家系図ルーツ探し

はじめに、

みなさん、こんにちは。月刊精神分析編集部Aです。

『ルーツ』(Roots)と言うテレビドラマを覚えていますか。もう三十余年前の話ですので忘れておられる方も多いと思いますが・・。

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『ルーツ』はアレックス・ヘイリー原作の小説『ルーツ』を基にした1977年制作のアメリカ合衆国のテレビドラマ(ミニシリーズ)である。アメリカという国家の歴史上、最も暗い側面のひとつである黒人奴隷の問題を真っ正面から描き、社会現象と言えるような大反響を巻き起こした。

日本ではテレビ朝日で放送された。日本でも「ルーツ」が流行語となり、自分のルーツ探しが流行った(ウィキペディア:フリー百科事典より引用)。

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精神分析(セラピー)をする上で、クライアントの生い立ち、家族構成、病歴などをヒアリングする事は、クライアントの無意識(コンプレックス)を意識化する上で重要な事です。

今回の月刊精神分析は過去1年間、惟能創理先生のセラピーを受けた私が、家系図を元に自分の有り様・・自分のルーツに迫ってみます。

戦前、戦後、昭和高度成長期、平成不況期と言う流れの中で、両親のもとに生まれ育った自分と言う存在がよくわかります。

自分と言う人間が、如何にして生まれ育って、今の自分になったのか?

このサイトを読み終えられたら、今度はご自分の家系図を書いてみて下さい。そこには映画になりそうなドラマがあるのではないでしょうか?あなた自身のオリジナルの物語です。ご意見ご感想などを頂ければ幸いです。lacan.fukuoka@gmail.com

平成23年01月31日 月刊 精神分析 編集部A (波野I彦)

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登場人物プロフィール

惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。
宗教色の強い家庭に生まれ育つ。
二十代の頃、原因不明の疾病に苦しむが転地療法にて完治した経験から、心の作用に興味を持つ。
ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。
参考に、惟能先生の著書の特集サイトへのリンクは上記参照。

「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーを受けている。
連絡先:lacan.fukuoka@gmail.com

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私の家系図

ダイ世代セダイ ダイ世代セダイ ダイ世代セダイ
祖父ソフ 磯野イソノナミヘイ
- - 長男チョウナン叔父オジ 磯野イソノヒコ
祖母ソボ 磯野フネ 次男ジナン叔父オジ 磯野イソノヒコ
(旧姓:玄海) 長女チョウジョ叔母オバ 磯野イソノ
三男サンナンチチ 磯野イソノヒコ
祖母ソボ ナミフネ - - チチ ナミヒコ
(旧姓:磯野) (旧姓:磯野)
- - 長男チョウナンワタシ ナミヒコ
再婚サイコン祖父ソフ ナミ太郎タロウ ハハ ナミサザエ 次男ジナンオトウト ナミヒコ
(旧姓:入江) 長女チョウジョイモウト 南海ナンカイワカメ
(旧姓:波野)

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1、戦前、戦中の一族

登場人物は総て実在した人物ですが、名前は総て仮名です。

★祖父A:磯野波平:地方の名家の三男坊
★祖母B:磯野フネ:地方の地主の娘。7人兄弟の末女。

★叔父C:磯野C彦:長男。終戦を大陸で迎え、シベリア抑留の憂き目にあうも帰国。関西に住む。男子二人の父。
★叔父D:磯野D彦:次男。終戦を南九州で迎える。結婚を期に上京。二女の父。
★叔母E:磯野E子:長女。祖母の姉の息子(従妹関係になる)と結婚。一男二女の母となる。
★父F :磯野F彦:三男。私の父。終戦を予科練で迎える。一度、結婚するも離婚。再婚相手が私の母Hである。後に二男一女の父となる。

私の祖父祖母の物語。明治生まれ人の話だから、その殆どは伝聞によるものである。しかし、日本の歴史を振り返る事にもなるので興味深いと思う。

祖父Aと祖母Bの結婚。私の父曰く、なぜ地方の名家の三男坊と、地方の地主の娘が縁したのかは不明。まぁ金を持っている家同士の話で物事がすすんだのではないかと想像するが詳細はわからない。

祖父Aは当時の流行で、戦前、勢力を増していたアメリカに遊学し帰国。祖母と結婚し、財閥系の合資会社の石炭輸出部門で通訳業務をしていた。今風に言えば、商社勤務のボンボンと地主の娘の結婚で、経済的には何不自由しなかった筈である。

祖母Bのアルバムをみれば、昭和初期、九州北部の海岸で水着を着ている写真が残っている。かなりのハイカラさんであったのは間違いない。

ここではやくも祖母Bの性格の事を書かねばならない。孫の私からみても、典型自己愛者(ナルシシスト)、自己中心的、なんでこんなに他人を家来の様に扱えるの?という様な困った性格であった。祖父系の親戚が集まった機会に、親類筋に話をきいても「性格のきつい叔母様でした」と言う様な話しかでてこない。

祖父Aは、私の父Fが中学生のころ胸が苦しいといい発作を起して亡くなったとの事。こういう性格の祖母Bであるから、叔父C、叔父Dは、祖父Aが早死にしたのは祖母Bのせいであると思っていたようだ。ボンボンエリート会社員が縁もゆかりもない土地で会社勤めしながら、我がままな嫁に翻弄され心労が溜まった故であろうか?

