市橋達也リンゼイ・アン・ホーカーさん強姦殺人逃亡事件タイトル画像

1、はじめに

今月号の月刊精神分析は市橋達也受刑者が起こした「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」を取り上げます。

リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件とは?

以下ウィキペディアから引用
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リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件(リンゼイ・アン・ホーカーさんさつがいじけん)は、平成19年2007年3月に日本の千葉県市川市において、英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカー(英表記:Lindsay Ann Hawker 、英国籍、当時22歳)が市橋達也(当時28歳)に殺害された殺人事件の一般名称。 正式な事件名としては、「市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件」と呼称される。
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以上引用

もう市橋君の事件発生から5年の月日が流れた事になります。本誌、月刊精神分析では、秋葉原無差別殺傷事件を過去、数回テーマとして取り上げてきました。秋葉原無差別殺傷事件も世間の注目度が非常に高い事件でした。裁判の被告人であった加藤智大被告が裁判中に「」と称する自分が起こした事件の自己分析本を出版するなど異例の展開をみせました(本の出版経緯は本誌過去サイトをご覧下さい)。

加藤智大が著した「解」に関しては、世間の反応は鈍いものでした。中島岳志さんが評している通り、事件が発生した経緯に不可解な事が多く、加藤智大の著書を通して事件を読み解くには多くの予備知識や忍耐力も必要とされました。

ところが、同様に事件の加害者:市橋達也が出版した本「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」は、逃亡犯である彼の発言が多くの関心を集め912万9885円(平成23年2011年07月時点)もの印税を稼ぎ出しました。

私も購入し、Googleマップで記載された地名の一つ一つをマーキングし、彼の逃亡ルートを追いました。北は青森から南は沖縄オーハ島まで・・逃亡途中、市橋受刑者は四国でお遍路(へんろ)までしています。

また、逃亡期間が二年七ヶ月(961日間)に及び、その間、逃亡犯であった市川達也君を社会不適合者・性倒錯者であるとした偏向報道がなされました。逃亡中に偏向報道番組をみた市橋君は激しく混乱し番組内容に激怒した(詳細は彼の著書から引用)。この件に関しては、報道映像資料の頁で詳しく解説します。

更に、市橋君が千葉大学に在学中に所属していた空手部の顧問であった本山直樹名誉教授がインターネット上に「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」を立ち上げるなど、市橋君を支援する動きも起こりました。

今号の月刊精神分析は、「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録(市橋達也)」をソースに、リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件を分析します。

平成24年2012年12月25日 月刊精神分析編集部A

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2、登場人物紹介

市橋達也

市橋達也(いちはしたつや)
1979(S.54)年01月05日生まれ。
郵便番号:〒 272-0137
住所:千葉県市川市福栄2-11-24「新日本サンライズ行徳」406号
電話番号:047-356-7238
メルアド:whitecover@hotmail.com
出身:岐阜県羽島市。
1994(H.06)年 羽島市立竹鼻中学校卒業。
1997(H.09)年 岐阜県立羽島北高校卒業。
陸上部に所属。
2005(H.17)年03月 千葉大学園芸学部卒業。
2007(H.19)年03月 千葉県市川市でリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件を起こす。
約2年7ヶ月(961日)間に及ぶの逃亡生活の後、
2009(H.21)年11月10日 大阪市住之江区の南港フェリーターミナルで逮捕。
2011(H.23)年01月25日 逃亡記出版
2011(H.23)年07月04日 初公判
2011(H.23)年07月05日 第二回公判
2011(H.23)年07月07日 第三回公判
2011(H.23)年07月08日 第四回公判
2011(H.23)年07月11日 第五回公判
2011(H.23)年07月12日 第六回公判(論告求刑)
2011(H.23)年07月21日 判決(千葉地裁にて求刑通り無期懲役)
2011(H.23)年10月26日 4年7ヶ月ぶりに事件当時交際していた女性と再会(面会)
2012(H.24)年04月11日 東京高裁(控訴審)にて1審判決を支持、控訴を棄却。
2012(H.24)年04月25日 上告せず判決が確定。
著書に「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」(幻冬社)。




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市橋正嘉(いちはしまさよし)市橋達也の父
現住所:郵便番号:501-6241
岐阜県羽島市竹鼻町上城2566-1
昭和51年 日本大学医学部卒業
日本外科学会認定医
日本消化器外科学会認定医
社会医療法人杏嶺会 一宮西病院
住所:郵便番号:494-0001
愛知県一宮市開明字平1
電話番号:0586-48-0077
外科部長(事件後退職)

※現在の一宮西病院は平成21年11月に新築・移転した後の病院。
旧住所:郵便番号:491-0201
愛知県一宮市奥町下口西89-1
旧電話番号:0586-61-0110

市橋正嘉さんが現役で外科部長をしていた頃の一宮西病院は、平成13年に開院し一宮・尾張西部地区の救急医療の拠点としての役割を果たしていた。一宮西病院が新築・移転した2009(H.21)年11月は市橋君が逮捕された時と符合する。市橋パパにしてみれば、自分の長男が事件を起こした事で地域医療を担う病院の外科部長を退職する事を余儀なくされ、長男の逮捕と同時にもといた病院が立派に新築・移転されると言う憂き目にあった事になる。市橋君があのような事件を起こしていなければ、折角手に入れた外科部長の椅子を50歳代で手放す事はなかっただろうに・・。見方を変えれば、この事件は、市橋達也君の両親への復讐劇なのではないだろうか?2008年08月まだ新しい病院は着工したばかり・・・。下の写真が市橋正嘉先生が外科部長として勤務していた(旧)一宮西病院。

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市橋伸子(いちはしのぶこ)市橋達也の母
歯科医
事件後、両親が開く歯科医院を退職

多くの公判では、被告の肉親が情状証人として出廷する。しかし、市橋被告の両親は弁護側の要請に対し出廷を拒否。捜査段階での調書の読み上げも行われず、息子の犯行を受けた両親の心情は、明らかにされないまま。世間には「親バカ」と言う言葉がある。世間から「みっともない」と揶揄されようが、親は子どもの味方であり続ける。しかしながら、市橋君の両親はいかなる理由があるにせよ我が子に無期懲役の判決が出される事が濃厚な裁判において、実子の情状を述べる事を拒否。市橋達也君は彼にとって世界中でただ一人の「父」と「母」からも完全に見放された。これが、市橋達也君の人生における最大の悲劇である。

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リンゼイ・アン・ホーカー
(Lindsay Ann Hawker)
1984(S.59)年生まれ(次女)
学歴:英国国立リーズ大学(University of Leeds)卒業
(生物学専攻:Biological Science)
2006(H.18)年 英会話講師として来日
2007(H.19)年03月26日市橋達也により強姦され窒息死させられる。
享年22歳
遺体はバスタブに入れ、園芸用の砂をかけた状態で自室マンションのベランダへ遺棄
身長176センチ、体重63キロで、女性としては大柄
家族構成:
父:ウィリアム(Bill Hawker)
母:ジュリア・ホーカー(Julia Hawker)
姉:
妹:
13~16歳の間、テコンドーを学んだ(護身術として)。
リンゼイさんの婚約者は2007(H.19)年01月に一度来日し、2007(H.19)年06月からは日本で(英語を)教える計画を立てていました。教鞭(きょうべん)をとった後に2人は日本を旅行し、帰国する予定だった。 -----------------------------------------
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ウィリアム・ビル・ホーカーさん(56歳:市橋逮捕時)リンゼイさんの父
(Bill Hawker)
イギリス中部ブランドン在住
学歴:専門教育を受けたエンジニア
職業:自動車教習所の教官(自営)




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ジュリアさん(52歳:市橋逮捕時)リンゼイさんの母
ジュリア・ホーカー(Julia Hawker)
イギリス中部ブランドン在住








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本山直樹(もとやまなおき)
1942(S.17)年生まれ。
千葉大学園芸学部卒業。
名古屋大学大学院修士課程修了後、ノースカロライナ州立大学に留学、10年間農薬毒性学の研究に従事する。
東京農業大学客員教授
千葉大学名誉教授
1998年、農林水産省の農業資材審議会農薬分科会委員に就任。
元農水省農業資材審議会会長ならびに同審議会農薬分科会会長(2008年12月まで)

著書に『農薬学事典』『農薬実験法』『毒性生化学』など。

大学時代の部活顧問だった千葉大学大学院名誉教授の本山直樹が「適正な裁判を受けさせる会」を立ち上げ、市橋の自首と募金を呼びかけた。マスコミ報道で大きく報じられたことに胸を痛め、あくまでも適正な裁判を受けさせ、社会復帰への道を、という元教授としての愛情からである。罪状が死体遺棄から強姦致死、殺人へと大きく変わり、国選弁護士として引き続き弁護していくためには費用の面で難しいことを支援の理由に挙げている
「稽古(けいこ)への取り組みもまじめで、かっとなるような性格ではなかった」。
市橋容疑者は稽古前には、道場の床にぞうきんをかけていたという。
 本山名誉教授は昨年、千葉大を定年退官した。
しかし、「元学生は永久に元学生。その幸福を願うのが大学人の役目だ」として市橋容疑者の行方を気にしていた。
 一時は自殺説も流れていただけに、逮捕の一報に「本当によく生きていてくれた。
残りの人生で償いをしっかりやれと言いたい」と話した。
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惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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迎意愛近影

迎意愛(むかいあい)
精神分析家。シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)主宰。
1954年和歌山県生まれ
2011年10月より埼玉県在住。二女の母。
奈良教育大学卒業するも、教師にならず、営業職に就く。結婚、義母の介護。
物心ついた時から生きる意味を問いかけ、38歳の時、精神分析に出会う。
精神分析により、自己を知ることで、生きる意味を見出せると確信し、惟能創理氏に師事する。
女であることの素晴らしさと重要性を痛感し、自らも精神分析家(インテグレーター)となる。
自らの体験と「オールOK子育て法」を引っさげ、女たちよ賢明であれと全国を行脚するべく奮闘中。

ちょうど三十年前、市橋達也君が事件を起こしたマンションのすぐ近く(千葉県市川市行徳)に住んでいた経験がある。当時は東京ディズニーランド(千葉県浦安市:1983年開園)ができたり日本がバブル経済に突入していく最中で土地価格の高騰がすごっかた記憶があると言う。
連絡先:signifiant1@gmail.com

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安朋一実近影

安朋一実(やすともかずみ)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。
1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。
宗教色の強い家庭に生まれ育つ。
中学校1年生の時にクラスの数人からいじめられ転校した経験がある。
二十代の頃、原因不明の疾病に苦しむが転地療法にて完治した経験から、心の作用に興味を持つ。
ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。

現在「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーとインテグレーター養成講座を受けている。

性格分析:自己分析、コンピューターのSE(システムエンジニア)をしてきただけあって、緻密な作業ができるA型(血液型)人間である。自分の部屋はちらかっていても許されるのだが、漫画本の1巻から・・はきちんと順番通り並んでいないと気が済まない。物事は手順を考えて、1から順番に進めていく。よって「適当にやってみて駄目でした」という事は出来ない人で、やるからには成果が出ないとかっこ悪いと感じ、失敗を恐れるタイプである。
連絡先:lacan.fukuoka@gmail.com

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3、逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録

img19.jpg私が、市橋達也受刑者の事件を月刊精神分析のテーマとして取り上げたのは、市橋君の著書「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」が大変興味深かったからだ。

裁判の判決も出ていない被告(本の出版時の彼の社会的立場は裁判の被告であった)が、幻冬舎というメジャーな出版社から、それも事件の犯人として逃亡記を出版すると言う前代未聞の展開をみせ、大いに物議を醸した。印税は900万以上にのぼった。

逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」は、Amazonのカスタマーレビューは124件を記録している(2012年12月26日現在)。この事実だけをとっても市橋君の961日間にわたる逃亡生活にいかに多くの人が興味関心を持ったかが伺い知れる。ちなみに本の評価は、星5つ:(36)、星4つ:(25)、星3つ:(24)、星2つ:(18)、星1つ:(21)・・とわかれている。読者の期待する内容と本の内容とのズレ、本の内容の受け取り方で大きく評価が別れる本である。

ちなみに「秋葉原無差別殺傷事件」を起こした加藤智大が書いた「解」はたった6件のカスタマーレビューしかない(2012年12月26日現在)。

Amazonでの代表的なレビューを下記の項に保存した。興味のある人は読んで欲しい。

市橋君の逃亡記を読んで、私の頭の中で引っかかった点を列記します。

1、市橋君は、逃亡中、経済的に困窮するが、窃盗強盗などの犯罪に手を染めていない。下手をすれば、空き巣狙いの窃盗くらいは考えられそうだが、残飯拾いをしながらも、市橋君は、恐喝や窃盗行為を行なっていない。十分に事の善悪が判断できる人間であり、独自の倫理観を持っているようだ。・・にもかかわらず、リンゼイさんに対しては性欲の前に倫理観は消え失せた。

2、高校時代は陸上部であった。身体能力が非常に高く、捜査官を振りきって逃走し、かなリの距離を徒歩で移動している。日本列島の北は青森から本州、四国、九州・沖縄(オーハ島)まで移動し、沖縄、大阪、神戸では身元を隠した上で職工(職人の助手)として働き収入も得ている。

3、千葉大学造園学科を卒業しただけあって植物に関する細かな描写がみてとれる。学生時代に学んだ知識は無人島で自給自足生活をするのに大いに役立った。

4、逃亡中は、時間が潤沢(じゅんたく)にあるとは言え、かなりの読書家であり、市橋君の知的レベルが垣間見れる。

5、事件に対する呵責(かしゃく)の念が読み取れるが、逮捕、拘置されて世間の晒し者になるなら死んだほうがましと言う・・我儘(わがまま)で無責任で自分勝手な理由で逃亡を続ける。

6、優秀な日本の警察の包囲網をくぐり抜け、961日間を逃げ切った市橋君の知的行動力は高く評価できる。

7、逃亡中に所持したコンテンツにUSBメモリ型オーディオプレーヤーの中に英単語の独習教材があったり、英語のペーパーバッグを購入したり英語学習に対しての興味は逃亡中も保持し続けた。

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もちろん、月刊精神分析では、心理学的視点から彼の行動と思考と無意識を可能なかぎり分析します。

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4、市橋達也逃亡 Google Map と エクセル資料

以下は「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」に記載された地名を順にGoogle Map上にマーキングした地図です。「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」は基本的に時系列に沿って記述されています。市橋君が千葉県市川市を起点に日本全国を逃亡した様子が良く分かると思います。

青ピンは訪れた地域、自治体名。
赤ピンは収入を得る為に働いた場所。

また、下記のGoogle Mapを作成する過程において、まとめの資料をマイクロソフト エクセルで表形式で作成しました。PDF化しておりますので誰でも閲覧可能です。興味のある方はここ「市橋達也「逮捕されるまで」まとめ.pdf」をクリックして下さい。


より大きな地図で 市橋達也逃亡マップ を表示

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5、Googleで観察する犯行現場(新日本サンライズ行徳)

img20.jpgそもそもGoogle(グーグル社)は迷惑メール対策がしっかりできているGmail(フリーメール)の提供元で、かつ、Yahooよりもっと便利な検索機能を提供してくれるサイトの提供元として認知されたのだが、現在はスマートフォンのOS(アンドロイド)の開発提供会社として幅を利かせている。そんなGoogleが地図の概念を大きく変えたのがGoogleマップである。更に衝撃的だったのが、ストリートビュー機能の出現である。なんとこの「ストリートビュー」は、Google マップと連携し、地上約2.45メートルから撮影された360度のパノラマ写真風景をパソコン上に表示できるのだ(現在は、更なる発展系のGoogle Earthも提供されている)。

行ったこともない未知の土地の風景がパソコン上に映し出されるのだから利用法は様々で、知的好奇心を満たすツールとして利用価値万点である。

市橋君の逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録には、彼の記憶を頼りに逃亡の様子が克明に記されている。逃亡の方角や、彼の視界に入った町並み、住宅街、橋やコンビニエンスストア・・・ストリートビューで追いながら確認しているとまるで映画を見たり、劇中で逃亡犯を追っている刑事の視界や逃亡犯のそれを追体験している様でワクワクする。

早速、Googleマップで、市橋君の逃亡元:千葉県市川市福栄2-11-24「新日本サンライズ行徳」の406号室を検索してストリートビューで付近を探索してみよう。

以下不動産情報の引用
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新日本サンライズ行徳 の特徴
新日本サンライズ行徳は1974年9月築のマンションで、東京メトロ東西線行徳駅から徒歩12分の場所に位置します。周辺は閑静な住宅街が広がり、各種医院も徒歩圏内にあるため、安心感の高い住環境です。公園へは約230m、小学校へは約700m、中学校へは約290mと、子育て環境も良好です。ちょっとした買い物に便利なコンビニエンスストアへも徒歩1分です。新日本サンライズ行徳は全戸南東向き。2方向接道の角地で、採光・通風ともに良好。敷地内には砂場やジャングルジムのある公園が設けられています。
新日本サンライズ行徳販売図面.pdf
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img06.jpg市橋君は事件発生当時の2007年頃でも築33年の分譲マンション(RC構造総戸数49戸7階建て家族名義)にひとり暮らし・・と言う恵まれた生活環境が伺える。

上記の写真はGoogle Earthで検索した2012年の「新日本サンライズ行徳」。市橋君の部屋は4階の向かって左から2戸目。406号室。事件当日ベランダに干してあったマットレスや、リンゼイさんを遺棄したバスタブは既になくなっており、人が生活している様子はない。なにせ殺人事件の現場だけに所謂(いわゆる)事故物件であり他人への譲渡や売却はむずかしいのだろう。しかしながら、周辺の部屋のベランダには落ち着いた生活感が見受けられる。
以下引用

第3回公判(7)

弁護人「強姦した後、どのような行動をしましたか」
 被告「私は寝室に置いてあった、テンピュール(低反発)のマットレスを廊下に持ってきて、廊下で横になっているリンゼイさんの下に敷きました」

 《一言一言区切るように話す市橋被告。はなをすする音がますます大きくなった》

 弁護人「なんでそんなことをしたのですか」
 被告「彼女に申し訳ない気がしたので...」
 弁護人「それは冷たい床で横たわっているリンゼイさんをいたわる気持ちからですか
 被告「はい」

 《ジュリアさんは目を見開いて、「ふん」と鼻で笑うような仕草をした》


以上引用

事件発生当時、逃亡した市橋君のマンションのベランダにはリンゼイさんを遺棄したバスタブが放置したまま。リンゼイさんが失禁したテンピュール(低反発)のマットレスも干したままであった。

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6、報道映像資料(市橋達也の反論)

逃亡中の市橋君は自身の事件の報道番組をこう評している。
逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」の187頁から・・
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 仕事が終わったある夕方、部屋に戻ってテレビをつけると、僕に関するニュースが流れていた。プロファイリングの手法を使って僕を調べていた。テレビに映った警察官は、僕について「自分を客観的に見られる性格で、三ヶ月と同じ場所にはいないだろう」と話していた。
 もし、逃げる前の僕を知る人がいたらどう思うだろう? 信じられないだろうな、と思った。僕は空気を読めない主観的な人間に見えたはずだから。
 逃げる前の僕は空気なんて読みたくなかった。自分のしたいことができればそれでよかった。
 ある朝、僕の新しい手配写真をニューズで見た。少なくともこれが三度目の僕の手配写真だったと思う。僕の懸賞金は百万円から懸賞金の上限の一千万円に上がっていた。
 一枚のポスターに三枚の写真が載っていた。上部に大きく一枚、大学生だった時の下を向いた顔写真。下の部分に小さく二枚あり、いずれも警察が加工していた。一枚はメガネをかけて、二枚目は女装したように加工した写真だった。
 この女装写真がテレビに映ってすぐにテレビ画面が変わったので、一瞬、僕以外の女性の容疑者が載っているのかと思った。後から見れば、どうみても自分なのだが、この時には何が起こっているのか理解できなかった。仕事に出る時間だったのでテレビを消して部屋を出た。
 仕事中、もしかすると警察は僕の足取りがつかめないから僕が女装して逃げたとでも思ったのかなと想像してみた。懸賞金の金額が逃亡中の容疑者にかかる上限まで上がったことも、警察が僕の足取りをつかめていないことを示していた。
 いくら追い詰められても僕は女装なんてしない。そう思った。
 そんなことをするくらいなら死んだ方がましだ。
 逃げている容疑者を追えという趣旨のテレビ番組で僕のことが出ているのを、この飯場にいる時に二度みた。
 一つ目の番組は再現映像を流していた。自転車に乗ったリンゼイさん役の外国人に男が走りながらしつこく話しかけている。
 違う。
 事件後の映像では、千葉のマンションの通路を歩いてくる二人の制服警官に僕役の男が体当たりして逃げている。
 違う。
 実際には、玄関口で四人の私服警官が僕の周りを取り囲んでいた。
 超能力者という外国人女性が番組の中で、僕が事件後、自殺で有名な東尋坊(とうじんぼう)に行ったと話した。僕は東尋坊に行ったことはない。再現映像で出てきた僕役の男の顔は醜(みにく)かった。
 テレビは僕について自殺したことにしてあきらめたのかな、と考えた。この時にはもう、この手の番組も信用していなかった。怖いもの見たさで見ていた。
 二つ目の番組は、「新しい市橋容疑者の手配写真に中に女装写真があるのをご存知ですか」というナレーターの言葉で始まった。「実は犯人は事件後、東京都新宿区歌舞伎町のゲイの町に行き、そこで男相手に体を売り、お金をもらっていた」と説明した。そして
「市橋を抱いた」と主張する男が顔を隠して、その番組に出ていた。その男は、僕のパンツを記念に持っていて、そのパンツを警察に持っていってDNA鑑定をしたところ、一致しなかった
パンツが臭かったから洗ったせいだと話していた。
 この番組を見て僕は部屋で固まっていた。とても混乱した。
 いったい、こいつら何を言っているんだ!?
 僕はそんなことはしてない!
 そんな所に行ってない!
 たとえ生きるためだって、そんなことをするぐらいなら僕はもうとっくに死んでいる!
 テレビが放送したことはうそだ。僕はそんなことしてないって言いたかった。でも逃げいている僕が電話できるわけがない。やっぱり犯罪者に人権などないんだと思った。逮捕された自分の姿を想像した。こんなデタラメを全国に放送されて、逮捕されれば、人は僕を奇異の目で眺め、さらしものにするだろう。刑務所でどんな目にあわされるかわからない。
 想像することをやめた。絶対に捕まるわけにはいかない、と思った。誰がこんなシナリオを書いたのか。大声でしゃべり続けている番組の司会者が憎かった。
 僕は性的倒錯者じゃない。
 本当は、こんな話は口にするもの嫌だ。でもやってもいないことでさらしものになるのは耐えられない。
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 秋葉原無差別殺傷事件でも、加藤智大君の仙台時代の東洋ワークの同僚、大友秀逸氏がニコニコ動画の番組で、真実を捻じ曲げ、ある一部分を誇張して報道する・・・いわゆる報道バラエティ番組の報道姿勢を批判していた。

 市橋達也君の裁判でも、性倒錯云々の話は一切出てこないので、下記の番組内容は全くのガセネタだと思われる。司会者のみのもんたさんは、番組中で市橋君の事を散々非難していたが、「あなた自身のしている事もそんなに褒められた事ではありませんよ」と言いたい。

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7、自宅で強姦する心理状況がわからない

ヤフー知恵袋に市橋達也君が「誘惑に負けた」とリンゼイさんを強姦した理由を裁判で証言している事について女性の方より「レイプをするに至る思考回路・心理状況」について質問が来ています。

普通に考えれば、知り合って一週間で、ただ一回の英会話の個人レッスンを受けただけの人間関係なのに、果たして性的関係を強要し、その後に人間関係を構築するという市橋君の「思考回路・心理状況」とはどのようなものかと言った問いです。

以下引用
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市橋被告 レイプをするに至る思考回路・心理状況は?

beloved4569さん

市橋被告 レイプをするに至る思考回路・心理状況は?
市橋被告は、殺意はなかったと言ってます。
レイプしたのは「誘惑に負けたから」。
自宅に連れてきたのも、英会話のレッスン料を忘れてしまったから払うために来てもらった、と。
なのに、部屋に入れた途端にレイプしてる。
計画的じゃなくて、突然「誘惑に負けた」なんてあり得るんでしょうか?

普通の人は、欲しい物が目の前にあったからといって
突然「我慢できない、盗もう!」なんて思いません。
万引きする人だって、わりと「万引きしよう」と思って店内に入るんじゃないんですか?
ふと目にして、ふと万引きしちゃうんでしょうか?(それもあるのかなあ...)
好きな(関係を持ちたい)女性が目の前にいるからって
突然「レイプしてやる!」になるものなんでしょうか??
被害者をタクシーに乗せて自分の部屋へ向かってた辺りから
どう考えても計画性はあったように思うのですが。
(もしくはレッスン料を忘れたこと自体が計画だったか。本人は否定してますが。)
しかも市橋被告は彼女も居て、性欲が溜まってたわけでもないのに。

男性の方の意見が聞きたいです。
そんなレイプ衝動ってあり得ます?
(まあ、普通の人は「やりてー!」とは思ってもそれを抑え「レイプしてやれ」とは思わないわけで、普通の人に聞いても分かりっこないんだろうけど
あまりに不可解で...。
あ、私は女性で男性の性衝動というのが分からないので。)
...大体、自宅でレイプしたら身元が割れてるんだから、
殺すって結末に当然行ってしまいますよね...。
...単なる性欲ではない、もっと歪んだ心理状況だったのか...。
でも衝動の点について、突然沸点に達するようにそうなることがあり得るのか
男性の意見を伺いたいです。
もしくは犯罪者心理に詳しい方、お願いします。

市橋被告、反省してるように見えますが、やっぱり計画的だったとしか思えない...。
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以上引用

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8、市橋君が事件当時交際していた女性

市橋君の著書16頁に、当時交際していた女性の事を記述している部分がある。

以下著書より引用(写真はGoogleストリートビューより)
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img14.jpg

それから北側にかかる市川大橋の階段を上った。
階段を上っているいる時、パトカーがサイレンを鳴らして橋を通過していった。階段の陰に伏せて隠れた。パトカーが通り過ぎてから橋を渡った。

img15.jpg橋を渡った辺りで鍵の付いていない古い自転車を見つけた。それに乗って走った。
コンビニには防犯カメラがついているから、前を通ってはいけない。
電話ボックスが目に入った。
中に入って、つき合っていた女性の携帯に電話した。話し中だった。もしかしたら、もう彼女のところまで警察が行っているのかもしれない。
彼女は車を持っていた。その車で僕らはよくドライブをした。房総半島まで魚を食べに行ったりもした。
彼女がもし電話に出たら、自分がした事を話し、「一緒に逃げてくれ」と言うつもりだった。
房総半島に逃げて、最後は一緒に死んでくれないかな。
そう思った。
でも話し中だった。
もう彼女は無理だ
あきらめようと思った。
再び自転車に乗ろうとする時に、ポケットから財布を出して、お金だけポケットに戻し、財布は川に投げ捨てた。
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以上引用

一週間前に知り合った外国人女性を自分のマンションに誘い込み、強姦、監禁、窒息死させ、その遺体を遺棄。捜査官を振り切って逃げた挙句、交際中の女性に一緒に逃げて心中して欲しいと・・随分(ずいぶん)虫のいいお願いで、交際された女性もさぞ呆れているにちがいないと思ったのだが、この女性は「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」の本山直樹先生(千葉大学大学院名誉教授)と一緒に拘置所にいる市橋君と面会を果たしている。

裁判での供述によると市橋君はリンゼイさんに個人レッスンを受ける予定の日の前日から彼女と深夜ドライブにでかけ、翌日(レッスン日当日:2007年3月25日)の4:00頃彼女に車で自宅マンション付近まで送ってもらっている。帰宅が遅くなった為、個人レッスンを受ける朝、寝坊をして慌てて家を出た為にリンゼイさんに払う予定のレッスン料を忘れたとしている。

市橋君と彼女が再会したのは実に1676日(4年7ヶ月)ぶりと言う事になる。

以下、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」のブログより引用。

2011年10月26日水曜日

今日は、先週市橋君に面会した時に了解を得ましたので、事件前の市橋君の友人と千葉駅で待ち合わせ、一緒に面会に行きました。質問もメモも何も準備をせずに行き、面会室のこちら側に私と友人が座って待っていると、仕切り板の向こう側の部屋のドアが開いて市橋君が入室し、付き添いの刑務官と一緒に座りました。私が「おう市橋君どうだ元気だったか」と声をかけると「はい」と答えましたが、それからしばらく沈黙が続きました。友人が市橋君の健康を気遣う言葉をかけたら、市橋君は友人の目を見ながら、自分の目に溢れる涙をこらえながら、一言「ごめん!」といいました。元々口数が少なく、表現力の貧しい(しゃべることが得意でない)市橋君にとっては、刑務官と私がいる中で、友人の期待を裏切ったことへの精一杯の謝罪の言葉だと思いました。友人はその一言で胸に溜まっていたわだかまりが氷解したように「私も達也にいい思い出をたくさんもらったから」と答え、市橋君の今後を気遣い、励ます言葉をかけました。市橋君が友人に「結婚する予定だと聞いたが」と伝え、友人は首を縦に振って「肯定の返事」をしました。友人が「また面会に来てもいいか」と尋ねたら、市橋君は首を横に振って「駄目だ」という意思表示をしました。これからお互いに過去は振り向かずに、前を向いて生きなければならないことを確認しているようでした。いつもはあっという間に過ぎる8分間が、今日はいつまでも終わらない長い時間に感じました。「友人が君に面会に来るのは、多分これが最初で最後だから」と私が言って、面会室を出ました。市橋君はいつものように深々とお辞儀をして見送ってくれました。 (中略) 帰りに千葉駅の近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら、友人と長い時間いろいろなことを語り合いました。ちょうど、親しい身内が亡くなって、葬儀の後で参列した親戚や知人・友人が会食をしながら故人を偲ぶのと似ていたかもしれません。事件以来、市橋君と友人は一度も言葉を交わす機会もなく、お互いに心の中にわだかまりがあって前に進めなかったのが、今日の面会でお互いに過去を過去に置いて前に進めるようになったのではと思います。想い出はいつまで経っても心のどこかに残りますが、痛みの感覚は時間が経てばだんだん薄れてくる筈です。市橋君にとっても、少なくとも友人との関係については直接謝罪ができた今日を境に前を向けるのではと思います。友人は親切に、市橋君が控訴審で自分の証言が必要なら協力しますと言ってくれました。弁護団には伝えますが、多分それは必要ないでしょうし、友人は友人でこれからの自分の人生を大切に前向きに生きて下さいと言って別れました。(今日の報告はどうしようかと迷いましたが、書いてもいいという友人の了解を得て書きました。千葉大学大学院名誉教授:本山直樹)

以上引用

以下支援者からの感想(抜粋)
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1)先日、先生と面会に行かれた「ご友人」(おそらく、事件当時の彼女かと・・・ 確信はございません、ただの'おんなの勘'です)と、つらい最後だったなと思いました。普通に会って、食事したり、一緒に出かけたり、時にはけんかもしたり。楽しい思い出が、こんな悲しい最後の別れになることが、本当につらく思えてなりませんでした。どうか、市橋さんも「ご友人」も、このつらさを乗り越えて生きていかれますように。
それと、市橋さんのご両親が面会に行かれていないこと、市橋さん自身もそれを「当然のこと」と受け止めておられることです。市橋さんも-当然のことながら-十分苦しみ、反省しておられると思うのです。これから、もし有期刑になったとしても、かなり長期の入獄になる可能性が高いと思っています。いろいろなお考えがおありでしょうが、せめてご両親くらいは、市橋さんを赦し、励ましてあげて下さい、と祈るばかりです。

2)朝夕、秋らしくなりました。お忙しい中、市橋君に接見に行って下さりありがとうございます。10/26のブログは、涙なしでは読めませんでした。お友達と会った市橋君に「偉い」と泣きながら叫びました。これも先生のお力、つくづく偉大さを感じました。その夜は、市橋君、ご両親、先生、お友達など、いろんな事を考え、ただただ普通の青年だっただけにあまりにも残酷すぎる事ばかりで、眠れませんでした。

3)お早うございます。一昨日は、メール有難うございました。お返事遅くなり申し訳ございません。ブログ(26日)も拝見しました。お知らせ頂き、有難うございます。
凄く重みがある内容に感じました。2人共、涙、涙で話せなくなってしまうのでは、と思ってました。一昨日の面会を境に、お互い前に進めればと思います。彼女に支障がなければ良いのですが...お話の内容から、恐らく元彼女と、特定出来そうですが、大丈夫でしょうか。もし又会いに行く事があれば、マスコミや盗撮の可能性もあり心配ですが、もう会う事はないようですので、今後は新しい生活を送って欲しいです。
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以上引用

事件を起こした当時、市橋君には、交際中の異性がおり、その女性とは「いい思い出」を共有できていた。それなのに、なぜに、市橋君は英会話の個人レッスンを承諾してくれたリンゼイ・アン・ホーカーさんに対しては、あのような非人道的行為をしてしまったのか?、ただ単に「誘惑に負けました」では納得できず、ますます、密室で起こった事が謎めいて感じられるのである。

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9、裁判記録から読み解くあの日の出来事。

無期懲役か有期刑か。殺意の有無。

市橋君の裁判では、市橋君に学生時代に逮捕歴(2004.05.03)があるとは言え、前科はなく、殺したのは一人。・・となると、死刑は回避され、無期懲役か有期刑か。
以下引用

千葉大生を窃盗で現行犯逮捕 行徳署=千葉

2004.05.03 東京朝刊 28頁 (全147字) 
行徳署は2日、市川市福栄、千葉大学園芸学部4年市橋達也容疑者(25)を窃盗の現行犯で逮捕した。
市橋容疑者は同日午前5時35分ごろ、同市行徳駅前のまんが喫茶店内で、大阪市天王寺区の男性会社員(26)のズボンの後ろポケットから落ちた現金約1万円入りの財布を盗んだが、気づいた男性に取り押さえられた。(2004.05.03 東京朝刊)・・・当時、市川達也は逮捕され14日間身柄を拘束された。両親が被害者と示談したため不起訴となる。


以上引用

市橋達也君は、千葉県警行徳警察署の失態により、逃亡犯となったものの、その後、全国指名手配犯となり、情報提供者には懸賞金の上限の一千万円がかけられました。それでも市橋君は顔を整形して逃げびようとしました。

色々な要素が絡み合い、量刑はどうなるのか?世間が大いに注目しました。

ここで最大のポイントとなったのが事件における殺意の有無です。市橋君はリンゼイさんを強姦、拘束、殺してしまった事は認めています。となると、最大のポイントは「市橋君はリンゼイさんを殺そうとして殺したのか?」それとも「リンゼイさんの逃亡を阻止しようとして体を押さえつけた事が結果としてリンゼイさんを死に至らしめたのか?」と言う事の見極めです。

裁判で明らかになった市橋達也君の生活実態。

2005(H.17)年 千葉大学園芸学部卒業の2年後に事件を起こす。
月12万円の仕送り
留学に必要なTOEFL(トーフル)テストというものがあり、対策の参考書を使い、英語の勉強をしていました

私が裁判記録で出てきた証言を時系列順に並べたエクセル表はこれです。市橋達也(裁判での証言).pdf興味のある人はみてみて下さい。

2007(H.19)年03月21日(水)春分の日
2007(H.19)年03月22日(木)
2007(H.19)年03月23日(金)
2007(H.19)年03月24日(土)
23時彼女から電話
彼女の車で海岸へドライブ
一緒に焼き肉を食べる
2007(H.19)年03月25日(日)
朝04時彼女にマンションまで送ってもらう
朝09時リンゼイさんと待ち合わせ
レッスン終了の後、
レッスン料支払いの為
二人で市橋達也のマンションへ。
マンションの自室でリンゼイさんを強姦。
拘束、監禁する。
2007(H.19)年03月26日(月)
未明、逃亡しようとしたリンゼイさん窒息死させる。
バスタブへ死体遺棄。
夜21時頃捜査員から逃れ逃亡。
2007(H.19)年03月27日(火)
京成本線で上野(東京都内)へ。

私はネット上の裁判記録を読み解こうとエクセル上に時系列に市橋君の証言と、検死した人の見解を並べてみました。市橋君に殺意があった場合。市橋君に殺意が無かった場合。両方の場合を想定して検証してみるのですが、どちらも理論的に説明がつかずに困惑してしまいます。

市橋君は事実をありのままに証言しているとしても、釈然としない事が多すぎます。

1)もし、最初からリンゼイさんを強姦し更に事件化しない事(訴えられない様な工作)を考えているとしたら・・・・
2)もしも最初からリンゼイさんを強姦し殺害し事件が発覚しないように(証拠隠滅)考えているとしたら・・・
3)もし、市橋君が最初からリンゼイさんを強姦しようなんて思ってもいなかったし、リンゼイさんを殺してしまおうなんて微塵も考えていなくて、事件は実は事故だったと想定してみても・・・
どれもこれも辻褄(つじつま)が会いません。

初回公判(6)で当時交際していた女性の供述調書が検事によって読み上げられます。
以下引用

初回公判(6)より

検察官「24日午後11時ごろ、達也に電話をしたら家にいました。『泊まりに行きたい』と伝えたら、『今日はスポーツジムに行って疲れたから1人で寝たい』と言われました。ただ『ご飯だけならいい』といわれたので、(市橋被告の住む)マンションまで迎えに行き、近くで焼き肉を食べました」

 《市橋被告は焼き肉が好物だったが、この日はあまり食が進まない様子だったという。食事の後は近くの海岸までドライブをした後、市橋被告のマンション前で別れたという。そして供述は事件当日の3月25日に移る》


以上引用

彼女と一緒に寝たくない程疲れたいた市橋君。しかしながら、その電話の後、彼女は市橋君を車で迎えに行き、一緒に焼肉を食べ、海岸までドライブをし、帰宅したのは朝4:00だと言う。疲れていて食も進まないのに帰宅は朝の4時。

上記の市橋君の彼女の供述を素直に読めば、「市橋君は、事件前夜の3月24日夜には、彼女に内緒で、翌朝(3月24日)英国人英会話教師の個人レッスンを受け、自分の部屋に誘いこみ、あわよくば強姦しようとしていた」としか読めません。

もし仮に本人が「そんな事はありません」と言ってみても市橋君の彼女に対する言動はそう語っています。

当時、市橋君は28歳。28歳成人独身男性の市橋君に対して、交際中の異性から週末(土曜日)の23時に電話があって「泊まりにいきたい」と言う事は、「二人でベッドを共にして愛を確かめ合いたいわ」と言う女性からのオファー(申し込み)である。裁判でも市橋君は当時交際していた女性と肉体関係があった事を認めている。

以下引用

公判4日目(7)

 《質問を変えて、男性代理人弁護士は、当時市橋被告と付き合っていた女性との関係について尋ねた》

 代理人弁護士「最後に(付き合っていた女性と)肉体関係を持ったのはいつですか」
 被告「覚えていません」

 《25日の深夜まで、その女性と焼き肉デートをしていたという市橋被告だが、男性代理人弁護士は、その後、リンゼイさんと会うまでの空白の6時間について質問した》

 被告「私が部屋に戻ったのは午前4時ごろです。私は家計簿をつけていたので、(家に)戻った後は、その日使ったお金をつけていました。そのあと、リンゼイさんと会う約束があったので、寝たと思います」
 代理人弁護士「その間、あなたは粘着テープを切ったり、結束バンドをわっかにしたりして、(犯行の)準備をしていたのではないですか」
 被告「準備...」


以上引用

普通だったら「据え膳食わぬは男の恥」と言う言葉がありますが、この日は、彼女が部屋に来るのを断り、一緒に彼女の車で深夜ドライブに行き食事をしています。更に、翌朝、英国人の女性講師から個人レッスンを受ける事は彼女には話していません。

この事から想像できる事は、市橋君の言動を悪意に解釈すれば、もし、彼女の要求通り、彼女を部屋に泊めてしまえば、翌日、朝からリンゼイさんに個人レッスンを受ける為に出かける事を彼女に説明しなくてはならないし、市橋君の部屋に泊まった彼女が、市橋君の部屋から出ていかないと、翌日、リンゼイさんを強姦目的で部屋に誘い込む事ができなくなります。だから、市橋君は『今日はスポーツジムに行って疲れたから1人で寝たい』と理由をこじつけ、彼女が部屋に来る事を拒み、『ご飯だけならいい』と彼女とは深夜ドライブと食事をしたのです。

ただ単に、リンゼイさんから英会話のレッスンを受けるだけならば、前日の夜から、彼女を部屋に泊めて、翌日、自分だけ英会話の個人レッスンを受ける為に行徳駅に行けばいいし、彼女と一緒に行徳駅に行って、自分だけドトールコーヒハウスでリンゼイに個人レッスンを受ければ済む事です。

img17.jpg更に、仮にこの時、レッスン料をうっかり家に忘れたとしても、彼女から一時的に借りてリンゼイさんに支払う事もできた筈です。

前日、彼女と深夜ドライブに出かけ食事までした市橋君が高々¥3500のレッスン料の持ち合わせがない事も不自然です。

市橋君はひょっとしたら意識していないかもしれませんが、市橋君の当時の彼女に対する言動、リンゼイさんに対する言動は、事件当日、リンゼイさんを自分の部屋に誘い込む事を前提に進んでいます。

レッスン料を支払う事を口実に市橋君とリンゼイさんは行徳駅前から一緒にタクシーに乗り、市橋君のマンションの横のガソリンスタンドの前にタクシーを停めます。この時の市橋君の言動も不可思議です。リンゼイさんは本業のレッスンの時間が迫っていてしきりに腕時計を気にしている状況なのですから、本当にリンゼイさんにレッスン料を支払う気があったのなら、タクシーをそこに停めたまま、ダッシュでマンションからレッスン料を持ってきて、タクシーの中で待っているリンゼイさんにレッスン料を支払い「大変お待たせして申し訳ありませんでした」と伝え、NOVAの教室までのタクシー運賃もリンゼイさんに一緒に支払えばリンゼイさんはタクシーで次の仕事にすぐ迎えたのでなんの問題もなかった筈。なのに、市橋君は、わざわざ、ガソリンスタンド前でここまでのタクシー料金を精算し、タクシーを降車し、リンゼイさんを自分のマンションの部屋まで誘導しています。この時、リンゼイさんも次のレッスン開始の時間が迫っており冷静な判断力や警戒心を失ったしまったのか、市橋君の誘導され、市橋君の部屋に入ってしまいます。

img21.jpg裁判での説明

以下引用

初回公判(2)より

《弁護人は検察側と同様に市橋被告とリンゼイさんがレッスンを行うまでの経緯を簡単に説明した》

  弁護人「市橋被告は(レッスンに間に合わせるため)朝早く自宅を出ましたが、慌てていて家にレッスン料を忘れました。レッスンを終えて財布にレッスン料が 入っていないことに気づき、リンゼイさんに『お金を取りに戻りたい』と頼み、タクシーに乗って家に向かいました。最初は自宅近くにタクシーを止めて、運転手に『5、6分待ってください』と頼みましたが、断られました。そして2人で家に向かいました」


以上引用

・・・と市橋君は説明していますが、朝の通勤時間帯(稼ぎ時、しかも天候は雨模様)に一旦会計をしていつ戻るかわからない客をメーターも入れずに待ち続けるのはタクシードライバーにとって苦痛以外の何者でもありません。二人が戻ってくるのを待つ事をタクシードライバーが断るのは当然です。市橋君は意識上色々な理由を後から述べていますが、もし意識的にしていないとするならば・・市橋君の「無意識」はリンゼイさんを部屋に連れ込もう連れ込もうとしています。

この後、密室で二人っきりになった市橋達也君とリンゼイ アン ホーカーさんとの間になにがあったのかは永遠の謎となったのでした。

img16.jpg

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10、市川市行徳から都内(上野、秋葉原、他)へ逃亡

逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録の中から、自宅マンションから上野駅までの逃走経路を追う。2007/3/26、千葉県市川市福栄2-11-24「新日本サンライズ行徳」の406号室から外出しようとマンション玄関のドアを開けた。午後9時ないし10時頃。私服警官がいた。その他3人(女性を含む)合計4名の捜査官を振り切って逃げる。マンションの非常階段を駆け下りる。マンションの通路を走る。通路の壁を乗り越えて建物の外へ。方向的には東へ。マンションの外で待機中の捜査員も振り切る。息を切らし、住宅街の庭先に隠れた。あたりは真っ暗。懐中電灯を持っている捜査官に見つかり脱兎のごとく走る。地下鉄:行徳駅(東西線)を避け大通りを東へ。妙典駅(東西線)近くの住宅街を抜けて江戸川の淵へ。市川大橋を渡り(この時点で行徳警察署の管轄地域を突破して市川警察署の管轄エリアへ)、更に鍵のかかっていない放置自転車を利用し逃走。線路沿いに走る。住宅街の中に駅を見つけ電車に乗り上野駅へ。上野駅に直行しているので京成本線:海神駅辺りから乗車したものと思われる(市橋君の記述からはどの駅か特定できない)。こうして、961日に及ぶ市橋君の逃亡生活が始まった。

 逃亡時に市橋君に有利に働いたのは当日の天候である。市橋君は3月25日朝にリンゼイさんから行徳駅前のドトールコーヒーハウスで個人レッスンを受けた時も傘を店内の席に置き忘れ会計時にとりに戻っている。26日夜の逃走時も雨は降り続き、警察犬の臭覚による追跡もできなかった・・・雨も市橋君に味方したのだ。

 この事件は、なぜ市橋君の逃亡を許してしまったのか、取り逃がした千葉県警察行徳警察署の失態が指摘されるところである。世間で言うところの「初動の甘さ」と言うやつだ。市橋君やリンゼイさんの関係者にしてみれば、市橋君が行方をくらましたお陰で、961日に渡って彼の安否を気遣い、事件の真相を追い、逃げた彼への憎悪を膨らませ、悲しみを増大させ続けなければならなくなったのだから。

 京成本線を使って上野(東京都台東区)へ逃亡した市橋君は人ごみに紛れアメ横通りを歩く、コンビニで裁縫道具と鏡を購入し、近くの大学病院の身障者用のトイレの中で、鼻に針を向け自分の顔の整形を行う。鼻を細くしようと思ったらしい。

 逮捕直前まで市橋君は「整形手術」に拘る事となる。

 その後、市橋君は秋葉原へ。真夜中の雑貨屋で、野球帽、靴、リュックサック、安売りのスナック菓子を購入。

 更に秋葉原駅から電車に乗り、とある駅(どこだか不明)へ移動する。駅前のドトールが閉店の準備をしている。比較的大きな街をさまよい、翌朝、開館した図書館で新聞(朝刊)を読み、自分の記事が掲載されていないかチェックする。駅前の大型スーパーで安めの下着と、一重の目を二重にするアイプチ。駅前のショッピングビルで百円のメガネと充電できる単4電池を購入した。


より大きな地図で 市橋達也生活エリアマップ を表示

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11、Googelストリートビューに取材クルー

市橋君が住んでいたマンション:新日本サンライズ行徳の周辺をGoogleストリートビューで観察していると面白いものを発見した。放送局の取材クルーがマンション前で取材活動をしている様がストリートビューに記録されているのだ。
Googleストリートビューの撮影年月は2009年11月となっており、市橋君が大阪南港で逮捕されたタイミングと符合する。たまたまGoogleカーが現場を撮影に来た時に、市橋君が逮捕されたのだと思われる。偶然にしては出来すぎた偶然である。

img03.jpg

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12、市橋君のメルアドから学生時代のご学友にたどり着く

img13.jpg市橋君が書いたリンゼイ・アン・ホーカーさんの似顔絵には自身の連絡先である電話番号:047-356-7238とフリーのメルアド:whitecover@hotmail.comが添えられていた。日付:03-21-2007とサイン:Tatsuyaも読み取れる。

つまり事件が起こった2007年03月、市橋君はwhitecover@hotmail.comと言うメアドを使用していた事になる。Googleの力をかりてwhitecover@hotmail.comでネット上の情報を検索してみる。

すると・・以下の情報がヒットした。

http://megalodon.jp/2009-1112-1248-33/www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/4906/geobook.html

(cache)NABE-BBSと言う仲間内で使用する掲示板。
書き込みは、最新のもので
yoshie - 2004/06/28 23:45:34
最も古いもので
Kei - 2003/11/08 23:50:59

その中に市橋君が書き残したであるろうメッセージが残っている。

メッセージの内容(市橋君のものだけ抜粋)

tatsuya - 03/11/21 18:22:30 ホームページアドレス:http://tatsuya1895.tripod.co.jp 電子メールアドレス:whitecover@hotmail.com

コメント:
佳恵へ ホームページみたけんど、本格的でおどろいた。 今度、お菓子持ってであそびにいくから また、いろいろ、話しようよ。 ディズニー話はもうれつに楽しみにしてるっす。 達也より

電子メールアドレスの記述がwhitecover@hotmail.comとなっているので市橋君が書き残したものであろうと推測できる。市橋君は卒論のテーマにディズニーランドを選んでいる事もコメントの内容と符合している。

市橋君は2001年に千葉大学に入学してるので、2003年の11月は卒業を控えた大学4年生で、2004年の6月は、大学卒業後の初夏の筈である。どうやらこの掲示板は、市橋君が大学在学中に仲のよかった仲間同士が利用する為にYahooジオシティーズに設置された板が今まで放置されていたのだろう。

また「電子メールアドレス:whitecover@hotmail.com」は2003年から事件が起こった2008年まで約5年間、市橋君が使用し続けた事になる。

市橋君の当時の周辺情報を獲得する手がかりとなる。掲示板に記載されている情報からリンクをたどってみる。

市橋君のメッセージの中にある「佳恵へ ホームページみたけんど」と言う一文を頼りに

佳恵さんのホームページを参照してみる。

yoshie - 03/11/12 02:48:11 ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/5282/index.html

上記の佳恵さんのホームページのlinkの欄をチェックすると「千葉大学大学院園芸学研究科・園芸学部」のサイトへのリンクも確認された。」その他「鍋会」のコーナーもチェックしてみたが市橋君の姿は確認できなかった。img05.jpg一番手前の「よしえ」さんが市橋君がディズニーランドの話をしたがった人物らしい。ちなみによしえさんは日記に当時、カワサキ重工から発売されたTRと言うバイクがお気に入りで免許を取得し、成田山へのツーリングにでかけていた事を書き残している。それから数年後、学生時代の同級生である市橋達也君が殺人犯としてマスコミを騒がす事になろうとは夢にも思わなかっただろう。「よしえ」「もえみ」「あきな」「ようこ」「なみ」「のりお」「りょう」「あや」「まちこ」「たかこ」「ちあき」「ひろし」彼らの記憶の中の市橋達也君はいかなる人物像であったのだろう。

元千葉大学空手部顧問の本山先生が発起人の「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」の過去の投稿(ブログ)に目を通すと、市橋君の千葉大学時代の同級生や、空手部の仲間だった人達からも支援する会に対して支援金が振り込まれていると言う。

秋葉原無差別殺傷事件をおこした加藤智大君同様、英国女性暴行殺害事件をおこした市橋達也君も、一般人となんら変わりない学生時代を過ごしたのであった。普通に生活している普通の人がある日突然「通り魔」となったり「暴行殺人逃亡犯」となったりする現実に現代社会の心の病の影がみえるのである。

以下参考
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Yahooジオシティーズ(geocities)とは?

元々はジオシティーズ社が開始、運営していたサービスであり、ウェブサイトの無料スペースとしては先駆け的な存在である。1996年の売上高はおよそ5万ドルであったが、その1年後の1997年には500万ドルというように、当時その成長には目を見張るものがあった。

Yahoo! JAPAN ID(ヤフー・ジャパン・ID) を所持している人であれば、最大50MBの容量が利用できる(有料会員のジオライトならば300MB、ジオプラスなら1GB)。アダルトサイトや閲覧が制限されるサイトは禁止されている。また、3ヶ月以内の更新が必要とされている。しかし、更新されずに3ヶ月を超えたページでも削除されずにそのまま残り続けているものは非常に多い。

2000年3月に日本のジオシティーズ株式会社はYahoo! JAPANと合併し解散、日本法人の『ジオシティーズ』も『Yahoo!ジオシティーズ』に改名された。
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以上参考

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13、市橋君の逃亡経路

市橋君の著書「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」に出てくる地名を追ってGoogle地図にピンをさし、エクセル表に時系列に沿って市橋君の逃亡ルートを追ってみた。

市橋君にしてみれば3年前の記憶を呼び起こしながら書いたものなので、一部記憶がつながっていないところもあり不明瞭な地図となっている。ただ、広域的には、北関東、熱海、青森、新潟、関西、岡山、瀬戸大橋を通り、四国(お遍路)、大分、鹿児島、最終的には沖縄のほぼ無人島(オーハ島)に行き着き、関西の飯場と沖縄を行き来する生活を送る。最終的には福岡と名古屋の整形外科医院からの通報をきっかけに逮捕に至る。

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14、千葉大学大学院 本山直樹名誉 教授

市橋君の出身大学からネット上で情報を検索しようとすると「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」なる組織のサイトがヒットする。その趣旨はこちらをご一読願いたい「支援する会の趣旨 」。

ウィキペディアから引用する
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大学時代の部活顧問だった千葉大学大学院名誉教授の本山直樹が「適正な裁判を受けさせる会」を立ち上げ、市橋の自首と募金を呼びかけた。マスコミ報道で大きく報じられたことに胸を痛め、あくまでも適正な裁判を受けさせ、社会復帰への道を、という元教授としての愛情からである。罪状が死体遺棄から強姦致死、殺人へと大きく変わり、国選弁護士として引き続き弁護していくためには費用の面で難しいことを支援の理由に挙げている
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以上引用

秋葉原無差別殺傷事件においても直接事件に関わっているわけではないが、加藤君の周辺にいた人物として、かつての同僚「東洋ワークの大友秀逸さん(青森時代)」「関東自動車工業の派遣社員の月山さん(仮名:静岡時代)」職場の先輩として「八洲陸運の藤川さん(仮名:青森時代)」や、一時、友人関係にあった出会い系で知り合った「青森の女性」、掲示板のサイトで知り合った「群馬の女性」が登場し、各々の立場で加藤君はどういう人間であったのか語っている。

ゲームや漫画の世界でいうところの、サブキャラクター、映画や演劇でいうところの脇役と言った人々である。

市橋君の事件に関しては、市橋君が千葉大学に在籍中、所属していた空手部部活顧問だった本山直樹先生(千葉大学大学院名誉教授)がその任を負っている。重要なので、市橋達也君の適正な裁判を支援する会の趣旨「市橋達也君に適正な裁判を-緊急支援要請」は、本サイトの付録の一項目にも収録した。

大学院の名誉教授と言う公的な立場にある方が、殺人事件の加害者の裁判を支援する会の発起人になったりすれば、各方面から色々なバッシングが起こるのは容易に想像できる。本山先生は、第5回公判に弁護側の証人として出廷した。

以下、法廷記録(一部抜粋)
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 弁護人「支援する会を設立し、1年半が経過しました。あなたに対する嫌がらせは?」
 証人「たくさんあります」

 《本山さんは嫌がらせの実例を挙げた。本山さんはうろたえることなく、しっかりとした口調で話したが、その中身は激しいものだった》

 証人「今日もメールでえげつない言葉がありました。ストーカーに相当する電話もあります。午前3時に10回も20回も鳴らされることがあります」
 「さらに私の携帯電話番号を使って、通販で購入をしています。架空の住所に送らせるため、運送会社や通販会社から問い合わせが来ます。これらが毎日続いているのです。300回以上です」

 《ここで、検察側が「予定時間をだいぶ過ぎている」と声を上げた。男性弁護士は「最後です」と応え、初めて「市橋被告」と呼んだ》

 弁護人「後ろにいる市橋被告に対し、どのように言ってあげたいですか」
 証人「(身柄が)拘束されているときには接見したかった。ぶん殴って、しかりつけてやりたかった。事実を述べさせ、反省させたかった。今は...」

 《本山さんが声に詰まる。涙交じりの鼻声になった。教え子に対する思いがあふれ出ているようだ》

 証人「どういう判決になるか分からないが、刑に服して反省し、生きることが許されるなら、20年、30年と成長するように社会貢献してほしい」
 弁護人「終わります」

 《法廷はここで、いったん休廷した》
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以上引用

本山さんにとって「市橋達也」は、彼が30年間教鞭をとった間に接した巨万(ごまん)といる学生の中の一人に過ぎない。その一人に過ぎない「市橋達也」に対して嵐の渦中に身を置いての支援である。秋葉原無差別殺傷事件が起こった時、加藤智大君に対して多くの報道があった、高校時代の先生や短期大学の教員が在学中の加藤君の成績や生活態度についてカメラの前で「過ぎ去った過去」を語る教育者はいたが、彼らは拘留され裁判を目前にしたかつての教え子の心中をどこまで察していたのだろうか?

「立派になって社会に貢献してくれよ」と卒業生の背中を見送ったあの日の事も既に過去の事なのであろうか?

付録:市橋達也君の件で 本山直樹・・より以下引用する
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元教師として元学生に望むことは、黙秘を続けることではなく、事実を明らかにして罪をきちんと償うこと。その上で、残された人生をしっかりやり直してほしいということ。市橋君にとっては、これから長い年月をかけて贖罪する日々が続くのだろう。千葉大学を定年退職して年齢的にすでに高齢期の私にどこまで見届けられるかはわからないが、生きている限りは元学生の更生を見守り、精神的な支援をしていきたいと思っている。
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以上引用

市橋達也君の適正な裁判を支援する会 の過去の投稿(ブログ)に目を通すと、本山先生が拘留中の市橋君と面会した時の様子が詳細に書かれている。他人を強姦殺害し死体を遺棄し、二年七ヶ月も逃亡し、挙句に逮捕拘留され公判を待つ身の市橋君の心情を察する事ができる貴重な資料である。是非、一読される事をお勧めする。

市橋君にしてみれば、実家から当然の様に敷かれた人生のレールの先にあった筈の医師にはなれず、浪人して入学した横浜国立大学の二部には馴染めず中退。最終的に落ち着いたのが、千葉大学園芸学部であった。市橋君が在学中に所属した空手部の顧問が本山先生だったのだが、本山先生と巡り合えただけでも千葉大学を選んで良かったね(´∀`)と言いたい。

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15、美容整形外科への風景(博多編)

下記のYoutube動画は私が実際に博多駅の新幹線の改札口(筑紫口側)から、市橋君が整形手術を試みた「ヴェリテクリニック福岡院」(福岡市博多区博多駅前3-26-5 Mビル1号館8F 0120-394-412)へ徒歩で移動し、実際に市橋君が見たであろう「美容整形外科への風景(博多編)」を撮影公開したものである。7分30秒。市橋君が著書に記述している通り、ヴェリテクリニックは美容整形外科医院であり、動画に記録されている「ヴェリテクリニック福岡院」の系列院として、市橋君に整形手術を施術した後に、警察に通報した「ヴェリテクリニック名古屋院」(名古屋市中村区名駅4-5-20 第二堀内ビルディング5階 0120-451-170)が存在する。

http://www.veriteclinic.com/progress/nose/02.html

「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」から抜粋

大阪の飯場を出てから、新幹線で福岡へ向かった。 サングラスをしていたので、シートに座っていてもさほど心配ではなかった、 博多駅のそばにある病院に行った。 事件前、この病院のホームページを自分の部屋のパソコンで何度かみている。ホームページの手術前・手術後の写真の中に、凹凸のない日本人の顔が手術後は西洋人の凹凸のある顔に劇的に変わっているひと組の写真があって、その変化に驚いて何度も見た。

取り調べの時、僕が逃げている間、警察は実家の電話に逆探知を付けていたことや、僕の大学での卒論テーマが「東京ディズニーランドの植栽」だったというだけで、ディズ二ーランドの地下道まで捜したという話を聞いて、正直驚いた。でも僕は、逃げている間、知り合いや家族には一度も連絡を取らなかったし、職業や職場、生活する場所も以前の僕とはまったく関係のないものを選んだ。事件を起こす前に自分のパソコンでホームページを何度も見ていた病院に行くことが危険なことはわかっていた。
警察はパソコンの記録をチャックして、その病院をマークしているはずだ。だから行かないでおこうと思った。
それでも、大阪のマンガ喫茶でその病院のホームページを再び見ると、出っ歯を治す手術がほかの病院より安い。七十万余りでできることがわかった。
ホームページの、劇的な変化を示したビフォー・アフターの写真がずっと頭に残っていた。
この病院で手術を受ければ、まったく別の顔になれるんじゃないか。
手持ちのお金でも、この病院なら手術を受けられる。
事件から二年半が経ってまぁ大丈夫じゃないか、というそれまでにはなかった思いも広がっていた。もうどこにもいく所はなかった。
早く楽になりたかった。
大阪の現場を出た時点で決めていた。この病院なら手持ちの九十万円で手術を受けられる。職場に戻るつもりもなかった。

病院に入る時は。サングラスを取ってメガネをした。礼儀正しく。おどおどした感じでいた。男だから整形手術を受けるのは初めてだという感じで病院に入った。
受付時に名前と住所と電話番号を書いた。希望の手術を伝えると、受付嬢が手術の流れを説明してくれた。でも、やはりすごく面倒だった。これまでの整形は一日で終わったのに、手術前に歯科医でかみ合わせの模型を作るなどと、面倒なことを言われた。
「それは困る、無理だ」と断った。受付嬢が僕の写真を撮ろうとしたのでそれも断った。「先生に話だけでもしたら」と言われたので面談をした。
先生からは「ご希望の手術は出っ歯の人がやるもので、かみ合わせが正常な君には必要ありません」と言われ断られた。
この病院は、ほかの病院では行っていない眉間を高くする手術もやっていることをホームページを見て知っていた。
それなら、眉間を高くする手術を受けようと思った。でも、口の手術を断られた後、すぐに眉間の手術をお願いするのは怪しまれると思って、その病院と同じ系列の名古屋の病院に行くことにした。

今にして思えば、その病院に行ったのが逮捕されるきっかけとなった。偽名を使ったが、僕が市橋達也である事がわかったのは、その名古屋の病院だった。

名古屋には高速バスで行った。バスの中ではサングラスをしていたが、病院に行く時はメガネに替えた。
病院の受付では、福岡の病院で言ったのとは違う名前、住所、電話番号を書いた。職業はフリーターと書いた。メールアドレスも書いた。前もってマンガ喫茶でフリーメールを作っておいた。マンガ喫茶のカードは、保険証なしで福岡の歯医者で治療した時の診察カードを提示して作っていた。
正面写真と横からの顔写真を撮られた。僕の手配写真にはほおの二ヶ所に小さなほくろがあることが書かれていたから、沖縄から大阪に向かう時、自分で切り取っていた。そのほくろがある方の写真だけを何枚も撮られた。その時、おかしいなと思った。

のちにニュースで、この名古屋の病院は僕の二ヶ所のほくろの切除痕を見て警察に通報したと話していた。
医師から、説明を受けて手術料金の約四十万円を支払った。何日か後に手術を受けた。その間は名古屋のマンガ喫茶に泊まった。福岡と同じ系列のマンガ喫茶店だった。
名古屋に来た目的は顔を変える事だけだった。病院に行く以外は、名古屋駅周辺のマクドナルドのソファに座って、本を読んで時間をつぶした。

夏目漱石の「坑夫」や村上春樹の本を読んだ。話題になっていた「1Q84」や他の本も読んだけど。「海辺のカフカ」という小説が面白かった。小説の主人公の少年の「頭がかっとすると・・・考えるより先に体が動いていってしまう」というせりふを読んだ時、自分と重なった。
手術後は眉間付近に血がたまる。それを抜くためにチューブを付けて、管に血がたまるようになっていた。看護師から「その状態で過ごして下さい。管とチューブを取るために、もう一度来てください」と言われた。
どこに泊まっているかを聞かれ、「ラブホテルなんかに一人で泊まっている」と答えた。実際はマンガ喫茶だった。
管とチューブをニットキャップとメガネで隠した。
もう一度、病院に行くと、「明日、もう一度来てください」と言われた。変だと思って「今日中に血抜きの管とチューブを取って欲しい」と言うと、では、今日の午後、来てください」と言われた。その日の午後に病院で管とチューブを抜いてもらった。
看護師から「これからどこに行くのか」と聞かれ、僕は「わからない」と答えた。
彼女は「紅葉なんかを追いかけるのも楽しいかもね」と話した。抜糸のために一週間後に来るように言われたが、抜糸は自分でやろうと思った。
福岡に戻り、抜糸までの一週間、ビジネスホテルでゆっくり過ごそうと思った。

博多では、ビジネスホテルやマンガ喫茶に泊まった。
眉間には石こうの保護シートと絆創膏が貼られていた。腫れは引いたので、ホテルで知らない人が見ても、けんかをしたのかな程度ぐらいにしか見られなかったと思う。
一週間ほど経ってから、ホテルの部屋で、自分で抜糸した。
まだお金はあったので、もう少しゆっくりしようと思った。
福岡の病院で先生から口の手術を断られた時、僕はがっかりしたけれど、うれしくもあった。僕だって好きで自分の顔を変えたいわけじゃなかった。もう自分でできる整形はこれで終わったと思った。手術の痕がなくなったら、熊本かどこかで仕事を探そうと思った。サングラスをはずして、ホテルの部屋で壊した。サングラスの代わりにメガネをかけた。
口ひげとあごひげをはやしていたが、口のひげは剃った。
ホテルの部屋や、せんべいとコーヒーを無料で提供している店に入って本を読んだり、中洲の街を歩いたり、市の温水プールで泳いだりした。焼き鳥でお酒を飲ませる店があって、少しのお酒と焼き鳥を食べた。
ある夜、博多駅の博多口から駅に入ろうとした時、その出入り口付近で、制服警官が大きく拡大した僕の手配写真だけを足元に置いて立っていた。
おかしい。
何かおかしい。
そう思いながら、警察官の前を通り過ぎた。
駅構内を通って、筑紫口から駅を出た。宿泊しているホテルはすぐ近くにあった。
ホテルに戻るべきかどうか迷いながら、帰宅帰りの人たちの中を歩いた。結局、周りを確認した後、ホテルに入った。部屋の鍵はその日限りのカードキーで、外出する時もそのカードキーを持ち歩くので、フロントでホテルの従業員と会うことはなかった。
エレベーターに乗って部屋がある階に着くと、非常階段から下に見える車の動きやバス停の人の動きを確認して部屋に入った。
ドアを閉め、ドアののぞき穴から外の様子をしばらく見ていた。
少し経つと、スーツを着た若い男二人と女性一人が楽しそうにしゃべりながら部屋の前の廊下を通り過ぎていくのが見えた。新入社員のように見える彼らを見て少しほっとした。
ドアから離れ、部屋の小さな冷蔵庫から買っておいた食べ物を食べて眠った。

その翌日だと思う。
朝、部屋を出ようと荷物をまとめていると、つけっぱなしのテレビの画面に、テロップが白文字で流れた。

「二年半前に千葉県で起きた英国人女性死体遺棄事件で指名手配中の市橋達也容疑者が福岡、名古屋の病院を訪れていたことが判明した」
見た瞬間に固まった。

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16、精神分析的まとめ

市橋達也君の母殺しと再生の儀式

なぜ、まじめで優秀な元千葉大学園芸学部の学生であった市橋達也君(過去1回の逮捕歴有り)が、なんの罪もない英会話学校の教師のリンゼイ・アン・ホーカーさんを自室に誘い込み、強姦し、監禁し、殴り、髪を切り、バスタブに園芸用の土をかけて遺棄してしまったのか?または、そうしなければならなかったのか?

どんなにネット上の記事を読んでも、裁判記録を追っても、謎だった。どうしても千葉大学を卒業後して留学を目指し「英語学習」を続けていた真面目な元学生であった市橋達也君の悪魔的行為の説明がつかなかった。

最後に、市橋君が千葉大学園芸学部時代に所属いていた空手部顧問だった本山直樹さん(東京農業大学客員教授/千葉大学大学院名誉教授)が立ち上げられた「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の活動ブログを読んでヒントを得て、精神分析学を学んでいる私なりの「解」を得たのでここに記す。

精神分析学では「母の存在」が大変重い。いつでも、結局いきつくところは「母」と言うくらい、人の問題行動の根源は「母」なのだ。

まず最初に話の切り口として私の実父の話をします。

私の実父は世間での評判は大変よく、真面目で四人兄弟の末っ子でありながら、老後の祖母に連れ添い最後を看取った所謂(いわゆる)孝行息子であります。祖母は祖父が比較的若くに亡くなった後に再婚するのですが、私の父は祖母の連れ子として養子になっています。ですから、父の兄達とは苗字も異なっています。こういう経緯をみても、母親べったりの末っ子の息子だった事が伺えます。

そんな孝行息子を絵に書いたような私の父ですが、彼はその人生において一度だけ大きな間違いをしでかしました。私が小学校に入学する前の事ですので、もう40年以上も前の事になります。

ある日、私が実家に帰宅すると唐突に母が私にこう言いました「お父さんが事故を起こしたの、近所の人にはいわないのよ!」・・当時どこの家にもあった青いビニール製ひも暖簾(のれん)の向こうから聞こえてきた母の声を今でも覚えています。なにか怒ったようでもあり、小声で秘密めいて私の記憶に残っています。

幼かった私には事の重大性がわかっていなかったのですが「近所にふれまわるのがいけない事なら最初から私に言わなければいいのに」と言う母への憤(いきどお)りを感じたのを覚えています。そして、今まで正しい人、模範とする筈の父が正義の人でなくなった事も薄らわかっていました。

さすがに私にしてみれば実父の人生の最大の汚点について父に面と向かって問いただす事もできず、後年、親戚筋から断片的にきいた情報をまとめると父の起こした事故は以下の様なものだったらしいです。

父はある日、飲酒していたのにも関わらず、知人を駅に送って行く為に、所有していた自動車を運転し、前方不注意でおばあさんをはねて死亡させた。賠償金は祖母が所有していた畑を売り賠償金にあてた。よって、それ以降、より一層、父は祖母に頭があがらなくなり、完全に去勢(きょせい)された。更に、父は罪の償いとしてそれ以降彼の人生において、ただの一度たりとも乗用車のハンドルを握る事はなかった・・らしいです。

後年、父は私の生活態度を注意する度「枕言葉として」、(私は)あんたに説教できる様な人生を送ってないが・・という台詞(せりふ)を吐きました。多分、人身事故を起こした事をずっと負い目に感じていたのでしょう。

父の事故は、時期的には、昭和40年代前半の話であり、世間はまだ飲酒運転にも寛容で、シートベルトの義務化も図られおらず、自動車保険(任意)の加入率も低く、まだまだ日本にモータリゼーション(motorization):自動車文化が成熟していく過程の話です。

私の人生の長きに渡って父の起こした取り返しのつかない「事故」はどう受け止めていいのか?その「意味」はずっと「不明」でありました。

しかし、近年、精神分析学を知り、一つの「意味」を獲得するに至りました。

父の起こした取り返しのつかない「事故」は父の母(私からみると祖母)への愛憎であった・・と。愛と憎しみは表裏一体と申しますが、父の母に対する愛を欲求するコンプレックス(複合観念体)は父が飲酒をする事によって、憎しみへと転嫁し、母に見立てた他人へ向かったのだと。実母を殺したいほど好きだった父は、それを無意識下において巧妙に交通事故を装って他人の命を殺(あやめ)る事によって表現したのだと。

今、この成熟した現代においても、時折、よくわからない事件や事故が起こります。先日起こった事故を引き合いにだすと・・。

例えば・・・

チノパンが死亡事故、車で38歳男性はねる

 元フジテレビアナウンサーで現在はフリーで活動している千野志麻さん(35)=本名・横手志麻=が2日午後5時ごろ(2013年01月)、静岡県沼津市内で乗用車を運転中、男性(38)をはねる人身事故を起こした。男性は胸などを強く打ち、搬送先の病院で死亡した。

 沼津署によると、現場はホテルの屋外駐車場。千野アナが駐車場内を車で移動していたところ、歩いていた長野県小諸市平原、職業不詳の荻原俊文さんをはねた。千野アナは事故後自ら「事故を起こしてしまいました」と110番通報したという。親族の男性によると、千野アナは1日から実家のある沼津市に帰省中だった。同署で詳しい事故原因を調べている。

 千野アナは2000年にフジに入社。バラエティー番組などで活躍し、"チノパン"の愛称で人気を得た。05年12月に退社し、06年4月に福田赳夫元首相の孫で福田康夫元首相のおいにあたる10歳年上の外資系証券会社社員と結婚。08年6月に双子の男児、09年12月に女児を出産。最近は子育てを優先しながらフリーで活動していた。

・・とい言う様な、社会的に立場のある方が、ホテルの駐車場内で他人を死亡させると言った通常有り得ない事故(まさかの事故)が実際に起こっています。

こういう事を世間では「魔が差した」と表現したりしますが、精神分析の世界では、物事には必ず道理があり、すべては偶然ではなく、そうなる理由があったと説きます(すべては必然である)。そして、その多くは人の無意識:コンプレックス(複合観念体)が引き起こしていると言います。

話を市橋君が起こした事件に戻します。

裁判記録を読んでも、市橋君が事件を起こした当日の出来事を意識の上にでてくる言葉(市橋君の証言)と物証を並べてみても辻褄が合わない事が沢山でてきます。検事が市橋君に対して「なぜ?」と問うても、市橋君にしてみれば「わかりません」「覚えていません」と答えるしかない事が沢山あります。「裁判で真実を語る」「お話します」と言ってみても、それは飽(あ)くまで意識上に上ってくる「言葉」を並べているだけで、市橋君にしてみれば本当にわからないから「わかりません」と市橋君なりの真実を述べても、検察側からは裁判に不利な事を隠している「不誠実な態度」だと捉えられ、裁判員からは「市橋君の証言は信用できない」と決めつけられ、検察側が描く市橋君の悪魔的ストーリーが必ずしも科学的な裏付けがとれなくても、結果的に市橋君に不利な形で承認されていくのだと思います。

現在の、法廷の仕組みですと、被告の自白は信用されにくく、物証・・いわゆるDNA判定などが決め手になる様な事例が多いのですが、市橋君裁判の様に、加害者と被害者が二人っきりで密室にいた時の犯罪行為を検証して量刑を決定する様な裁判は、一段と難しい判断を迫られる事になります。

なぜ、市橋君は、リンゼイさんと親密になりたかったのか?(当時、交際している女性がいたのにもかかわらず)。
なぜ、市橋君は、リンゼイさんの顔面を殴ったのか?(リンゼイさんを返せなくなるのに)
なぜ、市橋君は、リンゼイさんを死に至らしめた後に、髪を切り、浴槽に土をかけて遺棄したのか?(犯罪の証拠隠滅の手段としては稚拙で意味不明)
なぜ、市橋君は、自首せず、整形手術をしてまで逃げ続けたのか?(彼の逃亡記を読むと逮捕拘留留置服役の方がよっぽど安穏な日々を送れたろうに)

・・などの多くの謎を残したまま、裁判は結審し、市橋君は服役を始めました。

一つの私なりの精神分析的解釈をしますと、今回の市橋君の起こした犯罪行為も、彼の無意識:コンプレックス(複合観念体)が引き起こしたのではないかと思います。

まず最初に市橋君とリンゼイさんが出会ったのが2007年(H19)03月20日(春分の前日)の深夜「最寄り駅の(千葉県市川市の東京メトロ)行徳駅の改札前広場で見かけました」と市橋君は裁判で証言しています。市橋君はリンゼイさんを追って、西船橋駅に向かう電車の中へ。西船橋駅で自転車に乗って走り去るリンゼイさんを走って追いかけ、『大学で美術を学んでいる。自分はストーカーではない。英語を教えてもらいたいだけ』とリンゼイさんの自宅まで追いかけ、リンゼイさんの顔をスケッチし、その絵に自分のメルアドと電話番号を記入しています。その後、市橋君はリンゼイさんは数回に及ぶメールのやり取りをした後に、2007年(H19)03月25日の朝、行徳駅前のドトールコーヒーハウスでリンゼイさんから英会話の個人レッスンを受ける事に成功します。ここで話が終わっていれば何の問題もない日常が過ぎていく筈だったのですが、ここに一つの伏線が存在します。以下に伏線を述べます。

市橋君は、事件前日2007年(H19)03月24日の夜「泊まりにきたい」と言う交際中の女性の電話を断り、翌朝、彼女にも内緒でリンゼイさんの個人レッスンを受けています。この事から推測すると、既に遅くともこの時点から市橋達也君の破滅へのプログラムは動き始めています。何故なら、交際中の女性を部屋に泊めていれば、翌日の早朝にリンゼイさんの個人レッスンを受けた後に、自分の部屋にリンゼイさんを連れ込む事が難しくなるからです。

もっと言えば、市橋君がリンゼイさんに声をかけた2007年(H19)03月20日(春分の前日)の深夜には破滅へのプログラムは作動していた事になります。

私が市橋君と面会が許される精神分析家ならば、市橋君に「2007年(H19)03月20日以前に貴方の身の上に何か普段と変わった事が起きませんでしたか?思い出して下さい」とお願いするでしょう。

例えば猟奇的事件を起こした犯人、この場合も母息子関係が上手くいっていない場合が多いのですが、幼少の頃育ててくれた祖母や祖父が他界してから、小動物を殺し始めるケースがあります。

人は、他人からみればごく当たり前の何げない事で無意識(コンプレックス:複合観念体)のスイッチが入り、問題行動を起こす事があります。

ものすごく簡単な例を言うと、例えば飲酒して他人に迷惑(問題行動を起こす)かける事も同様です。

飲酒して理性(意識)が希薄になった人は、自分の無意識に操られます。日頃、大人しい人が多弁になったり、人に絡んだり、普段なら絶対に言わない暴言を吐いたり、時には全く関係のない人に因縁をつけ暴力行為に及んだりします。周囲に多大な迷惑をかけておきながら、酔いが覚めた後の台詞(せりふ)は決まってこうです「酔っていて覚えてないんです」。他人にあれだけ迷惑をかけて「覚えてない」はないだろう?と・・・しかし、実際に覚えてないものは覚えてないのだから仕方ありません。

常人には意味不明の問題行為の根源は「無意識」なので、他人には全くその意味がわかりません。本人でさえ意識できない「無意識」によってなされた言動ですので、なぜそんな事をしてしまったのか本人でさえ「わかりません、覚えていません」と答えざるを得ないのです。

当時、市橋達也君の何かしらの出来事があって無意識に苛まれる(コンプレックスを刺激される)状態にあったのではないか?と推測できます。

ここで「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」の本山直樹(千葉大学名誉教授)先生の活動ブログから以下を引用します。

2012年4月14日土曜日

学生時代の事件については知っていますが、報道されていることは正確ではありません。卒業後の彼の生活についても、〇〇様が報道から想像している彼の姿は正確ではありません。市橋君が千葉大学を卒業してから半年後くらいに出会って、その後事件当日まで1年半お付き合いしていた友人とは2回お会いして、当時市橋君がどういう生活をしていたか詳しく話を聞きました。外国留学を目指して、英語力をつけるために毎日独力で英語漬けのような勉強をしていたそうです。英語学校に通えば近道だったのでしょうが、契約金その他多額の費用がかかるので仕送りに頼ることはできず、自宅でひたすらテープを聴くという勉強法ではアメリカの大学院に受け入れてもらうのに必要なTOEFL(英語の試験)の点数が十分に上がらず、一方では友人との楽しい生活に耽り、そのジレンマに苦しむ生活だったようです。そのためにストレスでうつ病(今考えると、躁うつ病)に罹り、突然無口になって何もしゃべらなくなって友人に別れ話を持ち出すことを繰り返したようです。最後には、ご両親から3月一杯でマンションを出て、仕送りもストップするので自活するように言われて追い詰められた精神状態になっていました。それが偶然リンゼイさんに出会って、個人レッスンのアポイントメントがとれて大喜びして(今考えれば躁の状態)、あの事件が起こってしまいました。

更に論告求刑時の市橋君の証言を引用します。
以下引用

論告求刑

検察官「犯行場所となった自宅マンションですが、賃貸でなく親族の持ち物だったということでいいんですよね」
 被告「そうです」
 検察官「両親から月いくら仕送りを受けていましたか」
 被告「12万円だったと思います」
 《犯行時、市橋被告は28歳で無職だった》
 検察官「警察に逮捕されたのは今回の事件が初めてですか」
 被告「いいえ。前にも1度あります」
 検察官「財布を盗んだ後、逃げようとして相手にけがを負わせた事件ですね」
 被告「マンガ喫茶の店内に財布が落ちているのを見つけて持って逃げようとしました。それを見つけた人ともみ合って、階段から落ちました。それで私は逮捕されました」
 検察官「相手にけがをさせましたね」
 被告「はい」
 検察官「26歳のころの事件ですね」
 被告「はい」
 検察官「身柄拘束は何日間でしたか」
 被告「14日だと思います」
 検察官「そのときは両親が示談にしてくれたんですよね」
 被告「そうです」
 検察官「釈放されたとき、今後一生犯罪をしない気持ちでいましたか」
 《しばらく押し黙る市橋被告。震えた声で答え出す》
 被告「その覚悟がなかったと思います。私はあのとき、刑務所に入るべきでした」
 《マイクを通じ、市橋被告の「フー」という荒い息づかいが聞こえる》
 検察官「端的に答えてください。もう二度と犯罪を起こさないという気持ちでしたか
 被告「そう思いました」
 《続いて、検察官はリンゼイさんを誘い出す口実となった「英会話の個人レッスン」に関連し、市橋被告の英会話への思いについて質問していく》
 検察官「あなたは英会話スクールに通っていましたか」
 被告「通っていません」
 検察官「留学の予定は決まっていましたか」
 被告「決まっていません」
 検察官「英語の試験では良い成績を取ることができましたか」
 被告「できませんでした」
 検察官「当時の交際相手とは結婚するつもりでつきあっていましたか」
 被告「いいえ」
 《矢継ぎ早の質問に市橋被告は淡々と答えていく》


以上引用

と言う記述から察せられる事は、市橋君がリンゼイさんに出会う3月20日は市橋君にしてみれば親から見放される直前だった事になります。留学を目指し英語学習に取り組むものの思うような成果があがらず、もんもんとした不安定な精神状態の中で、なぜ市橋君があの様な悪魔的、猟奇的犯罪を起こしてしまったのか?きっと、もう一つ大きなポイントがある筈です。

更に、市橋君が千葉大学の学生時代に起こした窃盗事件に注目してみます。この事件についての市橋君の証言をきいて「ん?」と思われた方が多いのではないでしょうか?こういう言い方をすると語弊(ごへい)があるのですが、軽微な窃盗事件で将来のある医者の息子が警察に2週間も拘留されるでしょうか?初犯で「つい出来心的」な犯罪の場合、被害者の方へ謝罪し、示談で刑事告訴をしないようにしてもらえば、殆どの場合一晩拘留される程度で終わるのではないでしょうか?このことから推測される事は「市橋君とその両親の関係」がなり希薄なものではなかったか?と推測できます。

秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大が事件を起こしたきっかけは、加藤智大が利用していた携帯電話の掲示板サイトが荒らされた事を「本当にやめて欲しかった」とアピールする為でした。世間の常識からすれば「たかが携帯電話のサイトを荒らされたくらいで・・」となるのですが、事件を起こした加藤智大にすれば、携帯電話の掲示板のサイトでの人間関係が何者にも優先して守らなければならなかったのです。なぜそうなってしまったのかは過去の月刊精神分析で考察してきました。

ここから、精神分析的視点からの大いなる仮説です。

市橋達君は、父は外科医、母は歯科医、市橋家は岐阜では有名な資産家だと言う。

世間から見れば市橋君は恵まれた環境に生まれ育ったボンボンであると言う見方がされがちであるが、実際にはそうなのであろうか?両親が医者であるが故に、幼少の頃から医師になる事を強制され続けた・・自己の主体を奪われ続けた・・自分自身を殺され続けた・・そんな不自由な生き方を運命として生きてきた人ではなかったのか?

結果、医師にはなれず、4浪の後に入学したのは、千葉大学園芸科だったのである。

この時点で、医師・市橋達也は死んでしまった(殺された)のである。

さて、ここで、市橋達也君は殺されたままではいられなかった。なんとかして生き返る、生まれ変わる事を試みるのである。

市橋君の無意識:コンプレックス(複合観念体)は、もう一度、両親の関心を自分に向けさせようとします。それが、学生時代14日間行徳警察署に拘束されたネットカフェでの窃盗事件であったわけです。

幼い子供が母親の関心を引くために「イタヅラ」をする事と同様に、市橋君は問題行動を起こす事によって、無関心な親の関心を引こうとしたわけです。

市橋君は逮捕されるものの不起訴処分になり、無事4年間で千葉大学を卒業したわけですが、就職はしていません。就職氷河期中で思うような待遇の職がみつからなかったのか「就職浪人」「ニート」になります。当時、交際中の女性の言葉を鵜呑みにすると、市橋君は海外の大学への入学を目指し、独学での英語勉強に没頭していた。いわゆるモラトリアム期間であったそうです。

モラトリアム

学生など社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態を指す。心理学者エリク・H・エリクソンによって心理学に導入された概念で、本来は、大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指す。日本では、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978年(昭和53年))等の影響で、社会的に認められた期間を徒過したにもかかわらず猶予を求める状態を指して否定的意味で用いられることが多い

そんなモラトリアム状態の市橋君に市橋君の両親は市橋君に最後通告を突きつけます。月々12万円の仕送りは3月一杯で終了。更に、祖父母名義で市橋君が住んでいた「新日本サンライズ行徳」も出て自活する様に・・。

完全に親から見捨てられた状態である。

この時点で市橋君の無意識:コンプレックス(複合観念体)のスイッチが入ったのではないでしょうか?

2007年(H19)03月20日(春分の前日)の深夜リンゼイさんと出会う。
数回のメールのやり取りの後、個人レッスンの約束を取り付ける。
2007年(H19)03月24日の夜「泊まりにきたい」と言う交際中の女性の電話を断る。
2007年(H19)03月25日の朝、行徳駅前の喫茶店で個人レッスン。
レッスン料を忘れたとタクシーでマンションへ。
リンゼイさんをレイプ、結線バンドで拘束、監禁。
2007年(H19)03月25日の夜、暴行、絞殺、ベランダに置いたバスタブに殺したリンゼイさんを入れて上から砂をかけて遺棄。捜査員を振り切って逃走。

結果、市橋君の両親は医師を退職する事を余儀なくされる(市橋君の両親に対する復讐)。上記の動きをみると、市橋君のした事は、緻密に計画的に英国人女性をレイプし完全犯罪をしようとしたものではないし、リンゼイさんを殺害し死体を隠匿して逮捕を逃れようとしたものでもありません(あまりに合理的な説明ができない事ばかり)。

むしろ、追い詰められた精神状態であった市橋君が無意識:コンプレックス(複合観念体)に操られてしでかしてしまった事件とした方がよっぽど合理的な気がします。

それでも情報不足から説明がつかない事。
1、なぜ、英国人女性を対象としたのか?
想像を飛躍させると、本当は市橋君は母親を殺したかったのをリンゼイさんを身代わりにして、自分の母に対する愛憎を表現した?
2、市橋家の家族関係の詳細が不明の為、市橋君の無意識の構造が解明できない。
3、なぜ、市橋君がリンゼイさんの服や髪を切ったのか?意味不明。
何か儀式的な意味を込めているのかもしれないが、市橋君からキーワードを聞き出す事ができない。
4、死亡したリンゼイさんをバスタブに入れ砂に埋めたのか?まるで植物(球根)を植える様に。
これも想像を飛躍させると、リンゼイさんを母の身代わりにした「母殺しの儀式」であったのと同様に。植えた球根がやがて芽を出すような「母の再生の儀式」ではなかったか?

