら一緒にできると思って買ってみました」
 弁護人「友人とは何をしようと思ったのですか」
 被告「サバイバルゲームをしようと考えていました」
 弁護人「その雑誌にあなたがナイフを買いに行った店の情報が載っていましたか」
 被告「載っていました」
 弁護人「だから買ったのですか」
 被告「そうではないです」
 《弁護人は、一度は派遣終了を告げられた工場と契約が継続できることになったことについて、質問していった》
 弁護人「もと通り働けるということは、どういう風に伝えられたのですか」
 被告「通勤用バスのバス停に向かっていたところ、リーダー格の人がバス停から歩いてきて、簡単に口頭で伝えられました」
弁護人「工場で派遣切りになったのはあなただけでしたか」
 被告「派遣(社員)は全員でした」
 弁護人「残留できることになったのは全員でしたか」
 被告「一部の人だけでした」
 弁護人「なぜその一部の人にあなたが入っていたのですか」
 被告「所属していた工程が忙しく、抜けると作業が成り立たない状況だったのではないかと思います」
 弁護人「継続できる期限については何と?」
 被告「何か言われた覚えはありません」
 弁護人「残留できると聞いてどう思いましたか」
 被告「これといってありませんが、残留になったらなったでがんばろうと思いました」
 《弁護人は、捜査段階での調書を引き合いに出した》
 弁護人「派遣先では歯車のように扱われ、憤慨したとありますが、そのように感じていたのですか」
 被告「そんな感情ではありませんでした」
 弁護人「会社に簡単に切られることについてはどのように思っていたのですか」
 被告「派遣が使い捨てのパーツのように扱われることに疑問を持った。それについてあるところに相談したところ...」
 《弁護人が突然、加藤被告の質問を遮るように割って入った》
 弁護人「あるところとはどこですか」
 被告「(ネットの掲示板)『2ちゃんねる』に相談しました」
 弁護人「『2ちゃんねる』はそうした真剣な相談をするところなのですか」
 被告「(2ちゃんねる内にさらに)たくさん掲示板があり、中には真剣な相談に乗ってアドバイスをくれるところもあります」
 弁護人「どういう相談をしたのですか」
 被告「派遣は使い捨てのパーツだというようなことをぶつけました」
 弁護人「どんなアドバイスをもらいましたか」
 被告「『正社員でも派遣でも、組織に属するというのはそういうもの。1人欠けたら成り立たなくなるような組織は脆弱だ』というような内容で、なるほどなと思いました」
 弁護人「派遣切りに憤慨したことが犯行の動機ではないのですね」
 被告「それはないです」
 《弁護人が再び加藤被告の隣に立った。加藤被告の書き込みを印字した資料を指し示し、質問を続けた》
 弁護人「『ひぐらし』と『GTA』(「ひぐらしのなく頃に」など殺傷事件を想起させるとされる2本のゲームソフト)を買っておかないと、とありますがこれは?」
被告「『ひぐらし』と『GTA』で事件を連想させることで、なりすましに警告しようと思いました」
 弁護人「実際に買ったんですか」
 被告「買ってないですし、買おうとしたこともありません」
 弁護人「このころ事件を起こすことを決めていたのですか」
 被告「そんなことはないです」
 《弁護人はさらに別の書き込みについて質問した》
 弁護人「『助手席に女、乗せているやつに税金かければ、日本の財政難は解消すると思う』とありますが、これは?」
 被告「いつものブサイクネタとして書き込みました」
 弁護人「『6月4日には土浦の何人か刺したやつを思い出した』とありますが?」
 被告「何かでそうしたことを思いだし、なりすましやニセ者に起こしそうな殺傷事件、無差別殺傷、そういった要素が加わってしまったと思われます」
 弁護人「この時点で無差別殺傷をしようと考えていたのですか」
 被告「そうではないです」
 《裁判官は手元の資料に目を落とし、加藤被告の言葉にじっと耳を傾けている。弁護人はもといた場所に戻り、派遣先の工場で作業着がなくなったことに質問を移した》
 弁護人「6月5日の朝に出勤したらつなぎがなくなっていましたね。そのことについて説明してください」
 被告「出勤すると、あるはずの作業着、つなぎがなくなっていました」
 《弁護人は、工場でのつなぎの管理方法や整理の状況について、加藤被告にひとつひとつ確認していく。加藤被告は淡々と説明していった》

【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(12)】
ナイフ6本購入 「シンプルでバランスのとれたもの選んだ」
2010.7.29 18:04

 (15:50~16:20)
 《加藤智大(ともひろ)被告(27)が働いていた関東自動車工業東富士工場で、作業着「つなぎ」が見つからなかったため、加藤被告が激怒した平成20年6月5日の出来事と、その3日後に17人を死傷させた大事件がどう結びついたのかが明らかにされていく》
 弁護人「6月5日につなぎが見つからなかったことの以前に、つなぎがなかったことはありましたか」
 被告「前にも1度ありましたが、そのときは気にしませんでした」
 弁護人「そのときはなくなったつなぎはどうなりましたか」
 被告「いつの間にか戻ってきました」
 弁護人「そのときはキレたりはしませんでしたか」
 被告「それはなかったです」
 弁護人「加藤君以外にも見つからないとかはよくありましたか」
 被告「上司の話だとよくあるらしいです」
 弁護人「それはなぜですか」
 被告「おそらく洗濯した後に返却する人が間違えたりするせいだと思います」
 《弁護人は、6月5日に加藤被告が激怒した理由などを質問していく》
 弁護人「6月5日のことですが、見つからなくてどうしましたか」
 被告「洗濯カゴを探したり、ロッカーのつなぎを確認しましたが見つかりませんでした」
 弁護人「それでどうしましたか」
 被告「そこで激高してしまい、ハンガーにかけてあったつなぎを全部引きはがし、帰り支度を始めました」
 弁護人「つなぎはどうなったと思ったんですか」
 被告「誰かが悪意を持って隠したんだと思いました」
 弁護人「それ以前につなぎがなくなるのは知っていたのに、なぜ激高したのですか」
 被告「派遣の契約終了とかの話や、掲示板上でなりすましや荒らしなどの嫌がらせをされていて、精神的にゆとりがなかったからだと思います」
 弁護人「『つなぎ事件』があった5日になりすましがあって、掲示板の管理人になりすましの書き込みを禁止するようにメールしましたか」
 被告「はい、しました」
 弁護人「なりすましがない状態で、つなぎがなくなっていたら?」
被告「おそらく前回なくなったときと同様に普段使うのとは別のつなぎを着て、同僚をおもしろがらせようとしていたと思います」
 弁護人「ということはつなぎ事件が今回の事件の動機ですか」
 被告「いえそれはありません」
 弁護人「あるいは関東自動車工業へのうらみが動機ですか」
 被告「それもありません」
 《"派遣切り"や掲示板での嫌がらせが「つなぎ事件」につながったことは認めた加藤被告だが、それが直接今回の事件の動機になったことは否定した。事件の直接の動機はまだ語られない》
 弁護人「激怒して工場から出たときに先輩とすれ違いましたよね。そのときのやりとりは覚えていますか」
 被告「すれちがいざまにどうしたんだと聞かれたので、『ちょっと忘れ物を』と言った後すぐに気が変わって『いや帰るんです』と言って帰りました。出入り口のドアを蹴飛ばして工場を後にして、普段ならバスで帰るところを最寄りの駅まで歩いて帰りました」
 弁護人「連絡はありませんでしたか」
 被告「知っている人や知らない人から電話があり、友人からはメールも来ました」
 弁護人「『つなぎがあったよ』というメールが来たんですか」
 被告「はい、そういうことです」
 弁護人「そう言われてどういう気持ちでしたか」  被告「あるはずがないものがあると言われておかしな気分でした」
 弁護人「会社を飛び出したのは会社を辞めようと思ったのですか」
 被告「いえ、そういうつもりではなくて、つなぎを隠した人へのアピールのつもりで飛び出しました」
 弁護人「家に帰った後どういう気持ちでしたか」
 被告「『またやってしまった』という気持ちでした。言いたいことを口で言えず、態度で示して失敗してきたのに、また同じ失敗をしたという気持ちです」
 弁護人「またやってしまったと思ったなら会社に帰ろうとは思いませんでしたか」
被告「そのときは『誰がやったんだ?』ということで頭がいっぱいだったので...」
 《続いて弁護人は、「つなぎ事件」と連続殺傷の関連性を突っ込んで質問していく》
 弁護人「6月5日にそういうことがあって、秋葉原の事件のことを考えましたか」
 被告「いえ、特に考えませんでした」
 弁護人「6月5日の掲示板の書き込みを見れば、何を考えていたか思い出せますか」
 被告「思い出せはしないかもしれませんが、説明はできます」
 《掲示板の書き込みの記録が大型モニターに映し出された。弁護人は加藤被告の書き込みの意図について説明を求めていく》
 弁護人「『スローイングナイフ(投げナイフ)を通販してみる。殺人ドールですよ』とありますがこれはどういう意味ですか」
 被告「この時点では、ミリタリーショップの広告のページを見てそこに書いてあるスローイングナイフを発見して、あるゲームに出てくる道具に似ていたので、それを通販しようと思いました」
 弁護人「何を考えていたんですか」
 被告「ナイフを買うということを示すことで荒らしに警告をしようと思っていました」
 弁護人「スローイングナイフを事件に使おうとは思っていませんでしたか」
 被告「この時点ではないです」
 弁護人「『明日、福井に行ってくる』とありますが、これはどういう意味ですか」
 被告「福井にあるミリタリーショップに行ってナイフを買ってくるという意味ですが、直接、買いに行くと書き込んでいるのは、6月8日は日曜で秋葉原が歩行者天国なので、それに合わせて直接買ってこようと考えていたんだろうと推察できます」
 《他人事のような口調が続く》
 弁護人「なぜ6月8日を意識していたのですか」
 被告「自分でも分かりませんが、6月8日の日曜日を考えて固執したんだと思います」
 弁護人「(書き込みにある)『東京の道路って面倒くさい』の意味は?」
 被告「車で東京に行く、秋葉原に行くっていうのを考えてこんなことを書いたんだろうと思います」
 弁護人「『トラックで行くのは無謀かもしれない』と書いてあるのは?」
 被告「1つ前の書き込みの続きとして、この時点では車の車種がトラックになっていたんだと考えられます」
 弁護人「秋葉原という場所を決めた記憶はありますか」
 被告「ないです」
 弁護人「なぜ秋葉原と考えたのですか」
 被告「日本のどこに住んでいるか、分からないなりすましや荒らしに、報道を通じて自分が事件を起こしたことを示すためには大事件を起こす必要がある。大事件といえば大都市。近くの大都市といえば、東京。東京で自分が知っているのは秋葉原。という流れだと思います」
 弁護人「このときまでにトラックやナイフを使った無差別殺傷を考えていたことになりますか」
 被告「はい」
 《加藤被告はつなぎ事件が事件のきっかけになったこと自体は否定したが、掲示板には事件の場所などを記載して具体的に事件を計画していたことは認めた。しかし、弁護人の質問が事件を実行する気があったのかに及ぶと...》
 弁護人「この時点で事件を起こそうという気持ちはありましたか」
 被告「まだやらない方向で、むしろ最終的にはやらずに済めばと思っていました。事件を考える一方、やらないことも考えていました」
 弁護人「6月5日に『犯罪者予備軍って日本にはたくさんいる気がする』と書いていますが、これはどういう気持ちでしたか」
 被告「なりすましや荒らしに、私が事件を起こすのではないかと思わせて、警告したものです」
現場に残された容疑者が使った2トントラックを調べる警視庁捜査員=平成20年6月8日、東京都千代田区外神田(大井田裕撮影)
 弁護人「6月5日の『つなぎ事件』のことを具体的に覚えていないのは、事件から2年たったからですか」
 被告「そうではなくて、取り調べを受けていたときから覚えていなかったのを覚えています」
 弁護人「『やりたいことは殺人。夢はワイドショー独占』と書いていますが、これはどういう気持ちでしたか」
 被告「この書き込みは今も覚えていますが、ほかの人が自分の夢を書いているのをみて、なりすましや荒らしに警告という形で、私が事件を起こすのではと思わせました」
 弁護人「実際にやりたいことは殺人と、考えていたのですか」
 被告「(考えて)ないです」
 《事件の具体的な計画ともとれる書き込みの意図を説明した加藤被告。しかし、あくまで実行する気はなかったとの主張を続ける》
 弁護人「6月6日に福井にナイフを買いに行きましたが、何を買いましたか」
 被告「ナイフを6本、特殊警棒を1本とグローブを買いました」
 弁護人「スローイングナイフ3本以外に3本買ったのはなぜですか」
 被告「そのときの気持ちははっきりしませんがなんとなくです。見た目で選んでゴテゴテした装飾のついたものではなく、シンプルでバランスのとれたものを選びました」
 弁護人「証人の警察官が『刃が加工されていて非常に危険なものだった』と説明していましたが、選んだのですか」
 被告「そうではないです」
 《加藤被告は事件を実行する意図に続いて、ナイフの危険性の認識までも否定してみせた》
【秋葉原17人殺傷 被告語る2日目(13)完】「八方ふさがり。それ以外方法がない」 事件決意した瞬間
2010.7.29 19:06

