1、はじめに
今月号の月刊精神分析は市橋達也受刑者が起こした「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」を取り上げます。
以下ウィキペディアから引用
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リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件(リンゼイ・アン・ホーカーさんさつがいじけん)は、平成19年2007年3月に日本の千葉県市川市において、英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカー(英表記:Lindsay Ann Hawker 、英国籍、当時22歳)が市橋達也(当時28歳)に殺害された殺人事件の一般名称。 正式な事件名としては、「市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件」と呼称される。
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以上引用
もう市橋君の事件発生から5年の月日が流れた事になります。本誌、月刊精神分析では、秋葉原無差別殺傷事件を過去、数回テーマとして取り上げてきました。秋葉原無差別殺傷事件も世間の注目度が非常に高い事件でした。裁判の被告人であった加藤智大被告が裁判中に「解」と称する自分が起こした事件の自己分析本を出版するなど異例の展開をみせました(本の出版経緯は本誌過去サイトをご覧下さい)。
加藤智大が著した「解」に関しては、世間の反応は鈍いものでした。中島岳志さんが評している通り、事件が発生した経緯に不可解な事が多く、加藤智大の著書を通して事件を読み解くには多くの予備知識や忍耐力も必要とされました。
ところが、同様に事件の加害者:市橋達也が出版した本「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」は、逃亡犯である彼の発言が多くの関心を集め912万9885円(平成23年2011年07月時点)もの印税を稼ぎ出しました。
私も購入し、Googleマップで記載された地名の一つ一つをマーキングし、彼の逃亡ルートを追いました。北は青森から南は沖縄オーハ島まで・・逃亡途中、市橋受刑者は四国でお遍路(へんろ)までしています。
また、逃亡期間が二年七ヶ月(961日間)に及び、その間、逃亡犯であった市川達也君を社会不適合者・性倒錯者であるとした偏向報道がなされました。逃亡中に偏向報道番組をみた市橋君は激しく混乱し番組内容に激怒した(詳細は彼の著書から引用)。この件に関しては、報道映像資料の頁で詳しく解説します。
更に、市橋君が千葉大学に在学中に所属していた空手部の顧問であった本山直樹名誉教授がインターネット上に「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」を立ち上げるなど、市橋君を支援する動きも起こりました。
今号の月刊精神分析は、「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録(市橋達也)」をソースに、リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件を分析します。
平成24年2012年12月25日 月刊精神分析編集部A
ご意見ご感想はlacan.fukuoka@gmail.comまでお願いします。
2、登場人物紹介

市橋達也(いちはしたつや)
1979(S.54)年01月05日生まれ。
郵便番号:〒 272-0137
住所:千葉県市川市福栄2-11-24「新日本サンライズ行徳」406号
電話番号:047-356-7238
メルアド:whitecover@hotmail.com
出身:岐阜県羽島市。
1994(H.06)年 羽島市立竹鼻中学校卒業。
1997(H.09)年 岐阜県立羽島北高校卒業。
陸上部に所属。
2005(H.17)年03月 千葉大学園芸学部卒業。
2007(H.19)年03月 千葉県市川市でリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件を起こす。
約2年7ヶ月(961日)間に及ぶの逃亡生活の後、
2009(H.21)年11月10日 大阪市住之江区の南港フェリーターミナルで逮捕。
2011(H.23)年01月25日 逃亡記出版
2011(H.23)年07月04日 初公判
2011(H.23)年07月05日 第二回公判
2011(H.23)年07月07日 第三回公判
2011(H.23)年07月08日 第四回公判
2011(H.23)年07月11日 第五回公判
2011(H.23)年07月12日 第六回公判(論告求刑)
2011(H.23)年07月21日 判決(千葉地裁にて求刑通り無期懲役)
2011(H.23)年10月26日 4年7ヶ月ぶりに事件当時交際していた女性と再会(面会)
2012(H.24)年04月11日 東京高裁(控訴審)にて1審判決を支持、控訴を棄却。
2012(H.24)年04月25日 上告せず判決が確定。
著書に「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」(幻冬社)。
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市橋正嘉(いちはしまさよし)市橋達也の父
現住所:郵便番号:501-6241
岐阜県羽島市竹鼻町上城2566-1
昭和51年 日本大学医学部卒業
日本外科学会認定医
日本消化器外科学会認定医
社会医療法人杏嶺会 一宮西病院
住所:郵便番号:494-0001
愛知県一宮市開明字平1
電話番号:0586-48-0077
外科部長(事件後退職)
※現在の一宮西病院は平成21年11月に新築・移転した後の病院。
旧住所:郵便番号:491-0201
愛知県一宮市奥町下口西89-1
旧電話番号:0586-61-0110
市橋正嘉さんが現役で外科部長をしていた頃の一宮西病院は、平成13年に開院し一宮・尾張西部地区の救急医療の拠点としての役割を果たしていた。一宮西病院が新築・移転した2009(H.21)年11月は市橋君が逮捕された時と符合する。市橋パパにしてみれば、自分の長男が事件を起こした事で地域医療を担う病院の外科部長を退職する事を余儀なくされ、長男の逮捕と同時にもといた病院が立派に新築・移転されると言う憂き目にあった事になる。市橋君があのような事件を起こしていなければ、折角手に入れた外科部長の椅子を50歳代で手放す事はなかっただろうに・・。見方を変えれば、この事件は、市橋達也君の両親への復讐劇なのではないだろうか?2008年08月まだ新しい病院は着工したばかり・・・。下の写真が市橋正嘉先生が外科部長として勤務していた(旧)一宮西病院。

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市橋伸子(いちはしのぶこ)市橋達也の母
歯科医
事件後、両親が開く歯科医院を退職
多くの公判では、被告の肉親が情状証人として出廷する。しかし、市橋被告の両親は弁護側の要請に対し出廷を拒否。捜査段階での調書の読み上げも行われず、息子の犯行を受けた両親の心情は、明らかにされないまま。世間には「親バカ」と言う言葉がある。世間から「みっともない」と揶揄されようが、親は子どもの味方であり続ける。しかしながら、市橋君の両親はいかなる理由があるにせよ我が子に無期懲役の判決が出される事が濃厚な裁判において、実子の情状を述べる事を拒否。市橋達也君は彼にとって世界中でただ一人の「父」と「母」からも完全に見放された。これが、市橋達也君の人生における最大の悲劇である。
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リンゼイ・アン・ホーカー
(Lindsay Ann Hawker)
1984(S.59)年生まれ(次女)
学歴:英国国立リーズ大学(University of Leeds)卒業
(生物学専攻:Biological Science)
2006(H.18)年 英会話講師として来日
2007(H.19)年03月26日市橋達也により強姦され窒息死させられる。
享年22歳
遺体はバスタブに入れ、園芸用の砂をかけた状態で自室マンションのベランダへ遺棄
身長176センチ、体重63キロで、女性としては大柄
家族構成:
父:ウィリアム(Bill Hawker)
母:ジュリア・ホーカー(Julia Hawker)
姉:
妹:
13~16歳の間、テコンドーを学んだ(護身術として)。
リンゼイさんの婚約者は2007(H.19)年01月に一度来日し、2007(H.19)年06月からは日本で(英語を)教える計画を立てていました。教鞭(きょうべん)をとった後に2人は日本を旅行し、帰国する予定だった。
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ウィリアム・ビル・ホーカーさん(56歳:市橋逮捕時)リンゼイさんの父
(Bill Hawker)
イギリス中部ブランドン在住
学歴:専門教育を受けたエンジニア
職業:自動車教習所の教官(自営)
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ジュリアさん(52歳:市橋逮捕時)リンゼイさんの母
ジュリア・ホーカー(Julia Hawker)
イギリス中部ブランドン在住
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本山直樹(もとやまなおき)
1942(S.17)年生まれ。
千葉大学園芸学部卒業。
名古屋大学大学院修士課程修了後、ノースカロライナ州立大学に留学、10年間農薬毒性学の研究に従事する。
東京農業大学客員教授
千葉大学名誉教授
1998年、農林水産省の農業資材審議会農薬分科会委員に就任。
元農水省農業資材審議会会長ならびに同審議会農薬分科会会長(2008年12月まで)
著書に『農薬学事典』『農薬実験法』『毒性生化学』など。
大学時代の部活顧問だった千葉大学大学院名誉教授の本山直樹が「適正な裁判を受けさせる会」を立ち上げ、市橋の自首と募金を呼びかけた。マスコミ報道で大きく報じられたことに胸を痛め、あくまでも適正な裁判を受けさせ、社会復帰への道を、という元教授としての愛情からである。罪状が死体遺棄から強姦致死、殺人へと大きく変わり、国選弁護士として引き続き弁護していくためには費用の面で難しいことを支援の理由に挙げている
「稽古(けいこ)への取り組みもまじめで、かっとなるような性格ではなかった」。
市橋容疑者は稽古前には、道場の床にぞうきんをかけていたという。
本山名誉教授は昨年、千葉大を定年退官した。
しかし、「元学生は永久に元学生。その幸福を願うのが大学人の役目だ」として市橋容疑者の行方を気にしていた。
一時は自殺説も流れていただけに、逮捕の一報に「本当によく生きていてくれた。
残りの人生で償いをしっかりやれと言いたい」と話した。
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惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。
1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法。
迎意愛(むかいあい)
精神分析家。シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)主宰。
1954年和歌山県生まれ
2011年10月より埼玉県在住。二女の母。
奈良教育大学卒業するも、教師にならず、営業職に就く。結婚、義母の介護。
物心ついた時から生きる意味を問いかけ、38歳の時、精神分析に出会う。
精神分析により、自己を知ることで、生きる意味を見出せると確信し、惟能創理氏に師事する。
女であることの素晴らしさと重要性を痛感し、自らも精神分析家(インテグレーター)となる。
自らの体験と「オールOK子育て法」を引っさげ、女たちよ賢明であれと全国を行脚するべく奮闘中。
ちょうど三十年前、市橋達也君が事件を起こしたマンションのすぐ近く(千葉県市川市行徳)に住んでいた経験がある。当時は東京ディズニーランド(千葉県浦安市:1983年開園)ができたり日本がバブル経済に突入していく最中で土地価格の高騰がすごっかた記憶があると言う。
連絡先:signifiant1@gmail.com
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安朋一実(やすともかずみ)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。
1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com

編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。
宗教色の強い家庭に生まれ育つ。
中学校1年生の時にクラスの数人からいじめられ転校した経験がある。
二十代の頃、原因不明の疾病に苦しむが転地療法にて完治した経験から、心の作用に興味を持つ。
ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。
現在「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーとインテグレーター養成講座を受けている。
性格分析:自己分析、コンピューターのSE(システムエンジニア)をしてきただけあって、緻密な作業ができるA型(血液型)人間である。自分の部屋はちらかっていても許されるのだが、漫画本の1巻から・・はきちんと順番通り並んでいないと気が済まない。物事は手順を考えて、1から順番に進めていく。よって「適当にやってみて駄目でした」という事は出来ない人で、やるからには成果が出ないとかっこ悪いと感じ、失敗を恐れるタイプである。
連絡先:lacan.fukuoka@gmail.com
3、逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録
私が、市橋達也受刑者の事件を月刊精神分析のテーマとして取り上げたのは、市橋君の著書「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」が大変興味深かったからだ。
裁判の判決も出ていない被告(本の出版時の彼の社会的立場は裁判の被告であった)が、幻冬舎というメジャーな出版社から、それも事件の犯人として逃亡記を出版すると言う前代未聞の展開をみせ、大いに物議を醸した。印税は900万以上にのぼった。
「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」は、Amazonのカスタマーレビューは124件を記録している(2012年12月26日現在)。この事実だけをとっても市橋君の961日間にわたる逃亡生活にいかに多くの人が興味関心を持ったかが伺い知れる。ちなみに本の評価は、星5つ:(36)、星4つ:(25)、星3つ:(24)、星2つ:(18)、星1つ:(21)・・とわかれている。読者の期待する内容と本の内容とのズレ、本の内容の受け取り方で大きく評価が別れる本である。
ちなみに「秋葉原無差別殺傷事件」を起こした加藤智大が書いた「解」はたった6件のカスタマーレビューしかない(2012年12月26日現在)。
Amazonでの代表的なレビューを下記の項に保存した。興味のある人は読んで欲しい。
市橋君の逃亡記を読んで、私の頭の中で引っかかった点を列記します。
1、市橋君は、逃亡中、経済的に困窮するが、窃盗強盗などの犯罪に手を染めていない。下手をすれば、空き巣狙いの窃盗くらいは考えられそうだが、残飯拾いをしながらも、市橋君は、恐喝や窃盗行為を行なっていない。十分に事の善悪が判断できる人間であり、独自の倫理観を持っているようだ。・・にもかかわらず、リンゼイさんに対しては性欲の前に倫理観は消え失せた。
2、高校時代は陸上部であった。身体能力が非常に高く、捜査官を振りきって逃走し、かなリの距離を徒歩で移動している。日本列島の北は青森から本州、四国、九州・沖縄(オーハ島)まで移動し、沖縄、大阪、神戸では身元を隠した上で職工(職人の助手)として働き収入も得ている。
3、千葉大学造園学科を卒業しただけあって植物に関する細かな描写がみてとれる。学生時代に学んだ知識は無人島で自給自足生活をするのに大いに役立った。
4、逃亡中は、時間が潤沢(じゅんたく)にあるとは言え、かなりの読書家であり、市橋君の知的レベルが垣間見れる。
5、事件に対する呵責(かしゃく)の念が読み取れるが、逮捕、拘置されて世間の晒し者になるなら死んだほうがましと言う・・我儘(わがまま)で無責任で自分勝手な理由で逃亡を続ける。
6、優秀な日本の警察の包囲網をくぐり抜け、961日間を逃げ切った市橋君の知的行動力は高く評価できる。
7、逃亡中に所持したコンテンツにUSBメモリ型オーディオプレーヤーの中に英単語の独習教材があったり、英語のペーパーバッグを購入したり英語学習に対しての興味は逃亡中も保持し続けた。
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もちろん、月刊精神分析では、心理学的視点から彼の行動と思考と無意識を可能なかぎり分析します。
4、市橋達也逃亡 Google Map と エクセル資料
以下は「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」に記載された地名を順にGoogle Map上にマーキングした地図です。「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」は基本的に時系列に沿って記述されています。市橋君が千葉県市川市を起点に日本全国を逃亡した様子が良く分かると思います。
青ピンは訪れた地域、自治体名。
赤ピンは収入を得る為に働いた場所。
また、下記のGoogle Mapを作成する過程において、まとめの資料をマイクロソフト エクセルで表形式で作成しました。PDF化しておりますので誰でも閲覧可能です。興味のある方はここ「市橋達也「逮捕されるまで」まとめ.pdf」をクリックして下さい。
より大きな地図で 市橋達也逃亡マップ を表示
5、Googleで観察する犯行現場(新日本サンライズ行徳)
そもそもGoogle(グーグル社)は迷惑メール対策がしっかりできているGmail(フリーメール)の提供元で、かつ、Yahooよりもっと便利な検索機能を提供してくれるサイトの提供元として認知されたのだが、現在はスマートフォンのOS(アンドロイド)の開発提供会社として幅を利かせている。そんなGoogleが地図の概念を大きく変えたのがGoogleマップである。更に衝撃的だったのが、ストリートビュー機能の出現である。なんとこの「ストリートビュー」は、Google マップと連携し、地上約2.45メートルから撮影された360度のパノラマ写真風景をパソコン上に表示できるのだ(現在は、更なる発展系のGoogle Earthも提供されている)。
行ったこともない未知の土地の風景がパソコン上に映し出されるのだから利用法は様々で、知的好奇心を満たすツールとして利用価値万点である。
市橋君の逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録には、彼の記憶を頼りに逃亡の様子が克明に記されている。逃亡の方角や、彼の視界に入った町並み、住宅街、橋やコンビニエンスストア・・・ストリートビューで追いながら確認しているとまるで映画を見たり、劇中で逃亡犯を追っている刑事の視界や逃亡犯のそれを追体験している様でワクワクする。
早速、Googleマップで、市橋君の逃亡元:千葉県市川市福栄2-11-24「新日本サンライズ行徳」の406号室を検索してストリートビューで付近を探索してみよう。
以下不動産情報の引用
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新日本サンライズ行徳 の特徴
新日本サンライズ行徳は1974年9月築のマンションで、東京メトロ東西線行徳駅から徒歩12分の場所に位置します。周辺は閑静な住宅街が広がり、各種医院も徒歩圏内にあるため、安心感の高い住環境です。公園へは約230m、小学校へは約700m、中学校へは約290mと、子育て環境も良好です。ちょっとした買い物に便利なコンビニエンスストアへも徒歩1分です。新日本サンライズ行徳は全戸南東向き。2方向接道の角地で、採光・通風ともに良好。敷地内には砂場やジャングルジムのある公園が設けられています。
新日本サンライズ行徳販売図面.pdf
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市橋君は事件発生当時の2007年頃でも築33年の分譲マンション(RC構造総戸数49戸7階建て家族名義)にひとり暮らし・・と言う恵まれた生活環境が伺える。
上記の写真はGoogle Earthで検索した2012年の「新日本サンライズ行徳」。市橋君の部屋は4階の向かって左から2戸目。406号室。事件当日ベランダに干してあったマットレスや、リンゼイさんを遺棄したバスタブは既になくなっており、人が生活している様子はない。なにせ殺人事件の現場だけに所謂(いわゆる)事故物件であり他人への譲渡や売却はむずかしいのだろう。しかしながら、周辺の部屋のベランダには落ち着いた生活感が見受けられる。
以下引用
以上引用
事件発生当時、逃亡した市橋君のマンションのベランダにはリンゼイさんを遺棄したバスタブが放置したまま。リンゼイさんが失禁したテンピュール(低反発)のマットレスも干したままであった。
6、報道映像資料(市橋達也の反論)
逃亡中の市橋君は自身の事件の報道番組をこう評している。
「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」の187頁から・・
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仕事が終わったある夕方、部屋に戻ってテレビをつけると、僕に関するニュースが流れていた。プロファイリングの手法を使って僕を調べていた。テレビに映った警察官は、僕について「自分を客観的に見られる性格で、三ヶ月と同じ場所にはいないだろう」と話していた。
もし、逃げる前の僕を知る人がいたらどう思うだろう? 信じられないだろうな、と思った。僕は空気を読めない主観的な人間に見えたはずだから。
逃げる前の僕は空気なんて読みたくなかった。自分のしたいことができればそれでよかった。
ある朝、僕の新しい手配写真をニューズで見た。少なくともこれが三度目の僕の手配写真だったと思う。僕の懸賞金は百万円から懸賞金の上限の一千万円に上がっていた。
一枚のポスターに三枚の写真が載っていた。上部に大きく一枚、大学生だった時の下を向いた顔写真。下の部分に小さく二枚あり、いずれも警察が加工していた。一枚はメガネをかけて、二枚目は女装したように加工した写真だった。
この女装写真がテレビに映ってすぐにテレビ画面が変わったので、一瞬、僕以外の女性の容疑者が載っているのかと思った。後から見れば、どうみても自分なのだが、この時には何が起こっているのか理解できなかった。仕事に出る時間だったのでテレビを消して部屋を出た。
仕事中、もしかすると警察は僕の足取りがつかめないから僕が女装して逃げたとでも思ったのかなと想像してみた。懸賞金の金額が逃亡中の容疑者にかかる上限まで上がったことも、警察が僕の足取りをつかめていないことを示していた。
いくら追い詰められても僕は女装なんてしない。そう思った。
そんなことをするくらいなら死んだ方がましだ。
逃げている容疑者を追えという趣旨のテレビ番組で僕のことが出ているのを、この飯場にいる時に二度みた。
一つ目の番組は再現映像を流していた。自転車に乗ったリンゼイさん役の外国人に男が走りながらしつこく話しかけている。
違う。
事件後の映像では、千葉のマンションの通路を歩いてくる二人の制服警官に僕役の男が体当たりして逃げている。
違う。
実際には、玄関口で四人の私服警官が僕の周りを取り囲んでいた。
超能力者という外国人女性が番組の中で、僕が事件後、自殺で有名な東尋坊(とうじんぼう)に行ったと話した。僕は東尋坊に行ったことはない。再現映像で出てきた僕役の男の顔は醜(みにく)かった。
テレビは僕について自殺したことにしてあきらめたのかな、と考えた。この時にはもう、この手の番組も信用していなかった。怖いもの見たさで見ていた。
二つ目の番組は、「新しい市橋容疑者の手配写真に中に女装写真があるのをご存知ですか」というナレーターの言葉で始まった。「実は犯人は事件後、東京都新宿区歌舞伎町のゲイの町に行き、そこで男相手に体を売り、お金をもらっていた」と説明した。そして
「市橋を抱いた」と主張する男が顔を隠して、その番組に出ていた。その男は、僕のパンツを記念に持っていて、そのパンツを警察に持っていってDNA鑑定をしたところ、一致しなかった
パンツが臭かったから洗ったせいだと話していた。
この番組を見て僕は部屋で固まっていた。とても混乱した。
いったい、こいつら何を言っているんだ!?
僕はそんなことはしてない!
そんな所に行ってない!
たとえ生きるためだって、そんなことをするぐらいなら僕はもうとっくに死んでいる!
テレビが放送したことはうそだ。僕はそんなことしてないって言いたかった。でも逃げいている僕が電話できるわけがない。やっぱり犯罪者に人権などないんだと思った。逮捕された自分の姿を想像した。こんなデタラメを全国に放送されて、逮捕されれば、人は僕を奇異の目で眺め、さらしものにするだろう。刑務所でどんな目にあわされるかわからない。
想像することをやめた。絶対に捕まるわけにはいかない、と思った。誰がこんなシナリオを書いたのか。大声でしゃべり続けている番組の司会者が憎かった。
僕は性的倒錯者じゃない。
本当は、こんな話は口にするもの嫌だ。でもやってもいないことでさらしものになるのは耐えられない。
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秋葉原無差別殺傷事件でも、加藤智大君の仙台時代の東洋ワークの同僚、大友秀逸氏がニコニコ動画の番組で、真実を捻じ曲げ、ある一部分を誇張して報道する・・・いわゆる報道バラエティ番組の報道姿勢を批判していた。
市橋達也君の裁判でも、性倒錯云々の話は一切出てこないので、下記の番組内容は全くのガセネタだと思われる。司会者のみのもんたさんは、番組中で市橋君の事を散々非難していたが、「あなた自身のしている事もそんなに褒められた事ではありませんよ」と言いたい。
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7、自宅で強姦する心理状況がわからない
ヤフー知恵袋に市橋達也君が「誘惑に負けた」とリンゼイさんを強姦した理由を裁判で証言している事について女性の方より「レイプをするに至る思考回路・心理状況」について質問が来ています。
普通に考えれば、知り合って一週間で、ただ一回の英会話の個人レッスンを受けただけの人間関係なのに、果たして性的関係を強要し、その後に人間関係を構築するという市橋君の「思考回路・心理状況」とはどのようなものかと言った問いです。
以下引用
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市橋被告 レイプをするに至る思考回路・心理状況は?
beloved4569さん
市橋被告 レイプをするに至る思考回路・心理状況は?
市橋被告は、殺意はなかったと言ってます。
レイプしたのは「誘惑に負けたから」。
自宅に連れてきたのも、英会話のレッスン料を忘れてしまったから払うために来てもらった、と。
なのに、部屋に入れた途端にレイプしてる。
計画的じゃなくて、突然「誘惑に負けた」なんてあり得るんでしょうか?
普通の人は、欲しい物が目の前にあったからといって
突然「我慢できない、盗もう!」なんて思いません。
万引きする人だって、わりと「万引きしよう」と思って店内に入るんじゃないんですか?
ふと目にして、ふと万引きしちゃうんでしょうか?(それもあるのかなあ...)
好きな(関係を持ちたい)女性が目の前にいるからって
突然「レイプしてやる!」になるものなんでしょうか??
被害者をタクシーに乗せて自分の部屋へ向かってた辺りから
どう考えても計画性はあったように思うのですが。
(もしくはレッスン料を忘れたこと自体が計画だったか。本人は否定してますが。)
しかも市橋被告は彼女も居て、性欲が溜まってたわけでもないのに。
男性の方の意見が聞きたいです。
そんなレイプ衝動ってあり得ます?
(まあ、普通の人は「やりてー!」とは思ってもそれを抑え「レイプしてやれ」とは思わないわけで、普通の人に聞いても分かりっこないんだろうけど
あまりに不可解で...。
あ、私は女性で男性の性衝動というのが分からないので。)
...大体、自宅でレイプしたら身元が割れてるんだから、
殺すって結末に当然行ってしまいますよね...。
...単なる性欲ではない、もっと歪んだ心理状況だったのか...。
でも衝動の点について、突然沸点に達するようにそうなることがあり得るのか
男性の意見を伺いたいです。
もしくは犯罪者心理に詳しい方、お願いします。
市橋被告、反省してるように見えますが、やっぱり計画的だったとしか思えない...。
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以上引用
8、市橋君が事件当時交際していた女性
市橋君の著書16頁に、当時交際していた女性の事を記述している部分がある。
以下著書より引用(写真はGoogleストリートビューより)
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それから北側にかかる市川大橋の階段を上った。
階段を上っているいる時、パトカーがサイレンを鳴らして橋を通過していった。階段の陰に伏せて隠れた。パトカーが通り過ぎてから橋を渡った。
橋を渡った辺りで鍵の付いていない古い自転車を見つけた。それに乗って走った。
コンビニには防犯カメラがついているから、前を通ってはいけない。
電話ボックスが目に入った。
中に入って、つき合っていた女性の携帯に電話した。話し中だった。もしかしたら、もう彼女のところまで警察が行っているのかもしれない。
彼女は車を持っていた。その車で僕らはよくドライブをした。房総半島まで魚を食べに行ったりもした。
彼女がもし電話に出たら、自分がした事を話し、「一緒に逃げてくれ」と言うつもりだった。
房総半島に逃げて、最後は一緒に死んでくれないかな。
そう思った。
でも話し中だった。
もう彼女は無理だ
あきらめようと思った。
再び自転車に乗ろうとする時に、ポケットから財布を出して、お金だけポケットに戻し、財布は川に投げ捨てた。
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以上引用
一週間前に知り合った外国人女性を自分のマンションに誘い込み、強姦、監禁、窒息死させ、その遺体を遺棄。捜査官を振り切って逃げた挙句、交際中の女性に一緒に逃げて心中して欲しいと・・随分(ずいぶん)虫のいいお願いで、交際された女性もさぞ呆れているにちがいないと思ったのだが、この女性は「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」の本山直樹先生(千葉大学大学院名誉教授)と一緒に拘置所にいる市橋君と面会を果たしている。
裁判での供述によると市橋君はリンゼイさんに個人レッスンを受ける予定の日の前日から彼女と深夜ドライブにでかけ、翌日(レッスン日当日:2007年3月25日)の4:00頃彼女に車で自宅マンション付近まで送ってもらっている。帰宅が遅くなった為、個人レッスンを受ける朝、寝坊をして慌てて家を出た為にリンゼイさんに払う予定のレッスン料を忘れたとしている。
市橋君と彼女が再会したのは実に1676日(4年7ヶ月)ぶりと言う事になる。
以下、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」のブログより引用。
以上引用
以下支援者からの感想(抜粋)
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1)先日、先生と面会に行かれた「ご友人」(おそらく、事件当時の彼女かと・・・ 確信はございません、ただの'おんなの勘'です)と、つらい最後だったなと思いました。普通に会って、食事したり、一緒に出かけたり、時にはけんかもしたり。楽しい思い出が、こんな悲しい最後の別れになることが、本当につらく思えてなりませんでした。どうか、市橋さんも「ご友人」も、このつらさを乗り越えて生きていかれますように。
それと、市橋さんのご両親が面会に行かれていないこと、市橋さん自身もそれを「当然のこと」と受け止めておられることです。市橋さんも-当然のことながら-十分苦しみ、反省しておられると思うのです。これから、もし有期刑になったとしても、かなり長期の入獄になる可能性が高いと思っています。いろいろなお考えがおありでしょうが、せめてご両親くらいは、市橋さんを赦し、励ましてあげて下さい、と祈るばかりです。
2)朝夕、秋らしくなりました。お忙しい中、市橋君に接見に行って下さりありがとうございます。10/26のブログは、涙なしでは読めませんでした。お友達と会った市橋君に「偉い」と泣きながら叫びました。これも先生のお力、つくづく偉大さを感じました。その夜は、市橋君、ご両親、先生、お友達など、いろんな事を考え、ただただ普通の青年だっただけにあまりにも残酷すぎる事ばかりで、眠れませんでした。
3)お早うございます。一昨日は、メール有難うございました。お返事遅くなり申し訳ございません。ブログ(26日)も拝見しました。お知らせ頂き、有難うございます。
凄く重みがある内容に感じました。2人共、涙、涙で話せなくなってしまうのでは、と思ってました。一昨日の面会を境に、お互い前に進めればと思います。彼女に支障がなければ良いのですが...お話の内容から、恐らく元彼女と、特定出来そうですが、大丈夫でしょうか。もし又会いに行く事があれば、マスコミや盗撮の可能性もあり心配ですが、もう会う事はないようですので、今後は新しい生活を送って欲しいです。
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以上引用
事件を起こした当時、市橋君には、交際中の異性がおり、その女性とは「いい思い出」を共有できていた。それなのに、なぜに、市橋君は英会話の個人レッスンを承諾してくれたリンゼイ・アン・ホーカーさんに対しては、あのような非人道的行為をしてしまったのか?、ただ単に「誘惑に負けました」では納得できず、ますます、密室で起こった事が謎めいて感じられるのである。
9、裁判記録から読み解くあの日の出来事。
無期懲役か有期刑か。殺意の有無。
市橋君の裁判では、市橋君に学生時代に逮捕歴(2004.05.03)があるとは言え、前科はなく、殺したのは一人。・・となると、死刑は回避され、無期懲役か有期刑か。
以下引用
以上引用
市橋達也君は、千葉県警行徳警察署の失態により、逃亡犯となったものの、その後、全国指名手配犯となり、情報提供者には懸賞金の上限の一千万円がかけられました。それでも市橋君は顔を整形して逃げびようとしました。
色々な要素が絡み合い、量刑はどうなるのか?世間が大いに注目しました。
ここで最大のポイントとなったのが事件における殺意の有無です。市橋君はリンゼイさんを強姦、拘束、殺してしまった事は認めています。となると、最大のポイントは「市橋君はリンゼイさんを殺そうとして殺したのか?」それとも「リンゼイさんの逃亡を阻止しようとして体を押さえつけた事が結果としてリンゼイさんを死に至らしめたのか?」と言う事の見極めです。
裁判で明らかになった市橋達也君の生活実態。
2005(H.17)年 千葉大学園芸学部卒業の2年後に事件を起こす。
月12万円の仕送り
留学に必要なTOEFL(トーフル)テストというものがあり、対策の参考書を使い、英語の勉強をしていました
私が裁判記録で出てきた証言を時系列順に並べたエクセル表はこれです。市橋達也(裁判での証言).pdf興味のある人はみてみて下さい。
2007(H.19)年03月21日(水)春分の日
2007(H.19)年03月22日(木)
2007(H.19)年03月23日(金)
2007(H.19)年03月24日(土)
23時彼女から電話
彼女の車で海岸へドライブ
一緒に焼き肉を食べる
2007(H.19)年03月25日(日)
朝04時彼女にマンションまで送ってもらう
朝09時リンゼイさんと待ち合わせ
レッスン終了の後、
レッスン料支払いの為
二人で市橋達也のマンションへ。
マンションの自室でリンゼイさんを強姦。
拘束、監禁する。
2007(H.19)年03月26日(月)
未明、逃亡しようとしたリンゼイさん窒息死させる。
バスタブへ死体遺棄。
夜21時頃捜査員から逃れ逃亡。
2007(H.19)年03月27日(火)
京成本線で上野(東京都内)へ。
私はネット上の裁判記録を読み解こうとエクセル上に時系列に市橋君の証言と、検死した人の見解を並べてみました。市橋君に殺意があった場合。市橋君に殺意が無かった場合。両方の場合を想定して検証してみるのですが、どちらも理論的に説明がつかずに困惑してしまいます。
市橋君は事実をありのままに証言しているとしても、釈然としない事が多すぎます。
1)もし、最初からリンゼイさんを強姦し更に事件化しない事(訴えられない様な工作)を考えているとしたら・・・・
2)もしも最初からリンゼイさんを強姦し殺害し事件が発覚しないように(証拠隠滅)考えているとしたら・・・
3)もし、市橋君が最初からリンゼイさんを強姦しようなんて思ってもいなかったし、リンゼイさんを殺してしまおうなんて微塵も考えていなくて、事件は実は事故だったと想定してみても・・・
どれもこれも辻褄(つじつま)が会いません。
初回公判(6)で当時交際していた女性の供述調書が検事によって読み上げられます。
以下引用
以上引用
彼女と一緒に寝たくない程疲れたいた市橋君。しかしながら、その電話の後、彼女は市橋君を車で迎えに行き、一緒に焼肉を食べ、海岸までドライブをし、帰宅したのは朝4:00だと言う。疲れていて食も進まないのに帰宅は朝の4時。
上記の市橋君の彼女の供述を素直に読めば、「市橋君は、事件前夜の3月24日夜には、彼女に内緒で、翌朝(3月24日)英国人英会話教師の個人レッスンを受け、自分の部屋に誘いこみ、あわよくば強姦しようとしていた」としか読めません。
もし仮に本人が「そんな事はありません」と言ってみても市橋君の彼女に対する言動はそう語っています。
当時、市橋君は28歳。28歳成人独身男性の市橋君に対して、交際中の異性から週末(土曜日)の23時に電話があって「泊まりにいきたい」と言う事は、「二人でベッドを共にして愛を確かめ合いたいわ」と言う女性からのオファー(申し込み)である。裁判でも市橋君は当時交際していた女性と肉体関係があった事を認めている。
以下引用
以上引用
普通だったら「据え膳食わぬは男の恥」と言う言葉がありますが、この日は、彼女が部屋に来るのを断り、一緒に彼女の車で深夜ドライブに行き食事をしています。更に、翌朝、英国人の女性講師から個人レッスンを受ける事は彼女には話していません。
この事から想像できる事は、市橋君の言動を悪意に解釈すれば、もし、彼女の要求通り、彼女を部屋に泊めてしまえば、翌日、朝からリンゼイさんに個人レッスンを受ける為に出かける事を彼女に説明しなくてはならないし、市橋君の部屋に泊まった彼女が、市橋君の部屋から出ていかないと、翌日、リンゼイさんを強姦目的で部屋に誘い込む事ができなくなります。だから、市橋君は『今日はスポーツジムに行って疲れたから1人で寝たい』と理由をこじつけ、彼女が部屋に来る事を拒み、『ご飯だけならいい』と彼女とは深夜ドライブと食事をしたのです。
ただ単に、リンゼイさんから英会話のレッスンを受けるだけならば、前日の夜から、彼女を部屋に泊めて、翌日、自分だけ英会話の個人レッスンを受ける為に行徳駅に行けばいいし、彼女と一緒に行徳駅に行って、自分だけドトールコーヒハウスでリンゼイに個人レッスンを受ければ済む事です。
更に、仮にこの時、レッスン料をうっかり家に忘れたとしても、彼女から一時的に借りてリンゼイさんに支払う事もできた筈です。
前日、彼女と深夜ドライブに出かけ食事までした市橋君が高々¥3500のレッスン料の持ち合わせがない事も不自然です。
市橋君はひょっとしたら意識していないかもしれませんが、市橋君の当時の彼女に対する言動、リンゼイさんに対する言動は、事件当日、リンゼイさんを自分の部屋に誘い込む事を前提に進んでいます。
レッスン料を支払う事を口実に市橋君とリンゼイさんは行徳駅前から一緒にタクシーに乗り、市橋君のマンションの横のガソリンスタンドの前にタクシーを停めます。この時の市橋君の言動も不可思議です。リンゼイさんは本業のレッスンの時間が迫っていてしきりに腕時計を気にしている状況なのですから、本当にリンゼイさんにレッスン料を支払う気があったのなら、タクシーをそこに停めたまま、ダッシュでマンションからレッスン料を持ってきて、タクシーの中で待っているリンゼイさんにレッスン料を支払い「大変お待たせして申し訳ありませんでした」と伝え、NOVAの教室までのタクシー運賃もリンゼイさんに一緒に支払えばリンゼイさんはタクシーで次の仕事にすぐ迎えたのでなんの問題もなかった筈。なのに、市橋君は、わざわざ、ガソリンスタンド前でここまでのタクシー料金を精算し、タクシーを降車し、リンゼイさんを自分のマンションの部屋まで誘導しています。この時、リンゼイさんも次のレッスン開始の時間が迫っており冷静な判断力や警戒心を失ったしまったのか、市橋君の誘導され、市橋君の部屋に入ってしまいます。
裁判での説明
以下引用
以上引用
・・・と市橋君は説明していますが、朝の通勤時間帯(稼ぎ時、しかも天候は雨模様)に一旦会計をしていつ戻るかわからない客をメーターも入れずに待ち続けるのはタクシードライバーにとって苦痛以外の何者でもありません。二人が戻ってくるのを待つ事をタクシードライバーが断るのは当然です。市橋君は意識上色々な理由を後から述べていますが、もし意識的にしていないとするならば・・市橋君の「無意識」はリンゼイさんを部屋に連れ込もう連れ込もうとしています。
この後、密室で二人っきりになった市橋達也君とリンゼイ アン ホーカーさんとの間になにがあったのかは永遠の謎となったのでした。

10、市川市行徳から都内(上野、秋葉原、他)へ逃亡
逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録の中から、自宅マンションから上野駅までの逃走経路を追う。2007/3/26、千葉県市川市福栄2-11-24「新日本サンライズ行徳」の406号室から外出しようとマンション玄関のドアを開けた。午後9時ないし10時頃。私服警官がいた。その他3人(女性を含む)合計4名の捜査官を振り切って逃げる。マンションの非常階段を駆け下りる。マンションの通路を走る。通路の壁を乗り越えて建物の外へ。方向的には東へ。マンションの外で待機中の捜査員も振り切る。息を切らし、住宅街の庭先に隠れた。あたりは真っ暗。懐中電灯を持っている捜査官に見つかり脱兎のごとく走る。地下鉄:行徳駅(東西線)を避け大通りを東へ。妙典駅(東西線)近くの住宅街を抜けて江戸川の淵へ。市川大橋を渡り(この時点で行徳警察署の管轄地域を突破して市川警察署の管轄エリアへ)、更に鍵のかかっていない放置自転車を利用し逃走。線路沿いに走る。住宅街の中に駅を見つけ電車に乗り上野駅へ。上野駅に直行しているので京成本線:海神駅辺りから乗車したものと思われる(市橋君の記述からはどの駅か特定できない)。こうして、961日に及ぶ市橋君の逃亡生活が始まった。
逃亡時に市橋君に有利に働いたのは当日の天候である。市橋君は3月25日朝にリンゼイさんから行徳駅前のドトールコーヒーハウスで個人レッスンを受けた時も傘を店内の席に置き忘れ会計時にとりに戻っている。26日夜の逃走時も雨は降り続き、警察犬の臭覚による追跡もできなかった・・・雨も市橋君に味方したのだ。
この事件は、なぜ市橋君の逃亡を許してしまったのか、取り逃がした千葉県警察行徳警察署の失態が指摘されるところである。世間で言うところの「初動の甘さ」と言うやつだ。市橋君やリンゼイさんの関係者にしてみれば、市橋君が行方をくらましたお陰で、961日に渡って彼の安否を気遣い、事件の真相を追い、逃げた彼への憎悪を膨らませ、悲しみを増大させ続けなければならなくなったのだから。
京成本線を使って上野(東京都台東区)へ逃亡した市橋君は人ごみに紛れアメ横通りを歩く、コンビニで裁縫道具と鏡を購入し、近くの大学病院の身障者用のトイレの中で、鼻に針を向け自分の顔の整形を行う。鼻を細くしようと思ったらしい。
逮捕直前まで市橋君は「整形手術」に拘る事となる。
その後、市橋君は秋葉原へ。真夜中の雑貨屋で、野球帽、靴、リュックサック、安売りのスナック菓子を購入。
更に秋葉原駅から電車に乗り、とある駅(どこだか不明)へ移動する。駅前のドトールが閉店の準備をしている。比較的大きな街をさまよい、翌朝、開館した図書館で新聞(朝刊)を読み、自分の記事が掲載されていないかチェックする。駅前の大型スーパーで安めの下着と、一重の目を二重にするアイプチ。駅前のショッピングビルで百円のメガネと充電できる単4電池を購入した。
より大きな地図で 市橋達也生活エリアマップ を表示
11、Googelストリートビューに取材クルー
市橋君が住んでいたマンション:新日本サンライズ行徳の周辺をGoogleストリートビューで観察していると面白いものを発見した。放送局の取材クルーがマンション前で取材活動をしている様がストリートビューに記録されているのだ。
Googleストリートビューの撮影年月は2009年11月となっており、市橋君が大阪南港で逮捕されたタイミングと符合する。たまたまGoogleカーが現場を撮影に来た時に、市橋君が逮捕されたのだと思われる。偶然にしては出来すぎた偶然である。

12、市橋君のメルアドから学生時代のご学友にたどり着く
市橋君が書いたリンゼイ・アン・ホーカーさんの似顔絵には自身の連絡先である電話番号:047-356-7238とフリーのメルアド:whitecover@hotmail.comが添えられていた。日付:03-21-2007とサイン:Tatsuyaも読み取れる。
つまり事件が起こった2007年03月、市橋君はwhitecover@hotmail.comと言うメアドを使用していた事になる。Googleの力をかりてwhitecover@hotmail.comでネット上の情報を検索してみる。
すると・・以下の情報がヒットした。
http://megalodon.jp/2009-1112-1248-33/www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/4906/geobook.html
(cache)NABE-BBSと言う仲間内で使用する掲示板。
書き込みは、最新のもので
yoshie - 2004/06/28 23:45:34
最も古いもので
Kei - 2003/11/08 23:50:59
その中に市橋君が書き残したであるろうメッセージが残っている。
電子メールアドレスの記述がwhitecover@hotmail.comとなっているので市橋君が書き残したものであろうと推測できる。市橋君は卒論のテーマにディズニーランドを選んでいる事もコメントの内容と符合している。
市橋君は2001年に千葉大学に入学してるので、2003年の11月は卒業を控えた大学4年生で、2004年の6月は、大学卒業後の初夏の筈である。どうやらこの掲示板は、市橋君が大学在学中に仲のよかった仲間同士が利用する為にYahooジオシティーズに設置された板が今まで放置されていたのだろう。
また「電子メールアドレス:whitecover@hotmail.com」は2003年から事件が起こった2008年まで約5年間、市橋君が使用し続けた事になる。
市橋君の当時の周辺情報を獲得する手がかりとなる。掲示板に記載されている情報からリンクをたどってみる。
市橋君のメッセージの中にある「佳恵へ ホームページみたけんど」と言う一文を頼りに
上記の佳恵さんのホームページのlinkの欄をチェックすると「千葉大学大学院園芸学研究科・園芸学部」のサイトへのリンクも確認された。」その他「鍋会」のコーナーもチェックしてみたが市橋君の姿は確認できなかった。
一番手前の「よしえ」さんが市橋君がディズニーランドの話をしたがった人物らしい。ちなみによしえさんは日記に当時、カワサキ重工から発売されたTRと言うバイクがお気に入りで免許を取得し、成田山へのツーリングにでかけていた事を書き残している。それから数年後、学生時代の同級生である市橋達也君が殺人犯としてマスコミを騒がす事になろうとは夢にも思わなかっただろう。「よしえ」「もえみ」「あきな」「ようこ」「なみ」「のりお」「りょう」「あや」「まちこ」「たかこ」「ちあき」「ひろし」彼らの記憶の中の市橋達也君はいかなる人物像であったのだろう。
元千葉大学空手部顧問の本山先生が発起人の「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」の過去の投稿(ブログ)に目を通すと、市橋君の千葉大学時代の同級生や、空手部の仲間だった人達からも支援する会に対して支援金が振り込まれていると言う。
秋葉原無差別殺傷事件をおこした加藤智大君同様、英国女性暴行殺害事件をおこした市橋達也君も、一般人となんら変わりない学生時代を過ごしたのであった。普通に生活している普通の人がある日突然「通り魔」となったり「暴行殺人逃亡犯」となったりする現実に現代社会の心の病の影がみえるのである。
以下参考
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Yahooジオシティーズ(geocities)とは?
元々はジオシティーズ社が開始、運営していたサービスであり、ウェブサイトの無料スペースとしては先駆け的な存在である。1996年の売上高はおよそ5万ドルであったが、その1年後の1997年には500万ドルというように、当時その成長には目を見張るものがあった。
Yahoo! JAPAN ID(ヤフー・ジャパン・ID) を所持している人であれば、最大50MBの容量が利用できる(有料会員のジオライトならば300MB、ジオプラスなら1GB)。アダルトサイトや閲覧が制限されるサイトは禁止されている。また、3ヶ月以内の更新が必要とされている。しかし、更新されずに3ヶ月を超えたページでも削除されずにそのまま残り続けているものは非常に多い。
2000年3月に日本のジオシティーズ株式会社はYahoo! JAPANと合併し解散、日本法人の『ジオシティーズ』も『Yahoo!ジオシティーズ』に改名された。
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以上参考
13、市橋君の逃亡経路
市橋君の著書「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」に出てくる地名を追ってGoogle地図にピンをさし、エクセル表に時系列に沿って市橋君の逃亡ルートを追ってみた。
市橋君にしてみれば3年前の記憶を呼び起こしながら書いたものなので、一部記憶がつながっていないところもあり不明瞭な地図となっている。ただ、広域的には、北関東、熱海、青森、新潟、関西、岡山、瀬戸大橋を通り、四国(お遍路)、大分、鹿児島、最終的には沖縄のほぼ無人島(オーハ島)に行き着き、関西の飯場と沖縄を行き来する生活を送る。最終的には福岡と名古屋の整形外科医院からの通報をきっかけに逮捕に至る。
14、千葉大学大学院 本山直樹名誉 教授
市橋君の出身大学からネット上で情報を検索しようとすると「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」なる組織のサイトがヒットする。その趣旨はこちらをご一読願いたい「支援する会の趣旨 」。
ウィキペディアから引用する
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大学時代の部活顧問だった千葉大学大学院名誉教授の本山直樹が「適正な裁判を受けさせる会」を立ち上げ、市橋の自首と募金を呼びかけた。マスコミ報道で大きく報じられたことに胸を痛め、あくまでも適正な裁判を受けさせ、社会復帰への道を、という元教授としての愛情からである。罪状が死体遺棄から強姦致死、殺人へと大きく変わり、国選弁護士として引き続き弁護していくためには費用の面で難しいことを支援の理由に挙げている
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以上引用
秋葉原無差別殺傷事件においても直接事件に関わっているわけではないが、加藤君の周辺にいた人物として、かつての同僚「東洋ワークの大友秀逸さん(青森時代)」「関東自動車工業の派遣社員の月山さん(仮名:静岡時代)」職場の先輩として「八洲陸運の藤川さん(仮名:青森時代)」や、一時、友人関係にあった出会い系で知り合った「青森の女性」、掲示板のサイトで知り合った「群馬の女性」が登場し、各々の立場で加藤君はどういう人間であったのか語っている。
ゲームや漫画の世界でいうところの、サブキャラクター、映画や演劇でいうところの脇役と言った人々である。
市橋君の事件に関しては、市橋君が千葉大学に在籍中、所属していた空手部部活顧問だった本山直樹先生(千葉大学大学院名誉教授)がその任を負っている。重要なので、市橋達也君の適正な裁判を支援する会の趣旨「市橋達也君に適正な裁判を-緊急支援要請」は、本サイトの付録の一項目にも収録した。
大学院の名誉教授と言う公的な立場にある方が、殺人事件の加害者の裁判を支援する会の発起人になったりすれば、各方面から色々なバッシングが起こるのは容易に想像できる。本山先生は、第5回公判に弁護側の証人として出廷した。
以下、法廷記録(一部抜粋)
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弁護人「支援する会を設立し、1年半が経過しました。あなたに対する嫌がらせは?」
証人「たくさんあります」
《本山さんは嫌がらせの実例を挙げた。本山さんはうろたえることなく、しっかりとした口調で話したが、その中身は激しいものだった》
証人「今日もメールでえげつない言葉がありました。ストーカーに相当する電話もあります。午前3時に10回も20回も鳴らされることがあります」
「さらに私の携帯電話番号を使って、通販で購入をしています。架空の住所に送らせるため、運送会社や通販会社から問い合わせが来ます。これらが毎日続いているのです。300回以上です」
《ここで、検察側が「予定時間をだいぶ過ぎている」と声を上げた。男性弁護士は「最後です」と応え、初めて「市橋被告」と呼んだ》
弁護人「後ろにいる市橋被告に対し、どのように言ってあげたいですか」
証人「(身柄が)拘束されているときには接見したかった。ぶん殴って、しかりつけてやりたかった。事実を述べさせ、反省させたかった。今は...」
《本山さんが声に詰まる。涙交じりの鼻声になった。教え子に対する思いがあふれ出ているようだ》
証人「どういう判決になるか分からないが、刑に服して反省し、生きることが許されるなら、20年、30年と成長するように社会貢献してほしい」
弁護人「終わります」
《法廷はここで、いったん休廷した》
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以上引用
本山さんにとって「市橋達也」は、彼が30年間教鞭をとった間に接した巨万(ごまん)といる学生の中の一人に過ぎない。その一人に過ぎない「市橋達也」に対して嵐の渦中に身を置いての支援である。秋葉原無差別殺傷事件が起こった時、加藤智大君に対して多くの報道があった、高校時代の先生や短期大学の教員が在学中の加藤君の成績や生活態度についてカメラの前で「過ぎ去った過去」を語る教育者はいたが、彼らは拘留され裁判を目前にしたかつての教え子の心中をどこまで察していたのだろうか?
「立派になって社会に貢献してくれよ」と卒業生の背中を見送ったあの日の事も既に過去の事なのであろうか?
付録:市橋達也君の件で 本山直樹・・より以下引用する
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元教師として元学生に望むことは、黙秘を続けることではなく、事実を明らかにして罪をきちんと償うこと。その上で、残された人生をしっかりやり直してほしいということ。市橋君にとっては、これから長い年月をかけて贖罪する日々が続くのだろう。千葉大学を定年退職して年齢的にすでに高齢期の私にどこまで見届けられるかはわからないが、生きている限りは元学生の更生を見守り、精神的な支援をしていきたいと思っている。
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以上引用
市橋達也君の適正な裁判を支援する会 の過去の投稿(ブログ)に目を通すと、本山先生が拘留中の市橋君と面会した時の様子が詳細に書かれている。他人を強姦殺害し死体を遺棄し、二年七ヶ月も逃亡し、挙句に逮捕拘留され公判を待つ身の市橋君の心情を察する事ができる貴重な資料である。是非、一読される事をお勧めする。
市橋君にしてみれば、実家から当然の様に敷かれた人生のレールの先にあった筈の医師にはなれず、浪人して入学した横浜国立大学の二部には馴染めず中退。最終的に落ち着いたのが、千葉大学園芸学部であった。市橋君が在学中に所属した空手部の顧問が本山先生だったのだが、本山先生と巡り合えただけでも千葉大学を選んで良かったね(´∀`)と言いたい。
15、美容整形外科への風景(博多編)
下記のYoutube動画は私が実際に博多駅の新幹線の改札口(筑紫口側)から、市橋君が整形手術を試みた「ヴェリテクリニック福岡院」(福岡市博多区博多駅前3-26-5 Mビル1号館8F 0120-394-412)へ徒歩で移動し、実際に市橋君が見たであろう「美容整形外科への風景(博多編)」を撮影公開したものである。7分30秒。市橋君が著書に記述している通り、ヴェリテクリニックは美容整形外科医院であり、動画に記録されている「ヴェリテクリニック福岡院」の系列院として、市橋君に整形手術を施術した後に、警察に通報した「ヴェリテクリニック名古屋院」(名古屋市中村区名駅4-5-20 第二堀内ビルディング5階 0120-451-170)が存在する。
http://www.veriteclinic.com/progress/nose/02.html
16、精神分析的まとめ
市橋達也君の母殺しと再生の儀式
なぜ、まじめで優秀な元千葉大学園芸学部の学生であった市橋達也君(過去1回の逮捕歴有り)が、なんの罪もない英会話学校の教師のリンゼイ・アン・ホーカーさんを自室に誘い込み、強姦し、監禁し、殴り、髪を切り、バスタブに園芸用の土をかけて遺棄してしまったのか?または、そうしなければならなかったのか?
どんなにネット上の記事を読んでも、裁判記録を追っても、謎だった。どうしても千葉大学を卒業後して留学を目指し「英語学習」を続けていた真面目な元学生であった市橋達也君の悪魔的行為の説明がつかなかった。
最後に、市橋君が千葉大学園芸学部時代に所属いていた空手部顧問だった本山直樹さん(東京農業大学客員教授/千葉大学大学院名誉教授)が立ち上げられた「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の活動ブログを読んでヒントを得て、精神分析学を学んでいる私なりの「解」を得たのでここに記す。
精神分析学では「母の存在」が大変重い。いつでも、結局いきつくところは「母」と言うくらい、人の問題行動の根源は「母」なのだ。
まず最初に話の切り口として私の実父の話をします。
私の実父は世間での評判は大変よく、真面目で四人兄弟の末っ子でありながら、老後の祖母に連れ添い最後を看取った所謂(いわゆる)孝行息子であります。祖母は祖父が比較的若くに亡くなった後に再婚するのですが、私の父は祖母の連れ子として養子になっています。ですから、父の兄達とは苗字も異なっています。こういう経緯をみても、母親べったりの末っ子の息子だった事が伺えます。
そんな孝行息子を絵に書いたような私の父ですが、彼はその人生において一度だけ大きな間違いをしでかしました。私が小学校に入学する前の事ですので、もう40年以上も前の事になります。
ある日、私が実家に帰宅すると唐突に母が私にこう言いました「お父さんが事故を起こしたの、近所の人にはいわないのよ!」・・当時どこの家にもあった青いビニール製ひも暖簾(のれん)の向こうから聞こえてきた母の声を今でも覚えています。なにか怒ったようでもあり、小声で秘密めいて私の記憶に残っています。
幼かった私には事の重大性がわかっていなかったのですが「近所にふれまわるのがいけない事なら最初から私に言わなければいいのに」と言う母への憤(いきどお)りを感じたのを覚えています。そして、今まで正しい人、模範とする筈の父が正義の人でなくなった事も薄らわかっていました。
さすがに私にしてみれば実父の人生の最大の汚点について父に面と向かって問いただす事もできず、後年、親戚筋から断片的にきいた情報をまとめると父の起こした事故は以下の様なものだったらしいです。
父はある日、飲酒していたのにも関わらず、知人を駅に送って行く為に、所有していた自動車を運転し、前方不注意でおばあさんをはねて死亡させた。賠償金は祖母が所有していた畑を売り賠償金にあてた。よって、それ以降、より一層、父は祖母に頭があがらなくなり、完全に去勢(きょせい)された。更に、父は罪の償いとしてそれ以降彼の人生において、ただの一度たりとも乗用車のハンドルを握る事はなかった・・らしいです。
後年、父は私の生活態度を注意する度「枕言葉として」、(私は)あんたに説教できる様な人生を送ってないが・・という台詞(せりふ)を吐きました。多分、人身事故を起こした事をずっと負い目に感じていたのでしょう。
父の事故は、時期的には、昭和40年代前半の話であり、世間はまだ飲酒運転にも寛容で、シートベルトの義務化も図られおらず、自動車保険(任意)の加入率も低く、まだまだ日本にモータリゼーション(motorization):自動車文化が成熟していく過程の話です。
私の人生の長きに渡って父の起こした取り返しのつかない「事故」はどう受け止めていいのか?その「意味」はずっと「不明」でありました。
しかし、近年、精神分析学を知り、一つの「意味」を獲得するに至りました。
父の起こした取り返しのつかない「事故」は父の母(私からみると祖母)への愛憎であった・・と。愛と憎しみは表裏一体と申しますが、父の母に対する愛を欲求するコンプレックス(複合観念体)は父が飲酒をする事によって、憎しみへと転嫁し、母に見立てた他人へ向かったのだと。実母を殺したいほど好きだった父は、それを無意識下において巧妙に交通事故を装って他人の命を殺(あやめ)る事によって表現したのだと。
今、この成熟した現代においても、時折、よくわからない事件や事故が起こります。先日起こった事故を引き合いにだすと・・。
例えば・・・
・・とい言う様な、社会的に立場のある方が、ホテルの駐車場内で他人を死亡させると言った通常有り得ない事故(まさかの事故)が実際に起こっています。
こういう事を世間では「魔が差した」と表現したりしますが、精神分析の世界では、物事には必ず道理があり、すべては偶然ではなく、そうなる理由があったと説きます(すべては必然である)。そして、その多くは人の無意識:コンプレックス(複合観念体)が引き起こしていると言います。
話を市橋君が起こした事件に戻します。
裁判記録を読んでも、市橋君が事件を起こした当日の出来事を意識の上にでてくる言葉(市橋君の証言)と物証を並べてみても辻褄が合わない事が沢山でてきます。検事が市橋君に対して「なぜ?」と問うても、市橋君にしてみれば「わかりません」「覚えていません」と答えるしかない事が沢山あります。「裁判で真実を語る」「お話します」と言ってみても、それは飽(あ)くまで意識上に上ってくる「言葉」を並べているだけで、市橋君にしてみれば本当にわからないから「わかりません」と市橋君なりの真実を述べても、検察側からは裁判に不利な事を隠している「不誠実な態度」だと捉えられ、裁判員からは「市橋君の証言は信用できない」と決めつけられ、検察側が描く市橋君の悪魔的ストーリーが必ずしも科学的な裏付けがとれなくても、結果的に市橋君に不利な形で承認されていくのだと思います。
現在の、法廷の仕組みですと、被告の自白は信用されにくく、物証・・いわゆるDNA判定などが決め手になる様な事例が多いのですが、市橋君裁判の様に、加害者と被害者が二人っきりで密室にいた時の犯罪行為を検証して量刑を決定する様な裁判は、一段と難しい判断を迫られる事になります。
なぜ、市橋君は、リンゼイさんと親密になりたかったのか?(当時、交際している女性がいたのにもかかわらず)。
なぜ、市橋君は、リンゼイさんの顔面を殴ったのか?(リンゼイさんを返せなくなるのに)
なぜ、市橋君は、リンゼイさんを死に至らしめた後に、髪を切り、浴槽に土をかけて遺棄したのか?(犯罪の証拠隠滅の手段としては稚拙で意味不明)
なぜ、市橋君は、自首せず、整形手術をしてまで逃げ続けたのか?(彼の逃亡記を読むと逮捕拘留留置服役の方がよっぽど安穏な日々を送れたろうに)
・・などの多くの謎を残したまま、裁判は結審し、市橋君は服役を始めました。
一つの私なりの精神分析的解釈をしますと、今回の市橋君の起こした犯罪行為も、彼の無意識:コンプレックス(複合観念体)が引き起こしたのではないかと思います。
まず最初に市橋君とリンゼイさんが出会ったのが2007年(H19)03月20日(春分の前日)の深夜「最寄り駅の(千葉県市川市の東京メトロ)行徳駅の改札前広場で見かけました」と市橋君は裁判で証言しています。市橋君はリンゼイさんを追って、西船橋駅に向かう電車の中へ。西船橋駅で自転車に乗って走り去るリンゼイさんを走って追いかけ、『大学で美術を学んでいる。自分はストーカーではない。英語を教えてもらいたいだけ』とリンゼイさんの自宅まで追いかけ、リンゼイさんの顔をスケッチし、その絵に自分のメルアドと電話番号を記入しています。その後、市橋君はリンゼイさんは数回に及ぶメールのやり取りをした後に、2007年(H19)03月25日の朝、行徳駅前のドトールコーヒーハウスでリンゼイさんから英会話の個人レッスンを受ける事に成功します。ここで話が終わっていれば何の問題もない日常が過ぎていく筈だったのですが、ここに一つの伏線が存在します。以下に伏線を述べます。
市橋君は、事件前日2007年(H19)03月24日の夜「泊まりにきたい」と言う交際中の女性の電話を断り、翌朝、彼女にも内緒でリンゼイさんの個人レッスンを受けています。この事から推測すると、既に遅くともこの時点から市橋達也君の破滅へのプログラムは動き始めています。何故なら、交際中の女性を部屋に泊めていれば、翌日の早朝にリンゼイさんの個人レッスンを受けた後に、自分の部屋にリンゼイさんを連れ込む事が難しくなるからです。
もっと言えば、市橋君がリンゼイさんに声をかけた2007年(H19)03月20日(春分の前日)の深夜には破滅へのプログラムは作動していた事になります。
私が市橋君と面会が許される精神分析家ならば、市橋君に「2007年(H19)03月20日以前に貴方の身の上に何か普段と変わった事が起きませんでしたか?思い出して下さい」とお願いするでしょう。
例えば猟奇的事件を起こした犯人、この場合も母息子関係が上手くいっていない場合が多いのですが、幼少の頃育ててくれた祖母や祖父が他界してから、小動物を殺し始めるケースがあります。
人は、他人からみればごく当たり前の何げない事で無意識(コンプレックス:複合観念体)のスイッチが入り、問題行動を起こす事があります。
ものすごく簡単な例を言うと、例えば飲酒して他人に迷惑(問題行動を起こす)かける事も同様です。
飲酒して理性(意識)が希薄になった人は、自分の無意識に操られます。日頃、大人しい人が多弁になったり、人に絡んだり、普段なら絶対に言わない暴言を吐いたり、時には全く関係のない人に因縁をつけ暴力行為に及んだりします。周囲に多大な迷惑をかけておきながら、酔いが覚めた後の台詞(せりふ)は決まってこうです「酔っていて覚えてないんです」。他人にあれだけ迷惑をかけて「覚えてない」はないだろう?と・・・しかし、実際に覚えてないものは覚えてないのだから仕方ありません。
常人には意味不明の問題行為の根源は「無意識」なので、他人には全くその意味がわかりません。本人でさえ意識できない「無意識」によってなされた言動ですので、なぜそんな事をしてしまったのか本人でさえ「わかりません、覚えていません」と答えざるを得ないのです。
当時、市橋達也君の何かしらの出来事があって無意識に苛まれる(コンプレックスを刺激される)状態にあったのではないか?と推測できます。
ここで「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」の本山直樹(千葉大学名誉教授)先生の活動ブログから以下を引用します。
更に論告求刑時の市橋君の証言を引用します。
以下引用
以上引用
と言う記述から察せられる事は、市橋君がリンゼイさんに出会う3月20日は市橋君にしてみれば親から見放される直前だった事になります。留学を目指し英語学習に取り組むものの思うような成果があがらず、もんもんとした不安定な精神状態の中で、なぜ市橋君があの様な悪魔的、猟奇的犯罪を起こしてしまったのか?きっと、もう一つ大きなポイントがある筈です。
更に、市橋君が千葉大学の学生時代に起こした窃盗事件に注目してみます。この事件についての市橋君の証言をきいて「ん?」と思われた方が多いのではないでしょうか?こういう言い方をすると語弊(ごへい)があるのですが、軽微な窃盗事件で将来のある医者の息子が警察に2週間も拘留されるでしょうか?初犯で「つい出来心的」な犯罪の場合、被害者の方へ謝罪し、示談で刑事告訴をしないようにしてもらえば、殆どの場合一晩拘留される程度で終わるのではないでしょうか?このことから推測される事は「市橋君とその両親の関係」がなり希薄なものではなかったか?と推測できます。
秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大が事件を起こしたきっかけは、加藤智大が利用していた携帯電話の掲示板サイトが荒らされた事を「本当にやめて欲しかった」とアピールする為でした。世間の常識からすれば「たかが携帯電話のサイトを荒らされたくらいで・・」となるのですが、事件を起こした加藤智大にすれば、携帯電話の掲示板のサイトでの人間関係が何者にも優先して守らなければならなかったのです。なぜそうなってしまったのかは過去の月刊精神分析で考察してきました。
ここから、精神分析的視点からの大いなる仮説です。
市橋達君は、父は外科医、母は歯科医、市橋家は岐阜では有名な資産家だと言う。
世間から見れば市橋君は恵まれた環境に生まれ育ったボンボンであると言う見方がされがちであるが、実際にはそうなのであろうか?両親が医者であるが故に、幼少の頃から医師になる事を強制され続けた・・自己の主体を奪われ続けた・・自分自身を殺され続けた・・そんな不自由な生き方を運命として生きてきた人ではなかったのか?
結果、医師にはなれず、4浪の後に入学したのは、千葉大学園芸科だったのである。
この時点で、医師・市橋達也は死んでしまった(殺された)のである。
さて、ここで、市橋達也君は殺されたままではいられなかった。なんとかして生き返る、生まれ変わる事を試みるのである。
市橋君の無意識:コンプレックス(複合観念体)は、もう一度、両親の関心を自分に向けさせようとします。それが、学生時代14日間行徳警察署に拘束されたネットカフェでの窃盗事件であったわけです。
幼い子供が母親の関心を引くために「イタヅラ」をする事と同様に、市橋君は問題行動を起こす事によって、無関心な親の関心を引こうとしたわけです。
市橋君は逮捕されるものの不起訴処分になり、無事4年間で千葉大学を卒業したわけですが、就職はしていません。就職氷河期中で思うような待遇の職がみつからなかったのか「就職浪人」「ニート」になります。当時、交際中の女性の言葉を鵜呑みにすると、市橋君は海外の大学への入学を目指し、独学での英語勉強に没頭していた。いわゆるモラトリアム期間であったそうです。
そんなモラトリアム状態の市橋君に市橋君の両親は市橋君に最後通告を突きつけます。月々12万円の仕送りは3月一杯で終了。更に、祖父母名義で市橋君が住んでいた「新日本サンライズ行徳」も出て自活する様に・・。
完全に親から見捨てられた状態である。
この時点で市橋君の無意識:コンプレックス(複合観念体)のスイッチが入ったのではないでしょうか?
2007年(H19)03月20日(春分の前日)の深夜リンゼイさんと出会う。
数回のメールのやり取りの後、個人レッスンの約束を取り付ける。
2007年(H19)03月24日の夜「泊まりにきたい」と言う交際中の女性の電話を断る。
2007年(H19)03月25日の朝、行徳駅前の喫茶店で個人レッスン。
レッスン料を忘れたとタクシーでマンションへ。
リンゼイさんをレイプ、結線バンドで拘束、監禁。
2007年(H19)03月25日の夜、暴行、絞殺、ベランダに置いたバスタブに殺したリンゼイさんを入れて上から砂をかけて遺棄。捜査員を振り切って逃走。
結果、市橋君の両親は医師を退職する事を余儀なくされる(市橋君の両親に対する復讐)。上記の動きをみると、市橋君のした事は、緻密に計画的に英国人女性をレイプし完全犯罪をしようとしたものではないし、リンゼイさんを殺害し死体を隠匿して逮捕を逃れようとしたものでもありません(あまりに合理的な説明ができない事ばかり)。
むしろ、追い詰められた精神状態であった市橋君が無意識:コンプレックス(複合観念体)に操られてしでかしてしまった事件とした方がよっぽど合理的な気がします。
それでも情報不足から説明がつかない事。
1、なぜ、英国人女性を対象としたのか?
想像を飛躍させると、本当は市橋君は母親を殺したかったのをリンゼイさんを身代わりにして、自分の母に対する愛憎を表現した?
2、市橋家の家族関係の詳細が不明の為、市橋君の無意識の構造が解明できない。
3、なぜ、市橋君がリンゼイさんの服や髪を切ったのか?意味不明。
何か儀式的な意味を込めているのかもしれないが、市橋君からキーワードを聞き出す事ができない。
4、死亡したリンゼイさんをバスタブに入れ砂に埋めたのか?まるで植物(球根)を植える様に。
これも想像を飛躍させると、リンゼイさんを母の身代わりにした「母殺しの儀式」であったのと同様に。植えた球根がやがて芽を出すような「母の再生の儀式」ではなかったか?
17、おわりに
今回の月刊精神分析は、市橋達也君を取り上げました。市橋君の著書を切り口に謎の多い事件を考察する方向だったのですが、情報を集めていくと、事件当日の市橋君の生活環境と精神状態を推し量る事ができ、ある程度の推考をする事ができました。
特に、市橋君が千葉大学に在学していた時の空手部の顧問であった本山直樹さんが記述された「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」のブログは考察する上で多くのヒントを提供していただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
市橋君の生き様も、秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大さんと同様に、最初から親によって主体を奪われ、レールをひかれた人生であったわけです。
市橋君の場合は、医学部受験に失敗し、横浜国立大学の二部に入学するものの中退。最終的に4浪の後、千葉大学に入学し、無事4年で卒業するものの、順調に社会参入というわけにはいかずモラトリアムに突入していきます。
留学を目指し独学で英語を勉強している最中に、実家から仕送りの打ち切りと自活の開始を強制される・・その最中にリンゼイさんを強姦し殺害、遺棄する事件がおこります。
当初、マスコミで報道されていたボンボンのニートが起こした無軌道な事件とは随分印象が異なった市橋像が浮かび上がりました。
現在、市橋君は無期懲役の判決を受け、受刑中です。
もし・・・なになにたら・・と言うのは言っても仕方がない事なのですが、市橋君の両親と市橋君の関係がもう少し違ったものだったら、この事件は起きなかった、いや、起きる理由がなかった様に思います。
市橋君には才能とセンスと能力があるだけに、彼の人生を刑務所の中で燻(くすぶ)らせておくのはもったいないと思うのです。が、彼がしてしまった事の償いもありますのでどうする事もできません。
今回は、複雑な心境のままペンを置くことになりました。
平成25年01月24日 月刊 精神分析 編集部A
感想は、lacan.fukuoka@gmail.comまでお願いします。
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英国女性殺害 初公判(2011年07月04日)
【英国女性殺害 市橋被告初公判(1)】
入廷いきなり土下座 殺意否認し「裁判で話すことが義務」
2011.7.4 14:39 [英国女性殺害 初公判]
(13:15~13:35)
《若い外国人女性の殺害、逃亡、整形、逮捕後の断食、逃亡手記...。国内メディアだけでなく海外でも大々的に報じられてきた男がついに裁かれる》
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で殺人と強姦(ごうかん)致 死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判が4日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まった》
《市橋被告は19年3月、自宅マンションを訪れた捜査員を振り切って逃走。その後、建設会社の住み込みなどで働き、稼いだ金で顔に整形手術を施すなどして逃亡生活を続けていたが、21年11月に大阪のフェリー乗り場で逮捕された》
《逮捕後はしばらく、お茶以外に手をつけず、断食を敢行。医師から栄養剤の投与を受けたこともあった。事件についても語らなかったが、殺人と強姦致死罪で の起訴直前、「リンゼイさんが『帰りたい』と言って大声を出したので首を絞めた。殺すつもりはなかった」と口を開いた》
《今年1月には、約2年7カ月に及んだ逃亡生活についてつづった手記を出版。沖縄県久米島近くの離島で野宿生活を送っていたことなどを明かしたが、殺害の経緯や動機などについては触れられておらず、市橋被告が公判で何を語るかが注目される》
《千葉地裁にはこの日、57席の傍聴券を求めて975人が列を作った。事件発生から4年以上が経過しているが、依然、注目度の高さをうかがわせる》
《午後1時12分、千葉地裁最大の201号法廷に、堀田裁判長と2人の裁判官が入廷してきた。裁判員はまだ入廷していない》
《午後1時17分、向かって右側の扉から、「(市橋被告の)悪魔の目を日本に行って確かめたい」と話していたリンゼイさんの父、ウィリアムさんと 母、ジュリアさんが入廷。右側の検察官席の後ろにゆっくりと腰掛けた。2人とも険しい表情だ。2人は証人として出廷するほか、被害者参加人としても公判に 参加する》
《公判はすべて通訳を交えて行われるため、ウィリアムさんらは耳にイヤホンを装着した》
《続いて法廷の後方からリンゼイさんの姉妹ら3人が入ってきて最前列の傍聴席に着席した》
《午後1時19分、向かって左側の扉から、市橋被告が入ってきた。うつむき加減で傍聴席には視線を向けず、中央の証言台の前に来ると同時に、リンゼイさん の両親に向かっていきなり土下座した。ウィリアムさんは、顔を紅潮させて、指を突き立てるしぐさを見せ、市橋被告への怒りをあらわにした》
《市橋被告は警備の係員に抱きかかえられるようにして立ち上がり、証言台の前の長いすに座った。黒い長袖シャツに、黒っぽいジーンズのようなズボン姿だ》
《市橋被告が公衆の前に姿を見せるのは、逮捕2日後に送検されたとき以来、約1年8カ月ぶりだ。このときは、ほおがこけ、長い髪が整形で高くした鼻のあたりにまで垂れ下がっていた。目の前の市橋被告は、髪は長めでぼさぼさだが、ややふっくらとした印象だ》
《裁判所職員が「起立願います」と大きな声を上げると、正面の扉から6人の裁判員が入廷してきた。全員男性で一様に緊張した様子だ。堀田裁判長を含め、3人の裁判官の両サイドに3人ずつ並んで座った》
《堀田裁判長が通訳の女性に対し、法廷に出廷する証人に求めるものと同様の宣誓を求め、通訳は日本語で宣誓した後、リンゼイさんの両親らに向け、英語でも宣誓した》
裁判長「それでは開廷します。被告人は証言台の前に来てください」
被告「はい」
《市橋被告が小さな声を上げ、中央の証言台の前に立つ。人定質問が始まる》
被告「市橋達也です」
《市橋被告はか細い声で答える》
裁判長「生年月日は?」
被告「昭和54年1月5日です」
《堀田裁判長は本籍地や住所を確認した上で続ける》
裁判長「職業は?」
被告「ありません」
《続いて堀田裁判長に促され、男性検察官が立ち上がり、起訴状の読み上げを始めた。市橋被告は手を前にぶらっとさせ、立ったまま聞き入っている》
《起訴状によると、市橋被告は19年3月25日ごろ、自宅マンションでリンゼイさんの顔を何度も殴り、両手などをテープで縛って乱暴した上、首を絞めて殺害。同26日ごろ、リンゼイさんの遺体をベランダの浴槽に入れて土で埋めるなどして遺棄したとされる》
《起訴状の読み上げが終わり、堀田裁判長は市橋被告に黙秘権などについて説明した。そして注目の罪状認否に移る》
裁判長「2通の起訴状のうち、まず1通目の強姦致死と殺人についての公訴事実について、違っているところはありますか」
《市橋被告は、しばらく沈黙した後、消え入るような声で語り始めた》
被告「私はリンゼイさんに対して殺意はありませんでした。しかしリンゼイさんの死に対し、私にはその責任があります。私はその責任は取るつもりです」
「リンゼイさんを姦淫したのは私です。リンゼイさんに怖い思いをさせて死なせてしまったのは私です。本当に申し訳ありませんでした」
《最後に軽く頭を下げた》
《通訳の説明に耳を傾けていた父のウィリアムさんは、市橋被告をにらみ続けている》
《通訳が終わると、堀田裁判長が市橋被告に尋ねる》
裁判長「少し確認しますが殺意はなかったということですね」
被告「はい」
裁判長「あなたの行為によって死亡したことは認めますか」
被告「はい」
裁判長「それから姦淫したことは認めますね」
被告「はい」
裁判長「起訴状には、リンゼイさんの顔面をげんこつで多数回殴ったり、緊縛したり、頚部(けいぶ)を圧迫したりとありますが、これらについては違っているところはありますか」
《市橋被告は10秒ほど沈黙した後に語り始めた》
被告「事件の日に何があったか知っているのはリンゼイさんと私しかいません。でもリンゼイさんは私のせいで何も話せません。事件の日に何があったかは、これからの裁判で話していくことが私の義務だと思います。今の質問には、これからの裁判で詳しくお話ししていきます」
《堀田裁判長は、続いて2通目の死体遺棄に関する起訴状についても尋ねる》
堀田裁判長「違っているところはありますか」
《市橋被告はまたしばらく沈黙した後に話し始める》
被告「リンゼイさんの遺体を遺棄したのは私です」
《弱々しい声ながら、自らの主張を話した市橋被告。リンゼイさんの両親は引き続き、市橋被告に厳しい視線を向けていた》
【英国女性殺害 市橋被告初公判(2)】
リンゼイさんが被告宅に行ったのは...「レッスン料忘れた」口実に連れ込み
(13:35~14:05)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判は市橋被告の罪状認否が終わった》
《殺意を否認する市橋被告の主張に、検察官の後ろに座る父親のウィリアムさんは険しい表情のまま首を振っていた。堀田真哉裁判長に促されて男性検察官の冒頭陳述が始まった。裁判員や遺族らには概要が書かれた紙が配られている》
検察官「被告は26歳で大学を卒業して、事件当時は28歳で無職でした」
《検察官はまず市橋被告とリンゼイさんの略歴について簡単に説明する。リンゼイさんは1984(昭和59)年12月にイギリスで次女として生まれ、大学では生物学を学んだ。日本で英会話教師になるために平成18年10月に来日した》
検察官「続いて犯行のいきさつについてです。19年3日20日から21日に日付が変わったころの夜、東京メトロ東西線の行徳駅から西船橋駅に向かう電車の 中で、市橋被告はリンゼイさんのことをじっと見つめていました。リンゼイさんが自宅最寄りの西船橋駅で降りたら市橋被告も降り、自転車で帰宅するリンゼイ さんを走って追いかけました」
「市橋被告は『水を飲ませてほしい』という口実で家に上がり込みました。家には同居人の ○○さん(法廷では実名)がいました。リンゼイさんと○○さんは市橋被告に早く帰ってほしいと思っていましたが、市橋被告は居座りました。市橋被告は『英 語を教えてほしい』といい、リンゼイさんの連絡先を聞き、21日午前1時ごろにリンゼイさんの家を出ました」
《裁判員たちは検察側から配られた手元の用紙を見つめながら検察官の言葉に耳を傾ける》
《市橋被告は22日にメールで『英語を教えてほしい』と伝え、2人は24日までのメールのやりとりで1時間3500円の授業料を条件に、25日午前9時から行徳駅付近で英会話レッスンを行うことを約束した》
検察官「市橋被告は3月25日午前9時前に駅前でリンゼイさんと会い、駅前の喫茶店でレッスンを受けました。市橋被告は自宅に連れ込んで強姦するために『レッスン料を家に忘れた』と言ってリンゼイさんを自宅に誘い出しました」
《リンゼイさんが市橋被告の家に行った理由が初めて明らかになった。リンゼイさんは同日午前10時50分から英会話学校でレッスンの予定があったため、市橋被告のマンション内のエレベーターではしきりに腕時計を見るなど時間を気にしていたという》
検察官「市橋被告は部屋に入り、リンゼイさんの顔を殴りつけ、結束バンドと粘着テープで手首を縛り、強姦しました。その後、首を圧迫して窒息死させまし た。26日夕方に外出して園芸用の砂を購入。(取り外しが可能な)浴槽にリンゼイさんを入れてベランダに運び、土を入れて遺棄しました」
《リンゼイさんの母親、ジュリアさんは鋭い目線で市橋被告の横顔をにらむ。市橋被告は微動だにしない》
検察官「26日午後9時半ごろ、警察官が市橋被告の家を訪ねてきました。市橋被告はすきを見て逃走しました。そして市橋被告は2年半にわたり逃走していました」
《市橋被告は21年11月10日、大阪のフェリー乗り場で身柄を確保されるまで顔を整形したり、土木現場で働いたりするなどして、逃亡生活を送っていた》
検察官「最大の争点は殺意の有無です。弁護側はリンゼイさんが声を出すのを止めるために市橋被告が首に手を回して死亡させたとしていますが、検察官は次の 点から殺意があったと主張します。1、市橋被告が3分程度、リンゼイさんの首を相当程度の力で圧迫していました。2、リンゼイさんを強姦した後、犯行発覚 を防ぐという殺害の動機がありました。相当程度の力で3分間、首を圧迫したことは遺体の解剖を行った医師の証言で立証します。医師は明日、証言します。重要なので良く聴いていてください」
《検察官は裁判員裁判を意識して、裁判員たちに訴えかける。裁判員たちは顔を上げて応じた》
検察官「強姦致死が成立するかも争点になっています。弁護側は強姦から死亡するまで時間が経過しているため、強姦致死は成立しないとしています。しかし市橋被告がいつでもリンゼイさんを強姦できるように縛り続けていたことなどから、強姦致死が成立すると考えています」
《検察官は情状面として、結果の重大性、犯行の粗暴・残酷さ、身勝手で自己中心的な動機、遺族の処罰感情が峻烈なことを述べて冒頭陳述を終えた。続いて男性弁護人が冒頭陳述のために立ち上がり、証言台まで移動した》
弁護人「市橋被告は強姦、傷害致死、死体遺棄の事実を認め、罪をつぐなう気持ちです」
《弁護人は検察側と同様に市橋被告とリンゼイさんがレッスンを行うまでの経緯を簡単に説明した》
弁護人「市橋被告は(レッスンに間に合わせるため)朝早く自宅を出ましたが、慌てていて家にレッスン料を忘れました。レッスンを終えて財布にレッスン料が 入っていないことに気づき、リンゼイさんに『お金を取りに戻りたい』と頼み、タクシーに乗って家に向かいました。最初は自宅近くにタクシーを止めて、運転 手に『5、6分待ってください』と頼みましたが、断られました。そして2人で家に向かいました」
《強姦目的で家に連れ込むため、『レッスン料を忘れた』と言ったとする検察側の冒頭陳述と真っ向から対立した主張となっている》
弁護人「部屋に入り、玄関のところでリンゼイさんに抱きつきましたが拒絶され、もみ合いになって押し倒し、強姦しました。このとき顔は殴っていません。抵抗できないようにするため両手首を縛りました」
弁護人「その後、リンゼイさんを4畳半に連れて行き、取り外した浴槽を持っていって、その中に入れました。リンゼイさんは裸だったので、灰色のパーカーを着せて、さらに上着をかけました」
《弁護側が強姦の状況、その後の2人のやりとりについて詳細に述べていく。母親のジュリアさんは両目を手で覆った》
【英国女性殺害 市橋被告初公判(3)】
殴られ、たじろぐ被告 覆い被さると...弁護側が死亡の経緯詳述
(14:05~14:15)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判は弁護側の冒頭陳述が続く》
《市橋被告は自宅マンションでリンゼイさんを強姦後、4畳半の室内に連れて行った。男性弁護士が死亡した経緯について読み上げていく。市橋被告は殺人罪に問われているが、あくまでも「死なせてしまった」とする主張だ》
弁護人「リンゼイさんは(19年3月)25日深夜近くになって『持病がある。薬を飲まないと』と訴えました。被告はパソコンで病気と薬の名前を検索しました」
《さらに弁護人は、市橋被告に当時、交際していた女性がいたことを明らかにした。市橋被告は交際女性が自宅に訪れることを恐れていたという》
「被告は女性に『1週間会えない』とメールしました」
《その後、弁護人はリンゼイさんが死亡した経緯について、市橋被告の室内での行動を生々しく再現する》
弁護人「(交際女性に)メールを送ったのが(3月26日)午後0時半ごろ。その後、被告は眠ってしまいました。26日午前2時から3時ごろに目を覚まし、(リンゼイさんを拘束した)バンドが締まっているか、確認しようと近付きました」
《市橋被告が眠っている間、リンゼイさんは手足を結束バンドで縛られ、4畳半の室内に置いた浴槽の中に放置されていた》
「バンドが足に着いているのを確認しましたが、浴槽をみると、手が外れていました。その時、突然、リンゼイさんが被告の顔面を殴りました」
《市橋被告はうつむいたまま、冒頭陳述に聞き入っている。感情の変化はうかがえない》
「被告はたじろぎました。リンゼイさんは浴槽を倒し、逃げだそうとしたのです」
《はうようにして進んだリンゼイさん。「リンゼイさんの大声が、隣人に聞こえるかもしれない」。これ以上の声を出されることを恐れた市橋被告はリンゼイさんに近付いていった》
弁護人「被告は後ろから近付き、左手で口をふさぎました」
《リンゼイさんはそれでも大声を出し、前に進もうとしたという。男性弁護人は身ぶりを交えながら説明する。裁判員らは真剣な表情で聞き入っている》
「今度は左腕を顔に巻くようにしました。それでもリンゼイさんが声を出し続けたため、上半身に覆いかぶさりました」
《体重をかけていた市橋被告だが、異変に気付く》
「リンゼイさんの目の焦点が合っていませんでした」
《市橋被告は心臓マッサージと人工呼吸をしたというがリンゼイさんの意識が戻ることはなかった》
弁護人「それが、26日午前2時から3時ごろの間です。被告はショックを受けました」
「何がなんだか分からなくなった被告は、疲れて寝てしまいました」
《男性弁護人は市橋被告がベランダにリンゼイさんの遺体を遺棄したことは認め、裁判員に向け「審理に当たっての注意点」を呼びかけた》
弁護人「被告が逃げたことから供述が得られない状態で捜査が進んだわけです。(事件の構図は)捜査員が見立てでまとめたと考えます」
《男性弁護人は捜査がこのように進んだ経緯について「やむを得ない」とした上で、客観的証拠が無視されていると主張。捜査の問題点を指摘する》
《5日に証人として出廷する司法解剖医の主張にも「鑑定で分かった点、分からなかった点」に注意してほしいと呼びかけた》
弁護人「被告は2年7カ月間逃亡しました。(裁判員らも)ニュースを見て、頭に入っていると思います。ただ、事実と証拠に基づいて審理してほしい。公判では殺人と強姦致死に反する証拠が出てくる。良く考えてほしい」
《弁護側の冒頭陳述が終了した。その後、堀田真哉裁判長が公判前整理手続きの結果について説明。強姦致死と殺人について争いがあることや、今後の日程について確認した》
《午後2時15分に休廷。市橋被告はうつむきがちで、表情は読み取れない》
【英国女性殺害 市橋被告初公判(4)】
「美しくても鼻にかけることなく、優しい子」 親友の証言に両親が涙
(14:43~15:10)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判は約30分間の休 廷の後、予定の時刻より3分ほど遅れて審理が再開した。市橋被告は入廷すると、向かって右側の検察側の席の後ろに座るリンゼイさんの両親に深々と頭を下げ た。しかし、父親のウィリアムさんは一瞬のけぞるようなしぐさをみせたが、厳しい視線を投げかけた。母親のジュリアさんは市橋被告の方を一切見ようとしな かった》
《検察側の証拠調べが始まる。女性検察官がリンゼイさんと一緒に来日した英国籍の親友の△△さん(法廷では実名)の調書を読み上げていく。内容は来日の経緯とリンゼイさんの人柄などだ》
検察官「来日した経緯についてお話しします。私(△△さん)はリンゼイさんのことをリンズーと呼ぶほど親しかった。リンズーは日本の英会話学校で英会話の教師になるために来日しました」
「日本の英会話学校を選んだ理由は、その学校の待遇がよかったことと、東京の景色がエキサイティングだったこと、日本は治安がよく、安全だと聞いていたからです」
《英国の大学で知り合ったという2人。日本で英会話教師になることを決めた2人は平成18 年10月に一緒に来日する。△△さんによると、リンゼイさんは知的好奇心が強く、日本でも多くの人と知り合いたい、いろんな知識を吸収したいと考えてい た。日本のことが気に入り、1年間の予定だった滞在の延長も希望していたという》
検察官「リンズーは英国に戻ったら、小学校の教師になるのが夢だった。日本での経験を生かしたいと話していました」
《日本での勤務地は英会話学校が決めるため、2人の勤務地は別々だったという。しかし、メールや電話では頻繁にやりとりを繰り返していた。そのやりとりの中で、リンゼイさんは△△さんに知らない男に追いかけられたと告白していた》
《19年3月20日夜、2人は千葉県市川市の行徳駅前のバーで一緒に飲食した後、リンゼイさんが『終電がなくなるから帰る』と言って先に帰宅。その後、数時間後の21日深夜に△△さんに電話をかけ、異変を伝えてきたという》
検察官「21日午前1時12分に7分17秒の通話記録があります。そのとき、リンズーは、ねぇ、聞いて。すごく変なことがあったの。知らない男が私のこと をずっと見つめてきて、話しかけてきたの。男は『洗濯機を直したのは僕です。僕のことを覚えていませんか』って言っていたわ、と話していました」
《この会話の男は市橋被告とみられる。男はリンゼイさんに英会話の講師になってほしいと話し、(東京メトロ)東西線西船橋駅からリンゼイさんの家までついてきたという》
検察官「リンズーは男を家に上げたと話していました。私(△△さん)が『なんでそんなことをするの』と話したら、リンズーは『息を切らして、英語の講師に なってと言っていて、かわいそうだったの』って話していました。優しい子だからかわいそうだったのでしょう。日本が安全な場所と信じ切り、英国にいたとき ほどの警戒心がなくなっていたというのも事実です」
《リンゼイさんと市橋被告の最初の接点だと思われる状況が、親友の調書を通じて明らかになってくると、裁判員らの表情は次第に険しさを増した。市橋被告は微動だにしないまま、前を向いてうつむき、検察官が読み上げる調書に耳をかたむけている》
《2人は頻繁にメールや電話のやりとりを続けていたが、3月24日の夜を境に一切連絡が取れなくなったという。△△さんは警察に相談したが、そこでリンゼイさんが殺害されたことを聞かされたという》
《続いて、リンゼイさんの人柄に話が移る》
検察官「リンズーはとても美しかったが、それを鼻にかけることはせず、自分に誇りをもっていた。とても優しい子で、自分(△△さん)が入院したときはクリスマスでも駆けつけてくれた。とても優しい子だった」
《人柄についての話が続くと、検察側の後ろに座っている両親は、大粒の涙を流し、懸命に目頭をハンカチでぬぐっていた》
《その後、市橋被告とリンゼイさんのメールのやりとりが報告された。市橋被告が声をかけた翌日の(3月)22日から、犯行前日の24日夜まで、計7回のやりとりがあったという。メールはいずれも英文で送られていたが、法廷では日本語に訳されて読み上げられた》
検察官「3月22日午後5時ごろ、市橋被告からリンゼイさんに『英語を教えてください』という件名で送られていました。内容は『こんにちは。火曜日にあなたと話した者です。家に招き入れてくれてありがとう。今週末、話す時間はありますか』などというものでした」
《このメールに、リンゼイさんは週末の土曜か日曜に応じると答えた。また、1回のレッスン料は3500円と伝えたという。リンゼイさんは市橋被告と25日午前9時に行徳駅の喫茶店で会う約束をした》
《その後、約束の喫茶店の防犯カメラの様子が明らかにされた。2人が喫茶店で英語のレッスンのようなことをしているのを、店員が目撃していたという》
検察官「その後、2人は行徳駅からタクシーに乗り、市橋被告の自宅マンションに向かいました。タクシー運転手の供述によると、2人は人1人分あけ、会話がなかったそうです」
《その直後の25日午前9時54分ごろ、自宅マンションの防犯カメラには、2人が市橋被告の部屋のある4階で一緒にエレベーターから降りる様子が、映し出されていた》
【英国女性殺害 市橋被告初公判(5)】
「浴槽の土の中に白い肌色の皮膚...」 遺体発見状況に体震わせる遺族
(15:10~15:35)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人などの罪に問われた市橋達也被告(32)の裁判員裁判は検察側の証拠調べが続く。法廷の大型モニターには、殺害現場 である市橋被告のマンションの防犯カメラの映像などが映し出され、女性検察官から殺害当日の状況が説明される》
《モニターには、リンゼイさんが殺害された平成19年3月26日午後6時ごろ、マンションの駐車場で、市橋被告がショッピングカートから何かを運ぶ様子が映し出されている》
検察官「市橋被告は5回ほど部屋と駐車場を往復した後、駐車場にカートを残して部屋から出てきませんでした」
《大型モニターの映像が消える》
検察官「これから、被告とリンゼイさんが2人で写っている姿を見ていただきます」
《大型モニターに、雨の中、マンションの近くを市橋被告とリンゼイさんが歩いている様子が映し出される。ニット帽を被り、傘を差さずに歩いている市橋被告の後ろに、白い傘を差したリンゼイさんがついていく。2人の身長を比べると、リンゼイさんがやや大きく見える》
検察官「エントランスの様子です」
《画面が切り替わり、マンションの玄関の映像になる。後ろを振り向くことなく、市橋被告は足早に玄関を通過する。リンゼイさんは傘をたたむために、やや遅れて市橋被告とエレベーターに乗り込んだ》
検察官「エレベーターの中の様子です」
《エレベーターの内部の様子が映し出される。先に乗り込んだ市橋被告が、リンゼイさんを待って、4階のボタンを押す》
検察官「リンゼイさんの様子にご注目ください」
《リンゼイさんは、そわそわした様子で、しきりに左手首に目をやっている。時間を気にしているようだ。リンゼイさんの母、ジュリアさんは殺害される直前の娘の姿に、目頭を覆っている》
《男性検察官に交代し、画面が切り替わる》
検察官「リンゼイさんの勤務状況について説明します」
《検察官が、リンゼイさんの同僚男性の供述調書を読み上げる》
検察官「事件当日、英会話学校を無断欠勤したのを聞いて何度も電話を掛けたが、留守番電話になってしまって1度も繋がらなかった」
《大型モニターには、同僚男性から提出された、リンゼイさんの勤務状況表が映し出される》
検察官「リンゼイさんは25、26日に無断欠勤をしている。ほかに無断欠勤は1つもなく、真面目に働いていた」
《次に検察官は、市橋被告のマンションから、リンゼイさんの勤務先までの時間を述べた》
検察官「電車で30分、自動車で25分ほどです」
《大型モニターに、殺害当日、市橋被告が近所のホームセンターで購入したものの内容が映し出される》
検察官「購入したものは、赤玉土14リットルが4袋、園芸土25リットルが2袋、シャベルが1個、発酵促進脱臭剤が2個、脱臭剤が2個、苗木が1本」
《検察官は、リンゼイさんの遺体を発見した千葉県警船橋署の刑事の供述調書の内容を大型モニターで示す》
検察官「これから、被告が職務質問された状況、被告が逃走した状況、リンゼイさんの遺体発見当時の状況について説明します」
《大型モニターに、『被告が職務質問された状況』と、大きく映し出され、検察官が刑事の供述調書を読み上げる》
検察官「(3月26日)午後8時15分ごろ、リンゼイさん失踪の相談を受けた生活安全課の署員と刑事部の署員数人で、被告のマンションに到着。失踪の原因に、リンゼイさんが最後に目撃されたとき、一緒にいた被告が絡んでいる可能性があるとのことだった」
《検察官は、大型モニターに『逃走した時の状況』と示しながら、市橋被告が部屋の扉から顔を出した時の状況について読み進めた》
検察官「セーターを着て、クリーム色のリュックサックを背負った若い男が部屋から出てきて、市橋被告だな、と思った。職務質問をするのに、マンションの共 用の廊下上では都合が悪く、被告の自室の状況も確認したかったので、『中に入って話を聞こうか』と言った。被告は、いきなりリュックサックを肩から下ろす と、署員を押しのけて、すごい勢いで走り出し、非常階段を降りていった。私は『逃げたぞ』と叫んで追いかけたが見失った」
《検察官は、大型モニターに『遺体発見の状況』と示しながら、刑事が市橋被告の部屋からリンゼイさんの遺体を発見した状況について読み進めた》
検察官「リンゼイさんの安否確認をしなくてはならないと思って、被告の部屋に戻った。玄関を開けると、大きな女性用の黒い靴が置いてあり、リンゼイさんは ここにいると直感した。そばのゴミ箱に、銀色の接着テープと、結束バンド、明るい茶色の髪の毛が絡まっているのを発見し、リンゼイさんに危害が加えられて いるのを確信した」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんが市橋被告をにらみつける。市橋被告は微動だにしない》
検察官 「リンゼイさんを保護しようと各部屋を確認したが、リンゼイさんはいなかった。浴室の浴槽が外れているのに気付き、確認していないベランダを回ったとこ ろ、浴槽が置いてあった。一緒にいた署員が浴槽に詰まっていた土を軽くなでると、白い肌色の皮膚がみえた。触っても反応がなく、土が盛り上がったり下がっ たりと呼吸をしている様子もなかったので、土に埋まっているのは人間の遺体だと分かった」
《生々しく明らかにされるリンゼイさんの遺体発見当時の様子に、母のジュリアさんが、体を震わせ、顔を覆って泣き出した》
【英国女性殺害 市橋被告初公判(6)】
モニターに映された犯行時の避妊具 遺族は顔を覆った
(15:55~16:20)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判は、いったん休廷 に入ったが、約20分後に再開した。入廷した市橋被告は検察側の後ろに座るリンゼイさんの両親に向かって深々と頭を下げた後、被告人席に着席した》
《引き続き検察側の証拠調べが始まり、女性検察官は事件当時、市橋被告が交際していた女性の供述調書を読み上げ始めた。供述は事件があった平成19年3月25日前後に関するものだ》
検察官「24日午後11時ごろ、達也に電話をしたら家にいました。『泊まりに行きたい』と伝えたら、『今日はスポーツジムに行って疲れたから1人で寝た い』と言われました。ただ『ご飯だけならいい』といわれたので、(市橋被告の住む)マンションまで迎えに行き、近くで焼き肉を食べました」
《市橋被告は焼き肉が好物だったが、この日はあまり食が進まない様子だったという。食事の後は近くの海岸までドライブをした後、市橋被告のマンション前で別れたという。そして供述は事件当日の3月25日に移る》
検察官「達也の家に電話をしましたが出ませんでした。達也から26日午前0時38分にメールが届きました」
《ここで法廷内の大型モニターに交際女性の携帯電話を撮影した写真が映し出される。携帯の画面には市橋被告が女性に送ったメールの文章が出ており、男性検察官が読み上げる》
検察官「××へ(法廷では実名) 達也です。電話くれた? これから1週間ぐらい部屋にこもって勉強します。××には悪いけど、1週間電話を取らない。でも信じてください。メールは構わないです。ではでは」
《市橋被告は以前から部屋にこもって勉強をすることがあったため、女性は市橋被告のメールを不審に思わなかったという。市橋被告は出版した手記の中で、警 察官から逃走した直後に公衆電話を見つけ、車を所有していたこの女性と一緒に逃げたくて電話したが、話し中だったため断念したことを明らかにしている》
《続いて検察官は犯行現場となった市橋被告の住むマンションの状況について説明を始めた。大型モニターにはマンション周辺の住宅地図が映し出され、検察官 は近くの学校や駅などとマンションの位置関係を簡単に説明。モニターにはさらにマンションの見取り図、エントランス、市橋被告が逃走に使ったとされている 非常階段の写真などが次々と映し出された。右端に座る男性裁判員はあごに手を当てながら、手元にあるモニターを真剣な表情で見つめる》
《検察官は続いて、事件発覚後の27、28の両日に市橋被告方で行われた現場検証について説明する。モニターには玄関の内側部分の写真が映し出され、バスケットボール、ゴミ箱、ゴミ袋などが置かれているのが分かる》
検察官「ゴミ箱の中には粘着テープ13片、結束バンド5本、コンドーム1個、コンドームの袋2個が入っていました」
《これらのものを広げておき、撮影した写真がモニターに映し出される》
検察官「13片のテープは無造作に丸められていました。結束バンド5本のうち、切断された2本は切り口が一致しました。コンドーム1個は内側についていた精子のDNA型が市橋被告のものと一致しました。外側にはリンゼイさんの細胞がついていました」
《写真に映し出されたコンドームが強姦に使われていたことが明らかになった。母親のジュリアさんは顔をゆがめてうつむき、両目に手を当てた。手はしばらく震えていた。検察側はさらに現場にあった別のゴミ袋について、内容物を読み上げていく》
検察官「パーカー、リンゼイさんの頭髪、リンゼイさんのコート、リンゼイさんのカーディガン、粘着テープ」
《さらにこれらを広げ、撮影した写真がモニターに映される。写真にはリンゼイさんの焦げ茶色の髪が大量に映し出される。写真を通じて、犯行が凄惨(せいさ ん)だったことが分かり、ジュリアさんは目に涙をためながら、うつむいた。隣に座る父親のウィリアムさんはジュリアさんの肩に手を置いて気遣う様子で、2 人は小声で言葉を交わしていた》
《市橋被告はうつむき、表情は伺えない。検察側の証拠調べがさらに続く》
【英国女性殺害 市橋被告初公判(7)】
廊下から台所に尿の痕跡 壁には血液も付着 検察側立証続く
(16:20~16:50)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判は検察側の証拠調べが続いている》
《事件後に市橋被告の自宅マンションの室内を撮影した写真が廷内の大型モニターに映し出されており、傍聴人らが見入っている》 《映し出された写真は玄関にあった透明のゴミ袋の中身だ。検察官は避妊具の袋や使用済みの避妊具があったことを挙げた》
《生々しい説明にリンゼイさんの両親は表情を曇らせる》
検察官「玄関たたきには黒い運動靴や黒いハイヒールがありました。運動靴のつま先には被害者のDNA型と一致する血液が付着しています」
《脱衣場の様子がモニターに映し出される。入り口の柱には粘着テープが張られ、テープにリンゼイさんの焦げ茶色の毛髪や被告の左手の指紋が検出されたことが示された》
「次は風呂場の様子を写した写真です。浴槽はありません。シャワーのフックには黒いセーターが掛けられ、毛髪10本が付着していました」
《検察側は、粘着テープの指紋から、市橋被告が実際に使用したことのほか、遺留されたリンゼイさんの毛髪やDNA型、拘束に使用された結束バンドの位置から、室内でどのようにして被害に遭ったかを立証する方針のようだ》
《モニターに玄関側から撮影した廊下の写真が映し出された。廊下から台所の敷居にかけて尿の痕跡(尿斑)が見つかったことが示された》
《一般に、首を絞められるなどした場合、被害者は失禁する。このため、捜査の現場では、尿斑の位置が犯罪場所の特定に用いられることがある》
検察官「廊下の壁には、血液も付着しています。写真では赤い矢印で示しています」
「台所には被害者の水色手提げバッグがあり、携帯電話が入っていました。そのほか、着衣などもありました」
《スカートやブラウス、ベルトや下着-。モニターに映し出されたリンゼイさんの着衣を見た母親のジュリアさんは手で顔を覆った》
検察官「財布には、外国人登録証や西船橋-小岩間の定期券、1327円が小銭で入っていました」
「台所の床にあったレジ袋には、粘着テープや結束バンドがありました。テープには一部に(リンゼイさんの)焦げ茶色の毛髪が付着していました」
《発見された結束バンド17本のうち、切断された10本は切り口が一致したという。リンゼイさんのDNA型と一致する細胞片も検出されており、検察側は実際に犯行で使用されたことを主張する》
《その後、男性検察官は居間、6畳や4畳半の和室の状況を説明。リンゼイさんの両親は目を合わせ、小声で何かを話し合った》
《4畳半の写真には英語の参考書などが映し出された。室内の床からは45センチ四方の尿斑が見つかったことも明らかにされた》
検察官「6畳の和室にはふすまが立てかけてあります。このふすまは2カ所破れていました」
《ふすまの穴はリンゼイさんの抵抗によるものなのだろうか。男性検察官は市橋被告をちらりと見やった。続いて5畳半の洋室内の様子について説明が始まった》
「レジ袋が3つありました。袋の中には脱臭炭やシャベル、ザクロの苗木がありました」
《検察側の証拠調べは、リンゼイさんが遺体で見つかったベランダに移った。リンゼイさんはベランダの浴槽内に土をかけられた状態で見つかった。モニターに写真が映し出される》
《警察によって青いビニールシートで目隠しされ、浴槽は側板でフタをされ、上に植木鉢が置かれている》
検察官「続いて、遺体の状況について説明します。モニターを消してください」
《遺族に配慮し、傍聴席から見える大型モニターが消される。父親のウィリアムさんは顔面を紅潮させ、ハンカチで目をぬぐった》
検察官「遺体のそばには鉄亜鈴があります。土を取りのぞくと、左側面を下にして、体を丸めていました。足には結束バンドが有ります」
《再びモニターが映し出される。土を取り除いた後の写真だ》
「毛髪が1束あります。マットレスには表と裏に60センチ、45センチの尿斑がありました」
《検察官の説明は、室内の台所や廊下、居間や6畳間の床や畳にあった傷跡に移る。リンゼイさんの遺体や取り外した浴槽を動かした際にできたものだろうか》
「もう一度モニターを消してください」
《遺体の付着物について説明がなされた》
「右顔面、左右の前腕、左右の足には天然ゴム系のものが付着していました。(拘束に使用された)粘着テープも天然ゴム系と認められます」
《男性検察官は、捜査報告書から被害者の着衣が切られた状況を立証する。リンゼイさんのカーディガンは腕の部分を縦に切られていた》
【英国女性殺害 市橋被告初公判(8)完】
逃走後は神戸や大阪の建設会社に偽名で勤務...整形手術で鼻筋にシリコン
(16:50~17:05)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判は、殺害時にリンゼイさんが着ていた着衣の状況について検察側による説明が続く》
《男性検察官はリンゼイさんのスカートに尿がついていた状況について説明。その様子に、父親のウィリアムさんは向かって左側の大型モニターをじっと見すえていた。しかし、母親のジュリアさんは涙をこらえることができず、顔を両手で覆っている》
《続いて男性検察官は、市橋被告がリンゼイさんを拘束する際に使われたとされる結束バンドについて説明する》
検察官「犯行に使用したものと同じ結束バンドです。2種類あり、大きい方は長さ42センチ、幅5ミリで、小さい方は長さ30センチ、幅4・8ミリです」
《説明を終えた男性検察官は、裁判官と裁判員、補充裁判員に直接、結束バンドを見せてまわる。堀田真哉裁判長にうながされて弁護側に提示した後、堀田裁判長が再び口を開いた》
裁判長「被告人はよろしいですか」
《市橋被告は小さくうなずき、男性検察官が結束バンドを目の前に運んだ。それを確認すると市橋被告は小さく数回うなずいた。その後、男性検察官は市橋被告の部屋の状況の説明に入った》
検察官「部屋には固定されていない浴槽がありました。また、6畳と4.5畳の和室があり、両方の部屋の間にはふすまがありましたが、市橋被告はふすまを使わず1部屋のようにして使っていました」
「事件前まで頻繁に部屋に出入りしていた交際相手の女性によると、ふすまが破れたのは見ていないということです。また、結束バンドを使うところも見ていないということです」
《リンゼイさんの遺体が埋められた浴槽がいつベランダに運ばれたのかについて、近所の住民の証言も報告された》
検察官「(平成19年3月)25日昼ごろに市橋被告の部屋のベランダには浴槽がなかったことが、近所の住民によって確認されています。一方、この住民は26日午後9時ごろに、警察官に被告人のことを尋ねられたあと、ベランダには浴室があったことを確認しています」
《部屋の状況が説明される間、市橋被告はじっと前を向いていた。母のジュリアさんは依然、ハンカチで涙を拭いている。一方、男性検察官は市橋被告が現場の自宅マンションから逃亡し、逮捕されるまでの足取りについて説明を始めた》
検察官「被告の犯行後の行動について説明します。被告は平成20年2月29日から6月26日までの間、『イノウエコウスケ』と名乗り神戸市の建設 会社で働いていましたが、その後、寮から姿を消しました。20年8月20日から10月10日までは大阪府茨木市内の建設会社で『イノウエコウスケ』の偽名 を名乗り働いていました。その後、翌11日の午前中に荷物を残したまま寮から姿を消しました」
《偽名を使い、各地を転々としていた市橋被告。その際、各地で顔に整形手術を繰り返していたとされる。男性検察官はその状況を説明した》
検察官「20年10月23日と24日、名古屋市内で整形手術を受けました。この時は眉間の手術をしていますが、この時には鼻筋にシリコンが注入されており、過去にも整形手術をしていました。整形手術前の市橋被告の顔写真はこちらです」
《法廷の左右の大型モニターに、全国に指名手配されたときの市橋被告の顔が映し出される。写真は短髪で色が白く、幼さが残る表情の市橋被告が映されている。市橋被告は、特に視線をモニターの方に向ける様子はなかった》
検察官「市橋被告は平成21年11月10日に大阪市住之江区のフェリー乗り場待合室にいたところを、大阪府警住之江署員に発見され、署に任意同行されたあと、同日通常逮捕されました。逮捕時の写真がこちらです」
《大型モニターに映し出される逮捕時の市橋被告の写真。先ほどの写真に比べ、肌の色はやや黒くなり、髪はぼさぼさに伸びていた》
検察官「本日の証拠は以上です」
裁判長「本日はこれまでとなります。明日は午前10時20分からとなります」
《検察官が終了を告げると、堀田裁判長は次回公判の開廷を5日午前10時20分と告げて、閉廷を宣言した。市橋被告は一度立ち上がって一礼をした後、すぐに座り、退廷の準備を始めた。その様子を、リンゼイさんの両親は直立したまま、じっとにらみつけていた》
英国女性殺害 第2回公判(2011年07月05日)
【英国女性殺害 市橋被告2日目(1)】
右目付近に皮下出血、口内も出血...解剖の女医が詳述
2011.7.5 11:55
(10:20~10:40)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判が5日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まっ た。今公判ではリンゼイさんの遺体の司法解剖を行った医師が証人として出廷した。初公判で殺意の有無などをめぐり、真っ向から対立する主張を展開した検察 側と弁護側双方が、それぞれの主張に沿う証言を引き出そうと火花を散らすとみられる》
《市橋被告は4日の初公判で、入廷と同時にリンゼイさんの両親にいきなり土下座。「リンゼイさんの死に対し、私は責任は取るつもりです。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪したが、「殺意はありませんでした」と述べた》
《また、初公判では検察側、弁護側それぞれの冒頭陳述により、今回の裁判の争点が明確に示された。それによると、検察側、弁護側ともに市橋被告が19年3 月25日にリンゼイさんを乱暴したことと、その後死体を遺棄したことについて争いはなく、死亡に至る経緯が争われることになった》
《検察 側は市橋被告が乱暴後にリンゼイさんの首を圧迫した結果、翌日夕までに死亡したと指摘。「乱暴の発覚を防ぐという殺害動機があり、3分以上、相当な力で圧 迫し続けた」とし、殺意があったとした。また「死亡まで時間が経過していたとしても拘束状態は続いており、いつでも暴行可能な状況が継続していた」と指摘 し、強姦致死罪の成立を主張した》
【英国女性殺害 市橋被告2日目(2)】
首を骨折、陰部に出血...遺体の状況生々しく
(10:40~11:05)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第2回公判。リンゼイさんの司法解剖を担当した女性医師に対する検察側の証人尋問が 続いている。女性医師は淡々とした口調で遺体の詳細を証言する》
《市橋被告はうつむいたまま、微動だにしない。検察官の後ろに座るリンゼイさんの父、ウィリアムさんは口元の前で手を組みながら、また母のジュリアさんはほおづえをつきながら、女性医師の説明に聞き入っている》
検察官「次に(リンゼイさんの遺体の)首の部分について、写真にもとづいて説明してください」
証人「首にはたくさんの筋肉があるのですが、そのうち胸骨舌骨筋(きょうこつぜっこつきん)という筋肉に出血が見られました。また、その奥にある輪状軟骨には骨折がみられました」
検察官「では首の内部の図を示します」
《モニターで首の模型図が示されたようだ。傍聴席から見ることはできない》
検察官「骨折はこの部位で間違いないですか」
証人「はい」
検察官「胸骨舌骨筋は、首のどの位置か説明してください」
証人「鎖骨とのど仏を結んでいる筋肉です」
検察官「輪状軟骨についてもお願いします」
証人「のど仏のすぐ下です」
検察官「骨の『輪』の中はどうなっていますか」
証人「空気の通り道になっています」
《模型を使った説明だが、ジュリアさんは目に涙をため、徐々に鼻が赤くなってきた。再び検察官はリンゼイさんの遺体の写真を示した。今度は胸骨舌骨筋と輪状軟骨の部位に限定した写真のようだ》
検察官「写真の矢印の部分は何を示していますか」
証人「骨折部分です。2枚のうち(1)とあるのは、遺体の右側から撮っており、マルで囲んだ先、これが骨折です」
検察官「骨折は2カ所ですね」
証人「はい」
検察官「これはどういう力が働いたと推測できますか」
証人「真ん中の方から強く押す力が働いたと推測できます」
検察官「胸骨舌骨筋の状態も合わせて、推測できることはどういうことですか」
証人「頚部(けいぶ)に強い圧迫が加えられたと考えられます」
《検察側は4日に行われた初公判の冒頭陳述などでリンゼイさん殺害について「強姦後に犯行発覚を防ぐ目的」で相当の力で圧迫し、明確な殺意があったと主張。一方、弁護側はリンゼイさんに大声を出されたため腕を顔に巻くなどした結果、あくまで「死なせてしまった」と訴えていた。女性医師の証言により、検察 側は自分たちの主張の根拠を示そうとしているようだ》
《続いて検察側は、リンゼイさんの遺体の胸部、腹部、腕の写真を順に示していった。傍聴席から見て左から3番目の青のワイシャツ姿の男性裁判員は、みけんにしわを寄せ、モニターを見ている。ウィリアムさんは、娘の変わり果てた姿に思わず目を覆った》
検察官「腕が変色していますが、これは何ですか」
証人「すべて皮下出血です。左腕のマルで囲った部分は、点のようなものがいくつか見えると思いますが、肘から手首にかけて等間隔にあるのは『圧痕(あっこん)』が混じっています」
検察官「右手首はどうですか」
証人「小さなマルが2つあると思いますが、この中にも圧痕があります」
検察官「それ以外に右手に特徴はありますか」
証人「左に比べるとむくんでいるという特徴があります。実際に切って開けると、中に組織液、要するに水がたまっていて、そのためだと思われます」
検察官「原因は何が考えられますか」
証人「手に強い圧迫が加わり、血流が悪くなったというのが一般的です」
《リンゼイさんを強姦した際か、死に至らしめた際かの言及はなかったが、検察側は市橋被告が強い力でリンゼイさんの手を押さえつけたことを印象づけたいようだ》
《続いて検察側はリンゼイさんの下半身部分について尋問を続ける》
検察官「陰部はどうでしょう。写真はありませんが」
証人「膣入り口の粘膜、右の小陰唇内側のつけ根に出血がありました」
検察官「出血はどうして起きたと考えられますか」
証人「強く圧迫されたと思います」
検察官「何が原因ですか」
証人「何か圧迫、挿入があったのでは」
《午前11時5分、休廷に入った。ウィリアムさんはポケットに手を入れて市橋被告をにらみつけ、いったん退廷した》
【英国女性殺害 市橋被告2日目(3)】
首の圧迫に「かかと」使った可能性も 舌打ちするリンゼイさん父
(11:25~12:00)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判は、約20分の休廷を挟み、リンゼイさんを解剖した女性医師の証人尋問 が再開された。リンゼイさんの母、ジュリアさんは再び入廷する市橋被告をにらみつける》
《男性検察官は、リンゼイさんが負ったけがや死亡の原因について女性医師に尋問を続ける》
検察官「けがは何によって生じたと考えられますか」
証人「皮下出血や表皮剥脱(ひょうひはくだつ)は鈍体でできたと考えられます。鈍体とは刃物などでないもの。手首や足首の圧痕(あっこん)にはそういう形状が強く圧迫したと考えられます」
検察官「鈍体はこぶしや足も」
証人「含まれます」
検察官「手首や足首の圧痕はプラスチック製のバンドでも可能ですか」
証人「形としては大変似ている」
《男性検察官が言う「バンド」とは、市橋被告がリンゼイさんを拘束するのに使った結束バンドのことだ。実際に犯行で使用されたことを立証する趣旨とみられる》
検察官「顔にあった鼻の傷はどうでしょう」
証人「何らかの圧迫があったと考えられます」
検察官「粘着テープでできることは」
証人「可能です」
検察官「被害者に救命措置の痕跡はありましたか」
証人「はっきりとは認められませんでした」
《一般に、心臓マッサージをした場合、胸部を強く圧迫するため胸骨の骨折などが生じる場合がある。市橋被告が主張するリンゼイさんへの救命措置の実施について、検察側の反論とみられる》
検察官「リンゼイさんの死因は何と判断しましたか」
証人「一番考えられるのは首の圧迫による窒息死です」
検察官「根拠を説明してください」
証人「首以外の表皮剥脱や皮下出血は死因となり得ない。首の筋肉からの出血や輪状軟骨の骨折など圧迫の痕跡があったからです」
検察官「首の圧迫でなぜ死亡しますか」
証人「輪状軟骨は気管を取り巻いていて、(圧迫されることで)酸素を取り込めなくなるからです」
検察官「首のほかに窒息死の根拠は」
証人「教科書には窒息の3兆候というのがあります。『血液の暗赤色(あんせきしょく)と流動性』『臓器の鬱血(うっけつ)』『臓器や粘膜の溢血点(いっけつてん)』です。これが満たされていた」
《血液は酸素不足で色が濃くなり、暗赤色に変わる。溢血点とは、毛細血管が切れ、細かい内出血が起きることだ》
検察官「リンゼイさんの溢血点はどんな風にありましたか」
証人「腎臓や肺の表面に溢血よりもう少し大きな溢血斑ができていました」
《ここで、検察官は裁判員らに分かるよう「窒息の3兆候」について再び説明を求めた》
《窒息死の場合、例外的に死後も血液は固まらないという。臓器は酸素が必要だが、不足することで血管が拡張し、鬱血するという》
検察官「どのような手段、方法で窒息したと考えられますか」
証人「輪状軟骨が両方で折れていることから、(首の)真ん中に狭い面で圧がかかったと考えられます」
検察官「狭い面での圧とは具体的にどのようなことでしょう」
証人「2通り考えられます。狭い作用面で押した場合と、平らな面で押した場合です。狭い場合は分かると思いますが、丸いものを平らなもので押すと接触部分は狭くなります」
検察官「狭いものとは人間でいうとどの部分になりますか」
証人「指でも、手のひらの下の方やかかとです」
《検察側の立証で、首の圧迫にかかとが使われた可能性も浮上した。通訳を介してやり取りを聞いていたリンゼイさんの父、ウィリアムさんが体を大きく反らし、舌打ちした》
検察官「平らなものとは」
証人「腕やすねです」
検察官「首が圧迫された力はどれくらい」
証人「教科書には強くても15キロぐらいで気道がふさがる、とあります。おそらくそれ以上でしょう」
検察官「頚部(けいぶ)圧迫の時間、窒息死するまでの時間はどれくらい」
証人「酸素を最も必要とするのは脳。脳には5分酸素が行かなければ死亡するとあります」
《ここで、検察側はモニターに「窒息の経過と症状」と題した表を映し出した。時間軸に対し、血圧や脈拍、呼吸の変化が折れ線グラフで示されている》
検察官「死亡まで5分ということですが、表に基づいて説明を」
証人「窒息が始まってから死ぬまで4期に分かれる。最初の1期(~1分)は症状が出ない。2期(1~3分)では呼吸困難、失禁などがある。3期(3~4 分)は呼吸ができなくなり、血圧も下がる。4期(4~5分)では口をパクパクさせ、呼吸が止まる。4期を越えると、口のパクパクした動きもなくなり、心臓 も止まる。個人差はありますが」
検察官「心停止までの大体の時間は」
証人「10~15分続く人もいるが、常軌を越えて長いというのはないです」
検察官「首を絞め、圧迫した場合、1分程度した後に解放すれば?」
証人「その程度であれば、そのまま(状態が)戻る可能性が高い」
検察官「3分以内、2期であれば」
証人「1期を過ぎると、急に2期に入るのではないです。3期に近づくと医療措置が必要になります」
検察官「3分以上、3期に入ってからでは」
証人「医療措置がなければ蘇生しないでしょう。自発呼吸も止まっています。人工呼吸しないと死んでしまいます」
検察官「これまでの説明で、窒息死にはどれくらいの時間が必要?」
証人「5分くらい。平均で」
検察官「首を絞めた場合、どれくらいで死亡しますか」
証人「最低でも3分は必要」
検察官「リンゼイさんの場合は」
《右から3番目の男性裁判員が身を乗り出して、証人の言葉を待った》
証人「健康な20代の女性ということで、ここからはそう外れることはないでしょう」
《これで検察側の証人尋問が終了し、休廷に入った。午後1時半から再開し、弁護側による女性医師への証人尋問が行われる》
【英国女性殺害 市橋被告2日目(4)】
窒息めぐり専門用語連発 通訳「待ってください」と悲鳴
(13:30~14:05)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判は約1時間半の休廷の後、午後の審理が始まった。市橋被告は、リンゼイ さんの両親をじっと見つめながら入廷。証言台の前で一礼した後、中央後方にある長いすに腰を下ろした》
《堀田真哉裁判長が開廷を告げると、午前中の検察官による証人尋問に続き、リンゼイさんの遺体の司法解剖を行った女性医師が証言台に立った。男性弁護人が尋問をはじめる》
弁護人「今までの経験についてお聞きします。今まであわせて、700~800の遺体を解剖してきたということでよいですか」
証人「介助を含めればもっとやっていますが、若いころは少なかったので、主執刀は400くらいかと。正確には覚えていませんが」
弁護人「窒息(ちっそく)死の解剖は?」
《弁護人の質問に、女性医師は腕を組んで考えながら答える》
証人「詳しい数は(研究室に)戻らないと分からないですが、窒息関連は全体の1、2割だと思います」
弁護人「大体の数で結構ですが、その全体の1、2割の窒息で、今回のように首が絞まっているものはどれくらいですか」
証人「窒息例のなかで、首が絞まっているのは4割くらいを占めます」
弁護人「さらにその中で手で首を絞めた事例はどれくらいですか」
《女性医師は腕を組んだまま、首をかしげる》
証人「最近ですと、年間5、6例だと思います」
弁護人「手で行う首の絞まり方の典型例はありますか」
証人「典型例というのはないが、首の軟骨が折れているというのはありますね」
弁護人「例えば手で首を絞めるときに、強い力が加われば、首に指の跡がついたりしませんか」
証人「はっきり指の跡がついているというのはほとんどありません」
《次に弁護人は、首を手で締めた場合と、ひも状のもので絞めた場合の違いについて質問する》
弁護人「ひも状のものの場合、血管全体に同じ配分で力がかかると考えていいですか」
証人「そういうことですね」
弁護人「扼頸(やっけい)、手で絞めるやり方だと首に対して、一部分にしか力が入らないですね?」
証人「一部分? 圧迫したところに限られるというのはそうですね」
《弁護人は一般論から、リンゼイさんの遺体についての質問に移る》
弁護人「被害者の顔に鬱血(うっけつ)ははっきり出ていたのですか」
証人「顔面には著明でなかったです」
裁判長「著明でないとはどういう意味ですか。かみ砕いて説明してください」
《専門的なやりとりが続く中、堀田裁判長が口を挟んだ。裁判員が話題についていけていないことを危惧(きぐ)したようだ》
証人「はっきりということではないということです」
《専門用語が多いせいか、女性通訳の通訳スピードも落ちている》
弁護人「まぶたの裏に溢血点(いっけつてん)は出ていましたか」
証人「認められませんでした」
《弁護人は、午前中の検察官の証人尋問で示された、『窒息の3兆候』である(1)血液の暗赤色(あんせきしょく)と流動性(2)臓器の鬱血(うっけつ)(3)臓器や粘膜の溢血点についての質問を続ける》
弁護人「窒息死の典型例は、顔面が腫(は)れたり、溢血点がみられたり、ということでしたよね」
証人「そういうこともあります。それは気道だけでなく、血管も絞めた場合に一緒に起きます」
《専門的な知識が必要な話のせいか、通訳を聞いていた、リンゼイさんの母、ジュリアさんが首をかしげたままだ。医師が話を続けようとすると、通訳が悲鳴のような声でさえぎった》
通訳「ちょっと待ってください」
《通訳が終わるのを待って、女性医師が話しはじめた。リンゼイさんの父、ウィリアムさんが、通訳に「大丈夫だ」というように頷(うなず)いた》
弁護人「脳に酸素がなくなるというのは血管の圧迫が相当強くないといけないのではないのですか」
証人「そうではありません。空気を求める大元がしまれば、脳に空気はいきません」
弁護人「つまり今回の場合は、血液の流れはそれほど止まらなかったが、気道がしまって十分に空気が取り込めなかったということですね」
証人「そう考えます」
《質問は、市橋被告がリンゼイさんの首をどう絞めたかという話題に移った》
弁護人「腕で絞めたのならどういう絞め方になりますか」
証人「腕なら首にある輪状軟骨を平らな面で押すような形になります」
《医師は自分の腕を示して説明する。ウィリアムさんは、通訳が首の絞め方を手振りを交えて、一生懸命伝えるのを見ている》
弁護人「今されたように、平らな面というのは、ひじから手首にかけての部分ということでいいのですか」
証人「はい」
《大型モニターに図が示される。リンゼイさんの背中の上に、市橋被告が乗って腕を後ろから首に回しているというのを表した図だ》
弁護人「こういう状態でも(窒息死は)あり得ますか」
証人「この(ひじから下を示す)部分があたっていればなります」
弁護人「窒息によって人が死ぬのには少なくとも3分かかると(検察官の証人尋問で)言っていましたね?」
証人「はい」
《モニターの画面が切り替わった。検察側の証人尋問で示したのと同じ、「窒息の経過と症状」と題した表を映し出す》
弁護人「法医学の教科書に載っていた図ですが、この本は見たことがありますか」
証人「同じ図なら他の本に載っていたのを見ました」
弁護人「窒息になってから、ほとんど無症状だという第1期ですが、20~30秒と幅がありますね」
証人「かなり個人差がありますから。プールで長く息を止められる人とそうじゃない人がいるでしょう。それと同じです」
《弁護人は、図表で示される窒息死に至る時間に、数分の開きがあることを指摘する》
証人「個人差があるということです。健康な人、呼吸疾患を患っている人、高齢の人、そういうのも加えて考えますから。おおよその目安です」
弁護人「首を強く圧迫した時と、弱く圧迫した時で、窒息死の経過時間が変わるのですか」
証人「強い弱いではありません。気道がふさがっているかです。ふさがっていなければ、経過が長くなることもあります」
《弁護人が堀田裁判長の方を向いた》
弁護人「中途半端になってしまうのでここで一度切ろうと思います」
《堀田裁判長が午後2時5分に休廷を宣言。審理は午後2時25分から再開する》
【英国女性殺害 市橋被告2日目(5)】
死亡時刻はいつなのか 女医に質問続ける弁護側
(14:25~14:55)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判は、約20分間の休廷後、リンゼイさんの遺体の司法解剖を行った女性医 師に対する弁護側の反対尋問が続けられた。市橋被告は入廷の際、再びリンゼイさんの両親に向かって頭を軽く下げたが、両親は市橋被告を見ようとはしなかっ た》
裁判長「では、引き続き、弁護側の反対尋問をお願いします」
《男性弁護人がすっと立ち上がり、名前を名乗った後、ゆっくりとした口調で質問を始めた。質問の内容は、死亡推定時刻の計算方法についてだ》
弁護人「死亡推定時刻の計算方法は死後硬直から判断する方法もありますね」
証人「はい」
弁護人「ほかにも、遺体の直腸内の温度から調べる方法もありますね」
証人「はい」
《弁護側の質問に対し、端的に回答する証人。1つの質問と回答が終わると、通訳の女性が弁護人と証人のやりとりを翻訳する。リンゼイさんの父、ウィリアムさんは通訳の女性の方を見ながら、じっくりと耳を傾けている》
弁護人「(証人が所属する)千葉大大学院医学研究院法医学教室ではどのような計算方法を採用しているのでしょうか」
証人「37度から実際の(遺体の直腸内の)温度を引いて、0・85で割って、その後いろいろ...。季節によって若干シフトしています」
弁護人「では、死後、直腸では37度から一時間に0・8度ずつ温度が下がるということですね」
証人「目安ということです」
《ここで、検察側から「証人の今の話では、0・8ではなく0・85です」と指摘が入る。堀田真哉裁判長が再度確認し、女性医師は「0・85」と述べた。指摘を受けた男性弁護人は、しばらく沈黙し、手元の資料に一度目を通した後、質問を続けた》
弁護人「司法解剖前に、警察が検視した鑑定書は見ましたか」
証人「はい。拝見しました」
弁護人「鑑定書には19・6度と書いてありましたか」
証人「そう書いてありました」
《この数値をもとに、弁護側は死亡推定時間を計算する》
弁護人「記録によると、検視は平成19年3月27日午後1時43分ごろとあります。直腸内の温度から考えて、検視からさかのぼって約20時間前に死亡したという理解でよろしいでしょうか」
証人「計算上はそうなります」
弁護人「では、26日の午後5時から6時前後でもおかしくはないですか」
証人「計算上はその時間も入ります」
《弁護側はこれに加え、死後硬直の状況による死亡推定時刻の算出方法も尋ねた》
弁護人「死後硬直は死後12時間後が(硬直が強くなる)ピークで36時間後まで続くのが一般的ということでしょうか」
証人「2日間ぐらい続くことがあります」
弁護人「27日の検視で死後硬直が確認されたのなら、25日午後から26日深夜の間に亡くなられたということですよね」
証人「計算上はそうなります」
《検察側は冒頭陳述で、リンゼイさんが殺害された時間を25~26日夕としている。弁護側は、死亡推定時刻から、強姦致死ではなく、強姦と傷害致死が成立することを示そうとしているのだろうか》
《この後、リンゼイさんの遺体の瞳孔の混濁状況も確認し、別の男性弁護人に交代した。この男性弁護人は女性医師が午前中、検察官の質問に証言した遺体の傷の状況について質問を始めた》
弁護人「鼻のへこみについて、なんでそのへこみができたか分かりますか」
証人「はっきりしたものは推定できませんでいた」
弁護人「鼻のへこみには粘着テープの跡はありましたか」
証人「鼻そのものにはありませんでした」
弁護人「鑑定書には...」
《ここで、男性弁護人は通訳を待たずに次の質問を続けようとし、堀田裁判長に待つように指示された。男性弁護人は少し苦笑いを浮かべ、通訳が終わるのを待った》
弁護人「鑑定書には顔面には粘着テープがあったとありますが、鼻の記載はありませんね」
証人「圧痕(あっこん)はありましたが、鼻に粘着テープはありませんでした」
《午前中、女性医師は検察側に、市橋被告がリンゼイさんの顔に粘着テープを付ける際、強く押さえつけ鼻に圧痕ができた可能性を尋ねられ、「そうかもしれま せん」と回答。弁護側は粘着テープの跡が鼻になかったことを証明することで、この検察側の提示した可能性を打ち消す狙いがあったとみられる》
《弁護側は、遺体の状況について質問を続けた。専門的な表現が続くこの日の証人尋問。裁判員たちは肘をつくなどして、一様に疲れた表情を浮かべて聞いていた》
【英国女性殺害 市橋被告2日目(6)】
蘇生行為の痕跡がないワケは... 「救命のプロではないから」と主張
(14:55~15:35)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判。リンゼイさんの遺体を司法解剖した女性医師への弁護側による質問が続いている》
《弁護側はリンゼイさんの体に残された皮下出血の因果関係に関する質問の後、市橋被告がリンゼイさんに行ったと主張している心臓マッサージや人工呼吸に関する裏付けに移っていった》
弁護人「素人が救命行為として心臓マッサージや人工呼吸をしたとき、痕跡は残るものでしょうか」
証人「人工呼吸は残りません。心臓マッサージはたいてい、肋骨(ろっこつ)が折れるので残ります」
弁護人「肋骨が折れるというのは、心臓マッサージの際、強い力でする場合に折れることがあるということですか」
証人「心臓はカゴのように守られているので、骨の上から押しても伝わりません。折れるくらいの力を加えないと心臓に伝わりません」
弁護人「救命の資格を持っている人がマッサージをすれば、そこまでの痕跡が残るのが普通ということですね?」
証人「他の解剖例ですと、肋骨や胸骨など、1カ所だけではなく、たくさん折れていることがよくあります」
《弁護人は救命の"プロ"が行う場合、という点を強調して尋問した。リンゼイさんに関しては、心臓周辺の骨が折れているという結果は出ていない。弁護人は、市橋被告は蘇生(そせい)行為を行ったものの、素人だったために痕跡は残らなかったと主張したいようだ》
弁護人「次に遺体の傷について、先後関係についてうかがいたいのですが」
証人「生前の場合、なかなか順番は難しいです。例外的に骨折を伴うものについては分かりますが。皮下出血や表皮剥脱については難しいです」
弁護人「今回の皮下出血や表皮剥脱について、たくさん体にありましたが、それの先後関係は分かりますか」
証人「それはちょっと無理です」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさん、母のジュリアさんの2人は身を乗り出すようにして、左隣にいる通訳の言葉に耳を傾けている》
弁護人「最後に死因についてですが、今回、窒息死ということが考えられると鑑定書に書かれていますね。窒息死の原因としては頸部圧迫や鼻孔閉塞(へいそく)と書かれています。これらは気管が閉塞されて酸素が脳にいかなくなるということですね?」
証人「そうです」
弁護人「先ほどの質問では、頸部圧迫の可能性について答えられましたが、鼻孔閉塞による死亡の可能性は法医学的に考えられますか」
証人「否定はできない、というレベルです」
弁護人「被害者は亡くなっていますが、鼻孔閉塞と頚部(けいぶ)圧迫の両方が考えられると?」
証人「うーん」
《数秒考え込んだ後、再び、女性医師が証言を始める》
証人「頚部圧迫に鼻孔閉塞がどこかで加わったとしても、鼻孔閉塞は特殊な症状がないので、否定はできないということです」
弁護人「頚部圧迫だと、15分くらいあれば死亡ということでよろしいですか。行為自体が」
証人「完全な心停止に至るまでは15分前後かかってもおかしくないということです」
弁護人「平成19年3月25日午前10時ころに頚部圧迫があったと仮定して、被害者が死亡した時刻が、翌日の3月26日夕ということはありえますか」
証人「蘇生行為が全く行われないとなると...。それだけ長い時間持つにはやはり首を絞めた後に何らかの医療措置をしないと無理ではないかと思います」
《弁護側は再び、市橋被告が心臓マッサージなどの蘇生行為を行ったとする主張を裏付けたいのだろうか》
弁護人「確認ですが、救命行為がなければ、頚部圧迫から亡くなるまではそんなに時間がかからないですか」
証人「そうです」
《この証人の答えと同時に、弁護人は「終わります」と質問を終えた。続いて、再び検察官が立ち上がり、女性医師に対する再尋問を行った》
検察官「不完全な窒息状態が続いた場合、呼吸停止に陥って心停止するまでの期間は(完全な窒息状態と比べて)違いますか」
証人「それは同じです」
検察官「輪状軟骨を骨折して、それにより気道が塞がった可能性は?」
証人「骨折しても中にへこんだ訳じゃないので、骨折そのもので気道が塞がることはありません」
検察官「リンゼイさんの直腸温度から、死亡時刻は26日午後5時ごろが目安となる、季節によって変わる、とのことでしたが、幅はどれくらいですか」
証人「直腸温度は警察の検視時点のもので、どこまで信頼できるのか判断しがたい点はあります」
《この後、弁護側も死亡時刻の特定につながる直腸温度に関する質問を行い、この日、4度目の休廷に入った》
【英国女性殺害 市橋被告2日目(7)】
右目のあざ「かなり強い力で暴行」 裁判員ら積極的に質問
(16:00~16:30)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判。リンゼイさんを解剖した女性医師に対する検察側、弁護側双方の証人尋 問に続いて堀田真哉裁判長や裁判員の質問が始まった》
裁判長「裁判所から尋ねます。何か質問はありますか」
《堀田裁判長は6人の裁判員に顔を向けて尋ねた。裁判員らは向かって左から1~6の番号が記されたカードを首から下げている。3番の男性裁判員が手を挙げた》
裁判員「非常に分かりやすかったです。2点教えていただきたい。1点目は全身の状況についてですが、顔面の写真は痛々しかった。特に右目の回りに傷、あざがあったが、どれくらい暴行すればあの程度の傷になるのか」
証人「右目の皮下出血は下の筋まで挫滅していました。かなり強い力が加わったと思います。ただ、同じところを何回も殴ると、同じ部位に皮下出血ができるため、強い打撲ではありましたが、回数は不明です」
《リンゼイさんの痛ましい姿を思いだしたのか、リンゼイさんの母、ジュリアさんは表情をゆがめた》
裁判員「2点目です。出血は口の中であったということですが、外部に血が付くようなけがはあったのでしょうか」
証人「口の中は粘膜内で出血していました。血が出る、というのは開放性損傷ということになる。(開放性損傷は)はっきりしたものはありませんでした」
《4日の初公判で、検察側は市橋被告の自宅マンション玄関にあった黒い運動靴や室内などに、リンゼイさんのDNA型と一致する血液が付着していたことを明らかにしている。堀田裁判長が念を押して確認する》
裁判長「口の中の出血は血が(外部に)付くものではない?」
証人「粘膜下なので、外に出るものではないです」
裁判長「口の中を含め、血が出る傷はなかった?」
証人「なかったということです」
《続いて5番の男性裁判員が質問した》
裁判員「死因が窒息死ということでした。輪状軟骨に正面から圧迫が加わったということですが、骨折の程度で、どれくらいの強さで押されたかの判断は可能でしょうか」
証人「どれくらいというのは難しいです。軟骨なので、骨よりは強くないです」
裁判員「とりわけ強かった、弱かったというのは?」
証人「私は解剖で直接軟骨を触ったが、人体の軟骨の中で、輪状軟骨は強くないです。親指で思い切り押せばへこむくらいです」
裁判員「明日、ご遺族の証言で分かるかもしれないですが、昨日、弁護側の冒頭陳述で、リンゼイさんが病気を患っていたということがありました。病気の兆候はあったのでしょうか」
《弁護側は初公判の冒頭陳述で、「19年3月25日深夜、結束バンドで拘束されたリンゼイさんが市橋被告に対し、『持病がある。薬を飲まないといけない』と伝えた」としている。市橋被告はパソコンで病気と薬の名前を検索したという》
証人「特に情報はありませんでした。一通り、臓器の組織について病理検査をしましたが、(組織の)形が変わるようなものはなかったです。ただ、(臓器機能の)働きが変わるものまでは分かりません」
《続いて6番の男性裁判員が皮下出血の発生状況について尋ねた》
裁判員「皮下出血は生前、打撃や圧迫ということだった。皮下出血は呼吸停止後にも起こりうるのでしょうか」
証人「心停止後に圧迫しても、皮下出血はほとんど起きません。心臓が動くことで血管内で血液が流れますが、心臓が止まっていれば毛細血管が破れても血液は流れ出さない。水を流したホースと同じ。蛇口を止めればホースを切っても、ホースの中にある水しか流れ出ません」
《裁判員らはペンを持って、しきりにメモを取っている。1番の男性裁判員が質問した》
裁判員「説明では、頚部(けいぶ)圧迫で気道がふさがれたということでした。圧迫には15キロ必要ということでしたが、具体的にはどの程度になるのでしょうか」
《女性医師は午前の検察側証人尋問で、圧迫の強さについて、「教科書には強くても15キロぐらいで気道がふさがる、とある。おそらくそれ以上でしょう」と答えている》
証人「いろいろな例えがあります。男性の握力は30キロくらい。その半分と考えてもらえれば」
裁判員「ということは、一般であれば容易に可能ということ?」
証人「相手が動かなければ。普通、抵抗があるのでその分をプラスした力ということになります」
裁判員「窒息の過程で、ステージが2期の人体の反応は?」
《1番の男性裁判員は、検察側の証人尋問でモニターに映し出された「窒息の経過と症状」について質問した。2期は窒息後1~3分の状態をいう》
証人「よく聞くのがけいれん。筋肉がまともに働かず収縮する。これに伴い、失禁などが起きる」
裁判員「弁護側は(リンゼイさんが)うつぶせの状態だったとしているが、その場合は?」
証人「首を引っ張る力に(リンゼイさんの)重さが加わる。気道がつぶれてもおかしくないくらいです」
裁判員「最後の質問です。窒息した場合、気道が確保されても声は出せないでしょうか」
証人「気道が完全に締まると無理です。気道の確保が不完全でも、空気を吸い込まないと声は出せません。空気の流れがあるくらいなら、窒息はしません」
英国女性殺害 市橋被告2日目(8)完】
「それは痛いですか」 縛られた手の組織が壊死する状況に思いをはせる裁判員
(16:30~17:05)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判は、リンゼイさんの司法解剖を担当した女性医師に対する裁判員の質問が続いている》
《堀田真哉裁判長が「他の方、何かあればどうぞ」と質問を促した。手を挙げたのは、右端の6番の男性裁判員だ》
裁判員「気道がふさがって輪状軟骨が折れても、ふさいでいる時間が短かければ回復するということですが、それで回復してから日常生活に支障が出たりはしませんか」
《男性裁判員は、もし、リンゼイさんが生き残った場合の、首の圧迫による後遺症の有無を心配しているようだ》
証人「本当に短時間で、意識の消失がないくらいだったら可能です」
《裁判員からの質問が一段落ついたところで、女性裁判官が質問する》
裁判官「絞まり方が不完全な状態でも気道閉塞(へいそく)が起こるということですが、かける力が15キロよりも弱くても起こりますか」
証人「起こります。完全にふさいではいないけれど、かなりふさいでいる場合ならば起こります」
《裁判官同士で何かささやきあっている。書記官のモニターの調子が悪いようだ》
裁判長「機械の具合が悪いので、少しお待ちください」
《千葉地裁の職員が来て、モニターを直している。後ろから様子を見ていた書記官が「大丈夫です」と堀田裁判長に伝えた》
裁判長「問題ないということが確認できましたので続けます」
《女性裁判官の質問に戻った》
裁判官「顔面や手首に粘着テープの痕跡があったということですが、それ以外の場所ではなかったのですね」
証人「その他の場所については鑑定書が手元にないので」
《女性医師は申し訳なさそうに答える。検察官から小さなざわめきが起きた》
《女性裁判官に代わって、男性裁判官が、窒息死に至る経緯の一般論について、女性医師に説明を求めた》
裁判官「今まで『窒息の3兆候』や、『窒息の経過と症状』というのは法医学上、確立されたものですか」
証人「はい、ほとんどの教科書に出ております」
《男性裁判官は、法医学上の知識について認識に間違いがないか、一つ一つ確認を取っていく。女性医師は「はい」、「はい」と相づちを打っている)
裁判官「気道のふさがり方が不完全なら、窒息死までの経過時間が長くなりますか」
証人「はい」
裁判官「最大どれくらいになりますか」
証人「不完全な窒息というのは非常に珍しいので。個別事例では見たことがありますが、統計は数が少ないのでないです」
裁判官「あまりに(死亡するまでの)経過時間が長いなら、窒息死以外の死因ということになるのですか」
証人「不完全なふさがり方でも死ぬまで絞めていたなら、これは窒息死でいいのではないのでしょうか」
《男性裁判官は、リンゼイさんの遺体についての質問に移った》
裁判官「本件で、リンゼイさんに対して、酸素の供給が遮断されたのと、頚部(けいぶ)の圧迫が行われたのは、同じ時間だと思いますか」
証人「およそ同じだと思います」
《男性裁判官の質問内容はリンゼイさんの死亡推定時刻に移った》
裁判官「直腸温度では死亡推定に限界があると話していましたが、他の方法でも同じなのですか」
証人「はい。角膜の混濁で見分ける場合は、乾燥というのが問題になります」
《遺体の目は、時間がたてばたつほど、乾燥して混濁する》
証人「今回の場合のように土の中に埋まっていると、湿度が高く、時間の経過を分かりにくくします」
裁判官「死後硬直ではどうですか」
《遺体は、死後すぐに硬直し始め、その後また、時間がたつごとに硬直がとけはじめる》
証人「全身が硬直するまでの時間は、環境にあまり左右されません。硬直がとけるのは腐敗のせいです。腐敗となると気温に左右されます」
《医学上の知識について長い間話しているためか、6人の裁判員はみなうつむきがちだ》
裁判官「弁護士が、リンゼイさんの背中の上に、市橋被告が乗って腕を後ろから首に回しているというのを表した図を示しましたが、これでも、輪状軟骨は折れて、なおかつ頚部の静脈は閉塞しない状態になり得るということでいいのですか」
証人「はい」
《男性裁判官の質問が終わり、右から2番目の男性裁判員が手を挙げた》
裁判長「どうぞ」
《男性裁判員は、粘着テープで拘束されていた、リンゼイさんの手の状況について質問をする》
裁判員「長い間、水腫状態になるほど、手を圧迫すると、命にかかわる危険はありますか」
証人「命にかかわると言いますか、血流がその部分にいかないので、酸素の供給が止まり、手先の組織が壊死(えし)します」
裁判員「それは痛いですか」
証人「相当痛いでしょうね。完全に組織が死んでしまえば痛みは感じませんが、そこに至るまではかなり痛いと思います」
《男性裁判員は女性医師の答えに小さくうなずく。堀田裁判長が促すと、左端の男性裁判員が手を挙げ、リンゼイさんに鼻の骨折がなかったことを確認した》
《裁判員の質問が一段落して、堀田裁判長が女性医師に気道の閉塞が不完全な場合では、窒息死に至るまで圧迫時間が長くなることを確認した》
裁判長「閉塞が不完全なほど、長く圧迫しなければならないのですか」
証人「そうなりますね」
《続いて検察側が再び女性医師への質問をはじめた。男性検察官が粘着テープのついていた位置について確認した》
《検察側の質問が終わると、堀田裁判長は女性医師に退廷を促した》
裁判長「本日はここまでです。次回は明後日7月7日午前10時からこの法廷です。被告人は必ず出廷しください」
《堀田裁判長が閉廷を宣言すると、市橋被告は堀田裁判長に一礼。リンゼイさんの両親の方を見ることなく退廷した》
《次回、第3回公判では、当時リンゼイさんと同居していた女性の証人尋問と、市橋被告への質問が予定されている》
英国女性殺害 第3回公判(2011年07月07日)
【英国女性殺害 市橋被告3日目(1)】
最初の一言は「自分に見覚えあるか」...全速力でリンゼイさん追いかけ 同居の外国人女性証言
2011.7.7 11:43
(10:09~10:22)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判が7日、千葉地 裁(堀田真哉裁判長)で始まった。今回は午後から市橋被告本人の被告人質問が行われる予定だ》
《初公判で市橋被告は「事件の日に何があったか裁判で話すことが私の義務。これからの裁判で詳しくお話しします」と述べた。被告本人の口から何が語られるのか》
《午前中には、事件当時にリンゼイさんと同居していた外国人女性への証人尋問が行われる。事件前に市橋被告とリンゼイさんのやり取りを間近で見ていただけに、最も重要な証人といっていい》
《法廷は千葉地裁最大の201号だ。午前10時9分、被害者参加人として裁判に参加するリンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんが入廷し、傍 聴席から向かって右側の検察官席の後ろに座った。ウィリアムさんは傍聴席を見渡すと、軽く笑みを浮かべ、ジュリアさんと二、三言言葉を交わした》
《すぐ後に市橋被告が左側の扉から入ってきた。うつむき気味で縮れたボサボサの長めの髪が目にかかっている。黒色の長袖シャツに濃いグレーの細身のジーンズをはいている》
《市橋被告は、憔悴(しょうすい)した様子でリンゼイさんの両親に深く一礼し、証言台の後ろにある長いすに腰を下ろした。ウィリアムさんは、被告の方を見ずに傍聴席の方に目をそらした》
《いずれも男性の裁判員6人が入廷。堀田裁判長ら裁判官3人の後ろに並び、法廷内の全員が起立、礼をした後、席に着いた》
《裁判の最大の争点は殺意の有無だ。初公判で市橋被告はいきなり土下座し、「リンゼイさんの死に対して責任は取るつもりです」とリンゼイさんの両親に謝罪したが、「殺意はありませんでした」と述べた》
《検察側は「リンゼイさんへの乱暴の発覚を防ぐという動機があり、3分以上、相当な力で首を圧迫し続けた」と殺意を強調したのに対し、弁護側は「大声を出 さないよう口をふさいだが、リンゼイさんが逃げようとしたため、顔に腕を回して押さえ込むうちに動かなくなった」と殺意を否定した》
《第2回公判では、リンゼイさんの遺体を司法解剖した女性医師が証人として出廷し、「首の中央を強く圧迫する力が加わった。窒息死には最低でも3分は必要だ」と検察側の主張に沿った証言をした》
《一方で、弁護側がリンゼイさんにかぶさり、腕を首に回す市橋被告のイラストを示し、「この状態でも窒息死はあり得るか」と質問したのには「肘から下が当たっていればなります」と答え、弁護側の主張にも余地を残した》
《背の高い白人女性が入廷し、証言台の席に座った。長い金髪を後ろに丸く束ねている。午前10時12分、堀田裁判長が告げた》
裁判長「それでは開廷します」
《堀田裁判長が「名前は?」と女性通訳を介して質問していく。証人の女性は「○○(法廷では実名)です」と答えていく。その後、堀田裁判長が宣誓を促し、通訳を介して○○さんが宣誓する》
証人「誠実に真実を証言することを誓います」
裁判長「それでは、そこに腰かけて証言してください」
《起訴状によると、市橋被告は19年3月25日ごろ、自宅マンションでリンゼイさんの顔を何度も殴り、両手を結束バンドなどで縛って乱暴した上、首を絞めて殺害。遺体をベランダの浴槽に入れて土で埋めて遺棄したとされる》
《若い男性検察官が立ち上がり、「この項目に従って質問します」と述べ、裁判員らにメモが配られた》
検察官「事件が起きた当時、リンゼイさんと日本で一緒に住んでいましたね?」
証人「はい」
《○○さんは、カナダから来日。リンゼイさんと同居していた上、リンゼイさんと同じ英会話学校で英会話講師をしていた。一度、カナダに戻ったが、今回は証言のために再来日したという》
検察官「市橋被告と一度会ったことがありますね?」
証人「はい」
検察官「それは平成19年3月21日未明にリンゼイさんと一緒に部屋にやってきたときのことですね?」
証人「そうです」
《○○さんが前日20日の夜から別の友人と自宅にいたところ、東京メトロの行徳駅前でほかの友人とバーで飲んでいたリンゼイさんが市橋被告を連れて帰ってきたという》
検察官「何時ごろでしたか」
証人「終電の後だったので深夜、12時何分かだったと思います」
《2人が帰ってきたとき、○○さんは、友人とダイニングルームにいた》
検察官「そのとき、リンゼイさんとあなたはどうしましたか」
証人「リンゼイさんは私を浴室に連れていきました」
検察官「市橋被告についてリンゼイさんは、どのような説明をしましたか」
証人「リンゼイさんは行徳駅から西船橋まで電車に乗ったところ、彼(市橋被告)がじっと見ていたということでした」
「彼女は駅を下りて自転車で帰宅しようとしたところ、『自分のことを見覚えあるか。洗濯機を直したことがある』と声をかけてきたといいます。リンゼイさん は『見覚えがない。会ったことはありません』と答えました。すると、『英語の先生をやっていますね』と尋ねてきたといいます」
《市橋被告がこの日、リンゼイさんに声を掛ける前に自宅の洗濯機を修理したという事実は確認されておらず、市橋被告がリンゼイさんに接近するための口実とみられている》
《ウィリアムさん夫妻はしきりにメモを取っている。裁判員らは真剣な表情で証言に耳を傾けている》
証人「リンゼイさんが自転車で全速力で家に向かったところ、彼が全速力で走って追いかけてきたということです。アパートに着くと、(市橋被告は)息が切れていたそうです」
「彼女が『水をあげる』と言ったのか、彼が『水をください』と言ったのか分かりませんが、水を飲むということで、自宅に来ることになったようです」
《証言が続く間、市橋被告はうなだれたような姿勢のまま、微動だにしなかった》
【英国女性殺害 市橋被告3日目(2)】
「ストーカーじゃない。似顔絵描かせて」 何度もせがまれ根負け
(10:23~10:41)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判で、事件当時、リンゼイさんと同居していた外国人女性、○○さん(法廷 では実名)への検察側の証人尋問が続く》
《男性検察官は平成19年3月21日未明、市橋被告がリンゼイさんの自宅に上がり込み、居座ったときの状況について、通訳を通じて質問した。当時、室内には市橋被告、リンゼイさん、○○さんの他にも、リンゼイさんの友人女性1人がいた》
証人「(市橋被告が)『大学で美術を学んでいる。自分はストーカーではない。英語を教えてもらいたいだけ』と言っていました」
検察官「その他に、市橋被告に頼まれたことはありますか」
証人「私たちの似顔絵を描きたいと言っていました。私たちは『ノー(だめ)』と言いました」
検察官「でも市橋被告はリンゼイさんの似顔絵を描きました。どうしてですか」
証人「何度も『描かせてほしい』と言い、彼女は描かせて早く(市橋被告を)帰らせたいと考えていました」
《市橋被告はリンゼイさんの似顔絵を描いた紙に自らの名前、電話番号、メールアドレス、日付を記してリンゼイさんに渡したという。一方、リンゼイさんも自分の連絡先を書いた紙を市橋被告に渡した》
検察官「どうして市橋被告に連絡先を教えたと思いますか」
証人「とにかく彼女は家から彼を帰したいと考えたからだと思います」
検察官「市橋被告はすんなり帰りましたか」
証人「いいえ、家にとどまりたい雰囲気でした。彼女が(市橋被告を)玄関まで送っていき、『ちゃんと帰れる? 帰り方は分かる?』と話していました。彼女が『グッドナイト(おやすみ)』と繰り返し、ようやく(市橋被告は)帰っていきました」
検察官「市橋被告が滞在した時間は?」
証人「20分から30分ぐらいでした」
検察官「リンゼイさんは市橋被告に家にいてほしいと考えていましたか」
証人「いいえ。彼女はしぐさから、リラックスしていないと分かりましたし、(迷惑しているというような)アイコンタクトも送ってきました。(市橋被告に対する)言葉遣いは丁寧でしたが、あくまでも形式的なもので、友達に対するものではありませんでした」
検察官「市橋被告が帰った後、リンゼイさんは何と言っていましたか」
証人「『変わった人だね。気味が悪いね』と言っていました」
《向かって右から2番目の男性裁判員は、○○さんの言葉を聞きながら、メモを取る。○○さんは、リンゼイさんが事件に巻き込まれて行方不明になっていた3 月26日、リンゼイさんが勤務していた語学学校関係者とともに警察に通報。さらに27日には、リンゼイさんの遺体の身元確認も行っている》
検察官「リンゼイさんはどんな状態でしたか」
証人「遺体は、テーブルの上に横たわっていました。遺体の髪はショートヘアで、彼女はロングヘアだったから、別人だと思って近づきましたが、彼女の遺体でした」
《○○さんは、涙声になり始め、涙をぬぐった》
証人「髪が切り取られ、顔はむくんではれ上がり、彼女が徹底的に殴られているのが分かりました。本当にショックでした」
《初公判では、リンゼイさんの大量の毛髪が室内のゴミ袋に遺棄されていたことが明らかにされている。検察側の後ろに座るリンゼイさんの母親のジュリアさんは、○○さんの話を聞きながら、ハンカチで目頭を何度もぬぐった》
検察官「今も涙をぬぐっていましたが、4年たった今もショックは大きいですか」
《○○さんは、何度もうなずき、「はい」と答えた》
検察官「リンゼイさんはあなたにとってどんな存在でしたか」
証人「とても思いやりのある人でした。他人を大事にする人で、器が大きく、自分自身にも自信を持っていた人でした」
検察官「あなたがリンゼイさんの優しさを感じたエピソードを教えてもらえますか」
《ジュリアさんの隣に座る父親のウィリアムさんは生前のまな娘の話を聞き逃すまいと、○○さんを食い入るように見つめる》
証人「私は当時、カナダにボーイフレンドがいましたが、別れるかもめていました。別れることになり、取り乱したとき、彼女は『大丈夫』と慰めてくれました」
《ウィリアムさんは一瞬、眉間にしわをよせ、涙をこらえるような表情を見せる》
検察官「事件であなたの生活に変化はありましたか」
証人「はい。予定よりも早く帰国しました。彼女は強い人でした。強いからこそ、他人を信頼できましたが、それがあだとなりました」
《ジュリアさんは何度もうなずき、目と鼻をハンカチでぬぐう》
検察官「あなたは大事な人を失いました。市橋被告に、どんな処罰を望みますか」
《○○さんは、冷静な声で訴える》
証人「まずは死刑を望みます。死刑にならなくても、二度と社会には出てほしくありません。反省も後悔もしておらず、また同じことを繰り返すと思います」
《ここで検察側の証人尋問が終わり、弁護側による質問に移る。○○さんの後方にある被告人席に座る市橋被告は背中をやや丸めて座り、動きを見せなかった》
【英国女性殺害 市橋被告3日目(3)
「気味の悪い、変わった人」 リンゼイさんが語った被告の印象
(10:43~11:05)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判。事件当時、リンゼイさんと同居していた○○さん(法廷では実名)への 証人尋問は、検察側の尋問が終わり、弁護側の尋問へと移る》
《男性弁護人は、リンゼイさんと市橋被告の関係について、事件直後、供述調書を作成したときの状況を確認する》
弁護人「警察には、正直に話したということで、よいですか」
証人「はい」
《男性弁護人はリンゼイさんと市橋被告の関係について尋ねた》
弁護人「市橋被告はリンゼイさんに『英語を教えてほしい』としきりに頼んでいたのですね?」
証人「市橋被告は、リンゼイさんだけに頼んでいて、一緒にいた私たち2人の友人には頼んできませんでした」
《男性弁護人の質問は、市橋被告がリンゼイさん宅で描いたという似顔絵についてに移った》
弁護人「市橋被告は、(リンゼイさんの自宅で)リンゼイさんの似顔絵を描いて、連絡先を添えて渡したのですね?」
証人「はい」
《男性弁護人が法廷の壁に設置された大型モニターにそのときの似顔絵を映し出す。シンプルな線で描かれた、ほほえむリンゼイさんの横顔の右に、市橋被告の名前と電話番号、メールアドレスが書かれている。市橋被告はモニターを見ようともしない》
《男性弁護人は、似顔絵を証拠として採用することを求め、堀田真哉裁判長はこれを許可した》
弁護人「市橋被告が帰ったあと、リンゼイさんは彼のことを『気味の悪い、変わった人』と言っていたのですね?」
証人「はい」
弁護人「『危険だ、怖い人物だ』とまでは言っていなかったのですね」
証人「はい」
弁護人「あなたも危険とまで思わなかった?」
証人「私は彼のことを評価できるほど、そばにいたわけではないので...」
弁護人「危険とまでは思わなかったということですね?」
証人「市橋被告を評価できるほど、そばにいたわけではないというだけで、危険だと思わなかったわけではありません。私も気味が悪いとは思いました」
弁護人「あなたと市橋被告は、そのときが初対面だったのですか」
証人「はい」
弁護人「リンゼイさんも市橋被告とは初対面だ、と言っていたのですね?」
証人「はい」
弁護人「初対面の市橋被告を、リンゼイさんは深夜、自宅に連れ帰ったのですね?」
証人「はい」
《男性弁護人は、○○さんの口から、リンゼイさんは○○さんと違って市橋被告に好意的だったとの言葉を引き出したいようだ。リンゼイさんの両親は、男性弁護人を注意深く見つめている》
弁護人「(市橋被告の似顔絵を画きたいという)申し出に対し、リンゼイさんだけが了承した?」
証人「はい」
弁護人「そのときに、リンゼイさんは、自分の連絡先を(市橋被告に)渡したのですね?」
証人「はい」
《男性弁護人は、リンゼイさんの自宅に来たとき、帰りたがらなかったという市橋被告の様子について質問する》
弁護人「市橋被告が自宅に来た時間は、深夜12時過ぎだったのですね?」
証人「はい」
弁護人「あなた自身、迷惑だから(市橋被告に)早く帰ってほしい、と思いましたか」
証人「はい」
《男性弁護人は、○○さんが、そのとき、市橋被告に抱いた悪い感情について質問を続ける》
弁護人「市橋被告が帰りたがっていないように見えたのは、あなたが(市橋被告に)早く帰ってほしいと思っていたからではないですか」
証人「まぁ、そうですね」
《男性弁護人は、市橋被告に好意を持っていたともとれるようなリンゼイさんの行動について、○○さんから話を引き出そうとしているようだ》
弁護人「市橋被告がリンゼイさんに『水を飲ませてくれ』と言って、自宅に上がり込んだんですか。それともリンゼイさんが『水でも飲みませんか』と誘ったのですか」
証人「よく覚えていません」
弁護人「事件直後に作成されたあなたの供述調書によると、『リンゼイさんは達也(市橋被告)の息が切れているから、水でもどうぞ、と誘った』と書いているが、その内容が正しいのでは?」
証人「はい、そう言いました」
弁護人「今は事件から4年がたっています。供述調書は事件直後に作成したものです。直後の供述調書の方が正しいのではないですか」
《○○さんは、「今は覚えていない」と答えるが、男性弁護人は重ねて質問する》
弁護人「事件直後の方が正確なのではないですか」
証人「それは、そうです」
《男性弁護人が改まったように上体をそらした》
弁護人「○○さん、市橋被告にあなたはどのような感情を持っていますか」
証人「感情の変化までですか」
弁護人「ただ、あなたが市橋被告をどう思っているか聞きたいだけです」
《○○さんは、体をよじらせ、しばらく沈黙したあと、ゆっくり一語一語区切るように話し出した》
証人「本当に許せない。耐えられない憤りを感じます。彼は彼女に対してしたことについて、償うべきです」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんが「その通り」というように、小さくうなずいた》
弁護人「そういった感情が市橋被告に対する記憶を変容させているわけではないのですか」
証人「市橋被告はああして彼女を殺しました。私が抱く気持ちは当然のものです」
《小さい声ながら、○○さんは、はっきりと答えた》
弁護人「あなたはカナダ国籍ですか」
証人「はい」
弁護人「カナダには死刑がありますか」
証人「ありません」
《弁護人が質問を変える》
弁護人「マンションは商店街からはずれていますよね?」
証人「そうです。はずれています。住宅街です」
弁護人「リンゼイさんが帰宅したのは21日にかけての深夜ですね?」
証人「そうです」
弁護人「ずいぶん遅い時間と思いますが、日本は治安がいいので、夜中に移動しても問題ないとお感じでしたか」
《ここで通訳の女性から質問が出る》
通訳「それは今日現在の気持ちですか。それとも当時?」
《同居していた友人が事件に巻き込まれ、痛ましい姿で見つかる。確かに現在は治安がいいと感じているはずがない》
弁護人「当時です」
《○○さんは「そうです」と答え、弁護人の質問は終わった。次いで男性検察官が追加の質問を行う》
検察官「リンゼイさんが深夜に帰宅したとき、あなたと友人が自宅にいることは知っていたのですか」
証人「はい」
検察官「リンゼイさんが被告を家に入れた理由について、リンゼイさんがどう感じていたと思いますか?」
《○○さんは、まっすぐ裁判長の方を見つめながら答えた》
証人「彼女は人に対して邪険にしない。人を思いやる、大丈夫と思う気持ちをいつも持っていた人ですから」
《ここで○○さんへの証人尋問は終了し、20分間の休廷に入った。市橋被告はうなだれたような姿勢のまま、刑務官に促されて退廷した》
【英国女性殺害 市橋被告3日目(4)】
「遺伝病」「第5因子」「血液病」...持病に関心? 市橋被告が謎のネット検索
(11:30~12:00)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判は、午前11時半に再開した。裁判員の証人尋問に向け、協議に時間がか かったのか、予定時刻よりやや遅れての再開となった》
《傍聴席から向かって左側の扉から入った市橋被告は、先に入廷していたリンゼイさんの両親に向かって、ゆっくりと頭を下げた。だが、両親はうつむいたまま目を合わせようとしない》
《事件当時、リンゼイさんと同居していた友人の○○さん(法廷では実名)に対する裁判員からの証人尋問が始まる。堀田真哉裁判長が質問を促すと、向かって左から3人目の青いシャツにメガネをかけた裁判員の男性が質問する》
裁判員「一つうかがいたいことがあります。リンゼイさんは、被告の(英会話の)個人レッスンを引き受けたといいますが、それについて、リンゼイさんは何か感想を言っていましたか」
《堀田裁判長が、質問内容の再確認をした後、○○さんが答える》
証人「彼女と最後の会話を交わしたときのことを思い起こしますと、キッチンで話していたと思います。ボーイフレンドがやってくる。そうしたら旅行するんだ と言っていました。そして、両親のことを話し、(勤務先の英会話教室の)レッスンのことを話す中で、プライベートレッスンについても言及したことがあった と記憶しています」
裁判員「そのときの様子は?」
証人「特に気づいたことはありません。さらっと言及したにすぎませんので...」
《裁判員の男性は、○○さんに向かってうなずき、質問を終える》
英国人女性殺害事件の初公判が行われた千葉地裁の法廷=4日午後(代表撮影)
裁判長「他にありませんか」
《堀田裁判長は、左右を見回し、質問を促すが手は挙がらない》
裁判長「これで証人尋問は終わりました。ありがとうございました」
《○○さんは、証言台を立ち、傍聴席側から少し疲れた様子で退廷する。市橋被告はじっとしたままで身動きをせず、ややうつむいた姿勢で座っている》
《続いて弁護側の提出した証拠調べに入る。法廷の左右の壁に設置された大型モニターに概要が表示され、ところどころ、弁護人が口頭で説明を入れる》
弁護人「まずは第1号証ですが...」
《第1号証は、被害者の直腸内温度と死亡推定時刻に関する報告書だ。リンゼイさんの直腸内温度は検視時の平成19年3月27日午後1時43分には19・6 度。これを法医学の教科書に基づき、2種類の方法で検証すると、死亡時刻は26日午後0時55分ごろか、26日午後3時58分ごろになるとした》
弁護人「いずれの方法も確実とはいえず、かなりの幅があり、あくまで目安であるとされています」
《弁護側はそう結論付けた。次いで、浴槽の痕跡に関する実況見分の資料の説明に入る》
《弁護側はリンゼイさんの遺体が発見された取り外し可能な浴槽と、体形のよく似た男性を使い、畳の上に置いた場合の畳のへこみ具合を検証。男性の姿勢を変えた4パターンの実況見分の結果を示した》
《これによると、リンゼイさんの遺体が見つかったときと同様、浴槽内にうずくまった状態でいるときには、畳に排水口の丸い跡は残らず、排水口側に背を向けて座った状態のときのみ、畳に直径約3センチの排水口の丸い跡が残るとした》
《これにより、何を立証しようとしているのか。弁護側の意図はまだ分からない》
弁護人「第17号証です。被告のインターネットの検索状況に関する報告書を示します」
「これは被告のノートパソコンで、ネットにアクセスした記録をハードディスクを解析して検索ワードを調べたものです」
《法廷の大型モニターに検索語が表示される。弁護側の説明によると、ネット検索は3月25午後11時38分から26日午前0時すぎに行われた。ワードはいずれも英語で「ワルファリン」「遺伝病」「第5因子」「血液病」「糖尿病」など医療用語だった》
《「ワルファリン」は医薬品の名前だ。初日の弁護人の冒頭陳述では、リンゼイさんが被告に「持病がある。薬を飲まないと」と訴えていたと主張しており、弁 護側の主張する死亡推定時刻と照らすと、検索時、リンゼイさんは生存しており、薬を与えようとしたとの主張を展開するとみられる》
《その 後、リンゼイさんの遺体や犯行現場となったマンション室内の写真を提示。マンションの4畳半の和室を撮影した写真では、浴槽の排水口跡とみられる丸い跡が 南西の角の畳に残っていることを示した。実況見分の証拠として示したリンゼイさんの浴槽内の姿勢と関連付けたいようだが、弁護側はそれ以上、説明しなかっ た》
《また、6畳の和室のパソコンなどが置かれたテーブルの写真の右端には、「WARFERRIN(ワルファリン)」と書かれた手書きのメモが写り込んでいたことを示す証拠を提出した》
弁護人「ワルファリンを辞書で調べますと、『抗凝血製剤』という単語が出てきます」
《弁護人がここまで説明したところで、裁判所側は全ての証拠を採用。裁判長が休廷を宣言し、午前中の審理を終えた。午後は1時15分から再開の予定だ。市橋被告は身じろぎせず、終始うなだれたままだった》
【英国女性殺害 市橋被告3日目(5)】
「何か飲む?」被告は誘われ、部屋に入ったと強調
(13:15~13:45)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判は、昼の休廷を挟 んで再開した。いよいよ市橋被告本人への被告人質問が始まる》
《入廷した市橋被告は、出廷しているリンゼイさんの両親に深々と一礼したあと、うつむいたまま着席した》
《6人の裁判員らも着席し、堀田真哉裁判長に促されて市橋被告が証言台の席に着く。弁護側からの質問が始まった》
弁護人「あなたは初日の公判で『事件の日に何があったか話すのが義務だ』と話しましたが、覚えていますか」
被告「はい、覚えています」
《市橋被告は、法廷に響くほどの大きな声で述べた。弁護側はまず、リンゼイさんと出会うまでの状況について尋ねていく》
弁護人「平成17年3月に千葉大学を卒業しましたね?」
被告「そうです」
弁護人「大学では主に何を学んでいましたか」
被告「主に植物について。公園や広場のデザイン、設計を学びました」
弁護人「卒業後はどういう進路を考えていましたか」
被告「大学と同じ分野で、海外の大学院で学びたいと思っていました」
《市橋被告は、一言一言言葉を選ぶようにゆっくりした口調で答えていく》
弁護人「17年の大学卒業から事件の19年3月までについて聞きます。仕事はしていましたか」
被告「していません」
弁護人「収入はどうしていましたか」
被告「親に仕送りをしてもらっていました」
弁護人「留学準備は、具体的にどんなことをしていましたか」
被告「留学に必要なTOEFL(トーフル)テストというものがあり、対策の参考書を使い、英語の勉強をしていました」
《ここからリンゼイさんと出会った3月20日夜の話に移っていく。左から2番目の男性裁判員は眉間に手をやり、真剣な表情を崩さない》
弁護人「リンゼイさんを、初めにどこで見かけたんですか」
被告「最寄り駅の(千葉県市川市の東京メトロ)行徳駅の改札前広場で見かけました」
弁護人「見かけて、どう思いましたか」
被告「すれ違った後、数カ月前に私が洗濯機の水漏れを直し、英語の個人レッスンを頼んだ若い白人女性に似ていると思いました」
《検察側は、初公判の証拠調べで、リンゼイさんが「洗濯機を直したのは僕です」と市橋被告から話しかけられた、とするリンゼイさんの親友の△△さん(法廷 では実名)の証言を明らかにしている。実際に市橋被告が洗濯機の修理を行ったかについては、これまでの公判でも触れられていない》
弁護人「そのときの女性に似ていると思って、どうしましたか」
被告「もしそのときの若い白人女性なら、もう一度レッスンを頼もうと思いました」
弁護人「その後、リンゼイさんはどこに行きましたか」
被告「行徳駅の中に入っていきました」
《その後、リンゼイさんの後をついて、西船橋駅で電車を降りた市橋被告。質問は、駅前通りで声をかけた市橋被告とリンゼイさんの対面と会話の内容に迫っていく》
弁護人「何と声をかけたんですか」
被告「『突然、話しかけてすいません。少し話してもいいですか』と言うと、リンゼイさんはうなずいてくれました。私は、リンゼイさんに『私のことを覚えていますか』と尋ねました」
《最初の一言こそ力強く答えた市橋被告だったが、その後はたどたどしい返答が目立つ。はなをすする音が響き、声は震えている。涙声のようにも聞こえるが、台本を読み上げているような印象も受ける》
弁護人「英語で話しかけましたか。日本語ですか」
被告「全て英語です」
弁護人「リンゼイさんは何と答えましたか」
被告「『違うと思います』と言いました」
弁護人「それからリンゼイさんはどうしましたか」
被告「自転車に乗って、通りの方に走っていきました」
弁護人「あなたはどうしましたか」
被告「駅の方に歩いてから、リンゼイさんが走った方向と思う方へ走っていきました」
弁護人「リンゼイさんと会えましたか」
被告「団地のような場所の街灯のところで、リンゼイさんが自転車を降りているところを見つけました」
《再びリンゼイさんに話しかける市橋被告。リンゼイさんの部屋に上がり込むまでの様子を詳細に答えていく》
弁護人「何と声をかけましたか」
被告「『また怖がらせてごめんなさい。どこ(の国)から来ましたか』と聞きました」
弁護人「リンゼイさんは?」
被告「『イングランドから』と答えていたと思います」
弁護人「他に何か話しましたか」
被告「はい。『私は海外で風景建築、公園設計、広場設計を学びたい。英語を教えてくれませんか。教えてくれれば、もちろんお礼をします』と話しました」
弁護人「それに対してリンゼイさんは何と答えましたか」
被告「リンゼイさんは笑ってくれて、『何か飲む?』と聞いてきてくれました」
《リンゼイさんに誘われて部屋に上がった、と説明する市橋被告。リンゼイさんの母、ジュリアさんは口を手で覆い、険しい表情で市橋被告を見つめる》
弁護人「リンゼイさんの部屋には誰がいましたか」
被告「リンゼイさんの他に、若い白人女性2人がいました」
弁護人「歓迎された、と思いましたか」
被告「思いませんでした」
弁護人「部屋に入って、どうしましたか」
被告「絵を描かせてほしい、と言いました」
弁護人「なぜ絵を?」
被告「部屋の雰囲気を和ませたかったので」
弁護人「描かせてくれた人はいましたか」
被告「はい」
弁護人「誰ですか」
被告「リンゼイさんです」
《リンゼイさんの絵を描いた後、他の2人には断られたと市橋被告は説明する》
弁護人「描き終わってどうしましたか」
被告「絵に私の名前、電話番号、メールアドレス、日付を書いてリンゼイさんに渡しました」
弁護人「リンゼイさんの反応は?」
被告「受け取ってくれました」
弁護人「リンゼイさんもメールアドレスを教えてくれましたか」
被告「はい」
《10~15分間、部屋で過ごし部屋を出ると、時間は既に深夜で終電はない。市橋被告は西船橋駅に戻り、インターネットカフェで一泊したという》
弁護人「リンゼイさんから連絡先を聞いてどう思いましたか」
被告「うれしかったです。」
弁護人「どうして、うれしいと思いましたか」
被告「リンゼイさんから英語の個人レッスンを受けられるかもしれない、と思ったからです」
《初対面を終え、事件を迎えるまでの数日間のやり取りについて、質問が続いていく》
【英国女性殺害 市橋被告3日目(6)】
「リンゼイさんと親密な関係になれたらいいな」被告の言い分に遺族怒り
(13:45~14:10)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判で、市橋被告 への弁護側の被告人質問が進む。男性弁護士は市橋被告とリンゼイさんがメールで約束した英会話の個人レッスンの内容について確認していく》
弁護人「どういう約束をしたのですか」
被告「日曜日(平成19年3月25日)の午前9時に(東京メトロ)行徳駅前で会って、駅前で1時間のレッスンを受けることになりました」
《市橋被告は時折、はなをすすり、ゆっくりとした口調で答えた》
弁護人「25日は何時に起きましたか」
被告「午前8時40分です」
弁護人「(待ち合わせ時間の直前に起きたのには)何か事情があったのですか」
被告「よく寝てませんでした。25日深夜(未明)、私は当時つきあっていた女性と外で会っていました。自分の部屋に戻ったのは朝4時ごろでした。そ...そこから、帰って眠ったので、起きたときが8時40分ごろです。寝坊したのです」
《一言一言を区切るようにして話す市橋被告。両手をきつく握りしめ、顔を小刻みに揺らしており、緊張しているようにも見える》
《市橋被告は起床してから自転車で行徳駅に向かい、その様子は途中の防犯カメラにも写っているという。弁護人に駅までの所要時間を尋ねられ、「5分もかかっていない」と答えた。駅前には、リンゼイさんが先に到着していたという》
弁護人「リンゼイさんと会ってどうしましたか」
被告「駅前のコーヒーショップに一緒に入りました」
弁護人「どんなレッスンを受けましたか」
被告「私の趣味の話、お互いの好きな映画女優の話、(19)98年の(サッカー)フランスワールドカップの話、(映画化された)ハリーポッターの話を(英語で)しました」
弁護人「レッスン料はコーヒーショップで払いましたか」
被告「いいえ、払っていません」
《弁護側は冒頭陳述で、市橋被告は待ち合わせ時間直前に起床したことで慌てたため、レッスン料を持っていくことを忘れたと主張。市橋被告もこの趣旨に沿っ た返答を行った。一方、検察側は冒頭陳述で強姦目的で『レッスン料を家に忘れた』と口実を使って自宅に誘い込んだと指摘しており、双方の主張は真っ向から 対立している》
弁護人「いつ代金を忘れたことに気づきましたか」
被告「コーヒーショップに入って飲み物を注文し、支払うときに財布の中身を見たときです」
弁護人「どうして、そのときに(レッスン料を忘れたことを)言わなかったのですか」
被告「そのときに言ったら、レッスンを受けられなくなるかもしれないし、受けたとしても、レッスンの雰囲気が悪くなると思ったからです」
《検察側の後方に座る父親のウィリアムさんは眼鏡を取り出してかけ、市橋被告の顔を見つめる》
弁護人「どうするつもりだったのですか」
被告「レッスンが終わったころにリンゼイさんにお金を忘れたことを謝って、(自宅に)取りにいけばいいと思いました」
弁護人「忘れたことを伝えたとき、リンゼイさんはどんな反応をしていましたか」
被告「リンゼイさんは『それだったら急がなければいけない』と言いました」
《これまでの公判で、リンゼイさんが同日午前10時50分から語学学校でレッスンの予定があったことが明らかになっている。2人はコーヒーショップを出た後、タクシーに乗って市橋被告方のマンションに向かっている》
弁護人「タクシーの中でリンゼイさんと会話を交わしましたか」
被告「していません」
弁護人「タクシーはどのあたりに止まりましたか」
被告「マンション前のガソリンスタンドです」
弁護人「タクシー運転手と何か話しましたか」
被告「はい。私がタクシー料金を払った後、運転手に『ここで5、6分待っていてくれませんか』と言いました」
弁護人「あなたはどうするつもりだったのですか」
被告「私は走って自分の部屋に行き、お金を取って戻ってきて、リンゼイさんにレッスン料を渡すつもりでした」
弁護人「運転手の答えは?」
被告「『それはできない』などと言っていました。私は運転手に『それだったら5、6分後にここに来てくれないか』と言いました」
弁護人「運転手は何と答えましたか」
被告「運転手は『ここに電話してくれればいい』と言って、タクシー会社の電話番号が書かれた領収書を渡してきて、行ってしまいました」
《弁護側はこのやり取りで、市橋被告が当初から強姦目的で自宅まで連れて行ったわけではないということを訴えたいようだ》
弁護人「タクシーが去ったとき、リンゼイさんは何か言いましたか」
被告「はい。リンゼイさんは『私はどうやって帰ったらいいの?』と言っていました」
弁護人「それで、あなたはどうしたのですか」
被告「マンションに歩いていきました」
《市橋被告とリンゼイさんは4階にある市橋被告の部屋に向かうため、エレベーターに乗り込んだ。検察側の冒頭陳述によると、エレベーターでリンゼイさんは、しきりに腕時計を見るなど、時間を気にしていたという》
弁護人「あなたはエレベーター内で何を考えていましたか」
《市橋被告は、間を置いてから、たどたどしくしゃべり始めた》
被告「私はタクシーが行ってしまったから、リンゼイさんは仕事に間に合わないと思いました。このままリンゼイさんと親密な関係になれたらいいな、と勝手に思っていました」
《「親密な関係」を通訳が訳したとき、検察側の後方に座る母親のジュリアさんは隣のウィリアムさんを見つめ、顔を振りながら怒気をはらんだ表情となった。一方、傍聴人席の最前列に座るリンゼイさんの姉妹も遺影を膝の上に置き、市橋被告の背中に厳しい視線を注いでいた》
《弁護人は「ここでいったん休憩を」と求め、堀田真哉裁判長が20分間の休廷を宣言。午後2時半から弁護側の被告人質問が再開される》
【英国女性殺害 市橋被告3日目(7)】
「私を殺すつもりね」 抵抗しながらリンゼイさんが発した一言
(14:30~15:00)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判。約15分間 の休廷を挟み、傍聴席から見て左側の扉から市橋被告が入廷した。リンゼイさんの両親に目を向けることなく、足早に証言台の前に立ったあと、ずり下がった ジーパンを手で腰まで引き上げた。午後2時半から審理が再開した》
《男性弁護人は、リンゼイさんが市橋被告の部屋に入ってからの状況を質問した》
弁護人「あなたの部屋にリンゼイさんが入ったあと、あなたはどうしましたか」
被告「入ったあと、私は手を伸ばしてリンゼイさんの後ろから抱きつきました」
《リンゼイさんの父親のウィリアムさんは険しい表情をしている》
弁護人「なぜ、抱きついたのですか」
《この質問に市橋被告は、しばらく沈黙する》
被告「彼女とハグ(抱き合うことを)したかったからです」
弁護人「場所はどこですか」
被告「玄関です」
弁護人「そのとき、リンゼイさんはどのような反応だったのですか」
被告「リンゼイさんは強く拒絶しました」
弁護人「それでどうしたのですか」
被告「私は誘惑に負けました。...(しばらく黙ったあと)、私はリンゼイさんを廊下に押し倒しました」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは、唇をかみしめている》
弁護人「リンゼイさんはもちろん抵抗しましたよね?」
被告「しました」
弁護人「あなたはどういう行為をしましたか」
被告「抵抗するリンゼイさんを押さえつけました」
《泣いているのか、市橋被告がはなをすする音が法廷に響く》
弁護人「どういう体勢でリンゼイさんを押さえつけたのですか」
被告「リンゼイさんは廊下にあおむけになり、私はその上にまたがるように乗りました」
弁護人「具体的にはどういうことですか」
被告「リンゼイさんの手足を私が押さえつけるようなかたちです」
弁護人「リンゼイさんの着ている服を破ったりしていますか」
被告「してます」
弁護人「顔面を殴ったり、頸部(けいぶ)を圧迫したりしましたか」
被告「それはしていません」
弁護人「リンゼイさんはどのくらい抵抗しましたか」
被告「数分間、抵抗しました」
《傍聴席から見て、右端から2番目の5番の男性裁判員は市橋被告をじっと見つめている》
弁護人「あなたは(抵抗するリンゼイさんに対して)どうしましたか」
被告「手首と足首に、結束バンドをはめました」
弁護人「その後どうしましたか」
被告「リンゼイさんを姦淫(かんいん)しようとしました」
《ジュリアさんは目を覆って泣いている》
弁護人「あなたはすぐに姦淫することができましたか」
被告「できませんでした」
《市橋被告は、リンゼイさんを乱暴しようと、避妊具の装着を試みたが、うまくいかなかったため、避妊具をそのままゴミ箱に捨てたという》
《右から3番目の男性裁判員が首をかしげている》
弁護人「それからどうしましたか」
被告「私はリンゼイさんを姦淫しました」
《男性弁護人は質問を変えた》
弁護人「結束バンドは何の目的で持っていたのですか」
被告「私の部屋の配線コード類をまとめて、壁に掛けるために、前年(平成18年)、ホームセンターで買いました」
弁護人「結束バンドはどこにありましたか」
被告「玄関の靴箱の上、壁際にある収納棚にまとめて置いてありました」
《男性弁護人は、計画的に結束バンドを準備したわけではなかったと主張したいようだ》
《続いて、男性弁護人は法廷内に設置された大型モニターに市橋被告の部屋の見取り図を示して、姦淫した場所の確認をした後、別の男性弁護人に交代した》
弁護人「あなたがしたことは、リンゼイさんの気持ちを踏みにじった強姦行為だと分かっているのですか」
被告「...はい」
弁護人「強姦した後、どのような行動をしましたか」
被告「私は寝室に置いてあった、テンピュール(低反発)のマットレスを廊下に持ってきて、廊下で横になっているリンゼイさんの下に敷きました」
《一言一言区切るように話す市橋被告。はなをすする音がますます大きくなった》
弁護人「なんでそんなことをしたのですか」
被告「彼女に申し訳ない気がしたので...」
弁護人「それは冷たい床で横たわっているリンゼイさんをいたわる気持ちからですか
被告「はい」
《ジュリアさんは目を見開いて、「ふん」と鼻で笑うような仕草をした》
弁護人「あなたが脱がしたリンゼイさんの服はどこに置きましたか」
被告「彼女のそばに置きました」
弁護人「布団の上ですか」
被告「そうです」
《弁護人の質問に対して市橋被告は、リンゼイさんが失禁した事実を述べた。ジュリアさんは手で顔を覆っている》
弁護人「あなたはどうしましたか」
被告「リンゼイさん(の体)を洗おうと思いました」
弁護人「どこに連れて行こうと思いましたか」
被告「浴室です」
《市橋被告は、リンゼイさんを抱きかかえて浴室に連れて行こうとしたが、抵抗されたことを話した》
被告「リンゼイさんを抱きかかえて風呂場に連れて行こうとすると、リンゼイさんは『私を殺すつもりね』と言いました。リンゼイさんが風呂場に行くことを強く拒否したので、連れて行けませんでした」
弁護人「あなたはその後、リンゼイさんをどこに連れて行こうとしましたか」
被告「リンゼイさんを抱きかかえたまま、和室に運びました」
弁護人「その後どうしましたか」
被告「結束バンドを切りました」
弁護人「どうして切ったのですか」
被告「そのときリンゼイさんは裸でした。私のグレーのパーカをリンゼイさんの上半身に着てもらうためです」
弁護人「実際に着せたのですか」
被告「はい」
《男性弁護人は、市橋被告がリンゼイさんに着せたというパーカを大型モニターに映し出した》
弁護人「これですね」
被告「はい」
弁護人「その後、あなたは灰色のパーカを着せたまま、リンゼイさんを浴槽に入れたでしょう?」
被告「はい」
弁護人「その後、さらに上に何か掛けたでしょう」
被告「はい」
弁護人「何を掛けましたか」
被告「私が着ていた茶色のジャケットを彼女の上半身に掛けました」
《男性弁護人の指示により、大型モニターに茶色のジャケットが映し出される》
弁護人「リンゼイさんの服をそばに置いていたのに、なぜそれを掛けなかったの?」
《市橋被告はリンゼイさんが失禁したためだと答えた。男性弁護人は小さくうなずいた》
弁護人「さっき敷いていたマットレスはどうしたの?」
被告「...。外のベランダに掛けました」
弁護人「あなたが逃走したあと、ベランダに掛かっていたマットレスですね」
《答えを考えているのか数秒黙ったあとでこくこくとうなずいて答えた》
被告「そのはずです」
弁護人「一度外した結束バンドをその後、どうしましたか」
被告「もう一度、彼女の手首にはめました」
弁護人「リンゼイさんの体はどうしましたか」
被告「黒いパーカとバスタオルを持ってきて掛けました」
《市橋被告の口から詳細な犯行状況が赤裸々に語られる中、リンゼイさんの両親はうなだれている》
【英国女性殺害 市橋被告3日目(8)】
「痛いから足首の結束バンド外して」 被告は冷たく「できない」
(15:00~15:30)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判は、市橋被告 への弁護側の被告人質問が続いている。市橋被告はゆっくりとした口調で弁護人の質問に答えていく。ときにたどたどしくも聞こえる》
《弁護側はリンゼイさんを浴槽に入れた経緯について質問をする。市橋被告は再度の失禁を恐れたためだと説明し、続けた》
被告「それで浴槽を持ってきてリンゼイさんに、その中に入ってもらったんです」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは目頭に手を当てる。母、ジュリアさんは励ますように右腕を伸ばし、ウィリアムさんの肩を抱いた》
弁護人「浴槽に入れたのは何時ごろのことですか」
被告「私とリンゼイさんが私の部屋に入ってから、1時間後ほどのことだったと思います」
弁護人「(平成19年3月)25日午前11時ぐらいということですか」
被告「だと思います」
弁護人「リンゼイさんを姦淫し、行為が終わった後、あなたはどういう気持ちだったんですか」
被告「リンゼイさんに悪いことをしたと思いました」
弁護人「また姦淫するつもりはあったんですか」
被告「ありません」
弁護人「あなたは悪いことをしたというが、じゃあ、これからどうしようと思ったんですか」
被告「なんとかしてリンゼイさんに許してもらわないと、許してもらいたいと思いました」
《この返答に、弁護人は少し語気を強める》
弁護人「こんなにひどいことをして許してもらえると思ったんですか」
被告「思いませんでした。すぐには許してもらえないと思いました。そのとき、私が考えたことは、なんとか彼女に話しかけて、人間関係をつくったら、許してもらえるんじゃないかと思いました」
《父のウィリアムさんは鼻を赤くし、「わけが分からない」といった様子で頭(かぶり)を振った》
弁護人「あなたが浴槽を置いたのは、4・5畳の和室ということだよね」
被告「そうです」
弁護人「浴槽はどのへんに置いたのか言える?」
《弁護人は市橋被告に、犯行現場となったマンションの間取りを示す》
被告「4・5畳の和室の壁際の真ん中あたりです」
弁護人「壁っていうとたくさんあるので、図面でいうと?」
被告「この4・5畳の左側の壁際の真ん中あたりに私は浴槽を起きました」
弁護人「ラジカセがあったけど、その前あたりですか」
被告「はい」
《その位置は、弁護人が実況見分や証拠写真を使って示した浴槽の排水口の跡が畳に残っていた位置と一致する》
弁護人「4・5畳の部屋にはあなたもいた?」
被告「はい」
弁護人「座っていた?」
被告「私は座っていました」
弁護人「話はしました?」
被告「はい」
弁護人「被害者はどんな話をしましたか」
被告「リンゼイさんは4・5畳の和室の左側の壁際に私が張っていた、私が書いた『走っているチーター』の絵をみて、私に『この絵は間違っている。私は大学で生物学を学んでいたから分かるんだけど、このチーターのおなかは出すぎている』と言ってくれました」
《弁護人はチーターの絵の写真を市橋被告に提示する。大型モニターに映し出された絵は、鉛筆かボールペンのようなもので描かれたモノクロのスケッチで、横から見たチーターが描かれていた》
弁護人「誰が描いたのですか」
被告「私です」
弁護人「さきほどのは、この絵のことですね」
被告「そうです」
弁護人「そのほかにあなたのほうから話しかけることはありました?」
被告「ありました」
弁護人「どんな話でした?」
被告「私はリンゼイさんに、キング牧師の演説の内容を尋ねました」
弁護人「どんなテーマの演説ですか」
被告「『I HAVE A DREAM』。『私には夢がある』という題名のスピーチです」
弁護人「訪ねたことに被害者は?」
被告「私がその演説の最初の部分をリンゼイさんに尋ねると、リンゼイさんは黒人は奴隷解放宣言のあと、黒人は自由を手にしたけれども、奴隷のときは生活や 仕事に保証があったけど、自由を手にしたことで、生活や仕事の保証がなくなった面があるということを教えてくれました」
弁護人「そういう話を聞いてどう思いましたか」
被告「私はそういう考えもあるのだなと思いました」
《裁判員の男性は市橋被告の証言にじっと聞き入っている》
弁護人「他には?」
被告「あります」
弁護人「項目的にいうとどんなこと?」
被告「私は、リンゼイさんにカトリックとプロテスタントの違いを尋ねました。それとリンゼイさんが日本に来るまでに、どんな国に行ったことがあるのかということも尋ねました」
弁護人「あなたとすると人間関係を作ろうと話しかけたということでしょうか」
被告「はい」
弁護人「被害者はずっと答えてくれましたか」
被告「いいえ」
弁護人「どうしてですか」
《市橋被告はしばらく沈黙した後に答える》
被告「リンゼイさんが答えるのがしんどくなったんだと思います」
弁護人「そうすると、あなたは話しかけるのをやめた、控えたのですか」
被告「はい。控えました」
弁護人「そうしたら、どうなりました?」
被告「リンゼイさんから、甘いものがほしい。飲み物がほしいと言われました」
弁護人「それに対してどうしましたか」
被告「私は台所に行ってミネラルウオーターと黒砂糖を...」
《市橋被告はそこで言葉を止め、しばらくしてもう一度繰り返す》
被告「私は台所に行ってミネラルウオーターと黒砂糖を取ってきて、リンゼイさんの口の中に入れました」
弁護人「そのほかに求められたものは?」
被告「リンゼイさんは私に手首の結束バンドが痛いから外してほしいといいました」
弁護人「それに対しては?」
被告「また台所に行ってキッチンばさみを持ってきて、彼女の結束バンドを切りました」
弁護人「次に何を求められましたか」
被告「リンゼイさんは私に足首の結束バンドも痛いから外してほしいと言いました」
弁護人「それに対しては?」
被告「私は『できない』といいました」
弁護人「ほかには?」
被告「リンゼイさんは私にトイレに行きたいといいました」
弁護人「それに対してどうしました?」
被告「リンゼイさんに浴槽から出て、廊下のトイレに行ってもらいました」
弁護人「だけど足首は外してないと言っていたのに、どうしたんですか」
被告「足首はトイレに行く前に外しています」
《つじつまがあわない発言に弁護人は質問を続ける》
弁護人「戻ったあとでまた足首に(結束バンドを)したということですか」
被告「違います。順序が違います」
弁護人「では言ってみて」
被告「私がリンゼイさんの...」
《そこまで言ったところで、市橋被告は言葉を止めて言い直す。英語を意識してのことか、主語と述語の使い方にこだわりがあるようだ》
被告「リンゼイさんから私に、足首が痛いから外してほしいといい、私はできないといいました。リンゼイさんがトイレに行きたいと言ったのは、だいぶ後の話です」
《弁護人は順を追って説明するように市橋被告に言い、質問を続ける》
弁護人「では、さきほどの話の続きの中で求められたことは?」
被告「あります。リンゼイさんはたばこが吸いたいと私に言いました」
弁護人「それに対しては?」
被告「私はできないと言いました」
弁護人「足首を外してとか、たばこを吸いたいとか言われ、『できない』『できない』と答えたんだよね」
被告「ええ」
弁護人「そのときの心境は?」
《市橋被告は言葉を詰まらせ沈黙する。10秒ほどたったところで、弁護人が根負けした》
弁護人「じゃあ質問を変えるけど、イライラとか怒ったとか、感情的なものがなかったのかということなんだけどね」
被告「ありました」
弁護人「それはどんな気持ち?」
被告「私は...。リンゼイさんに対して...。イライラしていました」
《言葉を切りながら、ゆっくりと吐露する》
弁護人「なぜイライラしたんですか?」
被告「私がリンゼイさんが逃げたいことは、私はもちろん分かっていました。でも、リンゼイさんがいうことを私がすべてしていたら、リンゼイさんが逃げてしまうと思って、私はイライラしました」
弁護人「それであなたはどういう行動を取ったんですか」
被告「私はリンゼイさんの顔を殴っています」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは「あぁ」というように体を大きくのけぞらせる》
弁護人「それは感情的にキレたということですか」
被告「はい」
弁護人「何回ぐらい殴りましたか」
被告「私はリンゼイさんの顔を2回殴っています」
《「殴りました」ではなく、「殴っています」という表現を使う市橋被告。どこか客観的な印象を受ける》
弁護人「リンゼイさんのいる浴槽に寄っていて殴った?」
被告「そうです。はい」
弁護人「どちらの手で殴りました?」
被告「最初に左のこぶしで、次に右のこぶしで殴りました」
《淡々としながらも事件当時の怒りの感情に言及した市橋被告。リンゼイさんの両親の鼻は赤く、キッと市橋被告をにらみつけている。ここで法廷は20分の休憩に入った》
【英国女性殺害 市橋被告3日目(9)】
「私の人生は私のもの」決然 言い放ったリンゼイさんの言葉
(15:50~16:25)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判は、休憩を挟んで 再開した。リンゼイさんを暴行後、さらに殴りつけたときの行動から、男性弁護人の質問が続く》
弁護人「抵抗できない被害者を2発、しかも強い力で殴った。なぜそんなひどいことをしたんですか」
被告「私はかっとなりました」
弁護人「どうしてかっとなったんですか」
被告「リンゼイさんから『たばこを吸いたい』といわれて、私は『できない』といいました。それからやり取りがあって、私はかっとなってリンゼイさんの顔を殴りました」
弁護人「しかし、あなたは人間関係をつくって許してもらう気でいたんではないんですか」
被告「そうです」
弁護人「感情的に殴りつけて、穏便には済まなくなってしまった?」
《市橋被告は涙声で答えた》
被告「そうです」
弁護人「その後、どう考えたんですか。後悔の他には?」
被告「彼女、リンゼイさんに逃げられてはいけないと思いました」
弁護人「どうしてですか」
被告「私がリンゼイさんを姦淫(かんいん)した上に、殴ったからです」
弁護人「では、どうしようと思ったんですか」
被告「今はダメだけど、何とか許してもらいたいと、それだけ思っていました」
《浴槽の中で手足を縛られたリンゼイさんとともに、4畳半の和室にいた市橋被告。弁護人は2人の会話について尋ねていく》
弁護人「リンゼイさんは何と話しましたか」
被告「『トイレに行きたい』と言いました」
弁護人「他には?」
被告「リンゼイさんの家族構成についても話を聞きました」
《突然の「家族」の言葉に、リンゼイさんの母、ジュリアさんは目頭を押さえる》
《ここで、弁護人はこれまでの証拠調べなどで明ら かになっていない詳しい犯行時刻などについても質問する。市橋被告は殴りつけたことについて「まだ明るかった」とし、会話のやり取りについては「日が落ち て暗くなってから」と答えた。弁護側は暴行と死亡の時間差を強調したいようだ》
弁護人「他には、どんな話をしましたか」
被告「リンゼイさんは『私は子供をたくさん産みたい。私の人生は私のもの』と言いました」
弁護人「他には?」
被告「『(リンゼイさんの)ルームメートがパーティーに行っている。今なら大丈夫』と言いました」
《リンゼイさんは今無事に返してくれれば取り返しがつくと、伝えようとしたようだ。弁護側は、市橋被告がもっぱら聞き役だったことも強調したいようだ》
弁護人「(平成19年)3月26日午前0時半ごろ、当時の彼女にメールをしていますね」
被告「出しています」
《「これから1週間ぐらい部屋にこもって勉強します。1週間電話しない」という内容のメールについては、初公判の証拠調べでも紹介されている》
弁護人「1週間の間に、被害者と人間関係をつくろうと思っていたんですか」
被告「はい、そう考えていました」
《ここから、リンゼイさんが死亡に至る経緯について、質問が始まる》
《当時の彼女にメールを出した市橋被告はそのまま眠りについたが、3月26日午前2~3時の間に目を覚ましたという。浴槽の中のリンゼイさんの様子を確認すると、手の結束バンドが外れていたという》
弁護人「外れているのを見て、どうしましたか」
被告「外れている、と思った瞬間、リンゼイさんはこぶしで私の左こめかみを殴りました。頭を壁にぶつけ、何が起きたか分かりませんでした」
弁護人「その後は?」
被告「大きな音がしました」
弁護人「何の音?」
被告「リンゼイさんを探すと、浴槽が倒れていました」
弁護人「音は浴槽が倒れた音だったんですか」
被告「分かりません。左こめかみを殴られ、壁に打ちつけられたときに大きな音がしました。浴槽が倒れ、リンゼイさんが浴槽から出ていました」
《事件の核心部分に迫るにつれ、リンゼイさんの両親ら家族の表情が険しくなっていく》
弁護人「リンゼイさんの体勢はうつぶせですか」
被告「はい」
弁護人「静かにはっていたのですか」
被告「いいえ。大声を出して逃げていこうとしました」
弁護人「それはどんな声でしたか」
被告「獣のようなうなり声でした」
《女性通訳が「animal」(動物)の単語を発すると、リンゼイさんの母、ジュリアさんは大きく首を振った》
弁護人「声を聞いてどう思いましたか」
被告「下の住人に声が聞こえてしまうと思い、追いすがりました」
《必死ではい逃げるリンゼイさんに乗りかかった市橋被告。左腕を伸ばし、リンゼイさんのあごを覆ったという。ジュリアさんからおえつが漏れ、リンゼイさんの父、ウィリアムさんがジュリアさんの膝に手を置く》
弁護人「リンゼイさんに声を出されないようにするだけの目的で腕を伸ばしたんですか」
被告「いいえ。逃げられないようにするためです」
弁護人「そうすることで声は止まりましたか」
被告「止まりませんでした」
弁護人「それで、どういう行動をとったんですか」
被告「左腕をもっと伸ばして、彼女の顔を巻くようにしました」
弁護人「リンゼイさんの様子はどうでしたか」
被告「リンゼイさんは、まだ声を出していました。前に進んでいこうとしていました」
《市橋被告の語る「リンゼイさんの死」が目前に迫り、法廷内は緊張感に包まれる》
【英国女性殺害 市橋被告3日目(10)完】
リンゼイさんが動かなくなるまで」覆い被さった被告の殺意は...
(16:25~16:52)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判で、弁護側による被告人質問が続く》
《男性弁護人は平成19年3月26日未明、市橋被告方のマンションからはって逃げようとするリンゼイさんに対し、覆いかぶさって押さえつけようとした状況について尋ね、市橋被告はリンゼイさんが言葉を発したと答えた》
弁護人「どのような言葉を言われたのですか」
被告「アイ・ガット・イット、アイ・ガット・イット、ハハハ」
弁護人「その言葉の意味は分かりましたか」
被告「『分かった、分かった、ハハハ』だと思います」
弁護人「それを聞き、どう思いましたか」
被告「私はリンゼイさんを全然押さえ込めておれず、逃げてしまうと思いました」
弁護人「リンゼイさんはその状態で前に進もうとしていましたか」
被告「はい」
弁護人「あなたはどういう行動に出ましたか」
被告「私は体を前に倒すようにしてリンゼイさんの上に覆いかぶさりました」
《検察側の後方に座るリンゼイさんの母親のジュリアさんは頭を抱えた》
弁護人「なぜ覆いかぶさったのですか」
被告「リンゼイさんが声を上げないように、リンゼイさんが逃げないようにするためでした」
弁護人「覆いかぶさってどういう効果があると思いましたか」
被告「覆いかぶされば、リンゼイさんが逃げないし、声を上げても響かないと思いました」
弁護人「覆いかぶさったとき、左腕をリンゼイさんに巻き付けるようにしていたと言っていましたが、そのとき左腕はどこにありましたか」
被告「下にいるリンゼイさんの下に、私の左腕がありました」
弁護人「リンゼイさんの体の下のどの辺りにありましたか」
被告「私の左腕が私の体と、リンゼイさんの体の下にあり、私が覆い被さったときに左腕がリンゼイさんの体の下のどこにあったのかまでは分からないのです」
《市橋被告はやや不自然な言い回しで答えた。市橋被告ははなをすすり、息が上がっているようだ》
弁護人「左腕は自由に動かせましたか」
被告「動きませんでした」
弁護人「左腕は抜けなかったのですか。引き抜けなかったのですか」
被告「抜けませんでした」
《市橋被告は嗚咽をもらしたような声を出したが、その表情はうかがえない。弁護人はさらに左腕がリンゼイさんの体のどのあたりに接触していたかについて質問を重ねたが、市橋被告は「分かりませんでした」と繰り返した》
弁護人「リンゼイさんを押さえつけた状態で、リンゼイさんの顔がつぶれることを心配しなかったのですか」
被告「リンゼイさんの顔の下は畳でした。そのとき、リンゼイさんの顔がつぶれるとは考えていませんでした」
《傍聴席でリンゼイさんの遺影を抱く姉妹は生々しい犯行手口の表現に、うなだれてしまった》
弁護人「一昨日の公判で医者の証言を聞いたでしょ? あなたの左腕で被害者の喉が圧迫されたことも考えられると言っていたでしょ? 被害者の喉を圧迫した認識はありましたか」
被告「左腕がどこにあるか分かりませんでした」
弁護人「覆いかぶさっていたとき、右手はどうなっていましたか」
被告「右手は...、私の...右横で...。私はリンゼイさんの体に乗りかかった状態から、右側に右手を立てました」
《市橋被告は、実際にその場で右腕を動かしながら、右腕で畳をおさえ、体を支えていたと説明した》
弁護人「左腕と右腕が結ばれていたということはありますか」
被告「ありません」
弁護人「あなたが覆いかぶさったとき、リンゼイさんの後頭部はどの辺りにありましたか」
被告「私の胸の下にリンゼイさんの後頭部がありました」
弁護人「あなたは体をリンゼイさんの上に乗せ、リンゼイさんは声を出さなくなりましたか」
被告「出さなくなりました」
弁護人「体は動いていましたか」
被告「リンゼイさんの体は暴れていました」
弁護人「乗ったとき、どうしようと思ったのですか」
被告「リンゼイさんが動かなくなるまで、リンゼイさんの上に覆いかぶさろうと思いました」
弁護人「動かなくなるまでとは?」
被告「リンゼイさんが抵抗しなくなるまでです」
弁護人「抵抗しなくなるまでとは?」
被告「申し訳ありません」
《質問には答えず、はなをすすりながら謝罪する市橋被告。弁護人は「そうじゃなくて」と言い、質問を重ねる》
弁護人「抵抗しないとはどのような状態を想定していたのですか」
被告「逃げるのを諦めるまで...」
弁護人「(リンゼイさんが)逃げるのを諦め、声を出さなくなったら、どうするつもりだったのですか」
被告「リンゼイさんから離れるつもりでした。リンゼイさんにまた、(直前まで縛って監禁していた)浴槽の中に入ってほしかった」
《市橋被告の声は消え入るようにか細くなった。弁護側はこれまでのやり取りで、市橋被告に殺意がなかったことを強調したいようだ。弁護人は大型モニターに、市橋被告がリンゼイさんを押さえつけた状況を絵で描いた紙を映し出した》
《市橋被告がリンゼイさんの体の上に半身を乗せたような状態で左手で口付近を押さえているところから、完全に覆いかぶさって左腕をリンゼイさんの体に差し込むまでの過程が5枚に描かれている》
《市橋被告は弁護人の「これはどういう状況?」という質問に答える形で、絵の解説を行ったが、途中で涙声で「すみませんでした」と謝罪した》
弁護人「完全に覆いかぶさった状態でどれくらい時間が経ちましたか」
被告「私の感覚では短かったのです」
弁護人「その後、どうなりましたか」
被告「リンゼイさんは動かなくなりました。リンゼイさんが逃げるのを止めたと思いました」
弁護人「リンゼイさんは下を向いていましたか」
被告「はい」
弁護人「あなたはリンゼイさんを仰向けに起こしましたか」
被告「起こしました」
弁護人「どうなっていましたか」
被告「リンゼイさんは両目を開けていました。目の焦点は合っていませんでした」
《傍聴人席で目頭をハンカチで押さえ、泣く姉妹たち。検察側の後方に座る両親も目に涙をためながら、姉妹たちを心配するように見つめていた》
《市橋被告はその後、人工呼吸、心臓マッサージを説明した》
弁護人「あなたは心臓マッサージの技術を持っていましたか」
被告「持っていません」
《一般的に心臓マッサージで胸骨は骨折するとされるが、リンゼイさんの胸骨は折れていなかった》
弁護人「(胸が折れるような)やり方で心臓マッサージをしたのですか」
被告「していません」
弁護人「被害者を殺害しようとしたのですか」
被告「思っていませんでした」
《リンゼイさんの両親は「信じられない」という表情をしながら、ほぼ同時に体をのけぞらせた。殺意の有無は裁判の最大の争点となっており、弁護人は質問を続ける》
弁護人「死んでもいいと思いましたか」
被告「思いませんでした」
弁護人「死んでしまうかもしれないとは」
被告「思わなかった...。すみません」
弁護人「左腕がリンゼイさんの首を圧迫していると分からなかった」
被告「分からなかった...」
《絞り出すように答えた市橋被告。弁護人は「予定したものは終わりました」と堀田真哉裁判長に告げ、堀田裁判長は閉廷を宣言した。8日午前10時から被告人質問が続けられる》
英国女性殺害 第4回公判(2011年07月08日)
【英国女性殺害 市橋被告4日目(1)】
殺害後12時間も意識失い「夢であってほしい...」
2011.7.8 11:34
(10:00~10:20)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判が8日、千葉地 裁(堀田真哉裁判長)で始まった。7日の第3回公判では弁護側が市橋被告本人への被告人質問を行ったが、今回は検察側による質問が予定されている》
《市橋被告は第3回公判で、リンゼイさんとの出会いから、暴行、死に至らしめた経緯などを詳細に語った。だが、公判の最大の争点となっている殺意について は「(死んでもいいとは)思っていませんでした」と明確に否定。左腕を巻き付け、リンゼイさんに覆いかぶさったとされる時間も「短かった」などと証言し た》
《検察側は「強姦後に犯行を防ぐ目的があり、3分以上、相当な力で首を圧迫し続けた」と主張しており、市橋被告の証言と対立してい る。また、英語のレッスン料を忘れたため、リンゼイさんと一緒に自宅に取りに行ったとする市橋被告に対し、検察側は「強姦目的の口実」としており、この点 でも大きな隔たりがある》
《午後からはリンゼイさんの父、ウィリアムさんに対する証人尋問も予定される。被害者参加人として参加してきた公判では、指を立てるしぐさを見せたり、にらみつけたりと、市橋被告への怒りを隠さなかったウィリアムさんは、何を訴えるのか》
《午前9時58分、ウィリアムさんと、リンゼイさんの母、ジュリアさんが入廷し、傍聴席右側の検察官席の後ろに着席した。2人は時折、笑顔も見せながら通訳と打ち合わせをしている》
《9時59分、市橋被告が左側の扉から入廷した。白い長袖のワイシャツに黒のジーンズ姿。顔は青白く、うつむいたままで、ウィリアムさんらに軽く一礼した。ウィリアムさんらの笑顔は消え、市橋被告に厳しい視線を向けた》
《市橋被告は初公判で、ウィリアムさんらに土下座し、改悛(かいしゅん)の意を示した。しかし、犯行後に約2年7月に及ぶ逃亡生活を送った点について、市橋被告の口からは語られていない》
《続いて裁判長、裁判官、裁判員6人も入廷。全員が起立、一礼した後の午前10時、堀田裁判長が開廷を告げた。まずは7日に続き、弁護側による被告人質問だ。市橋被告がゆっくりと証言台に向かい、裁判長にうながされて椅子に腰を下ろした》
弁護人「あなたはリンゼイさんに人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたと言いましたね」
被告「はい」
弁護人「それでも被害者の意識は戻らなかった?」
被告「はい」
弁護人「そのあと、どういう行動を取りましたか」
被告「リンゼイさんは動きませんでした。それを見たら、私は全身の力がなくなって、意識がなくなっていました」
弁護人「事件は(19年)3月26日午前2時から3時ころと言われましたね。あなたの意識が回復したのは、どれくらいたってからですか」
被告「26日の午後2時か3時の間でした」
弁護人「約12時間くらい、意識がなかったと」
被告「はい」
弁護人「目覚めた事情は」
被告「事情はありません。リンゼイさんにマッサージを繰り返したけど、全く動かなかった。そこから全く覚えてなくて、目が覚めたら外が明るかった」
弁護人「その時の精神状態はどうでしたか」
被告「これが現実なのか、夢なのか分かっていなかった。分かっていませんでした」
弁護人「なぜそんな心理になったのですか」
被告「最悪な状態になりました。これが夢であってほしいと思いました。現実が分からなくなっていました」
《市橋被告は涙声になった。弁護側は続いて、リンゼイさんが大声を出さないよう口などに貼ったとされる粘着テープについて質問した》
弁護人「いつの時点で、被害者にテープを使ったかは覚えていますか」
被告「覚えています」
弁護人「それはいつ?」
被告「私は3月25日の昼にリンゼイさんを殴っています。そのあと、リンゼイさんが大声を出さないよう、口や、口から頭のまわりにかけて粘着テープを貼っています」
弁護人「それで、どうなりましたか」
被告「口に貼ると声が出ないと思いましたが、リンゼイさんが口をもごもごさせると、唾液がついて、すぐテープが口からはずれました。何回かやってもはずれるので、諦めてはずしました」
弁護人「粘着テープは、なぜ家にあったのですか」
被告「私は以前から、床の掃除に粘着テープを使っていました」
《第3回公判で、市橋被告はリンゼイさんの拘束に使った結束バンドについて、配線コードをまとめて壁にかけるため平成18年に購入したと証言していた。弁護側はこの粘着テープを含め、市橋被告の犯行に計画性がなかったことを主張したいようだ》
《続いてリンゼイさんを入れていた浴槽の図面が、法廷の大型モニターに映し出された。頭を置く傾斜部分がA面、足を置く部分がC面と記されている》
弁護人「リンゼイさんの入れ方は、A面の部分に背中がつく形でいれたのですか」
被告「そうです」
弁護人「足はC面ですか」
被告「そうです」
弁護人「リンゼイさんは同じ姿勢で座っていたのですか」
被告「リンゼイさんはじっとしていませんでした。時々、動きました」
《父親のウィリアムさんは市橋被告をにらみつける。母親のジュリアさんは隣に座る通訳の方に顔を向けたままだ》
弁護人「あなたはリンゼイさんを2回殴ったと言っていましたが、どこを殴ったのですか」
被告「私も浴槽に入るようにして、顔を殴りました」
弁護人「入るようにしてとは、被害者と相対する形ですか」
被告「そうです」
弁護人「あなたはリンゼイさんに電話番号や似顔絵を書いて渡していますよね。被害者と連絡が取れないことを不審に思われ、すぐ、あなたに結びつくとは思いませんでしたか」
被告「思いました」
弁護人「あなたはリンゼイさんと人間関係を作って、早く帰そうと思っていたとも話していましたが、どのくらいで帰そうと思ったのですか」
被告「彼女に悪いことをした気がしたので、許してもらえたら、彼女を帰したかった。でも、私は、彼女を殴ってしまったのです」
《市橋被告の声は、徐々に小さくなっていった》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(2)】
「警察に言わないから私を帰して!」リンゼイさんの悲痛な願いに被告は...
(10:20~10:34)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第4回公判は、男性弁護人による市橋被告本人への被告人質問が進められている》
《リンゼイさんを乱暴した後もかなくなに解放しようとせず、自宅に監禁し続けた市橋被告。この状況について質問する弁護人に対して「リンゼイさんに許してもらえたら帰したかった」との弁解を続けた》
被告「リンゼイさんからは『警察には言わない。言わないから私を帰して!』と言われました」
弁護人「それを聞いて?」
被告「帰してあげたかった」
弁護人「なぜ帰さなかったのですか」
《弁護人はやや語気を強め、ゆっくり質問する。涙声で話し続けている市橋被告が、はなをすする音が法廷に響く》
被告「私が顔を殴ったせいでリンゼイさんの目の下が黒くなっていました」
「いま帰したらリンゼイさんが警察に言わなくても、ルームメートや周囲の人たちが問題にする。『今は帰せない』と思いました」
《検察官の後ろに座るリンゼイさんの父、ウィリアムさんは、鋭い目つきをしたまま、女性通訳の言葉に耳を傾けている》
弁護人「だから当時、付き合っていた女性に『1週間ぐらい会えない』とメールを出したわけですね?」
被告「はい」
《これまでの公判では、市橋被告がリンゼイさんに乱暴し、監禁した後の平成19年3月26日午前0時半ごろ、交際していた女性に『1週間ぐらい部屋にこもって勉強する。1週間電話しない』とメールを送ったとされる》
《ここで弁護人が質問の内容を変える》
弁護人「逮捕されたとき、あなたは最初から黙秘していた?」
被告「事件のことは、黙秘していました」
《傍聴席から向かって正面に座るいずれも男性の裁判員6人は、一様に真剣な表情でメモをしたりしながら証言を聞いている》
弁護人「勾留質問で裁判官に何か言ったことは?」
被告「あります」
《逮捕後に行われた市橋被告に対する勾留の必要性を判断するための裁判所での答弁の内容を指しているようだ》
弁護人「何と?」
被告「『亡くなった方はもう何も話すことはできません。自分が間違ったことを訂正したり、自分に有利になることは言うことができないので、何も言いません』と言いました」
弁護人「起訴の直前に事件の概要を話していますね?」
被告「はい」
弁護人「供述調書に取られていますね?」
被告「はい」
弁護人「なぜ、話す気になったのですか」
被告「取調官からリンゼイさんの家族が来日していると聞きました。事件のことを話すことはありませんでしたが、謝罪はしたかった」
《事件後、リンゼイさんの両親は、何度も来日し、事件解決を呼び掛け続けてきた。一言一言、言葉を選ぶように話す市橋被告は、感極まってきたのか、声の震えが大きくなった》
被告「事件のことは話せない...。私は弱い人間です。事件のことを話すと、自分に有利な方に話をしてしまう。でも、謝罪だけはしたかった。でも、しゃべれない...」
《市橋被告は震える声で供述に至った心の揺れを告白していく。法廷は市橋被告の声だけが響き、静まり返っている》
被告「家族は、家族がどんなふうに亡くなったのか、どんな状況で亡くなったとしても、聞きたいと思っていると(取調官から)聞かされました」
「私は、どんなふうに亡くなったか、なんて(家族は)聞きたくないと思っていました。それ(取調官の話)を聞いて事件のことを話さないといけないと思いました。でも...」
《心の葛藤を話す市橋被告の言葉を女性通訳がはっきりした口調で英語に翻訳していく。ウィリアムさんの隣に座るリンゼイさんの母のジュリアさんは、あごに手を当て、考えるような表情をしながらメモを取っている》
弁護人「調書は、読み聞かせてもらいましたか」
被告「はい」
弁護人「内容に間違いは?」
被告「事件の経過については正しいです。しかし、リンゼイさんが動かなくなったときの様子は違っていました」
弁護人「内容が違っているのに、署名をしたのはなぜ?」
被告「私は、これでよかった。事件の流れがリンゼイさんのご両親に伝わればよかった。(両親に対する)謝罪の言葉をのせてもらった。それで十分でした」
《ジュリアさんは首を軽く左右に振った。考え込むような表情のままメモを取り続けている》
弁護人「最後の質問です」
「あなたの供述を検察官は信用してくれましたか」
被告「信用してくれませんでした」
弁護人「以上です」
《ここで堀田真哉裁判長が5分間の休憩に入ることを告げた》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(3)】
「質問を正確にお願いします」 長考し検察官には注文も
(10:40~11:00)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は約5分の休廷を挟んで再開する》
《左側の扉から出てきた市橋被告は、証言台の前に立つと、リンゼイさんの両親に深く一礼したが、いつもと同じように顔をそむけられた》
《検察側の被告人質問が始まった》
検察官「先ほど、逮捕後一度話せば自分に有利なように話してしまうと言っていたのは、あなたが現実に思っていたことですか」
《市橋被告は少し間を置いて話しはじめる》
被告「そうはなりたくないと思っていました」
検察官「供述調書を作成したとき、あなたはリンゼイさんの遺族に謝罪したかったのですか」
被告「謝罪だけはずっとしたかった...」
検察官「(供述)調書には謝罪の言葉が載っていたけれど、言葉だけで十分だと思って謝罪したんですか」
《男性検察官は、市橋被告が逮捕後、断食して黙秘するなどの行動をとって、犯行状況について口をつぐんでいたことを指摘したいようだ。市橋被告はしばらく黙ったあと、一語一語しっかりと話しはじめた》
被告「事件の内容と、私の気持ちが入ればよかったです」
検察官「今述べた謝罪の気持ちってどういう気持ち?」
被告「(供述)調書に書いてもらったことですか」
検察官「はい」
被告「供述調書に書いてもらったのは、『彼女の死について私には責任がある。私はその責任を取る』ということです」
検察官「それ以上に謝罪の言葉を(供述調書に)載せてもらおうとは思わなかったの?」
《市橋被告のはなをすする音が法廷に響く。泣いているようだ》
被告「思いません。私がいくら言葉で謝っても、リンゼイさんは戻ってきません。私はちゃんとリンゼイさんの死について責任を取ると、それだけが言いたかった...」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんの視線が宙をさまよっている。何かを考えているようだ》
《男性検察官の質問は、犯行直前のリンゼイさんとのレッスンについてに移った》
検察官「駅前の喫茶店で行ったレッスンについて、レッスン料を持っていないということは、レッスン開始前から気付いていたのですよね?」
《市橋被告はしばらく黙った》
被告「飲み物を注文して、代金を支払うときに気付きました」
《男性検察官はため息をついた》
検察官「『はい』、『いいえ』で答えられる質問は、『はい』か『いいえ』で答えてくれる?」
「飲み物の代金を払うというのは、レッスンを受ける前だったのでしょ?」
《市橋被告は、またしばらく黙った。しびれを切らしたように、男性検察官が声を荒らげる》
検察官「黙秘したいのであれば、黙秘したいって言ってー...」
被告「違います」
《市橋被告が、男性検察官をさえぎって話しはじめた》
被告「レッスンが始まったのがいつなのかを考えていて。飲み物を取ってきて席についてから始まったのか、それとも(千葉県市川市の東京メトロ)行徳駅で待 ち合わせして、喫茶店に一緒に歩いて来るまでも話していたので、彼女のレッスンがどこで始まっているのか...。私は正確に答えたい。だから質問を」
《いったん、市橋被告は口をつぐんだ》
被告「だから質問を、もう少し正確にお願いします」
《男性検察官は怒りを抑えているのか、腕を組んで下を向いた。後ろに座るリンゼイさんの両親を一瞬、振り返った後、質問を続けた》
検察官「あなたがレッスン代金を忘れたと、リンゼイさんに言ったのは、喫茶店を出る直前ですか」
被告「出る前です」
検察官「どのくらい前?」
被告「レッスンが、レッスンが終わる前です」
検察官「いずれにしろ、店にいる間、レッスンの終わり際になって、リンゼイさんに代金を忘れたと伝えたんでしょう?」
被告「そうです」
検察官「喫茶店で、代金を払う時点でレッスン代を忘れたと気付いたなら、リンゼイさんを喫茶店で待たせて、代金を取りに行けばよかったじゃないですか」
被告「そうです」
検察官「あなたの話を総合すると、今後もリンゼイさんのレッスンを受けていたいということじゃないですか」
被告「そうです」
検察官「レッスンが終わり際の段階になって、レッスン料金取りに行く。そんな行動をすれば、信用されずにレッスンを続けられないのではないですか」
被告「それもあります。でも、最初に喫茶店でレッスン料を払うお金がないことに気付いたとき、ここでお金がないと(リンゼイさんに)言ったら、最初のレッ スンの雰囲気が悪くなると思ったので。私はリンゼイさんのレッスンを受け続けたかった。雰囲気を悪くしてはいけないと思いました」
《男性検察官は質問を変えた》
検察官「あなたは喫茶店に青い手提げカバンで行った?」
被告「いいえ」
検察官「その日は何らかのカバンを持っていってますか」
被告「はい」
検察官「それは何色ですか」
被告「黒色です」
検察官「なぜそのカバンを?」
被告「...いつも使っているからです」
検察官「その黒色のカバンにキャッシュカードや運転免許証を入れたポーチは入っていなかったの?」
被告「いいえ」
《男性検察官の隣に座った、別の年上の男性検察官が書類を眺めて、顔をしかめている》
検察官「常に運転免許証などを持ち歩いていたのではないですか」
被告「いいえ」
検察官「黒いカバンはどのくらいの大きさのものですか」
《市橋被告はすこし考えている》
被告「形はショルダーバッグくらいで、大きさは何の負担もなく肩に掛けられるくらいです。それしか正確なことは言えません。覚えていません」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんが、ウィリアムさんに何かを耳打ちしている》
検察官「喫茶店の後にタクシーに乗った?」
被告「そうです」
検察官「(市橋被告の)マンションの敷地内までタクシーに乗って来たのなら、現金を部屋から取ってきて、駅まで引き返して、往復の代金を払えばよかったのではないですか」
被告「もう一度」
《男性検察官と市橋被告のやりとりに、男性弁護人が口を挟んだ》
弁護人「検察官、尋問はなるべく短く区切っていただいた方が分かりやすいかと思います」
《男性検察官は顔を赤くしたが、ワンテンポおいて質問を続けた》
検察官「その場にタクシーが来ていたのなら、そのまま往復の代金を払って、そのタクシーで駅まで引き返せばよかったのではないですか」
被告「私がですか」
検察官「はい」
被告「1人でですか」
検察官「いいえ違います。リンゼイさんと駅までタクシーで戻ればよかったのではないですか。考えませんでしたか」
被告「考えていませんでした」
検察官「あなたはタクシー代を払った後に『5、6分待って』と言ったのですか。払う前にどうして言わなかったのですか」
被告「まずはタクシー代を払わなければ信用されないと思っていました」
《リンゼイさんの両親は、市橋被告の答えを聞いて、顔を見合わせる。証言台の前に座る市橋被告は、検察側の被告人質問が始まってから、微動だにしない》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(4)】
「私はリンゼイさんの遺体の毛髪を切ったはず」"記憶喪失"を訴える
(11:00~11:36)
《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判で、市橋被告への検察側の被告人質問が続く》
《男性検察官は事件当日の3月25日、市橋被告がリンゼイさんとタクシーで市橋被告方のマンションに向かった際のことを尋ねる。市橋被告は弁護側の被告人 質問で、マンション近くでタクシーを停車させた際、運転手に「5、6分待っていてくれませんか」「5、6分後にきてくれませんか」と頼んだが、断られ、タ クシーが走り去ったと説明していた》
検察官「リンゼイさんから『帰りはどうしたらいいのか』と言われ、とっさにタクシー運転手に『数分後にきてくれ』と言ったのではないですか」
被告「違います」
《検察側は冒頭陳述で、市橋被告が当初から強姦目的でリンゼイさんを自宅マンションまで連れて行ったと主張している。市橋被告がタクシーを呼び戻そうとした言動はとっさの機転だったに過ぎないとみているようだ》
検察官「リンゼイさんに『どうやって帰ったらいいのか』と聞かれ、どう答えたのですか」
被告「私は何も言えませんでした。タクシーが去ったとき、リンゼイさんは不機嫌な表情をしていて、私はうまく説明することができなかったのです」
《検察官は強姦時の状況に質問を移した》
検察官「玄関でリンゼイさんを押し倒した時点で、強姦をするつもりだったのですか」
被告「はい」
《市橋被告はこれまでの公判で、玄関でリンゼイさんに抱きつき、拒絶されて強姦に及んだと説明している》
検察官「ハグ(抱き合う合うこと)しようとして拒絶され、どうして強姦しようと思ったのですか」
被告「玄関でリンゼイさんの後ろからハグをしようとしたとき、私はすでに『ハグをしてからリンゼイさんとキスや、セックスもしたい』と思っていました。でも...、でも...リンゼイさんは強く拒絶しました。それで私は誘惑に勝てず、リンゼイさんを強姦しようと思ったのです」
《検察側の後方に座るリンゼイさんの母親のジュリアさんは頭を抱えた》
検察官「弁護人の質問で『どういうつもりで抱きついたのか』と聞かれ、『ハグしたかったから』と答えていましたよね?」
被告「抱きついたのは最初にハグをしたかったからです」
検察官「キスやセックスをしたいと思ったのはいつの時点だったのですか」
被告「リンゼイさんが私の部屋に入ってくれたときです」
検察官「リンゼイさんをどのように押し倒したのですか」
被告「私はリンゼイさんが玄関に入った後、後ろから手を伸ばしてハグしようとしました。リンゼイさんが振り返り、私と顔と顔が向き合った状態で、強く拒絶しました。私はリンゼイさんを抱きかかえるようにして、玄関から続く廊下に押し倒しました」
検察官「押し倒した後、どうしましたか」
被告「私は彼女の服を脱がせようとしました」
検察官「それでどうしましたか?」
《市橋被告は少し間を置いてから答える》
被告「私はリンゼイさんの服を脱がせました」
《上下の服を脱がせ、全裸にしたと説明する市橋被告。リンゼイさんの父親のウィリアムさんは厳しい表情になった》
検察官「女性は服を脱がされそうになったら、ものすごく抵抗すると思うのですが、どう抑えて脱がせたのですか」
被告「数分間、激しくもみ合いました。数分間もみ合いになり、彼女は...リンゼイさんは抵抗しなくなりました。疲れたのだと思います。リンゼイさんが抵抗しなくなったので、服を脱がせようとしました」
検察官「上下とも裸にしてから結束バンドを使ったのですか」
被告「そうです」
《ジュリアさんは首を振り、憤った表情を見せた》
検察官「リンゼイさんはもみ合った際、大声を上げましたか」
被告「私が押し倒したとき、彼女は大きな声を上げました。内容は分かりません」
検察官「彼女が大声を上げないようにするために、何かしましたか」
被告「はい。私はリンゼイさんの口を手でふさぎました」
検察官「リンゼイさんを脅すような言葉を言いませんでしたか」
被告「言っていません」
検察官「言わない理由は?」
被告「リンゼイさんは強く抵抗しており、それを抑えるのに精いっぱいだったからです」
検察官「あなたはなぜ(リンゼイさんの手足を縛るため)結束バンドを使おうと思ったのですか」
被告「私がリンゼイさんを姦淫するとき、リンゼイさんが抵抗すると思ったからです」
検察官「(抵抗を抑える手段として)結束バンドを使おうと思いついたのはなぜですか」
被告「リンゼイさんは力が強かったです。姦淫するときには何かで縛らないといけないと考え、思いついたのは以前に買って使っていなかった結束バンドでした」
《市橋被告は弁護側の被告人質問で、結束バンドは部屋の配線コード類をまとめるために18年に購入し、事件当時は玄関の収納棚に置いていたと述べていた》
検察官「結束バンドを使う前に、粘着テープを使ったのではないですか」
被告「使っていません」
検察官「廊下の柱にリンゼイさんの髪の毛がついた粘着テープが貼られていました。なぜですか」
被告「姦淫したときに粘着テープは使っていません。もし柱にテープがあったのだとしたら、それはリンゼイさんが亡くなった後、私が貼ったもののはずです」
《検察官は首をかしげ、質問を続ける》
検察官「なぜ貼る必要があったのですか」
被告「これは、はっきり説明できないかもしれませんが、それでもいいですか」
検察官「はい」
被告「リンゼイさんが亡くなった後、私は4畳半に倒れていたはずのリンゼイさんと、(取り外し可能で4畳半に置かれていた)浴槽を、一緒にか別々かは分か りませんが、浴室に運びました。私はそのことを覚えていないのですが、私がしたはずです。リンゼイさんのご遺体と浴槽を浴室に入れた後、私はリンゼイさん の髪を切っているはずです」
「私は粘着テープを以前から床の掃除によく使っていました。だから、私が床に落ちていた髪をテープで取ったのか...、そんなことをした...して、したから、廊下の柱についていたのかもしれません。覚えていないのですが、テープが柱についたのはそのとき以外に考えられません」
《堀田真哉裁判長がここで休廷を宣言。約15分の休憩を挟み、午前11時50分から検察側による被告人質問が再開される》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(5)】
「外国人登録証を置いていくから信じて」 解放を懇願するリンゼイさんに...
(11:50~12:20)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は、休憩を挟み再開。検察側の被告人質問が続く》
《検察官は、犯行現場の室内に残された遺留品について尋ねていく》
《玄関の靴からリンゼイさんの血液が検出されたことについて、検察官が付着した理由を尋ねるが、市橋被告は「分かりません」と答える》
《検察官は質問を変え、袖などが切られたリンゼイさんの衣服や下着について尋ねていく。証拠の写真を市橋被告に示す》
検察官「コート、カーディガン、ブラジャー、いずれも切られた跡がありますね?」
被告「はい」
検察官「コートやカーディガン、ブラウスは、左の袖も右の袖も切られていますね?」
被告「はい...いや、ブラウスの右側は切れていません」
検察官「(写真を指さし)こっちの写真をみれば切れているでしょ?」
被告「はい」
検察官「いつ切ったんですか」
被告「私はリンゼイさんを姦淫するとき、リンゼイさんのコートを手で破いています。ブラジャーについては手で切っていません。姦淫する前、裸にするときは 普通にはずしています。ブラジャーが切れているのは、リンゼイさんが亡くなった後、私がはさみで切っているかもしれません」
《カーディガンやブラウスについても答えるよう、堀田真哉裁判長が促す》
被告「カーディガンは、手ではこのように破れません。だからはさみで切ったのは覚えていませんが、リンゼイさんが亡くなった翌日(平成19年3月26日)にはさみで切ったと思います」
《ひとごとのように分析する市橋被告。衣服などを切った理由は判然とせず、首をかしげる裁判員もいる》
《検察側はさらに、下着やタイツの尿の跡についても尋ねるが、市橋被告は「分からない」「覚えていない」と繰り返した》
《検察官は次に、市橋被告に乱暴された後のリンゼイさんの様子について尋ねていく》
検察官「強姦後、リンゼイさんは何と話していましたか」
被告「『警察には言わない。帰してくれ』と繰り返していました」
検察官「リンゼイさんは『知らない男に襲われたと言えばいい』と言っていましたか」
被告「はい。帰してほしい、と何度も言いました。『外国人登録証を持っている。信用できないなら、それを持っていてもらっても構わない』『道を歩いていて、見知らぬ男に襲われたと言えばいい』と話していました」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは右手で両目を覆い、下を向いている。さらに、リンゼイさんの両足を結束バンドで縛った状態で乱暴したときの姿勢についての質問に市橋被告が答え、ジュリアさんら遺族の表情は険しくなっていく》
《ここで、検察側はうつぶせのリンゼイさんに市橋被告が覆いかぶさった、リンゼイさん殺害時の2人の体勢を示した図を廷内の大型モニターに表示する》
検察官「リンゼイさんは具体的にどう動こうとしていましたか」
被告「逃げようとして暴れていた。手をはうようにして、前に進んでいこうとしました」
検察官「被告が上に乗っている状態で、手を動かしても進まないのでは?」
被告「体全体で前に行こうとしていました」
検察官「このあと、『アイ・ガット・イット(I got it)』、『分かった、分かった』と理解したと言いましたね」
被告「いいえ、(理解)していません」
検察官「ではどういう意味だと思ったんですか」
被告「後で考えれば『分かった、分かった』という意味になると思ったけれども、その時は日本語に訳すことはできなかった。逃げられてしまう、と思いました」
《検察側は続いて、リンゼイさん殺害時の殺意の有無について尋ねていく》
検察官「今の考えを聞きたい。この時に首が圧迫されたと思いますか」
被告「分からないのです。この体勢になった後、リンゼイさんが動かなくなりました
検察官「左腕に力を入れていましたか」
被告「分かりません」
検察官「(首の下に左腕を入れた)この状態が継続していたのは、10秒より長い?
被告「長かったと思います」
検察官「20秒では?」
被告「長かったと思います」
検察官「感覚では大体何秒くらいでしたか」
被告「感覚的には短かった。1分ほどでした」
検察官「リンゼイさんが動かなくなってから、覆いかぶさるのをやめたんですね」
被告「動かなくなったとき、リンゼイさんが(逃げるのを)諦めたと思い、体を離しました」
検察官「動かなくなって、どれくらい経ってから離れたんですか」
被告「...動かなくなってから離れました。...もう一度お願いします」
検察官「リンゼイさんが動かなくなって、どれくらい経ってから離れたのかを聞いています」
被告「...リンゼイさんの体が動かなくなりました。諦めたんだと思い、体を離しました」
《かみ合わないやり取りが繰り返される》
検察官「その後、人工呼吸をしたということですが、110番や119番通報はしていませんね」
被告「はい」
検察官「近所の人に助けを求めたりもしていませんね」
《突然、語調を強め、市橋被告が答える》
被告「していません」
検察官「心臓マッサージや人工呼吸の後、息をしているかの確認はしましたか」
被告「リンゼイさんが動きません。口元に、少し開いている口元に顔を近づけました。リンゼイさんは息をしていませんでした」
検察官「心臓が動いているか、脈を測りましたか」
被告「していません」
検察官「なぜしなかったんですか」
被告「リンゼイさんが動かないのを見て、心臓マッサージと人工呼吸を続けました。リンゼイさんの口元に顔を近づけたが、息をしていない。それで、私の身体の力が抜けました...申し訳ありません」
《最後の一言で、にわかに声を震わせた市橋被告。ジュリアさんは椅子の背もたれに寄りかかり、目を閉じて微動だにしない。ここで堀田裁判長が予定時間を超えていることを検察側に告げ、休廷に入った》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(6)】
遺体放置しスポーツクラブへ...「普通の生活に戻りたかった」
(13:20~13:50)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第4回公判は約1時間の休廷を挟んで審理が再開した。午前に引き続いて若い男性検察 官が市橋被告本人への被告人質問を進めていく》
《堀田真哉裁判長が入廷したのに続いて、市橋被告が法廷に入ると、傍聴席から向かって右側 の検察官の席の後ろに座るリンゼイさんの両親に向かって深く頭を下げた。初公判以来、繰り返されてきた光景だが、リンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、 ジュリアさんは顔をそむけて市橋被告の顔を見ようとしなかった》
裁判長「それでは再開します」
検察官「リンゼイさんの手や足に粘着テープを使ったということですね?」
被告「あると思います」
《検察側の冒頭陳述によると、市橋被告がリンゼイさんに乱暴する際、電気コードなどを束ねる結束バンドと粘着テープを使って手足を縛ったとしている》
検察官「手に粘着テープを使ったのはいつ?」
被告「...」
《思いだそうとしているのか10秒間以上の沈黙が続いた》
被告「いつなのかは分かりません」
検察官「何のために使ったの?」
被告「リンゼイさんが逃げないようにするためです」
検察官「足に粘着テープを使ったのはいつ?」
被告「リンゼイさんの手首、足首にはめた結束バンドの上にそれぞれ(粘着テープを)貼ったのか、手のバンドの上に貼ったか、足のバンドの上に貼ったか思いだせません」
「結束バンドの周りに(粘着テープを)貼っているのは覚えていますが、それがいつなのか、どの個所なのか分かりません」
《市橋被告は一言一言、言葉を選ぶようにゆっくりした口調で説明していく。女性通訳が、法廷にいるリンゼイさんの家族らのためにそれを英語に翻訳していくが、市橋被告に合わせてか、ゆっくりしたペースになっている》
《ここで検察官が質問を変える》
検察官「あなたは、なぜ、リンゼイさんのご遺体を土で埋めるという発想になったのですか」
《市橋被告は、リンゼイさんの死亡後、バスタブに入れたリンゼイさんの遺体に土をかけて埋めている》
被告「いま考えればなぜあんなことをしたのかという考えは出てくるが、あのとき、なんであんなことを...。あのとき、何のためにしているのか分かっていませんでした。申し訳ありません」
《市橋被告の声の震えがどんどん大きくなっていく》
検察官「土に埋めた理由の一つは警察に捕まりたくなかったことがあったのでは?」
被告「いえ、あのときは、ベランダに...」
《はあ、はあ、と市橋被告の激しい息づかいがマイクを通じて法廷内に響く。市橋被告は何度も言い直そうとする》
被告「リンゼイさんのご遺体が入ったバスタブをベランダに出し、土をかぶせたことは覚えています。なぜやったかは、私は分かっていませんでした」
《市橋被告は「はあ」と大きな息を吐き、「すいません」とつけ加えた。声は激しく震えている》
検察官「あなたが土を購入したとき、脱臭剤なども買ったのはなぜですか」
《検察側冒頭陳述などによると、市橋被告はリンゼイさん殺害後の平成19年3月26日夕に一度外出して近くのホームセンターで土や脱臭剤を購入している》
被告「分かりません。しかし、私は土と一緒にそれらを買っています」
《検察官は矢継ぎ早に質問する》
検察官「リンゼイさんの頭髪を切ったのはなぜですか」
被告「髪を切った行為自体覚えていないのです。ただ、私とリンゼイさんしかいませんでした。髪を切ったのは私です」
《ジュリアさんは目を押さえた》
検察官「警察が訪ねてきたとき、スポーツクラブに出かけようとしていましたね?」
被告「そうだと思います」
検察官「なぜ、リンゼイさんを土に埋めたあと、スポーツクラブに行こうとしたのですか」
被告「それは、いま考えれば...」
《ここで市橋被告は「いま考えればということでもいいですか」と検察官に尋ねる。検察官は「はい」と応じた》
被告「(同年3月)26日午後2時か3時の間に目が覚めてリンゼイさんの状態を確かめ、夢なら覚めればいいと、夢か現実か分からない状態になっていました」
「(スポーツクラブに出かけようとしたのは)普通の生活に戻りたかったのかもしれません。いまから考えると、このことぐらいしか答えられません」
《右から2番目の裁判員はあごに手を当て納得がいかないような表情で市橋被告の証言に聞き入っている》
検察官「警察官が来たとき、あなたはなぜ逃げたのですか」
被告「玄関から出ると警察の方がいました。警察官に囲まれ、『リンゼイさんのことを知っているか』と尋ねられると、私がリンゼイさんにしたことが頭に浮かんできました」
「そのときリンゼイさんが言った『私の人生は私のもの』ということが分かりました。急に怖くなりました。私は卑怯(ひきょう)にも逃げ出しました。申し訳ありませんでした」
《リンゼイさんは市橋被告に拘束され、乱暴された状況の中、『子供をたくさん産みたい。私の人生は私のもの』と市橋被告に語っていた。このときの光景を思い出したのか、市橋被告の声のトーンが高まる。はあ、はあという息づかいも聞こえる》
《この後、検察官が強姦の際に使った避妊具をどう捨てたのかの確認を行う。市橋被告は「ゴミ箱として使っていたバケツに捨てた」と説明した》
《検察官はバケツから発見された証拠品の写真を法廷内に設置された大型モニターに映しながら「避妊具も結束バンドや粘着テープと一緒にレジ袋に入れて捨てたのでは」と質問するが、市橋被告は「違う。バンドなどは強姦の後も切っていない」と否定した》
《ウィリアムさんは厳しい目付きで市橋被告の言葉を翻訳する女性通訳を見ている》
《検察官はまた質問を変える》
検察官「調書では、リンゼイさんの首を絞める状況がどう記載されていますか」
被告「リンゼイさんが動かなくなる直前の様子のことですか」
検察官「はい」
被告「調書では『リンゼイさんの首を絞めました』となっています」
検察官「調書では、リンゼイさんが『I got it(アイ・ガット・イット=分かった) アハハ』と言った後、首を絞める力を強めたと書いていますね?」
《市橋被告は「もう一度お願いします」と聞き直し、検察官が質問を繰り返す》
被告「調書には書いています」
検察官「黙秘をやめた理由は、遺族が事件の経緯を知りたいと言っていると聞かされたからですね」
《市橋被告は再び「もう一度お願いします」と聞き直したあと、「『遺族はどのように家族が亡くなったか知りたいものだ』と聞かされたことが黙秘をやめた理由の一つだ」と答えた》
《ジュリアさんは口に手を当て険しい表情で市橋被告の言葉を聞いている。検察官が「調書では市橋被告の要請で削除した部分もあるはずだ」と尋ねると、市橋被告はまた、「もう一度お願いします」と口にし、検察官が語気を強めながら同じ質問を繰り返した》
被告「あります」
検察官「調書に署名する前でも弁護人が重ねて接見に行っていますね?」
被告「もう一度お願いします」
《検察官は、調書の殺害の部分は違うと主張する市橋被告側に対して、調書は被告が言う通りに作成されたとの証言を引き出したいようだ。検察官が質問を重ねる》
被告「取り調べ中も何度も(弁護人が)接見に来ましたが、『事件のことを話す』と言って調書を取り始めてからは(弁護人と)会っていません」
《思うようにかみ合わないやり取りに、男性検察官の声のトーンが高まっていく》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(7)】
「結構です」「もういいです」 遺族の代理人弁護士が登場
(13:50~14:30)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は、検察側による被告人質問が続いている》
検察官「(供述)調書の中には、あなたがリンゼイさんの首付近に腕をまわしたという記載はないですね?」
被告「はい、ありません」
検察官「あなたは検察官に対して、『リンゼイさんの首付近に腕をまわした』と言ったのですか」
《市橋被告はしばらく沈黙した》
被告「私はお話ししていました」
検察官「重要なのでもう一度聞きますね。あなたはなぜ、(事実と)違うと思ったのに、供述調書に署名したのですか」
《市橋被告は、主語と述語の使い方に気を使っているのか、ところどころつっかえながら話しはじめた》
被告「納得は、納得はいって いませんでした。リンゼイさんが動かなくなる前までの部分について、私は納得していません。事件の、私は事件の概要を説明したかった。私が、私がその時点 でははっきり、覚えていないもので、重要でないものは(供述)調書から削ってもらっています」
「でも、リンゼイさんが動かなくなる前の部分は、(供述調書に)どうしても必要で、(検察官に)『(リンゼイさんが)逃げないように覆いかぶさった』と説明したとき、検事さんが『手で首を絞めたということか』と言いました」
「あの日は、最後の取り調べの日で、私は事件の概要と、私の謝罪の気持ちだけは、形に残しておきたかった」
「だから、(供述)調書では、概要は正しい...。リンゼイさんが動かなくなる前の様子には、納得がいかないけれど、私にとって、概要と、謝罪だけ載せてもらえば満足でした。だから署名しました」
《市橋被告の長い説明のあいだ、通訳を聞いていたリンゼイさんの父、ウィリアムさんが「ふざけるな」というような口の動きをする》
検察官「あなたは強姦致死で起訴されているのですよ。だから、首を圧迫したという、そこが一番重要だとは思わなかったのですか?」
被告「接見した弁護士の先生は、『話さないなら、接見の期間中、話さなくていい。裁判で話せばいい』と仰った。でも、私はどうしても謝罪の気持ちと、何があったかの概要はリンゼイさんの家族に伝えてほしかった。だから、そう思わなかった」
《検察側の席の後ろに座った、リンゼイさんの両親の男性代理人弁護士から、前列に座った検察官らに紙が渡される。男性検察官は、堀田真哉裁判長に、男性代理人弁護士からの質問の要請をした》
《弁護側、裁判官側で、しばらくやりとりがあった後、堀田裁判長が男性代理人弁護士の被告人質問を15分だけ許可した。男性代理人弁護士は、堀田裁判長に礼を言った後、市橋被告に質問をした》
代理人弁護士「結束バンドについて話します。弁護人の主尋問では、1年前にホームセンターで購入したということだったよね?」
弁護人「異議あり。1年前とは言っていません。(事件の)前の年です」
《男性代理人弁護士は、男性弁護人の異議にやや鼻白んだ様子だったが、気を取り直して質問を続ける》
代理人弁護士「前の年?」
被告「はい」
代理人弁護士「前の年に...」
《男性代理人弁護士の質問を、今度は通訳がさえぎった。男性代理人弁護士は「やりにくいなぁ」というように苦笑いした》
代理人弁護士「前の年に買ったものを収納棚に保管していたということで、間違いないですか」
被告「玄関の物置の上にある、壁際の収納棚に入れて、まとめて置いてありました」
《男性代理人弁護士は、大型モニターに、事件当時の市橋被告の部屋の見取り図を映し出し、市橋被告に収納棚の位置を指で示させた》
代理人弁護士「リンゼイさんを家に連れてくる前に、あなたが結束バンドを最後に見たのはいつですか」
被告「もう一度」
《男性代理人弁護士は質問を繰り返した》
被告「私は前の年に、結束バンドをホームセンターで買いました。部屋の電気コード類をまとめられないか、と思ったからです。ホームセンターから家に戻っ て、45センチの結束バンドを束ねて、壁に掛けられないか確かめました。でも、束ねられても、壁に掛ける方法が分からなかった。だから収納棚にしまいまし た。最後に見たのが、いつかと聞かれると、買ってからすぐに使用しようとしたときです」
《市橋被告の長い説明のあいだ、男性代理人弁護士は、うなずきながら、裁判員の前を行ったり来たりしている》
代理人弁護士「あなたがリンゼイさんを押し倒して強姦した場所を図面で示してください」
被告「もう一度」
《男性代理人弁護士は、ため息をついてもう一度質問を繰り返した》
被告「ここです」
《男性代理人弁護士が質問を続けようとすると、堀田裁判長がさえぎり、後で見直せるように印をつけるよう要請した。男性代理人弁護士は了承した後、話を続け、強姦時の状況を確認した》
代理人弁護士「あなたがリンゼイさんを強姦するとき、リンゼイさんは裸で横たわっていた。あなたはリンゼイさんの上に馬乗りになっていた?」
被告「もう一度」
代理人弁護士「質問を撤回する」
《市橋被告のあまりにも多い聞き返しや、長い説明に、男性代理人弁護士は、市橋被告がすぐに答えられないなら、答えを切っていくことにしたようだ》
代理人弁護士「あなたはどうやってリンゼイさんの手首に結束バンドをつけたのですか」
被告「げた箱の上の収納棚をあけて、結束バンドを取り出し、リンゼイさんの手首にはめました」
代理人弁護士「手首にはめた結束バンドは1つ?2つ?」
被告「1つです」
《ウィリアムさんは、男性代理人弁護士に目配せした》
代理人弁護士「現場にあった、あなたの家には、2つに繋がった結束バンドがたくさん残っていましたが、それはどうしてですか」
被告「なぜ2つ使わなかったという理由ですか」
代理人弁護士「なぜ2つ繋がった結束バンドが残っているかということです」
被告「最初、リンゼイさんを強姦するときに最初、45センチの結束バンドを...」
代理人弁護士「もういいです。時間がないので次にいかせてください」
《市橋被告の説明が長くなりそうだとみるや、男性代理人弁護士は、市橋被告をさえぎって、質問を撤回した》
代理人弁護士「リンゼイさんの足首には、小さな輪になった結束バンドが2つありました。それはなぜですか」
被告「リンゼイさんのご遺体の足には、45センチの結束バンドが、私はリンゼイさんがご遺体になったとき、そうなっていたのは、私が最後、結束バンドをは めたとき、45センチの結束バンドをまず、リンゼイさんの足首にはめ、そのあと、30センチの結束バンドを輪になるようにして、長くしたものをその上にま いたから。最後に、結束バンドを...」
代理人弁護士「もう結構です。時間がないので」
《市橋被告の主語と述語がたびたび入れ替わる説明を、小さくほほえんでうなずきながら聞いていた男性代理人弁護士だったが、途中でさえぎった》
代理人弁護士「もう1つ現場に残されていたものについて聞いていいかな? 結束バンドの大きいものが現場には残されていましたけれど、それはどうしてですか?」
被告「今から考えたことでいいですか」
代理人弁護士「結構です。撤回します」
被告「私は...」
代理人弁護士「もういいです」
《答えをさえぎられることが多くなり、市橋被告は戸惑っているようだ》
《質問を変えて、男性代理人弁護士は、当時市橋被告と付き合っていた女性との関係について尋ねた》
代理人弁護士「最後に(付き合っていた女性と)肉体関係を持ったのはいつですか」
被告「覚えていません」
《25日の深夜まで、その女性と焼き肉デートをしていたという市橋被告だが、男性代理人弁護士は、その後、リンゼイさんと会うまでの空白の6時間について質問した》
被告「私が部屋に戻ったのは午前4時ごろです。私は家計簿をつけていたので、(家に)戻った後は、その日使ったお金をつけていました。そのあと、リンゼイさんと会う約束があったので、寝たと思います」
代理人弁護士「その間、あなたは粘着テープを切ったり、結束バンドをわっかにしたりして、(犯行の)準備をしていたのではないですか」
被告「準備...」
《市橋被告の答えをさえぎって、男性代理人弁護士は質問を変えた》
代理人弁護士「あなたが(強姦の時)結束バンドを取りに行こうとしたら、リンゼイさんは逃げようとしましたか」
被告「...私は」
代理人弁護士「結構です」
弁護人「異議あり。被告は答えようとしています」
《市橋被告の答えをさえぎろうとした男性代理人弁護士に、弁護人は異議を申し立て、認められた》
《かみ合わないやりとりのあと、市橋被告は「(逃げようと)していません」と答えた》
《その後、男性代理人弁護士の「息ができなくなったら死ぬと分かっているのか」との質問に、市橋被告がまわりくどい答えを返した後、男性代理人弁護士は質問を終えた》
代理人弁護士「結構です。終わります」
《堀田裁判長は、見取り図をもとに市橋被告の説明を確認した後、約20分間の休廷を宣言した》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(8)】
「私を帰さないと大変なことに...」カッとなり殴る
(14:50~15:20)
《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は20分の休廷を挟み、再開された
《入廷してきた市橋被告はこれまで通り、検察側の後方に座るリンゼイさんの両親に向かって頭を下げ、証言台の席に着席。裁判員らによる被告人質問が始まり、向かって右から3番目に座る男性裁判員が質問をするために挙手をした》
裁判員「(19年3月25日から)リンゼイさんを入れていた(取り外し可能な)浴槽は4畳半のどこに置いてあったのでしょうか」
《堀田真哉裁判長が「図で示してもらいましょう」と言い、大型モニターに現場見取り図が映し出される。そして、4畳半の部屋の左下の角を指す市橋被告の指が映った》
被告「ここです」
《指を指した場所の下の方に「ラジカセ」と書かれたマークがあった。上の方には「物入れ」と書かれたスペースがあった》
裁判員「被害者の頭はラジカセの方を向いていましたか。物入れの方を向いていましたか」
被告「物入れのほうです」
裁判員「浴槽の中にリンゼイさんがいたとき、(市橋被告は)左こめかみをリンゼイさんに殴られて壁に頭をぶつけたとされています。どのようにぶつけたのでしょうか」
被告「私が右のこめかみをぶつけたのはここです」
《市橋被告は4畳半の左側の壁を指さしたが、直後に発言を訂正する》
被告「すみません。(壁にぶつけたのは右こめかみではなく)右の頭です」
裁判員「ありがとうございます」
《堀田裁判長は「今の質問に関連して、私からも質問します」と言い、大型モニターに浴槽の見取り図が映し出された。堀田裁判長は浴槽のどの部分が 壁と接していたかを尋ね、市橋被告は浴槽左側の縁部分を指した。堀田裁判長は「ほかの方はいかがですか」と裁判員らに声をかけ、左から2番目の男性裁判員 が挙手をする》
裁判員「(縛って浴槽に入れていた)リンゼイさんを2回殴ったときに『カッとなった』ということでした。たばこを吸うことを拒否したやり取りがあって、『カッとなった』ということですが、そのときのやり取りを教えてください」
被告「リンゼイさんが『たばこを吸いたい』と言ったとき、私は『できない』と言いました。その後も、リンゼイさんは『たばこを吸いたい』と3度ほど頼んで きました。リンゼイさんからたばこを吸いたいと言われる前、私はリンゼイさんの手首の結束バンドをキッチンバサミで切りました。リンゼイさんに『足も外し てほしい』と言われ、私は『できない』と言いました」
「そしてリンゼイさんに『たばこを吸いたい』と言われて断った後、リンゼイさんに (再び)『足が痛いから足のバンドを外して』と何回か言われました。私が『やはりできない』と言うと、リンゼイさんは『棒のようなものに(私を)つなげれ ばいい』と言いました。しかし私の部屋には棒はありませんでした」
《リンゼイさんとのやり取りを細かく述べる市橋被告。説明はさらに続く》
被告「リンゼイさんから『たばこを吸いたい』と言われる前、リンゼイさんから『甘い物がほしい』と言われ、台所にあった黒砂糖をリンゼイさんの口に入れました。『たばこを吸いたい』と言われた後、今度は『白砂糖がいい』と言われました。白砂糖はありませんでした」
「だんだんイライラしてきました。私が考えていたことは何とか...リンゼイさんに許してもらい、(リンゼイさんを)帰したかった。でもだんだんイライラして きました。イライラしてるとき、リンゼイさんに『私を帰して。帰さないと大変なことになる』と言われ、私はカッとなりました」
《長い間しゃべり続けた市橋被告。通訳も長くなり、リンゼイさんの父親のウィリアムさんは女性通訳の顔を見ながら耳を傾けていた。通訳が終わり、続いて左端に座る男性裁判員が質問を始めた》
裁判員「結束バンドについて質問します。(英会話レッスンを終えて2人で)部屋に戻り、そのあともみ合いになり、リンゼイさんの手足に結束バンドをつけたと言っていましたが、それ以降、足の結束バンドを外したことはありますか」
被告「はい、あります」
裁判員「どんな状況で外したのか説明してください」
被告「4・5畳(4畳半)の和室で、浴槽の中にリンゼイさんを入れていましたが、リンゼイさんは私に『トイレに行きたい』と言いました。私は(トイレに行かせるため)リンゼイさんの足の結束バンドをキッチンバサミで切りました」
裁判員「リンゼイさんがトイレから戻ってきたところで、再び足に結束バンドをはめたのですか」
被告「はい、そうです」
裁判員「部屋に戻ってきたとき、部屋の明るさはどんな感じですか」
《ここで堀田裁判長が「いつのことですか」と質問を詳しくするよう促した》
裁判員「(事件当日、レッスンを行った)コーヒーショップから帰ってきて、部屋に入ったときのことです」
被告「玄関を開けます。玄関にはライトがついていません。廊下から続く台所、リビングの...リビングはカーテンが開いていて、日の光が廊下に差し込んでいました。玄関から左手にある浴室と、洗濯機のある水場は真っ暗でした」
「玄関から入って右手にある5・5畳の洋室はカーテンが開いていて、日の光が入っていました。ライトはついていません。4・5畳の和室と、6畳の 和室もカーテンが開いていたので、日の光が入り、明るかったです。私が帰ってきたとき、どの部屋も照明はついていませんでした」
裁判員「照明をつける機会はありましたか」
被告「あります」
裁判員「4・5畳の和室に浴槽を持っていき、リンゼイさんを入れたとしているが、それ以降、照明を消したことはありますか」
被告「もう1度お願いします」
裁判員「まず2人で4・5畳の部屋にいたとき、照明をつけましたか」
被告「つけました」
裁判員「その後、消す機会はありましたか」
《市橋被告はしばらく沈黙した後、口を開いた》
被告「リンゼイさんが動かなくなるまで、照明は消していません。(リンゼイさんが死亡した後の)26日午後2時か午後3時ごろに私が目を覚ましたときに、4・5畳の和室の照明がついていたかは覚えていません」
《検察側や弁護側による質問のときに比べ、やや落ち着いた様子で説明する市橋被告。裁判員らによる被告人質問は続く》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(9)】
結束バンドと避妊具を準備? 裁判官が「計画性」追及
(15:20~16:08)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は、裁判員の被告人質問が続いている》
《1番右の男性裁判員から、リンゼイさんが大声を出した回数についての質問があり、市橋被告は「2回」と答える》
裁判員「その2回は、リンゼイさんを押し倒したときと、リンゼイさんが逃げようとしたときの2回ですか」
被告「はい」
裁判員「その他の時は、大声を出される心配はしませんでしたか」
被告「しました」
《これまでの公判で、市橋被告はリンゼイさんを乱暴する際、粘着テープで口などをふさいだことを明らかにしており、市橋被告は再びその経緯を説明した》
裁判員「殴った後にテープを貼って、はがしたということですよね。それ以外の時は貼らなかったんですか」
被告「リンゼイさんの口ですか」
裁判員「はい」
被告「はい、そうです」
《続いて左から3番目の男性裁判員が、犯行当日、待ち合わせから市橋被告の部屋に入るまでの時間について、質問を求める》
裁判員「タクシーに乗り(市橋被告の)マンションの前で降りました。そこから室内に入るまでの会話はありましたか」
被告「...ないですよ。えっと...しかしリンゼイさんが部屋に入るとき、『どうぞ』と一言いいました。あとはありません」
《男性裁判員は腕を組み、考え込む様子だ。次に右から2番目の男性裁判員が「浴槽を外した経験があったのか」と質問。市橋被告は「掃除するときに取り外したことがある」などと答えた》
《続いて裁判官の質問に移り、左陪席の女性裁判官が質問する》
裁判官「4畳半の和室でリンゼイさんを浴室に入れた後、あなたはどこにいましたか」
被告「私も和室にいました」
《廷内の大型モニターに市橋被告の部屋の見取り図が表示され、女性裁判官はリンゼイさんが入った浴槽と市橋被告の詳細な位置関係について尋ねる》
裁判官「そこでずっと会話をしていたんですか」
被告「ずっとではないが、会話をするときはそこに座っていました」
裁判官「被害者と一緒に浴槽の中に入ったことはありましたか」
被告「私の体全部を浴槽の中に入れたことはありません。しかし、リンゼイさんを殴ったときは浴槽の中に入るような姿勢になりました」
《女性裁判官は市橋被告に殴られたリンゼイさんの顔のアザについて確認した後、再び殺害時の状況に話を戻す》
裁判官「あなた自身が声を出したことはありませんでしたか」
被告「ありません」
裁判官「なぜ、逃げられないように、そこまで、押さえる体勢だったんでしょうか」
被告「押さえ込むまで、リンゼイさんは大声を出していました。それで、私が上から覆いかぶされば...」
《突然、声を震わせ涙声になる市橋被告。公判では断続的にこうした場面が見受けられる》
被告「声も漏れなくなると...思ったからです...」
裁判官「確認ですが、なぜそこまでして逃げられないようにしたんでしょうか」
被告「リンゼイさんにあのとき逃げられたら、警察に通報されることは分かっていました。通報されずにリンゼイさんが帰れるようになるまで、逃げてほしくありませんでした」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは両手で両目をおさえ、市橋被告を直視できない様子。父、ウィリアムさんがジュリアさんに手を添えて支える》
《女性裁判官は、最後に犯行当時の体格について尋ね、市橋被告は身長180センチ、体重は「大体70キロと少し」と返答。続いて右陪席の男性裁判官が質問を始める》
裁判官「リンゼイさんが一緒に(マンションの)エレベーターに乗ったのはどうしてですか」
被告「分かりませんが、私は金を取りに行くといってリンゼイさんとタクシーに乗りました。タクシーを降りると、私はマンションの方に歩いていきました。リンゼイさんも私の後をついてきました。リンゼイさんとしては、金を取りにいくのだからついてきたんだと思います」
《男性裁判官は、入室直後の乱暴時の状況について尋ねていく》
裁判官「リンゼイさんを拘束するにあたり、結束バンドを収納棚から取り出していますね」
被告「はい」
裁判官「どのように収納棚から結束バンドをとったんですか。その時、あなたはリンゼイさんに馬乗りでしたか」
被告「そうではありません」
裁判官「リンゼイさんの体から離れて結束バンドをとったんですか」
被告「いいえ、離れていません。右手をリンゼイさんの体に置いた状態で、左手を伸ばし収納棚の扉を開けました。手でゴソゴソ探して結束バンドを見つけ、棚の下に落としました」
裁判官「その後、避妊具を装着してリンゼイさんを姦淫していますが、避妊具はどこから取り出しましたか」
被告「物置の棚の下にいつも置いていました」
《男性裁判官は見取り図を取り出し、堀田真哉裁判長と小声で相談する》
裁判官「物置の棚とはどこのですか」
被告「すいません、げた箱の棚の上、靴箱の棚の上です」
裁判官「結束バンドと同じ場所ですか」
被告「違います」
裁判官「結束バンドも靴箱の収納棚ですよね」
被告「違います」
《首をひねる男性裁判官。結束バンドと避妊具が不自然に同じ場所に置かれていたとすれば、リンゼイさん暴行の計画性を示す可能性もある》
裁判官「では、避妊具を装着するまででもいいですが、リンゼイさんが声を出したり泣いたりしたことはありますか」
被告「ありません」
《男性裁判官は最後に、リンゼイさんから脱がせた服の処理について尋ね、質問を終了。堀田裁判長の質問に移る》
裁判長「リンゼイさんを姦淫する前にもみ合ったということですが、被害者に対してしたことを具体的に教えてください」
被告「私は上から馬乗りになり、あおむけのリンゼイさんの両手を私の両手で押さえ込み、リンゼイさんも足を強く動かして抵抗しているので、私は両足ではさみ、押さえ込むようなことをしました。リンゼイさんの足が抜け出すと、私はまた足ではさもうとしました」
《市橋被告は熱に浮かされたように、言葉をついでいく》
「リンゼイさんは体を押さえ込まれても体を大きく動かしていた。私は体を密着するようにして押しつけていました...」
《裁判員、裁判官の被告人質問が終了し、弁護側は先ほど話に出た避妊具の位置について補足の質問をする》
弁護人「コンドームはなぜ玄関の棚に置いていたのですか」
被告「当時付き合っていた女性と肉体関係があり、外出するときに持っていけるように置いていました」
《この後、弁護側の追加証拠についてのやり取りを行い、堀田裁判長は約15分の休廷を告げた》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(10)】
「輝いていたリンゼイではなかった」 霊安室で対面した父の思いは...