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17、おわりに

今回の月刊精神分析は、市橋達也君を取り上げました。市橋君の著書を切り口に謎の多い事件を考察する方向だったのですが、情報を集めていくと、事件当日の市橋君の生活環境と精神状態を推し量る事ができ、ある程度の推考をする事ができました。

特に、市橋君が千葉大学に在学していた時の空手部の顧問であった本山直樹さんが記述された「市橋達也君の適正な裁判を支援する会 」のブログは考察する上で多くのヒントを提供していただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

市橋君の生き様も、秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大さんと同様に、最初から親によって主体を奪われ、レールをひかれた人生であったわけです。

市橋君の場合は、医学部受験に失敗し、横浜国立大学の二部に入学するものの中退。最終的に4浪の後、千葉大学に入学し、無事4年で卒業するものの、順調に社会参入というわけにはいかずモラトリアムに突入していきます。

留学を目指し独学で英語を勉強している最中に、実家から仕送りの打ち切りと自活の開始を強制される・・その最中にリンゼイさんを強姦し殺害、遺棄する事件がおこります。

当初、マスコミで報道されていたボンボンのニートが起こした無軌道な事件とは随分印象が異なった市橋像が浮かび上がりました。

現在、市橋君は無期懲役の判決を受け、受刑中です。

もし・・・なになにたら・・と言うのは言っても仕方がない事なのですが、市橋君の両親と市橋君の関係がもう少し違ったものだったら、この事件は起きなかった、いや、起きる理由がなかった様に思います。

市橋君には才能とセンスと能力があるだけに、彼の人生を刑務所の中で燻(くすぶ)らせておくのはもったいないと思うのです。が、彼がしてしまった事の償いもありますのでどうする事もできません。

今回は、複雑な心境のままペンを置くことになりました。

平成25年01月24日 月刊 精神分析 編集部A

感想は、lacan.fukuoka@gmail.comまでお願いします。

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英国女性殺害 初公判(2011年07月04日)

【英国女性殺害 市橋被告初公判(1)】
入廷いきなり土下座 殺意否認し「裁判で話すことが義務」

2011.7.4 14:39 [英国女性殺害 初公判]

 (13:15~13:35)

 《若い外国人女性の殺害、逃亡、整形、逮捕後の断食、逃亡手記...。国内メディアだけでなく海外でも大々的に報じられてきた男がついに裁かれる》

  《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で殺人と強姦(ごうかん)致 死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判が4日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まった》

 《市橋被告は19年3月、自宅マンションを訪れた捜査員を振り切って逃走。その後、建設会社の住み込みなどで働き、稼いだ金で顔に整形手術を施すなどして逃亡生活を続けていたが、21年11月に大阪のフェリー乗り場で逮捕された》

  《逮捕後はしばらく、お茶以外に手をつけず、断食を敢行。医師から栄養剤の投与を受けたこともあった。事件についても語らなかったが、殺人と強姦致死罪で の起訴直前、「リンゼイさんが『帰りたい』と言って大声を出したので首を絞めた。殺すつもりはなかった」と口を開いた》

 《今年1月には、約2年7カ月に及んだ逃亡生活についてつづった手記を出版。沖縄県久米島近くの離島で野宿生活を送っていたことなどを明かしたが、殺害の経緯や動機などについては触れられておらず、市橋被告が公判で何を語るかが注目される》

 《千葉地裁にはこの日、57席の傍聴券を求めて975人が列を作った。事件発生から4年以上が経過しているが、依然、注目度の高さをうかがわせる》

 《午後1時12分、千葉地裁最大の201号法廷に、堀田裁判長と2人の裁判官が入廷してきた。裁判員はまだ入廷していない》

 《午後1時17分、向かって右側の扉から、「(市橋被告の)悪魔の目を日本に行って確かめたい」と話していたリンゼイさんの父、ウィリアムさんと 母、ジュリアさんが入廷。右側の検察官席の後ろにゆっくりと腰掛けた。2人とも険しい表情だ。2人は証人として出廷するほか、被害者参加人としても公判に 参加する》

 《公判はすべて通訳を交えて行われるため、ウィリアムさんらは耳にイヤホンを装着した》

 《続いて法廷の後方からリンゼイさんの姉妹ら3人が入ってきて最前列の傍聴席に着席した》

  《午後1時19分、向かって左側の扉から、市橋被告が入ってきた。うつむき加減で傍聴席には視線を向けず、中央の証言台の前に来ると同時に、リンゼイさん の両親に向かっていきなり土下座した。ウィリアムさんは、顔を紅潮させて、指を突き立てるしぐさを見せ、市橋被告への怒りをあらわにした》

 《市橋被告は警備の係員に抱きかかえられるようにして立ち上がり、証言台の前の長いすに座った。黒い長袖シャツに、黒っぽいジーンズのようなズボン姿だ》

 《市橋被告が公衆の前に姿を見せるのは、逮捕2日後に送検されたとき以来、約1年8カ月ぶりだ。このときは、ほおがこけ、長い髪が整形で高くした鼻のあたりにまで垂れ下がっていた。目の前の市橋被告は、髪は長めでぼさぼさだが、ややふっくらとした印象だ》

 《裁判所職員が「起立願います」と大きな声を上げると、正面の扉から6人の裁判員が入廷してきた。全員男性で一様に緊張した様子だ。堀田裁判長を含め、3人の裁判官の両サイドに3人ずつ並んで座った》

 《堀田裁判長が通訳の女性に対し、法廷に出廷する証人に求めるものと同様の宣誓を求め、通訳は日本語で宣誓した後、リンゼイさんの両親らに向け、英語でも宣誓した》

 裁判長「それでは開廷します。被告人は証言台の前に来てください」

 被告「はい」

 《市橋被告が小さな声を上げ、中央の証言台の前に立つ。人定質問が始まる》

 被告「市橋達也です」

 《市橋被告はか細い声で答える》

 裁判長「生年月日は?」

 被告「昭和54年1月5日です」

 《堀田裁判長は本籍地や住所を確認した上で続ける》

 裁判長「職業は?」

 被告「ありません」

 《続いて堀田裁判長に促され、男性検察官が立ち上がり、起訴状の読み上げを始めた。市橋被告は手を前にぶらっとさせ、立ったまま聞き入っている》

 《起訴状によると、市橋被告は19年3月25日ごろ、自宅マンションでリンゼイさんの顔を何度も殴り、両手などをテープで縛って乱暴した上、首を絞めて殺害。同26日ごろ、リンゼイさんの遺体をベランダの浴槽に入れて土で埋めるなどして遺棄したとされる》

 《起訴状の読み上げが終わり、堀田裁判長は市橋被告に黙秘権などについて説明した。そして注目の罪状認否に移る》

 裁判長「2通の起訴状のうち、まず1通目の強姦致死と殺人についての公訴事実について、違っているところはありますか」

 《市橋被告は、しばらく沈黙した後、消え入るような声で語り始めた》

 被告「私はリンゼイさんに対して殺意はありませんでした。しかしリンゼイさんの死に対し、私にはその責任があります。私はその責任は取るつもりです」

 「リンゼイさんを姦淫したのは私です。リンゼイさんに怖い思いをさせて死なせてしまったのは私です。本当に申し訳ありませんでした」

 《最後に軽く頭を下げた》

 《通訳の説明に耳を傾けていた父のウィリアムさんは、市橋被告をにらみ続けている》

 《通訳が終わると、堀田裁判長が市橋被告に尋ねる》

 裁判長「少し確認しますが殺意はなかったということですね」
 被告「はい」
 裁判長「あなたの行為によって死亡したことは認めますか」
 被告「はい」
 裁判長「それから姦淫したことは認めますね」
 被告「はい」
 裁判長「起訴状には、リンゼイさんの顔面をげんこつで多数回殴ったり、緊縛したり、頚部(けいぶ)を圧迫したりとありますが、これらについては違っているところはありますか」

 《市橋被告は10秒ほど沈黙した後に語り始めた》

 被告「事件の日に何があったか知っているのはリンゼイさんと私しかいません。でもリンゼイさんは私のせいで何も話せません。事件の日に何があったかは、これからの裁判で話していくことが私の義務だと思います。今の質問には、これからの裁判で詳しくお話ししていきます」

 《堀田裁判長は、続いて2通目の死体遺棄に関する起訴状についても尋ねる》
 堀田裁判長「違っているところはありますか」
 《市橋被告はまたしばらく沈黙した後に話し始める》
 被告「リンゼイさんの遺体を遺棄したのは私です」
 《弱々しい声ながら、自らの主張を話した市橋被告。リンゼイさんの両親は引き続き、市橋被告に厳しい視線を向けていた》



【英国女性殺害 市橋被告初公判(2)】
リンゼイさんが被告宅に行ったのは...「レッスン料忘れた」口実に連れ込み

 (13:35~14:05)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判は市橋被告の罪状認否が終わった》

 《殺意を否認する市橋被告の主張に、検察官の後ろに座る父親のウィリアムさんは険しい表情のまま首を振っていた。堀田真哉裁判長に促されて男性検察官の冒頭陳述が始まった。裁判員や遺族らには概要が書かれた紙が配られている》

 検察官「被告は26歳で大学を卒業して、事件当時は28歳で無職でした」

 《検察官はまず市橋被告とリンゼイさんの略歴について簡単に説明する。リンゼイさんは1984(昭和59)年12月にイギリスで次女として生まれ、大学では生物学を学んだ。日本で英会話教師になるために平成18年10月に来日した》

  検察官「続いて犯行のいきさつについてです。19年3日20日から21日に日付が変わったころの夜、東京メトロ東西線の行徳駅から西船橋駅に向かう電車の 中で、市橋被告はリンゼイさんのことをじっと見つめていました。リンゼイさんが自宅最寄りの西船橋駅で降りたら市橋被告も降り、自転車で帰宅するリンゼイ さんを走って追いかけました」

 「市橋被告は『水を飲ませてほしい』という口実で家に上がり込みました。家には同居人の ○○さん(法廷では実名)がいました。リンゼイさんと○○さんは市橋被告に早く帰ってほしいと思っていましたが、市橋被告は居座りました。市橋被告は『英 語を教えてほしい』といい、リンゼイさんの連絡先を聞き、21日午前1時ごろにリンゼイさんの家を出ました」

 《裁判員たちは検察側から配られた手元の用紙を見つめながら検察官の言葉に耳を傾ける》

 《市橋被告は22日にメールで『英語を教えてほしい』と伝え、2人は24日までのメールのやりとりで1時間3500円の授業料を条件に、25日午前9時から行徳駅付近で英会話レッスンを行うことを約束した》

 検察官「市橋被告は3月25日午前9時前に駅前でリンゼイさんと会い、駅前の喫茶店でレッスンを受けました。市橋被告は自宅に連れ込んで強姦するために『レッスン料を家に忘れた』と言ってリンゼイさんを自宅に誘い出しました」

 《リンゼイさんが市橋被告の家に行った理由が初めて明らかになった。リンゼイさんは同日午前10時50分から英会話学校でレッスンの予定があったため、市橋被告のマンション内のエレベーターではしきりに腕時計を見るなど時間を気にしていたという》

  検察官「市橋被告は部屋に入り、リンゼイさんの顔を殴りつけ、結束バンドと粘着テープで手首を縛り、強姦しました。その後、首を圧迫して窒息死させまし た。26日夕方に外出して園芸用の砂を購入。(取り外しが可能な)浴槽にリンゼイさんを入れてベランダに運び、土を入れて遺棄しました」

 《リンゼイさんの母親、ジュリアさんは鋭い目線で市橋被告の横顔をにらむ。市橋被告は微動だにしない》

 検察官「26日午後9時半ごろ、警察官が市橋被告の家を訪ねてきました。市橋被告はすきを見て逃走しました。そして市橋被告は2年半にわたり逃走していました」

 《市橋被告は21年11月10日、大阪のフェリー乗り場で身柄を確保されるまで顔を整形したり、土木現場で働いたりするなどして、逃亡生活を送っていた》

  検察官「最大の争点は殺意の有無です。弁護側はリンゼイさんが声を出すのを止めるために市橋被告が首に手を回して死亡させたとしていますが、検察官は次の 点から殺意があったと主張します。1、市橋被告が3分程度、リンゼイさんの首を相当程度の力で圧迫していました。2、リンゼイさんを強姦した後、犯行発覚 を防ぐという殺害の動機がありました。相当程度の力で3分間、首を圧迫したことは遺体の解剖を行った医師の証言で立証します。医師は明日、証言します。重要なので良く聴いていてください」

 《検察官は裁判員裁判を意識して、裁判員たちに訴えかける。裁判員たちは顔を上げて応じた》

 検察官「強姦致死が成立するかも争点になっています。弁護側は強姦から死亡するまで時間が経過しているため、強姦致死は成立しないとしています。しかし市橋被告がいつでもリンゼイさんを強姦できるように縛り続けていたことなどから、強姦致死が成立すると考えています」

 《検察官は情状面として、結果の重大性、犯行の粗暴・残酷さ、身勝手で自己中心的な動機、遺族の処罰感情が峻烈なことを述べて冒頭陳述を終えた。続いて男性弁護人が冒頭陳述のために立ち上がり、証言台まで移動した》

 弁護人「市橋被告は強姦、傷害致死、死体遺棄の事実を認め、罪をつぐなう気持ちです」

 《弁護人は検察側と同様に市橋被告とリンゼイさんがレッスンを行うまでの経緯を簡単に説明した》

  弁護人「市橋被告は(レッスンに間に合わせるため)朝早く自宅を出ましたが、慌てていて家にレッスン料を忘れました。レッスンを終えて財布にレッスン料が 入っていないことに気づき、リンゼイさんに『お金を取りに戻りたい』と頼み、タクシーに乗って家に向かいました。最初は自宅近くにタクシーを止めて、運転 手に『5、6分待ってください』と頼みましたが、断られました。そして2人で家に向かいました」

 《強姦目的で家に連れ込むため、『レッスン料を忘れた』と言ったとする検察側の冒頭陳述と真っ向から対立した主張となっている》

 弁護人「部屋に入り、玄関のところでリンゼイさんに抱きつきましたが拒絶され、もみ合いになって押し倒し、強姦しました。このとき顔は殴っていません。抵抗できないようにするため両手首を縛りました」

 弁護人「その後、リンゼイさんを4畳半に連れて行き、取り外した浴槽を持っていって、その中に入れました。リンゼイさんは裸だったので、灰色のパーカーを着せて、さらに上着をかけました」

 《弁護側が強姦の状況、その後の2人のやりとりについて詳細に述べていく。母親のジュリアさんは両目を手で覆った》



【英国女性殺害 市橋被告初公判(3)】
殴られ、たじろぐ被告 覆い被さると...弁護側が死亡の経緯詳述

 (14:05~14:15)

 《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判は弁護側の冒頭陳述が続く》

 《市橋被告は自宅マンションでリンゼイさんを強姦後、4畳半の室内に連れて行った。男性弁護士が死亡した経緯について読み上げていく。市橋被告は殺人罪に問われているが、あくまでも「死なせてしまった」とする主張だ》

 弁護人「リンゼイさんは(19年3月)25日深夜近くになって『持病がある。薬を飲まないと』と訴えました。被告はパソコンで病気と薬の名前を検索しました」
 《さらに弁護人は、市橋被告に当時、交際していた女性がいたことを明らかにした。市橋被告は交際女性が自宅に訪れることを恐れていたという》

 「被告は女性に『1週間会えない』とメールしました」

 《その後、弁護人はリンゼイさんが死亡した経緯について、市橋被告の室内での行動を生々しく再現する》

 弁護人「(交際女性に)メールを送ったのが(3月26日)午後0時半ごろ。その後、被告は眠ってしまいました。26日午前2時から3時ごろに目を覚まし、(リンゼイさんを拘束した)バンドが締まっているか、確認しようと近付きました」

 《市橋被告が眠っている間、リンゼイさんは手足を結束バンドで縛られ、4畳半の室内に置いた浴槽の中に放置されていた》

 「バンドが足に着いているのを確認しましたが、浴槽をみると、手が外れていました。その時、突然、リンゼイさんが被告の顔面を殴りました」

 《市橋被告はうつむいたまま、冒頭陳述に聞き入っている。感情の変化はうかがえない》
 「被告はたじろぎました。リンゼイさんは浴槽を倒し、逃げだそうとしたのです」

 《はうようにして進んだリンゼイさん。「リンゼイさんの大声が、隣人に聞こえるかもしれない」。これ以上の声を出されることを恐れた市橋被告はリンゼイさんに近付いていった》

 弁護人「被告は後ろから近付き、左手で口をふさぎました」

 《リンゼイさんはそれでも大声を出し、前に進もうとしたという。男性弁護人は身ぶりを交えながら説明する。裁判員らは真剣な表情で聞き入っている》

 「今度は左腕を顔に巻くようにしました。それでもリンゼイさんが声を出し続けたため、上半身に覆いかぶさりました」

 《体重をかけていた市橋被告だが、異変に気付く》

 「リンゼイさんの目の焦点が合っていませんでした」

 《市橋被告は心臓マッサージと人工呼吸をしたというがリンゼイさんの意識が戻ることはなかった》

 弁護人「それが、26日午前2時から3時ごろの間です。被告はショックを受けました」

 「何がなんだか分からなくなった被告は、疲れて寝てしまいました」

 《男性弁護人は市橋被告がベランダにリンゼイさんの遺体を遺棄したことは認め、裁判員に向け「審理に当たっての注意点」を呼びかけた》

 弁護人「被告が逃げたことから供述が得られない状態で捜査が進んだわけです。(事件の構図は)捜査員が見立てでまとめたと考えます」

 《男性弁護人は捜査がこのように進んだ経緯について「やむを得ない」とした上で、客観的証拠が無視されていると主張。捜査の問題点を指摘する》

 《5日に証人として出廷する司法解剖医の主張にも「鑑定で分かった点、分からなかった点」に注意してほしいと呼びかけた》

 弁護人「被告は2年7カ月間逃亡しました。(裁判員らも)ニュースを見て、頭に入っていると思います。ただ、事実と証拠に基づいて審理してほしい。公判では殺人と強姦致死に反する証拠が出てくる。良く考えてほしい」

 《弁護側の冒頭陳述が終了した。その後、堀田真哉裁判長が公判前整理手続きの結果について説明。強姦致死と殺人について争いがあることや、今後の日程について確認した》
 《午後2時15分に休廷。市橋被告はうつむきがちで、表情は読み取れない》



【英国女性殺害 市橋被告初公判(4)】
「美しくても鼻にかけることなく、優しい子」 親友の証言に両親が涙

 (14:43~15:10)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判は約30分間の休 廷の後、予定の時刻より3分ほど遅れて審理が再開した。市橋被告は入廷すると、向かって右側の検察側の席の後ろに座るリンゼイさんの両親に深々と頭を下げ た。しかし、父親のウィリアムさんは一瞬のけぞるようなしぐさをみせたが、厳しい視線を投げかけた。母親のジュリアさんは市橋被告の方を一切見ようとしな かった》

 《検察側の証拠調べが始まる。女性検察官がリンゼイさんと一緒に来日した英国籍の親友の△△さん(法廷では実名)の調書を読み上げていく。内容は来日の経緯とリンゼイさんの人柄などだ》

 検察官「来日した経緯についてお話しします。私(△△さん)はリンゼイさんのことをリンズーと呼ぶほど親しかった。リンズーは日本の英会話学校で英会話の教師になるために来日しました」

 「日本の英会話学校を選んだ理由は、その学校の待遇がよかったことと、東京の景色がエキサイティングだったこと、日本は治安がよく、安全だと聞いていたからです」

 《英国の大学で知り合ったという2人。日本で英会話教師になることを決めた2人は平成18 年10月に一緒に来日する。△△さんによると、リンゼイさんは知的好奇心が強く、日本でも多くの人と知り合いたい、いろんな知識を吸収したいと考えてい た。日本のことが気に入り、1年間の予定だった滞在の延長も希望していたという》

 検察官「リンズーは英国に戻ったら、小学校の教師になるのが夢だった。日本での経験を生かしたいと話していました」

 《日本での勤務地は英会話学校が決めるため、2人の勤務地は別々だったという。しかし、メールや電話では頻繁にやりとりを繰り返していた。そのやりとりの中で、リンゼイさんは△△さんに知らない男に追いかけられたと告白していた》

 《19年3月20日夜、2人は千葉県市川市の行徳駅前のバーで一緒に飲食した後、リンゼイさんが『終電がなくなるから帰る』と言って先に帰宅。その後、数時間後の21日深夜に△△さんに電話をかけ、異変を伝えてきたという》

  検察官「21日午前1時12分に7分17秒の通話記録があります。そのとき、リンズーは、ねぇ、聞いて。すごく変なことがあったの。知らない男が私のこと をずっと見つめてきて、話しかけてきたの。男は『洗濯機を直したのは僕です。僕のことを覚えていませんか』って言っていたわ、と話していました」

 《この会話の男は市橋被告とみられる。男はリンゼイさんに英会話の講師になってほしいと話し、(東京メトロ)東西線西船橋駅からリンゼイさんの家までついてきたという》
  検察官「リンズーは男を家に上げたと話していました。私(△△さん)が『なんでそんなことをするの』と話したら、リンズーは『息を切らして、英語の講師に なってと言っていて、かわいそうだったの』って話していました。優しい子だからかわいそうだったのでしょう。日本が安全な場所と信じ切り、英国にいたとき ほどの警戒心がなくなっていたというのも事実です」

 《リンゼイさんと市橋被告の最初の接点だと思われる状況が、親友の調書を通じて明らかになってくると、裁判員らの表情は次第に険しさを増した。市橋被告は微動だにしないまま、前を向いてうつむき、検察官が読み上げる調書に耳をかたむけている》

 《2人は頻繁にメールや電話のやりとりを続けていたが、3月24日の夜を境に一切連絡が取れなくなったという。△△さんは警察に相談したが、そこでリンゼイさんが殺害されたことを聞かされたという》

 《続いて、リンゼイさんの人柄に話が移る》

 検察官「リンズーはとても美しかったが、それを鼻にかけることはせず、自分に誇りをもっていた。とても優しい子で、自分(△△さん)が入院したときはクリスマスでも駆けつけてくれた。とても優しい子だった」

 《人柄についての話が続くと、検察側の後ろに座っている両親は、大粒の涙を流し、懸命に目頭をハンカチでぬぐっていた》

 《その後、市橋被告とリンゼイさんのメールのやりとりが報告された。市橋被告が声をかけた翌日の(3月)22日から、犯行前日の24日夜まで、計7回のやりとりがあったという。メールはいずれも英文で送られていたが、法廷では日本語に訳されて読み上げられた》

 検察官「3月22日午後5時ごろ、市橋被告からリンゼイさんに『英語を教えてください』という件名で送られていました。内容は『こんにちは。火曜日にあなたと話した者です。家に招き入れてくれてありがとう。今週末、話す時間はありますか』などというものでした」

 《このメールに、リンゼイさんは週末の土曜か日曜に応じると答えた。また、1回のレッスン料は3500円と伝えたという。リンゼイさんは市橋被告と25日午前9時に行徳駅の喫茶店で会う約束をした》

 《その後、約束の喫茶店の防犯カメラの様子が明らかにされた。2人が喫茶店で英語のレッスンのようなことをしているのを、店員が目撃していたという》
 検察官「その後、2人は行徳駅からタクシーに乗り、市橋被告の自宅マンションに向かいました。タクシー運転手の供述によると、2人は人1人分あけ、会話がなかったそうです」

 《その直後の25日午前9時54分ごろ、自宅マンションの防犯カメラには、2人が市橋被告の部屋のある4階で一緒にエレベーターから降りる様子が、映し出されていた》



【英国女性殺害 市橋被告初公判(5)】
「浴槽の土の中に白い肌色の皮膚...」 遺体発見状況に体震わせる遺族

 (15:10~15:35)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人などの罪に問われた市橋達也被告(32)の裁判員裁判は検察側の証拠調べが続く。法廷の大型モニターには、殺害現場 である市橋被告のマンションの防犯カメラの映像などが映し出され、女性検察官から殺害当日の状況が説明される》

 《モニターには、リンゼイさんが殺害された平成19年3月26日午後6時ごろ、マンションの駐車場で、市橋被告がショッピングカートから何かを運ぶ様子が映し出されている》

 検察官「市橋被告は5回ほど部屋と駐車場を往復した後、駐車場にカートを残して部屋から出てきませんでした」

 《大型モニターの映像が消える》

 検察官「これから、被告とリンゼイさんが2人で写っている姿を見ていただきます」
 《大型モニターに、雨の中、マンションの近くを市橋被告とリンゼイさんが歩いている様子が映し出される。ニット帽を被り、傘を差さずに歩いている市橋被告の後ろに、白い傘を差したリンゼイさんがついていく。2人の身長を比べると、リンゼイさんがやや大きく見える》

 検察官「エントランスの様子です」

 《画面が切り替わり、マンションの玄関の映像になる。後ろを振り向くことなく、市橋被告は足早に玄関を通過する。リンゼイさんは傘をたたむために、やや遅れて市橋被告とエレベーターに乗り込んだ》

 検察官「エレベーターの中の様子です」

 《エレベーターの内部の様子が映し出される。先に乗り込んだ市橋被告が、リンゼイさんを待って、4階のボタンを押す》

 検察官「リンゼイさんの様子にご注目ください」

 《リンゼイさんは、そわそわした様子で、しきりに左手首に目をやっている。時間を気にしているようだ。リンゼイさんの母、ジュリアさんは殺害される直前の娘の姿に、目頭を覆っている》

 《男性検察官に交代し、画面が切り替わる》

 検察官「リンゼイさんの勤務状況について説明します」

 《検察官が、リンゼイさんの同僚男性の供述調書を読み上げる》

 検察官「事件当日、英会話学校を無断欠勤したのを聞いて何度も電話を掛けたが、留守番電話になってしまって1度も繋がらなかった」

 《大型モニターには、同僚男性から提出された、リンゼイさんの勤務状況表が映し出される》

 検察官「リンゼイさんは25、26日に無断欠勤をしている。ほかに無断欠勤は1つもなく、真面目に働いていた」

 《次に検察官は、市橋被告のマンションから、リンゼイさんの勤務先までの時間を述べた》

 検察官「電車で30分、自動車で25分ほどです」

 《大型モニターに、殺害当日、市橋被告が近所のホームセンターで購入したものの内容が映し出される》

 検察官「購入したものは、赤玉土14リットルが4袋、園芸土25リットルが2袋、シャベルが1個、発酵促進脱臭剤が2個、脱臭剤が2個、苗木が1本」

 《検察官は、リンゼイさんの遺体を発見した千葉県警船橋署の刑事の供述調書の内容を大型モニターで示す》

 検察官「これから、被告が職務質問された状況、被告が逃走した状況、リンゼイさんの遺体発見当時の状況について説明します」

 《大型モニターに、『被告が職務質問された状況』と、大きく映し出され、検察官が刑事の供述調書を読み上げる》

 検察官「(3月26日)午後8時15分ごろ、リンゼイさん失踪の相談を受けた生活安全課の署員と刑事部の署員数人で、被告のマンションに到着。失踪の原因に、リンゼイさんが最後に目撃されたとき、一緒にいた被告が絡んでいる可能性があるとのことだった」
 《検察官は、大型モニターに『逃走した時の状況』と示しながら、市橋被告が部屋の扉から顔を出した時の状況について読み進めた》

  検察官「セーターを着て、クリーム色のリュックサックを背負った若い男が部屋から出てきて、市橋被告だな、と思った。職務質問をするのに、マンションの共 用の廊下上では都合が悪く、被告の自室の状況も確認したかったので、『中に入って話を聞こうか』と言った。被告は、いきなりリュックサックを肩から下ろす と、署員を押しのけて、すごい勢いで走り出し、非常階段を降りていった。私は『逃げたぞ』と叫んで追いかけたが見失った」

 《検察官は、大型モニターに『遺体発見の状況』と示しながら、刑事が市橋被告の部屋からリンゼイさんの遺体を発見した状況について読み進めた》

  検察官「リンゼイさんの安否確認をしなくてはならないと思って、被告の部屋に戻った。玄関を開けると、大きな女性用の黒い靴が置いてあり、リンゼイさんは ここにいると直感した。そばのゴミ箱に、銀色の接着テープと、結束バンド、明るい茶色の髪の毛が絡まっているのを発見し、リンゼイさんに危害が加えられて いるのを確信した」

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさんが市橋被告をにらみつける。市橋被告は微動だにしない》

 検察官 「リンゼイさんを保護しようと各部屋を確認したが、リンゼイさんはいなかった。浴室の浴槽が外れているのに気付き、確認していないベランダを回ったとこ ろ、浴槽が置いてあった。一緒にいた署員が浴槽に詰まっていた土を軽くなでると、白い肌色の皮膚がみえた。触っても反応がなく、土が盛り上がったり下がっ たりと呼吸をしている様子もなかったので、土に埋まっているのは人間の遺体だと分かった」 

 《生々しく明らかにされるリンゼイさんの遺体発見当時の様子に、母のジュリアさんが、体を震わせ、顔を覆って泣き出した》



【英国女性殺害 市橋被告初公判(6)】
モニターに映された犯行時の避妊具 遺族は顔を覆った

 (15:55~16:20)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判は、いったん休廷 に入ったが、約20分後に再開した。入廷した市橋被告は検察側の後ろに座るリンゼイさんの両親に向かって深々と頭を下げた後、被告人席に着席した》

 《引き続き検察側の証拠調べが始まり、女性検察官は事件当時、市橋被告が交際していた女性の供述調書を読み上げ始めた。供述は事件があった平成19年3月25日前後に関するものだ》

  検察官「24日午後11時ごろ、達也に電話をしたら家にいました。『泊まりに行きたい』と伝えたら、『今日はスポーツジムに行って疲れたから1人で寝た い』と言われました。ただ『ご飯だけならいい』といわれたので、(市橋被告の住む)マンションまで迎えに行き、近くで焼き肉を食べました」

 《市橋被告は焼き肉が好物だったが、この日はあまり食が進まない様子だったという。食事の後は近くの海岸までドライブをした後、市橋被告のマンション前で別れたという。そして供述は事件当日の3月25日に移る》

 検察官「達也の家に電話をしましたが出ませんでした。達也から26日午前0時38分にメールが届きました」

 《ここで法廷内の大型モニターに交際女性の携帯電話を撮影した写真が映し出される。携帯の画面には市橋被告が女性に送ったメールの文章が出ており、男性検察官が読み上げる》

 検察官「××へ(法廷では実名) 達也です。電話くれた? これから1週間ぐらい部屋にこもって勉強します。××には悪いけど、1週間電話を取らない。でも信じてください。メールは構わないです。ではでは」

  《市橋被告は以前から部屋にこもって勉強をすることがあったため、女性は市橋被告のメールを不審に思わなかったという。市橋被告は出版した手記の中で、警 察官から逃走した直後に公衆電話を見つけ、車を所有していたこの女性と一緒に逃げたくて電話したが、話し中だったため断念したことを明らかにしている》

  《続いて検察官は犯行現場となった市橋被告の住むマンションの状況について説明を始めた。大型モニターにはマンション周辺の住宅地図が映し出され、検察官 は近くの学校や駅などとマンションの位置関係を簡単に説明。モニターにはさらにマンションの見取り図、エントランス、市橋被告が逃走に使ったとされている 非常階段の写真などが次々と映し出された。右端に座る男性裁判員はあごに手を当てながら、手元にあるモニターを真剣な表情で見つめる》

 《検察官は続いて、事件発覚後の27、28の両日に市橋被告方で行われた現場検証について説明する。モニターには玄関の内側部分の写真が映し出され、バスケットボール、ゴミ箱、ゴミ袋などが置かれているのが分かる》

 検察官「ゴミ箱の中には粘着テープ13片、結束バンド5本、コンドーム1個、コンドームの袋2個が入っていました」

 《これらのものを広げておき、撮影した写真がモニターに映し出される》

 検察官「13片のテープは無造作に丸められていました。結束バンド5本のうち、切断された2本は切り口が一致しました。コンドーム1個は内側についていた精子のDNA型が市橋被告のものと一致しました。外側にはリンゼイさんの細胞がついていました」

 《写真に映し出されたコンドームが強姦に使われていたことが明らかになった。母親のジュリアさんは顔をゆがめてうつむき、両目に手を当てた。手はしばらく震えていた。検察側はさらに現場にあった別のゴミ袋について、内容物を読み上げていく》

 検察官「パーカー、リンゼイさんの頭髪、リンゼイさんのコート、リンゼイさんのカーディガン、粘着テープ」

  《さらにこれらを広げ、撮影した写真がモニターに映される。写真にはリンゼイさんの焦げ茶色の髪が大量に映し出される。写真を通じて、犯行が凄惨(せいさ ん)だったことが分かり、ジュリアさんは目に涙をためながら、うつむいた。隣に座る父親のウィリアムさんはジュリアさんの肩に手を置いて気遣う様子で、2 人は小声で言葉を交わしていた》

《市橋被告はうつむき、表情は伺えない。検察側の証拠調べがさらに続く》



【英国女性殺害 市橋被告初公判(7)】
廊下から台所に尿の痕跡 壁には血液も付着 検察側立証続く

 (16:20~16:50)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判は検察側の証拠調べが続いている》

 《事件後に市橋被告の自宅マンションの室内を撮影した写真が廷内の大型モニターに映し出されており、傍聴人らが見入っている》 《映し出された写真は玄関にあった透明のゴミ袋の中身だ。検察官は避妊具の袋や使用済みの避妊具があったことを挙げた》

 《生々しい説明にリンゼイさんの両親は表情を曇らせる》

 検察官「玄関たたきには黒い運動靴や黒いハイヒールがありました。運動靴のつま先には被害者のDNA型と一致する血液が付着しています」

 《脱衣場の様子がモニターに映し出される。入り口の柱には粘着テープが張られ、テープにリンゼイさんの焦げ茶色の毛髪や被告の左手の指紋が検出されたことが示された》

 「次は風呂場の様子を写した写真です。浴槽はありません。シャワーのフックには黒いセーターが掛けられ、毛髪10本が付着していました」

 《検察側は、粘着テープの指紋から、市橋被告が実際に使用したことのほか、遺留されたリンゼイさんの毛髪やDNA型、拘束に使用された結束バンドの位置から、室内でどのようにして被害に遭ったかを立証する方針のようだ》

 《モニターに玄関側から撮影した廊下の写真が映し出された。廊下から台所の敷居にかけて尿の痕跡(尿斑)が見つかったことが示された》

 《一般に、首を絞められるなどした場合、被害者は失禁する。このため、捜査の現場では、尿斑の位置が犯罪場所の特定に用いられることがある》

 検察官「廊下の壁には、血液も付着しています。写真では赤い矢印で示しています」

 「台所には被害者の水色手提げバッグがあり、携帯電話が入っていました。そのほか、着衣などもありました」

 《スカートやブラウス、ベルトや下着-。モニターに映し出されたリンゼイさんの着衣を見た母親のジュリアさんは手で顔を覆った》

 検察官「財布には、外国人登録証や西船橋-小岩間の定期券、1327円が小銭で入っていました」

 「台所の床にあったレジ袋には、粘着テープや結束バンドがありました。テープには一部に(リンゼイさんの)焦げ茶色の毛髪が付着していました」

 《発見された結束バンド17本のうち、切断された10本は切り口が一致したという。リンゼイさんのDNA型と一致する細胞片も検出されており、検察側は実際に犯行で使用されたことを主張する》

 《その後、男性検察官は居間、6畳や4畳半の和室の状況を説明。リンゼイさんの両親は目を合わせ、小声で何かを話し合った》

 《4畳半の写真には英語の参考書などが映し出された。室内の床からは45センチ四方の尿斑が見つかったことも明らかにされた》

 検察官「6畳の和室にはふすまが立てかけてあります。このふすまは2カ所破れていました」

 《ふすまの穴はリンゼイさんの抵抗によるものなのだろうか。男性検察官は市橋被告をちらりと見やった。続いて5畳半の洋室内の様子について説明が始まった》

 「レジ袋が3つありました。袋の中には脱臭炭やシャベル、ザクロの苗木がありました」
 《検察側の証拠調べは、リンゼイさんが遺体で見つかったベランダに移った。リンゼイさんはベランダの浴槽内に土をかけられた状態で見つかった。モニターに写真が映し出される》

 《警察によって青いビニールシートで目隠しされ、浴槽は側板でフタをされ、上に植木鉢が置かれている》

 検察官「続いて、遺体の状況について説明します。モニターを消してください」
 《遺族に配慮し、傍聴席から見える大型モニターが消される。父親のウィリアムさんは顔面を紅潮させ、ハンカチで目をぬぐった》

 検察官「遺体のそばには鉄亜鈴があります。土を取りのぞくと、左側面を下にして、体を丸めていました。足には結束バンドが有ります」

 《再びモニターが映し出される。土を取り除いた後の写真だ》

 「毛髪が1束あります。マットレスには表と裏に60センチ、45センチの尿斑がありました」

 《検察官の説明は、室内の台所や廊下、居間や6畳間の床や畳にあった傷跡に移る。リンゼイさんの遺体や取り外した浴槽を動かした際にできたものだろうか》

 「もう一度モニターを消してください」

 《遺体の付着物について説明がなされた》

 「右顔面、左右の前腕、左右の足には天然ゴム系のものが付着していました。(拘束に使用された)粘着テープも天然ゴム系と認められます」

 《男性検察官は、捜査報告書から被害者の着衣が切られた状況を立証する。リンゼイさんのカーディガンは腕の部分を縦に切られていた》



【英国女性殺害 市橋被告初公判(8)完】
逃走後は神戸や大阪の建設会社に偽名で勤務...整形手術で鼻筋にシリコン

 (16:50~17:05)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の初公判は、殺害時にリンゼイさんが着ていた着衣の状況について検察側による説明が続く》

 《男性検察官はリンゼイさんのスカートに尿がついていた状況について説明。その様子に、父親のウィリアムさんは向かって左側の大型モニターをじっと見すえていた。しかし、母親のジュリアさんは涙をこらえることができず、顔を両手で覆っている》

 《続いて男性検察官は、市橋被告がリンゼイさんを拘束する際に使われたとされる結束バンドについて説明する》

 検察官「犯行に使用したものと同じ結束バンドです。2種類あり、大きい方は長さ42センチ、幅5ミリで、小さい方は長さ30センチ、幅4・8ミリです」

 《説明を終えた男性検察官は、裁判官と裁判員、補充裁判員に直接、結束バンドを見せてまわる。堀田真哉裁判長にうながされて弁護側に提示した後、堀田裁判長が再び口を開いた》

 裁判長「被告人はよろしいですか」

 《市橋被告は小さくうなずき、男性検察官が結束バンドを目の前に運んだ。それを確認すると市橋被告は小さく数回うなずいた。その後、男性検察官は市橋被告の部屋の状況の説明に入った》

 検察官「部屋には固定されていない浴槽がありました。また、6畳と4.5畳の和室があり、両方の部屋の間にはふすまがありましたが、市橋被告はふすまを使わず1部屋のようにして使っていました」

 「事件前まで頻繁に部屋に出入りしていた交際相手の女性によると、ふすまが破れたのは見ていないということです。また、結束バンドを使うところも見ていないということです」

 《リンゼイさんの遺体が埋められた浴槽がいつベランダに運ばれたのかについて、近所の住民の証言も報告された》

 検察官「(平成19年3月)25日昼ごろに市橋被告の部屋のベランダには浴槽がなかったことが、近所の住民によって確認されています。一方、この住民は26日午後9時ごろに、警察官に被告人のことを尋ねられたあと、ベランダには浴室があったことを確認しています」

 《部屋の状況が説明される間、市橋被告はじっと前を向いていた。母のジュリアさんは依然、ハンカチで涙を拭いている。一方、男性検察官は市橋被告が現場の自宅マンションから逃亡し、逮捕されるまでの足取りについて説明を始めた》

 検察官「被告の犯行後の行動について説明します。被告は平成20年2月29日から6月26日までの間、『イノウエコウスケ』と名乗り神戸市の建設 会社で働いていましたが、その後、寮から姿を消しました。20年8月20日から10月10日までは大阪府茨木市内の建設会社で『イノウエコウスケ』の偽名 を名乗り働いていました。その後、翌11日の午前中に荷物を残したまま寮から姿を消しました」

 《偽名を使い、各地を転々としていた市橋被告。その際、各地で顔に整形手術を繰り返していたとされる。男性検察官はその状況を説明した》

 検察官「20年10月23日と24日、名古屋市内で整形手術を受けました。この時は眉間の手術をしていますが、この時には鼻筋にシリコンが注入されており、過去にも整形手術をしていました。整形手術前の市橋被告の顔写真はこちらです」

 《法廷の左右の大型モニターに、全国に指名手配されたときの市橋被告の顔が映し出される。写真は短髪で色が白く、幼さが残る表情の市橋被告が映されている。市橋被告は、特に視線をモニターの方に向ける様子はなかった》

 検察官「市橋被告は平成21年11月10日に大阪市住之江区のフェリー乗り場待合室にいたところを、大阪府警住之江署員に発見され、署に任意同行されたあと、同日通常逮捕されました。逮捕時の写真がこちらです」

 《大型モニターに映し出される逮捕時の市橋被告の写真。先ほどの写真に比べ、肌の色はやや黒くなり、髪はぼさぼさに伸びていた》

 検察官「本日の証拠は以上です」

 裁判長「本日はこれまでとなります。明日は午前10時20分からとなります」
 《検察官が終了を告げると、堀田裁判長は次回公判の開廷を5日午前10時20分と告げて、閉廷を宣言した。市橋被告は一度立ち上がって一礼をした後、すぐに座り、退廷の準備を始めた。その様子を、リンゼイさんの両親は直立したまま、じっとにらみつけていた》

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英国女性殺害 第2回公判(2011年07月05日)

【英国女性殺害 市橋被告2日目(1)】
右目付近に皮下出血、口内も出血...解剖の女医が詳述

2011.7.5 11:55

 (10:20~10:40)

 《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判が5日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まっ た。今公判ではリンゼイさんの遺体の司法解剖を行った医師が証人として出廷した。初公判で殺意の有無などをめぐり、真っ向から対立する主張を展開した検察 側と弁護側双方が、それぞれの主張に沿う証言を引き出そうと火花を散らすとみられる》

 《市橋被告は4日の初公判で、入廷と同時にリンゼイさんの両親にいきなり土下座。「リンゼイさんの死に対し、私は責任は取るつもりです。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪したが、「殺意はありませんでした」と述べた》

  《また、初公判では検察側、弁護側それぞれの冒頭陳述により、今回の裁判の争点が明確に示された。それによると、検察側、弁護側ともに市橋被告が19年3 月25日にリンゼイさんを乱暴したことと、その後死体を遺棄したことについて争いはなく、死亡に至る経緯が争われることになった》

 《検察 側は市橋被告が乱暴後にリンゼイさんの首を圧迫した結果、翌日夕までに死亡したと指摘。「乱暴の発覚を防ぐという殺害動機があり、3分以上、相当な力で圧 迫し続けた」とし、殺意があったとした。また「死亡まで時間が経過していたとしても拘束状態は続いており、いつでも暴行可能な状況が継続していた」と指摘 し、強姦致死罪の成立を主張した》



【英国女性殺害 市橋被告2日目(2)】
首を骨折、陰部に出血...遺体の状況生々しく

 (10:40~11:05)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第2回公判。リンゼイさんの司法解剖を担当した女性医師に対する検察側の証人尋問が 続いている。女性医師は淡々とした口調で遺体の詳細を証言する》

 《市橋被告はうつむいたまま、微動だにしない。検察官の後ろに座るリンゼイさんの父、ウィリアムさんは口元の前で手を組みながら、また母のジュリアさんはほおづえをつきながら、女性医師の説明に聞き入っている》

 検察官「次に(リンゼイさんの遺体の)首の部分について、写真にもとづいて説明してください」
 証人「首にはたくさんの筋肉があるのですが、そのうち胸骨舌骨筋(きょうこつぜっこつきん)という筋肉に出血が見られました。また、その奥にある輪状軟骨には骨折がみられました」
 検察官「では首の内部の図を示します」

 《モニターで首の模型図が示されたようだ。傍聴席から見ることはできない》

 検察官「骨折はこの部位で間違いないですか」
 証人「はい」
 検察官「胸骨舌骨筋は、首のどの位置か説明してください」
 証人「鎖骨とのど仏を結んでいる筋肉です」
 検察官「輪状軟骨についてもお願いします」
 証人「のど仏のすぐ下です」
 検察官「骨の『輪』の中はどうなっていますか」
 証人「空気の通り道になっています」


 《模型を使った説明だが、ジュリアさんは目に涙をため、徐々に鼻が赤くなってきた。再び検察官はリンゼイさんの遺体の写真を示した。今度は胸骨舌骨筋と輪状軟骨の部位に限定した写真のようだ》

 検察官「写真の矢印の部分は何を示していますか」
 証人「骨折部分です。2枚のうち(1)とあるのは、遺体の右側から撮っており、マルで囲んだ先、これが骨折です」
 検察官「骨折は2カ所ですね」
 証人「はい」
 検察官「これはどういう力が働いたと推測できますか」
 証人「真ん中の方から強く押す力が働いたと推測できます」
 検察官「胸骨舌骨筋の状態も合わせて、推測できることはどういうことですか」
 証人「頚部(けいぶ)に強い圧迫が加えられたと考えられます」

  《検察側は4日に行われた初公判の冒頭陳述などでリンゼイさん殺害について「強姦後に犯行発覚を防ぐ目的」で相当の力で圧迫し、明確な殺意があったと主張。一方、弁護側はリンゼイさんに大声を出されたため腕を顔に巻くなどした結果、あくまで「死なせてしまった」と訴えていた。女性医師の証言により、検察 側は自分たちの主張の根拠を示そうとしているようだ》

 《続いて検察側は、リンゼイさんの遺体の胸部、腹部、腕の写真を順に示していった。傍聴席から見て左から3番目の青のワイシャツ姿の男性裁判員は、みけんにしわを寄せ、モニターを見ている。ウィリアムさんは、娘の変わり果てた姿に思わず目を覆った》

 検察官「腕が変色していますが、これは何ですか」
 証人「すべて皮下出血です。左腕のマルで囲った部分は、点のようなものがいくつか見えると思いますが、肘から手首にかけて等間隔にあるのは『圧痕(あっこん)』が混じっています」
 検察官「右手首はどうですか」
 証人「小さなマルが2つあると思いますが、この中にも圧痕があります」
 検察官「それ以外に右手に特徴はありますか」
 証人「左に比べるとむくんでいるという特徴があります。実際に切って開けると、中に組織液、要するに水がたまっていて、そのためだと思われます」
 検察官「原因は何が考えられますか」
 証人「手に強い圧迫が加わり、血流が悪くなったというのが一般的です」

 《リンゼイさんを強姦した際か、死に至らしめた際かの言及はなかったが、検察側は市橋被告が強い力でリンゼイさんの手を押さえつけたことを印象づけたいようだ》

 《続いて検察側はリンゼイさんの下半身部分について尋問を続ける》

 検察官「陰部はどうでしょう。写真はありませんが」
 証人「膣入り口の粘膜、右の小陰唇内側のつけ根に出血がありました」
 検察官「出血はどうして起きたと考えられますか」
 証人「強く圧迫されたと思います」
 検察官「何が原因ですか」
 証人「何か圧迫、挿入があったのでは」

 《午前11時5分、休廷に入った。ウィリアムさんはポケットに手を入れて市橋被告をにらみつけ、いったん退廷した》



【英国女性殺害 市橋被告2日目(3)】
首の圧迫に「かかと」使った可能性も 舌打ちするリンゼイさん父

 (11:25~12:00)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判は、約20分の休廷を挟み、リンゼイさんを解剖した女性医師の証人尋問 が再開された。リンゼイさんの母、ジュリアさんは再び入廷する市橋被告をにらみつける》

 《男性検察官は、リンゼイさんが負ったけがや死亡の原因について女性医師に尋問を続ける》

 検察官「けがは何によって生じたと考えられますか」
 証人「皮下出血や表皮剥脱(ひょうひはくだつ)は鈍体でできたと考えられます。鈍体とは刃物などでないもの。手首や足首の圧痕(あっこん)にはそういう形状が強く圧迫したと考えられます」
 検察官「鈍体はこぶしや足も」
 証人「含まれます」
 検察官「手首や足首の圧痕はプラスチック製のバンドでも可能ですか」
 証人「形としては大変似ている」

 《男性検察官が言う「バンド」とは、市橋被告がリンゼイさんを拘束するのに使った結束バンドのことだ。実際に犯行で使用されたことを立証する趣旨とみられる》

 検察官「顔にあった鼻の傷はどうでしょう」
 証人「何らかの圧迫があったと考えられます」
 検察官「粘着テープでできることは」
 証人「可能です」
 検察官「被害者に救命措置の痕跡はありましたか」
 証人「はっきりとは認められませんでした」

 《一般に、心臓マッサージをした場合、胸部を強く圧迫するため胸骨の骨折などが生じる場合がある。市橋被告が主張するリンゼイさんへの救命措置の実施について、検察側の反論とみられる》

 検察官「リンゼイさんの死因は何と判断しましたか」
 証人「一番考えられるのは首の圧迫による窒息死です」
 検察官「根拠を説明してください」
 証人「首以外の表皮剥脱や皮下出血は死因となり得ない。首の筋肉からの出血や輪状軟骨の骨折など圧迫の痕跡があったからです」
 検察官「首の圧迫でなぜ死亡しますか」
 証人「輪状軟骨は気管を取り巻いていて、(圧迫されることで)酸素を取り込めなくなるからです」
 検察官「首のほかに窒息死の根拠は」
 証人「教科書には窒息の3兆候というのがあります。『血液の暗赤色(あんせきしょく)と流動性』『臓器の鬱血(うっけつ)』『臓器や粘膜の溢血点(いっけつてん)』です。これが満たされていた」

 《血液は酸素不足で色が濃くなり、暗赤色に変わる。溢血点とは、毛細血管が切れ、細かい内出血が起きることだ》

 検察官「リンゼイさんの溢血点はどんな風にありましたか」
 証人「腎臓や肺の表面に溢血よりもう少し大きな溢血斑ができていました」

 《ここで、検察官は裁判員らに分かるよう「窒息の3兆候」について再び説明を求めた》

 《窒息死の場合、例外的に死後も血液は固まらないという。臓器は酸素が必要だが、不足することで血管が拡張し、鬱血するという》

 検察官「どのような手段、方法で窒息したと考えられますか」
 証人「輪状軟骨が両方で折れていることから、(首の)真ん中に狭い面で圧がかかったと考えられます」
 検察官「狭い面での圧とは具体的にどのようなことでしょう」
 証人「2通り考えられます。狭い作用面で押した場合と、平らな面で押した場合です。狭い場合は分かると思いますが、丸いものを平らなもので押すと接触部分は狭くなります」
 検察官「狭いものとは人間でいうとどの部分になりますか」
 証人「指でも、手のひらの下の方やかかとです」

 《検察側の立証で、首の圧迫にかかとが使われた可能性も浮上した。通訳を介してやり取りを聞いていたリンゼイさんの父、ウィリアムさんが体を大きく反らし、舌打ちした》

 検察官「平らなものとは」
 証人「腕やすねです」
 検察官「首が圧迫された力はどれくらい」
 証人「教科書には強くても15キロぐらいで気道がふさがる、とあります。おそらくそれ以上でしょう」
 検察官「頚部(けいぶ)圧迫の時間、窒息死するまでの時間はどれくらい」
 証人「酸素を最も必要とするのは脳。脳には5分酸素が行かなければ死亡するとあります」

 《ここで、検察側はモニターに「窒息の経過と症状」と題した表を映し出した。時間軸に対し、血圧や脈拍、呼吸の変化が折れ線グラフで示されている》

 検察官「死亡まで5分ということですが、表に基づいて説明を」
  証人「窒息が始まってから死ぬまで4期に分かれる。最初の1期(~1分)は症状が出ない。2期(1~3分)では呼吸困難、失禁などがある。3期(3~4 分)は呼吸ができなくなり、血圧も下がる。4期(4~5分)では口をパクパクさせ、呼吸が止まる。4期を越えると、口のパクパクした動きもなくなり、心臓 も止まる。個人差はありますが」
 検察官「心停止までの大体の時間は」
 証人「10~15分続く人もいるが、常軌を越えて長いというのはないです」
 検察官「首を絞め、圧迫した場合、1分程度した後に解放すれば?」
 証人「その程度であれば、そのまま(状態が)戻る可能性が高い」
 検察官「3分以内、2期であれば」
 証人「1期を過ぎると、急に2期に入るのではないです。3期に近づくと医療措置が必要になります」
 検察官「3分以上、3期に入ってからでは」
 証人「医療措置がなければ蘇生しないでしょう。自発呼吸も止まっています。人工呼吸しないと死んでしまいます」
 検察官「これまでの説明で、窒息死にはどれくらいの時間が必要?」
 証人「5分くらい。平均で」
 検察官「首を絞めた場合、どれくらいで死亡しますか」
 証人「最低でも3分は必要」
 検察官「リンゼイさんの場合は」

 《右から3番目の男性裁判員が身を乗り出して、証人の言葉を待った》

 証人「健康な20代の女性ということで、ここからはそう外れることはないでしょう」

 《これで検察側の証人尋問が終了し、休廷に入った。午後1時半から再開し、弁護側による女性医師への証人尋問が行われる》



【英国女性殺害 市橋被告2日目(4)】
窒息めぐり専門用語連発 通訳「待ってください」と悲鳴

 (13:30~14:05)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判は約1時間半の休廷の後、午後の審理が始まった。市橋被告は、リンゼイ さんの両親をじっと見つめながら入廷。証言台の前で一礼した後、中央後方にある長いすに腰を下ろした》

 《堀田真哉裁判長が開廷を告げると、午前中の検察官による証人尋問に続き、リンゼイさんの遺体の司法解剖を行った女性医師が証言台に立った。男性弁護人が尋問をはじめる》

 弁護人「今までの経験についてお聞きします。今まであわせて、700~800の遺体を解剖してきたということでよいですか」
 証人「介助を含めればもっとやっていますが、若いころは少なかったので、主執刀は400くらいかと。正確には覚えていませんが」
 弁護人「窒息(ちっそく)死の解剖は?」

 《弁護人の質問に、女性医師は腕を組んで考えながら答える》

 証人「詳しい数は(研究室に)戻らないと分からないですが、窒息関連は全体の1、2割だと思います」
 弁護人「大体の数で結構ですが、その全体の1、2割の窒息で、今回のように首が絞まっているものはどれくらいですか」
 証人「窒息例のなかで、首が絞まっているのは4割くらいを占めます」
 弁護人「さらにその中で手で首を絞めた事例はどれくらいですか」
 《女性医師は腕を組んだまま、首をかしげる》
 証人「最近ですと、年間5、6例だと思います」
 弁護人「手で行う首の絞まり方の典型例はありますか」

 証人「典型例というのはないが、首の軟骨が折れているというのはありますね」
 弁護人「例えば手で首を絞めるときに、強い力が加われば、首に指の跡がついたりしませんか」
 証人「はっきり指の跡がついているというのはほとんどありません」

 《次に弁護人は、首を手で締めた場合と、ひも状のもので絞めた場合の違いについて質問する》

 弁護人「ひも状のものの場合、血管全体に同じ配分で力がかかると考えていいですか」
 証人「そういうことですね」
 弁護人「扼頸(やっけい)、手で絞めるやり方だと首に対して、一部分にしか力が入らないですね?」
 証人「一部分? 圧迫したところに限られるというのはそうですね」

 《弁護人は一般論から、リンゼイさんの遺体についての質問に移る》

 弁護人「被害者の顔に鬱血(うっけつ)ははっきり出ていたのですか」
 証人「顔面には著明でなかったです」
 裁判長「著明でないとはどういう意味ですか。かみ砕いて説明してください」

 《専門的なやりとりが続く中、堀田裁判長が口を挟んだ。裁判員が話題についていけていないことを危惧(きぐ)したようだ》

 証人「はっきりということではないということです」

 《専門用語が多いせいか、女性通訳の通訳スピードも落ちている》

 弁護人「まぶたの裏に溢血点(いっけつてん)は出ていましたか」
 証人「認められませんでした」

 《弁護人は、午前中の検察官の証人尋問で示された、『窒息の3兆候』である(1)血液の暗赤色(あんせきしょく)と流動性(2)臓器の鬱血(うっけつ)(3)臓器や粘膜の溢血点についての質問を続ける》

 弁護人「窒息死の典型例は、顔面が腫(は)れたり、溢血点がみられたり、ということでしたよね」
 証人「そういうこともあります。それは気道だけでなく、血管も絞めた場合に一緒に起きます」

 《専門的な知識が必要な話のせいか、通訳を聞いていた、リンゼイさんの母、ジュリアさんが首をかしげたままだ。医師が話を続けようとすると、通訳が悲鳴のような声でさえぎった》

 通訳「ちょっと待ってください」

 《通訳が終わるのを待って、女性医師が話しはじめた。リンゼイさんの父、ウィリアムさんが、通訳に「大丈夫だ」というように頷(うなず)いた》

 弁護人「脳に酸素がなくなるというのは血管の圧迫が相当強くないといけないのではないのですか」
 証人「そうではありません。空気を求める大元がしまれば、脳に空気はいきません」
 弁護人「つまり今回の場合は、血液の流れはそれほど止まらなかったが、気道がしまって十分に空気が取り込めなかったということですね」
 証人「そう考えます」

 《質問は、市橋被告がリンゼイさんの首をどう絞めたかという話題に移った》

 弁護人「腕で絞めたのならどういう絞め方になりますか」
 証人「腕なら首にある輪状軟骨を平らな面で押すような形になります」
 《医師は自分の腕を示して説明する。ウィリアムさんは、通訳が首の絞め方を手振りを交えて、一生懸命伝えるのを見ている》
 弁護人「今されたように、平らな面というのは、ひじから手首にかけての部分ということでいいのですか」
 証人「はい」
 《大型モニターに図が示される。リンゼイさんの背中の上に、市橋被告が乗って腕を後ろから首に回しているというのを表した図だ》
 
 弁護人「こういう状態でも(窒息死は)あり得ますか」
 証人「この(ひじから下を示す)部分があたっていればなります」
 弁護人「窒息によって人が死ぬのには少なくとも3分かかると(検察官の証人尋問で)言っていましたね?」
 証人「はい」

 《モニターの画面が切り替わった。検察側の証人尋問で示したのと同じ、「窒息の経過と症状」と題した表を映し出す》

 弁護人「法医学の教科書に載っていた図ですが、この本は見たことがありますか」 
 証人「同じ図なら他の本に載っていたのを見ました」
 弁護人「窒息になってから、ほとんど無症状だという第1期ですが、20~30秒と幅がありますね」
 証人「かなり個人差がありますから。プールで長く息を止められる人とそうじゃない人がいるでしょう。それと同じです」

 《弁護人は、図表で示される窒息死に至る時間に、数分の開きがあることを指摘する》

 証人「個人差があるということです。健康な人、呼吸疾患を患っている人、高齢の人、そういうのも加えて考えますから。おおよその目安です」
 弁護人「首を強く圧迫した時と、弱く圧迫した時で、窒息死の経過時間が変わるのですか」
 証人「強い弱いではありません。気道がふさがっているかです。ふさがっていなければ、経過が長くなることもあります」

 《弁護人が堀田裁判長の方を向いた》

 弁護人「中途半端になってしまうのでここで一度切ろうと思います」

 《堀田裁判長が午後2時5分に休廷を宣言。審理は午後2時25分から再開する》



【英国女性殺害 市橋被告2日目(5)】
死亡時刻はいつなのか 女医に質問続ける弁護側

 (14:25~14:55)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判は、約20分間の休廷後、リンゼイさんの遺体の司法解剖を行った女性医 師に対する弁護側の反対尋問が続けられた。市橋被告は入廷の際、再びリンゼイさんの両親に向かって頭を軽く下げたが、両親は市橋被告を見ようとはしなかっ た》

 裁判長「では、引き続き、弁護側の反対尋問をお願いします」

 《男性弁護人がすっと立ち上がり、名前を名乗った後、ゆっくりとした口調で質問を始めた。質問の内容は、死亡推定時刻の計算方法についてだ》

 弁護人「死亡推定時刻の計算方法は死後硬直から判断する方法もありますね」
 証人「はい」
 弁護人「ほかにも、遺体の直腸内の温度から調べる方法もありますね」
 証人「はい」

 《弁護側の質問に対し、端的に回答する証人。1つの質問と回答が終わると、通訳の女性が弁護人と証人のやりとりを翻訳する。リンゼイさんの父、ウィリアムさんは通訳の女性の方を見ながら、じっくりと耳を傾けている》

 弁護人「(証人が所属する)千葉大大学院医学研究院法医学教室ではどのような計算方法を採用しているのでしょうか」

 証人「37度から実際の(遺体の直腸内の)温度を引いて、0・85で割って、その後いろいろ...。季節によって若干シフトしています」
 弁護人「では、死後、直腸では37度から一時間に0・8度ずつ温度が下がるということですね」
 証人「目安ということです」

 《ここで、検察側から「証人の今の話では、0・8ではなく0・85です」と指摘が入る。堀田真哉裁判長が再度確認し、女性医師は「0・85」と述べた。指摘を受けた男性弁護人は、しばらく沈黙し、手元の資料に一度目を通した後、質問を続けた》

 弁護人「司法解剖前に、警察が検視した鑑定書は見ましたか」
 証人「はい。拝見しました」
 弁護人「鑑定書には19・6度と書いてありましたか」
 証人「そう書いてありました」

 《この数値をもとに、弁護側は死亡推定時間を計算する》

 弁護人「記録によると、検視は平成19年3月27日午後1時43分ごろとあります。直腸内の温度から考えて、検視からさかのぼって約20時間前に死亡したという理解でよろしいでしょうか」
 証人「計算上はそうなります」
 弁護人「では、26日の午後5時から6時前後でもおかしくはないですか」
 証人「計算上はその時間も入ります」

 《弁護側はこれに加え、死後硬直の状況による死亡推定時刻の算出方法も尋ねた》

 弁護人「死後硬直は死後12時間後が(硬直が強くなる)ピークで36時間後まで続くのが一般的ということでしょうか」
 証人「2日間ぐらい続くことがあります」
 弁護人「27日の検視で死後硬直が確認されたのなら、25日午後から26日深夜の間に亡くなられたということですよね」
 証人「計算上はそうなります」

 《検察側は冒頭陳述で、リンゼイさんが殺害された時間を25~26日夕としている。弁護側は、死亡推定時刻から、強姦致死ではなく、強姦と傷害致死が成立することを示そうとしているのだろうか》

 《この後、リンゼイさんの遺体の瞳孔の混濁状況も確認し、別の男性弁護人に交代した。この男性弁護人は女性医師が午前中、検察官の質問に証言した遺体の傷の状況について質問を始めた》

 弁護人「鼻のへこみについて、なんでそのへこみができたか分かりますか」
 証人「はっきりしたものは推定できませんでいた」
 弁護人「鼻のへこみには粘着テープの跡はありましたか」
 証人「鼻そのものにはありませんでした」
 弁護人「鑑定書には...」

 《ここで、男性弁護人は通訳を待たずに次の質問を続けようとし、堀田裁判長に待つように指示された。男性弁護人は少し苦笑いを浮かべ、通訳が終わるのを待った》

 弁護人「鑑定書には顔面には粘着テープがあったとありますが、鼻の記載はありませんね」
 証人「圧痕(あっこん)はありましたが、鼻に粘着テープはありませんでした」

  《午前中、女性医師は検察側に、市橋被告がリンゼイさんの顔に粘着テープを付ける際、強く押さえつけ鼻に圧痕ができた可能性を尋ねられ、「そうかもしれま せん」と回答。弁護側は粘着テープの跡が鼻になかったことを証明することで、この検察側の提示した可能性を打ち消す狙いがあったとみられる》

 《弁護側は、遺体の状況について質問を続けた。専門的な表現が続くこの日の証人尋問。裁判員たちは肘をつくなどして、一様に疲れた表情を浮かべて聞いていた》



【英国女性殺害 市橋被告2日目(6)】
蘇生行為の痕跡がないワケは... 「救命のプロではないから」と主張

 (14:55~15:35)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判。リンゼイさんの遺体を司法解剖した女性医師への弁護側による質問が続いている》

 《弁護側はリンゼイさんの体に残された皮下出血の因果関係に関する質問の後、市橋被告がリンゼイさんに行ったと主張している心臓マッサージや人工呼吸に関する裏付けに移っていった》

 弁護人「素人が救命行為として心臓マッサージや人工呼吸をしたとき、痕跡は残るものでしょうか」
 証人「人工呼吸は残りません。心臓マッサージはたいてい、肋骨(ろっこつ)が折れるので残ります」
 弁護人「肋骨が折れるというのは、心臓マッサージの際、強い力でする場合に折れることがあるということですか」
 証人「心臓はカゴのように守られているので、骨の上から押しても伝わりません。折れるくらいの力を加えないと心臓に伝わりません」
 弁護人「救命の資格を持っている人がマッサージをすれば、そこまでの痕跡が残るのが普通ということですね?」
 証人「他の解剖例ですと、肋骨や胸骨など、1カ所だけではなく、たくさん折れていることがよくあります」

 《弁護人は救命の"プロ"が行う場合、という点を強調して尋問した。リンゼイさんに関しては、心臓周辺の骨が折れているという結果は出ていない。弁護人は、市橋被告は蘇生(そせい)行為を行ったものの、素人だったために痕跡は残らなかったと主張したいようだ》

 弁護人「次に遺体の傷について、先後関係についてうかがいたいのですが」
 証人「生前の場合、なかなか順番は難しいです。例外的に骨折を伴うものについては分かりますが。皮下出血や表皮剥脱については難しいです」
 弁護人「今回の皮下出血や表皮剥脱について、たくさん体にありましたが、それの先後関係は分かりますか」
 証人「それはちょっと無理です」

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさん、母のジュリアさんの2人は身を乗り出すようにして、左隣にいる通訳の言葉に耳を傾けている》

 弁護人「最後に死因についてですが、今回、窒息死ということが考えられると鑑定書に書かれていますね。窒息死の原因としては頸部圧迫や鼻孔閉塞(へいそく)と書かれています。これらは気管が閉塞されて酸素が脳にいかなくなるということですね?」
 証人「そうです」
 弁護人「先ほどの質問では、頸部圧迫の可能性について答えられましたが、鼻孔閉塞による死亡の可能性は法医学的に考えられますか」
 証人「否定はできない、というレベルです」
 弁護人「被害者は亡くなっていますが、鼻孔閉塞と頚部(けいぶ)圧迫の両方が考えられると?」
 証人「うーん」

 《数秒考え込んだ後、再び、女性医師が証言を始める》

 証人「頚部圧迫に鼻孔閉塞がどこかで加わったとしても、鼻孔閉塞は特殊な症状がないので、否定はできないということです」
 弁護人「頚部圧迫だと、15分くらいあれば死亡ということでよろしいですか。行為自体が」
 証人「完全な心停止に至るまでは15分前後かかってもおかしくないということです」
 弁護人「平成19年3月25日午前10時ころに頚部圧迫があったと仮定して、被害者が死亡した時刻が、翌日の3月26日夕ということはありえますか」
 証人「蘇生行為が全く行われないとなると...。それだけ長い時間持つにはやはり首を絞めた後に何らかの医療措置をしないと無理ではないかと思います」

 《弁護側は再び、市橋被告が心臓マッサージなどの蘇生行為を行ったとする主張を裏付けたいのだろうか》

 弁護人「確認ですが、救命行為がなければ、頚部圧迫から亡くなるまではそんなに時間がかからないですか」
 証人「そうです」

 《この証人の答えと同時に、弁護人は「終わります」と質問を終えた。続いて、再び検察官が立ち上がり、女性医師に対する再尋問を行った》

 検察官「不完全な窒息状態が続いた場合、呼吸停止に陥って心停止するまでの期間は(完全な窒息状態と比べて)違いますか」
 証人「それは同じです」
 検察官「輪状軟骨を骨折して、それにより気道が塞がった可能性は?」
 証人「骨折しても中にへこんだ訳じゃないので、骨折そのもので気道が塞がることはありません」
 検察官「リンゼイさんの直腸温度から、死亡時刻は26日午後5時ごろが目安となる、季節によって変わる、とのことでしたが、幅はどれくらいですか」
 証人「直腸温度は警察の検視時点のもので、どこまで信頼できるのか判断しがたい点はあります」
 《この後、弁護側も死亡時刻の特定につながる直腸温度に関する質問を行い、この日、4度目の休廷に入った》



【英国女性殺害 市橋被告2日目(7)】
右目のあざ「かなり強い力で暴行」 裁判員ら積極的に質問

 (16:00~16:30)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判。リンゼイさんを解剖した女性医師に対する検察側、弁護側双方の証人尋 問に続いて堀田真哉裁判長や裁判員の質問が始まった》

 裁判長「裁判所から尋ねます。何か質問はありますか」

 《堀田裁判長は6人の裁判員に顔を向けて尋ねた。裁判員らは向かって左から1~6の番号が記されたカードを首から下げている。3番の男性裁判員が手を挙げた》

 裁判員「非常に分かりやすかったです。2点教えていただきたい。1点目は全身の状況についてですが、顔面の写真は痛々しかった。特に右目の回りに傷、あざがあったが、どれくらい暴行すればあの程度の傷になるのか」
 証人「右目の皮下出血は下の筋まで挫滅していました。かなり強い力が加わったと思います。ただ、同じところを何回も殴ると、同じ部位に皮下出血ができるため、強い打撲ではありましたが、回数は不明です」

 《リンゼイさんの痛ましい姿を思いだしたのか、リンゼイさんの母、ジュリアさんは表情をゆがめた》

 裁判員「2点目です。出血は口の中であったということですが、外部に血が付くようなけがはあったのでしょうか」

 証人「口の中は粘膜内で出血していました。血が出る、というのは開放性損傷ということになる。(開放性損傷は)はっきりしたものはありませんでした」

 《4日の初公判で、検察側は市橋被告の自宅マンション玄関にあった黒い運動靴や室内などに、リンゼイさんのDNA型と一致する血液が付着していたことを明らかにしている。堀田裁判長が念を押して確認する》

 裁判長「口の中の出血は血が(外部に)付くものではない?」
 証人「粘膜下なので、外に出るものではないです」
 裁判長「口の中を含め、血が出る傷はなかった?」
 証人「なかったということです」

 《続いて5番の男性裁判員が質問した》

 裁判員「死因が窒息死ということでした。輪状軟骨に正面から圧迫が加わったということですが、骨折の程度で、どれくらいの強さで押されたかの判断は可能でしょうか」
 証人「どれくらいというのは難しいです。軟骨なので、骨よりは強くないです」
 裁判員「とりわけ強かった、弱かったというのは?」
 証人「私は解剖で直接軟骨を触ったが、人体の軟骨の中で、輪状軟骨は強くないです。親指で思い切り押せばへこむくらいです」
 裁判員「明日、ご遺族の証言で分かるかもしれないですが、昨日、弁護側の冒頭陳述で、リンゼイさんが病気を患っていたということがありました。病気の兆候はあったのでしょうか」

 《弁護側は初公判の冒頭陳述で、「19年3月25日深夜、結束バンドで拘束されたリンゼイさんが市橋被告に対し、『持病がある。薬を飲まないといけない』と伝えた」としている。市橋被告はパソコンで病気と薬の名前を検索したという》

 証人「特に情報はありませんでした。一通り、臓器の組織について病理検査をしましたが、(組織の)形が変わるようなものはなかったです。ただ、(臓器機能の)働きが変わるものまでは分かりません」

 《続いて6番の男性裁判員が皮下出血の発生状況について尋ねた》

 裁判員「皮下出血は生前、打撃や圧迫ということだった。皮下出血は呼吸停止後にも起こりうるのでしょうか」
 証人「心停止後に圧迫しても、皮下出血はほとんど起きません。心臓が動くことで血管内で血液が流れますが、心臓が止まっていれば毛細血管が破れても血液は流れ出さない。水を流したホースと同じ。蛇口を止めればホースを切っても、ホースの中にある水しか流れ出ません」

 《裁判員らはペンを持って、しきりにメモを取っている。1番の男性裁判員が質問した》

 裁判員「説明では、頚部(けいぶ)圧迫で気道がふさがれたということでした。圧迫には15キロ必要ということでしたが、具体的にはどの程度になるのでしょうか」

 《女性医師は午前の検察側証人尋問で、圧迫の強さについて、「教科書には強くても15キロぐらいで気道がふさがる、とある。おそらくそれ以上でしょう」と答えている》

 証人「いろいろな例えがあります。男性の握力は30キロくらい。その半分と考えてもらえれば」
 裁判員「ということは、一般であれば容易に可能ということ?」
 証人「相手が動かなければ。普通、抵抗があるのでその分をプラスした力ということになります」
 裁判員「窒息の過程で、ステージが2期の人体の反応は?」

 《1番の男性裁判員は、検察側の証人尋問でモニターに映し出された「窒息の経過と症状」について質問した。2期は窒息後1~3分の状態をいう》

 証人「よく聞くのがけいれん。筋肉がまともに働かず収縮する。これに伴い、失禁などが起きる」
 裁判員「弁護側は(リンゼイさんが)うつぶせの状態だったとしているが、その場合は?」
 証人「首を引っ張る力に(リンゼイさんの)重さが加わる。気道がつぶれてもおかしくないくらいです」
 裁判員「最後の質問です。窒息した場合、気道が確保されても声は出せないでしょうか」
 証人「気道が完全に締まると無理です。気道の確保が不完全でも、空気を吸い込まないと声は出せません。空気の流れがあるくらいなら、窒息はしません」



英国女性殺害 市橋被告2日目(8)完】
「それは痛いですか」 縛られた手の組織が壊死する状況に思いをはせる裁判員

 (16:30~17:05)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第2回公判は、リンゼイさんの司法解剖を担当した女性医師に対する裁判員の質問が続いている》

 《堀田真哉裁判長が「他の方、何かあればどうぞ」と質問を促した。手を挙げたのは、右端の6番の男性裁判員だ》

 裁判員「気道がふさがって輪状軟骨が折れても、ふさいでいる時間が短かければ回復するということですが、それで回復してから日常生活に支障が出たりはしませんか」

 《男性裁判員は、もし、リンゼイさんが生き残った場合の、首の圧迫による後遺症の有無を心配しているようだ》

 証人「本当に短時間で、意識の消失がないくらいだったら可能です」

 《裁判員からの質問が一段落ついたところで、女性裁判官が質問する》

 裁判官「絞まり方が不完全な状態でも気道閉塞(へいそく)が起こるということですが、かける力が15キロよりも弱くても起こりますか」
 証人「起こります。完全にふさいではいないけれど、かなりふさいでいる場合ならば起こります」

 《裁判官同士で何かささやきあっている。書記官のモニターの調子が悪いようだ》

 裁判長「機械の具合が悪いので、少しお待ちください」

 《千葉地裁の職員が来て、モニターを直している。後ろから様子を見ていた書記官が「大丈夫です」と堀田裁判長に伝えた》

 裁判長「問題ないということが確認できましたので続けます」

 《女性裁判官の質問に戻った》

 裁判官「顔面や手首に粘着テープの痕跡があったということですが、それ以外の場所ではなかったのですね」
 証人「その他の場所については鑑定書が手元にないので」

 《女性医師は申し訳なさそうに答える。検察官から小さなざわめきが起きた》

 《女性裁判官に代わって、男性裁判官が、窒息死に至る経緯の一般論について、女性医師に説明を求めた》

 裁判官「今まで『窒息の3兆候』や、『窒息の経過と症状』というのは法医学上、確立されたものですか」
 証人「はい、ほとんどの教科書に出ております」

 《男性裁判官は、法医学上の知識について認識に間違いがないか、一つ一つ確認を取っていく。女性医師は「はい」、「はい」と相づちを打っている)
 裁判官「気道のふさがり方が不完全なら、窒息死までの経過時間が長くなりますか」
 証人「はい」
 裁判官「最大どれくらいになりますか」
 証人「不完全な窒息というのは非常に珍しいので。個別事例では見たことがありますが、統計は数が少ないのでないです」
 裁判官「あまりに(死亡するまでの)経過時間が長いなら、窒息死以外の死因ということになるのですか」
 証人「不完全なふさがり方でも死ぬまで絞めていたなら、これは窒息死でいいのではないのでしょうか」

 《男性裁判官は、リンゼイさんの遺体についての質問に移った》

 裁判官「本件で、リンゼイさんに対して、酸素の供給が遮断されたのと、頚部(けいぶ)の圧迫が行われたのは、同じ時間だと思いますか」
 証人「およそ同じだと思います」

 《男性裁判官の質問内容はリンゼイさんの死亡推定時刻に移った》

 裁判官「直腸温度では死亡推定に限界があると話していましたが、他の方法でも同じなのですか」
 証人「はい。角膜の混濁で見分ける場合は、乾燥というのが問題になります」

 《遺体の目は、時間がたてばたつほど、乾燥して混濁する》

 証人「今回の場合のように土の中に埋まっていると、湿度が高く、時間の経過を分かりにくくします」
 裁判官「死後硬直ではどうですか」

 《遺体は、死後すぐに硬直し始め、その後また、時間がたつごとに硬直がとけはじめる》

 証人「全身が硬直するまでの時間は、環境にあまり左右されません。硬直がとけるのは腐敗のせいです。腐敗となると気温に左右されます」

 《医学上の知識について長い間話しているためか、6人の裁判員はみなうつむきがちだ》

 裁判官「弁護士が、リンゼイさんの背中の上に、市橋被告が乗って腕を後ろから首に回しているというのを表した図を示しましたが、これでも、輪状軟骨は折れて、なおかつ頚部の静脈は閉塞しない状態になり得るということでいいのですか」
 証人「はい」

 《男性裁判官の質問が終わり、右から2番目の男性裁判員が手を挙げた》

 裁判長「どうぞ」

 《男性裁判員は、粘着テープで拘束されていた、リンゼイさんの手の状況について質問をする》

 裁判員「長い間、水腫状態になるほど、手を圧迫すると、命にかかわる危険はありますか」
 証人「命にかかわると言いますか、血流がその部分にいかないので、酸素の供給が止まり、手先の組織が壊死(えし)します」
 裁判員「それは痛いですか」
 証人「相当痛いでしょうね。完全に組織が死んでしまえば痛みは感じませんが、そこに至るまではかなり痛いと思います」

 《男性裁判員は女性医師の答えに小さくうなずく。堀田裁判長が促すと、左端の男性裁判員が手を挙げ、リンゼイさんに鼻の骨折がなかったことを確認した》

 《裁判員の質問が一段落して、堀田裁判長が女性医師に気道の閉塞が不完全な場合では、窒息死に至るまで圧迫時間が長くなることを確認した》

 裁判長「閉塞が不完全なほど、長く圧迫しなければならないのですか」
 証人「そうなりますね」

 《続いて検察側が再び女性医師への質問をはじめた。男性検察官が粘着テープのついていた位置について確認した》

 《検察側の質問が終わると、堀田裁判長は女性医師に退廷を促した》

 裁判長「本日はここまでです。次回は明後日7月7日午前10時からこの法廷です。被告人は必ず出廷しください」

 《堀田裁判長が閉廷を宣言すると、市橋被告は堀田裁判長に一礼。リンゼイさんの両親の方を見ることなく退廷した》

 《次回、第3回公判では、当時リンゼイさんと同居していた女性の証人尋問と、市橋被告への質問が予定されている》

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英国女性殺害 第3回公判(2011年07月07日)

【英国女性殺害 市橋被告3日目(1)】
最初の一言は「自分に見覚えあるか」...全速力でリンゼイさん追いかけ 同居の外国人女性証言

2011.7.7 11:43

 (10:09~10:22)

 《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判が7日、千葉地 裁(堀田真哉裁判長)で始まった。今回は午後から市橋被告本人の被告人質問が行われる予定だ》

 《初公判で市橋被告は「事件の日に何があったか裁判で話すことが私の義務。これからの裁判で詳しくお話しします」と述べた。被告本人の口から何が語られるのか》

 《午前中には、事件当時にリンゼイさんと同居していた外国人女性への証人尋問が行われる。事件前に市橋被告とリンゼイさんのやり取りを間近で見ていただけに、最も重要な証人といっていい》

  《法廷は千葉地裁最大の201号だ。午前10時9分、被害者参加人として裁判に参加するリンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんが入廷し、傍 聴席から向かって右側の検察官席の後ろに座った。ウィリアムさんは傍聴席を見渡すと、軽く笑みを浮かべ、ジュリアさんと二、三言言葉を交わした》

 《すぐ後に市橋被告が左側の扉から入ってきた。うつむき気味で縮れたボサボサの長めの髪が目にかかっている。黒色の長袖シャツに濃いグレーの細身のジーンズをはいている》

 《市橋被告は、憔悴(しょうすい)した様子でリンゼイさんの両親に深く一礼し、証言台の後ろにある長いすに腰を下ろした。ウィリアムさんは、被告の方を見ずに傍聴席の方に目をそらした》

 《いずれも男性の裁判員6人が入廷。堀田裁判長ら裁判官3人の後ろに並び、法廷内の全員が起立、礼をした後、席に着いた》

 《裁判の最大の争点は殺意の有無だ。初公判で市橋被告はいきなり土下座し、「リンゼイさんの死に対して責任は取るつもりです」とリンゼイさんの両親に謝罪したが、「殺意はありませんでした」と述べた》

  《検察側は「リンゼイさんへの乱暴の発覚を防ぐという動機があり、3分以上、相当な力で首を圧迫し続けた」と殺意を強調したのに対し、弁護側は「大声を出 さないよう口をふさいだが、リンゼイさんが逃げようとしたため、顔に腕を回して押さえ込むうちに動かなくなった」と殺意を否定した》

 《第2回公判では、リンゼイさんの遺体を司法解剖した女性医師が証人として出廷し、「首の中央を強く圧迫する力が加わった。窒息死には最低でも3分は必要だ」と検察側の主張に沿った証言をした》

 《一方で、弁護側がリンゼイさんにかぶさり、腕を首に回す市橋被告のイラストを示し、「この状態でも窒息死はあり得るか」と質問したのには「肘から下が当たっていればなります」と答え、弁護側の主張にも余地を残した》

 《背の高い白人女性が入廷し、証言台の席に座った。長い金髪を後ろに丸く束ねている。午前10時12分、堀田裁判長が告げた》

 裁判長「それでは開廷します」

 《堀田裁判長が「名前は?」と女性通訳を介して質問していく。証人の女性は「○○(法廷では実名)です」と答えていく。その後、堀田裁判長が宣誓を促し、通訳を介して○○さんが宣誓する》

 証人「誠実に真実を証言することを誓います」
 裁判長「それでは、そこに腰かけて証言してください」

 《起訴状によると、市橋被告は19年3月25日ごろ、自宅マンションでリンゼイさんの顔を何度も殴り、両手を結束バンドなどで縛って乱暴した上、首を絞めて殺害。遺体をベランダの浴槽に入れて土で埋めて遺棄したとされる》

 《若い男性検察官が立ち上がり、「この項目に従って質問します」と述べ、裁判員らにメモが配られた》

 検察官「事件が起きた当時、リンゼイさんと日本で一緒に住んでいましたね?」
 証人「はい」

 《○○さんは、カナダから来日。リンゼイさんと同居していた上、リンゼイさんと同じ英会話学校で英会話講師をしていた。一度、カナダに戻ったが、今回は証言のために再来日したという》

 検察官「市橋被告と一度会ったことがありますね?」
 証人「はい」
 検察官「それは平成19年3月21日未明にリンゼイさんと一緒に部屋にやってきたときのことですね?」
 証人「そうです」

 《○○さんが前日20日の夜から別の友人と自宅にいたところ、東京メトロの行徳駅前でほかの友人とバーで飲んでいたリンゼイさんが市橋被告を連れて帰ってきたという》

 検察官「何時ごろでしたか」
 証人「終電の後だったので深夜、12時何分かだったと思います」

 《2人が帰ってきたとき、○○さんは、友人とダイニングルームにいた》

 検察官「そのとき、リンゼイさんとあなたはどうしましたか」
 証人「リンゼイさんは私を浴室に連れていきました」

 検察官「市橋被告についてリンゼイさんは、どのような説明をしましたか」
 証人「リンゼイさんは行徳駅から西船橋まで電車に乗ったところ、彼(市橋被告)がじっと見ていたということでした」
  「彼女は駅を下りて自転車で帰宅しようとしたところ、『自分のことを見覚えあるか。洗濯機を直したことがある』と声をかけてきたといいます。リンゼイさん は『見覚えがない。会ったことはありません』と答えました。すると、『英語の先生をやっていますね』と尋ねてきたといいます」

 《市橋被告がこの日、リンゼイさんに声を掛ける前に自宅の洗濯機を修理したという事実は確認されておらず、市橋被告がリンゼイさんに接近するための口実とみられている》
 《ウィリアムさん夫妻はしきりにメモを取っている。裁判員らは真剣な表情で証言に耳を傾けている》

 証人「リンゼイさんが自転車で全速力で家に向かったところ、彼が全速力で走って追いかけてきたということです。アパートに着くと、(市橋被告は)息が切れていたそうです」
 「彼女が『水をあげる』と言ったのか、彼が『水をください』と言ったのか分かりませんが、水を飲むということで、自宅に来ることになったようです」

 《証言が続く間、市橋被告はうなだれたような姿勢のまま、微動だにしなかった》



【英国女性殺害 市橋被告3日目(2)】
「ストーカーじゃない。似顔絵描かせて」 何度もせがまれ根負け

 (10:23~10:41)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判で、事件当時、リンゼイさんと同居していた外国人女性、○○さん(法廷 では実名)への検察側の証人尋問が続く》

 《男性検察官は平成19年3月21日未明、市橋被告がリンゼイさんの自宅に上がり込み、居座ったときの状況について、通訳を通じて質問した。当時、室内には市橋被告、リンゼイさん、○○さんの他にも、リンゼイさんの友人女性1人がいた》

 証人「(市橋被告が)『大学で美術を学んでいる。自分はストーカーではない。英語を教えてもらいたいだけ』と言っていました」
 検察官「その他に、市橋被告に頼まれたことはありますか」
 証人「私たちの似顔絵を描きたいと言っていました。私たちは『ノー(だめ)』と言いました」
 検察官「でも市橋被告はリンゼイさんの似顔絵を描きました。どうしてですか」
 証人「何度も『描かせてほしい』と言い、彼女は描かせて早く(市橋被告を)帰らせたいと考えていました」

 《市橋被告はリンゼイさんの似顔絵を描いた紙に自らの名前、電話番号、メールアドレス、日付を記してリンゼイさんに渡したという。一方、リンゼイさんも自分の連絡先を書いた紙を市橋被告に渡した》

 検察官「どうして市橋被告に連絡先を教えたと思いますか」
 証人「とにかく彼女は家から彼を帰したいと考えたからだと思います」
 検察官「市橋被告はすんなり帰りましたか」
 証人「いいえ、家にとどまりたい雰囲気でした。彼女が(市橋被告を)玄関まで送っていき、『ちゃんと帰れる? 帰り方は分かる?』と話していました。彼女が『グッドナイト(おやすみ)』と繰り返し、ようやく(市橋被告は)帰っていきました」
 検察官「市橋被告が滞在した時間は?」
 証人「20分から30分ぐらいでした」
 検察官「リンゼイさんは市橋被告に家にいてほしいと考えていましたか」
 証人「いいえ。彼女はしぐさから、リラックスしていないと分かりましたし、(迷惑しているというような)アイコンタクトも送ってきました。(市橋被告に対する)言葉遣いは丁寧でしたが、あくまでも形式的なもので、友達に対するものではありませんでした」
 検察官「市橋被告が帰った後、リンゼイさんは何と言っていましたか」
 証人「『変わった人だね。気味が悪いね』と言っていました」

  《向かって右から2番目の男性裁判員は、○○さんの言葉を聞きながら、メモを取る。○○さんは、リンゼイさんが事件に巻き込まれて行方不明になっていた3 月26日、リンゼイさんが勤務していた語学学校関係者とともに警察に通報。さらに27日には、リンゼイさんの遺体の身元確認も行っている》

 検察官「リンゼイさんはどんな状態でしたか」
 証人「遺体は、テーブルの上に横たわっていました。遺体の髪はショートヘアで、彼女はロングヘアだったから、別人だと思って近づきましたが、彼女の遺体でした」

 《○○さんは、涙声になり始め、涙をぬぐった》

 証人「髪が切り取られ、顔はむくんではれ上がり、彼女が徹底的に殴られているのが分かりました。本当にショックでした」

 《初公判では、リンゼイさんの大量の毛髪が室内のゴミ袋に遺棄されていたことが明らかにされている。検察側の後ろに座るリンゼイさんの母親のジュリアさんは、○○さんの話を聞きながら、ハンカチで目頭を何度もぬぐった》

 検察官「今も涙をぬぐっていましたが、4年たった今もショックは大きいですか」

 《○○さんは、何度もうなずき、「はい」と答えた》

 検察官「リンゼイさんはあなたにとってどんな存在でしたか」
 証人「とても思いやりのある人でした。他人を大事にする人で、器が大きく、自分自身にも自信を持っていた人でした」
 検察官「あなたがリンゼイさんの優しさを感じたエピソードを教えてもらえますか」

 《ジュリアさんの隣に座る父親のウィリアムさんは生前のまな娘の話を聞き逃すまいと、○○さんを食い入るように見つめる》

 証人「私は当時、カナダにボーイフレンドがいましたが、別れるかもめていました。別れることになり、取り乱したとき、彼女は『大丈夫』と慰めてくれました」

 《ウィリアムさんは一瞬、眉間にしわをよせ、涙をこらえるような表情を見せる》

 検察官「事件であなたの生活に変化はありましたか」
 証人「はい。予定よりも早く帰国しました。彼女は強い人でした。強いからこそ、他人を信頼できましたが、それがあだとなりました」

 《ジュリアさんは何度もうなずき、目と鼻をハンカチでぬぐう》

 検察官「あなたは大事な人を失いました。市橋被告に、どんな処罰を望みますか」

 《○○さんは、冷静な声で訴える》

 証人「まずは死刑を望みます。死刑にならなくても、二度と社会には出てほしくありません。反省も後悔もしておらず、また同じことを繰り返すと思います」

 《ここで検察側の証人尋問が終わり、弁護側による質問に移る。○○さんの後方にある被告人席に座る市橋被告は背中をやや丸めて座り、動きを見せなかった》



【英国女性殺害 市橋被告3日目(3)
「気味の悪い、変わった人」 リンゼイさんが語った被告の印象

 (10:43~11:05)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判。事件当時、リンゼイさんと同居していた○○さん(法廷では実名)への 証人尋問は、検察側の尋問が終わり、弁護側の尋問へと移る》

 《男性弁護人は、リンゼイさんと市橋被告の関係について、事件直後、供述調書を作成したときの状況を確認する》

 弁護人「警察には、正直に話したということで、よいですか」
 証人「はい」

 《男性弁護人はリンゼイさんと市橋被告の関係について尋ねた》

 弁護人「市橋被告はリンゼイさんに『英語を教えてほしい』としきりに頼んでいたのですね?」
 証人「市橋被告は、リンゼイさんだけに頼んでいて、一緒にいた私たち2人の友人には頼んできませんでした」

 《男性弁護人の質問は、市橋被告がリンゼイさん宅で描いたという似顔絵についてに移った》

 弁護人「市橋被告は、(リンゼイさんの自宅で)リンゼイさんの似顔絵を描いて、連絡先を添えて渡したのですね?」
 証人「はい」

 《男性弁護人が法廷の壁に設置された大型モニターにそのときの似顔絵を映し出す。シンプルな線で描かれた、ほほえむリンゼイさんの横顔の右に、市橋被告の名前と電話番号、メールアドレスが書かれている。市橋被告はモニターを見ようともしない》

 《男性弁護人は、似顔絵を証拠として採用することを求め、堀田真哉裁判長はこれを許可した》

 弁護人「市橋被告が帰ったあと、リンゼイさんは彼のことを『気味の悪い、変わった人』と言っていたのですね?」
 証人「はい」
 弁護人「『危険だ、怖い人物だ』とまでは言っていなかったのですね」
 証人「はい」
 弁護人「あなたも危険とまで思わなかった?」
 証人「私は彼のことを評価できるほど、そばにいたわけではないので...」
 弁護人「危険とまでは思わなかったということですね?」
 証人「市橋被告を評価できるほど、そばにいたわけではないというだけで、危険だと思わなかったわけではありません。私も気味が悪いとは思いました」
 弁護人「あなたと市橋被告は、そのときが初対面だったのですか」
 証人「はい」
 弁護人「リンゼイさんも市橋被告とは初対面だ、と言っていたのですね?」
 証人「はい」
 弁護人「初対面の市橋被告を、リンゼイさんは深夜、自宅に連れ帰ったのですね?」
 証人「はい」

 《男性弁護人は、○○さんの口から、リンゼイさんは○○さんと違って市橋被告に好意的だったとの言葉を引き出したいようだ。リンゼイさんの両親は、男性弁護人を注意深く見つめている》

 弁護人「(市橋被告の似顔絵を画きたいという)申し出に対し、リンゼイさんだけが了承した?」
 証人「はい」
 弁護人「そのときに、リンゼイさんは、自分の連絡先を(市橋被告に)渡したのですね?」
 証人「はい」

 《男性弁護人は、リンゼイさんの自宅に来たとき、帰りたがらなかったという市橋被告の様子について質問する》

 弁護人「市橋被告が自宅に来た時間は、深夜12時過ぎだったのですね?」
 証人「はい」
 弁護人「あなた自身、迷惑だから(市橋被告に)早く帰ってほしい、と思いましたか」
 証人「はい」

 《男性弁護人は、○○さんが、そのとき、市橋被告に抱いた悪い感情について質問を続ける》

 弁護人「市橋被告が帰りたがっていないように見えたのは、あなたが(市橋被告に)早く帰ってほしいと思っていたからではないですか」
 証人「まぁ、そうですね」

 《男性弁護人は、市橋被告に好意を持っていたともとれるようなリンゼイさんの行動について、○○さんから話を引き出そうとしているようだ》

 弁護人「市橋被告がリンゼイさんに『水を飲ませてくれ』と言って、自宅に上がり込んだんですか。それともリンゼイさんが『水でも飲みませんか』と誘ったのですか」
 証人「よく覚えていません」
 弁護人「事件直後に作成されたあなたの供述調書によると、『リンゼイさんは達也(市橋被告)の息が切れているから、水でもどうぞ、と誘った』と書いているが、その内容が正しいのでは?」
 証人「はい、そう言いました」
 弁護人「今は事件から4年がたっています。供述調書は事件直後に作成したものです。直後の供述調書の方が正しいのではないですか」