 (16:20~17:03)
 《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)。男性弁護人は、事件で使用したナイフの入手経緯から当日の状況まで、被告の心情を中心に事件前の核心部分に迫っていった》
 弁護人「福井までナイフを買いに行かずに、身近な包丁という考えはなかったのですか」
 被告「いま思えば、それで良かったのかなと思います。当時は福井でナイフを買うことに固執していたように思います」
 《弁護人は、福井の店で特殊警棒やグローブを買ったことを紹介した》
 弁護人「グローブは実際に使ったのですか?」
 被告「ぶかぶかでサイズがあわず使いませんでした」
 弁護人「ナイフなどを買った後は?」
 被告「家に戻りました」
 《男性弁護人は、加藤被告が帰宅後、「とりあえずナイフを投げてみようかな」などと書き込んだ内容について尋ねた》
 弁護人「なぜ、このような書き込みをしたのですか」
 被告「いかにもナイフを買ってきて、(ネットの掲示板でなりすました人物たちに)事件を強く連想させ、なりすましをやめてほしいとの警告だったと思います」
 《弁護人は、事件前日の被告の行動について、質問を変えた》
 弁護人「(事件前日の)6月7日は何をしていましたか」
 被告「(秋葉原で)パソコンやゲーム機を売却し、レンタカーの予約をしました」
 《弁護人はレンタカーの予約について尋ね、それに対して加藤被告が犯行前に借りたトラックを友人の1人に見せた理由について「友人に見せたかったから」と語った》
 弁護人「友人に見せたかった理由は?」
 被告「大きな車が運転できるところを見せ、人並みにできることを知ってもらいたかったからだと思います」
 《秋葉原から帰宅後の被告の行動について、男性弁護人が被告の横に立ち、法廷内のモニターに資料を映しながら、「頭痛がひどい」との加藤被告の書き込みについて尋ねる》
 弁護人「どのような痛みでしたか」
 被告「頭の内側からずきずきするような感じでした。頭を振ると痛かったと思います。体調が悪いわけではありませんでした」
 弁護人「次の日(事件当日)のことを考えていたのですか」
 被告「特に何かを考えていたわけではないです。何をしていたのかもよく分かりません」
 《記憶をたどりながら淡々と証言していた被告も、事件前日から当日にかけてのことになると、少し考え込むような間をみせる》
 弁護人「6月7日の夜のことで覚えていることはありますか」
 被告「よく分かりません。警告を繰り返し、(なりすましをしている人物に気づかせることで)事件を起こさない方法を考えていたと思います」
 弁護人「警告とは?」
 被告「なりすまし、荒らし行為に対し、何とかしてほしい。無視していた管理人らに本気で嫌がっていたことが伝われば、問題解決になりました」
 弁護人「どういう風になれば伝わったと思えるのですか」
 被告「彼らが謝ってくれれば、伝わったことが確認できました」
 《ここから、弁護人が事件当日の加藤被告の行動についての質問に入った》
 弁護人「6月8日の朝は何をしていましたか」
 被告「朝ご飯を食べて、レンタカーを受け取りにいきました」
 弁護人「朝にスレッドを新しく立ち上げたようですが」
 被告「それは覚えていません」
 《加藤被告は記憶にないものの、事実関係は認め、男性弁護人は、被告が「なりすましの『レス(レスポンス、返信の意味)禁』をおねがいします」と管理人に送った書き込みの内容について質問を続ける》
 弁護人「どういう意図があったのですか」
 被告「『レス禁』にしてもらえれば、なりすましもなくなるので削除してもらいたかったと思います」
17人が死傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件の現場となった交差点=平成22年1月28日(古厩正樹撮影)
 弁護人「削除されていれば、違った結果になったと?」
 被告「その可能性がないとは言えません」
 《弁護人が掲示板にスレッドを立てた経緯や、「秋葉原で人を殺します」と書き込んだ内容を提示し、再び事件当日の朝、被告がレンタカーを受け取った後の質問に移った》
 弁護人「レンタカーを受け取った後は?」
 被告「自宅に戻り、友人にあげようと思ってまとめていたゲームなどをトラックに詰め込み友人のところに行きました」
 《加藤被告は、自宅を出て秋葉原に向かう際に、ナイフをどのように持って行ったかなどについて説明。レンタカーを借りた後で「友人宅に寄った」とも説明した》
 弁護人「友人宅に寄った際のやりとりは?」
 被告「友人にあげたゲームなどの解説や、トラックの写真を撮ろうとしていたので、『写真をメールしたりするのは明日以降にしてほしい』と言いました」
 弁護人「どこに行くのかも聞かれましたか」
 被告「東の方に行くという風にいいました」
 弁護人「どれくらいの時間、友人と話していましたか」
 被告「はっきりとは覚えていませんが、15~20分ぐらいだったと思います」
 弁護人「掲示板上での悩みは相談してみようとは考えませんでしたか」
 被告「特に考えなかったです」
 《男性弁護人は、友人との接触についての質問から、秋葉原に向かった経緯についての質問に変えた》
 弁護人「友人に物をあげた後は?」
 被告「高速道路を経由して秋葉原に向かいました」
 弁護人「着いたのは?」
 被告「正午少し前だったと思います。いったん車を置いて、パチンコ店のトイレで、掲示板で自分のスレッドを編集する準備をしました」
 弁護人「編集するということはどのような行為なのですか」
 被告「編集することは掲示板上に直接事件の内容を書く行為であり、事件の一部でした」
 弁護人「(事件の)スタートになる行為ということですか」
 被告「はい。そうです」
 弁護人「(編集することは)どういう意味があるのですか」
 被告「現実に事件が起きていることを『荒らし』が知って、罪悪感を感じることになるはずでした」
 弁護人「具体的に編集する手続きは?」
 被告「文章を作成して、それを送信するという二段階です」
 弁護人「文章を作るところまでいって、送信ボタンは押せなかった」
 被告「押せませんでした」
 《被告は、これまでより、はっきりした口調で否定した》
 弁護人「どうして?」
 被告「編集すると掲示板上の事件が開始することになるが、事件を起こさずに問題を解決したいという思いがまだあったと思います」
 弁護人「引き返せないと思ったから?」
 被告「そうです」
 弁護人「結局、トイレでは送信できなかった?」
 被告「そのまま車に戻る途中で、結局、送信して、完了させてしまいました」
 弁護人「送信ボタンを押した瞬間を覚えていますか」
 被告「なぜ(押した)かも良く覚えていません」
 弁護人「いまではどう考えていますか」
 被告「八方ふさがりでした。もうそれ(事件を起こす)以外に問題を解決する方法がないと考えていたんだと思います」
《ここから、秋葉原の交差点に進入した際の質問に移り、交差点に3回向かい、3回ともためらった理由について男性弁護士が詳しく説明を求めた》
 弁護人「1回目はなぜ、突入しなかったのですか」
 被告「赤信号で、止まってしまいました。本能的に、(突入に)ものすごい抵抗があり、意志とは関係なく、体が拒否した感じでした」
 弁護人「その後も、突入できなかった」
 被告「本来は交差点を曲がり、歩行者天国に突入する予定でしたが、ハンドルは切れませんでした」
 弁護人「3回目通過して、何を考えましたか」
 被告「(事件を)起こしたくない。掲示板の事件を始めたが、中止できないか考えました」
 弁護人「具体的には?」
 被告「このまま、秋葉原を離れて、レンタカーを返えそうと考えました」 
 弁護人「それで?」
 被告「そうしたところで、この先、自分の居場所がどこにもない。結局やるしかないのかと考える方向になりました」
 弁護人「居場所がないとは?」
 被告「事件を起こさなければ、掲示板を取り返すこともできない。愛する家族もいない。仕事もない。友人関係もない。そういった意味で居場所がない。そのように感じたのだと思います」
 弁護人「今はどう思っている」
 被告「掲示板にのめりこんでいたときには、それに執着していたが、いまになって考えると現実の方が大切な部分がありました。居場所もあったようにみえて後悔しています」
 《後悔を口にしながらも加藤被告の淡々とした口調は最後まで変わらなかった。弁護人は「きょうはここで終わります」と告げ、裁判長が閉廷を告げた。次回公判は7月30日午前10時から開かれる予定だ》
 =(完)