(16:24~16:45)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第4回公判は、被告人質問が終了し、約15分間の休憩を挟んで再開した》
《堀田真哉裁判長が入廷したのに続いて、市橋被告が法廷に入った。これまで同様、先に法廷に入り、検察官の後ろの席に着いていたリンゼイさんの父、ウィリアムさんと母のジュリアさんに一礼するが、正面に立つ刑務官の陰になって夫妻からは姿が見えない》
裁判長「それでは再開します」
《堀田裁判長に促されて、若い男性検察官が証拠として採用された供述調書を読み上げていく。まずはリンゼイさんの死亡が確認された平成19年3月26日の数日後に作成されたウィリアムさんの調書だ》
検察官「リンゼイには3歳上の姉と1歳下の妹がおり、私たち家族はとても仲がよく、深い絆で結ばれていましたが、これが永遠に消え去ってしまいました」
《ウィリアムさんは事件以来、ジュリアさんと捜査の進展を訴えるために何度も来日。市橋被告の顔写真がプリントされたTシャツを着て情報提供を呼び掛け続けた》
《今回の公判でも被害者参加人として初公判から参加。「殺意はなかった」と述べる市橋被告の言葉を通訳を介して聞くと、目を見開いて信じられないといった様子を見せるなど、被告への怒りをにじませてきた》
検察官「リンゼイはわれわれにとって特別な存在でした。リンゼイは誰よりも早く読み書きを覚え、級友を助けてきました。中学の先生からは『リンゼイには何も教えることはない。進学校に進むべきだ』と言われました」
《リンゼイさんは街でも有名な進学校に進学したという》
検察官「リンゼイは人を助けるすばらしい素質があり、それについて、2つの思い出があります。ひとつは大学生に入ったころのことでした」
《供述調書によると、リンゼイさんがウィリアムさんらと街の中心を歩いていたとき、一人のホームレス男性が「お茶代をほしい」と言ってきたという。リンゼ イさんが「サンドイッチでも買って」と多めの小銭を男性に渡したことにウィリアムさんは「こんなために私はカネを稼いでいるのではない」とたしなめた》
検察官「するとリンゼイは『あの人は私のようにすばらしい機会に恵まれなかっただけです』と言いました」
「私たちは娘たちの教育にお金を費やし、娘たちは優秀な成績を収めた。親がよりよい教育を与えてきたことを感謝していたからこそ、『私のようなすばらしい機会』と表現したのです。リンゼイは常に感謝の念で接し、人を助けることに情熱を傾けてきました」
《ウィリアムさんは供述調書の中で、2つ目のエピソードとしてリンゼイさんが重度の身体障害を持つ子供たちに水泳を教えていた当時を振り返った》
検察官「リンゼイは手足が不自由な子供たちを支えるために常に水に入ったままで、家に帰ってくると、手足が(水でふやけて)真っ白になっていました」
《読み上げられる自分の供述調書の内容を聞いて、ウィリアムさんは、涙をこらえるようにどんどん顔を赤らめていった》
検察官「リンゼイは短い生涯の中で、人を助けることに最大の情熱を傾けてきました。当初は医師を目指し、日本を経験した後は、子供たちに科学を教えることを目指していました」
「日本を愛し、日本の社会を愛し、日本の社会にとけ込もうと、日々努力していました。日本を目指したのは、日本人の高潔さに共鳴したことに加え、日本が安全なことも一つの理由でした」
《だが、ウィリアムさんら家族は、まな娘が遠く離れた異国にいることに寂しさと不安を募らせていたという。夫妻が1週間ほど日本に滞在した機会にリンゼイさんは近所の交番を案内したという》
検察官「リンゼイは『ここはロンドンよりも安全よ』と言いました。娘は英語で話しかける人に英語で答えたり、近所の人たちに『おはようございます』と声をかけたりしていました。生き生きとして安全に暮らす姿を見て安心し、リンゼイを誇りにも思いました」
「これほど信頼していた日本で命を落とすとは思いもよりませんでした」
《事件に遭う前の19年3月11日のウィリアムさんの誕生日にもリンゼイさんは、プレゼントを送ってきたという》
検察官「プレゼントは、いましているこのベルトと日本のはしでした」
《殺害された直前に送ったのか、リンゼイさんが亡くなった後の4月にもウィリアムさん夫妻の記念日に合わせ、別のプレゼントが届いた》
検察官「4月に届いたプレゼントは包みも開けていないんです」
「『お父さん、愛している。お母さん、愛している。お姉さん、愛している。妹、愛している』と電話がありました。これが娘が生きていた最後のメッセージでした」
「イギリスの警察を通じ、娘が事件の犠牲になったと伝えられました。霊安室で会ったリンゼイは、私たちが知っている、美しい、輝いていたリンゼイではありませんでした」
《ウィリアムさんはしきりにハンカチで涙をぬぐっている。目は真っ赤に充血している。隣のジュリアさんも涙が止まらずに目をハンカチで押さえ続けている》
検察官「私たちは深い絶望に突き落とされました。深い喪失感が体を貫きました。夢があり、多くの人を助けてきた娘を失ったことから立ち直ることはできません。私たちにとって娘は『命』そのものでした」
《検察官は続いて市橋被告が死体遺棄罪で起訴された後のウィリアムさんの「厳しい処罰を望む」との供述調書も読み上げた》
《続けてウィリアムさんが市橋被告の逮捕後、検察官の調べに応じるために来日した際に持ってきたという生前のリンゼイさんの写真が、次々と法廷内の大型モニターに映し出されていった》
《生後7カ月のものから姉妹で撮影したものも。どの写真でもリンゼイさんはカメラに笑顔を向けていた》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(11)】
憤怒の形相で詰め寄る父...刑務官が取り囲む一幕も
(16:45~17:15)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判。検察側は、リンゼイさんがどれほど素晴らしい女性だったか、写真をモ ニターに映し出して説明を続けている》
《愛らしい幼いころのリンゼイさんや、大学卒業記念パーティーのときの、グラスを片手に挑発的な笑顔でほほえむリンゼイさんなど計14枚の写真が、大型モニターに映し出された》
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは、モニターを見て涙を流し続けている》 《男性検察官が、紙につづられたリンゼイさんの父、ウィリアムさんの言葉を日本語で朗読している》
検察官「リンゼイは22年間しか生きられなかったが、とても有益に過ごした。(リンゼイさんが)亡くなってしまってから、もはやリンゼイがいたころの家族ではなくなってしまった。私たち(夫婦は)、娘たちにすべての機会を与えたが、リンゼイは期待を裏切らなかった」
《モニターが消された》
《堀田真哉裁判長に促されて、ウィリアムさんの証人尋問が始まる》
《ウィリアムさんは立ち上がると、まず、証言台の後ろ、被告人席に座っている市橋被告に近づいた》
《市橋被告に危害を加えると思ったのだろうか、慌てたように刑務官がウィリアムさんを囲むが、ウィリアムさんはすさまじい怒りの形相で市橋被告を見下ろした後、証言台の前に立った》
《市橋被告は背中を丸めて泣いている》
《男性検察官による、ウィリアムさんの証人尋問が始まった》
検察官「リンゼイさんは大学生のとき、どんな学生でしたか」
証人「リンゼイは英国でもトップクラスに目されるリーズ大学に入学しました」
《ウィリアムさんが訥々と、大学生時代のリンゼイさんの美しさ、聡明(そうめい)さ、充実した生活について説明する》
証人「何時間あっても、リンゼイが大学時代に成し遂げたことについて説明し切れません。でも、ここは法廷でそのような時間がないことは分かっています。でも、本当に彼女が成し遂げたことについて、誇りに思っています」
検察官「娘さん3人の教育費は大変だったのではないですか」
証人「その通りです。英国でトップクラスの大学に進学させることは非常に金銭的に負担が大きいです。でも、3人とも頭脳明晰(めいせき)で、トップクラス の大学に入学しました。とてもうれしかった。お金がなくて、娘が勉強の機会を奪われる、そんなことにはさせたくありませんでした」
検察官「事件は、(リンゼイさんの)家族にどれだけ影響を与えたのですか」
証人「事件が起こる前、私たちは普通の家族でした。でも、この事件で、私、妻、娘たちは、本当にそれまでの生活を覆されました」
《ジュリアさんは手で口を覆って涙を流し続けている》
証人「私たちはまったくあのころとは違う世界に住んでいます。親戚(しんせき)とも疎遠になり、近くに住む人も、私たちとどう付き合っていいのか戸惑っています」
証人「最初、私と妻は日本になぜ娘をやったか、自分たちを責めました。それに私はどうしたらいいのか分からなくなって動揺していました。娘たちともうまく 付き合えなくなりました。残った2人にも何かあったら、と考えると心配で仕方なかった。私は鬱になり、薬を飲まざるを得なくなりました」
「私は怒りを常に感じています。自殺願望に襲われましたが、家族がいたので踏みとどまれました。そして仕事で(リンゼイさんを失った悲しみを)忘れようとしました」
《ウィリアムさんの独白は続く》
証人「娘たちはそれぞれ、いい付き合いをしているボーイフレンドがいました。彼らは父の私とも付き合っていました。リンゼイの死後、数カ月の間に残りの2 人の娘もボーイフレンドと別れ、私たちは孤立無援になりました。(悲しみのあまり)家にこもったまま、買い物にもいけません。人は言います。『時が解決し てくれる。どんな悲しみも』。でも違うのです」
《右から2番目の裁判員は真剣な表情でウィリアムさんを見つめている。男性検察官の質問に答えて、ウィリアムさんは親戚(しんせき)とも疎遠になったことを切々と訴えた》
証人「私の2人の姉妹も、私たちとどう接すればいいのか分からずに、私たちのところに来てくれなくなりました。彼女たちの遠慮もあり、疎遠になりました」
検察官「リンゼイさんの婚約者とは(リンゼイさんの死後)どういう付き合いになりましたか」
証人「リンゼイには婚約者の●●(法廷では実名)がいました。2人は本当に愛し合っていました。●●は家族の一員でした。2人はいつも一緒にいました。私 は●●に言ったことがあります。『こんなきれいな女の子(リンゼイさん)と付き合えて君はラッキーだね』。●●は言いました。『本当に私はぜいたく者で す。一生懸命頑張って、成功して、リンゼイと結婚して、僕たちは4人子供を産みますよ』。いま、なかなか●●は会いにきません。さみしいです」
《ウィリアムさんの後ろ、被告人席の市橋被告の肩が震えている》
《男性検察官は、事件を知った直後のリンゼイさん一家の様子について質問した》
証人「最初は行方不明だと知らされました。しかし、時がたつにつれ、状況は最悪になりました。まさかわが子に(こんな悲惨な事件が)起こるなんて。別の人ではないかと思いました」
《その後、男性検察官の質問は、事件後にウィリアムさんたちが、逃亡した市橋被告を捕まえるために、来日したり、パンフレットを配ったり、英国の政府高官 と連絡をとったりと、手を尽くしたことに移った》
証人「とにかく天国から地獄を掻き分けて、市橋被告を裁きの場に出すため、必死でした。父親なら誰でも そうします」
《男性検察官は、ウィリアムさんが、リンゼイさんの遺体の写真を見たときのことについて質問した》
検察官「リンゼイさんの遺体の写真は、見なくてもいいと言われていたはずですが、どうして見たのですか」
証人「私は、この目で確かめなければならないと思いました。一度見てしまったら、一生忘れられないとは思いましたが、父として、娘の遺体を見なくてはならないと思いました」
検察官「見て、どう思いましたか」
証人「吐き気を催すほどでした。動悸(どうき)が激しくなりました。美しい娘になんて悲惨なことを...」
「市橋は娘をあのようにして申し開きもしないのです」
《ウィリアムさんが市橋被告を弾劾する声が法廷中に響く。市橋被告は体を震わせたままだ》
【英国女性殺害 市橋被告4日目(12)完】
「邪悪な男」「娘の死ネタに金稼ぎ」...父の迫力に腰を抜かして退廷
(17:15~17:38)
《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事 件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判で、リンゼイさんの父親のウィリアムさん に対する検察側の証人尋問が続き、ウィリアムさんの言葉を女性通訳が通訳していく》
証人「これまで裁判を見てきたが、まるで市橋被告のショーだと感じました。検察官の質問には短く答え、『もう1度』と聞き直す。弁護人が尋ねたことはたちどころに理解して、長々と答えていました。彼はショーを演じるために(言動を)練り上げています」
《ウィリアムさんが座る証言台のすぐ左後ろで、刑務官に挟まれるようにして長イスに座る市橋被告。傍聴席から見ても分かるほど、体と顔をガタガタと震わせている》
証人「裁判長、裁判員の方々にはぜひ、証拠に基づいて判断してもらいたいです。法廷では娘を解剖した鑑定医の証言が出ました。証言によると、3分から5分 程度、娘の首に圧迫が加えられた可能性が高いということでした。みなさん3分について、自分の息をとめて試してみてください。30秒程度で首の圧迫をやめ たら回復するとのことでしたが、彼(市橋被告)が手を離した証拠はありません」
《ウィリアムさんは市橋被告の心臓マッサージを試みたという主張にも疑問を呈した》
証人「もしも心臓マッサージをしたら、された側の肋骨(ろっこつ)が折れるほどの力が加えられるということでしたが、娘の体に心臓マッサージを施した痕跡はどこにもありませんでした」
《ここで堀田真哉裁判長が割って入り、検察側の質問に端的に答えるように求めた。ウィリアムさんは「OK」と応じた。男性検察官が質問をする》
検察官「法廷での市橋被告の態度を見てどう感じましたか」
《ウィリアムさんは首を左右に振りながら、しゃべり始めた》
証人「彼は悔いていません。証言は計算されつくし、リハーサルされたものです。彼が逃走中、私たちは何度も強く自首を求めました。しかし彼は耳を貸さず、 われわれが日本に来るための費用を工面している中でも、あざ笑うように逃げ続けていました。法廷でもまったく悔いていないことは明らかです」
検察官「市橋被告にどんな刑を望みますか」
証人「この国の最も重い最高刑を望みます。慈悲なく娘を殺害した行為に相当するような、寛容でない最高刑を希望します」
検察官「家族もみんな同じ思いですか」
証人「当然そうです。市橋被告の振る舞い、態度、私たちへの仕打ち、リンゼイにしたことから、最高刑を望みます」
《市橋被告は手記を出版しているが、その印税を遺族に支払うとしている。検察官はこの点についても質問する》
検察官「市橋被告は印税を支払うと言っていますが、どう思いますか?」
証人「イチハシからは何ももらいたくない。一銭もイチハシからもらわない。娘を殺しておいて、それをネタに金を稼いでいる。一銭もほしくない」
《女性通訳は感情移入したかのように強い口調となっていき、市橋被告の呼称を外した。市橋被告の震えはずっと止まらない》
検察官「事件から4年以上が経過しましたが、日本や日本人にどんな気持ちを持っていますか」
証人「法廷では答えにくい質問ですね。リンズー(リンゼイさんの愛称)は日本を大事にしていました。日本が好きで、私たちが休暇に日本を訪れると、色々な ところを案内してくれました。この日本の秩序、高潔さを尊敬していました。たとえイチハシという人間が娘にあのようなことをしたからといって、私は日本に 対するネガティブ(否定的)な気持ちは持っていません。彼がしたことと、日本はまったく関係していません」
検察官「被害者参加制度にのっとり裁判に参加した理由を教えてください」
証人「家族として、犯人が何をしたのかを見届けたいと思ったからです」
検察官「裁判官や裁判員に伝えたいメッセージはありますか」
証人「私はこの国の裁判制度を信頼しています。皆さんが正義を貫かれることを固く信じています。証拠に基づき有罪と判断されたときには一切の寛容も、慈悲も不要です。それを切に希望します」
検察官「最後に何か言いたいことはありますか」
証人「彼がしたことで家族は惨憺(さんたん)たる思いをしました。私たち家族は二度と、平凡ながら幸せだったころに戻れません。今はある意志で一つになっ ています。この邪悪な男は娘に邪悪の限りのことをしました。彼に最高刑を与えたいということだけで気持ちを一つにして頑張っています」
《向かって右から3番目の男性裁判員は目を細め、同情するようなまなざしをウィリアムさんに向けた。検察側の尋問が終わり、ウィリアムさんは席を立つと、 市橋被告の隣に座っていた刑務官がウィリアムさんの接近を防ぐように、2人の間に立った。顔を紅潮させたウィリアムさんが検察側の後方にある自席に戻る と、母親のジュリアさんがいたわるように背中をさすっていた》
《堀田裁判長は閉廷を宣言した。傍聴人たちが次々と退廷する中、市橋被告は 震えたまま動かない。刑務官たちが両脇を支えるようにして立たせたが、腰が抜けたように前屈みになった。刑務官たちに引きずられるようにしながら退廷する 市橋被告の背中を、ウィリアムさんとジュリアさんはにらみつけていた》
《第5回公判は11日午前10時から始まり、引き続きウィリアムさんや、ジュリアさんらの証人尋問が行われる》
英国女性殺害 第5回公判(2011年07月11日)
【英国女性殺害 市橋被告5日目(1)】
「英国の法廷はショー」 弁護側発言にリンゼイさん父、いら立ち
2011.7.11 11:43
(10:00~10:20)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判が11日、千葉 地裁(堀田真哉裁判長)で始まった。今回はリンゼイさんの両親に加え、批判覚悟で市橋被告の支援を続けてきた大学時代の恩師らへの証人尋問が行われる》
《これまでの公判で、市橋被告はリンゼイさんへの殺意を否定。2日間にわたって行われた被告人質問では、リンゼイさんが死亡した後の心境について「夢か現実か分からなくなった」と語り、遺体遺棄の理由などについては「分かりません」などと繰り返している》
《今回の公判は前回に続き、リンゼイさんの父、ウィリアムさんの証人尋問から始まる。ウィリアムさんは第4回公判で、まな娘の命を奪った市橋被告への怒りを爆発させ、「この国で最も重い最高刑を望みます」と死刑を求めた》
《市橋被告が2年7カ月の逃亡生活をつづった自らの手記『逮捕されるまで』の印税を遺族に支払うとしていることについては「娘を殺しておいて、それをネタに金を稼いでいる」と糾弾し、「一銭もほしくない」とも述べた》
《今回はウィリアムさんに続き、母のジュリアさんの証人尋問も行われる。法廷ではこれまで、市橋被告がリンゼイさんを乱暴した際の生々しい記録や証言が次々と白日の下にさらされている。母の目にはどう映ったのだろうか》
《午後には弁護側の情状証人として、市橋被告の千葉大時代の恩師2人が出廷する。うち一人は、千葉大大学院の本山直樹名誉教授。本山さんは「市橋達也君の 適正な裁判を支援する会」のメンバーで、ホームページ上で、顔を変え逃亡中の市橋被告に出頭を呼びかけたり、支援金集めを呼びかけるなど、批判を受けなが らも活動を続けた》
《7月8日付の本山さんのブログによると、これまでに集まった支援金は333人から約330万円。すべてが弁護側の裁判費用に充てられるという。市橋被告とは空手同好会の顧問として知りあったというが、法廷では何を訴えるのだろうか》
《午前10時、黒っぽいジャケットに身を包んだホーカーさん一家が入廷する。ウィリアムさんとジュリアさんは検察官席の後ろに、リンゼイさんの姉妹は傍聴席の一番前に着席した》
《次いで市橋被告が刑務官に付き添われ、左側の扉から入廷する。黒いシャツに黒いジーンズ姿。うつむいたまま、ウィリアムさんらに向かって頭を下げるが、ぼさぼさの髪がさえぎり、その表情はよく見えない》
《午前10時5分、裁判員らが入廷し、裁判長が開廷を宣言。前回に続き、ウィリアムさんの証人尋問を行うことを告げる》
《ウィリアムさんが席から立ち上がった。市橋被告を威嚇するかのように胸を張り、証言台に向かう。刑務官3人が立ち上がり、市橋被告をガードするように囲んだ。市橋被告はじっとしたまま動かない》
《8日の法廷では、ウィリアムさんが市橋被告に近づき、怒りの形相で市橋被告を見下ろす一幕があった。刑務官はそれを警戒したのだろう》
《裁判長が尋問に当たっての注意点を述べた後、弁護人が立ち上がり、女性通訳を介しての尋問が始まる》
弁護人「証人のお仕事について伺います。2007年(平成19年)3月、事件当時どのようなお仕事をされていましたか」
証人「自動車教習所の教官でありました」
弁護人「現在のお仕事は?」
証人「同様であります」
弁護人「(事件前後で)お仕事は変わっていないということでよろしいですね」
証人「そうです。しかしながら自営であります」
弁護人「証人の最終学歴を教えてください」
証人「ちょっと理解できないのでもう1度お願いします」
弁護人「日本でいう高校卒業が最終学歴ということでよろしいですか」
証人「私は専門教育を受けたエンジニアです」
弁護人「それは日本でいう技術学校のようなものでしょうか」
《ここで裁判長が「日本の制度で聞かれても分からないと思いますが」と発言。弁護側は質問を取り消し話題を変える》
弁護人「リンゼイさんが死体で発見されたことは、いつ知りましたか」
《ウィリアムさんは「すーっ」と深く息を吸った後、質問に答える》
証人「26日の日曜日でした。日中か夜間かについては、はっきり記憶していませんが、その日に行方不明になったと知らされました。死体で発見されたというのは、日曜日から月曜日(27日)の間だったと思います」
弁護人「日本と英国の時差は8時間ですね」
証人「おっしゃる通りだと思います」
弁護人「リンゼイさんが遺体で発見されたのは(平成19年)3月26日の夜遅く。日本とイギリスの時差を考えても、26日の昼から夕方にかけて、娘さんの死亡が知らされたと思いますが」
証人「何日かというのははっきりしませんが、月曜日は仕事に行きまして、その間に娘の(日本の)勤務先(の英会話学校)から行方不明という電話を受けました」
「連絡を受けて妻の仕事先に向かい、娘の勤務先や友人に連絡を取ろうとしました。同日夜にかけて娘の死亡を知らされました」
弁護人「娘さんの死亡を知らされ、日本に来ましたね」
証人「それより早くリンゼイが不明という連絡を受け、すぐに妻が日本に行く搭乗券の手配をしました」
《傍聴席に座るリンゼイさんの姉妹は、ウィリアムさんの背中をじっと見つめている。ウィリアムさんの声がマイク越しに法廷内に響く》
弁護人「あなたは平成19年3月31日、駐日英国大使館で、検察官の聴取を受け、調書を作成していますね」
証人「日付の記憶はありませんが、たしかに娘が殺害された後です」
弁護人「日本では警察や検察から(事件について)どう説明を受けましたか」
証人「まず警察と接触したときには、それほどの情報はいただけませんでした」
弁護人「検察は?」
証人「検察官からは、どのような気持ちですかと質問がありました」
弁護人「警察や検察からは、娘が強姦され、殺害されたという説明は受けませんでしたか」
《通訳が「一番初めですか?」と質問する。弁護人が「そうだ」と答える》
証人「いいえ、そのときに聞かされたのは『殺害された』ということのみです」
弁護人「最初に来られたときに『殺害された』ということは聞かされていたんですね」
《法廷で弁護側は市橋被告に殺意はなく、事件は傷害致死罪に相当するとの主張をしている。捜査側が当初から『殺害』という言葉を使い、『殺人罪』での立件を視野に捜査していたことを強調したいようだ》
証人「はい」
弁護人「市橋という男が逃げたということは聞かされていましたか」
証人「容疑者はいるということは聞かされていました」
弁護人「話は変わりますが、イギリスで刑事裁判を傍聴されたことは?」
証人「一切ありません」
弁護人「イギリスでは陪審という制度があることをご存じですか」
証人「もちろんです。私は英国に住んでいますから」
弁護人「陪審制度ではときに法廷がショーのようになったりするという話は聞いたことがありますか」
《8日の証人尋問でウィリアムさんは、市橋被告の法廷での証言を「計算されつくし、リハーサルされたものだ」と批判。「まるでショーのようで、まったく悔いていないことは明らかだ」と発言している。弁護側の質問はその当てつけなのだろうか》
証人「先生。どうぞ、私は自動車教習所の教官にすぎず、法廷弁護士ではありません。裁判の知識はテレビや新聞で見る程度で、それが私の得られる知識のすべてです」
《少しイライラしたようなウィリアムさんの声が法廷に響く。市橋被告はじっとしたまま動かない》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(2)】
慈悲の心...「イチハシはない」断言した父の心中は?
(10:20~10:34)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第5回公判は、リンゼイさんの父、ウィリアムさんへの男性弁護人による証人尋問が進んでいる》
《年配の男性弁護人からの質問にウィリアムさんは英語で「はい。私は事実をはっきりすることを望むだけです」とはっきりした口調で答え、裁判官たちの前に座った女性通訳が一言一言、丁寧に日本語に翻訳していく》
弁護人「証人は、イギリスで無罪の報道を目にしたことはありますか」
《ここで若い男性検察官が「異議あり」と立ち上がった》
検察官「必要のない質問です」
《堀田真哉裁判長が弁護人に説明を求めた》
弁護人「証人の証言の信用性を確かめるための質問です」
検察官「信用性とどう関係するのですか」
弁護人「それをこれから確かめていくのです」
検察官「それに、証人を困惑させる質問でもあります」
《双方、口調が厳しさを増す。堀田裁判長が「どの件についての信用性ですか」と割って入った。弁護人が「『証拠に基づいた審理を望む』との証言についてだ」と説明した》
《ウィリアムさんは8日開かれた第4回公判で、「裁判長、裁判員の方々にはぜひ、証拠に基づいて判断してもらいたい」と語っていた。この発言を指しているのだろう。しかし、堀田裁判長は質問の仕方が適切でないと判断したのか、「質問を変えてください」と促した》
弁護人「証人は被害者遺族としてこの裁判に参加されていますね?」
証人「そうです」
《ウィリアムさんは妻のジュリアさんとともに被害者参加制度に基づき、この裁判に初公判から出席し、検察官の後ろの席で法廷での一言一句に耳を傾け続けてきた》
弁護人「いまここで行われていることは、証拠に基づき、処罰を認定する手続きだと理解されていますか」
証人「私がここに来たのは、実際に娘に何が起きたのか究明するためです。処罰の認定は法の統治のもと、行われるべきで、私はそれを尊重します」
《ウィリアムさんは、きっぱり断言するように述べた。傍聴席から向かって右から3番目の男性裁判員は証言を続けるウィリアムさんを、視線をそらすことなく見つめている》
弁護人「証人の母国、イギリスでは、死刑がないですね?」
証人「そうです」
弁護人「イギリスはヨーロッパ連合、すなわちEUに加盟していますね?」
証人「もちろんです」
《ウィリアムさんは「なぜ、そんな質問を?」と言いたげに語気を強めた》
弁護人「EU加盟国はすべて死刑を廃止しています。その通りですね?」
証人「そう認識しています」
弁護人「最後に処罰意見について聞きます。前回、処罰意見について『家族で同じだ』とおっしゃりませんでしたか」
証人「そうです」
《ウィリアムさんは、強調するようにもう一度「そうです」と繰り返した》
弁護人「最初、来日したとき、検察官に処罰意見は、あなたと奥さんや娘さんたちと違うとおっしゃっていませんでしたか」
証人「(在日英国)大使館で検察官にそう述べたことを覚えています。私は、はっきりと『この国での最高刑を要求します』と述べました。それが死刑なら当然それが適用されるべきと思う。妻と娘は検討の余地があるとしていました」
《ジュリアさんはほおに手を当て、真剣なまなざしで証言を続ける夫を見つめている》
証人「私としては変える余地がない。EUとか質問なさいましたが、これはこの国で起きた犯罪です。今回の事件は、日本の法律で治められている日本で起きました。日本での最高刑を望む気持ちに変わりはありません」
《きっぱりこう答えたウィリアムさんに弁護人が矢継ぎ早に質問する》
弁護人「奥さんと娘さんたちは終身刑を望んでいたのでは?」
証人「それは違います。(妻や娘は)当時、まだ事実を知らされていませんでした」
弁護人「最後になります。日本では和ということを大切にしているということをご存じですか」
《通訳は「和」を「Harmony(ハーモニー)」と翻訳した》
証人「ハーモニーを尊重するのは、日本だけでなく、世界共通だと思います」
弁護人「日本では、慈悲と寛容の心を大切にしているのはご存じですか」
証人「聞いたことがあります」
《こう述べた後、ウィリアムさんは語気を強めた》
証人「しかし、イチハシ(市橋被告)は聞いたことがない、と思います」
裁判長「他に尋問はありますか」
《堀田裁判長はこう聞き、検察側にも質問がないか確認した上で、約20分間の休廷を告げた》
《ウィリアムさんは「サンキュー」と述べ、証言台の席を立った。証言台の後ろの長いすに座っていた市橋被告はうなだれたような姿勢のまま動かなかった》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(3)】
テコンドー学んだリンゼイさん 母「力の限り自分を守ろうと」
(10:55~11:15)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判が再開。堀田真哉裁判長からリンゼイさんの父、ウィリアムさんに対する 裁判所側の尋問がないことが告げられた》
《続いて、リンゼイさんの母、ジュリアさんの検察側証人尋問が始まった。法廷中央の証言台に進んだジュリアさんだが、市橋被告と目を合わせない。市橋被告もうつむいたままだ》
検察官「リンゼイさんの実の母親ですか」
証人「そうです」
検察官「リンゼイさんは護身術などを学んでいましたか」
証人「13~16歳の間、テコンドーを学んでいました」
検察官「護身術を使って事件でも抵抗したと思いますか」
証人「死にものぐるいで、力の限り、必死で自分を守ろうとしたと信じています。護身術は身に付いていたと思います」
《裁判員らはジュリアさんの一言一言に注目し、メモを取っている》
検察官「リンゼイさんは大学卒業後、なぜ英会話講師を始めたのですか」
証人「リンゼイは大学を卒業した時点で18年間の教育を受けていました。その後、教職か医者かで(将来を)迷っていました。外国で無為な時間を過ごすのでなく、進路を決めるため海外に行きました」
検察官「なぜ日本を選んだのですか」
証人「小さなころから東洋にあこがれを持っていました。着物やヘアスタイルに興味を持ち、日本語の会話を学んだこともありました。そして、日本は 安全と確認しました。英会話学校のイギリス支部で面接を受け、宿泊費や旅費を学校側に持ってもらう条件でオファーを受けたのです」
《リン ゼイさんは、市橋被告へのプライベートレッスン後、レッスン料を忘れたという市橋被告とともにマンションに向かい、被害に遭った。英会話学校での授業が控 えていたリンゼイさんは、マンション4階に向かうエレベーターで、仕切りに腕時計を気にする様子が防犯ビデオに映っていた》
検察官「イギリスでは事件はどのように報道されましたか」
証人「実はリンゼイの死を真夜中に聞きました。月曜日の夜中から火曜日の朝方にかけてです。しかも、それまで音信不通で、2日間寝ていませんでした。事件は新聞など、ありとあらゆるところで報道されました」
検察官「イギリス人の日本に対する印象はどうなりましたか」
証人「残念なことに、この事件で、日本は世界で最も安全でない国になりました。海外で英語を教えようとしていた人が、日本から行き先を変えたと聞いたことがあります」
《ジュリアさんは男性検察官の質問に対し、しばらく考え込んだ後、丁寧によどみなく答えている。頭の中で整理しているように見える。証言台の後ろの席に座った市橋被告はうつむいたままだ》
検察官「事件は家族に対し、どのような影響を与えましたか」
証人「みなさん、子供が死んだとき、親がどのような思いになるか分かりますか。想像を絶する悲しみがあります。子供が親より先に死ぬのは普通ではあり得ないことです。しかも、リンゼイは殺害されました。苦しみや悲しみは言葉を絶します。食べることもできません」
「残された2人の娘が目の届かないところに行くと、不安になります。なぜ日本に行かせてしまったのか。自宅にはベランダやバルコニーがありますが、足を踏み入れることはできません。エレベーターに乗っていて、誰かが乗ってくると震えます」
《リンゼイさんの遺体は市橋被告のマンションのベランダに置かれた浴槽の中で土に埋められていた。ジュリアさんは、ベランダやエレベーターなど事件を連想させる場所に近づけないことを主張した》
証人「2人の娘は"親友"を失いました。影響は言葉では語れません」
検察官「2人の娘さんは公判傍聴のために日本には来ないということでしたが、なぜ家族みんなで来たのでしょうか」
証人「この目で自分の姉妹を奪った男を直視することが死の喪失感への対処につながると考えたからです。娘たちには判断力があります」
《ジュリアさんは、長女が事件のショックでカウンセリングを受けていたことを明かした上、力強く語った》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(4)】
手記の印税「1ペニーも受け取らない」 痛烈批判に被告の震え止まらず
(11:15~11:35)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は、リンゼイさんの母、ジュリアさんへの検察側の証人尋問が続いている》
《男性検察官の質問に、はっきりと答えながらも、時折、涙で声をつまらせるジュリアさん。市橋被告は、証言台に座るジュリアさんの左斜め後ろの被告人席で 上半身を折り曲げるようにして座り、小刻みに身体を震わせていた。傍聴席からはその表情は見えないが、泣いているようだ》
《検察側は市橋被告からの謝罪の手紙について質問している》
検察官「弁護人を通じて、謝罪の手紙を届けたいという意向は伝えられていますか」
証人「私どもは何度も来日し、自首(出頭)するように要求しました。被告人の親にも自首を促すように手紙を送りました。しかし、彼は逃亡を続けた」
「逮捕されて以降、彼(市橋被告)から連絡は一切ありませんでした。その後、謝罪文を送りたいという意向を弁護人を通じて知らされました。ですが、彼が娘 の死に対して本当に申し訳ないと思っているとは思えない。裁判対策だと思う。いかなるコミュニケーションも取りたくない」
《ジュリアさんの口から繰り返される厳しい言葉に、市橋被告は肩を大きく振るわせている》
《検察側は、市橋被告が出版した手記について話題が変わった。手記には、市橋被告の逃亡生活などが記されている》
検察官「本の出版の内容について知っていますか」
証人「私自身読んでいません。読みたくもない。ただ、ネット上では本についてのいろいろな記事があり、多少は何が書かれているか知っています」
検察官「逃亡中の様子を出版したことについてどう思いますか」
証人「まず、そんな本を書くこと自体、奇妙な話。私どもとしては(市橋被告が)失礼なことをしていると思う。こちらの気持ちを無視したこと。逃亡中の出来 事をぬけぬけと書くことは、普通の人ではできないと思います。捜査当局に対する狡猾(こうかつ)なジェスチャーだと思います」
《市橋被告は、この手記の印税を被害者弁済にあてるとしている。この点についても検察側から質問が出た》
検察官「印税を出すと言っているがどう思いますか」
証人「あまりにもひどい話。侮辱の極みです。彼が本によって何らかのお金を得るとしても、私の娘を殺して、殺人の成果物として得たものです。1ペニーたりとも受け取れ
検察官「あなた自身はどのような刑を求めますか」
証人「最高刑を求めます。どの刑を求めるかというのはずっと考えていました。2人の娘とも話し合って理由を考えた。理由は、この男が私の娘に対して一切の慈悲もなく、あのようなことをしていたからです。そして、殺したまま捕まることなく暮らしていた。最高刑を求めます」
《質問の最後に、検察側から他に述べたいことがあれば話すように促されると、ジュリアさんは堰(せき)を切ったように自分の思いを話し始めた》
証人「私は良き妻であり、良き母親であることに徹してきた。美しい娘たちに恵まれ、支え合って生きてきた。娘たちは『私の世界』でした。その男が私の娘を奪ったのです。その理由がどうしても分からない」
「娘と22年暮らせて幸せだった。裁判官、裁判員のみなさんが素晴らしい娘に恵まれている親ならば、今の私の気持ちが分かるはずです」
《涙で時々言葉を詰まらせながら証言したジュリアさん。市橋被告は依然、身体の震えが止まらない様子だった》
《続いて、弁護側からの質問が始まった。男性弁護人がゆっくりとした口調で質問していく》
弁護人「この裁判に遺族として参加した理由はなんでしょうか」
証人「卑劣さを理解していただくためです」
弁護人「リンゼイさんが殺害されたと考える根拠は何なのでしょうか」
証人「私には娘が自分で首を絞めたとか、窒息させたとは考えられないからです。それは他者によって行われたと思うからです」
弁護人「被告人質問は聞きましたか」
証人「はい」
弁護人「裁判前に思っていたことと、被告人が法廷で述べたことと違っていましたか
証人「分かりません。そのような点を判断するのは裁判官の役目だと思います」
弁護人「最後の質問になります。リンゼイさんがどうして亡くなったのかという被告人の説明を聞きましたか」
証人「いいえ」
《ここで、女性通訳から弁護側に先ほどの質問の意味が「事実を聞いたのか」か、「納得した」かどちらの意味かと尋ねた。弁護側は事実を聞いたのかという意味であることを伝え、再度、訳し直して同じ質問が行われた》
《だが、ここで、検察側から誤導だと指摘があり、堀田真哉裁判長は質問を聞き直すように弁護側に伝えた》
弁護人「リンゼイさんが亡くなった際の状況は聞きましたか」
証人「はい」
《弁護側の質問が終わり、検察側も最終尋問がないと答えた》
裁判長「裁判所から質問があれば休廷後に質問します。それまで約20分間休廷し、午前11時55分からの再開とします」
《休廷が告げられ、ジュリアさんは証言台からリンゼイさんの父、ウィリアムさんの隣の席に戻った。ウィリアムさんとジュリアさんは少し言葉を交わして退 廷。市橋被告は、自力で立ち上がることができず、4人の刑務官に抱えられるようにして立ち上がった。退廷するまで、市橋被告の手の震えは止まることはな かった》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(5)】
「婚約者3カ月後に来日予定だった」リンゼイさん母、涙
(11:55~12:15)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は、休憩を挟み再開した。リンゼイさんの母、ジュリアさんに対する裁判 官、裁判員の証人尋問が始まる》
《市橋被告は両腕を激しく震わせた状態で入廷。リンゼイさんの両親に一礼し、着席した後も体の震えは止まらなかった》
《堀田真哉裁判長が再開を宣言し、裁判員に質問を促すと、右から2番目の男性裁判員が挙手した》
裁判員「もしこの場に被告の両親がいたら、何か言いたいこと、聞いてみたいことはありますか」
《多くの公判では、被告の肉親が情状証人として出廷する。しかし、市橋被告の両親は弁護側の要請に対し、出廷を拒否。捜査段階での調書の読み上げも行われず、息子の犯行を受けた両親の心情は、明らかにされないままだ》
《ジュリアさんは少し考えた後、やや戸惑った様子で語り始めた》
証人「質問に答えるのが難しいです。実は、考えたことがありませんでした。私は親の立場で話しています。親の立場からすれば、イチハシの両親の気持ちが推し量られます」
《ジュリアさんは複雑な胸中を明かした上で、大学卒業後も仕送りで息子を生活させていた両親に対する厳しい心情ものぞかせた》
証人「付け加えて言うと、事件当時イチハシは28歳で、仕事に就いていませんでした。リンゼイは22歳でしたが、(イギリスから)地球を半周もした場所で仕事を持ち、親から自立していました。私たちはリンゼイを自立した大人として扱っていました」
《市橋被告は下を向いたまま、ジュリアさんの言葉に耳を傾けている。続いて、左陪席の女性裁判官が質問した》
裁判官「リンゼイさんには婚約者がいました。2人にどんな家庭を築いてほしかったですか」
証人「リンゼイと(婚約者の)□□(法廷では実名)は、大学に入学して1週間で出会い、その後恋愛関係になり、深く思い合うようになりました。リンゼイが日本に留学することになり、□□は本当に悲しがりました」
「この年(平成19年)の1月にも1度来日し、(事件の3カ月後の)2007年6月からは日本で(英語を)教える計画を立てていました。教鞭(きょうべん)をとった後に2人は日本を旅行し、帰国する予定だったんです。2人は子供を4人ほしいと、いつも言っていました」
《ジュリアさんは涙交じりで、まな娘の将来に思いをはせた》
《ここで証人尋問は終了。証拠調べについての確認を終えた後、堀田真哉裁判長は休廷を告げた。午後の審理は1時15分から再開される》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(6)】
「誰でも逃げる! 誰でも逃げる!」被告が逃走したわけ
(13:15~13:45)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は約1時間の休廷を挟んで再開した。午後は情状証人として、市橋被告の 大学時代の恩師2人が証言台に立つ》
《刑事裁判では通常、被告の肉親が情状証人として法廷に立つことが多いが、岐阜県内に住む市橋被告の両親が出廷を拒否したため、代わって市橋被告が千葉大学に通っていた当時の恩師2人が出廷することになった》
《午後1時15分、堀田真哉裁判長が入廷したのに続いて、傍聴席から向かって左側の扉から市橋被告が法廷に入ってきた。うつむいたままで憔悴(しょうすい)したような表情だ》
裁判長「それでは再開します」
《ここで情状証人の出廷に先立って弁護側が証拠を追加請求した。「被害弁償金について」と題するもので、市橋被告側が弁償金として準備した資金が今年5月末現在で912万円にのぼったとするものだ》
弁護人「出版社から印税の支払いがなされたのが(今年)4月から5月にかけてで、公判前整理手続きに間に合いませんでした」
《市橋被告は、逮捕されるまでの2年7カ月の逃走生活をつづった手記を出版。この印税をリンゼイさんの遺族への被害弁償に充てるとしていた。検察側も同意し、証拠に追加された》
《続いて男性弁護人が、遺族への謝罪の言葉をつづった市橋被告の調書を読み上げ始める》
弁護人「私は怖くなって逃げました。『彼女の人生は彼女のもの』と気づいて怖くなって逃げました。彼女がふと戻ってくればと願っていました。あなた方(リンゼイさんの家族)と同じ願いでした」
「しかし、生き返らないと気づき、その後、建設現場で働いたり、顔を変えたりしました。最下層の作業員として働き、苦しいとき、『彼女の苦しみはこんなものじゃない』と自分に言い聞かせて働きました」
《市橋被告の手記によると、市橋被告は自宅に訪ねてきた警察官を振り払って逃走後、北は青森から南は沖縄の離島まで行き来しながら、断続的に大阪で建築現場の作業員として働いていた》
弁護人「アスベストの粉塵(ふんじん)にまみれ、きつく、汚い仕事も罪の償いだと思って働きました。しかし、罪の償いなんかにはなっていませんでした。あなた方の苦しみはこんなものではなかった」
「しかし、『誰だって逃げる!』『誰だって逃げる!』と2年7カ月間逃げ続けました。本当に申し訳ありませんでした。彼女は亡くなって何も話せません。私だけが事件のことを話すのはフェアじゃない、弱さ故に言い訳になると、何も話しませんでした」
《男性弁護人はやや早口で読み上げていく。それを裁判員らがじっと見つめている》
弁護人「しかし、私には、責任があります。私は責任を取るつもりです。私が死ぬそのときまで責任を背負っていきます」
「彼女の人生は彼女のもの、彼女の家族のもの、そして将来生まれてくる彼女の子供たちのものでした。それに気づくことができなかった。気づくべきでした」
《この後、弁護人は「本当に申し訳ありませんでした」との謝罪の言葉を4回繰り返した。調書は「私は、彼女の人生、家族の人生を壊してしまいました」と結ばれていた》
《続いて弁護人は、市橋被告のリンゼイさんへの謝罪の手紙を読み上げ始めた》
弁護人「リンゼイ・アン・ホーカーさんへ。あなたの短すぎる人生での恐怖、怒り、悲しみを、自分でしっかり分からなければいけないと思うことが償いのスタートと思います」
「いまもしっかり分かっていないのかもしれません。あなたのことを第一に思い続けることが償いのスタートなのかもしれません。いま差し入れてもらった聖書を読み続け、聖書の書き写しを始めています。償いになるかは分かりません。申し訳ありませんでした。市橋達也」
《ここで若い女性弁護人に読み上げが交代する。弁護人は別の証拠として市橋被告が千葉大園芸学部に在学中、市橋被告がデザインした作品について紹介した学内の小冊子を提示し、それが法廷の壁に設置された大型モニターに映し出された》
弁護人「(冊子には)市橋被告について『デザイン力が突出している』と書かれています」
《続いて弁護側の証拠として、市橋被告の大学時代の卒業論文の要旨について読み上げられた》
《次に女性弁護人が、市橋被告が手記の出版に至った経緯について記した調書を読み上げ始めた》
弁護人「出版したのは、被害弁償に充てるためです。印税は遺族にお支払いしたいと考えています。ぜひ受け取ってもらいたい」
《出版の経緯についての調書で市橋被告は3つの責任があるとした。一つは刑事責任、二つめは道義的責任、三つめは民事的責任とし、一つめと二つめについては「裁判を受け、死ぬまで背負う」とした》
弁護人「しかし、民事については背負えません、私はお金を持っていないからです。事件に両親は関係がありません。責められるべきは私です。どうすべきか悩み、本を出しました」
「出版することで(ご遺族が)嫌悪感を持たれるかもしれません。しかし、本にしたことはお金をつくって受け取ってもらいたかったからです。リンゼイさんは生き返りません。それでも3つの責任を果たしていきたい。本当に申し訳ありませんでした」
《この後、検察側がさらに市橋被告に追加質問をしたいと述べた。堀田裁判長は後ほど協議するとし、情状証人への尋問に移った》
《白髪交じりの髪に黒いスーツを着た年配の男性が証言台に進む。千葉大大学院名誉教授の本山直樹さんだ。本山さんは市橋被告が同大園芸学部に在学中、空手同好会の顧問として市橋被告に接してきた》
《さらに、本山さんは昨年2月に「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」を結成し、インターネットなどを通じて「償いをしなければならないのは当然だが、元教師として市橋君に適正な裁判を受けさせたい」と訴えてきた》
《堀田裁判長に促されて本山さんは宣誓した後、証言台の席に着いた。年配の男性弁護人が質問に立った》
弁護人「それでは経歴についてうかがいます」
証人「千葉大学を卒業後、(米国の)ノースカロライナ州立大で10年間、農薬の毒性について研究し、千葉大学でおよそ30年間教鞭(きょうべん)を執って定年後、2008年(平成20)から東京農業大学で客員教授をしています」
弁護人「3年ほど前、中国から輸入されたギョーザで中毒が起きた事件は知っていますか」
証人「殺虫剤を混入された事件で、千葉の警察の依頼で同種の殺虫剤の成分について情報提供をしました」
《証言台の真後ろに座る市橋被告はうなだれた姿勢のまま、恩師の証言を聞いている》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(7)】
ストーカー電話、通販購入なりすまし...「支援する会」恩師への壮絶いやがらせ
(13:45~14:15)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判。市橋被告の千葉大園芸学部在籍時に担当教員だった同大大学院の本山直 樹名誉教授に対する弁護側証人尋問が続く》
弁護人「『市橋』とは千葉大で出会ったんですね」
証人「現職の時には体育会空手部の顧問をしていました。園芸学部の空手同好会でも指導をしており、市橋君も部員としてけいこしていました」
《男性弁護人が市橋被告を「市橋」や「市橋達也」などと呼び捨てするのに対し、本山さんは「市橋君」と呼ぶのが特徴的だ》
弁護人「千葉大は西千葉にありますが、園芸学部は松戸にありますね」
証人「はい」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは身を乗り出し、市橋被告をのぞき込む。恩師を前にどのような思いでいるのかが気になるのだろうか》
弁護人「(園芸学部空手部同好会の)空手部員は何人くらいいましたか」
証人「通常は20~30人くらいですが、彼の時代は少なく、5~10人くらいでした」
弁護人「1週間にどれくらい練習していましたか」
証人「時代によって違いますが、当時は週1、2回、昼休みに練習していました」
弁護人「市橋が入会したとき、どのように感じましたか」
証人「入会申込書にスポーツ歴を記入してもらいますが、中学時代にバスケットボール、高校時代には陸上の経験があり、大型選手になると思いました」
弁護人「空手は肉体のほか、精神面の訓練にもなる。どのように指導していましたか」
証人「空手は武道であり、その他のスポーツとは違う。昼に1時間の練習だが、必ず床をぞうきんがけさせ、ロッカー室の掃除もさせていました」
弁護人「2007年(平成19年)3月下旬に市橋のことが報道されたことは記憶にありますか」
証人「あります」
弁護人「千葉大学や証人の所に取材はありましたか」
証人「殺到しました」
《本山さんは、当初取材制限がなかったが、校内で手当たり次第に取材活動が行われるようになったと説明。教育環境が保たれなくなったことから、窓口を学部長に一本化し、許可制にしたという》
弁護人「証人の所にも警察の協力要請はありましたか」
証人「千葉県警の刑事が来て、同好会に在籍していたころの名簿を渡しました」
弁護人「逃亡したことは報道で知っていましたか」
証人「はい」
弁護人「市橋は逃げたりしないで、どうすべきだったと思いましたか」
証人「当然、逃げるのではなく、責任を持つべきだと思いました。出頭して、ありのままを述べるべきだと思いました」
《本山さんは21年11月、「市橋達也君に告ぐ」と題する文章を自らのホームページに掲載。逃走中の市橋被告に自主的な出頭を呼びかけている》
弁護人「ブログに市橋個人の記事を載せましたか」
証人「逃亡して、しばらくして自殺したと思っていたが、2年数カ月後に整形して、生き延びていたことを知った。ブログを見た市橋君が連絡してくれば、一緒に出頭するか、もしくは(1人でも)出頭してほしいと思いました」
《市橋被告は事件後、自宅マンションを訪れた捜査員を振り切って逃走。その後、2年7カ月に渡って逃亡生活を送っていた》
《市橋被告は自身の手記で、建設会社などで働き、愛知・名古屋市で顔に整形手術を施すなどしていたと記している。ただ、細かな逃走の経緯について、争点となっていないため、公判では明らかにされていない》
弁護人「市橋達也が裁判を受けているがどのように感じますか」
証人「まず(事件発生時に)報道をみて、同姓同名の他の学生がいるのかと思いました。逮捕以降は(市橋被告の)証言と検察側の言い分が食い違っているようなので、事実が明らかにされ、判決が出されることを望んでいます」
弁護人「学生に対してはどのような思いがありますか」
証人「すべて学生は教師にとって自分の子。社会に出て活躍してほしいと思います」
《本山さんに対する男性弁護士の質問は、本山さんが昨年2月に設立した「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」に移った》
弁護人「設立の目的や趣旨は?」
証人「市橋君が身柄を拘束された後、現在の弁護団が弁護に当たり信頼関係を築きました。ただ、市橋君に経済力がないので、弁護活動するのに不利が生じる。これでは適正にならないと思い、募金活動を始めました。裁判資金を集めたいと思って始めた」
《証言台に座るスーツ姿の本山さんは背筋を伸ばし、質問にハッキリとした口調で答えている。一方、市橋被告はうつむいたままだ》
弁護人「市橋被告に対し、いろいろな報道がありました。公正な裁判が妨げられると思いますか」
証人「はい。当時、報道は過熱し、『(ロス疑惑の)三浦和義』のときと同じような雰囲気がありました。虚像が作られ、袋だたきにされ、リンチになる、と。これではだめだと思いました」
《本山さんは、ロス疑惑の容疑者として米自治領サイパンで拘束され、ロス市警の留置場で自殺した元会社社長、三浦和義さん=日本で無罪確定=を例に挙げ、報道の過熱ぶりをアピールした》
弁護人「先ほど、弁護士に対する費用を集めるということでしたが、裁判の実費ということですか」
証人「当初、最低限、書類のコピー代と証言を取るための移動費用の実費と考えていました。ただ、弁護士生活も楽ではないということを報道で知り、残りは当然、弁護士費用として取ってもらいたいと考えています」
《ジュリアさんは顔を手で覆ったまま、首を横に振る。本山さんの支援に納得がいかないのだろうか》
弁護人「支援する会を設立し、1年半が経過しました。あなたに対する嫌がらせは?」
証人「たくさんあります」
《本山さんは嫌がらせの実例を挙げた。本山さんはうろたえることなく、しっかりとした口調で話したが、その中身は激しいものだった》
証人「今日もメールでえげつない言葉がありました。ストーカーに相当する電話もあります。午前3時に10回も20回も鳴らされることがあります」
「さらに私の携帯電話番号を使って、通販で購入をしています。架空の住所に送らせるため、運送会社や通販会社から問い合わせが来ます。これらが毎日続いているのです。300回以上です」
《ここで、検察側が「予定時間をだいぶ過ぎている」と声を上げた。男性弁護士は「最後です」と応え、初めて「市橋被告」と呼んだ》
弁護人「後ろにいる市橋被告に対し、どのように言ってあげたいですか」
証人「(身柄が)拘束されているときには接見したかった。ぶん殴って、しかりつけてやりたかった。事実を述べさせ、反省させたかった。今は...」
《本山さんが声に詰まる。涙交じりの鼻声になった。教え子に対する思いがあふれ出ているようだ》
証人「どういう判決になるか分からないが、刑に服して反省し、生きることが許されるなら、20年、30年と成長するように社会貢献してほしい」
弁護人「終わります」
《法廷はここで、いったん休廷した》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(8)】
「立派な武闘家になれる」恩師、空手部時代の被告語る
(15:00~15:15)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は約45分の休廷の後、千葉大大学院名誉教授の本山直樹さんへの証人尋問を再開した》
《当初の予定では午後2時45分の再開予定だったが開始が約15分遅れた。その理由について、まず堀田真哉裁判長が説明を始めた》
裁判長「今後の裁判の進行について協議しており、開始が遅れました。大変申し訳ありませんでした」
《再開が告げられると、再び本山さんが証言台に立った。裁判長に促され、傍聴席から見て一番左側に座っている男性裁判員が本山さんに質問した。最初は市橋被告のために集まったという募金についてだ》
裁判員「市橋被告を支援する会を設立しているそうですが、ご自身の寄付は、いくらぐらいだったのでしょうか」
証人「私自身は13万円を寄付しています」
《男性裁判員はメモを取りながら、質問を続けた》
裁判員「あともう1点質問です。空手の師範をされているということですが、園芸学部の空手部の活動はどのような活動をしているのでしょうか」
証人「一般的な体育会系の空手部であれば、試合に出て優勝を目指すなどの目標もありますが、園芸学部の場合は学生のほか、教員や事務職員もいる。それなので、健康管理が主な目的となっています。外部に出て試合をやるということは全くありません」
裁判員「それですと、先ほど『中高とスポーツ経験があり、大型選手になる印象』と証言していましたが、特に試合もないのならどういうことでしょうか」
証人「運動能力が高く、修練を積めば黒帯になれるくらい、立派な武闘家になれるという意味で使いました」
裁判員「段位の取得は行っているのでしょうか」
証人「一時期、段位の取得を行っていることはありましたが、市橋被告が所属しているときは、特に取得はしていませんでした」
《男性裁判員は小声で「以上です」と堀田裁判長に伝えた。堀田裁判長は、別の裁判員を見渡して他に質問がないことを確認した上で、本山さんの証人尋問が終わったことを告げる》
裁判長「それでは終わりました。ありがとうございました。お帰りいただいて結構です」
《本山さんはカバンをもってすっと立ち上がり、裁判長や弁護側に一礼した後、法廷から退廷する際、被告人席に座る市橋被告の方に一瞬、目を向けた。しかし、市橋被告はうつむいたままで、本山さんはそのまま足早に法廷をあとにした》
《続いて、2人目の証人が呼ばれた。白髪交じりの細身の男性。市橋被告が千葉大在学中、同大の研究室で副指導教員を務めていた◇◇さん(法廷では実名)だ。証言台に立ち、弁護側の質問が始まった》
弁護人「証人の職業を教えてください」
証人「千葉大の教授です」
弁護人「具体的には、どういった役職ですか」
証人「園芸学研究科の教授です」
弁護人「証人と市橋被告の関係はどのようなものでしょうか」
証人「彼が卒論生として研究室に配属になったとき、副指導教員でした。2004(平成16)年度ごろのことでした」
《男性弁護人が、証人として出廷した理由について◇◇さんに尋ねていく》
弁護人「証人は市橋被告が殺人や強姦致死罪などで裁判を受けていることは知っていますね」
証人「はい」
弁護人「何を伝えようとして裁判に出廷したのですか」
証人「彼とは1年とちょっとだけのことですが、当時の私の知っていることが役に立てばと思い、出廷しました。それから、彼の証人はほとんどいないということで、公正な裁判になるよう、こちら(弁護)側の証人として出ようと思いました」
「私の知っている限りでは、まじめな普通の学生。そのことをお伝えしようと思います」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんはじっと口の前で手を組み、通訳される証人の証言に耳を傾けている。母のジュリアさんはメガネをかけ、時折メモを取っている》
《弁護側の質問は学生時代の市橋被告の様子に移っている》
弁護人「市橋被告は庭園デザイン学について学んでいましたね」
証人「はい」
弁護人「簡単に言うとどんな学問ですか」
証人「庭園や公園、都市の広場の設計を学習しています。演習も行う研究室でした」
弁護人「市橋被告のゼミの出席度はどうでしたか」
証人「可もなく、不可もなく普通の出席率でした」
弁護人「市橋被告のデザインしたものが学内の小冊子に載っていたようですが、これを証人はどう評価していますか」
証人「私はちらっとしか見ていないが、その小冊子には学生の優秀作品が掲載される。小冊子に載るということは、学生70~80人のうち3、4人の優秀作品に選ばれたということ。彼自身もデザインに自信があって研究室に来たんだと思います」
《デザインの能力を教員からも高く評価されていた市橋被告。ウィリアムさんやジュリアさんの証人尋問が行われていたときはひどく震えていたが、この時は少し落ち着いた様子で◇◇さんの証言に耳を傾けている》
弁護人「卒業論文での取り組みはいかがでしたか」
証人「彼の卒論で印象的だったのは、自分から(千葉県内の)テーマパークの植栽を調べたいとテーマを決めてきたこと。今の学生はぼーっとしていて、自分で テーマを決められない子も多いが、積極的に動いていた。定期的にリポートも提出していたし、入場のパスポートも購入して調べるなど、積極的に動く能動的な 学生という印象だった」
《市橋被告を弁護する証人が少ないと知り、証人として出廷した◇◇さん。その後ろに座る市橋被告は、ただじっとうつむいているだけだった》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(9)】
似顔絵でコミュニケーション? 指導教授「なぜ捕まえてくれなかった」
(15:15~15:50)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は、千葉大で市橋被告の卒業研究を指導した男性教授の◇◇さん(法廷で は実名)に対する弁護側の証人尋問が続いている》
弁護人「市橋被告について印象に残っているエピソードがあれば教えてください」
証人「普通の学生で特別なところはなかったが、よくスケッチを描いていました。彼の代は(岩手県の)平泉に見学旅行に行きましたが、よくスケッチをしてい ました。教授の似顔絵を描いて研究室のホームページ(HP)に使ったり、高齢の事務の方の似顔絵も描いたりしていました。設計、ものづくりが好きな学生な んだな、と感じていました」
《市橋被告は、初対面のリンゼイさんの部屋に入った際にも「雰囲気を和ませたかった」と、リンゼイさんの似顔絵を描いていたことが、公判で明らかになっている。似顔絵がコミュニケーション手段だったのだろうか》
弁護人「卒業後の進路については、どのように聞いていましたか」
証人「特に聞いていませんでしたが、4年生の早い段階から留学すると話していて、相談を受けていた気がします」
《◇◇さんは英語力を身につけ、大学時代の作品をまとめておくようアドバイスしたという。弁護側は、事件を知った際の感想について質問を移す》
弁護人「今回の事件を知り、逃走したと知って、どう考えましたか」
証人「考えたというより、普通の学生が普通に卒業したと思っていたので、大変驚きました。普通だった彼がそんなことをするんだな、と。警察が彼を逃してし まったときいて、何で捕まえてくれなかったんだ、逃げられれば逃げたくなるものだ。自殺しないでくれればいい、早く出頭してほしいと思いました」
弁護人「市橋被告に何を望み、今後どうなってほしいですか」
証人「犯した罪はひどいものと思います。普通の人でも自分の欲望に従って行動すればこうなってしまう。考えてほしいのは、彼は特に凶悪な性格だったわけで はなく、そういう(普通の)人間だったということ。こういうことをした責任を取ってほしいし、裁判(判決)に従ってほしいです」
弁護人「市橋被告にかけたい言葉はありますか」
証人「まず、自分にも子供がいますし、自分が被害者の親だったら、と思うといたたまれない気持ちになります。彼には『自分が被害者の親だったら』と想像し てほしい。彼はクリエーティブで創造力がある。完全に自分を被害者の側において考えてほしい。彼には考える時間が足りない。もっと想像力を働かせる時間を 作ってあげてほしい」
《反省を深める時間が必要と訴える◇◇さんに、弁護人が最後の質問を行う》
弁護人「裁判員、裁判官に伝えたいことはありますか」
証人「今回、(リンゼイさんの)ご両親もいる前で、弁護側の証人に立つということに非常に悩みました。彼についてより多くの情報をお伝えし、少しでも公正な裁判がなされてほしいと思い、出廷しました」
《語調を強め、◇◇さんは量刑についての主張を訴える》
証人「彼が(事件から)逃げようとして極刑を受け入れ『自分で自分を処理する』、私はそうであってはならないと思います。彼は被害者の立場に立って苦しむ必要があります。そうでないと、彼にとってもリンゼイさん側にとっても、いいことにはならないと思います」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは顔を右手で覆ったまま、通訳の言葉に耳を傾けている》
《検察側の反対尋問はなく、法廷は約15分の休憩に入った》
《午後3時45分。法廷が再開すると、裁判官・裁判員の質問に入る。傍聴席から向かって右から2番目の男性裁判員が挙手した》
裁判員「市橋被告の設計デザインの傾向など、印象に残っていることがあれば教えてください」
証人「4年生になると研究論文として卒業研究を仕上げる作業になります。設計そのものの指導はしていませんが、過去の大学の作品集に載っていた彼の作品は、使う人のことをよく考えた作品でした」
《男性裁判員が続けて質問する》
裁判員「市橋被告を『創造力のある人間』とおっしゃりましたが、創造力を感じさせるエピソードはありますか」
証人「卒業研究のテーマを明確にするのは通常の学生には難しいし、最近は『先生、どうすればいいですか』という学生ばかりです。彼はテーマを持ち、計画的 で、やりたいことがはっきりしていました。平泉の見学旅行でも、『ここまで来たからもうちょっと北を見てくる』といって旅行を続けていた。何もしないで ぼーっとしている人間より、生き生きとしていました」
《ここで◇◇さんに対する証人尋問は終了。◇◇さんは検察側にいるリンゼイさんの両親の方に一礼した後、目の前の市橋被告にも大きく頭を下げたが、市橋被告はかすかに首を動かすだけだった》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(10)】
「周りの壁が迫まり、呼吸できなく...」被告、声を絞り出し
(15:50~16:24)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第5回公判は、市橋被告に対する追加の質問が行われた》
《この日の公判で検察側が追加質問を求め、堀田真哉裁判長がこれを許可。検察側、弁護側双方に約10分ずつ被告に対する質問を認めた》
裁判長「被告は証言台に来てください」
《若い男性検察官が質問に立つ。市橋被告の自宅マンションの玄関を写した2枚の写真が法廷内の大型モニターに映し出された》
検察官「自宅玄関が写っていますね?」
被告「はい」
《市橋被告が消え入りそうな声で答える》
検察官「この玄関の棚は、リンゼイさんを縛った結束バンドを入れていた棚ですね。短いバンドの袋はいつ開けましたか」
《これまでの公判では、市橋被告の自宅玄関の棚には、45センチサイズの結束バンドと30センチサイズのバンドが入っていたとされる》
被告「30センチの袋は事件当日に開けています」
検察官「当日のどの時点で?」
被告「45センチのものを使い切ったと思って、30センチの袋を開けました」
検察官「強姦の後?」
被告「そうです」
《市橋被告は比較的はっきりした口調で答えた》
検察官「リンゼイさんに着せたパーカが切られていますが、いつ切ったのですか」
《これまでの公判によると、市橋被告は強姦後、裸にしたリンゼイさんに自分のパーカを着せたとされる》
被告「はっきり覚えていません。リンゼイさんが動かなくなるまでは、パーカを着ていました。26日に脱がせた後、切ったのだと思います」
検察官「何のために切った?」
被告「なぜ...私が...切ったのかは分かりません」
《市橋被告は震える声で一言一言、区切るように答えた。これまでの証言でも市橋被告は記憶が鮮明でない証言をする際、声がうわずったり、震えたりしていた》
《この後、検察官は4畳半の和室に尿の痕跡があった理由を尋ねた。市橋被告は「分からない。すいません」と答えた》
《傍聴席から向かって右から2番目の若い男性裁判員はあごに手を当て、考え込むように聞いている》
検察官「ご遺体の足の結束バンドに、さらに2つのバンドがついていたのは、両手、両足のバンドをつなごうとしていたのではないですか」
《これまでの公判で、リンゼイさんの家族の代理人の弁護士が、1本の結束バンドに別の結束バンドが結ばれていたことに疑問を示していた。この点について検察側が追及していく》
被告「違います」
検察官「なぜ連結されていたのですか」
被告「長いバンドは何回か切って、すぐになくなってしまいました。そこで封を開けていない30センチのバンドがあることに思い当たりました」
「でも(30センチのバンド)1本じゃ、短くてはめることができない。輪を作ってつなげて長くして手首、足首にはめようとしました。それが発見されたのだと思います」
《向かって右から3番目の男性裁判員は口に手を当て真剣なまなざしで市橋被告を見ている》
検察官「連結した結束バンドで被害者を縛ったことは?」
被告「あります」
検察官「具体的には?」
《市橋被告は「30センチのバンドを...」と説明しようとするが、うまくいかずに何度も言い直す。市橋被告は、30センチのものをつなげて1つの輪にし、手首、足首を縛ろうとしたと説明する》
検察官「手錠のようにしたのでは?」
被告「手錠のようにしたのではありません。手錠は左と右の輪が別れていますが、(私は)1本にしたものを手首、足首に回してはめました」
《この後、検察官の質問に対して市橋被告は、この30センチのバンドで作った輪をリンゼイさんの足首にはめ、その後、45センチのものが1本残っていたのを見つけ、さらに上からそれをはめたとの説明を加えた》
《代わって中年の男性弁護人が質問に立った》
《弁護人は結束バンドを玄関の棚に保存していた状況と犯行時、バンドを取り出したときの状況について追加の質問をした。裁判員らがしきりにメモを取っている》
弁護人「話が変わりますが、被害者に掛けたという上着は、被害者に会いに行ったときに来ていた上着と同じですね?」
被告「同じものです」
《大型モニターに茶色の長袖の上着の写真が映し出された。弁護人が情状面の質問に質問内容を変えた》
弁護人「この裁判で、リンゼイさんのお父さん、お母さんの証言を聞きましたね?」
被告「聞きました」
弁護人「とても苦しんでいらっしゃることは分かりましたか」
被告「はい」
《市橋被告の声が激しく震えだした》
弁護人「聞いてどう思いました?」
《弁護人は、前に手を組み、市橋被告の顔を見ながら諭すような口調で質問する》
被告「私は...この先...苦しまなくてはいけません...と思いました」
《震える声で、やっとのように絞り出した》
弁護人「『被害者の立場に立って想像しなければ』との◇◇さん(法廷では実名)の話も聞きましたね?」
《◇◇さんは、この質問の前に情状証人として法廷に立った市橋被告の大学時代の指導教授のことだ》
被告「聞きました」
弁護人「あなたに足りないものは、このことでは?」
被告「はい」
弁護人「被害者への手紙に加えて話すことは?」
《この法廷で、市橋被告がリンゼイさんにあてて書いた手紙が弁護側の証拠として読み上げられていた》
《「はあ、はあ」という市橋被告の激しい息づかいがマイクを通じて聞こえてくる》
被告「リンゼイさんの最期の気持ち、苦しくて、怖くて、つらかったと思います...」
《徐々に涙声になっていく。はなをすする音も法廷に響く》
被告「それを考えると、苦しくなります...。周りの壁が迫ってきます。呼吸ができなくなります...。でもそれをやったのは私です」
《やっと絞り出したというような声で言い切った》
被告「私はリンゼイさんの気持ちをこれからずっと考えていかなければなりません...。と思います」
弁護人「被害者にとってあなたはどう見えていると思いますか」
被告「けものに見えていると思います」
弁護人「あなたの一番の罪は何だろう?」
被告「一番の罪...。リンゼイさんに、怖い思いをさせ、苦しませ、死なせてしまったことです」
《市橋被告の声の震えが収まらない。右から3番目の男性裁判員は身を乗り出すように、市橋被告の表情をうかがっている》
弁護人「(リンゼイさんの)ご両親の『最高に重い罪になってほしい』との言葉は聞きましたか」
被告「はい。聞いています」
弁護人「その証言についてどう思っています?」
被告「私はそれを重く受け止めなければいけないと思います」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは通訳の言葉を聞き逃すまいとするように顔を傾けて震える市橋被告の証言を聞いている》
【英国女性殺害 市橋被告5日目(11)完】
「よい人間になりたかった。実際には悪」被告発言にリンゼイさん父、2度うなずく
(16:25~16:55)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判。弁護側による被告人質問が続く》
弁護人「自分でどういう罪が相当か考えたことはありますか」
被告「ありません。私は裁かれる身です。裁判で何があったか話をすることだけ。あとは裁判所にお任せします。それ以上考えるべきではないと思っています」
弁護人「今、罪の深さが分かっていますか」
被告「いいえ」
《罪の深さが分からないとする市橋被告の回答に、男性弁護人は改めて聞き直した》
弁護人「まだ、足りないということ?」
被告「はい」
弁護人「一生かけて罪と向き合っていく?」
被告「その...。はい」
《証言台の席に座る市橋被告は、両手のこぶしをそれぞれ握りしめている》
弁護人「事件のとき、本当に思っていたら、少なくとも警察に連絡したり、逃げなかったと思うんだけど」
被告「そうです」
弁護人「2年7カ月、もっと早く出頭すべきだったのでは」
被告「そうです」
弁護人「なぜできなかった?」
被告「私の中は自分勝手であふれています。私がリンゼイさんにした行為に向かい合うということをし ませんでした。リンゼイさんにした行為の責任を取ることが怖かった。だから、『誰だって逃げる。誰だって逃げるんだ』と言い聞かせて逃げていました。本当 に卑怯(ひきょう)でした」
弁護人「本件以外にこれまでに女性を殴ったことはありますか」
被告「ありません」
弁護人「無理矢理の性行為を強要したことは?」
被告「ありません」
《涙声ではなをすする市橋被告。弁護士に促され、手に握りしめていた赤いハンカチで「ずずずっ」とはなをかんだ》
弁護人「なんでこんな事件を起こしたの?」
被告「逃げていた間に考えたのですが、私が自分がした行為に責任を取ろうとせず、逃げてきたからです」
《男性弁護士はたたみかけるように質問を続ける。市橋被告を説き伏せているようだ》
弁護人「被害者に部屋に入ってもらって、ハグ(抱き合うこと)をしようとしましたね。拒否された時点で止めればよかったのではないですか」
被告「そうです」
弁護人「強姦しておいて人間関係をつくろうなんてごまかしでしょ」
被告「逃げです」
弁護人「向かい合わないから殴っちゃうんでしょ」
被告「はい、そうです」
弁護人「そのときに責任を取らないから、アザができちゃって、1週間(自宅に)帰せない。これもごまかし」
被告「はい」
弁護人「そのつど、やったことに責任を取らないから、最悪の結果になったんでしょ
被告「はい」
弁護人「『逃げて、誰だって逃げる』。全部自分、自分、自分でしょ」
被告「はい」
《市橋被告は7日の被告人質問で、自宅玄関でリンゼイさんに抱きついた理由を「誘惑に負けた」と説明している。拒否されて廊下に押し倒して乱暴した後に、リンゼイさんの言動に腹を立てて顔を殴ったとされる》
弁護人「責任をね、取らないからね、こういう形であなたの人生がめちゃくちゃになったんでしょ」
被告「はい」
弁護人「もう、だから、責任から逃げるつもりはない?」
被告「...」
《市橋被告は、体を震わせながらうなずいた》
弁護人「もう逃げたくないんでしょ」
被告「...」
《言葉を出せない市橋被告は、もう一度うなずいて反応した》
弁護人「被害者に1点でも落ち度は?」
被告「ないです。ありません」
弁護人「今後、責任転嫁はしませんね」
被告「しません」
《検察側後部の席に座るリンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんは市橋被告の顔をのぞき込もうとした》
弁護人「そういう気持ちで証言したと誓えますね」
被告「はい」
《ウィリアムさんは口を真一文字に結び、顔をしかめた。男性弁護士は市橋被告が出版した手記について質問した》
弁護人「責任を取る方法として?」
被告「そのときは浅はかにもそう考えました。申し訳ありませんでした」
《市橋被告は、公判で刑事責任を取り、リンゼイさんの気持ちや家族を考えて生きていくことで道義的責任を取りたいと主張した》
《市橋被告はさらに強く、左手のハンカチを握りしめた。ウィリアムさんは顔を横にふる。市橋被告の考えに納得がいかないのだろうか》
弁護人「(手記の執筆は)被害者への弁償、民事責任と考えている?」
被告「そう考えていました」
弁護人「弁償として申し入れた金額は?」
被告「分かっています」
弁護人「金額は?」
被告「912万9885円と聞いています」
弁護人「でも、(リンゼイさんの遺族は)1円も受け取るつもりはない、と。それを聞いてどう思いますか」
被告「本当に申し訳ありません。私はリンゼイさんの家族の立場を考えなくてはいけないと思っています」
《男性弁護士は、手記の印税を受け取ってもらえない場合について質問。市橋被告は手を付けるつもりはないと説明した》
弁護人「受けとってもらえないということだが、お金はどうするつもり?」
被告「弁護士の先生に相談して、何か社会に役立ててもらおうと思っています」
「私は、人間以下の行為をしました。でも、よい人間になりたかった。実際には悪でした」
《通訳を介して説明を聞くウィリアムさん。2度うなずき、ジュリアさんに小声で話しかけた》
弁護人「今日まで自分の親と会ったり、連絡したことは?」
被告「ありません」
弁護人「理由は?」
被告「リンゼイさんが両親と会えないようにしたのは私。その私が両親と連絡を取ることはできないと思いました」
弁護人「自分の親に対してどう思う」
被告「事件を起こすまで、たくさんのチャンスをくれました。でも、感謝することができなかった。ただ、迷惑をたくさんかけました。その迷惑を考えるといえることはありません」
《男性弁護士は、市橋被告が拘置所内に聖書の差し入れを受けたことを明らかにした。市橋被告は印象に残った部分を説明した》
《弁護側の被告人質問が終了し、堀田真哉裁判長が閉廷を告げた》
《第6回公判は12日午前10時から始まり、市橋被告に対する論告求刑が行われる》
英国女性殺害 論告求刑(2011年07月12日)
【英国女性殺害 市橋被告求刑(1)】
「逮捕されれば、死刑になる」逃げ続けた被告、罪の重さは?
(10:00~10:20)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英 国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也 被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判が12日午前、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まった。リンゼイさんの両親は証人尋問で「日本で許される最高刑 を」と極刑を求めており、検察側の求刑内容に注目が集まる》
《午前中は市橋被告に対する被告人質問。検察による論告求刑や、弁護側の最終弁論は午後に予定されている》
《午前10時1分、リンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんが入廷する。5日にわたる公判を経て、なお疲れた表情は見せず検察側の席に座った》
《続いて市橋被告が弁護側後方の扉から姿を見せる。これまでの公判では、リンゼイさんを死亡させたことについて、絶えず反省の弁を述べてきた市橋被告。た だ「殺意」については一貫して否定し、リンゼイさんの遺体を土に埋めるなどの工作についても「(なぜやったのか)分からない」とあいまいな証言を繰り返し てきた。この日で最後となる被告人質問では、何を語るのだろうか》
《午前10時4分、裁判員らが入廷し、堀田裁判長が開廷を宣言する。市橋被告はゆっくりと証言台に移り、男性検察官による被告人質問が始まる》
検察官「犯行場所となった自宅マンションですが、賃貸でなく親族の持ち物だったということでいいんですよね」
被告「そうです」
検察官「両親から月いくら仕送りを受けていましたか」
被告「12万円だったと思います」
《犯行時、市橋被告は28歳で無職だった》
検察官「警察に逮捕されたのは今回の事件が初めてですか」
被告「いいえ。前にも1度あります」
検察官「財布を盗んだ後、逃げようとして相手にけがを負わせた事件ですね」
被告「マンガ喫茶の店内に財布が落ちているのを見つけて持って逃げようとしました。それを見つけた人ともみ合って、階段から落ちました。それで私は逮捕されました」
検察官「相手にけがをさせましたね」
被告「はい」
検察官「26歳のころの事件ですね」
被告「はい」
検察官「身柄拘束は何日間でしたか」
被告「14日だと思います」
検察官「そのときは両親が示談にしてくれたんですよね」
被告「そうです」
検察官「釈放されたとき、今後一生犯罪をしない気持ちでいましたか」
《しばらく押し黙る市橋被告。震えた声で答え出す》
被告「その覚悟がなかったと思います。私はあのとき、刑務所に入るべきでした」
《マイクを通じ、市橋被告の「フー」という荒い息づかいが聞こえる》
検察官「端的に答えてください。もう二度と犯罪を起こさないという気持ちでしたか
被告「そう思いました」
《続いて、検察官はリンゼイさんを誘い出す口実となった「英会話の個人レッスン」に関連し、市橋被告の英会話への思いについて質問していく》
検察官「あなたは英会話スクールに通っていましたか」
被告「通っていません」
検察官「留学の予定は決まっていましたか」
被告「決まっていません」
検察官「英語の試験では良い成績を取ることができましたか」
被告「できませんでした」
検察官「当時の交際相手とは結婚するつもりでつきあっていましたか」
被告「いいえ」
《矢継ぎ早の質問に市橋被告は淡々と答えていく》
検察官「逃げているときのことについて聞きます。逮捕状が出て、指名手配されていたことは分かっていましたか」
被告「分かっていました」
検察官「平成21年11月10日に逮捕されるまで、自ら出頭しませんでしたね」
被告「はい」
検察官「あなたは逃げ始めた際、4、5万円の現金を持っていましたね」
被告「そうです」
検察官「もともとあなた自身が持っていたものですか」
被告「『もともと』というのはどういう意味ですか」
検察官「質問を変えます。あなたは逃げているとき、無賃乗車をしたり、自転車を盗んだりしていますね」
被告「はい」
検察官「逃げ通すために整形手術もしましたね」
被告「そうです。逃げるためです」
《市橋被告の息づかいがまた激しくなる。「はあ、はあ」という声が漏れ出す》
検察官「沖縄の島でも暮らしましたね」
被告「はい」
検察官「逃走している間、被害者が殺害され、容疑者が逃亡中という報道は聞きましたね」
被告「はい。聞きました」
検察官「一生逃げ通すつもりだったんでしょ」
被告「逃げていたかった...。そう思いました...」
《11日の被告人質問で、市橋被告は事件発覚直後に警察官を振り切って逃走し、2年7カ月にわたり出頭しなかったことを「責任を取ることが怖かった。『誰だって逃げる。誰だって逃げるんだ』と言い聞かせて逃げていた。本当に卑怯(ひきょう)だった」と証言している》
検察官「そうやって逃げている中、仮に逮捕されたら、どのぐらいの刑を受けると思っていましたか」
被告「リンゼイさんの苦しみを考えると...、死刑になると思っていました」
検察官「(大阪のフェリー乗り場で)逮捕されたときも、逃げるために沖縄に行こうとしていたんですよね」
被告「沖縄の小屋で死のうと思いました」
《自ら「死刑」に言及し、自殺を図ろうと考えていたことも明かす》
検察官「あなたは逮捕されたあと、黙秘だけでなく食事も取りませんでしたね」
被告「はい」
検察官「警察官からDNA鑑定に必要な口の中の細胞を取らせてくれないかと頼まれ、応じませんでしたね」
被告「断ったと思います」
検察官「断った結果、裁判官の出した令状によって強制的に採血されましたね」
被告「そうだと思います」
検察官「(口内の細胞採取を)なぜ断ったのですか」
被告「事件のこと以外はすべてお話しするつもりはありませんでした。だから断ったと思います」
検察官「DNAの鑑定に協力すれば、しゃべらなくても事実解明されていくと思いませんでしたか」
被告「思いませんでした」
検察官「そもそも事実が解明されることが嫌だったんじゃないですか」
被告「それは嫌ではありません。私が嫌だったのは、私が一方的に事件のことを話すことが嫌でした。リンゼイさんはもう何も話せません。それだけが嫌でした」
《男性検察官は市橋被告が出版し、印税をリンゼイさんの遺族に支払うとした手記について質問する》
検察官「出版ということはあなたが、原稿を長々と書いたわけですよね」
被告「書きました」
検察官「そうやって書いているとき、出版したら遺族の方がどう思うと考えていたんですか」
被告「そんなことをすれば、リンゼイさんのご家族は嫌悪感を覚えて、私のことを絶対に許さないと思いました」
検察官「原稿を書いているときに思っていたんですね」
被告「思いました」
検察官「リンゼイさんのお母さんが『本は殺人の成果物で、1ペニーももらいたくない』と(11日の)法廷で言ったのを聞きましたね」
被告「聞きました」
《市橋被告は声を荒らげる》
検察官「その話を聞いたあと、今も(印税を)受け取ってほしい?」
被告「はい。できれば受け取ってほしい...。いつでもいいです。できれば受け取ってほしい...」
《弁護側によると、逃亡生活をつづった手記の印税は約912万円に上るという》
検察官「リンゼイさんのお母さんの証言を聞いたあとも考えは変わらない」
被告「迷います...。はあ...。でも、私ができるだけ責任を果たしたいという気持ちは、書いていたときと変わらないです」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは市橋被告をじっと見つめている。何を思うのだろうか》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(2)】
「付き合うってなんですか」「ハグする関係...」疑問抱き、被告から逆質問
(10:20~10:45)
《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、市橋被告への検察側の被告人質問が続いている》
《男性検察官は市橋被告が出版した手記についての質問を続ける。市橋被告はこれまでの公判で「印税を被害弁償に充てたい」と述べているが、リンゼイさんの父親のウィリアムさんは「娘を殺しておいて、それをネタに金を稼いでいる。一銭もほしくない」と強く反発している》
検察官「書く前に、遺族が書いてほしいと思っているか確認していますか」
被告「確認していません。弁護士の先生にも(書くことを)反対されました。申し訳、ありませんでした...」
《市橋被告の「はぁ、はぁ...」という荒い息づかいが響く》
検察官「裁判が終わった後に出版するということは考えなかったのですか」
被告「できる限り早く、(印税を払うことで)責任を取りたくて...。それだけを思っていました」
検察官「親に被害弁償を頼もうとは考えなかったのですか」
被告「私は前の事件で親にお金を出させて...」
《この日の公判で、市橋被告が26歳のとき、漫画喫茶で落ちていた財布を盗もうとした際、見とがめた人ともみ合いになり、相手を負傷させて逮捕された過去が明らかにされている》
被告「被害者の方に示談をしてもらいました。刑務所に入りませんでした。私はそのときにもう悪いことはしないと思ったけど、甘かったぁ...」
「そういう気持ちが今回の事件につながった面もある。私はもう親に頼ることは、絶対にしたくはありませんでした。だから取れる責任は、自分ができる責任はなるべく早く果たしたいと考えていました。しかしそれは浅はかでした。申し訳ありませんでした」
《女性通訳が傍聴するリンゼイさんの両親のために英語に通訳している最中、依然として荒い市橋被告の息づかいが法廷内に響く。ここで検察官が、リンゼイさんの両親の男性代理人弁護士による被告人質問を求め、堀田真哉裁判長は「15分程度に収めてください」と許可した》
代理人弁護士「漫画喫茶の事件で示談の金額はいくらでしたか」
被告「分かりません。教えてくれませんでした」
代理人弁護士「聞かなかったのですか」
《ここで市橋被告の弁護側が「すでに検察官が聞くなどしており、適切ではない」と異議を唱えるが、検察側は「質問内容は重複していない」と応酬。堀田裁判 長は左陪席と右陪席の裁判官と話し合い、「検察側の質問と重複しない範囲で質問を許可します」と注文した。代理人弁護士は堀田裁判長に深く一礼してから質 問を再開する》
代理人弁護士「逃走中、『(捕まったら)死刑になる』と思っていたということですが、殺すつもりがなかったのにどうして死刑になると思ったのですか」
《市橋被告側は「殺意はなかった」と訴えており、裁判では殺意の有無が最大の争点となっている》
被告「私はリンゼイさんの命を奪ったからです」
代理人弁護士「事件当時、交際していた女性がいましたが、付き合うようになったきっかけは何ですか」
被告「性格が合ったからです」
代理人弁護士「彼女に近づくとき、似顔絵を描いたのではないですか」
《市橋被告はリンゼイさんと初めて会ったとき、リンゼイさんの似顔絵を描いている。代理人弁護士は市橋被告が女性に接近する手段として、似顔絵を使っていたとみているようだ》
被告「似顔絵を描いたことは何度もあります」
代理人弁護士「その彼女のことは置いておいて、ほかの女性に似顔絵を描いたことはありましたか」
被告「女性にも、男性にも、友達にも、知り合いにも、先生にも、知り合った人には何枚も描いています」
《代理人弁護士は通訳を行う女性通訳の顔と、法廷内の時計を交互に見つめる。残り時間をかなり気にしている様子だ》
代理人弁護士「女性に限ったら、外国人も含まれますか」
被告「含まれています」
代理人弁護士「何人くらいの外国人女性に似顔絵を描きましたか」
被告「外国でホームステイしたときに...」
代理人弁護士「いやいや、日本の話」
《腕を組み、いらだった表情で市橋被告を見つめていた代理人弁護士は割り込んだ》
被告「何枚か描いています」
代理人弁護士「その中で連絡先を聞いた人はいますか」
被告「ありません。リンゼイさん、リンゼイさんから...」
代理人弁護士「はい、ないということで結構です。あなたは外国人女性と付き合ったことはありますか」
被告「付き合うということはどういうことですか」
《逆に質問をする市橋被告だが、少し間を置いて「ちょっと待ってください」と言葉を続けた》
被告「さっきの質問ですが、私は私が日本語を教えて、英語を教えてもらう仲の白人女性がいました。その人から連絡先を教えてもらっています。すみません」
代理人弁護士「付き合うという言葉の意味ですが、あなたの言葉でいうなら『親密な付き合い』ということです」
《市橋被告はこれまでの公判で、事件当日にリンゼイさんを自宅マンションに連れ込む直前の心境について「このままリンゼイさんと親密な関係になれたらいいな、と勝手に思っていました」と述べている》
被告「親密な関係とはハグする関係の...さきほどの女性とはハグしたり、抱き合ったりする関係でした。肉体関係はありませんでした」
《代理人弁護士による被告人質問が終わり、弁護側が被告人質問で漫画喫茶の事件が不起訴処分になったことなどを確認。堀田裁判長が休廷を宣言した》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(3)】
裁判員から逃亡生活に質問相次ぐ 千葉→青森→四国の遍路道 整形は自分でも
(11:19~11:40)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判。予定時間を約15分過ぎ、午前11時20分ごろに再開した。市橋被 告に対する裁判所からの質問が始まる》
裁判長「続いて裁判所から尋ねます。何か質問はありますか」
《堀田真哉裁判長は周囲の裁判員に顔を向けて尋ねた。6人の裁判員はいずれも男性で、傍聴席から向かって左から1~6の番号が記されたカードを首から下げている。4番の男性裁判員が手を挙げた》
裁判員「逃走後、いつぐらいに整形を思い浮かべ、いつ行いましたか」
被告「(思い浮かべた時期は)具体的には言えません。私は警察の方から逃げました。東北の青森まで逃げました。そして、リンゼイさんが生き返ると思い、四 国の遍路道を回りました。途中、もう生き返らないと現実が分かり、働こうと思いました。顔を変えなければ、働けないと。いつごろかは正確に思いだせませ ん」
《通訳の女性が話す途中に市橋被告が口を挟んだ。何か付け加えたいようだ》
被告「すいません。病院へ行って顔を変えようと思ったのはその通りです。警察の方から逃げたあと、自分で自分の顔を変えようと思って、自分でしています」
《市橋被告は逃亡生活を記した手記の中で"自己整形"したことを詳述している》
《市橋被告は事件後、東京・上野のコンビニエンスストアで裁縫道具を購入。近くの大学病院の障害者用トイレで鼻を細くするため、糸のついた針を鼻の左右に突き通し、鼻をチャーシューのように巻いたという》
裁判員「あなたは、事件までに人のためにボランティアや社会貢献したことはありますか」
被告「ありませんでした」
《続いて、3番の男性裁判員が質問した》
裁判員「リンゼイさんのご家族が来日して、自首を呼びかけたり、昨日出廷した(千葉大学時代の恩師の)本山(直樹)証人の自首の呼びかけは知っていましたか」
《事件発生後、すでに市橋被告の犯行が明らかになり、指名手配されていたため、本来は自首でなく出頭という形になるが、法廷では「自首」という言葉が使われた》
《11日の公判で、証人として出廷した千葉大大学院の本山名誉教授は市橋被告に空手を指導。本山さんは21年11月、自身のホームぺージに「市橋達也君に告ぐ」と題し、自主的な出頭を呼びかけている》
被告「逃げている間にリンゼイさんのご家族が来日したニュースは聞きました。ご家族や本山先生が自首をすすめたことは聞きませんでした」
《続いて6番の男性裁判員が、市橋被告の「逮捕される直前に死のうと思った」とする証言について質問した》
裁判員「どうして逃走を続けていたにもかかわらず、死のうと思ったのですか」
被告「最後はもう、逃げることはできないと思いました。でも、まだ、逃げたかったんです。だったら、沖縄の島の小屋に戻って、あとは死ぬしかないと思いました」
《市橋被告は、「死のう」と思った理由について言及しない。「逃げたい」と「死にたい」という思いの中で葛藤(かっとう)があったのだろうか》
裁判員「もう1点。逮捕されたときにどう思いましたか。逮捕されたときの気持ちを教えてください」
被告「死に場所が変わっただけだと思いました」
《続いて裁判所側で唯一の女性、左陪席の裁判官が強い口調で質問した》
裁判官「事件現場のマンションは、まだ戻れるようになっているんですか」
被告「分かりません。しかし、出ることはありません」
《「出る」とは刑務所から出ることを意図しているのだろうか》
裁判官「この法廷で、あなたは『被害者の気持ち』と何度も言っていますが、初めて被害者の気持ちを考えたのはいつですか」
被告「リンゼイさんに悪いことをしたといつも思っていました。しかし、気持ちを考えたのは仕事を始めて、苦しかったときにリンゼイさんはもっと苦しかったんだと初めて考えました」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは熱心にメモを取っている。右陪席の男性裁判官はリンゼイさんを結束バンドで拘束し、乱暴するなどした犯行当時の状況について質問した》
裁判官「結束バンドを収納棚から取り出したとき、顔はどちらに向いていましたか」
被告「顔は棚を向いていました」
裁判官「あなたが、被害者の手首や足首を拘束した場所は具体的にはどこですか。見取り図を示しますので指でさしてください」
被告「ここです」
《市橋被告は玄関と廊下の境目にある脱衣所前をさした》
被告「その後、4.5畳の和室でも手足に(結束バンドを)はめています」
《男性裁判官は、リンゼイさんを拘束するまでの市橋被告の体勢を確認。言葉では伝わりにくく、堀田裁判長は首を大きく傾け、頭の中でイメージしているようだ》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(4)】
粘着テープにからまる髪をハサミで切断「リンゼイさんは悲しそうな顔」
(11:40~12:00)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、右陪席に座る男性裁判官の質問が続いている》
《市橋被告は証言台に座り、じっと前を見すえたまま、ゆっくりだがはっきりとした口調で質問に答えていく。法廷の両サイドに設置された大型モニターには、犯行現場となった市橋被告のマンションの間取りが映し出されている》
裁判官「リンゼイさんを4・5畳の和室のどこに、どのように運びましたか」
被告「4・5畳の和室のどこと指し示すことはできません。(図面の)『毛皮様のもの(毛皮のようなもの)』と書かれたところに、抱きかかえたリンゼイさんを置いたと思います」
裁判官「あなたの部屋から切断された45センチの結束バンドが見つかっていますが、これはあなたが被害者の手足を拘束したもので、被害者の求めに応じて切断したものということですか」
被告「そうです」
裁判官「あなたの部屋には切断された30センチの結束バンド10本が見つかっていますが、何に使用して、なぜ切断したものですか」
被告「30センチの結束バンドは手首や足首にはめようとして使っていたものです」
《ここで、市橋被告はしばらく考え込むように数十秒間黙り込み、そしてこう続けた》
被告「45センチの結束バンドがなくなったと思い、30センチのものをどうにかしてはめれないかと思い、輪っかにしてみたりしたことはあります。なぜ、切っているかについては正確に言うことはできません」
「というのも、輪っかにしたのは26日の目が覚めた後切っているはずだからです...。そのとき様子ははっきり覚えていません」
《続いて、男性裁判官は市橋被告がリンゼイさんの頭部に巻いた粘着テープについて質問した》
裁判官「粘着テープについて1点だけ尋ねます。口の周りをぐるっと巻くようにして巻いたテープはなぜ外そうと思ったのですか」
被告「口から頭を巻くようにテープを巻いた後、リンゼイさんが口をもごもごし、唾液でテープがすぐに外れました。それをみてすぐに外そうと思いました」
裁判官「粘着テープはうまく外れましたか」
被告「できませんでした」
裁判官「どうやって外したんですか」
被告「頭に着いていたものを外そうとするとリンゼイさんが『痛い!』と言いました。そこで粘着テープからはがれる髪の毛は1本ずつ外しました。からまって どうしても外れない髪の毛は台所からキッチンばさみで1本ずつ切りました。リンゼイさんは悲しそうな顔をしています...。そうやってリンゼイさんの髪の毛を 外しました」
《髪の毛の外し方について、市橋被告の詳細な説明を女性通訳が翻訳し始めると、リンゼイさんの母、ジュリアさんはおもわず両手で顔を覆った。父のウィリアムさんは肘をつき、一段と険しい表情になっている》
裁判官「4・5畳の和室には被害者の血液が付着していますが、思い当たることはありますか」
被告「私は先ほど4・5畳の和室に運んだときに毛皮様のものの所に置いたと言いました。そのとき身体のどこかから出血していたのを私は見ていません。出血の痕があったと言われましても、そのときに付いたものか、いつ付いたものかは正確にはお答えできません」
《最後に堀田真哉裁判長が質問を始めた》
裁判長「私の方から尋ねます。被害者の立場にたって考えることが不足していると言いましたが、具体的にどの点が不足していると思いますか」
被告「私は加害者です...。リンゼイさんのご家族が今まで私のせいでどれほど苦しんできたか、今もこれからもどんな気持ちで暮らしているか...。想像することができます」
《証言台に座る市橋被告はうつむき、ときおり声を詰まらせながら堀田裁判長の質問に答える。膝の上に置かれた両手は小刻みに震えている。そして声を絞り出すようにこう続けた》
被告「でも、加害者の私にはすべてが理解できないと思う。リンゼイさんの苦しみについて想像すれば苦しくなる...。息ができなくなる...。リンゼイさんはもっ と苦しかったと思う。リンゼイさんのご家族のことを考えると震えて怖くなる。自分がどうすればいいか分からない。しかし、すべてを分かることは私にはでき ません。だから、昨日そういいました」
《堀田裁判長の質問はこの1点のみで終了。検察側、弁護側に追加の質問がないかを確認し、被告人質問の終了を告げた》
《市橋被告は証言台から立ち上がった後、堀田裁判長らに一礼し、前を見ながら後ずさるように被告人席に下がり、着席した》
裁判長「これで証拠調べを終了し、双方のご意見をうかがっていくことにします。午後は1時30分に開廷ということでよろしいでしょうか」
《検察側、弁護側ともに小さくうなずき、休廷に入った。市橋被告は刑務官3人に囲まれ、やや足早に退廷していった。午後からは検察側の論告が行われる》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(5)】
(13:30~14:00)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、昼の休憩を挟んで再開した。検察側の論告求刑が始まる》
《リンゼイさんの両親は証人尋問で「日本で許される最高刑を」と極刑を求めた。逮捕されれば「死刑になる」と、約2年7カ月の逃亡生活を続けた市橋被告に対する検察側の求刑に注目が集まる》
《市橋被告はうつむきがちに入廷し、検察側に座るリンゼイさんの両親に一礼。堀田真哉裁判長が「まず検察側の論告から始めます」と宣言し、男性検察官が立ち上がった》
検察官「これから検察側の意見と求刑を述べます。手元の論告メモを参考にしながら話を聞いてください」
《裁判員らは配布された資料に目をやりながら、緊張した面持ちで検察官の話に耳を傾ける》
検察官「まず市橋被告に殺意があったことは、2つの事実証明で明らかです。1つはリンゼイさんの遺体の状況で、もう1つは被告にリンゼイさんを殺す動機があったということです。これらについて詳しく説明します」
《リンゼイさん殺害の争点は「殺意」の有無だ。検察側はこれまでの公判で、検視結果などから「少なくとも3分程度、被害者の首を相当の力で圧迫し続けた」 としているが、市橋被告は「1分ほどだった」と証言。リンゼイさんが逃げないよう首に手を回して覆いかぶさるうちに動かなくなったとしている》
「1つ目、リンゼイさんの遺体の状況ですが、これは法医学の専門家で経験の豊富な医師が公判で証言しました」
《医師は証人尋問で、鎖骨とのど仏を結ぶ筋肉「胸骨舌骨筋(きょうこつぜっこつきん)」や、その奥にある「輪状軟骨」の状況から、リンゼイさんの首に強い圧迫が加えられたことを証言。少なくとも3~5分、リンゼイさんの気道が完全に圧迫されたとする診断結果を述べた》
検察官「仮に意図がなく首を圧迫してしまったとして、3分から5分も力を加え続けることがありえるでしょうか。被告の殺意は明らかです」
《検察官は続いて、市橋被告にリンゼイさん殺害の動機があったとする根拠について説明していく》
検察官「女性を強姦した犯人が、常に被害者を殺害するわけではありません。自分が犯人であるとばれない状況であれば、必ずしも殺害するとはかぎらないで しょう。または自分の犯行を反省し、素直に認めた場合も相手を殺そうとはしません。しかし、被告はそのどちらのケースでもないのです」
「被告は自宅でリンゼイさんを強姦した上、リンゼイさんの顔を殴るなど明らかな跡を残しました。リンゼイさんを生きて帰せば、強姦行為が発覚し、逮捕され るのは時間の問題でした。被告は長期間逃亡したことからも分かるように警察の拘束を嫌がる人物で、極度に強姦罪を恐れていました」
《左陪席の女性裁判官は手元のメモを追うことなく、市橋被告をじっと見つめる》
検察官「被告としては逮捕されないよう『コーヒーショップで別れた後のことは知らない』とするしかなかった。しかし、リンゼイさんが大声を出し、近隣住民から警察に通報される危険が現実となり、リンゼイさん殺害に至ったのです」
《検察側は次に、市橋被告や弁護側の主張に対する反証を行っていく。弁護側の主張は、(1)犯行状況(2)人工呼吸などの救命行為(3)帰宅させる意図があったか-の3点から、殺意はなく、傷害致死にあたるとするものだ》
《弁護側の「圧迫が1分程度で、リンゼイさんの首の下に入った左腕で意図せず圧迫してしまった」との主張について、検察側は医師の証言を再び強調。その後、「腕に力を入れ、リンゼイさんの首を圧迫した」と殺意を認めた捜査段階の供述調書との内容の相違についても触れた》
検察官「被告は21年11月10日の逮捕後、12月2日の起訴直前まで黙秘を続け、その後事実関係について供述を始めました。供述調書作成前には『はっき りしていない部分については供述を削除してほしい』と求め、認められました。当時の被告の主張はそのまま調書に収められたのです」
「被告は黙秘をやめた理由について『リンゼイさんの両親に謝罪したい』と説明したが、殺人罪の被告にとって殺害方法は最も重要な部分であるはず。核心部分が違うのは極めて不自然で、公判での供述が虚偽なのは明らかです」
《検察側は「1分程度の圧迫でも時間を置いて死亡に至ることがある」とする弁護側の主張についても医師の証言などからあらためて否定した後、(2)の「人工呼吸・心臓マッサージ」について説明する》
検察官「被告は110番、119番通報もせず、近所に助けを求めることもしていません。そして証人の医師は心臓マッサージを行った形跡もないとしていま す。先ほど述べた通り、被告にとって、最大の関心は警察に逮捕されないことでした。このときだけ救命行為を行ったという主張は全く信用できず、殺意を否定 する理由になりません」
《(3)「帰宅させるつもりだった」との弁護側の主張についても、男性検察官は「強姦後も両手、両足を結束バンドで縛った状態で、『人間関係を作る』というのは論理が破綻している」と反論した》
《さらに検察側はリンゼイさんが、実際に遭遇したであろう被害について、証拠をもとに主張を行っていく。男性検察官は、(1)リンゼイさんの衣類の状況(2)乱暴行為のあった玄関付近の状況(3)ゴミ箱の中身(4)遺体の状況-の4点をあげ、順を追って説明していく》
検察官「まず衣類ですが、コートは両袖などが切られていたほか、ブラジャーは左右ともひもが切断されていました。強姦の前に腕を縛り、衣服をはさみで切った状況は明らかです」
《検察官は玄関付近の柱にリンゼイさんの毛髪がついた粘着テープが貼られていたことや、粘着テープの一部や犯行に使用された避妊具などがゴミ箱に一緒に 入っていたこと、リンゼイさんの遺体に多数の皮下出血があったことなどをあらためて説明し、強姦の犯行状況を"再現"していく》
検察官「結束バンドは、細い穴に通して結ぶ必要があります。リンゼイさんを何らかの方法で固定し、抵抗されない状況でなければ穴を通すことはできませんでした」
《検察側は、市橋被告が「犯行後、部屋を掃除するために使った」と話している粘着テープも、犯行に使用されたと主張する》
検察官「両手をしばり、はさみで衣服を切断するのは、被害者が抵抗できない状況でないと不可能です。多数の皮下出血があったことからも、リンゼイさんが顔面などを多数殴られ、抵抗できない状況にあったと認められます」
「弁護側は『手足を押さえたところ抵抗がなくなった』『(玄関に)血痕がついた理由は分からない』『粘着テープは掃除に使った』などと、不自然、不合理な説明に終始しています」
《粘着テープで口をふさぎ、何度も殴りつけて抵抗できなくさせた上で両手足を縛り、衣服をはさみで切断して乱暴行為に及ぶ-。検察側の説明は、弁護側の主 張とは、およそかけ離れている。リンゼイさんの母、ジュリアさんは父、ウィリアムさんの肩にもたれかかり、両目を覆う》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(6)】
「犠牲者1人、死刑は躊躇」無期求刑に、リンゼイさんの両親は...
(14:00~14:25)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、検察側の論告の読み上げが続く》
《男性検察官は強姦行為から、リンゼイさんが死亡するまでに時間差があったとしても、強姦致死罪が成立すると訴える》
検察官「市橋被告は強姦の後、いつでも強姦できるように結束バンドで縛るなどしていましたが、大声を上げられたためリンゼイさんを殺害しました」
《検察官は過去の判例で強姦後に女性が逃げようとして男の顔を殴り、男が女性に膝蹴りをしてけがを負わせた事件で、強姦致傷罪が成立したことなどを説明して、市橋被告の事件でも強姦致死罪が十分に成立するとした》
検察官「続いては考慮すべき情状についてです。ひとつは結果が重大ということです。リンゼイさんの生命が奪われており、これは取り返しのつかない重大な結果であることは明らかです」
《検察官はリンゼイさんが英国で3人姉妹の次女として生まれ、大学では生物学を学び、英会話教師になるために来日した経緯を振り返る》
検察官「リンゼイさんは日本を安全と考えて来日しました。父親にも『ここはロンドンより安全』と話していました」
「リンゼイさんには事件当時、婚約者もいました。夢と希望にあふれた人生を歩んでいたリンゼイさんは当時22歳でした。たまたま市橋被告に目をつけられ、 犯行の犠牲になりました。その日(事件当日の平成19年3月25日)もいつも通りに仕事に行く予定でしたが、市橋被告から苛烈な暴行を受け、強姦され、殺 害され、尊い命を奪われました」
「二度と故郷のイギリスに戻ることはできません。すべてを奪われました。リンゼイさんはどれだけの恐怖を感じたかを語ることもできません」
《厳しい口調で論告を読み上げ続ける検察官。検察側の後方に座るリンゼイさんの母、ジュリアさんは目頭を押さえた》
検察官「犯行は粗暴かつ悪質です。市橋被告はリンゼイさんの顔を殴り、結束バンドで緊縛して、苛烈な暴行を加えました。市橋被告は言葉巧みにリンゼイさんを(自宅マンションまで)誘い込み、暴行を加えて抵抗できなくして強姦しました」
「さらに3~5分程度、首を圧迫して殺害し、遺体を浴槽に入れてベランダまで運び、土を入れて遺棄しました。死者への畏敬の念をまったく感じられません」
《市橋被告は背中を丸め、微動だにしない》
検察官「動機は身勝手、自己中心、かつ悪質です。市橋被告は性欲を満たすために強姦しました。そして強姦の発覚を恐れてリンゼイさんを殺害し、殺害の発覚を恐れて遺体を遺棄しました。短絡的で自分勝手な動機に端を発しています。同情すべき事情はまったくありません」
「犯行後の情状も悪質です。市橋被告はリンゼイさんのカーディガンをゴミ袋に入れており、リンゼイさんの衣服をすべて処分しようとしていました」
「またスポーツジムに行こうとしていました。リンゼイさんを強姦、殺害した後にジムに行くというのは『非人間的発想』です。2年7カ月逃走して、偽名で働きながら、整形手術も受けています。何としても逃げようと、自分のことだけ考えています」
《検察官はリンゼイさんの両親の処罰感情が峻烈であることも指摘した上で、裁判員に訴えかける》
検察官「リンゼイさんのご両親の証言を聞かれ、ご両親の立場になって考えられてきたと思います。娘さんが強姦、殺害されて遺体が遺棄されたご両親の立場に なり、今一度考えてください。ご両親はイギリスからわざわざ来日され、懸命に証言されていました。娘さんを奪われたご両親の心は癒されることはありませ ん。最大限の処罰を求められることはごくごく自然、当然のことです」
《傍聴席から向かって右から3番目の男性裁判員は真剣なまなざしで検察官の訴えに耳を傾けている。検察官は、さらに市橋被告が検察官やリンゼイさん遺族の代理人弁護士の被告人質問に対し、十分な返答をしなかったと指摘した上で断罪する》
検察官「市橋被告は第1回公判で『事件のことを話す義務がある』という内容のことを言っていましたが、それは口先だけの言葉でした。市橋被告のこの法廷での態度は自らの罪を軽くしたいとの考えをありありと示しています」
《検察官は市橋被告が遺族に宛てた謝罪の手紙が逮捕から6カ月後に書かれたものであることも指摘し、被告にとって有利な情状として考慮すべきでないと訴えた》
検察官「弁護側は市橋被告に前科がないこと、若いことを有利な情状としていますが、これまで検察側が述べてきた情状、事実に比べれば重要ではありません」
《ここで検察側は求刑に入る。検察官の口調も鋭くなっていく》
検察官「悪質な情状、有利な情状を考慮しました。殺人が強姦とともに行われており、極めて重い処罰が必要です」
《静まりかえった法廷に検察官の声が響く。裁判員たちも緊張した様子だ》
検察官「本件は重大な結果をもたらしました。しかし、犠牲者の人数が1人であること、被告に前科がないことを考慮すると、死刑を求刑することは躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ません」
《リンゼイさんの両親が望む最高刑の死刑は、求刑されないことが決まった。検察側の後方に座る父親のウィリアムさんと母親のジュリアさんは、厳しい表情を見せている。しかし自席で静かに座り、落胆の様子は見せない。死刑が求刑されないことを覚悟していたのだろうか》
検察官「殺人と強姦が行われたことを考えると、有期刑は軽すぎます。求刑は『無期懲役』。無期懲役を求めます」
《傍聴席の記者たちが速報を伝えるために一斉に立ち上がり、法廷の外に駆けだす。バタバタと足音が鳴り響く中、堀田真哉裁判長が休廷を宣言した》
《刑務官に促されて市橋被告は立ち上がり、退廷する。顔はうつむいていたが、背筋は伸び、しっかりとした足取りだった。その背中をリンゼイさんの両親はにらみつけていた》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(7)】
リンゼイさんの傷跡「1つ1つがメッセージ」遺族代理人が懸命訴え
(14:40~15:10)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判。休廷中、 検察官らには笑顔が見えた。論告求刑を終えたことから緊張がほぐれたようだ。リンゼイさんの両親も通訳の女性を交えて談笑している》
《午後2時40分、公判が再開した。被害者遺族参加制度に基づく、遺族の代理人弁護士が意見陳述を始めた。法廷両側に設置された大型モニターには、陳述の要点が映し出された》
代理人弁護士「遺族は推移を見守るため、英国から来ました。リンゼイさんは最後にどのような状態だったのか。真相を知るためです。悲しみが、いかほどだったのか知ってもらい、正義に基づいて判決を出してもらうためです」
「被告は初公判で『事件の日に何があったか知っているのはリンゼイさんと私しかいません。これからの裁判で話していくことが私の義務だ』と言っていたが、公判での被告の態度は両親を失望させました。説明は信用できません」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんも8日の証人尋問で、市橋被告の態度を「ショーを演じるために(言動を)練り上げている」「証言は計算されつくし、リハーサルされたものだ」などと非難している》
代理人弁護士「(市橋被告の発言は)刑を軽くするための虚偽の証言であり、(検察側の)質問に『もう1度』などと言って、長々と独自の主張を繰り返した」
「(市橋被告は)真相を語ろうとしなかった。時間の引き延ばしは(2年7カ月間にわたって)逃走を続けたことと何ら変わらない。これは被告人の戦略だ」
《遺族の代理人弁護士は、身ぶり手ぶりを交え、裁判員に向かって話し続ける。紙を読み上げるため、口調が次第に早くなっていく》
代理人弁護士「被告は罪と正面から向き合うべきです」
《代理人弁護士は今回の事件を、逮捕直後から容疑者の自供が得られるケースと比較。市橋被告からの細かな自供はなく、起訴直前で大まかな説明をしたにすぎないと批判した》
代理人弁護士「事件の真相がどこにあったのか。代理人として申し上げる。事件には、11個のポイントがあると考えます」
「1つめは遺体の状況です。リンゼイさんの遺体には痛ましい傷跡があります。これは暴行のすさまじさを表しています。傷跡1つ1つがリンゼイさんのメッセージです」
《代理人弁護士は裁判員らに、証拠提出されたリンゼイさんの傷跡が撮影された写真をもう1度見てほしいと呼びかけた。そして、弁護側の主張する「暴行の経緯」について、疑問を呈した》
代理人弁護士「(弁護側の主張は)まったく不合理で、ひどく殴る理由はない。被告の供述はもともと信用していないが、仮に供述を前提としても、『関係を修復したい』としながら、顔を殴る行為はまったく合理的でない」
《市橋被告は7日の被告人質問で「リンゼイさんを強姦した後、人間関係を作ったら、許してもらえるんじゃないかと思いました」と証言している》
代理人弁護士「犯行現場の玄関にあった被告とリンゼイさんの靴には、リンゼイさんの血痕が残されています。コートにも残されています。(血痕が付着する)タイミングとして考えられるのはいつでしょうか」
《代理人弁護士はこう訴え、リンゼイさんへの殴打が強姦時に行われたとする検察側の主張を支持した》
《代理人弁護士は、リンゼイさんを拘束するために使用された結束バンドについても言及。リンゼイさんが身長176センチ、体重63キロで、女性としては大柄だったことを挙げ、「(バンドで拘束するために)どうやって自由を奪ったのか」と述べた》
代理人弁護士「両親は日々の公判終了後、ホテルに帰りミーティングをして、分からなかった点について話し合っています」
「足首を拘束したバンドについても、30センチの結束バンドが輪っかにされていたが、その理由について説明はない。小さな(30センチの)バンド1つで両手首を連結(拘束)することは簡単にできるのでしょうか。協力的であるか、動かない状態でなければできません」
《代理人弁護士は、裁判員らに対し、残された物証や市橋被告の供述をもう一度精査するよう、疑問形で言葉を投げ掛ける》
代理人弁護士「(結束バンドがあった)収納棚は床から、高いところにあった。片手でリンゼイさんを押さえて、バンドを取ることは不可能です。リンゼイさんが無抵抗でなければ...。説明が不自然です。さらに前の年に買った結束バンドを急に使うことも不自然です」
「(リンゼイさんの顔を巻いた)粘着テープも、コンドームなどの重要な物証とともに捨てられていました。時間が経過すれば、(ゴミとして出されて)捨てられていた可能性もある。これは(市橋被告が)重要だったと考えていたことにほかならない」
《代理人弁護士は室内にあったリンゼイさんの尿斑(尿の跡)にも言及した》
代理人弁護士「尿斑はパンティーやタイツ、スカートなど股間部分に集中してあった。これは服を着たままで失禁して...」
《「異議あり」。ここで、市橋被告の弁護人が大声を上げた。弁護側は公判前整理手続きで、尿斑と強姦の関係性について検察側が立証しないと決定したことを挙げ、尿斑についての意見陳述をやめるよう主張した》
《弁護側は「検察官、いかがですか」などと挑発。検察官が「証拠に入っているでしょ」などと応じたところで、堀田真哉裁判長が「直接議論しないで」と両者をいさめた》
《堀田裁判長は陪席の裁判官らと協議し、「理由がない」として弁護側の主張を退けた。リンゼイさんの母、ジュリアさんが大きくうなずいた。代理人弁護士は こうしたやり取りの後、リンゼイさんがマットレスに寝かされた状態で用を足したと市橋被告が説明している点に触れた上で、次のように続けた》
代理人弁護士「リンゼイさんは事件後、トイレに行きたいと言って(トイレに)行っている。(市橋被告の説明は)極めて不自然で、つじつま合わせだ」
《代理人弁護士は「これから遺族が考える事件の真相を説明する」と宣言。意見陳述を続けていく》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(8)】
「日本の正義を示せ」「最高刑を」遺族の思いを代弁
(15:10~15:30)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、リンゼ イさんの遺族の男性代理人弁護士の意見陳述が続いている。遺族が考える「事件の真相」とは一体なんなのだろうか》
《これまでの公判では、市橋被告に犯行の計画性がなかったことを主張してきた弁護側。これに対し代理人弁護士は、事前の準備の状況や悪質性を指摘していく。代理人弁護士は左手に原稿用紙を持ち、主に裁判官や裁判員の方を見ながら訴えかけるように話している》
代理人弁護士「リンゼイさんを自宅マンションに誘い込んだ状況についてお話しします。市橋被告はレッスンのお金を忘れたことを口実にリンゼイさんをタクシーに連れ込み、自宅に向かいました」
「しかし、この時持っていたカバンには、現金3万円が入っていた。つまり、現金は所持していたのに、誘い込んだと認められるのです」
「また、タクシーの運転手に『4、5分ここにいてくれ』という趣旨の話をしています。弁護側はこれをもって計画性がなかったと言うかもしれないが、これはリンゼイさんを安心させるための発言でしかありません」
《語気を強め、市橋被告の悪質性を指摘する代理人弁護士。市橋被告はずっとうつむいたまま話を聞いている》
《続いて、代理人弁護士は遺族の考える事件の"真相"について語り始めた》
代理人弁護士「市橋被告は自宅に入り、すぐにリンゼイさんを押し倒しました。そして、げんこつなどで顔面を殴打したのです。空手サークルなどに入っていた市橋被告は抵抗を奪うのに十分な力がありました」
「あらかじめ結んでいた結束バンドを手錠のように使い、左右の手に順次、はめました。そうやって、リンゼイさんの自由を奪った上で、手やはさみで上半身の 服を破りました。その後、あらかじめ用意したコンドームを付け、1枚1枚服を破り、陵辱(りょうじょく)の限りを尽くしたのです」
《代理人弁護士の陳述は次に、争点となっている「殺意」の有無へと移る》
代理人弁護士「鑑定医の証言から少なくとも3分間、気道を絞めるのに十分な圧力をかけたのは明らかです。また、被告は『大声を出して近所の人に通報される ことを懸念した』と証言しています。遺族としては事件の真実を(市橋被告が)十分に話しているとは思えないが、現時点で出ている証言を元にしても、殺意を 認定できます」
《遺族の思いが語られる間、リンゼイさんの父のウィリアムさんと母のジュリアさんは表情の変化を見逃さないようにと、じっと市橋被告をにらみ付けている》
《ここで代理人弁護士は少し話のテンポを緩め、裁判員たちに語りかけるように話し始めた》
代理人弁護士「さて、ここで裁判官、裁判員の皆さんには、この裁判の主人公が誰か考えていただきたい。この裁判の主人公はリンゼイさんです」
「ご遺体の写真をもう一度見てください。リンゼイさんがどんな気持ちだったか考えてください。拘束される苦しみ、辱められる悔しさ、逃げようとしても逃げられず、誰も助けに来ないと感じた絶望感...」
《代理人弁護士は一瞬、市橋被告をにらみ付けた。だが、市橋被告はうつむいたまま微動だにしない。代理人弁護士は意見陳述を続ける》
代理人弁護士「リンゼイさんは将来のある美しい女性でした。きちんと仕事をして独立し、たくさんの友人を作るなど快活な女性だった。結婚して子供を持つという夢もありました。その夢を被告人は一瞬で打ち破ったのです」
「生きていたら家族や子供たちと充実した暮らしを過ごしていたことでしょう。それを奪われたリンゼイさんの気持ちを一番に考えてほしいです」
《続いて、事件後の家族の状況について説明が始まった。ウィリアムさんは鬱(うつ)病と診断され、ジュリアさんも事件のトラウマでバスタブに入れなくなっているという。周囲から好奇の目で見られることも、精神的に大きな負担になっていることが明らかにされた》
代理人弁護士「英国で平凡な生活を繰り返していたリンゼイさんの家族の生活は大きく変わりました。ウィリアムさんはいまも鬱病の診断を受けています。親として...」
《ここで一瞬、涙で言葉をつまらせる男性代理人弁護士。すぐに「すいません」と仕切り直し、意見陳述を続けた》
代理人弁護士「親として日本に行かせたことを悔いています。家族は敬虔(けいけん)なクリスチャンだったが、神さえも信じることができなくなったのです」
《続いて、市橋被告の犯行後の動きについて意見が述べられる》
代理人弁護士「生ゴミ発酵推進剤や脱臭炭、園芸用の土をかぶせている。結束バンドなども処分しようとするなど証拠隠滅を図り、警察が自宅を訪れると逃走した。その後、2年7カ月もひたすら逃亡を続けており卑怯(ひきょう)で身勝手極まりなく、厳しく追及されるべきです」
「この公判が始まったとき、被告人は土下座しました。私たちも見ました。しかし遺族は、これが裁判戦略の陳腐な演技と受けとめています」
「謝罪の気持ちがあれば、まず逃げないでしょう。逃げ続けることをしないでしょう。逮捕されたら謝罪するはずでしょう。謝罪の機会があったのにしていない。黙秘も続け捜査に協力しなかった。この公判でも刑事責任を軽くすることしか考えていないのです」
《市橋被告は逃亡生活などを記した本の印税を被害者弁償にあてる意向だが、両親は代理人弁護士を通じてあらためて受け取る意思がないことを表明。市橋被告 のこの意向は「リンゼイさんを殺した結果得た金で弁償するということであり、非人間性を示すもの」と厳しく指摘した。その上で、「市橋被告に有利な証拠と して一切考慮しないでほしい」と訴えた》
代理人弁護士「この裁判は、日本と英国で非常に注目されています。適正な刑罰を示し、日本に正義があることを示すべきです。遺族としては、最高刑を求めます」
《遺族の代理人弁護士の意見陳述が終わり、再び休廷が宣告される。再開は15分後の午後3時45分の予定で弁護側の弁論に入る》
《予定よりも進行が遅れている論告求刑公判。裁判員たちは、少し疲れた表情で退廷していった》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(9)】
結束バンド、粘着テープ...「争点に関係ない」裁判員に冷静対応呼びかける弁護人
(15:45~16:13)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は約15分の休憩を挟み再開。弁護側の最終弁論が始まる》
《男性弁護士はゆっくりと証言台に移動。検察席から論告を読み上げた検察側とは対照的に、裁判員に視線を向けゆっくりと話し始めた》
弁護人「弁護側の最終的な意見を申し上げる前に、2つだけ気をつけてほしいことがあります」
「7月4日から今日の午前まで審理が行われ、そこで出たほとんどの内容は証拠となります。気をつけてほしいのは、先ほど行われた被害者遺族代理人の意見です」
「これは遺族の考える真相と説明がありました。証拠に基づくものではない、と私は感じました。何が争点なのか、見失わないでください。皆さんのミッション、任務は非常に重要です。証拠に基づき、被告がどのような犯罪で処罰を受けるのか、判断してください」
《男性弁護人は、弁護側が(1)強姦(2)傷害致死(3)死体遺棄-の罪について認めており、検察側が(1)と(2)について強姦致死、殺人罪の適用を主張していることについてあらためて説明。その上で、再び裁判員に視線を向けた》
弁護人「刑事裁判のルールで、検察側には主張を立証する義務があります。『どちらが正しいか』ではなく、検察側の主張する強姦致死、殺人が『公判の証拠で認められるか』。それを判断するのが、皆さんの任務になります」
「被害者代理人弁護士の意見は、争点から外れています。結束バンドや粘着テープを利用し女性を乱暴する、それは卑劣な行為だと弁護人も考えます。 しかし、結束バンド、粘着テープで首を絞めたなら争点になりますが、直接は関係ありません。皆さんの頭脳を混乱させるようなことはあってはなりません」
《「皆さん」と、常に裁判員への呼びかけに注意を払う男性弁護人。検察側の主張骨子をあらためて説明した後、反論に入っていく》
《市橋被告はうつぶせのリンゼイさんに覆いかぶさり、リンゼイさんの首の下に入った左腕で首を圧迫したとされる。検察側はリンゼイさんの司法解剖を担当した医師の証言で「少なくとも3分」以上圧迫が続いたことが立証され、市橋被告の殺意を裏付けると主張している》
《医師は窒息が始まってから死ぬまでを4期に分け、1期(~1分)症状が出ない▽2期(1~3分)呼吸困難、失禁▽3期(3~4分)呼吸ができなくなり、血圧が下がる-などと説明していた》
《男性弁護人は証人尋問での医師の証言について「真摯(しんし)な説明で、信用性が高い」と持ち上げた後、圧迫時間についての主張を始めた》
弁護人「医師は2期の後半ならば蘇生(そせい)しないと、法医学者として証言されました。個体差もあり曖昧だが、弁護側は2期の後半を2分程度と理解しました。2分程度を過ぎれば、今回のような(窒息死に至る)事態は起こりうるのです」
《圧迫時間について、検察側は「少なくとも3分以上」と主張、市橋被告は「1分程度」と答えていたが、弁護側は間をとって殺意についての検察側の立証を弱める方針のようだ》
《男性弁護人はさらに、医師の所見結果から、リンゼイさんの首の前面には圧迫の跡があったものの、左右の頸(けい)動脈は圧迫されなかった可能性があることを強調。圧迫の「偶発性」を主張した》
《男性弁護人はリンゼイさんの死後に市橋被告が行ったとする心臓マッサージについても、検察側の「肋骨(ろっこつ)が折れるなど、マッサージを施した際に現れる変化がない」とする主張に反論する》
弁護人「肋骨が折れるほどの強い心臓マッサージでないと、蘇生はしない。しかし、それができるのは専門家で、素人が慌てて胸を押しても、折れるほど強くは押せません。肋骨が折れていないから、マッサージをしていない、という主張には無理があります」
《市橋被告が殴るなどしてリンゼイさんに抵抗できなくさせた後、乱暴に及んだとする検察側の主張についても、男性弁護人は医師の証言を"逆利用"し反論していく》
弁護人「また、医師はどういう順序で傷ができたのか、『特定できない』と正直に話しています。衣服が切られたり、結束バンドで縛られたり、暴行を受けたり したことが、(市橋被告がリンゼイさんを乱暴した平成19年3月25日)午前10時に同時に行われたのかどうか、医師の証言では立証できませんでした」
《男性弁護人は裁判員を見上げ、続けた》
弁護人「医師の証言で立証されたのは、頸部が3分程度圧迫され、窒息死したということ。検察のその他の主張は、ほとんど何も立証されていません」
《男性弁護人は、自信たっぷりに自らの主張を続けていく。6人の裁判員は腕を組んだり、あごに手を当てたりしながら真剣なまなざしで話を聞いている》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(10)】
「事件当時から見れば、反省の態度は増している」弁護人、情に訴え
(16:13~16:47)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦 (ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、弁護側の最終弁論が続いている。男性弁護人は証言台 に立ち、裁判官、裁判員と向かい合うような形で主張する》
弁護人「玄関の靴に付着していたリンゼイさんの血痕ですが、検察側は玄関でリンゼイさんが全身をぶつけたとしています。しかし、鑑定医の証言では外に血が出るような傷はなかったということです」
「検察側が言うように、市橋被告が(玄関で強姦した19年3月25日)朝10時ごろに顔や全身を殴打したのではなく、26日午前2時から3時に遺体と浴槽を風呂場に運ぶときについた可能性があります。立証責任は検察にあるので、われわれは疑問を挟むことで十分です」
《弁護人はさらに、検察側の「強姦の発覚を恐れてリンゼイさんを殺害した」という動機に関する主張についても「本当にそうなのでしょうか」と疑問を呈する》
弁護人「事件当日、(市橋被告の)部屋にいたのは2人だけです。そのことをほかの人が知らなければ、検察側が言うように、殺害によって(犯罪の)発覚を防ぐことができるかもしれません」
《弁護人は、市橋被告が3月21日未明にリンゼイさんを追いかけて自宅まで上がり込み、同居していた外国人女性の○○さん(法廷では実名)とも顔を合わせていたことを指摘し、持論を展開する》
弁護人「(○○さんがいる場で)市橋被告はリンゼイさんの似顔絵を描き、紙に電話番号、メールドレスを書いて渡しました。(事件当日の)3月25 日に市橋被告がリンゼイさんと個人レッスンをやることも知られていました。だからリンゼイさんを殺害しても、(強姦の)犯行の発覚を防ぐことにはなりませ ん」
《○○さんらが26日、警察に捜索願を出した際、市橋被告の連絡先が書かれたメモを同時に渡したことから、市橋被告の特定が進んだ》
弁護人「(犯行の発覚を防ぐためという)殺害動機は常識的にみて、あり得ないんじゃないですか、と言いたいです。市橋被告の供述では強姦の後、殺害の意志はなく、リンゼイさんに許してもらおうと、4畳半の和室に連れて行っています」
《向かって左から3番目の男性裁判員は熱心にメモをとり続ける》
弁護人「検察側は市橋被告が25日から26日夕にかけて頸部(けいぶ)圧迫により、リンゼイさんを殺害したとしています。しかし、その間に何があったの か、どういうことで亡くなったのかについて検察側は一切明らかにしていません。それっていいんでしょうかね? あまりにも無責任です」
《ここで堀田真哉裁判長が弁護側が予定よりも長く最終弁論を行っていることを指摘。弁護人は「あと15分程度で終わります」と答える》
弁護人「リンゼイさんは浴槽の中で裸になり、足を拘束されており、全身に傷がありました。警察は容疑者の暴行で死亡したという見方で捜査をしました」
「この事件の特徴は市橋被告とリンゼイさんしか事実を知らず、リンゼイさんが亡くなっていることから、市橋被告しか話す人間がいないということです。しかし、警察は市橋被告を取り逃がしました」
「市橋被告が強姦し、さらに頸部圧迫で殺害したというのは捜査側のストーリーで、その間(強姦から殺害まで)のことについては一切解明されていません。それが捜査の問題です」
《弁護側は、市橋被告が事件直前にタクシーでリンゼイさんを自宅近くまで連れて行き、タクシー運転手に「5、6分待ってほしい」と言っている点から、犯行に計画性がなかったことを主張。さらに最大の争点である殺意についてもあらためて否定した》
弁護人「リンゼイさんが大声を上げ、はって出ようとするところを見て焦り、覆いかぶさるようにして押さえつけました。鑑定の証言でも、こうした行為で頸部 が圧迫されることもあり得るとのことでした。殺意を持ってしたことではないとあらためて申し上げたいです。市橋被告は心臓マッサージもしています」
《弁護人は裁判員たちを見つめ、ゆっくりとした口調で続けた》
弁護人「皆さんには重要な任務があります。やっていないことで人が処罰されることを防ぐことです。検察の主張が『間違いない』と確信できるまで立証されているかを判断して下さい。殺意について『間違いない』と立証できていません」
《弁護人は強姦致死、殺人、死体遺棄罪の成立を前提とした無期懲役の求刑に反対し、強姦、傷害致死、死体遺棄罪が相当とする従来の意見を述べた》
弁護人「市橋被告の反省の態度について、検察官や遺族から批判的な意見もありますが、法廷での市橋被告の言葉を聞いてもらえれば分かります。事件当時から見れば、反省の態度は増しています。市橋被告は元々は普通の学生で、最初から悪い人ではありませんでした」
《検察側の後ろに座るリンゼイさんの母、ジュリアさんは「やりきれない」という表情を見せながら、隣に座る父、ウィリアムさんの背中をさすった》
弁護人「逃走を非難されても仕方ないです。犯人は逃走、証拠を隠滅する可能性があります。良いことではないですが、法的には処罰されません。助けた人は処罰されますが...。逃げた犯人を非難することはできますが、非難する上で大きな要素と捉えるべきではありません」
《弁護人は「ご両親は娘さんを亡くされ、大変な思いをされましたが、処罰感情だけで判断されるものではない。今回は犯情の悪い事件には該当しない」と述べ、意見陳述を締めくくった。続いて、市橋被告の最終陳述が行われる》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(11)完】
「苦しんで考えながら私の残りの人生を終わらせる」 裁判長に頭を20秒下げ続ける
(16:47~17:00)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判。弁護側の最終弁論が終了し、ついに市橋被告の最終陳述が始まる》
《堀田真哉裁判長が「それでは証言台の前に来てください」と市橋被告に起立を促した。証言台に立った市橋被告はこれまでの公判と同様、うつむいたままだ》
被告「この裁判の裁判官の方々、裁判員の方々、そしてリンゼイさんのご家族の方に事件の日、何があったか、そして私がリンゼイさんを殺そうと思ったり、死 んでもいいと思ったことがなかったことを、私がしたことは許されませんが、その2つはお話しすべきだと思ってお話ししました」
《言葉を区切りながら、思いを述べた市橋被告。これまでの公判で主張したように、あらためて「殺意」がなかったことを強調した》
被告「しかし、リンゼイさんに怖い思いをさせて、痛い思い、苦しい思いをさせて死なせてしまったのは私であり、リンゼイさんのご家族の人生、幸せを壊したのは私で、私が何をしようと許されることではありません」
《市橋被告はこの日の被告人質問で、リンゼイさんの苦しみについて、逃走中に過酷な労働を続けた際に初めて考えたと述べている》
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは背筋を伸ばして口を真一文字にした後、ため息をついた》
被告「裁判の中でリンゼイさんのご家族の話を聞きました。(千葉大時代の恩師の)本山(直樹)先生や(大学の卒業研究の指導教授だった)◇◇先生(法廷では実名)の話も聞きました」
「私の中には問題があります。私の中は自分勝手であふれていて、自分勝手な行為をしておいて、責任に向かい合おうとしない。責任を取ろうとしない。その都度、その都度ごまかしていこうとすることがこの事件につながったと思います」
《市橋被告は11日の被告人質問で弁護側から逃亡が2年7カ月に及んだ理由や事件を起こした理由を聞かれ、すでに同様の説明をしている》
被告「私の問題点とリンゼイさんのご家族が、この先どんな気持ちで苦しまれ、生活されるのか、リンゼイさんが怖い思いの中で苦しんで亡くなられたときの気 持ち、これらのことを苦しくても、これからずっと、考え続けていくことを、そのことをずっと苦しんで考え続けながら、私の残りの人生を終わらせること、そ れが私が犯した罪に対する償いと考えています」
《市橋被告はたどたどしく言葉を続ける。証言台の前に立ち、こぶしを握りしめ、声を震わせた》
被告「逃げている間、働きました。そのとき感じたことは人の命が一番ということです。本当に、本当に申し訳ありませんでした」
《市橋被告はこう言い終えると、約20秒間にわたって堀田裁判長らに対して深々と頭を下げ続けた。リンゼイさんの父親のウィリアムさんらは体を震わせる市橋被告を淡々とした様子で見つめていた》
《市橋被告が最終陳述を終えたことで、6日間に及んだ審理は結審した。裁判官と裁判員による評議を経て、判決は21日午後2時半から言い渡される》
《市橋被告の退廷後、リンゼイさんの母、ジュリアさんは通訳を務めた女性とハグ(抱き合うこと)し、労をねぎらっていた》
英国女性殺害 判決(2011年07月21日)
【英国女性殺害 市橋被告判決(1)】
求刑通り...被告は無反応、リンゼイさん両親は目に涙
(14:30~14:40)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=を殺害したとして、殺人などの罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の判決公判が21日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まっ た。逮捕されるまで2年7カ月も逃亡生活を続けるなど国内外で注目を集めた事件の判決。検察側は無期懲役を求刑しているが、6人の裁判員とプロの裁判官3 人はどういう量刑判断を下すのか》
《4日から12日まで計6日間にわたって開かれた公判では、最大の争点である殺意の有無をめぐり、検察側と弁護側が激しく対立した》
《検察側は論告で、市橋被告がリンゼイさんの首を少なくとも3分以上圧迫したと指摘し、明確な殺意があったと主張。動機は「生きて帰せば強姦がばれると思ったから」とし、殺人と強姦致死罪が成立するとして無期懲役を求刑した》
《一方の弁護側は「逃げようとしたリンゼイさんを押さえているうちに腕が首に入った」として「偶発的な死」を主張。乱暴から死亡までの時間が開いていることを踏まえ、傷害致死と強姦罪の適用を求めた》
《こうした争点に加え、市橋被告の反省ぶりなど情状面や、証人、被害者参加人として公判に参加したリンゼイさんの両親の強い処罰感情も、裁判員らの量刑判断のポイントとなる》
《市橋被告は初公判でリンゼイさんの両親に土下座して謝罪。最終陳述では、改めて殺意を否定しつつも、「何をしても許されない」「私の中は自分勝 手であふれていた」「その都度ごまかしていこうとすることがこの事件につながった」などと涙で身を震わせながら反省の弁を連ねた》
《リンゼイさんの両親は意見陳述などで、こうした市橋被告の主張や態度について、「少しでも刑を軽くするための虚偽のストーリー」「証言は計算されつくし、リハーサルされたもので、彼は悔いていない」などと強く非難。「法律上許される最高刑で処罰してほしい」と訴えた》
《今回の裁判員は補充裁判員を含めて全員男性。女性裁判官1人を含む3人の裁判官とともに市橋被告をどう裁くのだろうか》
《法廷は千葉地裁最大の201号。傍聴席はほぼ満席だ。午後2時34分、リンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんが入廷し、検察官席の後ろに着席した。リンゼイさんの姉妹も入廷し、傍聴席の最前列に座った》
《起訴状によると、市橋被告は19年3月25日ごろ、自宅マンションでリンゼイさんの顔を何度も殴り、両手などをテープで縛って乱暴した上、首を絞めて殺害。同26日ごろ、リンゼイさんの遺体をベランダの浴槽に入れて土で埋めるなどして遺棄したとされる》
《午後2時35分、堀田裁判長の指示で市橋被告が、向かって左側の扉から入ってきた。黒い長袖シャツに黒いズボン姿。髪は長くぼさぼさで、一部が 前に垂れ下がっている。これまで同様、うつむき気味で表情は暗く憔悴(しょうすい)しきった様子だ。リンゼイさんの両親に一礼した後、証言台の後方にある 長いすに座った》
《裁判員6人も入廷し、法廷内の全員が起立、一礼をした後の午後2時36分、堀田裁判長が声を上げた》
裁判長「それでは開廷いたします。被告人は証言台の前に来てください」
《市橋被告は無言で立ち上がり、証言台の前にゆっくり歩み出た。手を前にぶらっとさせ、緊張した様子だ。裁判員6人も、市橋被告に視線を集中させる。堀田裁判長が続ける》
裁判長「市橋達也被告人ですね」
被告「はい」
《小さい声で答える市橋被告》
堀田裁判長「それでは、あなたに対する判決を言い渡します」
《市橋被告は緊張しているのか、反応しない》
《無期懲役か有期刑か。静寂に包まれた法廷内に緊張が走る。市橋被告はうつむいたままだ》
裁判長「主文。被告人を無期懲役に処する。未決勾留日数中370日をその刑に算入する」
《堀田裁判長の主文読み上げが終了すると同時に傍聴席の一部の報道陣は一斉に立ち上がり、速報を伝えるため慌ただしく法廷から飛び出していった》
《傍聴席から市橋被告の表情をうかがい知ることはできないが、主文言い渡しの瞬間、市橋被告は微動だにしなかった》
《リンゼイさんの両親の男性代理人弁護士は「当然だ」といった表情で何度もうなずき、ウィリアムさんに主文の中身を説明しているようだ。ウィリアムさんとジュリアさんは、女性通訳を介し、主文の中身を理解したのか、みるみる目に涙がたまっていった》
《裁判員たちは一様に険しい表情で、市橋被告を見つめている》
裁判長「もう一度言うと、被告人を無期懲役に処する。未決勾留日数中370日をその刑に算入する」
《堀田裁判長は、間を置かずに続ける》
「以下、理由を述べますので、そこに座って聞いてください」
《報道陣の出入りで、傍聴席が少しざわつく中、堀田裁判長による判決理由の読み上げが始まった》
【英国女性殺害 市橋被告判決(2)】
「強姦時の供述、信用性低い」殺意認定 被告の主張、次々と否定
(14:40~15:05)
《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事 件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の判決公判で、堀田真哉裁判長が判決理由の読み上げを 開始。裁判所が認定した事実について説明していく》
裁判長「3月25日、被告方でリンゼイさんの顔に打撃を加え、結束バンドで両手首、両 足首を拘束して抑圧し、強いて姦淫をした。26日ごろまでに殺意をもって被害者の頸部(けいぶ)を圧迫して殺害し、リンゼイさんの遺体を浴槽に入れて土を 入れた。以上の事実について証拠によって認定します」
《最大の争点となっていた殺意の有無について、検察側の主張が受け入れられたことになる。検察側の後ろに座るリンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんは目に涙をため、手で拭う》
《堀田裁判長は「判断について説明します」と述べ、強姦時の状況に関する争点について言及する。検察側は市橋被告がリンゼイさんを強姦する際、顔を殴打した上で結束バンドや粘着テープで手首を縛り、強姦したと主張。弁護側は強姦時は殴打していないと反論していた》
裁判長「被告は3月25日午前9時54分ごろ、玄関付近でリンゼイさんを押し倒した。上から抑えつけ、両手首、両足首を結束バンドで拘束した」
《堀田裁判長は結束バンドの大きさは45センチ、30センチで、結束バンドで手首、足首を拘束するのに手間がかかることを指摘した上で読み上げを続ける》
裁判長「リンゼイさんが少しでも抵抗したら、拘束は困難である。被告がリンゼイさんを拘束する際、リンゼイさんが抵抗できなかったと推認される」
「遺体の顔、胸部、腹部などに鈍体により形成された皮下出血が多く残されていた。リンゼイさんが強姦されそうになったとき、激しく抵抗することは常識的に 考えられ、被告がリンゼイさんの(傷の程度が重かった)右目を強い力で殴るなど、全身に暴行を加えたと考えるのが自然だ」
《女性通訳の言葉に耳を傾けながらウィリアムさんとジュリアさんは互いの顔を見て、うなずき合った。傍聴席に背を向けた状態で座る市橋被告に動きはない》
裁判長「被告は『強姦の際は殴っておらず、上から抑えつけて数分間もみ合いになり、被害者が疲れたからか抵抗しなくなったため、服を脱がせ、結束バンドで 拘束した』と供述している。2人に大きな体格差がなかったことなどを考えると、被害者は驚愕(きょうがく)と恐怖で抵抗できなくなったと考えられる」
《「驚愕」「恐怖」の言葉が通訳され、ジュリアさんは顔をゆがめて、うつむいた。堀田裁判長は市橋被告がリンゼイさんのコートの袖を強姦時に手で破り、リ ンゼイさんが死亡した後にカーディガンをハサミで切断したと述べていることについて明確な説明をしていないことなどを指摘した上で、こう述べた》
裁判長「被告の強姦時に関する供述は信用性が低い」
《さらに堀田裁判長は市橋被告の暴行に関する供述についても疑問を呈していく》
裁判長「被告は顔を殴ったことについてはリンゼイさんを強姦した後に拘束した状態で4・5畳の和室に連れて行き、リンゼイさんに『たばこを吸いたい』などと言われてイライラし、『私を帰さないと大変なことになる』と言われてカッとなり、殴ったと供述している」
「被告は『リンゼイさんと人間関係を築いて許してもらいたかった』と述べていたのに、『リンゼイさんから帰さないと大変なことになると言われて殴った』と いうのは理解しがたい。強姦の際にリンゼイさんに抵抗された時には殴らず、拘束されて抵抗できないリンゼイさんを殴ったという供述は一貫性を欠いており、 信用できない」
《静かな口調で弁護側の主張を次々と退けていく堀田裁判長。右から3番目の男性裁判員も厳しい視線を市橋被告に向ける》
裁判長「被告が強姦の手段として顔面に打撃を加えたと推認できる。傷から手の拳による打撃と考えることもできるが、足で蹴ることも想定できるため、打撃の方法は特定できない」
《判決の読み上げが続くが、市橋被告の背中は微動だにしない》
【英国女性殺害 市橋被告判決(3)】
「頸部圧迫3分以上...明確な殺意」 動機は「発覚を恐れたため」
(15:05~15:45)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われ、無期懲役を言い渡された無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の判決公判。堀田真哉裁判長が判決理由の読み上げを続けてい る。市橋被告は微動だにせず正面を見つめている》
《リンゼイさんが市橋被告の部屋を訪ねたときに何があったのか、堀田裁判長は一つ一つ、検察側と弁護側の主張を確認しながら、証拠や証人の証言を基に事実認定の説明をしていく》
裁判長「頸部(けいぶ)圧迫について、証拠によれば、頸部圧迫は明らかであり、リンゼイさんは顔面や体に多数のけがを負っていた。リンゼイさんの抵抗があったと常識的に考えられる」
《弁護側は、市橋被告が逃げようとしたリンゼイさんの抵抗を抑えようとした結果、偶発的に首を絞めてリンゼイさんを死なせたと主張している》
裁判長「証人(遺体を司法解剖した女性鑑定医)はリンゼイさんが死に至るまでには、数分以上の圧迫が必要で、頸部圧迫の痕は複数回なかったと証言してい る。リンゼイさんが部屋に入って間もない状況で殺害されたと考えるよりは、多数の粘着テープ片や(輪になった)結束バンドが見つかっていることから、強姦 の後で、何回も(粘着テープ片や輪になった結束バンドを)作り、使用できる、強姦できる状況があったと考えられる。リンゼイさんが部屋に入ってから、(リ ンゼイさんが)比較的長い時間を生きていたと考えるのは合理的である」
《弁護側は強姦致死罪について、強姦から死亡までの時間が開いているため成立しないとして、検察側の主張に反論している》
裁判長「そして(弁護側は)市橋被告はリンゼイさんを強姦するときに首を絞めてはいないと言っている」
《市橋被告はリンゼイさん殺害について、寝て起きたらリンゼイさんが拘束を解いていて、市橋被告に殴りかかって逃げようとしたので、必死に抵抗を抑えこんでいたら、リンゼイさんが動かなくなったと証言している》
裁判長「リンゼイさんが3月26日の午前2時から3時くらいまで生きていたとする弁護側の主張は、複数の粘着テープ片や結束バンドが発見されていること、 『ワルファリン』などの用語を(25日)午後11時半から(26日)午前0時半まで調べていたということと矛盾しない」
《「ワルファリン」は市橋被告がリンゼイさんの求めに応じて、パソコンで検索していたとされるリンゼイさんの持病の薬だ》
裁判長「リンゼイさんの遺体発見状況を考えると、強姦の際に、市橋被告が頸部を圧迫していないという主張と矛盾しない」
「以上、前述をまとめると、市橋被告はリンゼイさんが部屋に入って間もなく、右目の周りなどにかなり強い力を加え、粘着テープや結束バンドで拘束、強姦した」
《強姦時の事実認定の説明を終えた堀田裁判長は、続いて殺意の有無についての理由を述べていく》
「女性鑑定医は、頸部圧迫を3分以上続けないと、死には至らないと証言している。気管など首を絞めるとリンゼイさんが死ぬということは、市橋被告は十分認識できたと考えられる」
「市橋被告は『大声を出しながら逃げるリンゼイさんを止めようとした』『感覚的には1分間』などと供述している。しかし、女性鑑定医によると、そのようなことでは窒息死には至らない」
《堀田裁判長は、市橋被告の供述は信用できないとした上で、リンゼイさんの首の輪状軟骨が折れていたことなどから、相当程度の強い力が3分間以上掛かっていたとされると付け加え、こう結論づけた》
裁判長「少なくとも3分以上、市橋被告には明確な殺意があったと認定される」
《続いて、堀田裁判長は市橋被告のリンゼイさん殺害の動機について説明していく》
裁判長「市橋被告はリンゼイさんを強姦し、拘束して相当の時間とどめておいた。そして、強姦が発覚しないよう、対応に窮していた。そういう時に、リンゼイさんが大声をあげて逃げ出そうとしたことで、他の住人にばれるのではないかと考えた市橋被告には殺害の動機があった」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは市橋被告をにらみつけている。市橋被告は正面を向いたままだ》
【英国女性殺害 市橋被告判決(4)完】
再び土下座しようとするも...鬼の形相で父、リンゼイさんの写真向け続ける
(15:45~16:05)
《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事 件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の判決公判。堀田真哉裁判長が裁判所が認定した事実に ついて読み上げを続けている》
裁判長「被告人は救急車を呼んでおらず、死亡を受け入れていたと考えられる。(リンゼイさんの)目の焦点が合っていないことから心臓マッサージや人工呼吸をしたというが、肋骨(ろっこつ)は折れておらず、救命に資するような行為とはいえない」
《これまでの公判で、弁護側は「肋骨が折れるほどの強い心臓マッサージは専門家にしかできない」と反論していたが、裁判所はこの主張を退けた》
裁判長「さらに救急車を呼んでおらず、心臓マッサージをしていたとしても、殺意がなかったとはいえない。頸部(けいぶ)圧迫時に殺意があったと認めることができる」
《続いて堀田裁判長は、検察側と弁護側の間で争点となっていた強姦致死罪の適用について説明を続ける。検察側は強姦から、リンゼイさんが死亡するまでに時間差があったとしても、強姦致死罪が成立すると訴えてきた》
裁判長「被告は19年3月25日午前9時45分過ぎに(市橋被告の自宅マンションに)リンゼイさんが入室後間もなく強姦した。発覚を恐れ、結束バ ンドで拘束し、4畳半の室内に置いた浴槽に入れた。翌26日午前2時か3時ごろ、リンゼイさんが逃げようとしたため頸部を圧迫した」
「犯行の発覚を恐れて頸部を圧迫しており、強姦してから時間が経過している。強姦致死罪は成立せず、強姦罪が成立することになる」
《この争点については、弁護側の主張が認められた》
裁判長「本件では、証人や通訳の費用は被告人に負担させない。本件で、リンゼイさんは強姦され、人格を踏みにじられており、結果が重いということは言うに及ばない。22歳でさまざまな可能性があった。無念や苦しさは計り知れない」
「傷は無残で暴行の激しさを物語っている。両足を結束して土の中に埋めており、人格に対する敬意は感じられない」
《検察側は公判で、リンゼイさんの遺体を発見した警察官の供述調書を朗読。浴室の浴槽が外れていることに気付いた刑事らはベランダで浴槽を見つけたといい、供述調書によると「浴槽に詰まっていた土を軽くなでると、白い肌色の皮膚が見えた」という》
裁判長「犯行態様は悪質。性欲を満たすために強姦し、発覚を恐れて殺害し、遺体を遺棄した。身勝手きわまりない」
《通訳の女性が抑揚をつけて感情を込めて、堀田裁判長の読み上げを通訳する。リンゼイさんの母、ジュリアさんは父、ウィリアムさんの手をしっかりと握った》
裁判長「被告は本件後、2年7カ月にわたって逃亡し、リンゼイさんの両親が来日したことを知っても意に介さず、整形して逃亡を続け、真相解明を妨げた」
《公判では、2年7カ月の逃亡生活で、神戸や大阪の建設会社に偽名で勤務していたことや鼻などに整形手術をしていたことが明らかになっている。だが、公判上の争点となっておらず、細かな逃亡の経緯が最後まで明らかになることはなかった》
裁判長「犯行後の様態も悪質で、遺族の悲嘆は言い表すことができず、峻烈な処罰感情がある」
《堀田裁判長は遺族感情について言及し、市橋被告の態度を糾弾していく》
裁判長「(市橋被告は)公判前整理手続きでも、客観的事実に反する不自然な供述をしている。本件に向き合おうとしていないと言わざるを得ず、真摯(しんし)な反省は感じられない」
《市橋被告は初公判で、入廷直後にリンゼイさんの両親に向かっていきなり土下座している。裁判所にはこのような態度も"謝罪"とは映らなかったようだ》
裁判長「被害弁償に逃亡生活を記した手記の利益を充てるなど、リンゼイさんの遺族に対する心情の配慮はない。刑事責任は非常に重いと言わざるを得ない」
《堀田裁判長は、市橋被告に前科がないことや、32歳という若さで更生可能性が残されていることなど有利な情状についても説明した》
裁判長「犯行態様は被害者に肉体的にも精神的にも苦痛を与えるなど悪質で、動機も身勝手だ。ただ、計画性はなく、殺意も極めて強固といえず、無期懲役が相当である」
《被害者参加人として参加したリンゼイさんの両親は公判で、「法律上許される最高刑で処罰してほしい」と訴えていた。堀田裁判長はこの点について「心情は当然といえる」と一定の理解を示した》
《午後4時過ぎ、堀田裁判長が閉廷を告げた。裁判所職員らが退廷を促すが、傍聴人や記者らは市橋被告の様子を見つめている》
《証言台から立った市橋被告は、突然倒れ込もうとしたが、周囲の職員がそれを許さない。土下座しようとしたのだろうか》
《ウィリアムさんは、スーツの胸ポケットからリンゼイさんの写真を取り出し、市橋被告に鬼の形相で向け続けた》
《市橋被告は職員らに抱え込まれたまま、弱々しい足取りで法廷を後にした》
《市橋被告の退廷後、ウィリアムさんはジュリアさんの胸元に顔を埋めた。顔を紅潮させ、泣いているようだった》
市橋君が参加していたNABE-BBS掲示板
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yoshie - 04/06/28 23:45:34
コメント:
暑いっ。まったくもって、暑い
yoshie - 04/06/06 13:45:58
コメント:
akina~元気そうで、、、なにより!!
本日、machiko会です。千葉にて。なつかしの千葉・・・!!machikoの近況あとで報告するわ~
私は相変わらず元気です。
akina - 04/06/03 20:13:02
コメント:
福岡です。福岡フクオカ... 毎日仕事、まあまあ遅いけど、元気でやってるよー 7月か8月に実家に一度帰りたいなと思ってます。
aya - 04/05/11 21:42:49
コメント:
今週はなぜか月曜から週末並みの疲労度。。。あきな福岡行っちゃった(>_<) だんだん寂しくなっちゃうね。みんなと遊びたい!!とりあえず、けい&たかこのお家行かなくちゃ☆☆
管理人 - 04/05/10 22:34:26
コメント:
。。。テスト。。。
yoshie - 04/04/24 09:55:18
コメント:
moemi、初カキコ☆ 東京もこの間、28度とかだった~暑くなったよ。 yoko、1週間おつかれ~。 新人はまだまだヒヨコだからね~何かと覚えることとか、人付き合いとか大変だよね。
今日もちょっとHPいじろうかと思います。
yoko - 04/04/22 11:54:54
コメント:
今日は休みじゃ~!!一週間働いただけでしんどい。この先、心配だわ...。早くたかちゃんけいちゃん家に遊びに行きたいな♪
moemi - 04/04/20 14:55:12
コメント:
たかちゃん、けいちゃん引越しおつかれ!松戸に行ったときには遊びにいかせてね☆こっち(宮崎)はもう暖かくて、夏のようだよ・・。松戸はどんなんかなぁ?やっと部屋の片付けが終ってひと段落です。社会人のみんなは大変そうだね。未だ無職の私が言うのもなんだけど、頑張れぇぇぇ!南の方から応援しちょるよ。
yoshie - 04/04/17 13:09:37
コメント:
遊び行きたーい
土曜なんでぼんやりしてた、土日は基本的に暇吉。
aya - 04/04/14 22:00:48
コメント:
たかこんち(keiちゃんち??)行く!!社会人始まったけど、毎日勉強ばっかで全然実感わかないよ。。 でも、やっぱだるいね~。できることなら、働かずに生きていきたいもんだよ(>_<) みんな、遊んで~!!
たかこ - 04/04/13 18:06:04
電子メールアドレス:h-takao@ssea.plala.or.jp
コメント:
みんな社会人がんばってるみたいだね!雨研のことは校内でもかなり話題になってるみたい・・。ところで引っ越し18日になったよ。ぜひ遊びにきて!
yoshie - 04/04/07 21:22:45
コメント:
おお、コメント増えてて感激!私は4年生のときより、少々時間に余裕ができました。これから、時間をみつけて、HPの更新がんばります!
akinaは同期の人とまだまだ打ち解けていないのか・・・そうそう、これから!これから!私も同期の中では勉強が遅れているので、頑張らなきゃって思っているよ。
kaya~!千葉いるの今月末までなんだよね?一回松戸で飲みか食事会しようよ!
皆さん、4月はお酒の量と、ペースに気をつけましょうね!
あ!!雨研がなくなったの!!ショックです。
あきな - 04/04/05 23:53:32
コメント:
卒業旅行の写真みたよー。中華街とか行ったんだ?!楽しそう~。是非鍋会同窓会旅行には行きまする。
1日から仕事始まったね。未だ研修ばっかで退屈。早く実務に行きたいなぁ。
同期ともまだ打ち解けられず、ギクシャクしているがこれからこれから、と自分に言い聞かせて頑張るぞ!
kayakaya - 04/04/05 22:28:47
コメント:
はろう。みんな元気にしてますか? 4月になっちまったわね。ららー。不安と期待と。
yoshie - 04/03/28 02:16:42
コメント:
卒業式・卒業旅行、と、いい思い出ができました。みんな、今までありがとう。
鍋会forever!!
yoshie - 04/03/17 00:49:54
コメント:
ただいま!メキシコから昨日帰って来ました!
ayaのコメントの通り、とても楽しかったです。お土産は鍋会卒業旅行にて・・・。(幹事・yoko)
卒業式まであと少しですね。。。日々切なくなっております。
aya - 04/03/16 10:23:26
コメント:
メキシコ楽しかったよ~!!
管理人 - 04/02/26 11:40:04
コメント:
卒業旅行決定!
3/25~26の1泊です。詳細未定。予定だけ空けといてね!
aya - 04/02/24 20:46:05
コメント:
お疲れ様でした!!ホント、無事に終わってよかったよ。。あとは卒業式を待つのみv デザインの人はまだなんかあるのかな?? 学校行かなくなって、ちょっと寂しくなってきたよ。
yoshie - 04/02/23 03:26:07
コメント:
卒論、お疲れ様でした!
管理人 - 04/02/13 13:51:42
コメント:
最近、忙しすぎて放置してた!
あと、ひといきだね!!がんばろう!
aya - 04/02/01 13:17:34
コメント:
卒論まじしんどい。。。予定勘違いしてて明日からスノボ行くことにしちゃってた(><)がんばんなきゃ!! 卒業旅行メキシコ行きたい!!昨日ちょっと見たけどかなりキレイだったよ。
yoshie - 04/01/29 01:06:12
コメント:
ふう~~
卒論がマジ大変↓(T_T) ついに装置改良が終わり、実験に入りました。
実験自体は簡単(?)なので、後はせっせと書くのみ・・・☆
yoshie - 04/01/22 01:33:39
コメント:
おお!初書き込みの人が増えてて感激!
鍋会旅行、、、デザインの提出が変な時期だから、それ終わってからのほうがいいかな。
海外は行きたいっ、っていうか私は行きます。
akinaの言っていた新年会、、、やりたいね。忙しいけど何とかやりましょう!
akina - 04/01/21 22:30:05
コメント:
写真upされてるの見ました。思い出がよみがえる。
私も日程的に海外は難しいが温泉は行きたい!!
あと新年会もしたい!!
aya - 04/01/21 02:23:57
コメント:
間違えたよ(>_<) 温泉楽しみ♪海外旅行も参加したいゎ。メキシコ??とにかくみんなで旅行行くのが楽しみ☆☆
明日とりあえずゼミ発表↓
気合!!
aya - 04/01/21 02:19:52
コメント:
chiaki - 04/01/20 11:39:36
電子メールアドレス:chiakix320@hotmail.com
コメント:
初カキコだ!
温泉いいなあ。温泉、おんせん、オンセン♪
みんなでちょッ旅に行きたいっす。
なつつばき - 04/01/19 22:22:06
コメント:
こんにちわーーー。
仮提出がもうすぐですが、デザインは適当です。
これからちょこちょこチェックさせていただきます。 (なんせお気に入りにいれちゃったもん)
けい - 04/01/18 22:11:02
コメント:
はろりん。
卒業旅行良いね!でもちょっと3月の海外は 無理っぽい。ごめんよー。
そのぶん温泉がたのしみ じゃー。
って、温泉よね??私は温泉がいいわー!!
yoshie - 04/01/18 05:02:14
コメント:
test2
yoshie - 04/01/18 04:49:18
コメント:
テスト
yoshie - 04/01/18 04:11:22
コメント:
HPちょこっと更新リニューアルしました。
卒業旅行の件、意見おねがいしま~す。
っていうか、新年会はやろうやろう。
yoshie - 04/01/01 20:25:33
コメント:
あけまして、おめでとう!
yoshie - 03/12/28 21:46:12
コメント:
X'mas Party無事終わったね~~
楽しかったです!そして、Rpmの金さんに感謝!!
今回参加できなかった人もぜひ、新年会には参加してね。
by.管理人
akina - 03/12/24 22:41:32
コメント:
昨日はみんなありがとー!!
楽しかったよー。カラオケ最後までいられなくて残念だったけど...
22歳、いい年にしてみせます。頑張るぞー
そして残念なことにクリスマス会にいけなくなった。楽しみにしてたのに。
みんな存分に飲んで踊ってきてくださいな!
yoshie - 03/12/24 00:37:05
コメント:
Yoko Happy Birthday!!
フランス式庭園最後ちょっと寒かったけど、気持ちよかったね!Yokoが喜んでくれてよかった~。
Akina Happy Birthday!!
鍋会メンバーでは初(?)のカラオケ。楽しかった~。Akinaも喜んでくれてましたv
年末にでも写真upの予定。。。X'mas PARTYは楽しみね!!結局人数は20人強ぐらいかな。
akina - 03/12/21 22:05:45
コメント:
今日はヨウコのhappy birthday!! 久々にケーキなんて食べた。おいしかった。 25のクリスマスパーテーも楽しみにしてます。
nami - 03/12/14 21:17:46
コメント:
23日オッケイだよ☆
楽しみにしてるね!!
yoshie - 03/12/10 00:53:31
コメント:
22日は結構研究室の忘年会が入っているみたい。。。
23日に誕生会兼忘年会!?をやりますか?
意見おねがいしま~す。 by.管理人
ようこ - 03/12/09 23:25:23
コメント:
ホームページ見たよ!!すごいなぁ
クリスマスパーティ楽しみだべさ☆
takako - 03/12/09 08:36:21
電子メールアドレス:h-takako@sea.plala.or.jp
コメント:
おひさです。忘年会22日か23日希望!!
yoshie - 03/12/08 08:30:24
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/5282/birthday.html
電子メールアドレス:yobochi@yahoo.co.jp
コメント:
My homepage(YOBPAGE)に誕生日の時の写真載せました。よかったら見てね。
載りたくない写真とかあったら遠慮なく言ってちょ。
携帯写真で居酒屋撮ったから画質がイマイチ。
yoshie - 03/12/06 11:49:28
コメント:
GOOD NEWS
クリスマスパーティーの場所候補の松戸のクラブ(?)・バー(?)RpmからOKの返事もらいました。 日付・予算・人数などはこれから相談!
Kei - 03/12/02 23:24:29
コメント:
すぬーぴーかわいいー!!
yoshie - 03/11/30 17:18:16
コメント:
aya
おつかれさん!
aya - 03/11/30 03:34:03
コメント:
卒論全然進んどらん。やばい。。
最近就職のために、パソコンの勉強していて、結構まめにホームページチェックしてるよ。
明日は、バレーの試合です。なかなか寝付けず書き込みしてみました。最後の試合になるかもしれんので、結構気合入ってます。
yoshie - 03/11/29 13:43:30
コメント:
最近、卒論忙しくなってきました。
みんなもがんばろうね。
akinan - 03/11/23 10:29:33
電子メールアドレス:akinahanaha@hotmail.com
コメント:
初めてHPみました。充実っぷりにびっくり!!
クリスマス会、(というか忘年会になるのかな?)したい!!
この前これなかった人はぜひ。
takako - 03/11/22 15:00:27
電子メールアドレス:h-takako@sea.plala.or.jp
コメント:
いらっしゃいませこんばんはー。
ここクリスマスめいてますねー。はー今日もバイトか・・・みんな飲みに来てねー
aya - 03/11/21 22:05:17
コメント:
この前見たときよりも、発達しててすごいビックリした◎◎ かなり尊敬です!もうすぐ卒業だけど、仲良ししようね☆☆
namity - 03/11/21 17:45:33
コメント:
てか私はとりあえずyahooのメアド知ってるよね?メッセンジャーのでmsnもありです☆
yoshie - 03/11/21 16:45:11
電子メールアドレス:yobochi@yahoo.co.jp
コメント:
メンバー紹介のページをupしました。
一応公開して差し支えのない程度に気をつけています。もし、載せたくない項目等あったら、何なりとメールでお知らせくださいね。
また、みんなのパソコンe-mailって意外と知らないので、管理人まで一度連絡ください。ホームページ公開もリンクはります!
namity - 03/11/13 02:11:18
コメント:
なかなか見れなくてごめんちょ。。 しかも今管理人のお家で初ホームページ見学でした。また発展していくの楽しみにしてるよ☆☆☆
yoshie - 03/11/12 02:48:11
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/5282/index.html
コメント:
管理人してます。HP見た方、BBSにどしどしコメントかいてねー。
Kei - 03/11/08 23:50:59
ホームページアドレス:http://www10.ocn.ne.jp/~poche
電子メールアドレス:moamoa_ko@yahoo.co.jp
コメント:
はろりん。もう書き込めるのかしら??足跡を残しに 来ました。ひそかに創りだす会のHPもあるので暇が あったらどうぞ。
市橋君の著書のAmzonでの評価(カスタマーレビュー引用)
貴重な資料 2000年代の地方国立大の普通の学生と社会が分かる, 2012/1/12
By いいい
彼の謝罪や懺悔を聞きたい人、何を考えていたか、事件の心の部分などを求めている人にはには全く無用の本だが、虐待にあって家を出なければいけない状況にある未成年、暴力団や理不尽な犯罪に巻き込まれて逃げなければいけない場合のマニュアルとしては一級の資料価値があると思います。
彼の犯罪についてはここでは触れずに内容について考えてみると、野宿、徒歩旅行、貧乏旅行をしたことがある人には市橋の書いていることが非常に切実に共感きるし、彼の行動力と強さ、学習能力を実感できると思います。特にこの2007年前後に地方国立にいたような学生だとさらに共感できるかもしれない。
市橋は魚類や動物の同定が出来ていないが、やたらに植物の種名が細かく記載されている。造園学を学び一般知識も中の上クラスということが文章からも推測できる。
事件を起こさなければその狡猾さと継続力から地方公務員上級の造園等の職の公務員になって60%の力で生きていくようなタイプになっていたと考えられる。
彼は非常に客観的的で、学習能力が高く、体力と繊細さと大胆さを兼ね備えている。
うつうつひでお日記も合わせて読むと今の社会とホームレス的なサバイバル方法が非常によく分かると思います。
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市橋達也被告の感情や思考が見れる, 2011/3/18
By ZZ
私は沖縄県南部に在住しているが、沖縄にこれほど長い期間滞在していたことに驚かされた。
地元の人間や、沖縄県民なら分かる場所や背景に、市橋氏が本当に滞在していたことが垣間見え、何度か驚かされている。
また、行った場所や通った場所を克明に覚えていて、絵の細かさに三度驚かされる。
犯罪を犯さずに、この力をもっと別のことに注いでいればと感慨深くなりました。
市橋氏も、有名な逃亡犯とリンクする場面もあるが、似て非なる人物であると思う。
殺人・逃亡・整形という観点からみれば、同じであるが、市橋氏とは程遠い。
もしかしたら、それを知れただけでも、本書を購入した意義はあったかもしれない。
それは、市橋氏は隠れるため身をひそめるための手段として、様々な事を行っている。
また、逃亡をしているさなかの思考や考え方。
これには同情の余地はないが、市橋氏が殺人を犯し、逃亡している時の感情などは、知ることで個人的に考えさせられる事はあった。
芸能人が罪を犯し、反省の意味を込めた著書販売よりかははるかに読みごたえはあると感じる。
市橋氏がどのように更生し、被害者のご家族にどのようにアクションをするかを見守りたいしだいである。
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TV番組の報道と真実の違いが解る1冊, 2011/2/6
By kk
長い逃亡期間にどう過ごしていたか大変興味があって読みました。
逃亡をしなければいわゆる「殺人遺棄」という特異な犯罪では無かったと思うが逃げ続けられた事が特異事件となったと思う。
この狭い日本で3年近くも指名手配犯で逃げる事が出来た事が不思議に感じる。
逃亡の際持って行った1冊「ライ麦畑でつかまえて」をバイブルにしている事も鳥肌がたった。
何故ならジョンレノン殺害犯他、ストカー殺人犯たちが犯行前に読んでいたというこの本を市橋も好んでいたという点。
皮肉にも犯罪を犯した事で、裕福な生活から底辺の生活を経験し成長していく様子が伺える。まるで本人が「ライ麦畑~」の主人公になったような・・・。
リンゼイさんのご冥福を祈ります。
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緊迫感がリアルすぎる......, 2011/2/4
By 舞踏刑事 "tamtam" (千葉県)
逃亡中の沖縄で図書館に立ち寄った被告は、ある本の中で『ゴンドラの唄』を見つける。そして、リンゼイさんのことを思いながら、メモ帳にその全文を書き写す。
「いのち短し恋せよ乙女......」
この行動だけでも突っ込みどころが満載だが、逆に、このような精神性を持った市橋被告だからこそ可能になった著書だろう。
この時期に、こうした本を出すことについての賛否両論があるのはもちろんだが、それはまた、別次元の問題だ。
考えてみれば、この事件は世間的な耳目をひくディテールが多い。
被害者は若くて美人のイギリス人女性。
現場に踏み込んだ警察を振り払い、容疑者(当時)逃亡。
その後、2年7ヶ月にわたりほぼ完全に姿をくらまし、「新宿2丁目で見かけた」「そのスジの人に殺されている」などなど散発的にメディアに取り上げられ、最後は沖縄行きのフェリーの待合所であっけなく逮捕。
で、捕まってみたら、元の面影はあるものの、なぜか結構なイケメンになっている。なんでも逃亡途中に肉体労働で稼ぎ、整形して顔に手を入れたりしたとか。なんだそりゃ。
こうなれば、(世間的には)空白だったこの2年7ヶ月、いったいコイツはどこで何をしていたんだと知りたくなるのは人情というもの。
ということで、いってみれば、本書は手品師の種明かし。
ただ「○○事件の真相」的なドロドロしたものはなく、逃亡を続ける被告の行動・心情が、散文のように淡々と描かれている。そして、その心情を支配しているのは「恐怖」だ。いつ警察に見つかるかわからないという恐怖心だ。
文章に余分な装飾がない分、読んでいるこちら側にも切迫感がストレートに伝わってくる。
特に逮捕されるまでの数日間、カウントダウンが始まってからの場面では、思わず心拍数があがってくる。
ここに書かれていることすべてが事実なのかは、わからない。おそらく被告本人も「すべてが事実だ」とは言い切れないのではないだろうか。(もっとも、某ニュース番組で「南の島の隠れ家」をさらしていたので、基本的には事実が書かれているのだろう)。
被告は、逃亡を初めて数日後に、北関東のある町で単四の電池を買い求める。それは何のためかというと、USBメモリの単語帳を聞くためなのだ。警察に踏み込まれて、まだ数日。周囲の目も木になり、いつ捕まるかわからない極度の緊張感の中、英単語を聞くための乾電池を買う。その後も、ことあるごとに洋書を買い求め、それを読む。これは、英語を教えてくれていた被害者への懺悔なのか執着なのかはわからないが、逃亡者の有り様として、すさまじいリアリティを感じないだろうか。
終始短いセンテンスでつづられているのは、事実と、ストレートな感情のみ。ただそれは、市橋被告の世界観を雄弁に語っている。ヘタな文学賞作品よりも、はるかに文学であると思う。
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素人文体だが感動した, 2012/5/2
By gaga
とあることから昔元受刑者の方と会ったことがあるのたが、その方とは違い市橋は普通の人間だと感じた。正直文体は地方の大学を出た程度のまあまあ頭がいい程度の文章で淡々と進んで行きますが、罪を起こしたことに罪悪感を感じながらも捕まるのが怖く逃亡したことに本人も認め非常に人間臭さが伺える。またドン底まで追い込まれても生きることに執着できる彼の精神は今の自分達にはないなって感じ。追い込まれるとどんな仕事でも出来るものなのかと考えさせられてしまう。特筆すべき点は市橋の感受性の高さだろう。自然や景色に感動したりするシーンが多く、彼はほんとうに純粋過ぎたのかもしれない。批判している人も多いが個人的には殺人犯の本を読む機会なんてあまりなく、非常に興味深い本であった
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読みたい人が読めばいい, 2011/1/29
By HANDMADE
人を殺して逃げた最低の犯罪者。
被害者の気持ちを考えると・・
それは分かる。
私の人生には縁の遠い話。
せいぜいスピード違反か駐車違反くらいしか警察に世話になることはない。
「裸足で逃げて一体どうやって3年近く逃げることが出来たのか・・・」
一気に読み干しました。
私は知りたかった。
知りたい人は読めばいい。
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あっさりしているがじわじわと怖い..., 2011/3/9
By アマゾン太郎
怖いもの見たさで買っていく人が多いと思いますが、逃亡生活の手記の内容はつっこんだものでなく、あっさりしています。少しでも不安な一日を過ごした人ならわかると思いますが、行くところもない一日というのはとてもとても長いはずです。心臓の鼓動も止まらないでしょう、でもそういう部分はやはり2年7ヶ月分収録するわけにはいかないのであっさり一行で終わったりしています。普通の短編ならそれだけで話が終わってしまうようなものですから。
しかし、―事件そのものにあまり触れてないのはともかく―逃亡記としては過不足なく載っていると思います。自分がこの本を買ったのはどうしても時間を潰さないといけない時にたまたまコンビニで立ち読みした日頃絶対読まないような雑誌に南の島や猫の話が載っていて、殺人逃亡犯と言えば凶暴なイメージしかなかっものが自分となにも変わらないという事実に今さらながらに気づいたからです。慌てて本屋に行って買いました。ここでレビューを書いている方は裁判員にでも選ばれたのかな、という人が多いですね、ちょっと気がしれません。
内要はとてもおもしろく、身にしみて、ゴッドフリート・ケラーの成長物語が多く収められた短編集「ゼルトヴィーラの人々」のリアル版と言った感じです。工事現場で働いてどんどんたくましくなっていく青年ですけど、小説と違いたくましくなっても日の光は彼を地獄にしか連れ行かない。日の光の下に出るまでの成長物語がこんなに悲しいなんて、ノンフィクションだけがなせる技だと思います。劇中(あくまで本ですから)にもどん底にだけ希望があると言ったフレーズがありました。どん底ほど人が学べ、高いところはないと思います。そういう意味で落ちるのが遅すぎる不幸な人生があるということも考えさせられる本でした。最後に14日間なにも食べなくても死ねないという神の仕打ちはとても残酷なものです。
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行間に滲み出る思いを汲み取れるかどうか, 2011/2/6
By みんてぃあ
文章は稚拙だが、わざとそうしている印象がある。
「○○を食べた。口の中が痛くなり毒だと思った。何度も海水で口を濯いだ」
淡々と↑のような文章が続く。この経験だけでも離島で誰一人頼る人も居ず、
薬も無い極限状態でやってた市橋の気持ちを考えると、犯罪者ながら同情してしまう。
彼の人生は何だったのか。人並み以上の家庭に生まれ、人並み以上の容姿、頭脳を持ち、犯罪さえ起こさなければ、間違い無く勝ち組の部類だったろう。
生きる意味を考えされられてしまう。
それでも生へ執念、行動力は関心されられた。
自殺者が多い現代、この本で救われる人間も多いと思う。
市橋達也君の適正な裁判を支援する会の趣旨
支援する会の趣旨
市橋達也君に適正な裁判を-緊急支援要請
2010年2月20日
市橋君が身柄を確保されたのは昨年の11月10日だから、すでに3ケ月以上が経過したことになる。人気横綱の引退や有力政治家の不起訴決定や冬季オリンピック開催など、注目を集める新しいニュースが毎日どんどん出てくるので、市橋君に対する社会の関心は薄れつつあるようにも見える。メディアからの取材申し込みも、潮が引くように来なくなった。私にとっては、元学生はどんなに時間が経過しても元学生なので、重大犯罪の被疑者・被告人になっているとはいえ、彼が現在どういう身体的、精神的状態にあるのか、常に気がかりである。できれば一日も早く面会(接見)したいと思って、友人の弁護士を通して紹介してもらった市橋君の弁護を担当している菅野 泰(スゲノ ヤスシ)弁護士と電話で会話をしたが、まだ当分は裁判所のルールで弁護士以外は接見禁止のようだ。菅野弁護士も私が本サイトに書いた記事(#9と#10)については御承知で、最近私に会いたいとの申し出をいただいたので、1月28日に法律事務所にお訪ねし、一緒に弁護を担当している山本宏行弁護士も同席した中で市橋君の置かれている最近の状況を伺ってきた。
秋葉原の無差別殺人犯の弁護士に対して、ネット上に何故あんな凶悪犯を弁護するのだといった非難の書き込みがあるそうだが、市橋君の弁護を引き受けるにはそれなりの覚悟が必要なのだろう。千葉県弁護士会の中に、弁護人のいない被疑者にも弁護士を派遣する制度を立ち上げた菅野弁護士の呼びかけで、6人の弁護士が手を挙げて市橋君の弁護を引き受け、二人一組のチームを作ってこれまで毎日交代で接見してきたとのこと。
昨年11月、警察に追い詰められて逃げ場を失った市橋君は、沖縄行の船に乗り損ねた時は、もうどこかで野垂れ死にするしかないと覚悟していたそうだが、身柄を拘束された後は拘置所の中で絶食死しようと考えていたらしい。それが、弁護士の説得で食事も摂るようになり、弁護士との信頼関係も徐々に培われ、ついに3年前の事件の全容も話したようだ。独房の中の市橋君は、裁判で刑が確定するまでは推定無罪の原則で、ラジオを聴くことも新聞を読むこともできる状況とのこと。日英語併記の聖書と英語の辞書を差し入れてもらったそうなので、英語の勉強を続けながら聖書を読んで自分の犯した罪と毎日向き合っているのかもしれない。
こういう様子をご両親にお伝えしたいと思って、先月末に所用で名古屋に行ったついでに足を伸ばして岐阜県の実家を予告なしで訪問してみたが、残念ながらお会いできなかった。しかし、郵便受けに残してきた私のメモに対して、お父様・お母様から丁重なお手紙をいただいた。私と会えなかった非礼のお詫びに続いて、学生時代から私に空手の指導を受けていたことを息子から聞いていたこと、事件直後から私が市橋君に自首を呼びかけてくれた(テレビに出演して)ことへのお礼、息子のしたこととその結果として息子が置かれている現在の状態に直面して、身を切られるような思いと苦しい胸中が切々と記してあった。こういう状態にある息子を親として抱きしめてやりたいと思う半面、リンゼイさんの失われた命とそのご家族の悔しさ、悲しみ、事件が社会に与えた影響を考えると、息子をかばう行為は許されないので、これからも息子にも弁護士にも会わず、ただ遠くで裁判の行方を見守るしかないとの決意(それが親としての責任の果たし方とのお考えで)を固めておられると見受けられた。
私には詳細はわからないが、ご両親とも医師としての職業もお辞めになったと聞いた。事件発生以来3年以上も連絡を絶ったままの息子の窮状を思えば、どんなにか会って声をかけたいだろうに、自らを厳しく律しておられる様子。リンゼイさんのご冥福と、息子の身体、精神的安楽へと導かれることを願い祈っているとの言葉に、どうすることもできないつらい親の心を感じた。また、会えなくても息子には自分たちの気持は通じると信じているとの言葉に、このご家族には、私たちの想像を超えたお互いへの深い思いやりと信頼関係があるのかもしれないと感じた。
菅野弁護士によると、現在は公判を始める前の段階で、4月頃から裁判員裁判のための公判前整理手続が始まる予定。そこで、秋以降に予想される裁判の開始に向けて、裁判官の前で検察官と弁護人がお互いの主張(言い分)やその根拠となる証拠の提出を行い、双方が提出された主張や証拠に対し、手続の中で反論・検討することとなる。検察側は、死体遺棄、強姦致死、殺人という3重の罪状で死刑の求刑も予想されるとのこと。一方、市橋君が弁護士に話した当時の状況では傷害致死罪が相当で、検察側の主張とは異なるようだが、実際に何が起こったかはいずれ裁判で明らかになるのだろう。
今回のような重大事件で被疑者・被告人に経済的能力がない場合は、国が弁護費用(最大3人分まで)を払う国選弁護の対象になる筈だ。しかし、菅野弁護士を代表とする現在の弁護団との間に培われてきた信頼関係に今後を委ねたいという市橋君の強い要望で、私選弁護を続けることになったとのこと。そうなると、元々市橋君の弁護活動はボランティアで始めたので弁護費用が皆無なのは覚悟の上でも、裁判費用(例えば、検察側の持っている膨大な証拠資料の複写費や、市橋君の郷里の岐阜県に行って彼の人間性に関する証言や資料を集めて来る旅費など)が全くないというのは、弁護団が活動をする上で大変苦しい状況のようだ。このままでは、適正な裁判を期待できないということになりかねない。
いろいろな要素が重なって、メディアの異常な注目を集めた事件だけに、市橋君にとっては厳しい裁判が予想される。犯した罪に相当する償いをしなければならないのは当然だが、元教師としては、元学生の市橋君に適正な裁判を受けさせたい。そのために、弁護団が十分な裁判活動ができるように、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」(規約)を立ち上げ、最低100万円くらいの目標で募金活動をして、裁判費用の支援をすることにした。趣旨にご賛同の方は、いくらでも可能な額で結構なので、以下の口座に支援金を送金していただければありがたい。
郵便振替口座名:市橋達也君の適正な裁判を支援する会
口座番号:00140-9-773866
代表:本山直樹
(東京農業大学客員教授/千葉大学大学院名誉教授)
なお、支援金を送金してくださった方々には、私から個々にお礼と支援金受取りの報告をさせていただくので、それによって間違いがないことを確認していただきたい。また、支援金は私の責任において全額を菅野弁護士にお渡しし、収支決算や使途などは、厳密に会計監査を行った上で公表するのはもちろんである。
人は誰でも、生きている間に大なり小なりの間違いや失敗を経験する。そういう間違いや失敗を教訓として、成長していくのだろう。市橋達也という青年は千葉大学を卒業し、これまで育ててくれた両親の大きな期待を背に、本来は将来に向かって大きな夢を抱いた前途洋々の青年だった筈だ。それが、当時どういう心理状態だったのかは不明だが、一時的に心神喪失としか言いようのない状態に陥って道を踏み外し、取り返しのつかない大きな間違いを犯した。その結果、やはり将来に大きな夢を抱いていた筈の一人の若い女性の命が無残にも亡くなったのだから、市橋君はこれから一生をかけてその償いをしなければならない。それでも元教師としては、道を踏み外した元学生に救いの手を差し伸べてやりたい。この青年が、自分の犯した間違いを反省し、亡くなったリンゼイさんとそのご家族に心から謝罪し、何年かかるかはわからないが、罪を償った上で残りの人生をやり直す機会を与えてやりたい。私の知っている市橋君は、それにしっかり応えてくれる筈である。
(この文章は、本山直樹 Websiteに2010年2月20に載せた記事を再掲したものです)
市橋達也君に告ぐ (2009年11月8日)本山直樹
君が整形手術の予約をインターネットでしたと新聞に載っていたので、もしかしたら本サイトを見てくれる機会があるかもしれないと思って、これを書くことにしました。数えてみれば、事件が起こってから3年近く、君が大学を卒業してからもう5年近くが経っていることに、時の流れの速さを感じます。私は昨年3月に千葉大学を定年退職し、今は東京農業大学の客員教授になってまだ農薬の研究を続けています。
市橋君、君はいったいどうしてしまったのだ。君と私の接点は、私の研究室で卒業論文の研究をしたのでもなく、私の授業を受けたのでもなく、ただ園芸学部の道場で一緒に空手の稽古に汗を流しただけだったけど、そのことを私は今でも大変なつかしく思っています。同好会のような小さなクラブ(確か君がいた時代の部員数は5~10名程度だった筈)で、週2回、昼休みだけの稽古だったけど、皆で稽古の前には必ず道場の床の雑巾がけをし、稽古の後はシャワー室でシャワーを浴びて、研究室や教室に戻る前に更衣室で着替えながら雑談をするという何気ない活動が1年ちょっとくらい続いただろうか。卒業の少し前に、卒業後はどうする予定なのかと君に訊いたら、緑地環境学科で庭園デザイン学を勉強した君は、市川か浦安の辺りに住んで設計事務所でアルバイトをしながらさらにデザインの実務経験を身につけると言ったのを覚えています。英語を習っていたのは、将来海外に留学することも君の計画にはあったのだろうか。
それ以来君とは一度も会っていないので、卒業後何があったのか全くわからないが、報道されているような事件を犯したのだとしたら、彼女との間によっぽど君の尊厳が傷つけられるような何かがあったのだろう。この頃、毎日のように新聞やテレビに出る君の昔の顔と今の顔を見ると、本当に君はいったいどうしてしまったのだろうと思ってしまいます。逃げ切れるものではないし、例え逃げ切れたとしてもそんな逃亡生活の惨めさはすでに君自身が十分経験している筈です。彼女との間にどんな問題があったにせよ、君が今やるべきことは自ら出頭することです。そして、彼女のご家族に心から謝罪して、犯した罪の償いをきちんとして、その上で君はまだ若いのだから残りの人生をしっかりやり直すことです。そうすることが、君を育ててくれたご家族の名誉を回復し、君の友人たちの名誉を回復し、何よりも君自身の名誉を回復することになります。責任を回避して逃げ回ることは、君らしくない、人間として恥ずかしいことです。今の君が何に影響されているのかわからないけれど、自分自身の心をとりもどして下さい。
つい先日、園芸学部は創立100周年記念事業をやりました。その少し前には、天皇・皇后両陛下が戸定歴史館と園芸学部を訪問されました。そのためにキャンパス内や周辺環境の整備がすすんで、以前とは見違えるほどきれいになりました。最近のキャンパスの写真を何枚か貼付します。ちょうどA棟前のサンクガーデンや生協前広場のサルビアの鮮やかな赤い花が最盛期です。正門の上の猫は野良猫で、近所に餌をやる人がいるものだから、何匹も住みついて困っています。道場では今でも時々汗を流しています。このサイトには私への連絡方法(メールアドレス)も書いてあるので、もし君がこれを見る機会があったら、連絡して下さい。君と是非話をしたいと思っています。
市橋達也君の件で (2009年12月8日)本山直樹
もう自殺して生きてはいないだろうと思っていた市橋君が生きていることがわかったので、元教師としては、元学生を逃げ回る悲惨な状況から何とか救いだしたいという思いから、彼の目に留まる可能性は例え1億分の1以下しかないにしても、自主的に出頭するように呼びかける記事(#9)を本サイトに書いた(11月8日)。
NHKテレビが11月9日に研究室に取材に来て、夕方6時10分からの首都圏ネットというニュース番組で私の書いた記事を紹介してくれた影響で、その後私のところには連日テレビ各社や新聞各社の取材が殺到することになった。また、翌11月10日には本サイトに2万件を超えるアクセスがあったらしく、一時的にサーバーダウン状態になった。
私のメッセージが届く前に市橋君は身柄を拘束され、残念ながら自主的に出頭する機会は失われてしまった。しかし、これでもう元学生が逃げ場を失って自殺に追い込まれる心配はないという意味では、逆に安堵感を覚えた。恐らく彼のご家族も同じ思いだったのではないだろうか。
私の記事を読まれた多くの方々からメールをいただいたので、現在の所感を書いておきたい。メールの大半は子供を持つ母親からであった。恐らく、自分の子供が市橋君の立場だったらと仮想して、その苦しさを追体験され、いたたまれなくなったうえでのことだったのかもしれない。身柄を拘束された時に、頭から上着を被せられ、取材陣に取り囲まれてもみくちゃにされて連行される映像がテレビで放送されたことは、多くの視聴者に彼に対する同情心を芽生えさせたようだ。また、苦しい逃亡生活中も悪の世界に入らずに建設現場でしっかり働いていたという事実が明らかにされたことによって、彼はメディアが作りつつあった異常性格者・社会的な不適応者というイメージとは違って、本当は芯の強い真面目な性格の人間だったのかもしれない、という印象を与えた。私も内心ホッとして、市橋君よくこれまでがんばって生きてきたなという気持になったし、お母さんが「これが私達の知っている達也です」と述べていた心境も理解できた。
12月2日に死体遺棄容疑の勾留期限切れを迎えて、今度は強姦致死・殺人容疑に切り替えられ、さらに20日間の勾留が認められ取り調べが行われている。彼女の遺体から採取された体液のDNAが市橋君のものと一致したとの報道があったが、私にはそれだけでいきなり強姦致死となるのだろうか、という疑問が湧いた。当時22歳だった彼女と27歳だった彼との間にお互いへの好意が芽生えたとしても不思議はないし、彼女が自らの意思で彼のマンションの個室に入ったということは、合意の上での男女の行為が行われたとしても不思議はない。遺体の解剖所見では死因は首を絞められたことによる窒息死とのことなので、彼がその実行犯とみなされるのは自然である。その点は、最近話題になっている男性俳優のO氏(編集部注:押尾学氏の事と思われる)と合成麻薬MDMAを一緒に使っていて過敏反応で突然死した女性の場合とは異なる。問題は、何が普段は冷静な市橋君をそういう行動に駆り立てたのかということだろう。
彼女はすでに亡くなっているので、真相を知るのは市橋君だけである。彼に非があるのだとしたら、元学生だったからといって私は彼をかばおうとは思っていないし、彼への罰を軽くするために奔走しようとも思っていない。亡くなった方の悔しさ、そのご家族の無念さを思えば、犯した罪に相当の償いをするべきである。もし彼女にも非があったのだとしたら、市橋君は真相をちゃんと語るべきである。それでも、彼女が亡くなったという事実は消せないし、その責任は負わなければならないが・・・。
元教師として元学生に望むことは、黙秘を続けることではなく、事実を明らかにして罪をきちんと償うこと。その上で、残された人生をしっかりやり直してほしいということ。市橋君にとっては、これから長い年月をかけて贖罪する日々が続くのだろう。千葉大学を定年退職して年齢的にすでに高齢期の私にどこまで見届けられるかはわからないが、生きている限りは元学生の更生を見守り、精神的な支援をしていきたいと思っている。
支援する会ブログ 012年12月25日-2012年06月01日
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2012年12月25日火曜日
今日は私が注目したニュースが2件ありました。1つは、法務省の調査では服役中に性犯罪者向けの抑止講座を受けた性犯罪者が出所後に再び性犯罪を犯す割合が2割低下したというニュースです。新聞報道(朝日新聞12月25日夕刊)によると、「プログラムは2004年に起きた奈良女児殺害事件をきっかけに、欧米の実践例を参考にして06年から導入。刑務所では3~8ケ月聞かせて、性犯罪者同士の話し合いを通じて感情をコントロールする方法などを身につけさせる内容だ。」 リンゼイさんの事件が起こったのと同じ頃、千葉大学園芸学部の女子学生が殺害されるというもう一つの事件がありましたが、この犯人も性犯罪を繰り返して仮出所したばかりの男性でした。「文藝春秋」の記事がきっかけで、服役している北海道の刑務所から私に手紙をくれた男性もインターネットで調べてみたら性犯罪を繰り返している人で、結局自分は一種の病気だということに気がついて、精神的な治療の必要性を訴えていました。
被害者の感情を考えると難しい面もあるでしょうが、アメリカでも日本でも犯罪者の再犯率が高いということは、服役させることで自由を奪って苦しみを与えて罪を償わせる以外に、出所後に普通の生活に戻れるようにきちんとした治療や教育を受けさせることの重要性を示しているのではないでしょうか。
もう1つは、広島での被爆体験を元にした漫画「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんが肺がんのために73才で亡くなったというニュースです。この漫画は10ケ国語以上に翻訳され、世界の多くの人々に原子爆弾の悲惨さを伝えました。私のアメリカ人の空手の弟子/友人のMargie さんが来日した時も、英訳された「はだしのゲン」を見たことがきっかけで広島を見たいと言ったので、原爆ドームと平和記念資料館につれて行きました。戦争体験者がだんだん少なくなっていく中で、私たちはいつか来た道に再び戻ることがないように、勇気をもって発言したいものです。
「女性自身」という週刊誌の1月1日号の表紙には、『「発達障害児」急増!の裏には農薬汚染食品が・・・』という見出しが載っていましたので一冊買ってみました。この記事の内容には全く科学的根拠がなく、いくら販売部数を増やすためとはいえ、よくこんな無責任な記事が書けるものだとこの雑誌の良識を疑いました。せっかく買ったのでついでにページをめくってみたら、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(90才)の、今の政治状況は太平洋戦争へと突き進んでいった戦前の日本の政治状況とそっくりで危険を感じるという趣旨の談話が載っていました。そんな大事な発言をしても、政治家の勇ましい発言や俳優やタレントやスポーツ選手のゴシップ記事にばかり気をとられて、ほとんど社会の注目を集めないところが怖い状況だなと感じました。
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2012年12月22日土曜日
今日も支援者の一人から、支援金の残金の処理方法についてお便りが届きましたが、ブログには紹介しないでほしいとのことでしたので紹介はしません。私が12月18日のブログで書いた記事をまだご覧になっていない支援者は、ご覧になってご意見を寄せていただけると助かります。
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2012年12月21日金曜日
支援者から以下のお便りが届きました。ありがとうございました。
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本山先生
すっかりご無沙汰いたしております。お元気でご活躍のご様子、ブログで拝見しております。
寒さが増すにつれ、市橋さんの現状が気になっておりましたが、まったくの「孤独」というわけではなかったことに半ば安心し、また一方では「K子さんとは、いったいどんな方なのだろう?」と、不安も感じております。
身近に相談相手さえいない・考える気力さえ損なわれるような状況にいると、手近で耳障りのよい言葉・目先の優しさにすがりついてしまうのが人間なのかなと思ったりしております。そう思いますと、周囲に誰かがいる(面会に来たり、差し入れしてくれる誰かがいる)ということだけで「孤独ではない」といえるものではないのかも知れません。特定個人以外の人の言葉が耳に入らないことが、本当の「孤独」なのかも知れません。
支援金の件でございますが、本当にありがとうございます。私は、市橋さんのご両親に依頼することが一番よいのではないかと思っております。ただ・・・おそらくお断りされるかもという不安は、かなり強くあります。・・・かといって、ご両親抜きに考えることはできないかと思っております。一度お願いしてみて、断られたら次の対策を考えるというのではいかがでしょうか? 「無駄足覚悟の一寸逃れ」的方法ですが、(出所まで、十分に)時間はありますので、焦る必要はないと思います。
また、私個人の愚痴ですが、私は、一度くらいはご両親が面会に行ってくださるか、裁判で証言してくださるものと信じていました。市橋さんの起こしたことは、最低最悪のことで、世間の人は許さないかも知れません。でも、ご両親にとってはかわいいわが子であり、本当の・いつもの市橋さんの人柄も十分わかっているはずです。世間への遠慮等々おありでしょう。でも、それでもせめてご両親くらいは赦し励まし、ともに生きていってあげていただきたい。支援金のお願いをすることで、ご両親の気持ちが動かされる一助ともなれば(もちろん、それだけでは無理でしょうが、いろいろな要因が積み重なれば、またご両親のお考え・気持ちも変わるかもしれません)、という期待もございます。
本当にいろいろとお手数をおかけいたしますが、ご検討くださいますようお願い申し上げます。間もなく一年が終わります。どうぞよいお年をお迎えくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。
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本山直樹先生
ご無沙汰しております。今年も残すところ10日ほどになりました。月日の流れるのは本当に早く、「光陰、矢のごとし」を実感する日々です。先生のお元気そうなご様子はブログで拝見させていただいています。ただ私の仕事柄、今のシーズンは大変忙しく先生のブログを読みながら寝落ちしてしまい支援金についてのメールも遅くなってしまいました。本当に申し訳ありません。
市橋さんへの支援金についてですが、私たち支援者が市橋さんの事を考え、想い、少しずつ送らせて頂いていた支援金です。何とか市橋さんのお手元に届けたいと先生も色々と悩み試行錯誤して頂きながら動いてくださっていた支援金です。市橋さんに届く事が私の願いです。
市橋さんのご両親様に管理して頂きたい気持ちは有りますが、人の感情は大変難しくご両親様もお困りになるのではないか・・・と思います。
ですから,この際、K子さんについての私の余計な感情は省かせて頂き「市橋さんに届けたい!」という願いだけを優先的に考えて、①の山本弁護士の開設した口座に移してK子さんに管理していただく。という選択を私はしたいと思います。(山本弁護士様が間におられる事が救いです。)
このまま良い案を探すことで保留にしておく事は本山先生に沢山のご負担をおかけしてしまいますし、やはり決断しどきなのかもしれません。私は毎日市橋さんの事を案じておりました。無事に支援金が届くようにとも祈っておりました。一生懸命、服役された後は彼に元気で生き直して欲しいと思います。
本山先生、又また子離れできない母親のようで申し訳ありませんが心配で心配で仕方ありません。ほかの支援者の方々はどのようにお考えなのかは判りませんが皆様、市橋さんに無事に届いて欲しいという願いは同じだと思います。長々と勝手申しまして本当に申し訳ありませんが宜しくお願い致します。
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2012年12月20日木曜日
一昨日私がブログで書いた支援金の残金の処理方法について、今日も支援者の一人からメールが届きました。支援者の方々も以前ほど頻繁にこのブログをチェックしていないと思われますので、まだご覧になっていない方は12月18日の記事をご覧になってご意見をお寄せ下さい。
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2012年12月19日水曜日
早速、支援者の一人から昨日のブログで問いかけたことについてメールが届きました。ありがとうございました。しかし、メールの内容はブログには紹介しないでほしいということでしたので紹介はしません。
千葉大学時代の元同僚教授の息子さんで音楽家(バイオリニスト)になった人のコンサートがあったので、妻と一緒に聴きに行ってきました。上野公園の一角にある旧東京音楽学校奏楽堂と呼ばれる古い由緒ある建物で、ソプラノ歌手3名、サクソフォーン奏者1名と、彼との共演コンサートでした。音楽については全く無知の私でも、それぞれ素晴らしいなあと感じました。それぞれにピアノの伴奏がついていましたが、伴奏のピアノも素晴らしいと感じました。
子供の時からよく知っている息子さんが、音楽の道を選んでよかったと思いました。演奏中は録音も写真撮影も禁止と貼り紙がしてあったので、始まる前に会場のステージの写真だけ1枚撮ってきました。この建物は近日中に取り壊されることが決まっているそうですが、なかなか趣のある建物でした。
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2012年12月18日火曜日
「週刊文春」のI記者が訪ねてこられる前に、菅野弁護士に電話をして、支援金の残金約120万円の処理方法について支援者の希望をお伝えしました。少数の方は私の考えるように(千葉県弁護士会に寄付をして弁護人のいない被疑者や被告人の弁護に使っていただくか、菅野弁護士から打診のあった千葉刑務所の弁護活動妨害行為を告訴する費用に使っていただくか)処理してよいとのご意見でしたが、多数の方は市橋君のために振り込んだお金なのであくまで市橋君のために使ってほしい(約30年後に仮出所する機会が与えられるまで保管してほしい)というのが希望でしたとお伝えしました。
問題は、現在70才の私はそれまで生きていられるかどうかわからないし、もっと年齢の若い支援者に管理をお願いして皆様にその方のお名前を公表するとその方が嫌がらせ行為の目標にされる危険性があるということです。そこで、市橋君のご両親に管理していただいて、30年後に市橋君が出所した時に必ず市橋君の手に渡るように遺言して残していただけないかお願いすることも考えていることをお伝えしました。
今日菅野弁護士を通してわかった状況は、市橋君は山本弁護士とは連絡をとったらしく、弁護団の中で山本弁護士だけは市橋君がどこで服役しているかご存知だということ、以前ブログで言及した元支援者でその後は支援する会からは離れて独自に熱心に支援活動をしてこられたK子さんが現在も熱心に支援活動をしておられて(刑が確定後は、市橋君と養子縁組をするか婚姻届を出すかして親族という立場になられた可能性があるようです)面会にも行っておられること、また市橋君の方も彼女の(彼女だけの)支援に依存しているということのようです。マインドコントロールという言葉が適切かどうかはわかりませんが、東京高裁に上告してから、そういう状態になって市橋君と弁護団との信頼関係には齟齬(そご)が生じてしまったようです。市橋君自身が、弁護団よりも、ご両親よりも、私を含めた支援する会の支援者よりも、K子さんを信頼し、これからはK子さんに依存するという選択をしたのでしょう。個人情報ですから、K子さんについてこれ以上のことはここでは申し上げられません。
手記の出版から得た印税の約900万円は、当初リンゼイさんのご遺族に被害者弁償金として提供する申し入れをしたけれど受け取りを拒否され、すでに寄付をして残ってはいませんが、その後手記が増刷された分の印税として出版社からさらに約200万円が支払われたとのことです。このお金は山本弁護士が開設した口座に移され、K子さんが管理をしておられるようです。以前、市橋君の事件を主題にした映画を製作する計画がありましたが、すでに映画は完成して試写会も行われたとのことですので、その中にどこかの映画館で上映されるようになるかもしれません。そうすると市橋君にも何らかのお金(一定金額)が支払われることになったり、それがきっかけで社会の関心が高まればまた手記が増刷され印税が支払われるということもあり得るようです。そういう将来の収入についても、山本弁護士が開設した口座に移され、K子さんが管理をするということになっているようです。
そこで、支援する会の支援金の残金約120万円についても(現在は菅野弁護士の口座に保管されたままです)、山本弁護士が開設したその口座に振り込んでK子さんに管理して頂くというのも一案ということです。K子さんは以前被害者弁償金が必要なら1億円用意できると弁護団におっしゃった方です。K子さんは2010年3月から何回か支援する会に支援金を振り込んで下さり、私とはメールのやりとりもされた方ですが、途中から考え方(目的)が異なるとおっしゃって支援する会から離脱されました。当時、何故そんなに熱心に支援されるのですかとお訊きした時は、そのことについてはお構いなくとおっしゃって答えてくれませんでした。ですから、私には今でも何故K子さんが市橋君の支援にそんなに熱心なのかはわかりません。
こういう状況ですので、支援金を振り込んで下さった支援者の皆様のご意見(支援金の残金約120万円を、①山本弁護士の開設した口座に移してK子さんに管理していただくか、②市橋君のご両親に管理していただいて約30年後に仮出所した時に彼の手に渡るようにお願いしてみるか-断られる場合もあり得ますが、③その他何かよい方法があればご提案下さい)をお寄せ下さい。
なお、「週刊文春」は今年起こった大きな事件(市橋君の裁判が結審したこともその中に入るそうです)について振り返る記事を特集する企画があるらしく、多分来週号あたりに掲載するのかもしれません。弁護団とK子さん以外では、私が最も頻繁に(2011年7月から2012年4月まで約10ケ月)面会に行って市橋君に接してきたということで、何故市橋君があのような事件を起こしたと思うかと質問されましたが、事件そのものについては彼がまだ語れる心境になっていなかったので(その話題に近づくと下を向いて涙をポロポロこぼして沈黙しました)、もっと時間が経ってから彼自身が語るしかないのではと答えておきました。
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2012年12月14日金曜日
東京農業大学総合研究所研究会農薬部会の第88回セミナーが「食と農の博物館」であり、今回は2題の講演がありました。
1.「ピリフルキナゾン(コルトR)の創製について」上原正浩氏(日本農薬株式会社総合研究所)
2.「農薬の内分泌かく乱作用に関する諸問題と科学的対応」青山博昭氏(一般財団法人残留農薬研究所毒性部)
上原氏は、大学院時代は天然物化学が専門だったのを、会社に入ってから合成を担当するようになり、ピリフルキナゾンという殺虫剤をどういう発想の過程を経て発明するに至ったかを、たくみな話術で話されました。普段から、異分野の学会に顔を出して自分の基礎を広げる努力をしてきたことと、上司にもう見込みがないから止めろと言われても止めずに頑張り通したことが成功につながったと話されました。
青山氏は、内分泌かく乱活性(いわゆる環境ホルモン)をどうやって検定して確認するか、特に低用量で影響を確認したとされる事例が実は実験動物の遺伝的多形による誤差を拾っただけの場合があると話されました。
お二人の講演ともすばらしい内容で、非常によい勉強になりました。
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2012年12月13日木曜日
JONA(JAPAN ORGANIC & NATURAL FOODS ASSOCIATION 日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会)に勤めている千葉大学園芸学部の卒業生E君が東京農業大学の研究室に訪ねて来てくれました。久し振りだったので、2時間くらいお互いに近況を話しました。有機農業を認証する団体ですが、最近は中国や台湾や韓国からも認証依頼があるらしく、外国にも出かけるとのことでした。
帰りに、途中のアジアレストランに寄って、生ビールを飲んで、辛いタイの料理を食べました。I君は学生時代はアメリカンフットボールをやっていたということを今日初めて知りました。どうりで体格がいいだけでなく、仕事にも馬力がある筈です。こうやって昔の卒業生が訪ねてきてくれるのは、嬉しいものです。
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2012年12月12日水曜日
リハビリセンターに長期入院している元同僚教授のN君をお見舞いに行ってきました。前回と同じ4人部屋ですが、ベッドの位置が窓際に移動してあり、隣には80才代の男性の新しい患者のベッドがありました。付き添っておられた奥様とお話したら、何とかいう難病でだんだん体の自由が失われて、今では言葉も失われたとのこと。それでも甲斐甲斐しくお世話をしておられました。つい1年半くらい前には元気で一緒に旅行もしたのに、今はご主人の病気をどうすることもできなくて残念だとのことでした。ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の発見(iPS細胞=人工多能性幹細胞)が実用化されるしか治療方法はない病気だけど、自分の主人には年齢的に間に合わないとのことでした。いくら話しかけても、返事をしてくれないのはN君も同じです。
私が月刊誌「文藝春秋」12月号に載った同級生交歓の写真のページのコピーを見せながら、高校時代の仲間だぞと言って一人一人の説明をしたり、今年の6月に新潟県胎内市でヘリコプターで松林に薬剤が散布された時に飛散調査をして、今その結果を論文にする仕事をしていることなどを話しました。彼は私が目の前に差し出した写真を目で追いながら、言葉は何も言ってくれませんでした。君は現役教授の時は、ほうれん草の硝酸還元酵素の研究をしていて、実験でよい結果が得られた時は、「よし、これは世界で初めてだ!」と言って私にどうだと自慢していたけど、ヘリコプターで散布された薬剤の飛散問題については今では私が一番データを持っていて日本で一番の専門家だぞと言って自慢したら、急に笑顔になってニコニコ笑い出しました。やっぱり、私の言うことは聞こえていたのです。昔から親友であると同時に研究者としてよきライバルだったので、少し刺激したらやはり反応をしてくれました。
それを見ていた隣の患者の奥様は、いつも無表情のN君しか見たことがなかったのに、初めて笑顔を見たと言って驚いていました。N君は言葉で自分の気持ちを表すことはできなくなっているけど、こちらの言うことはちゃんと聞こえているのだと思いますと言ったら、自分の主人も同じだと思いますとおっしゃいました。ご主人も誤嚥(ごえん)で肺炎になるのを避けるために流動食をストローで吸って飲み込んでいるそうですが、時々お茶碗をかかえてお箸で食べる格好をしてご飯を食べたいという表情をされるのだそうです。
私がN君の昔の研究自慢の話をしたらニコニコ笑い出したことは、後でN君の奥様に電話でお伝えしようと思います。
夜、週刊誌「週刊文春」のI記者から電話があり、年末にいろいろな事件を振り返って総括する記事を企画していて、市橋君のことについても取り上げたいとのことで、来週火曜に取材に来られることになりました。私は市橋君がどこで服役しているかも知らないし、何も新しい情報はないことは伝えたのですが、書いていいことと書いてはいけないことがあるだろうから、相談に来たいとのことでした。I氏とは月刊誌「文藝春秋」の担当だった時からのお付き合いですが、良心的な記者という印象を持っています。
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2012年12月11日火曜日
今日は東京農業大学に行って昼過ぎに大学の周囲をジョギングしていたら、正門近くの世田谷通りの歩道で元日本を代表するマラソンランナーだった谷口浩美氏とすれ違いました。どうしてこんなところを歩いておられるのだろうと思って、自宅に帰ってネット http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E6%B5%A9%E7%BE%8E で調べてみたら、何と2011年4月1日から我が東京農業大学の陸上部助監督に就任しておられるということがわかりました。靴が脱げるというアクシデントがあったオリンピックの後は旭化成の駅伝部におられたところまでは覚えていましたが、その後いろいろなところで指導者として活躍され、現在は東京農業大学の陸上部助監督をしておられたとは驚きました。これで、新春の箱根駅伝での東京農業大学チームの活躍が益々楽しみになりました。
カリフォルニア大学デービス校(UC Davis)の教授だった松村文夫(Fumio Matsumura)先生が12月6日に肺炎(a complication of pneumonia)でお亡くなりになったという訃報が届きました。松村先生は私より10年くらい年長ですが、大阪大学、東京大学を経てずい分初期の頃にアメリカに留学された方です。以来、殺虫剤の毒性機構解明その他の分野で世界をリードする研究をされ、私たちの憧れの対象であり、自分もああなりたいという目標の人物でした。多くの原著論文の他に、単著として執筆された「Insecticide Toxicology」(殺虫剤毒性学)という本は、多くの研究者に教科書的に利用されました。日本の多くの研究者を受け入れて指導し、私自身も一度カリフォルニアにお訪ねした時にご自宅に泊めていただいたこともありました。幸い、奥様をはじめご家族に見守られて穏やかに息を引き取られたとの奥様からのお便りがあったとのことで、ホッとしました。
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2012年12月10日月曜日
私の千葉大学勤務時代に、文部科学省の国費留学生として来日して私の研究室で研究をして博士号を取得したHenry(ヘンリー) O-Sintim さんからメールが届きました。ガーナに帰国して大学の教員をしていますが、学会誌に投稿して発表した論文(私も共著者になっている)が、同様にパキスタンから国費留学生として私の研究室に来て博士号を取得して帰国したTariq(タリク) Mohamood さんの目に留まったらしく、私のメールアドレスを知りたいという問い合わせが届いたとのことでした。
私もTariq さんの消息を知りたいと思っていたところでしたので、早速こちらの近況を書いてメールを送ったら、すぐ返事がきました。彼はパキスタンに帰国して、NARC(National Agricultural Research Center 国立農業研究センター)の研究者になり、現在はIPM(Integrated Pest Management 総合的有害生物管理)プロジェクトのリーダーをしているとのことでした。現在55才になり、子供は娘4人と息子2人だが、長女はすでに結婚して夫と一緒にBahrain(バーレーン:ペルシャ湾の国)に住んでいるとのこと。2018年には60才で退職予定と書いてありましたので、パキスタンの国立研究所では日本と同じで一定の年齢に達したら強制的に定年退職させられるのかもしれません。
Tariq さんは私が受け入れた初めてのイスラム教徒の留学生でしたので、いろいろ初体験することがたくさんあった当時を思い出します。実験室で一定の時間になると毎日何回か床に絨毯(じゅうたん)を敷いて頭を床に付けてお祈りをする時は、どう対応していいか戸惑いました。インド人の著者が書いたイスラム教を冒涜する本を日本語に翻訳した筑波大学の先生が暗殺された時は、犯人が残した靴跡から中国の北京で売っている靴と同定され、Tariq さんは北京経由で一時帰国したことがあったので、犯人の可能性はないかと疑われて刑事が私の研究室に訪ねてきたこともありました。よく報道写真で見たアフガニスタンのタリバーン兵士のようにモジャモジャのあごひげを生やし、独特の帽子を被って、白い布でできたマントみたいな衣服を着て、大学近くの一間だけの安アパートに住んで、4年間くらいわき目も振らずに研究に専念していました。電気生理学的な手法を使って、当時日本で発見されて間もなかったチャバネゴキブリとイエバエのピレスロイド剤(殺虫剤)抵抗性は、作用点である神経の感受性の低下が主要メカニズムであることを明らかにするという素晴らしい研究をしました。私が大学教員として研究指導した百何十名かの学生の中で、人間的にも研究者としても最も優秀な一人でした。
こういうよい思い出を残してくれた元学生たちに出会えたことが、私の大学教員としての人生に充実感・満足感を与えてくれています。
あれから確か25年くらいが経った筈ですが、こうして再び偶然お互いの消息がわかり、連絡が取り合えるようになったことは嬉しいことです。まるで、予期していなかったクリスマスプレゼントが届いたような気分です。
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2012年12月9日日曜日
しばらく忙しくてブログの記事の更新ができませんでした。面白いことに、私に嫌がらせ行為をしている人もブログをチェックしているらしく、以前は何故記事を更新しないのだというメールが届いたことがありました。今回は久し振りに非通知設定の番号からコレクトコール(着信払い)の電話が2回かかりましたので(もちろん着信を拒否しましたが)、早く更新してほしいという催促なのかもしれません。そんなことで人にかまって(振り向いて)もらおうとしたり、ストレスのはけ口にしたり、幼児のままごと遊びのような情けないことをせずに、人と直接対面して話をしたり、まともなコミュニケーションをできるようになればいいのにと思ってしまいます。
12月29日の千葉大学走友会の練習会と忘年会に参加できるように、少しでも体調を整えておこうと思って久し振りに江戸川堤防を約2時間歩いたり走ったりしてきました。葛飾橋を渡って川の向こう側(東京都の金町と埼玉県の三郷)の堤防を上流に向かって、上葛飾橋を渡って川のこちら側(千葉県の松戸)に戻ってきました。葛飾橋の上からは松戸市の中心街が見渡せ、三郷側の堤防の途中には樋ノ口(ひのくち)の渡し跡の説明をした標識が建っていました。今から約300年前に江戸川を掘削して作った時に、村が2分されたので舟で行き来するために設置された渡しだそうです。住宅の間に遠くの筑波山の山影も見えました。こういう景色を眺めながら歩いたり走ったりするのは、楽しいものです。
園芸学部構内や、「緑の回廊」でつながっている松戸市歴史公園(徳川昭武の別邸だった戸定邸がある)の裏門の辺りでは紅葉が鮮やかでした。もう初冬の筈なのに、今年は遅くまで気温が高かったのでしょうか。
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2012年12月2日日曜日
カリフォルニア在住の娘の子供たち(私たちには孫)から電話があり、「お父さんをお世話してくれてありがとう」とAikaが言いました。義理の息子が日本のバーバ(妻のこと)とグランドパ(私のこと)からの孫たちへのお土産を持って帰ったので、大喜びした筈です。毎週土曜日に通っている現地の日本語学校のタレントショーで歌った歌を電話の向こうでかわりばんこに歌って聞かせてくれました。Aikaはこの夏日本に来ていた時にやっていたNHKテレビの朝ドラ「梅ちゃん先生」の主題歌を上手に歌いました。Colinは日本の童謡を歌い、Aidenはフルートでクリスマスの歌を吹いてくれました。
私は今日も忙しかったですが、昨日と同じように思い切って江戸川堤防を6Km だけ走ったり歩いたりして汗をかいてきました。
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2012年12月1日土曜日
早くも12月になりました。アメリカ人の義理の息子は、日本滞在中に義理の母親になる私の妻にご馳走を作ってもらって、洗濯をしてもらって、取り引きのある日本のテレビ局の人達とも会って、全ての目的を果たして今日の午後の飛行機でカリフォルニアに向かいました。午後から寒波が下りてきたので、成田空港から初雪を見たと電話をかけてきました。わずか1週間の滞在でしたが、本当の息子と同居しているようでした。
向こうに着いたら時差ボケを治す間もなく、子供のサッカーの練習試合に付き添うようです。私が、仕事と家族サービスと大変だなと言ったら、家族と過ごす時間は大変じゃなくて楽しいよと答えていました。
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012年11月30日金曜日
しばらくブログの記事の更新ができなかったら、体調が悪いのかと心配して下さったメールが届きました。忙しくて時間がなかっただけですので、大丈夫です。ご心配いただきありがとうございました。
カリフォルニア在住のアメリカ人の義理の息子が24日に来日し、私たちの家に滞在して仕事の取引のある日本のテレビ局を訪問しています。昨日はNHKテレビの人達と東京で夜遅くまで会食して夜の12時半ころ帰宅しました。今日は民放も含めてテレビ関係者全体のパーティーがあるらしく、帰りは夜の11時半くらいになるからと言って出かけていきました。仕事をとるためにも、年に一度の顔合わせは大事なのでしょう。明日は家族が待っているアメリカに帰ります。
28日には千葉県山武(さんむ)市にある千葉県森林研究所での研修会で、「松くい虫防除薬剤の散布後の林内及び周辺地域の気中濃度と落下量について-住民への健康被害は本当にあるのか?-」という演題で講演してきました。JR総武本線日向(ひゅうが)駅に早目に着いて、途中山武(さんぶ)杉の林(約1ha)を見学しました。若い杉の木に混ざって樹齢200年くらいの見事な杉の大木もたくさんありました。何年か前には、1本1千万円くらい(今は4百万円くらい?)の価値があったそうです。
森林研究所内も少し見学させてもらいましたが、松枯れの木が何本もあり、松くい虫防除の研究をしている研究所で松が枯れているのは恥ずかしいですねとからかってきました。比較的大きな木ばかりが枯れていたのは、樹高が高くて薬剤散布ができなかったからだと説明していました。
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2012年11月23日金曜日
気仙沼、一関、仙台を経て、宮城県名取市に移動しました。駅前でタクシーを拾って被害のひどかった閖上湊(ゆりあげみなと)地区と仙台空港周辺を視察しました。
閖上湊町は壊滅状態で、中学校の亡くなった生徒たちの慰霊碑には胸が詰まりました。神社やお寺も破壊され、墓地も土台だけが残ってお骨が散乱していました。
松については、海岸線と並行に植栽されたものはなぎ倒されて、直角に植栽されたものは生き残っているように見えましたが、つなみが斜め方向から押し寄せたという証言もあるようですので、今後造林学の専門家による検証が必要かもしれません。
まだ仮設住宅に住んでいる方々もおられ、これから人々の生活再建も含めて街をどう復興していくのか、大変な課題だなあと思いました。それにしても、災害発生後1年8ケ月も経ってまだこの状態では、難しい問題とはいえ、行政的な復興事業が機能しているのか疑問も感じました。
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2012年11月22日木曜日
東京駅から東北新幹線「はやて」で岩手県一関駅に行き、そこから大船渡線で気仙沼駅まで行きました。駅前でレンタカーを借りる予定でしたが、予約してなかったので車を手配するのに1時間もかかるということでしたので、タクシーを使って陸前高田市に向かいました。タクシーを利用した被災地視察のコースができていて、運転手さんはまるでツアーガイドのように私が興味のあるところを案内してくれました。
目的の陸前高田市の広田湾に面した高田松原はつなみによって壊滅し、地震による地盤沈下で砂浜自体が跡形もなくなっていました。つなみに耐えて生き残った「奇跡の一本松」は努力の甲斐なく枯れてしまいましたが、保存のための加工処理中で、切り株だけが現地に残っていました。
学校を含めて多くの建物が倒壊したり、土台だけ残して押し流されたり、340トンもある大きな漁船が陸に押し流されて住宅地の道路に乗り上げていました。視察のコースに入っているらしく、倒れないように鉄の板の支えが溶接されていました。テレビで見た光景を実際に自分の目で見て、つなみの恐ろしい破壊力を感じました。
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2012年11月21日水曜日
上尾ハーフマラソン大会で快走してきた千葉大学走友会の仲間のI先生に好成績を祝福するメールを送るついでにいくつか質問をしたら、以下の返信が届きました。総合1位は駒澤大学の学生だったとのこと、1時間2分とはもしかしたら箱根駅伝を走った選手かなと想像しました。
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上尾での総合1位は,駒澤大学の学生さんで1時間02分46秒でした。特別招待選手の川内優輝さんが,1時間04分13秒だったそうです。もっとも,川内選手は12月の福岡が照準でしょうから,あえてトップを狙ってはいなかったのではないかと思います。なお,私の部門別(40歳代男子)順位は4位でした。40歳代のトップは1時間11分19秒,5分も速いなんてとても追いつけません。
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I先生は50才代ではなく40才代とのことですが、それでもハーフを1時間16分で走るというのはたいしたものです。I先生も1月末の館山若潮マラソンにエントリーしていますので、フルマラソンでどういう記録を出すか楽しみです。
今日は全国農薬協同組合の総会と情報交換会が東京の日本海運クラブで開催されて、私も招待されましたので情報交換会にだけ参加してきました。来年は6月18日に神戸で、6月20日に福井で予定されている消費者対象の農薬ゼミに出演を依頼されました。
明日から一泊二日で、岩手県の陸前高田市の高田松原をはじめ、東北大震災時のつなみで破壊された海岸保安林を視察に行ってきます。何百年に一度しか起こらない歴史的災害ですので、松くい虫による松枯れとは違いますが、私も自分自身の目で見ておきたいと思います。
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2012年11月20日火曜日
千葉大学走友会メンバーの工学部教員のI先生(若く見えるけど50才代?)から、共通メールアドレス宛に11月18日(日)に埼玉県上尾市で開催されたハーフマラソンに出場してきた報告が届きました。
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5km 18:06
10km 36:02(17:56)
15km 54:24(18:22)
20km 1:12:26(18:02)
ゴール 1:16:17(3:51)
学連登録の大学生がわんさか出場するこの大会,このタイムでも総合だと469位でした。特別招待の川内優輝選手や,トップグループの選手たちの走りはやはり異次元でした。
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5Kmを18分前後のイーブンペースで21Kmちょっとを走ったのですから、私のような3流の市民ランナー(ちなみに私の5Kmのベストタイムは、50代の時にどこかの駅伝大会で出した19分43秒だった筈です)からすれば、夢のような記録です。それでも総合順位は469位だったということは、5Kmを14分~16分くらいで走るランナーがたくさんいたということでしょう。
来年1月27日(日)の館山若潮マラソンに参加費4000円を払って参加申し込みをしましたが、このところほとんど走り込みができていないのでピンチです。体重も減っていませんし、参加費を無駄にするのは悔しいけれど、このままではフルマラソンを走るのは無理なので棄権(不戦敗)せざるを得ないかもしれません。
今日は東京農業大学で最後の講義をしてきました。講義ができるのは70才までというのが東京農業大学の規則ですが、客員教授としては少なくとも来年の3月までは大学にいるので、何か相談したいことがあればいつでも研究室にくるようにと言って受講生に私への連絡方法を教えてきました。こういう若い学生諸君に、私の専門の農薬に関する話をし、アメリカでの生活を含めて私が実際に経験してきたことを伝え、彼らがこれからの人生を前向きに生きる上で何らかの影響を与えることができたとしたら嬉しいことです。
キャンパスでは野球部員がグランド整備をしたり、機械から投げ出されるボールに対して黙々とバッティング練習をしていました。駅伝部(今年も箱根駅伝に出場します)は重心の高い格好いいフォームでトラックを何周も走り続け、陸上部は練習の前に落ち葉を掃いていました。生協の横には音楽サークルの演奏会の看板が掲げてありました。若者たちのこういう元気な姿は、明るい将来を想像させ、何故か私までもが幸せな気持ちになります。
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2012年11月18日日曜日
日本環境動物昆虫学会第24回大会は、17日は名古屋大学東山キャンパスの環境総合館で、18日は東山キャンパスの停電のため予定を変更して大幸キャンパスの医学部保健学科本館で行われました。大幸キャンパスは、野球の中日ドラゴンズの本拠地名古屋ドームのすぐ近くにありました。この学会は元々は今から24年前にシロアリのような家屋害虫の生態や防除のような生活環境の動物・昆虫の研究分野を中心に関西で発足した小さな学会ですが、現在では範囲が広がり、自然環境や生物多様性の保全のような研究分野も含まれるようになりました。
発表件数が少ない割に、私にとっては興味深い研究発表がいくつかありました。吉村 剛教授(京大生存研)の「インドネシア・西カリマンタン州のいくつかのランドスケープにおけるシロアリ相」は、シロアリに関する学問の奥の深さを認識させられました。シロアリというのは木造家屋を倒壊させる害虫としか考えていませんでしたが、実は食性について木材食性、菌食性(養菌性)、土壌食性があって、森林の生態系にとって重要な役割を果たしているとのこと。インドネシアのカリマンタン州では、経済価値のあるオイルパーム(油ヤシ)の植林の進行に伴ってシロアリの種構成の単純化が起こりつつあるとのことで、ブラジルのアマゾンの開発も同じですが、そこに住んでいる人々にとって重要な経済的発展は生態系のバランスを崩壊させて生物多様性の貧弱化をもたらすという矛盾を抱えているということを考えさせられました。
「どうつなげる生物多様性」というテーマのシンポジウムでの石井 実教授(大阪府立大学)の基調講演「人がかかわってきた自然:私たちの課題と願望」はさすがでしたが、矢部 隆教授(愛知学泉大学)の「カメから見た水辺の生物多様性」も話術の巧みさもあって惹きこまれました。両方とも生物多様性が失われる要因の一つとして水質の悪化を挙げていましたが、今まで水質悪化の主な原因として検証なしに当然のように言われ続けてきた化学肥料や農薬汚染については、最近は改善されているという認識で共通していました。
プログラムには載っていなかった佐藤勝彦氏(愛知県猟友会会長)の講演は異色でしたが、愛知県における昭和38年(1963年)から平成22年(2010年)までの有害鳥獣捕獲・駆除数の年次統計の資料を配布されました。それを見ると、昭和38年のイノシシ、シカ、ニホンザルの捕獲・駆除数は各々723頭、20頭、0頭だったのが、平成22年には8,713頭、1,470頭、269頭に激増していることを示しています。人間の生活圏が野生生物の生息域に接近してきたこと以外に、捕食者の欠如など生態系のバランスが崩れていることもこれらの動物の増え過ぎによる害獣化に貢献しているのでしょう。佐藤氏は猟友会員の高齢化と会員数の極端な減少によって、将来有害鳥獣の駆除が困難になる可能性があると指摘していました。
ちなみに、捕獲・駆除した動物はどう処分するのかという私の質問に対しては、シカの肉はいつ獲ったものでも食べられるが、イノシシの場合は11月以降に獲ったものは美味しいが、夏場に獲ったものはまずくて食べられないので生ごみになってしまうとのことでした。
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2012年11月16日金曜日
11月28日には千葉県森林研究所で研修会が予定されていて、私にも講演が依頼されていますので、その準備を進めています。千葉県の海岸の松林が短期間(2008年以降)に何故松くい虫被害で壊滅に近い状態になったのか、第3者の立場でみた客観的な意見を述べてこようと思っています。
明日17日~18日は、日本環境動物昆虫学会大会が開催される名古屋に行きます。朝9:30からの評議員会に間に合うように、自宅を5:30頃出発します。当初は東山キャンパスの環境総合館が予定されていたのですが、日曜にキャンパス全体が工事で停電になるらしく、急遽医学部保健学科がある大幸キャンパスに変更になりました。一般講演に加えて18日午後には市民公開シンポジウム「どうつなげる生物多様性」という企画もあり、楽しみです。停電で学内の宿泊施設が利用できないので、一般のホテルを予約しました。
今日は東京農業大学から帰宅したら、留守電が2件入っていました。1件は東京の姉からで、本屋で今販売中の月刊誌「文藝春秋」12月号をめくったら私の写真が載っていたので一冊買ってきたというメッセージでした。
もう1件はカリフォルニア在住の娘からで、先日EMS便で送った本「友情の人形は海をこえて」が届いたというメッセージでした。英語への翻訳を引き受けてくれるといいのですが・・。アメリカの人達にも、1927年に日本の子供たちに贈られた青い目の人形が、心ある人たちによって戦争中も守られて、今も大事にされていることを是非知ってほしいと思います。
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2012年11月15日木曜日
朝から夕方5 時頃まで東京の秋葉原コンベンションホールA というところで、(独)農業生物資源研究所主催、(独)農業・食品産業技術総合研究機構中央農業総合研究センター共催による、「ポストゲノム時代の害虫防除研究のあり方」第5回-殺虫剤抵抗性問題の最前線-があり、私も聴講してきました。千葉大学時代に私の研究室を専攻した元学生の一人が現在は国立感染症研究所でリサーチレジデント(博士研究員)として勤務していますが、彼も「シトクロムP450による薬剤抵抗性機構」という演題で講演をしました。私が1960年代や1970年代にこういう研究テーマに取り組んでいた頃に比べて、前半の抵抗性遺伝子に関する基礎的研究はずい分進歩しましたが、後半のそれを農家か実際に抵抗性対策として使える技術にするという応用面ではあまり進歩していないなという印象を受けました。
総合討論で閉会後は、近くの秋葉原UDXビルで交流会がありました。7時過ぎに私は会場を後にしましたが、駅前の辺りはいろいろなライティング/イルミネーション(照明)が設置されてクリスマスの雰囲気を作り出していました。秋葉原の駅の周辺は、昔は青果物市場があって農家がトラックなどで収穫物を運んできたりして賑わっていましたが、今は高層ビルが立ち並び、近代的なおしゃれな街に生まれ変わっていました。
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2012年11月14日水曜日
以前、岐阜県での農薬ゼミでの私の基調講演を聴きに来て下さった東海地方にお住いのN子さんから、横浜の人形の家で今日から開催される(11月14日~11月21日)武(たけ)文桜(ぶんおう)回顧展の案内をいただいていましたので、楽しみに出かけました。横浜駅からみなと・みらい線の地下鉄に乗って終点元町・中華街駅で降りると、徒歩3分くらいのところに横浜人形の家はありました。ちょうど黄葉真っ盛りのイチョウ並木の前にあって、建物自体がガラス張りの芸術的建築でした。
創作日本人形作家の故武 文桜(本名武 文子)(1925年-2011年)さんはN子さんのお母様で、先日送っていただいた絵本「友情の人形は海をこえて」の著者故武田英子さんたちと一緒に日米友情の人形交流に携わってこられた方です。芸術の事は何もわからない私が見ても本当に素晴らしい作品ばかりでした。今日は会場に来ておられた武さんの妹さんお二人とお弟子さんと娘のN子さんともお会いできました。
2階と3階にある常設展の方にも行ってみましたが、日本各地の人形や世界各地の人形が展示されていて、こちらも大変見ごたえがありました。青い目の人形もありました。国が違って人形の形が違っても、人形が子供たちに夢を与えたり、遊び友達であったり、情緒を育むという役割は共通なのだなと思いました。ドールハウス(人形の家、ままごと遊びの家)も含めて、人形は子供たちだけでなく、大人が見ても心を和(なご)ませてくれるものだなと感じました。
私はN子さんからお知らせをいただくまで、近くに住んでいても今まで横浜人形の家の存在すら知りませんでした。まだ行ったことのない方は一度訪ねてみる価値はあると思います。http://www.yokohama-doll-museum.com
私が展示を観終わったら、N子さんは会場から席を外して近くの喫茶店で私とお話しする時間を作ってくれましたので、市橋君の適正な裁判を支援する会の今後のことなどについて私が考えていることなどを少しお話ししました。
駅まで帰る前に、一人ですぐ近くの山下公園に足を延ばして港の景色を眺めてきました。湾内を巡(めぐ)る観光船や、大きな貨物船や、船内を見学できる氷川丸(1930年竣工の当時の豪華客船)が停泊していました。昔ブラジルへの移民船が横浜港から出航する時に、ブラジル在住の家族に届けてもらう荷物を移住する日本人に託して、よく母と一緒に見送りに来たことを思い出しました。今は海外といっても飛行機で簡単に行き来できますが、昔は移住する人に甲板から投げてもらったテープの端を持って、船が岸壁からだんだん遠ざかるにつれて届かなくなったテープが切れて、それが一生の別れのような気がしていたのを思い出しました。
(写真はクリックすると拡大できます)
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2012年11月13日火曜日
午前中は東京農業大学で3回目の講義をしました。今日は、2008年にヘリコプターで松くい虫防除の薬剤散布が行われた日に学童・生徒たちから健康被害(目のかゆみ)の訴えがだされた島根県出雲市の事例をとりあげ、その後の私たちの現地調査で実際には通学路に繁茂していたイネ科雑草の花粉による花粉症だった可能性が高いことを紹介しました。パソコンの設定などの準備をして下さった先生は学生の後の席で聴講されたようで、後からメールが届き、この先生は島根大学で博士号を取得し、出雲農林高校に勤務していた時には私たちが花粉の調査をした通学路のすぐ近くに住んでおられたとのことでした。私がスライドで示した現地の写真が懐かしかったとのことでしたが、偶然の一致とは言え、不思議な気がしました。
午後からは浅草(あさくさ)の浅草(せんそう)寺で行われた虫供養(むしくよう)に参加をしました。農薬の研究では、薬効の検定などで多くの生物(動物、昆虫、微生物、雑草など)を犠牲にしますので、1年に1回関係者が集まって供養をして感謝の気持ちを捧げています。
その後場所を変えて行われた参加者の集いでは、久し振りにお会いする方々と近況報告や情報交換ができて、楽しいひと時でした。
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2012年11月12日月曜日
今日も自宅で報告書の作成に集中しました。午後から雨が止んで晴れ間もでてきたので、愛用のカメラを持って江戸川堤防に行って10Km 走ったり歩いたりしてきました。いつも壮観だなあと思っている堤防下の農家の鈴なりの柿の写真を撮りました。
5時少し前になったら西の地平線に太陽が沈みましたが、その直前に富士山の陰影と東京スカイツリーの陰が見えました。
大洗原子力研究開発センターの松については、2008年まではある防除業者が入って年に2回薬剤散布をして松くい虫防除をしていたので松はきちんと守られていたとのことです。その後の3年間はどういう理由かはわかりませんが、防除が実施されなかったために被害が甚大になり、今年2012年になって入札で選定された地元の業者が薬剤散布を実施したという経緯のようです。今年は散布をしたといっても、昨日の視察では今年枯れた被害木が多数ありましたので、マツノマダラカミキリの密度が高くなり過ぎて防除効果が不十分だったのか、あるいは入札制度で安い見積もりを出す業者が選定されますので、松くい虫防除方法について十分理解していない業者が選定され、散布方法が不適切だった可能性も考えられます。実際に散布をしたのは、元請け→下請け→孫請けの流れで、孫請けの業者だったようです。?