一家の大黒柱を失った後、普通の家族なら、家制度上、長男である叔父Cが祖母の面倒をみるのが通常であろうが、上記の様な事もあってか、戦後、結婚を機に叔父Cは関西、叔父Dは関東に移り住んでいる。叔母Eは祖母の姉の息子(従妹関係になる)と結婚し、結婚後も祖母Bの生活圏の中で生きていく事になる。

結局、長男:叔父C、次男:叔父D、長女:叔母Eは、祖母Bのもとを去る事になり、残された三男の私の父Fが祖母Bと一緒に暮らす事になったのである。

時期的にみると戦中である。祖父Aに先立たれた祖母Bは私の父F(当時中学生)とともに祖母Bの実家、地主の本家に出戻りする事になるのである。

父Fは当時の自分の立場を私Iによくこう言った。

「本家に出戻りになった祖母Bの立場をよくする為に毎日、本家の玄関を掃き掃除した」と。

事実、私の父Fの親戚筋の評判は上々で「よく勉強した優等生」と言う話しかでてこない。私の父Fは祖母Bからみて「いい子」であったようだ。

参考:月刊 精神分析 2010年07月号 いい子が危ない

ここから話は、戦後になる。ある日突然、日本は戦争に負け、天皇は日本国の象徴になり、「民主主義」がやってきた。価値観の大転換である。

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2、戦後の一族

☆再婚祖父G:波野太郎:祖母Bの再婚相手 石炭開発で財を成した家系の出。
☆祖母B:波野フネ:波野太郎と再婚した為、磯野から波野姓に変わる。
☆父F:波野F彦:祖母Bの連れ子として波野家の養子となり、磯野から波野姓に変わる。
☆母H:波野サザエ:入江家より嫁いでくるも祖母Bに支配される。
☆私I:長男:波野I彦:両親に主体性はなく実質、祖母Bの宗教支配下で生活する。離婚を経験。
☆弟J:次男:波野J彦:大学中退の後、引きこもる。
☆妹K:長女:南海ワカメ:南海家に嫁ぐ。三児の母となる。旧姓:波野。

祖母Bは再婚する。相手は、再婚祖父G:波野太郎。私の記憶の中では祖父と言えば、この再婚祖父Gの事である。なんせ血縁関係のある祖父Aは父が中学生の頃に他界しているので、私の記憶には存在しない。

この再婚祖父Gは、いつも縁側でキセルタバコを吸い、たんツボにタンを吐いているおじいちゃんで、私はよく彼に、駄菓子屋に行く為の小遣いをせびっているのを記憶している。まぁ、再婚祖父Gは、私にはなんの影響も無かった人である。

祖母Bと再婚祖父Gが結婚するにあたって、父Fは祖母Bの連れ子として入籍した為に苗字まで変わっているのである。父Fは祖母Bに名前をつけられ、更に、祖母Bによって苗字まで変えられた人なのだ。なんとも象徴的な事柄である。

父Fは一度結婚をするが、離婚している。この事実を知ったのは、当の私が離婚する時である。詳しくは後述する事になるが、ここでは、物語を先にすすめる。

父の再婚相手が私の母H:波野サザエである。

この時のわが家の状況を説明しよう。家族は、再婚祖父G、祖母B、父F、嫁いできた母Hの4人家族である。

当時祖母Bは、地主の本家から安く譲ってもらった木造の家屋の一階に家族4人が住み、二階の4部屋を他人に間貸して家賃収入を得ていた。祖母Bは、他にも木造アパートを所有しており、ちょっとした資産家であった。まぁ地主の娘が労せず収入を得る源を持っており、他人を家来の様に扱うのは今も昔も一緒の様な気がする。戦後は年金まで受給し、相当の金持ち婆さんであったようだ。

経済的には戦後の混乱期でありながら、他人より安定した生活を送れている筈なのに、ここで、わが家に中国の文化大革命の様な事がおこる。宗教革命である。

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3、宗教支配の始まり

我が家に宗教革命が起こる。

戦後、雨後の竹の子の様に出現した新興宗教に祖母B:波野フネが入信したのである。母H:波野サザエも追従して入信。はじめ、宗教に否定的であった父F:波野F彦も入信した。しかし、祖母と再婚した波野太郎は一人、新興宗教には関心が無かったようだ。彼が仏壇の前にいるところを見た事がない。

この宗教に入信したお陰で、後に誕生する私I:波野I彦、弟J:波野J彦、妹K:南海ワカメ(旧姓:波野)はその支配的環境下で育つ事になる。

宗教支配が始まった当時のエピソードを語ろう。

当時、公務員として働いていた母H:波野サザエの収入はすべて祖母B:波野フネが巻き上げていた。なんでも祖母B:波野フネは母H:波野サザエに「このお金は私が取るのではありません。仏様が受け取るのです」と言ったそうだ(仏様は恐ろしい)。