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資料5、AERA記事

加藤容疑者を生んだ社会

「男男格差」の理不尽 学校カースト制「勉強よりモテ」、共学女子もキモ男呼び出し「死ね」 

AERA 2008.6.23

写真は秋葉原無差別殺傷事件加藤容疑者が働いていた関東自動車工場(静岡県裾野市)前の坂道、工場で働く人はこの坂道と階段を上がって出勤する

以下、AERA 2008.6.23号の記事。

不細工、彼女なし、派遣。様々な要素で劣等感を募らせた加藤容疑者。 学校でも職場でも、容赦ない格差が若者たちを襲う。

編集部 木村恵子、斉藤真紀子、小林明子

事件の一報は自宅のテレビ速報で聞いた。
25歳の男が秋葉原で無差別殺人──。
関西地方に住む無職の男性は、同じ年齢の男が起こした事件に衝撃を受けた。報道で徐々に明らかになる加藤智大(かとうともひろ)容疑者を知るにつれ、こう思った。
──こいつ、自分と同じ境遇じゃないか──
小学校から学習塾に通い、中高は私立中高一貫男子校に進んだ。勉強は好きだった。猛勉強の末、難関の有名国立大にも受かった。だが、大学に入って気づいた。勉強だけ出来てもダメなんだ、と。
高校までは気心の知れた男子仲間だけの温室だった。でも大学では、人間関係が広がる。特に女子とうまく絡めるか絡めないかで、対人関係の広がりは大きく違った。うまく絡めるヤツはモテて人気者になり、器用に友達や彼女を作れる。

社会に手のひら返され

その差は就活にも響いた。要領よく自己アピールする周囲の友達と比べて、自分は全然できない。うつになった。半年療養して事務職に就くも人間関係がうま くいかず辞めた。転職しようにも思うような仕事は見つからない。ようやく見つけた仕事は「正社員に」という約束だったにもかかわらず、「最初半年は試用期 間」と言われ、時給800円のアルバイト。仕事は書類の封筒詰めだった。今年に入って体調も悪化し、今は無職で求職中だ。
「社会の要請に従って頑張って勉強してきたのに、社会に手のひらを返された感じ。コミュニケーション力や対人間関係力など不確かなものこそが重要なのに、そんなものを身につける方法も知らないし、教えてもらったこともない」
好きな小説や野球についてのネットサイトを見るのが趣味。でも、時々そこに辛辣(しんらつ)な書き込みがある。
<お前らモテないからこんなところに集まってるんだろ>
恋人がいたらどんなにいいかと思うが、難しいのはわかっている。加藤容疑者が「社会への絶望」から事件を起こしたという分析を新聞で読み、もちろん事件は言語道断だが、絶望感は自分も一緒だと感じた。
「一度本流を外れると2度とはい上がれない残酷さがある」
イケてるヤツとイケないヤツ──。いま若者を分断するのは、学歴といったわかりやすい基準ではない。もっと様々な要素が絡まり合った複雑な「男男格差」だ。

女子から「バーカ」

<1つだけじゃない いろんな要素が積み重なって自信がなくなる>
加藤容疑者は携帯サイトの掲示板にこうつづっている。中でも頻繁に出てくる「要素」が、「不細工」である。
<不細工は存在価値なし>
<女性にとって彼氏は自分の価値を証明するもの 故に、不細工には彼女ができない>
不登校児などをサポートする、フリースクール「高崎学園」代表の高崎甬史(みちふみ)さんも、最近の中高生の価値観で特に幅をきかせているのは、「イケメンかどうか」だと感じている。
「かつては勉強やスポーツができれば一目置かれた。しかし最近はイケメンかどうか、ガールフレンドがいるかどうか、ガールフレンドがいるかどうかで明暗が分かれ、敗者になれば容赦なくからかいの対象になる」
高崎さんはこんな残酷な事例を聞いた。共学の中学校で、ある女子生徒に呼び出された。わざわざ母親にシャツを新調してもらって、張り切って待ち合わせ場所に行くと、女子生徒に、
「お前なんかにチョコあげるかバーカ」
と罵声(罵声)を浴びせられた。男子生徒は泣いて帰ったという。
「キモい」「キモメン」と認定された人には、人格否定になるような行動をしても抵抗感がない。こうした陰湿ないじめが最近目立つようになったという。
ただ、イケメンも絶対的な基準があるわけではない。イケメンでないことを自分でネタにできたり、気にせず明るく振る舞えたりすれば、イケメンを頂点としたカーストから逃れられる。
「ノリや面白さ、ファッションセンスなどで、『仲間に認めてもらえるか』が決まる。努力ではどうにもならない他者からの評価が、勝敗のポイント。一度敗者 になれば、お笑い芸人か野球選手にでもならなけれは、勝者にはなれないと思いこむほどの重圧を感じている中高生は多い」(高崎さん)