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2012年11月11日日曜日
常磐線の石岡駅に8:15に着き、待っていてくれた樹木医のY.A.氏の車で涸沼(ヒヌマ)の景色を見ながら大洗海岸に行きました。あらかじめ独立行政法人原子力研究開発機構大洗研究開発センターの辺りの松枯れが激しいという情報が入っていたので行ってみたら、確かに正門から構内の松がたくさん枯れているのが見えたので写真をとろうとしたら、いきなり「写真撮影は禁止です」というアナウンスがスピーカーから流れました。驚いて周りをみたら、監視カメラがついていて警備室で監視をされていたようでした。用事があるならインターホンで話をするようにと言われたので、身分を名乗って、松くい虫被害の視察に来た旨を伝えたら、あらかじめ申請手続きをしていないと許可できませんと言われてしまいました。普段からこういう厳しい警備をしているのか、原子力発電所の事故以来、反原発の動きが高まっているので特別警戒をしているのかはわかりませんでしたが、仕方がないので裏に回ってみました。もしかしたら、昨年3月の原発事故以来、予算が縮小されて昨年と今年の2年間松くい虫対策をする余裕がなくなったせいか(誰かに確認する必要があります)、ずい分松枯れが目立ちました。伐倒駆除をせずに枯損木をこのまま残しておくと、来年はそれが発生源になって今年生き残った松も相当枯れるなということが予想されました。
周辺を回ってみたら、与利幾(何と読むのかわかりません)神社の周りには大きな松林がありましたが、やはり相当数が枯れていました。枯れて玉切りにされた松の年輪を数えてみたら、ざっと50年くらい経っている松だということがわかりました。こんな大木を多くの本数伐倒する予算(1本20~30万円かかるそうです)はないでしょうから、多分このまま放置されると来年は被害が激増しそうだなと思われました。
一方、大洗海岸公園の松林は樹高の低い松が斜面に密植されていましたが、ほとんど松枯れがなくよく守られていました。
さらに、大洗町営の「幕末と明治の博物館」[明治維新後活躍した高知県出身の田中光顕(みつあき)伯爵が昭和4年に創立した旧常陽明治記念館] http://www.bakumatsu-meiji.com/ に行ってみたら、巨大な松林が見事に管理されていましたが、1本だけは殺センチュウ剤が今年の2月に樹幹注入されたことを示すラベルがホッチキス留めされていたにもかかわらず枯れていました。殺センチュウ剤がその1本の松にだけは防除効果を発揮できなかった何らかの理由がある筈ですので、調べてみれば面白い研究テーマだなと思いました。
さらに海岸沿いに北上してみたら、松がボロボロに枯れて骸骨のように立っているところがあり、再生した松にも今年発生した松枯れが見られましたが、その下部からトベラのような常緑落葉樹が生えてきているところがありました。自然に遷移したのか植樹したのかは関係者に確認してみないとわかりませんが、樹種の置換が可能ならそれはそれでいいのではという気がしました。ただ、飛砂防止効果という点で松のような針葉樹と広葉樹で違うのかどうかは誰かに訊いてみないとわかりません。
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2012年11月10日土曜日
しばらくブログの記事の更新ができなかったので、支援者から心配したお便りが届きました。心配していただきありがとうございました。今年の6月に新潟県胎内市で松くい虫防除でヘリコプターで薬剤が散布された時に飛散調査をしましたが、その時に採取した気中濃度と落下量の分析値の計算と報告書作成に集中していました。もう少しのところまできましたので、近々ブログの記事の更新とジョギングの再開ができる筈です。胎内市では、来年度の松くい虫防除の薬剤散布を継続するかどうか判断する上で、私たちの調査結果が重要な意味を持ちますので、最優先で報告書の作成をしたいと思います。
本日発売の月刊誌「文藝春秋」12月号の同級生交換というコラムに、埼玉県立浦和高校を昭和36年(1961年)卒の仲間5人の写真が掲載されている筈でしたので、駅前の本屋に行って一冊購入してきました。この写真を撮影するために母校の校門前に集まった機会に校長室に寄ったら、「尚文昌武」と書いた額が掲げてありました。普通は「文武両道」と言うのでしょうが、男子校(現在でも)だった浦和高校では勉強も運動も奨励していました。写真の中の私を含めた二人は「武」の方で、残りの三人は「文」の方だったなあという話になりました。「武」の一人は千葉大園芸学部(空手部)に、もう一人は慶応大経済学部(サッカー部)に進学し、「文」の三人は東大法学部、東大工学部、千葉大医学部に進学しました。全員70才の男たちですが、まだそれぞれの道で元気に活動しています。
明日は朝早く出発して、茨城県大洗海岸の松枯れ状況を視察に行く予定です。
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2012年11月6日火曜日
朝からかなり強い雨が降っていましたが、人と会う約束がありましたので東京農業大学に出かけました。昨日で収穫祭が終わって、学生たちが雨の中を後片付けをしていました。
研究室での話が終わって、経堂駅までの帰り道の途中で最近できたアジアレストランに寄って、軽く一杯飲みながらスパイスの効いたインド料理を食べて、家に着いたのは夜の11時半でした。
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2012年11月5日月曜日
江戸川堤防を6Km ジョギングしてから、腎臓透析と脳梗塞のリハビリで長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人をお見舞いに行きました。最後にお見舞いに行ったのは8月ですから、約3ケ月振りでした。いつものように受付で手続きをして、手の消毒をして、病室に行き、「おいN君、本山だぞ、元気だったか」と声をかけたら、目を大きく開けて私をじっと見てくれましたが、声を出した言葉は返ってきませんでした。反応はできなくても、私の言うことは聞こえている筈だからと思って、9月下旬から中国、アメリカ、スリランカに連続して行ってきたことや、昨日までは千葉大学園芸学部で大学祭が行われていたことや、妻と一緒に国立新美術館に行ってきたことや、美術の素養が全くない私にも素晴らしい作品ばかりで圧倒されたことなどを、一方的に話しました。N君は病気で倒れるまではよく油絵を描いていたので、「君にもあの素晴らしい作品を見せたかったなあ」と言ってやりましたが、反応はありませんでした。
ラッキーなことに、そうこうしている中に奥様が来られたので、久し振りに奥様とも話ができました。N君は、アルツハイマー型認知症(アメリカのレーガン元大統領が罹ったのと同じ)の症状が進行中だとのことでした。先日、車椅子を押して戸外に散歩に出た時に、「今日の気分は、いいの悪いの?」と奥様が話しかけたら、「最高だ」と声を出して答えてくれたのでびっくりして、嬉しかったとのこと。やはり、普段は反応はできなくても、こちらの言うことは聞こえているのだと思いました。
食事も、今は嚥下(エンゲ)力が弱くなったので肺炎にならないようにストローで流動食を摂っているのだが、嫌がって口を開けないのだそうです。奥様が病院に内緒で小さなタッパウェアーに小さく切ったリンゴ片を入れてきて、N君の口に入れて「30回噛んでから飲み込むのよ」と言って食べさせていました。N君はおいしそうにサクサク音を立ててリンゴ片を噛んでから飲み込んでいました。
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2012年11月4日日曜日
白木 誠氏は、2012年4月15日のブログでミャンマーの子供たちの笑顔の写真とともにM.S.氏として紹介した人ですが、この度 Bridges Across Asia (BAA) というNPO を立ち上げるにあたって、設立趣意書を添付して(クリックして開いて、拡大すると読み易くなります)、以下の支援要請の手紙が届きました。元々は、ある農薬会社の開発部長をしていた時(約20年前)からのお付き合いですが、私自身がやりたいと思っていることを先取りして実際に実行に移そうとしておられるようですので、私もできる範囲で応援しようと思っています。
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各位
秋も深まってまいりました。
皆様には益々ご健勝にて様々な場面にてご活躍の事と拝察いたします。
さて、かねてより計画はしておりましたもののなかなか実行に移せませんでしたがこの度、東南アジアにおける農村地域の開発促進を支援するための任意非営利団体Bridges Across Asia "BAA"を設立しましたのでご案内申し上げます。
去る9月下旬に急に思い立って半年振りにミャンマーを訪問しかつての任地でかつての部下、旧知の人たちと再会しました。
報道では何かとミャンマーの民主化、開発支援、企業進出などが大きく取り上げられていますが、地方の状況は小生の見る限りではほとんど変化はありませんでした。
地方自治の制度も採り入れられていますが、人材、経験、予算などの極端な不足でほとんど実効は上がっていません。農村の実態も全く変化がありませんでした。むしろ都市部との格差が拡大している感じを持ちました。政府は貧困改善の一環としてMicro Financeや協同組合などを奨励、補助金支給などをしていますが、なかなか思うように行っていないのが実情のようでした。かつての任地の人達からは小生に戻ってきて農村の発展に手を貸して欲しいという要望があちこちで出てきました。
現時点では小生一人の団体(?)ですが、今後賛同者を募り、正会員が一定数以上になった時点ではNPO法人登録をも検討し、資金調達を進め本格的な活動を可及的速やかに開始したいと存じます。
取り敢えず、小生は来年1月にはミャンマーのシャン州に入り、先に訪問した折に依頼された事案の一つである、「土着菌堆肥」のマスプロダクションProjectの支援をしようと考えております。「土着菌堆肥」とはご存知の方も多いかと存じますが、その地域の微生物を使用してより短期間で製造する堆肥の事で循環型農業には欠かせない要素の一つです。小生も3年間農家に製法、使用法などの普及に努めましたがなかなか普及しません。当方が実施するデモなどで有効な肥料だと分っていても"面倒"、"材料集めが大変"、"臭い" などが主な理由で普及しませんでした。それを一手に製造して安価で農家に供給するというProjectです。
当団体の設立趣意書を添付いたしました。もし、趣旨にご賛同いただける場合[正会員]あるいは[賛助会員]としてご登録いただければ幸甚です。
年会費は正会員:3,000円、賛助会員:1,000円を考えております。
ご登録いただいた方には後日振込用紙をお送りします。
なお、登録は下記項目を明記のうえ本メールへの返信にてお願いします。
会員の種類、
氏名
年齢
住所
電話番号
性別
宜しくお願い申し上げます。
NPO Bridges Across Asia:BAA
設立代表者: 白木 誠
E-mail: makotoshiraki396@gmail.com
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今日は妻と二人で東京に出かけ、ある大学の大学祭を見物した後、国立新美術館を訪ねました。美術館は地下鉄千代田線の乃木坂駅の6番出口から直結した便利な場所にありました。大変大きなモダンな建物で、10月30日のブログで言及しました第44回日展が開催中でした。いただいた招待状を入場券に代えてもらって、日本画、洋画、工芸、彫刻とジャンル別に展示してある部屋を回って鑑賞してきました。いずれも素晴らしい作品ばかりで、普段あまり美術鑑賞をしたことがないものですから、妻ともども圧倒されてさすが一流作品はすごいと感心しました。
招待状を送って下さった知人のお父様である野口晴郎氏の作品は、母親と子供をデザインした独特の人形で、工芸の部屋に展示してありました。
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2012年11月3日土曜日
あちこちの大学で大学祭が行われていますが、東京農業大学では収穫祭、千葉大学園芸学部では戸定(トジョウ)祭が行われていて、松戸市民が販売されている野菜や果物や花などを買って帰る姿をみます。
千葉大学を定年退職して5年目ですので、私を知っている学生はほとんどいなくなりましたが、それでも販売物を押し売りされないように学内を通るのを避けて、江戸川にジョギングに行きました。秋晴れの空の下を10Km ゆっくり走ったり歩いたりしてきました。流水路(ふれあい川)に沿って河川敷では河童祭りののぼりが立って、食べ物や衣類やおもちゃなどを売っている露天商の屋台が並んでいました。堤防の反対側の農家の柿の木には柿が鈴なりになって、すっかり秋の景色でした。
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2012年11月2日金曜日
刑事裁判の通訳も多くこなしているというスペイン語通訳をしておられる方からメールが届き、市橋君の公判時に法廷通訳によって法廷でのやり取りが被害者両親に通訳されたことに関して質問に回答してもらえるかという打診でした。「日本における司法通訳翻訳の現状と課題について」という研究テーマの博士論文作成上の資料にしたいとのことでした。元教師としての本能で、できるだけ協力したいという気持ちになり、すぐ了承しました。しかし、送られてきた質問票を見ますと、内容的には裁判所が回答すべき内容の質問がほとんどで(例えば、法廷通訳の選出方法とか、支払われた報酬の負担人は誰かとか)、弁護側証人として1回出廷しただけの私が回答できる立場ではないということがわかりました。
私の記憶も薄れていますので、あらためて当時のブログをチェックしてみましたら、私は2011年7月11日に出廷して証言をしていました。当日裁判員の一人から、「私自身は支援する会にいくら振り込んだのか」という、市橋君の犯した罪の判断には何の関係もない、単なる好奇心本位の質問に不愉快な思いをしたことを思い出しました。2011年7月26日のブログでは、担当した通訳が私の専門の農薬毒性学(Pesticide Toxicology)の農薬(Pesticide)を肥料(Fertilizer)と誤訳したことや、2011年7月21日付けの英字新聞 The Japan Times にその他にも誤訳が具体的に指摘されていると書いてありました。また、2011年7月31日のブログでは、支援者から寄せられた通訳の問題点に関する詳しい情報を紹介してありました。
加害者や被害者が外国人の場合、通訳の仕方によっては裁判員の判断に不適切な影響を及ぼす可能性もありますので、法廷通訳が一人だけでいいのか(市橋君の裁判の時は、裁判所が登録されている英語通訳の中から選出し、複数必要ではないのかという弁護団の指摘に対して、通訳本人が自分一人で十分できると主張して一人になったという経緯のようですが)、という問題も含めて制度的に考えてみる必要があるのかもしれません。
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2012年11月1日木曜日
朝6時に目覚ましをかけて、シャワーを浴びて目を覚ましてから、昨日の夕方下見をしておいたホテル周辺を1時間くらい散歩してきました。北アルプスの頂上は雲に隠れて少ししか見えませんでしたが、太陽が昇るにつれて手前の山が上の方から少しずつ明るくなっていく様子は感動的でした。夏用から冬用の衣服に着替えてきたのですが、それでも寒いくらいで手がかじかんだのでズボンのポケットに入れてしのぎました。つい先週までは熱帯のスリランカにいたのとは大変な違いでしたが、都会の喧騒とは違う田舎の落ち着いた景色や雰囲気には共通のものを感じました。朝7時頃には子供たちが自転車で学校に向かう姿が見えました。この辺りは、以前私が農林水産省の農業資材審議会農薬分科会長の任にあってマイナー作物の農薬登録問題を検討していた時に、ワサビ(ワサビにも害虫が発生しますが、当時ワサビに登録のある農薬は皆無でした)の現場での栽培状況を見学に来た頃は穂高町と呼ばれていましたが、今は安曇野(アズミノ)市に合併して安曇野市明科(アカシナ)になっていました。
散歩に出る直前にアメリカの空手の弟子/友人のユージン・サンチェス君から電話がありました。先日アメリカ東部海岸を襲ったハリケーン"Sandy"の被害見舞いの留守電を入れておいたことに対するお礼の電話でした。最も大きな被害を受けたのはニューヨーク州やニュージャージー州で、今回はノースカロライナ州の被害はそれほどでもなかったとのことでした。従って、ウィルミントンという海岸の町にある彼の家にも被害はなかったとのこと。しかし、停電の復旧工事の手が足らないので、電力会社に勤めている彼自身も北部の州に復旧応援要員として派遣されるだろうとのことでした。
長野県森林病虫獣害防除検討会は、長野県林業薬剤防除協会/長野県森林保全対策協会/長野県林業職員協会/長野県森林組合連合会/安曇野市/松本市の主催、多くの諸団体の共催で、林野庁中部森林管理局/長野県/長野県市長会/長野県町村会の後援を受けて、安曇野市明科公民館で10:00 から開催されました。
主催者・来賓の挨拶に続いて、私が「松林に散布された薬剤の飛散実態と健康影響の可能性」という演題で講演をしました。参加者は長野県下の市町村職員が大半でしたが、松枯れの激害化が進行していて対応を迫られているという状況下で、一部一般市民も参加して、事実を知りたいという真剣な雰囲気が伝わってきました。ヘリコプターによる薬剤散布が、2008年の上田市における保育園児の喉の痛み症状の訴え騒動以来、実施し難くなっていますが、今まで薬剤散布による健康影響の訴えがなされたほとんどの場合、実際には健康影響が起こるような周辺環境への飛散は起こっていないし、健康影響の可能性は著しく低い(=実質的にない)という私たちの過去9年間にわたる全国各地での科学的調査結果に基づく見解に熱心に耳を傾けてくれました。それでも、科学的事実とは別に、農薬反対活動家グループがメディアを使って農薬による健康被害を大きな声で訴えれば、政治的に考慮せざるを得ないというところが行政担当者のつらいところです。
その後、ヤンマーヘリ&アグリ(株)の斉藤次男氏による「無人ヘリについて」の講演がありました。
昼食後、無人ヘリコプターによる薬剤散布(水で代用)の実地研修のために、各自の車で安曇野市明科押野山に移動しました。この地域は松枯れの激害発生地で、松くい虫で大量の松が枯損し、見るも無残な状況でした。
無人ヘリコプターによる薬剤散布は、通常早朝の凪(なぎ)の時に、風速が毎秒3m以下の時だけに実施しますが、今日は時間的に午後になったこともあってかなりの強風が吹いていましたので、ヘリコプターを松林の上までは飛ばさずに、地上から数m飛び立たせて水を散布するデモンストレーション飛行をしました。
帰りは上田市から参加していた方の車に同乗させていただいて、上田駅から長野新幹線に乗りましたが、上田駅までのドライブの途中の山の景色を堪能しました。
2012年10月31日水曜日
上野発10:30 の長野新幹線あさま515号に乗って、長野駅に11:51 に着きました。現地の方が車で待っていてくれて、宿泊予定の安曇野(アズミノ)市明科(アカしな)のホテル(ビレッジ安曇野)に行くのに時間に余裕があるので、途中更埴(コウショク)市姨捨(オバステ)山のレストエリアに寄って昼食を食べ、さらに大峰高原の7色大カエデを見に行くことにしました。
姨捨山から千曲川方面を見下ろす夜景は、世界の3大夜景の一つと言われているそうですが、すぐ手前にはリンゴ園があり、昼間でも全体が見渡せるパノラマのような見事な景色でした。
大峰高原の7色大カエデはちょうど見ごろで、正に7色の紅葉が楽しめました。看板の説明によると、昭和22年に大峰開拓団(昭和20年が終戦ですから、海外からの引揚げ者もたくさんいた筈で、食べるためにこんな高いところにも入植して開墾したのでしょう)によって発見されたとのことです。
ビレッジ安曇野の入り口にあった木彫りの彫刻は、女性の像でしたが、貧しさの悲惨さを表現しているのか、何故か10月にワシントンDCのフランクリン・ルーズベルトモニュメントで見た貧しい男と女の像と似たような印象を受けました。ホテルの入り口に何故このような像があるのだろうかと、ちょっと不思議な気がしました。
明日の研修会の参加者は当初の約100名という予想をはるかに超えて150名を超えるとのことでしたが、夕方6時からはホテルの大広間で懇親会がありました。松枯れ問題について、行政担当者とも情報交換ができて大変有意義でした。
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2012年10月30日火曜日
午前10:40からの講義に間に合うように十分ゆとりを持って自宅を出たのですが、松戸駅に着いたらいつも利用する地下鉄千代田線の隣の駅の金町で電車の窓が割れるという事故があったらしく、千代田線は超ノロノロ運転なのでお急ぎの方はJR常磐線で北千住に行って乗り換えて下さいというアナウンスがありました。多くの通勤客がそうしたので、超満員になりましたが、東京農業大学にはほぼちょうどの時間に着きました。
今日は面白いことに気が付きました。講義の途中で、学生がちゃんと理解してくれているかどうかを確認するために何か質問はありますかと訊いても誰も手を挙げません。そこで前の方で熱心に聴いてくれている学生を指名して個別に質問をしてみると、やはり肩をすぼめる仕草をするだけで何も言いません。
ところが、時間がきて出席カードを教壇のところに提出するように指示すると、大勢の学生が私の周りに集まって次から次に質問をしてきます。結局、人の前でちゃんとした日本語で質問をするのは苦手でできないけれど、個人的に普段の言葉で1対1で話すのだったら、言いたいことがいっぱいあるということのようです。アメリカでは、小さい子供の時から自分の意見をきちんと言葉で表現する訓練を受けていますが、日本では(特に最近は)パソコンの画面や携帯やスマートフォンの画面を眺める時間は多くても、人の前でちゃんとした日本語で自分の意見を表現する訓練を受けていないので、大学生になっても教室全体の中で質問をすることができないということではないかと思いました。
午後から大学の周りを6Km ジョギングして、学会誌に外国から投稿された論文の校閲(査読)をしました。元はと言えば、追い詰められないと集中できない私の性格のせいですが、これでひとまず絶対絶命の危機は脱しました。
自宅に帰ったら、先日会食をした社長から郵便のお手紙が届いていて、人形作家のお父様が日展に出品した創作人形の絵葉書と、国立新美術館(港区六本木7-22-2)で11月2日~12月9日に開催される第44回日展の案内状(2名まで入れる招待券)が同封されていました。「友情の人形は海をこえて」の本は出版社に連絡をして注文をされたようですが、その話を91才のお父様にしたら、青い目の人形使節に対する答礼人形の一つは自分の父親「野口明豊」(明治26年~昭和53年)が作ったものだと一喝されたとのことでした。お母様が人形作家だった市橋君の支援者と、たまたまノースカロライナの博物館で答礼人形を見た私と、農薬関係会社の社長と、そのお父様とそのまたお父様と、人形がきっかけで不思議なご縁ができました。
アメリカの東部海岸は「サンディ」と名付けられた強大なハリケーンが上陸して被害がでているとテレビのニュースが伝えていましたので、ノースカロライナのウィルミントンという海岸の町に住んでいる空手の弟子/友人のユージン・サンチェス君に電話をしてみました。彼はフロリダ大学工学部卒で、電力会社にエンジニアとして勤務しているので、ハリケーンで電柱が倒れたり電線が切れて停電になると、いつも修理に飛び回ります。留守電になっていたので、今回も電気を回復するのに飛び回っているのかもしれません。ノースカロライナ訪問中にお世話になったマージーさんにも電話をしてみましたが、ここも留守電設定になっていました。どの程度の被害がでているのか・・気になります。
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2012年10月29日月曜日
東京農業大学の研究室で明日の講義の配布資料を作成して、世話をして下さっている教員に送信しました。受講生の人数分コピーをとって教室に届けていただける予定です。その後、11月1日に長野県安曇野市で開催される森林病虫獣害防除研修会での講演で使うスライドの原稿を作成して、長野県の世話人に宅ファイル便で送信しました。こちらも当日までに配布資料として準備をしていただけるとのことです。
午後3時には予定していた来客があり、研究室でしばらく松枯れ対策について情報交換後、駅まで帰る途中の宮崎産鶏肉料理店で会食しました。
今日が締め切りの学会誌の論文校閲がまだできていないので、明日の午前中の講義が済んだら最優先であたらないと、絶対絶命です。
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2012年10月28日日曜日
(スリランカ訪問中の10月18日~21日の記事にさらに写真を追加しました。)
今日ははスリランカで撮った写真を整理して、ブログの記事に追加しました。昨日走れなかったので、雨の降りだす前に江戸川堤防に行って10Km をジョギングしてきました。
支援者の皆様からいただいたお便りに返事を差し上げるのが遅れていて、申し訳ありません。中国や、アメリカや、スリランカでお世話になった方々へのお礼の手紙もまだできていなくて失礼をしています。
1997年に日米科学協力事業として農薬に関するセミナーを私と一緒に企画実施した時のアメリカ側代表だったDr. Ron Kuhr が急死したとのメール連絡が届きました。身体障害者(小児麻痺)の30才くらいの息子さんがおられたので心配で、ご家族について問い合わせてみましたら、ご家族は奥様と息子2人、娘1人がおられるとのことでしたので安心しました。Dr. Kuhr はノースカロライナ州立大学で昆虫学科長もされ、カーバメイト系殺虫剤についてりっぱな本を書かれた研究者で、殺虫剤の研究者は誰でも知っている人でした。私とほとんど同年代だった筈ですが、今年は前立腺がんで車椅子生活をしているという情報だけで、会うことはできませんでした。急逝の原因は多分脳梗塞だろうとのことでした。一昨年、ノースカロライナを訪ねて一緒にランチを食べた時に、身体障害者の息子さんを連れて来られてお世話をしていた頃の元気な姿を思い出します。まだまだ仕事ができる状態だったのに、家族と一緒の時間を過ごしたいとおっしゃって職を辞して、息子さんのお世話をしておられたのに、ご自分が先に旅立ってしまいました。車椅子生活になってからは、奥様がしっかりお世話をしておられたとのことですので、亡くなるまでご家族との幸せな時間を過ごされたと想像しています。人の一生の充実感は、寿命の長短ではなく、どういう生き方をするかで決まるのだという思いが強くします。
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2012年10月27日土曜日
支援者から以下のお便りが届きました。
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今晩は。スリランカの写真拝見致しました。反日デモで騒がれていた中国、本山先生の古巣のノースカロライナ州、異国情緒あふれたスリランカ、それぞれ異なった国での文化や生活が伝わって来ました。
ブログで支援者の方々のメッセージ(ご意見)も拝見させて頂きました。私は、先日お伝えしました通り、市橋達也さんの為に残して頂くことを希望致します。支援金の残金処理方法として3つ案の提案があった際も迷わず2案を希望しました。しかしその思いとは別に保管方法が問題ですね。どなたか名案を提案して下さることを期待したいですが、難しいのではないかと思います。
8月に本山先生とお会いした時は、2案の保管方法について検討し、ご両親にご相談や、もしくは直接送金されても受け取って下さるのではないか...もし受け入れて頂けなかった場合は、領置金の没収の可能性がある10年間は、塀の外で保管し、直ぐに決めなくても、状況により検討して行けばと言うようなお話になりました。
しかしその後、菅野弁護士さんからご連絡により状況が変わり、本山先生のお考えも変わられたか気になります。私は、以前お話されたように、進めて頂けることを強く望んでいます。市橋達也さんの裁判が結審し受刑者となった今、マスコミが取り上げることもなくなり、ご両親も静かな時を過ごし始めていらっしゃると思います。そのような時に、ご連絡をされるのも気が引けますし、本山先生にご負担をお掛けすることになり恐縮ですが、支援者の思いを届けて欲しいです。
『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』が終了後、時間が掛かっても慎重に検討し決められればと思っていましたが、菅野弁護士さんへのお返事は、そろそろされないとならないでしょうか?訴訟についても、支援金の全額or一部?もう少し詳細を知りたいです。
支援者の様々な意見があり、本山先生も決断されるのも難しいと思いまが、よろしくお願い致します。
来年開催される館山若潮マラソン大会に参加されるのですね。しばらく日本から離れてハードスケジュールに追われ、帰国後もお忙しいようですが、体調を崩さないように、ジョギング頑張って下さい。
本山:ご意見をありがとうございました。多くの方が、支援金は一般的な被疑者/被告人と弁護人との関係の問題点を改善するためでなく、市橋君という特定の個人の裁判を支援するために振り込んだので、あくまで市橋君のために使ってほしいというご意見だということがわかりました。来週にでも一度菅野弁護士に電話をして、皆様のこういうご意見をお伝えするとともに、千葉刑務所の弁護活動妨害行為に対して国を相手に告訴して被疑者/被告人の権利を守るというお考えについてもう少し詳しく伺おうと思っています。場合によっては、現在ある支援金の残金とは別に、菅野弁護士が起こそうとしておられる活動を支援するための募金を新たに開始することも考えられるかもしれません。
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今日は西千葉キャンパスのけやき会館レセプションホールで千葉大学名誉教授懇談会があり、各学部出身の約40名の名誉教授が出席しましたが、私も園芸学部出身の4人の名誉教授とともに出席しました。学長挨拶に続いて、各部局長等による部局の近況報告があり、その後大ホールに移って2題の講演がありました。①「千葉からアジアへ、アジアからアフリカへ-結核疫学調査と医療・対策の進展-」小野崎郁史(世界保健機構STOP結核部メディカルオフィサー) ②「長嶋学の創造-長嶋vs.野村-学生はどちらを求めるか」明石要一(千葉大学教育学部教授)
小野崎先生は千葉大学医学部の卒業ですが、長年スイスのジュネーブにある国連のWHOに勤務しておられ、結核は今でも世界で600万人の患者がいて、年間100万人以上が死亡しているという事実を話されました。私は日本ではもう結核は過去の病気かと思っていましたが、日本にも23万人以上の患者がいるとのことでした。WHO のDOTS(Directly Observed Therapy, Short Course)(患者が支給された薬をきちんと飲むかどうかを観察する)活動によって、支給された薬を生活のために売ってしまったり、途中で中途半端に飲むのを止めてしまうことを防いでかなりの治療実績をあげたようです。しかし最近は低品質の薬が出回ったり、多剤耐性結核の脅威が増しているとのことでした。カンボジアは結核患者の多い国で、患者がわざわざ遠くの町の病院に行くのは困難でしたが、日本の援助で地域健康センターを約60ケ所から約1000ケ所に増やすことで地元で診察・治療を受けることが容易になり、目覚ましい効果をあげたことがWHO の2012年10月の報告 http://www.who.int/features/2012/tb_cambodia/en/index.html に掲載されているそうです。
明石先生のお話しは、ご自身が長嶋茂雄ファンということもあって、主観が入るのではないかと思いましたが、学生を対象にアンケート調査を実施して真面目に長嶋茂雄と野村克也の比較をして、日本の文化の2つの流れ(海洋民族=長嶋型、農耕民族=野村型)について論じておられました。
在校生によるアトラクションとして、千葉大学合唱団が4曲歌った後、会場も一緒になって校歌を歌い、その後は学内の生協食堂で懇親会が行われました。
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2012年10月26日金曜日
今日は東京農業大学の研究室に行って、来週の講義や長野県での講演の準備をしました。昼休みは大学の周囲を6Km ジョギングしました。昨日の江戸川での14Km 走の疲れがちょっと残っていたので、今日は少なめにして昨日との平均で一日10Km にしました。
11月初めの収穫祭が近いので、学内はその準備で活気に溢れていました。
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2012年10月25日木曜日
以下のご意見が届きました。ありがとうございました。
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先生、ご舞沙汰しております。私も市橋さんが仮釈放されたときのためにお金を残して欲しいです。身元引受人の人が居ればいいんですが、居ない場合もあるので残して欲しいです。
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もし市橋君のために残すとすれば、前にも書きましたが現在70才の私は30年後まで支援金の残金を管理することはできませんので、多くの支援者の方々に納得していただける管理方法について、どなたか名案があればご提案下さい。
スリランカ出張中は、毎日ご馳走を食べるだけ食べて運動はほとんどできませんでしたので、体調は最悪になりました。来年1月27日に開催される館山若潮マラソン大会に参加しようかどうか少し迷いましたが、千葉大学走友会メンバーの大会参加報告などに刺激をされて、決心しました。今日、フルマラソン男子70才以上の部に参加申し込みをしました。今から3ケ月かけてトレーニングをして900Km くらい走り込んで、体重を9Kg 減らす計画です。先ずは制限時間の6時間以内の完走が目標ですが、昨年度大会(今年の1月)は5時間11分でしたので、あわよくばもう少し頑張って4時間台を目指したいと思っています。
早速今日は江戸川堤防に行って14Km 走ってきました。この距離を走るのは久し振りでした。ノースカロライナ州のJohnson 湖の周りを走るのとは景色が異なり、見慣れた江戸川の悠々とした流れと、空と、堤防の下に広がる家々や田畑を眺めながら走るのは、何となく安心感がありました。
アメリカ滞在中に、本を保管している貸倉庫の鍵が壊されたという電話連絡がありましたので、今日は新しい鍵を買って、管理会社が臨時に付けてくれていた鍵と交換してきました。鍵を壊されたのはこれで2回目ですが、倉庫には本しか入っていないので盗まれたものは何もありませんでした。
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2012年10月24日水曜日
支援者から以下のお便りが届きました。ありがとうございました。
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ご無沙汰しております。先生のブログ、正直言いますと、最近はまとめて読ませていただいています(すみません)。2日前に久しぶりに開きますと、K子さんのことや菅野弁護士からの要請のことに触れて書かれてありました。以前から、私自身すっきりしていないことが出てきた感じで、また想いを馳せております。k子さんは、市橋君から「面会したい人がいるので来てもらってほしい」というようなことを弁護士を通じて言ってきた女性でしょうか。(本山:いいえ違います。)
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あの上告をするかしないか考える期間、始めは市橋君も上告したい気持ちがあったけど、弁護士は上告しない方向だったし、現実に上告しても「勝てる」可能性がないので、市橋君はあきらめに変わり、最後は支援者も本山先生も上告を薦めたけど、市橋君の上告しない気持ちは頑なでしたよね。あの時期、弁護団と本山先生を含む支援者と市橋君自身の気持ちが、意思疎通が図れず、バラバラな感じがして、何とも歯がゆかったのを覚えています。現実にはK子さんが市橋君の気持ちに寄り添い、弁護団はどうしてもビジネス意識での関係・・市橋君にとって「僕の気持ちはわかってくれない」相手になってしまっていたということでしょうか。不運にも弁護士が薦めた「手記」が、一審であのような判断をされたことは、弁護士にとっても市橋君にとっても大きなマイナスでした(儲けたのは出版社だけ)。(本山:弁護団に裁判の厳しい見通しを言い渡された市橋君が、例え根拠がなくても甘い言葉を告げられれば、一種のマインドコントロールされた状態になって藁にもすがる思いになったことは容易に想像できます。)
私は、まだ若い市橋君が、現在K子さんとは面会することをささやかな喜びとしながら一生懸命服役しているのなら、その方が嬉しいです。ただ、どこでどう間違って、市橋君、彼女、弁護団や支援グループが良い連携を作れなかったか、残念に思います。K子さんと連絡をとって、市橋君の様子を聞くことはできないのでしょうか。(本山:市橋君自身が誰にも知られずに服役したいと考えている限り、市橋君の服役している刑務所や現在の様子を探索することは避けたいと思います。)
私は10年以上前、冤罪請求で話題の「無実の死刑囚 袴田巌プロボクサー」の弁護に関わる弁護士事務所で働いていたことがあります。やはり彼女だったか婚約者だったかの女性がいて、その女性が弁護士や外部の人との連絡役にもなり、袴田被告から弁護士事務所にも手紙が届くし、46年も前の事件だけど、一昨年には政治家も救援支援会を結成したようです。市橋君は実際に罪を犯したので、冤罪とは違いますし、また、市橋君の性格上多くの人に心を開くタイプではなさそうですが、それでももっと有益な支援環境を作れないものかと思います。(本山:市橋君自身が求めるなら、「市橋君の更生を支援する会」を立ち上げて支援活動をしてもよいというか、積極的にそうしたいと考えています。)
被告への理不尽な扱いや、検察と裁判長の癒着など、今も問題があるのは事実でしょうから、今の市橋君に関係することならば菅野弁護士に支援金を使って頂いても良いと思いますが、何となく支援者の皆様の考えとズレがある気がします。間に立って下さってる本山先生に、またストレスになってはいけませんし、全額ではないのでしょうから、私は本山先生に判断を委ねます。そのうち、市橋君の居場所がわかって、遠い場合は、本山先生には交通費とか必要になりますから、その時はまた支援金募ってください。
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寒くなってきましたので、ご自愛くださいませ。
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今日はある農薬関係会社の社長と東京で夕方5時に待ち合わせ、会食をしました。私ももう70才だからそろそろ農薬問題からも松くい虫問題からも卒業して、何か国際親善や人類の平和に役に立つような仕事をしたいと思っていると話して、支援者から送っていただいた「友情の人形は海を越えて」をお見せし、この本を英訳して出版して答礼人形を保存しているアメリカ側の博物館に送ってあげたいんだという私の気持ちを伝えました。社長は本を手に取って眺めた後で、実は自分の祖父は人形作家で、父(91才)も芸大卒で彫刻と人形を組み合わせた新しいジャンルの芸術作品を創った人間だと話されました。父もこの本に興味を示すかもしれないとおっしゃって、本のタイトルや出版社をメモされました。たかが人形、されど人形で、よくできた人形はまるで魂が入っているみたいで、見る人に温かさを感じさせてくれます。
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2012年10月23日火曜日
東京農業大学に久し振りに顔を出しましたら、事務室にたくさんの郵便物がたまっていました。その中に、市橋君に関するものと、答礼人形に関するものがありましたので、ここで紹介させていただきます。
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本山先生、毎日お忙しそうですが体調は大丈夫ですか。以前手紙を出させて頂いた〇〇〇〇と申します。先日(11日)のブログを読ませて頂きました。久し振りに市橋君の名前を見つけ、少し期待して読み進んだのですが・・・。こちらの「想い」がそのままの形で相手に届かないというのは、もどかしいものですね。市橋君の事を家族の様に心配していた方々は淋しい思いをしているのではないでしょうか。K子さんが、どういう考えで市橋君と関わってみえるのかは判りませんが、全て市橋君の為を思っての行動であり、市橋君の未来に良い結果をもたらしてくれると信じたいです。それでもこの先万が一、市橋君の気持ちに変化があって、本山先生に会いたくなった時には、余計なことは何も考えずに素直に甘えてくれる事を願っています。
支援金の件はほとんどお役に立っていない身ですからずうずうしいと思いつつも、菅野弁護士のお気持ちは解る様な気がします。世間の目に触れる事のない特別な場所で、権限を利用して行われている差別やいじめ、それによってまじめに罪を償おうとしている人達が傷ついたり心をかき乱されたり、また、本来与えられている権利が認められなかったり・・・。そういう現状を改善する為に使われるのであればとても有意義なことだと思います。もっともっと他の方々のお気持ちも知りたいと思いました。私としては、これからも市橋君を見守っていきたいと思っておりますので、また何かがあればこの先もブログで教えて頂けるとうれしいです。
呉々もお体を大切になさって下さい。 平成24年10月13日 この手紙がいつか無事にお手元に届きますように・・・
本山:ありがとうございました。しばらく大学に来なかったので、お手紙を拝見するのが遅くなって失礼しました。顔を表に出して活動をすれば当然予想されることではありますが、今でも時々馬鹿げた嫌がらせがありますので、自宅は公表しないことにしています。そのために、郵便物を手にするのが遅くなってしまいます。K子さんは当初支援金を送って下さり、私とのメールのやりとりもありました。確か当時のブログで書いたと思いますが、ご本人のお考えとこの支援する会の目指していた趣旨とは違うと感じられて(自分はお金を騙し取られたのですねとおっしゃって)離れた方です。個人情報ですのでこれ以上は申し上げられません。市橋君との関係がどうなっているかも、菅野弁護士からお聞きしたこと以上は私にもわかりませんし、市橋君自身から連絡がない限りそのままにしておこうと思っています。
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本山直樹先生
昨年に続き2回目の「ミス香川」青い目の友情交流についてのブログを拝見し、なつかしくなりお便りさせていただきます。
私の母は昨年の暮に85才で天に召されましたが、日本人形を作る一方、青い目の友情交流には深く関わっており、ギューリック三世御一家とも親しく交わらさせていただいておりました。長崎県出身ということもあり長崎たま子の修復や各地の小学校の青い目の人形の修復にもたずさわってきました。昨年、先生のブログでノースカロライナの博物館にミス香川が所蔵されている記事を拝見した時は、母は大動脈瘤の手術後で、この話しを伝えることはしませんでした。
ミス香川は吉徳さんが修復され、おそらく地下に保存されていた市松人形やヒナ人形は、吉徳さんか、久月の現代ものだと思います。1998年に発見され、日本で修復され1999年にノースカロライナに帰されたようです。
同封の絵本は青い目の人形について丹念に調べこの話題を日本にあらためて紹介された、武田英子先生が描かれた一冊です。(数冊残っていましたので・・・) 武田先生は母より数年前に亡くなられましたが、戦時中におこった出来事を記憶にとどめている人達がいるうちに語りつぎたいと、パネル展示を見つかった人形と共にできるよう子供達に向けて尽力されました。昭和を生きた戦中、戦後世代の方々は、今の若い世代とはあきらかに違う歴史観を持って過しておられると思います。ギューリック一世が願った「平和への思いは幼い頃から養われなくては育たない」という思いを、民間レベルで、人形を交換するという行為によって、今の時代にも伝える力を持っていることに感動します。
母の回顧展を11月14日から横浜人形の家でいたします。300体以上創作した作品は国際交流の親善人形としても海を渡っています。一応ご案内を入れさせていただきます。
先生も一時として休みなく動いておられるご様子の中、広く窓口を開いておられますので、不必要な情報も一方的に来ることと思います。私も余計なお世話の一人かも知れませんが、お許し下さいませ。 God bless you! 2012.10.16 〇〇〇〇〇
本山:素晴らしい情報と、素晴らしい絵本「友情の人形は海をこえて」文:武田英子、絵:うすい しゅん、ドメス出版(1997年)をありがとうございました。ページをめくりながら、胸が詰まりました。青い目の人形と答礼人形にはこんなに深い歴史と、日米両方で関わってこられた方々の努力と思いがあったのですね。私はたまたまノースカロライナの博物館でミス香川に出会って、あまりの愛くるしさに興味を惹かれただけですが、いつか時間ができた時にこの本を英訳してノースカロライナの博物館に渡してあげたいという気がしてきました。お母様が亡くなられる前に一度お目にかかって、お話を伺えればよかったなあと悔やまれます。横浜人形の家での11月14日からの回顧展は是非鑑賞させていただこうと思っています。
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東京農業大学での講義は1年ぶりで、受講生は151人でした。最初はパソコンとパワーポイントプロジェクターの接続がうまくいかなくてスライドを映写できなかったり、途中でマイクの電池が切れて使えなくなったりのアクシデントはありましたが、若い学生諸君を前に、熱がこもりました。
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2012年10月22日月曜日
昨夜は何かのトラブルでコロンボ空港での出発時間が1時間半くらい遅れましたが、正味8時間半くらいの飛行時間で無事成田空港に着きました。京成電鉄の空港駅で電車を待っていたら、大きなスーツケースを持って、ジーパンの両方の腿や脛の前側部分がズタズタに切れている(多分、ファッション?)若い女性がしきりに時刻表の案内板を見て首をかしげていたので、"Do you need any help?" (何か助けが必要ですか)と言って話しかけました。カナダ在住の中国人で、友人を訪ねに浅草まで行くのだけどどの電車(成田スカイライナーか空港アクセス線か)に乗ったらいいのかわからない、とのことでした。たまたま私の乗る空港アクセス線の電車が羽田空港まで直行する電車だったので、私は新鎌ヶ谷駅で降りて乗り換えるけど、あなたはそのまま乗っていれば目的の駅まで行くからと教えてあげました。非常に喜んで、一緒に座ったら私の名前を訊くので名刺をあげて、日本滞在中に何か困ったことがあったら携帯に電話をするようにと言ってあげました。今年の反日デモの最中に北京にいたことや、私には台湾にも中国にも親しい友人や教え子がいることなどの話をしました。
自宅に着いてから、早速明日の講義の時間や教室や受講生人数などについて東京農業大学の世話人教員に電話をして確かめました。151人も受講生がいるそうなので、配布資料の印刷時間を考えると、自宅を朝8時には出る必要がありそうです。
昨年の講義資料があるので、それほど大変ではありませんが、今から頭をスリランカから日本に切り換えてその準備をします。
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2012年10月21日日曜日
支援者からお便りが届いています。ありがとうございました。
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本山先生
ご無沙汰しております。(アメリカから)お帰りなさい。
さて支援金の件ですが、昨日先生宛に手紙をだしました。市橋君に渡ってもらいたいと願います。お忙しいとは思いますがスリランカよりお帰りになり、ご都合がおつきでしたら、一度お目にかかりたいと思っております。またご連絡頂けたら有難いです。詳しい事は手紙に書きましたので宜しくお願いします。くれぐれもお身体には気をつけてください。
(以下は郵便で届いた支援者お二人の連名のお便りです)
先生、ご無沙汰いたしております。そしてお帰りなさい。
さて、支援金のことですが、支援者が優しい気持ちで市橋君のために送ったお金です。どんな事があっても市橋君の手に渡ってほしいと願います。13日のブログの三人目の支援者のお気持ちと全く同じでございます。K子さんの事は確認もとらないまま、ただ憶測だけで大切な支援金を使ってほしくありません。無期とはいえ、30年後とは限りません。市橋君は印税と所持金全てを寄付してしまいました。この支援金だけは市橋君のためにどうしても残して下さい。そのためには、先生にはいろいろご苦労をおかけする事と思いますが、どうぞよろしくお願い致します。13日の初めてメールをしたという支援者の文章を読み、同じ気持ちで涙が出てきました。
いつも市橋君の元へお花を届け、熱心に刑務所見学などされ、市橋君と面会をされた方とお会いすることは可能でしょうか?もし可能でしたら、先生とご一緒にお話しできたらと思います。スリランカから戻られ、ご都合がつく日をお知らせいただけたらありがたく思います。忙しさと季節の変わり目、御身大切になさって下さいませ。
本山:日本には22日の午後帰国予定です。帰国後しばらくはいろいろな予定に追われる筈ですが、少し落ち着いて時間のゆとりができたらお会いできる日時についてご相談致します。市橋君と面会したことのある支援者もこのブログを見ておられる筈ですが、他の支援者とお会いするかどうか今度伺ってみます。
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今晩は。アメリカでの生活、ブログで楽しみに拝見していました。自然に囲まれた景色の写真も良かったです。
支援金の残金ですが、市橋達也さんの仮釈放後の為に残して頂くことを希望致します。
K子さんの養子縁組・婚姻や身元保証人のお話は可能性であり、事実を確認することも出来ませんし、この先のことも分かりませんので、K子さんの状況とは関わらず、決められた方がよろしいかと思います。私も多数の支援者の方が望まれた彼の仮釈放後の為に保管出来るように検討して頂きたいです。本山先生にご負担をお掛けすることになり、申し訳ございませんが、よろしくお願い致します。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。アメリカ、スリランカとご多忙なので帰国されてからお便り差し上げようか迷いましたが、他の支援者の方からたくさんのお便りを頂いているそうなので、私もこのタイミングにすることにしました。大変お忙しければ、大変申し訳ないです。
k子さんの件につきましては大変驚きましたが、先生が以前おっしゃったように、今回の裁判に対していい影響を与えたとは決して思えません。先生のおっしゃったように、市橋さんを振り回したという印象が大変強いです。k子さんが弁護士や法医学者を知っていると言っても、結局市橋さんに紹介できなかったからです。k子さんとは一体何者なのでしょうか?どういう方なのか良くわかりませんし、信用できません。k子さんの年齢、k子さんと市橋さんが連絡を取られているかどうか、K子さんの養子縁組・婚姻や身元保証人の話はあくまでも可能性であり、事実を確認することも出来ませんし、この先のことも、他の支援者の方々のおっしゃるとおり、分かりませんので、K子さんの状況とは関わらず、決められた方が良いと思います。永山死刑囚の場合は獄中結婚が数年で離婚したと聞いていますし。私も他の支援者の方々と考えは同じです。支援金は市橋さんに無事届いて欲しいと思っております。
お忙しいところですが、くれぐれも体調にはお気をつけください。それでは。
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今日はやっと少し時間のゆとりができたので、午前中ホテルの部屋でメモに基づいてブログの記事の更新をしました。帰国の飛行機はコロンボ空港から夜中の11時半に出発の予定ですが、午後にはCropLife Sri Lanka の会員会社のどなたかから電話があることになっていて、午後からのコロンボ市内の見学や夜の空港まで(車で約1時間)のトランスポーテイションの指示がある筈でした。
なかなか電話がこないので不安になってこちらから電話をしてみたら、夜遅い便なので夕方8時頃ホテルを出発すればよいと考えていたようでした。ホテルのチェックアウト時間を特別夕方5時まで延長してもらっていることを話したら、打ち合わせをしたらしくMonsanto India Limited という会社のBusiness Manager のSaman Premalal氏 が来てくれました。空港に行っても待ち時間があり過ぎるので、市内のレストランで一緒に早目の夕食をしながら時間をつぶしました。8時頃になって、Premalal氏が手配してくれたタクシーで空港に向かいました。
中国、アメリカ、スリランカと連続してしまったので厳しい日程でしたが、無理を押してこちらに来て良かったと思います。シンポジウムでの講演を、半分お世辞かもしれませんが、スリランカに大変役に立つ講演をありがとうございましたと言われたのも嬉しい気がしましたが、私的な面でこの国の景色や人々の姿を直接見ることができたことはもっと良かったと思います。
コロンボのように30階建ての高層ビルが並んで活気に溢れている都会と、シンポジウムが行われたPeradeniya の周辺の田舎町や農村と、まるで現代と古代が混在している印象でした。日本の昔の屋台のような小さな小屋で果物や野菜や雑貨を売っている店が道路にたくさん並んでいましたが、電気がないので暗くなるとローソクを灯していました。村人にはこれしか生計を立てる方法がないのでしょうが、一日でいくらの稼ぎになるのだろうと思ってしまいました。縄文時代の竪穴式住居と比べるのは大げさ過ぎますが、それとあまり変わらないようなただ壁を立てて屋根をのせただけの掘っ立て小屋のような小さな家に住んでいる人たちもたくさんいました。本当は、日本の若者たちに世界のこういう状況を見せたい気がしました。何のために勉強するのか、どういう生き方をしたいのか、おのずから見えてくると思うのですが・・。シナモンホテルにあったりっぱな石の仏像と、シギリヤ村で散歩した時に見つけた巨木に掲げた木製の手作りの仏像と、仏様への信仰心には変わりはないと思うのですが・・。
一番良かったのは、子供たちの純真で明るい表情でした。16才未満は労働禁止で、公立学校と医療費は無料で、子供の人権が守られているそうですが、クリケットに興じて走り回っていたり、公立学校の子供たちが国から支給される真っ白の制服を着て通学している姿が爽やかで何とも言えません。この子供たちが学校を卒業して大人になる時に、それぞれの夢を実現できる社会が待っていてくれたらいいなあと願ってしまします。
コロンボの高級ホテルに泊まって、バッフェースタイルのレストランでは美味しいご馳走も果物もデザートのケーキも食べ放題で、私は少し罪悪感がしました。でも、私がここに泊まって美味しいご馳走を食べることで、人々の仕事が生まれ、経済が活性化する一助になるのだという言い訳を考えて自分を納得させました。
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2012年10月20日土曜日
今日は朝食の前に宿泊しているヴィレッジの周囲をカメラを持って散歩してきました。この辺り一体が文字通り熱帯植物園のような感じで、樹齢何百年かわからないような巨大な樹木や珍しい植物だらけです。熱帯植物の花はどうしてこんなに派手なのか、多分進化の上で説明があるのでしょうが不思議な気がしました。野鳥の鳴き声も何となくけたたましく聞こえますし、モンスーンシーズン(雨季)が始まって嬉しそうに鳴いている蛙の声も日本のとは違う感じがします。ちょっとした岩の上にカメレオンがいたり、小型のワニのような動物が草むらを横切ったのですぐカメラを向けてシャッターを切りましたが、多分イグアナという大型のトカゲの一種だと思います。
途中、村人がたむろしている場所を通ったら、年配(老人に見えましたが実際はそれほどでもないのかもしれません)の男性が一緒に歩き出し、いろいろ説明をし始めました。最初のうちは相槌を打つ程度で無視をしていましたが、どこまでも着いてきて勝手にあれやこれや説明をして、象のいるサファリまで案内すると言い出しました。ポケットから公式のツアーガイドの身分証明証を出して見せたので、ははーんガイド料を稼ぎたいのだなとわかりました。私は自分で散歩をしているだけだからガイドは要らないと言ったのですが、勝手に説明をしながら付いてきました。30分くらい散歩をして元の場所に戻ってきた時に少しだけでもチップをあげようと思って財布を出して100ルピー紙幣を2~3枚取り出したら、駄目だ少な過ぎる、2~3千ルピーだといわれました。コロンボの空港で2万円をルピーに換えてきただけで、1ドルが何ルピーかもチェックしなかったし、チップの相場がどれくらいかも調べていなかったので、言われるまま2千ルピーを渡しました。後で、人に訊いたら、1ドルが130ルピーくらいで、正式のガイド料としては2~3千ルピーは妥当なところだということでした。あちこちで、私に近づいてきて日本語で話しかけてくる人がたくさんいますが、ガイドをしてお金を稼ぎたいということのようです。
散歩で汗びっしょりになったのでコテージでシャワーを浴びてロビー兼食堂に朝食を食べに行って、外の景色が見えるように外側のテーブルに座ったら、屋根の下の梁(はり)からネズミのような動物が食卓を見下ろしていました。よく見たらリスでした。サルも頻繁に見ますが、木から木へと身軽に動き回っています。
私をコロンボ市まで車で連れて行ってくれることになっているCropLife Sri Lanka の会員のHayleys Agricultureという農業資材・農機具の会社のGeneral Maneger (総支配人)のSiriweera Gamage 氏がが昼頃来たので、昨日は時間が遅くてSigiriya(シギリヤ)の巨大な岩山の上に上れなかったけど、今日コロンボに帰る前に寄って上る時間があるかと訊いたらOKだということだったので、行ってみました。ここでも、車を駐車して歩き始めたら、すぐ一人の若い男性が一緒に歩き出していろいろ説明を始めました。3千ルピーで案内すると言いましたが、マイペースでゆっくり上りたいのでガイドは要らないと断りました。それでも一緒に付いてきていろいろ説明をしてくれました。ほとんど垂直に近い角度でそそり立っている高さ200mの岩山の壁面に沿って、狭い階段が設置してあり、転落しないように設置してある柵やロープに掴まりながら上りました。途中の広い場所には岩をくり抜いたプールがあったり、頂上には宮殿の遺跡(土台)があり、ここがKing(王様)の部屋でここが妃(きさき)たちの部屋だったと説明をされました。こんな高いところでどうやって水を確保したのかいまだに謎だとのことですが、紀元5世紀頃の宮殿だそうですが、灌漑施設や岩山の途中の壁に描かれた妃(きさき)たちの壁画など、信じられないような技術が当時あったことを物語っています。往復2時間くらいの崖道の上り下りで、全身汗だくになりましたが、それだけの価値は十分ありました。体力的には、普段ジョギングで鍛えていてよかったなと思いました。若い男性にはお礼に4千ルピーを差し上げました。Gamage 氏によると、若い男性が最初ガイドをしたいとスリランカ語で言っきたので、私の今朝の経験を話して、ガイドをしてもお金の請求はしないように、私が満足すれば黙っていてもお金を払ってくれる筈だからと言ってっやったのだそうです。そうしたら、私が請求されなくても相場より高い4千ルピーを払ったのを見ていて、ガイドも大喜びしている筈だと言っていました。ちょっとした心配りで、私個人だけでなく、日本人としての評価につながりますので、4千ルピーをあげてよかったと思いました。成田空港にはスリランカルピーはなかったので、コロンボ空港で少しだけ円をルピーに交換したら、1円=1.5728ルピーでしたから、4千ルピーは約6千3百円に相当します。
コロンボへの途中、豪雨の中を走る場所があり、目の前で交通事故も2件目撃しました。Gamage 氏によると、今年は旱魃(かんばつ)で何週間も田植えができなかったのでこの雨は恵みの雨で農家がやっと田んぼを起こして田植えができるので、大喜びしている筈だとのこと。自分もそうなれば農薬が売れるので、大雨の中に出て踊りだしたいくらい嬉しい気持だと言っていました。日本の農薬会社とも取引があって何回か日本に行ったことがあるが、営業相手の日本人社員に毎晩のようにお酒を飲みに連れて行かれてカラオケで歌ったと言っていました。接待の意味だったのでしょうが、日本の悪い文化を強要されて申し訳なかったと、私が謝っておきました。この方は日本の仏教(何派かは聞き取れませんでしたが南無阿弥陀仏ではなく南無妙法蓮華経を唱えるとおっしゃっていたので日蓮宗の一派でしょうか)の信者で、日本から高僧(導師と言うのでしょうか)がスリランカにも来てすばらしい説教をしてくれるとのことでした。
コロンボ市の前と同じCinnamon Grand Hotel Colombo に着いたのは真っ暗になってからでした。5時間くらいのドライブを途中1回休憩しただけで彼が一人で運転してくれましたが、途中でコロンボ市に住んでいるご家族(奥さんと3人の息子さんたち)から何回も電話がありました。事故がないように心配をした電話で、そういう点では日本人もスリランカ人も全く同じだなと思いました。車でこれだけ遠出をすれば、私の妻も心配してそうするよと言ってあげました。
ホテルでは今夜の宿泊代と今夜の夕食、明日の朝食、昼食代を全部払ってくれました。全部で280ドルくらいでしたが、部屋に行ってみたら大統領が泊まるような特等室でした。彼には借りができたので、今度日本に来る時はお返しをしたいので必ず連絡をするように伝えました。
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2012年10月19日金曜日
午前中に反農薬活動をしているNGOの人達と会って討論をするという予定になっていたのが、どういうわけかキャンセルになったので私もProf. Bridgesも自由になりました。Prof. Bridges 夫妻はすぐ帰国する必要があるとのことで、Dr. Patilと一緒に朝10時半に車で出発してコロンボ空港に向かいました。私はせっかく来たので少し見学をしたいということで、CropLife Sri Lanka の会員のLankem Ceylon PLC という会社のDistrict Manager(地域総支配人)のRahitha Seneviratne 氏の案内で車でKandy District の周辺を回りました。
公立学校の子供たちは皆政府から支給される真っ白の制服を着て通学していました。授業の始まる前に早めに学校に着いた子供たちは、羽子板を大きくしたような形の板を野球のバットのように構えて投げられたボールを打って走り回っていました。これが多分クリケットというスポーツなのでしょう。子供たちの純真な笑顔を見ると、国籍や人種は関係なく癒されます。
金色の大きな大仏像も見に行きましたが、奈良の大仏や鎌倉の大仏と似ている感じがしましたが、日本のは青銅色で渋い落ち着いた趣きがあるのに対して、スリランカのは金色で周りの建物の飾りなども極彩色で派手なところが違っています。それでも、あちこちにもっと小さい大仏の設置してある小さな建物や中には大仏の絵だけが掲げてある小屋もあり、人々が手を合わせて祈っている姿を見ると、仏教が宗教として生きているという感じがしました。
地区によってはヒンズー教徒が集中して住んでいるところもあり、りっぱな寺院があったので許可を得て中に入ってみました。靴を脱いで大きな建物に入ると、あちこちに違った神が祀(まつ)ってあり、その前で人々が祈りを捧げていました。
農業資材の卸商(農機具、肥料、農薬、種子などを扱っている)と、小売店にも寄って、どうやって農薬を販売しているのか見せてもらいました。一番面白かったのは、スリランカは人口の大多数を占めるシンハリ人と少数派のタミル人から構成されているので、農薬のラベルの説明は全てシンハリ語とタミル語と英語の3ケ国語で書かなければいけない規則になっていることでした。他民族国家はこうしてお互いを尊重して協力し合って生活しているのだなということが実感できました。
それからSigiriya という町に移動しました。エジプトのピラミッドや中国の万里の長城などのような世界の7不思議に加えてもらう申請をしたという巨大な岩山の頂上の宮殿跡地に行って、頂上まで上るつもり(往復で2時間くらいかかるそうです)でしたが、到着時間が遅かったので今日はもう駄目だと言われてしまいました。紀元5世紀頃に、高さが200mくらいはある急峻な岩山の頂上にどうやって宮殿やプールを造ったのかいまだに謎なのだそうです。
今日宿泊するホテルは、岩山の麓に位置していて、コテージのような平屋建てが2軒ずつつながって配置されていました。比較的近くには野生の象の生息地と象を放し飼いして管理しているサファリとがあります。毎年100人くらいの人間が野生の象に襲われるとのことなので、車を留めて道に出たらいきなり目の前に巨大な象が現れた時は一瞬驚きましたが、これは人間が管理しているサファリの象でちょうど餌を食べに行くところでした。
(スリランカのコロンボ市のホテルに着いたのは16日の夜中の1時半で、それから徹夜で講演のスライドを仕上げました。今は車で約5時間かかって北上した別の町にきていますが、忙しくて記事の更新ができません。熱帯ですので、珍しい写真もたくさん撮っていますが、後で時間ができてから報告します。すぐ近くに野生の象の生息地があって、年に100人以上の人間が襲われているそうですが、今日は目の前に急に象が出てきたのには驚きました。今夜宿泊するコテージのドアには、猿にバナナをやらないようにという注意書きがありますが、猿もそこら中にいます。明日はまた車で5時間かけて夜にはコロンボ市に戻る予定です。
とりあえず、無事でいることだけをお知らせしておきます。)
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2012年10月18日木曜日
今日のシンポジウムは、Plant Genetic Resources Center (植物遺伝資源センター)という日本(のJICA)が協力して作ったりっぱな研究所・遺伝資源保存施設の講堂(約200人収容)で行われました。開会時には、海外からの中立的・科学的立場での専門家として英国からDr. Bridges と日本から私が参加していることが紹介されました。シンポジウムは次の3つのセッションで構成されていました。
Session One
"Relationship between exposure to heavy metals & chronic kidney disease and other adverse health effects"
by Prof. Jim Bridges (University of Surrey, UK)
Session Two
"Clinical fetures of CKDu"
by Dr. Thilak Abeysekera (Teaching Hospital, Kandy)
"Risk factors of CKDu"
by Dr. Kamani Wanigasuriya (Faculty of Medical Sciences, University of Sri Jayawdenepura, Nugegoda)
"Environmental Factors in CKDu"
by Prof. Dhammika M. Dissanayake (Faculty of Medicine, University of Peradeeniya)
Session Three
"Global perspectives of pesticides regulation"
by Prof. Naoki Motoyama (Tokyo University of Agriculture)
"Crop protection products: Global perspectives"
by Dr. Vasant Patil (CropLife Asia)
国歌の演奏とCropLife Sri Lanka 代表の挨拶から始まりましたが、肝心の政府の高官の到着が遅れているとのことで、予定より少し遅れて開会されました。いずれも大変素晴らしい講演でしたが、特にSession Twoは腎臓病の専門医と医学部の先生たちの講演でしたが、いわゆるEnvironmentalist(反農薬活動家)たちが主張しているように、輸入農薬から極微量の重金属(特にヒ素)が検出されたことから農薬がCKDuの原因であることを示す科学的根拠はないという点で一致していました。スリランカの農業にとって農薬が重要な資材であるという認識も共通していると感じました。
昼食の休憩時間にSession Oneの座長をされたUniversity of Peradeniya の化学科教授のDr. Oliver A. Ileperumaに話しかけられましたが、反農薬活動家たちが分析機関に委託して検出したとする微量の重金属の分析結果が再現性があるのか、どれだけの精度の値なのかという点について、スリランカでも独自に分析してみたいが残念ながらそれに必要な機器が国には1台もないので、私を通して日本(多分JICAを意識して)の協力が得られればありがたいとのことでした。
このことは、シンポジウム閉会後、宿泊しているホテルで行われた二次会にもスリランカ政府で農薬登録の総責任者(Registrar of Pesticides)の地位にある高官 Dr. Anura Wijesekera からも相談をされ、スリランカのCKDuの問題解決のために、今後日本との協力関係を築きたいので後日メールで連絡をすると言われました。
Session Twoの座長も2番目と3番目の講演者も女性の学科長・研究者・教授でしたが、大変りっぱな仕事をしておられて、スリランカでの女性の活躍の一端を見る思いでした。確か独立後、国名をセイロンからスリランカに変えたのも女性の首相か大統領かの時だったような気がします。
私も何とか務めを果たして気が楽になりましたので、二次会で入国して初めてビールを口にしてぐっすり眠りました。
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2012年10月17日水曜日
バッフェースタイルの朝食を食べて、ロビーに行ってみたらDr. Patil の方から私を見つけて声をかけてくれました。彼も私も1978年にノースカロライナ州立大学を離れて以来ですから、34年振りの再会でした。
コロンボ市での会議はすでに15日に行われて、イギリス人の重金属の毒性に詳しいDr. Jim Bridges (私と同じように名誉教授)とDr. Patil が講演したとのことでした。今日はスリランカ政府の厚生省所管のMedical Research Institute (国立医学研究所)のDirector (所長)のDr. Anil Samaranayake と面会する約束ができているとのことで、Dr. Patil、Dr. Bridges、私、それにCropLife Sri Lanka の人とで出かけました。所長によると、国立医学研究所でもスリランカの北中央部の辺りで特異的に多発している原因不明の慢性腎臓障害(Chronic Kidney Disease of unknown etiology を略してCKDuと言う)については原因究明の研究に取り組んでおり、問題の地域の井戸水を長期間実験動物(ラット)に投与する実験をしたところ、慢性腎臓障害の症状を再現できたとのことでした。その研究はすでに学会誌に投稿して掲載済みなので、別刷りをいただけるとのことだったのですが、残念ながら実験を担当した人が留守なので、後ほど送ってくれるということになりました。しかし、Dr. Bridges によると、慢性腎臓障害と重金属の関係については徹底的に文献検索をしてきたがそういう論文は見つからなかったとのことなので、まだ掲載はされていないのかもしれません。もし所長の言ったことが事実だとしたら、住民の飲んでいる地下水(井戸水)に関係があるということなので、原因の解明はできそうな気がするのですが・・。
国立医学研究所の所長ともなると非常に多忙らしく、研究者の研究内容を必ずしも性格に把握していないのかもしれないし、本人は若い時にスウェーデンの大学で医学の教育を受けたと話していましたので非常に優秀な方なのでしょうが、話し方が若干官僚や政治家的な感じがしました。Dr. Samaranayake と は約束の約2時間ほど意見交換をして、研究所を後にしました。
翌日の会議はコロンボ市内ではなく、車で5時間くらいかかる北部のParadeniya(パラデニヤ)地区のPlant Genetic Resources Center (植物遺伝資源センター)の講堂で行われるとのことなので、午後からはDr. Patil、私、Prof. Bridges 夫妻はトヨタ製のミニバスに乗ってそちらに移動しました。2車線しかない狭い道路を、車とバスと小型の3輪自動車とオートバイと人が混在して、昔東京オリンピックの時に日本のタクシーは狭くて混雑している道路をすごいスピードで走りぬけることから神風タクシーと呼ばれた時期がありましたが、前にいる車を次々に抜き去って走る様子はそれ以上の神業のようでした。Dr. Bridges の奥さん(後で自分の奥さんは栄養学が専門でロシア人だと教えてくれましたが、素敵な女性でした)は後部座席で目をつぶっていたようです。CropLife Sri Lanka の二人は別の車で出発し、途中打ち合わせてあった休憩所兼レストランで落ち合って一緒に食事をしました。Lanken Ceylon PLC という総合会社の農業部門のGeneral Manager(総支配人)のNishantha Jayamanne 氏と、Arista LifeScience という日本の会社のスリランカの総支配人のRanjan T. Gunasekara 氏です。
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2012年10月16日火曜日
結局昨夜は自宅に着いて、シャワーを浴びて、夕食をして、眠くならないようにコーヒーを飲んでから講演の準備をしていたら、朝になってしまいました。朝食を食べてスーツケースに必要なものを詰めて(妻がほとんどやってくれた)、電車で成田空港に向かいました。今日は成田からスリランカのコロンボまでの直行便がない日なので、マレーシアのクアラルンプールまで飛んで、4時間くらいの時間待ちをしてからコロンボ行きの飛行機に乗り換えました。空港には大体予定通り夜中の11時55分頃着いたのですが、チェックインしたスーツケースが出てくるのに1時間くらいかかってしまいました。ロビーでホテルの人が私の名前を書いたプラカードを持って待っていてくれる筈だったのですが、見つからずにウロウロしているうちに声をかけてきた人がいて、事情を話したら車でホテルまで連れていってくれました。空港は市内から離れたところにあるので、ホテルに着いたのは夜中の2時を過ぎていました。それからまた講演のスライドの最終仕上げをしたら、また朝になってしまいました。CropLife Asia のDr. Vasant Patil が朝10時半にロビーで待ち合わせて出発するというメモをフロントに預けておいてくれたので、朝その時間になったらロビーに行って彼を探すことにしました。
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2012年10月15日月曜日
今夕(日本時間で15日)ワシントンDC経由で無事成田空港に着きました。往く時に車を使わずに(駐車料金を節約するために)電車で行ったので、復りも京成電車を乗り継いで松戸まで帰ってきました。大きなスーツケースはクロネコヤマトで託送するつもりで予約して行ったのですが、明日の朝はスリランカに出かけることになってスーツケースと衣類がすぐ必要になったので、キャンセル(宅配だと翌日配達)して自分で引っ張ってくるのはちょっと大変でした。
妻が明日からの旅行の準備は全部してくれていましたが、私自身の講演の準備の仕上げをするのにまだ何時間かかかりそうです。支援者の方々からお便りが届いていますが、今は時間がないのでスリランカのホテルでインターネットアクセスができるようだったら、時間を見て向こうで対応します。
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2012年10月13日土曜日
日本からメールが届いています。ありがとうございました。
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初めてメールさせていただきます。市橋達也さんの支援の会、以前よりブログを、拝見させていただいていました。
市橋さんが逮捕されて、随分時間も経ち、テレビなどで報道されることもなくなりましたが、先生のブログを日々拝見させていただき、今も心配な気持ちになります。元々は、市橋さんが指名手配され、ポスターを街で見た時に、私の弟とすごく顔が似ていて、たまたま歳も同じでちょっと不思議な気持ちで事件に興味を持っていました。そのうち、自分の家族がこういう立場にたったら私はどうするだろうと、とても人ごとと思えず、いろいろと考えるようになりました。逮捕された時の映像、捕まるまでの逃げ続けた長い日々、裁判の事、いつも苦しい気持ちになりました。
市橋さんがした事は、とても許される事ではないけれど、何か人間には紙一重な所もあって、誰もがもしかしたらとっさの感情で、起こしてしまう可能性もあるんじゃないかと人の弱さの悲しさを思います。市橋さんの裁判は、3回行きましたが、全部抽選で外れてしまいました。
周りの人には、なかなか言えなかったので、いつも先生や支援者の方の文章を読んで、こうやって見守り心配してる方がいらっしゃるのに、私もほっとしていました。
今は、先生も面会に行けなくなり、苦しい気持ちもあると思いますが、いつか先生に市橋さんから連絡がきっときますように私もお祈りしています。
お体に気をつけて元気でいらして下さい。
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○○県の○○です。ご無沙汰を致しております。市橋さんの受刑生活が始まってから後も先生のブログは毎日楽しみに読ませて頂いております。日本にはない写真での景色が見ていて楽しいです。今日メールさせて頂いたのは弁護士さんの言われている告訴ですが、私個人の思いとしましては、今は市橋さんも受刑生活に入られて償いをされ市橋さんのご家族にされましても少しづつ静かな生活を取り戻されている事ではないかと想像します。そんな時にまた告訴をする事で市橋さんの名前をメディアが取り上げて、辛い思いをされるのではないか?と気になります。私たち支援者は静かに市橋さんの受刑生活が静かにむかえられる様見守る事が一番なのではないかと思っています。これから寒くなってまいりますが風邪などひかれないようにお身体ご自愛下さい。
本山:菅野弁護士は、千葉県で被疑者取調べの段階から弁護人をつけて、事実と異なる自白を強要されて冤罪が起こらないようにする制度を立ち上げた方です。今回考えておられる告訴も、刑務所という閉鎖社会で被疑者や被告人に対する弁護活動が妨害されないようにすることを目指したもので、市橋君の事件とは関係はないと思います。
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ご無沙汰しております。先生、お元気そうなご様子何よりです。今日は日曜日ですので、このメールを読まれるのは日本に帰国されてからかもしれませんね。
ところで市橋さんへの支援金についてのブログ拝見いたしました。私たち支援者が市橋さんの事を考え想い少しずつ送らせて頂いていた支援金。何とか市橋さんのお手元に届けたいと先生が色々と悩み試行錯誤しながら動いてくださった事、以前のブログで理解しております。
私も先生へメールで「遺言という形ででも市橋さんへ届けて頂きたい」と書きました。その想いは今も変わらず日々何とか市橋さんに届くように祈っております。今回K子さんが出所後の身元保証人になって下さる可能性があるとのお話ですが、それも確定ではないのですよね?あくまでも可能性があるという事ですよね。市橋さんが出所される時という先の長いお話なので、失礼ですが、ひょっとしてK子さんもどのようになっておられるか誰にも判断がつきません。そう考えると私としては、やはり市橋さんのお手元に届けて頂きたい気持ちでいっぱいです。
この私の意見(考え)は先生を悩ませ困らせる事になるのかもしれませんが、私は晩年の市橋さんに届けたいです。彼が長い間頑張って服役して出所した後の生活を助けたい、その想いだけは変えたくありません。他の支援者の方々はどう判断されるのか判りませんが、私は市橋さんに使って頂きたいと思います。頑なな私で申し訳ありません。
宜しくお願い致します。
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ブログに載せないでほしいと書いてあった支援者の方のご意見の要点:支援金は「私の考えで使ってよい」でした。
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今日は土曜でモーテルの朝食はない日ですので、部屋でコーヒーを沸かして、茶色の食パンのトーストと冷蔵庫に残っていたブドウを食べました。朝のうちに秋晴れの爽やかな空気を吸いに、近くのRegency パークの池の周りを1時間くらい散歩してきてから、スリランカで講演に使うスライドの準備の続きをしました。80~90%できたので、後は15日に日本に到着してから自宅のパソコンに入っているスライドを追加したり、3時間くらいかければ出来上がると思います。
昼頃、Margie さんとシャーロット市(車で3時間くらいかかる)からDon Proffer 君が来てくれたので、部屋で一緒にサンドイッチを食べてから映画館に行きました。Frank 君・JoAnn さん夫妻、Bill 君、Danny 君と娘のGina さんも来て、ARGO という映画を観ました。日本でも上映しているかもしれませんが、イランのアメリカ大使館が反米デモの群集に襲われた時に脱出してカナダ大使館に逃げ込んだ6人のアメリカ人を救出するというストーリーでした。アメリカ人は、コカコーラを飲みながら大きなポプコーンの容器を抱えながら、面白い場面では声を出して笑ったりして、映画を楽しみます。非常によくできた映画だというのが、皆の一致した意見でした。
映画が終わってから、イタリアレストランに行って、夕食を食べました。私は帆立貝と海老のグリルで焼いたものと、野菜としてブロッコリを食べました。2時間くらい8人で食べたりおしゃべりをしたりして、何人かは帰りましたが、Margie さんとBill 君とDon 君(今夜はこのモーテルに泊まります)がモーテルの私の部屋に来て、残っていたビールと赤ワインを飲みながら夜の10時半までいて最後の夜の時間を一緒に過ごしてくれました。
明日は午前10時25分発の飛行機ですので、朝7時半にモーテルを出て、途中でレンタカーを返して、空港に向かいます。
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2012年9月30日日曜日
近くに住むLarry 君の次男のJason 君はフィッシング用のボートを持っているので、家でLinda さんとMargie さんが女どおしのおしゃべりをしている間に、私とLarry 君は3人で昨年も釣りをした近くのBlailock 湖に魚釣りに行きました。Jason 君がガソリンのモーター(25馬力)を操作し、Larry 君が電気モーターを操作し、バス(ブラックバス)がいそうなところに疑似餌(私は底に沈むプラスチック製ミミズ、Jason 君は水面から少し沈む各種の疑似餌)を投げました。私の疑似餌にかなりの大きさ(多分2ポンド=0.9Kg くらい)のバスが食いつきましたが、安全ピンを外して針を刺し込ませる前に水面上にジャンプして疑似餌を吐き出して逃げられてしまいました。従って釣果はゼロでしたが、大きな湖でボートを走らせて、周りの美しい景色を眺めながら釣りをするのは最高の気分でした。
午後からはTate 牧場内の池に行って釣りをし、ここでは1.5ポンドくらいのバスを1尾だけ釣り上げました。Jason 君はハンティングとフィッシングが趣味ですが、2年くらい前に奥さんに逃げられて、まだ立ち直れていないようでした。あきらめて別の女性とデートをするように皆が紹介しても、逃げていった前の奥さんのことが忘れられないうちは、その気になれずに駄目なようでした。居間にはハンティングで仕留めた雄鹿の頭部の剥製がたくさん飾ってありました。
夕食にLinda さんが今日私が釣ったバスと、以前からLarry 君が釣って冷凍してあったブルーギルを料理して食べさせてくれました。デザートにはとろけるように美味しかった手製のバナナプディングを出してくれました。
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2012年9月29日土曜日
昨夜から雨が降り出しましたが、昼頃モーテルを出発して、サウスカロライナ州ギャフニィ市に向かいました。途中どしゃぶりの区間があって前方がよく見えなくなったので、事故にならないように慎重に運転しました。1回だけガソリンを入れる時に休憩しただけで、夕方5時半頃Larry Tate 博士の家に着きました。森に囲まれた325エーカーの土地は、奴隷のいた昔は一面の綿畑だったようですが、今は広大な牛の牧場と松林が中心です。
今年は子牛の値段がよくて、1頭平均800 ドルで30頭(計2400 ドル)売ったそうですが、牧草を育てる肥料代や冬の間補給する飼料代などの支出があるので、その中の40%くらいが手取り収入になるとのこと。今年は松の木もパルプの原料として売って同じくらいの売り上げがあったそうですが、こちらはほっておくだけで支出はないけど、木が育つまで何年もかかるので1年当たりの収入にすると僅かにしかならないとのことでした。
牛の他に卵を採る鶏と、ペットとしてのウサギと馬3頭を放し飼いにしています。アンティーク(古い物)が好きで、家の中には年代もののミシンやカンナ、庭には馬に引かせてトウモロコシの茎を刈る昔の機械が飾ってあり、バルコニーの床下には集めた動物の骨が置いてありました。
Larry 君と奥さんのLinda さんが待っていてくれて、夕食をご馳走になりながらいろいろな話をしました。ちょうどLinda さんのいとこのMaton Smith 氏が仕事の都合で訪ねて来ていましたが、アラバマ州のモービル市出身で、独特の訛りのある英語で話していました。Larry 君の家にはゲストルームは一つしかないので、同行したMargie さんがそこで寝て、夫婦の寝室のベッドを私に提供し、Larry 君とLinda さんは居間のソファーベッドで寝ました。Maton 氏は近くの娘の家に泊まらせていました。アメリカ南部の田舎には、来客を大事にする昔の習慣がまだそのまま残っています。
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2012年9月28日金曜日
時差ボケが少しは体調に影響しているのか、昨日いつもの倍ジョギングした疲れが残っているのかはわかりませんが、少し体が重かったのでモーテルの近くのRegency 公園の池の周りを2周だけ歩いてきました。それでも汗を一杯かいたので、シャワーを浴びたら元気がでてきました。
Bill 君に電話をして彼の住んでいるアパートに行き(部屋が散らかっているというので、恥を掻かせないように部屋には入らずに)、彼がいつも食事に行く中国人がやっている大衆的レストランで昼食を食べました。
それから、昨年行って答礼人形として日本からアメリカに贈られた日本人形が展示してあるのを見つけたNorth Carolina Musium of Natural Science(ノースカロライナ自然科学博物館)に一緒に行きました。ミス香川という名前が付いた日本人形がどこにあるか受付で訊いたら、2階の奥の部屋にあるというので行きました。何回見ても、実に見事な美しい人形です。ラベルも一緒に写真を撮りました。
受付に戻って、何故日本人形がすぐ隣にあるNorth Carolina Museum of History (ノースカロライナ歴史博物館)にではなく自然科学博物館に展示してあるのかと訊いたら、皆不思議だと言いながら誰も答えられませんでした。この博物館は元はNorth Carolina Museum of Natural History という名前だったのが、North Carolina Museum of Natural Science とNorth Carolina Museum of History の2つに分離された時に、どういう訳か歴史博物館に行かずに自然科学博物館に残ったということのようです。こういう会話をしている中で、実は地下の図書館に別の日本人形があるということがわかったので、特別中に入れてもらって見てきました。りっぱな市松人形と雛人形があり、初めはMiss Kagawa とは無関係に集めたものかと思いましたが、側にあった壁掛け人形に「香川県親善人形の会」というサインがあったので、全部セットで香川県からアメリカに贈られたものだとわかりました。
今から85年も前に、アメリカから日本の子供たちにアメリカ人形が贈られたお返しに、日本からアメリカに贈った答礼人形のひとつMiss Kagawa(香川)がノースカロライナ州に届けられ、戦争中も展示され続け、今も展示され続けられていることを香川県の関係者が知ったら、驚くのではないかと思います。
夕方はMargie さんの娘のSarah ちゃん・Scott 君夫妻の3週間前に引っ越したばかりの家によばれて、グリルで焼いたハンバーガーとホットドッグの夕食をご馳走になりました。Sarah ちゃんは生まれたばかりの時から知っていますが、大学生時代からScott 君と同棲し、ついに今年の3月に結婚しました。結婚式はローリー市でやって、新婚旅行はジャマイカに行ったそうで、写真をたくさんもらいました。
今年の10月14日~19日にスリランカのコロンボで開かれる農薬登録に関する会議に出て討議に参加してほしいという依頼のメールが届きました。旅費、滞在費、謝礼も全部出してくれるという条件なので、スリランカには行ったことがないので魅力はあったのですが、私の日本への帰国は10月15日で日程的に無理なので、断りの返信をしておきました。
信濃毎日新聞の記者から連絡があり、松くい虫防除の薬剤散布に関する記事は、田畑博士の見解が9月28日、私の見解が9月29日の紙上に掲載されるとのことでした。
明日はサウスカロライナ州で牧場をやっているLarry Tate 博士(昔の研究室の仲間、フィッシングの先生、空手の弟子)の家を訪ねて2泊してくる予定です。車で何時間もかかるところなので、Margie さんも同行します。携帯電話の電波が届かないところですし、以前奥さんにせっかく来たのだからパソコンの画面に向かわずに自分と話をしてほしいと言われましたので、パソコンはモーテルに置いていくことにしました。ブログの更新は帰ってきてからにします。
Miss Kagawa
1928. Miss Kagawa, one of 58 doll ambassadors of goodwill given by Japan to places in the United States is received by North Carolina as a symbol of peace and friendship. She is the only Japanese Friendship Doll remain on display through World War II. (ミス香川 1928年 ミス香川は日本からアメリカに贈られた58組の親善大使人形の一つで、ノースカロライナが平和と友情のシンボルとして受け取ったものです。ミス香川は第二次世界大戦中も展示され続けた唯一の人形です。)
"WHOM THE GODS WOULD DESTROY THEY FIRST MAKE MAD"
The Japanese made an insane attack upon The American Territory of Hawaii on December 7, 1941.
With a grim determination we now are committed to stop for all time Japanese aggression. This has no bloodthirsty implications to destroy peoples as such. We still believe in peace and good-will, to live and let live.
Men, women, and children of Japan have this good-will but they have now been dominated by ruthless leaders. Proof of such latent good-will are the Friendship Doll Exhibits exchanged between children of the United States and Japan during 1926 and 1927 and shown as here in Museums in both countries.
(Miss Kagawa's label c. 1941)
(日本は?1941年12月7日にアメリカ領ハワイに狂気の攻撃をした。断固とした決心で我々は日本の不当な攻撃を止めさせる決意である。このことは日本の国民を残虐に破壊するという意味ではない。我々は今でも自己が生き他者も生きるために、平和と親善を信じる。日本の男たち、女たち、子供たちはこの親善友好の意志をもっているが、彼らは今冷酷無慈悲なリーダーたちに支配されている。そのような親善友好の最近の証拠は、ここで見られるように、アメリカと日本の間で1926年-1927年に友好人形展示会が両国の博物館で開催されたことである。 1941年のミス香川のラベル)
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2012年9月27日木曜日
昨日Buck Grissom 博士に依頼しておいた西ナイルウィルス防除で散布する殺虫剤の環境影響と健康影響に関する文献が早速たくさん届いたので、目を通しています。予想した以上に多数の殺虫剤(有機リン剤、合成ピレスロイド剤、IGR=昆虫成長制御剤、殺虫協力剤)が認可されています。蚊に刺されてウィルスに罹ること(死者もでている)による経済的被害と、散布された殺虫剤に暴露することで起こる可能性のある健康影響の経済的被害を比較して、前者の方がはるかに大きいという解析をしている論文もあります。殺虫剤による健康影響について、ゼロリスクではなく、「unreasonable health risk (不合理な健康リスク→許容できない健康リスク?)はない」という表現をしているところはアメリカ的だなと思います。
昨日はジョギングできなかったので、モーテルの部屋でいつものように準備体操やストレッチングやハンドウェイトを使った筋力トレーニングをしてから、Johnson 湖に出かけて今日は倍の2周9.6Km/1h24min 、ゆっくり走りました。モーテルに帰ってきてシャワーを浴びてから、貯まっている洗濯物をラウンドリールーム(洗濯室)で全部洗濯して乾燥しました。洗濯機を回すのに2 ドル、乾燥機を回すのに2 ドルかかります。
冷蔵庫の中が空っぽに近いので近くのスーパーに買い物に行こうかと思っていたら、Margie さんが果物や野菜やチキンやコーヒーなどを買ってきて、夕食を作ってくれました。一緒に食べた後で、友人達に電話をして週末に訪問する打合せをしました。
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2012年9月26日水曜日
こちらは今日も気持のいい秋晴れの一日でした。RTP(Research Triangle Park)と呼ばれる研究学園都市にあるNIEHS(National Institute of Environmental Health Sciences 国立環境健康研究所)に勤務している友人のBuck Grissom 博士を訪ねました。1982~1983年に私がノースカロライナ州立大学で客員教授をしていた時に、私の研究室のゼミにポストドク(博士研究員)として参加していた人です。昼食はいつもどうするのかと電話で訊いたら、家からサンドイッチを持ってきてオフィスで食べるというので、私もファーストフーード店に寄ってチキンとフレンチフライ(フライドポテト)とサラダと飲み物を買って持っていって、一緒に食べることにしました。
彼のオフィスが入っているビルは空港と同じように入り口に厳しいセキュリティチェックがあります。受付で彼を呼んでもらって、一緒にエレベーターに乗りました。
MCS(Multiple Chemical Sensitivity 化学物質過敏症)について、その後どれだけ研究が進んだか机上のパソコンで検索してもらったら、膨大な文献がでてきたので、論文タイトルとアブストラクト(摘要)に目を通して、重要そうな論文をいくつか選んで私のメールアドレスに転送してもらいました。日本も国立感染症研究所あたりではそういう仕組みになっているのかもしれませんが、特定のキーワードを入力して論文を検索して、アブストラクトや論文全体をすぐ読んだりハードコピーがとれるというのは便利で、情報技術の発達はたいしたものです。
久し振りに会ったので、研究以外の分野でもいろいろな話題についておしゃべりをしました。太平洋戦争は、日本の侵略戦争で日本が真珠湾攻撃を仕掛けたことで始まったことになっているが、本当はアメリカ側がそうさせた(輸入に頼っていた日本の石油の供給を止めて)のではないかと思うがどう思うかと訊いてきました。第二次世界大戦は戦勝国側にとっては正義の戦争となっているが、実際はヨーロッパの国々(スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなど)が先にアフリカやアジアや中南米を侵略して植民地化して、遅れて発展してきたドイツや日本が植民地を求めて衝突した経済戦争だったのではないかという私の意見を伝えました。ニュールンベルグ裁判にしても、東京裁判にしても、結局は戦勝国が敗戦国を裁いた裁判で、国というのはいつの時代でも自分に都合のよいことしか国民に伝えないという点で意見が一致しました。
彼の家族はジョージア州のアトランタに住んでいて、奥さんはイタリア系の女性でPhysical Therapist (物理療法士)として働いているが、潔癖症で彼が毎日下着を変えないと怒るのでやりきれないと奥さんの悪口を披瀝し始めました。私の妻も全く同じだよと言って、この点(そういう奥さんを持った男の苦労?)でも意見が一致しました。本当はそういう奥さんに感謝しているくせに、国を問わず男は勝手なものです。
彼は69才なので私とほとんど同じ年代ですが、現在の仕事に飽きて(疲れて?)、10月1日付けで退職するとのことでした。
先日取材を受けた信濃毎日新聞の松枯れに関する記事は9月27日の朝刊に掲載されるとのことです。日本から時々電話がありますが、私がアメリカに来ていることを知らない場合が多く、時差(マイナス13時間)の関係で真夜中になるので携帯電話はマナーモードにして寝ることにしています。知っている方は、こちらの朝か夜の早い時間になるように選んでかけて下さっているようです。
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2012年9月25日火曜日
午前中にノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)のMichael Roe 教授を予告なしで訪ねたら、あいにくメインキャンパス(今は大学の拡張で3つのキャンパスに分散している)での会議に出かけて研究室にはいないとのことでした。ただ挨拶に寄っただけなので、また出直すことにしました。数人の大学院生が対応してくれて、私のことを知っていたので、私は1982年に客員教授として毒性学科に来ていたと話したら、自分はその時は2才でしたと言われていかに時間が経過し、自分が歳(とし)をとったかを認識しました。
午後4時半からは作物学科での佐藤 卓(すぐる)君の講義を聴講することになっていたので、昼休みにいつものJohnson 湖で先にジョギングしてきました。少しずつペースが上がってきて、今日は1周4.8Kmを35分で走れました。
駐車場が確保できるか不安だったので3時半過ぎに大学(メインキャンパス)に行って、久し振りに学内を散歩しました。新しい建物が次々に建って、空き地がほとんどなくなっていました。昔、私の研究室があったGardner Hall という4階建ての建物は別の名前に変わっていましたが、あの4階の角に位置していた研究室で必死になって毎日夜中まで研究に打ち込んでいた若い時代を思い出しながら、しばらく眺めていました。図書館の横や、研究棟の裏や、あちこちのちょっとした広場に学生の憩いの場が設けられていて、学生たちが本を読んだり、仲間と語らったり、ブランコを揺らしながら瞑想に耽ったりしていました。
佐藤君がゲストスピーカーとして担当した講義は、作物学(Crop Science)専攻の1年生対象の最初のセメスター(学期)の「Global Sustainable Human Development」(地球の持続可能な人間の発展)という講義で、「The Role of Science, Technology and Regulation in Global Food Production and International Trade」(地球の食料生産と国際貿易における科学、技術、規制の役割)というタイトルで5時半まで英語で講義をし、30分くらい質疑応答をしていました。世界の人口増加に対応した食料増産の必要性と、遺伝子組み換え作物(GMO)の役割について論理的に話をし、説得力がありました。
18人の学生が受講していましたが、大学1年生というのはこんなにも若々しかったのかという印象を受けました。日本でもアメリカでもそうですが、学生たちの生き生きした姿を見ると、しっかり勉強して世界の未来を切り開いて築いてほしいという願いとともに、宗教問題や、人種問題や、国境問題などで、個人の自由がなくなるような時代にならなければいいがと思ってしまいます。
夕方には、Margieさんがモーテルに来て夕食を作ってくれて、一緒に食べました。
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2012年9月24日月曜日
(日本にいるコンピューターに詳しい元学生にどうしたらブログの記事更新ができるかメールで問い合わせて、いろいろやってみましたが、結局「Internet Explorer 8」をダウンロードしてインストールしたら、いつもと同じ書き込める画面がでてきました。私が使っているノートパソコンが古い機種なので、モーテルが設備したWiFiに対応できなかったのかもしれません。)
朝、モーテルの近くの池にTシャツとジーパンで散歩にいったら、肌寒くて長袖シャツを着るべきだったと後悔しました。野鳥と池の縁を泳ぐ小魚と水面から顔を出している亀と、ジョギングや散歩をしている人にたまに行き交う以外は、静かな環境で、小さな草花や大きな木々にも目がとまります。
昼はBill君とMargieさんと弁護士のEverrette君とイタリヤレストランで待ち合わせをして、昼食を一緒にしました。簡単なサンドイッチやスパゲッティなので一人$6.50や$7.50程度でしたが、Everrette君が最初にThis is my treat.(これは私のおごりです)と言って、全員の食事代を出してくれました。私が1年ぶりに訪れたので、歓迎の意味が込められています。
Bill君はこの数年通っているキリスト教会の教えにすっかり心酔して、いわゆるファンダメンタリスト(教条主義者?)のようなことを言うので、Everrette君と食事の間中議論をしていました。Everrette君は南部のジョージア州で育ちましたが、子供(13才)の頃、学校のクラスでワシントンDCの博物館に行ったら、発育段階ごとの人間の胎児が瓶詰めして展示してあり、発育途中までは魚と同じ鰓(えら)が付いていたので、人間は神様が創ったと教えられ信じていたのに、何故正常な人間の胎児に鰓があるのかといろいろな人に訊いたけど誰も答えてくれなかったとのこと。つまり、聖書の言葉通り、人間は神が創ったアダムとイブを起源としているのか、生物の進化系統樹の一部なのかという難しい議論に入ってしまいました。
夕方はJohnson湖に行ってゆっくり1周を走ってきました。昨日はあちこち立ち止まって写真を撮りながらだったので1時間20分かかりましたが、今日はあまり立ち止まらなかったので約40分で1周できました。
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2012年9月23日日曜日
昨夜の夕食会の後、Margieさんがキッチンの後片付けをし、ごみをごみ袋に入れ、コーヒーメーカーにフィルターペーパーとコーヒーと水も入れて朝起きたらスイッチを入れるだけにしてくれました。皆がモーテルの部屋から去った後、ビールの影響もあってすぐ眠りました。朝は7時に起きて、シャワーを浴びてひげを剃った後で、コーヒーとベーグルと残り物のバーベキューとコールスローで朝食にしました。ここのモーテルは月曜~金曜は1階の食堂スペースでベーグルとコーヒーと果物(リンゴとバナナ)の朝食がでるのですが、今日は日曜なので自分の部屋で朝食をとりました。
ブログの記事の更新ができないので、今日もいろいろやってみましたがやっぱり駄目なので、コンピューターに詳しい元学生に私でも問題を解決できるか問い合わせのメールを送りました。中国のホテルと違って、ブログへのアクセスはすぐできるのですが、「投稿」をクリックしても書き込みができるいつもの画面がでてきません。仕方がないので、ワードに記事を書いておいて、ブログの記事の更新ができるようになったら転載することにしました。
午前中はゆっくりして必要なところにメールを送り、午後からジョギングできる服装に着替えて車でJohnson湖に行きました。日曜の午後ということもあって、多くの人が散歩をしたり、ジョギングをしたり、フィッシングをしたり、ボートを漕いだりしていました。私は1周3マイル(約4.8Km)のTrail(小道)をゆっくり景色を楽しみながら5Km/1h20minジョギングしました。毎年見る同じ景色ですが、湖面と空と森の木々やリスを見ながら走ると癒されます。
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2012年9月22日土曜日
自宅を朝7時過ぎに出て、電車で成田空港に向かいました。成田からWashington DCのダレス国際空港まで正味12時間半で着きました。時差ボケ防止で機内では映画などは観ないで、できりだけ眠るようにしています。2時間くらいの待ち時間でノースカロライナ州のローリー・ダーラム空港行きの飛行機に乗り換え、1時間くらいで着いたのは午後1時半頃(時差の関係で同じ日)でした。Margieさんと、Bill君と、Eugene君と奥さんのKimさんが迎えに来てくれていました。東京のアメリカ大使館に勤務している千葉大学卒業生の佐藤君もちょうど用事があってほとんど同じ時間帯に到着したので、全員で一緒にレンタカー会社に寄って、予約してあった私の車を借りました。全員で私のモーテルに集まって、その後Margieさんが佐藤君を彼のモーテルに送って行き、しばらくしてまた戻ってきました。新たにFrank君と奥さんのJoAnnさんがモーテルに到着し、アメリカ南部の典型的なバーベキューと豆の煮物、コールスロー(サラダ)、その他の野菜、ビールで再会を祝して夕食会をしました。Eugene君とKimさんは海岸のWilmingtonという町からわざわざ私に会いに来てくれました。昨年会った時はまだお付き合いしている段階でしたが、今年の5月にカリブ海の島(ドミニカ共和国)で結婚式を挙げたとのことでした。Kimさんはもう成人した前の結婚からの子供も孫もいるし、二人だけで田舎の教会で式をしたのだそうです。Kimさんは51才になってから医師になることを目指して勉強し、Residencyと呼ばれる研修も済んで医師(Family Doctor=家庭医)になっていました。二人とも人生の失敗にくよくよせずに、幸福を求めて新しい人生を切り開くたくましさはたいしたものです。
私が日本に帰国してから何年(30年以上)経っても、こうして皆が会いに来てくれるのは嬉しいことです。
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2012年9月21日金曜日
月刊「文藝春秋」誌の依頼で、埼玉県浦和高校の同期生5人が校門前に集まって写真撮影をしました。12月4日(?)に発売される号の、我ら同期生というようなコラムに掲載されるそうです。5人というのは、元日本サッカー協会会長(現埼玉県政アドバイザー)の犬飼基昭君、株式会社ヤオコーの会長の川野幸夫君、静岡大学防災総合センター特任教授・理学部客員教授の藤井直之君、深谷赤十字病院院長の諏訪敏一君、と東京農業大学客員教授の私です。撮影終了後、事務室に寄って校長先生にご挨拶をしてきました。
中には高校卒業以来50数年振りに初めて顔を合わせた人もいて、最初はお互いの認識もできませんでしたが、二次会で浦和ロイヤルパインズホテルに移って軽く一杯飲みながら夕食をしている中に、だんだん昔の面影と一致してきました。誰がどういう基準でこの5人を選んだのかはわかりませんが、文武両道をモットーとしていた当時の浦和高校で、3人は文を担当し、2人は武を担当していたなあという話になりました。全員70才ですから、すでに一線を退いた筈ですが、それぞれの道でまだ社会貢献をしています。
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2012年9月20日木曜日
今ちょっと前に帰国し、シャワーを浴びて机に向かったところです。
北京で宿泊していたホテルでは、持参したパソコンを部屋のインタ^ネットに接続してすぐメールの送受信はできるようになったのですが、支援する会のブログへのアクセスは中国公安部の検閲でブロックされていて、記事の更新ができませんでした。支援者の何人かからはメールをいただいたのでその旨お伝えしましたが、その他の方々にはご心配をおかけしたことと思います。
部屋のテレビでNHKニュースを見られたので、北京を含めた多くの都市で反日デモが行われ、過激な破壊活動も行われていることは知っていましたが、宿泊しているホテルの周りや、国際会議場の周りではそのような動きは全くありませんでした。ただ、ホテルのすぐ裏にある日本料理店は営業を停止して、大きな看板の日本という字の部分を中国の国旗で隠していました。私は近くのオリンピック公園(鳥の巣スタジアムがある)に何回も散歩に行きましたが、念のため、外出する時はすぐ日本人とわからないように言動には気を付けて用心しました。
中国農業大学の助教授が空港まで車で迎えに来てくれ、今日もホテルから空港まで送ってくれました。大学のレストランで研究室の学生達も含めて2回も私の歓迎の夕食会をやってくれました。中国の人達は個人対個人では何の問題もなく、お互いに尊敬できるよき友人です。
写真もたくさん撮ったのですが、今夜はもう遅いのでおいおい少しだけでも紹介しようと思っています。
2012年8月31日金曜日
今日も一日中自宅で机に向かって中国北京での講演の準備をしました。主催者からのメールにプログラムが添付されてきましたが、私の講演は9月17日の午前中に予定されています。この頃は1時間半くらいの講演が多いので、英語で25分(質疑応答の時間を5分残すと実質20分)というと、かなり焦点を絞って無駄のない話をしなければなりません。一応、写真10枚を含めたスライド24枚ができましたが、これから与えられた時間内に収まるように、それぞれのスライドを見せながら何をどこまで話すか詰めていく必要があります。
明日からは9月です。すでにいろいろな予定が入っているので、結局スケジュールをこなす生活に追われて、中国から20日に帰国して、22日にアメリカ行きの飛行機に乗って離陸するまではのんびりできそうもありません。
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2012年8月30日木曜日
昨日は東京農大の研究室に埼玉県庁の農林部農産物安全課から3名の方が来られ、9月3日にさいたま市で予定されている平成24年度第1回「農産物安全技術専門委員会」の事前打ち合わせをしました。今年から私が委員長になりましたから、座長として時間内に議事が終了できるように進行をしなければなりません。
今日は本当は新潟県胎内市で調査をしてきた薬剤のろ紙からの抽出など、分析の準備をしたかったのですが、これからのスケジュールを考えると、9月15日~20日に中国北京で開催される国際会議の講演の準備を先にしておかないと厳しくなりますので、そちらを優先しました。まだまだですが、手を付け始めたことで少し安心です。
このところほとんど運動ができていなくて、昨夜は寝ていて足が2~3回強烈に攣(つ)りました。いつものように体が運動を要求している証拠ですから、昼の時間に江戸川堤防を6Km 歩いたり走ったりしてきました。今日もまだ猛暑でしたが、お蔭で体調がよくなり、気分もすっきりしました。
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2012年8月28日火曜日
池袋駅から東武東上線の電車に乗って、埼玉県の東松山駅に午後1時過ぎに到着し、迎えに来てくれた車で嵐山(らんざん)カントリー倶楽部に行きました。東京農業大学総合研究所グリーン研究会主催の夏期研究会で、「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響の実態」という演題で講演してきました。私はこの研究会では2006年4月5日にも、「松くい虫防除の薬剤散布に関する問題から見えてきたこと」という演題で講演していますので、今回は6年ぶり2回目でした。
研究会が夕方5時半頃終わってからもまだ明るかったので、プレーヤーが引き揚げた後のゴルフ場を少し散歩してみました。地名のとおり昔はこの辺り一帯が松林だったらしく、1962年(50年前)に建設されたこのゴルフ場は、大きなアカマツをあちこちに配置してあり、まるで絵に描いたような美しい景観でした。
東松山駅前にある箭弓(やきゅう)神社内にある紫雲閣というホテル(結婚式場)での懇親会後、他の参加者はそのまま宿泊して明日ゴルフをして解散をするというプログラムでしたが、私は明日の用事が入っていることもあって、家に帰ってきました。
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2012年8月27日月曜日
朝6時前に自宅を出て新幹線で名古屋に行き、名古屋大学で開催されたInternational Seminar on the development of insecticide resistance and its management in the diamondback moth(コナガにおける殺虫剤抵抗性の発達とその管理に関する国際セミナー)に出席してきました。7人のスピーカーのほとんどは旧知の研究者たちですから、久し振りに懐かしい時を過ごしました。
Dr. John T. Andaloro はアメリカのDuPont 社の所属ですが、IRAC(Insecticide Action Committee)という殺虫剤抵抗性に関する活動委員会委員としても活動していて、害虫による殺虫剤抵抗性発達を農薬メーカー間で協力していかに克服するかという深刻な問題についてなかなか面白い提案をしていました。
皆は名古屋市内のホテルに宿泊していましたが、私は明日の予定があるので交流会(懇親会)のあと帰宅し、自宅についたのは夜の12時近くでした。
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2012年8月25日土曜日
2006年9月に買ったプリンターの複合機(キャノンPIXUS MP830)が故障して使えなくなりました。マニュアルに従って診断してみましたが、サービスに出すことが必要ということがわかりました。故障はこれで最近2回目ですので、修理費のことを考えると廃棄して買い換えた方が得だという結論になりました。近所のコジマ電気に行ってみたら、機能が上位の最新機種がずっと安い値段で売っていて驚きました。
松林の航空写真などA4より大きい写真をスキャンしたいので、いろいろ迷ったのですが、A3までプリントやスキャンやファックスができる複合機(brother JUSTIO MFC-J6710CDW)を購入しました。以前は、学生や業者に頼んでパソコンや電話機と接続してドライバー・ソフトウェアをインストールしてもらっていたのですが、今回はマニュアルを読んで自分で設定しました。
「必要は発明の母」というのは大げさですが、頼める人が近くにいなくて自分でやってみれば、なんだこんな簡単なことだったのかということがわかりました。
早速、8月28日の講演(埼玉県嵐山CC)と9月4日の講演(東京大手町の全農ビル)で使う予定のスライドを配布資料としてプリントしました。次は9月13日の講演(石川県加賀市)と9月15日~20日の講演(中国北京)の準備です。中国での国際会議は英語ですから、英語のスライドを作らなければなりません。明日は日曜ですから、集中して時間が使える筈です。
一昨日お便りを下さった支援者の方にメールで返事を差し上げました。
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2012年8月24日金曜日
今日も猛暑でしたが、心肺機能が低下しないようにと思って、東京農業大学の周りを6Km ゆっくり走ったり歩いたりしました。脱水症状にならないように、シャワーを浴びてスポーツドリンクをたくさん飲みました。
昨日のアメリカからの電話での誘惑に影響され、ノースカロライナ州に行く航空券をネットで予約しました。私は北京での国際会議から9月20日に帰国しますので、1日休んで、22日に成田を出発してワシントンDC経由でローリー/ダーラム空港に行き、10月15日に成田に帰ってきます。そうすると、10月19日に予定されている研究会まで3~4日頭を切りかえたり体調を整える時間がとれます。今年はこれでぎりぎり最大限ですが、それでも向こうで過ごせる時間が約3週間あるので、昔からの友人たちと旧交を温めてこれます。
Margieさんにその旨をメールで知らせたら、早速私が滞在予定のいつものモーテルを予約したり、到着日の歓迎パーティに誰と誰が集まれるか連絡をとったとのことでした。それから、今は遠方に住んでいる友人達が私に会いに来た時に私の部屋に泊まれるように、クイーンサイズベッドの他にソファーベッド(英語ではpull out sleeper sofaと言います)を用意させるとのことでした。
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2012年8月23日木曜日
私は相変わらず時間に追われる、ゆとりのない生活をしていますが、今朝はノースカロライナ州の友人/空手の弟子のFrank君・JoAnnさん夫妻から電話があり、その後Margieさんからも電話がありました。皆が今年は私はいつ来る(帰省する)のかと訊くので、9月20日に中国北京から帰国したら10月中旬の農大での講義が始まる前の3週間くらい行けるかもしれないと言ってあったので、早く決心するようにとの誘惑の電話でした。アメリカの友人達が私の訪問を心待ちにしていてくれるのは嬉しいのですが、今はまだ日本での来週と再来週の予定をどう乗り切るかで頭の中は一杯です。
支援者から以下のお便りが届きましたので、紹介しておきます。よく、便りがないのは元気な証拠と言いますが、市橋君もまだ外部に手紙を書こうとしないのは、元気に服役しているということでしょう。
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暑い毎日ですが、本山先生もお元気でお過ごしのようで嬉しく思います。
先日、市橋君が拘置中に描いたスケッチは弁護士先生が市橋君に全て返されたと知って、残念に思いました。随分前のブログで、市橋君が拘置中に描いたスケッチがあることを知り、とても興味をもっていました。彼がリンゼイさんにプレゼントしたスケッチとそこに書かれてあった文字は、テレビの画面を通じて見ただけで、目を奪うような透明感のある「作品」だったからです。芸術的ともいえる、センスの良い1枚のスケッチを見て、私はこの事件に興味をもち、会ったこともない市橋君の支援者になった、と言っても過言ではないほどです。
だから私は彼への手紙にも、スケッチについて触れました。でも、出版本と同じように、売られたり、彼の想いとは違う方に一人歩きしてしまう恐れがあったから、本人に返却されたのかもしれませんね。あの裁判に関しては、本当にことごとく悪意にとられ、市橋君のマイナス材料、マイナス印象にとられる気がしました。
ところで、私が住むマンションの隣室は独身男性がすんでいるのですが、一週間ほど前、男女が喧嘩してる物音が聞こえました。女性が大声を出してベランダからわめきながら物を投げ、壁に色々当たる音が聞こえ、悲鳴のような声も聞こえてきて、何か事件に発展しそうな勢いだったので、主人に様子を見に行ってもらいました。しばらくして主人は驚いて帰ってきました。「細い女性だけど、女の人って怒るとすごい力だねえ。僕が手を抑えようとしてもはねのけられて、こっちが吹っ飛ばされる感じだったよ。もう部屋の中はグチャグチャで、男性は手が付けられない、ともうあきらめて座り込んでたよ。女性がわめいてる内容は、{今日はグッチを買いに銀座に行くって約束してたじゃない!何なよ!}ってブチ切れてた」と。
翌日、男性は菓子折りを持って謝りにいらっしゃいましたが、気まずそうにしていたので、こちらも何も聞きませんでした。そして昨日、引っ越しのトラックが来て、隣の荷物を運び出していました。もう何も挨拶にいらっしゃいませんでした。男性としてカッコ悪かったでしょうから、こちらも顔を合わせないようにしました。
私は、すぐに市橋君のことを思い出しました。「このままリンゼイさんに嫌われたままで帰したくない」思いや「周りに気づかれるような騒ぎにしたくない」思いで、彼はあせっていたと思います。「殺意」などほど遠い状況だったと今でも信じます。
彼は外部の人との連絡も取らず、服役生活をしているのですね。今は、彼の健康を祈るばかりです。
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2012年8月21日火曜日
支援者のお一人から、このところしばらくブログの記事の更新がないのでジョギングの最中に熱中症にでもなったのかと心配しました、とのお電話をいただきました。実は、来週の講演と9月の講演といくつか続きますので、その準備に追われていて時間的な余裕がなく、ジョギングも記事の更新もできませんでした。少しゆとりができたら、また再開します。
ご心配いただきありがとうございました。
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2012年8月16日木曜日
支援者から市橋君が描いたスケッチについて問い合わせがありましたので、三宅弁護士に以下のメールを差し上げましたら、早速返事が届き、全て本人に返却したとのことでした。
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三宅貞信先生
市橋君の裁判が決着してからどんどん時間が経過していく気がしています。市橋君がどこの刑務所で受刑しているのかもわからないというのは不思議な感じがしますが、それも何かの意味があってそういう制度になっているのかと想像しています。
私のところには今でも時々何人かの支援者からメールが届きますが、その中のお一人から市橋君が千葉拘置所にいた時に描いたスケッチはどうなっているのでしょうという質問がありました。確か、宅下げされた衣類は菅野先生が保管し、本は山本先生が保管し、スケッチは三宅先生が保管されていると伺いました。もしまだ処分されずに保管されていましたら、拝見させていただくことは可能ですか。当時の市橋君の心の中をうかがい知る手がかりになるかもしれないと思いますので。
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本山先生
ご無沙汰しております。お尋ねのスケッチの件ですが,控訴審が終了する前に,弁護団から市橋君本人へ全て返却しています。
支援者の方がスケッチを見て心境を知りたいとのご要望には添えませんでしたが,本山先生,支援者の皆さんが市橋君の更生を祈っている事は,きっと彼は理解していると思います。
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この頃は、運動をして体を動かして健康管理をすることは仕事のうちと思うようにしています。今日も夕方近くになってから、江戸川堤防を8Km 走ったり歩いたりしてきました。青空に白い雲が浮かんでいましたが、夏を思わせる入道雲ではなく、何となく秋を思わせるような雲だったので携帯電話のカメラで写真を撮りました。江戸川は国土交通省の所管ですが、取水設備が設置してあるところに、子供に危険を知らせる面白い河童(かっぱ)の看板がありました。
夜自宅で樹木医に送ってもらった松くい虫の発生消長のデータの解析をしていて、疲れたので気分転換にテレビ朝日の報道ステーションをつけてみたら、偶然、戦争末期に回天と呼ばれた一人乗り潜水艦に乗ってアメリカ軍の艦隊に体当たりして自爆した特攻隊員に関する番組をやっていました。終戦の1年前1944年頃、制空権も制海権も失った日本軍は最後の手段として、人間魚雷になる特攻隊員を募り、20代の若者106人が海に散ったとのことです。今考えれば狂気の沙汰ですが、当時の若者に選択の余地はなかったのでしょう。戦争は人間の理性を奪い、殺人の道具にしてしまいます。国全体が戦争状態の時には、個人にはそれを拒否する自由はなくなってしまいます。
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2012年8月15日水曜日
今日は終戦記念日でしたので、夕方7:30 からNHKスペシャル「終戦・何故早く決められなかったのか?」と題した興味深いテレビ番組がありました。戦争は広島、長崎に原子爆弾が投下された後、67年前の今日1945年8月15日に終わりましたが、実はその数か月前から日ソ不可侵条約を破棄してソ連軍が参戦する情報が入っていて、戦争を終結させる(降伏する)ための会議が招集されていながら、結局当時の最高指導者たちが誰も責任を果たさなかったということのようでした。降伏が遅れたために、原子爆弾による犠牲者やソ連軍による日本人捕虜のシベリヤ抑留などにより何十万人もの命が失われてしまいました。
YAHOOニュースにも戦争に関連した記事がありました。<九大生態解剖事件>「戦争は人を狂わす」最後の目撃者語る http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120815-00000068-mai-soci は、B29というアメリカ軍の爆撃機が撃墜されて捕虜になった8人のアメリカ人兵士を大学医学部で生きたまま解剖実験を行って殺してしまったという事件を取り上げていました。
当時医学生として立ち会った福岡市の医師東野利夫さん(86才)の、<時代は移りゆくが、平和への思い、願いに変わりはない。「非戦を誓った憲法9条は必ず守ること。そして捕虜に対し学内の医師がメスを持ったという事実を正面から受け止め、母校の敷地に8人の慰霊碑を造ってほしい」>という言葉は、平和の尊さをあらためて訴えました。
江戸川堤防を今日は10Km 歩いたり走ったりしてきました。まだ暑くて汗をびっしょりかきましたが、雲を眺めながら風を肌で感じながらゆっくり走るのは快適でした。67年前の悲惨な状況にめぐり合わせた人々に比べて、私たちはどんなに恵まれた時代にめぐり合わせているか忘れてはいけないのだと思います。
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2012年8月14日火曜日
終戦記念日を明日に控えて、テレビでも戦争に関する映画や番組がいくつかありました。日米の戦争開始になった昭和16年(1941年)12月の真珠湾攻撃を日米両側から描いた「トラ・トラ・トラ」という映画は1970年に上映され長蛇の列ができましたが、私がアメリカの大学院に留学したのは1969年ですから、留学して間もない時期にアメリカ人の友人/空手の弟子たちと見に行ったのを覚えています。私が勉強をしていた農薬毒性学プログラムの教授の一人は、第二次世界大戦中に日米で激戦のあった硫黄島に上陸した元海兵隊員のFrank E. Guthrie 先生でした。Guthrie(グスリー)先生は朝鮮戦争にも従軍したらしく、日本の米軍基地にいた時のオフィスに掲げてあった「グスリー中尉」と日本語で書かれた表札を私に見せてくれました。よく、自分は日本が北朝鮮軍に占領されるのを防いで君の命を守ったのだと冗談を言って、私に目をかけてくれました。その当時は私も27才で若かったので、研究室で夜勉強をしながらよくアメリカ人の友人たちと戦争の話をしました。そのお蔭で、お互いに、国によって自分たちに都合のよい一方的な見方しか教えられていないことを知ることができました。
夜10:00 から のNHKスペシャル「戦場の軍法会議」は見ごたえがありました。東京帝国大学法学部卒の馬塲(ばば)東作中佐がフィリッピンでの軍法会議で法務官として、食料を求めて部隊を離れた兵士を敵前逃亡の罪で死刑にした話を中心に、異常な環境に置かれた日本軍が異常な行動に追いやられた事実を、今は90才を越えた当時を知る関係者や遺族の証言をまじえて紹介していました。日本からの補給を絶たれて、武器弾薬も食料も欠乏した状況で、日本人兵士がフィリッピン人の村に食料強奪に向かったのでしょう。
以前、千葉大学の私の研究室にはフィリッピンから国費留学生が何人か来ていましたが、その中の一人のお母さんがフィリッピンから訪ねて来られた時に私は食事に招待されました。留学生も交えて和やかな雰囲気で食事をしていた時に、お母さんに、「日本人がこんなに親切でいい人だということを始めて知りました」と言われたことを忘れません。多分、戦争中にフィリッピンを占領していた日本軍兵士に村人が酷い目に遭わされて、日本人というのは武力に物を言わせて平気で悪いことをする冷血非道な人間という印象が植えつけられていたのでしょう。
TBSテレビの夜10:54 からのニュース23クロスの中で、日本に帰化した日本文学研究者のドナルド・キーンさん(90才)が、捕虜収容所で日本人捕虜と人間的な交流をし、今は100才になったその時に捕虜の一人だった日本人医師と再会して当時を振り返る映像もよい番組でした。国対国ではなく、個人対個人のレベルでは、どこの国の人とでも、人間どうしお互いに理解し合い、仲良くしていけるのだと思います。
気温が下がってきたのか、このところ何日か続けて走ったせいか、少し体調がよかったので今日は江戸川堤防を8Km 歩いたり走ったりしてきました。
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2012年8月13日月曜日
松戸市内の農業資材・種苗店に昨日注文しておいた殺センチュウ剤が届いたという電話があったので、受け取りに行ってきました。この店が取引している農薬卸商は今週はお盆休みなので無理かなと思っていたのですが、出勤できる社員が出勤するということになっていたらしく、早速配達してくれたようです。公務員と違って、やっぱり個人企業は顧客のニーズにサービスして、少しでもビジネスをとろうと努力しているのでしょう。
松枯れと菌根菌の関係を一緒に研究してくれている大学院生の実験に使いますので、明日にでも手渡してあげるつもりです。
それ以外は、一日中自宅で机に向かって樹木医から送られてきたマツノマダラカミキリ成虫の発生消長のデータを解析して過ごしました。過去7年間のデータですが、5月下旬から羽化し始め、9月上旬に羽化終了するまで3ケ月間くらい発生します。その中、成虫の5~95%が発生する期間は約2ケ月ですが、林帯幅が広い松林や、樹高の高い松林に対して地上から薬液を散布するとどうしてもかけむらが生じますので、残効性の短い薬剤散布1回で防除するのは無理だということがわかります。
今日はお盆でしたので、我が家は仏教徒というわけではないのですが、普段は戸棚にしまってある両親のお位牌と写真を取り出して、小さな器に食事を供え、しばし在りし日の両親の面影を偲びました。
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2012年8月12日日曜日
午前中に江戸川に行って、いつものように6Km を走ったり歩いたりしてきました。空にはあちこちで真っ白い入道雲がモクモクと立ち上ってきては、姿を変えていました。汗はビッショリかきましたが、快適でした。
午後の遅い時間に1ケ月振りに北柏のリハビリセンターに長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人を見舞いに行きました。私の顔を見て目を見開いてはくれましたが、一言も言葉はしゃべってくれませんでした。東京農業大学の女子学生の就職で訪ねた栃木県足利市の(株)カザミの会社案内のパンフレットを見せながら、会社の様子や女子学生を採用してくれたことや今は専務取締役をしている千葉大学卒業生(元同僚教授/友人の研究室を専攻していた)の話をしました。女子学生を紹介したお礼に会社の商品の各種たれ(ドレッシング)の詰め合わせセットを送ってくれた時に添えられていた卒業生の手紙を読んであげたら、「〇〇先生と奥様にくれぐれもよろしくお伝え下さい。20数年前になりますが、研究室のゼミ旅行・2泊3日でちょうど今頃の時期、日光・那須方面へ出かけ、日光戦場ヶ原のハイキングに立ち寄った際、〇〇先生が奥様のピンクのリボンのついた麦わら帽子をおちゃめにかぶり、学生さんにからかわれていたことを楽しく思い出します。」のところで、急にウフフ・・・と声を出して吹き出していました。聞こえているのか聞こえていないのか無表情でわからなかったのに、急に反応があったので驚きました。表情で表現することはできなくても、ちゃんと聞こえていたのだと思って嬉しくなりました。昔元気だった頃の、奥様と仲睦まじかった頃のことを思い出させられて、気恥ずかしくなったのかもしれません。今日は奥様とは病院でお会いできませんでしたが、この話は後で奥様に電話でお知らせしようと思っています。
リハビリセンターのすぐ近くには、手賀沼につながっている大堀川が流れているので、帰りに少し湖畔の景色を見にドライブしてみました。手賀沼は昔は今の3倍くらいの面積があって水が澄んでいたのが、戦後の食糧難の時代に食糧増産の国策で埋め立てられ、その後沼につながっている川の流域の人口が増加して家庭の雑排水が流入するようになって、一時は日本一汚い沼として知られるようになっていました。今は「よみがえれ手賀沼」キャンペーンで、水が驚くほどきれいになり、水辺に公園やレクリエーション施設も設置されていました。8月19日には手賀沼トライアスロンが開催されるという掲示もありました。
周辺の水田は、すでに水を落とし、見事に出穂していましたので、今月末か来月初め頃には稲刈りが始まるかもしれません。こういう美しい自然の景色を見ると、心が洗われる気がします。入院している病院はすぐ近くなのに、元同僚教授/友人にもうこの景色を見せられないのが残念です。
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2012年8月11日土曜日
昨日、支援者の一人と支援金の残金の処理方法や、「適正な裁判を支援する会」を閉じた後のブログをどうするかや、樹月カイン氏から届いたお手紙にどう対応すべきかなど、意見交換をしました。もう少し考えてから結論をだそうと思っています。
いつも松枯れの視察に一緒に行く樹木医から、房総半島の平砂浦(へいさうら)で伐倒された松くい虫被害木を過去7年間毎年3月頃に採集してきて茨城県下館(しもだて)市にあった研究所の網室に保管して毎日羽化脱出してきたマツノマダラカミキリ成虫の個体数を記録したデータが送ってきました。その年の気温のデータと合わせて分析すると、過去にさかのぼって野外での発生消長が推察できる筈です。そうすると、平砂浦での薬剤散布が本当に防除適期に行われたかどうかが判断できる筈です。今後の防除適期を決めるのにも有用な知見になりますので、データをどのように解析するか試行錯誤をしています。机に向かってこういう作業をしていると、胸がわくわくしてきます。
今日は千葉県は天気予報では降雨が予想されていました。土曜ということもあって、雨の前にと思って午前中に江戸川堤防に出かけ、いつものように6Km を走ったり歩いたりしてきました。途中ある農家の庭の夏みかんの木は花が実に変わっているのが目に留まり、若々しさを感じました。熟した黄金色の果実もいいですが、私はこういう未熟な緑色の果実を見るのも好きです。昨日とは違った場所で少し色合いが異なる芙蓉(ふよう)の花が満開で、近くには蝉(セミ)の抜け殻もありました。江戸川沿いの大乗院というお寺には巨大な松の樹が4本あったのが、昨年1本が松くい虫で枯れてしまいました。今年はどうかなと寄ってみたら、殺センチュウ剤のマツガードという薬剤を樹幹注入したことを示すラベルが貼ってありました。
途中、堤防を下りて流水路にかかる橋のひとつ小向(こむかい)橋にも寄って、看板の説明を読んで、しばし江戸川と流水路の水の流れを眺めて楽しんできました。人口50万人の都市に住んでいても、気をつけて見さえすれば、日常生活をしているすぐ近くにも楽しませてくれる景色はたくさんあります。黒い雨雲が空を覆い、ゴロゴロと雷の音がしましたが、結局この辺りではたいした雨は降りませんでした。
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2012年8月10日金曜日
今日は東京農業大学の研究室に行きましたが、夏休みに入って学生の姿がめっきり少なくなりました。アルバイトをしたり、帰省したり、就職活動をしたりしているのでしょう。
来週の1週間は、お盆休みで、事務職員も含めて大学全体が休みに入るようです。
昨日江戸川に行った時、途中の坂川の岸辺で満開の芙蓉(ふよう)の花と、蝶を見つけました。よく見ると、身近にもいろいろな植物や動物や昆虫がいることに気がつきます。
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2012年8月9日木曜日
午後遅く、いつものように景色を眺めながら江戸川堤防を6Km 走ったり歩いたりしてきました。何年か前に江戸川と並行に人工的に造成した流水路は 、今では岸辺の木々も大きく育ってすっかり自然の景観の一部になりました。江戸川では珍しく2人の若者がボート漕いでいました。見ていたら、葛飾橋と上流の上(かみ)葛飾橋の間の約2.5Km を上ったり下ったり、何回も往復してトレーニングをしていました。
夕食後、タオルを首に巻いてうちわを手に持って松戸宿(じゅく)献灯(けんとう)まつりを見に行ってみました。先日の花火大会の時ほどではありませんが、散歩をする家族連れで溢れていました。商店街のちょうちんが飾られた前辺りの坂川の上に設けたステージでは、若者のグループが体の芯に響くような和太鼓の演奏をし、多くの見物人が盛んに拍手をしていました。露店もたくさん出て、賑わっていました。坂川では上流から流された流し灯籠(とうろう)がろうそくの仄(ほの)かな灯(ひ)をともしながら流れてきて、ステージの前に設けた堰(せき)で留まっていました。
都会では普段だんだん住民どうしの絆(きずな)が希薄になってきましたが、こういうお祭りを通して少しでもコミュニティとしての意識を共有しようとしているのかもしれません。
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2012年8月8日水曜日
講演の準備をしていますが、ヘリコプターでスミパインMC(有効成分は有機リン剤のフェニトロチオン)という薬剤の散布をしていた2007年までは見事に守られていた松林が、残効性の短いネオニコチノイド剤の地上散布1回に切り換えてからの松くい虫による松枯れ被害は急速に深刻化し、特に房総半島先端の平砂浦では何十年もかけて育成・保全してきた松林は昨年から今年にかけて文字通り壊滅状態になりました。きちんと防除できる方法はあるにもかかわらず、政治的な圧力で防除方法の選択を誤った結果です。
2007年1月に撮影した航空写真では濃い緑色の松林が存在していたのが、2012年4月に撮影した同じ場所の航空写真では、松林がなくなっていることがわかります。私が現地を訪れて今年7月に地上から撮影した写真では松林だったところが荒れ果てている様子がさらにはっきり認識できます。これから保安林*としての松林を再生させるには、多分50年くらいのスパンでの計画を立てることが必要でしょう。
今月28日の講演では、こういうことも含めて話をするつもりです。
* http://www.rinya.maff.go.jp/j/tisan/tisan/con_2.html
江戸川堤防を6Km 走ったり歩いたりしてきましたが、昨日までと打って変わって涼しい風が吹いていて楽でした。暦の上では昨日が立秋だったとのことですので、走っていて気のせいかふっと秋の気配も感じられました。毎年そうですが、最初の秋の気配を感じると、昔20才前後の頃に読んだ堀 辰雄の「風立ちぬ」という小説を思い出します。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html
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2012年8月7日火曜日
支援金の残金の管理方法に関する昨日のブログでの問いかけに対して、早速何人かの支援者からお便りが届きました。ありがとうございました。私一人で考えるのではなく、こうして皆様のご意見をいただけるのは大変助かります。
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支援金の残金の管理方法は、改めて考えてみますと、難しい問題ですね。
私も、個人名は伏せて一般的な問合せとして、銀行や郵便局で確認してみようと思っていました。東京地裁の中にある郵便局なら、状況を把握して相談にのって頂けるのでは、と考えていました。しかし、予定していた裁判傍聴に行く時間もなく、郵便局で確認も出来ませんでした。
何れかの方法で口座開設した上で、ご両親が応じて頂けるかが重要ですね。今までのご両親から市橋達也さんへの姿勢では、断られる可能性も有りますので心配です。ご両親が、ご協力して頂けなければ、本山先生と支援者のみで長期間の保管や市橋達也さんへの受け渡しは、かなり厳しいと思います。ご両親が本山先生の提案に応じて下さる事を願っています。
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毎日暑い日が続きますがお元気ですか?
支援金の件ですが、銀行は無理だと思います。ご両親はどのように思われていますか?ご両親に託すのが一番いいと思います。無期懲役といっても法律では10年経てば仮出所できます。10年とは思いませんが、30年とも限りません。
ご両親の思いを聞いて頂けたらと思います。先生も大変ですが、宜しくお願いします。
毎日市橋君が元気で過ごす事ができますようお祈りしています。暑い中先生もお身体に気をつけてください。
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昨日のブログを拝見しました。要するに一定期間お金の出し入れをすれば、口座を維持することが可能なのですね?ではそのような形を(極端な場合収支がなくても出し入れする形を)とった方がいいと思います。そのようなことでも、他の事でも私は何でも協力いたします。何なりと申し付けください。
口座についてはまず、市橋さんご本人の承諾がいると思いますがご本人と連絡がつかない今、ご両親、親族の方に管理をお願いするのはいかがでしょう?こういうことはやはり、身内の方に管理していただいた方がいい気がします。ご両親は口座を作ることについてどうお考えですか?私も支援者として、支援金が市橋さんに無事に届き、支えになることを心よりお祈りしています。それから、これは私1個人の考えですが、民事で訴えられるかどうかについてですが、被害者遺族は手記の印税を一銭も受け取らなかったくらいなので、市橋さんのための資金を集めていることを被害者側が知っても、慰謝料の要求・・・といったことにはならない気がします。
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本当に体調管理ができなくなりそうな暑さが続きますね。
ブログを拝見させて頂き、先生も少しお疲れのご様子・・・。心配です。くれぐれもご無理はなさらないようお願いします。
さて、市橋さんの支援金のお話ですが、私もずっと案じていました。なかなか難しい事なのでは、と日々考えておりましたが、専門的な知識もなく、上手く市橋さんのお手元に届くよう祈ることしか出来ない情けない私です。
どちらで服役生活を送られているのか判らないし、先はまだまだ長い為、私自身も生かされているか判断がつきません。やはりお若い山本弁護士のような第3者の方に間に入って頂いて何とか市橋さんが出所されるまで管理して頂いたらいかがでしょうか。 例えが悪いのですが、遺言書を預かるような形でお願い出来ないのでしょうか。もし市橋さんにお渡しできるならば、支援する会からの分与というか、そのような形は取れないのでしょうか。
今現在は、弁護士の方々も服役先が判らないかもしれませんが、今後、市橋さんが連絡をくださる可能性もありますし、もしそのような事がなければ、ご両親様に私達、支援者の想いがこもった支援金を何とか市橋さんにお届けしたい旨をお話して、服役中の場所だけでもお問い合わせして頂き、本山先生か弁護士の方に教えてくださるよう懇願してはダメでしょうか。。。
知識がない為、非礼な文章になっていましたら申し訳ありません。ぜひとも名案がいろんな方々から出ますように祈っております。
本山先生、いろいろと先生にばかり、ご負担がかかり申し訳ありません。これからも支援者として何が出来るのか考えつつ頑張りたいと思いますので宜しくお願い致します。
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今日は東京農業大学の研究室に行って、昼休みはいつものようにジョギングをしようと思っていたのですが、あんまり暑かったので、かえって体によくないと自分に言い訳をして止めました。
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2012年8月6日月曜日
ゆうちょ銀行に寄って、支援金の残金を30年間預けて、市橋君が社会復帰する時に受け取れるようにする方法がないか相談してきました。事情を正直に話していろいろな可能性について訊いてみましたが、本人以外が市橋達也君の名義で口座を開設することは難しいとのことでした。「市橋達也君の更生を支援する会」の名義で口座を開設することはできても、一定の期間お金の出し入れの活動がなければ、口座を閉じるようにとの連絡がくることになるそうです。銀行にはまだどのような方法があるか確かめていませんが、同じような状況かもしれません。支援者の皆様の意思を最大限尊重したいと思っていますが、支援金の残金を無期懲役刑で受刑中の市橋君が30年後に仮釈放された時に生活資金として受け取れるように管理をするというのは、案外難しいということがわかりました。私以外の支援者は顔を表に出していませんので、私より年齢の若い支援者に託すということもできませんし。何かよい方法をご存知の方はお知らせ下さい。
4月末に走った横浜駅伝の時から、ずっと以前ほど元気がでないので、今日は思い切って病院に行って診てもらってきました。1月に受けた人間ドックでは異常なしでしたが、どうも下腹部にちょっと違和感があって走っても力がでないので5月には消化器系のエコー(超音波)検査と血液検査をしてもらっても異常なしでした。今日は泌尿器系のエコー検査と尿検査をしてもらいましたが、やはりどこも異常なしでした。
1月末にフルマラソンを走り終わってからトレーニングの目標がなくなって、10Kg 近く減量した体重も運動不足でリバウンドして半分くらい元に戻り、空手の稽古もほとんどしていないので体力もずいぶん低下している気がしています。睡眠不足が常態化して、すっきりする時があまりないことも精神的に元気がでない原因のひとつかもしれません。
心を入れ替えて、もう少し定期的に運動をしなければと思っています。
台風の影響の雨も夕方には止みましたので、江戸川堤防を6Km 走ったり歩いたりしてきました。
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2012年8月5日日曜日
今日も猛暑日でしたが、私は一日中机に向かって、メールの返信をしたり講演の準備をしました。夕方になって少し気温が下がったので江戸川に出かけ、景色を見ながら8Km 歩いてきました。昨夜の花火大会の人混みが嘘のようでしたが、日曜の午後ということもあって、たくさんの走っている人や家族連れで散歩をしている人たちと行き交いました。人間は町の中に住んでいると、機会があれば外に出て体を動かしたり野外の空気を吸いたくなるのでしょう。ちょうど西の地平線に沈みかける太陽で、空が一部金色に輝いているのが見えました。
帰りはちょっと遠回りして坂川の方に行ってみたら、松戸宿坂川献灯まつり(8月9日~10日)の準備でちょうちんがたくさん飾られていて、川面にも映っていました。
昨日の新聞にはもう一つ、私には気になる記事「三木睦子(みきむつこ)さん死去」が載っていました。http://www.asahi.com/obituaries/update/0803/TKY201208030376.html死因は大腸腫瘍とのことですが、95才だったとのことですので、天寿を全うされたのでしょう。
三木さんと言えば、三木武夫(たけお)元首相夫人として知られていますが、私には平和憲法を守ろうと訴えた「9条の会」の発起人としての活動と、「朝鮮の子どもにタマゴとバナナを送る会」会長としての活動が強く印象に残っています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E7%9D%A6%E5%AD%90
前の活動には私も署名をし、後の活動には私も寄付をしました。国の政治の犠牲になって苦しんでいる朝鮮の子供たちに少しでも栄養のあるものを食べさせたいという活動でしたが、バナナは輸送中に腐るといけないので結局リンゴに代えたのを記憶しています。途中で軍人たちに横取りされないように、同行者が子供たちの口に入るところまで見届けることまでしていました。私が尊敬していた、日本の良心を代表する人物の一人でした。
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2012年8月4日土曜日
朝日新聞朝刊には、このところ「いじめられている君へ」と題したコラムが連載されていて、毎回違った人がメッセージを書いていますが、今日8月4日(土)は三浦雄一郎氏が担当でした。三浦氏は1932年生まれなので私よりちょうど10年上で、父敬三氏99才と長男雄大氏と親子3代でフランスのモンブラン氷河を滑降したことが記憶に残っている人です。http://www5.hokkaido-np.co.jp/kyouiku/kodomo/040508miura/index.php3
70才、75才と2回も世界最高齢で世界の最高峰エベレストに登頂し、今度は80才で3回目の登頂を計画しておられるとのこと。私がすごいなあと思って憧れている人物の一人です。久し振りに新聞紙上に登場しましたので、興味を持って読みましたが、「人生をトータルで考えれば、・・・」と長期的な視点でものを見て目の前のことにくよくよするなというメッセージに頷(うなず)きました。
江戸川堤防に走りに行き、6Km 歩いたり走ったりしてきました。気温は高くても雲で陽射しが遮られ、そよ風も吹いていたので、ジョギング用のTシャツも短パンも汗でびっしりにはなりましたが、走るには快適でした。今日は松戸の花火大会なので、堤防の斜面はあちこちブルーシートで席取りがしてありました。
夕方7時頃からドーン・ドーンと花火の音がし始めたので、タオルを首に巻いてうちわを手に持って出かけてきました。妻にも一緒に行くかと誘ってみたのですが、まだ夕食の片付けが1時間くらいあるからと断られました。
堤防に向かう道は警察が車両止めにして、堤防の上も斜面もすごい人出で、立錐(りっすい)の余地もないくらいでした。途中で帰る人のあとの隙間に割り込んで、次から次へと打ち上げられる花火をしばらく眺めて写真を撮ってきました。見物しながらひときわ大きな派手な花火に歓声をあげて拍手をしたり、両親に手を引かれた浴衣(ゆかた)姿の小さな女の子や、車椅子のおばあちゃんを押してあげている家族など、家族への思いやりも含めて日本の夏の風物詩だなと感じました。次から次に打ち上げられてほんの一瞬美しい花を咲かせ、消えていく花火を眺めながら、人々は大震災のことや不景気な経済のことをしばし忘れているのでしょう。
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2012年8月3日金曜日
東京農業大学は今日が前期の期末試験の最終日だったらしく、キャンパスは大勢の学生諸君で賑わっていました。試験が終わったのか、サッカーをしたり、野球をしたり、陸上の練習をしている学生達もいました。
私は桜丘アリーナ(体育館)で着替えて大学の周りを軽くジョギングしましたが、猛暑で熱中症になってはいけないと思って4Km で止めました。シャワーを浴びていたら少し気分が悪くなりそうでしたので、用心して早目に止めて良かったと思いました。
9月13日~14日は石川県加賀海岸で松林防除実践講座があり、私は13日に講演をすることになっていますが、主催者から宿泊はどうするかと問い合わせがありました。せっかくの機会ですから、一泊すれば懇親会にも出席できますし、14日早朝に京都経由で新幹線に乗れば、帰途名古屋で途中下車してお墓参りもできますので、そのように返事をしようと思っています。
翌15日からは環太平洋農薬科学会議で中国の北京に飛びます。
8月はあまり予定が入っていないので比較的のんびりできますが、9月に入るといろいろな行事に追われることになりそうです。
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2012年8月2日木曜日
8月28日に埼玉県の嵐山カントリークラブで開催される東京農業大学グリーン研究会主催の研究会での講演の準備に一日費やしました。大体できましたが、もう少し内容とスライドの枚数を絞る必要があります。
長野県安曇野市での研修会の日程は調整していただくことができました。10月30日の東京農業大学での講義はそのまま実施して、31日に現地入りして一泊、11月1日に講演ということになりました。
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2012年8月1日水曜日
東京農業大学の研究室から借りていた実験装置を車に積んで、返してきました。渋滞がなかったので、片道1時間半弱で比較的楽でした。東京都内を運転する時はいつも緊張しますが、この頃少し慣れてきたせいかもしれません。
今年4月に卒業して就職できなくて、大学に残って就職活動中だった東京農業大学の学生が、先日農薬の分析関係の会社の最終面接までいったと相談にきましたが、残念ながら私のところに来た日の午前中に不採用の通知が届いてしまったので何の応援もできませんでした。その後どうなったか気になったので、指導教員の学科長にメールで問い合わせてみたら、ある大きな会社の子会社に採用されて、8月1日(今日)から新入社員として勤務し始めていますとのことでした。この不景気で就職難の時代に巡り合わせた若い学生諸君にとっては、大学卒業後に就職できるかどうかは大問題の筈ですから、私が指導した学生ではありませんが、一人の若者の進路が決まったことに私もホッとしました。東京農業大学では、教職員が一緒になってよく学生の就職の応援をしているという印象を受けました。
長野県安曇野(あずみの)市でのある研修会での講演を10月に依頼されていましたが、東京農業大学での講義日程とちょうど重なってしまって困ったなと思っていました。どちらかの日程を変更できないか打診していましたら、幸い研修会の方の日程を変更してもらえることになりましたので、これで一安心です。
夕方遅く木立の上に満月が昇っているのがロマンチックに見えたので、愛用のデジタルカメラでうまく写るかどうかシャッターを押してみました。まだ背景の空が少し明るかったので、しばらくして真っ暗になってから再度撮影してみましたら、月の色は出ませんが、形が真ん丸なことは写っていました。
アメリカに帰った孫たちは8月末までは学校が休みなので、娘は毎日孫たちのエネルギーを発散させるためにあちこち連れて行ったり、遊ばせたり、大変だろうなと想像しています。その大変なことが、後から振り返ってみると幸せなことなのかもしれませんが
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2012年7月31日火曜日
約束通り、千葉県森林研究所の福原氏が、培養したマツノザイセンチュウのKa-4 isolate(毒性最強)を持参してくれました。福原氏らは、この時期は野外で一日に2000~3000本の松苗に接種する作業をしているそうですが、今日は、千葉県松林復活プロジェクトに参加している千葉大学大学院博士課程の大学院生小林君を指導してもらってポット植えの松苗に接種しました。松苗の幹の粗皮をナイフで丁寧に剥離し、露出した形成層をのこぎりで傷をつけ(マツノマダラカミキリ成虫が当年枝を後食するのを模して)、培養したマツノザイセンチュウ懸濁液を1本当り約3000頭ずつ接種しました。このような接種作業は日中の気温の高い時に行うと、剥離した粗皮と形成層の間に滴下した懸濁液が短時間に吸収されて、センチュウの樹体内への侵入を促進するとのことです。
松枯れの発現症状を見ながら、松苗をポットから引き抜いて、センチュウ無接種区の松苗の白根(吸水根)とセンチュウを接種した影響で褐色化した白根を採取し、菌根菌の共生を妨害する二次代謝物質が生成しているかどうかを調べる予定です。仮説が正しければ、次のステップとして二次代謝物質の分離同定に進みますが、うまくいけばいずれ小林君の博士論文の一部になる筈です。
炎天下で汗をびっしょりかきながらの体力を消耗する作業でしたが、仮説通りの素晴らしい結果が得られることを想像しながらの楽しい作業でした。
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2012年7月30日月曜日
市橋君のことで何人かの方からお便りが届いていますが、ブログには載せないでほしいと書いてありましたので内容は紹介しません。
6月20日に到着した娘と孫たちは、日本に40日間滞在して、今日成田空港からカリフォルニア州サンタモニカ市の自宅に帰りました。夕方17:15発の飛行機でしたが、念のため早目に車にスーツケース5個を積んで自宅を出発し、空港に着いたのは12:00 頃でした。チェックイン開始は13:15 頃と言われて、列に並んで待ちました。孫たちは退屈して、空港ロビーの椅子に腰かけてバックパックからニンテンドーのゲーム機を取り出して、夢中になって遊んでいました。時間がきて荷物のチェックイン手続きが済んで、孫たちが出発ゲートに向かう時には姿が見えなくなるまで手を振ってさよならをしました。朝から晩まで賑やかだった我が家は、また老夫婦二人だけの静かな生活に戻りますが、ロサンゼルス空港には義理の息子が首を長くして家族の帰りを待っている筈です。
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2012年7月29日日曜日
全国農薬安全指導者協議会(安全協)主催の「農薬シンポジウム IN 千葉」は、千葉市文化交流プラザで予定通り開催されました。今回は、企画を担当した地元の農薬卸商会社の岩淵健二社長が開会の挨拶で、事前に独自に実施した農薬に関する意識調査(アンケート)の結果から、農薬に不安感を持ったいる人たちは何に対して不安を抱いているかを解析して報告しました。
私の基調講演に続いて、JA(農業協同組合)ちばみどりの宮内貴志次長が作物流通を担っているJAが安全を確保するために採用している各種取り組みについて紹介し、銚子野菜連合会の石上與一会長が緑肥を用いた土作りから収穫・出荷までのキャベツ生産の全課程について解説されました。千葉県の農産物産出額は、平成22年の統計では北海道、茨城県に次いで全国第3位ですが、中でもキャベツやトウモロコシの生産についてはJAちばみどり管内の銚子の貢献が大きいとのこと。
収穫1週間前のキャベツ畑では、周辺の畑で散布された農薬の飛散による汚染が起こらないように桃色の旗を立てて注意を喚起するのだそうです。ところが、これは畑泥棒にとっても収穫適期を知らせる合図になるので、この時期は警戒を厳重にして泥棒に盗まれないように注意をしているとのこと。農家が長期間かけて汗水流して栽培したキャベツを盗む人がいるというのは信じられない気がしますが、以前、収穫直前の水田から稲刈りをしてお米を盗むという事件が報道されていましたので、実際にあることなのでしょう。
質疑応答の後は、安全協の田中康貴会長の閉会挨拶で幕を閉じました。閉会後、主催者と講師は近くの居酒屋で反省会をしましたが、この席で農薬の流通や作物の流通に関していろいろな情報が得られ、私にとっては大変勉強になりました。
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2012年7月28日土曜日
昨日いただいたお便りに以下の返事を差し上げました。
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〇〇〇〇様
お便りありがとうございました。市橋君がどこかの刑務所に移送されて受刑生活が始まって以来、様子が全くわからなくなってしまいました。どこの刑務所にいるかが、弁護団にも、ご両親にも、誰にもわからないというのは、残酷な制度ですね。本人が外部に手紙を書くことは許されている(回数に制限があるにしても)筈ですから、どこにも手紙がきていないということは、本人が誰にも知られずに罪の償いをしたいと思っているからではと想像しています。
ほとんどの人々は、マスコミが追いかけて報道している間は関心を示しますが、報道をしなくなればもう過去のこととして忘れてしまいます。本人にとっては今から30年間も自由のない刑務所での生活をし、決して過去の問題になることはない、永久に現在の問題として向き合って生きなければならないのに・・。市橋君は頑丈な体と強い精神力を持っていますので、受刑生活をしながら、ご両親から最後にいただいたお手紙にありましたように、求道者のように修養と克己を身につけていくのではと思っています。
私も、市橋君がいつの日か受刑しつつもご両親や私や支援者と交流をしたいと思う日がくることを祈っています。
先日、夜中の1時頃に携帯から以下のメールが届きました。発信者の名前も何もありませんでしたので、いつもと同じ嫌がらせの一つだと思って無視しましたが、反支援者も、市橋君に関するニュースがパタッとなくなったので、攻撃目標がなくなって張り合いがないのかもしれません。
「△△刑務所にいます。」
「△△刑務所の所在地わかりますか。わからなければ、104に電話して、電話番号と所在地聞いてください。真夜中にすみません。」
私はもう70才の老人ですから、そろそろ引退して年齢相応の暮らしをするべきなのかもしれませんが、まだもう少しやりたいことがありますので、なかなか引退できません。平均寿命からすると残り10年足らずですから、少しずつでも今までやりたくてもできなかったことに時間を使おうと思っています。
猛暑が続いていますので、〇〇様もどうぞお体を大切に。
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昨日の梅津憲治博士の講演でも紹介されていましたが、千葉大学は植物工場研究の拠点大学の一つです。園芸学部松戸キャンパスには、閉鎖型植物工場と太陽光利用型植物工場があってよく学外からも見学者が訪れるようです。千葉大学柏の葉キャンパスのセンターには最近さらに近代的な植物工場が建てられたようですが、私自身はまだ見に行っていません。今日は純白の花が咲いている木槿(ムクゲ)の側を通ったら、小さなカマキリが愉快な姿勢で餌食(訪花昆虫)を待ち構えていたので写真を撮ってきました。
明日は千葉市で開催される農薬シンポジウムで、私は「食の安全・安心と農薬」というテーマの基調講演をすることになっています。開会は午後2時からですが、事前の打ち合わせ会と事後の反省会もありますので、帰宅するのは夜の時間帯になりそうです。今回は日曜日開催ですので、どういう参加者が来られるのか、楽しみです。
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2012年7月27日金曜日
市橋君のことで久しぶりのお便りがありました。猛暑の中で、受刑中の市橋君の健康を心配している方々がたくさんおられるのでしょう。ありがとうございました。
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先生、大変ご無沙汰をしております。連日猛暑が続いておりますがお身体大丈夫でしょうか?
オウムの指名手配犯が立て続けに逮捕され、その中で市橋さんの逃亡生活を引き合いに出していたこと、ニュースを見るだけで市橋さんの立場を考えてしまい胸が痛い思いをしておりました。(自分の犯した罪の償いを日々向き合っておられるのに。でも罪は罪ですので仕方の無い事ですが)
この何か月間毎晩寝る前に「毎日元気で受刑の日を送れるように」と。市橋さんはもう受刑者に変わったんだ。私達が何か支援をすることはもうできないのですね。
正直控訴をしても誰も信じてくれない、だから今の受刑の道を選んだのかもしれません。(あくまで私個人の見解です)
この暑い中市橋さんは大丈夫なのか?元気にしているのか?独りの殻に籠ってるのではないのか?とても気がかりです。
でもこのリンゼイさんの事件を風化してほしくないとも思っております。世の中はオリンピック一色ですね。オウムの事件も風化されそうになっています。ただ言えることは、市橋さん強く生きてほしい。それだけで支援者(何もできませんが)の私にも光が見えてきます。私も一日一日を大切にし、市橋さんの事を願いながら生活をしていきます。
先生のご活躍大変喜ばしくて嬉しくなります。これからもお身体に気を付けてください。乱文長文失礼しました。
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今日は「食と農の博物館」で、東京農業大学総合研究所研究会農薬部会とHEART(ハート)の会*と合同の講演会があり、梅津憲治博士(東京農業大学客員教授/元日本農薬学会長/元大塚化学専務取締役)による「植物工場の現状と将来の課題」と題した講演がありました。私は今年から研究会の農薬部会長になりましたから、座長の役を果たしましたが、素晴らしい内容の講演でした。大塚化学自体が水耕栽培用の液肥を供給しているということもあって、あちこち日本の主な植物工場を訪問して撮影してこられた(普通は企業秘密で見学も撮影もさせてくれない)写真も興味深いものでしたが、日本の農業を取り巻く環境と農産物生産の実態や、植物工場の採算性・事業性や、太陽光利用型・完全制御型植物工場の特徴と課題など、貴重な資料をたくさん集めて整理してプレゼンテーションをされ、さすが勉強家の梅津博士だからこそできたと思われる大変説得力のある講演でした。
*人間環境活性化研究会 (Human Environment Activating Research Team) http://www.heart-no-kai.com/
農水省や経産省の補助金事業ということもありますが、異業種から猫も杓子(しゃくし)も事業参入していて、一見華やかな植物工場ビジネスですが、設備投資やエネルギー代に巨額の投資がかかり、ほとんどが赤字経営という実態には考えさせられました。施設を建設するゼネコンや電気を供給する電力会社には儲かるビジネスかもしれませんが、肝心の植物工場の中で植物生産をする農家=農業生産者にとっては、赤字で破産して夜逃げをしなければならないくらい、儲からないビジネスのようです。何でもそうでしょうが、見かけの華やかさや恰好だけで判断してはいけないという教訓を教えられます。
円高のために、安い輸入農産物との競争に苦しんでいる日本農業の現状や、東北大震災と津波で壊滅状態の現地の農業再生のために、植物工場建設は政府にとっては魅力的な補助金事業になるかもしれませんが、長い目で見て農家の経営や日本の食料自給率アップに本当に役に立つかどうか、これまでの経験の反省を踏まえて判断することが必要なのだと思います。
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2012年7月26日木曜日
新潟県胎内市でのヘリコプターで散布された薬剤の気中濃度を測定するサンプルを分析するための抽出・濃縮・定容の作業を、共同研究をしている千葉大学園芸学部の研究室で行いました。サンプル数が多いので、夜中の2時までかかってやっと1/4くらい終わりました。残りの3/4を同様に処理すれば、ガスクロマトグラフィーという機器を使って分析ができるようになります。夜中まで実験をしながら、大学院生に戻ったような楽しい気分でした。
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2012年7月25日水曜日
JR特急さざなみ1号は空いていたので3人そろって座れました。館山駅に到着後レンタカーを借りて平砂浦に行きました。猛暑日でしたが、汗をびっしょりかきながら平砂浦遊歩道から松林(今は枯れてほとんど壊滅状態)の中に入り念入りに視察しました。7月11日に視察した時にはわずかですが生き残っていた松もあったのですが、わずか2週間でそれらにも松枯れ症状が進行していましたので、今秋には全部枯れてしまうかもしれません。
6月27日に2回目のエコワンフロアブル(有効成分はネオニコチノイド剤のチアクロプリド)をスパウターと呼ばれる大型散布機で道路から散布した筈ですが、地上散布ではスパウターが移動できる道路側からしか散布ができないので、薬液が届かない林分では効果がないのは当然です。道路にはみ出した松枝の下の道路上には無数のマツノマダラカミキリ成虫の死骸がありましたので、薬液がかかった松枝に寄生していた成虫に対しては効果があったことがわかります。
今年発生した成虫は当年枝を後食(こうしょく)し、一部はすでに産卵し、孵化幼虫が樹皮下で形成層を食害していました。場所によっては、姿は見えなくても幼虫が樹皮下でボリボリかじっている音が聞こえました。
車で外房(そとぼう)沿いに北上して途中東浪見(とらみ)海岸に寄ってみました。大きな松はすでにほとんど枯れて、更新された生育途上の小さな松がありましたがそれも何割かは松枯れが進行中で、今年発生した成虫が当年枝を後食しているところも確認できました。
さらに北上して九十九里の蓮沼海浜公園の松枯れのその後の状況を視察しました。展望台の前辺りの松が文字通り松枯れで全滅状態で、今年枯れた松は伐倒・玉切りにされてブルーシートで覆われていました。昆虫寄生性病原菌ボーベリア菌(ボーベリアバシアーナ F-263株の分生子、商品名はバイオリサ・マダラ)を接種してある絆創膏みたいなテープ(不織布)が玉切りされた松枝に貼ってありました。羽化脱出してきた成虫は丸太の上を歩き回ってこれに触れればボーベリア菌に感染しやがて発病して死ぬ筈ですが、実際にはシートの下の松枝上でテープに触れずに留まっている成虫や、ブルーシートの上に出てきている成虫も見られました。これらの成虫が健全な松の当年枝に飛んでいって後食(こうしょく)すればセンチュウを伝搬するのではないか、ちょっと心配になりました。ブルーシートの大きさが不十分で積み重ねられた丸太の高さの半分くらいまでしか被されていなかったからかもしれません。こういう処理方法でいいのか、この方法を開発された元(独)森林総合研究所の研究者に今度確認してみようと思っています。
茂原でレンタカーを返して、特急の時間まで駅近くのレストランでビールを一杯と夕食を食べながら3人で今日の視察の結果を話し合いました。有人ヘリコプターで有機リン殺虫剤のスミパインMCを散布していた2007年まではしっかり守られていた松林がこういう無残な状況になったのは、農薬反対活動家グループの反対運動でヘリコプターによる有機リン殺虫剤の散布が中止に追い込まれ、残効性の短いネオニコチノイド剤(エコワンフロアブルとマツグリーン液剤2)の地上散布に切り換えられたことが原因と推察されます。それでも君ヶ浜の国有林のように適期に2回散布をして、伐倒駆除もきちんとしていれば守られた筈ですが、予算の制約などから1回散布しかできず伐倒駆除も不十分にしかできなければ、5月~8月まで羽化脱出してくるマツノマダラカミキリ成虫に対応できないことは当然です。防除技術はあるにもかかわらず、2008年以来政治的・予算的制約から中途半端な防除しかできなかったことのツケがまわってきたというのが私の結論です。
もう一つ私が不思議に思ったことは、伐倒駆除した跡地に何故同じ本数(少なくとも)の松苗を植林しないかということです。伐倒だけしていけば松林が消滅していくのは目に見えています。毎年枯れた分だけ補植をしていくことは、行政のやる事業としては予算化しにくくやれないというようなことがあるのだとしたら、それもひとつの問題だなあという気がします。
ここまで被害が深刻になれば、かつて日本の白砂青松100選にも選ばれた(美しかった)平砂浦の松林も九十九里の松林も遠からず消滅する日がくるでしょう。こうなると、今後どうするかということが政治的課題になってくる筈です。東北大震災の後、電力不足問題が顕在化している現状にかんがみ、松が枯れた後の海岸に太陽光発電のパネルを設置したり、風力発電の風車を設置したらどうかというアイデアも冗談交じりにささやかれているとのこと。一案だとは思いますが、昔から地元の住民が苦しめられてきた強風害、飛砂害、潮風害などをどう解決するか、場合によっては起こるかもしれない津波に対する備えも含めて考える必要があるのでしょう。
朝早くから一日かけての猛暑の中での視察で疲れましたが、現場に出てよかったと思います。現場に出ると毎回新しい発見や体験があります。林野庁の森林保護対策室長にとっても、有意義だった筈です。今日の経験を国としての林野行政に生かしていただきたいと思います。
(写真はクリックすると拡大できます。)
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2012年7月24日火曜日
明日は朝早く自宅を出て、電車で館山まで行き、そこからはレンタカーで平砂浦と九十九里の海岸を回って松枯れ状況を視察してくる予定です。いつも一緒に行く樹木医の他に、林野庁の森林保護対策室長が同行します。森林保護対策室長は正式の出張にすると、関東森林管理局千葉森林管理事務所や千葉県の林業事務所への連絡など手続きが面倒になるので、休暇をとって個人的な視察にするという配慮をしてくれました。室長には、海岸保安林が松くい虫防除の失敗でどれだけ酷い状況になっているか、現場に足を運んで直接見てきていただきたいと思っています。その上で、松林を守るために林野庁として何ができるか検討していただければと思います。
孫たちは、エネルギーを発散させるために娘が子供向けの映画につれていきました。帰ってきてから、一番上のAiden(叡伝)は小学校の友達の家に誘われて遊びに行きました。この友達は、普段は学校が終わると塾通いなのであまり遊び友達がいないらしく、Aidenと遊べるのが楽しくてたまらないようです。学校が終わったら近所の子供たちと自由に遊べた昔の子供と、塾に通ったり、家でコンピューターゲームに熱中している今の子供と、どちらが幸せなのだろうと思ってしまいます。
ダディ(父親)がアメリカで離れているせいか、3人ともよく私のところにきてくすぐりっこをしたり、相撲をとったりします。父親とのスキンシップを求めているのかもしれません。明日は、皆で東京スカイツリー見に行って、それから浅草に行ってアメリカの友達にお土産を買ってくると言っています。
今日はテレビ朝日で午後4時15分頃からイチロウがニューヨークジャイアンツに移籍するニュースを伝えていましたが、義理の息子が送った映像とのことでした。
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2012年7月23日月曜日
今月29日(日)に千葉市で行われる「農薬シンポジウムIN千葉」の基調講演の準備をしました。岐阜市では少し時間をオーバーしてしまいましたので、今回は割り当てられた時間通りに終われるように、スライドの枚数は同じでも、話す内容を少し絞ることにしました。
準備運動をしてから、いつもの江戸川堤防の代わりに、近くにある浅間(せんげん)神社に走りに行きました。昨年の地震で鳥居や灯籠などが被害を受けたらしく、長い間立ち入りできなかったのですが、修理が終わったらしく石段を登って頂上の神社まで行くことができました。独立した小さな山ですが、うっそうとした森になっていて、神社の雰囲気が保たれていました。
夕方は家族全員で近くの知り合いのラーメン屋に行って夕食を食べ、その帰りに公園に寄って花火をしました。大きな音がしたり、空に打ち上げるような派手なものは避けて、線香花火のような地味なものを選んで買ってきましたが、それでも孫たちは代わりばんこに花火を手に持って着火し、歓声をあげて喜んでいました。日本での夏の夜の思い出になるでしょう。
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2012年7月22日日曜日
支援者から久し振りのお便りが届きました。ありがとうございます。人間ドックでは何も異常はなかったのですが、実は1月末のフルマラソンで気が抜けたのか、その後あまり走る気力が湧いてきません。単に運動を怠けているので筋力が退化しているだけかもしれませんが、下腹部に少し違和感があって以前のように力がでてこないような気がしています。8月になってもう少し時間の余裕ができたら、念のため病院に行って検査を受けてこようと思っています。
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暑中お見舞申しあげます。とはいえ、気温差がある天候続きで"暑中"という言葉は適しているのか?どうかわかりませんね。
先生、お孫さん達との楽しく賑やかな日々、ブログで拝見させて頂いてます。公私にわたり色々とお忙しそうなので少し体調が心配です。くれぐれもお体にお気をつけてお過ごしくださいませ。私は仕事に趣味に相変わらずの生活です。毎朝、欠かさず市橋さんが今日も元気で頑張ってくださるようお祈りも続けています。今の私には祈る事しかできませんので。(本山:市橋君自身が誰にも知られずに罪を償おうとしているようですので、今は遠くから彼が日々の行いを通して人間として成長することを祈るしかありませんし、私もそれでいいのだと思っています。私に何かを話したいと思う時がくれば手紙を書いてくれるでしょう。)
いつか市橋さんが先生にお便りをくださることを願いつつ、これからも支援していきたいと思います。
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Aiden(叡伝)とColin(琥倫)をつれて水元(みずもと)公園内にある葛飾区金魚展示場に金魚を見に行きました。これが金魚かと思われるような、実に様々な金魚がいました。小合溜(こあいだまり)につながっている小さな水路にはハスの葉が一面を覆っていて、ピンク色のなんとも言えない優しい感じの花が咲いていました。
午後からはAidenは小学校の友達に誘われて、近くの運動場にサッカーをしに行きました。その間、娘はAika(愛夏)とColin(琥倫)をすぐ近くで遊ばせながら、見ていたようです。Aidenはアメリカでもサッカー教室に通っているので楽しかったらしく、プレー中に蹴られて腫れている脛の傷や、あちこちの擦り傷をGrandpa, look!(おじいちゃん、見て) と言って私に見せました。
孫たちはアメリカに留まっているDaddy(義理の息子)とは毎日電話で話しています。仕事は一段落したようで、本当は、日本に来る直前に引っ越した大きな家(3ベッドルーム、3バスルーム、リビングルーム、キッチン、屋根裏部屋、車2台分の車庫)の片付けを家族がいない間にすると言っていたのに、魂が抜けたみたいになって、料理も上手なのに食事を作る気力もなくなっているようです。普段から子供のために働くのが生き甲斐のDaddyですから、家族がいなくなって寂しくて仕方がないのでしょう。孫たちの日本滞在も残り約1週間になりましたので、もうすぐ家族と合流できます。娘は、自分がアメリカに帰ったらヤードセールをして不要なものを処分するからと伝えたようです。
久し振りに道場で空手着に着替えて、サンドバッグを蹴ったり、巻き藁を突いたり、突き・蹴り・受けの基本の稽古をしましたが、体は固くなっているし、スピードは出ないし、力も入らないし・・、情けない体調でした。頭は錯覚で思い込ませることができても、体は動かさなければすぐ動かなくなって正直です。?
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2012年7月21日土曜日
毎年この時期になると、千葉大学現役時代に学生諸君と一緒に長年農薬の生態影響を調査してきた水田がどうなっているか気になって落ち着かなくなります。今日は銚子の君ヶ浜の松林の松くい虫の被害状況を調査するついでに、大網白里町と香取市山田区に足を延ばして水田の様子を見てきました。
驚いたことに大網白里町砂田(いさごだ)地区の水田は大豆畑に転換されていました。役所から減反を要請されたのか、補助金が付いたのかはわかりませんが、今度知り合いの農家に訊いてみようと思っています。
香取市山田区田部(たべ)地区の水田はすでに出穂してイネの花が咲いているところもあり、水路には土着のメダカやカエルもいました。橘堰(たちばなぜき)ふれあい公園のハス池では大賀ハスの美しい花が咲いて、ガマも穂をつけていました。
銚子の君ヶ浜の松林は、松くい虫の被害が激発した平砂浦や九十九里の松林と違って、ほとんどが青々としていました。ただごく少数ですが、枯れかかっている(今年発生した松くい虫によると思われる)マツも見られましたので、これからが要注意だなと思いました。
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2012年7月20日金曜日
千葉大学園芸学部の「食品安全ビジネス論」では、私も農薬分野で1回担当しましたが、今日が講義の最終回で、(独)日本原子力開発機構の研究主席小林泰彦先生の「食品の放射能汚染と安全性」でしたので、私も一番後ろの席で聴講しました。
しっかりした資料を配布され、放射能と放射線の違い、自然界の放射線、外部被ばくと内部被ばく、リスクの概念、被爆の影響、放射性物質の食品基準、食品の放射線照射の有用性、風評被害問題、・・等々、難しい内容を専門外の学生(大半は園芸経済学科の学生と社会人)に分かり易く講義して下さいました。原子力発電所の事故があった福島県産の農作物について、コープ福島の放射性物質測定結果からも科学的には安全であると証明されていても、安心できないと言われるところは、農薬の風評被害と全く同じ状況だなと思いました。
安全基準値にしても、安心感のためにさらに厳しく設定したり、自分たちの流通している商品を差別化するためにそれよりもさらに厳しくしたり、そのために生じる負の影響については責任をとらない・・。まともな農業をやって安全な農作物を生産している人たちを批判して、無農薬や有機栽培を商品の差別化に利用しようとしている人たちとよく似ているなと思いました。
私から見ても最高の講義だったにもかかわらず、社会人が前の方の列に座って熱心に聴講しているのと比較して、学生諸君の多くが後の方の席で顔を机にうつ伏せにして居眠りしている姿にはがっかりしました。単に卒業に必要な単位数を満たすために受講しているのか、就職活動で走り回って疲れているのか、そもそも大学にきて勉強する目的意識が欠如しているのか、恵まれ過ぎていることがかえって不幸なのかもしれません。こういう無気力な若者たちが大学を卒業して社会に出て行って、どうなるのか心配になりました。
猛暑だった昨日と打って変わって気温が下がって涼しくなりましたので、江戸川堤防を14km ゆっくり走ってきました。
孫のAiden(叡伝)とAika(愛夏)が行っている小学校は今日が夏休み前の最後のクラスだったらしく、それぞれクラスのお友達一人一人がメッセージを書いてくれたアルバムをもらってきました。今月末にはアメリカに帰国して、秋学期にはもう会えなくなることを子供たちも知っているので、「来年また来て同じクラスになれたらいいな」と書いてくれた人もいました。日本人の子供たちにとっても我が家の孫たちにとっても、短い期間でしたがこうして交流できたことはいい経験になった筈です。
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2012年7月19日木曜日
午前中は自宅で緊急を要するメールへの返信をし、午後からは東京御茶ノ水で、全国農薬安全指導者協議会(安全協)主催の農薬の安全使用に関する賛助会員(主に農薬メーカー)、安全協常任幹事、農水省農薬対策室等の打ち合わせ会・意見交換会があり、私も招待されましたので出席しました。こういう企画は初めてでしたが、お互いにいろいろな問題点が認識でき、有意義だったと感じました。
情報交換会(懇親会)でも、アルコールの勢いもあって本音での情報交換が行われました。
東京に出かける前に、お腹に情報交換会でアルコールと食べ物が入るスペースを作っておこうと思って、江戸川堤防にジョギングに行きましたが、暑いのと太り過ぎで息が切れるのとで、結局4Km だけ走ったり歩いたりして帰ってきました。情けない限りです。
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2012年7月18日水曜日
今日は松戸から東京農業大学まで車で行って、実験に使う器具を共同研究をする千葉大学の研究室に運んできました。今週の金曜までには業者に発注したその他の必要な器材が届く予定ですので、実験が始められます。東京の真ん中を通りましたが、往きは道路が混んでいて2時間くらいかかり、帰りは1時間ちょっとでした。
千葉大学園芸学部の構内にある木槿(ムクゲ)は真っ白い花が満開でした。
一番上の孫のAiden(叡伝)の9才の誕生日でしたので、本人が食べたいと言ったピザをとり、ケーキの変わりにシュークリームを食べ、皆でHappy Birthday の歌を歌ってお祝いしました。その後で、先日トイザラスで買ってきた任天堂のゲームソフトを包装紙から出しました。娘の家ではアメリカにいる時は普段はこういうゲームはあまりさせないようですが、日本語版なので、日本語の勉強にもなるからということで娘が許可しました。
こうして家族皆で誕生日をお祝いしてもらえる孫たちは、世界のあちこちで戦禍に怯えながら暮らしている子供たちに比べると幸せです。
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2012年7月17日火曜日
一番下の孫のColin(琥倫)が通っている幼稚園は今日が夏休み前の最終日で、幼稚園で描いた絵や、作ったおもちゃや、先生が撮ってくれた写真を持って帰ってきました。短い期間でしたが、体操の時間や、プールの時間や、習字の時間や、お茶の時間もあって、日本の子供たちの中に入って同じ経験ができたことは、大変良かったと思っています。ハーフで少し顔立ちが皆と違っていても、そんなことはお構いなく仲良くできるところが子供たちの素晴らしいところなのでしょう。お互いにその気持ちを大人になっても持ち続けてくれればいいのですが・・。体験入園を受け入れてくれた幼稚園と、指導をして下さった先生たちに感謝します。
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2012年7月16日月曜日
腎臓透析でリハビリセンターに長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人をお見舞いに行ってきました。先月は一度も行けなかったので2ケ月振りでした。娘が小さかった頃は同じ公務員宿舎に住んでいて家族どうしよく知っているので、娘と孫たちの写真を持っていって見せながらいろいろ話しかけました。眼を大きく開いて、私の顔を見たり、写真を見たりしていましたが、一言も口はきいてくれませんでした。
30分ぐらいしてリハビリセンターを後にしましたが、ベッドの横の小机にはメモ帳を兼ねたスケッチブックが立てかけてあったので、私がお見舞いに来たことを記して写真も何枚か残してきましたら、その後に来られた奥様からお礼の電話がありました。昔、日本女子大学出身で、大学院で彼の研究室を専攻していた女子学生が今は新潟大学教授になって、先日お見舞いに来てくれたと話してくれました。私が指導していた園芸学部の空手部にも入っていたので私もよく記憶している人です。ちょうど同じ時期に、明治大学を卒業して大学院を私の研究室を専攻していた男子学生がいて、今は千葉科学大学で薬学部の教授をしていますが、彼も当時空手部に入っていたので、お互いによく知っている筈だと話してあげました。今度彼女にお見舞いの礼状を書く時に、覚えているかどうか男子学生の消息を知らせてみますとのことでした。
元同僚教授/友人も私もすでに千葉大学を定年退職して、そういう意味では余生をおくっている立場ですが、ある時期に指導をした元学生たちが、大学教授になって、分野は違っていても学問の後継者になってくれているのをみるのは嬉しいことです。
娘と孫たちは東京で公演している「ライオンキング」というミュージカルを観に行って来ました。Aika(愛夏)(7才)はカリフォルニア州のサンタモニカの近くのミュージカルシアターに通って習っているので、歌ったり踊ったりするのが大好きです。よく、ドレミの歌を振付をしながら英語で歌ってくれて、バーバとGrandpa を喜ばしてくれます。帰ってきてから今日のミュージカルはどうだったと訊いたら、よかったと答えました。自分は胸から声を出して歌うけど、今日の人たちはお腹から声を出して歌っていたと言っていました。
昨日Aiden(叡伝)(9才)が釣った魚(ヤマメ?)は妻がフライパンに油をひいて、塩コショウで味付けして骨まで軟らかくなるように料理をしたら、孫たちが少しずつ分け合って美味しそうに食べていました。自分で育てた野菜は少々出来損ないでも美味しいのと同じで、自分で釣った魚は格別美味しいと感じるのでしょう。
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2012年7月15日日曜日
3連休の中日で学校も幼稚園も休みなので、孫のAika(愛夏)とColin(琥倫)はマミー(母親)と一緒に上野動物園にパンダを見に行き、Aiden(叡伝)と私は魚釣りに行きました。近くの上州屋という釣具店で簡単な釣り道具と餌のミミズを買ってから、水元(みずもと)公園に行きました。多くの家族連れが釣り糸を垂れていましたが、バケツを覗いたらアメリカザリガニとクチボソと呼ばれる小魚ばかりでした。小さな針に細いミミズを付けて入れると、浮きがすぐピクピク動いて小魚がつついているのはわかるのですが、一匹も釣り上げることはできませんでした。買った竿が長過ぎて何回も木の枝や草などにひっかかったのであきらめて、車で1時間くらいの手賀沼フィッシングセンターに行くことにしました。
千円で糸と浮きと重りと針のついている短い竹竿と餌を貸与され、ニジマスが入れてある釣り堀で釣り糸を垂れました。ここも休みだったせいかかなりの人出で、慣れているらしい女性の二人連れが25cm くらいのニジマスを10匹くらい釣り上げていました。Aiden も他の人の真似をしていたら、1匹だけ釣れました。模様からすると、珍しくヤマメかイワナのようでした。リリースしようかと言ったら、持って帰ってバーバ(妻のこと)に料理してもらって食べると言ったので、30円出したら職員が内臓を取り除いて塩をまぶしてプラスチックバッグに入れてくれました。
朝家を出たのは10時頃で、帰宅したのは夕方の5時頃でしたが、孫とGrandpa の二人だけの楽しい一日でした。家族全員が1匹ずつ食べられるようにもっと釣りたいというのを、もう夕飯の時間になるからと言って諦めさせました。これくらいの年齢(9才)の子供の特徴でしょうか、車を運転していても釣りをしていても、Grandpa、Grandpa、と何回も呼び掛けられ、質問をされ、会話が途切れることがありませんでした。それでもちっとも煩わしくなく、ひとつひとつ丁寧に説明をしてあげようとするのは、Grandpa にとっては孫というのはそれだけ可愛い存在だということなのかもしれません。
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2012年7月14日土曜日
今年アメリカで誕生日を迎えた孫たちには、日本からプレゼントを送る代わりに、日本に来た時に日本のバーバ(妻のこと)とGrandpa (私のこと)がプレゼントを買いにつれていくからと言ったのを孫たちはちゃんと覚えていました。今日は約束通り、妻と娘と孫たちと全員一緒にトイザラスと伊勢丹のおもちゃ売り場に行きました。トイザラスでAiden (叡伝)君は任天堂のゲームソフトを選び、Colin(琥倫)君はおもちゃを2つ選びましたが、Aika (愛夏)ちゃんだけはここには欲しいものがないと言って、結局伊勢丹のおもちゃ売り場で長い時間をかけて縫いぐるみの人形を選びました。Aika だけは、あれやこれや見ていてなかなか決まらなかったら、娘がAika はアメリカでもそうで、1時間くらい見て歩いても結局決まらずに最後は泣き出すのだそうです。これもほしい、あれもほしいで決められない性格なのでしょう。
そう言えば、今から20年くらい前に空手の弟子/友人のMargie さんの一人娘のSarah ちゃんがちょうど今のAika と同じくらいの年齢だった時に、私が夏休みにノースカロライナ州を訪ねた折に、小学校で必要な文房具や衣類(Tシャツだったか?)を買ってあげると言ってショッピングにつれて行ったら、嬉しくてほっぺたを赤くして1時間くらいあれやこれや見て歩いて、やはりなかなか決められなかったのを思い出しました。大人もそうかもしれませんが、子供の心理も一人一人違っていて面白いものです。
買い物の後は、釜揚げうどんのお店に行って、皆でうどんを食べました。
Aiden とは明日は魚釣りに行く約束ですが、今日は私と二人で江戸川の堤防にジョギングに行こうと言い出しました。バーバに、今日は暑いしもう時間が遅いので駄目と言われてしぶしぶ諦めました。ついこの間までおしめをして赤ちゃんだったのに、いつの間にか私と男どうしでジョギングに行こうと言ってくれるようになって、Grandpa としては嬉しい限りです。バーバもGrandpa も70代ですからいつまで生きられるかわかりませんが、孫たちにはこのまま順調に育ってほしいと願っています。どんな大人になるのか楽しみです。-----------------------------------------
2012年7月13日金曜日
9月15日-20日に中国の北京で開催される環太平洋農薬科学会議で私は招待講演をすることになっていますが、講演要旨の締め切りが明後日15日までとなっていますので、今日は一日中机に向かってその準備をしました。
http://www.2012iupac.com/UploadFiles/20120710%20The%20third%20circular.pdf
松くい虫防除問題について長年一緒に研究してきた二人の研究者、中国からの元留学生孫 立倉博士と元林野庁森林総合研究所の田畑勝洋博士(現岐阜県立森林文化アカデミー客員教授)との共著ですので、お二人のご意見も取り入れて訂正し、最終版を先ほどオンラインで提出しました。
Session III:Environmental fate, exposure modeling and risk assessment of pesticides(セッションIII:農薬の環境中での運命、暴露モデルとリスク評価)の中の、III-4:Assessing risks of pesticides to human being(III-4:農薬の人へのリスク評価)というところで発表をする予定です。講演のタイトルは、Possible exposure and health effect of airial pesticides sprayed by helicopters over pine forests(ヘリコプターで松林に空中散布された農薬の暴露と健康影響の可能性)、です。締め切り前に提出できたので、先ずは一安心です。
夕方は江戸川堤防に行って、8Km をゆっくり走ったり歩いたりしてきました。紫陽花(アジサイ)の季節が終わって、今は木槿(ムクゲ)と芙蓉(フヨウ)の花が満開で目を惹きます。
孫たちは毎日小学校や幼稚園に元気に通っています。あっという間に日本人の子供たちと同じような日本語をしゃべるようになりました。今日は、一番下のColin(琥倫)君(5才)が幼稚園で描いたという絵を持って帰ってきました。人なのか動物なのか植物なのかわかりませんが、毎朝・毎夕NHK Eテレの子供番組を見ているので、想像上のキャラクターなのかもしれません。
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2012年7月12日木曜日
6月に新潟県胎内市で農薬散布が行われた時に採取してきたサンプルを、抽出・濃縮・定容する作業は、予定していた大学院博士課程の学生はあいにくこの時期は忙しくて時間がとれないということになりましたので、東京農業大学のある研究室の設備を使わせていただいて、私自身で行うことになりました。自ら試験管を振るのは何年振りかですので、楽しみです。
9月15日-20日に中国の北京で開催される環太平洋農薬科学会議の登録手続きと、航空券の予約と、宿泊ホテルの予約を済ませました。
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2012年7月11日水曜日
朝8時に松戸を出発し、私の車を運転して樹木医と一緒に房総半島の富津岬の松林の状況を見に行きました。岬の先端部分の松林は前回視察した時に比べて若干松枯れが進行したかなと感じる程度でしたが、前回被害が大きかった漁港の向かいの松林は枯れた松を伐倒駆除したらしく、疎林になって空間が大きくなっていましたが、枯れた松は除去されていました。
その後、館山自動車道に戻って房総半島先端に位置する平砂浦に行きました。昨年の松枯れで激害が発生したところですが、今年はすでに殺虫剤(ネオニコチノイド剤)の2回散布が行われた筈ですので、マツノマダラカミキリがどういう状態か観察するのが目的でした。松枯れは前回の視察時よりもさらに悪化しており、場所によっては枯損木の伐倒駆除で、松林が消滅して空き地になっていました。伐倒木をチップ化して林内に敷きつめているところもありました。
伐倒されなかった生きているマツには、マツノマダラカミキリ成虫が集中していて、ある1本の小さいマツの木には5頭も寄生して後食(こうしょく)していました。今まで30年間松枯れの研究をしてきた樹木医も初めての経験と言っていましたが、野外の自然状態(飼育している網室内とは違う)で交尾している成虫を2組も目撃できました。同じ枝にマツノマダラカミキリ成虫とマツケムシ(マツカレハ幼虫)が寄生している珍しい状況も観察されました。また、マツノマダラカミキリは見られなくても、ほとんど全てのチェックした生きているマツの枝には後食痕がありましたので、これらのマツにもすでにマツノザイセンチュウが侵入している筈ですので、今秋には枯れてしまう筈です。
今年は2回薬剤散布をしたのでしたら、本来成虫はいない筈なのに、これだけ多数存在していたということは、防除方法に何らかの問題(散布時期、カミキリが後食する部位への薬剤の付着量、薬剤の残効性など)があったということを示しています。今後、県の担当者にどういう薬剤の散布方法を採ったのか確かめてみるつもりです。今日は残念ながら時間が足らなくなって、予定していた鴨川と九十九里浜の松枯れ状況視察まではできませんでした。
スミパインMC(有機リン殺虫剤)をヘリコプターで散布していた時はしっかり守られていた広大な松林が、散布中止に追い込まれてわずか3~4年でこういう無残な状況になったことの責任は誰がとるのでしょうか。宗教的な農薬反対活動をして、まるで中世ヨーロッパの魔女狩りのようにマスコミを煽って散布を中止に追い込んだ人たちは、どれだけ国民の利益を損なっているか自覚すべきだと思います。
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2012年7月10日火曜日
<「知って安心・調べて安全」農薬を正しく知ろう「農薬シンポ in 岐阜」>という催しが岐阜市じゅうろくプラザ(岐阜市文化産業交流センター)で開催され、私は基調講演を行った後、パネルディシカッションにもパネリストの一人として参加しました。パネルディスカッションは、野村アグリプラニング&アドバイザリー株式会社の藤田 葵氏がコーディネーター(司会)を務め、私以外のパネリストには地元で大規模の露地野菜栽培をしておられる農家の安田義彦氏、生活協同組合コープ岐阜副理事長の紅谷昭代氏、岐阜県病害虫防除所長の棚橋一雄氏が参加されました。
今回は主催者の企画で、講演の前に大垣女子短期大学ウインドアンサンブルによるミニコンサートがあり、ブラスバンド演奏を楽しみました。わずか15分という短い時間でしたが、若い女子学生の見事な演奏に引き込まれ、感動しました。
参加者は計197名だったとのことで、会場一杯でした。終わってから、岐阜駅前の居酒屋で主催者側の世話人とパネリストと、聴講に来てくれた私の名古屋大学時代の友人2名とで懇親会をやり、松戸の自宅に帰ったのは夜の11時近くでした。
市橋君の件でメールのやりとりをしていた方は約束通り、開会の30分前に会場に来られ、しばらくお話する時間がとれました。先日のブログで私の祖父(母の父)穂坂秀一はクリスチャンで内村鑑三の弟子だったと書いたことから、「内村鑑三と再臨運動-救い・終末論・ユダヤ人観」黒川知文著(新教出版社)という本をプレゼントされました。私自身も20才前後の頃に内村鑑三に傾倒した時期がありましたので、大変なつかしく、あれから約50年という歳月が流れいろいろな経験をしてきましたが、時間を見つけてゆっくり読んでみようと思っています。
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2012年7月9日月曜日
明日10日(火)は朝早く自宅を出て岐阜市に行き、「農薬シンポ in 岐阜」に出演してきます。懇親会後、夜遅く帰ってくる予定です。
明後日11日(水)は樹木医と一緒に私の車で房総半島を一周し、内房の富津岬、館山の平砂浦、外房の鴨川、九十九里の海岸松林の松くい虫(マツノマダラカミキリ)の発育ステージがどういう状態になっているのか、調査してくる予定です。今年はネオニコチノイド剤をすでに2回散布した筈ですが、散布薬剤の残効性と比較して、薬効が切れた後に羽化脱出してくる成虫がどれくらいいるのか予測するための調査です。
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2012年7月8日日曜日
明後日10日(火)は、岐阜での講演の折に、市橋君の件でメールのやりとりをしていた方と会場でお会いすることになりましたので楽しみです。月刊誌「クレイ」というキリスト教関係のデボーショナルガイドを東京拘置所の市橋君宛に送ってこられたとおっしゃった方です。
久し振りに江戸川堤防を12Km ゆっくり走ってきました。雨上がりで湿度は高くても、そよ風が吹いていたので走っていて爽やかで快適でした。シャワーを浴びてから体重計に乗ってみたら、1月末のフルマラソンを走った時に比べて、5ケ月でちょうど5Kg リバウンドして 重くなっていました。道理で体調が悪い筈です。これから12月のハーフマラソンか来年1月のフルマラソンか(あるいは6月の100Km ウルトラマラソン?)を目標に、少しずつ走り込んで元に戻したいと思っています。どれを目標にするかは、体調が最悪に近い今は決めずに、少しトレーニングをして仕上がり具合を見てから考えることにします。
娘は子供たちを連れて東京に出かけました。日本滞在中に大学時代の仲間たちと会ったり、大学を卒業してから勤務していた会社時代の仲間たちと会ったり、今日は高校時代の仲のよかった友達の家に集まるようです。もう皆子供のいる年代なので、子供同伴で食べ物持参で集まるようです。アメリカ育ちの孫たちは個性が強く(日本式に言えばわがまま?)、食べるものも着る物も好き嫌いがあったり、一人一人がそれぞれの自己主張をして、妻をあきれさせています。
孫たちは両親に愛され、アメリカ側の祖父母に可愛がられ、日本側の祖父母に可愛がられ、めぐり合わせとは言え、戦争のない平和な時代に生きているお蔭で幸せです。
一番上のAiden(叡伝)君は、アメリカからおもちゃの他に少年が読むような英語の本(小説)を何冊か持ってきていて、暇があると広げて読んでいます。今日は夕方東京から帰ってきたら、私にまた"Grandpa, when are we going to fishing?"(おじいちゃん、いつ一緒に魚釣りに行くのか?)と訊きましたので、"Since the next weekend is a long holiday, let's go to fishing on one of the days."(今度の週末は連休なのでその中のどれか一日を選んで行こう)と答えておきました。お兄ちゃんなので、妹や弟と同じ幼稚な遊びとは違うことをしたいようです。
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2012年7月7日土曜日
孫たちは母親と一緒に近くのデパートに靴を買いに行ったついでに、子供の遊び場で遊んでエネルギーを発散して帰ってきました。子供たちはエネルギーが溢れているので、毎日外に連れ出して遊ばせないとストレスがたまるようです。
一番上のAiden(叡伝)君は2年前に日本にきた時に私と魚釣りをしたのを覚えていて、Grandpa, when are we going to fishing? (グランドパ、いつ魚釣りに行くの?)と催促しています。
夕飯は、妻が疲れて手抜きをしたいというのと、孫たちがラーメンを食べたいというのが一致して、皆でラーメンを食べに行きました。
孫たちの父親(義理の息子)は今回は仕事の都合で一緒に来日できずにアメリカに残っていますが、今週44才の誕生日を迎えました。誕生日には時差を計算して、孫たちと娘が国際電話でHappy Birthday, Daddy! と言っていました。ほとんど毎日向こうからか、こちらからか電話をして、お互いの様子を確かめ合っています。アメリカ人の義理の息子に3人の子供を育てるのはお金ががたくさんかかるので一生懸命働かなくてはならず大変だなと言うと、そんなことはない、子供たちは自分の喜びでそのために働くことはちっとも大変じゃないと言います。
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2012年7月6日金曜日
9月の中国北京での環太平洋農薬科学会議の講演要旨の提出締め切りが7月15日ですので、今日はその下書き作成をしました。大体できましたが、もう少し見直してから完成させるつもりです。
孫のCollin(琥倫)君の髪が伸びて暑苦しそうなので、幼稚園から帰ってきてから先日私が行った新しい床屋につれて行きました。終わったらすぐ近くのデパートの地下でソフトクリームを食べようと言ったら、Aika(愛夏)ちゃんもつられて私も行くと言ってついてきました。散髪が終わって、You are a handsome young man. (ハンサムな若い男の子)と言ってやったら、ニコニコしていました。
デパ地下ではCollin君だけ欲張って、ソフトクリームを2掬(すく)い注文して、ペロペロ食べていました。
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2012年7月5日木曜日
昼の時間帯に東京農業大学の周囲をジョギングしましたが、あまりにも暑かったので、4Km で止めました。自分の年齢を考えて、熱中症になって笑いものにならないように、無理をしないことにしています。今から考えると50代の時は元気一杯でしたが、60代後半になって急に体力の衰えを感じ、70代になって一段と弱気になってきたようです。このところ走り込みができていないので、単に運動不足で体調が悪いだけかもしれませんが。
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2012年7月4日水曜日
来週10日(火)に岐阜市で開催される農薬シンポジウムにおけるパネルディスカッションの進行シナリオが送ってきました。いつもそうですが、1時間あると言っても、パネリストが4名いますとコーディネーター(司会)役を務める人が司会進行を上手にしないと、あっという間に時間がなくなってしまいます。そのために、各パネリストにあらかじめどういう話題について話してもらうかシナリオを作っておく必要があります。シナリオがあんまりきっちりし過ぎるとパネリストの発言の自由度が小さくなりますし、あんまりルーズだと話題があっちに飛んだりこっちに飛んだりで、一体何が主題なのかわからなくなり、収拾がつかなくなる危険性があります。そのバランスが難しいところですが、コーディネーター役の腕の発揮どころです。
夕方、江戸川堤防に行って、10Km ゆっくり走ったり歩いたりしてきました。
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2012年7月3日火曜日
先日、市橋君のお父様・お母様にお借りしていたマンションの鍵を返却するとともにお手紙を差し上げましたが、今日鍵を受け取ったことの通知と、お便りをいただきました。私をはじめ弁護士の先生方や支援者の皆々様に、心より感謝し厚くお礼申し上げますと記されていました。
市橋君の収容先は確認しておらず、面会や連絡の予定もありませんとのことでした。市橋君が謝罪とつぐないの中で修養し克己することを望んでおられるとのことでした。いずれ時期がくれば、あるいは市橋君の方から会いたいという連絡がくれば、面会に行かれる時がくるかもしれませんが、当面はそうされるお考えはないとお見受けしました。
今日のYahoo ニュース http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/water_pollution/?1341311158 に、<「水質浄化」EM菌効果 検証せぬまま授業 青森(朝日新聞)>という見出しがありました。本当に水質浄化の効果があるかどうかの科学的検証なしに、学校で子供たちにEM菌の製品を川に投入させたことを問題視する記事でした。
その中の<EMを批判する意見> http://w.livedoor.jp/em_matome/d/EM%A4%F2%C8%E3%C8%BD%A4%B9%A4%EB%B0%D5%B8%AB の中の <公開シンポジウム 微生物を利用した農業資材の現状と将来 講演資料((社)日本土壌肥料学会)>http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssspn/info/pdf5_sympo1996.pdf には、1996年8月23日に開催されたシンポジウムの内容が記録されていました。当時、考えられないくらいいろいろなことに有効と宣伝・販売されていたEM菌という微生物資材について、学会レベルできちんと科学的に検証し、少なくとも作物生産に関しては普通の堆肥以上のミラクルな効果はないという結論を出したシンポジウムです。日本土壌肥料学会の会員でなかった私はシンポジウムに参加しませんでしたが、どういう検証がされたのか詳細を知りたいと思っていました。今回シンポジウムのプロシーディングズがネット上で誰でもが読めるように再公開されましたので、あらためて目を通してみて、私自身が長年取り組んで問題提起してきた農薬疑義資材(偽装農薬)と同じように、オカルト(神秘的・超自然的)農法についてもっと国民の注意を喚起する必要があるなと感じました。
ニセ科学についは、大阪大学の菊池 誠教授が明快に解説しておられます。http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html
当時、EM菌で作ったボカシ(ヌカ、もみ殻、油粕、魚かす、畜鶏糞などの有機物を発酵させた肥料)を施用すると作物が強くなって農薬が不要になると宣伝されていました。実際は病害虫が発生するので、全国のEM菌農場ではいわゆる漢方農薬の類(たぐい)を使って防除していましたが、私たちの研究により漢方農薬というのは農薬が混入されている偽装農薬であることが明らかになりました。
また、EM菌で発酵させた飼料を食べさせた家畜は成育が良く、糞の悪臭もハエの発生も抑えられると宣伝されていましたが、当時そういう研究テーマに取り組んでいた私がそういう畜舎を実際に見学させてもらい、悪臭もハエもちゃんと発生していることを指摘したところ、科学的に悪臭やハエの発生が減少したことを示す研究結果があるわけではなく、EM菌を使う前に比べて相対的に発生が少なくなったと言い訳をされたのを記憶しています。-----------------------------------------
2012年7月2日月曜日
東京農業大学の周囲を6Km 走って、体育館でシャワーを浴びて着替えて研究室に戻ってきたら、偶然エレベーターの前で私がいるかどうか確かめに来た醸造学科の女子学生に出会いました。今日はしばらく研究室にいるよと言ったら、しばらくして、最初に彼女を私の所に連れてきた男子学生と一緒に訪ねてきました。就職の内定をもらったお礼に来ようとしていたようですが、私が毎日研究室に顔を出すわけではないので、私に会えるのを待っていたようです。
栃木県足利市の(株)カザミから採用条件を提示されて、就職しますという返事をし、総合職で採用内定の通知をいただいたとのこと。お父さん、お母さんにちゃんと相談をしてから決めたのかと訊いたら、はいと答えていました。同じ学科や、同じ研究室を専攻している他の学生たちは必死で就職活動をしている最中らしく、皆より一足早く就職が決まったので、羨ましがられないように静かにしている様子でした。これから会社の期待に応えられるように、卒業論文の研究に精を出して、同時に、私が助言したように基礎を広げるようにいろいろな分野の勉強に積極的に取り組みますとのこと。
自分が直接指導した学生ではありませんが、一人の有能な女子学生の希望を満たせる職が決まり、私も大変嬉しい気持ちです。一緒に電車に乗って会社見学に同行してあげた甲斐がありました。多分実家に帰った時に親が持たせたのでしょうが、栃木県のおいしそうなチーズケーキを持ってきてくれましたので、ちょうどアメリカから孫たちがきているので一緒にいただくからと言って受け取りました。
東京農業大学のキャンパスは、講義が終わって教室から大勢の学生たちがぞろぞろ出てきたり、野球場ではバッティングマシンから一定間隔で投げ込まれるボールを黙々と打ち返している野球部員がいたり、グランドではサッカーをやったり、陸上部が全力で走ったり、リレーのバトン渡しの練習をしたり、若者たちの活気に溢れています。
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2012年7月1日日曜日
いつも散髪をしてもらっていた近所の床屋が近く店をたたむと聞いていたので、昨日前を通ってみたらまだ営業していました。今日最後の散髪をしてもらおうと思って寄ったら、今日から閉店でした。閉店後に困らないように、すぐ近くの別の床屋を遠縁にあたるからと推薦されていたので寄ってみました。今までのところは借家で、元々はお父さんがやっていたのを、お父さんが病気でやれなくなった時に大学を卒業して会社勤めをしていた息子が、小さい床屋で将来性がないからと親に反対されたのを押し切って脱サラして後を引き継いだのでした。その後、お父さんが亡くなり、お母さんと二人でやっていたのにそのお母さんが病気で倒れて介護が必要になったので、遠くに住んでいる妹の近くの病院に入れて一人でがんばっていたのですが、とうとう家賃が払えなくなって廃業せざるを得なくなったようです。
月に一度ある月・火と連休の時はオートバイで全国の温泉巡りをしたり、自転車で東京神田の古本屋に行って古本を買って来たり、時々は江戸川の堤防を朝早くジョギングしたり、水槽でナマズを飼育して釣ってきたザリガニを冷凍しておいて餌として与えたり、散髪をしてもらいながらよく世間話をした間柄でした。いつ行っても待っているお客さんがいなくてすぐやってもらえるので私としては気にいっていたのですが、その分だけ商売としては厳しかったのでしょう。今日初めて行った床屋も同じことを言っていましたが、人口が約50万人もいる松戸市でどうしてお客が少ないかと訊いたら、結局最近は若い男性がおしゃれになって、理髪店ではなく美容室に行くようになったということのようでした。松戸の理容組合では料金は一律3,600円と決まっていますが、組合に入らない床屋の1,000円という宣伝も見ますので、そちらにお客が流れるということもあるのでしょう。閉店した床屋の主人は若いように見えたのですが、遠縁にあたる今日の床屋さんによるともう50代で独身のようですから、これからどうやって生活をしていくのかちょっと気になりました。
昔は専売で繁盛していた酒屋や米屋が、今はお酒もお米もコンビニで扱うようになって商売が厳しくなったり、昔は個人の家でお風呂のある家は少なかったのでほとんどの人が銭湯に行っていたのが、今は家にお風呂があるのが普通になったので銭湯の商売が厳しくなったり、結局時代の流れに合わせて商売のやり方を変えなかったところはやっていかれなくなってきたのでしょう。
千葉大学走友会の会員で房総半島の太平洋岸のいすみ(夷隅)市に住んでいる仲間から、12月2日に開催されるいすみ健康マラソン(増田明美杯)の案内が届きました。
http://www.isumi-marathon.info/ ハーフマラソンですが、私は情けないことに今年1月の館山若潮マラソンに出場して以来、練習量が極端に少なくなって体重がリバウンドしてしまいましたので、これを目標にして走り込みを再開しようかどうか迷っています。これからは暑い時期ですので、走り込みをするには適さない季節ですが。それとも、また来年1月の館山若潮マラソンでフルマラソンを走ることを目標にして、秋から走り込みを再開するべきか・・。先日、北海道のサロマ湖一周100Km ウルトラマラソンに挑戦して見事に完走してきた仲間のことが頭をよぎります。
今日は散髪の後で、江戸川堤防をゆっくり6Km 走ってきました。
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2012年6月30日土曜日
東海地方にお住いの方から以下のお便りが届きました。支援者名簿には載っていませんが、市橋君の件でメールのやりとりをした方です。私が講演などで地方に出かける機会に、今までメールのやりとりだけだった方々と実際にお目にかかれるのは嬉しいことですので、早速シンポジウム(参加費無料)の案内と申込用紙のファイルを添付して返信しておきました。当日は私は日帰りの予定ですが、会場でお会いする時間が少しはとれると思います。
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本山直樹先生へ ご無沙汰いたしております。
〇〇市の〇〇です。ブログを毎日拝見いたしております。市橋君へは先月まで「クレイ」という月刊のデボーションガイドをお送りしていましたが、今月はやはり戻ってきたとのことで、終了となりました。これからが本当の意味で、内なる戦いが始まるのではと思いますが、自分と向き合う準備は出来ていると推察いたします。本人もご家族も(リンゼイさんのご家族も)想像を絶する苦しみを伴なっておられることを覚えて、真の回復を祈り続けます。
今日(昨日)のブログに岐阜市でシンポジウムがあると書いてありましたが、一般は入場できないのでしょうか? 近いので、できれば本山先生の基調講演をおききしたいのですが。準備でお忙しい時にすみません。
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孫たちは土曜で学校が休みなので、娘と2人の男の子を車で市営のプールに連れて行きました。Aika(愛夏)ちゃんだけは体温が37.2度あったので家で休ませました。午後1時過ぎに娘から電話があったのでAika(愛夏)ちゃんを乗せて迎えに行き、帰りに回転寿司に寄って5人でランチを食べました。我が家の孫たちはアメリカ人と日本人のハーフでカリフォルニアに住んでいるので、普段からアメリカの食事とメキシコの食事と日本の食事を食べなれているので、味噌汁もおにぎりも梅干しもお寿司も大好きです。
妻は孫たちがいなくなることが自分の休みだと言って同行せず、一人で食料品の買い出しに行きました。孫たちにかき回されて、朝から晩まで騒々しいけど、賑やかで楽しい我が家です。
7月10日の岐阜での講演のパワーポイントスライドが出来上がりましたので、宅ファイル便で現地の世話人に送りました。
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2012年6月29日金曜日
ノースカロライナ州の空手の弟子/友人のMargie Reinitz さんからメールが届き、今年はいつ来るかと訊いてきました。皆が待っているので、最低でも4~6週間は過ごすようにとのこと。講演をすることになっている中国北京での環太平洋農薬科学会議が9月15日~20日で、東京農業大学での講義は10月23日から始まるので、最長でもその2つの用事の間の約1ケ月になる筈だと返信しておきました。東京農業大学の講義は70才までという規則のようですので、来年は講義がなくなり、もっと時間のゆとりができる筈です。
7月には10日(火)に岐阜市、29日(日)に千葉市で農薬シンポジウムが開催予定で、私は両方で基調講演をすることになっています。今日は家から一歩も出ずに、自宅の書斎で一日中岐阜市での講演の準備をしました。
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2012年6月28日木曜日
今日は東京農業大学グリーンアカデミーで、総合研究所研究会総会と特別講演がありました。研究会には22の部会があって、農薬部会はその中の一つですが、今日の理事会・総会で正式に私が部会長になりました。今までの農薬部会の活動を見ますと、総会と賀詞交歓会における特別講演と年に4回のセミナーを実施していますので、幹事会で相談をしながら企画するにしても、責任重大でこれからちょっと大変です。
今日は研究会全体の総会でしたので、大澤貫寿学長・理事長の挨拶に加えて大橋信夫会長(三井物産株式会社顧問)、大橋欣治副会長(鹿島建設株式会社顧問)、渡邊文雄副会長(東京農業大学総合研究所所長)の挨拶がありました。続いて、テレビでお馴染みの寺島実郎氏(日本総合研究所理事長・多摩大学学長・三井物産戦略研究所会長)の「世界の構造転換と日本の針路」と題した特別講演がありました。寺島氏の講演は、豊富な資料に基づいて、変わりつつある世界の現状とそれに対して日本のとるべき進路について、解説されました。
寺島氏の履歴書を見ますと、国・県・企業・その他の組織の数えきれないほどの委員長や座長に就任されていて、正に秒単位で動いておられるのではないかと思われました。今日も1時間の講演終了後、質問を受ける間もなく次のスケジュールへと移動していかれました。
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2012年6月27日水曜日
市橋君のご両親に、お借りしていたマンションの鍵をお手紙を添えて宅急便で返送しました。
孫たちは学校や幼稚園ですぐ仲のよい友達ができたらしく、毎朝楽しみに出かけています。一番上のAiden(叡伝)君のところには、近所に住む男の子が毎日遊びにきています。他の子供たちは放課後は塾や習い事に行っていないので、近所に住む男の子は遊び友達ができて嬉しくてたまらないようです。Aiden(叡伝)君は20日間の体験入学が終わったらどうしてアメリカに行ってしまうの、と訊いていたそうです。
今月24日(日)には、北海道のサロマ湖一周100Km を走るウルトラマラソンがあったらしく、走友会のメンバーから共通メールアドレスに以下の報告が届きました。千葉大学医学部から東京女子医科大学に移った外科の教授ですが、100Kmのレースに出場するには相当練習を積んだ筈です。この先生のタイムは11時間24分だったようですが、過去には別のメンバーが40代の時に8時間30分で走ったそうです。この報告をみた会員は、「すごい」、「羨ましい」、「悔しい」、「いつかは自分も・・」、と感じた筈です。私の感想は情けないことに、「もう今の私には無理だな」でした。
夕方5時過ぎに江戸川堤防を8Kmくらい走ろうと思って、体育館で着替えて準備運動をして出かけたのですが、何故かいつものように元気がでなかったので、1時間くらい坂川という小さな川に沿って歩いてきました。
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一昨日(3日前)の24日にサロマ湖100kmに参加してきました。朝から雨模様で気温9℃と肌寒い天気でしたが、風は弱く、マラソンには適していました。フルマラソンとは違い、スピードよりもとにかく持久力と考え、前半は6分/kmを維持できるよう努めました。後半さすがに疲れて、6:30~7分/kmに落ちましたが、最後まで何とか持ちました。北海道の広々した風景と、オホーツク海・サロマ湖の静かな海の美しさは圧倒的です。地域の方々のボランティアも温かく、最も歴史のあるウルトラマラソンだと感じました。優勝タイムは7時間程度と聞いていますが、私は11時間24分でフィニッシュできました。〇〇先生に伺ったアドバイスが役に立ちました。ありがとうございました。ウルトラになると、足の痛みや疲れよりも胃腸が大切です。冷やさないこと(人によっては腹にホッカイロ)、胃薬(がスターなど)と鎮痛剤(ロキソニンなど)は必須です。もしご興味がある方、一人ではさびしく、ためらわれている方、来年一緒に参加しませんか?(本山:うーん、できることなら私も一度は挑戦してみたいけど、その為に必要な走り込みを考えると、悔しいけどとても無理だろうなあ・・。私があと20年若かったらなあ・・。)
10k タイム(スプリット) 01:02:07
20k タイム(ラップ) 0:57:26 タイム(スプリット) 01:59:33
30k タイム(ラップ) 0:58:40 タイム(スプリット) 02:58:13
40k タイム(ラップ) 1:01:07 タイム(スプリット) 03:59:20
50k タイム(ラップ) 1:05:51 タイム(スプリット) 05:05:11
60k タイム(ラップ) 1:20:39(55kmのレストステーションで15分ロス)
タイム(スプリット) 06:25:50
70k タイム(ラップ) 1:16:22 タイム(スプリット) 07:42:12
80k タイム(ラップ) 1:16:37 タイム(スプリット) 08:58:49
90k タイム(ラップ) 1:07:51 タイム(スプリット) 10:06:40
Finishタイム(ラップ) 1:18:06 タイム(スプリット) 11:24:46
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2012年6月26日火曜日
夜中に非通知設定の携帯電話からNTTドコモを通してコレクトコールをかけさせて、私に拒否しますと言わせる迷惑電話や、夜中に非通知設定からワンギリ電話を連続してかけてくる嫌がらせ電話に煩わされないように、夜はいつも携帯電話はマナーモードに設定して充電することにしています。今朝はマナーモードを解除する時間が少し遅くなったら、アメリカの空手の弟子/友人のBill Oakley 君からHappy Birthday の留守電が入っていました。すぐこちらからかけ直して、Bill 君と久し振りに話をしました。
支援者からも私の誕生日を祝うメールが届いています。ありがとうございました。
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ご無沙汰しております。先生、お元気なご様子何よりです。最近の私は先生のブログを読んでから就寝するのが日課になってしまいました。
今日26日は先生の70歳のお誕生日ですね(先日のブログで知りました。) 心からお祝い申し上げます。いつも公私にわたり一生懸命活きておいでになる先生はイキイキとされていて、実年齢より若々しくお見受けします。これからもお元気でご活躍されますようお祈りしております。
素敵なBirthdayになりますように。(本山:妻が夕飯のご馳走にフライドチッキンを買ってきてくれ、娘や孫たちがHappy Birthday の歌を歌ってくれました。ケーキは太るからいらないと言ってあったのですが、デザート用に娘が内緒で大きなアップルパイを買ってきて、70才の代りに7の数字の飾りを立ててロウソクを灯してくれました。7才の孫娘のAika(愛夏)ちゃんが、Grandpa は私と同じ年齢と言っていました。)
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本山先生、お誕生日おめでとうございます。いつまでもお元気でいて下さい。
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お誕生日おめでとうございます!! いつまでも元気でパワフルな先生でいて下さい。お孫さんも一緒で、楽しいお誕生日が過ごせますね。
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私はちょうど70年前の今日、1942年(昭和17年)6月26日に、当時は日本の植民地だった朝鮮のピョンヤン(平壌)で生まれました。代議士の家に書生として住み込んで早稲田大学で法律の勉強をしていた福岡県桂川(けいせん)町の農家出身の祖父穂坂秀一(母の父)はキリスト教者内村鑑三の弟子でしたが、朝鮮に渡り、黄海道黄州(こうしゅう=ふあんじゅ)で大きな(2千町歩と聞きました)リンゴ園をやっていて、家族は皆向こうに住んでいました。1945年(昭和20年)の終戦の時は3才だった私を連れて、ソ連軍とアメリカ軍が対峙(たいじ)していた38度線を越えて日本に引き揚げるのは家族にとってどんなにか大変なことだったろうと思います。もう少しで私も残留孤児になるところでした。
引き揚げてから私が小学3年生(9才)になるまでは、宮崎県小林市に住みましたが、当初はキリスト教会の2階(屋根裏部屋)に居候(いそうろう)させてもらっていました。当時の日本の国土は荒廃し、海外からの引揚げ者も大勢で、衛生状態は悪く、食料も不足し、傷痍軍人が施しを求めて街角に立ち、日本全体が貧しい生活のどん底にありました。父は林野庁から払下げてもらった須木村(すきそん)の山を開墾してサツマイモを作り、母は永久津(ながぐつ)中学校の教師をしていました。国民は悲惨な戦争が終わったことを喜び、学校では戦争の残酷さと非人間性を教えられ、平和の尊さを教えられ、食べる物も着る物も住むところも貧しかったけれども、子供たちは親の愛情に守られ、これから平和で豊かな日本の国を築くのだという夢と希望に溢れていました。今考えてみると、経済的に貧乏なことが人を不幸にするのではなく、夢と希望があることが人を幸せにするのではと思います。
私の考え方の根底には、終戦後のこの時代に子供の頃を過ごしたという経験があるような気がします。
今日も東京農業大学の周囲を6Km ゆっくり走りました。
孫娘のAika(愛夏)ちゃんが、昨日買ってもらったシールと折り紙とクレヨンを使って作ってくれた私の70才の誕生日のお祝いのカードです。Grandpa を模した大きな金色の魚 の周りに家族一人一人を模した小さな魚が泳いでいます。小学1年生の自由な空想力には感心させられます。
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2012年6月25日月曜日
今朝は電話が鳴ったと思ったら、ノースカロライナ州の空手の弟子/友人のFrank Peoples 君と奥さんのJoAnnさんからで、いきなり二人で "Happy Birthday ・・・" の歌を歌ってくれました。Frank 君の心臓の調子は大分良くなったようで、医者からは少し重い荷物を持つくらいのことはしてもいいと言われているとのことでしたので、もし今年の秋(9月下旬)以降に私がノースカロライナ州に里帰りできたら、一緒に稽古ができるかなと言ってやりました。
別の空手の弟子/友人の Margies さんからは誕生日祝いのカードが航空便で届きました。Over-the-hills (下り坂の男達)の仲間たちからの私の70才を祝う寄せ書きが書いてありました。私が引退したら、アメリカに帰ってのんびり魚釣りをするのが夢だということを知っているので、そんなデザインのカードでした。
遠く太平洋とアメリカ大陸の向こう側に離れていても、私のことを思ってくれている仲間がいるというのは嬉しいことです。
東京農業大学では、いつものように昼休みに大学の周囲を6Km ジョギングしましたが、曇り空で気温も低かったので走るのには快適でした。体育館の前では、応援団が何を言っているのか聞き取れないようなバンカラな声を張り上げて校歌か応援歌を歌いながら大根踊りの練習をしていました。
駅までの農大通りの途中に小さい公園がありますので、帰宅途中に散歩がてらに寄ってみたらアジサイの花が満開でした。途中の路地の庭にもアジサイの花が咲いていて、一口にアジサイといってもいろいろな園芸品種があることにあらためて気がつきました。
孫のCollin(琥倫)君は今日が幼稚園の初日でしたが、先生があらかじめクラスの園児に話しておいてくれたらしく、大勢の子供たちが 「こりん君」 と言って話しかけてきてくれたようです。迎えに行った母親の話しだと、緊張した時にいつもするように、今日は一日中シャツの端を口で噛んでいたと先生に言われたとのことでした。(写真はクリックすると拡大できます。)
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2012年6月24日日曜日
孫たちはそれぞれの学校と幼稚園に体験入学する手続きが済んで、必要な制服や文房具類もそろいました。今日は車で市営のプールに連れて行きました。日曜の午前中だったせいか大勢の子供たちが親と一緒に来ていて、流水路を歩いたり、コースを泳いだりしていました。孫たちも母親と一緒に2時間くらい遊びました。
その後ファミリーレストランに行ってランチを食べさせたら、長男のAiden(叡伝)君はラーメン、次男のCollin(琥倫)君はホットケーキ、長女のAika(愛夏)ちゃんはうどんを注文して食べました。
その後トイザラスというおもちゃ屋に連れて行ったら、目を輝かしていろいろなおもちゃを見たり触ったりして、男の子はポケモンのカード、女の子はあちこちに貼りつけられるように糊のついた小さな飾り(Sticky Label)を母親に買ってもらっていました。
息子からは私の誕生日のプレゼントとしてしてTシャツと英語の本が送ってきました。DANIEL L. EVERETT 箸の<DON'T SLEEP, THERE ARE SNAKES - LIFE AND LANGUAGE IN THE AMAZONIAN JUNGLE >(ヘビがいるから眠らないように-アマゾン密林の生活と言葉)という本でした。私が高校時代からアマゾンの密林で暮らしたいという夢を抱き続けていたにもかかわらず、結局実現しなかったということを知っているのかもしれません。
30年以上前のアメリカ滞在中に永久滞在ビザを申請しましたが、時代(ベトナム戦争)が悪かったこともあって不許可になり、ブラジルに移住しようと思ってブラジル人にポルトガル語を家庭教師してもらっていた頃を思い出しました。もうこの年齢(26日で70才)では無理なので、人生で実現できなかったことは本の中で体験するしかないのでしょう。
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2012年6月23日土曜日
今日は、東京農業大学生物応用化学科生物制御化学研究室主催で、今年3月に定年退職された宮本 徹教授の退職記念パーティが、東京市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷(私学会館)で開催されました。宮本先生は有機リン殺虫剤の作用機構に関する研究を中心にやってこられたので、私とも共通性があって親しく交流させていただきました。宮本先生の恩師で先々代教授の山本 出先生、先輩で先代教授の本田 博先生、後任教授の仲下英雄先生、先輩で現東京農業大学学長・理事長の大澤貫寿先生をはじめ、先輩、同輩、後輩、その他交流のあった方々が大勢参集し、宮本先生の長年にわたる教育・研究の功績を称え、退職をお祝いしました。奥様も同席されましたが、数年前に発見された病気(胃がん)を克服されてここまでこられた宮本先生のお姿に、感無量だったのではと想像しました。医者には、もう病気ではないと言われておられるそうですので、これからも今までの蓄積を生かして、マイペースで社会に貢献をしていっていただければと思います。
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2012年6月22日金曜日
支援者から以下のお便りが届きました。
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今晩は。先日はメール有難うございました。
支援金の残金は、本山先生のお考えのような方法に賛成ですが、市橋達也さん名義の口座の開設は難しそうですね。お知り合いの弁護士さんに相談され、検討されることになると思いますが、よろしくお願い致します。
以前から本山先生にお伺いしようと思っていたことが有ります。『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』の活動に関しての経費(通信費や交通費等)として、本山先生に金銭的なご負担も掛かったと思います。多数の支援者に郵送で送られた支援金の受取り報告の切手代、弁護士事務所への交通費、市橋達也さんとご両親にお渡しされた支援者リストの用紙代や宅配便代...ご負担頂いた分は、支援金の残金から精算をなされないのかと気になっていました。出来ましたら、そのようにして頂きたいと思っていました。本山先生のお考え次第ですが、よろしければ支援者の方にも確認して頂ければと思います。(本山:弁護士事務所や千葉刑務所、東京拘置所を訪問した時の交通費や支援者の皆様との通信費は、私の支援活動の一部ですので、清算は必要ありません。ご配慮ありがとうございます。)
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今日は岐阜県森林文化アカデミー客員教授の田畑勝洋博士、樹木医の阿部 豊氏、千葉大学大学院博士課程の学生と私、の4人で千葉県森林研究所を訪ねました。田畑博士が、マツノザイセンチュウが寄生した松は傷害応答としてエチレンを放出するという過去の知見に基づいて、松枯れを初期段階で診断する新しい方法についてプレゼンテーションを行い、それを実証する試験を森林研究所の協力を得て実施する計画を立てました。
うまくいけば、私たちが開発を試みている松枯れの治療方法と組み合わせて、病気の初期段階での診断と治療ができるようになり、松枯れ対策として画期的な進歩になる筈です。
大学院学生は、マツノザイセンチュウの培養や観察・同定・接種など、取扱方法を指導してもらうために森林研究所に残してきました。
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2012年6月21日木曜日
東京農業大学総合研究所研究会生物防除部会の総会と講演会がありました。Meiji Seika ファルマ(株)生物研究所の梅村賢司氏の「天然物を利用した病害防除の可能性について~エリシターや乳酸菌を例として」と題した講演は、イネいもち病とハクサイ軟腐病を例として、抵抗性誘導による植物病害防除の基礎と成功の実例を見事に説明してくれました。
大変勉強になる素晴らしい講演だったにもかかわらず、参加者が限定されていたのは残念だなと思いました。
小田急線の経堂駅から東京農大に歩いて行く道は、入り口にハートフル農大通りという横断幕がかかっていますが、お祭りが始まったらしく提灯(ちょうちん)がたくさん飾られていました。
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2012年6月20日水曜日
TA(ティーチング・アシスタント)が送ってくれた15日(金)に行った講義の質問事項について、できるだけ丁寧に回答を作成しメールで返送しました。今週の講義の時間に全員に配布するのだそうです。大勢が受講する講義では質疑応答の時間が十分にとれないので、出席確認用紙に質問を書かせて、次回の講義の時に質問と回答を全員に配るというのは、手間がかかる作業ですが、親切なやり方だなと思いました。
最近の学生諸君は、メールのやりとりに慣れているせいか、その分だけお互いに直接顔を見ながらやりとりする口頭でのコミュニケーションが苦手になりつつあるのかもしれません。
妻と一緒に車で成田空港に行って到着ロビーで待っていたら、娘と孫3人はロサンゼルスからほぼ予定通りに到着しました。昨日だったら台風で大変でしたが、今日で幸運でした。
孫たちは9才(男)、7才(女)、5才(男)になり、私達の家に滞在する40日間は日本の学校に体験入学することになっています。今夜から我が家は孫たちを中心の賑やかな生活になります。
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2012年6月19日火曜日
昨夜遅くまでかかって植物ホルモン処理をした松苗を、今朝はポットに移植し、台風4号が接近していますのでプラスチックハウスの中に入れました。一緒にやってくれている大学院博士課程の男子学生はしっかりしていて、何でも勉強しようという意欲をもっています。新潟県胎内市でヘリコプターで散布された薬剤の飛散を調べるサンプルの分析は、彼にやってもらうことにしました。彼には今まで農薬分析の経験はありませんが、私がマンツーマンで指導をして予備実験を繰り返させ、技術が信頼できるようになったら、大気を捕集したカートリッジと落下薬剤を捕集したろ紙からの薬剤成分の抽出・濃縮・定容をさせ、GC/MS(ガスクロマトグラフィ/質量分析)で分析・定量させます。学生のうちにこうして新しいことを勉強して経験しておけば、将来就職活動をする時に有利ですし、研究職に就いてからも役に立つ日がくる筈です。
新潟県胎内市の海岸近くの松林に囲まれた砂地の畑では、近くの集落の人たちがいろいろな野菜を作っていましたが、人間が収穫する前にハクビシン(白鼻芯・白鼻心、タヌキのような顔をしたジャコウネコ科の動物)にやられてしまうとこぼしていました。イチゴはネットのトンネルをかぶせ、さらに回りを網で囲っていました。ジャガイモの花に真っ白なのと、少し紫がかったのがあったのは多分品種が違うのでしょう。
荒井浜森林公園にはタンポポによく似た黄色い花が咲いていたら、キク科のぶたな(俗称タンポポモドキ)という立札がありました。佐渡島では菊に似た白い花があちこちで目に付きましたが、案内してくれた県庁職員がフランス菊というのだと教えてくれました。江戸時代に外国から入ってきて、今ではあちこちで自生しているようです。
野外調査や講演で各地を訪ねると、いろいろな人との出会いも楽しみですが、珍しい動植物や景色に出会えたり、それぞれの地域の生活や文化に接することができるのも楽しみです。
アメリカ在住の娘と孫たちは明日の午後7時に到着予定ですが、千葉県の辺りを台風4号が通るのは今夜0時頃との予報なので、多分飛行機の着陸は問題ないでしょう。普段車に積んであるシャベルや道具を降ろして、外と車内の両方を洗車してもらいましたので、孫たちにグランパの車は汚いと言われないですみそうです。?
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2012年6月18日月曜日
支援者から届いたお便りです。そうですね、宅下げされた市橋君のスケッチをご両親にお渡しすることの可能性について、一度何かの機会に三宅弁護士にお訊きしてみてもよいですね。ご両親にとっては、息子の形見みたなものかもしれませんので。
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本山先生
ご無沙汰しております。お忙しい中お元気そうで安心して毎日ブログ拝見してます。さて先日のブログで市橋君のスケッチを弁護士さんが保管しているようですが、ご両親に渡すって事はできないでしょうか? ずっと弁護士さんの手元に置いておくのでしょうか?独居房の中でずっと描いた物です。ご両親に届けたいと思います。
お孫さん楽しみですね。
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娘と孫たちは明後日の午後成田空港に到着予定ですが、成田空港は北上中の台風の予想進路と重なりますので、着陸不可能にならなければいいがと思っています。
今日は」博士課程の学生と夜中の12時近くまで実験をやって、さっき帰宅しました。明日の朝はまた9時頃に大学で会うことになっています。こうやって仮説を立てて、それを証明する実験をやるのは楽しいことです。
新潟県胎内(たいない)市では山の方に住んでいる集落と、中条(なかじょう)駅や胎内市役所の近くの町の中に住んでいる集落と、海岸の近くに住んでいる集落とがありました。海岸近くの集落は松林(と言っても松くい虫被害で広葉樹に置き換わりつつある)に囲まれていましたが、私達の調査地点の近くに畑仕事にきたおじいさんは、昔はこの辺りの人はほとんどが船乗りで、自分は瀬戸内海航路を走っていたと言っていました。
空から見たゴルフ場にはまだまだ見事な松林が守られていました。
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2012年6月17日日曜日
支援者から届いたお便りです。
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例のオウムの容疑者の逮捕は出先のテレビで見ました。本人も逮捕されてどこかほっとしたのではないでしょうか?
市橋君は本山先生だけでなく、弁護団にも本当の気持ちを話せる状態ではなかったとは・・・。誰にも話すことなく自分の中に仕舞い込んだまま生きていくつもりなのでしょう。誰でも心の中に闇を抱えていますが、市橋君の場合は表に出さない事で自分と向き合っていく覚悟をきめたのでしょうか。
私もブログなどで事件直前の市橋君の状態を知りましたが、これで平静を保てというのは無理な話ですが、だからといってリンゼイさんをあんな目にあわせていいわけがないです。第三者にはあれこれ推測する事は出来ますが、所詮推測でしかない。いつか市橋君が語ることがあるかもしれないので、それまで待ちましょう。
本山先生、更生を支援する会の口座を開設するのは賛成ですが、本人以外で口座を開設できるかがネックですね。本山先生、よろしくお願いします。
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この方は追伸で、ゆうちょ銀行の口座開設に関する情報が載っているサイトを紹介してくれました。ありがとうございました。
http://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/start/kj_st_kojin.html
今日は大学院博士課程の学生と、昨日入手してきたマツの苗木を使って、マツノザイセンチュウが侵入した松の樹を治療・再生する方法に関する実験をする準備をしました。
一昨日の千葉大学園芸学部における私の講義について、世話をしてくれているTA(ティーチング・アシスタント)の大学院修士課程の学生から、出席確認用紙に記入された受講生からのコメントが送ってきました。お世辞が入っているかどうかはわかりませんが、いいコメントが多いのでいい気分です。質問にもきちんと答えてあげようと思っています。
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本山先生
本日は貴重なお話をありがとうございました。受講生からたくさんの感想がありましたので、いくつか抜粋させて頂きます。
3年生〇〇さん
他の講義でも農薬の話を聞いたが、先生のお話は全く抵抗なく自分の中に入ってきた。特に無農薬のほうが危険である可能性が高いのは生物の防御機構を発現させているから、という説明に納得した。「農薬は安全」という認識を広めたいと思った。
2年生〇〇さん
農薬無しにまともな作物が採れないことは知っていましたが、今日の本山先生のお話はこれまで聞いた授業の中で一番わかりやすかったです。無農薬が健康に良いと信じている人たちは何を食べているのか、心配になりました。
3年生〇〇さん
化学農薬でも、自然農薬や天然毒素でも、構造式が同じならば効力も同じはずなのに、農薬だけが悪者にされるのは疑問だと思いました。消費者教育が何より大切だと思います。
他にも「とても楽しい授業でした」「聴きやすく分かりやすかったです」「有機栽培は安全だと思っていたのですごくショックです」「素晴らしいプレゼンテーションでした」「有機の文字につられて高い野菜を買うことも多いのですが、その必要はないのだということが良くわかりました」等、たくさんの感想がありました。
以下、受講生からの質問です。次回授業内で回答集として配布したいと思いますので、ぜひご回答頂ければと思います。
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新潟県での調査では、新潟港からジェットフォイルという高速連絡船で佐渡島に渡り、短時間でしたが松林の視察をしてきました。放鳥したトキが松の樹上に営巣し、ヒナの巣立ちの様子が連日テレビで報道されていましたが、地元住民は松林を松くい虫から守るために薬剤散布を要望して環境省と対立していると伝えられたところです。トキの営巣地は秘密になっているそうですが、県庁職員が短い時間内に効率よく島内の松林を車で廻って案内してくれました。トキが採餌に来るという水田には、私たちが遠くから眺めた時には残念ながらトキは来ていませんでした。島内の松林はすでに松くい虫の被害で相当面積が消滅したようですが、八幡(ヤハタ)館というホテルの周囲にはりっぱなアカマツ林が保全されていました。承久の変(1221年)で佐渡に御遷幸(島流し)された順徳天皇の御火葬塚(旧真野御陵)にもりっぱなマツが数本残っていました。ちょうどNHKの大河ドラマ「平清盛」をやっていますが、承久の変というのは時代的にはそのちょっと後くらいのようです。新潟港に停泊していた海上保安庁の巡視艇や、山の頂上に設置されている最新鋭レーダーは、日本海側の国際的・政治的(軍事的?)緊張を感じさせました。
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2012年6月16日土曜日
以下は昨夜支援者から届いたお便りと、私から差し上げた返信です。
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今晩は。毎日ブログ拝見しています。新潟県胎内市から戻られた日のブログに、少し睡眠不足と疲労気味と載っていましたが、翌日のブログでは午前中にジョギングされたと拝見し、凄いと思いました。本山先生の体力と気力を見習いたいです。
一昨日は、週刊文春の記者の方とお会いされ、対談の企画も提案されたそうですね。市橋達也さんに関しての取材は、記事になりそうでしょうか? 山本弁護士さんが最後に接見された際に、誰にも知られずに罪の償いをしようと覚悟を決めているように感じたそうですとブログで拝見致しました。山本弁護士さんからは、上告をしないと決めた彼の考えや気持ち、受刑を前にしての心境や様子など、他にもお話はございましたでしょうか?
週刊文春の記者の方が求めているような事件の真相を知ることは難しいですが、前回の文藝春秋の記事も、他の週刊誌のような興味本位の内容とは違いましたので、市橋達也さんと繰り返し面会された本山先生や弁護士さんが感じ取られた彼の実像から、事件の真相を考えられるような記事になればと思います。
もし損害賠償請求された時は、山本弁護士さんが弁護を引き受けられるようなお話しは、ありましたでしょうか? 弁護士費用につきましては、事前に市橋達也さんとお話しされて心配はないかと思いますが、用意出来るのかが気になります。
支援金の残金の処理方法は、3案の中で市橋達也さんの仮釈放の機会が与えられた時の為の生活資金として考えて頂けていると伺い、保管方法など難しい問題が有りますが、どうぞよろしくお願い致します。ご両親に保管のお願いが出来れば一番良いのではないかと思いますが、ご両親にご負担が掛かったり、彼とは関わらない姿勢なので断られる可能性も有ります。支援者のメッセージも反対のご意見も有りましたが、本山先生はどのように思われますか?
ご両親にマンションの鍵を返される時に、彼の収監先を伺って頂けるとの事でしたが、もう返却はされましたでしょうか? 彼は受刑者となり裁判には関わりはなくなりましたので(民事訴訟があるかも知れませんが)ご両親のお気持ちも変わり、お返事頂ける事を願っています。
来週はお孫さんが2年ぶりに来られるそうで、今から楽しみですね。
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本日(6月15日)のブログ拝見致しました。市橋達也さんも、菊池直子容疑者、高橋克也容疑者も、身柄確保時は、3人共あっさり本人と認めたのが普通に考えると不思議です。あれだけの逃亡をしたのですから、何か抵抗や上手く繕って逃げそうな感じがしますが...やはり、それだけ肉体的にも精神的にも追い詰められ疲れ果て、覚悟を決める時が来るのかも知れないですね。お花の写真、きれいで可愛かったです。
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2012.6.15
〇〇〇〇様
久し振りのお便りありがとうございました。今日の講義が済んだら私の方からメールを送りたいと思っていました。菅野弁護士・山本弁護士との面会は1時間くらいでしたが、いろいろな話をしました。私と会う前に弁護団会議を開いて、市橋君の弁護活動の総括と、何故判決があのようになったかの解析や反省があった筈です。私と会った時にはもう弁護団は解散して、市橋君の事件は過去の問題になっていたのだと思います。事件の真相・深層については話題にしませんでした。一番市橋君に対して親身になって接して下さった山本弁護士でも、市橋君とそこまでの会話はできなかったのかもしれません。元教員-元学生の関係の私でも、事件の真相・深層に踏み込んだ会話はできませんでした。結局、市橋君の心がそういう会話ができる状態にまでなっていなかったのだと思います。
事件当日の朝まで彼の部屋にいた当時お付き合いしていた年上の彼女がいて、恋人のような生活をしていたにもかかわらず、何故リンゼイさんにあのようなことをしたのか・・。彼女とのことは両親に話せず、英語の試験で十分な点が取れずに、お父さんからは月末までに家を出て自活するように言われていたという状態で、自暴自棄になったのかもしれません。あるいは、若い男性の本能として、魅力的だったリンゼイさんに性的に惹かれて、しかも4階の自分の部屋の中に入ってくれたことで彼女も自分に気があると誤解をして強引に行動をし、強く抵抗をされたので終わってからどうしていいかわからずにパニック状態になって判断力を失ったのかもしれません。リンゼイさんの顔を2回殴った(彼の証言では強姦するためではなく、強姦後バスタブの中で監禁している時に)という事実は、判断力のない心神喪失状態だったのだと思います。いずれにしても、他人には想像しかできませんので、いつの日か市橋君が落ち着きを取り戻して自ら自分の行動を冷静に見つめ直して、何故そんなことをしたのか語れる日がくるまで待たなければならないのだと思います。
〇〇〇〇氏(週刊文春の)が私に会いに来た主な目的は、文庫本(「真相開封-昭和・平成アンタッチャブル事件史」文春文庫)を渡すことでした(本山:この本の<はじめに>にある若き日の記者の述懐は、私のところに来られた記者自身のことかどうかはわかりませんが、犯罪加害者やその家族を取材する時の葛藤がわかり、読み応えがあると感じました)。原稿の締め切りが月に1回だった月刊誌から月に4回の週刊誌に移って、じっくり取材をして企画を考える時間的余裕がなくなったのかもしれませんが、本間 龍氏も含めた対談の話もしてみましたが、具体的にはそれ以上進みませんでした。文藝春秋の編集部員は15人だったのが、週刊文春の編集部員は55人だそうです。それだけ記事に追われているということかもしれません。読者の興味を惹いて雑誌の販売部数増加につながるという自信のある企画でなければ編集長に提案できないのかもしれません。ただ、市橋君が千葉拘置所で描きためて三宅弁護士に宅下げしたスケッチについては、かなり興味を示していました。本は山本弁護士に宅下げし、衣類は菅野弁護士に宅下げしましたが、いずれ処分して得られる若干のお金をどうするのか私にはわかりません。スケッチについては、出版すれば多くの人々の注目を集めて、手記と同じように売れると思いますが、それだけで本にできるだけの数量があるのかどうかもわかりませんし、三宅弁護士の一存でそれを許可できるのかもわかりません。市橋君の了解を得ようにも、今はどこで受刑しているのかもわからない状態ですから。いずれ、市橋君が事件の真相・深層について書くことがあるとすれば、それと合わせてスケッチを出版することも考えられます。
マンションの鍵の返還について、まだご両親にお手紙を差し上げていません。時間がありませんでした。もしかしたら、この週末に書けるかもしれません。支援金の残金の取り扱いについては、犯罪被害者救済基金にという意見もありましたが、今から30年前後に市橋君が仮出所できる時の生活資金にというのが大半の方の意見でしたのでそうしようと思います。私自身は、千葉県弁護士会に寄付をして弁護人のいない被疑者・被告人の弁護活動に使ってもらうのがいいのではとも考えましたが、支援者のお気持ちを尊重したいと思います。それと最近起こった事件(出所して間もなく、食べることと寝る場所を確保するのに疲れて、自殺する代わりに殺人をして死刑にしてもらおうとした)も、市橋君に同じことが起こらないように社会復帰できた時の生活資金を少しでも確保しておいてやりたいという気にさせました。いずれ、友人の弁護士にも相談してみたいと思っていますが、今までのゆうちょ銀行の適正な裁判を支援する会の口座を閉鎖して、新たに更生を支援する会の口座を市橋君の名義で開設して、達也という名前の印鑑を作って登録し、その印鑑をご両親に保管していただくのはどうかと考えています。市橋君が出所する前にご両親が亡くなることがあれば、市橋君のお姉さんなり親族に遺言をして印鑑を保管していただいて、市橋君が出所した時に口座番号と一緒に渡していただくという考えです。本人以外の人間が市橋君の名前で口座を開設できるかどうか、弁護士に訊いてみないと私にはわかりません。
もっと書きたいこともありますが、夜も更けてきましたのでまたの機会にします。お休みなさい。
本山直樹
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今日は車で2時間ちょっとかかる茨城県那珂(なか)市の種苗園に行って、確保しておいていただいた松の小さな苗木を50本受け取ってきました。新潟県や千葉県だけでなく、茨城県の大洗海岸の松林も松くい虫の被害で酷い状況だとのことでした。昨年は松くい虫に加えて特に東北地方では津波の被害で松林が崩壊し、抵抗性クロマツの苗の需要が急増し、供給が間に合わないようです。小雨の中を苗木を育てる圃場を改めて見せていただきました。松ぼっくりから取り出した種を植える圃場、芽が出て間もない稚苗を密植して育てている圃場、ある程度の大きさになってから掘り起こして植え直して小さい苗に育てている圃場・・、と最低でも3年はかかるようでした。
その他に、花粉のでないスギ(杉)やヒノキ(檜)の苗を育てている圃場もありました。-----------------------------------------
2012年6月15日金曜日
今日はどこのテレビ局も高橋克也容疑者の身柄が確保されたニュース一色でしたが、支援者からも以下のお便りが届きました。捜査員に声をかけられた時に素直に本人であることを認めたようですので、市橋君の時と同じように、逃げ回ることに疲れ果てて法の裁きを受ける覚悟を決めていたのかもしれないと思いました。
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今日、オウムの高橋容疑者が捕まりました。市橋さんは2年半で捕まってもう惨めな思いをしないで罪を償うことが出来て良かったと思います。事件の前に働いていたら優秀な仕事してたのにって思ったら涙が出てきました。
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公開講座の受講生は、千葉大学園芸学部の学生(2年生、3年生、4年生)が39人と学外者が11人でした。毎年そうですが、学内の学生よりも外部から来られた方々の方が熱心に私の講義に耳を傾けていたように感じました。TA(テイーチング・アシスタント)の大学院生が、質問事項を書き込める出席確認用紙を配って回収してくれていましたので、どういう質問やコメントが送られてくるか楽しみです。私が担当するのは15回の中の今日1回だけですから、受講生の質問に対する回答はメールで個別に送信することになります。7月27日の最終回の後で、修了式と懇親会が予定されていますので、受講生と直接交流できる機会がもう一度あります。
明日の天気は雨模様ということもありましたので、教室に行く前に江戸川堤防を8Km 走ってきました。
新潟県胎内市荒井浜には、松やニセアカシアだけでなく、「とべら」という白い可憐な花が咲いている木や 、それとよく似た「しゃりんばい」という木や、色鮮やかな草花も咲いていて楽しませてくれました。森林公園の看板は中条町となっていますが、中条、黒川、奥胎内という地区が合併して現在の胎内市になったのだそうです。
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2012年6月14日木曜日
地下鉄サリン事件で特別手配中のオウム真理教元信者の高橋克也容疑者を追跡しているニュースが毎日報道されていますが、市橋達也君の映像を流して類似点をコメントしている番組もありました。すでに身柄を確保された菊池直子容疑者もそうですが、逃げ回る生活はどんなに惨めなものだろうと想像してしまいます。支援者からも、市橋君の場合を思い出しながらニュースを見ていますというお便りが届きました。
新潟県胎内市では、海岸からかなり離れたところでも砂地が続いていて、砂採取場の断面が露出しているところがありましたが、深さが10mくらいはありそうに見えました。海岸の保安林が造成される前は、歴史の長い時間の中で、こんなにも飛砂が堆積したのでしょうか。
場所によっては、海岸の保安林とゴルフ場が隣接し、ゴルフ場と広大なタバコ畑が松林をはさんで隣接していました。
薬剤の飛散調査をしている時に、松林の中から雉(キジ)がでてくるのを何回も見ました。
明日は千葉大学園芸学部で、公開講座「食の安全と安心」の講義を担当予定です。準備はだいたいできましたので、江戸川堤防を8Km 走ってきました。
アメリカ在住の義理の息子はG20サミットの取材映像を日本のテレビに送る仕事をとったらしくメキシコに行っているようですが、娘と孫3人は来週には日本に来てしばらく私たちと同居する予定です。昨年は放射能汚染を恐れて来なかったので、2年振りに孫たちがどれだけ大きくなったか会うのが楽しみです。妻は受け入れ準備に余念がありません。
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2012年6月13日水曜日
昼休み東京農業大学の周囲をジョギングして、シャワーを浴びて桜丘アリーナと呼ばれる体育館を出たら、週刊文春の記者から約束の時間より少し遅れるとの電話がありました。研究室で、コンピューターに詳しい元学生が推薦した買い換え用のノートパソコンを検索していたら、記者が到着し、「真相開封-昭和・平成アンタッチャブル事件史」(「文藝春秋」編集部編)文春文庫(2012年6月10日発行)という3日前に発売になったばかりの本を持ってきてくれました。
月刊「文藝春秋」が昨年の12月号に組んだ大型特集に、本年2月号に掲載された記事を追加して加筆修正したものとのことですが、「はじめに」に記された新人記者の述懐には、月刊誌にしても週刊誌にしても、記者たちが自問自答しながらも地道に取材の努力をして、事実を読者に伝えようとしている姿を訴えていました。
市橋君の事件に関して取材を受けた私の記事も再掲されていました。雑誌はすぐ店頭からなくなりますが、文庫本の形になればいつまでも残りますので、後から興味をもった読者も入手できます。
先月28日に菅野弁護士・山本弁護士とお会いした時の様子をお話し、現在市橋君がどこの刑務所で受刑しているかは弁護団も私もわからないことを伝えました。支援金の残りは、多くの支援者が約30年後に市橋君に仮釈放の機会が与えられた時のための生活資金として残してほしいという希望だったのでそうするつもりだが、どういう形でそれを実現できるかはもう少し検討するつもりだと伝えました。
月刊「文藝春秋」12月号に記事が掲載され、その後私と手紙のやりとりをした樹月(きづき)カイン氏の訴え(受刑者は単に刑期が過ぎるのを待っているだけで、本当の意味の更生プログラムがない)と、今月10日に大阪で起きた無差別殺人事件の礒飛(いそひ)京三容疑者が5月24日に新潟刑務所から出所したばかりで、食べることと寝る場所を見つけることに必死で、結局追い詰められて自殺する代わりに死刑になるために殺人をしたという信じられないような悲惨な事実との関連性について話題にしました。受刑者の社会復帰後の再犯率が高いという問題点について、法務大臣が記者会見で検討を始めると言っていましたが、ジャーナリズムの仕事として週刊文春でも受刑経験者を含めた対談などで問題を社会に訴える企画をしたらどうかと提案をしてみました。当然、記者の一存でどうこうできることではないことはわかっていますが・・。?
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2012年6月12日火曜日
今日は東京で木材保存剤等性能審査委員会の平成24年度第1回安全性部会が開催され、私も委員として出席しました。申請された6件の防腐・防蟻剤の安全性について厳しく審査し、疑問点や、不足しているデータや、必要な注意書き等について指摘しました。
新潟県胎内(たいない)市の海岸沿いには国道113号が走っていますが、胎内市とその南側に位置する新発田(しばた)市との境には市境を示す標識が立っています。ヘリコプターでスミパインMC(有効成分は有機リン殺虫剤のフェニトロチオン)という薬剤の散布を続けてきた新発田市側では、松くい虫被害からしっかり守られて見事な松林が存在していますが、過去4年間散布を中止した胎内市側では、松は松くい虫の被害でボロボロになってまるで松の墓場みたいな様相を呈しています。
胎内市の担当者も地元の住民も事の重大性に気が付いて、今年からヘリコプターによるスミパインMCの散布を再開しました。そこで私たちは、散布された薬剤の飛散状況を調査して、周辺住民への健康影響の可能性や、周辺の畑に存在するタバコその他の作物への影響の可能性を推定する研究を実施しました。気中濃度は通常日本人の平均的鼻の高さ(地上1.5m)で測定しますが、今回はそれに加えて樹冠部での気中濃度や落下量の測定もしました。松の枝葉の上は、伸縮自在の物干し竿の上端に100円ショップで買ってきた紙製のシフォン型(ケーキを作る枠型)に、小型ポンプと接続したカートリッジ(大気捕集用)とろ紙(落下薬剤捕集用)を固定するという簡便な方法を工夫しました。
明日は、週刊文春の記者が市橋君の事件の件で取材に来られる予定です。
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2012年6月11日月曜日
無人ヘリコプターをラジコンで操縦する高所作業車に乗せてもらった時は、ヘルメットをかぶって、安全ベルトを締めて、万が一の時に落下しないようにベルトの金具を作業箱に固定しました。有人ヘリコプターに乗せてもらった時は、シートベル着用はもちろんですが、騒音の中でも会話ができるようにマイクが付いた両耳を塞ぐヘッドセットをかぶりました。フライトが終わると、薬液タンクや散布ノズル等の洗浄をしていました。
機上から見ると松林の状態が一目瞭然でした。国道を挟んで海岸の松林と接しているゴルフ場側の松林は見事に保全されて美しい景観を提供しているのに対して、海岸側の松林はもう松林とは呼べない程ボロボロになって、醜い姿をさらしていました。松くい虫の被害を防ぐ技術はあるにもかかわらず、それを使わなければどうなるかを如実に示していました。
今日は午後から東京農業大学の研究室に来客があり、9月4日に大手町の全農ビルで計画されている農薬に関する講演会の演題と内容について打ち合わせをしました。
今週の金曜には千葉大学園芸学部で昨年と同じく「食品安全ビジネス論」という講義科目の一部を担当する予定ですので、そろそろその準備を始めなければと思っています。
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2012年6月10日日曜日
新潟県胎内市の村松浜地内の松林の松くい虫による被害は、まるで1960~1970年代のベトナム戦争当時の枯葉剤(Agent Orange)を散布された密林のように、骨だけになったようなマツの木が林立していました。昨年のちょうど今頃マツノマダラカミキリに後食(こうしょく)されてマツノザイセンチュウが樹体内に侵入し、秋頃に枯れたと思われる幹や枝をよく観察すると、樹皮の下に幼虫の食入痕やフラス(粉くず)が見つかります。
林床に放置されていた直径約10cm、長さ約3mの枝の食入痕の3cmくらい上を手斧で丁寧に割材してみたら、65頭以上の幼虫・蛹・成虫(大半はまだメラニン化していない蛹)が見つかりました。予想をはるかに超える大変な高密度でした。成虫は直径1cmくらいのまん丸い穴を開けて羽化脱出し、今年生長してきた当年枝か昨年生長してきた1年枝に飛んでいって後食します。
こんな小さな虫が、ヘリコプターによる薬剤散布を中止してわずか3~4年で広大な面積の松林を壊滅させるのですから、たいしたものです。
網室内で実験的に観察するのは別として、野外の自然状態でマツノマダラカミキリ成虫がマツの当年枝を実際に後食するのを目撃するのはかなり難しいのですが、村松浜では短時間に多数観察することができました。生きているマツが少なかったことが幸いしたようです。お蔭で貴重な写真が撮れました。(写真はクリックすると拡大できます)
午前中に久し振りに江戸川堤防をゆっくり6Km走ってきました。青い空に白い雲がたくさん浮いていて、何回も見上げてしまいました。遠くに筑波山の山影も見えました。途中で自転車に乗っている人に声をかけられたら、新松戸に住んでおられるある農薬会社の方で、サイクリングをしていました。昨日まで新潟県胎内市の海岸の松林の調査に行っていた話をしたら、何とその会社の主力工場は胎内市と続きの新発田(しばた)市の海岸の松林に囲まれたところにあって、会社としても必死で松くい虫防除をして松林を保全しているとのことで、偶然とはいえ驚きました。シャワーを浴びてから恐る恐る体重計に乗ってみたら、0.2Kg しか増加していませんでしたので、嬉しくなりました。新潟県滞在中は1週間全く走らずに3食をきっちり食べて、飲んで、寝るだけの不摂生な毎日でしたので、相当重くなっている筈と覚悟していました。
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2012年6月9日土曜日
新潟県胎内市での1週間の調査が終わって、車で5時間かかって今夜松戸に帰ってきました。いつものノートパソコンを携行して、宿泊していたホテルの部屋でブログの記事を更新しようと思っていたのですが、私の使っているノートパソコンが古いモデルで頻繁に使ってきたせいか部分的に故障してできませんでした。
朝2時45分に目覚ましをかけて、3時過ぎには薬剤が散布される海岸の松林に到着して飛散をモニタリングする準備をしたり、体力勝負の調査でした。人家に接近した場所やタバコ畑に隣接した場所では無人ヘリコプターで散布され、それ以外の場所では有人ヘリコプターで散布されました。
今回は、ラジコンで無人ヘリコプターの飛行と散布を操作する高所作業者の上に乗せてもらい、上から松林に薬剤が散布される様子を見る経験できました。有人ヘリコプターの場合も、散布作業終了後に操縦席の横に乗せてもらい、松林の上空を飛んで松枯れ状況を上から眺める経験ができました。
調査自体はほぼ計画通りできましたが、松くい虫防除の問題点もいろいろ把握でき、新たに勉強になることがたくさんありました。
少し睡眠不足と疲労気味ですので、体力と気力を回復をしてから報告したいと思っています。
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2012年6月2日土曜日
支援者から届いたお便りです。今は返信を差し上げる時間的ゆとりがないので、とりあえずここに紹介しておきます。
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今晩は。昨日(一昨日)のブログ拝見致しました。樹月カイン氏のお手紙に「お手紙は東京拘置所へ出し続ければ、移送先へ転送されるはずです。」との事でしたが、東京拘置所に問い合せをしたことが有ります。刑の確定後でも東京拘置所に収監中は、家族以外も手紙は届きますが、刑務所に移送後は転送はされずに差出人に戻って来ると伺いました。
以前、市橋達也さんが千葉刑務所の拘置所に収監時、千葉刑務所に確認した時は、移送先に転送されると伺いました。千葉刑務所の拘置所と東京拘置所では未決囚の収容人数が違い、刑が確定し刑務所への移送も頻繁に有りそうですから、転送の処理も難しいのかと思いました。実際には分かりませんので、受刑されている樹月カイン氏のお話通り転送される可能性もあるかも知れないですね。
東京拘置所で市橋達也さんの刑が確定し受刑者となり、もう手紙の受取も拒否をするのではないかと思い、受取拒否をされた場合についても確認しましたら、その場合も差出人に戻されるとの事でした。なので、手紙が戻って来てるのではないかと毎日ポストを見るのが不安でしたが、大丈夫でした。
本日(昨日)、第54回全国矯正展が開催されました。矯正展は、刑務作業の現状や重要性を知って頂く為、受刑者の刑務作業の姿や作業製品の展示販売されていますが、特設コーナーの「生命(いのち)のメッセージ展」では、犯罪等により生命を奪われた犠牲者の等身大のパネルに生前に履いていた靴が展示され、残されたご遺族のメッセージに、涙が出てきました。「生命(いのち)のメッセージ展」で、命の尊さや被害者遺族の苦しみも感じ、「矯正展」では市橋達也さんの更生も支援したい思い...複雑な心境です。決して犯罪を擁護している訳ではなく、裁判所が決めた無期懲役の判決を受け入れ、刑務所で罪を償いながら生きていく彼の力になりたいです。
刑務所の処遇や更生について、矯正展で前向きに取り組んでいると感じますが、樹月カイン氏のお手紙からも刑務所の実態とは、かなり異なります。
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今日は松園会(しょうえんかい)という千葉大学園芸学部出身者で植物保護関係の仕事に就いている人たちを中心にした同窓会がありました。第19回ですから発足してから19年目ということになります。必ず講演会も一緒にやっていますが、今日は日本曹達株式会社常任顧問で農薬工業会技術委員会委員長でもある服部光雄氏が「国内外の農薬登録制度について-主として日本、アジア諸国及び欧米の制度について-と題した講演と、財団法人日本園芸生産研究所理事長で千葉大学名誉教授でもある伊東 正先生による「農作物の放射能汚染と健康への影響」と題した講演がありました。お二人の演者ともそれぞれの分野の造詣が深く、大変よい勉強になりました。
私の千葉大学時代の研究室の出身者も何人か参加していて、ほとんど全員お互いに知った仲間ですから、懇親会はやーやーと気軽に話しかけ、和気あいあいとした雰囲気でした。現職の教授の中には、就職活動をしている学生を連れてきて、社長や部長になっているOBによろしくと挨拶していました。
明日は松戸を朝8時半に出発して、車で新潟県胎内市に向かいますが、さっきカーナビで目的地を入れて所要時間を調べてみたら約5時間と出てきました。ノートパソコンを持参しますので、宿泊予定のホテルでもブログの更新ができることを期待しています。
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2012年6月1日金曜日
今日は午前中に6月3日~9日にに実施予定の新潟県胎内市での調査に必要な手続き(宿泊予定のホテルの予約や新潟県庁の担当者との連絡や同行研究者との打ち合わせ等)をしてから、東京農業大学の研究室に顔を出しました。しばらく来れないので、郵便物のチェックなどをしていたら、先日栃木県足利市の会社見学に一緒に行った女子学生の指導教授がご挨拶に訪ねてこられました。私の方から先に、勝手なことをしたご報告に伺おうと思っていたのですが、この就職難の時代にありがたいとお礼を言われてしまいました。
今日は専務取締役からメールが届き、女子学生は今日東京の本社を訪問し、採用条件を提示され、一週間以内に返事をしてもらうことになりましたとのことでした。紹介者の私やご両親とも相談してよく考えて返事をして下さいと言いましたが、弊社としては是非来て(入社して)いただきたいとのこと。私は9日まで留守にするので、今ちょっと前に本人に電話をしてみたら、今から両親とも相談するけど、自分としてはこの会社に勤めたいと言っていました。
今は不景気で就職難の時代なので、大学卒の初任給がどれくらいか相場がわかりませんが、多分私が千葉大学を定年退職した頃よりは下がっている筈だと思って採用条件を訊いてみました。基本給約19万円に住宅手当や通勤手当などがついて月給は約26万円とのこと。ずい分いい条件ですねと言ったら、彼女自身あちこち就職活動をしているのでよく知っていて、こんないい条件のところはありませんと答えていました。ご両親はこの話にすでに大喜びで、もしこの会社に娘が勤めることができたら車を買ってあげると言われているとのことですので、彼女は入社しますという返事をするようです。専務取締役からのメールでは、彼女からOKの返事が届いたらすぐ内定通知を出す予定とのことですので、ほぼ決定と同じです。
過去に私の研究室でデータ入力のアルバイトをしていた男子学生が、就職活動で苦労していた同じ研究室の女子学生を私のところに顔見せにつれて来たのがきっかけでこういう展開になったのですから、人との出会いというのは不思議なもので、ちょっとした出会いでも大切にしなければと思います。元々は栃木県の田舎でご両親が娘をしっかり育て、本人もそれに応えて真っ直ぐに成長したことがこういう結果になったのでしょうが、今日は私も大変いい気分です。
2012年5月31日木曜日
見損なった支援者のために、5月28日の記事の一部を再掲します。
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7.私達が提供した支援金、支援者が個人的に弁護士事務所に届けた支援金などの預り金明細書(使途内訳)をいただきました。収入から支出を引いた残金が、1,275,692円あります。残金の処理方法については、本ブログで支援者の希望を伺ってからお伝えしますということにしました。3つの案が考えられると思いますが、振り込んで下さった支援者の皆様のご意見をお知らせ下さい。1案:千葉県弁護士会に寄付をして、取り調べ段階の被告人や弁護人のいない被告人の弁護活動に使っていただく、2案:市橋君が社会復帰する時の生活資金として口座を作って保管しておく、3案:日本財団の犯罪被害者救済基金に寄付をする。2案の場合は、私以外にも支援者の中から複数の方々にも参加していただいて、目的が果たせるようにきちんとした管理方法を考える必要があります。
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以下は支援者から届いたご意見とお便りです。ありがとうございました。
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先生、いつもありがとうございます。判決の理由とされた、本の印税と一生懸命働いた所持金全てを、犯罪被害者救済基金へ寄付してしまったので、それはもう十分だと思います。市橋君が更生する時のために使ってほしいと思います。支援者の方々が市橋君のために振り込んでくれた、温かい大切なお金です、是非市橋君のために守ってほしいと希望します。どんな毎日を送っているのか、考えるととても辛くなりますが、ブログを送っていただいた(?)、塀の中の黙示録を読むと、少しは安心できます。控訴は逆らっていると判断され、本を書いたのも減刑(減点?)とされるのなら、分かっていた事を弁護士の方々がなぜそうさせたのか、疑問に感じます。三権分立になっていない司法をこの裁判で教えられました。(本山:外交的配慮がどれだけ裁判に影響したのかしなかったのか私にはわかりません。ただ、将来皇太子殿下が天皇陛下として即位される時に恩赦があるとしたら、日本の皇室とイギリスの王室の親密な関係から、市橋君が恩赦の対象から外されるようなことがあり得るのかどうか、というようなことは弁護団の中でも話題になったようです。)今まで一人で頑張ってきた市橋君を、母親の気持ちで抱きしめてあげたい気持ちで苦しくなります。被害者が自ら部屋へ行ったのに悔しいです。
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今晩は。昨日のブログ拝見致しました。支援金の残金の処理方法につきましては、ブログを確認する前にメール致しましたので、内容に行き違いがありました。申し訳ございません。民事訴訟で争わない場合に、領置金が全額没収される危険性があることを考えますと、塀の外で保管された方がいいですね。
2案を希望される支援者が多いようですが保管の問題も有りますし、2案以外を希望される支援者もいらっしゃいますので、ご意見を纏められるのも大変なことだと思います。ご検討に、ご負担お掛け致しますが、よろしくお願い致します。
石田弁護士さんの弁護士費用の件、お知らせ頂きありがとうございました。市橋達也さんの逮捕後に弁護団が結成され、テレビでの記者会見や本山先生から、その都度の状況を伺っていましたが、一審の千葉地裁で初めて6名の弁護士さんを目の前にし、威圧感を感じました。マスコミに取り上げられた大きな事件の裁判で、弁護団はベテランの菅野弁護士さんを筆頭に経験・年齢等により、それぞれの役目を果たされたように感じました。その中で唯一女性のお若い石田弁護士さんが、堂々と弁護されたお姿が印象的でした。私の個人的な気持ちですが、石田弁護士さんにもお礼として弁護士費用をお渡し出来たらと望んでいましたので、5名の弁護士さんから提供されてたと伺い、とても感動しました。
弁護士さんの仕事は、事件の弁護だけでなく被告人の心を開いたり、カウンセリングのようなことも必要だと思います。市橋達也さんの性格を考えますと、弁護活動もスムーズに進まずに難しかったのではないかと感じています。弁護団に感謝しています。
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5月2日のブログで紹介しました受刑中の樹月(きづき)カイン氏から、私が郵送(5月15日)した手紙に対する返信が届きました。便箋6枚に今回も丁寧な筆跡で書かれた、しっかりした内容のお手紙でした。こんなお手紙を書かれる方が、何故あのような酷い性犯罪を繰り返したのか(樹月カインというのはペンネームですので、支援者には彼の犯した犯罪の内容はわからないでしょうが)信じられないくらいです。前回のも含めて、全文をスキャンしてここに紹介できたらと思いますが、本人の了解を得てからにするつもりです。
ひとつ支援者の参考になることとして、「お手紙は東京拘置所へ出し続ければ、移送先へ転送されるはずです。」という記述がありました。どれだけ根拠のある情報なのかはわかりませんが、支援者で、もし市橋君に届かない場合は差出人に返送して下さいと記して、宛名を書いた返信用封筒に切手を貼って同封された方がおられましたが、この方からはお手紙が返送されてきたというご連絡はありません。もしかしたら、樹月カイン氏の言われるように、市橋君が移送された先の刑務所に転送されたのかもしれません。こういう場合はどういう対応をするのか、お手紙を郵送された方が東京拘置所に電話ででも確認してみるとはっきりするかもしれません。
もうひとつ樹月カイン氏のお手紙には、重要な情報が含まれていました。無期受刑者が社会復帰することはほとんどないのではという私の持っていた印象に対して、<現実にはそんなことはありません。私のいる〇〇刑務所は、長期刑かつ再犯者ばかりを収容している施設で、受刑者の5人に一人が無期というありさまですが、それでも年に何人かの無期囚が仮釈放になっています。たしかに市橋さんの事例は、社会的な影響等もあり、難しい側面もあるかと思いますが、「失望を受け入れつつ、希望を捨てないことだ」と私はおもいます。この言葉は、市橋さんがリンゼイさんに話したという、キング牧師の言葉です。> と書いてありました。
つまり、無期懲役の受刑者になってもそれで人生が終わったわけではないということでしょう。樹月カイン氏のお手紙を見ると、受刑しつつ成長することも可能で、いつかは社会復帰できる希望も残されているということのようです。
今日は、東京で社団法人日本植物防疫協会が一般社団法人日本植物防疫協会 http://www.jppa.or.jp/ になって初めての総会が開催され、私も個人正会員になっていますので出席しました。従来は理事長を始め、農水省の植物保護関係機関のOBが理事に入っていましたが、天下り禁止で、今日の総会で承認された新理事8人の中には一人も入っていませんでした。この協会は今までも試験事業、出版事業、講演会等の公益事業をしっかりやってきましたから、農水省からの天下りがなくなったからといって経営がゆらぐことはないと思いますが、これからその真価を問われることになるのでしょう。
総会後の親睦会では多くの旧知の人達に久し振りに会うことができ、楽しいひと時を過ごしました。
東京に出かける前に、お腹にビールや料理が入るスペースを少しでも作ろうと思って、江戸川堤防を8Km 走ってきました。
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支援する会ブログ 2012年05月30日-2012年01月01日
2012年5月30日水曜日
支援者から以下のご意見がありました。
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昨日のブログ拝見致しました。支援金の残金の処理方法につきまして、ご提示頂きました3つの案とは別に二点確認がございます。
①一審後に弁護団から抜けられた石田弁護士さんに弁護士費用をお渡しされていませんので、結審後の残金により弁護団に考えて頂くと伺っていましたが、その点のお話はございましたでしょうか?弁護団のお考え次第ですが、石田弁護士さんにも弁護士費用として、お渡し出来ればと思っていました。(本山:菅野弁護士・山本弁護士とお会いした時に、実はこの点についても確認しましたが、表にだす必要はないという私の判断でブログには書きませんでした。他にも同じ疑問をお持ちの支援者がおられるかもしれませんので、考えを変えてお答えします。一審では千葉県弁護士会の6名の弁護士が手を挙げて、取り調べ段階から市橋君の弁護を無償で引き受けて下さいました。2人ずつで毎週接見に行かれたり、公判前整理手続きが当初の予定より長くかかりましたので、大変な時間と労力を使っていただきました。6名の中、石田弁護士だけはご都合により二審の弁護団に参加されませんでした。しかし、支援金は予想以上に集まりましたので、私は一審で大変努力をして下さった石田弁護士にも何らかの形で謝礼を受け取っていただきたいと思い、その旨を菅野弁護士にもお伝えしてありました。二審を担当された5名の弁護士はご自分の弁護士料50万円から各5万円ずつを出し合って、計25万円を石田弁護士に提供されたとのことです。)
②被害者遺族から損害賠償請求があった場合の弁護士費用について伺えましたでしょうか?(本山:ご質問の趣旨とは少し違いますが、市橋君が受刑中に他の受刑者や刑務官等に不当な取り扱いを受けた場合には、市橋君自身がとれる方法として人権救済申し入れという制度があるそうです。)もし民事訴訟で弁護士費用が必要な場合、支援金の残金から用意が出来ればと思います。
3案につきましては、2案を希望致します。ただ、管理が難しい点と、市橋達也さんが望まれるかが気になります。市橋達也さんと連絡が取れない現状で、本山先生と複数の支援者の方が口座の管理して頂いたとしても、いずれ彼に引き継げるか分からない状態では、不安に感じます。口座で管理されるよりも、山本弁護士さんやご両親に相談され、可能であれば、市橋達也さんの領置金として刑務所で管理された方が、よろしいかとも思います。(その際に、民事訴訟の弁護士費用として領置金から支払えるのか?刑務所の管理体制やデメリットなども確認した上ですが...) (本山:民事訴訟を起こされた場合は、領置金は全額没収される危険性があることは昨日のブログでお知らせした通りです。) もしくは、ご両親に支援金の残高をお預けして管理して頂くのは、いかがでしょうか。本山先生と他の支援者の方のご意見も伺った上で検討され、市橋達也さんの支援につながれば良いと思います。何かございましたら、ご協力致します。
〇〇県の支援者の方が、中部地方の刑務所に差し入れに行かれ、確認されようとしましたのは、凄いですね。でも私もお金と時間があれば、複数の刑務所を訪ねるパワーは有ります。しかし、市橋達也さんの気持ちを考えると、何も動けない状況です。今は、静かに遠くで見守っています。
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ブログ拝見しています。日課のランニング本当に凄いですね。支援金残高の処理方法ですが、3つの案の中で選ぶのであれば【3案の犯罪被害者救済基金への寄付】です。
東京農大生の方、良いお知らせが届くといいですね。
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市橋さんが控訴したから反省していないって見なされるなんて上告したら罪が重くなっていたのかなと思います。(本山:市橋君は上告しませんでしたのでもう必要なくなりましたが、二審の判決謄本のコピーをいただきました。何故裁判官があのような判断をしたのかが一つ一つ説明してあります。私も一度じっくり目を通してみようと思っています。) 先生が言っていた様に一生怯えながら暮らすより2年前に捕まってよかったと思っています。2案に賛成です。
私も事件のあった部屋のことが気になってたんですが、誰も住んでなかったんですね。市橋さんが刑務所にいて何のトラブルもなく暮らしてほしいです。弁護団の方々には感謝でいっぱいです。
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支援者の皆さんや本山先生の文章を読むと、私が気づかなかったことや勉強になる事がたくさんあってありがたいです。領置金としてプールしておく方法は民事裁判を起こされたときに、没収されるという危険があるとなるとやはり誰かが預かるという方法しかないのですか。そのことですが市橋君のご両親にはこれ以上心労をかけさせたくはありません。それに遠くから見守るという考えでいる以上無理ではないかと思われます。誰に支援金を託すのが相応しいのか・・・難しい問題ですね。
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昼休みに東京農業大学の私の研究室に醸造科学科の男子大学院生が立ち寄り、先日一緒に栃木県足利市の会社見学に行った女子学生が非常に喜んでいたと話していきました。私が同行して、会社に親切に対応してもらえたことがよっぽど嬉しかったのでしょう。
その後、キャンパスの周囲をゆっくり時間をかけて8Km 走りました。正門横の電光掲示板には、「食と農の博物館」の企画の案内がありました。今は、<馬を知る>と<熱帯農業の魅力>と<醸造のふしぎ>と題した3つの企画展示をやっているようです。http://www.mapbinder.com/Map/Japan/Tokyo/Setagayaku/Syoku/Syoku.html すぐ裏には馬事公苑もありますし、入場料無料の筈ですので、近くに来られた方は立ち寄ってご覧になる価値はあると思います。
農大キャンパスに沿った歩道の横の花壇には、色とりどりの花が植えられていて、楽しませてもらいました。
夕方6時に新宿歌舞伎町のある居酒屋で知人二人と待ち合わせしてありましたので、早めに到着するように出かけたのですが、あまりの雑踏と怪しげな商売の看板と客引きと無秩序に建てられたと思われる建物群に目を奪われ、うろうろしてやっと目的の居酒屋に着きました。先日、日本財団のプロジェクトで3年間滞在したミャンマーから帰国した人(68才)と、農薬会社勤務で名古屋大学の研究室の後輩(64才)と、3人で一杯やりながら楽しい時間を過ごしました。お二人とも海外出張の経験が豊富なので、アフリカのケニヤでの経験やミャンマーでの経験などを話してくれました。私も含めて皆もう孫のいる年代ですが、まだまだ今からやりたいことの夢を語って気持ちは若者のようでした。10時半になってもうこんな時間かと気がついて、あわてて席を立ちました。そんな時間でも新宿駅周辺はまだ若者で一杯でした。地方に行くと、県庁所在地ですらシャッター街が目立ち、若者の姿が少なくあまり活気が感じられないのとのギャップの大きさに、あらためてこういう状況を生んでいる政治はこれでいいのだろうかと疑問が湧いてきました。?
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2012年5月29日火曜日
支援者から昨日のブログの報告と支援金の残額の処理方法について、ご意見が寄せられています。2案の市橋君の出所後の生活支援金にというご意見が多いようですが、もう少しご意見を待ちたいと思います。
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毎日先生のブログを拝見し、色々なことを考えています。卒業生の就職のお世話をなさる教授は最近珍しいと思いますが、先生と企業側の方の信頼関係がしっかり築かれているからで、卒業生の女性ご本人の力であることはもちろんですが、本当にすごいことだと思いました。先生はお写真が上手ですね。構図や色彩など、どれも「良い写真」「良い記録」だと思いながら見ています。(本山:誉めていただきありがとうございます。私の見ている景色を皆様にもお見せしたいのと、ブログの記事が硬い文章だけにならないようにと思ってできるだけ写真を載せています。)
市橋君が東京拘置所にも千葉刑務所にもいないことをお知らせ下さった方には感謝すると共に、どなたかが書かれていたように「子離れできない親のよう」な心境です。色々と妄想・想像を働かせました。名古屋の分類センターかな・・・ 市橋君自身が「支援者も誰も来れないような遠くに行かせてください」と言ったかな・・・ 移送にあまり経費がかかる遠方には行かないだろうなあ・・・ また自殺行為的絶食して、病院に行ってたりして・・・などなど。でも、市橋君はある意味「有名人」ですから、行った先の刑務所内の服役囚が、出所した時に外部の人に話したり、ネットで伝えたりして、そのうちわかるのではないかしら。受刑経験者が語るサイトもあり、真偽の程は別として、かなり刑務所内の実情もネットで語られています。
菅野弁護士とお話してきて下さってありがとうございました。説明内容は、セオリーとしてわかっていることなのですが、やはり市橋君を擁護したい私としては、「でもね」と考えてしまいました。行きずりの人を犯して殺害したのではなく、慎重派の市橋君はコーヒーショップでの語らいや絵のプレゼントをした時のリンゼイさんの反応などにより、ビジネスライクな付き合い以上のものを感じてしまったから、理由をつけて自室への誘いに至ったことでしょう。語学の先生と生徒が結婚した例はたくさんあるし、少々強引で乱暴な性交渉を機に恋人関係になる例もたくさんあります。リンゼイさんも、本当に嫌だったら、市橋君がキスしてきた時点で、必死で逃げるとか窓から大声を出し続けるとか、できたと思います。でも、市橋君という人は、亡くなったリンゼイさんの非の部分や彼女の人格を汚すことは口にしない性格だと思います。彼女が亡くなってることを良いことに、生きてる自分の都合の良いことを言う、性格ではない、と思います。
状況に関しては、彼は、本当のことを話したと思います。
リンゼイさんの首が突然、前にガクッと倒れたから、びっくりした。大変なことになったと思った。と。逃げたのも悪い。でも、親への迷惑、学校への迷惑、多くの人からの非難を考えると恐ろしくて名乗れず(自分勝手な部分から)、親にも恋人にも誰にも連絡しないまま、孤独に逃げました。
今回、市橋君はまた自分の意志で、知人の誰とも接しない生活に入りました。
これは彼独特の美意識だと理解してあげなきゃいけない、と思いつつ、本山先生の前で泣きじゃくってた日のこと、上告をしたいのに結局あきらめた時のことが思い出され、私は「子離れできないダメ母」であると思わされます。私もあれこれ想像で書いていますが、裁判長が言い渡した判決内容も、かなり「想像」だという印象でした。
弁護士団の方がたには感謝しています。支援金は、全部弁護士の方々へと思っていましたが、本山先生が書いて下さった選択しがあるのでしたら、私はやはり、市橋君の仮出所に希望をたくし、彼のために貯金してあげたいです。ご両親も準備なさってるでしょうけど。先生のご判断に委ねます。
長々とすみません。今後ともよろしくお願いいたします。
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おはようございます。ブログを拝見させていただきました。 昨日は菅野弁護士様や山本弁護士様に色々と市橋さんの事を聞いてくださり本当に有難うございました。(本山:私自身が疑問に思っていたことをメモしていって話題にしました。)丁寧に解りやすくブログに書いてくださいましたので、よく理解できました。今後は市橋さんがどちらの刑務所で服役されているのか判らないですけれど、彼が元気で頑張ってくれる事を願います。
ところで支援金の残金、1,275,692円の処理方法ですが、私としては、やはり[2案:市橋君が社会復帰する時の生活資金として口座を作って保管しておく]をお願いしたいです。現在33才の市橋さん(昭和54年1月5日生)がもし60才前後になって仮釈放された場合、先生もお書きになっていましたように、その年齢では社会復帰できても、生活は厳しいと私も思います。せめて市橋さんが長い間頑張って服役を終えた後の生活が辛いものとならないよう、落ち着くまでの生活資金に充ててあげたいのです。2案は色々と難しい事も有るかもしれませんが、支援者間が連携して、引き継ぎながら市橋さんと支援金を守っていけたらと思います。
願わくば何年先かわかりませんが、市橋さんが先生にお手紙をくださり、それで服役刑務所が判り、支援金の件を弁護士の方にも加わって頂く事で確実に市橋さんのお手元に届くよう祈ります。本山先生、この先もまだまだお手数やご足労をおかけすることと思います。私もできる限りのお手伝いはさせていただきたいと思いますので、どうか宜しくお願い致します。
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28日のブログを拝見しメール致しました。残りの支援金の使途ですが、気持ちとしては2案に賛成ですが、年月があまりにも長くやはり現実的に難しいと思います。必ず10年後に出所できる、ということなら別ですが、市橋さんの場合、30年あるいはそれ以上もしくは出所できない可能性もあります。もし不要となった場合の処理もまた難題となりますし、その時にお金のことですからトラブルが起きないとも限りません。なにより市橋さんが望まないのではないかと思います。
2案の場合引き受けてくださる方が必要になりますが、名前を公表し活動されていた先生とは違い、匿名での活動(管理)になると思われます。顔も名前も身元もわからない方々に30年以上も管理を任せるというのは少々乱暴のような気もします。出所後の生活については、全くの推測ですが、市橋さんのご実家は一般に比べて裕福なご家庭のように思いますので、もしご両親がご存命ではなかったとしても(すみません)、市橋さんに必要な資産、お金は残していかれるのではと想像します。
本当は今刑務所にいる市橋さんに全額差し入れ、市橋さん本人に管理してもらうのが一番いいかと思いますが、金額が大きいため差し入れが可能かどうかもわかりませんし、これもまた市橋さんが望まないことかもしれません。収監先がわからないので確かめることが出来ないですね。(本山:実はそのことも話題にしました。市橋君がどこで受刑しているかがわかってからの話ですが、市橋君に直接差し入れして刑務所で保管してもらうのはどうかという考えです。彼の手元には、支援者の方々が今までに千葉刑務所や東京拘置所で差し入れしたお金が、正確にはわかりませんが、多分30~40万円くらいは貯まっているのではと想像します。ひとつ気がかりなことは、リンゼイさんの遺族の代理人弁護士が将来被害者弁償金を市橋君に請求する民事裁判を起こす可能性があるということです。市橋君が弁護士を立てて裁判で争わない場合は請求通り弁償金が確定し、市橋君の刑務所内での所持金が全額没収される可能性があるということです。そうなると、社会復帰後の生活支援金として提供したものが実際には役に立たなくなってしまいます。それを避けるためには、支援金の残額は塀の外で管理しておく方がよいとも考えられます。なお、被害者弁償金の時効は10年だそうですから、市橋君が30年後に出所後に受け取る生活支援金が取り上げられることはないとのことです。)
今の時点では、市橋さんも自分の印税を寄付されていた3案の犯罪被害者救済基金に寄付をするのが適当なのではないかと思います。今まで支援の会の活動本当にありがとうございました。
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昨日は、御足労有難うございました。控訴をする事自体反省心がないとみなすならば、三審制なんて意味がない事ですね。納得できない事が多くやりきれない思いです。
支援金の件ですが、市橋君の所持金も寄付してしまったので市橋君の将来の為に使ってほしいと思います。市橋君の口座を作る事はできませんのでご両親に渡すのがいいんじゃないかと思います。(本山:私が考えつかなかった発想です。ご両親がどう対応されるかわかりませんが、一案ですね。)そのためには、〇〇さんと是非協力させて頂きたいと思います。
無期懲役は終身刑とは違うという事を市橋君に伝えてあげたいです。
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本山先生こんばんは、いつもブログを更新して下さりありがとうございます。先程28日のブログ拝見しました。支援金の残金についてですが、先生が弁護士さんに聞いて下さった中の【4.】を見るまで私も無期懲役=終身刑に近い扱いだろうと思っていたのですが、仮釈放の可能性があるなら支援者の方々と同じ【2案:市橋君が社会復帰する時の生活資金として口座を作って保管しておく】で使って頂きたいです。(市橋さんが受け取って下さるかわかりませんが)
ですが支援者の方も危惧されているように金銭(口座)の管理をするのはいろんな面で難しそうですし、市橋さんから連絡が来なければどうすることも出来ないですね・・・
以前ブログで本間氏が、市橋さんの気持ちが前向きになるまで相当の期間がかかると言われてましたが、例えば、市橋さんからの連絡を待つ期間を(10年や15年などと)決めて、期間内に連絡が取れなければ1案か3案に・・・というのも有りでしょうか? 有りでも無しでも2案が無理な場合は3案でお願いしたいです。
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昨日は、市橋君が住んでいたマンションの鍵を菅野弁護士から返却されました。すぐご両親にお返しする予定ですが、その前に私も市橋君が住んでいた場所を一度見ておきたいと思って、実は昨日の午後弁護士事務所から帰ってきてから車で訪ねてみました。7階建ての素敵なマンションで、管理人事務所もありましたが、エレベーターで4階に上がって彼の住んでいた部屋のドアの前まで行ってみました。表札がなく誰かが住んでいる気配はありませんでしたので、空き家になっているようでした。ここで起こったいろいろなことが頭の中に浮かびましたが、ドアは開けずにそのままその場所を離れて、またエレベーターで1階に下りました。敷地内の庭の隅には小雨の中にピンクのバラが咲いていました。市橋君もこの季節にはこのバラを見ていたのかもしれないと想像しました。
今日は松枯れの研究プロジェクトに加わってもらっている大学院博士課程の学生と一緒に、車で千葉県森林研究所に行き、実験に使う松の苗木を30本分譲してもらってきました。学生は早速、圃場で松の苗木をポットに移植してくれました。従来、マツノマダラカミキリが当年枝をかじって一度マツノザイセンチュウが樹体内に侵入してしまうと、その松は必ず枯れることが知られていますが、私たちは松を病気から快復させる治療法を開発する研究にこれらの松の苗木を使う計画です。
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2012年5月28日月曜日
菅野弁護士の事務所を訪ねて、菅野弁護士・山本弁護士から判決のことや今後のことなどについてお話を伺ってきました。
1.頸を圧迫して死に到った場合は、本人に殺意はなくても、致死には3分以上圧迫し続けることが必要ということで自動的に殺意があったと判断されるのかということについて-包丁で腹部(心臓)を刺したり、石で頭部を殴ったりするのと同様に、本人に殺意はなくても死ぬことが予測される行為なので、殺意があるのと同等とみなされるようです。本人の感覚としては1分以上頸を絞めてはいないと主張しても、他の原因が同時に発生して死に到ったという証明はできなかったということのようです。
2.控訴すること自体が、自分の犯した罪を自覚していない、反省していない根拠と見なされて、刑が重くなるのか-控訴自体は認められている権利だが、虚偽の証言をして刑を軽くしようとすることは反省していないと見なされるようです。私は市橋君が面会の時に私に言った言葉「自分としては全て正直に話したつもりです」を信じますが、それらを証明できないという不幸があったような気がします。例えば、手記の印税を被害者弁償金にあてようとしたことは、彼にはそれしか被害者弁償をする方法がなかったからの筈で、それを刑を軽くしようとした行為で反省していない証拠と見なすのは一方的な気がしました。しかし、リンゼイさんが亡くなった後に市橋君がとった行動-遺体をバスタブに隠そうとしたこと、2年7ケ月にわたって逃走をし続けたこと、整形手術をしてまで逃げ通そうとしたこと-などは情状的に反省の念がないと見なされても仕方がなかったかもしれません。
3.私にお手紙を下さった強姦罪・脅迫剤で服役中の樹月カイン氏の場合、性的犯罪を繰り返して現在は3回目の受刑で、二人の女性を強姦してから2年間にわたって写真を公表すると脅迫してお金を脅し取った罪の刑が懲役13年、先日のテレビドラマのように石で頭部を殴打して人を殺してお金を奪っても懲役13年と比べると、市橋君の無期懲役は重過ぎるのではないか-強姦だけ、殺人だけの場合と違って、強姦して殺人(弁護側の主張は傷害致死でしたが)と2つ合わさると非常に罪が重くなるということのようです。
4.終身刑のない日本の制度では、無期懲役=終身刑で釈放されることはほとんどないと思い込んでいましたが、実際には25年~30年服役後に仮釈放の対象になるかどうかの評価(審査)が行われるということのようです。また、国家的な慶事があれば恩赦によって減刑されることもあり得ますので、現在33才の市橋君(昭和54年1月5日生)が60才前後になって仮釈放される可能性がないわけではないということのようです。
5.ただ、その年齢で社会復帰しても、私はもちろんこの世にはいない可能性が高いですし、ご両親も年齢的にどうか不明ですので、生活は厳しいことが予想されます。
6.市橋君がどこの刑務所で受刑しているかは、弁護団にもわからないそうです。親族(ご両親)だけは、法務省に問い合わせれば教えてもらえるようですが、もし市橋君が誰にも知らせないでほしいという申し入れををしていれば、親族にも知らされない可能性があるとのことです。山本弁護士が最後に接見した時に受けた印象では、誰にも知られずに罪の償いをしようと覚悟を決めているように見えたとのことですので、しばらく時間が経って(何年になるかはわかりませんが)、本人から手紙を出してくれるようになるまでは支援のしようがないようです。
7.私達が提供した支援金、支援者が個人的に弁護士事務所に届けた支援金などの預り金明細書(使途内訳)をいただきました。収入から支出を引いた残金が、1,275,692円あります。残金の処理方法については、本ブログで支援者の希望を伺ってからお伝えしますということにしました。3つの案が考えられると思いますが、振り込んで下さった支援者の皆様のご意見をお知らせ下さい。1案:千葉県弁護士会に寄付をして、取り調べ段階の被告人や弁護人のいない被告人の弁護活動に使っていただく、2案:市橋君が社会復帰する時の生活資金として口座を作って保管しておく、3案:日本財団の犯罪被害者救済基金に寄付をする。2案の場合は、私以外にも支援者の中から複数の方々にも参加していただいて、目的が果たせるようにきちんとした管理方法を考える必要があります。
(以下に預かり金明細書を添付します)
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2012年5月27日日曜日
支援者から以下のお便りが届きました。明日は菅野弁護士・山本弁護士にお会いすることになっています。多くの支援者の期待とは一致しませんでしたが、裁判は結審して無期懲役刑が確定しましたので、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」も役割を終え、会計監査などやるべき残りのことを済ませて活動を停止することになる予定です。
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今晩は。先日は、メール有難うございました。〇〇県の支援者の方は、せっかく遠方から来られて差し入れ出来ずに、本当に残念でしたね。〇〇県〇〇市から、小菅の東京拘置所まで何時間もかかり、そちらから千葉刑務所まで一時間以上は掛かりますので、大変な一日だったと思います。東京拘置所に伺う前に、本山先生とお会い出来きましたのは、良かったですね。
お二人のお陰で、市橋達也さんの状況が分かりましたので、感謝しています。ありがとうございました。(本山:多くの支援者も本当にありがたいと思っていらっしゃる筈です。)刑務所に収監され、今はただ、環境や人間関係に慣れて、心穏やかに過ごせることを祈るばかりです。
5/28(月)に菅野弁護士さんと山本弁護士さんにお会いされる際に、どちらの刑務所に収監されているか訊ねて下さるとの事。よろしくお願い致します。収監先は、ご家族以外には通知されないと伺いましたので、ご両親には通知が届いているといいですね。
検査結果のお話で、気分のアップダウンについて載っていましたが、来月はお孫さんが来られるので、楽しい日々が過ごせますね。(本山:私の健康を心配して下さった支援者の優しいお気持ちに甘えて、年甲斐もなくつい弱みをお見せしてしまってお恥ずかしい次第です。)
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2012年5月26日土曜日
千葉県の九十九里浜は、名前の通り北は銚子の近くから南は一の宮海岸まで弧を描いた長い砂浜が続き、長年の努力で白砂青松の美しい松林が広がり、2008年まではヘリコプターによる薬剤散布によって松くい虫の被害から守られていました。それが中止に追い込まれてから松枯れ被害が急速に拡大し、今や昔の面影は見る影もなくなりました。昨日は、千葉県全体の航空写真を毎年撮っている会社に寄って、薬剤散布をしていた2007年1月に撮影した写真と、松がほとんど消滅した2012年3月に撮影した写真を入手してきました。この地域の生存環境は飛砂や潮風害や津波から無防備になってしまいました。これから松林をどうやって再生するのか、大変な課題です。
(写真はクリックすると拡大できます)
久し振りに江戸川堤防に行き、途中の景色を眺めながらゆっくり6Km 走ってきました。帰ってきてからシャワーを浴びて体重計に乗ってみたら、フルマラソンを走った1月末に比べて、4ケ月で約4Kg 増加していました。道理で体調が悪い筈です。明日からはもう少し真面目に運動をしなければと思っています。
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2012年5月25日金曜日
長年かかって植林・育成してきた新潟県胎内市の海岸の保安松林は、昨日のブログでも書きましたように、ヘリコプターによる薬剤(スミパインMC)散布を中止してから急激に松くい虫の被害でボロボロになってしまったようです。そのことに気がついて、今年からヘリコプターによる薬剤散布が再開されることになりました。枯れた松の伐倒駆除作業をしていた業者に話しかけたら、近くのある松林では両腕でも抱えきれないほどの幹回りの巨大な松が枯れたので伐倒したら、80才過ぎのおじいさんが、自分が子供の頃から遊んでいた幼馴染(おさななじみ)の友だちのような松(樹齢数百年?)だと言って悲しがっていたとのことでした。
胎内市の海岸の保安林に沿って走る国道113号の内側には日本海CCと中条GCという2つのゴルフ場があり、両方ともゴルフ場の周囲やコースとコースの間などにりっぱな松が多数植栽されています。私はゴルフはやらないのでよくはわかりませんが、見事に管理された芝と松の組み合わせはプレーをする上でも大事なことのようです。
両方のゴルフ場ともすぐ近くにタバコの畑があって、タバコ耕作者はJT(日本たばこ産業株式会社)と契約栽培をしているらしく、どんなに微量でもタバコの葉から薬剤(スミパインMCの有効成分のフェニトロチオン)が検出されたら買い取りを拒否される恐れがあるために、非常に神経質になっています。
今年は、海岸の保安林だけでなくゴルフ場の松林に対してもヘリコプターによる薬剤散布が行われる予定です。幸いこの辺りでは薬剤飛散による健康影響を過剰に不安視する周辺住民はいない(むしろ散布をして松林を守ることを要望している)ようですが、タバコ畑に薬剤が飛散するかどうかは地元の住民にとって大きな関心がありますので、再来週(6月3日~9日)に実施予定の私たちの現地調査の目的の一つにそのことも加えることにしました。
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2012年5月24日木曜日
胎内市役所近くのホテルで朝食後、胎内川の下方(南側)の笹口浜地内、中村浜地内、村松浜地内の薬剤散布予定松林を視察しました。多くの松林が松枯れの大被害で、まるで松の墓場のようでした。枯れた松にはマツノザイセンチュウが存在していて、マツノマダラカミキリが羽化脱出する時に体内に寄生して、マツノマダラカミキリ成虫が松の若い枝(当年枝と1年枝)をかじる時に松に侵入しますので、枯れた松は伐倒してチップにするか、焼却するか(許可されれば)、シートで覆って燻蒸(くんじょう)しなければなりません。シートで覆った松の伐倒木があまりにも多いので、墓場のような感じがしました。
胎内市と新発田(しばた)市の境に位置する海岸保安林には、中条(なかじょう)GCというゴルフ場が接していて、両方合わせるとかなりの散布面積になるということと、やはりタバコその他の畑が隣接しているということから、第2の飛散調査はこの辺りで行うことにしました。ゴルフ場のグリーンキーパーを訪ねたら、やはり先日新潟市で行われた研修会で私の講演を聞いた人で、松枯れ状況を親切に教えてくれました。ここでは、東西南北方向に4ケ所飛散の調査地点を選定しました。やはり、海岸保安林の有人ヘリコプターによる薬剤散布が中止になってから松枯れ被害が酷くなり、昨年2012年(平成23年)はなんとゴルフ場の松850本が枯れてしまったとのことでした。ゴルフ場にとって松林はなくてはならない大事な施設なので、今年からヘリコプターによるスミパインMC散布を再開するようです。
隣りの新発田市はヘリコプターによるスミパインMC散布を続けてきましたので、松枯れは最低限に抑えられていて、海岸沿いの国道113号を走ると市の境界から松林の状態が全く違うのがよくわかります。千葉県も含めて全国どこでも似たような状況ですが、保安林での松くい虫防除が不十分でマツノマダラカミキリ密度が異常に高まると、周辺地域に拡散して大被害をもたらしているようです。胎内市の場合は、新興宗教かどうかはわかりませんが、海岸の松林の中に巨大な親鸞聖人の像が立っていて、薬剤散布をさせなかったために周囲の松が松枯れで全滅し、そこが発生源となって次々と周囲に松枯れを伝搬し、被害を拡大していったようです。
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2012年5月23日水曜日
上越新幹線Maxときで朝10:38に新潟駅に着き、すぐレンタカーを借りて約40Km 離れた胎内市に向かいました。胎内市役所に11時40分に着いたので、すぐ松くい虫防除の担当者を訪ねて挨拶をし、それから有人ヘリコプターと無人ヘリコプターで色分けされている薬剤散布予定松林の地図を見ながら、今日は先ずは胎内川の上方(北側)を視察することにしました。
胎内大橋を渡ってすぐの荒井浜地内とその先の桃崎浜地内の保安林を回り、それから名門ゴルフ場と言われている日本海CCのグリーンキーパーを訪ねました。先日新潟市で行われた研修会に出席して私の講演を聞いた人でしたので、松枯れの状況を親切に説明してくれました。。2007年(平成19年)までは海岸保安林は有人ヘリコプターでスミパインMCが散布されていたのが、2008年(平成20年)からは中止になってからゴルフ場の方もだんだん松枯れ被害が酷くなり、昨年2012年(平成23年)はとうとうゴルフ場の松650本が枯れてしまったとのこと。近くの塩釜神社の松も多数枯れてしまい、地元住民からの神社の松を守ってほしいとの強い要望で、今年はゴルフ場内だけでなく神社の松にも薬剤散布をしてあげる予定とのことでした。神社に行ってみたら、確かに大きな松が何本も枯れて大変な状況でした。
それから、はまなすの丘と呼ばれる公園の近くのネギ畑、タバコ畑、大規模養鶏場、大規模養豚場などを視察しました。松林に守られて、その裏側(陸側)は延々と続く砂地でしたが、キャベツ、タバコ、チューリップなど、いろいろな作物の畑がありました。
飛散(気中濃度と落下量)を調査する地点を4ケ所、樹冠部上空で揮発濃度をモニタリングする地点を3ケ所選定しました。
同行した樹木医は林学出身だけあって詳しくて、今の時期に松の枝によく見られる当年枝、当年枝の下の方を取り囲むように付いている黄色の雄花、当年枝の先端に複数着いている紫色の雌花、雄花の花粉が雌花についてできる松の実(松ぼっくり)などについて説明してくれました。
松の木の根元を取り囲んだり、這い上がっている蔦(つた)ウルシはうっかり引っ張って汁が皮膚につくとかぶれることや、林床にたくさん自生していてやはり触るとかぶれる山ウルシの見分け方についても説明してくれました。
夜は胎内市内のホテルに一泊し、近くの居酒屋で軽くビールを呑んで、今日の総括や明日の予定などを話し合いながら夕食を食べました。
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2012年5月22日火曜日
支援者から以下のお便りが届きました。ご心配下さり、ありがとうございます。
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本山直樹先生。お久しぶりです。ブログ毎日拝見させて頂いてます。
先生、病院の検査結果が何事もなくて本当に良かったです。普段から大変お忙しい生活だとお察し致しますので今後もお体には充分お気をつけてお過ごし下さいね。
ところで昨夜のブログでは市橋さんは受刑生活に入られたご様子とのこと。ご連絡くださった支援者の方に感謝です。 もうそろそろ服役される刑務所に移動なのでは?と考えておりました。 どこの刑務所に行かれても几帳面で真面目な市橋さんのこと。日々の作業を黙々と頑張っておられることと思います。
少し話がズレますが、以前、市橋さんが先生の空手の本を、このままずっと持っていても構いませんか?。と聞かれた時から私はきっと市橋さんが自分一人でこれから頑張って行こうと決心されたんだと感じました。その際、市橋さんの傍に先生の本が在る事が心の支えになるのだと思いました。というのは、私の子供がお世話になった保育園の先生がおっしゃっていたお話ですが、一人で子供が頑張って生きる為には心の支えになる品物が必要だという事です。この保育園では手作りのリュックサックが入園に必要な条件でした。それは親と離れている時間、子供達はお母さんが用意された手作りのリュックサックが心の支えになるのですと。寂しい時、ツラい時はそのリュックを見たり触ったりする事で気持ちを落ち着かせる事ができるのだと。きっとこれから何年もの長い間、先生の本は市橋さんを助け支えていくのだと思いました。(本山:市橋君に差し入れた空手の本には、私が20代の学生時代に読みながら強く印象を受けたところに線を引いたり、感想をメモとして手書きで書き込んだところがあります。市橋君がずっと手元に置いておきたいと言った時には気がつきませんでしたが、今考えてみれば、私の形見のつもりだったのかもしれません。)
その後の私は、子離れ出来ない母親のようにひたすら市橋さんがお元気で頑張って生きていけるよう祈りの日々です。これからも私は私に出来る事を考えながら支援していきたいと思います。
先生、どうかお元気でいてください。必要以上にご無理なさらず先生のペースで頑張ってください。遠くからですが、今後のご健康とご活躍を心からお祈りしております。(本山:私の年齢になっても、人間は誰でもそうであるように、短いタイムスパン、長いタイムスパンでの気分のアップダウンはあります。昨日の女子学生の就職活動の手助けのように、良い結果が得られた時は嬉しくて、全てが楽しく思えます。その逆もあって、日常経験するほんのちょっとしたことで気分が落ち込んで暗くなることもよくあります。もう少し長いタイムスパンでは、毎日何かに追われてそれに対応するだけの生活が続くと、イライラしてまるで自分の人生を生きていないような気分になって、そこから脱出したくなります。そんな時に古巣のノースカロライナ州を訪ねてアメリカ人の友人たちと手帳の要らない、つまり決められたスケジュールに束縛されない楽しい時間を過ごすと、自分自身を取戻し、再び人生が楽しくて仕方がなくなります。年の功でしょうか、ある程度は感情をコントロールできるようになっていますのでご心配なく。)
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明日は朝早く家を出て、一泊二日で新潟県に向かいます。現地でレンタカーを借りて同行する樹木医と一緒に海岸の保安林を回って、6月に行うヘリコプターで松林に散布される薬剤の飛散調査の事前準備をしてきます。
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2012年5月21日月曜日
血液検査の結果でも、エコー(超音波)検査の結果でも、何の異常もないと言われました。単に運動不足と、このところの慢性的寝不足と加齢で疲れやすく、私が以前に比べて元気がでない気がするだけのようです。いつもこういう時は夏休みにしばらくアメリカに行って生活してくると元気が回復してきますが、今年はいろいろの用事がありますので、出かけられるとしても9月の末から10月頃になりそうです。
病院での診察後、急いで北千住駅に行き、遠方からこられたお二人の支援者とお会いし、駅前のレストランで30分くらいお話をする時間がとれました。その後私は、東京農業大学の女子学生と待ち合わせた場所に移動し、一緒に特急電車に乗って栃木県足利市の食品会社の見学に行きました。
支援者からは夕方メールでの連絡が届き、東京拘置所に差し入れに行ったら市橋君はもういないと言われ、その後千葉刑務所に行ったら市橋君はそこにもいないと言われたとのことです。従って、市橋君はすでにどこかの刑務所に移されて、受刑生活を始めているということがわかりました。わざわざ遠くから新幹線で来られたお二人の支援者は、差し入れができなくてどんなにかがっかりされたことと想像しますが、お蔭様で市橋君がどこかで受刑生活を始めたという事実が判明しましたので、感謝したいと思います。
足利駅には、専務取締役をしている千葉大学園芸学部の古い卒業生が待っていてくれ、車で市内の名所を2、3ケ所回った後で、株式会社カザミ http://www.kazami.co.jp/company.html につれていってくれました。卒業生のお兄さんにあたる社長が応対して下さり、会社の簡単な歴史、現在のビジネス、夢を熱く語って下さり、女子学生が就職を希望するなら大歓迎するとの印象を受けました。
次に、工場長が工場内を親切に案内してくれましたが、確か20数年前に私が一度見学に来た時(その当時は昔風の醤油製造会社)とは大違いで、近代的な工場に変身して製造品目も各種たれの類を中心に多品目OEM(Original Equipment Manaufacturer 相手先ブランド製造)生産をしていました。コンピューター制御される製造機械のラインが多数設置され、製品が自動的にどんどん製造されていました。感心したのは、衛生管理が徹底していて、工場内に立ち入るのに白い作業着に着替えて、さらに粘着ローラーを帽子・衣服全体にかけました。手は石鹸で洗浄して爪の間もブラシで洗浄し、さらに殺菌灯の下にかざしました。
女子学生は醸造学科で勉強しているので、実際の工場を見て目を丸くして、これはまさしく自分の興味とピッタリ一致しているので、こんなところで働きたいという感想を述べていました。
後は、会社が採用条件を含む正式の書類を作成して彼女に郵送し、彼女がそれを検討して前向きの返事を送れば採用決定となりそうです。社長や専務が彼女の人柄、専門知識、積極性、将来性などを見抜いて評価してくれたことが大きいと思いますが、相思相愛のような結果になって、私も一日使って仲介の世話をした甲斐がありました。
その後、市内の山の中にあるCOCO FARM & WINERY(ココ・ファーム・ワイナリー)http://iine-japan.f-navigation.jp/socialaward/pickup/pickup_article02.htm に行き、斜面のブドウ畑を眺めながらワインとサンドイッチをご馳走になりました。ここは、特殊学級の子供たちがワイナリーで働いているとのことでした。大人や社会がそういう子供たちに働く場と機会を提供しているというのは、素晴らしいと思いました。私たちは、ハンディキャップを背負った子供たちや社会的弱者に対して、共に生きる優しさを持った社会でありたいものです。
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2012年5月20日日曜日
空は少し曇っていましたけど、いつものように準備運動と筋力トレーニングをして江戸川に走りに行きました。今日は葛飾橋を東京都金町側に渡って、水元(みずもと)公園の中をゆっくり2時間走ったり歩いたりしてきました。日曜の午後でしたので、広場の木の下で家族連れでピクニックをしていたり、小合溜(こあいだまり)で釣り糸を垂れていたり、大勢の人が公園を訪れていました。大きな木の下が雪が降ったみたいに白くなっていたので近寄って見たら、カロリナポプラという木の綿毛でした。そういえば、いつだったか札幌でも大きなポプラの木から白い綿毛がまるで粉雪のように飛んでいたのを思い出しました。途中の住宅の庭にはきれいなバラが咲いていました。
明日は午前中に病院に行って、午後からは東京農業大学の女子学生と一緒に北千住駅から東武伊勢崎線の特急電車に乗って栃木県足利市の食品会社を訪ねる予定です。その間に時間がとれれば、遠くから来られる支援者とちょっとだけでもお会いすることになるかもしれません。
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2012年5月19日土曜日
支援者からお便りが届きました。ありがとうございました。
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今晩は。お久しぶりです。毎日ブログ拝見しています。先日のブログで、食料品売場で声を掛けられた方が、市橋達也さんのベビーシッターをされていたお話は驚きました。凄い偶然の出会いですね。
樹月カイン氏にお手紙出されたそうですね。市橋達也さんとは違って全く面識がない方ですので、支援や協力等をされる場合は、ある程度(遠方なので無理ですが)面会や手紙のやり取りをされた上でないと難しい気がします。お考えになられて、どのようなお返事をされましたでしょうか?(本山:現在の仕組みでは本当の意味で受刑者の更生になっていないという重い問題提起もされていますので、再度手紙を差し上げて本人の了解が得られましたら、樹月カイン氏からいただいたお手紙を本ブログに紹介したいと思っています。)
週刊文春の記者から取材も受けられ、又お会いされるとの事。市橋達也さんの事件の真相は、世間の関心があると思いますが、現状では記事にするのは難しいですね。今後も彼が事件の真相を語ることはないような気もします。
裁判も結審しましたので、嫌がらせもなくなるかと思っていましたが、まだ続いているのですね。支援の会に対しての不服や批判なら、徐々に減るかと思います。ただ未だに続いているのは、質が違い、まだ続く可能性もあります。
痛くもかゆくもないとは言え、本山先生も被害は受けていますし、ご家族や大学にも迷惑が掛かっていますので、本日(5月18日)のブログに載っていましたように、警察に相談された方がいいと思います。(本山:そのつもりです。)
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本間氏のお話からも、家族以外の手紙が届くかは刑務所により異なるようですが、届く場合もあることが分かって良かったです。市橋達也さんの真意は分かりませんが、彼の気持ちも察して、今後の支援を考え行きたいと思います。
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今日もよい天気でしたので、江戸川堤防を途中あちこち止まって写真を撮りながら、2時間かけて8Km くらい走ってきました。橋を渡っていつもと反対側の堤防を走ったら、いつもと違う景色が目に入って新発見がたくさんありました。
先日、研究室で使う小型の電気掃除機を買うためにホームセンターに寄った時に園芸資材のコーナーを覗いてみたら、家庭菜園にも害虫が発生する季節ですので、農薬登録のない木酢(もくさく)液やニームオイルのスプレーなどが、法律違反スレスレの宣伝(殺虫効果を謳えば違反になる)文句でたくさん売っていました。いわゆる健康食品やダイエット食品にも、時々医薬品相当の成分が入っていることが発見されて問題になりますが、植物保護資材でも無農薬栽培に使われる天然物由来と称する資材に農薬が混入されていることがあります。私たちは1993年に「夢草(ムソー)」という植物抽出液の有効成分について分析し、実際にはシペルメトリンという合成ピレスロイド系殺虫剤が混入されていることを明らかにし、それは1994年に新聞報道されました。この資材を販売してボロ儲けをしていた自然派ネットワークという団体は、「新夢草」に切り換えましたが、そこにもジフルベンズーロンという昆虫成長抑制効果のある合成殺虫剤が混入されていました。同様の事例は次々と見つかり、「碧露(ヘキロ)」には同じくシペルメトリンが、切り換えた「NEW碧露」乳剤タイプには水質汚濁性農薬のロテノンが、スプレータイプにはピレトリンが、クララという自生植物の抽出液と称した「アグリクール」にはアバメクチンという毒物相当の殺虫剤が混入されていました。
これらの資材はかえって健康にも環境にも危険ですので、家庭菜園で病害虫の発生でお困りの方は、必ず農薬登録のある資材(ラベルの端に必ず農水省農薬登録番号が記載されています)を選んで、ラベル表示してある使用基準を遵守(じゅんしゅ)して使うことをお奨めします。その方が安全で、防除効果も確実で、かつ経済的ですので、「天然」や「自然」や「有機」をセールスポイントにしたもっともらしい宣伝の文句に騙されませんように。
(写真はクリックすると拡大できます)
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2012年5月18日金曜日
支援者からお便りが届いています。ありがとうございました。
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ブログで先生が褒めて下さいましたが、市橋君への手紙はまだ返送されてきていないので、本人が読んでくれてると嬉しい想像をしています。以前本人が受け取りを拒否した手紙は、返送か破棄される、と書かれてありましたよね。刑務所は税金で運営されてるし、東京拘置所だけで、3000人もの受刑者がいるのですから、経費削減されるのは仕方ないです。だから、「市橋君本人に届かない場合は、これで返送してください」と返信用封筒を同封したのです。この方法でまた、書きます!。
先生、再検査の結果も心配ですね。相当のストレスがあると思いますし、どうか、ご自愛ください。(本山:21日に検査結果がでますが、私は心配していません。1月末のマラソンの後、運動量が急激に減ったせいか、体重も増加し、ちょっと以前ほど元気がでなくなったので念のために受診しました。)
裁判は終わって、市橋君は無期懲役刑に服しているにも関わらず、まだ先生に嫌がらせをしてくる人って、なんでしょうね。メールも全部証拠物件として、保存しておいた方が良いですね。そのうち「警察に言って、メールの送信先を調べてもらいます」と言ってあげたらいかがでしょう。でも、さらに上の手を使って、嫌がらせをしてくるかしら。[本山:ストーカーは相手が反応することで自分の主張や存在が認められたと錯覚して自己満足している病的な人間だと思いますが、最近の流行の言葉で言えば、私にとっては痛くもかゆくもありません。ただ、無関係の第3者にまで迷惑をかけたり経済的被害を与えているのは犯罪行為で看過(かんか)できません。今までの迷惑メールも迷惑Faxも迷惑電話記録も全て保存してありますので、大学宛に届いた分も含めて近いうちに全部プリントアウトして警察に提出して、犯人(病人?)を特定してもらうつもりです。]
先日偶然に会われた清掃の方が、市橋君のおしめも換えた程の方だったなんて、すごい偶然でしたね。事件直後に何かで読んだのですが、彼は小学校の時はクラスの人気者で、頭が良くて、面白くて、皆彼を好きだったと。小学校、中学校、高校の担任教師とか、きっとご自分の立場を考えれば行動には表せないにしても、多くの方が市橋君のことを心配していらっしゃると思います。
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先生、ご無沙汰しております、〇〇の〇〇〇〇です。
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2審の判決のショックからなかなか立ち直れません。何度か市橋君に上告をすすめる手紙を書き、電報も打ちましたが、今となっては上告しなかった市橋君が正しかったと思います。自分の犯してしまった罪と真正面から向き合い、償って行こうとしている市橋君の姿勢にある意味教えられた気がします。今は一人で懸命に向き合っているなか、静かに見守ってあげたいとおもいます。(本山:そういう発想は素晴らしいですね。)
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今日は天気も良かったので、九十九里浜の蓮沼海浜公園の松林の状況を視察に行ってきました。千葉県でヘリコプターによる薬剤散布を中止して以来、松くい虫の被害で松枯れが激発した場所の一つですが、昨年枯れた被害木は今年の発生源になるので、今年の発生時期が近づいてきた今どういう処理がされているか見てみたかったからです。残念ながら、展望台の正面辺りの海岸の最前線の松林は全滅に近い状態で、伐倒された松の丸太や枝葉の処分はまだ完了していなくて、林内に放置されていました。松枯れは伝染病と同じですから、こんな中途半端な対応をしているのでは松枯れを終息できなくて当然だなという印象を受けました。
林道沿いの小さな水路に、自生(?)しているあやめ(菖蒲)の黄色い花が咲いていました。黄色いあやめは、品種改良される前の昔の品種だと聞いたことがあります。紫の花のもありましたが、両方とも最近の品種改良された派手な大きな花と違って、素朴というか清楚(せいそ)な美しさがあるような気がしました。(写真はクリックすると拡大できます)
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2012年5月17日木曜日
「林業と薬剤」という雑誌の6月号用に依頼されていた原稿のゲラ刷りが届きましたので、すぐ校正をして返送しました。「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響」の3報目ですが、今回は少しテーマを変え、「マツノマダラカミキリ成虫に対するスミパインECとMCの作用経路」という副題をつけて、薬剤がどのように松くい虫の体内に取り込まれて作用を発揮するかについて、私たちの研究結果に基づいて、従来考えられていたのとは違うということを解説しました。
海岸の保安林としての松林には、最前線に位置するクロマツ低木林とその裏側(陸側)に位置するクロマツ高木林がありますが、いずれも無人ヘリコプターを用いることで効果的に、経済的に、かつ安全(飛散が少ない)に薬剤散布ができます。
松くい虫の発生時期と散布する薬剤の残効性を考慮して1年に1回~2回散布をすれば、松枯れ被害を最小限に抑えて松林を守ることができます。
クロマツ高木林への薬剤散布
今日は、時間的に江戸川堤防を6Km だけしか走れませんでしたが、昨日東京農業大学のグランドで見た陸上部の駅伝部員の走り方を真似して走ったせいか、あるいは単なる気のせいか、いつもより快調に走れました。
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2012年5月16日水曜日
私は東京農業大学には今は週に2回くらいしか行かないのですが、事務室に寄らないことも多いので、郵便物をチェックするのが遅くなってしまいます。今日は久し振りに寄ってみましたら4月22日からの郵便物がたくさん溜まっていました。その中のひとつを開いて見たら、愛知県在住の女性からの直筆のお手紙で、市橋君に諦めずに上告をするように伝えてほしいという内容でした。
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私も他の支援者の方々と同様、市橋君はうそをついていないと確信しています。そしてこれから本格的に始まる長い受刑生活、できる限り心穏やかに前向きに生き続けて欲しいと願っています。その為にもあきらめたり、余計な心配をしないで、与えられたチャンスを全て生かして、違うことは違うと言い続けて欲しいのです。一番苦しいのは市橋君だということはわかっていますが、「どうしようもない・・・」なんて言わないで、真実を訴え続けて欲しいのです。
支援者の方々は、誰一人市橋君に頼まれた訳でなく、皆さん同じ思いで市橋君を見守っているのだと思います。だから、あきらめないで・・・とお伝え下さい。
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この方は、住所も電話番号もきちんと書いてありましたので、早速電話をし、返事が遅れたことの失礼をお詫びするとともに、その後の市橋君の状況についてお話をしました。そういえば、以前大学の事務から、この方から私宛の手紙を送りたいがという打診があったという電話があり、私は自宅は公表していないが、大学宛に送ってもらえれば受け取ることは構いませんと答えたことを思い出しました。
市橋君の適正な裁判を支援する会の募金は3月10日までで締め切り、3月13日にゆうちょ銀行から全額を払い出して菅野弁護士にお届けしました。その後ブログの記事を見損なったと思われるお一人の支援者から3月29日に22回目の振り込みがされました。今日の午前中にゆうちょ銀行に寄って募金終了後に振り込まれた支援金を払い出して、振り込んで下さった支援者に礼状を添えて現金書留便で返却しました。何回にもわたるご支援をありがとうございました。
午後、来週の月曜に栃木県足利市の食品会社を一緒に訪問する予定の醸造学科の女子学生が私の研究室を訪ねてきて、東武伊勢崎線に乗る北千住駅での待ち合わせ場所を確認しました。正式の就職面接ではないけど(求人自体が発表されていないので)、卒業論文でどういう研究をやっているか、それはどういう意義があるのかなど訊かれる筈だから、ちゃんと答えられるようにしておくようにと助言をしたら、私に言われる前にちゃんとファイルを持参していて準備をしていると言っていました。こういう積極性のある学生は、会社の担当者も素質をすぐ見抜いて高く評価する筈です。
彼女に模擬質問でもして、練習を兼ねて受け答えの能力を試してみようかと思っていた時に、以前月刊「文藝春秋」の編集部におられて市橋君の問題について取材に来られた記者(今は「週刊文春」の編集部に移動になっていました)と約束した時間になり、時間通りに訪ねて来られました。直接指導した学生でもないのに、私が就職の世話をしているのを見て、私は基本的に学生の面倒をよくみる性格と思われたようです。週刊誌だと取材できる時間が短いので深く掘り下げた記事を書くのは難しいのではないですかと訊いたら、それには直接には答えずに、月刊誌は取材した記事の締め切りが月に1回だったのが、週刊誌に移ってそれが月に4回になりましたと言っていました。つまり、ゴシップ記事が多い週刊誌だからといって記事の質を落とす必要はないという編集部員としての心構えを主張したかったのかなと思いました。
前回の取材の時に宿題だった、市橋君は何故あんな判断力の欠如した馬鹿な行動に走ったのか、その真相を記録に残したい(出版したい?)という申し出でをされました。すでに裁判は終わりましたので、判決に影響するという心配はないのですが、肝心の市橋君自身がまだ冷静に語れる状態ではないのではと思います。それに、市橋君自身が誰にも知られずに受刑生活をしようと覚悟を決めているのだとしたら、事件の真相を語りたいかどうか彼の気持ちを確かめることすらできないというのが現実です。
この記者はなかなか慎重で、28日に私が菅野弁護士、山本弁護士とお会いした後に、もう一度訪ねてきたいとのことでした。
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2012年5月15日火曜日
ストーカー行為で迷惑をこうむっている方々への注意: 私たちの支援活動の趣旨を全く理解せず(勝手に誤解して)、自分の顔を隠して私に嫌がらせ行為をしている人は、ネット中毒で自分に注目してほしい人か、病的な人か、振り込め詐欺の一種ではないかと思いますが、いずれも人に迷惑をかける犯罪行為です。電話もメールもあの手この手の嫌がらせ方法を考え出してやってきますが、この間までは、私の携帯電話番号を女性の名前で出会い系サイトに公表していました。最近は私の名前で意味不明の文書を返信不可能に設定した携帯メールから無関係の人達に送りつけているようです。受け取った人(これもストーカー本人の自作自演かもしれませんが)から私に苦情のメールが送られてきています。
月刊「文藝春秋」2011年12月号に掲載された<性犯罪者獄中からの手紙「私は再犯してしまう」>の著者樹月(きづき)カイン氏から4月25日付けのお手紙をいただいて、ずいぶん時間が経ちました。どう対応していいか迷っていたことと、市橋君のことで精一杯で受刑者全般の問題に取り組む気持ちの余裕がないことと、本業の研究の方でも時間に追われていることなどが重なって、そのままになっていましたが、今日は落ち着いて机に向かう時間がとれましたので、長い返事を差し上げました。
弁護団が事件のあったマンションの現場視察をされた時に、私が市橋君のご両親から鍵をお借りしてお渡ししましたが、もう裁判は終わりましたのでそれを受け取ってご両親にお返ししなければなりません。また、そろそろ弁護団に提供した支援金の使途報告書をいただいて、支援者の皆様に報告しなければなりません。菅野弁護士の事務所に伺う日程調整をお願いしましたら、28日(月)に山本弁護士も一緒にお会いできることになりました。私が市橋君の件で弁護団とお会いするのは、特別何かがない限りこれが最後になるかもしれません。
今日は雨が降っていましたので外を走るのは止めて、道場の床の一部だけ雑巾がけをして、久し振りに空手着に着替えて空手の稽古をしました。パワーもスピードもなくなりましたが、突きや蹴りや受けの基本の稽古をして、巻き藁を突いたり、サンドバッグを蹴ったりしました。気分は爽快でした。少し集中的にやれば、昔の自信をすぐ取り戻せそうな気がしましたが、体力そのものが低下していますので、頭の中だけの錯覚でしょう。
来週23日~24日は一泊二日で新潟県に行きます。6月にヘリコプターで海岸の松林にヘリコプターで薬剤散布が行われる時に周辺環境への飛散調査をする予定ですが、その下見が目的です。新幹線Maxときで新潟駅に行き、レンタカーを借りて胎内市に移動し、散布予定の松林を回って大気を捕集する調査地点などを決めてきます。最近はよく一緒に調査に行く樹木医も同行してくれる予定です。今日は新幹線の乗車券・特急券、宿泊するホテルの手配をしました。
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2012年5月14日月曜日
午後からは、腎臓透析と3回の脳梗塞で長期入院している元同僚・友人をお見舞いに行きました。受付で面会票に記入していたら、ちょうど奥様も面会に来られて偶然一緒になりました。人間は3年も寝ているとだんだん心身が弱ってきて、私が話しかけてもただ天井を見ているだけでほとんど反応がない状態でした。今日は天気も良かったので、看護師さん・介護士さんに頼んで車椅子に座らせてもらって、私が車椅子を押して中庭に出ました。外の風が心地よく頬に当って、緑の木々や花壇や小さな野菜畑(患者さんがリハビリを兼ねてサツマイモを植えて水やりをしていました)を眺めました。垣根の隙間からは、敷地の外の田植えをしたばかりの水田と畔に咲いているあやめの花も見えました。奥様と私とでいろいろ話しかけている中に、友人の血色がよくなり、目が生き生きと輝いてきて、少しだけでしたが会話の応答ができるようになりました。ベッドの上で、一日中ただ目をつぶっているか天井を見つめているだけだと、人間は自然に衰弱してしまうけど、外の新鮮な空気を吸って、風邪を頬で感じて、緑の植物を眺めて、話をかけられれば、それが刺激になって生き生きとしてきたのは信じられないような変化でした。カメラを持参したので、生き生きした表情の友人と奥様と並んだ写真を撮ってきました。
奥様も、お見舞いに来て会話ができずに帰る時は疲れがどっと出るけれど、今日のように主人と会話ができた時は嬉しくて幸せな気持ちで帰れますとおっしゃっていました。
栃木県足利市の食品会社は、来週月曜日に東京農業大学の醸造学科の女子学生と一緒に訪ねることになりました。私が直接指導した学生ではありませんが、就職難の時代ですので大変喜んでいました。専務取締役の元学生も喜んでくれて、市内の見学や会食もアレンジしてくれているようです。お見合いを世話する仲人のようなものですが、学生にとっても、会社にとっても、お互いによい出会いになればいいなと思っています。
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2012年5月13日日曜日
支援者から以下のお便りが届きました。今のところ、市橋君宛に手紙を郵送されている支援者のどなたからも手紙が届かなくなったという連絡はありませんので、市橋君はまだ東京拘置所にいて受刑生活をしているものと思われます。
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いつも先生のご活躍をブログで拝読し、嬉しく思います。周りの方々は、先生が市橋君の支援活動をなさっていることを認めた上で接していらっしゃることはなお嬉しいです。(本山:私は今まで誰に対しても市橋君に適正な裁判を受けさせる支援活動をしていることを正々堂々と話をしてきましたが、元学生に対して元教師としてやるべきことをやっていることを尊敬こそされ、非難されたことは一度もありません。私たちは正しいことをしているという信念がぶれることはありません。)
私は以前からサスペンス2時間ドラマが好きで、片っ端から観る勢いです。海外ものもアガサクリスティやポアロやコロンボなどをBSで観るので、録画したものを見るのもたまっていきます。市橋君を支援するようになってからは、さらに観方が真剣(?)になりました。
火曜サスペンスや土曜サスペンスは結構筋が凝ってるし、現実に則しよく研究されているんです。
今日(5月12日)見たサスペンスの中で出てきた裁判は、裁判員裁判でしたから、最近の設定だといえます。。石で頭部を殴って殺した犯人に懲役13年が下り、弁護士などが「重すぎる!あまりにも厳しい判決だ。控訴すべきです」という場面が出てきました。色々複雑な内容の脚本で、被告に情状すべき点があるのですが、本人が殺意を認め、一審で偽証したにも関わらず、求刑15年に対し、懲役13年の判決となったのです。私は一人テレビに向かって、ブツブツ言ってしまいました。「15年なんて短いわよ。殺意は無かったと言ってるにも関わらず、無期の人もいるのよね」と。
先日市橋君へのお手紙を小菅に送りましたが、まだ返送されてきていません。「本人に届けられない場合は、これで返送ください」と返信用封筒(切手付き)を同封しました。(本山:大変親切なよいアイデアですね。)
天候が不順です。先生、ご自愛ください。
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アメリカの空手の弟子・友人のBill 君にFrank 君の様子を訊く留守電を入れておいたら、今朝向こうから電話がありました。やはり軽い心臓発作(心筋梗塞)で、鼠蹊(そけい)部の血管から冠動脈の狭くなって血流が悪くなった部分に細い管(ステント)を入れる手術をしたのだそうです。歩くことはできていたそうですが、血流が制限されたことで心臓がどこまでダメージを受けたか不明なので、しばらくはリハビリテーションをして徐々に体を元に戻していく措置が必要なようです。Frank 君もBill 君も年齢的には私の弟くらいですが、二人とも小さい時から父親なしで育ったので、精神的には空手で厳しい指導をした私を父親のように思ってくれています。
東京農業大学醸造学科の就職活動をしている女子学生(栃木県出身)の履歴書を、昔から知っている千葉大学の卒業生が専務取締役をしている栃木県足利市のある食品会社に送って求人はありますかと打診しておいたら、先ずは一度見学に来て下さいと前向きの返事がきました。弓道二段、少林寺拳法三段の活発明朗な学生で、武道をしているだけに礼儀正しく、履歴書や私への手紙の書き方から判断して人間的にも申し分ないしっかりした学生ですので、私も自信をもって推薦できます。近々日程調整をして、私も一緒に見学に行くことにしました。
五月晴れの清々しい空の下の江戸川堤防・河川敷を8Km 走ってきました。日曜日ということもあって、散歩をしている人や自転車に乗っている人がたくさんいて、河川敷では小学生の野球チームが3組試合をしていました。先日の大雨で河川敷にまで氾濫(はんらん)した水はすっかり引いて、江戸川に沿って流れるふれあい松戸川と命名された人工的な水路も通常の水位に戻っていました。枯れた葦(あし)の間からは新しい葦がどんどん伸びてきていました。
園芸学部構内の百周年記念ホールの前の大木もすっかり緑の葉をつけて、輝いていました。
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2012年5月12日土曜日
あるテレビ番組制作会社の知人から久し振りの電話がありました。TBSテレビの明日5月13日(日)の夕方6:30-7:00 の「夢の扉」という番組で、彼が取材した番組が放送されるので観てほしいとのこと。http://tv.yahoo.co.jp/program/55891054/
ネットで調べてみたら、「工事災害を防げ! コンクリート不要の斜面補強技術 ~樹木を切らずに日本の里山を守る男~」という番組で、従来のように斜面の木を切ってコンクリートで固めて地崩れを防ぐのではない方法を開発して、里山の安全と景観の両方を守っている技術者を追跡した内容のようです。
島根県の出雲大社の裏の北山山系では、ヘリコプターによる薬剤散布が2008年の「目のかゆみ訴え」事件以来中止に追い込まれた結果、松くい虫の被害が蔓延して松枯れが大発生し、地元住民が地滑りで住宅地が飲み込まれる恐怖にさらされていることを思い出しました。枯れた松の根は地面を保持する力が弱くなり、大雨で水を吸った斜面は崩壊して流れ下る土砂が麓に位置する住宅を押しつぶす危険性があるからです。
今回の番組で紹介しているのは、松枯れのように根が枯れた木が林立している斜面を補強する技術ではないようですが、応用ができないかどうか興味がありますので、明日は番組を観てみようと思っています。
昨年の3.11大地震に伴う大津波で、岩手県陸前高田市で1本だけ生き残った松は「奇跡の一本松」と呼ばれて注目を集めました。何とか生き続けさせようといろいろな努力がされたにもかかわらず結局枯れてしまいましたが、枯れる前に子孫を残す努力がされました。昨日2012年5月11日の朝日新聞夕刊には、福島県相馬市の松川浦で1本だけ生き残った松を「希望の松」と呼んで地元の漁師らが保全を要望しているという記事が載っていました。私たちは、動物でも植物でも、困難な環境や境遇に耐えて生き残ろうとする生命に感動を覚えるのでしょう。
今日は江戸川堤防を景色を眺めながらゆっくり6Km 走ってきました。花の季節は過ぎて、すっかり新緑が溢れる季節になりました。遠くから見ると、千葉大学園芸学部がある戸定ケ丘の西側の斜面の林には、落葉広葉樹の間に大きなクロマツの樹が3本立っているように見えましたが、今日ジョギングの帰りに林の中に寄り道して数えてみたら、実際には5本ありました。
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2012年5月11日金曜日
以下のお便りが届きました。市橋君のその後の様子がわからないので、多くのの方々が彼が無事に受刑生活に入っていることを祈っておられるものと想像します。
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今日で市橋さんの判決から1ヶ月が経ちました。早いです。受刑生活で毎日の同じ繰り返しでも更生して前向きになってくれたらいいんですが、つらいことがあると思いますが、先生や支援者の方々が居ることを忘れないで欲しいです。
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今日は東京農業大学総合研究所の研究会農薬部会の幹事会、総会、特別講演がありました。研究会発足以来、部会長として長年会を運営し発展させてこられた山本 出先生がご高齢(84才)を理由に勇退され、私が後継の部会長に指名されました。若輩(じゃくはい)の私には荷が重い職責ですが、幸い山本先生は幹事には留まって下さるとのことですので、2名の副会長と14名の幹事の助けを借りて、何とか役を務めようと思っています。
特別講演は、関澤 純博士(元国立医薬品食品衛生研究所・元徳島大学)の「食品経由の健康リスクとリスクマネジメントの関係-化学物質、微生物・放射線の違いを考える」と題したお話がありました。食品汚染を化学物質汚染、微生物汚染、放射性汚染に分け、各々のリスクの特徴と管理について解説されました。専門家として1年に全国で30回以上も講演をされているそうですが、放射性汚染のリスクの話を福島県で実際に暴露を受けつつある人々の前でする時は緊張されたとのことでした。
食品残留農薬の場合もそうですが、基準値を超える残留濃度が検出された場合は、食べると危険と見なされてその食品は回収・廃棄されます。しかし、実際にはその食品を1回食べても危険ということではなく、基準値というのは安全と危険の分岐点ではない、規制の目安という意味だという指摘には納得しました。
アメリカの友人Frank 君とは電話で話ができました。こちらからかけた時は留守でしたので伝言を残しておいたら、奥さんと二人で向こうからかかってきました。やはり、職場で胸に締め付けられるような痛みを感じたので病院に行ったら、心臓発作(心筋梗塞)だったので入院となったようです。今は退院して自宅に帰り、重い荷物を持たなければよいということで、月曜日からは出勤して軽い事務的な仕事から始めるとのことでした。先ずは元気そうでひと安心です。?
