多重人格」画像

1、はじめに

こんにちは、月刊 精神分析 編集部Aです。今月も会えましたね。

読者のみなさんは「多重人格者」と言うのをご存知でしょうか?古くは「ジキルとハイド」関連の映像作品がAmazonでヒットするので、知らない方はおられないと思います。

ネットで情報を漁ると精神医学界では「解離性同一性障害」と呼ばれているようです。病名が変わっていくのはよくある事です。ノイローゼ、分裂病、統合失調症。

で、何故に今頃「多重人格」と言うと以下引用の事件(昏睡強盗)が起こったからです。

裁判記事

「声優のアイコ」を名乗り、昏睡強盗を繰り返していた罪などに問われた女が、裁判で涙ながらに謝罪した。神いっき被告(33)は、昏睡強盗などの罪に問われ、これまでの裁判で起訴内容を否認し、弁護側が「解離性同一性障害で、別人格が犯行に至った」などと主張していた。31日の被告人質問で、神被告は、「大変申し訳ないことをしてしまった」と謝罪した一方で、「事件を起こした実感はなく、自分の体がやったことだが、『僕がやりました』と言えない」と、涙ながらに語った。(01/31 23:41)

事件発生当初は「男か女かわからない人が起こした事件」として報道されたのだが、裁判になると「多重人格」で無罪を主張。昨今では「妊娠していた」と仰天報道までされている。

別の裁判記事

「声優のアイコ」を名乗る女による連続強盗事件で、男性に睡眠薬を飲ませて金品を奪ったとして昏睡強盗罪などに問われている神(じん)いっき被告(32)の公判が31日、約1年1か月ぶりに東京地裁で行われ、石井俊和裁判長は事件当時の精神障害を否定する鑑定書を証拠として採用した。

鑑定医は「犯行時だけ全く記憶がないというのは不合理。(自身が)有利な方向に健忘している。別人格になっていたとは説明できない」と指摘。弁護側は神被告は多重人格だったとして、「刑事責任能力がなかった」と主張しているが、演技の可能性を指摘した。

Tシャツ姿で髪を後ろで結んだ神被告は公判中、終始、落ち着かない様子で爪をかんだり、後ろを振り返ったりしていた。鑑定医の尋問中には「僕の部屋は広いよ」と突然声を上げ、検察側に発言を制止される場面もあった。

img02.jpg

神いっき被告(33)は、もともと俳優志望だったそうで、自主制作映画『代引き』(2012年)に出演しており、 元プロレスラーの安田忠夫と共演している。Youtubeで確認しましたが、劇中では「男性」として演技をしている。

たしかに犯行時の記憶だけないのは不合理で詐病の疑いが濃厚ではないのか?と感じた。この報道を切っ掛けに以前読んだ本の事を思い出した。

「マルチエイジ・レボリューション 多重人格者が開く迷走社会からの脱出口」著者:代々木忠(1998年)

今月の月刊 精神分析は、代々木忠監督の著書をモチーフに「多重人格」「解離性同一性障害」を考察したい。

結構、時間を費やして頑張りましたので「DeNA」や「NEVER」は、僕のオリジナルのコンテンツを勝手にコピペして商売しないで下さいね。^^;

ご意見ご感想は、

lacan.fukuoka@gmail.com

でお待ちしています。

2017年平成29年02月28日

月刊 精神分析 編集部A

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2、AV監督 代々木忠監督の事

img04.jpg今現在53歳の私たち世代からすると、代々木忠監督と言えばアダルトビデオの黎明期に「アテナ映像」から衝撃的なAV作品を発表し、エロを世に問い続けたAV界の巨匠である。何せ当時は、インターネットの動画配信なんて存在せず、レンタルビデオ店に行ってVHS方式で録画されたアダルトビデオタイトルを3本で千円とか言う値段で借りて自宅のビデオデッキで再生して楽しんでいた時代の事。

先に亡くなったAVライターの雨宮まみさんの著書「女子をこじらせて」には代々木監督に対するリスペクトは記述されていなかったので、もはや代々木忠監督は「殿堂入り」と言ったところだろうか?

