奥山貴宏 ガン漂流タイトル画像

0、地震お見舞いのお礼

今、2016年04月15日03時14分。昨夜21時30分頃熊本を震源とする震度7を記録する地震が発生し数百名、千名単位の避被災者が避難所でまんじりともせず一夜を過ごしている夜である。数名の方から気にかけていただきメールを頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。ここ福岡でも揺れを感じましたので震源地では相当な揺れがあったのではないかと思います。

さて、月刊 精神分析の本題に入っていきます。

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1、はじめに

img09.jpgこんにちは、月刊精神分析編集部Aです。

今月の月刊 精神分析は「32歳ガン漂流 エヴォリューション 」を取り上げる。

読者のみなさんは「奥山貴宏」と言う人をご存知だろうか?

彼はライター、つまり物書きを生業(なりわい)にした人で、2003年01月06日31歳で悪性腫瘍 肺ガン(腺ガン)と診断された(東京都中野区)。家族は実家の山形に戻って療養する事を勧めたが、奥山氏は通院、入院しながらガンと闘いライターとしての仕事を続け2005年04月17日33歳で亡くなった。

彼は当時、まだ一般的ではなかったブログで闘病生活を公開し、生前2冊の闘病記と1冊の小説を書き上げた。没後、最後の闘病記が出版。

2003年11月15日 31歳ガン漂流(ポプラ社)
2005年03月19日 32歳ガン漂流 エヴォリューション(牧野出版)
2005年04月14日 ヴァニシング ポイント(マガジンハウス)
2005年07月20日 33歳ガン漂流 ラスト・イグジット(牧野出版)

改めて念のためブログとは・・

Blog(ブログ)

ブログ(blog)は、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。

ちなみに、.
ライブドアブログ:2003年11月:β版として運営開始
Yahoo!ブログ  :2005年01月31日:β版として運営開始
アメーバブログ :2007年08月29日開始

一般人が普通にブログを運用し、ツイッターやフェイスブックを駆使する様になったのは、ここ10年の動きで、それ以前にはWEBサイト上に各々の形式でウェブサイト(ホームページ)を開設していた。

奥山氏も闘病記の中で記述しているのだが、30代半ばで肺がんになるは珍しく、喫煙が原因としても、肺がんの発症率が高まるのは、タバコを吸い始めて30~40年経過しての話で、奥山氏のケースは超レアと言える。img02.gif今月号では、「奥山貴宏 32歳ガン漂流」を取り上げ、肺ガンと奥山貴宏さんの周辺に挑みます。

2016年 平成28年05月31日 月刊 精神分析 編集部A

感想のメールは lacan.fukuoka@gmail.com までお願いします。

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2、10年前の出来事

img05.jpg奥山貴宏氏の闘病の舞台は2002年12月~2005年04月で今から10年以上前の事。「10年一昔」と言う言葉があるが、私は、奥山さんから見ると、奥山さんが生きる事が出来なかった未来を生きた未来人である。未来人の視点で奥山さんの著書に目を通す時に過ぎ去った世界を俯瞰的に眺めるのは不思議な感覚である。

例えば、奥山氏が使用していたノートパソコンは「ソニーのバイオノートSR」なのだが、2016年現在、既にSONYはVAIOブランドを手放しており、VAIOはVAIO株式会社が製造しソニーストアで販売するパソコンに様変わりしている。奥山氏はこう云う事態を想定できただろうか?

2004年IBMのPC事業部が中国Lenovo Groupに売却
2007年日立製作所が個人向けの生産を中止
2010年シャープがパソコン事業から撤退
2011年NECが中国・レノボとの提携でパソコン事業の合弁会社を設立
2014年ソニーがパソコン事業を日本産業パートナーズに売却
2016年東芝が中国・浙江省にある杭州工場を売却し生産から全面撤退する方向で調整
2016年富士通がパソコン部門の分社化を発表。
2016年パソコン統合交渉、白紙に=東芝、富士通、VAIO
こう云う流れの中、パナソニックのレッツノートは別格。

「コモディティになった製品を作るのはやめた」IBMの幹部はパソコン事業から撤退する時にこう言ったという。つまり、一般大衆化して誰がつくっても大差がない、差別化できない商品は価格競争=利益がでないのでやめますって事。

更に10年後の2020年代ってどうなっているんだろう?NEO東京オリンピックの世界。

奥山さんが食事をしていた「そば屋」「うどん屋」「寿司屋」「天ぷら屋」も検索してみるが「食べログ」のタイトルに【閉店】が冠されている店も多い。10年の時の流れは非情である。「 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。」

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3、奥山貴宏さんプロフィール

img04.jpg1971年11月05日、宮城県仙台市生まれ。
小学校から高校までを山形県で過ごす。
大江町立左沢小学校(小4で剣道)
大江中学校
高校時代(実母と死別)
浪人(2浪)
日本大学芸術学部文芸学科入学
学生時代バイクで事故。
1996年日本大学芸術学部文芸学科卒業
   (株)ワールドフォトプレスにて「モノ・マガジン」の編集に従事。
1999年(株)MdNにて先端映像雑誌「effects」の編集に従事。
2000年(株)リットーミュージックにて「サウンド&レコーディング・マガジン」の編集に従事。
2001年TEKNIX名義でフリーランス活動開始。

得意ジャンル:音楽・映像・パソコンなど。
img11.jpg
2002年11月05日 31歳の誕生日。
2002年12月体調を崩し入院
2003年01月06日 肺がん(腺ガン)と診断。
2003年02月15日 肺がんステージ3Bで余命2~3年と宣告。31歳。
2003年02月18日 母に話す。
2003年11月05日 32歳の誕生日。
2003年11月15日 31歳ガン漂流(ポプラ社)発行。
2003年12月「ジェネジャン!!」(日本テレビ)出演
2004年06月 ブログ『32歳ガン漂流エヴォリューション』もスタート
2004年11月05日 33歳の誕生日。
2004年12月   再び「ジェネジャン!!」(日本テレビ)出演
2005年03月19日 32歳ガン漂流 エヴォリューション(牧野出版)発行。
2005年04月14日 ヴァニシング ポイント(マガジンハウス)発行。
2005年04月アマゾンe-bookにて31歳ガン漂流英語版発行
2005年04月17日 永眠。33歳。
2005年07月20日 33歳ガン漂流 ラスト・イグジット(牧野出版)発行。
2005年07月23日 ETV特集で放送:オレを覚えていてほしい~ガン漂流・作家と読者の850日

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4、奥山貴宏さんの家族八景

img17.jpg 奥山さんのお父さんは奥山秀弥さん。山形で開業医をしている。開業医が自分の息子に跡継ぎを強要して後々親子関係がおかしくなると言う話がザラにあるのだが、奥山さんの著作にはそう言う話が一切出てこない。むしろ、自分は医者なのに不治の病に罹った息子に接する父と言う立場にいたお父さんの心情を察すると胸が苦しくなるのを禁じ得ない。小説「シャーマンの秘薬 或るガン患者の冒険」の著者:奥野秀章(ペンネーム)で執筆。

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奥山さんのお母さんは奥山章子さん。奥山さんのブログ上でサ母(サイボーグ母)として登場する。遠く山形からメール1本で東京都内の荻窪までやってきてミッションを遂行して(無駄な動きは一切なく)帰っていく・・。そう言う献身かつ賢い母として描写され、ブログの読者からアイドル的な人気を獲得するのだが・・奥山さんの実母は高校時代に亡くなっており、サ母は継母である事が「33歳ガン漂流 ラスト・イグジット」の後書きで明らかになる。実の母でも実の息子でもないのになぜにここまで・・・。このエピーソードも読者の胸を熱くした。

奥山さんの妹さん。奥山さんの3つ下で、既婚。夫は、ロックバンド、ACIDMANのボーカル&ギター大木伸夫氏で、大木氏からみると奥山氏は義兄と言う関係になる。

奥山さんの弟さん(通称:秀君)。奥山さんからみると10歳も年下の弟。奥山さんの日記にはサ母とは違って「使えない弟」として登場するのだが、2005年01月23日モスバーガー麹町店の店長に就任。ネット検索すると既に同店は閉店(移転?)。奥山さんは年の離れた秀君とコミュニケーションを図ろうと、亡くなる一ヶ月前に「吉川英治版三國志」を購入完読する件も涙を誘う。追記:後日ネット上で拾った情報によると、秀君は継母の章子さんの連れ子で、奥山貴宏さんとはまったく血縁関係がないと・・。それならそれで、10歳も歳の離れた兄弟との親密な関係は羨ましくもある。

