原三信病院 タクシータイトル画像

1、はじめに

こんにちは、月刊 精神分析 編集部Aです。近所で起こった大惨事を報告します。

以下ネットから引用

病院に車突っ込む2人が死亡。

<事故>病院にタクシー突っ込む...2人死亡、7人搬送 福岡

03日午後05時ごろ、福岡市博多区大博町の原三信病院の東館1階待合室ラウンジに、タクシー1台が突っ込んだ。病院によると、ラウンジにいた複数人が巻き込まれ、2人が死亡、他にも7人が市内の病院に搬送されたという。

福岡県警博多署は、タクシーを運転していた福岡市西区小戸4、タクシー運転手、松岡龍生(たつお)容疑者(64)を自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで現行犯逮捕し、状況を調べている。

現場はJR博多駅の北西約2キロ。福岡サンパレスや福岡国際センターの近く。

以上ネットから引用

2016年12月03日。私自身は「明日は恒例の福岡朝日国際マラソンを控えて、天気はどうかな?」と思いながら国道3号線を自転車で移動中、千鳥橋方向へ慌ただしく緊急走行をする消防車と救急車を見かけた。ひょっといたら大きな事故かな?と思いながら帰宅。パソコンを開いてこの事故を知りました。

ご意見ご感想は、

lacan.fukuoka@gmail.com

でお待ちしています。

2016年平成28年11月30日

月刊 精神分析 編集部A

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2、原三信病院とは

ウィキペディアから引用すると

原三信病院

(はらさんしんびょういん)は、福岡県福岡市博多区にある病院。医療法人原三信病院が運営する。

福岡藩の藩医として召し抱えられた医師が代々原三信を襲名し、12代原三信が1879年、現在地に診療所を開業。13代原三信が1902年に泌尿器科の病院として開設(九州初の私立病院)。2008年の病院機能評価では、「地域になくてはならない病院として地域住民からの信頼も高く、貴医療圏における中核的な病院として位置付けられていると評価される。

私の目から見ると、原三信病院は地域に根ざした総合病院で、位置的には今話題のJR博多駅から大博道路をサンパレス(コンサート会場)方面に約3キロ走ると右手にある。私自身、健康診断でもお世話になっているし、タクシー乗務員時代には、毎日の様にお客様をお迎えに行ったし、夜間は、急患のお客様をご案内した事もある。

そんな「原三信病院」の1階ラウンジに、タクシーが飛び込んで2名の方が亡くなったのに正直驚いた。1階のラウンジは、スピードを出して走れる大博道路側ではなく、一本奥まったクランク走行をする場所に面していて、むしろバック事故を気をつける車寄せの場所だからだ。

報道写真をみると事故車はプリウス。運転者は64歳。高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違ってコンビニに車を飛び込ませたのと同じ類の事故だろうか?

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3、事故の状況

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病院にタクシーが飛び込むなんて、相当のスピードを出していた筈。私は、大博通り側の事故をイメージしたのだが、実際には、タクシーは一本奥まった通り(萬四郎通り)を直進し、正面の原三信病院の1階テラスへ飛び込んでいた。

ニュース報道引用

福岡市博多区の総合病院にタクシーが突っ込み男女10人が死傷した事故で、逮捕された運転手の男が、「200メートルくらい前からブレーキがきかなかった」と供述していることが新たにわかりました。タクシーは、病院の50メートルほど手前から暴走したとみられていますが、逮捕された個人タクシー運転手の松岡龍生容疑者(64)が、「200メートル前の交差点からブレーキがきかなかった」などと供述していることが新たにわかりました。タクシーが交差点の一時停止の標識を無視して走行していたという目撃情報もあり、警察が、当時、車両に不具合がなかったかも含めて、慎重に捜査を進めています。(05日11:40)最終更新:12/5(月) 17:13

