少年A神戸連続児童殺傷事件 タイトル画像

1、はじめに

月刊 精神分析では、先月号と先々月号で「少年A神戸連続児童殺傷事件」を取り上げた。

少年A神戸連続児童殺傷事件

1997年5月27日早朝、神戸市須磨区の神戸市立友が丘中学校正門に、切断された男児の頭部が放置されているのを通行人が発見し、警察に通報。5月24日から行方不明となっていた近隣マンションに住む11歳の男児のものとわかった。耳まで切り裂かれた被害者の口には、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」名の犯行声明文が挟まれており、その残虐さと特異さからマスメディアを通じて全国に報道された。

今月号はいよいよ騒ぎの発端「元少年A」による手記「絶歌」を読み解いていく。

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でお待ちしています。

2015年平成27年08月31日

月刊 精神分析 編集部A

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2、殺人者の著作

実は、殺人と言う罪を犯し刑務所の中で自分の犯罪や逃亡記を出版した人は他にも沢山いる。記憶に新しいところでは、月刊 精神分析でも取り上げた秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大氏の「解」、英国人教師リンゼイ強姦殺害逃亡犯の市橋達也氏の「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」、古いところでは福岡美容師バラバラ殺人死体遺棄事件の城戸文子さんの「告白―美容師バラバラ殺人事件など。私は上記の本はすべて目を通した。

殺人事件はマスコミも注目し、テレビ新聞ラジオを通して私たちに一定の情報を提供してくれるのだが、殺人を犯した当事者の主観や思いを伝えているわけではない。「殺ってしまった本人はどう思っているの?」と言う興味関心に答えてくれそうなのが本人の著作という事になる。

ちなみに、Amazonのユーザーレービーを覗いてみると。

加藤智大氏の「解」
レビュー数:14
☆5つ:1
☆4つ:3
☆3つ:4
☆2つ:4
☆1つ:2

市橋達也氏の「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」
レビュー数:167
☆5つ:52
☆4つ:39
☆3つ:29
☆2つ:23
☆1つ:24
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元少年Aの「絶歌」
レビュー数:1985
☆5つ:242
☆4つ:70
☆3つ:126
☆2つ:62
☆1つ:1485

圧倒的に「絶歌」ぶっちぎりである。残念ながら加藤智大氏の秋葉原事件の方が被害規模は比較にならないのだが、読み物としての関心度としては「絶歌」の方が高いと言う結果だ。

事件発生当時A氏は14歳、逮捕後は少年法の厚い壁に守られ、彼の肉声を聴いたり会話できた成人(法曹界や少年院の教官など)は、ほんのひと握りの人達なのだ。

少年法と言うベールで覆われた事件と加害者・・それも幼い少年少女を残酷な手段で殺害し、医療少年院で矯正教育を受けた後、ひっそりと市井の人として暮らしている筈の人がまったくの突如としての出版で、現在34歳の元少年Aが今何を語るのか?

世間は注目し、ある人達は読む価値の有無をレビューし、ある人達はA氏の著作を読みもせずに罵倒するレビューを書き込んでいるのである。

以下蛇足

土師守の「淳Jun」
レビュー数:44
☆5つ:38
☆4つ:2
☆3つ:0
☆2つ:1
☆1つ:3

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3、近親者の死去は多大なストレス

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絶歌を読み始めて最初に「ん!」と感じたところ。

表紙をめくり、扉をひらくと、扉の裏面には祖母に抱かれる幼年Aの写真があるではないか。そうそう、Aの発育過程において一つキーワードが「祖母の死」(1992/4/16)であった。Aは1982年生まれだから、Aが9歳の時に祖母が亡くなっている。写真の日付は86/6/22。Aの誕生は1982/7/7だからAが4歳になる直前の写真で、既に年子の次男も2つ下の三男もいてAの母親は赤子の弟たちに手一杯で、必然的にAは世間の言う「おばあちゃん子」になっていたのだろうか?

父や母に叱られるとAはすぐに祖母の部屋に逃げ込んでいたと言う。少年にとって祖母は絶対的な安らぎの地であったのだろう。

そう言えば、連続幼女誘拐殺人犯の宮崎勤(秋葉原事件から9日後、死刑執行2008/6/17)も祖父の死、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大(死刑囚として服役中)も2006/09母方の祖父が亡くなった事が事件を引き起こす遠因にあげられていた。まだ記憶に新しい佐世保高校生殺害事件(2014年7月26日)の犯人の女子高生の実母は2013年10月にガンで死亡しており。事件当時は既に継母との生活が始まっていた。

精神分析を学ぶ上での課題に出てくるのが「精神発達論」である。アメリカの発達心理学者で「エリク・H・エリクソン」が提唱した「ライフサイクル論」の中で、中年時のストレスの一因として「近親者の死」が取り上げられる。要するに中年という年齢に差し掛かると、自分の父や母が高齢化し、肉親の死に直面する事により、いやでも「いづれ訪れる自分の死」に対峙する事になる。それは心的に大きなストレスになると言う旨である。

高度成長期の日本に生まれ、両親が多忙の中生まれ育った子ども達は心的に祖父、祖母を心の拠り所にするケースが多いのだろうか?心の拠り所を失った子ども達の心は漂流を始める。

