葛城事件タイトル画像

1、はじめに

img11.jpg今月の月刊 精神分析は、映画「葛城事件(2016)」を通して家族関係を考察します。「かつらぎじけん」。

噂では無差別殺傷事件を描いた映画だと言う事で、秋葉原無差別殺傷事件の加害者:加藤智大視点の映画かと思っていたら、無差別殺傷事件を起こした加害者家族の物語、それも主役は三浦友和演じる、葛城一家の父親である。

監督・脚本 赤堀雅秋

父親:葛城清  三浦友和 
母親:葛城伸子 南果歩
長男:葛城保  新井浩文
次男:葛城稔  若葉竜也
獄中結婚妻:星野順子 田中麗奈

長男の嫁: 内田慈(うちだちか:吉住モータース所属)

ご意見ご感想は、

lacan.fukuoka@gmail.com

でお待ちしています。

2016年平成28年10月31日

月刊 精神分析 編集部A

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2、葛城事件 ライムスター宇多丸師匠の解説

シネマハスラーでの映画評。ここに掲載しないわけにはいけません。わざわざ1万円払ってムービーガチャに再チャレンジでで引き当てた「葛城事件」。

やはり宇多丸師匠の映画解説は興味深い。

相模原障害者施設殺傷事件が起こったのが2016年7月26日未明。本作の公開日が2016年6月18日、公開予定日が事件直後だったりすると、ヘタすると公開が延期されたかもしれない本作。無差別殺傷シーンもエグかったです(追記:2016年07月31日)。

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3、葛城事件 浜村淳さんの解説

Youtubeの動画で「浜村淳・映画サロン」で葛城事件の解説動画をみつけた。映画のストーリーにほぼ忠実に解説されている。

福岡にいた僕は高校時代「ラジオ大阪OBCのサタディ・バチョン」を毎週聴いていて、同番組主催の「宮沢りえファンクラブ」にも入っていた。木村寿恵さん、生田陽子さん、北村安湖さんの時代。浜村さんの映画解説は昔のまま。^^

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4、葛城事件は家族八景

なんとも後味の悪い映画であった。何もスカッとする事もなく、問題が解決する事もなく、ただただその辺にありそうな一般家庭の家族関係がポロポロ、ガラガラと崩れ落ちる様が描かれる。

観ていてすごく居心地が悪い。子どもの頃居た堪れなかった感情や感覚が帰ってくる。何かの切っ掛けで、ふと脳裏に蘇る昔味わった感覚。きっと、読者のみなさんもそう言ったイヤな記憶が蘇ってくる感覚は理解できる筈だ。

以前、僕の子供時代の体験を書いた。以下に転記しておく。

僕の子供時代の体験

もう40年も前の話だ。私の実家は下宿を経営していた。経営と言えば聞こえがいいが、木造2階建ての家屋の2階部分を間貸ししていた。間取りは六畳位で簡単なキッチンがついていてトイレは共同。風呂は近所の銭湯(共同浴場)を利用してもらう形態だった。近くに大学があった為に銭湯や食事する場所(食堂)は沢山あったし不動産業としては盛況であったと記憶している。家屋は父方の祖母の所有(名義)であったので、今思えばやりて婆(ばあさん)の小遣い稼ぎになっていたと思う。小学生の私からすれば、私は大家の孫という立場で店子(借家人)の生活様式や人間関係を観察していた。好奇心の旺盛な子どもからすればすべては興味津々の未知との遭遇なのだ。

さて、そんな2階の住人に父娘で暮らしている親子がいた。所謂、父子家庭。今でも娘の名前はフルネームで言える。仮に娘をE子とよぶ事にする。E子は当時中学生。私にすれば家にはいない筈の年上の異性である。夏休み絵日記には「一緒に花火を観た「とか「買い物に行った」とか書いていたのを覚えている。特にE子は問題のない普通の中学生だったのだが、問題は父親である。彼はいつもアルコールの臭いをプンプンさせていた。仕事は何をしているのかわからない。私の記憶の中で印象に残っているのは酒の飲みすぎの為か、ある日、E子の父は吐血し救急車をよんだ。板張りの床一面の血。急こう配の木製の階段を担架で運ばれていく姿を血の臭いと共に記憶している。そしてあともう一つは包丁を手に持ち奇声をあげながらE子を睨み付けている姿。当然E子は「キャー」と悲鳴をあげている。私は呆気にとられ見てはいけないものをみた気になった。すぐ階段を降りて逃げたのか?柱の陰にかくれて凝視していたのか記憶がない。・・・そして、甲斐性なしの父親と中学生の娘は私の知らないうちにいなくなった。多分、家賃を踏み倒して逃げたのだろう。下町の間貸しではそういう事はよくあった筈だ。現在の様に管理会社を通して敷金礼金・保証人とか面倒な事もしてなかったと思う。