「女なら良かったのに」

こうした「学校カースト」に子どもたちが戦々恐々としているのに、親たちは全くそれを解さず、「勉強」さえできれば将来は明るいかのような時代錯誤の感覚を推しつける。
「何の保証もない社会で、せめて学校くらいはいいところを、と思ってしまうのは、親の不安の裏返し。親や世間の期待は、まだまだ男の子に対してより重くか かるのが現実。今の時代、世間の目を気にせず多様な生き方を選びやすいという点では、女のこの方が男の子よりラクかもしれない」
と、家族問題に詳しい評論家の芹沢俊介(せりざわしゅんすけ)さんは話す。
加藤容疑者も携帯サイトにこうつづっている。
<俺も女なら良かったのに>
社会に出ても、男性受難は続く。派遣など非正社員の労働相談に乗っている日本産業カウンリングセンター理事長で臨床心理士の野原蓉子さんは、女性には労 働時間が短い派遣社員をあえて選んでいる「選択的派遣」が相当数いる一方、男性にはそういう派遣はほとんどいないと感じる。正社員になりたいが、なれない という絶望を抱える人が大部分だ。
「男性の場合、自分のかけがえのなさを感じることと、職業がきわめて強くリンクしている」
女性の場合、非正社員であることが恋愛や結婚のハードルに直結しないが、男性が非正社員であれば、それだけで恋愛や結婚のハードルが高くなる。
「女性に比べると男性は富が一極集中しやすく、職業ひとつで格差がつきやすい」(野原さん)
就職氷河期を経て、格差社会の中で、「多様な働き方」は一気に色あせた。採用バブル時代になり、大手企業志向組と、就活の波にすら乗れないニートやフ リーターの格差はますます広がっている、と野原さんは指摘する。「一流企業の正社員」という偏狭な成功モデルだけを求め、そうなれないなら挑戦もしない極 端な傾向が進んでいると感じる。
 加藤容疑者はこう感じていた。
<派遣がやってた作業をやりたがる正社員なんているわけない 自分は無能です、って言ってるようなもんだし>
かといって、派遣でどんなに認められても、正社員になれるわけでもない。

家庭で起こる「子殺し」

こうした悩みを解消したいときに、助けを求めるのがネットの世界だ。ただ、そこでも男性は難しさを抱えると言うのは、インターネットに詳しいジャーナリストの渋井哲也さんだ。
「男性は見栄(みえ)から弱みを見せにくく、書き込みは情報交換にとどまる。加藤容疑者は本音をぶつけているようだが、理解されないことが前提で、分かり合おうとしていない印象」
こうした生きにくさが社会や親への殺意となって表れる(表)。こんな時代、男の子に親はどう接したらいいのか。
2人の息子が非行で不登校になった経験から、思春期の子育てに悩む親を支援するNPO法人・親の会「絆(きずな)」をつくった小宮光絵さんは、「とにか く対話しかない」という。当時、息子たちのヤンキー友達も自宅に招き入れ、ご飯と味噌汁を振る舞い、とことん会話をした。
「社会に受け入れられないと悩み始めた子どもは、まず親が受け入れてやらなければ。思春期には特に、『かっこいいよね、モテるでしょ』などと子どもに自信をつけてやることが必要」
息子が不登校を乗り越え高校に通うある母親(46)は、むしろ「黙る」ことで、息子を受け入れた。息子が親の言葉の端々から期待を受け止め、先回りして期待に応えようとして息苦しさを感じていたとわかったからだ。
「突き放すのではなく見守る。黙っていると、ありのままの息子の長所が見えてきたんです」
前出の芹沢さんは言う。
「親殺しの場合も社会に牙をむく場合も、共通するのは家庭内で『子殺し』が起きているということ。他人と比べ、成績だけで価値を決め、子供の存在を完全に 否定している。そうして育った子は根底に不安があるから、自信を持って社会にかかわることができず、社会的にも存在を否定され居場所がない」
「一番大事なのは、親も子自身も、人と比べて劣等感や格差感を持たないこと。いいところも悪いところも含めて、そのままの存在がかけがえのないものだと気づくことしかないんです」

 (AERA 2008.6.23)

秋葉原無差別殺傷事件後AP通信はトップにユースで配信を続けるなど海外にも広く報道された。アジア各国では、事件の背景として日本社会に広がる「格差」に言及するメディアが目立った。(6月10日 朝日新聞)
東京新聞はコラムで派遣労働を取り上げている。12日、トヨタ期間工の経験を持つ鎌田慧氏が「自殺か殺人か ─派遣労働者の絶望─」。15日、堤未果さ ん「日雇い禁止でも」でセーフティネットがない派遣制度について。16日、山口二郎氏「尊厳守られる社会に」で犯罪原因となっている労働規制緩和の社会構造。

写真説明。加藤容疑者の両親は、青森市内の自宅前で報道陣を前に謝罪した。途中で母親が倒れ、父親が抱きかかえるように自宅に入った。

以下、97年以降話題になった無差別殺人事件のを表を追加します。

社会や家族に向けられた殺意(年齢は当時) 

97年2~5月 酒鬼薔薇事件
「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る男子中学生(14)が小学生5人を襲い、2人を殺害。殺害した男児の頭部を校門におき、犯行声明分を出した。
「人の死を理解するため、実験をした。反撃できない人間を対象に選んだ」 <被害者像>小学校5年のとき、自分を大事にしてくれた祖母の死を 機に死について考えるようになった。その後同級生にはさみを投げるといった行為が目立つようになり、次第に無口に。動物への虐待も行っていた。

99年9月 池袋通り魔事件
東京・池袋の路上で男(23)が包丁と金づちで通行人を襲い、女性2人を殺害、6人に重軽傷を負わせる。
「人生に絶望し、どうしようもない環境的な不平等にいらいらしたため」 進学校に通い、成績は優秀。両親が借金で失踪し、大学進学も断念。

99年9月 下関通り魔事件
山口県下関市のJR下関駅に車で突入した男(35)が5人を殺害、10人に重軽傷をおわせた。
「社会に不満があり、誰でもいいから殺してやろうと思った」
1浪して九州大学建築学科に入学。卒業後1年間就職せず、精神科などに通いながら、建設会社やコンピューター会社で働いたが長続きしなかった。設計事務所を経営したが廃業し、妻とも離婚。「何をやっても成功せず、いつも自分だけが貧乏くじをひきみじめな思いをしている」

00年5月 豊川主婦刺殺事件
男子高校生(17)が愛知県豊川市の主婦(65)を殺害。
「人を殺す経験をしようと思ってやった」 明るく活発。まじめで成績優秀。模範的生徒で、クラブ活動にも熱心だった。

01年6月8日 池田小児童殺傷事件
大阪府池田市の大阪教育大学付属池田小学校で、男(37)が児童8人を殺害、児童と教諭15人に重軽傷を負わせた。
「エリート校のインテリの子供をたくさん殺せば死刑になれる」 小中学時代は、父から厳しくされた。大阪教育大学付属池田中学校に通うことを両親に反対されて、うつ病に。高校でもトラブルを起こして退学。強 姦などで逮捕歴。自殺願望は強かった。

05年4月 東大阪ハンマー殴打事件
大阪府東大阪市で、無職の少年(17)が4歳の幼稚園児の頭部をハンマーで殴り、重症を負わせた。
「老人以外なら誰でもいいから殺したかった。(凶器は)高校を中退した2年前ごろから用意していた」 高校を1年で中退しその後は引きこもりがち。小学校の卒業文集では、「超有名な漫画家になりたい」と記している。

06年4月 高野山殺人事件
男子高校生(16)が写真店経営者(71)を殺害。
「先生に怒られ、むしゃくしゃした気持ちを晴らすためにやった。相手は誰でもよかった」 大阪の私立高校に通っていたが、前年10月に和歌山の私立高校へ転校。学校行事で積極的に活動する普通の快活な生徒との評。

06年6月 奈良放火殺人事件
奈良で医者の息子(16)が自宅に放火し、義母と弟、妹が焼死体で発見された。
「成績のことで、父親に言われた」 小学校に入って、両親は離婚。小学校時代は、「将来医者になりたい」と文集に書いた。名門中高一貫校に入ったが、成績が伸びないことで、父親に暴力を受けていた。

07年1月 渋谷妹殺害事件
東京・渋谷で、歯医者の息子(21)が、短大生の妹(20)を殺して遺体をバラバラに切断。
「妹に夢がないとなじられた」
歯科医を目指すも、受験に3度失敗し、3浪中だった。

07年5月 会津母殺害事件
福島県の男子高校生(17)が母親を殺し、のこぎりで切断した頭部をバッグに入れて会津若松署に出頭、切断した腕を植木鉢にさした。

「誰でもいいから殺そうと考えていた」「戦争やテロが起きないかなと思っていた」 中学時代、野球部のエースも務める優等生。高校に入り、髪をのばし、周りにとけこめなくなった。高校2年の途中から、不登校ぎみに。

08年1月 戸越銀座連続切りつけ事件
東京都品川区の「戸越銀座商店街」で、男子高校生(16)が包丁で男女5人を切りつける。
「誰でもいいから、皆 殺しにしたかった」 私立中学に進学したが、公立中学に転校後、不登校に。私立高(通信制)では、一番前に座って授業を聞く模範生徒。

08年3月 土浦連続殺傷事件
茨城県土浦市のJR荒川沖駅で無職の男(24)が通行人らを刺し、1人が死亡、7人が負傷した。
「誰でもいいから殺したかった」「死刑になりたかった」
引きこもりがちで、ゲームおたく。ゲーム界では「実力派」。高校卒業後、複数のコンビニでアルバイト。家族との会話は少なく、家には100冊あまりの漫画本やゲームが並んでいた。