 《○○さんは、「今は覚えていない」と答えるが、男性弁護人は重ねて質問する》

 弁護人「事件直後の方が正確なのではないですか」
 証人「それは、そうです」

 《男性弁護人が改まったように上体をそらした》

 弁護人「○○さん、市橋被告にあなたはどのような感情を持っていますか」
 証人「感情の変化までですか」
 弁護人「ただ、あなたが市橋被告をどう思っているか聞きたいだけです」

 《○○さんは、体をよじらせ、しばらく沈黙したあと、ゆっくり一語一語区切るように話し出した》

 証人「本当に許せない。耐えられない憤りを感じます。彼は彼女に対してしたことについて、償うべきです」

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさんが「その通り」というように、小さくうなずいた》

 弁護人「そういった感情が市橋被告に対する記憶を変容させているわけではないのですか」
 証人「市橋被告はああして彼女を殺しました。私が抱く気持ちは当然のものです」

 《小さい声ながら、○○さんは、はっきりと答えた》

 弁護人「あなたはカナダ国籍ですか」
 証人「はい」
 弁護人「カナダには死刑がありますか」
 証人「ありません」

 《弁護人が質問を変える》

 弁護人「マンションは商店街からはずれていますよね?」
 証人「そうです。はずれています。住宅街です」
 弁護人「リンゼイさんが帰宅したのは21日にかけての深夜ですね?」
 証人「そうです」
 弁護人「ずいぶん遅い時間と思いますが、日本は治安がいいので、夜中に移動しても問題ないとお感じでしたか」

 《ここで通訳の女性から質問が出る》

 通訳「それは今日現在の気持ちですか。それとも当時?」

 《同居していた友人が事件に巻き込まれ、痛ましい姿で見つかる。確かに現在は治安がいいと感じているはずがない》

 弁護人「当時です」

 《○○さんは「そうです」と答え、弁護人の質問は終わった。次いで男性検察官が追加の質問を行う》

 検察官「リンゼイさんが深夜に帰宅したとき、あなたと友人が自宅にいることは知っていたのですか」
 証人「はい」
 検察官「リンゼイさんが被告を家に入れた理由について、リンゼイさんがどう感じていたと思いますか?」

 《○○さんは、まっすぐ裁判長の方を見つめながら答えた》

 証人「彼女は人に対して邪険にしない。人を思いやる、大丈夫と思う気持ちをいつも持っていた人ですから」

 《ここで○○さんへの証人尋問は終了し、20分間の休廷に入った。市橋被告はうなだれたような姿勢のまま、刑務官に促されて退廷した》


【英国女性殺害 市橋被告3日目(4)】
「遺伝病」「第5因子」「血液病」...持病に関心? 市橋被告が謎のネット検索

 (11:30~12:00)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判は、午前11時半に再開した。裁判員の証人尋問に向け、協議に時間がか かったのか、予定時刻よりやや遅れての再開となった》

 《傍聴席から向かって左側の扉から入った市橋被告は、先に入廷していたリンゼイさんの両親に向かって、ゆっくりと頭を下げた。だが、両親はうつむいたまま目を合わせようとしない》

 《事件当時、リンゼイさんと同居していた友人の○○さん(法廷では実名)に対する裁判員からの証人尋問が始まる。堀田真哉裁判長が質問を促すと、向かって左から3人目の青いシャツにメガネをかけた裁判員の男性が質問する》

 裁判員「一つうかがいたいことがあります。リンゼイさんは、被告の(英会話の)個人レッスンを引き受けたといいますが、それについて、リンゼイさんは何か感想を言っていましたか」

 《堀田裁判長が、質問内容の再確認をした後、○○さんが答える》

  証人「彼女と最後の会話を交わしたときのことを思い起こしますと、キッチンで話していたと思います。ボーイフレンドがやってくる。そうしたら旅行するんだ と言っていました。そして、両親のことを話し、(勤務先の英会話教室の)レッスンのことを話す中で、プライベートレッスンについても言及したことがあった と記憶しています」
 裁判員「そのときの様子は?」
 証人「特に気づいたことはありません。さらっと言及したにすぎませんので...」

 《裁判員の男性は、○○さんに向かってうなずき、質問を終える》

英国人女性殺害事件の初公判が行われた千葉地裁の法廷=4日午後(代表撮影)
 裁判長「他にありませんか」

 《堀田裁判長は、左右を見回し、質問を促すが手は挙がらない》

 裁判長「これで証人尋問は終わりました。ありがとうございました」

 《○○さんは、証言台を立ち、傍聴席側から少し疲れた様子で退廷する。市橋被告はじっとしたままで身動きをせず、ややうつむいた姿勢で座っている》

 《続いて弁護側の提出した証拠調べに入る。法廷の左右の壁に設置された大型モニターに概要が表示され、ところどころ、弁護人が口頭で説明を入れる》

 弁護人「まずは第1号証ですが...」

  《第1号証は、被害者の直腸内温度と死亡推定時刻に関する報告書だ。リンゼイさんの直腸内温度は検視時の平成19年3月27日午後1時43分には19・6 度。これを法医学の教科書に基づき、2種類の方法で検証すると、死亡時刻は26日午後0時55分ごろか、26日午後3時58分ごろになるとした》

 弁護人「いずれの方法も確実とはいえず、かなりの幅があり、あくまで目安であるとされています」

 《弁護側はそう結論付けた。次いで、浴槽の痕跡に関する実況見分の資料の説明に入る》

 《弁護側はリンゼイさんの遺体が発見された取り外し可能な浴槽と、体形のよく似た男性を使い、畳の上に置いた場合の畳のへこみ具合を検証。男性の姿勢を変えた4パターンの実況見分の結果を示した》

 《これによると、リンゼイさんの遺体が見つかったときと同様、浴槽内にうずくまった状態でいるときには、畳に排水口の丸い跡は残らず、排水口側に背を向けて座った状態のときのみ、畳に直径約3センチの排水口の丸い跡が残るとした》

 《これにより、何を立証しようとしているのか。弁護側の意図はまだ分からない》

 弁護人「第17号証です。被告のインターネットの検索状況に関する報告書を示します」
 「これは被告のノートパソコンで、ネットにアクセスした記録をハードディスクを解析して検索ワードを調べたものです」

 《法廷の大型モニターに検索語が表示される。弁護側の説明によると、ネット検索は3月25午後11時38分から26日午前0時すぎに行われた。ワードはいずれも英語で「ワルファリン」「遺伝病」「第5因子」「血液病」「糖尿病」など医療用語だった》

  《「ワルファリン」は医薬品の名前だ。初日の弁護人の冒頭陳述では、リンゼイさんが被告に「持病がある。薬を飲まないと」と訴えていたと主張しており、弁 護側の主張する死亡推定時刻と照らすと、検索時、リンゼイさんは生存しており、薬を与えようとしたとの主張を展開するとみられる》

 《その 後、リンゼイさんの遺体や犯行現場となったマンション室内の写真を提示。マンションの4畳半の和室を撮影した写真では、浴槽の排水口跡とみられる丸い跡が 南西の角の畳に残っていることを示した。実況見分の証拠として示したリンゼイさんの浴槽内の姿勢と関連付けたいようだが、弁護側はそれ以上、説明しなかっ た》

 《また、6畳の和室のパソコンなどが置かれたテーブルの写真の右端には、「WARFERRIN(ワルファリン)」と書かれた手書きのメモが写り込んでいたことを示す証拠を提出した》

 弁護人「ワルファリンを辞書で調べますと、『抗凝血製剤』という単語が出てきます」
 《弁護人がここまで説明したところで、裁判所側は全ての証拠を採用。裁判長が休廷を宣言し、午前中の審理を終えた。午後は1時15分から再開の予定だ。市橋被告は身じろぎせず、終始うなだれたままだった》



【英国女性殺害 市橋被告3日目(5)】
「何か飲む?」被告は誘われ、部屋に入ったと強調

 (13:15~13:45)

 《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判は、昼の休廷を挟 んで再開した。いよいよ市橋被告本人への被告人質問が始まる》

 《入廷した市橋被告は、出廷しているリンゼイさんの両親に深々と一礼したあと、うつむいたまま着席した》

 《6人の裁判員らも着席し、堀田真哉裁判長に促されて市橋被告が証言台の席に着く。弁護側からの質問が始まった》

 弁護人「あなたは初日の公判で『事件の日に何があったか話すのが義務だ』と話しましたが、覚えていますか」
 被告「はい、覚えています」

 《市橋被告は、法廷に響くほどの大きな声で述べた。弁護側はまず、リンゼイさんと出会うまでの状況について尋ねていく》

 弁護人「平成17年3月に千葉大学を卒業しましたね?」
 被告「そうです」
 弁護人「大学では主に何を学んでいましたか」
 被告「主に植物について。公園や広場のデザイン、設計を学びました」
 弁護人「卒業後はどういう進路を考えていましたか」
 被告「大学と同じ分野で、海外の大学院で学びたいと思っていました」

 《市橋被告は、一言一言言葉を選ぶようにゆっくりした口調で答えていく》

 弁護人「17年の大学卒業から事件の19年3月までについて聞きます。仕事はしていましたか」
 被告「していません」
 弁護人「収入はどうしていましたか」
 被告「親に仕送りをしてもらっていました」
 弁護人「留学準備は、具体的にどんなことをしていましたか」
 被告「留学に必要なTOEFL(トーフル)テストというものがあり、対策の参考書を使い、英語の勉強をしていました」

 《ここからリンゼイさんと出会った3月20日夜の話に移っていく。左から2番目の男性裁判員は眉間に手をやり、真剣な表情を崩さない》

 弁護人「リンゼイさんを、初めにどこで見かけたんですか」
 被告「最寄り駅の(千葉県市川市の東京メトロ)行徳駅の改札前広場で見かけました」
 弁護人「見かけて、どう思いましたか」
 被告「すれ違った後、数カ月前に私が洗濯機の水漏れを直し、英語の個人レッスンを頼んだ若い白人女性に似ていると思いました」

  《検察側は、初公判の証拠調べで、リンゼイさんが「洗濯機を直したのは僕です」と市橋被告から話しかけられた、とするリンゼイさんの親友の△△さん(法廷 では実名)の証言を明らかにしている。実際に市橋被告が洗濯機の修理を行ったかについては、これまでの公判でも触れられていない》

 弁護人「そのときの女性に似ていると思って、どうしましたか」
 被告「もしそのときの若い白人女性なら、もう一度レッスンを頼もうと思いました」

 弁護人「その後、リンゼイさんはどこに行きましたか」
 被告「行徳駅の中に入っていきました」

 《その後、リンゼイさんの後をついて、西船橋駅で電車を降りた市橋被告。質問は、駅前通りで声をかけた市橋被告とリンゼイさんの対面と会話の内容に迫っていく》

 弁護人「何と声をかけたんですか」
 被告「『突然、話しかけてすいません。少し話してもいいですか』と言うと、リンゼイさんはうなずいてくれました。私は、リンゼイさんに『私のことを覚えていますか』と尋ねました」

 《最初の一言こそ力強く答えた市橋被告だったが、その後はたどたどしい返答が目立つ。はなをすする音が響き、声は震えている。涙声のようにも聞こえるが、台本を読み上げているような印象も受ける》

 弁護人「英語で話しかけましたか。日本語ですか」
 被告「全て英語です」
 弁護人「リンゼイさんは何と答えましたか」
 被告「『違うと思います』と言いました」
 弁護人「それからリンゼイさんはどうしましたか」
 被告「自転車に乗って、通りの方に走っていきました」
 弁護人「あなたはどうしましたか」
 被告「駅の方に歩いてから、リンゼイさんが走った方向と思う方へ走っていきました」
 弁護人「リンゼイさんと会えましたか」
 被告「団地のような場所の街灯のところで、リンゼイさんが自転車を降りているところを見つけました」

 《再びリンゼイさんに話しかける市橋被告。リンゼイさんの部屋に上がり込むまでの様子を詳細に答えていく》

 弁護人「何と声をかけましたか」
 被告「『また怖がらせてごめんなさい。どこ(の国)から来ましたか』と聞きました」
 弁護人「リンゼイさんは?」
 被告「『イングランドから』と答えていたと思います」
 弁護人「他に何か話しましたか」
 被告「はい。『私は海外で風景建築、公園設計、広場設計を学びたい。英語を教えてくれませんか。教えてくれれば、もちろんお礼をします』と話しました」
 弁護人「それに対してリンゼイさんは何と答えましたか」
 被告「リンゼイさんは笑ってくれて、『何か飲む?』と聞いてきてくれました」

 《リンゼイさんに誘われて部屋に上がった、と説明する市橋被告。リンゼイさんの母、ジュリアさんは口を手で覆い、険しい表情で市橋被告を見つめる》

 弁護人「リンゼイさんの部屋には誰がいましたか」
 被告「リンゼイさんの他に、若い白人女性2人がいました」
 弁護人「歓迎された、と思いましたか」
 被告「思いませんでした」
 弁護人「部屋に入って、どうしましたか」
 被告「絵を描かせてほしい、と言いました」
 弁護人「なぜ絵を?」

 被告「部屋の雰囲気を和ませたかったので」
 弁護人「描かせてくれた人はいましたか」
 被告「はい」
 弁護人「誰ですか」
 被告「リンゼイさんです」

 《リンゼイさんの絵を描いた後、他の2人には断られたと市橋被告は説明する》

 弁護人「描き終わってどうしましたか」
 被告「絵に私の名前、電話番号、メールアドレス、日付を書いてリンゼイさんに渡しました」
 弁護人「リンゼイさんの反応は?」
 被告「受け取ってくれました」
 弁護人「リンゼイさんもメールアドレスを教えてくれましたか」
 被告「はい」

 《10~15分間、部屋で過ごし部屋を出ると、時間は既に深夜で終電はない。市橋被告は西船橋駅に戻り、インターネットカフェで一泊したという》

 弁護人「リンゼイさんから連絡先を聞いてどう思いましたか」
 被告「うれしかったです。」
 弁護人「どうして、うれしいと思いましたか」
 被告「リンゼイさんから英語の個人レッスンを受けられるかもしれない、と思ったからです」

 《初対面を終え、事件を迎えるまでの数日間のやり取りについて、質問が続いていく》



【英国女性殺害 市橋被告3日目(6)】
「リンゼイさんと親密な関係になれたらいいな」被告の言い分に遺族怒り 

 (13:45~14:10)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判で、市橋被告 への弁護側の被告人質問が進む。男性弁護士は市橋被告とリンゼイさんがメールで約束した英会話の個人レッスンの内容について確認していく》
 弁護人「どういう約束をしたのですか」
 被告「日曜日(平成19年3月25日)の午前9時に(東京メトロ)行徳駅前で会って、駅前で1時間のレッスンを受けることになりました」
 《市橋被告は時折、はなをすすり、ゆっくりとした口調で答えた》
 弁護人「25日は何時に起きましたか」
 被告「午前8時40分です」
 弁護人「(待ち合わせ時間の直前に起きたのには)何か事情があったのですか」
 被告「よく寝てませんでした。25日深夜(未明)、私は当時つきあっていた女性と外で会っていました。自分の部屋に戻ったのは朝4時ごろでした。そ...そこから、帰って眠ったので、起きたときが8時40分ごろです。寝坊したのです」

 《一言一言を区切るようにして話す市橋被告。両手をきつく握りしめ、顔を小刻みに揺らしており、緊張しているようにも見える》

 《市橋被告は起床してから自転車で行徳駅に向かい、その様子は途中の防犯カメラにも写っているという。弁護人に駅までの所要時間を尋ねられ、「5分もかかっていない」と答えた。駅前には、リンゼイさんが先に到着していたという》

 弁護人「リンゼイさんと会ってどうしましたか」
 被告「駅前のコーヒーショップに一緒に入りました」
 弁護人「どんなレッスンを受けましたか」
 被告「私の趣味の話、お互いの好きな映画女優の話、(19)98年の(サッカー)フランスワールドカップの話、(映画化された)ハリーポッターの話を(英語で)しました」
 弁護人「レッスン料はコーヒーショップで払いましたか」
 被告「いいえ、払っていません」

  《弁護側は冒頭陳述で、市橋被告は待ち合わせ時間直前に起床したことで慌てたため、レッスン料を持っていくことを忘れたと主張。市橋被告もこの趣旨に沿っ た返答を行った。一方、検察側は冒頭陳述で強姦目的で『レッスン料を家に忘れた』と口実を使って自宅に誘い込んだと指摘しており、双方の主張は真っ向から 対立している》

 弁護人「いつ代金を忘れたことに気づきましたか」
 被告「コーヒーショップに入って飲み物を注文し、支払うときに財布の中身を見たときです」
 弁護人「どうして、そのときに(レッスン料を忘れたことを)言わなかったのですか」
 被告「そのときに言ったら、レッスンを受けられなくなるかもしれないし、受けたとしても、レッスンの雰囲気が悪くなると思ったからです」

 《検察側の後方に座る父親のウィリアムさんは眼鏡を取り出してかけ、市橋被告の顔を見つめる》

 弁護人「どうするつもりだったのですか」
 被告「レッスンが終わったころにリンゼイさんにお金を忘れたことを謝って、(自宅に)取りにいけばいいと思いました」
 弁護人「忘れたことを伝えたとき、リンゼイさんはどんな反応をしていましたか」
 被告「リンゼイさんは『それだったら急がなければいけない』と言いました」

 《これまでの公判で、リンゼイさんが同日午前10時50分から語学学校でレッスンの予定があったことが明らかになっている。2人はコーヒーショップを出た後、タクシーに乗って市橋被告方のマンションに向かっている》

 弁護人「タクシーの中でリンゼイさんと会話を交わしましたか」
 被告「していません」
 弁護人「タクシーはどのあたりに止まりましたか」
 被告「マンション前のガソリンスタンドです」
 弁護人「タクシー運転手と何か話しましたか」
 被告「はい。私がタクシー料金を払った後、運転手に『ここで5、6分待っていてくれませんか』と言いました」
 弁護人「あなたはどうするつもりだったのですか」
 被告「私は走って自分の部屋に行き、お金を取って戻ってきて、リンゼイさんにレッスン料を渡すつもりでした」
 弁護人「運転手の答えは?」
 被告「『それはできない』などと言っていました。私は運転手に『それだったら5、6分後にここに来てくれないか』と言いました」
 弁護人「運転手は何と答えましたか」
 被告「運転手は『ここに電話してくれればいい』と言って、タクシー会社の電話番号が書かれた領収書を渡してきて、行ってしまいました」

 《弁護側はこのやり取りで、市橋被告が当初から強姦目的で自宅まで連れて行ったわけではないということを訴えたいようだ》

 弁護人「タクシーが去ったとき、リンゼイさんは何か言いましたか」
 被告「はい。リンゼイさんは『私はどうやって帰ったらいいの?』と言っていました」
 弁護人「それで、あなたはどうしたのですか」
 被告「マンションに歩いていきました」

 《市橋被告とリンゼイさんは4階にある市橋被告の部屋に向かうため、エレベーターに乗り込んだ。検察側の冒頭陳述によると、エレベーターでリンゼイさんは、しきりに腕時計を見るなど、時間を気にしていたという》

 弁護人「あなたはエレベーター内で何を考えていましたか」

 《市橋被告は、間を置いてから、たどたどしくしゃべり始めた》

 被告「私はタクシーが行ってしまったから、リンゼイさんは仕事に間に合わないと思いました。このままリンゼイさんと親密な関係になれたらいいな、と勝手に思っていました」
 《「親密な関係」を通訳が訳したとき、検察側の後方に座る母親のジュリアさんは隣のウィリアムさんを見つめ、顔を振りながら怒気をはらんだ表情となった。一方、傍聴人席の最前列に座るリンゼイさんの姉妹も遺影を膝の上に置き、市橋被告の背中に厳しい視線を注いでいた》

 《弁護人は「ここでいったん休憩を」と求め、堀田真哉裁判長が20分間の休廷を宣言。午後2時半から弁護側の被告人質問が再開される》



【英国女性殺害 市橋被告3日目(7)】
「私を殺すつもりね」 抵抗しながらリンゼイさんが発した一言

 (14:30~15:00)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判。約15分間 の休廷を挟み、傍聴席から見て左側の扉から市橋被告が入廷した。リンゼイさんの両親に目を向けることなく、足早に証言台の前に立ったあと、ずり下がった ジーパンを手で腰まで引き上げた。午後2時半から審理が再開した》

 《男性弁護人は、リンゼイさんが市橋被告の部屋に入ってからの状況を質問した》

 弁護人「あなたの部屋にリンゼイさんが入ったあと、あなたはどうしましたか」
 被告「入ったあと、私は手を伸ばしてリンゼイさんの後ろから抱きつきました」

 《リンゼイさんの父親のウィリアムさんは険しい表情をしている》

 弁護人「なぜ、抱きついたのですか」

 《この質問に市橋被告は、しばらく沈黙する》

 被告「彼女とハグ(抱き合うことを)したかったからです」
 弁護人「場所はどこですか」
 被告「玄関です」
 弁護人「そのとき、リンゼイさんはどのような反応だったのですか」
 被告「リンゼイさんは強く拒絶しました」
 弁護人「それでどうしたのですか」
 被告「私は誘惑に負けました。...(しばらく黙ったあと)、私はリンゼイさんを廊下に押し倒しました」

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんは、唇をかみしめている》

 弁護人「リンゼイさんはもちろん抵抗しましたよね?」
 被告「しました」
 弁護人「あなたはどういう行為をしましたか」
 被告「抵抗するリンゼイさんを押さえつけました」
 《泣いているのか、市橋被告がはなをすする音が法廷に響く》
 弁護人「どういう体勢でリンゼイさんを押さえつけたのですか」
 被告「リンゼイさんは廊下にあおむけになり、私はその上にまたがるように乗りました」
 弁護人「具体的にはどういうことですか」
 被告「リンゼイさんの手足を私が押さえつけるようなかたちです」
 弁護人「リンゼイさんの着ている服を破ったりしていますか」
 被告「してます」
 弁護人「顔面を殴ったり、頸部(けいぶ)を圧迫したりしましたか」
 被告「それはしていません」
 弁護人「リンゼイさんはどのくらい抵抗しましたか」
 被告「数分間、抵抗しました」

 《傍聴席から見て、右端から2番目の5番の男性裁判員は市橋被告をじっと見つめている》

 弁護人「あなたは(抵抗するリンゼイさんに対して)どうしましたか」
 被告「手首と足首に、結束バンドをはめました」
 弁護人「その後どうしましたか」
 被告「リンゼイさんを姦淫(かんいん)しようとしました」

 《ジュリアさんは目を覆って泣いている》

 弁護人「あなたはすぐに姦淫することができましたか」
 被告「できませんでした」

 《市橋被告は、リンゼイさんを乱暴しようと、避妊具の装着を試みたが、うまくいかなかったため、避妊具をそのままゴミ箱に捨てたという》

 《右から3番目の男性裁判員が首をかしげている》

 弁護人「それからどうしましたか」
 被告「私はリンゼイさんを姦淫しました」

 《男性弁護人は質問を変えた》

 弁護人「結束バンドは何の目的で持っていたのですか」
 被告「私の部屋の配線コード類をまとめて、壁に掛けるために、前年(平成18年)、ホームセンターで買いました」
 弁護人「結束バンドはどこにありましたか」
 被告「玄関の靴箱の上、壁際にある収納棚にまとめて置いてありました」

 《男性弁護人は、計画的に結束バンドを準備したわけではなかったと主張したいようだ》

 《続いて、男性弁護人は法廷内に設置された大型モニターに市橋被告の部屋の見取り図を示して、姦淫した場所の確認をした後、別の男性弁護人に交代した》

 弁護人「あなたがしたことは、リンゼイさんの気持ちを踏みにじった強姦行為だと分かっているのですか」
 被告「...はい」
 弁護人「強姦した後、どのような行動をしましたか」
 被告「私は寝室に置いてあった、テンピュール(低反発)のマットレスを廊下に持ってきて、廊下で横になっているリンゼイさんの下に敷きました」

 《一言一言区切るように話す市橋被告。はなをすする音がますます大きくなった》

 弁護人「なんでそんなことをしたのですか」
 被告「彼女に申し訳ない気がしたので...」
 弁護人「それは冷たい床で横たわっているリンゼイさんをいたわる気持ちからですか
 被告「はい」

 《ジュリアさんは目を見開いて、「ふん」と鼻で笑うような仕草をした》

 弁護人「あなたが脱がしたリンゼイさんの服はどこに置きましたか」
 被告「彼女のそばに置きました」
 弁護人「布団の上ですか」
 被告「そうです」

 《弁護人の質問に対して市橋被告は、リンゼイさんが失禁した事実を述べた。ジュリアさんは手で顔を覆っている》

 弁護人「あなたはどうしましたか」
 被告「リンゼイさん(の体)を洗おうと思いました」
 弁護人「どこに連れて行こうと思いましたか」
 被告「浴室です」

 《市橋被告は、リンゼイさんを抱きかかえて浴室に連れて行こうとしたが、抵抗されたことを話した》

 被告「リンゼイさんを抱きかかえて風呂場に連れて行こうとすると、リンゼイさんは『私を殺すつもりね』と言いました。リンゼイさんが風呂場に行くことを強く拒否したので、連れて行けませんでした」
 弁護人「あなたはその後、リンゼイさんをどこに連れて行こうとしましたか」
 被告「リンゼイさんを抱きかかえたまま、和室に運びました」

 弁護人「その後どうしましたか」
 被告「結束バンドを切りました」
 弁護人「どうして切ったのですか」
 被告「そのときリンゼイさんは裸でした。私のグレーのパーカをリンゼイさんの上半身に着てもらうためです」
 弁護人「実際に着せたのですか」
 被告「はい」

 《男性弁護人は、市橋被告がリンゼイさんに着せたというパーカを大型モニターに映し出した》

 弁護人「これですね」
 被告「はい」
 弁護人「その後、あなたは灰色のパーカを着せたまま、リンゼイさんを浴槽に入れたでしょう?」
 被告「はい」
 弁護人「その後、さらに上に何か掛けたでしょう」
 被告「はい」
 弁護人「何を掛けましたか」
 被告「私が着ていた茶色のジャケットを彼女の上半身に掛けました」

 《男性弁護人の指示により、大型モニターに茶色のジャケットが映し出される》

 弁護人「リンゼイさんの服をそばに置いていたのに、なぜそれを掛けなかったの?」

 《市橋被告はリンゼイさんが失禁したためだと答えた。男性弁護人は小さくうなずいた》

 弁護人「さっき敷いていたマットレスはどうしたの?」
 被告「...。外のベランダに掛けました」
 弁護人「あなたが逃走したあと、ベランダに掛かっていたマットレスですね」
 《答えを考えているのか数秒黙ったあとでこくこくとうなずいて答えた》
 被告「そのはずです」
 弁護人「一度外した結束バンドをその後、どうしましたか」
 被告「もう一度、彼女の手首にはめました」
 弁護人「リンゼイさんの体はどうしましたか」
 被告「黒いパーカとバスタオルを持ってきて掛けました」

 《市橋被告の口から詳細な犯行状況が赤裸々に語られる中、リンゼイさんの両親はうなだれている》



【英国女性殺害 市橋被告3日目(8)】
「痛いから足首の結束バンド外して」 被告は冷たく「できない」

 (15:00~15:30)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判は、市橋被告 への弁護側の被告人質問が続いている。市橋被告はゆっくりとした口調で弁護人の質問に答えていく。ときにたどたどしくも聞こえる》

 《弁護側はリンゼイさんを浴槽に入れた経緯について質問をする。市橋被告は再度の失禁を恐れたためだと説明し、続けた》

 被告「それで浴槽を持ってきてリンゼイさんに、その中に入ってもらったんです」

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは目頭に手を当てる。母、ジュリアさんは励ますように右腕を伸ばし、ウィリアムさんの肩を抱いた》

 弁護人「浴槽に入れたのは何時ごろのことですか」
 被告「私とリンゼイさんが私の部屋に入ってから、1時間後ほどのことだったと思います」
 弁護人「(平成19年3月)25日午前11時ぐらいということですか」
 被告「だと思います」
 弁護人「リンゼイさんを姦淫し、行為が終わった後、あなたはどういう気持ちだったんですか」
 被告「リンゼイさんに悪いことをしたと思いました」
 弁護人「また姦淫するつもりはあったんですか」
 被告「ありません」
 弁護人「あなたは悪いことをしたというが、じゃあ、これからどうしようと思ったんですか」
 被告「なんとかしてリンゼイさんに許してもらわないと、許してもらいたいと思いました」

 《この返答に、弁護人は少し語気を強める》

 弁護人「こんなにひどいことをして許してもらえると思ったんですか」
 被告「思いませんでした。すぐには許してもらえないと思いました。そのとき、私が考えたことは、なんとか彼女に話しかけて、人間関係をつくったら、許してもらえるんじゃないかと思いました」

 《父のウィリアムさんは鼻を赤くし、「わけが分からない」といった様子で頭(かぶり)を振った》

 弁護人「あなたが浴槽を置いたのは、4・5畳の和室ということだよね」
 被告「そうです」
 弁護人「浴槽はどのへんに置いたのか言える?」

 《弁護人は市橋被告に、犯行現場となったマンションの間取りを示す》

 被告「4・5畳の和室の壁際の真ん中あたりです」
 弁護人「壁っていうとたくさんあるので、図面でいうと?」
 被告「この4・5畳の左側の壁際の真ん中あたりに私は浴槽を起きました」
 弁護人「ラジカセがあったけど、その前あたりですか」
 被告「はい」

 《その位置は、弁護人が実況見分や証拠写真を使って示した浴槽の排水口の跡が畳に残っていた位置と一致する》

 弁護人「4・5畳の部屋にはあなたもいた?」
 被告「はい」
 弁護人「座っていた?」
 被告「私は座っていました」
 弁護人「話はしました?」
 被告「はい」
 弁護人「被害者はどんな話をしましたか」
 被告「リンゼイさんは4・5畳の和室の左側の壁際に私が張っていた、私が書いた『走っているチーター』の絵をみて、私に『この絵は間違っている。私は大学で生物学を学んでいたから分かるんだけど、このチーターのおなかは出すぎている』と言ってくれました」
 《弁護人はチーターの絵の写真を市橋被告に提示する。大型モニターに映し出された絵は、鉛筆かボールペンのようなもので描かれたモノクロのスケッチで、横から見たチーターが描かれていた》

 弁護人「誰が描いたのですか」
 被告「私です」
 弁護人「さきほどのは、この絵のことですね」
 被告「そうです」
 弁護人「そのほかにあなたのほうから話しかけることはありました?」
 被告「ありました」
 弁護人「どんな話でした?」
 被告「私はリンゼイさんに、キング牧師の演説の内容を尋ねました」
 弁護人「どんなテーマの演説ですか」
 被告「『I HAVE A DREAM』。『私には夢がある』という題名のスピーチです」
 弁護人「訪ねたことに被害者は?」
  被告「私がその演説の最初の部分をリンゼイさんに尋ねると、リンゼイさんは黒人は奴隷解放宣言のあと、黒人は自由を手にしたけれども、奴隷のときは生活や 仕事に保証があったけど、自由を手にしたことで、生活や仕事の保証がなくなった面があるということを教えてくれました」
 弁護人「そういう話を聞いてどう思いましたか」
 被告「私はそういう考えもあるのだなと思いました」

 《裁判員の男性は市橋被告の証言にじっと聞き入っている》

 弁護人「他には?」
 被告「あります」
 弁護人「項目的にいうとどんなこと?」
 被告「私は、リンゼイさんにカトリックとプロテスタントの違いを尋ねました。それとリンゼイさんが日本に来るまでに、どんな国に行ったことがあるのかということも尋ねました」
 弁護人「あなたとすると人間関係を作ろうと話しかけたということでしょうか」
 被告「はい」
 弁護人「被害者はずっと答えてくれましたか」
 被告「いいえ」
 弁護人「どうしてですか」

 《市橋被告はしばらく沈黙した後に答える》

 被告「リンゼイさんが答えるのがしんどくなったんだと思います」
 弁護人「そうすると、あなたは話しかけるのをやめた、控えたのですか」
 被告「はい。控えました」
 弁護人「そうしたら、どうなりました?」

 被告「リンゼイさんから、甘いものがほしい。飲み物がほしいと言われました」
 弁護人「それに対してどうしましたか」
 被告「私は台所に行ってミネラルウオーターと黒砂糖を...」

 《市橋被告はそこで言葉を止め、しばらくしてもう一度繰り返す》

 被告「私は台所に行ってミネラルウオーターと黒砂糖を取ってきて、リンゼイさんの口の中に入れました」
 弁護人「そのほかに求められたものは?」
 被告「リンゼイさんは私に手首の結束バンドが痛いから外してほしいといいました」
 弁護人「それに対しては?」
 被告「また台所に行ってキッチンばさみを持ってきて、彼女の結束バンドを切りました」
 弁護人「次に何を求められましたか」
 被告「リンゼイさんは私に足首の結束バンドも痛いから外してほしいと言いました」
 弁護人「それに対しては?」
 被告「私は『できない』といいました」
 弁護人「ほかには?」
 被告「リンゼイさんは私にトイレに行きたいといいました」
 弁護人「それに対してどうしました?」
 被告「リンゼイさんに浴槽から出て、廊下のトイレに行ってもらいました」
 弁護人「だけど足首は外してないと言っていたのに、どうしたんですか」
 被告「足首はトイレに行く前に外しています」

 《つじつまがあわない発言に弁護人は質問を続ける》

 弁護人「戻ったあとでまた足首に(結束バンドを)したということですか」
 被告「違います。順序が違います」
 弁護人「では言ってみて」
 被告「私がリンゼイさんの...」

 《そこまで言ったところで、市橋被告は言葉を止めて言い直す。英語を意識してのことか、主語と述語の使い方にこだわりがあるようだ》

 被告「リンゼイさんから私に、足首が痛いから外してほしいといい、私はできないといいました。リンゼイさんがトイレに行きたいと言ったのは、だいぶ後の話です」

 《弁護人は順を追って説明するように市橋被告に言い、質問を続ける》

 弁護人「では、さきほどの話の続きの中で求められたことは?」
 被告「あります。リンゼイさんはたばこが吸いたいと私に言いました」
 弁護人「それに対しては?」
 被告「私はできないと言いました」
 弁護人「足首を外してとか、たばこを吸いたいとか言われ、『できない』『できない』と答えたんだよね」
 被告「ええ」
 弁護人「そのときの心境は?」

 《市橋被告は言葉を詰まらせ沈黙する。10秒ほどたったところで、弁護人が根負けした》

 弁護人「じゃあ質問を変えるけど、イライラとか怒ったとか、感情的なものがなかったのかということなんだけどね」
 被告「ありました」
 弁護人「それはどんな気持ち?」
 被告「私は...。リンゼイさんに対して...。イライラしていました」

 《言葉を切りながら、ゆっくりと吐露する》

 弁護人「なぜイライラしたんですか?」
 被告「私がリンゼイさんが逃げたいことは、私はもちろん分かっていました。でも、リンゼイさんがいうことを私がすべてしていたら、リンゼイさんが逃げてしまうと思って、私はイライラしました」
 弁護人「それであなたはどういう行動を取ったんですか」
 被告「私はリンゼイさんの顔を殴っています」

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは「あぁ」というように体を大きくのけぞらせる》

 弁護人「それは感情的にキレたということですか」
 被告「はい」
 弁護人「何回ぐらい殴りましたか」
 被告「私はリンゼイさんの顔を2回殴っています」

 《「殴りました」ではなく、「殴っています」という表現を使う市橋被告。どこか客観的な印象を受ける》

 弁護人「リンゼイさんのいる浴槽に寄っていて殴った?」
 被告「そうです。はい」
 弁護人「どちらの手で殴りました?」
 被告「最初に左のこぶしで、次に右のこぶしで殴りました」

 《淡々としながらも事件当時の怒りの感情に言及した市橋被告。リンゼイさんの両親の鼻は赤く、キッと市橋被告をにらみつけている。ここで法廷は20分の休憩に入った》



【英国女性殺害 市橋被告3日目(9)】
「私の人生は私のもの」決然 言い放ったリンゼイさんの言葉

 (15:50~16:25)

 《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判は、休憩を挟んで 再開した。リンゼイさんを暴行後、さらに殴りつけたときの行動から、男性弁護人の質問が続く》

 弁護人「抵抗できない被害者を2発、しかも強い力で殴った。なぜそんなひどいことをしたんですか」
 被告「私はかっとなりました」
 弁護人「どうしてかっとなったんですか」
 被告「リンゼイさんから『たばこを吸いたい』といわれて、私は『できない』といいました。それからやり取りがあって、私はかっとなってリンゼイさんの顔を殴りました」
 弁護人「しかし、あなたは人間関係をつくって許してもらう気でいたんではないんですか」
 被告「そうです」
 弁護人「感情的に殴りつけて、穏便には済まなくなってしまった?」
 《市橋被告は涙声で答えた》
 被告「そうです」
 弁護人「その後、どう考えたんですか。後悔の他には?」
 被告「彼女、リンゼイさんに逃げられてはいけないと思いました」
 弁護人「どうしてですか」
 被告「私がリンゼイさんを姦淫(かんいん)した上に、殴ったからです」
 弁護人「では、どうしようと思ったんですか」
 被告「今はダメだけど、何とか許してもらいたいと、それだけ思っていました」
 《浴槽の中で手足を縛られたリンゼイさんとともに、4畳半の和室にいた市橋被告。弁護人は2人の会話について尋ねていく》
 弁護人「リンゼイさんは何と話しましたか」
 被告「『トイレに行きたい』と言いました」
 弁護人「他には?」
 被告「リンゼイさんの家族構成についても話を聞きました」

 《突然の「家族」の言葉に、リンゼイさんの母、ジュリアさんは目頭を押さえる》

 《ここで、弁護人はこれまでの証拠調べなどで明ら かになっていない詳しい犯行時刻などについても質問する。市橋被告は殴りつけたことについて「まだ明るかった」とし、会話のやり取りについては「日が落ち て暗くなってから」と答えた。弁護側は暴行と死亡の時間差を強調したいようだ》

 弁護人「他には、どんな話をしましたか」
 被告「リンゼイさんは『私は子供をたくさん産みたい。私の人生は私のもの』と言いました」
 弁護人「他には?」
 被告「『(リンゼイさんの)ルームメートがパーティーに行っている。今なら大丈夫』と言いました」

 《リンゼイさんは今無事に返してくれれば取り返しがつくと、伝えようとしたようだ。弁護側は、市橋被告がもっぱら聞き役だったことも強調したいようだ》

 弁護人「(平成19年)3月26日午前0時半ごろ、当時の彼女にメールをしていますね」
 被告「出しています」

 《「これから1週間ぐらい部屋にこもって勉強します。1週間電話しない」という内容のメールについては、初公判の証拠調べでも紹介されている》

 弁護人「1週間の間に、被害者と人間関係をつくろうと思っていたんですか」
 被告「はい、そう考えていました」

 《ここから、リンゼイさんが死亡に至る経緯について、質問が始まる》

 《当時の彼女にメールを出した市橋被告はそのまま眠りについたが、3月26日午前2~3時の間に目を覚ましたという。浴槽の中のリンゼイさんの様子を確認すると、手の結束バンドが外れていたという》

 弁護人「外れているのを見て、どうしましたか」
 被告「外れている、と思った瞬間、リンゼイさんはこぶしで私の左こめかみを殴りました。頭を壁にぶつけ、何が起きたか分かりませんでした」
 弁護人「その後は?」
 被告「大きな音がしました」
 弁護人「何の音?」
 被告「リンゼイさんを探すと、浴槽が倒れていました」
 弁護人「音は浴槽が倒れた音だったんですか」
 被告「分かりません。左こめかみを殴られ、壁に打ちつけられたときに大きな音がしました。浴槽が倒れ、リンゼイさんが浴槽から出ていました」

 《事件の核心部分に迫るにつれ、リンゼイさんの両親ら家族の表情が険しくなっていく》

 弁護人「リンゼイさんの体勢はうつぶせですか」
 被告「はい」
 弁護人「静かにはっていたのですか」
 被告「いいえ。大声を出して逃げていこうとしました」
 弁護人「それはどんな声でしたか」
 被告「獣のようなうなり声でした」

 《女性通訳が「animal」(動物)の単語を発すると、リンゼイさんの母、ジュリアさんは大きく首を振った》

 弁護人「声を聞いてどう思いましたか」
 被告「下の住人に声が聞こえてしまうと思い、追いすがりました」

 《必死ではい逃げるリンゼイさんに乗りかかった市橋被告。左腕を伸ばし、リンゼイさんのあごを覆ったという。ジュリアさんからおえつが漏れ、リンゼイさんの父、ウィリアムさんがジュリアさんの膝に手を置く》

 弁護人「リンゼイさんに声を出されないようにするだけの目的で腕を伸ばしたんですか」
 被告「いいえ。逃げられないようにするためです」
 弁護人「そうすることで声は止まりましたか」
 被告「止まりませんでした」
 弁護人「それで、どういう行動をとったんですか」
 被告「左腕をもっと伸ばして、彼女の顔を巻くようにしました」
 弁護人「リンゼイさんの様子はどうでしたか」
 被告「リンゼイさんは、まだ声を出していました。前に進んでいこうとしていました」
 《市橋被告の語る「リンゼイさんの死」が目前に迫り、法廷内は緊張感に包まれる》



【英国女性殺害 市橋被告3日目(10)完】
リンゼイさんが動かなくなるまで」覆い被さった被告の殺意は...

 (16:25~16:52)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第3回公判で、弁護側による被告人質問が続く》

 《男性弁護人は平成19年3月26日未明、市橋被告方のマンションからはって逃げようとするリンゼイさんに対し、覆いかぶさって押さえつけようとした状況について尋ね、市橋被告はリンゼイさんが言葉を発したと答えた》

 弁護人「どのような言葉を言われたのですか」
 被告「アイ・ガット・イット、アイ・ガット・イット、ハハハ」
 弁護人「その言葉の意味は分かりましたか」
 被告「『分かった、分かった、ハハハ』だと思います」
 弁護人「それを聞き、どう思いましたか」
 被告「私はリンゼイさんを全然押さえ込めておれず、逃げてしまうと思いました」
 弁護人「リンゼイさんはその状態で前に進もうとしていましたか」
 被告「はい」
 弁護人「あなたはどういう行動に出ましたか」
 被告「私は体を前に倒すようにしてリンゼイさんの上に覆いかぶさりました」

 《検察側の後方に座るリンゼイさんの母親のジュリアさんは頭を抱えた》

 弁護人「なぜ覆いかぶさったのですか」
 被告「リンゼイさんが声を上げないように、リンゼイさんが逃げないようにするためでした」
 弁護人「覆いかぶさってどういう効果があると思いましたか」
 被告「覆いかぶされば、リンゼイさんが逃げないし、声を上げても響かないと思いました」

 弁護人「覆いかぶさったとき、左腕をリンゼイさんに巻き付けるようにしていたと言っていましたが、そのとき左腕はどこにありましたか」
 被告「下にいるリンゼイさんの下に、私の左腕がありました」
 弁護人「リンゼイさんの体の下のどの辺りにありましたか」
 被告「私の左腕が私の体と、リンゼイさんの体の下にあり、私が覆い被さったときに左腕がリンゼイさんの体の下のどこにあったのかまでは分からないのです」

 《市橋被告はやや不自然な言い回しで答えた。市橋被告ははなをすすり、息が上がっているようだ》

 弁護人「左腕は自由に動かせましたか」
 被告「動きませんでした」
 弁護人「左腕は抜けなかったのですか。引き抜けなかったのですか」
 被告「抜けませんでした」

 《市橋被告は嗚咽をもらしたような声を出したが、その表情はうかがえない。弁護人はさらに左腕がリンゼイさんの体のどのあたりに接触していたかについて質問を重ねたが、市橋被告は「分かりませんでした」と繰り返した》

 弁護人「リンゼイさんを押さえつけた状態で、リンゼイさんの顔がつぶれることを心配しなかったのですか」
 被告「リンゼイさんの顔の下は畳でした。そのとき、リンゼイさんの顔がつぶれるとは考えていませんでした」

 《傍聴席でリンゼイさんの遺影を抱く姉妹は生々しい犯行手口の表現に、うなだれてしまった》

 弁護人「一昨日の公判で医者の証言を聞いたでしょ? あなたの左腕で被害者の喉が圧迫されたことも考えられると言っていたでしょ? 被害者の喉を圧迫した認識はありましたか」

 被告「左腕がどこにあるか分かりませんでした」
 弁護人「覆いかぶさっていたとき、右手はどうなっていましたか」
 被告「右手は...、私の...右横で...。私はリンゼイさんの体に乗りかかった状態から、右側に右手を立てました」

 《市橋被告は、実際にその場で右腕を動かしながら、右腕で畳をおさえ、体を支えていたと説明した》

 弁護人「左腕と右腕が結ばれていたということはありますか」
 被告「ありません」
 弁護人「あなたが覆いかぶさったとき、リンゼイさんの後頭部はどの辺りにありましたか」
 被告「私の胸の下にリンゼイさんの後頭部がありました」
 弁護人「あなたは体をリンゼイさんの上に乗せ、リンゼイさんは声を出さなくなりましたか」
 被告「出さなくなりました」
 弁護人「体は動いていましたか」
 被告「リンゼイさんの体は暴れていました」
 弁護人「乗ったとき、どうしようと思ったのですか」
 被告「リンゼイさんが動かなくなるまで、リンゼイさんの上に覆いかぶさろうと思いました」
 弁護人「動かなくなるまでとは?」
 被告「リンゼイさんが抵抗しなくなるまでです」
 弁護人「抵抗しなくなるまでとは?」
 被告「申し訳ありません」

 《質問には答えず、はなをすすりながら謝罪する市橋被告。弁護人は「そうじゃなくて」と言い、質問を重ねる》

 弁護人「抵抗しないとはどのような状態を想定していたのですか」
 被告「逃げるのを諦めるまで...」
 弁護人「(リンゼイさんが)逃げるのを諦め、声を出さなくなったら、どうするつもりだったのですか」
 被告「リンゼイさんから離れるつもりでした。リンゼイさんにまた、(直前まで縛って監禁していた)浴槽の中に入ってほしかった」

 《市橋被告の声は消え入るようにか細くなった。弁護側はこれまでのやり取りで、市橋被告に殺意がなかったことを強調したいようだ。弁護人は大型モニターに、市橋被告がリンゼイさんを押さえつけた状況を絵で描いた紙を映し出した》

 《市橋被告がリンゼイさんの体の上に半身を乗せたような状態で左手で口付近を押さえているところから、完全に覆いかぶさって左腕をリンゼイさんの体に差し込むまでの過程が5枚に描かれている》

 《市橋被告は弁護人の「これはどういう状況?」という質問に答える形で、絵の解説を行ったが、途中で涙声で「すみませんでした」と謝罪した》

 弁護人「完全に覆いかぶさった状態でどれくらい時間が経ちましたか」
 被告「私の感覚では短かったのです」
 弁護人「その後、どうなりましたか」
 被告「リンゼイさんは動かなくなりました。リンゼイさんが逃げるのを止めたと思いました」

 弁護人「リンゼイさんは下を向いていましたか」
 被告「はい」
 弁護人「あなたはリンゼイさんを仰向けに起こしましたか」
 被告「起こしました」
 弁護人「どうなっていましたか」
 被告「リンゼイさんは両目を開けていました。目の焦点は合っていませんでした」

 《傍聴人席で目頭をハンカチで押さえ、泣く姉妹たち。検察側の後方に座る両親も目に涙をためながら、姉妹たちを心配するように見つめていた》

 《市橋被告はその後、人工呼吸、心臓マッサージを説明した》

 弁護人「あなたは心臓マッサージの技術を持っていましたか」
 被告「持っていません」

 《一般的に心臓マッサージで胸骨は骨折するとされるが、リンゼイさんの胸骨は折れていなかった》

 弁護人「(胸が折れるような)やり方で心臓マッサージをしたのですか」
 被告「していません」
 弁護人「被害者を殺害しようとしたのですか」
 被告「思っていませんでした」

 《リンゼイさんの両親は「信じられない」という表情をしながら、ほぼ同時に体をのけぞらせた。殺意の有無は裁判の最大の争点となっており、弁護人は質問を続ける》

 弁護人「死んでもいいと思いましたか」
 被告「思いませんでした」
 弁護人「死んでしまうかもしれないとは」
 被告「思わなかった...。すみません」
 弁護人「左腕がリンゼイさんの首を圧迫していると分からなかった」
 被告「分からなかった...」

 《絞り出すように答えた市橋被告。弁護人は「予定したものは終わりました」と堀田真哉裁判長に告げ、堀田裁判長は閉廷を宣言した。8日午前10時から被告人質問が続けられる》

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英国女性殺害 第4回公判(2011年07月08日)

【英国女性殺害 市橋被告4日目(1)】
殺害後12時間も意識失い「夢であってほしい...」

2011.7.8 11:34

 (10:00~10:20)

 《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判が8日、千葉地 裁(堀田真哉裁判長)で始まった。7日の第3回公判では弁護側が市橋被告本人への被告人質問を行ったが、今回は検察側による質問が予定されている》

  《市橋被告は第3回公判で、リンゼイさんとの出会いから、暴行、死に至らしめた経緯などを詳細に語った。だが、公判の最大の争点となっている殺意について は「(死んでもいいとは)思っていませんでした」と明確に否定。左腕を巻き付け、リンゼイさんに覆いかぶさったとされる時間も「短かった」などと証言し た》

 《検察側は「強姦後に犯行を防ぐ目的があり、3分以上、相当な力で首を圧迫し続けた」と主張しており、市橋被告の証言と対立してい る。また、英語のレッスン料を忘れたため、リンゼイさんと一緒に自宅に取りに行ったとする市橋被告に対し、検察側は「強姦目的の口実」としており、この点 でも大きな隔たりがある》

 《午後からはリンゼイさんの父、ウィリアムさんに対する証人尋問も予定される。被害者参加人として参加してきた公判では、指を立てるしぐさを見せたり、にらみつけたりと、市橋被告への怒りを隠さなかったウィリアムさんは、何を訴えるのか》

 《午前9時58分、ウィリアムさんと、リンゼイさんの母、ジュリアさんが入廷し、傍聴席右側の検察官席の後ろに着席した。2人は時折、笑顔も見せながら通訳と打ち合わせをしている》

 《9時59分、市橋被告が左側の扉から入廷した。白い長袖のワイシャツに黒のジーンズ姿。顔は青白く、うつむいたままで、ウィリアムさんらに軽く一礼した。ウィリアムさんらの笑顔は消え、市橋被告に厳しい視線を向けた》

 《市橋被告は初公判で、ウィリアムさんらに土下座し、改悛(かいしゅん)の意を示した。しかし、犯行後に約2年7月に及ぶ逃亡生活を送った点について、市橋被告の口からは語られていない》

 《続いて裁判長、裁判官、裁判員6人も入廷。全員が起立、一礼した後の午前10時、堀田裁判長が開廷を告げた。まずは7日に続き、弁護側による被告人質問だ。市橋被告がゆっくりと証言台に向かい、裁判長にうながされて椅子に腰を下ろした》

 弁護人「あなたはリンゼイさんに人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたと言いましたね」
 被告「はい」
 弁護人「それでも被害者の意識は戻らなかった?」
 被告「はい」
 弁護人「そのあと、どういう行動を取りましたか」
 被告「リンゼイさんは動きませんでした。それを見たら、私は全身の力がなくなって、意識がなくなっていました」
 弁護人「事件は(19年)3月26日午前2時から3時ころと言われましたね。あなたの意識が回復したのは、どれくらいたってからですか」
 被告「26日の午後2時か3時の間でした」
 弁護人「約12時間くらい、意識がなかったと」
 被告「はい」
 弁護人「目覚めた事情は」
 被告「事情はありません。リンゼイさんにマッサージを繰り返したけど、全く動かなかった。そこから全く覚えてなくて、目が覚めたら外が明るかった」
 弁護人「その時の精神状態はどうでしたか」
 被告「これが現実なのか、夢なのか分かっていなかった。分かっていませんでした」
 弁護人「なぜそんな心理になったのですか」
 被告「最悪な状態になりました。これが夢であってほしいと思いました。現実が分からなくなっていました」

 《市橋被告は涙声になった。弁護側は続いて、リンゼイさんが大声を出さないよう口などに貼ったとされる粘着テープについて質問した》

 弁護人「いつの時点で、被害者にテープを使ったかは覚えていますか」
 被告「覚えています」
 弁護人「それはいつ?」
 被告「私は3月25日の昼にリンゼイさんを殴っています。そのあと、リンゼイさんが大声を出さないよう、口や、口から頭のまわりにかけて粘着テープを貼っています」
 弁護人「それで、どうなりましたか」
 被告「口に貼ると声が出ないと思いましたが、リンゼイさんが口をもごもごさせると、唾液がついて、すぐテープが口からはずれました。何回かやってもはずれるので、諦めてはずしました」
 弁護人「粘着テープは、なぜ家にあったのですか」
 被告「私は以前から、床の掃除に粘着テープを使っていました」

 《第3回公判で、市橋被告はリンゼイさんの拘束に使った結束バンドについて、配線コードをまとめて壁にかけるため平成18年に購入したと証言していた。弁護側はこの粘着テープを含め、市橋被告の犯行に計画性がなかったことを主張したいようだ》

 《続いてリンゼイさんを入れていた浴槽の図面が、法廷の大型モニターに映し出された。頭を置く傾斜部分がA面、足を置く部分がC面と記されている》

 弁護人「リンゼイさんの入れ方は、A面の部分に背中がつく形でいれたのですか」
 被告「そうです」
 弁護人「足はC面ですか」
 被告「そうです」
 弁護人「リンゼイさんは同じ姿勢で座っていたのですか」
 被告「リンゼイさんはじっとしていませんでした。時々、動きました」

 《父親のウィリアムさんは市橋被告をにらみつける。母親のジュリアさんは隣に座る通訳の方に顔を向けたままだ》

 弁護人「あなたはリンゼイさんを2回殴ったと言っていましたが、どこを殴ったのですか」
 被告「私も浴槽に入るようにして、顔を殴りました」
 弁護人「入るようにしてとは、被害者と相対する形ですか」
 被告「そうです」
 弁護人「あなたはリンゼイさんに電話番号や似顔絵を書いて渡していますよね。被害者と連絡が取れないことを不審に思われ、すぐ、あなたに結びつくとは思いませんでしたか」
 被告「思いました」
 弁護人「あなたはリンゼイさんと人間関係を作って、早く帰そうと思っていたとも話していましたが、どのくらいで帰そうと思ったのですか」
 被告「彼女に悪いことをした気がしたので、許してもらえたら、彼女を帰したかった。でも、私は、彼女を殴ってしまったのです」

 《市橋被告の声は、徐々に小さくなっていった》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(2)】
「警察に言わないから私を帰して!」リンゼイさんの悲痛な願いに被告は...

 (10:20~10:34)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第4回公判は、男性弁護人による市橋被告本人への被告人質問が進められている》

 《リンゼイさんを乱暴した後もかなくなに解放しようとせず、自宅に監禁し続けた市橋被告。この状況について質問する弁護人に対して「リンゼイさんに許してもらえたら帰したかった」との弁解を続けた》

 被告「リンゼイさんからは『警察には言わない。言わないから私を帰して!』と言われました」
 弁護人「それを聞いて?」
 被告「帰してあげたかった」
 弁護人「なぜ帰さなかったのですか」

 《弁護人はやや語気を強め、ゆっくり質問する。涙声で話し続けている市橋被告が、はなをすする音が法廷に響く》

 被告「私が顔を殴ったせいでリンゼイさんの目の下が黒くなっていました」
 「いま帰したらリンゼイさんが警察に言わなくても、ルームメートや周囲の人たちが問題にする。『今は帰せない』と思いました」

 《検察官の後ろに座るリンゼイさんの父、ウィリアムさんは、鋭い目つきをしたまま、女性通訳の言葉に耳を傾けている》

 弁護人「だから当時、付き合っていた女性に『1週間ぐらい会えない』とメールを出したわけですね?」
 被告「はい」

 《これまでの公判では、市橋被告がリンゼイさんに乱暴し、監禁した後の平成19年3月26日午前0時半ごろ、交際していた女性に『1週間ぐらい部屋にこもって勉強する。1週間電話しない』とメールを送ったとされる》

 《ここで弁護人が質問の内容を変える》

 弁護人「逮捕されたとき、あなたは最初から黙秘していた?」
 被告「事件のことは、黙秘していました」

 《傍聴席から向かって正面に座るいずれも男性の裁判員6人は、一様に真剣な表情でメモをしたりしながら証言を聞いている》

 弁護人「勾留質問で裁判官に何か言ったことは?」
 被告「あります」

 《逮捕後に行われた市橋被告に対する勾留の必要性を判断するための裁判所での答弁の内容を指しているようだ》

 弁護人「何と?」
 被告「『亡くなった方はもう何も話すことはできません。自分が間違ったことを訂正したり、自分に有利になることは言うことができないので、何も言いません』と言いました」
 弁護人「起訴の直前に事件の概要を話していますね?」
 被告「はい」
 弁護人「供述調書に取られていますね?」
 被告「はい」
 弁護人「なぜ、話す気になったのですか」
 被告「取調官からリンゼイさんの家族が来日していると聞きました。事件のことを話すことはありませんでしたが、謝罪はしたかった」

 《事件後、リンゼイさんの両親は、何度も来日し、事件解決を呼び掛け続けてきた。一言一言、言葉を選ぶように話す市橋被告は、感極まってきたのか、声の震えが大きくなった》

 被告「事件のことは話せない...。私は弱い人間です。事件のことを話すと、自分に有利な方に話をしてしまう。でも、謝罪だけはしたかった。でも、しゃべれない...」

 《市橋被告は震える声で供述に至った心の揺れを告白していく。法廷は市橋被告の声だけが響き、静まり返っている》

 被告「家族は、家族がどんなふうに亡くなったのか、どんな状況で亡くなったとしても、聞きたいと思っていると(取調官から)聞かされました」
 「私は、どんなふうに亡くなったか、なんて(家族は)聞きたくないと思っていました。それ(取調官の話)を聞いて事件のことを話さないといけないと思いました。でも...」
 《心の葛藤を話す市橋被告の言葉を女性通訳がはっきりした口調で英語に翻訳していく。ウィリアムさんの隣に座るリンゼイさんの母のジュリアさんは、あごに手を当て、考えるような表情をしながらメモを取っている》

 弁護人「調書は、読み聞かせてもらいましたか」
 被告「はい」
 弁護人「内容に間違いは?」
 被告「事件の経過については正しいです。しかし、リンゼイさんが動かなくなったときの様子は違っていました」
 弁護人「内容が違っているのに、署名をしたのはなぜ?」
 被告「私は、これでよかった。事件の流れがリンゼイさんのご両親に伝わればよかった。(両親に対する)謝罪の言葉をのせてもらった。それで十分でした」

 《ジュリアさんは首を軽く左右に振った。考え込むような表情のままメモを取り続けている》

 弁護人「最後の質問です」
 「あなたの供述を検察官は信用してくれましたか」
 被告「信用してくれませんでした」
 弁護人「以上です」

 《ここで堀田真哉裁判長が5分間の休憩に入ることを告げた》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(3)】
「質問を正確にお願いします」 長考し検察官には注文も

 (10:40~11:00)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は約5分の休廷を挟んで再開する》

 《左側の扉から出てきた市橋被告は、証言台の前に立つと、リンゼイさんの両親に深く一礼したが、いつもと同じように顔をそむけられた》

 《検察側の被告人質問が始まった》

 検察官「先ほど、逮捕後一度話せば自分に有利なように話してしまうと言っていたのは、あなたが現実に思っていたことですか」
 《市橋被告は少し間を置いて話しはじめる》
 被告「そうはなりたくないと思っていました」
 検察官「供述調書を作成したとき、あなたはリンゼイさんの遺族に謝罪したかったのですか」
 被告「謝罪だけはずっとしたかった...」
 検察官「(供述)調書には謝罪の言葉が載っていたけれど、言葉だけで十分だと思って謝罪したんですか」

 《男性検察官は、市橋被告が逮捕後、断食して黙秘するなどの行動をとって、犯行状況について口をつぐんでいたことを指摘したいようだ。市橋被告はしばらく黙ったあと、一語一語しっかりと話しはじめた》

 被告「事件の内容と、私の気持ちが入ればよかったです」
 検察官「今述べた謝罪の気持ちってどういう気持ち?」
 被告「(供述)調書に書いてもらったことですか」
 検察官「はい」
 被告「供述調書に書いてもらったのは、『彼女の死について私には責任がある。私はその責任を取る』ということです」

 検察官「それ以上に謝罪の言葉を(供述調書に)載せてもらおうとは思わなかったの?」

 《市橋被告のはなをすする音が法廷に響く。泣いているようだ》

 被告「思いません。私がいくら言葉で謝っても、リンゼイさんは戻ってきません。私はちゃんとリンゼイさんの死について責任を取ると、それだけが言いたかった...」

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさんの視線が宙をさまよっている。何かを考えているようだ》

 《男性検察官の質問は、犯行直前のリンゼイさんとのレッスンについてに移った》

 検察官「駅前の喫茶店で行ったレッスンについて、レッスン料を持っていないということは、レッスン開始前から気付いていたのですよね?」

 《市橋被告はしばらく黙った》

 被告「飲み物を注文して、代金を支払うときに気付きました」
 《男性検察官はため息をついた》
 検察官「『はい』、『いいえ』で答えられる質問は、『はい』か『いいえ』で答えてくれる?」
 「飲み物の代金を払うというのは、レッスンを受ける前だったのでしょ?」

 《市橋被告は、またしばらく黙った。しびれを切らしたように、男性検察官が声を荒らげる》

 検察官「黙秘したいのであれば、黙秘したいって言ってー...」
 被告「違います」

 《市橋被告が、男性検察官をさえぎって話しはじめた》

  被告「レッスンが始まったのがいつなのかを考えていて。飲み物を取ってきて席についてから始まったのか、それとも(千葉県市川市の東京メトロ)行徳駅で待 ち合わせして、喫茶店に一緒に歩いて来るまでも話していたので、彼女のレッスンがどこで始まっているのか...。私は正確に答えたい。だから質問を」

 《いったん、市橋被告は口をつぐんだ》

 被告「だから質問を、もう少し正確にお願いします」

 《男性検察官は怒りを抑えているのか、腕を組んで下を向いた。後ろに座るリンゼイさんの両親を一瞬、振り返った後、質問を続けた》

 検察官「あなたがレッスン代金を忘れたと、リンゼイさんに言ったのは、喫茶店を出る直前ですか」
 被告「出る前です」
 検察官「どのくらい前?」
 被告「レッスンが、レッスンが終わる前です」
 検察官「いずれにしろ、店にいる間、レッスンの終わり際になって、リンゼイさんに代金を忘れたと伝えたんでしょう?」
 被告「そうです」
 検察官「喫茶店で、代金を払う時点でレッスン代を忘れたと気付いたなら、リンゼイさんを喫茶店で待たせて、代金を取りに行けばよかったじゃないですか」
 被告「そうです」
 検察官「あなたの話を総合すると、今後もリンゼイさんのレッスンを受けていたいということじゃないですか」
 被告「そうです」
 検察官「レッスンが終わり際の段階になって、レッスン料金取りに行く。そんな行動をすれば、信用されずにレッスンを続けられないのではないですか」
  被告「それもあります。でも、最初に喫茶店でレッスン料を払うお金がないことに気付いたとき、ここでお金がないと(リンゼイさんに)言ったら、最初のレッ スンの雰囲気が悪くなると思ったので。私はリンゼイさんのレッスンを受け続けたかった。雰囲気を悪くしてはいけないと思いました」

 《男性検察官は質問を変えた》

 検察官「あなたは喫茶店に青い手提げカバンで行った?」
 被告「いいえ」
 検察官「その日は何らかのカバンを持っていってますか」
 被告「はい」
 検察官「それは何色ですか」
 被告「黒色です」
 検察官「なぜそのカバンを?」
 被告「...いつも使っているからです」
 検察官「その黒色のカバンにキャッシュカードや運転免許証を入れたポーチは入っていなかったの?」
 被告「いいえ」

 《男性検察官の隣に座った、別の年上の男性検察官が書類を眺めて、顔をしかめている》

 検察官「常に運転免許証などを持ち歩いていたのではないですか」
 被告「いいえ」
 検察官「黒いカバンはどのくらいの大きさのものですか」

 《市橋被告はすこし考えている》

 被告「形はショルダーバッグくらいで、大きさは何の負担もなく肩に掛けられるくらいです。それしか正確なことは言えません。覚えていません」

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんが、ウィリアムさんに何かを耳打ちしている》

 検察官「喫茶店の後にタクシーに乗った?」
 被告「そうです」
 検察官「(市橋被告の)マンションの敷地内までタクシーに乗って来たのなら、現金を部屋から取ってきて、駅まで引き返して、往復の代金を払えばよかったのではないですか」 
 被告「もう一度」

 《男性検察官と市橋被告のやりとりに、男性弁護人が口を挟んだ》

 弁護人「検察官、尋問はなるべく短く区切っていただいた方が分かりやすいかと思います」

 《男性検察官は顔を赤くしたが、ワンテンポおいて質問を続けた》

 検察官「その場にタクシーが来ていたのなら、そのまま往復の代金を払って、そのタクシーで駅まで引き返せばよかったのではないですか」
 被告「私がですか」
 検察官「はい」
 被告「1人でですか」
 検察官「いいえ違います。リンゼイさんと駅までタクシーで戻ればよかったのではないですか。考えませんでしたか」
 被告「考えていませんでした」
 検察官「あなたはタクシー代を払った後に『5、6分待って』と言ったのですか。払う前にどうして言わなかったのですか」
 被告「まずはタクシー代を払わなければ信用されないと思っていました」

 《リンゼイさんの両親は、市橋被告の答えを聞いて、顔を見合わせる。証言台の前に座る市橋被告は、検察側の被告人質問が始まってから、微動だにしない》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(4)】
「私はリンゼイさんの遺体の毛髪を切ったはず」"記憶喪失"を訴える

 (11:00~11:36)

 《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判で、市橋被告への検察側の被告人質問が続く》

  《男性検察官は事件当日の3月25日、市橋被告がリンゼイさんとタクシーで市橋被告方のマンションに向かった際のことを尋ねる。市橋被告は弁護側の被告人 質問で、マンション近くでタクシーを停車させた際、運転手に「5、6分待っていてくれませんか」「5、6分後にきてくれませんか」と頼んだが、断られ、タ クシーが走り去ったと説明していた》

 検察官「リンゼイさんから『帰りはどうしたらいいのか』と言われ、とっさにタクシー運転手に『数分後にきてくれ』と言ったのではないですか」
 被告「違います」

 《検察側は冒頭陳述で、市橋被告が当初から強姦目的でリンゼイさんを自宅マンションまで連れて行ったと主張している。市橋被告がタクシーを呼び戻そうとした言動はとっさの機転だったに過ぎないとみているようだ》

 検察官「リンゼイさんに『どうやって帰ったらいいのか』と聞かれ、どう答えたのですか」
 被告「私は何も言えませんでした。タクシーが去ったとき、リンゼイさんは不機嫌な表情をしていて、私はうまく説明することができなかったのです」

 《検察官は強姦時の状況に質問を移した》

 検察官「玄関でリンゼイさんを押し倒した時点で、強姦をするつもりだったのですか」
 被告「はい」

 《市橋被告はこれまでの公判で、玄関でリンゼイさんに抱きつき、拒絶されて強姦に及んだと説明している》

 検察官「ハグ(抱き合う合うこと)しようとして拒絶され、どうして強姦しようと思ったのですか」
 被告「玄関でリンゼイさんの後ろからハグをしようとしたとき、私はすでに『ハグをしてからリンゼイさんとキスや、セックスもしたい』と思っていました。でも...、でも...リンゼイさんは強く拒絶しました。それで私は誘惑に勝てず、リンゼイさんを強姦しようと思ったのです」

 《検察側の後方に座るリンゼイさんの母親のジュリアさんは頭を抱えた》

 検察官「弁護人の質問で『どういうつもりで抱きついたのか』と聞かれ、『ハグしたかったから』と答えていましたよね?」
 被告「抱きついたのは最初にハグをしたかったからです」
 検察官「キスやセックスをしたいと思ったのはいつの時点だったのですか」
 被告「リンゼイさんが私の部屋に入ってくれたときです」
 検察官「リンゼイさんをどのように押し倒したのですか」
 被告「私はリンゼイさんが玄関に入った後、後ろから手を伸ばしてハグしようとしました。リンゼイさんが振り返り、私と顔と顔が向き合った状態で、強く拒絶しました。私はリンゼイさんを抱きかかえるようにして、玄関から続く廊下に押し倒しました」
 検察官「押し倒した後、どうしましたか」
 被告「私は彼女の服を脱がせようとしました」
 検察官「それでどうしましたか?」

 《市橋被告は少し間を置いてから答える》

 被告「私はリンゼイさんの服を脱がせました」

 《上下の服を脱がせ、全裸にしたと説明する市橋被告。リンゼイさんの父親のウィリアムさんは厳しい表情になった》

 検察官「女性は服を脱がされそうになったら、ものすごく抵抗すると思うのですが、どう抑えて脱がせたのですか」
 被告「数分間、激しくもみ合いました。数分間もみ合いになり、彼女は...リンゼイさんは抵抗しなくなりました。疲れたのだと思います。リンゼイさんが抵抗しなくなったので、服を脱がせようとしました」
 検察官「上下とも裸にしてから結束バンドを使ったのですか」
 被告「そうです」

 《ジュリアさんは首を振り、憤った表情を見せた》

 検察官「リンゼイさんはもみ合った際、大声を上げましたか」
 被告「私が押し倒したとき、彼女は大きな声を上げました。内容は分かりません」
 検察官「彼女が大声を上げないようにするために、何かしましたか」
 被告「はい。私はリンゼイさんの口を手でふさぎました」
 検察官「リンゼイさんを脅すような言葉を言いませんでしたか」
 被告「言っていません」
 検察官「言わない理由は?」
 被告「リンゼイさんは強く抵抗しており、それを抑えるのに精いっぱいだったからです」
 検察官「あなたはなぜ(リンゼイさんの手足を縛るため)結束バンドを使おうと思ったのですか」
 被告「私がリンゼイさんを姦淫するとき、リンゼイさんが抵抗すると思ったからです」
 検察官「(抵抗を抑える手段として)結束バンドを使おうと思いついたのはなぜですか」
 被告「リンゼイさんは力が強かったです。姦淫するときには何かで縛らないといけないと考え、思いついたのは以前に買って使っていなかった結束バンドでした」

 《市橋被告は弁護側の被告人質問で、結束バンドは部屋の配線コード類をまとめるために18年に購入し、事件当時は玄関の収納棚に置いていたと述べていた》

 検察官「結束バンドを使う前に、粘着テープを使ったのではないですか」
 被告「使っていません」
 検察官「廊下の柱にリンゼイさんの髪の毛がついた粘着テープが貼られていました。なぜですか」
 被告「姦淫したときに粘着テープは使っていません。もし柱にテープがあったのだとしたら、それはリンゼイさんが亡くなった後、私が貼ったもののはずです」

 《検察官は首をかしげ、質問を続ける》

 検察官「なぜ貼る必要があったのですか」
 被告「これは、はっきり説明できないかもしれませんが、それでもいいですか」
 検察官「はい」
  被告「リンゼイさんが亡くなった後、私は4畳半に倒れていたはずのリンゼイさんと、(取り外し可能で4畳半に置かれていた)浴槽を、一緒にか別々かは分か りませんが、浴室に運びました。私はそのことを覚えていないのですが、私がしたはずです。リンゼイさんのご遺体と浴槽を浴室に入れた後、私はリンゼイさん の髪を切っているはずです」
 「私は粘着テープを以前から床の掃除によく使っていました。だから、私が床に落ちていた髪をテープで取ったのか...、そんなことをした...して、したから、廊下の柱についていたのかもしれません。覚えていないのですが、テープが柱についたのはそのとき以外に考えられません」

 《堀田真哉裁判長がここで休廷を宣言。約15分の休憩を挟み、午前11時50分から検察側による被告人質問が再開される》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(5)】
「外国人登録証を置いていくから信じて」 解放を懇願するリンゼイさんに...

 (11:50~12:20)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は、休憩を挟み再開。検察側の被告人質問が続く》

 《検察官は、犯行現場の室内に残された遺留品について尋ねていく》

 《玄関の靴からリンゼイさんの血液が検出されたことについて、検察官が付着した理由を尋ねるが、市橋被告は「分かりません」と答える》

 《検察官は質問を変え、袖などが切られたリンゼイさんの衣服や下着について尋ねていく。証拠の写真を市橋被告に示す》

 検察官「コート、カーディガン、ブラジャー、いずれも切られた跡がありますね?」
 被告「はい」
 検察官「コートやカーディガン、ブラウスは、左の袖も右の袖も切られていますね?」
 被告「はい...いや、ブラウスの右側は切れていません」
 検察官「(写真を指さし)こっちの写真をみれば切れているでしょ?」
 被告「はい」
 検察官「いつ切ったんですか」
  被告「私はリンゼイさんを姦淫するとき、リンゼイさんのコートを手で破いています。ブラジャーについては手で切っていません。姦淫する前、裸にするときは 普通にはずしています。ブラジャーが切れているのは、リンゼイさんが亡くなった後、私がはさみで切っているかもしれません」

 《カーディガンやブラウスについても答えるよう、堀田真哉裁判長が促す》

 被告「カーディガンは、手ではこのように破れません。だからはさみで切ったのは覚えていませんが、リンゼイさんが亡くなった翌日(平成19年3月26日)にはさみで切ったと思います」

 《ひとごとのように分析する市橋被告。衣服などを切った理由は判然とせず、首をかしげる裁判員もいる》 

 《検察側はさらに、下着やタイツの尿の跡についても尋ねるが、市橋被告は「分からない」「覚えていない」と繰り返した》

 《検察官は次に、市橋被告に乱暴された後のリンゼイさんの様子について尋ねていく》
 検察官「強姦後、リンゼイさんは何と話していましたか」
 被告「『警察には言わない。帰してくれ』と繰り返していました」
 検察官「リンゼイさんは『知らない男に襲われたと言えばいい』と言っていましたか」
 被告「はい。帰してほしい、と何度も言いました。『外国人登録証を持っている。信用できないなら、それを持っていてもらっても構わない』『道を歩いていて、見知らぬ男に襲われたと言えばいい』と話していました」

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんは右手で両目を覆い、下を向いている。さらに、リンゼイさんの両足を結束バンドで縛った状態で乱暴したときの姿勢についての質問に市橋被告が答え、ジュリアさんら遺族の表情は険しくなっていく》

 《ここで、検察側はうつぶせのリンゼイさんに市橋被告が覆いかぶさった、リンゼイさん殺害時の2人の体勢を示した図を廷内の大型モニターに表示する》

 検察官「リンゼイさんは具体的にどう動こうとしていましたか」
 被告「逃げようとして暴れていた。手をはうようにして、前に進んでいこうとしました」
 検察官「被告が上に乗っている状態で、手を動かしても進まないのでは?」
 被告「体全体で前に行こうとしていました」
 検察官「このあと、『アイ・ガット・イット(I got it)』、『分かった、分かった』と理解したと言いましたね」
 被告「いいえ、(理解)していません」
 検察官「ではどういう意味だと思ったんですか」
 被告「後で考えれば『分かった、分かった』という意味になると思ったけれども、その時は日本語に訳すことはできなかった。逃げられてしまう、と思いました」

 《検察側は続いて、リンゼイさん殺害時の殺意の有無について尋ねていく》

 検察官「今の考えを聞きたい。この時に首が圧迫されたと思いますか」
 被告「分からないのです。この体勢になった後、リンゼイさんが動かなくなりました
 検察官「左腕に力を入れていましたか」
 被告「分かりません」
 検察官「(首の下に左腕を入れた)この状態が継続していたのは、10秒より長い?
 被告「長かったと思います」
 検察官「20秒では?」
 被告「長かったと思います」
 検察官「感覚では大体何秒くらいでしたか」
 被告「感覚的には短かった。1分ほどでした」
 検察官「リンゼイさんが動かなくなってから、覆いかぶさるのをやめたんですね」
 被告「動かなくなったとき、リンゼイさんが(逃げるのを)諦めたと思い、体を離しました」
 検察官「動かなくなって、どれくらい経ってから離れたんですか」
 被告「...動かなくなってから離れました。...もう一度お願いします」
 検察官「リンゼイさんが動かなくなって、どれくらい経ってから離れたのかを聞いています」
 被告「...リンゼイさんの体が動かなくなりました。諦めたんだと思い、体を離しました」

 《かみ合わないやり取りが繰り返される》

 検察官「その後、人工呼吸をしたということですが、110番や119番通報はしていませんね」
 被告「はい」
 検察官「近所の人に助けを求めたりもしていませんね」

 《突然、語調を強め、市橋被告が答える》

 被告「していません」
 検察官「心臓マッサージや人工呼吸の後、息をしているかの確認はしましたか」
 被告「リンゼイさんが動きません。口元に、少し開いている口元に顔を近づけました。リンゼイさんは息をしていませんでした」
 検察官「心臓が動いているか、脈を測りましたか」
 被告「していません」
 検察官「なぜしなかったんですか」
 被告「リンゼイさんが動かないのを見て、心臓マッサージと人工呼吸を続けました。リンゼイさんの口元に顔を近づけたが、息をしていない。それで、私の身体の力が抜けました...申し訳ありません」

 《最後の一言で、にわかに声を震わせた市橋被告。ジュリアさんは椅子の背もたれに寄りかかり、目を閉じて微動だにしない。ここで堀田裁判長が予定時間を超えていることを検察側に告げ、休廷に入った》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(6)】
遺体放置しスポーツクラブへ...「普通の生活に戻りたかった」

 (13:20~13:50)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第4回公判は約1時間の休廷を挟んで審理が再開した。午前に引き続いて若い男性検察 官が市橋被告本人への被告人質問を進めていく》

 《堀田真哉裁判長が入廷したのに続いて、市橋被告が法廷に入ると、傍聴席から向かって右側 の検察官の席の後ろに座るリンゼイさんの両親に向かって深く頭を下げた。初公判以来、繰り返されてきた光景だが、リンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、 ジュリアさんは顔をそむけて市橋被告の顔を見ようとしなかった》

 裁判長「それでは再開します」
 検察官「リンゼイさんの手や足に粘着テープを使ったということですね?」
 被告「あると思います」

 《検察側の冒頭陳述によると、市橋被告がリンゼイさんに乱暴する際、電気コードなどを束ねる結束バンドと粘着テープを使って手足を縛ったとしている》

 検察官「手に粘着テープを使ったのはいつ?」
 被告「...」

 《思いだそうとしているのか10秒間以上の沈黙が続いた》

 被告「いつなのかは分かりません」
 検察官「何のために使ったの?」
 被告「リンゼイさんが逃げないようにするためです」
 検察官「足に粘着テープを使ったのはいつ?」
 被告「リンゼイさんの手首、足首にはめた結束バンドの上にそれぞれ(粘着テープを)貼ったのか、手のバンドの上に貼ったか、足のバンドの上に貼ったか思いだせません」
 「結束バンドの周りに(粘着テープを)貼っているのは覚えていますが、それがいつなのか、どの個所なのか分かりません」


 《市橋被告は一言一言、言葉を選ぶようにゆっくりした口調で説明していく。女性通訳が、法廷にいるリンゼイさんの家族らのためにそれを英語に翻訳していくが、市橋被告に合わせてか、ゆっくりしたペースになっている》

 《ここで検察官が質問を変える》

 検察官「あなたは、なぜ、リンゼイさんのご遺体を土で埋めるという発想になったのですか」

 《市橋被告は、リンゼイさんの死亡後、バスタブに入れたリンゼイさんの遺体に土をかけて埋めている》

 被告「いま考えればなぜあんなことをしたのかという考えは出てくるが、あのとき、なんであんなことを...。あのとき、何のためにしているのか分かっていませんでした。申し訳ありません」

 《市橋被告の声の震えがどんどん大きくなっていく》

 検察官「土に埋めた理由の一つは警察に捕まりたくなかったことがあったのでは?」
 被告「いえ、あのときは、ベランダに...」

 《はあ、はあ、と市橋被告の激しい息づかいがマイクを通じて法廷内に響く。市橋被告は何度も言い直そうとする》

 被告「リンゼイさんのご遺体が入ったバスタブをベランダに出し、土をかぶせたことは覚えています。なぜやったかは、私は分かっていませんでした」

 《市橋被告は「はあ」と大きな息を吐き、「すいません」とつけ加えた。声は激しく震えている》

 検察官「あなたが土を購入したとき、脱臭剤なども買ったのはなぜですか」

 《検察側冒頭陳述などによると、市橋被告はリンゼイさん殺害後の平成19年3月26日夕に一度外出して近くのホームセンターで土や脱臭剤を購入している》

 被告「分かりません。しかし、私は土と一緒にそれらを買っています」

 《検察官は矢継ぎ早に質問する》

 検察官「リンゼイさんの頭髪を切ったのはなぜですか」
 被告「髪を切った行為自体覚えていないのです。ただ、私とリンゼイさんしかいませんでした。髪を切ったのは私です」

 《ジュリアさんは目を押さえた》

 検察官「警察が訪ねてきたとき、スポーツクラブに出かけようとしていましたね?」
 被告「そうだと思います」
 検察官「なぜ、リンゼイさんを土に埋めたあと、スポーツクラブに行こうとしたのですか」
 被告「それは、いま考えれば...」

 《ここで市橋被告は「いま考えればということでもいいですか」と検察官に尋ねる。検察官は「はい」と応じた》

 被告「(同年3月)26日午後2時か3時の間に目が覚めてリンゼイさんの状態を確かめ、夢なら覚めればいいと、夢か現実か分からない状態になっていました」
 「(スポーツクラブに出かけようとしたのは)普通の生活に戻りたかったのかもしれません。いまから考えると、このことぐらいしか答えられません」

 《右から2番目の裁判員はあごに手を当て納得がいかないような表情で市橋被告の証言に聞き入っている》

 検察官「警察官が来たとき、あなたはなぜ逃げたのですか」
 被告「玄関から出ると警察の方がいました。警察官に囲まれ、『リンゼイさんのことを知っているか』と尋ねられると、私がリンゼイさんにしたことが頭に浮かんできました」
 「そのときリンゼイさんが言った『私の人生は私のもの』ということが分かりました。急に怖くなりました。私は卑怯(ひきょう)にも逃げ出しました。申し訳ありませんでした」

 《リンゼイさんは市橋被告に拘束され、乱暴された状況の中、『子供をたくさん産みたい。私の人生は私のもの』と市橋被告に語っていた。このときの光景を思い出したのか、市橋被告の声のトーンが高まる。はあ、はあという息づかいも聞こえる》

 《この後、検察官が強姦の際に使った避妊具をどう捨てたのかの確認を行う。市橋被告は「ゴミ箱として使っていたバケツに捨てた」と説明した》

 《検察官はバケツから発見された証拠品の写真を法廷内に設置された大型モニターに映しながら「避妊具も結束バンドや粘着テープと一緒にレジ袋に入れて捨てたのでは」と質問するが、市橋被告は「違う。バンドなどは強姦の後も切っていない」と否定した》

 《ウィリアムさんは厳しい目付きで市橋被告の言葉を翻訳する女性通訳を見ている》

 《検察官はまた質問を変える》

 検察官「調書では、リンゼイさんの首を絞める状況がどう記載されていますか」
 被告「リンゼイさんが動かなくなる直前の様子のことですか」
 検察官「はい」
 被告「調書では『リンゼイさんの首を絞めました』となっています」
 検察官「調書では、リンゼイさんが『I got it(アイ・ガット・イット=分かった) アハハ』と言った後、首を絞める力を強めたと書いていますね?」

 《市橋被告は「もう一度お願いします」と聞き直し、検察官が質問を繰り返す》

 被告「調書には書いています」
 検察官「黙秘をやめた理由は、遺族が事件の経緯を知りたいと言っていると聞かされたからですね」

 《市橋被告は再び「もう一度お願いします」と聞き直したあと、「『遺族はどのように家族が亡くなったか知りたいものだ』と聞かされたことが黙秘をやめた理由の一つだ」と答えた》

 《ジュリアさんは口に手を当て険しい表情で市橋被告の言葉を聞いている。検察官が「調書では市橋被告の要請で削除した部分もあるはずだ」と尋ねると、市橋被告はまた、「もう一度お願いします」と口にし、検察官が語気を強めながら同じ質問を繰り返した》

 被告「あります」
 検察官「調書に署名する前でも弁護人が重ねて接見に行っていますね?」
 被告「もう一度お願いします」

 《検察官は、調書の殺害の部分は違うと主張する市橋被告側に対して、調書は被告が言う通りに作成されたとの証言を引き出したいようだ。検察官が質問を重ねる》

 被告「取り調べ中も何度も(弁護人が)接見に来ましたが、『事件のことを話す』と言って調書を取り始めてからは(弁護人と)会っていません」

 《思うようにかみ合わないやり取りに、男性検察官の声のトーンが高まっていく》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(7)】
「結構です」「もういいです」 遺族の代理人弁護士が登場

 (13:50~14:30)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は、検察側による被告人質問が続いている》

 検察官「(供述)調書の中には、あなたがリンゼイさんの首付近に腕をまわしたという記載はないですね?」
 被告「はい、ありません」
 検察官「あなたは検察官に対して、『リンゼイさんの首付近に腕をまわした』と言ったのですか」

 《市橋被告はしばらく沈黙した》

 被告「私はお話ししていました」
 検察官「重要なのでもう一度聞きますね。あなたはなぜ、(事実と)違うと思ったのに、供述調書に署名したのですか」

 《市橋被告は、主語と述語の使い方に気を使っているのか、ところどころつっかえながら話しはじめた》

 被告「納得は、納得はいって いませんでした。リンゼイさんが動かなくなる前までの部分について、私は納得していません。事件の、私は事件の概要を説明したかった。私が、私がその時点 でははっきり、覚えていないもので、重要でないものは(供述)調書から削ってもらっています」
 「でも、リンゼイさんが動かなくなる前の部分は、(供述調書に)どうしても必要で、(検察官に)『(リンゼイさんが)逃げないように覆いかぶさった』と説明したとき、検事さんが『手で首を絞めたということか』と言いました」
 「あの日は、最後の取り調べの日で、私は事件の概要と、私の謝罪の気持ちだけは、形に残しておきたかった」
 「だから、(供述)調書では、概要は正しい...。リンゼイさんが動かなくなる前の様子には、納得がいかないけれど、私にとって、概要と、謝罪だけ載せてもらえば満足でした。だから署名しました」

 《市橋被告の長い説明のあいだ、通訳を聞いていたリンゼイさんの父、ウィリアムさんが「ふざけるな」というような口の動きをする》

 検察官「あなたは強姦致死で起訴されているのですよ。だから、首を圧迫したという、そこが一番重要だとは思わなかったのですか?」
 被告「接見した弁護士の先生は、『話さないなら、接見の期間中、話さなくていい。裁判で話せばいい』と仰った。でも、私はどうしても謝罪の気持ちと、何があったかの概要はリンゼイさんの家族に伝えてほしかった。だから、そう思わなかった」

 《検察側の席の後ろに座った、リンゼイさんの両親の男性代理人弁護士から、前列に座った検察官らに紙が渡される。男性検察官は、堀田真哉裁判長に、男性代理人弁護士からの質問の要請をした》

 《弁護側、裁判官側で、しばらくやりとりがあった後、堀田裁判長が男性代理人弁護士の被告人質問を15分だけ許可した。男性代理人弁護士は、堀田裁判長に礼を言った後、市橋被告に質問をした》

 代理人弁護士「結束バンドについて話します。弁護人の主尋問では、1年前にホームセンターで購入したということだったよね?」
 弁護人「異議あり。1年前とは言っていません。(事件の)前の年です」

 《男性代理人弁護士は、男性弁護人の異議にやや鼻白んだ様子だったが、気を取り直して質問を続ける》

 代理人弁護士「前の年?」
 被告「はい」
 代理人弁護士「前の年に...」
 《男性代理人弁護士の質問を、今度は通訳がさえぎった。男性代理人弁護士は「やりにくいなぁ」というように苦笑いした》
 代理人弁護士「前の年に買ったものを収納棚に保管していたということで、間違いないですか」
 被告「玄関の物置の上にある、壁際の収納棚に入れて、まとめて置いてありました」

 《男性代理人弁護士は、大型モニターに、事件当時の市橋被告の部屋の見取り図を映し出し、市橋被告に収納棚の位置を指で示させた》

 代理人弁護士「リンゼイさんを家に連れてくる前に、あなたが結束バンドを最後に見たのはいつですか」 
 被告「もう一度」

 《男性代理人弁護士は質問を繰り返した》

  被告「私は前の年に、結束バンドをホームセンターで買いました。部屋の電気コード類をまとめられないか、と思ったからです。ホームセンターから家に戻っ て、45センチの結束バンドを束ねて、壁に掛けられないか確かめました。でも、束ねられても、壁に掛ける方法が分からなかった。だから収納棚にしまいまし た。最後に見たのが、いつかと聞かれると、買ってからすぐに使用しようとしたときです」

 《市橋被告の長い説明のあいだ、男性代理人弁護士は、うなずきながら、裁判員の前を行ったり来たりしている》

 代理人弁護士「あなたがリンゼイさんを押し倒して強姦した場所を図面で示してください」
 被告「もう一度」

 《男性代理人弁護士は、ため息をついてもう一度質問を繰り返した》

 被告「ここです」

 《男性代理人弁護士が質問を続けようとすると、堀田裁判長がさえぎり、後で見直せるように印をつけるよう要請した。男性代理人弁護士は了承した後、話を続け、強姦時の状況を確認した》

 代理人弁護士「あなたがリンゼイさんを強姦するとき、リンゼイさんは裸で横たわっていた。あなたはリンゼイさんの上に馬乗りになっていた?」
 被告「もう一度」
 代理人弁護士「質問を撤回する」

 《市橋被告のあまりにも多い聞き返しや、長い説明に、男性代理人弁護士は、市橋被告がすぐに答えられないなら、答えを切っていくことにしたようだ》

 代理人弁護士「あなたはどうやってリンゼイさんの手首に結束バンドをつけたのですか」
 被告「げた箱の上の収納棚をあけて、結束バンドを取り出し、リンゼイさんの手首にはめました」
 代理人弁護士「手首にはめた結束バンドは1つ?2つ?」
 被告「1つです」

 《ウィリアムさんは、男性代理人弁護士に目配せした》

 代理人弁護士「現場にあった、あなたの家には、2つに繋がった結束バンドがたくさん残っていましたが、それはどうしてですか」
 被告「なぜ2つ使わなかったという理由ですか」
 代理人弁護士「なぜ2つ繋がった結束バンドが残っているかということです」
 被告「最初、リンゼイさんを強姦するときに最初、45センチの結束バンドを...」
 代理人弁護士「もういいです。時間がないので次にいかせてください」