私Iの両親は共働き状態で、私は幼稚園に通っていたのだが、幼稚園の送り迎えは母Hはぜず(できず?)、近所の幼稚園児の母に彼女の子供と一緒に送り迎えしてもらっていた。事実上、私は世に言う「おばあちゃん子」であったらしい。あんな独善的な祖母Bに育てられたかと思うと恐ろしい限りである。そう言えば母Hから「アンタは祖母Bに乳母車に載せられたまま連れて行かれ夕方には何処かに忘れられていた」と言う話もきいた。後年、私が祖母Bに支配された実家を出て行くのは当然の様な気がする。

当時、父F:波野F彦は地元選出の代議士が経営する会社に勤務していたのだが、祖母が入信した新興宗教団体が特定の他党を支援し始めた為、職を辞し、自前で仕事を始めている。これは、ひょっとしたら、後述する父Fが起した人身事故のせいかもしれない。

そもそもなぜ祖母B:波野フネは新興宗教に入信したのであろうか?

以下は私の考察である。

それは、精神的安定を求めた為。自己中心的な性格な祖母B:波野フネには本当の意味での「よい人間関係」を築く事が難しかった筈である。伴侶にも先立たれ、長男:磯野C彦、次男:磯野D彦も自分のもとを去っていき、祖母B:波野フネは、自分を肯定し受け入れてくれる組織、コミュニティーを欲したであろう。そんな彼女に「あなたは仏子です」「かならず成仏します」「現世利益」ですと唆す宗教組織の存在(宗教コミュニティー)は渡りに船であったに違いない。

戦後、価値観が混乱した時代。この時代には「この宗教を実践すれば、あなたは成仏するのです」と確信に満ちた言葉を発する宗教が必要だったのである。

ただ、残念ながら、祖母B:波野フネの場合、自己肯定の道具としての宗教であった為、その宗教を家庭内政治にまで利用してしまった。

「仏様は絶対だ、私はその仏様を信仰している、よって、私のいう事は絶対正しい」・・という論法で子供や孫の生活を支配した。

まるで、家族は独裁政治に苦しむ北朝鮮人民の様な家になっていく。

正にヒトラーに代表される独裁者がローマ法王の権限を奪取した様なもの。

織田信長が錦の御旗を得たような状態である。

後年、私の母H:波野サザエはよくこう言った・「あんたの祖母は独裁者だ」と。

その環境下に誕生したのが、私を含めた三兄弟である。

長男:私:波野I彦、次男:弟J:波野J彦、長女:妹K:南海ワカメ(旧姓:波野)。

三兄弟は宗教選択の自由がないまま、生後一ヶ月で入信させられている。

朝晩、お経を唱えさせられる。宗教団体の会合やイベントに参加させられる。選挙になれば、宗教団体が支援する政党の候補者への投票依頼をさせられる・・と言った具合である。

さて、祖母Bによる宗教支配がなされた家は幸福な家・家族でありえたのか?

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4、名前(命名)による分析

家系図を書いていて、愕然とした。

その命名規則である。

我が一族の男、それも祖母Bの支配下にいた男には総て「」の文字がついている。

私自身、我が一族は男はすべて「」をつける命名規則があるものと思い込んでいたが、ある日、私の母Hは「もうはやめなさい」と吐き捨てる様に言った。

その意味がやっとわかる時が来た。

」がついているのは、すべて祖母Bが名付けた名前なのである。自分の実子である「叔父C」「叔父D」「私の父F」「私I」「私の弟J」すべて「」がついているのは祖母が命名したからだ。

ちなみに、叔父C、叔母Eにも男子は誕生しているが名前には「」はついていない。

祖母Bは自分と同居する男子について「」のついた名前を命名している。

以前、この「2009年11月号 精神分析を受ける」でも「貴方の家系には男がいない」と惟能創理先生に分析していただいた事をまざまざと思いだす。

惟能先生の著書「運命は名前で決まる」にはこう書いてある。

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他人が人を命名する行為には、無意識が使われる。他者は人に名前を付けるとき、祈願であり、欲望をもってそれをすると述べてきた。祈願も欲望も、かつて名付け親自身がそうありたいと考えたそれを言語化(抽象化)したものである。・・・この世に不在の自我を抽象したことになる。実現されなかった幽霊のような自己を表す語を人に付ける事になる。

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祖母Bは、自分の子供の世代(戦中)は「戦争賛美の漢字」+「」を命名し、自分の孫の世代(戦後)は「宗教賛美の漢字」+「」を命名している。

つまり祖母Bは、「彦」=「男性」=「父性」を欲望しながら命名したのだ。典型的な自己愛者(ナルシシスト)の祖母が、本当は「父性」を欲して、自分の支配下にある男達に「ないものねだり」の命名をしていたのである。なんとも、その通りで唖然としてしまう。

この事からも、我が一族が、常に祖母に支配されていた事が明白である。

蛇足だが、名前を付ける事を漢字で「命名」と表す。命名(命の名=死ぬまで付いてまわる)・・自分の意と無関係に、支配者から与えられた名前は、そら恐ろしい感じがする。

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5、三丁目の夕日の時代

三丁目の夕日」の時代。西岸良平の原作による昭和30年代を舞台にした漫画や実写映画の時代、貴方は生まれていましたか?どんな生活を送っていましたか?