代々木忠

代々木 忠(よよぎ ただし、1938年03月18日 - )は、福岡県小倉市北方仲町(現・北九州市小倉南区)出身のAV監督、映画監督、映画プロデューサーである。アテナ映像社長・アクトレス代表。本名は渡邊輝男(わたなべ てるお)、愛称はヨヨチュウ。ピンク映画時代初期には渡辺忠(わたなべ ただし)名義で活動していた時期がある。

ウィキペディアの紹介はそっけないものだが、代々木監督はAVの世界に催眠療法をもちこんで女優のエロを覚醒させたり、精神世界への造詣が深い事で知られる。

エロ的に興味の湧いた方は「アテナ映像 代々木忠」で検索。

で、今回とりあげる「マルチエイジ・レボリューション 代々木忠(1998年)」は「多重人格そして性」として1997年08月31日にリリースされた(書籍よりAV作品の方が先に世に出た事になる)。残念ながらこの作品、現在は動画として観ることができない。時が流れるのは早いものでもう20年前の作品と言う事になる。

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3、マルチエイジ・レボリューション 代々木忠(1998年)

代々木忠監督の事務所に仕事仲間の笠原一幸(ペンネーム:東ノボル)さんがアシスタントとしてある女性(泉みゆき:23歳)を連れて行った事に始まる(1995年10月)。この時、泉みゆきさんは痙攣を起こして倒れてしまう。

代々木忠監督は笠原一幸から泉みゆきさんが多重人格である事を知らされ、泉みゆきさんがAV出演の経験がある事もあり「催眠療法」や「年齢退行」を駆使してアプローチを開始した。

泉みゆきさんは1972年07月22日生れ(1996年10月時点で23歳)。現在は44歳になられている筈だ。

代々木忠監督の著者から泉みゆきさんの略歴

1995年04月以前にレディスコミックの企画で「あこがれのAV男優とセックスに応募」。恋愛中に数名の異性と浮気。

1995年04月 結婚
1995年05月 浮気発覚
1995年06月 離婚(別居)
1995年08月 AV出演オーガズム体験希望(日比野達郎)
1995年10月 代々木監督との出会い 痙攣で倒れる

1995年11月以降、池袋に出かけたが記憶がない。知らない男から電話がかかってくる。ナンパされてセックスした記憶がない(記憶の乖離)。知らないうちに手首を切ってしまう(自傷行為)。意識しないのに勝手に別の人格がでて来る(解離性同一性障害)。

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4、年齢退行(ねんれいたいこう)

代々木忠監督がトラウマを癒すテクニックとして使っている技法の一つが年齢退行。一部を著書から引用する。

P.24 年齢退行(ねんれいたいこう)

私がアダルトビデオを撮りはじめたのは、つくりものでない性をなにより自分がこの目で確かめたかったという好奇心からだった。演技ではなく、女性が本当にいやらしくなるところを私は見たかった。

だが作品を撮れば撮るほど、女の子たちがいやらしくなりたくてもなれない状況が横たわっていることに気づかされた。彼女たちの心の中には癒やされぬまま残っている傷がある。このトラウマが、ビデオの現場でオーガズムを迎えようとしたときに大きく立ちはだかってくるケースがとても多い。つまり、トラウマがある限り相手と心のレベルでつながることができず、肉体の快感は得られても真のオーガズムを体験できないのだ。それは女性に限ったことではなく、男優をはじめ出演した男たちも同様だった。

女性が本当にイク瞬間を見たい一心で、ある時期から私はトラウマを癒やす方法論として催眠を学び、現場に採り入れた。対象となる女性と私との間にあらかじめ信頼関係が築けていれば、年齢退行を行い、本人が心の傷を負うことになった出来事を追体験することで、忌まわしい過去から解放されるというものだ。