次の頁から、松岡龍生容疑者の視点を再現して、事故の検証をしたいと思います。

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4、悲劇の事故の始まりは浜口公園、あと350メートル

個人タクシーの松岡龍生さんは、浜口公園でトイレ休憩をした後、原三信病院方面に向う。距離にして僅か350メートル。写真の右手の広場が「浜口公園」。

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5、萬四郎神社

ここから、原三信病院までの道は公称「萬四郎通り」と呼ばれている。右手に由来元の「萬四郎神社」がみえる。江戸時時代に財をなした黒田藩の御用商人伊藤小左衛門(いとうこざえもん)の屋敷跡だと言われている。

小左衛門は朝鮮と武器の密輸を行ったことが明るみになり、寛文七年(一六六七年)長崎ではりつけの刑に処せられました。博多でも一族・取引関係者等四十三人死刑という、鎖国期最大の抜船(ぬけふね)事件となりました。

今回の事故を「伊藤小左衛門の祟り」と言う人がいる。

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6、松岡龍生さんが用を足したトイレ

写真右手に松岡龍生さんが用を足したトイレが見える。ちょうど写真の左手に個人タクシーが停まっているが、あの日はここにプリウスが停まっていた筈だ。
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7、まだ原三信病院は肉眼で見えない。

この位置からだとまだ原三信病院は肉眼で見えない。距離にして300メートルあまり。
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8、福岡市博多区下呉服町

萬四郎通りを含むこの辺りの区画は「下呉服町」。博多駅に近づく順に「中呉服町」「上呉服町」と区画整備されている。昔はもっと細々とした町名があったのだが整理された。「呉服町交差点」は存在しているものの、純然たる住所としては「呉服町」は存在しない。カーナビを使う時は注意されたい。
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9、蔵元の交差点

この辺りの最寄りの交差点は「蔵元」である。昭和通りと大博通りが交わる交差点で、傍に北九州(小倉)方面へ向う西鉄高速バスの停留所がある。

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10、街の様子

呉服町は古くから商人文化が発達した地域で、個人商店があったり、新旧のマンションが建っていたり、博多駅へのアクセスが良好なのでオフィスビルもたくさんある。裏手の塩漬けされた土地は100円パーキングになっている。その昔、天神へ移転する前は「博多大丸デパート」が呉服町交差点にあった。


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11、福岡大空襲

終戦間際の1945年06月19日にアメリカ軍により行われた空襲。福岡県福岡市の市街地を標的にした。これにより1,000人以上が死亡・行方不明となった。父方の祖母が「東公園から姪浜がみえよったとばい」と話していたのを覚えている。戦争終結を躊躇している間に尊い人命や郷土を失い、広島、長崎でトドメを刺されたのだ。現在、福岡市街地に存在している建物はほぼ戦後に建てられたと言ってよい。


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12、焼け残った福岡市赤煉瓦文化館

蔵元の交差点から西に1キロ昭和通りを移動すると、赤煉瓦文化会館がある。いかにも東京駅の辰野金吾が設計しました!と言う風貌のこの建物。1909年(明治42年)に旧日本生命保険株式会社九州支店として建てられた。レンガだから不燃物で残っちゃいましたと言う事か。


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13、朝日国際マラソン

朝日国際マラソンは僕が小学校の時から冬の恒例イベントだった。12月の第一日曜日に開催される事が決まっており、大相撲九州場所と共に福岡の冬の風物詩だ。1971年から1974年まで4連覇中で大いに盛り上がり、東体育館での歓迎セレモニーに駆り出された事も覚えている。


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14、朝日国際マラソンのコース

朝日国際マラソンのコースは昔は、雁の巣の折り返しだった。東区の3号線を走るランナーを九州産業大学に設置していたカメラで撮影していた。KBCの沢田幸二アナウンサーの中継を聴いた記憶があるのだが・・・。


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15、あと210メートル

あと210メートル。この位置からだと、なんとか肉眼で正面の「原三信病院」を確認する事ができる。報道によると松岡龍生さんは「200メートル前の交差点からブレーキがきかなかった」と述べている。また、一旦停止せず交差点に進入したと言う目撃情報もあるという。・・だとすればこの景色から既に松岡さんは悪魔に魅入られていた事になる。