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2012年5月10日木曜日
朝9時51分に新潟駅に着いたら、新潟県庁農林水産部治山課に勤務している千葉大学園芸学部環境緑地学科の古い卒業生(1984年卒)が迎えにきてくれていました。学生時代に私の講義を受講した一人で、話をしている中に当時の様子を思い出しました。雨の中を車で海岸の松林の様子を見に行きましたが、予想していた以上に松枯れは酷い状況でした。この卒業生は、学生時代は緑地保全学という研究室を専攻していましたが、卒業して30年近く経って、こうして地方の県庁で活躍しているのを見て嬉しく思いました。
県庁内の食堂で昼食を済ませ、研修会場の新潟県トラック会館に行きました。参加者は県や市町村の松林保全の関係者が中心で60名ちょっとくらいで、先ず新潟大学で森林生態学が専門の紙谷智彦(かみたにともひこ)教授(副学長)の「新潟海岸保安林におけるクロマツ林の現状と管理指針について」と題した素晴らしい講演がありました。デジタル空中写真を利用して、近赤外波長域からNDVI(Normalized Difference Vegetation Index 植生指数)を算出して、クロマツの状態(健全、変色、枯れ)を識別するという方法で、角田浜、越前浜等、各地の松林が生態学的に現在どういう状況になっているかについて示されました。その上で、林相を最前線クロマツ低木林(犠牲林帯)、クロマツ高木林(安定帯)、クロマツ広葉樹混交林(遷移進行帯)に区分し、それぞれの特徴とどのように管理するかについて解説されました。私にとっては自分の専門とは全く異なる分野で、大変興味深く、勉強になりました。
紙谷先生はその後、大学で講義があるからと退席され、休憩をはさんで私が「松枯れ防止における農薬の役割-効果、経済性、安全性について」と題した講演をしました。参加者は、私たちの長年にわたる現場での調査研究の結果に裏打ちされた話に熱心に耳をそばだててくれたと感じました。
6月初旬に有人ヘリコプターと無人ヘリコプターで薬剤散布が予定されている新潟県胎内市の職員も来ておられたので、私たちがその機会に計画している飛散調査について打ち合わせができました。今月中下旬に現地を下見して、さらに具体的な調査計画を立てる予定です。
新潟駅近くの料理屋で、県庁の担当者等6名と私で料金自己負担制で有意義な情報交換会をし、自宅に着いたのは夜の10時を過ぎていました。情報交換会参加者は、私が市橋君の適正な裁判を支援する活動をしていることを知っていました。多分ネットで検索したのでしょう。
今日は、私にとっては、一仕事済んだという気分です。
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2012年5月9日水曜日
アメリカの友人Margie さんから、1969年以来の空手の弟子・友人のFrank 君が心臓発作(心筋梗塞)で入院したことを知らせるメールが届きました。今週月曜に胸に痛みの症状があったのか、勤務している会社から自分で車を運転して病院に行って、そのまま入院したとのこと。見舞いに行った共通の友人Bill 君からの電話では、幸いFrank 君は大事に至らなかったようで水曜には退院してしばらく自宅で療養することになるそうです。日本とノースカロライナ州とは時差が11時間ありますので、彼が退院してから電話をしようと思います。Bill 君もFrank 君も、すでに冠動脈ステントと呼ばれる血管を広げて血流を確保する管を血管に入れているようです。60代後半になると、日本でもアメリカでも健康管理が重要な仕事になります。
今日は、講演でスライドを見せながらどういう説明をするか、要点メモを作りました。これで準備万端(ばんたん)できました。「松枯れ防止における農薬散布の役割-効果、経済性、安全性について」という演題です。私たちの今までの研究結果が、新潟県の大切な海岸松林の保全に役立てば幸いです。あいにく新潟は明日は曇りのち雨の天気予報ですが、朝早い新幹線Max ときに乗って新潟駅に行き、午前中は新潟県庁の人の案内で日本海の松林の状況を視察します。午後の講演後、夕方県職員の方々と会食をし、新幹線で夜までには松戸に帰ってくる予定です。
(写真はクリックすると拡大できます)
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2012年5月8日火曜日
文藝春秋の記者から、市橋君の裁判は終わりましたが取材に来たいとのことでしたので、来週の水曜にお会いすることにしました。それぞれの事件には、表にはでない背景があるのでしょうから、興味本位の芸能ニュースと違って、それをどこまで掘り下げて社会に伝えられるかで、ジャーナリズムの真価が問われるのでしょう。
今日もほぼ一日中明後日10日(木)の新潟県での講演の準備をしました。やっとパワーポイントスライドの作成が終わりました。配布資料として印刷する都合上明日の昼までに到着するようにと言われていましたので、ちょっと前に宅ファイル便で主催者世話人宛に送信しました。70分という私に割り当てられた時間にしては枚数が多過ぎますが、写真や文献は参考資料として載せただけで説明の時間は不要ですので、何とか時間内に収めることができると思います。いつもそうですが、講演ではこれもあれも話したいと欲張り過ぎるのが私の悪い癖です。
江戸川堤防を8Km ゆっくり景色を眺めながら走ってきました。木々の葉の緑が一日一日濃くなって、たくましく見えるようになりました。暦の上では立夏を過ぎたとは言え、風薫るというのは初夏の季語でしょうからまだ少し早いかもしれませんが、人間の子供で言えば、小学生から中学生、高校生へと育ってだんだんたくましくなっていくのを見るようです。
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2012年5月7日月曜日
松くい虫防除に関する研究を一緒にやっている岐阜県立森林文化アカデミー客員教授の名大大学院時代の同窓生・友人が、東京で明日予定されている会議に出席するために岐阜県から上京した機会に、大学に寄ってくれました。今年実施予定の研究について研究討議の後、駅の近くの居酒屋で一杯やって楽しいひと時を過ごしました。話をすると、あれもやりたい、これもやりたいと、面白い研究テーマが次々に浮かんできます。しかし、お互いにすでに定年退職して、自分の研究室も研究員・専攻学生もいない立場ですので、やれることとやれないことを区別して、テーマを絞ることで一致しました。
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2012年5月6日日曜日
今日は今週木曜10日の新潟での講演の準備をしました。駅まで行って新潟までの往復の乗車券と特急券を買ってきた以外は、ほとんど一日中机に向かってパソコンでのスライド作成に追われました。本当は江戸川堤防を走ってくるか、道場で稽古をして思いっきり汗をかきたかったけど、我慢しました。
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2012年5月5日土曜日
支援者から届いたお便りです。
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嫌がらせのメールは、反応を楽しみに送り、それが相手にされないので、過激な内容になっている気がします。秋葉原無差別殺人事件の被告人は、ネットで知り合った友達に「かまってちゃん」と呼ばれていたそうです。相手にされなかったり無視されると、ムカついたり、いじけたりする感情をそのまま相手に伝えられずに、ネットやメールで違う表現方法として、相手を困らせたり脅したりしているのだと思います。本来ならお互いに会って話し合ったり、例え言葉がなくても気持ちが通じます。そのコミュニケーションが、苦手や面倒などで避けてネットにハマり、犯罪やそれに近いことをしているのにも気付かないまま、現実と架空の世界の区別がつかなくなっている気がします。(本山:その通りだと思います。自分の顔を出してまともなコミュニケーションができないので、ネット上のバーチャルな世界で独りよがりの書き込みをして自己満足している気の毒な人たちだと思います。本当は、直接人と向き合って話をしたり、野外に出て体を動かせば、もっと違った本当の世界が見えてくるのですが・・。)
5/2(水)のブログで、本間氏からお答え頂き、参考になりました。ありがとうございました。ご連絡される機会がございましたら、お礼をお伝え下さい。私はこの先ずっと(何年先でも)焦らずに、市橋達也さんを遠くから見守っています。間接的でも、私が出来ることを考えて行きたいと思います。
本日空いた時間に、新宿西口で開催されています矯正展に伺いました。家具やテーブルなどの展示販売や、革靴やノート、小物等の販売しています。今回は家具の展示が多く殆どが『協賛業者製品』と書かれていました。又、説明文が貼られて『刑務所作業製品』は受刑者が関与した製品で『協賛業者製品』は、受刑者が関与していない、もしくは一部関与した製品だそうです。いつもと雰囲気が違いましたので確認しましたら、受刑者が関与していない製品も『刑務所作業製品』として展示販売し問題になったそうです。樹月カインさんのお返事は決められましたでしょうか?支援に関わるとなれば、そう簡単には決められないですね。
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私は、市橋君があの支援者リストも捨ててしまったのではないか、とか、また絶食していないかしらとか、心配になってしまいます。でも、面会のたびに本山先生の問いかけに対し、「はい、元気です」「ほしいものはありません」「必要なものはありません」「ここの食事で大丈夫です」「毎日同じ作業でも平気です」と言ってた、頼もしい独立心のある市橋君を想像し、「彼なら大丈夫」と私自身にも言い聞かせています。
そして、本当に、長い受刑期間の中で、規則が何らかの形で変わり、外に出られる時があるかもしれない、と密かに期待もしています。だって、昔はやくざの親分で何人も人を殺めてるのに、出所してきて、子分に「お勤め、ご苦労様でした。おかえりなさい」という状態だったのですよね?退職している新聞記者の人も、知識が間違ってるか、「無期懲役っていっても、15年くらいで出てくるよ」と言っていました。今はとにかく、無期は一生塀の中で過ごすのかもしれないけど、受刑者によっては特例とかで出てこれる時が訪れるかもしれない、と希望を持ちたいと思います。
今後も市橋君に何度もお手紙かはがきを書いてみます。拒否されても、返送されても、何度も書いてみます。彼自身が断ってるのか、刑務所自体が破棄してるかわからないから、とにかく、何度も送ります。刑務所の人に「この受刑者は親も誰も面会にこないし、本人が外部との接触を絶ってるけど、支援者がいる」という意識付けをしたい、と思うのです。他の母親のような気持ちの支援者の方も、そうなさるのではないかしら。市橋君が本山先生に連絡を取ってくる時が来ることを願いつつ。
私は、そのうち刑務所への慰問演奏をしたいです。知人の演奏家はどこだったかにボランティア演奏に行ってますが・・・希望者が結構多いらしいです。私じゃ無理かも・・・・ですが。(本山:いいですね。たとえ1年に1回でも、刑務所で本物の音楽を聴く機会があれば、受刑者に感動を与え、更生に大変プラスになるのではないでしょうか。)
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今日は久し振りに五月(さつき)晴れらしい、気持のいい天気になりましたので、昔よく農薬の生態影響調査に通っていた大網白里町と山田町(現香取市山田区)にドライブし、水田の景色を見に行きました。ほとんどの水田は弱々しい稲の苗が田植えされたばかりで、人間で言えば産まれたばかりの赤ちゃんのようでした。これがしばらくすると、たくましい濃い緑色に生長し、風が吹くと緑のカーペットのように波打つようになります。筍(たけのこ)は放射能汚染のせいか収穫されず、文字通り竹の子になってどんどん竹になっていました。山田町仁良(にら)地区の橘堰(たちばなぜき)の上空にはたくさんの鯉のぼりが元気に泳いでいて、水田ではアオサギが餌を見つけていました。山田町の近くの府馬(ふま)には、オオクス(実際にはタブノキ)と呼ばれる巨木があり、樹齢1300年~1500年、根回り約27.5m、幹回り12mと看板に説明されていました。それに比べるとわずか100年足らずの人間の寿命の短さを感じさせられます。一方で、その分だけ私たちは短い人生だからこそ悔いを残さないように、しっかり生きなければという気持ちになります。(写真はクリックすると拡大できます。)
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2012年4月30日月曜日
今日は雲り空で駅伝には絶好の日和(ひより)でした。7人で42.195Kmを走る駅伝でしたが、私は無理をしないようにと自分に言い聞かせて、8.195Km区間を自己計測では50分で走りました。約6分/Kmのペースですから、昔だったら準備運動のジョギング程度のスローペースですが、今の私の体調ではこれでも精一杯で満足でした。私と同じチームで二区(3Km区間)を走った名誉教授の先生(元同僚・友人)は76才で、歩くのとほとんど変わらないような走りしかできず小学生の小さい子供にも追い抜かれて悔しかったと言っていましたが、大会プログラムをさっと見たところ最高齢の参加者のようでした。それぞれの体調に応じてベストを尽くせば、達成感が得られますので、市民参加のスポーツイベントとしてはそれでいいのだと思います。
一番早いチームは2時間20分くらいでゴールインしていましたが、中にはぬいぐるみを着たり、仮装をしたり、小学生の子供を加えたチームやダウン症らしい少年を加えたチームもあって、楽しい一日でした。ただ、気の毒だったのはあまりにも参加者が多く、タスキの受け渡し地点での次走者の待っている場所が混雑し、必死に走ってきたのにタスキを渡す次走者が見つからずに5~10分くらいウロウロしている人が少なからずいたことです。練習量や自分の実力以上に早く走り過ぎて、ゴール直前でフラフラして倒れた人や、熱中症(?)で倒れて救急車で運ばれた人も数人いました。
レース終了後には、多くのチームが鶴見川沿いの河川敷にブルーシートを広げて、それぞれのグループ毎に懇親会をやっていました。千葉大学走友会もビールとおつまみで楽しいひと時を過ごしました。
これで、冬になるまで、私の今年のマラソン・駅伝のシーズンは終わりです。
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2012年4月29日日曜日
支援者からお便りが届いています。土日・祝日は面会できませんが、5月1日(火)と2日(水)は連休の谷間で、市橋君がどこかの刑務所で受刑生活に入る前に面会できる最後の機会でしょうから、私は5月1日(火)にもう一度面会に行ってみようと思っています。
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本山先生へ 小菅までご苦労様でした。先生には代表で何度も足を運んでいただき、ありがとうございました。私も、25日の夜中0時に「この直前に決心を変えてるかもしれない」と、秒針が動くのをながめました。そして今は食欲がなくなるほど、心が重いです。
二審の後は、彼の心は急速に人間社会への虚無感絶望感があったのではないでしょうか。
何が誠意、何が反省、何が悔恨かわからないまま、「お前は黙っておとなしく無期を受け入れればいいんだよ!」という、究極のパワハラに押しつぶされてる感じでした。同時に、もう考えることもメンドッチイというか、罪人が集まる場所で暮らすことの方が楽なのではないかと、ポジティブに考え、人間社会のわけわからない尺度に振り回されることから解放されるべく、自ら線を引いたのではないかと思いました。
そう彼の想いを想像しつつ、私自身は、この裁判を通じて、人間が人間を裁く恐ろしさを感じました。一審の裁判員裁判の不公平性は、二審のプロによる裁判で調整されるかと思いきや、同じ日に来日した英国首相への配慮とも思える、全く一審と変わらない判決理由と判決には、驚きました。私は社会の改革を訴える活動家や左派でもありませんが、こんなことがあってはいけないと、心から憤慨しています。
昨日の新聞一面トップ記事に「刑事事件の被告に不利な裁判になりやすいとの批判を受け、裁判官と検察官の交流を38年ぶりに廃止した」とありました。こんな交流人事が行われていたことさえ、一般人は知りませんでしたが、人を死刑だ、無期懲役だと裁く現場で、このような低レベルな人間的感情が交錯していた可能性があるなんて、一体どういうことかと怒りがおさまりません。38年間でどんな判決が下されていたのか・・・仲良しクラブの運営じゃないのです!
市橋君の事件も、初めに取り逃がした警察の失態からはじまり、イギリスからの圧力で懸賞金も税金で出した訳ですから、イギリス五輪を控え友好的外交ムードの中で、彼の罪そのもの以外の理由で、彼を「極悪人」として処理するのが、司法、政治にとって必要だったのかと思わずにはいられません。だから、あのように「土下座はパフォーマンス」とか「手記を出して反省がない」とか無理やりの理由が出てきたのだと思えば、納得できます。今となっては、市橋君の無期懲役刑という内容が、30年間くらいの中で、また見直され、場合によっては、仮出所が認められたりする変革がなされることを祈るのみです。
これまで選挙の時に同時に行われる「最高裁裁判長」の信任の可否は、何も考えず「〇」をつけていましたが、今後は慎重に考えます。
すみません。ぼやきました。市橋君、また私達支援者のことを思い出してくれる時が訪れると信じます。
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本山直樹先生。明日は横浜駅伝大会ですね。先生、頑張ってきてくださいね。ご無理なさらず先生のペースで襷(たすき)をゴールまで運んであげてください。色々と大変お忙しい中で走り込みも思うように出来なかったと思います。
市橋さんの事では先生にご足労とお手数をおかけしてしまい申し訳ありません。日々ブログの更新もして頂き本当に有難い想いでした。これからの事は市橋さんのご様子をみながらご連絡をとらせて頂ければと思います。遠くから日々、先生や市橋さんがお元気でおられますよう祈っています。
こちらもハナミズキが綺麗に咲いています。ハナミズキの花言葉は【返礼】です。何だか今の状況で考えると、とても感慨深い心境になります。
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市橋さんは上告を断念したとのこと。人は何処にいても自分磨きはできますから、今後は市橋さんにしかできない生き方を模索し成長して欲しいです。人は皆、回りの人達に生かされているということに気づいて欲しいです。人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し・・・(徳川家康の人生訓)とあるように、誰にとっても生きるということはけして楽なことではないのだということに気づいて欲しいです。そして、苦しい思いや悲しい思いを乗り越えられる心が持てますように。
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アメリカ在住の孫娘は昨日が7才の誕生日でした。時差があるので、今日(向こうの時間で昨日の夕方7時頃)電話をしてHappy Birthday!(お誕生日おめでとう!)と言ってやりました。向こうでは誕生日のお祝いによくやることですが、学校の仲良しの友達8人が遊びに来てくれていました。昼間は皆で陶芸教室を訪ねて粘土をこねてお皿や茶碗や壺を作って遊び、夕方は家で母親が作ってくれる料理やケーキを食べて、夜は居間のカーペットに布団を敷いて皆でおしゃべりをしながら並んで寝ます。7才の女の子たちが親元から離れて自由になった気分でおしゃべりし合う様子を想像するだけで微笑(ほほえ)ましくなります。親どうしも了解の上ですが、子供たちにとってはお互いの家に泊まりに行って存分に遊べるのは楽しみのようです。自分の家とは違う他の家の習慣などに接して勉強にもなるので、こういう習慣ができたのかもしれません。
東京農業大学のメールは回復したようです。
明日は朝7時半頃家を出て、鶴見川沿いで行われる横浜駅伝(662チームが参加予定だそうです)に参加して、千葉大学Bチームのアンカー区間(8.195Km)を年齢相応に練習量相応に、無理をせず仲間と楽しく走ってきます。
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2012年4月28日土曜日
私が1978年(昭和53年)にアメリカから日本に帰国して、千葉大学に勤務して最初に私の研究室を専攻してくれた元学生が4月20日に60才で会社を定年退職した機会に、親しかった仲間が母校に集まってお祝いの会をしました。私を含めて6人でしたが、昔はほっそりした体型だったのに年齢相応に(私自身も含めて)貫禄がついた人もいました。娘さんが今年千葉大学園芸学部に入学したという人もいました。午後1時から3時までの予定でしたが、話に花が咲いて、終わったのは4時でした。次回は、今年定年退職した人が自給自足の生活をするために福島県浪江町(放射能汚染で立ち入り制限区域になった)に購入した農場で再会しようと言い交して解散しました。
教え子たちとの楽しい時間を過ごした後、ビールとワインの酔いを醒(さ)ますために、一人で大学周辺をブラブラ散歩をしました。いろいろな花が目に留まって、春真っ盛りでした。ピンクのハナミズキもありました。小さい子供がいるのでしょうか、鯉のぼりの泳いでいる家もありました。
皆が集まる前に、江戸川堤防を6Km 走って、汗をビッショリかきました。今日は東京農業大学のメールは停止中ですので、支援者からのお便りは一つも届きませんでした。(その後aolの方のアドレスに1件だけ届きました。)
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今晩は。本日のブログ拝見致しました。お花の写真きれいですね。市橋達也さんの支援を始めてから、彼の様子や裁判の状況をその都度ご報告して頂きましたので、今後は今までと状況が変わり、淋しく感じます。又これから長い年月、刑務所に収監される彼の気持ちを考えると、とても辛くやるせない思いです。
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本山先生は、GW中もお忙しそうで、明後日は横浜駅伝ですね。応援しています。頑張って下さい。市橋達也さんの真意は分かり兼ねますが、もう面会に伺うご予定はございませんでしょうか?GW中も、5/1(火)2(水)は受付しているようです。(本山:どうしようか迷っています。)
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2012年4月27日金曜日
雨の中を綾瀬駅から傘をさして、この道を通るのもこれが最後になるかもしれないと思いつつ、歩いて東京拘置所に向かいました。私の気持ちを反映してか、足取りは重く感じました。高層マンションが並んでいる横の道沿いにはツツジが植栽してあり、白やピンクや赤の他に紫色の花のもありました。多分オオムラサキという品種だろうと想像しました。千葉大学園芸学部の学生寮の前の斜面にもオオムラサキが一面に植栽されていて、毎年大きな美しい花をたくさん咲かせます。マンションの庭には白い清楚(せいそ)な感じの花が咲いているハナミズキの木が何本もありました。市橋君に会ったら、園芸学部のオオムラサキを覚えているか、今はハナミズキの白い花がきれいだよ、と言ってあげようと思っていました。
面会の申し込み窓口に申請書を書いて出す時は、もしかしたらこの被面会者はもう刑が確定して受刑者になったので面会はできませんと言われるかもという不安がよぎりました。刑務官は申請書に書かれた名前をパソコンで照合して確認してから面会許可書(整理票)を発行します。許可書を渡されたので、まだ面会はできるのだと思って待合室の電光掲示板に私の番号が出てくるのを待っていたら、しばらくして、〇〇番の人は窓口に来て下さいというアナウンスが流れました。行ってみたら、「他に予定がありますのでお断りして下さい」という伝言を伝えられました。私が、市橋君がそう言ったのですかと訊いたら、そうですと言われました。一瞬どういう意味かなと迷いましたが、わかりましたと答えて、拘置所を後にして元来た道を駅に向かいました。帰りの足取りはさらに重く感じました。
「他に予定がありますので」というのはどういう意味だろうと考えました。上告を断念して刑を受け入れたので、今後はもう誰とも会いたくないという意味だろうか。それなら、「これからは自分一人で罪を償う生活をするのでもうお会いしません」とでも言うのではないか、と思いました。直接そう言うのは失礼と思って「他に予定がありますので」と婉曲(えんきょく)に言ったのだろうか。それとも、元支援者でその後は個人的に熱心に支援をして、市橋君も面会を受け入れていた方が一人おられるので、この方から手紙で今日は面会に行くからと予約が入っていたのかもしれないと思いました。面会は1日に1回しか認められませんので。あるいは、裁判が終わったのでご両親が面会に来られる予定を市橋君に速達ででも知らせたのだろうか、とも思いました。
どれが事実なのかはわかりませんが、もし市橋君がこれからは自分一人で罪を償う生活をする覚悟を決めてもう誰にも会いたくないということだったら、それはそれで尊重してあげなければとも思います。もし、上記の2番目か3番目の想像が当たっていれば、手紙ででもその旨を知らせてくれるかもしれません。特に、前回私が郵送で差し入れた私からの添え状(4月24日付け)にも、私は今後とも市橋君との面会を続けたいという意志を明記しましたので。
こういうことを考えると、今のところこのまま様子を見るしかないようです。
支援者から以下のお便りが届いています。
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本山先生こんばんは、市橋さんの決心は変わらなかったのですね...
支援者の方も言われてますが、私も市橋さんはこの先、刑務所の人以外誰とも関わらないのでは...と、心配しています。
市橋さんのご両親も、リンゼイさんのご遺族への配慮から市橋さんに会わないという気持ちを崩すことはないようですし...
でも本山先生との繋がりは自分から断たないで欲しいです。
それと、会わないというのは市橋さんご家族の決めたことなのでしょうが、市橋さんには年に一回くらいは、家族のルールを破ってご両親に元気ですかと、お手紙を書いて欲しいです。
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本山先生 お疲れ様です。夜遅く、書き込みをしてしまい申し訳ございません。残念です。でも、予感はありました。けっしてそうではないのに、結果、撥ねつけられてしまい、失意のどん底だったでしょう。市橋さんも毎日一人ぼっちの部屋で壁と向き合って消えそうになる自分の影と一緒に悩みぬいて、苦しみぬいて出した結果なのだと思います。彼のその出した心の声を十分に受け止めてあげたいと思います。市橋さんのご両親も、きっと、その決心が、それが一番あなたらしいと思ったのではないでしょうか。会わずとも、子を見守る気持ちは千の言葉を言うより強かったことと思います。また、子として、理解することもできたのではないでしょうか。また、支援者の皆様にも甘えては申し訳ないという最後の気持ちを知ってもらいたかったとともに心からのありがとうという気持ちも伝えたかったと思います。
本山先生、今後、見守ること以外に何かできる事があるときは言ってください。ずっと、今後も支援者です。面会の時があったら、伝えてください。
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本山先生、-----明日市橋君と面会するそうですが、ぜひ市橋君の思いを聞いてきてください。本山先生しか心を許せる人はいないと思うので・・・。私が良かれと思って支援した事が、市橋君にかなりの負担をかけてしまったのではないかと気に病んでおります。
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働いた事の無かった市橋君が逃亡中に過酷な仕事をやり遂げたのですから、刑務所に入っても何とかやっていけるのではないでしょうか。余りにも能天気な考えかも知れませんが「住めば都」という言葉もあります。贖罪の気持ちを持ちながら作業に従事してほしいです。
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市橋君も最初は慣れない仕事に戸惑うでしょう。でも慣れれば苦にならなくなるはずです。市橋君がどの刑務所に行くかわかりませんが、長期の刑務所と言う事で外では職人が行なう仕事をやるのでしょう。例えば千葉刑務所の場合、神輿(みこし)や桐タンス、紳士靴を作っています。地下鉄サリン事件でサリンを散布した林郁夫受刑者はサッシを作っているそうです。(読売新聞に以前載っていました)
私が市橋君に言いたいのは、罪を犯した事実は変えられないのだから、刑務所の中でこれからの生き方考え方をどのようにするのかが一番大事だと感じます。罪の意識を持って懲役生活?を送るか、ただ惰性で送るかでは全く違うと思うのです。
受刑者の中には「やられた方が悪い、外に出たらまたやる」と開き直っている者もいるでしょう。市橋君はそんな人ではないと信じています。
本山先生、もし面会できるのであれば様々な支援者の思いを伝えてほしいのです。決して市橋君のことを見捨てていないのだと。
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本山先生こんにちは、小菅まで本当にお疲れ様でした、先ほどブログ拝見しました。市橋さんの伝言の真意は今はまだわかりませんが、本当に予定があったんだと思いたいのですが... 想像ですが、自分の思いやこれからのことは少し落ち着いて(収監されて)から、先生にお手紙を書かれるのかもしれませんね。私はこれからも、市橋さんが心身ともに元気で、いつの日かご両親との再会が許されますようにと祈ってます。
先生が支援する会を立ち上げられたおかげで適正な裁判の為の支援はもちろん、支援者の皆さんの声を聞けたり、市橋さんの様子を知ることが出来ました。本山先生には感謝の気持ちでいっぱいです、本当にありがとうございました。これからも先生のブログは拝見させて頂きますので、もし市橋さんからお便りがありましたらブログで知らせて頂けるとありがたいです。では、お体に気を付けてこれからもお仕事にトレーニング(マラソン)頑張って下さい。
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もうこの言葉しか出てこない、残念で残念で仕方ありません。彼は死ぬことばかりしか考えられなくなっているのかもしれない。身柄を拘束され連行途中のあの姿のように身も心も疲れ果て、そう思うと可哀想で、可哀想で傍にいてあげれたら。。。どうにもならないことが辛く悲しい。実は14日の書き込みを読んだときはとてもショックで、理性をなくしたような強姦のシーンやアザが残る力で女性に手をあげたなんて。と、暫く私自身も支援を続けて行くことを悩みましたが、それでも無期の判決は重すぎる、彼は逃亡したことにより過ちを反省し得たのではないかと、以前と変わらない考えに落ち着いたのです。だから上告してくれることばかりを心の底から届けと訴えていたのに、とてもとても残念で悲しい。逢いたい、逢って話がしたい、聴いてあげたい、一緒に泣いてあげたい。
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今晩は。本日のブログ拝見し、とても残念でした。朝日新聞の記者の方からは、ご連絡ございましたでしょうか?私も再度、東京高裁(東京地裁)に電話で確認をしました。家族や記者でなくても教えて頂けました。やはり上告の意思表示は届いていないそうです。これから届く場合もあるか確認しましたが、もう期限も過ぎているので、一般的に上告されないと判断されるようです。
本日の面会の件と上告の確認をして、市橋達也さんの裁判と『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』も(支援金の振込は終了してますが)終わったと感じ、悲しくなりました。「他に予定がありますので」の真意は分かりませんが、もし上告期限を境に受刑に向け、一人で生きて行く決意をしたと彼の気持ちを察し、もうそっとしてあげた方がいいと思ったり、他の方と面会予定があった為、断らざる得なかったのでしたら、心残りな状態になりますので(本山先生のお考えやご都合にもよりますが)もう一度面会に伺われた方がいいのかと考えたりもしました。以前ブログで、被害者遺族から被害賠償の民事訴訟を起こす可能性もあるとの事でしたので、その場合の弁護士費用も気になります。いつか支援金の残金について弁護士さんとお話される時に、伺えましたら、お願い致します。(本山:わかりました。その点については、支援金の使用内訳の報告をいただく時に弁護団に確認します。)
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東京農業大学では、4月28日(土)7:00-29日(日)23:00の期間は停電のためメールが停止するそうです。この期間に私宛に送信されたメールは返送される可能性があるとのことですので、ご注意下さい。なお、私の個人的なaolの方のメールは使えますので、必要な方にはアドレスをお教えしますので今夜中にお知らせ下さい。明日はブログの記事の更新もできないかもしれません。
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2012年4月26日木曜日
メディアは小沢一郎氏の無罪判決のニュース一色ですが、支援者の方々は市橋君が上告の意思表示をしたかどうか気になっている筈です。菅野弁護士と山本弁護士に電話をしてお話を伺いました。結論としては、現時点ではまだわからないということです。山本弁護士が今週の月曜23日に接見に行った時は、上告しても判決が変わる可能性は小さい(ない)ということで、市橋君は上告しませんと言い、長い間ありがとうございましたとお礼を言ったそうです。その翌日24日に私が面会に行って、市橋君が信頼している大学時代の友人の伝言を読み上げて差し入れもしましたので、それで気持ちが変わったかどうかがわからないところです。もし上告期限の昨夜の12時直前に上告の意思表示をしていれば、今日それが裁判所(多分、東京高裁)に届けられる筈です。裁判所は、市橋君に私撰弁護士を使うか国選弁護士を使うか問い合わせる紹介状を送るのだそうです。裁判所の方から今まで弁護を担当してくれた弁護団に上告の意思表示を受理したかどうかの連絡は来ないし、裁判所が自ら社会に公表することもないのだそうです。ただ、市橋君の家族(ご両親)が裁判所に問い合わせるか、メディアの代表幹事(記者クラブの中で月替わりで決まっているようです)が問い合わせれば上告の意思表示を受理したかどうかは開示してくれるとのことです。
夕方、先日私に取材に来られた朝日新聞千葉支局の記者から電話があり、上告しなかったので刑が確定と書けるかとの問い合わせがありました。たまたま朝日新聞が今は代表幹事らしく、昨日の午後裁判所に問い合わせた時はまだ上告の意思表示は届いていないとの答えだったそうです。しかし、昨夜の12時までは上告の意思表示をする可能性がありますので、一昨日(24日)私が面会した時の市橋君の表情からは99.9%上告はしないという印象でしたが、100%確定とは言い切れません。
私は明日の朝大学に行く途中で東京拘置所に寄って、市橋君に面会して上告の意思表示をしたかどうか直接確認してきます。朝日新聞の記者にも、明日裁判所に問い合わせて私より先に確認ができたら電話で知らせて下さいとお願いしておきました。
今、昨日電話取材のあった毎日新聞の記者からも電話があって、本日同社の記者が東京高裁に問い合わせたら上告の意思表示は届いていないという返事だったので明日の朝刊に刑が確定の記事を書きますとのことでしたが、私は、拘置所から裁判所にその書類は直接持参されるのか郵送されるのかということと、確認は今夕5時以降だったのかの質問をしました。それによって、昨夜の12時直前に市橋君が上告の意思表示をしていてもまだ届いていない可能性もあるからです。毎日新聞の記者は親切に今から私の質問についてチェックをして、電話で知らせてくれるとのことです。(上告がされなかったことが100%確認され次第、このブログで追加して報告します。→10:28pmに電話があり、上告意思表示書が持参されるのか郵送されるのかはわからなかったけど、書類が届いていないのを確認したのは今日の夕方だったとのことでした。従って、上告がされなかったことは非常に確率が高い情報のようです。そのために毎日新聞は支援者が知らせて下さった下記のネットニュースで上告断念の記事を配信したのでしょう。いずれにしても、私は明日の朝市橋君に面会に行ってきます。)
菅野弁護士からは、上告しなくて刑が確定しましたら、弁護団に提供した支援金の使途についていずれ会計報告がいただけるとのことでした。もし残金があれば、大勢の支援者に返却することは現実的ではありませんので、千葉県弁護士会に寄付をして取り調べの段階から弁護士をつける制度をサポートする目的で使っていただくことを考えていますとお伝えしておきました。
支援者と支援希望者から以下のお便りが届いています。
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本山先生へ こんにちは、お久しぶりです。〇〇の〇〇〇です(本山:この方は2011年8月から今年の3月まで6回も支援金を振り込んで下さった方です)。以前にもメール差し上げたことがあります。先生毎日のブログ、更新ありがとうございます。ここのところ、毎日市橋君の気持ちが、変わりますようにと、毎日祈っていました。もう一度 チャレンジする気持ちになってくれたらと・・・・祈っていました。どうして、裁判官の方は、市橋君の行動を(本の出版のことも含め)、謝罪の気持ちと見てもらえないのでしょう。本当に残念です! リンゼイさんの命を奪ってしまってことは、本当に許されないことなのは、私も充分わかっていますが。どうして、やり直しができる青年に、未来と、チャンスをあげないのでしょう。
市橋君のこれからの毎日を思うと、どうにも言えない気持ちになります。季節も、月日も、社会とのつながりも、感じられなくなってしまうような毎日を、過ごしていくことが、刑に服するということなんでしょうか? 市橋君のことをきっかけに考えさせられました。
さて、これは私の希望ですが・・・ これからも 市橋君が先生を通して支援をしてきた方たちと、つながっていくことができ、受刑生活の救いに少しでもなれたらと、切に思います。
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市橋達也さんの事件番号や担当刑事部も分かりますので、東京地裁に確認をしてみました。郵送や東京拘置所からの通知が、まだ届いていない場合もあるので、確認した時点では、上告の申し出はないとの事でした。本日、報道されなかった場合、明日も確認してみます。
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以前一度差し入れの件でメールさせて頂きました、〇〇と申します。市橋さんの上告の件どうなったでしょうか? 先生のブログに毎日新聞の千葉県版の小さな記事になると書いてあったのを拝見しました。私は〇〇県〇〇〇市在住なので、今朝、小さくても記事になっていればと思い新聞を見ましたが、やはりどこにも載っておらず、ニュースにもなっていないので... (本山:私も毎日新聞千葉県版を買ってみましたが、記事にはなっていませんでした。今日のブログに今私にわかっていることを報告しました。)
もし市橋さんが上告するなら、初めての支援金を送ろうと思いメールさせて頂きました。
お忙しいと思いますが、ブログを更新される時に書いて頂けますと幸いです。
上告しなくても、判決を受け止めるにも市橋さんを陰ながら見守り、支援に協力したいと思います。
先生、こちらは今日雨で肌寒いです。そちらも雨でしょうか?風邪などひかない様にお身体に気をつけて下さい。
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本山先生、どうやら市橋君は上告しないそうですね。ネットニュースで知りました。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120426-00000058-mai-soci
市橋君の選んだ事だからそれを尊重しようと思います。ニュースを知った時、私は冷静な気持ちで受け止める事が出来ました。誰が説得しても市橋君の性格上気持ちを覆すのは無理だったでしょう。でも・・・。
以前本山先生のブログに書かれていたように、全てを閉ざしてしまって誰とも面会しない、手紙をやり取りしない、というのではあまりにも悲しすぎます。市橋君は私達支援者が重荷だったのでしょうか? せめて本山先生だけには心を開いてほしいと思っています。
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新潟県の依頼で、私は5月10日には新潟市に行って講演をすることになっていますが、6月にヘリコプターで松林に散布される薬剤の飛散調査もする予定です。その計画書概要が仕上がったので、今朝メールに添付して関係者に送信しました。江戸川堤防を今日も14Km 走ってきましたが、途中強風が吹いて雨が降り始めました。
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2012年4月25日水曜日
支援者から以下のお便りが届きました。市橋君が上告の意思表示をしてくれるかどうか、そしてその後のことについても、多くの支援者が固唾(かたず)を呑(の)んで注視しているのだと思います。
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先生、市橋さんへの差し入れや面会、本当にお疲れさまでした。そして何よりも市橋さんへの温かい気持ちや想いがひしひしと感じられるお話やお手紙に涙がでました。後は市橋さんご自身にお任せするしかないのですね・・・。
先生、私も市橋さんにお手紙を出しました。たぶん今日25日にお手元に届くと思います先生を更生に必要な面会人として申請していただきたいとお願いしました。市橋さんには市橋さんのお考えが有るのでしょうが、本山先生をはじめ私や支援者の方々は、これまでずっと変わらず支援してきましたので、今後お元気でおられるかどうかは本当に心配で気がかりなので、折にふれ先生にだけはご連絡いただけませんか、と書きました。
私は毎日市橋さんがこれからもお元気でいてくださるよう祈る事しか出来ませんが、私に出来る支援として続けていくつもりです。又先生ともご縁があり今の状況があると考えていますので、今後とも時折ご連絡をとらせて頂けたら有難いです。どうか宜しくお願い致します。(本山:私もこの支援する会の活動を通して全国のいろいろな方と交流ができ、人生の勉強になりました。こちらこそこれからも宜しくお願い致します。)
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おはようございます。昨日(4月23日)のブログ拝見致しました。市橋達也さんの大学時代のご友人からメッセージ頂けたのですね。良かったです。彼の心に届き、考え直される事を祈っています。
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本間氏のお話では、書類手続き等の一週間程は未決囚の扱いで、そして刑が確定し収監される刑務所が決まるまでの間は、東京拘置所で既決囚として作業も行うと仰ってましたので、未決囚としての扱いはGW明け頃までかと思っています。(本山:確信はありませんが、上告を断念しても、1週間くらいの間は差し入れや手紙の郵送が許されるということのようです。)
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本日(4月24日)は終日ご予定があると伺っていましたが、朝一番で面会されるとの事で、ありがとうございます。最後に決めるのは市橋達也さん自身ですが、ご友人のメッセージや本山先生、支援者の思いをお伝え頂きたいと思います。よろしくお願い致します。
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先生こんばんは、ご無沙汰をしております。先生の昨日のブログ拝見しました。(ブログは毎日拝見させていただいてます) 市橋さんの上告の件で私の気持ちは、支援者の方々のお気持ちと変わりません。これからも支援を続けて行かせていただきたいと切に願っております。
先生が市橋さんに渡された写真のお話、故郷には帰れない・・・。涙が止まりませんでした。でもそれは自分の犯した罪ですので仕方の無い事ですが。先生もお忙しい中いつもありがとうございます。
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さっき(今夕)、毎日新聞千葉支局の記者から電話での取材がありました。事件は千葉県で起こったので、明日の毎日新聞の千葉県版に小さい記事として掲載予定とのことでした。メディアは裁判所に問い合わせて上告がされたかどうか確認するのでしょう。市橋君が上告の意思表示をできるのは、今夜の真夜中12時までだそうです。私は何故か今夕5時くらいまでかと勝手に思い込んでいました。昨日私が面会した時の市橋君には、上告せずに判決を受け入れる覚悟は変わらないような雰囲気を感じましたが、悔いが残らないように最後の瞬間までよく考えて決断してほしいと思っています。
第5回環太平洋農薬科学会議(5th Pan Pacific Conference on Pesiticide Science) http://www.2012iupac.com/english/index.jsp
は本年9月15日~20日に中国の北京で開催予定ですが、私は"Pesticide fate, exposure, modeling in the air"(大気中農薬の運命、暴露、モデリング)というセッションで"Possible exposure and health effect of airial pesticides sprayed by helicopters over pine forests"(松林にヘリコプターで散布された大気中農薬への暴露と健康影響の可能性)という演題で招待講演をすることになりました。マツノマダラカミキリ(いわゆる松くい虫)が媒介するマツノザイセンチュウによる松枯れ(マツ材線虫病)は中国にも侵入したそうですので、今はまだ一部の地域に限定された目立たない問題でも、いずれ分布が拡大すれば中国でも大問題に発展する危険性があります。松枯れ先進国の日本における防除の失敗を含めたこの問題に関する長年の経験を伝えることは、きっと貴重な参考になると信じます。せっかくの機会ですので、私たちの長年にわたる調査研究から得られた知見について、老骨に鞭(むち)打ってしっかり準備をして、いい講演をしてこようと思っています。
今日は、道場でいつものように準備運動、筋力トレーニング、サンドバックの蹴り、巻き藁の突きをした後、江戸川堤防を久し振りに14Km 走ってきました。運動不足で体重が増えたせいか単なる老化のせいか、全く早くは走れません。横浜駅伝大会は来週の月曜30日で5日後ですから、もう絶望的です。今回も競争的走りは無理なので、アンカーとして受け継いだタスキを途中で心臓麻痺を起さずに無事にゴールまで運ぶ(8.195Km)ことだけを目指すしかありません。
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2012年4月23日月曜日
今日は期待していたお手紙が期待していた時間までに届かなかったので、面会に行くのを止めました。その後、学生時代に市橋君と同じ研究室を専攻し空手部でも一緒に稽古をしていた友人からメールが届き、市橋君宛のメッセージを託されましたので、明日の朝一番に東京拘置所に寄って、差し入れの手続きをするとともに面会もして直接読んであげようと思います。現在の状態の市橋君が心を開ける数少ない友人の一人ですので、メッセージに接して上告をしようと心が動かされればいいのですが・・。予定を変更して、私は明日24日(火)に面会に行きます。明日面会を予定していた方がおられたら申し訳ございません。
支援者から早速以下のお便りが寄せられました。
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本山先生 こんな夜分にメール差し上げ、失礼お許しください。明日、面会に行って下さるとのこと、本当にありがとうございます。先生の面会・お友達の方からのメールの両方で、市橋さんの上告の意思につながればと期待しております。
私は、決して「無期懲役がおかしい」とは思っておりません。何しろ法的知識がございませんので(それにしても、他の犯罪の判決と比べると、いろいろ思うことはございますが)、"そういうものだ"と言われるならそうなのかも知れないと思います。ただ、本の印税で償おうとしたこと、土下座したこと・・・が反省の意思なしと短絡的に判断されることは許せないのです。逃亡は悪いことではありますが、「罪を犯した、警察は取り逃がした」という状況なら、逃げたくなるのが人間ではないか、人間だれしももつ「弱さ」ではないか、と思うのです。それをことさら市橋さんだけが「悪」と断じられるのはなぜか。それら疑問が解決され、正当な判決がなされたうえで「無期」ならいたし方ないことです。けれども、現状は違う、そこが納得いかないのです。
市橋さんにすれば、社会にも・人間にも・司法にもあきらめ、絶望しているのかも知れず、上告し戦うことは「しんどい」ことなのでしょう。しかし、投げ出さず、最後まで頑張ってほしいと思っています。それは市橋さん個人のことだけでなく、これから先、「誰か」の判決の公平性にもつながるものと思います。
先生、本当にご多忙な中、大変なことと思いますが、何卒明日はよろしくお願い申し上げます。
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東京日比谷の帝国ホテルで、スミチオン剤発売50周年記念の講演会とパーティがあって、私も招待されましたので参加しました。スミチオンというのは住友化学という会社が発明して1962年から農薬登録をとって販売してきた有機リン殺虫剤で、農業生産だけでなく、家庭園芸、生活環境、緑地の保全などの分野で素晴らしい貢献をしてきました。講演は、この3月まで島根大学学長だった山本廣基先生(現在熊本大学監事)が「社会のための農薬科学」と題して、農薬に対する社会の偏見の現状とそれをどう解決するかについてお話されました。特に、山本先生は2008年に島根県出雲市でスミパインMC(有効成分はスミチオンと同じフェニトロチオン)が松くい虫対策としてヘリコプターで散布された日に多くの子供たちから目のかゆみ症状が訴えられた事件の原因検討委員会の座長でしたので、詳細な経緯の説明と的確な問題点の指摘をされました。
パーティではマジシャンによるマジックショウがあり(写真の下の右)、私にはひとつもトリックを見破ることができず、狐につままれた面持ちでさすがプロと感心しました。
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2012年4月22日日曜日
支援者から以下の文が届きました。新聞か雑誌に投稿することを想定して書かれているようです。確かに、市橋君にできる最大限の謝罪方法として土下座して被害者遺族に謝ったことをパフォーマンスと決めつけて悔恨(反省)していない根拠と見なし、手記の出版で印税を得るしか被害者弁償金を払うことのできない市橋君がそうしたことも刑を軽くすることを目的としていたと決めつけてこれも悔恨していない根拠と見なし、判決をより厳しくする判断材料にされたということは、検察側の主張、被害者遺族の意見書に全面的に同調したものであり、一方的だったように思われます。
私は明日23日(月)の午後と明後日24日(火)の終日は予定が入っていますので、明日23日(月)の午前中か明々後日25日(水)の午前中に市橋君に面会に行く予定です。
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「謝罪」
最近ある裁判の2審判決が気になりました。
拘置中の被告が、手記を出して得た印税約1000万円を遺族に送ろうとしたことが、反省も悔恨の念も無いとし、無期懲役の判決理由の一つになっていたからです。
その印税額を遺族が受け取らないのは当然でしょうけど、出版社が弁護士を通じて、印税の使途も含めて持ちかけた話に被告がのり、出版できたわけです。
ですが、それが被告にとっては量刑の負の判断材料となっている一方で、出版社は何千万円もの利益を得て、ビジネスとして成り立っていることに違和感を覚えました。
司法が企業への利益提供の場になっている構図です。
犯罪内容そのものはよくわかりませんが、災害や事件に、補償金や見舞金の話は付き物ですし、被告個人の謝罪の気持ちを、国家権力でばっさり「否」としたことが不思議でした。
そもそもこの裁判の一審の時、泣きながら土下座謝罪をした被告を「パフォーマンスをして反省が全くない」と言い切った判決に、私は首をかしげました。
土下座という漢字がよくないけど、wikipediaには「日本の礼式のひとつで、本来は極度 に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪や請願の意を表す場合に行われる」ともあります。
今や一般人のイメージでは、土下座は政治家のパフォーマンス、になってしまいましたが、茶道でいえば「行の礼」ではなく「真の礼」に近いです。
日本人は、本当に心からの謝罪をする場合は、立ったままでもなく、三つ指でもなく、床に直に座り、手のひらを全部床につける形のお辞儀に自然になるのではないかと思うのです。
これこそ日本の最も丁寧な礼として、国際的に知ってもらうべき程のものだと思います。
もちろん、これとて、遺族にとっては見たくもないでしょう。
けれども、国家権力で裁判長自ら、その謝罪の姿を冷ややかに切り捨ててしまっては、私達は小さい頃から「悪いことをした時は謝りなさい」と教えられているのに、大人の世界では「本当に悪いことをした時は謝るのはみじめになるだけ」「取り返しがつかないことをした時は、かえって謝らないほうが良い」と学習してしまいます。
日本の文化は時代劇ではなく、アニメとして世界に認められるようになった昨今ですが、日本の作法が日常で奇異に映らないように、残っていってほしいと思うのです。
でなければ、謝罪や謝罪の気持ちを表す努力をしないどころか、悪いことを上手にわからないようにして、悪びれもせず、普通に生活をする「真の悪人」が増えてしまうのではないかと、恐ろしいです。
東京都在住 教師 〇〇〇〇
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来週の月曜30日の横浜駅伝大会まで約1週間しか残っていないのに、走り込みが全く不十分で少し焦ってきました。今年もまた、渡されたタスキをただゴールまで運ぶだけの走りしかできそうもありません。予報されていた雨が降り始める前にと思ってジョギングに出かけたのですが、学内で地図を片手に散歩をしている中年の女性にイギリス式庭園というのはどこですかと訊かれました。千葉大学理学部の生物学科の卒業生で、走友会の元会長で定年退職後の今もよく走っていてフルマラソン大会に出場している仲間の名誉教授の研究室を専攻した方だということがわかりましたので、フランス式庭園はここですよ、イタリア式庭園はここですよとついいろいろお話をしてしまいました。その中雨が降り始めましたので、結局2Km だけ走って止めてしまいました。学内では、八重桜が満開で、シダレカツラと呼ばれる木の新葉の緑が鮮やかでした。
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2012年4月21日土曜日
2010年5月と2011年7月に支援金を振り込んで下さった方から、以下のお便りが届きました。
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本山先生 長らくご無沙汰しております。以前先生から思いがけなく返信メールをいただき、嬉しく有りがたく思うとと同時に先生にお時間を割いていただき、ご負担をかけてしまったことに対し、大変申し訳なく思いました。そのため失礼を承知に以後メールをしていませんでした。しかしながら一支援者となった以上、市橋君に多少なりとも関わっているため、ここまで来て上告せずに終わってしまうなんて、本当に残念でなりません。裁判は上告を含め、最後の最後までやり遂げてほしかったです。
刑事裁判のプロ中のプロとして尊敬されているK弁護士に市橋君の上告を担当していただけるかはまだわからないとのことですが、その弁護士のかたに再度相談し、市橋君が上告するならば引き受ける、やれるだけのことはやりましょうといった言葉を市橋君にお伝えすることはできないものでしょうか。その弁護士のかたと共に面会に行くのは無理だとしても、先生には最後にもう一度、市橋君にまだ考え直す時間があるように、来週の月曜日か火曜日に、先生と支援者の思いの丈をぶつけにいってほしいです。(本山:前回の面会の時に来週もう一回来るからと言ってきましたので、そうするつもりです。)
もし市橋君の身内であったなら、「お願い、自分のためにはどうしても上告してくれないのなら、私たち(先生、支援者の皆さま、市橋君の友人)のために上告して」「いくら市橋君のことを放念しろと言われても、これからもずっと市橋君のことが気がかりのまま一生を終えることになる先生、支援者、友人のために、やれるだけのことをして」と仕切り越しに必死に訴えたい気持ちになっていたことと思います。先生と支援者の皆さまの気持ちが市橋君に伝わって、なんとか水曜日までに考え直してほしいものです。
私なりに色々と想像を巡らせてみたのですが、弁護団会議の結果、今まで担当していただいた弁護士の方々が上告しないと決めてしまった以上、弁護士さんも皆お手上げ状態、つまりやれるだけのことをやった、それでも駄目だったんだ、だから上告しても何の意味もない、先生にも、支援者にも更に負担をかけるだけだから、それならばこれ以上皆に迷惑をかけることはしないと思われているのでしょうか。それとも精神的に疲れ果てて、上告しても何も変わらない、もう諦めるほかないと思っているのでしょうか。
最終的にはもちろん市橋君自身が決めることではありますが、それでも上告する権利を放棄せず、自分のためではなく、先生と支援者と、きっと今同じ思いであるであろう(同じ思いであってほしい)、お手紙をくださった市橋君の友人の思いにも応えてほしいです。
もうこれ以上先生にも、支援者の皆さまにも迷惑をかけたくないという思いが相当強いように見受けられますが、このままでは本当は先生に時々会いに来てほしい気持ちはあっても、その思いを決して言葉にすることなく、内に秘めたまま、これでいいんだともう二度と先生にお会いすることのない選択をしてしまいそうで、これほどまでに深く関わってきた先生のことを突き放してしまいそうでとても心配です。
別の判例ですが、長野県南牧村ニューハーフ遺体遺棄事件の交際相手の男性には懲役2年の実刑判決が言い渡され、どういうわけかたったの2年で驚きましたが、市橋君を有期刑30年ではなく無期懲役とする判決理由は、市橋君には真摯(しんし)な悔恨(反省)の態度が認められない、事件後に逃亡を続け、整形手術をしてまで逃げ通そうとした、手記の印税を被害者遺族に提供して刑の軽減を画策した、虚偽の弁解-1分以上は頸部を締めてはいないと嘘の証言をしたとどれも推測ばかりで、その上明確に意図して被害者を殺害したと推認できるとされ、司法が下す判決には統一性がないように思います。それと力の加減がわかっているようでてわかっていない男性ならば、その時の体勢や角度によっては、一歩間違えれば1分以上3分未満であっても骨折は十分あり得るのにと思ってしまいます。何卒よろしくお願いいたします。
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支援金を振り込むことはできなかったけど、市橋君のことをずっと心配していたとおっしゃる非支援者からもお便りが届きました。この他にも、市橋君に手紙を送りたいという非支援者や支援者からの問い合わせもありました。
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本山先生いつもブログを拝見してます。昨日市橋さんが面会で上告しないって言ったことショックです。裁判で無期懲役の判決になって有期刑になって欲しかったんですが、 無期懲役のこと調べたら、反省、更生の状況などによっては仮釈放が認められることもあるんだそうです。市橋さんも認められてほしいです。(本山:菅野弁護士のお話では、懲役30年以上の現在の無期懲役では、途中で仮釈放されるケースは極めて稀で、ほとんどの受刑者は刑務所の中で死を迎えるとのことでした。)
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昨日会社を60才で定年退職した元学生に電話をして、自給自足の生活を目指すと言った福島県には単身で行くのかと訊いたら、3人の子供も大きくなったので奥さんと二人で行くとのことでした。少しずつ荷物をまとめて引っ越しの準備をしているとのことでしたので、その前にどこかで会って一杯やろうということになりました。彼と同じ頃に研究室に在籍していた元学生など彼と親しかった5~6人にも電話をして、来週末に千葉大学園芸学部で集まって長年の会社勤めの慰労と、新たな出発を祝う会をやることにしました。こうして、人生のある時期に私が指導に関わった元学生が社会で活躍し、やがて人生の新たな局面に向かっていくのを見るのは、教師冥利(みょうり)に尽きます。
今日は江戸川堤防を8Km ゆっくり走ってきました。桜はソメイヨシノに代わって八重桜が満開で、イワツツジの鮮やかな紫ががったピンクの花も目立ちました。大きな花のタンポポ(多分外来種の西洋タンポポ?)も見事だったので、携帯電話のカメラでシャッターを押してきました。河川敷の枯れた葦(あし)原からは、雉(きじ)のケーン、ケーンという声があちこちで聞こえました。(2012年4月21日撮影)
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2012年4月20日金曜日
昨日のブログで報告した市橋君との面会の様子について、支援者からお便りが届いています。市橋君が上告をしないと言ったことで、多くの支援者が胸を痛めておられます。
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本山先生のブログを今か今かと待ちわびていました。市橋君には上告する意思がないのですね・・・。ショックですが彼らしいなとは思います。ブログにも書かれているように、野垂れ死にしようとした事や絶食のエピソードを知っているので、一度決めた事を曲げない性格のようですので本山先生が説得するのは難しいのではと感じます。でも、正直このままで終わらせたくはありません・・・。今日のブログで書かれていましたが、誰とも話をする事が無い、外の世界を見る事が出来ないというのは本当に異常な世界なのですね。月日や曜日の感覚を無くしてしまうのももちろんですが、時計も無いので時間の感覚も忘れてしまったでしょう。当然季節の花々も見る事が出来ない・・・。「普通」の生活を送っている身にはとても想像すら出来ません。本山先生、市橋君の説得よろしくお願いします。このままでは・・・。
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本山先生へ 市橋君と面会していただき、ありがとうございました。この一週間で、はっきりと気持ちが固まってる感じですね。反支援者からの手紙や、被害者の立場を語った暗に上告を非難する内容の手紙とかは、彼のもとに届かないようになっているのですよね?
彼のご両親が、医師としての仕事も辞め、ひっそりと暮らし、「息子に会わない」と決めたら会わない生活に入られたように、市橋君も決めたらとことんそうなさるということでしょうか。彼のような几帳面で知的な人は、「日にちがわからなくならないようにしよう」と思えば、毎日書き留めるなりして、その日課を続けるでしょう。でも、彼の中ではもう日にちや曜日を知る必要もなくなり、毎日刑務官の声かけに従って過ごすだけ。2度にわたって 殺意がなかったのに、あったと決められた。心から悔いてるのに、悔いていないと決められた。ことは、彼にとって、「人間社会への絶望」で、社会に戻る願望も生まれてこなくなったのですね。
もちろんこれは冤罪事件ではないけれど、犯人ではないのに自白してしまったりするケースは、こういう精神状態なのだと認識しました。初めはわめいて「違う!」と叫んでも、「いや、お前だろう」と言われ続けたら、だんだんあきらめ、立ち向かう気力が無くなり、その路線に入ってしまう・・・多くのケース。他人は「やってないならどうして自白するんだろう」と不思議に思いますが、当事者はそうなってしまうのですね。市橋君の「上告しない」の決意、これは鬱状態ではなく、彼の正常な判断と考えられるでしょうか。ついついあきらめの悪い私は、「正常な精神状態ではない場合は上告申請期限を延ばしてもらえないのかしら」とか「どうせなら来週、躁状態になって上告を決意してくれないかしら」とか考えてしまいましたが、だめですね。
それでも私は「祈り」だけでも、支援者として続けます。
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本山直樹先生。昨日は面会に行って私たち支援者の想いを伝えて頂き本当に有難うございました。ブログを拝見させていただき「やっぱり・・・。」という想いでした。最近の市橋さんのご様子を観ているとそんな気がしていました。「もう自分のことは放念してください・・・」きっと何も言わず受刑生活に入ってしまわれるのでしょうね。市橋さんのお気持ちを理解し尊重したい、、でも全く独りぼっちで大丈夫なのかな?寂しくないのかな?気分を癒してくださるお身内もおられず、面会や手紙、差し入れなどもない状態が続くのにいいのかな・・・。本当に本当に心配です。
先生、私達は見守っていきたいだけなんです。迷惑だなんて一度たりとも思ったこともありません。市橋さんには元気で頑張って欲しい、そういう想いで支えて行きたいだけなんですが。負担に思われていたのでしょうか。
今後は遠くから日々祈っていく事しか出来ないのでしょうか・・・。
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今晩は。昨日はお世話になりました。ブログで面会時の様子をお知らせ頂き、ありがとうございました。あの後、東京拘置所がよく見える道を通って差し入れに行きました。まず15:30までに、写真と現金を差し入れました。それから売店と外の差入店で、お花や食料品の差し入れをしました。お花は、種類と色を選んでお願いしました。又、果物も(缶詰でなく)入れられると知りましたので、差し入れました。
市橋達也さんが卒論の研究されていたA棟の前に、濃い緑の葉に大きな白い花が咲いている樹木の写真も差し入れました。(本山:過日近くに出かけた帰りにご主人と一緒に千葉大学園芸学部に立ち寄られたとのことです。)もしかしたらその樹木が、昨日の面会で仰っていたハクモクレンかコブシかと思いましたが、本日、〇〇川沿いを散歩した時にハクモクレンやコブシを見ましたが、少し違うように感じました。拘置所の中では季節を感じる事は出来ませんが、刑の確定後の受刑生活の方が、今よりは季節を感じられると思います。以前、刑務所の施設見学をした際、塀の中ですが、居室から工場に向かう時は、外に面して樹木やお花が植えられていました。今よりは、天候からも体で季節を感じられると思います。又、小さな庭園もあって受刑者が手入れをされてると仰ってましたので、自然に触れられる機会があればいいなと思います。
昨日の面会時の様子を伺い、本日も複雑な心境で過ごしました。今までの市橋達也さんの性格や行動を考えますと、もう受刑生活への覚悟を決め、決意は固いようですね。逮捕後の長い拘置所の生活で弁護団と話し合い、時に有期刑を強く望んだり、様々な思いや葛藤の中で今に至っています。控訴審の判決から短い期間で出した答えではなく、時間を掛けて積み重ねた上での決断だと思います。なので、もうそっとしてあげた方がいいのかも知れないと思いました。しかし、日にちの感覚もなくなってしまったようで、彼の几帳面な性格や、今月は控訴審の判決もありましたので4月という事は分かりそうですが...変化のない毎日で、誰でもそうなってしまうのでしょうね。その中で思考能力も薄れてしまいますので、やはり本山先生の助言の元で、残りの数日間に考え直して欲しいとも思います。又、来週も面会よろしくお願い致します。
今、本山先生からメールが届きましたので、これから拝見致します。
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昨日は東京拘置所に出かける前に江戸川堤防の辺りを約3Km しか走る時間がとれませんでした。今日は東京農業大学の周りを約4Km ジョギングをして、シャワーを浴びて研究室に戻ったら、以前論文別刷りのスキャンをしてデータ入力するアルバイトをしてくれて、この3月で大学院修士課程を修了した元学生が訪ねてきました。確か就職が内定しそうだと言っていたのですが、3月28日になってやっぱり駄目だということになったとのことでした。今どうしているのか訊いたら、教授の配慮で今年いっぱいは研究室の補佐(助手)みたいな形で採用してもらえたとのこと。なかなか好人物ですので、教授も配慮をしてくれたのでしょう。改めて就職活動をしているので、場合によっては私のアドバイスもほしいので寄りましたと言っていました。私は東京農業大学の研究室には毎日くるわけではないけど、今年も研究費が確保できて少なくともあと一年は現役として研究をするので、いつでも立ち寄るようにと伝えました。こういう若者を見ると、応援してやりたい気持ちになります。これからは、時々は研究室で一緒にお茶を飲めそうで楽しみです。
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2012年4月19日木曜日
市橋君に面会に行ってきました。いつものように手続きをして、10階に昇って指示された面会室で待っているとすぐ市橋君が刑務官と一緒に入ってきました。だんだん顔色が普通になって、表情も特別神経質ではなく普通の表情になってきたと感じました。いつものように、元気だったかと訊いたら、はいと答えました。昨日(私が日にちを勘違いして)山本弁護士が来てくれたろうと訊いたら、困惑した顔をしていいえ昨日ではありませんと答えたので、じゃいつだっかのかと訊いたら、この頃は曜日もわからなくなりましたのでと言って思い出そうとしていました。あっそうか、昨日菅野弁護士に電話をしたら月曜に弁護団会議をしたとおっしゃっていたのでその後の筈だがと言ったら、そうです火曜日でしたと言いました。
それで、上告(控訴ではなくて上告という言葉が正しいそうだという説明をして)については、その後考えてどうすることにしたのかと訊きました。少しためらいがちに、上告しませんと答えました。私が、弁護団会議では上告しないということになったそうだが、君は事実を正直に話したのに信用できないとして否定され虚偽の弁解と決めつけられたのだったら、最後まで主張した方がいいのじゃないかと言ったら、でも裁判所がああいう判断をしたのですからと答えました。私がさらに、昨日のブログで書いたように、検察が証拠を隠蔽したり改ざんした事例があることに言及したら、自分の場合は有罪か無罪かの問題ではなく、リンゼイさんは自分のせいで亡くなってもう戻らないのですからと言いました。私は、それはそうだけど、無期懲役刑か有期刑かという量刑が関わる問題だから、ちゃんと事実は事実として主張したらどうかと言いました。市橋君は、でも裁判でああいう判決になったのだからどうしようもないと言ったので、私は、裁判と言えども絶対的なものではなく間違いもあるから3回チャンスが与えられているのじゃないかと言って、昨日のブログで書いた裁判官の中には安易に検察側の意見に同調する場合もあるようだよと言いました。
手記の印税を被害者遺族に提供しようとしたことを、君に悔恨がないことの証拠と決めつけたのは私だって絶対におかしいと思うよと言ってさらに強く上告を勧めました。今までの弁護団は上告しないそうだが、私の友人の弁護士に刑事裁判のプロ中のプロとして尊敬されているK弁護士を紹介してもらったことと、君の上告を担当してもらえないか打診していることと、判決謄本を検討したいと言われていることを伝えました。それも君が上告を希望しなければ先には進めないのだということを伝えました。
それでも市橋君は、今まで本当にご迷惑をおかけしました、ありがとうございました、上告はしませんので、自分のことはもう放念して下さいと言いました。私は迷惑なんて全くかかってないよと答えました。
後は水掛け論のように同じことの繰り返しになりましたので、私はまだ来週の水曜まで時間があるから、それまでもう一度よく考えなさいと言ってこの議論を止めました。しかし、市橋君の上告しないという覚悟は固いように見えました。
市橋君は、前回先生が言っていた白い花が何かと考えていましたが、もしかしたらモクレンの白い花のハクモクレンですかと訊きました。実は前回の面会の時に黄色い花がレンギョウというのは言えたのですが、白い小さな花の名前を度忘れして言えなかったのですが、今日は思い出してあれはユキヤナギだったと答えました。ハクモクレンの花は大きいけど、ユキヤナギは小さい花がたくさん付いているだろうと言いました。市橋君はこの頃は何月かということも感覚がなくなって、今は4月だと思い出して4月に咲く白い花は何だろうとしきりに考えていたと言いました。独居房にいて、外の景色も見えず、人との接触もなく過ごしていると、何曜日かも何月かもわからなくなって感覚がなくなってしまうのでしょう。そして、気になったちょっとしたことがいつまでも気になるのかもしれません。
今日の市橋君は紺色の太い毛糸で編んだ丸首のセーターを着ていました。私が、あれっ、それはまた別のセーターかと訊いたら、前のと同じです、ただ今日は上着を着ていないだけですと答えました。今日は後で支援者の〇〇さんが差し入れに来られると言っていたよと伝えました。
刑が確定して受刑するようになっても、支援者は君のことを支援し続けたいと言っているし、私も月に一度くらいは面会に来ようと思っているから(私を更生に必要な面会人として申請してほしいという意思表示の意味を込めて)と伝えました。しかし、市橋君はもうこのまま受刑する覚悟を固めて、誰にも知られない刑務所で死ぬまで黙々と罪を償おうとしているような印象を受けました。山本弁護士がこの子はストイックな生き方をしようとしているのではないか、とおっしゃったことを思い出しました。逃走中にいずれはどこかで野垂れ死にするしかないと考えていたり、身柄を拘束されてからは取り調べ中に絶食を続けて何も話さずにそのまま死のうと思ったり、市橋君という人間は一度思い込んだらそれをやり通そうという強情な性格を持っているのかもしれません。以前、自分は単純な刑務作業の繰り返しでも大丈夫ですと言ったのを思い出しました。
刑務官は時間がきたことを身振りで示しましたが、市橋君が話している途中だったのを止めさせずに、話が終わるまで待ってくれました。私が来週もう一回来るからそれまで上告するかどうかもう一度考えておくようにと言って面会室を出たら、市橋君はいつものように深々と頭を下げてありがとうございましたと言ってくれました。
面会を終わって拘置所の外に出たら、ちょうど差し入れ予定の支援者の〇〇さんから電話がありました。綾瀬駅で待っていていただいて、近くでお茶をしながら差し入れに行かれる前の少しの時間お話をしました。今日の市橋君との面会の様子をお話しましたら、市橋君が上告をしない可能性が高いということにショックを受けたようでした。
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2012年4月18日水曜日
昨夜、友人のT弁護士に電話をして、もう一度現状を説明して、刑事裁判に強い弁護士の紹介を依頼しました。まだ市橋君自身が上告(今回は法律用語では控訴ではなく、上告と言うのだそうです)を希望するかどうかわからないけど、一度私がその弁護士を訪ねて相談をしたいと伝えました。弁護士と相談をする時は30分とか1時間単位で相談料を払うのが普通だということを知っていますので、募金を締め切ってから振り込んで下さった支援金が1万円だけ保留してあるので、その範囲で相談料を払ってもいいし、実際に弁護を引き受けてもらえることになったら、弁護士料は今から募金して手当てするからと伝えました。そうしたら、今日の午後電話があって、刑事裁判のプロ中のプロと言ってもよいほどの最高の弁護士K氏(新東京法律事務所所属)を紹介してくれました。ただ、引き受けるかどうか決める前に、どういう裁判だったのか検討するので判決謄本をPDFかFAXで送ってほしいとのことでした。判決が下されて裁判が終わると、判決とその理由など裁判長が述べたことなど全てが文書化されて弁護団に送られてくるものだそうです。
早速菅野弁護士に電話をして、一審と二審の判決謄本を入手できないか打診しました。一審の判決謄本は当然すでに届いているが(それに基づいて控訴の趣意書を作成したので)、二審の判決謄本は恐らく今週末までには届くのではないかと予想しているとのことでした。弁護団は今週の月曜16日に全員集まって控訴審の総括をして、弁護団としては上告はしないことを確認したようです。市橋君自身が上告を希望するかどうかが先決ですが、山本弁護士が昨日接見に行かれたがまだその結果を確認していないとのことでした。私も山本弁護士の事務所に電話をしてみましたが、運悪くお留守でしたので、市橋君の希望がその後変わったかどうか確認できませんでした。
私は明日19日(木)に市橋君に面会に行って、上告するように再度勧めてくるつもりです。もし市橋君が同意すれば、来週25日(水)までに上告の手続きをする必要がありますので、山本弁護士にお願いしたいと思っています。その上で、菅野弁護士が今週末には届く見通しとおっしゃった判決謄本を入手してPDF化してK弁護士にお送りするつもりです。例え、上告しても無期懲役が変わる可能性は小さいとしても、市橋君が自分としては全てを正直に話しましたと言ったことが、裁判では信用できない虚偽の弁解と断じられたことを、最後のチャンスとしてもう一度検証してもらう機会を与えたいと思います。
少し前の郵便不正事件で大阪地検特捜部長が厚生労働省の村木厚子局長を犯罪者に仕立て上げようとした時もそうでしたが、検察官が無罪の被告人を有罪にするために証拠の隠蔽(いんぺい)だけでなく改ざんまでしたということが明らかになって国民がショックを受けたことは記憶に新しいところです。今日の朝日新聞には小沢一郎被告の事件に関連して、元秘書だった石川知裕衆議院議員の取り調べを担当した検事が実際にはなかったやりとりを捜査報告書に記載した(虚偽有印公文書作成・同行使)容疑で刑事告発された事件に関する記事が報道されていました。この事件の場合は石川議員が取り調べの様子を隠しマイクで録音していたことで嘘が暴露されました。検察官は、起訴して裁判で無罪になると昇給に影響するという馬鹿げた慣習に根本原因があるのでしょうが、こちらの方は法務省として現在制度の見直しが検討されているようです。一方、裁判官の中にも検察側の主張に安易に同調する(その方が判断を間違える可能性が低いので)場合もあるということを聞きます。市橋君が、正直に話したことまで虚偽の弁解と否定されて犯した罪に相当する以上の罰を与えられるようなことがあるのだとしたら、どうせ市橋君はリンゼイさんに悪いことをしたのだからといって、見過ごすべきではないと思います。
今日はT弁護士からの電話が来るのを待って、午後遅く江戸川堤防を6Km 走ってきました。このところ運動不足で体は重かったのですが、T弁護士からK弁護士を紹介してもらった後だったので心は浮き浮きして明るい気分でした。
留守の間に先日お見舞いに行った元同僚教授/友人の奥様から電話があり、今日は友人は午前中にお風呂(週2回の)に入れてもらって血流がよくなったせいか、少しだけでも声が出せるようになったので、車椅子を押して裏庭に連れ出し、草木を見せて外の空気を吸わせたとのこと。携帯電話を通して友人の声を私に聞かせようとしてくれたのですが、あいにく私は江戸川堤防を走っている最中でしたので、友人をよく知っている妻が代りに声を聞いたようです。夕食後奥様に電話をしてみたら、今日は夫と会話ができて、自分が食堂から帰ろうとしたら車椅子から手を振ってバイバイをしてくれたと嬉しそうでした。長年連れ添った夫婦ですから、会話が一方通行ではなく、病気で寝たきりになった夫が不自由な言葉でも反応を示してくれたことがよっぽど嬉しかったのでしょう。
昨日は新聞の広告を見て、駅前の本屋で五木寛之箸「新・幸福論-青い鳥の去ったあと-」ポプラ社を買ってきました。私はこの頃は専門書以外はほとんど読まないのですが、市橋君のこれからの人生にも関連して人間の幸福とは何かを少し考えてみたいと思ったからです。
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2012年4月17日火曜日
以下は、昨日の市橋君との面会について、支援者から寄せられたお便りです。判決の厳しさに打ちひしがれている筈の元学生の胸の中を思いやって下さりありがとうございます。市橋君は今さらながら、自分のした愚かな行為が、亡くなったリンゼイさんとそのご遺族にとってどれだけ取り返しのつかない残酷なことだったか(厳しい判決はそれを反映している)を思い知らされている筈です。最終的に市橋君が上告を希望するかどうかは来週まで待たなければなりませんが、上告するにしてもしないにしても、できるだけの支援をして、これから長期間にわたって罪を償わなければならない市橋君の今からの人生が少しでも有意義なものになるように支えてあげたいと思っています。
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本山先生こんばんは、面会お疲れ様でした。来週も面会に行かれるとのこと、ありがとございます。市橋さんの様子も知らせて頂きありがとうございます、前回よりも明るい雰囲気だったようで少し安心しました。市橋さんは控訴しないと言われてましたが、即答ではなくしばらく沈黙があったのは心の中で葛藤してるのかな?と思いました。(本山:その通りだと思います。)少しでも上告の気持ちがあるなら本山先生が言われたように最後のチャンスまで主張して欲しいです。もしかして上告しない理由のひとつに、弁護士料の心配はいらないと言っても支援を申し訳ないと思って遠慮があるのだとしたら、支援は市橋さんが頼んだのではなく、自分の考えで勝手にしてることだから本当に気にしないでと言いたいです。(本山:その点は次回の面会の時に念を押して伝えます。)
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本山先生 こんばんは。4月11日からもう何日もたってしまいました・・・・。絶望感から立ち上がれないほど心が落ち込んでしまっているのは市橋さんなのに・・・・。悔しくて、言葉を無くしてしまいました。市橋さんが本当の気持ちを言っても通じることなく無期のままというのは・・・・。人が人を裁くということは恐ろしいことです! 聞く耳持たず。憶測から、たぶん、だろう、絶対そうだ、そうであるとなってしまい・・・やがて控訴するこころをも消し去ってしまう。心の中の本当の声を聞こうとしないで、悲しいですね...本当に。シナリオという形の中に無理やりはめ込んでしまい、真実へ目を向けることを右に習えでスルーしてしまう。人が人を裁くということ...人の一生が簡単に決まってしまうなんて本当に空しいですね。心から、もう一度控訴してほしいと願っています。
本山先生 教え子のためにいつも足を運んでくださいまして、本当に市橋さんも感謝の気持ちをこころの中で何度も言っていることでしょう。透明の板越しに精一杯の自分でいるんでしょうね。
まとまりのない言葉で失礼しました。
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昨日は面会での市橋さんのご様子を詳しく教えて下さり有難うございました。判決後の市橋さんも落ち着いておられたと前回ブログで先生は書いておられました。やはり少しずつ市橋さんは受刑生活に入る覚悟を決めておられるのでしょうね。市橋さんご自身にそんなつもりはなかったとしてもリンゼイさんの未来を奪ってしまった事に変わりはないので、その申し訳ない想いを市橋さんの今後の人生で償っていくしかない、、、と考えておられる様に思います。
私はそんな市橋さんをずっと私の人生が終わるまで看護り続けたいと思います。ですから、もし控訴されるので有れば支援金を送らせて頂きますし、控訴されないという事になれば、受刑生活が始まるのでしょうから、今後未決の時とは違う形の支援を先生や支援者の方々とご相談しながら考えていきたいと思います。願わくば色んな諸事情がある方々がおられる刑務所の中、市橋さんが嫌がらせやイジメを受けませんように・・・。日々の作業を通じて手に技術をつけ、仕事の達成感を味わったり、その中での人間関係を通して市橋さんが学習し成長できますように。。。(本山:私の気持も全く同じです。市橋君は刑務所の中にいて成長できるだけでなく、外の社会にいる人たちに対しても何らかの形で貢献して、それを生き甲斐にできる筈だと思っています。)私は遠くて直ぐには差し入れにも行けない現実がありますが、支援者の方々がお花を届けてくださるとのお知らせにホッとしています。今後とも本山先生や支援者の方々と市橋さんが少しでも和む時間を提供していけたらと思います。先生、来週も面会に行ってくださるとの事。市橋さんが先生を今後も親代わりの更生に必要なお一人として申請してくださるよう願います。
今年の桜は散りますが、来年、再来年、この先もずっと桜の花が咲き続けるように支援を続けていこうと私は私で覚悟しました。どうかこれからも宜しくお願い致します。
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こんにちは。市橋達也さんとの面会時の様子をお知らせ頂き、ありがとうございました。昨日の時点では、彼は「控訴しません」と仰られたとの事ですが、まだもう少し上告期間の日数も有りますので、山本弁護士さんと相談されて、決めて頂きたいと思います。上告されますのも、市橋達也さんにとって精神的な負担も掛かると思いますが、今しか出来ない事ですのでよく考えて、出来れば上告して欲しいです。
4/19(木)に東京拘置所に伺い、お花の差し入れ致します。
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本山先生 市橋君の面会有難うございます。先生のおっしゃる通り自分の真実を全うするようまた後悔しないよう控訴を強く希望します。今後長い受刑生活季節も感じる事もできないで全く外部と遮断されて過ごすんですね。どんなに先生の面会で心を癒やせれるかしれません。もう覚悟ができてるみたいですが控訴を勧めてください。お願いします。
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東京農業大学に行く途中の道路で、ある農薬会社を数年前に定年退職して今はコンサルティングをしながら研究会活動をしている知人にバッタリ出会いました。久し振りだったのでお茶でもどうですかと誘われ、喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら懐かしくお互いの近況を語り合いました。
その後、大学の周りを6Km ジョギングしました。シャワーを浴びていたら、私と同じようにいつも運動をしている顔なじみの職員と一緒になったので、駅伝部と陸上部と別なのかどうか訊いてみました。陸上部は一つだけど、その中に駅伝をやる長距離の男子と女子、短距離をやる男子と女子の計4グループがあるとのことでした。グランドでは、短距離の男子部員がトラックの上に落ちた桜の花びらを箒(ほうき)で黙々と掃いていました。自分が走ってトレーニングをする場所をこうして神聖なものとして大事にする若者の姿を見るのは嬉しいものです。日本でもアメリカでも私が指導していた空手の道場では、稽古の前に必ず全員で床の雑巾がけをさせていました。
市橋君も岐阜県での高校時代は陸上部だったとのことなので、やはり運動場の走るコースを手入れして大事にしていたかどうか、今度面会に行く時に聞いてみようと思います。
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2012年4月15日日曜日
支援者から以下のお便りが届きました。
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永らく連絡もせず、すみません。ブログはいつも読ませていただいております。本山先生、いつも本当にありがとうございます。私も控訴を希望します。先生がブログで述べられている通り、市橋さんには少しでも納得の行く方法をとって、その後の長い服役生活を送ってもらいたいと思います。
その時、新たな弁護士費用が必要であれば、私も一支援者として、自分のできる範囲内で金銭的協力をさせていただきたいと思います。今は本山先生だけが頼りです。よろしくお願い申し上げます。
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昔ある農薬会社に勤務していた方で、定年前に退職して、、今回は日本財団のプロジェクトで海外に出かけていた旧知の知人(多分私より若干若いだけであまり変わらない年代)から帰国の挨拶状が届きました。今回はミャンマーに3年間滞在して学校建設や地域開発のプロジェクトに関わったそうです。http://www.saetanar.org/ ミャンマーと言えば、最近こそ民主化の気運がでてきてアウンサン・スーチーさんの党が選挙で躍進したというニュースが報道されましたが、ちょっと前までは軍事政権が民衆に対して抑圧的政治を行っていた怖い国という印象でした。しかし、実際は女性が夜一人で外出しても大丈夫なくらい治安はよかったとのことでした。挨拶状に添付されていたミャンマーの子供たちの笑顔の写真が素敵なので、本人の了解を得て添付します。子供たちの屈託のない笑顔を見ると、子供たちは世界中どこでも同じで、こんなに無邪気な子供たちが大きくなった時に他の国や、宗教や、民族や、仲間以外の人々を憎むようになるのは、私たち大人の責任だなあという気がしてきます。
この知人は元々大学卒業後海外青年協力隊で海外に派遣された経験があって、会社を自主的に退職後はJICA(Japan International Cooperation Agency 独立行政法人国際協力機構)に参加し、南米のパラグワイのイグアッスの滝(ブラジルとアルゼンチンとパラグワイに接している巨大な滝)の近くの日本人コミュニティで農薬の適正使用の指導をしたり、アフリカのガーナで国際寄生虫プロジェクトの一環として寄生虫防除の指導をしたり、アフリカのケニア(ナイロビ)にも2年間滞在したそうです。いずれも奥さんを日本に置いての単身赴任だったとのことで、私と同じで農耕定着民族ではなく遊牧移動民族の子孫だなあという気がしました。さっき電話をして、今度是非一度東京で会って、ビールでも飲みながらこれまでの海外生活の経験について話を聞かせていただくことで一致しました。
市橋君もあんな馬鹿なことをして一生を棒に振らなければ、海外で活躍して貢献できる夢も能力もあった青年だった筈なのに、残念です。
今日は江戸川堤防を8Km 走ってきました。昼食後1時間半くらい時間をおいてから出かけたのですが、胃の中が重たい感じがしました。
私は、明日16日(月)に市橋君に面会に行く予定です。
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2012年4月14日土曜日
以下はある支援者から今日いただいた2通のお便りに対して私が差し上げた返信です。他にも同様な疑問をお持ちの支援者がおられるかもしれませんので、紹介しておきます。
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〇〇〇〇様
お便りありがとうございました。11日の裁判を傍聴できた支援者から、弁護団が提出した控訴の趣意書に対して裁判長が一つ一つ反論の説明をしたメモを送ってもらいました。市橋君が悔恨していないと判断した根拠の一つの「虚偽の弁解」(事実誤認)というのを、3分以上頸部を圧迫しなければ人は死なないとされているのに市橋君は1分以内しか圧迫していないと主張したことかと勝手に想像しましたが(本山:4月12日のブログ)、それだけではなかったようです。リンゼイさんの遺体には顔に殴打の痕がありましたが、市橋君はリンゼイさんを強姦後、バスタブに入れて監禁している時にタバコを買ってきてほしいと言われて逆上して2回殴った(そんなことで何故逆上するのか不思議ですが、普段から綺麗好きで、神経質で、潔癖症だった市橋君はタバコを極端に嫌っていたとのことです)と説明したのを虚偽の弁解と見なされたようです。リンゼイさんがマンションの4階まで一緒に昇ってきて、彼の個室の中に入った直後に彼女に抱きついて服を脱がせて強姦しようとしたら、途中から抵抗を止めた(することをさせてしまえば帰してもらえると思って)と説明をしたのに対して、強姦する前に殴って抵抗を止めさせたと考えるのが普通だということで、虚偽の弁解と見なしたようです。前回わたしが面会に行った時に市橋君が私に、「自分としては全て正直に話したつもりです」と言ったのはこのことも含めていたのでしょう。リンゼイさんはもう亡くなっているので、今となってはどちらが事実か証明するのは不可能です。
裁判と言うのは、本来事実を明らかにして罪に相当する罰を与える場なのでしょうが、現実には検察側と弁護側のかけひきに裁判官の人間的ファクター(例えば、遺族が提出した意見書に感情的に影響を受けて同情するなど)も加わってひとつのもっともらしいストーリーが描かれて、それに相当する罰が与えられるのでしょう。手記の印税を被害者遺族に弁償金として提供しようとしたことが、刑を軽くしようとする行為で、心から悔恨していない根拠のひとつと見なされたことも、市橋君にとっては心外なことで、私は事実に反すると思っています。実際には、出版社が商業的目的で弁護団に手記の出版の企画を持ち込み、弁護団がそれを市橋君に伝え、経済力のない市橋君が被害者遺族に弁償金を払える唯一の方法として合意して執筆したというのが事実だと思います。それを悔恨していない証拠と断じられたのでは、市橋君は何故自分の言うことを信じてもらえないのかという気持になると思います。
ただ、控訴をしても判決が変わる可能性は著しく低いか、ほとんどないというのも事実でしょうから、控訴をしてまた心が乱される時間を延長するのか、このまま覚悟を決めて受刑した方がいいのか、市橋君も迷うのではと思います。
月曜日16日に面会に行って、市橋君の気持を確かめてきます。本間 龍氏からの情報では、2週間以内に控訴の意思表示だけすれば、弁護士の選定や実際の控訴の手続きはその後でもよいとのことですので、時間的にはそれほど追われていないことは幸いです。私としては、市橋君には最後(三審)まで努力を尽くして、心残りのないような状態で刑に服してほしいと思っています。もし控訴をすることを希望すれば、山本弁護士に継続して依頼するのがいいか、私の友人の弁護士が紹介してくれる刑事裁判の経験豊富な弁護士に新たに依頼する方がいいのか、検討する必要があります。
〇〇〇〇様
学生時代の事件については知っていますが、報道されていることは正確ではありません。卒業後の彼の生活についても、〇〇様が報道から想像している彼の姿は正確ではありません。市橋君が千葉大学を卒業してから半年後くらいに出会って、その後事件当日まで1年半お付き合いしていた友人とは2回お会いして、当時市橋君がどういう生活をしていたか詳しく話を聞きました。外国留学を目指して、英語力をつけるために毎日独力で英語漬けのような勉強をしていたそうです。英語学校に通えば近道だったのでしょうが、契約金その他多額の費用がかかるので仕送りに頼ることはできず、自宅でひたすらテープを聴くという勉強法ではアメリカの大学院に受け入れてもらうのに必要なTOEFL(英語の試験)の点数が十分に上がらず、一方では友人との楽しい生活に耽り、そのジレンマに苦しむ生活だったようです。そのためにストレスでうつ病(今考えると、躁うつ病)に罹り、突然無口になって何もしゃべらなくなって友人に別れ話を持ち出すことを繰り返したようです。最後には、ご両親から3月一杯でマンションを出て、仕送りもストップするので自活するように言われて追い詰められた精神状態になっていました。それが偶然リンゼイさんに出会って、個人レッスンのアポイントメントがとれて大喜びして(今考えれば躁の状態)、あの事件が起こってしまいました。だからあのような行為が許されるということではありませんが、私は市橋君が躁うつ病だったかどうか精神鑑定を受けさせてはどうかと菅野弁護士に提案しましたが、当時精神科医に通っていたとか、どこかの薬局にでもうつ病薬を服用していたという記録が残っていない限り無理だと言われました。
悶々とした生活というのはある意味では当っているかもしれませんが、実際の市橋君は異常性格者ではないし、定職につけなかったのでもないし、将来が見えなかったのでもありません。むしろ逆で、将来に大きな夢を持っていて彼なりに必死にそれを実現させようと頑張っていたのだと思います。
--ー--
私は市橋君は何が起こったか正直に話したのだと思います。それが信じてもらえないのが悔しいのだと思います。しかし、今となってはもう裁判でそれを証明できないところが難しいところだと思います。彼が犯した罪は罪として認めなければなりませんが。月曜16日に面会に行って、控訴するかどうか彼の気持ちを確かめてきます。
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個人的な情報を含む上記の内容を私がブログに書いたことについて、支援者から批判的なお便りも届きました。しかし、新聞・雑誌やネット上に興味本位で流布されている情報に困惑している支援者に、私が把握している情報をお伝えして共有することは意味があると思って敢えて書きました。躁うつ病(双極性障害)については、もちろん私は精神科医ではありませんが、身の回りの何人かの躁うつ病の知人の行動を観察してきた経験から、もしかしたらと推察しました。ある支援者が躁うつ病について詳しく説明した資料を送って下さいました。http://square.umin.ac.jp/tadafumi/Living_with_bipolar.pdf#search='
精神的な病の診断は専門家でも難しい面があるのかもしれませんが、これからの長い服役生活のためにも、できたら市橋君は一度診察を受けておいた方がよいのではと思っています。
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2012年4月13日金曜日
本間 龍氏から以下の情報提供がありました。その後、電話を差し上げて直接お話も伺いましたが、判決後2週間以内の控訴期間というのは、その期間内に控訴の意思表示をすれば実際の手続きはその後でよいということですので、当初私が想像したより時間の余裕があります。来週の月曜に面会に行く時にそのことも伝えて、市橋君が納得がいくようになるべく控訴をするように勧めようと思っています。場合によってはその後、友人の弁護士に刑事裁判に経験豊富な弁護士を紹介してもらって一度相談に行ってくるかもしれません。見通しは厳しくても、元学生のためにできるだけのことをしてやりたいと思います。
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本山 先生 こんにちは。市橋さんとのご面会、ご苦労様でした。二審の結果が全否定だったことで、市橋さんの態度にも相当諦めがあるように感じられました。日本の裁判は三審制であるとはいえ、最高裁はそれまでの二審に明らかな錯誤がある際にこれを正す存在としてのみ機能しているので、今回のような犯罪行為そのものが争点でない場合は、残念ながら受理される可能性は極めて低いと言わざるをえません。現在の弁護団が控訴を検討していないのはそのためだと思われます。
但し、そのことは市橋さんの心の整理とは別問題ですので、彼自身に控訴の意志があれば、それは実行するべきだと思います。そこで、二週間の控訴期間の件ですが、これは二週間の間に控訴意志を表明すればいいだけのことであって、弁護士による上告手続きそのものはそのあとで大丈夫です。つまり、とりあえずこの二週間以内に控訴手続き(弁護士に頼らずとも、市橋さんが拘置所刑務官に一筆「控訴する」と書くだけでも大丈夫です)をしておけば、判決確定は停止され、未決状態が続きます。その間改めて弁護士を選定し、正式な上訴手続きを行います。もちろん、一度控訴し、その後考え直して取り下げることもできます。言い方は悪いのですが、ある種の時間稼ぎとしてそうしたやり方をとる場合はあります。 二週間はあっという間に過ぎますので、現状で彼が迷っているようであれば、お手数ですが上記の方法を改めて説明して頂き、一旦控訴して改めて弁護士選任を行い、相談しながら控訴方針について吟味するというのはいかがかと思います。
本間 拝
※追伸
本件については時間の問題がありますので、もしご質問等ございましたら直接私の携帯(〇〇〇-〇〇〇〇-〇〇〇〇)に御連絡頂いても結構です。ご検討下さいませ。
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昨日の面会の報告についてはその他の支援者からもたくさんお便りが届いていますが、以下はその中の一部です。
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本山直樹先生。先ほどブログを読ませていただきました。昨日からの市橋さんが心配で心配でたまりませんでした。この世の中は不条理な事がたくさん有りますね。神さまは無意味な事をなさらないと思っていても、凡人の私は悲しくて仕方ありません。今日の市橋さんのご様子は、ご自身の人生全てを差し出すしかないという、心の中の表れのように私は思えました。
この先の事はどうしたら良いのか難しい所なのでしょうが、先生、下記の事だけは市橋さんにお願いして頂きたく思います。市橋さんは「もう十分なので自分を放念してください。」と言われてましたが、先生も同じお気持ちだと思いますが、私も迷惑だなんて一度も思った事はなく、これからも支援していきたい気持ちに嘘偽りなどありません。いつだって市橋さんの事を考え想い、微力ながらお役に立ちたいと思っている私や支援者の方々がおられる事を忘れて頂きたくありません。市橋さんを独りぼっちにさせません!どうか、その事をお伝え頂きたく思います。
私も市橋さんに今日手紙を書きました。今後の事が本当に心配なので、もし受刑生活に入られるなら本山先生がこれまで通り面会出来るよう申請して欲しいと言うお願いの内容の手紙です。 私達支援者は先生の面会だけが市橋さんのご様子を知る唯一の手だてなので。
先生、どのような形になっても私は頑張って支援していきたいです。非力ながら、先生のお手伝いもさせて頂きます。私の娘も理解してくれていますので大丈夫です。
次回の面会では本気で支援している旨、どうか市橋さんにお伝え下さい。宜しくお願い致します。
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先生夜分に失礼いたします。昨日の判決にやっぱり圧力がかかって無期のままなんだと痛感いたしました。なぜ市橋さんの意見に耳を傾けてくれないのか?一日考えていました。[本山:日英関係のために外務省から法務省に厳罰を期待する無言の圧力があったかどうかはわかりませんが、少なくとも現場の裁判官の判断がそういうことに影響されたとは思いたくありません。ただ、検察側がイギリスから取り寄せて提出した被害者遺族(リンセイさんのご両親とリンゼイさんのお姉さんたち)の2つの意見書は、裁判官の感情に訴え、判決に一定の影響をしたのではと思います。] 先生の11日のブログを今日12日に拝見しました。他の支援の方同様私もこれからの支援の気持ちには変わりがないです。
市橋さんのご両親様、一度でいいので今の市橋さんに会ってほしいと切に願っております。今生の別れにはなってほしくないので。
そして市橋さんにはもう一度違った角度からアクションを起こせる弁護団を作っていただきたいです。支援なら私にできる範囲で続行させてもらいたいです。先生お忙しい中、市橋さんの面会、ご報告ありがとうございます。
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本山先生へ 市橋君との面会に行っていただき、ありがとうございました。市橋君の様子から「結果には納得していない。でも現実を考えるとこのまま無期懲役に服するしかない。」と自分に言い聞かせてる感じですね。いくら叫んでも社会の大きな力の前で無力な自分を知り、自分もまさに「力」でリンゼイさんの生きたい思いを絶った責任をさらに感じたのですね。もう塀の外の人達とも縁を切り、塀の中の人間として静かに生きていく決心に傾きかけてるように感じました。
これまでの先生のブログによると、市橋君は1審も2審も裁判直後が一番心身共に滅入ってたようなので、このまま最高裁で、また被告席に立つ気力が無い様にも思われます。
偶然か、意図的かイギリスの首相が10日、11日に初来日し、市橋君の裁判と時を同じくしました。嫌な予感がしました。友好的外交が求められる一方で、今回の裁判は真に司法の分立がなされたでしょうか。
裁判官が判決理由に持ち出した印税ウンヌンのことは、私は個人的にどうしても納得いかず、新聞社にもメールしました。「何を言っとるか!」「バカか!」と思われて、多分取り上げられることは無いでしょうけど、一般人として書かずにはいられませんでした。拘置期間、使う文房具まで細かな指定がある一方で、手記を出す自由を与えておき、裁判では無期懲役の判決理由に手記を持ち出すのは、大きな落とし穴を掘って待ち構えてるようなものです。謝ってもダメだし、話したことはウソだと言われるし、まるで逮捕の時から「生きて出すな」と決められているようです。[本山:公判前整理手続きの期間に手記の執筆が公認されていることかどうか、私にはわかりません。多分、出版社が手記出版の企画を弁護団に持ち込み、弁護団が市橋君に話をし、経済的能力がない状態の市橋君が被害者遺族に弁償金を払える唯一の方法ということで執筆に合意したのではないかと想像します。そのことを、市橋君が自分の刑を軽くすることを画策したとし、悔恨(反省)をしていない証拠と断ずるのは、悪意に満ちた言いがかりに過ぎない私は思っています。] 重大な犯罪を犯したとはいえ市橋君も、「反省していない」と決められるのはとても無念だと思い、その悔しさを思うと、私はつい国家権力や、悪意無きマスコミの影響力に対して、憤りや恐ろしさを感じます。私個人的には上告を希望しますが、市橋君に「共にもうひと頑張りしましょうよ。」と手を引く材料もないのが現状で、やるせないです。でもどうしても「適正な裁判ではない」と思います。
人にわからないように上手に殺人をして、普通に生活している「真の悪人」は、水面下で増えているのでしょう。恐ろしいです。私も市橋君に直接お会いしたいけど、希望されないでしょうし、先生、今後も市橋君をよろしくお願いします。彼に「放っておいてください」と言われても、私は支援者としての立場を続けたいと思います。
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今日も初夏のような陽気でしたが、私は江戸川堤防を8Km 走ってから、リハビリセンターに入院している元同僚教授/友人をお見舞いに行きました。長年の腎臓透析と3回目の脳梗塞で寝たきりになってほぼ3年経ちましたが、だんだん体力がなくなり会話も難しくなってきました。私は今年も千葉大学園芸学部のある講義科目の一部を非常勤講師として担当しますので、つい昨日今年度のシラバスが送ってきました。その中には友人も顔見知りの教員全員の顔写真が載っていますので、リハビリセンターに持参して、友人に見せながらこの教授を覚えているか、この准教授を覚えているかと話しかけ、最近の大学の様子や、市橋君の支援活動をしていることも含めて私自身のことなど1時間近く一方的に話をしました。私の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、残念ながら一言も返事はありませんでした。それでも私が去った後で到着した奥様からの電話では、私がお見舞いに行って話しかけたのが刺激になったのか、友人の顔色や様子がいつもより元気な感じがしたとのことでした。
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2012年4月11日水曜日
二審も無期! 裁判の結果と様子については、抽選に当たって傍聴された支援者が裁判が終わるとすぐ電話で知らせてくれました。ありがとうございました。別の支援者は裁判が終わる前に判決をネットでチェックしてメールで送ってくれました。ありがとうございました。朝日新聞千葉支局の記者は、裁判が終わってすぐ東京農業大学の私の研究室に駆けつけて、勉強会に出かける直前の私を捕まえて取材していきました。弁護団からは控訴裁判の見通しが厳しいことは伺っていましたが、有期刑になる一縷(いちる)の望みはあると思っていました。
私は、明日12日(木)東京拘置所に行って市橋君に面会してきます。それからその次のことを考えようと思っています。
その他の支援者からもお便りが届いています。
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先生、判決残念でなりません。今までの話題はなんだったのかと思います。裁判長の述べた事は弁護士の先生方の努力を何ひとつも審議してくれず、市橋君の事を全て反論し、政府の圧力を感じずにはいれません。人間が人間を裁くのです。どこに証拠があるのでしょうか?政府の圧力があったとしか考えられません。本を書かせたのも弁護士です。その印税を寄付させたのも弁護士です。よかれと思ってしてくれた事が全部裏目に出でしまった事、弁護士の先生がたが、がんばって証拠を収集してくださったことが何一つ取り上げてもらえなかった事悔しくてなりません。今後の市橋君の支援を先生に全て委ねます。市橋君を守ってあげてください。今〇〇さんと悔しくてやけ酒を飲んでます。
市橋君がひとり、どんな思いで居るのかと思うと胸が締め付けられそうです。母親の気持ちで暖かく抱き締めあげたいと思います。ご両親ももう会ってあげてください。
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本山先生、今日の判決は耳を疑いました。市橋君の事が心配です。やっぱり司法は独立してないんですね。自分の言っている事が信じてもらえないんですからさぞかし落ち込んでいるんでしょうね。市橋君との連絡が途絶えないように先生面会に行かれた時にお願いします。私もこれから勉強して今後少しでも市橋君を支援できるようにいていきたいと思っています。今後の事はまだわかりませんが何か出来る事がありましたら言ってください。
先生面会宜しくお願いします。
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本山先生こんばんは。いつもブログの管理や面会での市橋さんの様子を知らせて頂き、ありがとうございます。控訴審判決も無期でしたね。今回も殺意はなかったという訴えを認めてもらえなかったのが残念でなりません... 昨日のブログで上告について山本弁護士のお考えに『市橋君自身が納得することが今後彼が生きていく上で大事』とありましたが、私も望む結果になるのかわからなくても、やれるだけのことはやって欲しいと思います。
もしまた支援が必要なら協力させて頂きますので。本山先生は12日か13日に面会に行かれる予定なのですね、ありがとうございます。今日の判決を受けて今市橋さんがどんな精神状態でいるのか心配ですが、元気づけてあげて下さい。お願いします。
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本山先生 公私にわたりお忙しい中、本当にありがとうございます。気にしておりました再審でした。もしかしたらと期待しておりましたが、またも無期、本当にがっくりきてしまいました。市橋さんは今頃どんな気持ちで、一人で過ごしているかいるかと思うと、ただただつらい思いです。
現在では「無期=30年以上」ということですが、今後も長くなるのではないかという気がしております。もし30年としても、市橋さんが出てくる頃には60歳代半ばということですね。懲役中のつらさに加え、まさに「浦島太郎状態」となって出てきて、生活の基盤が築けるのかという不安もあります。(本山:以前、菅野弁護士にお訊きしましたら、現在は無期の場合は途中の仮釈放はなく、ほとんどの受刑者は刑務所の中で死を迎えるとのことでした。) 実際に更生につなげるには、どのような支援が必要なのか、私も考えてみます。
先生、明日は面会に行って下さるとのこと、ありがとうございます。市橋さんにとって、どんなに励まされることかと思います。支援者は、長期にわたって更生を支援していくつもりであること、だからどんなにつらくても投げ出さないでほしい、決して一人ではない、孤独ではないことを再度お伝えくださいませ。
また、本当に厚かましいお願いではございますが、市橋さんのご両親に面会に行くよう進言いただくことはできませんでしょうか。(本山:事件のあったマンションの鍵を弁護団から受け取ってお返ししなければなりませんし、支援者名簿もお送りしたいと思っていますので、ご両親には近いうちに一度はお手紙を差し上げるつもりです。)それぞれのお考えがあることは承知しております。けれど、せめてご両親くらいは、もう赦してあげていただきたいのです。無期ということは、面会に行かなければ今生の別れです。刑務所に入るということは、罪を償うことです。罪を償いながらも、その上にさらに、家族にも会えないのなら、いったいどこまで償いを求められているのかと思います。明日はつらい面会になるかもしれませんが、何卒よろしくお願い致します。
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今日は東京農業大学の食と農の博物館で、NPO法人(特定非営利活動法人)良い食材を考える会 http://www.yoishoku.com/ 主催/東京農業大学食育研究部会共催の「食材の寺子屋」という勉強会が開かれ、私も聴講してきました。話題がタイムリーだったこともあって、今日の勉強会には107名もの参加者があったそうです。同会専務理事の中村靖彦氏(元NHK番組ディレクター・解説委員)の司会で、篠原 隆氏(食品安全委員会リスクコミュニケーション官)による講演「気になる食べ物の放射性セシウム~食品中の放射性物質のリスク評価~」に続いて、消費者の立場から吉中由紀氏(パルシステム神奈川ゆめコープ理事長)と、生産者の立場から富谷亜喜博氏(千葉県山武市の有機農家、さんぶ野菜ネットワーク代表理事)からの感想と意見が述べられました。その後、質疑応答があり、フロアからいずれも鋭い質問と指摘がありました。篠原氏は、前半で食品のリスクと放射性物質の基礎について説明し、後半で食品中の放射性物質の基準設定と汚染実態と健康リスクについて分かり易く解説しました。一言で言えば、私たちの食卓に上っている食品の放射性物資の汚染にかかわる安全性は現実的に問題はない(例えば、下のスライド参照)ということですが、消費者は非科学的・非現実的なゼロリスクを求めますので、生産者は風評被害で苦しみ、流通業者は莫大な無駄な経済的支出を強いられるという状況が起こっているということです。実際には健康影響問題はないにもかかわらず、風評被害に苦しめられてきた食品残留農薬の問題と全く同じ状況だなと思いました。
1年に1回妻と一緒に受けている人間ドックの検査で、私はどこも異常がない中で、目だけは動脈硬化性眼底という診断結果で要精密検査ということでしたので、今日は眼科の専門医の診察を受けてきました。眼底に動脈硬化は認められず、異常なしという結果でしたので、安心しました。?
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2012年4月10日火曜日
山本宏之弁護士に電話をして、明日11日(水)の判決後のことについて教えていただきました。控訴するかしないかは市橋君次第だとのことです。市橋君が判決に納得しなくて控訴をしたいと考えれば、山本弁護士単独でも引き受けて下さる可能性があるという印象を受けました。その場合は上告理由書を書いて最高裁判所に提出するそうですが、通常は裁判が開かれるのではなく、書類の審査だけで、東京高裁の判決が変更になる可能性はきわめて小さいようです。山本弁護士は、それでも、市橋君自身が納得することが今後彼が生きていく上で大事だとお考えのようでした。控訴をしたとしても、弁護士の作業は新たにあちこちを訪ねて証拠や証言を集めてくるのではなく、上告理由書を書くだけですから弁護士料はなくてもとのことでしたが、もし必要でしたら支援金の募金を再開して手当てをしますとお伝えしておきました。
刑が確定しますと、弁護士も市橋君がどこの刑務所に移されて服役するか知らされないのだそうです。ただ、今回の刑事裁判が終わって刑が確定した後で被害者遺族から被害賠償の民事訴訟を起こされる可能性もありますので、山本弁護士は市橋君との連絡は保ちたいとのことでした。その場合は、市橋君の方から申請して山本弁護士に連絡(手紙)をとる必要があるとのことです。明日は私は午前中は眼科の検査、午後は東京農大での研究会の予定が入っているので傍聴には行けませんが、裁判所で山本弁護士が市橋君に会う時に、私も市橋君と連絡を保ちたいので市橋君の方から申請して私に連絡をとってくれるように伝えて下さいとお願いしました。
なお、明日の判決後2週間は控訴の猶予期間ですから、この期間は従来通り私が東京拘置所に行って面会申請をすれば面会は可能だとのことでしたので、明後日(あさって)12日(木)か明々後日(しあさって)13日(金)には面会に行こうと思っています。
今日のブログの記事をご覧になった支援者から早速以下のお便りが届きましたので、紹介しておきます。
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いよいよ明日は控訴審判決の日ですね。市橋さんの心中を考えると胸が痛みます。祈る事しかできない私です。今はとにかく神さまにひたすらお願いするのみです・・・。
ブログを読ませていただきましたが、山本弁護士様のお気持ちが本当に心強く有りがたく嬉しかった私です。もし支援金を再開なさるので有れば喜んで協力させて頂きます。又、本山先生の"親代わり"という言葉に昨日は涙がでました。市橋さんのご両親様やお身内はきっと会いに来てはくださらないと聞いていましたので、そうなると市橋さんは独りで本当にお寂しいだろうと思っていました。だから先生の受刑生活に入っても連絡が保てるよう相談したいという、お言葉に心からホッといたしました。先生、ぜひとも市橋さんに今後とも連絡がとれるよう申請をして下さるよう支援者も望んでいる旨を面会時お伝え下さい。宜しくお願いします。
それから先生は判決後2週間の控訴の猶予期間に面会に行かれるとの事ですが、この期間は手紙や差し入れは今まで通り出させていただいてもよろしいのでしょうか?もしご存知でしたらお教え下さい。(本山:確信はありませんが、控訴を断念して刑が確定するまでの2週間は今までと同じ扱いではないかと想像します。念のため、明日弁護士か東京拘置所に確認してみます。)
先生、お忙しいとは存じますが今後の事、私も微力ながら出来るだけの協力をさせて頂きますので、何卒宜しくお願い致します。
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東京農大では新学期が始まって、キャンパスに大勢の学生が戻ってきて活気に溢れていました。ソメイヨシノの桜が満開で、生協の前ではサークルの勧誘活動で賑わっていました。学生たちは教科書を買ったり、ベンチに座って語り合ったり、グランドでは陸上部やサッカー部が走り回っていました。こういう若者たちの元気のいい姿を立ち止まって眺めながら、私は心の中で頑張れよ、思いっきり羽ばたけよ、とエールを送っていました。毎年繰り返される景色ですが、正に春一杯です。(写真はクリックすると拡大できます)
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2012年4月9日月曜日
明後日11日(水)の判決後に市橋君がどうなるかについて、菅野弁護士に電話でお訊きしました。もし判決に不満で控訴する場合は2週間以内にする必要がありますが、その場合は現在の弁護団のほとんどのメンバーは恐らく関わらないでしょうということでした。従って控訴する場合は、誰かが弁護士費用を負担して新たな考えの弁護士に依頼するか、弁護士費用がない場合は国選弁護士に依頼するかということになりそうです。
もし控訴せずに刑が確定した場合は、1ケ月くらいで服役する刑務所が決まってそこに移されるそうです。それまでは東京拘置所に拘留されたままですが、今までのように未決としての自由はなくなり、既決受刑者として袋張りのような軽い刑務に服することになるそうです。
それでも少なくとも判決後2週間以内は、私が東京拘置所を訪ねて面会の申請書を提出すれば今までと同じように面会ができるようです。その後は面会は制限が厳しくなり、家族以外は元弁護人かそれ以外は市橋君自身が面会者として申請する人に限定されるようです。判決後は、市橋君が控訴するかどうか、控訴しない場合にはどこの刑務所で服役するかもわからなくなる可能性がありますので、判決後なるべく早い機会に面会に行って、控訴するのかしないのか市橋君の気持ちを確かめて、控訴する場合は弁護士費用の支援が必要かどうかを訊いてきます。控訴しない場合は、私を面会者として申請するように市橋君に相談してこようと思っています。
支援者から昨日以下のお便りが届きました。ありがとうございました。人の悩みや苦しみや痛みを自分のものとして感じられる、優しい思いやりをお持ちの方とお見受けしました。知人の26才の娘さんがマンションの13階から飛び降り自殺をされたとのこと、せっかくそこまで生きてきたのに、命を全(まっと)うできずに残念ですね。人の心は繊細で、どんなに苦しくて逃げ道がないようでも、一歩そこを離れられれば別の世界が見えてくるのに、一人で思い込んでしまうと抜け出せなくなるのだと思います。私は飛行機に乗る時によくそう感じます。下界は真っ黒な分厚い雲に覆われてドシャブリの雨でも、飛行機がいったん雲の上に出ると真っ青な空が無限に広がっていることに気が付きます。自分一人で苦しんでいる人が追い詰められる前に、手を差し伸べて雲の上に引き上げてあげられればいいですね。
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満開の桜です。毎日、先生のブログを読ませていただいています。結審が近づき、市橋君はもう腹が据わってる感じですね。先生と市橋君が制限時間に話す内容は少しだけでも、特別のテレパシーで他の会話もしているような空気がある気がします。
私の母は既に亡くなっているので、聞く事はできませんが、保護司をしていたことがあり、受刑者というより保護観察下にある10代の子と何度か話をしていました。専業主婦の母でしたから高度な資格が必要なわけではなかったようですが、それまで全く知らない人の担当になるから難しいし、責任を果たせない、とすぐに保護司を辞めてしまいました。
また、受刑者の更正のために面会する「教誨師」という牧師や神父もいらして、人格者でいらっしゃるけれど、私は、市橋君は他の保護司も教誨師も必要なく、本山先生がそのお役をしてくだされば何よりだと思います。先生ご自身がそれを望んで下さってるので、ありがたいです。是非、よろしくお願いいたします。
先週、私の知人の娘さん(26歳)が、住んでるマンションの13階から飛び降り自殺をしました。ショックでした。市橋君も生きてることが辛いと感じたことがあるでしょうけど、本山先生がおっしゃるように、リンゼイさんの分も生きてほしいです。「生きてほしい!生ききってほしい!」です。刑務所という所は、たとえ死にたくても死ねないように管理されてるわけですが、与えられた能力を使い、許された環境の中で彼なりの達成感を感じながら生きてほしいです。
ところで、先日ブログの中で、先生は「床にほかる」と書かれていました。先生は愛知県出身なんでしょうか。ブログを紐解けば、どこかに出身地のことも書いていらっしゃったかもしれませんが、意識していなかったので、その言葉を見た途端、気持ちが和みました。[本山:私の母の母は名古屋出身で、母は戦前に昔の金城女子専門学校(今の金城学院大学の前身)で学びましたし、私もアメリカ留学前に名古屋大学大学院で過ごしました。お墓が八事(やごと)にありますので今でも年に数回はお墓参りで名古屋に行っていますので、いつの間にか「ほかる」(=捨てる)という言葉を覚えて使ってしまいました。] 先生の若者への素の怒りが感じとれて、不謹慎にも、それに笑ってしまいました。
私は、父の転勤であちこちに転校しましたが、〇〇の高校の音楽科から〇〇〇の音大に進み、中京地区に10年間住みました。
市橋君には、本山先生がいらして、本当に良かったです。お元気で、これからもよろしくお願いいたします。
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2012年4月8日日曜日
友人の弁護士に電話をして、保護司というのはどういうものか教えてもらいました。私が想像していたのとは全然違っていました。市橋君の保護司になりたいと言って申請して認定されるというようなものではなく、裁判所から保護司として選ばれて認定されると、裁判所の方から特定の保護観察中の受刑者の保護司になるようにと指示されるのだそうです。ただし市橋君の場合は、刑が確定後、現在の弁護団は仕事が終わってもう責任がなくなり、ご両親も面会に来られない場合は、本人と外部との連絡がとれなくなるので、私が時々面会に行ってそういう役割を担いたいという申し入れをすれば、今までの経緯から認められる可能性があるのではないか、とのことでした。刑が確定してから受刑する刑務所に移されるまで、2週間くらいは今の拘置所にいるのが普通だそうですから、近いうちにもう一度東京拘置所を訪ねてそういう申し入れをしてこようと思います。
今日は天気がよかったので妻が買い物に出かける時に一緒に出て、千葉大学園芸学部のキャンパスに寄って桜の花を見てきました。例年より遅く、ちょうど満開で、町から園芸学部がある戸定ケ丘(とじょうがおか)に上ってきて花見をしている人たちがたくさんいました。水仙の小さな花壇や、いつ見ても威厳のあるクスノキの巨木群や、瑞々(みずみず)しいモミジの若葉が新鮮で写真を撮ってきました。市橋君が学生時代に勉強していたA研究棟の横の桜の老木(最初の写真の下段右)は、今年も花を一杯咲かせて満開でした。園芸学部には、昔ソメイヨシノの起源を研究するために上野動物園の桜と交雑して作り出した珍しい桜の大木(最初の写真の上段右)もあります。
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2012年4月7日土曜日
昨日市橋君に面会に行ってきたことについて支援者からたくさんのお便りが届いています。
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今晩は。本日(4月6日)はお世話になりました。
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本日の面会は、市橋達也さんの顔色が前回より良かったのが、何よりです。本日は、お弁当とお菓子、パン、お花、現金を差し入れました。今後の状況によりますが、このような食品の差し入れも、最後になるのかなと思いました。
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判決次第で、上告されるか否かは、市橋達也さんと弁護士さんで決める事ですが...私の思いとしましては、たとえ無期懲役でも、出来る限りの事をして、少しでも彼が納得した上で、受刑生活に気持ちを切り替えて欲しいと望んでいます。もし、適正な裁判を支援する会として、ご協力出来る事があれば、力になりたいです。
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ブログ拝見させていただきました。昨日の面会では、市橋さんが落ち着いたご様子だったとの事。ホッといたしました。その後の状態がずっと心配でしたので。やはり直接お会いになった先生のお話を伺うことが一番私をはじめ支援者の方々も安心されるのではないかと思います。11日の判決を控えて緊張や不安、恐怖感など、市橋さんは大変精神的には厳しい状態が続いているとお察ししますので、先生との何気ない会話がとてもホッとして和む時間になるのではないかと思います。
市橋さんにとって見ず知らずな私が勝手な事を言うようで申し訳ありませんが、私は市橋さんに元気でいて欲しいんです。まだまだ長い人生です。しんどい事も、気持ちの上でやるせない喪失感みたいな感情に支配される事も、人間関係など悩んだり困ったりする事も、多々あるかもしれません。それでも私は市橋さんに元気で生きて欲しい。頑張って欲しいです。一般的に考えて私の人生は市橋さんよりは短いと思いますが、これからも私にできる事を模索しながら市橋さんを支援していきたいと思います。本山先生、これからも何か新しい情報が有れば教えて頂きたく宜しくお願い致します。
花冷えの週末との事、どうぞお体に気をつけてお過ごしくださいませ。
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〇〇〇の〇〇です。ご無沙汰しています。仕事が忙しく、1週間ぶりにblogを拝見しました。昨日は市橋さんの面会に行かれたのですね。市橋さんの落ち着いた様子に安心しました。でも、私の勝手な想いですが、私達支援者の行動に感謝しながらも戸惑いも感じているのかも知れないな、と思いました。見ず知らずの人が、自分の思いで差し入れや面会にまで足を運んでくれ、ありがたくは思っているのでしょうが...と、また偏った考えが浮かんできます。(本山:市橋君は素直な性格のようですので、皆様のご親切に深く感謝をしていると思いますよ。)この1週間は私の生活も目まぐるしいものでした。会社では入社式や研修と平行して来年の採用選考会の実施を行い、毎日、睡眠時間は5時間ほどで、気持ちはシャンとしているのですが、容姿に年が現れ、我ながらガッカリしてました。プライベートでは息子が遠方に転勤になり、急なことで夜中にその準備をして送り出しました。もう1人の息子も近くですが1人暮らしをしているので、これで3人バラバラの生活が始まりました。私にとっては生涯で初めての1人暮らしです。
とは言え、週に日替わりで甥や姪が学校の授業の都合で合宿所のように泊まりに来ますが。若い頃離婚し、父を頼りに子供と4人で暮らし、父が亡くなり、1人ずつ家を離れ、仕事と家事で忙しいときは、あれ程自由な時間を望んでいましたが、自由は寂しさの裏返しだと実感しています。人間って勝手ですね。(本山:余計なお世話かもしれませんが、せっかく自由になられたのですから、これからはよき話し相手との出会いの機会もあるのではないでしょうか。ちゃんとお仕事をしながらお子さんも育て、山の景色や川の景色を楽しみに出かける心の余裕のある方は素敵だと思います。)
先生のblog4月5日の学生の行動についての内容を読み身のすくむ思いです。我が子はどんな行動をしているのか、と...。丁度私達の年代頃から、子供に対するしつけができていない人が多いのではないかと思います。私自身も、自分の親に教えられた事が子供に伝えられていない、と感じることも多いのです。会社でも、社会人として知っていて当たり前のことも知らない若者が増えています。でも、注意したり教えれば素直に聞き入れ、次からは実行するのです。自分自身も年齢相応のことを知らず、恥を掻いているのだと思いますが、社会全体が世間体や人に対する礼儀について、関心が薄くなっているように感じます。でも人との繋がりなくしてはこの世は成り立っていきませんので、少しでも余計な一言を私達は言っていかなくてはいけないのですね。
何だか変なメールになってしまいました。これから家の近くの〇〇川を歩きにいって満開間近の桜を楽しんで来ます。先生の気力、体力に少しでも近づけるように頑張ります。
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先生こんばんは、大変ご無沙汰をしております。その間、暴風雨や色々とありましたがお身体は大丈夫ですか?
先程先生のブログを拝見しました。市橋さんへの面会の件事細かく書かれていたのでこちらも解り易く大変ありがたいことです。いつも先生頼りになってしまい申し訳ありません。ありがとうございます。
あと4日後には判決が言い渡されると思うと気持ちが痛む思いもあります。適正で市橋さんにとって最良の判決を願っております。リンゼイさんへの罪は消えることはないのでこれから市橋さんの人生、毎日を罪と向き合い受刑してほしいです。結果はどうであれ、本山先生をはじめ支援者の方々とこれからも支援を続けたいと思っております。差し入れ(送付)はもう必要無いのでしょうか?何かお役に立てればと考えております。
先生、毎日ブログの更新ありがとうございます。先生のご活躍の話、そして支援者の方々の話、とても為になっております。今自分が何をするべきか?考えさせられる思いでいっぱいです。長文になりましたが先生お身体御自愛ください。いつもありがとうございます。
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先生、〇〇〇〇です。市橋君の様子をお知らせくださりありがとうごさいました。前より顔色がよかったとの事でほっとしました。また私たちが差し入れに行った時の様子も話してくださり拝む思いです。それに私達が送ったダウンジャケットが役立ったとの市橋君の言葉に涙がでました。先生保護司の事ありがたく思います。私もこれからいろいろ勉強し、少しでも市橋君のお役にたてたらと思ってます。先生、私にできる事ならなんなりと命じてください。先生と市橋君のお役にたてたらと願っております、先生小菅のホームから撮った東京拘置所の写真お天気が悪かったにもかかわらず、とてもきれいに撮れてます。さすがですね。 11日、公平判決でありますよう祈ってます。先生いつもお忙しいのにありがとうこざいます。またお会いできる事楽しみにしております。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。そうでしたか・・・、市橋さんの顔色が良くなられたそうで、とても安心致しました。元気とまではいかないでしょうけど徐々に回復していらっしゃるのでしょう。もう少しです!もう少しで山場は超えるのです!
やはり、市橋さんは先生が送られた本をいつも肌身離さず、心の支えにしていらっしゃるのですね。そして、支援者からの支援も・・・。私も2度も立て続けで厚かましいかと迷いましたが差し入れて良かったと思っています。手紙も送ってよかったと思っています。私からの手紙が無事届いていればですが(今更ですが手紙の中に「ゾロ目」という言葉を使ってしまったので、それが「賭け事を連想する」などという理由で市橋さんの手元に届かなかったら、「しまった! どうしよう!」という思いです)・・・。 先生の送られた「支援者リストの最終版」につきましては「支援者の名前が外に漏れて私が受けているような嫌がらせの目標にされないように、十分取り扱いには気を付けるように」と市橋さんに注意されたそうですが、仮に私の名前が漏れて嫌がらせの目標にされることがあっても、私は十分覚悟しています。そうでなければ私は支援に踏み切ることはありませんでした。私はにわか支援者ではなく永く支援していくつもりです。(本山:自分の顔も出さずに一方的にあーでもないこーでもないと批判的なことを言ってきたり、迷惑電話を繰り返しかけてくるような人は、人間として卑怯なだけでなく、ネット中毒で誰かに相手にしてほしい孤独な性格か、常識の欠けた異常性格者か、最終的には支援者の弱みを掴んでお金を振り込ませることを狙った振り込め詐欺の可能性もあり、家族や周りの人にも迷惑が及ぶこともあり得ますし、何をするかわかりませんので支援者にとっては危険です。)「どういう判決がでても、しっかり受けとめて、腐らずに前向きに生きるように」とおっしゃったのですね。私が市橋さんに言いたいまさにそのものです。
判決の日は、天気予報で調べたのですが、雨の、はっきりしない天気になるそうですね。でも判決は納得のいくものになって欲しいと思います。決して以前にも書いた外交など司法以外の要素がからんだおかしなものにならないようにと祈っております。市橋さんが「晒し者になりたくない」と望んでいらっしゃるので、私は今回も傍聴はしませんが、傍聴に行った気持ちで見守っています。でも、いつか、市橋さんと直接お話できる機会があればと思っています。手紙や差し入れももちろん大事ですが、直接市橋さんを自分の肌で感じて自分なりに気づいた直感でメッセージを伝えたい、といつも思っています。
ところで先生は「市橋さんの保護司になるように調べられる」とのことですが、先生は市橋さんと養子縁組なさるということでしょうか? 保護司といえば、(少年)犯罪の加害者のために保護司の方が出所(仮出所)間近に、出所に間に合うように加害者と養子縁組を・・・と聞いています。保護司と加害者との養子縁組は密かになされると聞きます。ですが、それが(加害者の質にもよりますが)再犯などであだとなって養子縁組がバレて保護司の方が相当の嫌がらせを受けるとも聞いたことがあるのでとても心配です・・・。 市橋さんの場合は先生を裏切ることはないとは良くわかっていますが・・・。それでは、明日も、お体に気を付けてお仕事に、ジョギングに、支援活動に・・・無理をせず、頑張ってください。
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今日は千葉大学松戸キャンパスに走友会の仲間が13人集まって練習会をしました。いつも走る江戸川堤防ではなく、松戸側から葛飾橋を渡って東京都側の水元(みずもと)公園に行き、小合溜(こあいだめ)に沿って公園内を2時間ほど走りました。前半はみんな揃って走っていたのですが、後半はいつもの通り無言のうちに競争になり、私はやっぱりついて行けずビリで大学に戻りました。その後はシャワーを浴びた後、学内の生協で総会と懇親会でしたが、乾いた喉に仲間と飲むビールのおいしかったこと!
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2012年4月6日金曜日
朝10時ちょっと前に綾瀬駅について、西口改札で約束していた支援者の到着を待ちました。間もなく到着されたので一緒に東京拘置所に行きました。支援者の方は拘置所の前にある外のお店に立ち寄って差し入れ品の注文をしました。11日(水)の判決後も、受刑する刑務所に移されるまで数日は東京拘置所に滞在する可能性が高いということから、弁当を12日(木)、13日(金)、16日(月)に配達されるように手配したとのことでした。私は面会の受付窓口に行って申請書を提出しました。今日は1階の待合室で順番が来るまでしばらく待たされました。運動中とか入浴中というアナウンスはありませんでしたが、もしかしたら私に見苦しい顔を見せないために髭(ひげ)を剃っていたのかもしれません。
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2012年3月31日土曜日
3月29日に振り込まれた方の支援金1万円が届き、お気持ちはありがたいのですが、どう取り扱うべきかちょっと困惑しています。この方は2010年5月に初めて振り込まれて以来、ほぼ毎月振り込まれて今回は22回目です。住所とお名前は記載されているのですが、電話番号とメールアドレスは記載されていませんのでどういう方かはわかりません。
3月1日と3月9日のブログで、支援金の振り込みは3月10日までで終わりにして下さいとお願いし、それまでの支援金は全額を払い出してすでに菅野弁護士にお届けし、現在「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」としての募金活動は停止している状態です。この支援者はブログをご覧になっていないのか、ご覧になった上で、市橋達也君の更生を支援する目的で振り込まれたのか、あるいは私が4月6日に面会に行く時に市橋君に差し入れてほしいという意味で振り込まれたのか、判断ができません。ご指示がなければ、4月11日の判決までこのまま預からせていただいて、その後どういう対応をするかによって書留便で返却するか別目的で使用させていただくか考えたいと思います。手続きが複雑になりますので、今まで毎月定期的に振り込まれてこられた他の支援者の方も、判決以降の方針が固まるまで、今後の振り込みはしないようにお願い致します。
今日は千葉県松林復活プロジェクトの共同研究に参加しているメンバーが千葉大学園芸学部に集まって打ち合わせ会をしました。千葉県における松林の被害材積量は、2007年まで行っていた有人ヘリコプターによる薬剤(有機リン殺虫剤)の散布を中止して、2008年からネオニコチノイド剤と呼ばれる別の薬剤の地上散布に切り換えてから4年間で3.1倍に増加しました。特に昨年の房総半島南端の平砂浦や九十九里浜における激害の発生は、経済状況の厳しい中にもかかわらず千葉県の松くい虫防除事業予算の増加をもたらし、薬剤防除事業に4千830万円、被害木駆除事業(松くい虫で枯れた木は伐倒駆除しないと翌年の発生源になるので)に8千770万円、で計1億3千600万円(前年比17.2%増)の予算を計上しています。人間の病気でも同じで、感染症が流行している限りは感染症を抑える努力をせざるを得ませんが、防除方法を変えてからわずか4年間で被害が3.1倍にも増加したのですから、その原因を明かにして根本的に防除方法を見直す必要がありそうです。
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2012年3月30日金曜日
今日は支援者の1人が東京拘置所に差し入れに行かれている筈です。4月11日の判決で刑が確定しますと、その後どういうスケジュールでどこの刑務所に移されるのかわかりませんし、面会の回数も制限が厳しくなりますので、私は4月6日(金)にもう一度面会に行って市橋君の様子を確かめてくると同時に、どういう判決になっても落ち込まないように励ましてくることにしました。今週の月曜に差し入れに行かれた支援者も、同じ日にもう一度差し入れに行かれるとのことですので、現地でお会いできるかもしれません。これで、今のところ判決日までで支援者による差し入れが予定されているのは今日3月30日(金)、4月6日(金)、4月9日(月)で、面会は4月6日(金)ということになります。
東京農業大学のキャンパスは春休み中の筈ですが、農友会と呼ばれる課外活動をしている大勢の学生たちの元気な姿が見られます。グランドでは長距離走、短距離走、競歩、サッカー、百周年記念講堂の前の広場ではダンス、野球場では対外試合をしている野球部、常盤松会館と呼ばれる武道場では少林寺拳法部と剣道部の姿が見えました。
私は昼休みに大学の周りを約4Km ジョギングしました。付属の第一高等学校のグランドに沿って桜の若木が何本か植えられていますが、カワズザクラとヒカンザクラとラベルしてある品種の木は花が咲いていてちょうど今が満開でした。道行く人が何人も立ち止まって携帯のカメラで写真を撮っていました。濃いピンク(カワズザクラ)と淡いピンク(ヒカンザクラ)の花の美しさに魅せられたのでしょう。あんまり見事なので、私もジョギングの後で愛用のカメラを持って行って撮影してきました。ソメイヨシノは大木・老木が大学側に沿って植えられていますが、蕾(つぼみ)が大きく膨らんでいました。まもなく一斉に開花して、道行く人々を楽しませてくれる筈です。(写真はクリックすると拡大できます)
夕方、東京農業大学からの帰りに千葉大学園芸学部の共同研究をやっている研究室に寄って、大学院生(中国からの女子留学生)?と実験データについて検討をしました。分析の結果があり得ない異常な値を示していたので、追加実験を指示しておいたのですが、その結果、何故異常な値を示していたか原因がわかりました。殺虫剤を抽出するのに使った試薬特級の有機溶媒(純度99.5%以上)に微量含まれる不純物が濃縮されて、HPLC(高速液体クロマトグラフィ)分析で分析対象殺虫剤と重なって検出されていました。結果を公表する前に原因がわかって私も安心しましたが、彼女も実験をする時はあらゆる可能性を考えて実施しなければいけないということがわかって、一つ勉強になった筈です。若い時は私自身もそうでしたが、学生はこういう失敗の経験を通して、科学者としての目が訓練されていきます。
アメリカの空手の弟子から、私の恩師の故W.C. Dauterman 教授の奥さん(今はオレゴン州在住)がノースカロライナ州のローリー市に来ているというメールが届きましたので、知らせてくれた奥さんの携帯に電話をしました。糖尿病をはじめいろいろな健康問題があるので、月曜に昔から診てもらっているデューク大学の医師に診てもらう予約がとってあるのだそうです。膝関節も股関節も痛みが酷いので、その後でorthopedics(整形外科)も訪ねる予定とのことでした。奥さんは私より10才年長ですから、この6月で80才になるそうですが、太り過ぎの問題も抱えています。ホテルに滞在していても、あちこち痛みが酷いので歩くこともできないと惨めそうな声でした。私が側にいればお世話できるのですが・・。ジョージア州アトランタの友人を訪ねている長男が日曜の夜に帰ってくるのを待っているしかないようでした。アメリカ(の田舎)のように車がなければどこにも移動できない社会は、老齢になって運転ができなくなった人には厳しい社会になります。
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2012年3月29日木曜日
NIEHS(National Institute of Environmental Health Sciences 米国環境健康科学研究所)に勤務しているアメリカ人の友人から、いわゆる化学物質過敏症に似た症状に関する興味深い情報が送ってきました。
1つは、The New York Times Magazine on line http://www.nytimes.com/2012/03/11/magazine/teenage-girls-twitching-le-roy.html?_r=1&ref=magazine&pagewanted=all
にSusan Dominus という女性記者が2012年3月7日に報告したWhat Happened to the Girls in Le Roy(ルロイの少女たちに何が起こったのか)と題した記事です。
もう1つは、NPR(National Public Radio 公共ラジオ局) http://www.npr.org/2012/03/10/148372536/the-curious-case-of-teen-tics-in-le-roy-n-y
のAll Things Considered というラジオ番組(6分45秒)でホスト役のGuy Raz 氏が上記のDominus 記者にインタビューし、The Curious Case of Teen Tics in Le Roy, N.Y.(ニューヨーク州ルロイの十代の少女に起こった不思議な痙攣症状)と題して2012年3月10日に放送した内容の筆記録です。
両方とも同じ事件を扱っているのですが、ニューヨークの西部の人口7,500人ほどのルロイと呼ばれる小さな町の学校で十代の女子生徒たちに起こった原因不明の痙攣(けいれん)症状を扱っています。チアリーディングチームに属する一人の女子生徒が、昼寝の後にあごが震えたり、顔が痙攣する症状を経験し、それが同じ学校に通う十代の女子生徒18人に次々に広がったという事件です。学校の水や運動場の土に何か有毒な化学物質が含まれているのではないかと疑われて、学校であらゆる可能性について調査・分析したにもかかわらず、何も異常を発見できず原因を特定できませんでした。この事件はCNN(Cable News Network、アメリカのケーブルテレビ向けのニュース専門放送局)テレビやフェイスブックなどでも注目を浴びて取り上げられましたが、結局、神経科医の診断はConversion Disorder(ストレスの感情が転換されて肉体的症状となって現れる病気)と、多くの女子生徒で同様の症状が見られたことからMass Psychogenic Illness(大量発症心因性体調不良、別名Mass Hysteria 流行性集団ヒステリー)であるということになりました。
これは、私が本山直樹Website http://sites.google.com/site/naokimotoyama で何回も指摘しているように [例えば、http://sites.google.com/site/naokimotoyama/old/2009/090827 過去の記事#5 薬剤散布による健康影響の根拠として放送された映像の検証(2009年8月27日)] 、実際には因果関係はないにもかかわらず、松くい虫防除で散布された薬剤で体調が悪化したと思い込んで健康被害を訴えるのとよく似た現象です。ただそれだけなら個人の問題ですが、それがメディアに大きく取り上げられて政治的な圧力になって薬剤散布が中止に追い込まれると、せっかく何十年もかかって育成してきた松林が松枯れで保安林としての機能を果たさなくなって、地域住民の生存環境が危険にさらされることになり、国民に大きな被害をもたらします。
The New York Times Magazine の記事は問題をさらに深く掘り下げて、環境に問題がないことを認識すれば症状は急速に改善するが、何が原因かわからないからと無意味な毒性物質の探索にお金をかけたりすると不安感が増大し、かえって長期的な心理学的問題の発展(つまり化学物質過敏症=化学物質恐怖症に罹って長期間苦しむ)につながることを指摘しています。この記者は、こういう症状が発症する医学的メカニズムや、Mass Psychogenic Illness についても、わかっていることとわかっていないことをちゃんと区別して紹介しています。Susan Dominus という女性がどういうバックグランドを持っている記者かわかりませんが、難しい問題をあくまで科学的に報告した大変すばらしい記事だと思います。
今日は上記の記事と、松がれのメカニズムに関する論文を読むのに時間を使いたかったので、江戸川堤防を6Km だけ走ってきました。すっかり春で、斜面に寝転がってひばりのさえずりを聞きながら青空を眺めている人もいました。
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2012年3月28日水曜日
一昨日(26日)に差し入れに行かれた支援者から以下のお便りが届きました。
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今晩は。昨日東京拘置所に伺いました。売店で、お菓子、パン、お弁当、お花を差し入れました。先週、新幹線で来られた支援者の方もお花の差し入れされたと伺いましたので、日にちをあけて週末に届くようにして頂きました。
それから、桜と京都の庭園のPostCardを数枚と現金を差し入れました。刑の確定後に、市橋達也さんはどちらの刑務所に収監されるか分かりませんが...刑務所の施設見学をした際に、千葉刑務所の運動場の周りには、桜の木が並んでいました。もしかしたら、来年は桜が見れるかも知れないですね。
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このところ走れない日が続いていたので、今日は天気予報が予告していた雨が降る前にと思って昼に江戸川堤防をゆっくり18Km 走ってきました。ウィンドブレーカーのポケットに愛用のデジタルカメラを入れて走りながら、途中で寄り道をして写真を撮りました。江戸川周辺の景色もすっかり春らしくなって、あちこちにいろいろな花が咲いていました。市橋君はもうこういう春の景色を直接見ることはできませんが、上記の支援者が差し入れて下さった絵葉書を見て、彼の記憶にある春の景色を思い出して見ているのかもしれません。私たちは普段は毎日の生活に追われて忘れていますが、ちょっと立ち止まって見れば、こういう自然を通して季節の変化を肌で感じられるということは、実は大変恵まれていて幸せなことだということに気付かされます。幸せというのは、よく言われるように物質の豊かさではなく、心の持ちようなのでしょう。
今日はある古い書類を見つける必要があってパソコンに保存してあるファイルを調べていたら、5年前に千葉大学空手部創立50周年記念号の部誌に投稿した原稿と、4年前に投稿した原稿が見つかりました。前の原稿は部長(顧問教員)として部の在り方について論じた挨拶文で実際に掲載され、後の原稿はちょうど4年前の私の定年の直前に部の歴史を残しておこうと思って書いたものですが、現在の空手部の指導陣によって差し障りがあるということで却下されて掲載されなかったものです。学生時代(今から約50年前で20才くらいだった筈)に新入生が入学してくる前に私の提案で空手部有志で大学中の旧式のトイレの落書きを消して掃除をしたことや、これらの原稿では触れていませんが、アメリカ滞在中はアメリカから空手をオリンピック種目にしようとして各流派の指導者を説得して武道連盟を作って努力したことなど、若い時の怖いもの知らずの自分が懐かしくなりました。市橋君の支援活動とは直接の関係はありませんが、興味のある方のために紹介しておきます。こういう経験を経て、現在の私があるということです。
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千葉大学空手部部誌(昇龍)15号/五十周年記念号2007年年9月30日発行 掲載挨拶文
創部50周年に際して-千葉大学空手部のあるべき姿とは?
千葉大学空手部部長 本山直樹(第10代主将)
千葉大学空手部の歩みを見ると、昭和32年(1955年)1月に福士和夫先輩が同好会を結成し、同年4月に正式の空手部が創設されて高橋洋一先輩が初代の主将に就任している。高橋先輩は、元々松涛館流空手の有段者だったのに玄制流創始者の祝嶺(しゅくみね)制献先生の門下生になり、埼玉大学に空手部を創設後千葉大学に空手部を創設するために転学してきたと聞いた。空手の歴史をたどれば遠くインドに源流があるとされ、仏教とともに中国に伝えられ、それが当時独立国であった沖縄に伝えられ独自の発達を遂げたとされている。沖縄から日本に伝えられたのは1900年代初期とされているので、たかだか100年くらい前のことである。関東を中心に松涛館流を広めた富名腰(船越)義珍、関西を中心に剛柔流を広めた宮城長順、・・・祝嶺先生はもっと最近になってからであるが、やはり沖縄から日本に来て空手を広めた一人である。従って、長い歴史のある柔道や剣道と異なり、日本での空手の歴史は浅く、未だに流派ごとに型も練習方法も異なり、試合のルールさえ統一されていない。そういう状態の武道は、いきおい各流派が「俺が」「俺が」と自己優越性を主張し、勢力を拡大しようとする。大学空手部はいったん流派が入り込めば、毎年新しい部員が入ってきて毎年経験を積んだ部員が卒業していくので、その流派にとっては勢力拡大の絶好の場所になる。当初、高橋先輩が千葉大学に転学してきたのも、祝嶺先生の使徒として玄制流を広めようという使命を帯びていたのかもしれない。
一方、大学・学生の立場からすれば、空手部に入るということは教育の一環としての課外活動に参加することに過ぎない。一般に日本では私立大学の運動部は、箱根駅伝で見られるように、大学の宣伝も兼ねて優勝するような強いチームであることが求められている。国立大学でも、体育学部のある筑波大学のようなところは別としても、ある時期の京都大学のアメフト部がそうであったように、指導者と部員に恵まれれば目覚しい活躍をする場合もある。どの運動部も優勝を目指して練習に励み、それが実現した時には達成感に酔い、大学や社会やOB会からはよくやったと褒められる。しかし勘違いしてはいけない。基本的には、私立・国立を問わず大学の学生にとっては各専門分野の勉強をすることが主であり、それが大学に入学してきた目的であり、空手の練習をすることは従である。選手になって必死に練習して大会で優勝しようと思う学生もいれば、許される(勉強の障害にならない程度の)時間内でほどほどに練習してほどほどに強くなればよいという学生もいる。運動神経は普通以下でも、仲間の部員と一緒に汗を流したり、練習後の時間を一緒に過ごすことによって、得られる友情を大切と思う学生もいる。千葉大学空手部は、それら全ての学生を受け入れられる空手部であってほしいし、今まで50年間実際にそうであったと思う。選手になって大会で華々しい活躍をした部員もいれば、違う場面で著しい貢献をした部員もいる。それでいいのだ。空手のように大学に入って初めて習い始める学生がほとんどのスポーツでは、上級生やOB会や流派の師範の指導なしにはまともな練習も上達もおぼつかないが、全員で空手の技の習得と大会での優勝を目指して練習を重ね、また自分達で部を運営することを通して、専門分野の勉強とは別の、課外活動の本当の目的-人間としての成長-を達成できるのだ。大会の成績だけで部を評価してはいけない。日本の空手界がいまだに流派単位で動いている現状は残念だ。その分だけ、OB会が団結して後輩に技術的、精神的、経済的な支援をしてほしい。福士先輩と高橋先輩が50年前に蒔いた種をしっかり育て、次の50年の世代に引き継ぎたいものである。
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千葉大学空手部部誌(昇龍)16号原稿 2008年3月提出 掲載却下された挨拶文
部長退任にあたって-私の過ごした時代の空手部
空手部部長 本山直樹(第10代主将)
1.はじめに
昨年は創部50周年の記念祝賀会が盛大に開催され、久し振りに顔を合わせた昔の仲間達と楽しい一時を過ごした。これから次の50年に向けて一歩を踏み出したわけだが、私自身は本年3月末をもって千葉大学を定年退職するので、顧問教員としての空手部部長も退任することになる。この機会に、部誌15号で紙数の都合で掲載されなかった拙著原稿の前半部分「私の過ごした時代の空手部」を、部がたどってきたある時代の足跡として残しておきたい。歴史を後輩に伝えるという意味だけでなく、将来部のあり方について迷いが生じた時に考える上の一助になれば幸いである。
2.昭和37年~41年(1962年~1966年)
私が入学した昭和37年(1962年)当時の千葉大学は、新制大学の多くがそうであったように典型的な「タコ足大学」のひとつであり、文理学部は稲毛に、薬学部、看護学部、医学部は亥鼻に、教育学部附属学校は四街道に、工学部、園芸学部は松戸にキャンパスがあった。入学後最初の2年間は教養課程で、どの学部の学生も全員稲毛で過ごし(文理学部の先生方が教養科目を担当していたので)、その後各学部に分かれて専門の教育を受けるという仕組みであった。特に園芸学部と工学部の学生にとっては、教養の単位を落すと、3年生、4年生になってから松戸から稲毛まで通って単位を取り直さなければならず、時間的に大変であった。その後、西千葉の東京大学第2工学部の跡地に統合キャンパスができ、先に移転していた教育学部に続いて、文理学部(後に文学部、法経学部、理学部に発展)も工学部も薬学部も移転して集まってきた。
入学時の空手部の道場は稲毛にあったプレハブの建物で、剣道部が半分、空手部が半分使っていた。部長は五味淵(ごみぶち)正詞教授、主将は教育学部の宮澤(現鈴木)幸辰先輩、師範は玄制流創始者の祝嶺制献先生であった。私が1年生後半-2年生前半時代の主将は文理学部で心理学を専攻していた鈴木和男先輩で、師範は来司(くるす)節三先生に変わった。時々は、千葉大学空手部の創設に関わった高橋洋一先輩が指導に来てくれていた。この辺の事情は当時をよく知っている誰かが書いてくれるかもしれないが、祝嶺先生と高橋さんの関係が不仲になり、高橋さんと来司先生とは祝嶺先生門下の兄弟弟子の関係であった。元々高橋さんが指導をして、関東甲信越学生空手選手権大会団体戦2年連続優勝をはじめ千葉大学空手部全盛期を築いていたのを、高橋さんの先生にあたる祝嶺先生が直接指導にこられるようになったとのことであった。指導者の問題がこじれたり、部が困難に直面した時には、常に当時高校教師をしていた鈴木卓先輩が指導にきてくれて部をまとめてくれた。私が2年生後半-3年生前半時代の主将は文理学部の早澤健夫先輩で、その後を私が継いだ。名簿を見ると、同じ学年で主将を交代した年代が2つあるので、私が第10代目の主将ということになる。
当時の練習は月曜から土曜まで毎日あり、金曜と土曜は2年生以上は各専門学部で授業を受けていたので、園芸学部生は松戸の道場(といっても、校舎新築後取り壊さずに残っていた古い木造校舎の教室を事務に許可をもらって床の修理をしたり、割れている窓ガラスを入れ替えたりして道場に転換したもの)で練習をした。月曜~木曜は、朝早めに登校して稲毛キャンパスの校庭に立ててあった巻きわらを30分くらい叩くことから始まり、昼休みは部員全員グランドに出て追い突き・逆突き・前蹴りなどの基本練習を約1時間、放課後は道場で2時間くらいの基本・型・組み手の練習、その後1時間くらい居残って個人練習、・・・といった日課であった。当時私は埼玉県の蕨から片道約2時間かけて電車通学していたが、帰りは疲れて居眠りし、よく秋葉原駅で乗り換えができなかったり、蕨駅で乗り過ごしてしまったことを思い出す。先日久し振りにOB総会に出席した帰り、渡辺新一先輩と一緒に西千葉の学内を歩いていたら、あちこちにペットボトルやゴミが散乱しているのを見て、「空手部はランニングしながらこういうのを片付けて回れば他の学生達の尊敬を集め部員も増えるのに」とつぶやいておられた。本当にその通りだと思う。私達が教養課程の学生だった頃、千葉大学はまだ木造の古い校舎と汲み取り式の汚らしい便所を使っていたが、1年生から2年生になる時の春合宿中に空手部で稲毛キャンパス中の便所の落書き消しと掃除をして回ったことを思い出した。1年後輩の栗林洋君に最近借りた部誌2号(昭和39年発行)にも、私の「空手と自分」という小文の中でそのことについて書いているのを偶然見つけた。私が過ごした4年間当時の空手部は千葉大学の全体育会系サークルの中で、最も活躍し、最も活発な、最も尊敬されていたサークルであった(少なくとも部員は皆そう思っていた)。しかし、私自身は主将の任にありながらあまりにも空手に時間とエネルギーを費やした反動として、そのような学生生活の過ごし方に疑問を抱くようになり、夏の関甲信大会後から翌年の関甲信大会後までという任期を全うせずに4年の途中で主将を辞めることになった。その辺の心境は、部誌3号(昭和40年発行)に書いた「空手の位置」に吐露しているが、辞めることができたのは、私自身の苦しみと、そんな主将の下で号令をかけられる後輩を救おうという配慮で、同期の池田貞雄君が「本山、主将を辞めろよ」と言ってくれたお陰である。それにしても、当時の文章を見ると、いくら若かったとはいえ何と思いつめたゆとりのない考え方をしていたことか! 若さゆえの融通のきかない視野の狭さを表していると同時に、純粋に思いつめることのできた若さゆえの特権をも表しているのだろう。
結局、私が主将に就任して間もない昭和39年10月の関甲信大会では千葉大学空手部は惨敗(記録を見ると、個人戦ではHH級で浜田紘生先輩が優勝しているが)し、3年連続して団体戦優勝を逃した。それがきっかけになり、OB会から指導者責任が追求され、来司先生の解任が決まった。次の指導者選びが始まったが、まだ4年生はいたもののすでに現役を引退していたので、その選択は私達3年生の現役幹部の肩にかかることになった。私にとっては非常につらい時期であった。当時、祝嶺先生と高橋さんの関係は最悪の状態になっていて、高橋さんは埼玉大学OBの岩谷忠也さんや青木孝影さんや石川正夫さん達と一緒に日本空手道玄和会という新しい組織を立ち上げ、祝嶺先生は千葉大学空手部OBの境一成先輩、池田正喜先輩、横田弘先輩、加藤満雄先輩らに囲まれて、千葉大学を玄制流空手発展の基幹道場にしようという計画を持っていた。現役幹部は何回も集まって相談をし、4年生の意見も訊き、卒業した先輩達にも会って話を聞き、結局最後は高橋さんに玄和会会長としてではなく、一人のOBとして指導を委ねることにした。心を鬼にして境先輩らにその決定を伝えに行った時のつらかったこと・・・。予想に反した回答に唖然とした境先輩の表情を今でも覚えている。私達は、大学空手部は教育の一貫としての課外活動の一つとして存在するのであり、いくら玄制流の創始者といえども大学空手部が一流派の支部組織になったり、その発展のための基幹道場として位置づけされるのは学生が構成員の大学空手部にとって正しくない、と考えたのだった。従って、私と池田貞雄君の二人は個人的に玄和会に入会するが、千葉大学空手部は独立して存在し玄和会支部にはならない、という約束を高橋さんと交わした。千葉大学空手部にはすでに昇龍会というりっぱなOB会があったので、流派に依存しなくてもOB会の支援があれば独立してやっていけると思ったからだ。それ以前からすでに、昇級・昇段審査もOB会が実施し、免状は千葉大学空手審査委員会(五味淵正詞空手部部長)の名前で発行していた。審査料はOB会に入り、それは全て現役の空手部の支援に使われていた。
その後、祝嶺先生の周りにも、高橋先輩の周りにもいろいろなことがあって、現在の状況につながっている。関甲信大会にも自由組手部門が加わり、防具組手部門はむしろ少数派になった。しかし、いかなる時にも大学空手部として忘れてならないことは、学生は流派や組織の勢力拡大のための道具ではないということ。今や祝嶺先生も高橋先輩も視界から去り、現在は横田先輩を中心に空手部は動いている。これは、OB会と現役諸君が選択した道であり、横田先輩がひっぱってくれている限り、千葉大学空手部を正しい方向に導いてくれると信じている。いや、玄制流の流れを継承し、師範として千葉大学空手部を指導してくれている横田さんを、OB会は過去のわだかまりを捨てて一丸となって応援し、サポートしていこうと言うべきかもしれない。
3.おわりに
私自身のその後の経験については、部誌15号で「卒業後の私の空手活動」としてすでに掲載されたので繰り返さない。定年退職後は時間的にゆとりができる筈なので、ジョギングを再開して再びフルマラソンを走れるようになりたいし、自然の中でフィッシングもやりたいし、空手の稽古にももっと時間が割けるのが楽しみである。これから本当に自分がやりたいことをやれるという期待で胸がわくわくしている。多分、日本とノースカロライナ(USA)との間を行ったり来たりという生活になるだろう。空手の世界にも千葉大学空手部にもこれからいろいろ変化があるだろうが、新部長、横田師範、安藤監督、OB会の指導によって、入部してくる学生諸君に素晴らしい経験を与える場にしていってほしい。
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2012年3月27日火曜日
昨日宅配便で発送した差し入れ品が今日には東京拘置所に届いた筈ですが、検閲を無事通過して市橋君の手元に届いていれば、今頃支援者リストや私からの手紙を見てどう感じていることでしょうか。昨日は支援者のお一人も午後の遅い時間に東京拘置所に直接差し入れに行かれた筈ですので、それも彼の手元に配達されている筈です。多くの支援者は市橋君を家族のように思ってくれているということが、息子の行為で亡くなったリンゼイさんのご遺族への配慮から身動きがとれない市橋君のご両親に代わって、彼の心を温め、前向きに保つ支えになっているのではと思います。
私は午前中に歯医者に行って3ケ月に一回の定期的なクリーンアップと、詰め物がとれたところに樹脂を詰める治療をしてもらいました。それから千葉大学園芸学部に寄って、約束していた博士課程の女子学生と会って就職活動の助言をしてあげました。現在応募している会社名を聞いて、提出した履歴書や応募書類のコピーをもらってきました。今は就職難で買い手市場の時代なのでご利益はないかもしれませんが、それぞれの会社の関係者に私がよく知っている千葉大学の優秀な学生が応募しているので人物をよく見てほしいと一言電話をしておこうと思っています。
千葉県の環境研究センターへの配置換えが決まった元学生からは、「放射線業務を中心に研究・調査を行う担当になりました。」という連絡が届きました。大学院在学中に勉強して1種放射線主任者資格を取得しておいたことが、役立ったと実感していますとのこと。学生諸君には常々、自分の専門分野をしっかり勉強すると同時にできるだけ何にでも興味を示して基礎を広げるようにと助言をしてきましたが、この元学生の場合は昨年の福島県での原子力発電所の事故で放射能汚染があちこちに広がったということとタイミングが合って、彼の能力を生かす職場が与えられたようです。
先日は新潟県胎内(たいない)市の日本海に面した海岸の松林の松くい虫による激害状況を視察してきましたが、今日は県庁の担当者から農薬散布の効果と飛散問題について講演依頼が届きました。すぐ承諾の返信をしましたが、私たちの長年にわたる調査研究の成果が現場で役に立つのは嬉しいことです。5月の連休明けの週に再度新潟県を訪ねられるのは楽しみです。
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2012年3月26日月曜日
東京拘置所の市橋君宛に、次の手紙と一緒に「支援者リスト最終版」(A4版26ページ)と「空手道教範」(本)を宅配便で発送しました。私と市橋君がどういう会話をしているか、支援者の方々にお知らせするために紹介しておきます。偶然ですが、支援者からのお便りに、今日3月26日はリンゼイさんの命日ですとありました。あれから5年経ったことになります。
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今日は、就職活動をしている博士課程の女子学生と朝10時に彼女の研究室で会って少し相談にのる約束でしたが、朝8時頃、自転車で駅に向かう途中で車との接触事故があって救急病院に行くので約束の日時を延期してほしいとの携帯電話からのメールが届きました。大事に至らなければいいがと祈っていましたら、その後軽い打撲だけで済んだとの連絡が入ったので、明日の朝会う約束をしました。日本の社会では、女子学生の博士号取得予定者の就職は非常に厳しいことはわかっていますが、学業も意欲も人間的にも優秀な学生ですので、できるだけ応援してあげたいと思っています。
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2012年3月25日日曜日
支援者リスト最終版の作成ができました。延べ人数485人、実人数158人でしたので、多くの方が繰り返し振り込んで下さっています。20回以上の方が4人もおられ、最多は34回でした。1回の振り込み額は千円から10万円までありましたが、支援金総額は当初目指した100万円をはるかに上回る447万428円に達しました。記録を整理しながら、皆さまの温かいお気持ちが伝わってきて胸がじんとなりました。ありがとうございました。
少数ですが、現金を郵送または手渡しをされた方もおられるので、明日もう一度ゆうちょ銀行から届いた振替受払書類1枚1枚と合わせて間違いがないことを確認しようと思います。
3月18日にテレビ東京で放送された番組「ニッポン事件簿~犯人はなぜ逃げるのか~」を制作した株式会社ダイナマイトレボリューションカンパニー(東京都港区)がDVDを送ってくれました。再生してもう一度観てみようと思っています。ごく普通の元学生だった市橋君が何故あのような事件を起こしたのかは、本人はまだ話せる段階ではないようですので、他人は想像するしかありません。私が取材に対して、当時の市橋君はストレスで精神的に追い詰められた状態だったようだと答えたことが番組で紹介されていました。精神的に追い詰められていたとしても、それで罪を犯すことが許されるわけでないことは当然です。ただ、いずれ時期がきたら、何故普通の人間があのような行動をとったのか解明することは、同じような悲劇(被害者にとっても、加害者にとっても、それぞれの家族にとっても)が起こることを避けるために重要な筈です。
運動着に着替えて江戸川に走りに行きましたが、途中から葛飾大橋を渡って東京都側にある水元(みずもと)公園に寄って2時間近く歩き回りました。昔は都立江戸川水郷公園と呼ばれ、東京都の水産試験場もあっ場所だそうですが、約90ha の広大な面積に広場やベンチや水路が配置されていて、水草の展示もありました。大きな水路は小合溜(こあいだめ)と呼ばれますが、地図を見ると中川につながる大場川から取水しています。江戸川もすぐ近くなので、昔は溜まりではなく江戸川ともつながっていた水路の一部だったのかもしれません。江戸川も昔はアユの獲れる清流だったそうです。埼玉県の三郷(みさと)と千葉県の松戸と東京都の金町(かなまち)が接するこんな近い場所にありながら、今まで時間や気持ちの余裕がなくて一度もゆっくり散策したことはありませんでした。今日は歩数計を兼ねた携帯電話のカメラしか持っていませんでしたが、何枚か写真も撮りました。今度もう一度愛用のデジタルカメラを持って、ゆっくり散歩してみようと思います。
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2012年3月24日土曜日
先日パソコンからプリントした入金記録簿を一つ一つ見直して、打ち込みミスや変換ミスを訂正する作業をしています。いずれ監査をしてもらうための準備です。それから、市橋君に差し入れする支援者リストの最終版の作成をしています。こちらの方は、①通し番号、②振り込み年月日、③振り込み金額、④お名前、⑤都道府県、⑥振り込み回数だけにして、住所、電話番号、メールアドレス、その他の情報は万が一にでも漏洩(ろうえい)することがないように削除しています。支援者の振りをして振り込んだ「支援者もどき」の人は区別ができるようにしています。2010年2月23日に最初に振り込まれた方から、2012年3月9日に最後に振り込まれた方まで延べ485人分の結構膨大な資料ですから、まだ半分くらいしか終わっていません。明日には完了して東京拘置所の市橋君宛に郵送して差し入れができればと思っています。市橋君には、支援者リストを見ることで、これだけ多くの方々が支援して下さっていることを自覚し、感謝の気持ちを持ってほしいからです。
支援者の中には私が個人的に直接お会いした方もおられますし、直接お会いしなくてもメールのやりとりをした方も、写真を送って下さった方も、一度もメッセージを書かれなかった方もおられますが、こうして記録簿を見直す作業をしながらお一人お一人の顔が浮かび、市橋君に適正な裁判を受けさせたいという絆で結ばれた大きな家族のような親しさを感じます。
千葉大学園芸学部の2年生の時に私の講義を受けて、この4月からは大学院博士課程3年生になる女子学生から就職活動の中間報告のメールが届きました。応募した1つの会社は二次試験で落とされ、もう1つの会社は書類選考で落とされたとのこと。女子で博士号取得者というのは、日本の企業の人事では極めて狭き門で難しいようです。私の評価では、この学生は世界のどこの大学に行っても負けないくらい優秀な学生ですから、その能力を認めて実力を発揮させてくれる就職先が見つかることを期待しています。
もう一人、2007年3月に私の指導の下に博士号を取得した男子学生からもメールが届き、東京都衛生研究所で博士研究員をしてから千葉県の公務員試験に合格して、県の行政の出先機関に3年間配属されていたのですが、この度環境研究センターへの配属が決まったという連絡でした。彼は、農薬や食品に含まれる天然物質やカビ毒の分析ができるだけでなく、放射性同位元素取扱主任の資格も持っていますので、千葉県は放射能汚染の測定などでも彼の力を使いたいのかもしれません。
こうやって、私が関わった元学生たちが相談や報告の連絡をくれるのは、元教師としては嬉しい限りです。
午後雨が上がってから、江戸川堤防を6Km だけ走ってきましたが、このところ走る方は少し怠けているので息が切れてハーハーしました。
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2012年3月23日金曜日
今日はあいにくの雨天になりましたが、千葉大学園芸学部では大学全体の卒業式に続いて、恒例(昨年は東北大震災の影響で中止)の卒業生を送る会が松戸キャンパスで催され、名誉教授の私も招待されて参席しました。名誉教授の参席者は3名だけでした。大学全体の卒業式は千葉市で催されますが、人数が大勢なので各学部の教員は学部長はじめ数名しか参席できないので、式終了後に卒業生全員が松戸キャンパスに戻って、全教員から祝福を受ける卒業生を送る会が催されます。学部長の挨拶、戸定(とじょう)会(同窓会)会長の挨拶、後援会(父兄会)会長の挨拶、学生代表の挨拶が行われ、各学科から2名ずつと、園芸別科(実技教育が中心の2年課程)から1名選ばれた計9名の成績優秀学生の学部長表彰が行われました。今年は女子学生7名、男子学生2名が表彰され、女子学生が断然優位でした。
毎年行われる行事ですが、卒業生たちは今日を節目に、大学院への進学、民間会社への就職、国家公務員、地方公務員、高校教員、中学教員など、各々の道を歩み始めます。喜び一杯の学生たちの姿を見ながら、千葉大学園芸学部において4年間または2年間の課程を修了して巣立つ学生たちに、明るい未来が拓(ひら)けることを祈る気持ちになりました。息子たち、娘たちをここまで育ててこられたご両親にとっても、親の責任を果たした喜びの日になった筈です。
本当は、市橋達也君も7年前のこの時期には、今年の卒業生たちと同じように夢の実現に向かって意気揚々(ようよう)と巣立ったのですが・・。
どの大学にも独自の歴史があるのでしょうが、千葉大学園芸学部のホームページを見ると、http://www.h.chiba-u.jp/overview01.html 1909年(明治42年)に千葉県立園芸専門学校として設立され、1929年(昭和4年)の千葉高等園芸学校への名称変更と文部省への移管換えを経て、1949年(昭和24年)に国立千葉大学の園芸学部になっています。その後大体10~15年間隔で大きな改組が行われ、現在は4学科(園芸学科、応用生命化学科、緑地環境学科、食料資源経済学科)と園芸別科から構成されています。昔は園芸技術に関する教育・研究を特徴とし、実習教育にも力を注いでいましたが、現在は従来の学問分野の境界が必ずしも明確でなくなってきたこともあって、また外部資金(研究費)のとれる分野、社会的関心(ニーズ)の高い分野が突出するようになり、教員の業績評価も発表する論文のインパクトファクター(他の研究者にどれくらい注目され引用されるか)が最重要視されることもあって、従来の実習教育の伝統は急速に失われつつある(教員が真面目に実習教育に時間と力を注いでも、業績として評価されないので)ようです。大学があまりにも社会情勢に流されて、時代によっては猫も杓子(しゃくし)も生産、猫も杓子も環境、猫も杓子もバイテク、猫も杓子も??、というのは基本的に教育・研究機関としての大学には問題だと思うのですが・・。
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2012年3月22日木曜日
支援者のお一人から、来週の月曜26日に東京拘置所に差し入れに行かれるとの連絡がありました。重ならないように、他の方はこの日の差し入れは避けていただければと思います。これまでに差し入れが予定されているのは、3月26日(月)、30日(金)、4月9日(月)です。
支援者から以下のお便りが届きました。
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本山先生こんばんは、昨日のブログ拝見しました。先日の控訴審を傍聴された方も市橋さんの顔色が悪かったと言われてましたが、顔色はまだ悪いままだったのですね・・・
先生が言われていたように、今の市橋さんの精神的負担は計り知れないものがあるのでしょうね。でもそんな状態であっても先生の奥様へのお詫びや、お孫さんの写真を取り上げられたり破られたりするかもしれないからと断る気遣いを見せる市橋さんは、必ず更正できる人だと思いました。
面会中に先生のお孫さんや学生時代の空手部の話題では生き生きとした顔に変わったとありましが、市橋さんにとって事件と関係のない話し(本山:思い出して見ると、確かに、空手や陸上競技や松枯れやローマの街並みや私の孫や、事件とは関係のない話をしている時に市橋君の目が輝いていました)ができるのは弁護士さん以外に本山先生だけでしょうから、またいろんな話しをして元気づけてあげて下さいね。
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本山先生、〇〇〇〇です。接見での市橋君の様子を知らせて下さりありがとうございます。控訴審の時の市橋君は顔色が悪くうなだれて今にも倒れてしまいそうだった姿が頭から離れません。裁判長が具合が悪いようですが大丈夫ですか?と気づかってくれた程でした。今市橋君がどんな気持ちでいるのか考えると私が倒れてしまいそうなくらいです。市橋君が涙で訴えた言葉と声が耳から離れません。拘置所で毎朝リンゼイさんに手を合わせますと泣いていました。三分以上絞めてたら控訴はしないという真実だけは是非立証させてもらわなくてはと思います。先生いつもありがとうございます。
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昨日東京拘置所に同行した支援者からは以下のお便りが届きました。
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昨日は大変お世話になりました。無事に差し入れもできホッといたしました。昨夜、帰宅後はさすがに疲れていたのかいろいろと片付けを済ませて先生にお礼の連絡を、と思っておりましたのに寝てしまいました。遅くなりましたが本当にありがとうございました。
ブログも拝見いたしましたが、市橋さんに私の想いを伝えて頂きましたこと、有りがたく又嬉しく思いました。私が市橋さんに出来ることは、ささやかな事ですが、少しの時間でも気分転換できる差し入れや手紙は続けていきたいと思います。
私は市橋さんのことが本当に本当に心配です。これから市橋さんには色んな苦しく辛い事が有るかもしれませんが、それでも元気でいて欲しいです。強く生きて頂きたいです。
昨日は現金、絵本(書籍は要らないと言われてましたがこの絵本は読んで頂きたかったので)、お菓子類と缶詰、お花、タオル、外のお店でお弁当を差し入れました(本山:昨日のブログの報告では、缶詰、お花、タオルは抜けてしまいました)。度々行けたら良いのですが、それは難しい事なので、ついつい色々と買ってしまいました。市橋さんのお好きものはどれだろう、、と考えながら差し入れました。
市橋さんには私以外にもたくさんの温かい支援者の方々がおられる事を知って頂きこれからも頑張って生きて欲しいと願います。判決後の事は本山先生や支援者の方々に負担がかからない方法を考え支援を続けられたらと思います。
先生、大変お忙しい中いつもお世話になり申し訳ありません。どうかお体にはくれぐれもお気をつけて今後とも宜しくお願い致します。
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今日は埼玉県の平成23年 度農産物安全技術専門委員会が県庁の近くの埼玉教育会館で開催され、私も委員の一人ですので出席しました。この委員会は、テレビ朝日のニュースステーションという報道番組を担当していた久米 宏ニュースキャスターが、1999年2月1日の番組で、埼玉県所沢市産の葉物野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたと発表したことから、風評被害でホウレンソウその他の野菜の売り上げが激減した問題を受けて、2001年1月から発足したものです。当時の様子は http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/tv/dioxin.html に詳細な説明がありますが、高濃度が検出されたのは実際はホウレンソウではなく煎茶だったこともあり、裁判にもなりましたが、最終的にはテレビ朝日側と久米 宏氏が謝罪することで終結しました。
第1回の委員会が開かれた時はメディアが殺到して物々しい雰囲気で、開会前だけ撮影が許され、記者たちは委員会が終わってから各委員から直接取材しようと玄関前で待ち構えていました。県側はそれを避けるために裏口にタクシーを待たせ、委員が記者たちに取り囲まれないように浦和駅まで直行させてくれたのを思い出します。
その後、ダイオキシン汚染問題だけでなく、農産物の残留農薬や、重金属汚染や、土壌からの残留農薬の吸収問題など、食の安全に関する諸問題の実態調査と問題解決方法の技術開発などに関する県の取り組みについて専門委員として評価・提言などをしてきました。ちなみに今日の議題は、平成23年度に県が取り組んだ4つの課題、①ネギ・ナスのカドミウム濃度低減技術、②農薬の後作物への影響回避技術、③農薬の混用による野菜の農薬残留に及ぼす影響、④化学肥料の代替を考慮した堆肥の多投・連用による影響についてと、平成24年度の研究計画についてでした。
委員会は、農薬や肥料や分析や栽培の専門家の他に消費者代表や生産者代表など8名と、委員長の山本 出東京農業大学名誉教授から構成されていますが、山本委員長が高齢(84才)を理由に辞任を申し出られ、代りに平成24年度からは私が推薦されて委員長を務めることになりました。
少し荷が重い気がしますが、私は小学校(3年生の途中で宮崎県小林市の小学校から転入)・中学校・高等学校は浦和で過ごし、大学を卒業するまで埼玉県に住んでいたという縁がありますし、国民の食の安全のために少しでも貢献できるのはやりがいのあることですので、非力を顧みず引き受けることにしました。山本前委員長の見識の広さ・深さには足元にも及びませんが、他の委員のお力を借りて、埼玉県のこの分野における努力の支援ができればと思っています。
今日は埼玉県の浦和に出かける前に、江戸川堤防を6Km だけ走る時間がとれました。
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2012年3月20日火曜日
支援者から以下のお便りが届きました。確かに、日本政府は外交関係を重視して超法規的措置をとることがあります。輸入冷凍ギョーザに毒物(殺虫剤)が混入されていた事件の時も、この問題は千葉県警の協力要請もあって私自身も毒物がどこで混入されたかを特定する研究に関わりましたが、当時の日中首脳会談で国民の知る権利よりも日中の友好関係が重視されることになって、千葉県警の捜査本部も解散させられて、結局うやむやにされてしまいました。この間の経緯については、本山直樹Website http://sites.google.com/site/naokimotoyama/old/2009/090820 の過去の記事#4 輸入冷凍ギョーザの毒物混入事件で経験したこと(2009年8月20日)に詳しく説明してあります。リンゼイさんの事件についても、確かにイギリス大使館からの大変な圧力がかかったようですが、日本は独裁的な国と違って三権分立で司法は行政から独立している筈ですので、控訴審で外交的配慮が影響するようなことはないと信じます。支援する会を今後どうするかについては、控訴審の判決がでてから、いろいろな動きも確認した上で考えていきたいと思っています。
私も適正な裁判を支援する会の活動を通して、全国の多くの支援者の方々と交流できたことは大きな収穫でした。
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先日は、お忙しい中返信のほうありがとうございました。昨日(3月18日)テレビ東京で先生のインタビュー放送されてたの見ました。
控訴審行われましたね。今回も、仕事の都合で傍聴に行けず、テレビでのダイジェストを見ました。涙ながらに謝罪し、本当に三分以上締めたのなら控訴しなかった。その言葉を聞いて胸が痛くなりました。衰弱しきっている感じですし、市橋さんのことが、とても心配です。彼は正直に話し、自分のしたことを真摯に受け止め、反省しているのにどうして信じてもらえないんだろう...。遺族からの意見書の内容も、許せないお気持ちは大変わかるのですが、謝罪をしている人に対して更なる苦痛を与えようとしているなどと言うのはちょっとひどいんではないかなと思ってしまいます。判決は来月の11日とのことですが、今度こそ適性な裁判が行われ、よい結果になることを祈っています!抽選にあたるかわかりませんが、今回は傍聴に行けそうなので、行く予定です。
余談ですが、支援のきっかけは、市橋さん自身がごく普通の真面目な努力家な青年だったこと。偶然先生のブログを発見し、先生の一生懸命さ、優しい素敵な人柄に心を打たれたからでした。ブログを通じて本山先生と出会えたこと光栄に思います。今後ともよろしくお願いします。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。昨日付で更新の先生のブログに紹介された3番目の方のメッセージを拝見して私も思いました。
2010年の尖閣諸島での中国の不審船の事件の際、船長を公務執行妨害で逮捕し、国内法に基づき、勾留延長の決定をしつつも、中国側の反発、報復措置に屈して、「日中関係に配慮して」として船長を処分保留で釈放することに方針転換し、船長を中国へ送還するという事件がありましたね。2001年の金正日の長男の金正男の不法入国の時でもそうでした。市橋さんの事件にしても被害者が外国の方なので「イギリスの国民感情に配慮して・・・」被害者が市橋さんと同じ日本人だった場合より思い刑になるのではと不安でなりません。刑は事件自体で決められるものであって、外交の手段として利用されるのはおかしなことですね。市橋さんもそれを十分感じていらっしゃることでしょう。市橋さんには「(事実を捻じ曲げられそうで)心が折れそうになるお気持ちはよく分かります。でも心折れることなく、めげることなく、とにかくファイト!」とエールを差し上げます。そうなると上告になる可能性も大いにあると思います。
だから「支援する会」はまだまだ解散どころではないと思います。上告することなく刑が確定しても、他の受刑者との間でストレスのたまりやすい長期の刑務所生活、出所後の社会復帰を支えるためにも「支援の会」は必要なのです。 先生がお忙しいので先生1人にご負担をかけないよう、支援者皆が話し合ったり、役割分担をするなどして「支援の会」を続ける必要があります。市橋さんの受刑生活を伝えながら、受刑生活をサポートすること。そして単に出所後の資金を援助するだけなのか? 刑務所には暴力団員などもいるでしょうからそういう悪い道に染まらないように、市橋さんの特技(絵がお得意でしたね、体力にも自信がおありでしたね)を活かしてどうやって手に職を、などです。遠方の支援者もいらっしゃるでしょうから直接支援者が集うより、メールなどで意見を交換してこれからの「支援の会」を進めた方がよろしいでしょうか? あくまでも私1個人の考えですが・・・。
これからもお仕事、マラソン、支援の活動とお忙しいですが、頑張ってください。 また、春分の日を迎えましたがまだまだ寒暖の差がございます。お体にもお気をつけください。
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今日は祭日(春分の日)ということもあって、快晴の中を回りの景色を眺めながら江戸川堤防を12Km ゆっくり ジョギングしてきました。途中、堤防を下りて大乗寺というお寺に寄り道しました。境内に巨大な松が3本あって1本は枯れていたので、もし松くい虫が媒介したマツノザイセンチュウが原因だったとしたら、そのまま放置しておいたら新たな発生源になって残りの松が危ないなと気になっていました。今日寄ってみたら、いつの間にか枯れた松は伐倒されて跡形もなくなっていました。これなら安心です。
夕方は千葉大学の共同研究をしている研究室に寄って、大学院生(中国からの女子留学生)と研究の打ち合わせをしてきました。
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2012年3月19日月曜日
3月30日に差し入れに行かれる予定の支援者から、以下のメールが届きました。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。お忙しい中メールありがとうございます。今拝見しました。そうでしたか、〇〇市の支援者の方が3月30日と4月9日の差し入れ希望を私のために3月30日の方を私のために譲ってくださったのですか。昨日は早くに就寝したので、全く知りませんでした。本来なら私が直接その支援者の方に感謝しなければならないところですがその方の連絡先がわからないので先生を介して感謝させて頂きます。この支援者の方のためにも、他の支援者の方にも3月30日に無事差し入れの調達が成功しましたらお知らせしなければ(携帯からになってしまいますが)。。。
ところで、先生は3月21日に面会に行かれるそうですね。ニュースで控訴審の時市橋さんが青白く、無表情だったと知って、とても心配しています。というか心配を通り越してなんだか私まで倒れそうになるくらいです。市橋さんが落ち着きを取り戻していらっしゃるのならもちろん、追い詰めていらっしゃるのなら「峠はもう少しで超えると思うので心を強く持って!」とお伝えください。私にとって市橋さんの役に立てられることはそんなことくらいですが。。。 これからも、お仕事、マラソンと頑張ってください。
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その他にも、支援者から市橋君の心身の状態について心配をするお便りが届いています
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本山先生、いつもありがとうございます。先日の控訴審の時の市橋君の顔色が悪く、ひどく憔悴しきった様子がとても気がかりです。食事はとれているのか、眠れてるのか、思うだけで辛くなります。21日に接見に行かれた時の様子を知らせいただけたら、ありがたいです。またフジテレビの報道は実際と違い残念なところがありました。お名前は聞き取れませんでしたが、若手の弁護士の大きな声で訴えてくれた内容の数々、本当に感銘しました。涙で訴えた市橋君のそれだけは立証させてくださいという真実は是非立証させていただきたいと願います。私は傍聴し、初めて市橋君を見てからとても辛い毎日です。が、市橋君を守ってあげなければというもっと強い気持ちになりました。先生お願いします。ブログに軟弱になってしまった(本山:大丈夫です。少し疲れが溜まっていただけで、思い切り運動をすればすぐ元気になります)と書かれてましたが、とても気がかりです。市橋君と私たち支援者のためにもお元気でいてください。
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本山先生、お忙しいのに返信ありがとうございます。4月11日までの間に今後の支援の仕方についての情報が少しでも得られればと思っております。4月11日の判決でどれだけ市橋さんの真実をくみ取ってもらえるのか不安です。相手の人が外国の人だということから、不公平な見方で固められてしまうのではないでしょうか。真実を言っても、捻じ曲げられてしまう現実に心がつぶされてしまうのではと不安です。本山先生、適正な裁判の会が終了しても支える会としてブログをまたお願いいたします。お忙しいことと思いますがよろしくお願いいたします。私も無力ながらも今後の活動に向けて勉強します。
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今日は、昨日テレビ東京で放送された番組「ニッポン事件簿」を制作した会社の担当者から取材のお礼の電話がありました。普通、2時間半の番組だったら3つくらいのプロダクション会社が分担するのでしょうが、3つの事件とも全部一社(株式会社ダイナマイトレボリューション カンパニー)で制作したのだそうです。関係者に迷惑がかからないように配慮がしてありましたし、犯罪加害者の人権にも配慮がしてありましたし、私への取材でこれは放送してもらっては困ると言ったことはちゃんと守ってくれましたし、無責任にセンセーショナルなストーリーで視聴者の感情を煽るような番組ではなく、良識のあるよい番組だったと誉めておきました。私は録画しなかったのですが、テープ(DVD)を送ってくれるとのことでした。
久し振りに東京農大に行きましたら、春休み中にもかかわらず、野球部が対抗戦をしていたり、サッカー部や陸上部が練習をしていたり、元気に走り回る学生達の姿を見ながら私の心も弾(はず)みました。付属の東京農大第一高等学校沿いに植栽されているカワズザクラの小型の濃いピンクの花が開花を始めていました。私は昼休みに大学の周囲を8Km ジョギングして汗を一杯かきました。夕方は、東京の日比谷公園の前のパブレストランで人と会って、一杯やりながら情報交換をして、テレビ番組制作の話をしました。
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2012年3月18日日曜日
遠くに在住の支援者で差し入れに行くことを考えているとおっしゃった方に、「わざわざ差し入れに来られることをお考えのようですが、あらかじめ東京拘置所に電話をされて、差し入れ可能な曜日や時間などの規則について確認してからの方がよいと思います。それと1日に差し入れは1回という制限がありますので、その日の早い時間に他の支援者がすでに差し入れに訪れていれば無駄足になります。差し入れの日が確定すれば、私にご連絡いただければ、他の支援者の差し入れ日と重ならないようにブログに紹介します。」という助言をしましたら、次の返信をいただきました。この方は3月30日(金)に差し入れに行かれる予定とのことですので、重ならないように他の支援者はこの日の差し入れは避けていただければと思います。
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お便りありがとうございます。〇〇県の〇〇〇〇です。差し入れの件、東京拘置所の担当の方に早速お電話して確認して参りました。土日、祝日はお休みとのことで、差し入れの食料は売店(拘置所内の売店と拘置所の外にある専門の売店2つ)で売られているものに限られるそうです。メッセージを差し入れに加えることも出来ないこと、郵送で手紙を送る際に宛先と受取人名は「東京都葛飾区小菅1-35-1 A(このAは収容者宛には必要とのこと) ○○○○様」と必ず表記しなければならないこと、差し入れを送付際は上の住所で送れば郵送でも、クロネコヤマトさんなど他社を利用しても構わないとのことでした。差し入れ希望日を拘置所に予約するということも一切受け付けていないとのことでした。それから市橋さんは4月11日に判決が出ますがその少し先に先生もおっしゃるように刑務所(どこかわからないけど初犯で長期の受刑者は千葉刑務所と聞いたのでそこでしょうか?)に移送されるのでそうなるともう衣類を送っても意味がないとのことでした。(先生や他の支援者の方はそのことをよくご存知でしたね。自分で直接担当の方に確認して驚いたので、ついつい書いてしまいました。)
そこで私は3月30日(金)の午前中(この日に既に差し入れをされた方がいらっしゃたら4月2日(月)の午前中)に差し入れに行くつもりです。3月30日に成功したら他の差し入れ希望の方のこともあるのでメールを差し上げようと思っています。
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今届いたばかりの支援者からのお便りを追加して紹介しておきます。この方は3月30日(金)と4月9日(月)に差し入れに行きたいとのことでしたが、調整の結果、4月9日(月)に差し入れに行かれるということになりました。従って、これから差し入れに行くことを計画される他の支援者の方は、重ならないようにこの日は避けていただければと思います。
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本山先生。岡山での学会お疲れさまでした。〇〇市の〇〇〇〇です。度々メールを申し訳ありません。私は、控訴審の傍聴はできませんでしたが、他の支援者の皆さまからのご報告で、法廷の様子を知ることができました。感謝しております。法廷に現れた市橋達也さんは、支援者の方が思っていた以上に小さくみえたこと。涙ながらに、殺意があったら控訴はしません。死ぬまで苦しみ続け、罪を償います。と述べられたという内容に、本当に心の底から反省している市橋達也さんの主張(真意)が、きちんと認められることを祈り続けます。
ところで、現在のように比較的自由に差し入れできるのも、あとわずか・・ですね。今後、差し入れに行かれる支援者の方のご予定が本山先生に届いていらっしゃるようですので、私もお伝えさせて頂きたいと思いました。(仕事の都合で、行かれる日が限られてしまいますので、同じ日に考えておられる方がおりましたら、ご理解頂ければ幸いです)3月30日(金)・4月9日(月)です。よろしくお願い致します。
追伸:本日、テレビ東京の「にっぽん事件簿」という番組を拝見しました。大阪で働いていた時の、寮の寮長さんだったでしょうか。市橋達也さんのことを、真面目で働きものだと話されていたのが、とても心に残りました。末筆ながら、春寒の折、お身体ご自愛下さいませ。
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テレビ東京で7:54pmから、「ニッポン事件簿~犯人は何故逃げるのか~」と題した約2時間半の番組が放送されました。平田 信(まこと)・斉藤明美被告、福田和子被告、市橋達也被告の順でした。すでに報道されている記事や、出版されている手記や、実際の取材を組み合わせて逃走中の足取りや生活の様子を再構成し、俳優を使って再現していました。時効成立直前に逮捕されて数年後に病死した福田被告を除いて、犯罪そのものについては概要を説明するだけで、主としてどのように逃亡していたかを中心に描いていました。市橋君についても、特に悪意的な描き方ではなかったという印象を受けました。むしろ、3つの事件とも、関係者に迷惑がかからないようにずい分気を遣って良心的に制作してあると感じました。
今日は久し振りに江戸川堤防に行って、どんよりした曇り空の下で小雨がポツポツ落ちてくる中を8Km ゆっくり走ってきました。
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2012年3月17日土曜日
多くの支援者が、4月11日に予定されている判決がどうなるか、固唾(かたず)を呑(の)んで見守っていることと思います。どういう判決になっても、現在の弁護団の役割は終了する筈ですので、これからは市橋君の長い服役生活が始まった時に、どうやって彼の更生をサポートして精神的に励ましてあげられるか、経験者のお話しも伺いながら、よく考えてみたいと思っています。
控訴審の開かれた前日に支援者からいただいた以下のお便りに紹介されているサイトには、刑務所内での生活が詳細に述べられていて参考になりました。これを市橋君に見せられないのが残念ですが、先日本間 龍氏の本を一冊郵送で差し入れましたので、彼が読んでくれていればある程度はこれから刑務所内でどういう生活が始まるか想像することはできる筈です。
ただ、2~3年という短期の受刑と、市橋君の場合のように無期懲役で死ぬまで服役するか、有期になったとしても25~30年服役とでは、受刑者の心構えが違ってくるのではと想像します。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。いよいよ明日ですね、控訴審。私は傍聴に行けませんが気持ちは行ったつもりで見守っています。そして判決が出て、いよいよ刑務所生活に入るのですね。偶然こんなブログを見つけました。本間龍氏と同じく、元受刑者の方のブログですが塀の中の細かい規則や(暗黙の?)ルール、エピソードを詳しく書いていらっしゃいます。まだ途中までしか読めていませんが読んでいて何とも言えない思いで一杯になります。塀の中に入ったことのない方にしかわからない思いでしょうね。市橋さんは今受刑生活についてどこまで心構えをしていらっしゃるのでしょうか? 本間氏やこの方のような受刑者の体験記を参考にしてもっと心を強くもってくださいとお伝えしたいです。決して悲観的な内容ではありません。
塀の中の黙示録
http://blog.livedoor.jp/bsxkinkoban/
それから差し入れの件ですが、今衣類を送っても拘置所生活が始まると囚人服のみしか着る機会がなくなってしまうのですね。食料品をお届けする最後の機会だと思っています。。。 それでは明日もお仕事頑張ってください。
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控訴審の開かれた日(3月15日)も翌日も、私は岡山での学会に参加していてテレビニュース を視聴する機会がありませんでしたので、妻に報道の様子を訊いたら、あまり大騒ぎはしていなかったとのことでした。他にも次々と新しい事件や出来事が発生するので、やがてリンゼイさんの事件も風化し、市橋君に対するメディアや社会の関心もだんだん薄れていくのでしょう。
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2012年3月16日金曜日
ずい分遠方の支援者が、片道4時間半くらいかけて来週21日(水)に市橋君に差し入れに来られることになりました。私にも会いたいとのことでしたので、私もその日に合わせて面会に行くことにしました。重なって無駄足にならないように、3月21日(水)は他の支援者の方は差し入れも面会も避けていただければと思います。東京周辺の地理には不案内とのことでしたので、東京駅の新幹線のホームまでお迎えに行くつもりです。
控訴審の傍聴席券の抽選に当たって傍聴して来られた支援者から、以下の報告が届きました。
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今晩は。昨日の控訴審、傍聴券の抽選に当たり傍聴出来ました。ニュースでも放送されていましたように、市橋達也さんは殺意を否認し、涙ながらに謝罪をしました。
弁護側の控訴趣意書の要点朗読では、法令違反や事実誤認や量刑について、述べられました。殺意について、検察のストーリーの仮説、公判前整理手続き、裁判員制度、被害者参加制度などに関して主張されました。マスコミ報道では、被告人質問での彼の証言の一部を取り上げていますが、控訴趣意書も重要だと思います。控訴審は、不当と思われる点を控訴趣意書として提出されると伺い、内容が気になっていましたので、傍聴出来て良かったです。
市橋達也さんは終始うつむいていましたが、ご遺族の意見書が読み上げられますと、更にうつむいて聞いていました。一審でリンゼイさんの首を3分間絞めて殺害をしたと認定されたことを、被告人質問で強く否定しました。事実を知っているのは私だけと、事実を認めて欲しいと思う強い気持ちを感じました。彼の謝罪の気持ちを直接聞いて、思っていた以上に精神的に苦しんでいるのが伝わって来て、辛くなりました。
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今日は学会の最終日でしたが、一般講演、ランチョンセミナーの他に、午後からは「農薬の毒性評価とリスク・コミュニケーションの最近の動向」というテーマのシンポジウムがありました。5人の講師の講演はいずれも素晴らしい内容でしたが、私には特に大阪市立大学大学院医学研究科の鰐淵(わにぶち)英機教授の「化学発癌に関する考え方ならびに最近の動向」と、住友化学(株)生物環境科学研究所の稲若(いなわか)邦文博士の「毒性とエピジェネティクス」は、勉強になりました。エピジェネティクスというのはあまり馴染みのない言葉ですが、次のサイトに詳しい解説があります:http://mui-therapy.org/newfinding/epigenetics.html。鰐淵教授は、遺伝毒性のある発がん物質の発がんリスクには閾値(いきち)がないと言われているが、実際には一定以下の低用量では閾値があるということを証明した実験例を示し、リスクアセスメント・リスクマネジメントは可能であるということを示しました。稲若博士は、Anway ら(2005)のScience 誌に掲載された有名な論文(胎児・乳幼児期に受けた影響が経世代的に後続の世代にも影響すると報告した)が、実は再現性がなかったということを証明したいくつかの研究を紹介しました。閾値の問題もエピジェネティクスの問題も、最初に論文が発表された時はショッキングで、非常な注目を集め、化学物質の健康影響を不安視する根拠として引用されましたが、実はそうではなかったということを証明した功績は大きいと思いました。
せっかく岡山まで行って、いつものようにジョギングできる運動着とランニングシューズを持って行ったのですが、情けないことに今回は一度も走らずに、どこも見学もせずに帰ってきてしまいました。宿泊していたホテルの部屋で、一応毎朝6時に電話のモーニングコールを設定して目は覚ましたのですが、精神が軟弱になってきたのか、ベッドから起き上がってシャワーを浴びて運動着に着替えて朝食前に一走りしてくるという気になりませんでした。
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2012年3月15日木曜日
支援者から裁判の様子についてメールが届きました。フジテレビの「とくダネ」担当ディレクターからは夕方電話がありました。市橋君は殺意はなかったと証言したそうですが、それは事実だと思います。ただ、事実でも証明できなければ、裁判では説得力がないというところが難しいところなのでしょう。
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先生、○○○○です、237人の内77席しか傍聴できず○○さんは当たりましたが、私はもれたのにたまたま後ろの人が譲ってくれたたため、二人で並んで傍聴する事ができ、○○から行ったかいがありました。初めて見る市橋君は思ったよりも小さく見えて涙があふれました。殺意があれば控訴はしませんと言った市橋君の言葉、涙ながらに訴えた事に号泣してしまいました。この事だけは立証されなくてはならない事です。絶対!被害者の意見書には耳をふさぎました。こんなに普通の被告人をみたのは初めてです。弁護人の力強い若い弁護士さんに感動しました。適正な判決を望んでいます。判決は4日11日、1030分に言いわたされるそうです。いい判決を期待してます、嘘のない市橋君のために。
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先生、お疲れ様です。今日控訴審273人中77席の抽選で運よく○○さんと傍聴できました。初めて見る市橋君は思ってたより小さくて顔色が悪く裁判長も体調を気づかってました。入ってきた時は涙がとまりませんでした。弁護士の皆さんは趣意書に基づいて力強く弁護してくれました。市橋君は殺意がない事を涙ながらに訴えました。そうでなければ控訴しませんと。死ぬまで苦しんで罪を償うと訴えました。判決は4月11日10時30分です。良い判決を心から祈っています。帰りにフジテレビと東スポの人から取材を受けました。市橋君の姿が頭から離れません。先生気をつけてお帰りください。
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いつもお世話になります。本日の市橋達也さんの控訴審の様子がニュースで流れていました。殺意は否定され、その後被害者やご家族に対しては「リンゼイさんやそのご家族の事を想うと苦しくて息が出来なくなる。」 又「自分が出来ることは一生苦しみ続けることです。」と話されたようです。市橋さんなりに本当に苦しく辛い心情を述べられたのだと思います。今日の判決は4月11日だそうです。
心から市橋達也さんや弁護団の先生方の主張が認められ無事に結審できますように願い祈ります。
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今日も学会では素晴らしい講演がたくさんありました。昼休みにはランチョンセミナー(昼食を食べながら聴く講演)があり、イギリスのAPS(Agchem Project Consulting LTD.)のStephen Shires 博士がNew developments in the EU pesticide registration regulations - Experiences with the new EU zonal registration procedure -(EU における農薬登録の最新動向-ゾーン登録手順の経験)という演題で講演しました。EU加盟国を北部、中部、南部に分け、それぞれ農薬登録の要件が異なるということが紹介されました。
夕方、岡山県在住の旧知の知人が訪ねてきてくれ、駅近くの居酒屋で一杯やって旧交を温め、楽しいひと時を過ごしました。
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2012年3月14日水曜日
日本農薬学会第37回大会のシンポジウムや一般講演は明日から岡山大学で行われますが、今日は学会の総会、学会賞授賞式、受賞講演、特別講演、懇親会は駅前の岡山ロイヤルホテルで行われました。奨励賞1件、業績賞(技術)2件、業績賞(研究)2件、論文賞1件が表彰されました。特別講演は、地元の岡山大学の久保田尚浩教授による「岡山の果樹栽培の特徴とジベレリン処理によるブドウの無核果生産」と、松浦健二教授による「シロアリのフェロモン同定と社会行動制御による応用への可能性」と題する大変興味深いお話でした。
フジテレビの「とくダネ」という番組のディレクターから電話があり、私が今は岡山に来ていることを伝えましたら、明日の控訴審が終わってから、夕方7時か8時頃私の感想を電話で取材したいとのことでした。
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2012年3月13日火曜日
ゆうちょ銀行に寄って、前回以降に振り込まれた支援金の全額373,500円を払い出して、菅野弁護士にお渡ししました。これが最後になる筈ですが、私の記録ミスがなければ、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の発足以来、延べ485人から寄せられた支援金447万428円を弁護団に提供したことになります。入金記録の監査結果と、弁護団からいずれいただける筈の使用内訳とは、控訴裁判の結審後適当な時期に本ブログで報告致します。支援者の皆様、長期間にわたる継続したご支援をありがとうございました。
市橋君の身柄が拘束されたのは確か2009年11月10日だったと思いますが、いよいよ明後日15日に控訴審が開かれます。弁護団からはお一人だけはどうしても日程の調整ができず出廷できないそうですが、4人の弁護士が出廷し、検察側は1人、裁判官は3人が担当するようです。弁護側はすでに提出してある控訴の趣意書について説明するようです。検察側はそれに対する答弁書を提出してありますが、裁判官は当然すでにそれに目を通している筈ですので、担当検事は法廷活動(答弁書の読み上げ)はしない予定のようです。ということは、裁判は公開で行われるといっても傍聴者には検察側の主張は聞けないということになります。
検察側は、被害者遺族のリンゼイさんのご両親の意見書とリンゼイさんの二人の姉リサさんとルイーズさんの意見書を取り寄せて提出してあるそうです。弁護側の提出した趣意書には、被害者遺族に受け取りを拒否された手記の印税912万9,885円と市橋君が逮捕時に所持していた30万円の計942万9,885円を日本財団の犯罪被害者支援プロジェクトに寄付をしたという事実が含まれているそうです。今回は被害者遺族は来日せず、控訴審は15日だけで終わり、多分4月中旬頃に判決がでて裁判は結審するだろうとのことでした。どういう判決になるかはわかりませんが、弁護団の役割はこれで終わることになりそうです。
結審後に市橋君はどこの刑務所で服役するか未定ですが、今までと違って厳しくなりますので、食べ物や衣類の差し入れはできなくなりますし、面会の回数も少なくなり、面会が許される人も市橋君が更生に必要として申請する特定の人に限定されるようです。お金を差し入れても、市橋君には売店で売っている文房具や書籍を買うしか使い道はなくなるようです。従って、支援者がお花や食べ物や衣類を差し入れできるのは、4月中旬と予想される判決日までということになりそうです。
先日支援金を初めて振り込んで下さった方から以下のお便りが届きました。上に報告しました通り、支援者が差し入れに行ってお気持ちを伝えられるのは、市橋君が被告人という立場でいられる今から判決がでるまでの短い期間に限定されるようです。
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お元気ですか? 〇〇県の〇〇〇〇です。3月30日から4月2日まで東京に旅行に行くのでその時に小菅(千葉刑務所にいらっしゃったらそちら)に差し入れに行こうと思っています。初差し入れなので緊張しますが、個装のお菓子など食料品(本山:拘置所の売店で売っているものに限定されます)にしようと思っています。衣料品(本山:紐のついているものや派手な柄やデザインのものは駄目などの制限があります)についても考えましたが色やデザインなど市橋さんの好みのこともございますし、サイズも市橋さんはXLサイズくらいがちょうどいいと先生のブログで以前拝見しましたがメーカーによって大きめになったり、小さくなってしまうので次回からしようと思います。今の時期は特に不安定になっていらっしゃるかと思いますので少しでも支えになればと思います。読書や運動、英語の勉強の合間につまんで頂けたらと思います。
などと考えておりましたが、この日までに判決が出て懲役生活が始まると差し入れにかなり厳しい制限がかかってしまうそうなので(本間龍氏がそうおっしゃていましたね)本当のところはどうしたらいいものかと・・・。
日ごとに暖かくなってはいますが寒暖の差が激しい今日このごろです。風邪などお体に気を付けて、お仕事、マラソンなど頑張ってください。
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2012年3月12日月曜日
3月9日に振り込まれた3名の方(5回目、7回目、2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は373,500円、延べ485人からの合計額は4,470,428円になりました。ありがとうございました。2回目の方からは手書きのメッセージが添えられていました。この方はメールアドレスがわかりませんので、個別の礼状は差し上げませんのでご了承下さい。
支援者の中には、「適正な裁判を支援する会」に支援金を振り込んで下さる方と、拘置所を直接訪ねて差し入れをして下さる方や、郵送で差し入れをして下さる方や、両方をして下さる方がおられますが、いずれも市橋君を励まし支えるのに役立っていてありがたいことです。
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2回目振込ませていただきます。少額で申し訳ありません。少しでもお役にたてればと思います。更生(を支援)する会の継続をお願い申し上げます。先生もお体ご自愛下さいませ。
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先日、12日に東京拘置所に差し入れに行くと言われた方から以下の報告が届きました。ありがとうございました。市橋君には、自分のことを思ってくれている人がいると感じて、支援者の温かい気持ちも届いている筈です。
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本山先生。度々メールをすみません。〇〇市の〇〇〇〇です。本日、小菅の東京拘置所に差し入れに行って参りました。小菅駅を降りますと、道案内が出ていて、すぐにわかり便利ですね。下町風情の中、近代的な建物が目を引きますね。本山先生がおっしゃっていた通り、建物を見上げたら確かに屋上があり、目隠しはあるものの、屋上に出て運動することができますね。市橋達也さんの「これからは存分に体を動かせます」という言葉を思い出しながら、しばらく見上げていました。差し入れしたものは、食べ物(菓子類数個・フルーツ缶)・お花・現金です。3月5日に差し入れに行かれた支援者の方のご報告のおかげで、お花を差し入れできることを知り、私も差し入れさせて頂きました(千葉刑務所では、できなくなってしまっていたので。)また、飲み物は本人が買うことはできますが、差し入れは牛乳のみだそうで、曜日も決まっているということでした。
また、売店以外に、拘置所の門を出た真向かいに、差し入れをして頂けるお店があり、お弁当の差し入れをしてくれるそうです。私も、5日に差し入れされた支援者の方を見習い、お弁当を差し入れしたかったのですが、手続き後、数日後のお届けということでしたので、ちょうど15日の控訴審裁判の日にあたりましたので、今回は断念しました。・・・以上、ご報告まで。
日々、ご活躍のことと存じますが、お身体ご自愛下さいませ。
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明日はゆうちょ銀行で支援金を全額払い出して、菅野弁護士にお届けすることになりました。その機会に控訴審の準備状況など、差支えのない範囲で伺ってくるつもりです。
今日は、農水省の農林水産技術会議から依頼されていた「新たな農林水産政策を推進する実用技術開発事業」における研究課題の審査結果の提出期限でしたが、期限ギリギリにWeb で提出を済ませホッとしました。他の研究者が提出した研究課題提案書(研究費申請)に対して、外部有識者による第一段階の書面審査として、必要性、効率性、有効性などいろいろな観点から採点して評価票を作成する仕事です。書面審査の結果に基づいて選ばれた研究課題については、第二段階審査としてヒヤリングが行われ、優れた研究課題には予算がつくということになります。私は以前、文部科学省の科学研究費の第一段階審査委員と第二段階審査委員も務めたことがありますが、審査結果によって研究費が支給されるかどうかが決まりますので、重要な仕事です。研究者には、自分の研究テーマを遂行するだけでなく、こういう役割もあります。
審査結果を提出してから、江戸川堤防を6Km 走ってきました。今週は14日~16日に岡山大学で開催される日本農薬学会大会に出席する予定です。従って15日の控訴審の傍聴はできませんが、どなたか支援者で傍聴される方は様子を報告していただければと思います。
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2012年3月11日日曜日
支援者から、振り込みのご連絡と支援する会の今後の活動について以下の提案がありました。支援する会の今後については、皆様からのご意見を伺って、控訴裁判が結審してから考えていきたいと思っています。
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今晩は。メール有難うございました。昨日(3月9日)少額ですが『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』の最後の振込(7回目)を致しました。
市橋達也さんが、控訴の判決内容に納得された上で結審出来ますことを望んでいます。本山先生は、いつも支援者の気持ちを汲み取って下さり、彼の様子や裁判の状況をお知らせ頂きましたので、安心して支援が出来ました。本当に長い間ありがとうございました。
裁判が結審後『市橋達也君の更生を支援する会』をどのような活動にされるか決められると思いますが、先日のブログに載っていました支援の会として被害者遺族への募金も賛成です。ただ、リンゼイさんのご家族のお気持ちを考えますと、加害者の更生を願っている支援者からの募金を受け取って頂くのも難しいのではないかと思います。又、市橋達也さんの支援者以外の方でも、被害者遺族の為にと募金をされるかも知れません。更生を望む支援とは異なるメッセージも届く可能性もありますので、本来の支援の会の趣旨から乱れてしまわないかも気になります。
提案が有れば大歓迎とメールを頂き、ひとつ思った事が有ります。これからの控訴で、市橋達也さんは有期刑の判決が下されたり、もし無期懲役のままでも仮釈放で社会復帰出来る可能性は有ります。その時の社会復帰の為の資金を、支援金として集められれば、更生への支えになると思いました。受刑中の生活は補償されていますが、社会復帰後に資金もなく、安定した職にも就けずに再犯を繰り返したり、社会と閉ざされた生活をしているケースも多く有ります。様々な事件の裁判を傍聴したり、受刑者の更生や処遇に関してのフォーラムやディスカッションに参加した際に、受刑後の社会復帰の問題点として取り上げられています。
先日支援者の方がメッセージに載せて下さいましたサイトも拝見いたしました。身元引受人の存在が昇級のための重要な要素で、刑務官に対し釈放後の生活に不安を持たせないような印象を与える必要もあるようですので、その一つにもなります。それにより、市橋達也さんも前向きな気持ちになれるよう精神的に支援者の方と支えたいです。社会復帰は、まだまだ先の事ですが、支援者がこれから出来ます一つの方法ではないかと思います。(長い年月になりますので、期限を決めたり、目標の額を決めて目処を立てるなど...)
今は控訴審が一番大事ですので、結審後に『市橋達也君の更生を支援する会』を発足にあたり、ご検討下さい。本山先生、市橋達也さんや支援者の方の意向もございますので、彼が受刑後に落ち着いてからでも、他の提案も含めて、お考え頂ければと思います。
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東北大震災が起こってちょうで1年目ということで、あちこちで追悼が行われ、テレビや新聞も特集していました。大切な家族を失って生き残った方々の悲しみが伝わってきて、胸を打たれます。生きている人間は亡くなった人の分まで、生きていることに感謝してなおさらしっかり生きなければいけないという思いに駆られます。
今日は名古屋ウィメンズマラソン大会があり、日本の女性ランナーのトップクラスが大勢参加しました。アテネオリンピックの金メダリストの野口みずき選手(シスメックス)の走りが注目されましたが、結局前半抑えて走っていたロシアのアルビナ・マヨロワ選手が後半追い上げて2時間23分で優勝し、尾崎好美選手(第一生命)が2位、野口選手は途中追い上げてトップになったのですが終盤に落ちて6位に終わりました。これで野口選手のロンドンオリンピックへの出場は絶望的になりましたが、故障に苦しみながらもここまで挑戦してきた野口選手はりっぱだったと思いました。
私はマラソン中継を観てから江戸川堤防に行って、青空の下で18Km をゆっくり楽しみながら走りました。
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2012年3月10日土曜日
3月8日に振り込まれた2名の方(5回目、初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は358,500円、延べ482人からの合計額は4,455,428円になりました。ありがとうございました。初回の方からは「気持ちばかりですみません。これからも応援しています。」というメッセージが手書きされていました。5回目の方は、大学生の年齢の息子さんと娘さんがおられるお母さんです。
支援者から私に対する慰労のお便りが届きました。ありがとうございます。私にとっても、支援活動を通して日本全国のいろいろな方々と交流ができ、研究生活とは別の面での、人生を豊かにする貴重な経験をすることができました。
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先生、今日で一応支援金の受付を締めるとの事で、いちまつの淋しさを感じます。今まで先生がしてきて下さった事を思うとただただありがたいという思いでいっぱいでございます。これは支援者だけでなく市橋君は元よりご両親も感謝の気持ちでいっぱいの事と思います、本当にご苦労さまでした。またこれから始まる会、よろしくお願いいたします。素晴らしい先生と引き合わせてくれた市橋君にも感謝です。長い間のご苦労に労(ねぎら)いを込めて、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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昨日お見舞いに行った元同僚教授/友人の奥様から、おすそ分けに置いてきたマッシュルームとゆで落花生のお礼と、お見舞いのお礼の電話がありました。腎臓透析を始めて20年近くになるそうですが、リハビリで歩く練習ができなくなってから急速に体力が衰え、奥様が話しかける以外脳の刺激もなくなって、話しかけても会話ができなくなり、最近は食欲も衰えてきたのか食事の時にあまり口を開けなくなったので、医者にはもう少ししたら点滴を始めることになるかもしれないと言われているとのことでした。昔、お互いの家族が大学内の同じ公務員宿舎に住んでいたこともあって私とは心置きなく話ができるからか、電話はいつも長電話になります。結婚して40数年共に暮らしてきた夫が病でだんだん弱ってくるのに付き添いながら、妻としてどんなにつらい寂しい思いをしておられるかと思うと、心が痛みます。
千葉大学走友会のメンバーである千葉大学大学院工学研究科(工学部)の准教授(確か45才くらいの筈)から、フランスのパリハーフマラソンを走ってきた結果の報告が走友会の共通メールアドレス宛に送ってきました。
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3/4に開催された第20回パリハーフマラソンに参加してきましたので報告いたします。
5km 18:08
10km 35:41(17:33)
15km 53:32(17:51)
20km 1:11:51(18:19)
ゴール 1:15:33(3:42)
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括弧内は各区間のラップタイムですが、5Km を17分~18分ペースで21.0975Km を1時間15分で走りきるというのは、40代半ばの市民ランナーとしてはたいしたものです。当日の様子や本人の感想なども添えてありましたが、自己記録を1分40秒更新したとのこと。このメンバーは1月29日の館山若潮マラソン大会を2時間48分で走って35才~49才の男子の部で8位入賞したランナーです。パリで開かれた学会のついでに走ったのか、走るついでに学会に参加したのか、走るためだけにわざわざパリまで出かけたのかはまだ聞いていません。本当は相当走り込んでトレーニングをした筈ですが、こんな素晴らしい成績を普通の顔をして何気なく報告しているところが憎いところです。皆が刺激されて、よーしそれなら自分も・・・、という気にさせられます。
午後から雨があがったので、私は江戸川堤防を8Km 走ってきましたが、このところあまり走っていないので体が重く感じました。
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2012年3月9日金曜日
3月7日に振り込まれた2名の方(初回、5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は337,500円、延べ480人からの合計額は4,434,428円になりました。ありがとうございました。初回の方は3月7日にメッセージをブログで〇〇県と紹介した方です。5回目の方からは手書きのメッセージも頂きました。この方はずい分遠くの方で、私には普段見慣れない地名でしたので、地図帳を開いてどこにあるのか再度確認しました。この方はメールアドレスがわかりませんので(差し支えなければお知らせ頂ければ幸いです)、個別の礼状は差し上げず、本ブログでの報告を受領の確認とさせていただきます。
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先生、こんにちは。毎日先生のブログを楽しみにしております。今日ブログを拝見し、安心しました。私もみなさんと同じ思いです。先生には相当なご負担をおかけしますが、「更生を支援する会」で継続よろしくお願い致します。先生には本当に感謝しております。どうぞお体大切に。
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別の支援者からは振り込みのお知らせが届きました。メッセージはお名前と一緒に市橋君に伝えます。
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本山先生こんばんは!私たち支援者と市橋さんをいつもつないでくださって本当にありがとうございます。控訴審まであっという間でした。そして市橋さんはその日からスタートなんですね。時間をかけて本当の自分を取り戻してほしいです。一歩一歩。
平凡な言葉ですが・・・・・一歩一歩です。私たち支援者とともに一歩一歩進んでいきましょう。
『私も更生(を支援)する会』賛成です。本山先生、次に面会に行かれる時に、一人じゃないよ、支援者もいつも一緒だよと伝えてください。先生も風邪などひかぬよう、ご自愛くださいませ。
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前にも書きましたが、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」への振り込みは、明日3月10日(土)までとして下さい。それまでに振り込まれた支援金を全額払い出して菅野弁護士にお届けすると同時に、支援者名簿と支援金振り込みの記録を一覧表にして市橋君に差し入れるつもりです。市橋君には、個人情報だから取り扱いを注意するように指示しますが、一覧表には前回差し入れた場合と同様に支援者のお名前と振込日と振り込み金額だけを載せて、住所や電話番号、メールアドレスは削除し、市橋君にはもし個人的に礼状を書きたければ住所を教えるからと伝えます。
その後どうするかは、控訴審の結果を待って考えたいと思います。もし、市橋君と弁護団の主張が認められて裁判が結審すれば、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」は閉じて募金活動も終了し、新たな役割を担う「市橋達也君の更生を支援する会」(仮称)に移行して、皆さまと情報を交換しつつ市橋君の受刑生活を見守り、精神的に支えていきたいと考えています。
皆様から私宛にいただくお便りは、内容によってブログで紹介する場合としない場合がありますが、紹介してほしくない場合はそのように明記していただければそれを尊重して紹介致しません。メールを使われない方で、私からの返事や礼状の封書が郵便で届いても構わない方、あるいは逆に返信してほしくない方もそのように明記していただけると助かります。
今日は久し振りに、腎臓透析で長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人をお見舞いに行ってきました。私と同じ年齢ですが、彼は4月が誕生日ですからもうすぐ70才になります。約3年前に入院したばかりの時は、私が見舞いに行くと「おー、本山来たか!」と言ってくれていましたが、入院中に起こった3回目の脳梗塞で記憶回路が失われたのか、今ではほとんど会話ができなくなってしまいました。私の顔を見ると目が少しだけ輝き、私が誰だかわかるかと言うと何かを言おうと口が少しだけ動きます。どれだけ彼の耳に聞こえているかはわかりませんが、それでも構わず、1月にはフルマラソンを完走したこと、2月には国際会議でローマに行ってきたこと、昨日はマッシュルームの栽培施設を視察に行ってキノコバエの防除方法を指導してきたことなどを話して、写真も見せました。最近の国立大学が業績主義になって、論文のインパクトファクター(どれだけ他の研究者に注目されて引用されるか)やどれだけ外部資金を獲得できるかというようなことばかりが強調されて、本来の教育機関としての役割がだんだん果たせなくなりつつあることなどを話し、お互いにいい時に定年になってよかったなと話しました。奥様が一日おきにお見舞いに来られ、車椅子に乗せて散歩をさせてくれていますが、3年間近くも寝たきりで自由がなくなるのはつらいだろうなあと思ってしまいます。病気で倒れるまでは、あんなに元気で研究に情熱を燃やし、趣味の油絵を描いたりしていた親友の現在の姿を見ると、人間は生きている限りは命を大切に、健康管理をしっかりして、前向きに生きなければいけないのだと教えられます。
昨日おみやげにもらったマッシュルームと落花生の一部をおすそわけとして、奥様宛の置手紙と一緒にベッドの横の小テーブルに置いてきました。
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2012年3月8日木曜日
3月6日に振り込まれた方(4回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は322,500円、延べ478人からの合計額は4,419,428円になりました。この方は昨日のブログで紹介しました謙遜したメッセージを送って下さった方ですが、ご自分とは何の関係もない市橋君のために貴重なお金を4回も振込んで下さったことは大変ありがたいことです。次回市橋君に面会に行く時に、支援者からのこういうありがたいご支援に対して、感謝の気持ちを忘れないようにと伝えてくるつもりです。ありがとうございました。
朝、余裕をもって早目に7時半に家を出て車で千葉県旭(あさひ)市蛇園(へびその)のJAちばみどり海上(うなかみ)中央支店に向かいましたが、途中渋滞区間もあったために現地に着いたのは約束していた10時ピッタリでした。旭市というのは、先日君ヶ浜の松枯れ状況を視察してきた銚子市の西隣に位置し、千葉大学時代にヘリコプターで水田に散布された薬剤の環境中での動態と生態影響を何年間も調査をした山田町(現香取市山田区)の南東に隣接し、九十九里浜の北端に位置していました。昨年3月11日の地震に伴う大津波で、死者13人、行方不明者2人という犠牲者がでたところです。先ずJA(農協)で幹部と挨拶をした後、県の普及指導員の方々、海上マッシュルーム組合(19農家で構成)の幹部3人の案内で3戸のマッシュルーム栽培施設を回って、生産工程を見せていただきました。
菌床(きんしょう)に使う堆肥は馬糞と稲わらを一次発酵、二次発酵させた後水蒸気消毒したもので、穀物で培養増殖したマッシュルーム菌を植菌し、菌がまんべんなく増殖したところでピートモスで覆土して散水するという手順でした。真っ白なマッシュルームがニョキニョキと発生し、普通は4回収穫できるのが、キノコバエと呼ばれる微小なハエが大量発生すると菌床中の幼虫が菌糸を食べてマッシュルームの発生が著しく少なくなったり、マッシュルーム自体の中にも入って食害して、収穫が1回しかできなくなったり、マッシュルームにシミができて品質低下で出荷できなくなったりするとのことでした。
現地では、電燈証明でキノコバエ成虫を誘引して粘着シートで捕獲したり、施設内への成虫の飛び込みを防ぐためにあらゆる隙間をスポンジ様のもので埋めたり、入口に2重カーテンをしたり、換気扇は目の細かいネットで覆うなどの工夫をしていましたが、粘着シートには成虫が多数捕獲されていて、明らかに効果は不十分でした。
施設内は空調で温度が一定に保たれ、キノコバエの発生の餌となる菌床が大量に与えられ、天敵は存在しない、というまるでキノコバエ大量増殖施設のような大発生に適した条件がそろっています。従って、一度成虫が施設内に侵入して菌床に産卵すると、孵化幼虫が発育して増殖を繰り返しますので、最初の段階でこの悪循環をストップするのが防除のポイントだと思われました。現在採用されて不十分な効果しか得られていない物理的な防除方法に加えて、成虫と幼虫に対する化学的な防除方法を採用するために、農家(生産者)に協力してもらって試験をすることにしました。成功すれば、安定して高品質のマッシュルームが高収量で収穫できるようになり、農家は助かる筈です。
帰りには今日の視察のお礼に千葉県特産の落花生の各種詰め合わせセットとマッシュルームを一箱いただきました。今日訪ねた農家の一軒の庭には大きな梅の木が一本あって梅の花が満開に咲いていましたが、今年は遅い方だと言っていました。
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2012年3月7日水曜日
3月5日に振り込まれた2名の方(13回目、9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は312,500円、延べ477人からの合計額は4,409,428円になりました。ありがとうございました。
支援者から振り込みのご連絡と支援する会の今後に関するご意見が届いています。ありがとうございました。
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昨日お振込みをさせていただきました。全部で4回だけの、少額のお振込みでしたが、コピー代の一部になればと思いました。 1日1日と控訴審が近づき、ドキドキします。
本山先生には本当に感謝しております。お忙しい中ご面倒をおかけしますが、今後ともよろしくお願いいたします。
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本日、3月7日に支援金を送らせていただきました。〇〇県の〇〇〇〇と申します。先生のブログを長いこと拝見しておりましたが支援の方は今まで迷っておりました。3月10日に支援金を締切ると伺いましたので支援してみようと思いました。裁判結審後の「更生を支援する会」については私も大いに賛成です。受刑生活から出所後も周囲がサポートすることは必要不可欠なことだと思います。特に社会復帰に失敗したためにその後の人生を踏み外し、再犯をしてしまった例はよく聞きます。その中で特に印象に残ったのがコンクリート事件のサブリーダの再犯の件です。この男も社会復帰に失敗し、暴力団に入り、知人男性に対して、前と同じ監禁事件を起こしました。前の事件のことを面白おかしく自慢していたそうです。「1人殺すも2人殺すも同じだ」「刑務所生活で警察や弁護士を騙すノウハウを身につけた」「頭がおかしいふりをすれば医療刑務所に行ってすぐ出られる」などと豪語していたそうです。更生を信じた人たちを裏切ったのです。凶悪犯罪者の再犯ということもあって逮捕監禁致傷で懲役4年になりました。再犯は性格にも原因はあると思いますが、更生、社会復帰が失敗することも大きな原因となっていると思います。先生のブログで紹介された他の支援者の方からのメールの通り、市橋さんの受刑生活は何十年も続き、出所する頃市橋さんはご両親と同じくらいの年齢になっていると思いますが(もっと早く出所できることになるなら失礼ですが)ヤケを起こさず前向きに、そして常にリンゼイさんのことを最優先に考えて生きていって欲しいと思います。
今日の送金について、無事届きましたら、できましたらメールで知らせてくださるとありがたいです(郵送の場合は同僚の配達員の目がありますので差出人名をなるべく目立たなくしていただけるとありがたいです)。(本山:支援者の中には、ご家族や周囲の人たちに知られたくないという方もおられますので、お手紙を差し上げてもよいことがわかっている場合以外は、礼状はメールで差し上げるようにしています。メールアドレスが不明の場合は、本ブログでの報告で受け取りの確認に代えさせていただいています。)最後に、あまり、長文のメールを書くことに慣れていないので下手な文章になってしまったかもしれません。
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今晩は。一昨日(本山:3月4日)メール有難うございました。多数の支援者の方が『市橋達也君の更生を支援する会』の発足を希望されてるようで良かったです。市橋達也さんが申請の上で、面会も可能との事で安心しました。
具体的な提案では有りませんが...支援者の方が個人的に直接やり取りするのは難しいのではないかと思います。今迄のように、本山先生が面会された時の市橋達也さんの様子を伺わせて頂いたり、彼からの要望や困ってる事などが有りましたら、支援者でご協力出来ればと思います。又、差し入れ等の情報を共有し、彼への思いを語り支えて行きたいです。
メッセージを自由に書き込みするような方法も有りますが、内容により本来の支援の会から外れてしまう可能性やトラブルにもなりかねませんので、現在のように本山先生のブログでメッセージを紹介して頂けたらと思います。支援者のメンバーは『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』から引き継がれるのか、新たに集うのか...以前、ブログにメッセージを載せてもらう目的で、偽って本の差し入れの報告された事が有りましたので、状況によりましては、支援者と反支援者の見極めも難しくなるのではないかと思います。
市橋達也さんが支援の会について、どう思われるかも気になります。現在は、控訴に集中してますので、落ち着きましたら、彼の気持ちも伺えましたら、お願い致します。
昨日、東京拘置所に参りました。差し入れは、本山先生から伺いました通り、日用品や文房具は売店の取り扱いは殆ど有りませんでした。中で勾留者が購入するそうですね。売店は雑誌とお菓子や缶詰めがメインで、千葉刑務所より種類も豊富でした。今回は、食料品、お花、お弁当、市販の歯ブラシ、現金を差し入れました。
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本山先生は、今週も面会に伺われますでしょうか?(本山:まだわかりません)
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今日はテレビ番組制作会社のディレクターとカメラマンが約束通りの時間に来られ、市橋君について準備してこられた質問項目に従って取材を受けました。一昨日の取材約束を直前にキャンセルしたのは、身内に不幸があったのだそうです。 カメラはかなりの時間(多分1時間くらい?)回っていましたが、実際にはその中のごく一部だけが番組の中で使われることになる筈です。番組はテレビ東京で3月18日(日)の夜8:00~10:30「ニッポン事件簿」で放送される予定です。哀川 翔(あいかわしょう)という俳優/タレント/歌手がナレーションをしながら、犯行後に長期間逃亡して注目を集めた3つの事件-同僚ホステス殺害後、整形手術をして15年間逃亡していた福田和子事件、元オーム真理教信者で17年間逃亡して最近出頭してきた平田 信事件、と市橋君の事件-を再現し取り上げるのだそうです。市橋君の事件については、一時期潜んでいた沖縄の小島も訪ね、一時期働いていた大阪と神戸の飯場も取材してきたそうです。特に大阪の飯場の親方は、市橋君の仕事振りを誉めていたとのことです。番組で紹介されるのでしょうが、市橋君は身元が割れるのを恐れて常に黒縁の眼鏡をかけていたり、フードを被って顔を隠していたり、同僚職人に嫌がらせをされても警察沙汰になるのを避けてじっと我慢して悔し涙を流していたとのことです。
今日は時間がなかったので、東京農業大学の周囲を4Km しか走れませんでしたが、気温が高かったこともあって汗はビッショリかき、いい気分でした。明日は朝早く出発して、千葉県北部に位置する海上(うなかみ)地区のマッシュルーム栽培を視察してくる予定です。車で片道2時間半近くかかりそうです。
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2012年3月6日火曜日
支援者から以下のお便りとご意見が届きました。
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先生こんばんは。ブログ拝見しました、
結審が終わればこの会も無くなってしまうのか...。と複雑な心境です。お忙しい中、先生頼みばかりで感謝の言葉を述べても足りないくらいです。ありがとうございます。
私の個人的な意見は「更生(を支援)する会」の発足を強く望みます。刑が確定しても支援は続けたいと思ってるからです。何年続くかは私にも解りません。でも市橋さんの更生にお役に立てばと思います。刑が確定したら面会も差し入れもできなくなるのでしょうか?
それでもやはり市橋さんの更生のために皆様と意見交換、現状の報告などが解るだけでいいのです。これは私の我儘かもしれません。
今回は言葉が上手く見つからないので何とお伝えをすればいいか迷いましたが、私は「更生(を支援)する会」を発足して頂ければ幸いだと思っております。
先生いつもありがとうございます。春はもうすぐそこまで来ています。それと同時に市橋さんの控訴審も始まります。結果はどうであれ市橋さんの支援を出来る限りしたいと思っております。
それでは... 先生、季節の変わり目お身体御自愛なさってください。
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今まで届いたご意見をみますと、ほとんどの支援者が、この「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」が役目を終えて解散することに寂しさを感じ、新しい役目を担う「市橋達也君の更生を支援する会」(仮称)として継続することを望んでおられるようです。
郵送のお手紙も今日届きましたが、やはり「更生を支援する会」の立ち上げを強く希望され、場合によっては一度支援者が集まる機会を作ってもらえないかとの提案もありました。
支援者は北海道から九州・四国にまで分布していますので、東京のどこかで集まるにしても、参加できる人は東京近郊の少数に限定されるかもしれません。ほとんどの方は、裁判が結審した後も市橋君の更生を支援したいと思っておられますが、個人個人では何ができるか、どうすればよいかがわからず、また特に遠方の方にとっては市橋君がどういう状況にあるか情報が入らなくなることを不安に思っておられるのだと思います。そういう意味では、「更生を支援する会」が存在して、私が市橋君に面会に行ってその様子を皆様にお知らせすることは大事なのかもしれません。
支援金の振り込みは今週の土曜10日までで終わりにして下さい。私の所に届くのは通常2日~3日後になりますので、来週の月曜か火曜にゆうちょ銀行に行って全額を払い出し、菅野弁護士にお届けして一度会計を締めたいと思います。控訴審の裁判がどれくらいの期間続くのか、どういう判決になるのか私にはわかりませんが、もし弁護側か検察側による再控訴ということになれば弁護活動を支援するために募金活動を再開することが必要になるかもしれません。
昨日友人の弁護士と話していて言われてはっと気がついたのですが、裁判が結審後は、支援する会として被害者遺族に差し上げるために募金をするということも活動の一つとして考えてみる必要があるかもしれません。市橋君が手記の出版の印税として得た1千万円近いお金を被害者遺族に提供したいという申し出は、受け取りを拒否されましたが、それは判決前に受け取れば裁判に影響するかもしれないという心配と、市橋君は加害者だからということが関係したのかもしれません。しかし、支援する会は事件の当事者ではありませんし、日本滞在中に不幸な目に遭ったリンゼイさんのご遺族に日本人として少しでも哀悼と償いの気持を示せればという思いです。
今日は場所によっては春一番の風が吹いたようですが、私は江戸川堤防を14Km 走ってきました。河原のあちこちでひばりが天高く舞って、ピーチクパーチクさえずっていました。私には、「春が来た、春が来た」と知らせているように聞こえましたが、生物学的には春は交尾の季節なので雄が美声で雌を誘っているのか、あるいは他の雄が縄張りに近づかないように警告しているのか、そんなことを想像しながら走りました。
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2012年3月5日月曜日
3月2日に振り込まれた3名の方(3回目、11回目、26回目)の支援金と、3月3日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は292,500円、延べ475人からの合計額は4,389,428円になりました。ありがとうございました。26回目の方からは以下のメッセージをいただきました。
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本山先生、3/2本日、支援金を送らせて頂きます。控訴審で市橋さんや弁護団の先生方の主張が認められ、無事に結審できますように。その後のことは、先生や支援者のみなさまと考え、市橋さんに一番良い道を選んでいけたらと思います。今後共、よろしくお願い致します。
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支援者から以下のお便りと「支援する会」の今後についてのご意見が届きました。ありがとうございます。
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本山教授こんばんは、遅ればせながらローマでの講演お疲れ様でした。海外で共通の知ってる人がいる人に遇われるなんて本山教授はワールドワイドな方なんだなぁ、と改めて感心してしまいました。荷物も無事についてよかったですね。
今日支援金を振り込みましたので、確認よろしくお願いします。10日で支援金の振り込みは一旦終わりなんですね、これが支援する会へ最後の振り込みになるのかも・・・と思ったら何か言い知れない気持ちになりました。本山教授には会の管理の他にも市橋さんの卒論拝借や、差し入れの件などお世話になりっぱなしで申し訳ないのと感謝の気持ちでいっぱいです、本当にありがとうございました。
結審した後の会については、私も「更生を支援する会」が発足されることを願います。
更生のための支えになるにはどんなことをすればいいのか私自身まだよくわからないのですが、支援者の方々と考えていけたらいいなと思ってます、何かお役にたてることがあれば力になりたいです。が、本山教授の負担を考えると躊躇してしまう気持ちもあります・・・。
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私の高校時代の同級生で弁護士をしている友人に電話をして、一般論として、控訴した場合の弁護料について普通はどうするのか訊いてみました。例えば一審の判決に納得できずに控訴する場合、控訴の趣意書の作成という非常に重要なまた大変な作業が必要となるので、一審の弁護料とは別に二審の弁護料を支払うのが普通であるとのことでした。
「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の募金活動は、今週の土曜3月10日に振り込まれる分で一応停止していただいて会計を一度締めたいと思いますが、当分の間ゆうちょ銀行の振り込み口座は解約せずにそのままにしておこうと思っています。3月15日に開かれる控訴審の結果、市橋君と弁護団の主張が認められず判決に納得がいかずに再控訴する場合もあり得ますし、主張が認められて有期刑という判決になった場合でも、検察側が控訴する可能性もあり得ます。これらの場合は、募金活動を再開・継続する必要がでてきますので、振り込み口座はそのままにしておいた方が便利だと思います。
裁判が結審した後の支援活動をどうするか考えるために、本間 龍氏にメールでいくつかの質問をしましたら、早速以下の情報を提供して下さいました。ありがとうございました。
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本山の質問: 今月15日には控訴審が開かれる予定ですが、結審した時に備えて、募金活動を停止・終了することを考えています。その場合に、「適正な裁判を支援する会」は閉じて、新たに「更生を支援する会」を立ち上げて、市橋君の受刑生活を精神的にサポートすることを考えています。そこで、本間様に教えていただきたいことがございます。今までは推定無罪で、一日に一回は面会と差し入れが認められていましたが、刑が確定して受刑生活が始まると、面会には優先順序があって①肉親家族、②弁護士、③友人その他と聞いたことがありますが、③の友人その他には、更生に有用な人という制限が付きますか。つまり、私や私以外の支援者もこの中に含まれて、面会が許可されるかどうかということです。それと面会の回数は、今までのように一日に一回ではなく、週に一回とか2週に一回とかに制限されますか。
もう一点は、今までは差し入れは刑務所内の売店で売っている食べ物、書籍類、文房具(サインペンや紙など)、郵送される衣類などが認められてきましたが、刑が確定後は食べ物と衣類は駄目とのことで、書籍類や文房具はいかがでしょうか。それと、手紙の発送や受け取りにも回数制限がありますか。
「適正な裁判を支援する会」は一応今週の10日の振り込みまで受け付けて、それ以降は支援金の振り込みをストップしてもらおうと思っていますが、万が一再度控訴となった時にはまた弁護活動費用が必要となりますので、その時には募金活動を再開できるようにしておくつもりです。
上記の質問は、刑務所によって異なるのかどうかはわかりませんが、教えていただければ幸いです。
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本間 龍氏の回答:さて、お尋ねの件ですが、受刑者になりますと、お察しの通りかなり細かい制限があります。まず面会者ですが、肉親以外の面会者は、市橋さんご自身が「更正に有用な友人」として登録する必要があります。現在法務省は受刑者の社会復帰を積極的に促進する立場ですので、暴力団関係者でもない限り、受刑者側で用意したリストを拒否することはありません。ですから友人であれば、問題なくリストに名を書くことが出来ますし、支援者を「友人」と書くことも差し支えありません。つまり、本山先生はじめ市橋さんが今後面会しても良い、と判断した人のリストを、市橋さん自身で書くことになります。それ以外の人が突然面会に来ても、刑務所側で断られる可能性があります。
また、これは手紙の受発信リストも兼ねていて、それ以外の人に手紙を出す場合は追加願いを出さなければなりません。また、そのリストに含まれない人からの手紙はその都度、刑務官が本人に受け取るかどうか確認してから、渡すことになっています。
次に面会や手紙の受発信制限ですが、これも未決よりかなり制限がかかります。受刑者には生活態度によって「優遇措置(区分)」という階級のような仕組みが設けられています。懲罰はないか、まじめに生活しているか、などを半年に一回査定するもので、この区分で面会や手紙の受発信回数が法令で決められています。
この優遇措置は1類が最上級で下は5類まであるのですが、大抵の受刑者は2類か3類に属しており、その場合の面会回数は月に3回から5回、手紙の発信数は月に5通から7通です。手紙の受信数に制限はありません。なおこの回数は月間でのカウントなので、週何回まで、というような制限はありません。市橋さんが懲役になった場合は、最初の半年の面会は月に3回程度と思った方が良いでしょう。そして年月と共に回数は緩やかに増えていきますが、それでも面会は月に7回、手紙の発信は月に10回が最上限です。
また、差し入れ品ですが、これも今までOKだった食品や衣類は全て駄目になり、外部からの差入れ許可品目としては現金・書籍・文具(ノート・便箋・筆記具)日用品(石鹸・ティッシュ・歯磨き粉等)がありますが、筆記具と日用品はその刑務所の売店で売られている種類のみ差入れ可能で、さらに舎房(部屋)の中で所持できる数量も予め決められているので、それ以上になってしまう場合は領置(官側が預かること)されます。
書籍は殆どの種類が差入れ可能ですが、最近は一度の差入れ冊数を4冊以下と決めている刑務所もあり、予め確認してから送る方が良いです。
以上、有罪が決定して懲役生活が始まると、今までとは比べものにならないくらいの制限がかかってきます。多くの方々が手紙を送っても、それに返信できる通数は月に5通程度ですので、返信もままならない可能性が出てきます。また、面会も予め市橋さんと手紙で予定を立ててから実行する方が懸命です。
私も現在、2名の受刑者の方と文通しています。いずれも拙著を読んで先方からお便りを下さった方で、一人は20年以上の懲役刑ですので、息の長いお付き合いをしていこうと思っています。もし市橋さんが拙著を読んで文通されたければ、喜んでお受けしますのでその旨お伝え下さい。
また、私が共に活動している人権NPO団体には、キリスト教の牧師様もいらっしゃいますので、そういう方もご紹介できます。今後は精神的な安定のためにそういう方も必要かもしれませんので、これもお伝え頂ければと思います。
以上でお答えになっていますでしょうか。他にお尋ね等ございましたら、いつでもお聞き下さいませ。
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今日はテレビ番組制作会社と取材の約束がありましたので、雨の中を時間と交通費をかけて東京農業大学の研究室に出かけましたが、約束の時間の直前近くになって、ディレクターが倒れたので延期してほしいという電話連絡がありました。直前のキャンセルは非常識だと思いましたが、急病では仕方がありませんので、一応明後日水曜に設定し直すことに合意しました。
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2012年3月4日日曜日
控訴裁判が結審後の「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」のことについて、以下のご意見が届きました。ありがとうございました。
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先日はありがとうございました。支援の会については、是非発足させて頂きたくお手紙差し上げましたのでよろしくお願いいたします。(本山:お手紙の到着をお待ちします)
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日増しに春めいてまいりましたが、まだまだ寒い日も続きますね。本山先生にはいよいよご清祥のこととお慶び申し上げます。
久しぶりにメールをさせて頂きます。〇〇市の〇〇〇〇です。先日の、本山先生のご提案に対しての私の考えですが、私は控訴審裁判が結審した後は、「市橋達也さんの更生を支援する会」を設立し、支援していくことに賛成です。これからこそ、私達支援者が寄り添い、共に生きていく・・実践の時だと考えます。他の支援者の方もおっしゃっておりましたが、個々の活動のみですと、差し入れに行っても既に差し入れされた後だったりすると、遠方の方は大変ですよね。そういった面からも、情報を共有する支援者が集う会のようなものは、必要なのではないでしょうか。私は、少人数でも構わないと思います。同じ考えをお持ちの方がいらっしゃれば、どのような形であれ、共に協力しながら支援していければよいと思います。よろしくお願い致します。
話はかわりますが、私も「百万回生きたねこ」「懲役を知っていますか」「名もなき受刑者 黒羽刑務所 第16工場体験記」を拝読しました。刑務所の現状を知り、いろいろなことを感じ、学ぶことができました。今後も、市橋達也さんを支援していくために、読んでよかったと思います。
また、3月5日に差し入れに行かれる方がいらっしゃるということで、私は控訴審前になりますが、3月12日に差し入れに行きたいと思います。末筆ながら、季節の変わり目ですので、お身体をお大事になさって下さい。
本山:この方は3月12日(月)に差し入れに行かれるとのことですので、重ならないように、他の方はこの日の差し入れは避けていただければと思います。
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私は〇〇県〇〇市に住んでいます。昨日5回目の振り込みをさせていただきました。さて先生のブログは、毎日拝見させていただいています。
先日のブログで、支援を終わりにしてと、書かれていましたが・・・・残念?寂しい?気持ちで読ませていただきました。最初の趣旨がそうなんだから、そうなんだよな~。という気持ちもあるんですが。ですから、皆様と同じように更生支援ということが、もし可能でしたらお願いしたい限りです。(先生にはご負担にならない程度に)
これからも先生のブログを楽しく読ませていただきます。(特に海外での写真とブログを楽しみにしています。)これからもお体に気を付けて陸トレに頑張ってください。
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今日は第67回琵琶湖毎日マラソン大会がテレビ中継されました。この大会はオリンピックに派遣する日本人男子選手を選考する最後の大会という位置づけで、有力招待選手の堀端宏行選手(旭化成)に期待が集まり、途中までは日本人一位でレースを引っ張っていましたが終盤に失速し、優勝は途中から抜け出した一般参加のサムエル・ドゥング選手(愛知製鋼、ケニア)、日本人一位はやはり一般参加で、最後に追い上げて2時間8分44秒で4位になった山本 亮選手(佐川急便)でした。この間の東京マラソンの時もそうでしたが、必ずしも招待選手ではなく、一般参加選手や恵まれない環境でトレーニングをしている選手が活躍するのは、ハングリー精神の強さが関わっているのかもしれません。あるいは、期待された有力招待選手は精神的なプレッシャーが負担になって、体の自由な動きにブレーキをかけてしまうのかもしれません。
中継観戦後、散髪に行って、それから江戸川堤防を14Km 走ってきました。日曜の午後ということもあってか、ずい分多くのランナー達と行き交いました。私が次に走る大会は4月30日の横浜駅伝で、千葉大学走友会からは3チーム出場しますが、私はBチームの第7区8.195Km(アンカー区間)を走る事になっています。まだ2ケ月弱ありますが、そろそろ真剣にトレーニングに取り組み始めなければと思っています。
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2012年3月3日土曜日
2月29日に振り込まれた2名の方(7回目、18回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は266,000円、延べ471人からの合計額は4,366,928円になりました。ありがとうございました。
「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」への振り込みを今月10日(土)までとして、会の活動に区切りをつけることに関して支援者からご意見が届いています。
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今晩は。メール有難うございました。昨日のブログで『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』を終わらせると拝見し、少し淋しくなりました。支援の会の趣旨は裁判の為ですので、いつかは終わる日が来るとは思っていましたが... ただ裁判の金銭的な事だけでなく、本山先生の元教え子への思いや熱意を感じ、支援者の心温まるメッセージを拝見し、本山先生と支援者が一体となって市橋達也さんを支えて来れたと思います。本山先生には、お忙しい中、彼の様子や裁判の状況をその都度ご報告頂き、本当に有難うございました。
市橋達也さんの刑が確定し受刑後は、出来ましたら『市橋達也君の更生を支援する会』として発足して頂く事を望んでいます。受刑後は、衣類や食料品の差し入れが出来なくなり、手紙や面会の回数も制限され、現在より外部との交流は閉ざされます。面会も弁護士さんや親族以外は、更生に役立つ者と定められるようです。更生に役立つ者の範囲が分かり兼ねますが、知人や支援者との面会は難しくなるのではないかと思います。本山先生との面会は続けられる事を願っています。厳しい環境の中で、彼が精神的に落ち着いて日々を過ごされるのには、家族や支援者の存在が必要だと思います。私はずっと支援し見守り続けます。しかし、塀の中の彼の様子を全く知る事もなく、何年、何十年...この先の支援に不安も感じます。もし彼の様子が分からなくても、本山先生と支援者で交流が持てれば、支援としての励みにもなるのではないかと思います。実際に支援の会として、どのような活動をしたら良いのか等も有りますが...他の支援者の方と、思いを語り彼を支えて行きたいです。
ただ支援の会として続ける事を、彼が望んでいるのかも気になります。彼の意向を伺うか、報告をして彼の同意を得て決められたらと思っています。
そして一番気になりますのは、本山先生にご負担が掛かってしまう事です(本山:私の負担はたいしたことありません、ご心配ありがとうございます)。本山先生は2年もの間、ご自身の時間を市橋達也さんの支援の会の為に活動して来られましたので、今後も続くとなりますと...何かございましたら、ご協力致しますので、どうか無理をなされずに今後のご予定などを考慮され、お決め頂ければと思います。
先日、光市母子殺害事件の最高裁の判決を傍聴しました。あの事件もマスコミが大きく取り上げてました。各局の記者が被告人と面会し、その内容が放送されていました。被告人に真似た口調で語られてるようですが、本当にそのような話し方なのか?短時間の面会での会話では、一つ一つの言葉に重みが有りますので、それが正確に伝えられているのか?など疑問に感じます。今回のフジテレビの取材依頼(本山:フジテレビ報道局社会部・司法記者会から、市橋君の控訴審第一回が近づいた機会なのでとの取材の打診があり、市橋君に直接面会できないかとのことでしたが、市橋君は取材を申し込まれても受けない筈ですと回答しました)のように、市橋達也さんとの面会を望んでる記者は沢山いると思いますが、関わらないのが一番安心ですね。
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今回の支援の会を終わらせるお話が突然でしたので、戸惑いました。菅野弁護士さんや市橋達也さんから、その旨のお話があったと言う訳では有りませんでしょうか?(本山:全然違います。支援する会の設立の趣旨は、市橋君に適正な裁判を受けさせるということでしたから、弁護団と市橋君の主張が認められて裁判が結審すれば、支援する会は目的を達成したことになりますので、募金活動を停止・終了するのが筋と私が考えた上での提案です。)
本山:この方は来週月曜5日に東京拘置所に差し入れに行かれるそうです。一日に一回しか差し入れは認められませんので、無駄足にならないように他の方はこの日の差し入れは避けていただければと思います。
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私の身勝手な文章も、そのまま先生のブログに載せていただき、恐縮しました。そして、先生がご覧になったサイトを私も拝見、試聴いたしました。すごい音楽ファンの方だし、わかりやすい文章だし、とても参考になりました。ありがとうございました。
会の今後については、支援金振込みは終了して、「更正を支援する会」の発足を望みます。ご両親は、市橋君が逮捕された時に、マスコミにお顔も出して「不謹慎ですが、息子が生きててよかったです。」「とんでもないことをした子ですが、私達の息子です」とおっしゃいましたね。ご両親の心の全てを語っていると思いました。
とても達也さんを愛していらして、すぐにでも会って抱きしめたいけど、もう娘に会うことさえできなくなったリンゼイさんのご両親の気持ちを思い、自分達も息子と会わず、手を差し伸べない決心をなさったのでしょう。たとえ出所できたとしても、その時にもう自分達は生きていないかもしれないから、結局1人で生きていかなければいけない息子にできること・・・家と生活費を残しておくことだ、と考えていらっしゃるのではないかと、想像します。普通の人なら60歳まで働いて、年金があるとかでしょうけど、それがない息子のために、ご両親は現実的にできることを、慎ましく生活しながら実行していらっしゃるのではないかと、1人の息子を持つ私は想像します。
そういう意味では、将来のことは本山先生を含め、私達支援者も誰も責任を持つ約束はできませんが、支援団体の存在は彼にとって大切だと思います。
ただ、いつか、ご両親が面会に行かれることがあっても、やはりマスコミに「ついに市橋受刑者の両親が面会に!」と気づかれないでほしいから、支援者ブログに載せていただかなくて良いし、仮出所があったとしても知らされなくて良いし、市橋君にとって良いことだけを本山先生に情報公開していただければ、ありがたいです。あとは個人個人の交流になるのではないでしょうか。
というのが、私の意見です。もちろん、最終的には、本山先生のお考えに添いますので、よろしくお願いいたします。
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先日は、ありがとうございました。今日(本山:3月2日)のブログ拝見しました。私も前者の方と同じ気持ちで出来る限り市橋君を見守り支援していきたいと思っております。先生には大変なお負担をお掛けします。出来る限り協力していきたいと思っております。先生には大変感謝しております。
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テレビ番組制作会社の私への取材は、3月5日(月)に行われることになりました。企画書によると、3月18日(日)にテレビ東京で20:00-22:30に放送予定の「ニッポン事件簿」という番組で市橋君の事件についても取り上げる計画のようです。
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2012年3月2日金曜日
今日は、面会の時に市橋君に頼まれた千葉大学時代に空手部と研究室で一緒だった友人からのメッセージを、A4の紙にプリントし、二人のお子さんと一緒に写っている最近の写真も同じページにプリントして宅配便で東京拘置所の市橋君宛に送りました。友人にも市橋君からのメッセージをメールで伝えました。本間 龍氏の [「懲役」を知っていますか?-有罪判決がもたらすもの] も同封して差し入れました。控訴裁判が結審して受刑生活が始まる時に、どういう生活が予想されるかある程度は知っておいた方が不安感が少しでも小さくなるのではと思ったからです。私からの送り状には、「私はもうこの6月で70才になるので先が見えているけど、君はまだこれから何十年も生きるのだから、前向きに考えて、許される範囲内で有意義な生き方をして下さい」と書きました。
「市橋君の適正な裁判を支援する会」の今後について、支援者から次のお便りが届きました。ありがとうございました。
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いつも本当にお世話になっております。先程ブログを読ませて頂きました。「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」が設立され、もう2年なのですね・・・。時の流れの早さを感じると共に本山先生のご尽力に心から感謝しております。先生が代表となり支援金をまとめ、色々な情報を教えてくださったおかげで私を含めた遠く離れた所からの支援者がどれほど安心できたことでしょうか。本当にありがとうございます。
以前、先生に結審後のお話を少しさせていただいたことがありますが、控訴審において市橋さんと弁護団の先生方の主張が通り、裁判が結審した後も私は息長く市橋さんを支援していきたいと考えております。ですから「市橋達也君の更生を支援する会」を新たに発足させて、お互いに連絡を取り合いながら息長く彼の受刑生活を見守り、応援していく、という一案に賛成です。ただ新たな会の発足により、お忙しい先生のご負担が続いていくのではないか・・・というのが私の気がかりでもあります。
私自身、先生と出会えたことは私の人生の中でとても有りがたく幸せな事でありましたので、このご縁に感謝しつつ今後ともご連絡をとらせて頂きたいという想いです。これから長く受刑生活を送られる市橋さんには身元を保証し支えていく方々が必要だと思います。
お身内の方々の積極的なバックアップが難しいのであれば尚更、支援活動の存在と存続が不可欠だとも思います。
(あるサイトで受刑者の等級が上がれば面会時間など色々な待遇も良くなるし、社会復帰も早くなると書いてありました。しかしながら、その為には身内の方々などの身元引き受け人の積極的な対応が必要とのことでした)下記の通りです。
【アトム法律事務所|刑事事件 刑事裁判に強い弁護士 東京 大阪】
『5.等級について
等級はおよそ3段階あり、刑務作業の内容、身元引受人の存在等が判断材料となって昇級が検討されます。小型、中型、大型の順に昇級します。小型から中型に昇級した段階で手紙の発信回数が月4回から5回に、面会回数が月2回から3回に上がったというケースがあります。また、大型に昇級した際に、面会に刑務官の立会いがなくなり、会話を別室で聞かれるという扱いになることもあります。手紙に関しては、大型になると刑務官のチェックが緩くなり、場合によってはチェックがなくなることもあります。昇級は、刑務作業で高度な技術を要するもの、作業結果に高い評価が与えられるものについては大きく影響します。ただし、昇級した後に刑務作業が全うできない場合には降級することもあり、そうなれば制限もまた厳しくなってしまうため受刑者は気をつけなければなりません。身元引受人がしっかり存在することも昇級のために重要な要素となりますが、これは手紙や面会でアピールすることができます。①頻繁に身元引受人から手紙が届けられる、②受刑者もその者に制限回数いっぱいまで発信している、③面会の制限回数をすべて身元引受人との面会に使用している等により、刑務官に対し釈放後の生活に不安をもたせないような印象を与えることができます。』
これを読むと私はどうしてもまだまだ息の長い支援活動の重要性を感じます。
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本山先生、支援金の振込みを10日で締め切ることについて私は異論はありません。この会の趣旨は裁判費用を支援するために立ち上げたのです。控訴審が結審すれば本山先生の書かれている通り、「――支援する会」もお開きになるのも理解できます。
あくまで私自身の意見ですが、本山先生も本来の仕事に戻ったほうが良いのではと感じます。市橋君の支援活動でかなりの精神的・肉体的な負担がかかったはずです・・・。一支援者として本山先生に申し訳ないという思いでいっぱいでした。市橋君の窓口みたいな役割になっていましたし。少し市橋君から離れて、ローマ滞在中に話がでたヨルダンに指導をしに行くのもいいでしょうね。
他の支援者の方はどのような意見なのかはわかりませんが、ただ、個人が連絡を取り合って・・・の方法はよくよく考えて行動しないとネット上で嫌がらせをされる可能性があるのが怖いです。そしてその仲間に入りたい支援者がいても、その人達に連絡をとる事ができるのでしょうか? 正直私も「――支援する会」が無くなるのは寂しいです。市橋君のお陰で本山先生を知る事ができ、実際にお会いする事もできました。本当に感謝しています。
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3月に入りました。次第に春が訪れております。ご活躍のご様子、いつも感服しております。本日、少額ではございますが送金させていただきました。またご確認いただけますと、ありがたく存じます。
市橋さんが、東京に移送されたとのこと。面会時間を含め、多少とも千葉より待遇が良くなればと思います。そして何より、控訴審では市橋さんの意見も十分に聞き届けられ、風評に左右されない判決が下されることを信じ、願っております。他の方からもご意見があったようですが、もし、先生に過重なご負担がかからないようであれば、「更生を支援する会」として継続を希望いたします。刑務所での年月は、長くつらいものと察します。
時に落ち込み、自暴自棄になることもあるでしょう。そんな時、たとえ他人であっても、市橋さんのことを思い、心配し、更生を願っている者がいる-ということは、どんなに励みになるかと思います。また、刑務所側にとっても、「支援者がいる受刑者」であることは、それだけの評価にもつながる事項であろうと思います。
本当は、市橋さんのご両親、あるいはお姉さまが市橋さんを赦し、支えてくださることを強く望んでおりました。今もその気持ちは変わりませんが、どうも実現は無理なようですね。私には子どもがおりませんから、そういった形の愛情に疎いのですが、もし私なら・・・私なら、赦すだろうと思うのです。身から出た錆かも知れません。が、市橋さんを不憫に思ってしまいます。他人が、どこまで肉親の代わりになれるかわかりませんが、多少なりとも市橋さんの支えになれればと思わずにいられません。
時節柄、くれぐれもご自愛くださいませ。
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先日、レスピーギの「ローマの松」という曲について教えて下さった方から、次の情報が届きました。ありがとうございました。私もネットで調べてみたら次のサイトで一部試聴できることがわかりました。早速CDを注文して、ローマの町で見かけた松を思い浮かべながら聴いてみようと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/anotherbright/diary/201002030000/
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お忙しい中、返信ありがとうございました。ローマの会議中、懐かしい出会いや、偶然の出会いもあり、実り多い時を過ごされたことが、先生のブログでよくわかり、楽しかったです。
さて、レスピーギの「ローマの松」ですが、レスピーギは19~20世紀のイタリアの作曲家なので、普通のクラシック音楽のくくりでもなく、あまり知られていない曲だと思います。しかも、彼は「ローマの噴水」「ローマの祭り」とこの「ローマの松」を同じ頃に作りましたが、「ローマの松」だけが、彼の作品の中では良く演奏されます。といっても、もともと管弦楽のために作曲された交響詩ですが、現在は吹奏楽団が演奏する機会が多く、吹奏楽コンクールでは年中出てきます。だから、ピアノを習ってる人より、高校などで吹奏楽クラブに所属してる人の方がこの曲に詳しく、マニアックに好きな人が多いと、私は思います。
第1部 ボルゲーゼ荘の松
第2部 カタコンブ付近の松
第3部 ジャニコロの松
第4部 アッピア街道の松・・・・一番人気はこの曲で、これだけ単独でも演奏されます。
ウィキペディアの受け売りですが、下記の記事は興味深いです。素敵な文章です。
またレスピーギは1926年1月15日に、みずからフィラデルフィア管弦楽団を指揮してこの曲を演奏するにあたり、プログラムに次のように書いている。「『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている」 つまり、彼はこの曲で単に松のことを描こうとしたわけではなく、松という自然を通して古代ローマへ眼を向け、ローマの往時の幻影に迫ろうと言う意図をもっていた。そのためこの曲には、グレゴリオ聖歌などの古い教会旋法が好んで使用され、古い時代への郷愁と過去への幻想が効果的に生かされている。
作曲家が、20世紀に生きながらも古代時代を想い、表現した曲が、21世紀に生きる人々に感銘を与えてることが素晴らしい、と思うのです。だから、こじつけかもしれないけど、市橋君には罪を償う現実を受止めながらも、これまでの経験や学んだ知識をもとに、今は見えていないものをさらに見つめ、自分を高めることができると信じます。
彼には、健康な身体も知能も目も耳も手も足もあります。さらに他の人に贈る何かを産む力もあると思います。控訴審を前に、抽象論は意味無いのですが、毎日の刑務所内の生活の中で、彼は何かを産むと思います。音楽ではないでしょうけど、文章か絵か工芸作品か庭園デザインか何かわからないけど、芸術品を産む人のように思えます。
またまた「ローマの松」から脱線して、私の妄想ですみません。どうもイタリアンタイムでの毎日(単に宵っ張りで寝坊)で、イタリアに行くには時差ボケもなく便利です。読む先生を考えず、色々勝手きままに書く失礼をお許しください。
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支援する会ブログ 2011年12月31日-2011年06月03日
2011年12月31日土曜日
12月29日に振り込まれた方(4回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は113,000円、延べ446人からの合計額は4,213,928円になりました。ありがとうございました。
支援者から年末のご挨拶を兼ねたお便りが届いています。日本では、大晦日(おおみそか)やお正月は家族と過ごす場合が多いので、身から出たさびとはいえこの時期を独居房で一人で過ごす市橋君はどれほど寂しいことか・・。生きている限りは、せめて心の中だけでも、支援者で市橋君のことを考えて温かい思いを差し入れしてあげましょう。私も年が明けたら、時間を見つけて一度面会に行ってくるつもりです。
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本山先生、お元気そうなご様子何よりです。今年ラストのメールです。本当に一年間お忙しい中いろいろとお気遣い頂き、お世話になり、有難うございました。
今年は東日本大震災があり、あの日の神戸がフラッシュバックしたり、市橋さんの事もあわせて色んな事を考えながら過ごした一年でした。復興には長い年月が必要だと思われます。でも神戸も甦りました。きっと東北も頑張って再生されると信じています。市橋さんの支援も長い年月が必要です。人や街が復活するには周りの方々の息の長い努力と想いが不可欠だと思いますので微力ながら私自身、意識を新たに来年も頑張って市橋さんを支援したいと思います。
本山先生、よろしくお願いいたします。そして、どうぞお体に気をつけて佳いお年をお迎え下さいませ。
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本山先生、今年もあと、8時間余りで終わろうとしています...。私は3月から、初めて支援金を送らせていただき、これまで8回程でしたが...先生や支援者の皆様にブログを通してですが、巡り会えたこと...本当に良かったです。先生にはお忙しい日々の中、市橋君の様子を知らせて頂き、送金時の手続き等...お世話になりました。ありがとうございました。7月には、行動を起こしたとは言え...(偶然にも主人が単身赴任中)〇〇県から東京、裁判当日は千葉地裁に足を運んだ事で、一瞬でしたが本山先生にもお会い出来た事...そして(後でお世話になった初めて会った方が、市橋ギャルと中傷されていて残念でした)市橋君をほんの10分ばかりでしたが...後ろ姿を見ながら 傍聴出来た事は...今思えば、不思議であり、嬉しくもあり...まさに一期一会だったかなぁ...と感慨深い出来事でした。
現在の市橋君は、来年から始まる控訴審に向けて 準備等、大変なのでしょうが...最近では、自ら支援者の方に面会を希望する等...変化が見えて来て 良かったなと思います。 拘置所では年越しそば、は出るのかな?市橋君は三回目の年越しになるのですねぇ...寒さ、寂しさに耐え、心穏やかに新年を迎えて欲しいです。私事では、主人が12月初旬に辞令が出まして、先週には〇〇(本社)へ帰って来ました。1年4ケ月の単身赴任でしたが...お疲れ様と感謝しながら、お帰りなさい、と息子と喜んでおります。(失敬に聞こえるかもですが)ただ一つ残念なのは...やはり、市橋君へ出向いて(小菅の拘置所)差し入れを予定(来年の春休み頃)してたので...でもこの先いつか、市橋君の差し入れだけに〇〇から飛んで行ける時が来るかもわかりません...今年は震災もあり、大変な年ではありましたが... 新年から、また新たな気持ちでパートに家事、育児、出来る範囲での支援を...続けていきたいと思います。では、本山先生、お身体には気をつけて、良いお年を迎えて下さい...