 《市橋被告の説明が長くなりそうだとみるや、男性代理人弁護士は、市橋被告をさえぎって、質問を撤回した》

 代理人弁護士「リンゼイさんの足首には、小さな輪になった結束バンドが2つありました。それはなぜですか」
  被告「リンゼイさんのご遺体の足には、45センチの結束バンドが、私はリンゼイさんがご遺体になったとき、そうなっていたのは、私が最後、結束バンドをは めたとき、45センチの結束バンドをまず、リンゼイさんの足首にはめ、そのあと、30センチの結束バンドを輪になるようにして、長くしたものをその上にま いたから。最後に、結束バンドを...」
 代理人弁護士「もう結構です。時間がないので」

 《市橋被告の主語と述語がたびたび入れ替わる説明を、小さくほほえんでうなずきながら聞いていた男性代理人弁護士だったが、途中でさえぎった》

 代理人弁護士「もう1つ現場に残されていたものについて聞いていいかな? 結束バンドの大きいものが現場には残されていましたけれど、それはどうしてですか?」
 被告「今から考えたことでいいですか」
 代理人弁護士「結構です。撤回します」
 被告「私は...」
 代理人弁護士「もういいです」

 《答えをさえぎられることが多くなり、市橋被告は戸惑っているようだ》

 《質問を変えて、男性代理人弁護士は、当時市橋被告と付き合っていた女性との関係について尋ねた》

 代理人弁護士「最後に(付き合っていた女性と)肉体関係を持ったのはいつですか」
 被告「覚えていません」

 《25日の深夜まで、その女性と焼き肉デートをしていたという市橋被告だが、男性代理人弁護士は、その後、リンゼイさんと会うまでの空白の6時間について質問した》

 被告「私が部屋に戻ったのは午前4時ごろです。私は家計簿をつけていたので、(家に)戻った後は、その日使ったお金をつけていました。そのあと、リンゼイさんと会う約束があったので、寝たと思います」
 代理人弁護士「その間、あなたは粘着テープを切ったり、結束バンドをわっかにしたりして、(犯行の)準備をしていたのではないですか」
 被告「準備...」
 《市橋被告の答えをさえぎって、男性代理人弁護士は質問を変えた》
 代理人弁護士「あなたが(強姦の時)結束バンドを取りに行こうとしたら、リンゼイさんは逃げようとしましたか」
 被告「...私は」
 代理人弁護士「結構です」
 弁護人「異議あり。被告は答えようとしています」

 《市橋被告の答えをさえぎろうとした男性代理人弁護士に、弁護人は異議を申し立て、認められた》

 《かみ合わないやりとりのあと、市橋被告は「(逃げようと)していません」と答えた》

 《その後、男性代理人弁護士の「息ができなくなったら死ぬと分かっているのか」との質問に、市橋被告がまわりくどい答えを返した後、男性代理人弁護士は質問を終えた》
 代理人弁護士「結構です。終わります」
 《堀田裁判長は、見取り図をもとに市橋被告の説明を確認した後、約20分間の休廷を宣言した》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(8)】
「私を帰さないと大変なことに...」カッとなり殴る

 (14:50~15:20)

 《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は20分の休廷を挟み、再開された

 《入廷してきた市橋被告はこれまで通り、検察側の後方に座るリンゼイさんの両親に向かって頭を下げ、証言台の席に着席。裁判員らによる被告人質問が始まり、向かって右から3番目に座る男性裁判員が質問をするために挙手をした》

 裁判員「(19年3月25日から)リンゼイさんを入れていた(取り外し可能な)浴槽は4畳半のどこに置いてあったのでしょうか」

 《堀田真哉裁判長が「図で示してもらいましょう」と言い、大型モニターに現場見取り図が映し出される。そして、4畳半の部屋の左下の角を指す市橋被告の指が映った》

 被告「ここです」
 《指を指した場所の下の方に「ラジカセ」と書かれたマークがあった。上の方には「物入れ」と書かれたスペースがあった》
 裁判員「被害者の頭はラジカセの方を向いていましたか。物入れの方を向いていましたか」
 被告「物入れのほうです」
 裁判員「浴槽の中にリンゼイさんがいたとき、(市橋被告は)左こめかみをリンゼイさんに殴られて壁に頭をぶつけたとされています。どのようにぶつけたのでしょうか」
 被告「私が右のこめかみをぶつけたのはここです」

 《市橋被告は4畳半の左側の壁を指さしたが、直後に発言を訂正する》

 被告「すみません。(壁にぶつけたのは右こめかみではなく)右の頭です」
 裁判員「ありがとうございます」

 《堀田裁判長は「今の質問に関連して、私からも質問します」と言い、大型モニターに浴槽の見取り図が映し出された。堀田裁判長は浴槽のどの部分が 壁と接していたかを尋ね、市橋被告は浴槽左側の縁部分を指した。堀田裁判長は「ほかの方はいかがですか」と裁判員らに声をかけ、左から2番目の男性裁判員 が挙手をする》

 裁判員「(縛って浴槽に入れていた)リンゼイさんを2回殴ったときに『カッとなった』ということでした。たばこを吸うことを拒否したやり取りがあって、『カッとなった』ということですが、そのときのやり取りを教えてください」
  被告「リンゼイさんが『たばこを吸いたい』と言ったとき、私は『できない』と言いました。その後も、リンゼイさんは『たばこを吸いたい』と3度ほど頼んで きました。リンゼイさんからたばこを吸いたいと言われる前、私はリンゼイさんの手首の結束バンドをキッチンバサミで切りました。リンゼイさんに『足も外し てほしい』と言われ、私は『できない』と言いました」
 「そしてリンゼイさんに『たばこを吸いたい』と言われて断った後、リンゼイさんに (再び)『足が痛いから足のバンドを外して』と何回か言われました。私が『やはりできない』と言うと、リンゼイさんは『棒のようなものに(私を)つなげれ ばいい』と言いました。しかし私の部屋には棒はありませんでした」
 《リンゼイさんとのやり取りを細かく述べる市橋被告。説明はさらに続く》
 被告「リンゼイさんから『たばこを吸いたい』と言われる前、リンゼイさんから『甘い物がほしい』と言われ、台所にあった黒砂糖をリンゼイさんの口に入れました。『たばこを吸いたい』と言われた後、今度は『白砂糖がいい』と言われました。白砂糖はありませんでした」
  「だんだんイライラしてきました。私が考えていたことは何とか...リンゼイさんに許してもらい、(リンゼイさんを)帰したかった。でもだんだんイライラして きました。イライラしてるとき、リンゼイさんに『私を帰して。帰さないと大変なことになる』と言われ、私はカッとなりました」

 《長い間しゃべり続けた市橋被告。通訳も長くなり、リンゼイさんの父親のウィリアムさんは女性通訳の顔を見ながら耳を傾けていた。通訳が終わり、続いて左端に座る男性裁判員が質問を始めた》

 裁判員「結束バンドについて質問します。(英会話レッスンを終えて2人で)部屋に戻り、そのあともみ合いになり、リンゼイさんの手足に結束バンドをつけたと言っていましたが、それ以降、足の結束バンドを外したことはありますか」
 被告「はい、あります」
 裁判員「どんな状況で外したのか説明してください」
 被告「4・5畳(4畳半)の和室で、浴槽の中にリンゼイさんを入れていましたが、リンゼイさんは私に『トイレに行きたい』と言いました。私は(トイレに行かせるため)リンゼイさんの足の結束バンドをキッチンバサミで切りました」
 裁判員「リンゼイさんがトイレから戻ってきたところで、再び足に結束バンドをはめたのですか」
 被告「はい、そうです」
 裁判員「部屋に戻ってきたとき、部屋の明るさはどんな感じですか」

 《ここで堀田裁判長が「いつのことですか」と質問を詳しくするよう促した》

 裁判員「(事件当日、レッスンを行った)コーヒーショップから帰ってきて、部屋に入ったときのことです」
 被告「玄関を開けます。玄関にはライトがついていません。廊下から続く台所、リビングの...リビングはカーテンが開いていて、日の光が廊下に差し込んでいました。玄関から左手にある浴室と、洗濯機のある水場は真っ暗でした」

 「玄関から入って右手にある5・5畳の洋室はカーテンが開いていて、日の光が入っていました。ライトはついていません。4・5畳の和室と、6畳の 和室もカーテンが開いていたので、日の光が入り、明るかったです。私が帰ってきたとき、どの部屋も照明はついていませんでした」
 裁判員「照明をつける機会はありましたか」
 被告「あります」
 裁判員「4・5畳の和室に浴槽を持っていき、リンゼイさんを入れたとしているが、それ以降、照明を消したことはありますか」
 被告「もう1度お願いします」
 裁判員「まず2人で4・5畳の部屋にいたとき、照明をつけましたか」
 被告「つけました」
 裁判員「その後、消す機会はありましたか」

 《市橋被告はしばらく沈黙した後、口を開いた》

 被告「リンゼイさんが動かなくなるまで、照明は消していません。(リンゼイさんが死亡した後の)26日午後2時か午後3時ごろに私が目を覚ましたときに、4・5畳の和室の照明がついていたかは覚えていません」

 《検察側や弁護側による質問のときに比べ、やや落ち着いた様子で説明する市橋被告。裁判員らによる被告人質問は続く》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(9)】
結束バンドと避妊具を準備? 裁判官が「計画性」追及

 (15:20~16:08)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判は、裁判員の被告人質問が続いている》

 《1番右の男性裁判員から、リンゼイさんが大声を出した回数についての質問があり、市橋被告は「2回」と答える》

 裁判員「その2回は、リンゼイさんを押し倒したときと、リンゼイさんが逃げようとしたときの2回ですか」
 被告「はい」
 裁判員「その他の時は、大声を出される心配はしませんでしたか」
 被告「しました」

 《これまでの公判で、市橋被告はリンゼイさんを乱暴する際、粘着テープで口などをふさいだことを明らかにしており、市橋被告は再びその経緯を説明した》

 裁判員「殴った後にテープを貼って、はがしたということですよね。それ以外の時は貼らなかったんですか」
 被告「リンゼイさんの口ですか」
 裁判員「はい」
 被告「はい、そうです」

 《続いて左から3番目の男性裁判員が、犯行当日、待ち合わせから市橋被告の部屋に入るまでの時間について、質問を求める》

 裁判員「タクシーに乗り(市橋被告の)マンションの前で降りました。そこから室内に入るまでの会話はありましたか」
 被告「...ないですよ。えっと...しかしリンゼイさんが部屋に入るとき、『どうぞ』と一言いいました。あとはありません」

 《男性裁判員は腕を組み、考え込む様子だ。次に右から2番目の男性裁判員が「浴槽を外した経験があったのか」と質問。市橋被告は「掃除するときに取り外したことがある」などと答えた》

 《続いて裁判官の質問に移り、左陪席の女性裁判官が質問する》

 裁判官「4畳半の和室でリンゼイさんを浴室に入れた後、あなたはどこにいましたか」
 被告「私も和室にいました」

 《廷内の大型モニターに市橋被告の部屋の見取り図が表示され、女性裁判官はリンゼイさんが入った浴槽と市橋被告の詳細な位置関係について尋ねる》

 裁判官「そこでずっと会話をしていたんですか」
 被告「ずっとではないが、会話をするときはそこに座っていました」
 裁判官「被害者と一緒に浴槽の中に入ったことはありましたか」
 被告「私の体全部を浴槽の中に入れたことはありません。しかし、リンゼイさんを殴ったときは浴槽の中に入るような姿勢になりました」

 《女性裁判官は市橋被告に殴られたリンゼイさんの顔のアザについて確認した後、再び殺害時の状況に話を戻す》

 裁判官「あなた自身が声を出したことはありませんでしたか」
 被告「ありません」
 裁判官「なぜ、逃げられないように、そこまで、押さえる体勢だったんでしょうか」
 被告「押さえ込むまで、リンゼイさんは大声を出していました。それで、私が上から覆いかぶされば...」

 《突然、声を震わせ涙声になる市橋被告。公判では断続的にこうした場面が見受けられる》

 被告「声も漏れなくなると...思ったからです...」
 裁判官「確認ですが、なぜそこまでして逃げられないようにしたんでしょうか」
 被告「リンゼイさんにあのとき逃げられたら、警察に通報されることは分かっていました。通報されずにリンゼイさんが帰れるようになるまで、逃げてほしくありませんでした」

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんは両手で両目をおさえ、市橋被告を直視できない様子。父、ウィリアムさんがジュリアさんに手を添えて支える》

 《女性裁判官は、最後に犯行当時の体格について尋ね、市橋被告は身長180センチ、体重は「大体70キロと少し」と返答。続いて右陪席の男性裁判官が質問を始める》

 裁判官「リンゼイさんが一緒に(マンションの)エレベーターに乗ったのはどうしてですか」
 被告「分かりませんが、私は金を取りに行くといってリンゼイさんとタクシーに乗りました。タクシーを降りると、私はマンションの方に歩いていきました。リンゼイさんも私の後をついてきました。リンゼイさんとしては、金を取りにいくのだからついてきたんだと思います」

 《男性裁判官は、入室直後の乱暴時の状況について尋ねていく》

 裁判官「リンゼイさんを拘束するにあたり、結束バンドを収納棚から取り出していますね」
 被告「はい」
 裁判官「どのように収納棚から結束バンドをとったんですか。その時、あなたはリンゼイさんに馬乗りでしたか」
 被告「そうではありません」
 裁判官「リンゼイさんの体から離れて結束バンドをとったんですか」
 被告「いいえ、離れていません。右手をリンゼイさんの体に置いた状態で、左手を伸ばし収納棚の扉を開けました。手でゴソゴソ探して結束バンドを見つけ、棚の下に落としました」
 裁判官「その後、避妊具を装着してリンゼイさんを姦淫していますが、避妊具はどこから取り出しましたか」
 被告「物置の棚の下にいつも置いていました」

 《男性裁判官は見取り図を取り出し、堀田真哉裁判長と小声で相談する》

 裁判官「物置の棚とはどこのですか」
 被告「すいません、げた箱の棚の上、靴箱の棚の上です」
 裁判官「結束バンドと同じ場所ですか」
 被告「違います」
 裁判官「結束バンドも靴箱の収納棚ですよね」
 被告「違います」

 《首をひねる男性裁判官。結束バンドと避妊具が不自然に同じ場所に置かれていたとすれば、リンゼイさん暴行の計画性を示す可能性もある》

 裁判官「では、避妊具を装着するまででもいいですが、リンゼイさんが声を出したり泣いたりしたことはありますか」
 被告「ありません」
 《男性裁判官は最後に、リンゼイさんから脱がせた服の処理について尋ね、質問を終了。堀田裁判長の質問に移る》
 裁判長「リンゼイさんを姦淫する前にもみ合ったということですが、被害者に対してしたことを具体的に教えてください」
 被告「私は上から馬乗りになり、あおむけのリンゼイさんの両手を私の両手で押さえ込み、リンゼイさんも足を強く動かして抵抗しているので、私は両足ではさみ、押さえ込むようなことをしました。リンゼイさんの足が抜け出すと、私はまた足ではさもうとしました」

 《市橋被告は熱に浮かされたように、言葉をついでいく》

 「リンゼイさんは体を押さえ込まれても体を大きく動かしていた。私は体を密着するようにして押しつけていました...」

 《裁判員、裁判官の被告人質問が終了し、弁護側は先ほど話に出た避妊具の位置について補足の質問をする》

 弁護人「コンドームはなぜ玄関の棚に置いていたのですか」
 被告「当時付き合っていた女性と肉体関係があり、外出するときに持っていけるように置いていました」

 《この後、弁護側の追加証拠についてのやり取りを行い、堀田裁判長は約15分の休廷を告げた》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(10)】
「輝いていたリンゼイではなかった」 霊安室で対面した父の思いは...

 (16:24~16:45)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第4回公判は、被告人質問が終了し、約15分間の休憩を挟んで再開した》

 《堀田真哉裁判長が入廷したのに続いて、市橋被告が法廷に入った。これまで同様、先に法廷に入り、検察官の後ろの席に着いていたリンゼイさんの父、ウィリアムさんと母のジュリアさんに一礼するが、正面に立つ刑務官の陰になって夫妻からは姿が見えない》

 裁判長「それでは再開します」
 《堀田裁判長に促されて、若い男性検察官が証拠として採用された供述調書を読み上げていく。まずはリンゼイさんの死亡が確認された平成19年3月26日の数日後に作成されたウィリアムさんの調書だ》
 検察官「リンゼイには3歳上の姉と1歳下の妹がおり、私たち家族はとても仲がよく、深い絆で結ばれていましたが、これが永遠に消え去ってしまいました」

 《ウィリアムさんは事件以来、ジュリアさんと捜査の進展を訴えるために何度も来日。市橋被告の顔写真がプリントされたTシャツを着て情報提供を呼び掛け続けた》

 《今回の公判でも被害者参加人として初公判から参加。「殺意はなかった」と述べる市橋被告の言葉を通訳を介して聞くと、目を見開いて信じられないといった様子を見せるなど、被告への怒りをにじませてきた》

 検察官「リンゼイはわれわれにとって特別な存在でした。リンゼイは誰よりも早く読み書きを覚え、級友を助けてきました。中学の先生からは『リンゼイには何も教えることはない。進学校に進むべきだ』と言われました」

 《リンゼイさんは街でも有名な進学校に進学したという》

 検察官「リンゼイは人を助けるすばらしい素質があり、それについて、2つの思い出があります。ひとつは大学生に入ったころのことでした」

  《供述調書によると、リンゼイさんがウィリアムさんらと街の中心を歩いていたとき、一人のホームレス男性が「お茶代をほしい」と言ってきたという。リンゼ イさんが「サンドイッチでも買って」と多めの小銭を男性に渡したことにウィリアムさんは「こんなために私はカネを稼いでいるのではない」とたしなめた》

 検察官「するとリンゼイは『あの人は私のようにすばらしい機会に恵まれなかっただけです』と言いました」
 「私たちは娘たちの教育にお金を費やし、娘たちは優秀な成績を収めた。親がよりよい教育を与えてきたことを感謝していたからこそ、『私のようなすばらしい機会』と表現したのです。リンゼイは常に感謝の念で接し、人を助けることに情熱を傾けてきました」

 《ウィリアムさんは供述調書の中で、2つ目のエピソードとしてリンゼイさんが重度の身体障害を持つ子供たちに水泳を教えていた当時を振り返った》

 検察官「リンゼイは手足が不自由な子供たちを支えるために常に水に入ったままで、家に帰ってくると、手足が(水でふやけて)真っ白になっていました」

 《読み上げられる自分の供述調書の内容を聞いて、ウィリアムさんは、涙をこらえるようにどんどん顔を赤らめていった》

 検察官「リンゼイは短い生涯の中で、人を助けることに最大の情熱を傾けてきました。当初は医師を目指し、日本を経験した後は、子供たちに科学を教えることを目指していました」
 「日本を愛し、日本の社会を愛し、日本の社会にとけ込もうと、日々努力していました。日本を目指したのは、日本人の高潔さに共鳴したことに加え、日本が安全なことも一つの理由でした」

 《だが、ウィリアムさんら家族は、まな娘が遠く離れた異国にいることに寂しさと不安を募らせていたという。夫妻が1週間ほど日本に滞在した機会にリンゼイさんは近所の交番を案内したという》

 検察官「リンゼイは『ここはロンドンよりも安全よ』と言いました。娘は英語で話しかける人に英語で答えたり、近所の人たちに『おはようございます』と声をかけたりしていました。生き生きとして安全に暮らす姿を見て安心し、リンゼイを誇りにも思いました」
 「これほど信頼していた日本で命を落とすとは思いもよりませんでした」

 《事件に遭う前の19年3月11日のウィリアムさんの誕生日にもリンゼイさんは、プレゼントを送ってきたという》

 検察官「プレゼントは、いましているこのベルトと日本のはしでした」

 《殺害された直前に送ったのか、リンゼイさんが亡くなった後の4月にもウィリアムさん夫妻の記念日に合わせ、別のプレゼントが届いた》

 検察官「4月に届いたプレゼントは包みも開けていないんです」
 「『お父さん、愛している。お母さん、愛している。お姉さん、愛している。妹、愛している』と電話がありました。これが娘が生きていた最後のメッセージでした」
 「イギリスの警察を通じ、娘が事件の犠牲になったと伝えられました。霊安室で会ったリンゼイは、私たちが知っている、美しい、輝いていたリンゼイではありませんでした」
 《ウィリアムさんはしきりにハンカチで涙をぬぐっている。目は真っ赤に充血している。隣のジュリアさんも涙が止まらずに目をハンカチで押さえ続けている》

 検察官「私たちは深い絶望に突き落とされました。深い喪失感が体を貫きました。夢があり、多くの人を助けてきた娘を失ったことから立ち直ることはできません。私たちにとって娘は『命』そのものでした」

 《検察官は続いて市橋被告が死体遺棄罪で起訴された後のウィリアムさんの「厳しい処罰を望む」との供述調書も読み上げた》

 《続けてウィリアムさんが市橋被告の逮捕後、検察官の調べに応じるために来日した際に持ってきたという生前のリンゼイさんの写真が、次々と法廷内の大型モニターに映し出されていった》

 《生後7カ月のものから姉妹で撮影したものも。どの写真でもリンゼイさんはカメラに笑顔を向けていた》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(11)】
憤怒の形相で詰め寄る父...刑務官が取り囲む一幕も

 (16:45~17:15)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判。検察側は、リンゼイさんがどれほど素晴らしい女性だったか、写真をモ ニターに映し出して説明を続けている》

 《愛らしい幼いころのリンゼイさんや、大学卒業記念パーティーのときの、グラスを片手に挑発的な笑顔でほほえむリンゼイさんなど計14枚の写真が、大型モニターに映し出された》

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんは、モニターを見て涙を流し続けている》 《男性検察官が、紙につづられたリンゼイさんの父、ウィリアムさんの言葉を日本語で朗読している》

 検察官「リンゼイは22年間しか生きられなかったが、とても有益に過ごした。(リンゼイさんが)亡くなってしまってから、もはやリンゼイがいたころの家族ではなくなってしまった。私たち(夫婦は)、娘たちにすべての機会を与えたが、リンゼイは期待を裏切らなかった」

 《モニターが消された》

 《堀田真哉裁判長に促されて、ウィリアムさんの証人尋問が始まる》

 《ウィリアムさんは立ち上がると、まず、証言台の後ろ、被告人席に座っている市橋被告に近づいた》

 《市橋被告に危害を加えると思ったのだろうか、慌てたように刑務官がウィリアムさんを囲むが、ウィリアムさんはすさまじい怒りの形相で市橋被告を見下ろした後、証言台の前に立った》

 《市橋被告は背中を丸めて泣いている》

 《男性検察官による、ウィリアムさんの証人尋問が始まった》

 検察官「リンゼイさんは大学生のとき、どんな学生でしたか」
 証人「リンゼイは英国でもトップクラスに目されるリーズ大学に入学しました」
 《ウィリアムさんが訥々と、大学生時代のリンゼイさんの美しさ、聡明(そうめい)さ、充実した生活について説明する》
 証人「何時間あっても、リンゼイが大学時代に成し遂げたことについて説明し切れません。でも、ここは法廷でそのような時間がないことは分かっています。でも、本当に彼女が成し遂げたことについて、誇りに思っています」
 検察官「娘さん3人の教育費は大変だったのではないですか」
  証人「その通りです。英国でトップクラスの大学に進学させることは非常に金銭的に負担が大きいです。でも、3人とも頭脳明晰(めいせき)で、トップクラス の大学に入学しました。とてもうれしかった。お金がなくて、娘が勉強の機会を奪われる、そんなことにはさせたくありませんでした」
 検察官「事件は、(リンゼイさんの)家族にどれだけ影響を与えたのですか」
 証人「事件が起こる前、私たちは普通の家族でした。でも、この事件で、私、妻、娘たちは、本当にそれまでの生活を覆されました」

 《ジュリアさんは手で口を覆って涙を流し続けている》

 証人「私たちはまったくあのころとは違う世界に住んでいます。親戚(しんせき)とも疎遠になり、近くに住む人も、私たちとどう付き合っていいのか戸惑っています」
  証人「最初、私と妻は日本になぜ娘をやったか、自分たちを責めました。それに私はどうしたらいいのか分からなくなって動揺していました。娘たちともうまく 付き合えなくなりました。残った2人にも何かあったら、と考えると心配で仕方なかった。私は鬱になり、薬を飲まざるを得なくなりました」
 「私は怒りを常に感じています。自殺願望に襲われましたが、家族がいたので踏みとどまれました。そして仕事で(リンゼイさんを失った悲しみを)忘れようとしました」

 《ウィリアムさんの独白は続く》

  証人「娘たちはそれぞれ、いい付き合いをしているボーイフレンドがいました。彼らは父の私とも付き合っていました。リンゼイの死後、数カ月の間に残りの2 人の娘もボーイフレンドと別れ、私たちは孤立無援になりました。(悲しみのあまり)家にこもったまま、買い物にもいけません。人は言います。『時が解決し てくれる。どんな悲しみも』。でも違うのです」

 《右から2番目の裁判員は真剣な表情でウィリアムさんを見つめている。男性検察官の質問に答えて、ウィリアムさんは親戚(しんせき)とも疎遠になったことを切々と訴えた》

 証人「私の2人の姉妹も、私たちとどう接すればいいのか分からずに、私たちのところに来てくれなくなりました。彼女たちの遠慮もあり、疎遠になりました」
 検察官「リンゼイさんの婚約者とは(リンゼイさんの死後)どういう付き合いになりましたか」
  証人「リンゼイには婚約者の●●(法廷では実名)がいました。2人は本当に愛し合っていました。●●は家族の一員でした。2人はいつも一緒にいました。私 は●●に言ったことがあります。『こんなきれいな女の子(リンゼイさん)と付き合えて君はラッキーだね』。●●は言いました。『本当に私はぜいたく者で す。一生懸命頑張って、成功して、リンゼイと結婚して、僕たちは4人子供を産みますよ』。いま、なかなか●●は会いにきません。さみしいです」

 《ウィリアムさんの後ろ、被告人席の市橋被告の肩が震えている》

 《男性検察官は、事件を知った直後のリンゼイさん一家の様子について質問した》

 証人「最初は行方不明だと知らされました。しかし、時がたつにつれ、状況は最悪になりました。まさかわが子に(こんな悲惨な事件が)起こるなんて。別の人ではないかと思いました」

  《その後、男性検察官の質問は、事件後にウィリアムさんたちが、逃亡した市橋被告を捕まえるために、来日したり、パンフレットを配ったり、英国の政府高官 と連絡をとったりと、手を尽くしたことに移った》

 証人「とにかく天国から地獄を掻き分けて、市橋被告を裁きの場に出すため、必死でした。父親なら誰でも そうします」

 《男性検察官は、ウィリアムさんが、リンゼイさんの遺体の写真を見たときのことについて質問した》

 検察官「リンゼイさんの遺体の写真は、見なくてもいいと言われていたはずですが、どうして見たのですか」
 証人「私は、この目で確かめなければならないと思いました。一度見てしまったら、一生忘れられないとは思いましたが、父として、娘の遺体を見なくてはならないと思いました」
 検察官「見て、どう思いましたか」
 証人「吐き気を催すほどでした。動悸(どうき)が激しくなりました。美しい娘になんて悲惨なことを...」
 「市橋は娘をあのようにして申し開きもしないのです」

 《ウィリアムさんが市橋被告を弾劾する声が法廷中に響く。市橋被告は体を震わせたままだ》



【英国女性殺害 市橋被告4日目(12)完】
「邪悪な男」「娘の死ネタに金稼ぎ」...父の迫力に腰を抜かして退廷

 (17:15~17:38)

 《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事 件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第4回公判で、リンゼイさんの父親のウィリアムさん に対する検察側の証人尋問が続き、ウィリアムさんの言葉を女性通訳が通訳していく》

 証人「これまで裁判を見てきたが、まるで市橋被告のショーだと感じました。検察官の質問には短く答え、『もう1度』と聞き直す。弁護人が尋ねたことはたちどころに理解して、長々と答えていました。彼はショーを演じるために(言動を)練り上げています」

 《ウィリアムさんが座る証言台のすぐ左後ろで、刑務官に挟まれるようにして長イスに座る市橋被告。傍聴席から見ても分かるほど、体と顔をガタガタと震わせている》

  証人「裁判長、裁判員の方々にはぜひ、証拠に基づいて判断してもらいたいです。法廷では娘を解剖した鑑定医の証言が出ました。証言によると、3分から5分 程度、娘の首に圧迫が加えられた可能性が高いということでした。みなさん3分について、自分の息をとめて試してみてください。30秒程度で首の圧迫をやめ たら回復するとのことでしたが、彼(市橋被告)が手を離した証拠はありません」

 《ウィリアムさんは市橋被告の心臓マッサージを試みたという主張にも疑問を呈した》
 証人「もしも心臓マッサージをしたら、された側の肋骨(ろっこつ)が折れるほどの力が加えられるということでしたが、娘の体に心臓マッサージを施した痕跡はどこにもありませんでした」

 《ここで堀田真哉裁判長が割って入り、検察側の質問に端的に答えるように求めた。ウィリアムさんは「OK」と応じた。男性検察官が質問をする》

 検察官「法廷での市橋被告の態度を見てどう感じましたか」

 《ウィリアムさんは首を左右に振りながら、しゃべり始めた》

  証人「彼は悔いていません。証言は計算されつくし、リハーサルされたものです。彼が逃走中、私たちは何度も強く自首を求めました。しかし彼は耳を貸さず、 われわれが日本に来るための費用を工面している中でも、あざ笑うように逃げ続けていました。法廷でもまったく悔いていないことは明らかです」
 検察官「市橋被告にどんな刑を望みますか」
 証人「この国の最も重い最高刑を望みます。慈悲なく娘を殺害した行為に相当するような、寛容でない最高刑を希望します」
 検察官「家族もみんな同じ思いですか」
 証人「当然そうです。市橋被告の振る舞い、態度、私たちへの仕打ち、リンゼイにしたことから、最高刑を望みます」

 《市橋被告は手記を出版しているが、その印税を遺族に支払うとしている。検察官はこの点についても質問する》

 検察官「市橋被告は印税を支払うと言っていますが、どう思いますか?」
 証人「イチハシからは何ももらいたくない。一銭もイチハシからもらわない。娘を殺しておいて、それをネタに金を稼いでいる。一銭もほしくない」

 《女性通訳は感情移入したかのように強い口調となっていき、市橋被告の呼称を外した。市橋被告の震えはずっと止まらない》

 検察官「事件から4年以上が経過しましたが、日本や日本人にどんな気持ちを持っていますか」
  証人「法廷では答えにくい質問ですね。リンズー(リンゼイさんの愛称)は日本を大事にしていました。日本が好きで、私たちが休暇に日本を訪れると、色々な ところを案内してくれました。この日本の秩序、高潔さを尊敬していました。たとえイチハシという人間が娘にあのようなことをしたからといって、私は日本に 対するネガティブ(否定的)な気持ちは持っていません。彼がしたことと、日本はまったく関係していません」

 検察官「被害者参加制度にのっとり裁判に参加した理由を教えてください」
 証人「家族として、犯人が何をしたのかを見届けたいと思ったからです」
 検察官「裁判官や裁判員に伝えたいメッセージはありますか」
 証人「私はこの国の裁判制度を信頼しています。皆さんが正義を貫かれることを固く信じています。証拠に基づき有罪と判断されたときには一切の寛容も、慈悲も不要です。それを切に希望します」
 検察官「最後に何か言いたいことはありますか」
  証人「彼がしたことで家族は惨憺(さんたん)たる思いをしました。私たち家族は二度と、平凡ながら幸せだったころに戻れません。今はある意志で一つになっ ています。この邪悪な男は娘に邪悪の限りのことをしました。彼に最高刑を与えたいということだけで気持ちを一つにして頑張っています」

  《向かって右から3番目の男性裁判員は目を細め、同情するようなまなざしをウィリアムさんに向けた。検察側の尋問が終わり、ウィリアムさんは席を立つと、 市橋被告の隣に座っていた刑務官がウィリアムさんの接近を防ぐように、2人の間に立った。顔を紅潮させたウィリアムさんが検察側の後方にある自席に戻る と、母親のジュリアさんがいたわるように背中をさすっていた》

 《堀田裁判長は閉廷を宣言した。傍聴人たちが次々と退廷する中、市橋被告は 震えたまま動かない。刑務官たちが両脇を支えるようにして立たせたが、腰が抜けたように前屈みになった。刑務官たちに引きずられるようにしながら退廷する 市橋被告の背中を、ウィリアムさんとジュリアさんはにらみつけていた》

 《第5回公判は11日午前10時から始まり、引き続きウィリアムさんや、ジュリアさんらの証人尋問が行われる》

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英国女性殺害 第5回公判(2011年07月11日)

【英国女性殺害 市橋被告5日目(1)】
「英国の法廷はショー」 弁護側発言にリンゼイさん父、いら立ち

2011.7.11 11:43

 (10:00~10:20)

 《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判が11日、千葉 地裁(堀田真哉裁判長)で始まった。今回はリンゼイさんの両親に加え、批判覚悟で市橋被告の支援を続けてきた大学時代の恩師らへの証人尋問が行われる》

 《これまでの公判で、市橋被告はリンゼイさんへの殺意を否定。2日間にわたって行われた被告人質問では、リンゼイさんが死亡した後の心境について「夢か現実か分からなくなった」と語り、遺体遺棄の理由などについては「分かりません」などと繰り返している》

 《今回の公判は前回に続き、リンゼイさんの父、ウィリアムさんの証人尋問から始まる。ウィリアムさんは第4回公判で、まな娘の命を奪った市橋被告への怒りを爆発させ、「この国で最も重い最高刑を望みます」と死刑を求めた》

 《市橋被告が2年7カ月の逃亡生活をつづった自らの手記『逮捕されるまで』の印税を遺族に支払うとしていることについては「娘を殺しておいて、それをネタに金を稼いでいる」と糾弾し、「一銭もほしくない」とも述べた》

 《今回はウィリアムさんに続き、母のジュリアさんの証人尋問も行われる。法廷ではこれまで、市橋被告がリンゼイさんを乱暴した際の生々しい記録や証言が次々と白日の下にさらされている。母の目にはどう映ったのだろうか》

  《午後には弁護側の情状証人として、市橋被告の千葉大時代の恩師2人が出廷する。うち一人は、千葉大大学院の本山直樹名誉教授。本山さんは「市橋達也君の 適正な裁判を支援する会」のメンバーで、ホームページ上で、顔を変え逃亡中の市橋被告に出頭を呼びかけたり、支援金集めを呼びかけるなど、批判を受けなが らも活動を続けた》

 《7月8日付の本山さんのブログによると、これまでに集まった支援金は333人から約330万円。すべてが弁護側の裁判費用に充てられるという。市橋被告とは空手同好会の顧問として知りあったというが、法廷では何を訴えるのだろうか》

 《午前10時、黒っぽいジャケットに身を包んだホーカーさん一家が入廷する。ウィリアムさんとジュリアさんは検察官席の後ろに、リンゼイさんの姉妹は傍聴席の一番前に着席した》

 《次いで市橋被告が刑務官に付き添われ、左側の扉から入廷する。黒いシャツに黒いジーンズ姿。うつむいたまま、ウィリアムさんらに向かって頭を下げるが、ぼさぼさの髪がさえぎり、その表情はよく見えない》

 《午前10時5分、裁判員らが入廷し、裁判長が開廷を宣言。前回に続き、ウィリアムさんの証人尋問を行うことを告げる》

 《ウィリアムさんが席から立ち上がった。市橋被告を威嚇するかのように胸を張り、証言台に向かう。刑務官3人が立ち上がり、市橋被告をガードするように囲んだ。市橋被告はじっとしたまま動かない》

 《8日の法廷では、ウィリアムさんが市橋被告に近づき、怒りの形相で市橋被告を見下ろす一幕があった。刑務官はそれを警戒したのだろう》

 《裁判長が尋問に当たっての注意点を述べた後、弁護人が立ち上がり、女性通訳を介しての尋問が始まる》

 弁護人「証人のお仕事について伺います。2007年(平成19年)3月、事件当時どのようなお仕事をされていましたか」
 証人「自動車教習所の教官でありました」
 弁護人「現在のお仕事は?」
 証人「同様であります」
 弁護人「(事件前後で)お仕事は変わっていないということでよろしいですね」
 証人「そうです。しかしながら自営であります」
 弁護人「証人の最終学歴を教えてください」
 証人「ちょっと理解できないのでもう1度お願いします」

 弁護人「日本でいう高校卒業が最終学歴ということでよろしいですか」
 証人「私は専門教育を受けたエンジニアです」
 弁護人「それは日本でいう技術学校のようなものでしょうか」

 《ここで裁判長が「日本の制度で聞かれても分からないと思いますが」と発言。弁護側は質問を取り消し話題を変える》

 弁護人「リンゼイさんが死体で発見されたことは、いつ知りましたか」

 《ウィリアムさんは「すーっ」と深く息を吸った後、質問に答える》

 証人「26日の日曜日でした。日中か夜間かについては、はっきり記憶していませんが、その日に行方不明になったと知らされました。死体で発見されたというのは、日曜日から月曜日(27日)の間だったと思います」
 弁護人「日本と英国の時差は8時間ですね」
 証人「おっしゃる通りだと思います」
 弁護人「リンゼイさんが遺体で発見されたのは(平成19年)3月26日の夜遅く。日本とイギリスの時差を考えても、26日の昼から夕方にかけて、娘さんの死亡が知らされたと思いますが」
 証人「何日かというのははっきりしませんが、月曜日は仕事に行きまして、その間に娘の(日本の)勤務先(の英会話学校)から行方不明という電話を受けました」
 「連絡を受けて妻の仕事先に向かい、娘の勤務先や友人に連絡を取ろうとしました。同日夜にかけて娘の死亡を知らされました」
 弁護人「娘さんの死亡を知らされ、日本に来ましたね」
 証人「それより早くリンゼイが不明という連絡を受け、すぐに妻が日本に行く搭乗券の手配をしました」

 《傍聴席に座るリンゼイさんの姉妹は、ウィリアムさんの背中をじっと見つめている。ウィリアムさんの声がマイク越しに法廷内に響く》

 弁護人「あなたは平成19年3月31日、駐日英国大使館で、検察官の聴取を受け、調書を作成していますね」
 証人「日付の記憶はありませんが、たしかに娘が殺害された後です」
 弁護人「日本では警察や検察から(事件について)どう説明を受けましたか」
 証人「まず警察と接触したときには、それほどの情報はいただけませんでした」
 弁護人「検察は?」
 証人「検察官からは、どのような気持ちですかと質問がありました」
 弁護人「警察や検察からは、娘が強姦され、殺害されたという説明は受けませんでしたか」

 《通訳が「一番初めですか?」と質問する。弁護人が「そうだ」と答える》

 証人「いいえ、そのときに聞かされたのは『殺害された』ということのみです」
 弁護人「最初に来られたときに『殺害された』ということは聞かされていたんですね」
 《法廷で弁護側は市橋被告に殺意はなく、事件は傷害致死罪に相当するとの主張をしている。捜査側が当初から『殺害』という言葉を使い、『殺人罪』での立件を視野に捜査していたことを強調したいようだ》

 証人「はい」
 弁護人「市橋という男が逃げたということは聞かされていましたか」
 証人「容疑者はいるということは聞かされていました」
 弁護人「話は変わりますが、イギリスで刑事裁判を傍聴されたことは?」
 証人「一切ありません」
 弁護人「イギリスでは陪審という制度があることをご存じですか」
 証人「もちろんです。私は英国に住んでいますから」
 弁護人「陪審制度ではときに法廷がショーのようになったりするという話は聞いたことがありますか」

 《8日の証人尋問でウィリアムさんは、市橋被告の法廷での証言を「計算されつくし、リハーサルされたものだ」と批判。「まるでショーのようで、まったく悔いていないことは明らかだ」と発言している。弁護側の質問はその当てつけなのだろうか》

 証人「先生。どうぞ、私は自動車教習所の教官にすぎず、法廷弁護士ではありません。裁判の知識はテレビや新聞で見る程度で、それが私の得られる知識のすべてです」

 《少しイライラしたようなウィリアムさんの声が法廷に響く。市橋被告はじっとしたまま動かない》




【英国女性殺害 市橋被告5日目(2)】
慈悲の心...「イチハシはない」断言した父の心中は?

 (10:20~10:34)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第5回公判は、リンゼイさんの父、ウィリアムさんへの男性弁護人による証人尋問が進んでいる》

 《年配の男性弁護人からの質問にウィリアムさんは英語で「はい。私は事実をはっきりすることを望むだけです」とはっきりした口調で答え、裁判官たちの前に座った女性通訳が一言一言、丁寧に日本語に翻訳していく》

 弁護人「証人は、イギリスで無罪の報道を目にしたことはありますか」

 《ここで若い男性検察官が「異議あり」と立ち上がった》

 検察官「必要のない質問です」

 《堀田真哉裁判長が弁護人に説明を求めた》

 弁護人「証人の証言の信用性を確かめるための質問です」
 検察官「信用性とどう関係するのですか」
 弁護人「それをこれから確かめていくのです」
 検察官「それに、証人を困惑させる質問でもあります」

 《双方、口調が厳しさを増す。堀田裁判長が「どの件についての信用性ですか」と割って入った。弁護人が「『証拠に基づいた審理を望む』との証言についてだ」と説明した》
 《ウィリアムさんは8日開かれた第4回公判で、「裁判長、裁判員の方々にはぜひ、証拠に基づいて判断してもらいたい」と語っていた。この発言を指しているのだろう。しかし、堀田裁判長は質問の仕方が適切でないと判断したのか、「質問を変えてください」と促した》

 弁護人「証人は被害者遺族としてこの裁判に参加されていますね?」
 証人「そうです」

 《ウィリアムさんは妻のジュリアさんとともに被害者参加制度に基づき、この裁判に初公判から出席し、検察官の後ろの席で法廷での一言一句に耳を傾け続けてきた》

 弁護人「いまここで行われていることは、証拠に基づき、処罰を認定する手続きだと理解されていますか」
 証人「私がここに来たのは、実際に娘に何が起きたのか究明するためです。処罰の認定は法の統治のもと、行われるべきで、私はそれを尊重します」
 《ウィリアムさんは、きっぱり断言するように述べた。傍聴席から向かって右から3番目の男性裁判員は証言を続けるウィリアムさんを、視線をそらすことなく見つめている》
 弁護人「証人の母国、イギリスでは、死刑がないですね?」
 証人「そうです」
 弁護人「イギリスはヨーロッパ連合、すなわちEUに加盟していますね?」
 証人「もちろんです」

 《ウィリアムさんは「なぜ、そんな質問を?」と言いたげに語気を強めた》

 弁護人「EU加盟国はすべて死刑を廃止しています。その通りですね?」
 証人「そう認識しています」
 弁護人「最後に処罰意見について聞きます。前回、処罰意見について『家族で同じだ』とおっしゃりませんでしたか」
 証人「そうです」

 《ウィリアムさんは、強調するようにもう一度「そうです」と繰り返した》

 弁護人「最初、来日したとき、検察官に処罰意見は、あなたと奥さんや娘さんたちと違うとおっしゃっていませんでしたか」
 証人「(在日英国)大使館で検察官にそう述べたことを覚えています。私は、はっきりと『この国での最高刑を要求します』と述べました。それが死刑なら当然それが適用されるべきと思う。妻と娘は検討の余地があるとしていました」

 《ジュリアさんはほおに手を当て、真剣なまなざしで証言を続ける夫を見つめている》
 証人「私としては変える余地がない。EUとか質問なさいましたが、これはこの国で起きた犯罪です。今回の事件は、日本の法律で治められている日本で起きました。日本での最高刑を望む気持ちに変わりはありません」

 《きっぱりこう答えたウィリアムさんに弁護人が矢継ぎ早に質問する》

 弁護人「奥さんと娘さんたちは終身刑を望んでいたのでは?」
 証人「それは違います。(妻や娘は)当時、まだ事実を知らされていませんでした」
 弁護人「最後になります。日本では和ということを大切にしているということをご存じですか」

 《通訳は「和」を「Harmony(ハーモニー)」と翻訳した》

 証人「ハーモニーを尊重するのは、日本だけでなく、世界共通だと思います」
 弁護人「日本では、慈悲と寛容の心を大切にしているのはご存じですか」
 証人「聞いたことがあります」
 《こう述べた後、ウィリアムさんは語気を強めた》
 証人「しかし、イチハシ(市橋被告)は聞いたことがない、と思います」
 裁判長「他に尋問はありますか」

 《堀田裁判長はこう聞き、検察側にも質問がないか確認した上で、約20分間の休廷を告げた》

 《ウィリアムさんは「サンキュー」と述べ、証言台の席を立った。証言台の後ろの長いすに座っていた市橋被告はうなだれたような姿勢のまま動かなかった》



【英国女性殺害 市橋被告5日目(3)】
テコンドー学んだリンゼイさん 母「力の限り自分を守ろうと」

 (10:55~11:15)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判が再開。堀田真哉裁判長からリンゼイさんの父、ウィリアムさんに対する 裁判所側の尋問がないことが告げられた》

 《続いて、リンゼイさんの母、ジュリアさんの検察側証人尋問が始まった。法廷中央の証言台に進んだジュリアさんだが、市橋被告と目を合わせない。市橋被告もうつむいたままだ》

 検察官「リンゼイさんの実の母親ですか」
 証人「そうです」
 検察官「リンゼイさんは護身術などを学んでいましたか」
 証人「13~16歳の間、テコンドーを学んでいました」
 検察官「護身術を使って事件でも抵抗したと思いますか」
 証人「死にものぐるいで、力の限り、必死で自分を守ろうとしたと信じています。護身術は身に付いていたと思います」

 《裁判員らはジュリアさんの一言一言に注目し、メモを取っている》

 検察官「リンゼイさんは大学卒業後、なぜ英会話講師を始めたのですか」
 証人「リンゼイは大学を卒業した時点で18年間の教育を受けていました。その後、教職か医者かで(将来を)迷っていました。外国で無為な時間を過ごすのでなく、進路を決めるため海外に行きました」
 検察官「なぜ日本を選んだのですか」
 証人「小さなころから東洋にあこがれを持っていました。着物やヘアスタイルに興味を持ち、日本語の会話を学んだこともありました。そして、日本は 安全と確認しました。英会話学校のイギリス支部で面接を受け、宿泊費や旅費を学校側に持ってもらう条件でオファーを受けたのです」

 《リン ゼイさんは、市橋被告へのプライベートレッスン後、レッスン料を忘れたという市橋被告とともにマンションに向かい、被害に遭った。英会話学校での授業が控 えていたリンゼイさんは、マンション4階に向かうエレベーターで、仕切りに腕時計を気にする様子が防犯ビデオに映っていた》

 検察官「イギリスでは事件はどのように報道されましたか」
 証人「実はリンゼイの死を真夜中に聞きました。月曜日の夜中から火曜日の朝方にかけてです。しかも、それまで音信不通で、2日間寝ていませんでした。事件は新聞など、ありとあらゆるところで報道されました」
 検察官「イギリス人の日本に対する印象はどうなりましたか」
 証人「残念なことに、この事件で、日本は世界で最も安全でない国になりました。海外で英語を教えようとしていた人が、日本から行き先を変えたと聞いたことがあります」

 《ジュリアさんは男性検察官の質問に対し、しばらく考え込んだ後、丁寧によどみなく答えている。頭の中で整理しているように見える。証言台の後ろの席に座った市橋被告はうつむいたままだ》

 検察官「事件は家族に対し、どのような影響を与えましたか」

 証人「みなさん、子供が死んだとき、親がどのような思いになるか分かりますか。想像を絶する悲しみがあります。子供が親より先に死ぬのは普通ではあり得ないことです。しかも、リンゼイは殺害されました。苦しみや悲しみは言葉を絶します。食べることもできません」
 「残された2人の娘が目の届かないところに行くと、不安になります。なぜ日本に行かせてしまったのか。自宅にはベランダやバルコニーがありますが、足を踏み入れることはできません。エレベーターに乗っていて、誰かが乗ってくると震えます」

 《リンゼイさんの遺体は市橋被告のマンションのベランダに置かれた浴槽の中で土に埋められていた。ジュリアさんは、ベランダやエレベーターなど事件を連想させる場所に近づけないことを主張した》

 証人「2人の娘は"親友"を失いました。影響は言葉では語れません」
 検察官「2人の娘さんは公判傍聴のために日本には来ないということでしたが、なぜ家族みんなで来たのでしょうか」
 証人「この目で自分の姉妹を奪った男を直視することが死の喪失感への対処につながると考えたからです。娘たちには判断力があります」

 《ジュリアさんは、長女が事件のショックでカウンセリングを受けていたことを明かした上、力強く語った》



【英国女性殺害 市橋被告5日目(4)】
手記の印税「1ペニーも受け取らない」 痛烈批判に被告の震え止まらず

 (11:15~11:35)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は、リンゼイさんの母、ジュリアさんへの検察側の証人尋問が続いている》
  《男性検察官の質問に、はっきりと答えながらも、時折、涙で声をつまらせるジュリアさん。市橋被告は、証言台に座るジュリアさんの左斜め後ろの被告人席で 上半身を折り曲げるようにして座り、小刻みに身体を震わせていた。傍聴席からはその表情は見えないが、泣いているようだ》

 《検察側は市橋被告からの謝罪の手紙について質問している》

 検察官「弁護人を通じて、謝罪の手紙を届けたいという意向は伝えられていますか」
 証人「私どもは何度も来日し、自首(出頭)するように要求しました。被告人の親にも自首を促すように手紙を送りました。しかし、彼は逃亡を続けた」
  「逮捕されて以降、彼(市橋被告)から連絡は一切ありませんでした。その後、謝罪文を送りたいという意向を弁護人を通じて知らされました。ですが、彼が娘 の死に対して本当に申し訳ないと思っているとは思えない。裁判対策だと思う。いかなるコミュニケーションも取りたくない」

 《ジュリアさんの口から繰り返される厳しい言葉に、市橋被告は肩を大きく振るわせている》

 《検察側は、市橋被告が出版した手記について話題が変わった。手記には、市橋被告の逃亡生活などが記されている》

 検察官「本の出版の内容について知っていますか」
 証人「私自身読んでいません。読みたくもない。ただ、ネット上では本についてのいろいろな記事があり、多少は何が書かれているか知っています」
 検察官「逃亡中の様子を出版したことについてどう思いますか」
  証人「まず、そんな本を書くこと自体、奇妙な話。私どもとしては(市橋被告が)失礼なことをしていると思う。こちらの気持ちを無視したこと。逃亡中の出来 事をぬけぬけと書くことは、普通の人ではできないと思います。捜査当局に対する狡猾(こうかつ)なジェスチャーだと思います」

 《市橋被告は、この手記の印税を被害者弁済にあてるとしている。この点についても検察側から質問が出た》

 検察官「印税を出すと言っているがどう思いますか」
 証人「あまりにもひどい話。侮辱の極みです。彼が本によって何らかのお金を得るとしても、私の娘を殺して、殺人の成果物として得たものです。1ペニーたりとも受け取れ
 検察官「あなた自身はどのような刑を求めますか」
 証人「最高刑を求めます。どの刑を求めるかというのはずっと考えていました。2人の娘とも話し合って理由を考えた。理由は、この男が私の娘に対して一切の慈悲もなく、あのようなことをしていたからです。そして、殺したまま捕まることなく暮らしていた。最高刑を求めます」

 《質問の最後に、検察側から他に述べたいことがあれば話すように促されると、ジュリアさんは堰(せき)を切ったように自分の思いを話し始めた》

 証人「私は良き妻であり、良き母親であることに徹してきた。美しい娘たちに恵まれ、支え合って生きてきた。娘たちは『私の世界』でした。その男が私の娘を奪ったのです。その理由がどうしても分からない」
 「娘と22年暮らせて幸せだった。裁判官、裁判員のみなさんが素晴らしい娘に恵まれている親ならば、今の私の気持ちが分かるはずです」

 《涙で時々言葉を詰まらせながら証言したジュリアさん。市橋被告は依然、身体の震えが止まらない様子だった》

 《続いて、弁護側からの質問が始まった。男性弁護人がゆっくりとした口調で質問していく》
 弁護人「この裁判に遺族として参加した理由はなんでしょうか」
 証人「卑劣さを理解していただくためです」
 弁護人「リンゼイさんが殺害されたと考える根拠は何なのでしょうか」
 証人「私には娘が自分で首を絞めたとか、窒息させたとは考えられないからです。それは他者によって行われたと思うからです」
 弁護人「被告人質問は聞きましたか」
 証人「はい」
 弁護人「裁判前に思っていたことと、被告人が法廷で述べたことと違っていましたか
 証人「分かりません。そのような点を判断するのは裁判官の役目だと思います」
 弁護人「最後の質問になります。リンゼイさんがどうして亡くなったのかという被告人の説明を聞きましたか」
 証人「いいえ」

 《ここで、女性通訳から弁護側に先ほどの質問の意味が「事実を聞いたのか」か、「納得した」かどちらの意味かと尋ねた。弁護側は事実を聞いたのかという意味であることを伝え、再度、訳し直して同じ質問が行われた》

 《だが、ここで、検察側から誤導だと指摘があり、堀田真哉裁判長は質問を聞き直すように弁護側に伝えた》

 弁護人「リンゼイさんが亡くなった際の状況は聞きましたか」
 証人「はい」

 《弁護側の質問が終わり、検察側も最終尋問がないと答えた》

 裁判長「裁判所から質問があれば休廷後に質問します。それまで約20分間休廷し、午前11時55分からの再開とします」

  《休廷が告げられ、ジュリアさんは証言台からリンゼイさんの父、ウィリアムさんの隣の席に戻った。ウィリアムさんとジュリアさんは少し言葉を交わして退 廷。市橋被告は、自力で立ち上がることができず、4人の刑務官に抱えられるようにして立ち上がった。退廷するまで、市橋被告の手の震えは止まることはな かった》



【英国女性殺害 市橋被告5日目(5)】
「婚約者3カ月後に来日予定だった」リンゼイさん母、涙

 (11:55~12:15)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は、休憩を挟み再開した。リンゼイさんの母、ジュリアさんに対する裁判 官、裁判員の証人尋問が始まる》

 《市橋被告は両腕を激しく震わせた状態で入廷。リンゼイさんの両親に一礼し、着席した後も体の震えは止まらなかった》

 《堀田真哉裁判長が再開を宣言し、裁判員に質問を促すと、右から2番目の男性裁判員が挙手した》

 裁判員「もしこの場に被告の両親がいたら、何か言いたいこと、聞いてみたいことはありますか」

 《多くの公判では、被告の肉親が情状証人として出廷する。しかし、市橋被告の両親は弁護側の要請に対し、出廷を拒否。捜査段階での調書の読み上げも行われず、息子の犯行を受けた両親の心情は、明らかにされないままだ》

 《ジュリアさんは少し考えた後、やや戸惑った様子で語り始めた》

 証人「質問に答えるのが難しいです。実は、考えたことがありませんでした。私は親の立場で話しています。親の立場からすれば、イチハシの両親の気持ちが推し量られます」
 《ジュリアさんは複雑な胸中を明かした上で、大学卒業後も仕送りで息子を生活させていた両親に対する厳しい心情ものぞかせた》

 証人「付け加えて言うと、事件当時イチハシは28歳で、仕事に就いていませんでした。リンゼイは22歳でしたが、(イギリスから)地球を半周もした場所で仕事を持ち、親から自立していました。私たちはリンゼイを自立した大人として扱っていました」

 《市橋被告は下を向いたまま、ジュリアさんの言葉に耳を傾けている。続いて、左陪席の女性裁判官が質問した》

 裁判官「リンゼイさんには婚約者がいました。2人にどんな家庭を築いてほしかったですか」
 証人「リンゼイと(婚約者の)□□(法廷では実名)は、大学に入学して1週間で出会い、その後恋愛関係になり、深く思い合うようになりました。リンゼイが日本に留学することになり、□□は本当に悲しがりました」
 「この年(平成19年)の1月にも1度来日し、(事件の3カ月後の)2007年6月からは日本で(英語を)教える計画を立てていました。教鞭(きょうべん)をとった後に2人は日本を旅行し、帰国する予定だったんです。2人は子供を4人ほしいと、いつも言っていました」
 《ジュリアさんは涙交じりで、まな娘の将来に思いをはせた》
 《ここで証人尋問は終了。証拠調べについての確認を終えた後、堀田真哉裁判長は休廷を告げた。午後の審理は1時15分から再開される》



【英国女性殺害 市橋被告5日目(6)】
「誰でも逃げる! 誰でも逃げる!」被告が逃走したわけ

 (13:15~13:45)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は約1時間の休廷を挟んで再開した。午後は情状証人として、市橋被告の 大学時代の恩師2人が証言台に立つ》

 《刑事裁判では通常、被告の肉親が情状証人として法廷に立つことが多いが、岐阜県内に住む市橋被告の両親が出廷を拒否したため、代わって市橋被告が千葉大学に通っていた当時の恩師2人が出廷することになった》

 《午後1時15分、堀田真哉裁判長が入廷したのに続いて、傍聴席から向かって左側の扉から市橋被告が法廷に入ってきた。うつむいたままで憔悴(しょうすい)したような表情だ》

 裁判長「それでは再開します」

 《ここで情状証人の出廷に先立って弁護側が証拠を追加請求した。「被害弁償金について」と題するもので、市橋被告側が弁償金として準備した資金が今年5月末現在で912万円にのぼったとするものだ》

 弁護人「出版社から印税の支払いがなされたのが(今年)4月から5月にかけてで、公判前整理手続きに間に合いませんでした」

 《市橋被告は、逮捕されるまでの2年7カ月の逃走生活をつづった手記を出版。この印税をリンゼイさんの遺族への被害弁償に充てるとしていた。検察側も同意し、証拠に追加された》

 《続いて男性弁護人が、遺族への謝罪の言葉をつづった市橋被告の調書を読み上げ始める》

 弁護人「私は怖くなって逃げました。『彼女の人生は彼女のもの』と気づいて怖くなって逃げました。彼女がふと戻ってくればと願っていました。あなた方(リンゼイさんの家族)と同じ願いでした」
 「しかし、生き返らないと気づき、その後、建設現場で働いたり、顔を変えたりしました。最下層の作業員として働き、苦しいとき、『彼女の苦しみはこんなものじゃない』と自分に言い聞かせて働きました」

 《市橋被告の手記によると、市橋被告は自宅に訪ねてきた警察官を振り払って逃走後、北は青森から南は沖縄の離島まで行き来しながら、断続的に大阪で建築現場の作業員として働いていた》

 弁護人「アスベストの粉塵(ふんじん)にまみれ、きつく、汚い仕事も罪の償いだと思って働きました。しかし、罪の償いなんかにはなっていませんでした。あなた方の苦しみはこんなものではなかった」
 「しかし、『誰だって逃げる!』『誰だって逃げる!』と2年7カ月間逃げ続けました。本当に申し訳ありませんでした。彼女は亡くなって何も話せません。私だけが事件のことを話すのはフェアじゃない、弱さ故に言い訳になると、何も話しませんでした」

 《男性弁護人はやや早口で読み上げていく。それを裁判員らがじっと見つめている》

 弁護人「しかし、私には、責任があります。私は責任を取るつもりです。私が死ぬそのときまで責任を背負っていきます」

 「彼女の人生は彼女のもの、彼女の家族のもの、そして将来生まれてくる彼女の子供たちのものでした。それに気づくことができなかった。気づくべきでした」

 《この後、弁護人は「本当に申し訳ありませんでした」との謝罪の言葉を4回繰り返した。調書は「私は、彼女の人生、家族の人生を壊してしまいました」と結ばれていた》

 《続いて弁護人は、市橋被告のリンゼイさんへの謝罪の手紙を読み上げ始めた》

 弁護人「リンゼイ・アン・ホーカーさんへ。あなたの短すぎる人生での恐怖、怒り、悲しみを、自分でしっかり分からなければいけないと思うことが償いのスタートと思います」
 「いまもしっかり分かっていないのかもしれません。あなたのことを第一に思い続けることが償いのスタートなのかもしれません。いま差し入れてもらった聖書を読み続け、聖書の書き写しを始めています。償いになるかは分かりません。申し訳ありませんでした。市橋達也」

 《ここで若い女性弁護人に読み上げが交代する。弁護人は別の証拠として市橋被告が千葉大園芸学部に在学中、市橋被告がデザインした作品について紹介した学内の小冊子を提示し、それが法廷の壁に設置された大型モニターに映し出された》

 弁護人「(冊子には)市橋被告について『デザイン力が突出している』と書かれています」
 《続いて弁護側の証拠として、市橋被告の大学時代の卒業論文の要旨について読み上げられた》

 《次に女性弁護人が、市橋被告が手記の出版に至った経緯について記した調書を読み上げ始めた》

 弁護人「出版したのは、被害弁償に充てるためです。印税は遺族にお支払いしたいと考えています。ぜひ受け取ってもらいたい」

 《出版の経緯についての調書で市橋被告は3つの責任があるとした。一つは刑事責任、二つめは道義的責任、三つめは民事的責任とし、一つめと二つめについては「裁判を受け、死ぬまで背負う」とした》

 弁護人「しかし、民事については背負えません、私はお金を持っていないからです。事件に両親は関係がありません。責められるべきは私です。どうすべきか悩み、本を出しました」
 「出版することで(ご遺族が)嫌悪感を持たれるかもしれません。しかし、本にしたことはお金をつくって受け取ってもらいたかったからです。リンゼイさんは生き返りません。それでも3つの責任を果たしていきたい。本当に申し訳ありませんでした」

 《この後、検察側がさらに市橋被告に追加質問をしたいと述べた。堀田裁判長は後ほど協議するとし、情状証人への尋問に移った》

 《白髪交じりの髪に黒いスーツを着た年配の男性が証言台に進む。千葉大大学院名誉教授の本山直樹さんだ。本山さんは市橋被告が同大園芸学部に在学中、空手同好会の顧問として市橋被告に接してきた》

 《さらに、本山さんは昨年2月に「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」を結成し、インターネットなどを通じて「償いをしなければならないのは当然だが、元教師として市橋君に適正な裁判を受けさせたい」と訴えてきた》

 《堀田裁判長に促されて本山さんは宣誓した後、証言台の席に着いた。年配の男性弁護人が質問に立った》

 弁護人「それでは経歴についてうかがいます」
 証人「千葉大学を卒業後、(米国の)ノースカロライナ州立大で10年間、農薬の毒性について研究し、千葉大学でおよそ30年間教鞭(きょうべん)を執って定年後、2008年(平成20)から東京農業大学で客員教授をしています」
 弁護人「3年ほど前、中国から輸入されたギョーザで中毒が起きた事件は知っていますか」
 証人「殺虫剤を混入された事件で、千葉の警察の依頼で同種の殺虫剤の成分について情報提供をしました」

 《証言台の真後ろに座る市橋被告はうなだれた姿勢のまま、恩師の証言を聞いている》



【英国女性殺害 市橋被告5日目(7)】
ストーカー電話、通販購入なりすまし...「支援する会」恩師への壮絶いやがらせ

 (13:45~14:15)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判。市橋被告の千葉大園芸学部在籍時に担当教員だった同大大学院の本山直 樹名誉教授に対する弁護側証人尋問が続く》

 弁護人「『市橋』とは千葉大で出会ったんですね」
 証人「現職の時には体育会空手部の顧問をしていました。園芸学部の空手同好会でも指導をしており、市橋君も部員としてけいこしていました」

 《男性弁護人が市橋被告を「市橋」や「市橋達也」などと呼び捨てするのに対し、本山さんは「市橋君」と呼ぶのが特徴的だ》

 弁護人「千葉大は西千葉にありますが、園芸学部は松戸にありますね」
 証人「はい」

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんは身を乗り出し、市橋被告をのぞき込む。恩師を前にどのような思いでいるのかが気になるのだろうか》

 弁護人「(園芸学部空手部同好会の)空手部員は何人くらいいましたか」
 証人「通常は20~30人くらいですが、彼の時代は少なく、5~10人くらいでした」
 弁護人「1週間にどれくらい練習していましたか」
 証人「時代によって違いますが、当時は週1、2回、昼休みに練習していました」
 弁護人「市橋が入会したとき、どのように感じましたか」
 証人「入会申込書にスポーツ歴を記入してもらいますが、中学時代にバスケットボール、高校時代には陸上の経験があり、大型選手になると思いました」

 弁護人「空手は肉体のほか、精神面の訓練にもなる。どのように指導していましたか」
 証人「空手は武道であり、その他のスポーツとは違う。昼に1時間の練習だが、必ず床をぞうきんがけさせ、ロッカー室の掃除もさせていました」
 弁護人「2007年(平成19年)3月下旬に市橋のことが報道されたことは記憶にありますか」
 証人「あります」
 弁護人「千葉大学や証人の所に取材はありましたか」
 証人「殺到しました」

 《本山さんは、当初取材制限がなかったが、校内で手当たり次第に取材活動が行われるようになったと説明。教育環境が保たれなくなったことから、窓口を学部長に一本化し、許可制にしたという》

 弁護人「証人の所にも警察の協力要請はありましたか」
 証人「千葉県警の刑事が来て、同好会に在籍していたころの名簿を渡しました」
 弁護人「逃亡したことは報道で知っていましたか」
 証人「はい」
 弁護人「市橋は逃げたりしないで、どうすべきだったと思いましたか」
 証人「当然、逃げるのではなく、責任を持つべきだと思いました。出頭して、ありのままを述べるべきだと思いました」

 《本山さんは21年11月、「市橋達也君に告ぐ」と題する文章を自らのホームページに掲載。逃走中の市橋被告に自主的な出頭を呼びかけている》

 弁護人「ブログに市橋個人の記事を載せましたか」
 証人「逃亡して、しばらくして自殺したと思っていたが、2年数カ月後に整形して、生き延びていたことを知った。ブログを見た市橋君が連絡してくれば、一緒に出頭するか、もしくは(1人でも)出頭してほしいと思いました」

 《市橋被告は事件後、自宅マンションを訪れた捜査員を振り切って逃走。その後、2年7カ月に渡って逃亡生活を送っていた》

 《市橋被告は自身の手記で、建設会社などで働き、愛知・名古屋市で顔に整形手術を施すなどしていたと記している。ただ、細かな逃走の経緯について、争点となっていないため、公判では明らかにされていない》

 弁護人「市橋達也が裁判を受けているがどのように感じますか」
 証人「まず(事件発生時に)報道をみて、同姓同名の他の学生がいるのかと思いました。逮捕以降は(市橋被告の)証言と検察側の言い分が食い違っているようなので、事実が明らかにされ、判決が出されることを望んでいます」
 弁護人「学生に対してはどのような思いがありますか」
 証人「すべて学生は教師にとって自分の子。社会に出て活躍してほしいと思います」

 《本山さんに対する男性弁護士の質問は、本山さんが昨年2月に設立した「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」に移った》

 弁護人「設立の目的や趣旨は?」
 証人「市橋君が身柄を拘束された後、現在の弁護団が弁護に当たり信頼関係を築きました。ただ、市橋君に経済力がないので、弁護活動するのに不利が生じる。これでは適正にならないと思い、募金活動を始めました。裁判資金を集めたいと思って始めた」

 《証言台に座るスーツ姿の本山さんは背筋を伸ばし、質問にハッキリとした口調で答えている。一方、市橋被告はうつむいたままだ》

 弁護人「市橋被告に対し、いろいろな報道がありました。公正な裁判が妨げられると思いますか」
 証人「はい。当時、報道は過熱し、『(ロス疑惑の)三浦和義』のときと同じような雰囲気がありました。虚像が作られ、袋だたきにされ、リンチになる、と。これではだめだと思いました」

 《本山さんは、ロス疑惑の容疑者として米自治領サイパンで拘束され、ロス市警の留置場で自殺した元会社社長、三浦和義さん=日本で無罪確定=を例に挙げ、報道の過熱ぶりをアピールした》

 弁護人「先ほど、弁護士に対する費用を集めるということでしたが、裁判の実費ということですか」
 証人「当初、最低限、書類のコピー代と証言を取るための移動費用の実費と考えていました。ただ、弁護士生活も楽ではないということを報道で知り、残りは当然、弁護士費用として取ってもらいたいと考えています」

 《ジュリアさんは顔を手で覆ったまま、首を横に振る。本山さんの支援に納得がいかないのだろうか》

 弁護人「支援する会を設立し、1年半が経過しました。あなたに対する嫌がらせは?」
 証人「たくさんあります」

 《本山さんは嫌がらせの実例を挙げた。本山さんはうろたえることなく、しっかりとした口調で話したが、その中身は激しいものだった》

 証人「今日もメールでえげつない言葉がありました。ストーカーに相当する電話もあります。午前3時に10回も20回も鳴らされることがあります」
 「さらに私の携帯電話番号を使って、通販で購入をしています。架空の住所に送らせるため、運送会社や通販会社から問い合わせが来ます。これらが毎日続いているのです。300回以上です」

 《ここで、検察側が「予定時間をだいぶ過ぎている」と声を上げた。男性弁護士は「最後です」と応え、初めて「市橋被告」と呼んだ》

 弁護人「後ろにいる市橋被告に対し、どのように言ってあげたいですか」
 証人「(身柄が)拘束されているときには接見したかった。ぶん殴って、しかりつけてやりたかった。事実を述べさせ、反省させたかった。今は...」

 《本山さんが声に詰まる。涙交じりの鼻声になった。教え子に対する思いがあふれ出ているようだ》

 証人「どういう判決になるか分からないが、刑に服して反省し、生きることが許されるなら、20年、30年と成長するように社会貢献してほしい」
 弁護人「終わります」

 《法廷はここで、いったん休廷した》



【英国女性殺害 市橋被告5日目(8)】
「立派な武闘家になれる」恩師、空手部時代の被告語る

 (15:00~15:15)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は約45分の休廷の後、千葉大大学院名誉教授の本山直樹さんへの証人尋問を再開した》

 《当初の予定では午後2時45分の再開予定だったが開始が約15分遅れた。その理由について、まず堀田真哉裁判長が説明を始めた》

 裁判長「今後の裁判の進行について協議しており、開始が遅れました。大変申し訳ありませんでした」

 《再開が告げられると、再び本山さんが証言台に立った。裁判長に促され、傍聴席から見て一番左側に座っている男性裁判員が本山さんに質問した。最初は市橋被告のために集まったという募金についてだ》

 裁判員「市橋被告を支援する会を設立しているそうですが、ご自身の寄付は、いくらぐらいだったのでしょうか」
 証人「私自身は13万円を寄付しています」

 《男性裁判員はメモを取りながら、質問を続けた》

 裁判員「あともう1点質問です。空手の師範をされているということですが、園芸学部の空手部の活動はどのような活動をしているのでしょうか」
 証人「一般的な体育会系の空手部であれば、試合に出て優勝を目指すなどの目標もありますが、園芸学部の場合は学生のほか、教員や事務職員もいる。それなので、健康管理が主な目的となっています。外部に出て試合をやるということは全くありません」
 裁判員「それですと、先ほど『中高とスポーツ経験があり、大型選手になる印象』と証言していましたが、特に試合もないのならどういうことでしょうか」
 証人「運動能力が高く、修練を積めば黒帯になれるくらい、立派な武闘家になれるという意味で使いました」
 裁判員「段位の取得は行っているのでしょうか」
 証人「一時期、段位の取得を行っていることはありましたが、市橋被告が所属しているときは、特に取得はしていませんでした」

 《男性裁判員は小声で「以上です」と堀田裁判長に伝えた。堀田裁判長は、別の裁判員を見渡して他に質問がないことを確認した上で、本山さんの証人尋問が終わったことを告げる》

 裁判長「それでは終わりました。ありがとうございました。お帰りいただいて結構です」
 《本山さんはカバンをもってすっと立ち上がり、裁判長や弁護側に一礼した後、法廷から退廷する際、被告人席に座る市橋被告の方に一瞬、目を向けた。しかし、市橋被告はうつむいたままで、本山さんはそのまま足早に法廷をあとにした》

 《続いて、2人目の証人が呼ばれた。白髪交じりの細身の男性。市橋被告が千葉大在学中、同大の研究室で副指導教員を務めていた◇◇さん(法廷では実名)だ。証言台に立ち、弁護側の質問が始まった》

 弁護人「証人の職業を教えてください」
 証人「千葉大の教授です」
 弁護人「具体的には、どういった役職ですか」
 証人「園芸学研究科の教授です」
 弁護人「証人と市橋被告の関係はどのようなものでしょうか」
 証人「彼が卒論生として研究室に配属になったとき、副指導教員でした。2004(平成16)年度ごろのことでした」

 《男性弁護人が、証人として出廷した理由について◇◇さんに尋ねていく》

 弁護人「証人は市橋被告が殺人や強姦致死罪などで裁判を受けていることは知っていますね」
 証人「はい」
 弁護人「何を伝えようとして裁判に出廷したのですか」
 証人「彼とは1年とちょっとだけのことですが、当時の私の知っていることが役に立てばと思い、出廷しました。それから、彼の証人はほとんどいないということで、公正な裁判になるよう、こちら(弁護)側の証人として出ようと思いました」
 「私の知っている限りでは、まじめな普通の学生。そのことをお伝えしようと思います」

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさんはじっと口の前で手を組み、通訳される証人の証言に耳を傾けている。母のジュリアさんはメガネをかけ、時折メモを取っている》

 《弁護側の質問は学生時代の市橋被告の様子に移っている》

 弁護人「市橋被告は庭園デザイン学について学んでいましたね」
 証人「はい」
 弁護人「簡単に言うとどんな学問ですか」
 証人「庭園や公園、都市の広場の設計を学習しています。演習も行う研究室でした」
 弁護人「市橋被告のゼミの出席度はどうでしたか」
 証人「可もなく、不可もなく普通の出席率でした」
 弁護人「市橋被告のデザインしたものが学内の小冊子に載っていたようですが、これを証人はどう評価していますか」
 証人「私はちらっとしか見ていないが、その小冊子には学生の優秀作品が掲載される。小冊子に載るということは、学生70~80人のうち3、4人の優秀作品に選ばれたということ。彼自身もデザインに自信があって研究室に来たんだと思います」

 《デザインの能力を教員からも高く評価されていた市橋被告。ウィリアムさんやジュリアさんの証人尋問が行われていたときはひどく震えていたが、この時は少し落ち着いた様子で◇◇さんの証言に耳を傾けている》

 弁護人「卒業論文での取り組みはいかがでしたか」
 証人「彼の卒論で印象的だったのは、自分から(千葉県内の)テーマパークの植栽を調べたいとテーマを決めてきたこと。今の学生はぼーっとしていて、自分で テーマを決められない子も多いが、積極的に動いていた。定期的にリポートも提出していたし、入場のパスポートも購入して調べるなど、積極的に動く能動的な 学生という印象だった」

 《市橋被告を弁護する証人が少ないと知り、証人として出廷した◇◇さん。その後ろに座る市橋被告は、ただじっとうつむいているだけだった》



【英国女性殺害 市橋被告5日目(9)】
似顔絵でコミュニケーション? 指導教授「なぜ捕まえてくれなかった」

 (15:15~15:50)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判は、千葉大で市橋被告の卒業研究を指導した男性教授の◇◇さん(法廷で は実名)に対する弁護側の証人尋問が続いている》

 弁護人「市橋被告について印象に残っているエピソードがあれば教えてください」
  証人「普通の学生で特別なところはなかったが、よくスケッチを描いていました。彼の代は(岩手県の)平泉に見学旅行に行きましたが、よくスケッチをしてい ました。教授の似顔絵を描いて研究室のホームページ(HP)に使ったり、高齢の事務の方の似顔絵も描いたりしていました。設計、ものづくりが好きな学生な んだな、と感じていました」
 《市橋被告は、初対面のリンゼイさんの部屋に入った際にも「雰囲気を和ませたかった」と、リンゼイさんの似顔絵を描いていたことが、公判で明らかになっている。似顔絵がコミュニケーション手段だったのだろうか》

 弁護人「卒業後の進路については、どのように聞いていましたか」
 証人「特に聞いていませんでしたが、4年生の早い段階から留学すると話していて、相談を受けていた気がします」

 《◇◇さんは英語力を身につけ、大学時代の作品をまとめておくようアドバイスしたという。弁護側は、事件を知った際の感想について質問を移す》

 弁護人「今回の事件を知り、逃走したと知って、どう考えましたか」
  証人「考えたというより、普通の学生が普通に卒業したと思っていたので、大変驚きました。普通だった彼がそんなことをするんだな、と。警察が彼を逃してし まったときいて、何で捕まえてくれなかったんだ、逃げられれば逃げたくなるものだ。自殺しないでくれればいい、早く出頭してほしいと思いました」
 弁護人「市橋被告に何を望み、今後どうなってほしいですか」
  証人「犯した罪はひどいものと思います。普通の人でも自分の欲望に従って行動すればこうなってしまう。考えてほしいのは、彼は特に凶悪な性格だったわけで はなく、そういう(普通の)人間だったということ。こういうことをした責任を取ってほしいし、裁判(判決)に従ってほしいです」
 弁護人「市橋被告にかけたい言葉はありますか」
  証人「まず、自分にも子供がいますし、自分が被害者の親だったら、と思うといたたまれない気持ちになります。彼には『自分が被害者の親だったら』と想像し てほしい。彼はクリエーティブで創造力がある。完全に自分を被害者の側において考えてほしい。彼には考える時間が足りない。もっと想像力を働かせる時間を 作ってあげてほしい」

 《反省を深める時間が必要と訴える◇◇さんに、弁護人が最後の質問を行う》

 弁護人「裁判員、裁判官に伝えたいことはありますか」
 証人「今回、(リンゼイさんの)ご両親もいる前で、弁護側の証人に立つということに非常に悩みました。彼についてより多くの情報をお伝えし、少しでも公正な裁判がなされてほしいと思い、出廷しました」

 《語調を強め、◇◇さんは量刑についての主張を訴える》

 証人「彼が(事件から)逃げようとして極刑を受け入れ『自分で自分を処理する』、私はそうであってはならないと思います。彼は被害者の立場に立って苦しむ必要があります。そうでないと、彼にとってもリンゼイさん側にとっても、いいことにはならないと思います」

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんは顔を右手で覆ったまま、通訳の言葉に耳を傾けている》

 《検察側の反対尋問はなく、法廷は約15分の休憩に入った》

 《午後3時45分。法廷が再開すると、裁判官・裁判員の質問に入る。傍聴席から向かって右から2番目の男性裁判員が挙手した》

 裁判員「市橋被告の設計デザインの傾向など、印象に残っていることがあれば教えてください」

 証人「4年生になると研究論文として卒業研究を仕上げる作業になります。設計そのものの指導はしていませんが、過去の大学の作品集に載っていた彼の作品は、使う人のことをよく考えた作品でした」

 《男性裁判員が続けて質問する》

 裁判員「市橋被告を『創造力のある人間』とおっしゃりましたが、創造力を感じさせるエピソードはありますか」
  証人「卒業研究のテーマを明確にするのは通常の学生には難しいし、最近は『先生、どうすればいいですか』という学生ばかりです。彼はテーマを持ち、計画的 で、やりたいことがはっきりしていました。平泉の見学旅行でも、『ここまで来たからもうちょっと北を見てくる』といって旅行を続けていた。何もしないで ぼーっとしている人間より、生き生きとしていました」

 《ここで◇◇さんに対する証人尋問は終了。◇◇さんは検察側にいるリンゼイさんの両親の方に一礼した後、目の前の市橋被告にも大きく頭を下げたが、市橋被告はかすかに首を動かすだけだった》



【英国女性殺害 市橋被告5日目(10)】
「周りの壁が迫まり、呼吸できなく...」被告、声を絞り出し

 (15:50~16:24)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判第5回公判は、市橋被告に対する追加の質問が行われた》

 《この日の公判で検察側が追加質問を求め、堀田真哉裁判長がこれを許可。検察側、弁護側双方に約10分ずつ被告に対する質問を認めた》

 裁判長「被告は証言台に来てください」

 《若い男性検察官が質問に立つ。市橋被告の自宅マンションの玄関を写した2枚の写真が法廷内の大型モニターに映し出された》

 検察官「自宅玄関が写っていますね?」
 被告「はい」

 《市橋被告が消え入りそうな声で答える》

 検察官「この玄関の棚は、リンゼイさんを縛った結束バンドを入れていた棚ですね。短いバンドの袋はいつ開けましたか」

 《これまでの公判では、市橋被告の自宅玄関の棚には、45センチサイズの結束バンドと30センチサイズのバンドが入っていたとされる》

 被告「30センチの袋は事件当日に開けています」
 検察官「当日のどの時点で?」
 被告「45センチのものを使い切ったと思って、30センチの袋を開けました」
 検察官「強姦の後?」
 被告「そうです」

 《市橋被告は比較的はっきりした口調で答えた》

 検察官「リンゼイさんに着せたパーカが切られていますが、いつ切ったのですか」

 《これまでの公判によると、市橋被告は強姦後、裸にしたリンゼイさんに自分のパーカを着せたとされる》

 被告「はっきり覚えていません。リンゼイさんが動かなくなるまでは、パーカを着ていました。26日に脱がせた後、切ったのだと思います」
 検察官「何のために切った?」
 被告「なぜ...私が...切ったのかは分かりません」

 《市橋被告は震える声で一言一言、区切るように答えた。これまでの証言でも市橋被告は記憶が鮮明でない証言をする際、声がうわずったり、震えたりしていた》

 《この後、検察官は4畳半の和室に尿の痕跡があった理由を尋ねた。市橋被告は「分からない。すいません」と答えた》

 《傍聴席から向かって右から2番目の若い男性裁判員はあごに手を当て、考え込むように聞いている》

 検察官「ご遺体の足の結束バンドに、さらに2つのバンドがついていたのは、両手、両足のバンドをつなごうとしていたのではないですか」

 《これまでの公判で、リンゼイさんの家族の代理人の弁護士が、1本の結束バンドに別の結束バンドが結ばれていたことに疑問を示していた。この点について検察側が追及していく》

 被告「違います」
 検察官「なぜ連結されていたのですか」
 被告「長いバンドは何回か切って、すぐになくなってしまいました。そこで封を開けていない30センチのバンドがあることに思い当たりました」
 「でも(30センチのバンド)1本じゃ、短くてはめることができない。輪を作ってつなげて長くして手首、足首にはめようとしました。それが発見されたのだと思います」

 《向かって右から3番目の男性裁判員は口に手を当て真剣なまなざしで市橋被告を見ている》

 検察官「連結した結束バンドで被害者を縛ったことは?」
 被告「あります」
 検察官「具体的には?」

 《市橋被告は「30センチのバンドを...」と説明しようとするが、うまくいかずに何度も言い直す。市橋被告は、30センチのものをつなげて1つの輪にし、手首、足首を縛ろうとしたと説明する》

 検察官「手錠のようにしたのでは?」
 被告「手錠のようにしたのではありません。手錠は左と右の輪が別れていますが、(私は)1本にしたものを手首、足首に回してはめました」

 《この後、検察官の質問に対して市橋被告は、この30センチのバンドで作った輪をリンゼイさんの足首にはめ、その後、45センチのものが1本残っていたのを見つけ、さらに上からそれをはめたとの説明を加えた》

 《代わって中年の男性弁護人が質問に立った》

 《弁護人は結束バンドを玄関の棚に保存していた状況と犯行時、バンドを取り出したときの状況について追加の質問をした。裁判員らがしきりにメモを取っている》

 弁護人「話が変わりますが、被害者に掛けたという上着は、被害者に会いに行ったときに来ていた上着と同じですね?」
 被告「同じものです」

 《大型モニターに茶色の長袖の上着の写真が映し出された。弁護人が情状面の質問に質問内容を変えた》

 弁護人「この裁判で、リンゼイさんのお父さん、お母さんの証言を聞きましたね?」
 被告「聞きました」
 弁護人「とても苦しんでいらっしゃることは分かりましたか」
 被告「はい」

 《市橋被告の声が激しく震えだした》

 弁護人「聞いてどう思いました?」

 《弁護人は、前に手を組み、市橋被告の顔を見ながら諭すような口調で質問する》

 被告「私は...この先...苦しまなくてはいけません...と思いました」

 《震える声で、やっとのように絞り出した》

 弁護人「『被害者の立場に立って想像しなければ』との◇◇さん(法廷では実名)の話も聞きましたね?」

 《◇◇さんは、この質問の前に情状証人として法廷に立った市橋被告の大学時代の指導教授のことだ》

 被告「聞きました」
 弁護人「あなたに足りないものは、このことでは?」
 被告「はい」
 弁護人「被害者への手紙に加えて話すことは?」

 《この法廷で、市橋被告がリンゼイさんにあてて書いた手紙が弁護側の証拠として読み上げられていた》

 《「はあ、はあ」という市橋被告の激しい息づかいがマイクを通じて聞こえてくる》

 被告「リンゼイさんの最期の気持ち、苦しくて、怖くて、つらかったと思います...」

 《徐々に涙声になっていく。はなをすする音も法廷に響く》

 被告「それを考えると、苦しくなります...。周りの壁が迫ってきます。呼吸ができなくなります...。でもそれをやったのは私です」

 《やっと絞り出したというような声で言い切った》

 被告「私はリンゼイさんの気持ちをこれからずっと考えていかなければなりません...。と思います」
 弁護人「被害者にとってあなたはどう見えていると思いますか」
 被告「けものに見えていると思います」
 弁護人「あなたの一番の罪は何だろう?」
 被告「一番の罪...。リンゼイさんに、怖い思いをさせ、苦しませ、死なせてしまったことです」

 《市橋被告の声の震えが収まらない。右から3番目の男性裁判員は身を乗り出すように、市橋被告の表情をうかがっている》

 弁護人「(リンゼイさんの)ご両親の『最高に重い罪になってほしい』との言葉は聞きましたか」
 被告「はい。聞いています」
 弁護人「その証言についてどう思っています?」
 被告「私はそれを重く受け止めなければいけないと思います」

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんは通訳の言葉を聞き逃すまいとするように顔を傾けて震える市橋被告の証言を聞いている》



【英国女性殺害 市橋被告5日目(11)完】
「よい人間になりたかった。実際には悪」被告発言にリンゼイさん父、2度うなずく

 (16:25~16:55)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の第5回公判。弁護側による被告人質問が続く》

 弁護人「自分でどういう罪が相当か考えたことはありますか」
 被告「ありません。私は裁かれる身です。裁判で何があったか話をすることだけ。あとは裁判所にお任せします。それ以上考えるべきではないと思っています」
 弁護人「今、罪の深さが分かっていますか」
 被告「いいえ」

 《罪の深さが分からないとする市橋被告の回答に、男性弁護人は改めて聞き直した》

 弁護人「まだ、足りないということ?」
 被告「はい」
 弁護人「一生かけて罪と向き合っていく?」
 被告「その...。はい」

 《証言台の席に座る市橋被告は、両手のこぶしをそれぞれ握りしめている》

 弁護人「事件のとき、本当に思っていたら、少なくとも警察に連絡したり、逃げなかったと思うんだけど」
 被告「そうです」
 弁護人「2年7カ月、もっと早く出頭すべきだったのでは」
 被告「そうです」
 弁護人「なぜできなかった?」
 被告「私の中は自分勝手であふれています。私がリンゼイさんにした行為に向かい合うということをし ませんでした。リンゼイさんにした行為の責任を取ることが怖かった。だから、『誰だって逃げる。誰だって逃げるんだ』と言い聞かせて逃げていました。本当 に卑怯(ひきょう)でした」
 弁護人「本件以外にこれまでに女性を殴ったことはありますか」
 被告「ありません」
 弁護人「無理矢理の性行為を強要したことは?」
 被告「ありません」

 《涙声ではなをすする市橋被告。弁護士に促され、手に握りしめていた赤いハンカチで「ずずずっ」とはなをかんだ》

 弁護人「なんでこんな事件を起こしたの?」
 被告「逃げていた間に考えたのですが、私が自分がした行為に責任を取ろうとせず、逃げてきたからです」

 《男性弁護士はたたみかけるように質問を続ける。市橋被告を説き伏せているようだ》

 弁護人「被害者に部屋に入ってもらって、ハグ(抱き合うこと)をしようとしましたね。拒否された時点で止めればよかったのではないですか」
 被告「そうです」
 弁護人「強姦しておいて人間関係をつくろうなんてごまかしでしょ」
 被告「逃げです」
 弁護人「向かい合わないから殴っちゃうんでしょ」
 被告「はい、そうです」
 弁護人「そのときに責任を取らないから、アザができちゃって、1週間(自宅に)帰せない。これもごまかし」
 被告「はい」
 弁護人「そのつど、やったことに責任を取らないから、最悪の結果になったんでしょ
 被告「はい」
 弁護人「『逃げて、誰だって逃げる』。全部自分、自分、自分でしょ」
 被告「はい」

 《市橋被告は7日の被告人質問で、自宅玄関でリンゼイさんに抱きついた理由を「誘惑に負けた」と説明している。拒否されて廊下に押し倒して乱暴した後に、リンゼイさんの言動に腹を立てて顔を殴ったとされる》

 弁護人「責任をね、取らないからね、こういう形であなたの人生がめちゃくちゃになったんでしょ」
 被告「はい」
 弁護人「もう、だから、責任から逃げるつもりはない?」
 被告「...」

 《市橋被告は、体を震わせながらうなずいた》

 弁護人「もう逃げたくないんでしょ」
 被告「...」

 《言葉を出せない市橋被告は、もう一度うなずいて反応した》

 弁護人「被害者に1点でも落ち度は?」
 被告「ないです。ありません」
 弁護人「今後、責任転嫁はしませんね」
 被告「しません」

 《検察側後部の席に座るリンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんは市橋被告の顔をのぞき込もうとした》

 弁護人「そういう気持ちで証言したと誓えますね」
 被告「はい」

 《ウィリアムさんは口を真一文字に結び、顔をしかめた。男性弁護士は市橋被告が出版した手記について質問した》

 弁護人「責任を取る方法として?」
 被告「そのときは浅はかにもそう考えました。申し訳ありませんでした」

 《市橋被告は、公判で刑事責任を取り、リンゼイさんの気持ちや家族を考えて生きていくことで道義的責任を取りたいと主張した》

 《市橋被告はさらに強く、左手のハンカチを握りしめた。ウィリアムさんは顔を横にふる。市橋被告の考えに納得がいかないのだろうか》

 弁護人「(手記の執筆は)被害者への弁償、民事責任と考えている?」
 被告「そう考えていました」
 弁護人「弁償として申し入れた金額は?」
 被告「分かっています」
 弁護人「金額は?」
 被告「912万9885円と聞いています」
 弁護人「でも、(リンゼイさんの遺族は)1円も受け取るつもりはない、と。それを聞いてどう思いますか」
 被告「本当に申し訳ありません。私はリンゼイさんの家族の立場を考えなくてはいけないと思っています」

 《男性弁護士は、手記の印税を受け取ってもらえない場合について質問。市橋被告は手を付けるつもりはないと説明した》

 弁護人「受けとってもらえないということだが、お金はどうするつもり?」
 被告「弁護士の先生に相談して、何か社会に役立ててもらおうと思っています」
 「私は、人間以下の行為をしました。でも、よい人間になりたかった。実際には悪でした」

 《通訳を介して説明を聞くウィリアムさん。2度うなずき、ジュリアさんに小声で話しかけた》

 弁護人「今日まで自分の親と会ったり、連絡したことは?」
 被告「ありません」
 弁護人「理由は?」
 被告「リンゼイさんが両親と会えないようにしたのは私。その私が両親と連絡を取ることはできないと思いました」
 弁護人「自分の親に対してどう思う」
 被告「事件を起こすまで、たくさんのチャンスをくれました。でも、感謝することができなかった。ただ、迷惑をたくさんかけました。その迷惑を考えるといえることはありません」

 《男性弁護士は、市橋被告が拘置所内に聖書の差し入れを受けたことを明らかにした。市橋被告は印象に残った部分を説明した》

 《弁護側の被告人質問が終了し、堀田真哉裁判長が閉廷を告げた》

 《第6回公判は12日午前10時から始まり、市橋被告に対する論告求刑が行われる》

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英国女性殺害 論告求刑(2011年07月12日)

【英国女性殺害 市橋被告求刑(1)】
「逮捕されれば、死刑になる」逃げ続けた被告、罪の重さは?