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16、栗原ビル

左の立派なビルは、栗原工業株式会の九州支店が入っている。同社は電気設備工事などを行う電気工事のサブコンである。福岡は、名立たる会社の福岡支店、九州支店が設立される事が多く、福岡が支店経済といわれる所以である。


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17、謎のヒノマル株式会社

写真右奥の「ヒノマル立体駐車場」。結構目につくのです。私個人的に「日本の国旗」のメーカーかと思っていたのですが、調べてみると「セーフティハンガーメッシュ」と言う防護柵のメーカーで、2000年に積水化学工業グループに入っています。
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18、ちなみに国旗のメーカーは

ちなみに国旗のメーカーは色々あって、ヒノマルだけではなくて、多種多様な「旗」を作成されていました。宮内庁御用達で専業のヒノマルメーカーがあるのかと思っていた。^^;


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19、いよいよ目前に問題の交差点

ちょうど写真中央に、ブレーキランプを光らせた車両が写っている。本来なら「止まれ」の標識の手前で一時停止しなければならないのだが、事故を起こしたタクシーは一時停止せずに交差点に進入したと言う。

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20、すでにこの時点で問題発生か?

もしかすると、プリウスの「ブレーキ抜け」現象が発生して、この場面で、既にタクシードライバーはパニックの入り口に立っていたのかもしれない。一時停止せず、車両は交差点内へ。


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21、一時停止せず交差点内へあと60メートル

この景色がドライバーの目にはどう映っていたのであろうか?冷静に目前の「原三信病院」の文字は映っていたのだろうか?交差点を渡ってしまえば、あと50メートルしか無い。


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22、ここから プリウス フル加速 あと50メートル

この時、仮に少なめで時速50キロで走っていたとする。時速50キロの車が50メートル移動するのに必要な時間は?久しぶりに比例計算してみました。間違っていなければ3.6秒。冷静な判断をして「回避」するいとまも無かったのかもしれない。ドライバーはエンジンブレーキも効かなかったと供述。


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23、あと40メートル

ドライバーはこの先がクランクになっている事も承知していた筈。もしアクセルを踏んで加速中なら、とてもクランク走行できないと思って、なんとしてでも停めなければと、焦ってブレーキでなくアクセルを踏んだのか?


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24、あと30メートル

右奥には、プリウスになぎ倒される交通標識もみえる。ちょうど、警備員が立っている。事故発生当日、道路左側には2台の車両が駐車しており、車両を回避した結果、テラスへまっしぐら!ガラスをぶち破って奥の壁に突き刺さるくらいの勢い。


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25、あと20メートル

更にふの悪い事に亡くなった3人はテラスの外にいて今回の事故にあった事が判明。なぎ倒された交通標識付近にいた可能性が大きい。談笑していた車椅子の患者と見舞客の夫婦をはねた後、柱をえぐり、ガラスをぶち破り壁に突き刺さるプリウス。


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26、あと10メートル

写真の右手、人がしゃがんでいる柱の右側をえぐるようににて、プリウスは飛び込んだ。「ブレーキが利かなくなり、十字路の交差点を2か所、停止できずに突っ切った。病院の手前で停車中の車を避けて右にハンドルを切り、そのまま病院に突っ込んだ」と供述


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27、事故が起こる前の景色です

この写真をみると、亡くなった3人の方は警備員のいる辺りにいたのでは?と思ってしまいます。見舞客のご夫婦を車椅子の方が見送る場面か?事故は常に人智の想定を超えたところで起こる。


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28、テラスに飛び込んだプリウス

標識をなぎ倒し、柱の右をえぐり、ガラスをぶち破り、壁に突き刺さるプリウス。


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29、エアバックが開いたプリウス

かなりの衝撃でエアバックが開いている。車体の左側の損傷が激しいのは柱の右側をえぐったからか?