この年令退行によるトラウマの克服は、一定の成果を収めた。催眠状態に入り、時間を逆行して過去の自分と出会う際、本人がポジティブになっていれば、インプットされた情報をも肯定的に組み替えることができる。

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5、呼吸(呼吸法)

代々木忠監督の分析だと、近年、深呼吸が出来ない人々が増えているらしい。

P.26 呼吸(呼吸法)

ところが、ある時期から問題が生じた。 年齢退行を行うためには、まず相手をトランス状態にもっていかなければならない。トランス状態にもっていくためには、それ以前に深呼吸によりリラックスが必要である。しかし、この深呼吸自体ができない女の子が四、五年前から急に増えてきたのだ。 なぜ彼女たちは深い呼吸をできないのだろう。どうしてそれが四、五年前からなのだろう。私はそれを知るための面接や現場でいろいろな話をした。そこから見えてきたのは、こういうことだ。 彼女たちは団塊の世代の子供たち、いわゆる団塊ジュニアだった。アダルトビデオには十八歳以上でないと出演できないが、団塊ジュニアがこぞってビデオに登場しはじめたのが、ちょうど四、五年前だったのである。 彼女たちの親は戦後のベビーブームに生れた人々だが、彼らが仕事で重要なポジションに就いたころ、日本は高度成長の真っただ中にいた。だれもが経済活動に躍起になっていた時代。当時、企業戦士と呼ばれた彼らは、個人の感情を殺してでも企業の利益を優先しなけらば勤められなかったのではないだろうか。彼らにしてみれば、それは「家庭を守るために」した我慢であったのかもしれない。 その殺した感情を自分の家に持ち帰る。たとえ口には出さずとも、そのモヤモヤした心の澱は自分の妻へと向かうことになる。平日は残業が当たり前、休みの日も休日出勤や接待ゴルフ・・。仕事上での悩みから解放されていないから、いつもベクトルは仕事のほうを向いており、家庭に向くことはない。 そんな状態がずっと続けば、奥さんは家を出ていきたいと思うだろう。でも、子供がいれば簡単に出ていくこともできない。彼女にしてみれば「この子のために」という思いをいっそう募らせることになる。 同じようなことが日本全国でたくさん起きていたのだろうと思う。父親は「家庭のために」の名のもとに家庭を省みず、それを受けて母親は「この子のために」の名のもとに子供知らず知らずのうちにイラだった思いをぶつける。この「ために」「ために」が、結局は全部子供に巡ってきて吹き溜まってしまう。 そんな中で当の子供たちは、いつも息をひそめていなければならなかったのではないだろうか。感情すらも心の奥底に閉じ込めたまま・・。 浅い呼吸しかできない女の子たちに、私はまず深呼吸から教えなければならなかった。

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6、経緯 -各人格に名前がつく-

代々木忠監督は精神分析医ではないから、投薬はできない。ただ、仕事仲間の笠原一幸さんと連絡をとりながら泉みゆきさんの様子を注意深く観察していた。

本を読み進めていくと、泉みゆきさん本人の他に別の人格が数種ある事がわかる。

1996年08月16日に各人格に名前がつく。

1、ゆか  4歳の人格
2、まい  6歳の人格
3、しおり 小学校3年生(虐待、実母に首をしめられる。先にいってて)
4、あき  6年生の人格(レイプ経験)
5、みなみ 理性的な大きいお姉さん
6、かおる 感情的な大きいお姉さん
7、泉みゆき本人(基本人格)

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7、やはりトラウマが原因

著書の中になぜ多重人格になったのか?泉みゆきさん自身が分析している。

P.202

今、私たちは、多重人格という状態になってしまっているわけですが、おそらく曾祖母から祖母へ、祖母から母へ、母から私たちへと伝えられたきている忌まわしい連鎖があります。でも、それは私たちの所で絶対に断ち切らなければいけないと思うんです。どんなことをしても決して私たちの子供に受け継がせてはならないと・・・