それから10数年が経過し、成人した私の記憶からE子親子の記憶など消え去った筈のある日。何気なく目をやった新聞にE子の名前があった。それも写真付きで。記事に目を通すと、E子は内縁の夫を絞殺した殺人犯として・・殺人事件の加害者として新聞に載っていたのだ。写真のE子のそれは中学生時代の面影を残しているものの目が鋭く性格もきつそうな感じだった。もちろん事件後に撮影された写真であろうから、にこやかな表情になる筈もないのだが。

私は思った。「あぁE子ねぇちゃんは父親に復讐したんやな」と。内縁の夫の年齢から察すると「内縁の夫」と言うより「父の代用」というくらい歳が離れていた。中学生当時からアル中の父に包丁を向けられて恐怖に怯えて育てば愛憎交わる父の代用の内縁の夫を絞殺しても何の不思議はない。特に、精神分析など人の心の構造や、コンプレックス(複合観念体)に関する知識をもてばE子が内縁の夫を殺した理由は十分推測できた。

ただ、私は絞殺されたE子の内縁の夫がどんな人なのかは全く知らない。甲斐性があったのか無かったのか?E子と内縁の夫の関係性などまったく知らない中で「あぁ、E子は亡き父の姿を内縁の夫に投影して、何かのきっかけでコンプレックスを刺激され、内縁の夫を殺してしまったのだな」とすぐ想像できた。

愛する事と殺す事は表裏一体とも言える。内縁の夫には申し訳ないが、歳の離れたあなたとE子さんの関係は「E子とE子の父親との親子関係の再現」以外の何ものでもなく、むしろこういう結果を招くのは十分予想できた事なのです・・と語るだろう。

ひょっとすると、内縁の夫からすれば殺される謂れ「理由」はまったく無かったかもしれない。しかしE子にすれば十分に殺す「意味」はあったのだ。

人は「意味」を生きているのだ。生きる「理由」など最初からない。

当然、E子は殺人で起訴され法の裁きを受けた筈だ。彼女が内縁の夫を絞殺したと言う事実に基づいて・・しかし、裁判上、E子の不遇な養育史によって情状酌量の余地があったとしても、本当のE子の「心の闇」を裁判官も検事も弁護士も理解する事はない。

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5、葛城事件の葛城清(父親)

映画の広報番組で葛城清を演じた三浦友和さんはこう話していた。

三浦友和談

出演の依頼があった時、本当は最初断ったんです。でも、台本読んでいるうちに、この役を他の俳優さんが演じる事を想像したら嫉妬する感情が湧いてきまして、結局、受けちゃいました。これで、タレントとしての好感度は随分下がってしまいましたけどね。笑。

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最悪な親父、家族に高圧的で支配的。母親もオロオロするばかり。こういう父親が一家の長であった場合、母親も子どもも奴隷化され、いずれ何らかの問題が表象化する事は目に見えている。

そう言えば、父:清は劇中で「男たるもの、一戸建ての家を建てて一国一城の主に」と言うセリフを何回もはいた。仕事場(自営:葛城金物屋)から自転車で通える宅地に庭付き一戸建ての木造2階建ての我が家を所有しているのだが、その中で暮らす大切な家族が一人また一人とおかしくなっていく様はホラー映画のようでもあった。

印象に残ったシーン

さすがに、長男:保の通夜では気が変になって躁状態の妻:伸子を前にしても黙り込んでいる。他者から「申し訳ありません」と一言コンビニのレシートの裏に書かれた長男:保の遺書を差し出されると「捨てて下さい。保は事故で死んだんです」と長男の自殺を受け入れられない。

次男:稔が無差別殺傷事件を起こした後「奴を裁けるのは国だけだ。国がきちんとアイツ処分してくれる。」(中略)「俺も被害者なんだよ。俺が一体何をしたぁ!」。。と稔の養育の責任の放棄。そう言えば反発する次男:稔を前にして「稔があぁなのはお前が稔に甘いからだ」と、妻:伸子に暴力をふるい叱責するシーンもあった。

父親:清は、真面目に働いて家を建てて「一国一城の主」となった筈が、親子関係の構築に失敗し、誰も帰って来る事のない荒れ果てた自宅リビングの食卓で、独りコンビニ弁当の「そば」をすするのであった。