麹町のモスバーガー跡にカジュアルレストラン「麹町ダイナー」

2010年08月09日 麹町駅近くにオープンした「麹町ダイナー」。1階はテークアウト専門フロアとして、2階に52席の客席を設ける。麹町駅近くのバー「chottobar(ちょっとバー) ほっ。」(千代田区麹町4-3)を運営するKIZUKIYO(麹町4)は8月7日、新店「麹町ダイナー」(麹町4、TEL 03-5215-7576)をグランドオープンした。

img02.jpg奥山医院
住所: 〒990-1101 山形県西村山郡大江町左沢310
電話:0237-62-2265
奥山さんの実家は最上川のすぐそば。とても環境がよさそうだ。

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5、肺がん治療の現実

奥山さんのブログを読む事によって、肺がんとその治療法に関心を持ちました。奥山貴宏さんが肺ガンと診断されたのが31歳。ステージは肺がん3B。

肺がん

<ステージ1>

1A:リンパ節への転移がなく、癌の最大径が 2cm 以下か、2cm を超え 3cm 以下
1B:リンパ節への転移がなく、腫瘍の最大径が 3cm を超え 5cm 以下、あるいは 3cm 以下で臓側胸膜に浸潤があるなど。
5年生存率は80.4%で、手術をした場合は83.5%

<ステージ2>

2A:リンパ節への転移がなく、癌の最大径が 5cm を超え 7cm 以下
2B:リンパ節への転移がなく、癌の最大径が 7cm を超え、胸壁・胸膜・横隔膜・心膜などに広がっている、または主気管支への広がりが気管分岐部から 2cm未満など。
5年生存率は41.4%で、手術をした場合は54.5%

<ステージ3>

3A:縦隔のリンパ節に転移があり、腫瘍の最大径が 2cm 以下から腫瘍の最大径が 7cm を超え、胸壁・胸膜・横隔膜・心膜などに広がっている、または主気管支への広がりが気管分岐部から 2cm 未満である。
3B:反対側の肺のリンパ節や首の付け根のリンパ節に転移があり、腫瘍の最大径が 2cm 以下から縦隔・心臓・大血管、気管などへの広がりがあるなど。
5年生存率は21.4%で、手術をした場合は38.3%

<ステージ4>

癌の大きさや深さに関係なく、悪性胸水(胸水の中に癌細胞がある)や遠隔転移がある。5年生存率は4.9%で、手術をした場合は11.6%

ステージ3で、5年後の生存率が2割である事を考えたら「余命2~3年」との宣告もうなずける。奥山さんの場合は、既に手術できない状態で、若くしてガン化した細胞を叩かねばならず、抗がん剤治療、放射線治療でガン闘う事となった。仮にステージ2でガンを発見できても5年後の生存率は5割を切っている。

やはり、肺ガンに限っても、ガンにならない生活、なっても早期の発見が肝心と言える。奥山さんの闘病記を読むと、毎回毎回、採血、胸部CT、抗がん剤の点滴、放射線・・相当、身心共に消耗していくのがわかる。もし、ガンとの闘争と回避するならホスピスでモルヒネの投与を受けるしかない。

究極の二者択一を求められる。

奥山貴宏さんが亡くなって既に10年が経過した。今、改めて肺がん治療の最前線をリサーチしてみても画期的な治療方法や予防方法が発見されたと言う話は出てこない。ステージ3で、5年後の生存率が2割しかない事がそれを物語っているし、あったとしても素人にはその効果の程はわからない。更に保険適用されないなら、治療費用が莫大にかかってしまい、自費で人体実験されているのと大して変わらない様な気がする。それこそ漫画の「ブラックジャックによろしく」に出てくる被験者だ。

ネット検索すると最新のガン治療法で「高度活性化NK細胞療法」と言うのがあるらしい。

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6、福岡圏で「胸部CT検査」が出来る病院

img06.jpg以上の様な現実を突き付けられと、胃がんと闘う為に自主的に「胃カメラ検査」を受ける様に、肺がんと闘う為に自主的に「胸部CT検査」を受ける必要があるのではないか?ある医療従事者に問うたところ「胸部レントゲン」は結核の発見には有効だが、肋骨の影に隠れた肺がんの細胞までは見つけられない。肺がん対策としては無力だと。奥山さんも胸のレントゲン写真に映り込んだ原爆雲に愕然としていた。前年にきちんと健康診断を受けていたのにも関わらずに・・・だ。その点「胸部CT検査」は360度から人体に放射線をあて隅々までチェックできる。「胸部CT検査」は肺がんの早期発見に非常に有効なのだ。アフラックのがん保険に入るよりよっぽど有効な金の使い方なのではないだろうか?ある医療機関のサイトから文言を引用しておきます。

胸部CT検診の意義について

最近、治る肺がんを見つけるためにCTによる肺がん検診が注目されています。胸部CT検診による発見率は、間接写真による集団検診の胸部レントゲンに比較して実に10倍近く高率となっています。直径数ミリの小さい病変でも明瞭に描出できる。死角はほとんどありません。正常の構造物を病変と誤認することもまずありません。喫煙者の多くが肺気腫に罹患しており、その予防のためには40歳代からのCT検診が重要です。

福岡圏で「胸部CT検査」が出来る病院の抜粋

○福岡和白総合検診クリニック
胸部CT;16,200円 胸部CTは、肺がんや肺の炎症などの有無を検査します。喫煙者におすすめします。

○福岡徳洲会病院
肺検査(CT検査)マルチスライス(64列)CTで検査します。
おもに肺がんの診断をします。16,200円

○浜の町病院
肺がん検査 胸部CT検査 5,400円(税込)

実際に電話して確認したところ、肺がんチェックは、胸部CT検査+喀痰検査で10800円、結果は郵送との事で、その際CT画像まで希望の場合は1080円で提供されるそうです。毎週:火曜日、木曜日13:30~。受付の方に胸部CT検査時の被ばく線量を問うてみてもわからない、放射線技師にきいて下さいとの事。意外と気にする被験者は少ないのか?医療サービスを提供する側の言いなりなのか?

○桜十字福岡病院
胸部CT 9,500円 X線照射による変化をコンピューターで解析、画像化し、器官や臓器などを調べます。

○秋本病院
胸部マルチCT(コンピューター断層撮影)検査 9,500円(税込 10,260円)
一週間後に結果、二人の人間がチェック、基本画像の提供なし、一回の検査で被爆は8mSvとの事。受付の人や看護師の人に「胸部CT検査で何mSv被爆しますか?」ときいても??的な対応をされる。門外漢だものね仕方ない。

細かな仕様がわからないが、これだけ検査費用にばらつきがあると、自分の目的(肺がんの早期発見)に沿う病院を見つけないと、貴重な時間と金をドブに捨てる事になりそうだ。関心のある方は、お住まいの地域の医療施設の「胸部CT検査」を検索してみて下さい。

追伸:胸部CT検査に関して医療機関に問い合わせをすると「何か自覚症状があるんですか?」ときかれる。自覚症状がないと検査受けちゃだめなの?って困惑する。「もし、肺がんで自覚症状があったら既に手術もできない状態なんじゃないの?」「早期発見したいから検査できそうな医療機関に問い合わせしてるんですけど」と言うこちらの意図が全く空振りしているようで腑に落ちない。

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7、「胸部CT検査」の罠

ネットで「胸部CT検査」を調べていると、致命的な問題を指摘する声が聞こえてくる。それは何かと言うと「被爆問題」である。

闘病生活を送った奥山貴宏さん自身も日記に書いているが「ガン治療をする様になって、レントゲン撮影や、胸部CT検査でどんだけ放射線をあびただろうか?」と放射線を浴びる検査に疑問を呈していた。

ある説によれば、日本人は胸部レントゲン撮影や胸部CT検査で被爆しており、検査の為の被爆で発ガンしている人が多数いると言う。

この件に関しては、ネット上でも諸説存在していて判断がつきかねるところだ。ただしこれには回避手段があって、CTが被爆の恐れがあるなら・・MRI(磁気共鳴画像)ならどうだ?MRIなら放射線を浴びる事はない筈だ・・・選択肢はまだある。次頁から私案を掲載するのでみて欲しい。ひょっとすると素人判断もいいとこかもしれないが・・・

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8、被爆線量について(健康診断や検査含む)

まず、放射線とは天然由来のもので、私達人間が日常生活上普通に浴びているものと言うこと。大袈裟に言えば日常被爆しているのだが、地域によって被爆線量はまちまち。

例)
メキシコ、ブラジル地方の自然放射線1年間に10mSvで桁違いに多いのだが、日本国内に目を転ずると・・年間自然放射線量ランキング(1988年)では、

福岡県 1.10(mSv/y)
大阪府 1.08(mSv/y)
東京都 0.91(mSv/y)
宮城県 0.88(mSv/y)