絶歌 P.35

ちぎれた錨 私の人生が少しずつ脇道へ逸れていくことになった最初のきっかけは、最愛の祖母の死だった。1992年04月。僕は小学校5年生に上がったばかりで10歳だった。僕はおばあちゃんっ子で、親兄弟と出かけるより、祖母の部屋でテレビを見たり、話をしたり、かるたをしたり、祖母と二人で過ごすことの方が好きだった。祖母はこの世で唯一、ありのままの僕を受け容れ守ってくれる存在だった。僕は親にしかられると、祖母の部屋へ逃げ込み、祖母は事情も聞かずただ黙って僕を抱きしめて庇ってくれた。

心理学の言葉でベーシックトラスト(基本的信頼感)と言う言葉がある。乳児期から幼児期にかけて子どもと母親の間で培われる性格形成の基盤。100%の安全で満ち足りている確信。・・・少年Aの場合、男3兄弟(ほぼ年子)の長男であった為、長兄のベーシックトラストは母方の祖母との交流によって築かれ、祖母の死によって脆いものになったのかもしれない。Aの性格は内向的に口数も少なくなっていく。

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4、酒鬼薔薇聖斗の家

ネット上に酒鬼薔薇聖斗の自宅探訪と称して、神戸市須磨区友が丘の聖地巡礼レポートを掲載しているサイトがあった。地元の付近に住んでいる人は既に「あそこが酒鬼薔薇の家と」周知しされているのであろう。

「少年A」この子を生んで 父と母 悔恨の手記 P.156

友が丘の家の間取りは、一階が台所と六畳の居間と私たち夫婦の寝室。二階は、十二畳の洋室一間に六畳と二畳の三部屋で、Aは小学校まで次男と一緒に十二畳の部屋を使い、中学に入学してからは六畳の和室の方に一人で移りました。

「絶歌」に掲載されている位置情報からもある程度推測できるのでは?と思い位置情報を以下に列記する。

「少年A」この子を生んで 父と母 悔恨の手記 P.120

(1997年05月24日)昼頃、親戚が車を洗いにやって来た時、Aが庭の南の土手の方へ歩いて出掛ける姿を見た、と言っていたのを覚えています。

父と母 悔恨の手記でも家の南側に土手があると記述されている。

絶歌 P.29

事件当時僕は、ポータブルCDプレーヤーと赤マルを持って、よくひとりでタンク山、向畑ノ池、入角ノ池を散策した。自分の中で、この三つの場所は"三大聖地"だった。

中学生の徒歩圏内にタンク山、向畑ノ池、入角ノ池がある。

絶歌 P.54

ダフネ君の父親は中小企業の社長で、彼の家は僕が住む友が丘よりもワンランク上の高級住宅街にあった。

「友が丘と」は兵庫県神戸市須磨区友が丘の事

絶歌 P.56

学校が終わると毎日のように二人で近所の三角公園に寄り道し、時間を忘れて学校生活や好きな漫画やテレビの話をした。

「三角公園」と言うのは正確には「瀬の谷三角公園」神戸市須磨区友が丘6に現存。

絶歌 P.56

当時住んでいた家は白壁の四角い鉄骨二階建て一軒家。正面に向って右側に玄関、家の左側に駐輪場があり、玄関から駐輪場までの間には5メートルほどのブロック塀の花壇がある。・・・建物全体の外観にしても、味気ない直方体に無愛想な白塗りの壁。この家にはどこかしら周囲を拒絶するような近寄り難さがあった。

住んでいたのは戸建住宅。

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絶歌 P.58

家の裏手には5×15メートルほどの横長の庭があり、庭の両端には植物が好きだった祖母が植えた松・杉・シエロ・イチョウ・アロエなどが並び、ちょっとしたジャングルだった。

敷地内に祖母が家庭菜園ができる畑があり、緑が多かった。

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絶歌 P.68

祖母が死んだ年の冬、自宅の裏庭で最初の一匹目の猫を殺して以来、僕は猫殺しの快楽に取り憑かれ、次から次に近所の野良猫を捕まえては様々な方法で殺害した。二匹目からは殺したあとに体を裂き、手足や頭部をバラバラに切断して家の西側にある谷へ投げ捨てた。

家の西側に谷がある。

絶歌 P.87

食事を終え、歯磨きと洗面を済ませると、僕は通学用に使っていた「補助カバン」と呼ばれる手提げバッグを持って、自転車に乗り入角ノ池に向かった。家の斜め向かいの青空車庫に日産サニーが停まっていた。母親は歩いて淳君の家に行ったらしい。 空は曇り、一雨きそうだった。 自転車を走らせ、近所の公園に行き、白いベンチのある広場から森に入り、ジグザグの小径を歩いた。樹に括りつけられたロープをつたい、入角ノ池のほとりに降り立つと、前日に淳君の頭部を隠した生命の樹の根元の洞に向かった。

入角ノ池には自転車でいける。
家の斜め前には青空駐車場がある。
車は日産サニー(1997年式以前)
自宅から土師淳君の自宅はて徒歩圏内
位置関係は、自宅-白いベンチのある公園-入角ノ池

家の南側は土手

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Google地図のストリートビューで友が丘付近を散策していると、ぼかしがかかった家があった。だとすると・・・家の斜め向いに青空駐車場・・。この家が18年前に酒鬼薔薇聖斗こと少年Aが住んでいた家ではないかと推測してしまう。

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なぜが、ストリートビューの青いラインは家の手前で途切れている。

住所的には「〒654-0142神戸市須磨区友が丘5-161」なぜこの家がベールに覆われているのかは、永遠の謎である。

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5、性的サディズムの謎

なぜ14歳の少年が残虐行為によって性的興奮を得るようになったのか?