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6、葛城事件の葛城伸子(母親)

img03.jpg映画「葛城事件」に登場する母親:葛城伸子役は南果歩さん。知る人ぞ知る「渡辺謙」の奥さん。

映画の冒頭から夫婦でテーブルを囲むシーンが出てくるんだけど、食べているのは「宅配ピザ」。母親がインスタント食品にお湯を注ぐシーンはでてくるのだが、家族の為の食事を調理しているシーンはついぞ銀幕に映る事はなかった。

世の家族関係が希薄な事を嘆いて「テレビを消して家族でテーブルを囲んで一家団欒を楽しみましょう」的な標語をよく聞く。子どもが親と一緒に食事をする機会が減っていると言う話も普通に聞くが、私自身も支配的な祖母や父が苦手で一緒に食卓を囲むのがイヤだった。食事を残す事も当然NGなので、未だに食べ方がおかしいと指摘されたりもする。昔、テレビ番組に「ホームドラマ」と言うジャンルがあったが、劇中、家族でテーブルを囲んで食事をしながら言いたい事を言い合うと言う情景を観ても、その情景はテレビドラマの中だけの情景で、この世に存在する家族関係であると思っていなかった。

あるサイトから引用

そもそもの人間関係

そもそも、人は動物。自分に「快」をもたらしてくれる相手に好意を抱くのは自然なことです。人間が生まれて初めて接する「快」と言えば、母親の存在。母が満たしてくれる「快」とは、優しい笑顔や抱っこ、おっぱい(食事)、おむつ交換(排泄)ですよね?

精神発達論の中でも、「母=授乳=おっぱい=食」と言う件があり、寄る辺なき存在の乳児にとって母のおっぱいは生命線で、その存在が精神の発達と無関係な筈がない。こう言う話は大変説得力があるし、無意識に「食」=「愛」と言う関係性も成立していると言っていい。

ある男女が知り合って付き合い始めたとする。一緒のテーブルを囲んで、同じものを食べて、楽しく食が進むか?否か?この儀式は、二人の関係がこれから進むか否か大事な分水嶺である。それくらい「食」は大事な要素ではなかろうか?

話を映画「葛城事件」に戻す。劇中で母親が調理するシーンが一度も出てこない。長男は家を出て独立。次男は外出したかと思えばコンビニから弁当を買って帰り、自室のベッドの上で割り箸で食べる。=母の愛はないし、=母の愛の拒絶とも受け取れる。葛城家には最初から最後まで母親はいなかった。

img04.jpg結局、長男:保は飛び降り自殺。次男:稔は無差別殺傷事件の加害者となり死刑判決。母:伸子も、とうとう精神に変調をきたし精神病院へ。車椅子に座っている伸子の表情がなんともやるせない。






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7、葛城事件の葛城保(長男)

img05.jpg葛城家の長男:保、演じる俳優は新井浩文さん。テレビドラマでは、スーツをパリッと着こなすと仕事できそうなサラリーマン:下町ロケット富山敬治役、テレビ版64(ロクヨン)の県警広報室職員などが思い浮かぶ。映画では死んだ目の演技が出来る俳優としてアウトレイジ ビヨンドで暴力団員の舎弟役など。

さて、劇中の長男の保君。大人しく父親に従順で真面目タイプ。保は保なりにヤりたい事、言いたい事がある筈なのに、抑圧され続ける。劇中で葛城家から独立しマンションで生活し始める。その後、結婚し、2男をもうけるものの、会社(営業職)をリストラされる。しかし、リストラされた事実を妻に伝える事ができず、毎日スーツを着て出勤するフリを続けるものの行き先は誰もいない公園のベンチ。その後、ビルの5階から飛び降り自殺。

妻に内緒の再就職活動の面接シーンも描かれるが、緊張による多汗で自分の名前も面接官に言えず・・・明らかに自律神経失調症状態。

長男の保君は、家族に「言いたい事を言えない」葛城家の家族の関係性を、自分の家族:妻との関係にも継続採用してしまって、自分で自分の事を追い詰めてしまった。父は自分が支配しやすいように長男:保を育てたのだが、結果、自分より息子が先立つ事となってしまった。

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8、葛城事件の葛城保(長男)の嫁

img06.jpg女優さん、すごくいい演技をされていたのですが、お名前が分かりません。公式サイトにもお名前が無いので・・・。(追記:女優さんのお名前判明:内田慈(うちだちか)さんで、吉住モータース所属。特定の劇団に所属しておらず、これまで、ポツドール、イキウメ、五反田団などの公演に参加。主に舞台を中心に活動している方だそうです。僕はファンになりました。2016年07月31日)

視点を変えて、長男の嫁から葛城家を見てみよう。長男:保は優しい夫、いや、優しすぎる夫であった。養育環境上、常に抑圧に晒されて自分を殺して生きてきたからだ。

世の女性にどんな人がタイプ?ときくと判を押したかのように「優しい人」とかえってくる。世の中にはそんなに優しい人がいないのか?と思うが、現実に今の世にいる男性は流行りの言葉で言えば「草食系男子」で、完璧に去勢され自分が「何をしたいのかわかりません」と言う輩なのだ。