08年3月 岡山駅突き落とし事件
JR岡山駅のホームで県職員(33)を少年(18)が突き落として殺害。
「誰でもよかった」「(持参したナイフについて)人を刺そうと思って、自宅からもって出た」 太っていることで、小、中学校といじめられてきた。経済的な理由で、大学進学をあきらめ、「お金をためて国立大に行きたい」と、休職中だった。

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資料6、一緒に居て被害を受けた友人の日記

藤野和倫さん、川口隆裕さんと一緒に居て被害を受けた友人の日記

死亡者の藤野和倫さん、川口隆裕さんと負傷者の20歳男性19歳男性は友人で、負傷者二人が前に、死亡者二人が後ろに並んで歩いていた。

交通事故 なんで俺らが・・・ 2008年06月08日20:36


秋葉原通り魔7人死亡11人けが

日記はリンクフリーとさせてもらいます。
コピペしてもらっても全然かまいません。
それと・・・
フリーにしてから、TVに掲載されてから
コメント、メッセージが急激に増え
なんだか・・・苦しくなります
ご好意はとてもありがたいです
多くの人に知ってもらいたいということで書きました

身勝手ですが
できるだけ、控えて下さるとありがたいです
本当にごめんなさい
でも本当にありがとうございます

今日は空の境界を観たあと秋葉原にいった。

・・・最悪だった。

今日は人生で、生涯で一番最悪な日だろう。
僕は大切な人を二人失いました。
大学の友達・・・
こんなにもあっさりと・・・

今日は行くあてもなく適当に歩いていた。
緑信号の横断歩道。
いつも通りのグダグダな雑談。
どこにでもある平和で普通な話。

思い出すと涙が止まらない。

・・・トラックが自分らに猛スピードで突っ込んできた。
・・・ほんの一瞬だった。
隣にいた友達と俺はぎりぎりでよけて腰の打撲だけで済んだ。
本当に死線だった。
すぐ振り返った。
後ろにいた友達二人が・・・いない。
ゾッとした。
震えがとまらなかった。
その直後発せられた「逃げろ!」
ナイフを持った男?通り魔?
意味がわからなかった。
直後ひかれた友達にすぐさま駆け寄った。
・・・立ち尽くした。

素人でも分かる、重体。

自分はなにもできなくて
ただ大声で、何度も何度もそいつの名前を呼んだ。
やがて応急処置の知識のある人達があつまりだした。
・・・すごいなと思った、半面、情けない。

そんな中
回りを見回すと
カメラ、携帯、カメラ、携帯・・・
なんなんだよお前ら、馬鹿ばっか・・・
カメラぶっ壊してやろうかと、携帯逆折りしてやろうかと
そう思った。
「不謹慎です、やめてください!」
とりあえずやめさせようとした

無視された。

嫌な顔もされた。
・・・なんで?
悔しくて涙が止まらなかった。
その後救急隊が到着した。

・・・と、すぐに口から出た言葉。
「この子は"黒"だから搬送は後だな」
二人の身体に告げられた。
黒・・・馬鹿でもわかる、イメージできる。
白より、嫌な色。
重体なら先に助けてよ。
こんなに血が、意識もなくて・・・
可能性があるほうから・・・
わかってる。
そのほうが賢明だってことくらい
・・・ただ悔しかった。
俺と軽症の一人が
一人づつ付き添いで
病院にいくことになった。
なのに
事情調査、事情調査、事情調査
名前は?住所は?生年月日は?電話番号は?状況は?
同じ質問を何度も何度も何度もされた。
その間友達は運ばれてしまった。
「彼の友達なんです、連れていってくださいっ!!」
「混雑してるから無理だね」
何度も懇願した
あげく
「手術室には入れないし、行っても・・・意味ないよ?」
意味・・・いらない
最期かもしれないんだ、孤独なんてかわいそうすぎる。
結局、なにもできず、別の病院に搬送された。
俺はただの打撲、レントゲンとって湿布はって終わり。
待合室で電話がきた。
双子から。
友達が一人亡くなった・・・。
ボロ泣きだった。
その後病院を出た後。
事故にあった友達の携帯を
自分が預かっていた。
その携帯が鳴った。

・・・友達の親だった。
「中山君?あのね、○○・・・死んじゃった・・・。」
号泣でいわれた。
涙が止まらない。
ぷよぷよで俺涙目にするんじゃなかったのか?
ギルティー今日どっちが強いか決めるんじゃなかったのか?
くだらないけど、叶わない夢。

今後永遠に。

神様・・・僕らが何をしたの?
運命だから?
そんなの残酷すぎる・・・
明日・・・当たり前の日常が消えている
怖い・・・
犯人・・・ネット上で予告してたらしい
人を殺すために来た?
アホか
死ねよ・・・カス・・・

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資料7、事件発生時の報道

武藤舞と加藤智大の詳細~秋葉原 通り魔ダガーナイフの惨劇

2008-04-01 (Tue) 06:58

殺害後、飛行機のように手を広げ蛇行しながら走って行ったという加藤智大容疑者。頭がおかしい。もしかしたら日本の社会が生んだこういう化け物がまだまだたくさんどこかに潜んでいて、いつか出現しようとしているんじゃないかって考えると恐ろしくなってくる・・。
武藤舞と加藤智大の詳細は>>

ダガーナイフ

こちら・・・

芸術界の東大、東京芸術大音楽学部の4年生だった武藤舞さん
とっても美人でかわいくて、皆から好かれていた。

秋葉原無差別殺人、男の素顔...ロリコン、スピード狂
土浦の連続殺傷男を意識?

凶行に及んだ後、警察官に取り押さえられた加藤容疑者=8日午後零時半ごろ(提供写真)
 同僚は加藤智大容疑者(25)を、アキバ系ロリコンオタクだったと証言する。日ごろは温厚な半面、スピード狂でバーチャル世界にのめり込み、突然キレるなど、犯行につながる側面も見せていた。父親との確執を漏らしていたこともあり、3月に起きた茨城連続殺傷事件に触発された可能性も浮上している。

 青森県出身の加藤容疑者は製造業派遣大手「日研総業」(東京)に昨年11月登録、静岡県内の自動車部品工場に派遣され、裾野市にある単身用アパートに入居していた。

 加藤容疑者と同僚男性(21)はすぐにうち解けた。麻雀に飲み会と、毎週のように遊んだ。親交を深めるなか、男性は容疑者の特異な趣味に気付いたという。

 「(加藤容疑者の)部屋はモノもなく、殺風景。ただ、同人マンガ誌が数冊置いてあった。カラオケに行ったときに歌うのはロリコン系のアニメソングばかり。『2D(アニメなど2次元世界)しか興味ない』と公言していたし、典型的なロリコンオタクでした」

 だが、後輩への面倒見が良かった加藤容疑者への信頼が変わることはなく、親交は続いた。「アキバ好き」を公言していた加藤容疑者は男性ら同僚を連れて秋葉原へ繰り出し、メイド喫茶などを案内。「まあ、こんな感じですよ」と得意顔だったという。

 いつも携帯片手に掲示板「2ちゃんねる」をチェック。自らのハンドルネームを持ち、頻繁に書き込みを行っていたようだ。

 2ちゃんねるのゲーム機を議論するスレッドに5月27日、≪秋葉原で忍者姿の痴漢が刀振り回し大惨事!≫とのタイトルで、≪6/5以降絶対事件起こるだろうから先に立てとくね≫と、今回の犯行予告を思わせる書き込みがあった。加藤容疑者は急にキレることがあったというが、6月5日は容疑者が激昂して会社を飛び出した日だった。

 加藤容疑者は友人(22)に対し、茨城・土浦市連続殺傷事件で逮捕された金川真大被告(24)が熱狂的ファンだった美少女同士の対戦ゲームの画像を送信。ゲームを通じ、金川被告の犯行を意識していた可能性が浮かんでいる。

 一方で、同僚男性は加藤容疑者のスピード狂の一面について「富士スピードウェイや平塚のサーキット場に連れて行ってもらった。一緒にカートに乗ってタイムを競ったんだけど、とんでもなく速かった。以前はスポーツカーのGTRに乗ってたとも言っていた」と証言。別の同僚(21)には「将来トラック関係の仕事に就きたい」と夢を語ることもあったという。

 友人らが「いつもポーカーフェース」と称する加藤容疑者も時折、心に抱えた悩みを垣間見せることがあった。「昨年の年末、自宅まで送ってもらったとき、ポツリと言ったんです。『親が借金を重ねるから、青森から飛んだ。ろくでもねえオヤジだ...』」(同)

 前述の男性と身の上話をしたときには「事故をして廃車になった車のローンが残っている。でも、自動車会社と納得できないイザコザがあったし、家賃も数カ月滞納していたが、両方踏み倒してきた」と吐露。「飛んできたから車も買えない」と愚痴をこぼし、「いなくなるときは何も言わないで飛ぶから」と失踪をほのめかしていた。

ZAKZAK

「あまりに突然...」無念の涙

2008年6月9日15時6分

東京芸術大音楽学部の4年生だった武藤舞さん(21)は8日、デジタル専門店ソフマップの携帯電話販売コーナーで働いていた。短期派遣社員だった。路上で仕事中、被害にあったとみられる。