・・と、我が福岡県は日本国内では第6位で放射線量は多い地域に属する。日本全国で自然放射線量は西日本のほうが東日本より高い「西高東低」の傾向で、これは何故かと言うとその地域の地質(土壌)に由来するものらしい。

さらに、実は家庭のお茶の間にあるテレビからも放射線はでていて、その量は、テレビを1日1時間ずつ見ると1年間で0.02mSvの被曝線量。

で、健康診断での被曝量はと言うと・・・(参考値)

胸部レントゲン:0.1~0.07(mSv)
胃透視検査:15~25(mSv)
胸部CT検査:7.0(mSv)

上記の数値を眺めてみると「まぁ胸部レントゲンは、人が生活する上で浴びている放射線の1月分を瞬間に放射して写真撮影するので大した事はなさそう」と思えるのだが、バリュウムと発泡剤を飲んで胃を透視する検査で浴びる放射線量は胸部レントゲンの250倍の放射線量って言われると「やっぱ、胃がんの早期発見が目的なら胃透視やめて胃カメラの方がよくないかい?」と素人は思ってしまう。胸部CT検査は7mSvで胸部レントゲンと胃透視の中間の放射線量で微妙なところ。年1回ならまだしも、奥山さんの様に、抗癌剤の点滴をする前検査で頻繁に胸部CT検査・・・なんていう事態は避けたいのが本音。

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9、放射線どこまで安心・どこから不安?

上記で、我々が浴びる放射線量は確認できたimg03.jpg

「2時間でいまがわかる!放射能の真実!」2011年09月30日辛坊 治郎、高橋千太郎(著)アスコム・・・で考察してみた。本書は2011年(平成23年)3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震で引き起こされた「福島第一原子力発電所事故」による放射線漏れに関する健康被害がテーマである。原子力発電賛成派反対派や政治的に偏った著者でなく、単に放射線と健康について語って貰えてるので大変助かる。


著書と出版社には悪いが、非常に解り易い説明頁を下記に引用する。しきい値と言うのがポイントの様だ。話の取っ掛かりに「紫外線」を引用されている。


放射能の真実! P.82

高橋:紫外線は、エックス線のちょっとエネルギーが低いもので、電離放射線と同じような作用があります。ただし、透過性がきわめて悪く、体の表層までしか届かないから、皮膚にしか影響しません。紫外線が皮膚にあたると、「発赤」といって皮膚が赤くなります。毛細血管が充血して拡張するんですね。ひどければ、やけど様の症状になる。この皮膚が赤くなる現象には、しきい値があります。紫外線を浴びて何分か経過しても、しばらくは赤くなりません。実は徐々に、微妙に赤くなり始めているんですが、皮膚には治す作用があって、症状としては見えてこないんです。
辛坊:それが、しきい値を超えたところで、一気に赤くなり出す?
高橋:紫外線に当たる時間というか、紫外線が皮膚に与えるエネルギーが、ある一線を超えたところから、みんな必ず皮膚が赤くなります。夏のプールでいえば、多くの人は30分までは何でもない。ところが、皮膚が弱い人は30分くらいで、強い人でも1時間くらいから赤くなり始める。1時間以上たてば、ほぼ全員の皮膚が赤くなる。2時間、3時間とたつにつれて、みんな症状がひどくなっていく。
辛坊:紫外線で、まさに「しきい値あり」の現象が起こったわけですね。
高橋:そうです。「紫外線で皮膚が赤くなる」という、障害には、しきい値があるんです。一線を超えると必ず起こると決まっているから「確定的影響」と呼びます。
対して「紫外線で皮膚ガンになる」という障害はどうなるのか。こちらはいまのところ「しきい値なし」とされています。個人や人種によっていろいろ変化しますが、一般的に言って紫外線に当たれば当たるほど、皮膚ガンになる確率は上昇します。同じような人種で、同じような遺伝的な背景を持った人の集団では、紫外線をよく浴びた人と、なるべく浴びないように注意した人では、注意した人の方が皮膚ガンになる頻度が低いことは間違いない。そこでこれを「確率的影響」と呼びます。
辛坊:毎日15分ずつ紫外線を浴びるというモデルを考えてみる。すると30年たっても皮膚は赤くならない。これは「しきい値」を超えないから。でも、05年、10年、30年とたてば、皮膚ガンになる確率は上がっていって、どこまでなら皮膚ガンにはならないとは言えない。つまり、皮膚ガンになるかどうかという「しきい値」はない。・・・こういうことですね。
高橋:そうです。低い線量では発生する確率は低くはなりますが、それでもある低い確率では発生はするというのが、確率的影響ですね。紫外線を毎日当てる動物実験をやると、毎日1時間3時間のほうがガンの発生率が高くなります。でも、毎日5分とか1分とか当てる実験では、ばらつきが出てしまって、紫外線によるガンなのか、それ以外の要因によるガンなのかわからない。けれども、紫外線の影響でちょっとはガンになる確率が上がったと考えます。
 重要なのは、紫外線を10分浴びてなっても10時間浴びてなっても、皮膚ガンは皮膚ガンであって、重篤度に変わりはないということです。長時間浴びてガンになったガンのほうが重症とか、逆に軽くて済むとかいうことはなくて、ガンになってしまえば同じ。これがしきい値なしのガンの特徴です。しきい値ありの皮膚が赤くなる症状は、長時間浴びたほうがつねに重篤です。

(中略)

高橋:そうです。いま申し上げた作り替えの激しい細胞に対する放射線の比較的急性の影響が「しきい値あり」の確定的影響。残る問題は、放射性がDNAを切ってガンを起こすという影響と子孫に遺伝病が出てくる遺伝的影響で、これは「しきい値なし」の確率的影響と考えられています。

要するに「確率」だそうです。

放射能の真実! P.101

福島第一原発の事故が起きるまでは、放射線関連の業務についていない一般の人が自然界以外から浴びていい放射線量は、年間1.0mSv以下と決まっていた。

とすれば、やはり、なるべく不必要な放射線を浴びるのは避けた方がよいと言う事らしい。北里大学病院放射線部のデータを以下に引用します。

しきい線量がないと仮定した場合のガンで死亡する確率

01mSv/年の被ばくを0~生涯継続した場合:0.4%
02mSv/年の被ばくを0~生涯継続した場合:0.8%
10mSv/年の被ばくを18~65歳まで継続した場合:1.8%
20mSv/年の被ばくを18~65歳まで継続した場合:3.6%

飽くまでも「確率」で、毎年胸部CT検査を受けると、7.0(mSv)だから、ガンで死亡する確率が1.0%・・。100人に1人。さて、健保組合にサイトに目にやると「おおざっぱに言って、日本人の2人に1人が、がんになっていると言えます。2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ。」と明記されております。

単純に確率で言えば、ほんの少しのリスクをとって早期に肺ガンを発出来る方がお得ではないだろうか?後は読者のセンスですね。

今の段階で普通に思うのは、胃がんのチェックはバリュウム胃透視を放射線を使わない胃カメラ検査に代替して、浮いた線量を胸部CT検査にまわして肺がんの早期チェックを狙うのはいかがだろうか?胸部レントゲン検査は結核を発見できても肺がんの早期発見は?なので。

以下、ヤフー知恵袋からの引用

ヤフー知恵袋

個人的には肺癌の検診でレントゲンを使うことには否定的です。見落としが多すぎます。例えば心臓に隠れてしまうと4cmを超えるような大きな癌まで見過ごします。ただ透けた部分では小さなものまで写るのでしないよりは効果的だとは思いますが・・レントゲンで見つかった肺癌は手遅れと言うのは俗説です。出来ればCTを使った検査がある程度確実に癌を写し取ります。最近のCTはほとんど被爆せず自然界の放射能と比較しても別格高い数値にはならないです(これはレントゲンにもいえます)。なので癌の検診ならCTを受けることをお勧めします。追記 あなたの言われる通りなのですが会社の健康診断は癌だけを見つけるものではありません。恐らくそういう意味でもCTではなくレントゲンなのでしょう。でも個人的には健康診断でもCTを実施するべきだと思います。

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10、なぜ「がん細胞」「悪性腫瘍」ができるのか?