適齢期が迫り(昨今ではぎりぎり29歳、30前までに結婚というのが第一防衛線、初産が35歳)、慌ててDVしそうにない所謂(いわゆる)優しい男をみつけてエッチして授かり婚になって、超急いで入籍&結婚式&出産と言うパターンも珍しくはないらしい。

映画「葛城事件」で印象的なシーンに妊娠してお腹が大きくなった長男:保の嫁が登場する。予告動画にもでてくる長男:保夫婦の結婚記念日のお祝いで葛城家と長男:嫁一家が中華料理屋で円卓を囲むシーンだ。父と長男:保、長男:嫁、嫁の両親の合計5名。劇中で、中華調理屋のアルバイトに「マー坊豆腐の味が辛すぎる」とグダグダ文句を言う。さすがに長男:保は小声で「もういいよ」と窘めるものの、父はまったく意に返さない。折角の、長男と長男嫁、嫁両親との会食なのにぶち壊しである。「オーナーを呼んでこい!葛城さんと言えばわかるから!」再びアルバイトに怒鳴る。

長男の嫁にしてみれば「保君は優しいのに、なぜ保の父はこんなにもKYなのか?こんな義父とずっと親戚付き合いしなきゃいけないなんて、この結婚失敗だったかも。相手方の親のチェクをするのを怠ったわ」と内心悔やんでいるに違いない。

Googleで検索してみるとこの手の話はゴマンとでてくる。

結婚は相手の親を見て選べ?

相手の両親の役割とパワーバランスを知る。「結婚は相手の親を見て選べ」という言葉があるように、結婚相手の両親の人格や家々由来の風習は無視できないものです。相手の両親の性格が自分の常識から逸脱していないか、相性が悪くないかということは、相手からご両親の話を聞いた際や、実際にご両親と会った時点でしっかりとチェックしておいて頂きたい部分です・・・・・云々

精神分析を学ぶとよく理解できるだが、所詮、人は両親によって誕生し、育てられるのだ。いくら個人の人権とか、表現の自由、選択の自由と言ってみても、子は親を選べないし、親から多大な影響を受けて育っているのだ。逆に子どもの性格が反動形成される場合もあるが・・。

今から、人生の岐路に差し掛かる方には是非、精神分析学、なかんずく精神発達論を学習される事をお勧めします。

印象に残ったシーン

長男:保の通夜にて、あからさまに躁状態の母:伸子に長男:嫁が抗議する「お母さんは知っていたんでしょう!?(こうなる事は)」と訴えるのだが、当の母:伸子は長男:嫁を見据えて、こう返す「あなたの責任よ、あなたが保を殺したの・・・」。

親戚:葛城一家と関わり合う様になって「この一家は何かおかしい」と感じていた長男:妻は最悪の結果を受け留め、義母:伸子の「実母の長男:保の養育の失敗」の責任を問うているのだが、当の義母:伸子は「自分の夫がリストラされたのも知らいない妻なんて、貴方達の夫婦関係はどうなっているの?長男:保が死んだのはあなたのせいよ」と返しているのだ。

母親:伸子の主体性の無さは、私自身の実母をも彷彿とさせる。祖母や夫が家庭内恐怖政治を敷いていた為に、常に受身で言いなり。しかし、他者の行動に対して結果が伴わないと、もしくは失敗したかとみると「それ見たことか」と「非難・否定の弁」を並べる。こう言う母親に育てらた息子達が何を背負って生きていくか?我が身と兄弟達の事をイヤでも思い出してコンプレックスを刺激され映画鑑賞中に何度も過呼吸になりそうだった。

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9、葛城事件の葛城稔(次男)

img07.jpg同じ親から産まれたのに兄弟でこうも性格が違うものか?・・・世間ではよくある事だ。同じ親から産まれても養育時の母親の手の掛け方も違うし、兄弟、姉妹の関係性も各々だから、性格形成にも色々なバリエーションが発生する。

映画「葛城事件」では、次男:稔は兄(親に従順)とは正反対で、父親:清に徹底的に反抗する息子として描かれる。父親の家庭内恐怖政治のもとで育っているので、抑圧され続け、まともな自我は形成されず、アルバイトを始めても適合できず一週間と続かない。母親にだけには甘えられて「そのうち一発逆転するから暖かく見守ってよ」などと宣う。