酒鬼薔薇聖斗事件の最大のキーワード「性的サディズム」。事件を読み解く上で「本当にそうなのか?」と考える件がこの言葉である。もしAと接する事ができるのならば、精神科医の言葉ではなく、本人の口から発せられる言葉で説明をききたいと思う。絶歌には期待通りの文章があった。

絶歌 P.44

原罪

あなたはこれから神父になる。

そして僕はこれから、精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明けれることができず、二十年以上ものあいだ心の金庫に仕舞い込んできた自らの"原罪"ともいえる体験を、あなたに語ろうと思う。

僕や、僕の引き起こした事件を最も特色付けているのが、"性的サディズム"というキーワードだ。それは、僕にとっていちばん他人に触れられたくない、「自分は他人と違い異常だ」という劣等感の源泉でもある。精神鑑定書には次のように書かれている。

未分化な性衝動と攻撃性との結合により持続的かつ強固なサディズムがかねて成立しており、本件の重要な要因となった。

最愛の祖母の死をきっかけに、「死とは何か」という問いに取り憑かれ、死の正体を解明しようとナメクジやカエルを解剖し始める。やがて解剖の対象を猫に切り替えた時にたまたま性の萌芽が重なり、猫を殺す際に精通を経験する。それを契機に猫の嗜好的殺害が性的興奮と結び付き、殺害の対象を猫から人間にエスカレートさせ、事件に至る。

実に明快だと思う。ひとかけらの疑問も差し挟む余地がない。しかしどうだろう?もしもあなたが、多少なりとも人間の精神のメカニズムに興味を持ち、物事を観察する人であるならば、このあまりにもすんなり「なるほどそういうことか」と納得してしまう"絵に描いたような異常快楽殺人者のプロフィール"に違和感を覚えたりはしないだろうか?

そう、そこなのである。そんなに都合よく、たまたま初めての精通を経験する時と、猫を殺す時が重なるものなのだろうか?更に、そのまま異性への性的興味と性的興奮が重ならないまま「性的サディスト」になり、更に更にに、殺人まで引き起こす事があるのか?普通の感覚の持ち主なら奇跡的な確率を想像する筈だ。

性的興奮の拠り所・・ウィキペディアを覗いてみると、性的興奮の対象として「匂い」「音声」「見た目」が挙げられている。ただ、性の対象は非常にパーソナルであり、人によって「ん?」と思うものがその対処であったりする。、最近ではフェチズム(フェティシズム、英語:Fetishism)、フェチという言葉も一般化しており、性的倒錯の一つのあり方、物品や生き物、人体の一部などに性的に引き寄せられ、性的魅惑を感じるものを言う。極端な場合は、性的倒錯や変態性欲の範疇に入る。

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6、性的サディズムの謎(A自身の分析)

元少年A氏は、心理学や精神分析関連の本をかなり読んで勉強されているなと感じた。

これは私の想像だが、A氏は、自分の心の有り様を自己分析していったのだと思う。それは、医療少年院時代のカウンセリングの延長なのかもしれないが・・・。

その結果、A自身が導き出したのが、以下の精神構造である。

1、最愛の祖母を失い、受け入れられない悲しみや喪失感を抱える。
2、祖母の部屋で祖母愛用の電気按摩器を使用して初めての精通を経験する。
→Aの解釈では、祖母を陵辱する事により、精神的なドーピングで自分の精神を支えようとした。
3、以上の行為は中毒性が強く、以降、祖母の部屋での自慰行為を続ける。
4、この頃から「死」への興味からナメクジの解剖を始める。
5、祖母が飼っていた柴犬「サスケ」が老衰の為死亡(1992/12)。
6、口数が少なくなり、クラスで孤立。
7、サスケの餌を横取りするネコ(アメショー)を性的衝動から撲殺。
→Aの解釈によると祖母やサスケを奪い取った「死」の支配。
→Aの更なる解釈によると、性衝動の刷り込み(インプリンティング)として「死」があった。性的刷り込み。
8、死を間近に感じないと性的に興奮できない体になっていった。

絶歌 P.67

攻撃性のヴェクトルが他人に向かうか自分に向かうかの違いだけで、"サディズム"や"マゾヒズム"はともに「死の欲動」から分離した一卵性双生児である。つまり"MADなサディスト"は、同時に"MADなマゾヒスト"でもある。僕とて例外ではない。祖母の部屋で初めて射精し、あまりの激痛に失神して以来、僕は"痛み"の虜だった。二回目からは自慰行為の最中に血が出るほど舌を噛むようになり、猫殺しが常習化した小学6年の頃は、母親の使っていたレディースカミソリで手指や太腿や下腹部の皮膚を切った。12歳そこそこっで、僕はむ手の施しようのない性倒錯者になった。