他人の不幸は蜜の味と言うが、泉みゆきさんのトラウマの経緯をまとめる。

みゆきさんの実母は長女で常に我慢を強いられ育った。母は実母に捨てられる。(祖母もまた、その母親から何か信じられないようなことを、ひょっとしたらされたのかもしれません:原文ママ)。父はパチンコ好きで家庭を顧みない人だった。

6歳の時、洗濯物を沢山抱えて階段から落ちて脳震盪(のうしんとう)を起こす。小学校3年生の時、虐待。実母から水を張った浴槽の中へ幾度となく母親によって投げ込まれた。実母に首をしめられる(一緒に死のうと・・)。中学校入学直前に母親の手引で男からレイプされる。で、車に飛び込んで自殺未遂。高校2年の時、ブタの貯金箱が壊され母が家出=母から見捨てられた体験。母が家を出てから別人格が出現するようになって、一昨年(1993年)の夏、最初に手首を切った。21歳。1996年1月以前に3人の男にレイプされる。23歳。卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)になる。24歳。

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8、虐待の世代間連鎖

今や、日常頻繁に報道され社会問題化している「幼児虐待」だが、虐待する親は、実は、その又親から虐待された過去を持ち・・虐待が世代間で連鎖していく事が半ば常識化している。やはり、泉まゆみさんも恵まれた養育環境とは言えず、耐え難い虐待を受けた子どもは、虐待の事実を受け入れる事が出来ず、虐待された別人格を内なる自分に形成し、虐待の事実を隠蔽するのだと言う。

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9、薬はない 癒ししかない

代々木忠監督は、泉みゆきさんと面接をする度に「果たして多重人格の治療は人格を統合する事なのだろうか?」と疑問を持つ。なぜなら、この世に存在するすべてのものは、存在する意味や理由を持つからだ。別人格が存在するなら存在する意味や理由があるのではないか?と・・。

泉みゆきさんの厳しい養育環境を垣間見ると、つらく厳しい虐待の事実を受け止める事ができず、別人格の自分を内なる自分にしたてて、別人格に押し付ける事をしなければ自分が自分でなくなってしまったのだろうと想像できる。

代々木忠監督はビデオにエンディングに以下のテロップを挿入している。

私たち七人は
それぞれ必要があって
生まれたのです
誰一人かけても
生きてこられなかった

人はすべてを受け入れて、起こってしまった事実を癒しによって消化していくしかない。精神分析の対話療法(セラピー)は、代々木忠監督のいうところの「インプットされた情報をも肯定的に組み替え」と同様のものである。専門的には「言語化」と言う。トラウマとなったコンプレックスを言語化すれば、身体に表象化する事はなくなる。

受け入れ癒やす、それは「愛」に他ならない。

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10、考察 「本能」と「理性」

代々木忠監督は、その表現者としての洞察力から、人の心状態を観察し、豊富な経験則から作品中で「心の肯定的な組み替え」によって女性が自分自身を解放していく様子を記録している。

代々木忠監督は本書の中で「本能」と「理性」と以下の様に考察されている。少し長いが原文のママ引用する。

「本能」を「自我」と、「理性」を「超自我」に置き換えると精神分析のテキストとしても矛盾がない。


P.299 本能

「感情うんぬん以前の・・・つまりうれしいとか、楽しいとか、心地いいとか、そういうもののずっと前の感覚で接してきているんだとおもうんです。それを言い表す言葉が見つからないんですが、ただ、なんでこんなに溶け合えるんだろうとは感じましたね」