まだ、小学生の低学年の頃でしたでしょうか?実家には360ccの軽自動車があった。父Fの車のドアに手を挟んで痛い思いをした記憶もある。

ある日、学校から帰宅すると母Hが開口一番、私にこう言った。「お父さんが車で事故を起したのよ。近所の人には言わないのよ。」当時どこの家にもあった青いビニールの細い短冊状のスダレの向こうから母Hの声が聞こえたのを今でも覚えている。当時、幼かった私は、何か父の権威が崩れ去ったかのような悲しさを感じた。幼い子供にこんな事を言う母Hもどうかしているが、母Hからみれば私Iなど「祖母Bに支配されている自分が更に支配する対象」でしかなかったのであろう。折に触れて、祖母Bや父Fの悪口をきかせられた。私Iは「正しいはずの父が、正しくない事をしてしまった・・」そんな受け取り方をした。この事故の補償で、祖母Bは自分の資産の一部を売却したらしい。これで更に、父Fは祖母Bに刃向かえなくなった筈だ。元々のみ込まれた父Fは更に祖母Bにのみ込まれる事になる。

私が小学校低学年の時のエピソードをもう一つ。

私が自転車で路地から車道に出てしまい。運悪く走ってきた自動車に自転車の前輪を撥ねられて転倒した時の際。後ろから来ていた父は、転倒した私に駆け寄るでもなく通りすぎ、自動車が行ってしまった後に側に来て「停まるように見えたんだけど・・」と言った。普通、目の前で自分の子供が自転車にぶつかって転倒したら、すぐさま駆け寄ってくるのが当たり前だと思われるだろうが・・。先のエピソードのトラウマか、父は自動車アレルギーを有したのかもしれない。現実に、先の件から父Fは二度と運転免許を所得せず、生涯、車のハンドルを握ろうとしなかった。

高度成長期を迎え、どこの家庭にも自家用車がある時代。

私が二十歳で運転免許を取得するまで、経済的には中の上以上の家庭であった筈の私の実家には自家用車が無かった。

更に、弟Jも妹Kも運転免許を取得しようとしなかった。国民総運転免許取得時代と言われる様な世の中で、なんとも不思議な家庭であった。

弟Jや妹Kが運転免許を取得しようとしない理由は多分こうである。先にも述べたが、我が家は祖母Bの支配により宗教活動をするのが当たり前であった。

宗教活動だけならまだしも、宗教団体が支援する政党への支援活動まで強制される様な家であった。よって、運転免許を取得したり、自家用車を所有すると、自動的に、宗教活動や政党支援活動の人員の輸送担当業務が発生してしまうのだ。それを回避するには「運転免許は取得しない」「自家用車は所有しない」事が望ましい。

運転免許を取得しない事がある種の「利得」を発生させる。なんとも不思議な家庭であっる。

運転免許を取得した私が購入したのは「二人乗りのスポーツカー」。私もバカではないので、間違っても大人数が乗れるミニバンを購入したりしない。この様にして兄弟3人とも各々の考え(ひょっとしたら無意識)で、あの家で行われていた宗教支配へのささやかな抵抗を始めていた。

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6、子供の夢を叩き潰す母親H

子供の頃の事を今でも思い出す。

それは母親Hの私たち兄弟への接し方である。

好きなアニメのテーマ曲を楽しげに歌えば、「アンタ音痴ね」と言う。
一生懸命に絵を描いて、絵画展で賞をとっても「絵でご飯は食べられない」と言う。
興味のあるものを収集していたら「そんだけのものを買うのにいくらかかるね!」と言う。
動物が好きで「ぼくの動物園日記」という漫画を一生懸命読んでいたら「アンタ飼育係のになるの?」と露骨に嫌な顔で言った。

私の母Hはことごとく子供の可能性を否定する母であった。

一体、何をどうしたらこの母から肯定的な台詞をひきだせるのか?
受け入れてもらえるのか?
国家官僚か何かにならなければ認められないのでは?

そんなふうに思わせる母Hであった。

人に課題を要求する時には「不可能を可能にする宗教なんだからと」努力を強要し、自分が課題を要求されると「宗教は道理なんだから」と逃げる。甚だ自分に都合のいい事を言う。

母Hがなぜにこの様な性格や人格を有する事になったのかはわからない。ただ、祖母Bにのみこまれた父Fとカップリングすると言う事は、何かしらその生い立ちの過程で、本当は獲得していかなければならなかった何かを欠損したに違いない。

なぜ、母Hは自分の子供達に対して愛情を注ぎ、その可能性を育む事ができなかったのか?答えは簡単である。自分の給料は全部、祖母Bに巻き上げられ、支配され、夫である私の父Fは祖母Bにのみ込まれリモコン操作され、母Hを愛さなかったから。

母Hからみると「目を輝かせ自由活発に活動する子供達が疎ましかったに違いない」だから、前述の様な発言をしてしまうのだ。母Hは「あなた達には自由に人生を送って欲しいと思っているのよ」と発言する事があった。ところが、現実に同じ母Hの口をついてでる言葉は尽く子供の可能性を潰す発言であった。これが無意識の恐ろしさである。意識して思っている事と、現実に無意識で行ってしまう行為のギャップが恐ろしい。精神分析の世界で「人は無意識に操られている」と言う所以である。