父親の暴力に耐えかねて母と一緒に家出して木造アパートで共同生活を始めるものの、長男:保に発見され、父:清が乗り込んでくる。

父:清が乗り込んでくる直前までは、辛うじて母:伸子、長男:保、次男:稔の家族三人の「最後の晩餐」会話が成立するのだが・・・。

乗り込んできた父:清に次男:稔は何度も足蹴にされ、干してあってタオルで絞殺されそうになる。泣き叫ぶ母親。ついに包丁まで手に取る父;清。

連れ戻された次男:稔は、攻撃性を他者に向け駅のコンコースで「無差別殺傷事件」を起こす。後に自分が起こした事件を「仮にですよ、渋谷のスクランブル交差点に狂ったイノシシがいて、暴れて、巻き込まれて人が死んだとします。それって事故でしょ。諦めるしかないでしょ。」と朗々と語る。このへんの演説めいたしゃべりは父親譲り。殺された方にしてみれば堪ったものではないのだが、過去、実際の無差別殺傷事件の加害者の語りの多くは「甚だ身勝手」以外の何モノでもなかった。こう言う語りをきいてみても「俺のせいじゃない」と訴えているのは明白で、ここでも主体の欠如がみてとれる。幼少時から奴隷の様に扱われ、自分の欲望を満たす事での自我の養育がなされてないので「何をしていいのかわからない」のだ。無差別殺傷事件を起こした多くの加害者の養育史を眺めてみると、その多くは「自分を生きる事が許されず、日々、自分を殺し続けてきた」人達なのだ。

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10、葛城事件の加害者の妻(獄中結婚)

img08.jpg「は?」と思う設定だが、世の中には色々な人がいて、附属池田小事件の加害者:宅間守と実際に獄中結婚した女性がいた。劇中では星野順子役を田中麗奈さんが好演されている。

獄中結婚の意味

死刑廃止運動をしている活動家です。結婚していたといってもセックスができるわけではなく結婚生活はないのですから、目的は収監者の情報をマスコミやネットなどに流すことで、死刑執行を世論によって止めようとするためです。このような活動家によって収監者の言動がマスコミに流れて有名になることで、判断力に乏しい若年層に凶悪犯が英雄であるかのような錯覚を与える社会的悪影響を非常に懸念します。この活動家には自己の行動が社会に悪影響を与えていることすら見えていません。

劇中では星野順子と言う名前の死刑反対の活動家。何かを欠損した存在として描かれる。「私も家族を失いました」と言う発言がそれ。自分の欠損状態を死刑判決を受けた無差別殺傷事件の加害者に投影して感情移入しているだけでしょ?と思いたくなるが実在の人物なのだから恐れ入る。

印象に残ったシーン

物語も終盤。次男:稔の死刑が執行された事を父:清に報告するために星野順子が葛城家を訪問する。別れ際に父:清が突然、順子を押し倒し性交渉を求める。驚いて「何をするんですか」と怯える順子。父:清は「俺の家族になってくれ!俺が3人殺して刑務所に入ったら結婚してくれるのか?」と。順子「あなた、それでも人間ですか!」と一喝。

なんとも鬼気迫るシーンで怖かった。ガタイのデカイ三浦友和が、か細い田中麗奈にのしかかっていく光景は美女と野獣で・・・父:清は支配と被支配の関係で生存しており、被支配者全てがこの家からいなくなったみるや、別の被支配者を求め、順子に求婚すると言う構図なのだろう。当然、順子から拒否されると、支配者である自分の存在理由もなくなり、家を建てた記念に植樹した庭のミカンの木に電器掃除機のコードを垂らして、首吊り自殺を試みるのであった。

因みに「支配と被支配」など傍からみると不利益な関係を絶妙なパワーバランスで継続している関係性を共謀関係という。精神分析の世界では「夫婦共謀」として出てくる。映画「葛木事件」は家族共謀の物語と言えなくもない。

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11、葛城清の精神分析

img10.jpg結果、崩壊した葛城一家だが、元凶扱いされている父:葛城清の精神分析を試みる。・・と言っても、葛城清の養育環境や養育史を知る事は出来ないので、飽くまで推測の域を出ない。

葛城清は、父から受け継いだ「葛城金物屋」の店主であり、葛城一家の家長として君臨するのであるが、何故にあれだけ、家族に高威圧的な態度をとるのか?そう言えば、客として振る舞う時の店舗従業員への態度も高圧的である。