平本が千葉の撮影で、かおるとの体験をふり返って述べた感想である。彼の言った「感情のずっと前」には、いったい何が存在しているのか、私はあれから考えつづけた。

結果、それは本能ではないかと思った。

本能には善悪の判断がない。あるのは「快」と「不快」だけである。赤ん坊はお腹が減ったり、おむつが濡れたりすると不快が生じる。不快は、泣くという感情表現で外へ伝えられ、気づいた母親がお乳を飲ませたり、おむつを替えることによって快へと変わってゆく。この<不快→快>の転換がスムースにくり返されていけば、本能は自然に成熟を遂げるのだと思う。

ところが、スキンシップが足りなかったり、不快がいつまでも取り除かれないと、体が成長してからも、本能は未成熟なまま取り残される。

本能が未成熟のままだと、本来なら乳幼児に与えられるはずだった母性を、いつまでも自分の外側に求めつづけることになる。恋愛や結婚生活における男女の関係も、おのずと愛情の求め合いになってしまうことだろう。

これはたとえ自分が親となっても終わることはない。自分のお腹を痛めて産んだ子を、水を張った浴槽に投げ込んだり、洗濯物を山ほど持たせて階段から突き落としたり、あげくは首を絞めて「先に行って待ってて」などと言えるのは、もとはと言えば母親の本能が未熟で、愛情を与えることができないからである。親が母性を求めているから、子供が可愛いうちは自分が求めたものが得られているので機嫌がいいが、ひとたびそれが、ひとたびそれが得られないとなると、わが子であっても放り投げてしまう。

みなみはビデオ出演の事前面接のとき、「その母親もまた自分の親から平気で捨てられたのだ」と言った。一つの結果が次の原因を作ってゆく。彼女は「この忌まわしい連鎖を、どんなことをしても決して私たちの子供に受け継がせてはならない」と悲しそうにつぶやいた。

私はそのとき、「みゆきさん本人が癒やされれば、鎖はおのずと断ち切れるんじゃないかな」と言ったが、今でもそう思っている。たしかに幼いころ、彼女の本能は成熟を遂げられなかったかもしれない。ならば、これから本能を癒やし、成熟させてやればいいのだ。いや、本能の癒しはずいぶん進んでいる。

本能が成熟すると、感情表現が豊かになる。喜怒哀楽を言葉でも表現できるようになるのである。見方を換えれば、本能の成熟によって魂が安定し、安定した魂が肉体を使って感情表現を始めるのだとも言える。だから逆に、感情表現がうまくできない人は魂も安定していない。その結果、相手に自分の本当の気持が伝えられないため、そのイライラが怒りや嫉妬、攻撃的行動になってあらわれるのだろう。

かおるという人格が現われたとき、みなみとの対比もあって「感情面を請け負った人格」と私達は呼んできたが、今こうしてふり返ってみれば適切な言い方ではなかったと思う。出てきたころのかおるは、決して感情表現がうまくはない。感情として表出されたものは、もっぱら怒りである。

そして、そのころの彼女は「この子は私が守るから手出しはするな」と言いつつも、自ら手首を切ったりしている。私たちから見れば矛盾していると思うけれど、実際に彼女の中にはきっと不快が渦巻いていたのではないだろうか?

「この子は私が守る」と言う彼女の気持ちに嘘はない。だが、不快が一気に噴出したとき、その思いだけがあり、対象は存在していなかったのではないかと思う。目の前にだれもいない自分の部屋なら、噴き出した不快をぶつける先は、当時外に出ている時間がもっとも多かった基本人格とも言うべきみゆき本人と、自らのものであるその肉体しかなかったのかもしれない。

これは若者たちが言う「キレる」というシチュエーションにも当てはまる。親や教師から優等生を要求されたきた子が、突然目の前にいる人物をナイフでめった刺しにしてしまう。親から内的な快、つまり親のぬくもりをまったく与えられず、一方的に親や教師や社会から要求ばかりされていると、溜まった不快は何かの拍子にほとばしり出て、たまたまその引き金になった者へと向けられる。したがって、その人物が必ずしも不快を作った張本人だとは限らない。