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7、無意識に踊らされた少年A

精神分析では、無意識(コンプレックス;複合観念体)に注目する。意識の奥底深くに沈めた複雑な感情が、ある条件や事象において表象化し、問題行動に結びついたり、疾病利得化し、疾病の原因になるケースを解く。

元少年Aも自分自身がやらかした事なのに、自分自身で説明つかない事があると書いている。

実は、彼自身も無意識(コンプレックス;複合観念体)に踊らされていたのだ。

絶歌 P.76

人間は時に、"ツクリモノの感情"を発露させてしまう不可解な修正を持っている。心の奥から素直に湧き出た"ナマの感情"が先にあって、いろいろな理屈付けを試みながらそれに振りまわされているうちはまだいい。厄介なのは、自分の脳内で無意識下に生成された"未確認思考"が、自分でも思いもよらないような"感情を伴わない感情"を発動させ、そのハリボテの感情がまるで自身の中から自然に湧き出たものであるかのように振舞い、肉体の音頭をとっている時である。あなたが普段抱いている怒りや喜びは、本当にあなたの体内から湧き出している"純度百パーセント"の感情だろうか?そこに"不純物"は1ミクロンも混ざっていないと言い切れるだろうか? 僕のこの日の行動には、どこか不自然で、奇妙に"作為的"なところがあった。 僕はただ、「ダフネ君を殴るシーン」が欲しかっただけなのかもしれない。

親友(ダフネ君)を公園で蹴り殴り、前歯を折る程の怪我を負わせたA。学校の先生にも迎えに来た父にも自分の行動を説明できず、母親には全く事実と違う言い訳をするA。Aは意図的にしおらしく泣いてみせる。

絶歌 P.84

このままでは取り返しのつかないことになるという予感があったのはないのか?自分のことを心配してくれる人がいたことも知っていたのではなかったか?それでも助けを求めず、自分に嘘をつき、自分を誤魔化し、自分の抱える異常性と向き合うことから逃げて逃げて逃げ抜いて、ことあるごとに誤った選択を繰り返し、自分で自分を追い詰めて、結果あのような事件に至ったのではないだろうか・・

この辺は医療少年院の内証教育の成果がでているようだが・・・。

秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大氏やリンゼイさん強姦殺害逃亡犯の市橋達也氏もそうだが、裁判の過程で「なせ殺ってしまったのか」理路整然と説明できず、後から考えた、そう言えば検察や世間が納得する理由をこじつけて物語をつくっている。

元少年A氏の絶歌の文中の表現を借りると「自分の脳内で無意識下に生成された"未確認思考"が、自分でも思いもよらないような"感情を伴わない感情"を発動させ、そのハリボテの感情がまるで自身の中から自然に湧き出たものであるかのように振舞い、肉体の音頭をとっている時である。」

精神分析とは、まざしく、人の無意識下に押し込めた"未確認思考"=無意識(コンプレックス:複合観念体)を対話療法によって紐解いていく作業なのだ。

そして、元少年Aは医療少年院で精神科医のカウンセリングをイヤと言う程受けた筈なのだが、未だ、自分の未確認思考が如何によって生成されたのかの謎解きはできていないようだ。

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8、性欲の不思議

絶歌 P.89

この磨硝子の向こうで、僕は殺人よりも更に悍ましい行為に及んだ。精神医学的にどういった解釈がなされるのかはわからないが、僕はこれ以降二年余り、まったく性欲を感じず、ただの一度も勃起することがなかった。おそらく、性的なものおも含めた「生きるエネルギー」の全てを、最後の一滴まで、この時絞りきってしまったのだろう。

医学的には「男性の場合、精巣内で精子のもとになる細胞から思春期以降、高齢になっても、無限に精子がつくり続けられます。」で、「精原細胞から精子がつくられるのに74日、そして、精巣上体へ移動するまで14日、あわせて88日。つまり、精子がつくられ、受精能力を獲得するまでおおよそ3ヶ月かかることになります。」と言う事で、自慰行為をしなければ、就寝中に「夢精」して溜まった精液は体外に放出されるとされる。よって男性の場合は自慰行為は必須科目であって、上手に性欲とお付き合いしましょう。・・・医学的にはそうなっているのだが、なかなか教科書通りにならないのが精神を持った人の体の有り様なのだ。

実は私自身も一ヶ月間勃起しなかった経験がある。あれは、アメリカ大陸横断旅行に行った時の事、十時間近く飛行機に乗り、一人でレンタルバイクでロサンゼルスからニューヨークまで走破する旅に出かけた時の事。異国でずっと緊張状態を強いられたせいか、まったくその気になる事もなく、夢精もせずに一ヶ月間過ごした。無事日本に戻り、日常に帰ってから自慰行為をした時も、一ヶ月分の大量の精液が射精されるわけでもなく普段通りの自慰であった。