他人からみても、一目して「そんな大した人物ではない」と分かるのだが、態度が横柄で「この人何様?」と思わせる。

普通にしていればいいのに他人を威嚇し虚勢を張る。・・結果「中身は無いのね」とみすかれてしまう。

最近、日本の近代史にチェックを入れる事が多く、我々日本人のメンタルティ(精神性)を考察すると、やはり戦争時代の欠損の影響が大きいと感じる。心理学の言葉を使えば「トラウマ」それも「歴史的なトラウマ」である。1945年昭和20年の大東亜戦争の敗北による帝国主義から民主主義への国体の変化。ある日突然、価値観が真逆になる境目を生きた人、または、境目を生きた人から育てられた人は「おかしい」と思っていい。

日本は明治以降、天皇を頂点とする神国日本イデオロギー体制だったのが、ある日突然、基本的人権のある「民主主義体制」となったのだから価値観が混乱して当たり前である。

私の葛城家

私の実父は16歳で1945年に遭遇した。昨日まで天皇が神で日本は神の国、大東和共栄圏、八紘一宇が絶対の価値観で生きて来たのに「はい、今日から、民主主義です」って言われても「は?」と思って当然。その後、紆余曲折があって、私の父は、父の母(私からみると祖母)と同居し、その家に私の母が嫁いで来た。

私が誕生した時の私の葛城家はどうだったかと言うと、祖母が新興宗教にはまり、母、父が追従。自然、私は宗教組織の一員として生れ育つ事になった。今、冷静に省みると、家族の有り様は、天皇の代わりに教祖様、帝国主義の代わりに宗教イデオロギーを採用しただけで、支配と被支配の構図は戦争時代と全く変わりなかった。

敗戦は、軍部のせい。私たちは尊い信仰者。一生懸命信仰して仏に成りましょう。かならず天国に行けますよ。・・と。宗教活動は、隣国に行って他者を武力殺傷制圧、それを国是として国をあげて宣揚加担して来た人達には実に耳に心地好い免罪符であったに違いない。

私は絶対正しい宗教組織の中に誕生した。私の時代は「基本的人権」そして「思想宗教表現の自由」が保障されている筈が、絶対正しい信仰の裏返しは他の信仰は絶対間違った宗教と定義されてしまうのだった。「は?」である。それって「神国日本の天皇」が「絶対正しい宗教の教祖様」に置き換わっただけではないか。

よって、我が葛城家では絶対正しい宗教による支配と被支配の構図が展開される事となった。さっきまで会合で世界平和を宣揚していた人達が、家庭に戻った途端「信仰しないなら出て行け!」(威嚇)。「お経を唱えないと地獄に堕ちるぞ!」(強迫)。被支配家族を抑圧する手段として宗教教義を利用する。

文字通り「修羅場」で、家族を支配する手段として宗教教義を利用した輩はいつかお釈迦様か閻魔様から怒られると私は固く信じている。

話を映画「葛城事件」に戻そう。今、日本で生活している世代で終戦時に生まれた人が70歳。丁度、価値観の境に生まれた人。今、45歳の世代が、価値観の境世代の子ども達だ。葛城清はこの両世代の間(はざま)世代となる。結局、支配と被支配の関係性で養育されたに違いない。葛城清の父は戦中戦後の混乱期を生き抜き、葛城金物屋を起こし、一国一城の主として生活し、支配と被支配の関係性のもと葛城清を育てた。だ・か・ら、葛城清は、自分と父との関係性を自分の息子達(保・稔)にも当てはめて、自分の息子達にも「男たるもの一国一城の主」になれとエールを送っていたのである。

こういう関係性の連鎖を心的遺伝子論で説明できる。肉体的DNAだけでなく、生き方や心的特性まで世代間で遺伝していく。戦前、戦中、戦後と世の中の有様や、価値観が大きく変わっても、親子関係はずっと「支配と被支配の関係」が連綿と受け継がれる。オリジナルはコピーされる回数を増すごとに劣化する。支配される方の自我の脆弱さがある臨界点を越えると日常生活に支障を来し、不登校、出社拒否、心的病の表象、問題行動の発生、自殺と連鎖する。

まさしく、映画「葛城事件」とは「支配と被支配」の行き着く先の物語と言えよう。

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12、私にとっての未知の領域(50代)

img09.jpg儒教における「四書」の1つ論語にうこうある「四十にして惑わず」「不惑」、「五十にして天命を知る」「知命」。字面通りに受け取ると中年期は人生の総仕上げで、目標を定めて安定して生きていく時と思えそうだが、リアルな世界に目をやると、自殺率は中年(40から50歳)が飛び抜けている。精神発達論(フロイト)やライフサイクルの心理学(エリクソン)では所謂「中年の危機」が説かれていて、今、注目を集めているのだ。

実を言うと、私自身も幼少期から青春期にかけて自分が中年という年齢に達する事さえ想像できなかった。いや、想像したくなかったのかもしれないが、現実にイヤでも「中年のおじさん」になってしまうのだ。