続いて「理性」

P.302 理性

出てきたころのみなみを「理性面を請け負った人格」と呼んだ。事実、これまで私は理性と本能を、ある意味で対立概念のごとく考える傾向があった。「張本人は理性のほうに偏っているので、たまには本能のほうにも目を向けて、バランスをとったほうがいい」といったように・・。

みなみは、たしかに冷静で理知的だった。しかし、「どうせ私は消えてしまう存在だから」とか、「いずれ私はいなくなってしまうんだから」というように、彼女を支配していたのは常にネガティブな思考だったのではないだろうか。

私は理性について、もう一度自分に問いかけなければならなかった。ネガティブな思考も理性なのか、本当に理性は本能の対立概念なのかと・・。

その答えを私にくれたのは、松尾みどりというチャネラーであり、マインドカウンセラーだった。私が今もっとも信頼を置く人物でもある。ある日、彼女は私にチャネリングで得たメッセージを伝えてくれた。

「代々木さんの言う理性とは、本当の理性ではなく概念思考です。社会が入れた「かくあるべき」というものなんですよ。それはたとえば道徳観であったり、倫理観であったりと、社会のご都合が作ったものに過ぎないんですよ」

私は彼女がくれたメッセージによって、自分の中ですべてがつながったと感じた。

本当の理性とは、本能が成熟し、感情表現がうまくできるようになった末に芽生えるもの。つまり、本能が満たされた快の状態で、他者とのコミュニケーションもはかれるようになると、そこにはポジティブな社会性が生まれる。その客観的な視座こそが理性なのだと私は理解できた。

具体的な例としては、湯河原での撮影のとき、夜中にでてきたゆかがこんなことを言った。「ゆかちゃんたちはね、お時間が大事なの。だから、みんなで考えてお時間使わないと大変なことになっちゃうの」

出た当初はいつもおろおろしていたゆかの本能が癒され、感情表現ができるようになった結果、芽生えた理性と言えるのではないだろうか。

では、でた頃のみなみはどうだったのか、ということになる。

本能は人間のいわば原点だと私は思ってきたが、本能が癒やされていない場合には、自己の中心が確立されていないことになる。つまり、本能に魂がしっかり収まっていない。そんなとき、人は規範となるべきものを自分の外側に求めてしまうのではないだろうか。魂が安定している時には、外側から入れられた知識も、自分のため、社会のために役立つだろう。ところが魂がしっかり本能に収まっていないとき、この知識がネガティブに働く。なぜならば、知識を使いこなすための愛がないからである。

最初、みなみの理性だと思ったのは、外側からの入れられた知識、つまり「かくあるべき」という規範だったのではないかと思う。

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11、亡くなっていた「笠原一幸」さん

「マルチエイジ・レボリューション」の出版から20年が経過しているので、登場された方々はどうされているのかと気になって検索をかけてみたのだが、泉まゆみさんの面倒をみられていた笠原一幸さんは既に他界されていた。偶然、代々木忠監督が日記(週刊代々木忠)にしたためられていたのだ。以下引用。

第217回 亡くなった友人からのメッセージ

2013年05月17日 (前略) じつは僕には、もうひとり話をしたい友人がいた。ペンネームを東ノボルという。アダルト業界では名の知れたフリーの編集者でありライターだった。本名を笠原一幸という。笠原さんの紹介で知り合った女性・泉みゆきを撮った作品に「多重人格、そして性」がある。それを本にしたのが『マルチエイジ・レボリューション』だ。当時、笠原さんはみゆき以外に何人もの多重人格の子たちの面倒を見ていた。たとえ自分の締め切り間際でも、「手首を切った」「クスリを飲んだ」と聞けば素っ飛んでいった。そんな笠原さんがある日、緊急入院することになる。最初見舞いに行ったときには集中治療室にいた。でも1週間後には、一般病棟のベッドの上で原稿の手直しをしていた。僕は撮影で千葉に行く途中だったから「帰ったらまた寄るけど、きっともう退院してるよね」と言って病室をあとにした。それが彼と交わした最後の言葉になった。千葉で「笠原さんが亡くなった」という電話を受けたのだ。嘘だろ、そんなのありえないよ......と僕は思った。笠原さんが亡くなってから、彼が面倒を見ていた多重人格の子たちは、僕に連絡を寄こすようになる。あまりに突然のことだったから、引き継ぎもないままに......。あれから丸14年である。彼が亡くなって何年かして、みゆきは結婚し、子どもが生まれた。みゆきからもらったメールには、その子の誕生日が笠原さんの命日と同じだとあった。「この子は笠原さんです」と綴られている。いつかその子に会えたら「やっと会えたね、笠原さん」と言ってやろうと思っていた。(攻略)