愛されない者が、他者を愛せる筈がない。

満たされなかった者が、他者を満たす事はできない。
持たない者が、他者に与える事はできない。
それが、道理である。

東洋哲学には「衣食住足りて礼節を知る」という言葉があります。衣食住といった基本的なものが満たされていないと、人間は礼儀や思いやりや礼儀を持つことは難しいという意味。

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7、弟Jが引きこもった理由

弟Jが引きこもってもう何年であろうか?いや、もう20年以上が経過してしまった。

精神分析の知識を得る以前は「あの厳しい両親が弟Jが定職につかないで家にいる事を許しているな」とか「なまじっか実家に資産があるから弟Jは甘やかされている」などと思っていた。

ところが、精神発達論を学ぶに連れて「両親と僕達兄弟の関係」や「祖母の支配の構図」がみえてきて、恐怖にも似た感情が込み上げてきた。

結論を先に言うと、兄である私Iは「外に引きこもった」。弟Jは「家の中に引きこもった」。ただそれだけの事である。同じ両親から生まれ、DNAを継承し、同じ環境下で育った兄弟である。まったく別の人間であるわけがない。

私Iは、あの家を離れる事によって見かけ上のかりそめの自己アイデンティティー (Identity)を獲得し、弟Jはアイデンティティーを放棄する事によってあの家に引きこもったのである。

私Iは宗教活動を拒否し家を出た。弟Jは実家で朝夕お経を唱える事を受け入れて引きこもった。兄である私は外に引きこもった。つまり、私Iと弟Jは根は一緒。同じ絵柄の白黒反転したデザインの心(精神)を持っているのである。

弟Jがひきこもるのも兄である私Iはよく理解できる。母Hが息子達の可能性を尽く潰していったからだ。

僭越であるが「チェ・ゲバラ」と「ガンディー」を引き合いに出せばこう言う事である。私、兄Iは、祖国を離れ亡命し革命軍に身を投じ、アメリカの傀儡勢力と闘ったチェ・ゲバラの様なものであり、弟Jは、国内に残り「非暴力、不服従」で引きこもって大英帝国の支配に抵抗するガンディーの様なものである。

私Iの弟Jは、祖母Bによる宗教支配が続いているあの家に残留し、朝夕お経を唱えながら、定職に就かず、両親の資産と年金で生活する事で両親に復讐戦争を企てているのである。

以前、発行した「月刊 精神分析 2009年09月号 秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大」で、私は「加藤容疑者に親近感」を覚えると書いた。加藤智大容疑者も、母から徹底的に主体性を奪われ、母の欲望の支配のもとで生活していたそうだ。。

先の報道で検察から加藤智大被告に死刑が求刑された。以下引用。
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論告で検察側は、争点となった事件当時の責任能力について、精神障害にも罹患(りかん)しておらず、3日前から犯行を準備したことなどから、「完全責任能力を有していたのは明らか」と指摘。弁護側が母親の厳しい教育が人格に影響したと主張したことに対しては「被告は自立した社会生活を営んでいた。(事件に)親の養育責任が大きいとするのは論理の飛躍だ」とした。
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検察の立場からすれば、すべてを「母親のせいにするな」と言う事だと思うが、それでは、加藤智大があの様な凶行に走った原因は何なのだろうか?犯行当時、加藤被告は既に成人していたから母親は無関係なのだろうか?二十歳になったら自動的に立派な人格が形成されるのだろうか?逆に「自立した社会生活を営んでいたなら親の養育責任はないのか?」「成人していても引きこもっている人が起した事件の賠償責任は親も追うのか?」などなど、突っ込みどころは沢山でてくる。

精神分析の世界では、親、特に母親が子供に与える影響は多大であると説く。

加藤智大被告にも弟がおり、5年間引きこもっていたようだ。僕達兄弟の関係とそっくりである。実家と疎遠になった兄と実家に引きこもった弟。

今は弟を「ガンディー」に准える事もできるのだが、実家で「ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件」の様な事がおきる可能性がないとは言えない。

上記の事件では、加害者の男性の両親はカトリック船越教会に通う敬虔な信徒であり、被疑者も生後まもなく同教会で洗礼を受けている。事件の翌日、加害者男性は、船越教会で散弾銃を持ったまま首から血を流して倒れているのを発見された。この行為はカトリック教会の敬虔な信徒である両親に対する最後の復讐行為であろう。

テレビでは、加害者の飛び散った血で汚れた教会の壁が映し出されていた。加害者が実家の弟Jと重なり、私Iにとってなんともやりきれない事件であった。

私Iも実家から出て行ったからと言って即お気楽な生活が始まったわけではなかった。

軽度のパニック障害や自律神経失調症、原因不明の皮膚病は相変わらず続いていた。しかしながら、精神分析の知識を得る事、セラピーで自分の無意識(コンプレックス:複合観念体)を言語化する事によって、少しづつよい方向に向かいはじめた。

なによりも、自分自身を支配していたものの正体が見えてきた事が大きい。

例えば、自分が抱えていた感情「失敗するのが怖い」=失敗はありなえない、それは、絶対正しい宗教をしているから・・などと幼少の頃から実家で無意識に刷り込まれた人生シナリオ(台本)がある事が自分でわかったからだ。