ありがとうございました。来年も宜しくお願い致します。
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今年も、あと少しで終わりを迎えようとしてます。本山先生には、大変お世話になり、有難うございました。いつも支援者の事を考えて下さり、市橋達也さんの様子や公判や控訴の状況を伺わせて頂き、本当に有難うございます。今年は、彼の公判も有りました。私は目の前で、彼がリンゼイさんのご両親に土下座をされた姿が、心に残ってます。あの時の彼の気持ちを心に感じながら、ずっと支援を続けて行きます。又、面会出来る日が来るとは思ってませんでしたので、今年は特別な年になりました。
今年も、本山先生の熱意や支援者の温かいお気持ちを感じられた一年でした。来年も宜しくお願い致します。良いお年をお迎え下さい。
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今日は江戸川堤防を14Km 走ってきましたので、累積は634Km/75日になりました。元旦は実業団のニューイヤー駅伝、2日~3日は大学箱根駅伝の中継がありますので、テレビの前に釘付けになりそうで困ったものです。
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2011年12月30日金曜日
12月28日に振り込まれた2名の方(10回目と5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は112,000円、延べ445人からの合計額は4,212,928円になりました。お二人ともメールアドレスがわかりませんので個別の礼状は差し上げませんが、ありがとうございました。手書きのメッセージもいただきました。
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先生、一年間お疲れ様でした。なかなか思うように送金できず申しわけございません。また、来年も宜しくお願い致します。先生、市橋さん、支援者の方々にとって良い年になりますように。先生、くれぐれもご自愛くださいませ。
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ずい分遠くからのお便りをありがとうございます。そちらは今頃雪一面の景色でしょうね。
今日は内房(うちぼう)の富津(ふっつ)岬に、松の保護士・自然再生士の資格をお持ちのA氏と一緒に松枯れの状況視察に行きました。前回視察した時に回りきれなかった場所を回るためです。松戸から私の車を運転して行ったのですが、館山自動車道を木更津北インターで降りる料金所寸前に突然バッテリーが死んで、車が動かなくなるというアクシデントがありました。JAFFを呼んでみてもらいましたが、年末でもう修理をしてくれるガラージ(修理工場)はどこも開いていないので、駐車場に車を放置してレンタカーを借りて目的地に行きました。車は新年になってガラージが開くようになってから、取りに行くことにしました。ついこの間車検をしたばかりですので、エンジンをかけた時に働く発電装置とバッテリーをつなぐ電線がしっかり接続されていなくて、走っている間に充電がされなかったのではないかと想像します。車検後ブレーキも弱くなっていて再調整してもらいましたが、重大事故にならずに幸運でした。車検を信用していましたが、危ないところでした。
千葉県立富津公園内の松林は見事に管理されていましたが、先端の展望台付近と岬の南側根元部分に位置する岩瀬地区(漁港の付近)の松枯れは酷い状況でした。漁港の近くということで薬剤散布ができなかったのでしょう。枯れた松にはマツノマダラカミキリによる産卵痕や、後食(こうしょく)痕(後食する時にセンチュウが樹体内に侵入する)が見られました。松を守る技術はあるにもかかわらず、不十分な管理しかできなくて枯死するのは人災だなと思いました。
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2011年12月29日木曜日
支援者から以下のお便りが届きました。
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26日にご報告させて頂いた通り、本日差し入れに行って参りました。今回もやはり、必要な時に必要な物をの趣旨で現金と、それから食料品(飲み物・カップ麺・お菓子)です。菓子パンも差し入れたかったのですが、売り切れとのことでした。午前中(お昼前の到着)でしたが、かなり大勢の方がいらっしゃり、面会も差し入れも混雑しておりました。
・・・ご報告まで。
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別の支援者からも27日のブログで差し入れ予定として報告した本を発送したとのお便りをいただきました。
千葉大学走友会の練習会は、稲毛海浜公園から幕張マリンスタジアムまでの往復約10Km を、直近の出場したレースの記録に応じて時差スタートして走りました。一番遅い私が一番先にスタートし、一番早いランナーは私より24分遅れでスタートしました。このところ1月29日のフルマラソンに向けて610Km 走り込んできた私が断然有利で、53minでゴールインし、2位以下をはるかに離して1位になりました。元々時差スタートしているので自慢できるわけではありませんが、それでも練習会後の走る仲間と一緒の忘年会での勝利のビールとワインと料理の美味かったこと! 明日からはまた禁酒して、トレーニング、トレーニング。累積は620Km/73日になりました。仲間から手作りの賞状をもらいました。
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2011年12月28日水曜日
12月26日に振り込まれた方(22回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は97,000円、延べ443人からの合計額は4,197,928円になりました。ありがとうございました。
支援者から以下のお手紙が届きました。ブログでのお願いに早速対応して下さりありがとうございました。差し入れが1日に1回しか認められないのは、直接持参して差し入れ申し込みをした場合で、郵送による差し入れの場合は1日に何人から送ってくるかコントロールできませんので、人数に制限はないということではないかと思います。間違っていたら、どなたか訂正して下さい。
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さて、先日23日にダウンジャケットとフリースのジャケット2枚とスウェットスーツを送りましたので24日は届いていると思いますが、市橋君の手元へ届いているかは分かりませんが、一日も早く届けてほしいと思います。
とても寒くなりましたので、ハイネックシャツ2枚と厚手のソックスを送りました。カイロもと思いましたが、念のため電話で確認したところ、売店からの差し入れはできるそうですが、郵送での差し入れはできないそうです。それと先日のブログで、差し入れも一日一人しかできないとの事でしたが、確認したところ差し入れはいいそうです。接見に限り一日一人(一回)だそうです。
先生、今年もお忙しい中一年間市橋君の様子を知らせて頂きありがとうございました。
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次回市橋君に面会に行く時に報告できるように、東京ディズニーランドに松林の状況視察に行ってきました。植栽管理は株式会社グリーンアンドアーツという会社が担当していると聞いていたので、JR舞浜駅前の総合受付で来園の目的を告げたのですが、植栽調査のための入園は許可になりませんでした。そこで外周を循環しているモノレールに乗って何周かし、どこに松林があるか下見をしたうえで近くの駅で下車して、外側から徒歩で視察してきました。よく管理されていて、枯れている松は1本も見当たりませんでした。毎日多数の来園者がある中で、これだけ見事に管理されているのはさすがです。市橋君が卒業論文の研究をしたところですから、この話をしてやれば、彼も安心するでしょう。
夕方江戸川堤防を10Km 走ってきましたので、累積は610Km/72日になりました。1週間トレーニングができなくて少し焦りましたが、これで明日の千葉大学走友会の練習納めは走れる自信がつきました。
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2011年12月27日火曜日
12月25日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は96,000円、延べ442人からの合計額は4,196,928円になりました。ありがとうございました。この方からはメールでメッセージが届き、本も差し入れ予定とのことです。
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こんばんは。寒い日が続いていますが先生お身体は大丈夫ですか?先日3回目の振り込みをしました。少額ですがこれからも支援をしていきます。
先生のブログを拝見して市橋さんがどのような生活を送っているのかよく解ります。それから29日に郵便局から本を千葉刑務所に送ろうと思います。
三島由紀夫の「金閣寺」の一冊になります。先生も御存知かと思いますが、三島由紀夫の文章の中に、「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した」というところがあります。
私は三島由紀夫の思想や美学は解りませんけどこの金閣寺は何か市橋さんに読んでもらって欲しいと思いました。控訴審に向けて自分が何を話して、そしてまた更生への道を見つけてもらえたらと願ってます。市橋さんがこれから臨む控訴審に微力でありますがお力になれればと思っています。また29日に送金をします。先生もお身体ご自愛ください。ブログも毎日拝見しております。それでは宜しくお願いします。
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今日は事件当日まで市橋君がお付き合いしていた友人に時間を作っていただいて、夕方喫茶店で1時間半くらいお会いして、そもそもの出会いからお付き合いしていた期間(約1年半)の市橋君の様子についていろいろお話を伺いました(差支えのない範囲でブログに報告してもよいとの了解をいただきました)。市橋君の更生を応援するために、私も何故市橋君が、自分の身の破滅につながることが分かり切っているような、あんな馬鹿なことをしてしまったのかを理解したいと思っているからです。大学卒業後の市橋君は、留学を目指して英語の勉強をしていましたが、親からの仕送りがあったとはいえ、英語学校に入学すると多額の費用がかかるので、イヤホンで英会話のテープを聴いてほとんど一日中英語漬けのような生活をして、本当に一生懸命勉強していたそうです。友人と出会ってからも当初は非常に慎重で、ジェントルマンで、本能にまかせて行動するようなことは全くなかったとのこと。時間が経って親しい関係になってからも、一緒に旅行に行ったり楽しい時間を過ごすようになってからは、もっと勉強に専念しなければいけないという自覚と友人との楽しい生活とのジレンマに苦しむことがしばしばあったようです。最後に受けたTOEFLという英語の試験の成績が期待したレベルではなかったようで、親との約束の仕送りの打ち切りの時期が3月末まででそれ以降は自活しなければいけないというストレス状況の中で、リンゼイさんから個人レッスンを受けられるようになったことを本当に喜んでいたようです。でもそれが何故、あのような犯罪につながってしまったのか・・。友人にも理解できないそうです。 もしかしたら市橋君自身にもわからないことなのかもしれませんが、いずれ時期がきたら(市橋君の精神状態がこういう話題に耐えられるだけ強くなったら)、市橋君自身がどう考えているか確かめてみたいと思っています。
午後から松くい虫防除の研究に関して相談するために東京都港区赤坂にある(財)日本緑化センターを訪ねたら、同じビルに水産庁関係の団体も入っていて、ロビーでボランティアの人達が地震とつなみで被災した宮城県石巻の水産加工場の倉庫跡から掘り出したイワシの缶詰(缶の外側が少し錆びている)を3ケ1,000円で売っていたので買ってきました。生産が再開できるようになるまで従業員にはこれしか収入を得る物がないので、生産者への支援になるのだそうです。「希望の環(わ)」という名の団体(プロジェクト)が復興の支援をしていて、サポーター登録を要請していました。http://kibounowa.jp/
昼休みに東京農大の周囲を4Km だけ走りました。グランドはもうすぐ箱根駅伝を走る駅伝部の学生たちが、この寒空の中をランニングシャツとランニングパンツで猛烈なスピードで走り込んでいましたが、私は1週間ぶりの練習でしたので、心肺機能が大幅に低下していて、ハーハー息が上がりました。それでも、トレーニングを再開できたことでよしとします。累積は600Km/71日になりました。
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2011年12月26日月曜日
12月24日に振り込まれた方(16回目)から支援金が届きました。これで支援金の現在高は95,000円、延べ441人からの合計額は4,195,928円になりました。ありがとうございました。この方からは払込取扱票に手書きされたメッセージとメールでのメッセージが届いています。
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支援金を振り込ませて頂きます(16回目)。本日はクリスマスイブです。市橋達也さんに「あなたは、大きな愛に見守られています。そのことを忘れないで下さい。」という思いを込めて送らせて頂きます。
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今年も余すところわずかとなりました。本山先生におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。久しぶりにメールさせて頂きます。〇〇市の〇〇〇〇です。
私もほぼ毎日ブログを拝見しておりますが、日々目標に向かってコツコツと走っておられる本山先生のお姿に感銘するとともに、やはり何ごとも、行動(実践)があってこそなんだということを、あらためて実感し、学ばせて頂いております。ですが、お風邪を召されているということで、どうぞ、ご無理をなさらないようにお大事になさって下さい。24日にわずかですが支援金を振り込ませて頂きました。また、仕事の都合でぎりぎりになってしまいますが、28日に今年最後の差し入れに出向きたいと思います。本山先生がブログで呼びかければ、すぐに支援の手がさしのべられ、静岡など遠方からも差し入れに来られる支援者の方もいらっしゃる・・本当に皆さん、心温かい「大我の愛」をお持ちの支援者ばかりだと思います。末筆ながら、本山先生、くれぐれもお身体お大事になさって下さい。本山先生、支援者の皆さま、良いお年をお迎え下さい。
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この支援者は28日(水)には差し入れに行かれる予定とのことですから、他の支援者の方は重ならないように配慮をしていただければ幸いです。
カリフォルニア在住の娘から電話がありました。時差の関係で向こうは今日がクリスマスなので、孫たち3人がクリスマスツリーの下に飾っておいたプレゼントを開けて、日本のバーバ(妻のこと)とグランドパ(私のこと)からのプレゼントもあったので大喜びしていたとのことでした。プレゼントの取り合いで喧嘩をしなかったかと訊いたら、もちろんしたとのこと。ちゃんと3人分それぞれ分けて指定して送ったのに、一番下の4才の男の子が自分一人で全部ほしいとわがままを言って喧嘩になったのだそうです。その様子を想像して思わず笑ってしまいました。
カリフォルニアにもスキーのできる山があるらしく、車で片道2時間くらいのところに今から2拍3日でスキーに出かけるとのこと。自分で自分のバックパックの準備をしなさいと言ったら、一番下の4才の男の子はスキーがどんなものかわからないので、オモチャをたくさん詰め込んでいたようです。
東京在住の81才の姉が訪ねてきてくれて、妻が昨日から腕によりをかけて準備をしたご馳走を一緒に食べました。最近の我が家の年末の年中行事(昨年は姉と私と妻と3人で名古屋にあるお墓参りに行きましたが)です。年齢が12才離れているので、小さい頃から私を可愛がってくれた長姉ですが、寄る年波には勝てず少しずつ体のあちこちに故障が見られるようですので、この年中行事もいつまで続けられるか・・。それでも、昔から英語のクラスの生徒だった人が何人か今でも姉を慕って自宅に来てくれて、毎週英語の勉強会をしているとのこと。そのためには自分自身も勉強をして準備をしなければならないので、それが姉の精神をいつまでも若く保ってくれているのでしょう。姉は、「人間は死ぬまで一生勉強」の見本のような人です。私の次兄と次姉はブラジル在住ですから、向こうは向こうで兄妹(お互いにかなり離れたところに住んでいますが)で年に1度は行き来をしているようです。
私はすっかり体調が回復したようですので、明日あたりから走るトレーニングを再開したいと思っています。ただ、走る時間が見つけられるかどうか・・。
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2011年12月25日日曜日
昨日、支援者から次の本を差し入れたとの連絡が届きました。外に出ることが許されず季節感がない生活をしている市橋君に、本を通して季節を感じてもらうのはいいですね。
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本日はクリスマスイブですね。先日、市橋達也さんにクリスマスの本を2冊差し入れました。
キリストの誕生や教会など、クリスマスの真実と文化に触れた《Christmas for you》と《Festivals and Faiths CHRISTMAS/Catherine Chambers》海外のクリスマスの様子が載ってるペーパーバックです。
クリスマスを伝えたいです。
昨日のブログで、本山先生が松枯れのお話をされ、彼が直ぐにディズニーランドの松を気に掛けた事が、嬉しかったです。独居房の中でも、色々な事に関心を持って欲しいと思ってます。
前から差し入れたいと思ってました《東京ディズニーリゾート 植物ガイド》を、買いました。ディズニーランドの植物の写真が載っていたり解説がされてます。卒論の研究の調査から、年数が経ってますが、お花や樹木を見て、その頃を思い出したり、何か感じてもらえたらと思います。次に千葉刑務所に伺う時に、差し入れる予定です.
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このところ私が走るトレーニングの報告をしないので不審に思っていらっしゃる方がおられるかもしれません。実は報告をしなくなった日(12月20日)から微熱(67.5~68.2℃)が続いていて、私は普段は微熱があっても逆に運動をして汗を一杯かいて治してしまうのですが、今回は悪寒がして走ろうという気力が湧いてこないので、用心して走るのを中断しているからです。せっかくほぼ毎日走り込んで脈拍数もランナーらしく51~52くらいになっていたのに、62~63くらいに戻ってしまいました。今週の木曜29日には千葉大学走友会の年末の練習納めがあるのですが、この分では残念ながら競争的な走りはできそうもありません。それでも1月29日のマラソン大会まではまだもう少し時間がありますので、体調が回復したらまた走り込んで出場を目指したいと思っています。多分、風邪気味なだけで少し休めばすぐ回復する筈ですので、ご心配なく。
東京農業大学のメールサーバーはまだダウンしたままなようです。
今チェックしたら、メールサーバーは回復していましたので、今後のメールはできるだけ今まで通りのアドレス宛にお願い致します。
(昨日のブログに写真を追加しておきました)
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2011年12月24日土曜日
昨日から東京農業大学のメールサーバーが機能していないらしく、接続できなくなっていますので、メールを送信して下さった方にはサーバーが再開してから返信致します。なお、私の個人的なaol のアドレスは従来通り使用可能ですので、農大の方に送信不可の場合は、回復するまでそちらにお送り下さい。
12月22日に振り込まれた3名の方(9回目、3回目、3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は90,000円、延べ440人からの合計額は4,190,928円になりました。年末・年始に向かって何かと出費の多い時期にもかかわらず、市橋君のことを考えて下さり、温かいご支援をありがとうございました。お一人からは手書きのメッセージがありました。
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本山先生、大変お世話になりありがとうございます。市橋君の心と体が、全能の神様、イエス様に守られ、又、すべてが守られます様お祈り申し上げます。ご両親様、支援する方々が守られます様に。
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今日は車を運転して内房の富津(ふっつ)岬の松枯れ状況の視察をしてきました。途中渋滞もありましたので、往復ともそれぞれ約3時間かかり、現地では県立富津公園内を約3時間歩き回ってきましたが、松はりっぱに管理されていて枯れている松はほとんどありませんでした。先日の千葉県森林研究所の人の激害という報告と違うので、さっき電話をして確認してみたら、枯れているのは岬の根元にあたる部分で、公園よりずっと離れた南側の海岸線に植栽されている松林だということでした。
富津公園内の松は、公園施設ということで県の中の土木関係の部署がしっかり管理しているとのことでした。明治時代から終戦まで軍の要塞地帯で、東京湾に侵入してくる敵の艦艇を迎え撃つ基地として使われていたらしく、森の中にコンクリート製のトーチカみたいな建物や弾薬庫のような建物が廃墟のように残っていました。松は戦後昭和22年(1947年)から植林し始めたとのことで、ずい分太いりっぱな松が多数残っていて、昭和28年(1953年)に当時の天皇・皇后両陛下がお手植えされた松も大きく育って守られていました。
ひとつだけ残念だったのは、ごみを捨てないで下さいという看板があるにもかかわらず、林内にベッドやソファーのような家具や、冷蔵庫やテレビ?のような家電製品を廃棄しているところがあったことです。ここだけでなくあちこちの森林や空き地で見られる光景かもしれませんが、自分さえよければということで他人への迷惑を省みないこういう人間は、自分の家族や子供たちに普段どういう態度で接しているのでしょうか。
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2011年12月23日金曜日
支援者の一人から次の2冊の本を差し入れたという報告が届きました。ありがとうございました。
「青い鳥」重松清箸
「宙ノ名前」村 完次箸
先日、私が面会に行ったらその日はすでに別の人が面会していて、弁護士以外は1日に一人(一組)しか面会はできないという規則になっているということで、面会ができなかったことを報告しましたら、支援者の一人から差し入れも同じで1日に1回しかできないという規則になっているということで、差し入れできずに帰ってきたことがあると教えていただきました。恐らく他の支援者にも同じ経験をされた方がおられるのかもしれません。遠方からわざわざ差し入れに来られて、差し入れできずに帰られるのはお気の毒ですので、これからは差し入れ予定の方もあらかじめ私にお知らせいただければ、このブログに報告して他の方が無駄足を踏まなくてすむようにしたいと思います。
早速ですが、12月26日(月)にはある支援者から差し入れに行く予定ですとの連絡が入りました。
昨日のブログで、市橋君から要望のあった防寒用の衣類について、どなたか差し入れしていただけますかとお願いしましたら、早速何人かの支援者が差し入れしますとのメールを送ってくれました。このブログを毎日チェックしていますという非支援者の方も心配して下さって、自分が差し入れてもよいですとのメールを送ってくれました。しかし、それより前にある支援者から直接電話で明日衣類を郵送するからという連絡が入りましたので、重複するといけませんので、急遽防寒用衣類についてはもう心配無用になりましたという文をブログに赤字で追加しました。ご心配下さった皆様には感謝致します。次回面会に行く時に、市橋君にはこれらのことを伝えてくるつもりです。
昨日の面会での市橋君とのやりとりで、報告し忘れたことが一つありました。私が、先日房総半島の先端の平砂浦の松枯れ状況を視察してきたことを伝え、内房(うちぼう)の富津(ふっつ)岬や九十九里の蓮沼海浜公園でも激害で松が大量に枯れているようだと話しましたら、市橋君はすかさず東京ディズニーランドの松はどうなっていますかと訊き返しました。私がディズニーランドにも松があるのかと訊いたら、自分が卒業論文の研究で調査をしたところです、海に面したところには松がたくさん植栽されていました、と答えました。面会の時に彼に報告できるように、時間をみてディズニーランドを訪ねて(私は今まで一度も行ったことがありません)松の状況を見てこようと思っています。
今日は私と一緒に全国各地で松くい虫関係の調査研究をやってくれた元学生(博士号取得者)と、銚子の犬吠崎灯台のある君ケ浜の松林と九十九里浜の蓮沼海浜公園の松林を車で回って視察してきました。君ケ浜の松林は見事に保全されていて、ほとんど枯れていませんでした。銚子は千葉県有数のキャベツの産地ですが、あちこちに鮮やかな緑色のキャベツ畑が見られました。また、キャベツの間にキャベツを植えるという私には珍しかった作付がされていました。
一方、九十九里浜の蓮沼海浜公園は今年の春訪ねて展望台の上から眺めたり、松林の中を歩いた時は確かにかなり松枯れが多い印象を受けていましたが、今日再訪してみたら、平砂浦に負けないくらいの大被害で広大な面積あった松林がほとんどなくなってススキが原の砂丘に戻りつつありビックリしました。科学的に証明するにはさらに精密な調査が必要ですが、平砂浦の場合と同様にここでも林内のいたるところに枯損木の細い枝(ここにもマツノマダラカミキリ幼虫とマツノザイセンチュウが入っていて翌年の発生源になる)が放置してあり、実際にカミキリムシ成虫の羽化脱出痕が確認されましたので、伝染病の発生源を放置したまま薬剤散布をするというような不十分な対策をしたことが激害の一因ではないかと思われました。しかも、ほとんど宗教的な農薬反対活動家グループからの政治的圧力で、薬剤散布も手足を縛られたような不十分な方法でしか散布ができなかったことが激害を加速したように思われました。
なお、ここにはこの県有林を管理している千葉県北部林業事務所が設置したりっぱな看板が今でも立っていましたので、ちょっと皮肉に見えるかもしれませんが引用しておきます。枯れて伐倒された大きな松の切り株の年輪をざっと数えると50年くらいは経っているように見えましたので、それだけの年数をかけて育成してきた松林がこんなに急激に消滅したのは、私は人災のような気がしました。
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蓮沼海浜の森
蓮沼海浜の森は歴史・風土に培われた「白砂青松」の地として将来に残すべき貴重な財産です。森林浴と海水浴を同時に楽しんでいただけるよう、治山事業により海岸県有保安林内に遊歩道等を整備したものです。
千葉県北部林業事務所
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2011年12月22日木曜日
午前中に市橋君に面会に行ってきました。昨日午後1時過ぎに来たけど面会できなかったことを伝えた後、「久し振りだけど、元気にしていたか」と訊いたら、「はい」と答えました。ご両親は控訴審で証言することに同意してくれたかと訊いたら、首を横に振って駄目だという意思表示をしました。寒くないか、何か必要なものはないかと訊いたら、2年前にどなたかがダウンジャケットを差し入れてくれたけど、ずっと着ているのでボロボロになって中身(羽毛?綿?)が出てきているので、ユニクロで売ってるようなダウンジャケットを差し入れていただければありがたいと答えました。ただし、フードのついているものや紐の付いているものは許可になりませんので、と注意をしてくれました。2年前に差し入れてくれたのは北海道の支援者だったかなと私が言ったら、違います、〇〇さんではありません、と正確に北海道在住の支援者の名前を言いました。以前私が差し入れた支援者名簿を何回も見て、どこの都道府県に何という名前の支援者がいるということを覚えてしまったのでしょう。どなたか、防寒用にフードと紐の付いていないダウンジャケットを1着差し入れていただけませんでしょうか。2着は不要ですので、もし差し入れて下さる方がおられたら、あらかじめ私にお知らせ下さい。このブログに報告して重複を避けたいと思います。ちなみに市橋君は確か伸長180cm くらいだったと思いますので、サイズはLL がいいかもしれません。
独居房では ベッドで寝ているのか、布団で寝ているのかと訊いたら、布団ですとのこと。冬用の寝間着(パジャマ)はあるのかと訊いたら、現在着ている薄手の黒いトレーナーを指差して、このまま寝ていますとのこと。昼間着ているのと同じトレーナーでそのまま寝るのでは、朝起きた時に夜と朝の区別がつかなくなるんじゃないのかと指摘しておきました。どなたか冬用の寝間着を、洗濯用も含めて2着差し入れていただけませんでしょうか。私の妻に訊いたら、パジャマを寝間着にするのは私のような老人だけで、最近の若い人はトレーナーを寝間着にするのだと言われました。どちらがいいかわかりませんが、こちらももし差し入れて下さる方がおられたら、あらかじめ私にお知らせ下さい。ただでさえ生活のリズムが作り難い独居房での生活ですから、せめて朝起きたら寝間着から普段着に着替えて、顔を洗ってひげを剃って、その日の一日を始めさせたいと思いましたので。
支援者の一人から、市橋君は罪を償うために一生リンゼイさんの苦しみを忘れずに苦しみ続けるべきたという趣旨のことを言ってきた人がいるよと話したら、どんなことをしても罪を償うことはできないと思いますと答えました。彼は自分の犯した罪がどれだけ重いものかを十分自覚していると感じました。
ひげ剃りや歯ブラシや洗面用具は刑務所が供給してくれるのかと訊いたら、私物がない場合は供給してくれるけど、自分は私物があるのでそれを使っていますと答えました。支援者の中には現金を差し入れして下さる方がおられるので、それを使って刑務所内の売店で売っているものを注文しているのでしょう。
学生時代に空手同好会で私に指導された空手の型を練習していますと言って、玄制流の組手(試合練習)は寸止めですかと訊きました。彼が空手同好会に在籍して修行した期間は短かったので、約束組手までで、自由組手の稽古にいく前に卒業してしまったから知らないのです。私たちは、剣道と同じように防具を付けて、フルコンタクトで組手をやっていたことを教えました。運動をする時間に5m 四方くらいのスペースがあるらしく、彼が学生時代に稽古していた基本の追い突き、逆突き、前蹴り、横蹴り、回し蹴り、3連蹴り、四方突き蹴りの練習をやっていますと言いました。これから相当長期間受刑生活をするということから、体が弱らないように鍛えようという気持ちになってくれたのかもしれません。それなら、私が空手の本を差し入れするからと言ってやりました。検閲をパスするかどうかはわかりませんが。
今日は静岡県に在住の支援者からお手紙が届き、食事にゴキブリが入っていたことが許せないので、わざわざ千葉刑務所まで出かけて食べ物と現金を差し入れしてきましたとのことでした。そういえば今日はゴキブリのことを市橋君に訊こうと思っていたのに、あっという間に8分間が過ぎて忘れてしまいました。以前の不安定な精神状態だった時と違って、今日の市橋君は「罪を償う」とはどういうことかという話題を私が持ち出しても、冷静に対応していましたので、覚悟ができてきたのかもしれません。
久し振りに会った今日の市橋君は、鼻の下と顎(あご)に少し無精ひげ(多分2日?くらい剃っていない程度)が伸びていましたが、元気そうで積極的に話してくれました。私がまた来るからなと言って面会室を出た時に、彼は立って頭を下げて見送ってくれました
早速支援者の一人から電話あり、ダウンジャケットと冬用の寝間着にするトレーナーを明日市橋君宛に郵送して下さるそうです。ありがとうございます。それ以上は必要ありませんので、他の支援者の方はこのことについてはお忘れ下さい。
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2011年12月21日水曜日
今日は電車やバスの待ち合わせ時間も含めて往復4時間近くかけて、午後1時過ぎに市橋君と面会するために千葉刑務所に行きました。いつものように面会申込み書に必要事項を記入して待っていたら、今日はすでに他の人が面会をしたので面会はできませんと言われました。市橋君の要望を聞くことと(寒くて衣類が必要ないかとか)、精神的・身体的状況を支援者に報告するつもりでしたが、無駄骨になって残念でした。
弁護士を除いて、一般の面会は1日に一人(一組)しか許可されないという規則のようですので、もし大阪や和歌山のような遠方から面会に来て、その日は先客がいたので会えないということになると気の毒です。こういうバッティングを防ぐためには、差し入れする本が重複しないように私に連絡していただいてこのブログに報告したのと同じように、これからは面会に行かれる支援者はあらかじめご連絡いただければ助かります。
なお、私は明日の午前中に再度面会に行くつもりです。
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2011年12月20日火曜日
12月18日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は57,000円、延べ437人からの合計額は4,157,928円になりました。ありがとうございました。個別の礼状は差し上げませんが、このブログでの報告をもって代えさせて頂きます。ありがとうございました。
千葉駅前から高速バスに乗って館山に行き、レンタカー(と言っても脚立が運べる小型トラック)を借りて千葉県団地園芸研究所に寄って高さ2m くらいの脚立を借りました。少し高い位置から松林全体を見渡せるようにするためです。平砂浦に着いたら、日本の白砂青松100選に選ばれた美しい松原が松くい虫で真っ茶色に枯れて、見るも無残な状態でした。戦争中に軍に接収されて松が伐倒され、戦後多くの人々の大変な努力で50年もかけてせっかく植林・育成した砂防林が十分な防除ができないためにこういう状態になって、いったい誰が責任をとるのかと怒りを感じました。松原のお蔭でその後背地では野菜や花の栽培が可能になり、人も住めるようになったのに、これではまた江戸時代のように荒涼とした砂丘に戻ってしまう恐れがあります。これから研究チームを組んで、何が原因でこういう惨めな状況になったか解明していこうと思っています。
私が学生時代には平砂浦の海岸から1Kmくらい陸側に入ったところには、サンドスキーで有名な90m くらいの高さの砂山があって、頂上から駆け降りた記憶がありましたので、探してみましたら草が生えたりして(松原と砂山の間にレジャー施設やゴルフ場ができて飛砂が減って)少し面積は小さくなっていましたが、今もありました。砂防林ができるまではこんなところまで飛砂が吹上られたのですから、飛砂の猛威は大変なものです。砂山の斜面の横の松の木もほとんどが松くい虫の被害で枯れていました。平砂浦の松も含めて、枯れた木をそのままにしておくとそこから来年のマツノマダタカミキリ成虫がマツノザイセンチュウを体に着けて飛び立ち、次々と生きている松を食害してセンチュウを伝搬して松を枯らしていきます。平砂浦の林内に放置されていた比較的小さな枯損木を調べてみたら、成虫の羽化脱出痕が10個以上みつかりました。マツノマダラカミキリは1頭が約100個の産卵能力があると言われていますので、この1本の枯損木だけからでも1,000頭のマツノマダラカミキリが発生した可能性があることになります。しかしこれだけ枯れた松を一度に伐倒駆除すると、飛砂被害が大きくなりますので、これから県の担当者(県有林ですので)は対策について難しい判断を迫られることでしょう。
(写真はクリックすると拡大できます)
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2011年12月19日月曜日
今日のテレビはどの局も北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記の急死の報道一色になりました。私と同じ69才だったとのこと。新聞の号外も出たようでした。私は夕方から日比谷である人たちと会食をする予定だったのですが、その中の一人(解説委員)はNHKの局を離れられないということで中止になりました。
1月末が締め切りで依頼されている原稿(「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響」の3報目)の資料を揃えたりして、少しずつ準備を始めました。
明日は早朝に自宅を出て、千葉駅前から高速バスで房総半島の館山に行き、レンタカーで平砂浦海岸の松枯れ状況を視察してくる予定です。もし時間のゆとりがあれば、そのまま外房に沿ってドライブして、九十九里の松枯れ状況も視察してきたいと思っています。
トレーニングの方は江戸川堤防を14Km 走ってきましたので、累積は596Km/63日になりました。今度のマラソンコースは、前回(15年くらい前)出場した時の記憶では前半は海岸線に沿ってフラットなコースでしたが、折り返してからの後半は山村のアップダウンのあるコースでしたので、そろそろ距離をこなすだけのトレーニングに加えて、坂道を上り下りするトレーニングを取り入れなければいけないなと思っています。ただ、50才代でまだ若かった昔と違って、69才という年齢上、膝を痛めるとフルマラソンは走れなくなるので走り過ぎないように注意をしています。明日は走る時間がないので、膝を休めるよい機会です。
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2011年12月18日日曜日
12月15日に振り込まれた方(12回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は52,000円、延べ436人からの合計額は4,152,928円になりました。皆様それぞれの厳しい生活がおありの中で、市橋君に適正な裁判を受けさせるために何回も支援金を振り込んで下さり、ありがとうございます。市橋君は手記の中で「感謝」ということに言及していましたが、次回面会に行く時に、弁護団が市橋君のために最善を尽くしてくれているのはこういう多くの皆様の温かい思いやりのお蔭だということを忘れないようにと伝えてきます。
思ったより準備に少し時間がかかって遅くなりましたが、朝日新聞「天声人語」宛に意見書を今日発送しました。市橋君の事件とは無関係ですが、私が普段どういうことに興味を持っているか知っていただくために、以下にコピーを貼ります。どういう返事がくるか楽しみです。私の主張を裏付ける科学的データや写真などは、長くなりますのでここでは省略します。
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我が家では過去60年以上にわたって朝日新聞を購読している購読者です。先週12月6日(火)の「天声人語」に書かれている内容について、明らかに筆者の古い認識と誤解にもとづいていると思われる記述がありましたので、最近の科学的情報を提供して注意を喚起しておきたいと思います。この旨を当該筆者にお伝えいただければ幸いです。
なお、私は千葉大学園芸学部に約30年間勤務して、2008年3月に定年退職後は東京農業大学総合研究所の客員教授をしております。専門は殺虫剤の薬理学と農薬の環境科学です。また、農林水産省の農業資材審議会委員を2008年12月まで10年間務め、そのうちの8年間は農薬分科会の会長の任にありました。
私も近年の農村の耕作放棄水田のような荒廃風景を非常に残念に思い、スズメやメダカのような昔はどこにでも見られた身近な生物に郷愁を覚える点では筆者と全く同じ気持ちです。誤解にもとづいていると思われるところは以下の文の農薬で絶滅危惧の赤ランプの部分です。
スズメと同じく童謡に歌われ、同じく「学校」で学ぶメダカを思う。どこの水辺にもいたのに、開発や農薬で絶滅危惧の赤ランプがともる。♪みんなでお遊戯しているよ-の眺めは、悲しいかな遠くになった
1950年代や1960年代の農薬の中には、確かにパラチオンのように人畜に対する急性毒性が非常に高く自殺他殺を含めて多くの人命が犠牲になった有機りん殺虫剤や、DDTのように環境中に長期間残留した有機塩素殺虫剤や、PCPのように魚介類に対する毒性が非常に高かった除草剤もありましたが、これらを含めて人畜や環境に悪影響を与える危険性が高い農薬は1971年の農薬取締法の大改正で禁止になりました。
その後発明・開発され農薬登録された農薬は、これらの欠点を克服して安全性が格段に進歩したものです。農薬は、農水省で農薬登録されなければ輸入・製造・販売・使用はできません。登録には、人の健康や環境に対する安全性を確認する膨大な試験データが要求され、農林水産省に加えて、内閣府の食品安全委員会、厚生労働省、環境省、消費者庁が関与しています。厳しい審査を受けて登録認可された農薬は、遵守義務のある使用基準に従って使う限り健康や環境に対する安全性が確保されます。
私は千葉大学園芸学部に在職中は、生態制御化学研究室専攻の学生諸君と一緒に、野外で散布された農薬の挙動と運命や生態影響についていろいろな現場で何年間にもわたって調査をしてきました。その中の2~3の調査結果の概要をご参考までに添付致します。
1つ目は、茨城県北浦周辺の水田の水路における農薬濃度と水生生物に対する毒性を毎週調査したものですが、悪影響を及ぼすような濃度は水路に流出していないことと、農薬を散布された水田の水が直接流入する水路にメダカの群れが多数泳いでいるのを実際に確認できました。
2つ目は、千葉県山田町(現香取市山田区)の広大な水田面積に有人ヘリコプターで農薬が散布された時に、散布直下に位置する水路中の農薬濃度と水生生物に対する影響を調査したものですが、農薬濃度は生物に影響を及ぼす閾値(いきち)以下であることと、実際に水生生物密度に有意な変化を与えていないことが確認できました。調査対象地域には絶滅危惧種のホトケドジョウが生息している小水路とメダカが生息している小水路もありましたが、散布前後で有意な密度変化はありませんでした。調査時期によっては一部の調査地点で密度減少が観察された場合もありましたが、これは農薬の影響ではなく、調査のために小水路の底質をさらってしまったり(ホトケドジョウ)、農家が水はけをよくするために水草を引っこ抜いてしまったために(メダカ)、生息環境として不適になったので、各水路内で底質や水草が残っている場所に移動したことによることがわかりました。
3つ目は、千葉県大網白里町の谷津田に造成したビオトープに農薬を実用濃度投入して水生生物と底生生物の密度を長期間にわたって調査したものです。水田で使用される殺虫剤を合計5種類各々の実用濃度相当量を投入しましたが、水中・底質中濃度はいずれも短期間に減衰して検出限界以下になり、水生生物と底生生物に対する影響もほとんどないことが確認されました。殺虫剤の種類によってはユスリカ幼虫やコミズムシなど一部の生物に影響を及ぼしたものもありましたが、時間の経過とともにこれらの生物は回復し、影響は一時的であることがわかりました。水槽内で強制的に一定の農薬濃度に暴露させる試験と違って、環境が連続している野外では、生物には移動の自由があったり、農薬濃度に不均一が生じるので、特定の生物が全滅することは稀で、高濃度の農薬への暴露を避けて生き残った生物が再繁殖して元の密度を回復するということです。
千葉県東金市では絶滅危惧種のゲンジボタルが生息している水路がありますが、湧水が一年中流れている土の素掘りの水路です。こういうところでは、水草が生えて、ホタルの餌になるカワニナという貝が発生できるので、田植えの時期には水田で散布した農薬が流入しても、ゲンジボタルが生息しています。一方、最近ほとんどの水田で見られるコンクリート3面張りの水路は補修が不必要で便利かもしれませんが、土と接していないので水草が生えずカワニナも発生せず、ゲンジボタルは生息できません。
メディア関係者の農薬の進歩に関する認識不足もあって、国民の多くは相変わらず農薬は環境に悪影響を及ぼしていると思い込んでいますが、それは誤解で、現在の進歩した農薬はそのような悪影響を及ぼしていないことをご理解いただきたいと思います。
なお、開発によって(特に都市近郊では)昔は農地周辺にあった"ため池"や自然湿地が埋め立てられて宅地化し、水生生物が緊急避難できる逃げ場(レフージア)がなくなったことが生物相を貧弱にしていることは事実です。また、新興住宅地近くの水路では、家庭の一般雑排水が流入して汚染をしているところもあり、そこに含まれる洗剤や抗菌物質(例えば、人気ヘヤーシャンプーに含まれていたジンクピリチオンなど)がメダカのような水生生物に悪影響を及ぼすことも事実です。
従って、コンクリート3面張りの水路を止めて、水が1年中流れている土の素掘りの水路を造れば、メダカを身近に普通に見られるようになる筈です。また、この辺り(関東地方)の水田は7月中旬には水を抜いて地面をひび割れさせて稲の根に酸素を供給させるために乾田化します。その時期にメダカをはじめ水生生物が水田から逃げ込める"ため池"を近くに設置することも、生物多様性を維持するのに役に立つ筈です。
もし、さらに詳しい情報が必要でしたら喜んでご説明に参上致しますので、ご遠慮なくお知らせ下さいと当該筆者にお知らせ下さい。
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今日は江戸川堤防を18Km 走ってきましたので、累計は582Km/62日になりました。
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2011年12月17日土曜日
千葉県館山市平砂浦海岸の松枯れ状況は来週現地視察に行くことにしました。来週は久し振りに市橋君との面会にも行く予定です。
今日は昨日に引き続いて、先日12月6日の朝日新聞「天声人語」の筆者の農薬に関する古い認識にもとづく間違った表現について、注意を喚起する手紙を書くこととと、根拠になる科学的なデータの整理をしました。明日には発送できます。
江戸川堤防を寒風に向かって14Km 走ってきましたので、累積は564Km/61日になりました。妻にウエストを測ってもらったら、トレーニング開始以来2ケ月で7cm 短くなっていましたので、さらに体が絞れてきたようです。
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2011年12月16日金曜日
午前中は、千葉県松林復活プロジェクトの共同研究メンバーが千葉大学園芸学部に集まって第4回打ち合わせ会を開き、今年の研究の進捗状況を報告し合いました。各々興味深い結果が得られつつありますが、千葉県森林研究所の報告には唖然(あぜん)としました。千葉県では元々松林面積の90%以上は松枯れですでに消滅していて、主として海岸地帯に残っている10%弱の松林を必死に守ろうとしていたのですが、今年の松枯れ被害は昨年の11倍にも達し、特に房総半島先端に位置する館山市平砂浦(へいさうら)海岸では真っ赤に枯れた枯損木(松の死骸)が累々と見られるとのこと。確か、今年3月に視察に行った時は、被害は拡大しつつありましたがそれほど甚大ではありませんでした。このことは12月10日付けの朝日新聞の千葉県版にも「松枯れ被害深刻」という見出しの記事で取り上げられ、今年の松枯れ被害は昨年の11倍で、特に房総半島の先端に位置する館山市の平砂浦海岸では真っ赤に枯れた松が目立つとのこと。館山市長の「伐採したマツをチップ化せず、放置したのではないか」というコメントが載っていました。海岸の松枯れは、単に観光資源にとってマイナスなだけでなく、松林の砂防効果で今は住宅地や商業用地や緑地になっているところが、昔のように砂丘や砂山が復活する可能性があり、生存環境が脅かされることになります。
1905年頃に長崎県にアメリカから輸入された松の材木に紛れて侵入したマツノザイセンチュウが、マツノマダラカミキリによって媒介・伝搬されて松枯れを起こしてきました。対策としては、センチュウを媒介・伝搬するカミキリムシを殺虫剤散布でやっつける予防と、すでにセンチュウに寄生された被害木を伐倒して次世代の発生源を除く駆除が基本になります。いずれもコストと労力がかかりますので、殺虫剤散布だけして伐倒駆除をしなかったり、反対に一部市民の反対活動で殺虫剤散布ができなくて伐倒駆除だけしたりすると、被害が拡大していきます。センチュウを抱えたカミキリムシの成虫は寄生木から一度に集中して羽化・脱出してくるのではなく、2ケ月くらいにわたってダラダラ発生してきますので、散布後に殺虫効力が1ケ月くらいしか持続しない殺虫剤の場合は、発生時期を的確に把握して2回散布することが必要となります。これが一部市民の反対活動で不十分になると、被害を止められないということになります。また、伐倒した被害木も、機械でチップ化したり、殺虫剤や燻蒸剤や成虫に対する病原性微生物を処理して成虫の羽化・脱出を防ぐことが必要となります。これにはやはり相当なコストと労力がかかりますので、伐倒した被害木をそのまま林内に放置すると、次々と被害が拡大することになります。
何十年もかけてせっかく植林・育成してきた貴重な松林が、中途半端な対策しかとれなくて枯れていくのは残念なことですし、地元の人々にとっては深刻な問題です。
午後の東京での農林害虫防除研究会の常任幹事会(私は今回を最後に退任させていただきました)が終わって松戸に帰ってきたのは4時頃でしたので、着替えて江戸川に行った時はすでに太陽が沈んで、西の地平線に夕日が細い隙間のように残っているだけでしたが、真っ暗な堤防を14Km 走りました。あちこちで雪が降っていたようで気温は冷え込んでいましたが、気分は最高でした。これで累積は550Km/60日になりました。この1ケ月のトレーニング目標の300Km は達成し、貯金も26Km 上積みできました。トレーニング開始時点からの体重の減量は5Kg ですので、今月は1Kg 目標に届きませんでした。明日から始まる次の1ケ月のトレーニング目標は400Km の走り込みと、体重の減量4Kg (今月届かなかった1Kg 分を足して)です。
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2011年12月15日木曜日
無風で比較的暖かだった今日の江戸川堤防を、のんびり景色を眺めながら、持参したカメラで時々写真を撮りながら、14Km 走りました。
柿の熟した赤色と夏みかんと柚子(ゆず)の黄色が鮮やかでした。千葉大学園芸学部がある戸定ケ丘(とじょうがおか)にもまだ紅葉が残っていました。普段忙しい生活に追われていると景色に目を留める余裕がなくなりますが、ジョギングをしながらこういう初冬の美しい景色を楽しめるのはラッキーです。累積は536Km/59日になりました。11月16日は224Km でしたから今日までの29日間に314Km 走ったことになり、この1ケ月のトレーニング目標300Km はすでに達成しました。明日もう一日ありますので時間がとれれば少しでも走って、12月17日から始まる次の1ケ月の目標400Km のためにできるだけ貯金を作っておこうと思っています。
明日は午前中に千葉県松林復活プロジェクトの共同研究の打ち合わせ会がありますし、午後からは東京で会議もありますし、先日(12月11日)の朝日新聞の天声人語の筆者の農薬についての間違った理解を指摘する投書もまだ途中までしかできていませんので、果たして走る時間がとれるかどうか・・。
(写真はクリックすると拡大できます)
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2011年12月14日水曜日
しばらく市橋君との面会を控えていましたので、その後の様子を伺おうと思って菅野弁護士の事務所に午後4時過ぎ頃電話を差し上げたら外出中で、5時頃には戻ってこられるとのことでしたので戻られたらお電話を下さいとお願いしておきましたら、7時半頃電話がありました。私の友人の弁護士もそうですが、常に複数の事件をかかえて時間が不規則でいつ家に帰れるのか、弁護士という職業は大変だなあと思いました。
ずい分長時間にわたって、市橋君との控訴審に向けての打ち合わせの状況について詳しく説明していただきましたが、裁判に関わることは微妙な問題ですのでブログには書かないことにします。このブログは支援者だけでなく、反支援者もメディア関係者も、恐らく日本の検察もイギリスの被害者代理人の弁護士も見ている可能性がありますので。ご了解下さい。控訴の趣意書については5人の弁護士が担当を決めて作成していて、いずれそれらを持ち寄って調整して仕上げる予定とのことです。
市橋君は大分落ち着いてきた様子とのことですが、刑務所側の扱いには大いに不満を持っているそうです。食事にゴキブリが入っていたらしく、自分は刑務所に対して何も悪いことをしていないのに刑務所が自分に対する嫌がらせとして故意にゴキブリを入れたという苦情を、先週菅野・山本・三宅弁護士が3人一緒に2時間くらい接見した時も口頭で訴え、文書にして手紙でも送ってきたとのことでした。
千葉刑務所には確か千人くらいの受刑者がいると聞きましたので、調理してから独居房に配膳する間に目が行き届かずに偶然ゴキブリが混入してしまったのか、あるいは市橋君が疑っているように刑務所が意図的に嫌がらせをしたのかは不明です。刑務所側にしてみれば、手記を知らない間に出版されてしまったけど間に交通権のある弁護団が入っているのでどうしようもできないという悔しさがあったり、市橋君の責任ではないけど今は手記が映画化されるという動きがあったりで、市橋君は好き勝手なことをして刑務所の秩序を乱していると考えて、平たく言えば刑務所側が頭にきていてもおかしくないようです。そんなことで本当に市橋君の食事にゴキブリを入れたとしたら大問題ですが、証明はできませんし、単なる偶然の事故かもしれませんし、当面は対応はとれないようです。
このことについて、市橋君が私にも伝えてほしいと言ったそうですし、そろそろ私が面会に行ってもいいのではないかとのことでした。今週はすでに予定がありますので、来週にでも時間を見つけて面会に行ってこようと思っています。
朝日新聞夕刊に連載されている「100万人のうつ」は、5回目の今日は認知療法(又は認知行動療法)について取り上げていました。うつの人は、何かがあると一つの視点だけで思い込んで物事を決めつけてしまうようですが、色々な可能性を検討して現実に合ったバランスのとれた考え方ができるようになれば、気持ちが軽くなるとのこと。
12月8日夜にNHKプレミアム(テレビ)でやっていた「BS歴史館」運命の22日間~日米開戦・外交官たちの苦闘と誤算~と、「戦争証言スペシャル」運命の22日間~千島・サハリン(樺太)はこうして占領された~、をもう一度見たいと思って人に頼んでいたら、今日両方ともDVDが届きました。ゆっくり見直してみたいと思いますし、来年アメリカに行く時に持参してアメリカ人の友人たちにも見せたいと思っています。同じ戦争でも、国の愛国心を鼓舞するような見方とは違った見方があるということについて、アメリカの友人たちと話し合ってみようと思っています。
今日は雨上がりで曇天の江戸川堤防を20Km 走ってきましたので、累積は522Km/58日になりました。まだ体重がオーバーなのでゆっくりしか走れませんが、20Km 走っても何ともなくなりましたので、確実に持久力はついてきています。
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2011年12月13日火曜日
朝日新聞夕刊には第1面にニッポン人脈記という欄があって、違う話題について連載で取り上げていますが、先週の木曜12月8日からは「100万人のうつ」を連載し始め、土日は休みですから、今日で4回目まできました。私が研究指導をした学生の中にも、程度の差はあっても、うつを抱えている女子学生・男子学生がいましたし、支援者の中にもうつや発達障害と診断された方々がおられるので、毎回興味を持って連載を読んでいます。以前、支援者と思っていた女性が「先生、私死にたい」とメールしてきたり、真夜中に死にそうな声で電話をしてきたりした時は本当に心配して、うつに関する本を何冊も買って読んだり、NHKテレビの健康番組でうつを取り上げた時は必死で見たりして、うつを理解して何とか助けてあげられないかと思ったりしました。この女性は実は最初から私を騙(だま)すために巧妙に複数の女性の振りをしてメールを送ってきたり電話をかけてきたりして私を信用させた支援者もどきで、実際は私の弱みを握って脅かす新たな振り込め詐欺の一種だということに気が付いて、相手にするのを止めました。当時は、うつの治療法には精神療法、薬物療法、環境療法があって、患者の状態に応じてそれらを組み合わせて治療するということを学びました。今回の朝日新聞の連載をみると、全国にいろいろなうつの専門医がいて、それぞれ患者に応じて工夫しながら治療に成功している例が紹介されています。中には、抗うつ薬の副作用で苦しんでいた患者が7年がかりで薬を全て止めることが出来て、今では復職して元気に働いている人もいるとのこと。
私の研究室を数年前に卒業したうつに苦しんでいた元学生のことが急に気になって、携帯に電話をしてみましたら、この番号はもう使われていませんとの自動メッセージが流れました。ちょっと心配なので、明日にでも彼の帰省先のお母さんに電話をして、元気にしているかどうか確かめてみようと思っています。
市橋君の事件に関して月刊文藝春秋のインタビューを受けた記事が11月10日発売の12月号に掲載されましたが、お礼のサービスの意味か定期購読を促すためか、12月10日発売の新年特別号が送ってきました。今月号にもいろいろな興味深い記事が載っていますが、特にTPP(環太平洋経済連携協定)問題については特集されていました。その中の、浅川芳裕氏(月刊「農業経営者」副編集長)の「日はまた昇る・わが農業-農水省の試算はウソだらけ!」には驚きました。月刊「農業経営者」の編集長とは私自身が以前農薬の登録制度の問題についてインタビューを受けて記事になったことがありますが、TPP参加によって日本の農業が壊滅するとして農水省が発表しているデータが、いかに意図的に捻じ曲げられたものであるかが指摘してありました。
紙を媒体とした書籍は苦戦しているそうですが、パソコンの前に座らなくても、夕食後ソファに寝転んで気軽に読むこともできるという点ではそれなりの魅力があるのではと思っています。
今日は昼休みに東京農業大学の周囲を12Km 走りました。累積は502Km/57日になりました。
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2011年12月12日月曜日
12月9日に振り込まれた方(初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は47,000円、延べ435人からの合計額は4,147,928円になりました。ありがとうございました。メッセージもありました。
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初めて送金させていただきます。3人の子供を持つ親として罪は許されるものではないですが、市橋君がしっかり自分と向き合い更生してくれることを願います。
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メッセージを拝見して、私と全く同じお気持ちだと感じました。私たちの支援活動を批判する方々の中には、私たちが犯罪加害者の市橋君を支援していることから、女性の尊厳を踏みにじる強姦と、その後の致死という事実を軽く見ているのではないかとか、被害者であるリンゼイさんとそのご遺族のお気持ちを無視しているのではないかと考えて、支援活動そのものを許せない・認められないと主張される方がおられますが、それは全くの誤解です。市橋君が犯した犯罪は取り返しがつかない、許されるものではない、重大な犯罪です。それでも、まだ若い市橋君に社会全体からのリンチではなく、適正な裁判を受けさせ、反省させ、罪を償わせ、更生させ、どれだけ短い時間であっても残りの人生を生き直させたいと願っているのです。
支援者のお一人から、私が12月8日のブログに書いたことについて、以下の嬉しいコメントが届きました。ありがとうございました。確かに、同じことでも、考え方によって楽しいことになったり苦しいことになったりしますよね。
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お忙しい中お返事ありがとうございました。ブログでの先生のお言葉が印象的でした。
『~昔から、暑い時は大会の時に暑くても大丈夫のように、寒い時は大会の時に寒くても大丈夫のように、雨の時は大会の時に雨でも大丈夫のように、風が強い時は大会の時に強風が吹いていても大丈夫のように、雪の時は大会の時に雪が降っても大丈夫のように、と思っていつでも絶好のトレーニングのチャンスと思って走るようにしているからです。』
このお言葉で私はとても元気を頂きました。普段から"ポジティブな考え"をもちたい私には頑張っていこう!って思えるメッセージでした。私も今在る日々の生活を明るく楽しく過ごせるよう前向きに頑張ります。
先生1月のフルマラソンきっと良い走りになりますね!私も楽しみにしています。頑張って下さい。
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今日は長年の腎臓透析と3回の脳梗塞で入院して寝たきりになっている千葉大学教員時代の友人・元同僚を見舞いに行ってきました。私と同じ年齢で、定年退職後は趣味の油絵を描くと言っていたのに、実現できずに定年退職して間もなく入院生活になってしまい、今では私が行って、「おい、〇〇君、見舞いに来たぞ。どうだ元気にしていたか。」と言っても、目を開けて私の顔を見るだけで言葉を返すことも表情を示すこともできなくなりました。それでも、今日アメリカ在住の娘から送ってきた3人の孫たちの写真を見せたり、1月の末にはマラソン大会に出場するために毎日走ってトレーニングをしていることなどを話してあげました。ちょうど奥様も見舞いに来ておられ、自分も見舞いに来た時は主人が答えてくれなくても、目を開けてくれなくても、ずっと話し続けていますとおっしゃっていました。鳥取県のおみやげに買ってきた新興という梨が食べたらおいしかったので、一つ持参して奥様に差し上げました。患者は病院から出される食事以外は食べてはいけないルールですが、奥様が後で皮をむいて小さく切って、カーテンをして看護師に見つからないようにして食べさせてあげるとおっしゃっていました。
リハビリセンターに友人・元同僚をお見舞いに行く前に、江戸川堤防を18Km 走りましたので、累積は490Km/56日になりました。
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2011年12月11日日曜日
12月6日(木)の朝日新聞朝刊の天声人語という欄に気になるエッセイが載っていました。昔はどこでも普通に見られたスズメが減ってきているらしいという紹介に続いて、 [スズメと同じく童謡に歌われ、同じく「学校」で学ぶメダカを思う。どこの水辺にもいたのに、開発や農薬で絶滅危惧の赤ランプがともる。] と書いてありました。どなたが筆者かはわかりませんが、農薬について古いイメージをお持ちのようで、相変わらず誤解されています。人口増加に伴う開発で農地や水辺(特に都市近郊の)が埋め立てられてメダカの生息環境が減少したのは事実ですが、私たちの長年にわたる野外での調査研究で、現在の農薬はメダカの密度減少に関わっていないことが証明されています。
メダカが見られなくなったのは、水田の暗渠(あんきょ)排水設備で水田の中と外の水路との間を生物が行き来できなくなったことや、稲の生育のある時期には水田が乾田化することや、水路自体が生物の生息環境として不適な3面コンクリート張りになったことや、洗剤を含んだ家庭からの雑排水が水路を汚染していることなどが本当の原因です。その証拠に、昔風の土の素掘りの水路が残っているところでは、水路に田んぼで使った農薬が流入したり、空からヘリコプターで散布した農薬が直接落下しても、メダカは昔通りたくさん生息していて、「メダカの学校」の歌のように群れをなしています。
昔のようにメダカを身近で見られるようにするには、コンクリート3面張りにした水路を水草が生えてメダカが棲(す)める土の水路に戻すことが必要です。そうすれば、メダカもホタルも復活します。
昨日たくさん走ったので、今日は少し足を休めようと思って江戸川堤防をゆっくり14Km だけ走りました。これで累積は472Km/55日になりました。
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2011年12月10日土曜日
支援者から本を差し入れたとの報告がありました。ありがとうございました。
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市橋達也さんに本を差し入れましたのでご報告致します。
《ライ麦畑でつかまえて/J.D.サリンジャー/野崎孝=訳》
《世界遺産 ベストコレクション88》
の二冊を差し入れました。
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準備運動や筋力トレーニングを30分くらいした後、江戸川堤防に行って22Km 走ってきました。10月17日にトレーニングを始めてから一度に走る距離としては最長でしたが、何ともありませんでした。これで累積は458Km/54日になりました。体重はちょうど5Kg 減量できましたが、フルマラソンを走るにはさらにあと5Kg 減量が必要です。1月29日のマラソン大会までのトレーニング計画の大体半分をこなしたことになります。当分、講演や遠方への出張の予定は入っていませんので、残りの走り込みを少し加速したいと思っています。
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2011年12月9日金曜日
今日は東京で社団法人日本植物防疫協会の臨時総会があり、私も正会員ですので出席しました。農水省所管の法人が426くらいあるそうですが、当協会も最近までは農水省の植物防疫課の歴代の課長経験者を理事長として受け入れてきましたが、官僚の天下り禁止に伴う法人の見直しで、理事会が一般社団法人の非営利法人に移行するという提案をし、今日の総会で承認されました。新法人に移行するのは内閣府の認定委員会で正式に認定されてからですが、非営利法人とは言え、今後は民間的な経営手腕が重要になってくるのでしょう。
鳥取県に出かけた2日間は走れなかったので、今日は短い時間しかありませんでしたが、江戸川堤防を4Km だけ走ってきました。累積は436Km/53日になりました。明日からはもっとしっかり走らないと、トレーニング目標を達成できなくなります。
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2011年12月8日木曜日
12月6日に振り込まれた方(32回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は45,000円、延べ434人からの合計額は4,145,928円になりました。ありがとうございました。メッセージもありました。
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市橋君のご両親、市橋君の手紙で「決意」のひもを緩めて下さい。市橋君を救ってあげて下さい。一生後悔のないように、お願い致します。先生、お体大切にして下さい。
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支援者の一人から本を差し入れたとのお便りが届きました。ありがとうございます。英文対照の天声人語は、市橋君に物事を前向きに考えさせるのに役に立つとともに、英語力向上にも役立つのではと思います。彼にはこれから長い受刑生活を送るにあたって、できる範囲で成長し続けてほしいと思っています。
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時間の経つのは本当に早く、今年も残すところ3週間ほどになりました。先生、公私に渡りお忙しい中、頑張っておられるご様子に私自身いつも元気を頂いております。
さて昨日(7日)市橋さんに書籍を送らせていただきました。
【天声人語2011春VOL164 英文対照】 朝日新聞社
【言葉の風景】 青菁社
【猫を抱いて象と泳ぐ】 小川洋子著
同じような書籍ではいけないかな・・・と考え、ジャンルの違うものにしました。
天声人語は市橋さんが新聞をしっかりとお読みになれなかったであろう期間の分を取り寄せましたが千葉拘置所は3冊までしか受け入れないとのことでしたので、又次回分けて送らせて頂こうと思っています。
先日のブログで市橋さんと面会された支援者の方がおられるとのこと。本当に嬉しいお話でした。少しずつ市橋さんのお心が、本山先生や弁護団の先生方、支援者の方々の温かい想いに解きほぐれてきたのでは・・と安堵いたしました。私が言うのも可笑しな話ですが、その支援者の方には、これからも市橋さんのお近くで"力"になって差し上げて欲しいと願います。私も微力ながら遠方から支援させて頂きますのでどうか宜しくお願いいたします。
本山先生、マラソンの走り込みは寒さ厳しい中で大変でしょうが楽しくもあると存じます。お体ご自愛なさりながら頑張ってくださいませ。
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マラソンに向けての走り込みは、私は実は全然苦にならないのですよ。昔から、暑い時は大会の時に暑くても大丈夫のように、寒い時は大会の時に寒くても大丈夫のように、雨の時は大会の時に雨でも大丈夫のように、風が強い時は大会の時に強風が吹いていても大丈夫のように、雪の時は大会の時に雪が降っても大丈夫のように、と思っていつでも絶好のトレーニングのチャンスと思って走るようにしているからです。
昨夜は講演と情報交換会の後、米子市で一泊し、今日はせっかく鳥取県に来た機会なので少し車であちこちを廻って見学しました。本当はレンタカーを借りて自分で運転してと思っていたのですが、「くすの木会」の世話人のお一人が親切にご自分の車で案内してくれました。あいにくの小雨模様でしたが、松江市の小泉八雲(こいずみ やくも)(ラフカディオ・ハーン)記念館と小泉八雲寓居を見学し、歴代の松江藩主(徳川家の縁戚松平家)の菩提所の月照寺を散策しました。小泉八雲は年表によると、1850年にギリシャ領の島でアイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれ、その後アイルランド、フランス、イギリス、アメリカで暮らし、1890年に39才の時に来日し、松江で武家の娘小泉セツと一緒になったとのこと。1904年に54才で狭心症で亡くなるまで、有名な「怪談」他、小説やエッセイや翻訳などの作品を残したようです。月照寺は周囲を山に囲まれた地形の広大な敷地の中に、日本では珍しい丸い墓石と庭園が実に見事に配置されていました。昼食に蕎麦を食べた日本料理の料亭も、ちょっとした空間に庭が見事に配置されていて印象的でした。こういう自然を模した庭の景色を眺めながら食事をするというのも、自然との調和を大事にするいかにも日本的な伝統だなと感じました。
その後、車で2時間くらいかかる鳥取砂丘に行きました。日本海に面した長い海岸線の中で、何故ここだけこんなに見事な砂丘ができたのか不思議な気がしましたが、日本では珍しいエキゾチックな感じがしました。歩いて登った砂丘のてっぺんから見る日本海は絶景でした。
いつも駆け足の旅行になってしまいますが、十分満足して、帰路は鳥取空港から夕方6時10分発の飛行機に乗って羽田に帰ってきました。妻へのおみやげに、シジミ貝の真空パック1袋と大玉が4個入った梨(新興)を1篭(かご)買いました。島根県の人口は約70万人、鳥取県の人口は約60万人だそうですが、羽田空港から浜松町までモノレールに乗ったら林立している超高層ビルから輝いている明かりが目に入り、同じ日本なのに人口1300万人の東京はまるで不夜城のようで、島根県や鳥取県とは別の世界のようでした。
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2011年12月7日水曜日
鳥取県米子市のJA鳥取西部本所で開催された第17回「くすの木会」で講演「残留農薬の安全性-ポジティブリスト制度ならびにTPPに関連して」をしました。
農薬の流通には、主として「系統」と呼ばれる「メーカー→全農→(各県の経済連)→JA(農協)→農家」という流れと、「商系」と呼ばれる「メーカー→農薬卸商→農業資材店(特約店)→農家」という流れの2つがありますが、地域によってはこれが変形して、「メーカー→農薬卸商→JA(農協)→農家」という流れになっているところがあります。通常は、農協の上部組織/全国組織が全農(全国農業協同組合連合会)ですから、農協は農家に販売する農薬は全農経由で仕入れる筈ですが、地域によっては地元密着の農薬卸商の方が中央の全農よりもきめ細かなサービスをしてくれたり、便宜を図ってくれる場合は、一部を農薬卸商から仕入れるというところが出てきます。「くすの木会」というのは、本来は農薬流通のライバル関係にあるJA(農協)と農薬卸商が地域の農家の病害虫・雑草問題や、種苗の問題や、それらに対応できる新製品などについて意見交換をする会として17年前(?)に発足したようです。今回は、私を呼んで残留農薬の安全性について講演してほしいという依頼があったのですが、特に今話題のTPP(環太平洋経済連携協定)との関係についても私の意見を聞きたいという要望が出されていました。
TPPについては国会議員の間でも賛否が真っ二つに分かれていて、農業関係者はそろって絶対反対の運動を展開していますので、会場となったJA(農協)の建物の壁にもTPP反対のポスターがずらっと貼られている中でこの話題について話をするのは若干緊張しました。下手な話をすれば、会場から生きて出られないかもというのは大げさですが、そんな無言の雰囲気も感じました。しかし、私は現在の日本の国産農産物や、アメリカや中国から輸入される農産物に含まれる残留農薬の安全性に問題はないという事実を科学的データで説明し、従って残留農薬によって食の安全が損なわれるからTPP反対ということはできないという考えを述べました。TPPに関する議論を見ていますと、明治維新の前に黒船襲来をきっかけに佐幕(さばく)か勤王(きんのう)か、攘夷(じょうい)か開国かで国論が二分された様子に似ています。今必要なのは絶対反対か賛成かの教条主義的な議論ではなく、資源小国の日本は原料を輸入して製品を輸出する貿易立国しかないという厳しい現実と、世界は食料不足(飢餓)の時代に向かいつつあるという歴史的流れの中で国内の食料生産能力を確保することは絶対に必要、という2つの要求をどうやって満たすかということを国民全体の知恵を絞って考え出すことの筈だという私の考えを述べました 。
閉会後の情報交換会では多くの方々と名刺交換をし、新しい人々との出会いがありましたが、JA鳥取西傘下の農業生産者約1,000人が集まる会での講演を打診されました。農家にも農薬についてきちんと勉強して、自信と誇りを持ってほしいということでしょう。鳥取県の農業は多品目の野菜や果樹(梨)が中心のようですが、実際に生産に携わっている農家と直接会えるのは楽しみですので、呼んでいただければいつでも喜んできますと答えておきました。
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2011年12月6日火曜日
昨夜遅く郵便が配達されたらしく、12月1日に振り込まれた方(4回目)、12月2日に振り込まれた方(23回目)、12月3日に振り込まれた方(2回目)の支援金が一緒に届きました。これで支援金の現在高は40,000円、延べ433人からの合計額は4,140,928円になりました。ありがとうございました。メッセージもありました。
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12月は寒いスタートですね。23回目の支援金を振り込ませて頂きました。ご確認をお願いします。控訴審は来年の2月か3月とのこと。支援金もまだまだ必要になると思います。少しですがこれからもお役に立てれば・・・と思います。本山先生、よろしくお願いいたします。
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昨日のブログの記事について、ある支援者から届いたコメントの一部を紹介します。
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話は替わりますが、5日のブログを読みました。市橋君が本山先生と弁護団以外の人に面会したとのことで我がことのように嬉しかったです。支援者の地道な支援が市橋君の凍った心を溶かしたのでしょう。今まではよからぬ考えの人間が市橋君を利用しようと企んでいたと思うと、市橋君が面会を拒否する理由も理解できます。現に映画の主演俳優が面会を希望していましたしね。
私は市橋君に面会した支援者に、「市橋君の心の支えになってください、あなたならばお願いできます」と託したいのです。
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法廷で土下座した市橋君はご遺族に精一杯の謝罪をしたと思います。まだ誰にも市橋君の心の闇はわからないそうですが、それでも謝罪したことに意味があると信じています。
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市橋君と面会した支援者からは、面会時の市橋君の様子について、追加で次のような報告をいただきました。市橋君の気持ちにアップダウンがあるのは当然ですが、弁護団や私に会う時と違って、リラックスした気持ちで支援者と応対したのでしょう。
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市橋達也さんと会う事になり、初対面で緊張してお話が出来るか、話が途切れてしまわないか不安でした。彼も気を使ってくれたと思いますが、そのような事は無く、ゆっくりお話出来て良かったです。面会する前は、彼は下を向いて少しづつ話すようなイメージをしてました。しかし、最初からずっと目を見て、思いを伝えてくれました。嬉しかったです。又、眉間にしわを寄せて神経質そうな目をしてると本山先生に伺ってましたが、お会いした時は、眉間にしわを寄せる事もなく、優しい表情に感じました。
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今日は東京で木材保存剤等審査委員会の安全部会があり、私も委員なので出席しました。シロアリや木材腐朽菌を防除するために使う薬剤や新しい技術について、効果や安全性について審査する委員会です。安全性については、建物の床下に施用する場合、床上は人間の居住空間なので薬剤の気中濃度など実測データを提出してもらって、厳しく審査をしています。
東京に出かける前に江戸川堤防を14Km 走ってきましたので、累積は432Km/50日になりました。明日は朝早く家を出て羽田空港から鳥取県に行き、一泊して明後日は夜遅く帰ってくる予定ですので、残念ながら2日間は走れそうもありません。
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2011年12月5日月曜日
支援者から以下のお便りが届きました。今回のお便りは報告すべきかどうか、どのように報告すべきか少し迷いましたが、市橋君の現状を知っていただくためにそのまま紹介することにしました。ブログで紹介することについて、市橋君の了解も得ているとのことです。この方は、前から独居房の中の市橋君の心を和ませるためにお花を差し入れたり、よい本を選んで何冊も差し入れたり、彼を励ます温かいお手紙を何回も書かれていますので、市橋君がどういう方か直接会って確かめたかったのと、お礼を言いたかったのではと想像します。市橋君がそんな風に思ってくれたのだとしたら、彼が身柄を拘束されて以来、弁護団と私以外の人に初めて心を開いてくれたということで、彼の精神がちゃんと機能していることを示していて、喜ばしいことだと思います。
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今晩は。本日は、お伝えさせて頂きたい事がございまして、メール致しました。先週、千葉刑務所に本の差し入れに伺った事は、既に報告しましたが、その時に市橋達也さんと面会をしました。数週間前に山本弁護士さんから、お電話を直接頂き、市橋君から伝言を預かってると面会のお話を伺いました。
今まで差し入れや手紙を送ってましたが、面会を考えた事は有りませんでしたので、突然の面会のお話に戸惑いました。しかし、山本弁護士さんが『今まで面会の申し出があっても、市橋君は断っていたけど、今回は彼から会いたいと言って来た』と仰られましたので、会ってみようと思いました。彼の気持ちが嬉しかったです。市橋達也さんの気持ちも伺った上でお伝えさせて頂きたかったので、ご連絡が遅くなり申し訳ございませんでした。
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今日は江戸川堤防を14Km 走ってきましたので、累計は418Km/49日になりました。もっと走りたかったのですが、時間的にこれでギリギリでした。千葉大学走友会の幹事長から、今年最後の練習会と忘年会を12月29日に行うという連絡がありましたので、すぐ「両方とも参加」の返信をしておきました。それまでさらにトレーニングを重ねて、少しは皆と一緒に走れるようになりたいと思っています。
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2011年12月4日日曜日
今日もほぼ一日中今週水曜7日の講演の準備で追われましたが、福岡国際マラソンのテレビ中継を見たいのを我慢して江戸川堤防を14Km 走ってきました。往路は強い向かい風に向かって、前傾姿勢で突き進み、累計は404Km/48日になりました。11月17日~12月16日の1ケ月の走り込み目標300Km に対して、まだ180Km しか走っていませんので、残り12日で120Km 走れれば目標達成です。
昨日走った時にトレーニングコース沿いに初冬の紅葉や紫色の木の実が目に入りましたので、今日はカメラを携行して走りました。富士山も遠くにかすかに見えました。
今日の朝日新聞の書評欄に「医者は現場でどう考えるか」ジェローム・グルマン箸(美沢恵子訳)?が取り上げられ、精神科医の斎藤 環氏の書評が載っていましたので、ネットで注文しました。
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2011年12月3日土曜日
昨日の講演が終わって一息つく間もなく、今日からは来週水曜に鳥取県で予定されている講演の準備を始めました。
アメリカの農務省出身のLester R. Brown (レスター・ブラウン)博士は1974年にWorldwatch Institute (世界監視研究所)を立ち上げ、2001年からはEarth Policy Institute (地球政策研究所)を立ち上げて、長期的視点で環境問題の政策提言をしている方で、私をはじめ世界中の多くの人々の注目と尊敬を集めている著名な研究者です。昨日の講演の後の懇親会で、ある人がNPO法人を立ち上げる可能性について打診してきました。今はまだおぼろげな段階ですが、私も以前から、Pesticide Policy Insititute (農薬政策研究所)みたいなNPO法人を何人かの仲間と立ち上げて、農薬に関する調査研究・情報発信・政策提言のような活動をしたいという構想を持っていましたので、少し考えてみようかと思っています。
午後から江戸川堤防を14Km 走ってきましたので、累積は390Km/47日になりました。午前中は雨でしたので、レースを控えた多くのランナーが雨があがるまで我慢していたのか、土曜の午後だったからか、いつもよりずい分大勢のランナー達と行き交いました。いつものことですが、練習でもゴール近くになるとラストスパートで全力で走るように心がけています。レースで足が疲れて動かなくなった時に、残っている最後の力をふり絞って発揮できるようにする私なりの訓練のつもりです。汗をびっしょりかいてシャワーを浴びた後の爽やかさは最高です。
講演の準備の進展具合にもよりますが、明日はもっと長距離を走ろうと思っています。
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2011年12月2日金曜日
11月30日に振り込まれた2名の方(8回目、8回目)からの支援金が届きました。これで支援金の現在高は19,000円、延べ430人からの合計額は4,118,928円になりました。ありがとうございました。メッセージもありました。
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昨日(11/29)の先生のブログで、市橋君の近況も少し分かりました。ありがとうございます。「映画化」にはびっくりしましたが・・。寒くなってきました。先生、お身体ご自愛下さい。
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東京農業大学総合研究所には産学共同研究の窓口としていろいろな分野をカバーする30近い研究会があって、定期的にセミナー活動をしていますが、今日は農薬部会の第84回セミナーがありました。私が「農薬飛散による健康被害と報道された事例の再検証-出雲市での目のかゆみ事件など」について講演し、その後山本 出(いずる)東京農業大学名誉教授(元日本農薬学会長)が「Neonicotinoides-これからの展望」について講演されました。山本先生は83才になられましたが、1週間の中国旅行からつい一昨日帰国したばかりなのに疲れた様子もなく、ネオニコチノイドという今一番新しい殺虫剤グループをさらに発展させるには分子構造のどこをどう改変したらよいか合成化学の立場から提示されました。昔から尊敬している先生ですが、年齢にかかわりなく常に勉強を続けられ、後進に新しい道を示される姿に頭が下がります。自画自賛になりますが、8年間にわたる野外の実際の調査結果に基づいた私の講演も説得力があり、参加者にインパクトがあったと感じました。
会場となった東京農業大学の「食と農の博物館」というのは、http://www.nodai.ac.jp/syokutonou/info/info.html 東京農業大学から世田谷通りの向かい側にあり、常に食や農や環境に関するいろいろな企画・展示をしていて無料で入れます。今は、「森(もり)に聞く」というテーマの展示をやっています。すぐ近くには馬事公苑もありますし、東京近郊にお住まいの方は、是非一度寄ってみられるとよいと思います。
今日は残念ながら走る時間は全くありませんでした。
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2011年12月1日木曜日
11月29日に振り込まれた方(15回目)の支援金が届きました。今までの支援金は全額を払い出して菅野弁護士に届けましたので、支援金の現在高は5,000円、延べ428人からの合計額は4,104,928円になりました。ありがとうございました。
支援者から夜遅く以下のお便りが届きました。この世に生まれた人はどんな人でも誰かにとって大切な存在だということ、本当にそう思います。4回目の支援金を振り込んで下さったとのこと、ありがとうございました。
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本山先生 こんばんわ
いつも先生のブログで市橋君の様子を読ませていただいております。控訴審前に、映画の話題で目立ってしまい、悪影響を与えられてしまうのではと、とても心配です。市橋君が心落ち着けて控訴審にのぞめることができるよう、どうかお願いします。支援者も不安です。本人もそれ以上に不安だと思います。
罪があっても、無くても、裕福でも、貧しくても、人は誰かの大切な存在なのだということ、心からそう思います。
寒さが日ごとに厳しくなってくることと思いますが、どうぞお体ご慈愛くださいませ。
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11月29日のブログの記事について、支援者から以下のお便りが届きました。石田弁護士にはお会いしたことがありますが、6人の中では一番若手で、司法試験に合格して弁護士になって間もない年代と思われる女性でした。こういう事件の性質上、若い女性の弁護士として一定の役割があったのでしょうが、控訴審の弁護団から抜けられた理由は伺っていませんのでわかりません。経済的に大変でボランティ活動を続けるのが困難になったのか・・。まさか、嫌がらせが多くて嫌になったということはないと思いますが・・。このブログの記事の更新は、時間のある時に一気にすることもありますし、書きかけの途中で用事が入って中断して、後で続きを書き足すこともあります。
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本山先生、今日は本当にご苦労様でした。
以前弁護団のメンバーから1人抜けることは聞いていましたが、石田優紀弁護士が抜けられるとの事。石田弁護士には今まで市橋君の為に尽力されていただけたので、私からもお礼を申し上げたいです。市橋君のことでかなりの嫌がらせがあったであろうことは、容易に想像できます。弱い立場の被告人を弁護する事のどこがいけないのでしょうか? 罪を犯していない大多数の人間が嫌がらせしていい理由はありません。
ご両親の決意は強固との事。息子の犯した犯罪の重さを思えば仕方の無いことだとはわかってはいます。本山先生、私は公判で先生と三谷先生が証人として証言台に立っていたのを見ています。しかし、証人としては弱いと思ったのも事実です。市橋君が卒業以降全くおふた方に接触していなかったのが不利に働いてしまった事は容易に想像できます・・・。
映画のことですが、市橋君に無断で進めているようですね。映画化によってどれほどの人達が傷つくか。ご両親もそうですし、リンゼイさんの遺族も。市橋君が手記を出版したのは映画化のためではなく、ご遺族に賠償金を払うためだったはずです。手記を読めば晒し者になる事を恐れているのがわかるのに。それなのに注目されて言動を誤解されて・・・。ご遺族も余計に市橋君を誤解するでしょう。また「目立ちたい」などと。主演の俳優は市橋君に面会を希望しているそうですが、俳優にとっては演技のこやしにしたいのでしょうけど、そういうことに市橋君を利用してほしくはないです。
「勝手にしたらいい」 市橋君の心の叫びではないでしょうか。
続き前ですが、市橋君が本当に気の毒です。このようなことがあっていいのでしょうか?非常に残念です。
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昨日走れなかった分を取り返すために、今日は江戸川堤防を20Km 走ってきました。昨夜降った雨の後の曇天の下で、冷え込んで手がかじかみ、肌を刺すような寒風に向かって走っても全く苦になりませんでした。少しずつフルマラソンを走る体力が回復していることが実感できました。これで累積は376Km/45日になりました。
2011年11月30日水曜日
今週金曜に予定している講演の資料の提出期限が一昨日だったのですが、間に合いませんでしたので、どうしても今日はそれが済むまではマラソンのトレーニングには出かけないという覚悟で(本当は今日はいつもより長距離を走りたかったのですが)、一日中机に向かっていました。午後4時半頃やっとできて宅ふぁいる便で送りました。その後もまだ調べたいことや追加したいスライドなどがありましたので、結局今日は一歩も家の外に出ませんでした。
もう一人、先日のつくばマラソンに出場した千葉大学走友会の仲間から報告が届きました。この仲間は最近メキメキと記録が伸びてきて、どこまで伸びるか楽しみな女性ですが、確か高校生くらいの娘さんがいるお母さんでもあります。毎日(?)30Km走ってトレーニングをしてきたようですが、走り過ぎて踵(かかと)の骨が悲鳴をあげてしまったようです。次の東京マラソンでは、目標を達成する走りができることを期待したいと思います。人はそれぞれ、目標があるとそれを実現するために努力することが生き甲斐になって人生が楽しくなりますね。
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つくばマラソン参加のみなさま、お疲れさまでした。ベストを更新された方々、おめでとうございます。つくばにエントリーしたときから30km走をペーサーについての練習に中心をおいて練習してきました。スタート時点で多少右足の踵に違和感があったのですが気候もよく絶好のマラソン日和だったので当然スタートしました。13km過ぎまで1km 5:20~30で快適に走り、「これは30km走の成果」と自己満足の世界に浸っていました。ところが13kmを過ぎたあたりから違和感があった右足の踵が痛み始め前に進むことができなくなってしまい、15km手前でリタイヤすることなってしまいました。なんとか救護所まで歩いてもどりそこから収容車で本部にもどりました。千葉大のノボリを持っていったので皆さんの応援をしようと思いノボリを持って立っていたのですがどうも足の調子がヨロシクないので最後まで応援できず途中で帰りました。次の日、病院に行くとムリな力がかかり踵に棘がでていてそこが炎症をおこしているとのこと。せっかく練習してきてこんな結果でさすがにかなり落ち込みました。ところが本日、東京マラソンの追加当選の連絡がきました。大好きな東京をまた走ることができるなんでこれはもう、神様がくれた最高のプレゼントです。
このチャンスを大切に今度は完走を目指して練習します。
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2011年11月29日火曜日
ゆうちょ銀行で支援金を払い出して、全額322,500円を菅野弁護士にお届けしました。今日お届けした分の領収証と、控訴裁判の弁護を担当して下さっている5人の弁護士(一審を担当した6人の弁護団の中から石田優紀弁護士が抜けられたようです)の弁護費用として50万円×5人=250万円分の領収証(市橋達也君の適正な裁判を支援する会宛)をいただきました。また、本日付け(今日お届けした支援金を含まない)の預り金明細書(収入・支出表)もいただきました。収入には、逮捕時に市橋君が所持していた30万円とある支援者が2回にわたって個人的に提供された計15万円が含まれます。収入から支出を引いた残高は3,409,183円ですが、これに今日お届けした支援金を加えると3,731,683円になり、これから5人分の弁護料250万円を引くと123万円ちょっとになりますので、当面の活動費は残っているのではと想像します。ボランティアとは言え、長い間一審の弁護団に加わって下さった石田弁護士へ無償のままでいいのかという問題もありますが、今は支援金の残りが十分ありませんので、裁判が結審した時点での支援金の残高によって弁護団に考えていただければと思っています。(領収証は後程コピーをブログに添付します)
山本弁護士も同席して、私が事件当日まで市橋君の友人だった人からお聞きした情報や、千葉大学の法医学教室の岩瀬博太郎教授からお聞きした情報を口頭で再度お伝えし、控訴裁判への影響の可能性などについて1時間以上お話を伺いました。裁判に関係することですので、ここではこれ以上は書けません。山本弁護士は岐阜羽島を訪ねて市橋君のご両親と直接お話をされたとのことですが、息子の弁護はしないというご両親の決意は固かったようです。控訴裁判ではご両親の証言が重要な意味を持ちますので、現在は市橋君自身がご両親にお手紙を差し上げているとのことでした。
裁判所から指示された控訴の趣意書の提出期限は当初11月末だったのを、来年1月20日に再延長申請をして認められたとのことです。それを受けて検察側が反論を提出してからですから、実際に控訴裁判が開かれるのは2月か3月になりそうです。
手記の映画化については、主演・監督予定の人と出版社が合意して、幻冬舎から弁護団に事後通知をしてきたとのことです。原稿を出版社に渡した段階で権利は出版社に渡るので、著者や弁護団には発言権はなくなるそうです。市橋君にも映画化の話は伝えたそうですが、勝手にしたらいいと答えたそうです。
市橋君は未決囚扱いですから、衣服は刑務所から支給されないので私服を着ていますが、支援者から差し入れされた衣類のお蔭で現在不便はしていないそうです。寒くはないかとの質問には、市橋君は元々薄着を好むようで、寒いことはないようだとのことでした。独居房に保管できない衣類は菅野弁護士の事務所に、本は山本弁護士の事務所に宅下げされて保管されているそうです。宅下げされた衣類も本も、本人が希望すれば弁護団から再差し入れすることはできるそうです。
明日も山本弁護士が接見に行かれる予定とのことで、弁護団と頻繁な打ち合わせが行われているようです。私が面会に行くことについては、今週市橋君に打診してみるそうですが、控訴裁判の開始時期が延びましたので、急がなくてもいいのではと思っています。
支援者の一人から以下のお便りをいただきました。ありがとうございました。
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初冬の候、本山先生におかれましては、ますますご多忙の日々と存じます。久しぶりにメールをさせて頂きます。〇〇市の〇〇〇〇です。本日、私も千葉刑務所に出向き、今回は現金のみをお届けして参りました。他の支援者の皆さまが書籍をはじめ、暖かい衣類や食料品等、心のこもった差し入れをされており、私も考えた結果「必要な物を必要な時に、また嗜好品を購入して頂ければ・・」と考え、今回はそのように致しました。・・・ご報告まで。
巷では映画化の話がでておりますね。私も、これから行われる「控訴審」にわるい影響を及ぼさないか・・という思いはありますが、そのようなことには動じず、いままで通り、自分のできる支援を続けていくだけです。弁護士の先生が市橋達也さんに映画化の話をされて、ご本人はもうご存知のようですね。私達はこれまで通り、市橋達也さんに寄り添い、共に生きていく・・その実践でよいのではないでしょうか・・と、私は思っております。末筆ながら、何かと気ぜわしい時期ですが、お元気にお過ごし下さいませ。
追伸:本日、支援金を振り込ませて頂きました。
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今日は千葉に行く前に江戸川堤防を6Km 走りましたので、累積は356Km/43日になりました。時間がなくて短い距離しか走れませんでしたが、心肺機能が落ちないように、息をハーハーさせて汗をびっしょりかきました。
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2011年11月28日月曜日
11月24日に振り込まれた4名の方(6回目、10回目、31回目、7回目)と、11月25日に振り込まれた方(18回目)の支援金が同時に届きました。10回目の方は私のミスで振り込み回数を途中から間違って1回分少なく記入していましたので、今回訂正しました。7回目の方の振り込みは実際には11月23日取扱になっていました。これで支援金の現在高は322,500円、延べ427人からの合計額は4,099,928円になりました。ありがとうございました。メッセージもありました。
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寒くなってきましたが、市橋君はお元気でしょうか。市橋君の事の映画化については、とてもショックです。まだ裁判は終わっていないのに、映画化なんていいんでしょうか。心配です。先生も、寒くなってきましたが、お体に気をつけて下さい。
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映画化されるとの報道で、今以上にご両親が辛くなります。市橋君にもご両親にも人権がある筈なのに、世の中の無情さに胸が痛みます。先生、弁護士の方々、市橋君を救ってあげて下さい。寒くなりました。先生、お体に気をつけて下さい。
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手記を映画化する場合に、手記の著者や出版社の了解が必要ないのかどうか私には判断できませんので、明日菅野弁護士の事務所を訪ねる機会に確認してみます。
今日は東京農業大学総合研究所生物防除研究会の特別講演があり、私も聴講しました。アメリカのミシガン州立大学に併設されているIR-4(Inter-regional Research Project Number 4)と呼ばれるマイナー作物の農薬登録支援プロジェクトの宮崎 覚(さとる)先生が、「米国の農薬規制と対応策:IR-4(マイナー作物登録制度)とFQPA(食品品質保護法)を中心にして」という演題で、2時間にわたって講演をされました。宮崎先生は1961年に東京大学農学部を卒業され、その後アメリカ、カナダに留学され、1978年からIR-4に勤務されている方です。私が農水省の農業資材審議会農薬分科会長の任にあった時に、同様の仕組みを日本にも導入しようと努力したことがありますので、宮崎先生とは旧知の間柄です。
このブログのテーマではありませんが、アメリカでは作付面積30万エーカー(=12万ヘクタール=12万2千町歩)以下の作物はマイナー作物として、連邦政府の国家プロジェクトとして1963年以来ほぼ50年にわたって公的資金で農薬登録の支援(現在の年予算額1800万ドル=約15億円)をしてきています。アメリカでは国が農業をどれだけ大切にしているかがわかる素晴らしい講演でした。講演後の懇親会でも、お互いに再会を喜び合いました。私はアメリカに約10年暮らした後日本に帰国してしまいましたが、宮崎先生はそのままアメリカに残ってアメリカ国籍を取得して永住されました。お嬢さんはアメリカ人と結婚して、イギリスに住んでおられるとのことでした。(写真はクリックすると拡大できます)
今週辺りに予定されていたアメリカ人の義理の息子の来日は、向こうの都合で延期になりました。今日は残念ながら走る時間はありませんでした。
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2011年11月27日日曜日
支援者から差し入れに行って来たとの報告がありました。ありがとうございました。支援者の皆様からのこのような差し入れは、きっと市橋君に自分は孤独ではなく、自分を家族のように思ってくれている人がいると感じさせ、温かい気持ちにさせている筈です。
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今晩は。一昨日11/25(金)に千葉刑務所に、本とお花(現金)の差し入れに行きました。本は《Kafka on the Shore/Haruki Murakami》を差し入れました。海辺のカフカの洋書です。
先日の逃亡記の映画化は、私も驚きました。弁護士さんや市橋達也さんの了解を得てるか分かり兼ねますが、まさか裁判に影響する事はないと思いますが... ただ、リンゼイさんのご家族のお気持ちを考えると複雑な心境です。
昨日の感謝祭のブログ拝見しました。本山先生を思い、遠くアメリカから頂けるお電話は、嬉しいですね。明後日、弁護士さんとお会いされましたら、控訴の状況や市橋達也さんの様子を伺わせて下さい。
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江戸川堤防を18Km走ってきましたので、累積は350Km/42日になりました。体重もちょうど4Kg 軽くなり、大体計画通りです。
私の携帯電話にはウオーキングチェッカーというアプリがついていますので、携帯電話を片手に持って走ると、歩数や歩行距離や消費カロリー、脂肪燃焼量が記録されます。例えば今日の場合は、歩数は23,238歩、歩行距離は18,300m、消費カロリーは820kcal、脂肪燃焼量は117g と表示されました。このペースでトレーニングを続けると、約10日間で脂肪を1Kg 燃焼しますので、食事摂取量は従来と同じでも月に3Kg の体重減量になります。トレーニングを始めた10月17日から館山若潮マラソンが行われる1月29日までに、走り込み900~1,000Km、体重減量10Kg という目標はこういう計算に基づいています。
69才でフルマラソンに再出場する決心をしてから、計画したトレーニング日数の約3分の1をこなしましたので、今日からは少し足首を強化するために、一部の区間は江戸川堤防の舗装されていない草むらを走ることにしました。舗装道路と違って表面が凸凹している草むらを走ると着地の角度が一定していないので、着地後の体のバランスを保つ訓練と、足首をくじかないように足首が自然に強化される筈という考えです。
私のような三流の市民ランナーでも、こうやって自分でトレーニング計画を立てて、設定した目標を実現するために毎日こつこつ努力を続けるのは楽しいものです。
ちょっと前に千葉大学走友会の仲間から以下の報告が届きました。6秒ほど目標に届かなかったようです。他にもつくばマラソンに参加した仲間がいる筈ですので、順次報告が届くものと思われます。この仲間は、私が走る予定の館山若潮マラソンにもエントリーしているそうです。
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本日、つくばマラソンに参加しました。5時間未満を目指していたのですが、切れませんでした。32kmを過ぎた辺りから、ふくらはぎをつってしまい、それ以降1kmほど走るとつるようになり、結構きつかったです。
5時間のペースメーカーについていけば、5時間切れるかなと思っていたので、32km以降も何とか、少しずつ離されながらもペースメーカーの風船を追っていました。結局5時間00分06秒でした。(本山:ご自分の計時では正味4時間59分56秒で目標は達成)
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早速、別の仲間から次の報告が届きました。自己ベストの記録を更新したようです。この仲間は外科のお医者さんです。
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私も初めてつくばに参加したので報告いたします。とても天候に恵まれ、風もそれほどではなく、走るには良いコンディションであったと思います。今までの30kmから落ち出して、35kmで失速するという失敗をまた踏まないために、最初は抑え気味で入りました。一貫してフラットであったせいか、最初から最後まで5分~5分30秒のペースを守りきり、自己ベストの3時間38分44秒でフィニッシュしました。
1~5km 26:53.
5~10km 26:08.
10~15km 25:43
15~20km 25:37
Half 1:45:12
Half~25km 20:01.
25~30km 25:25
30~35km 25:28
35~40km 25:30
40~Finish 12:03.8
Total 3:38:44
今シーズンの始まりです。まだまだフル、ハーフ、駅伝があるので、頑張って練習します。
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もう一人、別の仲間からつくばマラソンを走ってきた報告が届きました。この仲間は千葉大学理学部で現職教授だった時は筋肉の生理についての著名な研究者で、私より2才年長(71才の筈)の方です。フルマラソンの自己ベストは3時間37分という記録をお持ちですから、3時間35分の私とほぼ同じレベルの方です。
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私もつくばマラソンを走ってきました。足腰の老化はじわじわと進行しているようで、完走するのが精一杯でした。歳相応にと思ってゆっくり走ることを心がけたのですが、30キロ過ぎから軽い膝の痛み、徐々に筋疲労も生じて辛い状態になって、何とかゴールにたどりつきました。ほぼ1カ月前の大阪マラソンよりは記録は良かったのですが、楽しいランとは程遠い走りでした。1カ月前の疲労が残っていたこと、1週間ほど風邪で走りこみ不足となったことも一因とおもっています。記録は以下の通り。
Gross time: 4:36:57, Net time: 4:31:34 (6538 位)
0-5K: 28:39, 5-10K:, 28:37, 10-15K: 29:21, 15-20K: 30:49, 20-25K: 31:34,
25-30K: 32:27, 30-35K: 35:17, 35-40K: 37:30, 40-goal: 17:26
ゴール直前に、〇〇さんの声援ありがとうございました。あまりの人数の多さでその後お目にかかることが出来なかったのは残念でした。
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2011年11月26日土曜日
通常、支援金は振り込まれてから2日後にゆうちょ銀行から私のところに通知票が届くのですが、11月23日に振り込まれたとメールでご連絡をいただいた方の支援金は今日までに通知票は届きませんでした。明日は日曜ですので、多分、月曜28日には届くでしょう。
今朝は11時頃アメリカ・ノースカロライナ州からの電話が鳴りました。1969年以来の空手の弟子・友人のFrank(フランク) 君と奥さんのJoAnn (ジョアン)さんからでした。どうしたのかと思ったら、アメリカは11月の第4木曜はThanksgiving Day (感謝祭)という祭日でしたので、私のことを父親のように思ってくれているFrank 君が私に声を聞かせてくれるための電話でした。Frank 君の家でも、息子の家族が小さい孫を連れて訪ねてくるので、七面鳥の料理を準備しているところだとのことでした。向こうでは、Thanksgiving とChristmas (クリスマス)に実家(親の家)を訪ねて家族一緒に時間を過ごすという習慣があるからです。日本ではお盆やお正月に里帰りするのと似たようなものでしょうか。アメリカ人の(精神的)息子の優しい心遣いに、今日は一日嬉しくていい気分でした。
午後からはいつものように江戸川堤防を14Km 走ってきましたので、累積は332Km/41日になりました。後半は、前を走っている自転車との距離を詰めたりして少しスピード練習もしてみましたが、あまり呼吸も乱れなくなり、着実にトレーニングの成果が上がっていることが実感できました。
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2011年11月25日金曜日
11月23日に振り込まれた方(21回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は287,500円、延べ422人からの合計額は4,064,928円になりました。ありがとうございました。
今日は床屋で散髪して江戸川堤防に走りに行く途中で自転車を押している人に道を尋ねられました。60才とおっしゃったにしては体が引き締まった若々しい男性で、4ケ月前に岡山を出発して青森まで行き、帰路福島に入って2ケ月間ボランティア活動をしてきたとのことでした。苦しんでいる被災地の方々には失礼な言い方ですが、2ケ月間の救援活動をしてきて、人間のいやな面を見てきたとおっしゃっていました。被災者が援助慣れして、それが当たり前だと思うようになって、自ら積極的に復興しようという姿勢がなくなっているとのことでした。そういう人もいたのかもしれませんし、もう一度やり直そうという気力も湧かないぐらい全部を失った人がいたのかもしれませんし、あるいはボランティアがもう必要でなくなって迷惑がられたのかもしれませんし、何が事実かはわかりませんが・・。被災地はこれから寒い冬の季節に向けて大変でしょうが、緊急事態の時期が過ぎれば、長期的な復興活動の時期に移行していくのでしょう。
60才というのは、会社勤務の定年をひとつの区切りとして自転車旅行を計画したのでしょうか。自転車には前と後ろに小さな箱が固定してあり、タイヤのパンクを修理する簡単な道具が入っているとのことでしたが、野営できるテントや十分な着替えや食料が入る大きさではなさそうでしたし、携帯電話やナビゲーターも持っているようには見えませんでした。各地の知人を訪ねながら移動しているのかなと想像しました。岡山を出発してから7Kg体重が落ちて、足(ふくらはぎ)がパンパンに張って、疲れたとおっしゃっていました。何かを目指してがんばっておられるのでしょう。
昔、千葉大学園芸学部の空手部に奄美大島出身の学生(専攻は農産製造学)がいて、毎年夏休みに帰省するのに千葉県の松戸市から鹿児島まで自転車で往復していたのを思い出しました。
自転車旅行の男性と別れてから、いつものように江戸川堤防を14Km 走りましたので、累積は318Km/40日になりました。明日も少し余分に走って、昨日走れなかった分を取り返すつもりです。
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2011年11月24日木曜日
菅野弁護士から連絡があり、その後振り込まれた支援金を11月29日にお届けに伺うことになりました。その機会に、市橋君の最近の様子なども訊いてこようと思っています。
昨日のブログで支援者から寄せられた市橋君の逃亡記の映画製作の計画の情報を紹介しましたところ、何人かの支援者から、市橋君の了解を得たのかとか、そんなことをしたらまた社会からバッシングされるのではないかとか、控訴裁判に影響するのではないかとか、心配のメールをいただきました。主演・監督を予定しておられる方は、市橋君や弁護団や誰とも打ち合わせをしたり了解を得たりしたわけではなく、多分ご自分で、面白い内容になって多くの人々の関心を集めると判断されて計画を打ち上げたのではないかと想像しています。そういう個人の活動を、第3者がどうこう言うことができるのかどうか、私にはわかりません。
アメリカ人の義理の息子が来週あたり来日して1週間くらい私たちの家に滞在する予定ですので、妻はせっせとその受け入れの準備をしています。
今日は走るトレーニングはできませんでした。
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2011年11月23日水曜日
支援者から支援金の振り込みと、本の差し入れと、市橋君の逃亡記が映画化されるという以下の情報が届きました。ありがとうございました。独居房の中に隔離されている市橋君にとっては、皆様から差し入れされる書物は外の世界との唯一のつながりで、何よりも楽しみな筈です。それにしても、映画化の計画があるというのには驚きました。手記だけに基づいて企画するのでは、彼の内面の葛藤や苦しみがどれだけきちんと描かれるのかちょっと気になります。
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本山教授こんにちは、支援する会の管理とブログの更新、いつもありがとうございます。今日少しですが支援金を振り込みましたので、よろしくお願いします。
先日郵送で本を差し入れました。
・モリー先生との火曜日 - Tuesdays with Morrie【講談社英語文庫】 Mitch Albom著
・英文版 京紅葉 - Autumn Colors of Kyoto の2冊です。
他の支援者の方々からもメールが入ってきていると思いますが、今日のスポーツ報知に「市橋被告逃亡記を映画化」とあり、驚きました。http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20111123-OHT1T00020.htm
控訴審に差し障りがなければいいのですが・・・。
まだまだメタボ気味と言われてますがフルマラソンに向けてのトレーニングの様子を読んでいると、日々の努力の積み重ねが大事なんだな・・と実感します。
これからますます寒くなってきますが、お体に気をつけてマラソンがんばってください。
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昨日のブログで報告しました初めて支援金を振り込んで下さった方からは今日メールが届いて、これからも支援を続けますとのことでした。
NHK Eテレ(2チャンネル)で夜8時から8時半まで福祉ネット「大人の発達障害」という番組をやっていました。女性2人、男性1人のゲストが実名で顔を出して、どういう症状が起こるのか自分たちの経験を語っていました。普段は全く普通で何の病気があるのかわからないのに、カバンをどこに置いたか思い出せなかったり、乗り物に長時間乗るとパニック症状になったり、人との付き合いが苦手で、魚釣りや水槽の水草を眺めたり一人で過ごす時間が好きだったり・・。発達障害の中にもいろいろな症状があるようですが、まわりの人に理解してもらうために、こういう病気があることをテレビで紹介したのは非常に良かったと思いました。
私は来週の金曜日12月2日にも講演の予定がありますので、今日はその準備を始めました。その合間に江戸川堤防を14Km走ってきました。これで累積は304Km/38日です。昨日、妻にウェストを測ってもらったら、トレーニングを開始した先月17日以来、5cm 短くなっていました。少し体が絞れてきたのでしょう。
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2011年11月22日火曜日
11月18日に振り込まれた方(初回)の支援金が届きました。電信振替でメッセージはありませんでしたが、ありがとうございました。こうやって、事件から長い時間が経っても新たに支援して下さる方がいらっしゃるのはありがたいことです。これで支援金の現在高は286,500円、延べ421人からの合計額は4,063,928円になりました。
12月7日には一泊二日で鳥取県米子市に出かけて講演「残留農薬の安全性-ポジティブリスト制度ならびにTPPに関連して」をすることになっていますので、ネットで航空券の手配をしました。また初めてお目にかかる新たな人たちとの出会いがある筈ですので、楽しみです。せっかくの機会ですので、2日目は車でドライブして日本海側の松林の様子や鳥取砂丘など見て、鳥取空港から帰ってこようと思っています。
今日は農大の周りを12Km走りましたので、累計は290Km/37日になりました。まだまだメタボ気味ですが、走る度に体調がよくなっていく感じがします。
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2011年11月21日月曜日
菅野弁護士からメールで、11月24日に市橋君の控訴審の弁護方針について弁護団会議があるので、25日以降に私が支援金をお届けに伺う日時を提案して下さるとのことでした。
30回も支援金を振り込んで下さっている遠方の支援者から、封書で以下のお便りをいただきました。
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さて11/15(火)に、市橋君の所へ冬物のハイネックとヒートテックのアンダーウェアー、ソックス等を寒い事でしょうと思い、差し入れに行って来ました。それとマンガ本「ワンピース」(ムービー版)2冊です。宅配便で送る事は簡単な事ですが、どうしてもこの手で届けたくて行って来ました。受付の差し入れ担当の方が前回と同じ方で、気持ちよく受け付けて下さいました。
先日支援者の方が売店の品数が増え、カップヌードルを差し入れて来たと聞きましたので、私はパン、菓子、飲料水等を差し入れて来ました。食品の差し入れは前回3時までと聞いていましたので、間に合うようにまず差し入れ受付の所で用紙と印をもらい、それを持って売店でリストを見ながら記入するようになっております。いつ届けてくれるのか訊いたら、すぐ本人に届くとの事で、パンも追加しました。
今回も〇〇さんと複雑な気持ちで、やはり帰りはふたりとも無言でした。市橋君の母の気持ちになってしまい、寂しかったです。11/17の支援者の方のメッセージを読み、その方と全く同じ気持ちです。ご両親が「見守る」と決めた事は、どんなに辛く残酷な事なのか、思うと苦しくなります。それと、市橋君への強い愛情がわかります。
ただただ普通の青年だっただけに、私は諦め切れません。残酷すぎます。市橋君は、立派に更生できる青年です。私は、弁護士の方々を信じ、願いが叶うよう希望を持って支援して行きます。
先生、寒さに向かい、お体本当に大切にして下さい。あの人混みの中、毎日忙しくしてらしてびっくりします。お元気で。
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上記の方と一緒に行かれた支援者からも以下のお便りをいただきました。
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冷え込む日々、お元気でいらっしゃいますか。市橋君も寒くなり元気でしょうか。気がかりです。
さて11月15日に千葉刑務所の方へ、ス(?)ウェットスーツ、「ワンピース」(ムービー版)2冊を差し入れに行ってきました。先日と同じ受付の方で親切に対応して頂き、ひもがついていたのですが、郵送では返却されましたが、今回はその場でひもを取り外して受け付けてくれました。
前回と同様、とても切ない気持ちで帰ってきました。更生できるひとりの人間を更生させなければならないと思います。市橋君には更生して一日でも早くご両親に会えるよう毎日祈っております。
先生、お忙しい中、お体を大切にマラソンがんばって下さい。
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午後からは、小学校、中学校、高等学校と一緒だった友人が訪ねてきてくれて、51年振りに再会して楽しい時間を過ごしました。彼が開発したレンズについては、アイデアは面白いが、マーケティングするには研究用か個人使用目的か、焦点を絞った方がよいのではという私の忌憚(きたん)のない意見を伝えておきました。
夕方は日比谷に出かけて、あるPR(パブリック リレーションズ)会社の人と食事をしながら、今話題のTPP(環太平洋経済連携協定)問題と輸入農産物の残留農薬問題について意見交換をしました。
今日は江戸川堤防を朝10Km走ってきましたので、累積は278Km/36日になりました。ちょっと冷たい向かい風が吹いていましたが、空が澄んでいて、関東平野の地平線に富士山や筑波山がかなりくっきり見えました。
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2011年11月20日日曜日
今日はよい天気でしたので、東京吉祥寺での農業高校生徒たちの農産物の展示販売もさらに賑わったものと思います。全国から集まった男子生徒たち、女子生徒たちの生き生きした声と表情を想像すると、彼らがこれからそれぞれの夢の実現を目指して前向きに生きていってほしいと願いたくなります。
明日は、共通の友人を介して高校卒業以来51年振りに交流し始めた友人が午後1時に訪ねてくる予定です。私はもう忘れていましたが、電話で話したら、高校だけでなく、小学校も中学校も一緒だったとのこと。ノーベル賞受賞者の朝永振一郎先生がおられた当時の東京教育大学(現筑波大学)の理学部で物理学を専攻し、早稲田大学理工学部の大学院に進学し、現在は大学で学んだ自分の専門とは違うレンズの分野で面白い発明をしたようですので、そのデモンストレーションに来てくれます。携帯電話のカメラやデジタルカメラのレンズに装着するだけで、野外でも焦点深度の深い顕微鏡のような写真が簡単に撮れるという説明通りでしたら、学会などを通して私も普及に協力してあげようと思っています。
URL: http://www1.ocn.ne.jp/~high/
URL:http://www18.ocn.ne.jp/~opt
レンズは別にしても、小学校時代からの幼馴染に再会できるのは大変楽しみです。
昨日走れなかった分を取り返すために、今日は江戸川堤防を20Km走ってきましたので、累積は268Km/35日になりました。一度に20Km走ったのは久し振りでしたが、何ともありませんでした。トレーニングの成果で、 持久力は確実に増強されてきているようです。
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2011年11月19日土曜日
東京吉祥寺に着いたらあいにくの小雨でしたが、東急百貨店吉祥寺店の北側広場で2011年全国農業高校収穫祭が開催されていました。北海道、青森、宮城、山形、新潟、福井、群馬、東京、神奈川、和歌山、大阪、兵庫、岐阜、福井、島根、愛媛から20数校が参加し、生徒たちが栽培し収穫した農作物や各種加工産物を展示販売していました。私もちょっと覗いてみたら、多くの道行く人が立ち寄って混雑していましたが、生徒たちの「いらっしゃいませ」と連呼する元気のいい呼びかけ声に、屈託のない何と素晴らしい子供達だろうと明るい気持ちになりました。全国の農業高校の生徒たちが先生と一緒に東京に来て、2日間にわたって自分たちの育てたお米や、果樹や、野菜や、花や、肉や、卵や、加工したジャムやジュースや味噌や、ハムなどを展示販売するという経験は彼らの人生にとって貴重な思い出になる筈です。
吉祥寺第一ホテルで行われた「食農の明日を担う教育を考える」というテーマのセミナーは、梁川先生(京都教育大学教授)と私の講演に続いて、花野先生(東京都立農芸高等学校長)も加わってパネルディスカッションに入りましたが、キャスターの木場弘子さんが名コーディネーター役を務めました。今朝日本テレビの朝8時から9時半のウエークアップという番組に出演しているのを拝見しましたが、その後で大阪のスタジオから駆けつけたとのことでした。千葉大学教育学部のご出身で、今はフリーのキャスターとしてあちこちで活躍されている方です。会場から、さすが農業高校の先生方らしい質問やコメントも出ましたし、セミナーはよい企画だったと思いました。
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2011年11月18日金曜日
菅野弁護士に、支援金をお届けする日程調整をお願いしました。その機会に市橋君の最近の様子などについても伺ってくるつもりです。
東京農業大学のホームページによると、女子剣道部が全国大会で3位になったようですが、桜丘アリーナと呼ばれる体育館の壁には予選会を勝ち抜いて箱根駅伝出場が決まったことと、相撲部の学生が学生横綱になったことを祝う大きなのぼりが吊り下げられています。見るたびに、よくやった、おめでとうという気持ちになります。
今日は農大の周りを10Km走りましたので、累計は248Km/33日になりました。少しスピードを出して走っても平気になりました。
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2011年11月17日木曜日
15日に初めてメールをいただいた支援者から、以下の返信が届きました。市橋達也君の適正な裁判を支援する会は、特定の宗教との関わりはありません。支援者の中には、キリスト教を信じていらっしゃる方、仏教を信じていらっしゃる方もおられるようですが・・。ご両親の毅然たる態度の裏には、深い深い愛情があるとのお考え、無期懲役のままだと刑務所の中で死を迎えることになりますのでご両親にとってはつらい決断でしょうが、私もそう感じています。
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毎日訪問する訳じゃないので、たまに覗いたページでそう感じるだけなのか? 少し宗教的な偏りを思い、今回の振込みに際し迷いがあったのですよ。でも 「支援をしょう」と決めたきっかけが何度も流れた手配写真でも感じたように、逃走中での生活態度も私にはとても素直な子にしか思えないのです(起こしてしまったことは突発的行為)。
それと何よりも拘束されてからのご両親の毅然たる態度。「会わない」「支援しない」の言葉に、言葉に反する深い深い愛情を感じ涙がこぼれます。
リンゼンイさんのご両親の気持ちになれば辛いのですが、裁判の傍聴のため来日されたとニュースで拝見したときは、思わず「許してあげて」と心で叫んでました。
本山先生は市橋君のご両親とお逢いされているとブログに書かれておられましたが(本山:誤解です。お手紙を3回交換しただけです。)、どうぞ息子さんが出所されるまでお元気でいてあげてくださいとお伝え下さい。もちろん先生も彼が出所するまでガンバリましょう。大切な若い時代を棒に振っちゃったけど、彼ならきっと大丈夫 (何故か確信がもてるのです)。
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明後日19日土曜には、東京吉祥寺第一ホテルで毎日新聞社主催の農業高等学校教職員向けセミナー「食農の明日を担う教育を考える」が開催予定で、私も参加することになっていますので、今日はその準備をしました。
第1部は梁川(やながわ)正京都教育大付属環境実践センター教授・日本農業教育学会長による講演『農業教育~地域社会と連携した体験型の「食の循環」教育』
第2部は私の講演「農薬~農薬の必要性と安全性」
第3部はパネルディスカッション「食農の未来~食農の明日を担う教育を考える」で、キャスターの木場(きば)弘子氏(千葉大学教育学部特命教授)がコーディネーターを務め、梁川先生と私の他に花野耕一東京都立農芸高等学校長・全国農業高等学校協会理事長が加わります。
セミナー会場の近くの東急百貨店吉祥寺店では、ちょうど19日と20日に全国農業高校収穫祭の開催中で、全国各地の農業高校で生産した農産物の展示販売や表彰などもやっているようです。
セミナーでの自分の講演の内容や使用予定のスライドを最終的にチェックした後で、江戸川堤防を14Km走ってきました。累計は238Km/32日になりました。
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2011年11月16日水曜日
東京の海運クラブというところで全国農薬協同組合(通称全農薬)の平成23年総会・第34回全国農薬安全指導者協議会(通称安全協)全国集会が開催され、農薬流通に関わっている会社の社長・幹部クラス、農薬メーカーの社長・事業部長クラス、農薬行政に関わっている行政機関や独立行政法人の責任者らが出席者でしたが、私も顔を出しました。一連の議事や報告、表彰等の後、国立医薬品食品衛生研究所安全情報部の畝山智香子氏による「残留農薬基準値と食品のリスク」と題した特別講演がありました。いつものことながら、科学的なリスク評価の話は大変説得力がありました。
本当はこういう話を関係者だけでなく、一般国民に聞いてほしいと思ったら、配布資料にちゃんと次の情報源が記載されていました。
・食品安全情報blog http://d.hatena.ne.jp/uneyama/
・ほんとうの「食の安全」を考える-ゼロリスクという幻想(DOJIN選書28)化学同人(2009/11/30)
・「安全な食べ物」ってなんだろう-放射線と食品のリスクを考える 日本評論社(2011/10/22)
今日は上記集会に出かける前に東京農大の周りを10Km走りましたので、累計224Km/31日になり、設定した最初の1ケ月の目標は、走る距離(200Km)も体重の減量(3Kg)も一応達成しました。明日からは次の1ケ月のトレーニング(目標300Km)に入ります。
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2011年11月15日火曜日
支援者のお一人から初めてメールをいただきました。11月10日のブログで、11月8日に支援金を振り込まれた方(3回目)と報告した方です。私のミスで、入金記録簿をチェックし直してみましたら、実際は4回目でしたので、そのように訂正するとともに入金記録簿の方も訂正しておきました。確かに送っていただいた明細票のコピーではお取扱日は23-11-07となっていますが、私のところにゆうちょ銀行から届いた振替受払通知票では11/08となっていましたので、ブログでの報告では11月8日振り込みと記載しました。ご連絡ありがとうございました。振り込み回数の記載ミスについてはお許し下さい。
今日は東京農大での2回目の講義をしました。前回の時に、年配の履修生から、ちょっと早過ぎる(スライドを使いながら話をするので、スライドが変わるとノートをとる時間がない)という指摘と、何か配布資料はないのかという指摘がありましたので、今回は前回の復習を簡単にしてから今回の講義に入り、少しゆっくり話を進めるように心がけました。また、前回と今回の一番大事なスライドを各6枚ずつ選んで配布資料として2ページにプリントして配布しました。そのせいか、出席カードを集める時に何人かの学生が質問をしに話しかけにきました。今日の出席は131名でした。驚いたことに、講義終了後、私の研究室でデータ入力のアルバイトをしてくれていた大学院修士課程2年生の学生が教壇のところに挨拶に来ました。本来は短期大学2年生の必修講義科目なのに、教室に紛れ込んで、私がどんな講義をするか隠れて聴講していたとのことでした。その後、研究室に来てくれて、2時から5時まで廃棄処分予定の論文別刷りや学術雑誌や資料などのホッチキスやプラスチックを外す作業などをやってくれました。東京農大では紙はリサイクルに回すので、金属やプラスチック類は外してから処分する必要があるからです。明日も来て、残りの分をやってくれるとのことですので、事務室でアルバイトの手続きをして必ずアルバイト料を支払ってもらうようにと指示をしておきました。
午後からは、約束していた通り、結婚をして退職した以前私の事務を担当してくれていた女性職員のKさんが生後3ケ月の女の赤ちゃんを見せに、研究室に寄ってくれました。環(たまき)ちゃんという名前で、若いお母さんの胸に抱かれて、まるで天使のように可愛くて無垢(むく)な赤ちゃんでした。多分、赤ちゃんを守り育てるという母親としての生物学的な本能が関わっているのでしょうが、私には小さな赤ちゃんを連れた女性は強く、美しく、幸せそうに見えます。環ちゃんがもう少し大きくなったらまた見せにきてくれるとのことですので、楽しみにしています。
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2011年11月14日月曜日
11月11日に振り込まれた方(22回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は285,500円、延べ420人からの合計額は4,062,928円になりました。メールでいただいたメッセージはすでに一昨日のブログで紹介させていただきました。長期間にわたる継続的なご支援、ありがとうございました。
先日(11月12日)の千葉大学名誉教授懇談会で講演をされた岩瀬博太郎教授からお聞きした話について、支援者からその内容を問い合わせるメールをいただきましたが、懇親会の席で「ここだけの話」としてお話されたことですので、お答えできません。ご了承下さい。
なおこの支援者からは、岩瀬教授には「法医学者 死者と語る」(2010年、WAVE出版、岩瀬博太郎著)という著書があるとお知らせいただきましたが、教授自身が講演の中で紹介された3冊の本の中に入っていました。残りは:「焼かれる前に語れ」(2007年、WAVE出版、岩瀬博太郎・柳原三佳著)と、「死因究明-葬られた真実」(2005年、講談社、柳原三佳著)でした。
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2011年11月13日日曜日
お花の差し入れができなくなったことについて、支援者から以下の情報が届きました。ありがとうございました。
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昨日(11月11日)メールしました差し入れの件ですが、売店で購入(発注)差し入れ出来る商品から、お花の取り扱いがなくなりました。政府の業務仕分で、10月から(株)矯正協会から民間業者に変わり、差し入れの商品や制限が変わったようです。市橋達也さんと面会時に、本の差し入れも5冊から3冊に変わった説明も、民間業者に変わった為と仰ってました。
1~2ヶ月掛けて移行するようで、売店の日用品や食料品も、多少変わったようです。今迄、あまり日用品や食料品を差し入れてませんので、よく覚えてませんが、歯ブラシやシャンプー、文房具の種類が増えたように感じました。食料品も、今迄は無かったと思いますが、カップヌードルやどん兵衛が増えてましたので、差し入れました。
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昨日の名誉教授懇談会では、各学部の学部長(今は大学院大学になったので研究科長と言います)から学部の最近の状況について紹介がありました。看護学部長からは、今年4月に入学予定だった学生の一人が東北大震災で行方不明になり、6月になって死亡が確認されて葬儀が行われた時に参列し、同期生になる筈だった新入生の寄せ書きを持参してご遺族に手渡したという報告がありました。看護師になる夢を抱いていた若者が、予想もしなかった大震災の犠牲になって夢が潰(つい)えたのは、本人にとってもご家族にとってもどんなにか無念なことだったかと想像します。生きている人間は、生きていることの幸せを忘れてはいけないのだと思います。
江戸川の堤防を14Km走ってきました。気温が下がってきたせいか、これくらい走っても何ともなくなりました。これでトレーニングを始めてからの累積は214Km/28日です。体重は3.4Kg 軽くなりました。月に3Kg 減量が目標ですから、こちらの方も大体計画通りで順調です。
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2011年11月12日土曜日
支援者から、支援金を振り込んだという以下のお便りが届きました。月曜日には確認できると思います。ありがとうございます。私も50代前半の時は1年に駅伝(5Km)を3~4回に加えて、フルマラソンを3回(11月、1月、3月)走っていた時もありましたが、このところフルマラソンはもう何年も走っていませんし、体重がメタボ気味ですので、今の目標は先ず制限時間(6時間)以内の完走です。直前の体調の仕上がり具合によっては、密かに(大言壮語すると実現できなかった時に恥ずかしいので、千葉大学走友会の仲間には内緒で)もっと上(サブ5、場合によってはサブ4も)を目指すかもしれません。69才という年齢的なこともありますので、練習で走り込み過ぎて膝を痛めないようにということだけは注意をしています。
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11日に22回目の支援金を送らせて頂きました。公私にわたってお忙しい日々だと思いますが、ご確認よろしくお願いいたします。
季節が進み、そろそろ冬の足音が聞こえてきそうですね。冷え込む寒い日々、市橋さんはお元気なのでしょうか?気掛かりです。今月は市橋さんの具体的なご様子がわからず推測するしかないのですが、きっと控訴審に向けてご自身の意識を集中され、いろいろとお考えになっておられるのでしょうね。これから準備され始まっていく控訴審が過剰なバッシングや報道、外的な圧力などに左右されない適正・公正なものでありますように心から願い祈ります。
本山先生、この冬はラニーニャの影響でいつも以上に寒くなるとの予報です。フルマラソンに向けてのトレーニングは中々ツライ事と思います。目標はサブ5でしょうか? くれぐれも体調にお気をつけて頑張ってください。
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今日は午後から、年に1回開催される千葉大学名誉教授懇談会が西千葉キャンパスのけやき会館であり、私は昨年は他の用事と重なったので欠席しましたが今年は出席しました。各学部や研究所等出身の名誉教授40数名と、学長、理事、研究科長等の他に事務局の幹部職員が出席し、懇談会、講演会、千葉大学管弦楽団(学生)による演奏、懇親会がありました。講演は、千葉大学工学部出身で現在は韓国のサムスンアートデザイン学校長の鄭(チョング)國鉉(クヒョン)先生による「企業におけるデザイニング競争力の未来」と、千葉大学医学研究院教授の岩瀬博太郎先生による「法医学とは?」の2題あり、いずれも分野は全く違いますが大変興味深い内容でした。
岩瀬先生はリンゼイさんの遺体が発見された時に、法医学教室員(早川 睦先生)と一緒に解剖を担当した方ですので、懇親会の時に名刺交換をして当時の様子を伺いました。私が市橋達也君の適正な裁判を支援する会をやっていることや、このブログについてもご存知でした。あちこちに影響がでる可能性がありますのでブログには書けませんが、今まで公表されていなかった新しい情報がいくつかありました。日程を調整して菅野弁護士に支援金をお届けに行く時にでも、お伝えしようと思っています。
西千葉キャンパスに出かける前に少しの時間を見つけて、江戸川堤防を6Km 走ってきたので、累計は200Km/27日になりました。一応、最初の1ケ月の目標200Kmは達成しました。1ケ月までまだ4日残っていますので、次の1ケ月の目標300Km のために少しでも距離を貯金をしておこうと思っています。今日はもっと走りたかったのですが、時間的にこれでギリギリでした。明日はもっと走りたいと思っています。しかし、どうしても明日中にやらなければならない仕事がいくつか溜まっていますので、それだけ走る時間がとれるかどうか・・。
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2011年11月11日金曜日
松林防除実践講座の2日目は実地研修で、私も参加者の後について行って見学させていただきました。マイクロバスと自家用車で美浜町の煙樹ケ浜(えんじゅがはま)の松原(町有林で保安林に指定されている)に移動し、小雨の中でしたが、いろいろな実習が行われました。
マツノザイセンチュウの潜在感染木を見分けるために、小田式松脂(まつやに)滲出法で松脂の滲出程度を調査したり、調査後の剥皮箇所の補修をしたり、松の幹にドリルで穴を開けて殺センチュウ剤を樹幹注入をしたり、松の根の周囲に浸透移行性薬剤の土壌灌注をしたり、伐倒した松を丸太切りにし、シートで覆って燻蒸処理をしたり、羽化脱出してくる成虫を対象にした天敵微生物製剤を施用したり、被害木を割ってマツノマダラカミキリの幼虫を確認したり、感染木からベールマン法と呼ばれる方法でマツノザイセンチュウを分離したり、分離したセンチュウを顕微鏡で確認したりして、貴重な体験ができました
研修終了後、新大阪経由で松戸に帰ってきたのは夜の9時を過ぎていました。本当はもう一泊して、熊野古道など少しは和歌山県内を見学してきたかったのですが、明日の予定もあるし、仕事が溜まっているので真っ直ぐ帰ってきてしまいました。
いつも市橋君の更生を考えて活動して下さっている支援者のお一人から、以下のお便りが届きました。お花の差し入れができなくなったとのこと、市橋君だけなのでしょうか、また今後ずっとということなのでしょうか。
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今晩は。昨日から和歌山県に行かれてたそうで、いかがでしたか。どちらかに立ち寄る時間はございましたでしょうか。
今週、千葉刑務所に差し入れに行きました。今迄のように、お花を差し入れようとしましたが、今月からお花の差し入れが、出来なくなったそうです。拘置所の本人は、購入する事が出来ると伺いましたので、お花の分として現金を差し入れて、手紙を送りました。
本は《おおきな木/Shel Silversten(著)/村上春樹(翻訳)》を差し入れました。読む人により、それぞれ感じ方が違い、心に残る絵本だと思います。
先日のブログで「汝ふたたび故郷に帰れず」の本が在庫切れとの事でしたので、私がよく行く本屋で検索してみましたが、やはり在庫切れでした。昨日は、文藝春秋も購入しました。又、ある雑誌に東金の女児殺害人事件の記事が載ってました。千葉地裁の一審は傍聴しました。東京高裁で控訴棄却され、最高裁に上告してます。控訴審後に、弁護士さん、母親、支援者とミーティングをされたそうです。報道の在り方や知的障害者について取り上げられてました。知的障害者の被告人が事件を犯すに至った背景や今後の受刑、出所後の社会復帰に向けての問題も残ってます。本来、マスコミはその部分を追求し見直して行くべきですが、裁判が終わると共にマスコミの関心もなくなってしまうと記されてました。内容は違いますが、市橋達也さんも同じような事が言えると思います。
昨日購入しました文藝春秋も読みました。本山先生の元教え子に対する思いや考え、支援の会、社会的な問題として語られた記事を拝見し、本山先生がブログで、彼の逮捕前から伝えて来られた気持ちを感じ、心に残りました。
昨日は、彼が逮捕されて二年が経ちました。手記で逮捕前の数日間を読み直し、逮捕時の心境や、拘置所で過ごしてる二年間や今後を思い、複雑な心境になりました。今は、ただ控訴審に向け弁護士さんと相談し、有期刑になる事を心から祈ってます。
本日は、雨で寒かったですね。又、明日からは晴れますので、ジョギング頑張って下さい。
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2011年11月10日木曜日
11月8日に振り込まれた方(34回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は275,500円、延べ419人からの合計額は4,052,928円になりました。この方からは一度もメッセージをいただいていないのでどういう方かは存じませんが、ありがとうございました。
朝早く自宅を出て、新大阪経由で和歌山県美浜町に行きました。新大阪から特急くろしお号に乗って御坊駅までの途中の車窓の景色は、さすがにミカンの産地だけあって、ミカン園ばかりという感じで、山の上の方まで一面ミカン園というところもありました。第7回松林防除実践講座の参加者のほとんどは関西地方からでしたが、中には山形県や東京や山口県からの参加者もいました。
私は、「松林に散布された薬剤の飛散実態と周辺住民の健康に及ぼす影響の評価」について1時間半の特別講演をしましたが、他の講師の方々の講演も興味深い内容ばかりでした。特に印象に残ったのは、日本緑化センターの瀧 邦夫氏の「高田松原の再生に向けて」と、林野庁治山課森林土木専門官の岸 功規(よしのり)氏の「海岸防災林の再生について」で、両方とも今回の東日本大震災と大津波で壊滅的な被害を受けた三陸海岸の松原について、現地調査の結果を詳しく紹介していました。
全員が宿泊した国民宿舎での交流会(懇親会)も、各地で松林や緑地の保護・管理に関わっておられる方々と情報交換ができて、有意義でした。
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2011年11月9日水曜日
11月7日に振り込まれた方(30回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は265,500円、延べ418人からの合計額は4,042,928円になりました。ありがとうございました。手書きのメッセージもいただきました。
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弁護士の先生方としっかり話し合って、裁判に臨んで下さい。希望を持って支援していきます。先生、お忙しいのにいつもご報告ありがとうございます。先生のブログだけが市橋君との掛け橋です。マラソンがんばって下さい。
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別の支援者からは以下のお便りが届きました。
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先生こんにちは。久しぶりに携帯からのメールを送ります。お忙しい日々の中、支援の会の活動もありがとうございます。寒さも厳しくなってきますから、お身体ご自愛下さい。本日、11月9日...市橋君の大阪での逮捕から丸二年になるのだなぁ~と。今月は市橋君は控訴審に向け、ひたすら心身を厳しく律しながら、弁護士の方々と準備をしているんですね...支援者としても、お察しするし、遠くから見守りたいです。私事ですが...今、病院よりメールをしているのです。一人息子は流行りのマイコプラズマ肺炎にかかり、7日月曜から入院しており、点滴中で息子は眠っているので(携帯して良いお部屋から)看病の合間です...先生のブログは最近では11.4付を見たきりになっておりますが...先日の接見には、(お友達との)感動しました。 続く...
私も読んだ途端に、まさに直感しました。(笑) やはり、元彼女さんであったようですね。なんだか、映画のワンシーンを見ているような、自分がその方 だったなら、とか...お二人の様子を浮かべながら涙が出ました。本山先生のお力添えにより、お二人の再会は大変意味深いものになった事でしょう。しかし最初で最後になるのですね...お二人の進む違う未来ですが...前へ前へ進んで行って欲しいです。市橋君は年内は千葉の拘置所みたい?ですが...私は、他の支援の皆様に遅れてになりますが...最終的に刑が確定し、小菅に移られ...その頃には、本の差し入れやお手紙も送りたいです。そして、いつの日にか...ご両親が市橋君のもとへ足を運ばれる日を...切に切に願っております。では、今後とも市橋君の面会等々、宜しくお願い致します。日記の如く長々と失礼しました...。
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今日は東京浅草(あさくさ)の浅草寺(せんそうじ)で農薬工業会の虫供養が行われましたので、私も参加しました。農薬を開発する過程で多くの昆虫を試験生物として使用しますので、農薬工業会では犠牲になった生物の命に感謝して毎年供養をしています。
その前の時間帯に、月刊文藝春秋の記者と近くのホテルのロビーで待ち合わせをして会いました。明日発売の文藝春秋12月号を、一日早く手渡されました。先日(10月19日)取材を受けた市橋君に関する記事が掲載されていました。弁護団と私は若干立場が違うことの説明をしたのが、私が強調し過ぎたのか、市橋君への厳しい姿勢として繰り返し述べられていました。しかし、今まで取材を受けたテレビや週刊誌で経験したように、あらかじめ決められたストーリーに合うように発言が切り貼りされたのとは違って、取材の内容が比較的正確に再現されていると思います。
私は普段は週刊誌も月刊誌も、農薬など特別関心のある記事がない限り読みませんが、「患者よ あなたに透析は必要か」という記事をはじめ、結構扱っている分野も巾広く、読み甲斐がある記事があるなあという印象を受けました。ネットが盛んになるにつれ紙を媒体とした本はビジネスとして苦戦しているという話を聞きますが、これなら購読してみようかなという気持ちになりました。
ちなみに、慶応大学出身(今日訊き出しました)で英語も堪能なこの記者は、来週は解任されたオリンパスのイギリス人元社長の取材でイギリスに行く予定とのこと。大勢の取材が殺到する筈ですが、他社とどれだけ違う取材ができるのか、大変だろうなと思うと同時にエールを送る気持ちにもなりました。
東京に出かける前に江戸川堤防を8Km走ったので、累積は194Km/24日になりました。虫供養の後の懇親会で環境省の西嶋英樹室長に会ったので、先日(10月28日)走る予定と言っていたマラソンの成績を訊いたら、3時間1分30秒だったとのこと。彼の自己ベストの大幅更新ですが、市民ランナーの憧れのサブスリー(3時間以内)までもう一息で、たいしたものです。
明日は朝6時ちょっと過ぎに自宅を出発して、一泊二日で和歌山県の美浜町に出かけ、明後日の帰宅は夜になるので2日間は走れそうもありません。
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2011年11月8日火曜日
今日は早目に東京農業大学の学習支援室に寄って、出席(調査用)カードと講義室のロッカー(プロジェクターその他の制御機器が入っている)の鍵を受け取ってから講義室に行きました。千葉大学園芸学部の合同講義室(120名くらい入る)での講義の時と同じで、一生懸命勉強しようという学生は前の方の席に座り、最初から勉強しようという気があまりない学生は一番後ろの座席に片寄って座っていました。講義の内容には無関係に、勉強する気がない学生が卒業するのに必要な単位だからただ顔だけ出しているという状況は、どこの大学でも同じ問題のようです。
前の方に座っている学生は、熱心にメモをとっていました。後の方に座っている学生の中には、携帯電話のメール画面を眺めている人もいました。ほとんどの学生が20才の筈の中に、明らかに世代の違う人が二人いました。その中の一人は講義終了後、教壇に質問にきましたが、私と同じ69才とのことでした。定年退職後、勉強をしに来ておられるのでしょう。
記入済みの出席カードを回収して学生支援室に持っていったら、教員一人一人がパソコンと接続してあるカードリーダーにカードを通して、出席データをフロッピーディスクに記録・保存する仕組みになっていました。出席者一覧をプリントしてみたら、履修生155名に対して、今日の出席者は107名でした。学生数が多いということもあるのでしょうが、いろいろな仕組みがよくできているなあと感じました。
農大のホームページhttp://www.nodai.ac.jp/に、11月5日に大阪で行われた全国学生相撲選手権大会で正代直也君(国際農業開発学科2年)が優勝して学生横綱に輝いた、という記事が載っていました。昔、大相撲で大関になった豊山(元時津風理事長)も農大相撲部の出身でしたので、いずれこの学生も大相撲入りする日がくるかもしれません。
Amazon.com. jp から、先日発注した「汝再び故郷に帰れず」が在庫切れという連絡のメールが届きました。残念!
講義終了後、農大の周りを10Km走りましたので、累積は186Km/23日になりました。
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2011年11月7日月曜日
明日は東京農業大学で短期大学2年生を対象の講義科目「農業技術開発論」の一部を非常勤講師として担当する予定ですので、教室の下見をしてきました。新しく完成した講義棟で、建物内には学生が自主的に勉強できるスペースも用意されていて、りっぱな施設でした。履修生名簿を見たら、155名が受講することになっていました。千葉大学にいた時は、一度にこんなに大勢の学生を対象の講義はしたことがないので、明日はどうなるか楽しみです。果たして、全員の向学心を1時間半集中させられるかどうか・・。一応、今週と来週の2回分の講義の準備はできました。
昼休みは農大の周囲を10Km走りましたので、累計は176Km/22日になりました。これまでのところトレーニングは順調で、走る度に体が軽くなっていく感じがします。
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2011年11月6日日曜日
支援者の中に、埼玉県川口市の私が子供の頃(11才から23才まで)育った家の付近をよくご存知の方がおられることがわかりましたので、今日は朝10時に駅で待ち合わせをして12時半くらいまで一緒に散歩をしました。昔田んぼだったところを埋め立てて造成した土地に私の両親が建てた家はもうありませんでした。当時はよく犬の散歩に田んぼの畦道を歩きましたが、今は田んぼ自体が全くなくなり、住宅がビッシリ建って昔の面影は全くありませんでした。すぐ近くにあった銭湯もなくなり、知っているお店もなくなり、親しかった友人の家もなくなっていました。まるで、竜宮城から地上に戻った浦島太郎の心境でした。それでも、支援者の道案内のお蔭で、昔人骨がたくさん発掘された公園(大昔お寺の墓地だったところ)や、小学校や、中学校や、よく遊びに行ったその隣の神社の森や、その隣のお寺なども、見つけて訪ねることができました。こういう支援者と出会えたのは不思議なご縁ですが、ありがとうございました。
私の頭の中にあった故郷の景色はすっかり姿を変えて、もう存在しませんでしたので、アメリカ人作家トマス・ウルフThomas Wolfe の小説の題You Can't Go Home Again 「汝再び故郷に帰れず」(鈴木幸夫訳)を思い出しました。小説自体は読んだことがなかったので、急に読んでみたくなって、早速ネットで検索して発注しました。
その後、支援者とは別れて、高校時代の仲の良かった同級生で駅の反対側で歯科医をやっている友人を訪ねました。彼と会うのは恐らく40年以上振りだったと思いますが、懐かしい昔話に花が咲いて、気がついたら3時間半も経っていました。
帰宅したらもう妻が夕食を準備している時間だったので、今日は走るトレーニングはできませんでした。
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2011年11月5日土曜日
11月3日に振り込まれた方(10回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は260,500円、延べ417人からの合計額は4,037,928円になりました。ありがとうございました。この方からはすでに11月3日のブログで紹介したメールのメッセージが届いていました。
午後から千葉大学園芸学部で研究室の2年に1回の同窓会総会と懇親会が開催され、その前に現職の教員2人と、卒業生1人と、私が講演をしました。今は私が同窓会会長ですので、単に集まって懇親をするだけでなく、少し勉強もしようという私の提案で、今年から実施したものです。私は長年取り組んでいる、「松林に航空散布された薬剤の飛散実態と周辺住民への健康影響の検証」について話をしました。後での皆の講評によると、好評だったようです。
昨日走れなかったので、今日は朝江戸川堤防を14Km走ってきました。累積は166Km/20日になりました。
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2011年11月4日金曜日
11月2日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は250,500円、延べ416人からの合計額は4,027,928円になりました。この支援者がどういう方かは存じませんが、ありがとうございました。合計額が一挙に400万円を超えました。
千葉大学園芸学部は戸定丘(とじょうがおか)というところにありますので、毎年秋に行われる学部祭は戸定祭と呼ばれ、野菜、果樹、鉢物の花などの販売や各種食べ物の屋台の他に、研究室の展示発表や課外活動クラブによる催し物などがあり、地域住民も多数訪れます。今年は今日から3日間の予定で始まりましたので、ちょっと覗いてみました。果樹園芸学研究室では、全国各地から集めた柿の展示をしていましたが、一口に柿と言っても様々な品種があって実に面白いなあと思いました。渋(しぶ)に関する解説もあって、勉強にもなりました。
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2011年11月3日木曜日
お二人の支援者から心温まるお便りが届きました。市橋君の事件前の友人からは、面会の翌日、「昨日は、ありがとうございました。ブログも言葉を選びながらと配慮を頂き感謝しております。これからも達也のことを、よろしくお願いいたします。」というお礼のメールが届いています。新しい道を歩き始めていても、市橋君に対する温かいお気持ちは持ち続けておられるようです。大人の心をお持ちなのでしょう。時々はこのブログにも目を通しておられるようですので、支援者からのメッセージもご覧になっている筈です。
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ご活躍のご様子、いつも励みにしております。アメリカにご滞在中のご様子も、海外経験がほぼ皆無の私には、大変刺激になりました。
本日、少額ではございますが送金させていただきました。またご確認いただければ幸いです。11月は、再審に向けて準備があるようですので、市橋さん・弁護団の先生方には、正当な審判に向けて頑張っていただければと思います。
前回送金から今回まで、心の痛むことがありました。先日、先生と面会に行かれた「ご友人」(おそらく、事件当時の彼女かと・・・ 確信はございません、ただの'おんなの勘'です)と、つらい最後だったなと思いました。普通に会って、食事したり、一緒に出かけたり、時にはけんかもしたり。楽しい思い出が、こんな悲しい最後の別れになることが、本当につらく思えてなりませんでした。どうか、市橋さんも「ご友人」も、このつらさを乗り越えて生きていかれますように。
それと、市橋さんのご両親が面会に行かれていないこと、市橋さん自身もそれを「当然のこと」と受け止めておられることです。市橋さんも-当然のことながら-十分苦しみ、反省しておられると思うのです。これから、もし有期刑になったとしても、かなり長期の入獄になる可能性が高いと思っています。いろいろなお考えがおありでしょうが、せめてご両親くらいは、市橋さんを赦し、励ましてあげて下さい、と祈るばかりです。
それにしても、世の中は広いものですね。私は、一応支援者のつもりですので、市橋さんを決して否定的には見ていないと思っています。けれども、犯した罪が大きいですから、世の中には、「決して許しはしない」という意志で見る方もおられると思いますし、それはそれで当然の考えであると思います。そういうものだと思います。しかしわざわざ、送りもしていない本を「送った」と、文面まであれこれ考えて伝えてこられる方・・・ 何が狙いなのかまったく予想がつかないのです。一種の病気なのか、いや、そもそも「病気」のヒトコトで片付けて良いのか、人間ほどわからないものはない-という、この不思議さを、しみじみ感じております。
これから寒さに向かい、マラソンの季節を迎え、お身体ご自愛され、ますますご活躍下さいませ。
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ご無沙汰しています。ブログ拝見しています。先生のアメリカでの生活や帰国されてからの精力的な毎日に感心しています。愛知県の蒲郡市にもいらしたんですね!三谷温泉は二年前、父が亡くなる直前に家族旅行をした思い出の地でもあります。
それにしてもマラソンの参加を決意され努力をされる姿に拍手を送らせていただきます。市橋達也さんの先生の面会を辞退して裁判に備えたい、という言葉を深く受け止めました。失礼ながら、私のようなにわか支援者は自分の生活の隙間で余裕がある時だけの関わりですが、市橋さんは自由が制約された独居ぼうの空間の中で、その事と常に向き合って生きているのだと今更ながら思い知らされました。何もできず、たまに送金することしかできませんが、この世のどこかに、市橋さんのことを気にかけながら生きている人が大勢いることが分かっていただけたら、少しでも力になれるのかな、と思います。
以前もお伝えしましたが、仕事で採用に関わり、新卒の内定者やそれ以前の学生たちとも関わり、入社後の若い社員ともよく話をします。誰しも自分を認めて欲しいと生きています。私は関わりの中で、「いつも見ているよ、困ったときはおいで」という母親的なスタンスでいるのですが、日頃の関わりが重要だと痛感しています。相変わらず仕事は忙しく、昨日も帰宅は翌日になってしまいましたが、最近は休日もよく出掛け、遊びにも忙しい毎日です。
先生を見習って、毎日を大切に充実させて生きていきたいと思っています。これからも頑張ってくださいね。
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今日は妻と一緒に、有楽町駅前の東京国際フォーラムで開催された「アイヌ文化フェスティバル」を見に行きました。財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構 http://www.frpac.or.jp/ が主催の素晴らしい企画でした。ステージの部と展示の部がありました。ステージの部では、秋辺日出男氏(阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事)の基調講演「アイヌ政策実現に向けて」、堀 多栄子氏による口承文芸イヌンケ(子守唄)、アンチコラチメノコウタラ(アイヌ語:ありのままの私たちを見てほしい)による舞踏公演、アイヌアートプロジェクトによる音楽公演があり、会場からは盛んな拍手と、最後の音楽公演では会場の参加者も一緒に踊りに参加して盛り上がりました。白人に侵略・迫害されたアメリカのインディアンと同じように、和人(日本人)による侵略と差別に苦しめられてきたアイヌ民族が、2007年に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が国際連合総会で採択されたのを機会に、民族としての誇りと文化を回復しようという努力が行われつつあるようです。
朝、東京に出かける前に江戸川の堤防を8Km 走ってきたので、累計は152Km/18日です。この調子でいけば、最初の1ケ月のトレーニング目標200Km はゆうゆう達成できそうです。?
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2011年11月2日水曜日
本日発売の週刊朝日(11月11日号)に先日取材に来られたフリーのジャーナリスト/カメラマンの市橋君に関する記事が載っていました。読者が一番興味のある動機については、まだ誰にもわからないことですので、無理な推察をせずにすでに公表されている事実だけを述べた無難な記事になっていました。
今月は講義や講演が5回ありますので、今日はその準備に追われました。1つ分だけはパワーポイントスライドが出来上がったので、主催者に宅ファイル便で発送しました。残りは4つです。
走る方は、昼休みに江戸川堤防を14Km走ってきたので、累積は144Km/17日になりました。トレーニング開始以来、体重は2Kg 減りましたが、まだまだ重過ぎてあちこちに負荷がかかるので無理な走りはできません。
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2011年11月1日火曜日
菅野弁護士からメールが届き、先週の月曜10月24日に菅野・山本・三宅弁護士で市橋君に接見に行って控訴審について相談をしてきた時に、これから11月一杯は控訴審の準備に専念したいので私に面会に来ないでほしいと伝言を頼まれたとのことでした。実は私が10月26日に面会に行った時も同じことを市橋君から直接聞いていましたので、そうするつもりでした。市橋君にとっては、一審に続いて、控訴審は2回目の正念場ですので、集中・専念したいのかもしれません。私の方もちょうど11月はいろいろな予定が入っていて厳しいスケジュールですので、11月の面会は休んで、12月から再開しようと思っています。
今日、菅野弁護士に電話で今後の見通しについて伺いました。先ず、弁護団が東京高裁に提出する控訴の趣意書の期限を11月末から12月末に延期を要請して、認められたそうです。この趣意書が、控訴審では非常に重要な書類になるので、準備をするのに十分な時間が必要なようです。それを受けて、新たに担当を任命される検察官が答弁書を東京高裁に提出し、それを裁判官が読んで検討してから控訴裁判が開かれるので、実際の裁判は今年度末(来年3月末)までに開かれればという状況のようです。従って、市橋君も当分は今のままで、11月末か場合によっては12月末までは千葉拘置所にいる筈だとのことです。
遠くの県にお住いの支援者から以下のお手紙が届きました。わざわざ遠路を千葉刑務所まで差し入れに行かれたようです。ありがとうございました。他の方からも10月26日のブログの記事については、コメントが届いています。
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朝夕、秋らしくなりました。お忙しい中、市橋君に接見に行って下さりありがとうございます。
10/26のブログは、涙なしでは読めませんでした。お友達と会った市橋君に「偉い」と泣きながら叫びました。これも先生のお力、つくづく偉大さを感じました。その夜は、市橋君、ご両親、先生、お友達など、いろんな事を考え、ただただ普通の青年だっただけにあまりにも残酷すぎる事ばかりで、眠れませんでした。
さて、10/28に千葉刑務所に本の差し入れに〇〇〇〇さん(支援者)と行って来ました。英文の植物本と動物本の2冊です。支援者の方の報告によると、差し入れる物の規定が厳しいと聞いておりましたので、売店で冬物を買って差し入れしようと思っていたところ、あまりにも品数が少なく、想像していた売店とは違って思いもよらない貧相さに驚きました。また小菅に移り、落ち着いた頃に送ることにしました。
又、差し入れの際、身分証明証がないとだめだと言われましたが、私たちの担当の方がとても親切な方で、今回は通してくれました。場合により印鑑が必要な事もあるようです。帰りはとても複雑な気持ちで、〇〇さんと無言で電車に乗って来ました。
お忙しい毎日の中、ランニングをする先生のお姿が目に浮かびます。寒さに向かい、お体気をつけて下さい。
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今日は昼休みに農大の周囲を10Km走りました。これで累積は130Km/16日です。農大の学生諸君は収穫祭の後片付けをてきぱきとやっていました。
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2011年10月31日月曜日
10月29日に振り込まれた方(5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は170,500円、延べ415人からの合計額は3,947,928円になりました。ありがとうございました。この頃、郵便が夜配達されることがありますので、振替受入明細票の確認が翌朝になって報告が遅くなることがあります。ご了承下さい。
10月も最後の日になりましたが、私は論文の再校閲や講演の準備や手紙の返事などが大幅に滞っていて、早くしなければいけないと焦っている状態です。
千葉大学走友会のメンバーの一人から、大阪マラソンに出場してきた報告が回覧されてきました。いくつかの不測の事態が重なって、本人としては不満足な、正味で5時間13分05秒 だったそうです。フルマラソンを2時間台で走る人も5時間台で走る人も、こうして成績をメンバーに回覧して、お互いの励みにしています。
今日は江戸川堤防を14Km走ってきましたので、累積は120Km/15日になりました。まだまだ、全然早くは走れませんが、計画した距離をこつこつこなして、少しずつ基礎体力作りをしている段階です。
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2011年10月30日日曜日
10月27日に振り込まれた2名の方(17回目と14回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は160,500円、延べ414人からの合計額は3,937,928円になりました。ありがとうございました。手書きのメッセージもいただきました。
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支援金を振り込ませて頂きます(14回目)。26日のブログを拝見し、涙があふれてしまいました。今後のご友人のお幸せをお祈り致します。
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私が市橋君に面会に行ってきた26日に書いた記事については、別の支援者からもメールでコメントが届いていました。
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お早うございます。一昨日は、メール有難うございました。お返事遅くなり申し訳ございません。ブログ(26日)も拝見しました。お知らせ頂き、有難うございます。
凄く重みがある内容に感じました。2人共、涙、涙で話せなくなってしまうのでは、と思ってました。一昨日の面会を境に、お互い前に進めればと思います。彼女に支障がなければ良いのですが...お話の内容から、恐らく元彼女と、特定出来そうですが、大丈夫でしょうか。もし又会いに行く事があれば、マスコミや盗撮の可能性もあり心配ですが、もう会う事はないようですので、今後は新しい生活を送って欲しいです。
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26日に面会した時に市橋君に東京拘置所に移る時期について何か聞いているかと尋ねたら、まだ自分には知らされていないと答えていましたが、東京拘置所の未決囚に手紙を書く時の宛先については、調べてほしいと依頼していた支援者から次の情報が届きました。ありがとうございました。
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私の友達は、東京拘置所に収監されてます未決囚と、面会や差し入れ、手紙のやり取りをしてます。先日のブログ(10月24日)に東京拘置所への郵送の宛先について載ってましたので、確認しました。宛先はご報告頂いた通り、1‐35-1-A ●●●●様で送ってるとの事でした。ただ今迄に、1‐35-1 ●●●●様/1‐35-1-A 東京拘置所 ●●●●様でも届いてたそうです。特にルールはないようで、必ずAが必要や、東京拘置所と書いたら届かない訳でもなく、番地と名前を書けば届くようです。面会時間は、10分~15分との事でした。
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今日は久し振りの来客(親戚)があって夕方まで楽しい時間を過ごしたので、江戸川を走り始めたのは太陽が完全に沈んだ後で、真っ暗な堤防で、小雨がパラパラ降る中を8Km走ってきました。これでトレーニング開始からの累積は106Km/14日で、走る度に体調がよくなっていく感じです。真っ暗な中を大勢のランナーと行き交ったのは予想外でした。マラソンシーズンになってきたので、本格的にトレーニングをする人が増えたのでしょう。
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2011年10月29日土曜日
夕方5時半からのTBSテレビの報道特集で、無期懲役囚の独占インタビューを放送していて、録画もしているのでディスクに焼き付けようかとのお知らせを匿名の携帯メールからいただきましたが、私もちょうど家にいて妻と一緒に見ていました。わざわざお知らせ下さりありがとうございました。いろいろな事情があって無期懲役に相当する罪を犯したので刑に服しているのでしょうが、服役者も人間であるという当たり前のことを再認識させてくれました。考えさせられることの多いよい番組だったと思います。
この2~3日はほとんど走れなかったので、今日は江戸川堤防を12Km走ってきました。これで累積は98Km/13日で、一日平均約7.5Kmですからほぼ計画通りです。
(昨日と一昨日の記事に写真を追加しておきました。)
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2011年10月28日金曜日
宿泊している部屋は3人ずつ相部屋でしたが、携帯電話で朝5時に目覚ましを設定し、そっと寝床を抜け出して大浴場でお風呂にはいり、その後運動着に着替えて三河湾の海岸にジョギングに出かけました。ゆっくり景色を眺めながら、朝食前に約1時間20分(多分4Km?くらい)走ってきました。これで累積は86Km/12日です。途中で、昨日講演した環境省の西嶋英樹室長と出会いました。彼は明日どこかのフルマラソン大会に出場するらしく、今朝は15Kmほど走ったようでした。
研究会2日目は、福岡県南広域水道企業団の井上 剛博士による「農薬の水田からの流出と水道における管理方法」、関東学院大学の鎌田素之准教授による「水道水源における農薬の検出実態と課題」、名古屋大学大学院田中利治教授による「寄生バチと農薬の苦しい関係」という講演がありました。今日も内容の濃い講演ばかりで勉強になりました。水道水中の農薬の安全性の判断は、「総農薬方式」と呼ばれる方法が使われていて、各農薬の検出値割る目標値の総和が1未満であれば問題ないとされているようです。原水(浄化処理前の河川の水)の分析をすると常に比較的高い濃度で検出される農薬がいくつかあり、浄水(浄化処理後の水)でも高頻度で検出される農薬があるという実態を紹介し、水質管理上注意を払うことが必要とのことでした。しかし、検出されること自体ではなく、濃度が問題で、現在のところ「総農薬方式」で評価して問題はないということのようです。
もうひとつ面白かったのは、ある種の殺虫剤は現在一般に使われている浄化処理方法、すなわち凝集・沈殿、ろ過、塩素処理、活性炭処理で処理しても除去できないという結果でした。フロアから、イオン交換樹脂を使ったら除去できるのかという質問がありましたが、技術的には可能でも、経済的に合わないとのこと。その他にオゾン処理もあるのでしょうが、全ての浄化施設がそういう設備をを備えているとは限らないとのことです。しかし、この殺虫剤も、今のところ検出されている濃度自体は著しく低いので、健康上の問題はないようです。
この点は、島根大学の井藤(いとう)和人教授が座長をした総合討論でも指摘され、農薬はどんなに低濃度で実質的に何の影響もないとは言え、本来人の口に入るべきものではないので、N.D.(検出限界以下)にすることが望ましいが、そのためにかかるコストを考えると果たしてそうすることに価値があるかどうかという悩ましい問題提起になるということです。つまり、飲料水や食品に含まれる超微量の残留農薬によるリスクよりも食品自体に元々含まれる天然物質によるリスクの方がはるかに大きい場合に、残留農薬をゼロにすることにどんな意味があるのか、そのために莫大なコストを負担することに価値があるのかという判断が問われています。
研究会は昼で終わり、午後はチャーターしたバスで、エクスカーションで渥美半島に行きました。トイレ休憩を兼ねてカモメリアという展望台に寄ってから、田原(たはら)市低炭素施設園芸モデルハウスと、イシグロ農芸(有)くくむ農園を見学しました。くくむというのは、命を育む(はぐくむ)からつけた名前だとのことでした。いずれもこれぞ最先端というりっぱな施設で、日本農業もこれからこういう風に企業化していくのかなと想像させました。植物工場のキャッチフレーズは、「安全・安心、安定生産」だそうです。しかし、昨日の特別講演で明らかにされたように、約7割は失敗に終わっているとのことですから、経営的にはそう簡単ではなさそうだなという印象を受けました。
植物工場でも病害虫は発生するので、キクの方は1週間に1回くらいの頻度で農薬を自動散布(人が施設内に入らずに自走式の機械で)し、くくむ農園のトマトの方は特にコナジラミが媒介する黄化萎凋病が怖いので2週間に1回くらいの頻度で農薬の散布(ロボット式の散布機を人がトマトの間の通路を移動させながら)をしているとのことでした。
帰りは豊橋までバスで送ってもらい、豊橋から東海道新幹線で東京に戻ってきました。
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2011年10月27日木曜日
10月25日に振り込まれた方(7回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は145,500円、延べ412人からの合計額は3,922,928円になりました。ありがとうございました。手書きのメッセージもいただきました。
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アメリカから無事に帰国され安心しました。先生、おかえりなさい。市橋君の面会時の様子も早々にお知らせ頂き、ありがとうございます。落ち着きを取り戻している市橋君にホッとしています。フルマラソンの参加もがんばって下さい。
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第29回農薬環境科学研究会は愛知県蒲郡(がまごおり)市三谷(みや)温泉で、「農薬環境中予測モデルの現状と適用状況」というテーマで、77名の参加を得て行われました。初日の今日は、特別講演「三遠南信の農業と太陽光型植物工場」(三枝正彦豊橋技術科学大学特任教授)に続いて、農林水産省農業環境技術研究所稲生圭也博士による「水田用農薬の環境挙動予測モデル(PADDY, PADDY-Large)の開発状況と活用」、北海道大学大学院松井佳彦教授による「分布型農薬流出モデルとその応用」、環境省農薬環境管理室西嶋英樹室長による「水産・水濁に係る登録保留基準の設定と環境中予測濃度~現状と課題、今後の検討方向~」という講演がありました。いずれも当該分野の第一人者による講演で、すばらしい内容でしたが、私にとっては三枝先生の植物工場に関する講演は専門外の分野なだけに新鮮で、学ぶところが多々ありました。完全人工光型植物工場と太陽光利用型植物工場は今流行で、何千万円とか何億円とかの投資が必要なので、従来の家族労働の農家というよりも異業種の企業の参入が目立ちますが、その7割は失敗に終わり、成功しているのは3割程度というのには驚きました。
新しい企画として、今回は学生の一般講演の時間を設け、4人が研究成果の発表をしました。東京農業大学の川島藤正君(実際の研究は研修先の農業環境技術研究所で実施)らの「Rhodoccus属によるエンドスルファンスルフェートの分解」、滋賀県立大学大学院の後藤裕子さんらの「ミミズにおける畑地施用除草剤の取込および排出速度の検討」、滋賀県立大学大学院の吉田知弘君らの「水田流域河川から琵琶湖に流入する含リンアミノ酸系除草剤の物質収支」、東京農工大学大学院の近藤 圭君らの「広域農薬動態解析のための基礎モデルの開発とその適用方法の検討」。いずれも大変な力作で、それぞれの指導教授・研究者の熱心な指導の下に、すばらしい研究がされていることがよくわかり、感動しました。
講演の部終了後、夕方6時半からは情報交換会(懇親会)があり、私は出席者の中で一番か2番の高齢者だったらしく、乾杯の挨拶をさせられました。1次会は8時半まで、私は2次会の途中10時半頃には十分に酔っ払って部屋に引揚げて寝てしまいましたが、中には3次会までやって夜中の2時頃部屋に戻ってきた人もいたようでした。
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2011年10月26日水曜日
10月24日に振り込まれた3名の方(29回目、8回目、2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は142,500円、延べ411人からの合計額は3,919,928円になりました。ありがとうございました。手書きのメッセージもありました。
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先生、お忙しい中、書籍のリスト作りまでされて大変でした。私は、先生が市橋君の接見に行って下さり、報告をして下さる事だけで十分です。先生の支えとお力で、市橋君はがんばる事ができます。私も微力ですが、市橋君を支援していきます。
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先生、市橋君への定期的な接見ありがとうございます。市橋君も心待ちしているでしょう。今後もよろしくお願いします。何か意見(?)のある市橋君との出会いを運命と思い、ずっと支援していきたいと思います。
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2回目の振り込みをさせていただきます。少ないですが、よろしくお願いします。
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今日は、先週市橋君に面会した時に了解を得ましたので、事件前の市橋君の友人と千葉駅で待ち合わせ、一緒に面会に行きました。質問もメモも何も準備をせずに行き、面会室のこちら側に私と友人が座って待っていると、仕切り板の向こう側の部屋のドアが開いて市橋君が入室し、付き添いの刑務官と一緒に座りました。私が、おう市橋君どうだ元気だったかと声をかけると、はいと答えましたが、それからしばらく沈黙が続きました。友人が市橋君の健康を気遣う言葉をかけたら、市橋君は友人の目を見ながら、自分の目に溢れる涙をこらえながら、一言「ごめん!」といいました。元々口数が少なく、表現力の貧しい(しゃべることが得意でない)市橋君にとっては、刑務官と私がいる中で、友人の期待を裏切ったことへの精一杯の謝罪の言葉だと思いました。友人はその一言で胸に溜まっていたわだかまりが氷解したように、「私も達也にいい思い出をたくさんもらったから」と答え、市橋君の今後を気遣い、励ます言葉をかけました。市橋君が友人に結婚する予定だと聞いたがと伝え、友人は首を縦に振って肯定の返事をしました。友人がまた面会に来てもいいかと尋ねたら、市橋君は首を横に振って駄目だという意思表示をしました。これからお互いに過去は振り向かずに、前を向いて生きなければならないことを確認しているようでした。いつもはあっという間に過ぎる8分間が、今日はいつまでも終わらない長い時間に感じました。友人が君に面会に来るのは、多分これが最初で最後だからと私が言って、面会室を出ました。市橋君はいつものように深々とお辞儀をして見送ってくれました。
昨日のブログで紹介した支援者が先週の金曜に差し入れに行った時に聞いた刑務所の塀の中での運動会について、君も参加したのかと私が訊いたら、拘置所の中では何も聞こえませんでしたと答えました。運動会その他の催しに参加できるのは既決の受刑者だけで、市橋君のように拘置所に収容されている未決囚には参加の機会はないのかもしれません。友人が市橋君に、何かあったら一人で落ち込まずに人に話して聞いてもらうようにという助言をしましたが、独居房の未決囚には、面会に来る弁護団と私以外には話す相手も機会もないのでしょう。そういう意味では、宙ぶらりんな未決の状態よりも、早く刑が確定して他の受刑者と同じように刑務に服する普通の生活ができるようになった方がいいのかなと感じました。
帰りに千葉駅の近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら、友人と長い時間いろいろなことを語り合いました。ちょうど、親しい身内が亡くなって、葬儀の後で参列した親戚や知人・友人が会食をしながら故人を偲ぶのと似ていたかもしれません。事件以来、市橋君と友人は一度も言葉を交わす機会もなく、お互いに心の中にわだかまりがあって前に進めなかったのが、今日の面会でお互いに過去を過去に置いて前に進めるようになったのではと思います。想い出はいつまで経っても心のどこかに残りますが、痛みの感覚は時間が経てばだんだん薄れてくる筈です。市橋君にとっても、少なくとも友人との関係については直接謝罪ができた今日を境に前を向けるのではと思います。友人は親切に、市橋君が控訴審で自分の証言が必要なら協力しますと言ってくれました。弁護団には伝えますが、多分それは必要ないでしょうし、友人は友人でこれからの自分の人生を大切に前向きに生きて下さいと言って別れました。(今日の報告はどうしようかと迷いましたが、書いてもいいという友人の了解を得て書きました。)
自宅に帰ったのは夕方遅かったので、今日は走るトレーニングはできませんでした。明日と明後日は愛知県蒲郡(がまごおり)市の三谷(みや)温泉で開催される農薬環境科学研究会に出席しますので、現地で走れるかどうかちょっと心配です。
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2011年10月25日火曜日
支援者から以下のお便りが届きました。これを見ますと、千葉刑務所の差し入れ受付窓口の直接の説明では、差し入れを受ける人(未決囚)について1日3冊ではなく、市橋君の説明通り、差し入れをする側の人について一人1日3冊までということのようです。貴重な情報をありがとうございました。
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10/21(金)に千葉刑務所にお花と本の差し入れに行きました。東京拘置所の移送も近いと思いますので、お花は時期により届かないかも知れませんが、了承の上で手続きしました。別途確認しましたら、控訴審の事件番号も決まってました。
本は《名画と聖書》と《The Night Before HALLOWEEN By Natasha Wing》を差し入れました。一冊は、HALLOWEENの英語の絵本です。30P程の薄いペーパーバックで、ハロウィンを伝えたかったのと、カードのような感じで差し入れました。受付で、入れられないような雰囲気が有りましたが、バーコードが付いてるので大丈夫と言われました。
先程更新されたブログで、本の差し入れについて拝見しました。以前、電話で確認した際には、未決囚に対し1日5冊で、差し入れ時に、既に5冊差し入れられてれば、入らないと伺いました。今回、本の差し入れの際、差し入れる人に対して3冊と言われ、今迄との違いを確認しました。今迄も未決囚に対し5冊ではなく、差し入れする人に対し5冊で、11月からは3冊に変わるとの事でした。
結局、差し入れする人に対して1日5冊から3冊に変わったようです。以前も電話と受付の違いが有りましたので、事実は良く分かりません。
差し入れに行った日は、千葉刑務所の運動会でした。塀の中から、声援や歓声が聞こえ、太鼓のような音も鳴ってました。年に一度、各工場対抗の運動会があるそうです。先日の本山先生が市橋達也さんと面会された時に『私も外で思い切り走ってみたい』との彼の言葉に切なくなりました。本音を聞いた気がしました。これから長い年月を刑務所で、罪を償い続けます。自由を奪われた厳しい生活の中で運動会が、僅かでも楽しみになればと思いました。今は公判から控訴審と、マスコミに騒がれたり、嫌がらせを受けたりしてますが、受刑後に年が経つにつれ、徐々に話題性も減って来ると思います。その時も、今と同じように支援を続け見守りたいです。
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月刊文藝春秋は、来月購入します。ジャーナリスト/カメラマンのK氏の取材も、記事になるようでしたら教えて下さい。
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月刊文藝春秋12月号の発売日については、このブログをご覧になった記者自身から11月10日ですとの連絡がありました。市橋君の事件に関する従来のメディアの取り扱い方とはちょっと違った切り口になっていると思います。
今日は昼休みに農大の周りを8Km走ってきましたので、トレーニングを始めてからの累計は82Km/9日です。足首をひねって痛めないように慎重に走っています。膝も急に早く走るとガクガクしてきますので、無理をせずにゆっくり少しづつ走って膝を支えている周囲の筋肉を強化し直すところから始めています。
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2011年10月24日月曜日
10月22日に振り込まれた方(20回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は122,500円、延べ408人からの合計額は3,899,928円になりました。遠くから定期的にご支援下さり、ありがとうございました。
支援者から本とお花の差し入れに関する次のお便りが届きました。10月21日のブログで報告しました10月16日付で市橋君に確認してもらった本のリストで、NO.7に同題名の本に〇印が付いていますので、その続きというか、シリーズなのかなと想像します。月刊文藝春秋についても、正しい発売日に関する情報をありがとうございました。別の支援者から、先週金曜21日に千葉刑務所に差し入れに行ったというメールがありましたので、もしかしたらお花を差し入れたかもしれません。
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仲秋の候、本山先生には、いよいよご清祥のこととお喜び申し上げます。〇〇市の〇〇〇〇です。先日は遠いアメリカから、わざわざご返信メールを頂きありがとうございました。約3週間程の海外の滞在からお帰りになられ、来年初めには、館山でのフルマラソンに参加されるということで、本山先生のタフさに驚くばかりです。そして、先日ブログに書かれていた「build up」(築き上げる)という本山先生のお好きな言葉を思い出し、市橋達也さんにもぜひ、恩師の背中(生き方)から学び得て頂きたいと強く思いました。
さて話は変わりますが、本日千葉刑務所に行き、本二冊とお花を差し入れて参りました。お花は翌日(明日の火曜日)のお届けになるということでした。本は*原因と結果の法則③困難を超えて(著)ジェームズアレン・他一冊です。・・・ご報告まで。
それから、月刊文藝春秋の発売日は、毎月10日ではないかと思います。(10月は祝日であったため、8日だったのではないでしょうか?)末筆ながら、日ごとに肌寒さが増しています。お風邪などひかれませぬよう、お身体ご自愛下さいませ。
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先週19日に面会した時に市橋君が説明してくれた本の差し入れ制限に関する新しいルールは、解釈が間違っているという以下のようなご指摘が匿名の携帯メールからありました。ありがとうございました。その通りだとしますと、むしろサービス低下で、複数の方々がお互いに知らずに同じ日に郵送で本を合計3冊以上差し入れされると、3冊を超えた分はいきなり料金受取人払いで返送されるということになりますので、混乱が生じることになります。一度、千葉刑務所に確認してみることが必要なようです。
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それは勘違い。その収容者ひとりにつき、トータル一日三冊までです。今までは直接千葉への持ち込みは、その収容者につき一日五冊まで、郵送は無制限、そして収容者本人が自分で買うもの。これが認められていたけど、これからは、千葉への持ち込みと郵送と本人が自分で買うもの合わせて、一日三冊だから、本人にとって差し入れされる数は減るのですよ。増えるのではなく、かなり減る。これは今月15日から始まってますが、周知してもらうために正式には来月の1日からの施行です。本人の手元に置ける荷物にかなりの制限があるのと、検閲にかなり労力と人員を必要とするからです。増えるのは勘違いで、減るのですよ。
東京拘置所だと、今度はまたルールが変わるんです。郵送は三冊まで。宛名に東京拘置所と書いたらだめなんです。Aと書かなくてはならない。Aのあとに収容者の名前を明記する。全国各地差し入れのルールは異なります。同じ国の機関なのに、異なるから面白いんです。こういう研究してるサークルありますよ。
東京都葛飾区小菅1の35の1のA 様
こう書かなくてはならない。
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今日は10Km走ってきましたので、トレーニングを始めてからの累計は74Km/8日です。まだまだスーイ・スイではなく、ヨタヨタかドタドタとした走り方しかできませんが、すでに体調はずい分よくなってきました。3ケ月後には「今に見ていろ」という気分です。
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2011年10月23日日曜日
月刊文藝春秋の記者との市橋君に関するインタビュー記事の初校が送ってきたので、若干の表現の訂正を提案して返送しました。さすがにプロで、取り留めもない雑談のような私との話し合いから一つのストーリーにまとめてありました。見本にいただいた11月号は10月8日発売だったようですから、12月号は11月8日発売かもしれません。
今日は昨日走れなかった分を取り返すのも含めて、江戸川堤防を18Km走ってきました。少し気温が高かったのか帰路は疲れましたが、これでトレーニングを始めてから累積64Km/7日です。
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2011年10月22日土曜日
昨日は支援者から以下のお便りが届いていました。
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今晩は。昨日(10月19日)のブログ拝見しました。面会された時の市橋達也さんの様子を、お知らせ頂き有難うございます。差し入れた本のリストは、もう届いたとの事で、早いですね。いつも手紙を送る時に千葉刑務所に到着後に検閲で、彼に届くのに数日かかるのかと思ってました。宅下げに関しての、彼の心遣いが嬉しかったです。
今迄の面会は、市橋達也さんがどのように過ごされてるか等、気になる反面、彼への支援者からの質問や確認ばかりになってしまい申し訳なく思ってました。本山先生には、いつも質問事項のメモを用意されたり、気遣って頂き有難うございました。少し落ち着いたら、本山先生と市橋達也さんと、短い時間ですが、ゆっくりお話をして欲しかったです。彼からのお話しや、気持ちを聞けて良かったです。彼も本山先生と心許せる時が過ごせたと思います。
差し入れの制限は、政府の業務仕訳の関係で変わったのかもしれないですね。今迄、未決囚に対して1日5冊迄でしたが、差し入れする方に対して3冊でしたら、彼にとっても複数の本が届きますね。11月~ですと、その前に東京拘置所に移送されてるかも知れませんが...
電話で確認された差し入れが届かなかったとの事。私も以前スケッチブックを差し入れたくて、事前に電話確認しましたら、ジャバラが付いてないものなら可能と言われ、持って行きましたが、受付で入れられないと断られました。種類ではなく、スケッチブック自体が入れられないとの事でした。いつも電話や差し入れの受付の方は感じ良く対応して下さります。恐らく、検閲される方や横の繋がりに問題があるような気がします。
本山先生は、フルマラソンに参加の申込みをされたのですね。応援してます。頑張って下さい。
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今日は日本衛生動物学会東日本支部大会が国立感染症研究所で開催され、私も朝早く家を出て、夕方まで一日聴講してきました。国立環境研究所の五箇公一博士による特別講演「生物多様性の崩壊と感染症問題~進化生態学の視点から」は、豊富なスライドと、話術の巧みさと、論理的な構成とで、聴衆を引き込みうならせました。
両生類に寄生するカエルツボカビ菌を中心に、海外各地でカエルの絶滅をもたらすと危惧された真菌の一種カエルツボカビが実は日本の両生類に在来で、食用に養殖したウシガエルの輸出に伴って海外に広まった可能性を膨大な遺伝子解析の結果から証明していました。進化生態学でいわゆる「赤の女王仮説」(The Red Queen Hypothesis)と呼ばれる、宿主生物(寄生される側の生物)が雄と雌で子孫を残す有性生殖は遺伝子の多様性をもたらし、それは種の多様性をもたらし、ひいては生物の多様性をもたらし、そのことで寄生生物(パラサイト)によって絶滅させられるのを防いでいるという興味深い考えを紹介しました。他にも、宿主生物と寄生生物の共進化の例として、世界中から採集したクワガタムシとクワガタナカセと呼ばれるダニとの関係を挙げ、結局パラサイトや病原体ですら、生物多様性のユニットとして捉えることができる、という見かたを示しました。つまり、人類は生物多様性のお蔭で地球上に生存できているが、生物多様性は宿主生物と寄生生物の共進化でもたらされているので、私たちはパラサイトや病原体とも共存しなければならない、という結論につながります。人類の歴史15万年でも気の遠くなるような時間の長さですが、生物の進化の歴史35億年の時間スケールで考えると、また違った見方ができるものだと感心しました。
近年の新興感染症・再興感染症(例えば鳥インフルエンザなど)の蔓延(まんえん)は、病原体自身が問題ではなく、自然界における共進化をかく乱している人間活動に原因がある、という考えにはさすがにフロアから「それでは私たち人類はどうすればいいのか」という質問が出ました。五箇博士の答えは、地域固有性が生物多様性をもたらすので、行き過ぎたGlobalization (グローバリゼーション)ではなく、もっと地域性を大事にしたLocalization (地域限定生活) あるいはLocalism (地域主義) を求めるべきということでしたが、進歩に逆行することはできないので、ちょっと苦しい答弁の印象でした。
シンポジウム「東日本大震災被災地の環境と衛生害虫の発生(予報)」も、津波後に大量発生したハエ類と疾病(しっぺい)媒介蚊を現地で調査した興味深い講演が続きました。
一般講演の中で特に興味深かったのは、岡戸 清博士(慈恵医大)らのキイロショウジョウバエをモデルとした病原細菌(大腸菌)の摂食媒介メカニズムに関する研究で、GFP(Green Fluorescent Protein 緑色蛍光タンパク質)発現大腸菌を使った実験や、触覚切除あるいは遺伝子操作で作った嗅覚(きゅうかく)能力欠如ショウジョウバエを用いた実験から、病原細菌の出す誘引物質が摂食を誘導して媒介を促進しているということを明らかにしていました。
今日は全く走る時間がなかったので、明日は少し余分に走って今日の不足分を取り返すつもりです。
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2011年10月21日金曜日
10月19日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は121,500円、延べ407人からの合計額は3,898,928円になりました。ありがとうございました。メッセージも手書きされていました。私のアメリカ滞在中の記事を楽しんで下さったとのこと、嬉しく思います。
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先生の旅先でのブログ楽しく拝見させて頂いていました。今回は市橋さん宛に「ナンプレ」と「クロスワード」の2冊を差し入れ致しました。脳の活性化(頭の体操)になればと思います。落書き等なければOKと確認を取り郵送致しました。
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弁護団は公判前整理手続きの期間も含めて長期間市橋君の弁護活動をして下さっていますし、市橋君の身柄が小菅の東京拘置所に移送されれば、千葉市内の弁護士事務所から接見に行くのにも一日仕事になる筈ですので、できるだけ経済的支援を続けたいと思います。裁判が結審するまで、皆様のご支援を引き続きお願い致します。
市橋君から、差し入れされた本のリストが返送されてきました。本人の希望で、届いたもの(○)と届かなかったもの( ×)の印だけがつけられていました。よい本を選んで差し入れして下さってありがとうございました。
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2011年9月~10月に差し入れされた書籍(2011.10.16現在)
(○市橋君に届いたもの ×届かなかったもの)
○ 1.「京都 すてきな秋 KYOTO in Autumn」
○ 2.「汝の敵を愛せよ」マーティン・ルーサー・キング
○ 3.「淳」土師守
○ 4.「奪回、引き裂かれた24年間」蓮池 透
× 5.「Gainer10月号」(雑誌)
× 6.「カジカジ10月号」(雑誌)
○ 7.「原因と結果の法則」ジェームス・アレン 他1冊
× 8.「神様のカルテ2」と「神様のカルテ3」が連載されている「小学館ストーリーボックス」
× 9.「おおきく振りかぶって」(漫画)1~3巻
×10.「おおきく振りかぶって」(漫画)4~6巻
×11.「メンズジョーカー10月号」(雑誌)
×12.「ちひろBOX」いわさきちひろ
×13.「ちひろ花の画集」いわさきちひろ
×14.「いわさきちひろ詩画集~おかあさん」さとうハチロー
×15.「こち亀サポートの七月、八月、九月」(漫画)
×16.「ダライ・ラマ自伝」ダライ・ラマ
×17.「抱くことば」 ダライ・ラマ
×18.「ゆるす言葉 」ダライ・ラマ
×19.「どうよく生き、どうよく老い、どうよく死ぬか」日野原重明
×20.「たっぷり生きる」日野原重明
×21.「ブッダ」1~6巻(漫画)手塚治虫
×22.「生きてるだけで100点満点、99歳のぼくから君たちへ」日野原重明
×23.「愛とゆるし」日野原重明
×24.「恋はあなたのすべてじゃない」石田衣良
×25.「大人になるということ」石田衣良
×26.「傷つきやすくなった世界で」石田衣良
×27.「空は今日も青いか?」石田衣良
×28.「白黒つけます!!」石田衣良
×29.「夜の桃」石田衣良
×30.「逝年」石田衣良
×31.「池袋ウエストゲートパーク」石田衣良
×32.「美丘」石田衣良
×33.「アキハバラ@DEEP」石田衣良
×34.「虚言少年」京極夏彦
×35.「数えずの井戸」京極夏彦
×36.「オジいさん」京極夏彦
×37.「流星の絆」東野圭吾
×38.「マスカレードホテル」東野圭吾
×39.「白夜行」東野圭吾
×40.「神様のカルテ」夏川草介
○41.「Franny and Zooey/J.D.Salinger」
○42.「小説 こちら葛飾区亀有公園前派出所」大沢在昌・石田衣良・今野敏・柴田よしき・京極夏彦・逢坂剛・東野圭吾
×43.「容疑者Xの献身」(ガリレオシリーズ)東野圭吾
○44.「 秘密 」東野圭吾
○45.「手紙」東野圭吾
○46.「東日本大震災1ケ月の全記録<闘う日本>」産経新聞社
○47.「誰も知らない名言集 イラスト入り」リリーフランキー
○48.「ボロボロになった人へ」リリーフランキー
○49.「罪と罰 」(上下)ドストエフスキー
○50.「五体不満足完全版」乙武洋匡
○51.『「少年A」この子を生んで...』父と母 悔恨の手記
○52.「半島へ、ふたたび」蓮池薫
○53.「もしも天国のマザーテレサが君のそばにいたら」中井俊己
○54.「金子みすゞ童謡集 」JULA
○55.「行為の意味」(ごま書房新社) 宮澤章二
○56.「恐るべき数学の法則 」河出書房新社
×57.「囚人狂時代」
×58.「monoマガジン10月12日号」
×59.「mono max 10月号」
×60.「加害者家族」鈴木伸元
×61.「心を殺された私」緑河実紗
×62.「しまなみ幻想」内田康夫
×63.「華やかな誤算~葬儀屋探偵・明子」山村美沙
×64.「十津川警部 出雲殺意の一畑電車」西村京太郎(9月10日着)
×65.「京都嵐電殺人事件」西村京太郎(9月16日着)
×66.「急行アルプス殺人事件」西村京太郎(9月27日着)
×67.「隣り合わせの殺意」西村京太郎(10月4日着)
×68.「伊豆修善寺殺人事件」山村美紗(10月9日着)
(その他、以前の分)
○69.月刊誌「clay(クレイ)」というデボーショナルガイド
×70.天理教関係の書籍
○71.「GLOBAL MAPPLE 世界&日本地図帳」
○72.「the CATCHER in the RYE」J.D.Salinger
○73.「人間になる」ジャン・バニエ
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内容に問題があって検閲を通らなかったものについては、差し入れ人に処分方法に関する連絡が届く筈ですから、×印のついた本は元々差し入れされなかったものを、私に嘘の報告をしてきたものと思われます。わざわざそんなことをするとは、他にやることがないのか、情けない人間がいるものです。 (上記の中、60.と61.は市橋君が東京拘置所に移送されてから差し入れ予定という連絡があったものです。)
今日は、フリーのジャーナリスト/カメラマンのK氏が午後2時頃取材に来られ、市橋君の事件に関連して5時半頃まで熱心に取材をしていきました。取材の結果がどこかで記事になる時は知らせて下さるとのことでした。K氏自身、アメリカで10年以上にわたってジャーナリズム活動をして見分を広げてこられた方で、最近帰国して活動の場を日本に移したようです。単なるゴシップ記事ではなく、本物のジャーナリズムが現在の日本でも育つように、氏の今後の活躍を期待したいと思います。
昼休みに農大の周囲を約8Km走りましたので、累積は44Km/5日です。K氏も、私よりはもっと海に近い下流ですが江戸川沿いを走って足腰を鍛えているとのこと。体を鍛えることは、強い精神を維持するのに重要だという点で意見が一致しました。
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2011年9月30日金曜日
支援者からお便りが届きました。
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昨日9/29(木)千葉刑務所に差し入れに行きました。千葉刑務所内の売店は9/28~30の3日間停止してますので、昨日は本のみ(汝の敵を愛せよ/マーティン・ルーサー・キング)差し入れました。
政府の業務仕分で、10月から(株)矯正協会千葉刑務所支部から、一般公募のエームサービス(株)に変わる関係で棚卸しの為、物品販売業務を3日間停止してるそうです。政府の業務仕分は、司法協会が裁判所で行ってる裁判記録等のコピー代の見直しされてましたが、法務省所管の矯正協会の物品販売と刑務作業協力2事業も見直し対象だったのは知りませんでした。
政府の業務仕分を調べてみましたら《矯正協会は、現職の刑務官が会費を集めて運営している実態に批判が集中。会費方法を見直し。非常勤で年約600万円の報酬の会長に4代続けて検事総長OBが就いていることから天下り廃止か無給勤務も求めた》と有りました。
市橋達也さんの更正や矯正の支えになりたいと思い、会員制の矯正図書館を利用してます。その建物に、矯正協会の本部も入ってます。刑務作業は受注が減り、刑務官が仕事をもらう為に苦労してるようです。今回の仕分けが、刑務作業に影響があるか分かり兼ねますが、良い方向に改善してもらいたいです。
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産まれたての赤ちゃんの時からよく知っているSarah (サーラ) Pleasants ちゃんは、ノースカロライナ州立大学(Business Administration=経営学 専攻)を卒業してお父さんと一緒に印刷業の会社をやっていますが、もう一方ではミツバチの巣箱をあちこちに20個も置いていて、蜂蜜生産もやって、週末にファーマーズマーケットで販売しています。今日はどんな風にやっているのか見せたいと言うので、蜂に刺されない様に防護服を着て体験させてもらいました。今は農家に頼んで他人の農場に巣箱を置かしてもらっているけど、ゆくゆくはお金を貯めて土地を取得して来年3月に結婚式を挙げる予定のボーイフレンドと農業をしながら自分の畑で蜂蜜生産をしたいというのが夢のようです。
昼ごはんは、一緒に「すしつね」に行ってお寿司を食べました。両親が離婚したので小さい時は少しわがままな子供でしたが、今はりっぱなビジネスウーマンに成長し、嬉しい限りです。
その後、私は市の中心部から郊外に移転したNorth Carolina Musium of Art (ノースカロライナ美術館)を覗いてみました。郊外で広大な面積が使えるので、常設企画館の他に特設企画館もあり、野外にもいろいろな美術作品が配置してありました。2~3時間の滞在では常設企画館だけしか見られませんでしたが、イタリヤ、ギリシャ、フランス、オランダ、エジプト、アメリカなど、時代別に作品が展示してあり、モダンアートや彫刻なども展示してありました。歴史博物館も自然科学博物館もそうでしたが、ここの美術館も入館料は無料でした。州立ですから、州の住民の税金と民間からの寄付で維持・管理しているのでしょうが、誰でもが無料で芸術を楽しめるというのは、うらやましく思いました。
アメリカ南部は南北戦争後も人種差別が根強く残った土地柄で、私が留学してきた1969年頃は白人と黒人は各々別の地域に住んでいました。この頃は大分混ざるようになってきましたが、それでも基本的には白人のコミュニティ、黒人のコミュニティというのがあります。私は空手の指導を通して両方に友人がいたので、両方に出入りしていました。残念ながらキリスト教の教会ですら、主に白人が行く教会と主に黒人が行く教会と分かれています。歴史的に黒人地区だったところに昔からある教会の前を通ったので車を降りて近づいて見ましたら、ドアの横の壁に1923年にアフリカ系アメリカ人の教会として設立された歴史的な教会であるという標示がありました。
夕方いつものようにLake Johnson に行ってジョギングを始めたら、途中から空が真っ黒になって雨が降り出し、全身ビショ濡れになりました。どっちみち毎回汗でビショビショになるので、構わず1周約5Kmを走ってストップウオッチを見たら、雨に背中を押されたらしくいつもより4分くらい早く走っていました。こちらへ来てからズボンのベルトの穴がひとつ短くなり、体調は絶好調です。明日は、海岸の町Wilmingtonに住んでいる友人を一泊二日で訪ねる予定です。
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2011年9月29日木曜日
妻からのFAXが届きました。9月26日に振り込まれた方(初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は78,500円、延べ400人からの合計額は3,855,928円になりました。ありがとうございました。手書きのメッセージもありました。
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いつもブログ(写真特に)楽しみに毎日拝見しています。19才の息子が心配です。お忙しいので返信は結構です。
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お子さんがどういう状態なのかはわかりませんが、もしかして引きこもりのような状態だとしたら、どなたか信頼のおける専門家のカウンセリングが必要かもしれませんね。私の大学時代の友人にも、息子さんや娘さんが学校での成績は優秀だったにもかかわらず引きこもりや、目標を喪失(そうしつ)して社会に不適応になった人が何人かいます。アメリカでも、20才代の息子や娘や娘の夫がObesity(病的肥満症)の人がたくさんいて、このままでは将来いろいろな病気を発症して親の世代よりも短命になるのではと心配している人がいます。話を聞いてみると、一応仕事はしているのですが、帰宅後は食べたいものを食べたいだけ食べて、テレビを見たり、ビデオゲーム(?)にはまって、運動は全くしないし、他の事に興味を示さないのだそうです。
私は精神科医ではありませんので適切なアドバイスはできませんが、自分だけの殻に閉じこもらずに、外に出て自然を眺めたり、風を体で感じたり、外の空気を吸ったり、体を動かしたり、友人達と語り合う時間がとれれば、生きていることへの感謝と、親をはじめ皆のお陰で生きていられるのだから大切に生きようという気持になってくれるといいのですが・・・。
今メールをチェックしたら、非支援者の方からこういうお便りが届いていました。市橋君が罪を償うということの中には、自分が犯した罪がどれだけ被害者やその家族を苦しませ、悲しませたかを悟ることも含まれる筈です。ありがとうございました。
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初めてお便り差し上げます。私は少し以前まで、犯罪被害者やご家族の方々が、その事件について手記を出すことが許せなくて、自分の家族が殺されたのをネタに、本を出すなんて最低だと思っていました。また、乙武さんの五体不満足なんかも、自分の障害をこれ見よがしにネタに著名になるなんて、なんて変わった人なんだろうかと疑問でした。しかし、最近、職場の人がある本を読んでいて、ぜひ読んで下さいと薦められ、最初は渋々読み始めました。
すると、これまで私が抱いていた気持ちが、あまりにも不謹慎であったことに気付き、自分の哀れさ情けなさを知ることとなりました。私が、職場の人に薦められ読んだのは、土師守さんの「淳」、蓮池透さんの「奪回、引き裂かれた24年間」
涙なしには読めませんでした。「淳」は、神戸連続殺傷事件の被害者の淳君のお父さんの守さんの手記で、蓮池透さんは拉致被害者の蓮池薫さんのお兄さんですが、突如として大切な家族を失った苦しみが痛いくらいに伝わりました。神戸連続殺傷事件の加害者は14歳で、しかも被害者の首を中学の門に置き去りにするという極めて特殊な事件と言えましょう。また、蓮池薫さんは、現在は日本で生活されていますが、まだ日本に戻れない拉致被害者は、たくさんいるようです。拉致は殺人事件ではありませんが、大切な家族を理不尽に奪われることは、殺人事件の被害者遺族の心情に通ずるものはあると感じました。
この本を薦めてくれた職場の人は、まだ若くて、神戸連続殺傷事件の加害者と同じ年齢です。その人が淳君のお父さんの手記や蓮池透さんの手記を読んでいたのには驚きましたが、本当にいい本でした。市橋被告に対して、嫌みのつもりも嫌がらせのつもりも毛頭ありません。理不尽に大切な家族を奪われた人が、どれだけ苦しい思いでいるのか、どんなに悔しくて悔しくて仕方ないのか、少しでも理解してもらえたらと思いました。蓮池薫さんは帰国されましたが、まだ帰国されてない方と、そのご家族。土師淳君のご家族には、もう二度と戻らぬ最愛の息子さん。大切な存在を、思いも寄らぬ形で失った方々の声。市橋被告にも読んでもらいたいです。
明後日、ゆうパックにて届きます。不快なら読まずに捨てて下さい。上記の二冊を送りました。
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妻との電話では、今日は高校時代の仲の良かった友達と4人で東京在住の一人の家に集まって楽しいおしゃべりをしてきたとのこと。私が留守なので羽を伸ばせていいなあと羨ましがられたとのこと。
今年の1月に前立腺がんが肝臓に転移して急に亡くなった空手の弟子/友人のJohn Burgess 君の奥さんのMaureen モーリーンさん(58才だそうです)を訪ねて、1時間くらい一緒にJohn 君の思い出話をしてきました。遺灰はまだJohn 君の写真と一緒に部屋の中に置いてありました。お母さんが名古屋出身で、終戦後進駐軍の空軍兵士として名古屋に来ていたアメリカ人と結婚して産まれ、2才の時にアメリカに帰国したきりだったので、名古屋の親戚を探してあげようとして元住んでいた場所まではわかったのですが、間に合いませんでした。それでも送ってあげた名古屋の写真は亡くなる直前に間に合って、喜んでくれたとのことでした。John 君が産まれて間もない時に、軍服姿のお父さんが赤ん坊のJohn 君を抱いている3cm×4cmくらいの小さな白黒写真(名古屋で撮影した)をはじめ、幼少時の写真が何枚かありました。
今日はローリー市の中心部にあるNorth Carolina Museum of Natural Sciences(ノースカロライナ自然科学博物館)に行ってきました。4階のフロアごとに興味深い展示がありました。スペースが広くとってあるので、湿地の生態系では実際に水槽を組み合わせて淡水魚を泳がせたり、森林の生態系では滝を作って水を流したりして効果的な展示がしてありました。
自然科学とは分野が違いますが、1928年に日米親善目的で子供の人形をお互いに交換して展示したとのことで、日本から贈られた日本人形(Miss Kagawa と書いてある)が飾られていて、第二次世界大戦中も、悪いのはアメリカに戦争を仕掛けてきた日本のリーダーで国民が憎いわけではないとして、展示を続けたという説明がされていました。
男子トイレに入ってみたら、広々としているだけでなく、洗面台には子供の手が届くように踏み台が用意してありました。
もう一つ気がついたのは、take a child outside (子供を野外に連れて行こう)週間のポスターが貼ってあったことです。子供たちが教室の中で教科書で知識としてだけ自然科学を勉強するのではなく、野外で実際に自然を観察させようという活動はなかなかいいなあと思いました。
Lake Johnson では子供を乗せたストローラー(乳母車)をひいて散歩をしているお母さんや、犬を連れてジョギングをしている女性の他に、リスの写真がやっと撮れました。林床では傘の直径が20cmくらいもある白い大きなキノコも見つけました。
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2011年9月28日水曜日
支援者から嬉しいお便りが届きました。市橋君が自暴自棄的になったのは、ブログには書けませんが、差し入れされた聖書が原因ではありませんのでご自分を責める必要はありません。帰国しましたらできるだけ早い機会に接見して、彼の心身の状況を確認して皆様に報告したいと思っています。
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毎日、ブログを拝見させていただいています。アメリカでの日々は とても充実されてるようで良かったですね。○○は今日は暖かいですが、週末からは寒波の影響で寒くなるそうです。四季がはっきりしていて良いのでしょうけど、寒がりの私には夏が短いのが残念でなりません。
市橋君には連日のように本の差し入れがありますね。こんなにも支援者?がいるのかと驚いています(笑)
市橋君に手紙を書こうと思っているのですが、なかなか内容が決めれずまだ出せずにいました。先生がアメリカに行かれる前に接見した彼の様子が気になり、明るい内容と言っても何を書いて良いものか? と考えてしまいました。市橋君の心境に何があったのかは私には分かりませんが、私の送った聖書を読んで心が沈んでしまったのか?とか...いろいろ考えてしまいます。そうで無い事を祈ります。
先生が日本に帰られて 市橋君に接見した後の様子を見てから出してみようかと思っています。
先生もアメリカでの日々を楽しんできて下さいね。先生が元気に戻られてくる事を楽しみに待っています。それでは...
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非支援者から、ファッション雑誌のGainer10月号とカジカジ10月号を差し入れたとのメールが届きました。私にはどういう雑誌なのか全くわかりませんが、市橋君のためにわざわざ千葉刑務所まで出かけて下さったとのこと、ありがとうございました。
私のこちらでの滞在期間も残り少なくなりました。今日はErnest Hodgson 教授、Mike Roe 教授とToxicology Department (毒性学科)のセクレタリーをしている彼の奥さんと一緒に大学内のAlumni Association (同窓会)会館のレストランで昼食を食べました。アメリカの大学は州立大学でありながら、高額の会費を払って会員にならなければ使用できないような高級レストランや、ゴルフ場を経営しています。近日中にはキャンパス内にホテルを建てて経営する計画まであるようです。大学から歩いて行ける範囲にすでに大きなホテルがいくつかあるのですが・・。
午後からは車で20~30分くらいのところにある恩師のW.C. Dauterman教授が眠るセメタリーにお墓参りに行ってきました。モーテルの近くのWal Mart というショッピングセンターでお花(造花)を6本買って(6.750%の税金込みで32.03ドル=約2500円)持参し、どなたかが銅製の花瓶に挿して時間が経って色褪せたお花と取り替えてきました。
夕方にはいつものようにJohnson 湖の遊歩道1周約5Km をゆっくりジョギングしてきました。友人が5Kgのダンベルを貸してくれたので、時々はほんの軽くだけですがモーテルの部屋で腕や肩の筋力トレーニングもしています。
Kelly 君のところに行く途中には山の上の牧場があったり、カボチャ畑がありました。私も千葉大学を定年退職した後は、こういうところでKelly 君と一緒に牧場をやるのが夢でした。夢のままで終わってしまいましたが・・。山の中の道路沿いには昔風の田舎の店があります。Poor Farmer's Market (貧乏百姓の市場)という名前のお店では、地元産の野菜や果物を店頭に山のように並べて売っていました。日本のスーパーのように、産地別の高級ブランド品を一つ一つ包装して高値で売っているのとは違いますが、おいしさは十分です。例えば、リンゴのRed Delicious(赤いデリシャス)は小粒ですが10個くらい入った袋には3ドル99セント(約319円)の値札がついていましたので、1個32円程度です。
Marie マリーさんの亡夫サイラス・ターマン氏の自伝を少しずつ読んでいますが、自分が産まれた時に難産だったのか母親が亡くなり、実の父親は当時11才の長男をはじめ子供がすでにたくさんいたので、子供のいなかった兄弟に養子に出したとのこと。産まれた時から母親の乳ではなく、牛の乳(昔ですから搾ったままの)で育てられたとのこと。昔のアメリカの山の中の生活がよくわかって、惹き込まれます。Marie さんによると、本の裏表紙の大きなカボチャを片手で持っているのは、力が強いことを自慢しているのだそうです。よく自分もひょいと抱きかかえらたと言っていました。
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2011年9月27日火曜日
Kelly 君の家はMT. Airy という町から山をいくつも越えてKibler Valley という谷に相当する場所にあります。すぐ前をDan River という川が流れていて、周りは山に囲まれています。彼が勤務している電力会社の社宅ですが、相当古い木造です。昨日もちょっとだけ寄ってみましたが、昨年よりも犬が増えてざっと数えて15匹くらいはいました。私が顔を出したのでうるさいほど吠(ほ)え続けましたが、家の中に入ると全部が寄ってきて甘えます。捨て犬(片目や足が1本動かなかったり、障害のある犬がほとんど)を奥さんのJannie さんが拾ってきて可愛がっているのだそうです。Kelly 君の話では、何日か前にコッパーヘッド(アメリカマムシ=毒蛇)が台所に2匹入ってきて、犬が3頭鼻の辺りを噛まれたので獣医のところで注射を打ってもらったとのこと。もちろん蛇は外に出して殺したそうです。時々はブラックベア(熊)も台所の外のゴミ箱をあさりに来るそうです。ちなみにKelly 君は勤務に行く時はピックアップ(小型トラック)に拳銃を入れていくそうです。
昨夜は、MT. Airy のThe Hollows というモーテルに泊まりました。古くて設備もガタがきているのですが、いかにも田舎の安モーテルという感じで、風情(ふぜい)があるので私は毎回利用しています。Kelly 君には、そんなCrummy (うす汚い)モーテルじゃなくても、町にはもっとましなモーテルがあるよと言われるのですが。朝はゆっくり起きて、Ararat River (アララット川)と呼ばれる小さな川沿いに作ってある遊歩道を散歩したり、昨日と同じPorkey'sというレストランで地元の人が食べるのと同じ朝食(卵二つと丸いソーセージ2ケとトーストとグリッツとコーヒー)を食べました。ローリー市への帰路、Winston Salem (ウィンストンセイラム)という町に向かってハイウェイ52号を南下する途中に、Pilot Mountain (パイロット マウンテン)という変な形の山があって昨年も寄ったのですが、今年も寄ってみました。
下から見上げたら山のてっぺんは雲に隠れて見えませんでした。車で頂上付近まで行けるので、駐車場に車を置いて、そこから先は徒歩で登ってみたらやはり濃霧で視界はゼロに近い状態でした。どうしてこんな形の山ができたのか不思議な感じですが、少し紅葉が始まっている木もあり、湿度が高いのか木や岩に緑色の苔が生えていて、それが鮮やかな感じでした。しばらくしたら風が霧を拡散して太陽も見えるようになり、下界の牧場や高速道路なども見えるようになりました。しばらく景色や森の空気を楽しんでから、ローリー市に戻ってきました。一泊二日の旅行で、濃霧だったために天候には恵まれませんでしたが、その代わりにMarie さんに会っていろいろ昔の生活の様子の話が聞けたり、他に予想外に得るものがたくさんありましたので、満足しています。
夕方は、いつものようにLake Johnson に行って1周約5Km をジョギングしてきました。湖の上の空に浮かぶ白い雲が湖面にも映っていました。
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2011年9月26日月曜日
支援者から以下の本を差し入れするとのメールが届いています。
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昨日9/26(月)千葉刑務所に差し入れに行こうとしましたが、一昨日のブログでお花の差し入れをされたとのご報告がございましたので、日にちを置いて、お花と本の差し入れに行きます。最初にお花を差し入れた時に確認しましたら、やはり翌日に届くそうです。金曜日に差し入れた時は、月曜日に届くと仰ってました。
東京拘置所に移送の時期も気になります。先日事前に伺った時は、まだ先のようでしたが、移送の状況を再度確認してから差し入れに行こうと思ってます。これから市橋達也さんに手紙を送ります。本は《汝の敵を愛せよ/マーティン・ルーサー・キング》を差し入れる予定です。
滞在中のモーテルから花火が見れて良かったですね。写真も綺麗でした。日本は残暑から急に寒くなり、秋らしくなりました。これからは、紅葉が楽しみです。アメリカの生活と写真も楽しみにしてます。
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バージニア州の山の中に住んでいる剣道の弟子/友人のKelly Brown 君を訪ねました。車の走行距離計で見たら片道約200マイルでしたから、320Kmくらいの距離です。マウント・エアリーMT. Airy という小さな町で待ち合わせをし、地元のPorkey's というレストランで食事をした後、車で山に登りました。Kelly 君は山の上にある水力発電のダム湖を管理していますので、私が来るといつもボートを出して周りの景色を堪能しながらフィッシングをするのですが、今日はあいにく雨上がりで濃霧が発生していましたので止めました。いつもだったら遠くの山並みが見える展望台も視界ゼロに近いくらいで何も見えませんでした。
Kelly 君の奥さんのジェイニーJannie さんは、以前はMT. Airy の老人ホームに勤務していましたが、施設の老朽化で一時閉鎖された時に辞めて、今は山の上に住んでいるマリー・ターマンMarie Turman さんというアルツハイマー病を患っている80才代の女性の世話を週3日しています。Jannie さんにも会いたかったので、Kelly 君と訪ねてみました。ご主人は元はアメリカ空軍のパイロットで第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線でドイツ軍と戦って、終戦後は空軍のパイロット訓練の教師をしていたのを除隊して郷里の山の中で酪農を中心に農業をしていたそうです。乳牛以外にも、アスパラガス、ブルーベリー、リンゴ、クリスマスツリーの栽培もやっていたそうですが、2002年に82才で亡くなったとのことです。Kelly 君の話ではTurman家の土地の広さは1000エーカー(120万坪=408町)くらいだろうとのことですから、想像もできない広さです。今は人に貸して小作料みたいなものをもらっているようです。
Marieさんは私が訪ねたので大変喜んでくれて、一緒に写真を撮ったり、家の中を全部案内して、興味深い昔の話をたくさんしてくれました。5人の子供(息子3人、娘2人)を育て、息子の一人はMT. Airy の町で牧師になり、もう一人は音楽家になり、もう一人については何をしているか聞きそこないました。娘の一人は今同居していて、MT. Airy の老人ホームに通って勤務していますが、もう一人の娘は1982年に交通事故で亡くなったようです。ご主人のサイラスSilas さんが生前に書いた原稿を今年出版したということで、「SILAS TURMAN: FOREVER GRATEFUL」(サイラス・ターマン:永遠に感謝します)というタイトルの自伝を一冊いただきました。音楽家になった息子さんはThe Joyful Noise という名前のバンドを組んで演奏旅行をしているようですが、昔フロリダに旅行したした時にレコーディングしたというレコードを1枚いただきました。日本に帰ったら誰かにCDに変換してもらおうと思っています。
私と話している時は全く正常で24時間介護が必要な病人には見えませんでしたが、Jannie さんによると、急に不機嫌になって怒り出したり、料理をするのに電熱器のスイッチを入れたまま切るのを忘れたり、知らない間に一人で外に出て今は他人が住んでいる元両親が住んでいた家に入ってお母さんはどこと言って探したりするのだそうです。
息子達が使っていた部屋にはベッドや息子達が子供の時に遊んだ人形などがそのまま置いてあったり、亡くなった娘が使っていた部屋のベッドもそのまま、壁のカレンダーも亡くなった年1982年のものがそのままになっていました。子供たちが今でもそこにいるかのように、私を案内する時はドアをノックして入っていました。おばあさんの時代に使っていた女性の乗馬用の鞍は、私には珍しかったです。女性は馬に跨(またが)らずに、突起に片足を引っ掛けて横座りの格好で乗ってたずなを握ったのだそうです。試しに私も女性用の鞍に乗ってみましたが、体重のバランスが不安定で長時間続けると乗り心地が悪そうでした。パイのような料理を作った時に、子供がつまみ食いしたりハエがたかったりしなしいようにしまっておいたPie Safe (パイを入れる金庫)と呼ばれる木製の簡単な保管庫もありました。その他にも、糸紡ぎや足踏み式のミシンやランプや古い大きなラジオなどもちゃんととってありました。おばあさんが1911年に作ったというキルトには、家族の名前が一人一人縫いこんであって見事なものでした。
車も電気もなかったおじいさん・あばあさんの時代のアメリカの田舎の生活がどんなだったか、おもしろくて、おもしろくてたまらないくらいでした。今では想像もできない不便さ(例えば、山からMT. Airy の町までわずか20マイル=32Kmの道のりをA horse and buggy と呼ばれる幌(ほろ)付き馬車で昼食持参で片道1日かかって、川には橋がないので浅瀬を見つけて馬に荷車を引かせて渡ったり)の中でも、人々はちゃんと工夫をしてそれなりに生活していたのです。旅路の途中でトイレをしたい時は、男は森の片方の方角に、女は反対の方角に入っていって用を足したそうです。Marie さんは今はアルツハイマー病とは言え、母親としての子供たちや家族への愛情は、アメリカも日本も同じだなあと感じました。今は巣立った子供たちや亡くなったご主人との生活が今も続いているかのように暮らしている様子でした。
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2011年9月25日日曜日
今日は人と会う約束がなかったので、シャワーを浴びてひげを剃ってからゆっくり朝食を食べました。
車で市の中心部の近くまで行って路上駐車をし(日曜はパーキングメーターのあるところでも無料になります)、Saint Mary's Women's College セントメアリー女子大学に歩いて行きました。以前こちらに住んでいた時も、秋が深まるとキャンパスの大きな樹木が鮮やに紅葉するのでよく家族と一緒に写真を撮りにきたところです。今日はまだ紅葉の時期ではありませんでしたが、あいかわらずよく管理されていて、大きな樹木も、新たにできていた芝生のサッカー場も見事でした。学生寮みたいな建物から女子学生3人が出てきて、どこかに歩いて行きました。学内の案内板を見ると、この大学は1842年にキリスト教会の学校として設立され、南北戦争中は南軍の駐屯地にもなったようです。
それからNorth Carolina Museum of History ノースカロライナ歴史博物館に行きました。入り口の前にはブロンズ像が3体立っていました。アメリカインディアン、白人、黒人で、ノースカロライナの歴史を作ってきた主役です。館内は寒いくらい冷房が効いていました。展示場がいくつかに分かれていて、白人が来る前の歴史から、インディアンとの戦争、イギリスとの独立戦争、南北戦争から、第二次世界大戦、朝鮮戦争、イラク戦争まで展示がしてありました。日本との戦争では広島に原爆を落としたパイロットは、戦争の終結を早めた英雄のような説明がされていました。ノースカロライナ出身のスポーツのスター選手の展示室もありましたが、私の興味を一番惹いたのは、ある写真家が撮り続けた子供が過酷な労働に従事している写真の展示でした。世界では今でも5~14才の子供が2億5千万人も労働に従事して危険にさらされているそうですが、アメリカでも子供の労働の70%は農場で、タバコ、ブルーベリー、クリスマスツリー農場が中心だそうです。1枚の写真には、「No children under 12 in the fields at any time 農場ではいかなる時も12才以下の子供(の労働)は禁止」という看板が農場の中に写してありました。日本でも終戦後に義務教育制度ができるまでは子供の労働(丁稚奉公など)は普通に見られたのでしょうが、アメリカのように季節労働者を多く使っている農場では、子供を学校に行かせずに仕事をさせてしまう(特に出稼ぎ外国人の場合など)という問題があるのかもしれません。
歴史博物館の近くの路上には、ノースカロライナにゆかりの深い植物が植えて展示してありましたが、その中の一つであるタバコ(ノースカロライナ州は有数の産地です)はちょうど可憐な花が咲いていました。
夕方はいつものようにLake Johnson を1周5Kmをジョギングしてきました。ボートからつりをしている人もいました。ひょっと見たら、ボート小屋の壁に何かが飾ってあったので近づいてみたら、緊急時のための救命浮き輪でした。いたずらされないようにカバーが掛けてありましたが、英語でもLife Ring というとは知りませんでしたので、ひとつ勉強になりました。遊歩道を夫婦や友人や恋人と走ったり、歩いたり、犬の散歩をさせたり、乳幼児を乳母車に乗せて押したりしている人がたくさんいます。夕方の1~2時間ですが、日本の大都市近郊のように通勤に時間を取られて家族と一緒に過ごす時間がなかなかとれないのに比べると、うらやましいくらい、普通の人間的な生活をしているということでしょう。
モーテルの庭にはCrab Apple Tree (野生のリンゴ)が植えてあって、今は赤い小さい実(食べられるそうです)が真っ赤できれいです。夕方7時半を過ぎて暗くなったら大きなパンパンという音が連続して聞こえたので、もしかしたらと思って窓からRegency Park の池の方を見たら、花火を打ち上げていました。1時間もしないで終わりましたが、こちらに来て滞在している部屋の窓から花火が見られるとは予想外でした。
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2011年9月24日土曜日
9月21日に振り込まれた方(19回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は77,500円、延べ399人からの合計額は3,854,928円になりました。ありがとうございました。
支援者から本を差し入れたというお便りがありました。
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ほぼ毎日更新されるブログを拝見し、先生の故郷(と言ってもよろしいのですか?)での充実した日々のご様子を添付された写真とともに、私も楽しく感じさせて頂いております。
さて、話は変わりますが、先日21日に千葉刑務所に行き、本2冊とお花を差し入れして参りました。お花は、いちばん最初に差し入れされた支援者の方の思いに共感し、可能な限り、私も定期的に届けたいと考えます。本は「原因と結果の法則」(著)ジェームス・アレン 他1冊です。
お花に関してですが、私が差し入れした日は午前中に行ったのですが、お花は当日ではなく翌日のお届けになるということでした。皆さんがお花を差し入れされた時もそうでしたか? もし、本人に届かなかった場合は破棄されるそうです。小菅に移られる日も近いと思いますので、その点は注意した方がよいと思います。
・・・ご報告まで。
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日野原先生の本を差し入れして下さった方からは、携帯の設定を切り替えた後で私が返信を再送信してみたら、ちゃんと届いているとの連絡がありました。
今日は、Bill 君とMargie さんと私の3人でシャーロットCharllotte という町の郊外に住んでいるDon Proffer 君を訪ねました。車で片道約3時間かかる所です。1969年に私の空手のクラスに入ってきた時は20才で大学2年生でしたが、軍人(グリーンベレーと呼ばれるアメリカ陸軍特殊部隊)だったお父さんが駐在していたタイ国で韓国のテコンドーを習ってすでに黒帯でした。私が永久ビザの申請に失敗して日本に帰国した後、道場を引き継いでくれた一番弟子/友人です。ノースカロライナ州立大学卒業後ローリー市の警察官として長年勤務した後、公認会計士の資格を取って会計事務所で働いていました。62才になった今はお母さんと妹さんと一緒に暮らしていますが、何ケ月か前に雨で濡れた坂道で滑って足首を複雑骨折し、金属のボルトみたいなもの6本で固定する手術を受け、まだ松葉杖を使いながらリハビリをしていますが、やっと車の運転もできるところまで回復したところでした。お母さんに会うのは初めてでした。82才とのことでしたが、私のことは昔から息子から聞いていたとおっしゃって、品のあるお母さんでしたので写真を撮らせてもらいました。猫をペットとして3匹くらい(1匹は2週間くらい家出して放浪しているとのこと)飼っていましたが、メタボでとても木には登れそうもない体型でした。
4人ですぐ近くにあるNational White Water Rafting Training Center(全国急流いかだ下り訓練センター)と呼ばれる施設に行きました。近くの大きな川の水を引いて人工的に造った急流で、Raft と呼ばれるゴム製いかだやカヤックと呼ばれる一人乗りの小舟で急流下りを楽しめます。アメリカのカヤック競技のオリンピック選手がトレーニングをする場所なので、National (全国)と言うのだそうです。その他にも、ロッククライミングの施設があったり、高台の上からZip Line (高速ケーブル)にケーブルカーのように金具を引っ掛けて、人間がぶら下がりながら1000m くらい滑り降りる施設や、自転車(マウンテンバイク)で上り下りの道を走れる景色のいいコースもありました。私もRaft に乗って急流下りをやってみたいと思いましたが、流れに転落したり水しぶきでビッショリになったりしますので、止めときました。
[流れが岩にあたったりするところは空気の泡で水が白く見えるところから、White Water は急流を表すのだとBill 君から説明されました。]
3~4時間遊んだ後、Don 君に別れを告げて、また車を3時間運転してローリー市に帰ってきたのは午後8時半を過ぎていましたので、「すしつね」という日本料理店で夕食を食べました。私は握りずしを頼みましたが、生の魚が苦手なBill 君は牛丼を頼んで、予想以上においしかったらしく、こんなおいしいものは初めてだと喜んでいました。
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2011年9月23日金曜日
次の本を送ったというメールがありました。
○「神様のカルテ2」と「神様のカルテ3」が連載されてる「小学館ストーリーボックス」
先日日野原先生の本を郵送して差し入れしたとおっしゃった方が携帯をスマートフォンに切り替えてメールアドレスを変えたとおっしゃったので返信を差し上げましたが、また届かずに戻ってきてしまいました。お嬢さんからもメールをいただいたので返信をしましたが、同様に届かずに戻ってきました。
今日は雨でしたので、走るのは休んでモーテルの部屋で久し振りに空手衣に着替えて、1時間くらい一人でストレッチングをしたり、筋力トレーニングをしたり、突きや蹴りの練習をしました。
夕方はBill 君、Frank 君と奥さんのJoAnn さん、Margie さんと5人で、先日も行ったイタリアレストランで食事をし、それから近くの映画館 Blue Ridge Cinemas に行って7時20分からの映画Cowboys and Aliens という映画を観ました。日本での興行タイトルは知りませんが、西部劇時代のカーボーイが金を探しに地球に来た異星人と戦うというストーリーでした。皆が、恋愛ものなど言葉回しが微妙な映画は私が理解し難いだろうと考えて、活劇場面が多い娯楽映画を選んでくれました。一つの映画館に12の部屋があって、同時に12本も違う映画を上映していました。金曜の夕方ということもあって入場券売り場は長蛇の列で、私達の入った部屋もほぼ満席でした。この映画館は封切後時間が経った古い映画を上映し、入場料は普通は7~8ドル(600円くらい)するところを1ドル50セント(120円くらい)で観られます。
日本ではテレビやDVDの普及で映画館に足を運ぶ回数はめっきり減りましたが(私自身は年に1回あるかないか)、ノースカロライナ州のようなアメリカの田舎町ではまだまだ娯楽として人気があって、夫婦や友人や恋人同士でよく観に来ています。たいてい、入り口のロビーで売っているポップコーンと飲み物を買って中に入ります。
映画が終わってからは、別のメキシコ料理のレストラン兼飲み屋Amedeo's に寄って、コーヒーとチーズケーキで1時間くらい映画の感想その他のおしゃべりをして別れました。映画そのものもそうですが、こうやって仲間と過ごす時間は楽しいものです。レストラン内部はバー(酒飲み場)も兼ねていて、壁の高いところに360度の方角に大きなテレビが何台も取り付けられていて、食事をしながら、ビールを飲みながらスポーツ中継などが見られるようになっています。Amedio's はノースカロライナ州立大学のすぐ近くにあるので、大学のバスケットボールチームとフットボールチームの歴代のスター選手の写真が飾ってあります。特にバスケットボールは1974年と1983年の2回全米大学選手権で優勝した名門ですので、それを記念した旗も飾ってあります。アメリカの若者たちはこういうところで仲間と一緒に食事をしたりビールを飲んだりして健全な時間を過ごし、日本のようにホステスさんやコンパニオンさんのサービスはありません。
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2011年9月22日木曜日
昨日、高校野球の漫画「おおきく振りかぶって」1~3巻を郵送で差し入れしたと連絡してくれた高校生と名乗る人から、4~6巻も送ったという連絡がありました。ありがとうございました。帰国したら市橋君に接見して、誰からどんな本が届いたか確認します。几帳面な性格のようですので、差し入れされたものについては、すでに宅下げされたものも含めて自分で全て記録しているのではと思いますので。(この高校生と名乗る方には返信を差し上げましたが、携帯の設定がそうなっているのか、届かずに戻ってきました。)
匿名の携帯メールで、「メンズジョーカー10月号」という雑誌をコンビニで買って千葉刑務所に行って差し入れしてきたという連絡がありました。
ローリー市は、人口の増加に伴って郊外へと拡大していきましたので、Capital 近くの旧中心街に古い建物や古い教会が残っています。中心街の再活性化に伴って、そんな古い建物もだんだん取り壊されているようです。
この辺りは昨日の夕方から夜にかけてかなり強い降雨がありました。今日の午後早めにJohnson 湖の1周5Km をジョギングした時は、周囲から表面水が流入して池の水は珍しく少し濁っていましたが、下流に位置するダムからオーバーフローしていました。ジョンボート(平底の舟)に電気モーターを付けてフィッシングをしている人がいて、昔の自分の姿を見る思いでした。
夕方はノースカロライナ州立大学のMike Roe 教授の車に同乗して、Ernest Hodgson 教授が現在住んでいる(以前は木々に囲まれた大きな一軒家に住んでいた)North Hills Shopping Center のアパートを訪ねました。昔はモールと呼ばれる大きな建物があって、いろいろなビジネスが入っていたのが、今は一つの町のようになっていました。Hogson 先生は79才になられてもまだ週6日は大学に行って働いておられるとのこと。最近はノースカロライナ州立大学の中にオフィスだけ維持して、実験室や学生は持たずに、毒性学関係の学会誌の編集の仕事や、イーストカロライナ州立大学(車で1時間半くらい離れている)のAgoromedicine Institute (農業健康被害回避研究所?)というプログラムのDirector (所長)職の仕事をしておられるとのことでした。アパートと言っても、1階部分はビジネスが入って、2階~4階が居住区域になっていましたが、中庭があったり、プールがあったり、エクササイズルームがあったり、バーのような集会所があったりで、高級マンションのような感じでした。奥様に先立たれて、子供たち4人も全員独立して一人で暮らしている先生にとっては、徒歩で全ての用事が足せる場所は便利だとのことでした。一番下のアパートの中庭で写っているのがHodgson 教授(左)とRoe 教授(右)です。Hodgson 教授は79才、私は69才、Roe 教授は59才ですから、ちょうど10年間隔の年代です。
日本から学会誌に投稿された論文の校閲依頼が届いて気になっていたのですが、今日はじっくり机に向かう時間があったので一気に済ませてオンラインで返送しました。先ずは一安心です。
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2011年9月21日水曜日
以下の本を差し入れたというメールが届きました。独居房の中の市橋君の心が少しでも癒されるようにとのご配慮、ありがとうございます。
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どうもはじめまして。○○県の○○といいます。
いわさきちひろさんの絵を見ていると心が癒されますので、私は幼いときから、いわさきちひろさんの絵本をよく読みました。大人になってからは画集を集めています。
○ちひろBOX
○ちひろ花の画集
○サトウハチロー、いわさきちひろ詩画集~おかあさん
以上の三点を市橋さんに送りましたので、よろしければ見ていただきたく思います。
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次の本についても、差し入れしたとのメールをいただきました。ありがとうございました。
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こち亀の小説を送ったという方がおられたのを知りまして、こち亀サポートの七月、八月、九月を千葉刑務所に、お送りさせてもらいました。こち亀サポートは読みきりの漫画です。毎月出ています。こち亀は面白いですね。みなさまの送られた小説の数々も大変良いものばかりですが、こち亀を読んで、少しは楽しい気持ちになって下さるといいなと思いまして、Amazonで購入しました。私もこち亀は小さな頃から好きです。拘置所の暮らしに楽しい気持ちとか不謹慎かも知れないですけれども、息のつまるような生活や、滅入る気分から、少しでも、一瞬でも解放されたらと思いました。私は支援の会には、振り込みはしていません。私の母が振り込みしたことがあります。(もう一年くらい前になるらしいです)
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私にお便りを下さる場合は、お名前も書いていただけると助かります。皆様のお名前を私が公表することは絶対にありません。支援者(支援金を振り込まれた方)は入金記録簿ですぐわかりますが、非支援者で本を差し入れされる方の場合、特に記録簿は作っていませんので、携帯のメールアドレスだけだとどなたか判断するのが困難ですし、過去のメール受信記録と照合するのは大変時間がかかりますので。
以下のメールも届きました。
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はじめまして。突然のメールすいません。○○○○といいます。大学生です。うちの父は、仏教徒ではないのですが、ダライ・ラマの本をよく読んでいます。父が、この支援の会の存在を会社の同僚から聞いたらしくて、先日、父が先生のブログを見たそうです。すると、みなさんが本を千葉刑務所に送っておられるのを知って、父がダライ・ラマの本を送ってあげたい。迷惑なら捨ててもらってもかまわない。とのことで、さっそくダライ・ラマの本を買って来てしまいました。
・ダライ・ラマ自伝
・抱くことば ダライ・ラマ
・ゆるす言葉 ダライ・ラマ
たくさんの人たちが、いろんな本を用意されてるのに、市橋被告に迷惑にならないか?と父に話したけど、父が以前仕事のことで、つまずいたり、大きな悩みを抱えた時にダライ・ラマの本を読んだら、大変な勉強になったから、良かったら読んでもらいたいし、迷惑だったら捨ててもらってもかまわないとうるさいのです。ご迷惑かも知れませんが、うちの父の気持ち受け取ってやって下さい。読むような気持ちになれないなら、遠慮なく処分して下さいと市橋被告にお伝え下さい。佐川急便で送ったそうだから、明日(23日)には届くと父が言ってます。
父は、パソコン操作も携帯操作も苦手なので、メールを代筆してくれと言われました。父の名前は○○○○といいます。○○○○名義で荷物は届きます。
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高校生と名乗る方から次の本を郵送で差し入れたというメールが届きました。高校野球の漫画だそうです。
○「おおきく振りかぶって」1~3巻
ローリー市は、昔は州都Capital を中心に政治、経済、文化活動が行われていましたが、ある時期から白人の富裕層が郊外に脱出する動きがでてきて、中心部は日本で言うシャッター街のように寂れてきました。その後、中心部を再活性化する施策がとられて徐々に活気を取り戻しつつあるようです。今日は久し振りにローリー市の中心部の辺りを車で訪ねてみました。Capital の正面には南北戦争で亡くなった南軍Confederate 兵士を追悼する像が建っていて、当時の大砲が飾ってあります。
ノースカロライナ州立大学の本部キャンパス(今は少し離れたところに広大な100周年記念キャンパスが別にあります)を訪ねて歩いてみました。私が1969年に短期間住んでいた学生寮は今もありましたが、キャンパス中に新しい建物がたくさんできていて、オープンスペースが少なくなった気がしました。
私が学生寮を出てから、間借りをしていた家の辺りや、翌年家族が合流してから自分の家を買うまで住んでいた借家の辺りをゆっくり車で回ってみましたが、昔と同じ落ち着いた雰囲気が保たれていました。一番下の写真の白い大きな木造の家は、私と同年代のアメリカ人の教授夫妻が古くてガタがきていた家を購入して手入れをして今のような美しい家にしたものです。
夕方は早めにLake Johnson の1周5Km をジョギングして、昔友人の家にカザフスタン(当時はソ連?)からホームステイに来ていた当時16才の娘Asel (アセル) Besekulova ちゃんと近くのアジアレストランで待ち合わせをして食事をしました。母親はウクライナ人で父親はカザフスタン人(カザフスタン語は言語的にはトルコ語に近いそうですが、写真で見た風貌は横綱白鵬のようなりっぱな体格で切れ目でモンゴル人に似ていました)ですが、初めて会った時は栗色の長い髪をポニーテールにして、服装も雰囲気も騎馬民族コサックの娘の感じでした。その後ノースカロライナ州立大学で二重専攻Double Major をして5年間で電気工学とコンピューターサイエンスの2つの学士号を取得して卒業し、今は製薬会社で、医薬品の製造工程の適正管理Validation の仕事をしているとのこと。いつの間にか32才になっていて、髪を金髪にして短くして、アメリカ人の優秀なビジネスウーマンの雰囲気に変わっていました。前の勤務地ボストンにボーイフレンドがいて、いずれこちらに引っ越してきて結婚する予定のようでした。16才だった外国出身の娘がこんなにりっぱになって(その間には本人の大変な努力があったのですが)、自分の娘のように嬉しく思いました。私の食事代も否応(いやおう)なく、Asel ちゃんが払ってくれました。
彼女が現在勤務しているプラントでは、他のプラントで製造したジェネリック医薬品(例えばモルヒネとかヘパリンなど)の原料をバルクで入手し、それを正確に秤量して、使い捨て注射筒に入れ、包装して出荷するそうですが、1分間に400本~600本の速度で、1日2交代制で製造しても需要に間に合わないくらいだとのこと。アメリカ国内の病院だけでなく、カナダやイギリスなど世界中に輸出もしているそうです。病院では一人の看護師が大勢の患者に注射をするので、薬品のビンからその都度注射器で吸い取るとどうしても量を間違えたり、違う薬品を吸い取る可能性があるので、それを防ぐためにあらかじめ注射筒に薬品を入れてラベルをして供給すれば、すぐ針を付けて間違えることなく注射ができるというアイデアのようです。社会のニーズを先取りして実行に移せば、大きなビジネスチャンスになるという実例でしょうか。
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2011年9月20日火曜日
旅行中の記事に写真を添付しました。小型のデジタルカメラ(光学10倍ズーム付き)でたくさん撮った中から選んで添付するのに結構時間がかかりましたが、支援者の方々がご覧になってどんな風に感じられるか想像しながら1枚1枚選んでいくのは楽しい時間でした。日本は台風でそれどころじゃない様子ですが・・・。
夕方はいつものようにLake Johnson の遊歩道の1周約5Km を、植物や動物を観察しながらゆっくり走ってきました。リスも何回か見たのですが、カメラを構えると木に登って裏側に隠れたり、てっぺんまで登って隣の木に移ったりで、結局写真は1枚も取れていません。よく見ると、根元は1本なのに2本や3本に分かれて生長している木が結構たくさんあって、植物もまるで人間の双子や三つ子と同じような気がしました。松の木は高さが20m~30mはありそうな立派な木がたくさんあり、中にはハリケーンで横倒しになりながらも地面の中に残った根でしっかり生き延びている木もあり、生命力の強さを感じさせられます。
こちらへ来て2回目の洗濯をしていたら、今からバーベキューソースで味付けしたリブ(牛のわき腹の骨付き肉)を買っていくからと友人の一人から電話があり、ちょうど用事でNew Bern というノースカロライナ州の海に近い町から訪ねて来ていた弟さんと一緒にモーテルに来て、部屋で一緒に夕食を食べました。
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2011年9月19日月曜日
私は遊牧移動民族の子孫のせいか、どこに行ってもよく眠れますが、Wayne 君の家でも朝6時半に起きてシャワーを浴びて、彼が作ってくれた朝食を食べました。彼自身は今は赤身の肉(ステーキ)は食べないので、菜食主義に近く、ダイエットには非常に気を使っているようでした。卵2個のスクランブルエッグとターキー(七面鳥)のソーセージと、コーヒーだけの簡単な朝食ですが、十分でした。
いつもは従業員よりも30分は早く4時には店に行ってその日の段取りをして、夜は8時半には寝るというパターンなのに、昨日と今日は私のために勤務時間を変更してくれました
Wayne 君の家を9時過ぎに出発して、途中で昼食を食べて(Seafood/Chicken/Vegetablesという名のレストラン=こちらではシーフードとチキンと野菜は健康食のイメージがあります)、ローリー市には午後2時半頃着きました。車の走行距離計を見たら、往復で420マイルですから、約670Km くらい走ったことになります。時速75~80マイルくらいで走れるインターステイトハイウェイを使わずに、わざと時速55~60マイルでしか走れないステイトハイウェイを走ったので、森や畑や牧場などの景色を楽しみながら走れました。途中、綿畑があって白い綿が雪のように見えたので車を路肩に止めて写真を撮りました。畑の横には、アメリカにとっては葛(くず)と同様に外来植物として嫌われている朝顔Morning Flower が咲いていました。
ガソリンを入れる時に(こちらはほとんどがセルフサービスだけで、昔のようにスタンドの店員が注油してくれるフルサービスのところは見かけなくなりました)、無鉛レギュラーの値段を見たら、1ガロン(3.8リットル)当たり$3.399($1を80円換算で272円)ですから、1リットル当たりに直すと約72円になります。これでもずい分高くなったと不満顔をしますが、日本に比べればまだまだ安いようです。
旅行中2日間はジョギングができなかったので、夕方はLake Johnson に行って2周約10Km を走ってきました。その後、どうしても旅行中は野菜不足になりがちなので、近くのHarris Teeter という食料品のスーパーに行って、たくさんの野菜や果物(トマト、キューリ、セロリ、オレンジ、ニンジン、ブドウ、ブロッコリ、キューリの漬物)とオレンジジュース、チーズを買ってきました。齢をとってきたせいもあるかもしれませんが、こちらに来てまだ一度もビールもワインも口にしていません。冷蔵庫にはビールが1ケース(6本)入っているのですが、飲みたいという気がしないので不思議です。
日本を出る時は、あれもこれもと頭の中が一杯で、それぞれに対応することに追われて気持の余裕がない感じがしていたのが、こちらに来て1週間ですでにエネルギーが回復してきた気がしています。日本にいる妻とは時々無事かどうか電話で連絡をとっていますが、向こうも私の食事の世話や山のような洗濯をしなくて済むので、あちこち出かけたりしてバケーションを楽しんでいるようです。
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2011年9月18日日曜日
朝は雄鶏の鳴き声Rooster's Crow で目が覚めました。朝6時半頃、同じ敷地内にあるLarry 君の次男Jason の家に行き、彼のピックアップトラックでボートを引いて片道30分くらいのBlalock ブレイロック湖(Lake Blalock )にフィッシングに行きました。ボートから水の中に手を入れてみると水温が高く、バス(ブラックバス)の活動は全く見られず、水面近くを動かす疑似餌(トップウオータールア)も水底を動かす重り付きのプラスチックウオーム(プラスチック製ミミズ)も何回も投げてみましたが、3人とも釣果(ちょうか)はゼロでした。それでも、早朝に湖にボートを浮かべて周りの景色や水面を眺めながらのフィッシングは最高の気分でした。
昼頃Larry 君に別れを告げて、ノースカロライナ州の商業の中心都市シャーロットCharllotte市に向かいました。途中、田舎のレストラン(マクドナルドハンバーガーやケンタッキーフライドチキンのようないわゆるファーストフードの店はどこへ行っても変わり映えがしないので避けて)に寄って朝食を食べて、1970年からの空手の弟子/友人のWayne Brown 君の住んでいるシャーロット市郊外の小さな町のマシューズMathews 市に着いたのはちょうど昼過ぎでした。シャーロット市に住んでる1969年以来の空手の弟子/友人のDon Proffer 君も来てくれて、Wayne 君の家(Loft Condo と呼ばれるタイプで1階は商業用になっている2階立て)で、昔の写真をみせてもらったりして話に花を咲かせました。全員で近くのメキシコ料理のレストランに行って昼食兼夕食を食べました。
Wayne 君はOriginal Pancake House という全米で160店以上あるフランチャイスレストランの3つのレストランの総マネージャーGeneral Manager兼地域マネージャーDistrict Manager をしています。パンケーキ(ホットケーキ)やオムレツなどの朝食しか出さない(午後まで開店はしている)のですが、160席の店で一日当たり少ない時でも400~600人、多い時は1000~1200人のお客さんがあるそうですから、よっぽど手際よく準備、料理、配膳などをしないと不可能でしょう。1つの店で料理人だけでも7人もいるそうです。
Wayne 君の家はLarry 君の家とは正反対で、ドアを開けると1m四方くらいの板張り部分が玄関になっていて日本式に靴を脱がせ、家の中は絨毯(じゅうたん)を敷いて裸足です。ヘルマン・ヘッセの本がたくさんあり、今はTai-chi 太極拳の修行をしていて、仏像があったり、家の中のデコレーション一つ一つが芸術的に配置されていました。昔(大学1年生の時)からよく知っていますが、常に前向きPositive の姿勢で、政治的なことには全く無関心ですが、自分自身の武道や精神の修行には熱心でした。
彼の家でも、自分のベッドを同行した友人に、ゲスト用のベッドを私に提供して、自分はリビングルームのソファで寝てもてなしてくれました。
私が10年間のアメリカ生活中に空手の指導した2000人を越すアメリカ人の中で、トップ10に入る弟子の一人ですが、今は息子と娘の4人の子供(孫)のおじいさんGrandpa です。
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2011年9月17日土曜日
ノースカロライナ州ローリー Raleigh 市はあいにくの雨天でしたが、現地は好天なことを祈りつつ朝7時半に出発し、途中1回だけガソリンの補給を兼ねて休憩し、サウスカロライナ州ギャフニィ Gaffney 市に着いたのは12時頃でした。私のノースカロライナ州立大学勤務時代の研究者仲間/空手の弟子/フィッシングの先生のLarry Tate 博士からは、もう出発したかとか、今どの辺りかなどと途中で4回くらい携帯に電話があり、首を長くして私との再会を待っている様子が伝わってきました。奥さんのLinda さんは家の中を片付けてきれいにしたら、Wal Mart というショッピングセンターに行って昼食のサンドイッチ用の食材を買ってくるとのこと。ギャフニィ市はローリー市よりももっと南部の田舎町なので、遠くからお客さんが来ていろいろな話しが聞けるのは楽しみのようでした。失礼な言い方ですが、同行した友人の話では、この辺りの人達は皆のんびりした田舎の生活をしているので知的 Intellectual な話題の話ができる相手に会うのが楽しみなのだとのこと。Larry 君はサウスカロライナ州立大学教授を早期退職後、自宅に帰って牧場の世話をしながら非常勤講師として近くの短大 Community College で教えていましたが、入学生数の減少で不要になって首になったとのこと。
奥さんのLinda さんは刑務所で囚人たちの先生をしています。囚人の多くは黒人で中学卒後働いていて犯罪を犯した人が多く、読み書きができないので、服役中に教育を受けてGED(高校卒と同等の資格)を取らせて、社会に復帰した時に就職し易くするというプログラムです。囚人の中に大学卒の人がいるので、実際にはそういう囚人に簡単な数学(算数程度?)と読み書きを教えさせ、Linda さんはプログラム全体を監督するという立場のようです。Larry 君によると、南北戦争(こちらでは市民戦争と言います)後、奴隷制度はなくなって黒人は解放されましたが、戦争当時北軍の将軍だったグラント氏(Ulysses Simpson Grant)がその後合衆国の大統領になって無策だったので、黒人は結局生きるために元の白人の農場で小作として働くか、北部に移住して工場労働者として働くしかなかったことが、今でも黒人が2等級市民のような厳しい生活を強いられていることの遠因だとのこと。
Larry 君に牧場の中や、新しく購入して牧草を植え始めた土地を車で案内してもらいましたが、421エーカー(約40万坪=130町歩 )という広大な土地で、その中約40 エーカーが森林だそうです。今年はこの辺りはテキサス州と同じで雨が降らずに歴史的な旱魃(かんばつ)で、放牧している牛が食べる牧草が不足して困っている状態とのこと。南北戦争以前は彼の家も奴隷を使って綿の栽培をしていたそうですが、森の中の一角には石が立ててあるところがあって、いつの時代かわからないが多分黒人奴隷のお墓だろうということで、今もそのままにしてありました。
奥さんのLinda さん(57才)は先週14日水曜が誕生日だったけど、その日は体調が悪かったので誕生日パーティを今日まで延ばしたと言って、夕方にはLarry 君の兄弟3人とその奥さんたちが集まってディナーを食べました。奥さんたちはそれぞれが得意な料理を持ち寄りましたが、歯科医のElzie の奥さんのBecky が大きな鍋一杯作ってきた鮭肉(缶詰)とジャガイモのシチューは特別美味しくて好評でした。Tate 家は4人兄弟で、長男のLarry 君は大学教授、次男のGregory は計理士、三男のElzie は歯科医、四男のDennis は不動産やになり、皆近くに住んでいて何かあるとよく集まるようです。
Larry 君は自分で建てた丸太小屋みたいな家に住んでいますが、中は必要最小限度のもはそろっていて便利にできています。夫婦のベッドを私に提供し、同行した友人にはゲスト用のベッドルームを提供し、自分たちはリビングルームのソファーで寝ました。書斎には一応パソコンがあってインターネットもできるようになっていて、リビングルームには新式のテレビもありましたが、パソコンの前に座る時間もテレビを見る時間もほんの僅かで、人間や、動物(馬、ニワトリ、ウサギ)や、自然と向き合う生活をしているようでした。ここに来るといつも感じることですが、ニューヨークや東京のような都会の生活と違って、人間が幸せに生きるのに何が必要かがよく見えるような気がします。
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2011年9月16日金曜日
天気予報通り、昨日までとは打って変わって気温が下がって、半そでシャツでは寒いくらいになりました。今日は夕方には皆と一緒に食事をすることがわかっていたので、昼頃 Lake Johnson にジョギングに行きました。林床のキノコやドングリ類を眺めながら走っていたら、途中から雨が降り出しましたが、たいしたことはないのでそのまま雨の中を1周してきました。
夕方7時に、North Hills Shopping Center と呼ばれる広大なショッピングセンターの敷地内にあるBonefish Grill というシーフードレストランに友人/空手の弟子たちと計11人で集まって会食をしました。人気のあるレストランらしく、金曜の夕方ということもあって、満席でした。私はスカロップ(貝柱)とシュリンプ(海老)と、ブロッコリとニンジンと、パンの料理を注文して、舌鼓を打ちながら皆と話をして楽しい時を過ごしました。
終戦後にアメリカの進駐軍兵士と結婚した名古屋の女性との間に生まれたJohn 君(今年の1月1日にがんが転移して亡くなった)の奥さんMaureen さんも参加してくれました。
参加者の一人Sarah はミツバチの巣箱を20箱も持っていて、ハチミツやハチミツを使った製品を販売しているとのことで、おみやげにプレゼントしてくれました。
食事代は皆は割り勘ですが、私の分だけはある参加者が払ってご馳走してくれました。
日本から学会誌に投稿された論文の校閲依頼がきましたので、できるだけ早く読んでコメントをしようと思っています。明日は朝5時に起きて、サウスカロライナ州の友人を2泊3日で訪ねる予定です。車で片道5時間くらいかかる距離ですので、今夜は早く寝ます。
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2011年9月15日木曜日
妻からの電話連絡では、9月13日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届いたそうです。これで支援金の現在高は76,500円、延べ398人からの合計額は3,853,928円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただいたそうですが、FAXの具合が悪くてこちらには届いていませんので、後日紹介させていただきます。
(FAXが届くようになりましたのでメッセージを追加しておきます。)
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私は58才、二人の息子がいる母子家庭の母です。市橋君は、自分を悪く言い過ぎるくらい告白されたのではと思います。とてもピュアな方だと思います。心底謝られたのですから、これ以上自分を責めないで。心身の健康を取り戻して下さい。主なるイエス様に重荷をゆだねてね。本山先生ありがとう。
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午前中はモーテルの洗濯室で溜まっていた洗濯物を洗濯しました。洗濯機も乾燥機も大きいのでたくさんあってもいっぺんにできます。両方とも25セントのコインを8枚入れるので各々1回2ドル(180円程度)です。このモーテルは、道路工事や建設現場で働く人やビジネスマンなどが比較的安価に1週間単位で滞在するのに便利なようにできています。
昼はBill Oakley 君とEverette Noland 君と一緒にイタリアレストランで昼食を食べました。二人とも昔からの友人/空手の弟子です。Everette Noland 君は私が尊敬する弁護士ですが、仕事中は、映画に出てくるようなアメリカ南部の弁護士の典型的な帽子と服装をしています。レストランは空いていて静かでしたので、食事後に2時間くらいアメリカの裁判について詳しく話を聞きました。殺人には4つのカテゴリーがあるとのこと。①1st Degree Murder、②2nd Degree Murder、③Voluntary Manslaughter、④Involuntary Manslaughter ①は死刑か終身刑、②は終身刑か20年~40年の有期刑、③は10年~40年の有期刑、④は2年~20年の有期刑、が目安のようですが、計画性や残虐性など条件によって変わるようです。女性が被害者の場合は、Good Women(普通の品行方正な女性)とそうでないWomen (売春婦など)によっても違ってくるそうですが、概して日本よりも刑罰が厳しいという印象でした。それだけ、歴史的に凶悪犯罪が多発してきたことの裏返しかなという気もしました。
その後、Bill 君のアパートに寄って、彼が作曲した音楽のDVD(個人的に録音した)を聴かせてもらいました。ギターを弾きながら彼自身が歌っていますが、元々はAlan Seeger というアメリカの詩人(1888年生まれですが、第1次世界大戦でフランスの外人部隊に志願して1916年に戦死)が書いたRendevous (ランデブー)という題の詩に曲をつけたものだそうです。素敵な曲なのでDVDのコピーを依頼してきました。作詞・作曲をする音楽の仲間と一緒に活動しているようです。
夕方はいつものようにLake Johnson に行ってゆっくり1周約5Km をジョギングしてきました。アメリカ人は5時に仕事が終わると一斉に家に帰り(日本人のように残業しない)、こういう公園に一人で来たり、家族で来たりして、走ったり散歩をしたりしています。赤ちゃんを乗せた乳母車を押しながらジョギングしている若いお母さんもよく見ます。私は走り終わってモーテルに帰って、シャワーを浴びてから友人が作ってくれた夕食を食べました。2種類の豆と、トマトのスライスと、チキンのバーベキューと、コーンその他を一つの皿に盛って、レモネードティと、デザートにはブドウが付いていました。この辺りの南部の家庭での普段の食事のようです。
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2011年9月14日水曜日
次の本を差し入れするとの連絡がありました。
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私が日野原先生の本を郵送したことを24歳の娘に教えましたら、娘もぜひ日野原先生の本を差し入れたいと申しました。娘も物心がついた時からクリスチャンです。娘は日野原先生を大変尊敬しています。散々悩んだ挙げ句に「どうよく生き、どうよく老い、どうよく死ぬか」と「たっぷり生きる」を選択したようで、早速郵送するとのことです。
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事件の被害者の方が娘の年齢に近いことから、考えさせられることがございます。私と娘の送った本が市橋氏に負担にならなければ良いのですが。
娘からの伝言です。
「これから先のことを考えると不安もたくさんあると思うけど、神様はいつも見守ってくれてますよ。日野原先生も熱心なクリスチャンです。窮屈じゃなかったら、ぜひ本を読んで下さいね。体にご留意下さいね」
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次の本についても連絡がありました。
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こんばんは!はじめまして。○○県の○○○○と申します。僕がぜひ市橋達也被告に読んでもらいたいのは、手塚治虫さんのブッダであります。漫画で全12巻あります。僕の実家は浄土宗のお寺なので、釈尊のお言葉は幼い時から有り難く受け止めてます。手塚治虫さんのブッダなら漫画なので読みやすいと思います。1~6まで、とりあえず宅配で送ってみました。気に入って頂けるかわからないけど、折を見て7~全て送りたいです。よろしくお願いします。また送るときにはメールをさして頂きます。
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今日は車で昔住んでいたところの辺りをドライブしてみました。毎日Lake Wheeler Rd (フィーラー湖通り)を通って(と言っても車で10~15分程度)大学に行っていましたが、牛の牧場、馬の牧場、大豆畑などがあるところは昔と変わらず、私はこういう景色を見るのが好きでした。
日本に帰国するまで住んでいた我が家の辺りにも行ってみたら、偶然今住んでいる黒人女性(31才で息子さんがいるとのこと)が郵便受けをチェックに出て来られたので、話をして写真を撮らせてもらいました。この家を買って25年になるけど、以前は誰が住んでいたのかと思っていたとのこと。庭にブドウその他の果樹があって(同居していた私の母が植えたもの)よく収穫して食べていたけど、リスが来るようになって木が駄目になってしまったとのこと。裏の森からはよく野生の鹿が顔を出したり、庭には野うさぎがたくさん出てくるというのは、私達が住んでいた時と同じです。私達が家を買った時に不動産やが記念に植えてくれたモミジは大きくなっていましたが、前庭の松をはじめその他の木が大木になり過ぎて、日当たりが悪いのと、松葉がいっぱい落ちるので芝生は全く育たなくなっていました。
午後からはノースカロライナ州立大学に行って、Michael Roe 教授の研究室を訪ねました。私の恩師のW.C. Dauterman 教授が亡くなってからは、夏休みにこちらに来る時はいつも彼の研究室に滞在しました。現在59才ですが、グラント(研究費)をたくさん獲得して、大学院生8名とポストドク(博士研究員)2名が現在の研究室メンバーとのことで、最も活躍している教授の一人という印象でした。車で片道1時間近くかかる郊外の40エーカーの土地を買って住んでいるので、週2日は自宅で仕事をしているとのことでした。ということは週に3日しか大学には来ないのですが、アメリカは業績さえちゃんと出せばそんな勤務形態も許されるのですから、日本とはずい分違います。40エーカーというのは約5万坪ですから、自宅の森で鹿狩りができるそうです。
夕方にはいつものようにLake Johnson (ジョンソン湖)に行って、1周約5Km の遊歩道をゆっくりジョギングしてきました。
今日はオバマ大統領がノースカロライナ州立大学に来てコロシウム(8千人収容できる)で演説(あらかじめ入場券を入手した学生や一般人5千人が対象)をしましたので、あちこちの交差点は警官が交通整理をしていましたが、幸い私は交通渋滞には巻き込まれませんでした。
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2011年8月31日水曜日
今日は千葉運転免許センターに行って国際運転免許証を申請・取得してきました。アメリカの空港に到着したら、友人が借りておいてくれるレンタカーをすぐ運転して宿泊予定のモーテルに行きます。ノースカロライナ州は南部の田舎で公共交通機関がほとんど発達していないので、自分で車を運転しないと足がないのと同じで不便です。向こうは日本と逆で運転席が左側にあって、車は道路の右側車線を走行しますので、しばらく慣れるまでは慎重に運転します。毎年のことなのでこの頃は頭の中をパッと切り替えられるようになりましたが、それでも交差点で右折や左折をする時は注意をしないと習慣的に反対側の車線に入って逆走してしまいます。
その後で、千葉拘置所に行って市橋君に接見してきました。午後の時間帯だったので昼寝をしていたのか、頭は長い縮れ毛が鳥の巣みたいでした。今日は5回目の接見でしたが、彼の方から私の言葉を遮る(さえぎる)くらい積極的に話してくれました。健康状態も問題ないとのことでした。前回も今回も、もう涙はこぼれませんでした。
江原啓之著の3冊の本は、先週私が言ったことは無視して、先入観念なしに読むように伝えました。無期懲役囚が著した「ドキュメント長期刑務所」は今日の接見後に差し入れの手続きをすることを伝えました(実際にそうしました)。差し入れ申込書には、私の名前の後に(〇〇/〇〇県)と支援者のお名前と県名を追加しました。東北大震災の写真集は支援者が新しいのを購入して私宛に送って下さることになっているので、届いたら差し入れすることを伝えました。このブログは、区切りを考えて明日にでもプリントして郵送で差し入れしようと思っているからと伝えました。
お花の差し入れについては、遠くにお住いの支援者が差し入れしてほしいと言ってお金を送って下さることになっているので、来週私から差し入れするからと伝えました。最初に花を差し入れて下さった方が一緒に差し入れた花瓶がひとつしかありませんので、来週は他の方は花の差し入れは重ならないように控えていただけると幸いです。
本を差し入れたり、手紙を市橋君宛に書いて下さった支援者の中には、家族や周りの人に内緒でしている方もおられるので、礼状を差し上げる時は迷惑になることもあるので慎重にと言っておきました。私が差し入れた支援者一覧表でどなたが支援者かは判断できるし、今まで差し入れをして下さった方のお名前はちゃんと控えてありますと言っていました。ただ、礼状を書いたり、支援者の接見は受けてもいいのですが、何を話していいかわからないので・・・と言っていました。弁護団が控訴審の準備をして下さっている時に、自分が何かを言ってそれが外に広がって足を引っ張るようなことにならないようにしたいと言っていました。私に対して言うことも(内容によってでしょうが)、弁護団の足を引っ張ることにならないように、できるだけ私の胸の中だけに収めておいて下さいとも言っていました。従って当分の間は支援者に礼状を書くことも、支援者の接見を受けることもないと思います。私がブログに書けば支援者全員に伝わるよと言ったら、ありがとうございますという感謝の気持ちを伝えていただければと言っていました。
独居房ではラジオのニュースと言っても音楽を流していることもあって外のことはわからないので、文字の書いてあるものを差し入れていただけるのは大変ありがたいと言っていました。市橋君は未決囚ですから、図書室を利用したりテレビを観る機会もあると言われる既決囚とは違う状態にあるのでしょう。
今日も菅野弁護士と山本弁護士が接見に来られたので、宅下げをお願いしましたと言っていましたので、いずれ宅下げした本をどこかの図書館に寄付をするなり、処分方法については皆さんと相談をするからと伝えました。これからもいろいろな本が差し入れされるだろうけど、社会から隔離されている君にとっては本だけが外との接点であり、勉強できる方法なのだから、読んだ後で感想や感じたことのメモを残すようにしたら、思考力や表現力のトレーニングにもなるのではないかと勧めてみましたが、これに対しては無言でした。というか、隣に座っている刑務官にすでに8分が過ぎたと言われていたので、考える時間がなかったのかもしれません。今日の刑務官は親切で、私の最後の言葉を黙って言わせてくれました。
私は来週もう1回接見に来るけど、9月11日~10月5日はアメリカに出かけるので来れないことを伝えて接見室を出たら、頭を深く下げて見送ってくれました。外で普通に生活している人間でも、ちょっとしたことで気分が沈んだり明るくなったりを繰り返しますが、市橋君のような立場にあれば、一人で考えている中に絶望的に落ち込むこともあるのでしょうが、今日見た市橋君は自分から話をしてくれたので、前回よりもさらに元気を取り戻していると感じました。
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2011年8月30日火曜日
菅野弁護士の事務所を訪ねて、その後振り込まれた支援金260,000円をお届けし(領収書添付)、今後の控訴審の予定などについて伺ってきました。
千葉地裁における一審の記録の文書化・整理はまだ進行中で、9月中旬を目途に整理を完了して東京高裁に届けるという見通しのようです。控訴審は新しい裁判官の下で行われますが、検察官も東京高検所属の新しい検事が担当するのだそうです。弁護団は、市橋君の強い要望で、すでに信頼関係ができている一審の弁護団が引き続き担当します。
控訴審では、民事裁判の場合は最初から審理をやり直すことができるのと違って、刑事裁判では一審での不当と思われるところだけを審理するので、裁判官によって不当なところはないと判断されると1回で結審することもあり得るとのことです。弁護団は9月2日に弁護団会議を開いて全員で状況を検討する予定です。
未決囚が独居房に保管できない差し入れ品の中で、衣類については宅下げして菅野弁護士の事務所に一部保管してあるそうです。市橋君が読み終わって、スペース不足で保管できない本をどうするかについては、明朝菅野弁護士と山本弁護士が控訴審の打ち合わせで接見に行くときに市橋君の意見も確かめてくるとのことです。刑務所にある図書室は、既決囚は利用できるが、市橋君のような未決囚は利用できないそうです。なお、市橋君の身柄が東京の小菅拘置所に移される時期は不明ですが、早くても多分9月中旬以降だろうとのことです。
今日は車で千葉市にある弁護士事務所に行きましたので、終わってから、私が千葉大学時代に野外での農薬の生態影響調査で何年間も通った大網白里町砂田(いさごだ)の谷津田まで足を延ばしてみました。途中、収穫を待ってる黄金色の稲穂が垂れている水田も、すでに収穫が終わって寂しい気配のする水田もありました。砂田の栗や柿はまだ未熟、農家から少しおすそ分けしていただいたじゃがいもは収穫済みでした。じゃがいもは明日にでも妻にふかしてもらって食味してみるのが楽しみです。さらに足を延ばして白子海岸に行ってみたら、台風の接近で波が荒いにもかかわらず、若者たちがカイトサーフィン(カイトセーリング)をやって過ぎゆく夏を惜しんでいました。私たちは、戸外に出て、風の匂いをかぎながら、鳥や人々の声を聞きながら、こういう景色を眺められるのは幸せなことだと思います。市橋君にそういう自由が再び与えられるのは何年後になるのでしょう。(写真はクリックすると拡大できます。)
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2011年8月29日月曜日
8月25日に振り込まれた2名の方(初回、6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は260,000円、延べ390人からの合計額は3,777,428円になりました。ありがとうございました。
6回目の方からは手書きのメッセージがありました。
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本山先生との接見の度に市橋君が元気を取り戻しているようで、安心しておりますが、私の意見としても、当分の間は弁護団と先生のみの接見が良いのではと思います。残暑も厳しいですので、先生、お身体ご自愛下さい。
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初回の方は、今まで非支援者としてブログの記事についてコメントを頻繁にメールで送ってこられた方ですが、今回は支援者の仲間入りをすることについて次のメールが届いています。生活が大変な状況で支援して下さりありがとうございます。このブログをそこまで熱心に、真剣に読んで下さるのは嬉しいのですが、それよりも、先ずはご自分が打ち込める何かが見つけられることを期待しています。
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ブログの聴講生から卒業できそうです。
振込先を見て窓口の美しい女性の顔色が変わって、「この人ってこんな顔もできるんだ」と複雑な心境で振り込んできました。大の大人が精一杯頑張って¥〇〇〇だけなのですが。
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私はネット上で他の人が私自身やこの支援する会についてどんな書き込みをしているか見てもいませんし、全く気にもしていません。現実にやりたいことがたくさんあって、時間的な余裕がないことも理由の一つです。昔はよく学生がネットに私に関してこういう書き込みがありましたと言ってプリントして持ってきてくれた時は、へー、そんなことを言っている人がいるんだと言って目を通していましたが。
昨日の記事について支援者から以下の感想が届きました。
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こんにちは。アメリカのハリケーン被害、今朝ニュースで見ました。先生の友人はご無事のようでよかったですね。死者のなかに子供もいるみたいで悲しくなります。
ブログのお写真、大きく写っているのが先生ですか?(本山:そうです、22才の時の私です。知らない間に誰かが撮って後で渡してくれました。)
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友人の話で大変恐縮ですが、やはり何かに打ち込んで頑張っている人はステキだなと感じます。
また、それに良い意味で影響をうけ私や共通の友人も頑張れているので。ニートやネットでばかり人を批判している人達には何かに向かって頑張るという素晴らしさを知ってもらいたいですね。
また先生のブログ楽しみにしております。
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千葉大学で現職教員時代に、2年生対象の講義で専門の内容以外に、学生たちに毎年強調していたことが2つあります。1つは、自分の専攻分野の勉強を一生懸命するのはもちろん大切だが、それ以外の分野についても単に卒業に必要な単位だからというのではなく、自分の視野を広げる、基礎を広げるために、積極的に勉強しなさいということ。社会はどんどん変わっていくので、卒業後40年くらいは社会で働かなければならない時に今手持ちの専門知識だけではすぐ対応できなくなるので、社会が変わっても対応できるように専門の分野を深めると同時に常に基礎を広げる努力を続けることが大切だということを教えました。もう1つは、学生の間に(できれば卒業論文の研究室に入る前に)自分はこれからの人生をどういう生き方をしたいのか、何をしたいのかを見つけなさいということ。そうすれば、どの分野が就職に有利だとか、給料がいいだとか、職が安定しているだとかで右往左往するのではなく、自分の生きたい生き方ができるので迷う必要はないということを教えました。人はそれぞれ置かれた環境や、持って生まれた才能(スポーツが得意か、物理や数学が得意か、音楽や美術のような芸術が得意か、工作やレンガ積みのような手作業が得意か・・)は違いますが、学生達にはこれしかできないからというのではなく、自分の才能を生かして、自由に自分が本当に生きたいと思う生き方をしてほしいと思ったからです。
昨日のブログで書いた、打ち込める何かを見つけるというのはそういう意味です。
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2011年8月28日日曜日
アメリカは西部海岸は時々大きな地震がありますが、東部はほとんどないにもかかわらず、ニュースでは珍しく東部で比較的大きな地震があったということと、ハリケーン・アイリーン The Hurricane Irene が上陸したと伝えていましたので、ノースカロライナ州の海岸に近いウィルミントン Wilmington という町に住んでいる友人のユージン・サンチェス Eugene Sanchez 君(カストロ首相らによる共産革命の時にキューバから両親が亡命してきたスペイン系アメリカ人)に被害の程度はどんな様子か電話をしてみました。日本の日曜の夜8時は、向こうの日曜の朝7時になります。今回のハリケーンは海岸から内陸部まで巾広い地域が影響を受け、木が倒れて電線が切れて停電したり、大雨で浸水したところがあるとのことでした。ユージン・サンチェス君は電力会社にエンジニアとして勤務しているので、停電があると現場に派遣されて復旧工事に追われます。今日も今から海に隣接したモアヘッドシテイMorehead City という町に電気の復旧工事に出かけるところだとのことでした。電機は便利で普段はありがたさを忘れていますが、いざ停電で使えなくなると、いかに不便かを思い知らされます。ニュースではノースカロライナ州で8人の死者がでたと言っていましたが、彼の家の被害はたいしたことなかったようでホッとしました。今から約2週間後に私が向こうに行く時は、彼のところにも訪ねる予定です。1970年代からの空手の弟子/友人です。
昔私が千葉大学の学生だった頃、空手部の主将をしていました。毎年、4月の新入生が入学してくる時期には新入部員を勧誘するために、学内の空き地で空手の型や板や瓦を割る試割(しわり)のデモンストレーションをしていました。当時の写真(まだ白黒写真の時代でした)が残っています。1965年4月の筈ですから、46年くらい前の写真です。誰でもそうでしょうが、若い時には怖いもの知らずで、武道家になろうと思って一生懸命稽古に打ち込んでいました。結局武道家にはならずに自然科学の研究者になってしまいましたが、悔いはありません。何かに打ち込んでいた時代の懐かしい思い出です。
若者には、自分が打ち込める何か(人生の目標)を見つけてもらいたいと思っています。何かを見つけるためには、パソコンや携帯メールの画面とばかりにらめっこするネット中毒を脱して、よい本をたくさん読んで、真剣な恋愛もして、いろいろな人の話を聴いて、体も動かして、自分は何をしたいのかを一生懸命考えることが必要です。その何かが見つかれば、あとはそれを実現するために頑張ればいいだけです。
今日は昼ごろ江戸川の堤防をゆっくり12km 走ったり、歩いたりしてきました。まだ暑くて少しバテ気味でしたが、気分は爽快でした。?