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12、「笠原一幸」さんを語る東良美季さん

笠原一幸さんは、1995年に肺がんで亡くなっていた。

毎日jogjob日誌 by東良美季

水津さんには笠原一幸、ペンネーム・東ノボルという相棒がいた。水津さんより3、4才歳下だったが、中学生の時から全共闘運動に参加し、その後はとあるアングラ劇団に付いて沖縄に渡ったという。しかし80年代になって経済的に困窮したとかで、ある夜水津さんに電話をかけてくる。そこで「だったら東京に来いよ、編集やライターの仕事があるから」と呼び、一緒に仕事をするようになった。東ノボルもまた、伝説のAVライターだった。僕は2011年に出した『代々木忠 虚実皮膜 AVドキュメンタリーの映像世界』(キネマ旬報社)の中で、彼に関してこう書いた。<AVライターには二種類いる。ひとつは〈アームチェア型〉とでも言おうか、作品を観て批評・紹介・評論をするタイプ。もうひとつが〈フィールドワーク型〉。カメラ片手に撮影現場を飛び廻り、AV女優、男優、監督にインタビューを試みる。笠原はその両方だった。「東ノボルは月に15本撮影現場取材をして、月150本のAVレビューを書く」と言われていた。これには「しかもワープロじゃないからコピペ無しでだぜ」という台詞が付く。

東ノボルこと笠原一幸は、1995年に肺ガンでこの世を去った。「体調が悪い、胸が苦しい」と病院へ行き、入院してたった1週間後のことだった。「喫茶室ルノアール」で僕は水津さんに、「笠原さんのこと、想い出しますか?」と訊いた。返って来た答えは、「想い出さない日はないよ」だった。水津さんは少し笑って、「毎日必ず、彼のことは考えてしまうね」と言った。さて、明けて本日1月11日(土)『下北沢B&B』にて、イベント<「あの頃」をなかったことにするな! 80年代、エロ本黄金時代」『季刊レポ』14号発売記念トークショー>があります。水津さんや東さんの話も出るかもしれません。また、自称「現役風俗ライター」のシークレットゲスト(←僕がこう書くと誰だか判ってしまいそうですが、笑)が登場してくださるかも(?)しれません。ではでは。

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13、終わりに

今月の月刊 精神分析いかがでしたでしょうか?

「声優のアイコ」の昏睡強盗をきっかけに「多重人格」「解離性同一性障害」を考察しました。

「マルチエイジ・レボリューション 多重人格者が開く迷走社会からの脱出口」著者:代々木忠(1998年)からもう20年も経ってしまいました。

Youtubeを検索すると、沢山の関連動画がヒットします。20年経っても、画期的な治療法や治療法が開発されたわけでもなく、相変わらず「虐待」の連鎖が続いている状況を垣間見ると、なかなか明るい未来を思い浮かべられないのですが、十数年かけて築いたトラウマの歴史は、時間をかけて癒やしていく他ないのでしょう。

では、また来月お会いしましょう。

ご意見ご感想は、

lacan.fukuoka@gmail.com

でお待ちしています。

2017年平成29年02月28日

月刊 精神分析 編集部A

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14、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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