高校時代の同級生は「友達も多く、クラスのムードメーカーだった」。大学の学友は「音楽も生協の活動も何でもできる人で、頼りにされていた」と話す。

イベントやコンサートを企画する会社を目指して就職活動をし、複数の会社から内定をもらっていた。研究熱心で成績もよく、凶行に遭う前日の7日夜も、キャンパスで夜遅くまで勉強していた。

事件現場には9日未明から友人が次々と訪れた。大学の同級生の女性(22)は飲み物を供えてしゃがみ、「あまりに突然でショック。犯人に言いたいことはたくさんあるけれど、口にしたくない」と涙を流していた。

東京芸術大は9日午前、「優秀な学生が今回の事件で亡くなられたことは断腸の思いであり、深い哀悼の意を表します」とのコメントを出した。


◆74歳中村さん

この春まで歯科医をしていた中村勝彦さん(74)はパソコン関連の買い物で長男と秋葉原に来ていた。

妻(74)は「いつもは夫から『一緒に行かないか』と誘われるのに、この日に限っては長男と2人ででかけました。『昼も済ませてくる』と機嫌よく話していました......」。

専門は矯正歯科。日本大歯学部で講師もしていた。知人らの話では、趣味の写真撮影のために世界を旅していた。今年3月に歯科医を引退後、撮った写真をパソコンで整理していたという。

妻は「無念としか言いようがありません。やりたいことが、まだ、たくさんあったと思います」と話した。


◆33歳松井さん

松井満さん(33)は現場近くの病院に搬送されたときにすでに心肺停止状態で約4時間後に死亡が確認された。近所の人によると、両親と満さんと弟の4人家族。松井さんの弟の同級生(30)は「松井さんは面倒見がいい人で、昔はよく遊んでもらった。アニメ好きだったから秋葉原に行ったんだろう」と話した。


◆19歳川口さん

東京情報大2年の川口隆裕さん(19)は腹部の出血で亡くなった。父の健さん(53)によれば、小さいころからパソコンやゲームが好きだった。健さんは9日、「優しい子で、一人っ子の寂しさもあってか、友達の家に泊まりに行き、周囲に好かれていた......よくもおれの息子を殺してくれたな」と口元をふるわせた。

小中学校で同級だった男子大学生(19)は中学で同じハンドボール部に所属。川口さんは、まじめに練習に取り組んでいたという。「残念でならない。あんなにおとなしい人を」と言葉少なに話した。

川口さんは8日、友人と4人で映画を見に秋葉原を訪ねた。友人の一人、東京電機大学2年の藤野和倫(かず・のり)さん(19)も亡くなった。トラックにはねられた際のけがが死因とみられ、母親は救急治療室の枕元で息子にすがりつくように泣いていた。

父親は9日午前1時すぎ、自宅に戻った。「あまりに突然のことで、悔しくて悔しくて仕方ないです。何か悪い夢を見たようです。息子がかわいそうです」と憔悴(しょうすい)した様子だった。


◆31歳宮本さん

宮本直樹さん(31)は墨田区の病院で亡くなった。病院によると、現場では呼吸と脈があったが右胸の刺し傷が致命傷になったという。宮本さんの父惇彦さんは9日朝、「とてもショックで息子のことで取材を受けたくない」と話した。


◆47歳小岩さん

小岩和弘さん(47)も、背中の1カ所の刺し傷が原因で別の病院で失血死した。

知人によると、小岩さんはおとなしく子煩悩な人で、息子をオートバイの後ろに乗せて出かけるのをよく見たという。遺族は報道関係者に「とにかく今は憔悴し、夜も眠ることができません。私たちは故人をしのんで静かに見送りたいと存じます」とのコメントを出した。

朝日

<明らかになっていること>

青森県出身、静岡県裾野市在住。逮捕済み。
「生活に疲れてやった」「世の中がいやになり人を殺すために秋葉原に来た。誰でも良かった」等と供述中。
自称"暴力団員"は嘘。
薬物やアルコールなどは検出されていない。
おとなしいという評判がある一方、普通の人ならキレないところでキレるという評判があった。
両親とも厳格で教育熱心だった。
責任転嫁をする書き込みをしばしばする。
人材派遣会社「 日研総業 」の派遣社員。日研総業から、トヨタグループの乗用車メーカー「 関東自動車工業 」の東富士工場(静岡県裾野市)の塗装工程に派遣されていた。
6月末で派遣契約を切られる(=仕事が無くなる)ことを一旦は告知されるが、その後撤回されるなど、今後の雇用が流動的な状態であった。

日研総業の派遣社員
秋葉原通り魔:加藤容疑者、マンションで1人暮らし
秋葉原通り魔事件の加藤智大(ともひろ)容疑者は、
静岡県裾野市富沢の閑静な住宅街にある鉄筋4階建ての比較的新しいマンション3階で1人暮らしをしていた。
部屋は人材派遣会社「日研総業」(東京都大田区)が借り上げて契約していた。

借り上げアパートに居住か=派遣会社に勤務?-加藤容疑者・秋葉原通り魔

加藤智大容疑者(25)は静岡県裾野市富沢にある 単身者用アパートの3階に住んでいるとみられるが、玄関や郵便受けに表札はなかった。


恐怖忘れ懸命の治療 秋葉原殺傷、徳島市の西條医師居合わせる

 2008/06/11 11:21

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、徳島市佐古一番町の産婦人科医西條良香さん(39)が現場を通りかかり、被害者の応急処置に当たっていた。救急隊が来るまでの間、血に染まった路上で被害者を励まし、懸命に治療を続けた西條さん。十日、徳島新聞社の取材に惨劇の模様を語った。

七日に東京で分娩(ぶんべん)の研究会があり上京。八日は知人とバイクで都内の楽器店を回っていた。

バイクの後部座席に乗り、秋葉原の裏道から中央通りに出た瞬間、嫌な空気を感じた。路上に目をやると人が倒れている。バイクを止めて駆け寄ると、血の海に何人も横たわり、通行人が必死に「頑張れ、頑張れ」と声を掛けながら素手で傷口を押さえていた。
出血を抑えなければと思い、「タオルを」と叫んだ。近くの店舗から間もなく届く。倒れていたのは八人。一人ずつ容体を確認しタオルで圧迫するよう通行人に指示した。全員傷が深く、意識がない人もいる。「夢であってくれ」。異様な雰囲気の中で、時間がとても長く感じた。恐怖感はなかった。

手を貸してくれたのは"アキバ系"といわれる若者と外国人。大半は遠巻きに見ているだけで、近づいて携帯電話で写真を撮る人も大勢いた。目の前で人が死にかけているというのに、なぜそんなことができるのか信じられず、憤りを感じた。

夜、徳島に戻りニュースで大勢が亡くなったことを知った。テレビに映る自分を見ながら、果たして最善を尽くせたか、こうしていればあの人は助かったのではないか。いろんな思いが頭を巡った。死ぬまで自問自答するだろう。

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資料8、関東自動車工業東富士工場→JR岩波駅

関東自動車工業東富士工場

関東自動車工業は、2012年7月1日を以て、セントラル自動車とトヨタ自動車東北を吸収し、同社を存続会社とした「トヨタ自動車東日本株式会社」となった。


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資料9、JR裾野駅→加藤君のアパート


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資料10、週刊ポスト2012/07/20-27号

秋葉原17人殺傷通り魔事件 加藤智大被告 衝撃の獄中手記
 
週刊ポスト2012/07/20-27号

惨劇から4年が経った。加藤智大被告は2008年6月に東京・秋葉原で17人を殺傷(7人死亡、10人負傷)した罪に問われ、1審で死刑判決とされた。被 告側は「死刑は重すぎる」と主張して控訴。だが第2審では姿を見せぬまま結審を迎え、判決は9月12日に下る。(中略)

本誌取材班は加藤被告本人が事件の全貌とそこに至るまでの胸中を綴った手記を出版予定という情報を得て、関係者への取材を開始。そして7月中旬に発刊予定という手記を独占入手した。
もう後戻りはできない