元少年Aの場合と私の経験の根っこの部分が一緒なのかどうかはわからないが、射精の意味が「種の保存」であるならば、Aの置かれた(精神)状況が「種の保存」どころではない状況だったではないか?女性の場合も生理が来ない「無月経」という状態があって、女性が強いストレスを感じるとホルモンバランスが崩れ生理が来ない状態になると言う。戦時下の女性は無月経になるケースがあるときいた事がある。

いづれにしても勃起しないとか無月経とかは「心的が切迫した状態にある」と言う体からのサインではないかと推測できる。

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9、あの日少年Aが求めたもの

土師淳君をタンク山に連れ出し絞殺した時の描写こそないものの、元少年Aが通っていた神戸市立友が丘中学校の校門に土師淳君の頭部を放置するシーンはナマナマしく描写されている。

1997/5/24 タンク山にて土師淳君殺害。アンテナ施設で頭部を切断。頭部を切断、入角ノ池の樹の根元に隠す。
1997/5/26 昼食の後、入角ノ池の樹の根元に隠した淳君の頭部を回収。自宅に持ち帰り、風呂場で洗い、二階の自室の天井に隠す(途中雨が降り出す)。
中学校の先生の家庭訪問の後、自室で『ブレインスキャン(BRAINSCAN)』鑑賞の後、夕食。入浴。ウトウト寝てしまう。
1997/5/27未明 映画「スタンド・バイ・ミー」の主題歌を鼻歌で口ずさみながら自分が通う中学校へ。神戸市立友が丘中学校校門に土師淳君の頭部を放置。

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淳君の頭部を持って中学校の校門へ出掛ける前夜、ビデオで『ブレインスキャン(BRAINSCAN)』(1994年)を見ていたと、元少年Aは告白している。エドワード・ファーロングのアンニュイな雰囲気がお気に入り。(エドワード・ファーロングはターミネーター2(1991)でジョン・コナーを演じた。)

ブレインスキャン

ホラー映画とコンピューター・ゲームに夢中のマイケルは、"最高の恐怖を味わえる"CD-ROMゲームを入手する。それはかつてない程リアルで残酷な殺人ゲームだった。しかし、ゲームは次第に現実との区別が不可能になり、マイケルは恐怖の仮想空間へとトリップしていく...

ネット上で検索すると「ブレインスキャン」の動画も見つける事ができた。殺人ゲームと現実世界が混同していくストーリーで、いわれる程残虐なシーンもなくコメディ要素も含んでいるのだが・・・少年Aは、土師淳君を殺害し、頭部を切断、一旦、入角ノ池の樹の根元に隠し、それを自宅に持ち帰って、風呂場で洗い、二階の自室の天井に隠した後、この映画をビデオ鑑賞していたのかと思うと複雑な気持ちが湧いてくる。

絶歌 P.96

空には仄(ほの)かに霧がかかり、白い月が滲んでいた。自転車をフラフラと走らせ、映画「スタンド・バイ・ミー」の主題歌を鼻歌で口ずさみながら、僕はこの上もなく上機嫌だった。「スタンド・バイ・ミー」・・心に傷を負った四人の少年が、線路づたいに"死体探し"の旅に出る甘く切ない美しい永遠の少年映画。誰もが、喪われた自身の少年時代を想い起こす名画中の名画だ。僕はこの映画が大好きだった。英語の授業で、この映画の主題歌をクラス全員で歌ったことがある。その時ばかりは僕も熱心に参加した。

他人を殺しといて「スタンド・バイ・ミー」はないだろうと突っ込みをいれたくなるところだが、心理学的に解釈すると、「スタンド・バイ・ミー」は通過儀礼の映画だといわれる、事件発生時の報道では、少年Aは実験ノートに「モバイドオキの神」だの「聖なる儀式」・・という文言を並べている。

「あぁやはり土師守さんはこの本は読まないほうがいいな」と思わせる。

絶歌 P.99

告白しよう。僕はこの光景を「美しい」と思った。 薄い夜霧のドレスを裂いて伸びてくる月の光の切っ先は鑿となって、闇の塊の中から、この世のあらざる絶望的に美しい光景を彫り出していた。 もう、いつ死んでもいい、そう思えた。自分はこの映像を作るために、この映像を視るために、生まれてきたのだ。すべてが、報われた気がした。 もはや僕には、正気も、狂気もなかった。ただ、濃密な無感覚のみが、僕の虚の肉体を領した。

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先日、京都市美術館で開催された「マグリット展」でみた絵画を思い出した。なんじゃこりゃと理解と解釈に困る絵画のオンパレードで素人の私は「何が言いたいの?」と首を傾げながら鑑賞したが、本来、芸術とはそう言うものかもしれない。

狂気と芸術は紙一重。キャンパス上ではいかなる表現も自由であるが、人の命を奪うことは犯罪である。事件当時、刑事罰を科せられる年齢に達していなかった少年Aは、家庭裁判所の審判により関東医療少年院に送致され、育て直しと称する矯正教育を受ける事となった。

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10、驚愕の少年Aと土師淳君の関係

絶歌を読んで、一番驚いたのはこの項である。報道では少年Aと土師淳君との間は、少年Aの末弟が淳君の同級生であって、淳君が少年A宅の裏庭の池で飼っていたカメを見に来た上での「顔見知り程度」という間柄を強調していた。