「人間だもの、失敗するのが当たり前。あのイチローだって10打席のうち約7打席は失敗するのさ。それでも彼は大打者として評価されている。」そう思えれば、失敗を恐れていた頃の自分とは決別して生きるのが全然楽になる。ただ意識でそう思うのと、無意識レベルで刷り込まれた強烈なメッセージを書き換えるのは違う話。だから、人は中々変化できない。わかっていても無意識の束縛から解放されない。まるでそれが宿命(命に宿ると書いて宿命)であるかの様に。

だから、無意識を書き換えるには第三者(セラピスト:精神分析家)の協力が必要となるのである。

参考:
月刊 精神分析 2009年11月号 精神分析を受ける
月刊 精神分析 2010年12月号 皮膚と自我

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8、ダブルスタンダード

かしこい子ども達はダブルスタンダードで生きていく。

僕たち兄弟は所謂、テレビっ子世代である。国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」「ウルトラマン」「仮面ライダー」「8時だよ全員集合」で育ったと言っても過言ではない。

ところが、家庭環境は祖母Bにより宗教支配がなされており、朝夕、お経を唱えなければならないし、選挙期間は、ある特定の政党への支援活動をしなくてはならないし、宗教組織への勧誘活動も強いられる。

普通の一般家庭ではありえない事を強いられるのである。朝夕、脚が痺れるまでお経を唱えるのはしたくないのだが、それをするのが当たり前の家なのだから、それに従わなければ生きていけない。

・・・・とどうなるか?「宗教活動をするのが当たり前の家庭」と「無宗教な一般社会」の二つの常識(ダブルスタンダード)を両有する生活をする様になる。家庭と社会と二つの仮面(ペルソナ)を使い分ける様になるのである。

これは、正直、疲れる。毎日毎日二人の自分を演じなければならないのだ。家庭内では「絶対正しい宗教」を持ってして「絶対に結果を出す」事を強いられる。一般社会では、寧ろ、宗教的な常識は非常識であり、社会や会社でいくらお経を唱えても何の評価も得られない。

私の生きていく戦略はこうである。経済的に実家を頼らなければならないうちは、祖母に宗教支配されるのは仕方がない。しかし、経済的に独立できたら、実家と疎遠になってでも、宗教支配から脱する。・・・・・と言うものだ。北朝鮮人民が自由を求めて「脱北」するのと全く同じ理屈である。思想信条が異なるのだから亡命するもの止む無し・・と言う考えである。

自分の場合、青年期からストレス(アレルギー)性の疾患を負う事が多かったのだが、実家と距離をおくようになってから、原因不明の病からはほぼ開放された。私は、「絶対正しい宗教」から離れて健康になるという極めて面白い(興味深い)事例を体現している。

特に皮膚病を負う事が多かった。詳しくはこちらのサイト「月刊 精神分析 2010年12月号 皮膚と自我」を参照して下さい。

経済的にも住宅ローンを完済してから、精神的な縛りが無くなったので心に安堵感が満ち満ちている事を実感する。

毎日、毎日、社会活動と宗教活動に縛られ、毎月毎月、住宅ローンの支払いを気にしていたら、精神的に不健康になって当然で、今、主体性を持って、毎日、自分の選んだ仕事に汗を流し、自分が好む楽しみ事を嗜めるのは、何よりの幸福だと思う。身体的、精神的幸福を享受している今は、かつて呪縛され続けてあの日よる遥かに幸せだと思う。

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9、ランドセル

ランドセル。

親が子供に買い与える象徴的なグッズである「ランドセル」。ランドセルの起源など、詳しい事は知らないが、「ピカピカの一年生♪」のフレーズと共に思い出されるのはやはり「ランドセル」である。

先に発行した「月刊 精神分析 2010年12月号 皮膚と自我」でこういうエピソードを記述した。

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1、私の保育園の送り迎えは母はしたことがありませんでした。朝、私は近所の園児の家にいき、その園児の母に連れていったもらい、帰りも、その園児の母が迎えに来た時に一緒に帰っていた。
2、小学校のランドセル。祖母が従妹のお下がりの赤いランドセルを、ペンキで黒く塗り替えたのを持っていきました。笑。そこまで、金を使うのがイヤか?と思いますが、これは事実です。
3、小学校の家庭科の時間で使う新品の「裁縫道具セット」を買ってもらえず、家にある裁縫道具を持っていかされました。ところが「30cm物差し」は「一尺物差し」でスケールが合いません。刺繍糸はフランス刺繍糸で、これも使えませんでした。なんで自分だけ違うの?と思いながらも、自分の生活している家はどこか世間とは異なる家庭なんだという事はなんとなく意識しており、この頃から「大人になったら普通に暮らそう」「他者の支配下でなく独力で生きていこう」と心に決めてたように思います。そう言えば教材の「製図道具」も買ってもらえませんでしたね。
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追記・・・更そうそう「そろばん」も実家にあったものを持っていきました。いつも毛玉の沢山ついた靴下を履いていた私は、近所の公務員住宅に住む同級生の白いソックスが羨ましかった。