 (10:00~10:20)

 《千葉県市川市のマンションで平成19年、英 国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也 被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判が12日午前、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まった。リンゼイさんの両親は証人尋問で「日本で許される最高刑 を」と極刑を求めており、検察側の求刑内容に注目が集まる》

 《午前中は市橋被告に対する被告人質問。検察による論告求刑や、弁護側の最終弁論は午後に予定されている》

 《午前10時1分、リンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんが入廷する。5日にわたる公判を経て、なお疲れた表情は見せず検察側の席に座った》

  《続いて市橋被告が弁護側後方の扉から姿を見せる。これまでの公判では、リンゼイさんを死亡させたことについて、絶えず反省の弁を述べてきた市橋被告。た だ「殺意」については一貫して否定し、リンゼイさんの遺体を土に埋めるなどの工作についても「(なぜやったのか)分からない」とあいまいな証言を繰り返し てきた。この日で最後となる被告人質問では、何を語るのだろうか》

 《午前10時4分、裁判員らが入廷し、堀田裁判長が開廷を宣言する。市橋被告はゆっくりと証言台に移り、男性検察官による被告人質問が始まる》

 検察官「犯行場所となった自宅マンションですが、賃貸でなく親族の持ち物だったということでいいんですよね」
 被告「そうです」
 検察官「両親から月いくら仕送りを受けていましたか」
 被告「12万円だったと思います」
 《犯行時、市橋被告は28歳で無職だった》
 検察官「警察に逮捕されたのは今回の事件が初めてですか」
 被告「いいえ。前にも1度あります」
 検察官「財布を盗んだ後、逃げようとして相手にけがを負わせた事件ですね」
 被告「マンガ喫茶の店内に財布が落ちているのを見つけて持って逃げようとしました。それを見つけた人ともみ合って、階段から落ちました。それで私は逮捕されました」
 検察官「相手にけがをさせましたね」
 被告「はい」
 検察官「26歳のころの事件ですね」
 被告「はい」
 検察官「身柄拘束は何日間でしたか」
 被告「14日だと思います」
 検察官「そのときは両親が示談にしてくれたんですよね」
 被告「そうです」
 検察官「釈放されたとき、今後一生犯罪をしない気持ちでいましたか」

 《しばらく押し黙る市橋被告。震えた声で答え出す》

 被告「その覚悟がなかったと思います。私はあのとき、刑務所に入るべきでした」

 《マイクを通じ、市橋被告の「フー」という荒い息づかいが聞こえる》

 検察官「端的に答えてください。もう二度と犯罪を起こさないという気持ちでしたか
 被告「そう思いました」

 《続いて、検察官はリンゼイさんを誘い出す口実となった「英会話の個人レッスン」に関連し、市橋被告の英会話への思いについて質問していく》

 検察官「あなたは英会話スクールに通っていましたか」
 被告「通っていません」
 検察官「留学の予定は決まっていましたか」
 被告「決まっていません」
 検察官「英語の試験では良い成績を取ることができましたか」
 被告「できませんでした」
 検察官「当時の交際相手とは結婚するつもりでつきあっていましたか」
 被告「いいえ」

 《矢継ぎ早の質問に市橋被告は淡々と答えていく》

 検察官「逃げているときのことについて聞きます。逮捕状が出て、指名手配されていたことは分かっていましたか」
 被告「分かっていました」
 検察官「平成21年11月10日に逮捕されるまで、自ら出頭しませんでしたね」
 被告「はい」
 検察官「あなたは逃げ始めた際、4、5万円の現金を持っていましたね」
 被告「そうです」
 検察官「もともとあなた自身が持っていたものですか」
 被告「『もともと』というのはどういう意味ですか」
 検察官「質問を変えます。あなたは逃げているとき、無賃乗車をしたり、自転車を盗んだりしていますね」
 被告「はい」
 検察官「逃げ通すために整形手術もしましたね」
 被告「そうです。逃げるためです」

 《市橋被告の息づかいがまた激しくなる。「はあ、はあ」という声が漏れ出す》

 検察官「沖縄の島でも暮らしましたね」
 被告「はい」
 検察官「逃走している間、被害者が殺害され、容疑者が逃亡中という報道は聞きましたね」
 被告「はい。聞きました」
 検察官「一生逃げ通すつもりだったんでしょ」
 被告「逃げていたかった...。そう思いました...」

 《11日の被告人質問で、市橋被告は事件発覚直後に警察官を振り切って逃走し、2年7カ月にわたり出頭しなかったことを「責任を取ることが怖かった。『誰だって逃げる。誰だって逃げるんだ』と言い聞かせて逃げていた。本当に卑怯(ひきょう)だった」と証言している》

 検察官「そうやって逃げている中、仮に逮捕されたら、どのぐらいの刑を受けると思っていましたか」
 被告「リンゼイさんの苦しみを考えると...、死刑になると思っていました」
 検察官「(大阪のフェリー乗り場で)逮捕されたときも、逃げるために沖縄に行こうとしていたんですよね」
 被告「沖縄の小屋で死のうと思いました」

 《自ら「死刑」に言及し、自殺を図ろうと考えていたことも明かす》

 検察官「あなたは逮捕されたあと、黙秘だけでなく食事も取りませんでしたね」
 被告「はい」
 検察官「警察官からDNA鑑定に必要な口の中の細胞を取らせてくれないかと頼まれ、応じませんでしたね」
 被告「断ったと思います」
 検察官「断った結果、裁判官の出した令状によって強制的に採血されましたね」
 被告「そうだと思います」
 検察官「(口内の細胞採取を)なぜ断ったのですか」
 被告「事件のこと以外はすべてお話しするつもりはありませんでした。だから断ったと思います」
 検察官「DNAの鑑定に協力すれば、しゃべらなくても事実解明されていくと思いませんでしたか」
 被告「思いませんでした」
 検察官「そもそも事実が解明されることが嫌だったんじゃないですか」
 被告「それは嫌ではありません。私が嫌だったのは、私が一方的に事件のことを話すことが嫌でした。リンゼイさんはもう何も話せません。それだけが嫌でした」

 《男性検察官は市橋被告が出版し、印税をリンゼイさんの遺族に支払うとした手記について質問する》

 検察官「出版ということはあなたが、原稿を長々と書いたわけですよね」
 被告「書きました」
 検察官「そうやって書いているとき、出版したら遺族の方がどう思うと考えていたんですか」
 被告「そんなことをすれば、リンゼイさんのご家族は嫌悪感を覚えて、私のことを絶対に許さないと思いました」
 検察官「原稿を書いているときに思っていたんですね」
 被告「思いました」
 検察官「リンゼイさんのお母さんが『本は殺人の成果物で、1ペニーももらいたくない』と(11日の)法廷で言ったのを聞きましたね」
 被告「聞きました」

 《市橋被告は声を荒らげる》

 検察官「その話を聞いたあと、今も(印税を)受け取ってほしい?」
 被告「はい。できれば受け取ってほしい...。いつでもいいです。できれば受け取ってほしい...」

 《弁護側によると、逃亡生活をつづった手記の印税は約912万円に上るという》

 検察官「リンゼイさんのお母さんの証言を聞いたあとも考えは変わらない」
 被告「迷います...。はあ...。でも、私ができるだけ責任を果たしたいという気持ちは、書いていたときと変わらないです」

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんは市橋被告をじっと見つめている。何を思うのだろうか》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(2)】
「付き合うってなんですか」「ハグする関係...」疑問抱き、被告から逆質問

 (10:20~10:45)

 《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、市橋被告への検察側の被告人質問が続いている》

 《男性検察官は市橋被告が出版した手記についての質問を続ける。市橋被告はこれまでの公判で「印税を被害弁償に充てたい」と述べているが、リンゼイさんの父親のウィリアムさんは「娘を殺しておいて、それをネタに金を稼いでいる。一銭もほしくない」と強く反発している》

 検察官「書く前に、遺族が書いてほしいと思っているか確認していますか」
 被告「確認していません。弁護士の先生にも(書くことを)反対されました。申し訳、ありませんでした...」

 《市橋被告の「はぁ、はぁ...」という荒い息づかいが響く》

 検察官「裁判が終わった後に出版するということは考えなかったのですか」 
 被告「できる限り早く、(印税を払うことで)責任を取りたくて...。それだけを思っていました」
 検察官「親に被害弁償を頼もうとは考えなかったのですか」
 被告「私は前の事件で親にお金を出させて...」

 《この日の公判で、市橋被告が26歳のとき、漫画喫茶で落ちていた財布を盗もうとした際、見とがめた人ともみ合いになり、相手を負傷させて逮捕された過去が明らかにされている》

 被告「被害者の方に示談をしてもらいました。刑務所に入りませんでした。私はそのときにもう悪いことはしないと思ったけど、甘かったぁ...」
 「そういう気持ちが今回の事件につながった面もある。私はもう親に頼ることは、絶対にしたくはありませんでした。だから取れる責任は、自分ができる責任はなるべく早く果たしたいと考えていました。しかしそれは浅はかでした。申し訳ありませんでした」

 《女性通訳が傍聴するリンゼイさんの両親のために英語に通訳している最中、依然として荒い市橋被告の息づかいが法廷内に響く。ここで検察官が、リンゼイさんの両親の男性代理人弁護士による被告人質問を求め、堀田真哉裁判長は「15分程度に収めてください」と許可した》

 代理人弁護士「漫画喫茶の事件で示談の金額はいくらでしたか」
 被告「分かりません。教えてくれませんでした」
 代理人弁護士「聞かなかったのですか」

  《ここで市橋被告の弁護側が「すでに検察官が聞くなどしており、適切ではない」と異議を唱えるが、検察側は「質問内容は重複していない」と応酬。堀田裁判 長は左陪席と右陪席の裁判官と話し合い、「検察側の質問と重複しない範囲で質問を許可します」と注文した。代理人弁護士は堀田裁判長に深く一礼してから質 問を再開する》

 代理人弁護士「逃走中、『(捕まったら)死刑になる』と思っていたということですが、殺すつもりがなかったのにどうして死刑になると思ったのですか」

 《市橋被告側は「殺意はなかった」と訴えており、裁判では殺意の有無が最大の争点となっている》

 被告「私はリンゼイさんの命を奪ったからです」
 代理人弁護士「事件当時、交際していた女性がいましたが、付き合うようになったきっかけは何ですか」
 被告「性格が合ったからです」
 代理人弁護士「彼女に近づくとき、似顔絵を描いたのではないですか」

 《市橋被告はリンゼイさんと初めて会ったとき、リンゼイさんの似顔絵を描いている。代理人弁護士は市橋被告が女性に接近する手段として、似顔絵を使っていたとみているようだ》

 被告「似顔絵を描いたことは何度もあります」
 代理人弁護士「その彼女のことは置いておいて、ほかの女性に似顔絵を描いたことはありましたか」
 被告「女性にも、男性にも、友達にも、知り合いにも、先生にも、知り合った人には何枚も描いています」

 《代理人弁護士は通訳を行う女性通訳の顔と、法廷内の時計を交互に見つめる。残り時間をかなり気にしている様子だ》

 代理人弁護士「女性に限ったら、外国人も含まれますか」
 被告「含まれています」
 代理人弁護士「何人くらいの外国人女性に似顔絵を描きましたか」
 被告「外国でホームステイしたときに...」
 代理人弁護士「いやいや、日本の話」

 《腕を組み、いらだった表情で市橋被告を見つめていた代理人弁護士は割り込んだ》

 被告「何枚か描いています」
 代理人弁護士「その中で連絡先を聞いた人はいますか」
 被告「ありません。リンゼイさん、リンゼイさんから...」
 代理人弁護士「はい、ないということで結構です。あなたは外国人女性と付き合ったことはありますか」
 被告「付き合うということはどういうことですか」

 《逆に質問をする市橋被告だが、少し間を置いて「ちょっと待ってください」と言葉を続けた》

 被告「さっきの質問ですが、私は私が日本語を教えて、英語を教えてもらう仲の白人女性がいました。その人から連絡先を教えてもらっています。すみません」
 代理人弁護士「付き合うという言葉の意味ですが、あなたの言葉でいうなら『親密な付き合い』ということです」

 《市橋被告はこれまでの公判で、事件当日にリンゼイさんを自宅マンションに連れ込む直前の心境について「このままリンゼイさんと親密な関係になれたらいいな、と勝手に思っていました」と述べている》

 被告「親密な関係とはハグする関係の...さきほどの女性とはハグしたり、抱き合ったりする関係でした。肉体関係はありませんでした」

 《代理人弁護士による被告人質問が終わり、弁護側が被告人質問で漫画喫茶の事件が不起訴処分になったことなどを確認。堀田裁判長が休廷を宣言した》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(3)】
裁判員から逃亡生活に質問相次ぐ 千葉→青森→四国の遍路道 整形は自分でも

 (11:19~11:40)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判。予定時間を約15分過ぎ、午前11時20分ごろに再開した。市橋被 告に対する裁判所からの質問が始まる》

 裁判長「続いて裁判所から尋ねます。何か質問はありますか」

 《堀田真哉裁判長は周囲の裁判員に顔を向けて尋ねた。6人の裁判員はいずれも男性で、傍聴席から向かって左から1~6の番号が記されたカードを首から下げている。4番の男性裁判員が手を挙げた》

 裁判員「逃走後、いつぐらいに整形を思い浮かべ、いつ行いましたか」
  被告「(思い浮かべた時期は)具体的には言えません。私は警察の方から逃げました。東北の青森まで逃げました。そして、リンゼイさんが生き返ると思い、四 国の遍路道を回りました。途中、もう生き返らないと現実が分かり、働こうと思いました。顔を変えなければ、働けないと。いつごろかは正確に思いだせませ ん」

 《通訳の女性が話す途中に市橋被告が口を挟んだ。何か付け加えたいようだ》

 被告「すいません。病院へ行って顔を変えようと思ったのはその通りです。警察の方から逃げたあと、自分で自分の顔を変えようと思って、自分でしています」

 《市橋被告は逃亡生活を記した手記の中で"自己整形"したことを詳述している》

 《市橋被告は事件後、東京・上野のコンビニエンスストアで裁縫道具を購入。近くの大学病院の障害者用トイレで鼻を細くするため、糸のついた針を鼻の左右に突き通し、鼻をチャーシューのように巻いたという》

 裁判員「あなたは、事件までに人のためにボランティアや社会貢献したことはありますか」
 被告「ありませんでした」

 《続いて、3番の男性裁判員が質問した》

 裁判員「リンゼイさんのご家族が来日して、自首を呼びかけたり、昨日出廷した(千葉大学時代の恩師の)本山(直樹)証人の自首の呼びかけは知っていましたか」

 《事件発生後、すでに市橋被告の犯行が明らかになり、指名手配されていたため、本来は自首でなく出頭という形になるが、法廷では「自首」という言葉が使われた》

 《11日の公判で、証人として出廷した千葉大大学院の本山名誉教授は市橋被告に空手を指導。本山さんは21年11月、自身のホームぺージに「市橋達也君に告ぐ」と題し、自主的な出頭を呼びかけている》

 被告「逃げている間にリンゼイさんのご家族が来日したニュースは聞きました。ご家族や本山先生が自首をすすめたことは聞きませんでした」

 《続いて6番の男性裁判員が、市橋被告の「逮捕される直前に死のうと思った」とする証言について質問した》

 裁判員「どうして逃走を続けていたにもかかわらず、死のうと思ったのですか」
 被告「最後はもう、逃げることはできないと思いました。でも、まだ、逃げたかったんです。だったら、沖縄の島の小屋に戻って、あとは死ぬしかないと思いました」

 《市橋被告は、「死のう」と思った理由について言及しない。「逃げたい」と「死にたい」という思いの中で葛藤(かっとう)があったのだろうか》

 裁判員「もう1点。逮捕されたときにどう思いましたか。逮捕されたときの気持ちを教えてください」
 被告「死に場所が変わっただけだと思いました」

 《続いて裁判所側で唯一の女性、左陪席の裁判官が強い口調で質問した》

 裁判官「事件現場のマンションは、まだ戻れるようになっているんですか」
 被告「分かりません。しかし、出ることはありません」

 《「出る」とは刑務所から出ることを意図しているのだろうか》

 裁判官「この法廷で、あなたは『被害者の気持ち』と何度も言っていますが、初めて被害者の気持ちを考えたのはいつですか」
 被告「リンゼイさんに悪いことをしたといつも思っていました。しかし、気持ちを考えたのは仕事を始めて、苦しかったときにリンゼイさんはもっと苦しかったんだと初めて考えました」

 《リンゼイさんの母、ジュリアさんは熱心にメモを取っている。右陪席の男性裁判官はリンゼイさんを結束バンドで拘束し、乱暴するなどした犯行当時の状況について質問した》

 裁判官「結束バンドを収納棚から取り出したとき、顔はどちらに向いていましたか」
 被告「顔は棚を向いていました」
 裁判官「あなたが、被害者の手首や足首を拘束した場所は具体的にはどこですか。見取り図を示しますので指でさしてください」
 被告「ここです」

 《市橋被告は玄関と廊下の境目にある脱衣所前をさした》

 被告「その後、4.5畳の和室でも手足に(結束バンドを)はめています」

 《男性裁判官は、リンゼイさんを拘束するまでの市橋被告の体勢を確認。言葉では伝わりにくく、堀田裁判長は首を大きく傾け、頭の中でイメージしているようだ》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(4)】
粘着テープにからまる髪をハサミで切断「リンゼイさんは悲しそうな顔」

 (11:40~12:00)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、右陪席に座る男性裁判官の質問が続いている》

 《市橋被告は証言台に座り、じっと前を見すえたまま、ゆっくりだがはっきりとした口調で質問に答えていく。法廷の両サイドに設置された大型モニターには、犯行現場となった市橋被告のマンションの間取りが映し出されている》

 裁判官「リンゼイさんを4・5畳の和室のどこに、どのように運びましたか」
 被告「4・5畳の和室のどこと指し示すことはできません。(図面の)『毛皮様のもの(毛皮のようなもの)』と書かれたところに、抱きかかえたリンゼイさんを置いたと思います」
 裁判官「あなたの部屋から切断された45センチの結束バンドが見つかっていますが、これはあなたが被害者の手足を拘束したもので、被害者の求めに応じて切断したものということですか」
 被告「そうです」
 裁判官「あなたの部屋には切断された30センチの結束バンド10本が見つかっていますが、何に使用して、なぜ切断したものですか」
 被告「30センチの結束バンドは手首や足首にはめようとして使っていたものです」

 《ここで、市橋被告はしばらく考え込むように数十秒間黙り込み、そしてこう続けた》

 被告「45センチの結束バンドがなくなったと思い、30センチのものをどうにかしてはめれないかと思い、輪っかにしてみたりしたことはあります。なぜ、切っているかについては正確に言うことはできません」
 「というのも、輪っかにしたのは26日の目が覚めた後切っているはずだからです...。そのとき様子ははっきり覚えていません」

 《続いて、男性裁判官は市橋被告がリンゼイさんの頭部に巻いた粘着テープについて質問した》

 裁判官「粘着テープについて1点だけ尋ねます。口の周りをぐるっと巻くようにして巻いたテープはなぜ外そうと思ったのですか」
 被告「口から頭を巻くようにテープを巻いた後、リンゼイさんが口をもごもごし、唾液でテープがすぐに外れました。それをみてすぐに外そうと思いました」
 裁判官「粘着テープはうまく外れましたか」
 被告「できませんでした」
 裁判官「どうやって外したんですか」
  被告「頭に着いていたものを外そうとするとリンゼイさんが『痛い!』と言いました。そこで粘着テープからはがれる髪の毛は1本ずつ外しました。からまって どうしても外れない髪の毛は台所からキッチンばさみで1本ずつ切りました。リンゼイさんは悲しそうな顔をしています...。そうやってリンゼイさんの髪の毛を 外しました」

 《髪の毛の外し方について、市橋被告の詳細な説明を女性通訳が翻訳し始めると、リンゼイさんの母、ジュリアさんはおもわず両手で顔を覆った。父のウィリアムさんは肘をつき、一段と険しい表情になっている》

 裁判官「4・5畳の和室には被害者の血液が付着していますが、思い当たることはありますか」
 被告「私は先ほど4・5畳の和室に運んだときに毛皮様のものの所に置いたと言いました。そのとき身体のどこかから出血していたのを私は見ていません。出血の痕があったと言われましても、そのときに付いたものか、いつ付いたものかは正確にはお答えできません」

 《最後に堀田真哉裁判長が質問を始めた》

 裁判長「私の方から尋ねます。被害者の立場にたって考えることが不足していると言いましたが、具体的にどの点が不足していると思いますか」
 被告「私は加害者です...。リンゼイさんのご家族が今まで私のせいでどれほど苦しんできたか、今もこれからもどんな気持ちで暮らしているか...。想像することができます」

 《証言台に座る市橋被告はうつむき、ときおり声を詰まらせながら堀田裁判長の質問に答える。膝の上に置かれた両手は小刻みに震えている。そして声を絞り出すようにこう続けた》

  被告「でも、加害者の私にはすべてが理解できないと思う。リンゼイさんの苦しみについて想像すれば苦しくなる...。息ができなくなる...。リンゼイさんはもっ と苦しかったと思う。リンゼイさんのご家族のことを考えると震えて怖くなる。自分がどうすればいいか分からない。しかし、すべてを分かることは私にはでき ません。だから、昨日そういいました」

 《堀田裁判長の質問はこの1点のみで終了。検察側、弁護側に追加の質問がないかを確認し、被告人質問の終了を告げた》

 《市橋被告は証言台から立ち上がった後、堀田裁判長らに一礼し、前を見ながら後ずさるように被告人席に下がり、着席した》

 裁判長「これで証拠調べを終了し、双方のご意見をうかがっていくことにします。午後は1時30分に開廷ということでよろしいでしょうか」

 《検察側、弁護側ともに小さくうなずき、休廷に入った。市橋被告は刑務官3人に囲まれ、やや足早に退廷していった。午後からは検察側の論告が行われる》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(5)】

 (13:30~14:00)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、昼の休憩を挟んで再開した。検察側の論告求刑が始まる》

 《リンゼイさんの両親は証人尋問で「日本で許される最高刑を」と極刑を求めた。逮捕されれば「死刑になる」と、約2年7カ月の逃亡生活を続けた市橋被告に対する検察側の求刑に注目が集まる》

 《市橋被告はうつむきがちに入廷し、検察側に座るリンゼイさんの両親に一礼。堀田真哉裁判長が「まず検察側の論告から始めます」と宣言し、男性検察官が立ち上がった》

 検察官「これから検察側の意見と求刑を述べます。手元の論告メモを参考にしながら話を聞いてください」

 《裁判員らは配布された資料に目をやりながら、緊張した面持ちで検察官の話に耳を傾ける》

 検察官「まず市橋被告に殺意があったことは、2つの事実証明で明らかです。1つはリンゼイさんの遺体の状況で、もう1つは被告にリンゼイさんを殺す動機があったということです。これらについて詳しく説明します」

  《リンゼイさん殺害の争点は「殺意」の有無だ。検察側はこれまでの公判で、検視結果などから「少なくとも3分程度、被害者の首を相当の力で圧迫し続けた」 としているが、市橋被告は「1分ほどだった」と証言。リンゼイさんが逃げないよう首に手を回して覆いかぶさるうちに動かなくなったとしている》

 「1つ目、リンゼイさんの遺体の状況ですが、これは法医学の専門家で経験の豊富な医師が公判で証言しました」

 《医師は証人尋問で、鎖骨とのど仏を結ぶ筋肉「胸骨舌骨筋(きょうこつぜっこつきん)」や、その奥にある「輪状軟骨」の状況から、リンゼイさんの首に強い圧迫が加えられたことを証言。少なくとも3~5分、リンゼイさんの気道が完全に圧迫されたとする診断結果を述べた》

 検察官「仮に意図がなく首を圧迫してしまったとして、3分から5分も力を加え続けることがありえるでしょうか。被告の殺意は明らかです」

 《検察官は続いて、市橋被告にリンゼイさん殺害の動機があったとする根拠について説明していく》

  検察官「女性を強姦した犯人が、常に被害者を殺害するわけではありません。自分が犯人であるとばれない状況であれば、必ずしも殺害するとはかぎらないで しょう。または自分の犯行を反省し、素直に認めた場合も相手を殺そうとはしません。しかし、被告はそのどちらのケースでもないのです」
  「被告は自宅でリンゼイさんを強姦した上、リンゼイさんの顔を殴るなど明らかな跡を残しました。リンゼイさんを生きて帰せば、強姦行為が発覚し、逮捕され るのは時間の問題でした。被告は長期間逃亡したことからも分かるように警察の拘束を嫌がる人物で、極度に強姦罪を恐れていました」

 《左陪席の女性裁判官は手元のメモを追うことなく、市橋被告をじっと見つめる》

 検察官「被告としては逮捕されないよう『コーヒーショップで別れた後のことは知らない』とするしかなかった。しかし、リンゼイさんが大声を出し、近隣住民から警察に通報される危険が現実となり、リンゼイさん殺害に至ったのです」

 《検察側は次に、市橋被告や弁護側の主張に対する反証を行っていく。弁護側の主張は、(1)犯行状況(2)人工呼吸などの救命行為(3)帰宅させる意図があったか-の3点から、殺意はなく、傷害致死にあたるとするものだ》

 《弁護側の「圧迫が1分程度で、リンゼイさんの首の下に入った左腕で意図せず圧迫してしまった」との主張について、検察側は医師の証言を再び強調。その後、「腕に力を入れ、リンゼイさんの首を圧迫した」と殺意を認めた捜査段階の供述調書との内容の相違についても触れた》

  検察官「被告は21年11月10日の逮捕後、12月2日の起訴直前まで黙秘を続け、その後事実関係について供述を始めました。供述調書作成前には『はっき りしていない部分については供述を削除してほしい』と求め、認められました。当時の被告の主張はそのまま調書に収められたのです」
 「被告は黙秘をやめた理由について『リンゼイさんの両親に謝罪したい』と説明したが、殺人罪の被告にとって殺害方法は最も重要な部分であるはず。核心部分が違うのは極めて不自然で、公判での供述が虚偽なのは明らかです」

 《検察側は「1分程度の圧迫でも時間を置いて死亡に至ることがある」とする弁護側の主張についても医師の証言などからあらためて否定した後、(2)の「人工呼吸・心臓マッサージ」について説明する》

  検察官「被告は110番、119番通報もせず、近所に助けを求めることもしていません。そして証人の医師は心臓マッサージを行った形跡もないとしていま す。先ほど述べた通り、被告にとって、最大の関心は警察に逮捕されないことでした。このときだけ救命行為を行ったという主張は全く信用できず、殺意を否定 する理由になりません」

 《(3)「帰宅させるつもりだった」との弁護側の主張についても、男性検察官は「強姦後も両手、両足を結束バンドで縛った状態で、『人間関係を作る』というのは論理が破綻している」と反論した》

 《さらに検察側はリンゼイさんが、実際に遭遇したであろう被害について、証拠をもとに主張を行っていく。男性検察官は、(1)リンゼイさんの衣類の状況(2)乱暴行為のあった玄関付近の状況(3)ゴミ箱の中身(4)遺体の状況-の4点をあげ、順を追って説明していく》

 検察官「まず衣類ですが、コートは両袖などが切られていたほか、ブラジャーは左右ともひもが切断されていました。強姦の前に腕を縛り、衣服をはさみで切った状況は明らかです」

  《検察官は玄関付近の柱にリンゼイさんの毛髪がついた粘着テープが貼られていたことや、粘着テープの一部や犯行に使用された避妊具などがゴミ箱に一緒に 入っていたこと、リンゼイさんの遺体に多数の皮下出血があったことなどをあらためて説明し、強姦の犯行状況を"再現"していく》

 検察官「結束バンドは、細い穴に通して結ぶ必要があります。リンゼイさんを何らかの方法で固定し、抵抗されない状況でなければ穴を通すことはできませんでした」

 《検察側は、市橋被告が「犯行後、部屋を掃除するために使った」と話している粘着テープも、犯行に使用されたと主張する》

 検察官「両手をしばり、はさみで衣服を切断するのは、被害者が抵抗できない状況でないと不可能です。多数の皮下出血があったことからも、リンゼイさんが顔面などを多数殴られ、抵抗できない状況にあったと認められます」
 「弁護側は『手足を押さえたところ抵抗がなくなった』『(玄関に)血痕がついた理由は分からない』『粘着テープは掃除に使った』などと、不自然、不合理な説明に終始しています」

  《粘着テープで口をふさぎ、何度も殴りつけて抵抗できなくさせた上で両手足を縛り、衣服をはさみで切断して乱暴行為に及ぶ-。検察側の説明は、弁護側の主 張とは、およそかけ離れている。リンゼイさんの母、ジュリアさんは父、ウィリアムさんの肩にもたれかかり、両目を覆う》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(6)】
「犠牲者1人、死刑は躊躇」無期求刑に、リンゼイさんの両親は...

 (14:00~14:25)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、検察側の論告の読み上げが続く》

 《男性検察官は強姦行為から、リンゼイさんが死亡するまでに時間差があったとしても、強姦致死罪が成立すると訴える》

 検察官「市橋被告は強姦の後、いつでも強姦できるように結束バンドで縛るなどしていましたが、大声を上げられたためリンゼイさんを殺害しました」

 《検察官は過去の判例で強姦後に女性が逃げようとして男の顔を殴り、男が女性に膝蹴りをしてけがを負わせた事件で、強姦致傷罪が成立したことなどを説明して、市橋被告の事件でも強姦致死罪が十分に成立するとした》

 検察官「続いては考慮すべき情状についてです。ひとつは結果が重大ということです。リンゼイさんの生命が奪われており、これは取り返しのつかない重大な結果であることは明らかです」

 《検察官はリンゼイさんが英国で3人姉妹の次女として生まれ、大学では生物学を学び、英会話教師になるために来日した経緯を振り返る》

 検察官「リンゼイさんは日本を安全と考えて来日しました。父親にも『ここはロンドンより安全』と話していました」
  「リンゼイさんには事件当時、婚約者もいました。夢と希望にあふれた人生を歩んでいたリンゼイさんは当時22歳でした。たまたま市橋被告に目をつけられ、 犯行の犠牲になりました。その日(事件当日の平成19年3月25日)もいつも通りに仕事に行く予定でしたが、市橋被告から苛烈な暴行を受け、強姦され、殺 害され、尊い命を奪われました」
 「二度と故郷のイギリスに戻ることはできません。すべてを奪われました。リンゼイさんはどれだけの恐怖を感じたかを語ることもできません」

 《厳しい口調で論告を読み上げ続ける検察官。検察側の後方に座るリンゼイさんの母、ジュリアさんは目頭を押さえた》

 検察官「犯行は粗暴かつ悪質です。市橋被告はリンゼイさんの顔を殴り、結束バンドで緊縛して、苛烈な暴行を加えました。市橋被告は言葉巧みにリンゼイさんを(自宅マンションまで)誘い込み、暴行を加えて抵抗できなくして強姦しました」
 「さらに3~5分程度、首を圧迫して殺害し、遺体を浴槽に入れてベランダまで運び、土を入れて遺棄しました。死者への畏敬の念をまったく感じられません」

 《市橋被告は背中を丸め、微動だにしない》

 検察官「動機は身勝手、自己中心、かつ悪質です。市橋被告は性欲を満たすために強姦しました。そして強姦の発覚を恐れてリンゼイさんを殺害し、殺害の発覚を恐れて遺体を遺棄しました。短絡的で自分勝手な動機に端を発しています。同情すべき事情はまったくありません」
 「犯行後の情状も悪質です。市橋被告はリンゼイさんのカーディガンをゴミ袋に入れており、リンゼイさんの衣服をすべて処分しようとしていました」
 「またスポーツジムに行こうとしていました。リンゼイさんを強姦、殺害した後にジムに行くというのは『非人間的発想』です。2年7カ月逃走して、偽名で働きながら、整形手術も受けています。何としても逃げようと、自分のことだけ考えています」

 《検察官はリンゼイさんの両親の処罰感情が峻烈であることも指摘した上で、裁判員に訴えかける》

  検察官「リンゼイさんのご両親の証言を聞かれ、ご両親の立場になって考えられてきたと思います。娘さんが強姦、殺害されて遺体が遺棄されたご両親の立場に なり、今一度考えてください。ご両親はイギリスからわざわざ来日され、懸命に証言されていました。娘さんを奪われたご両親の心は癒されることはありませ ん。最大限の処罰を求められることはごくごく自然、当然のことです」

 《傍聴席から向かって右から3番目の男性裁判員は真剣なまなざしで検察官の訴えに耳を傾けている。検察官は、さらに市橋被告が検察官やリンゼイさん遺族の代理人弁護士の被告人質問に対し、十分な返答をしなかったと指摘した上で断罪する》

 検察官「市橋被告は第1回公判で『事件のことを話す義務がある』という内容のことを言っていましたが、それは口先だけの言葉でした。市橋被告のこの法廷での態度は自らの罪を軽くしたいとの考えをありありと示しています」

 《検察官は市橋被告が遺族に宛てた謝罪の手紙が逮捕から6カ月後に書かれたものであることも指摘し、被告にとって有利な情状として考慮すべきでないと訴えた》

 検察官「弁護側は市橋被告に前科がないこと、若いことを有利な情状としていますが、これまで検察側が述べてきた情状、事実に比べれば重要ではありません」

 《ここで検察側は求刑に入る。検察官の口調も鋭くなっていく》

 検察官「悪質な情状、有利な情状を考慮しました。殺人が強姦とともに行われており、極めて重い処罰が必要です」

 《静まりかえった法廷に検察官の声が響く。裁判員たちも緊張した様子だ》

 検察官「本件は重大な結果をもたらしました。しかし、犠牲者の人数が1人であること、被告に前科がないことを考慮すると、死刑を求刑することは躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ません」

 《リンゼイさんの両親が望む最高刑の死刑は、求刑されないことが決まった。検察側の後方に座る父親のウィリアムさんと母親のジュリアさんは、厳しい表情を見せている。しかし自席で静かに座り、落胆の様子は見せない。死刑が求刑されないことを覚悟していたのだろうか》

 検察官「殺人と強姦が行われたことを考えると、有期刑は軽すぎます。求刑は『無期懲役』。無期懲役を求めます」

 《傍聴席の記者たちが速報を伝えるために一斉に立ち上がり、法廷の外に駆けだす。バタバタと足音が鳴り響く中、堀田真哉裁判長が休廷を宣言した》

 《刑務官に促されて市橋被告は立ち上がり、退廷する。顔はうつむいていたが、背筋は伸び、しっかりとした足取りだった。その背中をリンゼイさんの両親はにらみつけていた》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(7)】
リンゼイさんの傷跡「1つ1つがメッセージ」遺族代理人が懸命訴え

 (14:40~15:10)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判。休廷中、 検察官らには笑顔が見えた。論告求刑を終えたことから緊張がほぐれたようだ。リンゼイさんの両親も通訳の女性を交えて談笑している》

 《午後2時40分、公判が再開した。被害者遺族参加制度に基づく、遺族の代理人弁護士が意見陳述を始めた。法廷両側に設置された大型モニターには、陳述の要点が映し出された》

 代理人弁護士「遺族は推移を見守るため、英国から来ました。リンゼイさんは最後にどのような状態だったのか。真相を知るためです。悲しみが、いかほどだったのか知ってもらい、正義に基づいて判決を出してもらうためです」
 「被告は初公判で『事件の日に何があったか知っているのはリンゼイさんと私しかいません。これからの裁判で話していくことが私の義務だ』と言っていたが、公判での被告の態度は両親を失望させました。説明は信用できません」

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさんも8日の証人尋問で、市橋被告の態度を「ショーを演じるために(言動を)練り上げている」「証言は計算されつくし、リハーサルされたものだ」などと非難している》

 代理人弁護士「(市橋被告の発言は)刑を軽くするための虚偽の証言であり、(検察側の)質問に『もう1度』などと言って、長々と独自の主張を繰り返した」
 「(市橋被告は)真相を語ろうとしなかった。時間の引き延ばしは(2年7カ月間にわたって)逃走を続けたことと何ら変わらない。これは被告人の戦略だ」

 《遺族の代理人弁護士は、身ぶり手ぶりを交え、裁判員に向かって話し続ける。紙を読み上げるため、口調が次第に早くなっていく》

 代理人弁護士「被告は罪と正面から向き合うべきです」

 《代理人弁護士は今回の事件を、逮捕直後から容疑者の自供が得られるケースと比較。市橋被告からの細かな自供はなく、起訴直前で大まかな説明をしたにすぎないと批判した》

 代理人弁護士「事件の真相がどこにあったのか。代理人として申し上げる。事件には、11個のポイントがあると考えます」
 「1つめは遺体の状況です。リンゼイさんの遺体には痛ましい傷跡があります。これは暴行のすさまじさを表しています。傷跡1つ1つがリンゼイさんのメッセージです」

 《代理人弁護士は裁判員らに、証拠提出されたリンゼイさんの傷跡が撮影された写真をもう1度見てほしいと呼びかけた。そして、弁護側の主張する「暴行の経緯」について、疑問を呈した》

 代理人弁護士「(弁護側の主張は)まったく不合理で、ひどく殴る理由はない。被告の供述はもともと信用していないが、仮に供述を前提としても、『関係を修復したい』としながら、顔を殴る行為はまったく合理的でない」

 《市橋被告は7日の被告人質問で「リンゼイさんを強姦した後、人間関係を作ったら、許してもらえるんじゃないかと思いました」と証言している》

 代理人弁護士「犯行現場の玄関にあった被告とリンゼイさんの靴には、リンゼイさんの血痕が残されています。コートにも残されています。(血痕が付着する)タイミングとして考えられるのはいつでしょうか」

 《代理人弁護士はこう訴え、リンゼイさんへの殴打が強姦時に行われたとする検察側の主張を支持した》

 《代理人弁護士は、リンゼイさんを拘束するために使用された結束バンドについても言及。リンゼイさんが身長176センチ、体重63キロで、女性としては大柄だったことを挙げ、「(バンドで拘束するために)どうやって自由を奪ったのか」と述べた》

 代理人弁護士「両親は日々の公判終了後、ホテルに帰りミーティングをして、分からなかった点について話し合っています」
 「足首を拘束したバンドについても、30センチの結束バンドが輪っかにされていたが、その理由について説明はない。小さな(30センチの)バンド1つで両手首を連結(拘束)することは簡単にできるのでしょうか。協力的であるか、動かない状態でなければできません」

 《代理人弁護士は、裁判員らに対し、残された物証や市橋被告の供述をもう一度精査するよう、疑問形で言葉を投げ掛ける》

 代理人弁護士「(結束バンドがあった)収納棚は床から、高いところにあった。片手でリンゼイさんを押さえて、バンドを取ることは不可能です。リンゼイさんが無抵抗でなければ...。説明が不自然です。さらに前の年に買った結束バンドを急に使うことも不自然です」
 「(リンゼイさんの顔を巻いた)粘着テープも、コンドームなどの重要な物証とともに捨てられていました。時間が経過すれば、(ゴミとして出されて)捨てられていた可能性もある。これは(市橋被告が)重要だったと考えていたことにほかならない」

 《代理人弁護士は室内にあったリンゼイさんの尿斑(尿の跡)にも言及した》

 代理人弁護士「尿斑はパンティーやタイツ、スカートなど股間部分に集中してあった。これは服を着たままで失禁して...」

 《「異議あり」。ここで、市橋被告の弁護人が大声を上げた。弁護側は公判前整理手続きで、尿斑と強姦の関係性について検察側が立証しないと決定したことを挙げ、尿斑についての意見陳述をやめるよう主張した》

 《弁護側は「検察官、いかがですか」などと挑発。検察官が「証拠に入っているでしょ」などと応じたところで、堀田真哉裁判長が「直接議論しないで」と両者をいさめた》
  《堀田裁判長は陪席の裁判官らと協議し、「理由がない」として弁護側の主張を退けた。リンゼイさんの母、ジュリアさんが大きくうなずいた。代理人弁護士は こうしたやり取りの後、リンゼイさんがマットレスに寝かされた状態で用を足したと市橋被告が説明している点に触れた上で、次のように続けた》

 代理人弁護士「リンゼイさんは事件後、トイレに行きたいと言って(トイレに)行っている。(市橋被告の説明は)極めて不自然で、つじつま合わせだ」

 《代理人弁護士は「これから遺族が考える事件の真相を説明する」と宣言。意見陳述を続けていく》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(8)】
「日本の正義を示せ」「最高刑を」遺族の思いを代弁

 (15:10~15:30)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホー カーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、リンゼ イさんの遺族の男性代理人弁護士の意見陳述が続いている。遺族が考える「事件の真相」とは一体なんなのだろうか》

 《これまでの公判では、市橋被告に犯行の計画性がなかったことを主張してきた弁護側。これに対し代理人弁護士は、事前の準備の状況や悪質性を指摘していく。代理人弁護士は左手に原稿用紙を持ち、主に裁判官や裁判員の方を見ながら訴えかけるように話している》

 代理人弁護士「リンゼイさんを自宅マンションに誘い込んだ状況についてお話しします。市橋被告はレッスンのお金を忘れたことを口実にリンゼイさんをタクシーに連れ込み、自宅に向かいました」
 「しかし、この時持っていたカバンには、現金3万円が入っていた。つまり、現金は所持していたのに、誘い込んだと認められるのです」
 「また、タクシーの運転手に『4、5分ここにいてくれ』という趣旨の話をしています。弁護側はこれをもって計画性がなかったと言うかもしれないが、これはリンゼイさんを安心させるための発言でしかありません」

 《語気を強め、市橋被告の悪質性を指摘する代理人弁護士。市橋被告はずっとうつむいたまま話を聞いている》

 《続いて、代理人弁護士は遺族の考える事件の"真相"について語り始めた》

 代理人弁護士「市橋被告は自宅に入り、すぐにリンゼイさんを押し倒しました。そして、げんこつなどで顔面を殴打したのです。空手サークルなどに入っていた市橋被告は抵抗を奪うのに十分な力がありました」
  「あらかじめ結んでいた結束バンドを手錠のように使い、左右の手に順次、はめました。そうやって、リンゼイさんの自由を奪った上で、手やはさみで上半身の 服を破りました。その後、あらかじめ用意したコンドームを付け、1枚1枚服を破り、陵辱(りょうじょく)の限りを尽くしたのです」

 《代理人弁護士の陳述は次に、争点となっている「殺意」の有無へと移る》

  代理人弁護士「鑑定医の証言から少なくとも3分間、気道を絞めるのに十分な圧力をかけたのは明らかです。また、被告は『大声を出して近所の人に通報される ことを懸念した』と証言しています。遺族としては事件の真実を(市橋被告が)十分に話しているとは思えないが、現時点で出ている証言を元にしても、殺意を 認定できます」

 《遺族の思いが語られる間、リンゼイさんの父のウィリアムさんと母のジュリアさんは表情の変化を見逃さないようにと、じっと市橋被告をにらみ付けている》

 《ここで代理人弁護士は少し話のテンポを緩め、裁判員たちに語りかけるように話し始めた》

 代理人弁護士「さて、ここで裁判官、裁判員の皆さんには、この裁判の主人公が誰か考えていただきたい。この裁判の主人公はリンゼイさんです」
 「ご遺体の写真をもう一度見てください。リンゼイさんがどんな気持ちだったか考えてください。拘束される苦しみ、辱められる悔しさ、逃げようとしても逃げられず、誰も助けに来ないと感じた絶望感...」

 《代理人弁護士は一瞬、市橋被告をにらみ付けた。だが、市橋被告はうつむいたまま微動だにしない。代理人弁護士は意見陳述を続ける》

 代理人弁護士「リンゼイさんは将来のある美しい女性でした。きちんと仕事をして独立し、たくさんの友人を作るなど快活な女性だった。結婚して子供を持つという夢もありました。その夢を被告人は一瞬で打ち破ったのです」
 「生きていたら家族や子供たちと充実した暮らしを過ごしていたことでしょう。それを奪われたリンゼイさんの気持ちを一番に考えてほしいです」

 《続いて、事件後の家族の状況について説明が始まった。ウィリアムさんは鬱(うつ)病と診断され、ジュリアさんも事件のトラウマでバスタブに入れなくなっているという。周囲から好奇の目で見られることも、精神的に大きな負担になっていることが明らかにされた》

 代理人弁護士「英国で平凡な生活を繰り返していたリンゼイさんの家族の生活は大きく変わりました。ウィリアムさんはいまも鬱病の診断を受けています。親として...」

 《ここで一瞬、涙で言葉をつまらせる男性代理人弁護士。すぐに「すいません」と仕切り直し、意見陳述を続けた》

 代理人弁護士「親として日本に行かせたことを悔いています。家族は敬虔(けいけん)なクリスチャンだったが、神さえも信じることができなくなったのです」

 《続いて、市橋被告の犯行後の動きについて意見が述べられる》

 代理人弁護士「生ゴミ発酵推進剤や脱臭炭、園芸用の土をかぶせている。結束バンドなども処分しようとするなど証拠隠滅を図り、警察が自宅を訪れると逃走した。その後、2年7カ月もひたすら逃亡を続けており卑怯(ひきょう)で身勝手極まりなく、厳しく追及されるべきです」
 「この公判が始まったとき、被告人は土下座しました。私たちも見ました。しかし遺族は、これが裁判戦略の陳腐な演技と受けとめています」
 「謝罪の気持ちがあれば、まず逃げないでしょう。逃げ続けることをしないでしょう。逮捕されたら謝罪するはずでしょう。謝罪の機会があったのにしていない。黙秘も続け捜査に協力しなかった。この公判でも刑事責任を軽くすることしか考えていないのです」

  《市橋被告は逃亡生活などを記した本の印税を被害者弁償にあてる意向だが、両親は代理人弁護士を通じてあらためて受け取る意思がないことを表明。市橋被告 のこの意向は「リンゼイさんを殺した結果得た金で弁償するということであり、非人間性を示すもの」と厳しく指摘した。その上で、「市橋被告に有利な証拠と して一切考慮しないでほしい」と訴えた》

 代理人弁護士「この裁判は、日本と英国で非常に注目されています。適正な刑罰を示し、日本に正義があることを示すべきです。遺族としては、最高刑を求めます」

 《遺族の代理人弁護士の意見陳述が終わり、再び休廷が宣告される。再開は15分後の午後3時45分の予定で弁護側の弁論に入る》

 《予定よりも進行が遅れている論告求刑公判。裁判員たちは、少し疲れた表情で退廷していった》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(9)】
結束バンド、粘着テープ...「争点に関係ない」裁判員に冷静対応呼びかける弁護人

 (15:45~16:13)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は約15分の休憩を挟み再開。弁護側の最終弁論が始まる》

 《男性弁護士はゆっくりと証言台に移動。検察席から論告を読み上げた検察側とは対照的に、裁判員に視線を向けゆっくりと話し始めた》

 弁護人「弁護側の最終的な意見を申し上げる前に、2つだけ気をつけてほしいことがあります」
 「7月4日から今日の午前まで審理が行われ、そこで出たほとんどの内容は証拠となります。気をつけてほしいのは、先ほど行われた被害者遺族代理人の意見です」
 「これは遺族の考える真相と説明がありました。証拠に基づくものではない、と私は感じました。何が争点なのか、見失わないでください。皆さんのミッション、任務は非常に重要です。証拠に基づき、被告がどのような犯罪で処罰を受けるのか、判断してください」

 《男性弁護人は、弁護側が(1)強姦(2)傷害致死(3)死体遺棄-の罪について認めており、検察側が(1)と(2)について強姦致死、殺人罪の適用を主張していることについてあらためて説明。その上で、再び裁判員に視線を向けた》

 弁護人「刑事裁判のルールで、検察側には主張を立証する義務があります。『どちらが正しいか』ではなく、検察側の主張する強姦致死、殺人が『公判の証拠で認められるか』。それを判断するのが、皆さんの任務になります」

 「被害者代理人弁護士の意見は、争点から外れています。結束バンドや粘着テープを利用し女性を乱暴する、それは卑劣な行為だと弁護人も考えます。 しかし、結束バンド、粘着テープで首を絞めたなら争点になりますが、直接は関係ありません。皆さんの頭脳を混乱させるようなことはあってはなりません」

 《「皆さん」と、常に裁判員への呼びかけに注意を払う男性弁護人。検察側の主張骨子をあらためて説明した後、反論に入っていく》

 《市橋被告はうつぶせのリンゼイさんに覆いかぶさり、リンゼイさんの首の下に入った左腕で首を圧迫したとされる。検察側はリンゼイさんの司法解剖を担当した医師の証言で「少なくとも3分」以上圧迫が続いたことが立証され、市橋被告の殺意を裏付けると主張している》

 《医師は窒息が始まってから死ぬまでを4期に分け、1期(~1分)症状が出ない▽2期(1~3分)呼吸困難、失禁▽3期(3~4分)呼吸ができなくなり、血圧が下がる-などと説明していた》

 《男性弁護人は証人尋問での医師の証言について「真摯(しんし)な説明で、信用性が高い」と持ち上げた後、圧迫時間についての主張を始めた》

 弁護人「医師は2期の後半ならば蘇生(そせい)しないと、法医学者として証言されました。個体差もあり曖昧だが、弁護側は2期の後半を2分程度と理解しました。2分程度を過ぎれば、今回のような(窒息死に至る)事態は起こりうるのです」

 《圧迫時間について、検察側は「少なくとも3分以上」と主張、市橋被告は「1分程度」と答えていたが、弁護側は間をとって殺意についての検察側の立証を弱める方針のようだ》

 《男性弁護人はさらに、医師の所見結果から、リンゼイさんの首の前面には圧迫の跡があったものの、左右の頸(けい)動脈は圧迫されなかった可能性があることを強調。圧迫の「偶発性」を主張した》

 《男性弁護人はリンゼイさんの死後に市橋被告が行ったとする心臓マッサージについても、検察側の「肋骨(ろっこつ)が折れるなど、マッサージを施した際に現れる変化がない」とする主張に反論する》

 弁護人「肋骨が折れるほどの強い心臓マッサージでないと、蘇生はしない。しかし、それができるのは専門家で、素人が慌てて胸を押しても、折れるほど強くは押せません。肋骨が折れていないから、マッサージをしていない、という主張には無理があります」

 《市橋被告が殴るなどしてリンゼイさんに抵抗できなくさせた後、乱暴に及んだとする検察側の主張についても、男性弁護人は医師の証言を"逆利用"し反論していく》

  弁護人「また、医師はどういう順序で傷ができたのか、『特定できない』と正直に話しています。衣服が切られたり、結束バンドで縛られたり、暴行を受けたり したことが、(市橋被告がリンゼイさんを乱暴した平成19年3月25日)午前10時に同時に行われたのかどうか、医師の証言では立証できませんでした」

 《男性弁護人は裁判員を見上げ、続けた》

 弁護人「医師の証言で立証されたのは、頸部が3分程度圧迫され、窒息死したということ。検察のその他の主張は、ほとんど何も立証されていません」

 《男性弁護人は、自信たっぷりに自らの主張を続けていく。6人の裁判員は腕を組んだり、あごに手を当てたりしながら真剣なまなざしで話を聞いている》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(10)】
「事件当時から見れば、反省の態度は増している」弁護人、情に訴え

 (16:13~16:47)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦 (ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、弁護側の最終弁論が続いている。男性弁護人は証言台 に立ち、裁判官、裁判員と向かい合うような形で主張する》

 弁護人「玄関の靴に付着していたリンゼイさんの血痕ですが、検察側は玄関でリンゼイさんが全身をぶつけたとしています。しかし、鑑定医の証言では外に血が出るような傷はなかったということです」
 「検察側が言うように、市橋被告が(玄関で強姦した19年3月25日)朝10時ごろに顔や全身を殴打したのではなく、26日午前2時から3時に遺体と浴槽を風呂場に運ぶときについた可能性があります。立証責任は検察にあるので、われわれは疑問を挟むことで十分です」

 《弁護人はさらに、検察側の「強姦の発覚を恐れてリンゼイさんを殺害した」という動機に関する主張についても「本当にそうなのでしょうか」と疑問を呈する》

 弁護人「事件当日、(市橋被告の)部屋にいたのは2人だけです。そのことをほかの人が知らなければ、検察側が言うように、殺害によって(犯罪の)発覚を防ぐことができるかもしれません」

 《弁護人は、市橋被告が3月21日未明にリンゼイさんを追いかけて自宅まで上がり込み、同居していた外国人女性の○○さん(法廷では実名)とも顔を合わせていたことを指摘し、持論を展開する》

 弁護人「(○○さんがいる場で)市橋被告はリンゼイさんの似顔絵を描き、紙に電話番号、メールドレスを書いて渡しました。(事件当日の)3月25 日に市橋被告がリンゼイさんと個人レッスンをやることも知られていました。だからリンゼイさんを殺害しても、(強姦の)犯行の発覚を防ぐことにはなりませ ん」

 《○○さんらが26日、警察に捜索願を出した際、市橋被告の連絡先が書かれたメモを同時に渡したことから、市橋被告の特定が進んだ》

 弁護人「(犯行の発覚を防ぐためという)殺害動機は常識的にみて、あり得ないんじゃないですか、と言いたいです。市橋被告の供述では強姦の後、殺害の意志はなく、リンゼイさんに許してもらおうと、4畳半の和室に連れて行っています」

 《向かって左から3番目の男性裁判員は熱心にメモをとり続ける》

  弁護人「検察側は市橋被告が25日から26日夕にかけて頸部(けいぶ)圧迫により、リンゼイさんを殺害したとしています。しかし、その間に何があったの か、どういうことで亡くなったのかについて検察側は一切明らかにしていません。それっていいんでしょうかね? あまりにも無責任です」

 《ここで堀田真哉裁判長が弁護側が予定よりも長く最終弁論を行っていることを指摘。弁護人は「あと15分程度で終わります」と答える》

 弁護人「リンゼイさんは浴槽の中で裸になり、足を拘束されており、全身に傷がありました。警察は容疑者の暴行で死亡したという見方で捜査をしました」
 「この事件の特徴は市橋被告とリンゼイさんしか事実を知らず、リンゼイさんが亡くなっていることから、市橋被告しか話す人間がいないということです。しかし、警察は市橋被告を取り逃がしました」
 「市橋被告が強姦し、さらに頸部圧迫で殺害したというのは捜査側のストーリーで、その間(強姦から殺害まで)のことについては一切解明されていません。それが捜査の問題です」

 《弁護側は、市橋被告が事件直前にタクシーでリンゼイさんを自宅近くまで連れて行き、タクシー運転手に「5、6分待ってほしい」と言っている点から、犯行に計画性がなかったことを主張。さらに最大の争点である殺意についてもあらためて否定した》

  弁護人「リンゼイさんが大声を上げ、はって出ようとするところを見て焦り、覆いかぶさるようにして押さえつけました。鑑定の証言でも、こうした行為で頸部 が圧迫されることもあり得るとのことでした。殺意を持ってしたことではないとあらためて申し上げたいです。市橋被告は心臓マッサージもしています」

 《弁護人は裁判員たちを見つめ、ゆっくりとした口調で続けた》

 弁護人「皆さんには重要な任務があります。やっていないことで人が処罰されることを防ぐことです。検察の主張が『間違いない』と確信できるまで立証されているかを判断して下さい。殺意について『間違いない』と立証できていません」

 《弁護人は強姦致死、殺人、死体遺棄罪の成立を前提とした無期懲役の求刑に反対し、強姦、傷害致死、死体遺棄罪が相当とする従来の意見を述べた》

 弁護人「市橋被告の反省の態度について、検察官や遺族から批判的な意見もありますが、法廷での市橋被告の言葉を聞いてもらえれば分かります。事件当時から見れば、反省の態度は増しています。市橋被告は元々は普通の学生で、最初から悪い人ではありませんでした」

 《検察側の後ろに座るリンゼイさんの母、ジュリアさんは「やりきれない」という表情を見せながら、隣に座る父、ウィリアムさんの背中をさすった》

 弁護人「逃走を非難されても仕方ないです。犯人は逃走、証拠を隠滅する可能性があります。良いことではないですが、法的には処罰されません。助けた人は処罰されますが...。逃げた犯人を非難することはできますが、非難する上で大きな要素と捉えるべきではありません」

 《弁護人は「ご両親は娘さんを亡くされ、大変な思いをされましたが、処罰感情だけで判断されるものではない。今回は犯情の悪い事件には該当しない」と述べ、意見陳述を締めくくった。続いて、市橋被告の最終陳述が行われる》



【英国女性殺害 市橋被告求刑(11)完】
「苦しんで考えながら私の残りの人生を終わらせる」 裁判長に頭を20秒下げ続ける

 (16:47~17:00)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判。弁護側の最終弁論が終了し、ついに市橋被告の最終陳述が始まる》
 《堀田真哉裁判長が「それでは証言台の前に来てください」と市橋被告に起立を促した。証言台に立った市橋被告はこれまでの公判と同様、うつむいたままだ》

  被告「この裁判の裁判官の方々、裁判員の方々、そしてリンゼイさんのご家族の方に事件の日、何があったか、そして私がリンゼイさんを殺そうと思ったり、死 んでもいいと思ったことがなかったことを、私がしたことは許されませんが、その2つはお話しすべきだと思ってお話ししました」

 《言葉を区切りながら、思いを述べた市橋被告。これまでの公判で主張したように、あらためて「殺意」がなかったことを強調した》

 被告「しかし、リンゼイさんに怖い思いをさせて、痛い思い、苦しい思いをさせて死なせてしまったのは私であり、リンゼイさんのご家族の人生、幸せを壊したのは私で、私が何をしようと許されることではありません」

 《市橋被告はこの日の被告人質問で、リンゼイさんの苦しみについて、逃走中に過酷な労働を続けた際に初めて考えたと述べている》

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは背筋を伸ばして口を真一文字にした後、ため息をついた》

 被告「裁判の中でリンゼイさんのご家族の話を聞きました。(千葉大時代の恩師の)本山(直樹)先生や(大学の卒業研究の指導教授だった)◇◇先生(法廷では実名)の話も聞きました」

 「私の中には問題があります。私の中は自分勝手であふれていて、自分勝手な行為をしておいて、責任に向かい合おうとしない。責任を取ろうとしない。その都度、その都度ごまかしていこうとすることがこの事件につながったと思います」

 《市橋被告は11日の被告人質問で弁護側から逃亡が2年7カ月に及んだ理由や事件を起こした理由を聞かれ、すでに同様の説明をしている》

  被告「私の問題点とリンゼイさんのご家族が、この先どんな気持ちで苦しまれ、生活されるのか、リンゼイさんが怖い思いの中で苦しんで亡くなられたときの気 持ち、これらのことを苦しくても、これからずっと、考え続けていくことを、そのことをずっと苦しんで考え続けながら、私の残りの人生を終わらせること、そ れが私が犯した罪に対する償いと考えています」

 《市橋被告はたどたどしく言葉を続ける。証言台の前に立ち、こぶしを握りしめ、声を震わせた》

 被告「逃げている間、働きました。そのとき感じたことは人の命が一番ということです。本当に、本当に申し訳ありませんでした」

 《市橋被告はこう言い終えると、約20秒間にわたって堀田裁判長らに対して深々と頭を下げ続けた。リンゼイさんの父親のウィリアムさんらは体を震わせる市橋被告を淡々とした様子で見つめていた》

 《市橋被告が最終陳述を終えたことで、6日間に及んだ審理は結審した。裁判官と裁判員による評議を経て、判決は21日午後2時半から言い渡される》

 《市橋被告の退廷後、リンゼイさんの母、ジュリアさんは通訳を務めた女性とハグ(抱き合うこと)し、労をねぎらっていた》

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英国女性殺害 判決(2011年07月21日)

【英国女性殺害 市橋被告判決(1)】
求刑通り...被告は無反応、リンゼイさん両親は目に涙

 (14:30~14:40)

 《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時 (22)=を殺害したとして、殺人などの罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の判決公判が21日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まっ た。逮捕されるまで2年7カ月も逃亡生活を続けるなど国内外で注目を集めた事件の判決。検察側は無期懲役を求刑しているが、6人の裁判員とプロの裁判官3 人はどういう量刑判断を下すのか》

 《4日から12日まで計6日間にわたって開かれた公判では、最大の争点である殺意の有無をめぐり、検察側と弁護側が激しく対立した》

 《検察側は論告で、市橋被告がリンゼイさんの首を少なくとも3分以上圧迫したと指摘し、明確な殺意があったと主張。動機は「生きて帰せば強姦がばれると思ったから」とし、殺人と強姦致死罪が成立するとして無期懲役を求刑した》

 《一方の弁護側は「逃げようとしたリンゼイさんを押さえているうちに腕が首に入った」として「偶発的な死」を主張。乱暴から死亡までの時間が開いていることを踏まえ、傷害致死と強姦罪の適用を求めた》

 《こうした争点に加え、市橋被告の反省ぶりなど情状面や、証人、被害者参加人として公判に参加したリンゼイさんの両親の強い処罰感情も、裁判員らの量刑判断のポイントとなる》

 《市橋被告は初公判でリンゼイさんの両親に土下座して謝罪。最終陳述では、改めて殺意を否定しつつも、「何をしても許されない」「私の中は自分勝 手であふれていた」「その都度ごまかしていこうとすることがこの事件につながった」などと涙で身を震わせながら反省の弁を連ねた》

 《リンゼイさんの両親は意見陳述などで、こうした市橋被告の主張や態度について、「少しでも刑を軽くするための虚偽のストーリー」「証言は計算されつくし、リハーサルされたもので、彼は悔いていない」などと強く非難。「法律上許される最高刑で処罰してほしい」と訴えた》

 《今回の裁判員は補充裁判員を含めて全員男性。女性裁判官1人を含む3人の裁判官とともに市橋被告をどう裁くのだろうか》

 《法廷は千葉地裁最大の201号。傍聴席はほぼ満席だ。午後2時34分、リンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんが入廷し、検察官席の後ろに着席した。リンゼイさんの姉妹も入廷し、傍聴席の最前列に座った》

 《起訴状によると、市橋被告は19年3月25日ごろ、自宅マンションでリンゼイさんの顔を何度も殴り、両手などをテープで縛って乱暴した上、首を絞めて殺害。同26日ごろ、リンゼイさんの遺体をベランダの浴槽に入れて土で埋めるなどして遺棄したとされる》

 《午後2時35分、堀田裁判長の指示で市橋被告が、向かって左側の扉から入ってきた。黒い長袖シャツに黒いズボン姿。髪は長くぼさぼさで、一部が 前に垂れ下がっている。これまで同様、うつむき気味で表情は暗く憔悴(しょうすい)しきった様子だ。リンゼイさんの両親に一礼した後、証言台の後方にある 長いすに座った》

 《裁判員6人も入廷し、法廷内の全員が起立、一礼をした後の午後2時36分、堀田裁判長が声を上げた》

 裁判長「それでは開廷いたします。被告人は証言台の前に来てください」

 《市橋被告は無言で立ち上がり、証言台の前にゆっくり歩み出た。手を前にぶらっとさせ、緊張した様子だ。裁判員6人も、市橋被告に視線を集中させる。堀田裁判長が続ける》

 裁判長「市橋達也被告人ですね」
 被告「はい」

 《小さい声で答える市橋被告》

 堀田裁判長「それでは、あなたに対する判決を言い渡します」

 《市橋被告は緊張しているのか、反応しない》

 《無期懲役か有期刑か。静寂に包まれた法廷内に緊張が走る。市橋被告はうつむいたままだ》

 裁判長「主文。被告人を無期懲役に処する。未決勾留日数中370日をその刑に算入する」

 《堀田裁判長の主文読み上げが終了すると同時に傍聴席の一部の報道陣は一斉に立ち上がり、速報を伝えるため慌ただしく法廷から飛び出していった》

 《傍聴席から市橋被告の表情をうかがい知ることはできないが、主文言い渡しの瞬間、市橋被告は微動だにしなかった》

 《リンゼイさんの両親の男性代理人弁護士は「当然だ」といった表情で何度もうなずき、ウィリアムさんに主文の中身を説明しているようだ。ウィリアムさんとジュリアさんは、女性通訳を介し、主文の中身を理解したのか、みるみる目に涙がたまっていった》

 《裁判員たちは一様に険しい表情で、市橋被告を見つめている》

 裁判長「もう一度言うと、被告人を無期懲役に処する。未決勾留日数中370日をその刑に算入する」

 《堀田裁判長は、間を置かずに続ける》

 「以下、理由を述べますので、そこに座って聞いてください」

 《報道陣の出入りで、傍聴席が少しざわつく中、堀田裁判長による判決理由の読み上げが始まった》



【英国女性殺害 市橋被告判決(2)】
「強姦時の供述、信用性低い」殺意認定 被告の主張、次々と否定

 (14:40~15:05)

 《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事 件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の判決公判で、堀田真哉裁判長が判決理由の読み上げを 開始。裁判所が認定した事実について説明していく》

 裁判長「3月25日、被告方でリンゼイさんの顔に打撃を加え、結束バンドで両手首、両 足首を拘束して抑圧し、強いて姦淫をした。26日ごろまでに殺意をもって被害者の頸部(けいぶ)を圧迫して殺害し、リンゼイさんの遺体を浴槽に入れて土を 入れた。以上の事実について証拠によって認定します」

 《最大の争点となっていた殺意の有無について、検察側の主張が受け入れられたことになる。検察側の後ろに座るリンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんは目に涙をため、手で拭う》

 《堀田裁判長は「判断について説明します」と述べ、強姦時の状況に関する争点について言及する。検察側は市橋被告がリンゼイさんを強姦する際、顔を殴打した上で結束バンドや粘着テープで手首を縛り、強姦したと主張。弁護側は強姦時は殴打していないと反論していた》

 裁判長「被告は3月25日午前9時54分ごろ、玄関付近でリンゼイさんを押し倒した。上から抑えつけ、両手首、両足首を結束バンドで拘束した」

 《堀田裁判長は結束バンドの大きさは45センチ、30センチで、結束バンドで手首、足首を拘束するのに手間がかかることを指摘した上で読み上げを続ける》

 裁判長「リンゼイさんが少しでも抵抗したら、拘束は困難である。被告がリンゼイさんを拘束する際、リンゼイさんが抵抗できなかったと推認される」
  「遺体の顔、胸部、腹部などに鈍体により形成された皮下出血が多く残されていた。リンゼイさんが強姦されそうになったとき、激しく抵抗することは常識的に 考えられ、被告がリンゼイさんの(傷の程度が重かった)右目を強い力で殴るなど、全身に暴行を加えたと考えるのが自然だ」

 《女性通訳の言葉に耳を傾けながらウィリアムさんとジュリアさんは互いの顔を見て、うなずき合った。傍聴席に背を向けた状態で座る市橋被告に動きはない》

  裁判長「被告は『強姦の際は殴っておらず、上から抑えつけて数分間もみ合いになり、被害者が疲れたからか抵抗しなくなったため、服を脱がせ、結束バンドで 拘束した』と供述している。2人に大きな体格差がなかったことなどを考えると、被害者は驚愕(きょうがく)と恐怖で抵抗できなくなったと考えられる」

  《「驚愕」「恐怖」の言葉が通訳され、ジュリアさんは顔をゆがめて、うつむいた。堀田裁判長は市橋被告がリンゼイさんのコートの袖を強姦時に手で破り、リ ンゼイさんが死亡した後にカーディガンをハサミで切断したと述べていることについて明確な説明をしていないことなどを指摘した上で、こう述べた》

 裁判長「被告の強姦時に関する供述は信用性が低い」

 《さらに堀田裁判長は市橋被告の暴行に関する供述についても疑問を呈していく》

 裁判長「被告は顔を殴ったことについてはリンゼイさんを強姦した後に拘束した状態で4・5畳の和室に連れて行き、リンゼイさんに『たばこを吸いたい』などと言われてイライラし、『私を帰さないと大変なことになる』と言われてカッとなり、殴ったと供述している」

  「被告は『リンゼイさんと人間関係を築いて許してもらいたかった』と述べていたのに、『リンゼイさんから帰さないと大変なことになると言われて殴った』と いうのは理解しがたい。強姦の際にリンゼイさんに抵抗された時には殴らず、拘束されて抵抗できないリンゼイさんを殴ったという供述は一貫性を欠いており、 信用できない」

 《静かな口調で弁護側の主張を次々と退けていく堀田裁判長。右から3番目の男性裁判員も厳しい視線を市橋被告に向ける》

 裁判長「被告が強姦の手段として顔面に打撃を加えたと推認できる。傷から手の拳による打撃と考えることもできるが、足で蹴ることも想定できるため、打撃の方法は特定できない」

 《判決の読み上げが続くが、市橋被告の背中は微動だにしない》



【英国女性殺害 市橋被告判決(3)】
「頸部圧迫3分以上...明確な殺意」 動機は「発覚を恐れたため」

 (15:05~15:45)

 《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん) 致死、死体遺棄の罪に問われ、無期懲役を言い渡された無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の判決公判。堀田真哉裁判長が判決理由の読み上げを続けてい る。市橋被告は微動だにせず正面を見つめている》

 《リンゼイさんが市橋被告の部屋を訪ねたときに何があったのか、堀田裁判長は一つ一つ、検察側と弁護側の主張を確認しながら、証拠や証人の証言を基に事実認定の説明をしていく》

 裁判長「頸部(けいぶ)圧迫について、証拠によれば、頸部圧迫は明らかであり、リンゼイさんは顔面や体に多数のけがを負っていた。リンゼイさんの抵抗があったと常識的に考えられる」

 《弁護側は、市橋被告が逃げようとしたリンゼイさんの抵抗を抑えようとした結果、偶発的に首を絞めてリンゼイさんを死なせたと主張している》

  裁判長「証人(遺体を司法解剖した女性鑑定医)はリンゼイさんが死に至るまでには、数分以上の圧迫が必要で、頸部圧迫の痕は複数回なかったと証言してい る。リンゼイさんが部屋に入って間もない状況で殺害されたと考えるよりは、多数の粘着テープ片や(輪になった)結束バンドが見つかっていることから、強姦 の後で、何回も(粘着テープ片や輪になった結束バンドを)作り、使用できる、強姦できる状況があったと考えられる。リンゼイさんが部屋に入ってから、(リ ンゼイさんが)比較的長い時間を生きていたと考えるのは合理的である」

 《弁護側は強姦致死罪について、強姦から死亡までの時間が開いているため成立しないとして、検察側の主張に反論している》

 裁判長「そして(弁護側は)市橋被告はリンゼイさんを強姦するときに首を絞めてはいないと言っている」

 《市橋被告はリンゼイさん殺害について、寝て起きたらリンゼイさんが拘束を解いていて、市橋被告に殴りかかって逃げようとしたので、必死に抵抗を抑えこんでいたら、リンゼイさんが動かなくなったと証言している》

  裁判長「リンゼイさんが3月26日の午前2時から3時くらいまで生きていたとする弁護側の主張は、複数の粘着テープ片や結束バンドが発見されていること、 『ワルファリン』などの用語を(25日)午後11時半から(26日)午前0時半まで調べていたということと矛盾しない」

 《「ワルファリン」は市橋被告がリンゼイさんの求めに応じて、パソコンで検索していたとされるリンゼイさんの持病の薬だ》

 裁判長「リンゼイさんの遺体発見状況を考えると、強姦の際に、市橋被告が頸部を圧迫していないという主張と矛盾しない」
 「以上、前述をまとめると、市橋被告はリンゼイさんが部屋に入って間もなく、右目の周りなどにかなり強い力を加え、粘着テープや結束バンドで拘束、強姦した」

 《強姦時の事実認定の説明を終えた堀田裁判長は、続いて殺意の有無についての理由を述べていく》

 「女性鑑定医は、頸部圧迫を3分以上続けないと、死には至らないと証言している。気管など首を絞めるとリンゼイさんが死ぬということは、市橋被告は十分認識できたと考えられる」
 「市橋被告は『大声を出しながら逃げるリンゼイさんを止めようとした』『感覚的には1分間』などと供述している。しかし、女性鑑定医によると、そのようなことでは窒息死には至らない」

 《堀田裁判長は、市橋被告の供述は信用できないとした上で、リンゼイさんの首の輪状軟骨が折れていたことなどから、相当程度の強い力が3分間以上掛かっていたとされると付け加え、こう結論づけた》

 裁判長「少なくとも3分以上、市橋被告には明確な殺意があったと認定される」

 《続いて、堀田裁判長は市橋被告のリンゼイさん殺害の動機について説明していく》

 裁判長「市橋被告はリンゼイさんを強姦し、拘束して相当の時間とどめておいた。そして、強姦が発覚しないよう、対応に窮していた。そういう時に、リンゼイさんが大声をあげて逃げ出そうとしたことで、他の住人にばれるのではないかと考えた市橋被告には殺害の動機があった」

 《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは市橋被告をにらみつけている。市橋被告は正面を向いたままだ》



【英国女性殺害 市橋被告判決(4)完】
再び土下座しようとするも...鬼の形相で父、リンゼイさんの写真向け続ける

 (15:45~16:05)

 《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事 件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の判決公判。堀田真哉裁判長が裁判所が認定した事実に ついて読み上げを続けている》

 裁判長「被告人は救急車を呼んでおらず、死亡を受け入れていたと考えられる。(リンゼイさんの)目の焦点が合っていないことから心臓マッサージや人工呼吸をしたというが、肋骨(ろっこつ)は折れておらず、救命に資するような行為とはいえない」

 《これまでの公判で、弁護側は「肋骨が折れるほどの強い心臓マッサージは専門家にしかできない」と反論していたが、裁判所はこの主張を退けた》

 裁判長「さらに救急車を呼んでおらず、心臓マッサージをしていたとしても、殺意がなかったとはいえない。頸部(けいぶ)圧迫時に殺意があったと認めることができる」

 《続いて堀田裁判長は、検察側と弁護側の間で争点となっていた強姦致死罪の適用について説明を続ける。検察側は強姦から、リンゼイさんが死亡するまでに時間差があったとしても、強姦致死罪が成立すると訴えてきた》

 裁判長「被告は19年3月25日午前9時45分過ぎに(市橋被告の自宅マンションに)リンゼイさんが入室後間もなく強姦した。発覚を恐れ、結束バ ンドで拘束し、4畳半の室内に置いた浴槽に入れた。翌26日午前2時か3時ごろ、リンゼイさんが逃げようとしたため頸部を圧迫した」
 「犯行の発覚を恐れて頸部を圧迫しており、強姦してから時間が経過している。強姦致死罪は成立せず、強姦罪が成立することになる」

 《この争点については、弁護側の主張が認められた》

 裁判長「本件では、証人や通訳の費用は被告人に負担させない。本件で、リンゼイさんは強姦され、人格を踏みにじられており、結果が重いということは言うに及ばない。22歳でさまざまな可能性があった。無念や苦しさは計り知れない」
 「傷は無残で暴行の激しさを物語っている。両足を結束して土の中に埋めており、人格に対する敬意は感じられない」

 《検察側は公判で、リンゼイさんの遺体を発見した警察官の供述調書を朗読。浴室の浴槽が外れていることに気付いた刑事らはベランダで浴槽を見つけたといい、供述調書によると「浴槽に詰まっていた土を軽くなでると、白い肌色の皮膚が見えた」という》

 裁判長「犯行態様は悪質。性欲を満たすために強姦し、発覚を恐れて殺害し、遺体を遺棄した。身勝手きわまりない」

 《通訳の女性が抑揚をつけて感情を込めて、堀田裁判長の読み上げを通訳する。リンゼイさんの母、ジュリアさんは父、ウィリアムさんの手をしっかりと握った》

 裁判長「被告は本件後、2年7カ月にわたって逃亡し、リンゼイさんの両親が来日したことを知っても意に介さず、整形して逃亡を続け、真相解明を妨げた」

 《公判では、2年7カ月の逃亡生活で、神戸や大阪の建設会社に偽名で勤務していたことや鼻などに整形手術をしていたことが明らかになっている。だが、公判上の争点となっておらず、細かな逃亡の経緯が最後まで明らかになることはなかった》

 裁判長「犯行後の様態も悪質で、遺族の悲嘆は言い表すことができず、峻烈な処罰感情がある」

 《堀田裁判長は遺族感情について言及し、市橋被告の態度を糾弾していく》

 裁判長「(市橋被告は)公判前整理手続きでも、客観的事実に反する不自然な供述をしている。本件に向き合おうとしていないと言わざるを得ず、真摯(しんし)な反省は感じられない」

 《市橋被告は初公判で、入廷直後にリンゼイさんの両親に向かっていきなり土下座している。裁判所にはこのような態度も"謝罪"とは映らなかったようだ》

 裁判長「被害弁償に逃亡生活を記した手記の利益を充てるなど、リンゼイさんの遺族に対する心情の配慮はない。刑事責任は非常に重いと言わざるを得ない」

 《堀田裁判長は、市橋被告に前科がないことや、32歳という若さで更生可能性が残されていることなど有利な情状についても説明した》

 裁判長「犯行態様は被害者に肉体的にも精神的にも苦痛を与えるなど悪質で、動機も身勝手だ。ただ、計画性はなく、殺意も極めて強固といえず、無期懲役が相当である」

 《被害者参加人として参加したリンゼイさんの両親は公判で、「法律上許される最高刑で処罰してほしい」と訴えていた。堀田裁判長はこの点について「心情は当然といえる」と一定の理解を示した》

 《午後4時過ぎ、堀田裁判長が閉廷を告げた。裁判所職員らが退廷を促すが、傍聴人や記者らは市橋被告の様子を見つめている》

 《証言台から立った市橋被告は、突然倒れ込もうとしたが、周囲の職員がそれを許さない。土下座しようとしたのだろうか》

 《ウィリアムさんは、スーツの胸ポケットからリンゼイさんの写真を取り出し、市橋被告に鬼の形相で向け続けた》

 《市橋被告は職員らに抱え込まれたまま、弱々しい足取りで法廷を後にした》

 《市橋被告の退廷後、ウィリアムさんはジュリアさんの胸元に顔を埋めた。顔を紅潮させ、泣いているようだった》

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市橋君が参加していたNABE-BBS掲示板

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yoshie - 04/06/28 23:45:34

コメント:
暑いっ。まったくもって、暑い

yoshie - 04/06/06 13:45:58

コメント:
akina~元気そうで、、、なにより!!
本日、machiko会です。千葉にて。なつかしの千葉・・・!!machikoの近況あとで報告するわ~

私は相変わらず元気です。

akina - 04/06/03 20:13:02

コメント:
福岡です。福岡フクオカ... 毎日仕事、まあまあ遅いけど、元気でやってるよー 7月か8月に実家に一度帰りたいなと思ってます。

aya - 04/05/11 21:42:49

コメント:
今週はなぜか月曜から週末並みの疲労度。。。あきな福岡行っちゃった(>_<) だんだん寂しくなっちゃうね。みんなと遊びたい!!とりあえず、けい&たかこのお家行かなくちゃ☆☆

管理人 - 04/05/10 22:34:26

コメント:
。。。テスト。。。

yoshie - 04/04/24 09:55:18

コメント:
moemi、初カキコ☆ 東京もこの間、28度とかだった~暑くなったよ。 yoko、1週間おつかれ~。 新人はまだまだヒヨコだからね~何かと覚えることとか、人付き合いとか大変だよね。
今日もちょっとHPいじろうかと思います。

yoko - 04/04/22 11:54:54

コメント:
今日は休みじゃ~!!一週間働いただけでしんどい。この先、心配だわ...。早くたかちゃんけいちゃん家に遊びに行きたいな♪

moemi - 04/04/20 14:55:12

コメント:
たかちゃん、けいちゃん引越しおつかれ!松戸に行ったときには遊びにいかせてね☆こっち(宮崎)はもう暖かくて、夏のようだよ・・。松戸はどんなんかなぁ?やっと部屋の片付けが終ってひと段落です。社会人のみんなは大変そうだね。未だ無職の私が言うのもなんだけど、頑張れぇぇぇ!南の方から応援しちょるよ。

yoshie - 04/04/17 13:09:37

コメント:
遊び行きたーい
土曜なんでぼんやりしてた、土日は基本的に暇吉。

aya - 04/04/14 22:00:48

コメント:
たかこんち(keiちゃんち??)行く!!社会人始まったけど、毎日勉強ばっかで全然実感わかないよ。。 でも、やっぱだるいね~。できることなら、働かずに生きていきたいもんだよ(>_<) みんな、遊んで~!!

たかこ - 04/04/13 18:06:04
電子メールアドレス:h-takao@ssea.plala.or.jp

コメント:
みんな社会人がんばってるみたいだね!雨研のことは校内でもかなり話題になってるみたい・・。ところで引っ越し18日になったよ。ぜひ遊びにきて!

yoshie - 04/04/07 21:22:45

コメント:
おお、コメント増えてて感激!私は4年生のときより、少々時間に余裕ができました。これから、時間をみつけて、HPの更新がんばります!
akinaは同期の人とまだまだ打ち解けていないのか・・・そうそう、これから!これから!私も同期の中では勉強が遅れているので、頑張らなきゃって思っているよ。
kaya~!千葉いるの今月末までなんだよね?一回松戸で飲みか食事会しようよ!
皆さん、4月はお酒の量と、ペースに気をつけましょうね!

あ!!雨研がなくなったの!!ショックです。

あきな - 04/04/05 23:53:32

コメント:
卒業旅行の写真みたよー。中華街とか行ったんだ?!楽しそう~。是非鍋会同窓会旅行には行きまする。
1日から仕事始まったね。未だ研修ばっかで退屈。早く実務に行きたいなぁ。
同期ともまだ打ち解けられず、ギクシャクしているがこれからこれから、と自分に言い聞かせて頑張るぞ!

kayakaya - 04/04/05 22:28:47

コメント:
はろう。みんな元気にしてますか? 4月になっちまったわね。ららー。不安と期待と。

yoshie - 04/03/28 02:16:42

コメント:
卒業式・卒業旅行、と、いい思い出ができました。みんな、今までありがとう。
鍋会forever!!

yoshie - 04/03/17 00:49:54

コメント:
ただいま!メキシコから昨日帰って来ました!
ayaのコメントの通り、とても楽しかったです。お土産は鍋会卒業旅行にて・・・。(幹事・yoko)

卒業式まであと少しですね。。。日々切なくなっております。

aya - 04/03/16 10:23:26

コメント:
メキシコ楽しかったよ~!!

管理人 - 04/02/26 11:40:04

コメント:
卒業旅行決定!
3/25~26の1泊です。詳細未定。予定だけ空けといてね!

aya - 04/02/24 20:46:05

コメント:
お疲れ様でした!!ホント、無事に終わってよかったよ。。あとは卒業式を待つのみv デザインの人はまだなんかあるのかな?? 学校行かなくなって、ちょっと寂しくなってきたよ。

yoshie - 04/02/23 03:26:07

コメント:
卒論、お疲れ様でした!

管理人 - 04/02/13 13:51:42

コメント:
最近、忙しすぎて放置してた!
あと、ひといきだね!!がんばろう!

aya - 04/02/01 13:17:34

コメント:
卒論まじしんどい。。。予定勘違いしてて明日からスノボ行くことにしちゃってた(><)がんばんなきゃ!! 卒業旅行メキシコ行きたい!!昨日ちょっと見たけどかなりキレイだったよ。

yoshie - 04/01/29 01:06:12

コメント:
ふう~~
卒論がマジ大変↓(T_T) ついに装置改良が終わり、実験に入りました。
実験自体は簡単(?)なので、後はせっせと書くのみ・・・☆

yoshie - 04/01/22 01:33:39

コメント:
おお!初書き込みの人が増えてて感激!

鍋会旅行、、、デザインの提出が変な時期だから、それ終わってからのほうがいいかな。
海外は行きたいっ、っていうか私は行きます。
akinaの言っていた新年会、、、やりたいね。忙しいけど何とかやりましょう!

akina - 04/01/21 22:30:05

コメント:
写真upされてるの見ました。思い出がよみがえる。
私も日程的に海外は難しいが温泉は行きたい!!
あと新年会もしたい!!

aya - 04/01/21 02:23:57

コメント:
間違えたよ(>_<) 温泉楽しみ♪海外旅行も参加したいゎ。メキシコ??とにかくみんなで旅行行くのが楽しみ☆☆ 
明日とりあえずゼミ発表↓
気合!!

aya - 04/01/21 02:19:52

コメント:


chiaki - 04/01/20 11:39:36
電子メールアドレス:chiakix320@hotmail.com

コメント:
初カキコだ!
温泉いいなあ。温泉、おんせん、オンセン♪
みんなでちょッ旅に行きたいっす。

なつつばき - 04/01/19 22:22:06

コメント:
こんにちわーーー。
仮提出がもうすぐですが、デザインは適当です。
これからちょこちょこチェックさせていただきます。 (なんせお気に入りにいれちゃったもん)

けい - 04/01/18 22:11:02

コメント:
はろりん。
卒業旅行良いね!でもちょっと3月の海外は 無理っぽい。ごめんよー。
そのぶん温泉がたのしみ じゃー。
って、温泉よね??私は温泉がいいわー!!

yoshie - 04/01/18 05:02:14

コメント:
test2

yoshie - 04/01/18 04:49:18

コメント:
テスト

yoshie - 04/01/18 04:11:22

コメント:
HPちょこっと更新リニューアルしました。
卒業旅行の件、意見おねがいしま~す。
っていうか、新年会はやろうやろう。

yoshie - 04/01/01 20:25:33

コメント:
あけまして、おめでとう!

yoshie - 03/12/28 21:46:12

コメント:
X'mas Party無事終わったね~~
楽しかったです!そして、Rpmの金さんに感謝!!
今回参加できなかった人もぜひ、新年会には参加してね。

by.管理人

akina - 03/12/24 22:41:32

コメント:
昨日はみんなありがとー!!
楽しかったよー。カラオケ最後までいられなくて残念だったけど...
22歳、いい年にしてみせます。頑張るぞー
そして残念なことにクリスマス会にいけなくなった。楽しみにしてたのに。
みんな存分に飲んで踊ってきてくださいな!

yoshie - 03/12/24 00:37:05

コメント:
Yoko Happy Birthday!!
フランス式庭園最後ちょっと寒かったけど、気持ちよかったね!Yokoが喜んでくれてよかった~。

Akina Happy Birthday!!
鍋会メンバーでは初(?)のカラオケ。楽しかった~。Akinaも喜んでくれてましたv

年末にでも写真upの予定。。。X'mas PARTYは楽しみね!!結局人数は20人強ぐらいかな。

akina - 03/12/21 22:05:45

コメント:
今日はヨウコのhappy birthday!! 久々にケーキなんて食べた。おいしかった。 25のクリスマスパーテーも楽しみにしてます。

nami - 03/12/14 21:17:46

コメント:
23日オッケイだよ☆
楽しみにしてるね!!

yoshie - 03/12/10 00:53:31

コメント:
22日は結構研究室の忘年会が入っているみたい。。。
23日に誕生会兼忘年会!?をやりますか?

意見おねがいしま~す。 by.管理人

ようこ - 03/12/09 23:25:23

コメント:
ホームページ見たよ!!すごいなぁ
クリスマスパーティ楽しみだべさ☆

takako - 03/12/09 08:36:21
電子メールアドレス:h-takako@sea.plala.or.jp

コメント:
おひさです。忘年会22日か23日希望!!

yoshie - 03/12/08 08:30:24
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/5282/birthday.html
電子メールアドレス:yobochi@yahoo.co.jp

コメント:
My homepage(YOBPAGE)に誕生日の時の写真載せました。よかったら見てね。
載りたくない写真とかあったら遠慮なく言ってちょ。

携帯写真で居酒屋撮ったから画質がイマイチ。

yoshie - 03/12/06 11:49:28

コメント:
GOOD NEWS
クリスマスパーティーの場所候補の松戸のクラブ(?)・バー(?)RpmからOKの返事もらいました。 日付・予算・人数などはこれから相談!