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30、引き裂かれた左フェンダープリウス

今流行のぶつからない車だったら結果はちがったのでしょうか?


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31、加害者情報

松岡龍生容疑者(64):個人タクシー
福岡市西区小戸4丁目

今回の事故で加害者に怪我は無かった。

自動車運転処罰法違反(過失傷害)の現行犯で逮捕後、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)容疑で送検

松岡容疑者はタクシーの乗務歴が35年ほどあるベテラン。福岡市内のタクシー会社で10年以上勤めた後、1994年から個人タクシーを営んでいた。

所属する博多個人タクシー協同組合によると、松岡容疑者は6、7年前に1度体調を崩し、夜間中心の勤務から昼間中心に変えたが、その後は健康診断でも問題はなかった。事故を起こしたトヨタの「プリウス」は4、5年前に新車で購入し、今年09月の定期点検でも特に異常は確認されなかった。同組合の畑江久重理事長(62)は「青天のへきれき。人のために一生懸命頑張る人で、なぜあの人がと思った」と絶句。元同僚のタクシー運転手の男性(69)も「無謀な運転をする人ではない。ベテラン中のベテランで事故を起こしたと聞いたこともない」と驚いていた。

近所の人の話によりますと、こまめに車の点検をしている姿が目撃、車の故障、あるいは整備不良が原因だった可能性は考えにくい。

松岡容疑者の次男(29)は03日夜、自宅近くで取材に応じ、被害者に向けて「心から申し訳ない」と謝罪した。次男によると、松岡容疑者は、これまで業務中に事故を起こしたと聞いたことはなく、発作を起こすような持病もなかったという。「数日前に顔を合わせたときは普段通り。疲れた様子もなかった」と、戸惑いを隠せずにいた。近くに住む女性は「私は2年前に引っ越してきたが、あいさつに行ったら穏やかそうだった」と語り、言葉を失っていた。

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32、被害者情報

死亡

福岡市博多区東比恵4丁目
遠藤一行さん(53)
遠藤さんは元タクシー運転手で、かつて勤務していたタクシー会社社長らによると、1989年ごろから十数年勤務した後に個人タクシーを始めた。しかし糖尿病が悪化して足を切断し、その後は車いすでの生活を続けていた。社長は「親分肌で後輩の面倒見が良かった。運転手時代は安全運転に気を使っていた。こんな事故に巻き込まれていたたまれない」と唇をかんだ。

死亡

福岡市博多区豊1丁目
花田盛幸さん(44)
花田美佐代さん(44)夫婦
花田さん夫妻は小学2年の娘と3人暮らし。近所の住民によると、数年前に夫の盛幸さんが病気を患い、美佐代さんが働いて家計を支えていたという。同じマンションの60代女性は「とても子供を大切にしていた。残された子供が心配だ」と涙を浮かべた。

意識不明の重症

福岡県小郡市の女性(23)

けがをした7人については、23~59歳の男性4人と女性3人。

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33、事故状況

img30.jpg 原三信病院 福岡市博多区博多区大博町1-8 東館一階テラスへタクシーが突入。

浜口公園で用を足した後、・・・・

「ブレーキが利かなくなり、十字路の交差点を2か所、停止できずに突っ切った。病院の手前で停車中の車を避けて右にハンドルを切り、そのまま病院に突っ込んだ」と供述していることが、捜査関係者への取材で分かった。

現場手前の道路標識にも衝突して損壊させており、県警は、タクシーが300メートル近く暴走したとみて、制御できなくなった経緯などを調べている。

捜査関係者によると、同病院から南東約300メートルに公園があり、運転手は事故の前に浜口公園のトイレに寄ったという。市道を直進した突き当たりが病院で、信号機はないが、二つの交差点と一時停止線がある。

進行方向の左側には車2台が停車していたが、いずれもタクシーが接触した痕はなかったという。一方、建物の数メートル手前右側にあった道路標識は根元から折れ、右側の縁石にも接触痕があった。