これが解明されたらノーベル賞。予防法が見つかったらノーベル賞。まぁ風邪薬(本当の意味での)が開発されてもノーベル賞だそうです。それくらい癌には謎が多いのだそうです。

それでも、ある程度の事は解っていて「がん細胞」自体は健常者の体の中にもあるんだけれど、色々な要因で悪性腫瘍になってしまう。更に、悪性腫瘍は異常増殖し転移し臓器不全を巻き起こさせ、やがて宿主も自分自身も死に至らしめる。体がこんな厄介な事になってしまうのは、精神分析的視点でみると、そんな「厄介な心の有様」が体に反映しているものと思われます。

この話を突っ込んでいくと「セラピーでガンは治るのか?」と言う命題になるのだが・・・・詳しくは後の頁で。

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11、元モノ・マガジン編集部

奥山貴宏さんは、元モノ・マガジン編集者らしくブログの中にも小物に対する記述が沢山でてくる。

私の琴線に触れたグッズを以下に紹介する

(工事中)

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12、バイククロニカル

img07.jpg奥山貴宏さんのバイク遍歴は高校生で乗り始めたのを皮切りに「カワサキ エストレア」「マジェスティ」「TMAX」だそうです。

エストレア時代はエンジニアブーツを履いたり尖った気持ちで乗っていたが、実用性を加味する様になってビックスクーターに移行したらしい。

奥山さんより1世代上の私?はビックスクーターの台頭自体が受け入れられないのだが・・・。

それよりも私が奥山氏に共感したのは以下の部分だ。バイクは殆ど病人にとって「車いす」と同様であると言う想い。

以下、原因不明の疾患を抱え、バイクに移動を頼っていた時の事を思い出して記述します。
歩行困難な状況になっている時でさえ、バイクはドア→ドアで我が身を移動させてくれる「魔法の絨毯」であった。もし荷物を持って駅まで歩いて移動する事を考えても無理。電車、バスで座れなかった事を想定しも無理。移動はバイクにおんぶに抱っこ。バイクに乗らない人は、体調が悪い人があんな大きなバイクを動かすことは不可能だと感じる様だ。

こればっかりは乗らない人間にはわかるまい。エンジンを切った状態では、それなりの重さで取り回しが大変な場合があるが、バイクは、走り出した瞬間、足には一切の負担はなく。肩幅の空間があれば、どこまでも快適に移動できる超便利な乗り物なのだ。まぁ雨天時は不快な想いを強いられるのは仕方ない。

そうは言っても今時は、自転車でさえ好き勝手に停められない様な社会状況で、バイクを歩道上に停めていたらすぐ違反切符を切られてしまう。快適に移動した後に駐車場を探す為にウロウロしたくないし、駐車違反もしたくない。結果、私にとってバイクは眼中にない乗り物になってしまった。そうこうしているうちに「若者のバイク離れ」とやらでバイク自体も私の視界に入ってこなくなった。気がつけば・・・今、バイクに乗っている人の年齢層は40~50歳代が一番多いらしい。既に日本社会においてバイクと言う乗り物の位置づけも変わってしまった。国内生産拠点はホンダの熊本製作所のみ。

奥山貴宏さんや私がバイクを日常の足として重宝して使っていたのはもう昔の話。バイクがロックで反骨の証しだった時代はもう遠い昔話しなのである。

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13、奥山貴宏ガン漂流の謎

色々ネット検索しても以下の疑問を呈する人がいないので「ひょっとしたら自分の勘違い」かと思い何度も奥山さんの闘病記を読み返すのだが不思議で納得のいかない事がある。もし、読者の方で「解」を持っている人がいたら教えて欲しい。

○31歳ガン漂流(ポプラ社)2003年11月15日 発行

2002年12月15日~2003年05月30日 後書き2003年10月17日(2003年秋)
(Webマガジン「ポプラビーチ」に掲載したものに加筆修正)

○32歳ガン漂流 エヴォリューション(牧野出版)2005年03月19日 発行

2004年04月27日~2004年12月31日 後書き2005年02月19日

出版社が異なっている為だろうか?2003年06月から2004年04月の一年弱の記録が欠落している。「31歳ガン漂流」「32歳ガン漂流」各々半年余りの記録で、余命2~3年の宣告を受けた人の記録としては、空白部分が多いなぁと感じました。本の出版時やWebマガジン掲載、ブログ執筆中の奥山氏と読者の関係性が時系列で追えなかったのは残念。

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14、ヴァニシングポイント

img08.jpg 「ヴァニシングポイント」は奥山貴宏氏の処女作であり遺作である。肺がん(腺癌)と診断され余命2~3年と宣告されてから、ブログの読者に内緒で執筆を開始し、他界する3日前に書店に並んだ。

今回のサイトを作成するにあたって、私は勿論「VP」に目を通した。Amazonの書評を読むと「ノンフィクションだとしたら」と仮定した上で酷評しているユーザーがいた。もし、この小説が事実ならそうりゃぁ作者は立派な犯罪者。実際にこんな事あるわけない。

以下、精神分析的視点で深読みすると、小説に登場する「イデイ(著者の悪友)」多分ネーミングは、1995年6月から2005年6月までソニーの社長を務めた出井伸之さんから拝借したのではないか?

奥山氏は生前ウォークマン年鑑を編集したり、愛用のパソコンは「ソニーのバイオノートSR」であったり、PSP(プレイステーションポータブル)が暇つぶしアイテムであったりソニー大好きユーザーでもあった。遺作となる小説に登場する重要なキャラをイデイと命名するのに時間はかからなかった筈。

さて、そのイデイは実は著者のシャドーであったと思う。イデイは何でもテキパキこなし、クラブの運営にも秀でている。中国人犯罪グループにも通じており、拾得携帯を横流ししたり、暴走乗り捨てバイクを簡単に調達出来たりする。しれーっと覚せい剤も使っている。実際には出来ないが、小説という自由な表現な場を借りて、平気で悪事を働く自分自身に翼を与えて誕生したシャドーがイデイだ。

小説「ヴァニシングポイント」の作者は「イデイ」と結託して、悪事を楽しむ、盗んだバイクに拝借したヘルメットを被って暴走。じゃまっけなゲンチャに蹴りを入れ転倒させた挙句、ひき逃げする。・・・これはどうみてもリアルじゃなくてフィクション。

奥山貴宏氏が書き残した「31歳ガン漂流」「32歳ガン漂流エヴォ」は、リアルな闘病記。「ヴァニシングポイント」は奥山氏のリアルな生活にフィクションを加えた小説とみてよいだろう。

「ガン漂流」の記述にVPの原稿を親にみせない件があった。そりゃ反社会的行為のオンパレードは親には見せられないだろう。それでも奥山貴宏氏は、だんだん自由がきかなくなる肉体と対峙しながら自分の欲望と想像力とロックな感情をバイオノートの液晶画面に叩きつけたのだ。更に、奥山氏は次作を山形で執筆する意欲を見せていたと言う。

最後まで主体でいたかった。自分らしくいたかった。自分の主体を他人に伝え、認めて欲しかった。承認して欲しかった。

「オレを覚えていてほしい」

承認欲求のエネルギーは途轍もない。

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15、健康寿命

最近、「健康寿命」と言う言葉を耳にする。

健康寿命

健康寿命(けんこうじゅみょう、英: Health expectancy, Healthy life expectancy)とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。

いくら寿命が長くても、寝たきり老人になってはNGって事だな。鼻にゴム管突っ込まれて、栄養をチューブで流し込まれて、植物人間になってどうするの?って事・・。つまり、それは主体が無くなるって事だと思う。

奥山さんの場合は周りからは「ホスピス行き」を勧められるも、彼はそれを良しとしなかった。最後まで、モルヒネに依存する自分を主体を放棄した自分とみなし、最後まで、主体が自分にある表現者として生き抜いた。

世の中の全ての人が奥山さんの様な生き方を選択するとも思えないし、それが「是」かは個人の価値観や、生き方、哲学の領域、範疇に入るだろう。

自分の場合は、思春期から青年期にかけて心身ともに不健康な場面が多かったので、中年期を迎えた今、身心ともに健康でありたいと強く念願し、自分の欲望を満たしつつ、適度に環境と調和した生活を送りたいと思う。

今回の奥山氏が残した4作の著作を読みながら、がん治療のあり方や、肺がんの早期発見方法に関して、それなりに知識を吸収する機会を得た。今後の自分の生活に活かしたいと思う。

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16、追記、奥山氏の日記におけるゲームの話

私自身中毒化するのは分かっているので、決して手を出さなかったゲームの世界だが、奥山氏の日記を通読すると、GBやPSPという略称が出てくる。ソニーのプレステのシュミレーションの様な動画はもはや「子どものお遊び」を遥かに超えた世界で、今年2016年はVR元年と言われている。