Kei - 03/12/02 23:24:29

コメント:
すぬーぴーかわいいー!!

yoshie - 03/11/30 17:18:16

コメント:
aya
おつかれさん!

aya - 03/11/30 03:34:03

コメント:
卒論全然進んどらん。やばい。。
最近就職のために、パソコンの勉強していて、結構まめにホームページチェックしてるよ。
明日は、バレーの試合です。なかなか寝付けず書き込みしてみました。最後の試合になるかもしれんので、結構気合入ってます。

yoshie - 03/11/29 13:43:30

コメント:
最近、卒論忙しくなってきました。
みんなもがんばろうね。

akinan - 03/11/23 10:29:33
電子メールアドレス:akinahanaha@hotmail.com

コメント:
初めてHPみました。充実っぷりにびっくり!!
クリスマス会、(というか忘年会になるのかな?)したい!!
この前これなかった人はぜひ。

takako - 03/11/22 15:00:27
電子メールアドレス:h-takako@sea.plala.or.jp

コメント:
いらっしゃいませこんばんはー。
ここクリスマスめいてますねー。はー今日もバイトか・・・みんな飲みに来てねー

aya - 03/11/21 22:05:17

コメント:
この前見たときよりも、発達しててすごいビックリした◎◎ かなり尊敬です!もうすぐ卒業だけど、仲良ししようね☆☆

メッセージの内容(市橋君のものだけ抜粋)

tatsuya - 03/11/21 18:22:30 ホームページアドレス:http://tatsuya1895.tripod.co.jp 電子メールアドレス:whitecover@hotmail.com

コメント:
佳恵へ ホームページみたけんど、本格的でおどろいた。 今度、お菓子持ってであそびにいくから また、いろいろ、話しようよ。 ディズニー話はもうれつに楽しみにしてるっす。 達也より

namity - 03/11/21 17:45:33

コメント:
てか私はとりあえずyahooのメアド知ってるよね?メッセンジャーのでmsnもありです☆

yoshie - 03/11/21 16:45:11
電子メールアドレス:yobochi@yahoo.co.jp

コメント:
メンバー紹介のページをupしました。
一応公開して差し支えのない程度に気をつけています。もし、載せたくない項目等あったら、何なりとメールでお知らせくださいね。

また、みんなのパソコンe-mailって意外と知らないので、管理人まで一度連絡ください。ホームページ公開もリンクはります!

namity - 03/11/13 02:11:18

コメント:
なかなか見れなくてごめんちょ。。 しかも今管理人のお家で初ホームページ見学でした。また発展していくの楽しみにしてるよ☆☆☆

yoshie - 03/11/12 02:48:11
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/5282/index.html

コメント:
管理人してます。HP見た方、BBSにどしどしコメントかいてねー。

Kei - 03/11/08 23:50:59
ホームページアドレス:http://www10.ocn.ne.jp/~poche
電子メールアドレス:moamoa_ko@yahoo.co.jp

コメント:
はろりん。もう書き込めるのかしら??足跡を残しに 来ました。ひそかに創りだす会のHPもあるので暇が あったらどうぞ。

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市橋君の著書のAmzonでの評価(カスタマーレビュー引用)

貴重な資料 2000年代の地方国立大の普通の学生と社会が分かる, 2012/1/12
By いいい

彼の謝罪や懺悔を聞きたい人、何を考えていたか、事件の心の部分などを求めている人にはには全く無用の本だが、虐待にあって家を出なければいけない状況にある未成年、暴力団や理不尽な犯罪に巻き込まれて逃げなければいけない場合のマニュアルとしては一級の資料価値があると思います。
彼の犯罪についてはここでは触れずに内容について考えてみると、野宿、徒歩旅行、貧乏旅行をしたことがある人には市橋の書いていることが非常に切実に共感きるし、彼の行動力と強さ、学習能力を実感できると思います。特にこの2007年前後に地方国立にいたような学生だとさらに共感できるかもしれない。
市橋は魚類や動物の同定が出来ていないが、やたらに植物の種名が細かく記載されている。造園学を学び一般知識も中の上クラスということが文章からも推測できる。
事件を起こさなければその狡猾さと継続力から地方公務員上級の造園等の職の公務員になって60%の力で生きていくようなタイプになっていたと考えられる。
彼は非常に客観的的で、学習能力が高く、体力と繊細さと大胆さを兼ね備えている。
うつうつひでお日記も合わせて読むと今の社会とホームレス的なサバイバル方法が非常によく分かると思います。

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市橋達也被告の感情や思考が見れる, 2011/3/18
By ZZ

私は沖縄県南部に在住しているが、沖縄にこれほど長い期間滞在していたことに驚かされた。
地元の人間や、沖縄県民なら分かる場所や背景に、市橋氏が本当に滞在していたことが垣間見え、何度か驚かされている。
また、行った場所や通った場所を克明に覚えていて、絵の細かさに三度驚かされる。
犯罪を犯さずに、この力をもっと別のことに注いでいればと感慨深くなりました。
市橋氏も、有名な逃亡犯とリンクする場面もあるが、似て非なる人物であると思う。
殺人・逃亡・整形という観点からみれば、同じであるが、市橋氏とは程遠い。
もしかしたら、それを知れただけでも、本書を購入した意義はあったかもしれない。
それは、市橋氏は隠れるため身をひそめるための手段として、様々な事を行っている。
また、逃亡をしているさなかの思考や考え方。
これには同情の余地はないが、市橋氏が殺人を犯し、逃亡している時の感情などは、知ることで個人的に考えさせられる事はあった。
芸能人が罪を犯し、反省の意味を込めた著書販売よりかははるかに読みごたえはあると感じる。

市橋氏がどのように更生し、被害者のご家族にどのようにアクションをするかを見守りたいしだいである。

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TV番組の報道と真実の違いが解る1冊, 2011/2/6
By kk

長い逃亡期間にどう過ごしていたか大変興味があって読みました。
逃亡をしなければいわゆる「殺人遺棄」という特異な犯罪では無かったと思うが逃げ続けられた事が特異事件となったと思う。
この狭い日本で3年近くも指名手配犯で逃げる事が出来た事が不思議に感じる。
逃亡の際持って行った1冊「ライ麦畑でつかまえて」をバイブルにしている事も鳥肌がたった。

何故ならジョンレノン殺害犯他、ストカー殺人犯たちが犯行前に読んでいたというこの本を市橋も好んでいたという点。
皮肉にも犯罪を犯した事で、裕福な生活から底辺の生活を経験し成長していく様子が伺える。まるで本人が「ライ麦畑~」の主人公になったような・・・。

リンゼイさんのご冥福を祈ります。

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緊迫感がリアルすぎる......, 2011/2/4
By 舞踏刑事 "tamtam" (千葉県)

逃亡中の沖縄で図書館に立ち寄った被告は、ある本の中で『ゴンドラの唄』を見つける。そして、リンゼイさんのことを思いながら、メモ帳にその全文を書き写す。
「いのち短し恋せよ乙女......」
この行動だけでも突っ込みどころが満載だが、逆に、このような精神性を持った市橋被告だからこそ可能になった著書だろう。
この時期に、こうした本を出すことについての賛否両論があるのはもちろんだが、それはまた、別次元の問題だ。

考えてみれば、この事件は世間的な耳目をひくディテールが多い。

被害者は若くて美人のイギリス人女性。
現場に踏み込んだ警察を振り払い、容疑者(当時)逃亡。
その後、2年7ヶ月にわたりほぼ完全に姿をくらまし、「新宿2丁目で見かけた」「そのスジの人に殺されている」などなど散発的にメディアに取り上げられ、最後は沖縄行きのフェリーの待合所であっけなく逮捕。

で、捕まってみたら、元の面影はあるものの、なぜか結構なイケメンになっている。なんでも逃亡途中に肉体労働で稼ぎ、整形して顔に手を入れたりしたとか。なんだそりゃ。

こうなれば、(世間的には)空白だったこの2年7ヶ月、いったいコイツはどこで何をしていたんだと知りたくなるのは人情というもの。

ということで、いってみれば、本書は手品師の種明かし。

ただ「○○事件の真相」的なドロドロしたものはなく、逃亡を続ける被告の行動・心情が、散文のように淡々と描かれている。そして、その心情を支配しているのは「恐怖」だ。いつ警察に見つかるかわからないという恐怖心だ。
文章に余分な装飾がない分、読んでいるこちら側にも切迫感がストレートに伝わってくる。
特に逮捕されるまでの数日間、カウントダウンが始まってからの場面では、思わず心拍数があがってくる。

ここに書かれていることすべてが事実なのかは、わからない。おそらく被告本人も「すべてが事実だ」とは言い切れないのではないだろうか。(もっとも、某ニュース番組で「南の島の隠れ家」をさらしていたので、基本的には事実が書かれているのだろう)。

被告は、逃亡を初めて数日後に、北関東のある町で単四の電池を買い求める。それは何のためかというと、USBメモリの単語帳を聞くためなのだ。警察に踏み込まれて、まだ数日。周囲の目も木になり、いつ捕まるかわからない極度の緊張感の中、英単語を聞くための乾電池を買う。その後も、ことあるごとに洋書を買い求め、それを読む。これは、英語を教えてくれていた被害者への懺悔なのか執着なのかはわからないが、逃亡者の有り様として、すさまじいリアリティを感じないだろうか。

終始短いセンテンスでつづられているのは、事実と、ストレートな感情のみ。ただそれは、市橋被告の世界観を雄弁に語っている。ヘタな文学賞作品よりも、はるかに文学であると思う。

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素人文体だが感動した, 2012/5/2
By gaga

とあることから昔元受刑者の方と会ったことがあるのたが、その方とは違い市橋は普通の人間だと感じた。正直文体は地方の大学を出た程度のまあまあ頭がいい程度の文章で淡々と進んで行きますが、罪を起こしたことに罪悪感を感じながらも捕まるのが怖く逃亡したことに本人も認め非常に人間臭さが伺える。またドン底まで追い込まれても生きることに執着できる彼の精神は今の自分達にはないなって感じ。追い込まれるとどんな仕事でも出来るものなのかと考えさせられてしまう。特筆すべき点は市橋の感受性の高さだろう。自然や景色に感動したりするシーンが多く、彼はほんとうに純粋過ぎたのかもしれない。批判している人も多いが個人的には殺人犯の本を読む機会なんてあまりなく、非常に興味深い本であった

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読みたい人が読めばいい, 2011/1/29
By HANDMADE

人を殺して逃げた最低の犯罪者。
被害者の気持ちを考えると・・
それは分かる。

私の人生には縁の遠い話。
せいぜいスピード違反か駐車違反くらいしか警察に世話になることはない。
「裸足で逃げて一体どうやって3年近く逃げることが出来たのか・・・」
一気に読み干しました。

私は知りたかった。
知りたい人は読めばいい。

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あっさりしているがじわじわと怖い..., 2011/3/9
By アマゾン太郎

怖いもの見たさで買っていく人が多いと思いますが、逃亡生活の手記の内容はつっこんだものでなく、あっさりしています。少しでも不安な一日を過ごした人ならわかると思いますが、行くところもない一日というのはとてもとても長いはずです。心臓の鼓動も止まらないでしょう、でもそういう部分はやはり2年7ヶ月分収録するわけにはいかないのであっさり一行で終わったりしています。普通の短編ならそれだけで話が終わってしまうようなものですから。

しかし、―事件そのものにあまり触れてないのはともかく―逃亡記としては過不足なく載っていると思います。自分がこの本を買ったのはどうしても時間を潰さないといけない時にたまたまコンビニで立ち読みした日頃絶対読まないような雑誌に南の島や猫の話が載っていて、殺人逃亡犯と言えば凶暴なイメージしかなかっものが自分となにも変わらないという事実に今さらながらに気づいたからです。慌てて本屋に行って買いました。ここでレビューを書いている方は裁判員にでも選ばれたのかな、という人が多いですね、ちょっと気がしれません。

内要はとてもおもしろく、身にしみて、ゴッドフリート・ケラーの成長物語が多く収められた短編集「ゼルトヴィーラの人々」のリアル版と言った感じです。工事現場で働いてどんどんたくましくなっていく青年ですけど、小説と違いたくましくなっても日の光は彼を地獄にしか連れ行かない。日の光の下に出るまでの成長物語がこんなに悲しいなんて、ノンフィクションだけがなせる技だと思います。劇中(あくまで本ですから)にもどん底にだけ希望があると言ったフレーズがありました。どん底ほど人が学べ、高いところはないと思います。そういう意味で落ちるのが遅すぎる不幸な人生があるということも考えさせられる本でした。最後に14日間なにも食べなくても死ねないという神の仕打ちはとても残酷なものです。

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行間に滲み出る思いを汲み取れるかどうか, 2011/2/6
By みんてぃあ

文章は稚拙だが、わざとそうしている印象がある。
「○○を食べた。口の中が痛くなり毒だと思った。何度も海水で口を濯いだ」
淡々と↑のような文章が続く。この経験だけでも離島で誰一人頼る人も居ず、
薬も無い極限状態でやってた市橋の気持ちを考えると、犯罪者ながら同情してしまう。

彼の人生は何だったのか。人並み以上の家庭に生まれ、人並み以上の容姿、頭脳を持ち、犯罪さえ起こさなければ、間違い無く勝ち組の部類だったろう。
生きる意味を考えされられてしまう。
それでも生へ執念、行動力は関心されられた。
自殺者が多い現代、この本で救われる人間も多いと思う。

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市橋達也君の適正な裁判を支援する会の趣旨

支援する会の趣旨

市橋達也君に適正な裁判を-緊急支援要請

2010年2月20日

 市橋君が身柄を確保されたのは昨年の11月10日だから、すでに3ケ月以上が経過したことになる。人気横綱の引退や有力政治家の不起訴決定や冬季オリンピック開催など、注目を集める新しいニュースが毎日どんどん出てくるので、市橋君に対する社会の関心は薄れつつあるようにも見える。メディアからの取材申し込みも、潮が引くように来なくなった。私にとっては、元学生はどんなに時間が経過しても元学生なので、重大犯罪の被疑者・被告人になっているとはいえ、彼が現在どういう身体的、精神的状態にあるのか、常に気がかりである。できれば一日も早く面会(接見)したいと思って、友人の弁護士を通して紹介してもらった市橋君の弁護を担当している菅野 泰(スゲノ ヤスシ)弁護士と電話で会話をしたが、まだ当分は裁判所のルールで弁護士以外は接見禁止のようだ。菅野弁護士も私が本サイトに書いた記事(#9と#10)については御承知で、最近私に会いたいとの申し出をいただいたので、1月28日に法律事務所にお訪ねし、一緒に弁護を担当している山本宏行弁護士も同席した中で市橋君の置かれている最近の状況を伺ってきた。

秋葉原の無差別殺人犯の弁護士に対して、ネット上に何故あんな凶悪犯を弁護するのだといった非難の書き込みがあるそうだが、市橋君の弁護を引き受けるにはそれなりの覚悟が必要なのだろう。千葉県弁護士会の中に、弁護人のいない被疑者にも弁護士を派遣する制度を立ち上げた菅野弁護士の呼びかけで、6人の弁護士が手を挙げて市橋君の弁護を引き受け、二人一組のチームを作ってこれまで毎日交代で接見してきたとのこと。

昨年11月、警察に追い詰められて逃げ場を失った市橋君は、沖縄行の船に乗り損ねた時は、もうどこかで野垂れ死にするしかないと覚悟していたそうだが、身柄を拘束された後は拘置所の中で絶食死しようと考えていたらしい。それが、弁護士の説得で食事も摂るようになり、弁護士との信頼関係も徐々に培われ、ついに3年前の事件の全容も話したようだ。独房の中の市橋君は、裁判で刑が確定するまでは推定無罪の原則で、ラジオを聴くことも新聞を読むこともできる状況とのこと。日英語併記の聖書と英語の辞書を差し入れてもらったそうなので、英語の勉強を続けながら聖書を読んで自分の犯した罪と毎日向き合っているのかもしれない。

こういう様子をご両親にお伝えしたいと思って、先月末に所用で名古屋に行ったついでに足を伸ばして岐阜県の実家を予告なしで訪問してみたが、残念ながらお会いできなかった。しかし、郵便受けに残してきた私のメモに対して、お父様・お母様から丁重なお手紙をいただいた。私と会えなかった非礼のお詫びに続いて、学生時代から私に空手の指導を受けていたことを息子から聞いていたこと、事件直後から私が市橋君に自首を呼びかけてくれた(テレビに出演して)ことへのお礼、息子のしたこととその結果として息子が置かれている現在の状態に直面して、身を切られるような思いと苦しい胸中が切々と記してあった。こういう状態にある息子を親として抱きしめてやりたいと思う半面、リンゼイさんの失われた命とそのご家族の悔しさ、悲しみ、事件が社会に与えた影響を考えると、息子をかばう行為は許されないので、これからも息子にも弁護士にも会わず、ただ遠くで裁判の行方を見守るしかないとの決意(それが親としての責任の果たし方とのお考えで)を固めておられると見受けられた。

私には詳細はわからないが、ご両親とも医師としての職業もお辞めになったと聞いた。事件発生以来3年以上も連絡を絶ったままの息子の窮状を思えば、どんなにか会って声をかけたいだろうに、自らを厳しく律しておられる様子。リンゼイさんのご冥福と、息子の身体、精神的安楽へと導かれることを願い祈っているとの言葉に、どうすることもできないつらい親の心を感じた。また、会えなくても息子には自分たちの気持は通じると信じているとの言葉に、このご家族には、私たちの想像を超えたお互いへの深い思いやりと信頼関係があるのかもしれないと感じた。

菅野弁護士によると、現在は公判を始める前の段階で、4月頃から裁判員裁判のための公判前整理手続が始まる予定。そこで、秋以降に予想される裁判の開始に向けて、裁判官の前で検察官と弁護人がお互いの主張(言い分)やその根拠となる証拠の提出を行い、双方が提出された主張や証拠に対し、手続の中で反論・検討することとなる。検察側は、死体遺棄、強姦致死、殺人という3重の罪状で死刑の求刑も予想されるとのこと。一方、市橋君が弁護士に話した当時の状況では傷害致死罪が相当で、検察側の主張とは異なるようだが、実際に何が起こったかはいずれ裁判で明らかになるのだろう。

今回のような重大事件で被疑者・被告人に経済的能力がない場合は、国が弁護費用(最大3人分まで)を払う国選弁護の対象になる筈だ。しかし、菅野弁護士を代表とする現在の弁護団との間に培われてきた信頼関係に今後を委ねたいという市橋君の強い要望で、私選弁護を続けることになったとのこと。そうなると、元々市橋君の弁護活動はボランティアで始めたので弁護費用が皆無なのは覚悟の上でも、裁判費用(例えば、検察側の持っている膨大な証拠資料の複写費や、市橋君の郷里の岐阜県に行って彼の人間性に関する証言や資料を集めて来る旅費など)が全くないというのは、弁護団が活動をする上で大変苦しい状況のようだ。このままでは、適正な裁判を期待できないということになりかねない。

いろいろな要素が重なって、メディアの異常な注目を集めた事件だけに、市橋君にとっては厳しい裁判が予想される。犯した罪に相当する償いをしなければならないのは当然だが、元教師としては、元学生の市橋君に適正な裁判を受けさせたい。そのために、弁護団が十分な裁判活動ができるように、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」(規約)を立ち上げ、最低100万円くらいの目標で募金活動をして、裁判費用の支援をすることにした。趣旨にご賛同の方は、いくらでも可能な額で結構なので、以下の口座に支援金を送金していただければありがたい。


郵便振替口座名:市橋達也君の適正な裁判を支援する会
口座番号:00140-9-773866
代表:本山直樹
(東京農業大学客員教授/千葉大学大学院名誉教授)

なお、支援金を送金してくださった方々には、私から個々にお礼と支援金受取りの報告をさせていただくので、それによって間違いがないことを確認していただきたい。また、支援金は私の責任において全額を菅野弁護士にお渡しし、収支決算や使途などは、厳密に会計監査を行った上で公表するのはもちろんである。

人は誰でも、生きている間に大なり小なりの間違いや失敗を経験する。そういう間違いや失敗を教訓として、成長していくのだろう。市橋達也という青年は千葉大学を卒業し、これまで育ててくれた両親の大きな期待を背に、本来は将来に向かって大きな夢を抱いた前途洋々の青年だった筈だ。それが、当時どういう心理状態だったのかは不明だが、一時的に心神喪失としか言いようのない状態に陥って道を踏み外し、取り返しのつかない大きな間違いを犯した。その結果、やはり将来に大きな夢を抱いていた筈の一人の若い女性の命が無残にも亡くなったのだから、市橋君はこれから一生をかけてその償いをしなければならない。それでも元教師としては、道を踏み外した元学生に救いの手を差し伸べてやりたい。この青年が、自分の犯した間違いを反省し、亡くなったリンゼイさんとそのご家族に心から謝罪し、何年かかるかはわからないが、罪を償った上で残りの人生をやり直す機会を与えてやりたい。私の知っている市橋君は、それにしっかり応えてくれる筈である。

(この文章は、本山直樹 Websiteに2010年2月20に載せた記事を再掲したものです)

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市橋達也君に告ぐ (2009年11月8日)本山直樹

君が整形手術の予約をインターネットでしたと新聞に載っていたので、もしかしたら本サイトを見てくれる機会があるかもしれないと思って、これを書くことにしました。数えてみれば、事件が起こってから3年近く、君が大学を卒業してからもう5年近くが経っていることに、時の流れの速さを感じます。私は昨年3月に千葉大学を定年退職し、今は東京農業大学の客員教授になってまだ農薬の研究を続けています。

市橋君、君はいったいどうしてしまったのだ。君と私の接点は、私の研究室で卒業論文の研究をしたのでもなく、私の授業を受けたのでもなく、ただ園芸学部の道場で一緒に空手の稽古に汗を流しただけだったけど、そのことを私は今でも大変なつかしく思っています。同好会のような小さなクラブ(確か君がいた時代の部員数は5~10名程度だった筈)で、週2回、昼休みだけの稽古だったけど、皆で稽古の前には必ず道場の床の雑巾がけをし、稽古の後はシャワー室でシャワーを浴びて、研究室や教室に戻る前に更衣室で着替えながら雑談をするという何気ない活動が1年ちょっとくらい続いただろうか。卒業の少し前に、卒業後はどうする予定なのかと君に訊いたら、緑地環境学科で庭園デザイン学を勉強した君は、市川か浦安の辺りに住んで設計事務所でアルバイトをしながらさらにデザインの実務経験を身につけると言ったのを覚えています。英語を習っていたのは、将来海外に留学することも君の計画にはあったのだろうか。

それ以来君とは一度も会っていないので、卒業後何があったのか全くわからないが、報道されているような事件を犯したのだとしたら、彼女との間によっぽど君の尊厳が傷つけられるような何かがあったのだろう。この頃、毎日のように新聞やテレビに出る君の昔の顔と今の顔を見ると、本当に君はいったいどうしてしまったのだろうと思ってしまいます。逃げ切れるものではないし、例え逃げ切れたとしてもそんな逃亡生活の惨めさはすでに君自身が十分経験している筈です。彼女との間にどんな問題があったにせよ、君が今やるべきことは自ら出頭することです。そして、彼女のご家族に心から謝罪して、犯した罪の償いをきちんとして、その上で君はまだ若いのだから残りの人生をしっかりやり直すことです。そうすることが、君を育ててくれたご家族の名誉を回復し、君の友人たちの名誉を回復し、何よりも君自身の名誉を回復することになります。責任を回避して逃げ回ることは、君らしくない、人間として恥ずかしいことです。今の君が何に影響されているのかわからないけれど、自分自身の心をとりもどして下さい。

つい先日、園芸学部は創立100周年記念事業をやりました。その少し前には、天皇・皇后両陛下が戸定歴史館と園芸学部を訪問されました。そのためにキャンパス内や周辺環境の整備がすすんで、以前とは見違えるほどきれいになりました。最近のキャンパスの写真を何枚か貼付します。ちょうどA棟前のサンクガーデンや生協前広場のサルビアの鮮やかな赤い花が最盛期です。正門の上の猫は野良猫で、近所に餌をやる人がいるものだから、何匹も住みついて困っています。道場では今でも時々汗を流しています。このサイトには私への連絡方法(メールアドレス)も書いてあるので、もし君がこれを見る機会があったら、連絡して下さい。君と是非話をしたいと思っています。

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市橋達也君の件で (2009年12月8日)本山直樹

もう自殺して生きてはいないだろうと思っていた市橋君が生きていることがわかったので、元教師としては、元学生を逃げ回る悲惨な状況から何とか救いだしたいという思いから、彼の目に留まる可能性は例え1億分の1以下しかないにしても、自主的に出頭するように呼びかける記事(#9)を本サイトに書いた(11月8日)。

NHKテレビが11月9日に研究室に取材に来て、夕方6時10分からの首都圏ネットというニュース番組で私の書いた記事を紹介してくれた影響で、その後私のところには連日テレビ各社や新聞各社の取材が殺到することになった。また、翌11月10日には本サイトに2万件を超えるアクセスがあったらしく、一時的にサーバーダウン状態になった。

私のメッセージが届く前に市橋君は身柄を拘束され、残念ながら自主的に出頭する機会は失われてしまった。しかし、これでもう元学生が逃げ場を失って自殺に追い込まれる心配はないという意味では、逆に安堵感を覚えた。恐らく彼のご家族も同じ思いだったのではないだろうか。

私の記事を読まれた多くの方々からメールをいただいたので、現在の所感を書いておきたい。メールの大半は子供を持つ母親からであった。恐らく、自分の子供が市橋君の立場だったらと仮想して、その苦しさを追体験され、いたたまれなくなったうえでのことだったのかもしれない。身柄を拘束された時に、頭から上着を被せられ、取材陣に取り囲まれてもみくちゃにされて連行される映像がテレビで放送されたことは、多くの視聴者に彼に対する同情心を芽生えさせたようだ。また、苦しい逃亡生活中も悪の世界に入らずに建設現場でしっかり働いていたという事実が明らかにされたことによって、彼はメディアが作りつつあった異常性格者・社会的な不適応者というイメージとは違って、本当は芯の強い真面目な性格の人間だったのかもしれない、という印象を与えた。私も内心ホッとして、市橋君よくこれまでがんばって生きてきたなという気持になったし、お母さんが「これが私達の知っている達也です」と述べていた心境も理解できた。

12月2日に死体遺棄容疑の勾留期限切れを迎えて、今度は強姦致死・殺人容疑に切り替えられ、さらに20日間の勾留が認められ取り調べが行われている。彼女の遺体から採取された体液のDNAが市橋君のものと一致したとの報道があったが、私にはそれだけでいきなり強姦致死となるのだろうか、という疑問が湧いた。当時22歳だった彼女と27歳だった彼との間にお互いへの好意が芽生えたとしても不思議はないし、彼女が自らの意思で彼のマンションの個室に入ったということは、合意の上での男女の行為が行われたとしても不思議はない。遺体の解剖所見では死因は首を絞められたことによる窒息死とのことなので、彼がその実行犯とみなされるのは自然である。その点は、最近話題になっている男性俳優のO氏(編集部注:押尾学氏の事と思われる)と合成麻薬MDMAを一緒に使っていて過敏反応で突然死した女性の場合とは異なる。問題は、何が普段は冷静な市橋君をそういう行動に駆り立てたのかということだろう。

彼女はすでに亡くなっているので、真相を知るのは市橋君だけである。彼に非があるのだとしたら、元学生だったからといって私は彼をかばおうとは思っていないし、彼への罰を軽くするために奔走しようとも思っていない。亡くなった方の悔しさ、そのご家族の無念さを思えば、犯した罪に相当の償いをするべきである。もし彼女にも非があったのだとしたら、市橋君は真相をちゃんと語るべきである。それでも、彼女が亡くなったという事実は消せないし、その責任は負わなければならないが・・・。

元教師として元学生に望むことは、黙秘を続けることではなく、事実を明らかにして罪をきちんと償うこと。その上で、残された人生をしっかりやり直してほしいということ。市橋君にとっては、これから長い年月をかけて贖罪する日々が続くのだろう。千葉大学を定年退職して年齢的にすでに高齢期の私にどこまで見届けられるかはわからないが、生きている限りは元学生の更生を見守り、精神的な支援をしていきたいと思っている。

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支援する会ブログ 012年12月25日-2012年06月01日

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2012年12月25日火曜日

今日は私が注目したニュースが2件ありました。1つは、法務省の調査では服役中に性犯罪者向けの抑止講座を受けた性犯罪者が出所後に再び性犯罪を犯す割合が2割低下したというニュースです。新聞報道(朝日新聞12月25日夕刊)によると、「プログラムは2004年に起きた奈良女児殺害事件をきっかけに、欧米の実践例を参考にして06年から導入。刑務所では3~8ケ月聞かせて、性犯罪者同士の話し合いを通じて感情をコントロールする方法などを身につけさせる内容だ。」 リンゼイさんの事件が起こったのと同じ頃、千葉大学園芸学部の女子学生が殺害されるというもう一つの事件がありましたが、この犯人も性犯罪を繰り返して仮出所したばかりの男性でした。「文藝春秋」の記事がきっかけで、服役している北海道の刑務所から私に手紙をくれた男性もインターネットで調べてみたら性犯罪を繰り返している人で、結局自分は一種の病気だということに気がついて、精神的な治療の必要性を訴えていました。
被害者の感情を考えると難しい面もあるでしょうが、アメリカでも日本でも犯罪者の再犯率が高いということは、服役させることで自由を奪って苦しみを与えて罪を償わせる以外に、出所後に普通の生活に戻れるようにきちんとした治療や教育を受けさせることの重要性を示しているのではないでしょうか。

もう1つは、広島での被爆体験を元にした漫画「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんが肺がんのために73才で亡くなったというニュースです。この漫画は10ケ国語以上に翻訳され、世界の多くの人々に原子爆弾の悲惨さを伝えました。私のアメリカ人の空手の弟子/友人のMargie さんが来日した時も、英訳された「はだしのゲン」を見たことがきっかけで広島を見たいと言ったので、原爆ドームと平和記念資料館につれて行きました。戦争体験者がだんだん少なくなっていく中で、私たちはいつか来た道に再び戻ることがないように、勇気をもって発言したいものです。

「女性自身」という週刊誌の1月1日号の表紙には、『「発達障害児」急増!の裏には農薬汚染食品が・・・』という見出しが載っていましたので一冊買ってみました。この記事の内容には全く科学的根拠がなく、いくら販売部数を増やすためとはいえ、よくこんな無責任な記事が書けるものだとこの雑誌の良識を疑いました。せっかく買ったのでついでにページをめくってみたら、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(90才)の、今の政治状況は太平洋戦争へと突き進んでいった戦前の日本の政治状況とそっくりで危険を感じるという趣旨の談話が載っていました。そんな大事な発言をしても、政治家の勇ましい発言や俳優やタレントやスポーツ選手のゴシップ記事にばかり気をとられて、ほとんど社会の注目を集めないところが怖い状況だなと感じました。
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2012年12月22日土曜日

今日も支援者の一人から、支援金の残金の処理方法についてお便りが届きましたが、ブログには紹介しないでほしいとのことでしたので紹介はしません。私が12月18日のブログで書いた記事をまだご覧になっていない支援者は、ご覧になってご意見を寄せていただけると助かります。
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2012年12月21日金曜日

支援者から以下のお便りが届きました。ありがとうございました。
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本山先生
すっかりご無沙汰いたしております。お元気でご活躍のご様子、ブログで拝見しております。
寒さが増すにつれ、市橋さんの現状が気になっておりましたが、まったくの「孤独」というわけではなかったことに半ば安心し、また一方では「K子さんとは、いったいどんな方なのだろう?」と、不安も感じております。
身近に相談相手さえいない・考える気力さえ損なわれるような状況にいると、手近で耳障りのよい言葉・目先の優しさにすがりついてしまうのが人間なのかなと思ったりしております。そう思いますと、周囲に誰かがいる(面会に来たり、差し入れしてくれる誰かがいる)ということだけで「孤独ではない」といえるものではないのかも知れません。特定個人以外の人の言葉が耳に入らないことが、本当の「孤独」なのかも知れません。
支援金の件でございますが、本当にありがとうございます。私は、市橋さんのご両親に依頼することが一番よいのではないかと思っております。ただ・・・おそらくお断りされるかもという不安は、かなり強くあります。・・・かといって、ご両親抜きに考えることはできないかと思っております。一度お願いしてみて、断られたら次の対策を考えるというのではいかがでしょうか? 「無駄足覚悟の一寸逃れ」的方法ですが、(出所まで、十分に)時間はありますので、焦る必要はないと思います。
また、私個人の愚痴ですが、私は、一度くらいはご両親が面会に行ってくださるか、裁判で証言してくださるものと信じていました。市橋さんの起こしたことは、最低最悪のことで、世間の人は許さないかも知れません。でも、ご両親にとってはかわいいわが子であり、本当の・いつもの市橋さんの人柄も十分わかっているはずです。世間への遠慮等々おありでしょう。でも、それでもせめてご両親くらいは赦し励まし、ともに生きていってあげていただきたい。支援金のお願いをすることで、ご両親の気持ちが動かされる一助ともなれば(もちろん、それだけでは無理でしょうが、いろいろな要因が積み重なれば、またご両親のお考え・気持ちも変わるかもしれません)、という期待もございます。
本当にいろいろとお手数をおかけいたしますが、ご検討くださいますようお願い申し上げます。間もなく一年が終わります。どうぞよいお年をお迎えくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。
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本山直樹先生
ご無沙汰しております。今年も残すところ10日ほどになりました。月日の流れるのは本当に早く、「光陰、矢のごとし」を実感する日々です。先生のお元気そうなご様子はブログで拝見させていただいています。ただ私の仕事柄、今のシーズンは大変忙しく先生のブログを読みながら寝落ちしてしまい支援金についてのメールも遅くなってしまいました。本当に申し訳ありません。
市橋さんへの支援金についてですが、私たち支援者が市橋さんの事を考え、想い、少しずつ送らせて頂いていた支援金です。何とか市橋さんのお手元に届けたいと先生も色々と悩み試行錯誤して頂きながら動いてくださっていた支援金です。市橋さんに届く事が私の願いです。
市橋さんのご両親様に管理して頂きたい気持ちは有りますが、人の感情は大変難しくご両親様もお困りになるのではないか・・・と思います。
ですから,この際、K子さんについての私の余計な感情は省かせて頂き「市橋さんに届けたい!」という願いだけを優先的に考えて、①の山本弁護士の開設した口座に移してK子さんに管理していただく。という選択を私はしたいと思います。(山本弁護士様が間におられる事が救いです。)
このまま良い案を探すことで保留にしておく事は本山先生に沢山のご負担をおかけしてしまいますし、やはり決断しどきなのかもしれません。私は毎日市橋さんの事を案じておりました。無事に支援金が届くようにとも祈っておりました。一生懸命、服役された後は彼に元気で生き直して欲しいと思います。
本山先生、又また子離れできない母親のようで申し訳ありませんが心配で心配で仕方ありません。ほかの支援者の方々はどのようにお考えなのかは判りませんが皆様、市橋さんに無事に届いて欲しいという願いは同じだと思います。長々と勝手申しまして本当に申し訳ありませんが宜しくお願い致します。
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2012年12月20日木曜日

一昨日私がブログで書いた支援金の残金の処理方法について、今日も支援者の一人からメールが届きました。支援者の方々も以前ほど頻繁にこのブログをチェックしていないと思われますので、まだご覧になっていない方は12月18日の記事をご覧になってご意見をお寄せ下さい。
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2012年12月19日水曜日

早速、支援者の一人から昨日のブログで問いかけたことについてメールが届きました。ありがとうございました。しかし、メールの内容はブログには紹介しないでほしいということでしたので紹介はしません。

千葉大学時代の元同僚教授の息子さんで音楽家(バイオリニスト)になった人のコンサートがあったので、妻と一緒に聴きに行ってきました。上野公園の一角にある旧東京音楽学校奏楽堂と呼ばれる古い由緒ある建物で、ソプラノ歌手3名、サクソフォーン奏者1名と、彼との共演コンサートでした。音楽については全く無知の私でも、それぞれ素晴らしいなあと感じました。それぞれにピアノの伴奏がついていましたが、伴奏のピアノも素晴らしいと感じました。
子供の時からよく知っている息子さんが、音楽の道を選んでよかったと思いました。演奏中は録音も写真撮影も禁止と貼り紙がしてあったので、始まる前に会場のステージの写真だけ1枚撮ってきました。この建物は近日中に取り壊されることが決まっているそうですが、なかなか趣のある建物でした。

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2012年12月18日火曜日

「週刊文春」のI記者が訪ねてこられる前に、菅野弁護士に電話をして、支援金の残金約120万円の処理方法について支援者の希望をお伝えしました。少数の方は私の考えるように(千葉県弁護士会に寄付をして弁護人のいない被疑者や被告人の弁護に使っていただくか、菅野弁護士から打診のあった千葉刑務所の弁護活動妨害行為を告訴する費用に使っていただくか)処理してよいとのご意見でしたが、多数の方は市橋君のために振り込んだお金なのであくまで市橋君のために使ってほしい(約30年後に仮出所する機会が与えられるまで保管してほしい)というのが希望でしたとお伝えしました。
問題は、現在70才の私はそれまで生きていられるかどうかわからないし、もっと年齢の若い支援者に管理をお願いして皆様にその方のお名前を公表するとその方が嫌がらせ行為の目標にされる危険性があるということです。そこで、市橋君のご両親に管理していただいて、30年後に市橋君が出所した時に必ず市橋君の手に渡るように遺言して残していただけないかお願いすることも考えていることをお伝えしました。

今日菅野弁護士を通してわかった状況は、市橋君は山本弁護士とは連絡をとったらしく、弁護団の中で山本弁護士だけは市橋君がどこで服役しているかご存知だということ、以前ブログで言及した元支援者でその後は支援する会からは離れて独自に熱心に支援活動をしてこられたK子さんが現在も熱心に支援活動をしておられて(刑が確定後は、市橋君と養子縁組をするか婚姻届を出すかして親族という立場になられた可能性があるようです)面会にも行っておられること、また市橋君の方も彼女の(彼女だけの)支援に依存しているということのようです。マインドコントロールという言葉が適切かどうかはわかりませんが、東京高裁に上告してから、そういう状態になって市橋君と弁護団との信頼関係には齟齬(そご)が生じてしまったようです。市橋君自身が、弁護団よりも、ご両親よりも、私を含めた支援する会の支援者よりも、K子さんを信頼し、これからはK子さんに依存するという選択をしたのでしょう。個人情報ですから、K子さんについてこれ以上のことはここでは申し上げられません。

手記の出版から得た印税の約900万円は、当初リンゼイさんのご遺族に被害者弁償金として提供する申し入れをしたけれど受け取りを拒否され、すでに寄付をして残ってはいませんが、その後手記が増刷された分の印税として出版社からさらに約200万円が支払われたとのことです。このお金は山本弁護士が開設した口座に移され、K子さんが管理をしておられるようです。以前、市橋君の事件を主題にした映画を製作する計画がありましたが、すでに映画は完成して試写会も行われたとのことですので、その中にどこかの映画館で上映されるようになるかもしれません。そうすると市橋君にも何らかのお金(一定金額)が支払われることになったり、それがきっかけで社会の関心が高まればまた手記が増刷され印税が支払われるということもあり得るようです。そういう将来の収入についても、山本弁護士が開設した口座に移され、K子さんが管理をするということになっているようです。
そこで、支援する会の支援金の残金約120万円についても(現在は菅野弁護士の口座に保管されたままです)、山本弁護士が開設したその口座に振り込んでK子さんに管理して頂くというのも一案ということです。K子さんは以前被害者弁償金が必要なら1億円用意できると弁護団におっしゃった方です。K子さんは2010年3月から何回か支援する会に支援金を振り込んで下さり、私とはメールのやりとりもされた方ですが、途中から考え方(目的)が異なるとおっしゃって支援する会から離脱されました。当時、何故そんなに熱心に支援されるのですかとお訊きした時は、そのことについてはお構いなくとおっしゃって答えてくれませんでした。ですから、私には今でも何故K子さんが市橋君の支援にそんなに熱心なのかはわかりません。

こういう状況ですので、支援金を振り込んで下さった支援者の皆様のご意見(支援金の残金約120万円を、①山本弁護士の開設した口座に移してK子さんに管理していただくか、②市橋君のご両親に管理していただいて約30年後に仮出所した時に彼の手に渡るようにお願いしてみるか-断られる場合もあり得ますが、③その他何かよい方法があればご提案下さい)をお寄せ下さい。

なお、「週刊文春」は今年起こった大きな事件(市橋君の裁判が結審したこともその中に入るそうです)について振り返る記事を特集する企画があるらしく、多分来週号あたりに掲載するのかもしれません。弁護団とK子さん以外では、私が最も頻繁に(2011年7月から2012年4月まで約10ケ月)面会に行って市橋君に接してきたということで、何故市橋君があのような事件を起こしたと思うかと質問されましたが、事件そのものについては彼がまだ語れる心境になっていなかったので(その話題に近づくと下を向いて涙をポロポロこぼして沈黙しました)、もっと時間が経ってから彼自身が語るしかないのではと答えておきました。
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2012年12月14日金曜日

東京農業大学総合研究所研究会農薬部会の第88回セミナーが「食と農の博物館」であり、今回は2題の講演がありました。
1.「ピリフルキナゾン(コルトR)の創製について」上原正浩氏(日本農薬株式会社総合研究所)
2.「農薬の内分泌かく乱作用に関する諸問題と科学的対応」青山博昭氏(一般財団法人残留農薬研究所毒性部)

上原氏は、大学院時代は天然物化学が専門だったのを、会社に入ってから合成を担当するようになり、ピリフルキナゾンという殺虫剤をどういう発想の過程を経て発明するに至ったかを、たくみな話術で話されました。普段から、異分野の学会に顔を出して自分の基礎を広げる努力をしてきたことと、上司にもう見込みがないから止めろと言われても止めずに頑張り通したことが成功につながったと話されました。
青山氏は、内分泌かく乱活性(いわゆる環境ホルモン)をどうやって検定して確認するか、特に低用量で影響を確認したとされる事例が実は実験動物の遺伝的多形による誤差を拾っただけの場合があると話されました。
お二人の講演ともすばらしい内容で、非常によい勉強になりました。

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2012年12月13日木曜日

JONA(JAPAN ORGANIC & NATURAL FOODS ASSOCIATION 日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会)に勤めている千葉大学園芸学部の卒業生E君が東京農業大学の研究室に訪ねて来てくれました。久し振りだったので、2時間くらいお互いに近況を話しました。有機農業を認証する団体ですが、最近は中国や台湾や韓国からも認証依頼があるらしく、外国にも出かけるとのことでした。
帰りに、途中のアジアレストランに寄って、生ビールを飲んで、辛いタイの料理を食べました。I君は学生時代はアメリカンフットボールをやっていたということを今日初めて知りました。どうりで体格がいいだけでなく、仕事にも馬力がある筈です。こうやって昔の卒業生が訪ねてきてくれるのは、嬉しいものです。
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2012年12月12日水曜日

リハビリセンターに長期入院している元同僚教授のN君をお見舞いに行ってきました。前回と同じ4人部屋ですが、ベッドの位置が窓際に移動してあり、隣には80才代の男性の新しい患者のベッドがありました。付き添っておられた奥様とお話したら、何とかいう難病でだんだん体の自由が失われて、今では言葉も失われたとのこと。それでも甲斐甲斐しくお世話をしておられました。つい1年半くらい前には元気で一緒に旅行もしたのに、今はご主人の病気をどうすることもできなくて残念だとのことでした。ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の発見(iPS細胞=人工多能性幹細胞)が実用化されるしか治療方法はない病気だけど、自分の主人には年齢的に間に合わないとのことでした。いくら話しかけても、返事をしてくれないのはN君も同じです。

私が月刊誌「文藝春秋」12月号に載った同級生交歓の写真のページのコピーを見せながら、高校時代の仲間だぞと言って一人一人の説明をしたり、今年の6月に新潟県胎内市でヘリコプターで松林に薬剤が散布された時に飛散調査をして、今その結果を論文にする仕事をしていることなどを話しました。彼は私が目の前に差し出した写真を目で追いながら、言葉は何も言ってくれませんでした。君は現役教授の時は、ほうれん草の硝酸還元酵素の研究をしていて、実験でよい結果が得られた時は、「よし、これは世界で初めてだ!」と言って私にどうだと自慢していたけど、ヘリコプターで散布された薬剤の飛散問題については今では私が一番データを持っていて日本で一番の専門家だぞと言って自慢したら、急に笑顔になってニコニコ笑い出しました。やっぱり、私の言うことは聞こえていたのです。昔から親友であると同時に研究者としてよきライバルだったので、少し刺激したらやはり反応をしてくれました。

それを見ていた隣の患者の奥様は、いつも無表情のN君しか見たことがなかったのに、初めて笑顔を見たと言って驚いていました。N君は言葉で自分の気持ちを表すことはできなくなっているけど、こちらの言うことはちゃんと聞こえているのだと思いますと言ったら、自分の主人も同じだと思いますとおっしゃいました。ご主人も誤嚥(ごえん)で肺炎になるのを避けるために流動食をストローで吸って飲み込んでいるそうですが、時々お茶碗をかかえてお箸で食べる格好をしてご飯を食べたいという表情をされるのだそうです。
私がN君の昔の研究自慢の話をしたらニコニコ笑い出したことは、後でN君の奥様に電話でお伝えしようと思います。

夜、週刊誌「週刊文春」のI記者から電話があり、年末にいろいろな事件を振り返って総括する記事を企画していて、市橋君のことについても取り上げたいとのことで、来週火曜に取材に来られることになりました。私は市橋君がどこで服役しているかも知らないし、何も新しい情報はないことは伝えたのですが、書いていいことと書いてはいけないことがあるだろうから、相談に来たいとのことでした。I氏とは月刊誌「文藝春秋」の担当だった時からのお付き合いですが、良心的な記者という印象を持っています。
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2012年12月11日火曜日

今日は東京農業大学に行って昼過ぎに大学の周囲をジョギングしていたら、正門近くの世田谷通りの歩道で元日本を代表するマラソンランナーだった谷口浩美氏とすれ違いました。どうしてこんなところを歩いておられるのだろうと思って、自宅に帰ってネット http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E6%B5%A9%E7%BE%8E で調べてみたら、何と2011年4月1日から我が東京農業大学の陸上部助監督に就任しておられるということがわかりました。靴が脱げるというアクシデントがあったオリンピックの後は旭化成の駅伝部におられたところまでは覚えていましたが、その後いろいろなところで指導者として活躍され、現在は東京農業大学の陸上部助監督をしておられたとは驚きました。これで、新春の箱根駅伝での東京農業大学チームの活躍が益々楽しみになりました。

カリフォルニア大学デービス校(UC Davis)の教授だった松村文夫(Fumio Matsumura)先生が12月6日に肺炎(a complication of pneumonia)でお亡くなりになったという訃報が届きました。松村先生は私より10年くらい年長ですが、大阪大学、東京大学を経てずい分初期の頃にアメリカに留学された方です。以来、殺虫剤の毒性機構解明その他の分野で世界をリードする研究をされ、私たちの憧れの対象であり、自分もああなりたいという目標の人物でした。多くの原著論文の他に、単著として執筆された「Insecticide Toxicology」(殺虫剤毒性学)という本は、多くの研究者に教科書的に利用されました。日本の多くの研究者を受け入れて指導し、私自身も一度カリフォルニアにお訪ねした時にご自宅に泊めていただいたこともありました。幸い、奥様をはじめご家族に見守られて穏やかに息を引き取られたとの奥様からのお便りがあったとのことで、ホッとしました。
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2012年12月10日月曜日

私の千葉大学勤務時代に、文部科学省の国費留学生として来日して私の研究室で研究をして博士号を取得したHenry(ヘンリー) O-Sintim さんからメールが届きました。ガーナに帰国して大学の教員をしていますが、学会誌に投稿して発表した論文(私も共著者になっている)が、同様にパキスタンから国費留学生として私の研究室に来て博士号を取得して帰国したTariq(タリク) Mohamood さんの目に留まったらしく、私のメールアドレスを知りたいという問い合わせが届いたとのことでした。

私もTariq さんの消息を知りたいと思っていたところでしたので、早速こちらの近況を書いてメールを送ったら、すぐ返事がきました。彼はパキスタンに帰国して、NARC(National Agricultural Research Center 国立農業研究センター)の研究者になり、現在はIPM(Integrated Pest Management 総合的有害生物管理)プロジェクトのリーダーをしているとのことでした。現在55才になり、子供は娘4人と息子2人だが、長女はすでに結婚して夫と一緒にBahrain(バーレーン:ペルシャ湾の国)に住んでいるとのこと。2018年には60才で退職予定と書いてありましたので、パキスタンの国立研究所では日本と同じで一定の年齢に達したら強制的に定年退職させられるのかもしれません。

Tariq さんは私が受け入れた初めてのイスラム教徒の留学生でしたので、いろいろ初体験することがたくさんあった当時を思い出します。実験室で一定の時間になると毎日何回か床に絨毯(じゅうたん)を敷いて頭を床に付けてお祈りをする時は、どう対応していいか戸惑いました。インド人の著者が書いたイスラム教を冒涜する本を日本語に翻訳した筑波大学の先生が暗殺された時は、犯人が残した靴跡から中国の北京で売っている靴と同定され、Tariq さんは北京経由で一時帰国したことがあったので、犯人の可能性はないかと疑われて刑事が私の研究室に訪ねてきたこともありました。よく報道写真で見たアフガニスタンのタリバーン兵士のようにモジャモジャのあごひげを生やし、独特の帽子を被って、白い布でできたマントみたいな衣服を着て、大学近くの一間だけの安アパートに住んで、4年間くらいわき目も振らずに研究に専念していました。電気生理学的な手法を使って、当時日本で発見されて間もなかったチャバネゴキブリとイエバエのピレスロイド剤(殺虫剤)抵抗性は、作用点である神経の感受性の低下が主要メカニズムであることを明らかにするという素晴らしい研究をしました。私が大学教員として研究指導した百何十名かの学生の中で、人間的にも研究者としても最も優秀な一人でした。
こういうよい思い出を残してくれた元学生たちに出会えたことが、私の大学教員としての人生に充実感・満足感を与えてくれています。

あれから確か25年くらいが経った筈ですが、こうして再び偶然お互いの消息がわかり、連絡が取り合えるようになったことは嬉しいことです。まるで、予期していなかったクリスマスプレゼントが届いたような気分です。
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2012年12月9日日曜日

しばらく忙しくてブログの記事の更新ができませんでした。面白いことに、私に嫌がらせ行為をしている人もブログをチェックしているらしく、以前は何故記事を更新しないのだというメールが届いたことがありました。今回は久し振りに非通知設定の番号からコレクトコール(着信払い)の電話が2回かかりましたので(もちろん着信を拒否しましたが)、早く更新してほしいという催促なのかもしれません。そんなことで人にかまって(振り向いて)もらおうとしたり、ストレスのはけ口にしたり、幼児のままごと遊びのような情けないことをせずに、人と直接対面して話をしたり、まともなコミュニケーションをできるようになればいいのにと思ってしまいます。

12月29日の千葉大学走友会の練習会と忘年会に参加できるように、少しでも体調を整えておこうと思って久し振りに江戸川堤防を約2時間歩いたり走ったりしてきました。葛飾橋を渡って川の向こう側(東京都の金町と埼玉県の三郷)の堤防を上流に向かって、上葛飾橋を渡って川のこちら側(千葉県の松戸)に戻ってきました。葛飾橋の上からは松戸市の中心街が見渡せ、三郷側の堤防の途中には樋ノ口(ひのくち)の渡し跡の説明をした標識が建っていました。今から約300年前に江戸川を掘削して作った時に、村が2分されたので舟で行き来するために設置された渡しだそうです。住宅の間に遠くの筑波山の山影も見えました。こういう景色を眺めながら歩いたり走ったりするのは、楽しいものです。
園芸学部構内や、「緑の回廊」でつながっている松戸市歴史公園(徳川昭武の別邸だった戸定邸がある)の裏門の辺りでは紅葉が鮮やかでした。もう初冬の筈なのに、今年は遅くまで気温が高かったのでしょうか。
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2012年12月2日日曜日

カリフォルニア在住の娘の子供たち(私たちには孫)から電話があり、「お父さんをお世話してくれてありがとう」とAikaが言いました。義理の息子が日本のバーバ(妻のこと)とグランドパ(私のこと)からの孫たちへのお土産を持って帰ったので、大喜びした筈です。毎週土曜日に通っている現地の日本語学校のタレントショーで歌った歌を電話の向こうでかわりばんこに歌って聞かせてくれました。Aikaはこの夏日本に来ていた時にやっていたNHKテレビの朝ドラ「梅ちゃん先生」の主題歌を上手に歌いました。Colinは日本の童謡を歌い、Aidenはフルートでクリスマスの歌を吹いてくれました。

私は今日も忙しかったですが、昨日と同じように思い切って江戸川堤防を6Km だけ走ったり歩いたりして汗をかいてきました。
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2012年12月1日土曜日

早くも12月になりました。アメリカ人の義理の息子は、日本滞在中に義理の母親になる私の妻にご馳走を作ってもらって、洗濯をしてもらって、取り引きのある日本のテレビ局の人達とも会って、全ての目的を果たして今日の午後の飛行機でカリフォルニアに向かいました。午後から寒波が下りてきたので、成田空港から初雪を見たと電話をかけてきました。わずか1週間の滞在でしたが、本当の息子と同居しているようでした。
向こうに着いたら時差ボケを治す間もなく、子供のサッカーの練習試合に付き添うようです。私が、仕事と家族サービスと大変だなと言ったら、家族と過ごす時間は大変じゃなくて楽しいよと答えていました。
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012年11月30日金曜日

しばらくブログの記事の更新ができなかったら、体調が悪いのかと心配して下さったメールが届きました。忙しくて時間がなかっただけですので、大丈夫です。ご心配いただきありがとうございました。

カリフォルニア在住のアメリカ人の義理の息子が24日に来日し、私たちの家に滞在して仕事の取引のある日本のテレビ局を訪問しています。昨日はNHKテレビの人達と東京で夜遅くまで会食して夜の12時半ころ帰宅しました。今日は民放も含めてテレビ関係者全体のパーティーがあるらしく、帰りは夜の11時半くらいになるからと言って出かけていきました。仕事をとるためにも、年に一度の顔合わせは大事なのでしょう。明日は家族が待っているアメリカに帰ります。

28日には千葉県山武(さんむ)市にある千葉県森林研究所での研修会で、「松くい虫防除薬剤の散布後の林内及び周辺地域の気中濃度と落下量について-住民への健康被害は本当にあるのか?-」という演題で講演してきました。JR総武本線日向(ひゅうが)駅に早目に着いて、途中山武(さんぶ)杉の林(約1ha)を見学しました。若い杉の木に混ざって樹齢200年くらいの見事な杉の大木もたくさんありました。何年か前には、1本1千万円くらい(今は4百万円くらい?)の価値があったそうです。
森林研究所内も少し見学させてもらいましたが、松枯れの木が何本もあり、松くい虫防除の研究をしている研究所で松が枯れているのは恥ずかしいですねとからかってきました。比較的大きな木ばかりが枯れていたのは、樹高が高くて薬剤散布ができなかったからだと説明していました。
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2012年11月23日金曜日

気仙沼、一関、仙台を経て、宮城県名取市に移動しました。駅前でタクシーを拾って被害のひどかった閖上湊(ゆりあげみなと)地区と仙台空港周辺を視察しました。
閖上湊町は壊滅状態で、中学校の亡くなった生徒たちの慰霊碑には胸が詰まりました。神社やお寺も破壊され、墓地も土台だけが残ってお骨が散乱していました。
松については、海岸線と並行に植栽されたものはなぎ倒されて、直角に植栽されたものは生き残っているように見えましたが、つなみが斜め方向から押し寄せたという証言もあるようですので、今後造林学の専門家による検証が必要かもしれません。
まだ仮設住宅に住んでいる方々もおられ、これから人々の生活再建も含めて街をどう復興していくのか、大変な課題だなあと思いました。それにしても、災害発生後1年8ケ月も経ってまだこの状態では、難しい問題とはいえ、行政的な復興事業が機能しているのか疑問も感じました。
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2012年11月22日木曜日

東京駅から東北新幹線「はやて」で岩手県一関駅に行き、そこから大船渡線で気仙沼駅まで行きました。駅前でレンタカーを借りる予定でしたが、予約してなかったので車を手配するのに1時間もかかるということでしたので、タクシーを使って陸前高田市に向かいました。タクシーを利用した被災地視察のコースができていて、運転手さんはまるでツアーガイドのように私が興味のあるところを案内してくれました。

目的の陸前高田市の広田湾に面した高田松原はつなみによって壊滅し、地震による地盤沈下で砂浜自体が跡形もなくなっていました。つなみに耐えて生き残った「奇跡の一本松」は努力の甲斐なく枯れてしまいましたが、保存のための加工処理中で、切り株だけが現地に残っていました。

学校を含めて多くの建物が倒壊したり、土台だけ残して押し流されたり、340トンもある大きな漁船が陸に押し流されて住宅地の道路に乗り上げていました。視察のコースに入っているらしく、倒れないように鉄の板の支えが溶接されていました。テレビで見た光景を実際に自分の目で見て、つなみの恐ろしい破壊力を感じました。
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2012年11月21日水曜日

上尾ハーフマラソン大会で快走してきた千葉大学走友会の仲間のI先生に好成績を祝福するメールを送るついでにいくつか質問をしたら、以下の返信が届きました。総合1位は駒澤大学の学生だったとのこと、1時間2分とはもしかしたら箱根駅伝を走った選手かなと想像しました。
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上尾での総合1位は,駒澤大学の学生さんで1時間02分46秒でした。特別招待選手の川内優輝さんが,1時間04分13秒だったそうです。もっとも,川内選手は12月の福岡が照準でしょうから,あえてトップを狙ってはいなかったのではないかと思います。なお,私の部門別(40歳代男子)順位は4位でした。40歳代のトップは1時間11分19秒,5分も速いなんてとても追いつけません。
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I先生は50才代ではなく40才代とのことですが、それでもハーフを1時間16分で走るというのはたいしたものです。I先生も1月末の館山若潮マラソンにエントリーしていますので、フルマラソンでどういう記録を出すか楽しみです。

今日は全国農薬協同組合の総会と情報交換会が東京の日本海運クラブで開催されて、私も招待されましたので情報交換会にだけ参加してきました。来年は6月18日に神戸で、6月20日に福井で予定されている消費者対象の農薬ゼミに出演を依頼されました。

明日から一泊二日で、岩手県の陸前高田市の高田松原をはじめ、東北大震災時のつなみで破壊された海岸保安林を視察に行ってきます。何百年に一度しか起こらない歴史的災害ですので、松くい虫による松枯れとは違いますが、私も自分自身の目で見ておきたいと思います。
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2012年11月20日火曜日

千葉大学走友会メンバーの工学部教員のI先生(若く見えるけど50才代?)から、共通メールアドレス宛に11月18日(日)に埼玉県上尾市で開催されたハーフマラソンに出場してきた報告が届きました。
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5km 18:06
10km 36:02(17:56)
15km 54:24(18:22)
20km 1:12:26(18:02)
ゴール 1:16:17(3:51)

学連登録の大学生がわんさか出場するこの大会,このタイムでも総合だと469位でした。特別招待の川内優輝選手や,トップグループの選手たちの走りはやはり異次元でした。
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5Kmを18分前後のイーブンペースで21Kmちょっとを走ったのですから、私のような3流の市民ランナー(ちなみに私の5Kmのベストタイムは、50代の時にどこかの駅伝大会で出した19分43秒だった筈です)からすれば、夢のような記録です。それでも総合順位は469位だったということは、5Kmを14分~16分くらいで走るランナーがたくさんいたということでしょう。

来年1月27日(日)の館山若潮マラソンに参加費4000円を払って参加申し込みをしましたが、このところほとんど走り込みができていないのでピンチです。体重も減っていませんし、参加費を無駄にするのは悔しいけれど、このままではフルマラソンを走るのは無理なので棄権(不戦敗)せざるを得ないかもしれません。

今日は東京農業大学で最後の講義をしてきました。講義ができるのは70才までというのが東京農業大学の規則ですが、客員教授としては少なくとも来年の3月までは大学にいるので、何か相談したいことがあればいつでも研究室にくるようにと言って受講生に私への連絡方法を教えてきました。こういう若い学生諸君に、私の専門の農薬に関する話をし、アメリカでの生活を含めて私が実際に経験してきたことを伝え、彼らがこれからの人生を前向きに生きる上で何らかの影響を与えることができたとしたら嬉しいことです。
キャンパスでは野球部員がグランド整備をしたり、機械から投げ出されるボールに対して黙々とバッティング練習をしていました。駅伝部(今年も箱根駅伝に出場します)は重心の高い格好いいフォームでトラックを何周も走り続け、陸上部は練習の前に落ち葉を掃いていました。生協の横には音楽サークルの演奏会の看板が掲げてありました。若者たちのこういう元気な姿は、明るい将来を想像させ、何故か私までもが幸せな気持ちになります。
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2012年11月18日日曜日

日本環境動物昆虫学会第24回大会は、17日は名古屋大学東山キャンパスの環境総合館で、18日は東山キャンパスの停電のため予定を変更して大幸キャンパスの医学部保健学科本館で行われました。大幸キャンパスは、野球の中日ドラゴンズの本拠地名古屋ドームのすぐ近くにありました。この学会は元々は今から24年前にシロアリのような家屋害虫の生態や防除のような生活環境の動物・昆虫の研究分野を中心に関西で発足した小さな学会ですが、現在では範囲が広がり、自然環境や生物多様性の保全のような研究分野も含まれるようになりました。

発表件数が少ない割に、私にとっては興味深い研究発表がいくつかありました。吉村 剛教授(京大生存研)の「インドネシア・西カリマンタン州のいくつかのランドスケープにおけるシロアリ相」は、シロアリに関する学問の奥の深さを認識させられました。シロアリというのは木造家屋を倒壊させる害虫としか考えていませんでしたが、実は食性について木材食性、菌食性(養菌性)、土壌食性があって、森林の生態系にとって重要な役割を果たしているとのこと。インドネシアのカリマンタン州では、経済価値のあるオイルパーム(油ヤシ)の植林の進行に伴ってシロアリの種構成の単純化が起こりつつあるとのことで、ブラジルのアマゾンの開発も同じですが、そこに住んでいる人々にとって重要な経済的発展は生態系のバランスを崩壊させて生物多様性の貧弱化をもたらすという矛盾を抱えているということを考えさせられました。

「どうつなげる生物多様性」というテーマのシンポジウムでの石井 実教授(大阪府立大学)の基調講演「人がかかわってきた自然:私たちの課題と願望」はさすがでしたが、矢部 隆教授(愛知学泉大学)の「カメから見た水辺の生物多様性」も話術の巧みさもあって惹きこまれました。両方とも生物多様性が失われる要因の一つとして水質の悪化を挙げていましたが、今まで水質悪化の主な原因として検証なしに当然のように言われ続けてきた化学肥料や農薬汚染については、最近は改善されているという認識で共通していました。

プログラムには載っていなかった佐藤勝彦氏(愛知県猟友会会長)の講演は異色でしたが、愛知県における昭和38年(1963年)から平成22年(2010年)までの有害鳥獣捕獲・駆除数の年次統計の資料を配布されました。それを見ると、昭和38年のイノシシ、シカ、ニホンザルの捕獲・駆除数は各々723頭、20頭、0頭だったのが、平成22年には8,713頭、1,470頭、269頭に激増していることを示しています。人間の生活圏が野生生物の生息域に接近してきたこと以外に、捕食者の欠如など生態系のバランスが崩れていることもこれらの動物の増え過ぎによる害獣化に貢献しているのでしょう。佐藤氏は猟友会員の高齢化と会員数の極端な減少によって、将来有害鳥獣の駆除が困難になる可能性があると指摘していました。
ちなみに、捕獲・駆除した動物はどう処分するのかという私の質問に対しては、シカの肉はいつ獲ったものでも食べられるが、イノシシの場合は11月以降に獲ったものは美味しいが、夏場に獲ったものはまずくて食べられないので生ごみになってしまうとのことでした。
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2012年11月16日金曜日

11月28日には千葉県森林研究所で研修会が予定されていて、私にも講演が依頼されていますので、その準備を進めています。千葉県の海岸の松林が短期間(2008年以降)に何故松くい虫被害で壊滅に近い状態になったのか、第3者の立場でみた客観的な意見を述べてこようと思っています。

明日17日~18日は、日本環境動物昆虫学会大会が開催される名古屋に行きます。朝9:30からの評議員会に間に合うように、自宅を5:30頃出発します。当初は東山キャンパスの環境総合館が予定されていたのですが、日曜にキャンパス全体が工事で停電になるらしく、急遽医学部保健学科がある大幸キャンパスに変更になりました。一般講演に加えて18日午後には市民公開シンポジウム「どうつなげる生物多様性」という企画もあり、楽しみです。停電で学内の宿泊施設が利用できないので、一般のホテルを予約しました。

今日は東京農業大学から帰宅したら、留守電が2件入っていました。1件は東京の姉からで、本屋で今販売中の月刊誌「文藝春秋」12月号をめくったら私の写真が載っていたので一冊買ってきたというメッセージでした。
もう1件はカリフォルニア在住の娘からで、先日EMS便で送った本「友情の人形は海をこえて」が届いたというメッセージでした。英語への翻訳を引き受けてくれるといいのですが・・。アメリカの人達にも、1927年に日本の子供たちに贈られた青い目の人形が、心ある人たちによって戦争中も守られて、今も大事にされていることを是非知ってほしいと思います。
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2012年11月15日木曜日

朝から夕方5 時頃まで東京の秋葉原コンベンションホールA というところで、(独)農業生物資源研究所主催、(独)農業・食品産業技術総合研究機構中央農業総合研究センター共催による、「ポストゲノム時代の害虫防除研究のあり方」第5回-殺虫剤抵抗性問題の最前線-があり、私も聴講してきました。千葉大学時代に私の研究室を専攻した元学生の一人が現在は国立感染症研究所でリサーチレジデント(博士研究員)として勤務していますが、彼も「シトクロムP450による薬剤抵抗性機構」という演題で講演をしました。私が1960年代や1970年代にこういう研究テーマに取り組んでいた頃に比べて、前半の抵抗性遺伝子に関する基礎的研究はずい分進歩しましたが、後半のそれを農家か実際に抵抗性対策として使える技術にするという応用面ではあまり進歩していないなという印象を受けました。

総合討論で閉会後は、近くの秋葉原UDXビルで交流会がありました。7時過ぎに私は会場を後にしましたが、駅前の辺りはいろいろなライティング/イルミネーション(照明)が設置されてクリスマスの雰囲気を作り出していました。秋葉原の駅の周辺は、昔は青果物市場があって農家がトラックなどで収穫物を運んできたりして賑わっていましたが、今は高層ビルが立ち並び、近代的なおしゃれな街に生まれ変わっていました。
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2012年11月14日水曜日

以前、岐阜県での農薬ゼミでの私の基調講演を聴きに来て下さった東海地方にお住いのN子さんから、横浜の人形の家で今日から開催される(11月14日~11月21日)武(たけ)文桜(ぶんおう)回顧展の案内をいただいていましたので、楽しみに出かけました。横浜駅からみなと・みらい線の地下鉄に乗って終点元町・中華街駅で降りると、徒歩3分くらいのところに横浜人形の家はありました。ちょうど黄葉真っ盛りのイチョウ並木の前にあって、建物自体がガラス張りの芸術的建築でした。

創作日本人形作家の故武 文桜(本名武 文子)(1925年-2011年)さんはN子さんのお母様で、先日送っていただいた絵本「友情の人形は海をこえて」の著者故武田英子さんたちと一緒に日米友情の人形交流に携わってこられた方です。芸術の事は何もわからない私が見ても本当に素晴らしい作品ばかりでした。今日は会場に来ておられた武さんの妹さんお二人とお弟子さんと娘のN子さんともお会いできました。

2階と3階にある常設展の方にも行ってみましたが、日本各地の人形や世界各地の人形が展示されていて、こちらも大変見ごたえがありました。青い目の人形もありました。国が違って人形の形が違っても、人形が子供たちに夢を与えたり、遊び友達であったり、情緒を育むという役割は共通なのだなと思いました。ドールハウス(人形の家、ままごと遊びの家)も含めて、人形は子供たちだけでなく、大人が見ても心を和(なご)ませてくれるものだなと感じました。
私はN子さんからお知らせをいただくまで、近くに住んでいても今まで横浜人形の家の存在すら知りませんでした。まだ行ったことのない方は一度訪ねてみる価値はあると思います。http://www.yokohama-doll-museum.com 
私が展示を観終わったら、N子さんは会場から席を外して近くの喫茶店で私とお話しする時間を作ってくれましたので、市橋君の適正な裁判を支援する会の今後のことなどについて私が考えていることなどを少しお話ししました。

駅まで帰る前に、一人ですぐ近くの山下公園に足を延ばして港の景色を眺めてきました。湾内を巡(めぐ)る観光船や、大きな貨物船や、船内を見学できる氷川丸(1930年竣工の当時の豪華客船)が停泊していました。昔ブラジルへの移民船が横浜港から出航する時に、ブラジル在住の家族に届けてもらう荷物を移住する日本人に託して、よく母と一緒に見送りに来たことを思い出しました。今は海外といっても飛行機で簡単に行き来できますが、昔は移住する人に甲板から投げてもらったテープの端を持って、船が岸壁からだんだん遠ざかるにつれて届かなくなったテープが切れて、それが一生の別れのような気がしていたのを思い出しました。
         (写真はクリックすると拡大できます)
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2012年11月13日火曜日

午前中は東京農業大学で3回目の講義をしました。今日は、2008年にヘリコプターで松くい虫防除の薬剤散布が行われた日に学童・生徒たちから健康被害(目のかゆみ)の訴えがだされた島根県出雲市の事例をとりあげ、その後の私たちの現地調査で実際には通学路に繁茂していたイネ科雑草の花粉による花粉症だった可能性が高いことを紹介しました。パソコンの設定などの準備をして下さった先生は学生の後の席で聴講されたようで、後からメールが届き、この先生は島根大学で博士号を取得し、出雲農林高校に勤務していた時には私たちが花粉の調査をした通学路のすぐ近くに住んでおられたとのことでした。私がスライドで示した現地の写真が懐かしかったとのことでしたが、偶然の一致とは言え、不思議な気がしました。

午後からは浅草(あさくさ)の浅草(せんそう)寺で行われた虫供養(むしくよう)に参加をしました。農薬の研究では、薬効の検定などで多くの生物(動物、昆虫、微生物、雑草など)を犠牲にしますので、1年に1回関係者が集まって供養をして感謝の気持ちを捧げています。
その後場所を変えて行われた参加者の集いでは、久し振りにお会いする方々と近況報告や情報交換ができて、楽しいひと時でした。
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2012年11月12日月曜日

今日も自宅で報告書の作成に集中しました。午後から雨が止んで晴れ間もでてきたので、愛用のカメラを持って江戸川堤防に行って10Km 走ったり歩いたりしてきました。いつも壮観だなあと思っている堤防下の農家の鈴なりの柿の写真を撮りました。
5時少し前になったら西の地平線に太陽が沈みましたが、その直前に富士山の陰影と東京スカイツリーの陰が見えました。

大洗原子力研究開発センターの松については、2008年まではある防除業者が入って年に2回薬剤散布をして松くい虫防除をしていたので松はきちんと守られていたとのことです。その後の3年間はどういう理由かはわかりませんが、防除が実施されなかったために被害が甚大になり、今年2012年になって入札で選定された地元の業者が薬剤散布を実施したという経緯のようです。今年は散布をしたといっても、昨日の視察では今年枯れた被害木が多数ありましたので、マツノマダラカミキリの密度が高くなり過ぎて防除効果が不十分だったのか、あるいは入札制度で安い見積もりを出す業者が選定されますので、松くい虫防除方法について十分理解していない業者が選定され、散布方法が不適切だった可能性も考えられます。実際に散布をしたのは、元請け→下請け→孫請けの流れで、孫請けの業者だったようです。?
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2012年11月11日日曜日

常磐線の石岡駅に8:15に着き、待っていてくれた樹木医のY.A.氏の車で涸沼(ヒヌマ)の景色を見ながら大洗海岸に行きました。あらかじめ独立行政法人原子力研究開発機構大洗研究開発センターの辺りの松枯れが激しいという情報が入っていたので行ってみたら、確かに正門から構内の松がたくさん枯れているのが見えたので写真をとろうとしたら、いきなり「写真撮影は禁止です」というアナウンスがスピーカーから流れました。驚いて周りをみたら、監視カメラがついていて警備室で監視をされていたようでした。用事があるならインターホンで話をするようにと言われたので、身分を名乗って、松くい虫被害の視察に来た旨を伝えたら、あらかじめ申請手続きをしていないと許可できませんと言われてしまいました。普段からこういう厳しい警備をしているのか、原子力発電所の事故以来、反原発の動きが高まっているので特別警戒をしているのかはわかりませんでしたが、仕方がないので裏に回ってみました。もしかしたら、昨年3月の原発事故以来、予算が縮小されて昨年と今年の2年間松くい虫対策をする余裕がなくなったせいか(誰かに確認する必要があります)、ずい分松枯れが目立ちました。伐倒駆除をせずに枯損木をこのまま残しておくと、来年はそれが発生源になって今年生き残った松も相当枯れるなということが予想されました。

周辺を回ってみたら、与利幾(何と読むのかわかりません)神社の周りには大きな松林がありましたが、やはり相当数が枯れていました。枯れて玉切りにされた松の年輪を数えてみたら、ざっと50年くらい経っている松だということがわかりました。こんな大木を多くの本数伐倒する予算(1本20~30万円かかるそうです)はないでしょうから、多分このまま放置されると来年は被害が激増しそうだなと思われました。

一方、大洗海岸公園の松林は樹高の低い松が斜面に密植されていましたが、ほとんど松枯れがなくよく守られていました。
さらに、大洗町営の「幕末と明治の博物館」[明治維新後活躍した高知県出身の田中光顕(みつあき)伯爵が昭和4年に創立した旧常陽明治記念館] http://www.bakumatsu-meiji.com/ に行ってみたら、巨大な松林が見事に管理されていましたが、1本だけは殺センチュウ剤が今年の2月に樹幹注入されたことを示すラベルがホッチキス留めされていたにもかかわらず枯れていました。殺センチュウ剤がその1本の松にだけは防除効果を発揮できなかった何らかの理由がある筈ですので、調べてみれば面白い研究テーマだなと思いました。

さらに海岸沿いに北上してみたら、松がボロボロに枯れて骸骨のように立っているところがあり、再生した松にも今年発生した松枯れが見られましたが、その下部からトベラのような常緑落葉樹が生えてきているところがありました。自然に遷移したのか植樹したのかは関係者に確認してみないとわかりませんが、樹種の置換が可能ならそれはそれでいいのではという気がしました。ただ、飛砂防止効果という点で松のような針葉樹と広葉樹で違うのかどうかは誰かに訊いてみないとわかりません。

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2012年11月10日土曜日

しばらくブログの記事の更新ができなかったので、支援者から心配したお便りが届きました。心配していただきありがとうございました。今年の6月に新潟県胎内市で松くい虫防除でヘリコプターで薬剤が散布された時に飛散調査をしましたが、その時に採取した気中濃度と落下量の分析値の計算と報告書作成に集中していました。もう少しのところまできましたので、近々ブログの記事の更新とジョギングの再開ができる筈です。胎内市では、来年度の松くい虫防除の薬剤散布を継続するかどうか判断する上で、私たちの調査結果が重要な意味を持ちますので、最優先で報告書の作成をしたいと思います。

本日発売の月刊誌「文藝春秋」12月号の同級生交換というコラムに、埼玉県立浦和高校を昭和36年(1961年)卒の仲間5人の写真が掲載されている筈でしたので、駅前の本屋に行って一冊購入してきました。この写真を撮影するために母校の校門前に集まった機会に校長室に寄ったら、「尚文昌武」と書いた額が掲げてありました。普通は「文武両道」と言うのでしょうが、男子校(現在でも)だった浦和高校では勉強も運動も奨励していました。写真の中の私を含めた二人は「武」の方で、残りの三人は「文」の方だったなあという話になりました。「武」の一人は千葉大園芸学部(空手部)に、もう一人は慶応大経済学部(サッカー部)に進学し、「文」の三人は東大法学部、東大工学部、千葉大医学部に進学しました。全員70才の男たちですが、まだそれぞれの道で元気に活動しています。

明日は朝早く出発して、茨城県大洗海岸の松枯れ状況を視察に行く予定です。
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2012年11月6日火曜日

朝からかなり強い雨が降っていましたが、人と会う約束がありましたので東京農業大学に出かけました。昨日で収穫祭が終わって、学生たちが雨の中を後片付けをしていました。
研究室での話が終わって、経堂駅までの帰り道の途中で最近できたアジアレストランに寄って、軽く一杯飲みながらスパイスの効いたインド料理を食べて、家に着いたのは夜の11時半でした。
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2012年11月5日月曜日

江戸川堤防を6Km ジョギングしてから、腎臓透析と脳梗塞のリハビリで長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人をお見舞いに行きました。最後にお見舞いに行ったのは8月ですから、約3ケ月振りでした。いつものように受付で手続きをして、手の消毒をして、病室に行き、「おいN君、本山だぞ、元気だったか」と声をかけたら、目を大きく開けて私をじっと見てくれましたが、声を出した言葉は返ってきませんでした。反応はできなくても、私の言うことは聞こえている筈だからと思って、9月下旬から中国、アメリカ、スリランカに連続して行ってきたことや、昨日までは千葉大学園芸学部で大学祭が行われていたことや、妻と一緒に国立新美術館に行ってきたことや、美術の素養が全くない私にも素晴らしい作品ばかりで圧倒されたことなどを、一方的に話しました。N君は病気で倒れるまではよく油絵を描いていたので、「君にもあの素晴らしい作品を見せたかったなあ」と言ってやりましたが、反応はありませんでした。

ラッキーなことに、そうこうしている中に奥様が来られたので、久し振りに奥様とも話ができました。N君は、アルツハイマー型認知症(アメリカのレーガン元大統領が罹ったのと同じ)の症状が進行中だとのことでした。先日、車椅子を押して戸外に散歩に出た時に、「今日の気分は、いいの悪いの?」と奥様が話しかけたら、「最高だ」と声を出して答えてくれたのでびっくりして、嬉しかったとのこと。やはり、普段は反応はできなくても、こちらの言うことは聞こえているのだと思いました。
食事も、今は嚥下(エンゲ)力が弱くなったので肺炎にならないようにストローで流動食を摂っているのだが、嫌がって口を開けないのだそうです。奥様が病院に内緒で小さなタッパウェアーに小さく切ったリンゴ片を入れてきて、N君の口に入れて「30回噛んでから飲み込むのよ」と言って食べさせていました。N君はおいしそうにサクサク音を立ててリンゴ片を噛んでから飲み込んでいました。
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2012年11月4日日曜日

白木 誠氏は、2012年4月15日のブログでミャンマーの子供たちの笑顔の写真とともにM.S.氏として紹介した人ですが、この度 Bridges Across Asia (BAA) というNPO を立ち上げるにあたって、設立趣意書を添付して(クリックして開いて、拡大すると読み易くなります)、以下の支援要請の手紙が届きました。元々は、ある農薬会社の開発部長をしていた時(約20年前)からのお付き合いですが、私自身がやりたいと思っていることを先取りして実際に実行に移そうとしておられるようですので、私もできる範囲で応援しようと思っています。
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各位
秋も深まってまいりました。
皆様には益々ご健勝にて様々な場面にてご活躍の事と拝察いたします。
さて、かねてより計画はしておりましたもののなかなか実行に移せませんでしたがこの度、東南アジアにおける農村地域の開発促進を支援するための任意非営利団体Bridges Across Asia "BAA"を設立しましたのでご案内申し上げます。
去る9月下旬に急に思い立って半年振りにミャンマーを訪問しかつての任地でかつての部下、旧知の人たちと再会しました。
報道では何かとミャンマーの民主化、開発支援、企業進出などが大きく取り上げられていますが、地方の状況は小生の見る限りではほとんど変化はありませんでした。
地方自治の制度も採り入れられていますが、人材、経験、予算などの極端な不足でほとんど実効は上がっていません。農村の実態も全く変化がありませんでした。むしろ都市部との格差が拡大している感じを持ちました。政府は貧困改善の一環としてMicro Financeや協同組合などを奨励、補助金支給などをしていますが、なかなか思うように行っていないのが実情のようでした。かつての任地の人達からは小生に戻ってきて農村の発展に手を貸して欲しいという要望があちこちで出てきました。
現時点では小生一人の団体(?)ですが、今後賛同者を募り、正会員が一定数以上になった時点ではNPO法人登録をも検討し、資金調達を進め本格的な活動を可及的速やかに開始したいと存じます。
取り敢えず、小生は来年1月にはミャンマーのシャン州に入り、先に訪問した折に依頼された事案の一つである、「土着菌堆肥」のマスプロダクションProjectの支援をしようと考えております。「土着菌堆肥」とはご存知の方も多いかと存じますが、その地域の微生物を使用してより短期間で製造する堆肥の事で循環型農業には欠かせない要素の一つです。小生も3年間農家に製法、使用法などの普及に努めましたがなかなか普及しません。当方が実施するデモなどで有効な肥料だと分っていても"面倒"、"材料集めが大変"、"臭い" などが主な理由で普及しませんでした。それを一手に製造して安価で農家に供給するというProjectです。
当団体の設立趣意書を添付いたしました。もし、趣旨にご賛同いただける場合[正会員]あるいは[賛助会員]としてご登録いただければ幸甚です。
年会費は正会員:3,000円、賛助会員:1,000円を考えております。
ご登録いただいた方には後日振込用紙をお送りします。
なお、登録は下記項目を明記のうえ本メールへの返信にてお願いします。
会員の種類、
氏名
年齢
住所
電話番号
性別

宜しくお願い申し上げます。

NPO Bridges Across Asia:BAA
設立代表者: 白木 誠 
E-mail: makotoshiraki396@gmail.com
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今日は妻と二人で東京に出かけ、ある大学の大学祭を見物した後、国立新美術館を訪ねました。美術館は地下鉄千代田線の乃木坂駅の6番出口から直結した便利な場所にありました。大変大きなモダンな建物で、10月30日のブログで言及しました第44回日展が開催中でした。いただいた招待状を入場券に代えてもらって、日本画、洋画、工芸、彫刻とジャンル別に展示してある部屋を回って鑑賞してきました。いずれも素晴らしい作品ばかりで、普段あまり美術鑑賞をしたことがないものですから、妻ともども圧倒されてさすが一流作品はすごいと感心しました。
招待状を送って下さった知人のお父様である野口晴郎氏の作品は、母親と子供をデザインした独特の人形で、工芸の部屋に展示してありました。
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2012年11月3日土曜日
あちこちの大学で大学祭が行われていますが、東京農業大学では収穫祭、千葉大学園芸学部では戸定(トジョウ)祭が行われていて、松戸市民が販売されている野菜や果物や花などを買って帰る姿をみます。

千葉大学を定年退職して5年目ですので、私を知っている学生はほとんどいなくなりましたが、それでも販売物を押し売りされないように学内を通るのを避けて、江戸川にジョギングに行きました。秋晴れの空の下を10Km ゆっくり走ったり歩いたりしてきました。流水路(ふれあい川)に沿って河川敷では河童祭りののぼりが立って、食べ物や衣類やおもちゃなどを売っている露天商の屋台が並んでいました。堤防の反対側の農家の柿の木には柿が鈴なりになって、すっかり秋の景色でした。
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2012年11月2日金曜日

刑事裁判の通訳も多くこなしているというスペイン語通訳をしておられる方からメールが届き、市橋君の公判時に法廷通訳によって法廷でのやり取りが被害者両親に通訳されたことに関して質問に回答してもらえるかという打診でした。「日本における司法通訳翻訳の現状と課題について」という研究テーマの博士論文作成上の資料にしたいとのことでした。元教師としての本能で、できるだけ協力したいという気持ちになり、すぐ了承しました。しかし、送られてきた質問票を見ますと、内容的には裁判所が回答すべき内容の質問がほとんどで(例えば、法廷通訳の選出方法とか、支払われた報酬の負担人は誰かとか)、弁護側証人として1回出廷しただけの私が回答できる立場ではないということがわかりました。

私の記憶も薄れていますので、あらためて当時のブログをチェックしてみましたら、私は2011年7月11日に出廷して証言をしていました。当日裁判員の一人から、「私自身は支援する会にいくら振り込んだのか」という、市橋君の犯した罪の判断には何の関係もない、単なる好奇心本位の質問に不愉快な思いをしたことを思い出しました。2011年7月26日のブログでは、担当した通訳が私の専門の農薬毒性学(Pesticide Toxicology)の農薬(Pesticide)を肥料(Fertilizer)と誤訳したことや、2011年7月21日付けの英字新聞 The Japan Times にその他にも誤訳が具体的に指摘されていると書いてありました。また、2011年7月31日のブログでは、支援者から寄せられた通訳の問題点に関する詳しい情報を紹介してありました。

加害者や被害者が外国人の場合、通訳の仕方によっては裁判員の判断に不適切な影響を及ぼす可能性もありますので、法廷通訳が一人だけでいいのか(市橋君の裁判の時は、裁判所が登録されている英語通訳の中から選出し、複数必要ではないのかという弁護団の指摘に対して、通訳本人が自分一人で十分できると主張して一人になったという経緯のようですが)、という問題も含めて制度的に考えてみる必要があるのかもしれません。
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2012年11月1日木曜日

朝6時に目覚ましをかけて、シャワーを浴びて目を覚ましてから、昨日の夕方下見をしておいたホテル周辺を1時間くらい散歩してきました。北アルプスの頂上は雲に隠れて少ししか見えませんでしたが、太陽が昇るにつれて手前の山が上の方から少しずつ明るくなっていく様子は感動的でした。夏用から冬用の衣服に着替えてきたのですが、それでも寒いくらいで手がかじかんだのでズボンのポケットに入れてしのぎました。つい先週までは熱帯のスリランカにいたのとは大変な違いでしたが、都会の喧騒とは違う田舎の落ち着いた景色や雰囲気には共通のものを感じました。朝7時頃には子供たちが自転車で学校に向かう姿が見えました。この辺りは、以前私が農林水産省の農業資材審議会農薬分科会長の任にあってマイナー作物の農薬登録問題を検討していた時に、ワサビ(ワサビにも害虫が発生しますが、当時ワサビに登録のある農薬は皆無でした)の現場での栽培状況を見学に来た頃は穂高町と呼ばれていましたが、今は安曇野(アズミノ)市に合併して安曇野市明科(アカシナ)になっていました。

散歩に出る直前にアメリカの空手の弟子/友人のユージン・サンチェス君から電話がありました。先日アメリカ東部海岸を襲ったハリケーン"Sandy"の被害見舞いの留守電を入れておいたことに対するお礼の電話でした。最も大きな被害を受けたのはニューヨーク州やニュージャージー州で、今回はノースカロライナ州の被害はそれほどでもなかったとのことでした。従って、ウィルミントンという海岸の町にある彼の家にも被害はなかったとのこと。しかし、停電の復旧工事の手が足らないので、電力会社に勤めている彼自身も北部の州に復旧応援要員として派遣されるだろうとのことでした。

長野県森林病虫獣害防除検討会は、長野県林業薬剤防除協会/長野県森林保全対策協会/長野県林業職員協会/長野県森林組合連合会/安曇野市/松本市の主催、多くの諸団体の共催で、林野庁中部森林管理局/長野県/長野県市長会/長野県町村会の後援を受けて、安曇野市明科公民館で10:00 から開催されました。
主催者・来賓の挨拶に続いて、私が「松林に散布された薬剤の飛散実態と健康影響の可能性」という演題で講演をしました。参加者は長野県下の市町村職員が大半でしたが、松枯れの激害化が進行していて対応を迫られているという状況下で、一部一般市民も参加して、事実を知りたいという真剣な雰囲気が伝わってきました。ヘリコプターによる薬剤散布が、2008年の上田市における保育園児の喉の痛み症状の訴え騒動以来、実施し難くなっていますが、今まで薬剤散布による健康影響の訴えがなされたほとんどの場合、実際には健康影響が起こるような周辺環境への飛散は起こっていないし、健康影響の可能性は著しく低い(=実質的にない)という私たちの過去9年間にわたる全国各地での科学的調査結果に基づく見解に熱心に耳を傾けてくれました。それでも、科学的事実とは別に、農薬反対活動家グループがメディアを使って農薬による健康被害を大きな声で訴えれば、政治的に考慮せざるを得ないというところが行政担当者のつらいところです。
その後、ヤンマーヘリ&アグリ(株)の斉藤次男氏による「無人ヘリについて」の講演がありました。

昼食後、無人ヘリコプターによる薬剤散布(水で代用)の実地研修のために、各自の車で安曇野市明科押野山に移動しました。この地域は松枯れの激害発生地で、松くい虫で大量の松が枯損し、見るも無残な状況でした。
無人ヘリコプターによる薬剤散布は、通常早朝の凪(なぎ)の時に、風速が毎秒3m以下の時だけに実施しますが、今日は時間的に午後になったこともあってかなりの強風が吹いていましたので、ヘリコプターを松林の上までは飛ばさずに、地上から数m飛び立たせて水を散布するデモンストレーション飛行をしました。

帰りは上田市から参加していた方の車に同乗させていただいて、上田駅から長野新幹線に乗りましたが、上田駅までのドライブの途中の山の景色を堪能しました。
2012年10月31日水曜日
上野発10:30 の長野新幹線あさま515号に乗って、長野駅に11:51 に着きました。現地の方が車で待っていてくれて、宿泊予定の安曇野(アズミノ)市明科(アカしな)のホテル(ビレッジ安曇野)に行くのに時間に余裕があるので、途中更埴(コウショク)市姨捨(オバステ)山のレストエリアに寄って昼食を食べ、さらに大峰高原の7色大カエデを見に行くことにしました。

姨捨山から千曲川方面を見下ろす夜景は、世界の3大夜景の一つと言われているそうですが、すぐ手前にはリンゴ園があり、昼間でも全体が見渡せるパノラマのような見事な景色でした。
大峰高原の7色大カエデはちょうど見ごろで、正に7色の紅葉が楽しめました。看板の説明によると、昭和22年に大峰開拓団(昭和20年が終戦ですから、海外からの引揚げ者もたくさんいた筈で、食べるためにこんな高いところにも入植して開墾したのでしょう)によって発見されたとのことです。

ビレッジ安曇野の入り口にあった木彫りの彫刻は、女性の像でしたが、貧しさの悲惨さを表現しているのか、何故か10月にワシントンDCのフランクリン・ルーズベルトモニュメントで見た貧しい男と女の像と似たような印象を受けました。ホテルの入り口に何故このような像があるのだろうかと、ちょっと不思議な気がしました。
明日の研修会の参加者は当初の約100名という予想をはるかに超えて150名を超えるとのことでしたが、夕方6時からはホテルの大広間で懇親会がありました。松枯れ問題について、行政担当者とも情報交換ができて大変有意義でした。
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2012年10月30日火曜日

午前10:40からの講義に間に合うように十分ゆとりを持って自宅を出たのですが、松戸駅に着いたらいつも利用する地下鉄千代田線の隣の駅の金町で電車の窓が割れるという事故があったらしく、千代田線は超ノロノロ運転なのでお急ぎの方はJR常磐線で北千住に行って乗り換えて下さいというアナウンスがありました。多くの通勤客がそうしたので、超満員になりましたが、東京農業大学にはほぼちょうどの時間に着きました。
今日は面白いことに気が付きました。講義の途中で、学生がちゃんと理解してくれているかどうかを確認するために何か質問はありますかと訊いても誰も手を挙げません。そこで前の方で熱心に聴いてくれている学生を指名して個別に質問をしてみると、やはり肩をすぼめる仕草をするだけで何も言いません。
ところが、時間がきて出席カードを教壇のところに提出するように指示すると、大勢の学生が私の周りに集まって次から次に質問をしてきます。結局、人の前でちゃんとした日本語で質問をするのは苦手でできないけれど、個人的に普段の言葉で1対1で話すのだったら、言いたいことがいっぱいあるということのようです。アメリカでは、小さい子供の時から自分の意見をきちんと言葉で表現する訓練を受けていますが、日本では(特に最近は)パソコンの画面や携帯やスマートフォンの画面を眺める時間は多くても、人の前でちゃんとした日本語で自分の意見を表現する訓練を受けていないので、大学生になっても教室全体の中で質問をすることができないということではないかと思いました。

午後から大学の周りを6Km ジョギングして、学会誌に外国から投稿された論文の校閲(査読)をしました。元はと言えば、追い詰められないと集中できない私の性格のせいですが、これでひとまず絶対絶命の危機は脱しました。