さて、私の弟Jはどうだったのか?
親が子供に買い与える象徴的なものである「ランドセル」。実は私の弟Jも両親からランドセルを買い与えてもらっていません。では、誰が弟Jにランドセルを買い与えたか?祖母B?いや違います。当時、実家の二階に店子として間借りしていた他人が弟Jに「ランドセル」を買い与えています。

いつもいつも自分が欲しいものを買い与えられない不思議さ・・・。「大人になって自分の自由にできるお金を得る事ができる様になったら何でも自分で手に入れる」幼い私Iが心に強く焼き付けたのはそういう感情でした。

金銭に関して言えば、母Hは「お金を使うと不機嫌になります」。これは何故か?私にはわかります。母Hはお金しか頼るものがないからです。母Hはよく私に言いました。「あなたの父親Fは祖母Bのリモコンよ」。要は、父Fに主体性がなく、誰も母Fの味方になってくれない不満を息子である私Iにぶつけてきたのです。「自分の味方は金銭だけ」よって、お金を使う事=自分の味方が減少する事なのです。妹Kの子供達が実家に遊びに来る様になった時に母Hが私Iにこう言ったのを今でも覚えています「孫にやる小遣いは500円と決めている」。今時、500円で何の玩具が買えるのでしょう?結局、母Hも子供時代も母時代も満たされないまま生きてきたのでしょう。自分が満たされないのに子供や孫を満たす事はできません。

私I自身、そんな母Hと接していても不愉快になるばかりです。「この人は、母にも祖母にもなれなかった人なのだな」と冷静に醒めた目で見てしまいます。子供時代からずっと満たされないままの人生を歩んでしまって、結局、母Hの味方は金銭だけなのです。この辺は独善的な祖母Bと共通な部分でまさに「類は友を呼ぶ」のだと思います。

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10、宗教の不思議・波野家の失敗

結局、わが実家では、祖母Bの入信後、新興宗教との付き合いは数十年続いている事になる。宗教と言うと「徳を積む」とか、「心の安らぎを得る」とか、「慈悲深くなる」とか、そういう爺くさいイメージがあるが、祖母B、母Hを側でみているととてもそう言うふうには思えない。

結局、祖母Bと母Hの不仲は祖母が亡くなるまで続き、最後の最後まで和解はなかった。祖母Bの晩年、母Hが体の不自由になった祖母に辛くあたっているのを目撃した。母Hにすれば積年の恨みを少しでも晴らす行為であったのだろう。しかしながら、それを見た私は祖母Bにも母Hにも宗教にも幻滅した。「この人達は何十年宗教活動しても一緒だ」「これほどまでに人間の業は深いものなのだな」と悟った。

更に、祖母Bが他界しても、実家への祖母Bの宗教的呪縛は今でも続いている。

「幸福になる」と言って人は宗教を始めるが、いつのまにか「宗教をすること自体が幸福」と言うふうに、目的と手段が入れ替わってしまっている様な気がする。

まるで、お経を唱えているからOK、総て許されると言う様に、勝手に自分に免罪符を発行しているのではないか?

実家の母Hは私Iにこう言った。

「私は貴方の為にお経を唱えている」と。
私Iは「そう」と、受け流した。

今更ながら母Hが、私たち兄弟にしなければならない事は別の事だと思うのだが・・。
お経を唱える前にするべき事があるのでは?

絶対正しい宗教を信仰されるのは結構だが、それを、何も分別の出来ない幼少時から子供達に強制するのは好ましい事ではないと思う。

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あとから振り返れば、波野家の失敗は、長男はなんとか社会人として生活するも、原因不明の病に苦しんでいる。次男は大学に6年通い、その後中退。引きこもる。・・・と言う不可思議な状況になった時に「これは何かおかしい?」と思わなければならなかった。

宗教中心主義の家では、一般家庭と違って「正しい宗教をしているから大丈夫」と言う、不可思議な根拠のもと、逆に、より一層宗教にのめり込んでいく。

こういう状態を指して「宗教はアヘンである」と言うのであろう。
(調べてみると、アヘンという言葉には、宗教に対するマルクスの批判もこめられています。宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という意味らしい。)

確かに「信じる事」は大事。
しかしまた「疑う勇気」も大事なのである。

信じて信じて五十年。

結果、長男は実家に戻らず、次男は引きこもり。

でた結果がこれである。

波野家の場合、とても正しい宗教を正しく実践してめでたく子孫繁栄と言った結果は出ていない。

因果応報。現実世界は厳しい。

また、日本には「三代目が家を潰す」「長者三代」:金持ちの家は三代までで、その後は続かないということ・・などと言った言葉があるが、見た目上繁栄している家も、そもそも初代に問題があって、その問題が世代間連鎖して、三代目で大きな弊害として露呈する。・・・こんなメカニズムがあるのではないだろうか?そもそも一代で財をなし・・と言うのが普通でない事で、普通でない環境で育つ子や孫の世代に歪みが発生しても何らおかしくはないと思う・・・。どうだろうか?