さて、奥山さんの日記の記述を追いながら10年前のゲームシーンを垣間見てみよう。


2003年02月14日バレンタインデーがゲームボーイ・アドバンスSP(任天堂)発売日。・・を求めて新宿を彷徨うも入手できず。

2003年02月18日ネットで注文していたゲームボーイ・アドバンスSPが届く。手に入って良かった。

・・・と淡々と日記は続くのだが、この頃、奥山氏は、15日に主治医から肺腺がん(ステージ3B)の診断。余命2~3年の宣告を受けたばかりで、既に抗癌剤による点滴治療は開始されていた。33歳ガン漂流ラスト・イグジットのサ母の後書きを読むと、まさにこの02月18日に奥山さんはサ母に自身の余命の話もしていたのである。

淡々とゲームボーイの話を書いているが、彼の心境はとてもゲームに興じている状態で無かった筈で、無理に平静を装っているに違いないと思わせる。

2004年12月12日PSP(プレイステーションポータブル)発売日。奥山氏は大人気の為、発売日の入手を諦めていたのだが、実弟の秀君がたまたまキャンセルが出たPSPをヨドバシでタイミングよくゲット!。半ば興奮気味に以下の記述が続く。・・・兄を思う気持ちが幸運を呼び寄せたのだろうか?ガンを患い入院を間近に控えた兄のためにPSPを奇跡的に入手するなんて、安っぽいけれどもなかなか良くできた美談だ。たまたま、秀君は本日が休みだったので、家まで届けてもらって一緒に遊ぶ。・・クリスマスが来たかの様な燥いだ兄弟の会話が浮かぶ。ゲームはエンターテイメントを売っているのだなと再認識した。この日から僅か127日後、奥山氏は永眠した。

私はゲームの事は全く知らないが、この頃は持ち歩けるゲーム機が台頭していたのだなと振り返った。ゲームボーイは任天堂DSへ(2004年11月21日)。PSPは後継機種のPlayStation・Vitaへ(2011年12月17日)。ただ、現在2016年はポータブルゲーム環境はスマホへシフトしており、ポータブルゲームメーカーには厳しい状況の様だ。

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17、奥山貴宏さんがガンになったわけ

これはあくまで推測であるし、ききようによってはすごく不謹慎と受け取られるかもしれませんが勇気をだして書きます。

精神分析や心理学の世界では、人の精神の発達にはある段階があって、それを順序通りに通ると言う「精神発達論」があります。ちょっとかじった事がある人は、「口唇期」とか「肛門期」とか、「エディプス期」と言う言葉を思い出していただけると思います。

ここで問題になるのは、男子は父をモデルとして社会性を学び、いつか父を超えて自分のアイデンティティを獲得しようとします。

最愛の母を父から奪取しようと試み去勢不安に苛まれたりする(エディプスコンプレックス)のも男子特有の精神の発達過程の出来事です。

ここからは推測ですが、奥山貴宏さんは医者である父をモデルとして成長し、いつかは医師である父を超えなければならないと言う命題を抱えていた。ところが、父と同様の医師となり、医師である父を越える事には失敗した。奥山貴宏さんは二浪の後、日本大学芸術学部へ入学している。進学を決めて空路山形へ戻った際に空港で出迎えた継母である章子さんに「日芸に入るのは国立より難しいんだぜ」と嘘ぶいたと言う。

この時点で、奥山氏は医師としての父と闘う事はできなくなり「肺腺」ガンになる事は決定付けられた。なぜなら父と子の闘争に「敗戦」したから。

以上は無意上の奥山さんの心の葛藤を考察した結果です。勿論、奥山さん自身も意識・認識する事はなかったでしょう。後に自伝小説である「バニシングポイント」を出版するに至る。この時を同じくして奥山貴宏さんのお父さん:奥山秀弥さんは「シャーマンの秘薬 或るガン患者の冒険:奥野秀章」を発表する。ペンネームの章は後妻の章子さんから頂いたのではないだろうか?

まるで小説を発表する事も父と息子が競争するかの様だった。

余談であるが、奥山貴宏さんの妹さん、奥山秀弥さんの長女の夫はロックバンドACIDMAN (アシッドマン)のボーカル・ギター担当の大木伸夫さんである事は知られているが、大木氏は明治薬科大学卒業。実家は薬局で自身も薬剤師免許を持っている。・・と奇しくも医療系の配偶者である。

更に、弟:秀君の勤務先のMOSバーガーのMOSは何を意味しているかご存知だろうか?マウンテン・オーシャン・サン・・これも人の生の営みに絶対に必要な三文字なのである。

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18、終わりに

実は奥山さんの4冊の著書にはまだまだ面白い記述があって、深く考察したい部分もあるのだが、・・・とりあえず今号はメインの「肺がん」にまつわる部分を掘り下げました。後日、色々追記していこうと思います。

ではまた来月お会いしましょう。

ご意見ご感想は
lacan.fukuoka@gmail.com
でお待ちしています。

2016年平成28年05月31日

月刊 精神分析 編集部A

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19、追記、追悼エッセイ 奥山貴宏君のこと 勝谷誠彦

2005年8月15日:山形新聞

img14.jpg月山は梅雨あけ前の濃密な水蒸気の向こうに姿を隠していた。それでも雨に降りこめられなかった幸運を謝しながら私は大江町の禅寺にある奥山貴宏君の墓前に立ち尽くした。

「やっと来れたぜ、奥山」。そうつぶやくと今にも彼のあのシニカルな笑顔が帰ってくるようで、しかしそれはもはや叶わないことなのだ。墓に案内した父上は続けて彼が生まれ育った家に連れて行って下さった。読者の間ではそのタフさから「サ母(サイボーグ母)」の愛称で知られる母上が、心尽くしの郷土料理を用意していてくださったが、私はあまり箸をつけることができなかった。奥山君の死は、まだまだ私の中では着陸点を見つけることができないのだ。「最上川に逆白波が立つころに、またやって来るよ。その時はサ母のお料理で、仏壇の中のお前と倒れるまで呑もう」。私はそう語りかけると、せわしない彼との出会いの旅を終えたのだった。

7月23日のNHK教育テレビ『ETV特集 』で紹介されたせいで奥山君の生き方に心を寄せる人々はまたぐっと増えた。視聴率は1・7%でこれは通常の企画の倍だったと聞く 。遺作となった『33歳ガン漂流-ラストイグジット』も売れ続け、唯一の小説『ヴァニシングポイント』は文芸作品としては驚異的なペースで増刷がかかっている。31歳で肺ガンを発病しながら2年余りの生を疾走した彼の軌跡を、読者たちはいつしか「サムライ」と呼ぶようになった。ペンを手にバイクにまたがって駆け抜けた、現代のサムライと。

私と奥山君との交わりは03年2月に彼からメールが来たことに始まる。ずっと私の読者でいてくれた彼は自らの病気のことを告げ、 自分がウェブ上に書いている日記を読んで欲しいと言ってきたのだ。初めて会ったのは5月のこと。新宿の沖縄そば屋で酒を汲んだ。
私は彼より少しばかり早くモノを書き始めた人間として「死ぬ気で書き続けろ」と言ったらしい。その日のことを著書にも収録されている日記の中で彼は<勝谷さんの言葉に感涙 。絶品のソーキそばがしょっぱくなってしまった>と書いてくれている。しかし、今思えば彼が闘っている対象の巨大さを、この時の私はどれほど理解していたというのだろう。

その後亡くなるまでに私が彼と会ったのは数回にすぎない。しかしそれはひとつひとつが濃密な時間だった。短い期間に彼がやってのけたことを振り返る時、私がふと口に出した言葉が与えてしまっていた影響に粛然となる。そしてもっと適切なことを言えなかったのかと唇を噛むのである。

04年の8月、もうかなり病状が進んでいた 彼と吉祥寺で呑んだ。その時私が言った「小 説を書け」という一言が奥山君の中の作家魂に火をつけてしまったのだろうか。誰にも書いていると告げないまま、奥山君は遺作となった『ヴァニシングポイント』の執筆に文字通 り命を削る。本が店頭に並んだのは彼の死の3日前であった。読んだ私は瞠目した。これだけの才能にはまだまだ何十冊も書いてもらわなくてはいけない。文芸の神よ。私たちのためにこの魂が天に召されることを阻止したまえと私は祈った。感想を送ったメールに奥山君から母上の代筆によるメールが来た。 <小説は俺が先に出したから俺の勝ちだな> 。最初に笑い、そして私は静かに泣いた。

4月16日、私は取材先の伊勢神宮でいただいたお守りを持って彼の病室を訪ねた。手をとるとしっかりと握り返して来た。この分なら処女小説への賛嘆の声をまだまだ聞くことが出来る-。密かにそう喜んだ私が去った十 数時間後、奥山君はこの世での使命を終えたかのように、燃え尽きてしまったのだ。