ところが、少年Aからみて「土師淳君」はエンゼルであったという。少年Aの心中には淳君に対してなんとも屈折した感情が蠢いていたのである。

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実は私自身もこの項を読んで何かしら琴線に触れたのか無性に泣きたくなった。誰しも、誰にも理解して貰えない諦めて心の奥底深くに沈めた複雑な想いがあるのではないだろうか?精神分析の世界ではそれを無意識(コンプレックス:複合観念体)と呼ぶ。

絶歌 P.118

ニュータウンの天使

七月十三日

父親の写真を見せられた翌日の取り調べで、犯行翌日の五月二十五日の足取りについて訊かれた。
僕はこの日、淳君の遺体の一部を殺害現場であるタンク山から一旦別の場所に移すため、黒いビニール袋に入れ、それを持って山を降り街中を歩いた。道中、淳君が籍を置く"なかよし学級"担任の女性教師とすれ違った、そのことを話すと、すでに女性教師からも話を訊いたようで、刑事はデスクの上に用意したその年の小学校の卒業アルバムを開き、中に写った件の女性教師の写真を指差して「この先生に間違いないんか?」と僕に確認した。

他の教師たちと並んで撮影された集合写真の片隅に、彼女は写っていた。歳は三十歳前後。薄手のピンクのセーターに、淡いブルーのジーンズ。その顔に一度、思い切り睨みつけられたことがあった。
僕は、小学六年の頃、学校のグラウンドで淳君を殴る騒ぎを起こした、唇が切れ、鼻血が吹き出し、頭にたんこぶができるほど、僕は淳君をひどく殴りつけてしまった。
放課後、教室に居残るように担任に言われ、しばらく待たされたあと、担任が先の女性教師を連れて教室に入ってきた。担任は僕の机の前に椅子をふたつ並べた。
「先生、座ってください」
担任が女性教師に座るように促したが、彼女は座ろうとせず、涙を溜めた眼元を紅潮させ、瞳孔を開いて僕を睨みつけ、今にも飛びかかってきそうだった。
担任が椅子に座り、話し始めた。
「淳君の頭にはコブができとったで、なんでそこまで殴らんといかんのや?淳君が何かしたんか?怒らへんから理由があるんやったら言うてみ?」
僕は何も答えられなかった。
女性教師が口を開いた。
「淳君はA君のこと好いとったんとちゃうの?わたし、外でA君と淳君が一緒に遊んどるとこ見たことあるんよ。A君はほんまは優しい子なんやってその時は思っとったけど、辛いことがあっても言葉で言われへん子に暴力振るうなんて、絶対許せへん・・・。淳君がされたことをおんなじことを、私がA君にしてやりたいくらいや・・・」
彼女は声を震わせ、涙をこぼしながら言った。あまりにも純粋な怒りと憎しみに満ちた彼女の眼を正視することができず、僕は俯(うつむ)いたまま黙りこくった。
結局、何があったのか説明しないまま、僕は担任に連れられ淳君の家に謝りに行った。
インターフォンを押すと淳君のお母さんが出てきて、最初に担任がお母さんと話をしたあと、僕がお母さんに謝った。すると後ろの廊下から、リズム感のズレたスキップを踏みながら淳君が玄関までやってきて、
「Aや」
と、何事もなかったように、屈託のないいつもの笑顔で僕の名前を読んだ。僕はたまらなくなって泣き出した。
お母さんは、淳君の頭を優しく撫でながら、
「A君とこのおうちにはいつも感謝してるんよ。A君の弟さんも淳とよく遊んでくれてるし、これからも淳と仲良くしてやってね」
と言ってくれた。

家に帰ると、僕が淳君に暴力を振るったことが淳君と中の良かった三男の耳にも入っていたようで、三男は僕のところへきて小声で訪ねた。
「A、今日、学校で淳君殴ったん?」
僕は気まずくなり、しどろもどろになりながら咄嗟に言い訳した。
「いや、ちゃうねん、あんな、淳君が先にちょっかい出してきてんな、ほんでな・・・」
僕が言葉に詰まると、もうそれ以上問い質すのは憐れだと思ったのか、弟は諭すようにこう言った。
「わかった。でも淳君は友達やから、もうせんとってな。なんかあったんやったら、俺に言ってくれたら、淳君にちゃんと話すから。約束してな」
その時の弟の顔が今でも忘れられない。僕を咎めるふうでもなく、なぜ自分の兄が、みんな見ているところで、自分と仲良しの友人を、血が出てたんこぶができるほど殴らなくてはならなかったのか、さっぱり理解できず、ショックを受けているようだった。弟のその物悲しい表情は、ストレートに責められるよりも余計に辛く、胸が締めつけられた。
警察の取り調べでも、精神鑑定でも、僕は淳君に対して、憎しみも、愛情も持ったことはなく、淳君と自分との間の情緒的交流を一貫して否定し続けた。

人は、秘密を持つことで生きていけるのではないだろうか。それは自分の内側に設けるシェルターのようなもので、どんなに追い詰められようと、その中に逃げ込んでしまえば安心できる。体の自由を奪われようと、誰にも侵されることのない秘密の中では、人は自由に駆け回ることができる。