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34、原因究明、カギはEDR タクシー病院突入事故1週間

福岡市博多区の原三信(はらさんしん)病院にタクシーが突っ込み、10人が死傷した事故から10日で1週間。原因は運転ミスか、車の不具合の可能性が浮上している。解明の鍵を握るのが、事故前後の操作を記録したイベントデータレコーダー(EDR)だ。近年搭載が広がり、警察も解析を進めている。

EDRは、衝突直前のアクセルやブレーキ操作の有無、車の速度のほか、エンジンの回転数、シートベルト着用の有無などを数値化して記録する。エアバッグと連動し、事故の衝撃を感知すると数秒前にさかのぼって記録を保存できる。メーカーによって異なるが、千分の1秒単位で記録できるものもある。

解析によって、衝突のどのくらい前にアクセルやブレーキペダルを踏んだかが分かる。エンジンの回転数や速度の記録と組み合わせれば、ブレーキをかけた位置や、それによって正常に減速されたかどうかを調べることも可能だ。

ログイン前の続き公益財団法人・交通事故総合分析センター(東京)の調査によると、EDRの搭載が始まったのは2006年。義務化はされていないが、客観性のある事故解析に活用できる自動車版のフライトレコーダーとして、ここ数年で普及が進んだという。今回の事故を起こしたタクシーにもあり、福岡県警が取り出して解析を進めている。

過失の有無が争点となった事故で、証拠として使われる例も出てきている。

山梨県南アルプス市で10年、タクシーが対向車と衝突した事故では、運転手が「ブレーキを踏んでも止まらなかった」と供述した。これに対し、甲府地検はアクセルを踏んでいた形跡が残っていたEDRの解析結果をもとに運転手を起訴。甲府地裁は14年に「ブレーキとアクセルの踏み間違い」と結論づけ、有罪判決を言い渡した。

ただ自動車関連メーカーによると、データの取り出しには特殊な装置が必要で、自動車メーカーや警察以外が解析するのは難しい。数秒間でもデータは膨大で、解析に数週間以上かかることもあるという。もともと車両に故障があった場合や、事故の状況によっては正しく作動しないこともありうる。

■「ブレーキ踏んだ」運転手の供述一貫

「ブレーキは踏んだ。でも止まらなかった」

福岡県警の説明では、運転していた個人タクシー運転手の松岡龍生(たつお)容疑者(64)=自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)容疑で送検=は逮捕時、こう供述した。その後も主張は一貫しているといい、供述通りなら、現場の約200~300メートル手前からブレーキが利かなかったことになる。

事故後に県警が運転席を調べたところ、ペダルを踏む支障になるような物は見つからなかった。

九州運輸局によると、松岡容疑者は14年04月に個人タクシーの事業許可を更新。過去5年間は無違反で、更新時の健康診断でも問題はなかったという。

タクシーは10年に登録したトヨタのプリウス。ブレーキ関連のリコールの対象にはなっておらず、今年6月に車検を受けた際の走行距離は約14万キロだった。

佐々木良・九州運輸局長は7日の定例会見で「警察と連携して事故の詳細を検証する」と述べた。

トヨタは今回の事故について、朝日新聞の取材に「警察の捜査には全面的に協力します。これ以上のコメントは差し控えます」などと回答した。

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35、事故後、2週間経った原三信病院

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事故後、2週間経った原三信病院を訪れた。事故現場は雨風避けのブルーシートで覆われたまま。献花台には未だに沢山のお花が。悲惨な事故で、福岡市民の関心の高さがうかがえる。

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36、おわりに

今回の事故に関しては、未だ真の原因が解明されておりません。当局の見解を待ちたいと思います。

亡くなられた方の冥福をお祈りするとともに、負傷された方の早期回復を願っております。

では、また来月お会いしましょう。

ご意見ご感想は、

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でお待ちしています。

2016年平成28年11月30日

月刊 精神分析 編集部A

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37、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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