最初に会った日の夜、奥山君は日記をこう結んでいる。<戦場から生きて帰って、また勝谷さんと酒を飲みたい>

呑もうぜ、奥山。今度は、俺がそっちへ行くからさ。

2003年02月05日より引用

前の日に人気コラムニスト勝谷誠彦さんに「ポプラビーチ」の連載を紹介していただけないかお願いのメールを送った。こちらは著作やテレビで見知っていても直接の面識はない。ダメ元でも、自分のできることは何でもやってやろうと思ってお願いしたのだ。そしたら、なんと「勝谷誠彦の××な日々。」の2月5日分で紹介されているではないか!メールも頂いた。午前中からケタ違いのスピードでアクセス数が上がっていく。これは、ちょっとした臨時革命だ。勝谷さんとリンクを辿ってきてくれた方々、本当にありがとうございます。

ちなみに、「勝谷誠彦の××な日々。」のバックナンバーを探してみたが、一番古くて2007年分のタイトルは追えるのだが、残念ながらそれ以前のバックナンバーは見当たらない。

2003年05月03日より引用

オレはこの夜のことを、生涯忘れることはないだろう。中野駅でWPP(週刊プレイボーイ?)のNさんと待ち合わせて新宿へ。新宿で勝谷さんと待ち合わせて、沖縄そばの店みやぎへ。メールを頂いたことはあっても、こうして直接お会いするのは初めて。本当に忙しい中、会う時間を割いてくださったのだ。テレビなどで見るより、柔らかい印象を受ける。驚くべきはそのエネルギッシュさと熱さ。連載を月に30本も抱えて首が回らなくなっているはずなのに、まだNさんに企画を売り込んでいる!先ほどNさんと二人で待っている時間にオレにも企画を売り込むチャンスはあったのに、最近観た映画のことなどくだらない話に終始してしまった。そういう緊張感のようなモノが、今のオレには欠けているような気がした。「物書きはこの世の中で唯一自由な魂を持った職業なんだ」という勝谷さんの言葉に感涙。絶品のソーキそばがしょっぱくなってしまった。肩をバシバシ叩きながら「死ぬ気で書きまくれ!」という勝谷さん。いつ死ぬか分からない戦場を記者として駆け回ってきた人間だからこそ、言葉の重みが違う。オレもいつ死ぬか分からない戦場に図らずも身を置いてしまっている。恐ろしいことに戦場に身を置いても、それに慣れてしまう。感覚が麻痺してしまい、戦争状態が日常と化していってしまうのだ。それは人間が気が狂わないための適応能力であると同時に感覚を鈍化させるものでもある。戦場から生きて帰って、また勝谷さんと酒を飲みたい。

2004年08月の奥山氏の日記を読み返しても勝谷氏に関する記述は以下文しか見つけられなかった。

2004年08月02日より引用

締め切りが重なっている。勝谷(誠彦)さんに言ったら笑われる、と言うか言うのも恥ずかしい数なんだけれども、今のオレにとっては命がけ。一本書くごとに、ベッドにブッ倒れる(あんま書くと、仕事が来なくなるな(笑))。

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20、追記、奥山貴宏さんの抗がん治療の実際

2004年08月01日より引用

今回受けている化学治療なんだけども、髪の毛が抜けるばかりで効いている手応えがあまりない。入院時に受けた1クール目のときは腹部の痛みが緩和されて、効果が出ている感じがした。でも、退院後はクスリの濃度を下げたせいか、効いているという感覚はない。こんなに効果がない上にコストが高く、しかも身体的なダメージが大きい治療法がまかり通っているのが不思議だ。他に手がないのは分かるけれども。何しろ、壁の落書きを消すのにダイナマイトを使うような治療法なのだ。ダイナマイトなら壁を壊して確実に落書きを消せるけど、化学療法だと壁だけなくなって、落書きは残るなんてことが普通にある。ナノテクがもう少し進歩して、落書き部分だけ爆破できるようなクスリが出てこないと状況は変わらないと思う。これまで、何度か化学治療を受けてきたけれども、ほとんど効果が出なくてクスリをとっかえひっかえしているだけという印象だ。いかも、その度に甚大な医療費と体力が奪われていく。ガンとの闘病は、ほとんど金持ち(ドラ息子)の道楽に近い。何しろ、何時間か点滴を受けただけで、保険を適用されているのに5万とか請求されるからね。正直、耳を疑った。医師も薬価を把握していなくて「2万円でお釣りが来ますよ」なんて言う。2万円しか財布に入れてなくて、恥をかいた。違法ドラッグの方が断然安い。今回の治療に関しても40万ぐらい払って、ハゲただけってな状況になりそうな訳で。延命になっているのかすら怪しい。入院していても、入院費が払えないと、全然治っていなくても退院させられるんだよね。そうやって退院させられるところを実際に見たことがある。病院も善意とかはあるかもしれないけれども、ボランティアではない営利団体なので、金の払えないヤツは出て行ってもらうしかないのだ。医者にだって高い給料を払わなくちゃならない訳だからね。こういうことを書いていると、だんだん気が滅入ってくる。必死に原稿を書いても、その原稿料は一瞬のうちに効くかどうか分からないクスリのために消えていく。効かないだけならいいけど、体力も奪っていく。死ぬまで、こんな思いを続けなければならないなんて、ホントうんざりするよ。

奥山さんが抗癌治療を受けていたのは2004年で、今は2016年。10年以上経っているのだが、ガンとの闘いに終わりは近づいているのだろうか?アフラックのがん保険のCMは耳に入ってくるのだが・・・。誰か、最新のがん治療の実際を知って人がいたらレクチャーして欲しい。

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21、追記、奥山貴宏さんに同感 点滴ノイローゼ

img10.jpg僕が、九州大学付属病院の皮膚科外来に通っていたのはもう30年以上も前の事だ。両方の下肢の抹消の血管が炎症を起こし、皮膚が部分的に壊死を起こし潰瘍になるという病気に罹っていた。それも原因不明。

思春期に原因不明の病気に罹ったわけで・・。もう退官されているが主治医は今山修平先生。近年、福岡市早良区西新で今山修平クリニック&ラボを開所されている。

結果的に私の疾病はいくら血液検査をしても原因不明で「アレルギー性血管炎」と言う病名がついただけで、症状が悪くなればその時々で対処療法を施すしかなく、患者としては将来的にずっと病状の悪化という不安を抱えながら騙し騙し日常生活に適合するしか道はなく、精神的にも追いつめられていく日々だった。

精神的には原因不明の重度のアトピー性皮膚炎に悩む患者さんと同様。

長年悩み続けた病気と決別できたのは、自ら生活環境の大変革を行った事。結果的に、それが病気の完治につながろうとは・・実際に今まで病気は再発していない。病気で悩んでいる渦中にはそんな事、想像もできなくて・・・その後、心理学や精神分析の知識を吸収するにつれ、自分が悩み続けていた病気の正体が実は、精神的ストレスからの「疾病利得」であったと結論づけ現在に至っている。

なぜ、もっと早くに気が付かなかったのか・・。

奥山貴宏さんの闘病記を読むにつけ、長時間、点滴による抗がん剤投与の際、抗がん剤の効き目以前に、長時間ベッドに釘付けになる事で「点滴ノイローゼ」になり精神的におかしくなりそうだったり、いちいち点滴を入れる為の注射をしなくていいように点滴の静脈ルート確保が最大の関心事になったり、点滴の針(翼状針)の持ち方も知らない研修医(インターン)が来たら絶望的な気分になったり・・・。私自身の闘病時の記憶が呼び覚まされて頁をめくるのが苦痛になるくらい感情移入できました。

こんな時に本当に健康のありがたみを実感します。

僕が神経質な程に、病気の予防に関心を寄せる訳はこれです。もう、左手首に点滴の静脈ルートを確保したり、トイレに行くのを気にしながら長時間の点滴を受けるのも嫌だし、下手くそな研修医に何回も針を刺されるのも嫌だし。他人からは健康そうに見えるのに、実はバイクを利用してのドアtoドアの移動手段しかないのを理解してもらえなくて辛かったり・・・。

健康は何モノにも代えがたい。

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22、追記、あの、野際陽子さんも肺がん闘病生活

野際陽子が隠し続けた「肺がん2年壮絶闘病」

img15.jpgNEWS ポストセブン 4月24日(日)16時0分配信

 今年1月に傘寿を迎えた女優・野際陽子(80)は、いまだ衰えを感じさせない。4月6日にスタートした人気ドラマ『警視庁捜査一課9係 season11』(テレビ朝日系)に準レギュラーとして出演。さらに同15日から始まったNHKの連続ドラマ『コントレール~罪と恋~』にも、主人公 (石田ゆり子)の姑役として出演している。