 裁判冒頭、廷吏が告げた。
 「本日、加藤智大被告の出廷はありません」
 7月2日、東京高裁102号法廷で行われた加藤智大被告の控訴審第2回公判---。
 証言台に立つ遺族らは、口々に怒りを露わにする。
 「反省の1かけらもないと思う」「いいかげん、逃げるのはやめてください」
 この言葉を受け止めるべき男はこの場にはおらず、法廷には遺族たちの虚しき思いだけが漂っていた。
 被告はなに故に、無辜の人々を次々に殺傷したのか。
 加藤智大被告が獄中で記した『解』(批評社)と題された手記はこんな懺悔の言葉から始まる。
 〈2008年6月8日、私は東京・秋葉原で17名の方を殺傷しました。直接被害にあわせた方々やご遺族をはじめ、その関係者の皆様には本当に申し訳なく思っています。その刑事責任は逃れられるものではないと考えますし、逃れるつもりもありません〉
 そして事件の全容を明かすことこそ、被害者や多くの関係者への償いに繋がるとして、「今回、改めて全てを説明しようと、この本を書くことにしました」と続けた。
 実際、この手記には、公判では明らかにされなかった事件詳細と加藤被告の内面が述べられている。
 例えば08年6月8日、12時33分、秋葉原で繰り広げられた惨劇の瞬間---。
  〈4回目に交差点に向かう時には、心を殺していました。直前で、右側から1台の車が私のトラックの前に右折して入ってきて、その時私は、「これではいけな い」と判断し、減速を始めました。「また失敗か」と、ほっとしました。しかし、見えてしまいました。対向車線を使って交差点に突入していける道が、です。 (中略)私の前に入ってきた車の右側に出て、加速して追い越し、左のミラーでそれを確認して車線を戻しました。(中略)そこに、ふたり並んでいる人が現 れ、そのう手前の人と目が合いました。その目は「なんで?」と訴えてくるようで、殺したはずの私の心が帰ってきました。しかし「やっぱり嫌だ」と思った時 にはもう、ぶつかっていました〉
 加藤被告は、派遣先だった静岡のレンタカー店で借りたトラックを殺意をもって運転したが、歩行者天国の入り口となる交差点に差し掛かるたび逡巡して駅前を巡回した。
 〈頭では突っ込むつもりでいるのに、体の方が勝手にブレーキをかけた〉
 3回目も失敗した時には、トラックで人の中に突っ込むという考えに疑問を持ち始めたのだったが---。
 〈掲示板に秋葉原無差別殺傷事件を宣言してしまったことで、もう後戻りはできないところまで来てしまっていることに気づきました〉
刺した手応えもなかった
 加藤被告が「後戻りはできない」と考えたのには2つの理由がある。1つは後述するが、ネット上のトラブルがきっかけとなり、掲示板での交流ができなくなったこと。もう1つが事件3日前、加藤被告は静岡の自動車製造工場を辞め、職場の友人を失ったことだ。
  〈仕事を失ったのは、「ツナギ事件」が原因でした。一言でいえば、いつものパターンです。5日の朝、工場に出勤すると、ロッカーに私のツナギがありません でした。共用のロッカーで、20着くらいの同じ色、形のツナギが掛かっていますが、それまで半年以上、普通に毎日見つけていたのですから、この日に限って 見落とすことなどあり得ません。(中略)ツナギを隠されるという嫌がらせが私に入力された時にはもう無断帰宅が頭に出力されていて、そのまま怒りにまかせ て、すぐに行動になりました。(中略)工場を出て駅に向かって歩いている間、「またやってしまった」と、泣きたい気分でした〉
 加藤被告の自己反省はすぐに憤慨へと変わる。職場の友人から「ツナギがあったよ」とメールが届いたのだ。
  〈再びもやもやしたものが出てきました。それはつまり、犯人がこっそりツナギを戻してそしらぬ顔をしているということだからです。(中略)ツナギをこっそ り戻してそしらぬ顔をしているという間違った考え方には、無断退職することで対応することが思い浮かび(中略)「もう工場には行かない」と、すっぱりと自 分から切り落としてしまいました。
 自分の居場所はこの世界にはない。交差点を前にして、改めてそのことに思い至った加藤被告が運転するトラックは、赤信号を無視して人混みの中へ突入する。
 〈人をはねた後のことは、覚えていません。気づくと私は、トラックで走っていました。人をはねたことはわかっています。罪悪感、後悔も残っています。それでいっぱいでした〉
 加藤被告は次の犯行に移った。掲示板に「車が使えなくなったら次はナイフ」と宣言したことを思い出し、それを忠実に実行した。
  〈私は、刺した人のうち3人しか記憶にありません。刺してなどいない、としゅちょうしたいのではなく、感覚的にはもっと何人か刺した気はするけれど、画像 として記憶に残り、それを言葉で説明できる人が3人しかいない、ということです。(中略)刺そうとしていた体(腹から背中)ばかり見ていたために、顔を見 ることはなかったのだと思います。トラックで人をはねた時のように誰かと目が合ってしまったら、それ以上人を刺すことはできなかったかもしれません。しか し、目が合うことはなく、刺した手応えもなく、血も見えず、刺した人がどうなったかもわからずに、次々と12名もの人を殺傷していました〉
孤立とは社会的な死のことです
  加藤被告は、全国で職を転々としてきた。埼玉の自動車工場、茨城の住宅関連部品会社、静岡の自動車工場・・・。派遣労働を繰り返していたという事実、そし て事件発生が退職直後ということで、就職氷河期に悩む若者の「鬱屈」についての議論が喚起された。だが、事件の背景に「格差社会の歪み」があるのではない か、との見立てに対し、加藤被告は公判で一貫して否定している。犯行動機についてはこう主張し続けた。
 「ネット掲示板の成りすましなどの嫌がらせをやめて欲しいとアピールしたかった」
 加藤被告が憎悪の対象とする「成りすまし」とは、加藤被告が利用したネット上の掲示板において、加藤被告を装いコメントを書き込むユーザーを指している。
 加藤被告にとって、掲示板とはネット上における"ただの"ツールではない。
 公判では一部分しか表に出なかった事件の核心部が手記には綴られている。
 〈掲示板と私の関係については、依存、と一言で片づけてしまうことはできません。(中略)全ての空白を掲示板で埋めてしまうような使い方をしていた、と説明します。空白とは、孤立している時間です。孤立とは、社会との接点を失う、社会的な死のことです〉
 "社会的な死"を加藤被告が最初に意識したのは、茨城の工場で派遣労働をしていた06年のことだった。激務が続き、このままでは友人との交流を続けられなくなると工場を辞めた。
 〈その結果、仕事を失ったことで、私と社会との接点はひとつも無くなりました。孤立です〉
 加藤被告は手記の中で、肉体的な死よりも社会的な死の方が恐怖であると述べている。そうして社会的な死から逃れるために、自殺を考えたこともあったという。
 〈日曜は、8月中旬のとある日に決まっていました。(中略)地元青森の滑走路のような道路で、車で対向車線側のトラックにでも突っ込んで自殺するという手段も思い浮かんでいました〉
 東京にいた加藤被告は計画を実行するため青森に向かった。途中、友人に会うべく宮城に立ち寄っている。
  〈ふと、風俗店に行くことが思い浮かびました。サービス業の女性を相手に金を使う、ということです。風俗嬢が作業をしている間は、孤立してはいません。 (中略)他にも、出会い系で会った女性に金を渡したり、ヒッチハイクをしていた男子大学生を車に乗せてあげたり、最終バスを逃して困っていた女子高生を家 の近くまで送ってあげたりしながら北上していきました〉
 だが一時的に「孤立」を解消できても、継続的な社会との「接点」を築くことはできなかった。結局、自殺予定日は訪れ、トラックに乗り込んだ。
  〈友人たちにメールを送信し、移動し、いよいよ、というところでケータイがメールを受信しました。(中略)登録してあった出会い系からのものでした。孤立 の解消が期待できましたので、その時、反対車線側に見えた駐車スペースに車をとめてメールを確認しようととっさにUターンしたところ、勢い余って縁石に車 をぶつけ、自走不能になりました。血の気がひきました〉
 こうして自殺は回避されたが、自らを取り巻く状況は何一つ変わらない。以後、社会との接点を探し、ネット掲示板にのめり込んでいく。
 〈私にとって掲示板が、友人と話をする居酒屋のようなものから、家族と話をする家のようなものになりました。感覚的に、「掲示板に出かける」のではなく、「掲示板に帰る」ことになったということです〉
「成りすまし」への心理的攻撃
 加藤被告が事件の直接的原因とする「成りすまし」による嫌がらせの書き込みが現れたのは事件直前の08年5月29日のことである。
 〈掲示板では、人の真似をして書き込む遊びはよくあることですが、この成りすましは、30日にかけて徹底的に私に成りすまし、私を殺すことが目的の、悪意のある行為でした〉
 続けて、「成りすまし」犯についてこう振り返る。
  〈成りすましは、成りすましをする前に、まず、私を障害者だとする書き込みを連発していました。それを私に軽く流されると、今度は女性のふりをして書き込 み始めました。それも私から思うように反応されずに、次に彼がとった行動が成りすましでした。この一連の流れから、おそらく彼は誰かにかまってほしかった のだと思われます。(中略)私をハゲダデブだと挑発して、何とかして反応をもらおうとしていたようです。(中略)やはり、「かまってちゃん」です〉
 とはいえネット上のトラブルがなぜ現実世界の無差別殺傷事件に繋がるのか。その点を、加藤被告はこう述べている。
  〈ひとつ言えるのは掲示板でのトラブルだったから、ということです。成りすましはどこの誰なのか、まったくわかりません。(中略)成りすましはどこの誰な のかわからないために、殴るといった直接の物理攻撃も、にらむといった直接の審理攻撃も、不可能で、何かを通して間接的に攻撃するしかなかった、というこ とです。(中略)そこで、何故私が大事件を起したのかに心当たりのある成りすましらは、「ヤバい」「大変なことになった」「俺のところにも警察が来るか も」「マスコミにバレたらどうしよう」「何か責任をとらされるのか」等と、焦り・罪悪感・不安・恐怖といった心理的な痛みを感じることになるはずでした〉
 大事件の舞台として選ばれたのは秋葉原だった。
  〈無差別殺傷事件だったのは、近年大きく報道されていた事件として記憶していたのが無差別殺傷事件だったからだと思われます。その事件の凶器がナイフだっ たから、私もナイフを思い浮かべたのだと思います。(中略)日曜日なのは秋葉原の歩行者天国が思い浮かんだからで、秋葉原なのは、大事件は大都市、大都市 は東京、東京でよく知っているのは秋葉原、という連想だったと思います〉
 事件当日、加藤被告は掲示板に「秋葉原で人を殺します 車でつっこんで、車がつかえなくなったらナイフを使います みんなさよなら」と題して、次のような書き込みを更新していく。
 「ねむい」(6時21分)、「時間だ 出かけよう」(6時31分)、「酷い渋滞 時間までに着くかしら」(10時53分)、「今日は歩行者天国の日だよね?」(11時45分)、「時間です」(12時10分)。
 これらの殺人予告は、「成りすまし」に罪悪感を与えるための攻撃だった。
 〈私は、成りすましとのトラブルから秋葉原で人を殺傷したのではなく、成りすましらとのトラブルから成りすましらを心理的に攻撃したのだということをご理解いただきたいと思います〉
母親は私を風呂に沈めた
 手記では犯行動機として掲示板のトラブルを挙げた上で、こう述べられている。
 〈たとえ私の生活と掲示板の利用の仕方に問題があり、掲示板でトラブルがあったとしても、私のものの考え方が違っていれば事件には至りませんでした。思えば、私の性格は問題だらけであり、この人のせいにする考え方もそのひとつです〉
 では、加藤被告の「ものの考え方」は、どのように形成されたのか。
 1982年、加藤被告は地元金融に勤める父と職場結婚した母親のもとに生まれた。加藤被告は、事件とは関係ないと前置きしながらも、公判で母親のしつけに言及することが多かった。
 「母親にトイレに閉じ込められた」「100点を取って当たり前、95点で怒られた」
 加藤被告は県内トップ高に進学。だが成績は伸び悩み、母親から「北海道大学の工学部に行くように云われていた」(公判より)のにもかかわらず、自動車関係の短大を選択した。
 「『北大ではなく自分の行きたい大学に変更したい』、と言うと、大学に行ったら買ってもらえるはずだった車を『買ってやらない』と言われ、あてつけの意味もあった」(同前)
 公判では非公開で両親の証人尋問が実施され、内容をまとめた母親の調書の要旨が読み上げられている。
 「夫が仕事で帰宅が遅く、イライラした気持ちを被告にぶつけた。屋根裏に閉じ込めたり、お尻をたたいたのはしつけの一環だった」
 親のしつけが幼少期の加藤被告に負の影響を与えたことは手記に記されていた。
  〈母親の価値観がすべての基準です。その基準を外れると母親から怒られるわけですが、それに対して説明することは許されませんでした。一応、「なんで〇〇 しないの」と怒られるのですが、「なんで〇〇しないの?」ではなく、「なんで〇〇しないの!」と、質問ではなく命令でした〉
 母親の存在が事件の遠因であることも読み取れる。
  〈私が母親から99を教わったのに暗唱を間違える、という間違いを改めさせるために母親は私を風呂に沈めました。私が冬に雪で靴を濡らして帰宅する、とい う間違いを改めさせるために母親は私を裸足で雪の上に立たせました。しつけといえば、しつけなのでしょう。その意味では、私もなりすましらにしつけをし た、と捉えることもできます〉
 両親への口答えが許されなかった加藤被告は、トラブル時における人とのコミュニケーション---例えば、相談や口喧嘩という概念が醸成されなかったという。
 相談などのプロセスを経ずに、相手に痛みを与えることを加藤被告は「無言の攻撃」と呼んでいる。
  〈私が母親より食べるのが遅い時、母親は私の食器に残っているものを広告のチラシにあけて食器洗いをし、(中略)「早く食べなさい」とは言いません。それ でも私はそれが私が食べるのが遅いのが悪いのだということを理解して、どうにか頑張って食べようとしていました。(中略)このように、私は人の無言の攻撃 の意味がわかってしまう人でしたので、他の人も当然わかるものと考えていました〉
 無言の攻撃は加藤被告には日常の行為である。だが、加藤被告が社会に対して無言の攻撃を行う度に、周囲は加藤被告の行動の真意をくみ取れず、そこに軋轢が生まれたという。
 〈もし私が人に相談していたなら、事件は回避された可能性があります。「掲示板で成りすましをされ、それを正当化されて、その怒りが抑えられない」と誰かに相談したなら、私などには思いつきもできないような解決方法が示されたかもしれません〉
 社会との「接点」が閉ざされた結果、引き起こされた白昼の惨劇。手記から動機の解明は進むに違いない。しかしながら、成りすましらへの「無言の攻撃」は秋葉原への通行人には何ら関係もないことである。7人の命は帰ってこない。遺族らのご冥福を改めて祈りたい。