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2011年8月27日土曜日
支援者がせっかく選んで差し入れた本について私が市橋君に余計なアドバイスをしてお叱りを受けたことについて、お二人の支援者から励ましのメールをいただきました。ありがとうございます。直接謝罪のメールを差し上げましたので、もう大丈夫だと思います。
金子みすずの本を差し入れされた方から次のメールが届きました。
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金子みすずを知ったのは十数年前、ある女性週刊誌で特集されてからでした。とても大正から昭和にかけてに書かれたとは思えない現代にも通じる内容でした。そして、彼女から見れば役に立たないように見えてもきちんと役に立っている。みなそれぞれ違いがあっていいのだと、そして相手の気持ちになって考えることを教えてくれました。
最近だと震災直後のACで「こだまでしょうか」、火曜日夜九時から放送されている「開運なんでも鑑定団」のCMに「雀のかあさん」が使われています。決して市橋君に押し付けるつもりは全くなく、気に入らなければゴミとして捨てても一向に構いません。
寝覚の床は21年前に行った事があります。懐かしいですね。地名かどうかは不明ですが名勝として知られています。浦島太郎が竜宮城から帰ってきて目覚めたところという伝説が残っています。(本山:やっぱり場所のことだったのですね。)
本山先生来月からのバケーションを存分に楽しんできてください。ブログでの報告を楽しみに待ってます。
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先日お花を差し入れされた支援者からは、地図帳を差し入れしてきたという報告が届きました。地図帳はいいですね。独居房の中にいて、日本中・世界中を旅できますので。読み終わって保管しきれなくなった本については、来週接見に行く時に、市橋君とも少し相談してきます。せっかく皆様の善意で差し入れされた本ですから、古本屋で安く売るよりも、もし刑務所の中に図書室があるのなら他の受刑者が読めるように寄付をするか、どこか田舎の、本を購入する予算があまりない公立図書館に寄付をするなり、市橋君が読み終わっても本は貴重な財産ですから、有効利用されるようにもう少し考えたいと思います。
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本日(8/26)、千葉刑務所に差し入れに行ってきました。
本は、定期的に差し入れようと思ってましたが、今後につきましては、少し検討しようと思います。
先日、本山先生と面会なされた時も、市橋達也さんは差し入れ希望の本はないと仰ってたとの事で、遠慮されてるのか本心かは分かりませんが...他の支援者の方も様々な本を差し入れられてますので(不要の物は宅下げされるのとは別にして)未読の本をどの位、保管出来るのか気になります。
千葉刑務所に電話で問い合わせましたら、本の差し入れは、窓口は1日5冊迄で郵送は制限がないそうですが、量が多いと他の物が入らなくなってしまうそうです。部屋の中に置けるケースが有りまして、その中に衣類も含めて本も保管されるそうです。ケースに入らない物は刑務所内で保管し、必要な時は部屋に入れてもらえるなら、沢山届いても問題はないと思いますが、この点は又確認してみようと思ってます。
(差し入れしたい小説も有りましたが)今回は地図帳を差し入れました。
《GLOBAL MAPPLE 世界&日本地図帳》
地図の興味の有無は分かれると思いますが、彼の手記を読みまして(あれだけの逃亡をしましたし)地理には詳しそうな感じがしました。又、初公判の時の証拠で、大型モニターに映し出されたマンションの部屋の中に、数枚の地図が貼って有りました。
彼に共感してもらえるかは分かりませんが...私は地図を見るのが好きで、その場所に行く訳では有りませんが、子供の頃に行った場所を見て懐かしく思ったり、友達が話してた地域を見て、どのような所か想像したり、彼の逃亡中の場所も、この辺りに居たのかなと考えたり、リンゼイさんのご家族のイギリスを見て、日本との距離の遠さを感じたり...又、本やテレビで見た地名を探したり、何気なく見たのに、結構ハマってしまいます。
売店で購入出来る食品や日用品や文具等も、今回は差し入れを控えました。せっかく千葉刑務所まで来たので何か差し入れたいと思ってしまいますが...やはり面会で必要ないと確認して頂いてましたし、まだある物を差し入れしても、仕方ないかなと思い止めました。こちらも千葉刑務所に電話で確認しましたら、売店内の物は全て、本人が購入出来るとの事でした。
ただ又、お花は届けたかったので、お花だけ差し入れました。昨日のブログで、先日差し入れたお花についての支援者からのメッセージを見て嬉しかったです。機会がございましたら、お伝え下さい。市橋達也さんに喜んで頂けてるか分かりませんが、お花は心を和ませてくれますので、少しでも癒やされればと思います。
今後の差し入れにつきましては、保管や処分も合わせまして、本山先生にご相談させて頂きたいと思います。
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今日は土曜日で天気もよかったので、江戸川の堤防にジョギングに行くのにカメラを持っていきました。今夕は松戸の花火大会なので、大勢の人が土手の上や斜面にブルーシートやテープを張って席取りをしていました。私は、住宅地に木槿(ムクゲ)の花が見えたら土手を下りて寄り道して写真を撮ってきました。このブログをプリントして市橋君に差し入れする時に彼にも今の季節を見せたかったからです。
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2011年8月26日金曜日
8月24日に振り込まれた3名の方(4回目、15回目、12回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は256,000円、延べ388人からの合計額は3,773,428円になりました。ありがとうございました。
私がアメリカに出かける前に一度支援金を届けるために日程調整をお願いした結果、8月30日に菅野弁護士の事務所を訪ねることになりました。宅下げ品の保管について、将来は問題が出てくるかもしれないが、今のところ問題はないとのことでした。
ある支援者から、本の差し入れをするのに名前、住所などを書くのには抵抗があるので、私宛に送るから私から差し入れてほしいという連絡がありました。また市橋君から礼状や返信が届くのもちょっと困るので不要です、とのこと。支援者の中には、家族や周囲の人たちから理解されない中で支援をして下さっている方がいらっしゃるようで、ありがたいことです。もし他にも同じような事情の方がおられましたら、私から差し入れを致しますので、遠慮なくおっしゃって下さい。
非支援者が匿名で携帯メールで送ってこられるメッセージは、以前私がこのブログに紹介するかどうかを試すやらせだった場合がありましたので、掲載しないことにしていますが、支援者が差し入れ予定の金子みすずの本について届いた次のメッセージだけは紹介することにします。
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金子みすず。いいですね。数年前からブームですね。僕は高校の教科書で習いました。童話集も先生の勧めで買いましたよ。
僕の好きなのは
「魚」です
海の魚はかわいそう
牛は牧場で世話をされて
米は人に育てられ
池の鯉はフを貰うのに
海の魚は誰からも世話をされません
だのに、こうして私に食べられる
海の魚はかわいそう
これが一番好きです。山口県出身の方ですね。26歳で亡くなったんです。天才は、みんな早死にします。中原中也も宮沢賢治も。
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先日乗鞍岳に登ってきたとおっしゃった支援者から、「長野県の寝覚めの床で撮った」という写真が送ってきました。山小屋の窓から夜明け前に撮ったという意味でしょうか、それとも「寝覚めの床」という地名があるのでしょうか。。私も高校生の頃、山好きだった母と一緒に乗鞍や立山に登ったことがあります。いずれにしても、日々の喧騒を忘れさせてくれる、こういう写真はいいですね。私も楽しませてもらいました。ありがとうございました。
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2011年8月25日木曜日
8月23日に振り込まれた方(26回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は231,000円、延べ385人からの合計額は3,748,428円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただきました。
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支援者の方の心温まるお便りを読み、涙があふれました。どなたも同じ気持ちですね。それと、お花を差し入れてくれた支援者の方のあまりにもの優しさに胸が温かくなりました。そんな中で、市橋君が穏やかに毎日を過ごしてほしいと願っております。
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支援者から以下の本を差し入れる予定との連絡をいただきました。
〇金子みすゞ童謡集 JULA
〇行為の意味 宮澤章二 ごま書房新社
〇恐るべき数学の法則 河出書房新社
なお、私宛に送っていただいた「囚人狂時代」は私に読ませたかっただけで、市橋君にとっては適切な内容の本ではないので、差し入れしないようにとの指示がありましたので、そのように致します。
支援者から以下の本を郵送で差し入れたとの連絡をいただきました。
〇マンガ文庫のJIN(仁)全巻(1~13巻)
江原啓之著の3冊の本を差し入れされた方から以下のおしかりのメールをいただきました。私自身が本についても著者についても全く無知でしたので、余計なことを市橋君に言ってしまったようです。非支援者からの情報をうのみにして、軽率でした。せっかくよく考えて選ばれた本でしたのに、申し訳ありませんでした。次回接見に行く時に訂正しておきます。
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昨日はブログを拝見できず、今朝開いて驚きました。私がお届けした本(3冊)について、他の支援者(本山:非支援者だと思われます)から意見(忠告?)があったとのこと。
当たり前のことですが、私は実際に自分が読んで、市橋達也さんに読んで頂く価値がある本だと考え、贈らせて頂きました。特に「未来を拓く言の葉」という本は、東日本大震災のチャリティー本となっています。(印税が寄付されるのです) そして、本の内容は「人生には色々なことがあるが、全てを受け入れ苦難や試練を乗り越えることにより、人は幸せになれる。人として向上できる」というようなことが、書かれております。ある意味「人生哲学の本」だと思います。著者の江原啓之氏に関しては、その肩書きから、色々なことを言う方がおられますが(賛否両論)テレビ界を追放など、されておりません。現在も、BSテレビ朝日で「日本今昔道」というレギュラー番組に出演されております:毎週木曜PM23時~23時30分
また、吉備国際大学その他の客員教授もされており、社会的にもきちんと認められている方なのです。また、全国各地を公演や講座で駆け回り、チケットがとれないというので有名ですし、「Amazon」という通販会社の、書籍部門で(売上げ)殿堂入りを果たしている方です。(それだけ大勢の方が、江原氏の本を読まれているということです) 江原氏のことをろくに知りもしないで、ご自分の持つ先入観だけで、よく言えますね・・・
色々なことを言う方がいると思います。この「支援する会」に対しても、主旨を読みもしないで「あーでもない、こうでもない」と言われる方がいるのと同じだと、私は思います。念のため言わせて頂きますが、私は何の宗教等も信仰しておりません。
また、支援者がどのような本を贈ったとしても、読むか読まないか・・の判断は、市橋達也さんご本人が決めることではないのでしょうか??
江原氏の本を差し入れしたからといって、何を心配されたのでしょうか?
本山先生。本を読みもしないで、先入観やレッテルで物を言う、もしも、その支援者のおっしゃることだけをうのみにされて、「接見」の時に市橋達也さんにブログで書かれた内容を伝えられたとしたら、私はすこしがっかりです。本山先生ご自身が疑問に感じられたのであれば、私に直接ご連絡頂ければよかったのではないかと思います。これでは、インターネットで一方的に物を言われる方々と変わりないのではないでしょうか。
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2011年8月24日水曜日
8月22日に振り込まれた方(19回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は226,000円、延べ384人からの合計額は3,743,428円になりました。ありがとうございました。メッセージも手書きされていました。
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19回目の送金をさせて頂きます。よろしくお願い致します。少しずつ秋が近づき、気温が下がってきましたね。くれぐれも体調にお気をつけてお過ごしください。
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今日は千葉拘置所を午後一番に訪ねて市橋君に接見してきました。一目見て、先週よりさらに元気を取り戻していることがわかりました。健康状態はと訊いたら、大丈夫ですと答えました。テレビ、ラジオ、新聞はあるのかと訊いたら、テレビと新聞はないけど、ラジオは一日の中の決まった時間だけ(多分ニュースの時間?)聴くことができますと言いました。支援者の一人が東日本大震災の写真集を持っているので差し入れしようかと言っていたよと言ったら、以前弁護団から大震災があったということは聞きましたが、どんな被害の様子だったのかはわかりませんと言ったので、死者・行方不明者が2万人を超える大変な被害だったことを伝えました。また、それならその支援者に写真集を差し入れしてくれるようにお願いしておくからと伝えました。
差し入れされた本の中で、江原啓之という著者の3冊について、本の内容がいいから支援者が選んでくれたのだろうけど、著者自身はテレビに出演して幽霊が見えるとかインチキくさい発言をして、現在はテレビから追放されているという情報を送ってくれた人がいることを伝えました。宗教的な本の月刊誌「clay」と天理教関係の書籍については、もし差し入れがされたら自分で判断して読むように伝えました。服役経験者が書いた2冊の本「ドキュメント長期刑務所」と「囚人狂時代」については、支援者から今の状態の市橋君にとってプラスになるかマイナスになるか判断してほしいと言って私宛に届いているけど、一応差し入れするからこれも自分で判断して読むようにと伝えました。
昨年の2月から始まったこのブログについては、初めの頃の分は弁護団がプリントして差し入れして下さったようですが、最近の分は差し入れされていない模様でしたので、もう一度全部プリントして郵送で差し入れするからと言ってきました。支援者から市橋君へのメッセージが載せてありますので、市橋君があらためて支援者の皆様から寄せられたお気持ちに接することができると思います。
弁護団は今も大体週に1回は接見に来てくれていて、今日の午前中は山本弁護士が来て下さったと言っていました。今日も宅下げをお願いしたとのことでしたが、いずれ菅野弁護士の事務所も保管場所の問題がでてくるだろうから、今度弁護団と私と支援者の一部とで相談して古本屋などで処分して東北大震災の被害者に支援金として送ってはどうかと考えていると言ったら、お願いしますと答えていました。読みたい本や差し入れしてほしいものがあれば遠慮なく言ってほしいと伝えてほしいと支援者が言っていたよと言ったら、十分です、ありませんと答えました。独居房の中にカレンダーはあるのかと訊いたら、6ケ月分を1枚に印刷したものが壁に貼ってあるので不要ですとのことでした。
私は9月11日から10月5日まで3週間ちょっとアメリカに出かけて接見に来れないので、代わりに東京在住の女性でご夫婦で熱心に支援して下さっている方がおられるので接見に来てもらえないかお願いしてみようかと思っているのだがと言ったら、先生はその方にお会いしたことがありますかと言ったきり(会ってよく知っている人だと答えましたが)、困ったような顔をして返事がありませんでした。まだ弁護団と私以外には会いたくない、会う自信がないのだと感じましたので、この話はなかったことにしました。
支援者にブログで伝えたいことはないかと訊いたら、皆さまのお蔭で弁護団の先生方に弁護していただいています、とお礼を言っていました。支援金(昨日の時点で延べ383人からの合計3,733,428円)はこれまでの弁護活動の実費と控訴審の弁護料として使っていただくために、弁護団に提供したことを伝えました。
あっという間に8分は過ぎ、横に座っている刑務官のストップウオッチのベルが鳴ったので、また来るからなと言って席を立ったら、私がこちら側の小部屋のドアを閉めて去るまで立って見送ってくれました。だんだん市橋君らしさを取り戻してきましたので、今日は、控訴審でたとえ再び無期懲役になったとしても、大丈夫市橋君は前向きに生きて行かれるという印象を受けました。
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2011年8月23日火曜日
8月19日に振り込まれた方(18回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は216,000円、延べ383人からの合計額は3,733,428円になりました。この方は大学生の息子さんをお一人で育ててこられたお母さんのようです。長期間の継続したご支援をありがとうございます。
今日は千葉大学の大学院生二人と一緒に私の車で茨城県の種苗園に行って、松の苗木を30本仕入れてきました。いわゆる松枯れは伝染病ですから、マツノマダラカミキリが伝搬するマツノザイセンチュウに寄生されたマツは枯死してしまいますが、入手してきた松苗は寄生されたマツの治療方法を開発するための基礎的実験に使う予定です。いつもそうですが、問題解決の仮説と実験計画を立てて、若い学生諸君と一緒にそれを証明する研究を行う時は、胸がワクワクします。
(写真はクリックすると拡大できます)
マツノザイセンチュウを接種した松苗(右)と無接種の松苗(左)
-このように小さい松苗の場合は、1年枝(苗の幹の部分)の古い針葉が当年枝(今年成長してきた苗の上の部分)の新しい針葉より先に枯れてくる-
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2011年8月22日月曜日
昨日のブログで紹介したお便りについては、何人かの支援者から自分も全く同じ気持ちですというメールが届きました。
支援者から次の本を差し入れしてきたとの報告がありました。
〇少年野球マンガ「ダイヤのA」26巻の中の一部(前回の続き)
支援者から次の本を差し入れしたという連絡をいただきました。
〇「下町ロケット」池井戸潤(直木賞受賞作家)著
少し前になりますが、非支援者(支援者でした。失礼しました。)だと思われる方から、次の本を差し入れする予定だという連絡をいただきました。
〇「手紙」東野圭吾著
非支援者から、市橋君の精神的支えにというご配慮だと思いますが、宗教的な本を差し入れしたいがというお問い合わせをいただきました。直接持参するにしても郵送するにしても、差し入れをする場合は、住所・氏名・被告人との関係などを明記して申し込まなければならない筈です。宗教的な本の内容については、私が口をはさむことではありませんので、各々ご自分で判断していただければと思います。
〇月刊誌「clay(クレイ)」というデボーショナルガイド
〇天理教関係の書籍
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2011年8月21日日曜日
支援者のお一人から素敵なお便りが届きましたので紹介しておきます。こういうお便りは私の気持ちを和(なご)ませてくれますし、多くの支援者の気持ちを代表していると思います。
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お便り、ありがとうございます。市橋君に手紙と本が届いていて安心しました。無事に届くか心配でしたが、本当に良かったです。私達の事も市橋君に伝えて頂き、ありがとうございます。これで また手紙を出す事が出来ますね。(笑)
市橋君の固く閉ざした心も先生との会話で少しずつほぐれていってるような気がします。全ての人が敵だと思って過ごしてきたでしょうから、彼にとっては先生との会話が何よりも心安らぐ時間なのではないでしょうか?
以前、千葉刑務所に服役していた方の本を読んだ事があります。千葉刑務所で知り合った?人達の事が書かれていました。その中にはオウムの井上さん?(本山:林郁夫医師だったという情報提供がありました) 確か医者だった方だと思いますが...
その方は刑務所に服役している老人や介護の必要な方々の介護?をしていると書かれていました。あんな事件を起こしたとは思えないほど、温厚な方らしく、いつも笑顔で、そして穏やかに介護されていると...人それぞれ考え方はあるでしょうけど、刑に服し、自分の犯した罪を償いながらでも人の為に生きていくことは出来るのでしょうね。これから市橋君が どれだけの期間を服役するのかは分かりませんが、何か人の為になる事を、そして いつも感謝の気持ちを忘れずに過ごしていってくれるよう願っています。
それにしても接見時間が8分っていうのは短いですね。東京拘置所で調べたら30分となってました。その日の接見希望が多ければ短縮されたりするのかとは思いますが。せめて もう少し時間があれば良いですね。
これから高裁での審議が始まれば、またマスコミが騒ぐのでしょう。刑が決まり、時間が経つにつれマスコミも離れていくかと思っています。それまではと言うのも変な話ですが、当面、市橋君には弁護団の方と先生以外、接見しない方が良いのではと勝手に思っています。今やっと先生に会うことで心を開いていっているのですからまた彼の心を閉ざしてしまうような事が起きない事を望みます。
下着などの衣類もそうですが、歯磨き粉(お金が無いと粉の歯磨き粉だと...)、石鹸、便箋や切手、筆記用具など そうゆう物も足りているのでしょうか?遠慮しないで言ってくれれば良いのですが。彼の性格上?ただただ申し訳ないという気持ちが大きくてそうゆう事は言ってこないような気がしますね。私を含め支援者の方々は 誰一人、彼から感謝されたいとか見返り(言い方が変ですが)を期待しているわけでは無いと思います。とにかく彼に生きて生きて、更生して欲しいという気持ちだけで支援しているのですから遠慮せず、先生に伝えてくれると嬉しいですね。
いつか、ご両親に会わせてあげたいですね。
お盆が過ぎ、まだまだ暑い日が続いていますが、〇〇の空は秋の気配がしています。今年も短い夏が終わりを告げようとしています。先生も夏バテ?に気を付けて下さいね。お体を大切にして下さい。
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当分の間、接見は弁護団と私だけにしてほしいというのは別の支援者も同じことをおっしゃっていましたが、市橋君の心が少しずつ回復していく間、報道関係者その他の人々に傷つけられたり惑わされるのを避けてほしいという配慮でしょう。
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昨日(8/17)のブログを拝見し、安堵の思いでありますが、私は出来ればしばらくは「接見」は、弁護団の方々と本山先生だけであってほしいと思います。外の雑念に触れることなく、心身ともに穏やかに平静に過ごして頂きたいからです。
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支援者からこんな報告もいただきました。独居房に花が飾られて、外の自然そのものではありませんが、自然の一部が身近にあって市橋君にとってはどれだけ心が慰められたことかと思います。
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市橋達也さんも、数日は少し涼しくなり、過ごしやすくなったのではないかと思います。先日、お花と花瓶の差し入れをしました。お花の種類は選んだり見たり出来ませんが、季節のお花が差し入れられ、この前はバラやひまわりだったそうです。殺風景で変わらない景色の部屋ですので、少しでも癒やされればいいなと思います。
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2011年8月20日土曜日
8月18日に振り込まれた2名の方(6回目と初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は215,000円、延べ382人からの合計額は3,732,428円になりました。ありがとうございました。
支援者のお一人から、千葉拘置所を訪ねて本*を差し入れてきたという連絡をいただきました。多くの方が、どういう本を差し入れすれば市橋君のためになるか考えておられるようですし、他の方がすでに差し入れした本とダブッてもいけないという心配もしておられます。本を差し入れされた方は、私宛にご連絡いただいてブログで報告すれば、同じ本を他の方がダブッて差し入れすることは防げるのではないでしょうか。
*江原啓之(えはらひろゆき)著の ①「人生に無駄はない」、 ②「人はなぜ生まれいかに生きるのか」、 ③「未来を拓く言の葉」、だったそうです。
別の支援者から、差し入れに適している本かどうか判断してほしいということで、美達大和(みたつやまと)著、「ドキュメント長期刑務所-無期懲役囚、獄中からの最新レポート」、が送ってきました。少し時間がかかるかもしれませんが、目を通させていただきます。
現状では、本以外の日常品(便箋、封筒、切手も含めて)や衣類などについては、今まで現金を差し入れされた支援者もおられるので、足りているというのが市橋君の答えでした。
このブログは多くの方が見ておられるようで、早速昨日の記事をご覧になった方からアメリカのMDA(筋ジストロフィー協会)に寄付をしたいという申し出が届きました。携帯メールをお使いのようで、手紙に書いてあったサイトにアクセスできないとのことですので、お近くの銀行で円をUSドルに変換して私宛に送っていただいて、私からその方のお名前でエベレット・ノーランド弁護士に送金するということになるかもしれません。国境を越えて、他人の痛みを感じて、援助の手を差し伸べて下さる優しいお気持ちに感謝致します。
今日は天気予報通り気温が下がりましたので、準備運動、筋力トレーニング、巻き藁・サンドバッグを使った空手の練習を30分くらいしてから、江戸川堤防を14km ゆっくり走ったり歩いたりしてきました。
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2011年8月19日金曜日
エベレット・ノーランド君は私と同年代のアメリカ人で、ノースカロライナ州の首府ローリー市で開業している弁護士ですが、1970年代からの空手の弟子/友人でしたので、私はノースカロライナ州を訪ねる時はいつも会いに行きます。2010年9月24日金曜日のブログに彼と彼の奥さんに関する記事と写真が載せてあります。マーチン・ルーサー・キング牧師にも影響を及ぼした、私の尊敬するアメリカ人の一人です。
彼から今日航空便の手紙が届きましたので、原文と日本語訳を載せておきます。Muscular Dystrophy 筋ジストロフィーというのは、原因不明で筋肉が徐々に萎縮していって最終的には死に至る難病のようです。手紙を見ると、友人の奥さんと娘さんがこの病気で苦しんでおられるようで、MDA(筋ジストロフィー協会)のために募金活動をしているようです。
アメリカは敗戦後の日本の復興を助けてくれました。もしご協力いただける方がおられましたら、下記住所のエベレット・ノーランド弁護士に直接送金するか、オンラインで送金(表示される画面のDONATEをクリックして)するか、そうでなければ私にご連絡下さい。
(手紙はクリックすると拡大できます)
2011年8月4日
皆さん!
私は8月18日について気持ちが高ぶっています! その日に私は「ジェリーの子供たちとMDA(筋ジストロフィー協会)」のために刑務所に入ります。私は逮捕されますので、保釈されるには皆さんの助けが必要です。
私を助けるために、www.joinmda.org/raleightelu2011lockup/jenoland をクリックしてオンラインで安全に寄付ができますし、私にご連絡いただけば現金または小切手でも寄付ができます。私の募金目標は$2,400で、この金額で筋ジストロフィーの子供たち3人を夏のキャンプに参加させられるか、または地元の筋ジストロフィーの家族の命を救うための研究を30分間支援できます。どんな金額でも寄付していただければ感謝致します。ご参考までに、$30では筋ジストロフィーの子供にインフルエンザの予防注射が1回できますし、$74では1分間の研究支援ができます。
私と一緒に筋ジストロフィー患者が治療を受けられるように助けて下さい。私が刑務所から出られるように助けて下さることに、あらかじめお礼申し上げます。私の友人の奥さんと娘さんはこの病気に苦しんでいます。ジェリー・ルイスはもうテレビで多くの子供たちを苦しめている筋ジストロフィーについて訴えていませんが、子供たちはまだ助けと治療を必要としています。
寄付された金額は全て税金免除対象になります。
どうぞ良い日を!
エベレット(署名)
John Everette Noland, Jr.
Attorney at Law
Post Office Box 981
Raleigh, North Carolina 27602, USA
Tel 919-821-0933
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2011年8月18日木曜日
8月15日に振り込まれた方(初回)と8月16日に振り込まれた方(10回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は200,000円、延べ380人からの合計額は3,717,428円になりました。ありがとうございました。
支援者のお一人が送って下さった「囚人狂時代」見沢知廉(みさわちれん)著、平成10年発行、という本が届きましたので、時間をみて少しずつ読んでみようと思っています。政治的信条が左から右に振れた著者のようですが、過激な破壊活動で懲役12年の刑を受けた経験から、千葉刑務所を含めて受刑者の生活について記した本のようです。今後市橋君が刑務所内でどういう生活をするようになるのか、ある程度想像できるかもしれません。
NHK BS3テレビでは、5:00-7:00pmに「証言・シベリア抑留」をやっていたので、妻と一緒に見ました。戦争末期の1945年8月に、ドイツ軍の降伏によってヨーロッパ戦線から自由になったソ連軍が日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻し、戦争終結で降伏した日本軍と民間人57万人をシベリアに移送して抑留し、まるで奴隷のような劣悪な条件下でシベリア開発の強制労働に従事させ、11年後の1956年12月にナホトカ港から帰還船で最後の兵士を日本に送り返すまでに5万5千人以上が死に追いやられたという歴史的事実を振り返っていました。当時の残酷な状況は、これが20世紀の人類のやることかと、あらためて信じられない思いに駆られます。当時19才だった兵士はすでに85才、24才だった兵士は90才になっていましたが、「死んでたまるかどんなことがあっても郷里で待っている人(母親)のところに帰るんだ」と歯を食いしばってがんばったことや、帰国後も「自分たちだけが帰ってきて、死んだ同胞にすまない」という気持ちに苦しんだことなどを証言していました。なお番組では、シベリア抑留については、1993年に当時のエリツイン大統領が正式に謝罪をしたことにも言及していました。(一方で、日本もアジア諸国の人々に多大な苦しみを与えた加害者であったことも忘れてはいけませんが・・)
2003年に92才で亡くなった妻の父は、山梨県の山村の農家の一人息子でしたが、徴兵されて家族を残して戦地に送られました。残っている軍服姿の写真を見ると防寒帽をかぶっているので、満州の関東軍に配属されていたのかもしれません。しかし終戦で帰国した時はマラリアに感染していて生死の境を彷徨(さまよ)いましたので、その後満州から戦況が悪化していた南方の戦地に移動させられたのかもしれません。もう義父から直接戦争の体験を聞くことはできませんが、妻が覚えている唯一の証言は、戦争中は敵を殺すとか何とかよりも、とにかく何が何でも生き延びて家族の元に帰るんだという一心だったということだそうです。まだ若かった義母が乳幼児3人を抱えて、姑(しゅうとめ)と一緒に自分の帰りを待っていることを考えると、どうしても生きて帰らなければと いう思いで必死だったのでしょう。戦地では勇猛果敢な英雄ではなかったかもしれないけれども、私はそういう義父を人間としてりっぱだと思っています。
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2011年8月17日水曜日
(このブログに新規投稿ができなくなって困ったので、こういうことに詳しくて共同管理をしてくれている元学生にアドバイスを求めたら、あちこちで同じトラブルが起こっているとのことでした。とりあえず、「以前のエディタ」に設定し直して、やっと記事の更新ができるようになりました。)
第3回目の接見に行ってきました。前回は午後遅い時間ギリギリに行ったので受付番号が60番で私の後に待っているのは2人くらいしかいませんでしたが、今回は午後の早い時間だったので受付番号は38番でした。今日は少し要領がよくなって、短い8分の間に市橋君に話すべきことを2つの項目に分けて箇条書きしたメモをパソコンで打って持っていきました。それを透明の仕切り板越しに見せながら会話ができました。彼もそこに書かれている支援者の名前や本の名前などを見ながら答えてくれました。1.個別の支援者からの手紙と差し入れ品(本)が届いているかどうかの確認 2.質問する事項
私に連絡を下さった方々の手紙は全部届いていました。本も届いていました。
〇「ライ麦畑でつかまえて」の原本「The Catcher in the Rye」
〇「人間になる/ジャン・バニエ」
〇少年野球マンガ「ダイヤのA」26巻の中の一部
〇「カトリックの聖書(旧約聖書と新約聖書)」
不要なものがあれば処分して下さいというメッセージもあったよと言ったら、とんでもない、ありがたいことですと答えていました。市橋君にとっては、独居房の中にいてこれらの本を読んで、考えることができ、勉強できるのですから、この言葉は本心だろうと思いました。
私が送った手紙と支援者一覧表も届いていました。これで、差し入れ申請があった場合、市橋君はどこの都道府県の支援者からか判断できます。今日差し入れを確認した方と、近く差し入れをすると連絡を下さった方については、私が知っている範囲でどういう方だということを口頭で説明しました。
今日は黒いTシャツ(半袖)を着ていました。本人も健康状態、精神状態は問題ないと答えていましたが、何よりも目つきが落ち着いて、静かないい目をしていました。指名手配中に公開された整形手術後の間の抜けた顔の写真と違って、市橋君本来の頬(ほほ)が引き締まったいい顔をしていました。下着その他差し入れてほしいものはないかと訊いたら、ありませんと答えたので、本でもなんでも差し入れてほしいものがあれば私への手紙で書いてくれれば、全国の支援者がすぐ対応してくれる筈だからと伝えました。公判直後と違って、今は弁護団と私以外からの接見申し込みはないとのこと。情報収集を狙った報道関係者からの支援者を装った手紙や、反支援者からの嫌がらせの手紙などは届いていないとのこと。支援者一覧表の中の長期的に繰り返し支援をして下さっている男性支援者と女性支援者の中に、市橋君の知人や友人はいないということ。独居房は狭くて多くの本が差し入れされると保管場所に困るだろうという質問には、弁護団に宅下げ?してもらいますとのこと。そういえば、差し入れされて領置しきれないものが菅野弁護士の事務所に保管されていると以前伺ったことがあります。どんどん蓄積していくと問題でしょうから、そうなった場合は古本屋その他で処分して東日本大震災の被害者支援などに使っていただければありがたいという趣旨のことを言っていました。この点については、いずれ弁護団とこの近辺に在住の支援者の一部と相談したいと思っています。
千葉大学を卒業する前に、市川に住んでいるのだったら近いから時々は道場にも顔を出して一緒に汗を流そうと言ったのに、一度も来てくれなかったな。研究室にも顔を出さなかったのか。大学を卒業してからの2年間何をしていたのだ。その時に仲間との交流がなくなって隔離された状態になったことが、こういう問題を起こすことにつながったのではないのかという質問をしたら、市橋君の目から涙がポロポロこぼれました。声をつまらせて、勉強をしていましたが就職はしていませんでした。大学の研究室にも道場にも行けませんでしたと答えました。まだそこのところは話せる状態ではないなと思いました。
支援者全員に伝えたいことがあればブログに書けば全員に伝わるよと言ったら、しばらく考えて、申し訳ありませんでしたと答えました。自分の犯した愚かな行動のために、支援者の皆さんにご心配・ご迷惑をおかけして申し訳ありませんと言いたいのだなと感じました。
全ての会話を横で聞いている刑務官に8分が過ぎたことを告げられたので、これからも週に1回くらい来るからなと言って接見室を出ようとしたら、ありがとうございましたと言って、頭を深々と下げていました。
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2011年8月16日火曜日
テレビ番組制作会社のディレクターは、約束通り午前11時に来られ、午後5時半頃まで時間の経つのも忘れていろいろな話題について話し合いをしました。市橋君と同じ年齢とのことでしたが、東京大学教養学部で自然科学(広域科学?)を専攻されただけあって、科学的なものの考え方ができる方でした。今日の話し合いの結果を会社に持ち帰って、市橋君に関するドキュメンタリー番組(1時間?)制作に踏み切るかどうか相談をするとのことでした。実現したとしても、今からじっくり取材を重ねて、放送するとしても市橋君の控訴審が行われる今年末か来年初め頃になるだろうとのことでした。事件の真相と市橋君の人物像が正しく伝えられるのでしたら、私もできる範囲で協力しようと思っています。
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2011年8月15日月曜日
8月12日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は185,000円、延べ378人からの合計額は3,702,428円になりました。ありがとうございました。
今日は終戦記念日でしたので、日本武道館で行われた戦没者追悼式がテレビ中継されていました。66年前の1945年に日本の敗戦に終わった太平洋戦争では、日本人だけでも300万人をこえる犠牲者(死者)がでたとのこと。その一人一人に家族がいたのですから、戦争は狂気です。
私はテレビの番組表を見て、早くからNHKテレビの7:30-8:45pmの渡辺 謙アメリカを行く「9/11テロに立ち向かった日系人」と、10:00-11:00pmのNHKスペシャル「開戦70年日本は何故無謀な戦争をしたのか」を見ることに決めていました。特に、つい先日観た映画「硫黄島からの手紙」で主演した渡辺 謙のノーマン・ミネタ(日本名:峯田義男?)氏とのインタビューには、考えさせられるところが多々ありました。
1931年生まれのミネタ氏は静岡県出身の両親と、日本軍による真珠湾攻撃の後、ワイオミング州のハートマウンテンと呼ばれる自然環境の厳しいところに設置された日本人強制収容所に入れられた経験の持ち主です。1970年にアメリカ本土(ハワイ州を除く)で初めて国会議員に選ばれた日系人ということでしたが、1969年に27才でアメリカに留学した私は当時そのニュースを聞いた記憶があります。
2001.9.11にニューヨークで起こったテロ事件以来、アメリカ国内では社会全体からアラブ系・イスラム系移民に対する憎しみが増大し差別や嫌がらせが行われました。その時にミネタ氏は、政治家やマスメディアなどから集中的な批判を受けながらも、Race Profiling 人種プロファイリング(人種、肌の色、宗教、性別、先祖の国などによる差別)に敢然と反対の声をあげました。何故そうしたのかという質問に対して、「そうすることが正しいことだから」と答えていました。正しいことをするのに、反対があるからといって揺らいではいけない、引き下がってはいけないという氏の言葉に、勇気を与えられました。
番組では、人種プロファイリングは憎しみと恐怖がもたらし、恐怖は無知から生まれると伝えていました。正にその通りで、日本でもつい最近まで、外地から連れてこられた人々(いわゆる在日と呼ばれる方々など)に対して酷い仕打ちが行われていたことを思い起こさせられました。無知が恐怖を生み、恐怖が憎しみを生み、憎しみが差別を生むというのは、人間として恥ずべきことです。
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2011年8月14日日曜日
何人かの支援者から、今まで市橋君宛に出した手紙や差し入れした本がちゃんと届いているかどうか確認してほしいというお便りがありました。今週接見しに行く時に本人に確認してみるつもりです。
一人の支援者からは、差し入れした本について以下のメールをいただきました。これから長期間服役しなければならない市橋君にとって、これらの本が心の支えになればいいなと思います。
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前から本の差し入れをしたかったので、2冊差し入れました。
1冊は、もしかしたら既に持ってるかも知れませんが...手記の中で『ライ麦畑でつかまえて』が大好きで、読んでいて気持ちがよくて手元に置いておきたい本として、沖縄に行く時に持って行ったと有りましたので、原書『The Catcher in the Rye』を差し入れました。
もう1冊は『人間になる/ジャン・バニエ』を選びました。下記は、一部抜粋しました。(長文、申し訳ございません。)
ほんとうの人間らしさとは...現代は壊れた世界。至るところに、分裂と孤独と絶望がある。人間の幸せとは、強者となって争いに勝つことではなく、他者に心を開くこと、弱者となってありのままに生きることにある。
〈目次〉 第一章 孤独/第二章 つながり/第三章 排除ではなく、受け入れること...癒しの道/第四章 自由への道/第五章 ゆるし
重大な犯罪を犯し独房に入れられた受刑者。自分がすべて...家族も仕事も行動の自由も、そして尊厳と自尊心までも...を失ったことに気付いて、死にたい気持ちになりました。しかし突然、自分を見いだし愛を取り戻したいという衝動が沸き起こりました。それが恵みの時でした。どん底にたどり着いた時、すべて失ったように思われた時に初めて、この小さな希望の光が輝きだします。その時に、私たちは立ち上がり始めます。光と愛と力が備わって、自分が闇の部分に支配されたくない、心を開くべく一歩を踏み出したいと意欲することが必要なのです。
恐れから解放されたい気持ちが生まれるのは、幸運な時、恵みの時です。あるがままの私たちを愛し信頼してくれる人、つまり私たちの恐れやしりごみの背後にある潜在的(時間をかければ開花する)可能性をすべて認めてくれる人に出会った時にも、この解放されたいという気持ちは起こります。
「幸運な時」に、私たちは本当の自分を意識します...即ちこれまでの人生を支配してきたあらゆる心の傷にもかかわらず、自分が大切な祝福された存在だと気付くのです。そうすると一瞬にして私たちは、もはや恐れや怒り、無関心や復讐心、絶望や自信喪失に支配されなくなります。そして小さな光、つまり生きたいという気持ちが生まれます。人生に希望が戻ってくるのです。
私たちはみな、自分が犯した誤りをすべて、自分の存在の奥深くに押し込める能力があります。そして良心を沈黙させて後悔の念を消し去る巧妙な技術を発達させるのです。
しかし『ゆるしの道』の書物の中で「罪を犯した者が被害者に自分をさらけ出す勇気をもつのでなければ、ゆるしはありえない。これは、痛みを伴う厳しい要求である」と主張しています。
市橋達也さんは聖書を読んでるとの事で、キリスト教信者かは分かりませんが...自由を奪われた生活の中で、罪を償い、精神的に立ち直り、生きがいを見つけだし、長い人生を前向きに過ごせるよう...祈ってます。出来れば力になりたいです。
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別の支援者からは、私が昨日のブログで書いた戦争と平和について、以下のお便りをいただきました。
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昨晩のブログ拝見いたしました。
正直、今まで戦争については大変だったんだーと他人事でした。
ですが、戦争についてきちんと勉強したい、戦争を知らない私達若い世代こそ戦争についてよく知るべきだと思いました。
よろしければ先生オススメの本や資料があれば教えてください。
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私は農学という自然科学分野の研究者ですので、戦争の非人道性について学ぶのに、何がベストかこれがと自信を持って薦めることはできませんが、一応、大岡昇平(1909-1988)が1950年代に書いた、「俘虜記」、「野火」、「レイテ戦記」などを提案しました。最近は、戦争中の悲惨な経験をしてきた筈の年代の知事や政治家までもが日本の軍事力増強や大国主義を公言するようになりましたので、いつか来た道に戻るのではないかとちょっと心配です。何年か前の朝日新聞に掲載された大岡昇平のエッセーで、そういう状況を憂いて、「先の戦争で悲惨な最期を遂げた兵士たちの魂よ、墓場から出てきてくれ!」というような表現が使われていたのが、私の中に強く印象に残っていましたので。
まだ猛暑が続いていますが、私は江戸川堤防を昨日は6km、今日は8kmジョギングしてきました。スポーツドリンクを腰のベルトのボトルホルダーに差して、こまめに水分補給しながらゆっくり走ったり歩いたりしました。暑くて汗ビッショリですが、気分は爽快です。
テレビ番組制作会社のディレクターとは、明後日16日に会ってどういう切り口の企画を考えておられるのか一応お話を伺うことになりました。
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2011年8月13日土曜日
昨夜は、日本テレビで9:00-11:24pmにやっていたクリント・イーストウッド監督のアメリカ映画(2006年)「硫黄島からの手紙」(Letters from Iwo Jima) を妻と一緒に観ました。多分何回も放送された映画の再放送だったのかもしれませんが、今まで観る機会のなかった私たちにとっては初めてでした。1945年2月に始まった戦闘で、圧倒的な戦力の米軍に対して、渡辺 謙が演ずる栗林忠道陸軍中将指揮下の日本軍が必死に戦い、最後は全滅に近い多数の犠牲者を出して敗北します。米軍の犠牲者も多数にのぼり、最後に海兵隊員がアメリカ国旗の星条旗を擂り鉢(すりばち)山に押し立てる写真(今回の映画には出てきませんでしたが)は、今でもアメリカ人の愛国心・勇気の象徴として見られています。現在の日本の若者たちは、日米両国のこういう多くの尊い命の犠牲の上に今日の平和があるということを忘れがちですが、つい数十年前に起こったことなのです。
私が1969年にアメリカのノースカロライナ州立大学に初めて留学した時の指導教授の一人だったF.E.Guthrie 先生は、第二次世界大戦中はアメリカ海兵隊員で太平洋戦線に従軍し、硫黄島に上陸(多分戦闘終了後?に)したことがあり、朝鮮戦争にも参加した人でした。私の顔を見て、日本軍は硫黄島で実によく戦ったと言ったのを思い出しました。
国籍や人種は違っても、人間はお互いに良き師弟、良き友人、良き家族(アメリカ人と結婚した私の娘や、ブラジルでポルトガル人と結婚した私の兄のように)になれるのですから、戦争で殺し合うのは馬鹿げたことです。明後日8月15日は終戦記念日ですので、戦争は二度としないと誓ったあの日の思い(私はまだ3才でしたが、小学校時代に平和の尊さを教えられた記憶はしっかり身についています)を新たにし、若者たちにも伝えたいと思います。
房総半島には高い山はありませんが、太平洋に面した美しい海岸線と、内陸部には東京に近いにもかかわらず交通の便が悪い分だけ都市化を免れた昔風の景色が今でも残っている山村があります。千葉大学時代の私は、その時々の研究テーマで近くまで行くとこういうところに寄り道するのが楽しみでした。(写真はクリックすると拡大できます。) (2011.8.8 撮影)
外房の勝浦海中公園の展望台から見た景色-岩に砕ける白い波がきれいです
久留里(くるり)城から見た景色-碑文(ひぶん)には戦国時代の天文23年(1554年)に里見義尭・義弘が攻めてきた北条綱成の2万の軍勢と戦ったと記されている-里見という姓は南房総の領主として江戸時代の小説家曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」にも出てきます。15年くらい前にアメリカからがんの疫学者David Goldsmith博士が来日した時も、ここに案内しました。
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2011年8月12日金曜日
8月10日に振り込まれた方(5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は180,000円、延べ377人からの合計額は3,697,428円になりました。ありがとうございました。
支援者のお一人から、以前行徳署に拘禁されている市橋君宛にハガキを書いて出した時に宛先不明で返送されてきたが、手紙はどういう基準で検閲されるのかという問い合わせがありました。取り調べの段階や、公判前整理手続きの段階では、弁護士以外との手紙のやりとりや接見は禁止だった筈ですので届かなかったのでしょう。容疑者・被告人が外部の協力者に頼んで証拠隠滅を謀るのを防ぐというのがその根拠のようです。もう公判は開かれましたので、接見禁止は解除されましたし、外部との手紙のやりとりも可能になりました。昨日のブログで書きましたように、先日支援者が出した手紙はちゃんと市橋君の手に渡っていました。私には検閲の基準が何かということは全くわかりませんが、自殺や逃亡を勧めたり脅迫的な内容のような非常識な手紙でない限り、本人に渡されるのではないでしょうか。
来週時間を見つけてもう一度接見に行ってこようと思っていますので、その時に私が送った手紙と支援者一覧表が届いたかどうかということと、支援者からの手紙が何通届いているか訊いてくるつもりです。自分の出した手紙が市橋君に届いているかどうか確認したい支援者の方はお知らせ下さい。
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2011年8月11日木曜日
先週接見に行った時に出会った支援者からメールが届きました。私が昨日ブログに書いた記事をご覧になったようで、市橋君に手紙を書いて、あの日に差し入れはしたけど、接見の申し込みはしていないとのことでした。市橋君が私との会話の中でこの方の在住地を知っていたのは、手紙に書いてあったからのようです。少なくとも、これでこの方の手紙が市橋君の手に渡ったことは確認できました。やはり、今の状態では市橋君は弁護団と私以外には自分をさらしたくないので、接見の申し込みがあってもどなたとも会いたくないのかもしれません。支援者の方々が市橋君に励ましの手紙を書かれて、刑務官の検閲をパスして配達されても、当分の間は返事は期待しない方がいいかもしれません。私が送った支援者一覧表が届けば、市橋君に手紙が届いた時に支援者からかどうかの判断はできる筈です。
あるテレビ番組制作会社から、「リンゼイさん殺害事件」に関するドキュメンタリー番組を企画しているので、私に情報取材(カメラなし)をしたいという打診がありました。まだいつ放送されるか、放送自体が実現するかも未定の、企画の初期段階のようです。ごく普通の将来有望だった学生が何故こういう事件を起こしてしまったのかを深く掘り下げることは、社会全体に大勢潜在しているかもしれない同じような若者たちが同じ過ちを起こさないようにするために必要な気もします。しかし、これから控訴審が行われる時期でもあり、事件当時の市橋君の内面的な動きが必ずしも明らかになっていない今、どういう意義のある番組制作が可能か疑問もあります。よく考えて、取材を受けるかどうか返事をしようと思っています。
長い間建設中だった東京農業大学世田谷キャンパスの新講義棟(1号館)が完成しました。6階建てで、建物の横には学生たちがたむろできるちょっとした広場もあります。私は11月に非常勤講師としてある講義を2回担当することになっていますが、事務から送ってきた書類を見ると、このピカピカの建物の5階の講義室を使うことになっています。東京農業大学の学生に講義をするのは初めて(非常勤講師は70才までという年齢制限があるようですので現在69才の私にとっては多分最初で最後?)なので楽しみです。(写真はクリックすると拡大できます。)
今年は8月下旬には1ケ月半くらいアメリカに行こうと思っていましたが、9月の初めに日本にいなければならない用事ができましたので、結局9月11日に出発して10月5日に帰国することにしました。私にとっては第2の故郷のようなノースカロライナ州で3週間ちょっと、友人たちと旧交を温めて充電してくるつもりです。アメリカ人の友人の一人に旅行日程表をメールで送ったら、10月初めに日本に帰ってしまうのでは下旬が最盛期のアパラチア山脈の紅葉は見れないと言いながら、早速仲間に知らせて予定を立てると言ってきました。
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2011年8月10日水曜日
入金記録簿から不必要な情報を消して、「支援者氏名(都道府県名)年/月/日 振込金額」 だけを残して支援者一覧表を作るのに結構時間がかかってしまいました。今日現在で延べ376名分です。それを差し入れするつもりで全部プリント(A4版に15ページになりました)して、今日千葉拘置所に行って、受付窓口に見せたら、差し入れできるのは「物」だけで、「手紙類」は郵送して下さいと言われてしまいました。さっき書類と手紙を封筒に入れて準備をしましたので、明日発送するつもりです。
今日接見した時の市橋君の様子は、先週8月2日に見た時とは違ってずいぶん改善されていました。先ず顔色がよくなったことと、目つきが神経衰弱的ではなく、普通に戻ってきていました。仕切り板の向こう側の小部屋のドアが開いて、刑務官に付き添われて入ってきた市橋君の雰囲気が明るくなったのが感じられたので、大学内で普通に出会った時と同じように思わず右手を挙げて「おっ、市橋君!」と大きな声をかけてしまいました。気のせいか、市橋君も一瞬嬉しそうな表情をしてくれました。
昨日・今日と東京近辺でも35℃前後の猛暑でしたが、千葉拘置所の中も暑いのでしょう。市橋君はランニングシャツの上に白いシャツを着て、ボタンはかけないで胸の前を開けていました。
少し痩せたようだけどちゃんと食べてるかと訊いたら、先週(私が接見してちゃんと食べなきゃだめだぞと言ってから)以来、食べるようにしていますと答えました。支援者名簿の一覧表を持参したけど差し入れできなかったので郵送するからと伝えました。弁護団以外に接見に来る人がいるかと訊いたら、申し込みはあるけど会っていないと言っていました。ただ、先週来た時に差し入れに来ていて偶然出会った支援者については、〇〇県に住んでいると言っていましたと言っていたので、接見を受けたのかもしれません。先週私が差し入れた国語辞典はちゃんと届いたそうで、嬉しそうでした。
ご両親に手紙を差し上げて、「申し訳ありませんでした」という君の伝言を送っておいたよと言ったら、涙がポロポロ落ちて、鼻水がスーッと流れ出てきました。
先週来た時は表情が暗くうつ病になりかかっている印象を受けたけど、大丈夫か、精神科医に診てもらう必要はないかと訊いたら、はっきり、大丈夫ですと答えました。近いうちに小菅(こすげ)の東京拘置所に移されるそうだなと言ったら、弁護団にそう聞きましたと言いました。小菅は北千住から行くので私にとってはより近くなるので、接見に来やすくなると言ったら、先生は松戸にお住まいですかと訊き直しました。
今日も、君はこれから刑務所の中で長い年月を生きるのだから、覚悟を決めて前向きに生きるようにしなさいと言ってやったら、うなずいていました。今日は言葉もちゃんと話していたし、大丈夫、市橋君はちゃんと生きていけるという明るい印象を受けました。8分間という接見時間はあっという間に終わってしまいました。
数日中には支援者の一覧表が市橋君の手元に届くでしょうから、支援者の中で市橋君を励ます手紙を書きたい方は書いてあげて下さい。もちろん、手紙は千葉拘置所に届いた時点で、事前に刑務官に中身を検閲されて、問題がないと判断されれば本人に配達される筈です。
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2011年8月8日月曜日
8月5日に振り込まれた5名の方(2回目、2回目、7回目、25回目、2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は170,000円、延べ376人からの合計額は3,687,428円になりました。ありがとうございました。これらの方々からはメッセージもいただきました。
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市橋さんを陥れようとする力とどうか戦って下さい。応援しています。
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本山先生、こんにちは、〇〇〇〇です。
少額ではありますが、口座へ振込みさせていただきました。少しでもお役に立ててもらえたら幸いです。
市橋さんの精神状態がとても心配です。自責の念から不安定になっているのでしょうか。カウンセリングの件、お願いしたいです。
毎日暑いですが、お身体には気をつけてください。
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市橋君、ひとりではありません。健康には十分注意して元気をとりもどせるよう願っています。
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市橋君が健康で強い心で生活できるよう祈っております。8/1のブログで支援者の方の聖書のお言葉を読み、そうなってほしいと強く願っております。先生、市橋君を力づけてあげて下さい。お願い致します。
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先生のブログ拝見させて頂いております。市橋君の健康状態が心配です。想像も出来ない程の精神状態だと思います。でも、負けずに自分自身をしっかり持って、控訴裁判の結審に臨んで欲しいと願っています。
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2011年8月7日日曜日
支援者のお一人から、市橋君の症状は長期間刑務所に拘禁されたり難民収容所に収容されたりした時に起こる拘禁反応ではないかとの情報をいただきました。可能性が高いような気がします。
http://www.j-medical.net/sick/archives/2005/06/post_763.html
非支援者のK様、M様をはじめ何人かから携帯メールで大変よい内容のお便りをいただきましたので返信を差し上げたのですが、届かずに戻ってきてしまいました。以前も同様のことがありましたが、携帯のメール設定でパソコンからのメールは受信できない設定になっている場合がありましたので、設定を変更していただかないと私からの返信は届きません。
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2011年8月6日土曜日
今日はパソコンをおやりにならない年配の支援者(ブログの記事はご家族の助けで読めるご様子ですが)から郵送のお手紙が届きました。接見をしてきた後で私が市橋君の様子について書いた記事が気になり、市橋君の状態が心配でならないというお便りでした。
少し遅くなってしまいましたが、今まで不義理をしていた大勢の支援者からのお便りに、できる限り返事のメールを差し上げました。明日は日曜なので、残りは明日また続けるつもりです。
今日も江戸川の堤防を8kn 走ってきましたが、今日は少しインタバルトレーニングをしてきました。ゆっくり走って調子に乗ってきたら、少し息がハーハー切れるくらい早く(まだ全力疾走とまではいきませんが)走って、またゆっくり走ったり、歩いたり、を繰り返しました。夕方の時間なので少し気温も下がり、犬の散歩をしている人や、自転車で走っている人や、ジョギングをしている人や、河川敷でピクニックをしている人や・・・、数日前までは上流で降った大雨の影響で褐色の濁流だったのが水位も下がり、水の色も通常に近く戻っていました。こうして人々と行き交いながら、堤防沿いの木々の緑や繁茂している雑草に目をやって走るのは、気分のいいものです。いつもそうですが、運動をして汗をビッショリかいてシャワーを浴びると、よしまた頑張るぞという活力が漲って(みなぎって)くる気がします。
(ここからは、支援者に対してではありません)
ネット中毒のそこの君、人それぞれの事情がおありでしょうが、パソコンや携帯メ-ルの画面とにらめっこばかりせずに、少しでも時間があれば野外に出て、外の空気を吸って、自然の景色を眺めて、人と会話を交わして、体を動かして汗を一杯かけば、少々のモヤモヤはどこかに消え、生きていることの喜びを感じて、気分爽快になりますよ!
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2011年8月5日金曜日
8月3日に振り込まれた2名の方(お二人とも2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は102,000円、延べ371人からの合計額は3,619,428円になりました。ありがとうございました。お二人からは先にメールでのメッセージが届いていましたので、すでにブログで紹介しました。
昨日、菅野弁護士に支援金の使途についてメールを差し上げ、ついでに控訴審の今後の日程見通しについて質問しましたら、、今日以下のような返事をいただきましたので、支援者の皆様にお知らせ致します。
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弁護団が「支援する会」より預かった支援金を控訴審の弁護士費用と実費及び一審のみの弁護人への謝礼に使わせて頂くことを了解頂き、ありがとうございます。感謝しております。
さて、控訴審の裁判のスケジュールについてお知らせしておきます。8月2日(火)控訴致しました。
大旨の流れは、次のとおりです。
①千葉地方裁判所は、訴訟記録(証人尋問調書、判決等)を整理して、全記録を東京高等裁判所へ送付(実際は持参する)します。
②記録の送付を受けた東京高等裁判所は、担当部を決めます。
③担当部が弁護人に訴訟記録の送付があったことを通知し、控訴趣意書の提出期限を指定します。
④弁護人は、控訴理由を記載した控訴趣意書と証拠請求(あれば)を行います。(刑訴法376条、規則237条以下) 検事は答弁書を提出します。
⑤公判期日の指定 → 公判
(注)控訴審は刑訴法上、一審判決の違法・不当を判断する事後審です。一から審理をやり直してくれるものではありません。
①についてどのくらいかかるか分かりませんが、8月中旬~8月下旬となると考えます。
②8月下旬か9月初旬に記録が高裁にいくと、そこから2ヵ月くらいの内に控訴趣意書を出せと言われます。10月下旬までに出せといわれるのではないでしょうか。
③年内に公判が開かれるか、2012年1月かくらいのところです。
弁護人は、控訴趣意書、証拠請求をした上で、東京高等裁判所の担当裁判官に面会を申し入れ、そこで弁護人の控訴についての考えを伝え、新たな証拠調べがあれば、その必要性を説明し、審理に反映してもらうことを要望します。
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8月2日に接見して感じた市橋君の様子について昨日もブログに報告しましたら、何人かの支援者から心配しているメールをいただきました。大学を卒業してから6年以上経っていますし、いろいろな経験をしてきたので昔の市橋君と違っていても不思議はないかもしれませんが、言葉も自らは話せないくらい衰弱している感じがしましたので、来週時間を見つけてもう一度接見に行ってこようと思っています。何年振りかで、弁護団以外で心を許せる人間(私)に会ったので、単に言葉がでなかっただけならいいのですが。
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2011年8月4日木曜日
一昨日接見した時に見た市橋君は、本当に心身ともに衰弱し切っている様子でした。例えば、どうだ元気にしているかというような問いかけに対しても、ただうなずくだけか、私が何回か同じ質問を繰り返し、答えの選択肢をいくつか提供するとその中の一つを選んでオウム返しのように答えるだけでした。公判の時に尋問に対してテキパキと答えられなかったのは、サボタージュや演技ではなく、本当に言葉がでなかったのだと思います。今は、罪を償わなければならないということと、私をはじめ皆の期待に応えて生きなければならないという思いの精神力で生きていますが、控訴裁判の結審まで耐えられるかどうかちょっと心配になったというのが正直な印象でした。私はこれからも時々接見に行って、徐々にでも元気を取り戻すように話しかけてくるつもりですが、医学的なカウンセリングが必要な状態かどうか観察し、その場合は弁護団に相談するつもりです。
支援者の一人から次のメールが届きました。この方は私が子供の頃にフナやクチボソ(別名モツゴ)の釣りをしたことのある沼の近くにお住まいとのことで、もしかしたら子供の頃すれ違っていたかもしれないとおっしゃったので、年齢はわかりませんが、懐かしくなりました。
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支援金の使い道の件、弁護士さんのお申し出のように控訴審の費用にしていただいて良いと思います。先生のおっしゃるように、控訴審には参加されない方には些少なりとも受け取っていただくとしても、これからも必要経費は嵩む(かさむ)と思われますので、このまま継続して資金としていただいて良いのではないでしょうか。
市橋さんに支援金の記録簿を見せる件、私も賛成です。「○○人が支援してくれたんだよ」と言うだけよりも、名簿を見て、そのひとりひとりの名前を見て、それぞれの人がそれぞれの思いで支援金を振り込んだのだと実感できて、市橋さんの生きる勇気になるのではないでしょうか。ただ、私は名前も住所も出してくださって一向に構いませんが、それは困る、とおっしゃる方には配慮が必要かと思います。
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今日、菅野弁護士にメールを送り、今までの実費支出を差し引いた残りの支援金とこれからも振込まれる支援金を控訴裁判の活動実費と弁護士料としてお使い下さいとお伝えしました。弁護団の中に控訴裁判に参加しない弁護士がおられたら、今までの活動に対する謝礼をどうするかは弁護団におまかせしますとお伝えしました。控訴裁判がどれくらいの期間かかるのか私にはわかりませんが、市橋達也君の適正な裁判を支援する会は継続して募金活動をして、結審するまで弁護団に支援金を提供するつもりです。
支援者一覧表を市橋君に差し入れする目的は、社会全体が市橋君を敵視しているのではなく、大勢の方々が市橋君の更生を願って支援していることを知らせて励ますことと、外部から手紙が届いた時にどなたが支援者であるか市橋君が判断できて礼状を書きたい時に書けるようにしてあげることです。一覧表には、匿名希望の方を除いて、お名前(都道府県名)何月何日〇〇円、というように記載するつもりです。住所その他の個人情報は全て削除します。一覧表は市橋君に差し入れするだけですが、刑務所のチェックが入りますので、万が一にでも外部に個人情報が漏出する危険は避けたいと思います。顔を表に出して活動をしている私に対して現在行われている嫌がらせ行為を見ますと、支援者に同じような迷惑がかかることだけは絶対にないようにしなければなりません。
今日は一日自宅で仕事をし、途中江戸川堤防を8km 走ってきましたが、少し疲れがとれたのかいつもより体が軽く感じました。サンドバックを蹴っていても、いつもより少し鋭い突き刺さるような蹴りができた気がしました。
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2011年8月3日水曜日
8月1日に振り込まれた3名の方(4回目、11回目、初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は90,000円、延べ369人からの合計額は3,607,428円になりました。ありがとうございました。最近、公判の様子が各種メディアで報道されたのでこの支援する会の存在がより広く知られるようになったのか、繰り返し振り込んで下さる方々に加えて、初めて振り込んで下さる方がおられるのは嬉しい限りです。
支援者からのメールもたくさん届いています。以下はその一部です。
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控訴、嬉しかったです。2回目の送金をさせていただきました。弁護士費用などにお使いいただくこと、名簿を市橋君に見ていただくこと、大賛成です。
市橋君には健康な心身で償いの日々を過ごしていただきたいです。生きていることの喜びを味わうと、同時に、亡くなった命を思いまた自分を責めて苦しくなる・・・繰り返しだと思いますが、その姿にこそ、神様の恵みと赦しがあると思います。神様が共にいてくださり、遠くからは私たちも見守っています。
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裁判費用と名簿の件賛成です。
控訴をすることになったようですね。無期懲役という判決には納得できませんでした。このままの結果で終わってしまうのだけは避けて頂きたかったので、控訴することになってよかったです。
仕事の都合で傍聴には行けなかったのですが、法廷ライブの記事から、現場の状況が伝わってきました。メデイアの先入観、遺族の感情から、裁判員は無期懲役と判断されたのかなと感じてしまいました。
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ブログ拝見しました。読んでいて私も涙が出ました。無理な事ですが時間を戻してほしい・・・と本当に思いました。
市橋さんの涙・・、本山先生のお言葉・・、その温かいお気持ちがきっと市橋さんの心に染み込んでいったんだと思います。
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写真(クリックすると拡大できます)は、千葉大学時代に学生たちと何年間も空中散布農薬の生態影響調査で通った千葉県香取市山田区田部(たべ)地区の広大な水田と、仁良(にら)地区にある橘堰(たちばなぜき)ふれあい公園の大賀(おうが)ハスです。今日はちょっと時間があったので寄ってみました。毎年のことですが、暑い夏の日射しの中で美しい景色が広がっていました。(2011.8.3 撮影)
大賀ハス:大賀一郎博士(1883年~1965年)、当時関東学院大学教授が1951年に千葉市検見川(けみがわ)の縄文時代の遺跡泥炭層から見つけたハスの実が1952年に発芽し、その後国内外150箇所以上の地に植えられたもの。2000年前にこの辺りに住んでいた古代日本人も同じ花を見ていたと考えられています。
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2011年8月2日火曜日
7月31日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は65,000円、延べ366人からの合計額は3,582,428円になりました。ありがとうございました。
今日は千葉刑務所に行って、市橋君に接見してきました。初めて行く場所でしたが、受付で接見の申し込み用紙に記入して受付番号をもらい、売店を兼ねた待合室で待っていると放送で番号を呼ばれて接見室に入りました。写真撮影とか録音とか携帯電話とかは禁止ですので、カバンはロッカーに入れさせられます。プラスチック板の仕切りのこちら側の椅子に座って待っていると、仕切り版の向こう側の部屋のドアが開いて市橋君と刑務官が現れ、市橋君の横に座った刑務官に時間は8分ですと言われてストップウオッチのスタートボタンが押されました。
公判の席で終始うつむいて顔をあげなかったのとは違い、顔をあげて私の顔を見てくれました。最初に言った言葉は、か細い声でしたが、申し訳ありませんでした、という謝罪の言葉でした。精神的に極限まで追い詰められてやつれ果てた顔でした。あまりにも弱々しく病的なので、ちゃんと食事は食べてるか、これから刑務所内で相当長期間暮らすことになるのだから、食事をしっかり摂って運動もして健康を取り戻さなければ駄目だぞ、と言ってやりました。もう起こってしまったことは元には戻せないのだから、これからはそれを現実として受け入れて生きていくように言ってやりました。市橋君の目から涙がポロポロ落ちて、止めどもなく落ち続けていました。専攻していた研究室の仲間も心配していたこと、その中の何人かは支援金を振り込んでくれたけど、一人は10万円も振り込んでくれたこと、空手部で一緒だった仲間も心配していたことを知らせてやりました。つい数日前に彼が専攻していた研究室の卒業生と現役生が大学でバーベキューパーティをやっていて、本当は君もあの中に参加していた筈なのにと言ってやりました。先日山本弁護士経由でもらった手紙の礼を言って、「裁判」の「裁」の字が間違って「栽培」の「栽」になっていたから、国語辞典を差し入れするからと知らせました。私宛に直接手紙が送れるように、私の住所も差し入れしておくからと言いました。これから外部との手紙のやりとりもできるとのことなので、友人達の住所がわかるように同窓会の名簿を差し入れしようかと訊いたら、首を横に振りました。自分のしたことを恥じていて、とても友人達と手紙のやりとりをしたいとは思えない様子でした。
お父さん、お母さんに伝えたいことがあればお手紙を差し上げるからと言ったら、うなだれながら、申し訳ありませんでしたと伝えてほしいと答えました。
あっという間に8分間は過ぎ、全ての会話を横で聞いていた刑務官に接見時間は終わったことを告げられました。市橋君に、また来るからなと言って接見室を出ようとしたら、先生もお身体をお大事にいつまでもお元気でと言ってくれました。
再度受付に行って、松戸を出る前に書店で購入した岩波の国語辞典(比較的最近改訂されて、裁判員という言葉も収録されていた)を差し入れする手続きをしていたら、若い女性に本山先生ですかと声をかけられました。支援者の一人で、よく差し入れに来ておられるようで、今日は本と食べ物と暑いので飲み物を差し入れされていました。一緒に外に出て、回りを少し歩いて彼が拘留されている拘置所部分の建物の写真を撮りました。それから一緒にタクシーに乗って千葉駅まで行き、総武線の電車も途中まで一緒でしたので、お話ができました。私はその後東京農大に寄って、夕方自宅に着いたら、早速携帯のメールで礼状が届いていました。
帰路、日本テレビの記者と共同通信社の記者から電話取材があり、市橋君は無期懲役という判決をどう思っているか、控訴することについてどう思っているかと、訊かれました。これらの記者の責任ではないかもしれませんが、公判の時の市橋君の態度と行為を、演技をしている、反省していない、と報道していた(被害者遺族の発言としてかもしれませんが)ことに腹が立っていましたので、市橋君は自分の犯した罪の大きさに打ちひしがれて心身ともにボロボロでそんな質問に答えられる状態ではありませんでしたと答えました。さらに、市橋君が言った「申し訳ありませんでした」という言葉は誰に対して申し訳ないという意味かと訊かれましたが、メディアは今になってもまだ市橋君は反省していない、演技をしていると報道したいのかと、本当に腹立たしく思いました。
ある支援者が以下の情報を送ってくれました。
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市橋君の弁護団が高裁に控訴したとニュースで見ました。
東京高裁に電話したら、千葉での裁判の記録が高裁に送られるまでに一ヶ月くらいかかるらしく、それから裁判官が選任され、千葉での裁判の記録を精査したり、裁判の準備に三ヶ月、長くて四ヶ月かかることもあるので、高裁での裁判が開始されるのは年末とか来年になるかもと言われました。
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今日撮影してきた千葉拘置所の写真です。市橋君はこの建物の中のどこかに拘留されているのでしょう。
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2011年8月1日月曜日
7月29日に振り込まれた2名の方(4回目、初回)の支援金が届きました。昨日までに貯まっていた支援金376,843円は今朝郵貯銀行で払い出して菅野弁護士に届けましたので、支援金の新たな現在高は55,000円、延べ365人からの合計額は3,572,428円になりました。ありがとうございました。お二人からは手書きのメッセージがありました。
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有期刑を願っておりましたので、無期刑はとてもショックでした。彼は何の偽りもなく事実を語ったと私は思います。人によって随分見方が違うものだなとつくづく思いました。彼も判決理由には納得がいかないようですので、是非控訴してほしいと思います。
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達也様、ご家族様、弁護士団様、支援する会、応援しています。皆様に神様イエス様の祝福がありますように。イエス様の血はすべての罪をあがなって雪のように白くして下さいます。(聖書)
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その後も私からの問いかけに対する支援者からの返事がメールと封書で届いています。匿名の非支援者からもお便りがたくさん届いていますが、ブログへの紹介はせずに私の時間の許す範囲で個々に返事を差し上げたいと思っています。
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本山先生お久しぶりです。29日のブログの件ですがこれからの控訴裁判の弁護料として使って頂く事、市橋さんに入金記録簿を見せる事、私はどちらも賛成です。本山先生にお任せします。市橋さんからの手紙も拝見しました、先生の支援する会を立ち上げられてからの行動や先生のお気持ちをちゃんと受けとめていると感じられる手紙で感動しました。近々接見に行かれるそうですね、接見できる時間は短い様ですが直接お話しされた様子などまたブログでお知らせして下さったらうれしいです。暑い日が続いていますのでお身体大切になさって下さい。
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先生、また弁護士の方々、本当にたいへんでございました。まずパソコンができないので手紙でお許し下さい。
今回の裁判では多すぎる疑問があり、納得できない事ばかりです。司法というものは公平と聞いておりましたが、とても残念です。判決後の裁判員のあの笑顔には、怒りを感じました。支援金の使道は先生にお任せいたします。私どもの名前は、市橋君に見せて下さって結構ですし、またどんな事でもどんな時にでも公表して下さって結構です。
あくまでも適正で公平な裁判が行えますよう心より願っております。これからも変わらず支援させていただきたいと思っております。市橋君が元気で過ごせますよう、毎日祈っております。(4名連名)
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支援金のお支払いですが、自分の意見として、すでに先生のまとめられているように、弁護士の方のご意見を尊重し、、名簿については、やはり個人情報の事、考慮していただけたら、と思います。
色々、大変だと思いますが、よろしくお願いいたします
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まだ返事をいただいていない支援者も多数おられますが、支援金から実費を差し引いた残りを、これからの控訴裁判の費用(実費と弁護士収入)として使っていただくことに異論はないようですので、そのように弁護団にお伝えしようと思います。ただ、控訴審は東京高裁で行われますので、今までの6名の弁護団の中で参加できない弁護士がでてくる場合も考えられます。その場合は、今まで弁護活動をして下さったことに対して何らかのお礼をすることが必要だと思いますので、その点は弁護団におまかせしたいと思います。
入金記録簿を市橋君に見せることについても、今までにご連絡いただいた方は全員問題はないというご意見でしたが、個人情報への配慮が必要というご意見もありました。そこで、元々匿名希望や住所不記載の方と、個人名が特定されないようにしてほしいと申し入れされた方については、名前を〇〇〇〇にします。そうでない方については、お名前と入金時期と金額ならびに都道府県名(例えば、大阪府、北海道など)だけを残して、その他の情報は全て削除した一覧表を作成して市橋君に見せようと思います。差し入れをするには、刑務所のチェックが入る筈ですので、どんな形にせよ皆様の個人情報が漏出する可能性は絶対にないようにしたいと思います。この点について、ご意見のある方、ならびにご自分の個人名を一覧表に残してほしくない方は至急お知らせ下さい。刑務所を通して個人情報が漏出することはないと思いますが・・。
今日は山本弁護士が接見に行かれましたが、大勢の容疑者や受刑者に大勢の弁護士が接見に来ているので、1時間くらいは待たされるのだそうです。私は明日接見に行く予定です。山本弁護士にその旨を市橋君に伝えていただいたら、遠くからわざわざ来ていただくのは申し訳ありませんが、ありがたいことですと答えたとのことでした。いくつかの新聞やテレビの関係者から私に同行したい(1回に3人まで接見可だそうですので)という打診がありましたが、お断りしました。
一昨日のブログで紹介しました市橋君からの手紙の中で、「裁判」の「裁」の字が、「栽培」の「栽」の字と間違っていましたので(私自身も時々わからなくなって辞書で確認しますが)、明日は国語辞典を一冊買って差し入れしてくるつもりです。これから外部との手紙のやりとりもできるようになったようですが、国語辞典は手元にないそうですので。
今日も江戸川堤防を8km 走ってきました。体重がベストコンディションの時と比べると10kg くらいオーバーなので、軽快な走りとは程遠い、ヨタヨタした走りしかできませんが、これから冬のマラソンシーズンに向けて徐々にトレーニングを加速していくつもりです。
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2011年7月31日日曜日
昨夜は猛烈に足がつって、体がもっと運動をするようにサインを出しましたので、今日は江戸川堤防を8km 走ってきました。涼しい風が吹いていたので楽に走れて、快適でした。シャワーを浴びて一休みしてから、北松戸のリハビリセンターに入院している友人(千葉大学時代の同僚教授)を見舞いに行きました。長年の腎臓透析に加えて、脳出血、脳梗塞を経験して寝たきりの状態が長いので、体力と認知力の衰えが著しく、今日はほとんど私が一方的に話しかけるだけの状態でした。研究分野は違いますが、昔はお互いに研究面で競争したり刺激し合ったり、大学のあるべき姿などについて議論した仲なので、寂しい限りです。
7月29日のブログに支援者の皆様のご意見をお寄せ下さいという記事を書きましたが、早速続々と返事が届いています。ほとんど全員が私の提案に賛成というご意見でした。ただし、入金記録簿を市橋君に見せることについては、個人情報の保護に注意してほしいというご意見もありました。中には、支援金を振り込んで私からの礼状で情報を入手しようとした反支援者も紛れているようですし、支援者の中にも回りに内緒で支援して下さった方もおられますので、もう少し考えて慎重に対応したいと思っています。以下はいただいた返事の一部(要点だけ)です。
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①については、弁護団の方々のご意思を尊重して頂きたいと思います。
②については、ひとりひとりの支援者の皆さんの思いを市橋達也さんに感じて頂き、ひとりではない...ということをあらためて知って頂きたいです。よろしくお願い致します。
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先生、毎日お忙しい中、支援の活動をありがとうございます。当然ですが...もう、涙がとまりません。市橋君からの本山先生宛の手紙を拝見し...先生の揺るぎない、元卒業生への思いがしっかり伝わっていたのだな、と...感動しています。私は微力でしか支援出来ぬ者で、市橋君とは身内ですらないのですが...この感情は 理屈では語れないものなのです...29日金曜のブログの内容の件は、私個人の意見では全て賛成です。 (控訴に向けての、弁護料とする事...入金記録簿を見せる事)どうぞ宜しくお願いします。
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是非、これまでの弁護料として弁護士さんに渡していただきたいです。二百数十万円の金額では、今までの弁護料としては大変不足だとは思いますが、気持ちだけでも受け取って欲しいと思います。今後の弁護士さんへの実費や弁護料は、また支援する会でがんばりましょう!
入金記録簿について、これも、是非、市橋さんに見せていただければ、市橋さんへの励ましになるかと思います。
私個人としましては、名前など記入されていても構いませんが、個人情報を出されることを不可とする方もあるかと思います。その場合は支援者№1とか番号で記入していただければ良いかと思います。
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29日のブログでの支援金の使途と、入金記録簿についてですが、振込額や回数が少ない私が意見するのはおこがましいかもしれませんが・・・
支援金の残高については、私も今回の裁判で一度決算し、残りを弁護士収入にして頂きたかったですが、次の控訴審の費用として使いたいとのこと、異論ありません。控訴後の費用も諸々かかってくるでしょうから、これからも支援していきます。
2つ目の入金記録簿についても、本山教授の意見に同意です。市橋さんのことを気にかけている人が沢山いるんだよと、少しでも生きていく力になればいいなと思います。
今日のブログの市橋さんから本山教授への手紙、読ませて頂きました。「書は人なり」と言いますが、しっかりとした丁寧な字で書かれた手紙を見ていて、真面目な人で嘘をついたりごまかしたりするのは出来ない人なんだろうな、と感じました。
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支援金につきましては、弁護士費用(今迄でも控訴でも)としてお渡しされるのに同意します。
入金記録簿も、見せられれば、多くの方が支援してる事を知り、今後の励みになると思います。もし、可能ならコピーを差し入れられれば良いのですが... 私は、名前や住所等伝えて頂いても構いませんが、他の支援者のご意見も有りますので、本山先生にお任せ致します。
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今日のブログは、先生のご多忙ぶりと、市橋さんのお手紙を読まれた先生のお喜びの様子がよく伝わってきました。先生が市橋さんに対して、見返りを求めず活動されていることがわかるだけに、市橋さんの気持ちがきちんと書かれた手紙に、私までもが心踊りました。当然といえばそうですが、市橋さんも何とか、先生に気持ちを伝えたかったのでしょうね。
昨日のブログのご返事はもちろん先生にお任せします。全く見ず知らずの市橋さんのことですが、先生の深い愛情に敬意を持って支援し始めたのが、実情ですから...
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さて、支援金ですが、控訴の弁護料に使用していただいていっこうに差し支えないと私は考えております。今後も支援金は集まっていくと思いますし、弁護士の先生方には今までもかなりのご負担をおかけしているわけですから、少しでも役立てられればと思っております。
入金記録簿も、本人(振込者)から断りがなければ、市橋さんに見せても問題ないと思います。そのことで少しでも、みんなが市橋さんに手を差し伸べていることを実感してもらえれば、更生への気持ちも強まるでしょうし、今後、つらい時にも支えになると思います。
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支援金の件ですが、弁護団の皆さんが本気で正しい方向へ導こうと考えておられるならばブログのようにしていただいて構いません。真実を追求するべく全力で市橋君を守って下さるならば。これからの控訴裁判の弁護料として。
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先生のブログ、毎日欠かさず拝見しております。大変なご多忙の中での活動に頭が下がるばかりです。ありがとうございます。
1、支援金の使途について→賛成。実費以外の弁護士費用云々についても先生に一任します。
2、記録簿を市橋氏に見せる件について→見せること自体は反対しません(賛成)
ただし、私の個人情報は伏せてほしいです。(例:〇〇県〇〇代女性会社員とするなど)
このことは、以前おっしゃっていた監査(第3者に名簿等を見せる)の時も同様の取り計らいをお願いしたいです。
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上記の他にもお便りはたくさん届いていますが、全部を紹介し切れません。以下は、非常に熱心に今回の裁判の問題点を追及されている支援者からのお便りです。
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市橋君からの先生宛のお手紙を読んで、市橋君のことを信じて、支援し、陰ながら応援してきて、本当に、本当によかったと思いました。これからもできる限り、可能な限りではありますが、迷いなく支援していきます!!ブログに載せてくださって、本当に、本当にありがとうございます!!先生から感じ取っていた市橋君が、思っていた通りの、心ある青年で、思わず涙が込み上げてくるほど、嬉しいと表現していいのか、いけないのかもしれませんが、すごく嬉しいです。先生が言うように、市橋君は大丈夫、自分のしたことの重大性をちゃんと理解し、罪を償う覚悟もできているので、生きていけるということが、一支援者として、心底嬉しく感じられます。
量刑不当、事実誤認の理由で控訴の申し立てをするとのこと、ほっとしました。被害者遺族と加害者、双方の立場から考えると、複雑な心境になり、控訴しないのも、控訴するのも、どちらも正しく思えて、わからなくなっていました。控訴する=反省していないと世間にはどうしても捉えられてしまう、非難されてしまうという不安もありましたが、かといって、もしこのまま控訴せず、無期懲役の刑が確定してしまったら、判決理由からしてそれも違う!!という思いもありましたので、思わず、よかったーと独り言が漏れました。事実を話しているのにも関わらず、裁判官・裁判員に事実を話していない、信用できない、殺意はあったとされてしまったことには、私も一支援者として納得できなかったので、被害者遺族の心情としては、当然無期懲役を望むものだとは思いますが、被告の証言は信用性が低いと認められず、市橋君が誤解されたまま、この判決を確定させてしまっていいはずもないしと今日まで複雑な気持ちでありましたが、控訴するとなった今、被害者遺族、そして世間の反応が怖いですが、一先ずほっとすることができました。
リンゼイさんのご両親の帰国後のインタビュー、念のためリンク先を貼っておきます:
リンゼイさん遺族「市橋被告は演技」http://www.youtube.com/watch?v=C5q40QRvtUA
「市橋被告の土下座は不愉快だった。立ち上がるように言いました。今更、土下座をして許しを乞おうとする態度に、気分が悪くなりました」「涙は出ていませんでした。演技ですよ。声を上げ震えていましたが、涙は流れていませんでした」
(↑「泣きながら震えていた」「鼻をすする音が法廷に響いた」という報道もありましたので、市橋君に対する怒りと憎しみからそう言っているのでしょうか。)
「市橋は控訴するでしょう。彼はニュースに出て、注目を浴びたいだけなんです」
(↑違いますよね。判決理由はすべて正しいと思われている限り、反省していないから控訴すると思われるのでしょうが、ニュースに出て注目を浴びたいだけだなんて、市橋君の証言のどこからそのような愉快犯的な?印象を持たれたのでしょうか。被害者遺族が自分の娘の命を奪った犯罪者の言うことなんか信用できない、裁判員が被告の言うことなんか信用できないと市橋君の証言から「信用できない」という結論を出されるのは、事実を事実と認めない場合、心理的にそう思われるのであろうということは理解できますが、「ニュースに出て注目を浴びたいだけ」というのは、市橋君のことを犯罪者という色眼鏡で見てしまうからなのでしょうか。市橋君のことを、他と何も変わらない、注目を浴びたいだけの極悪凶悪犯罪者と思っている以上、犯罪者・加害者となってしまった市橋君は、そうである前に、思っているよりも普通の青年であったとは、到底思えないのかもしれません。)
(リンゼイさんの遺族)
文化の違いもあって、日本人特有の、土下座の心と文化を感覚的には理解できないものかと思いますが、被害者遺族には市橋君の心からのお詫びの表現とは、当然思われないですよね。でも土下座や一礼をしなかったらしなかったで、今度はふてぶてしい態度だ、反省が微塵も感じられないなどといった感じで、ますます非難されていたと思いますし、詫びても詫び切れない心情と、懺悔と悔恨の念を表すこと自体は、被害者遺族からしたら、不愉快だった、演技だったと言っておられるように、見たくもなかったかもしれませんが、市橋君としては、リンゼイさんは決して生き還らない、言葉で詫びても済まない、自分の命ででも償えない、何をしても取り戻せない尊い命に対し、深い反省の心から、土下座をしたのだと思いますし、決して間違っていなかったと思います。
またネットには酷い書き込みが多々見受けられますが、中にこんなまともなのもありましたのでコピペしておきます:
テレビで裁判員が市橋を「信用できない」とはっきり言っていたのには驚いた。やっぱり最初からコイツは悪いヤツという先入観を持って見ているんじゃ? 検察の殺人罪は認められたけど強姦致死は時間の経過があるから認められなかった。 だったら求刑通りっていうのはおかしいよね? 凶器があるわけでなし、決め手に欠ける中で無期懲役という判決は厳しいのでは?
(この方が支援者かどうかはわかりませんが、ほっとする書き込みでした。)
市橋君は確かに自分に不利になることも含めて包み隠さずに証言した印象を持ちました。
市橋君は本当に正直な人で、もしかするととても正直な人だからなのか、誤解を生まないように、自己防衛(自己弁護というより、自己防衛)のためにも必要な情報を付け加えることに欠けるのかなとも思いました。極悪凶悪犯罪者の人物像がメディアによって形成されましたが、その人物像とは大きく異なり、決してずる賢くはなく、事実をありのまま話し、そのため言葉足らずになってしまうのか、殺意はなかったこと、あくまでも突発的であったことを、先入観はないと口では言っても、過熱報道を何も見ていない限り、そう簡単に払拭できるものでもないので、先入観があって、極悪凶悪犯罪者と最初から思っていた(決めかかっていた)からこその判決理由に思えますし、裁判員制度では、先入観を取り払い、被告が裁判員に信用してもらうこと自体、そもそも初めから無理だったのではないかと思います。
それでも先入観と偏見を持っている裁判員の方々に、誤解を招かぬよう、また通訳の方(解剖所見など医学的な専門用語も予想されるので複数必要ではないかという弁護団の提案に対して、他の通訳者には入ってきてほしくないのか、自分一人でできると主張したというのも、このような難しい裁判であるにも関わらず、完全な中立的立場と訳の忠実性、正確性が求められるプロの法廷通訳者としてはちょっとおかしく感じてしまいます。裁判所が採用した通訳者ではないということですよね(本山:千葉地裁に登録されている通訳の中から裁判所が採用したと聞きました)。先入観を完全に払拭し、既成概念にもとらわれず、被害者遺族の怒りと憎しみと悲しみをいたずらに増幅させるようなことも一切なく(たとえ本人がよかれと思って、思うまま、感じたままに訳したとしても、感情的にならずに淡々と、いかに正確に訳せるかは、法廷通訳者としてのプロ意識と熟練度の高さによって差があると思われます)、被害者遺族に感情移入せず、法廷でプロとしての中立性と冷静さを保ち、感情的にならず、その結果、誤訳や脚色をされなかったといいのですが、しかしながら報道によると、何度も誤訳をし、感情的になっていた場面もあったようなので、プロの法廷通訳者として専門性と中立性に、多少なりとも疑いを持ってしまいます。
例えば、「女性通訳は感情移入したかのように強い口調となっていき、市橋被告の呼称を外した」、「専門用語が多いせいか、女性通訳の通訳スピードも落ちている」、「専門的な知識が必要な話のせいか、通訳を聞いていた、リンゼイさんの母、ジュリアさんが首をかしげたままだ。医師が話を続けようとすると、通訳が「ちょっと待ってください」と悲鳴のような声でさえぎった」といった報道もありましたので、ここまでくるとプロの法廷通訳者としての専門性と技術性はどの程度だったのか気になってしまいます。
Ichihashi trial bares translation woes
Courts refuse to admit interpreters often lack the necessary skillshttp://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110721f1.html
英国人講師殺人事件の裁判で通訳問題があらわに
通訳人の実力不足を認めない裁判所http://blog.smacktrans.com/2011/07/blog-post_22.html
(7月4日の初公判からメディアの注目を大いに集めているこの裁判だが、誰もが気に留めていない問題がある。通訳の質の問題だ。社会的にも関心が高いこの事件だが、微細なニュアンスの誤訳や細かい情報の訳抜けなど、法廷通訳人のミスが何度も確認されている。
7月4日の初公判からメディアの注目を大いに集めているこの裁判だが、誰もが気に留めていない問題がある。通訳の質の問題だ。社会的にも関心が高いこの事件だが、微細なニュアンスの誤訳や細かい情報の訳抜けなど、法廷通訳人のミスが何度も確認されている。
彼女の法廷通訳者としての経歴も、どのような基準・条件で採用されたのかもわかりませんが、市橋君に対する印象は、通訳の訳し方一つで大きく変わりますし、彼女の訳し方によっては、先入観が新たな誤解を招かぬよう、市橋君は慎重に言葉を選ばざるを得なかったとも思うので、裁判員の思い込みや先入観だけではなく、通訳の先入観にも気を付けながら、一つ一つ証言していかないといけなかったので、結果的には先入観が判決に影響を及ぼした可能性があると思われますが、被告として裁かれる立場になってしまった市橋君にとっては、本当に難しい、大変な裁判だったかと思います。根強い先入観をなくすことは容易ではありませんし、相手に対する先入観、固定観念、既成概念、悪意等から、同じ言葉、同じ証言、同じ行動でも、その言葉や行動の捉え方も、相手に対する印象も、180度違うものとなり得るほど、人を判断する際、ことごとく影響を及ぼしてしまうものなので、先入観は本当に恐ろしいものです。
プロの法廷通訳者について少し調べていたら、以下のサイトを見つけました:
外国人被告人と法廷通訳http://www.hou-nattoku.com/precedent/0032.php
法廷通訳人に求められるのは、次の4点です。
1.通訳の正確性・誠実性の保持
2.熟達した通訳能力の保持
3.中立性、公正の保持
法廷通訳人は、公平・中立な立場で裁判を行う裁判所の補助者です。被告人側・検察側のいずれにも偏ってはいけません。
4.職務上知り得た秘密の保持
訴訟係属中も終了後も、職務上知った情報を漏らすことは許されません。
これらに反すれば解任される場合があります。
また、訴訟での通訳内容が不正確なときは、異議申立て(刑事訴訟法309条1項)ができると考えられています。
支援金の総額から実費を差し引いた分は、今回の裁判の弁護料としてではなく、これからの控訴裁判の弁護料として使用していただいて構いませんし、判決にも、判決理由にも納得していなかった一支援者としては、むしろそうしていただきたいです。私も確かにこれだけ長期間にわたって弁護活動をして下さった弁護団の皆様には、実費を引いた残りは今回の弁護料として受け取っていただきたいという思いもあり、控訴する場合は、また新たにと思っていましたので、弁護団の皆様からそのような申し出があるとは思ってもいなかったのですが、「元々無償を覚悟で弁護を引き受けたので、これからの控訴裁判の弁護料として使わせていただきたい」とまで言ってくださるなんて、市橋君には本当に誠実な弁護士の方々がついていてくださっていたのだと改めて思いました。私は市橋君の身内でも友人でもなんでもないですが、弁護士の皆様には、感謝の気持ちからありがとうと言いたいくらいです。
市橋君は当分の間はメディアや一般の人の接見を受ける意思はないとのことですが、もし市橋君がマスコミや一般の人の接見を受けた場合、市橋君が発言したことが、どのように報道されるか、すごく心配です。先生には是非とも近々接見に行ってほしいですし、その時に今までにどなたが支援金を振り込んで下さったかがわかるように、入金記録簿を市橋君に見せていただいて構いません。全く面識のない方々も含め、これだけの支援者がいることが市橋君の励みになればと思います。また、市橋君の知人や友人の名前がその中に1人でも多くいてくれれば、きっと言葉では言い表せられないほどの多大な嬉しさを感じられ、深い感謝の気持ちを持たれることと思いますので、是非見せてあげてください。ただ、私は市橋君の身内でも友人でもないので、その時に第三者によってコピーを取られた場合、そのコピーを取った方ではなくとも、他の方による情報漏えいがあったら、それだけが気になりますので、やはり個人情報(名前以外の住所、メールアドレス、携帯番号)はできる限り伏せていただきたいとは思います。
お伝えしたいことがまだありますので、後日またメールさせていただきます。お返事はもちろん不要ですので、どうぞお気遣いなく。
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2011年7月30日土曜日
昨日は午後から東京農業大学の食と農の博物館で、総合研究所農薬部会のセミナーが開催され、今年の4月に理化学研究所から東京農業大学に移られた仲下英雄先生の講演「誘導抵抗性による病害防除の現状と可能性」と、山本 出先生の講演「食品の安全性-放射能汚染、中国事情を含む」がありました。動物でも体外から有害な異物が入ってきた場合、異物が病原菌のような高分子の場合、免疫機能が働いて異物を不活性化して自己防御をしますが、植物でも病原菌に感染されると抵抗性が誘導されることが知られています。仲下先生は、その基礎的なメカニズムと、それを作物の病害防除方法として利用する場合の可能性と問題点について話をされました。山本先生は、福島の原発事故による放射能汚染にかんがみて、リスクの考え方を中心に話をされました。こういう素晴らしい講演を聴いた後、それをどう社会に広げていくか、役立てていくかが課題だなと思いました。
今日は明治大学の駿河台キャンパス(御茶ノ水)で、「化学物質の法規制」という講座が最終回でしたので、北野 大(まさる)先生をはじめ講師陣と受講生の交流パーティがあり、私も出席しました。学外からのいろいろな受講生と話ができて楽しいひと時でしたが、先日メールをいただいた女性ともお会いできました。昨日更新したこのブログの記事も読んでおられました。
山本宏行弁護士から速達のお手紙が届き、その中に市橋君から私宛の手紙が同封されていました。私への連絡方法がわからないので、山本弁護士に託したとのこと。公判ではすぐ近くに位置していましたが、直接言葉を交わす機会はありませんでしたので、これが大学卒業以来初めての、元学生から私への言葉です。大丈夫、市橋君は自分のしたことの重大性をちゃんと理解し、罪を償う覚悟もできているので、生きていけるという印象を受けました。(手紙はクリックすると拡大できます。) ちょうど今日は千葉大学園芸学部の学生ホールのテラスで、市橋君が専攻した研究室の卒業生と現役生がバーバキューパーティをしていました。M教授もおられたので明治大学に出かける前にちょっと立ち寄ったら、市橋君と同学年だった卒業生も何人か参加していました。本来なら、市橋君もこの輪の中にいて、皆と楽しくおしゃべりしていた筈だったのですが・・・。
7月27日に振り込まれた方(18回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は376,843円、延べ363人からの合計額は3,517,428円になりました。ありがとうございました。メッセージが手書きされていました。
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本山先生、お忙しい日々を過ごされているご様子・・・。その後お元気でいらっしゃいますか。本日18回目の送金をさせて頂きます。またご確認をお願いいたします。(また後で)メールさせていただきますので、よろしくお願いします。
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今日は私の報告を、支援者、非支援者、反支援者、マスメディア関係者等、多くの方々が首を長くして待っておられることと思います。弁護士事務所を訪ねて、菅野弁護士と山本弁護士からお話を伺ってきました。控訴の期限は判決後2週間以内で8月4日までとのことですが、①量刑不当、②事実誤認、の理由で控訴の申し立てをするとのことです。今度は東京高裁で新たな3人の裁判官の下で裁判が行われることになるので、市橋君の身柄も約1ケ月半後に小菅(こすげ)の東京拘置所に移管され、裁判が終わるまでそこにいることになるそうです。これからは弁護団も一日がかりで東京まで出かけなければならず、弁護活動の時間的負担も大きくなるようです。
今回の公判での発言は全て録音されていて、それを文書化して高裁に回すことになるそうです。文書化する作業は時間がかかりますが、文書化された記録は当然弁護側にも提供されるとのことです。
市橋君は事実を話しますと述べた通り、自分に不利になることも含めて証言したにもかかわらず、裁判官・裁判員に信用されなかったということが納得できないと感じているようです。しかし、判決後の弁護団との接見では、弁護団にありがとうございましたとお礼を言い、私とM教授が証言したことに対してもお礼を言っていたそうです。
今回の通訳の誤訳の問題については、The Japan Times の2011年7月21日の紙面に大きく取り上げられ、具体的にどこが問題であったかが示されています(当該記事のコピーをいただきました)。通訳は千葉地裁に登録されている5人(?)の候補者から裁判所が選んだのだそうですが、単に被害者遺族の発言を通訳するだけでなく、裁判全体を通訳するのだし、検死所見など医学的な専門用語も予想されるので複数必要ではないかという弁護団の提案に対して、自分一人でできると主張して一人になったのだそうです。私の専門を農薬(Pesticide)を肥料(Fertilizer)と誤訳したのは単なる一例にすぎませんが、The Japan Timesが指摘している微妙なニュアンス(言い回し)の違いは、裁判員に実際に一定の効果を与えて被告人に不利に作用した可能性がありますので、今後の外国人が関与する裁判ではダブルチェックができるように二人で担当するという制度を検討する必要があるように思われます。
被害者(遺族)の参加制度によって、裁判官・裁判員に事実の認定よりも感情移入が大きく影響したということも1つの問題点だったのかもしれません。
支援者の皆様にご意見を伺いたいことが2つあります。1つ目は、支援金の使途についてです。今日は、今日までに振り込まれたその後の支援金376,843円を弁護士事務所の近くのゆうちょ銀行で払い出してお届けする予定でしたが、口座を開設したゆうちょ銀行でしか払い出せないと言われて届けることができませんでした。この分はできるだけ早い機会に払い出してお届けするつもりです。従って、前回までにお届けした分について、預り金明細書(左側のナビゲーションのところに添付)を今日菅野弁護士からいただきました。収入の部には支援する会が提供した分に加えて、市橋君が所持していた分とある支援者が個人的に提供した分が含まれています。そこから使用した実費を差し引いた金額2,680,300円(実際にはこれに今日お届けする予定だった376,843円が追加されます)を、今回の裁判の弁護料としてでなく、控訴裁判の弁護料(実費+弁護士収入)として使用してもよいかということ。私は、これだけ長期間にわたって弁護活動をして下さったのですから、実費を引いた残りは今回の弁護料(弁護士収入)として受け取っていただきたいと申し上げたのですが、元々無償を覚悟で弁護を引き受けたので、これからの控訴裁判の弁護料として使わせていただきたいと言われました。それでよいかどうか、ご意見をメールでお寄せ下さい。
2つ目は、市橋君への接見禁止が解除になり、多くのマスメディア関係者が接見の申し込みに殺到しているそうですが、市橋君は少なくとも当分の間はメディアや一般の人の接見を受ける意思はないとのことです。市橋君が発言したことが、どのようにメディアによって報道されるか(今まで散々バッシングをされてきたので)わからないという問題があるからです。私は近々接見に行くつもりですが、その時に今までにどなたが支援金を振り込んで下さったかがわかるように、入金記録簿を市橋君に見せたらどうかと思っています。このことについて支援者の皆様のご意見をメールでお寄せ下さい。
なお、接見は刑が確定するまでは1日に1組(3人まで可)だけ、15分に限定されているそうです。月曜~金曜の朝8時半から午後4時半まで身分証明書を持参して刑務所の受付で申し込むのだそうですが、市橋君は当分の間接見を受ける気持ちはないとのことです。
刑が確定後は、接見は週に1回だけに限定され、弁護士/家族/友人の優先順序で認められるのだそうです。
支援者からの質問について、公判前整理手続きに市橋君は参加していましたが、発言をしたのは、自殺の恐れのある未決囚という特別扱いの処遇を改善してほしいと訴えた1回だけだそうです。今回の裁判では、公判前整理手続きで検察側と弁護側が合意した証拠だけが提出され、それに基づいて審理や評議が行われたとのことです。ただし、被害者遺族の代理人弁護士(公判前整理手続きには参加していない)が刑の引き下げ(無期刑から有期刑)阻止を狙って、事前の打ち合わせ以外の発言をしたそうです。
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2011年7月28日木曜日
7月26日に振り込まれた方(14回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は366,843円、延べ362人からの合計額は3,507,428円になりました。この方からは一度もお便りをいただいていませんので、市橋君と関係のある方なのかない方なのかもわかりませんが、長期間にわたる温かいご支援をありがとうございます。
匿名で私に嫌がらせのメールを送り付けてきたり、ストーカー行為をしている人たちは、一体何の目的でそんなことをしているのか理解に苦しみます。この支援する会の設立の趣旨や活動の目的もよく理解しないで、勝手な思い込みで自己主張をする人たちは、まるで幼稚園児なみの意地悪行為をしているように見えます。全く無関係の人達(通販会社など)に経済的被害を与えることは犯罪行為ですから、それでも平気でいられるということは、社会的な責任感がないとしか思えません。支援金を募金するのだったら加害者ではなく被害者のためにするべきだという主張もありました。被害者遺族への同情が理由だとしたら、本人がリンゼイさんのご遺族のために募金活動を始めればいいのにと思いますが、誰かがそんな活動を始めたという話は聞いたことがありません。
罪を犯して社会から袋叩きにされている状態の元学生を、大学に恥をかかせた人生の失敗者・落第生として見放すのではなく、きちんと弁護士をつけて適正な裁判を受けさせ、罪の償いをさせ、更生の手助けをすることは、元教師として当然やるべきことだという信念は揺らぎません。
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2011年7月27日水曜日
7月25日に振り込まれた2名の方(2回目と5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は356,843円、延べ361人からの合計額は3,497,428円になりました。ありがとうございました。メッセージも手書きされていました。
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50代のおばさんです。白人相手という事で求刑以外の刑にはできなかったのか、圧力を感じています。いずれにしても、検察(が求刑した犯行内容?)は立証されていないにもかかわらず、今回の判決は無責任判決です。優秀な先生に、目安としての3分間の信頼度をひも解いてくれる方がいたら・・・、そう思っています。裁判官の(市橋君のした証言に対する?)完全無視の言葉、裁判員のふざけたコメント、信じられません。作られた見せしめの裁判のようでした。更生可能な、大切なひとりの人生の芽を摘まれた気がしました。これから先も市橋君のために何かしたい。微力(自分のできることは?)ですが、本山先生は市橋君との懸け橋でした。この会での支援者の方々との思いの共有、私自身励まされてきました。本当に感謝しています。
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本山先生、弁護団の皆様、お疲れ様でした。厳しい判決で残念です。判決理由、内容等、私も納得できないので、支援者の1人としては控訴されることを望みますし、それが当然であろうかと考えます。今まで努力してきたことも、次のステップにつなげて行けたら良いのではないでしょうか。
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支援者のほとんどは、市橋君の犯した罪は決して許されない悪いことであるということは認めつつ、更生の機会を与えてやりたいという思いをお持ちだったでしょうから、今回の無期懲役という判決を厳し過ぎると感じておられるのでしょう。被害者が日本人女性やアジア人女性でなかったことが、検察側の求刑に影響したかどうか、判決に影響したかどうかは、私にはわかりません。私には法律や裁判に関する知識はほとんどありませんので判断できませんが、市橋君が犯した罪が無期懲役に相当するかどうかは、基準(過去に同様の罪に対してどういう罰が与えられたかという判例)に照らして判断されるべきことではないかと思います。弁護団はそういう意味では経験豊富なプロですから、不当に厳し過ぎると判断されれば控訴するのではないでしょうか。
メールでのお便りもたくさん届いていますが、ブログへの公表を望まない方もおられます。以下は、私自身の肩の荷を軽くし、ホッという気持ちにさせてくれた支援者からのお便りです。
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こんばんは。〇〇の〇〇です。
先生のブログを拝見していますと、文章がみずみずしく、様々な情景が目に浮かびます。ご多忙な中にあって、ご友人と出雲市の観光を楽しまれ、何よりでした。写真もとてもお上手ですね。先日の桜島の写真もとても力強く素敵でした。お仕事柄、様々な所にお出かけなられるようですが、時間を上手に使われているようで感心します。
市橋さんの控訴の期限は1週間だったと思いますが、明日ですか?今頃、市橋さんは何を思っているのでしょうか...
私はこの事について、どうしたら良い、などと言う、意見はありません。 それでも、裁判員が男性ばかりで、かなり厳しい判決になったと感じています。
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今日は東京農業大学の研究室に、千葉大学時代の古い卒業生が研究の用事で訪ねてきてくれたので、時間の経つのも忘れておしゃべりしてしまいました。彼もいつのまにか2児の父親になっていましたが、彼が学生時代によく私の車で一緒に千葉県印西(いんざい)市の亀成(かめなり)川に行って実験に使うブルーギル(魚)やスジエビ(甲殻類)を獲ってきた事を懐かしく思い出しました。
今日は大学の周りのジョギングもできたので、気分は良好。もっと自由な時間があれば、もっと体を動かして運動をしたいなあという気分です。
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2011年7月26日火曜日
7月22日に振り込まれた方(3回目)、7月23日に振り込まれた方(17回目)、7月24日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は340,843円、延べ359人からの合計額は3,481,428円になりました。ありがとうございました。
何人かの支援者から、市橋君と弁護団には控訴してほしいというメールが届いています。その他にも裁判員の資質について、支援者から以下のメールが寄せられました。元々は新聞に投書しようと考えておられたようです。
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ある事件(リンゼイさん殺害)の判決後、裁判員の方の会見の様子をテレビで見て驚きました。判決内容はとやかく言えませんが、一般人として、人の人生に関わる重大な決断をした直後とは思えない態度、様子に思えました。自分の正義感を示し、誇らしげにテレビで会見しているようで、違和感を感じました。
裁判員は、本人の希望によって顔を映像で流すことができるそうですね。裁判は、被害者と加害者がいて、加害者が罪を認めている場合は、悪いのは明らかに加害者です。
ですから真面目で律儀な普通の人であればなお、自分まで悪者になりたくないから、当然悪者を裁くことが、裁判員自身にとっての正義となるでしょう。でも、裁判員の役目は何でしょうか。
日本では裁判員裁判制度が始まったばかりですが、本当に法曹界のプロ集団だけで判断するより、もっと良い審議がなされるよう、裁判員の方は「畏敬」の念を持って臨み、裁判の場を育ててほしいと思います。
欧米も裁判員の買収で判決がコントロールされたり、不安定な基準で公平性を欠く例が多いようですが、群集心理をあおるマスコミの影響や他の力に左右されることなく、前例との比較も研究し、権威と品位ある決断をする制度となるよう、国民皆で努力しなければいけないと思います。そのためにもクリスチャンの方々も「人は人を裁いてはいけないと聖書に書かれているから、裁判員を断わる」などと言わないで、また「私のような者が判断できないわ」などと逃げないで、今現在裁判員制度がある以上、裁判員に選ばれた場合は、日本のために経験した方が良い、と私は思います。
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今回の裁判でリンゼイさんのご両親の通訳を務めた方について論じたサイトがあるとの知らせがありました。この支援者自身も実際に傍聴をしておられたとのことです。
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翻訳・通訳者のブログに市橋達也さんの裁判の通訳について取り上げられてましたので、お知らせ致します。
《英国人講師殺人事件の裁判で通訳問題があらわに》のタイトルで、本山先生の証人尋問で誤訳を指摘した事も載ってました。
http://blog.smacktrans.com/2011/07/blog-post_22.html
微細なニュアンスの誤訳や細かい情報の訳抜け等が何度も確認されてると有りますが、事実なら裁判員の受け取り方にも違いが生じるかと思います。
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私は長年アメリカで暮らしていましたので、自分で証言している時にも通訳が話している言葉は自然に耳に入っていました。私自身が外国から研究者が来日した時などに通訳をすることもありますが、裁判の通訳では相当レベルの高い人でも、特殊な専門用語については苦労をする筈です。普通は、話した人に今のはどういう意味か訊き直してから通訳すればいいのですが、裁判ではそれができないので、咄嗟に手持ちの語彙(ごい)で訳してしまうのでしょう。私の専門について尋問された時に、農薬の毒性学だと答えたのに、この通訳は「農薬」(Pesticide)に相当する英語が分からなかったのか、「肥料」(Fertilizer)と言ってしまったのです。裁判の審理に直接は影響しない細かいことですが、ちょっと気になったので証言後に発言を求めて訳が間違っていると指摘をしておきました。
今朝は宿泊していた出雲市駅前のホテルで朝食が済んで新聞に目を通していたら電話が鳴って、知人が自分の車で私を案内すると申し出て下さいました。ヘリコプターによる薬剤散布が中止になって枯れた松を抜倒した北山を再度視察したり、出雲大社にお参りしたり、出雲大社の裏側に位置する日御碕(ヒノミサキ)の灯台やウミネコ繁殖地を見たり、巨岩が川から垂直にそそり立っている立久恵峡(タチクエキョウ)や八雲風穴と呼ばれる洞窟(気温30℃でもこの中は岩を通して地下水で冷却された微風が吹いて4℃に保たれている、天然の冷蔵庫のような場所)などを廻りました。出雲市には出雲大社の他にも、日本海の美しい景色と、盆地になっている平野部と、高い山が連なる峡谷の景色があるということがわかりました。(写真はクリックすると拡大できます。)
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2011年7月25日月曜日
島根県出雲市に来ています。市役所で午後2時から4時近くまで開かれた出雲市松枯れ対策再検討会議を傍聴し、その後知人の車に乗せてもらって北山山系の松枯れの状況を視察してきました。あいにくの小雨でしたが、枯れた松を伐倒したところは、まるで禿山(はげやま)のような醜い姿でした。
夕方7時半から夜の9時半までは、高浜コミュニティセンター(昔の公民館)で講演をしました。会場がそれほど大きくないこともあって、80名を越す参加者で一杯でした。地元の森林組合関係者や自治会関係者や市会議員や島根県職員、出雲市役所職員に加えて、島根日日新聞など地元の何社かの新聞記者も取材で参加していました。自画自賛するようでおかしいですが、会場の雰囲気に手応えを感じましたので、私の現場での調査に基づいた話は好評だったようです。
その後主催者側の関係者6人と二次会に行ってさらに交流を深め、ホテルに帰ってきたのは夜の11時半を過ぎていました。これで大役を果たしましたので、今夜は早く寝て、明日はレンタカーを借りて日御碕(ひのみさき)の辺りか、立久恵峡(たちくえきょう)県立自然公園の辺りを、帰りの飛行機の時間まで一人でのんびりドライブしてこようかと考えています。今まで忙しい日々が続いていましたので、休養です。
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2011年7月23日土曜日
7月21日に振り込まれた方(初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は324,843円、延べ356人からの合計額は3,465,428円になりました。ありがとうございました。
支援者から今回の判決を受けて、控訴してほしいという要望のメールが届いています。
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色々な方のメッセージを見ました。
私も市橋達也さんの裁判で、無期懲役判決や理由、裁判員の会見につきまして、納得行かない点は多々有ります。ただ現状の裁判員制度として受け入れるしかないと不本意ながら感じてます。
市橋達也さんの裁判を理解したいと思った事から、裁判員制度を見直す団体に参加してます。今回の私の感じた点に付きましては、今後の裁判員制度の見直しの一つとして、今後の裁判員制度が改善出来ればと思ってます。その団体は、実際に裁判員を経験した方から、お話を伺える機会も有ります。以前に、押尾学さんの裁判員を務めた方から、お話を伺う事も出来ました。もしかしたら今後、市橋達也さんの裁判員の方からも、お話を伺える機会も有るかも知れませんので、その際は色々と質問してみたいです。
私は、彼は事実を語ってると思いますし、反省の気持ちも感じてます。私が感じた思いですが...実際に傍聴して、不自然と思われる証言も有りましたし、それについて問われても『分かりません』や『覚えてません』も多かったです。それを信用性として判断されるのなら、密室の事件なので、もっと辻褄を合わせて、彼に有利に立証する事も出来た筈です。曖昧な言い方なのは、それをせずに本当に自分の覚えてる範囲で、事実を伝えてるからだと思います。分からない所は、本当に分からないのではないでしょうか。
又、反省につきましては、本心は本人しか分からない事で、周りの人から見れば、本心を読み取るのは人によって、様々な感じ方があると思います。もし彼が反省してないと言ったり、ふてくされたり、怒りを露わにしているので有れば、反省してないと見なされるかも知れませんが、逃亡や整形や信用性無として考えたとしても、あの法廷内の彼の言動や態度からは、多少なりでも反省してると感じるのが自然だと思います。
私は、市橋達也さんを支援してますので、擁護した見方なのかも知れません。しかし、彼の意見が殆ど否定されてしまいましたのは、本当に無念です。このままでは、彼の心も閉ざされたままになってしまうと感じ心配です。市橋達也さんも、納得してないと思いますので、必ず控訴して、再度自分の気持ちを伝えて欲しいです。
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今回の判決につきましては、控訴するかどうかは来週、市橋さんと弁護士さんと協議して、と聞きました。私は個人的には今回の判決理由には大変疑問に思うところが多々あり、是非、控訴していただきたいと思います。
殺意ありとの判断で無期懲役刑がくだされたということですが、この事件の状況では、もし犯行の発覚を恐れて殺害しようとするなら、ふつうに考えて、手で首を絞めるはずです。そういう基本的なことも、裁判官や裁判員の方々は考慮されなかったのでしょうか?
とても残念です。市橋さんには謝ってばかりいないで、この事件の真実を明らかにするという姿勢で戦ってほしいと思います。
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午後から、25日月曜に予定されている島根県出雲市での講演のスライドの要約版をプリントして配布資料としてもらうために、CD-Rに焼いて宅急便で現地の世話人宛に送りました。今回の演題は「松くい虫防除薬剤の空中散布の効果と健康影響の検証」で、私たちが出雲市で実施してきた2008年に起こった眼のかゆみ騒動の原因解明の結果も報告する予定です。80名くらいの方が参加されるとのことです。
その後、道場で巻き藁を突いたり、サンドバッグを蹴ったり、筋力トレーニングをしてから、江戸川堤防を4km ゆっくりジョギングしてきました。今日は両方合わせて1時間半ぐらいの運動でしたが、汗をびっしょりかいてシャワーを浴びた後は、気分爽快になります。
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2011年7月22日金曜日
7月20日に振り込まれた2名の方(初回、24回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は314,843円、延べ355人からの合計額は3,455,428円になりました。ありがとうございました。24回目の方からはメッセージも手書きされていました。
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面識も何もありませんが、市橋達也君を支援できた事、私の一生の糧となります。これからも支援していきます。市橋君のご両親にも人権があります。あまりにも残酷すぎます。市橋君、体に気をつけてがんばって下さい。心より願っております。
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以下は、昨日の判決後、支援者その他からメールで届いたメッセージの一部です。本当は、お一人お一人に返事を差し上げたいのですが、今はその時間がありませんので、失礼をお許し下さい。
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私は7月12日に「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」に些少なながら、支援金を入金させていただきました、〇〇〇〇であります。
早速ですが、今日は市橋様の判決日でありますし、大量のメールが先生の下に来られるでしょうから、無用なお時間をお取りいただくことなく、ただ私の思いだけをお伝えしようかと存じます。ご返信はご無用であります。
判決は無期懲役とのこと。受け止めようは様々でしょうが、再生の機会を得られたということは、何よりであったと思います。先生のブログや一部報道からも推察いたしますが、これから真の意味での懺悔・反省が必要だと思います。
私は以前のメールでも申し上げましたが、私自身、ある過ちで執行猶予つき有罪判決を受けて、現在贖罪の日々をすごしております。果たして現時点で贖罪を果たしえているのか、懺悔や反省が足りえているのか、日々様々なことを経験し、人に出会うたびに、要はその点に戻ってくるのだと思います。私もそれに見合う日々を送れているかといえば、はなはだ心もとない思いもしております。
大変失礼ながら、会のブログの中でドストエフスキーの作品を引かれたお話がありました。私自身も拘留中に読みましたし、私は、仏教・禅の方に向かいまして『臨済録』などはじめ禅を中心とした本を熟読いたしました。ドストエフスキーの引用のお話の中で、果たして贖罪を続けていけるか逡巡するかのごとくのお話がありましたが、ドストエフスキーを頼るまでもなく、なんとしても贖罪は果たしていかなくてはならないと思います。聖書を元にするか、何を元にするか、いずれにせよ心底懺悔し、贖罪をしていかなくてはならないということに尽きると思います。
市橋様にはくれぐれもお体をお大事にされて、贖罪の日々を重ねていただきたいと思います。市橋様が今後、控訴するのかどうされるのか、どうされるにせよ、私としては共に一生をかけて贖罪をしていきたいと思っております。
様々ご苦労があるとは思いますが、何卒ご自愛のほど、お祈り申し上げます。
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無期懲役の判決となり、残念です。
判決が出た瞬間、法廷がざわついたと報道されていましたが、過去の判例から見て、多くの方々が無期懲役から減刑され、30年以下の懲役となることを予想していたのではないでしょうか。
たとえ突発的であったとしても、殺意はあったという検察側の主張を千葉地裁が認めた結果、有期刑30年にもならず、無期懲役のままということですよね。
被害者遺族の強い処罰感情にも、外交的配慮にも左右されず、あくまでも適正な裁判が行われ、順当な判決が下されたというのだとしても、加害者側に殺意はなかったことを証明するのは到底難しいことなので、もしも裁判員が全員男性ではなかったら、もしも裁判員の方々にも息子や男兄弟がいたなら、もしもリンゼイさんが美人ではなかったら、判決は違っていただろうかという思いはありますが、残念だけど、裁判員制度ならではの判決と思うことにしました。
従来の裁判官裁判であったなら、有期刑30年になったであろうが、裁判員による市民裁判であったため、裁判員の素朴な疑問や心情から、市橋被告の供述の信用性はきわめて低く、殺意はあったと判断され、無期懲役になったのであろうとテレビでも解説されていましたが、このことも裁判員の方々は重々検討した上で、あえてこの判決を一般市民として下したのでしょうか。過去にあった有期刑20年~30年の判決は、全く考慮されないものなのでしょうか。
もうどうにもならないことですが、従来の裁判官裁判とは異なる判決を確定させた裁判員制度には、やはり疑問を感じます。塀の中で一生を終える市橋君のことを、陰ながらでも支えていく心の支援者が1人でも多く増えることを願って止みません。
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市橋君に無期懲役が出ましたね。私は無期懲役についてはとやかく言うつもりはありません。ただ、市橋君に反省の意がなく、事件後逃亡した、殺意があった、手記を出版したことで遺族感情を傷つけたとの検察側の主張を全面的に認めた裁判所の言い分は到底納得が出来ません。
市橋君はしっかりと自分の言葉で話し、遺族ともきちんと向き合おうとしました。ギリギリの精神状態だったと思います。傍聴していた私にも痛いほど伝わりました・・・。自分に不利なことも隠さずに話したのに。
やはり何らかの「圧力」がかかったのでしょうか。本山先生が望んでいた適正な裁判とは程遠いものになってしまいました・・・。
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度々申し訳ありません。
裁判員裁判ではなく、従来の裁判官裁判なら懲役30年以下になっていたかもしれないと思うと残念ではありますが、現在は裁判員制度である以上、どうにもならないし、もうしかたないと考えるべきなのでしょうか。
裁判員会見:
(無表情...「最後まで被告の考え読み取れず...」)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110721/trl11072119290010-n1.htm
判決理由(殺意はあった、反省していない、信用できない、身勝手):
(客観的証拠と矛盾し、不自然な供述を繰り返しており、罪と向き合おうとしていない)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110721-00000160-jij-soci
(弁護人によると、判決直後の接見で市橋被告は「自分の言っていることは事実。どうしてそれを信用できないと言われるのだろうか」と話したという。弁護側は来週にも再度、接見し、控訴について検討するという。【斎川瞳、中西啓介】)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110721-00000111-mai-soci
(裁判長は「被告人は、犯行に関して矛盾する発言があり、真摯(しんし)な反省は見てとれない」と語った。)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20110721-00000852-fnn-soci
(地裁は、市橋被告の事件に対する説明については、リンゼイさんの切られた衣服や現場に残された証拠物の状況と整合性がつかないことなどから、「信用できない」とした。)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20110721-00000069-nnn-soci
(裁判員らは法廷で涙ながらに殺意を否定した市橋被告の供述は「信用できない」と判断しました。)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20110721-00000042-jnn-soci
以下の記事に書かれている市橋君の言葉を読んだら、なんだかまた悲しくなってしまい、しかたないんだと自分に言い聞かせながらも、このままでいいのか、複雑な思いです。
(市橋被告の弁護人の菅野泰弁護士によりますと、判決のあと市橋被告は「裁判では自分の意見が十分に伝わらなかった。法廷で自分が話したことは事実なのに、なぜ、信用できないと言われてしまうのか」と話していたということです。弁護側は「市橋被告と相談したうえで控訴するかどうかを決めたい」と話しています。)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110721/t10014355601000.html
私はやはり、市橋君は懸命に事実を話したと信じています。反省しているのに反省していないと言われ、事実を話しているのに話していないと言われ、結局のところ、演技している、反省していない、全てを明らかにしていない、被告の言うことは信用できないと頭ごなしに決めつけられて、最後まで信じてもらえなかったのだと思います。
ご多忙と存じますので、お返事はもちろん不要です。
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以前に一度、送金させていただいた者です。
無期懲役の判決、残念でした。彼は無期懲役でも償う覚悟はあるでしょうけど、その主な判決理由が「殺意があった」ということには、彼は心の中で「そうじゃない!」と叫んだのではないでしょうか。
「死刑」があるせいか、「無期懲役」の巾が広いのでしょうか。日本の司法のアンチョコさ(?)が感じられました。
殺されて山中かどこかに遺体を捨てられたのか、行方不明のまま、迷宮入りになってる事件が年間すごい数だと聞きます。そのようなプロ的、まさに殺意をもって計画的に実行された、いわば解決しにくい事件はほったらかしで、市橋君のように、無様に悔いて、懺悔している被告には、このような判決。ではやっぱり、より巧妙な殺人鬼が増えるのではないでしょうか。
イギリスに対して、裕福なリンゼイ一家に対して、「私達日本の警察は当初市橋を捕まえ損ねたけど、やっと捕まえ、そしてこの度、生きて世の中に出られないようにしましたよ」という「努力の結果」を示したかったのでしょうか。裁判員裁判ですから、一般人の感覚も加わったでしょうけど、そんなことまで考えてしまった私です。
でもどちらにしても、今後長い服役生活が待ってるわけですが、彼は小説を書いたり、絵を描いたりする時間はあるのでしょうか。服役囚が作ったものの展示即売会がありますよね。まだまだ先のことでしょうけど、彼の作品が出る時は知らせてほしいです。(誰の作品かなどわからないシステムでしょうかね)
リンゼイさんを描いた絵と字、皮肉にも'アート'でした。
すみません。本山先生にぼやいてしまって・・・
また暑さが戻りそうです。どうかご自愛ください。
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暑中お見舞い申し上げます。
市橋君への判決を見て裁判員裁判は被害者感情に寄り添う傾向があ るんだと実感しました。身勝手、反省していない、本当の事を話さないなどと被害者遺族の 言葉と同じ事を裁判員が話しているようなので、初めから視点が違っていたのだと 感じました。やはり先入観は大きいと思いました。市橋君のやる事なす事がすべ てネガティブに受け取られてしまうのですから。あげくは言葉尻も捕まえて。裁判官も更生のチャンスはないと見な したということですよね。遠くから見守っている市橋君のご両親の苦しさは情状酌量にもなら ないのでしょうか?
本当に市橋君は丸腰で闘っているんだと痛感しました。被害者は大 使館員も同伴しているのですから、国家が後ろ盾でしょ。ちなみに札幌地検で一審判決が無期懲役の求刑に対し懲役16年の
判決が下され、地検が控訴断念したニュースが新聞に載っていましたが、無期懲役の求刑に対してこんなにも違いが出るのは司法の裁定は公 平じゃないってことでしょうか。裁判員裁判は求刑が重くなる傾向があるといいますが・・・
札幌でのこの事件は、2009年11月に札幌市中央区の路 上で平間泰子さんが元交際相手の吉沢真被告に刺殺された事件です。復縁を望んで待ち伏せして、声をかけたら拒絶されたため逆上、馬 乗りになって包丁で刺して、さらに何度も踏みつけたという非道な 事件です。これがもし市橋君の事件と同じように被害者が外国人で、社会的注 目度が高くなっていたらどうだったでしょうか?
私達は遠くから見守る事と祈る事しか出来ませんが、市橋君のご両 親への祈りも込めながら日々過ごしております。
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初めて先生にメールをします。
私は市橋さんの裁判記事をインターネットで見ていて、つい最近、先生のたち上げている会の存在を知りました。それまでもニュースは見ていましたが、その会の存在があることを伝える報道は見たことはありませんでした。この会の記事を読んで、先生が市橋さんに自首を呼び掛けていたことも知りました。私も、もともとは市橋さんが2年7カ月の逃亡生活をどのように送っていたのかが知りたくて、市橋さんの本を読みました。読んでいく内に、私は市橋さんが報道されているような悪人には感じられませんでした。彼は本の中で、「誰からも好かれる存在になりたかった」と書いていました。それって人がだれもが思うこと、自分と変わらない。むしろ、自分と近い部分もあると感じたぐらいです。
法廷での謝罪も雑誌やテレビでは、演技だと言われていますが、リンゼイさんのご両親は怒りもあるから、そう思ってしまうのは、ごく当たり前の感情だと思いますが、裁判の実況記事を読む限りでは、私には演技には感じられませんでした。市橋さんは確かに、リンゼイさんを強姦し、命を絶たせてしまったので、それはしてはいけないことで、それについての罰は背負わなければならないと思います。しかし、土下座もし、リンゼイさんへの謝罪の言葉も言っているのに、「反省をしていない」とマスメディアが報道することには違和感を感じました。
殺人をし、逃亡した彼に良くない感情をもつのは、しょうがないことですが、つかまってから市橋さんはリンゼイさんを侮辱するような言動はしていないですし、何を根拠に反省していないと判断したのかと怒りの感情を覚えます。反省の気持ちって目に見えないものであり、形にはできません。今の彼に出来るのは、土下座や謝罪の言葉でしか見せることができないのに、それをも裁判の一時しか見ていない、報道の人たちに判断する権利があるのかと思ってしまいました。きっと先生のように支援に回っている人がいることを、今の日本にどれぐらい知っている人がいるのか。おそらく今の報道を見る限りでは少ないでしょうし、事実とは違う形で報道されているのは間違いないでしょう。それぐらい偏った報道がされていると感じます。
とうとう判決が出ましたね。無期懲役。この結果が妥当なのかどうかはわかりません。私は重い気もします。この被害者が日本人だったら、同じように逃亡していたとしても、ここまでは大騒ぎされなかったでしょう。少しは今後の政治への影響も加味されての判断もあったのではないかと思います。市橋さん自身が「出ることはない」と裁判でもいっていたと思うので、結果は彼はきっと受け入れるでしょうが、自分が言ったことが信じてもらえなかったということにショックを受けているだろうと思います。心を閉ざした彼の心がさらに閉ざさないことを祈るばかりです。
市橋さんには更生してほしいからこそ、本や聖書を読むだけでなく、彼に送られてくる手紙を読んだり、面会を受け入れて、いろいろな考え方があることを学んでいってほしいと思います。きっと、今は自分の感情をさらけ出すの怖いでしょうが、自分の思いを誰かに語ることは、自分を振り返ることになると思います。そして、決して一人ではないこと。支えてくれる人が、彼の周りにはいることを分かってほしいです。
彼が更生するのに役立つことが何かできるのであれば、今後もお手伝いしていきたいと思います。
つたない文章で、言っていることがわかりにくいかもしれません・・・。すみません。先生も色々嫌がらせを受けているようですが、負けずに頑張ってください。
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こんばんは。
お忙しい中、きっと多数のお便りが届いている中に失礼します。(返信等は不要です。)
市橋さんの無期懲役の判決、複雑な思いです。 市橋さん自身が話した真実については認められていない事や、一般の中から選ばれた裁判員の方々に本当に先入観が無かったのか・・・
色々と考えてしまいます。
関連記事を探していて、どうしてもひっかかる内容の記事を目にしました。 今回裁判員を務めた方々の会見の記事です。 以下ニュースサイトから引用です。
補充裁判員1番「極力、メモよりも、市橋被告の方をずっと見るようにしていましたし、見ていました。いろんな人が証言したり、発言したりしているので、彼が何を考えているのか、なにか読み取れないかな、と思っていました。最後まで、読み取れなかったのですが...」
《ほかの裁判員の間で小さな笑いが起きる》
補充裁判員1番「(市橋被告を)ずっと見ていたのですが、判決後も眉1つ動かさず、終わるまで微動だにしませんでした。ただ、瞬きが多いですね。公判を通して、全般的に1分間に208回くらい」
《また、裁判員の間で笑いが起きる》
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110721/trl11072119290010-n1.htm
・・・・・人を裁くという事は精神的に負担もあるでしょうし、重大な役目を終えた安堵感があったのかもしれませんが、被告人の様子の説明をした場面で「笑いが起きる」という部分には非常に違和感を感じました。 反省の意の有る無しや真実を述べているのかどうか、そういう視点で被告人を見るのは重要なのでしょうが、後になって笑いの起こる状況は疑問です。 私はこの会見を見ていないので憶測だけで決め付けられませんが、まるで晒し者、本山先生の仰る「リンチ」に近いような気がしました。
11日の本山先生の証言の様子ですが、途中、胸が一杯になり言葉が途切れ途切れになってしまったという所、私も涙が出ました。
また、執拗な嫌がらせが続いているとの事。 お疲れの所にかかってくる夜中の電話などは本当に悪質ですね。大勢の人たちに迷惑をかけて、一体何がしたいのでしょう。
公判の間中、やっと生きているようなと表現された市橋さんの様子には随分心配しました。控訴するかどうかは弁護士の先生とよく相談して今後決定するとの事でしたが、市橋さん自身が納得できるような決断をしてほしいと思います。 もし控訴する事になっても、ずっと支援し、見守っていきたいと思います。
今後の支援する会についてはまだはっきりできないのでしょうが、監査の件については先の支援者様のご意見の通り、不要な情報を除いて行ってもらうのがいいかもしれませんね。(そのようにして頂けるとの事で良かったです)
それではまた連絡致します。 時折ジョギングの話題もブログにて拝見しますが、熱中症にはお気をつけ下さいね。
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昨日の無期懲役という判決をどう受け止めるかは、人それぞれでしょうが、多くの方々が、罪を償うとはどういうことか、裁判員裁判と従来の裁判官による裁判の違い、市橋君は何故あんな馬鹿なことをしてしまったのか、リンゼイさんの無念さ、リンゼイさんのご家族の無念さ、市橋君の後悔と贖罪(しょくざい)の決意、市橋君のご両親の置かれたつらいお立場、などについて真剣に考える機会になったことは確かです。
私は来週29日には菅野弁護士事務所に伺って、支援金をお届けするとともに今後のことなどについて相談をしてくることになりました。
昨日はアメリカ人の友人から電話があり、募金活動を始めるべきかどうか私が一番初めに相談をした弁護士のエベレット・ノーランド君が、市橋君の裁判で無期懲役という判決がでたと言っていたと知らせてくれました。一般の新聞に出ていたのか、弁護士仲間が見る特別な新聞に出ていたのかはわかりませんが、アメリカでも市橋君の裁判は注目を集めていたということでしょう。
来週25日~26日は島根県出雲市に出張ですので、今日は散髪をしてサッパリしてきました。
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2011年7月21日木曜日
東京で会議が始まる直前に、千葉地裁に行っておられた支援者のお一人から、無期懲役という判決になったという電話連絡がありました。その後、会議の合間に複数の新聞社から私の感想を問い合わせる電話取材がありました。
求刑通りの厳しい判決でしたが、結局検察側の殺意があったという主張が認められ、弁護側の殺意はなかったという主張は認められなかったということのようです。市橋君が犯した罪に対して、従来の同様の事件の判例を基準として厳し過ぎる罰かどうか、私にはこういう分野の知識がありませんので判断できません。元教師個人としては、元学生に更生して最後には生き直すチャンスが与えられればと期待していましたので、残念です。
弁護団がどういう対応をされるのかわかりませんが、その後貯まっている支援金をお届けすることと、支援をする会の今後について相談をするために、一度弁護士事務所を訪問する日程調整をお願いしました。
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2011年7月20日水曜日
7月18日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は304,843円、延べ353人からの合計額は3,445,843円になりました。ありがとうございました。
公判を何回も傍聴に行かれた支援者から、裁判所で経験したことの報告がありました。
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今晩は。なでしこジャパンは快挙でしたね。日本国民に元気と勇気が与えられたと思います。
鹿児島の桜島の写真は、緑(桜島)と青(空)と白(水蒸気)の色合いが綺麗でした。自然の景色は癒やされますね。
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市橋達也さんの裁判が適正に行われる事が一番大切ですが...千葉地裁に連日行きまして、支援者や非支援者やマスコミの方と接し、人の優しさや裏切り等、様々な人間模様が見えた気がしました。
私も含め多数の女性は、雑誌やネットで市橋ギャルや市橋ガールズと騒がれてます。実際に不謹慎な言動や、目に余る行動をしてる方もいますが、中には彼の事を思い、事件の真実を知りたい、ミーハーな気持ちではなく一目だけでも見たいと来てる支援者もいると思います。
あるサイトでは、盗撮や盗聴をして、実際に私の写真も載ってしまってます。まさか盗撮までする人がいるとは、全く思ってませんでしたので、驚きました。酷いですね。
又、取材を受けた記者からは、記事なので、適当な年齢で市橋ギャルとして大げさに載るかもと言われてましたので、それは話題性として仕方ないと了承してました。しかし、被害者を悪く言う支援者として記事になり、本当に心外です。記者から『部屋に行ったリンゼイさんを悪く言う人もいるけど...』と聞かれ『部屋に行ったのは軽はずみだったかも知れませんが、どんな状況であっても悪いのは彼で、リンゼイさんに非はないと私は思ってます。』と答えたのに...『知らない男の家に入るリンゼイさんも軽はずみでは?』の部分だけ取り上げられたり、他にも質問と別の答えを組み合わせて載せられてます。
以前ブログでリンゼイさんにも非があったと仰る方もいましたが、私は以前からリンゼイさんを悪く思った事は全く有りませんので、記事を見た時はショックで悲しくなりましたし、腹立たしく感じました。本山先生は、今回の裁判に関わらず、沢山の取材を受けてるので、このような思いをする事は多々有りそうですね。
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主人も市橋達也さんを支援してますし、私が彼を思う気持ちも理解してくれてますので、今回の盗撮や記事に関しても『周りがどう思っても、何を言っても関係ない、気にするな。どんな状況でも支援する気持ちは変わらないんだから』と言ってますので心強いです。私は、本山先生と主人と友達(Kさん)に理解してもらえてれば、それで充分です。そしていつか彼にも思いが伝われば...
本山先生...どうか私が軽い気持ちで支援してるのでは有りませんので、それだけはご理解下さい。
本山先生の証人尋問の日は、主人とKさんとその友達も私の為に並んでくれました。感謝です。私とKさんも当たり、主人に譲ってくれました。私の本山先生の証人尋問を傍聴し感じた思いは13日にメールしましたが、主人も本山先生の証言と最後に涙ながら語ったお言葉に泣いてました。あの日はお会い出来ませんでしたので、残念でした。
明後日は判決ですね。市橋達也さんと弁護側の主張が通り、どうか有期懲役で有りますように、心から祈ってます。台風が来てますのでリンゼイさんご家族が無事に来日出来るか心配です。
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メディアからの取材は1時間くらいあっても、実際に記事になる時はほんの数行(新聞や雑誌)や数十秒(テレビ)というのは普通です。こちらの意見をきちんと伝えてもらえる場合はいいのですが、場合によっては取材する前からひとつの筋書きができていて、それに合うような発言を引き出すまで何回も言い方を変えて質問をされることもあります。その結果、発言をこちらの意図したこととは全く違うストーリーに仕立てられることもあります。それにしても、隠し撮りされた写真を本人の了解なしに公表するというのは酷い人権侵害ですね。
明日の判決に向けて、別の支援者からのメールも届いています。
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いよいよ判決が明日に迫ってきました。市橋君はどうしているのでしょうか。おそらく落ち着かない時間を過ごしているのでしょう。果たして論告求刑の無期懲役よりも重くなるのか、そうでないのか・・・・。
本山先生も気持ちは同じだと思います。もちろん私もです。論告求刑で無期懲役が出た時、ほっとした私がいました。正直死刑求刑がくると思っていたので、一生刑務所に居なくてはいけないけれど、生きることができると。市橋君にとって生きて罪を償うことがリンゼイさんに対する贖罪であるからです。
・・・遺族は市橋君の態度を演技だと言っていました。娘を殺されたのだから無理はないのですが、傍聴した印象は明らかに演技ではありませんでした。3月に傍聴した秋葉原連続殺傷事件の被告人のほうが、ずっと淡々としていて、この人は心の底から反省していたのだろうかと今になって思います。出廷と退廷の時に傍聴席に座っていた遺族・被害者に頭をさげていましたが。
被害者家族も加害者家族も事件に巻き込まれることで、家族の絆などが破壊されてしまう。遺族もこんなに悲惨な思いをしたのかと思いました。
被告人質問で市橋君は聖書の一節をそらんじていました。前に本山先生にメールを送信した時にはどこの出典なのかわかりませんでしたが、詳しい人のおかげでやっとわかりました。
「お前が消えうせるとき、わたしは空を覆い、星を暗くする。また、太陽を雲で覆い、月も光を放たない。」 エゼキテル書 32.7
「ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちはもういないから」
マタイによる福音書 2.18
市橋君は「いないから」を「死んだから」と言ってました。遺族のことをきちんと考えていたのだと思います・・・。私は市橋君にこのまま刑務所に埋もれてしまうのではなく、きちんと更生して社会の役に立ってほしいのです。願いはそれだけです。
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入金記録簿の監査を受ける時の個人情報保護について、配慮をしてほしいとのメールをいただきましたので、紹介しておきます。その通りだと思いますので、不必要な情報は全て黒塗りにして監査をしてもらおうと思います。
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支援者から振り込まれた支援金の入金記録の監査をどなたかにしていただかなければならないとのことですが、振込日(現金手渡しの場合は入金日)と名前(振込み回数その他の情報)は監査の都合上、必要かと思いますが、住所、電話番号、メールアドレスは個人情報保護の観点から、できれば伏せていただきたいと思います。入金記録簿とゆうちょ銀行の払込取扱票に記載されてある、私の住所と携帯番号とメールアドレスは黒塗りにしていただけないでしょうか。どなたか信頼のおけるかたに、秘密厳守ということでお願いしていただいたとしても、ネット社会で、情報漏えいが日常茶飯事の世の中であるため、本当に信頼のおけるかたで、守秘義務が守られるのであれば、安心していいのかもしれませんが、それでもやはり不安が残りますので、住所と携帯番号とメールアドレスの黒塗り、何卒お願いいたします。
以下は、先生にメールしようと思いながら、なんとなく出せずにいたメールです。
支援者の皆様は、それぞれ必死な思い(先生に伝えたい、市橋君自身に伝えたい、他の支援者に伝えたい、思いを共有したい等)で先生にメールしていると思うので、ちょっと追加したいだけでも、他の支援者が書いたことを、私がわざわざ訂正するような形(印象)になるのは避けたかったので、躊躇していました。
無期懲役を求刑されて、私もまるで身内かのようにほっとしました。
13日のブログに、他の支援者からの、「テレビで「市橋被告:無期懲役求刑」というニュースが出ました。 【被害者が1人という事、前科が無いという事、殺意が無かったという事】その判断で、無期懲役が検察側から求刑されたそうです。」に対し、(注:上記の[殺意がなかった]については、その後本人から間違いでしたと訂正のメールが届きました。)と先生が追記で書かれていますが、私がたまたま見たニュースでは、被害者が1人という事、前科が無いという事、突発的であった事、この三つの理由から無期懲役が求刑されたとなっていました。番組によって報道される内容は多少違ったりするかと思いますが、念のためお知らせいたします。
市橋君の「死なせてしまった」「死んでしまうと思わなかった」という証言、ただ静かにしてほしくて必死の中、加減がわからなくなって、気付かぬうちに死んでしまったという状況を信じてもらえたということですよね。
上記の三つの理由を持ってしても、市橋君がどんなに深く後悔し、反省していても、演技しているだけだと信じてもらえずに、マスコミの過熱報道によって植え付けられた先入観と思い込みに加え、被害者が外国人であることから、死刑を求刑されてしまうのではないかと心配で、心配でなりませんでした。
ネットでは市橋君のことを人間のクズ(裁判はほんの一部分しか報道されないものですし、この言葉を簡単に使うのもどうなのかと思いますが...)という人もいますが、先生の市橋君への思いと、市橋君の手記から感じ取れる市橋君のことを、過ちを犯してしまった一人の青年ではあっても、心ない人間のクズとまでは、どうしても思えないのです。市橋君のことを人間のクズと思う人は、自分の兄、弟、息子、または自分自身には、いかなる状況にあっても、絶対に過ちを犯さないと過信しているのかもしれませんが、裁判員の方々は、(ワイドショーのコメンテーターの方々の発言を聞くと、いつも思うのですが)全ての殺人事件をいっしょくたんにせず、全く同じ質のものと片付けず、市橋君の証言を元に、市橋君の立場からもこの事件を考え、市橋君の心境からこの事件を辿ってみてほしいです。
手足を縛るのに使用した結束バンドですが、これもまたワイドショーで、あるコメンテーターのかたが計画的に用意していたものだと断言していましたが、結束バンドは100円ショップでも簡単に手に入り、生活に便利なもの(パソコン周辺のコードを束ねたり、ワイヤーネットでランドリーラックなどの棚を作ったり、植物のつるを棒に絡めたりなど)で、別に特殊なものでもなんでもないのに、なぜ殺害するためだけに計画的に用意していたものだと言い切れるのかがよく分かりませんでした。
使用してしまったことに関してはショックでしたが、市橋君がその時とってしまった行動であり、報道されていない(報道しきれない)部分もあるかと思うので、無論、正当化はできませんが、全貌を知らないのと、市橋君本人が深く反省していると思うので、非難もしたくはありません。知り得る全ての事実から、市橋君の弱さ、愚かさだったと捉えます。
また、イライラしてリンゼイさんを殴ったと証言していますが、親密な関係になりたかっただけなのに、自分がとんでもないことをしてしまい、目の前の状況に、いったいどうしたらいいかわからず、被害者となってしまったリンゼイさんに対しても、加害者となってしまった自分に対してもイライラし、そういった精神状態、パニック状態から殴ってしまったのでしょうか。こうだったのかなと、報道されているいくつかの証言から、勝手に想像をするとですが。
リンゼイさんは不本意に亡くなってしまいましたので、彼女に落ち度は全くないにしても、やはり大人の女性でしたので、自分を愛する家族のためにも、もう少し慎重であってはほしかったです。それほどまでに気持ち悪いと感じている男性に対し、個人レッスンを行うことも、数千円のレッスン料をもらうために一緒にタクシーに乗って部屋まで行くことも、エレベーターに乗ることも、部屋に入ることも、全て拒否して、その場から立ち去ってほしかったです。互いに、またはどちらかが慎重であってくれたら、リンゼイさんが被害者になって命を奪われてしまうことも、市橋君が加害者になって人生を棒に振ってしまうことも、いくらでも回避することができた事件だけに、そういった疑問点が次々湧き上がると同時に、余計に悲しさが募ります。まだ若い市橋君に対して、どうしても憐れみを感じずにはいられないのは、リンゼイさんも、市橋君も、もう少し気を付けていたなら、普通に一日を終え、また明日を迎え、起こらずにすんだかもしれない事件だからだと思います。
演技をしている・反省がないと言ってなお極刑を求めるという人たちは、先入観で凝り固まった視点からしか市橋君のことを見れず、そのことに気づきもしないのだと思います。あらゆる先入観を取り除き、被害者と加害者、両方の立場からこの事件を見て、あらゆる角度から判断してほしいものです。涙声になりながら、嗚咽しながら、体を激しく震わせ、時にはすぐに答えられず、沈黙し、凶悪犯罪者として偏見の目で見られている中、拭えない先入観から悪意ある誤解や憶測を招かぬよう、慎重に言葉を選び、必死に答えながら、長い、長い裁判を受けた市橋君は、好きな女性と親密になりたいという自分の思いとは真逆に、突発的に過ちを犯してしまった、普通の青年だったんだと改めて思いました。元上司の「それ以上やると死んじゃうよ」の言葉に流した涙も、公判中に何度も流した涙も、市橋君の深い後悔と反省の涙だと信じています。
裁判員の方々は、先入観を取り払って、市橋君が決して演技をしているのではないこと、ショーのお披露目ではなかったこと、深く反省していることを、ちゃんとわかってくれていると信じたいです。
本日、裁判員の方々によってどのような判決が下されるかわかりませんが、先生が見てきた反省して、謝罪して衰弱しきった、生きる屍のような市橋君が正直に伝えた事実に基づき、公正かつ中立の立場から、客観的に、冷静に(市橋君のことを心無い、人間のクズ、極悪、凶悪と見なさずに)判断してもらいたいです。初犯で、殺意はなく、突発的・衝動的に起こったこと、深く反省していることを考慮しても、それでも被害者が外国人であることと、マスコミによる先入観を植え付けるような報道もあって、もし無期懲役のままであったとしても、塀の中で一生を終えることになっても、市橋君には生きてほしいです。この過ちを一生背負いながらも、しっかりと自分と向き合い、心を強く持ち、懸命に生きてほしいです。
ちなみに私は市橋君に惚れているわけでも、獄中結婚したいわけでも、面会に行きたいわけでもなんでもありませんので、市橋ガールズではありません。先生にメールをし、ブログに載せていただいても、市橋君本人に手紙を書くことは、たぶんないと思います。書きたいと思うこともあるかもしれませんが、日々の生活に追われながら、書かずじまいだと思います。でもその代わりに、市橋君に読んでもらいたい本や、差し入れしたい物は色々あります。過ちを犯してしまい、加害者としての後悔と悲しみを背負ってしまった一人の青年に対し、遠くからでも手を差し伸べたい、ほんの少しでも彼の心が救われればという思いだけです。
お忙しいところご面倒をおかけいたしますが、黒塗り(個人情報保護)の件、何卒よろしくお願い申し上げます。
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BBC(British Broadcasting Corporation)英国放送協会のイギリス人特派員は、英語の流暢(りゅうちょう)な日本人スタッフ(女性)とカメラマンと一緒に来られて、準備の時間や雑談も含めて1時間くらいのインタビューを受けました。私と市橋君の関係や、私の知っている市橋君の人物像や、事件が起こった時にどう感じたかや、彼はどうすべきだと思ったかや、何故支援する会を立ち上げたかや、私に対して嫌がらせやストーカー行為をする人たちは何故そうすると思うかや、証言をした時に彼を見てどう感じたかや、彼にどうあってほしいと考えているかや、裁判自体をどう見ているかなど、訊かれました。どうせ編集はされるのでしょうが、全部英語でのやり取りでしたので、ラジオとテレビで市橋君の実際の姿をイギリス国民に知ってもらえれば、取材を受けた目的は果たせたことになります。
私は明日は午後3時半から東京で開催されるある会に出席しますが、判決が出て、弁護団の記者会見が済んたら、朝日新聞、読売新聞、共同通信社、東京新聞から電話の取材がある予定です。
先日の明治大学での私の講義を聴いて下さったある外部受講生から、「農薬」や「安全」について考え方を再認識しなければと感じたとのお便りをいただきました。講義の休憩時間に支援する会の活動などについて少しおしゃべりしましたら、さっそくこのブログをチェックされたらしく、そのことについても言及されていました。こういうお便りをいただくのは嬉しい限りです。今月30日には講師全員と受講生との交流会がありますので、そこで再度お会いできるのが楽しみです。
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2011年7月19日火曜日
7月15に振り込まれた方(2回目)と7月16日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は294,843円、延べ352人からの合計額は3,435,428円になりました。ありがとうございました。7月16日に振り込まれた方と7月4日に振り込まれた方からはメッセージが届いています。
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市橋さんが持っている才能を良い方向に使える日がありますように。
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ご無沙汰してます。
〇〇の〇〇です。先日は市橋さんに無期懲役が求刑されましたね。21日の判決がどれ位の刑が適正なのか、私にはわかり兼ねています。
一昨日、20才代から同年代の友人数名と富士山に登って来ました。七合目から高山病になり、八合目の山小屋まで必死の思いで、フラフラになりながら登りました。そして八合目の山小屋からご来光を神聖な気持ちで拝むことができました。とても多くの老若男女が山に登り、登った以上はどんなに大変でも自分の足で降りてこなくてはいけない、年齢も性別も関係ない自己責任の世界を久しぶりに体験して来ました。当たり前のことを時々忘れてしまうんですね。
そのどこかここかで市橋さんのことを思い、こういう自由を身も心も封じ込め生涯か有期年か、いいえ例え体が自由になったとしても心が自由にならないままに生き続けなくてはならないような、重大な事件を起こしてしまったのだと改めて思い、彼の悲しみを思いました。
今朝はサッカーのなでしこジャパンの活躍が放送されていましたね。市橋さんは世の中の様々な出来事を知ることはできるのでしょうか?今はまだとても無理でしょうが、生きる苦しさ、辛さも市橋さんが受けていかなくてはならないのですね...
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明日はイギリスのBBC放送がラジオとテレビのためのインタビューに来ることになっています。明後日21日はいよいよ判決の下る日です。弁護団は判決後記者会見を予定しているとのことでした。
どのような結果になるか私には全くわかりませんが、控訴のあるなしに関わらず、判決後に一度日程調整をして弁護士事務所を訪ね、現在貯まっている支援金を届けるとともに、今後のことを相談してきたいと思っています。
今まで弁護団に提供してきた支援金の使途報告もいただかなければなりませんし、私の方も皆様から振り込まれた支援金の入金記録の監査をどなたかにしていただかなければなりません。入金記録簿には、通し番号、振込日(現金手渡しの場合は入金日)、お名前(振込み回数その他の情報)、住所、電話番号、メールアドレスが記載してあります。これと、ゆうちょ銀行からの振替受払通知票を照合して、間違いがないかどうか確認してもらうつもりです。今まで、入金記録簿は個人情報ですので、弁護団も含めて私以外の人には一度も見せていません。どなたか信頼のおける人に、秘密厳守ということでお願いしようと思っていますが、このことについてご意見がございましたらメールででもお知らせ下さい。匿名希望の方もおられましたので、どうしてもお名前を私以外の人に見られたくない場合は、払込取扱票と入金記録簿のコピーを作ってその方のお名前だけ黒塗りにして監査してもらうという方法しかないかもしれません。
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2011年7月18日月曜日
17日、18日と2日間自宅にこもって来週月曜の出雲市での講演の準備をしたので、だいぶ進みました。夕方は2日とも江戸川堤防をゆっくり4km ジョギングしました。あまり時間がない時は、足腰を鍛えることと、心肺機能を活性化することが私の最低限の健康法です。
今朝はアメリカの友人Bill 君から電話がありました。女子サッカーのなでしこジャパンが強敵のアメリカ女子チームを破って世界一になったことのお祝いでした。私との関係もあって日本びいきなので、両方とも負けてほしくなかったけど、日本が勝ってよかったと言ってから、これは他のアメリカ人の友人たちには内緒(そうでないと、アメリカ人のくせにどっちの味方だと非難される)にしてくれと言っていました。
共通の友人Frank 君のお母さん(84才)が心臓(心筋梗塞?)で倒れて入院したけど、何とか回復して、いずれ元に戻るにはリハビリが必要だろうというニュースも伝えてくれました。
最初はFrank 君のお父さん(海軍の軍人)と結婚してFrank 君を産んで、その人が亡くなってから次の夫と結婚して次の息子を産んで、その夫も亡くなったので3番目の夫と結婚して双子の息子を産んだけど、最後の夫は家を出て行ったので、ノースカロライナ州のルーズバーグという田舎の町で小さい子供をあずかる保育所をしながら3人の夫との4人の息子たちを育てたりっぱな女性です。私もよく知っている人なので、私が訪ねるまで元気でいてほしいと思います。
Bill 君の電話の主目的は、私に今年はいつアメリカに来るのか確かめることでした。何年間も毎年夏は向こうで過ごしてきましたので、もう7月も下旬に入るのでそろそろと思ったのでしょう。8月か9月かまだ決めていないけど、今年も必ず行くからと約束しました。今年は市橋君の裁判もありましたし、まだ来週の出雲市での講演も残っているので、それが済んでから計画を立てようと思っています。
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2011年7月16日土曜日
明治大学御茶ノ水キャンパスのリバティタワーと呼ばれる高層ビルの教室での講義は無事終わりました。一般財団法人化学物質評価研究機構(CERI)寄付講座と明治大学安全学研究所の共催の「化学物質の法規制」という計16回の講座で、私は農薬の安全性について、13:00-14:30と14:40-16:10の2コマ分担当しました。前半で少し時間をオーバーしたので、後半を少し駆け足で短縮しようと思っていましたが、やっぱり後半も熱が入ってしゃべり過ぎて、終わったのは16:30くらいになってしまいました。この講座はテレビでおなじみの北野 大(まさる)教授がコーディネータ役を務めておられます。北野先生はテレビでよく拝見しますが、本当の顔は、明治大学工学部応用化学科教授で、環境化学がご専門です。先生も最初から最後まで最前列で私の講義を傍聴しておられました。
週刊文春の記者からの取材の約束がありましたので、講義終了後すぐ近くの山の上ホテルのロビーで1時間くらい市橋君の事件について取材を受けました。この記者は事件発生時からこの事件について追いかけてきたというだけあって、私の知らないこともたくさん情報を持っていました。一年ぶりに訪ねた御茶ノ水界隈(かいわい)は、私が浪人時代に予備校に通ったところですが、今は通りに楽器店がたくさん並んでいたり、すっかり変わって昔の静かな文教地区の印象はなくなっていました。若者にとっては活気のある魅力的な街なのでしょうが、私には昨日見た鹿児島の荒々しい桜島の自然の景色の方がいいなあと思いました。
これで今月の残りの大きな仕事は25日の島根県出雲市での講演だけですので、少し先が見えてきた感じです。明日の日曜は久し振りに自宅でゆっくりし、朝寝坊もしようと考えています。今までメールをいただいても多忙で返信ができなかった方々にも、少しは返信ができるかもしれません。
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2011年7月15日金曜日
かごしま県民交流センターで14日(金)に開催されたシンポジウムの最終的なタイトルは、「'農産物の安全シンポジウム' IN 薩摩」になっていました。元鹿児島県庁があった場所に多目的のりっぱなセンターが建てられ、私たちのシンポジウムはその中の中ホールを使いましたが、会場はほぼ満杯で、司会は地元のMBCテレビの女性アナウンサーが務めてくれました。私の基調講演に続いて、地元のみかん農家や消費者代表の主婦らが農薬に関する経験や疑問に思っていることなどを述べ、パネルディスカッションに入りました。私に渡された主婦からの質問票の中には、ハブ(毒蛇)のいる島の松くい虫防除で、どうしてヘリコプターによる薬剤防除を止めて、作業者を危険にさらす伐倒駆除をさせるのかというのもありました。現地では時間の関係で回答できませんでしたので、いずれお便りを差し上げて回答しようと思っています。一泊したホテルは西郷隆盛が切腹した城山の中腹にあり、眼前に雄大な桜島と錦江(きんこう)湾が見渡せました。私には、噴火口から吹き上げている水蒸気が、山の上で真っ白な雲になっているように見えました。当時日本の植民地だった朝鮮に住んでいた母が、父の郷里の鹿児島を訪ねた時は空から灰が降ってきたと言っていたのを思いだしました。
(写真はクリックすると拡大できます)
ホテルを朝7時に出発して(鹿児島空港は市内からかなり遠くにあるので)、東京に戻り、研究室で明日の明治大学での講義の資料を仕上げて宅ファイル便で事務局に送ってから帰宅しました。
7月12日に振り込まれた3名の方(初回、初回、5回目)と7月13日に振り込まれた5名の方(初回、初回、2回目、初回、5回目)の支援金が届いていました。これで支援金の現在高は263,843円、延べ347人からの合計額は3,404,428円になりました。ありがとうございました。メッセージもありました。
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50代のおばさんです。公判を見守ってきました。リンゼイさんのお父さんのネタで金儲けを・・・と市橋君の手に渡らぬお金に対し金儲け(と批判するのは?)はおかしい。また代理人弁護士の苦しまぎれの作り話。市橋君をおとしいれようとバレバレです。弁護士として情けないです。その点、市橋君の弁護団の方々はわかり易く明確、とても気持ち良かったです。本山先生の親心、(市橋君には)うれしかった筈です。市橋君は自分に足りなかったものを苦労の中で気づいたんですね。法廷での市橋君は立派でした。ますます人間として大好きになりました。早くゆっくり眠れる日々を願っています。最後に、この法廷で学んだこと、検察が冤罪を作ってしまう訳がよくわかりました。
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今までは少しでもお役に立てればと思い本を何冊か購入していましたが、この会を知り、振り込みさせていただきました。少しでもお役に立てればと思います。
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無期懲役の求刑に安堵しました。本山先生の法廷でのお言葉に市橋君が流した涙は本物です。土下座の謝罪も信じます。先生のこれまでの活動に感謝致し、無報酬での働きに心より感謝致します。ありがとうございます。判決後、会が解散?しても、私個人でも支援していきたいです。
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菅野弁護士からは、証人として出廷して証言したことに対して、私とM教授宛に感謝のお言葉をメールでいただきました。昨日(7月14日)の朝日新聞(千葉面)には、「リンゼイさんの遺族が英に帰国/判決へ再来日予定」という見出しの小さい記事が載っていました。空港で、「裁判に参加できて満足しています」と述べたとのこと。日本の裁判の進め方をご覧になって、果たしてどのように感じられたのでしょうか。娘を無残な目に遭わされ、殺された親としては、その悔しさと怒りと悲しさはどんなことをしても癒えることはないと思いますが・・・。
千葉大学園芸学部の事務長から連絡があり、私が市橋君の裁判の支援活動をしていることに関して抗議の電話が事務部にあって事務作業が妨害され迷惑しているとのこと。この活動は元教師としての私個人の活動であり、大学とは何の関わりもないことがわかっていながら嫌がらせの電話をするというのは、私の電話番号を使って通販会社に品物を注文して架空の住所に配達させるのと同じで、関係のない他人に迷惑をかける無責任な、卑劣な行為です。
明日は明治大学での講義がありますので、鹿児島の荒々しい桜島の自然の景色から、御茶ノ水の高層ビルが立ち並び大勢の人々がうごめいている人工的な都会の景色に移動します。
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2011年7月13日水曜日
7月11日に振り込まれた5名の方(初回、2回目、17回目、初回、3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は236,843円、延べ342人からの合計額は3,377,428円になりました。ありがとうございました。メッセージを書いて下さった方もおられます。
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今日(11日)の出廷、頑張って下さい。先生の話される言葉が聴いておられる全ての方々の心に届きますように・・・。市橋達也さん、貴方に人として成長できる未来が与えられますように・・・。心から祈り願います。
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昨日メールしました〇〇と申します。本山先生、本日は大変お疲れになられたことと思います。お身体にはお気をつけ下さい。
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今日は午後から東京農大の研究室に共同通信社千葉支局の記者が取材に来られました。市橋君の公判は法廷記者席で全部傍聴取材した方です。私と市橋君のご両親との交流の内容と、いわゆる市橋ガールズという人達の存在とその社会的背景に興味がおありのようでした。
明日は朝5時前に家を出て鹿児島に向かい、一般市民対象の農薬ゼミでの講演とパネルディスカッションに参加します。
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今日の午後は、検察側から無期懲役の求刑がされたことについて、東京農大の研究室でテレビ朝日から感想をインタビューされていました。予想通りだったけど、ホッとしたというのが、多くの支援者に共通の感想ではないでしょうか。後は、裁判官と裁判員によるこれからの評議で、そのまま認めるのか、情状を酌量して有期刑が妥当と判断するのか、です。無期と有期の境は30年で、無期の場合はほとんどそのまま刑務所の中で死を迎えることになるようです。
昨日の生きる屍のような市橋君の姿を見て、反省して謝罪して衰弱しきった人間を、演技をしている・反省がないと言ってなお極刑を求めるという人たちは、武器を捨てた相手を切り殺せ、撃ち殺せと叫んでいるような気がしました。死者に鞭を打てと言っているような気がしました。日本の文化は元々そうではなかった筈だと思うのですが。
昨日の裁判で私が証言台に立ったこともあって、支援者、非支援者、反支援者などから大量のメールが届いています。反支援者からの明らかにやらせのメールを除いて、本当は一つ一つに返事を差し上げたいのですが、今は明後日木曜の鹿児島での講演の準備と、土曜の明治大学大学院での講義の準備で追われて時間がありません。失礼をお許し下さい。
初めての非支援者の方からは以下のメッセージをいただきました。私も多感な時期にこの本を貪り(むさぼり)読みました。私は英語版も持っていますので、時期がきましたら、弁護団を通して差し入れてもらおうと思います。
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市橋さんには、ぜひドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んで頂きたく思います。幾人もの登場人物達が織り成す総合小説ですが、主人公の一人は、淫蕩に手を染め、それがキッカケで殺人と関わりを持ち、シベリアに流刑される青年です。最終的に青年は、苦しみの中での贖罪という光を仄かに見出すのですが、しかし自分が、多くの人の憎悪、特に嘲笑を前にして、良き贖罪の精神を保ち続けられるのかどうか、葛藤を抱えていきます。 たぶん今の市橋さんなら誰よりもこの主人公の善き部分を理解できるのではないかと思います。市橋さんが更生出来るかどうかなど例えば私が判断を下すのは全く僭越なことだと思いますが、しかし、この小説の青年が誰にとっても、贖罪の道程で善き友となってくれるのは、たぶん間違いではないと思います。
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ある支援者から届いた次のメッセージは、亡くなったリンゼイさんへの思いと過ちを犯した市橋君への思いと、矛盾した気持ちに揺れ動きながらも市橋君の更生を支援したいという多くの支援者の気持ちを表していると感じました。
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こんにちは。今年の2月に初めて支援金(小額ですが・・・)を送りました、〇〇〇〇と申します。あれからは全く支援金を送れていませんが、毎日、本山先生のブログは拝見させていただき、裁判へ向けての状況や、支援者の皆様のメールをWeb上で読ませていただいておりました。
裁判の初公判から、毎日必ず公判を詳細に記載しているサイト
(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/517596/ )でその場の様子を見ています。本当は是非傍聴したかったのですが、私は〇〇県に住んでおり、どうしても千葉まで行くには遠すぎる為に諦めるしかありませんでした。公判で明らかにされた、事件の色々な詳細を読み進めていくと、被害者であるリンゼイさんが、いかに怖い思いをしたか、いかに苦しかったか体験のしたことがない私が想像するよりも、もっともっと壮絶な物だったと思います。
あの日の朝、市橋君が寝坊しなければ・・・、財布にお金が入っていれば・・・
タクシーが少し待っていてくれれば・・・、リンゼイさんがマンションの外で待っていてくれれば・・・
もう過ぎてしまった事ですが、何かが違っていればこんな事件は起きなかったのに・・・
そんな風にどうしても考えてしまう自分が居ます。でも、もうそれは過ぎてしまった事、起きてしまった事なのですよね。
私は、市橋君に正当な裁判が行われるようにと支援する側の人間なので、公判の様子を記したサイトを読み進めていても、反省しているように伺えますが、リンゼイさんご家族からすれば、それは『わが子を殺した犯人が自分自身を守る為のショー』なのでしょう。私にも今年20歳になる息子がおりますが、もし息子が殺害された場合、犯人を許すことは絶対できないし、許されるのであれば、自分の手で戒めたい!と、思うと思います。
そんな風に思いながらも、本山先生が証人として出廷した日の公判内容を読んだ日は、 読みながら涙が止まりませんでした。本山先生のブログを読んでも涙が止まらず・・・。
本山先生のお気持ちと、事件を起こしてしまった市橋君への「どうして」という気持ちが私の中で錯綜して、どうしても残念でならないという思いばかりでした。本山先生のお言葉は、市橋君の心に必ず響いていると思います。
今日の公判の内容を、更新されている範囲(現時点で、午前中の物だけでした)で読み終えて少ししたら、テレビで「市橋被告:無期懲役求刑」というニュースが出ました。 【被害者が1人という事、前科が無いという事、殺意が無かったという事】その判断で、無期懲役が検察側から求刑されたそうです。それを見たとき、「死刑でなくて良かった・・・」と、思わず声が出ました。以前から私も家族と話を色々していましたが、「死刑には絶対ならないだろう」という意見に落ち着いていました。ですが、今回は被害者が外国人であった事、2年7ヶ月もの間逃亡していた事を考えると やっぱり、死刑という判決が出る可能性も、もしかしたらあるのかなと思っていました。
生きて死ぬまでリンゼイさんを思い、一生償って行く事が出来るんだ と思うと不謹慎かもしれませんが、「良かった」と・・・。まだ判決が出た訳ではありませんが、どうしても本山先生に気持ちを伝えたくなり、メールをしてしまいました。まったく整理されていない内容で読みにくいかと思いますが、申し訳ありません。
今年の2月に支援金を送金して以降、一度も支援しておりませんが、また必ず支援金を送らせていただきたいと思います。梅雨も明け、本格的な夏が始まったばかりです。今年初めてのセミの声を一昨日聞きました。本山先生も熱中症には充分に気をつけて、お体を大切にしてください。
(注:上記の[殺意がなかった]については、その後本人から間違いでしたと訂正のメールが届きました。)
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ある支援者からのメールの中に、「昨日の夕方のニュースで、本山教授の後ろでうなだれている市橋さんから涙が落ちてる法廷画を見ました。力なく座っていた市橋さんに本山教授の気持ちが届いてたんですね。」 という記述がありました。私にはすぐ後ろに位置していた市橋君の様子を見ることはできませんでしたが、昨日報道関係者から言われたことは本当だったのですね。卒業してから何年振りかですぐ近くの空気を吸っていた市橋君に、私の胸の中が通じたということは、大変うれしいことです。知らせて下さり、ありがとうございました。
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2011年7月11日月曜日
7月8日に振り込まれた2名の方(15回目と2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は186,843円、延べ337人からの合計額は3,327,428円になりました。ありがとうございました。何人かの支援者や非支援者からメールでのお便りもいただいています。ありがとうございます。
今日は午後1:35から千葉地裁で証言予定でしたが、先日電車の遅れで羽田空港からの飛行機に乗り遅れた苦い経験がありましたので早目に家を出たら、千葉中央駅に12時半ちょっと過ぎに着いてしまいました。早過ぎるので、駅に隣接したコーヒーショップでアイスコーヒーとチーズケーキを注文して時間つぶしをしました。千葉地裁は歩いて行ける距離でしたが、外は猛暑でしたので、タクシーを拾って裁判所に到着したのはちょうど1時頃でした。建物の入り口で待ち構えていたどこかの新聞社に写真を1枚撮られました。弁護団に指示された通り、エレベーターで9階に上がって刑事2部という部屋を訪ねたら待機する部屋に案内されました。そこで宣誓書その他の書類に記入・捺印し、時間がきたら2階の市橋君の公判が開かれている一番大きな法廷に案内されました。法廷の外には交代で傍聴して、報告書をパソコンで打って送信している報道関係者や、交代で傍聴している一般傍聴者がいました。今までメールのやりとりだけでお会いしたことのなかった支援者の方ともお目にかかりました。担当官に付き添われて法廷内に入り、証言台に案内されました。顔なじみの弁護団、検察側の席に座っているリンゼイさんのご両親、一般傍聴席の最前列に座っているリンゼイさんの姉妹の姿が見えました。前方の裁判官席には3人の担当裁判官の両側に裁判員が3人ずつ、その後ろに2名の補充裁判員の姿が見えました。証言台から後ろを振り返ると、傍聴席の前の位置に市橋君が両側を警護(?)に挟まれる形で座っているのが見えました。彼が千葉大学を卒業したのは2005年3月ですから、6年4ケ月振りに見る姿でした。
終始下を向いて顔をあげることはありませんでしたが、背を丸め、髪はボサボサに伸び放題で、卒業間際に最後に見た元気一杯だった時に比べて体が半分くらいに痩せて小さくなった感じで、私にはまるで生きる屍のように見えました。あまりにも変わり果てた元学生の姿にショックを受けた以上に、自分で立ち上がることさえできるのだろうかと思えるほど衰弱しきっていて、このままほっておいたら死んでしまうのではないかと心配になるくらいでした。長期間の拘留と、自分の犯した罪への悔悟と、被害者遺族との対面と、今から直面する運命への不安と、・・こういうことが重なって生きる屍のような生気のない姿になったのかもしれないと思いました。弁護団から聞いていたストイックな生活をしているというのが、こういうことだったとは想像もしていませんでした。
私への尋問は菅野弁護士が担当し、生まれて初めて証言台に立ったので途中とまどうこともありましたが、訊かれたことにありのままを答えればよいので問題はありませんでした。私自身のこと、市橋君との関係、学生時代の市橋君の印象、空手部活動のこと、事件発覚当初のマスコミの過熱報道、大学や私への取材のこと、市橋君はどうすべきだったか私の考え、Websiteで呼びかけたこと、強姦致死・殺人で起訴されていることへの私の考え、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」設立の趣旨、こういう活動をすることでストーカー行為を受けているかどうか、・・などについて尋問されました。裁判官から弁護士に尋問時間が予定制限時間に近いことを指摘されてからの最後の質問、「市橋被告に何を望むか」が、私にとっては最も大切な質問でした。身柄を拘束されてからは、もし接見が可能だったら、市橋君をぶん殴って「何ということをしたのだこの馬鹿者」としかりつけたかったこと。その次は、「何があったか事実を正直に話す」ように諭したかったこと。そして今は、どういう判決になるかわからないが、もし生きることが許されるなら、刑務に服しながらも今のまま年齢を重ねて朽ちるのではなく、成長し・向上し続けてほしいこと、できる範囲で社会にも貢献できることをしてほしいこと、などを説明しましたが、市橋君が今から20年か、30年か、あるいは一生刑務所で過ごす様子が胸に去来し、不覚にも胸が一杯になって言葉が途切れ途切れになってしまいました。
証言終了後、裁判所の外で待ち構えていた多くの報道陣に取材され、その後は先日学生が取材に来た関西の大学のS教授とその学生3人と近くの喫茶店に入って、さらに取材を受けました。
私の今日の証言が、裁判官・裁判員にどう受け止められたか知る由もありませんが、私としてはやるべきことはやったという気持ちです。私の証言の時に法廷内にいたある報道関係者からは、私の最後の言葉を聞きながら市橋君は涙を拭っていたと聞かされました。
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2011年7月10日日曜日
反支援者からのストーカー行為はまだ続いていますが、よくもまあ飽きもせずにやってられるなと思うだけです。経済的な被害をこうむっている通販の会社が気の毒です。嫌がらせのメールを匿名で送り付けてくる人もいますが、人に聞いてほしい考えがあるのなら、何故もっと正々堂々と自分の顔を出して、公の媒体(新聞の投書でも)で主張しないのかと思うだけです。このブログは、公開討論の場ではなく、私と支援者、支援者どうしのコミュニケーションの場ですから、そのような無責任な意見を取り上げることはありません。
何人かの支援者からメールや封書でのお便りが届いていますので、その中の一部を紹介しておきます。
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千葉は遠方で、傍聴には参れませんので、ニュースやネットで、公判の様子を毎日確認しております。 当然ながら「非」は市橋さんにあり、責められるべき立場であります。しかし、あらゆることを「嘘」「演技」と決め付るのは間違っていると思います。遺族に謝罪したことは、裁判を有利に進めるための「演技」で、殺意を否定するのは「反省していない」からであると言えるのはなぜか・・・
裁判官・検察官・弁護士・裁判員を除き、私たちは十分な証拠を手にし、検討することはできません。「メディアを通じて」得た情報だけが、私たち一般国民の知りうるものであります。内容は不十分でありますし、メディアにより歪曲された内容になっている可能性もあります。被告は人にあらず、被告には一点の真実もないと、頭から決めてかかるかのような人々に、逮捕時の大騒ぎぶりを重ね、気が滅入りそうな思いです。
遺族にひざまずき、土下座して謝罪したことにも、印税を賠償金として、自分のできる限り償おうとしていることも、それさえも悪なのですか?「殺害をネタに金を儲けた」と、責められなければならないことでしょうか。では、被告人は、どのようにして誠意を表せば良いのでしょうか。検察・遺族の言い分に何でも従って、死刑台に向かうことだけが、被告人に許された誠意の表し方だとでも?
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証人尋問では、どのような内容が求められるのか私には想像もつきませんが、市橋さんの生真面目な、粘り強い、賢明なところが、みんなに理解してもらえるようにと願っております。先生、お忙しい中、本当に大変と思いますが、どうか市橋さんのことを、よろしくお願い申しあげます。
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金曜振り込みました。 テレビなどで市橋君のことがまた話題になっていますね。詳しくは先生のブログでしか確認していませんが、裁判が始まって市橋君のこれからが決まろうとしているのですね。裁判所ではリンゼイさんの親族や沢山の傍聴人の前へでてみんなから見られるのですから市橋君の心中を察すると心が痛みます。市橋君へ、 普通に生活してても沢山の人の前でいやな思いさせられるときや嫌な言葉聞かされるときたくさんあります。心で感じるのは、みな一緒です。人に負けたらだめ、これから更正(更生?)しようとしている市橋君には、先生や私たちがついているって忘れないでね!見守っています。 先生、市橋君の心が折れてしまわないようによろしくお願いします。お忙しいのにメールみてくださり、いつもありがとうございます。
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先日、メールを送った〇〇です。ブログで紹介されていた、産経の公判ライブを読んでいます。その場にいるかのような気持ちになりますが、リラックスできる場所で、覗き見しているような複雑な感じです。
市橋さんのことを何も知らないのに、リンゼイさんを殺害してしまった状況は、殺意があったようには思えなかったり、取り返しがつかない状況になってしまったことに同情をしている自分がいます。一方で、リンゼイさんのお父さんの市橋さんに対する、法廷での態度に対する非難は胸をえぐりました。見方によって全く違う印象になる、という当たり前のことが胸をつきました。
私の周りには子供や一緒に働く、市橋さんと同年代の人がたくさんいます。人生をなめずに真面目に生きていって欲しいとつくづく思います。リンゼイさんには申し訳ないのですが、市橋さんは、自分で言った通り、リンゼイさんの死に責任を持って真摯に向き合っているように感じられます。11日には先生も法廷に出向かれるのですね。大変なことでしょうが、気をつけてお出かけ下さい。
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前回の送金から一年以上経ちました。
経済的理由もありましたが、先生のブログを読み、ショックを受けてからは、先生を応援する気持ちと、適正な裁判のために支援をしたい気持ちはありながらも、ずっとできずにいました。
市橋君は誘惑に負け、抑えられずに暴行に及んでしまったわけですが、親密な関係になりたいと勝手に考えたと証言していることから、そこまで至るには、一方的な思いだったわけですが、まだ若い彼にとってはひょっとしたら...という期待感を抱いてしまっても不思議ない経緯だったのかもしれないと思うようになりました。
被害者が外国人であることから、適正な裁判も、外交的配慮のない判決も非常に難しい、恐らく不可能なことであろうという思いから、それでも適正な裁判に少しでも近づけられるよう、男兄弟がいる身として、一昨日送金いたしました。
下記のニュースは被害者遺族の気持ちとしては当然ですが、リンゼイさんを死なせてしまい、取り戻せない過ちの加害者となってしまい、ご遺族の怒りと悲しみを目の当たりにし、死刑を求められ、悲しさと、後悔と、現実に、どうしようもなく胸が痛み、体と心を激しく震わせていた市橋君の様子が目に浮かび、とても悲しい気持ちになりました。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20110708-567-OYT1T00917.html?fr=rk
市橋君はリンゼイさんが「死んでしまうと思わなかった」と証言していますが、市橋君も、かつては夢を持っていた青年で、好意を抱いた女性に近づくために彼女の絵を描き、親密になりたいと焦り過ぎてしまい、自分が今、どのくらいの力を出しているか、よくわからぬまま死なせてしまったというのは、恐らく本当ではないかと思います。
以前、市橋君の元上司が、市橋君が同僚に殴りかかられ、取っ組み合いになり、それ以上やると死んじゃうよと市橋君に一言言ったら、その途端、彼は手を放し、何も言わずにその場で号泣したと話されていたことを思い出しました。
どんなに悲しかったろうと思います。
リンゼイさんの父親のウィリアムさんは、「弁護団とのやり取りは計算され、十分に事前準備されたショー。悔いていないのは明らかだ」と怒りを露わにしたそうですが、大切な娘が暴行され、命まで奪われ、逮捕まで2年7か月もかかり、難しい裁判のため、初公判まで更に1年8か月もかかったので、市橋君は死刑になりたくないだけで、反省なんてしているわけがないという思いから、「ショーだ」と怒るのは、遺族感情としては当然のことと思います。
ただ、ワイドショーでもコメンテーターの方々が、市橋君がリンゼイさんのご両親の前で土下座するのも、頭を深く下げるのも、全て演出だ、手記には逃亡中、自分がどういう生活をしていたかだけで、反省の言葉は全く書かれてなかったと発言されていましたが、そもそも反省の言葉を公判前に述べるための手記ではないはずですし、先生のブログやテレビ取材と市橋君の手記からなんとなく感じ取れる本来の市橋君は、能力に関しては非常にもったいないとは思いますが、報道されている人物像とは異なり、計算尽くされた、完璧な演出と演技で公判に挑むというよりかは、推測ではありますが、死刑になる恐怖はあっても、彼なりに精一杯、正直に経緯と、事実と、自分の思いを、正しく伝わるよう、慎重に述べているのではないかと思います。
下記のニュースサイトなどで、市橋君はすぐに答えない、沈黙する、回りくどい言い方をする、そしてその結果なのか、今は答えようとすると、男性代理人弁護士にさえぎられることが多くなったと報道されていますが、言葉は相手の先入観、思い込み、受け取り方でいとも簡単に怒りや誤解を招くものなので、通訳や裁判員の方々に間違って伝わらないよう、事実とは違う誤解をされないよう、言葉を選ぶのは裁かれる立場としては当たり前のように思います。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/517077/
先日他の支援者のかたが書かれていたように、市橋君に生きる道を作ってあげて下さい、できることならば、それがたとえ無期懲役であっても、二度と出られなくても、と思います。
11日の出廷は、限られた時間ですが、先生にしか伝えられないことを、リンゼイさんのご遺族、裁判官、裁判員、傍聴席、そして先生の言葉を聞いている、先生の知っている、本来の市橋君にお伝えください。
当日は、公判開始前からお祈りしています。お返事は不要です。明日のために、ゆっくり休んでください。
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先生、毎日お忙しいのにブログをありがとうございます。先日のブログに掲載されていた今後の活動の件ですが、形を変え継続して下さるとのことですが、そうしていただけたら、服役中の市橋君の様子もわかりありがたく思います。弁護団の方々がこれほどまでにがんばっていただいて感謝しております。
私の提案ですが、形を変え、支援金はそのまま続けて、今後の弁護団の方々に渡していただけたらと思いますがいかがでしょうか。無報酬でここまで働いていただいた感謝の気持ちとしてです。
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この支援する会は、規約で書きましたように裁判が結審した時点で役割が終わることになっています。今まで弁護団に提供してきた裁判活動・弁護活動を支援する支援金については、その都度領収書をいただいてそのコピーを公表してきました。弁護団からは、支援金の使途内訳について一度途中経過の報告書をいただいています。裁判が結審した時点で、入金記録簿をどなたかに監査していただき、また提供した支援金の使途についても全て報告していただいて、支援者に公表するつもりです。その後の活動については未定です。まだ裁判は結審していないのでどのような判決になるのか私には全くわかりませんが、検察側か弁護側が控訴する可能性もあるかもしれませんので、判決が出てからその後の対応については皆様のご意見を伺って決めたいと考えています。どのような判決が出るにしても、服役する市橋君を何らかの形で支援し続けていかれればと思っています。
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2011年7月9日土曜日
7月7日に振り込まれた2名の方(13回目、初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は156,843円、延べ335人からの合計額は3,297,843円になりました。ありがとうございました。初回の方からはメッセージが手書きされていました。
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達也君に生きる道を作ってあげて下さい。
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今日は久し振りにゆっくりできる土曜日でしたので、朝ゆっくり起きて、誰とも会う約束がないので髭を剃らないことにして、お便りをいただいた支援者にメールを送ったり、今月25日に出雲市に行く飛行機の切符と宿舎の手配をしたり、講演内容の構想を練ったりしてのんびりしました。夕方には久し振りに道場でバーベルを持ち上げてから、江戸川の堤防を暑いので無理をしないように4km 走ってきました。
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2011年7月8日金曜日
市橋君の裁判は多くの方の関心を集めているようです。関西のある大学の社会学部メディア学科の2年生から、専攻している教授のゼミの課題として市橋君の問題に取り組んでいるので私に取材したいという申し出があり、今日の午後TBSテレビの取材の後でお会いすることになりました。学生諸君にとっても、今度の事件は犯罪心理学やマスメディアの役割など、チャレンジする価値のある課題なのでしょう。
(注:心理学を勉強しているという人からのメールは、私がブログに紹介するかどうか試すやらせであったという連絡がありましたので、削除しました。)
今朝のフジテレビのとくダネという番組の中で、昨日の市橋君の証言と裁判の流れについて、ゲストの元検事で現在弁護士の方のコメントとして、計画性も殺意も感じられないという感想を述べておられたのが印象に残りました。
7月6日に振り込まれた2名の方(初回、匿名)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は146,843円、延べ333人からの合計額は3,287,428円になりました。ありがとうございました。
TBSニュースキャスターの取材後、関西の大学の社会学部メディア学科の2年生の男子学生が訪ねてきて、携帯電話の録音機能を使いながら私にいくつかの質問をぶつけてインタビューをしていきました。メディアが犯罪事件をどう報道するかを研究しておられるS教授のゼミ学生ですが、昨夜京都から夜行バスで上京し、今朝は教授を含めた何人かで千葉地裁前に並んで傍聴席を確保し、交代で傍聴してからこの学生だけが私のところに取材に来たとのこと。今夜は夜行バスで京都に帰るか、漫画喫茶みたいなところで時間を過ごして明日帰るかとのことでした。日曜の夜行バスでさらに多くの学生が上京して、月曜の裁判を傍聴する予定とのことでした。学生にとっては経済的負担が大きいので、大変な努力をして社会の注目を集めているこの裁判を傍聴しようとしていることがわかりました。つい元教師の習性で、いい経験になる筈だからしっかり頑張れよと励ましてしまいました。
先日取材に来られた東京新聞の記者から、7月5日付の新聞が送ってきました。社会面の初公判の様子の記事に加えて、地域の情報(千葉中央)のページに私への取材記事と「支援する会」の活動の紹介が私の写真付きでかなり大きく載っていました。私たちの活動を前向きに評価してくれていると感じました。
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2011年7月7日木曜日
7月5日に振り込まれた2名の方(10回目と23回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は135,843円、延べ331人からの合計額は3,276,428円になりました。ありがとうございました。10回目の遠方の方からのメールで届いたメッセージはすでに昨日のブログで紹介しました。23回目の方からもメッセージをいただきました。
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今日は一人息子の誕生日です。10年目にやっと恵まれ、命がけで産んだ子が22才になりました。だから市橋君のお母さんの気持ちになってしまいます。更生を願わずにはいれません。遺族の方に土下座したと聞き、号泣してしまいました。
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この方からは封書でも何回かお手紙をいただいていますが、なかなか返事を差し上げられなくて失礼しております。
明日は市橋君の裁判の件で午後からTBSテレビの「情報7days ニュースキャスター」の取材を受けることになりました。
今月は、14日(木)は飛行機で鹿児島に飛んで、「'食の安心・安全シンポジウム'IN 薩摩」で基調講演、16日(土)は明治大学大学院で講義、25日(月)は島根県出雲市で、「松くい虫防除薬剤空中散布の効果と健康影響の検証」という演題で講演をする予定です。
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市橋君の公判初日(7月4日)に傍聴記を送って下さった支援者から、昨夜遅く、2日目(7月5日)も傍聴できたというメールが届きましたので、遠方にいて傍聴できない支援者のために紹介しておきます。
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本日も千葉地裁に行って来ました。昨日程では有りませんが、かなりの人が並んでました。本日の抽選は外れてしまいました。昨日当たったのは、本当に奇跡でした。
しかし、今日も奇跡が...がっかりしてた所に、見知らぬ男性が「傍聴券当たったけど、最初だけ見れば良いから」と仰り、傍聴券を譲って下さりました。(譲る事は裁判所も了承してます。)なので、又本日も傍聴出来ました。本当に感謝です。
本日は司法解剖を行った女性医師の証人尋問でした。証言してる内容事態は理解出来ますが、その証言から殺意の有無を判断するのは、裁判員にとっては、とても難しい判断になると思います。
裁判員も真剣で、内容を理解した上で、質問してました。
以前もお話しましたが、市橋達也さんの裁判を理解したい思いで裁判傍聴を繰り返したり、裁判員制度を見直す団体に参加して来ました。
裁判によっては、裁判員からの質問が少なかったり、居眠りや、あまり関心がなさそうな方も居ます。
市橋達也さんの裁判は、そのような事がないように責任を持って臨んで欲しいと、ずっと思ってましたので、本日の傍聴で、裁判員の真剣さを感じ、安心しました。裁判官並みの質問をされる方もいました。
そしてもう一つ心配でしたのは、マスコミ報道からの先入観や、逃亡や整形から、この被告人は悪い人だと最初から決め付けられる事を恐れてました。
これは私の個人的な感想ですが、今回の裁判員は、法廷内で明かされた事実に基づいて審理してもらえそうな印象を持ちました。その反面、被告人質問で曖昧な事があると厳しそうな気もします。でも、それが公平な裁判となりますので、私としては本日傍聴して良かったですし、安心もしました。
本日も最前列で、傍聴出来まして、市橋達也さんは昨日と同じように入廷時には、リンゼイさんのご両親に深々と頭を下げ、昨日も思ったのですが、声は出さずに何か言っているようでした。しかし、リンゼイさんのご両親は、下を向いて拒否をしてる感じです。
公判中の彼は終始俯いて、全く動かず、裁判長に質問された時だけ、うなずく位です。
千葉地裁には全日行く予定です。もう当たらないと思いますが...
以前、テレビ局のディレクターから、傍聴した裁判のインタビュー取材を受けた際に、電話やメールのやり取りをしました事があります。その裁判の傍聴券の抽選発表後に、電話が来て「当たってたら、譲って欲しい」と頼まれました。その時に「報道席キープされてるのでは?」と伺ったら、本山先生の仰る通り、担当によって違うみたいですね。
法廷から出る時に、リンゼイさんの姉妹と一緒になり、出入り口でお互いに譲り合い、リンゼイさんのお姉様に優しく微笑み掛けられました。
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遠方にお住いの別の支援者からもメールをいただきましたので転載しておきます。裁判の経過が詳しくわかるサイトが紹介されています。
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いよいよ市橋さんの裁判が始まりましたね。
見られる範囲でテレビをチェックしていますが、本山先生のインタビューが放送されている事も多いです。お忙しい中、沢山の取材をお受けになったようですね、お疲れ様です。
そして11日に控えた証人尋問では、久々に市橋さんと再会する事になると思います。
判決が出るまで、陰ながら見守っております。
裁判が始まり、色々な事実が明るみになっています。女性にはショッキングな内容でもありますが、これが真実だと思うと自然と受け止める事が出来ています。
以前にブログに記載がありましたでしょうか?産経の法廷ライブです。裁判の詳細を知ることができますhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110704/trl11070414400005-n1.htm)
市橋さんは裁判を迎える為、あるいはこれから長い期間罪を償っていくために、毎日トレーニングをしていたんですね。
でも、いざリンゼイさんのご両親を目の前にすると、力なく膝をついて頭を下げた。
私は市橋さんの自然な謝罪の気持ちの表し方だと思っています。
裁判が結審するまでは、市橋さんにも弁護団の先生方にもかなりのエネルギーが必要だと思います。
本山先生がご自分の証言に関して仰った言葉をかりると、ただありのままを話せばいいのですから、真実をきちんと明らかにして、そして罪から逃げる事無く生きていってほしいと思います。
今日わずかですが支援金を送金致しました。
1000万円の懸賞金や過剰すぎる逮捕報道。
市橋さんはそこまで凶悪な人間には思えません。
公平な裁判になりますよう、願っています。
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別の支援者から、傍聴報告に感謝するメールが届きましたので追加しておきます。
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ご多忙の中、また11日の証人尋問の前の大切なお時間に、何度もメールを申し訳ありません。○○市在住の○○○○です。4日から裁判が始まり、支援者の方々から続々とメッセージが届いておりますね。何もできない私ですが、同じ思いで集う支援者の皆様に、この場をお借りしてお伝えさせて頂ければ幸いです。
特に、実際に裁判所に足を運ばれて、報告下さる支援者の方には頭が下がります。傍聴券も2日間とも獲得できたことは奇跡ではなく、市橋達也さんへの思いがそうさせた、必然だと私は思いました。また、入廷の際の市橋達也さんの姿をみて、本心でお詫びしている気持ちを感じられたということ。・・思っていた通りで、今迄以上にずっと支援し見守り続けたいと思いました・・
というお言葉は、私の心にも、とても響きました。また、今後も変わらず、市橋達也さんの成長を見守り続けるという多くの支援者の皆さんの温かいお言葉に、私自身も励まされます。私も、皆さんと共に支援し続けます。
11日は仕事がありますので、帰宅してからテレビのニュースで法廷の様子を知ることとなると思います。また、大変お疲れのことと思いますが、本山先生もブログに書いて下さると思いますので、しっかりと拝見させて頂きたいと思います。
本山先生。本当に、本当に、お疲れ様です。
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7月4日に振り込まれた5名の方(初回、2回目、13回目、10回目、初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は125,843円、延べ329人からの合計額は3,266,428円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただきました。
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二度目の振り込みになりますが、経済的にも大変で、今回も少額で申し訳ありません。
いよいよ今日から市橋さんの裁判が始まりましたね。市橋さんには真実を語って頂いて、それ相応の刑罰を受けてもらって、できることならまた新しい人生をスタートさせてあげたい気持ちはありますが、やはり被害者であるリンゼイさんや、そのご遺族や関係者様のお気持ちを考えると、市橋さんばかりを応援するようなことは、私にはできませんので、市橋さんとリンゼイさん側の双方にとって適切な裁判になることを祈ります。しかし、やはり加害者である市橋さんのしたことは、人として許される行為ではないので、市橋さんが心から反省してくれることを期待しています。私は静かに裁判の行方を見守りたいと思います。
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妹から預かったお金にプラスして1843円で市橋さんです。以前の2020円のフレーフレーと組み合わせてフレーフレー市橋さんとなります。今日から裁判です。今の私は素直に市橋さんを応援できる気持ちにありません。リンゼイさんの無念さを考えると苛立ちさえ感じます。このお金で、リンゼイさんの為にも公正な裁判をしてもらいたい。
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わずかですが、少しでも正当な裁判に力添え出来たらと思っています。
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今日は昼休みに東京農大の周りを約 6km ジョギングして汗をかいたので、気分爽快です。その後週刊女性の記者が取材にきてちょっと前に帰ったところです。
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2011年7月5日火曜日
7月1日に振り込まれた方(3回目)の支援金が今日届きました。これで支援金の現在高は74,000円、延べ324人からの合計額は3,214,585円になりました。ありがとうございました。
今日は東京農大の研究室にBS-TBSの方が来られ、松枯れ問題について30分か1時間の科学的番組を制作する企画について相談しました。その後、光文社の写真週刊誌フラッシュの記者が来られ、市橋君の事件について取材を受けました。どういう記事になるかわかりませんが、見本に置いていかれた最新号を見ると裸の女性の写真が表紙をはじめたくさん載っていました。
昨日の市橋君の初公判については、昨日のテレビや今日の新聞で詳しく報道されていました。本ブログでは、初公判を直接傍聴した支援者からの報告をすでに昨日のブログで紹介しました。市橋君の土下座や、長髪・ひげ面の身だしなみなどについては、いろいろな意見があるようですが、私たちは一挙手一投足に一喜一憂する必要はなく、裁判の流れ全体を見て判断をしていけばよいのではないでしょうか。
昼休みは暑くて熱中症になりそうでしたが、私は農大キャンパスの周りをゆっくり 4km くらい走りました。
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今日は市橋君の初公判が千葉地裁で開かれました。私のところには、午前中はイギリスの新聞 The Times の東京支局長が取材にこられました。日本人スタッフが翻訳したのでしょうが、支援する会とこのブログに今まで書いた記事を全部知っていました。午後からは、私は共同研究をしている千葉大学のT教授の研究室で松くい虫に関する実験をしていましたが、その合間に裁判に関してフジテレビ関係者と日本テレビ関係者の取材がありました。
7月2日に振り込まれた方(5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は73,000円、延べ323人からの合計額は3,213,585円になりました。ありがとうございました。この方からはメッセージもありましたが、ブログには紹介しないでほしいと記されていましたので、紹介しません。
公判を傍聴した支援者の一人から以下の報告が届きました。直接傍聴した方からの生の声で大変貴重です。ありがとうございました。
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今晩は。本日、千葉地裁に行って来ました。傍聴券の抽選に初公判は特に並ぶので、ほぼ諦めてましたが、なんと当たったんですよ。
マスコミのアルバイトが多く並び、傍聴希望人数975名もいましたけど、当たりました。
一番前の席に座れたので、市橋達也さんの直ぐ後ろで傍聴出来ました。傍聴席には、リンゼイさんの姉妹が座り、リンゼイさんの写真を持ってました。検察側には、リンゼイさんのご両親が座り、隣に座った通訳の方が、全て訳してました。
手錠と腰縄をし刑務官に連れられて市橋達也さんは入廷し、証言台の前で突然、前に倒れるように跪き、リンゼイさんのご両親に向かい、深く土下座をしました。刑務官に「立て!」と言われ、立ち上がった後も、深くお辞儀をしてました。その後の休廷時に再度入廷する際も、深くお辞儀をしてました。その姿に私は、本心でお詫びをしてる気持ちを感じました。
殺意に対しては『私はリンゼイさんに対して殺意は有りませんでした。しかしリンゼイさんの死に対し、その責任は有ります。私はその責任は取るつもりです。リンゼイさんに姦淫したのは私です。怖い思いをして死なせてしまったのは私です。本当に申し訳ございませんでした。』
顔を多数回殴ったり、緊縛したり、頚部を圧迫した事実確認の質問に、数分の沈黙後に『...事件の日に何があったのかを知ってるのはリンゼイさんと私しかいません。でもリンゼイさんは私のせいで何も話せません。事件の日に何があったか話して行くのは私の義務です。今の質問は、これからの裁判で詳しく話していきます。』涙声で語りました。
検察官の証拠調べでは、元交際相手の供述調書や、市橋達也さんとリンゼイさんのドトールコーヒー・マンション周辺・エレベーター内の映像や部屋の中の写真や残されていた粘着テープ・結束バンド・コンドーム・衣類等も映し出されました。
浴槽に入れられたリンゼイさんの姿が映された時には、リンゼイさんのお父様は顔を真っ赤にし涙し、お母様は終始下をを向き泣いてる姿を見るのは辛かったです。姉妹も泣いてました。
今迄支援して来てましたが、彼とは会った事もなく、本山先生からのお話や報道から受け取る私なりのイメージしか有りませんでしたが、実際に彼を見た時にどう感じるだろうと少し不安に感じてた部分も有りましたが、思っていた通りで、今迄以上にずっと支援し見守りたいと思いました。
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マツノザイセンチュウを接種してどれくらいの時間経過でどれくらいの松枯れ症状が現れるかを観察する予備実験を、千葉県森林研究所の福原一成氏の協力で実施しました。大学院の学生諸君も興味深そうに見学して勉強していました。(写真はクリックすると拡大できます)
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2011年7月3日日曜日
6月30日に支援金を振り込まれた方(6回目)から以下のメッセージが届きました。
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明日は、市橋達也さんの初公判ですね。緊張や色々と不安になりますが...市橋達也さんは、迷いはなく落ち着いてるとの事で、しっかり気持ちを固め裁判に臨む姿勢を感じ、少し安心しました。
マスコミ報道からの先入観に影響されず、そして本山先生が仰るように、社会からのリンチにあう事がないよう願ってます。裁判員の方には、証人尋問で本山先生の思いが届き、理解して頂けると信じてます。
公判で明らかにされる事実に、思っている以上に残酷でショックを受けるかも知れません。全てを受け入れる覚悟をしてます。市橋達也さんには、真実を語り、自分自身の言葉でご遺族に、心から謝罪して欲しいです。どんな状況でも、ずっと見守ります。最後に...市橋達也さんの適正な裁判が行われますように...本山先生、弁護団の方々、宜しくお願い致します。
先日の荻野友花里さんの殺害事件の裁判で、裁判員の1人が居眠りを繰り返し、途中で解任されました。私が傍聴した時も、明らかに寝てて、周囲に気付かれないように裁判官に起こされていました。公判中の居眠りを見て、弁護士が地裁に善処を求めたが改善が見られなかったり、私がお話をしましたアメリカ人男性(ハワイ大の教授)も書記官に相談してたようです。
弁護士は死刑判決について、居眠り裁判員が関与してた事による不適切な影響がなかったか、地裁に適切な訴訟運営を求めているようです。
長い時間拘束され、ただ聞いてるだけだと、眠くなるのはよく分かりますが(私も傍聴の際に眠気に耐えられない事も有ります。)裁判員に選ばれたからには、真剣に臨んで欲しいです。
判決後も、支援の会は終了しても、別の形で引き継ぎを考えて下さってるとの事で、良かったです。
まだ判決次第で、控訴など、どのようになるか分かりませんが...私の気持ちは、何かの形で引き継いで欲しいと思ってますので、よろしくお願い致します。
今迄は、弁護士さんが差し入れをしてましたが、刑が確定した場合は、弁護士さんとの関わりは少なくなると思います。その際に生活用品等や希望された本などの購入や差し入れが必要だったりするかも知れません。その際に千葉刑務所に行ったり、何かご協力出来ればと思ってます。
具体的な事は、いずれご相談させて頂きたいと思います。
まずは、明日からの公判が大事ですね。抽選に並ぶ予定です。適正な裁判が行われますよう、心から祈ってます。
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今日は午前中にフジテレビ、午後はTBSテレビと東京新聞の取材を受けました。一部はすでに放送されたようですが、明日の公判の報道の時も一部使う予定とのことでした。私自身は見る機会はありませんので、後で放送した部分のDVDを送ってくれるという約束です。
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2011年7月2日土曜日
6月30日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は69,000円、延べ322人からの合計額は3,209,585円になりました。ありがとうございました。
昨日のブログで報告しました6月29日に振り込まれた方(8回目)から以下のメッセージが届きました。ありがとうございました。
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いつもHP拝見しております。先日、少額ではございますが送金させていただきました。まだまだ先と思っていた裁判が、ついに始まります。正当な裁判がなされることを祈るばかりです。
既に報道されていたことではありましたが、リンゼイさんに残された「多くの傷やアザ」という文字を、先生のブログの中に見た時は、改めて強いショックを感じました。市橋さんの心の中に潜むその狂暴性は、更生されるのか。冷酷・非常な人間なのではないか。
その一方で、釜ヶ崎で職を得て、本当に過酷な労働条件の下、ひたむきに働いていたこと。犬やネコを可愛がっていたという優しい一面。印税で少しでも償おうという気持ち。
人は誰もが二面性を持っていると思いますが、一瞬の「魔」で犯罪者になってしまったとしたら、なんと愚かな、悲しい運命かと思います。 「魔」であれ、「運命」であれ、許されるわけではなく、起こした罪は裁かれなければなりません。ただ、起こした罪が「正当に」裁かれ、更生の可能性が「正当に」評価されるよう、祈っております。
時節柄くれぐれもご自愛下さいませ。
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6月30日のブログで書いた「市橋君の裁判での私の証言では、減刑を嘆願するつもりは全くありません。」ということに関して、支援者から私の考えは変わったのかと心配されたお手紙をいただきました。表現が冷酷な印象を与えたかもしれませんが、私の考えは一貫して変わっていませんので、ご安心下さい。子供や学生が悪いことをした時は、それは悪いことだと教えるのは親や教師の役割だと思っています。市橋君がリンゼイさんにしたことは明らかに悪いことですので(この点については本人も認めていますし、検察側と弁護側に主張の違いはないようです)、市橋君には自分のしたことがリンゼイさんにとってはどれだけ尊厳を傷つけられる屈辱的なことであったか、又殺意はなかったにしろ強姦後監禁しその結果として死に至ったことについて、心の底から反省し、謝罪し、犯した罪に相当する罪の償いをしなければなりません。その上で、私の知っている市橋君なら十分更生することができる筈ですから、刑に服した後彼の人生に何年残るかわかりませんが、残りの人生をしっかり生き直すチャンスを与えてほしいと願っています。また、刑に服している間も現在のまま年を経るのではなく、成長し続けてほしいし、彼にできる分野と範囲で社会にも貢献してほしいと願っています。この支援する会の役割は、裁判が結審した時点で終わることになっていますが、皆様と相談の上、できることなら別の形で引き継いで、服役中の市橋君の成長を支える役割を担えればと考えています。
今日は午後2時から鳥取市でサイエンスカフェがある予定でしたので、羽田空港を11時に出発する飛行機に乗るつもりでした。十分早目に自宅を出たのですが、途中で常磐線が何回も止まって、とうとう空港に着いたら出発15分前で予定した飛行機に乗れませんでした。他の便や、近くの他の空港に行く便もチェックしてもらいましたが、結局4時頃しか到着できないということになりました。現地ではずい分前からサイエンスカフェを企画して、準備をしてくれたのに、キャンセルしてもらうしかないということになりました。参加を楽しみにしてくれていた一般市民の方々にも、申し訳ないことをしてしまいました。(先ほど現地から電話があり、私の話を何回もきいたことのある人が、私のスライドを使って代わりに講演して下さったとのことでした。ホッとしました。)
お蔭で今日の午後と明日の午前の時間が空きましたので、今から近くの床屋に散髪に行くつもりです。
明日からは市橋君の裁判に関して、メディアからの取材申し込みが一杯です。裁判の前と後とありますが、すでに取材が済んだ読売新聞に加えて、フジテレビ、TBSテレビ、東京新聞、イギリスの新聞The Times 、BS-TBSテレビ、朝日新聞、イギリスのBBC放送のラジオとテレビなどですが、実際に裁判が始まればまた増えるでしょう。
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2011年7月1日金曜日
6月29日に振り込まれた方(8回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は64,000円、延べ321人からの合計額は3,204,585円になりました。ありがとうございました。昨日振り込まれた方からメールでメッセージが届きました。
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こんにちは。初公判が目前に迫り、市橋さんの心情が気掛かりです。 首尾良くいくよう祈るばかりです。
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市橋君の事件に関するフジテレビの取材は今終わりました。7月4日の公判開始日にも、もう一度取材に来られるようです。イギリスの新聞 The Times からも7月4日に取材に来たいという申し入れがありました。
6月27日に取材に来られたテレビ朝日からはさっき電話があって、チャンネル10(デジタルではチャンネル5)の今夕4:53からのニュース番組の中で放送するそうです。(さっき自宅に帰ってテレビをつけたら、5時台に事件全体を振り返る企画の中で私のコメントを簡単に紹介していました。)
今朝小田急線秦野駅に行ったら、昨日網棚に置き忘れたバックパックが保管されていました。論文や実験ノートやUSBが全部手元に戻ったのでホッとしました。今日は農大からの帰りに代々木上原駅で途中下車して、昨日親切に探す手配をしてくれた駅員にお礼を言ってこようと思っています。
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2011年6月30日木曜日
世間の注目をあつめた千葉大学女子学生殺害事件の判決が今日言い渡されて、死刑だったとのこと。私には法律的な知識はありませんので、どの程度の罪がどの程度の罰に値するかの判断はできませんが、7月11日に予定されている市橋君の裁判での私の証言では、減刑を嘆願するつもりは全くありません。市橋君は、千葉大学の元学生ですが、犯した罪に相当する罰を受けて罪の償いをするのは当然だと思っているからです。市橋達也君の適正な裁判を支援する会が目指しているのは、社会からの袋叩き(リンチ)ではなく、市橋君に事実だけに基づいた適正な裁判を受けさせるということです。
東京農大の帰りに、半分居眠りをしていたら代々木上原の駅で地下鉄千代田線に乗り換える時に、小田急線の電車の網棚に大事な論文や実験ノートやUSBの入ったバックパックを置き忘れてしまいました。すぐ駅の忘れ物窓口に行って、終点の新宿駅や折り返し運転している電車の中を約1時間探してもらったのですが、見つかりませんでした。あきらめて帰宅したら、小田急線の秦野駅から私のバックパック(中に名刺が入れてあった)を見つけて保管してあるとの電話連絡がありました。明日の朝、農大への行きがけに秦野駅に寄って受け取ってこようと思っています。代々木上原の駅員は大変親切でしたし、日本という国は物を置き忘れてもなくならないいい国だなと思いました。
明日は午後から東京農大の研究室で、市橋君の事件についてフジテレビの取材を受けることになりました。イギリスのBBC放送からも電話取材がある筈です。
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2011年6月29日水曜日
6月27に振り込まれた5名の方(12回目、4回目、22回目、6回目、16回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は54,000円、延べ320人からの合計額は3,194,585円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただきました。
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いよいよ来週7/4(月)より市橋君の公判が始まります。心より、適正な裁判が行われる事を祈っています。先生も、出廷される日は(支援者も見守っていますので)気をつけて行ってきて下さい。宜しくお願い致します。
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市橋君、体調を整え、遺族の方にしっかり謝罪し、弁護士の先生方の事をしっかり聞いて裁判に臨んで下さい。私はいつまでも支援者です。
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もうすぐ初公判です。適正な裁判が行われるよう祈っています。弁護士のみな様、本山先生、市橋君を守って下さい。お願いします。
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又、後ほどメールにてお手紙書かせてもらいます。暑いおり、節電の都合もあるでしょうが、お体だけは大切になさって下さい。
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今日は菅野弁護士の事務所で、情状証言の進め方などについて打ち合わせをしてきました。私は7月11日(月)1:35-2:00、休憩15分、2:15-2:35 に証言をすることになっています。弁護人、検事、裁判官・裁判員、被害者遺族、の順に私に対して尋問が行われるようです。弁護人の尋問事項についてはあらかじめ裁判官にも提出されているようですが、私はただありのままを話せばいいのですから、全く問題はないと思います。もう一人の情状証言者のM教授の証言は2:45から始まるとのことです。
当日は私は裁判所に午後1時頃に到着するようにとのことでした。裁判所に行くのは初めてですが、9階にエレベーターで上って、刑事2部B合議というところを訪ねて待機するのだそうです。自分の証言の時だけ法廷に入って、証言が終われば外に出なければなりませんので、私自身が裁判を傍聴することはできないようです。傍聴席は90席あるそうですが、報道関係者用に30席、一般人用に60席割り当てられるとのことです。ただし、リンゼイさんの姉妹2名とそのカウンセラー2名の4名と、イギリス政府代表2名の、計6席は特別傍聴席として確保するので、一般人用の傍聴席はその分だけ少なるなるようです。
以前、市橋君の手記の印税収入500万円を被害者弁償金として提供したいという申し入れをしたことに関しては、受け取るとも拒否するとも返事はなかったそうです。被害者遺族と関係者が何人も来日しますので、渡航旅費や滞在費や代理人弁護士料など相当の負担になる筈ですが、裁判が結審した後で損害賠償金の支払いを請求することはよくあることのようです。
7月12日には、情状審査、被害者遺族の陳述、弁護人の最終弁論、市橋君の意見陳述、検事の求刑、という順番で行われる予定のようです。その後4日間の評議を経て、7月21日(木)2:30-4:00pmに判決が下されるようです。私のところにも、朝日新聞やイギリスのBBC放送からすでに取材の申し込みがありましたが、弁護団は判決後4:30pmから菅野弁護士と秋元弁護士が記者会見を予定しているとのことです。
市橋君は弁護団と頻繁に打ち合わせをしていて、迷いはなく落ち着いているとのことです。
全く別件ですが、昨日アメリカ人の友人から生息数の減少が危惧されているウミガメのショッキングな写真が送ってきましたので、このページにリンクが貼ってあるWebsite http://sites.google.com/site/naokimotoyama/ に記事#16 百聞は一見にしかず というタイトルで転載しておきました。写真が合成ややらせでないとしたら、せっかく産んだ卵を横取りされるウミガメは可哀想だなと思いました。現地住民が貧しいということが、他の生物との共生や配慮を難しくしているのでしょうが。
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2011年6月28日火曜日
読売新聞柏支局の記者は午後2時に来られ、テープレコーダーを回しながら4時頃まで取材していきました。まだ入社して2年という若い記者でしたので、事件全体についても把握しようとされているようでした。
支援者から以下のメールが届きました。裁判員が決定したとの情報をありがとうございました。支援金を振り込んで下さっている方の中にも、いろいろな考えの方がおられます。市橋君に適正な裁判を受けさせたいということと、罪を償った上で更生のチャンスを与えたいという点ではほとんどの方が一致しているのではと思います。
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市橋君の初公判まであと6日に迫りました。そして今日裁判員の選任手続きが千葉地裁で行われました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110628/trl11062808040000-n1.htm
ここの記事にもありますが、有名な事件だとやはり先入観で見てしまうのでしょうね・・・。
私は適正な裁判を望んでいますが、どうなることやら。裁判員裁判が実施されてから性犯罪は重くなる傾向になるとありますが
市橋君の場合弁護側の主張が全部認められても懲役20~30年だと以前の本山先生のメールにありました。
検察側の強姦致死罪なのか、弁護側の傷害致死罪になるのか、そして殺意のあるなしはどう判断されるのかで決まってしまうのですね。
私が書くのもなんなのですが、死刑だけは回避してほしい! 更生の機会を与えてあげたい!
いろんな刑事事件の判決をテレビや新聞などでみると、とても他人事ではないです。被告人たちはどこで道を間違ったのだろうと。
引き返す方法はいくつもあったはずなのに・・・。
横浜地裁で裁判員裁判初の死刑判決になった被告人は、弁護人のだした控訴を取り下げ死刑が確定しました。2人を残虐な方法で
殺害したのですが、彼には奥さんがいました。正当な方法でお金を稼ぐのではなく、覚せい剤の密売の利権がほしくて見ず知らずの
人達を殺害しました・・・。今頃は東京拘置所にいるはずです。控訴を取り下げたのは彼にも良心があったのでしょう。
市橋君より1歳上のせいか、なぜか気になります。
市橋君がどのような判決が下るかわかりませんが、どんなに辛い事でも受け入れようと思います。
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こんにちは。
そして69歳のお誕生日おめでとうございました☆
遅ればせながらお祝いを言わせて下さい。
お元気そうなご様子...何よりです。
さて昨日16回目の振込みをさせていただきました。
またご確認よろしくお願いいたします。
もうすぐ7月です。市橋さんの公判が近づいてきました。
先日の弁護団の先生方との打ち合わせの中でのお話を読ませて頂き私自身ショックで涙が出ました。リンゼイさんの無念さも大変伝わってきました。。。
ですが...市橋さんの更正と社会復帰への願いは変わらず今回も振込みを続けています。
何故なのか...。
以前あるジャーナリストの方が話されていたのですが、市橋さんは逃亡中、もっと悪事を重ねることが出来たのに大変キツイ労働で賃金を得ておられました。
夏の苛酷な暑さ、冬の極寒の中での外での作業をつづけ収入を得ておられました。
何度だって悪事に手を染める人はたくさんいるのに市橋さんは地道に働いておられました。
だからこそ彼はやり直せるんじゃないか!?
私も同感です!
そんな市橋さんだから、ちゃんと自ら犯した罪は自らが償いその中でいろんな支援される方々の想いを受け入れ市橋さんなりに学習し、人として更正できる...。
私はそう信じたいです。
いろんな方々がおられ、その数だけ考え方があると思いますので私は私の意見を押し付ける気持ちはありませんが、私は私の信じる道を歩んで生きたいと思います。
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このブログは、支援者と私、支援者どおしのコミュニケーションの場ですから、匿名の反支援者や非支援者が市橋君は死刑が相当とか無期が相当というようなメールを送られてきても、ここに紹介することはありません。そもそも、私は顔を出して活動しているのに、匿名というのは失礼な話です。またいくらストーカー行為の電話や通販に架空の名前で買い物をして被害を与えても、私が影響を受けることは全くありませんし、信念を曲げることもありません。
BS-TBSニュース21の担当者から、先日紹介した九十九里浜白子海岸の松林の調査の記事が目に留まったらしく、今回の東北のつなみの被害にも関連して番組企画の相談に来たいとのメールが届きました。普段忘れがちな松林の防災機能ということもありますので、喜んで私たちの持っているデータを提供し、協力したいと思います。
支援者から今届いた以下のメッセージを追加しておきます。
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市橋達也さんに性犯罪の被害者の苦しみを理解し心が動いて欲しいと思い、
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以前、私は性犯罪の被害にあいました。とても怖い思いをしましたが、夜道を派手な格好で歩いてた自分がいけなかったんだ。友達に話しても自業自得と思われるのではないかと思い、誰にも話せませんでした。あれから10年以上経った今でも、背後から男性が近づくと怖くなり歩けなくなったり、突然襲ってくる不安感や恐怖心に悩まされましたが、自分が我慢するしかないと思ってました。
市橋達也さんの支援を始めてから、リンゼイさんの苦しみや彼の気持ちを少しでも理解したい思いで、様々な本を読みました。そこで初めて気付いた事...私は悪くなかったんだ。悪いのは性犯罪を犯した犯人なんだ、と知った時、涙が溢れました。
又、犯罪者の中には「女性は強姦をされたいと思ってる」と答える人もいて、犯罪者と被害者の考え方の違いにショックを受けました。性犯罪の被害者は、自分を責め、誰にも打ち明けられず、一生続くトラウマやフラッシュバック、PTSDに苦しみ、体も心も傷が残ります。
リンゼイさんは、恥ずかしさや痛みに耐え、屈辱を感じ、どんなに傷つき辛く苦しみ亡くなってしまったのか...市橋達也さんに被害者の本当の苦しみを知って欲しいと思います。
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本日は、市橋達也さんの公判の裁判員選任手続きが行われ、記事が載ってました。
裁判員は、マスコミの報道からの先入観に影響されずに判断して頂きたいと思います。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110628/trl11062808040000-n1.htm
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2011年6月27日月曜日
東京農大の研究室にある支援者が訪ねて来られ、性犯罪被害者に関する本を届けて下さいました。著者はキャロライン・リーマンというアメリカ人の女性で、20年間にわたって性犯罪被害者のトラウマと克服をテーマに執筆と講演を行っている人のようです。今から目を通してみて、場合によっては明後日菅野弁護士とお会いする時に市橋君に差し入れてもらえるかどうか、性犯罪被害者の立場から書かれたこのような本を読むことが自分の犯した罪の重さを自覚するのにプラスになるかどうか、相談してみようと思っています。
テレビ朝日からは記者2人とカメラマン2人の4人が来られ、1時間ちょっと取材を受けました。いつもと同じような内容の質問に加えて、市橋君の心境の変化、特に公判を直前にひかえて市橋君が現在どのような心境にあるのかに一番の関心があるようでした。さらに取材を続けて、公判直前にどこかの時間帯で放送するという計画のようでした。
今夜は読売新聞柏支局から電話があり、明日東京農大の研究室に取材に来られることになりました。いろいろなメディアが、公判開始の前に事件を振り返るような報道を計画しているのでしょう。
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2011年6月26日日曜日
今日は久し振りに江戸川の堤防に行って、ゆっくり 6km 走ってきました。このところ講演や野外調査が連続して毎日スケジュールに追われるような生活で、睡眠不足も重なって、心身ともに疲れが蓄積している気がしていました。小雨が降り出しそうな曇天でしたが、久し振りに息をハーハーさせながら汗を一杯かいて走れたので、気分爽快になりました。
69才の誕生日だったので、アメリカ在住の娘や孫たちや、東京在住の息子から電話がありました。息子からは素敵なネクタイ、妻からはそれに合わせたネクタイピンをプレゼントにもらいました。
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2011年6月25日土曜日
千葉大学大学院博士課程の大学院生K君と私の車で九十九里浜の一宮(いちのみや)海岸に行き、現地で千葉県森林研究所のE氏と合流しました。K君は樹木の菌根菌の研究をしているので、松だけが生育している砂地とニセアカシアなど他の樹種が侵入してきている砂地の砂を採取して、菌根菌を比較するのが目的です。菌根菌は松の根の細胞から栄養を摂り、反対に松の根には水分と肥料成分を供給するという共生関係にあることが知られています。
一宮海岸は九十九里浜の南端に位置しますが、ここでも松くい虫の被害は甚大で、かつて青々と美しい景観だった松林はもう松林とは呼べないほどボロボロでした。これでは、十分な防風・防潮の機能は果たせないなと思いました。私たちの共同研究が、いつの日か美しい松林の復活の一助になればと思っています。
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2011年6月24日金曜日
6月21日に振り込まれた方(12回目)と6月22日に振り込まれた方(16回目と4回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は23,000円、延べ315人からの合計額は3,163,585円になりました。ありがとうございました。12回目の方と4回目の方からはメッセージもありました。
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自分の行動や考えに悩む日々です。障害年金で月々わずか10万円での暮らし。市橋さんに振り込むお金で欲しいCDもあるし、食べたいものもある。女としての私から見ると、単なる鬼畜。死刑さえ妥当と思う。しかし精神を病んだ私から見ると同情の対象となってしまい、更生を願わずにはいられない。今後の支援については、又本山先生といろいろ話し合って考えます。とりあえず今日は、また振込みます。がんばって下さい。
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いよいよ初公判の日まで2週間を切ってきましたね。市橋さんとは全然面識もないのになぜか他人事とは思えず、日々緊張感が高まってきている気がします。きちんとした公正な裁判が行われる事を祈っています。
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九十九里海岸での調査が終わって、夕方自宅に戻ってきました。当初は降雨が心配されましたが、幸い鉄砲ノズルを使った地上からの薬剤散布も、無人ヘリコプターによる空中からの薬剤散布も予定通り行われ、私たちも計画した時間帯のサンプリングは全て実施できました。膨大な数の気中濃度と落下量のサンプルなので、分析には相当な時間がかかりそうです。
過去には青々としていた九十九里海岸の松の防風林が、空中からの薬剤散布が中止に追い込まれてから急激に松くい虫の被害が拡大し、見るも無残な状態になってしまいました。そのために、また昔のように砂浜からの飛砂が住宅地まで飛んでくるようになりつつあります。これから海岸線の松林をどう復活するかが大きな課題です。
明日は大学院生と一緒にもう一度海岸に行って、実験用の砂を採取(許可を取りました)してくる予定です。砂の中に存在している菌根菌と呼ばれる微生物と松の根との共生関係を調べるためです。
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2011年6月22日水曜日
今日の午後札幌で開催される「みんなで学ぼう"農薬どさんこ塾 in さっぽろ」に出演するために、昨日から北海道に来ています。北海道には今年の2月にも来ましたが、その時は赤レンガ造りの旧北海道庁舎も庭も道路も、あたり一面雪に覆われていましたが、今回は緑に覆われていて、ポプラの木からでしょうか、白い綿毛が雪のように降って舞っています。
新旧の北海道庁舎が見下ろせるホテルの部屋に滞在していますが、今から講演に使うスライドの最後の見直しをしようと思っています。夕方会が終わればすぐ新千歳空港に移動して東京に戻り、松戸から車で九十九里浜白子海岸の仲間が宿泊している民宿に駆けつけます。到着するのは多分夜中の12時を過ぎるでしょう。明日は朝4時半頃から無人ヘリコプターによる松くい虫防除の薬剤散布がありますので、1時間前の3時頃には現場に出て、大気を補集するポンプを設置したり、準備をしなければなりません。いつもそうですが、こういう野外調査は体力勝負です。
得られたデータは最終的には周辺環境における農薬の大気中の濃度として表わされますが、それによって周辺住民の健康に影響がある濃度かどうかを判断するのですから、泥くさい地道な現場での調査ですが、重要な研究だと思っています。
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2011年6月20日月曜日
6月17日に振り込まれた2名の方(2回目と11回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は16,000円、延べ312人からの合計額は3,156,585円になりました。ありがとうございました。以下は11回目の方からのメッセージです。
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この数日間ずっと悩んでいます。どうして私は市橋さんを応援しているのか? 今後も市橋さんへの送金を続けるべきかどうか? 本山先生ともいろいろメールにてお話させてもらっています。私の周囲には、私が市橋さんを応援することを強く反対する人がいます。市橋さんが裁判にて事件について全てを正直に話して心から反省するのならば、私はこれからも市橋さんを応援します。裁判まで心静かにお過ごし下さい。
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今朝早く千葉県九十九里浜白子の海岸の松林を対象に、松くい虫防除の薬剤の鉄砲ノズルによる地上散布が行われ、私たちの薬剤飛散調査も順調にいきました。朝3時に起きて一日中動き回っての作業でしたの、疲れました。
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2011年6月18日土曜日
今朝は4時50分頃に家を出て鳥取県米子空港に午前8時5分に着きました。こちらは雨でした。サイエンスカフェが始まるまで時間があったので、車で移動しながら市内を見学しました。海岸では、昨年末の12月30日-31日に降った大雪で松の樹がたくさん倒れた無残な傷跡が残っていました。その後、大仙(ダイセン)山麓の「とっとり花の回廊」と呼ばれる鳥取県立フラワーパークを見に行きました。
http://www.tottorihanakairou.or.jp/
広大な敷地に、いろいろな花が見事に植栽・配置してありました。特に今の時期は、いろいろな品種のゆりの花がが目を惹きました。
サイエンスカフェでの私の講演とそれに続く参加者との質疑応答は大成功だったと思います。普通の講演会と違って、全員が前を向いて講演者を見るのではなく、アメリカの小学校のように、テーブルを囲んで参加者(6名)どおしが向かい合う設定で、計46名の参加申し込み者がありました。
明日は朝9時発の飛行機で東京に帰ります。
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2011年6月17日金曜日
6月15日に振り込まれた方(21回目)の支援金がとどきました。今までの支援金は昨日全額菅野弁護士にお渡ししましたので、支援金の現在高は5,000円、延べ310人からの合計額は3,145,585円になりました。同じ月に2回もの振込みをありがとうございました。以下のメッセージもいただきました。
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裁判が近づき毎日切ないです。私には何もできません。弁護団の先生方、市橋君を守って下さい。本山先生、情状証言お願いします。一日も早く市橋君とご両親が静かな生活ができるよう願っております。心ないマスコミに負けないで下さい。市橋君、更生期待しています。
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私は明日の朝は5時前に自宅を出て、「サイエンスカフェ in 鳥取」に出演するために鳥取県米子市に向かいます。
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多くの支援者が今日のブログで私がどういう報告をするのか待っておられることと思います。この事件に関心を持っている非支援者も反支援者もメディア関係者も同じかもしれません。
千葉市民協同法律事務所で、弁護側の情状証人として出廷予定の私と市橋君が卒業論文の研究で専攻した千葉大学の研究室のM教授と、質問をする側の菅野弁護士と三宅弁護士の4人で、約2時間話し合いをしました。M教授の希望もあって、先ず最初に事件の概要(全体像)を把握するために、2007年(平成19年)3月25日にさかのぼって、起こったことを順を追って一つ一つ確認しました。事実経過の確認だけでなく、私とM教授は市橋君が何故そういう行動をとったのかとか、市橋君自身はそれに対してどう説明しているのか、など質問をはさみました。いずれ公判では裁判員に検察側の証拠の一つとして見せられるのかもしれませんが、リンゼイさんの遺体の写真に残されたあざ(特に顔)は目をそむけたくなる程で、あの市橋君が拘束されて抵抗できない状態のリンゼイさんにそんな暴力を振るったということは信じられない思いでした。あの写真を見せられれば、リンゼイさんのご両親でなくても、娘の親なら誰でも極刑を求めるだろうと思われました。大学を卒業してからの2年間、留学を目指して英語の勉強をしていたにしても、強姦後の市橋君の行動は全く理解できない、心神喪失状態だったのではないかと私には思われました。
死亡推定時刻は、検察側と弁護側の矛盾点として残ったようです。検察側の主張のように強姦致死・殺人ならば、事件の起こった朝10時過ぎに強姦しすぐ殺害となる筈ですが、実際には、市橋君は強姦後のリンゼイさんを風呂桶の中に拘束して、キング牧師の演説や部屋の壁に貼ってあったチータ(豹)の写真(リンゼイさんは生物学を専攻したとのこと)について会話を交わしていたというのが事実のようです。その間、目隠しや猿ぐつわをしたわけでもなく、トイレにも行かせたようです。死後10時間までは直腸温度が1時間当り1℃下がるということから推定した死亡推定時刻はだいたい市橋君の証言と一致するようです。
その後、菅野弁護士と私、三宅弁護士とM教授に分かれて、公判での段取りについて打ち合わせをしました。今日はお互いの都合で2時間しか時間がとれませんでしたが、6月29日にはもう一度、菅野弁護士と私、三宅弁護士とM教授で打ち合わせをする予定です。
私は、市橋君は自分が犯した罪に相当する罰を受けて、罪の償いをするのは当然だと思っています。それが市橋君の人間としての責任の取り方だと思いますし、亡くなったリンゼイさんへの正義だと思います。ただ、社会の異常なほどの注目を集めた事件だけに、外交的な配慮だとか、市橋君を取り逃がした警察の遺恨や検察の面目だとか、そういうことのために実際に起こった事実以上の厳罰を課すのはリンチと同じで正しくないと思います。公判では事実が明らかにされて、裁判官も裁判員もあくまで事実に基づいて適正な判決を下してほしいと思っています。
弁護団は最低週に1回は市橋君との接見を続けてきましたが、最近は公判が近づいてきたのでもっと頻繁に会っているとのことです。市橋君は独居房の中で相変わらず運動を続けているらしく、メタボ気味だった時と違って、頬がしまって精悍な顔つきになっているそうです。覚悟を決めて公判に臨もうとしているのでしょう。
今日までに貯まっていた支援金は全額引き出して、菅野弁護士にお渡ししました。
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2011年6月14日火曜日
6月11日に振り込まれた方(14回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は206,020円、延べ309人からの合計額は3,150,585円になりました。ありがとうございました。市橋君の最近の様子については、明後日16日に菅野弁護士、三宅弁護士と公判での証言の打ち合わせでお会いする予定ですので、その時に伺ってきて皆様に報告します。
支援者とのメールのやりとりを通して、少し気になる事がありますので、私の考えをお伝えしておきます。適正な裁判を支援する会の目的は会の設立の趣旨で述べた通りですが、皆様のご支援のお蔭で当初募金の目標とした100万円をはるかに超えて300万円をも超えました。被告人の権利を守るために無償で立ち上がって下さった6人の私撰弁護団が、市橋君が身柄を拘束されて以来、長期間にわたって市橋君への接見と弁護活動に従事して下さっています。皆様から提供された支援金は、弁護団の支えとして大変役に立っている筈です。
支援者の中には、1回だけ支援金を振り込んで下さった方も、20回も振込んでくださった方もおられますし、千円振り込んで下さった方も10万円振り込んで下さった方もおられます。ほとんどの方が市橋君とは直接関係のない方の筈ですが、千葉大学の元学生に適正な裁判を受けさせるために、それぞれの生活の中から可能な範囲で支援をして下さっておられます。振り込まれた金額の多寡や回数には無関係に、私はどの支援金に対しても大変ありがたいことと等しく感謝しております。
先日長野県で開催された有人ヘリによる松くい虫防除に関する検討会を傍聴・取材していたテレビ信州の記者から電話がありました。私が講演で、散布松林の周辺住民への聞き取りでは体調不良を訴える人は誰もいなかったと報告したことに関連して、記者も取材で回ってみたがやはり地元では薬剤散布で体調不良になったという訴えは全くなく、むしろ松を守るために是非散布を続けてほしいという声ばかりだったとのこと。明後日16日の夕方には、私への電話取材をさせてほしいとのことでした。往往にしてメディアは反農薬活動家グループの声ばかりを取り上げて国民に間違った印象を与えがちですが、今回のように自ら現場に出て取材をし、正しい報道をしてくれるのは大いに歓迎したいと思います。
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2011年6月13日月曜日
市橋君の最近の様子について支援者の方々から問い合わせがきていますが、私自身が今週土曜日18日に鳥取県米子市で行われる講演の準備に追われていて対応できません。16日には菅野弁護士の事務所で打ち合わせがありますので、その時に市橋君の様子を伺って皆様に報告します。
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2011年6月12日日曜日
昨日のブログについて、支援者のお一人から性犯罪の被害者の受ける苦しみを理解するのに役に立つ情報が届きました。ありがとうございました。私も、元学生の市橋君のことだけでなく、亡くなったリンゼイさんのことも考えつつ、適正な裁判の支援活動をやっていきたいと思っています。
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11日のブログに性犯罪被害者のその後についての本を読んでみたいと書かれていたので、被害に遭われた方が出された本を紹介しているブログ2件と、性犯罪裁判での二次被害のことが書かれたブログがありましたので参考になるようでしたらどうぞ。
小林美佳 『性犯罪被害にあうということ』 http://www.freeml.com/bl/6928447/9902/
緑河実紗『心を殺された私 レイプ・トラウマを克服して』・ 板谷利加子『御直披』http://members.jcom.home.ne.jp/tana-masa/kansou/kokorookoro.html
ある性犯罪被害者の方からのメッセージhttp://www.h6.dion.ne.jp/~half-2/saito/message.html
私はここに紹介されてる本は読んでいませんが、リンゼイさんが受けた痛みや恐怖を思うといつも胸が苦しくなります。
なのに市橋さんに心から謝罪をして罪を償い、いつか社会に戻れる日がくることを願って支援している自分・・・
他の支援者の方々もいろいろと葛藤されてるんでしょうね。
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2011年6月11日土曜日
6月9日に振り込まれた方(9回目)からの支援金が届きました。これで支援金の現在高は196,020円、延べ308人からの合計額は3,140,585円になりました。ありがとうございました。この方と6月5日に振り込まれた方からは、6月4日のブログで書いた嫌がらせ行為についてのコメントも届いています。私自身は何の影響も受けておらず、多分犯人は精神を病んでいる人(差別的な意味ではなく、無関係の人に経済的被害を与えてまでも自分の思い込みを人に知らせようとする、善悪の判断のできなくなっている人)で、自分に注目してほしくてやっているのでしょうから、警察に届けた以外は何も対応するつもりはありませんが、一応お二人からのコメントを紹介しておきます。
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4日のブログ読みました。ここまで悪質な嫌がらせを受けていたなんて・・・。確かに「犯罪者」を支援する活動が、世間の大多数の人達から白い目で見られるというのは理解できますし、支援者もごくごく少数なのもわかります。でも嫌がらせをしていい理由にはなりません。
本山先生は批判する人に「支援する会の趣旨」をよく読んでほしいと書いてありましたが、残念ながらそういう人達には正論は通じないのです。「犯罪者」を支援する事自体が気に食わないのです。
本山先生の電話番号を使った人は、「犯罪者」を憎むあまり自分が「犯罪者」になっていることに気づいていないでしょう。何だか皮肉ですよね。
今日から松戸の女子大生殺害事件の公判が始まりました。被告人は殺意を否定していますが、真相はどうなのでしょうか?一昨年は千葉大学園芸学部にとって大災難としかいえなかったと思います。私も大学の関係者が気の毒で仕方がありませんでした。
市橋君に言いたいのは、今の境遇は自業自得だという事を。そして一生罪を償い続けることです。
たらればですが、リンゼイさんを殺めてしまった時に素直に捕まってほしかった。
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ところで、現在もまだ(いまだに)、批判や嫌がらせの行為が続いているとのこと。
批判に関して、またひとこと、言わせて下さい。私は、以前から言わせて頂いている通り、「幸せな人は意地悪しない」のですから、執拗な嫌がらせをする人は、ご自身が不幸と叫んでいるのだと思います。気の毒だと思って、こちらは放念するだけだと思います。 私の師匠のお言葉を借りると、「ネットでも、執拗に悪口などを書いたりする人がいますが、あれはファンですよ」と教えられました。熱烈な歪んだファンなのだそうです。本当に嫌いなら、眼中にありませんし、無視するはずなのです。けれども、好きで好きで、自分をわかってほしくってたまらないから、嫌がらせをするのです。または、自分の理想の相手でいてほしいと思う歪んだファン思考。また、素直にファンです・・と言って、正攻法では振り向いてもらえないから、偏屈な性格から、逆に嫌がらせをして振り向いてもらおうとしているだけなのです。
ですから、本山先生がおっしゃる通り、そうされている通り、あいてにしないことがいちばんだと思います。子どもと一緒で、そうすればかまってもらえると思いこんでしまうから、無視することがいちばんだと思います。しかし、販売店や宅配業者の方々には、迷惑極まりない、犯罪行為であります。
そして、世の中が東日本大震災で危機を迎えている最中、どうして、そのような「悪意」に満ちたことができるのか??はっきり申し上げますが、「悪いことをしたら、その分、必ず自分に返ってきます」。ですが、人生間違ったことをしても、自分で気づくことができ、心から反省し、何事も責任主体で行動できれば、軌道修正できるのです。人生に無駄はありません。このような卑劣な行為をされている方が、早くそのことに気づかれますよう、祈っております。
末筆ながら、すっきりしない毎日でありますが、お健やかにお過ごし下さい。
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私がまだ千葉大学教授で現職だった時に、学内の清掃を担当してくれていた契約職員と親しくしていましたが、ある時私の居室に入ってこられ、研究棟の女子トイレの中で理解できないことがあって毎回掃除をしていて嫌になってしまうと訴えられました。汁の入った半分食べかけのカップ麺が便器の横に置いてあるとのことでした。拒食症の女子学生が、自動販売機で買ったカップ麺にお湯を注いで半分だけ食べて、すぐ喉に指を入れて便器に吐き出して、残りを床に置いていたのでした。この女子学生は拒食症でお腹が空くので半分食べて吐き出すという行為を繰り返していたのですが、自分の病気を誰かに気が付いてほしくて残りを捨てずにわざわざ床に置いていたのです。私はすぐ教授会で報告し、この学生はSOSを発信しているのだから、研究室内で様子のおかしい学生がいないか注意をしてほしいという要請をしました。幸い、その後夜中に女子トイレの前の廊下にカップ麺の匂いが漂ってきたことから該当者と接触できて問題は解決しましたが、上記の私にストーカー行為をしている人も精神を病んでいて助けを求めている可能性もありますので、誰か身近の人が気が付いて助けてあげられればと思います。
ある支援者とのメールのやりとりで、亡くなったリンゼイさんの悔しい思いも理解するために性的犯罪(強姦、痴漢、セクハラなど)を受けた女性がその後どのようなトラウマ(精神的な傷)を背負うのか、適当な本があれば読んでみたいと言ったら、作田 明著「性犯罪の心理」(河出書房新社)を図書館で借りて送って下さいました。犯罪心理学者が各種の性犯罪について解析した本で、私の意図した内容ではありませんでしたが、せっかくですので返送する前に一応目を通しています。
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2011年6月10日金曜日
6月8日に振り込まれた方(9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は191,020円、延べ307人からの合計額は3,135,585円になりました。ありがとうございました。メッセージもありました。
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市橋達也さんが、何ごとも心を乱すことなく、何ごとも恐れることはない心、平静に裁判に臨まれるよう、祈り続けます。本山先生、くれぐれもお身体ご自愛下さいませ。
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2011年6月9日木曜日
6月7日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は186,020円、延べ306人からの合計額は3,130,585円になりました。この方は昨年の2月以来ですが、次のメッセージもいただきました。ありがとうございました。ほとんどの支援者が同じ気持ちだと思います。
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お久しぶりです。かげながらの支援でたいしたことは出来ませんが、市橋さんにやり直すチャンスを...晴れて社会復帰する日が訪れることをお祈りしております。
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支援者から、6月7日のブログで紹介したテレビ朝日の6月27日の取材予定は、市橋君の事件についてかという質問がありました。その通りです。この記者(女性)は以前も私のところに取材に来ましたが、長い間この事件について追跡してこられたようで、近い時期にテレビ朝日を退職してアメリカのMIT(マサチュセッツ工科大学)の大学院修士課程に留学する予定とのことですので、その前に市橋君の事件について総括する番組を企画しているのかもしれません。女性記者が、どのような心境の変化でメディアの仕事を退職までして留学することになったのか、反対に私が彼女を取材したいくらいです。
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2011年6月8日水曜日
6月6日に振り込まれた方(20回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は185,020円、延べ305人からの合計額は3,129,585円になりました。長期間にわたって定期的に支援して下さっているこの方からは、以下のメッセージもいただきました。ありがとうございました。
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市橋君、公平で適正な裁判に落ち着いて臨めるよう心より祈っております。弁護団の先生方、市橋君を守って下さい。お願いします。
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今日は久し振りに東京農業大学の研究室に顔を出しました。アルバイトの大学院生が、論文をスキャンしてデータとして入力する作業をやってくれていました。醸造学科の修士2年生なので今就職活動の真っ最中ですが、なかなか難しそうでエントリーすらできないところもたくさんあるとのこと。好青年なので、私も応援したいと思って、履歴書を何通か作って私にも預けておくように言ったら顔色が明るくなりました。
昼休みは大学の周りを6km くらいジョギングしましたが、陸上のトラックでは2人の男子学生(駅伝部員?)がタイムを計りながら相当なスピードで走っていました。グランドでは女子学生が体育の授業でしょうか、サッカーの準備をしていました。馬術部の学生は馬の手綱を持って、パカパカと馬と一緒に歩く練習をしていました。大学構内は若者が溢れ、活気に満ちています。勉学に、サークル活動に、アルバイトに・・・、就職活動が厳しいといっても、人間どうしが殺し合う戦争に行く必要はないので、学生たちは幸せな時代に生きているのだと思います。
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2011年6月7日火曜日
私は市橋君の公判で7月11日に出廷して情状証言をすることになっていますが、6月16日に弁護士事務所を訪ねてその打ち合わせをすることになりました。その時に、皆様がその後振り込まれた支援金で現在貯まっている分をお渡ししてきます。7月4日に開始される公判まで1ケ月を切りました。6月27日にはテレビ朝日がカメラを伴って研究室に取材に来ることになりました。公判が近づくにつれて、メディアの関心が高まるのでしょう。
今日は東京都江東区にある(財)日本住宅・木材技術センター試験研究所で、木材保存剤等審査委員会安全部会があり、私も委員の一人なので出席しました。木材や家屋を食べて壊すシロアリを防除する薬剤の安全性を審査する委員会です。委員会は予想より早目に終わったので、同じ敷地内にある銘木館を見てきました。以前も一度入ったことがありますが、見事な巨木や板が展示してあり、樹木の力強さに感動します。特に、樹齢約500年・太さ3mという杉が何本かの丸太に切断(そうしないと建物に入りきらないので)されて展示されているのには、その巨大さと威厳に圧倒されます。ほとんど知られていない施設ですが、一度訪ねてみる価値は十分あると思いました。(写真はクリックすると拡大できます)
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2011年6月6日月曜日
6月3日に振り込まれた方(10回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は180,020円、延べ304人からの合計額は3,124,585円になりました。ありがとうございました。市橋君宛のメッセージもありました。
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こんにちは。今日の大阪も晴れています。昨日も振込んだけど、又今日もです。ちょうど郵便局に用事がありましたので、市橋さんに振込みすることにしました。食事はちゃんと摂っていますか? お元気ですか? 私は、毎日毎日うつはつらいけど、何とか生きてますよ。お互いに頑張りましょうね。
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この支援者とはメールのやりとりをしていますが、小学生時代に両親を亡くし、その他にも厳しい経験をされてきたようです。現在もうつ病に苦しんでおられるようですが、その分だけ、市橋君の置かれた立場を他人事とは思えずに、支援する気持ちを伝えようとしておられるようです。
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2011年6月5日日曜日
今日は千葉大学の元同僚教授で、長年腎臓透析をしている友人を入院している病院(リハビリセンター)に見舞いに行きました。歩けなくなって寝たきりの期間が長くなってきたので、だんだん体力も気力も弱ってきた印象でした。以前は私が行くと、「おう本山来たか」と言ってくれたり、私が江戸川の堤防をジョギングしてからきたと言ったら、「どれくらい走ったのか」と訊いてくれたのですが、今日は調子が悪かったのか、私が一方的にしゃべるだけでほとんど会話ができませんでした。寂しい限りです。
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2011年6月4日土曜日
6月2日に振り込まれた方(9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は179,020円、延べ303人からの合計額は3,123,585円になりました。ありがとうございました。以下のメッセージも手書きされていました。
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こんにちは。今日の大阪は晴れています。夏みたいに暑いです。独房にいたら、季節感もないでしょう。ストレスも不安も一杯になるでしょう。私もうつがひどくて、何度も病院の独房に閉じ込められたことがあるから分かります。でも私は自殺しようとばかりしたから仕方ない。自業自得ですね。お互いに、これからもがんばって下さいね。
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私は今はまだ忙しくて、自分の専門の関係以外に、ネット上で市橋君の事件についてどういう議論がされているかほとんど検索することはありませんが、いろいろな意見があって当然だと思っています。この適正な裁判を支援する会の活動に批判的な見かたをする人もおられるでしょうが、批判をする前に、先ず本ブログの左側のナビゲーションのところにある「支援する会の趣旨」をよく読んで、会の活動の目的について誤解のないようにしていただければと思います。また、嫌がらせのつもりかもしれませんが、通販会社に私の電話番号を伝えて、架空の名前で架空の住所に注文した品物を届けさせることは、通販会社と宅配業者に経済的な損害をあたえるので犯罪行為だということに気が付いてほしいと思います。
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2011年6月3日金曜日
5月31日に刷り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は178,020円、延べ302人からの合計額は3,112,585円になりました。ありがとうございました。この方からは以下のメッセージも添えられていました。
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いよいよ裁判が近くなって参りましたね。先生にはますますお忙しくなることと思います。どうぞお身体大切になさって下さい。市橋さんお元気ですか? 早くご両親と会える日が来るといいですね。みんな応援しています。がんばって下さい。
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昨日は千葉県森林研究所の2台の車に分乗して、千葉県松林復活プロジェクトの共同研究に参加している教員や大学院生や研究者たちと一緒に海岸の松林を視察してきました。九十九里浜の白子海岸の辺りは、かってはりっぱな松林が育って防風林として機能していたのですが、ヘリコプターによる薬剤散布を中止して以来急速に松枯れの被害が拡大し、今ではもう林とは呼べないくらい松が消滅していました。
房総半島の南端近くの平砂(へいさ)浦では樹高の低い松がびっしり密生していましたが、太平洋からの強風で松林が砂に埋もれるところがでてきて、必死に再植林をしていました。私が学生だった頃はサンドスキーで有名な砂山があって頂上から走り降りた記憶がありますが、今は植林で緑の山に変わり、その前には美しいゴルフ場ができていました。防風林がなければ、砂が山の上まで吹き上がり、山全体が砂山になってしまうことを改めて認識させられました。
今日の午後は久しぶりに千葉大学園芸学部で講義を担当しましたが、学外からの受講生が熱心に聴こうとしていたのに対し、学内の学生の中にはただ単に卒業のための単位数を満たすために座っているような、勉強しようという意欲が全く感じられない学生も少なからずいましたし、ずい分遅れて教室に入ってきた学生や、出席確認用紙に名前を記入だけして教室から出ていった学生もいました。中には後ろの方で携帯のメールとにらめっこしている女子学生も見られました。現職の時だったらそういう学生は許さなかったかもしれませんが、大学は幼稚園ではないのでそんなことまでは私の責任ではないと達観することにして、、勉強をしようという姿勢が最初からない学生は無視、勉強をしようという受講生だけを対象に講義をしました。
支援する会ブログ 2011年05月31日-2011年01月02日
2011年5月31日火曜日
ネットで注文しておいた畝山智香子著 [本当の「食の安全」を考える-ゼロリスクという幻想」] (株式会社化学同人発行)が届きました。食品残留農薬の安全性も含めて、食の安全についてメデイアや一般国民の間に広まっている間違った認識について、きちんと科学的に指摘されているので、食の安全について関心のある人には是非一読することをお勧めしたいと思います。
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2011年5月30日月曜日
5月27日に振り込まれた方(15回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は173,020円、延べ301人からの合計額は3,117,585円になりました。ありがとうございました。
千葉大学園芸学部で開講している「食の安全と安心」という公開講座を今週金曜に1回だけ担当するので、昨日は一日中自宅でその準備に追われました。私の担当するところは「食の安全と農薬」です。やっと構想が固まりスライドの準備も終わったので、昼休みにいつものように江戸川の堤防を6km ジョギングしてきた帰りに、大学に寄ってパワーポイントのスライドを配布資料として世話人の教授に渡してきました。今年の受講生は80人くらいいるそうですが、毎年同じ話をしているのではおもしろくないので、毎回新しい話を加えるようにしています。
1992年に千葉大学園芸学部環境緑地学科を卒業して、現在は新潟県在住の元学生から、5月24日のブログで紹介した松の潮害に関連してメールが届きました。コンサルタント会社で森林や植物関係を担当している女性ですが、新潟県の海岸の松でも潮害が見られるとのことで写真が添付してありました。もう一つ興味深かったのは、朱鷺(とき)の野生化で佐渡島に渡って防風林に営巣して抱卵している朱鷺に配慮して、松くい虫防除の薬剤散布を中止すべきかどうかで議論が分かれているとのこと。
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000001105270001
地元の住民は、松を守ってほしいと訴えている様子です。
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2011年5月28日土曜日
5月25日と5月26日に振り込まれた方(19回目と3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は163,020円、延べ300人からの合計額は3,107,585円になりました。下記のメッセージも添えられていました。お二人ともずい分遠くに在住の方ですが、馬鹿なことをして人生を棒に振ってしまった千葉大学の元学生のために、きちんと裁判に向き合うように祈って下さっています。ありがとうございます。
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公判が近づき、心配と不安な毎日で切ないです。市橋君が安定した精神で裁判に臨んでほしいと願っております。弁護団の方々、どうぞ市橋君を守ってあげて下さい。お願いします。
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梅雨に入り、雨が多くなりますが、市橋君は独居の生活で、季節の変化も体感できません。7月からの公判に向けどうか、心おだやかに。適正な裁判を祈るばかりです。先生も、お体ご自愛下さい。
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菅野弁護士から、情状証言の打ち合わせについて相談のメールがありました。日程調整をして、6月の適当な日に弁護士事務所を訪ねることになりますが、私は今まで裁判を傍聴したことも、証言したこともありませんので、どういうことになるのかある程度は頭に入れておきたいと思っています。
昨日は東京農業大学総合研究所の研究会農薬部会の総会と特別講演がありました。梅津憲治(うめつのりはる)博士の「我が航跡:東北大学・カリフォルニア大学・大塚化学・これから」と題した講演は、東北大学大学院時代に取り組んだいもち病の毒素に関する研究、カリフォルニア大学時代に取り組んだ有機リン殺虫剤に存在する微量不純物の毒性とある種有機リン化合物が示す遅延性毒性に関する研究、大塚化学勤務時代に取り組んだメチルカーバメート殺虫剤の低毒化と実用化に関する研究、農薬の安全性に関する社会活動を総括したもので、梅津博士の輝かしい研究者人生の軌跡を辿ることができました。こんなすばらしい講演は、もっと大きな会場でもっと大勢の若者たちに聴かせたかったなと思いました。
今日は松園会(しょうえんかい)という千葉大学園芸学部卒業生で農薬業界や大学・試験研究機関の植物保護分野に勤務している人たちの集まりの総会があり、ゲストの内田又左衛門博士(農薬工業会)による「日本の農薬は安全か?-責任の連鎖-」という講演と、畝山智香子(うねやまちかこ)博士(国立医薬品食品衛生研究所安全情報部)による「食品中化学物質のリスク」という講演がありました。大変興味深い、説得力のある内容で、やはりもっと大きな会場でもっと大勢の一般市民に聴いていただきたかったなと思いました。畝山智香子博士は、2009年に化学同人から出版された[ほんとうの「食の安全」を考える-ゼロリスクという幻想(DOJIN選書28)](1680円)という本も書かれています。
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2011年5月26日木曜日
5月24日に振り込まれた方(11回目)の支援金が届きました。継続的なご支援をありがとうございます。これで支援金の現在高は155,020円、延べ298人からの合計額は3,099,585円になりました。
5月24日に、1967年に起こった布川(ふかわ)事件の再審が水戸地裁で行われ、強盗殺人罪で無期懲役が確定して長年服役した2人の被告が44年ぶりに無罪になったというニュースが、テレビや翌日の新聞の紙面を飾りました。2人を犯行に結び付ける重要な証拠とされた自白の信用性が否定されたとのこと。自白の録音テープに11ケ所の中断がみられ、「取調官の誘導や強要があったことをうかがわせる」とのこと。アメリカのニクソン大統領時代のウォーターゲート事件の、録音テープから消された空白の時間を思い出しました。検察は何故、都合の悪い部分を編集してまで無罪の人を有罪にしようとするのか。強盗殺人犯とされた2人の失われた44年間は、どれだけ補償金を積んでも、取り返すことができない失われた時間です。日弁連会長が会見で、「不利な証拠を隠蔽(いんぺい)することは改ざんに等しい。検察側が全証拠を開示する仕組みをつくるべきだ」と訴えたのは、当然だと思いました。
今日5月26日の朝日新聞の夕刊の第1面には、「虚偽証言強要された」という見出しの気になる記事がまたありました。先日行われた市議選で、当選した市議が公職選挙法違反(供応買収)容疑で埼玉県警に逮捕された事件です。接待を受けたとされた複数の有権者が、警察の取り調べで会費を支払ったと述べたのに、支払っていないという調書に署名させられたと弁護士に訴えたとのこと。警察は、事実を曲げてまで何故犯罪者を作り上げようとするのか。
被告人を、犯した罪に相応でない不当な求刑から守ることは、弁護士の肩にかかっています。皆様から寄せられた支援金は、市橋君の弁護団の活動を側面からサポートする重要な役割を果たしています。
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2011年5月25日水曜日
5月23日に振り込まれた2名の方(2回目と8回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は145,020円、延べ297人からの合計額は3,089,565円になりました。ありがとうございました。8回目の方からは以下のメッセージも手書きされていました。
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市橋さんこんにちは。今日はこちら大阪は雨ですよ。私は今から通院です。うつを発症して、もう15年になりました。私のうつはかなり重症で、この先治るまでに10年も20年もかかるだろうと医師は言います。本当につらい毎日です。「死にたい、死にたい」そればっかり考えてずっと生きてきました。でも市橋さんが頑張ってらっしゃるので、私も元気で頑張ります。これからもたくさんつらいこと苦しいことあると思うけど、お互い頑張りましょうね。
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この支援者は長年うつ病に苦しんでおられるようで、市橋君の支援をすることでご自分の生きる支えにしておられるご様子です。私が指導した学生の中にも、時々発症するうつ病に苦しみつつ勉強をしていた学生がいました。自分で自分の病気を自覚して、薬を服用しながら健康回復を目指していましたが、私には何の手伝いもできませんでした。上記の支援者とは頻繁にメールのやりとりをしていますが、市橋君への支援活動を生きる支えにするのではなく、いつの日かご自分の生きる目標を見つけて、前向きに生きられる時がくることを祈っています。
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2011年5月24日火曜日
5月22日に振り込まれた方(15回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は134,020円、延べ295人からの合計額は3,078,565円になりました。本当に、長期間にわたる継続的なご支援をありがとうございます。
昨年の3月に支援金を振り込んで下さったある支援者から以下のメールが届きました。
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こんにちは。前回より間が開いてしまいましたが、本日支援金の振込をいたしました。
私はこの事件の現場に近しい地区に在住しております。それ故、メディアで流される「加害者と被害者の接点~事件発覚まで」につきまして地理的・時間的状況を考えるに、矛盾点を感じることがありました。
今週末に地元の地裁で、裁判員裁判についての説明会がある、とのことで参加してみようと思います。見切り発車的で、まだ軌道に乗ってない制度のもとで裁かれるこの事件。
どうか先生が望まれる「公平」で「適切」な裁判となりますように。
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支援者の中には、市橋君のことがきっかけで刑務所を訪ねたり、裁判を傍聴したり、被害者や加害者に関する本を読んだり、熱心に活動をされるようになった方が何名かおられます。私自身はまだ時間的な余裕があまりなくて自分で動けない状態ですので、これらの方々が送って下さる情報は私にとっても大変よい勉強になっています。
昨日・今日の秋田県は関東・関西と違って天気に恵まれました。秋田県立大学(由利本荘キャンパス)というのは、県立だから県内出身の学生が大半かと思っていましたが、実際は県内出身者は30%くらいで、大半の学生は全国各地から来ていました。建物や実験用の設備もすばらしく、秋田県が教育に大きな期待をかけていることが感じられました。私の講演は少人数の学生諸君と若手教員が対象でしたが、紹介した研究の内容についてだけでなく、研究の進め方や心構えなど、多岐にわたる質問が出され、私の話から何かを学ぼうとしている学生諸君に強い手応えを感じました。
今日の午前中は車2台で日本海沿岸を走って、松林の状況を視察しました。松枯れ被害で松がなくなって、もう林でなくなっているところがたくさんありました。これでは、地元の住民は、冬に海からの強風が吹きつける時期には防風林としての機能を果たさずに大変だろうなあと想像しました。新しく植林した松林でも、松枯れとは異なる症状で針葉が真っ赤に枯れた松がたくさん見られました。潮風害のような気がしましたが、若い木に特に目立ちましたので、松くい虫抵抗性として選抜して植林した松の系統(家系)がもしかしたら潮害に弱いという性質を持っていたということはないのか、一度専門家に訊いてみようと思っています。飛行機には積めない研究用の荷物を持参しましたので、往復とも列車を乗り継いでの長旅でしたが、勉強熱心な学生諸君に会えたことと、松林の状況を視察できたことで、十分な収穫が得られた一泊二日の旅行でした。写真はクリックすると拡大できます。
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2011年5月22日日曜日
市橋君の卒業論文とデザイン作品の載っている小冊子を返却してきた支援者からの封筒に、次のようなお手紙が同封されていました。
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市橋君の卒業論文と小冊子見せていただきありがとうございました。国立の千葉大学に進学されていたことや論文や絵の様子から少しですが市橋君の才能やセンスの良さが、かいまみれたと思います。ご両親が市橋家の長男?として立派に育てられたはずだったのですが・・・。
市橋君の手記も読みました。その中で市橋君が、感謝の意味がわからないとあったのですが、論文に協力してくださった大学の先生方に謝意の辞を述べているのになあと、ふっと気になりました。
でも自分でも思い返すと感謝ということをついつい忘れがちだなと反省しました。自分一人では生きてゆけないんだと、たくさんの人と繋がっていきているんだと・・・。
市橋君は、たぶんもう気づいていますよね。
本山先生、お忙しい中お読みくださりありがとうございます。つたない文章で申し訳ありません。
市橋君の刑が軽く済みますように。市橋君がいつかご両親と会えますように。本山先生や支援者の方々が守られますように。被害者・加害者側のご家族の人権がともに守られますように。リンゼイさんの霊が安らかに天国へいけますように。
いつもお祈りしています。
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私は明日の朝は6時の電車で出発して秋田県立大学に向かいます。研究の打ち合わせ、講演、日本海沿岸の松林の松くい虫による被害状況の視察などをして、明後日の夜には帰ってきます。
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2011年5月21日土曜日
5月17日に5回目の支援金の振り込みをされた方から、以下のメールが届きました。ありがとうございました。
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長くかかりました公判前整理手続きも終わり...本山先生には、その都度の手続きの状況や市橋達也さんの様子を、弁護士さんに伺いお知らせ頂き、本当に有難うございました。
独居房の生活は、恐らく誰でも精神不安定になり、自分との葛藤、行き場のない感情......肉体的にも精神的にも想像以上に辛く厳しい日々だと思います。
ただ見守る事しか出来ず、色々考え心配な事ばかりですが、本山先生は支援者の気持ちを汲み取って下さり、状況を知り、少しでも安心しながら支援出来ました。
公判の事も考えると不安になります。市橋達也さんが真相を語り、深い反省の気持ちを、ご遺族に自分の言葉で直接伝える事で、適正な裁判が行われると信じてます。まだ先の事は分かりませんが、どんな状況でも、ずっと見守りたいと思ってます。
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今日はこの辺りは真夏のような暑さになりました。昼に東京日本橋で大学時代の研究室の同窓会があって私も出席し、久しぶりに旧交を温めてきました。最長老は80才で、加齢に伴って癌の手術をしたとか、どこどこの具合が悪いという方がおられる中で、かくしゃくとしておられました。
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2011年5月19日木曜日
5月17日に振り込まれた方(5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は133,020円、延べ294人からの合計額は3,077,585円になりました。ありがとうございました。
大阪の支援者から、千葉刑務所を訪ねて市橋君にいろいろな食べ物その他(多分、刑務所内の売店に注文して)を差し入れしてきたと報告があり、携帯で撮った刑務所の写真もメールで送ってきました。
私は東京での講演とその後の懇親会が無事終わって、夜9時過ぎに帰宅しました。講演は少し時間が押してしまって、もう少しゆっくり話せればよかったと思いますが、まあまあの自己評価です。
今度は23日の秋田での講演の準備をしなければなりません。アルコールが入ったせいか、少し疲れた気がするので、今夜は早めに寝て睡眠を回復しようと思っています。
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2011年5月18日水曜日
5月16日に振り込まれた3名の方(18回目、8回目、7回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は128,020円、延べ293人からの合計額は3,072,585円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただきました。
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市橋君の人生において、本山先生との出会いは最大の宝であると私は思います。先生御身大切になさって下さい。
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市橋さん、こんにちは。今日も大阪は暑いですよ。そちらはどうですか。体、元気にされてますか。私は病院の待合の時間を利用して郵便局に来ました。病院から歩いて2~3分の所に郵便局あります。私、毎日体調よくなくてつらいですけど、市橋さんも頑張ってらっしゃることだから、私も頑張ります。これで7回目かな?8回目かな?7回目と思います。
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東北在住のある支援者からは下記のようなすてきなメールのお便りをいただきました。ありがとうございます。
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以前支援金を送ってから、だいぶ日が空いてしまいましたがその間にも色々な事がありましたね。市橋さんの手記が出版され、当時の細かな描写や、線の一本一本まで丁寧に書かれた本人の直筆画、興味深く拝見しました。今は公判の日程が決まり、万全の体制でその日を向かえるべく、市橋さんも弁護団の先生方も色々と準備をしている事と思います。
それから、本山先生の駅伝に向けての走り込みは私にも励みになりました。研究している内容も、一読しただけでは難しいですが、日々の生活の中においての農薬の影響、役割を考える、良いきっかけになっています。
市橋さんが適正な裁判を受けられるよう、いつも願っています。私も公判が結審するまで、また支援金を送りたいと思います。
また、今は3月11日に発生した震災で被災された方々の為に、自分が出来る事をしています。私も大切な親類を三人亡くしました。流された家の跡地を訪れて、前向きに生きている近所の人達を目の当たりにしました。生前の親類を知る方々からは「大変だったね、残念だね」と逆に励まされ、思わず涙が込み上げました。最寄りの駅に入ってみると、崩れた天井や割れたガラスはそのまま、少し前の平和な日本ではこんな危ない状態で放っておくのは考えられません。そこまで周りが追い付いていないのだとつくづく感じました。自宅で避難をしている人達には支援物資が届かないと聞き、少しですが渡してきたり、友人の会社が炊き出しをすると言うので協力したりしました。少しずつでも長期的な支援が必要だと痛感しています。
市橋さんにも、長期に渡り継続して支援してくださる方がたくさんいますね。皆さん、市橋さんに更正の可能性を感じているのだと思います。私は、今回の震災で大事な人を突然失くす悲しみを知りました。リンゼイさんの命を身勝手に奪ってしまった市橋さんは、やっぱり大変な事をしてしまったのだと思います。それでも、見守っている人がたくさんいることを忘れずに、強く生きてほしいです。
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いつも先生のアクティブさには元気をもらっています。これから暑くなりますが、ご自愛下さい。
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明日の講演の準備はできました。いつも、全体の構想を練って、話に沿ってスライドを配置して、伝えたいメッセージは何かを絞って、与えられた時間内に収まるように時間配分を調整して、スライドの内容にミスがないか何回も見直して、準備をします。内容的に微妙なところは、独断的にならないように信頼のおける元学生や友人に見せて意見をもらって直すこともあります。
ジョギングも時間の許す範囲でやっているので、心身とも絶好調です。来週の秋田県への列車の切符も買ってきましたし、宿泊するホテルの予約もしました。
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2011年5月16日月曜日
昨日、ある支援者から以下のメールをいただきました。ありがとうございます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 先日(4月末日)のブログを拝見し、7月に行われる裁判を前にして、「市橋達也君の公正な裁判を支援する会」についてや、先生がブログに書いておられる内容について、あーでもない、こうでもない、と言ってくる人に関して思ったことがあります。 たとえ、自分の「意」と違っていても、「人のことは人のことと、放念しておけばよいこと」のはずなのに、わざわざ苦言等をメールしてくるのは、その人自身が、「自分を理解してほしいから」だと思います。いつも思うことは、「高見からの意見や、意地の悪い書き込みを行う人」は、ご自身が不幸なのですよ。幸せな人は、人に意地悪はしません。 ここに集う、真の支援者の「思い」はひとつ。市橋達也さんの公正な裁判が行われることを祈り、支援し続けます。末筆ながら、本山先生、くれぐれもお身体ご自愛下さい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私自身は顔を表に出してブログの記事を書き、適正な裁判を支援する会の活動をやっているのですから、どのような事情がおありなのかわかりませんが、私に質問や意見があるのでしたら、ご自身がどういう方なのか自己紹介をし、私からもきちんと返信ができるようにするのが礼儀だと思います。匿名で、「あーでもない、こーでもない」とバーチャルなことを言ってこられたり、幼稚園児みたいな一方的な悪態言葉を送りつけてきたり、名前も返信できる住所もない手紙を郵送されても、私は時間を使ってまともな返事を差し上げる必要はないと考えています。私と意見交換をしたいのでしたら、正々堂々と顔を出して意見をおっしゃるべきです。
今週木曜19日に東京で予定されている講演、「最近取り組んだ研究テーマから見えてきたこと-殺虫剤混入ギョーザ問題、偽装有機農業問題、農薬飛散による健康被害問題-」の準備で追われています。大体できましたので、あとはどのスライドにどれくらいの時間を使うか、時間の配分を考えればいいところまできました。もう少しです。
来週は、共同研究を始める予定の秋田県立大学の先生を訪ねて、一泊二日で秋田県に行く予定です。できたら、日本海の海岸の松林も視察してきたいと思っています。6月には鳥取県の米子市で、サイエンスカフェ形式で少数の市民の方々と農薬について語り合う企画がありますし、北海道でも農薬に関するゼミをやる予定です。山口県での研究会もあるので、楽しみです。
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2011年5月14日土曜日
昨日はサーバーの都合でブログの更新ができませんでした。
5月11日に振り込まれた方(13回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は117,020円、延べ290人からの合計額は3,061,585円になりました。長期的なご支援ありがとうございます。
今朝は起きがけに足が猛烈に攣(つ)りました。このところ忙しくて全くジョギングしなかったので、体が走れという指示をしたのでしょう。ずっと走っていて、しばらく走るのを止めるといつも足が攣ります。次の講演は来週の木曜19日なので、少し時間の余裕ができたので、久し振りに道場で筋力トレーニングとサンドバックを蹴ったり巻き藁を突いたりして準備運動をした後で、江戸川の堤防を12km走ってきました。天気も良く、江戸川に沿って作られた流水路の土手に植栽されている木々の緑の葉が風になびいて爽やかで、枯れた葦原の中からはケーン・ケーンという雉(キジ)の鳴き声がしたり、1時間半くらいゆっくり景色を眺めながら走って汗を一杯かきました。シャワーを浴びて、さ、また頑張るぞとエネルギーが満ちてきたので、フレッシュな気持ちで来週の講演の準備を始めました。
長野県に出かけて留守にした2日間の新聞を妻が取っておいてくれたので、一応目を通してみたら、12日の朝刊に興味を惹いた記事がありました。海上自衛隊のイージス艦「あたご」が房総半島沖の太平洋上で漁船「清徳丸」と衝突して漁船の父子が死亡した事故の裁判についてです。事件は3年3ケ月前に起こり、海難審判では「あたご」側の見張り不十分とされたのに、刑事裁判の横浜地裁では無実という判決になったとのこと。判決の決め手は、検察側が主張した航跡の基になる検察調書が信用できないとされ、地裁が独自に航跡を認定した結果のようです。検察は僚船乗組員の供述調書を作った2ケ月前に航跡図を作っていた、つまり、先に作った航跡図に会うように僚船乗組員の供述を誘導して調書を作ったということだそうです。冤罪事件ではいつも繰り返されることですが、事実を明らかにすべき検察が、何故先に結論を作ってそれに合うような証拠を作る(あるいは合わない証拠は隠蔽する)という馬鹿げたことをするのか。検察への国民の信頼が失われないように、市橋君の裁判では、政治的・社会的圧力に影響されずに、あくまで事実を明らかにした上で適正な判決を下してほしいと思います。
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2011年5月12日木曜日
ちょっと前に長野県から帰ってきました。5月9日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届いていました。これで支援金の現在高は107,020円、延べ289人からの合計額は3,051,585円になりました。ありがとうございました。メッセージも手書きされていました。
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6回目の送金です。市橋さん、お元気にされていますか。今日の大阪は夏みたいに暑いです。このところ体調悪くてずっと寝込んでいますが、何とか郵便局まで来ました。市橋さんには、本山先生、弁護士先生、そして多くの支援者の方がいるので、力強いですね。私も応援しています。
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2011年5月10日火曜日
昨日はサーバーの具合でブログの記事の更新ができませんでしたが、5月6日に振り込まれた2名の方(5回目と17回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は106,020円、延べ288人からの合計額は3,050,585円になりました。メッセージもありがとうございました。
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7月の裁判に向けての報道を想像すると心が痛みます。本当に適正な裁判が行われるよう祈ります。
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支援者の方々の気持ちは同じで、涙が出ます。どなたも、市橋君との面識はないはずなのに、こんなにも市橋君の事を心から心配し、不思議なご縁を感じます。ご両親のことを考えると、本当に心が痛みます。神を信じつつ祈りつづけます。先生、御身大切になさって下さい。
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私は12日の講演の準備はできましたので、今は13日の講演の準備に追われています。それが済めば、少し時間的に楽になります。
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2011年5月4日水曜日
5月2日に振り込まれた2名の方(8回目、5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は98,020円、延べ286人からの合計額は3,042,585円になりました。ありがとうございました。以下のメッセージも手書きされていました。
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本山先生、550位おめでとうございます。欠かさず走っている様子をブログで拝見するたびに本当にすごいと思っていました。あと2ケ月で公判ですが、市橋君の気持ちは落ち着かないと思います。私も同じです。
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5度目です。また少ない額でごめんなさい。長年ひどいうつを患っていて働けなくて、細々と暮らしています。もう生きているのがつらくて、何度も死のうとしました。でも市橋さんの支援をするようになり、市橋さんや本山先生の頑張りに、私も頑張らなくてはと思うようになりました。市橋さん、私も頑張るから市橋さんも頑張ってね。
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今日は5月4日ですから、公判が始まる7月4日までちょうど2ケ月となりました。今までは、公判前整理手続きが行われる時に、市橋君は独居房を出て裁判所で裁判官や検察官の顔を見たり声を聞いたりする機会がありましたが、これからはまた接見に訪れる弁護団だけが外との接点という生活に戻るのでしょう。未決囚で刑務がないというのは、時間に追われない反面、外に出て動き回る自由はないので、独居房の中で一日中何をして過ごすのか自分で考えなければならず、それも慣れてしまえば気が狂うこともないのかもしれませんが、まだ若い市橋君にとっては大変だろうなと想像してしまいます。
5回目の支援金を振り込んで下さった支援者からは最近頻繁にメールをいただきますが、過去の長い間のいろいろなストレスが原因でご自分の体調が崩れていることに加えて、ご家族(お子さん)にも問題をかかえて大変な様子。そんな絶望的な生活の中で、市橋君の裁判の支援に関わることを、自分自身の生きる励みにしておられるのかもしれません。
支援者のお一人から、日英外相会談でイギリス側が市橋君の裁判での日本側の協力(被害者家族の傍聴に関して)を要請したという情報が今届きましたので、追加しておきます。http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210504006.html市橋君の裁判は、イギリス国民や政府にとっても大きな関心事のようです。しかし、ギョーザ事件の時や、警備艇への漁船の体当たり事件の時のように、外交的配慮が適正な裁判に影響するようなことがあってはならない筈です。
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2011年5月3日火曜日
4月末が締め切りだった「林業と薬剤」という雑誌に依頼された原稿が今夜やっと書きあがりましたので、さっき二人の共著者にメールに添付して送りました。訂正・加筆していただいて、連休明けの5月6日に発送できれば、多分6月号の印刷に間に合うのではと思っています。
「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響(2)-秋田県における事例-」という題目の解説記事です。2006年6月に秋田県潟上市天王浜山地区の海岸の松林(夕日の松原と言います)に、松くい虫防除目的で無人ハリコプターでスミパインMC(有効成分はフェニトロチオン)という殺虫剤を散布した時に、学生たちと一緒に泊りがけで周辺環境への薬剤の飛散実態を調査に出かけました。結果としては、吸入毒性に関わる気中濃度も、経皮毒性に関わる落下量も、各々の安全とされる基準値以下で、周辺住民への健康影響の心配は全くないということを明らかにできました。
当初は、散布される松林から水平方向に距離別に薬剤濃度を測定するだけでなく、垂直方向に高さ別(15m、8m、1.5m)にも濃度を測定して、立体的に薬剤がどう拡散するか予測するシミュレーションモデルを作成するつもりでした。そのために、農水省中央農業研究センターの気象の専門家の協力も得て、松林上空の詳細な気象データも測定してもらいました。ところが高さ別の大気を捕集する小型ポンプをヘリウムガスを充填したゴム製のバルーン(気球)のロープで吊るしたのが大失敗で、風に流されて一定の高さの維持もできず、松の針葉に触れたバルーンは全部パンクしてしまい、結局平面的なデータしか収集できませんでした。
無人ヘリによる薬剤散布
ポンプを吊るしたバルーンは風で流された
それでも、散布直後の松林内の道路上で、薬剤の効果で中毒して落下したマツノマダラカミキリ成虫が大きなアリの群れに攻撃されているところを女子学生が偶然発見してくれたのは大収穫でした。マツノマダラカミキリは広い松林の中で元々生息密度が低いということと、林床部に落下してもたちまちいろいろな天敵が持って行ってしまうので、普通はなかなかその姿を見ることができないからです。お蔭で貴重な写真を撮ることができました。
落下してアリに攻撃されているマツノマダラカミキリ
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2011年5月2日月曜日
4月28日に振り込まれた4名の方(7回目、14回目、初回、初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は92,020円、延べ284人からの合計額は3,036,585円になりました。何回も支援して下さっている方も、初めて支援して下さった方もありがとうございました。メールで届いたメッセージはすでに報告しましたが、手書きのメッセージもありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 少しですが振り込ませていただきます。市橋さんが新たに人生を踏みだせますように。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 初めての振込みです。経済的に大変で少額で申し訳ないです。私の家族が以前から市橋さんを応援しているのを見て、「どうして殺人犯の応援なんかするのかな?」と疑問でした。でも市橋さんについての報道を見聞きし、手記を拝見し、また本山先生の市橋さんへの思いを知るにつけ、自分の家族が市橋さんを支援する理由が分かる気がしました。市橋さんの更生を願っています。市橋さん頑張って下さい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以前にも書きましたが、支援者の皆様が、各々の生活がある中で、工面して送って下さる支援金は金額の多寡にかかわらずいずれも大変ありがたい浄財です。元学生が適正な裁判が受けられるように支援して下さりありがとうございます。しかし、決して無理をされないようにお願い致します。
今日はゴールデンウィークの中日でしたが、息抜きに久し振りに車で農村地帯をドライブしました。先日、農業研修中の卒業生が開設したブログ http://blog.livedoor.jp/peachfarmer/ で紹介していた柏市のあけぼの農業公園に行ってみました。あいにく月曜は定休日で売店や食堂や施設は閉まっていましたが、公園内の散歩は自由で、美しい花壇や小高い丘の道を散策したり、広場で走り回っている人達はたくさんいました。その後、手賀沼のフィッシングセンターのレストランでますの塩焼き定食を食べ、手賀地区にある寺田畜産(養豚業) と豚肉の加工・販売をしている株式会社惣左衛門(そうざえもん) [E-mail: shopmaster@sozaemon.net Tel: 04-7191-9460] を訪ねました。1980年頃、イエバエを農薬の薬理学的研究のモデル生物としてのみ使っていたら、ある人からイエバエの実際の発生現場の問題解決に貢献していないと批判されたのがきっかけで、当時沼南町と呼ばれたこの辺りの養豚農家を毎週回ってハエ類の発生生態と防除方法の開発研究をしたところです。寺田畜産は、母豚120~130頭の一貫経営ですから、年間2500頭くらい出荷している、この辺りでは一番規模の大きい養豚場です。今は、食肉加工場を別会社として設立し、千葉県特産に認定された「柏幻霜ポーク」というブランド品の霜降り豚肉だけでなく、ソーセージや生ハムなどの製造工場や直販事業もやっていました。
現役の時は、豚肉の第一次生産現場を見学させるために、よく学生をつれて来ました。豚カツを食べる農学部の学生ですら、お店で注文すれば料理された豚カツが出てくるので、パソコンのキーボードを叩けばディスプレイから豚肉がポンと出てくるような錯覚をしていて、原料の豚がどういうところでどのように飼養されているか現場を見せると、先入観念(自分の無知)との落差にたいてい大きなショックを受けていました。消費者も食の安全に注文を付けるだけでなく、農家の苦労を理解するために、畜産に限らず、水田でも野菜畑でも果樹園でも、たまには農業の第一次生産現場に足を運んでみるとよいと思います。
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2011年5月1日日曜日
今日から新緑の美しい5月になりましたが、私は一日中机に向かって原稿書きに集中し、ほぼ出来上がりました。あとは図表を整理すれば終わりです。その後は、共著者に送って訂正・加筆してもらえば完成です。
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2011年4月30日土曜日
4月27日に振り込まれた方(4回目)からの支援金が届きました。これで支援金の現在高は69,020円、延べ280人からの合計額は3,013,585円になりました。ありがとうございました。この方からはあらかじめ以下のメールも届いていました。
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本山教授こんばんは。ご多忙の中、支援する会の対応やブログの更新いつもありがとうございます。今日少額ですが支援金を振り込みました。適正な裁判が行われますよう祈ってます。
26日付のブログで、教授へ匿名で何回もメールを送ってくる人や、直接的な嫌がらせをする人の存在に唖然としました。けどそんな人たちに動じず、きちんとした返答までされる教授の人としての強さと市橋さんへの愛情に胸を打たれました。私も本山教授のように強くて優しい人になりたいです。
先日送って頂いた市橋達也さんの卒業論文と小冊子も、今日返送しました。研究結果が分かりやすくまとめられているのを見ていると市橋さんが就職していたらどんな庭園を造ったのか見てみたかったな・・・と思いました。 わがままを聞いて頂き本当にありがとうございました。
29日の駅伝大会に向けて珍しく弱気になってらっしゃるようですが、計231㎞も走られたなんて凄い。日々の努力の成果が発揮できますように、遠くから応援しています。
本山教授 believe yourself, do your best! (偉そうにすみません・・・)
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私が横浜駅伝の前の走り込みが足らなくて弱気になっていると書いたので、励まして下さったのでしょう。お気遣いありがとうございます。私は元々特別足が速いわけではなく、人の2~3倍努力してやっと人並みに走れるようになりますので、練習不足は致命的でした。結果はすでに昨日のブログで報告しましたように、練習量相応の、体重相応の、今の私の実力相応のタイムでした。
今日はほぼ一日中机に向かって締め切りが迫っている論文の原稿書きをし、70~80%できました。明日もう一日集中できれば、完成するかもしれません。
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2011年4月29日金曜日
支援者から支援金を振り込んだというメールでの連絡がありました。いつも変わらぬご支援と温かいメッセージをありがとうございました。
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本山先生 ご活躍のご様子、いつも拝見しております。 昨日、少額ではございますが市橋さんの裁判に向けて、送金させていただきました。
以前は、公的なもの・特に司法に対し、信頼や安心感を感じておりました。「国は、公共団体は、悪いことはしないだろう」とか、「法律は守られている(に違いない)」と、わけもなく盲信しておりました。
しかし、自己保身のため不正を働く検察官、責任をとらない公的機関を見ておりますと、果たして適正な裁判が行われるのかと、公判が近付くにつれ不安な思いです。 今は、市橋さんを非難する声が大きいですが(もちろん、市橋さんが起こした犯罪を考えれば、当然な部分もあると思っています)、「適正な」裁判がなされることは、市橋さんの権利というだけでなく、国民みんなにとっても意義があることを今一度考え直していただきたいと思っています。
市橋さんのご両親の心情は、さぞ、おつらいものと思います。相手の方を思うと、厳しい姿勢を貫かれることもわかります。けれど、犯罪はある日突然起こるものではないと思います。小さな布石がいくつもあって、その結果起こってしまうものだと思います。 いろんな愛情の形がありますが、時期が許せば、ご両親には面会にいってもらえたらと願っています。
今年はいつまでも寒いですが、弁護団の先生方、本山先生、市橋さん、お身体ご自愛下さいませ。
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本山先生。おはようございます。
4/28(木) 14回目の送金をさせていただきました。また、ご確認よろしくお願いいたします。
桜も散り新緑の頃となりました。季節感の判らない刑務所内におられる市橋さん...、暖かい春の陽射しが入り少しは過ごしやすくなられたでしょうか。きっと冬はかなり寒かったでしょうし春も気候が安定しない上、震災も有りましたので市橋さんの体調が心配です。
公判が7月4日から始まるとのこと。又過剰なマスコミ報道に視聴者の方々があおられて必要以上のバッシングがおこらないように...適正・公正な裁判であるよう本当に本当に...心から祈る日々です。そして市橋さんが心からリンゼイさんとリンゼイさんのご家族に謝罪し罪を償い、いつの日か更正,復帰できますよう...ひたすら神さまにお願いする日々です。
何だか私は毎回同じような事を書いている気がいたしますが、本当に市橋さんが心配で仕方ない為ついつい同じメッセージになってしまいます。どうかご容赦いただきたいと思います。
本山先生これからもいろいろとお忙しく大変なことがおありだと推察いたします。お体にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいませ。
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始めまして。 〇〇と申します。今日、初めて、少しですが〇〇円支援金振り込ませていただきました。今年の初めころ、本山先生のサイトを知りましたが、少し過ぎて、振り込みを考えているうちに、時間が過ぎてしまいました。少しでも、ご支援できたら、と思います。
色々メールの言葉を考えますが、大変な事件だけに、なかなか文章にすることが難しいです。市橋さんは、優秀な方と思います。どうか、改めて、その才能を良い方向に使える新たな人生を歩んで頂きたいと、思います。
地震の余震が続く毎日ですが、本山先生も、お身体ご自愛なさってください。
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横浜駅伝大会には、プログラムを見ると633チームがエントリーしていました。何チームかはキャンセルもあったでしょうが、1チーム7人編成ですから、単純計算では4,431人の参加です。千葉大学走友会は3チーム出場しました。私はBチームの最終走者で8.195km区間を、それなりに一生懸命走りましたが、私より遅い人を1人抜いただけで、少なくとも50~60人(あるいは100人くらい?)には抜かれました。その結果、ゴールインした時に550位の記念品の引換券を渡されました。記念品は写真に示す置物でした。チームのメンバーが私がキープしてもいいと言ってくれたので、自宅に飾ることにしました。
プログラムに載っている出場者の年齢をチェックしてみたら、私より年長の69才以上は26人で最高齢は76才、最年少は7才の少年でした。68才は、私を含めて9人でした。
手元の時計では私の記録は約52 分でしたから、1km 当り6.3分になり、練習量と体重を考えると上出来でした。いつまで走れるかわかりませんが、健康管理をしっかりして、できたら80才くらいまで何の病気もせずに走り続けられればいいなと思っています。
今年は熱中症で救急車のお世話になる人もでず、走ることが好きな大勢の仲間と思い切り汗をかいてスポーツを楽しみ、その後河川敷でそれぞれのグループごとに集まって美味しいビールを味わいました。
明日からは仕事に復帰です。今月末(と言っても明日しか残っていない)が締め切りの原稿と、5月は3ケ所でちょっと難しいテーマの講演を依頼されていますので、その準備にとりかかります。
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2011年4月28日木曜日
今月末で貸倉庫2つを空にして返却しなければならないので、今日は一日中捨てるものと取っておくものの仕分けと廃棄作業で終わってしまい、走る時間がなくなってしまいました。3年前に定年退職した時に何でもかんでも整理をせずにそのまま放り込んで置いたので、そのツケが今になって回ってきました。学会誌も、論文別刷りも、研究中に集めたいろいろな資料もほとんど捨てました。先日見つけようとして見つからなかった床下への殺虫剤散布の写真も出てきましたし、アメリカでフィッシングをしていた時の写真も出てきました。
Lake Gaston での釣果
Pamlico Sound でのヨット上での釣り
左は1970年初め頃、住んでいたローリー市から車で片道2時間くらいの道程のノースカロライナ州とバージニア州との間に位置するLake Gaston に友人のLouis Coon 博士と??出かけ、Lizard Creek で5ポンド(2.25kg)、4ポンド(1.8kg)、3ポンド(1.35kg)のLarge Mouth Bass (ブラックバス)を各2尾ずつ釣り上げた時。右は多分1980年半ば頃、ノースカロライナ州の海に近いところに引っ越した空手の弟子/友人のTim Currea(スペル?) 君のヨットに乗せてもらい、大西洋に面したパムリコ湾で小魚を釣った時。研究室以外のこういう趣味の時間を通して、映画の中で描かれるのとは違う、ごく普通のアメリカ人の考え方や生き方に接することができました。
明日は綱島の鶴見川沿いを走る横浜駅伝大会が朝10時にスタートですので、朝早く家を出ます。3月14日から、できたら400km くらい走りこみたいと思いましたが、結局昨日までで243km しか走れませんでした。今年も準備不足ですので、無理をせずに年齢相応に、体調相応に走るしかありません。
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2011年4月27日水曜日
4月25日に振り込まれた4名の方(4回目、16回目、4回目、2回目)の支援金が届きました。4月26日に振り込まれた1名の方(10回目)の支援金も届きました。これで支援金の現在高は64,020円、延べ279人からの合計額は3,008,585円になりました。昨年の2月から募金を始め、振り込まれた支援金は1年2ケ月で300万円を超えました。支援者の皆様もお一人お一人にご自分の生活がある中で、他人の筈の市橋君のためにありがとうございました
25日に振り込まれた方からはメッセージもいただきました。
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4回目になります。いつも少ない額ですみません。本日は市橋さんへのエールの気持ちをこめて、〇〇円でフレーフレーです!! 病気を患っていて、働けなくて、年金頂いて細々暮らしているので、少なくてすみません。市橋さんの更生を心から祈っています!! 市橋さんがんばって下さい!! フレーフレー
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裁判も近くなり、心配な毎日です。検察官がクリーンな気持ちで執り行ってほしいと願っております。朝に夕に手を合わせ祈っております。弁護団の方々、本山先生、市橋君を守ってあげて下さい。先生御身大切になさって下さい。
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私には、何もできません。弁護士のみな様、本山先生を頼るしかありません。ただ祈っています。
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先生、いつも市橋君の為にありがとうございます。先日の差し入れが無事に市橋君に届き、安心しております。7月からの公判日程が決まったのですね。私もいずれかの日に券を求め、並ぶ覚悟です。適正な裁判を祈ります。
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今日は南からの強風の中で江戸川堤防を10km 走ってきました。帰りは強烈な向かい風に対して、これもトレーニングの中と自分に言い聞かせて前傾姿勢で突き進みました。駅伝大会は明後日ですから、練習できるのはあと1日だけとなりましたが、今日は床屋に行って散髪をして心構えもできたし、走れる自信が少しついてきました。
午後3時には千葉県松林復活プロジェクトの共同研究のメンバーの一部が千葉大学園芸学部に集まって、野外調査に使う装置の使い方の研修をしました。
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2011年4月26日火曜日
以下は、市橋君への支援活動に関して匿名で何回もメールを送ってこられた方に私が昨日2回送信した回答です。他にも同様な疑問をお持ちの方がおられるかもしれませんので、ブログに載せておきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2011.4.25(1回目)
お便りありがとうございました。市橋君は恵まれた環境に育ちながら、本当に馬鹿なことをして一生を棒に振ってしまいました。事件後長期間逃走して見つからなかった時には、すでに自殺してこの世にはいないのではと思っていましたが、整形をして生き延びていることが報道された時に自主的に出頭させたくて、私の専門の農薬毒性学に関するオピニオンを社会に公表する場として開設したWebsite http://sites.google.com/site/naokimotoyamaに私に連絡をするように呼びかける記事#9市橋君に告ぐ(2009.11.8)を書きました。残念ながらメッセージが届く前に彼は身柄を拘束されてしまいましたので、黙秘ではなく事実をきちんと話すようにという趣旨の記事#10市橋達也君の件で(2009.12.8)を書きました。
その後、市橋君のご両親も息子の弁護は一切しない、千葉大学教授会も卒業して事件までの2年間何の連絡もなかったということで大学は沈黙を続けて一切関わらないという姿勢を示し、メデイアはここぞとばかりに市橋君がいかにも金持ちの馬鹿息子でとんでもない不良であるかのような虚像を作り上げ、市橋君は社会から袋叩き(リンチ)にされている状況でした。元学生は、例え社会から褒めたたえられるようなよいことをしても、非難されるような悪いことをしても、永久に千葉大学の元学生ですから、特に地獄の底に落ちたような状態にある元学生に救いの手を差し伸べるのは元教師として当然であるという考えから、記事#14適正な裁判を支援する会(2010.2.20)を書いて募金活動を始めました。
現在までに全国の延べ274名から2,983,565円の支援金が寄せられ、無償で弁護を引き受けてくれている私撰弁護団に全額をお渡しして、弁護活動費用として使っていただいています。ネット上で、弁護団や私自身に対して非難する書き込みが多数あることは承知していますし、弁護団や私自身に対する直接的な嫌がらせもあります。しかし、市橋君が犯した罪に相当の罰を受けて罪の償いをしなければならないことは当然ですが、社会からの袋叩き(リンチ)ではなく、適正な裁判を受ける権利はある筈で、元教師がそのための支援活動をするのは当然だという信念は揺らぎません。
顔を見たことも直接話をしたこともない全国の支援者とのコミュニケーションの方法として、支援する会のブログを立ち上げて、http://naokimotoyama.blogspot.com/裁判の予定や市橋君の様子などを報告しています。市橋君は千葉刑務所の未決囚の独居房に拘束されていて、やっとこの程公判前整理手続きが終了して7月4日から公判が始まることが決まりましたので、それを待っている状態です。裁判の日程なども上記ブログに載っています。
こういう趣旨ですので、もしご賛同いただけるようでしたら、支援金の振込先は以下の通りです。
郵便振替口座名:市橋達也君の適正な裁判を支援する会
口座番号:00140-9-773866
代表:本山直樹
私を含めて支援者の多くは、市橋君が心から反省し、謝罪し、罪を償って、その上で残される人生の中の短い年数をしっかり生きる機会が与えられることを願っています。
本山直樹
市橋達也君の適正な裁判を支援する会(代表)
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2011.4.25(2回目)
市橋君の書いた手記を読まれて、考えが変わったとのこと、手記の出版についても内容についても批判的な見方をする方々がおられることはご承知の通りです。印税は経済力のない市橋君が被害者遺族に弁償金を払える唯一の方法ですから、私はよかったと思っています。事件そのものについての言及がないのは、反省していないからではなく、今から裁判が行われることだからと弁護団に止められたからです。ネット上の書き込みやメディアの流す記事は、根拠がなくてもチェーンレターのようにあっという間に広まり、いつの間にかあたかも事実であるかのような独り歩きをすることがあります。私たちは、社会から提供される情報をそのまま信じるのではなく、何が事実で何が想像や流言か冷静な判断をすることが必要なのだと思います。
市橋君のご両親が息子の弁護をしないのは、愛情がないからではなく、息子の行為のせいで亡くなったリンゼイさんのご両親に対して申し訳ないという気持ちが非常に強いからです。私は弁護団との仲立ちの意味もあって何回かご両親と手紙のやりとりをしましたが、リンゼイさんの写真の前で毎日手を合わせて謝罪し、冥福を祈っておられるそうです。今は心を鬼にして息子に厳しく、自分の責任は自分でとるように諭しておられますが、裁判が結審して判決が下れば、ご両親とも自分たちの命の続く限り息子の身体と心の安寧を祈り、刑務所の中の市橋君に愛情を注がれると思います。
国選ではなく私撰の弁護士が弁護活動にあたっているのは、市橋君が金持ちで私撰弁護士を雇う余裕があるからではありません。身柄を拘束された時は、逃走中に必死で働いて貯めた約30万円しか所持していなかったそうです。弁護団の代表の菅野弁護士は恐らく私(68才)と同年代だと想像しますが、千葉県弁護士会の会長もされた方で、報道されている冤罪事件の多く(無罪の人を有罪にし、死刑にもする)は警察や検察の取り調べのやり方に問題があることが明らかになっていますので、被疑者・被告人には取り調べの段階から弁護士を付ける必要があるという制度を提唱された方です。市橋君の身柄が拘束されるとすぐ6人のボランティア弁護士から成る弁護団を組織し、無償で弁護活動を始めました。2人一組で毎日接見し、刑務所内で絶食死しようとしていた市橋君を、それは責任をとることにならない無意味な死だから止めなさいと言って説得したのも弁護団の一人です。信頼関係ができた弁護団に自分を見捨てないで下さいと言って弁護を依頼したのは市橋君ですが、もちろん弁護料を支払う能力はありません。それでも弁護団は弁護士としての使命感から弁護を引き受けて下さったのです。
裁判員制度における公判前整理手続きはやっと今月終了し、公判は7月4日から始まることになりましたが、公判が始まるまでは弁護団以外は接見が許可されません。郵送あるいは持参する差し入れは可能ですが、現金以外は自殺や毒殺を防ぐために制限があります。食べ物は刑務所内の売店で売っているものに限られます。手紙類は、外部の仲間と証拠隠滅を計る可能性があるということで一切許可されません。衣類もすでに多くの人が差し入れしていますので、必要はありません。刑務所が保管(領置)してくれるのはミカン箱2つ分くらいの容量ですので、それ以上は廃棄されるか送り返されるか、一部は弁護士事務所にも保管されているそうです。必要なものがあれば弁護団が私たちが提供した支援金を使って購入して差し入れできますので、それ以上の差し入れは必要ないと思います。
弁護団や私に対するネット上の中傷誹謗については、全く気にしないことにしています。自分の顔も出さずに、あーでもないこーでもないと自分の偏った思い込みで無責任な書き込みをする(愉快犯のように)ネット中毒の人達に、貴重な時間を使っていちいち対応する必要はないと考えています。
疑問点への回答になったかどうかはわかりませんが、ご指摘されたことに関する私の考えは以上の通りです。
本山直樹
市橋達也君の適正な裁判を支援する会(代表)
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今日は東京農大の研究室に来客があったので、昼休みのジョギングは約2km しかできませんでした。体育館のシャワー室では、サッカー部員らしき何人かの学生に"こんにちは"と挨拶をされました。東京農大では、私が年配なので教職員と思うのかよく見知らぬ学生に挨拶をされ、清々しい気分になります。生協前では新入生獲得をねらって多くのサークルが声を張り上げて勧誘をしていました。この時期のキャンパスは若者の活気で溢れています。
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2011年4月25日月曜日
先ほど4回目の支援金を振り込んだというお知らせがFAXで届きました。携帯のメール機能がこわれて、パソコンは持っていないので、とのことでした。2~3日前にはこの方の妹さんから初めてメールをいただきましたが、小さい時に両親を亡くして姉妹とも施設で育ったとのことです。ご病気もされて厳しい生活環境の中から、社会から総攻撃されているような弱者の立場の市橋君を支援するために、工面して支援金を振り込んで下さったようです。社会的弱者だからこそ弱者を少しでも支えたいというお気持ちになられるのでしょうか。ありがとうございます。
昨日は江戸川堤防を10km 走り、今日も10km 走ってきましたが、今日は途中から悪天候になって大変でした。空が真っ暗になって雷雨になり、突風が吹いてきました。後でニュースを見たら、竜巻で建物や車に被害もでたとのこと。ビショ濡れになりましたが、お蔭でいつもより早く走るトレーニングができました。これで3月14日に横浜駅伝大会に向けての走り込みを始めてから231km 走ったことになりますが、まだ当初の走行目標距離の半分ちょっとです。体重の減量の方は全く進歩がありません。
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2011年4月23日土曜日
4月21日に振り込まれた4名の方(14回目、初回、7回目、2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は39,000円、延べ274人からの合計額は2,983,565円になりました。皆様、ありがとうございました。以下のようなメッセージも添えられていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50代のおばさんです。市橋君の2年7ケ月、苦悩と後悔、怯える日々、肉体労働、普通ではあり得ない努力の姿、あまりに衝撃的でした。私の知る犯罪者とは違う。予期せぬ事態に絶望もします。でも自分の心にストップをかけてほしかった。私は世間がなんと言おうと市橋君の真実の言葉を信じます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本山先生、4月19日のブログを拝見し、「幸せな人は、愛に満たされている人は、人に意地悪しない」ということを、考えました。少なくとも、ここに集う支援者の皆様の「思い」を受け、裁判に臨まれる市橋達也さんは、「愛」を知っているので、そのような不条理にも決して負けることはないと思います。公正な裁判が行われるよう祈り続けます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わずかですが、送金いたします。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
裁判が結審するまで、弁護団にはまだまだがんばっていただかなければなりませんので、お志のある方には引き続きご支援をお願い致します。公判では私も被告人側の情状証人として証言することになっていますが、私にとって日本の法廷で証言するのは初めての経験です。1969年に初めてアメリカに行った時に、まだ英語もあまりしゃべれなかった時ですが、車の運転免許を取った直後に右折専用車線の標識を見落として直行し、隠れていたパトカーに交通違反の切符を切られ、後日裁判所に出頭して事実確認をして罰金(確か$20くらいだった筈)を払わされたことがあるのが唯一の経験です。 5月になったら機会をみて一度弁護士事務所を訪ねて、法廷では何をすればいいのか伺ってくるつもりです。
今日はこの辺りはあいにくの雨になりましたが、最近結婚した元学生が夫婦で挨拶に来てくれました。初めてお目にかかった奥方は、活発で、聡明で、素晴らしい女性という印象を受けました。
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2011年4月22日金曜日
今日は千葉県松林復活プロジェクトの共同研究の第2回打ち合わせ会が千葉大学園芸学部で開催され、関係者が集まりました。第1回は1月31日に千葉県森林研究所で開催されましたので、約3ケ月振りです。東京農業大学、東京大学演習林、千葉県森林研究所、岐阜県森林文化アカデミー、千葉大学緑地環境学科の教員に加えて、樹木の菌根菌の研究をしている博士課程大学院生も参加してくれました。
岩山のような水分の少ない貧栄養の環境条件下で育つ松の根には菌根菌と呼ばれる微生物が共生して、水分を根に供給する役割を果たすことが知られていますので、抵抗性松が九十九里浜のように地下水位の高い海岸では松くい虫に弱くなる現象の解明には、菌根菌がどうなっているかを調べることも必要だからです。今日は今までの進捗状況を報告し、各々の研究者が、個別のどの課題を担当するかを決めました。ポットに植えた抵抗性、感受性の松苗の生育状況も皆に見てもらいました。
A研究棟の今の姿
根が活着して新芽が出てきた松苗
ノースカロライナ州在住の友人のJoAnn さん・Frank 君夫妻から電話がありました。昨年訪ねた時は奥さんのJoAnn さんはリハビリセンターに入院中で歩くトレーニングをしていたのが、今は自宅で不自由なく歩けるようになったとのこと。私にいつアメリカに帰ってくるかと訊かれたので、今年はまだわからないと答えておきました。
??アメリカのニュースでも震災の被害や、津波の被害や、原発事故の被害が報道されるようなので、共同通信社の特別報道写真集「東日本大震災2011.3.11 1ケ月の全記録」を買って、別の友人のMargie さん宛に小型包装物の航空便で送りました。5日くらいで届く筈ですので、皆にも見せるようにメールで依頼しました。津波が町を飲み込む写真や、破壊された建物の写真や、大きな船が陸に上がった写真や、救援の写真や、避難所の写真や、灰になった輸出直前の山のような車の写真や、自然の力の大きさをあらためて感じる筈です。
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2011年4月21日木曜日
昨日の朝日新聞(2011年4月20日朝刊)に、「再生できるか検察」という見出しのほとんど半ページに近い大きなインタビュー記事が載っていました。「無罪請負」弁護士弘中淳一郎さんという、ロス疑惑の故三浦和義・元社長や、薬害エイズ事件の故安部英・元帝京大学副学長の主任弁護人として無罪判決を勝ち取った弁護士への取材記事でした。
私の興味を惹いたのは、村木厚子・厚生労働省元局長の冤罪事件で、事件を担当した元主任検事前田恒彦被告が何故フロッピーディスク(FD)のデータを改ざんするという信じられないような馬鹿げたことをしたのかということです。
「密室で相手を誘導したり、脅したりして、本人が言ってもいない内容の調書が山のように作られて、その調書が独り歩きした。その結果、客観的な証拠であるFD のデータと矛盾してしまったので、データを改ざんしてしまった。」 事実を明らかにすべき立場の検事が、自分の見立てと矛盾する証拠は隠蔽したり、改ざんまでするということが本当にあるのでしょうか。それでは、せっかく難しい司法試験に合格して検事になり、事実を明らかにして被害者の権利を代表するという本来の精神を見失っているのではないでしょうか。検察という組織自体に問題があって、検事をいわゆる役人的(悪い意味の)な発想に追い込んでいるというようなことがあるのでしょうか。
弘中弁護士は昨年、雑誌の座談会で「検察とマスコミが1本の線になった時が一番こわい」と述べたとのこと。市橋君の事件もメディアの異常ともいえる注目を集めたし、警察が市橋君を取り逃がすという失態があったし、イギリス国民の対日感情が悪化するのを防ぎたいという外交的な配慮もあったのか、懸賞金が異常に高かったし、・・・こういうことで担当検事が圧力を感じて、事実とは異なるかもしれない見立てをして、それを通すために見立てと矛盾する証拠を開示しないなどということはないことを信じたいと思います。
今日も江戸川堤防を8km 走ってきましたが、相変わらず駅伝大会で競走するには程遠い体調です。
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2011年4月20日水曜日
3月19日に、市橋君も出席して行われた第16回公判前整理手続き(最終)について、菅野弁護士からメールと電話での報告をいただきました。争点及び証拠の整理が終了し、審理計画が策定されたそうです。裁判日程は以下のようになったとのことです。
6月28日(火) 裁判員選任手続
7月 4日(月) 第1回公判( 1:15 から夕方)
7月 5日(火) 第2回公判(10:20 から夕方)
7月 7日(木) 第3回公判(10:00 から夕方)
7月 8日(金) 第4回公判(10:00 から夕方)
7月11日(月) 第5回公判(10:00 から夕方)
7月12日(火) 第6回公判(10:00 から夕方)
7月12日午後 検察官の論告・求刑、被害者参加人の意見陳述、弁護人の弁論、被告人の意見陳述を行い、裁判は終わりです。
その後、裁判官(判事)と裁判員で評議が行われ、判決は、7月21日(木)午後2:30~4:00に言渡されます。
7月11日(月)午後1:30 からは、市橋君の情状証人として私も出廷して証言することになるので、時間を空けておくようにとのことでした。
当初の予定よりも整理手続きにずい分長い時間がかかりましたが、それだけ弁護団も妥協せずに厳しく対応してきたのでしょう。公判の内容がどういうものになるのか私には全く想像もできませんが、元教師の立場としては、元学生の市橋君には、罪は罪として素直に認め、自分の言葉でありのままを話して、リンゼイさんとリンゼイさんのご家族に心から謝罪してほしいと思っています。その上で、下される判決に従って罪を償い、願わくば更生の機会が与えられ、残された人生をしっかり生きてほしいと思っています。大多数の支援者の皆様も恐らく同じお気持ちでしょう。
今日は江戸川堤防を8km 走ってきましたが、体が重くて最悪です。駅伝大会でのアンカー区間を補欠のランナーに交代してもらって、走るのをキャンセルしたらどんなに楽だろうかと少し弱気になってきました。
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2011年4月19日火曜日
3月31日のブログの記事を千葉刑務所に投げ込んできたと私に言ってこられた方は、「刑務官は悪くない、手記の原稿を持ち出した弁護団の方が悪いので、刑務官が差し入れを意図的にストップするような嫌がらせをされても当然だ」という趣旨のことも言ってこられたので、どういう意図でブログの記事を刑務所に渡されたのか(あるいは本当にそうされたのかも)不明です。しかし、今回実験的に差し入れた物はきちんと本人に届いたことが確認できたのですから、いろいろ詮索するのは止めましょう。大事なことは、市橋君がそんなことにイライラせずに、来たるべき公判に落ち着いた精神状態で向き合うことでしょう。
支援者のお一人が、今日行われた第16回公判前整理手続き(最終回)のことが載っているサイトがありますと知らせてくれました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110419/trl11041916450002-n1.htm
公判は7月4日(月)から始まり、審理は法廷通訳が入るので通常の2倍時間がかかる(日本語を英語に、英語を日本語に通訳するので)ということで、途中休憩も挟んで(集中して審理をすると精神的な負担が大きいとのこと)、7月12日までの間に6日間とってあるようです。評議は7月13日(水)から7月20日までの間に4日間とってあり、判決は7月21日というスケジュールのようです。
先日テレビのニュースでアメリカのアーカンソー州やアラバマ州で大きな竜巻(Tornado)がいくつも発生して死者30人に達する大きな被害がでたと報道していましたが、翌日の新聞ではそれに加えてアメリカ南部では暴風雨(Storm)が加わって大きな被害がでたと報道していましたので、地震と津波と放射能汚染のことで心配してくれたノースカロライナ州の友人に見舞いのメールを送りました。100フィート(約25m)もの大木が何本も根こそぎ倒されて電線を切ったり、屋根を直撃したり、道路を交通不能にしたりで、家や車を失った人がいて、死者もでているとのことでした。普段は人間は自然を支配しているような気になっていますが、ひとたび自然が猛威を振るえばいかに人間は無力かと思い知らされます。
(国立感染症研究所の葛西真治博士が先日のシンポジウムの写真をたくさん撮って送って下さったので、4月14日のブログに1枚だけ追加しておきました。)
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2011年4月18日月曜日
山本弁護士と電話で話をしました。支援者が実験的にしてくれた3件の差し入れは、全て市橋君に配達されたそうです。私のところには、手記の出版以来差し入れがストップしていることを問題として取り上げた本ブログの3月31日の記事を印刷して千葉刑務所に投げ入れてきたというメールを送ってきた方がおられましたので、それによって改善したのか、手記の出版から今回の3件の差し入れまで本当に誰からも差し入れがなかったのか、の判断はできなくなりました。
いずれにしても、これで市橋君のイライラが解消し、精神的な落ち着きを取り戻したようですので、よかったと思います。私の呼びかけに応じて協力して下さった3件(4人)の支援者の方々にお礼申し上げます。
4月14日の記事で言及したアメリカにおける西ナイルウィルスの犠牲者数については、国立感染症研究所の駒形 修博士から正確な情報が送られてきましたので、出典とともに加筆しておきました。さらに詳しい生データは、CDC(Center for Disease Control and Prevention アメリカの疾病対策センター)のホームページで見ることができるそうです。
http://www.cdc.gov/ncidod/dvbid/westnile/index.htm
千葉県松林復活プロジェクトの共同研究の第2回打ち合わせ会を今週の金曜に千葉大学園芸学部で行うことになりました。複数の研究者が参加していますので、お互いにどういう役割が担えるか情報交換をする予定です。
昨日は6km、今日は8km走りましたが、3月14日に横浜駅伝大会に向けてのトレーニングを始めて走行距離はまだ195km にしかならないので、全然不足です。4月29日の大会まで残り10日しかないのに、減量も全然駄目だし、残念ながら今年もまた目標をただタスキをゴールに運ぶだけに切り換えざるを得ないかもしれません。
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2011年4月16日土曜日
今日は千葉大学走友会の練習会と総会が松戸でありました。準備運動の後、いつもは江戸川の葛飾橋までゆっくり走って、そこから時差スタートするのですが、今日は普段の練習会にあまり顔を出さない園芸学部のある教員が参加し、葛飾橋に着いてからも止まらずにそのまま走り続けてしまったので皆も引きずられてそのまま走り続けてしまいました。従って、私はあっという間に引き離されて皆の姿が見えなくなってしまいました。私よりも年長者や、私よりも体重オーバーな人もいてマイペースでの練習をしましたが、私もマイペースで往復10km地点で引き返しました。皆は往復20km地点まで行って競走しながら帰ってきました。私はこのままの体調では、29日の横浜駅伝のアンカー区間(8.195km)を走るのは厳しそうです。
今日の練習会には、平成3年(1991年)に千葉大学走友会の設立を呼びかけた当時の人事課長O氏が久し振りに参加したので、懇親会が盛り上がりました。O氏はその後全国の文部科学省関係の機関で幹部職員として勤務し、この3月で60才で定年退職し、東京のある株式会社に就職されたとのこと。文科省所管の公益法人ではないので、いわゆる天下りとは違いますが、現役時代のキャリアが生かせる職場のようです。政治家やメディアの中には官僚の天下りを諸悪の根源のように批判する風潮があり、一部は批判に該当するような実態もあるのでしょうが、年金受給年齢が65才なのに60才で強制的に定年退職させる制度にも大きな問題があるように感じます。人の能力には個人差があるのですから、一定の年齢で自動的に首を切るのは、アメリカでは性差別と同じように年齢による差別として憲法違反になる筈です。単なる天下りの受け皿としての無駄な公益法人の見直しと同時に、年齢による強制的定年退職制度についても見直す必要があるように思います。
幹事長が配布した総会資料には、平成3年12月23日付けの文教ニュースのコピーがありました。千葉大学走友会設立総会の看板の下で、当時の学長、事務局長と並んで会員の教職員が写っている1枚の写真が載っていました。今と比べると、皆ずい分若かったなあという印象です。私が走友会の初代会長で、10年間やりました。今年の12月で設立20周年を迎えるので、何か記念事業をやることになる筈です。
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2011年4月15日金曜日
弁護団からは、支援者の3件の差し入れがちゃんと市橋君に届いたかどうかの連絡は今日はありませんでした。来週になったら電話で問い合わせてみようと思っています。
2月3日のブログで紹介した長野県で就農希望のU君からメールが届き、ブログを始めたので見て下さいとのこと。
http://blog.livedoor.jp/peachfarmer/
長期研修に入ったようですが、華やかな都会でのサラリーマンから、地味な田舎での農業に転職するには何らかのきっかけがあったのでしょうが、着々と歩を進めているU君には夢と未来があります。市橋君の場合と同じで私とは空手の稽古を通してだけの短い期間の付き合いでしたが、彼の今後をずっと見守り応援していくのは楽しみです。
岩手県盛岡市にある森林総合研究所東北支所で増殖して送ってくれたマツノザイセンチュウ(マツノマダラカミキリがこれを媒介して松の樹に侵入して松を枯らす)を、茨城県下館(しもだて)市の近くのある会社の研究所に電車で届けました。1枚のシャーレの培地に約100万頭入っていて、そんなシャーレが5枚ですから約500万頭という膨大な数のセンチュウです。千葉大学園芸学部でポットに移植した松苗が活着して試験ができるようになれば、センチュウを培地から分離してもらって、松苗に接種(苗1本に約1万頭)して試験を始めます。松林の復活を目指した基礎的研究ですが、多くの人達の協力で成り立っています。
今日は茨城県に出かける前に、時間を見つけて江戸川堤防を6km だけ走りました。
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2011年4月14日木曜日
国立感染症研究所で開催された日本衛生動物学会殺虫剤班のシンポジウム「住環境で発生する媒介蚊の化学的防除事例から学ぶこと」は無事終わり、私の講演「住環境における殺虫剤散布のリスク管理」も準備が何とかギリギリで間に合いました。私は住宅内や住宅周辺での殺虫剤散布の経験はあまりありませんが(畜鶏舎やゴミ処分場を除いて)、松くい虫防除で大規模散布された殺虫剤の周辺居住環境への飛散実態調査や健康影響評価については長年の実績がありますので、異分野の経験としてこの学会の参加者には好評だったようです。
反対に私にとっては、他の演者の講演は私が普段取り組んでいる農業分野での殺虫剤問題とは異なり、感染症を媒介する蚊の防除が中心でしたので、新鮮でした。特に、経験豊富な緒方一喜博士の「殺虫剤による蚊成虫防除の試みと展望」と題した講演は、1950年代からの殺虫剤散布技術の総括が含まれていて、勉強になりました。西ナイルウィルスは、1937年にアフリカのウガンダで初めて発見された蚊が媒介する感染症ですが、アメリカでは1999年にニューヨーク州で初発患者が発見されて3年間で全米に拡散し、2010年までに犠牲者は数万人に達しているとのこと(正確には、患者数30,575人、死者1,198人、詳しくはhttp://www.city.yokohama.jp/me/kenkou/eiken/idsc/disease/westnile1.html
を参照)。このウィルスは、人と鳥と蚊の間で行き来するので、日本にもいつ上陸してもおかしくないのだそうです。そのために、東京のある地域では、緒方博士をリーダーとして、行政や地元住民が西ナイルウィルスが発見されたという想定で、媒介蚊を防除する住環境での殺虫剤散布の試験を実施したとのこと。
終戦後の日本社会の衛生状態は劣悪でしたので、ノミやシラミを防除するために学校の先生が子供たちの頭髪の中やシャツやパンツの中にまでDDTという殺虫剤を散布してくれました。蓋のない下水路や生ごみを捨てるゴミ箱には、役場の人がきて殺虫剤をまいてくれていました。最近はそういうことがなくなったので、いざ感染症が大流行する可能性がでてきた時にどうやって殺虫剤を広域に散布するか、どうやって必要な殺虫剤を備蓄しておくかも含めて、今から準備をしておくことが必要なようです。
これは、2005年9月1日に発行された本の表紙です。最近増刷されたので私も注文して購入しました。終戦直後に米軍兵士が撮ったたくさんの写真が掲載されていて、今の日本では想像もできない当時の様子がうかがわれます。「故郷へ 帝国の解体・米軍が見た日本人と朝鮮人の引揚げ」監修・解説 浅野豊美、訳 明田川融、株式会社現代史料出版、3200円
私自身も1942年に朝鮮の当時の平壌(ピョンヤン)で生まれ、1945年の終戦で南北を分断した38度線を越えて日本に帰国した引揚げ者ですが、まさにこの本の表紙の写真のように感染症を媒介するノミやシラミを防除するためにDDTという殺虫剤を体に直接散布されて、今日まで生き延びることができた一人です。DDTは衛生害虫だけでなく、農作物を加害する農業害虫の防除にも広く使われて食料生産にも大きな貢献をしましたが、環境中に長期間残留することがわかってその後禁止になりました。DDTの作用点は神経の軸索膜のイオンチャンネルにあることを世界に先駆けて明らかにした楢橋敏夫教授(元東大、その後アメリカに移住)によると、DDTはマラリヤの防除を含めて世界で600万人以上の人類の命を救ったと推定されているそうです。
本山の講演風景(葛西真治博士撮影)
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2011年4月13日水曜日
4月11日に振り込まれた方(12回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は23,000円、延べ270人からの合計額は2,967,565円になりました。ありがとうございました。この方は、市橋君とそれほど年齢の変わらない息子さんをお持ちのお母様です。リンゼイさんのご両親への配慮から息子をかばうことができない市橋君のお母様に代わって、市橋君の適正な裁判と、更生の機会が与えられることを願ってのことでしょう。
東京農業大学のキャンパスは学生が大勢で活気に溢れていました。生協で教科書を買ったり、下宿を探したりする新入生を対象に、課外活動のサークルが思い思いの看板を持って道の両側に陣取り、熱心に新入部員獲得の勧誘活動をしていました。毎年この時期にはどこの大学でも見られる、若者たちの風景です。
私はまだ明日の講演の準備に追われています。講演が終わったら、弁護団に連絡をとって、昨日行われた筈の接見の様子について伺ってみるつもりです。
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2011年4月12日火曜日
千葉県森林研究所(山武市にある)に車で行って、千葉県で維持・研究している松くい虫抵抗性のクロマツの系統(家系)の苗を入手してきました。茨城県で普及している抵抗性のクロマツの苗はすでに入手して実験を始めています。抵抗性といっても、松枯れの原因であるマツノザイセンチュウを接種して常に100%生存率を示すわけではなく、系統によって30%くらいから70%くらいと巾があります。特に九十九里の海岸のように地下水位が高い場所に植林すると抵抗性を発揮しなくなるという問題もあります。私たちは、千葉大学の緑地環境学科の先生たちと共同研究をして、抵抗性の松が植栽される環境条件によっては感受性になる原因を解明して、よく青松白砂と言われる海岸の美しい松林復活に貢献できたらと考えています。
千葉県森林研究所では、松くい虫対策の研究だけでなく、花粉のでないスギやヒノキを作出する育種の研究や、キノコ類のような特用林産物に関する研究など、少ない研究者人数で森林に関する現場の多様な課題に取り組んでいました。
松戸に帰ってきてから、江戸川堤防を8km 走ってきましたが、まだまだ駅伝大会で競走できるコンディションからは程遠い状態です。?