僕と淳君との間にあったもの。それは誰にも立ち入られない、僕の秘密の庭園だった。何人たりとも入ってこられぬよう、僕はその庭園をバリケードで囲った。
凶悪で異常な根っからの殺人者だと思われても、そこだけは譲れなかった。誰にも知られたくなかった。その秘密だけは、どこまで堕ちようと守り抜かなくてはならない自分の中の聖域だった。
淳君の愛くるしい姿を、僕は今でもありありと眼の前に再現できる。
身長は140センチ前後。細くさらさらとした栗色の髪には、いつも天使の輪が落ちていた。額は広く、肌の色は白く、少しぽっちゃり体型で、近付くと桃のような甘い匂いがした。眉は薄く、大きなアーモンド型の眼は、瞳の色素が薄く透き通り、きれいな虹彩の模様がくっきりと見えた。

淳君が初めて家に遊びにきたのは、ちょうど祖母が亡くなった頃だった。その時から僕は淳君の虜だった。淳君はすぐに僕の名前を覚えてくれて、近所や学校で僕を見かけると、すーっと僕の方へ近付いてきた。
祖母の死をきちんとした形で受け止めることができず、歪んだ快楽に溺れ悲哀の仕事(グリーツワーク)を放棄した穢らわしい僕を、淳君はいつも笑顔で無条件に受け入れてくれた。淳君が傍にいるだけで、僕は気持ちが和み、癒された。僕は、そんな淳君が大好きだった。
街で淳君を見かけると、僕はよく、タンク山、向畑ノ池(むこうはたのいけ)、入角ノ池(いれずみのいけ)など、自分の好きな場所に淳君を連れていった。
ある時、近所の公園で見かけた淳君と、隠れんぼをして遊んだ。僕が隠れる番になり、公園の植え込みに身を潜めて、そこから淳君の様子を窺うと、始めのうちは楽しそうにはしゃいであちこち探しまわっていた淳君が、そのうち不安になったのか、急に僕の名前を呼んで声をあげて泣き出した。その瞬間、祖母のことを思い出した。ちょうど同じ公園で、僕が祖母に木登りを見せ、木のてっぺんに辿り着いたところで、「A、早ぉ降りてきて」と、僕を心配して泣き叫ぶ祖母の姿が、記憶のスクリーンに鮮明に映し出され、すぐそこで僕の名を呼び泣き喚く淳君の姿とオーバーラップした。
自分は受け入れられている。自分が受け入れられている。自分が何をしても、しなくても、淳君は自分を好きでいてくれる。だがどういうわけか、僕は、自分が"受け容れられている"ことを、受け容れることができなかった。あの時祖母にしとように。淳君のほうへ駆け寄って、淳君を抱きしめることができなかった。穢らわしい自分、醜い自分が許容されることに、嫌悪感さえ感じた。
かつて僕をもっとも癒し安心さ悦ばせた、いかなるものも原型そのままに受容する水のような優しさが、この時の僕を脅かし、混乱させた。
あろうことか僕は、淳君がこちらに背を向けている隙に植え込みから抜け出し、泣き喚く淳君を公園に置き去りにしたまま、逃げるように家に帰った。
僕は、自分が、自分の罪もろとも受け入れられ、赦されてしまうことが、何よりも怖かった。余りにも強烈な罪悪感に苛まれ続けると、その罪の意識こそが生きるよすがとなる。僕は罪悪感の中毒者(アディクト)だった。罪悪感は背骨のように僕を支えた。それを抜き取られると僕は、もう立っていられなかった。自分を許容されることは、自分を全否定されることだった。それは耐え難い、自分への"冒涜行為"に他ならなかった。
憎まれたい。責められたい。否定されたい。蔑まれたい。ひりつくような罪悪感に身悶えしたい。それだけが"生"を実感させてくれる。
この数日後に、僕は学校で淳君を殴った。
グラウンドで淳君に暴力を振るったのは、淳君が僕にちょっかいを出してきたからでも。、淳君が何か気に障ることを言ったからでもない。あの日、淳君は、グラウンドをひとりでぶらぶら歩いていた僕に、リズム感のズレた独特のスキップを踏みながら近付き、僕の袖を引いて、
「吊り輪、吊り輪」
と、天使のような笑顔で、グラウンドの隅の吊り輪を指差し、僕に一緒にそこへ行ってもらえるように促しただけだった。
・・自分は受け容れられている・・
どういう心理の捩(よじ)れが生じればそうなるのか、この世界にいっさいフェルターをかけることなく、美しいものも醜いものも、視界に入るすべてのものをありのままに取り込んだ淳君のきらきら輝く瞳に、自分も含まれてしまうことが、耐えられなかった、僕は自分が侵され、溶かされていくような激しい恐怖に囚われ、気がふれたように淳君にとびかかり、馬乗りになって殴りつけていた。
いったい誰が信じられるだろう。受け容れられることで深く傷つくような、蛆がわき蠅がたかるほどに腐敗した心がありうることを。
僕は、淳君が怖かった。淳君が美しければ美しいほだ、純潔であればあるほど、それとは正反対な自分自身の醜さ汚らわしさを、合わせ鏡のように見せられている気がした。
淳君が怖い。淳君に映る自分が憎い。
淳君が愛おしい。傍に居てほしい。
淳君の無垢な瞳が愛おしかった。でも同時に、その綺麗な瞳に映り込む醜く汚らわしい自分が、殺したいほど憎かった。
淳君の姿んに反射する自分自身への憎しみを恐怖。僕は、淳君に映る自分を殺したかったのではないかと思う、真っ白な淳君の中に、僕は"黒い自分"を投影していた。
「抱きしめたい気持ち」の白い縦糸。
「無茶苦茶にしたい気持ち」の黒い横糸。
その白黒の糸を通した二本の針が、僕の心を交互に刺し、隙間なくぎっちりろ縫い塞いだ。
淳君の瞳が映し出す醜い自分を消し去り、綺麗な淳君を自分のそばに引き留めたい。
この二年後、僕は淳君と自分自身を、タンク山で同時に絞め殺してしまった。
僕の頭上に、嘘っぽの空が拡がっていた。太陽は太陽であってもう太陽でなく、雲は雲であってもう雲ではなかった。