 女優として、いくつになっても第一線に立ち続ける姿からは想像もできないが、野際は現在、大きな病と戦っている。野際と親しいテレビ局関係者が明かす。

「野際さんは2年ほど前に肺がんを患いました。当時、彼女は昼ドラの撮影に追われていたのですが、いつも脂汗を流すほど過酷な撮影だったそうです。早期発見ということもあり、治療は成功しましたが、昨年の4月頃に再発し、腫瘍の摘出手術を受けました。術後、体中に管を通され、健康な人に比べると肺 がかなり小さくなってしまったため、"はぁ、はぁ"と息苦しそうに喋る姿は非常に痛々しかった。退院時には酸素吸入器を携行していたほどで、関係者の頭に は"引退"の2文字が過ぎったそうです」

 その後、息苦しさは徐々に収まり、吸入器を携行する姿も見られなくなったが、憔悴した様子は隠せなかったという。だが、昨年夏、抗がん剤治療に移ると野際は明るい表情を取り戻した。前出の関係者の話だ。

「"自分に合った抗がん剤が見つかったの"と喜んでいたのがその頃です。薬物療法は体力を消耗しますが、大きな効果もあり、本人の気持ちが前向きになったようです」

 経過は良好で、病気を知る関係者の目から見ても、今の野際はまるで"完治"したかのように映るという。とはいえ、野際は現在も都内の大学病院に定期的に通い、「治療と経過観察の検査を受けている」(同前)という。

 NHKの人気女子アナだった野際が、フリーに転身したのが1962年。翌年に女優デビューすると、知的な雰囲気と抜群のスタイルで、たちまち世の男性を 魅了した。視聴率30%を記録した大ヒットドラマ『キイハンター』に出演し、1973年に共演した俳優・千葉真一と結婚。一女をもうけたが、1994年に 離婚した。以来、浮名を流すことなく、独身を貫いている。野際家と近しい芸能関係者が言う。

「現在、基本的には野際さん1人で自活しているようです。本当は手術や抗がん剤治療で精神的にも肉体的にも辛かったはずです。でも彼女は弱音を吐くことは一切なかった。細身で楚々とした外見とは裏腹に精神力はとても強い女性なんです。がん発症後も仕事は休んでいませんし、仕事の関係者には内緒にしていたので、ドラマ共演者で彼女の病気のことを知っている人はほとんどいません」

 壮絶な闘病生活をおくびにも出さない野際のプロ意識はさすがだが、ファンとしては体調が気がかりだ。野際の所属事務所に現在の様子を訊ねた。

「野際本人は様々な事情があり自身の健康問題を始め、個人的な事柄につきましては、何事も公にすることは避けたいとの意向です。本人は現在大変元気に日々過ごしております」

 がんを"克服"し、80歳になった今も第一線で活躍する野際の姿は、多くの人に希望と勇気を与えるに違いない。

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23、追記、2005年07月23日 ETV特集で放送

オレを覚えていてほしい~ガン漂流・作家と読者の850日

 異色の闘病記がインターネットで、書籍で、ひそかな話題を呼んでいる。著者は奥山貴宏さん、職業はフリーライター。今年4月、肺がんのため33歳で亡くなった。2003年2月、風邪をこじらせて訪れた病院で突然「余命2年」と診断された奥山さんは亡くなる前日までホームページ上に闘病日記のブログをアップし続けた。

  命の終わりを告げられても変わらず仕事を続け、大型バイクに乗り、クラブに通い続ける奥山さんの姿は10~30代の読者たちの共感を呼び、ブログは160万ヒットを獲得してきた。読者と奥山さんの間では「おいしいそば屋を紹介して」「早く死ぬ事は不幸か」「ホスピスに入る事はロックか」などさまざまな会話や議論が交わされ、亡くなった今も読者からメッセージが送られ続けている。奥山さんの日記は期せずして、ふだん本を読まない若い世代に「死」、そして「生命」について考えさせる「命の対話」ともなってきた。その日記を書籍化した「ガン漂流」は、まもなく3冊目が出版される。

 映像による闘病記も存在する。カメラを回したのは大学同期のCM・音楽ビデオディレクターの三好大輔さん。「生きている自分の姿を、文字だけでなく映像でも残しておきたい」と奥山さんが撮影を依頼したという。カメラの前で奥山さんはガンの脳への転移を話し、ひそかに書いていた小説の完成を告白する。

  死を考えたこともない、一人暮らしをする若い世代が急に命の終わりを告げられた時、何を支えにどう生きるか。この番組は、宣告された余命を越えて病と闘い、執筆に没頭した33歳の奥山貴宏さんと、その姿をインターネットや書籍を通して見つめた読者たちの記録である。

語り:松浦亜弥(歌手)

文中に登場する映像作家の三好大輔さんは、現在、株式会社 アルプスピクチャーズ代表取締役。4児の父で、長野県安曇野市に在住。奥山さんの日記には再三「ミヨP」で登場。ジェネジャンで使われた映像も三好さんが撮影したものらしい。

August 17, 2004 02:57 AM ミヨPジュニア三兄弟

img12.JPGミヨPより暑中見舞い。勝手に画像アップ。

また、「ぬるい生活を送っている」と読者から苦情が来るかもしれないけれども、関係ねえや!

でも、オレと同い年で子供が三人とは! しかも、全員男の子とは! どうすれば、そんな精力が出るのか教えてもらいたい。その精力を分けてもらいたい。なんか、オレに隠れて凄いモン喰ってンのかな。スッポンの生き血とか。

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24、追記、最近の抗がん剤事情

抗がん剤が日本を滅ぼす日 
~1ヶ月300万円の新薬登場~
中山祐次郎(一介の外科医)
2016年4月27日 7時30分配信

抗がん剤が医療費を跳ね上げる時代が来ている。そして医療費はおろか、日本経済を破壊しかねない可能性がある。

かねてより筆者は、徐々に高価になってきた抗がん剤の薬価(薬の値段)に強い危惧を持っていた。今回新しい抗がん剤が承認されたことを機に、抗がん剤の薬価について論じたい。

1ヶ月300万円を超える新薬の登場

平成27年12月17日、厚生労働省は「オプジーボ(一般名 ニボルマブ)」という新しい抗がん剤を肺がんに対して承認した。この薬はもともと皮膚がん(正式には皮膚悪性黒色腫)に対する抗がん剤として以前から使われていた薬剤で、今回は適応拡大(ある病気にのみ適応となっている薬が、他の病気にも新たに適応となること)の決定となった。

この抗がん剤はこれまでの抗がん剤と違い、免疫に作用することで効果を発揮するという新しい作用機序 (薬が作用し効果を示すためのシステム)を持つため、業界でも大変注目を浴びている。ただ、劇的な効果を持つというわけではなく、例えば肺がんに対する従来の治療法、ドセタキセルという抗がん剤と比べ、生存期間を約3ヶ月延長する(扁平上皮がんでは6ヶ月→9.2ヶ月、非扁平上皮がんでは9.4ヶ月→12.2ヶ月)というものだ。

そして、肺がん以外での承認を目指し他のがんの領域でも様々な臨床試験が行われている。

効果がある新薬の登場は医療現場としても喜ぶべきものだが、今回は手放しで喜べない事態となっている。それは、この薬の価格だ。

肺癌学会ホームページによると、このニボルマブの薬価は1ヶ月で約300万円。筆者の計算でも332万4622円となった(計算の詳細は下記の※)。これは以前使われていたドセタキセル、ジェネリック薬を使えば1ヶ月で5万円以下であることを考えれば、異常に高価である。

販売元である小野薬品工業株式会社は、このようなファイルを公開している。

抗悪性腫瘍剤「オプジーボ点滴静注 20mg、100mg」の平成 28 年 3 月期売上実績および平成 29 年 3 月期売上予想について

これによると、平成28年度3月期の売り上げは212億円であり、1年後の平成29年3月期の売り上げは1260億円になると予想している。この極端な増加はもちろん今回の肺がんへの適応拡大により使用する患者さんが増えることによるものだ。さらに計算をすると、一年使ったとして300万円x12ヶ月=4200万円。これを製薬会社が推定している新規使用患者数の15,000人が使うと、4200万円x15,000人で6300億円だ。同じ人数が使ったとして2年で1兆円を超す。