自宅に帰ったら、先日会食をした社長から郵便のお手紙が届いていて、人形作家のお父様が日展に出品した創作人形の絵葉書と、国立新美術館(港区六本木7-22-2)で11月2日~12月9日に開催される第44回日展の案内状(2名まで入れる招待券)が同封されていました。「友情の人形は海をこえて」の本は出版社に連絡をして注文をされたようですが、その話を91才のお父様にしたら、青い目の人形使節に対する答礼人形の一つは自分の父親「野口明豊」(明治26年~昭和53年)が作ったものだと一喝されたとのことでした。お母様が人形作家だった市橋君の支援者と、たまたまノースカロライナの博物館で答礼人形を見た私と、農薬関係会社の社長と、そのお父様とそのまたお父様と、人形がきっかけで不思議なご縁ができました。

アメリカの東部海岸は「サンディ」と名付けられた強大なハリケーンが上陸して被害がでているとテレビのニュースが伝えていましたので、ノースカロライナのウィルミントンという海岸の町に住んでいる空手の弟子/友人のユージン・サンチェス君に電話をしてみました。彼はフロリダ大学工学部卒で、電力会社にエンジニアとして勤務しているので、ハリケーンで電柱が倒れたり電線が切れて停電になると、いつも修理に飛び回ります。留守電になっていたので、今回も電気を回復するのに飛び回っているのかもしれません。ノースカロライナ訪問中にお世話になったマージーさんにも電話をしてみましたが、ここも留守電設定になっていました。どの程度の被害がでているのか・・気になります。
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2012年10月29日月曜日

東京農業大学の研究室で明日の講義の配布資料を作成して、世話をして下さっている教員に送信しました。受講生の人数分コピーをとって教室に届けていただける予定です。その後、11月1日に長野県安曇野市で開催される森林病虫獣害防除研修会での講演で使うスライドの原稿を作成して、長野県の世話人に宅ファイル便で送信しました。こちらも当日までに配布資料として準備をしていただけるとのことです。
午後3時には予定していた来客があり、研究室でしばらく松枯れ対策について情報交換後、駅まで帰る途中の宮崎産鶏肉料理店で会食しました。

今日が締め切りの学会誌の論文校閲がまだできていないので、明日の午前中の講義が済んだら最優先であたらないと、絶対絶命です。
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2012年10月28日日曜日

(スリランカ訪問中の10月18日~21日の記事にさらに写真を追加しました。)

今日ははスリランカで撮った写真を整理して、ブログの記事に追加しました。昨日走れなかったので、雨の降りだす前に江戸川堤防に行って10Km をジョギングしてきました。
支援者の皆様からいただいたお便りに返事を差し上げるのが遅れていて、申し訳ありません。中国や、アメリカや、スリランカでお世話になった方々へのお礼の手紙もまだできていなくて失礼をしています。

1997年に日米科学協力事業として農薬に関するセミナーを私と一緒に企画実施した時のアメリカ側代表だったDr. Ron Kuhr が急死したとのメール連絡が届きました。身体障害者(小児麻痺)の30才くらいの息子さんがおられたので心配で、ご家族について問い合わせてみましたら、ご家族は奥様と息子2人、娘1人がおられるとのことでしたので安心しました。Dr. Kuhr はノースカロライナ州立大学で昆虫学科長もされ、カーバメイト系殺虫剤についてりっぱな本を書かれた研究者で、殺虫剤の研究者は誰でも知っている人でした。私とほとんど同年代だった筈ですが、今年は前立腺がんで車椅子生活をしているという情報だけで、会うことはできませんでした。急逝の原因は多分脳梗塞だろうとのことでした。一昨年、ノースカロライナを訪ねて一緒にランチを食べた時に、身体障害者の息子さんを連れて来られてお世話をしていた頃の元気な姿を思い出します。まだまだ仕事ができる状態だったのに、家族と一緒の時間を過ごしたいとおっしゃって職を辞して、息子さんのお世話をしておられたのに、ご自分が先に旅立ってしまいました。車椅子生活になってからは、奥様がしっかりお世話をしておられたとのことですので、亡くなるまでご家族との幸せな時間を過ごされたと想像しています。人の一生の充実感は、寿命の長短ではなく、どういう生き方をするかで決まるのだという思いが強くします。
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2012年10月27日土曜日

支援者から以下のお便りが届きました。
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今晩は。スリランカの写真拝見致しました。反日デモで騒がれていた中国、本山先生の古巣のノースカロライナ州、異国情緒あふれたスリランカ、それぞれ異なった国での文化や生活が伝わって来ました。
ブログで支援者の方々のメッセージ(ご意見)も拝見させて頂きました。私は、先日お伝えしました通り、市橋達也さんの為に残して頂くことを希望致します。支援金の残金処理方法として3つ案の提案があった際も迷わず2案を希望しました。しかしその思いとは別に保管方法が問題ですね。どなたか名案を提案して下さることを期待したいですが、難しいのではないかと思います。
8月に本山先生とお会いした時は、2案の保管方法について検討し、ご両親にご相談や、もしくは直接送金されても受け取って下さるのではないか...もし受け入れて頂けなかった場合は、領置金の没収の可能性がある10年間は、塀の外で保管し、直ぐに決めなくても、状況により検討して行けばと言うようなお話になりました。
しかしその後、菅野弁護士さんからご連絡により状況が変わり、本山先生のお考えも変わられたか気になります。私は、以前お話されたように、進めて頂けることを強く望んでいます。市橋達也さんの裁判が結審し受刑者となった今、マスコミが取り上げることもなくなり、ご両親も静かな時を過ごし始めていらっしゃると思います。そのような時に、ご連絡をされるのも気が引けますし、本山先生にご負担をお掛けすることになり恐縮ですが、支援者の思いを届けて欲しいです。
『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』が終了後、時間が掛かっても慎重に検討し決められればと思っていましたが、菅野弁護士さんへのお返事は、そろそろされないとならないでしょうか?訴訟についても、支援金の全額or一部?もう少し詳細を知りたいです。
支援者の様々な意見があり、本山先生も決断されるのも難しいと思いまが、よろしくお願い致します。
来年開催される館山若潮マラソン大会に参加されるのですね。しばらく日本から離れてハードスケジュールに追われ、帰国後もお忙しいようですが、体調を崩さないように、ジョギング頑張って下さい。
本山:ご意見をありがとうございました。多くの方が、支援金は一般的な被疑者/被告人と弁護人との関係の問題点を改善するためでなく、市橋君という特定の個人の裁判を支援するために振り込んだので、あくまで市橋君のために使ってほしいというご意見だということがわかりました。来週にでも一度菅野弁護士に電話をして、皆様のこういうご意見をお伝えするとともに、千葉刑務所の弁護活動妨害行為に対して国を相手に告訴して被疑者/被告人の権利を守るというお考えについてもう少し詳しく伺おうと思っています。場合によっては、現在ある支援金の残金とは別に、菅野弁護士が起こそうとしておられる活動を支援するための募金を新たに開始することも考えられるかもしれません。
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今日は西千葉キャンパスのけやき会館レセプションホールで千葉大学名誉教授懇談会があり、各学部出身の約40名の名誉教授が出席しましたが、私も園芸学部出身の4人の名誉教授とともに出席しました。学長挨拶に続いて、各部局長等による部局の近況報告があり、その後大ホールに移って2題の講演がありました。①「千葉からアジアへ、アジアからアフリカへ-結核疫学調査と医療・対策の進展-」小野崎郁史(世界保健機構STOP結核部メディカルオフィサー) ②「長嶋学の創造-長嶋vs.野村-学生はどちらを求めるか」明石要一(千葉大学教育学部教授)
小野崎先生は千葉大学医学部の卒業ですが、長年スイスのジュネーブにある国連のWHOに勤務しておられ、結核は今でも世界で600万人の患者がいて、年間100万人以上が死亡しているという事実を話されました。私は日本ではもう結核は過去の病気かと思っていましたが、日本にも23万人以上の患者がいるとのことでした。WHO のDOTS(Directly Observed Therapy, Short Course)(患者が支給された薬をきちんと飲むかどうかを観察する)活動によって、支給された薬を生活のために売ってしまったり、途中で中途半端に飲むのを止めてしまうことを防いでかなりの治療実績をあげたようです。しかし最近は低品質の薬が出回ったり、多剤耐性結核の脅威が増しているとのことでした。カンボジアは結核患者の多い国で、患者がわざわざ遠くの町の病院に行くのは困難でしたが、日本の援助で地域健康センターを約60ケ所から約1000ケ所に増やすことで地元で診察・治療を受けることが容易になり、目覚ましい効果をあげたことがWHO の2012年10月の報告 http://www.who.int/features/2012/tb_cambodia/en/index.html に掲載されているそうです。
明石先生のお話しは、ご自身が長嶋茂雄ファンということもあって、主観が入るのではないかと思いましたが、学生を対象にアンケート調査を実施して真面目に長嶋茂雄と野村克也の比較をして、日本の文化の2つの流れ(海洋民族=長嶋型、農耕民族=野村型)について論じておられました。
在校生によるアトラクションとして、千葉大学合唱団が4曲歌った後、会場も一緒になって校歌を歌い、その後は学内の生協食堂で懇親会が行われました。
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2012年10月26日金曜日

今日は東京農業大学の研究室に行って、来週の講義や長野県での講演の準備をしました。昼休みは大学の周囲を6Km ジョギングしました。昨日の江戸川での14Km 走の疲れがちょっと残っていたので、今日は少なめにして昨日との平均で一日10Km にしました。
11月初めの収穫祭が近いので、学内はその準備で活気に溢れていました。
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2012年10月25日木曜日

以下のご意見が届きました。ありがとうございました。
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先生、ご舞沙汰しております。私も市橋さんが仮釈放されたときのためにお金を残して欲しいです。身元引受人の人が居ればいいんですが、居ない場合もあるので残して欲しいです。
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もし市橋君のために残すとすれば、前にも書きましたが現在70才の私は30年後まで支援金の残金を管理することはできませんので、多くの支援者の方々に納得していただける管理方法について、どなたか名案があればご提案下さい。

スリランカ出張中は、毎日ご馳走を食べるだけ食べて運動はほとんどできませんでしたので、体調は最悪になりました。来年1月27日に開催される館山若潮マラソン大会に参加しようかどうか少し迷いましたが、千葉大学走友会メンバーの大会参加報告などに刺激をされて、決心しました。今日、フルマラソン男子70才以上の部に参加申し込みをしました。今から3ケ月かけてトレーニングをして900Km くらい走り込んで、体重を9Kg 減らす計画です。先ずは制限時間の6時間以内の完走が目標ですが、昨年度大会(今年の1月)は5時間11分でしたので、あわよくばもう少し頑張って4時間台を目指したいと思っています。
早速今日は江戸川堤防に行って14Km 走ってきました。この距離を走るのは久し振りでした。ノースカロライナ州のJohnson 湖の周りを走るのとは景色が異なり、見慣れた江戸川の悠々とした流れと、空と、堤防の下に広がる家々や田畑を眺めながら走るのは、何となく安心感がありました。

アメリカ滞在中に、本を保管している貸倉庫の鍵が壊されたという電話連絡がありましたので、今日は新しい鍵を買って、管理会社が臨時に付けてくれていた鍵と交換してきました。鍵を壊されたのはこれで2回目ですが、倉庫には本しか入っていないので盗まれたものは何もありませんでした。
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2012年10月24日水曜日

支援者から以下のお便りが届きました。ありがとうございました。
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ご無沙汰しております。先生のブログ、正直言いますと、最近はまとめて読ませていただいています(すみません)。2日前に久しぶりに開きますと、K子さんのことや菅野弁護士からの要請のことに触れて書かれてありました。以前から、私自身すっきりしていないことが出てきた感じで、また想いを馳せております。k子さんは、市橋君から「面会したい人がいるので来てもらってほしい」というようなことを弁護士を通じて言ってきた女性でしょうか。(本山:いいえ違います。)
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あの上告をするかしないか考える期間、始めは市橋君も上告したい気持ちがあったけど、弁護士は上告しない方向だったし、現実に上告しても「勝てる」可能性がないので、市橋君はあきらめに変わり、最後は支援者も本山先生も上告を薦めたけど、市橋君の上告しない気持ちは頑なでしたよね。あの時期、弁護団と本山先生を含む支援者と市橋君自身の気持ちが、意思疎通が図れず、バラバラな感じがして、何とも歯がゆかったのを覚えています。現実にはK子さんが市橋君の気持ちに寄り添い、弁護団はどうしてもビジネス意識での関係・・市橋君にとって「僕の気持ちはわかってくれない」相手になってしまっていたということでしょうか。不運にも弁護士が薦めた「手記」が、一審であのような判断をされたことは、弁護士にとっても市橋君にとっても大きなマイナスでした(儲けたのは出版社だけ)。(本山:弁護団に裁判の厳しい見通しを言い渡された市橋君が、例え根拠がなくても甘い言葉を告げられれば、一種のマインドコントロールされた状態になって藁にもすがる思いになったことは容易に想像できます。)
私は、まだ若い市橋君が、現在K子さんとは面会することをささやかな喜びとしながら一生懸命服役しているのなら、その方が嬉しいです。ただ、どこでどう間違って、市橋君、彼女、弁護団や支援グループが良い連携を作れなかったか、残念に思います。K子さんと連絡をとって、市橋君の様子を聞くことはできないのでしょうか。(本山:市橋君自身が誰にも知られずに服役したいと考えている限り、市橋君の服役している刑務所や現在の様子を探索することは避けたいと思います。)
私は10年以上前、冤罪請求で話題の「無実の死刑囚 袴田巌プロボクサー」の弁護に関わる弁護士事務所で働いていたことがあります。やはり彼女だったか婚約者だったかの女性がいて、その女性が弁護士や外部の人との連絡役にもなり、袴田被告から弁護士事務所にも手紙が届くし、46年も前の事件だけど、一昨年には政治家も救援支援会を結成したようです。市橋君は実際に罪を犯したので、冤罪とは違いますし、また、市橋君の性格上多くの人に心を開くタイプではなさそうですが、それでももっと有益な支援環境を作れないものかと思います。(本山:市橋君自身が求めるなら、「市橋君の更生を支援する会」を立ち上げて支援活動をしてもよいというか、積極的にそうしたいと考えています。)
被告への理不尽な扱いや、検察と裁判長の癒着など、今も問題があるのは事実でしょうから、今の市橋君に関係することならば菅野弁護士に支援金を使って頂いても良いと思いますが、何となく支援者の皆様の考えとズレがある気がします。間に立って下さってる本山先生に、またストレスになってはいけませんし、全額ではないのでしょうから、私は本山先生に判断を委ねます。そのうち、市橋君の居場所がわかって、遠い場合は、本山先生には交通費とか必要になりますから、その時はまた支援金募ってください。
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寒くなってきましたので、ご自愛くださいませ。
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今日はある農薬関係会社の社長と東京で夕方5時に待ち合わせ、会食をしました。私ももう70才だからそろそろ農薬問題からも松くい虫問題からも卒業して、何か国際親善や人類の平和に役に立つような仕事をしたいと思っていると話して、支援者から送っていただいた「友情の人形は海を越えて」をお見せし、この本を英訳して出版して答礼人形を保存しているアメリカ側の博物館に送ってあげたいんだという私の気持ちを伝えました。社長は本を手に取って眺めた後で、実は自分の祖父は人形作家で、父(91才)も芸大卒で彫刻と人形を組み合わせた新しいジャンルの芸術作品を創った人間だと話されました。父もこの本に興味を示すかもしれないとおっしゃって、本のタイトルや出版社をメモされました。たかが人形、されど人形で、よくできた人形はまるで魂が入っているみたいで、見る人に温かさを感じさせてくれます。
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2012年10月23日火曜日

東京農業大学に久し振りに顔を出しましたら、事務室にたくさんの郵便物がたまっていました。その中に、市橋君に関するものと、答礼人形に関するものがありましたので、ここで紹介させていただきます。
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本山先生、毎日お忙しそうですが体調は大丈夫ですか。以前手紙を出させて頂いた〇〇〇〇と申します。先日(11日)のブログを読ませて頂きました。久し振りに市橋君の名前を見つけ、少し期待して読み進んだのですが・・・。こちらの「想い」がそのままの形で相手に届かないというのは、もどかしいものですね。市橋君の事を家族の様に心配していた方々は淋しい思いをしているのではないでしょうか。K子さんが、どういう考えで市橋君と関わってみえるのかは判りませんが、全て市橋君の為を思っての行動であり、市橋君の未来に良い結果をもたらしてくれると信じたいです。それでもこの先万が一、市橋君の気持ちに変化があって、本山先生に会いたくなった時には、余計なことは何も考えずに素直に甘えてくれる事を願っています。
支援金の件はほとんどお役に立っていない身ですからずうずうしいと思いつつも、菅野弁護士のお気持ちは解る様な気がします。世間の目に触れる事のない特別な場所で、権限を利用して行われている差別やいじめ、それによってまじめに罪を償おうとしている人達が傷ついたり心をかき乱されたり、また、本来与えられている権利が認められなかったり・・・。そういう現状を改善する為に使われるのであればとても有意義なことだと思います。もっともっと他の方々のお気持ちも知りたいと思いました。私としては、これからも市橋君を見守っていきたいと思っておりますので、また何かがあればこの先もブログで教えて頂けるとうれしいです。
呉々もお体を大切になさって下さい。 平成24年10月13日 この手紙がいつか無事にお手元に届きますように・・・
本山:ありがとうございました。しばらく大学に来なかったので、お手紙を拝見するのが遅くなって失礼しました。顔を表に出して活動をすれば当然予想されることではありますが、今でも時々馬鹿げた嫌がらせがありますので、自宅は公表しないことにしています。そのために、郵便物を手にするのが遅くなってしまいます。K子さんは当初支援金を送って下さり、私とのメールのやりとりもありました。確か当時のブログで書いたと思いますが、ご本人のお考えとこの支援する会の目指していた趣旨とは違うと感じられて(自分はお金を騙し取られたのですねとおっしゃって)離れた方です。個人情報ですのでこれ以上は申し上げられません。市橋君との関係がどうなっているかも、菅野弁護士からお聞きしたこと以上は私にもわかりませんし、市橋君自身から連絡がない限りそのままにしておこうと思っています。 
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本山直樹先生
昨年に続き2回目の「ミス香川」青い目の友情交流についてのブログを拝見し、なつかしくなりお便りさせていただきます。
私の母は昨年の暮に85才で天に召されましたが、日本人形を作る一方、青い目の友情交流には深く関わっており、ギューリック三世御一家とも親しく交わらさせていただいておりました。長崎県出身ということもあり長崎たま子の修復や各地の小学校の青い目の人形の修復にもたずさわってきました。昨年、先生のブログでノースカロライナの博物館にミス香川が所蔵されている記事を拝見した時は、母は大動脈瘤の手術後で、この話しを伝えることはしませんでした。
ミス香川は吉徳さんが修復され、おそらく地下に保存されていた市松人形やヒナ人形は、吉徳さんか、久月の現代ものだと思います。1998年に発見され、日本で修復され1999年にノースカロライナに帰されたようです。
同封の絵本は青い目の人形について丹念に調べこの話題を日本にあらためて紹介された、武田英子先生が描かれた一冊です。(数冊残っていましたので・・・) 武田先生は母より数年前に亡くなられましたが、戦時中におこった出来事を記憶にとどめている人達がいるうちに語りつぎたいと、パネル展示を見つかった人形と共にできるよう子供達に向けて尽力されました。昭和を生きた戦中、戦後世代の方々は、今の若い世代とはあきらかに違う歴史観を持って過しておられると思います。ギューリック一世が願った「平和への思いは幼い頃から養われなくては育たない」という思いを、民間レベルで、人形を交換するという行為によって、今の時代にも伝える力を持っていることに感動します。
母の回顧展を11月14日から横浜人形の家でいたします。300体以上創作した作品は国際交流の親善人形としても海を渡っています。一応ご案内を入れさせていただきます。
先生も一時として休みなく動いておられるご様子の中、広く窓口を開いておられますので、不必要な情報も一方的に来ることと思います。私も余計なお世話の一人かも知れませんが、お許し下さいませ。                 God bless you! 2012.10.16 〇〇〇〇〇
本山:素晴らしい情報と、素晴らしい絵本「友情の人形は海をこえて」文:武田英子、絵:うすい しゅん、ドメス出版(1997年)をありがとうございました。ページをめくりながら、胸が詰まりました。青い目の人形と答礼人形にはこんなに深い歴史と、日米両方で関わってこられた方々の努力と思いがあったのですね。私はたまたまノースカロライナの博物館でミス香川に出会って、あまりの愛くるしさに興味を惹かれただけですが、いつか時間ができた時にこの本を英訳してノースカロライナの博物館に渡してあげたいという気がしてきました。お母様が亡くなられる前に一度お目にかかって、お話を伺えればよかったなあと悔やまれます。横浜人形の家での11月14日からの回顧展は是非鑑賞させていただこうと思っています。
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東京農業大学での講義は1年ぶりで、受講生は151人でした。最初はパソコンとパワーポイントプロジェクターの接続がうまくいかなくてスライドを映写できなかったり、途中でマイクの電池が切れて使えなくなったりのアクシデントはありましたが、若い学生諸君を前に、熱がこもりました。
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2012年10月22日月曜日

昨夜は何かのトラブルでコロンボ空港での出発時間が1時間半くらい遅れましたが、正味8時間半くらいの飛行時間で無事成田空港に着きました。京成電鉄の空港駅で電車を待っていたら、大きなスーツケースを持って、ジーパンの両方の腿や脛の前側部分がズタズタに切れている(多分、ファッション?)若い女性がしきりに時刻表の案内板を見て首をかしげていたので、"Do you need any help?" (何か助けが必要ですか)と言って話しかけました。カナダ在住の中国人で、友人を訪ねに浅草まで行くのだけどどの電車(成田スカイライナーか空港アクセス線か)に乗ったらいいのかわからない、とのことでした。たまたま私の乗る空港アクセス線の電車が羽田空港まで直行する電車だったので、私は新鎌ヶ谷駅で降りて乗り換えるけど、あなたはそのまま乗っていれば目的の駅まで行くからと教えてあげました。非常に喜んで、一緒に座ったら私の名前を訊くので名刺をあげて、日本滞在中に何か困ったことがあったら携帯に電話をするようにと言ってあげました。今年の反日デモの最中に北京にいたことや、私には台湾にも中国にも親しい友人や教え子がいることなどの話をしました。

自宅に着いてから、早速明日の講義の時間や教室や受講生人数などについて東京農業大学の世話人教員に電話をして確かめました。151人も受講生がいるそうなので、配布資料の印刷時間を考えると、自宅を朝8時には出る必要がありそうです。
昨年の講義資料があるので、それほど大変ではありませんが、今から頭をスリランカから日本に切り換えてその準備をします。
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2012年10月21日日曜日

支援者からお便りが届いています。ありがとうございました。
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本山先生
ご無沙汰しております。(アメリカから)お帰りなさい。
さて支援金の件ですが、昨日先生宛に手紙をだしました。市橋君に渡ってもらいたいと願います。お忙しいとは思いますがスリランカよりお帰りになり、ご都合がおつきでしたら、一度お目にかかりたいと思っております。またご連絡頂けたら有難いです。詳しい事は手紙に書きましたので宜しくお願いします。くれぐれもお身体には気をつけてください。
(以下は郵便で届いた支援者お二人の連名のお便りです)
先生、ご無沙汰いたしております。そしてお帰りなさい。
さて、支援金のことですが、支援者が優しい気持ちで市橋君のために送ったお金です。どんな事があっても市橋君の手に渡ってほしいと願います。13日のブログの三人目の支援者のお気持ちと全く同じでございます。K子さんの事は確認もとらないまま、ただ憶測だけで大切な支援金を使ってほしくありません。無期とはいえ、30年後とは限りません。市橋君は印税と所持金全てを寄付してしまいました。この支援金だけは市橋君のためにどうしても残して下さい。そのためには、先生にはいろいろご苦労をおかけする事と思いますが、どうぞよろしくお願い致します。13日の初めてメールをしたという支援者の文章を読み、同じ気持ちで涙が出てきました。
いつも市橋君の元へお花を届け、熱心に刑務所見学などされ、市橋君と面会をされた方とお会いすることは可能でしょうか?もし可能でしたら、先生とご一緒にお話しできたらと思います。スリランカから戻られ、ご都合がつく日をお知らせいただけたらありがたく思います。忙しさと季節の変わり目、御身大切になさって下さいませ。
本山:日本には22日の午後帰国予定です。帰国後しばらくはいろいろな予定に追われる筈ですが、少し落ち着いて時間のゆとりができたらお会いできる日時についてご相談致します。市橋君と面会したことのある支援者もこのブログを見ておられる筈ですが、他の支援者とお会いするかどうか今度伺ってみます。
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今晩は。アメリカでの生活、ブログで楽しみに拝見していました。自然に囲まれた景色の写真も良かったです。
支援金の残金ですが、市橋達也さんの仮釈放後の為に残して頂くことを希望致します。
K子さんの養子縁組・婚姻や身元保証人のお話は可能性であり、事実を確認することも出来ませんし、この先のことも分かりませんので、K子さんの状況とは関わらず、決められた方がよろしいかと思います。私も多数の支援者の方が望まれた彼の仮釈放後の為に保管出来るように検討して頂きたいです。本山先生にご負担をお掛けすることになり、申し訳ございませんが、よろしくお願い致します。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。アメリカ、スリランカとご多忙なので帰国されてからお便り差し上げようか迷いましたが、他の支援者の方からたくさんのお便りを頂いているそうなので、私もこのタイミングにすることにしました。大変お忙しければ、大変申し訳ないです。
k子さんの件につきましては大変驚きましたが、先生が以前おっしゃったように、今回の裁判に対していい影響を与えたとは決して思えません。先生のおっしゃったように、市橋さんを振り回したという印象が大変強いです。k子さんが弁護士や法医学者を知っていると言っても、結局市橋さんに紹介できなかったからです。k子さんとは一体何者なのでしょうか?どういう方なのか良くわかりませんし、信用できません。k子さんの年齢、k子さんと市橋さんが連絡を取られているかどうか、K子さんの養子縁組・婚姻や身元保証人の話はあくまでも可能性であり、事実を確認することも出来ませんし、この先のことも、他の支援者の方々のおっしゃるとおり、分かりませんので、K子さんの状況とは関わらず、決められた方が良いと思います。永山死刑囚の場合は獄中結婚が数年で離婚したと聞いていますし。私も他の支援者の方々と考えは同じです。支援金は市橋さんに無事届いて欲しいと思っております。
お忙しいところですが、くれぐれも体調にはお気をつけください。それでは。
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今日はやっと少し時間のゆとりができたので、午前中ホテルの部屋でメモに基づいてブログの記事の更新をしました。帰国の飛行機はコロンボ空港から夜中の11時半に出発の予定ですが、午後にはCropLife Sri Lanka の会員会社のどなたかから電話があることになっていて、午後からのコロンボ市内の見学や夜の空港まで(車で約1時間)のトランスポーテイションの指示がある筈でした。
なかなか電話がこないので不安になってこちらから電話をしてみたら、夜遅い便なので夕方8時頃ホテルを出発すればよいと考えていたようでした。ホテルのチェックアウト時間を特別夕方5時まで延長してもらっていることを話したら、打ち合わせをしたらしくMonsanto India Limited という会社のBusiness Manager のSaman Premalal氏 が来てくれました。空港に行っても待ち時間があり過ぎるので、市内のレストランで一緒に早目の夕食をしながら時間をつぶしました。8時頃になって、Premalal氏が手配してくれたタクシーで空港に向かいました。

中国、アメリカ、スリランカと連続してしまったので厳しい日程でしたが、無理を押してこちらに来て良かったと思います。シンポジウムでの講演を、半分お世辞かもしれませんが、スリランカに大変役に立つ講演をありがとうございましたと言われたのも嬉しい気がしましたが、私的な面でこの国の景色や人々の姿を直接見ることができたことはもっと良かったと思います。
コロンボのように30階建ての高層ビルが並んで活気に溢れている都会と、シンポジウムが行われたPeradeniya の周辺の田舎町や農村と、まるで現代と古代が混在している印象でした。日本の昔の屋台のような小さな小屋で果物や野菜や雑貨を売っている店が道路にたくさん並んでいましたが、電気がないので暗くなるとローソクを灯していました。村人にはこれしか生計を立てる方法がないのでしょうが、一日でいくらの稼ぎになるのだろうと思ってしまいました。縄文時代の竪穴式住居と比べるのは大げさ過ぎますが、それとあまり変わらないようなただ壁を立てて屋根をのせただけの掘っ立て小屋のような小さな家に住んでいる人たちもたくさんいました。本当は、日本の若者たちに世界のこういう状況を見せたい気がしました。何のために勉強するのか、どういう生き方をしたいのか、おのずから見えてくると思うのですが・・。シナモンホテルにあったりっぱな石の仏像と、シギリヤ村で散歩した時に見つけた巨木に掲げた木製の手作りの仏像と、仏様への信仰心には変わりはないと思うのですが・・。
一番良かったのは、子供たちの純真で明るい表情でした。16才未満は労働禁止で、公立学校と医療費は無料で、子供の人権が守られているそうですが、クリケットに興じて走り回っていたり、公立学校の子供たちが国から支給される真っ白の制服を着て通学している姿が爽やかで何とも言えません。この子供たちが学校を卒業して大人になる時に、それぞれの夢を実現できる社会が待っていてくれたらいいなあと願ってしまします。

コロンボの高級ホテルに泊まって、バッフェースタイルのレストランでは美味しいご馳走も果物もデザートのケーキも食べ放題で、私は少し罪悪感がしました。でも、私がここに泊まって美味しいご馳走を食べることで、人々の仕事が生まれ、経済が活性化する一助になるのだという言い訳を考えて自分を納得させました。
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2012年10月20日土曜日

今日は朝食の前に宿泊しているヴィレッジの周囲をカメラを持って散歩してきました。この辺り一体が文字通り熱帯植物園のような感じで、樹齢何百年かわからないような巨大な樹木や珍しい植物だらけです。熱帯植物の花はどうしてこんなに派手なのか、多分進化の上で説明があるのでしょうが不思議な気がしました。野鳥の鳴き声も何となくけたたましく聞こえますし、モンスーンシーズン(雨季)が始まって嬉しそうに鳴いている蛙の声も日本のとは違う感じがします。ちょっとした岩の上にカメレオンがいたり、小型のワニのような動物が草むらを横切ったのですぐカメラを向けてシャッターを切りましたが、多分イグアナという大型のトカゲの一種だと思います。
途中、村人がたむろしている場所を通ったら、年配(老人に見えましたが実際はそれほどでもないのかもしれません)の男性が一緒に歩き出し、いろいろ説明をし始めました。最初のうちは相槌を打つ程度で無視をしていましたが、どこまでも着いてきて勝手にあれやこれや説明をして、象のいるサファリまで案内すると言い出しました。ポケットから公式のツアーガイドの身分証明証を出して見せたので、ははーんガイド料を稼ぎたいのだなとわかりました。私は自分で散歩をしているだけだからガイドは要らないと言ったのですが、勝手に説明をしながら付いてきました。30分くらい散歩をして元の場所に戻ってきた時に少しだけでもチップをあげようと思って財布を出して100ルピー紙幣を2~3枚取り出したら、駄目だ少な過ぎる、2~3千ルピーだといわれました。コロンボの空港で2万円をルピーに換えてきただけで、1ドルが何ルピーかもチェックしなかったし、チップの相場がどれくらいかも調べていなかったので、言われるまま2千ルピーを渡しました。後で、人に訊いたら、1ドルが130ルピーくらいで、正式のガイド料としては2~3千ルピーは妥当なところだということでした。あちこちで、私に近づいてきて日本語で話しかけてくる人がたくさんいますが、ガイドをしてお金を稼ぎたいということのようです。
散歩で汗びっしょりになったのでコテージでシャワーを浴びてロビー兼食堂に朝食を食べに行って、外の景色が見えるように外側のテーブルに座ったら、屋根の下の梁(はり)からネズミのような動物が食卓を見下ろしていました。よく見たらリスでした。サルも頻繁に見ますが、木から木へと身軽に動き回っています。
私をコロンボ市まで車で連れて行ってくれることになっているCropLife Sri Lanka の会員のHayleys Agricultureという農業資材・農機具の会社のGeneral Maneger (総支配人)のSiriweera Gamage 氏がが昼頃来たので、昨日は時間が遅くてSigiriya(シギリヤ)の巨大な岩山の上に上れなかったけど、今日コロンボに帰る前に寄って上る時間があるかと訊いたらOKだということだったので、行ってみました。ここでも、車を駐車して歩き始めたら、すぐ一人の若い男性が一緒に歩き出していろいろ説明を始めました。3千ルピーで案内すると言いましたが、マイペースでゆっくり上りたいのでガイドは要らないと断りました。それでも一緒に付いてきていろいろ説明をしてくれました。ほとんど垂直に近い角度でそそり立っている高さ200mの岩山の壁面に沿って、狭い階段が設置してあり、転落しないように設置してある柵やロープに掴まりながら上りました。途中の広い場所には岩をくり抜いたプールがあったり、頂上には宮殿の遺跡(土台)があり、ここがKing(王様)の部屋でここが妃(きさき)たちの部屋だったと説明をされました。こんな高いところでどうやって水を確保したのかいまだに謎だとのことですが、紀元5世紀頃の宮殿だそうですが、灌漑施設や岩山の途中の壁に描かれた妃(きさき)たちの壁画など、信じられないような技術が当時あったことを物語っています。往復2時間くらいの崖道の上り下りで、全身汗だくになりましたが、それだけの価値は十分ありました。体力的には、普段ジョギングで鍛えていてよかったなと思いました。若い男性にはお礼に4千ルピーを差し上げました。Gamage 氏によると、若い男性が最初ガイドをしたいとスリランカ語で言っきたので、私の今朝の経験を話して、ガイドをしてもお金の請求はしないように、私が満足すれば黙っていてもお金を払ってくれる筈だからと言ってっやったのだそうです。そうしたら、私が請求されなくても相場より高い4千ルピーを払ったのを見ていて、ガイドも大喜びしている筈だと言っていました。ちょっとした心配りで、私個人だけでなく、日本人としての評価につながりますので、4千ルピーをあげてよかったと思いました。成田空港にはスリランカルピーはなかったので、コロンボ空港で少しだけ円をルピーに交換したら、1円=1.5728ルピーでしたから、4千ルピーは約6千3百円に相当します。
コロンボへの途中、豪雨の中を走る場所があり、目の前で交通事故も2件目撃しました。Gamage 氏によると、今年は旱魃(かんばつ)で何週間も田植えができなかったのでこの雨は恵みの雨で農家がやっと田んぼを起こして田植えができるので、大喜びしている筈だとのこと。自分もそうなれば農薬が売れるので、大雨の中に出て踊りだしたいくらい嬉しい気持だと言っていました。日本の農薬会社とも取引があって何回か日本に行ったことがあるが、営業相手の日本人社員に毎晩のようにお酒を飲みに連れて行かれてカラオケで歌ったと言っていました。接待の意味だったのでしょうが、日本の悪い文化を強要されて申し訳なかったと、私が謝っておきました。この方は日本の仏教(何派かは聞き取れませんでしたが南無阿弥陀仏ではなく南無妙法蓮華経を唱えるとおっしゃっていたので日蓮宗の一派でしょうか)の信者で、日本から高僧(導師と言うのでしょうか)がスリランカにも来てすばらしい説教をしてくれるとのことでした。
コロンボ市の前と同じCinnamon Grand Hotel Colombo に着いたのは真っ暗になってからでした。5時間くらいのドライブを途中1回休憩しただけで彼が一人で運転してくれましたが、途中でコロンボ市に住んでいるご家族(奥さんと3人の息子さんたち)から何回も電話がありました。事故がないように心配をした電話で、そういう点では日本人もスリランカ人も全く同じだなと思いました。車でこれだけ遠出をすれば、私の妻も心配してそうするよと言ってあげました。
ホテルでは今夜の宿泊代と今夜の夕食、明日の朝食、昼食代を全部払ってくれました。全部で280ドルくらいでしたが、部屋に行ってみたら大統領が泊まるような特等室でした。彼には借りができたので、今度日本に来る時はお返しをしたいので必ず連絡をするように伝えました。
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2012年10月19日金曜日

午前中に反農薬活動をしているNGOの人達と会って討論をするという予定になっていたのが、どういうわけかキャンセルになったので私もProf. Bridgesも自由になりました。Prof. Bridges 夫妻はすぐ帰国する必要があるとのことで、Dr. Patilと一緒に朝10時半に車で出発してコロンボ空港に向かいました。私はせっかく来たので少し見学をしたいということで、CropLife Sri Lanka の会員のLankem Ceylon PLC という会社のDistrict Manager(地域総支配人)のRahitha Seneviratne 氏の案内で車でKandy District の周辺を回りました。
公立学校の子供たちは皆政府から支給される真っ白の制服を着て通学していました。授業の始まる前に早めに学校に着いた子供たちは、羽子板を大きくしたような形の板を野球のバットのように構えて投げられたボールを打って走り回っていました。これが多分クリケットというスポーツなのでしょう。子供たちの純真な笑顔を見ると、国籍や人種は関係なく癒されます。
金色の大きな大仏像も見に行きましたが、奈良の大仏や鎌倉の大仏と似ている感じがしましたが、日本のは青銅色で渋い落ち着いた趣きがあるのに対して、スリランカのは金色で周りの建物の飾りなども極彩色で派手なところが違っています。それでも、あちこちにもっと小さい大仏の設置してある小さな建物や中には大仏の絵だけが掲げてある小屋もあり、人々が手を合わせて祈っている姿を見ると、仏教が宗教として生きているという感じがしました。
地区によってはヒンズー教徒が集中して住んでいるところもあり、りっぱな寺院があったので許可を得て中に入ってみました。靴を脱いで大きな建物に入ると、あちこちに違った神が祀(まつ)ってあり、その前で人々が祈りを捧げていました。
農業資材の卸商(農機具、肥料、農薬、種子などを扱っている)と、小売店にも寄って、どうやって農薬を販売しているのか見せてもらいました。一番面白かったのは、スリランカは人口の大多数を占めるシンハリ人と少数派のタミル人から構成されているので、農薬のラベルの説明は全てシンハリ語とタミル語と英語の3ケ国語で書かなければいけない規則になっていることでした。他民族国家はこうしてお互いを尊重して協力し合って生活しているのだなということが実感できました。
それからSigiriya という町に移動しました。エジプトのピラミッドや中国の万里の長城などのような世界の7不思議に加えてもらう申請をしたという巨大な岩山の頂上の宮殿跡地に行って、頂上まで上るつもり(往復で2時間くらいかかるそうです)でしたが、到着時間が遅かったので今日はもう駄目だと言われてしまいました。紀元5世紀頃に、高さが200mくらいはある急峻な岩山の頂上にどうやって宮殿やプールを造ったのかいまだに謎なのだそうです。
今日宿泊するホテルは、岩山の麓に位置していて、コテージのような平屋建てが2軒ずつつながって配置されていました。比較的近くには野生の象の生息地と象を放し飼いして管理しているサファリとがあります。毎年100人くらいの人間が野生の象に襲われるとのことなので、車を留めて道に出たらいきなり目の前に巨大な象が現れた時は一瞬驚きましたが、これは人間が管理しているサファリの象でちょうど餌を食べに行くところでした。

(スリランカのコロンボ市のホテルに着いたのは16日の夜中の1時半で、それから徹夜で講演のスライドを仕上げました。今は車で約5時間かかって北上した別の町にきていますが、忙しくて記事の更新ができません。熱帯ですので、珍しい写真もたくさん撮っていますが、後で時間ができてから報告します。すぐ近くに野生の象の生息地があって、年に100人以上の人間が襲われているそうですが、今日は目の前に急に象が出てきたのには驚きました。今夜宿泊するコテージのドアには、猿にバナナをやらないようにという注意書きがありますが、猿もそこら中にいます。明日はまた車で5時間かけて夜にはコロンボ市に戻る予定です。
とりあえず、無事でいることだけをお知らせしておきます。)
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2012年10月18日木曜日

今日のシンポジウムは、Plant Genetic Resources Center (植物遺伝資源センター)という日本(のJICA)が協力して作ったりっぱな研究所・遺伝資源保存施設の講堂(約200人収容)で行われました。開会時には、海外からの中立的・科学的立場での専門家として英国からDr. Bridges と日本から私が参加していることが紹介されました。シンポジウムは次の3つのセッションで構成されていました。
Session One
"Relationship between exposure to heavy metals & chronic kidney disease and other adverse health effects"
by Prof. Jim Bridges (University of Surrey, UK)
Session Two
"Clinical fetures of CKDu"
by Dr. Thilak Abeysekera (Teaching Hospital, Kandy)
"Risk factors of CKDu"
by Dr. Kamani Wanigasuriya (Faculty of Medical Sciences, University of Sri Jayawdenepura, Nugegoda)
"Environmental Factors in CKDu"
by Prof. Dhammika M. Dissanayake (Faculty of Medicine, University of Peradeeniya)
Session Three
"Global perspectives of pesticides regulation"
by Prof. Naoki Motoyama (Tokyo University of Agriculture)
"Crop protection products: Global perspectives"
by Dr. Vasant Patil (CropLife Asia)

国歌の演奏とCropLife Sri Lanka 代表の挨拶から始まりましたが、肝心の政府の高官の到着が遅れているとのことで、予定より少し遅れて開会されました。いずれも大変素晴らしい講演でしたが、特にSession Twoは腎臓病の専門医と医学部の先生たちの講演でしたが、いわゆるEnvironmentalist(反農薬活動家)たちが主張しているように、輸入農薬から極微量の重金属(特にヒ素)が検出されたことから農薬がCKDuの原因であることを示す科学的根拠はないという点で一致していました。スリランカの農業にとって農薬が重要な資材であるという認識も共通していると感じました。
昼食の休憩時間にSession Oneの座長をされたUniversity of Peradeniya の化学科教授のDr. Oliver A. Ileperumaに話しかけられましたが、反農薬活動家たちが分析機関に委託して検出したとする微量の重金属の分析結果が再現性があるのか、どれだけの精度の値なのかという点について、スリランカでも独自に分析してみたいが残念ながらそれに必要な機器が国には1台もないので、私を通して日本(多分JICAを意識して)の協力が得られればありがたいとのことでした。
このことは、シンポジウム閉会後、宿泊しているホテルで行われた二次会にもスリランカ政府で農薬登録の総責任者(Registrar of Pesticides)の地位にある高官 Dr. Anura Wijesekera からも相談をされ、スリランカのCKDuの問題解決のために、今後日本との協力関係を築きたいので後日メールで連絡をすると言われました。
Session Twoの座長も2番目と3番目の講演者も女性の学科長・研究者・教授でしたが、大変りっぱな仕事をしておられて、スリランカでの女性の活躍の一端を見る思いでした。確か独立後、国名をセイロンからスリランカに変えたのも女性の首相か大統領かの時だったような気がします。
私も何とか務めを果たして気が楽になりましたので、二次会で入国して初めてビールを口にしてぐっすり眠りました。
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2012年10月17日水曜日

バッフェースタイルの朝食を食べて、ロビーに行ってみたらDr. Patil の方から私を見つけて声をかけてくれました。彼も私も1978年にノースカロライナ州立大学を離れて以来ですから、34年振りの再会でした。
コロンボ市での会議はすでに15日に行われて、イギリス人の重金属の毒性に詳しいDr. Jim Bridges (私と同じように名誉教授)とDr. Patil が講演したとのことでした。今日はスリランカ政府の厚生省所管のMedical Research Institute (国立医学研究所)のDirector (所長)のDr. Anil Samaranayake と面会する約束ができているとのことで、Dr. Patil、Dr. Bridges、私、それにCropLife Sri Lanka の人とで出かけました。所長によると、国立医学研究所でもスリランカの北中央部の辺りで特異的に多発している原因不明の慢性腎臓障害(Chronic Kidney Disease of unknown etiology を略してCKDuと言う)については原因究明の研究に取り組んでおり、問題の地域の井戸水を長期間実験動物(ラット)に投与する実験をしたところ、慢性腎臓障害の症状を再現できたとのことでした。その研究はすでに学会誌に投稿して掲載済みなので、別刷りをいただけるとのことだったのですが、残念ながら実験を担当した人が留守なので、後ほど送ってくれるということになりました。しかし、Dr. Bridges によると、慢性腎臓障害と重金属の関係については徹底的に文献検索をしてきたがそういう論文は見つからなかったとのことなので、まだ掲載はされていないのかもしれません。もし所長の言ったことが事実だとしたら、住民の飲んでいる地下水(井戸水)に関係があるということなので、原因の解明はできそうな気がするのですが・・。
国立医学研究所の所長ともなると非常に多忙らしく、研究者の研究内容を必ずしも性格に把握していないのかもしれないし、本人は若い時にスウェーデンの大学で医学の教育を受けたと話していましたので非常に優秀な方なのでしょうが、話し方が若干官僚や政治家的な感じがしました。Dr. Samaranayake と は約束の約2時間ほど意見交換をして、研究所を後にしました。
翌日の会議はコロンボ市内ではなく、車で5時間くらいかかる北部のParadeniya(パラデニヤ)地区のPlant Genetic Resources Center (植物遺伝資源センター)の講堂で行われるとのことなので、午後からはDr. Patil、私、Prof. Bridges 夫妻はトヨタ製のミニバスに乗ってそちらに移動しました。2車線しかない狭い道路を、車とバスと小型の3輪自動車とオートバイと人が混在して、昔東京オリンピックの時に日本のタクシーは狭くて混雑している道路をすごいスピードで走りぬけることから神風タクシーと呼ばれた時期がありましたが、前にいる車を次々に抜き去って走る様子はそれ以上の神業のようでした。Dr. Bridges の奥さん(後で自分の奥さんは栄養学が専門でロシア人だと教えてくれましたが、素敵な女性でした)は後部座席で目をつぶっていたようです。CropLife Sri Lanka の二人は別の車で出発し、途中打ち合わせてあった休憩所兼レストランで落ち合って一緒に食事をしました。Lanken Ceylon PLC という総合会社の農業部門のGeneral Manager(総支配人)のNishantha Jayamanne 氏と、Arista LifeScience という日本の会社のスリランカの総支配人のRanjan T. Gunasekara 氏です。
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2012年10月16日火曜日

結局昨夜は自宅に着いて、シャワーを浴びて、夕食をして、眠くならないようにコーヒーを飲んでから講演の準備をしていたら、朝になってしまいました。朝食を食べてスーツケースに必要なものを詰めて(妻がほとんどやってくれた)、電車で成田空港に向かいました。今日は成田からスリランカのコロンボまでの直行便がない日なので、マレーシアのクアラルンプールまで飛んで、4時間くらいの時間待ちをしてからコロンボ行きの飛行機に乗り換えました。空港には大体予定通り夜中の11時55分頃着いたのですが、チェックインしたスーツケースが出てくるのに1時間くらいかかってしまいました。ロビーでホテルの人が私の名前を書いたプラカードを持って待っていてくれる筈だったのですが、見つからずにウロウロしているうちに声をかけてきた人がいて、事情を話したら車でホテルまで連れていってくれました。空港は市内から離れたところにあるので、ホテルに着いたのは夜中の2時を過ぎていました。それからまた講演のスライドの最終仕上げをしたら、また朝になってしまいました。CropLife Asia のDr. Vasant Patil が朝10時半にロビーで待ち合わせて出発するというメモをフロントに預けておいてくれたので、朝その時間になったらロビーに行って彼を探すことにしました。
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2012年10月15日月曜日

今夕(日本時間で15日)ワシントンDC経由で無事成田空港に着きました。往く時に車を使わずに(駐車料金を節約するために)電車で行ったので、復りも京成電車を乗り継いで松戸まで帰ってきました。大きなスーツケースはクロネコヤマトで託送するつもりで予約して行ったのですが、明日の朝はスリランカに出かけることになってスーツケースと衣類がすぐ必要になったので、キャンセル(宅配だと翌日配達)して自分で引っ張ってくるのはちょっと大変でした。

妻が明日からの旅行の準備は全部してくれていましたが、私自身の講演の準備の仕上げをするのにまだ何時間かかかりそうです。支援者の方々からお便りが届いていますが、今は時間がないのでスリランカのホテルでインターネットアクセスができるようだったら、時間を見て向こうで対応します。
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2012年10月13日土曜日

日本からメールが届いています。ありがとうございました。
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初めてメールさせていただきます。市橋達也さんの支援の会、以前よりブログを、拝見させていただいていました。
市橋さんが逮捕されて、随分時間も経ち、テレビなどで報道されることもなくなりましたが、先生のブログを日々拝見させていただき、今も心配な気持ちになります。元々は、市橋さんが指名手配され、ポスターを街で見た時に、私の弟とすごく顔が似ていて、たまたま歳も同じでちょっと不思議な気持ちで事件に興味を持っていました。そのうち、自分の家族がこういう立場にたったら私はどうするだろうと、とても人ごとと思えず、いろいろと考えるようになりました。逮捕された時の映像、捕まるまでの逃げ続けた長い日々、裁判の事、いつも苦しい気持ちになりました。
市橋さんがした事は、とても許される事ではないけれど、何か人間には紙一重な所もあって、誰もがもしかしたらとっさの感情で、起こしてしまう可能性もあるんじゃないかと人の弱さの悲しさを思います。市橋さんの裁判は、3回行きましたが、全部抽選で外れてしまいました。
周りの人には、なかなか言えなかったので、いつも先生や支援者の方の文章を読んで、こうやって見守り心配してる方がいらっしゃるのに、私もほっとしていました。
今は、先生も面会に行けなくなり、苦しい気持ちもあると思いますが、いつか先生に市橋さんから連絡がきっときますように私もお祈りしています。
お体に気をつけて元気でいらして下さい。
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○○県の○○です。ご無沙汰を致しております。市橋さんの受刑生活が始まってから後も先生のブログは毎日楽しみに読ませて頂いております。日本にはない写真での景色が見ていて楽しいです。今日メールさせて頂いたのは弁護士さんの言われている告訴ですが、私個人の思いとしましては、今は市橋さんも受刑生活に入られて償いをされ市橋さんのご家族にされましても少しづつ静かな生活を取り戻されている事ではないかと想像します。そんな時にまた告訴をする事で市橋さんの名前をメディアが取り上げて、辛い思いをされるのではないか?と気になります。私たち支援者は静かに市橋さんの受刑生活が静かにむかえられる様見守る事が一番なのではないかと思っています。これから寒くなってまいりますが風邪などひかれないようにお身体ご自愛下さい。
本山:菅野弁護士は、千葉県で被疑者取調べの段階から弁護人をつけて、事実と異なる自白を強要されて冤罪が起こらないようにする制度を立ち上げた方です。今回考えておられる告訴も、刑務所という閉鎖社会で被疑者や被告人に対する弁護活動が妨害されないようにすることを目指したもので、市橋君の事件とは関係はないと思います。
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ご無沙汰しております。先生、お元気そうなご様子何よりです。今日は日曜日ですので、このメールを読まれるのは日本に帰国されてからかもしれませんね。
ところで市橋さんへの支援金についてのブログ拝見いたしました。私たち支援者が市橋さんの事を考え想い少しずつ送らせて頂いていた支援金。何とか市橋さんのお手元に届けたいと先生が色々と悩み試行錯誤しながら動いてくださった事、以前のブログで理解しております。
私も先生へメールで「遺言という形ででも市橋さんへ届けて頂きたい」と書きました。その想いは今も変わらず日々何とか市橋さんに届くように祈っております。今回K子さんが出所後の身元保証人になって下さる可能性があるとのお話ですが、それも確定ではないのですよね?あくまでも可能性があるという事ですよね。市橋さんが出所される時という先の長いお話なので、失礼ですが、ひょっとしてK子さんもどのようになっておられるか誰にも判断がつきません。そう考えると私としては、やはり市橋さんのお手元に届けて頂きたい気持ちでいっぱいです。
この私の意見(考え)は先生を悩ませ困らせる事になるのかもしれませんが、私は晩年の市橋さんに届けたいです。彼が長い間頑張って服役して出所した後の生活を助けたい、その想いだけは変えたくありません。他の支援者の方々はどう判断されるのか判りませんが、私は市橋さんに使って頂きたいと思います。頑なな私で申し訳ありません。
宜しくお願い致します。
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ブログに載せないでほしいと書いてあった支援者の方のご意見の要点:支援金は「私の考えで使ってよい」でした。
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今日は土曜でモーテルの朝食はない日ですので、部屋でコーヒーを沸かして、茶色の食パンのトーストと冷蔵庫に残っていたブドウを食べました。朝のうちに秋晴れの爽やかな空気を吸いに、近くのRegency パークの池の周りを1時間くらい散歩してきてから、スリランカで講演に使うスライドの準備の続きをしました。80~90%できたので、後は15日に日本に到着してから自宅のパソコンに入っているスライドを追加したり、3時間くらいかければ出来上がると思います。

昼頃、Margie さんとシャーロット市(車で3時間くらいかかる)からDon Proffer 君が来てくれたので、部屋で一緒にサンドイッチを食べてから映画館に行きました。Frank 君・JoAnn さん夫妻、Bill 君、Danny 君と娘のGina さんも来て、ARGO という映画を観ました。日本でも上映しているかもしれませんが、イランのアメリカ大使館が反米デモの群集に襲われた時に脱出してカナダ大使館に逃げ込んだ6人のアメリカ人を救出するというストーリーでした。アメリカ人は、コカコーラを飲みながら大きなポプコーンの容器を抱えながら、面白い場面では声を出して笑ったりして、映画を楽しみます。非常によくできた映画だというのが、皆の一致した意見でした。

映画が終わってから、イタリアレストランに行って、夕食を食べました。私は帆立貝と海老のグリルで焼いたものと、野菜としてブロッコリを食べました。2時間くらい8人で食べたりおしゃべりをしたりして、何人かは帰りましたが、Margie さんとBill 君とDon 君(今夜はこのモーテルに泊まります)がモーテルの私の部屋に来て、残っていたビールと赤ワインを飲みながら夜の10時半までいて最後の夜の時間を一緒に過ごしてくれました。
明日は午前10時25分発の飛行機ですので、朝7時半にモーテルを出て、途中でレンタカーを返して、空港に向かいます。
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2012年9月30日日曜日

近くに住むLarry 君の次男のJason 君はフィッシング用のボートを持っているので、家でLinda さんとMargie さんが女どおしのおしゃべりをしている間に、私とLarry 君は3人で昨年も釣りをした近くのBlailock 湖に魚釣りに行きました。Jason 君がガソリンのモーター(25馬力)を操作し、Larry 君が電気モーターを操作し、バス(ブラックバス)がいそうなところに疑似餌(私は底に沈むプラスチック製ミミズ、Jason 君は水面から少し沈む各種の疑似餌)を投げました。私の疑似餌にかなりの大きさ(多分2ポンド=0.9Kg くらい)のバスが食いつきましたが、安全ピンを外して針を刺し込ませる前に水面上にジャンプして疑似餌を吐き出して逃げられてしまいました。従って釣果はゼロでしたが、大きな湖でボートを走らせて、周りの美しい景色を眺めながら釣りをするのは最高の気分でした。

午後からはTate 牧場内の池に行って釣りをし、ここでは1.5ポンドくらいのバスを1尾だけ釣り上げました。Jason 君はハンティングとフィッシングが趣味ですが、2年くらい前に奥さんに逃げられて、まだ立ち直れていないようでした。あきらめて別の女性とデートをするように皆が紹介しても、逃げていった前の奥さんのことが忘れられないうちは、その気になれずに駄目なようでした。居間にはハンティングで仕留めた雄鹿の頭部の剥製がたくさん飾ってありました。

夕食にLinda さんが今日私が釣ったバスと、以前からLarry 君が釣って冷凍してあったブルーギルを料理して食べさせてくれました。デザートにはとろけるように美味しかった手製のバナナプディングを出してくれました。
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2012年9月29日土曜日

昨夜から雨が降り出しましたが、昼頃モーテルを出発して、サウスカロライナ州ギャフニィ市に向かいました。途中どしゃぶりの区間があって前方がよく見えなくなったので、事故にならないように慎重に運転しました。1回だけガソリンを入れる時に休憩しただけで、夕方5時半頃Larry Tate 博士の家に着きました。森に囲まれた325エーカーの土地は、奴隷のいた昔は一面の綿畑だったようですが、今は広大な牛の牧場と松林が中心です。

今年は子牛の値段がよくて、1頭平均800 ドルで30頭(計2400 ドル)売ったそうですが、牧草を育てる肥料代や冬の間補給する飼料代などの支出があるので、その中の40%くらいが手取り収入になるとのこと。今年は松の木もパルプの原料として売って同じくらいの売り上げがあったそうですが、こちらはほっておくだけで支出はないけど、木が育つまで何年もかかるので1年当たりの収入にすると僅かにしかならないとのことでした。
牛の他に卵を採る鶏と、ペットとしてのウサギと馬3頭を放し飼いにしています。アンティーク(古い物)が好きで、家の中には年代もののミシンやカンナ、庭には馬に引かせてトウモロコシの茎を刈る昔の機械が飾ってあり、バルコニーの床下には集めた動物の骨が置いてありました。

Larry 君と奥さんのLinda さんが待っていてくれて、夕食をご馳走になりながらいろいろな話をしました。ちょうどLinda さんのいとこのMaton Smith 氏が仕事の都合で訪ねて来ていましたが、アラバマ州のモービル市出身で、独特の訛りのある英語で話していました。Larry 君の家にはゲストルームは一つしかないので、同行したMargie さんがそこで寝て、夫婦の寝室のベッドを私に提供し、Larry 君とLinda さんは居間のソファーベッドで寝ました。Maton 氏は近くの娘の家に泊まらせていました。アメリカ南部の田舎には、来客を大事にする昔の習慣がまだそのまま残っています。
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2012年9月28日金曜日

時差ボケが少しは体調に影響しているのか、昨日いつもの倍ジョギングした疲れが残っているのかはわかりませんが、少し体が重かったのでモーテルの近くのRegency 公園の池の周りを2周だけ歩いてきました。それでも汗を一杯かいたので、シャワーを浴びたら元気がでてきました。
Bill 君に電話をして彼の住んでいるアパートに行き(部屋が散らかっているというので、恥を掻かせないように部屋には入らずに)、彼がいつも食事に行く中国人がやっている大衆的レストランで昼食を食べました。

それから、昨年行って答礼人形として日本からアメリカに贈られた日本人形が展示してあるのを見つけたNorth Carolina Musium of Natural Science(ノースカロライナ自然科学博物館)に一緒に行きました。ミス香川という名前が付いた日本人形がどこにあるか受付で訊いたら、2階の奥の部屋にあるというので行きました。何回見ても、実に見事な美しい人形です。ラベルも一緒に写真を撮りました。
受付に戻って、何故日本人形がすぐ隣にあるNorth Carolina Museum of History (ノースカロライナ歴史博物館)にではなく自然科学博物館に展示してあるのかと訊いたら、皆不思議だと言いながら誰も答えられませんでした。この博物館は元はNorth Carolina Museum of Natural History という名前だったのが、North Carolina Museum of Natural Science とNorth Carolina Museum of History の2つに分離された時に、どういう訳か歴史博物館に行かずに自然科学博物館に残ったということのようです。こういう会話をしている中で、実は地下の図書館に別の日本人形があるということがわかったので、特別中に入れてもらって見てきました。りっぱな市松人形と雛人形があり、初めはMiss Kagawa とは無関係に集めたものかと思いましたが、側にあった壁掛け人形に「香川県親善人形の会」というサインがあったので、全部セットで香川県からアメリカに贈られたものだとわかりました。
今から85年も前に、アメリカから日本の子供たちにアメリカ人形が贈られたお返しに、日本からアメリカに贈った答礼人形のひとつMiss Kagawa(香川)がノースカロライナ州に届けられ、戦争中も展示され続け、今も展示され続けられていることを香川県の関係者が知ったら、驚くのではないかと思います。

夕方はMargie さんの娘のSarah ちゃん・Scott 君夫妻の3週間前に引っ越したばかりの家によばれて、グリルで焼いたハンバーガーとホットドッグの夕食をご馳走になりました。Sarah ちゃんは生まれたばかりの時から知っていますが、大学生時代からScott 君と同棲し、ついに今年の3月に結婚しました。結婚式はローリー市でやって、新婚旅行はジャマイカに行ったそうで、写真をたくさんもらいました。

今年の10月14日~19日にスリランカのコロンボで開かれる農薬登録に関する会議に出て討議に参加してほしいという依頼のメールが届きました。旅費、滞在費、謝礼も全部出してくれるという条件なので、スリランカには行ったことがないので魅力はあったのですが、私の日本への帰国は10月15日で日程的に無理なので、断りの返信をしておきました。

信濃毎日新聞の記者から連絡があり、松くい虫防除の薬剤散布に関する記事は、田畑博士の見解が9月28日、私の見解が9月29日の紙上に掲載されるとのことでした。

明日はサウスカロライナ州で牧場をやっているLarry Tate 博士(昔の研究室の仲間、フィッシングの先生、空手の弟子)の家を訪ねて2泊してくる予定です。車で何時間もかかるところなので、Margie さんも同行します。携帯電話の電波が届かないところですし、以前奥さんにせっかく来たのだからパソコンの画面に向かわずに自分と話をしてほしいと言われましたので、パソコンはモーテルに置いていくことにしました。ブログの更新は帰ってきてからにします。

Miss Kagawa

1928. Miss Kagawa, one of 58 doll ambassadors of goodwill given by Japan to places in the United States is received by North Carolina as a symbol of peace and friendship. She is the only Japanese Friendship Doll remain on display through World War II. (ミス香川 1928年 ミス香川は日本からアメリカに贈られた58組の親善大使人形の一つで、ノースカロライナが平和と友情のシンボルとして受け取ったものです。ミス香川は第二次世界大戦中も展示され続けた唯一の人形です。)


"WHOM THE GODS WOULD DESTROY THEY FIRST MAKE MAD"

The Japanese made an insane attack upon The American Territory of Hawaii on December 7, 1941.
With a grim determination we now are committed to stop for all time Japanese aggression. This has no bloodthirsty implications to destroy peoples as such. We still believe in peace and good-will, to live and let live.
Men, women, and children of Japan have this good-will but they have now been dominated by ruthless leaders. Proof of such latent good-will are the Friendship Doll Exhibits exchanged between children of the United States and Japan during 1926 and 1927 and shown as here in Museums in both countries.

(Miss Kagawa's label c. 1941)

(日本は?1941年12月7日にアメリカ領ハワイに狂気の攻撃をした。断固とした決心で我々は日本の不当な攻撃を止めさせる決意である。このことは日本の国民を残虐に破壊するという意味ではない。我々は今でも自己が生き他者も生きるために、平和と親善を信じる。日本の男たち、女たち、子供たちはこの親善友好の意志をもっているが、彼らは今冷酷無慈悲なリーダーたちに支配されている。そのような親善友好の最近の証拠は、ここで見られるように、アメリカと日本の間で1926年-1927年に友好人形展示会が両国の博物館で開催されたことである。 1941年のミス香川のラベル)
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2012年9月27日木曜日

昨日Buck Grissom 博士に依頼しておいた西ナイルウィルス防除で散布する殺虫剤の環境影響と健康影響に関する文献が早速たくさん届いたので、目を通しています。予想した以上に多数の殺虫剤(有機リン剤、合成ピレスロイド剤、IGR=昆虫成長制御剤、殺虫協力剤)が認可されています。蚊に刺されてウィルスに罹ること(死者もでている)による経済的被害と、散布された殺虫剤に暴露することで起こる可能性のある健康影響の経済的被害を比較して、前者の方がはるかに大きいという解析をしている論文もあります。殺虫剤による健康影響について、ゼロリスクではなく、「unreasonable health risk (不合理な健康リスク→許容できない健康リスク?)はない」という表現をしているところはアメリカ的だなと思います。

昨日はジョギングできなかったので、モーテルの部屋でいつものように準備体操やストレッチングやハンドウェイトを使った筋力トレーニングをしてから、Johnson 湖に出かけて今日は倍の2周9.6Km/1h24min 、ゆっくり走りました。モーテルに帰ってきてシャワーを浴びてから、貯まっている洗濯物をラウンドリールーム(洗濯室)で全部洗濯して乾燥しました。洗濯機を回すのに2 ドル、乾燥機を回すのに2 ドルかかります。

冷蔵庫の中が空っぽに近いので近くのスーパーに買い物に行こうかと思っていたら、Margie さんが果物や野菜やチキンやコーヒーなどを買ってきて、夕食を作ってくれました。一緒に食べた後で、友人達に電話をして週末に訪問する打合せをしました。
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2012年9月26日水曜日

こちらは今日も気持のいい秋晴れの一日でした。RTP(Research Triangle Park)と呼ばれる研究学園都市にあるNIEHS(National Institute of Environmental Health Sciences 国立環境健康研究所)に勤務している友人のBuck Grissom 博士を訪ねました。1982~1983年に私がノースカロライナ州立大学で客員教授をしていた時に、私の研究室のゼミにポストドク(博士研究員)として参加していた人です。昼食はいつもどうするのかと電話で訊いたら、家からサンドイッチを持ってきてオフィスで食べるというので、私もファーストフーード店に寄ってチキンとフレンチフライ(フライドポテト)とサラダと飲み物を買って持っていって、一緒に食べることにしました。
彼のオフィスが入っているビルは空港と同じように入り口に厳しいセキュリティチェックがあります。受付で彼を呼んでもらって、一緒にエレベーターに乗りました。
MCS(Multiple Chemical Sensitivity 化学物質過敏症)について、その後どれだけ研究が進んだか机上のパソコンで検索してもらったら、膨大な文献がでてきたので、論文タイトルとアブストラクト(摘要)に目を通して、重要そうな論文をいくつか選んで私のメールアドレスに転送してもらいました。日本も国立感染症研究所あたりではそういう仕組みになっているのかもしれませんが、特定のキーワードを入力して論文を検索して、アブストラクトや論文全体をすぐ読んだりハードコピーがとれるというのは便利で、情報技術の発達はたいしたものです。
久し振りに会ったので、研究以外の分野でもいろいろな話題についておしゃべりをしました。太平洋戦争は、日本の侵略戦争で日本が真珠湾攻撃を仕掛けたことで始まったことになっているが、本当はアメリカ側がそうさせた(輸入に頼っていた日本の石油の供給を止めて)のではないかと思うがどう思うかと訊いてきました。第二次世界大戦は戦勝国側にとっては正義の戦争となっているが、実際はヨーロッパの国々(スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなど)が先にアフリカやアジアや中南米を侵略して植民地化して、遅れて発展してきたドイツや日本が植民地を求めて衝突した経済戦争だったのではないかという私の意見を伝えました。ニュールンベルグ裁判にしても、東京裁判にしても、結局は戦勝国が敗戦国を裁いた裁判で、国というのはいつの時代でも自分に都合のよいことしか国民に伝えないという点で意見が一致しました。
彼の家族はジョージア州のアトランタに住んでいて、奥さんはイタリア系の女性でPhysical Therapist (物理療法士)として働いているが、潔癖症で彼が毎日下着を変えないと怒るのでやりきれないと奥さんの悪口を披瀝し始めました。私の妻も全く同じだよと言って、この点(そういう奥さんを持った男の苦労?)でも意見が一致しました。本当はそういう奥さんに感謝しているくせに、国を問わず男は勝手なものです。
彼は69才なので私とほとんど同じ年代ですが、現在の仕事に飽きて(疲れて?)、10月1日付けで退職するとのことでした。

先日取材を受けた信濃毎日新聞の松枯れに関する記事は9月27日の朝刊に掲載されるとのことです。日本から時々電話がありますが、私がアメリカに来ていることを知らない場合が多く、時差(マイナス13時間)の関係で真夜中になるので携帯電話はマナーモードにして寝ることにしています。知っている方は、こちらの朝か夜の早い時間になるように選んでかけて下さっているようです。
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2012年9月25日火曜日

午前中にノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)のMichael Roe 教授を予告なしで訪ねたら、あいにくメインキャンパス(今は大学の拡張で3つのキャンパスに分散している)での会議に出かけて研究室にはいないとのことでした。ただ挨拶に寄っただけなので、また出直すことにしました。数人の大学院生が対応してくれて、私のことを知っていたので、私は1982年に客員教授として毒性学科に来ていたと話したら、自分はその時は2才でしたと言われていかに時間が経過し、自分が歳(とし)をとったかを認識しました。

午後4時半からは作物学科での佐藤 卓(すぐる)君の講義を聴講することになっていたので、昼休みにいつものJohnson 湖で先にジョギングしてきました。少しずつペースが上がってきて、今日は1周4.8Kmを35分で走れました。

駐車場が確保できるか不安だったので3時半過ぎに大学(メインキャンパス)に行って、久し振りに学内を散歩しました。新しい建物が次々に建って、空き地がほとんどなくなっていました。昔、私の研究室があったGardner Hall という4階建ての建物は別の名前に変わっていましたが、あの4階の角に位置していた研究室で必死になって毎日夜中まで研究に打ち込んでいた若い時代を思い出しながら、しばらく眺めていました。図書館の横や、研究棟の裏や、あちこちのちょっとした広場に学生の憩いの場が設けられていて、学生たちが本を読んだり、仲間と語らったり、ブランコを揺らしながら瞑想に耽ったりしていました。
佐藤君がゲストスピーカーとして担当した講義は、作物学(Crop Science)専攻の1年生対象の最初のセメスター(学期)の「Global Sustainable Human Development」(地球の持続可能な人間の発展)という講義で、「The Role of Science, Technology and Regulation in Global Food Production and International Trade」(地球の食料生産と国際貿易における科学、技術、規制の役割)というタイトルで5時半まで英語で講義をし、30分くらい質疑応答をしていました。世界の人口増加に対応した食料増産の必要性と、遺伝子組み換え作物(GMO)の役割について論理的に話をし、説得力がありました。
18人の学生が受講していましたが、大学1年生というのはこんなにも若々しかったのかという印象を受けました。日本でもアメリカでもそうですが、学生たちの生き生きした姿を見ると、しっかり勉強して世界の未来を切り開いて築いてほしいという願いとともに、宗教問題や、人種問題や、国境問題などで、個人の自由がなくなるような時代にならなければいいがと思ってしまいます。

夕方には、Margieさんがモーテルに来て夕食を作ってくれて、一緒に食べました。

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2012年9月24日月曜日

(日本にいるコンピューターに詳しい元学生にどうしたらブログの記事更新ができるかメールで問い合わせて、いろいろやってみましたが、結局「Internet Explorer 8」をダウンロードしてインストールしたら、いつもと同じ書き込める画面がでてきました。私が使っているノートパソコンが古い機種なので、モーテルが設備したWiFiに対応できなかったのかもしれません。)

朝、モーテルの近くの池にTシャツとジーパンで散歩にいったら、肌寒くて長袖シャツを着るべきだったと後悔しました。野鳥と池の縁を泳ぐ小魚と水面から顔を出している亀と、ジョギングや散歩をしている人にたまに行き交う以外は、静かな環境で、小さな草花や大きな木々にも目がとまります。
昼はBill君とMargieさんと弁護士のEverrette君とイタリヤレストランで待ち合わせをして、昼食を一緒にしました。簡単なサンドイッチやスパゲッティなので一人$6.50や$7.50程度でしたが、Everrette君が最初にThis is my treat.(これは私のおごりです)と言って、全員の食事代を出してくれました。私が1年ぶりに訪れたので、歓迎の意味が込められています。
Bill君はこの数年通っているキリスト教会の教えにすっかり心酔して、いわゆるファンダメンタリスト(教条主義者?)のようなことを言うので、Everrette君と食事の間中議論をしていました。Everrette君は南部のジョージア州で育ちましたが、子供(13才)の頃、学校のクラスでワシントンDCの博物館に行ったら、発育段階ごとの人間の胎児が瓶詰めして展示してあり、発育途中までは魚と同じ鰓(えら)が付いていたので、人間は神様が創ったと教えられ信じていたのに、何故正常な人間の胎児に鰓があるのかといろいろな人に訊いたけど誰も答えてくれなかったとのこと。つまり、聖書の言葉通り、人間は神が創ったアダムとイブを起源としているのか、生物の進化系統樹の一部なのかという難しい議論に入ってしまいました。

夕方はJohnson湖に行ってゆっくり1周を走ってきました。昨日はあちこち立ち止まって写真を撮りながらだったので1時間20分かかりましたが、今日はあまり立ち止まらなかったので約40分で1周できました。
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2012年9月23日日曜日

昨夜の夕食会の後、Margieさんがキッチンの後片付けをし、ごみをごみ袋に入れ、コーヒーメーカーにフィルターペーパーとコーヒーと水も入れて朝起きたらスイッチを入れるだけにしてくれました。皆がモーテルの部屋から去った後、ビールの影響もあってすぐ眠りました。朝は7時に起きて、シャワーを浴びてひげを剃った後で、コーヒーとベーグルと残り物のバーベキューとコールスローで朝食にしました。ここのモーテルは月曜~金曜は1階の食堂スペースでベーグルとコーヒーと果物(リンゴとバナナ)の朝食がでるのですが、今日は日曜なので自分の部屋で朝食をとりました。
ブログの記事の更新ができないので、今日もいろいろやってみましたがやっぱり駄目なので、コンピューターに詳しい元学生に私でも問題を解決できるか問い合わせのメールを送りました。中国のホテルと違って、ブログへのアクセスはすぐできるのですが、「投稿」をクリックしても書き込みができるいつもの画面がでてきません。仕方がないので、ワードに記事を書いておいて、ブログの記事の更新ができるようになったら転載することにしました。
午前中はゆっくりして必要なところにメールを送り、午後からジョギングできる服装に着替えて車でJohnson湖に行きました。日曜の午後ということもあって、多くの人が散歩をしたり、ジョギングをしたり、フィッシングをしたり、ボートを漕いだりしていました。私は1周3マイル(約4.8Km)のTrail(小道)をゆっくり景色を楽しみながら5Km/1h20minジョギングしました。毎年見る同じ景色ですが、湖面と空と森の木々やリスを見ながら走ると癒されます。
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2012年9月22日土曜日

自宅を朝7時過ぎに出て、電車で成田空港に向かいました。成田からWashington DCのダレス国際空港まで正味12時間半で着きました。時差ボケ防止で機内では映画などは観ないで、できりだけ眠るようにしています。2時間くらいの待ち時間でノースカロライナ州のローリー・ダーラム空港行きの飛行機に乗り換え、1時間くらいで着いたのは午後1時半頃(時差の関係で同じ日)でした。Margieさんと、Bill君と、Eugene君と奥さんのKimさんが迎えに来てくれていました。東京のアメリカ大使館に勤務している千葉大学卒業生の佐藤君もちょうど用事があってほとんど同じ時間帯に到着したので、全員で一緒にレンタカー会社に寄って、予約してあった私の車を借りました。全員で私のモーテルに集まって、その後Margieさんが佐藤君を彼のモーテルに送って行き、しばらくしてまた戻ってきました。新たにFrank君と奥さんのJoAnnさんがモーテルに到着し、アメリカ南部の典型的なバーベキューと豆の煮物、コールスロー(サラダ)、その他の野菜、ビールで再会を祝して夕食会をしました。Eugene君とKimさんは海岸のWilmingtonという町からわざわざ私に会いに来てくれました。昨年会った時はまだお付き合いしている段階でしたが、今年の5月にカリブ海の島(ドミニカ共和国)で結婚式を挙げたとのことでした。Kimさんはもう成人した前の結婚からの子供も孫もいるし、二人だけで田舎の教会で式をしたのだそうです。Kimさんは51才になってから医師になることを目指して勉強し、Residencyと呼ばれる研修も済んで医師(Family Doctor=家庭医)になっていました。二人とも人生の失敗にくよくよせずに、幸福を求めて新しい人生を切り開くたくましさはたいしたものです。
私が日本に帰国してから何年(30年以上)経っても、こうして皆が会いに来てくれるのは嬉しいことです。
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2012年9月21日金曜日

月刊「文藝春秋」誌の依頼で、埼玉県浦和高校の同期生5人が校門前に集まって写真撮影をしました。12月4日(?)に発売される号の、我ら同期生というようなコラムに掲載されるそうです。5人というのは、元日本サッカー協会会長(現埼玉県政アドバイザー)の犬飼基昭君、株式会社ヤオコーの会長の川野幸夫君、静岡大学防災総合センター特任教授・理学部客員教授の藤井直之君、深谷赤十字病院院長の諏訪敏一君、と東京農業大学客員教授の私です。撮影終了後、事務室に寄って校長先生にご挨拶をしてきました。
中には高校卒業以来50数年振りに初めて顔を合わせた人もいて、最初はお互いの認識もできませんでしたが、二次会で浦和ロイヤルパインズホテルに移って軽く一杯飲みながら夕食をしている中に、だんだん昔の面影と一致してきました。誰がどういう基準でこの5人を選んだのかはわかりませんが、文武両道をモットーとしていた当時の浦和高校で、3人は文を担当し、2人は武を担当していたなあという話になりました。全員70才ですから、すでに一線を退いた筈ですが、それぞれの道でまだ社会貢献をしています。
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2012年9月20日木曜日

今ちょっと前に帰国し、シャワーを浴びて机に向かったところです。
北京で宿泊していたホテルでは、持参したパソコンを部屋のインタ^ネットに接続してすぐメールの送受信はできるようになったのですが、支援する会のブログへのアクセスは中国公安部の検閲でブロックされていて、記事の更新ができませんでした。支援者の何人かからはメールをいただいたのでその旨お伝えしましたが、その他の方々にはご心配をおかけしたことと思います。
部屋のテレビでNHKニュースを見られたので、北京を含めた多くの都市で反日デモが行われ、過激な破壊活動も行われていることは知っていましたが、宿泊しているホテルの周りや、国際会議場の周りではそのような動きは全くありませんでした。ただ、ホテルのすぐ裏にある日本料理店は営業を停止して、大きな看板の日本という字の部分を中国の国旗で隠していました。私は近くのオリンピック公園(鳥の巣スタジアムがある)に何回も散歩に行きましたが、念のため、外出する時はすぐ日本人とわからないように言動には気を付けて用心しました。
中国農業大学の助教授が空港まで車で迎えに来てくれ、今日もホテルから空港まで送ってくれました。大学のレストランで研究室の学生達も含めて2回も私の歓迎の夕食会をやってくれました。中国の人達は個人対個人では何の問題もなく、お互いに尊敬できるよき友人です。
写真もたくさん撮ったのですが、今夜はもう遅いのでおいおい少しだけでも紹介しようと思っています。
2012年8月31日金曜日
今日も一日中自宅で机に向かって中国北京での講演の準備をしました。主催者からのメールにプログラムが添付されてきましたが、私の講演は9月17日の午前中に予定されています。この頃は1時間半くらいの講演が多いので、英語で25分(質疑応答の時間を5分残すと実質20分)というと、かなり焦点を絞って無駄のない話をしなければなりません。一応、写真10枚を含めたスライド24枚ができましたが、これから与えられた時間内に収まるように、それぞれのスライドを見せながら何をどこまで話すか詰めていく必要があります。

明日からは9月です。すでにいろいろな予定が入っているので、結局スケジュールをこなす生活に追われて、中国から20日に帰国して、22日にアメリカ行きの飛行機に乗って離陸するまではのんびりできそうもありません。
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2012年8月30日木曜日

昨日は東京農大の研究室に埼玉県庁の農林部農産物安全課から3名の方が来られ、9月3日にさいたま市で予定されている平成24年度第1回「農産物安全技術専門委員会」の事前打ち合わせをしました。今年から私が委員長になりましたから、座長として時間内に議事が終了できるように進行をしなければなりません。

今日は本当は新潟県胎内市で調査をしてきた薬剤のろ紙からの抽出など、分析の準備をしたかったのですが、これからのスケジュールを考えると、9月15日~20日に中国北京で開催される国際会議の講演の準備を先にしておかないと厳しくなりますので、そちらを優先しました。まだまだですが、手を付け始めたことで少し安心です。

このところほとんど運動ができていなくて、昨夜は寝ていて足が2~3回強烈に攣(つ)りました。いつものように体が運動を要求している証拠ですから、昼の時間に江戸川堤防を6Km 歩いたり走ったりしてきました。今日もまだ猛暑でしたが、お蔭で体調がよくなり、気分もすっきりしました。
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2012年8月28日火曜日

池袋駅から東武東上線の電車に乗って、埼玉県の東松山駅に午後1時過ぎに到着し、迎えに来てくれた車で嵐山(らんざん)カントリー倶楽部に行きました。東京農業大学総合研究所グリーン研究会主催の夏期研究会で、「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響の実態」という演題で講演してきました。私はこの研究会では2006年4月5日にも、「松くい虫防除の薬剤散布に関する問題から見えてきたこと」という演題で講演していますので、今回は6年ぶり2回目でした。
研究会が夕方5時半頃終わってからもまだ明るかったので、プレーヤーが引き揚げた後のゴルフ場を少し散歩してみました。地名のとおり昔はこの辺り一帯が松林だったらしく、1962年(50年前)に建設されたこのゴルフ場は、大きなアカマツをあちこちに配置してあり、まるで絵に描いたような美しい景観でした。
東松山駅前にある箭弓(やきゅう)神社内にある紫雲閣というホテル(結婚式場)での懇親会後、他の参加者はそのまま宿泊して明日ゴルフをして解散をするというプログラムでしたが、私は明日の用事が入っていることもあって、家に帰ってきました。
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2012年8月27日月曜日

朝6時前に自宅を出て新幹線で名古屋に行き、名古屋大学で開催されたInternational Seminar on the development of insecticide resistance and its management in the diamondback moth(コナガにおける殺虫剤抵抗性の発達とその管理に関する国際セミナー)に出席してきました。7人のスピーカーのほとんどは旧知の研究者たちですから、久し振りに懐かしい時を過ごしました。
Dr. John T. Andaloro はアメリカのDuPont 社の所属ですが、IRAC(Insecticide Action Committee)という殺虫剤抵抗性に関する活動委員会委員としても活動していて、害虫による殺虫剤抵抗性発達を農薬メーカー間で協力していかに克服するかという深刻な問題についてなかなか面白い提案をしていました。
皆は名古屋市内のホテルに宿泊していましたが、私は明日の予定があるので交流会(懇親会)のあと帰宅し、自宅についたのは夜の12時近くでした。
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2012年8月25日土曜日

2006年9月に買ったプリンターの複合機(キャノンPIXUS MP830)が故障して使えなくなりました。マニュアルに従って診断してみましたが、サービスに出すことが必要ということがわかりました。故障はこれで最近2回目ですので、修理費のことを考えると廃棄して買い換えた方が得だという結論になりました。近所のコジマ電気に行ってみたら、機能が上位の最新機種がずっと安い値段で売っていて驚きました。
松林の航空写真などA4より大きい写真をスキャンしたいので、いろいろ迷ったのですが、A3までプリントやスキャンやファックスができる複合機(brother JUSTIO MFC-J6710CDW)を購入しました。以前は、学生や業者に頼んでパソコンや電話機と接続してドライバー・ソフトウェアをインストールしてもらっていたのですが、今回はマニュアルを読んで自分で設定しました。
「必要は発明の母」というのは大げさですが、頼める人が近くにいなくて自分でやってみれば、なんだこんな簡単なことだったのかということがわかりました。

早速、8月28日の講演(埼玉県嵐山CC)と9月4日の講演(東京大手町の全農ビル)で使う予定のスライドを配布資料としてプリントしました。次は9月13日の講演(石川県加賀市)と9月15日~20日の講演(中国北京)の準備です。中国での国際会議は英語ですから、英語のスライドを作らなければなりません。明日は日曜ですから、集中して時間が使える筈です。

一昨日お便りを下さった支援者の方にメールで返事を差し上げました。
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2012年8月24日金曜日

今日も猛暑でしたが、心肺機能が低下しないようにと思って、東京農業大学の周りを6Km ゆっくり走ったり歩いたりしました。脱水症状にならないように、シャワーを浴びてスポーツドリンクをたくさん飲みました。

昨日のアメリカからの電話での誘惑に影響され、ノースカロライナ州に行く航空券をネットで予約しました。私は北京での国際会議から9月20日に帰国しますので、1日休んで、22日に成田を出発してワシントンDC経由でローリー/ダーラム空港に行き、10月15日に成田に帰ってきます。そうすると、10月19日に予定されている研究会まで3~4日頭を切りかえたり体調を整える時間がとれます。今年はこれでぎりぎり最大限ですが、それでも向こうで過ごせる時間が約3週間あるので、昔からの友人たちと旧交を温めてこれます。
Margieさんにその旨をメールで知らせたら、早速私が滞在予定のいつものモーテルを予約したり、到着日の歓迎パーティに誰と誰が集まれるか連絡をとったとのことでした。それから、今は遠方に住んでいる友人達が私に会いに来た時に私の部屋に泊まれるように、クイーンサイズベッドの他にソファーベッド(英語ではpull out sleeper sofaと言います)を用意させるとのことでした。
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2012年8月23日木曜日

私は相変わらず時間に追われる、ゆとりのない生活をしていますが、今朝はノースカロライナ州の友人/空手の弟子のFrank君・JoAnnさん夫妻から電話があり、その後Margieさんからも電話がありました。皆が今年は私はいつ来る(帰省する)のかと訊くので、9月20日に中国北京から帰国したら10月中旬の農大での講義が始まる前の3週間くらい行けるかもしれないと言ってあったので、早く決心するようにとの誘惑の電話でした。アメリカの友人達が私の訪問を心待ちにしていてくれるのは嬉しいのですが、今はまだ日本での来週と再来週の予定をどう乗り切るかで頭の中は一杯です。

支援者から以下のお便りが届きましたので、紹介しておきます。よく、便りがないのは元気な証拠と言いますが、市橋君もまだ外部に手紙を書こうとしないのは、元気に服役しているということでしょう。
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暑い毎日ですが、本山先生もお元気でお過ごしのようで嬉しく思います。
先日、市橋君が拘置中に描いたスケッチは弁護士先生が市橋君に全て返されたと知って、残念に思いました。随分前のブログで、市橋君が拘置中に描いたスケッチがあることを知り、とても興味をもっていました。彼がリンゼイさんにプレゼントしたスケッチとそこに書かれてあった文字は、テレビの画面を通じて見ただけで、目を奪うような透明感のある「作品」だったからです。芸術的ともいえる、センスの良い1枚のスケッチを見て、私はこの事件に興味をもち、会ったこともない市橋君の支援者になった、と言っても過言ではないほどです。
だから私は彼への手紙にも、スケッチについて触れました。でも、出版本と同じように、売られたり、彼の想いとは違う方に一人歩きしてしまう恐れがあったから、本人に返却されたのかもしれませんね。あの裁判に関しては、本当にことごとく悪意にとられ、市橋君のマイナス材料、マイナス印象にとられる気がしました。
ところで、私が住むマンションの隣室は独身男性がすんでいるのですが、一週間ほど前、男女が喧嘩してる物音が聞こえました。女性が大声を出してベランダからわめきながら物を投げ、壁に色々当たる音が聞こえ、悲鳴のような声も聞こえてきて、何か事件に発展しそうな勢いだったので、主人に様子を見に行ってもらいました。しばらくして主人は驚いて帰ってきました。「細い女性だけど、女の人って怒るとすごい力だねえ。僕が手を抑えようとしてもはねのけられて、こっちが吹っ飛ばされる感じだったよ。もう部屋の中はグチャグチャで、男性は手が付けられない、ともうあきらめて座り込んでたよ。女性がわめいてる内容は、{今日はグッチを買いに銀座に行くって約束してたじゃない!何なよ!}ってブチ切れてた」と。
翌日、男性は菓子折りを持って謝りにいらっしゃいましたが、気まずそうにしていたので、こちらも何も聞きませんでした。そして昨日、引っ越しのトラックが来て、隣の荷物を運び出していました。もう何も挨拶にいらっしゃいませんでした。男性としてカッコ悪かったでしょうから、こちらも顔を合わせないようにしました。
私は、すぐに市橋君のことを思い出しました。「このままリンゼイさんに嫌われたままで帰したくない」思いや「周りに気づかれるような騒ぎにしたくない」思いで、彼はあせっていたと思います。「殺意」などほど遠い状況だったと今でも信じます。
彼は外部の人との連絡も取らず、服役生活をしているのですね。今は、彼の健康を祈るばかりです。
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2012年8月21日火曜日

支援者のお一人から、このところしばらくブログの記事の更新がないのでジョギングの最中に熱中症にでもなったのかと心配しました、とのお電話をいただきました。実は、来週の講演と9月の講演といくつか続きますので、その準備に追われていて時間的な余裕がなく、ジョギングも記事の更新もできませんでした。少しゆとりができたら、また再開します。
ご心配いただきありがとうございました。
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2012年8月16日木曜日

支援者から市橋君が描いたスケッチについて問い合わせがありましたので、三宅弁護士に以下のメールを差し上げましたら、早速返事が届き、全て本人に返却したとのことでした。
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三宅貞信先生
市橋君の裁判が決着してからどんどん時間が経過していく気がしています。市橋君がどこの刑務所で受刑しているのかもわからないというのは不思議な感じがしますが、それも何かの意味があってそういう制度になっているのかと想像しています。
私のところには今でも時々何人かの支援者からメールが届きますが、その中のお一人から市橋君が千葉拘置所にいた時に描いたスケッチはどうなっているのでしょうという質問がありました。確か、宅下げされた衣類は菅野先生が保管し、本は山本先生が保管し、スケッチは三宅先生が保管されていると伺いました。もしまだ処分されずに保管されていましたら、拝見させていただくことは可能ですか。当時の市橋君の心の中をうかがい知る手がかりになるかもしれないと思いますので。
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本山先生
ご無沙汰しております。お尋ねのスケッチの件ですが,控訴審が終了する前に,弁護団から市橋君本人へ全て返却しています。
支援者の方がスケッチを見て心境を知りたいとのご要望には添えませんでしたが,本山先生,支援者の皆さんが市橋君の更生を祈っている事は,きっと彼は理解していると思います。
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この頃は、運動をして体を動かして健康管理をすることは仕事のうちと思うようにしています。今日も夕方近くになってから、江戸川堤防を8Km 走ったり歩いたりしてきました。青空に白い雲が浮かんでいましたが、夏を思わせる入道雲ではなく、何となく秋を思わせるような雲だったので携帯電話のカメラで写真を撮りました。江戸川は国土交通省の所管ですが、取水設備が設置してあるところに、子供に危険を知らせる面白い河童(かっぱ)の看板がありました。

夜自宅で樹木医に送ってもらった松くい虫の発生消長のデータの解析をしていて、疲れたので気分転換にテレビ朝日の報道ステーションをつけてみたら、偶然、戦争末期に回天と呼ばれた一人乗り潜水艦に乗ってアメリカ軍の艦隊に体当たりして自爆した特攻隊員に関する番組をやっていました。終戦の1年前1944年頃、制空権も制海権も失った日本軍は最後の手段として、人間魚雷になる特攻隊員を募り、20代の若者106人が海に散ったとのことです。今考えれば狂気の沙汰ですが、当時の若者に選択の余地はなかったのでしょう。戦争は人間の理性を奪い、殺人の道具にしてしまいます。国全体が戦争状態の時には、個人にはそれを拒否する自由はなくなってしまいます。
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2012年8月15日水曜日