(追記:平成23年2月5日)

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11、祖母Bエピソード

独善的自己愛者、祖母Bのエピソードを書きとめておきます。今思い出しても笑ってしまうくらい凄い人でした。

1、その昔(1960年後半~70年代)、老人医療費が無料の時代がありました。祖母Bは「この保険証で病院に行けば医療費がタダになる」と言い、自分の健康保険証を他人に貸していた。孫の私Iは「あぁこの人は恐ろしい人だ」と思った。怖いものがないのでやりたい放題。そう言えばテレビで「いじわるばあさん」ってやってましたね。

2、叔父Cの息子(私からみると従兄弟)が、心の病を患い病院に入院していた。祖母Bは、それが気に入らなかったらしく「宗教で治す」と言い、無理やり私の母Hに従妹の退院手続きをさせて病院から退院させた。結果、従兄弟の心の病は治るでもなく・・叔父Cは激怒し、祖母Bに対して1000万円の損害賠償請求の手紙を送りつけてきた。この騒動の顛末はどうなったか知らないが「実の息子から1000万円の損害賠償請求をされる祖母Bってすげーなー」と感心した記憶がある。従兄弟を病院から連れ出した母Hは後年、「祖母Bが怖かったから言われるがままに、退院手続きをしてしまった」と回顧していた。いかにも独善的で、何者も恐れない祖母Bのエピソードである。

3、祖母Bは、母Hに友人からきた葉書を、四角に折って「糸巻き代わり」にしていた。他人の気持ちなど全く意に介せず、まるで家来の様に扱う祖母の無神経さを表すエピソードである。

4、祖母Bは、所属する新興宗教の意にそって、ある政党の支援活動を行っていた。ある人が祖母Bの意に背き別の政党に投票した事を知った時、祖母Bはこう言った「○○さんは○○党に投票しなかったから罰が当たった」。これを聞いた私Iは、「あぁこういう人が出てくるから政教一致はNGってことになっているんだな」と悟った。

5、道の真ん中を歩く祖母Bに孫である私Iが「危ないよ」と注意したら「何を言うか!この辺の土地は昔はみんな本家の土地やった」と放言した。いかにも地主の娘らしい発言である。この件から、私Iは「この人にまともにとりあっても無駄だ」と悟った。

この独善自己愛者の祖母Bから、なぜに従順な父Fが生まれ育ったのか私には未だに謎である。更に、なぜにここまで独善的な人格が形成されたのか?祖母Bが既に他界してしまっているので、それもまた永遠の謎である。

ただ、我が一族は祖母Bに非常に大きな影響を受けているのは事実である。もっと言えば祖母が他界した後も、未だに祖母の呪縛は存在している。

例えば、私自身、満員の高速バスの中で軽いパニック障害を経験した。

多数の乗客で簡単に身動きできない車内。

ある一人の乗客が、私の斜め前の席で、携帯電話を開いてなにやらサイトを閲覧している。

本人は毛布で覆っているつもりなのだが、暗闇に液晶画面の灯りは漏れるのだ。

本来、消灯後の車内で携帯電話の使用はルール違反なのだが・・・

私には光が漏れる液晶画面が気になって仕方ない。

なぜかイライラする。

なにしろ満員の高速バスの車内なのだ。身動きもできない。

よっぽど注意しようかと思ったが、なぜか声もでない。金縛りにあった様に。

後日、この事を惟能先生とのセラピーの中で語った。

すると先生との会話(言語化)の中で気がついた。

上記のシチュエーション(situation):状況は「あれ」でした。

1、暗い。
2、身動きできず、逃げられない。
3、目の前に灯りがある。

薄暗い室内で、身動きできず、目の前にロウソクの灯りがある・・そう、子供の頃、イヤイヤさせられていた仏壇の前でお経を唱えている状況と一緒ではないですか。

同じ状況の再現に私のコンプレックス(複合観念体)が刺激されて、私はイライラしていたわけです。後で気付いたのですが・・高速バス=拘束バスでした。

私自身、宗教活動から開放されて、随分、時間が経っている筈なのに、この様に私の無意識には、意識しない(意識できない)コンプレックス(複合観念体)が残っているのです。無意識は恐ろしい。

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おわりに

今号の月刊 精神分析は「家系図」をもとに、私自身や兄弟のコンプレックスの起源を考察してみました。

私Iが子供の頃、父Fに「祖母Bは宗教活動をしているのにもかかわらず、なぜ、あそこまで独善的で自分勝手なのか?」と問うた事があります。

父Fは私Iにこう答えました。

「宗教をしているから今の状態であって、宗教をしてなかったら今頃、一家離散している」と。

ある意味、父Fの答えは正解なのですが、逆説的には「宗教をして、やっとこさ家の体面が保たれている状態」だったのだなと思います。

それ程、祖母Bは異常だったという事です。

その祖母を母として誕生し、末男でありながら最後まで祖母Bの面倒をみた父Fには「お疲れ様でした」と言う言葉しかありません。また、そんな祖母に嫁として仕えて搾取され続けた母Hにも「大変でしたね」と言う言葉しかありません。

更に、その祖母Bに孫と言う立場で同居し、付き合わなければならなかった私達兄弟も不幸でありました。それは、時代背景とその家に生まれた私達が引き受けなければならなかった運命ではありますが、私は「もう、祖母の呪縛から解き放たれて自分が自分が望む生き方で生きていく」と決めたので、これからは自分で自分を生きていきます。

これから、本当の私が私自身を生きる旅が始まるのです。

参考:月刊 精神分析 2010年10月号 アメリカ大陸横断と精神分析

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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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