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2011年4月11日月曜日
1966年(昭和41年)に卒業した空手部の昔の仲間と久し振りに会って、7名で西千葉キャンパスの中を歩いて桜を見たり、道場の中を覗いたりし、その後駅裏のすし屋で一杯やりながら旧交を温めました。学生時代は工学部や理学部や園芸学部生でした。浪人して入学した者もいますので、年齢的には67才~69才で、一応社会での現役としての仕事は終わった男達です。中には工学部電気科卒で、福島原発の建設に関わった人もいました。昔の話に花が咲きました。過去を振り返って、お互いにあの時はそうだったのかと今になって発見することも多々あり、楽しいひと時でした。
昨日、貸倉庫を整理していたら、古い写真と一緒にアメリカの私の空手の道場に1970年初め頃来ていた弟子から送ってきたクリスマスカードの代わりの印刷物が出てきました。いいなあと思ったので捨てずにとってあったものです。
"There is no quiet place in the white man's cities. No place to hear the leaves of spring or the rustle of insect wings. But perhaps because I am savage and do not understand, the clatter seems to insult the ears. And what is there to life if a man cannot hear the lovely cry of the whippoorwill or the auguments of the frogs around the pond at night?"
「白人の町には静かな場所がありません。春の葉のささやきや、虫たちの羽を擦る音を聴ける所はありません。もしかしたら私が野蛮人でわからないから、町の騒音が耳を汚しているように思えるだけかもしれませんが。でも、もし人が夜鷹の愛らしい鳴き声や夜の池の周りでの蛙の口論を聴くことができないとしたら、人生には何があるのでしょう。」
その下には次のような説明がありました。
This is a portion of a letter written by a northwest indian to the president 121 years ago. The author despaired for the quality of his environment and the quality of life of his people. Let us take this opportunity to echo his concern. For, as the one diminishes, so does the other.
「これは北西部のインディアンが121年前に当時のアメリカ大統領に書いた手紙の一部です。書いた人は、彼の住んでいるところの環境の質や彼の部族の生活の質の悪化に絶望を表しています。この機会に、彼の心配に私たちも共鳴しましょう。何故なら、一人が滅びれば、他も滅びるのですから。」
そして、次のように署名されていました。
Our best wishes for the new year. We miss you and hope that we can return soon.
Joann, Jay, Brian and Steve HoneyCutt
「新年が良い年でありますように。皆さんに会えなくて淋しく思っています。近く道場に戻りたいと思っています。ジョアン、ジェイ、ブライアンとスティーブ・ハニーカット」
ハニーカットさんはお母さん(Joann)、小学生の息子二人(JayとBrian)、お父さん(Steve)の家族全員で道場に来ていました。その後の交流はありませんのでどうしているかわかりませんが、当時6~7才だった息子達は今では40代半ばになっている筈です。
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2011年4月10日日曜日
今日は千葉県は県会議員の選挙があったので、午前中に妻と一緒に投票に行きがけに松戸にある園芸学部のキャンパスを散歩して、満開の桜を見て歩きました。午後は江戸川堤防を8km 走って、その後は貸倉庫の整理をしました。今度の講演で使おうと思っている写真(建物の床下に殺虫剤を散布している風景)がある筈なのですが、なかなか見つかりません。代わりに、私の研究室を専攻してくれた学生諸君と撮った写真や、走友会の仲間と撮った写真や、家族と一緒に撮った写真や、アメリカの友人達と撮った写真がたくさん出てきました。
これは、サウスカロライナ州Gaffnyに住んでいる友人のLarry Tate 君の牧場の池でルアー(疑似餌)でLarge Mouth Bass (日本ではブラックバス)を釣り上げた時の写真(自慢の1枚)です。写真には93.9.3 という印字がかすかに見えますから、今から約18年前で私が50才頃の筈ですが、我ながら若かったなあと思います。Tate 牧場は、私がアメリカに行くときは必ず訪ねることにしている場所のひとつですが、釣った魚はいつもTate 君の奥さんがすぐ料理をして夕食のテーブルに出してくれます。
明日は、千葉大学空手部で同期だった仲間から西千葉キャンパスでお花見をしようという誘いの電話があったので、参加するつもりです。
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2011年4月9日土曜日
4月7日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は13,000円、延べ269人からの合計額は2,957,565円になりました。ありがとうございました。
先日甲状腺切除手術を受けたアメリカ人の友人から、また電話がありました。病理検査の結果、癌ではなかったから今まで通り生きられるとのこと。ホッとしました。1969年以来の空手の弟子/友人です。ノースカロライナ州立大学は中退しましたが、魚釣りにも一緒に行ったし、映画を見に行ったり、食事をしたり、ワシントンDCへの車での旅行にも付き合ってくれたり、彼との交流を通してアメリカ南部の白人男性の保守的なよい面を教えられました。年老いたお母さんが亡くなるまでお世話をして、60才を過ぎてもいまだに一度も結婚していませんが、若い時には、好きな女性がいると言って私に写真を見せてくれ、ギターを弾きながら恋の思いを歌ってくれたこともありました。日本式に言えば、真面目で、純情で、不器用な性格なので、結局恋の思いを彼女に伝えられなかったのかもしれません。存命中のお母さんが、ある時に家を訪ねた私に、自分の希望は息子が結婚して家庭をもってくれることだと言ったことがあります。どこの国でも、母親の気持ちは同じだなと感じました。
余震は頻繁にあるけどこの辺りには大きな影響はないことと、海外の多くの国が震災の援助に駆けつけてくれた中で、アメリカの援助は最大規模でありがたかったと、感謝の気持ちを伝えておきました。
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2011年4月8日金曜日
市橋君の手記が出版されて以来差し入れがストップしたという記事を3月31日のブログで紹介しましたが、すでに報告しましたように、その後3名の支援者から差し入れをした(郵送2件、直接持参1件)という連絡をいただきました。4月12日には菅野弁護士が市橋君に接見して、差し入れされた物がきちんと届いているかどうか確認されるそうです。
差し入れが意図的にストップされているかどうかを確認する実験的差し入れはこれで十分ですので、これ以上続ける必要はありません。ご協力をありがとうございました。
差し入れは、市橋君が社会には自分のことを心配してくれている人がいることを知る一つの方法でしょうが、一方では刑務所が保管できる数量は僅かだそうですので、それ以上が届いた場合は送り返すか、廃棄するか、菅野弁護士の事務所に預かってもらうか、ということになるようです。今後、差し入れをされるかどうかは皆様個人個人の判断ですし、私に報告して下さる必要はありません。差し入れが刑務官によって意図的にストップされない限り、市橋君が生活上必要なものは、弁護団が皆様からの支援金で調達して差し入れることができる筈です。
千葉大学園芸学部の桜は満開になりました。桜の樹の下で花見をしている学生達の姿も見られます。私も現役の時は、研究室の学生達(留学生も含めて)と花見の宴をしたことを思い出しました。
昨夜の比較的大きな地震のことがアメリカでもニュースで報道されたらしく、今朝はカリフォルニア在住の孫達から心配した電話がありました。アメリカに避難したらどうかとのこと。妻は、孫娘の6才の誕生日(4月28日)に間に合うように、近くのデパートで小さな女の子が喜ぶような細々したものをせっせと買い集めて、送る準備をしています。
今日は来週の講演の準備で時間をとられたので、江戸川堤防を6km だけ走ってきました。昨日、支援金を振り込んだとメールで連絡をして下さった方の支援金は、明日には届くでしょう。
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2011年4月7日木曜日
4月5日に振り込まれた方(5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は8,000円、延べ268人からの合計額は2,952,565円になりました。ありがとうございました。この方からは、差し入れを郵送したという以下のメッセージも添えられていました。
「本日4/5 市橋君宛にトレーナー、Tシャツ等を、支援者として〇〇〇〇さんと連名で差し入れ発送致しました。市橋君のもとへ届けられればうれしく思います。」
差し入れが行われた事実を、ちゃんと市橋君の手元に届いたかどうか接見の時に本人に確認できるように、山本弁護士と菅野弁護士にもお伝えしておきます。
私は、昼休みに江戸川堤防を14km走ってきました。
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2011年4月6日水曜日
4月4日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は5,000円、延べ267人からの合計額は2,949,565円になりました。ありがとうございました。以下のメッセージもありました。
「お久しぶりです。わずかですが支援金を送らせて頂きます。近くの公園の桜がちらほら咲き始めて、このところとても暖かいので来週くらいには満開になりそうな感じです。桜を見ていると、とても心が和みます。市橋さんにも見せてあげたいなあと思いました。」
東京農業大学にも千葉大学園芸学部にも大きな桜の樹(ソメイヨシノ)が何本もあって、昨日・今日で急に咲き始めました。市橋君に直接見せることはできませんが、心の中で思い出して見ることはできる筈ですから、もしかしたら昨日支援者が差し入れたスケッチブック代わりの上質紙に絵を描いているかもしれません。差し入れをして下さったお二人の支援者からのメールは、お二人とも了解して下さったので菅野弁護士と山本弁護士に転送しておきました。山本弁護士からは今日早速メールの返信が届いて、迅速な対応に感謝され、今度接見に訪ねる時に、差し入れがちゃんと配達されたかどうか市橋君に確認するとのことです。
私と一緒に研究をしてくれている中国人の博士研究員の奥さんと娘さんは、放射能汚染を避ける意味もあって中国の大連に帰国していましたが、この4月から高校2年生になる娘さんは、日本が好きなのでどうしても日本の学校に行きたいということで、今日日本に戻ってきたそうです。まだ小学生だった時にお父さんについて千葉大学に遊びに来たので、デパートに行って水着を買ってあげ、一緒にプールで遊んだ可愛い娘さんです。帰国する前は親とも日本語でしか話さなかったのが、わずか3週間中国に滞在して戻ってきたら、自然に中国語で話すようになっていたそうです。若い人(子供)の適応力は本当に大したものです。
私は今日は走るのを休みました。
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2011年4月4日月曜日
東京在住の支援者のお一人から、本日千葉刑務所を直接訪ねて市橋君に差し入れをしてきたとのメールが届きました。昨日遠方から郵送された方の分も含めて、きちんと市橋君に配達されるかどうか、弁護団を通して確認できたら報告致します。お二人には、迅速なご協力をありがとうございました。私も差し入れをしたことがありませんので、どういう風に行われるのかがわかって勉強になりました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今晩は。本日、千葉刑務所に行って来ました。初めての差し入れで、良く分かりませんので、まず電話で問合わせてみました。第三者でも差し入れ可能か伺いましたら、未決拘留者なら可能との事でした。刑務所内の売店以外で購入した物は差し入れ出来るのかも確認し、衣類は可能ですがヒモが付いてる物など制限があるようです。Tシャツもメッシュや収縮性が有るものは不可との事で選んで買いました。ペン類も不可で、スケッチブックは種類により、規制があるとの事でした。
差し入れの受付窓口で、差し入れる品物や氏名・住所・関係を記入し、身分証明書も提示しました。Tシャツは受付出来きましたが、スケッチブックも買って行ったのですが、電話での案内とは違いノート類も売店以外の物は受付は出来ないそうです。このような制限は未決拘留者によって違うのか確認しましたら、刑務所として制限が決まってるそうです。又、受付可否は窓口受取時に判断されるそうです。
★差し入れた品物★
現金〇〇円/Tシャツ2枚/サインペン黒1本・赤1本/蛍光ペン1本/万年筆1本/事務用箋1冊/上質紙50枚入り2冊
氏名:〇〇〇〇
上質紙の現品は見てませんが、受刑者が絵を書くのに購入されてるとの事でしたので、スケッチブックの代わりに購入しました。
名前は公表されなければ、弁護士さんや市橋達也さんに伝たえて頂いて結構です。
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別の支援者からは、手記の出版以来差し入れがストップされている事に関して、以下のメールが届きました。
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本山先生こんにちは。昨日支援金を振り込みして来ました。3月31日のブログを読んであ然としました。ブログに書かれていたとおりの事が本当に行われていたのなら、刑務官の人が自分の失態を注意された事の怒りの矛先を市橋さんに向けたとしか思えない行為だと思いました。先生のおっしゃるとおり市橋さんにはそんな事で余計なストレスをためて欲しくないと思います。市橋さんは一人じゃないですよ、本山先生や支援して下さる皆さん沢山の味方がいる事を忘れずに一歩一歩前に進んで行って下さい。私も出来る限りずっと支援して行こうと思います。本山先生もお体大切になさって下さい。
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卒論をお送りした支援者からは以下の感想をいただきました。到着しましたら、次の順番の方にお送りします。
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卒業論文を送って下さり、ありがとうございました。さきほどヤマトの宅急便で郵送いたしました。
卒業論文ですが、本格的な内容でびっくりしました。細部にまで丁寧に調べ上げられていて、大変すばらしかったです。きっと相当な日数をかけて研究されたのだろうなと思いました。このわずか2年後に、事件は起きてしまった事になり、信じられない気持ちでいっぱいです。やはり何か突発的な事だったのでは...と思えてなりません。
この度は貴重なものをお貸しいただき、本当にありがとうございました。
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私は、4月14日の講演のスライド作成が少し進みました。5月13日にも別の会合での講演を依頼されましたので、了承しました。私の話を聞きたいという要望があるのは、嬉しいことです。
今日は江戸川堤防を10km走ってきました。来週の土曜16日には、千葉大学走友会の総会と横浜駅伝大会に向けての練習会が園芸学部であります。最近出場したレースの記録によってハンディを付けて時差スタートし(たいてい私が一番遅いので一番早くスタートします)、江戸川堤防を20kmくらい走ります。いつも皆顔はニコニコして今日は競走じゃないから楽しんで走ろうと言って相手を油断させながら、内心は闘争心を燃やして、途中から必死の戦いになって1mでも1歩でも先にゴールインしようとします。ランナーの心理は、いくつになっても子供みたいで愉快です。
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2011年4月3日日曜日
ちょっと前に遠方にお住いの支援者から、今日衣類を郵送で差し入れたとのメールが届きました。ありがとうございました。山本弁護士にこの事実をお知らせし、市橋君が刑務官に不当な差別を受けているかどうか確かめていただきます。ありがとうございました。
私は4月14日に予定されているシンポジウムでの講演(40分)の大体の構想ができましたので、今からスライドを作って肉付けをしていきます。
少し気持ちの余裕ができたので、今日は江戸川堤防を14km 走ってきました。気温が低く無風で、走るには絶好の日和でした。3月14日から横浜駅伝大会に向けたトレーニングを始めてまだ112km しか走っていませんが、すでに足取りが少し軽くなってきた気がします。4月29日までまだ3週間以上あるので、これからは徐々に走る距離とスピードをあげようと思っています。
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2011年4月2日土曜日
3月31日のブログで、「もし、1月25日以降に市橋君に差し入れをした方がおられましたら、何月何日に何を差し入れされたか、至急私宛にご連絡下さい。連絡先は: n3motoya@gmail.com です。」とお願いしましたが、今のところまだどなたからも申し出がありません。プライバシーは厳密に守りますので、もしおられたらご連絡をいただきたいと思います。
刑務所の独居房に長期間拘束されていると、社会で生活していれば毎日経験する他人との普通の会話が全くない状態だとすれば、誰かが差し入れに来てくれていれば、たとえ直接の接見は禁止されていてできなくても、少なくとも誰かが自分のことを思って来てくれているという事実は感じる筈です。それが社会との唯一のつながりになり、いつの間にか期待をするようになれば、一種の依存状態になるのかもしれません。それが今度はある日突然差し入れが来なくなると、理由がわからなくて精神的に不安定になってイライラが募るのでしょうか。弁護団は、市橋君のそういう状態を解消してあげたいと考えているのかもしれません。そのために必要な情報です。
ほとんどの学会や会合は地震の影響で中止になりましたが、4月14日に国立感染症研究所で予定されていた日本衛生動物学会大会における殺虫剤班シンポジウムは開催を実施するという連絡がありました。私は、「住環境における殺虫剤散布のリスク管理」という演題で講演を依頼されていますので、大急ぎで準備を始めました。ちょっと難しいテーマなので、今から相当頑張らなければなりません。
今日の駅伝大会に向けてのトレーニングは、やはり時間がなかったので江戸川堤防を6km だけ走りました。
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2011年4月1日金曜日
3月30日に振り込まれた2名の方(4回目と15回目)の支援金が届きました。4回目の方からはメッセージがありましたが、ブログに載せないでほしいという要望がありましたので載せません。15回目の方からは以下のメッセージがありました。ありがとうございました。
「市橋君、一日も早く立派に更生される日を楽しみにしてます。いつまでも応援します。期待してます!! 本山先生、市橋君の情報をいつもありがとうございます。御身大切になさって下さい。」
これで支援金の現在高は206,000円になりましたが、昨日全額を払い出して菅野弁護士に届けましたので、実際の現在高はゼロ円になりました。菅野弁護士からの領収証は全てスキャンして添付してありますが、念のため今までの合計額を計算してみましたら、私の入金記録簿と52,000円合わない(少ない)ということに気がつきました。そこで、入金記録簿の入金をもう一度最初から全部足し算してみましたら、途中2ケ所で計算ミスが見つかりました。今日まで延べ266人からの支援金合計額は2,944,565円となり、領収証の合計額と一致しました。支援金は、いずれは信頼のおける第三者に支援者の個人名がわからないようにして会計監査をしてもらって、皆様に報告するつもりです。
今朝はまたアメリカの空手の弟子/友人から放射能汚染を心配した電話がありました。彼自身が心臓にも問題をかかえていて、今週の月曜には入院して甲状腺切除の手術を受けたばかりです。手術は順調にいったという報告を兼ねていたのでしょうが、皆が私の家族のことを心配して、お金を出し合うから原子力発電所の問題が落ち着くまでアメリカにきて住まないかという提案でした。この辺りでは全くそんな健康影響を心配するような状況ではないことを伝えましたが、人種や国籍にかかわりなく、こうやって私たちが無事かどうかを心配してくれる友人というのはありがたいものです。
東京農大の私の研究室では醸造学科の大学院修士課程1年の学生が論文をスキャンしてデータ入力するアルバイトの仕事をしてくれました。就職活動をしているけど、応募してもなかなか面接までいくのは少ないとのこと。水の浄化に関する研究をしているのでそういう関連分野の企業に就職したいというのが希望のようです。なかなか好青年ですので、希望に沿ういい会社に採用されればいいなと期待しています。
今日は農大の周りを約6km 走りました。
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2011年3月31日木曜日
3月29日に振り込まれた2名の方(9回目と初回)の支援金が届きました。ありがとうございました。初回の方はメッセージはありませんでしたが、ずい分遠方の方でした。これで今日までに払込取扱票が届いた分までで、支援金の現在高は189,000円、延べ264人からの合計額は2,989,565円になりました。
3月30日にも振り込まれた方がおられるらしく、今朝郵貯銀行に寄って確認したら現在高は206,000円になっていましたので、今日全額を払い出して菅野弁護士に届けました。
3月16日に予定されていた公判前整理手続きについては、前日の15日に連絡があって裁判所のエレベーターがストップしているので中止(階段を歩いて移動すると報道陣にさらされるので)となりましたが、実際には16日に本人の出席なしに裁判官、検察官、弁護人だけで打ち合わせは実施されたとのことです。3月29日に再度、裁判官、検察官、弁護人と法廷通訳(女性)が出席して打ち合わせが行われ、実質的には整理手続きが終わり、7月第1週から始まる公判の日程が全て確定したそうですが、形式的には4月19日に予定されている公判前整理手続き最終回の後で一般には公表されるということになりました。法廷通訳が出席したのは、今回はイギリス人の被害者(遺族)参加があるので日本語は英語に、英語は日本語に通訳するためだそうです。そのために審理期間が通常の2倍とってあるのだそうです。公判における審理には、リンゼイさんと英語学校NOVAで同僚教師でかつ同じアパートに住んでいたカナダ人のニコルさんも、検察側証人として出席するそうです。
公判には80人くらいの傍聴が可能なようですが、メディア関係者が席を確保するためにアルバイトを雇ったりするので厳しい競争になることが予想されるようです。私も証人として出席する時以外は、たとえ希望しても抽選に当たらなければ出席できませんし、市橋君のご両親には家族枠があるそうですが、一貫して裁判には関わらないという姿勢を貫いておられるので恐らく出席されないだろうとのことです。従って、被害者遺族として来日されるリンゼイさんのご両親と市橋君のご両親が、公判の前にも後にも直接顔を合わせて言葉を交わす機会もないだろうとのことです。私としては残念な気がします。
最近よく報道される冤罪事件では、検察側が自分たちの見立てに不都合な証拠は隠蔽して提出しないという傾向があると指摘されていますが(最近の例では厚生労働省の村木厚子元局長の冤罪事件)、裁判員制度の導入に合わせて検察側が持っている証拠に対する開示要求がかなり広い範囲で認められるようになったので(まだ全面的ではない)、市橋君の場合も弁護側の要求がかなり認められて、パソコンに残っていたメールのやりとりや、検察側が証拠として採用しなかった調書なども証拠開示されることになったようです。
以前、市橋君がリンゼイさんのご両親宛に謝罪文を書いた時は、代理人弁護士が受け取りを拒否しましたが、手記出版の印税収入を被害者弁償として提供したいという申し入れ書については、代理人弁護士が受け取って被害者遺族に届けたという返事がきているそうです。被害者遺族が受け取るかどうかの返事はまだのようですが。市橋君自身は、もし被害者遺族への弁償金を受け取ってもらえない時は、今度の震災被害者の救済に寄付をしたいと言っているそうです。
接見禁止中の差し入れについては、次の決定がされていて、2ケ月毎に更新されているとのことです。
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接見等禁止決定
被告人 市橋 達也
被告人に対する死体遺棄被告事件について, 刑事訴訟法81条に掲げる理由があるものと認め, 検察官の請求により, 被告人と同法39条1項に規定する者(ただし, 下記のものを除く。)との接見及び文書(新聞, 雑誌及び書籍を含む。)の授受を第一回公判期日までの間禁止する。
記
1 ・・・
2 ・・・
平成21年12月2日
千葉地方裁判所 裁判官・・・
裁判所書記官・・・?
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従来は現金の他に、差し入れ人が匿名を希望しない限り差し入れ人の名前とともに、下着や着替えなどの衣類が大量に差し入れされ、独居房に保管できない分は一定分量までは刑務所が保管したり、菅野弁護士の事務所にも保管されているそうですが、本人が確認のサインをしていたので、本人は社会には自分のことを心配してくれている人たちがいることをその都度認知できていたそうです。それが、市橋君の手記が出版された1月25日以降は差し入れがパッタリ届かなくなったそうです。上記の接見禁止決定文章から明らかなように、文書以外の差し入れは禁止されていない(食べ物については刑務所内の売店で購入できる物に限定)筈です。手記の出版も法律違反ではないにもかかわらず、刑務所側にとっては全く把握していない寝耳に水のことだったらしく、そのために被告人と弁護人の間でやりとりされる文書のチェックを担当していた刑務官の失態が上層部から厳しく叱声されたらしく、その腹いせに市橋君に嫌がらせをしている可能性があるとのことです。
2月に弁護団が訴訟関係書類と一緒に手記の書評を同封して市橋君宛に郵送したところ、訴訟関係書類は即座に配達されたにもかかわらず、手記の書評だけは6日後くらいに遅れて配達されたそうです。被告人(現状は未決なので推定無罪の筈)の罪を裁くのは裁判所の役割で、刑務所の役割ではない筈なのに、弁護団が被告人に送った書類を刑務官がこのように選別した扱いをすることは、刑事収容施設法第135条で中身の審査をしてはいけないと規定されていて、許されない行為の可能性があります。そこで、1月25日以降に差し入れをした人は本当に全くいなかったのか、あるいは刑務所が自分たちの知らないところで手記が出版されたことに対する嫌がらせとして差し入れされた物をストップして本人に配達していないのかが問題になります。メディアだけでなく、国家公務員の刑務官までもが本来の役割の範疇(はんちゅう)を越えて、弱い立場の市橋君にこのような差別的な扱いをすることがあるのだとすれば、許されることではありません。
もし、1月25日以降に市橋君に差し入れをした方がおられましたら、何月何日に何を差し入れされたか、至急私宛にご連絡下さい。連絡先は: n3motoya@gmail.com です。もちろん、皆様のプライバシーは絶対に守ります。来たるべき公判に向き合うために心の準備をしなければならない市橋君が、こんなことで心をわずらわされてイライラするのは馬鹿げたことです。市橋君も、震災で大勢の人々が苦しんでいる時に、差し入れされる物が欲しくてこんなことにこだわっているのではないことを支援者の皆様にも知ってほしいとのことです。刑務官の個人的な感情で不当に差別をされることが納得できないのでしょう。
山本弁護士によると、市橋君は刑務所の中でも自分を律したストイック(克己主義者のような)な生活をしているようで、毎日腕立て伏せ300回、腹筋運動300回などを欠かさず実行しているとのことです。また、気持ちを静めるために山本弁護士が助言したように、刑務所内の売店でスケッチブックと水性ボールペンを購入して、すでに60枚~90枚くらいの絵を描いてこれが精神安定上大いに役に立っているとのことです。描き終わった絵の多くは、宅下げされて弁護団の一人秋元弁護士(3月17日のブログで言及した布川事件の弁護も担当)のところにあるそうです。いずれは、これらの絵もどこかの出版社が出版の興味を示してくれるかもしれません。その収入は被害者遺族への弁償の原資にもなりますし、受け取りを拒否されれば震災被害者への寄付のように、市橋君が刑務所の中にいて社会貢献できるひとつの方法にもなります。
市橋君は定時に流されるラジオのニュースを耳にすることができるので、東日本で大地震が起こったことは知っていましたが、新聞は購読可能ですが購読していないので被災地の悲惨な写真や、世界中の人が繰り返しテレビで見た津波で建物や車が流される恐ろしい映像は見ていないので、どれくらい大きな被害がでたかについては、接見した弁護士の説明で初めて実感したようです。
菅野弁護士事務所では私の訪問の後に弁護団会議が予定されていたらしく、集まってきた秋元弁護士や坂口弁護士とも初めてお目にかかることができました。これで弁護団全員とお会いしたことになります。
卒業論文は今日次の順番の方に料金(640円)受取人払いの宅急便で発送しました。私のジョギングは時間がなかったので、今日は弁護士事務所に出かける前に4km しか走れませんでした。
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2011年3月30日水曜日
3月28日に振り込まれた3名の方(2回目、13回目、3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は149,000円、延べ262人からの合計額は2,949,565円になりました。ありがとうございました。それぞれの方から以下のようなメッセージをいただきました。
「本山先生は本当にお忙しい方なのですね・・・にもかかわらず、市橋君の為にこの会の活動もされ本当に頭が下がります。本山先生だからこそ私達支援者は安心して託すことができます。これからもよろしくお願い致します。先生、どうぞお身体ご自愛下さいませ。」
「13回目の送金をさせていただきました。又お手数ですが宜しくお願い致します。ニュースでは被災地の物資不足や放射性物質による摂取制限・作業員の被ばく等まだまだ落ち着かない状況が放送されていますが千葉におられる本山先生や市橋さんはいかがお過ごしなのでしょうか?私は震災後 自分ができる事そして与えられた仕事を私なりに頑張っています。これからも大変な事がいろいろと有るかもしれませんが微力ながら市橋さんのサポートをしていけたらと思います。
本山先生どうぞお体には気をつけてお過ごし下さい。]
「先生のブログでは公判前整理手続きが最後の一回を残すのみとのこと、いよいよ裁判が近づいているんだなと感じます。ただただ適正な裁判を...と願うばかりです。今日は少しですが振込みをさせていただきました。先生も出廷されるのですね。 駅伝大会もありますますお忙しい日々が続きますね。 どうぞ、お体には十分気をつけて頑張ってください!!それからいつでも構わないのですが、市橋さんの卒業論文を拝見させていただけたら、と思っております。大変お忙しいと思いますが可能な時で構わないので、どうかよろしくお願い致します。」
市橋君の卒業論文については、このところ私がちょっと忙しかったものですから、皆様にお送りするのがストップしていました。明日からまた順番に発送致します。
今日の朝日新聞に気になる記事が載っていました。一審の裁判員裁判で無罪判決になった事件が、東京高裁で破棄差し戻しになったというもの。事件は、2009年9月にアパートの一室に侵入し、現金千円を盗んだうえ、ストーブ内の灯油をまいて火をつけたなどとして起訴された被告が、前科(侵入先で十分な現金を盗めなかったうっぷん晴らしのために灯油をまいて放火を繰り返していた)について証拠採用されず審理がされなかったために、放火罪については無罪となった一審の手続きは違法と結論づけたというものです。市橋君の場合も、事件の内容は全く異なりますが、検察側が強姦致死・殺人という自分たちの見立てに固執するために、都合の悪い証拠を隠蔽するようなことはないものと信じます。
横浜駅伝の準備として、今日は江戸川堤防を少し遠くまで(12km) 走りました。明日は弁護団にその後の支援金を届ける日です。
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2011年3月29日火曜日
昨日は2名の方から支援金を振り込んだというメールでのご連絡をいただきましたので、明日には到着するでしょう。
東京農大のキャンパスは、サッカーやアメフトや陸上や野球や競技ダンスや・・・、サークル活動をする元気のいい学生達の姿で賑やかになってきました。応援団は大太鼓を打ちながら、水を入れたペットボトルを両手に持って農大名物の大根踊りを練習していました。私はいつものようにトレーニングルームで準備運動をしてから外に出て、大学の周りを約6km 走りました。
昨日貸倉庫を整理したら、駅伝やマラソンの古い記録が出てきました。それを見ると、平成3年(1991年)9月28日に皇居の周りで行われた第8回在京国立学校等駅伝競走大会に、千葉大学は当時の人事課長O氏の指示で急遽各部局から走れる教職員を集めて走友会を結成し3チーム(1チーム5人)が初めて参加しています。当時49才だった私は一番遅いCチームで走り、皇居1周約5kmを20分57秒でした。その時の私がタスキを受け取る瞬間の写真(私の自慢の1枚)は、その後走友会の会員募集のポスターに使われました。今から20年前ですが、走友会の仲間に誘発されて(そそのかされて?)翌平成4年(1992年)からフルマラソンにチャレンジし始め、走る度に記録を伸ばし、確か平成6年(1994年)3月の佐倉朝日健康マラソン大会だった筈ですが、52才ちょっと前に自己ベストの3時間35分を出しました。その後は仕事が忙しくなったことと体力の低下で記録は落ちる一方になりましたが、それでも、ジョギングは今日まで続いている私の健康管理の方法になりました。
今朝はまたノースカロライナ州在住のアメリカの友人から電話がありました。向こうのテレビでは、日本では放射能汚染で食べるものも水もないと報道されているらしく、食べ物を送ったという連絡でした。この辺りで検出されている放射線量は低いので全く心配はないし食べ物にも水にも不自由はしていないと説明しても、それは政府の言い方と同じで、信用できないとのこと。何が届くのかわかりませんが、まさかわざわざお金をかけてアメリカ大陸と太平洋を越えて水を送ってこなければいいのですが。メディアによる報道というのは、直接現場にいない大衆にとっては、それによってしか情報を得られないので、受け取る方がしっかり判断しないと、報道の仕方によっては誤解を与える場合があるという一つの例かもしれません。
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2011年3月28日月曜日
3月26日に振り込まれた方の支援金が届きました。これで支援金の現在高は124,000円、延べ259人からの合計額は2,924,565円になりました。ありがとうございました。この方からは手書きのメッセージが添えられていました。
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初めての振込みです。39才・主婦ですが、H15年から1年弱千葉県市川市に住んでいました。市橋君、あなたの強い精神があれば、必ずやり直せます。罪を償い、新しい人生をスタートさせて下さい。支援を続けていきます。
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社会の関心は地震と津波と原子力発電所の事故に釘づけになっている時に、はるか遠くにお住まいにもかかわらず市橋君のことを忘れずに、支援金を送り、励まして下さる方がいらっしゃるというのは、大変ありがたいことです。間違いを犯した人間を見放すのは簡単でしょうが、寛大な心で立ち直らせようとして下さるのは、人間の優しさだと思います。
走友会の仲間からの連絡では、佐倉マラソンも荒川マラソンも中止になったとのこと。毎年4月29日に開催される横浜駅伝もどうなるかわかりませんが、実施される場合のために練習だけはしっかりしておくつもりです。昨日はカメラをトレーニングウェアの上着のポケットに入れて6kmしか走らなかったので、今日は昼休みにいつもの江戸川堤防を10km走りました。風もなく、ポカポカ陽気で汗を一杯かきました。
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2011年3月27日日曜日
3月もいよいよ最後の週になりました。千葉大学園芸学部では、先週の木曜には今年度最後の教授会が開催され、定年退職する教授(今年は2人)が挨拶をしたようですが、その中の一人は市橋君もよく知っている環境デザイン学講座のT教授でした。研究室も同じA研究棟の3階と2階の位置関係なので、市橋君も学生の時は行き来した筈です。支援者の一人が、今月はリンゼイさんの事件が起こってちょうど4年目だと知らせてくれましたが、大学ではだんだん風化して事件のことも市橋君のことも忘れられつつあるのかもしれません。
今日はあいかわらず風は冷たかったけど天気が良かったので、カメラを持って江戸川にジョギングに行きました。途中にユキヤナギが塀の外に植えてあるところがあって、今年も白い小さな花が満開できれいだったのでシャッターを押しました。途中横切る坂川にはカモが泳いでいました。大学の構内では、桜のソメイヨシノはまだ蕾ですが、E棟(教育棟)東側のオオカンザクラという品種が満開で小鳥が何羽も蜜を吸いにきていました。学生宿舎の浩気寮(こうきりょう)の坂を上ってきたプールの横の三角地点のパンジーも、色とりどりで目を楽しませてくれていました。市橋君にとってはみんな見慣れた景色の筈です。刑務所の中の市橋君にはもう外の景色を直接見たり、春の風を肌で感じることは許されませんが、思い出して想像を巡らすことはできる筈です。そう思って、写真を撮ってきました。
ジョギングコース沿いのユキヤナギと坂川(上段)、園芸学部構内(下段)
私は今日も貸し倉庫の整理をしました。2つを空にするにはもう少しです。今日は、私が初めて論文を書いた1968年の分から今まで保存してあった多くの論文の別刷りを各々数部だけ残して捨てました。何かを書く時の参考資料としてとってあった学生の試験の答案や、レポート(中には世界中どこに出しても恥ずかしくないりっぱなものもありました)も捨てました。アメリカの何人かの空手の弟子/友人達と40年くらい前にやりとりした手紙も捨てました。1970年初め頃にアメリカでは20代の学生が、ベトナム戦争の戦況悪化で徴兵されて戦地に送られたりしていましたが、どこの部隊に派遣されているのか(軍事機密?)わからないように差し出し地は軍のコード番号になっていました。彼らも今は私と同じ60代で、当時の手紙は懐かしい思い出ですが、思い切って捨てました。この春は私にとっても気持ちを切り替えなければならない人生のひとつの区切りです。
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2011年3月26日土曜日
3月24日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は119,000円、延べ258人からの合計額は2,919,565円になりました。ありがとうございました。以下のメッセージもいただきました。
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今回、大震災を目の当たりにし、「寄り添う心」の大切さと、「支援を行う」ということは、感情的なボランティア思考では長くは続かないこと。冷静な意識と視点でなければ、「長期の寄り添い」はできない・・・ということを学びました。今後も、当たり前のこと「市橋達也さんが適正な裁判を受けられるための支援」を、当たり前のこととして、実践し続けます。
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つい先日は、数年前に私の研究室を専攻して修士課程を修了した元学生から突然のメールの便りで、実は同じ時期に私の研究室に在籍していた元女子学生と結婚して第一子が誕生したとの知らせがありました。鈍感な私が気がつかない間にそんな関係にまで発展していたのかと驚くとともに、嬉しい気持ちになりました。昨日はまた、私の研究室に長年在籍して数年前に博士課程を修了した元学生からのメールで、この3月に結婚しましたとの知らせが届きました。妻もよく知っている元学生ですので、一緒に大喜びしました。私がアメリカでの永久滞在ビザの申請に失敗して日本に帰国し、千葉大学に奉職したのは1978年で約33年前ですから、最初の頃に大学院生だった元学生はもう子供が成長して定年の時期に近づいていますし、今回の便りのように新たに結婚したり第一子が誕生したりする元学生もいます。
元教師にとっては、学生時代という人生のある時期を指導した元学生が、各々の道を歩んで成長していく姿を見ることは何よりの喜びです。
先週、経堂駅からの通称農大通りを歩いていたら、切り倒したアカマツの巨木(3月4日の記事に写真添付)の根をユンボで掘り起こしていました。さらに小さく切断するのにチェーンソーの歯が届かずに苦労していました。あんまり立派な根なので立ち止まってざっと年輪を数えてみたら、不正確ですが113以上はありました。ということは1898年(明治31年)以前に生えた木だったということになります。どおりで威厳が感じられたわけです。当時はこの辺りは人家もまばらな山林だったのかもしれません。
(写真はクリックすると各々拡大できます)
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2011年3月25日金曜日
3月23日に振り込まれた方(4回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は114,000円、延べ257人からの合計額は2,914,565円になりました。「市橋君、ひとりじゃないよ。人生明日はきっとあります。信じて人生やり直そう。」という市橋君宛のメッセージが手書きされていました。ありがとうございました。
今日は菅野弁護士と電話連絡がとれました。3月16日に予定されていた最後の公判前整理手続きが中止になったのは、地震の影響の停電で、裁判所のエレベーターがストップし、刑務所から裁判所に車で移動した市橋君が階段を歩いて部屋に行くと途中に待ち構えている報道陣の写真撮影のフラッシュ攻撃にさらされるので、そういう状態を避けたいというのが市橋君の希望なので中止になったのだそうです。形式的には4月に公判前整理手続きが再設定されるそうですが、実質的にはすでに整理作業は全て終わっているようです。7月第1週から始まる公判の日程も決まっているようですが、4月の形式的な公判前整理手続きが1回分残っているので、今の段階では公表はできないそうです。実質的に5日間くらいの審理、4日間くらいの評議(評議時間としては通常より長い)を経て、7月21日頃には判決となりそうな感じです。当然ですが、審理には裁判官、被告人、検察官、弁護団、被害者遺族とその代理人弁護士、検察側証人、弁護側証人が出席するようですが、評議は裁判官と裁判員だけで行われ、検察官も弁護団も傍聴は許されないようです。
市橋君は、差し入れのことで一時トラブル(詳しいことはわかりませんが)があったそうですが、今は落ち着いて絵を描いたりしているとのことです。最初の手記の出版後、接見禁止の筈なのにどうして原稿が外部に持ち出せたのかが問題になり、検査(監視?)が厳しくなったようです。2~3の出版社が、事件そのものについての手記や、市橋君の言いたいことを出版したいという要望があるようですが、公判が始まる(終わる?)までは無理でしょう。
3月31日には私が弁護士事務所を訪ねて、その後の支援金をお渡しするとともに、私自身も公判では弁護団から証人として出廷する要請を受けていますので、山本弁護士も含めて相談をすることになりました。
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2011年3月24日木曜日
2008年(平成20年)6月8日 に秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件で、殺人罪などに問われた元派遣社員の被告(28)に対して、東京地裁は本日24日、求刑 通り死刑を言い渡したと報道されましたが、実際に裁判を傍聴してきた支援者の一人から以下のメールが届きました。極刑を求める被害者遺族の気持ちがよくわかりながら、それでもなお一方ではできることなら被告人に更生の機会を与えてやりたいという矛盾した思いは、多くの支援者に共通なのではないでしょうか。
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私は今日、秋葉原無差別殺傷事件の判決を傍聴する機会に恵まれました。正直いって辛かったです。人が人を裁くというのはどれほど残酷な事か。傍聴席に座っている遺族・被害者の姿を見て、この人達は極刑を望んでいるのがわかりました。それは当然でしょう。
私が見た被告人は痩身でいかにも神経質な感じのする青年でした。
この人があんな大それたことをしたなんて・・・。信じられませんでした。確かに家庭的には恵まれていませんでしたが。
私は改めて被害者と遺族の気持ちを汲まなければと思いました。市橋君を極刑にしたい遺族の気持ちも痛いほどわかりました。それでも更生の機会を与えてあげたいと心から願っています。それがごく少数の意見だとしても、市橋君の味方がいなければ可哀想です。
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カリフォルニア州に在住のアメリカ人の義理の息子は、3月20日に行われたロサンゼルスマラソン大会に出場した筈なのに結果の報告がないので、今朝娘に電話をしてみました。現地は今が雨期らしく、冷雨というあいにくのコンディションになってしまい、最後の方は寒くて震えながら歩いたりの惨めな状態で、結局5時間15分という予想外の結果だったとのこと。もう2度とマラソンは走りたくないと言っているとのことでした。
以前、千葉大学走友会の仲間に、フルマラソンは、レースで走る距離(42.195km)の最低10倍の距離(すなわち約400km)をレース前の1ケ月に走り込まないと走れないというのが経験則だと教えられましたが、義理の息子は週3回、20kmずつ走っていると言っていましたので、それでは1ケ月に240km にしかならないので、無理だったのでしょう。
私がフルマラソンで自己ベストの3時間35分を出したのは、今の彼よりも10才くらい歳をとってからの51~52才の頃の佐倉朝日健康マラソン大会でしたが、当時は朝、昼、夕方と3回に分けて走り、1ケ月に400km 以上走り込んでいました。これで今度義理の息子に会う時は、"私に追いつくにはまだまだだな"とからかって大きな顔をしていられます。
私の最後の空手の弟子で、今春修士課程を修了して大田区の青果物市場に就職するT君は学生寮を出て東京の大田区大森にアパートを借りてすでに研修を始めていますが、今日は千葉大学に私を訪ねてきてくれました。気のせいかすでに表情からたくましくなったような気がしたら、何と自転車で3時間かけて大森から松戸まできたとのことでした。昔卒業した空手部のある学生は奄美大島の出身でしたが、夏休みに帰省する時は、鹿児島と大島の間のフェリー区間以外は千葉県の松戸と奄美大島の間を自転車で往復していました。若者のエネルギーは底知れずたいしたものです。
今日もあまり時間がなかったので、私はT君を待っている間に江戸川堤防を6kmだけ走ってきました。
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2011年3月23日水曜日
3月21日に振り込まれた方(13回目)の支援金が届きました。日本中の関心が大震災や大津波や放射能汚染問題に注がれている時に、市橋君の適正な裁判を支援する会のことを忘れずに、地道に振り込みを続けて下さりありがとうございます。これで支援金の現在高は109,000円、延べ256人からの合計額は2,909,000円になりました。
今日は千葉大学園芸学部では卒業式で、名誉教授の私も招待されたので列席しました。いつもは千葉市の大きな施設で全学部合同の卒業式を行い、その後チャーターしたバスで園芸学部に戻って卒業生を送る会を実施するのですが、今年は大学全体の式は中止になりました。それでも、卒業する学生にとっては一生に一度の記念すべき行事ですので、男子学生も女子学生も晴着を着て、式の後は庭に出て卒業証書を手に仲間たちと記念撮影をしていました。大学院に進学する学生も大勢いる筈ですが、この若者たちはこれから社会に出てそれぞれの道で活躍する一歩を踏み出すことになります。市橋君が手記の中で書いていた「感謝」という言葉が私の頭の中をよぎり、この学生たちは今、これまで育ててくれた親や家族に感謝しているだろうかと想像しました。そして、皆これからがんばれよと心の中で祝福してやりました。
先日死体で発見されたバングラデッシュからの元留学生の件で、松戸警察を訪ねて、担当した巡査部長から詳しい状況を聞いてきました。遺体は千葉大学法医学教室で司法解剖され、死因は脳内出血と判断され、外傷がなかったことから病死とみなされ、警察も事件性はないと判断したとのことでした。遺体は病院から、バングラデッシュ大使館の許可を得て葬儀屋に引き取ってもらい、そこからバングラデッシュに搬送され(費用はビジネスパートナーとバングラデッシュ協会の仲間が負担?)たのだそうです。すでに故郷の土に埋葬されたようですが、父親代わりの義兄は、本人が生存中にビジネス上のトラブルがあったと聞いていたことと、死体が発見された時の状況から、毒殺されたのではと疑ったようです。大使館には死因不明という最初の報告だけが渡され、その後明らかになった脳内出血の報告は渡されなかったようです。脳内出血の原因が、高血圧によるのか、別の原因によるのかは特定されていませんので、脳と血液のサンプルはまだ保管されているとのことでした。アパートに残された遺品の整理については、今日アパートの管理人を訪ねてみましたが留守でしたので、再度訪ねてどういうことになっているのか訊いてくるつもりです。それも遺族にとっては大事なことかもしれませんので。こういう事情は、早速バングラデッシュ在住の義兄にメールを送って知らせてあげました。
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2011年3月22日火曜日
菅野弁護士の事務所に電話をしましたら、2日間は出張中とのことで、25日金曜以降に再度電話をすることにしました。従って、今日は市橋君の様子を伺うことはできませんでした。
先日死体で発見されたバングラデッシュからの元学生A君の義理の兄さん(この人自身も千葉大学で博士号を取得して、現在はバングラデッシュ農業大学の教授で、A君の父親のような存在)のメールアドレスと電話番号がわかりましたので、今朝11時半(現地は時差がマイナス3時間ですから、朝8時半)に国際電話をして話をしました。今月10日にはA君は生きていたのに、その後連絡がとれなくなったのでいろいろな人に捜索を依頼し、ある人が13日に警察と一緒に彼のアパートの部屋に入って死体を発見したとのことでした。イスラム教では死体を解剖することが宗教的に認められないのかどうかはわかりませんが、死体はすでにバングラデッシュの家族の元に送り届けられていて、死因は不明という警察の証明書が付いていたそうです。そうなると、殺人か心臓発作による自然死かわからないので、事件という扱いにはならないのでメディアでニュースとして報道されなかったのでしょう。
東京農業大学では学生の課外活動が再開し、小雨の中をグランドではサッカー部が走り回り、陸上部が100m を全力疾走して残り300m は楽に流すというインタバルトレーニングを何回も繰り返していました。野球部員や陸上部員の側を通ったら、面識はないにもかかわらず、私が年配なので教員と思ったのか "こんにちは" と挨拶をされました。こんな風に若者の元気いっぱいの姿を見られるのは、爽やかな気分になっていいものです。市橋君も高校時代は陸上部だったとのことですので、こういうトレーニングをやっていたのでしょう。私はいつものように昼休みにジムで準備体操と筋力トレーニングをした後、大学の門の外に出て、年齢相応にゆっくり4km くらい走りました。
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2011年3月21日月曜日
昨日と今日は終日、千葉大学を定年退職時に研究室から大量の本や、40年分の実験ノートや研究資料や書類や手紙類を移して保管してきた3つの貸倉庫の中の2つの整理をしました。もう必要がないだろうという判断で、学会誌も、書類・手紙類も、日本に帰ってきてからあちこちで野外調査(農薬の生態影響)をした時の記録帳も、長年収集してきた研究用の資料も、アメリカのノースカロライナ州立大学勤務時代の英語で書いた10何冊かの実験ノートも全部廃棄しました。ざっと目を通しながら捨てるものを決めましたが、実験ノートからはそれぞれの実験をしている時の苦労や喜びや興奮が甦ってきました。
ちょうど今、福島県の原子力発電所の事故で放射能汚染が注目を集めていますが、1970年頃に実験室のドラフトの中で放射性同位元素P32を使って標識した殺虫剤の合成をしている時に失敗をして、実験室中を汚染してしまい、しばらくの間実験室が閉鎖されたことを思い出しました。向こうの大学では放射能の検査員が週に1回研究室に廻ってきて、実験台の上や流しや床などの汚染検査をしてくれ、汚染が見つかれば除染もしてくれていました。その時は、白衣だけでなく、上着もズボンも財布も腕時計も靴もその靴で歩いた足跡も汚染していることがわかったのでジャンプスーツ(つなぎ)と代わりの履物を与えられ、今日はこれを着用して帰宅するようにと言われました。風船も膨らませて、呼気に放射能が含まれていないかも検査されました。P32は強いエネルギーの放射線を出しますが半減期が短いので、確か2~3ケ月後に実験室を再開し衣類も返してもらいました。その後、もう一度合成をやり直して今度はうまくいって、それを使ってカブリダニという微小生物の殺虫剤抵抗性はグルタチオンS-トランスフェラーゼ(GST)と呼ばれる酵素による解毒が主要機構であるということを、解明できました。GSTが殺虫剤抵抗性に関与していることを明確に示したのは当時では世界で初めてのことでした。今日はそういう想い出の詰まった実験ノートを全部捨てました。家が狭くて保管する場所がないので、やむを得ません。
私より10才年長だった恩師のW.C.Dauterman 教授が63才で亡くなってからすでに15年という時間が流れましたので、私もそろそろ引退する時期かもしれません。
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2011年3月19日土曜日
3月16日に予定されていた布川(ふかわ)事件の再審の公判判決も、リンゼイさん(市橋君)の事件の公判前整理手続きも、延期になったと支援者からの情報が届きました。地震の影響で停電があったり、交通手段が確保できないことが関係しているのかどうかわかりませんが、今後どういう予定になっているのか連休明けに菅野弁護士に電話で訊いてみようと思っています。
昨日はバングラデッシュからの元留学生が住んでいた大学近くのアパートに寄ってみました。2階の彼の部屋の前に置いてある電気洗濯機は蓋が開いたままで、洗濯をし終わって取り出して干そうとしていたような洗濯物がそのまま残っていました。洗濯途中で訪ねてきた犯人に無理やり押さえつけられて毒を飲まされたのでしょうか。現在は遺体は警察の管理下で、死因を特定するために解剖されるのかもしれません。一度は学問を志して私の研究室で博士号取得を目指していた元学生ですが、その後は目標を切りかえてビジネスに従事していましたので、そちらの方で何かのトラブルに巻き込まれたのかもしれません。このような悲惨な結末になったことが信じられない思いです。
今日の江戸川の堤防はポカポカ陽気で暑いくらいでした。多くのランナーや散歩をしている人達と行き交いながら、ゆっくり8km 走ってきました。
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2011年3月18日金曜日
3月16日に振り込まれた方(4回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は108,000円、延べ255人からの合計額は2,908,565円になりました。ありがとうございました。この方からはメッセージも添えられていました。
「千葉も地震で大変でした。市橋君も体には十分気を付けて下さい。本山先生もお忙しいとは思いますが、よろしくお願いします。」
地震が発生したのは先週の金曜日11日午後2時46分でしたので、今日でちょうど1週間経ちました。まだまだ行方不明者もたくさんで、確認された死者数と合わせると犠牲者は2万人を超えそうです。歴史的な大地震と歴史的な大津波と歴史的な原子力発電所の大事故で、東北地方の太平洋沿岸は壊滅的な被害ですが、社会は少しずつ落ち着きを取戻し、復興に向けて動き出しているように感じます。
私と一緒に研究をしてくれている博士研究員(中国人)の奥さんと高校1年生の娘さんは、昨日日本を出国し中国の大連に一時帰国しました。外国では、放射能汚染がよっぽど危険な状態にあると思われているようです。私のアメリカ人の友人からも再度メールが届き、車の中でラジオをかけたら、インタビューで日本人のジャーナリストが家族を東京から疎開させたと言っていたけど、本当に大丈夫なのかと心配していました。
今日は東京近郊の電車はいくつかの路線で間引き運転されているだけで、ほとんど普段と変わらず運行していましたので、1週間ぶりに東京農業大学に行きました。いつもは元気のいい学生達で賑わっている野球場もグランドも体育館も無人で、応援団の姿もありませんでした。余震のことも考えて、大学が学生を守るために慎重な対応をしているのでしょう。
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2011年3月17日木曜日
先日札幌を訪問した時に、滞在していたホテルで見た3月11日付けの北海道新聞に気になる記事があったので切り抜いておきました。最高検が実施した検事の意識調査で、供述と異なる調書の作成がされることがあり、検事の26%は上司からの指示があった、という内容でした。帰宅後同日付けの朝日新聞を調べてみたら、不祥事を受けて最高検が全検事を対象にアンケートを実施したら、検事の3割が問題のある取り調べを見聞きしたことがあると答えた、という同様の内容の記事が載っていました。
3月10日付けの朝日新聞には、「自白・布川事件の43年・上-物証ゼロ 供述を誘導」という見出しの記事が、続いて3月11日には、「自白・布川事件の43年・中-隠された大量の証拠」という見出しの記事がありました。布川(ふかわ)事件というのは、1967年に茨城県利根町布川であった殺人事件のことで、犯人とされ、無期懲役刑が確定した元被告2人が3月16日の水戸地裁土浦支部での再審の判決公判で無罪となる公算が大きいという事件だそうです(実際にそうなったかどうかは、地震関連記事が満載の17日付けの朝日新聞には報告されていないので私にはわかりませんが)。
検察が強引な取り調べの末に自白に追い込み、それと矛盾する証拠があっても提出しないことがあり、しかも上司がそれを黙認する、というようなことが現在の日本であるというのは信じられないようなショックです。布川事件の当事者の桜井昌司さんは、「無罪の証拠を隠すのは、有罪の証拠を捏造(ねつぞう)するのと同じ、税金を使って集めた証拠は、一体誰のものなのか。少なくとも検察だけのものではない」と憤っているとのこと。
市橋君の事件の裁判にも言える事ですが、司法制度への信頼が失われないように、検察は裁判で事実を明らかにするという基本を忘れないでほしいと思います。
今日も江戸川堤防上は凍えるような冷たい強風だったので、6kmだけ走って帰ってきました。
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2011年3月16日水曜日
日を追って明らかになってくる東日本大震災の悲惨な状況には、胸が痛みます。岩手県の花巻近くに住んでいる友人に電話をしてみたら、小さい被害ですんだとのことでした。千葉県銚子にある千葉科学大学薬学部の教授をしている私の研究室の元学生のH君は海の見えるところに家を新築したと言っていたので電話をしてみたら、幸い家は高台の上なので被害はなかったが、低い位置にあった大学の建物の一つに津波の水が入って、床に置いてあったパソコンなどが被害を受けて、事務室が機能しなくなったとのことでした。
海外の報道では今回の被害は日本全国に及んでいるという印象を与えているらしく、今朝はブラジル在住の姉から無事かどうか確認の電話がありました。アメリカでは、福島県の原子力発電所の放射能が東京にまで危険なレベルで到達していると報道されているらしく、カリフォルニア在住の娘から戸外に出ると危ないからと心配した電話がありました。日本の大学には多くの中国人留学生が来ていますが、心配した親から帰国するようにという連絡が殺到しているらしく、千葉大学でも普段は北京まで往復3~4万円の航空券に20万円以上払ってでもすでに帰国した学生がいるそうです。
一昨日は埼玉県での会議が中止になり、今日から玉川大学で始まる予定だった日本農薬学会大会も中止になりましたが、来週予定されていた明治大学での講義の打ち合わせ会も中止、福岡の九州大学で予定されていた日本応用動物昆虫学会大会も中止になりました。私は31日から一泊二日で秋田県立大学への研究打ち合わせの出張を予定していましたが、現地の様子を伺ってみたら、やはりかなりの影響が出ているようなので延期することにしました。お蔭で少し時間の余裕ができましたので、今まで溜まっていた論文書きをしようと思っています。
今日は江戸川の堤防では強い向かい風だったので、往復6kmだけ走って帰ってきました。
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2011年3月15日火曜日
3月10日に振り込まれた支援者(2回目のお一人)から、メールで市橋君宛のメッセージが届きました。
「市橋さんに、石を投げる人は多いですが、本山様をはじめ、支援してくれる人もたくさんいますので、その人たちのためにも、がんばって生きてください!!
市橋さんが、やり直しができるチャンスが来るように祈っています!!
これから、生まれ変わるつもりで生きてください!!」
先週3月8日に行われた第15回公判前整理手続きの様子について、支援者のお一人から毎日新聞のサイトに記事が載っているという情報をいただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・http://mainichi.jp/area/chiba/news/20110309ddlk12040166000c.html
(一部抜粋)殺意の有無について、検察側は「ある」と認定して殺人罪で起訴した。だが、弁護側は殺害する理由が不明だと指摘。主任弁護人の菅野泰弁護士は「互いに顔見知りで、事件当日にレッスンがあったことは同僚も知っていた。殺意があったと納得できる動機が検察側から示されていない」と疑問を表明した。
市橋被告が出版した手記の印税について、遺族への被害弁償に充てる旨を書面で遺族代理人に申し入れ、この申し入れ書を千葉地裁が証拠採用することが決まった。
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今朝、元同僚だった千葉大学のある教授から電話があり、バングラデッシュから千葉大学大学院博士課程に留学して私の研究室を専攻していた元学生A君の消息を知らないかと訊かれました。バングラデッシュ在住のA君の義兄から連絡がとれないから、もしかしたら地震の犠牲になったのではと捜索依頼があったようです。A君は千葉大学大学院を単位取得退学後、秋葉原の駅前でビジネス(旅行代理店、アジア食品販売、テレホンカード卸販売など)をしていたのを一度訪ねたことがありますが、その後の交流は途絶えていました。今夕再度メールでの連絡があり、A君は以前から住んでいたアパートの自室で死体で発見されたとのことでした。日本に来ているバングラデッシュ出身の人達は協会(互助会?)みたいな組織を作ってお互いに交流しているようですが、義兄は、発見された遺体の状態(口から泡を吹いて、体が青色)からバングラデッシュ人のビジネスのライバルに毒殺されたという推測をしているようです。これから死因を特定する解剖が行われるのでしょうが、一度は学問を志して私の研究室を専攻した元留学生が、こういう結末になって残念です。
4月29日に開催予定の横浜駅伝大会に向けて、江戸川堤防を昨日は8km、今日は10km走ってきました。これから真剣に減量と走り込みに取り組まなければなりません。私は千葉大学走友会Bチームのアンカー区間(8.195km)を走ることになっています。
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2011年3月14日月曜日
3月10日に振り込まれた3名の方(11回目、2回目、2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は103,000円、延べ254人からの合計額は2,903,565円になりました。ありがとうございました。2回目の支援者はお体が弱いお母様らしく、娘さんが代筆してくれたメッセージをいただきました。
「市橋君もご両親もマスコミの心ないバッシングに負けず、強い心と体に気をつけ、弁護士の方々と本山先生に感謝してがんばって下さい。刑期を終え、いち日も早く静かな生活ができるよう祈っております。」
交通機関が麻痺したままですので、今日10時~12時に浦和で開催予定だった埼玉県の「農産物安全技術専門委員会」は中止になりました。担当の県庁職員も出勤できずに、早朝に自宅から電話連絡が届きました。明日の評議員会から出席予定だった日本農薬学会大会(会場:玉川大学)も中止になりました。長い時間をかけて苦労して準備をしてきた大会実行委員会の皆さんにはお気の毒ですが、こういう状況では仕方がありません。お蔭で私は少し時間的なゆとりができましたが、まだその次の予定が迫っていますので気を抜けません。
11日の午後に起こった東日本大震災と東北地方の太平洋沿岸に押し寄せた大津波による被害は、専門家の想像をもはるかに超える規模だったとのこと。テレビに映しだされる映像や新聞に掲載される写真は、まるで映画のシーンのようで、あらためて自然の災害の恐ろしさと人間の非力さを認識させられました。家族ごと、集落ごと津波に飲み込まれたり、行方不明者を入れると犠牲者は1万人を超える様子。現地で幸い生き残った人たちも、やがて悲しみを克服して、これから生活を再建する長い苦しい戦いが始まるのでしょう。心から健闘をお祈りしたいと思います。
(3月10日のブログに写真を添付しました。房総半島ではもう春だったのが、札幌ではまだ冬でした。)
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2011年3月13日日曜日
地震のことで心配して下さるメールが届きましたので、とりあえず私は大丈夫だったことだけでもお知らせ致します。10日の札幌での講演が終わって、11日は新千歳空港を朝9時に出発する飛行に乗って10時半頃羽田に着きました。まだモノレールもJRも動いていましたのでそのまま東京農業大学に行って、研究会に出席しました。イスラエルのテルアビブ大学のBaruch Sneh 教授の講演を聴いている途中で地震があり、一時的に机の下にもぐって避難しました。その後、午後5時頃研究会が終わってから、どうしても翌日12日には自宅で学会の準備をしたかったので、タクシーや地下鉄や徒歩を組み合わせて帰宅しようと試みたのですが、南千住の駅までたどり着いたのは午前2時でした。そこから再度タクシーを拾おうと思って、長蛇の列に並びましたが、寒くて震える中で5時間近く並んでも結局駄目で、12日の朝8時になってやっと再開したJRの常磐線に乗って松戸まで帰りました。自宅では本棚から本が全部落ちたり、食器棚のお皿や茶碗がほとんど床に落ちて割れたくらいの被害ですみました。東北地方の家屋の倒壊や、巨大な津波の流れに飲み込まれた方々に比べれば、不幸中の幸いで幸運でした。
地震のことではアメリカや中国やパキスタンの元学生や友人たちからも心配してメールや電話がたくさんありました。津波の被害の惨状が各国のトップニュースで報道されているのでしょう。
市橋君の裁判に関連していろいろ書きたいことはたくさんあるのですが、明後日16日から始まる日本農薬学会大会での講演発表の準備などで追われていて、今は時間的な余裕がありませんので、一段落したらブログを更新します。
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2011年3月10日木曜日
このところ忙しくてブログの更新ができませんでした。3月8日は房総半島の館山の近くの海岸の砂防林で行われた松くい虫の被害木の伐倒・集積作業を視察に出かけました。2年前にヘリコプターによる薬剤散布を中止して以来、被害木が急速に増えて、このままでは海岸の砂防林がやがて消滅してしまうのではと心配になりました。これらの被害木はマツノザイセンチュウに寄生されたマツノマダラカミキリが羽化・脱出して次世代の発生源にならないように、チップ化されるのだそうです。フラワーラインと呼ばれる海岸沿いの道路には菜の花やストックの花畑があり、春一杯でした。
9日は昼頃羽田を発って札幌に入りましたが、今朝は大雪が降って札幌市内は真っ白でした。午後からは北海道無人ヘリコプター安全推進協議会の事業検討会で、「ヘリコプターで散布された薬剤の環境中での濃度と生態影響・健康影響」という演題の講演をしました。無人ヘリコプターのオペレーターの資格を持っている若い農家が中心で約170人の参加者が耳を傾けてくれ、自分たちのやっている仕事に自信が持て元気がでてきたと感想を言ってくれました。
明日は朝新千歳空港を発って東京に戻り、午後からは東京農業大学での研究会に出席します。その後も予定がびっしりで、しばらくは息をつく間もなさそうです。メールをいただいた方に返信ができずに、失礼しています。
支援者の一人から、公判前整理手続きについて毎日新聞のサイトに以下の記事が載っていると情報が届きました。今発売中の婦人公論という雑誌に市橋君関係の記事が載っているという情報も届きました。
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20110309ddlk12040166000c.html
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2011年3月4日金曜日
3月2日に振り込まれた2名の方(初回、5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は83,000円、延べ251人からの合計額は2,883,565円になりました。ありがとうございました。
5回目の方からは手書きのメッセージがありました。
「市橋達也さんの公正な裁判が行われるよう、毎日祈っております。「祈り」の力は絶大です。支援者皆様の「想い」は、必ず届くと信じております。本山先生、お身体ご自愛下さいませ。」
3月1日に振り込まれた方からはメールでメッセージが届きました。
「支援を始めてから、本山先生の熱意を感じ、支援者の優しさに触れる事ができました。市橋達也さんが裁かれる裁判や生活する刑務所について知りたい思いで、裁判傍聴や刑務所の施設見学をしています。被告人が犯罪を犯すまでに至ってしまった心の闇、被害者やご遺族の悲痛な思いを直接感じ複雑な心境になりました。又、被告人を支援する事に対しても、軽い気持ちでは無く、責任を感じました。刑務所は犯罪者に罰を与え苦しめるところなのか?と言うイメージがありましたが、自由は奪われますが作業の様子や更生に向けての取組、受刑者の生活を知り少し安心しました。 市橋達也さんの体力・精神的な強さに圧倒される反面、切なさを感じたり・・・犯罪者ですが、人として惹かれる部分も有ります。事件と向き合ってから、色々と学び、新しい出会いや思いやりを感じ、プラスになりました。市橋達也さんは決して憎まれるだけでなく、人の力や支えになる事も出来ると思います。 今、出来る事に最善を尽くし、深く反省し罪を償い続けて欲しいです。自分を大切にして、市橋達也さんらしく生きて下さい。ずっと見守ります。」
小田急線経堂駅から通称農大通りを歩いて東京農大の世田谷キャンパスに向かうと、途中にわずかですが日本式の大きな屋敷や樹木が残っています。その中の一つに、「保存木」の木札が付いた大きなアカマツが威風堂々と空を突くように立っている屋敷があり、私はいつも側を通る度に何と見事なアカマツだろうと思って見上げていました。それが、この数日であっという間に切り倒され、家屋も解体されてしまいました。このくらいの大きさの松の樹齢が100年なのか200年なのかあるいはそれ以上なのか私にはわかりませんが、せっかく東京の真ん中で今まで生き延びてきたのに、惜しいなあという気がしました。
伐倒されて細切れにされたアカマツの巨木
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2011年3月3日木曜日
3月1日に振り込まれた4名の方(初回、4回目、7回目、3回目、14回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は76,000円、延べ249人からの合計額は2,881,565円になりました。ありがとうございました。メッセージも手書きされていました。
「市橋君の卒論とmoeを送っていただいてありがとうございます。あとの詳しい話はメールで書きます。」 「市橋君に早くみんなの声が届けられ、多勢の人達が更生を願っているので、神を信じ、責任をまっとうしてほしいと思います。本山先生、本当にありがとうございます。」 「先生の2つのGoods Newsと朝日新聞のジャーナリストの評価に嬉しくて涙が止まりませんでした。支援者の思いがひとつになって市橋君の刑期が少しでも短くなるよう毎日祈っております。コピーと小冊子を送って頂けたらと思います。先生、御身大切になさって下さい。三保の羽衣の松が弱っているそうです。」
卒業論文のコピーと小冊子moeは、希望された方にお見せしていますが、送料を心配される方がおられますので、これからは送料受取人払いで宅急便でお送り致します。何人かの方が順番待ちしていますので、届きましたら3~4日で返却していただければ、次の順番の方に発送できます。
先日就職が決まった広島県出身の学生のことを書きましたが、今日は昼休みに彼と最後の稽古をしました。学部生の時から4年間くらい一緒にやってきましたが、私が19才の時から今日まで50年間空手の稽古をしてきた中で、彼が最後に指導した弟子になるでしょう。農業高校出身で地味な学生でしたが、寮長も務め、4月からは花卉(鉢物や切り花)の流通の仲卸の会社で働くそうです。住むところも蒲田の辺りに決まったとのこと、市橋君と同じように郷里を遠く離れて一人暮らしを始めますので、時々は携帯に電話をして元気にやっているか様子を聞こうと思っています。これから社会人になって長い人生を生きるのだから、ちゃんと運動をして健康管理をすることが大事だよと言ってやりました。
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2011年3月2日水曜日
2月28日(取扱日は2月27日)に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は45,000円、延べ244人からの合計額は2,850,565円になりました。ありがとうございました。この方からはメールでメッセージも届きました。
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いつもお忙しい中、ブログの更新ありがとうございます。今日少額ですが支援金振りを込みさせて頂きました。
2月25日のブログに書かれていた2つのGood News・・・
市橋さんが、ご両親に面会に来てほしい旨の手紙を書いたとゆうのを見て、逮捕された時
親に連絡しないでほしいと言っているとニュースで見たので市橋さんの気持ちの変化に、胸がじんとしました。この先、罪を償い謝罪の気持ちを持ち続けていれば、ご両親との面会も許される日が来ますよね。そう願ってます。そして、ブログの記事を見せる予定とありましたが、前に本山教授が市橋さんに見せてあげたいと撮られてた写真も、見せてあげることが出来るんですね。限られた景色しか見ることができない今、懐かしい風景と本山教授や支援者の皆さんの優しい気持ちに、心が癒されるといいですね。
それでは、あたたかくなって来ましたがまた寒さがぶり返してくるようなので、風邪など引かれませんように・・・
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見覚えのないメールアドレスからでしたから多分非支援者だと思いますが、匿名の方から以下のメールと情報が届きました。「刑務所体験作家 本間 龍の日記」の中で、『市橋達也「逮捕されるまで」を読んで』という書評があり、手記を出版した市橋君の気持ちを前向きに評価した感想が述べられています。知りませんでしたので、ありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本山先生、こんにちは。いつもブログを拝見しています。 今日メールをしたのは、市橋さんの手記に関する書評が下記のWEBにてありましたので、お知らせしたくメールをさせて頂きました。わりと同調的(同情的?)な評価だと思います。もうご存知でしたら申し訳ありません。 http://d.hatena.ne.jp/gvstav/20110201/1296542080 余談ですが、私は以前テレビ番組の制作会社に勤めていましたが、メディアの影響力はものすごいものがあると感じました。視聴者により面白く伝えるために、事実にいろんな情報を追加・編集する等あらゆる演出をします。市橋さんの件に関しても、どこも過剰な演出や方向付けがなされていると感じました。事実を伝えることは大切ですが、視聴者にはどうかこのような演出には惑わされないでほしいと思います。 手記を読んで感じましたし、上記書評にもあるように彼は根は真面目で努力家で忍耐強い性格で、私と年齢が近いせいもありますが、ごく普通の青年だと思います。彼の本質を感じとってほしいです。 最後になりますが、もし、先生のブログを通して彼に伝わるならと思い、メッセージを送らさせて頂きたいと思います。 「市橋さんのことを支援している人はたくさんいます。今はキツイと思いますが精一杯生きて、いつかご自身の高い才能を生かせるよう祈っています。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011年3月1日火曜日
2月27に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は40,000円、延べ243人からの合計額は2,845,565円になりました。メールでメッセージもいただきました。ありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 市橋さんの本、購入し読ませていただきました。もとはと言えば、自分が撒いた種ではありますが、それを差し引いても、本当によく頑張った(逃亡のためとはいえ)の一言に尽きます。行動力・体力・知力・・・必ず更生して社会に役立ってくれると思います。
運命のいたずら・魔がさした・被害者側の落ち度・・・どう理由づけても、市橋さんのしたこと・逃げたことは許されません。批判されることも当然です。 しかし、実際以上に、相手が反論できない状況にいることを良いことに、人の不幸に付け込んで、この時とばかり罵詈雑言をあびせるのは、いかがなものかと思っています。 逮捕時にわめいていた野次馬や、マスコミなどです。
「今、自分が出て行ったら、さらしものになる」と、市橋さんが出頭しなかったように、報道は必要なものですし、犯罪を憎む気持ちも大切なものではありますが、犯罪に乗じた「お祭り騒ぎ」はなくしていかなければならないと思います。
裁判が公正に行われることはもちろんとして、世間の人にも本当の市橋さんの姿を知ってもらうことも大切だと思います。 刑を終えて出てきたときに、少しでも暖かく社会が迎えてくれるよう、市橋さんが自分らしく生きていけるように。理解者が増えていくことを期待しています。
季節の変わり目ですが、本山先生・弁護士の先生方・市橋さん・ご家族様、くれぐれもお身体ご自愛下さいませ。
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今日は東京農業大学第一高等学校の卒業式でした。式は大学の方のキャンパスの百周年記念講堂で行われたらしく、息子・娘の晴れ姿を撮ろうとカメラを手にした若いお母さんたちがたくさん講堂の外で待ち構えていました。第一高等学校は大学と道を一本隔てた隣の敷地にありますが、垣根に沿って植栽してある早咲きの桜(河津桜)の木々がピンク色の花を咲かせていました。子供たちが、戦争に巻き込まれることもなく、こうして各々の次の目標に向かって前進していけるのはすばらしいことだと思いました。
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2011年2月28日月曜日
2月25日に振り込まれた方(12回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は30,000円、延べ242人からの合計額は2,835,565円になりました。ありがとうございました。この方からはメールでメッセージもいただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 時の流れは早いもので私が『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』を知り先生にメッセージと送金をし始めて一年になろうとしています。この先生のサイトで先生や支援される方々のお考えやお気持ちを読ませていただき、この温かい想いが早く市橋さんに届けばいいのに。。。と、いつも願っています。
今市橋さんは心身ともにどのよう
な状況なのでしょうか。。。? 私は市橋さんに『貴方は独りじゃないですよ。いつだって誰かが貴方のことを想い祈っています。』と早く伝えたいです。過ぎた日々を取り戻すことは出来ませんが私自身、市橋さんの手記を何度となく読ませて頂いて本当に・・本当に・・悔やまれてなりませんし泣けてしまいます。
裁判が近づいて又酷いバッシングや都合いいようにイジメのような報道がされるのではないかと不安と心配でたまりません。罪は適正・公正に裁かれなければいけませんが願わくば有期刑である事を祈っています。そして市橋さんが一日でも早く更正されることを心から信じ祈っています。
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市橋君の手記については、テレビのタレントやネット上の書き込みで批判的なコメントが多いということを気にしている方がおられるようですが、ある出版社の編集部員が昨日(2011年2月27日 日曜日)の朝日新聞の書評欄に高く評価した書評が載っているという情報を送ってくれました。佐々木俊尚というジャーナリストが、『「文学」に昇華した逃亡物語』という題で、興味深い解析をしていますので、見逃した方のために一部を引用しておきます。
『・・・これは立派な「文学」だ。・・・本書を「不道徳」と非難する人は、罵(ののし)りながらも本書を買っているのだろう。テレビのワイドショーで、司会者が「許されませんね」と眉をひそめつつも殺人事件をエンターテインメントとして消費するのと、同じ構造だ。本書を「不道徳」と捉えることは、実は自らが衆愚的なニュースの消費者に陥りかねない、という危険な罠(わな)が潜んでいるのである。(幻冬舎=1365円、4刷10万部)』
手記が批判される状況は、事件発覚当時や、身柄が拘束された当時、市橋君の本当の姿とは無関係に、メディアが寄ってたかってバッシングをしたのと似ているなと感じました
この記事のすぐ下に、「週間ベスト10」という統計があって、2月22日、トーハン調べ単行本・ノンフィクション部門のよく売れたトップ10冊の本のリストがありますが、市橋君の手記「逮捕されるまで」は5位で、幻冬舎の本はその他にも3冊含まれています。同じ出版社の本がトップ10冊の中に4冊も含まれているということは、よっぽど編集方針が時宜を得ているのでしょう。
市橋君の卒業論文のコピーと1年生の時に選ばれたデザイン作品が載っている小冊子をご覧になった支援者から、以下のコメントが届きました。
「小冊子は、市橋達也さんの実習Ⅰとして選ばれた作品と、全体的に見て環境デザイン学がどのような事を学んでいるのか知ることが出来ました。イスの発想は感性が優れてると感じました。卒論は、ディズニーランドの樹木の種類や配置の役割など、細かく分析されていて、学生としての実績を感じました。卒論の内容から、かなりの回数足を運んで、細かく材料を集めたり調べたりしてるのが受け取れます。事件当時は、ディズニーランドで外国人をナンパしてたとの報道も有りましたが、卒論を見ればそのような目的で無い事が分かります。ナンパしてた事で、外国人女性に興味が有り、計画的な犯行と結びつけられる可能性も有りますので、卒論から本来の目的がきちんと証明出来ればと思いました。
今回、本山先生から卒論と小冊子をお貸し頂き、実際に直接見れた事と、彼の大学時代の学習成果を感じ取れた事に感動しました。本当に有難うございました。」
卒業論文のコピーと小冊子は、他にも見たいという支援者が何人かいますので、順番にお送りしています。
今日は妻がカリフォルニア州のサンタモニカ在住の娘の家族に電話をしたら、アメリカ人の義理の息子が3月20日のロサンゼルスマラソンに出場するために、週3日20kmずつ走ってトレーニングをしているとのことでした。まだ娘と結婚をする前に、どれくらい根性がある男性か試験をする目的もかねて、サンタモニカの海岸を私と一緒に1時間走らせてみたら、フウフウ言いながらもついてきて完走し、娘と付き合ってもよいという父親の試験に合格したのを思い出しました。今は逆に、高齢化してかつメタボ気味の私の方が義理の息子の試験に不合格になるかもしれませんが・・。
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2011年2月27日日曜日
2月22日に初めて支援金を振り込まれたもう一人の方からメールのメッセージが届きました。
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先日、少しばかりですが、支援金を送金しました。本当に少額で申し訳ありません。(本山:金額の多寡にかかわらず、支援金は全て大変ありがたく受け取らせていただいています。その積み重ねが大きな金額になり、それが弁護団の活動をサポートし、それによって市橋君に適正な裁判を受けさせることが可能になります。)
本山先生のブログ、定期的に拝見しております。市橋さんが拘置所内で弁護士さんが差し入れた聖書を読まれてるようでホッとしました。教晦師による指導などは受けてらっしゃるのでしょうか?
私の個人的見解ですが、市橋さんは運の強い人(悪運が強いというか)だと思いました。手記にもあったように潜伏した島で一匹の仔猫との出会い、一緒に過ごして蛇がいることを鳴き声で知らせてもらい、その蛇を焼いて食べたり、まして毒蛇だなんて読んでてヒヤヒヤしてしまいました。どんなに罪を悔やんでも逃亡していては自分を追い詰めるだけで何の償いにもなりません。その猫は神様からの「しっかり生きて罪を償いなさい」というお告げで巡り合わせたように思えてなりません。神様は彼の心情をお見通しだったのでしょう。私はその猫を「 猫神様 」と名付けました。市橋さんはこれから過酷な長い道を歩まなければならないでしょうし、彼自身が乗り越えなければならない問題もあるかと思いますが、本山先生をはじめ、支援者の方々と共に私もサポートしていくつもりです。
裁判の争点は殺人に相当するかどうか とありますが、強姦についても妙な部分があるのでは と感じました。現にリンゼイさんから個人教授する旨の連絡をしており、部屋を訪ねたのも任意の上など結果的に密室で男女が二人きりになる場をつくってしまってるのですから。いずれにせよ密室での出来事...彼自身の証言にかかってる点は同感です。
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男女の関係は複雑で、強姦に至る背景や当時何が市橋君をそういう行為に走らせたのかは私たち第三者にとっては不明です。こういう苦境に追い込まれた市橋君に同情して、リンゼイさんにも責任があったかもしれないと想像することは慎むべきだと思います。市橋君自身は、弁護団に「強姦したことは事実です、悪いことをしました」と素直に罪を認めているようです。娘を失ったリンゼイさんのご両親の悔しさは、人間としての理性を失わせて(目には目を、歯には歯をという動物的本能で極刑を求める)当たり前かもしれません。今は、これから裁判が行われることだからと弁護団からの助言があるようですが、市橋君は事件そのものについても手記を書きたいという意志を持っているようですので、いずれ何故そういう行為に走ったのか市橋君自身の口から語られる時がくるかもしれません。それは、日本の社会に大勢いるかもしれない市橋君と同じような若者が、同じ間違いを起こさないようにするために貴重な証言になるのではと思います。
今年も、4月29日に鶴見川沿いで行われる横浜駅伝大会に私も千葉大学走友会チームの一員として参加する申し込みをしました。メタボ気味でかってない最悪の体調ですので、今から2ケ月トレーニングして走れる状態にもっていかなければなりません。今日は昼頃、江戸川の土手を景色を眺めながらゆっくり 8km ジョギングしましたが、早春の陽射しが心地よく感じられました。
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2011年2月26日土曜日
今日も支援金が届きました。2月24日に振り込まれた方(8回目)からです。ありがとうございました。これで支援金の現在高は20,000円、延べ241人からの合計額は2,825,565円になりました。
2月22日に支援金を初めて振り込まれた方からは、メールで次のメッセージが届きました。
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はじめまして。 私は○○在住の31歳の会社員で2児の母です。
「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」での本山先生の意思に大変心打たれておりました。おっしゃるとおり、彼には適正な裁判を受けてもらいたく私にも何か出来ないかと思い、わずかですが○○円を振込まさせて頂きました。
市橋氏に関してはニュース等でしか情報を得ることができませんでしたが、先日発売された手記を読み、彼のいろんな思いが伝わってきました。許されぬ行為から派生した月日を綴った内容ではありますが、彼の苦しみや葛藤を垣間見ることができ、感動しました。彼の人生において、経験する事柄の順番がもし違っていたら、もっと早くに豊かな人間性を持てたんじゃないか、と思いました。
自分の犯したことについて、しっかりと償い、更正してほしいです。手記を読んで感じた彼の忍耐強さ、タフさ、語学力をもってすれば、きっとやっていけると思います。こんなにメディアで彼に関する記事や顔写真が過剰に出ていて、いつか本人がそれを目にすると思うと気の毒です。適正な裁判の中で真実を語ってほしいです。
本山先生におかれましては、ご多忙の中でこのような活動をされており、人間味ある言動を知るにつれて深い誠意を感じています。また弁護士先生を通しての市橋氏の近況などは真の姿として貴重な情報です。定期的な配信をしてくださり、ありがとうございます。これからも、お体にお気をつけて活動していってください。私も無理のない範囲で支援していきたいと思っています。
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研究用の松苗がもっと必要だということに気がつきましたので、再度、先週訪ねた茨城県那珂(なか)市の大森種苗園に車で出かけ、クロマツの普通の苗25本と抵抗性の苗25本を購入してきました。この時期に鉢植えして根を活着させて準備しておかないと、松くい虫(マツノマダラカミキリ)が発生する5~6月になって急に不足しても間に合わなくなるからです。大森種苗園の母屋の玄関横に配置してある重さ5トンという巨大な石(埼玉県長瀞産とのこと)も迫力がありましたが、庭の梅(老木と若木)の花もちょうど満開で見事でした。
(写真はクリックすると拡大できます)
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2011年2月25日金曜日
(昨日のブログに一部ミスがありましたので訂正・加筆しておきました。)
2月23日に振り込まれた3名の方の支援金が届きました。後述するように昨日までに届いた支援金241,000円は本日全額払出しして、菅野弁護士にお届けしましたので、またゼロからのスタートですが、支援金現在高は10,000円、延べ240人からの合計額は2,815,565円になりました。メッセージも書かれてありました。ありがとうございました。
「2月5日美容院で見た女性週刊誌で本山先生が支援する会を立ち上げてくださっていることを知り、たいへん嬉しかったです。市橋君の事はずっと気にかけておりました。本も読みました。彼に更生するチャンスを与えていただきたいです。これからもずっと支援させていただきます。少額ですが、お役立て下さい。」 「50代のおばさんです。市橋君の絶食の時死なせたくない・・・ 行徳署に抗議の電話をしていました。手記を読みました。とっても素直に正直に書かれていました。何度も泣きました。私は市橋君をあきらめられません。どうか更生できる時が来てほしい、そう願っています。」
札幌から帰宅後、郵貯銀行に寄って昨日までに届いた支援金241,000円を払いだして菅野弁護士にお届けし、2月14日に行われた第13回目の公判前整理手続きと、2月25日今日の午前中に行われた第14回目の公判前整理手続きの様子を伺ってきました。公判前整理手続きでは、検察側と弁護側の争点と証拠の整理が行われますが、前回で約70%、今回で約90%整理が済んだようです。実際には、裁判所が争点整理表(案)を作成し、それに対して検察側と弁護側の双方が納得できない表現があれば指摘をしていくという作業のようです。争点整理表は公判が始まった時に裁判員に大きな影響を及ぼす可能性があるので、被告人の立場を代表する弁護団の力量が問われるようです。経験と知識と押しの強さがものを言うそうです。若手弁護士は知識は有していますが、経験と押しの強さはベテラン弁護士の力が発揮される分野だそうです。
弁護側は6人、裁判官は3人、検察側は従来2人だったのが、大山検事は3月に移動で外れる予定なので後任の検事が参加して3人で、整理手続きをしているそうです。
公判の進め方(時間的スケジュール)についても検討をしているとのことですが、現在の検察側、弁護側の要求通りだと証拠調べだけで7日間もかかってしまうので、6日間で済むように調整して、判事が審理計画表を作成して提出するようです。7月第1週から公判が始まり、3週間で判決というスケジュールがほぼ固まったようです。裁判後、判決に入る前に、検察側が約40分で論告求刑をし、弁護人が約40分で最終弁論をし、被告人(市橋君)が約20分意見陳述する機会が与えられるとのことですが、通常被告人が20分も話すことは難しいので、市橋君は多分3~5分意見陳述をすることになるだろうとのことです。
3つのパターン、①計画的な強姦致死・殺人・死体遺棄を主張する検察側は死刑か無期を求刑し、②弁護側が強姦・傷害致死・死体遺棄は認めるが計画的ではなく衝動的に起こったことを考慮して有期刑が相当という判断を述べる、③罪名は検察側の主張を認めて量刑は弁護側の主張を採用、が予想されるようですが、検察側も弁護側も判決に納得がいかなければ控訴する可能性が高いということのようです。控訴になれば、裁判員は参加せずに、通常は4ケ月~6ケ月で判決が普通だが、この事件の場合は1年はかかるだろうとのことです。
手記の出版で4月末に得られる予定の印税500万円とその後さらに得られる可能性の高い500万円を、被害者遺族への弁償金として支払いたい旨の申入書は、従来は日本の検察を通してイギリスの代理人に送るという仕組みだったのが、今回からは弁護団から直接代理人の絹川健一弁護士に送ってもよいということになり、そのようにしたとのことです。
一つの Good News は、市橋君がご両親宛に面会に来てほしい旨の手紙を書いて、ご両親からはあくまで遠くから見守るという返事が届きましたが、その中で何年振りかの親子の愛情のこもったやりとりがあったということです。お父様とお母様は、息子に自分の言葉でリンゼイさんのご家族に説明・謝罪をするように諭すとともに、毎日リンゼイさんの写真に向かって祈っていますとのことです。親子の愛情を確認できるやりとりができて、本当によかったと思いました。これで市橋君も自分は見捨てられたのではない、自分でしっかり責任をとらなければいけないという自覚が一層強くなるのではと思います。
もう一つの Good News は、弁護団はこのブログの記事を全部プリントして市橋君に見せる予定とのことですので、多くの支援者の皆様が市橋君の更生を願って応援していることが伝えられるということです。
次回の公判前整理手続き(第15回)は3月8日ですが、3月4日までに検察側・弁護側が意見を提出し、裁判所は争点整理表(案)と審理計画表(案)を作成・提出するのだそうです。3月16日(第16回)が公判前整理手続きの最終回になる予定だそうです。
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2011年2月24日木曜日
滞在しているホテルから自宅に電話をして妻に支援金をチェックしてもらいましたら、2月22日に振り込まれた4名の方(1人は12回目、1人は4回目、2人は初回)の支援金が届いていました。これで支援金の現在高は241,000円、延べ237人からの合計額は2,798,565円になりました。4回目の方からはメッセージが添えられていましたが、誤記するといけないので、明日帰宅してから紹介します。ありがとうございました。
(4回目の方から届いたメッセージは以下の通りでした。)
「私は手記のおわりに記されていた感謝ということの意味がわかっていれば、自分はあんなことをしなかったのではないかというところが一番心に残りました。感謝の心を持てば、人は皆謙虚になれると思います。人間、皆、誰にも共通の課題であるかと思います。」
今日の北海道農薬卸協同組合・北海道農薬小売商組合主催の農薬技術研修会は、札幌駅近くの札幌総合卸センターで行われました。午前中は、北海道農政部技術普及室の木俣 栄氏が平成22年に北海道で発生した注意を要する病害虫について詳しく説明し、さらに北海道中央農業試験場等で実施した作物保護分野における試験・研究の成果を紹介しました。
午後は、私が「無農薬=安全・安心」と言われていることが、実は自分の扱う商品を差別化して高く売るための虚偽の宣伝だということを説明しました。その主な理由は、厚生労働省が毎年公表している膨大な数の残留農薬分析結果から明らかなように、農薬を使って通常に栽培された農産物の99%以上でそもそも農薬残留は検出されないし、検出されても、ほとんどが毎日一生涯食べ続けても何の影響もない基準値以下だということ。 一方、無農薬栽培や有機栽培で病害虫防除に使われる農薬ではないとされる代替資材(いわゆる植物抽出液など)は農薬が混入されている場合が多く、それを知らずに使えば、農業生産者にとっても消費者にとっても環境にとってもかえってリスクが高いということ。例えば、10種類の植物の抽出液として販売されていた「夢草」にはシペルメトリンという合成ピレスロイド剤が混入されているのを私達が明らかにしたのは今から17年前の1994年ですが、最近では、「NEW碧露」(乳剤タイプ)にはロテノンと呼ばれる水質汚濁性農薬が、クララという植物の抽出液と称した「アグリクール」や、インドセンダンという木の抽出液と称した「ニームオイル」にはアバメクチンという毒物相当の抗生物質殺虫剤が混入されていました。こういう偽装資材を使って栽培された農産物が、無農薬とか有機とかのラベルを付けて高い値段で売られているのは馬鹿げたことです。
また、無農薬栽培した作物は当然病害虫の寄生を受けますが、そういう作物は防御物質(天然毒素)の生合成を活性化して対抗します。これらの防御物質は発がん性物質であったり、アレルギーを起こす物質であったりすることが知られていますので、農薬を適正に使って栽培した通常農産物よりも健康リスクはむしろ高まります。従って、「無農薬だから安全・安心」という主張には科学的な根拠が全くない、商売のための虚偽の宣伝だということです。
農水省農薬対策室の石岡知祥課長補佐は、農薬をめぐる最近の情勢について紹介しました。
約170名の参加者のほとんどは、農薬の流通に関わっている若手の社員でしたが、熱心に耳を傾けてくれました。
明日は早朝にホテルを出発して東京に帰ります。
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2011年2月23日水曜日
さっき札幌に着いてホテルに入りました。新千歳空港から札幌駅までの車窓の景色は一面雪で、東京を出発する時の春のような暖かさとは大違いでした。今夕一緒に食事をすることになっている知人がホテルに迎えに来るまで少し時間があるので、自宅に電話をしてみたら、支援金を振り込んだとメールで知らせて下さった方の支援金は今日は届いていないとのことでした。明日には届くでしょう。
先日、本ブログに市橋君の卒業論文のコピーをある支援者に送ったと書いたら、他の支援者からも差し支えなければ自分も見たいという要望がありましたので、返却されたらお送りすることにしました。大学の卒業論文は、修士論文や博士論文と同じように、基本的に公開すべきものですから。事件発覚当初、多くのメディアが彼が専攻した研究室に殺到して製本された卒業論文を借り出し、行方不明になったそうです。予備のために製本されていないコピーが1部残っていましたので、それを私が借り出してコピーをとったものです。
2月16日に支援金を振り込まれた方から以下のメッセージが届きました。そのまま紹介させていただきます。
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市橋君の事件は、以前から興味がありました。手配写真を見たときは、「いかにも人殺しをしそうな顔だな」と思っていました。逮捕されたときも、連日ニュースやワイドショーでやっていたので市橋君をエサにしているマスコミの人たちと同じ感覚で見ていました。
こないだ市橋君が本を出したというので、犯罪者の心境ってどうなんだろうという好奇心から本を購入して読んでみました。実際に読んでみると、人を殺害してしまって、しかも逃げてしまったのはすごく卑怯だと思いましたが、しかし、市橋君は根っから悪い人間ではなくごくごく普通の人なんだと思いました。普通の人より、頭がよくて、行動力もあり、感受性も鋭いし、しかも容姿もかっこいいのに、こんな事件を起こしてしまって、人生を台無しにしてしまってすごくもったいないと思いました。そして、一番感じたのは、市橋君の不満を溜め込んでしまう性格、不満を溜め込んでしまって、爆発してしまい歯止めが利かなくなってしまうところ、「感謝する」ということが分からなかったところが、私と似ていると思いました。
私は今36歳なのですが、20代のときは、市橋君と同じように、すぐに不満を溜め込んでしまい、人に感謝するということが分からない、人に気を使うことができない自分勝手な人間でした。そんな性格なので、あるとき仕事で、人間関係でトラブルを起こしてしまい、精神状態はうつ病の一歩手前までになってしまいました。会社は、そんな私を見かねて職場を異動させるというかたちで落ち着いたのですけど。。。
そのとき私は、気づきました。自分には感謝するという気持ちがなかったなと、、、人に気を使うことができなかったなぁと、、、何でもかんでも人のせいにしてしまっていたんだと、、、だから、いじめにあっても仕方ないんだと、、、
このことに気づいてから、職場でも家庭でもうまくやっていけるようになりました。私の仕事は、チームワークが最も大切なので、常にみんなで相談をしながら仕事を行うように心がけています。家庭でも、以前よりは家族に相談するようになりました。このような挫折は、大なり小なり誰にでも経験あると思います。
私の挫折は、仕事上だったのですが、市橋君の場合は、特殊な家庭環境のせいだと思うのですが、殺害という極端なかたちになってしまった。。。そして、逃亡生活や、きつい土木の仕事を経験したことで、人に感謝するという気持ちが生まれて、人間として少しは成長できたのかと思います。
もし、市橋君も殺害や逃亡というかたちではなく、違うかたちで挫折を味わって、成長できたらな~ととても残念でならないのです。殺害なんかしてなければ、十分にやり直しは可能で、頭の良い人なので、立派な人間になっていたでしょう、、、
話は変わりますが、ニュースによると、市橋君はリンゼイさんにしつこく声をかけて、無理やり自分の部屋に連れ込んで、犯して殺害したように言っていますが、この点で私も本山様と同じように疑問が残りました。リンゼイさんは、市橋君のことを気持ち悪いと言ってたみたいですが、果たして気味が悪いと思っている人間の部屋に果たして一人で行くのか???と思いました。個人的なレッスンをしたいと言ってきたら、「個人的なレッスンは禁止されているから、私の勤めている英会話教室に来てね」といえばいいわけだし、どうしても、自分の部屋でレッスンしたいなら、一人ではいかずに、せめて一緒に住んでいる友達と行くなりすると思うのです。それでも、一人で部屋に行ってしまったのは、リンゼイさんは、市橋君に好意があったんだろうと思わずにはいられません。ある週刊誌の話では、エレベーターでキスしてたという話もあるようだし、、、(週刊誌ネタなのであまり信用できませんが・・・)
話が長くなってしまいましたが、上記の理由により、市橋君に支援をしたいと思いました。罪を償い、もしやり直すことが許されるのであれば、やり直しをさせてあげたいと思いました。市橋君には、こんな事件だし、恥ずかしいとは思うけど、なんでこんなことになってしまったのか、正直に話してほしいと思います。
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市橋君とリンゼイさんの間にどういう関係があったのかは本人以外はわからないのですから、しかもリンゼイさんはすでに亡くなっているのですから、憶測で書かれている可能性がある週刊誌やネット上の書き込みを根拠に、リンゼイさんの行動を責めるのは正しくありません。何があったのかは、裁判で何が明らかになるかを待って判断すべきですし、いずれ市橋君が新たな手記を書くことがあれば自分自身で説明してくれる時がくるかもしれません。
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2011年2月22日火曜日
2月15日に支援金を振り込まれた方から、以下のメールが届きました。
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入金した日にメールをしておりましたが、本山先生宛のメールアドレスを間違えていた為に届いていなかった事がわかりましたので、届かなかったメールを再度送らせて頂きます。たくさんの支援者の方々の文章や、本山先生のブログを読んでいますと本当に心が暖まる思いです。市橋さんの本も、2回連続で読みました。これからも本山先生もご健康にだけは気をつけてください。
------以下、2月15日付で送信したメールの内容です-------
初めまして。本山先生のサイトを先日知りました。○○○○という者です。市橋さんの公判前整理手続きが、昨日予定されていたようですが、市橋さんの様子はいかがだったのでしょうか。
市橋さんが事件を起こしてから逮捕されるまで、とても気になる事件で、毎日のようにメディアに取り上げられていたのもあり、数年経っても思い出せるような事件でした。市橋さんが逮捕されて、移送されている様子を当時ニュースで見ていた時、「マスコミはやりすぎでしょう」と思いました。今、当時の動画を見ても、もみくちゃにされて可哀相だと思う程です。
先日発売された市橋さんの著書も、発売翌日Amazonで注文し、届いてからすぐに読了しました。市橋さんの文才には驚くばかりでした。ネットでは、「あれは本当に本人が書いた物なのか」「刑が確定する前に本を出すなんてどうかしている」「遺族の気持ちを逆なでするだけだ」等、色々と言う人が居ますが、私は多少手が入っているにしても、市橋さん本人が書いた物と相違ないと信じています。
市橋さんが逃亡中に味わった恐怖や孤独感等も、犯した罪の重さにしてみれば、また、亡くなったリンゼイさんの無念さや、遺族の方の苦しみに比べればまだまだ足りないのだと思いますし、事件を起こした後に「晒し者にはなりたくない」 という気持ちから逃げ続けてしまった事は、本当に卑怯な人間のやる事だとは思います。
でも、そう感じつつも、「極刑だけはありませんように」と願う気持ちがとても大きいです。市橋さんはきっと、とても頭の良い人だし、勉強家だと思います。彼の色々な才能を、罪を償いつつ、十字架を一生背負いつつ、これから先活かしていく何かをしてほしいと思うばかりです。
本山先生のブログも、最初から全部読みました。支援者の方々の暖かい言葉や、本山先生が市橋さんを心配する気持ち等、読んでいて涙が出てきました。市橋さんは「殺すつもりはなかった」と言っているそうなので、弁護団の方には難しい事件だとは思いますが、どうしても頑張って頂きたいと思います。 そのような気持ちで、本日少しばかりですが、支援金を送らせていただきました。私は主婦ですので、本当に少しずつしか支援できませんが、市橋さんの裁判が終わるまで、本山先生の活動が終わるまで、私も継続して支援していきたいと思っています。
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手記の原稿については、弁護団は手を加えずにそのまま出版社に渡したと聞きました。市橋君の文学的才能については、他にも高く評価している出版社があるようです。内容については、文章を皮相的に見て反省がないと批判をする人もいるようですが、好き嫌いの先入観念なしに読めば、市橋君が自分の犯した罪の重大さに気がついて、これから一生をかけて償おうとしている覚悟がにじみ出ていると思います。
私は24日に札幌で予定されている講演のために明日の午後から北海道に出かけますが、25日には帰ってきて、皆様からその後寄せられた支援金を菅野弁護士にお届けする予定です。
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2011年2月21日月曜日
2月19日に振り込まれた方からの支援金が届きました。これで支援金の現在高は214,000円、延べ233人からの合計額は2,772,565円になりました。この方からはメールでのメッセージも届きました。
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2年前に読んだ本をきっかけで、事件をおこしてしまった人たちのことを考えるようになりました。それまでは、テレビの報道だけで知りえたことを、まるで自分の考えであるように錯覚し正義をふりかざしてたように思います。自分で考えてもいないのに、被害者の方の感情に乗り、犯罪をした者は許すべきではない、厳罰に処すべきであると、強く思っていました。
でも、それってテレビの影響をもろにうけてることに気がつきました。市橋さんの事件は、テレビの怖い影響下にあり危惧しています。
市橋さんの本も読みました。絵が印象的でした。あの絵を見ただけでも、真面目な几帳面で優しい人だと思いました。誰でも、失敗・間違いをおこします。怖くて逃げることもあります。間違いをおこした人を、みんなでよってたかって非難すべきではないと思います。
お名前を出されて活動されている本山さん、すごいと思います。何か、人手が必要な時は声をおかけください。
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ありがとうございます。支援者の中には匿名を希望する方もおられますので、市橋達也君の適正な裁判を支援する会は、支援者のプライバシーを守るために、最初から私一人で対応してきました。支援者の名簿/入金記録は、弁護団にもお見せしていません。昨日で、会が発足してからちょうど1年でしたが、今のところ私一人でも対応できる程度の活動ですから、お手伝いのお申し出はお気持だけいただいておきます。
今日は昼休みに江戸川の堤防を8kmジョギングしてきました。電光掲示板に気温は9度と表示されていましたが、風が強かったせいか、体感温度はもっとずっと低い感じがしました。支援者のお一人から要望がありましたので、市橋君の卒業論文のコピーと、1年生の時に受講していた「環境デザイン実習」の課題で市橋君が提出した作品がトップ8人の中の一人に選ばれて載っている小冊子moeを、宅急便で発送しました。
さっき、いい事があったので明るい気分になりました。学部生の時から私と空手の稽古を一緒にしている修士課程2年生のT君から電話があり、就職の内定をもらったとのことでした。市橋君の場合と同じように、彼も私の研究室の専攻生ではありませんでしたが、昨年の夏頃から私が紹介した四国のある会社の社長と何回か会ったり研修を受けたりして、当然採用されると思っていたのに、先月になって急に採用されないと知らされて、卒業を控えたこの時期にと本人も慌てました。当該会社にもいろいろな事情があったのでしょう。落ち込んでも仕方がないのだから、今からでも全力で求職活動をするようにと励ましておいたら、早速その結果が出て、私に報告の電話をしてくれたのでした。T君は、広島県出身で、大学院2年間も含めて大学6年間を生活費が安くてすむ学生寮に住んで(親孝行)、稽古の前に広い道場の床を自分一人だけでも黙々と雑巾がけするタイプの学生でした。私も嬉しくて、おめでとうと言ってやりました。今日、彼の所属する講座の修士論文発表会も済みましたので、これから勤務予定地の東京に住むところを探したり、少しずつ新社会人として生活していく準備をしていくのでしょう。こうして学生が巣立っていくのを見るのは、教師にとっては何より嬉しいことです。
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2011年2月20日日曜日
島根県在住の画家(女性)から、市橋君の書いた手記についてメールで以下の感想が届きました。きちんと署名もされていましたが、ご迷惑かもしれませんので、お名前は伏せさせていただきます。
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市橋君の本を読みました。いろんな事を考えさせられました。私は絵を描いたり文章を書いたりしています。恥をかいたり汗をかいたり、五人の子どもを育てました。人生はとても不思議なものだと感じています。
市橋君の本を読んで彼の心の中を素直に書き込んであると感じました。本山さん達の思いをもホームページで読ませて頂き、そして救われた様な気がしました。
そして"出雲の松くい虫・・"のお仕事もされている事を知り、やさしいお顔を拝見してホッとしました。
ぜひ本当の事伝えて下さい。心から応援しています。
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「本当の事を伝える」が何を意味されているのかわかりませんが、市橋君が6月末に予定されている公判でリンゼイさんのご両親に対面する時に、リンゼイさんとの間に何があったかを正直に話してほしい、それが本当の謝罪につながる、という市橋君宛てのメッセージと受け取りました。
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2011年2月19日土曜日
昨日の強風(春一番?)とは打って変わって春を感じさせる一日でしたが、今日は私と一緒に研究をしてくれている博士研究員と一緒に茨城県那珂(なか)市にある大森種苗園に行き、松苗を購入してきました。那珂市というのは、水戸市よりも北に位置しますので、千葉県松戸市から常磐自動車道を通って車で片道2時間くらいのドライブでした。大森種苗園というのは、杉・桧(ヒノキ)・松・広葉樹など山林に生える樹木の苗を生産販売している農家(個人会社)ですが、この仕事を始めて40年になるという3代目の当主から、種の採取方法から松の苗をどうやって生産するのかまで興味深いお話を伺いました。周りの家も全部同じ大森という苗字の表札が出ていましたが、いずれも木造で瓦屋根の農家風の大きな家で、家の周りには巨大な石と植木が配置してあり、都会に住んでいる者から見ると、2~3百年はビクともしないだろうと思われるような立派な趣のある家々でした。大森種苗園の納屋兼作業場の屋根の下には神棚みたいなものが造ってあって、珍しいので写真を撮ってきました。一種のお洒落でしょうか、それとも宗教的な意味があるのでしょうか。田舎に行くと、こういう原日本的な風景がまだ残っていて、感動します。
納屋の軒下の飾り(神棚?)
通常のクロマツの苗50本と、松くい虫に抵抗性のクロマツの苗25本を入手しました。これからこれらを鉢植えして、林野庁所管の森林総合研究所から分譲してもらう予定のマツノザイセンチュウ(マツノマダラカミキリという昆虫がこれを媒介して松枯れを起こす)を接種して、どうやって松が枯れるのかに関する私達の新しい仮説を検証する実験と、マツノザイセンチュウに寄生された松(通常は治療方法がないので一度寄生されると100%枯れる)を治療して回復させる方法の開発を試みようと思っています。うまくいけば、実際に海岸や山で生育している大きな松の樹を使って試してみるつもりです。研究ですから、仮説通りうまくいかない可能性の方が大きいかもしれませんが、駄目で元々で、万が一うまくいけば、千葉県だけでなく日本全国の松林を復活させられるかもしれないと夢を描いています。
松苗の生産圃場
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2011年2月18日金曜日
2月16日に振り込まれた方の支援金が届きました。これで支援金の現在高は204,000円、延べ232人からの合計額は2,762,565円になりました。ありがとうございました。メールでメッセージもいただきました。
「市橋被告には、なぜこのような罪を犯してしまったのか?
どのような経緯で殺害に至ってしまったのか?
裁判に有利、不利にかかわらず真実を話して欲しいと思っています。
本の印税で、リンゼイさんのご両親に償いをするのもひとつの方法かもしれませんが、隠さずに正直に話すことも、リンゼイさんと迷惑をかけた人たちに対する償いになるのではないかと、私は個人的に思います。」
菅野弁護士から連絡があり、次回の公判前整理手続きが行われる2月25日に支援金をお届けに伺うことになりました。
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2011年2月17日木曜日
2月15日に振り込まれた2名の方(1名は13回目、1名は初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は199,000円、延べ231人からの合計額は2,757,565円になりました。定期的に振り込んで下さる方に加えて、今回も初めて振り込んで下さった方がおられるということは、市橋君の手記を読まれて何とか助けたいというお気持になられたのでしょうか。それとも、たまたまこのブログを見つけて支援する会の趣旨に賛同されたのでしょうか。長期支援者からは、メッセージも添えられていました。「支援者の方々のやさしい思いが、みな同じで、嬉しく思います。市橋君は立派に更生できる人です。時を越え、市橋君のご家族が静かに暮らせるよう願っております。本山先生、御身大切になさって下さい。」 ありがとうございました。
2~3日前に、菅野弁護士に、皆様から寄せられた貴重な支援金をお届けする日程調整をメールでお願いしました。
今日は昼休みに一緒に空手の稽古をする予定だった学生が用事でこれなかったので、江戸川の堤防に走りに行きました。ひばりが天高く舞いながら「ピーチュク・ピーチュク・チュクチュク・ピッ・ピッ」とさえずっていました。走る足を止めて、目と耳でひばりの姿を追っていたら、急にさえずりを止めて堤防の雑草の上に急降下し、草の種でしょうかしきりに何か餌をついばんでいました。他にもいろいろな野鳥が目について、春のような気配だなと思ったら、ある会社のビルの屋上にある電光掲示板の温度計は12度を示していました。つい2~3日前に走った時は、2度とか4度とかだったのが嘘のようでした。こういう三寒四温を繰り返しながら、本格的な春が来るのでしょう。
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2011年2月14日月曜日
2月10日に振り込まれた2名の方(1名は10回目、もう1名は初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は187,000円、延べ229人からの合計額は2,745,565円になりました。ありがとうございました。10回目の方からはメールでメッセージをいただきました。「支援者の方々のメッセージには、いつも共感共鳴し、暖かい心がこちらまで伝わってきます。支援者の一人として心強く感じています。」
今日は第13回目の公判前整理手続きが行われた筈ですので、後で弁護団に市橋君の様子も含めてお聞きしようと思っています。
先日「林業と薬剤」という雑誌(年4回発行)の依頼で書いた解説記事「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響(1)-群馬県と静岡県における事例-」のゲラ刷りが送ってきました。3月号に掲載されるようです。全国で松林保護に携わっておられる方々に、実際には飛散による健康問題はないという実態を理解して、自信を持って貴重な松林を保全する活動に取り組んでいただければと思います。
来週の木曜24日は北海道(札幌)で講演がありますので、その準備を始めました。北海道では3月10日にも別のグループ対象ですが、講演をすることになっています。
さっき買い物から帰ってきた妻がウィスキー入りのチョコレートを買ってきて、熱い紅茶を入れ、"I love you" と言って手渡してくれました。バレンタインデイの義理チョコだとわかってはいても、銀紙をむいて口に入れ幸せな気分で味わいました。
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2011年2月9日水曜日
菅野弁護士からお電話をいただきました。2月2日の公判前整理手続きでは、裁判官から弁護側と検察側の両方に今日までに対応するようにという宿題が出されたとのことでした。立証責任の70%は検察側に、30%は弁護側にあるのだそうですが、検察側は自分たちの主張に都合の悪い証拠は提出していないので、弁護側は証拠の開示を要求して、弁護側から証拠として提出するのだそうです。
弁護団6人全員は2月8日に第28回目の弁護団会議を開き、2月25日までに被害者遺族に被害弁償の申し入れをすることを確認したそうです。手記の出版については、出版社からとりあえず5万部の8%として約500万円を印税として市橋君に払えるとのことなので(もし10万部売れれば、その倍の約1,000万円)、被害弁償の申入書を日本の検察を通してリンゼイさんのご両親とその代理人の絹川健一弁護士に送る予定だとのことでした。
次回の公判前整理手続きは第13回が2月14日に予定されているそうです。次々回の第14回は2月25日に予定されていて、裁判へ提出する証拠はその時までに提出する必要があるとのことです。公判前整理手続きはいよいよ終了に近づいてきているようです。
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2011年2月8日火曜日
2~3日前に、支援者のお一人から下記の情報が届きました。一度前科がつくと、日本でもアメリカでも社会に復帰してもなかなか受け入れてもらえずに苦労をするという話を聞きました。市橋君に限らず、間違いを犯した人に対しても更生をサポートし、社会復帰を応援してあげられるような暖かい社会でありたいと思います。
「2月12日(土)、13日(日)に、幕張メッセで矯正展があると、ポスターが貼られていました。 囚人が、質の良い商品を作り、格安販売されるので人気が高いそうです。」
http://www.e-capic.com/index.htm
http://www.kanko.chuo.chiba.jp/c_event/4376/
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2011年2月7日月曜日
2月4日に100,000円を振り込まれた方がいましたが、郵貯銀行から連絡があり、振込み人が口座番号を打ち間違えて振り込んだので返金してほしい旨の連絡がありました。確かに振込先の名前も違って記入されていましたので、所定の手続きをして返金することにしました。振込み人の名前からして外国人のようですので、慣れていなくて間違えたのでしょう。
2月5日に振り込まれた2名の方(初回と4回目)の支援金が届きました。4回目の方は、2月4日に紹介したメッセージをメールで送ってくれた方です。これで支援金の現在高は167,000円、延べ227人からの合計額は2,725,565円になりました。ありがとうございました。
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2011年2月6日日曜日
このところ忙しくて運動不足でしたので、今朝は久し振りに江戸川の堤防を6kmジョギングしてきました。帰ってきたら自宅の電話に留守電が入っていました。買い物に出かけた妻からの用事かと思って再生してみたら、アメリカ在住の孫の一人Aiden(叡伝)からで、「日本語のスピーチコンテストに出て、1等賞になったよ。ヤッター!」という声でした。Aidenは7才の男の子ですが、孫たち3人は月曜~金曜はアメリカの学校や幼稚園・保育園に行って、土曜日は日本語学校(生徒数約180人)に行って日本語を勉強しています。留守電を何回も再生して孫の声を聞いて、そのたびに嬉しくて自然にニコニコしてしまいました(爺馬鹿)。この留守電は宝物なので、しばらくは消さずにまた聞き直そうと思います。向こうの時間で朝になったら電話をして、おめでとうと言ってあげようと思っています。妻は、何かプレゼントを送ってあげなければとソワソワしています(婆馬鹿)。
昨年日本に来て我が家に同居していた時の孫たちの写真(左端がAiden)
その後、腎臓透析で入院している元同僚の友人を見舞いに行きました。ちょうど奥様も来られて、車椅子に乗せて広い部屋に行って3人でしばらく話しをしました。動脈瘤の問題が見つかって以来リハビリもやれなくなったので、歩行能力を回復できなくなっただけでなく、だんだん体力が衰えていく姿を見ると、昔の現役時代の元気の良かった頃の彼を思い出して、人生は厳しいなあという気持になりました。千葉大学園芸学部教授を定年退職した3年前までは、硝酸還元酵素という植物の窒素代謝に関わる酵素について先端の研究をし、実験がうまくいった時などは「これは世界で初めてだ!」と大声を出して、学生達を元気付けていたのに・・。
昨日の蔵前技術士会での三賢憲治氏の講演「政府開発援助(ODA)円借款発電事業について」では、世界中で日本の援助でどれだけ多くの火力発電所が建設されて、各々の国の経済や国民生活に大きな貢献をしてきたかを再認識させられました。それともう一つ印象に残ったのは、第二次世界大戦後の1945年~1951年の6年間に、国土が荒廃しきった日本のインフラ再建のために、アメリカ政府が今のお金に換算すると12兆円という巨額の援助を敗戦国の日本にしてくれたということです。これについては、当時台頭してきた共産主義の拡大を防ぐためだったとかいろいろな見方をする人もいるでしょうが、しかしこれによって日本が経済的に急速に発展したことは事実で、1954年からは日本自身が開発途上のアジア諸国にODA(Official Development Assistance)として円借款をできる立場になったとのことでした。
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2011年2月5日土曜日
2月3日に振り込まれた2名の方の支援金が届きました。これで支援金の現在高は152,000円、延べ225人からの合計額は2,710,565円になりました。ありがとうございました。1名の方からは、メールでのメッセージもいただきました。
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先日ほど、市橋君に先生のような恩師がいらっしゃる事を知り、HPを読み心から胸が熱くなり涙が出てきました。拘置所にいる市橋君も、先生のwebと暖かい志に、きっと後悔してもしきれない思いに襲われていると思います。わずかばかりですが、本日カンパの振り込みをさせて頂きました。
市橋君については逮捕後からしか知りませんが、諸処の事情でマスコミに注目を受けることになり、加熱する報道に心を痛めると同時に今後の裁判の行方を非常に気にしております。まだ裁判も始まっていないのに「初めに結論ありき」というような世間の感情的意見はー「殺人罪」(刑法199条)を争う裁判員裁判において、どのような影響があるのか、極めて心配になります。
密室で人間が、どのような経緯で死亡したかによって罪状は変わってくるにも関わらず、マスコミが「初めに結論ありき」というのは、憲法で保障されている「裁判を受ける権利」の冒涜を国民自ら不本意に陥ってしまいかねない。この度の出版においても同様、決して被害者を愚弄する内容とは思えないのですが、未来において誰しも家族親族子々孫々、加害者にならない確証もない中で、出版社まで叩かれるような状況は、まさに「集団ヒステリー」パニック状態とも言えるのではないか?と懸念します。このような「犯罪者相手なら何を言っても、何をしても許される」(ましてや匿名で)風潮は、ヘイトクライム『憎悪犯罪』という新たな犯罪を生みだしかねない。
以前、林真澄被告の家が放火された時に、容疑者は「火をつけるとスカッとする、林真澄宅だからやった」と供述したそうですが、加害者や加害者家族が、大衆からの被害者とならないよう、我々国民は、冷静に、かつ平等に客観的に様々な事件に対峙せねばならないのではないか?と思います。
市橋君や、ご両親に伝えたい事は、どうかそのような感情に任せた憎しみの声は「対象は誰でも良いという一時的な憂さ晴らし」に過ぎない、市橋君を支援する人間は、本当に心から「市橋達也」という個人の復帰を真剣に支援し、適正裁判が行われる事を願ってることを忘れないで欲しいです。
理不尽な声が聞こえた時には、決して自暴自棄にならず、どうかこの「支援する会」を思い出して下さい。 自己の罪に向かい刑に服し、元気で社会に戻って来てくれると信じて待っています。
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ネット上には、市橋君の手記が出版されたことについて、批判的な書き込みが溢れているのでしょうか。私についても書かれたものがあるそうですが、私は気にしないことにしています。今はまだ忙しくてそういうものを探して見ている時間がないこともありますが、自分の顔も見せずに匿名でああでもない、こうでもないと批判してみせても、本心なのか無責任な言葉の遊びなのかもわからず、一々対応する必要はないと思っています。そんなことよりも、自分が今やるべきことは何かを見極めて、信念をもってちゃんとやっていけばよいのではないでしょうか。
今日の蔵前技術士会136回例会は、東京の大岡山駅前の東京工業大学蔵前会館というところで行われ、三賢憲治氏の「政府開発援助(ODA)円借款発電事業について」の講演に続いて、私は『「無農薬は安全」の虚構』について講演しました。無農薬栽培された農産物が、農薬を使って栽培された農産物よりも安全性が高いとは限らないという、科学的根拠を示しながらの私の話に多くの参加者が頷いてくれました。
参加者(50人くらい?)は東京工業大学の卒業生で技術士の資格をお持ちの方たちでしたが、90代をはじめ、80代や70代の、社会での第一線での活動を退かれた年輩の方が多いように見受けられました。高齢化社会の中で、社会から孤立しないように勉強会を開いて情報交換をしておられるようでした。現役時代は日本の発展を支え、豊富な経験をお持ちの方々ですので、私の方こそいろいろお聞きして勉強したい気がしました。
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2011年2月4日金曜日
2月2日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は144,000円、延べ223人からの合計額は2,702,565円になりました。ありがとうございました。この方からは手書きのメッセージが払込取扱票に添えられていました。「・・先日発売になった市橋さんの手記をやっと購入できました。2年7ケ月の間どんな生活をし、どんな事を思っていたのか、これから読んでみようと思っています・・」
別の支援者からは、払込取扱票には書ききれないからとメールでメッセージが届きました。出版された市橋君の手記を読んで、同じように感じた方がたくさんおられるのではないでしょうか。
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「手記」を拝読し、一気に数時間で読み切りました。幻冬舎の編集長が話されていた通り、市橋達也さんは、文才があり、感性(想像力)が豊かな方だ・・と思いました。そして「なぜ、事件を起こしてしまったか」については、やはり直接は触れてはいませんでしたが、日々の生活のなかでの、市橋達也さんの思い(心)が、とても伝わってきました。「手記」では「感謝の意味が最後までわからなかった」とあります。しかし、土工という心身共にきつい仕事に就き、様々な人間関係を通して、理不尽な相手に対し、「我慢」もできていたこと。良く世話をしてくれた方に対しては、「申し訳ない」と感じていたこと。そこから、いままで「当たり前」だと思っていた全てのことが、実は幸せな(恵まれた)ことだったんだ・・と気がつけたことは、2年7ヶ月かけて得ることができた、市橋達也さんの大きな「学び」だったのではないかと、私は思います。そして、市橋達也さんの恵まれた身体機能・探究心・感性を、今後は「社会貢献」に活かして頂きたいと、心底思っております。
最後に、「手記」のなか、市橋達也さんも言われていましたが、マスメディアのいい加減さ・「悪意」さえ感じられる報道には、胸が痛みます。他の話題に関しても、連日嫌気さえ感じます。しかし、このようなことに動じることはありません。私は、これからも「公正な裁判」が行われるよう、支援を続けていくだけです。私は、毎日祈り続けます。完璧な人間など、この世にひとりもおりません。もしいたら、この世に生まれて人生の経験を積む必要がありません。そう思っております。
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今日の日本有機食品認定連絡協議会第10期第1回定期勉強会における私の講演は、東京の京橋プラザ区民会館というところでありました。10時半から12時まで、皆熱心に私の話を聴いてくれました。何人かの参加者とは名刺交換しましたが、ほとんどがNPO法人として有機農業の認定に従事している方々で、中には岩手県や宮城県から来られたり、アメリカ人もいました。幹事の人たちとは近くのレストランで昼食をしながら質疑応答をしましたが、今までの勉強会で一番勉強になったと言って下さる方もいました。基本的には、有機農業を推進しようという立場の方々ですから、登録認可された農薬を適正に使えば健康にも環境にも問題はなく、生産者にも消費者にもベストな選択だという私の立場とはズレがあります。しかし、有機農業で農薬の代わりに病害虫・雑草防除に使われている代替資材は、活性のあったもので分析したものには例外なく農薬が混入されていたという私たちの今までの研究結果は、有機農業が適法に行われているかどうかを認定する方々にも、本物と偽物の有機農業を見分ける上で大いに参考になった筈です。
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2011年2月3日木曜日
2月1日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は139,000円、延べ222人からの合計額は2,697,565円になりました。ありがとうございました。この方は7才の娘さんをお持ちの方ですが、私とのメールのやりとりで、次のメッセージをいただきました。加害者の家族の苦しみにも心を痛めておられます。
「市橋さんは重い罰を受けて当然ですが、死刑を求刑とは他の事件と比べても重過ぎるような気がします・・・。私は素人ですから法律のことはわかりませんが、知らない女性を道で襲って死なせた場合と違い、被害者の女性も若い男性の部屋に一緒に入っているわけですから・・・・???っと疑問が残ります。世の中もっと酷い殺人を犯しても死刑にならない事件はいっぱいあるのに・・・市橋被告の場合見せしめの為、検察が量刑を重くしているように感じます。裁判員制度では通常よりも思い刑が科せられる場合が多いと聞きました。マスコミの悪意ある報道によって、彼だけが重い量刑にならないように、適正な裁判が受けられることを願うばかりです。
市橋さんのご両親は心休まるときはないでしょう・・・。事件後は何処にも出かけることができずにいるのでしょうか?うちは家族経営の小さなペンションです。何の力にもなれないことはわかっていますが、"二人だけの貸切にして人目を気にせずゆっくり過していただけたらな・・・"と余計なお世話だなと思いつつ考えたりもします。」
今日は昼休みに道場で二人の学生と空手の稽古をしましたが、U君にとっては最後の稽古でした。U君は昭和50年(1975年)生まれですから36才の筈です。職業訓練を目的とした短期コースで勉強していましたので、一緒に時間を過ごしたのはわずか数ケ月だけの短い期間でしたが、いつものように稽古の前に私が更衣室のモップがけ、シャワー室のデッキブラシがけをやっている間に、彼は氷のような冷たい水で道場の床の雑巾がけをやり、私の号令に従って一生懸命汗を流して稽古をしてくれました。コース修了後は長野県に行って農業をやるとのこと。稽古の最後に、「短い間でしたがお世話になりました」ときちんと挨拶もしてくれました。彼のことだから、きっと夢に向かって頑張って、村の人達にも歓迎されることでしょう。課外活動ではあっても、こういう学生との出会いは、教師にとって何よりの喜びです。
私は明日は、日本有機認定連絡協議会で「農薬疑義資材の実態について」という演題で、明後日は、蔵前技術士会という東京工業大学卒業生で技術士になっておられる方々の勉強会で『「無農薬は安全」の虚構』という演題で講演をする予定です。前者は有機農産物を生産している農家がルール通り適法に生産しているかどうかを認定する民間組織の職員が対象で、後者は工学部卒のエンジニアが対象ですが、質疑応答を通して私も勉強になるので楽しみです。
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2011年2月2日水曜日
1月31日に振り込んで下さった方の支援金が届きました。これで支援金の現在高は134,000円、延べ221人からの合計額は2,692,565円になりました。ありがとうございました。
この方からはメールでのメッセージもいただきました。
「市橋さんの手記を読みました。ご自分を諦めきれずに逃げる選択をしてしまったことは、たくさんの人を傷つける愚かな行為だったと思います。
しかし、市橋さんはどんな状況においても、今自分が出来る事を見つけコツコツと努力を重ねて成長出来る人だと思いました。罪は罪として償っていかなくてはなりませんが、これからもご自分を諦めないでほしいです。餓死しないで、ほんとうによかった。少ないですが、適正な裁判のためにお役だてください。」
以前菅野弁護士にお会いした時は、検察側が死亡推定時刻を強姦直後から翌日夜までと変更したことで死刑の求刑は小さくなったという印象を受けましたので、本ブログでもその旨お伝えしました。しかし前回お会いした時の口調からは、検察側は死亡推定時刻は変更し、強姦から死亡までの間市橋君とリンゼイさんが何をしていたかについては説明できないものの、死刑の求刑は維持し続けているという印象を受けました。裁判に参加予定の被害者遺族と検察の両方が死刑を求刑するということになれば、市橋君にとっては厳しい裁判になるのかなあという気がします。
大阪地検特捜部が、実態のない障害者団体が郵便割引制度を悪用した事件に関連して、厚労省元局長を有罪にするために証拠を改ざんし、しかもそれを知りながら上司が虚偽の上申書を作らせた事件のことが、今朝の朝日新聞の第1面に取り上げられていました。検察は事実を明らかにして正義を行う機関として、国民の期待を担っている筈なのに、自分たちの見たてを押し通すために証拠改ざんや犯人隠避までするのかと、信じられない気持です。それではまるでどこかの国の大統領と同じで、権力を維持するために都合の悪い憲法や法律は改正し、報道を規制して口を封じるやり方と変わらない感じがします。市橋君の事件を担当している検事はまさかそんなことはないと信じますが。
支援者のお一人から、今発売中の週刊誌「女性自身」に、手記の出版に関して市橋君のお母様の取材記事が載っている、という情報をいただきました。
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2011年2月1日火曜日
1月30日に振り込まれた方(11回目)の支援金が届きました。毎月定期的にありがとうございます。これで支援金の現在高は129,000円、延べ220人からの合計額は2,687,565円になりました。他にも、振り込んだという方やこれから振り込むという方からメールでの連絡が届いています。
次のようなメッセージもいただきました。
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初めてお便りします。
長文になりますが失礼致します。
何度か拝見させて頂いておりました。
今回、市橋達也さんの手記の発売と同時に
先生のホームページを最初から読み直しました。
手記、購入して全ページ読みました。
出版にあたって、世間では色々な意見が
出ているとは思いますが、私は買った事を
後悔していませんし、市橋さんの行動を
支持しています。彼の誠意を感じました。
私は市橋さんと何ら関わりを持った事が
ありませんが、彼が根っからの悪人だとは
思えません。何が彼を犯罪を犯させたのでしょうか。
生きていてくれて良かった・・・。
逮捕のニュースを見た時そう思いました。
神様が、やり直すチャンスを与えて下さったのだと
思いました。と同時に逮捕されて警察にガードされながらも
マスコミなどに、もみくちゃにされている市橋さんを見て
とても苦しくなりました。マスコミの連日の異常な過熱報道。
でっちあげだと思われるようなねつ造報道。
いくら罪を犯したとはいえ、ひどすぎると思いました。
市橋さんとリンゼイさんの間に何が起こったのか
詳しくはわかりませんが、裁判で全て明らかになるのを
待っています。被害者のご家族も苦しんだと思います。
しかし、それと同じぐらいに市橋さんのご両親やご家族も
苦しまれている事でしょう。きっと心ない中傷、嫌がらせ等
あったと思います。もし、本山先生がご両親と連絡など
とられる際には、私を含め大勢の支援者がいて
彼の1日も早い社会復帰を望んでいる事を伝えて
いただければ幸いです。どうか負けないでほしいです。
犯してしまった罪を償い、市橋さんには
どうか人生をやり直してほしいです。
彼は必ずやり直してくれると信じています。
彼の全てを悪だと仕立てたいマスコミ。
これらの情報だけに惑わされず
正当な裁判になりますように祈るばかりです。
本山先生、どうかお体ご自愛下さいませ。
ご多忙だと思いますので、あまり無理せず
過ごしてくださいね。時には息抜きを!
2月3日(木)に初めて募金する予定です。
支援会の口座は、わかるのですが
どうやって振り込めば良いのでしようか??
ATMから口座に送金できますよね?
無知ですみませんが、教えていただければ助かります。
それでは、おやすみなさい。
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私が市橋達也君の適正な裁判を支援する会を立ち上げてからもうすぐ1年になりますが、今まで書いた記事を最初から読み直して下さったとのこと、ありがとうございます。
支援金の振り込み方法については、小さな田舎の郵便局で振り込んだら、郵便局員にこの振り込み先で間違いありませんかと声を出して読まれて、少し恥ずかしい思いをしたといういう方がおられました。郵便局から振り込み用紙に手書きのメッセージを添えて送って下さる方も、コンビニのATMから自動(電信?)振り込みをされる方もおられます。
今日発売の「週刊女性」を、私に取材した編集部員が東京農大の私の研究室に直接届けてくれました(他の相談もありましたので)。「ボクはゲイなんかじゃないっ!」という見出しについては、私が不愉快に思う筈だと気を使って謝っていました。駅の売店や本屋には多くの週刊誌が並んでいる中で、経営的に一定の販売部数を確保するには、センセーショナルな見出しが必要なのでしょう。記事の内容は、比較的まともだったと思います。
昨日は、何人かの研究者と一緒に千葉県森林研究所に集まって、千葉県松林復活プロジェクトの共同研究の相談をしました。先に大網駅に集まって、車4台に分乗して九十九里海岸に行って蓮沼海浜公園の松枯れ状況を視察しました。千葉県全体ではすでに過去30年間に松くい虫が主な原因で松林の90%以上が消滅してしまいましたが、展望台の上から見渡した松林は、まるで滅びゆく草原のように松くい虫の被害で酷い状況でした。ヘリコプターによる薬剤散布を中止してから急激に被害が拡大し、場所によってはもう松がほとんどなくなって空き地になっていて、このままでは松林の内側の住宅地がやがて海からの潮害や飛砂被害で人が住めなくなるのではと心配になりました。
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2011年1月29日土曜日
支援者のお一人から本の紹介がありました。鈴木伸元著「加害者家族」(幻冬舎新書) 今回の事件についても少し触れられているところがあるとのことです。この本については、他の支援者からも読んだというメールを以前いただきました。
同じ方から、出版された市橋君の手記について、WEB本の雑誌というサイトに載っている杉江松恋氏の書評が比較的好意的との情報提供もいただきました。早速見てみました。現在置かれている立場の市橋君が何故この手記を書いたのか、動機を推察してありました。書評家ですから、一歩下がった位置から解析しようとするのは当然でしょう。
元教師にとっては市橋君は第三者ではなく、元学生で、いわば自分の子供のような身内ですから、見方は当然異なります。
このブログに、支援者のメッセージを紹介することや、支援活動とは関係のない私個人のことを書くことの是非については、反感や逆効果という意見もあるでしょうが、お会いしたことも直接お話したこともない支援者の多くと私とのコミュニケーションと、支援者に他の支援者が何を考えているか知っていただくという意味もあってそのようにしています。
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2011年1月28日金曜日
1月26日に振り込まれた3名の方(3回目、12回目、11回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は128,000円、延べ219人からの合計額は2,686,565円になりました。
各々の支援者からのメッセージもありました。 「ニュースで「手記」が出版されたことを知り、すぐ予約しました。私自身、市橋達也さんの事件後の行動をきちんと知りたいということ。そして、何より「弁償金」にあてたいという思い、また、御両親への思い、を私は理解できます。適正な裁判・判決が受けられますよういつも祈っております。」 「今日は出版日なので、私の気持ちをエールとともに送金します。それと、?レでの心ない発言に心を痛めております。本山先生、ご多忙とのことで、寒さの折御身大切になさって下さい。」 「今日、市橋さんの手記を購入させて頂きました。昨日はいろんなテレビ番組での手記文章のピックアップには、悪意を感じ本当に腹立たしさを覚えました。私は心から公正な裁判と適正な判決をせつに願い祈ります。市橋さんはオーハ島で餓死するつもりだったようですが、逮捕されました。私はきっと神さまが彼を生かしてくれたのだと思います。もう一度更生し、人生をやり直す機会を与えて下さる・・・そう信じます。先生、お体をご自愛され、今後もお元気でいて下さい。」
発売されてすぐ本屋に行ったけど、売り切れでどこにもなかった、注文して次に来るのは2週間後と言われたとメールでのメッセージもありました。
今日は「週刊女性」から電話での取材がありました。昨年の12月にも取材に来られた編集部員です。主な質問は、「手記の出版を聞いてどう思ったか」、「読んだ感想はどうだったか」、「手記が適正な裁判を妨害すると思うか」でした。私の意見をお伝えし、その他の若干の話題についてもお話しました。来週火曜日(2月1日)発売号に掲載予定だそうです。
ネット上では、前回のリンゼイさんのご両親宛の謝罪文の時と同様に、何故この時期にとか、裁判を有利にするためだろうとか、批判的なコメントが書きこまれているとのことですが、元々市橋君に反感を持っている人は、市橋君と弁護団が何をやっても、何を言っても、ひねくれた見方しかできないのでしょう。私は、市橋君が謝罪の気持ちを精一杯の行為(印税で被害者遺族に弁償金を払う)で示したものと素直に受け止めました。
書かれていた内容も、アメリカで昔放送された「逃亡者(The Fugitive)」というテレビドラマを連想させました。リチャード・キンブルという医師が留守中に奥さんを何者かに殺害され、犯人と疑われて逃走しながら真犯人を探すというストーリーです。市橋君の場合とは違いますが、交番やパトカーや、周りの人のちょっとした言動に怯えては逃げ出した時の市橋君の心境を思うと、胸が痛みました。2年7ケ月で身柄を拘束されて、そんな惨めな生活をしなくて済むようになり、本当に良かったと思います。青森に行ったり、新潟に行ったり、九州に行ったり・・、沖縄のオーハ島での生活の様子は、子供の時に読んだ船が難破して孤島で一人で28年間生き延びたロビンソン・クルーソーの話を連想させ、市橋君の強靭な体力と精神力を表していると思いました。
市橋君も弁護団も印税を自分の収入や弁護活動費に充てることはないと明言しているのですから、その気持ちも素直に受け止めたいと思いました。
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2011年1月25日火曜日
1月23日に振り込まれた方(7回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は103,000円、延べ216人からの合計額は2,661,565円になりました。ありがとうございました。
大阪府から携帯でメールを頂いた方に2回返信しましたが、2回とも届かずに戻ってきてしまいました。以前も同じトラブルがありましたが、携帯のメールの設定を変えて頂かないと返信は不可能です。こちらからは他に連絡の方法はありません。
菅野弁護士の事務所を訪ね、石田弁護士も同席して、一昨日の夕方からテレビで報道された市橋君の手記が出版された経緯を伺ってきました。以前、リンゼイさんのご両親宛の謝罪の手紙がイギリスの新聞に掲載された時も、日英両国で批判を浴びましたので、今回はずい分気を使って慎重に対応されている印象を受けました。元々は、市橋君が民事裁判で被害者遺族から損害賠償を請求された時にご両親(市橋君の)には絶対に迷惑はかけたくないということから、刑務所の中にいて収入を得る方法として本の出版を考えたようです。昨年9月頃に幻冬舎という出版社から手記出版の提案があり、それに弁護団が協力して実現したようです。当初は1月28日にテレビ朝日と週刊新潮がアナウンスし、1月末に出版予定だったのが、あらかじめ警察に連絡をしたら情報が漏れてしまって、一昨日の放送になり、本の発売も早まって明日26日に全国の書店にならぶ予定だそうです。私は一日早く一冊頂いてきました。
(クリックすると拡大できます)
本の最後のページに、「本書の出版で印税を得ることがあっても、僕にそれを受け取る気持ちはありません。リンゼイさんのご家族へ。それができなければ、公益のために使っていただければ幸いです。」と記されています。市橋君ができる謝罪の具体的行為なのでしょう。弁護団も、「弁護活動費用に充てる意図は一切ない」というコメントを公表しています。
1,300円の本を初版は3万部印刷するそうですが、売れれば増刷し、仮に10万部売れれば8%の印税は1千40万円になります。十分ではないかもしれませんが、経済力のない市橋君がリンゼイさんのご遺族に弁償金を払える唯一の方法です。できるだけ多くの方が購入して下さることを期待します。
(クリックすると拡大できます)
1月11日に行われた第11回目の公判前整理手続では、検察側の主張する事実と弁護側の主張する事実がほぼ95%出そろったので、1月31日に予定されている第12回目の公判前整理手続までに、それらを裁判所が整理し、残りは、情状関係の資料があれば弁護側が提出するという段階だそうです。お互いの言い分の整理、争点の整理ができて、審理計画(公判の1日目に何を審理し、2日目に何を審理する・・など)を立て、実際の公判は6月下旬~7月中旬に行われる見通しとのこと。公判は約10日、その後評議(裁判官と裁判員の相談)が約3日で、その後判決となるそうです。
リンゼイさんのお父様と一緒に来日する指定弁護士は、日本とイギリスの両国で弁護士資格を有する日本人の絹川というお名前の弁護士だそうです。
市橋君の精神状態は、過去には弁護団が接見に訪れた時にかなり不安定(特定の話題について激高する)な時もあったようですが、現在は普通とのことです。市橋君自身は出来あがった本を見ていないそうですが、昨年12月末頃に書きあげて、やりとげたという一種の達成感はあるのではと想像します。事件そのものについて触れていないのは、これから裁判が行われるのだからという弁護団の指示によることのようです。
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2011年1月24日月曜日
このところ毎日いろいろなことに追われていて、ブログの更新ができませんでした。昨日の夕方頃から急にテレビで、市橋君が獄中で書いた手記が出版されるというニュースと逃走中に沖縄の島で暮らしていたというニュースが流れ、私のところにもいくつかのメディアから取材の電話がありました。支援者の方々は気になっていることと思いますが、明日は菅野弁護士とお会いすることになっていますので、前回の公判前整理手続の様子や、手記の出版のことや、最近の市橋君の精神的状況など、皆さまにお伝えできると思います。
(支援者のお一人から本はすでに発行されたという情報が届きました。ありがとうございました。)http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/24kyodo2011012401000728/
ある雑誌から今月末が締め切りで依頼されていた原稿「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響 1.群馬県と静岡県における事例」は、今日完成して発送しました。私は、最近は農薬の環境影響に焦点を絞って研究活動をしていますが、3月に開催される2つの学会では次の6題の発表をする予定で、やっと講演要旨を全部提出し終わりました。
1.有人ヘリコプターで松林に散布されたフェニトロチオンMCの飛散
調査:長野県千曲市における2009年の事例
2.無人ヘリコプターで松林に散布されたフェニトロチオンMCの飛散
調査ならびに経皮・吸入暴露量測定:新潟県新発田市における
2009年の事例
3.無人ヘリコプターで松林に散布されたアセタミプリド液剤の飛散
調査ならびに経皮・吸入暴露量測定:長野県駒ケ根市における
2009年の事例
4.有人ヘリコプターで松林に散布されたフェニトロチオンMCの飛散
調査-長野県千曲市における2010年の事例
5.有人ヘリコプターで松林に散布されたフェニトロチオンMCの飛散
調査-長野県駒ケ根市における2010年の事例
6.水田に航空散布されたシラフルオフェンの飛散と生態影響:有人
ヘリコプターと無人ヘリコプターの比較
先日現地視察に行ってきた島根県出雲市の松枯れ状況は、予想をはるかに超えた悲惨な被害状況でした。ヘリコプターによる薬剤散布が農薬反対グループの活動で中止に追い込まれてわずか2年で、出雲大社の周辺の山の松は松くい虫で枯れて全滅に近い状況でした。このままでは、観光資源が損なわれただけでなく、大雨で山の地滑りが起これば麓に位置する住宅地が押し潰され、人命も失われる危険性があるという恐れから、地元の住民が薬剤の空中散布の再開要望書を市長と市役所に何回も提出して、住民の署名活動もやっていました。地元住民からの聞き取りや、写真撮影や映像撮影もしてきましたので、後日もっと時間の余裕ができた時に詳しく書きたいと思っています。
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2011年1月17日月曜日
多くの支援者が、1月11日に予定されていた第10回公判前整理手続の様子や市橋君の最近の様子など気になっていると思いますが、私自身が今月末が締め切りの依頼されている雑誌の原稿「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響」の執筆や、2月に予定されているいくつかの講演の準備や3月に予定されている2つの学会での講演の準備などで追われていて対応ができません。来週火曜25日には菅野弁護士の事務所にお伺いすることになりましたので、その後で皆さまにお伝えできる筈です。
今日は、社団法人日本植物防疫協会主催のシンポジウム「ポジティブリスト制度後の5年間」が東京の日本教育会館「一橋ホール」で開催され、私も聴講してきました。大変有意義な講演がたくさんありましたので、紹介したいのですが、今は超多忙で時間がありませんので、後日にします。
明日は、朝一番の飛行機で島根県出雲市に飛んで、一泊二日の予定で出雲大社の裏の北山の松枯れ状況の視察と、写真撮影・映像撮影をしたり、私が眼のかゆみの本当の原因と推察しているイネ科雑草の花粉の飛散時期を予測する気象データの入手その他をしてきます。ヘリコプターによる薬剤散布が中止に追い込まれたために、この2年間で松枯れが酷い状態になって、地元の多くの住民が大雨時の土砂崩れ災害を恐れてヘリコプターによる薬剤散布再開を市に申し込んだそうですので、実態を見て、できたら住民の話も聞いてこようと思っています。
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2011年1月14日金曜日
1月12日に振り込まれた方(9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は93,000円、延べ215人からの合計額は2,651,565円になりました。ありがとうございました。昨日、メールでのメッセージも届いていました。「・・昨日、市橋君の支援金振込みました。寒さ厳しい折、人混みへ出かけられることが多い先生、インフルエンザ等に気をつけられますように... 市橋君がどんな判決がくだっても希望を失いませんように できる限り支援を続けます!」 この支援者は大きな息子さんをお持ちのお母さんですので、市橋君のことが自分の息子のことのように気になるのでしょう。
私は昼休みにいつものように東京農業大学の桜丘アリーナと呼ばれる立派な体育館の中のトレーニングルームでストレッチと筋力トレーニングをした後、外に出て大学の周囲をジョギングしました。このところ運動不足で息が切れて情けない状態ですが、それでも汗を一杯かいてシャワールームでシャワーを浴びて外に出た時は、気分爽快になります。大学のキャンパスは、冬休みから帰ってきた大勢の学生諸君で賑わっています。仲間と雑談しながら教室に向かったり、生協に向かったりしている彼らの姿を見ながら、各々の夢に向かって生きている若者にがんばれよというエールを送りたくなります。
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2011年1月12日水曜日
1月7日に振り込まれた方(11回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は83,000円、延べ214人からの合計額は2,641,565円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただきました。「支援者の方々のメッセージを読むたび暖かさに涙が出ます。いつも市橋君の母親の気持になります。神は乗り越えられない試練は与えないと聞きます。体には充分気をつけて生活して下さい。弁護団の方々よろしくお願いします。」
折しも、マンガ「タイガーマスク」の主人公・伊達直人を名乗って児童養護施設にランドセルを送った人に続いて、全国各地で恵まれない子供達のために匿名のプレゼントが届いているとのこと。社会には、他人の痛みを共感して、少しでも何かをしてあげたいと思って下さる方がたくさんおられるのでしょう。
今日は東京農工大学名誉教授で昔からの研究者仲間のA先生を訪ねました。A先生はブラシノステロイドと呼ばれる植物ホルモンの研究のパイオニアのお一人ですので、私達が取り組んでいる研究テーマの一つに関連してブラシノステロイドの性質や分析方法について教えていただきました。ついでに、府中にある東京農工大学農学部の構内を案内してもらいました。
学会の時など、この大学に来たことは何回もありますが、案内付きでゆっくり回ったのは初めてでした。
構内には大久保利通の石碑が立っていて、よく見ると次のような開学の歴史が刻まれていました。「明治の元勲・大久保利通公が明治7年に当時の内藤新宿に農事修学場を置き、明治10年に駒場野に移して駒場農学校として開校したのが現在の東京大学農学部の前身である。東京農工大学農学部は、東京帝国大学農学部実科を前身として、昭和10年4月にこの地に東京高等農林学校として独立した。」 構内には新しい施設の他に、古風な様式の建物(登録有形文化財指定)や大木もあり、歴史を感じながら散策しました。
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古風な建築様式が保存されている東京農工大学の建物
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2011年1月9日日曜日
私のところには、ちょっと前にアメリカのNIEHS(国立環境健康科学研究所)に勤務していたMiss Janet Guthrieの訃報(Obitual Notice)が届きました。卵巣がんで59才で亡くなったとのこと。昨日がお葬式(Memorial Service)だった筈です。
Janet Guthrie, 59, died Thursday December 16, 2010 of ovarian cancer.
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In lieu of flowers, Janet asked that donations be made to one or more of the following: The Frank E. Guthrie Memorial Scholarship, College of Agriculture and Life Sciences, Campus Box 7645, NSCU, Raleigh, NC 27695-7645; Hospice of Wake County, 250 Hospice Circle, Raleigh, NC 27607; SPCA of Wake County, 200 Petfinder Lane, Raleigh, NC 27603.
・・・・
Janet さんは献花の代わりに、次のいずれか又は複数に寄付をして下さいと要請しました。①ノースカロライナ州立大学農学・生命科学学部のFrank E. Guthrie 記念奨学金 ②ノースカロライナ州ローリー市ウェイク郡ホスピス ③ウェイク郡のSPCA(Society for the Prevention of Cruelty to Animals 動物虐待防止協会) http://www.spcawake.org/site/PageServer
私は現地の友人(Margie さん)を通して、①のF.E. Guthrie 記念奨学金に100ドルを寄付するように依頼しました。この奨学金はF.E. Guthrie先生が亡くなった時に、先生の遺言で、毒性学を専攻する大学院生を経済的に支援する目的で、多くの人から献花の代わりに寄せられた寄付で設立されたものです。
Janet さんは、私が約10年間勤務していたノースカロライナ州立大学のFrank E. Guthrie 教授のお嬢さんで、1982年に京都で第5回国際農薬化学会議が開催された時に車椅子のF.E. Guthrie 先生に付き添って来日したのを思い出します。③を寄付先の候補に加えたのは、Janet さんは生涯独身で過ごしたのでペットを可愛がっていたのでしょう。
それにしても、日本の葬式のように香典や、ご遺体と一緒に棺桶に入れる献花と違って、John君の時もそうでしたが、これから生きていく人たちの幸福のために寄付をするというのは、アメリカ的な合理的な考えだなあという気がします。
私が名古屋大学大学院博士課程2年の半ばで休学してノースカロライナ州立大学(NCSU)のPh.D 課程に入り直したのは1969年ですからもう40年以上前ですが、その当時のNCSUでは毒性学科設立の萌芽期で、3人の教授が中心でした。イギリス出身のE. Hodgson 教授は、生物化学が得意で、農薬を含む薬物の第1段階代謝反応に関与する cytochrome P450 という酵素について先駆的な研究をしていました。E. Hodgson 教授は確か私よりも10才くらい年長でしたからすでに80才前後の筈ですが、今でもまだお元気で研究費を獲得して現役でNCSUで研究を続けておられます。多分、体が動かなくなるか最後の息を引き取る瞬間まで研究を続けられることでしょう。W.C. Dauterman 教授は私の恩師ですが、有機化学が得意で、殺虫剤の類縁化合物を多数合成して作用点との反応性の解析などをしていました。F.E. Guthrie 教授は、農薬を散布した後のタバコ畑に入って作業をする季節労働者の採血をしてコリンエステラーゼという酵素の阻害度を測定するような研究(それによって農作業中にどれくらい残留農薬に暴露するか推定する)の他に、農薬の経皮的吸収を調べるために、病院から事故死した人の皮膚を入手して拡散セルに装着して、放射能で標識した農薬の透過速度を測定していました。
F.E. Guthrie 先生は第二次世界大戦中はアメリカ軍の海兵隊員で、日本軍との間で激戦のあった硫黄島にも派遣され、朝鮮戦争時に在日米軍基地に駐屯していた時の「グスリー中尉」と日本語で書かれた板の表札を私に見せてくれたことがあります。私は君を共産軍から救ったんだと冗談を言って、留学時まだ20代だった私に目をかけてくれました。
F.E. Guthrie 先生とお嬢さんのJanet さんのご冥福をお祈りします。
3人の教授の肖像写真は本ブログの2010年10月2日の記事に貼付してあります。(左がF.E. Guthrie 先生、中がE.Hodgson 先生、右がW.C. Dauterman 先生)
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2011年1月8日土曜日
アメリカの友人(Margieさん)に、亡くなったJohn君の奥さん宛に私の名前でお花を届けてほしいと依頼しましたが、昔はアメリカでもお花を届けて弔意を表すことが行われたが最近は亡くなった本人の遺言や遺族が指定する公益目的でお金を寄付をする人が多いと言われたので、それならそうするように頼みました(お金は後から返すからという約束で)。そうしたら、今日アメリカがん協会から礼状がメールで届きました。
In Remembrance of John Burgess a Memorial Gift has been made to the American Cancer Society by Dr. Naoki Motoyama.
Donation Preference: Prostate Cancer
Donation Amount: one time donation of $100 in memory of John Burgess
John Burgess 氏を追悼して、本山直樹博士からアメリカがん協会に記念の贈り物が寄付された。
寄付を使ってほしい分野:前立腺がん
寄付金額:John Burgess氏を追悼して100ドルを1回だけ
Thank you for your recent generous donation to the American Cancer Society. Your support in the fight against cancer will touch countless lives both in your own community and across the country. The American Cancer Society is working tirelessly to eradicate cancer and to ease the burden of those living with cancer. With your support, the American Cancer Society is saving lives by helping people get well and stay well, funding lifesaving research, and empowering people to fight back against cancer.
Thank you again for your support.
Elizabeth T.H. Fontham, MPH, DrPH
President, American Cancer Society, Inc.
アメリカがん協会への最近の寛大な寄付をありがとうございました。がんとの戦いに対するあなたの支援は、あなたの地域と全国の無数の方々の命に関わります。アメリカがん協会は、がんの撲滅とがんを発症して生きている方々の負担を軽減するために、がんばっています。あなたの支援によって、アメリカがん協会は人々の病気が治るように援助することで命を救い、命を救うための研究に資金を提供し、がんに負けないように戦う人々に力を与えています。あなたの支援に本当に感謝します。
Elizabeth T.H. Fontham(学術修士・学術博士)
アメリカがん協会会長
こういう知らせがJohn君の奥さんのMaureenさんのところと私宛に送られたようです。
The American Cancer Society(アメリカがん協会)https://www.cancer.org/involved/donate/donateonlinenow/index
というのは、がんに関する研究や対策を支援するために、国の予算に頼るのではなく、民間を対象に常時このような寄付を募集していて、多くの人々がそれに応えているようです。考えてみれば、アメリカ人のやり方は合理的だなと思います。
日本の葬式では、弔問に訪れた人が献花をしたり、香典を差しだしたりして、遺族はそれに対して後日お返しを送るというのが習慣化していますが、葬式は大変な経済的負担がかかるので、喪主や遺族の負担を皆で支援して少しでも軽減するいう意味からそういう習慣ができたのでしょうか。
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2011年1月7日金曜日
1月5日に振り込まれた3名の方(9回目、2回目、9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は73,000円、今まで延べ213人からの合計額は2,631,565円になりました。ありがとうございました。
ここに紹介されることは予想しなかったかもしれませんが、お二人からはメールでお便りをいただきました。
「支援金を最後に送ってからずいぶんとご無沙汰してしまいました。今日は少しですが、○○○円を支援する会宛てで振り込みしてきました。夏にちょっとした病気を発症してしまいました。検査の結果悪いものでは無かったのですが、一度発症するとなかなか完治させるのは難しいようです。あまり病気には縁が無かったので、予定外の医療費がかかってしまった事や、初めて聞く病名に何となくショックを受けてしまい、なかなか支援金を振り込むまでには至りませんでした。その間にも全国の皆さんからの支援金はどんどん増えて、私も嬉しく思っていました。市橋さんを見守っている人がたくさんいるんですね。
今日は市橋さんの32歳の誕生日ですね。今は直接言葉をかけてあげられなくても、ご両親もきっと市橋さんの事を思い浮かべて過ごした事と思います。今日は弁護士の先生と接見はあったのでしょうか。せめてどなたかと何か言葉を交わしたなら良いですが。一人きりでずっと過ごしていると不安ですよね... 市橋さんの事はたくさんの方々が見守っています。どうかご自分を大切に、これから先も、市橋さんなら乗り越えられるはずです。私も頑張ります。強くて心優しい(Johnさんの事は残念でしたね...)本山先生のアクティブな毎日に、いつも勇気づけられています。脱線も私は大好きですよ。また余裕が出来ましたら支援金を振り込みます。先生の活動と市橋さんの事を、いつも応援しています。」
「今年は公判が始まる年ですね、弁護士さんは1年半以上もほぼボランティアで弁護活動されることになるんですね、先生のブログを読んでいると厳しい裁判になるようですが、頑張っていただきたいです。少しですが今日支援金を振り込ませて頂きました。これからもできる限り協力させて頂きます。
1月3日のブログの支援者の方のように、私も市橋さんの様子や支援者の皆さんの想いを知ることができるのはもちろんですが、本山先生の日常や研究・調査のお話、楽しみにしています。(近くの御陵に沢山生えていた松が枯れたのは寿命か病気だと思っていましたが、ブログで松くい虫のことを知り1つ賢くなりましたし、運動されている様子を読むたびに、私も口ばかり動かさないで体も動かさなきゃと、渇を入れてます。)
今日1月5日は市橋さんの誕生日ですね、市橋さんはこの日をどんな気持ち迎えられたでしょうか。仏教の父母恩重経の中に、「己れ生きている間は、子の身に代わらんことを思い。己れ死に去りて後は、子の身を護らんことを願う。」というのがあります。どんな状況になっても(年老いても) 親は子のことを思い憐れみ慈しむ恩だそうで、市橋さんにもどんな状況に置かれていても、産み育ててくれたご両親に感謝の心を持っていて欲しいです。そして体も精神も健康でいられますように。」
手書きのメッセージもありました。「市橋さんへ、32歳のお誕生日おめでとうございます。罪を償って社会復帰をし、ケーキを前にお祝い出来る日が来ることを心から願っています。」
今朝、1月1日に亡くなったJohn君の奥さんのMaureenさんに電話をしました。今は現地は冬時間で、日本とは14時間の時差がありますので、日本の今朝9時はノースカロライナ州ローリー市では昨日の夜7時になります。John君は亡くなる前に、私が送ったお母さんの実家の名古屋の写真と空手の型のDVDを本当に喜んで見ていたとのことでした。結局、抗がん剤治療の甲斐もなく前立腺がんが肝臓にまで転移して気分が悪くなったので入院し、病院で亡くなったとのこと。お葬式はしなかったようで、市内の葬儀社(funeral homeといいます)が病院から遺体を引き取って火葬(cremateといいます)にし、昨日終わったと電話があったので遺灰を引き取りに行って、自宅の棚に置いて、話しかけているとのこと。同じアパートに住んでいる私の空手の弟子(Bill君)も含めて、アパートの他の住人やMaureenさんの職場(州政府に勤務)の仲間たちが、励まし支えてくれているとのことでしたので、安心しました。
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2011年1月6日木曜日
1月4日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は50,000円、延べ210人からの支援金合計は2,547,565円になりました。ありがとうございました。私が12月24日のブログで書いた市橋君の誕生日昭和54年5月5日は間違いで、本当は1月5日なので、誕生日のプレゼントのつもりで送金しますというメッセージが書いてありました。誕生日については私の聞き間違いかもしれませんので、確認してみます。他にも振り込んだというメールがありましたので、明日には届くでしょう。
今日は昼休みに道場で学生と空手の稽古をした後で市橋君が専攻した庭園デザイン学研究室に寄って、卒業論文のコピーを借りてきました。明日にでも、東京農大の帰りに菅野弁護士の事務所に届けようと思っています。「東京ディズニーランドの植栽」という論文題目で、緒言に相当する「はじめに」の末尾で、「ディズニーランドでは、樹木のテクスチャを用いてどのような造園設計配置がなされているか、学習させてもらう立場で研究をおこなった。」と述べて、研究の目的を明らかにしています。自然科学の分野とは研究手法が若干違いますが、ディズニーランド内の諸施設との関係でどこにどういう樹種が植栽されているか現場を詳細に調査して、各々がどういう機能を果たすように設計配置されているか解析しています。 せっかくこういう分野の勉強をしたのに、その知識と才能を生かすことができなくなったのは残念です。
アメリカのJohn君が亡くなったことで、何人かの支援者からお悔やみのメールをいただきました。ありがとうございました。
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2011年1月4日火曜日
アメリカの空手の弟子/友人のJohn君の奥さんMaureenさんから以下のメールが届きました。John君が1月1日午前6時15分に亡くなったとのこと。
Naoki,
I'm sorry to send you sad news, but John passed away on January 1, 2011 at 6:15 AM.
He really appreciated all your efforts to locate his mother's family and was so happy to see the photos of Nagoya. If you happen to find out any additional information on his mother's family, please let me know.
Once again, thank you for everything you've done for us, and I hope to see you next time you visit Raleigh.
Maureen
Johnはあなたが彼のお母さんの家族を見つけようとしてくれたことに感謝し、お母さんが住んでいた名古屋の写真を見て大変喜んでいました。もしお母さんの家族についてさらに何かわかったら知らせて下さい。私達のためにしてくれた全てのことに感謝します。次回ローリー市に来る時はお会いしたいと思います。
昨年10月に私が会った時のJohn君は、前立腺がんの抗がん剤治療を受けていて頭髪も眉毛も1本もなくなっていましたが、自宅で療養しながら空手の型を練習し、型の部の試合にも出場したりしていました。闘病中の彼にとっては、それが精神的に病気に負けない方法であり、生き甲斐だったのでしょう。私が1969年にアメリカで種を播いた Gensei Dojo of Japanese Martial Arts を引き継いでくれた弟子達のために、1983年にローリー市を訪問した時に収録した空手の型のDVDのコピーを、昨年12月15日に国際宅急便で送ってあげたら、夫妻で一緒に映像を再生して、これは自分たちの宝物だと言って喜んでくれました。その時の電話の声は元気で力強く聞こえたのに、あれから2週間足らずで亡くなるとは、すでにがんは転移して相当悪かったのでしょう。
John君が生きているうちに日本の親戚を見つけてあげられれば、日米の間でメールのやりとりやお互いの訪問ができるようになることを密かに期待していたのですが、間に合わなくて残念です。夫妻には子供がいないので、これからMaureenさんは寂しさを克服して生きていかなければなりません。遠くて葬式には参列できませんので、現地在住の別の空手の弟子に私の名前でお花を届けるように依頼しました。
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2011年1月3日月曜日
支援者のお一人からメールで年賀のご挨拶をいただきました。「市橋さんはどんな思いで2011年をむかえられたんでしょうか。今年はとても大変な年になると思うので、体には十分気をつけてもらいたいと思います。本山先生のブログはいつも楽しみに拝見させてもらっています。本山先生や支援をされている皆さんの市橋さんへの思いを読んでいると、人に対する思いやりや優しさを改めて感じさせられます。お忙しい中ブログの更新も大変でしょうが先生のブログ楽しみに待ってます。」
ありがとうございました。ほとんどの支援者の皆さまとは、直接お目にかかったこともお話をしたこともありませんので、このブログでは私自身を知っていただくために、時々脱線して、私の日常生活のことも書くようにしています。
箱根駅伝の復路もドラマの連続で、今日も手に汗を握って観戦しました。私にとって特に印象に残った場面は、最初の6区の山下りの区間で早稲田大の高野寛基選手が、途中滑って転倒しながらも、先行していた東洋大の選手を追いかけ、追い抜いて再び早稲田大を一位に戻したことと、最後の10区で必死に追いかけてくる東洋大の山本憲二選手に対して、早稲田大の中島賢士選手が歯を食いしばって逃げ切り100mくらいの差で一位でゴールインしたことでした。1年間をかけてトレーニングをしてきて、全てを出しきって走った両チームとも優勝に値すると思います。
東京農大は途中8位に立つこともありましたが、最終的には14位でしたので、昨年の5位からは大幅にダウンした成績でした。これでシード権を失いましたので、来年は予選会から勝ちあがってこなければなりません。それでも、とにかく箱根駅伝に出場し、最後までタスキをつないで14位になっただけでもたいしたものなので、今年走った選手たちには胸を張って帰ってきてもらいたいと思います。
駅伝に元気をもらって、私は今日も江戸川堤防に走りに行きました。1時間くらいの間に20人くらいの走っている人に出会いました。
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2011年1月2日日曜日
支援者の皆さま、明けましておめでとうございます。市橋君が適正な裁判が受けられるように、今年も引き続きよろしくご支援のほどをお願い致します。刑務所の中の市橋君は、少しはお正月らしい料理がでたのでしょうか。
今年の元旦は何十年振りかで新宿の末廣亭という寄席に行って、妻と楽しい半日を過ごしました。
今日はテレビで恒例の箱根駅伝を観て、東洋大の柏原竜二選手が山登りの5区でそれまで圧倒的に1位を保ってはるかに先行していた早稲田大の選手についに追いついて、追い抜いて往路1位になったことと、東京農大が往路11位になったのを確認後、私も近所の江戸川堤防に行って初走りをしてきました。一昨年、昨年もそうでしたが、登りの厳しい5区の山道で柏原選手が何分も先行して走っている選手たちを、顔をゆがめて歯を食いしばって一人また一人と追い抜いていく姿には感動しました。いつもそうですが、箱根駅伝を観ると、カンフル剤を注射されたように元気がでてきて、ようし私も走るぞという気になります。
江戸川堤防では天気にも恵まれて、家族連れで散歩をしたり、赤ちゃんを乗せた乳母車を押している夫婦がいたり、自転車に乗ったり、犬の散歩をしたり、子供と凧あげをしたり、人それぞれに戸外の空気と景色を楽しんでいました。私と同じように正月早々からジョギングをしている人にも最低15~16人は出会いました。
私が子供の頃(60年くらい前)のお正月の遊びの定番は、「凧(たこ)あげ」、「こま回し」、羽子板での「羽根つき」、「竹馬(たけうま)乗り」、「カルタ取り」などでしたが、この頃は「凧あげ」くらいしか見なくなりました。そういえば、「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」や「缶けり」や「木登り」なども見なくなりましたので、子供の遊びも変わってきたのでしょう。都会では、そういう遊びができる安全な路地や、登れる木や、走り回れる野原がなくなってきた影響でしょうか。本当は体と頭を使うこういう遊びで、子供達は身のこなしを覚えたり、体力や感覚が鍛えられ、他の子供との付き合い方も自然に身についていたのかもしれません。ネット中毒や、テレビゲームに熱中している若者や、電車の中で電子ゲーム機をピコピコやっている大人を見ると、一部の感覚は発達しても、トータルな人間としては退化しているのではないかと思ってしまいます。
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支援する会ブログ 2010年12月31日-2010年02月25日
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2010年12月31日金曜日
12月27日に振り込まれた方(3回目)の支援金が今日届きました。これで支援金の現在高は45,000円、延べ209人からの合計額は2,542,565円になりました。ありがとうございました。
今年の2月20日に私のWebsite http://sites.google.com/site/naokimotoyama の記事NO.14として緊急支援要請文を掲載して以来、今までに延べ209名の方が支援金を振り込んで下さり、合計額は250万円を超えました。入金記録簿を調べてみましたら、支援者の実数は114名ですから、95名の方々は繰り返し(2回~10回)振り込んで下さったということになります。いただいたメッセージ等から、ほとんどの方は市橋君とは直接的には何の関係もない方々と想像されます。千葉大学を卒業してからとんでもない間違いを犯して窮地に追い込まれた元学生に対して、支援者の方々はまるでご自分の家族や関係者のように痛みを共感して下さり、温かい手を差し伸べて下さり、本当にありがとうございました。お陰さまで弁護団に裁判活動・弁護活動に必要な資金の一部を提供できましたので、元学生に適正な裁判を受けさせることができるようになりました。
今日は大晦日です。刑務所の中でも年越しそばがふるまわれるのでしょうか。逃走中に、生きるために働くというのはどういうことかを初めて経験した(弁護団にそう語ったそうです)市橋君ですが、これから長い年月をかけて罪の償いをしなければなりません。元教師としては、接見が許されるなら、悪いことをした元学生を刑務所から引きずり出してぶん殴ってやりたい気持です。すでに起こってしまったことを取り消すことはできませんが、これから刑務所の中で許される範囲の中で、市橋君が親からいただいた命を大切に、できる限りしっかり生きて命を全うしてほしいと思います。
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2010年12月30日木曜日
12月28日に振り込まれた2名の方(10回目と2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は25,000円、延べ208人からの合計額は2,522,565円になりました。メッセージもいただきました。「来年は市橋さんの裁判があるということで、私は自分自身の意思を再確認しています。私は市橋さんに更生し、もう一度御自分の人生を考え、やり直して頂きたいです。どれほどの時間があるのか判りませんが、市橋さんらしく生きてほしい。色んな考えがあるでしょうが、私は市橋さんをずっと見守り続けたいですし、少しでも更生のお役に立てれば・・・と思います」「ニュース報道があってからあっという間に冬が来てしまいました。(市橋君が)生きていて良かったと心から思いました。暑い夏、寒く辛い冬、幾度も超えて生きるのも市橋さんの人生。頑張って生きてください。自分の息子と重ね合わせて願ってます。」
ありがとうございました。もし市橋君のご両親がメッセージをご覧になれば、人の心の優しさに涙を流して感謝されるのではないでしょうか。
今日郵貯銀行から届いた振替受払通知票を見ますと、現在高は25,000円ではなく45,000円になっていますので、多分、12月27日に振り込まれた方がおられてその払込取扱票が遅れているのだと思います。12月28日の分と前後して明日には届くでしょう。
今日木曜は週間文春の発売日だということを思い出して、12月30日・1月6日新年特大号を買ってきました。先日取材に来た市橋君の記事が出ているかと思って目次を探してみましたら、載っていました。週間女性の場合と同じで、今までの経過が短く紹介されているだけでした。週刊誌というのは、元々娯楽や芸能人のゴシップ記事が中心で、スポーツ新聞などと同じように朝駅で買って、通勤電車の中で読んで、夕方駅で捨てていくという性質のものかもしれませんが、もう少し深く掘り下げた記事にすれば(例えば、有識者や、市橋君と同世代の若者、などの座談会形式にして、何故事件は起きたのか、社会的な背景があるのか、裁判員は何に注目して判断をすべきか、事件の再発を防ぐには何が必要か、外国人英語教師の生活の実態、などを議論させるなど)、ジャーナリズムとして価値が高まるのにと思ってしまいます。
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2010年12月29日水曜日
千葉大学走友会の練習会は、稲毛の海浜公園から幕張のマリンスタジアムまでの往復約10kmを17人で走りました。一番遅い私が一番早くスタートし、今年の記録が一番早い人は私よりも21分遅れてスタートしました。同じやり方で、私は一昨年は1位、昨年は2位になったのですが、今年は練習不足で5位でした。1位は本部事務局の経理課勤務のママさんランナーのO女史、2位は外科医師のS先生でした。寒風の中でしたが、所々海が見えるコースを全力で走って、気分は爽快でした。
忘年会は駅前の飲み屋さんで、勤務している学部も職種も年令(25才から75才まで)も違うメンバーとOBが、楽しいひとときを過ごしました。年末の忙しい時期ですので、練習会にも忘年会にも参加できなかった人もたくさんいました。
走ることのいいことは、自分に都合のいい場所で都合のいい時間にマイペースで練習できること、健康管理によいこと、走った後のビールの美味しいこと。それに、利害関係のない仲間がたくさんできてワイワイガヤガヤ楽しいこと、でしょうか。
私は、来年3月中・下旬に開催される学会大会の講演要旨の締め切りが1月初めですので、間に合うようにこれから大急ぎで準備をしなければなりません。
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2010年12月27日月曜日
12月24日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は5,000円、延べ206人からの合計額は2,502,565円になり、ついに250万円を超えました。ありがとうございました。クリスマスに因んで、温かいメッセージが添えられていました。「本日はクリスマスイブです。市橋達也さんはきっと、聖書を片手に内観し、祈りを捧げていることと思います。自分の中の傲慢を反省し、全てのことを受け入れることができたならば、市橋達也さんの人生は変わる筈です。そして、生きて下さい。生き抜いて下さい。人生にムダはありません。応援しています。」
クリスマスという節目に、刑務所の中にいる市橋君に思いをはせ、生きる希望を失わないように励まして下さる方がおられるということは、大変ありがたいことです。
今日は東京農大に行きましたら、昼休みに百周年記念講堂と呼ばれる大きな建物の前の広場で、箱根駅伝に出場する駅伝部の壮行会が行われていました。寒空の下に大勢の駅伝部員(40~50人?)が30分くらい直立し、応援団とチアリーダーがブラスバンドの演奏と大太鼓の響きに合わせて、一糸乱れぬ見事な動きでエールを贈っていました。若干、戦地に派遣される軍隊の出陣式みたいな雰囲気でしたが、昨年のチームが健闘して勝ち取ったシード権とこのような激励を受けて、選手たちは大学全体の名誉を担った代表であるという自覚を高め、全力で走ってくれることでしょう。私も思わず立ち止まって、がんばれよの拍手を送りました。毎年、お正月2日と3日にかけて行われる箱根駅伝にはいろいろなドラマが起こりますが、必死に走る若者たちの姿に釘づけになります。、
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2010年12月26日日曜日
この2~3日 n3motoya@gmail.com のメールサーバーが何らかの原因でダウンしているらしく、メールの送受信ができない状態になっています。メールが戻ってしまった方は、私の個人的なメールアドレスの方に転送して下さい。これから私にメールを送信される方も、従来のサーバーが回復するまで、私の個人的なアドレスの方に送信していただければ届きます。多分、明日には回復するのではないかと想像します。(先ほど夕方7時頃チェックしてみたら、すでに回復していました)
一昨日、菅野弁護士にお会いした時に、週刊文春の記者に聞いた息子さんも人権派弁護士として活躍しておられるという話を確かめてみましたら、やはりその通りだとのことでした。現在、非常に難しい事件の加害者の弁護を担当しておられるとのこと。弁護士というのは、被害者の弁護を担当したり、加害者の弁護を担当したりしなければならず、難しい職業だなと思いました。菅野弁護士は、弁護士という職業には「心・技・体」の三位一体が要求されるとおっしゃっていました。裁判に必要な知識や技術が「技」で、証拠を集めたり裁判で戦うのに必要な体力が「体」で、それにも増して人間としての「心」が必要とのこと。武道の世界と全く一緒だなと感じました。
29日(水)は千葉大学走友会の年末恒例の練習会と忘年会です。稲毛の海浜公園から幕張のマリンスタジアムまでの東京湾沿いの往復を走り、今年参加した駅伝やマラソンの記録によってハンディキャップをつけて、遅い順に時差スタートをして競争します。このところは私がいつも全会員の中で一番遅い記録の持ち主ですので、一番早くスタートします。今年もメタボ気味の体調を解消できませんでしたので、到着順位よりも完走することを目標にせざるを得ませんが、忘年会だけ出席する人たちよりもいいかなと自分を慰めています。それでも一応、昨日は8km、今日は10km江戸川堤防をゆっくり走って準備をしました。
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2010年12月25日土曜日
12月21日に振り込まれた方(10回目)と22日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで現在高は221,000円、延べ205人からの合計額は2,497,565円になりました。ありがとうございました。昨日報告しましたように、24日に全額を払出して菅野弁護士に届けましたので、現在の現在高は0円です。公判前整理手続は3月下旬まで続きますし、6月下旬からと予想される公判でも、弁護団は日本の検察だけでなく、被害者遺族とその利益を代表するイギリス人弁護士に対して、市橋君の弁護活動をしていくことになりますので、これからも引続きご支援をお願い致します。
2010年7月9日にNHKホールで行われた吉永小百合「平和への絆コンサート-原爆詩の朗読と音楽の仲間たち-」がテレビで何回か再放送され、私は観る度に胸が締め付けられ涙が溢れました。幸い12月19日にもNHK BS2で15:00-16:30に再放送されましたので、知人に録画したDVDが入手できないか頼んでおきましたら、昨日届きました。吉永小百合の朗読を聞くと、人間の命と家族の大切さが心に沁みわたってきて、戦争によってそれが奪われた人々の悲しみを思うと、自然に涙が溢れ、二度と戦争をしてはいけないという強い思いが込み上げてきます。これは人類の宝ですので、世界中の人に観てほしいと思います。いつかNHKに問い合わせて、英語版ができていないようでしたら、私の娘(昔、職業として映像翻訳をしていたことがありますので)か誰かに英語の字幕をつけてもらえないか相談してみたいと思っています。
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今日は菅野弁護士の事務所に伺う前に郵貯銀行に寄ってみたら、前回報告した後にさらに支援金が振り込まれていて(私のところにはまだ振替受払通知票は届いていません)、全額の219,000円を払出しました。それに現金を手渡された2,000円を合わせて、221,000円をお届けしました。これで、今までに支援金総額2,497,565円をお届けしたことになります。いつものように菅野弁護士からの領収証を添付しますので、ご確認下さい。
公判前整理手続の日程については、12月は6日と8日に行われ、1月は11日と31日、2月は14日と25日、3月は8日と16日が予定されていて、最終回は遅くても3月16日と裁判官に指示されているので、公判は2ケ月後の5月下旬になる筈ですが、実際はさらに遅れて6月下旬になる予定だそうです。それは、公判にはリンゼイさんのお父様が被害者遺族として正式に参加の申し出をし、それに指定弁護士(現在遺族の代理人をしているイギリス人弁護士)も参加するのに、6月下旬にならないと来日する日程の都合がつかないという事情によるようです。この指定弁護士は、日本の弁護士資格とイギリスの弁護士資格の両方を持っている方で、当然日本語も堪能なようです。公判の時期は、1月31日の公判前整理手続までに決定(予約)されるそうです。
今の裁判制度では、被害者(被害者遺族)求刑が認められているとのことですので、実際の公判では、リンゼイさんのお父様から検事の求刑よりもさらに厳しい極刑の求刑がされる可能性が予想されるようです。今回の事件では、正式裁判員6名の他に、万が一正式裁判員に何かがあった時のために補充裁判員3名も選ばれるそうです。裁判は、午前10時から12時まで2時間、午後1時から5時まで4時間、途中休憩をはさむと実質1日5時間が上限ですから、それに通訳の時間も考慮すると、最低でも2週間はかかるだろうとのことです。
市橋君は、毎日定時に放送されるラジオのニュースは聞けますが、今は新聞は購読していない(購読する権利は認められているが)とのことです。刑務所内の売店で購入可能な週刊誌・マンガのような雑誌と食べもの(衣服は駄目)については、注文書に書いて刑務所職員に渡せば、4~5日後に届くという仕組みですが、外部からの差し入れは、手紙類と同様に認められていないとのことです。従って、今まで個人的に直接刑務所に送ったり差し入れされたものは(お金を除いて)本人には届いていませんし、弁護士宛に差し入れてほしいと送られてきた手紙類もそのまま保管されていて、本人には届いていません。従って、私に送られてきた市橋君宛の手紙やカードも本人に届けることはできませんので、ご了承下さい。
弁護団は週に1回は1時間~1時間半くらい接見を続けていますので、必要なものは市橋君がその時に弁護団に要望すれば、支援金で購入して差し入れされますので、寒さ対策も含めて不自由はしていないそうです。刑務がない未決囚が狭い独房の中でどうやって一日を過ごしているのかわかりませんが、市橋君は聖書を読んだり、積極的に運動をしたりして、健康状態は普通のようです。公判前整理手続には必ず毎回参加しているそうですので、検察側と弁護団がどういう主張のやりとりをしているかについては、把握しているようです。刑務所の食事は、麦が5%(?)くらい混ざったお米のご飯とおかずが中心のようですが、市橋君は元々パンやスパゲッティが好きで米飯は食べないということのようですが、それではカロリーが不足するので、多分ご飯の代わりにパンを購入して食べているのかもしれません。
報道によっては、市橋君の年齢を32才とした記事もありましたが、昭和54年5月5日生まれですから、正確には現在31才の筈です。
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2010年12月22日水曜日
先日市橋君の件で取材を受けた週刊文春の記事は、記者に問い合わせてみたら来週の木曜12月30日に発売される号に掲載されるとのことです。
名古屋市昭和区役所の市民課戸籍係りから今朝電話がありました。John君の出生証明書に記載されていたお母さんの当時の住所に相当する所には、該当する戸籍の記録は見つからないとのことでした。私が訪ねた場所には、生前のお母さんからJohn君が聞いていた通り、ある宗教団体の教会が家のすぐ前にありましたので、場所に間違いはない筈です。早速アメリカに電話をして、その他に何か手掛かりになるようなことを聞いていないか思い出してもらったら、当時John君のお母さんの家は兄弟・姉妹が7~8人の大家族で、contractor(建築や土木工事などの請負業)をやっていて、従業員の給料支払い(payroll)などの事務的なことを娘時代のお母さんが担当していた、という新しい手掛かりがわかりました。お母さんのお父さんは魚釣りが趣味だったと聞いたことがあるというのも新しい手掛かりです。第二次世界大戦が終わった1945年から間もない1950年頃のことですが、近所に年輩の方が住んでいれば当時のことを覚えている人がいるかもしれませんので、今度名古屋に行く時に近くの住宅を何軒か訪ねてみようと思います。
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2010年12月20日月曜日
12月17日に振り込まれた3名の方(3回目、10回目、8回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は210,000円、延べ203人からの合計額は2,486,565円になりました。ありがとうございました。各々の方からのメッセージも書かれていました。「本山先生・弁護士のみなさんには頭が下がります。市橋君に気持が伝わる事を願っております。」「寒くなりました。市橋君、体に気をつけて強い心でがんばって下さい。いつでも応援しています。本山先生も御身大切になさって下さい。」「市橋さんへ、You are not alone. 応援しています。」
菅野弁護士から連絡があり、その後振り込まれた支援金を12月24日にお届けすることになりました。公判前整理手続の様子や、市橋君の様子や、皆さまから寄せられた質問などについても伺ってくるつもりです。
先日取材に来た週刊文春は、今日駅の売店で訊いてみたら、毎週木曜日に発売されるとのことでした。
母親が日本人で父親がアメリカ人のJohn君から、亡くなったお母さんの戸籍から親戚が存在するかどうかを調べてほしいという依頼ならびに了承の手紙が届きました。早速日本語に訳して、以前渡されたアメリカ領事館発行のJohn君の出生証明書のコピーとその日本語訳と一緒にして、1953年に渡米する前にお母さんの本籍があった名古屋の昭和区役所に送りました。個人情報でしょうから、区役所がどういう対応をするか・・。
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2010年12月17日金曜日
今日は予想外の方から手渡しの支援金がありました。これで支援金の現在高は193,000円、延べ200人からの合計額は2,469,565円になりました。支援活動に対するご理解とご協力をありがとうございました。
週刊文春の特集記事用の取材は予定通り行われました。市橋達也君の適正な裁判を支援する会を立ち上げた理由や、どういう方が支援者かということや、支援金が役に立って検察側の死亡推定時刻の変更に貢献したことや、弁護団から聞いている市橋君の最近の様子など、私の知ってることと、私の考えていることをお話しました。特集記事がいつ掲載される予定かは確認するのを忘れてしまいましたが、他の重大事件・事故と一緒の特集記事ですから、多分要点だけ簡略に報告する小さな記事になるのではと思います。
TBSテレビが、BS放送用に松枯れ問題について取りあげたいということで、私が協力して現地取材をする計画について現在相談が進行中です。松くい虫を防除するヘリコプターによる薬剤散布が中止に追い込まれたために、松林がどれだけ悲惨な状況になっているかをきちんと報道して、国民に実態を理解してもらうことは重要ですので、私もできるだけ協力を惜しまないつもりです。
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2010年12月16日木曜日
12月14日に振り込まれた2名の方(8回目と5回目)の支援金が届きました。8回目の方からのメール通知には「・・市橋君も風邪ひいてませんように・・」というメッセージが書いてありました。これで支援金の現在高は191,000円、延べ199人からの合計額は2,467,565円になりました。どなたでも、年末年始はいつもより支出が多い筈なのに、市橋君が適正な裁判を受けられるように、何回も支援金を送り続けて下さってありがとうございます。
明日は、週刊文春が「重大事件・事故を振り返る」という年末特集企画記事用に、市橋君の近況について取材に来ることになっています。
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ある支援者が、大石 圭という作家自身のブログで、市橋君のことに言及していると知らせてくれました。 http://www.ooishikei.jp/diary/diary_67.shtml 市橋君がいた寮にあったのは、文庫本の「殺人勤務医」のカバーだけだったとのこと。また、市橋君が逮捕された時に道尾秀介著の「向日葵の咲かない夏」というミステリー小説を持っていたとのこと。 こういった小説を読んでいた市橋君を、マスコミは異常性癖の持ち主であるかのように報道していたが、大石 圭も道尾秀介もベストセラー作家で、これらの作品は気軽に読めるライトノベルなので、特に事件とは関係がないのでは、というのがこの支援者のお考えだったようです。
イギリスのメディアが市橋君が暴力的な内容の漫画を愛読していたと報道していたことに関しても、http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/news/article23530.ece
に載っていると知らせてくれました。
両方の情報とも私の知らないことでした。ありがとうございました。
今日はまた、別の支援者から5回目の支援金を振り込んだというメールが届きました。「裁判員裁判でも、かなり厳しい刑が下りている状況の中、
あれだけの注目を浴びた事件ですから、どうなるか・・・ 本当に正当な裁判が行なわれることを願っております。」「これで今年の送金は最後になるかと思います。どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。市橋さんも、隔離された中ではありますが、心安らかな年を迎えられますように。」というメッセージもいただきました。ありがとうございます。
先日、「週刊女性」の編集部員から取材を受けましたので、今日発売(1月1日号)の「週刊女性」を駅の売店で買ってきて、どういう記事になっているか開いてみました。「2010年のニッポン その後、どうなった? 終わらないあの騒動、あの事件の今」という特集で取り上げたいくつかの事件の中の一つですから、事件を掘り下げるだけのスペースはありませんが、市橋君について従来の多くのメディアのように偏見と推測に基づいた悪意のある書き方はされていないと感じました。
記事の見出し「恩師が明かす市橋達也被告(32)の今」から、彼がすでに30才を越えたことに気付かされます。大学を卒業してから2年、事件から約3年逃亡生活、身柄を拘束されてから1年ですから、千葉大学を卒業してからすでに約6年という歳月が経ったことになります。どういう判決になるのかはわかりませんが、有期刑の上限は30年ということのようですから、これからさらに相当の長年月を刑務所の中で暮らすことになるのでしょう。その間にも、市橋君の心が腐らずに、罪を償いながらできる範囲で自分自身の成長をし続け、社会にも何らかの貢献ができるように、皆で応援をしてあげられればと思います。
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2010年12月13日月曜日
12月10日に振り込まれた方(2回目)と11日に振り込まれた方(匿名希望、3回目)の支援金が届きました。「体には十分気をつけて、市橋君の更生できる日を願っております。2回目ですが、今後も支援していきたいと思っております。」とのメッセージもいただきました。ありがとうございました。これで支援金の現在高は171,000円、延べ197人からの合計額は2,447,565円になりました。
市橋君が千葉大学を卒業する時に、市川の辺りに住むのだったら松戸に近いのだから時間がある時は道場に来て一緒に稽古をしようと誘ったら、「はい」と答えたにもかかわらず、事件を起こすまでの2年間全く交流がなかったので、彼がその後どういう生活をしていたのか私は知りません。私の研究室を専攻して卒業・修了していった学生の中にも、30年経った今でも連絡をくれる者もいれば、卒業後は一度も連絡をくれない者もいます。しかし、普通の学生だった市橋君が、すぐ見つかることはわかっていながら、何故リンゼイさんを自宅で強姦し、自宅に監禁し、亡くなった後は遺体を自宅に隠すような理性では考えられない馬鹿なことをしたのか、理解するのは困難です。しかしこういう事が起こったのは事実なので、市橋君には何か理由があったのでしょう。
支援者のお一人から、大石 圭という作家の小説に、美女監禁サディズム、監禁致死、裸にして縛って暴力、美女を檻に入れる、ロープで拘束・・、といった内容の作品があるというお知らせをいただきました。社会から隔離されて一人で生活する若者が、インターネットカフェに入り浸ったり、小説を読み耽ったりしているうちに、その中で描かれるバーチャルな世界と現実との区別が付かなくなって、理性では考えられない犯罪を犯すようなことがあるのかどうか。私は社会学者でも、犯罪心理学者でも、精神科医でもありませんが、一度目を通しておきたいと思って、早速ネットで検索して大石 圭という作家の小説の中から一冊「奴隷契約」を選んで注文しました。
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2010年12月11日土曜日
昨日は東京農業大学のグリーンアカデミーホールという施設で、総合研究所研究会農薬部会の第80回セミナーが開催され、2題の講演がありました。元三共株式会社農業科学研究所長の城島輝臣博士の「第12回国際農薬化学会議に参加して」と、日本獣医生命科学大学名誉教授の鈴木勝士先生の「農薬のリスクアセスメントをめぐる最近の話題」
鈴木先生は内閣府食品安全委員会農薬専門委員会座長を3期も務めて最近退任された方で、200以上の農薬の一日摂取許容量(ADI=Acceptable Daily Intake)の設定に携わった方です。農薬のリスクアセスメントの法的根拠、理念、方法論、係争・懸案事項など、長年直接携わった人でなければできない素晴らしい講義をされました。
いずれも大変興味深い内容で、本当は大学の講義と同じように15回くらいシリーズでやっていただきたいと思ったくらいですが、私自身も過去に関わったことがある問題で特に興味深い話題がいくつかありました。一つは、先生がダイオキシンパラドックスと表現した問題。ダイオキシンは地球上で人類に対する最強の毒と思われ、学校でのゴミ焼却も禁止され、我国の風物詩だった落葉での焼き芋もできなくなりましたが、実はそれは間違いだということ。
本ブログの12月4日の記事で言及しました日米科学協力事業セミナーの後、私はアメリカの疫学者Dr. David F. Goldsmithが再来日した機会に、日本の疫学者(当時、国立がんセンター研究所がん情報部長)Y博士もお呼びして、千葉大学で"農薬の発がん性および内分泌かく乱(環境ホルモン)活性に関する疫学的リスク評価"という公開ワークショップ(1998年)を企画・実施しました。その時にY博士が送ってこられた演題「弱いポテンシーの発がん物質を疫学的にどう評価するか:ダイオキシンを例として」を見てびっくりしました。ダイオキシンの発がんリスクは、一般国民の思い込みと違って、タバコを1日1本吸う人が15年後に肺がんになるリスクと同程度に低いということ。ベトナム戦争当時ジャングルを枯らすために散布された除草剤に含まれていたダイオキシンでベトちゃん・ドクちゃんに代表される奇形児が生まれたというのも間違いで、実はこの地方の風土病だったということ。ある国の工場で多くの人が高濃度のダイオキシンに被曝する事故があった場合も、その後の調査で発がん率の異常増加はみとめられていないということ。当時の私にはショックだったのを記憶しています。
昨日の講演会で別の専門家から偶然同じ話とその科学的根拠をお聞きして、納得すると同時に、メディアや一部の学者やジャーナリストや、それに動かされる政府に、私たちがいかに簡単に間違ったことを信じ込まされるかということを再認識しました。当時厚生省所管の国立がんセンター研究所の専門家でありながら、何故ダイオキシン騒動は間違いだと国民に発言しないのかという私の質問に対して、Y博士は「嵐が吹いている時は誰も聴く耳をもっていないので、何を言っても無駄だ」と答えられました。
ダイオキシンは危ないと騒ぐことで、視聴率を稼いだり、研究費を獲得したり、財務省から予算を配分されたり、ビジネスが繁盛したり、社会正義をしていると思い込んで自己満足したりする人がいることも、間違った認識がいつまでも是正されない理由のひとつでしょう。、そのために、国民の税金から無駄な予算が支出され続けるとしたら、それは国民の利益を損なっている反社会的行為ではないでしょうか。農薬についても、本当は安全性に問題はないのに、危険だ危険だと虚偽の宣伝をして自己利益(お金儲けや、自分たちの活動の正当化など)に結び付けている人たちが多数いるのも、似たような状況だなと思いました。
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2010年12月8日水曜日
12月6日に振り込まれた方(9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は136,000円、延べ195人からの合計額は2,412,565円になりました。メッセージもいただきました。「心配な事は計り知れないほどありますが、市橋君がとにかく強い心と健康でいれますよう、心より祈り、毎日手を合わせております。」 ありがとうございました。
今日は「週刊女性」のK編集部員(若い女性)が市橋君の件に関する取材で東京農業大学の私の研究室に来られました。来週12月14日火曜日発売号に掲載予定の「あの事件は今」という年末特集記事の中で、「市橋被告の現在おかれている状況」をとりあげたいとのことでした。テープレコーダーを回しながら、30分くらいという予定でしたが、私がたくさん話しましたので、気がついたら2時間半くらい経っていました。今は、メディアは猫も杓子も歌舞伎俳優の市川海老蔵暴行事件一色の中、週刊誌というのは発売日直前(ホットな話題を伝えるため)に取材して記事を作っていかなければならないので、大変だなあと思いました。
そもそも私が何故顔を表に出して支援する会を立ち上げたかをお話しました。今までに支援活動を批判するメールが届いたり、農大学長に抗議文を送りつけてきた人がいたり、支援者の顔をして支援金を振り込んで支援活動の様子を探ろうとしている反支援者らしき人がいることや、いろいろ嫌がらせもあることをお知らせしました。市橋君は、拘留されてから絶食死を目指した時期や、千葉刑務所に移されてからは自殺の可能性があるという扱いから普通の未決囚と同じ扱いを要望した時期や、差し入れされたお金で刑務所内の売店で甘いものを買って食べ過ぎて(ストレス発散?)メタボになりかかった時期や、今は普通の未決囚扱いになって精神的にも落ち着いて、運動も積極的に行っているらしいことなど、弁護団から聞いたことをお話しました。私たちの支援活動は弁護団を通して市橋君にも伝わっていることもお話しました。
先日取材に来られたイギリスの新聞の東京支局長の時もそうでしたが、メディア関係者も、確実な情報がない中で、ネット上で交わされている信頼性が確認できない憶測や悪意に基づいた流言飛語に惑わされる可能性があると感じました。今日の取材の結果どういう記事になるかわかりませんが、帰り際に、「自分も本山先生のような教師の学生だったら良かった」と言って下さったので、等身大の正直な市橋像を伝えるような記事になることを期待します。
私自身も12月はスケジュールがかなり一杯ですが、菅野弁護士に、その後振り込まれた支援金をお届けする日程調整をお願いしました。
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2010年12月4日土曜日
今日は神田の学士会館で名古屋大学農学部同窓会関東支部総会ならびに講演会があり、私も参加しました。昭和32年(1957年)卒から平成16年(2004年)卒までですから、47年の年齢差のある同窓生が楽しいひと時を過ごしました。講演の部は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)未踏技術研究センターの小口美津夫氏による「宇宙で生きる~人工的な地球の創造~」という演題の講演があり、スライドに動画(宇宙飛行士がどうやって歯を磨いたり頭を洗ったりするかとか、無重量状態で魚が突然キリキリ舞いする様子とか)も挿入して、あまりにも興味深いお話に最初から最後まで惹きこまれました。宇宙船での長期生活用に開発された様々な技術、例えば物質の再利用、水の浄化、植物工場による食料生産など、地球上の問題を克服するのにも活用できるということを再認識しました。
数日前に大阪大学で物理学を教えておられるK教授から、私たちが10年以上前に取り組んでいた農薬と発がん性に関する研究についての問い合わせのメールが届きました。科学を装いつつ実は科学的根拠のないさまざまな問題を「ニセ科学」として検討しておられるとのことです。私たちは、1960年代に使われていた水田除草剤が、新潟県における胆のう癌による死亡率が全国一高いことと関係があると示唆した疫学的な研究を再検証し、仮説を否定しました。この問題については、日米の癌の疫学の専門家その他を招聘した日米科学協力事業セミナーでも検討しましたので、その時のプロシーディングズ
"Pesticides and the Future: Minimizing Chronic Exposure of Humans and the Environment" eds. Ronald J. Kuhr and Naoki Motoyama, IOS Press, Amsterdam, 1998
を一冊お送りしました。
疫学的研究の仮説は否定されたにもかかわらず、当時アエラという週刊誌に大きく報道されたこともあって、この事例が今でも農薬による発がん性の事例として引用され続けているのは残念なことです。間違いがわかっても、報道を訂正しない一部のメディアやジャーナリストの無責任な体質にも責任があると思います。
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2010年12月2日木曜日
アメリカ訪問中の10月4日に、ノースカロライナ州ローリー市の病院に入院していた友人のFrank Peoples君の奥さんのJoAnnさんをお見舞いに行って、いつかまた会おうとお別れの挨拶をしてきましたが、今日は私の携帯に突然の電話があってびっくりしました。退院して、理学療法士の指導を受けて自宅で歩行訓練などのリハビリをしているとのこと。Frank君も電話に出てくれて、お互いに元気でやっていることを確かめ合いました。久し振りに友人の声が聞けたので、今日は一日いい気分でした。
先日、三重県からの帰りに名古屋に途中下車して、1951年(昭和26年)に空軍兵士だったアメリカ人の父親と日本人の母親との間に生まれたJohn君(59歳)の出生証明書を頼りに、当時お母さんの住んでいたところと産婦人科医院を見つけることができましたが、それを知らせたら、John君と奥さんのMaureenさんから感謝のメールが届きました。今度は、John君からの戸籍調査依頼状が届いたら、次回名古屋に行く時に、それを区役所に持参してお母さん(故人)の兄弟・姉妹の移転先や従兄弟・従姉妹の有無を調べてあげるつもりです。届いたメールによると、John君のお父さんとお母さんが名古屋で出合ったのは17才の時ではなく(それでは計算が合わない)、21~22才頃だった筈とのことでした。お母さんが亡くなる前に、日本でのご家族の消息を探してあげられればよかったのにと思ってしまいます。
昼休みに道場で学生と空手の稽古をした後、車を運転して千葉県山武市にある千葉県森林研究所を訪ねました。先月、松林防除実践講座での私の講演を聴いた県の研究者(千葉大学園芸学部の古い卒業生)が、来年は千葉県の松林を対象に一緒に研究ができないかと提案してきましたので、その相談をしてきました。千葉県は昭和54年(1979年)にあった松林面積35,856haに比べると平成21年(2009年)の残存松林の面積は3,353haですから、30年間で松林の90%以上が消滅しています。わずかに海岸に残っている松林だけは、これも松枯れで酷い状態ですが、防風林・砂防林としての機能を果たしていますので、地域住民の生存環境を保全するためにこれだけは何とか死守したいという考えです。私は、最後の博士研究員がいなくなる来年の4月以降は、大学卒業以来45年間続けてきた研究生活から引退する潮時かなと考えていましたが、場合によってはもう少し続けることになるかもしれません。
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2010年12月1日水曜日
11月29日に振り込まれた2名の方(2回目?と9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は131,000円、延べ194人からの合計額は2,407,565円になりました。ありがとうございました。公判前整理手続が来年3月まで続くことになり、弁護団も5月以降と予想される公判まで長期間の裁判活動をすることになりますので、それを支援する支援金が引続き振り込まれることは大変ありがたいことです。
払込取扱票にはメッセージが手書きされていました。「市橋君にもおじいちゃんがいる(注)と聞きました。そのおじいちゃんのためにもがんばって下さい。一日も早く岐阜へ帰れるよう祈っております。私も男の子のおばあちゃんです。」「・・・イチョウやもみじも美しく紅葉し、そろそろ落葉で地面は彩り鮮やかな絨毯をひいているようです。市橋さんにも見せてあげたいです。独房の中、寒くないか、淋しくないか、風邪ひいてないか、色々心配です。早く、たくさんの方々の支援する気持が市橋さんに伝わればいいな! と思います。そして適正な裁判と判決を心から願い祈ります。」
(注)私は市橋君のご家族の構成については把握していません。
昨日のブログで、裁判官がさらに整理手続を続けるように指示したことを報告しましたが、それに対して何人かの支援者からメールでコメントが届きました。検察側が主張している「殺人」の意思が本当にあったかどうかを厳密に検証してもらえるという意味では非常に良かったと思う半面、被害者の遺族(リンゼイさんのご家族)にとってはつらい日々がさらに続くのは気の毒だという配慮をされる方もいました。
私たちは、市橋君が社会から袋叩き(リンチ)にされないように、適正な裁判を受けられるように支援活動をしていますが、亡くなったリンゼイさんとそのご家族の無念さも決して忘れてはいけないと思います。
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今日は第8回の公判前整理手続の後、菅野 泰弁護士、山本宏行弁護士、三宅貞信弁護士が千葉大学園芸学部のある松戸キャンパスに来られ、市橋君が卒業論文の研究で専攻していた庭園デザイン学研究室の指導教員のお一人だったM教授と情報交換をしました。市橋君が1年生の時に提出した庭園デザインの設計図が、同期の学年のトップ8名の優秀作品に選ばれたこと(冊子に作品の写真が残っている)や、早くからデザインに熱意を持っていたことなど、私の知らなかったことも多々ありました。
その後、学内の生協の食堂に寄って、長年学生達に食事を作っていて、親元を離れて生活している下宿生達にお母さんのように慕われている生協職員のIさんの入れたコーヒーを飲みながら、当時の市橋君の印象などを聞きました。市橋君はいつも食堂が混んでいる時間が過ぎてから昼食を食べに来ていたので、よく話を交わしたけど、事件が報じられた時はあんないい子が何故と信じられなかったとのことでした。
今日の公判前整理手続では、結局12月の残り2回だけでは整理がし切れないという裁判官の判断で、3月まで整理手続を続けるように予定が組み直されたようです。ということは、公判が開かれるのはそれから約2ケ月後ですから、早くても5月20日頃以降ということになるようです。どんどん当初の見通しよりも延びてきたのには、主として検察側の主張が根拠が弱い(つまり、検察側は先に筋書きを構築したけれでも、その筋書きが正しいことの証明に苦労をしている)ということにあるのかなという印象を受けました。
検察側は、昨年12月2日に市橋君を「死体遺棄」容疑で起訴し、12月25日にはそれプラス「強姦致死」「殺人」容疑で起訴をしましたが、2回目の起訴前日の12月24日の取り調べで市橋君が事件の全容を自ら証言し検察側はその調書をとったにも拘わらず、検察側が構築した筋書きと異なるということから、それを信用できないとして証拠として提出していないことに無理があるようです。市橋君の証言に基づいた弁護側の「傷害致死」に相当との主張に対して、検察側の主張する「殺人」を裏付ける証明ができないということが問題のようです。
なお、支援者が心配しておられた暖房については、千葉刑務所は一応暖房はあるが非常に寒い状態(設定温度が低い?)とのことでした。支援者のお一人は、2週間ぐらい前に千葉刑務所で行われた矯正展に参加し、刑務官の案内と説明で塀の中の施設などを見学してきたとのことです。刑が確定後、市橋君がどういう生活をすることになるのかある程度想像ができたとのことです。
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2010年11月29日月曜日
11月26日に振り込まれた2名の方(1名は5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は116,000円、延べ192人からの合計額は2,392,565円になりました。ありがとうございました。初めて振り込まれた方からは、次のメッセージが添え書きされていました。[初めて支援させて頂きます。先日まで体調を崩していたので少し振り込みが遅くなりました。入院していて思った事があって、人は心や体が弱っている時にかけてもらった何気ない一言やちょっとした気づかいがどんなにありがたいことか、という事です。何の面識もない私のメッセージが市橋さんの心にひびいてくれるかわかりませんが、もし可能なら「ストレスのたまる毎日でしょうが、心折れる事のないように市橋さんにとって最良の判決が出るように祈っています」とお伝え下さい。本山先生もお体には気を付けて、これからも無理なさらぬように頑張って下さい。応援しています。]
私も本当にその通りだと思います。人間は、苦しい時ほど、困っている時ほど、声をかけてもらったり、助けの手を差し伸べてもらったりすると、どんなにかありがたいと感じるものだと思います。弁護団が接見する時に、皆さまからの励ましのメッセージを市橋君に伝えていただけるように、あらためてお願いするつもりです。
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2010年11月28日日曜日
今年の講演や講義の予定は全部終わりましたので、久し振りにカメラを持って園芸学部キャンパスと江戸川の堤防を散歩しました。市橋君が専攻した庭園デザイン学研究室が入っているA研究棟右の桜の老木は、春には満開の花を咲かせていましたが、晩秋の今は紅葉の時期を過ぎてすでに落葉していました。A研究棟左にはヒマラヤシーダーと呼ばれる巨木が何本かありますが、その下には昔ここを訪れたことがある与謝野晶子の句碑が、市橋君の卒業後に建てられました。斉藤一雄初代教授が設計した図書館(園芸学部分館)裏の小庭園は、春には春の、秋には秋の風情があります。
江戸川の堤防を歩くと、春や夏とはまた違った景色が目に入ります。今の状態の市橋君は外の景色の移り変わりを見ることはできませんが、在学中はきっとこういう景色を見慣れていた筈です。不可能なことですが、彼にも見させてやりたいと思いました。最初の公判が開かれるまで弁護士以外の接見はできませんので、外界と隔離された人間は誰でも、特に3年近く人目を避けて逃走していた人間にとっては、どれほど孤独感で寂しい思いをするのだろうかと想像してしまいます。しかし、直接伝えることはできませんが、市橋君には、ご家族以外にも、多くの支援者が心配をして温かい目で見守っていることを知ってほしいと思います。
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2010年11月27日土曜日
11月25日に振り込まれた2名の方(1名は9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は101,000円、延べ190人からの合計額は2,377,565円になりました。ありがとうございました。お一人からは、「市橋達也さんが適正な裁判を受けられるよう祈っております。本山先生もお身体ご自愛下さい。」というメッセージも書かれていました。9回目の方は、毎月定期的に支援金を振り込んで下さっています。弁護団も毎月弁護団会議を開いて相談し、市橋君のためにベストの弁護活動を続けてくれていますので、このように支援者が関心を持ち続けて下さることは、大変ありがたいことです。
11月26日には、初めての方からメールで支援金を振り込んだとのメッセージが届きました。ありがとうございました。支援金は来週には届く筈です。
昨日の三重県津市での講演「防除の必要性と農薬の安全性について」は、一般消費者対象ではなく、三重県で実際に農薬の流通を担っている方々が主対象でしたが、食料の確保に農薬が果たしている重要な役割と、メディアの報道と違って安全性も十分確保されているという事実を再認識し、農薬の流通という仕事に従事していることに自信と誇りを持っていただけたと思います。
今朝は津からの帰途名古屋駅に途中下車し、10月にノースカロライナ州で会った昔の空手の弟子のJohn Burgess君のお母さんの出身地を探しました。当時名古屋にあったアメリカ領事館が1952年に発行した出生証明書のタイプの字はかすれていて(何回も複写もされていたので)判別困難でしたが、英語で書かれたお母さんの住所と出生証明書を書いた産婦人科医の名前と住所を日本語に訳して、昭和区役所を訪ねました。本来は区役所は土曜日は休業日ですが、ラッキーなことに、ちょうど名古屋市長と市議会の対立で市議会解散に署名した市民が署名の多くが無効と判定されたことに納得せず、署名簿の閲覧に押し掛けてきていましたので、総務課だけは開いていました。町名が両方の場所とも出生証明書に書いてあったのとは全く変わっていましたが、住居表示係の親切な職員が新旧住所対照簿で新しい町名と番地を探してくれ、地図のコピーをとってくれ、行き方まで教えてくれました。地下鉄に乗って近くの駅まで行って、地図を見ながら歩いて、両方とも見つけることができました。60年近く経っているのでお母さんが住んでいた場所の建物は全部変わって住んでいる人たちも変わっていましたが、お母さんが生前にJohn君に言った(目印)通りの場所にありました。すぐ近くの産婦人科医院も見つかり、偶然話しかけた隣の家の年輩の男性から出生証明書を書いた医師(10年くらい前に逝去)のことも聞くことができました。早速John君にメールでこのことを知らせようと思っています。次回名古屋に行く機会(多分12月か1月)に再度区役所を訪ね、今度は戸籍課でお母さんの兄弟姉妹の移転先を見つけ、John君の従兄弟・従姉妹が見つかるか調べてみるつもりです。
お母さんは終戦後間もない時期に進駐軍の空軍兵士と結婚したために勘当同然になって、John君が2歳の時にアメリカに行ったきり2度と郷里を訪ねることも家族と会うこともできずに亡くなってしまいました。お母さんは1928年(昭和3年)生まれですから、John君が生まれた1951年(昭和26年)には23歳くらいだった筈です。当時その年代だった日本人女性は、日本人男性の多くが戦争で死亡したので、結婚難だったと聞いたことがあります。娘がちょっと前まで戦争をしていた敵国の兵士と結婚することは、家族には許されないことだったのでしょうが、私はJohn君のお母さんを批判しようとは全く思いません。人それぞれの理由があったのでしょう。私はアメリカ滞在の10年間に同じような境遇の日本人女性を何人か見てきましたが、アメリカ人の夫と普通の家族と同じように幸せな生活をしていました。誰でも、幸せな生活を求める権利がある筈です。John君もすでに59歳で、自分のルーツの半分が全くわからないのでは、何となく心の中に納得できない部分があるのではと想像しますので、できるだけ調べてあげようと思っています。
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2010年11月24日水曜日
22日に出発して、滋賀県彦根市で開催された日本環境動物昆虫学会年次大会に参加し、今夕帰宅しました。往きも帰りも新幹線が岐阜県羽島駅を通過する時は、市橋君の郷里の町を想像し、彼がそこを訪ねられるのは何年先になるのだろうと考えました。
11月20日に振り込まれた方(7回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は90,000円、延べ188人からの合計額は2,366,565円になりました。ありがとうございました。
この方の払込取扱票には、前回紹介しましたイギリスの新聞の東京支局長と私とのやりとりの記事が気になったのかもしれませんが、次のメッセージが書かれていました。「リンゼイさんに声をかけていなくても別の女性が犠牲になっていたかもしれない、と無差別殺人鬼扱いをしている人がいますが、その考えは間違っています。素姓のわからない男性の家に自らの意思で行く女性は、生まれ育った国にずっといてもトラブルに巻き込まれていたのではと思います。公平な裁判が行われ、市橋さんが更生して社会復帰出来るよう心から願っています。」 同じように感じている支援者は、多分他にもたくさんおられるのではないでしょうか。
私のところには反対に、性的犯罪の犠牲者に対して、責任の一端があったかもしれないと言うことは、犠牲者をさらに傷つけることになるので絶対に言ってはいけないことだ、というメールも届いています。確かに日本の社会では、男性から見れば、これではまるで襲って下さいと誘惑しているとしか思えないような格好の若い女性を見かけることも事実ですが、市橋君とリンゼイさんの間に英語の個人レッスン以外の何かがあったのかどうかは、第3者にはわからないのですから、想像に基づいてリンゼイさんを責めることはするべきではないと思います。同様に、市橋君を無差別殺人鬼のような言い方をするのも、憎しみの裏返しで、理性的ではないと思います。
私が日本環境動物昆虫学会の年次大会に参加するのは初めてでしたが、特に、23日に企画されていた「琵琶湖を取り巻く人の暮らしと生物多様性」という市民公開セミナーに惹かれて足を運びました。龍谷大学の遊磨(ゆうま)正秀教授の特別講演「滋賀の生物多様性と地域文化のかかわり」と題した特別講演に続いて、滋賀県立大学浦部美佐子准教授の「琵琶湖の貝の今昔~特異な多様性の進化と現代問題~」、京都大学の向井康夫博士研究員の「田んぼの水生昆虫の多様性」、滋賀県立琵琶湖博物館の牧野厚史専門学芸員の「琵琶湖岸のくらしと生物多様性」という講演がありました。その後、多賀町立博物館の金尾滋史(かなおしげふみ)学芸員と滋賀県立琵琶湖博物館の八尋(やひろ)克郎専門学芸員も加わって、名古屋大学大学院夏原由博教授の司会によるパネルディスカッションもありました。
いずれも想像以上のすばらしい内容でしたが、向井博士の、琵琶湖周辺の田んぼで大型水生動物群について詳細な調査をした結果、多様性と有機(農薬も化学肥料も使わない)農法、減農薬農法、慣行(農薬を使う)農法との間には関係がなく、多様性はむしろ地域性や生息環境(一時的な乾田化など)が主要因として関わっているという指摘は、千葉大学時代の私たちの長年の調査結果と一致していました。過去の古い農薬が使われていた時代の記憶から、メディアを含めて多くの一般の人々は今でも農薬は生態系に悪影響を及ぼすと思い込んでいますが、現在の進歩した農薬は生態系に悪影響を及ぼしていないという実態が科学的な調査で明らかにされつつあります。
牧野専門学芸員は元々経済学部卒の博士(社会学)ですが、イエ(家)-ムラ(集落・居住地域)-ノラ(田畑)-ヤマ[葦原(よしはら)のような共同利用地]、という空間配置との関係で、湖岸地域が里山的な性格で、葦原(水質浄化機能を果たし、屋根やすだれの材料)をコモンズ(集落の共有財産)として共同管理・共同利用をしてきたことが地域の環境を保全してきたという指摘は、大変説得力がありました。
一般講演やポスター発表にも興味深い研究があり、何人かの研究者と名刺交換をしてきましたので、これから交流していけるのが楽しみです。
せっかく窓から琵琶湖が真正面に見えて、彦根城も遠くに見える景色のよいホテルに宿泊していましたが、明後日の三重県での講演の準備がまだできていないので観光をせずに真っすぐ帰ってきました。
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2010年11月19日金曜日
11月16日に振り込まれた5回目の方ともう一人の方の支援金が届きました。これで支援金の現在高は87,000円、延べ187人からの合計額は2,363,565円になりました。ありがとうございました。お一人からはメッセージも手書きされていました。「私は82才です。市橋君と同じ年の孫がいます。ただ普通の生活をしていた青年が、リンゼイさんが来たために人生が狂ってしまいました。・・・・、気の毒でなりません。少しでも軽い刑を願います。」
市橋君の人生が狂ってしまったのは事実ですが、何故そういうことになってしまったのか、いろいろな想像は可能ですが、第3者には事件の真相はいまだに不明のままではないでしょうか。裁判でどこまで真相が明らかにされるかわかりませんが、強姦が行われたということと(市橋君自身がそれを認めているようですので)リンゼイさんが亡くなったということは事実ですから、市橋君がその責任を問われるのは当然ではないでしょうか。元教師として、私も元学生の市橋君に更生の機会が与えられることを強く願っていますが、人生の夢が途中で絶たれたリンゼイさんとそのご家族の無念を思えば、真相が明らかにされて正当な判決が下されるべきだと思います。
イギリスの新聞 The Independent の東京支局長 Dr. David McNeill は、約束通り正確に午後1時に来られ、テープレコーダーで録音しながら30分くらいの予定で取材を始めましたが、手短に答えて下さいと言われたのを私が誤解のないように英語で長々と話しましたので、結局1時間半くらいかかってしまいました。McNeill 博士は日本滞在約10年で上智大学で講義もしておられるとのことで、日本語の会話・読み書きも堪能な方でした。昔松濤館流の空手を修行していたが、兎飛びをやらされて膝を痛めたので、今は私と同じように時々ジョギングをやっているとのことでした。
支援をする会の設立の趣旨や、どういう方が支援者かということや、支援金の最低額と最高額や、千葉大学時代の市橋君の様子などを先ず訊ねられました。私が驚いたことは、正確な情報がないからでしょうが、ネット上でやりとりされている情報が真偽の確認がされないまま、あたかも事実であるかのように報道され、イギリス国民にも伝わっているという印象を受けたことです。
例えば、リンゼイさんは市橋君のマンション(イギリス英語ではアパートメントと言います)の個室に巧妙に騙されて誘い入れられた、と信じていました。タクシーの運転手を数分待っててくれと言って待たせたことでリンゼイさんを信用させた、というのが理由のようでした。私は、その日の朝1回英語のレッスンをしただけの関係の独身男性の個室に二人だけで入ること自体が大人の女性としての配慮に欠けるし(たいがいの若い男性は、女性は自分に好意があると誤解してしまうので)、何故マンションの1階なり部屋のドアの外で待っていて授業料を受け取ろうとしなかったのか、ということを指摘しておきました。また、英語のレッスンの日程調整はメールのやりとりでしたと言われていますので、二人の間に好意の感情があったかどうかも、警察が市橋君の部屋から押収したパソコンに残っている通信記録などからいずれ明らかになるでしょうが、それまでは何が真相かわからないので私は責任のあるコメントはできないと伝えました。
市橋君は空手の黒帯(有段者)だったという流言についても、大学以前にバスケットや陸上をしてきたので運動神経は抜群(英語ではFitと言います)だったけど、空手の実力は千葉大学園芸学部の空手同好会で私の指導の下に週に1回か2回昼休み1時間弱だけの練習を1年以内しかしていないので、白帯(初心者)レベルだったと訂正しておきました。市橋君は過去にも女性を何回も襲ったことがあるという流言についても、何を根拠にそんなことが言えるのか、少なくとも私の知っている大学時代の市橋君はそんな人間ではなかったと伝えました。
もうひとつ驚いたのは、どこかのクラブかキャバクラで働いている白人女性のホステスに取材した情報で、市橋君が白人女性に対して異常な憧れ(コンプレックスの逆)を持っていたのではないかというRacism(人種差別的要素)が根底にあったとイギリス国民に伝えられているということでした。そんな情報がどこまで信用できるのか疑問ですが、少なくとも私が知っている学生時代の市橋君にはそんなことはなかったと伝えました。また、それでは何故相手がリンゼイさんだったのかという質問には、市橋君にとってリンゼイさんという女性が美しくてFriendly(親切)で魅力的だったからではないですかという私の想像を伝えました。
ネット上で流れているらしいこんな誤った情報がイギリスに伝えられて、イギリス国民やリンゼイさんのご両親の怒りを増幅しているのだとしたら、残念なことです。市橋君がリンゼイさんのご両親宛に書いた謝罪の手紙が、ご両親の代理人に受け取りを拒絶されてから、市橋君と弁護団の了解を得てイギリスの新聞に公表され、日英両国のメディアに裁判を有利にする手段と批判されたことも、そうではなく市橋君が本当にご両親に謝罪の気持を伝えたかった筈だという私の感想を伝えました。
6人の弁護団の中で3人はベテランで3人は新人だという話の中で、私が最初に法律事務所をお訪ねして菅野弁護士とお会いした時に同席していた山本宏行弁護士は、ベテラン弁護士の一人で、市橋君が身柄を拘束された当初絶食して死のうと考えていたのを説得して止めさせた方です。山本弁護士が何故市橋君がこういう馬鹿なことをして人生を棒に振ってしまったのか解明したいと思っているということに関して、市橋君と同年代の息子を持っているから同情しているからかと訊かれました。そうではなく、市橋君のようなごく普通の前途有望だった青年が何故こんなことをしたのか解明して、日本中に大勢いる青年たちが将来同じような間違いを犯すことを防ぎたいからだと、山本弁護士の真意を伝えました。
私が市橋君のご両親から以前いただいたお手紙の内容に話が及んだ時に、それを見せてくれないかと言われましたが、それは私宛の個人的な親書で、社会に公表することは想定されていない筈ですので、とお断りしました。ただし、何か書いてあったか大意だけは説明しました。
いずれ判決が出た時点で、娘を失ったリンゼイさんのご両親と息子を失ったのと同然の市橋君のご両親が会って、お互いに不幸を乗り越えるために助け合える関係になってほしいし、私がリンゼイさんのご両親が来日した時の弁護団や市橋君との対話の通訳をしてもよいと思っていることを伝えました。支局長はリンゼイさんのご両親に取材したことがあるそうですが、私には先ず冷静な判断のできるお母さんのJulia(?)さんから先に会った方がよいとアドバイスをしてくれました。
現在はリンゼイさんのご両親も取材は受け付けないし、菅野弁護士の方もメディアの取材を受け付けないということのようですし、市橋君のご両親も取材を受け付けない筈ですので、今の段階でイギリスの新聞にどういう記事が書けるのかわかりませんが、少なくともイギリス国民に誤解を与えるような真偽が確認されないネット上の流言飛語を流すのだけは改めてほしいと思いました。
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2010年11月18日木曜日
イギリスの「インデペンデント」という新聞の東京支局長のDr. David McNeillという人から、市橋君の件で取材の申し込みがありました。明日、東京農業大学の研究室でお会いすることになりました。リンゼイさんのご両親には受け入れてもらえないかもしれませんが、イギリス国民に市橋君が深く反省し,後悔していることを少しでも伝えることができればと思っています。
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2010年11月16日火曜日
支援者から今日は7回目の公判前整理手続が行われた筈だが、というメールをいただきました。注目を集めていたマージャン店経営者ら2人が残酷な方法で殺害された事件の公判で、死刑の判決が出たということのようですので、気になったのでしょう。私はまだ東京農大の研究室にいますが、菅野弁護士にお電話して、差し支えのない範囲で(公判前整理手続の内容は本来公表されない?)様子を伺いました。
検察側の主張の整理が行われ、それをさらに明確にするための弁護側の質問などが行われたようです。市橋君の有罪を証明するのは検察側の責任の筈ですが、死亡推定時刻が翌日の夜までにと伸びたことで、それでは朝10時過ぎに二人でマンションに入った直後に強姦した(これについては検察側と弁護側の主張に不一致はない)後、死亡するまでの間リンゼイさんと市橋君は何をしていたのかという点について、検察側は市橋君の証言は信用できないが、何をしていたのか説明はできないということになったようです。一方、裁判官から弁護側にも26日までに対応しなければならない宿題が出されたとのことです。
今日の公判前整理手続きには市橋君も出席したそうです。第8回目は11月30日に予定されていて、12月にも2回予定されているとのことです。
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2010年11月14日日曜日
11月10日に振り込まれた2名(7回目と8回目)の方の支援金が届きました。これで支援金の現在高は79,000円、延べ185名からの合計額は2,350,565円になりました。7回目の方からは、「寒くなりましたが風邪などおひきになっていらっしゃらないでしょうか?市橋君のいるところは暖房ないのでしょうか?」「死刑は免れてほんとによかったですが、無期懲役も長すぎます。市橋君に人生もういちどやりなおせるように1日も早く刑が確定して市橋君が社会復帰されるのを祈っています。リンゼイさんのご家族には許されることではないかもしれませんがどうか時間がつらい日々を少しでも癒されますようにと心から願わずにはいられません。」というメッセージをいただきました。8回目の方からは、「一年が経ちました。よくがんばりましたね。一日も早く故郷へ帰れるよう毎日祈っております。メディアが市橋君を悪くし過ぎているように思います。11/4の先生のブログで、刑の年数を見て失望しました。少しでも軽くなるように願います。」というメッセージをいただきました。本当に息の長いご支援と、温かい思いやりのあるお言葉をありがとうございました。
多くの支援者の方は、市橋君が犯した罪に相当の罰を受けるのは当然でも、できることなら有期刑になって、更生のチャンスを与えてほしいと願っておられる筈です。検察側が公判前整理手続の中でリンゼイさんの死亡推定時刻を変更したことで、死刑が求刑される可能性は小さくなったものの、公判では無期懲役か30年以下の有期刑かが争点になる可能性があるという厳しい現実に戸惑っておられるのでしょう。ある支援者は、無期懲役でも20年~30年で仮釈放のチャンスがあって50代で出所して人生をやり直せるかもしれないと期待しておられたようですが、ご自分で調べた結果、実際は無期の場合は仮釈放される場合は稀で、刑務所の中で死を迎えることになるということを知ってショックを受けておられました。法律の知識のない私には何が無期と有期をわけるのかはわかりませんが、一番大事なことは、市橋君自身が自分のしたことがどれだけリンゼイさんとそのご家族にとって残酷で、不幸をもたらしたかを自覚し心の底から反省と謝罪をすることではないでしょうか。
多くの支援者は、市橋君とは個人的には何の接点もないにも関わらず、そういうお気持ちで支援をして下さっているのだと思います。
11月9日の福島県いわき市勿来(なこそ)と、11日の千葉県君津市での講演は無事終わり、両方とも参加者との交流を通して私も大変勉強になりました。次は26日に三重県津市での講演がありますので、そろそろ準備を始めなければなりません。
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2010年11月8日月曜日
日本学術会議講堂で開催された公開シンポジウム「稲作と植物保護を展望する」を聴講してきました。5題の話題提供と1題の特別講演がありました。
東京大学の田付貞洋名誉教授はイネ害虫特にニカメイチュウの問題について、神戸大学の土佐幸雄教授はイネいもち病問題について、茨城大学の佐合隆一教授は水田雑草の問題について、近畿大学の松田一彦教授は殺虫剤の受容体における選択性の分子基盤について、理化学研究所の仲下英雄博士は誘導抵抗性による病害防除の問題について講演し、筑波大学の鎌田 博教授は植物保護とGMO(遺伝子組換え作物)について特別講演をしました。
いずれも各々の分野で長年研究に従事されている第1人者の講演でしたので、大変勉強になりました。鎌田教授の講演の中で、アフラトキシンに代表されるカビ毒は安全な食の生産の重要問題であることの指摘に続いて、トウモロコシでは害虫(アワノメイガ)の食害で発生するカビ毒の発生頻度・汚染濃度は有機・無農薬栽培>農薬を使った通常栽培>害虫抵抗性GMO(殺虫活性のあるBtたんぱく質発現)の順に高いという情報は、よく有機農業を推進している人たちが主張しているように、虫が食っている農産物は安全という宣伝は間違いだということを再認識させました。
防除をしなければ、病害虫・雑草による被害(減収率)は40%にも上り、それは世界人口24億人分の食料が失われることに相当するという指摘も、植物保護の重要性を再認識させました。
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2010年11月7日日曜日
暦上は立冬だそうですが、秋晴れで爽やかな日和でしたので、散歩がてらに千葉大学園芸学部祭(戸定祭)を覗いてみました。例年通り模擬店や農産物の販売は活気を呈し、市民が大勢訪れていました。研究室の展示発表では、果樹研究室の柑橘展は日本全国からいろいろな柑橘類を集めて展示し、解説も力が入っていました。年によってテーマを変えて、輸入果物や柿や異なる果物を展示しています。市橋君が所属していた緑地環境学科関係では、戸定ケ丘キャンパスのデザインコンペの作品が合同講義室に展示されていて、制作者によって全く異なるイメージのキャンパス像ができていておもしろいなと思いました。
松戸市の緑の回廊として園芸学部とつながっている、隣接の戸定邸と戸定歴史博物館にも寄ってみました。大政奉還後の旧水戸藩主徳川昭武(徳川慶喜の弟)の別邸がきちんと保存されていて、無料のガイドが親切に説明をしてくれました。私は江戸時代に水戸と江戸を参勤交代で行き来する時に使った別邸と誤解していましたが、実際には明治になってから建てられたもので、よく徳川慶喜も訪れていたとのことでした。和風の建物も庭も資料が展示されている博物館も見ごたえがありました。
私は今週火曜には福島県勿来(なこそ)で、木曜には千葉県君津で講演があります。いつもは、間に合わなくて移動の新幹線の中や飛行機の中で構想を練ることもあるのですが、今回は比較的早く準備ができたので余裕です。
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2010年11月4日木曜日
菅野弁護士から連絡があり、市橋君が卒業論文の研究で専攻した研究室のM教授とお会いする日程が決まったとのことでした。弁護団が3~4人で松戸の研究室を訪問予定ですが、私も当日は都合がつきますので同席させていただく予定です。先日報告しましたように、検察側がリンゼイさんの死亡推定時刻を変更することに同意したことで、死刑を求刑する可能性は小さくなったようですが、裁判では無期懲役(30年以上)が相当か、有期刑(上限30年)が相当かで審議が行われることになるのでしょうか。
東京農業大学世田谷キャンパスでは、10月28日から収獲祭(大学祭)が開催され、11月1日は厚木キャンパスの学生も参加した体育祭の予定でしたが、荒天のため順延になり、一昨日11月2日に行われました。グランドでは、学科対抗の応援合戦で、普段から練習をしてきた演舞を披露していました。チアリーディング部のスタイルのいい女子学生のまるで組み体操のようなピチピチした演技も見事でした。各々工夫を凝らした衣装や化粧で、若者たちがエネルギーを思い切り発散するのを見ながら感激しました。50年近く前に同じようなことをしていた自分の姿と重ね合わせ、こういう経済や生産とは縁のない無駄なことに熱中できることこそが若者の特権だなと思いました。若者はこういう経験を通して、友情が育まれ、仲間との連帯感が生まれ、共に成長していくのでしょう。
夕方暗くなりかかった中で、実行委員会(?)の学生諸君がてきぱきと後片付けをしているのも印象に残りました。教室の中の勉強とは違いますが、自主的なこういう活動を通して若者の責任感やリーダーシップが培われるのでしょう。
千葉大学園芸学部では、今年は明日11月5日が体育祭で、6日~7日が戸定(とじょう)祭(学部祭)のようです。研究室の展示発表や模擬店に加えて、野菜や花や果物のような農場生産物の販売もあるので、毎年市民が大勢足を運んでくれて好評です。
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2010年11月1日月曜日
10月29日に振り込まれた方からの支援金が届きました。これで支援金の現在高は59,000円、延べ183名からの合計額は2,330,565円になりました。ありがとうございました。この方の払込取扱票には次のような心温まるメッセージが添え書きされていました。「年金生活ですので少しですが、足しにして下さい。リンゼイさんも大人で、わかっていて市橋君の部屋へ行ったはずです。イギリスのご両親も少しでも市橋君を許してあげてほしいと願っております。私には、男の子の孫がおります。」
何故リンゼイさんが一度英語のレッスンをしただけの独身男性の個室に二人だけで入ったのかということは、私たちの世代の人間にとってはいろいろな憶測が可能ですが、リンゼイさんはすでに亡くなっていますので真実を確かめることはできません。市橋君自身は、リンゼイさんにも非があったかもしれないというようなことは決して口にせず、弁護団との話し合いの中では自分が悪いとだけ言っているようです。加害者の側から許しを乞うことはできませんが、私も願わくばリンゼイさんのご両親が悲しみと憎しみを越えて、市橋君に生きて罪を償う機会を与えてほしいと祈っています。
注目していた耳かき店員とその祖母の殺人事件は今日判決が言い渡され、無期懲役だったと報道されました。遺族は検察に上訴を望んでいるとのことですのでまだわかりませんが、この事件の被告人に生きて罪を償う機会が与えられたことに何故かホッとしました。
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2010年10月30日土曜日
10月28日に振り込まれた2名の方(お二人とも8回目)の支援金が届きました。これで現在高は54,000円、延べ182名からの合計額は2,325,565円になりました。息の長いご支援をありがとうございます。お一人からはメッセージが添え書きされていました。「寒い日々が続いていますが、本山先生をはじめ支援する会のスタッフの皆さま、おかわりございませんか? 8回目の送金です。以前TVで市橋さんの手紙が公開された際、TV関係者の方々の厳しい発言に世間の方々の考え方と自分の考え方の差がこんなにもあるのかと落胆しましたが、私の、市橋さんにもう一度人生をみつめ直しやりなおして欲しいという想いは変わらず、こんな私の存在も神さまは認めて下さると信じています。」
「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」は、無償で弁護を引き受けてくれた弁護団の裁判活動の費用を支援することで、市橋君が適正な裁判を受けられるようにすることを目的としていますが、ほとんどの支援者は、市橋君が犯した罪に相当の罰を受けることはやむを得ないと考えつつも、できたら死刑ではなく、市橋君には罪を償った上で人生をやり直すチャンスを与えてほしいと願っているのでしょう。
支援金を送って下さる方の中には、匿名の方もおられますし、名前を公表してほしくないという方もおられますので、支援する会のスタッフは代表の私一人だけです。お手伝いをしてもよいと申し出て下さった方もおられましたが、支援者のプライバシーを守るために、顔を表に出した私一人でやっています。そのために、最近は振り込みがあっても礼状を出せない場合がほとんどで、お便りをいただいても返事を差し上げずに失礼していることをお許し下さい。ただし、本ブログでの報告だけは入金の度に欠かさずしていますので、振り込まれたお金が私のところに届いたかどうかをご確認下さい。
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2010年10月29日金曜日
10月24日に振り込まれた方(4回目)と10月26日に振り込まれた2名の方の支援金が届いていました。これで支援金の現在高は43,000円、延べ180名からの合計額は2,314,565円になりました。ありがとうございました。
菅野弁護士から連絡があり、11月2日に弁護団会議を開いて、市橋君の指導教員の一人だったM教授と会って相談する日程の調整結果を11月4日に知らせていただけるということになりました。
支援者のお一人から、先日ニュースが伝えていた耳かき店員殺害事件の裁判を傍聴してきたとのメールをいただきました。亡くなった人を生きて返してほしいという被害者遺族の切々たる訴えに、多くの方々が胸を詰まらせて涙を流していたとのことでした。市橋君の公判でも、リンゼイさんのご両親の同様の訴えに、市橋君は自分の犯した罪がどれほど人を不幸にしたかをあらためて実感することになるのでしょう。
函館市湯の川温泉で開かれた農薬環境科学研究会は昼で終わって、エクスカーションとしてバスで道南地方農業の実態視察をして、今夕松戸に帰ってきました。七飯(ななえ)町は、プロシア人のR.ガルトネルという人が五稜郭を占領した榎本武揚(後に東京農業大学の創立者になった)と開墾条約を結んで明治2年に大規模な農場を開いて、リンゴを日本で初めて栽培した場所とのことでした。大沼国際セミナーハウスと城岱(しろたい)牧場を回って、函館空港に戻りました。大沼国定公園は紅葉が真っ盛りでした。城岱牧場は山の上の町営牧草地で、春から10月20日まで牛を預かって放牧するそうですが、ちょうど牛が下山した後でした。昨夜バスをチャーターして登った函館山から眺めた夜景は、さすが日本の3大夜景と自慢するだけのことはありました。津軽海峡を越えて、遠くに青森県側の灯りも見えました。
今回の研究会のテーマは、「土壌残留農薬の挙動と農作物及び周辺環境への影響」で、特別講演と7題の講演がありました。約100名の参加者が全国から集まり、熱心な討議が行われました。私は参加者の中で最長老に近い年齢だったからだと思いますが、情報交換会(懇親会)の中締めの挨拶を頼まれました。気持だけは現役のつもりでも、こういう挨拶を頼まれるようになったということは、私もそろそろ引退の時期が近づいたということなのでしょう。
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2010年10月27日水曜日
昨夕は東京農業大学の帰りに千葉大学園芸学部に寄って、市橋君が専攻していた庭園デザイン学研究室のM教授に会って、お礼を申し上げるとともに、市橋君が在学していた当時の様子をさらに伺ってきました。私が指導していた生態制御化学という実験科学の分野と違って、庭園デザイン学では必修単位の卒業研究の成果を論文(研究)として提出する場合と作品(計画・設計)として提出する場合が認められていて、市橋君は論文の方を選んだので、すでに退職されたもう一人のO教授の指導を主に受けていたとのことでした。
函館に早めに到着しましたので、地図を片手に興味のあるところをいくつか歩いて回ってみました。予想と違って雪はありませんでしたが、寒くて手がかじかみました。函館港には、1988年(昭和63年)に廃止されるまで1908年(明治41年)から80年間青森と函館の間で人と物資を運んでいた青函連絡船の一つ摩周丸が記念館として展示されていました。確か1962年か1963年頃だった筈ですが、千葉大学空手部の夏合宿が北海道大学空手道場で行われた時に、私は青函連絡船に乗った記憶があります。吉永小百合が私達の世代の憧れだった時代で、仲間と一緒に甲板のデッキから景色を眺めて感傷的になったのを思い出しました。あれから時代が変わり、青函トンネルを列車が走るようになり、飛行機が移動の主流になりました。
函館山の裾にある函館北方民族資料館にも行きましたが、受付を通ってすぐの展示室1にある「アイヌ風俗12ケ月屏風」は江戸時代の和人(日本人)の絵師が描いたものを拡大複写したもののようですが、あまりにも不思議な感じがしたので、質問をしたら年配の学芸員が一つ一つの屏風に描かれている絵に含まれる意味を丁寧に説明してくれました。内地の日本人に興味を抱かせて屏風絵を買ってもらうために、例えば1月なのに裸足で(実際にはアイヌの人は皮で作った靴を履いていた)鳥居の前で日本人との交易で得た珍しいもの(オモチやタバコの葉や紋付など)を持って嬉しげに歩いているなど、ちょっと見ただけでは何故本来多神教のアイヌ人が日本の神の象徴の鳥居と一緒に描かれているのかわかりません。アイヌ(人間)という言葉自体も最近まで蔑称扱いで、ウタリ(仲間)という言葉が使われたとのことでした。ちょうど先月末に訪ねたアメリカのチェロキーインディアン保護地区で見たのと同じように、アイヌの人達は私達の先祖の日本人に酷い扱いを受け、悲惨な運命をたどったのでしょう。
今夜は五稜郭(ごりょうかく)の近くに宿を取りましたので、明日は朝早く起きて、研究会が始まる前に五稜郭の辺りを散歩するつもりです。
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2010年10月26日火曜日
今日も初めての方からメールが届きました。「本日、市橋さんの適正な裁判を支援する会宛に振込みました。少ないですが、適正な裁判の為にお役だてください。被害者のご家族に市橋さんの謝罪の気持ちが届きますように」というメッセージをいただきました。ありがとうございます。
ニュースでは、耳かき店員とその祖母を刺殺した被告に対して、検察が裁判員制度で初の死刑求刑をしたと報道しています。被告は反省し謝罪したものの、遺族感情は厳しく、極刑を求めているとのこと。判決は11月1日に言い渡されるようですが、裁判員らがどう判断するか・・・。
私は、今週28日~29日に函館で開催される日本農薬学会の農薬環境科学研究会に参加するために、明日早朝に出発します。幹事会出席で早めに到着するので、函館山に登ったり五稜郭の辺りをジョギングできたらと思っていましたが、気象情報では現地は雪とのことですので、残念ながら無理なようです。
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2010年10月25日月曜日
10月21日(2回目)と22日に振り込まれた方の支援金が届きました。前回までに振り込まれた支援金は全額菅野弁護士にお渡ししましたので、支援金の現在高は13,000円、延べ177名からの合計額は2,284,565円になりました。ありがとうございました。
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2010年10月22日金曜日
昨日の夕方松戸に帰ってきました。初めての方から支援金を振り込んだとのメールが届いていました。ブログを欠かさず読んで下さっているとのことありがとうございます。今まで躊躇していたけど、支援金によって検死報告書の再鑑定も可能になり、結果として検察側が死亡推定時刻について主張を変えざるを得なくなったということから、支援金は適正な裁判を可能にすることを認識されたとのことでした。支援金は振り込まれてから届くまでに2日かかりますので、月曜には届くでしょう。
岡山県での松枯れと松茸の視察旅行はわずか一泊二日でしたが、大変有意義でした。ヘリコプターで松くい虫防除の薬剤散布をしている山は元気な松が再生して松茸も発生し、薬剤散布をしていないところは、元々この地方の自然植生で純粋な松林だった山の松が松くい虫の被害で枯損して全滅し、他の雑木に置き換わっているということをこの目で確認し、写真や映像も撮ってくることができました。松かさがはじけて出てくるアカマツの種子は小粒で羽がついているので、風で分散するそうです。高梁(たかはし)市の山のように隆起してそれほど時間が立っていない山の土地は痩せているので、痩せた土地でも育つ松が自然に優先種だったようです。
谷底に位置する川沿いの道からは見えない両側の山の頂上には昔からの集落が存在し、野生動物と戦いながら農業をしていました。終戦で朝鮮から引き揚げてきた私の父(その後ブラジルに移住)が、宮崎県須木(すき)村の山を開墾してサツマイモを作っていた時に猪との戦いだったのを思い出しました。岡山県高梁市上布賀(ふか)の人々は、今でも猪、鹿、ハクビシン、ヌートリアと戦いながら米や野菜や果物の生産をしていました。
なお案内してくれた知人によると、軍国主義時代の中学の教科書に「キクチコヘイハテキノタマニアタリマシタガ、シンデモラッパヲクチカラハナシマセンデシタ」と書かれた日露戦争の英雄「木口子平」は、途中、成羽(なりわ)川沿いの山の中腹に4~5軒の屋根が見えた集落の出身だったそうです。こんな小さな山村の出身の若者が戦場に送られ戦死したことは、戦争がいかに馬鹿げたことかを思い起こさせます。
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2010年10月21日木曜日
今日は知人の高校時代の先輩で、農業高校の教員を定年退職後吉備(きび)中央町議会議員をしているN氏の松山に入山し、松茸の生えているところを見せてもらい収獲もさせてもらいました。
N氏の口利きで吉備中央町の農林課長を訪問し、町が松くい虫防除のために4地区の松林(計341ha)で有人ヘリコプターによる薬剤散布を続けて松を守ってきたことの説明を受けました。車で回ってみたら、昨日見たほとんどが枯死した松林と違い、林道沿いの松も斜面の松も青々と元気よく見えました。単に松茸生産のためだけでなく、アカマツは町の樹でもあるので、町の誇りとしてこのアカマツ林を守っていきたいとのことでした。
2日間にわたって知人の車で山の中を走り回りましたが、岡山県がこんなに山だらけだとは知りませんでした。地面が隆起して間もないことを示す急峻な岩壁や、美しい山の景色と不釣り合いな、上流の新成羽(なりわ)川ダムの浚渫工事が行われていて清流(成羽川)に何ケ月も汚濁水が流され続けているためにアユもそれを餌とする川鵜もいなくなった現実(電力会社による環境汚染問題)や、山の上の集落に住む人達の厳しい生活の様子など、勉強になりました。
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2010年10月20日水曜日
今朝6時頃松戸を出発して新幹線で岡山県に来ました。知人の車で高梁(たかはし)市の山村を廻り、松くい虫防除の薬剤散布を中止したために松が全滅に近いくらい枯死している悲惨な様子を視察しました。将来松枯れ問題に関するテレビ番組を作るときに使えるように、写真(静止画)と映像(動画)をたくさん撮りました。
知人の生家は標高450mくらいの山の頂上の集落にあり、平家の落人が隠れ住んだところとのことですが、ブドウ(ピオーネと呼ばれる紫色の大粒種)や野菜や稲を作って生活しています。明日は松茸を守るために薬剤散布を続けているので松枯れがほとん見られないという山を視察する予定です。夏の高温・乾燥で今年は松茸が不作と言われていたのが、ここにきて降雨があったので発生してきたという山に入って現場を見せてもらうとともに、山主さんから話も聞く予定です。新幹線の岡山駅の売店には、岡山産松茸が5ケ入って10,000円という箱が並んでいました。
知人の生家の辺りは周囲が山ばかりなので、集落の周囲は野生動物の侵入を防ぐために電気柵を張り巡らせてあるそうですが、それでも猪と鹿とハクビシンとヌートリア(昔、毛皮目的に輸入され、その後野生化した巨大ネズミ)と害虫との戦いだそうです。
今夜は総社(そうじゃ)市のサントピア岡山総社という元厚生年金保養施設(民間に売却された)に泊まって、明日の夜には松戸に帰ります。
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2010年10月18日月曜日
10月15日に振り込まれた方の支援金が届きました。これで支援金の現在高は207,000円、延べ175名からの合計額は2,271,565円になりました。ありがとうございました。
英語のレッスンを受けたのは3月25日朝で、その後リンゼイさんと同居していた2人の女性からリンゼイさんが行方不明だからと捜索願が出され、26日夜には警察が市橋君のマンションを訪ね、市橋君には逃げられたけれどもリンゼイさんの遺体を発見しました。警察はマニュアル通り遺体を検分して、死亡時刻の推定に重要な直腸温度(19.6℃)を測定記録し、その後遺体を冷蔵庫に保管してしまったので、28日に千葉大学医学部法医学教室の岩瀬博太郎教授によって遺体解剖が行われた時には死亡時刻を推定することは不可能な状態でした。そこで、死後2日以内というような幅のある推定になったようです。検察側は、強姦致死・殺人が行われたとする自分たちの見立てに不都合な警察による直腸温度の測定記録を出さなかった(隠した?)のを、弁護側の証拠開示要求で開示せざるを得なくなり、さらに弁護側が検死報告書を別の大学の法医学教室の教授に再鑑定してもらった(私たちが提供した支援金が使われた)結果などに対して、死亡推定時刻を変更せざるを得なくなったようです。
これで、強姦してすぐ殺したという検察側の主張した見立ては崩れたわけですが、殺人という起訴罪状を取り下げるかどうか(従来の例では取り下げない場合が多い)は、11月16日に予定されている第7回公判前整理手続で明らかにされるのかもしれません。
折しも、郵便不正事件で、大阪地検特捜部の主任検事(元)が証拠隠滅罪で起訴され、フロッピーディスク内の文書の更新日時を自分たちの見立てに都合のよいように改ざんしたことを上司も承認したと報道されています。私は今まで検察は事実だけを明らかにするところとばかり思っていましたが、最近続々と明らかになる冤罪事件の例をみると、検察という組織に構造的・体質的な問題があるのかと信じられない思いです。
菅野弁護士から、これまでの裁判活動の収支報告を文書でいただきました。これまでに約50万円が実費として支出されています。適正な裁判が行われるために、私たちが提供した支援金が大変役に立っています。来年3月~4月と予想される公判まで、弁護団にはこれからも多くの時間を使ってがんばっていただかなければなりませんので、引続きご支援をよろしくお願い致します。
なお、市橋君は自殺の恐れがあるということから収容されていた病舎から、未決囚が収容される普通の独居房に移されたそうです。外部との手紙のやりとりや接見ができないのは今まで通りですが、私物を手元に置くことや、決められた時間に運動をすることなどは認められるようになったそうです。
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2010年10月16日土曜日
市橋君が千葉大学園芸学部で卒業論文の研究で専攻した研究室の教授が先月卒業生にメールで市橋君の現状とこのブロクについて紹介して下さったということで、昨日同じ研究室を専攻していた元学生から支援金を振り込んだという連絡がメールで届きました。支援金は来週の月曜には届くでしょう。「今まで市橋君のことを気にかけていたけれど、何もできずにおりました。わずかばかりですが、今私ができることとして、市橋君を支援していけたらと思っております」というメッセージがメールには書かれていました。同じ研究室の元専攻生として2人目です。昔の仲間からの支援ですから、市橋君が知ったら皆が彼を支えようとしていることがわかり、励まされる筈です。
今日の東京での農業高校の教員を対象にした農薬セミナーは、約2時間の私の話を全員熱心に聴いてくれました。私の研究室を専攻した元学生の中にも、現在東京都の農業高校の教師をしている人がいますが、今日は参加していませんでした。終わってから、立食スタイルの簡単な懇親会をしました。その席でもいろいろ質問が出たりして、先生方の熱意が垣間見えました。私の講義を聴いて農薬に関する誤解が解けて見方がガラッと変わったと言ってくれた人も何人かいました。
先週の土曜に帰国してから1週間が経ちましたが、待っていた仕事を一応こなしましたので、明日の日曜はゆっくりできます。
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2010年10月15日金曜日
10月13日に振り込まれた2名の方(3回目と6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は187,000円、延べ174名からの合計額は2,251,565円になりました。「市橋さんへ、今回で3回目です。又1,000円のみでごめんなさい。相変わらず病気で働けません。今後もできる限り協力します。がんばって!!」「涼しくなったので拘置所の中少しは過ごしやすくなったでしょうか。市橋さんが死刑や無期にならないように毎日祈っています。応援しています」というメッセージが添えられていました。ご自分の生活が厳しい中で送って下さる1,000円は大金です。市橋君がこれらの支援者のお気持ちを知ったら、きっと励まされ、しっかり生きて罪の償いをしなければいけないと思う筈です。ありがとうございました。
今日は東京で(財)残留農薬研究所主催の第11回IETセミナーがあり、私も出席しました。「土壌中残留農薬等の後作物への移行性の解明に向けて」というテーマの下に、4題の講演がありました。神戸大学の乾 秀之講師は、「残留性有機汚染物質の植物による吸収及び蓄積機構の解明」について、これぞ大学の基礎研究といえるようなすばらしい研究成果を発表しました。(社)日本植物防疫協会理事の藤田俊一氏は、「土壌中残留農薬の後作物移行に関する実態」について、多数の農薬と多数の作物の組み合わせで、前作物に使った農薬が後作物にどれだけ移行するか、それにはどういういう要因が関わっているかについて膨大な試験データを紹介しました。(財)残留農薬研究所の林 靖氏は、今でも場所によっては土壌中に残っている有機塩素系殺虫剤ヘプタクロールがどのような機構で作物に移行するかについて、飯島和昭氏は後作物移行性試験に関する世界的動向について解説しました。
いずれも安全な農作物を生産する上で重要な問題で、特に日本植物防疫協会と残留農薬研究所の研究は、大学や国の研究機関では対応できない課題を扱っており、両方とも農水省の外郭団体ではありますが、余人をもって代え難い役割を十二分に果たしているという印象を受けました。
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2010年10月14日木曜日
10月12日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は181,000円、延べ172名からの合計額は2,235,565円になりました。ありがとうございました。いろいろなご事情がおありの中で、市橋君に適正な裁判を受けさせるために何回もご支援下さり本当にありがとうございます。
先日取材に来られた日本テレビの番組DONのディレクターから午後1時頃電話があり、本日12時15分くらいから放送予定だった葉もの野菜の収獲後の光合成や農薬問題に関する番組は、チリの炭鉱労働者救出の特別番組が入ったので延期になったとのことでした。
明後日16日に東京で予定している農業高校教職員対象のセミナー「農薬の役割と安全性の最新情報」の資料の準備が出来たので、今日宅ファイル便で発送しました。農薬の安全性はどのように確保されているかに加えて、無農薬栽培は必ずしも安全とは限らないという話をするつもりです。千葉大学園芸学部ではいろいろな研究が行われていますが、病害虫を無防除で栽培しているダイズ畑があるので見に行ってみましたら、害虫(主にハスモンヨトウ)が大発生して激甚被害で、収獲はほとんどゼロに近い状態だったので写真を撮ってきました。これほど酷い被害も珍しいですが、農薬がいかに作物生産に貢献しているかがわかります。
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2010年10月13日水曜日
東京農大の研究室にTBSテレビの報道局Nスタのディレクターの一人が取材に来られ、「家庭菜園ブームの裏側で見たものとは!」(仮題)というのが切り口の番組でしたので、カメラが回る中で、家庭菜園といえども、病害虫が発生して手に負えない時は、インターネットで流通したりホームセンターに並んでいる怪しげな資材(いわゆる植物抽出液や自然農薬の類)に惑わされずに、農薬はちゃんと登録のあるものを選んで適正に使うことが必要という指摘をしておきました。その後、車で松戸に移動し、千葉大学園芸学部の研究圃場や共同研究をしている研究室の実験室風景の映像を撮っていきました。ずい分長い時間カメラは回っていましたが、実際に放送される時は編集され、ストーリーに会う場面を切り取った短いワンシーンになるのが普通です。来週19日(火)の18時15分頃からの特集コーナーで放送予定だそうですが、どういう編集がされるか興味があります。
このディレクターは、何年か前に市橋君が逃走している最中に、私が当時のTBSの取材に応じて、テレビで自主的に出頭するように呼びかけた(そのために当時の学部長に呼び出され、取材禁止に違反したので懲罰委員会にかけるぞと脅かされましたが)のを覚えておられました。
今週の土曜16日と来週の土曜23日には東京で農業高校の教師を対象にした農薬に関するセミナーが予定されていますので、私が担当する約2時間の講義の準備に今からとりかかり、明日中には資料を送付しなければなりません。
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2010年10月12日火曜日
支援者のお一人からネットで支援金を振り込んだというメールの連絡が届きました。また、菅野弁護士からも連絡があり、支援金をお届けするのは10月18日ということになりました。第6回目の公判前整理手続が予定されている日ですので、市橋君のその後の様子なども伺ってきます。
ニュースでは、郵便不正事件の証拠を改ざんしたとして逮捕された大阪地検特捜部の元主任検事が、証拠隠滅罪で起訴されたという話題が賑わしています。検察官というのは、無実の人を有罪にするために都合の悪い証拠を改ざんするようなことがあるのか? 難しい司法試験に合格して検察官になっている筈なのに、何故そんな馬鹿なことをするのか(人を有罪にすることが自分の功績として評価されるのか?)、信じられない思いです。市橋君の事件を担当している検察官は、まさか事実を曲げてでも自分たちの描いた事件の構図を無理に通そうというようなことはないと信じますが。
今日の午後の千葉大学園芸学部・公民館連携市民大学講座「食に関する誤解を解く~知っておきたい食の現実」には、70名くらいの申込者から32名が選ばれて出席していました。私は「農薬と食品安全」を担当しましたが、その他に、「輸入食品の安全性」や「食品添加物と食品安全」や「GMOと食品安全」や、「市内植物工場見学」なども組まれています。
私は松戸市文化ホールでの2時間の講演が済んだらすぐ東京農大の研究室に行き、日本テレビが昼11:55~13:55に放送しているDONという番組の取材を受けました。野菜の残留農薬の安全性に関する質問をされましたが、明後日14日(木)の12時15分頃に放送予定と言っていました。以前はテレビで農薬のことを取り上げるのはタブーだったようですが、再近は変化が見られるとのことでした。明日の午後はTBSテレビが夕方16:53~19:00に放送しているNスタという番組が、やはり農薬問題について取材に来ることになっています。こちらの方は19日(火)の特集コーナーで18時15分頃から放送予定だそうです。あらかじめ質問事項が届いていますので、どう答えるか今から少し考えておこうと思っています
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2010年10月11日月曜日
アメリカ滞在中に、市橋君の事件について、Western People(西洋人)の感覚では市橋君のしたことは言語道断で、特に自分の娘が被害者だったらと想像したら情状酌量の余地は全くないと言われました。リンゼイさんのご両親も恐らく同じ心境で極刑以外には考えられないと主張しておられるのでしょう。故W.C. Dauterman先生の奥様だけは、私は元学生の市橋君に適正な裁判(Fair Trial)を受けさせたいので支援する会を立ち上げて募金活動をしているのだと申し上げたら、どんな人間でも適正な裁判を受ける権利があるので、私のしていることは正しいと言って支持して下さいました。
今日はメールで菅野弁護士にその後振り込まれた支援金をお届けする日程調整をお願いしました。
一昨日に帰国して、幸か不幸か予定していた松茸収獲の映像撮影の出張がなくなったので(今年も全く不作で発生してこないとのこと)、昨日と今日は明日行われる千葉大学・公民館連携講座「食に関する誤解を解く」の講演の準備ができました。やっとパワーポイントのスライドを宅ファイル便で送りましたので、夕方道場で筋力トレーニングをした後、江戸川の堤防に走りに行きました。多くの人が散歩をしたり、ジョギングをしたり、自転車に乗ったりしていました。私は往復8Kmを景色を眺めながら、ところどころ歩いたりしてゆっくり走りました。ノースカロライナ州の湖と樹木しか見えない森の中のジョギングコースと違って、堤防の上からは常にビルや人家が目に入りますが、北東の方角には家々の間に筑波山の山影がぽっかり見え、関東平野の西の地平線には夕日が沈んでいくのが見えました。
これからまた、スケジュールに追われるような日本での生活が始まります。
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2010年10月9日土曜日
先ほど松戸の自宅に到着しました。その後、10月4日に振り込まれた方(7回目)、10月6日に振り込まれた2名の方(7回目と2回目)の支援金が届いていました。これで現在高は171,000円、延べ171人からの合計額は2,235,565円になりました。「・・支援者の方々のメッセージを読むと涙がでます。嬉しくなります。本山先生、証言してくれるお友達・弁護士の方々・支援者の方々に感謝して、ご両親のためにも気持を強く持ってがんばって下さい。いつでも応援しています」、「少しばかりですが2回目の支援金を送ります。本日の新聞で市橋君の手紙の件を読みました。心より市橋君の更生を願っております。支援する大勢の人達の声が市橋君に届くことを願っております」というメッセージも添えられていました。その他に、手紙のことが公表されて以来、メールで何人もの方からメッセージも届いています。
明日にでも、集まった支援金を菅野弁護士にお届けする日程調整をお願いしようと思っています。
昨日の朝(現地時間)、娘の車で空港に行く途中でSanta Monicaの子供たちの学校(Mckinley School)に再度寄りました。朝8時15分に到着すると、大勢の子供たちが運動場で元気よく走り回っていました。白人、黒人、アジア系、ヒスパニック(メキシコ人など)系、それぞれのハーフ、の子供たちが分け隔てなく本当に仲良く遊んでいました。車で送ってきた親たちも自分の子供と英語で話したり、スペイン後で話したり、中国語で話したり、日本語(私の娘)で話したり、カリフォルニアという土地柄なのかもしれませんが、まるで世界の縮図を見ているようでした。8時半になったら、それぞれのクラスの先生が担任の子供たちを整列させて教室に引率していきました。
ロスアンゼルス空港で、Scientific American という雑誌の表紙の "Human Evolution Is Not Over" (人類の進化は終わっていない)という記事の見出しが目にとまったので、一冊買って飛行機の中で読んでみました。人類(私たちの祖先のホモサピエンス)が約6万年前にアフリカ東部から世界中に移動分散し、どのように進化して現在の姿になったかを遺伝子の解析から推察した記事でした。昔は長い時間をかけて移動したので、定着した場所毎に隔離が起こり、それぞれの地域の気候や環境に適応するために、黒人や、白人や、モンゴロイド人や、ポリネシア人などの人種ができたのでしょう。
Jonathan K. Pritchard: How we are evolving, Scientific American p.40-47, October 2010.