今日は終戦記念日でしたので、夕方7:30 からNHKスペシャル「終戦・何故早く決められなかったのか?」と題した興味深いテレビ番組がありました。戦争は広島、長崎に原子爆弾が投下された後、67年前の今日1945年8月15日に終わりましたが、実はその数か月前から日ソ不可侵条約を破棄してソ連軍が参戦する情報が入っていて、戦争を終結させる(降伏する)ための会議が招集されていながら、結局当時の最高指導者たちが誰も責任を果たさなかったということのようでした。降伏が遅れたために、原子爆弾による犠牲者やソ連軍による日本人捕虜のシベリヤ抑留などにより何十万人もの命が失われてしまいました。

YAHOOニュースにも戦争に関連した記事がありました。<九大生態解剖事件>「戦争は人を狂わす」最後の目撃者語る http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120815-00000068-mai-soci は、B29というアメリカ軍の爆撃機が撃墜されて捕虜になった8人のアメリカ人兵士を大学医学部で生きたまま解剖実験を行って殺してしまったという事件を取り上げていました。
当時医学生として立ち会った福岡市の医師東野利夫さん(86才)の、<時代は移りゆくが、平和への思い、願いに変わりはない。「非戦を誓った憲法9条は必ず守ること。そして捕虜に対し学内の医師がメスを持ったという事実を正面から受け止め、母校の敷地に8人の慰霊碑を造ってほしい」>という言葉は、平和の尊さをあらためて訴えました。

江戸川堤防を今日は10Km 歩いたり走ったりしてきました。まだ暑くて汗をびっしょりかきましたが、雲を眺めながら風を肌で感じながらゆっくり走るのは快適でした。67年前の悲惨な状況にめぐり合わせた人々に比べて、私たちはどんなに恵まれた時代にめぐり合わせているか忘れてはいけないのだと思います。
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2012年8月14日火曜日

終戦記念日を明日に控えて、テレビでも戦争に関する映画や番組がいくつかありました。日米の戦争開始になった昭和16年(1941年)12月の真珠湾攻撃を日米両側から描いた「トラ・トラ・トラ」という映画は1970年に上映され長蛇の列ができましたが、私がアメリカの大学院に留学したのは1969年ですから、留学して間もない時期にアメリカ人の友人/空手の弟子たちと見に行ったのを覚えています。私が勉強をしていた農薬毒性学プログラムの教授の一人は、第二次世界大戦中に日米で激戦のあった硫黄島に上陸した元海兵隊員のFrank E. Guthrie 先生でした。Guthrie(グスリー)先生は朝鮮戦争にも従軍したらしく、日本の米軍基地にいた時のオフィスに掲げてあった「グスリー中尉」と日本語で書かれた表札を私に見せてくれました。よく、自分は日本が北朝鮮軍に占領されるのを防いで君の命を守ったのだと冗談を言って、私に目をかけてくれました。その当時は私も27才で若かったので、研究室で夜勉強をしながらよくアメリカ人の友人たちと戦争の話をしました。そのお蔭で、お互いに、国によって自分たちに都合のよい一方的な見方しか教えられていないことを知ることができました。

夜10:00 から のNHKスペシャル「戦場の軍法会議」は見ごたえがありました。東京帝国大学法学部卒の馬塲(ばば)東作中佐がフィリッピンでの軍法会議で法務官として、食料を求めて部隊を離れた兵士を敵前逃亡の罪で死刑にした話を中心に、異常な環境に置かれた日本軍が異常な行動に追いやられた事実を、今は90才を越えた当時を知る関係者や遺族の証言をまじえて紹介していました。日本からの補給を絶たれて、武器弾薬も食料も欠乏した状況で、日本人兵士がフィリッピン人の村に食料強奪に向かったのでしょう。
以前、千葉大学の私の研究室にはフィリッピンから国費留学生が何人か来ていましたが、その中の一人のお母さんがフィリッピンから訪ねて来られた時に私は食事に招待されました。留学生も交えて和やかな雰囲気で食事をしていた時に、お母さんに、「日本人がこんなに親切でいい人だということを始めて知りました」と言われたことを忘れません。多分、戦争中にフィリッピンを占領していた日本軍兵士に村人が酷い目に遭わされて、日本人というのは武力に物を言わせて平気で悪いことをする冷血非道な人間という印象が植えつけられていたのでしょう。

TBSテレビの夜10:54 からのニュース23クロスの中で、日本に帰化した日本文学研究者のドナルド・キーンさん(90才)が、捕虜収容所で日本人捕虜と人間的な交流をし、今は100才になったその時に捕虜の一人だった日本人医師と再会して当時を振り返る映像もよい番組でした。国対国ではなく、個人対個人のレベルでは、どこの国の人とでも、人間どうしお互いに理解し合い、仲良くしていけるのだと思います。

気温が下がってきたのか、このところ何日か続けて走ったせいか、少し体調がよかったので今日は江戸川堤防を8Km 歩いたり走ったりしてきました。
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2012年8月13日月曜日

松戸市内の農業資材・種苗店に昨日注文しておいた殺センチュウ剤が届いたという電話があったので、受け取りに行ってきました。この店が取引している農薬卸商は今週はお盆休みなので無理かなと思っていたのですが、出勤できる社員が出勤するということになっていたらしく、早速配達してくれたようです。公務員と違って、やっぱり個人企業は顧客のニーズにサービスして、少しでもビジネスをとろうと努力しているのでしょう。
松枯れと菌根菌の関係を一緒に研究してくれている大学院生の実験に使いますので、明日にでも手渡してあげるつもりです。

それ以外は、一日中自宅で机に向かって樹木医から送られてきたマツノマダラカミキリ成虫の発生消長のデータを解析して過ごしました。過去7年間のデータですが、5月下旬から羽化し始め、9月上旬に羽化終了するまで3ケ月間くらい発生します。その中、成虫の5~95%が発生する期間は約2ケ月ですが、林帯幅が広い松林や、樹高の高い松林に対して地上から薬液を散布するとどうしてもかけむらが生じますので、残効性の短い薬剤散布1回で防除するのは無理だということがわかります。

今日はお盆でしたので、我が家は仏教徒というわけではないのですが、普段は戸棚にしまってある両親のお位牌と写真を取り出して、小さな器に食事を供え、しばし在りし日の両親の面影を偲びました。
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2012年8月12日日曜日

午前中に江戸川に行って、いつものように6Km を走ったり歩いたりしてきました。空にはあちこちで真っ白い入道雲がモクモクと立ち上ってきては、姿を変えていました。汗はビッショリかきましたが、快適でした。

午後の遅い時間に1ケ月振りに北柏のリハビリセンターに長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人を見舞いに行きました。私の顔を見て目を見開いてはくれましたが、一言も言葉はしゃべってくれませんでした。東京農業大学の女子学生の就職で訪ねた栃木県足利市の(株)カザミの会社案内のパンフレットを見せながら、会社の様子や女子学生を採用してくれたことや今は専務取締役をしている千葉大学卒業生(元同僚教授/友人の研究室を専攻していた)の話をしました。女子学生を紹介したお礼に会社の商品の各種たれ(ドレッシング)の詰め合わせセットを送ってくれた時に添えられていた卒業生の手紙を読んであげたら、「〇〇先生と奥様にくれぐれもよろしくお伝え下さい。20数年前になりますが、研究室のゼミ旅行・2泊3日でちょうど今頃の時期、日光・那須方面へ出かけ、日光戦場ヶ原のハイキングに立ち寄った際、〇〇先生が奥様のピンクのリボンのついた麦わら帽子をおちゃめにかぶり、学生さんにからかわれていたことを楽しく思い出します。」のところで、急にウフフ・・・と声を出して吹き出していました。聞こえているのか聞こえていないのか無表情でわからなかったのに、急に反応があったので驚きました。表情で表現することはできなくても、ちゃんと聞こえていたのだと思って嬉しくなりました。昔元気だった頃の、奥様と仲睦まじかった頃のことを思い出させられて、気恥ずかしくなったのかもしれません。今日は奥様とは病院でお会いできませんでしたが、この話は後で奥様に電話でお知らせしようと思っています。

リハビリセンターのすぐ近くには、手賀沼につながっている大堀川が流れているので、帰りに少し湖畔の景色を見にドライブしてみました。手賀沼は昔は今の3倍くらいの面積があって水が澄んでいたのが、戦後の食糧難の時代に食糧増産の国策で埋め立てられ、その後沼につながっている川の流域の人口が増加して家庭の雑排水が流入するようになって、一時は日本一汚い沼として知られるようになっていました。今は「よみがえれ手賀沼」キャンペーンで、水が驚くほどきれいになり、水辺に公園やレクリエーション施設も設置されていました。8月19日には手賀沼トライアスロンが開催されるという掲示もありました。
周辺の水田は、すでに水を落とし、見事に出穂していましたので、今月末か来月初め頃には稲刈りが始まるかもしれません。こういう美しい自然の景色を見ると、心が洗われる気がします。入院している病院はすぐ近くなのに、元同僚教授/友人にもうこの景色を見せられないのが残念です。
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2012年8月11日土曜日

昨日、支援者の一人と支援金の残金の処理方法や、「適正な裁判を支援する会」を閉じた後のブログをどうするかや、樹月カイン氏から届いたお手紙にどう対応すべきかなど、意見交換をしました。もう少し考えてから結論をだそうと思っています。

いつも松枯れの視察に一緒に行く樹木医から、房総半島の平砂浦(へいさうら)で伐倒された松くい虫被害木を過去7年間毎年3月頃に採集してきて茨城県下館(しもだて)市にあった研究所の網室に保管して毎日羽化脱出してきたマツノマダラカミキリ成虫の個体数を記録したデータが送ってきました。その年の気温のデータと合わせて分析すると、過去にさかのぼって野外での発生消長が推察できる筈です。そうすると、平砂浦での薬剤散布が本当に防除適期に行われたかどうかが判断できる筈です。今後の防除適期を決めるのにも有用な知見になりますので、データをどのように解析するか試行錯誤をしています。机に向かってこういう作業をしていると、胸がわくわくしてきます。

今日は千葉県は天気予報では降雨が予想されていました。土曜ということもあって、雨の前にと思って午前中に江戸川堤防に出かけ、いつものように6Km を走ったり歩いたりしてきました。途中ある農家の庭の夏みかんの木は花が実に変わっているのが目に留まり、若々しさを感じました。熟した黄金色の果実もいいですが、私はこういう未熟な緑色の果実を見るのも好きです。昨日とは違った場所で少し色合いが異なる芙蓉(ふよう)の花が満開で、近くには蝉(セミ)の抜け殻もありました。江戸川沿いの大乗院というお寺には巨大な松の樹が4本あったのが、昨年1本が松くい虫で枯れてしまいました。今年はどうかなと寄ってみたら、殺センチュウ剤のマツガードという薬剤を樹幹注入したことを示すラベルが貼ってありました。
途中、堤防を下りて流水路にかかる橋のひとつ小向(こむかい)橋にも寄って、看板の説明を読んで、しばし江戸川と流水路の水の流れを眺めて楽しんできました。人口50万人の都市に住んでいても、気をつけて見さえすれば、日常生活をしているすぐ近くにも楽しませてくれる景色はたくさんあります。黒い雨雲が空を覆い、ゴロゴロと雷の音がしましたが、結局この辺りではたいした雨は降りませんでした。
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2012年8月10日金曜日

今日は東京農業大学の研究室に行きましたが、夏休みに入って学生の姿がめっきり少なくなりました。アルバイトをしたり、帰省したり、就職活動をしたりしているのでしょう。
来週の1週間は、お盆休みで、事務職員も含めて大学全体が休みに入るようです。

昨日江戸川に行った時、途中の坂川の岸辺で満開の芙蓉(ふよう)の花と、蝶を見つけました。よく見ると、身近にもいろいろな植物や動物や昆虫がいることに気がつきます。
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2012年8月9日木曜日

午後遅く、いつものように景色を眺めながら江戸川堤防を6Km 走ったり歩いたりしてきました。何年か前に江戸川と並行に人工的に造成した流水路は 、今では岸辺の木々も大きく育ってすっかり自然の景観の一部になりました。江戸川では珍しく2人の若者がボート漕いでいました。見ていたら、葛飾橋と上流の上(かみ)葛飾橋の間の約2.5Km を上ったり下ったり、何回も往復してトレーニングをしていました。

夕食後、タオルを首に巻いてうちわを手に持って松戸宿(じゅく)献灯(けんとう)まつりを見に行ってみました。先日の花火大会の時ほどではありませんが、散歩をする家族連れで溢れていました。商店街のちょうちんが飾られた前辺りの坂川の上に設けたステージでは、若者のグループが体の芯に響くような和太鼓の演奏をし、多くの見物人が盛んに拍手をしていました。露店もたくさん出て、賑わっていました。坂川では上流から流された流し灯籠(とうろう)がろうそくの仄(ほの)かな灯(ひ)をともしながら流れてきて、ステージの前に設けた堰(せき)で留まっていました。

都会では普段だんだん住民どうしの絆(きずな)が希薄になってきましたが、こういうお祭りを通して少しでもコミュニティとしての意識を共有しようとしているのかもしれません。
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2012年8月8日水曜日

講演の準備をしていますが、ヘリコプターでスミパインMC(有効成分は有機リン剤のフェニトロチオン)という薬剤の散布をしていた2007年までは見事に守られていた松林が、残効性の短いネオニコチノイド剤の地上散布1回に切り換えてからの松くい虫による松枯れ被害は急速に深刻化し、特に房総半島先端の平砂浦では何十年もかけて育成・保全してきた松林は昨年から今年にかけて文字通り壊滅状態になりました。きちんと防除できる方法はあるにもかかわらず、政治的な圧力で防除方法の選択を誤った結果です。

2007年1月に撮影した航空写真では濃い緑色の松林が存在していたのが、2012年4月に撮影した同じ場所の航空写真では、松林がなくなっていることがわかります。私が現地を訪れて今年7月に地上から撮影した写真では松林だったところが荒れ果てている様子がさらにはっきり認識できます。これから保安林*としての松林を再生させるには、多分50年くらいのスパンでの計画を立てることが必要でしょう。
今月28日の講演では、こういうことも含めて話をするつもりです。
* http://www.rinya.maff.go.jp/j/tisan/tisan/con_2.html

江戸川堤防を6Km 走ったり歩いたりしてきましたが、昨日までと打って変わって涼しい風が吹いていて楽でした。暦の上では昨日が立秋だったとのことですので、走っていて気のせいかふっと秋の気配も感じられました。毎年そうですが、最初の秋の気配を感じると、昔20才前後の頃に読んだ堀 辰雄の「風立ちぬ」という小説を思い出します。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html
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2012年8月7日火曜日

支援金の残金の管理方法に関する昨日のブログでの問いかけに対して、早速何人かの支援者からお便りが届きました。ありがとうございました。私一人で考えるのではなく、こうして皆様のご意見をいただけるのは大変助かります。
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支援金の残金の管理方法は、改めて考えてみますと、難しい問題ですね。
私も、個人名は伏せて一般的な問合せとして、銀行や郵便局で確認してみようと思っていました。東京地裁の中にある郵便局なら、状況を把握して相談にのって頂けるのでは、と考えていました。しかし、予定していた裁判傍聴に行く時間もなく、郵便局で確認も出来ませんでした。
何れかの方法で口座開設した上で、ご両親が応じて頂けるかが重要ですね。今までのご両親から市橋達也さんへの姿勢では、断られる可能性も有りますので心配です。ご両親が、ご協力して頂けなければ、本山先生と支援者のみで長期間の保管や市橋達也さんへの受け渡しは、かなり厳しいと思います。ご両親が本山先生の提案に応じて下さる事を願っています。
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毎日暑い日が続きますがお元気ですか?
支援金の件ですが、銀行は無理だと思います。ご両親はどのように思われていますか?ご両親に託すのが一番いいと思います。無期懲役といっても法律では10年経てば仮出所できます。10年とは思いませんが、30年とも限りません。
ご両親の思いを聞いて頂けたらと思います。先生も大変ですが、宜しくお願いします。
毎日市橋君が元気で過ごす事ができますようお祈りしています。暑い中先生もお身体に気をつけてください。
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昨日のブログを拝見しました。要するに一定期間お金の出し入れをすれば、口座を維持することが可能なのですね?ではそのような形を(極端な場合収支がなくても出し入れする形を)とった方がいいと思います。そのようなことでも、他の事でも私は何でも協力いたします。何なりと申し付けください。
口座についてはまず、市橋さんご本人の承諾がいると思いますがご本人と連絡がつかない今、ご両親、親族の方に管理をお願いするのはいかがでしょう?こういうことはやはり、身内の方に管理していただいた方がいい気がします。ご両親は口座を作ることについてどうお考えですか?私も支援者として、支援金が市橋さんに無事に届き、支えになることを心よりお祈りしています。それから、これは私1個人の考えですが、民事で訴えられるかどうかについてですが、被害者遺族は手記の印税を一銭も受け取らなかったくらいなので、市橋さんのための資金を集めていることを被害者側が知っても、慰謝料の要求・・・といったことにはならない気がします。
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本当に体調管理ができなくなりそうな暑さが続きますね。
ブログを拝見させて頂き、先生も少しお疲れのご様子・・・。心配です。くれぐれもご無理はなさらないようお願いします。
さて、市橋さんの支援金のお話ですが、私もずっと案じていました。なかなか難しい事なのでは、と日々考えておりましたが、専門的な知識もなく、上手く市橋さんのお手元に届くよう祈ることしか出来ない情けない私です。
どちらで服役生活を送られているのか判らないし、先はまだまだ長い為、私自身も生かされているか判断がつきません。やはりお若い山本弁護士のような第3者の方に間に入って頂いて何とか市橋さんが出所されるまで管理して頂いたらいかがでしょうか。 例えが悪いのですが、遺言書を預かるような形でお願い出来ないのでしょうか。もし市橋さんにお渡しできるならば、支援する会からの分与というか、そのような形は取れないのでしょうか。
今現在は、弁護士の方々も服役先が判らないかもしれませんが、今後、市橋さんが連絡をくださる可能性もありますし、もしそのような事がなければ、ご両親様に私達、支援者の想いがこもった支援金を何とか市橋さんにお届けしたい旨をお話して、服役中の場所だけでもお問い合わせして頂き、本山先生か弁護士の方に教えてくださるよう懇願してはダメでしょうか。。。
知識がない為、非礼な文章になっていましたら申し訳ありません。ぜひとも名案がいろんな方々から出ますように祈っております。
本山先生、いろいろと先生にばかり、ご負担がかかり申し訳ありません。これからも支援者として何が出来るのか考えつつ頑張りたいと思いますので宜しくお願い致します。
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今日は東京農業大学の研究室に行って、昼休みはいつものようにジョギングをしようと思っていたのですが、あんまり暑かったので、かえって体によくないと自分に言い訳をして止めました。
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2012年8月6日月曜日

ゆうちょ銀行に寄って、支援金の残金を30年間預けて、市橋君が社会復帰する時に受け取れるようにする方法がないか相談してきました。事情を正直に話していろいろな可能性について訊いてみましたが、本人以外が市橋達也君の名義で口座を開設することは難しいとのことでした。「市橋達也君の更生を支援する会」の名義で口座を開設することはできても、一定の期間お金の出し入れの活動がなければ、口座を閉じるようにとの連絡がくることになるそうです。銀行にはまだどのような方法があるか確かめていませんが、同じような状況かもしれません。支援者の皆様の意思を最大限尊重したいと思っていますが、支援金の残金を無期懲役刑で受刑中の市橋君が30年後に仮釈放された時に生活資金として受け取れるように管理をするというのは、案外難しいということがわかりました。私以外の支援者は顔を表に出していませんので、私より年齢の若い支援者に託すということもできませんし。何かよい方法をご存知の方はお知らせ下さい。

4月末に走った横浜駅伝の時から、ずっと以前ほど元気がでないので、今日は思い切って病院に行って診てもらってきました。1月に受けた人間ドックでは異常なしでしたが、どうも下腹部にちょっと違和感があって走っても力がでないので5月には消化器系のエコー(超音波)検査と血液検査をしてもらっても異常なしでした。今日は泌尿器系のエコー検査と尿検査をしてもらいましたが、やはりどこも異常なしでした。
1月末にフルマラソンを走り終わってからトレーニングの目標がなくなって、10Kg 近く減量した体重も運動不足でリバウンドして半分くらい元に戻り、空手の稽古もほとんどしていないので体力もずいぶん低下している気がしています。睡眠不足が常態化して、すっきりする時があまりないことも精神的に元気がでない原因のひとつかもしれません。
心を入れ替えて、もう少し定期的に運動をしなければと思っています。

台風の影響の雨も夕方には止みましたので、江戸川堤防を6Km 走ったり歩いたりしてきました。
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2012年8月5日日曜日

今日も猛暑日でしたが、私は一日中机に向かって、メールの返信をしたり講演の準備をしました。夕方になって少し気温が下がったので江戸川に出かけ、景色を見ながら8Km 歩いてきました。昨夜の花火大会の人混みが嘘のようでしたが、日曜の午後ということもあって、たくさんの走っている人や家族連れで散歩をしている人たちと行き交いました。人間は町の中に住んでいると、機会があれば外に出て体を動かしたり野外の空気を吸いたくなるのでしょう。ちょうど西の地平線に沈みかける太陽で、空が一部金色に輝いているのが見えました。
帰りはちょっと遠回りして坂川の方に行ってみたら、松戸宿坂川献灯まつり(8月9日~10日)の準備でちょうちんがたくさん飾られていて、川面にも映っていました。

昨日の新聞にはもう一つ、私には気になる記事「三木睦子(みきむつこ)さん死去」が載っていました。http://www.asahi.com/obituaries/update/0803/TKY201208030376.html死因は大腸腫瘍とのことですが、95才だったとのことですので、天寿を全うされたのでしょう。
三木さんと言えば、三木武夫(たけお)元首相夫人として知られていますが、私には平和憲法を守ろうと訴えた「9条の会」の発起人としての活動と、「朝鮮の子どもにタマゴとバナナを送る会」会長としての活動が強く印象に残っています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E7%9D%A6%E5%AD%90 
前の活動には私も署名をし、後の活動には私も寄付をしました。国の政治の犠牲になって苦しんでいる朝鮮の子供たちに少しでも栄養のあるものを食べさせたいという活動でしたが、バナナは輸送中に腐るといけないので結局リンゴに代えたのを記憶しています。途中で軍人たちに横取りされないように、同行者が子供たちの口に入るところまで見届けることまでしていました。私が尊敬していた、日本の良心を代表する人物の一人でした。
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2012年8月4日土曜日

朝日新聞朝刊には、このところ「いじめられている君へ」と題したコラムが連載されていて、毎回違った人がメッセージを書いていますが、今日8月4日(土)は三浦雄一郎氏が担当でした。三浦氏は1932年生まれなので私よりちょうど10年上で、父敬三氏99才と長男雄大氏と親子3代でフランスのモンブラン氷河を滑降したことが記憶に残っている人です。http://www5.hokkaido-np.co.jp/kyouiku/kodomo/040508miura/index.php3  
70才、75才と2回も世界最高齢で世界の最高峰エベレストに登頂し、今度は80才で3回目の登頂を計画しておられるとのこと。私がすごいなあと思って憧れている人物の一人です。久し振りに新聞紙上に登場しましたので、興味を持って読みましたが、「人生をトータルで考えれば、・・・」と長期的な視点でものを見て目の前のことにくよくよするなというメッセージに頷(うなず)きました。

江戸川堤防に走りに行き、6Km 歩いたり走ったりしてきました。気温は高くても雲で陽射しが遮られ、そよ風も吹いていたので、ジョギング用のTシャツも短パンも汗でびっしりにはなりましたが、走るには快適でした。今日は松戸の花火大会なので、堤防の斜面はあちこちブルーシートで席取りがしてありました。

夕方7時頃からドーン・ドーンと花火の音がし始めたので、タオルを首に巻いてうちわを手に持って出かけてきました。妻にも一緒に行くかと誘ってみたのですが、まだ夕食の片付けが1時間くらいあるからと断られました。
堤防に向かう道は警察が車両止めにして、堤防の上も斜面もすごい人出で、立錐(りっすい)の余地もないくらいでした。途中で帰る人のあとの隙間に割り込んで、次から次へと打ち上げられる花火をしばらく眺めて写真を撮ってきました。見物しながらひときわ大きな派手な花火に歓声をあげて拍手をしたり、両親に手を引かれた浴衣(ゆかた)姿の小さな女の子や、車椅子のおばあちゃんを押してあげている家族など、家族への思いやりも含めて日本の夏の風物詩だなと感じました。次から次に打ち上げられてほんの一瞬美しい花を咲かせ、消えていく花火を眺めながら、人々は大震災のことや不景気な経済のことをしばし忘れているのでしょう。
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2012年8月3日金曜日

東京農業大学は今日が前期の期末試験の最終日だったらしく、キャンパスは大勢の学生諸君で賑わっていました。試験が終わったのか、サッカーをしたり、野球をしたり、陸上の練習をしている学生達もいました。
私は桜丘アリーナ(体育館)で着替えて大学の周りを軽くジョギングしましたが、猛暑で熱中症になってはいけないと思って4Km で止めました。シャワーを浴びていたら少し気分が悪くなりそうでしたので、用心して早目に止めて良かったと思いました。

9月13日~14日は石川県加賀海岸で松林防除実践講座があり、私は13日に講演をすることになっていますが、主催者から宿泊はどうするかと問い合わせがありました。せっかくの機会ですから、一泊すれば懇親会にも出席できますし、14日早朝に京都経由で新幹線に乗れば、帰途名古屋で途中下車してお墓参りもできますので、そのように返事をしようと思っています。
翌15日からは環太平洋農薬科学会議で中国の北京に飛びます。

8月はあまり予定が入っていないので比較的のんびりできますが、9月に入るといろいろな行事に追われることになりそうです。
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2012年8月2日木曜日

8月28日に埼玉県の嵐山カントリークラブで開催される東京農業大学グリーン研究会主催の研究会での講演の準備に一日費やしました。大体できましたが、もう少し内容とスライドの枚数を絞る必要があります。
長野県安曇野市での研修会の日程は調整していただくことができました。10月30日の東京農業大学での講義はそのまま実施して、31日に現地入りして一泊、11月1日に講演ということになりました。
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2012年8月1日水曜日

東京農業大学の研究室から借りていた実験装置を車に積んで、返してきました。渋滞がなかったので、片道1時間半弱で比較的楽でした。東京都内を運転する時はいつも緊張しますが、この頃少し慣れてきたせいかもしれません。

今年4月に卒業して就職できなくて、大学に残って就職活動中だった東京農業大学の学生が、先日農薬の分析関係の会社の最終面接までいったと相談にきましたが、残念ながら私のところに来た日の午前中に不採用の通知が届いてしまったので何の応援もできませんでした。その後どうなったか気になったので、指導教員の学科長にメールで問い合わせてみたら、ある大きな会社の子会社に採用されて、8月1日(今日)から新入社員として勤務し始めていますとのことでした。この不景気で就職難の時代に巡り合わせた若い学生諸君にとっては、大学卒業後に就職できるかどうかは大問題の筈ですから、私が指導した学生ではありませんが、一人の若者の進路が決まったことに私もホッとしました。東京農業大学では、教職員が一緒になってよく学生の就職の応援をしているという印象を受けました。
長野県安曇野(あずみの)市でのある研修会での講演を10月に依頼されていましたが、東京農業大学での講義日程とちょうど重なってしまって困ったなと思っていました。どちらかの日程を変更できないか打診していましたら、幸い研修会の方の日程を変更してもらえることになりましたので、これで一安心です。

夕方遅く木立の上に満月が昇っているのがロマンチックに見えたので、愛用のデジタルカメラでうまく写るかどうかシャッターを押してみました。まだ背景の空が少し明るかったので、しばらくして真っ暗になってから再度撮影してみましたら、月の色は出ませんが、形が真ん丸なことは写っていました。

アメリカに帰った孫たちは8月末までは学校が休みなので、娘は毎日孫たちのエネルギーを発散させるためにあちこち連れて行ったり、遊ばせたり、大変だろうなと想像しています。その大変なことが、後から振り返ってみると幸せなことなのかもしれませんが
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2012年7月31日火曜日

約束通り、千葉県森林研究所の福原氏が、培養したマツノザイセンチュウのKa-4 isolate(毒性最強)を持参してくれました。福原氏らは、この時期は野外で一日に2000~3000本の松苗に接種する作業をしているそうですが、今日は、千葉県松林復活プロジェクトに参加している千葉大学大学院博士課程の大学院生小林君を指導してもらってポット植えの松苗に接種しました。松苗の幹の粗皮をナイフで丁寧に剥離し、露出した形成層をのこぎりで傷をつけ(マツノマダラカミキリ成虫が当年枝を後食するのを模して)、培養したマツノザイセンチュウ懸濁液を1本当り約3000頭ずつ接種しました。このような接種作業は日中の気温の高い時に行うと、剥離した粗皮と形成層の間に滴下した懸濁液が短時間に吸収されて、センチュウの樹体内への侵入を促進するとのことです。

松枯れの発現症状を見ながら、松苗をポットから引き抜いて、センチュウ無接種区の松苗の白根(吸水根)とセンチュウを接種した影響で褐色化した白根を採取し、菌根菌の共生を妨害する二次代謝物質が生成しているかどうかを調べる予定です。仮説が正しければ、次のステップとして二次代謝物質の分離同定に進みますが、うまくいけばいずれ小林君の博士論文の一部になる筈です。
炎天下で汗をびっしょりかきながらの体力を消耗する作業でしたが、仮説通りの素晴らしい結果が得られることを想像しながらの楽しい作業でした。
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2012年7月30日月曜日

市橋君のことで何人かの方からお便りが届いていますが、ブログには載せないでほしいと書いてありましたので内容は紹介しません。

6月20日に到着した娘と孫たちは、日本に40日間滞在して、今日成田空港からカリフォルニア州サンタモニカ市の自宅に帰りました。夕方17:15発の飛行機でしたが、念のため早目に車にスーツケース5個を積んで自宅を出発し、空港に着いたのは12:00 頃でした。チェックイン開始は13:15 頃と言われて、列に並んで待ちました。孫たちは退屈して、空港ロビーの椅子に腰かけてバックパックからニンテンドーのゲーム機を取り出して、夢中になって遊んでいました。時間がきて荷物のチェックイン手続きが済んで、孫たちが出発ゲートに向かう時には姿が見えなくなるまで手を振ってさよならをしました。朝から晩まで賑やかだった我が家は、また老夫婦二人だけの静かな生活に戻りますが、ロサンゼルス空港には義理の息子が首を長くして家族の帰りを待っている筈です。
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2012年7月29日日曜日

全国農薬安全指導者協議会(安全協)主催の「農薬シンポジウム IN 千葉」は、千葉市文化交流プラザで予定通り開催されました。今回は、企画を担当した地元の農薬卸商会社の岩淵健二社長が開会の挨拶で、事前に独自に実施した農薬に関する意識調査(アンケート)の結果から、農薬に不安感を持ったいる人たちは何に対して不安を抱いているかを解析して報告しました。

私の基調講演に続いて、JA(農業協同組合)ちばみどりの宮内貴志次長が作物流通を担っているJAが安全を確保するために採用している各種取り組みについて紹介し、銚子野菜連合会の石上與一会長が緑肥を用いた土作りから収穫・出荷までのキャベツ生産の全課程について解説されました。千葉県の農産物産出額は、平成22年の統計では北海道、茨城県に次いで全国第3位ですが、中でもキャベツやトウモロコシの生産についてはJAちばみどり管内の銚子の貢献が大きいとのこと。

収穫1週間前のキャベツ畑では、周辺の畑で散布された農薬の飛散による汚染が起こらないように桃色の旗を立てて注意を喚起するのだそうです。ところが、これは畑泥棒にとっても収穫適期を知らせる合図になるので、この時期は警戒を厳重にして泥棒に盗まれないように注意をしているとのこと。農家が長期間かけて汗水流して栽培したキャベツを盗む人がいるというのは信じられない気がしますが、以前、収穫直前の水田から稲刈りをしてお米を盗むという事件が報道されていましたので、実際にあることなのでしょう。

質疑応答の後は、安全協の田中康貴会長の閉会挨拶で幕を閉じました。閉会後、主催者と講師は近くの居酒屋で反省会をしましたが、この席で農薬の流通や作物の流通に関していろいろな情報が得られ、私にとっては大変勉強になりました。
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2012年7月28日土曜日

昨日いただいたお便りに以下の返事を差し上げました。
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〇〇〇〇様
お便りありがとうございました。市橋君がどこかの刑務所に移送されて受刑生活が始まって以来、様子が全くわからなくなってしまいました。どこの刑務所にいるかが、弁護団にも、ご両親にも、誰にもわからないというのは、残酷な制度ですね。本人が外部に手紙を書くことは許されている(回数に制限があるにしても)筈ですから、どこにも手紙がきていないということは、本人が誰にも知られずに罪の償いをしたいと思っているからではと想像しています。
ほとんどの人々は、マスコミが追いかけて報道している間は関心を示しますが、報道をしなくなればもう過去のこととして忘れてしまいます。本人にとっては今から30年間も自由のない刑務所での生活をし、決して過去の問題になることはない、永久に現在の問題として向き合って生きなければならないのに・・。市橋君は頑丈な体と強い精神力を持っていますので、受刑生活をしながら、ご両親から最後にいただいたお手紙にありましたように、求道者のように修養と克己を身につけていくのではと思っています。
私も、市橋君がいつの日か受刑しつつもご両親や私や支援者と交流をしたいと思う日がくることを祈っています。
先日、夜中の1時頃に携帯から以下のメールが届きました。発信者の名前も何もありませんでしたので、いつもと同じ嫌がらせの一つだと思って無視しましたが、反支援者も、市橋君に関するニュースがパタッとなくなったので、攻撃目標がなくなって張り合いがないのかもしれません。
「△△刑務所にいます。」
「△△刑務所の所在地わかりますか。わからなければ、104に電話して、電話番号と所在地聞いてください。真夜中にすみません。」

私はもう70才の老人ですから、そろそろ引退して年齢相応の暮らしをするべきなのかもしれませんが、まだもう少しやりたいことがありますので、なかなか引退できません。平均寿命からすると残り10年足らずですから、少しずつでも今までやりたくてもできなかったことに時間を使おうと思っています。
猛暑が続いていますので、〇〇様もどうぞお体を大切に。
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昨日の梅津憲治博士の講演でも紹介されていましたが、千葉大学は植物工場研究の拠点大学の一つです。園芸学部松戸キャンパスには、閉鎖型植物工場と太陽光利用型植物工場があってよく学外からも見学者が訪れるようです。千葉大学柏の葉キャンパスのセンターには最近さらに近代的な植物工場が建てられたようですが、私自身はまだ見に行っていません。今日は純白の花が咲いている木槿(ムクゲ)の側を通ったら、小さなカマキリが愉快な姿勢で餌食(訪花昆虫)を待ち構えていたので写真を撮ってきました。

明日は千葉市で開催される農薬シンポジウムで、私は「食の安全・安心と農薬」というテーマの基調講演をすることになっています。開会は午後2時からですが、事前の打ち合わせ会と事後の反省会もありますので、帰宅するのは夜の時間帯になりそうです。今回は日曜日開催ですので、どういう参加者が来られるのか、楽しみです。
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2012年7月27日金曜日

市橋君のことで久しぶりのお便りがありました。猛暑の中で、受刑中の市橋君の健康を心配している方々がたくさんおられるのでしょう。ありがとうございました。
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先生、大変ご無沙汰をしております。連日猛暑が続いておりますがお身体大丈夫でしょうか?
オウムの指名手配犯が立て続けに逮捕され、その中で市橋さんの逃亡生活を引き合いに出していたこと、ニュースを見るだけで市橋さんの立場を考えてしまい胸が痛い思いをしておりました。(自分の犯した罪の償いを日々向き合っておられるのに。でも罪は罪ですので仕方の無い事ですが)
この何か月間毎晩寝る前に「毎日元気で受刑の日を送れるように」と。市橋さんはもう受刑者に変わったんだ。私達が何か支援をすることはもうできないのですね。
正直控訴をしても誰も信じてくれない、だから今の受刑の道を選んだのかもしれません。(あくまで私個人の見解です)
この暑い中市橋さんは大丈夫なのか?元気にしているのか?独りの殻に籠ってるのではないのか?とても気がかりです。
でもこのリンゼイさんの事件を風化してほしくないとも思っております。世の中はオリンピック一色ですね。オウムの事件も風化されそうになっています。ただ言えることは、市橋さん強く生きてほしい。それだけで支援者(何もできませんが)の私にも光が見えてきます。私も一日一日を大切にし、市橋さんの事を願いながら生活をしていきます。
先生のご活躍大変喜ばしくて嬉しくなります。これからもお身体に気を付けてください。乱文長文失礼しました。
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今日は「食と農の博物館」で、東京農業大学総合研究所研究会農薬部会とHEART(ハート)の会*と合同の講演会があり、梅津憲治博士(東京農業大学客員教授/元日本農薬学会長/元大塚化学専務取締役)による「植物工場の現状と将来の課題」と題した講演がありました。私は今年から研究会の農薬部会長になりましたから、座長の役を果たしましたが、素晴らしい内容の講演でした。大塚化学自体が水耕栽培用の液肥を供給しているということもあって、あちこち日本の主な植物工場を訪問して撮影してこられた(普通は企業秘密で見学も撮影もさせてくれない)写真も興味深いものでしたが、日本の農業を取り巻く環境と農産物生産の実態や、植物工場の採算性・事業性や、太陽光利用型・完全制御型植物工場の特徴と課題など、貴重な資料をたくさん集めて整理してプレゼンテーションをされ、さすが勉強家の梅津博士だからこそできたと思われる大変説得力のある講演でした。
*人間環境活性化研究会 (Human Environment Activating Research Team) http://www.heart-no-kai.com/

農水省や経産省の補助金事業ということもありますが、異業種から猫も杓子(しゃくし)も事業参入していて、一見華やかな植物工場ビジネスですが、設備投資やエネルギー代に巨額の投資がかかり、ほとんどが赤字経営という実態には考えさせられました。施設を建設するゼネコンや電気を供給する電力会社には儲かるビジネスかもしれませんが、肝心の植物工場の中で植物生産をする農家=農業生産者にとっては、赤字で破産して夜逃げをしなければならないくらい、儲からないビジネスのようです。何でもそうでしょうが、見かけの華やかさや恰好だけで判断してはいけないという教訓を教えられます。

円高のために、安い輸入農産物との競争に苦しんでいる日本農業の現状や、東北大震災と津波で壊滅状態の現地の農業再生のために、植物工場建設は政府にとっては魅力的な補助金事業になるかもしれませんが、長い目で見て農家の経営や日本の食料自給率アップに本当に役に立つかどうか、これまでの経験の反省を踏まえて判断することが必要なのだと思います。
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2012年7月26日木曜日

新潟県胎内市でのヘリコプターで散布された薬剤の気中濃度を測定するサンプルを分析するための抽出・濃縮・定容の作業を、共同研究をしている千葉大学園芸学部の研究室で行いました。サンプル数が多いので、夜中の2時までかかってやっと1/4くらい終わりました。残りの3/4を同様に処理すれば、ガスクロマトグラフィーという機器を使って分析ができるようになります。夜中まで実験をしながら、大学院生に戻ったような楽しい気分でした。
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2012年7月25日水曜日

JR特急さざなみ1号は空いていたので3人そろって座れました。館山駅に到着後レンタカーを借りて平砂浦に行きました。猛暑日でしたが、汗をびっしょりかきながら平砂浦遊歩道から松林(今は枯れてほとんど壊滅状態)の中に入り念入りに視察しました。7月11日に視察した時にはわずかですが生き残っていた松もあったのですが、わずか2週間でそれらにも松枯れ症状が進行していましたので、今秋には全部枯れてしまうかもしれません。
6月27日に2回目のエコワンフロアブル(有効成分はネオニコチノイド剤のチアクロプリド)をスパウターと呼ばれる大型散布機で道路から散布した筈ですが、地上散布ではスパウターが移動できる道路側からしか散布ができないので、薬液が届かない林分では効果がないのは当然です。道路にはみ出した松枝の下の道路上には無数のマツノマダラカミキリ成虫の死骸がありましたので、薬液がかかった松枝に寄生していた成虫に対しては効果があったことがわかります。
今年発生した成虫は当年枝を後食(こうしょく)し、一部はすでに産卵し、孵化幼虫が樹皮下で形成層を食害していました。場所によっては、姿は見えなくても幼虫が樹皮下でボリボリかじっている音が聞こえました。

車で外房(そとぼう)沿いに北上して途中東浪見(とらみ)海岸に寄ってみました。大きな松はすでにほとんど枯れて、更新された生育途上の小さな松がありましたがそれも何割かは松枯れが進行中で、今年発生した成虫が当年枝を後食しているところも確認できました。

さらに北上して九十九里の蓮沼海浜公園の松枯れのその後の状況を視察しました。展望台の前辺りの松が文字通り松枯れで全滅状態で、今年枯れた松は伐倒・玉切りにされてブルーシートで覆われていました。昆虫寄生性病原菌ボーベリア菌(ボーベリアバシアーナ F-263株の分生子、商品名はバイオリサ・マダラ)を接種してある絆創膏みたいなテープ(不織布)が玉切りされた松枝に貼ってありました。羽化脱出してきた成虫は丸太の上を歩き回ってこれに触れればボーベリア菌に感染しやがて発病して死ぬ筈ですが、実際にはシートの下の松枝上でテープに触れずに留まっている成虫や、ブルーシートの上に出てきている成虫も見られました。これらの成虫が健全な松の当年枝に飛んでいって後食(こうしょく)すればセンチュウを伝搬するのではないか、ちょっと心配になりました。ブルーシートの大きさが不十分で積み重ねられた丸太の高さの半分くらいまでしか被されていなかったからかもしれません。こういう処理方法でいいのか、この方法を開発された元(独)森林総合研究所の研究者に今度確認してみようと思っています。

茂原でレンタカーを返して、特急の時間まで駅近くのレストランでビールを一杯と夕食を食べながら3人で今日の視察の結果を話し合いました。有人ヘリコプターで有機リン殺虫剤のスミパインMCを散布していた2007年まではしっかり守られていた松林がこういう無残な状況になったのは、農薬反対活動家グループの反対運動でヘリコプターによる有機リン殺虫剤の散布が中止に追い込まれ、残効性の短いネオニコチノイド剤(エコワンフロアブルとマツグリーン液剤2)の地上散布に切り換えられたことが原因と推察されます。それでも君ヶ浜の国有林のように適期に2回散布をして、伐倒駆除もきちんとしていれば守られた筈ですが、予算の制約などから1回散布しかできず伐倒駆除も不十分にしかできなければ、5月~8月まで羽化脱出してくるマツノマダラカミキリ成虫に対応できないことは当然です。防除技術はあるにもかかわらず、2008年以来政治的・予算的制約から中途半端な防除しかできなかったことのツケがまわってきたというのが私の結論です。

もう一つ私が不思議に思ったことは、伐倒駆除した跡地に何故同じ本数(少なくとも)の松苗を植林しないかということです。伐倒だけしていけば松林が消滅していくのは目に見えています。毎年枯れた分だけ補植をしていくことは、行政のやる事業としては予算化しにくくやれないというようなことがあるのだとしたら、それもひとつの問題だなあという気がします。

ここまで被害が深刻になれば、かつて日本の白砂青松100選にも選ばれた(美しかった)平砂浦の松林も九十九里の松林も遠からず消滅する日がくるでしょう。こうなると、今後どうするかということが政治的課題になってくる筈です。東北大震災の後、電力不足問題が顕在化している現状にかんがみ、松が枯れた後の海岸に太陽光発電のパネルを設置したり、風力発電の風車を設置したらどうかというアイデアも冗談交じりにささやかれているとのこと。一案だとは思いますが、昔から地元の住民が苦しめられてきた強風害、飛砂害、潮風害などをどう解決するか、場合によっては起こるかもしれない津波に対する備えも含めて考える必要があるのでしょう。

朝早くから一日かけての猛暑の中での視察で疲れましたが、現場に出てよかったと思います。現場に出ると毎回新しい発見や体験があります。林野庁の森林保護対策室長にとっても、有意義だった筈です。今日の経験を国としての林野行政に生かしていただきたいと思います。

      (写真はクリックすると拡大できます。)
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2012年7月24日火曜日

明日は朝早く自宅を出て、電車で館山まで行き、そこからはレンタカーで平砂浦と九十九里の海岸を回って松枯れ状況を視察してくる予定です。いつも一緒に行く樹木医の他に、林野庁の森林保護対策室長が同行します。森林保護対策室長は正式の出張にすると、関東森林管理局千葉森林管理事務所や千葉県の林業事務所への連絡など手続きが面倒になるので、休暇をとって個人的な視察にするという配慮をしてくれました。室長には、海岸保安林が松くい虫防除の失敗でどれだけ酷い状況になっているか、現場に足を運んで直接見てきていただきたいと思っています。その上で、松林を守るために林野庁として何ができるか検討していただければと思います。

孫たちは、エネルギーを発散させるために娘が子供向けの映画につれていきました。帰ってきてから、一番上のAiden(叡伝)は小学校の友達の家に誘われて遊びに行きました。この友達は、普段は学校が終わると塾通いなのであまり遊び友達がいないらしく、Aidenと遊べるのが楽しくてたまらないようです。学校が終わったら近所の子供たちと自由に遊べた昔の子供と、塾に通ったり、家でコンピューターゲームに熱中している今の子供と、どちらが幸せなのだろうと思ってしまいます。

ダディ(父親)がアメリカで離れているせいか、3人ともよく私のところにきてくすぐりっこをしたり、相撲をとったりします。父親とのスキンシップを求めているのかもしれません。明日は、皆で東京スカイツリー見に行って、それから浅草に行ってアメリカの友達にお土産を買ってくると言っています。

今日はテレビ朝日で午後4時15分頃からイチロウがニューヨークジャイアンツに移籍するニュースを伝えていましたが、義理の息子が送った映像とのことでした。
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2012年7月23日月曜日

今月29日(日)に千葉市で行われる「農薬シンポジウムIN千葉」の基調講演の準備をしました。岐阜市では少し時間をオーバーしてしまいましたので、今回は割り当てられた時間通りに終われるように、スライドの枚数は同じでも、話す内容を少し絞ることにしました。

準備運動をしてから、いつもの江戸川堤防の代わりに、近くにある浅間(せんげん)神社に走りに行きました。昨年の地震で鳥居や灯籠などが被害を受けたらしく、長い間立ち入りできなかったのですが、修理が終わったらしく石段を登って頂上の神社まで行くことができました。独立した小さな山ですが、うっそうとした森になっていて、神社の雰囲気が保たれていました。

夕方は家族全員で近くの知り合いのラーメン屋に行って夕食を食べ、その帰りに公園に寄って花火をしました。大きな音がしたり、空に打ち上げるような派手なものは避けて、線香花火のような地味なものを選んで買ってきましたが、それでも孫たちは代わりばんこに花火を手に持って着火し、歓声をあげて喜んでいました。日本での夏の夜の思い出になるでしょう。
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2012年7月22日日曜日

支援者から久し振りのお便りが届きました。ありがとうございます。人間ドックでは何も異常はなかったのですが、実は1月末のフルマラソンで気が抜けたのか、その後あまり走る気力が湧いてきません。単に運動を怠けているので筋力が退化しているだけかもしれませんが、下腹部に少し違和感があって以前のように力がでてこないような気がしています。8月になってもう少し時間の余裕ができたら、念のため病院に行って検査を受けてこようと思っています。
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暑中お見舞申しあげます。とはいえ、気温差がある天候続きで"暑中"という言葉は適しているのか?どうかわかりませんね。
先生、お孫さん達との楽しく賑やかな日々、ブログで拝見させて頂いてます。公私にわたり色々とお忙しそうなので少し体調が心配です。くれぐれもお体にお気をつけてお過ごしくださいませ。私は仕事に趣味に相変わらずの生活です。毎朝、欠かさず市橋さんが今日も元気で頑張ってくださるようお祈りも続けています。今の私には祈る事しかできませんので。(本山:市橋君自身が誰にも知られずに罪を償おうとしているようですので、今は遠くから彼が日々の行いを通して人間として成長することを祈るしかありませんし、私もそれでいいのだと思っています。私に何かを話したいと思う時がくれば手紙を書いてくれるでしょう。)
いつか市橋さんが先生にお便りをくださることを願いつつ、これからも支援していきたいと思います。
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Aiden(叡伝)とColin(琥倫)をつれて水元(みずもと)公園内にある葛飾区金魚展示場に金魚を見に行きました。これが金魚かと思われるような、実に様々な金魚がいました。小合溜(こあいだまり)につながっている小さな水路にはハスの葉が一面を覆っていて、ピンク色のなんとも言えない優しい感じの花が咲いていました。
午後からはAidenは小学校の友達に誘われて、近くの運動場にサッカーをしに行きました。その間、娘はAika(愛夏)とColin(琥倫)をすぐ近くで遊ばせながら、見ていたようです。Aidenはアメリカでもサッカー教室に通っているので楽しかったらしく、プレー中に蹴られて腫れている脛の傷や、あちこちの擦り傷をGrandpa, look!(おじいちゃん、見て) と言って私に見せました。

孫たちはアメリカに留まっているDaddy(義理の息子)とは毎日電話で話しています。仕事は一段落したようで、本当は、日本に来る直前に引っ越した大きな家(3ベッドルーム、3バスルーム、リビングルーム、キッチン、屋根裏部屋、車2台分の車庫)の片付けを家族がいない間にすると言っていたのに、魂が抜けたみたいになって、料理も上手なのに食事を作る気力もなくなっているようです。普段から子供のために働くのが生き甲斐のDaddyですから、家族がいなくなって寂しくて仕方がないのでしょう。孫たちの日本滞在も残り約1週間になりましたので、もうすぐ家族と合流できます。娘は、自分がアメリカに帰ったらヤードセールをして不要なものを処分するからと伝えたようです。

久し振りに道場で空手着に着替えて、サンドバッグを蹴ったり、巻き藁を突いたり、突き・蹴り・受けの基本の稽古をしましたが、体は固くなっているし、スピードは出ないし、力も入らないし・・、情けない体調でした。頭は錯覚で思い込ませることができても、体は動かさなければすぐ動かなくなって正直です。?
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2012年7月21日土曜日

毎年この時期になると、千葉大学現役時代に学生諸君と一緒に長年農薬の生態影響を調査してきた水田がどうなっているか気になって落ち着かなくなります。今日は銚子の君ヶ浜の松林の松くい虫の被害状況を調査するついでに、大網白里町と香取市山田区に足を延ばして水田の様子を見てきました。
驚いたことに大網白里町砂田(いさごだ)地区の水田は大豆畑に転換されていました。役所から減反を要請されたのか、補助金が付いたのかはわかりませんが、今度知り合いの農家に訊いてみようと思っています。
香取市山田区田部(たべ)地区の水田はすでに出穂してイネの花が咲いているところもあり、水路には土着のメダカやカエルもいました。橘堰(たちばなぜき)ふれあい公園のハス池では大賀ハスの美しい花が咲いて、ガマも穂をつけていました。
銚子の君ヶ浜の松林は、松くい虫の被害が激発した平砂浦や九十九里の松林と違って、ほとんどが青々としていました。ただごく少数ですが、枯れかかっている(今年発生した松くい虫によると思われる)マツも見られましたので、これからが要注意だなと思いました。
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2012年7月20日金曜日

千葉大学園芸学部の「食品安全ビジネス論」では、私も農薬分野で1回担当しましたが、今日が講義の最終回で、(独)日本原子力開発機構の研究主席小林泰彦先生の「食品の放射能汚染と安全性」でしたので、私も一番後ろの席で聴講しました。
しっかりした資料を配布され、放射能と放射線の違い、自然界の放射線、外部被ばくと内部被ばく、リスクの概念、被爆の影響、放射性物質の食品基準、食品の放射線照射の有用性、風評被害問題、・・等々、難しい内容を専門外の学生(大半は園芸経済学科の学生と社会人)に分かり易く講義して下さいました。原子力発電所の事故があった福島県産の農作物について、コープ福島の放射性物質測定結果からも科学的には安全であると証明されていても、安心できないと言われるところは、農薬の風評被害と全く同じ状況だなと思いました。
安全基準値にしても、安心感のためにさらに厳しく設定したり、自分たちの流通している商品を差別化するためにそれよりもさらに厳しくしたり、そのために生じる負の影響については責任をとらない・・。まともな農業をやって安全な農作物を生産している人たちを批判して、無農薬や有機栽培を商品の差別化に利用しようとしている人たちとよく似ているなと思いました。

私から見ても最高の講義だったにもかかわらず、社会人が前の方の列に座って熱心に聴講しているのと比較して、学生諸君の多くが後の方の席で顔を机にうつ伏せにして居眠りしている姿にはがっかりしました。単に卒業に必要な単位数を満たすために受講しているのか、就職活動で走り回って疲れているのか、そもそも大学にきて勉強する目的意識が欠如しているのか、恵まれ過ぎていることがかえって不幸なのかもしれません。こういう無気力な若者たちが大学を卒業して社会に出て行って、どうなるのか心配になりました。

猛暑だった昨日と打って変わって気温が下がって涼しくなりましたので、江戸川堤防を14km ゆっくり走ってきました。

孫のAiden(叡伝)とAika(愛夏)が行っている小学校は今日が夏休み前の最後のクラスだったらしく、それぞれクラスのお友達一人一人がメッセージを書いてくれたアルバムをもらってきました。今月末にはアメリカに帰国して、秋学期にはもう会えなくなることを子供たちも知っているので、「来年また来て同じクラスになれたらいいな」と書いてくれた人もいました。日本人の子供たちにとっても我が家の孫たちにとっても、短い期間でしたがこうして交流できたことはいい経験になった筈です。
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2012年7月19日木曜日

午前中は自宅で緊急を要するメールへの返信をし、午後からは東京御茶ノ水で、全国農薬安全指導者協議会(安全協)主催の農薬の安全使用に関する賛助会員(主に農薬メーカー)、安全協常任幹事、農水省農薬対策室等の打ち合わせ会・意見交換会があり、私も招待されましたので出席しました。こういう企画は初めてでしたが、お互いにいろいろな問題点が認識でき、有意義だったと感じました。
情報交換会(懇親会)でも、アルコールの勢いもあって本音での情報交換が行われました。

東京に出かける前に、お腹に情報交換会でアルコールと食べ物が入るスペースを作っておこうと思って、江戸川堤防にジョギングに行きましたが、暑いのと太り過ぎで息が切れるのとで、結局4Km だけ走ったり歩いたりして帰ってきました。情けない限りです。
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2012年7月18日水曜日

今日は松戸から東京農業大学まで車で行って、実験に使う器具を共同研究をする千葉大学の研究室に運んできました。今週の金曜までには業者に発注したその他の必要な器材が届く予定ですので、実験が始められます。東京の真ん中を通りましたが、往きは道路が混んでいて2時間くらいかかり、帰りは1時間ちょっとでした。

千葉大学園芸学部の構内にある木槿(ムクゲ)は真っ白い花が満開でした。

一番上の孫のAiden(叡伝)の9才の誕生日でしたので、本人が食べたいと言ったピザをとり、ケーキの変わりにシュークリームを食べ、皆でHappy Birthday の歌を歌ってお祝いしました。その後で、先日トイザラスで買ってきた任天堂のゲームソフトを包装紙から出しました。娘の家ではアメリカにいる時は普段はこういうゲームはあまりさせないようですが、日本語版なので、日本語の勉強にもなるからということで娘が許可しました。
こうして家族皆で誕生日をお祝いしてもらえる孫たちは、世界のあちこちで戦禍に怯えながら暮らしている子供たちに比べると幸せです。
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2012年7月17日火曜日

一番下の孫のColin(琥倫)が通っている幼稚園は今日が夏休み前の最終日で、幼稚園で描いた絵や、作ったおもちゃや、先生が撮ってくれた写真を持って帰ってきました。短い期間でしたが、体操の時間や、プールの時間や、習字の時間や、お茶の時間もあって、日本の子供たちの中に入って同じ経験ができたことは、大変良かったと思っています。ハーフで少し顔立ちが皆と違っていても、そんなことはお構いなく仲良くできるところが子供たちの素晴らしいところなのでしょう。お互いにその気持ちを大人になっても持ち続けてくれればいいのですが・・。体験入園を受け入れてくれた幼稚園と、指導をして下さった先生たちに感謝します。
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2012年7月16日月曜日

腎臓透析でリハビリセンターに長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人をお見舞いに行ってきました。先月は一度も行けなかったので2ケ月振りでした。娘が小さかった頃は同じ公務員宿舎に住んでいて家族どうしよく知っているので、娘と孫たちの写真を持っていって見せながらいろいろ話しかけました。眼を大きく開いて、私の顔を見たり、写真を見たりしていましたが、一言も口はきいてくれませんでした。

30分ぐらいしてリハビリセンターを後にしましたが、ベッドの横の小机にはメモ帳を兼ねたスケッチブックが立てかけてあったので、私がお見舞いに来たことを記して写真も何枚か残してきましたら、その後に来られた奥様からお礼の電話がありました。昔、日本女子大学出身で、大学院で彼の研究室を専攻していた女子学生が今は新潟大学教授になって、先日お見舞いに来てくれたと話してくれました。私が指導していた園芸学部の空手部にも入っていたので私もよく記憶している人です。ちょうど同じ時期に、明治大学を卒業して大学院を私の研究室を専攻していた男子学生がいて、今は千葉科学大学で薬学部の教授をしていますが、彼も当時空手部に入っていたので、お互いによく知っている筈だと話してあげました。今度彼女にお見舞いの礼状を書く時に、覚えているかどうか男子学生の消息を知らせてみますとのことでした。

元同僚教授/友人も私もすでに千葉大学を定年退職して、そういう意味では余生をおくっている立場ですが、ある時期に指導をした元学生たちが、大学教授になって、分野は違っていても学問の後継者になってくれているのをみるのは嬉しいことです。

娘と孫たちは東京で公演している「ライオンキング」というミュージカルを観に行って来ました。Aika(愛夏)(7才)はカリフォルニア州のサンタモニカの近くのミュージカルシアターに通って習っているので、歌ったり踊ったりするのが大好きです。よく、ドレミの歌を振付をしながら英語で歌ってくれて、バーバとGrandpa を喜ばしてくれます。帰ってきてから今日のミュージカルはどうだったと訊いたら、よかったと答えました。自分は胸から声を出して歌うけど、今日の人たちはお腹から声を出して歌っていたと言っていました。

昨日Aiden(叡伝)(9才)が釣った魚(ヤマメ?)は妻がフライパンに油をひいて、塩コショウで味付けして骨まで軟らかくなるように料理をしたら、孫たちが少しずつ分け合って美味しそうに食べていました。自分で育てた野菜は少々出来損ないでも美味しいのと同じで、自分で釣った魚は格別美味しいと感じるのでしょう。
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2012年7月15日日曜日

3連休の中日で学校も幼稚園も休みなので、孫のAika(愛夏)とColin(琥倫)はマミー(母親)と一緒に上野動物園にパンダを見に行き、Aiden(叡伝)と私は魚釣りに行きました。近くの上州屋という釣具店で簡単な釣り道具と餌のミミズを買ってから、水元(みずもと)公園に行きました。多くの家族連れが釣り糸を垂れていましたが、バケツを覗いたらアメリカザリガニとクチボソと呼ばれる小魚ばかりでした。小さな針に細いミミズを付けて入れると、浮きがすぐピクピク動いて小魚がつついているのはわかるのですが、一匹も釣り上げることはできませんでした。買った竿が長過ぎて何回も木の枝や草などにひっかかったのであきらめて、車で1時間くらいの手賀沼フィッシングセンターに行くことにしました。

千円で糸と浮きと重りと針のついている短い竹竿と餌を貸与され、ニジマスが入れてある釣り堀で釣り糸を垂れました。ここも休みだったせいかかなりの人出で、慣れているらしい女性の二人連れが25cm くらいのニジマスを10匹くらい釣り上げていました。Aiden も他の人の真似をしていたら、1匹だけ釣れました。模様からすると、珍しくヤマメかイワナのようでした。リリースしようかと言ったら、持って帰ってバーバ(妻のこと)に料理してもらって食べると言ったので、30円出したら職員が内臓を取り除いて塩をまぶしてプラスチックバッグに入れてくれました。

朝家を出たのは10時頃で、帰宅したのは夕方の5時頃でしたが、孫とGrandpa の二人だけの楽しい一日でした。家族全員が1匹ずつ食べられるようにもっと釣りたいというのを、もう夕飯の時間になるからと言って諦めさせました。これくらいの年齢(9才)の子供の特徴でしょうか、車を運転していても釣りをしていても、Grandpa、Grandpa、と何回も呼び掛けられ、質問をされ、会話が途切れることがありませんでした。それでもちっとも煩わしくなく、ひとつひとつ丁寧に説明をしてあげようとするのは、Grandpa にとっては孫というのはそれだけ可愛い存在だということなのかもしれません。
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2012年7月14日土曜日

今年アメリカで誕生日を迎えた孫たちには、日本からプレゼントを送る代わりに、日本に来た時に日本のバーバ(妻のこと)とGrandpa (私のこと)がプレゼントを買いにつれていくからと言ったのを孫たちはちゃんと覚えていました。今日は約束通り、妻と娘と孫たちと全員一緒にトイザラスと伊勢丹のおもちゃ売り場に行きました。トイザラスでAiden (叡伝)君は任天堂のゲームソフトを選び、Colin(琥倫)君はおもちゃを2つ選びましたが、Aika (愛夏)ちゃんだけはここには欲しいものがないと言って、結局伊勢丹のおもちゃ売り場で長い時間をかけて縫いぐるみの人形を選びました。Aika だけは、あれやこれや見ていてなかなか決まらなかったら、娘がAika はアメリカでもそうで、1時間くらい見て歩いても結局決まらずに最後は泣き出すのだそうです。これもほしい、あれもほしいで決められない性格なのでしょう。

そう言えば、今から20年くらい前に空手の弟子/友人のMargie さんの一人娘のSarah ちゃんがちょうど今のAika と同じくらいの年齢だった時に、私が夏休みにノースカロライナ州を訪ねた折に、小学校で必要な文房具や衣類(Tシャツだったか?)を買ってあげると言ってショッピングにつれて行ったら、嬉しくてほっぺたを赤くして1時間くらいあれやこれや見て歩いて、やはりなかなか決められなかったのを思い出しました。大人もそうかもしれませんが、子供の心理も一人一人違っていて面白いものです。

買い物の後は、釜揚げうどんのお店に行って、皆でうどんを食べました。

Aiden とは明日は魚釣りに行く約束ですが、今日は私と二人で江戸川の堤防にジョギングに行こうと言い出しました。バーバに、今日は暑いしもう時間が遅いので駄目と言われてしぶしぶ諦めました。ついこの間までおしめをして赤ちゃんだったのに、いつの間にか私と男どうしでジョギングに行こうと言ってくれるようになって、Grandpa としては嬉しい限りです。バーバもGrandpa も70代ですからいつまで生きられるかわかりませんが、孫たちにはこのまま順調に育ってほしいと願っています。どんな大人になるのか楽しみです。-----------------------------------------

2012年7月13日金曜日

9月15日-20日に中国の北京で開催される環太平洋農薬科学会議で私は招待講演をすることになっていますが、講演要旨の締め切りが明後日15日までとなっていますので、今日は一日中机に向かってその準備をしました。
http://www.2012iupac.com/UploadFiles/20120710%20The%20third%20circular.pdf 
松くい虫防除問題について長年一緒に研究してきた二人の研究者、中国からの元留学生孫 立倉博士と元林野庁森林総合研究所の田畑勝洋博士(現岐阜県立森林文化アカデミー客員教授)との共著ですので、お二人のご意見も取り入れて訂正し、最終版を先ほどオンラインで提出しました。

Session III:Environmental fate, exposure modeling and risk assessment of pesticides(セッションIII:農薬の環境中での運命、暴露モデルとリスク評価)の中の、III-4:Assessing risks of pesticides to human being(III-4:農薬の人へのリスク評価)というところで発表をする予定です。講演のタイトルは、Possible exposure and health effect of airial pesticides sprayed by helicopters over pine forests(ヘリコプターで松林に空中散布された農薬の暴露と健康影響の可能性)、です。締め切り前に提出できたので、先ずは一安心です。

夕方は江戸川堤防に行って、8Km をゆっくり走ったり歩いたりしてきました。紫陽花(アジサイ)の季節が終わって、今は木槿(ムクゲ)と芙蓉(フヨウ)の花が満開で目を惹きます。
孫たちは毎日小学校や幼稚園に元気に通っています。あっという間に日本人の子供たちと同じような日本語をしゃべるようになりました。今日は、一番下のColin(琥倫)君(5才)が幼稚園で描いたという絵を持って帰ってきました。人なのか動物なのか植物なのかわかりませんが、毎朝・毎夕NHK Eテレの子供番組を見ているので、想像上のキャラクターなのかもしれません。
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2012年7月12日木曜日

6月に新潟県胎内市で農薬散布が行われた時に採取してきたサンプルを、抽出・濃縮・定容する作業は、予定していた大学院博士課程の学生はあいにくこの時期は忙しくて時間がとれないということになりましたので、東京農業大学のある研究室の設備を使わせていただいて、私自身で行うことになりました。自ら試験管を振るのは何年振りかですので、楽しみです。

9月15日-20日に中国の北京で開催される環太平洋農薬科学会議の登録手続きと、航空券の予約と、宿泊ホテルの予約を済ませました。
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2012年7月11日水曜日

朝8時に松戸を出発し、私の車を運転して樹木医と一緒に房総半島の富津岬の松林の状況を見に行きました。岬の先端部分の松林は前回視察した時に比べて若干松枯れが進行したかなと感じる程度でしたが、前回被害が大きかった漁港の向かいの松林は枯れた松を伐倒駆除したらしく、疎林になって空間が大きくなっていましたが、枯れた松は除去されていました。

その後、館山自動車道に戻って房総半島先端に位置する平砂浦に行きました。昨年の松枯れで激害が発生したところですが、今年はすでに殺虫剤(ネオニコチノイド剤)の2回散布が行われた筈ですので、マツノマダラカミキリがどういう状態か観察するのが目的でした。松枯れは前回の視察時よりもさらに悪化しており、場所によっては枯損木の伐倒駆除で、松林が消滅して空き地になっていました。伐倒木をチップ化して林内に敷きつめているところもありました。

伐倒されなかった生きているマツには、マツノマダラカミキリ成虫が集中していて、ある1本の小さいマツの木には5頭も寄生して後食(こうしょく)していました。今まで30年間松枯れの研究をしてきた樹木医も初めての経験と言っていましたが、野外の自然状態(飼育している網室内とは違う)で交尾している成虫を2組も目撃できました。同じ枝にマツノマダラカミキリ成虫とマツケムシ(マツカレハ幼虫)が寄生している珍しい状況も観察されました。また、マツノマダラカミキリは見られなくても、ほとんど全てのチェックした生きているマツの枝には後食痕がありましたので、これらのマツにもすでにマツノザイセンチュウが侵入している筈ですので、今秋には枯れてしまう筈です。

今年は2回薬剤散布をしたのでしたら、本来成虫はいない筈なのに、これだけ多数存在していたということは、防除方法に何らかの問題(散布時期、カミキリが後食する部位への薬剤の付着量、薬剤の残効性など)があったということを示しています。今後、県の担当者にどういう薬剤の散布方法を採ったのか確かめてみるつもりです。今日は残念ながら時間が足らなくなって、予定していた鴨川と九十九里浜の松枯れ状況視察まではできませんでした。

スミパインMC(有機リン殺虫剤)をヘリコプターで散布していた時はしっかり守られていた広大な松林が、散布中止に追い込まれてわずか3~4年でこういう無残な状況になったことの責任は誰がとるのでしょうか。宗教的な農薬反対活動をして、まるで中世ヨーロッパの魔女狩りのようにマスコミを煽って散布を中止に追い込んだ人たちは、どれだけ国民の利益を損なっているか自覚すべきだと思います。
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2012年7月10日火曜日

<「知って安心・調べて安全」農薬を正しく知ろう「農薬シンポ in 岐阜」>という催しが岐阜市じゅうろくプラザ(岐阜市文化産業交流センター)で開催され、私は基調講演を行った後、パネルディシカッションにもパネリストの一人として参加しました。パネルディスカッションは、野村アグリプラニング&アドバイザリー株式会社の藤田 葵氏がコーディネーター(司会)を務め、私以外のパネリストには地元で大規模の露地野菜栽培をしておられる農家の安田義彦氏、生活協同組合コープ岐阜副理事長の紅谷昭代氏、岐阜県病害虫防除所長の棚橋一雄氏が参加されました。
今回は主催者の企画で、講演の前に大垣女子短期大学ウインドアンサンブルによるミニコンサートがあり、ブラスバンド演奏を楽しみました。わずか15分という短い時間でしたが、若い女子学生の見事な演奏に引き込まれ、感動しました。
参加者は計197名だったとのことで、会場一杯でした。終わってから、岐阜駅前の居酒屋で主催者側の世話人とパネリストと、聴講に来てくれた私の名古屋大学時代の友人2名とで懇親会をやり、松戸の自宅に帰ったのは夜の11時近くでした。

市橋君の件でメールのやりとりをしていた方は約束通り、開会の30分前に会場に来られ、しばらくお話する時間がとれました。先日のブログで私の祖父(母の父)穂坂秀一はクリスチャンで内村鑑三の弟子だったと書いたことから、「内村鑑三と再臨運動-救い・終末論・ユダヤ人観」黒川知文著(新教出版社)という本をプレゼントされました。私自身も20才前後の頃に内村鑑三に傾倒した時期がありましたので、大変なつかしく、あれから約50年という歳月が流れいろいろな経験をしてきましたが、時間を見つけてゆっくり読んでみようと思っています。
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2012年7月9日月曜日

明日10日(火)は朝早く自宅を出て岐阜市に行き、「農薬シンポ in 岐阜」に出演してきます。懇親会後、夜遅く帰ってくる予定です。

明後日11日(水)は樹木医と一緒に私の車で房総半島を一周し、内房の富津岬、館山の平砂浦、外房の鴨川、九十九里の海岸松林の松くい虫(マツノマダラカミキリ)の発育ステージがどういう状態になっているのか、調査してくる予定です。今年はネオニコチノイド剤をすでに2回散布した筈ですが、散布薬剤の残効性と比較して、薬効が切れた後に羽化脱出してくる成虫がどれくらいいるのか予測するための調査です。
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2012年7月8日日曜日

明後日10日(火)は、岐阜での講演の折に、市橋君の件でメールのやりとりをしていた方と会場でお会いすることになりましたので楽しみです。月刊誌「クレイ」というキリスト教関係のデボーショナルガイドを東京拘置所の市橋君宛に送ってこられたとおっしゃった方です。

久し振りに江戸川堤防を12Km ゆっくり走ってきました。雨上がりで湿度は高くても、そよ風が吹いていたので走っていて爽やかで快適でした。シャワーを浴びてから体重計に乗ってみたら、1月末のフルマラソンを走った時に比べて、5ケ月でちょうど5Kg リバウンドして 重くなっていました。道理で体調が悪い筈です。これから12月のハーフマラソンか来年1月のフルマラソンか(あるいは6月の100Km ウルトラマラソン?)を目標に、少しずつ走り込んで元に戻したいと思っています。どれを目標にするかは、体調が最悪に近い今は決めずに、少しトレーニングをして仕上がり具合を見てから考えることにします。

娘は子供たちを連れて東京に出かけました。日本滞在中に大学時代の仲間たちと会ったり、大学を卒業してから勤務していた会社時代の仲間たちと会ったり、今日は高校時代の仲のよかった友達の家に集まるようです。もう皆子供のいる年代なので、子供同伴で食べ物持参で集まるようです。アメリカ育ちの孫たちは個性が強く(日本式に言えばわがまま?)、食べるものも着る物も好き嫌いがあったり、一人一人がそれぞれの自己主張をして、妻をあきれさせています。
孫たちは両親に愛され、アメリカ側の祖父母に可愛がられ、日本側の祖父母に可愛がられ、めぐり合わせとは言え、戦争のない平和な時代に生きているお蔭で幸せです。

一番上のAiden(叡伝)君は、アメリカからおもちゃの他に少年が読むような英語の本(小説)を何冊か持ってきていて、暇があると広げて読んでいます。今日は夕方東京から帰ってきたら、私にまた"Grandpa, when are we going to fishing?"(おじいちゃん、いつ一緒に魚釣りに行くのか?)と訊きましたので、"Since the next weekend is a long holiday, let's go to fishing on one of the days."(今度の週末は連休なのでその中のどれか一日を選んで行こう)と答えておきました。お兄ちゃんなので、妹や弟と同じ幼稚な遊びとは違うことをしたいようです。
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2012年7月7日土曜日

孫たちは母親と一緒に近くのデパートに靴を買いに行ったついでに、子供の遊び場で遊んでエネルギーを発散して帰ってきました。子供たちはエネルギーが溢れているので、毎日外に連れ出して遊ばせないとストレスがたまるようです。
一番上のAiden(叡伝)君は2年前に日本にきた時に私と魚釣りをしたのを覚えていて、Grandpa, when are we going to fishing? (グランドパ、いつ魚釣りに行くの?)と催促しています。
夕飯は、妻が疲れて手抜きをしたいというのと、孫たちがラーメンを食べたいというのが一致して、皆でラーメンを食べに行きました。

孫たちの父親(義理の息子)は今回は仕事の都合で一緒に来日できずにアメリカに残っていますが、今週44才の誕生日を迎えました。誕生日には時差を計算して、孫たちと娘が国際電話でHappy Birthday, Daddy! と言っていました。ほとんど毎日向こうからか、こちらからか電話をして、お互いの様子を確かめ合っています。アメリカ人の義理の息子に3人の子供を育てるのはお金ががたくさんかかるので一生懸命働かなくてはならず大変だなと言うと、そんなことはない、子供たちは自分の喜びでそのために働くことはちっとも大変じゃないと言います。
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2012年7月6日金曜日

9月の中国北京での環太平洋農薬科学会議の講演要旨の提出締め切りが7月15日ですので、今日はその下書き作成をしました。大体できましたが、もう少し見直してから完成させるつもりです。

孫のCollin(琥倫)君の髪が伸びて暑苦しそうなので、幼稚園から帰ってきてから先日私が行った新しい床屋につれて行きました。終わったらすぐ近くのデパートの地下でソフトクリームを食べようと言ったら、Aika(愛夏)ちゃんもつられて私も行くと言ってついてきました。散髪が終わって、You are a handsome young man. (ハンサムな若い男の子)と言ってやったら、ニコニコしていました。
デパ地下ではCollin君だけ欲張って、ソフトクリームを2掬(すく)い注文して、ペロペロ食べていました。
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2012年7月5日木曜日

今週月曜(2日)に、看護師になったばかりの頃に、市橋君のお父様が勤務しておられたのと同じ岐阜県の病院の外科病棟で勤務しておられたという方からメールが届きました。市橋先生が多くの手術を執刀してどれだけ人の命を救ったか、医師としてのその勤務姿勢から医療についてナースにも大きな影響を与えたことなど、尊敬と感謝の気持ちが述べられていました。 今まで、私を信用させるために巧妙に他人になりすました人から手紙やメールが送られてくる経験を何回もしてきましたので、すぐは信用しないことにしていますが、何回かメールのやりとりをして、今日は当時のご本人の写真も添付したメールが届きましたので、信用することにして、メールのコピーを市橋先生に郵送しました。

昼の時間帯に東京農業大学の周囲をジョギングしましたが、あまりにも暑かったので、4Km で止めました。自分の年齢を考えて、熱中症になって笑いものにならないように、無理をしないことにしています。今から考えると50代の時は元気一杯でしたが、60代後半になって急に体力の衰えを感じ、70代になって一段と弱気になってきたようです。このところ走り込みができていないので、単に運動不足で体調が悪いだけかもしれませんが。
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2012年7月4日水曜日

来週10日(火)に岐阜市で開催される農薬シンポジウムにおけるパネルディスカッションの進行シナリオが送ってきました。いつもそうですが、1時間あると言っても、パネリストが4名いますとコーディネーター(司会)役を務める人が司会進行を上手にしないと、あっという間に時間がなくなってしまいます。そのために、各パネリストにあらかじめどういう話題について話してもらうかシナリオを作っておく必要があります。シナリオがあんまりきっちりし過ぎるとパネリストの発言の自由度が小さくなりますし、あんまりルーズだと話題があっちに飛んだりこっちに飛んだりで、一体何が主題なのかわからなくなり、収拾がつかなくなる危険性があります。そのバランスが難しいところですが、コーディネーター役の腕の発揮どころです。

夕方、江戸川堤防に行って、10Km ゆっくり走ったり歩いたりしてきました。
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2012年7月3日火曜日

先日、市橋君のお父様・お母様にお借りしていたマンションの鍵を返却するとともにお手紙を差し上げましたが、今日鍵を受け取ったことの通知と、お便りをいただきました。私をはじめ弁護士の先生方や支援者の皆々様に、心より感謝し厚くお礼申し上げますと記されていました。
市橋君の収容先は確認しておらず、面会や連絡の予定もありませんとのことでした。市橋君が謝罪とつぐないの中で修養し克己することを望んでおられるとのことでした。いずれ時期がくれば、あるいは市橋君の方から会いたいという連絡がくれば、面会に行かれる時がくるかもしれませんが、当面はそうされるお考えはないとお見受けしました。

今日のYahoo ニュース http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/water_pollution/?1341311158 に、<「水質浄化」EM菌効果 検証せぬまま授業 青森(朝日新聞)>という見出しがありました。本当に水質浄化の効果があるかどうかの科学的検証なしに、学校で子供たちにEM菌の製品を川に投入させたことを問題視する記事でした。

その中の<EMを批判する意見> http://w.livedoor.jp/em_matome/d/EM%A4%F2%C8%E3%C8%BD%A4%B9%A4%EB%B0%D5%B8%AB の中の <公開シンポジウム 微生物を利用した農業資材の現状と将来 講演資料((社)日本土壌肥料学会)>http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssspn/info/pdf5_sympo1996.pdf には、1996年8月23日に開催されたシンポジウムの内容が記録されていました。当時、考えられないくらいいろいろなことに有効と宣伝・販売されていたEM菌という微生物資材について、学会レベルできちんと科学的に検証し、少なくとも作物生産に関しては普通の堆肥以上のミラクルな効果はないという結論を出したシンポジウムです。日本土壌肥料学会の会員でなかった私はシンポジウムに参加しませんでしたが、どういう検証がされたのか詳細を知りたいと思っていました。今回シンポジウムのプロシーディングズがネット上で誰でもが読めるように再公開されましたので、あらためて目を通してみて、私自身が長年取り組んで問題提起してきた農薬疑義資材(偽装農薬)と同じように、オカルト(神秘的・超自然的)農法についてもっと国民の注意を喚起する必要があるなと感じました。
ニセ科学についは、大阪大学の菊池 誠教授が明快に解説しておられます。http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html

当時、EM菌で作ったボカシ(ヌカ、もみ殻、油粕、魚かす、畜鶏糞などの有機物を発酵させた肥料)を施用すると作物が強くなって農薬が不要になると宣伝されていました。実際は病害虫が発生するので、全国のEM菌農場ではいわゆる漢方農薬の類(たぐい)を使って防除していましたが、私たちの研究により漢方農薬というのは農薬が混入されている偽装農薬であることが明らかになりました。

また、EM菌で発酵させた飼料を食べさせた家畜は成育が良く、糞の悪臭もハエの発生も抑えられると宣伝されていましたが、当時そういう研究テーマに取り組んでいた私がそういう畜舎を実際に見学させてもらい、悪臭もハエもちゃんと発生していることを指摘したところ、科学的に悪臭やハエの発生が減少したことを示す研究結果があるわけではなく、EM菌を使う前に比べて相対的に発生が少なくなったと言い訳をされたのを記憶しています。-----------------------------------------

2012年7月2日月曜日

東京農業大学の周囲を6Km 走って、体育館でシャワーを浴びて着替えて研究室に戻ってきたら、偶然エレベーターの前で私がいるかどうか確かめに来た醸造学科の女子学生に出会いました。今日はしばらく研究室にいるよと言ったら、しばらくして、最初に彼女を私の所に連れてきた男子学生と一緒に訪ねてきました。就職の内定をもらったお礼に来ようとしていたようですが、私が毎日研究室に顔を出すわけではないので、私に会えるのを待っていたようです。
栃木県足利市の(株)カザミから採用条件を提示されて、就職しますという返事をし、総合職で採用内定の通知をいただいたとのこと。お父さん、お母さんにちゃんと相談をしてから決めたのかと訊いたら、はいと答えていました。同じ学科や、同じ研究室を専攻している他の学生たちは必死で就職活動をしている最中らしく、皆より一足早く就職が決まったので、羨ましがられないように静かにしている様子でした。これから会社の期待に応えられるように、卒業論文の研究に精を出して、同時に、私が助言したように基礎を広げるようにいろいろな分野の勉強に積極的に取り組みますとのこと。

自分が直接指導した学生ではありませんが、一人の有能な女子学生の希望を満たせる職が決まり、私も大変嬉しい気持ちです。一緒に電車に乗って会社見学に同行してあげた甲斐がありました。多分実家に帰った時に親が持たせたのでしょうが、栃木県のおいしそうなチーズケーキを持ってきてくれましたので、ちょうどアメリカから孫たちがきているので一緒にいただくからと言って受け取りました。

東京農業大学のキャンパスは、講義が終わって教室から大勢の学生たちがぞろぞろ出てきたり、野球場ではバッティングマシンから一定間隔で投げ込まれるボールを黙々と打ち返している野球部員がいたり、グランドではサッカーをやったり、陸上部が全力で走ったり、リレーのバトン渡しの練習をしたり、若者たちの活気に溢れています。
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2012年7月1日日曜日

いつも散髪をしてもらっていた近所の床屋が近く店をたたむと聞いていたので、昨日前を通ってみたらまだ営業していました。今日最後の散髪をしてもらおうと思って寄ったら、今日から閉店でした。閉店後に困らないように、すぐ近くの別の床屋を遠縁にあたるからと推薦されていたので寄ってみました。今までのところは借家で、元々はお父さんがやっていたのを、お父さんが病気でやれなくなった時に大学を卒業して会社勤めをしていた息子が、小さい床屋で将来性がないからと親に反対されたのを押し切って脱サラして後を引き継いだのでした。その後、お父さんが亡くなり、お母さんと二人でやっていたのにそのお母さんが病気で倒れて介護が必要になったので、遠くに住んでいる妹の近くの病院に入れて一人でがんばっていたのですが、とうとう家賃が払えなくなって廃業せざるを得なくなったようです。

月に一度ある月・火と連休の時はオートバイで全国の温泉巡りをしたり、自転車で東京神田の古本屋に行って古本を買って来たり、時々は江戸川の堤防を朝早くジョギングしたり、水槽でナマズを飼育して釣ってきたザリガニを冷凍しておいて餌として与えたり、散髪をしてもらいながらよく世間話をした間柄でした。いつ行っても待っているお客さんがいなくてすぐやってもらえるので私としては気にいっていたのですが、その分だけ商売としては厳しかったのでしょう。今日初めて行った床屋も同じことを言っていましたが、人口が約50万人もいる松戸市でどうしてお客が少ないかと訊いたら、結局最近は若い男性がおしゃれになって、理髪店ではなく美容室に行くようになったということのようでした。松戸の理容組合では料金は一律3,600円と決まっていますが、組合に入らない床屋の1,000円という宣伝も見ますので、そちらにお客が流れるということもあるのでしょう。閉店した床屋の主人は若いように見えたのですが、遠縁にあたる今日の床屋さんによるともう50代で独身のようですから、これからどうやって生活をしていくのかちょっと気になりました。
昔は専売で繁盛していた酒屋や米屋が、今はお酒もお米もコンビニで扱うようになって商売が厳しくなったり、昔は個人の家でお風呂のある家は少なかったのでほとんどの人が銭湯に行っていたのが、今は家にお風呂があるのが普通になったので銭湯の商売が厳しくなったり、結局時代の流れに合わせて商売のやり方を変えなかったところはやっていかれなくなってきたのでしょう。

千葉大学走友会の会員で房総半島の太平洋岸のいすみ(夷隅)市に住んでいる仲間から、12月2日に開催されるいすみ健康マラソン(増田明美杯)の案内が届きました。
http://www.isumi-marathon.info/ ハーフマラソンですが、私は情けないことに今年1月の館山若潮マラソンに出場して以来、練習量が極端に少なくなって体重がリバウンドしてしまいましたので、これを目標にして走り込みを再開しようかどうか迷っています。これからは暑い時期ですので、走り込みをするには適さない季節ですが。それとも、また来年1月の館山若潮マラソンでフルマラソンを走ることを目標にして、秋から走り込みを再開するべきか・・。先日、北海道のサロマ湖一周100Km ウルトラマラソンに挑戦して見事に完走してきた仲間のことが頭をよぎります。

今日は散髪の後で、江戸川堤防をゆっくり6Km 走ってきました。
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2012年6月30日土曜日

東海地方にお住いの方から以下のお便りが届きました。支援者名簿には載っていませんが、市橋君の件でメールのやりとりをした方です。私が講演などで地方に出かける機会に、今までメールのやりとりだけだった方々と実際にお目にかかれるのは嬉しいことですので、早速シンポジウム(参加費無料)の案内と申込用紙のファイルを添付して返信しておきました。当日は私は日帰りの予定ですが、会場でお会いする時間が少しはとれると思います。
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本山直樹先生へ ご無沙汰いたしております。
〇〇市の〇〇です。ブログを毎日拝見いたしております。市橋君へは先月まで「クレイ」という月刊のデボーションガイドをお送りしていましたが、今月はやはり戻ってきたとのことで、終了となりました。これからが本当の意味で、内なる戦いが始まるのではと思いますが、自分と向き合う準備は出来ていると推察いたします。本人もご家族も(リンゼイさんのご家族も)想像を絶する苦しみを伴なっておられることを覚えて、真の回復を祈り続けます。
今日(昨日)のブログに岐阜市でシンポジウムがあると書いてありましたが、一般は入場できないのでしょうか? 近いので、できれば本山先生の基調講演をおききしたいのですが。準備でお忙しい時にすみません。  
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孫たちは土曜で学校が休みなので、娘と2人の男の子を車で市営のプールに連れて行きました。Aika(愛夏)ちゃんだけは体温が37.2度あったので家で休ませました。午後1時過ぎに娘から電話があったのでAika(愛夏)ちゃんを乗せて迎えに行き、帰りに回転寿司に寄って5人でランチを食べました。我が家の孫たちはアメリカ人と日本人のハーフでカリフォルニアに住んでいるので、普段からアメリカの食事とメキシコの食事と日本の食事を食べなれているので、味噌汁もおにぎりも梅干しもお寿司も大好きです。
妻は孫たちがいなくなることが自分の休みだと言って同行せず、一人で食料品の買い出しに行きました。孫たちにかき回されて、朝から晩まで騒々しいけど、賑やかで楽しい我が家です。

7月10日の岐阜での講演のパワーポイントスライドが出来上がりましたので、宅ファイル便で現地の世話人に送りました。
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2012年6月29日金曜日

ノースカロライナ州の空手の弟子/友人のMargie Reinitz さんからメールが届き、今年はいつ来るかと訊いてきました。皆が待っているので、最低でも4~6週間は過ごすようにとのこと。講演をすることになっている中国北京での環太平洋農薬科学会議が9月15日~20日で、東京農業大学での講義は10月23日から始まるので、最長でもその2つの用事の間の約1ケ月になる筈だと返信しておきました。東京農業大学の講義は70才までという規則のようですので、来年は講義がなくなり、もっと時間のゆとりができる筈です。

7月には10日(火)に岐阜市、29日(日)に千葉市で農薬シンポジウムが開催予定で、私は両方で基調講演をすることになっています。今日は家から一歩も出ずに、自宅の書斎で一日中岐阜市での講演の準備をしました。
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2012年6月28日木曜日

今日は東京農業大学グリーンアカデミーで、総合研究所研究会総会と特別講演がありました。研究会には22の部会があって、農薬部会はその中の一つですが、今日の理事会・総会で正式に私が部会長になりました。今までの農薬部会の活動を見ますと、総会と賀詞交歓会における特別講演と年に4回のセミナーを実施していますので、幹事会で相談をしながら企画するにしても、責任重大でこれからちょっと大変です。

今日は研究会全体の総会でしたので、大澤貫寿学長・理事長の挨拶に加えて大橋信夫会長(三井物産株式会社顧問)、大橋欣治副会長(鹿島建設株式会社顧問)、渡邊文雄副会長(東京農業大学総合研究所所長)の挨拶がありました。続いて、テレビでお馴染みの寺島実郎氏(日本総合研究所理事長・多摩大学学長・三井物産戦略研究所会長)の「世界の構造転換と日本の針路」と題した特別講演がありました。寺島氏の講演は、豊富な資料に基づいて、変わりつつある世界の現状とそれに対して日本のとるべき進路について、解説されました。

寺島氏の履歴書を見ますと、国・県・企業・その他の組織の数えきれないほどの委員長や座長に就任されていて、正に秒単位で動いておられるのではないかと思われました。今日も1時間の講演終了後、質問を受ける間もなく次のスケジュールへと移動していかれました。
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2012年6月27日水曜日

市橋君のご両親に、お借りしていたマンションの鍵をお手紙を添えて宅急便で返送しました。

孫たちは学校や幼稚園ですぐ仲のよい友達ができたらしく、毎朝楽しみに出かけています。一番上のAiden(叡伝)君のところには、近所に住む男の子が毎日遊びにきています。他の子供たちは放課後は塾や習い事に行っていないので、近所に住む男の子は遊び友達ができて嬉しくてたまらないようです。Aiden(叡伝)君は20日間の体験入学が終わったらどうしてアメリカに行ってしまうの、と訊いていたそうです。

今月24日(日)には、北海道のサロマ湖一周100Km を走るウルトラマラソンがあったらしく、走友会のメンバーから共通メールアドレスに以下の報告が届きました。千葉大学医学部から東京女子医科大学に移った外科の教授ですが、100Kmのレースに出場するには相当練習を積んだ筈です。この先生のタイムは11時間24分だったようですが、過去には別のメンバーが40代の時に8時間30分で走ったそうです。この報告をみた会員は、「すごい」、「羨ましい」、「悔しい」、「いつかは自分も・・」、と感じた筈です。私の感想は情けないことに、「もう今の私には無理だな」でした。

夕方5時過ぎに江戸川堤防を8Kmくらい走ろうと思って、体育館で着替えて準備運動をして出かけたのですが、何故かいつものように元気がでなかったので、1時間くらい坂川という小さな川に沿って歩いてきました。
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一昨日(3日前)の24日にサロマ湖100kmに参加してきました。朝から雨模様で気温9℃と肌寒い天気でしたが、風は弱く、マラソンには適していました。フルマラソンとは違い、スピードよりもとにかく持久力と考え、前半は6分/kmを維持できるよう努めました。後半さすがに疲れて、6:30~7分/