毎月患者さんが300万円を支払うわけではない

日本では「高額療養費制度」という制度がある。詳しくはこの厚生労働省ホームページを参照いただきたいが、すごく簡単に言うと「めちゃくちゃ高い治療費を払わなくていいように、月10万円くらい払ってもらえればあとは全額キャッシュバックします」という制度だ。この「月10万円くらい」の額面はその人の収入によって異なっており、例えば年収が1160万円以上の人は約25万円だし、年収が370万円~770万円では約8万円、年収が370万円以下だと6万円くらいになる。さらに「多数回」など色々な制度があるので、実際に払う額はもう少し少なくなる。

そして生活保護制度の受給者はかかった医療費全額が支給されるため、どれだけ医療費を使っても支払う額はゼロだ。つまり、かかった高額な医療費のほとんどあるいは全額が国のお金で支払われることになる。
他の抗がん剤もどんどん高額化している

高価なものはニボルマブだけではない。

増え続ける大腸がんの治療薬として広く使われる「アバスチン(一般名 ベバシズマブ)」を使った多剤の治療(FOLFOX+Bev)は1ヶ月に約50万円、「アービタックス(一般名 セツキシマブ)」や「ベクティビックス(一般名 パニツムマブ)」を使った多剤ではだいたい約60-80万円だ。

これらの薬は「分子標的薬」と呼ばれる新しいもので、従来の抗がん剤と比べると比較的副作用が少なく効果が期待できるのが特長だ。今現在でも多数の分子標的薬の開発・臨床試験が進行しており、これからさらに多数の薬が登場してくると予想されている。

多くの薬が使えるようになることはひとりひとりの治療にとっては良いことだが、国全体で考えた場合は医療費を押し上げ続けることにもなる。
思い出すあの馬鹿馬鹿しい事件

そういえば4年前にこんな事件があった。新しい抗がん剤がリリースしたのだが、あまりに高価すぎるためにニューヨークの有力な医師が「高すぎてウチの病院では使わないことにした」と公表したところ、あっと言う間にその抗がん剤の値段が半額になったのだ。

冗談のような話だが、これは実話である。その薬の名は「ザルトラップ(一般名 アフリベルセプト)」。新しい分子標的薬だったが、その薬価の高さ(1ヶ月で約100万円)と効果を考えたそのドクターは、ニューヨークタイムズ紙にこんなレターを送っている。

...we must remember that the best medical care is not always the most expensive.
出典:'The High Cost of a Cancer Drug: An Oncologist's View' The New York Times, Oct. 19, 2012

「我々医師は、『最も良い医療は、いつもがいつも最も高価なものではない』ということを肝に命じておく必要がある。」(筆者訳)

ちなみにこの薬は日本ではまだ保険適応ではない。
高価な理由・・・薬剤の価格が新薬開発の原資であるという点

しかし製薬会社にも価格の設定を高価にした理由はある。

一つは、新薬開発にかかる費用と時間だ。冒頭で取り上げたニボルマブは、実際に患者さんに投与できるまで10年以上もかかっている。費用は一般に数百億円以上の単位と言われる。このホームページにも

1品目あたりのくすりの開発費用は200~300億円にも達します。

出典:製薬協ホームページ

とある。

1992年に京都大学の本庶らが発見したPD-1という遺伝子が同定されて以来10年の時を経て、小野薬品という日本の製薬会社に開発の話が持ち込まれたという。当時は「がんの免疫療法」が医師たちの間ではそれほど信頼のおけるものではなく、周辺の怪しい治療法とともに眉唾と考えられていたため、開発や臨床試験にもかなりの困難を伴ったことだろう。
この開発コストを回収しなければ会社は存続できないし、次の新薬開発の資金もなくなってしまう。

製薬会社としてはそれほど大きくはない規模の小野薬品が、世界のメガファーマと呼ばれる売り上げ3兆円以上を押しのけこの「がん免疫療法」の開発の先陣を切り文字通りトップに立ったことは賞賛に値する。市場もニボルマブを評価していて、小野薬品の株価は上がり続けており現在では1年前の倍以上だ。
抗がん剤の小さい市場規模

もう一つの高価な理由として、抗がん剤市場の規模がある。

実は、抗がん剤のマーケットは他の薬剤と比べそれほど大きいわけではない。

例えば高血圧患者さんは日本に906万7,000人いるが、継続的な治療を受けているがん患者さんは152万人と単純な比較でもかなり少ない。そしてがん患者さんの全員が抗がん剤投与を受けているわけではない。さらに言えば、高血圧の患者さんは10年も20年も薬を飲み続ける人が多い(基本的には内服が始まったら殆どの患者さんは亡くなるまで飲み続ける)が、がんの患者さんは「死亡」により抗がん剤使用はストップする。また、抗がん剤は蓄積する毒性により副作用が出るものが多いため、5年も10年も抗がん剤を使用することは稀だ(乳がんでホルモン剤を5年以上使うことはある)。

高血圧の市場は大きく、年間の医療費は1兆8,890億円と報告されている。事実、高血圧の薬は競うようにして毎年開発され、過度な競争がしょうもない事件まで引き起こした(ノバルティスと武田薬品の事件、詳細は各製薬会社ホームページに掲載されている)。詳細は他稿に譲るが、医師主導臨床試験に製薬会社社員を研究者として突っ込み、その研究者によるデータ改ざんをしたり医師用の説明パンフレットで効果があると勘違いしやすいグラフを用いたりという不正だ。業界内で規制がかかる数年前までの、製薬会社によるすさまじい接待攻勢は高血圧治療を担当する循環器内科医には常識的だったのだ。

まとめ

新規抗がん剤の価格は高騰しており、特にニボルマブは極めて高価である。見通しの明るくない日本経済の中でいかに高価な薬剤を考えるか、がこれからの課題である。この記事が問題提起になることを切に願う。

※文中のニボルマブの価格については、60kgの人に2.5回/月投与した計算。添付文書によると、3mg/kgを2週間に1回投与するレジメンである。1回投与する量は3mg/kg x 60=180mgとなり、100mgで72万9849円、20mg x 4で15万0200円 x 4 =60万0800円、合計で180mg、132万9849円となる。2週間に1回投与なので、1ヶ月に2.5回で132万9849円 x 2.5= 332万4622円と算出した。

※文中で使用している「抗がん剤」という用語は、あらゆる作用機序のがんに対する薬剤という意味で使っており、殺細胞性抗がん剤のみならず分子標的薬剤や免疫チェックポイント阻害剤なども含みます。

※記事は筆者個人の考えであり、所属団体の意見ではありません。製薬会社の方のご意見や反論など、広く歓迎いたします。

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25、「ヴァニシングポイント」舞台化

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ヴァニシングポイントは、奥山貴宏さんの自伝小説で、執筆当時はメディアで取り上げられたものの、特になんとか賞受賞作品になったわけでもなく、なにせ奥山貴宏さんの処女作で遺作なのだからそのうち忘れられて、VPを原作として映画化やテレビドラマ化・・なんてないだろうなぁ・・もし映像化されたらどんな感じだろうと頭の中で映像や音響をイメージしながら読み進めた。ところがである、情報を検索していると「一人芝居で舞台化」されていた・・。それも2013年、おまけに私の地元福岡で。あらぁ灯台下暗しというが、こんな事もあるのだなぁと更に情報を検索した。

「ヴァニシングポイント」

出演:椎木樹人(万能グローブガラパゴスダイナモス)×脚本・演出:竹内元一(サンピリ)×原作:奥山貴宏―オレの死は衝撃を与えられるのだろうか?そして、イデイはどんな表情をするのだろう。僕は学生時代、奥山貴宏さんの闘病記「ガン漂流」シリーズに衝撃を受けた若者のひとりです。彼は31歳でガン宣告、余命2年という告知を受けながらも、最期まで自分を明け渡すことなく日常を書き続けました。「ヴァニシングポイント」はそんな奥山貴宏渾身の自伝小説です。舞台化に挑みます。

私はほぼテレビを観ない人なので椎木樹人さんや竹内元一さんをまったく存じあげておらず、申し訳なく思っています。演劇や芝居はライブだから、VPがどのように舞台化されたかは永遠の謎になってしまいました。

「INDEPENDENT:FUK 13」

最強の一人芝居フェスティバル 九州版 「INDEPENDENT:FUK 13」毎年、大阪・インディペンデントシアターで行われる最強の一人芝居フェスティバル「INDEPENDENT」。2011年夏に行われたジャパンツアー福岡公演を経て、昨年に引き続き、今年も福岡で行う九州発の一人芝居フェスティバルの開催です!地域から選ばれた4作品と、大阪からの招聘2作品による「INDEPENDENT:FUK」是非ご来場ください!!

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