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11、酒鬼薔薇聖斗は「鬼」か「エレファント・マン」か?

絶歌の中でAも母と一緒にレンタルビデオで観た映画として紹介していた「エレファント・マン」。親子で泣きながら観たと言う。

「エレファント・マン」

『エレファント・マン』(The Elephant Man)は、1980年制作のイギリス・アメリカ合作映画 。デヴィッド・リンチ監督、脚本。メル・ブルックスがプロデューサーとして参加している。 19世紀のイギリスで「エレファント・マン」と呼ばれた青年ジョゼフ・メリックの半生を描いている。最優秀作品賞、主演男優賞などアカデミー賞8部門にノミネートされた。

生まれつき奇形で醜悪な外見により「エレファント・マン」として見世物小屋に立たされていた青年、ジョン・メリック(ジョン・ハート)。・・の話。

地域のエンゼルを二人殺し、一人に重症を負わせたA。少年法の定めにより、刑事責任を問われる事なく、医療少年院へ、成人になるまで矯正教育を受け、成人になり市井の人になる。ネット上でも時折、地方での「酒鬼薔薇聖斗」潜伏説が流れるなど都市伝説化している「鬼」であった。

「悪いことをすると酒鬼薔薇聖斗が首を刈りにくるよ。」

記憶の隅にある土師淳君の生首を思い出し人々は畏怖した。

このまま少しづつ人々の記憶から忘れられようとしていた最中に絶歌が発行された。

鬼の襲来である。

恐ろしい恐ろしい鬼が謳う。

「絶歌」を謳う。

怖いもの見たさの人々には格好の見世物になった。

そこにいるのは洗脳教育された溥儀か?

人の皮を被った鬼か?

それともエレファントマンか?

事件被害者の遺族感情を慮れば絶対出版できる筈のない出版に走ったAはやはり鬼なのだろうか?

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12、懲役13年(事件を起こす直前にAが書いた作文)

懲役13年

1、いつの世も・・・、同じ事の繰り返しである。
止めようのないものはとめられぬし、
殺せようのないものは殺せない。
時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・ 
「魔物」である。
仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い防臭漂う
心の独房の中・・・
死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、
"何"が見えているのであろうか。
俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるをえないのである。

2、魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、
あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせてい
るかのように俺を操る。
それには、かって自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を感じさせ
るのである。   とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。
こうして俺は追いつめられてゆく。「自分の中」に・・・
しかし、敗北するわけではない。
行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。

3、大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちで
あるが、事実は全くそれに反している。
通常、現実の魔吻は、本当に普通な"彼"の兄弟や両親たち以上に普通に見
えるし、実際、そのように振る舞う。
彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わ
せてしまう・・・
ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が、
実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、
バラのつぼみや挑はこういう風でなければならないと
俺たちが思いこんでしまうように。

4、今まで生きてきた中で、"敵"とはほぼ当たり前の存在のように思える。
良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。
しかし最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。
そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。
「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」

5、魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、
気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、
その深淵もこちらを見つめているのである。

「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、
暗い森に迷い込んでいた。」

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13、おわりに

ここ数ヶ月、少ない時間をやりくりして「酒鬼薔薇聖斗事件」を考察し続けた。

幼い児童を二人も殺しといて罪にも問われず、日本国国家の威信をかけて6年半もの間、矯正教育を受けたAが、あれから20年近く経った今、どうなっているのか?矯正教育の成果はあったのか?成果があったのなら罪の意識に苛まれて毎日死にそうになるほどの苦しみを抱え続けているのか?

もう再犯の恐れは無いのか?

そうこうしている内に、更にショックなニュースが飛び込んできた。

Aはネット上に自身のサイトを開設し、自身の本「絶歌」のプロモーションを開始したと言うのだ。

事件は急展開。月刊 精神分析では次号で更なる考察に挑む。

ご意見ご感想は
lacan.fukuoka@gmail.com
でお待ちしています。

2015年平成27年08月31日

月刊 精神分析 編集部A

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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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