サンタモニカの小学校で見た光景を思い出し、もしかしたら現在はそれと逆のプロセスが起こっているのかもしれないという気がしました。原始時代と異なり、交通手段が発達し、遺伝子の突然変異以外にも環境に適応するいろいろな方法(衣服や住居など)を得た現在では、再移動が簡単になり、人種の融合が起こって、再びひとつの人類に戻りつつあるのかもしれないという気がしました。
そう考えると、国と国の戦争や、民族と民族のいがみ合いは馬鹿げたことに思えてきます。
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2010年10月7日木曜日
オレゴン州のRoseburg を朝5時半に出発して空港に向かい、Eugene-San Francisco-Los Angeles という経路でカリフォルニア州に来ました。娘が空港で待っていてくれて、Santa Monica に来ました。子供3人が小学校や幼稚園に行っているので、迎えに行くついでに学校や教室の中も覗いてみました。20人くらいの生徒数に先生が一人とアシスタントが一人という恵まれた環境でした。白人や黒人やアジア人やヒスパニック系の子供たちが皆一緒に勉強したり遊んだりしていました。
建物もラテン系の造りのものがたくさんあり、街路樹も高温の半乾燥地帯のような樹種が目だって、オレゴン州の景色やアメリカの東部海岸とは印象が全く異なります。義理の息子が庭のグリルで焼いてくれたステーキの夕食を食べました。孫たちは、8月に日本に来ていた時は日本語で話していたのに、すっかり英語で話すようになっていました。
明日は娘が子供たちを学校に送っていく車に同乗して、Los Angeles 空港に送ってもらって日本に帰国します。時差の関係で日本到着は9日になりますが、翌日からは早速仕事が待っていますので、これでバケーションは終わりです。
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2010年10月6日水曜日
昨日は飛行機をRaleigh-Washington DC-San Francisco-Eugene と乗り継いで、夕方オレゴン州のEugene 空港に到着しました。故Dauterman 先生の奥様の住んでいるRoseburg というところは、空港から100Km くらい離れた人口22,000人の小さな田舎の町です。奥様と長男のWalter Jr 君が迎えに来てくれていて、途中小高い丘の上にあるKing Estate Winery というレストランに寄って夕食をしました。全面積1100エーカーという広大な農場の約半分(470エーカー=約190ha)がぶどう畑で、日本のように水平の棚ではなく、管理作業がし易いように垂直の垣根型に仕立てたぶどう畑が見渡す限り広がっていました。ここで収穫したぶどうから作ったぶどう酒をアメリカ全土だけでなく、外国にも輸出しているとのことでした。寒くて手がかじかむくらいだったので、暖炉の赤い火が燃えているしゃれた部屋でワインを飲みながら食事をして外に出て、空を見上げたら満天の星空で、まるで星が降ってくるという表現がピッタリのような無数の星が輝いていました。こういう自然の雄大さに接すると、人間と人間のつながりの暖かさがよりありがたく感じられます。
夜遅く奥様の家に到着して、ベッドで寝ていたら夜中に日本のテレビ朝日と日本テレビから携帯に計4回電話がありました。市橋君がリンゼイさんのご両親宛に書いた手紙が弁護団から公表されたことに関する電話取材でした。私自身は、リンゼイさんのご両親の代理人から受け取りを拒否されたことは知っていましたが、手紙の内容を見ていないのでちょっと戸惑いましたが、日本テレビの方が一部読んでくれたので何が書かれていたのかが正確にわかりました。その後、支援者の方々からも連絡が届きました。イギリスの新聞The Times 社の東京支局長が取材に来た時に、イギリスの新聞に手紙の内容が掲載されれば、リンゼイさんのご両親にも見てもらえる可能性があるので、代理人には受け取りを拒否されたけれども、市橋君の反省と謝罪の気持を間接的にご両親に伝えられるのではないか、という話になりました。その結果、弁護団が手紙をThe Times社の東京支局長に見せ、それがイギリスの新聞に掲載され、それが日本のメディアにも伝わり、弁護団が公表するに至ったというのが経緯です。
手紙の内容は、まさに市橋君が自分が犯した罪の重大性を認め、心から反省し、リンゼイさんのご両親に精一杯の言葉で謝罪を伝えようとしています。ご両親にすなおに気持を受け取ってもらえなかったのは残念ですが、元教師としては、やはり私の知っている市橋君らしく、よくそういう気持になってくれたと嬉しく思いました。命のある限りこの十字架を背負い続けなければならない、ということを市橋君自身がしっかり自覚していることが読み取れますので、生きることが許されるなら更生の可能性は十分あると感じました。
今朝はこちらは秋晴れの最高の天候でしたが、Walter Jr が運転する車に乗って奥様と私と3人で138号という山道を登って、山の頂上にあるCrater Lake という国立公園に指定されている湖に行きました。7千年くらい前の火山の噴火でできた噴火口に水が貯まってできた湖ですが、透明度が世界で1、2位という真っ青な水の色をしていました。噴火口の褐色の斜面と真っ青な水の色のコントラストが何とも言えず美しく、神秘的でした。すそ野の方には火山灰が何mも堆積しているらしく、いまだに木が生えない砂漠のような大地が広がっていて異様な景色でした。
夕方Roseburg の町に戻ってきて、故Dauterman 先生の次男John 君の家でご馳走になりました。John 君はノースカロライナ州にある名門のDuke University の医学部卒の医師で、近くの病院で病理科の専門医として勤務しています。今は専業主婦をしている美人の奥さんと3人の息子(9才、7才、2才)と暮らしています。息子たちが昆虫採集に夢中だというので、千葉大の応用昆虫学研究室専攻の学生に作ってもらった日本の昆虫の標本をお土産にあげたら、大喜びしていました。
明日は朝5時半に家を出発して、Eugene-San Francisco-Los Angeles と乗り継いで、カリフォルニア州のSanta Monica に住んでいる娘のところに向かいます。
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2010年10月4日月曜日
いろいろなところから届いたメールに返信をした後、Lake Johnson に行って最後のジョギングをしました。それから、先日チェロキー保護地区からの帰り道で、高速道路の両側の松林の一部にかなりまとまって松が枯れているところがあったので、写真を撮りに道路を1時間くらい逆方向に走ってみました。日本の松枯れの原因のマツノザイセンチュウは元々アメリカから松の材木と一緒に入ってきたと言われ、アメリカの松はこのセンチュウに抵抗性だから枯れないと言われているのに、枯れた松があるのは珍しいと思ったからです。残念ながら、かなり遠くだったらしく、まとまって枯れている所までは行けませんでしたが、何本か個別に枯れている松は見つかったので写真を撮りました。
友人のBill Oakley 君とMargie Reinitz さんと3人で魚料理のレストランに行って、私はBroiled Scallop (焼き貝柱)を食べました。ヒラメをはじめ何種類かの魚(淡水魚の養殖ナマズも)があり、こちらではたいていFry(揚げる)か、Broil(焼く)か、Steam(蒸す)かして食べます。魚が、フライドポテト、Hush puppy(ハッシュパピー)と呼ばれるトモロコシ粉の揚げた菓子、コールスローと呼ばれるサラダの一種と一緒に出てきました。
Barns & Noble という本と音楽の専門店に寄って、友人がオンラインで注文しておいてくれたJohn Denver のヒットソングを収録したDVDを受け取り、ついでに最近テレビでカーター元大統領が宣伝していたWhite House Diary という本を買ってきました。DVDは、先日Blue Ridge Parkway をドライブした時に、John Denver の"Take Me Home, Country Roads" の歌と同じような気分になって、あらためて聴いてみたくなったからです。
それから、友人のFrank Peoples 君の奥さんが入院しているBlue Ridge Health Care Center に寄って、明日出発するからと言ってお別れをしてきました。今日は2回リハビリの訓練をしたそうですが、今度会う時までには歩けるようになって、一緒に散歩をしたり映画を観に行こうと約束してきました。今度はいつ会えるかわからないので、Hug をして、頬ずりをして、腕や肩をたくさんさすってスキンシップをして、See you sometime ! (いつかまた会おう)と言って別れました。
今、こちらの時間で夜中の11時半を過ぎていますが、洗濯室で最後の汚れ物の洗濯をしています。それが済んだら、スーツケースに荷物を詰め込んで、後は明日の朝6時半頃見送りに来てくれる友人と一緒にモーテルを出発し、途中でレンタカーを返して空港に向かいます。レンタカーの走行距離計は約2千マイル(3,200Km)を示していますので、アメリカがいかに広いかがわかります。オレゴン州にいる故W.C. Dauterman 先生の奥様と二人の息子さん(一人は弁護士、もう一人は医師)に会いに行き、奥様のご自宅に2泊させていただく予定です。
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2010年10月3日日曜日
午前中に昔の空手の弟子のJohn and Maureen Burgess 夫妻を訪ねて、時間の経つのも忘れて2時間以上も旧交を温めてきました。夫婦とも59才で、ある時期に私の道場に通って空手の稽古をしていました。今は夫のJohn 君が前立腺がんの抗がん剤治療を受けていて、頭髪が一本もなく、痩せこけて見えましたが、強い精神力で今でも毎日稽古をして空手の型の試合に出ていると言っていました。奥さんのMaureen さんは素敵な女性で、州政府の環境関係の部署に勤務して生活を支えています。John 君はお母さん(井上みやこ、1928年9月22日生まれ)が日本人でお父さんはアメリカ人のハーフです。終戦後間もない時期に名古屋出身の当時17才だったお母さんとやはり17才でアメリカ軍兵士だったお父さんが恋愛、親(井上そういち・あさ)の反対を押し切って結婚し、John 君は1951年に生まれたとのこと。ちょっと前までは敵国だったアメリカ軍の兵士と結婚した娘は親(というよりも祖父)に勘当されたも同然で、John 君が2才の時にアメリカに帰還して以来、両親(すでに亡くなった)とも結局その後一度も日本を訪ねることはできなかったようです。今は外国人との間に生まれた子供はハーフと呼ばれますが、当時は「合いの子」と呼ばれて社会から冷たい目で見られていました。アメリカ領事館が発行した英語の出生証明書のコピーをもらいましたが、名古屋の住所が英語で書いてありますので、帰国したら探してみようと思っています。お母さんには兄弟姉妹が何人かいたとのことなので、もしかした従兄弟が見つかるかもしれません。
午後にはWashington D.C. のEPA(Environmental Protection Agency)勤務の友人Dr. P.V. Shah (インド出身)がモーテルに訪ねてきてくれました。明日からRTP (Research Triangle Park ) のEPA で2日間にわたって開かれる会議に出席するついでに寄ってくれました。Shah 博士とはノースカロライナ州立大学時代に机を並べていた研究者仲間ですが、今は農薬の毒性評価をするBranch Head をしています。EPA が約10年かけて作り上げた内分泌かく乱活性(いわゆる環境ホルモン活性)の試験方法について、CLA (Crop Life of Amarica) という農薬会社の協会との間で質疑応答の協議をする会議だそうです。
http://www.epa.gov/endo/
今から2年以内にEPA が要求している試験を実施してデータを出さなければ、リストアップされている農薬の有効成分や製剤に含まれるその他の成分は登録が取り消されるので、農薬会社の方も真剣です。一つの農薬についてだけでも要求されている試験をするのに何十億円もの費用がかかります。アメリカの良いところは、行政が決めた規則を一方的に押し付けるのではなく、企業との間で徹底的に協議をして、新たな試験をする必要がないという科学的な根拠を提出してそれが妥当と判断されれば、試験が免除されることもあり得るということです。つまり、全員問答無用で必要のない試験をさせるような無駄なことはしないということです。
夕方には、Shah 博士と、昔千葉大学園芸学部の古在豊樹教授の研究室に滞在していたことのあるインド出身のDr. Subhas Mohapatra (10年前にノースカロライナ州立大学を早期退職し、今は3.5エーカー(4千3百坪=1.42ヘクタール)の研究農場で土を使わない農業の実証研究をしている)と3人で、インド料理店に行きました。スパイスがたっぷり効いたマトン肉のカレーをライスと混ぜたり、ナン(パン)に付けたりして食べました。スパイスが効いて顔がほてりましたが、インドの人達はこんなにおいしいものを食べているのかと思いました。
Mohapatra博士の言う「土なし農業(Soil-less Agriculture) 」というのは、日本で言う水耕栽培とは違って、プラスチックシートの上に砂の層を作り、その上に枯れ枝や枯葉をチップにしたもの(無料で入手できる産業廃棄物)を重ね、栄養液をドリップ潅水するという栽培方法です。しばらくすると、ミミズが入ってきてチップを堆肥化するとのこと。背が低い野菜や花だけでなく、根が水平に広く張るので高さ3mくらいの木でも自らを支えられるという方法です。毎年インドに3ケ月くらい出かけてこの農法を指導・普及しているそうですが、土なしで食料生産ができるので、途上国の飢餓問題解決に貢献するのだと、熱っぽく語っていました。
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2010年10月2日土曜日
Raleigh の辺りも急に秋らしくなり、Lake Johnson の周りをジョギングした後は長袖のシャツを着て、恩師の故W.C. Dauterman 教授のお墓参りに行ってきました。郊外の景色の良い丘の上に墓地はあり、色あせた古いお花(造花)を新しいお花と取り替えてきました。今までは1995年に63才で亡くなってからほとんど毎年来ていますが、これからはいつまで続けられるかはわかりません。
それから、入院している友人のFrank Peoples 君の奥さんのお見舞いに行きました。Rex Hospital からBlue Ridge Health Care Center (A Nursing and Rehabilitation Center) に移され、歩行練習その他のリハビリテーションの訓練を受けていました。日本でも千葉大学時代の同僚教授だったN君がリハビリセンターに入院していましたが、見舞いに行ってみたらリハビリは形だけで、人手不足のせいか実際にはほとんど歩行訓練もしてくれていませんでした。こちらもリハビリと高齢者の長期療養兼用の同様の施設ですが、リハビリ室を覗いてみたら日本と違ってまるで体育施設かと思われるほどいろいろな道具がそろっていました。友人の奥さんは今日は2時間半くらいいろいろな運動をし、補助具に掴まりながら40フィート(10m)歩いたと言っていました。アメリカの方が医療や介護はずい分進んでいるという印象を受けました。廊下の壁に看護士や介護士を対象の標語が貼ってありましたが、その中の一つは、「Never say "it is not my job" (それは自分の仕事ではないと決して言うな)」でした。
昼食後、友人達と入場料1ドル50セントの名画劇場に行き、SALT という女性スパイの映画を観ました。先日Karate Kid という映画を観たのと同じ劇場ですが、今日はよく注意をして見たら定員130名くらいの小さな劇場が13もありました。テレビやインターネットやDVDなどと競争して映画館が生き残る一つの方法として、多様な観客のために多様な映画を安い入場料で提供しているのでしょう。
映画の後は、Raleigh 近辺に在住のアメリカ人の友人達8人が近くのレストランに集まってくれ、私の送別の意味も込めて食事をしながらおしゃべりしました。
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2010年10月1日金曜日
昨夜は、ノースカロライナの海岸のOuter Bankと呼ばれる細長い島(ライト兄弟が始めて飛行機を飛ばした場所がある)で数日間バケーションをとるためにサウスカロライナのGaffneyからドライブしてきたTate夫妻が、途中に位置する私のモーテルに寄ってくれて、私の部屋に一泊していきました。先日のお返しに夫妻に私のベッドを提供し、私はソファーで寝ました。間仕切りもないのでプライバシーはありませんが、家族と同じようにお互いのいびきを聞きながら一つの部屋で寝ました。日本ではお客さんの夫婦と同じ部屋で寝るというようなことは、ほとんどなくなったのではないでしょうか。
奥さんのLindaさんはアイスボックスにチッキンやスープを入れて持ってきてくれ、私の部屋の台所で料理をして食べさせてくれました。残りは私の明日のランチにと冷蔵庫に入れて置いていってくれました。今は毎日刑務所に出かけて先生をしているというので、様子を訊いてみました。軽犯罪者はAキャンプ、凶悪犯罪者はBキャンプと分かれて収容されていて、ほとんどが中学(9年課程)卒か高校中退なので、囚人の中で大学卒の人が高校に相当する教科書を使って教えるのを監督指導するのが彼女の仕事だそうです。そうやって刑務所の中で高校卒と同等の資格を取らせて、出所後に就職がし易くするのが目的だそうです。
Aキャンプの囚人は、毎日(月~金)普通の服装で外に出て働いて(鶏肉処理工場など)、稼いだお金の中から刑務所の家賃や食事代などを払い、被害者に払う弁済金(?)を差し引かれ、僅かですが残りが自分の収入になるのだそうです。Bキャンプの囚人は、刑務所内の仕事か外の道路工事などの仕事をする時は囚人服のままで、銃を持った監視がつくそうです。この人達には給料はないので、刑務所の家賃や食事代は国民の税金で賄われるのだそうです。AキャンプもBキャンプも一部屋に3~4人収容され、軍隊のような薄いマットレスの簡易ベッドに寝て、各部屋にテレビも新聞もラジオも持ち込めるそうです。家族や友人との面会は土日で、テーブルを囲んで和やかに行われるそうです。
Tate夫妻が出立した後、ノースカロライナ州立大学のErnest Hodgson教授、Mike Roe教授、Ron Kua元教授とレストランでランチを一緒に食べました。昔、農薬に関する日米科学協力事業セミナーを一緒に企画実施した時の仲間です。Hodgson教授は78才という年齢にもかかわらず、今でも毎日(週7日)精力的に仕事をされておられるとのこと、頭が下がります。最近、Foundation of Toxicology and Agromedicineという非営利目的の法人を設立されたとのことでした。アメリカでは年齢による強制的な定年は憲法違反で、年齢にかかわりなく能力や意欲が衰えた時に退職し、能力や意欲を保持している教授は何歳まででも働けるという制度です。それでも当初心配されたような若い人の就職の機会が少なくなるというようなこともなく、ちゃんと新陳代謝も行われて人事構成のバランスがとれているとのことです。
夕方にはいつものようにLake Johnsonの周りを1周(約5Km)ジョギングし、その後アメリカ人の友人達とおすし屋さんで握りずしを食べました
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2010年9月30日木曜日
9月28日に振り込んで下さった方(7回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は146,000円、延べ167名からの合計額は2,210,565円になりました。「・・孤独が市橋さんの心を弱らせていないか案じられます。強い精神で今後の日々をすごして頂きたいです」というメッセージも添えられていました。ありがとうございました。
ちょっと前に一泊旅行から帰ってきました。車の距離計を見たら往復でちょうど700マイルですから、約1,120Km走ったことになります。
昨日モーテルを出発する時は、海岸近くをハリケーンが通過したので先日訪ねたWilmington の町は道路が水浸しになったとテレビのニュースが伝えていました。。西に向かって高速道路を走っている時は激しい雨にあいましたが、6時間くらいかかってAshevilleという町の西端に位置するチェロキーインディアン保護地区(Cherokee Indian Reservation)に着いた時は小降りに変わっていました。1969年に初めてこの地を訪ねた時に比べて、モーテルやみやげ物店が大幅に増え、大きなホテルにカシノ(ギャンブルをする所)も併設されて、観光地化されていました。それでも、上高地の梓川に似た清流に面した小さなモーテルの2階のバルコニーのロッキングチェアーを揺すりながら、清流の音と雨の音を聞きながらワインをすすると、自然と一体になったような気分になりました。
今朝は川沿いに散歩をしたり、チェロキーインディアン博物館を見たりしてから、アパラチア山脈の尾根筋を走るBlue Ridge Parkwayを2時間ほどゆっくり(曲がりくねった山道なのでゆっくりしか走れない)ドライブし、山を降りてAshevilleの町に出てから高速道路を4時間くらい走ってRaleighに帰ってきました。山の中は、霧が深くて先がほとんど見えないところがあったり、紅葉が始まっているところや、遠くの山々が見渡せるOverlook(眺望地点)があったりして、素晴らしい景色を堪能しました。
チェロキーインディアンは、白人が到着するまではこの辺り一帯に分布して、独自の文化をもって栄えていたのに、土地を奪われ、虐げられ、言葉も失われ、北海道のアイヌと同じような境遇にあります。それでも今ではアメリカ国民として、第二次世界大戦にも朝鮮戦争にもベトナム戦争にも参加し、戦死者の名前を刻んだ記念碑が公園の中に建立されていました。
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2010年9月29日水曜日
日本の家族との連絡がやっととれるようになり、モーテルにFAXが4通届きました。
9月18日に匿名のFAXでメッセージがありました。「市橋さんへ 大変だと思いますが応援していますのでがんばって下さい。真実を全て話して、そして罪を償って、また新たな人生を歩んで下さい」
9月22日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届き、現在高は133,000円、延べ165名からの合計額は2,197,565円になりました。ありがとうございました。
9月24日に振り込まれた方(4回目)の支援金が届き、現在高は136,000円、延べ166名からの合計額は2,200,565円になりました。ありがとうございました。温かいメッセージもありました。「23日の記事を読みました。証言をしてくれる方が現れたとのこと、私も自分のことのように嬉しかったです。この方も名乗り出るのにすごい覚悟と勇気がいったと思います。罪を犯してしまっても???皆さんから心配や支援をしてもらえるなんて幸せものだと思います。だからこそ心から反省し、罪を償ってほしいです。わずかな金額ですが送ります」
昨日はNIEHS(国立環境健康研究所)のBuck Grissom博士を訪ねて、ネオニコチノイド剤という殺虫剤のグループとミツバチの関係についてと、ニームオイルについて有意義な情報交換をしてきました。Buck Grissom博士は、1982年~1983年に恩師の故W.C. Dauterman教授が1年間研究休暇で海外出張し、私が代わりに客員教授として研究室の指導をしていた時に、私のグループミーティング(ゼミ)に他の研究室から博士研究員として参加していた人です。
今日は今から、ノースカロライナ州の西端に位置するアパラチア山脈の尾根を走るBlue Ridge Parkwayという道でチェロキーインディアンの保護地区に出かけます。遠いので、途中一泊する予定です。40年くらい前に家族と全員で秋に旅行した時は、山も谷も鮮やかな紅葉の連続で、息を呑むような美しい景色だったのを覚えています。時期がちょっと早いので紅葉は無理かもしれませんが、久し振りにノースカロライナの山の中をドライブするのは楽しみです。
明日の夕方には先日訪ねたサウスカロライナ州のTate夫妻が旅行の途中で私のモーテルに寄る計画ですので、それに間に合うように帰ってくる予定です。先日のお返しに、Tate夫妻に私のベッドを提供し、私はソファーで寝るつもりです。
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2010年9月28日火曜日
市橋君と千葉大学で同じ研究室を専攻し、空手部活動も一緒に参加していた元学生が、10月初めに菅野弁護士事務所を訪ねて学生時代の市橋君の様子など証言してくれることになりました。
日本と同じでこちらも今年の夏は猛暑続きで旱魃に近い状態だったようですが、一昨日大雨が降ってから急に秋らしい気候になりました。昨日は雨の晴れ間にモーテルから車で15分くらいのところにあるLake Johnsonという湖の周りの小道(Trail)をジョギングしました。一周約5Kmの森の中の小道ですが、上り坂や下り坂もあり、多くの人が散歩をしたりジョギングをしたりしています。私は時間が十分あって体調もいい時は車でこの湖に行ってジョギングし、時間があまりない時はモーテルから走って行けるところにあるRegency Parkの池(一周約1Km)の周りの遊歩道をジョギングします。ここでもよく散歩をしたりジョギングをしている人に出会いますが、いろいろな野鳥やリスや野生生物が見られますし、Amphitheaterと呼ばれる野外劇場が隣接してあって、コンサートなどのイベントも開催されています。
その後、車でショッピングセンターの中にあるRadio Shackという電気店に行ってカメラとパソコンをつなぐUSBケーブルを買ってきてブログに写真が取り込めるようにしました。
その足でノースカロライナ州立大学のMike Roe教授の研究室を訪ねました。私の恩師のDauterman教授が亡くなってからは、私がこちらにきて研究をする時はたいていこの研究室に滞在します。千葉大学の私の研究室の卒業生の岩佐孝男君は、以前会社からこの研究室に1年間留学してネオニコチノイド剤と呼ばれる殺虫剤の作用機構についてすばらしい研究成果を挙げました。その時の業績の一部はCrop Protectionというイギリスの学術誌に掲載され、世界中から注目され高い評価を受けました。
Iwasa et al (2004) Mechanism for the differential toxicity of neonicotinoid insecticides in the honey bee, Apis mellifera. Crop Protection 23: 371-378.
その後ヨーロッパからRoe教授のところにこの論文に関する質問というか、文句がたくさん届いているとのことでした。最初のうちはひとつひとつ丁寧に回答していたけど、途中から答えるのを止めたとのこと。日本でもそうですが、多くの反農薬活動家の人達は農薬に反対することを生きがいにしていて、どんなに科学的に説明しても宗教と同じで自分の信じていること以外は受け付けないという傾向があります。
夕方には友人のFrank Peoples君(1969年以来の空手の弟子)の奥さんが入院している病院にお見舞いに行ってきましたが、受け付けも何もなく、名札もつけず勝手に病室に入れるのには驚きました。アメリカでも昔は病院内に入るには規則がいっぱいあって管理が厳しかったそうですが、結局友人や家族がお見舞いに来る方が患者の回復にはプラスになるという考え方に変わって、出入りが自由になったのだそうです。
今日は今からResearch Triangle ParkにあるNIEHS(国立環境健康研究所)の友人を訪ねる予定です。車で多分40分くらいで行ける筈です。
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2010年9月27日月曜日
支援者の一人から、9月24日に開催された第5回公判前整理手続に関する毎日新聞の記事が送られてきました。
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市川市で07年、英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の遺体が見つかった事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死罪などで起訴された住所不定、無職、市橋達也被告(31)の5回目の公判前整理手続きが24日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)であった。市橋被告の弁護団は、▽殺意の有無▽リンゼイさんが死亡に至る経緯▽強姦致死の成立ーーの3点が大きな争点になる見通しだと明らかにした。
これまでの手続きでは、検察側が性的暴行の直後に正面から、手で首を絞めたと主張する一方、弁護側は後ろから腕で首を絞めたと主張している。
菅野泰弁護士は「司法解剖の鑑定書によると手で絞めたような跡はなく、検察側の主張は不自然だ。市橋被告は『後ろから腕で絞めた』と主張し、その場合には暴行後に体勢を変える必要がある」と説明。強姦致死罪成立に必要な暴行と死亡の時間の近接度を争う見通しという。次回期日は10月18日。
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これで検察側と弁護側の主張の違いが整理されて明確になったようですので、10月と11月の公判前整理手続では、情状酌量の余地があるかどうかの検討に入るのでしょうか。
私は昨日からサウスカロライナ州のGaffneyという田舎町に住んでいる昔からの友人(ノースカロライナ州立大学時代の研究室の同僚であると同時によく一緒にフィッシングに行った仲間)Tate 君を訪ねて、今夕モーテルに帰ってきました。車でハイウェイを時速120Kmくらいで走って片道4時間くらいかかる距離です。昔は、チャールストンというサウスカロライナ州の港町から内陸部に向かう駅馬車の停留所もやっていたと生前のお父さんに聞きました。Tate 一家で440エーカーですから、53万8千坪(178万m2=7万7千町)という広大な土地を持っています。昔は一面綿畑だったようですが、今は森と牧場に変わっていて、弟の家族が住んでいる母屋は「風とともに去りぬ」という映画に出てくるようなプランテーションの白いペンキ塗りの2階建ての建物です。広大な牧場に放し飼いにされている牛を小型トラックに乗って見に行きました。Tate 君自身は、自分で建てた屋根裏部屋付きのキャビン(丸太作りの家)に住んでいます。友人と二人で訪ねたので、友人にはゲストルームを、私には夫婦の大きなベッドを提供して、自分たちはリビングルームのソファーで寝ていました。南部の田舎のアメリカ人には、お客さんをもてなすこういう考え方が今でも残っています。美人でスラッとしたスタイルの奥さんは、元々高校の物理の先生でしたが、今は刑務所の囚人(20才から70才くらいまでいる)の教師をしています。Tate 君が自分の家の森で銃でし止めた鹿の肉のハンバーガーや、手作りのアイスクリームなどをご馳走になりました。朝は雄鶏の鳴き声で自然に目を覚ましました。こういうのは、私にとっては最高に贅沢な生活です。
私が来年3月に東京農業大学客員教授を定年になったら、こちらに来て住まないかと誘われました。
帰り道の途中でCharlotte という町に寄って、先日私のモーテル に来てくれたDon Prpffer 君ともう一人別の友人のWayne Brown 君(やはり昔からの空手の弟子で、今は3つのレストランのマネージャーをしている)と会って食事をしてきました。皆、実の兄弟以上に親しい仲間たちです。
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2010年9月24日金曜日
ちょっと前に日本の家族から公衆電話を使っての連絡がありました(自宅の電話とFAXはまだ故障中のため)。9月19日に振り込まれた方の支援金が届きました。これで支援金の現在高は130,000円、延べ164名からの合計額は2,194,565円になりました。10万円もの大金のご支援をありがとうございました。
日本と私が現在滞在しているノースカロライナ州とは13時間の時差がありますので、日本の朝11時はこちらでは前日の夜10時になります。今日は用事があって、空手の弟子で弁護士のEverette Noland君の事務所に行きました。用事が済んだ後、近くのレストランで昼食を食べながら3時間くらい話をしました。ひとつ驚いたことは、彼のお父さん(故人)は高い階級の職業軍人で、第二次世界大戦(ドイツ)、朝鮮戦争、ベトナム戦争に参加して、その他にもいろいろなところに派遣されていたということです。
私はNoland 君はMartin Luther King 牧師の人種差別撤廃運動の行進に同行したと思い込んでいましたが、今日詳しく訊いてみたら私の早合点で違っていました。1960年にまだ南部のジョージア州の大学の学生だった時に、ケネディ対ニクソンの大統領選挙が行われた時に、首府のアトランタの選挙会場の前で20人くらいの白人(当時学生だった今の奥さんも含めて)だけのグループで黒人にも選挙権を与えよというピケ(プラカードを持って抗議行動)を張ったのだそうです。King 牧師もアトランタの出身ですが、その頃は無名で、Noland 君らの勇気ある行動に触発されてその後の活動を展開した可能性がありそうです。
アメリカ憲法ではずっと前から黒人にも選挙権は認められていましたが、北部でも南部でもいろいろな事情で実際には投票に参加できない状態だったそうです。南部の場合は、字が読めなければ選挙はできないという理由で、黒人には難しい憲法の条文を読ませて説明してみろというような試験を課して、実際上投票できないようにしていたとのことです。その他にも、レストランにしても、トイレにしても、水飲み場にしても、あらゆる場面で黒人差別が日常化していたので、それはおかしいとして立ち上がったのだそうですが、その当時は社会をあげて大騒ぎで、よそ者が扇動しにきたと批判され、袋叩きにされかねない危険な状態だったとのこと。奥さんが持っていたプラカードは近づいてきた白人男性にナイフでズタズタに切り裂かれ、そのナイフを足元の地面に突き刺して脅かしたそうですが、近くにいた警官は止めようともせずにただ見ているだけだったとのこと。当時まだ若い女子学生だった奥さんは、無抵抗主義を堅持し、プラカードは破られればまた作り直せばいいとして、がんばったのだそうです。私は昨年海岸の別荘で奥さんにお会いしましたが、芯の強そうな女性でした。長年小学校教師をしていましたが、今はその経験を生かして女子大学で教師になる勉強をしている学生たちに子供への教え方や児童心理などを指導しています。
Noland君はジョージア州の大学で4年を卒業し、その後ミシガン州立大学の法学部で3年勉強して法学士号を取得、司法試験(Bar Test)に合格後、職がなかったので、イギリスから独立して間もないアフリカのナイジェリアに行って2年間現地の裁判所に勤務したのだそうです。ナイジェリアはイスラム教徒の北部とキリスト教徒の南部に分かれていますが、その他にも多くの部族があって大変難しい国のようです。
本にすれば面白そうな彼の経験や話を聞いているうちに3時間はあっという間に経ってしまいました。
日本の若者は、正しいことは正しい、おかしいことはおかしい、と立ち上がって主張する勇気を持ったいるだろうかということがちょっと気になって、いろいろと想像を巡らせました。
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2010年9月23日木曜日
市橋君が卒業論文の研究をした研究室の教授が私が適正な裁判を支援する会の活動をしていることを皆に知らせて下さったらしく、市橋君と同じ時期に研究室を専攻し、空手の練習も一緒にしていた元学生が連絡をしてくれました。すでに結婚して子供の親になっている人ですが、学生時代の市橋君について弁護団に証言してもよいと言ってくれました。こういう状況になった市橋君は、皆に顔向けできないと思っている筈ですから、昔の友人たちができる範囲で彼の支援を申し出てくれていることを知れば、人の温かさを認識する筈です。
昨日はCharlotte から来てくれたDon Proffer 君と Raleigh 市内にある湖のひとつ Lake Wheeler にフィッシングに行きました。1969年以来の空手の弟子ですが、お父さん(故人)は陸軍のグリーンベレイと呼ばれる特殊部隊の隊長をしていた人です。大学卒業後は市警察に長年勤務し、その後資格をとってCPA(公認会計士)になりました。今は老齢のお母さんのお世話をしています。私が車を運転して遠くに行く時に道に迷ったり、居眠りして事故があってはいけないとの配慮で、わざわざ遠くから来て車に同乗してくれました。私のモーテルの部屋のソファで寝ていました(もう必要がないと判断して先ほど帰宅しました)。映画やメディアが描くアメリカ人のイメージと違って、Don Proffer 君をはじめとして多くのアメリカ人は、今の日本人が失ったものをちゃんと持っているすばらしい人たちです。
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2010年9月22日水曜日
19日にノースカロライナ州の海岸の町 Wilmington に住んでいる友人のEugen Sanchez君を訪ねました。カストロ首相らによるキューバの共産革命の時に、フロリダに亡命してきた精神科医のお父さんと学校教師のお母さんの息子です。大学工学部を卒業してノースカロライナ州の電力会社に就職して私の道場(Gensei Dojo of Japanese Martial Arts)のあったRaleigh 市に引っ越してきた時以来の空手の弟子です。お互いに久しぶりの再会を喜び合いました。娘二人と愛犬を連れて、一緒に近くのKure ビーチに遊びに行きました。長女のMorgan は15才、次女のMelanie は12才ですが、こんなに甘えられたらお父さんはメロメロになって溶けてしまうだろうなと思えるほど甘えていました。9月も下旬に近いのに、砂浜では大勢の人が遊びに来ていて、ピアからフィッシングをしている人たちもたくさんいました。夕方には、Sanchez君の手作りのキューバ料理を全員でご馳走になりました。
私たち4人(全員空手の弟子のDon Proffer君、Bill Oakley 君、Margie Reinitzさんと私)は、近くのCarolina ビーチのモーテルに一泊しました。予約なしで行きましたが、日曜の夕方で大半の宿泊客が引き揚げた後でしたので、空室はすぐ見つかりました。翌日朝早く起きて海岸に散歩に行くと、ちょうど大西洋の地平線から朝日が昇るところでした。ペリカンが飛んでいたり、こんな時間から一人で釣りをしている人がいたり、打ち寄せる波の音と一種の静けさの中で、心が洗われるような気分を味わいました。
(写真はクリックすると拡大できます)
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2010年9月19日日曜日
昨夜(こちらの時間で18日〉遅くノースカロライナ州の空港に着きましたが、友人達3人が待っていてくれました。私が1969年に初めてきた時はRaleigh/Durhan空港(RDU)というのは田舎の空港で、セキュリティチェックもなく、恩師の故Dauterman教授が生まれて数ケ月の長男を腕に抱いて飛行機のタラップの下まで迎えにきてくれました。それが、日本のつくば研究学園都市のモデルになったといわれているResearch Triangle Park(RTP)という3つの主要大学と国・民間の研究学園都市ができてから人口が増え、空港も国際空港になって、昔の面影はなくなりました。空港の近くでレンタカーを借りて、いつも使っている台所付きの長期滞在用モーテルにチェックインしました。公共交通機関がほとんどないと同然なので、自分で車を運転するしかありません。友人があらかじめ冷蔵庫に食べ物や飲み物を入れておいてくれたので、もう一人駆けつけてくれた友人も含めて5人で再会を祝してパーティをしました。友人の一人はCharlotteというかなり遠い町から来たので、私の部屋のソファで寝ました。今日はもう少ししたら、皆でWilmingtonという海岸(大西洋)の町に住んでいる別の友人を訪ねる予定です。今夜は向こうで一泊することになるかもしれません。皆、1969年以来の空手の弟子でアメリカ人ですが、家族のような親しい関係です。
支援金が届いたらFAXでコピーを送るように家族に頼んであったのですが、息子からのメール連絡で、自宅の電話とFAX兼用プリンターの修理で1週間くらい使えないとのことです。支援金の報告をブログでしようと思っていたのですが、しばらくはできないかもしれません。ご了承下さい。
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2010年9月17日金曜日
8月15日に東京から振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は30,000円、延べ163名からの合計額は2,094,565円になりました。ありがとうございました。
今日は東京で報農会という財団法人主催の「植物保護ハイビジョン-2010」-生物農薬の展開と化学農薬の調和-というシンポジウムがあり、私も聴講してきました。300人を超す参加者で会場が一杯でした。6人の演者による講演があり、いずれも大変勉強になりましたが、特に静岡大学農学部の西東 力教授の「生物農薬の最近の開発・利用状況及び今後の展望」と題した講演は、生物農薬の夢と限界の現実を明確に指摘され、印象に残りました。元々、静岡県の農業試験場で長年農業の現場の問題に取り組んで来られた方ですので、宣伝や空論ではなく、説得力がありました。
私は明日の午前11時半頃自宅を出て成田空港に向かい、アメリカに出発します。10月9日に帰国します。
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2010年9月16日木曜日
9月14日に振り込まれた方の支援金が届きました。これで支援金の現在高は20,000円、延べ162名からの合計額は2,084,565円になりました。「パソコンが不調でメールを出せませんが、応援しています」というメッセージも書いてありました。ありがとうございました。東北からも振り込んだというメールでのお知らせが届いています。
私は明後日18日からアメリカに出かけて日本を留守にしますが、留守中は家族に払込取扱票をチェックしてもらってアメリカの滞在先に連絡してもらう予定ですので、ブログでの報告はできる筈です。アメリカでは古巣のノースカロライナ州に帰省して充電してくるのが主目的ですが、恩師のお墓参りや、各地の友人達と会ったり、EPAやNIEHSを訪ねて少しは勉強もしてくる計画です。パソコンは持参しますので、向こうでもメールは読めます
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2010年9月13日月曜日
9月10日に振り込まれた方(5回目)の支援金が届きました。ありがとうございました。前回までの分は9月8日に菅野弁護士に全額をお届けしましたので、支援金の現在高は10,000円、延べ161名から今までに振り込まれた支援金の合計は2,074,565円になりました。
イギリスの新聞The Timesの東京支局長Richard Lloyd Parry 氏が午後2時に松戸駅に到着し、私が車で迎えに行って千葉大学園芸学部にお連れし、猛暑の中でしたがキャンパス内を歩いて見学後、5時頃まで取材を受けました。家族の話題で、私の息子が英文学専攻でシェイクスピアの研究でイギリスに2回留学した話をしましたら、Parry氏はOxford大学でやはり英文学を専攻したとのことでした。奥様と小さいお子様と東京にお住まいで、年に1~2回イギリスに帰省されるそうです。
3時間の取材ですからいろいろな話題をカバーしました。市橋君の人間性、私が何故多くの人の反対を押し切って市橋君の適正な裁判を支援する会を立ちあげたのか、私の目的は何なのか、市橋君は自分の犯した罪を認めたのか、支援者はどういう人達なのか、・・等々。リンゼイさんのご両親は大切な娘を失った犠牲者だが、市橋君のご両親も息子を失ったのと同じで犠牲者で、大変苦しんでおられること。市橋君のご両親はリンゼイさんのご両親に対して大変申し訳ないと思っておられること。私は、いずれは両方がお会いする機会が訪れればよいと思っていること。いずれは市橋君のご両親もこの困難を克服して、医師として社会に貢献していただきたいこと。私が以前リンゼイさんのご両親宛に送ったメールは向こうの代理人にストップされて抗議されたこと。市橋君がリンゼイさんのご両親宛に書いた事件の経緯の説明と謝罪の手紙は、代理人から受け取りを拒絶されたのでご両親には届かなかったこと。
支援者から寄せられたメッセージを匿名化して一覧表にして以前菅野弁護士にお渡ししたもののコピーを差し上げました。支援者の方々がどういうお考えで支援をしておられるかが理解してもらえるようにとの考えからです。
弁護団は明後日15日に6名全員が集まって20回目の弁護団会議をやられるそうですが、その席で、市橋君がリンゼイさんのご両親宛に書いた手紙をParry氏に見せてもよいということが認められば、市橋君が罪を認めて謝罪していることがThe Timesに記事として紹介されてリンゼイさんのご両親に見てもらえることになるかもしれません。
私が目指しているのは、元教師として元学生がきちんと罪の償いをすること。受刑中も市橋君が生きる希望を失わずに自分を向上させられるように支援をすること。何年経ったら出所できるか、出所できるかどうかもわからないが、出所した時に市橋君が残りの人生を前向きに生きられる人間になるように支援をすること。
どういう記事になるのかはわかりませんが、被害者対加害者、代理人対弁護人という立場ではなく、人間対人間としてのメッセージがイギリスの人達に伝わればいいなと思っています。記事になった時は私にもメールで送ってくれるとのことでした。
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2010年9月12日日曜日
ネットで支援金を振り込んだというメール連絡がありましたので、月曜日には届くでしょう。記録を調べてみましたら、この方は5回目になります。
私は犯罪心理学者でも精神科医でもありませんが、普通の学生だった市橋君が何故こういう愚かな行為に及んだのかを解明することは、市橋君自身の更生にとっても社会が同様の事件の再発を防ぐためにも重要な筈です。検察側は公判で検察側が描いたシナリオを提示し、いずれメディアや評論家たちも解説をしてみせるのでしょうが、適正な裁判が行われるために、市橋君と弁護団の間で信頼に基づいた対話がなされて、真相が解明されることを期待しています。
市橋君が育った町の風景(2010年1月31日撮影)
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2010年9月10日金曜日
ブログの3月31日の記事で書いたイギリスの新聞The Timesの東京支局から電話があり、来週の月曜日にイギリス人の支局長が取材に来られるということになりました。3月の時は一度予定していた取材がキャンセルになりましたが、今度は実現したら、私たちはリンゼイさんとそのご遺族に大変申し訳ないと思っていることと、市橋君も一時的に理性を失った状態で自分がしていることがわからなくなって犯したとんでもない行為を反省し、責任をとって罪を償う覚悟であることをイギリス国民に伝えていただこうと思っています。
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昨日の菅野弁護士のお話では、市橋君の公判前整理手続は、事件当日何が起こったかの弁護側と検察側の論点整理が大体9月末までに終わり、10月から11月には情状酌量の余地があるかないかなどの検討が行われ、年内には裁判の準備が済んで、来年3月頃に裁判員裁判が開かれるという見通しのようです。
市橋君は身柄を拘束されて以来、弁護団に親には絶対に連絡をとらないでほしいと言い続けてきたそうですが、これは自分自身の問題なので親や家族には迷惑をかけたくないという思いだったのでしょうか。育ててくれたご両親に申し訳ないという気持ち、感謝しているという気持ち、ご両親への敬愛、そんな思いを伝えたいという心境になったのでしょうか、最近ご両親宛の手紙を書いて弁護団に託したようです。親子は物理的に隔絶されてもお互いへの信頼で結ばれていたとしても、こういう状態に陥った息子からの何年ぶりかの手紙が届いて実際に手にした時のご両親の胸の内はいかばかりかと想像されます。
市橋君が千葉大学を卒業してからの2年間にどういう生活をしていたのか私には全くわかりませんが、ごく普通の学生だった市橋君がリンゼイさんにこんな酷いことをするには、よっぽど自分自身を失っていたとしか考えられません。何故彼がそういう行動に走ったのか、市橋君自身もわかっていないのかもしれません。亡くなった命は生き返らないし、犯した罪は消えませんが、何が彼に理性では考えられないこんな馬鹿げたことをさせたのかを明らかにすることは、弁護団にとっても市橋君自身にとっても大切なことかもしれません。
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2010年9月8日水曜日
台風9号の影響で悪天候でしたが、郵貯銀行からその後振り込まれた支援金の全額191,000円を引き出して、菅野弁護士にお届けしました(領収書添付)。今日は菅野弁護士に加えて、山本宏行弁護士も同席して、いろいろお話を伺ってきました。
千葉刑務所内で熱中症で死亡者がでたというニュースに関連して、市橋君の入っている独居房には空調も扇風機もないので、暑さにはただ耐えるしかないとのことです。ただし、独居房には洗面設備はありますが、ボトル入りの飲用水を毎日3本ずつ支給されるようになったそうです。
未決囚なので私服を着用していますが、差し入れをしている人がいるらしく着替えなどに不自由はしていないようです。お金も差し入れをしている人がいるらしく、刑務所内の売店で食べものを買うことはできるそうです。最初の頃は甘いものを欲しがったけど、最近は支給される食事だけで不満はないそうです。衣類でも食べものでも、必要なものは市橋君が弁護団に接見の時に要望すれば、支援金を使って購入して弁護団から差し入れができるので、心配はないとのことです。
自殺の可能性があるという理由の特別扱いを止めて他の被告人と同じ扱いにしてほしいという点については、市橋君本人も弁護団も繰り返し改善を要望してきましたが、特に週に4~5回行われていた独居房への立入検査や私物の制限は改善されたそうです。繰り返し要望した結果か、千葉刑務所で8月に自殺者がでたので、ストレスを与えると自殺予防に逆効果と判断したのかはわかりませんが。
市橋君がリンゼイさんのご両親宛に日本語と英語で書いた手紙は、イギリスの代理人から日本の検察に受け取りを拒否するという連絡が入ったので、結局送れなかったとのことです。公判には被害者(の遺族)も出席できるので、そこで加害者に直接質問をぶつけられるので、今の段階で加害者側の説明や謝罪や言い分を聞く必要はない、ということなのかもしれません。つまり、被害者(の遺族)側は市橋君に対してかなり厳しい姿勢を維持して臨んでこられるのではと想像します。
公判前整理手続は当初予想した5~6回ではなく、7~8回は行われそうで、第5回は9月24日、第6回は10月18日に予定されているそうです。
皆さまから寄せられた支援金は弁護団が活動をする上で大変役に立っているとのことでした。これからも継続してご支援をお願い致します。
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2010年9月7日火曜日
明日は菅野弁護士にその後振り込まれた支援金をお届けする予定です。市橋君の最近の様子などについても伺ってくるつもりです。
この写真は、市橋君が高校を卒業するまで住んでいた岐阜県竹鼻町を今年の初めに訪ねた時に撮ってきたものです。岐阜羽島駅から走っている名鉄は確か単線だったと思いますが、駅前の大通りに高層ビルもなく、線路を歩いてわたる歩行者用の通路があったり、この頃都会では見られなくなった昔の街並みや風情の残っている田舎の町でした。ほとんど町中の人は皆顔見知りかもしれないという印象でした。市橋君が、見慣れたこの景色を再び見ることができるのは何年先になるのかわかりませんが・・・。
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2010年9月4日土曜日
支援者のお一人から、千葉県の情報サイトに第4回公判前整理手続の記事がありましたという情報提供がありました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
市橋達也被告(31)の第4回公判前整理手続が3日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で行われた。
市橋被告の弁護団は、ホーカーさん死亡の時間帯が最大の争点となる見方を示した。弁護側は、暴行と死亡の時間が離れてたことを証明するため、市橋被告のパソコンデータを証拠請求する方針。手続きには市橋被告も出席した。
弁護団が明らかにした供述調書の内容によると、市橋被告は07年3月25日午前、自室に入った直後に強姦。その後、足などを縛られたホーカーさんを室内に置いた浴槽に入れた。翌26日午前2~3時ごろ、浴槽からはい出し声を上げようとしたため、後ろから馬乗りになり左腕で首を絞めた。殺意は否認している。
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これは弁護側が取材記者団にリリースした情報に基づいた記事でしょうが、検察側はまだ、強姦プラス傷害致死ではなく、強姦致死プラス殺人が行われたという主張の証拠を提出していないという印象を受けました。
最終的にどういう判決になるのかはわかりませんが、市橋君はとんでもない悪いことをしたのですから、心の底から反省して、相当長期間罪の償いをしなければならないでしょう。逃走中の生活態度から見ても、私が知っている市橋君は、しっかりそれができる人間だと信じます。
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2010年9月2日木曜日
8月31日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金現在高は191,000円、延べ160名からの合計額は2,064,565円になりました。「熱中症の方々が増え、私の勤務先も忙しい日々です。この暑い中、独房で一人の市橋さんの体調は大丈夫でしょうか。本当に気がかりで案じられます。意思を強くもって日々過ごしていただきたいです。」というメッセージもいただきました。ありがとうございました。
市橋君が千葉大学園芸学部で卒業論文の研究や研究室ゼミに参加していたのは、庭園デザイン学研究室で、当時は2人の教員が指導に当たっていました。事件後は、警察が事情聴取に来たり、メディアが取材に押し掛けたりで大変だったようです。現在はM教授お一人で学生の指導をされています。今日は市橋君が提出した卒業論文を見せてもらいに研究室を訪問し、学生時代の市橋君のことなどM教授と懇談してきました。
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2010年9月1日水曜日
今日から月が変わって9月です。弁護団は、午後から行徳警察署へ事件の証拠物の閲覧に行ったり、事件現場(市橋君が住んでいたマンション)の見分をしている筈です。
8月30日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は181,000円、延べ159名からの合計額は2,054,565円になりました。この方からはメールでお便りもいただきました。ありがとうございました。
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2010年8月31日火曜日
今日も猛暑が続いていますが、東京農大のグランドでは野球部が対外試合をしていたり、サッカー部がシュート練習をしていたり、陸上部が200mを数人ずつ全力疾走していたり、元気のいい若者を見るのは気持のいいものです。私はジムで準備運動を兼ねて軽く筋力トレーニングをしてから、外に出て無理をしないように大学の周囲を1周(約2km)だけジョギングしました。
岡山県在住の知人(今年の春に会社勤めを定年退職し、今はブドウを中心とした農業をやっている)が松枯れの写真を送ってくれました。以前見た広島空港と広島市の間の高速道路沿いの山に骸骨のように立っている枯れた松の写真を撮りに行きたいと言ったら、そんな景色は岡山でもいくらでもあるよと言って送ってきたものです。
昭和30年代に松くい虫で松山が一度全滅した後、再生して生えてきた樹齢25?30年くらいの若い松がまた松くい虫にやられてしまったそうです。こうなると松茸が生えなくなるだけでなく(松茸はこれくらいの樹齢の若い松の木の周囲に生える)、強風の時は木が倒れるので危険で山に入れないとのこと。健康被害があるという思い込みで反対運動を扇動して松くい虫防除の薬剤散布を中止に追い込んできた活動家の人たちは、こういう現状をどう見ているのでしょうか。
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2010年8月30日月曜日
菅野弁護士からメールで連絡をいただきました。市橋君の裁判に向けて着々と準備をしておられるようです。8月17日に行われた第3回公判前整理手続を受けて、8月31日までに検察側、弁護側が追加して主張を提出し、9月3日に第4回公判前整理手続が開かれるとのことです。私が皆さまからその後に振り込まれた支援金をお届けするのは、9月8日午後ということになりました。
皆さまから寄せられている市橋君の健康状態その他に関する質問も、合わせてメールでお送りしました。
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2010年8月29日日曜日
今日は日曜日でしたし天気が良かったので、私と一緒に研究をやってくれている博士研究員の孫立倉君と一緒に千葉県大網白里町の瑞穂地区(松戸から車で1時間半くらいの距離)に水田を見に行きました。7月19日の記事では、千葉県香取市山田区の濃い緑色のカーペットのように広がっている水田の写真を載せましたが、あれから40日経った今日は予想通り黄金色の見事な水田が広がっていました。この辺りでは、大体4月末から5月初めの連休の頃に田植えをし、8月下旬に収獲をします。コンバインに乗って収獲作業をしていた農家に話しかけてみましたら、今年は高温が続いたので豊作だとのことでした。
記録によりますと、日本では千何百年もの間ずっと10アール当たり1.8俵くらいしか収獲できなかったお米が、明治の中頃になって3.5俵、昭和30年(1955年)になって5.5俵になり、現在は品種改良、肥料、農薬のお陰で安全で美味しいお米が安定的に10俵近くも収獲できるようになったのですから、科学技術の進歩は大変なものです。しかも農作業は私が学生だったついこの間までは、牛馬で耕したり、手で草取りをしたり、鎌で稲刈をしたり重労働でしたが、今は農薬と機械のお陰で人間を重労働から解放してくれました。
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2010年8月28日土曜日
昨日から新聞でもテレビでも、死刑の是非を議論するきっかけとして、東京拘置所内の死刑刑場が初公開されたニュースを伝えています。支援者の一人から無期懲役について詳しい情報が載っているサイトを送っていただきました。かなり専門的ですが、無期懲役と終身刑との違いの説明もあります。
http://www.geocities.jp/y_20_06/index1.html
私のあるアメリカ人の友人(剣道の弟子)の弟は、何年も前に陸軍を除隊後40歳代で未成年(15?16歳)の女性と恋愛関係になったことが女性の親に知られて訴えられ、終身刑(Life Term Imprisonment)3回という判決で今も服役中です。裁判を傍聴した友人たちの観察では、年齢的には未成年とはいえ、身体的には20歳代の成人女性にしか見えなかったとのことでした。どうやって終身刑を3回執行できるのかわかりませんが、アメリカでは未成年者に対する性的犯罪に対して厳罰が下されるということは、それだけそういう犯罪が多いということの裏返しかもしれません。
昨日届いた日本農薬学会誌の最新号に千葉大学時代の私の研究室を専攻して1982年(昭和57年)に大学院修士課程を修了したH君の総説が2篇掲載されていました。H君はその後千葉大学の薬学部で大学院博士課程を修了し、現在は千葉科学大学薬学部の教授をしています。私の研究室にいた時は、殺虫剤抵抗性の機構に関連して昆虫のカルボキシルエステラーゼという酵素について研究していましたが、農学から薬学に移ってからは哺乳動物やヒトのカルボキシルエステラーゼの分子多様性や基質特異性、遺伝的制御などを、医薬の副作用やプロドラッグデザインとの関連で研究してきたようです。
J. Pestic. Sci. 35(3), 218-228(2010)
Carboxylesterases: structure, function and polymorphism in mammals.
J. Pestic. Sci. 35(3), 229-239(2010)
Prodrug approach using carboxylesterases activity: catalytic properties and gene regulation of carboxylesterase in mammalian tissue.
元教師にとっては、サークル活動であれ研究室活動であれ、私のところを巣立った卒業生がこうしてそれぞれの分野で活躍しているのを見るのは何よりも嬉しいことです。
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2010年8月27日金曜日
8月25日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金現在高は161,000円、延べ158名からの合計額は2,034,565円になりました。いつもお心に留めて下さってありがとうございます。
金原龍一著「31年ぶりにムショを出た-私と過ごした1000人の殺人者たち」を読み終わりました。無期懲役で服役している人達が何を考えて生きているかや、どういう日常生活をしているかなどがわかりましたが、一番よかったのは千葉刑務所の独居房の内部写真や刑務をする工場の写真があったので、市橋君がどういう環境に置かれているかがある程度想像できたことです。今はまだ適正な裁判を受けることが先ですが、いずれ裁判が決着後は、この本によれば決められた刑務と規則正しい生活を繰り返しながらも、スポーツをしたり、音楽をしたり、書道をしたり、本を読んだり、いろいろな機会がありそうですので、市橋君が前向きに生きる姿勢を持ち続けさえすれば自分を高めることは可能だという印象を受けました。
市橋君が千葉大学園芸学部の空手部で一緒に汗を流した仲間で、今は大学院を修了して東京農業大学で教員(助教)をしているH君に昨日農大キャンパスで偶然行き会いました。事件が発覚した当初、私のところにも警察が何回か訪ねてきましたが、私が当時の空手部員の名簿を提出しましたので、彼のところにも警察からの問い合わせがあったようです。しばし二人で市橋君の学生時代のことを思い出して立ち話をしました。
市橋君が勉強をしていた千葉大学園芸学部のある松戸市は人口約50万ほどの東京近郊都市ですが、大学は戸定ケ丘(とじょうがおか)と呼ばれる小高い丘の上にありますので森に囲まれた静かな場所にあります。彼がこの地を訪れることは当分ないでしょうが、多感な学生時代に何年間かを過ごした春夏秋冬の景色は市橋君の心の中に残っている筈です。
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2010年8月25日水曜日
8月23日に振り込まれた方(6回目)の 支援金が届きました。これで支援金の現在高は160,000円、延べ157名からの合計額は2,033,565円になりました。ありがとうございました。「こんなに多くの支援者が市橋君にはいるという事を知ることができたら、どんなに心の支えになることでしょう。弁護士の方を通して知らせることができたら嬉しく思います。」というメッセージも添えられていました。
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2010年8月24日火曜日
支援者のお一人から、刑務所での生活の様子を知るのによい本を推薦していただきました。
金原龍一著「31年ぶりにムショを出た―私と過ごした1000人の殺人者たち」(株式会社宝島社)です。市橋君と同じ年齢の頃に強盗殺人の罪を犯して無期懲役の判決を受け、最初の9年を大阪刑務所、その後を千葉刑務所で服役し、最近出所した人とのことです。市橋君が服役する可能性が高い千葉刑務所だということと、浦島太郎のように31年ぶりに出所してすっかり変わった社会を見て人はどう感じるのか、大変興味深いので、早速amazon.co.jpに追加発注しました。
ほとんど毎年のことですが、私は9月18日から10月9日までアメリカに出かける予定ですので、先方との連絡などその準備を始めました。ノースカロライナ州立大学やEPA(Environmental Protection Agency)やNIEHS(National Institute of Environmental Health Sciences)を訪ねて農薬の健康影響について情報交換をしたり、長年の友人達に会ったり、恩師の故W.C. Dauterman教授のお墓参りをしたり、オレゴン州在住の恩師の奥様を訪ねたり、カリフォルニア州在住の娘の家族のところに立ち寄ったりしてくる計画です。
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2010年8月23日月曜日
8月20日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金現在高は155,000円、延べ156名からの合計額は2,028,565円になりました。「・・裁判で事件の真相が明らかになり、市橋さんが更生へと早く歩み出すことができますように、願っています。」というメッセージも書いてありました。ありがとうございました。これを見ても、支援者は市橋君を単に犯罪者としてだけでなく、一人の人間として見てくれているということがわかります。
一昨日の追記で紹介したブログ「刑務所体験作家 本間 龍の日記」
http://d.hatena.ne.jp/gvstav/20100814/1281798390
の著者の本間氏からメールをいただきました。東京拘置所に1年、栃木県の黒羽刑務所に1年収監されていたご自身の体験から、独居房の様子や、千葉刑務所では熱中症で死亡した受刑者がいるということや、市橋君の現在の処遇を改善するにはどうしたらよいかなど、助言をいただきました。あらためて上記のブログを訪問し、最新タイトルのいくつかを読ませていただきました。体験した人でなければわからない刑務所内での様子が垣間見えた気がしました。
こんなことを考えるのはまだ早過ぎるかもしれませんが、裁判が終わって刑が確定(死刑ではないことを祈りますが)した後、市橋君は長い年月を服役することになるのでしょうから、その時に彼が社会から断絶された状態でなお自分を高める生き方ができるためにはどういう支援ができるかを考えるために、刑務所内での生活がどういうものか知りたいと思いました。ちょうど本間 龍氏の書かれた"「懲役」を知っていますか?有罪判決がもたらすもの"(学習研究社)の宣伝が上記ブログのページに載っていましたので、はじめにと目次とサンプルページと終わりにを試読の上、amazon.co.jpで発注しました。
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2010年8月21日土曜日
8月19日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金現在高は135,000円、延べ155名からの合計額は2,008,565円になりました。ありがとうございました。今年の2月20日に募金活動を始めた当初は、何とか100万円くらいが集まれば裁判費用の一部を支援して少しでも市橋君に適正な裁判を受けさせられると思っていましたが、6ケ月で200万円を達成しました。交通事故の遺児の育英資金とか、地震や洪水の被害者の救済とかの募金だったら理解が得られやすいのですが、市橋君のような強姦と傷害致死の被告人を何故支援するのかという難しい状況下で(そのために匿名希望者が多い)、よく振り込んで下さったと思います。皆さまのお陰で、弁護団の裁判活動が支えられています。
8月16日の追記でお知らせしました千葉刑務所内での受刑者(未決囚)の自殺のニュースは、私を含めて多くの人にとってショックでした。何故そういうことになったのか多くの人が疑問を抱いた筈ですが、支援者の一人が詳しい情報を見つけて送ってくれました。
http://d.hatena.ne.jp/gvstav/20100814/1281798390
精神疾患のため公判停止のままで17年間も独居房に収容されたままになっていたようです。心神喪失状態だったとはいえ、強盗殺人の被告人ですから無罪放免はできないでしょうが、弁護人が要求したように医療機関に移して治療を受けさせた上で受刑させる措置はとれなかったのか、裁判所と地検の責任が問われているようです。
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2010年8月20日金曜日
8月17日に振り込まれた2名の支援金が届きました。これで支援金現在高は125,000円、延べ154名からの合計額は1,998,565円になりました。ありがとうございました。
1名(3回目)からの払込取扱票には、市橋君宛の「精神的に辛く厳しい環境ですが、置かれている立場をしっかり受けとめ、弁護士さんを信頼・感謝して、自分自身でしか出来ないことを導いて(見つけて精進して?)下さい。どんな状況でも市橋達也さんを信じて見守っています。」というメッセージが書いてありました。
もう1名(7回目)からはメールでのお便りと、「・・市橋さんは現在も私物の管理を制限されているのでしょうね。先生のサイトのコピーを目にしているのであれば、決して一人でない事が分かると思いますので、逆境にくじけず、裁判を迎えてほしいと思います・・」というメッセージをいただきました。
多くの支援者は、取り返しのつかない間違いを犯した市橋君に、心から反省し、潔く裁判を受けて罪を償い、それでいて魂を失わないように現在の自分が置かれている環境下でできることを見つけて、自分自身を高めてほしい、と願っているのだと思います。今は許されないけれども、できることなら母親が我が子を抱きしめるように、孤独な冷えた心を温めて励ましてあげたいのだと思います。世の中の人皆が市橋君を冷たい目で見ているのではなく、母親や父親のような思いで見守っている人がたくさんいることを知ってほしいのだと思います。
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2010年8月19日木曜日
支援者の方から8月17日に行われた第3回公判前整理手続に関して毎日新聞の有料サイトに記事が載っていたとのご連絡をいただきました。
弁護側は起訴罪名を否認し、強姦と傷害致死を主張。菅野泰弁護士によると市橋被告は捜査段階から殺意や性的暴行の結果による死亡を否定しており、検察官調書も証拠申請するという。また、菅野弁護士は『(強姦致死罪の立証に必要な)強姦と死亡が時間的に近いことを示す証拠が検察側から出てきていない』とも批判。弁護側は法医学の専門家に検死結果や司法解剖結果の分析を依頼するという。
弁護側によると市橋被告も出席したが、終始無言だったという。次回手続きは9月3日の予定。
菅野弁護士からはまだ支援金をお届けする日程調整のご連絡は届いていません。お二人の支援者からは、支援金を振り込んだというお知らせをいただきました。
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2010年8月16日月曜日
明日は第3回公判前整理手続が開かれる予定ですので、どういう展開になるのか、多くの方々が注目をしておられます。菅野弁護士に、その後振り込まれた支援金をお届けする日程調整をお願いしました。その機会に、市橋君の最近の様子などわかりましたら皆さまにお知らせ致します。
ある支援者が、千葉刑務所の独居房の男性が私物の箸で目を突いて自殺したというニュースを送ってくれました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100809/crm1008091808009-n1.htm
どういう罪を犯してどういう状況だったのかはわかりませんが、そこまで追い込まれた絶望的な心境を想像してゾッとしました。刑務所というのは、罪を償わせて更生させる場所の筈です。私たちの想像を超える厳しいストレスの中で生きなければならないのでしょうが、市橋君が生きる希望を持ち続けてくれることを祈ります。
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2010年8月14日土曜日
今日はアメリカからのお客さんを上野の東京国立博物館と国立西洋美術館にお連れしました。博物館では、「誕生!中国文明」という特別展もやっていましたが、常設の「日本文明」「韓国文明」「西アジア文明」の展示や、「法隆寺の宝物」の展示も見ごたえがありました。何時間も歩いたので足が棒のようになりましたが、せっかくの機会なので欲張って美術館にも足を運びました。ここでも、よくもまあこれだけ集められたと感心するほどヨーロッパの古い絵画が展示してあり、美術をやる人にはたまらないだろうなと思いました。
それから新宿に移動し、新宿住友ビル48階にある平和祈念展示資料館に行きました。ここは私自身が行ってみたかったところですが、広島の原爆ドームの続きとしてアメリカ人にも是非見てもらいたかったところです。広島と違って、パンフレット以外は日本語の説明しかなかったのはちょっと残念でした。戦争中に徴兵されて家族に見送られて海外の戦地に送られた若者の写真や、満州や朝鮮や台湾からの引き揚げの様子の写真や、シベリア抑留の写真や、当時の衣服や、列車や収容所の模型などもあり、涙なしには見られませんでした。特に朝鮮からの引き揚げ者が、小さい子供を背負ってソ連兵に見つからないように山道を何日も歩いて南北を分断した38度線を必死に越える写真には、まるで自分自身の姿を見るようでした。1945年の終戦当時3才だった私は、齢の離れた長姉や親戚縁者に負ぶわれて脱出し、もう少しで残留孤児になるところだったと聞かされていましたので、親や家族がどんなに苦労して私を守り育ててくれたかを思うと、心の底から感謝の気持ちが湧いてきました。
引き揚げ船の中で、日本に到着する前に病死して水葬された夫に別れを告げるために海をじっと見ている妻と小さい子供の写真には、運命の残酷さを感じました。
日本人が戦争中に海外の人達にした残虐な行為も忘れてはいけませんし、日本に連行されて強制労働させられた海外の人達がその後も政治に翻弄されていまだに中途半端な立場に置かれている現実もあります。結局、戦争が、普段は理性のある普通の人間を非人間(動物)に変えてしまうのでしょう。
平和祈念展示資料館で見たものは、アメリカ人のお客さんにも、今まで片方の側からだけ見てきた(アメリカ政府の説明でそう見させられてきた)ことには別の面があるということを気付かせた筈です。戦争に勝ったとか負けたとかではなく、犠牲者が何人とかではなく、その一人一人に大切な家族がいたということ。
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2010年8月13日金曜日
8月10日に1名(4回目)からの振り込みがありましたので、支援金の現在高は117,000円、延べ152名からの累積額は1,990,565円になりました。メールでのメッセージもいただきました。ありがとうございました。
アメリカから来日中のお客さんの旅行に同行して、9日から列車で広島の平和記念公園、島根県の出雲大社、富山県の黒部峡谷を周って昨夜帰宅しました。滞在期間が短いので駆け足の旅行でしたが、いずれも日本を代表する場所でしたので、喜んでもらえました。長い時間、列車の窓から移り変わる日本の景色を眺められたのもよかったようです。
広島では、数日前に開催された慰霊祭に参加した総理大臣や国連事務総長らが献花した生花の花輪がまだ飾ってありました。広島平和記念資料館では原爆投下による悲惨な状況を示すいろいろな資料を見ながら、原爆の残虐さに胸を詰まらせていました。以前どこかで「はだしのゲン」というマンガの英語版(Barefoot Gen)を一冊読んだら、涙がとまらなかったと言っていました。アメリカでは、原爆投下は戦争を早く終結して犠牲者を少なくするためにやむを得ない正当化される行為だったと教えられてきましたが、自分たちは本当のことを知らされていないのではと思ったようです。自分でも、10巻くらいある「はだしのゲン」の英語版の中から2巻買っていましたが、私も日英両国語で解説のある図録「原爆の絵」(岩波書店)や、英文のEleanor Coerr ・ Ed Young著「SADAKO」Puffin Booksや、その他の本を買いました。移動する列車の中でページをめくりながら、私も胸が締め付けられました。この中の何冊かはアメリカに持って行ってもらって、核兵器が正当化されると信じている友人達に渡してもらうつもりです。世界中の政治のリーダーには、全員一度は広島平和公園を訪ねてもらいたいと思いました。
出雲大社では、チェーンソーもクレーンもトラックもなかった千何百年前の古代にいったいどうやってこんなに巨大な木造の神殿を作れたのかあらためて圧倒されましたが、もっと驚いたのは、大社の裏側の北山の松がマツクイムシの被害で無残に枯れていることでした。2~3年前に見た時は枯れた松は数本くらいでしたが、薬剤散布を中止してわずか2年でこんな状態になっているとは・・・。境内と参道の巨木だけは殺線虫剤の樹幹注入で守られていましたが。
黒部峡谷では、宇奈月温泉から欅平(ケヤキダイラ)までトロッコ電車に乗って片道1時間半くらい、谷を流れる黒部川と両側の高い山の景色を楽しみました。私は50年くらい前、まだ黒4ダムが建設中の時に関西電力の技術者の案内で見学させてもらったことがありますが、その当時は工事用のトロッコに乗せてもらった記憶があります。事故で亡くなった人もいた筈ですが、発電と治水のためにこんな山奥にまでダムを作る人間の技術はたいしたものだと思いました。今は、ダム建設は環境影響や採算性など複雑な問題で、政治的課題になっているようですが。
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2010年8月7日土曜日
支援者から、市橋君の状況を心配したメールが届いています。昨日、電車の中で隣に座った若い男性が膝の上に広げた本を一生懸命読んでいるのでチラッと見たら、「逮捕と起訴の手続」というような見出しが見えましたので、司法試験の勉強をしている法学部の学生か卒業生だったのかもしれません。市橋君との関連で、こんなことも気になるようになりました。
報道によると、市橋君はリンゼイさんを強姦した後、一緒にキング牧師(Martin Luther King, Jr.)の演説を聞いたと証言しているようですが、1963年8月28日にワシントン大行進でした有名な "I Have a Dream" だったのでしょうか。
実は私のアメリカ人の空手の弟子・友人の一人に、私と同年輩のN弁護士がいます。アメリカ南部出身の白人男性ですが、有名なミシガン大学の法学部の卒業で、アメリカの知性・理性を代表すると思って私が尊敬している人間の一人です。今でも時々、ノースカロライナ州の地方新聞に国民の大多数の感情や政府の見解とは異なる意見を投稿して掲載されたりしています。キング牧師は1929年に生まれて1968年に暗殺されていますが、1965年頃には深南部と言われて、保守的で、人種差別の厳しかったアラバマ州で、人種差別撤廃を求めて、非暴力的な公民権運動を展開しました。N君はその時にキング牧師と一緒にデモ行進に参加していたと聞きました。今計算してみると、当時は22~23才の筈ですから、まだ法学部の学生か司法試験(Bar Test と言います)に合格したばかりの年齢です。1960年代にアメリカの深南部で、白人が黒人と一緒にデモ行進をするというのは、どこから鉄砲の弾が飛んできてもおかしくないくらい危険な勇気のいる行動でした。ちなみに、私が1969年にノースカロライナ州(ここも南部に属します)に留学した時は、スミスフィールド(Smithfield)という田舎の町の境界には、高速道路脇に"Welcome to K.K.K. County"(K.K.K. 地域へようこそ)という大きな看板が立っていました。K.K.K.というのは、ご承知のように、Ku Klux Klanという白人優越主義者のテロ行為をしていた集団のことです。
2~3の支援者にはすでに話しましたが、昨年の11月初旬に市橋君がまだ生きていることがわかった時に、私はあるテレビ局の番組や本Webサイトで自主的に出頭するように呼びかけました。その後用事があってノースカロライナ州に出かけましたので、N君をはじめ何人かのアメリカ人の親しい友人に市橋君の適正な裁判を支援する募金活動を始めることを話しました。驚いたことに全員が、止めた方がいいという忠告をしました。どこの国でも社会には何%かは理性の働かない狂信的な人がいるので、賛成・反対に2分されるようなことの一方を支持するような活動を顔を表に出してすれば、攻撃の的を提供するようなもので危険だという理由でした。アメリカのような銃社会では、暗殺事件を何回も経験してきているからでしょう。アメリカの良心を代表するようなN君ですらそういう考えをしたということはちょっと驚きでしたが、恐らく長年の友人の私の身を案じてくれたのだと思いました。
2010年8月4日水曜日
8月2日に振り込んで下さった方(5回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は107,000円、延べ151名からの合計額は1,980,565円になりました。「6月に失業してしまったため、しばらく支援ができませんでした。新しい仕事を見つけたので微々たる額ですが寄付させていただきます。・・凄く暑いので市橋さんの体調が心配です。」というメッセージもいただきました。ありがとうございました。この方も含めて、支援者の中には、ご自身の生活が大変なのに、そんな中から生活を切りつめて支援金を送って下さっている方々がおられます。市橋君が適正な裁判が受けられるように、弁護団にがんばっていただきたいからだと思います。本当にありがたいことです。
秋葉原無差別殺傷事件の第19回公判が昨日開かれ、被告人質問が終わったとのことで、このような事件が何故起こったかを理解する上で被告の生い立ちや性格などに注目が集まっているようです。被告人は、インターネット掲示板に依存していた自分を異常だったと述べたとのことで、犯行に及んだのには掲示板上の嫌がらせに対する「警告」という動機もあったとのこと。長い時間をパソコンの前に座って、掲示板に書き込みをしたり、それに対する批判的な書き込みに対してさらに書き込みをしたり、そういうことでのみ自己の存在を確認したり主張したりしているいわゆるネット中毒の若者がたくさんいるのでしょう。自分の本当の顔を出さずに、別の人格のような顔をして書き込んだことに多くの人が反応してくれることが一種の自己満足(快感)を与え、それに対して批判的な書き込みがされると、本気になって怒ったり傷ついたりして、その恨みを晴らすために無差別殺傷事件を起こしたというのでしょうか。
無限の時間と無限の空間の中で、せっかくこの世に生を受けたのですから、部屋の中に閉じこもって、パソコンの前に縛られて、あたかもそれだけが世界であるかのような錯覚に陥ってしまうのはもったいないと思います。思い切って一歩外に踏み出せば、そういう若者を必要としている世界や活躍できる分野がたくさんある筈なのに・・。自分自身に縛られている若者には、誰かが肩を叩いて外の世界に出ようよと言ってやったり、手をとって一緒に歩いてあげることが必要なのかもしれません。
アメリカから里帰りして42日間同居していた娘の家族が昨日成田空港から帰国しました。空港でチェックインするために並んでいたら、ハーフの子供を連れた家族が何組も目につきました。終戦直後は、進駐軍(アメリカの占領軍)と日本人女性の間にできたハーフの子供は"合いの子"と呼ばれて、学校などでもいじめの対象になることもありました。中には、それが嫌でアメリカに移住した人たちもいました。今はそんな雰囲気は全くなくなりました。日本とアメリカ(他の国でも同じですが)の両方を母国として、日本語と英語の両方を自由に使って、両方の国の文化を吸収して、将来世界平和のために貢献するような人間に育ってほしいと期待しています。私の孫も来るたびに大きくなって、今年はちょうど7・5・3でしたが、来年の夏に来る時はまた一段と大きくなっていることでしょう。義理の息子の実家に里帰りする時は、どうも自分たちとは少し毛色が違うと言われているそうです。赤ん坊だった時は、お尻の周りが青くなる蒙古斑があったので、青いあざだと思って驚いたそうです。こちらはこちらで、どうも日本人の子供とは少し顔立ちが違うような・違わないような、と言っています。
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2010年8月2日月曜日
農大の事務に学生アルバイト募集の掲示をしてもらったら、4人の申込みがありましたので、先週の金曜日に2名に説明会をし、今日は1名に説明会をしました。私が名古屋大学の大学院生だった時の3年半、アメリカのノースカロライナ州立大学での約10年、千葉大学での約30年の間に蓄積した論文の別刷やコピーが約1万4千点あり、物理的に保管するスペースがないので、コピー機でスキャンしてデータベース化する作業です。この中には、私のノースカロライナ州立大学時代の恩師の故W.C.Dauterman教授から相続したものも含まれます。私自身がこれらの論文を読み直すことはもうほとんどないでしょうが、データベース化しておけば、私と同じような分野で研究をしようとする研究者が必要に応じて著者名や論文タイトルやキーワードでいつでも簡単に検索してパソコン上で論文を読めるようになるからです。私が学生だった頃はまだ、光に当たるとだんだん薄くなって消えてしまう青焼きでコピーをとって論文を読んでいたのですから、大変な進歩です。その当時は、実験データなども、3回実験して得られた測定データの平均値をソロバンで計算し、計算間違いがないか確認するためにソロバンの計算も3回やり直したりしていました。アメリカの大学の研究室でも、故W.C.Dauterman教授が試薬を何g量って何?の水に溶かすかを計算するのに、掛け算・割り算を計算尺でやっていた時代です。
朝日新聞の日曜版には書評欄があるのでたいてい目を通していますが、昨日は逢坂 剛の書いた山平(ヤマダイラ)重樹著「裁かれるのは我なり-袴田(ハカマダ)事件主任裁判官 三十九年目の真実」(双葉社)の書評が載っていました。静岡県で発生した殺人事件の犯人として逮捕された人が死刑の判決を受けて現在もまだ服役中ですが、その一審における主任裁判官を務めた人が個人的には無罪の心証を抱きながらも、3人の裁判官による合議制で有罪と決定したために、心ならずも死刑判決文を起草するはめになったそうです。その葛藤から裁判官をやめ、強い自責の念と戦いつつ弁護士業に専念してきたが、ついに原判決から39年後に、心情を公に吐露するはらを決めたのだそうです。検察官が無理を通そうとして冤罪事件が起こり得るという認識はありましたが、裁判官が無罪と思いつつも有罪判決文を書くことがあるのかと、驚きでした。早速、松戸の駅前に行ってその本を買ってきました。すぐ横に、三井 環(タマキ)著「検察の大罪-裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着」(講談社)という本が並んでいたので、ついでにその本も買ってしまいました。著者は元大阪高検公安部長だそうですが、検察も必ずしも真実だけを追及するのではないとしたら、国民が信頼している日本の司法制度の実態はいったいどうなっているのだろうという疑問が湧いてきます。
今まで私はこういう本には興味がありませんでしたが、市橋君の事件の第3回公判前整理手続きは8月17に予定されているとのことですので、日本の司法制度を理解するために、時間のある時に少しずつ読んでみようと思っています。
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2010年7月31日土曜日
7月29日に振り込まれた2名の方(4回目と5回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は92,000円、延べ150名からの合計額は1,965,565円になりました。お一人からは、「この猛暑の中、市橋さんが元気でおられるか大変心配です」というメッセージもいただきました。ありがとうございました。
今日は明治大学で開講された公開講座「化学物質の法規制」の最終回で、修了証書授与式に続いて講師陣と受講生の懇親会がありました。北野 大教授がコーディネーターの講座で、私も7月17日に2回担当しましたので、懇親会に出席しました。駿河台キャンパスというのだそうですが、お茶の水の駅から歩いてすぐの便利のいいところにあるアカデミーコモンと呼ばれるしゃれた建物の1階のカフェパンセと呼ばれる軽食・喫茶店で行われました。この講座の受講生の大半は化学関連会社の中堅クラスの人達でしたので、受講態度が熱心で活気が感じられました。懇親会の席でも周りを囲まれて質問攻めに近い状態で、私は飲み物にも食べ物にも手を伸ばす暇がないくらいでした。
人の輪が途切れた時に、アメリカで教育を受けたとおっしゃる若い女性が話しかけてこられ、アメリカでもどんな犯罪者でも弁護人がつくのは当然ですよねと言われたので、多分このWebサイトをご覧になったのでしょう。講義では市橋君のことは話しませんでしたので。私たちの支援活動を理解していただいて嬉しかったと同時に、予想外に多くの方々が見て下さっているのだなと感じました。
今日もまた、お茶の水界わいの賑やかさにはちょっと複雑な思いもしました。若者が大勢歩いていて、きれいなお店や施設が並び、大学や病院もたくさんあり、エネルギーが溢れているように見えました。一方、私はよく講演で地方都市に出かけるのですが、いわゆる6大都市以外は、県庁所在地ですらちょっと中心部を離れると閉店して店が閉まっているシャッター街が目立ちます。若者がみんな大都市に出て行ってしまうからでしょう。仕事がないから出て行ってしまうのか、人がいなくなるから仕事がなくなるのか・・。千葉大学で私の研究室を専攻した地方出身の学生諸君も、卒業したらどこで就職したいかと尋ねると、沖縄の出身者以外は、ほとんどが郷里以外と答えていましたので、よく冗談でこの親不孝者がと言っていました。沖縄出身の学生だけは、どの学生もできたら沖縄に帰りたいと言いました。しかし沖縄にはそんなに就職先がないので、卒業後郷里に帰って1年間就職浪人をして勉強して地方公務員になった学生もいました。この違いはどこからくるのか、ちょっと不思議な気もします。
それにしても、こんなに大都市にだけ人が集中する政治でいいのでしょうか。昔のように地方は地方なりの文化があって活気があった(経済的には貧乏でも)時代が懐かしくなります。国の経済的発展と引き換えに失ったものも大きく、人間の幸せという観点からは一度立ち止まって考えてみるべき時期かもしれません。
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2010年7月30日金曜日
7月28日に振り込まれた2名の方(1名は3回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は72,000円、延べ148名からの合計額は1,945,565円になりました。ありがとうございました。ご自分とは関係がないにもかかわらず市橋君が適正な裁判が受けられるように、それぞれの生活の中から何かを切り詰めて送って下さっている筈ですから、どんな金額でも大変ありがたい大金です。
7月26日の追記で、私が「何名かの支援者の方は市橋君のことを真剣に考えておられて・・」と書いたことに対して、今日農大の研究室に匿名のお手紙が届き、「市橋君のことを真剣に考えていない支援者はいません」と指摘されました。もちろん、駅前で行われている災害援助の募金箱に通りがかりにその気になってお金を入れるのとは違って、市橋君のためにわざわざ郵便局に足を運んで振り込みの手続をして下さるのですから、支援者の方は全員市橋君のことを真剣にお考えになった上でのことだと思います。その中で、ご自分で情報収集したことや、私がお知らせしたことに対するお考えを私宛にメールやお手紙で送って下さる支援者が何名かいらっしゃる、という意味の文章でした。真剣に考えて支援金を送っているのに、私の舌足らずの文章で不愉快に思われた方がおられたら、申し訳ありませんでした。
今日は千葉大学で開講された公開講座「食品安全ビジネス論」の最終日で、修了式と懇親会がありましたので、私も農大研究室を早めに出て懇親会に顔を出しました。出席者は、この講義のコーディネーターの松田友義教授以外は全て社会人受講生でしたが、当時千葉県大網の農家の娘だったお一人の女性は昭和29年(1954年)に千葉大学園芸学部に入学したかったが、兄さんがすでに大学生だったので二人を大学にやるのは経済的に無理だと親に言われてあきらめて別の道を選んだと、おっしゃっていました。千葉農業専門学校が新制の千葉大学園芸学部になったのは昭和24年(1949年)ですから、それから間もない時期に、農家の娘がそういう大志を抱いていたということに驚きました。今と違って、当時は大学に進学する人自体が僅かで、しかも農家の娘で大学に進学する人はほとんどいなかった時代です。今ではごく当たり前で千葉大学園芸学部の学生の約半分は女性の筈ですから、日本の社会が過去50数年の間にいかに変化して今日に至っているかということをあらためて思い出しました。
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2010年7月29日木曜日
7月27日に2名の方から振り込みがありました。記録簿をよく見直してみましたら、その中の1名は5回目ですが、最初に振り込んで下さった5月11日の分を見落としていましたので、従来は振り込み回数を1回少なく報告していたことに気が付きました。失礼しました。支援金の現在高は59,000円、延べ146名からの合計額は1,932,565円になりました。ありがとうございました。「29才の息子と27才の娘の母親です。本山先生のブログを読み、わずかですが寄付させていただきます。お礼状不要です。彼のご両親の立派なお考えに、私も強く心が痛みます。」というメッセージと、「思ってもいないあやまちがこんな大きな事になってしまい、市橋君もご両親も気の毒でなりません。支援者が後を絶たないというのは市橋君の人間性に徳があるのだと思います。」というメッセージをいただきました
多くの方のメッセージからは、逃走中の市橋君の生活態度から本当は芯は真面目な人間ではなかったのかという信頼と、誰にでも起こりうる間違いのために取り返しのつかないとんでもない結果になったことへの同情と、被害者のことを考えれば悪いことをした息子の弁護はできないと決意をされたご両親への同情と敬意が読み取れます。市橋君がリンゼイさんにしたことに対しては吐き気を催すほど怒りを感じながらも、彼が適正な裁判を受けて更生する機会が与えられるように、多くの方がご両親に代わって支援をして下さっているのでしょう。
今日は久し振りに空手着に着替えて、千葉大学の学生と一緒に道場と更衣室とシャワー室の掃除をして、空手の稽古をしました。広島県出身の修士課程2年の学生ですが、私の紹介で徳島県の蘭を栽培・販売している会社に就職が内定しています。本社で働くのか、長野県の研究農場で働くのか、しばらく研修を受けてから中国の合弁会社に派遣されるのかわかりませんが、無口で地味ですが着実に仕事をこなし信頼できる性格の学生ですので、将来が楽しみです。
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2010年7月28日水曜日
一昨日、私が炎天下でジョギングして一時的に熱中症で体調が悪くなったことについて、支援者の何人かから心配とお見舞いのメールをいただきました。気にして下さってありがとうございます。昨日の新聞の夕刊に、総務省消防庁のまとめでは熱中症で病院に搬送された人が19日~25日の1週間で9436人に達し、その内死亡が確認された人は57人に上った、という記事がありました。私もうっかりしてその中の一人になっていたら、今頃笑いものになっているところでした。年齢を考えて、今後はもう少し慎重に運動します。
6月19日に長野県駒ケ根市の松林に有人ヘリコプターで散布された薬剤の飛散調査をした時に、取材にきたテレビ番組制作会社を訪ねて、撮影した映像を見せてもらってきました。薬剤を希釈しているところや、それをヘリコプターに積載しているところや、ヘリコプターが散布しているところや、テストフライトの時にヘリコプターに乗って上空から見た山林の景色や、私たちの調査の様子や、市の担当者へのインタビューなど、貴重な映像でした。特に遠くから逆光で撮った散布の映像は、薬液が白く霧状にたなびく様子がはっきりと捉えられていました。10月の松茸を収獲する時期になったらもう一度現地にでかけて、収獲や出荷や食味する様子を撮影し、私たちがやっている薬剤分析の結果なども加えて、テレビ放送用のひとつの番組ができればいいなと期待しています。
このテレビ番組制作会社は、(株)幸喜(http://www.cohki.jp )といいますが、積極的な取材力には感心させられます。中国製冷凍餃子の毒物混入事件の時に、中国からペルーに輸出されたメタミドホス製剤をいち早く合法的に輸入して私のところに分析依頼にきたのもこの会社ですし、鹿児島県のピーマン栽培で使われたニームオイル(アバメクチンという抗生物質殺虫剤が混入されていた)を現地から回収して私のところに分析依頼にきたのもこの会社です。ホームページを開くと、年次ごとに制作・放送された番組が紹介されています。2009年には、私自身が関わったTBSテレビの [総力放送! THE NEWS「ブランド野菜に違法農薬のワケ」] が実績として紹介してありますが、多くの方の記憶に残っているのは、2007年のTBSテレビ [筑紫哲也NEWS23「北朝鮮アサリ産地偽装の実態を追う」] ではないでしょうか。偽装食品問題には実績がありますが、最近では植物工場のような農業問題や、医療に関わる問題にも取材を広げているようです。硬派のテレビ番組制作会社の一つでしょう。
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2010年7月26日月曜日
7月23日に振り込んで下さった方(2回目)の支援金が届きましたので、現在高は51,000円、延べ144名からの支援金合計額は1,924,565円になりました。ありがとうございました。もう少しで200万円に達しそうです。この方を含めて、何名かの支援者の方は市橋君のことを真剣に考えておられて、私が追記でお知らせしたことに関するお考えや、ご自身で勉強されたことなどについて、よくメールでお便りをいただいています。
今日は久し振りに東京農大の研究室に顔を出せました。4月は横浜駅伝という目標があったのでしっかり計画通り走り込んで、5月はその余力でまあまあ走れたのですが、6月は長野県での野外調査で忙しくて、7月は講演や研究会や講義や学会などで忙しくてほとんど走れませんでした。猛暑が続いたという言い訳も自分にしてきましたが、こんなに長い間走らなくても罪悪感がしなくなったということは、結局のところ怠け癖がついて堕落したということでしょう。70才近くになると、トレーニングをさぼって一番先に衰えを感じるのは心肺機能のようです。今日は昼休みに無理をしないように大学の回りをゆっくり2周(約4km)走りました。その後桜丘アリーナと呼ばれる体育館のシャワー室でシャワーを浴び始めたら、途中で胸がムカムカして、生あくびが出て、吐き気がしてきました。ロッカールームのベンチにしばらく横になって休んでいたら、手足がブルブル震える痙攣も起こってきました。炎天下で走ったことで気がつかないうちに脱水症状になり、いわゆる熱中症になったのでしょう。フラフラしながら研究室に戻って冷蔵庫のポカリスエットを2リットル飲んだら、落ち着いてきましたが、危ないところでした。
空手でもジョギングでももっと若い頃は、寒い時には寒さに対して、暑い時には暑さに対して、強風の時には強風に対して耐える力を鍛えると自分に言い聞かせてトレーニングをしましたが、わずか4km走っただけでこんな状態になるとは、気持ちだけは若いつもりでも体は確実に年齢相応に老化して適応力を失っているということをあらためて認識しました。
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2010年7月24日土曜日
7月21日に振り込んで下さった方(5回目)の支援金が届きましたので、現在高は46,000円、延べ143名からの支援金合計額は1,919,565円になりました。ありがとうございました。
今日も猛暑日でしたが、日本法中毒学会に顔を出してきました。私は会員ではないのですが、総会で配れらた資料を見ますと、学会員は主に4つの分野-法医学、薬学、鑑識科学、その他-の研究者で構成されていることがわかりました。これとはまた別に、日本法医学会というのもあるようです。
大会では、農薬分野の研究者の私にとっても興味深い研究発表がたくさんありましたが、国立医薬品食品衛生研究所の花尻(木倉)瑠理博士の特別講演「カンナビノイド受容体が関与する違法ドラッグに関する最近の知見」は印象に残りました。カンナビノイドというのは、大麻の三大主要成分であるテトラヒドロカンナビノール、カンナビジオール、カンナビノール等を含み、多くの合成カンナビノイドが違法ドラッグとして流通しているだけでなく、植物製品にも幻覚作用を示すものがあるとのこと。「天然ハーブ」とか「ナチュラル」とかを標榜しながら、実際は強い活性を有する合成カンナビノイドを添加した植物製品の流通も世界的に問題になっているとのことでした。
農業の分野でも、有機農業や無農薬栽培で農薬の代わりに作物保護に使われるいわゆる「漢方農薬」「植物抽出液」「植物活性液」「土壌活性剤」の類で活性のあったものには例外なく農薬が混入されていることを私たちの研究は明らかにしてきました。中には、餃子から検出されたメタミドホスより2倍も毒性が高いアバメクチンという抗生物質殺虫剤が混入されている「人と環境に優しい」と謳った自然由来の防除資材もありました。こういうものは、巧妙に取り締まりを逃れて流通していて、農薬登録されておらず品質も使用方法も規制されていませんので、環境にとっても消費者にとっても散布作業者にとっても危険です。違法ドラッグにしても偽装農薬にしても、今後こういうものが益々登場してくる可能性がありますので、流通監視体制を強化するとともに、国民一人一人が「天然」とか「ナチュラル」とか「有機」とか「無農薬」とかの美名に騙されないようにすることが必要です。
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2010年7月23日金曜日
さらに2名の方から支援金を振り込んだというメールでのご連絡をいただきました。
今日も関東地方は猛暑でしたが、日本法中毒学会の大会に出かけてきました。会員のほとんどは、大学医学部の法医学教室か国の科学警察研究所(いわゆる科警研)か各道府県警察の科学捜査研究所(いわゆる科捜研)の研究者でした。麻薬や毒物に関する研究や、死亡原因の解明に関する研究発表が多く、そのような学会に参加するのは初めてでしたので私にとっては新鮮でした。
千葉県科捜研の科長の講演は、千葉県で輸入冷凍餃子を食べて中毒事件が起こった時にどうやってメタミドホスが混入されていることを最初に突き止めたかを明らかにしました。餃子のように皮の他に肉や野菜や油分が多い試料で、何が入っているか分からない時に、混入成分を特定するのは実は非常に難しいのですが、市販の検査キットで先ずアセチルコリンエステラーゼが阻害されることから、カーバメイト系か有機リン系殺虫剤が混入されていることを推察。次は、餃子を皮と具に分け、抽出液を水と有機溶媒で液々分配を冷却しながら行うことで肉の油分(ラード)を分離したことが、機器分析によるメタミドホスの特定に成功した理由のようでした。言われてみれば何だそうだったのかですが、これで中毒は毒物混入によるということが明らかになって、その後の適切な捜査活動につながったわけです。
しかし、それから後の研究の展開については、本当はもっと多くの実験データを持っている筈にもかかわらず、現在日中の政府で検討が進行中だからという理由で、メタミドホス製剤を袋の外側に処理してマイナス20℃に一定期間置くと何%かは内側に透過することが確認されたということ以外、何も言及はありませんでした。地方の行政機関の研究者で、しかも日中間の微妙な政治問題がからんでいますのでやむを得ないのでしょうが、大学の研究者と違ってつらい立場だなと思いました。一日も早く国民の疑念を払拭して餃子問題を過去の問題にするために、まさか日本政府が千葉県警に中国政府の発表に歩調を合わせるような発表を強要するようなことはないと信じますが・・・。
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2010年7月22日木曜日
7月20日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きましたので、現在高は45,000円、延べ142名からの合計額は1,918,565円になりました。ありがとうございました。お金の余っている人などいない筈ですのに(宝くじが当たったか、悪事を働いてぼろ儲けでもしない限り)、それぞれの生活がある中でこうして市橋君に適正な裁判を受けさせるという趣旨に賛同して支援金を送って下さる方がおられるということは、本当にありがたいことです。
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2010年7月21日水曜日
私は大学1年生だった49年前の教養課程の必修科目として「法学」の単位を履修したこと以外、日本の司法制度や裁判についてはほとんど何も知りませんが、市橋達也君の適正な裁判を支援する会を立ち上げて募金活動を始めてからは、裁判に関するニュースや新聞記事は気になるようになりました。今朝の朝日新聞の社会面に載っていた「映像別人」無罪求めるという記事も気になりました。盗難キャッシュカードを使ってコンビニの現金自動出入機で現金を引き出したとして、窃盗罪に問われた被告が、別人との鑑定結果が出たことなどを理由に、検察側が起訴した被告に無罪判決を求めたというものでした。
検察官も弁護士も裁判官も皆難しい司法試験に合格して、さらに研修を受けた上で就任し、立場は違っても、事実を明らかにするという共通の使命感で頑張っていると信じていますが、時々、先日言及した足利事件のように冤罪が明らかになったり、今回のように自白を強要させて無実の人を犯人にしてしまうというような事件が実際にあると、検察官にも人間的ファクターがあって、思い込みで構築した自分たちの主張を無理やり通そうとする場合もあるということを認識させられます。もちろん、ほとんどの検察官はそうではなくて、証拠を一つ一つ綿密に検討して事件がどのように起こったかを再現するシナリオを組み立てて主張していくのでしょうが、それでも、人間ですから間違うことはあり得るということです。同じことは、弁護士にも裁判官にも言えるのかもしれませんが。
市橋君の事件についても、検察側の主張と市橋君の証言に基づく弁護側の主張との間には開きがあるようですので、検察側も弁護側も面子を保つことよりも事実を明らかにするという基本を忘れずに整理手続に臨んでいただきたいと思っています。
6月22日に農薬について取材に来られた大阪の朝日放送株式会社(ABCテレビ)から連絡があり、当初7月15日か22に放送予定だったニュース特報は諸般の事情により8月以降に延期になったとのことです。以前、輸入冷凍餃子の毒物混入事件についてTBSテレビの「みのもんた朝ズバ」という番組のスダジオ出演を依頼された時は、TBSのハイヤーが朝6時頃松戸に迎えに来てくれました。途中交通渋滞に巻き込まれて出演予定時間に間に合うかどうかヒヤヒヤしましたが、運転手さんに大きな事件がある度にこんなに朝早くからゲストを迎えに行くのは大変ですねと話しかけたら、スタジオでは大きな事件がない時の方がどうやって時間を埋めようかで大変なんですよと答えていました。
輸入冷凍餃子事件といえば、日本法中毒学会第29年会が今週23日~24日に日本医科大学で開催されますが、千葉県警察本部科学捜査研究所の金子 毅化学科長が「中国製冷凍餃子からの毒性物質の検出(犯罪捜査における化学鑑定の役割)」という演題で招待講演をされることになっています。千葉大学医学部で私がこの問題について講義をした時に出席されて、以来協力関係にある方ですので、私はこの学会の会員ではありませんが、聴講にいくつもりです。農業関係でもそうですが、行政の研究機関の研究発表には政治的な検閲で制約(行政の方針に反するようなことは言えない)がありますが、科捜研の研究でその後どういうことが明らかになったか興味があります。
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2010年7月19日月曜日
今朝の朝日新聞には、第1面にルポにっぽん「弁護士になったけど」という大きな見出しの記事がありました。新人弁護士が、食費節約のために、毎朝実家の母親に二つ握ってもらったおにぎりと、家のお茶を入れてきたペットボトルを傾け胃に流し込んで昼ご飯にしているという話に始まり、経済的にいかに苦しいかが紹介してありました。記事は2面に続き、もがく「法曹の卵」というまたまた大きな見出しで、結局、法科大学院乱立が弁護士の過当競争と質の低い学生をもたらした、と結んでありました。それぞれ果たす役割が違うだけで、職業に貴賎はない筈ですが、アメリカでも医師と弁護士は最もなるのが難しく、最も尊敬を集める職業とされています。日本でもほぼ同じような状況でしょうか。市橋君の弁護を職業的な正義感から無報酬で引き受けて下さっている弁護団の経済状況については全くわかりませんが、少しでも弁護費用の足しになるように、引続き支援金のご協力をお願い出来れば幸いです。
昨日は、千葉大学時代の私の研究室を専攻して博士号を取得した駒形 修君(現在は国立感染症研究所で感染症を媒介する衛生害虫の解毒酵素の遺伝子の分子生物学的研究に従事)を誘って、私たちが長年水田農薬の環境動態と生態影響を研究するフィールドとして使ってきた山田町(現在は合併によって香取市山田区)と、茨城県北浦に行ってきました。山田町も北浦も成田空港の北方に位置し、各々松戸から車で片道2時間くらいの距離です。私が車を運転して、学生と一緒に毎週(農薬が散布される時期は週に何日も)一日がかりで出かけて、水や底質(川底の土)の農薬濃度を分析したり、ヘリコプターで散布される時は気中濃度や落下量を測定したり、水を採取してきて実験室内で毒性試験をしたり、川の中の水生生物の相対密度を調査したりしました。こういう調査では、地形や環境条件が全く同じ対照区(農薬無散布区)がとれませんので、結局、同じ場所で散布の前と後を経時的に調査して比較するしかありません。それを何年間にもわたって継続して、農薬の影響を考察します。その結果、この地域に生息していた絶滅危惧種のメダカやホトケドジョウも含めて、農薬は生態系に受け入れ不可能な悪影響は及ぼしていないということがわかりました。農薬の種類によっては、一部の生物(例えばアメリカザリガニ)に影響を及ぼす場合もありましたが、それも一時的変化に過ぎず、時間の経過とともに回復し、翌年には元に戻っていました。
天気に恵まれましたので写真を何枚か撮ってきました。神生(カンノウ)と呼ばれる地区は小高い森に囲まれた150haくらいの水田で、真中を仁良川(ニラガワ)と呼ばれる小さな川が流れています。昨日はまるで緑のカーペットのように水田が鮮やかでした。その水は江戸時代に造成された橘堰(タチバナゼキ)に溜められて、下流の田部(タベ)地区の水田の用水として使われます。橘堰の湖面は、菱(ヒシ)という植物が繁茂していました。引っ張りあげると、菱形をした固い実がでてきます。下流の田部地区の水田は1,000haくらいはある広大な水田ですが、1本の小さな水路だけは湧水のために冬でも水が枯れませんので、毎年農薬が空から散布される直下にありますが、メダカが生息しています。ことしも幅20~30cm、水深3~5cmくらいの小さな流れにメダカの群れがたくさん泳いでいました。穂が出始めた稲は、まるで水面が風で波打っているようで見事でした。
普段は忘れていますが、農業は単に食料を生産してくれるだけでなく、こういう美しい景観は私たちの心に癒しも与えてくれているのだと思います。
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2010年7月17日土曜日
7月12日に振り込んで下さった方(3回目)の振替受入明細票が、順番が逆になって、今日届きました。ありがとうございました。
明治大学での講義は無事終わりました。約100人の受講生の中で、明治大学の大学院生は10名程度で、残りは全部社会人でした。7月31日には修了式と懇親パーティがありますので、再度受講生一人一人とゆっくり言葉を交わすことができるのが楽しみです。この講義科目のコーディネーターの北野 大教授も最初から最後まで3時間ちょっと最前列に座って傍聴(実際は私が脱線し過ぎないか監督?)されていましたが、北野先生には1982年(昭和57年)に私が千葉大学薬学部の佐藤哲男教授と監訳した「毒性生化学-分子レベルからみた毒性の解析」という本の1章を執筆していただいて以来のお付き合いです。当時は財団法人化学品検査協会の化学品安全センター室長で、化学物質の環境問題や毒性分野の新進気鋭の研究者でした。よくテレビで拝見する温厚な表情とは全く別の面をお持ちで、最近は環境問題に関する本を書かれたり活躍をされている科学者です。
お茶の水界わいは、私が大学受験の浪人時代に通っていた予備校があったところで、よく神田の古本屋街を歩いて覗いたりした思い出のある町ですが、今も若者が一杯で活気に溢れていました。
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2010年7月16日金曜日
今日は用事がありましたので菅野弁護士の事務所を訪ねて、市橋君の最近の様子や7月12日に行われた第2回公判前整理手続の様子などを伺ってきました。市橋君は、独居房での処遇は改善されていないものの、前回の時よりも元気をとりもどしているとのことでした。雑居房に入れば、6~8畳(?)くらいの狭い部屋に通常は4人(今は混んでいるので5~6人?)が同居し、時間がくれば床に布団を敷いて就寝し、時間がくれば合図で一斉に起床して布団をたたみ、時間がくれば一斉に食事をする・・というようなプライバシーのない軍隊のような生活になるようです。現在の立場の彼がそういう共同生活での人間関係をうまくやっていけるかどうか、そういう意味では独居房にいることは悪いことではないかもしれません。市橋君には、逃走中に建設現場で他の労働者仲間と共同生活をしてしっかり働いていたという実績がありますので、自分自身を取り戻しさえすれば問題はないと思いますが。
第1回公判前整理手続で、検察側は死体遺棄罪、強姦致死罪、殺人罪の主張をしましたが、昨年12月23日に市橋君が取り調べの検察官に証言した内容に基づいて検察側が作成した調書では、実際の事件の経過はそのような罪状に相当しないということのようです。つまり、検察側は市橋君は事件の経過を正直に話していないとみなして、調書の内容とは異なる前記の罪を適用したのでしょう。そこで第2回公判前整理手続では、市橋君の証言に基づいて弁護側が死体遺棄罪、強姦罪、傷害致死罪の主張をし、8月17日に予定されている第3回公判前整理手続で、検察側が弁護側の主張を受け入れるか反論をしてくるか(たいていの場合は反論してくる)という段取りになるそうです。
ひとつのポイントは、リンゼイさんの死亡時刻でしょう。検察側が構築した主張通りだと、死亡時刻は事件の起こった25日朝10時ちょっと過ぎの筈で、市橋君の証言通りだと25日はその後一緒にキング牧師の演説を聴いて言葉を交わしたりしているので、亡くなったのは26日未明(朝2~3時)の頃の筈ですが、検死・解剖所見でそこまで正確な死亡時刻の断定ができないとなると、どちらが正しいかを証明するのは両方にとって難しくなります。
もうひとつのポイントは、リンゼイさんの死因が正面から殺意をもって首を絞めたことによるのか、静かにさせようとして後ろから腕を廻して口を塞ごうとしてもみ合いになったことによるのか、ということでしょうが、これもどちらが正しいかを証明するのは難しそうです。
検察側が提出した山のような証拠書類のコピーを最初の1部は指定された高額な場所でとって、それから弁護団全員(6名)分のコピーをとったりしたのに40万円くらいかかったようですが、皆さまから提供された支援金が有効に活用されたとのことでした。また、検察側が提出した検死・解剖所見についても、セカンドオピニオンを求めるために8月になったらある大学の法医学教室に見てもらうそうですが、その場合も旅費を含めて支援金が活用されるとのことでした。皆さまのご支援のお陰で、市橋君に適正な裁判を受けさせることができます。
明日は明治大学(お茶の水キャンパス)のリバティタワーという建物の教室で、北野 大教授がコーディネーターをしている新領域創造特論2「化学物質の法規制」という講義を担当します。13:00-14:30と14:40-16:10の2回、主として農薬の安全性について別々の内容の話をする予定ですが、学生に加えて大勢の社会人受講生も出席していますので楽しみです。
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2010年7月15日木曜日
7月13日に1名(6回目)の振り込みがありました。振替受入明細票に記載してある現在高は私の記録よりも1万円多いので、多分7月12日に振り込んで下さった方の分の振替受入明細票が遅れていて届いていないのでしょう。それも含めて、支援金の現在高は35,000円、延べ141名からの合計額は1,908,565円になりました。ありがとうございました。
昨日・今日と埼玉県の熊谷市で農林害虫防除研究会があって出かけていました。農業現場に近い都道府県の試験・研究機関の研究者から多くの興味深い研究発表がありました。私たちが栽培している作物は、野生植物を人間の食用に適するように品種改良して天然防御物質(毒物)の濃度を低くしたり除去してありますので、人間の手で保護してやらないと病害虫に食べられて期待した収獲が得られません。また、生産効率を上げるために、そういう作物を広面積に単一で栽培しますので、自然の生態系のバランスが存在しないということも、病害虫にとっては繁殖するのに好都合な条件になります。そのために、各都道府県に設置してある農業総合研究センター(昔は農業試験場と呼ばれた)が、所管する地域の重要な作物を病害虫による加害から守る技術を研究・開発して、農家に提供するという役割を担っています。
特に、今まで日本にいなかった病害虫が侵入してきた時は大発生して甚大な被害をもたらすことがよく知られています。まだ今のような進歩した農薬が発明される前の1911年(明治44年)に、アメリカからオレンジやレモンの苗木を輸入した時にイセリヤカイガラムシという害虫が一緒に入ってきて柑橘に大きな被害をもたらすことが予想されましたので、それを防除するためにベダリアテントウムシという天敵(害虫を食べてくれる昆虫)を輸入・放飼して成功したことは古典的な成功事例として教科書にも載っています。現在は、天敵も外来生物の一種と見なされますから、日本固有の生態系や生物多様性に悪影響がないことを確認してからでないと輸入・放飼できません。ここには、食料を生産する農業を大事にするのか、自然生態系を大事にするのかという難しい問題があります。さらに難しいのは、自然生態系と言っても、実は日本列島誕生以来、動物にしても植物にしても昆虫にしても、いろいろな生物が常に海外から入ってきていて、外来生物はいったん定着すれば土着の生物になってしまいますので、日本固有の自然生態系というのは何だろう(存在するのだろうか)という問題があります。
今日のシンポジウムでの高木正見教授(九州大学)や古橋嘉一博士(元静岡県果樹試験場・現アグロカネショウ株式会社)の講演は、そういう難しさを再認識させてくれました。
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2010年7月12日月曜日
今日も1名の方から支援金を振り込んだというメールでのお知らせが届きました。菅野弁護士からのご連絡では、本日午後1時半から第2回公判前整理手続が行われるとのこと。16日に訪問する時に、市橋君のその後の様子なども伺ってきたいと思っています。
ご覧になった方も大勢いらっしゃると思いますが、昨夜10時からNHK教育テレビで、"ETV特集選「死刑囚・永山則夫」19歳少年の連続射殺事件/書簡と新証言でたどる心の内/被害者への償い"という1時間半の番組をやっていました。貧しさゆえに小さい子供の時に母親に捨てられた少年が、貧困を生む社会を悪とみなして無関係の人を4人も射殺し、最終的に26年(?)後に死刑が執行されるまでの彼の獄中での経験と心の内を見つめた内容でした。支援者に差し入れてもらった膨大な数の本を読んだり、死を覚悟(ある時期はむしろ望んで)して、獄中で書いた本がベストセラーになって、その印税を被害者の遺族に送ったり、日本人の母とフィリッピン人の父との間に産まれて同様に悲惨な境遇を経験した女性と結婚・離婚したり、社会の多くの人々との手紙を通しての交流、弁護団の活躍とある裁判官の判断で無期懲役の判決が下されて生きる望みを取り戻したり、控訴審で差し戻されて死刑が確定してその望みを絶たれたり、・・・。犯した罪が許されるわけではありませんが、犯罪を犯す人にはそれぞれの背景があるということを考えさせられました。
罪を償うとはどういうことなのか、獄中で前向きに生きるとはどういうことなのか、市橋君のことを念頭に置きながら考えさせられました。
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2010年7月11日日曜日
7月7日に1名(2回目)の振り込みがありましたので、支援金の現在高は15,000円、延べ139名からの合計額は1,888,565円になりました。ありがとうございました。
昨日の新聞に、国際サッカー連盟(FIFA)が、今大会でここまでに記録された139得点のうち3得点については誤って認められたと判断しているという記事がありました。レベルの高い審判団が選ばれているにもかかわらず、誤審はあり得るということです。イギリスとドイツの試合のゴールのシーンは何回も放映されたので、ボールがゴールラインの中に入っていたことは誰が見ても明らかでした。野球でも相撲でもこの頃は微妙な判定で物言いがついた時は、審判が下した判定がビデオ鑑定で逆転されることがあります。サッカーではまだそういう制度になっていないので、本当はイギリスの得点だった筈のあの1点は幻のゴールのままになりました。
裁判でも、足利事件で死刑判決を受けて長年服役していた菅谷さんが、不正確なDNA鑑定と拷問に近い取り調べで嘘の自白をさせられたことが明らかになって、一転して無罪になったことは記憶に新しいところです。今はまた、43年前に起きた布川事件で犯人とされて長年服役した二人の被告の再審が注目を集めています。
日本の裁判制度の中で、検察側は犯罪の被害者の利益を代表して被告人の有罪を証明するのがその役割でしょうけれども、過去の事例からわかることは、検察側が、構築した仮説の証明に不利な証拠は隠して無理を押し通したために、冤罪を作りだすこともあるということではないでしょうか。その結果、本当の犯人がわからなくなるだけでなく、有罪とされた被告人は死刑になったり、服役によって人生の長い時間が空白になるという取り返しのつかない悲劇がおこります。
市橋君の事件でも、犯した罪に相当する償いをしなければならないことは当然ですが、当初彼を取り逃がした失態や、長期間身柄を拘束できなかったことや、メディアの異常な注目を集めたことや、イギリス国民の対日感情に対する外交的配慮などから、検察側がことさら無理な証明をしようとするようなことはないと信じたいと思います。あくまで、事実を明らかにする適正な裁判が行われることを期待したいと思います。そのためにも、弁護団にはがんばってもらう必要があります。
私は昨夜金沢から帰ってきました。帰路は米原経由でしたから、新幹線で市橋君の郷里の岐阜羽島付近を通過した時には、窓の外の景色を眺めながら、この町で高校時代までを過ごした市橋君のことを思い浮かべました。私には裁判の行方は全くわかりませんが、彼がきちんと裁判を受けて、罪を償って、いつの日か人生をやり直す日が来ることを祈ります。
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2010年7月7日水曜日
7月5日に新たに振り込まれた方の支援金が届きました。前回までの分は7月2日に全額を菅野弁護士にお届けしましたので、支援金の現在高は5,000円、延べ138名からのこれまでの合計額は1,878,565円になりました。ありがとうございました。
第2回の公判前整理手続は7月12日に予定されているようですが、6月28日に開催された第1回からの間隔が短いので、お互いが提出した主張に対して十分な検証をする時間がなく、検察側と弁護側の本格的なやりとりは8月17日に予定されている第3回で行われることが予想されます。
私は明朝6時過ぎの電車で松戸を出発して金沢に出かけます。今回は比較的早めに講演の準備ができました。パネルディスカッションもありますし、金沢でのまた新たな人々との出会いが楽しみです。もうひとつの楽しみは、明後日9日の夕方に、卒業論文の研究で私の研究室を専攻し1981年(昭和56年)と1982年(昭和57年)に卒業した元学生二人と会って一杯やれることです。当時の私の研究室は皆で夕食を作って食べた後の夜間に制限時間なしのセミナー(研究の中間報告や英文の論文購読など)をやったりしていましたので、どの学生はお箸がちゃんともてないとか、甘いものが大嫌いだとか、ドラムを叩くのが趣味だとか、寮に住んでいる誰かをガールフレンドにしたとか、個人的なくせや情報までお互いにわかって、まさに同じ釜の飯を食べた仲間でした。そんな彼らももう50才前後の筈ですから、自分たちの子供が大学生に近い年齢になっている筈です。
10日の夜には松戸に帰ってくる予定です。
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2010年7月5日月曜日
昨日は日曜でしたので、アメリカから来日中の孫たちと一緒に房総半島の亀山ダムに行ってボート遊びをしました。松戸から車で2時間くらいの距離ですが、久留里線という単線の電車と並行して走っている山村の街道をドライブするのは、小学校の時の遠足のような楽しい気分でした。山に囲まれた田んぼの稲の緑が田植え直後の弱々しい薄緑から、しっかりした濃い緑に変わって、緑の絨毯のように鮮やかでした。蒸し暑い一日でしたが、娘と小さい孫二人(5才と3才)は足こぎのスワンボートで湖を遊覧し、大きい孫(7才)と私はフィッシング用のボートに乗って釣りをしました。暑過ぎて釣果はゼロでしたが、孫に「You are the captain of this boat」と言って電気モーターの操縦桿を握らせて運転させ、右に左にと曲がるボートを必死に運転するのをニコニコ眺めていた私の心境は、まぎれもなくGrandpaでした。
8日の金沢での講演の準備はほとんどできましたが、今度は17日に予定されている明治大学(駿河台キャンパス)での講義の準備を始めなければなりません。その他にも今月は雑誌の原稿の締め切りが迫っているのが2つありますので、それが済むまではまたまたスケジュールに追われて胃が痛くなるような生活です。
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2010年7月3日土曜日
6月29日に1名(4回目)と6月30日に1名(2回目)の振り込まれた分の払込取扱票が今日届きました。「市橋さんが精神的に疲れておられると以前先生がおっしゃっていたので心配しています。これからキツク長い道のりです。真摯に反省し、人として強くなって頂きたいです」というメッセージと、「受領の通知書は不要です。ウェブサイトは毎日拝見しています」というメッセージをいただきました。ありがとうございました。昨日報告しましたように、支援金現在高は377,265円、延べ137名からの支援金合計額は1,873,565円になりましたが、すでに全額を引き出して菅野弁護士にお届けしましたので、口座に残っている支援金現在高は0円に戻りました。
市橋君は狭い独居房(3~4.5畳?)の中で、私物も厳しく制限され、会話をする相手もなく、洗面用具のような日常生活品を要請しても届くのに時間がかかったり(看守が人手不足で忙しいため?)、きわめて不自由な生活を強いられているようです。未決囚ですから推定無罪の扱いの筈ですが、すでに7ケ月もこういう状態で拘束されているために、相当なストレスになってきているのでしょう。それが拘置所の生活と言ってしまえばそれまでですが・・・。拘置所の誰かの判断で、自殺の恐れがある病人という最初のしばりが解除されればよいのですが、万が一の場合の責任を考えてそう簡単ではないのかもしれません。 そういう変化のない生活から少しでも抜け出すという意味もあって、公判前整理手続への出席を望んだようです。ただし、当初身柄を拘束されて移送された時のように取材のメディアに取り囲まれてもみくちゃにされる状況は避けたいという希望で、拘置所から裁判所へは車で移動し、入口に車が横付けされるという配慮がされたということのようです。そのために、15~16人くらい集まって待ち構えていた取材陣には捕まらなかったようです。
弁護団は市橋君に週に1~2回接見するのに加えて、2~3週間に1度の間隔で全員が集まって弁護団会議を開いて、弁護方針の相談をしているそうです。検察側とのやりとりが本格化するこれからが正念場でしょう。次回の公判前整理手続は7月12日に予定されているようです。
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2010年7月2日金曜日
ちょっと前に菅野弁護士の事務所から帰ってきました。郵便局に寄ったら6月28日以降にさらに3万円振り込まれていました(払込取扱票はまだ届いていないので何人分かはわかりませんが)ので、現在高は377,265円になりました。先ほど全額を菅野弁護士にお渡ししてきました(領収書添付)。これで、今まで135名プラスアルファから寄せられ、弁護団に届けた支援金合計は1,873,565円になりました。全国の支援者の皆さま、ありがとうございました。公判が始まるまでまだ何ケ月もありますので、弁護団にがんばっていただくために、募金活動はこのまま続けたいと思います。
すでに報道されましたように、6月28日に第1回の公判前整理手続が行われましたが、非公開ですので、内容については検察側も弁護側も公表できない(双方とも整理手続の進展によっては主張が変わってくる可能性があるので)ようです。ただし、今回は、事件に関する法的やりとりは約30分で済み、その後市橋君自身が、千葉拘置所での処遇改善の申し入れを3~5分行ったとのことでした。被告人が公判前整理手続に出席するかどうかは、本人の希望で決められるそうです。
ニュースをご覧になった支援者の何人かから、市橋君の精神状態を心配するメールをいただきましたが、病舎にいるというのは途中から何かがあってそうなったのではありません。行徳警察署で取り調べを受けている時にかなりの日数を絶食していましたので、自殺の恐れがあるということで、警察の手配で医療処置の受けられる千葉拘置所に移管換えをしたという経緯があります。そのために、最初から未決囚の病舎(独居房)に入れられ、私物の持ち込みも厳しく制限され、他の囚人との接触も避ける措置(例えば、運動の時間も他の囚人と一緒にならない時間にするなど)がとられたようです。市橋君の事件はメディアに大きく取り上げられて有名人になっていたので、他の囚人のいじめに遭う(雑居房に入った場合)のを防ぐという理由と、他の囚人(既決囚)が外部の人と面会をする時に市橋君の情報を外部に漏らすのを防ぐという理由からのようです。
しかし拘束期間が長くなると、私物の持ち込み制限や弁護団以外との接見禁止(証拠隠滅を防ぐため)に加えて、弁護団との接見も週に1~2回、1~1.5時間程度という状態は耐えられない精神的苦痛になって、5月の連休明け頃に弁護団に改善を訴えたようです。弁護団は裁判官に改善を申し入れ、拘置所にも改善を申し入れたようですが、改善はされていないということのようです。
問題は、身体拘束を担当している裁判官(1名)と裁判を担当している裁判官(3名)は権限が別々だということのようです。公判前整理手続に出席したのは後者だけです。後者は身体拘束は権限外で、前者は身体拘束の承認(命令?)は行うが、実際の身体拘束は千葉拘置所に責任があるということです。市橋君自身は、自殺の可能性を否定し、裁判を受ける覚悟であることを告げ、現状の取り扱いは精神的に追い詰められて耐えられないので、他の未決囚と同様の扱いを願箋(がんせん=法律用語)してあるそうですが、自殺を防ぐ措置をどうするかは千葉拘置所の裁量の範囲ということのようです。現状の扱いがこれからさらに公判が開かれるまで何ケ月も続くと、その方が本人を精神的に追い詰めて自殺の可能性を高めることにならなければよいのですが。
身体的には何も問題はないとのことです。聖書と英語の辞書は独居房に置くことが認められているようです。市橋君自身で亡くなったリンゼイさんとそのご家族に宛てて事件の経緯の説明と謝罪の文を日本語と英語で書いたそうですが、それをイギリスに送れるかどうかは、検察を通してイギリスのリンゼイさんのご家族の代理人に受取ってもらえるかどうか確認してからでないとわからないそうです。私が以前リンゼイさんのご両親宛に長文のメールを代理人経由で送信した時に、日本の検察を通さずに直接接触したことはけしからんと代理人から抗議が届いたのと似ていて、理解し難い状況だなと思いました。
私が市橋君に適正な裁判を受けさせるために募金活動をしていることは弁護団から市橋君には伝えてあって、このWebサイトの記事も6月何日かの分までプリントして差し入れてある(証拠隠滅には関わらないということで)とのことでした。従って、全国の大勢の支援者が市橋君を支援していることは伝わっているとのことでした。
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2010年7月1日木曜日
6月28日に2名(2回目と3回目)の方から振り込みがありました。「市橋君にも何時の日か働く喜びを味わうチャンスが訪れますように」というメッセージと、「市橋君のご両親の立派な強いお考えに強く心がいたみます。刑が軽くなるよう毎日神に祈っております。気のどく過ぎます。市橋君もがんばって下さい」というメッセージもいただきました。ありがとうございました。支援金の現在高は347,265円、今まで延べ135名からの合計額は1,843,565円になりました。メールでもお便りや、励ましのメッセージが届いています。
お一人からは、市橋君と岐阜県の高校で同級生で、サークル(陸上部)活動も一緒にして仲が良かったという人の情報をいただきました。市橋君の大学時代の友人は私の方である程度は把握できますが、それ以前の友人については私には全くわかりませんので、もしご本人がこのサイトをご覧になる機会があれば、ご連絡いただければと思います。
私は7月8日木曜は金沢に出かけ、「みんなで"農薬いどばた会議" in 金沢」(会場:石川県地場産業振興センター本館1F大ホール)という一般消費者を対象に農薬について解説する企画に出演する予定です。
金沢には古い卒業生(千葉大学時代の研究室専攻生)もいますので、今から連絡をしてみて都合がつけば講演後に金沢に一泊して、久し振りに旧交を温めてきたいと思っています。新幹線で往きは越後湯沢経由で行き、復りは米原-名古屋経由で帰るつもりです。
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2010年6月29日火曜日
私はこのところ自分の研究活動に追われていて、支援金受け取りの礼状や支援者・非支援者・反支援者からいただいたメールやお便りに返事が差し上げられず、失礼しています。今日お電話をいただいた方の支援金は、記録簿をチェックしましたら、6月16日に振り込まれ、6月19日の追記で確認してありました。しかし、払込取扱票にはお名前と金額だけで住所も電話番号もメールアドレスもありませんでしたので、記録簿には「礼状送信不可能」と記載されていました。6月16日以降のメール受信記録もチェックしましたが、1回も届いていませんでした。このWebサイトに書いてあるアドレスで他の方のメールは届いていますので、もし携帯のメールをお使いでしたら以前こちらからの返信が届かない方がおられましたので、携帯の設定に問題があるのかもしれません。一度お調べの上、もう一度お電話下さい。こちらからは、他にご連絡を差し上げる方法はありませんので。
昨日開かれた第1回目の公判前整理手続については、今日の朝日新聞にも報道されていましたので、弁護団がニュースリリースされたのでしょう。私のところにも、市橋君も出席して午前10時に非公開の手続として開かれたとの連絡を昨日の午前中に菅野弁護士からいただいていました。支援者の中には、ニュースを見て市橋君が病舎に収容されているということでショックを受けられた方もおられるようですが、前回私が支援金をお届けした5月7日の追記で、市橋君は自殺の恐れがある病人扱いで、未決囚の独房で私物の持ち込みは許されていない、ということをお知らせしました。既決囚でしたら刑務作業の時に人と顔を合わせる機会もあるのでしょうが、未決囚の独房に長期間収容されていると、一日2回(午前30分、午後15分)運動の時間があるといっても、孤独感からくるストレスは大変なものだろうと想像されます。そういう状況を改善してほしいという訴えを、裁判官がどう判断するかということではないでしょうか。
今日の朝日新聞には、その他にも2つ私の注意を惹いた記事がありました。1つ目は、東京都福生市で面識のない男性を刃物で殺害したとして起訴され、立川拘置所の単独室に拘留されていた被告の男が、持っていたジャージーのズボンを窓の鉄格子にくくりつけて首をつって自殺した、という記事です。同拘置所の「同種事故の発生防止につとめたい」という談話も載っていました。市橋君の場合も、千葉に移される前にかなりの日数を死を覚悟して絶食していましたので、現在は状況が変わったということを裁判官が認めてくれるかどうか。
2つ目は、秋葉原殺傷事件の公判に被告の友人(小学6年から高校までの同級生)が出廷して、被告の人格について全く異常はなかったと証言したという記事です。市橋君の場合も、いずれ公判が開かれる時には、彼のことをよく知っている人たちの証言が必要となるのかなと思いました。そういう意味では、市橋君のことをよく知っている人に関する情報を提供していただければ、私から弁護団にお伝えしておくことはできる筈です。
今週の金曜7月2日の午後には、皆さまから寄せられた支援金を菅野弁護士にお届けしてくる予定ですので、支援者でこの機会に弁護団にお訊きしたいことがありましたら至急メールでお知らせ下さい。
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2010年6月28日月曜日
6月26日に1名(2回目)の振り込みがありましたので、支援金の現在高は332,265円、延べ133名からの合計額は1,828,565円になりました。ありがとうございました。
菅野弁護士から連絡があり、7月2日の午後にお会いできることになりました。市橋君の近況を伺うとともに、社会には彼の精神的・身体的状態を心配している大勢の支援者がいることを伝えて励ましていただけるように、お願いしてこようと思っています。
6月27日の朝日新聞の社会面に、-被告の友人語る「ごく普通の人」秋葉原殺傷事件-、という見出しの気になる記事が載っていました。東京・秋葉原の無差別殺傷事件で17人が死傷してから2年が経ち、被告の友人が事件を風化させまいと親しかった頃の被告の素顔を市民講座で語ったというものです。理由もなしに通りがかりの人を無差別に殺傷した冷酷無慈悲な異常性格者のような印象を社会に与えた事件でしたが、2年間同じ職場で働いていた友人によると、「冷静で知的なごく普通の人」だったとのこと。「彼が真実を語ってくれるのを待ちたい」と話したと書いてありました。
私の知っている市橋君も、学生時代の多くの友人が知っている市橋君も、全く同様で、ごく普通の希望に満ちたいい青年でした。それが、大学を卒業して2年で何故あんな取り返しのつかない馬鹿な事をして、人生を台無しにしてしまったのか・・・。一人の若い女性の命が失われたのですから、罪を償わなければならないのは当然ですが、人間はちょっとした歯車の狂いで理性を失い、本能に支配される動物になってしまう危うさと隣り合わせに生きているということをあらためて認識させられます。事件発生からすでに3年以上、身柄を拘束されてからすでに半年以上経過しましたが、市橋君が自分の犯した間違いを心から反省し、現在与えられている環境の中で精一杯前向きに生きる心境でいることを祈ります。
昨日訪ねた出雲市はあいにく雨でしたが、松寄下町(マツヨセシモマチ)の浜山中学の側の休耕田と江田町(エダマチ)の空き地に設置してあった花粉捕集装置を回収してきました。現地で調査に協力して下さったのは、知人のお嬢さんで、小学1年生のお子さんがいるお母さんですが、1ケ月以上にわたって毎日ワセリンを塗ったスライドグラスを回収・交換してくれ、天気や気温・風向・風速なども記録してくれていて、大変助かりました。これから染色して顕微鏡の下で観察して、花粉の種類と数を調べます。スギ・ヒノキの花粉は遠くまで飛散して、花粉症との関係で全国の保健所や大学医学部などでモニタリングされていますが、やはり花粉症の原因になるイネ科雑草の花粉については飛散距離が短い(100m以内?)ということもあって、モニタリングしているところは少ないようです。松くい虫(マツノマダラカミキリ)が羽化脱出して、その防除のためにヘリコプターで薬剤散布をする時期(5月~6月)とイネ科雑草の花粉が飛散する時期がちょうど重なっていますので、目がかゆくなったり喉が痛くなったりする花粉症を薬剤の影響と誤解する場合があるのではと思っています。2年前の出雲市でも分析機関の測定では大気中の薬剤濃度は検出限界以下でしたが、私たちのあちこちでの調査でも、散布後の周辺環境の大気中の薬剤濃度は検出限界以下か、ギリギリ検出されても何の影響も及ぼさないほど低い場合がほとんどだからです。
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2010年6月26日土曜日
6月24日に東北と関西から2名(5回目と3回目)の振り込みがありましたので、支援金の現在高は282,265円、今まで延べ132名からの合計額は1,778,565円になりました。ありがとうございました。菅野弁護士からはまだ連絡をいただいていませんが、来週月曜に予定されている第1回公判前整理手続の後の適当な時期に時間をとっていただけるのではないかと思っています。
私の誕生日を記憶しておられた何名かの支援者から、誕生祝いのメッセージをいただきました。ありがとうございました。今日はアメリカから里帰り中の娘と孫3人とを連れて、自宅から車で1時間くらいのところにある手賀沼フィッシングセンターに魚釣りに行きました。孫は、7才(男)・5才(女)・3才(男)ですが、一番上の男の子が"Grandpa, take me to fishing"と言ってきたからです。私自身は普段はアメリカで自然の湖沼や川や海でしか釣りをしないのですが、今日は孫の為に1000円で釣竿と餌を借りて、釣り堀に放してあるニジマスを釣ってきて食べました。我が家では昔から、私と子供たちとは英語、妻と子供たちとは日本語、子供どおしは英語でしたが、今は私と孫たちとは英語、孫どおしは英語、妻と孫たちとは日本語で会話をしています。
アメリカ人の義理の息子は、今回はNHKとTBSとフジテレビから仕事をとって、カナダからG8サミットの映像を日本に送ってきています。
明日は島根県出雲市に日帰りで行って、花粉症の原因になるイネ科雑草の花粉の飛散量調査のサンプルを回収してきます。私の仮説が正しければ、出雲市で2年前に起こった児童・生徒たちの目のかゆみ騒動の本当の原因がイネ科雑草の花粉による花粉症だったかどうかが検証できるのではと期待しています。
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2010年6月25日金曜日
6月23日に四国から1名(2回目)の振り込みがありましたので、支援金の現在高は257,265円、延べ130名からの合計は1,753,565円になりました。払込取扱票には市橋君宛の励ましのメッセージも書かれていました。ありがとうございました。
私は昨年の10月1日に、千葉大医学部で環境影響生化学教室の講義を1回だけ担当しました。講義自体は「輸入冷凍ギョーザ毒物混入事件から学ぶ教訓」についてでしたが、その後の会食の席で私が松枯れ関係の研究に従事していることが話題になり、医学部の同窓会報を担当しておられる鈴木信夫教授が私へのインタビューで東京農業大学に訪ねて来られました。その時のことをすっかり忘れていましたが、今日思い出してGoogleでオンライン会報と入力して検索してみたら、一番最初に千葉大学医学部ゐのはな同窓会が出てきて、その中のその他の見出しのところに、農学者からお医者さんへお伝えしたいこと-松食い虫の防除を例にして-というタイトルで、私のインタビューが記事になっていました。映像を見るというところをクリックすると、私が実際に話している映像が出てきました。時間の関係で編集されていたのは当然ですが、こうして見ると自分の話が如何に聴き難いか思い知らされました。
それにしても、この同窓会報は千葉大学医学部を卒業して全国に分布している何千人ものお医者さんと母校とのコミュニケーションの手段でしょうけど、印刷物媒体と違って、いつでも更新できるし、全国から母校の公開講座を映像で見ることもできますので、技術の進歩に今更ながら感心しました。(私の認識が時代遅れなだけかもしれませんが・・・)
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2010年6月24日木曜日
6月21日に九州から1名(4回目)の振り込みがありましたので、支援金の現在高は254,265円、延べ129名からの合計は1,750,565円になりました。ご自身が長年教育に関わってこられた方ですので、育てた子供たちが成長して市橋君の年齢になった時のことをお考えになって、継続的に支援をして下さっておられるのではと思います。ありがとうございました。
6月19日の追記の後に写真を何枚か添付するようにサイトの共同管理者(元学生)に依頼しました。松枯れは、約100年前に長崎県に外国から持ち込まれた材木に寄生していたマツノザイセンチュウが土着のマツノマダラカミキリと共生して広がった侵入病害ですから、宮崎県で問題になっている口蹄疫と同様に、しっかり防除しなければ日本中の松が枯れてしまう危険性があります。今まで林野庁を中心に必死で防除してきて、被害をかろうじてピーク時の1/4程度に抑えている状況です。
6月27日には、日帰りで島根県出雲市に飛んで、イネ科雑草の花粉の飛散量調査の研究協力者からサンプルと花粉捕集装置を回収してくることになりました。私自身は長野県での調査の疲れから少しずつ回復して日常生活に戻りつつありますが、家の中はアメリカから里帰りした娘の家族で大騒ぎです。食べるものや着るものの好き嫌いで泣いたり、笑ったり、喧嘩をしたり、孫3人にかき回されています。
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2010年6月22日火曜日
6月20日に1名の振り込みがありましたので、支援金の現在高は253,265円、今まで延べ128名からの合計は1,749,565円になりました。ありがとうございました。菅野弁護士に、前回以降に振り込まれた支援金をお届けする日程調整をお願いしました。その機会に、市橋君の最近の様子や、公判前整理手続の様子なども伺ってきたいと思っています。
一昨日の朝日放送(ABCテレビ)の取材は、7月15日(参議院選挙の都合によっては翌週の7月22日)の夕方のニュースの中で15分間くらいの「今日の特集」番組として放送予定だそうです。ABCテレビというのは、関東に住んでいる私には不案内でしたが、関西の2府4県と徳島県で視聴可能だとのことでした。テレビが自ら農薬の安全性について取り上げるのは珍しいことですので、公平な前向きの内容になっていることを期待しています。
アメリカ在住の娘が今日子供3人(私たちにとっては孫)を連れて里帰りしてきました。40日間くらい同居しますので、家の中が賑やかになります。義理の息子(アメリカ人)はテレビ関係の仕事をしているので、ちょうど今からカナダで開催されるサミットの映像を日本のテレビに送る仕事で忙しく、少し遅れて家族に合流するようです。
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2010年6月20日日曜日
裁判員裁判制度について熱心に勉強されている支援者のお一人から、市橋君の第1回公判前整理手続が6月28日に開催されることが千葉地裁で6月11日付で決定したとのご連絡をいただきました。別の方からは、今日支援金を振り込んだというメールでのご連絡をいただきました。
私は明日は久し振りに東京農業大学の研究室に顔を出す予定ですが、午後から大阪の朝日放送株式会社(ABCテレビ)報道局の方が「NEWS ゆう+」という夕方放送されるニュース番組のためにカメラマンを伴って取材に来られることになっています。農薬の安全性について日本の基準は安全かを検証する企画のようです。企画の趣旨がどこにあるのかはわかりませんが、あらかじめ質問事項がいくつか送られてきていますので、どう答えるか少し情報を収集したり頭の中を整理しておこうと思っています。
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2010年6月19日土曜日
長野県での薬剤飛散状況調査から昨夜帰ってきました。6月10日の1名(2回目)と6月16日の1名が振り込んで下さった支援金が届いていました。現在高は248,265円、延べ127名からの支援金合計は1,749,565円になりました。
駒ケ根市では降雨のためにヘリコプターによる薬剤散布が1日遅れましたので、私たちの調査もそれに合わせて1日延びました。こういう調査の時はいつもそうですが、朝3時に目覚まし時計を鳴らして、体を目覚めさせるために熱いシャワーを浴びて、3時半にホテルを出発して現地に向かい、散布松林内と周辺地域(保育園・学校・病院・住民が生活しているところなど)の調査地点に大気捕集用のポンプとカートリッジや落下量調査用のろ紙を設置してきます。散布はたいてい朝5時~7時の間に行われます。2時間間隔でカートリッジとろ紙を回収・交換し、その間にホテルに帰って食事をしたり30分くらい仮眠して休憩してまた出かけ、夜の11時にその日最後のサンプルを回収するという作業は体力勝負です。今回は前日の降雨の影響で山道の地面が水を含んで軟化していたこともあって、私の車(4輪駆動)で細い曲がりくねった山道を夜中に上っている時に崖側の車輪が泥にはまって車体が傾き、動かなくなってしまいました。JAFを呼んで何とか車を引き上げもらって事なきを得ましたが、もう少しで崖から車ごと転落するところでした。転落していれば乗っていた私たち4人の命はどうなっていたかわからず、今頃新聞種になっているところでした。
千曲市では山には登らずに、隣接した麓の住宅地や学校周辺や千曲川の河川敷などを調査地点にしましたので、眠気や疲れとの競争だけでしたので比較的楽でした。
サンプルはアイスボックスに保管して大学の研究室に持ち帰り、これから薬剤の抽出・分析・定量をしますが、膨大なサンプル数なので数ケ月はかかりそうです。私がこういう調査をできるのは多分今年が最後でしょうから、駒ケ根市での調査には東京からあるテレビ番組制作会社の人が駆けつけてくれ、ヘリコプターによる薬剤散布風景や私たちの調査風景の映像を撮影し、関係者への取材もしていました。秋の松茸の収獲時期には再度訪問して映像撮影や取材をする段取りも付けましたので、いずれどこかのテレビ局から放送されるかもしれません。
長野県滞在中は、時間のゆとりがなくていつもの出張中と違ってジョギングできませんでした。1週間くらい全く走らないといつもそうですが、昨夜は夜寝ている時に足指、足首、ふくらはぎ、太腿の裏と攣ってしまいました。今日は体調を元に戻すために、久し振りに江戸川の堤防を6kmゆっくり走って、汗をビッショリかきました。
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2010年6月12日土曜日
昨日私が千葉大学園芸学部で担当した食品安全ビジネス論に、支援者のお一人が聴講に来られ、いつもはメールでのやりとりだけだった方と初めてお目にかかることができました。こうして実際にお会いすると、先日の大阪での時もそうでしたが、より連帯感が強くなったような気がしました。
今朝は調査機器を積んだ車を私が運転し、3人で千葉県松戸市を7時に出発して長野県駒ヶ根市に来ました。カーナビの推定では3時間40分くらいのドライブだったのが、途中渋滞区間があって実際には5時間以上かかりました。駒ヶ根市では、高速バスで到着した岐阜県在住の研究者と合流し、いつも使っている(今年で3年目)ホテルにチェックイン後、車で回って14日に有人ヘリコプターで薬剤が散布される予定の山林を確認、薬剤の気中濃度や落下量を調査する予定の散布松林内5ケ所と周辺地域の7ケ所を歩いて回って目印をつけてきました。山の中では昼間から野生の鹿に出会いました。昨年は、サンプリングで真夜中に山に入った時に、暗闇の中でこちらを窺っている赤い2つの目を見たり、遠くで鳴き声を聞いただけでしたが・・・。明日はもう一つの調査地である千曲市を回って散布区域を確認し、調査地点の設定をしてくる予定です。駒ヶ根市は、天竜川沿いの伊那谷に位置し、両側に中央アルプスと南アルプスを遠望できるところにあります。
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2010年6月10日木曜日
6月8日に1名、6月11日に2名の現金手渡しの支援金がありましたので、現在高は233,265円、今までに延べ125名からの支援金合計は1,734,565円になりました。今回はいずれも私の個人的な友人達で、私が千葉大学の元学生のために募金活動をしていることを知って、支援をしてくれました。友人というのはありがたい存在です。その他にも、今振り込んできたというメールでの連絡もありましたので、明後日には届くでしょう。
今日は大学を卒業して45年目のクラス会がありました。ほとんどはすでに仕事を終わって悠々自適の年代ですが、物故者も何名かおり、体調不全の人もいます。私も今月26日には68才になりますので、社会の定義ではまぎれもなく高齢者ですが、まだ農薬の研究や社会活動に少しずつ関わっています。そのうち時間の余裕ができたら、1969年以来のアメリカの友人達と空手の稽古をしたり、ジョギングをしたり、フィッシングをしたり、映画を見に行ったり、楽しい時間を過ごしたいという夢をみています。
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2010年6月9日水曜日
6月5日に1名(3回目)の振り込みがありましたので、支援金の現在高は200,265円、今までに延べ122名の支援者から振り込まれた支援金の合計は1,701,565円になりました。払込取扱票には暖かいメッセージも添えてありました。ありがとうございます。
今月は公判前整理手続が行われる筈ですので、前回お届けした以降に振り込まれた支援金を菅野弁護士にお届けする日程調整をお願いし、その機会に市橋君の最近の様子なども伺ってこようと思っています。
12日からの長野県における薬剤の飛散状況調査の準備で追われています。私たち4人の研究者チームに加えて、現地で1~2名の方が調査に協力していただけることになりました。東京からはあるテレビ番組制作会社が松くい虫防除の問題やヘリコプターで散布された薬剤に関する問題を取材するために、私たちに同行して映像撮影をすることになりそうです。事実に基づいた建設的なテレビ番組が制作され放送されることは、国民が実態を正く理解することにつながりますので、私たちもできるだけ取材には協力するつもりです。
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2010年6月5日土曜日
6月2日に1名(3回目)の振り込みがありましたので、支援金の現在高は175,265円、今までに延べ121名から届いた支援金の合計は
1,676,565円になりました。メッセージもありがとうございました。その他にも、振り込んだというメールが届いています。
昨夜遅く大阪から帰宅しました。徳島も大阪も各々の会場一杯の参加者で、質問もたくさんあり、閉会の時間ギリギリまでがんばってコミュニケーションをしました。消費者の方々が農薬についてどういうことを知りたいと思っておられるのか、時間の余裕のある時に紹介したいと思っています。
関西にはたくさんの支援者がおられますが、その中のお一人はわざわざ大阪での私の講演を聴きに来て下さったので、開会の前に講師控室でお会いできました。写真を送って下さった2~3の方を除いて、支援者と私はメールでのやりとりだけですが、今回は初めて支援者のお一人と直接お話をすることができました。
来週は、11日に千葉大学園芸学部で開講されている食品安全ビジネス論という公開講座を担当します。この講座が始まってすでに数年が経ちましたが、毎年学内の学生だけでなく、学外からも多くの社会人が受講してくれます。12日からは車に調査機材を積んで長野県に出かけ、松くい虫防除のために駒ケ根市と千曲市でヘリコプターで松林に散布される薬剤の飛散状況調査をする予定です。散布は早朝に実施されますが、私たち(研究者3人)は現地に約1週間宿泊し、散布松林内や周辺地域で気中濃度や落下量を経時的に測定します。昨年も同じ場所で調査をしましたが、特に調査対象の駒ケ根市の山は、地元の人によると熊が出没するところだそうですので、山腹の調査地点に設置した大気を捕集するカートリッジを交換(2時間おきに)するために、夜中に真っ暗な山に入って獣道を歩く時は、懐中電灯を照らして鈴を鳴らしながら歩きました。今夕のテレビのニュースで、北海道で山菜採りに山に入った女性が親子ずれの熊に襲われて亡くなったと伝えていましたので、今年は念のためにラジオも持っていこうかと思っています。今から調査に出発するまでは、その準備で忙しくなりそうです。
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2010年6月1日火曜日
5月26日に1名(2回目)、27日に1名、28日に1名の方から振り込みがありました。支援金の現在高は165,265円、今までに延べ120名の支援者から振り込まれた合計は1,666,565円になりました。「私にできることは支援することと、刑が軽くなるよう神に祈ることだけです。市橋君とご両親がんばって下さい」、「市橋さんの更生を願って。僅かですが、お役に立つことができれば幸いです」というメッセージが添えられていました。ありがとうございました。また、5月7日のテレビ朝日のニュースを見て5月18日に振り込んで下さった方からは、長いメールが届き、励ましていただきました。一見、他人の事には無関心のように見える現代の社会で、こんなにも多くの方々が間違いを犯した一人の人間に関心を抱き、その痛みを自ら感じ、支援金を送るという行為までして下さるというのは驚きです。繰り返し振り込んで下さる支援者に加えて、新たに振り込んで下さる方が後を絶たないというのは、皆さまが輪を広げて下さっているのでしょう。ありがとうございます。
私は北海道での学会から昨夜帰宅しました。札幌では今回は駅の南口側の安いホテル(一泊3千円ちょっと)に宿泊しましたが、毎朝6時に目覚ましをかけて、6時半からサッポロビール園の横を通って豊平川に出て1時間くらいジョギングしました。川沿いの八重桜が散り始めていましたが、遠くの山頂にはまだ雪が残っていて、止まることのない川の流れを見ながら走るのは爽快でした。5月は忙しかったので(言い訳)、残念ながら216kmしか走れませんでした。
北海道大学付属の植物園の中に北方民族資料館があったので、昼休みに学会会場からタクシーを飛ばして見に行ってきました。小さな施設でしたが、アイヌの民族衣装や宗教用具、生活用具、住居の模型などが展示されていました。私が1969年から10年ほど住んでいたアメリカのノースカロライナ州はバージニア州の南部に位置しますが、東側は大西洋に面し、西側はブルーリッジマウンテンと呼ばれる山岳地帯です。そこには、チェロキーインディアンの小さな居住地があり、ちょうど北海道のアイヌの人達と同じように、民芸品を売ったり、ダンスをして観光客からお金をもらったりしていました。昔は辺り全域に居住していたのに、白人の到着によって土地を奪われ強制的に遠隔の地に移住させられ、その途中で多くの人々が飢えや病気で亡くなったので、その道は涙の道(Trail of Tears)として語り継がれていたのを思い出しました。歴史的に世界中どこでもそうでしょうが、先住民族とか少数民族とか言われる人々は、強力な多数民族が現れた時には滅ぼされたり同化されて消えていく運命なのでしょう。今の時代になってみれば、各々の民族の言葉や独自の文化が失われていくのは、残念な気がしますが。北方民族資料館ではそんなことを感じました。
学会では興味深い研究発表がたくさんありましたが、吉原照彦教授の特別講演は印象に残りました。バレイショの塊茎(いわゆるジャガイモ)形成には短日条件が必要なのに、ジャスモン酸を生産する糸状菌の代謝産物として発見されたセオブロキシドと呼ばれる物質は、バレイショの葉に散布すると長日条件下でも塊茎を形成させる活性があるとのこと。世界は人口増加が確実に予測されている中で、食料を生産できる地球の陸地面積(その中の耕地面積)には限界があり、来たるべき食料危機をどう克服するかが人類の大きな課題という時に、こういう研究は進歩が著しい遺伝子組み換え作物の技術や植物工場などと共に、将来食料増産の技術に発展するかもしれないという夢を与えました。
やっと6月3日の徳島と6月4日の大阪での講演の準備ができ、今日パワーポイントのスライドを各々の主催者に宅ふぁいる便で送りました。明日2日の午前中は大学で実験の打ち合わせをして、午後の飛行機で徳島に向かいます。
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2010年5月25日火曜日
ゆうちょ銀行から、5月21日に振り込まれた2名分(1名は3回目)の払込取扱票が昨日報告した5月22日振り込み分と前後して今日届きました。支援金の現在高は144,265円、延べ117名の支援者からの合計は1,645,565円になりました。新たに振り込まれた方からは、「親子で応援しています」というメッセージに娘さんのお名前が書かれていました。3回目の方からは、以前私が言及しました親鸞聖人の「歎異抄」についてメールでメッセージをいただきました。ありがとうございました。
支援者は文字通り全国に分布していますが、私の講演について詳しい情報がほしいと言われる方もおられます。6月3日の徳島県における「農薬と環境について考える講演会」は、徳島市のあわぎんホール(徳島県郷土文化会館)4階大会議室で13:30~16:00に開催されます。徳島県庁ホームページ→[分野別]産業・労働→農業・畜産業→[新着情報]農薬と環境について考える講演会の参加者募集について、で情報が得られます。または、http://www.pref.tokushima.jp/docs/2010051200029 でも同じ情報が得られる筈です。
私は6月2日に徳島市に入って主催者と打ち合わせをし、6月3日の講演終了後は夕方5時頃のバスで大阪に移動します。その日は大阪での主催者と打ち合わせをする予定です。6月4日の「食の安全シンポジウム in おおさか」は、大阪市の大阪府社会福祉会館501ホールで13:30~16:45に開催され、第一部は私の「農薬とは何?」という講演で、第二部は「食の安全を意識した農産物生産について」というパネルディスカッションです。こちらの方は、案内と参加申込用紙のファイルを添付します。
両方とも参加無料ですが、たいてい定員の2倍くらいの申し込みがありますので、先着順かくじ引きになるかもしれません。
明日26日の午前中は大学の研究室で博士研究員と実験の打ち合わせをし、午後からは東京で会議です。5月27日~30日は日本農薬学会大会が北海道大学でありますので、札幌に出かけます。
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2010年5月24日月曜日
5月22日に新たに1名からの振り込みがありましたので、支援金の現在高は133,265円、今まで延べ115名の支援者から振り込まれた合計は1,634,565円になりました。支援者の中には、少額ですが無理のない範囲で長く募金に協力させていただきますと言われる方も、今回の方のように口座の残金の全てですと言われる方もおられます。皆さまが各々の生活がある中から、工面して振り込んで下さっていることがわかります。大学生の息子さんがおられるというこの方からは、市橋君は「逃走中、一日たりとも心休まる日はなかったのではないでしょうか。聖書を読むことで、心穏やかに、素直な気持ちで自分と向き合えることを願っています。」というメッセージが添えられていました。ありがとうございました。
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2010年5月22日土曜日
5月20日に新たに1名からの振り込みがありましたので、支援金の現在高は125,000円、今まで延べ114名の支援者から振り込まれた合計は1,626,300円になりました。ありがとうございました。
支援者のお一人から、強姦致傷事件の裁判を裁判員裁判のモニターとして傍聴してきたとのお便りをいただきました。傍聴後のディスカッションにも参加され、かなり検察と弁護士(力不足)の力量に差があり、それによって印象が大きく変わることを実感したとのことでした。
市橋君の場合も、警察が最初の段階で取逃がしたり、3年近くも逃走し続けたり、逃走中に整形手術で顔を変えていたり、被害者が外国人であったり、被害者の遺族が来日して街頭で情報提供を訴えたり、懸賞金が途中で100万円から1000万円に上積みされたり、ネット上で市橋君に対する同情者と反同情者とのやりとりがあったり、異常なほどのメディアの注目を集めた事件ですから、難しい裁判になるのでしょうか。弁護団がベテラン3人と新人3人の6人で構成されているのは、市橋君にとっては幸運で、非常に恵まれているのだと思います。
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2010年5月20日木曜日
5月14日に1名、17日に1名(4回目)、18日に1名の方から振り込みがありましたので、支援金の現在高は115,000円、延べ113名の支援者からのこれまでの合計は1,616,300円になりました。60代の主婦の方からは、「会は存続しているのでしょうか」というメッセージが払込取扱票に書いてありましたので、私のWebサイトが見つからなかったのでしょう。礼状を差し上げる時に、適正な裁判を支援する会は裁判が結審するまで続けることをお知らせするつもりです。もう一人の方からは、市橋君宛に、「自分を大事にして下さい、応援しています」という趣旨のメッセージが添えられていました。ありがとうございました。その他にも、息子が市橋君と年齢が近く、名前も同じ達也ですという非支援者の方から、「市橋さんのご両親のお話を聞くと涙が出ます。加害者、被害者であろうと人の親には変わりありません。子供を持つ親の気持ちは同じです。どれほど息子に会いたいか・・その気持ちを思うと・・残酷です。市橋さんが更生して社会復帰した姿が見れるように」というメールでのメッセージも届きました。ありがとうございました。
今週の日曜には出雲市に行ってきました。2008年に松くい虫防除のために有人ヘリコプターで薬剤を散布したのと同じ日に多くの子供たちが「目のかゆみ症状」を訴えた学校の近くに花粉捕集装置を設置して、地元の協力者にワセリンを塗ったスライドグラスを1ケ月間毎日交換してもらうためです。回収したスライドグラスは大学の研究室に持ち帰って、染色して、顕微鏡の下で花粉の種類と数を観察します。英語ではHay Fever(枯草熱=花粉症)と言いますが、イネ科の雑草は元々牧草として輸入されたものが野生化して、ちょうど松くい虫(マツノマダラカミキリ)が発生する5~6月頃に花粉が飛散して、人によっては「目のかゆみ」、「のどの痛み」、「くしゃみ」、「涙」、「鼻汁」など花粉症特有の症状を起こすことが知られています。ヘリコプターで松林に薬剤が散布された後、周辺地域で薬剤は検出されないにもかかわらず体調が悪化したと訴える人がいて、メディアが薬剤による健康被害として大きく報道する場合がありますが、実際は花粉症の可能性はないのか検証してみる必要があると思っています。
月曜と火曜は熊本市で開催された農薬ゼミに出演してきました。約150名の主婦を中心とした一般消費者が熱心に話を聴いてくれ、質問もたくさんで時間内には全部に答えられないくらいでした。私は国内でも海外でも出張する時はいつもジョギングできる準備をしていきますが、朝6時に起きて熊本城の回りと白川の堤防沿いを1時間半くらい走りました。そうすると、朝ご飯が美味しいだけでなく、車で走るのと違って自分の目線で景色が見えたり、人々の息遣いが感じられたりする楽しみがあります。
今日は東京で木材保存剤等性能審査委員会という会議があり、私はその中の安全性部会の委員をしていますので、申請された木材保存剤(シロアリ防除剤)の安全性について審査をしてきました。私がこの委員会の委員になってもう何年にもなりますが、建物をシロアリの害から守るために薬剤を床下に処理する場合は、床の上は居住空間ですので、床から20cm(寝ている時の鼻の位置)と150cm(立っている時の鼻の位置)の高さにおける室内での薬剤の気中濃度の測定データも要求して、それを吸入して生活しても問題がないかどうかも審査します。
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2010年5月15日土曜日
5月12日に1名(4回目)と13日に1名の方から振り込みがありましたので、現在高は85,000円、今まで延べ110名の支援者からの合計は1,586,300円になりました。私が5月9日と11日に追記で書いたことに関して「お考えはとてもよくわかりました。これからも無理のない範囲で支援をしていきたいと思います」というメッセージと、「心より支援しております」というメッセージとをいただきました。ありがとうございました。私が伝えたかったことをちゃんと理解してもらえたという意味でも嬉しく思いました。
2007年3月25日に何があったのか、リンゼイさんはすでに亡くなっていますので、本当のことを知っているのは市橋君だけの筈です。すでに報道されているように、その数日前に二人は出会って、25日の朝9時から喫茶店で40~50分の英語の個人レッスンを受け、リンゼイさんはその日の午前中に別の場所で英語を教えるクラスがあったにもかかわらず、レッスン料を受け取るために一緒にタクシーに乗って市橋君の住んでいたマンションに行き、部屋に入った、というところまでは検察側の描いたシナリオと市橋君が弁護団に語った証言とは一致しているようです。検察側が強姦致死・殺人で起訴をしたということは、無理やり暴行してすぐ殺害もしたとみなしているのでしょう。それに対して市橋君の方は、暴行はしたが、その後手足を縛って逃げられないようにしてキング牧師の演説を一緒に見て、その後眠ってしまったら、26日未明になってリンゼイさんが大声を出して逃げ出そうとしたので、腕をまわして口を塞いで止めようとしてもみ合いになり、亡くなってしまったということのようです。私には法律のことはわかりませんが、その場合は、強姦致傷・傷害致死に相当するのでしょうか。そうすると、死亡時刻が25日午前10時頃なのか、26日未明なのかが問題になる筈です。遺体の検死・解剖をしてどのように死亡時刻を推定するのか私にはわかりませんが、遺体の保管状態にもよるでしょうが、何時何分と特定するのは困難な筈で、死後2日以内とか、1週間くらいとか、数ケ月とか、幅があるのではと想像します。そうだとすると、検察側が強姦致死・殺人というシナリオを描いたのは死亡推定時刻からではないわけですから、それをどういう証拠で証明するかが裁判での争点になってくるのでしょう。 また、25日朝は次のクラスがあって時間のゆとりがなかったにもかかわらず、リンゼイさんが何故わざわざ市橋君のマンションにレッスン料を受け取りに行ったのかも理解し難いことです。リンゼイさんと市橋君の間での個人レッスンの打ち合わせはメールのやりとりで行われたということのようですので、事件後に市橋君の部屋から警察が押収した2台のノートパソコンに残っていた通信記録を弁護団が要求したのは当然でしょう。もしかしたらそこから当時の二人の関係がより明らかになってくるのかもしれません。
小・中・高校の教育でも同じでしょうが、大学でも、授業を受ける学生の中には一生懸命勉強してよい成績を収める者だけでなく、ろくに勉強をしないのにずるいこと(例えば試験の時のカンニング)をしてでもよい成績を取ろうとする者がいた場合、それは正しくないと教えるのが教師の役割です。無視をするということは、教育の目的に反しますし、その学生を駄目な人間にしてしまいます。
元教師として、元学生の市橋君に私が言ってやりたいことは一つだけです。自分の犯した間違いを心から反省し、亡くなったリンゼイさんとそのご家族と自分の家族にも謝罪し、罪を償った上で、残された人生をしっかりやり直すこと。接見が許されないので、直接会って彼の肩を叩いてそう言ってやれないのが残念です。
明日は日帰りで島根県出雲市に飛んで、イネ科雑草の花粉の飛散量を調査する装置を研究協力者に届けてきます。花粉症の原因になるイネ科雑草の花粉の飛散時期と有効積算温量の関係についてデータを収集し、2008年5月26日に多くの子供たちが「目のかゆみ症状」を訴えた時に、イネ科雑草の花粉が飛散していなかったかどうか検証するためです。
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2010年5月13日木曜日
5月10日と11日に5名(1名は3回目)の方からの振り込みがありましたので、現在高は65,000円、今まで延べ108名の支援者からの合計は 1,566,300円になりました。「適正な裁判のために少額ですがお役立てください」、「ご両親のためにも人生をやり直して下さい。息子がいるのでとて も心が痛みます」、「市橋君と御両親の気持ちを考えると心が痛みます。加害者が被害者になってしまったような気がします。息子が市橋君と似ています」とい うメッセージも添えられていました。ありがとうございました。
支援者からも私が5月9日と11日に追記で書いたことに関してメールでのメッセージが届いています。私がお伝えしたいことを理解していただけるかどうか ちょっと不安でしたが、無駄な心配でした。今は市橋君にお金を差し入れて食べものを買うか、出所する時に受け出すかということよりも、裁判で死刑になるの か、30年以上の無期刑になるのか、30年以下の有期刑になるのか、これからの弁護団の活動にかかっているのですから、今一番大事なことは、弁護団にがん ばっていただくことだと思います。私が5月9日に勝手に試算しましたように、すでにお届けした裁判活動のための実費の他に、例え弁護士一人に月に5万円を 弁護士料(報酬)として提供できたとしても、弁護士料が1時間当たり1万円とすると、市橋君の弁護のために活動できる時間は月にわずか5時間にしかなりま せん。昨年の11月に市橋君の身柄が拘束されて以来、今まですでに半年以上にわたって6名の弁護団が無償で弁護を担当してきましたが、弁護団は市橋君と個 人的な関係があるのではなく、職業として弁護活動をするのですから、これからさらに半年以上も無償でがんばって下さいと期待するのは虫がよすぎるのではな いでしょうか。
支援者の方々も市橋君とは個人的な関係はないにもかかわらず、これまですでに多大の支援金を振り込んでいただきました。何故市橋君を支援するのか周りの人に説明するのは難しいかもしれませんが、なるべく支援活動の輪が広がるように、声をかけていただければと思います。
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2010年5月11日火曜日
5月7日に放送されたテレビ朝日のニュースを見て、市橋達也君の適正な裁判を支援する会の存在を知り、インターネットで検索して私のWebサイトを見つけ、支援者の皆さまと気持は一緒なのでこれから微力でも支援に参加したいというメールが届きました。情報が不特定多数に届き、予想もしなかった場所の予想もしなかった人からレスポンスがあるのですから、メディアの影響は大きいとあらためて実感させられました。
菅野弁護士は千葉県弁護士会の会長もやられたベテラン弁護士ですが、昨年11月に市橋君の身柄が拘束されてすぐ、被疑者・被告人の権利を守るために取り調 べの時から弁護士をつける必要があるということで呼びかけて、6人の弁護士(1名は事情があって交代)が手を挙げて弁護団が構成されたようです。正式に起 訴されてからも、市橋君の要望で同じ弁護団が担当してくれていますが、私選弁護ですから弁護士費用(報酬)は無償のままで長期間弁護活動をするのは実際に は厳しいだろうなと想像していました。ちょうど、昨日の夕方7時から7時半の間のNHKテレビのニュースで、司法試験に合格して弁護士になっても収入が少 なく不安定で大変な生活をしている実情が紹介されていました。特に新人弁護士の中には、先輩弁護士の仕事の一部を下請け的にまわしてもらって何とかやりく りしている人もいるとのこと。市橋君の弁護団は3人がベテランで3人が新人とのことですので、公判が開かれるのが来年になるとすれば、1年以上にも亘って 無報酬で活動するのは特に新人にとっては厳しい筈です。菅野弁護士の配慮で、ベテラン弁護士の手伝いをしながら経験を積んで、仕事を覚えていくという面も あるのかもしれませんが。一昨日の追記で私が勝手に試算しましたように月5万円ではアルバイト料にもならないかもしれませんが、新人弁護士にとっては背に 腹は代えられませんので、弁護団にがんばって活動していただくために、是非多くの皆さまからのご支援をお願いしたいと思っています。
千葉刑務所に直接衣類や日常品やお金を差し入れされた方は、逃走中の市橋君をメディアがあまりにも凶悪犯の扱いをしていましたので、社会には孤立無援の市 橋君を応援している人もいるということを知らせて励まそうとされたのでしょう。一昨日の追記で私が比喩的に書きましたように、「余分なおやつを食べさせて 不健康にさせる」ために差し入れしていたのでないことは当然です。ご自身も差し入れをされていたある支援者から、「接見禁止で本人の意向を確かめられず に、自己満足のために差し入れており、有難迷惑を否定できないままでした。前代未聞の事態で、全国から大量の差し入れ品が届いていたようです。1人が倉庫 に領置できる品は、みかん箱2箱までだそうで、それ以上にあふれた品は、宅下げとして家族に自宅に持ち帰ってもらうか、破棄するしかないルールと言われま した。拘置所も、大量の品の処理に困ったのかもしれません。」、というメールをいただきました。
私が募金活動を始めて、全国の多くの方々が支援して下さっていることは、市橋君には弁護団を通してすでに伝わっていると思います。
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2010年5月9日日曜日
3月19日以降に振り込まれた支援金は5月7日に全額菅野弁護士にお届けしましたので、振替口座の残金は0になりました。その後、23才の息子さんと21 才の娘さんがおられるという方から5,000円をネットで送金したという連絡が届きましたので、支援金の現在高は5,000円、今までの合計は延べ103 名から1,506,300円になりました。市橋さんの適正な裁判が行われるということは私たちの適正な裁判が行われる事にもつながるので、というメッセー ジもいただきました。ありがとうございました。
一昨日の追記についていろいろな方からメッセージが届いていますが、ひとつだけ緊急に私の考えをお伝えしておきます。今まで刑務所の中というのは不自由と 考えて、直接刑務所に出かけて衣類や日常品やお金を差し入れた方にとっては、お金以外は本人に届いていなかったということには失望されたと思います。私が 前回の追記で書いたことがきっかけで、市橋君を支援している気持ちを表すために、もしこれからお金を差し入れに行こうとお考えの方がおられるとしたら、少 し考えてみて下さい。今の状態の市橋君がお金が使えるのは、刑務所の中の売店で食べものを買うことだけの筈です。最低限必要なカロリーが計算された食事は 支給されている筈ですので、独房の中でストレス発散も兼ねて必要以上のカロリーを摂り続ければ、当然メタボになって健康を損ねるだけです。一日2回運動で きると言っても、狭い空間で朝の30分は日向ぼっこをするくらいで、午後の15分はラジオ体操をする程度のようです。狭い空間でも腕立て伏せをするくらい はできるかもしれませんが、長い期間毎日続けるにはよっぽど強い精神力がなければ難しいでしょう。
今までに菅野弁護士にお届けした支援金で、とりあえず裁判活動に必要な費用は賄えるとしても、弁護士料は全くありませんので、このままでいいのかというこ とが気になります。私の友人の弁護士に、弁護士費用には基準があるのか訊いてみましたら、以前は日弁連(日本弁護士連合会)が決めた基準があったが、それ では自由な競争を損なうということで、現在は各弁護士事務所が、担当する事件の性格によって??円以上というように決めることになっているとのことでし た。基準がないので私には判断し難いのですが、刑事事件の弁護士料が仮に最低でも200万円~300万円かかるとすれば、市橋君の場合は6人の弁護団が担 当してくれていますので、裁判活動の実費は別にして、本来なら最低でも1,200万円~1,800万円の報酬を払わなければならないということになりま す。月に1回の頻度で5~6回の公判前整理手続が行われるとすれば、膨大な検察側の証拠書類を細心の注意を払って読んで、どう対応するか6人で相談して、 証言を集めたり調査をしたりする時間も必要でしょう。その時間は本来他の事件を担当すれば報酬が得られる筈の時間ですから、それを何ケ月にも亘って無償で するというのは、弁護士を職業として生活をしている人にとっては本当は厳しい筈です。ですから、市橋君の適正な裁判を支援するのでしたら、今の状態の市橋 君にお金を差し入れて余分なおやつを食べさせて不健康にさせるよりも、弁護団が市橋君の弁護活動に時間を使ってなるべく心置きなく取り組んでいただけるよ うに、弁護士料の方に回すべきではないでしょうか。
そうは言っても、とても1,200万円~1,800万円という報酬は払えませんので、せめて月に5万円×6人=30万円で、これを例えば裁判が結審するま で6ケ月かかるとすれば30万円×6ケ月=180万円、10ケ月かかるとすれば30万円×10ケ月=300万円をお支払いできれば、無償で弁護を引き受け て下さっている弁護団へのせめてもの感謝の気持ちを表すことになって、弁護団の励みになるのではないでしょうか。これは単なる私の推測で、弁護団に受取っ ていただけるかどうかは全く確認はしていませんが・・。
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2010年5月7日金曜日
今、菅野弁護士の事務所から帰宅したところです。テレビ朝日の記者がカメラマンと待ち構えていて、事務所に入るところと出てくるところで取材を受けまし た。今夕のニュースで放送するかもしれないとのことでしたので、至急お知らせしておきます。市橋君の近況などについては、後ほどゆっくり書きます。
少し時間の余裕が出来たので、続きを書きます。今日取材されたことは、テレビ朝日の夕方6時~7時のニュースで放送されました。先日東京農大での予備取材 もありましたので、私たちの支援活動の趣旨をちゃんと理解され、今までのメディアの報道姿勢と違って前向きに編集され放送されていたと思います。若い女性 の記者でしたが、午前中から現場に出向いて菅野弁護士の事務所前で張り込んで(菅野弁護士はメディアの申し込みがあっても取材を受けないとのことですの で)、昼食で建物から出てきた弁護士を捉まえて10分くらいの情報収集をしたようです。私が午後2時前に到着して建物に入る直前に質問をし、1時間ちょっ として建物から出てくるまで外で待っていて再び質問をし、その後大急ぎでテレビ局に戻って編集をして夕方のニュースに間に合わせるのですから、普段私たち が見ているほんの数分のニュースでも放送されるまでにはこういう記者やカメラマンの大変な努力があるということをあらためて感じました。
弁護士事務所の机の上には検察側が提出した証拠書類が積んでありましたが、3月19日に見たときよりも倍くらいの高さになっていました。4月30日に検察 側が提出した証拠書類に対して、弁護側は5月20日に弁護側の主張の書類を提出し、5月24日に第2回目(1回目は3月19日に行われた)の3者(裁判 官、検察側、弁護側)の顔合わせがあり、6月から公判前整理手続に入るのだそうです。整理手続は月に1回くらいの頻度で行われ、少なくとも5~6回は必要 で、それが済んでから2ケ月後くらいに公判が開かれる見通しとのことですので、当初の見通しよりも遅く来年になるのかもしれません。裁判員候補者として 500人が呼ばれ、その中から6人が選ばれるというのも大変な作業だなと思いました。裁判員をあまり長期間拘束できないという事情もあるのでしょうけど、 公判自体は短期間に終わるとのことでした。
今は弁護団の市橋君への接見は週に1~2回行われ、運動時間は日に2回(午前中30分、午後15分)あるそうです。身体的には問題ないようですが、精神的 にはかなりストレスを感じている様子とのことでした。市橋君は未決囚(刑が確定した既決囚ではない)扱いの独房にいますが、行徳警察署に拘留されていた時 に絶食をしていましたので、千葉刑務所に移されて病者扱いで自殺の恐れがあるという扱いになり、私物は一切独房内に置くことが許されないのだそうです。例 えば、朝洗面をする時に使った歯ブラシもすぐ取り上げられるということのようです。この状態を改善してほしいというのが希望のようです。
支援者の中には直接刑務所に差し入れをされた方がおられるようですが、衣類や手紙を含めて物はストップされて本人には届いていないそうです。お金は本人に 届いて、刑務所内の売店にある食べものなどを買って食べているそうです。弁護団の裁判活動のための支援金は、3月19日に1,250,000円をお届け し、今日251,300円お届けしましたので、合計1,501,300円お届けしました(領収書(添付ファイル))。 この他に、市橋君自身が身柄を拘束された時に所持していた30万円と、支援者から弁護士に直接送られてきた10万円を合わせて約190万円あるそうです。 裁判活動のための費用はこれで一応賄えるのかなという印象を受けましたが、弁護団の報酬は皆無のようです。菅野弁護士をはじめ弁護団の方々は弁護士が職業 ですから、長期間無報酬で活動するのは厳しいのではと想像します。従って、支援金の振込み口座は裁判が結審するまで開いておきますので、お志のある方は、 弁護団に適正な報酬を受け取っていただくために引き続きご支援をいただければ幸いです。
私がリンゼイさんのご両親宛に代理人を経由して長文のメールを差し上げたことに関連して、代理人は実はイギリスの弁護士で、検察に抗議をしてきたとのこと でした。検察から菅野弁護士にそのことを私に伝えるように依頼されたとのことでした。私がリンゼイさんのご両親に直接話しかけることに対して、代理人がど んな理由で抗議をされるのか、それなら何故私に直接抗議をしてこないのか全く理解ができませんが、いまだにご両親からは返信がいただけていないということ は、私が打ったメールは代理人のところで止まっていて、ご両親には届いていないのかもしれません。また、菅野弁護士がリンゼイさんのご両親に連絡をとりた いので連絡先を教えてほしいと検察に相談をしたら、日本からの連絡は全て検察を通してイギリスの弁護士(代理人)を経由することになっていると言われたと いうことも、全く理解できないおかしなことだと思いました。いずれにしましても、公判の時にリンゼイさんのご両親が来日する渡航旅費を支援する募金活動を 私がやるべきかどうかについては、支援者からは賛成と反対のご意見をいただきましたが、私が心配すべき問題ではないということがわかりました。
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2010年5月5日水曜日
この頃の大学の組織はしょっちゅう変わりますので、うっかりすると教員ですら現在の自分の所属している学科や講座や研究室の名前が組織図を見ないとわから なることがあります。表向きは学問の発展や社会のニーズの変化に対応して改組が必要という説明がされますが、あまりにも頻繁に学科や講座が変わるというこ とは、教育を受ける側の学生達にとっては途中でカリキュラムが変更になって迷惑なことです。文部科学省に、大学は自主的に教育研究体制を常に見直して改革 しているという姿勢を見せているようで、実は昔の何十年も続いた単純な学科構成の方が学問体系に沿っていてわかり易かったという面もあります。戦後の大学 は、戦前の反省から学問の自由を保障するために教授会の自治が最大限認められ、自由な発想に基づく研究ができるように最低限の研究費も確保されてきました が、何年か前から大学にも過度の競争制度が持ち込まれ、国から支給された研究費も学長裁量経費・学部長裁量経費として大半が途中でピンハネされ、個々の教 員に配分される時には雀の涙(私が2年前に定年退職する前は教授一人当たり年間研究費が僅か25万円という時がありました)ほどになります。能力と意欲の ある教員には、科学研究費など競争的外部資金を申請して獲得するチャンスがあると言っても、アメリカの場合(私はアメリカの大学に10年間勤務していまし た)と異なり審査制度そのものが学閥・人脈の影響を受けて公平でない(私は科学研究費の第1段階審査員と第2段階審査員を務めたことがある)という問題が あります。さらに大きな問題は、文部科学省の意向を受けて、大学全体では理事会が、学部では学部長を頂点とする役員会の権限が大幅に強化されて、従来の管 理機関であった評議員会(各学部毎に選挙で選ばれた2名の代表と学部長で構成)や教授会の自治に基づく民主主義的運営がトップダウン方式に置き換えられて しまったということです。アメリカの大学のように管理運営と教育研究とを分業させて両方とも効率的にできるような制度にしたと言っても、アメリカの大学の ように教員が管理運営者をリコールできる仕組みと抱き合わせでなければ、独裁的・独善的になる危険性があるので片手落ちです。そのために、若手教員は研究 費も人事権も上に握られて元気を奪われ、このままでは大学が本来の使命を果たせるのか、将来が心配な状況です。
市橋君の事件が起こる前から、大学本部からメディアからの取材申し込みがあった場合は必ず本部を通すようにという通達が学部教授会に伝えられて、驚いたこ とがあります。大学こそは学問の自由、思想の自由、言論の自由が最も保障されなければならない筈なのに、本部の許可なしには個々の教職員が外部に対して自 由に意見表明もできないというのは、正に大学の自殺行為だと思いました。3年前に市橋君の事件が起こった時は、大学はメディアからの取材は窓口を学部長1 本に絞って、それ以外の教職員は一切取材に応じないようにというかん口令を敷きました。メディアの取材姿勢にも問題があって、いわゆるパパラッチ的に学内 に入り込んで教育研究環境が乱されるのを防ぎたいというのは理解できます。しかし、実際に取材申し込みがあった時に、この学生は卒業して2年も経っている ので申し上げることはありませんというような姿勢では、社会に対する説明責任を果たしているとは言えません。私も市橋君が卒業してからの2年間全く交流は ありませんでしたが、警察に踏み込まれて裸足で逃げ出した市橋君がこのままでは逃げ場を失って自殺に追い込まれるのだけは防ぎたいと思って、当時取材にき たあるテレビ局の取材に応じて、私に連絡をするか自首をするように逃走中の市橋君に呼びかけました。その結果、当時の学部長に呼び出され、大学の決めた ルールに違反したので懲罰委員会にかけると脅かされ、テレビで放送されたDVDを提出するように言われました。殺人の容疑者(当時は死体遺棄容疑だけ)と 大学名が一緒に放送されるのを避けたいという大学の考えもわからないではありませんが、私にとっては単に部活(空手部で指導した学生の一人)を通しての関 係の元学生でしたが、一人の元学生の命を救いだすことの方が大学の体面を保つことよりもはるかに重要との判断から、たとえ懲罰委員会にかけられようとも断 固戦うつもりでした。大学は本来教育機関ですから、たとえ殺人の容疑者であろうと、教師が元学生に救いの手を差し伸べるのは当たり前と考えていたからで す。
市橋君が卒業論文の研究で専攻していた当時の研究室の教授は、今まで大学のルールに従って取材は拒否してきましたが、この3月で定年まで5年を残して個人 的理由で退職されたということです。市橋君と同じ時期に勉強していて大学院に残った学生諸君も、もう全員修了していなくなった筈ですから、これから学内で も彼のことはだんだん忘れられていくのでしょう。公判前整理手続がどう展開し、裁判でどういう判決がでるのか私には全くわかりませんが、どういう判決にな ろうとも元学生のこれからを見守り精神的な支援をしていきたいと思っています。
明後日は、3月19日以後に振り込まれた支援金を菅野弁護士にお届けする日です。
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2010年5月3日月曜日
4月30日に新たに1名の 方から振り込みがありました。延べ102名からの支援金合計は1,501,300円になりました。ありがとうございました。実は4月17日に支援金を現金 で直接手渡して下さった方がおられましたが、それ以後の私の帳簿の合計金額が1,000円間違っていたことに今日気がつきましたので、今回訂正しました。 皆さまから寄せられた大切な支援金ですから、収支には1円たりとも間違いがないようにし、しかるべき時期には会計監査をしてもらって皆さまにきちんと報告 致します。
支援者からメールでいろいろなメッセージが届きますが、封書で支援金受け取りの礼状を差し上げた方のお一人からは、私の字が汚いのでもっと練習をするよ うにとのおしかりをいただきました。もともと悪筆なのは自覚していますが、追記を通して、支援者がそんな注意をして下さるくらい今まで一度も会ったことも ない私との距離を近く感じて下さったのだと解釈して、思わず苦笑いしてしまいました。
この辺りは今が田植えの最盛期ですし、昨日は連休中で天気も良かったので、私の研究室を専攻してくれた元学生と久し振りに千葉県大網白里町砂田(イサゴ ダ)に水田の様子を見にでかけました。ここは千葉大学時代の私の研究室で谷津田の休耕田を借りてビオトープを造成し、農薬が生態系に及ぼす影響を何年間に も亘って(2007年10月まで)調査したところで、その後どうなっているか気になったからです。1年の中のある時期になると後背地の山から絶滅危惧種の アズマヒキガエルという褐色の巨大なガマガエルが多数下りてきて交尾・産卵をしたり、珍しいトンボやサワガニや何種類ものユスリカの幼虫や、マムシまでい る生物多様性の豊かなところでしたが、この集落の農家の高齢化(一番若い専業農家は70才)に伴って機械化ができるように小さな谷津田を崩して大きな水田 に変える造成工事が行われていました。少なくとも江戸時代から、後背地の山に降った雨が地中に浸み込み絞り水として3本の小さな滝を形成し、田越し排水で 谷津田を潤おした後は、南白亀(ナバキ)川に合流して九十九里浜の白子(シラコ)というところで太平洋に注いでいるところです。村人によると、昔(と言っ てもほんの数十年前まで)は太平洋の海底で産まれたウナギの稚魚(シラスウナギ)がこんな山の中の谷津田まで上ってきていたそうです。それが、今回の工事 で一応生物に配慮して調整池は造ってありましたが、水は下水のように土管で地下を流れるようになり、湿地も乾燥化して生物には生息し難い環境になっていま した。村人の生活がかかっているのでやむを得ないのでしょうが、本当は皆で知恵を出し合って、こういう場所はお米の生産性を高めることを目的とするよりも 自然の生物多様性を保全する場所として維持できればいいのになという気がしました。メディアや作家・評論家を含めて多くの人達は、今でも農薬によって里山 や水田周辺の生物相が貧弱になったと思い込んでいますが、実際は湿地の干拓や水路の下水路化や住宅地からの雑排水による汚染など、生物にとっての生息環境 の悪化が本当の原因で、農薬の影響は小さいということを、私たちの調査は証明しています。この話題については、いずれ私のWebサイトで詳しい記事を書こ うと思っています。
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2010年5月1日土曜日
今日はある新聞が私の自宅のある松戸の方に取材に来られたので、2時間くらい市橋君の裁判支援活動に関連して話をしました。ゆうちょ銀行から今までに送られてきた振替受払通知票の入った大量の封筒を並べて写真を撮っていきました。いずれ記事として掲載されるのではと思います。支援をして下さっている方々の思いが正しく報道されるのはいいことですので、あらかじめ掲載日がわかれば、皆さまにもお知らせします。
肝心の市橋君の裁判支援活動以外にも、活動を通して経験した裁判制度のいくつかの問題点についても話が進みました。今回はたまたま元教師の私が元学生の市橋君のために裁判活動を支援する募金活動を始めましたが、そういう身近な支援者がいない被疑者・被告人で経済的能力がない場合の弁護士費用や弁護士の裁判活動費用はどうするのかという問題。私が知らないだけかもしれませんが、誰かが発案して募金活動をしてでも弁護士会の中にそういう場合のために基金を設立する必要はないのだろうかという疑問。もうひとつ気が付いたのは、検察側が提出する証拠書類を弁護側がコピーを取るのに、秘密漏洩を防ぐという理由で、特定の組織(天下り先?)でしかコピーが取れず、しかも1枚40円もするというのは、常識的にあまりにも高額過ぎるので、現在国が行っている事業仕分けのまな板に載せてみる必要があるのではないかという問題。千葉県だけの問題ではなく、全国の全ての裁判で同じことが行われているとすれば、毎年何億円か何十億円かを超す莫大な無駄が生じている筈です。影響力の大きい新聞ですので、いずれ課題として取り上げてくれれば、一つの問題提起の役割を果たすことになるかもしれません。多くの支援者にとっては、とりあえずは市橋君の裁判支援をすることが第一義かもしれませんが、その活動を通して見えてきた社会の問題点を是正することも有意義なことかなと感じました。
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2010年4月30日金曜日
昨 日の横浜駅伝では、私のチームの第1走者が欠席しましたので、急遽私がアンカーの7区からエントリーを変更し、1区の10km区間を走りました。500 チームくらい参加した中で、多分私が一番ビリに近かったと思いますが、無理をせず必死に走って私の腕時計のストップウォッチでは59min36secでし た。1km平均6分ですが、私の今の実力ではこれで精一杯でした。朝のうちは小雨が降って、昼ごろからは日が照って気温が上がり、脱水症状で救急車で運ば れる人もいましたが、鶴見川沿いの河川敷で皆で楽しいひと時を過ごしました。額が日に焼けて、帰宅してシャワーを浴びる時は少しヒリヒリしました。この駅 伝大会に向けてのトレーニングとして1ケ月で約300km走り込みましたので、メタボ気味だったのがお陰ですこぶる体調がよくなりました。千葉大学走友会 チームには、医学部教員だった(現在は他大学医学部に転勤)外科医もいて仲間として一緒に走りますが、無茶をしなければランニングは健康維持に非常に役立 つという点で意見が一致しています。今の私の目標は、80才になってもフルマラソンが走れるだけの体力を維持したいということです。
4月28日に2名(1名は2回目)の振り込みがありましたので、延べ101名の支援者からの支援金合計は1,480,300円になりました。弁護団を応 援しますというメッセージと、いろいろな考え方や価値観がありますが私は市橋さんに対するこの行動を間違っていないと確信しています、というメッセージが 添えられていました。ありがとうございました。
今日は農大の研究室に午後からあるテレビ局の方が取材に来られました。私が募金活動を始めた理由や、個人情報が出ない範囲で支援者からどのようなメッ セージが届いているかなどについて説明しました。支援者のほとんどが、以前東京スポーツ新聞に書かれたようなことと違って、市橋君を精神的に励まし、真剣 に更生のチャンスが与えられることを望んでいるという実態を認識されたのでは、と感じました。弁護団への取材も予定している様子でしたので、いずれ放送さ れるのではと思います。あらかじめ放送の日程がわかれば、皆さまにもお知らせします。
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2010年4月28日水曜日
昨日、札幌勤務の農薬会社の人が何人か北海道での私の講義を傍聴に来ていましたが、その内 の一人は私がよく覚えている千葉大学園芸学部の卒業生でした。手渡された名刺をよく見たら、札幌営業所の所長と書いてありました。ついこの間私の講義を受 講していた学生だったと思っていたのが、いつの間にか年月が経って彼も会社での活躍が評価されて所長になっていたとは、嬉しかったと同時にあらためて時間 の流れを感じさせられました。
3月末から昨日までに293km走り込みましたので、明日の駅伝は準備万端です。今日はこの辺りは雨でしたし、足を少し休ませるために走るのは止めて、 サンドバックを蹴ったり巻きわらを叩いたり空手の稽古をして心肺機能だけは落ちないようにしました。7.195kmを30分で走れれば最高ですがとても無 理なので、今の体調では35分で走れれば上出来、40分でもよしというところが明日の私の目標です。
今日、菅野弁護士から連絡があり、集まっている残りの支援金を5月7日の午後にお届けに伺うことになりました。メディアの方々もこのWebサイトをチェックされているらしく、私たちの支援活動についていくつか取材の申し込みが来ています。
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2010年4月27日火曜日
今夕北海道から帰宅しました。北海道新聞の道新ホール(700名収容可)という大きな施 設で行われたUHB大学での「農薬の安全性を考える」という私の講義は、受講生が熱心に耳を傾けてくれて無事終了しました。受講生は年輩の方(平均年齢 70才くらい)が多かったので、私が体験した終戦直後の食料難や衛生状態の悪かった当時の生活環境の話には、多くの方がうなずいてくれました。北海道文化 放送のUHB大学というのは、「高齢者の教養と情緒を高め、学生が相互の親睦と人生の生き甲斐をもち、その豊かな体験を社会還元し第二の人生を充実させ、 誇り高く生きることを趣旨」として、1988年に開設されて以来23年目を迎えるとのことでした。入学した学生は4年間に亘って、毎週火曜日の午前中は一 般教養講座を受講し、午後からは音楽や、絵画や、囲碁や、各自が選んだ文化活動に参加をするという制度になっていました。一般教養講座の話題も、政治から 芸術からスポーツから旅行から・・・今回のように農薬問題まで、広い範囲をカバーしているとのことでした。社会での仕事が終わって定年退職した方々や専業 主婦の方々が家に閉じこもって社会から隔離されるのではなく、こうした活動に積極的に参加して仲間とも交流しながら第二の人生を生き生きと生きられるとい うのは、正に高齢化社会のニーズに合った取り組みだなと感じました。最近はインターネットが普及してネット社会になりましたので、むしろ若い世代でネット の世界にはまって隔離生活をしている人達はいないのかなと想像しました。
昨日は札幌市内のホテルに到着後夕食前に約1時間市内をジョギングし、今朝は6時に起きて朝食前に約1時間半豊平(トヨヒラ)川沿いにジョギングしまし た。周りの山々にはまだ残雪があり、市内の気温も東京と比べると驚くほど低く、ジョギングしながら手がかじかみました。豊平川というのは、地図で調べてみ たら石狩川に流入していました。川は自然のままのところと、段差が設置された場所がありましたが、段差のあるところは鮭が溯上できるように深みが造ってあ りました。いつも地方都市に行くと感じるのですが、県庁所在地の目抜き通りでもシャッターが下りているシャッター街が目立ち、地方は寂れているなあという 印象を受けます。札幌は地方ではないのかもしれませんが、さすが道路にも人が溢れていて、活気がありました。それでもタクシーの運転手さんに言わせると、 いい時に比べるとずい分不景気が感じられるとのことでした。
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2010年4月25日日曜日
4月22日に1名(3回目)の振り込みがありましたので、延べ99名の支援者からの支援金合計は1,462,300円になりました。何人かの方々はこれま でにご家族の写真も送って下さり、継続的に市橋君の更生を見守り支援して下さるご決意の様子、ありがとうございます。市橋君のご両親がお知りになったら、 どんなにか感謝されることと思います。菅野弁護士からはまだいつ残りの支援金を届けに伺ったらよいかのご連絡はいただいていません。リンゼイさんのご両親 からの返信もまだ届いていません。
先週、走友会の練習会が松戸であった時に、生協職員で長年食堂に勤務して学生諸君に母親のような存在として慕われている女性メンバーに話をしましたら、学 生時代の市橋君はカジュアルな服装の他の学生たちと違って、いつも礼儀正しくきちんとした服装で汗を一杯かきながら食堂に昼ご飯を食べに来ていて、"おば ちゃん"と声をかけてくれたのでよく話をしていたのよ、と言っていました。確か、市川の自宅から松戸までかなりの距離を自転車で通学していた筈なので、夏 などは汗を一杯かいたのでしょう。
私は明日の朝出発して北海道ですが、講演の準備がまだ済んでいません。いつものことですが、出発の直前までスライド作りや原稿の見直しに追われています。明後日の夜には帰ってくる予定です。北海道では、また新しい多くの方々との出会いが楽しみです。
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2010年4月23日金曜日
4月21日に1名(2回目)の振り込みがありましたので、延べ98名の支援者からの支援金合計は1,459,300円になりました。ご自身も教育に携わっ ておられる方ですので、私が元学生のために支援活動をすることに共鳴するとのメッセージをいただきました。ありがとうございました。
今日は終日、東京農業大学のグリーンアカデミーというところで「農薬生物活性研究会シンポジウム」があり、私も聴講しました。新規に発明・開発された殺菌 剤、殺虫剤、植物成長調節剤に関する6題の講演があり、いずれも大変興味深く、それぞれの分野の科学の進歩に目を見張りました。植物成長調節剤というの は、種なしブドウを作るのに用いられるジベレリンと呼ばれる植物ホルモンや、果菜類の着果を促進したり挿し木をする時に発根を促進したりする物質のことで すが、こういうものも実は農薬の一部で、きちんと薬効と安全性が確認されて農薬として登録されています。花咲じじいの昔話では、灰を撒くと枯れ木に花が咲 いたとなっていますが、今日の講演の中で紹介されたある植物成長調節剤は、正に休眠状態の植物の目を覚まして桜の花を一斉に開花させるという活性を持って いました。
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2010年4月22日木曜日
4 月20日に2名(2回目と3回目)の振り込みがありましたので、延べ97名の支援者からの支援金合計は1,458,300円になりました。メッセージも含 めてありがとうございました。支援者、非支援者からのメールや封書でのお便りもいただいていますが、このところまた本務の研究活動に追われるようになって 返信が遅れ気味です。お許し下さい。
4月18日の追記で言及した非支援者が送って下さった、リンゼイさんのご家族が出演している2つのテレビ局のDVDが届きました。ありがとうございまし た。今日、何回も見てみました。2007年3月に放送されたのは事件発覚から3ケ月後、2008年10月に放送されたのは事件発覚から1年半後くらいで、 いずれも市橋君の身柄が拘束されるよりずっと前ですから、情報提供を求めるために制作・放送した番組だったのでしょう。娘を殺された親の感情としては、当 時逃走中の犯人を「悪魔」とか「殺人鬼」と呼ぶのは理解できます。しかしこの2つの番組では、アジア人や日本人を蔑視するような人種差別的表現はどこにも 見当たりませんでした。私にはむしろ、娘の無念を晴らすために、必死に犯人逮捕の情報提供を訴える親の姿は、国籍に関わりなく共感できる尊い姿に思えまし た。放送の時点で来日するのはすでに5回目と言っていましたし、番組の構成からしてテレビ局が旅費の支援をしたのではという印象でした。
昨日は初夏のような高温下で14km、今日は冬のような冷雨の中を6km走りました。横浜駅伝に向けたトレーニングを始めてこれまで23日間に走った距 離は250kmになりました。まだ残り6日間ありますので、何とか300km走り込みの目標は実現できそうです。気のせいか、心肺機能が向上し、体重も少 し軽くなったような気がします。
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2010年4月19日月曜日
今日は研究室にDVDは届きませんでした。その代わり、支援者のお一人から封書でのお手紙が届いていました。このように支援者の皆様からいただく封書やメールでのお便りは心温まるものが多く、私にとっては大きな励みになります。お名前も内容も個人情報ですから公表はできませんが、他人のことに無関心で一見冷たいような現在の日本の社会で、実際にはいかに多くの方々が間違いを犯した一人の青年に更生の道を残してやりたいという優しい心を持っておられるかよくわかります。
以前、大阪在住のある支援者から、私が出演・講演予定の農薬ゼミに顔を出してみたいとのお便りをいただきました。支援者は全国に亘っていますので、私が支援者に直接お目にかかれる一つの機会になるかもしれません。今わかっている私の出演・講演予定は以下の通りです。4月27日札幌;5月11日広島;5月18日熊本;6月3日徳島;6月4日大阪;7月8日金沢。主催者はそれぞれ異なりますが、これらは全て一般消費者対象で参加は無料です。ご連絡いただければ会場や時間などの情報を差し上げられます。ただし、4月27日の札幌での講演だけは、北海道文化放送・UHB大学の一般教養講座で500名の受講生が予定されているようですが、年齢制限(高齢者=55歳以上)があるようです。
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2010年4月18日日曜日
4 月14日に1名(2回目)と4月17日に1名からの支援金が届きましたので、延べ95名の支援者からの支援金総額は1,438,300円になりました。あ りがとうございました。前回の後の支援金を菅野弁護士にお届けする日程はまだ決まっていません。リンゼイさんのご両親からの返信もまだ届いていません。
ある支援者が、リンゼイさんのご家族が事件後に直面した苦しい経験を伝えたThe Japan Timesの英文の記事「Hawkers reveal strain of murder hunt on TV」(2010年4月11日)があると知らせて下さいました。ありがとうございました。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20100411a6.html
London(Kyodo)発となっていますが、リンゼイさんのお父様が、市橋君の身柄が 拘束される前に、日本訪問中に"やくざ"を訪ねて娘の殺人犯を見つけてくれと依頼したという記述もありました。外国人が短期間の日本訪問中にどうやって" やくざ"と接触できたのだろうという素朴な疑問や、共同通信の記者がそれをどうやって知ったのだろうという疑問も湧きました。ご両親だけでなく、リンゼイ さんの二人の姉妹にとっても耐えがたいストレス(多分日本のメディアからの取材責めで?)がかかったことが紹介されていました。
非支援者の方から、リンゼイさんのお父様がテレビに出演した時の録画があるとの情報提供をいただきました。
2007年6月30日テレビ朝日系列放送「特捜!特命発信 TVのチカラ・世界2大捜査官が緊急来日・今夜決死の最終回スペシャル」と
2008年10月1日TBS系列放送「もう逃げ切れないぞ テレビ公開大捜査SP あの未解決事件を追え」です。
「犯人は殺人鬼だ」「悪魔だ」という発言はあるそうですが、「黄色い悪魔」「白人が日本人に殺されるなんて」という表現は、恐らくネット上のデマだと思い ますとのことでした。DVDをすでに発送して下さったとのことですので、明日には私の研究室に届くでしょうから、どういう発言をしているか自分の目で確認 してみたいと思います。ありがとうございました。
昨日は、千葉大学走友会のメンバーが松戸に来て、江戸川の土手を往復18km走る練習会をしました。練習会はいつもそうですが、最初はレースじゃないか ら無理をしないで楽しく走ろうと言っていながら、いつの間にか皆必死に走って競争になって、心中密かに勝ったとか負けたとかいう気分になるのはランナーの 本能でしょうか。私は残念ながらもうそういう競争にはついていけませんので、一人遅れてマイペースで走ります。それでも横浜駅伝に向けて、今日までの19 日間で210km走りました。4月29日までまだ残り10日くらいありますので、目標とした300kmの走り込みは何とか達成できそうです。
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2010年4月15日木曜日
4月12日にお一人からの振り込み(2回目)がありましたので、延べ93名の支援者からの支援金の合計は1,404,300円になりました。厳しい経済事情の中から、お好きな音楽のCD購入を延期しての振り込みありがとうございました。
昨日、あるテレビ局の支局員から教えていただいたリンゼイさんのご両親への連絡先の代理人経由で、ご両親宛の長文のメールを送信しました。無事ご本人の手元に届いて、返事がいただければよいなと期待しています。それによって、ご両親がどういうお考えなのかある程度は判断できるのではと思っています。
私はリンゼイさんのお父様がテレビに出て、「市橋に極刑を求める」と訴えたのは見ましたが、支援者の何人かから、それ以上にアジア人に対する人種差別ととれる醜い発言もしていたというメッセージもいただきました。誰かがネット上で根拠もなしに書きこんだことがいつの間にか流言飛語になるということもあるでしょうから、どなたかそういう発言をしている場面を録画したDVDなりビデオなりをお持ちでしたらお貸しいただけませんでしょうか。録画していなくても、どこのテレビ局で何月何日の何時頃の番組で放送していたということがわかれば、DVDを入手できるかもしれません。日本滞在中に無念な最期を遂げられたリンゼイさんご自身と、ご両親のお考えとは別のことでしょうが、被害者遺族の加害者に対する感情を理解する上では重要かもしれません。
先日、ギョーザ事件について、中国側が犯人を拘束したという発表がありました。正社員にしてもらえなかった従業員が待遇に不満を抱いてギョーザが保管されている冷凍保管庫に忍び込んで、注射器でメタミドホスをギョーザに注入したという説明でした。冷凍状態のギョーザにどうやって注入できるのか不思議に思いましたので、早速、研究室から注射器を持ち帰って、我が家の家庭用冷蔵庫の冷凍室に保管してある冷凍状態のギョーザに袋の外から針を刺してみましたが、凍っているので刺さりません。無理をすると袋が破れただけでなく、針も曲がってしまいました。ギョーザを袋から出して、針が曲がらないように指で挟んでゆっくり刺すと一応刺すことはできましたが、今度は水を0.5m?くらい注入しようとすると、皮も具も凍っているので全く注入できず、無理をすると圧力で注射筒が針から抜けて飛び出してしまいました。つまり、日本の警察の分析で具と皮から1万9千ppmとか3万1千ppmとかいう高濃度のメタミドホスが検出されたという事実を、全く説明できないということです。犯人として拘束された元従業員が無実の罪を着せられて、生けにえとして厳しい処罰を受けるようなことがなければいいのですが・・・。
本サイトに市橋君の適正裁判を支援するための緊急支援要請の記事をアップロードしたのは2月20日ですから、もうすぐ2ケ月になります。皆さまのお陰で予想以上の支援金が寄せられました。支援活動は裁判が結審するまで続けるつもりですが、本来は農薬に関する情報を月に1~2回の間隔で発信する目的で立ち上げたWebサイトですので、近いうちにそちらの方も再開しようと考えています。その場合も、記事#14の追記は続けて、いつでもクリックすれば見られるように最新記事の下に見出しを置いておくつもりです。
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2010年4月13日火曜日
今日は私の研究室の博士研究員と一緒に茨城県常総市にある(財)残留農薬研究所を訪ね、実験動物(ラット)の精子数の測定方法の研修を受けてきました。農薬 を登録申請する時に要求される安全性に関する試験の一つに繁殖毒性試験というのがあって、実験動物に2世代に亘って毎日農薬を投与し続け、繁殖に影響がな いかどうかを3世代目まで検査します。親動物だけでなく、胎児や乳児も含めて、産子数、性比、形態、発育速度、行動など繁殖に関わるあらゆる項目について 異常がないか観察しますが、雄の精子数も対照の無処理雄に比べて変化がないか調べられます。本Webサイトの過去記事#1と#13で、毒物相当の殺虫剤ア バメクチンが混入されていた「ニームオイル」問題について紹介しましたが、殺虫剤が混入されていなくても、ニーム油には多くの有用な効果の他に、途上国で は伝統的に男の避妊薬として使われてきたという実績がありますし、実験動物に投与すると雄の精子数が減少することを報告した科学論文もあります。我国でも 多くのニーム油製剤が農薬代替資材として輸入・販売されていますが、それらの中には未精製のニーム油と有効成分が精製されたニーム油があるようですので、 私たちの研究テーマの一つとしてニーム油の安全性評価の一環として、ラットに投与して精子数への影響を調査する準備を進めているところです。
前回の追記(2010年4月11日)で言及したNHKテレビのクローズアップ現代の「犯罪"加害者"家族たちの告白」という番組については、支援者の中に もご覧になった方がおられて、被害者の場合も加害者の場合も、それぞれの家族の苦しみを見ると涙が流れますというメッセージをいただきました。市橋君の適 正な裁判を支援する活動を批判する方々には、是非見ていただきたかった番組でした。
リ ンゼイさんのご遺族の渡航旅費を支援する募金活動を私がするべきかどうかについては、いろいろな方からご意見が届いていますが、決めるまでには時間がかか りそうです。お父様がテレビに出演して、怖い顔をして「市橋に極刑を求める」と訴えたことが、多くの日本人に逆効果をもたらしたような気がします。若い時 に読んだ「歎異抄」の影響かどうかはわかりませんが、私には、被害者と加害者を対立的にみるのではなく、両方とも救われるべきという気がしています。
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2010年4月11日日曜日
支援金については、菅野弁護士に前回お届けした後に振り込まれた分をお届けする日程調整をお願いしました。
先週4月7日のNHKテレビのクローズアップ現代で、「犯罪"加害者"家族たちの告白」という番組を放送していたのを見ました。加害者の家族が、周囲の心 無い人々によってどれだけ悲惨な目に遭っているか、子供までもが学校にいられなくなったり、場合によっては何回も転居をやむなくされ、家族が自殺に追い込 まれることすらある、という残酷な現実が紹介されていました。DVDを入手して繰り返し見てみましたが、社会の冷たい仕打ちに胸が痛みました。
リンゼイさんのご遺族(ご両親)との連絡方法(電話・メール)をあるテレビ局の支局員から教えていただきましたので、近いうちに一度連絡をとってみようと 思っています。その上で、裁判を傍聴するために来日する渡航旅費を支援する募金活動をするかどうか再度考えてみたいと思っています。
横浜駅伝に向けてのトレーニングは順調で、12日間で138km走り込みました。若い時に比べると、走った後の回復に時間がかかりますが、これから少しずつスピードも意識し、馬力をつけるために上り坂・下り坂のジョギングも採り入れるつもりです。
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2010年4月6日火曜日
4月3日に振り込まれた2名(1名は2回目)の方の振替受払通知票が届きました。延べ92名の支援者からの支援金は、1,403,300円になりました。 私や弁護団の活動を支持するという温かいメッセージや、事件を感情的にではなく科学的に見ていきたいというメッセージが添えられていました。ありがとうご ざいました。
支援者からのメールでのメッセージもたくさん届いています。私が前回の追記で言及した市橋君が学生時代に勉強していた研究棟の横の桜の樹の写真や、岐阜県 の彼の郷里の写真を貼付してほしいという要望がありましたので、2枚の写真を前回の追記に追加しました。私がジョギングしている江戸川の堤防(江戸川を渡 る常磐新線の橋と武蔵野線の橋の間の辺り)の菜の花と、千葉大学園芸学部の桜の樹です。市橋君が卒業論文で専攻した研究室は、桜の樹の左側の建物の2階に ありましたので、彼も在学中のこの時期には満開の桜を見ていた筈です。郷里の写真は、貼付しないことにしました。もう、一時期のようにメディア関係者が取 材のために何日間も実家の周囲を取り囲むというようなことはないのでしょうけど、どんな迷惑がかかるかもしれないというリスクは避けたいと思います。
昨日の朝7時半頃The Timesの東京支局から電話があり、支局長が先週海外出張から帰国して体調を崩したので私への取材を延期したいとのことでした。従って、昨日の取材はありませんでした。
リンゼイさんのご両親が再来日される場合の旅費についてはまだ調べていますが、検察側が証人として必要ということで裁判所に申請して認められれば、裁判所 が一定の基準で日当を含めて支払い、被告人の有罪が確定すれば被告人に返還を命ずるというルールのようです。しかし、被告人に経済的能力がない場合(例え ばホームレスの人が関わる事件のように)は、裁判所が負担することになるようです。リンゼイさんのご両親が検察側証人としてでなく、公判を傍聴するために 来日する場合は、自己負担となるようです。特定のメディアが取材目的で旅費を提供する場合もあり得るのでしょうが、現在はどうなるか未定と思われます。親 の立場としては、娘が日本滞在中に命を落とした事件ですから、何としても来日して真相を知りたいというのは当然の気持だと思います。そういう意味では、新 たな募金活動をして旅費の支援をして差し上げられればという気がしています。ご両親は市橋君の裁判の敵ではありませんし、むしろ市橋君にとってもご両親に 直接謝罪する機会が与えられれば、その後の更生にとって心の安寧につながるのではという気もしています。この件については、もう少し考えてみたいと思って います。
昨日はイギリスの新聞からの取材がキャンセルになったし、終日雨も降っていたのでジョギングは中止して、一日中「植物防疫」という雑誌から依頼されている 原稿書きをしました。7月号に掲載予定の「農薬疑義資材の見分け方」という題の原稿ですが、集中できたのでペンがよく進んで半分くらい済みました。その 分、今日は江戸川の堤防を16km走ってきましたので、計画通りこれまでの7日間の走行距離は70kmになりました。
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4月1日の振り込み分までで、延べ90名からの支援金は1,368,300円になりました。まだ、「今日振り込んだ」という方も「これからも振り込む」という方もおられますので、さらに増える予定です。先月末の学会で、本サイトに記事#14として支援要請文をアップロードした直後の2月23日にカタカナ名で最初に支援金を振り込んで下さった方が偶然わかりました。この方を含めて何人かの方々からは、市橋君には全く面識がないけど、私が社会の一部から非難の矢面に立たされることを厭わずに元学生のために支援活動をしているので、それを支援するというメッセージをいただきました。ありがとうございました。
これまでに皆さまからいただいた支援金の額も予想以上でしたが、支援者の人数も予想を超え、嬉しい限りです。間違いを犯した一人の青年を自業自得と突き放すのではなく、更生の機会を与えたいという温かいお気持ちが伝わってきます。特に、市橋君が苦しい逃亡生活中も悪の道に陥らずに真面目に働いていたということから、本当の彼はメディアが描いたイメージとは違うのではないかと直観的に感じたことが、多くの方々の支援の動機になっていると感じています。
リンゼイさんのご両親の裁判時の渡航旅費を支援する募金活動をすべきかどうかについては、何人かの支援者からご意見が届きました。私によく連絡をくれる新聞記者その他を通して、もう少し情報を収集した上で判断したいと思います。
昨日は農大の回りを4kmくらいしか走れなかったので、今日は江戸川の堤防をゆっくり18kmジョギングしてきました。河川敷のグランドではちびっこサッカーチームが走り回っていたり、少年野球チームが練習をしていました。家族連れで散歩をしている人もたくさんいました。場所によっては土手一面の菜の花の黄色が鮮やかでした。市橋君が勉強していた研究棟の横の桜も満開でしたので、写真を撮ってきました。午後からは、千葉大学時代の同僚教授で長年腎臓透析をしながら、定年退職後脳梗塞で倒れて長期間リハビリセンターに入院している友人をお見舞いに行ってきました。彼にも今日撮ってきた菜の花や桜の花の写真を見せて、外は春だよと知らせたいと思ったら、奥様がすでに車椅子を押して病院の庭の桜を見に散歩に連れて行ったと言っていました。普段は忘れていますが、人間は、健康で季節の変化を感じられるのは恵まれた幸せなことだと思いました。
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2010年4月1日木曜日
私の年齢(67才)のせいでしょうか、あっという間に4月になったような気がします。3月30日の振り込みがありましたので、延べ86名からの支援金は1,328,800円になりました。ありがとうございました。
支援金振り込みの礼状をまだ差し上げていなかった方々に、今日はメールか郵便で礼状を差し上げました。匿名希望、連絡先不記載、連絡不要と書かれた方を除 いて、これで全員に私からの支援金受取り確認が届く筈です。住所もメールアドレスも不記載で、電話番号だけ書かれた方には、ご迷惑な場合もあるかと判断し て電話での返信はしませんでした。
まだ、メールでお便りをいただいた支援者で私からの返信が遅れている方が2、3おられますが、逐次対応しますのでお許し下さい。
今日も江戸川の堤防を10kmジョギングしてきました。強風が吹いていましたが、それも練習のうちと前向きに受け止めて気合いを入れて走ってきました。 29日の横浜駅伝大会までには、300kmくらい走り込むのが目標です。千葉大学園芸学部は戸定(とじょう)が丘と呼ばれる小高い丘の上にあり、古い貫禄 のある桜の樹が何本もあります。品種によってすでに咲き終わったものと、今から満開を迎えるものがあります。市橋君が学生時代に勉強をしていた研究棟の横 にも彼がいつも見ていた筈の大きな樹が1本ありますので、満開になったら写真を撮って、1月末に岐阜県の彼の郷里で撮ってきた写真と一緒に市橋君に見せて もらえないか、菅野弁護士にお願いしてみるつもりです。
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2010年3月31日水曜日
今月も最後になりました。支援金の新たな振り込みはありませんでした。当初目標とした100万円は達成できましたので、一段落かもしれません。4月に入っ て公判前整理手続が始まれば、時々は菅野弁護士に連絡をとって許される範囲で状況をお聞きし、皆さまにお伝えしたいと思っています。
裁判が近くなれば、イギリスからリンゼイさんのご両親が再来日して弁護団に会いたいという時がくるかもしれませんが、その時は私(アメリカの大学に10年 勤務していましたので)が通訳をして、橋渡しをしてもよいと考えています。実は私の息子は大学の時と大学院の時の2回イギリスに留学し、イギリスの方々に は大変お世話になっています。余計な心配かもしれませんが、イギリスは遠いのでリンゼイさんのご両親の往復の旅費は大変な筈なのにどう工面されるのだろう と気になっています。市橋君の適正な裁判を支援するための募金活動をしている私が、もう一方でリンゼイさんのご両親の渡航旅費を支援するための募金活動を するのは矛盾する不遜な行為だろうか、と迷っています。
ちょうどそんな時、今日イギリスの新聞The Times(上流の日刊紙で、発行部数60万部でイギリスでは第2位の新聞だそうです)の東京支局から電話があり、4月5日にイギリス人の支局長が私たち の支援活動について取材に来られるということになりました。私たちが何故市橋君の裁判の支援活動をしているのか、私たちは市橋君の更生を願っているだけで なく、亡くなったリンゼイさんの日本での夢が無残に潰えたことにも大変申し訳ないという気持ちを持っていることや、リンゼイさんのご両親の苦しみに対して も深く同情していることなど、イギリス国民に伝えてもらえるかもしれません。
千葉大学走友会は毎年4月29日の緑の日に鶴見川沿いで開催される横浜駅伝大会に
参 加してきました。今年も4チームが参加しますので、私もアンカーの7.195Km区間を走ることになりました。このところ運動不足で10kgも体重オー バーなので、今日は江戸川の堤防を10kmジョギングしてきました。これから毎日走って、前の走者が必死に走って運んできて受け渡してくれるタスキを1分 でも1秒でも早くゴールに運べるようトレーニングをするつもりです。
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2010年3月29日月曜日
3月27日に四国からの振り込みがありましたので、支援者は延べ85名になり、支援金総額は1,318,000円になりました。本当に日本全国からのご支援、ありがとうございます。
昨日で学会が終わったので、今朝はやっと遅れている皆さまへの連絡や、論文の原稿書きや、今年の野外調査の準備などができると思って意気揚々と農大の研究 室に出かけましたら、ギョーザ問題の取材に追われる一日になってしまいました。関西テレビと読売テレビ大阪は私への電話取材を今日の番組で放送すると言っ ていました。テレビ朝日は午後から撮影スタッフと一緒に来て、冷凍ギョーザを私の手に持たせて取材していきましたが、今夜9:54-11:10の報道ス テーションで放送すると言っていました。昨日取材を受けたフジテレビは、昨日の夜10:00-11:15のジャーナるという番組で放送されたようですが、 私はまだ学会から帰宅前でしたので見ることはできませんでした。今夜の報道ステーションは私も見ることができますので、自分の発言がどのように編集されて 放送されるか確認できます。先日の東京スポーツ新聞の場合のように、意図しない記事になることもありますし、メディアからの取材は掲載・放送されるまでど ういう内容になるかわからない分だけ不安もあります。
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2010年3月27日土曜日
3月24日までに振り込まれた方は延べ84名で、支援金総額は1,315,000円になりました。ありがとうございました。
昨夜は学会が終わって夜12時半頃帰宅したら、読売新聞記者から電話があり、今朝7時頃訪ねて来られ、ギョーザの毒物混入事件で犯人が捕まったという中 国側発表についての取材がありました。記者というのは、事件の進展があれば時間に関係なく動かざるを得ない大変な職業だなと感じました。中国側の発表内容 はまだ全ての事実を語っていないという私の見解が、夕刊の記事に引用されていました。明日はフジテレビが学会が開催されている大学に来られるとのことです ので、昼休みに取材を受けることにしました。ギョーザ問題については、つい先週も千葉県警察本部科学捜査研究所の分析担当者が訪ねて来られたので、何か急 に慌ただしくなってきました。本サイトの過去記事#4に書きましたように、真相を解明することこそが、真の日中友好関係確立に重要だと思っています。
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2010年3月25日木曜日
一昨日は千葉大の卒業式で、午後から松戸キャンパスで開催された園芸学部の卒業生・修了生を送る会には名誉教授も招待されるので、私も出席しました。私の 講義を2年生の時に受講した学年ですが、園芸学部の歴史101年目に巣立つ節目にあたります。皆、まぶしいくらい将来への夢に溢れているように見えまし た。出席した名誉教授の最年長は、植物病理学が専門で学部長もおやりになった飯田 格先生で、90才とは思えないかくしゃくとした姿勢で含蓄に富んだ祝辞 の挨拶を述べられました。飯田先生は、太平洋戦争真っ最中の昭和18年(1943年)に京都大学を卒業されたそうですが、学徒動員され各研究室からも祝出 陣と書かれた白いたすきを肩からかけた学生たちが戦場に送りだされていったお話をされました。その中の何人かは戦死して二度と日本の土を踏むことはなかっ たのですが、最近再び日本が戦争に巻き込まれかねない雰囲気が感じられ、心配だとのことでした。悲惨を極めた戦争の体験が、今大学を巣立つ若者たちに引き 継がれていないことは残念なことです。
昨日は、午前中は「週刊文春」の記者が農大の研究室に来られ、2時間くらい農薬の安全性や、有機農業推進の問題点や、農水省の政策のねじれ問題などについ て私の意見を取材していきました。デスクの承認が得られれば、記事として掲載されるかもしれません。午後には古い卒業生が二人訪ねてきてくれ、ハートフル 農大通りの途中の居酒屋で一杯やって楽しいひと時を過ごしました。一人は明治大学卒業生ですが、アメリカから帰国して着任後間もなくの私の千葉大学の研究 室で研究生として一緒に何年間か研究に従事し、博士号を取得しました。当時、農業分野に導入されて大きな期待を担っていた合成ピレスロイド殺虫剤に対する 抵抗性の発達を日本で初めて発見し、そのメカニズムを解明するという先端の研究をやってくれました。社団法人の部次長として活躍してきた彼も3月に60才 になり、この6月には定年を迎えるとのことで、時の流れの早さに驚かされました。もう一人は、東邦大学卒業生で、私の研究室で修士課程の研究をしました が、現在は、農薬会社の研究所で中堅として活躍中です。蝶の採集や、クワガタムシの飼育や、ミヤコタナゴという魚の繁殖など、今でも趣味に熱中している様 子で、3人の子供の父親であるにもかかわらず、少年の雰囲気を維持していました。大学教師の楽しみは、指導した元学生たちが卒業してそれぞれの道を歩んで 幸せになってくれることです。本当は市橋君も、そういう元学生の一人になる筈だったのですが・・。
3月23日までにさらに9名(1名は2回目)の方が支援金を振り込んで下さったので、延べ83名からの支援金の合計は1,310,000円になりました。ありがとうございました。3月29日になれば、私も少し時間的なゆとりができる筈です。
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2010年3月21日日曜日
前回の追記(2010年3月19日) について、微妙な表現が含まれていましたので、何人かの支援者からご意見とご指摘をいただきました。ありがとうございました。また、適正な裁判を支援する 会の趣旨にはそぐわないメッセージが書かれた払込取扱票も届きました。私たちの活動が広がるに伴って、弁護士や私個人への嫌がらせもエスカレートしてきて います。弁護士への嫌がらせなど、民主主義に反する卑劣な行為です。
書きたいことはたくさんあるのですが、26日 から始まる学会での講演の準備や、研究者仲間で長年の友人でもあった故河野義明筑波大学教授の追悼記念シンポジウムの準備などで追われていて、今はゆっく り机に向かう時間がありません。支援金を振り込んで下さった方への礼状や、お便りを下さった方への返信も大幅に遅れて失礼をしています。時間のゆとりがで きたら対応致しますので、ご容赦下さい。
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3月16日までに支援金を振り込んで下さった方は延べ74名で、合計1,216,000円になりました。今朝郵便局に行って調べたら、さらに増えて1,250,000円になっていましたので、全額を引き出して無事菅野弁護士にお届けしました。支援者の皆さま、ありがとうございました。
所属する事務所の都合で弁護団から抜けた一人の弁護士の代わりに、新たに若い女性の石田優紀弁護士が弁護団に加わり、同席されました。昨日菅野弁護士と一緒に市橋君に接見してこられたそうです。
皆さまからいただいたメッセージの一覧表については、あらかじめ昨日メールに添付して菅野弁護士に送信しておきましたが、残念ながら今すぐ差し入れて市橋 君に見せることはできないそうです。いずれ時期を見て内容を伝えることは可能なようです。私が本サイトに書いた記事や、募金活動をしていることなどはすで に市橋君に伝えてあるそうです。差し入れについてどういうルールになっているのか私の友人の弁護士に確認してみましたら、接見禁止の期間に差し入れが認め られるのは限られたものだけで、外部との手紙のやり取りなどは罪証隠滅の可能性があるので駄目なようです。食事なども、毒殺の可能性を防ぐために、特別の 指定された弁当屋さんのものだけというような制限があるのだそうです。
逮捕の基になった起訴状を見せてもらいましたが、平成21年12月2日のものの罪状は「死体遺棄」、12月23日のものの罪状は「強姦致死」、「殺人」となっていました。これらの罪状の証明をするのは検察側の仕事で、検察側の提出した証拠書類がすでに20~30cmの 高さに積まれていましたが、こういう書類が今後さらに山のように積み重ねられていくのだそうです。市橋君の弁護士への説明では、強姦致傷と傷害致死が相当 する罪状のようです。検察側の主張通りだと、無期懲役か死刑の求刑の可能性が高いようですが、市橋君の主張通りだと弁護側は懲役30年以下の有期刑を目指すことになるようです。
千葉大学を卒業してからの2年間、市橋君がどういう生活をしていたのか私にはわかりませんが、事件の起こった平成19年3月25日 の朝、喫茶店でリンゼイさんから最初の英語の個人レッスンを受け、リンゼイさんが授業料を受け取るために彼のマンションに行って事件が起こったということ ですので、少なくとも何回かレッスンを重ねる中でお互いへの好意が芽生えて起こった事件ということではないようです。市橋君自身は、強姦致傷は事実で自分 が悪いことをしましたと認めているそうですが、それがどれだけ重い罪に相当するのか心の底から理解しているかはもう少し観察する必要があるというのが、ベ テラン弁護士の印象のようです。
いずれにしても、私たちはこれから長い時間がかかる弁護団の裁判活動を支援し、市橋君が適正な法の裁きを受けて更生していけるように見守り、支援していきたいと思います。市橋君は身体的には、全く問題のない状態とのことでした。
3月17日に携帯メールでご連絡いただいた方に返信を差し上げましたが、届かずに返送されてきました。この方から以前いただいたメールでも同じことが起こりましたので、携帯がそういう設定になっているようです。私からは、他の連絡方法はありません。
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2010年3月18日木曜日
今日は振替受入明細票は届きませんでしたが、「振り込んだ」というメールはまだ沢山いただいていますので、多分明日か明後日には届くのでしょう。J-CASTニュース http://www.j-cast.com/2010/03/17062459.html/ で知って振り込んだという方もおられます。
支援する会は市橋君の裁判が結審するまで続けるつもりですので、今後振り込まれる支援金は一定の額に達する毎か、一定の期間毎に菅野弁護士に届けます。その時に、支援者からいただいたメッセージも一緒に届け、市橋君に差し入れてもらえるようにお願いするつもりです。従って今回間に合わなかったメッセージは、次回に弁護士に届けるということになります。
非支援者からの、中学生や借金をしてまで支援金を振り込んでいるのは問題だという指摘に対して、匿名の支援者のお一人(4回も送金して下さっている)から自分は中学生でもないし借金をしているのでもないというお便りをいただきました。
支援者の中には、私の呼びかけに賛同して、経済的ゆとりのない中で切り詰めて送金して下さっている方々もおられます。額の多寡ではなく、こういう方々の支援金は正に浄財ですので、大変ありがたく受取らせていただきました。
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2010年3月17日水曜日
3月15日までに延べ69名の方から届いた支援金は、1,157,900円になりました。今回も2回以上振り込んで下さった方が3名おられます。ありがとうございました。
非支援者の方から、中学生や借金をしてまで振り込んでいる人がいるのは問題だとの指摘がありました。支援者の中には匿名の方も2~3おられますが、私にメッセージを送って下さっている方の中にはそのような方はいないと思います。支援をして下さる方は、どうぞ無理のない範囲でのご支援をお願い致します。
昨 日取材があったことをお伝えしたJ-CASTニュースが更新されて私たちの活動が紹介されたという情報が支援者から届きましたが、早速千葉大学園芸学部の1992年の卒業生からJ-CASTニュースで募金活動を知ったので送金しますというメールも届きました。
今までにいただいたメッセージは、払込取扱票の通信欄に書かれたものはお名前や居住地などの個人情報を除いて全文を、メールに書かれたものは同様に個人 情報を除いて重要なところだけ抜粋し、支援者NO.ごとに一覧表にしました。今のところA4版に12ページになりましたが、明日届く分まで追加して19日 に菅野弁護士にお渡しするつもりです。市橋君に差し入れてもらうことができれば、こんなに多くの方々が心配してくれていることを知り、励まされるととも に、しっかり生きる支えになる筈です。支援金の情報とメッセージ一覧表は、後日市橋君のご両親にも郵送してお伝えしようと思っています。
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2010年3月16日火曜日
2日前は日曜で振り込みはなかった筈ですので、今日は振替受払通知票は届きませんでした。その後も、「振り込んだ」「振り込む」というメールをいただいていますので、支援金はまだ増加する見通しです。支援者は北海道から九州まで全国に亘っています。
今日は、昼休みにいつものように、東京農大の桜丘アリーナと呼ばれる体育館のジムでバーベルを持ち上げてから外に出て、キャンパスの周囲をジョギングし ました。昨年整備されて見事に生まれ変わったグランドでは陸上部が基礎的トレーニング(腿上げ走、ハードル跨ぎ、スタートダッシュ、その他)をしていたの で、垣根の外で見ながら少し真似をしました。若者が、陸上や、サッカーや、アメフトや、野球や、いろいろなスポーツをやっているのを見ると気持が明るくな ります。応援団もよく大声を張り上げて練習をしていますが、農大名物の大根踊りを、大根の代わりに水を入れた2リットルのペットボトルを両手に持って踊っ ているのをよく見かけます。みんな素晴らしい学生たちです。私自身も学生時代は空手部の主将をして稽古に明け暮れていましたが、この年齢になって振り返る と、夢中になって何かに打ち込めるというのは若者の特権かもしれません。社会に出れば、生きるための厳しい競争が待っているのですから。
研究室に戻ったら、J-CASTニュースというところから取材の電話がありました。ヤフーやニフティなどインターネットニュースにニュースを配信してい る会社だそうです。昨日追記に書いた市橋君の裁判費用の支援金が100万円を超えたということをもう知っていましたので、この記事を案外いろいろな人がア クセスして見てくれているのだなと思いました。私が支援する会を立ち上げた背景や、支援者は女性が多いと言っても"○○ガールズ"のような軽薄な動機では なく、間違いを犯した一人の青年が社会から不公平なリンチを受けるのを止めさせたい、と真剣に考えている人たちですと伝えておきました。どんな記事になっ て配信されるかは、配信されてみないとわかりませんが・・。
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2010年3月15日月曜日
今日までに届いた3月12日と3月13日の振替受払通知票によると、58名 の方々からの支援金総額は1,020,688円になりました。今回も2回目の振り込みをして下さった支援者が2名おられました。当初の募金目標だった最低 100万円はとりあえず達成できました。ありがとうございました。まだ、「振り込んだ」というメールが届いていますので、19日に菅野弁護士にお渡しする までにはもう少し増える筈です。
支援者のお一人から、私がこのように誰でもが見られるWebサイトに集まった金額などを公表しているので、弁護士に届けに行く時は注意をするようにとの 忠告をいただきました。皆さまの善意が込められた貴重なお金に万が一の事故があってはいけませんので、現金を持参せずに、菅野弁護士の指定の口座に振り込 むなど慎重に対応するつもりです。
支援者の数が多くなってきましたので、いただいたメッセージに対する私の返信が追い付かない場合がでてきています。どうか失礼の段はお許し下さい。ま た、追記は私から支援者へのメッセージですから、非支援者から募金活動や支援活動に対する批判的ご意見や質問をいただいても、私の時間的制限から一々の対 応はできない場合がありますので、ご了承下さい。
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2010年3月13日土曜日
今日は、千葉県長生郡白子町中里海岸で行われた「九十九里海岸の 松林を守る会」(代表は元千葉県森林研究センターの石谷栄次氏)のクロマツ大苗の植栽に参加してきました。50年くらい前に地域住民の協力で九十九里海岸 に植えた松は2千ヘクタールにも及ぶそうですが、りっぱな砂防林として地元の住民の生活を守ってきました。それが、マツノマダラカミキリ(いわゆる松くい 虫)と呼ばれる害虫が媒介するマツノザイセンチュウという侵入病害によってどんどん枯れ始め、今では歯抜け状態のように松林の中にあちこち空地ができて、 このままで は防風林としての機能を果たさなくなることが懸念されるようになりました。松枯れを防ぐためには、農薬散布で松くい虫を防除したり、殺線虫剤を樹幹に注入 したり、被害木(次世代の発生源になるので)を撤去する伐倒駆除などが行われています。それに加えて、「九十九里海岸の松林を守る会」ではボランティアを 募って、千葉県環境財団の助成金で調達した松の苗木200本を植える作業をしました。約20人で、強風で舞う飛砂が顔に当たって痛いくらいの中での作業で したが、今日植えた松が50年後には大きく育って、その時にここに住んでいる人々の生活環境を飛砂被害から守ってくれることを想像し、満足感を味わわせて もらいました。
3月11日までに振り込まれた54人からの支援金の合計は、994,688円になりました。ありがとうございました。東京スポーツ新聞に書かれた記事に ついては、何人かの支援者から、昨日私が書いた追記で、同じように感じた人が他にもいることがわ かったというお便りをいただきました。
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3月10日までに、53名の方から合計974,688 円の支援金が振り込まれました。今回もお一人は2回目でした。振り込んで下さった皆さま、ありがとうございました。もう少しで最初に目標とした 1,000,000円に達しそうです。私のWebサイトを共同管理してくれている元学生(千葉大学時代の研究室の専攻生)によると、最近は1日に400件 くらいのアクセスがあるとのことですので、支援者の皆さまがいろいろなところで輪を広げて下さっているのかなと想像しています。
昨日、駅まで東京スポーツ新聞(3月12日付け)を1部買いに行って先ず驚いたのは、この新聞は第1面が人前で広げるのが恥ずかしいような女優の大きなヌード写真で飾られていたことです。家に帰って新聞を広げて次に驚いたのは、当該記事の見出しの「市橋募金に"ガールズ"が殺到」という表現で した。記事に目を通してもう一度驚いたのは、支援者を「市橋ファン」、「市橋ガールズ」、「市橋信者」と表現していたことです。早速支援者のお一人から、 書き方に悪意を感じる、悲しみと怒りがわいてきた、支援活動を貶めるだけでなく、支援者に対する侮辱でもある、というお便りをいただきました。その後、別 の複数の支援者からも同様のご指摘をいただきました。全くその通りです。これではまるで支援者を、人気歌手に付きまとう追っかけや、毒ガスを発生させて多 くの人を殺した宗教団体のリーダーを妄信して従う信者や、選挙で当選させてもらった○○チルドレン/○○ガールズ、と同じような印象を与えます。この記者 は、恐らく私への電話取材を録音し、記事の正確さを期した筈ですので、記事の大部分は取材内容を反映していました。しかし、肝心の支援活動の解釈と支援者 の位置づけについては、全く事実を理解しない間違った記事を書かれてしまいました。これが記者個人の誤解や思い込みによるのか、新聞を売らんがために意図的にしたのかはわかりませんが、多分後者でしょう。
テレビの取材でも、インタビューの間カメラが 30分~1時間回っても実際に放映されるのはその中の30秒くらいという経験をよくします。たいていあらかじめ番組ディレクターが企画したストーリーが決 まっていて、録画した映像の中からそれに合う発言部分を切り出して使うようです。場合によっては、私がストーリーに合う発言をしない場合は、何回でも質問 の仕方を変えて都合のいい発言が出るまで質問し続けることもあります。私たちは普段新聞でもテレビでも、メディアは事実だけを客観的に報道するものと思い がちですが、販売部数や視聴率をかせぐためには必ずしもそうではない場合があるということです。
支援者の皆さまからいただいたメッセージによって、支援の動機にもいろいろあることがわかります。昨年の11月に市橋君の身柄が確保されて移送された時に、手錠をかけられて頭からスッポリ上着を被せられ、取材陣に取り囲まれてもみくちゃにされている映像を見て、西部劇で捕まった犯人が大勢にリンチ(私刑)にかけられるのを黙って見ていられない気がして、何とかしてあげたいという気持ちになった方もおられるのでしょう。もみくちゃにされても凛とした姿勢を保っていた市橋君に、報道されていたほど凶悪犯人ではないのではと直感的に感じた方もおられるのでしょう。逃亡中、親に貰った顔を整形してまで 生き延びようとして必死に働いていた姿に同情した方もおられるのでしょう。自分の子供や弟がちょっと間違えれば市橋君の立場だったらと想像して、少しでも 力になってあげたいと思われた方もおられるのでしょう。中には、自分の娘や関係者がリンゼイさんの立場だったらと想像して激しい憎悪を感じながら、迷いな がらも、市橋君が適正な裁判が受けられるようにと支援を決意した方もおられます。私のように、道を踏み外して地獄の底に転落した元学生になんとか救いの手 を差し伸べてやりたいと思う者もいるのでしょう。これらの人々が、自分の思いをどう実現したらよいのかわからなかった時に、私が立ち上げた「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の存在を知って、支援を寄せて下さったのだと思います。決して、東京スポーツ新聞が描いたような、女性のミーハー的関心とか母性 本能をくすぐられてというような皮相的な動機で支援活動をしているのではない筈です。
私が東京スポーツ新聞の取材を受けたことによって、書かれた記事で不愉快な思いをされた支援者の皆さまにお詫び致します。と同時に、メディアの方々には、メディアの本来の使命をもう一度認識して、販売部数や視聴率のためとはいえ、平気で人を傷つけるような報道をしないでいただきたい。
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2010年3月10日水曜日
今日は午前中埼玉市(旧浦和市)のさいたま共済会館で開催された 埼玉県の「農産物安全技術専門委員会」に委員の一人として出席しました。10年くらい前にテレビで報道されて大騒ぎになったホウレンソウのダイオキシン汚 染問題の検討委員会(私も委員として参加した)の後にできた委員会で、埼玉県産農産物の安全対策・農業技術開発などについて評価・助言を行う目的で、山本 出委員長(東京農業大学名誉教授)を含めて各専門分野の学識経験者や消費者代表など10名の委員で構成されています。今日は、埼玉県農林総合研究セン ターが取り組んでいる4つの試験研究課題(1.農薬のドリフト低減技術の確立 2.農薬の後作物への影響回避技術の確立 3.農薬混用による作物残留への 影響解明 4.県産主要野菜ネギ・ナスのカドミウム濃度低減技術の確立)について討議しました。県は、安全な農産物を生産できる農業技術を生産農家に提供 するために、いろいろな試験研究をしています。それを、我田引水にならないように、外部の専門家から成る委員会で客観的に評価してもらうという仕組みです。
自宅のある松戸に帰ってきて、夕方いつものように江戸川の堤防をジョギングしていたら携帯が鳴って、東京スポーツ新聞から本Webサイトの記 事を見たということで市橋君の件について長時間(30分くらい)の取材がありました。私が言いたかったことをどこまで正確に伝えてくれるかは、記事になっ てみないとわかりませんが・・。
3月6日と3月8日までに、48名の方から届いた支援金は合計849,688円になりました。支援者の中には2回目の振り込みをして下さった 方が二人おられますし、しかもその中のお一人はシングルマザーとのことです。現在失業中という方もおられ、亡くなったリンゼイさんが生きていたら同じ年令 というイギリス人女性もおられます。皆さまがご自分の生活がある中でこのようなご支援をして下さり、本当にありがたいことです。ある農薬関係の研究機関の 理事も、千葉大学走友会(教職員のクラブで、走ることが好きな私は10年間会長をして、フルマラソンや駅伝大会で走っていました)の元会員も送金して下 さったということは、市橋君に適正な裁判を受けさせたいという私たちの思いに共鳴する方々が広がりつつあるのかもしれません。
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2010年3月6日土曜日
振替受払通知票は支援金が振り込まれてから2日遅れで私のとこ ろに届くようです。今日までに3月3日と3月4日に振り込まれた分までが届いていますが、42名の方からの合計は765,688円になりました。ありがと うございました。支援金が急に伸びたのは、今回も100,000円という大金を振り込んで下さった支援者がおられたからです。まだ私のところには、「これ から振り込む」「後日再度振り込む」というメールが届いていますので、3月19日午後に菅野弁護士に届けに行く時までには、もしかしたら当初目標とした 100万円を達成できるかもしれません。
匿名希望と指示されたり連絡先不記載の方を除いて、大切なお金を振り込んで下さった方 には、私からメールか封書でお礼と支援金受取の報告を差し上げていますが、不手際で、メールと封書を二重に送ったり、報告が数日遅れたりする場合があるか もしれません。不手際についてはお許し下さい。ご不審の場合は、いつでもご連絡下さい。
市橋君のご両親が本サイトをご覧になっているかどうかはわかりませんが、こんなに多くの市橋君とは何の関係もない方々が息子の更生を願って支 援を寄せてくれているということをお知りになった時は、きっと救われる思いをされるのではないでしょうか。私自身も、他人の痛みを感じて元学生の支援をし て下さる方々がこんなに大勢いらっしゃることに、人の心の温かさを感じてホッとしています。
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2010年3月4日木曜日
京都の「みやこめっせ」(京都市勧業館)で今日開催された一般消費者対象の農薬ゼミに出演するために昨日の午後から京都に出かけていました。現地はあいにく小雨でしたが150名近くの方が参加され、熱心に私たちの話を聴いてくれました。
今夕新幹線で帰宅してみたら驚きました。ゆうちょ銀行から3月2日分の振替受入明細書が届いていましたが、これまでに33名の方から合計 558,888円の支援金が振り込まれていました。こんな風に支援金が予想以上に毎日増えていくのは嬉しい限りです。お一人の方は何と10万円も振り込ま れ、「誰にも認められている筈の公正な裁判を受ける権利と、その弁護が充分に行われるよう、どうかお役立ててください」というメッセージが記されていました。ありがとうございました。
その他にもたくさん送られてくるメッセージを一つ一つ紹介できませんが、ご夫婦で相談して支援して下さった方や、市橋君と同い年の弟さんのことを考えて支援して下さった方もおられます。
3月19日午後にそれまでに集まった支援金を菅野弁護士に届けに行く時は、今まで皆さまからいただいたメッセージを匿名にして一覧表にして持参し、弁護士が市橋君に接見する時に見せてもらえるかどうか相談してみようと考えています。
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2010年3月3日水曜日
今日届いた振替受払通知票によりますと、3月1日までに25名の方か ら合計363,000円の支援金が届きました。ありがとうございました。この勢いが持続することを祈っています。支援金は1,000円から50,000円 までありますが、皆さまの生活費の中から各々工面して振り込んで下さっている筈ですので、いずれの支援金も大変ありがたく受け取らせていただきました。
支援者のお一人から、殺人事件などの刑事事件の弁護費用は通常1千万円くらいかかることも珍しくないとのご指摘をいただきましたので、友人の 弁護士(私の高校時代の同級生で、東大法学部を卒業後裁判官を長年務めた後、現在は弁護士として埼玉県庁の前で法律事務所を開いている)に確かめてみまし たら、その通りとのことでした。複数の弁護士が数ケ月から場合によっては結審するまで数年にわたって弁護活動に従事し、例えばリンゼイさんの検死・解剖所 見から推定した死亡推定時間にしても、市橋君の証言と一致しない場合に他の法医学講座の教授に再鑑定を依頼するには大変な経費がかかるということのようで す。私は当初、募金目標を最低100万円くらいと安易に考えましたが、それは本当に最低ラインで、市橋君の弁護団が活動をするのに決して十分な額ではない ということに気づかされました。そうは言ってもお一人お一人の支援には限度がありますので、なるべく幅広く多くの方々のご支援をお願いするしかないと思っ ています。この事情をなるべく多くの人に知らせていただければ助かります。
振込み後、3月1日に携帯メールでお知らせいただいた方に折り返しお礼の返信を差し上げましたが、届かなくて返送されてきました。私からはこれ以外の連絡方法はありませんので、ご了承下さい。携帯からメールを送って下さる方は、設定によっては私からの返信を受け取れない場合があるようです。また、振込み後3月2日にメールで報告不要とお知らせいただいた方には、返信を致しませんでしたのでご了承下さい。
菅野弁護士から今日連絡があり、第1回目の3者顔合わせ(裁判官、検察官、弁護士)が3月19日の午前にありますので、午後に私が法律事務所を訪問して今までに集まっている支援金をお届けし、市橋君の最近の様子も伺ってくることになりました。
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2010年3月1日月曜日
2月27日までの振替受入明細書によりますと、これまでに13名の方から、 合計202,000円の支援金が届きました。ありがとうございました。菅野弁護士に今日早速この様子をメールでお伝えし、支援者の祈りがこもった貴重なお 金を少しでも早く裁判活動に活用していただきたいので、集まった分だけでもお届けしたい旨の申し入れをしました。2月20日に支援要請の記事をアップロー ドして、僅か1週間でこれだけのご支援をいただけたのは、私の予想した以上でした。その後も、「振り込んだ」「今から振り込む」というメールでのご連絡が 毎日届いていますので、いずれ募金目標の1,000,000円を達成できるのではと思っています。支援金を菅野弁護士の事務所に届けに行く時は、お金だけ でなく、皆さまからいただいたメッセージもお伝えし、市橋君を励ましてもらえるようにお願いもしてくるつもりです。
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2010年2月28日日曜日
支援をしたいが、いろいろな事情で周囲に知られたくない方もいらっしゃるというご指摘をいただきました。支援をしていただいた方のお名前は個人情報ですので、公表することは絶対にありません。振り込みをして下さった方への私からのお礼と支援金受取の報告は、メール又は封書(メールアドレスが不明の場合)で差し上げますが、封書の差出人は私の個人名にして、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の名称は使いません。それも受け取りたくない方は、払込取扱票の通信欄にその旨お書きいただければ、報告を差し上げません。
ゆうちょ銀行からは今日までに2月25日までの振替受入明細書が届きましたが、すでに9名の方から合計148,000円のご支援をいただきました。他人の痛みを感じてご支援下さった皆さまの優しいお心遣いに深く感謝申し上げます。
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2010年2月25日木曜日
早速3名の方から支援金振り込みをいただきました。2名の方からはメールでご連絡をいただいたが、23 日に最初に振り込んで下さった方は、ゆうちょ銀行から私に届いた振替受入明細書には片仮名のお名前と金額しか記載されていないので、上記の支援要請文で約 束したお礼と支援金受取の報告ができません。
匿名希望者を除き、送金をされる時にはメールでご連絡いただくか、払込取扱票の依頼人又は通信欄のところにお名前と住所(連絡先)を記入していただけると助かります。記入がない場合は私からの連絡ができませんので、匿名希望と解釈させていただきます。
なお、菅野弁護士によると、第1回目の3者(裁判官、検察官、弁護士)顔合わせが3月19日に決定したとのことですので、いよいよ公判前整理手続に入るようです。
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