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資料11、中島岳志のフライデースピーカーズ

中島岳志氏が取材した静岡県裾野市時代の加藤智大の生活環境の様子のレポート。
2012年10月05日中島岳志のフライデースピーカーズのURLは以下。
http://www.ustream.tv/recorded/25928673

加藤智大の「解」出版について。
2012年09月07日中島岳志のフライデースピーカーズで取り上げられました。
札幌のコミュニティ放送「三角山放送局」にて放送済。現在、USTREAMにて聴くことができます。
http://www.ustream.tv/recorded/25237061

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資料12、加藤智大君の生活環境(少年時代)Googleストリートビュー

中島岳志氏の著書「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」にはこうある。P.22

 そんな市街地を抜けると、あたりは住宅地に変わる。広い敷地の一軒家と古くて崩れ落ちそうなアパートが入り混じる風景は、どこか懐かしく、どこか切ない。雪国は、夏でも寒冷地の空気が漂っている。土で汚れた雪の風景が、瞬く間に目に浮かぶ。  加藤智大が育った町は、そんな住宅地の一角にある。  近くの川は陸奥湾に流れ込む。川沿いの小道には緑と花が溢れ、川面には住宅が映る。  どこにでも存在する平凡な風景を歩いていると、突如として古い墓地にぶつかった。道と墓地を隔てる塀は存在しない。手入れされた形跡がない雑草の中に、数十基の墓が雑然と並ぶ。唐突に剥き出しなった死の空間。その横を。買い物帰りの主婦が通りすぎる。  墓の裏側には、遊具のない無造作な公園がある。木製の汚れたベンチが置かれているが、誰も座っていない。街の中にぽっかりと穴があいている。すぐ隣には、住宅が立ち並ぶ。道行く人はまばらで、自動車のエンジンの音だけが響いている。

 家庭環境

 この公園の目と鼻の先に、加藤が育った実家がある。モスグリーンの2階建て。玄関先には小さな庭とガレージがある。

実際に、Google地図でリサーチしてみると、簡単に加藤智大君の実家がみつかった。彼が、私立佃小学校と佃中学校を卒業していたのは知っていたので、以前「佃」をストリートビューで彷徨った事はあったのだが、今回は、実際に中島さんが現地の探訪記を書籍として出版された。上記に引用した探訪記の記述をヒントに少しGoogle地図とストリートビューを操作していたら簡単に加藤智大君の実家に行き着いた。ついでに、彼が卒業した「青森市立佃中学校」「青森市立佃小学校」「青森県立青森高等学校」へのルートも書き出した。全て加藤君の実家から1kmの範囲にあった。つまり、加藤智大君は、小、中、高と、18歳で高校を卒業するまで専業鬼母が待つ実家と半径1km以内の学校を行き来する生活を送った事になる。自己の主体性を奪われ、まるでロボットの様に過ごした日々。以下が加藤智大君が少年時代を過ごした町である。加藤智大は、高校卒業後、大学進学を望む母に反発し自動車が好きだ・・と自動車整備士を養成する中日本自動車短期大学:〒505-0077 岐阜県加茂郡坂祝町深萱1301:0120-500-885 に進学するものの肝心の自動車整備士の資格取得にはいたらず、卒業後は派遣社員として登録。仙台を皮切りに東日本を漂流するかの様な生活を始めるのであった。


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加藤君の実家↑青森県青森市松森2-9-10 加藤智大の実家

実家と目と鼻の先の公園↑実家と目と鼻の先の公園

中央に古い墓地が見える↑中央に古い墓地が見える。

青森市立佃中学↑青森県青森市中佃2-7-1 青森市立佃中学校

青森市立佃小学校↑青森県青森市佃2-6-1 青森市立佃小学校

青森県立青森高等学校↑青森県青森市桜川8-1-2 青森県立青森高等学校 卒業生に太宰治(青中24回・1928年卒)がいる。

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Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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