父:葛城清は「葛城金物屋」を起こした実父をモデル化して、父:葛城清になった筈で「なぜ、父は父として成立したのに、父をモデルとして父になった筈の俺の家族はなんで崩壊したんだよ!一体俺が何をした!」と嘆き苦しんでいる。

自分が40代の頃に、ある飲食店に勤務していて、周りの50代の人を観察していた。自分が50代を生きる時のモデルにしようと考えていたのだ。今でも覚えている人の話をしよう。

彼の名前は鈴木浄司(すずきじょうじ)もちろん仮名。名刺をもらった私は心の中でこう呟いた「中年の癖にママにハイカラな名前をつけてもらったのねジョージ君」。パッと見、中年の脂っこい感じはせず、容姿は俳優っぽく「若い頃はもてただろうな」と想像させた。経歴をきいてみると、市内の高校大学と所謂お坊ちゃん学校の出身で、聞きもしないのに「学生時代はよくもてた」「新入社員時代は参考書を1000万円売った」と自己アピールしていた。「ふーん、良かったねジョージ君」と心の中で笑っていたのだが、一応目上の人だからそれなりに敬意を払っていた。

一緒に仕事をし始めて更に笑った。リアルな鈴木氏の立ち位置と、鈴木氏の自分自身の理想像(自我理想:イメージ)のギャップの差がありすぎるのだ。鈴木氏は他人から羨望の眼差しで見て欲しいと切に思っているのだが、お坊ちゃん学校を出ていない自分から見てもメッキがハゲハゲの鈴木氏。その差を埋める為に彼がやっていることは見栄と嘘言のオンパレード。・・・あぁこの人、こんな調子で50代過ぎたら、分裂症発症するのでは?と怖かった。こんな50代になったら周囲からは迷惑な人と思われ疎まれるし、この人は反面教師だなと理解した。

あともう一人。奥田八ニと言う人。この人ももちろん仮名。話を聞けば、この人も、マージャン屋で雀ボーイのバイトをしていて、巡り巡って販売の仕事にやってきたとの事。もともとは、東京で弁当屋をやって成功していた時期もあったみたいだが、今じゃ、しがない雀ボーイ。この奥田八ニさん、佐世保出身で6人兄弟の一番下。この人も養育環境が怪しかった。明らかに自己愛者で、事が上手くいけば自分の功績。事が上手く行かなければ他人のせい。・・こういう人は周囲から尊敬されないし「50過ぎでこれですか?」と疎まれる。

自分の周りを見回して「葛城清」はいないかと思案したが、10年前の記憶を呼び起こして、鈴木浄司さんと奥田八ニさんの存在を思いだした。当然、彼らが父性を発揮する事はないし、もし、家族がいたとしても、葛城清と同様、虚勢と威嚇と支配で家族に接するしかないのは目に見えている。彼らは私の50代を生きる上でのモデルには成り得なかった。彼らももうそろそろ60代に突入して、初老と呼ばれる頃に差し掛かっている筈だ。

昔の爺は「戦争中は・・」「予科練は・・」と武勇伝を語っていたが、彼らの世代はバブル経済下の売上実績を自分の武勇伝として語り、美味しいお酒を飲むのだろうか?

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13、おわりに

今月の月刊 精神分析はいかがでしたでしょうか?映画「葛城事件」を観て「家族関係」を語ってみました。映画「葛城事件」の脚本・監督の赤堀雅秋さん曰く、数件の凶悪事件の加害者家族の話(実話)を調査して、シナリオに盛り込んだとの事。

映画「葛城事件」は、高圧的支配の永続(抑圧)を続けると、抑圧された家族がどうなっていくかが良く分かる作品となっている。

私の祖母や実父も実に支配的な人達であったが、彼らは無意識的にそうしているのであって、考えて考えて熟慮の上に支配的な行為をしているのではない。だから、抑圧されている方がどれほど嫌悪感を抱いて、感情を押し殺しているかなどと考えてもいなのだ。どれだけ「戦争中は・・云々」「お父さんがお前くらいの時分には・・・云々」価値観の強制をされただろうか?

映画「葛城事件」の悲惨な結末を観ても支配行為をしている人は絶対に受け入れない。それは、無意識に抱えている自分の支配者としての立場を殺す事になるからだ。民主化運動が起こっても独裁者が最後の最後までその地位にしがみつく様とソックリだ。

かくして、支配と被支配の連鎖は世代を越えて連鎖し、結局は、自分の子供の代、孫の代で、血族が大きな不幸に苛まれる事になる。

子どもを支配し、自分の価値観に閉じ込めていた母親が、子どもが問題行動を起こす様になってから、慌てて、教育方針を変更し子どもへ対応法を変えようと思っても、苦しくて出来ないのはそこだ。結局、今まで支配的・高圧的態度で子どもに接していた根源、自分自身が心の奥底深くに沈めたコンプレックス(複合観念体)と向かい合わざるを得なくなる。それは、相当苦悩する事を余儀なくされるのである。

では、また来月お会いしましょう。

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2016年平成28年10月31日

月刊 精神分析 編集部A

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14、超絶アイドル 山口百恵さんは菩薩

img13.jpg優しいカッコいいお父さんは宇津井健、カッコいいお兄さんは三浦友和、キレイなお姉さんは山口百恵さんと言う昭和の大スターの共演。テレビ番組:赤いシリーズ(1974年~)。家族みんな一緒に茶の間でテレビをみていた古き良き時代の番組である。

赤いシリーズ

「赤いシリーズ」は、TBSが、大映テレビと共同で1974年から1980年にかけて製作・放送した作品群のシリーズ名。テレビドラマ9作品とテレビスペシャル1作品の計10作品であり、どれもタイトルが「赤い」から始まっている。ヒューマンサスペンスドラマシリーズ。宇津井健と山口百恵がシリーズの顔であり、最終作『赤い死線』は山口の芸能界引退作品となった。

で、絶対的ヒロインの恋人役が今回取り上げた映画「葛城事件」の主役:三浦友和その人で、更に!、三浦友和さんのリアル奥さんが、なんと絶対的ヒロイン山口百恵さんその人なのだ。

残念ながら宇津井健さんは、2014年(平成26年)3月14日に享年82歳で亡くなっている。晩年は『渡る世間は鬼ばかり』に出演した。僕の幼き日の記憶に残っている作品は『ボクは五才(1970年、大映)』出稼ぎに大阪(多分、大阪万博の時期)に行ってしまった父(宇津井健)に会うため、高知に住んでいる少年(5歳)が一人で旅をすると言う物語。なぜか印象に残っている。併映された作品は高校生が骨肉腫になってしまって手や脚を切断しなくてはならなくなるストーリー『ママいつまでも生きてね(1970年)』も鮮明に覚えている。Google検索して私と同じ様に作品名を探している人の記述があって助かりました。余談が長くなりました。

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そんな時代のアイドル三人娘は花の中3トリオ~、山口百恵、森昌子、桜田淳子が絶対的地位にあり、平成のなんとかグループなど比べ様のない絶対女神であった。その、一角にいたのが誰あろう「山口百恵」その人なのである。

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スター誕生!略してスタ誕。スタ誕から出てきたスーパースター山口百恵。ある日、山口百恵さんは引退を宣言する。1980年10月15日(21歳)で引退。振り返れば百恵さんの芸能生活は中3から21歳までの僅か7年半程だった事になる。キャンディーズが後楽園球場で解散コンサートを行ったのが1978年(昭和53年)4月4日。ピンクレディーの解散コンサートが1981年3月31日。1つの時代の終焉を感じさせる。松田聖子、中森明菜、小泉今日子・・・。

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私の記憶する限り、引退後の山口百恵さんは、度重なるテレビ局からの出演要請を断り、一切テレビカメラの前に出た事はない。昔風に言えば家庭に入って専業主婦になっている。たまに、写真週刊誌に撮られたりするみたいだが、俳優業を続けている三浦友和さんがプライベートにカメラを向けられる事はあっても、もう、芸能界と無関係な立場にいる百恵さんにカメラを向けるのはNGな筈だ。

芸能界で職場結婚したカップルは一般人とはまた違った難しさがあって「あの二人いつまでもつかしら・・」的な見方がされる事が多々あるが、三浦夫妻に関しては過去「別居だ浮気だ夫婦の危機だ」という話はついぞ聞いた事がない。おしどり夫婦の秘訣をきかれて、ご主人の三浦友和さんはインタビューに答えて「相性ですかねぇ」と。

三浦友和さんもあまり仕事が無い時期もあって苦労されたようだが「下手に動くと碌なことがない」と仰っているとおり、所謂、我慢の時期と言う時があるのかもしれない。

だれもが、いつまでも子どもではないし、いつまでも学生ではないし、いつまでも新入社員ではないし、いつまでもアイドルではないのだ。次の自分に投企(とうき)していくのだ。

投企

投企(とうき)とはマルティン・ハイデッガーによって提唱された哲学の概念。被投という形で生を受けた人間は、常に自己の可能性に向かって存在している。これが投企である。人間というもののあり方というのは、自分の存在を発見、創造するということである。

img16.jpg妻になり、ママになり、キルト作家になり、お母さんになるのだ。そして菩薩に。

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15、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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