連合赤軍 坂東國男

0、宇多丸が映画「桐島、部活やめるってよ」を語る

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1、はじめに

こんにちは、月刊精神分析編集部Aです。

最近やっとこさ時間ができ、関心のあった映画や小説をガンガンチェック入れてます。作品一覧は下記の通り。「日本沈没」は熊本の地震報道を受けて、小学生の時の劇場で観た「日本沈没」のパニックシーンを思い出し、Amazonで購入しました。小松左京って一種の天才だったのでは?と妙に感心しました。1973年公開ですからねぇ・・。なんと今から43年前公開の映画ですよ。熊本の地震報道とソックリな映像が劇中に出てきます。

○ショーシャンクの空に(1994年米)動画配信
○ルーム(原題:Room)2015年にカナダとアイルランド 劇場
○ボーダーライン(原題:Sicario)2015年米 劇場
○ズートピア(原題:Zootopia)2016年ディズニー 劇場
○太陽 劇団イキウメの傑作戯曲、待望の映画化 2016年 劇場
○日本沈没 1973年 DVD
○ブレードランナー(原題:Blade Runner)(1982年公米)DVD
○テラフォーマー 2016年 劇場

「ボーダーライン」とかみると日本みたいに平和な国に生まれて良かったと思います。いとも簡単に手軽に銃で射殺される事が当たり前に様に感じる映画です。あと、邦画の「テラフォーマー」の冒頭の映像が「ブレードランナー」と全く一緒です。これでは、オマージュではなくてコピーやん!

・・・と狂った様に鑑賞しておりますが・・。気になるのは、今年に入ってから、私達世代の文化の担い手である音楽家や漫画家が相次いで亡くなっている事。

2016年1月10日 デヴィッド・ボウイ
2016年3月10日 キース・エマーソン
2016年4月03日 望月三起也(ワイルド7)
2016年4月21日 プリンス
2016年5月05日 冨田勲

本当に残念です。お悔やみの言葉を捧げます。世代交代の時なのでしょうか?

そんな中、今月の疾風怒濤の精神時代 思春期を迎えた高校生達の群像劇「桐島、部活やめるってよ」を特集します。

2016年 平成28年06月30日 月刊 精神分析 編集部A

感想のメールは

lacan.fukuoka@gmail.com

までお願いします。

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2、ライフスタイルの変化

最近、頓に感じるのはライフスタイルの変化、コンテンツの視聴スタイルの変化である。昔は一日中つけっぱなしだったテレビのスイッチを入れる事がなくなった。不況で予算が削減されている為だろうか?必見の番組がなく、まずインターネットを通して評判のいいコンテンツを選んで、配信やAmazon経由でソフトを入手して鑑賞する様になったし、劇場で上映中の作品ですら、ネットでチェックし見どころを押さえてから鑑賞にでかける。まさしく世は情報化時代である。

一昔前は、上映館の中で作品のパンフレットを購入して、作品の詳しい解説に目を通していたのだが、今は、パソコンでほぼ上映作品の見どころやあらましを知っているのが当たり前の時代となった。

コンテンツは選びたい放題の世の中。視聴にかける時間は限られている。ならば、意味のあるコンテンツに時間を割くのは当たり前で、くだらないバラエティ番組に見向きもしなくなるのは当然ではないか。

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3、情報化時代のコンテンツの楽しみ方

ありふれた家電を購入するのでさえ、価格ドットコムで最安値をチェックしたり、Amazonでユーザーレビューをチェックすのであるから、映像コンテンツや小説に関しても、かなり細かい突っ込んだ解説や批評を簡単に知る事ができる。

Googleで「作品名+なんとか+動画」と入力して検索するだけで、各評論家の作品解説動画をYoutubeやニコニコ動画で視聴する事ができる。

私は、もう、ほとんど地元のラジオ番組を聴く事はないのだが、ちょこちょこっと検索するだけで、TBS系のラジオ出演者の映画批評の動画がパソコンディスプレイに目白押しで並ぶ。

宇多丸(ライムスター)氏、町山智浩氏、高橋ヨシキ氏、コンバットREC氏など、以前は殆どノーチェックだった人々の作品批評を毎日の様にチェックしている。私の世代(現在52歳)だと、世代的には町山智浩氏がドンピシャ同世代で生きてきた時代背景も重なり、より説得力のある語りに聴こえる。

今回テーマに取り上げた「桐島、部活やめるってよ」も、町山氏の作品批評が秀逸なので誌上でぜひ取り上げたいと思った経緯もある。

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4、登場人物(語り部)

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町山智浩(まちやま ともひろ、1962年(昭和37年)07月05日 - )は、映画評論家、コラムニスト、元編集者。東京都出身[4]。放送作家の町山広美は実妹。既婚者で家族は妻と一女。元宝島社勤務、洋泉社出向。『映画秘宝』創刊後、退社し渡米。米国カリフォルニア州バークレー在住。

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宇多丸(うたまる、1969年5月22日 - )は、日本のラッパー。ジャパニーズヒップホップ黎明期の1990年代前半から活躍するヒップホップグループ・RHYMESTERのMC、マイクロフォンNo.1。本名、佐々木 士郎(ささき しろう)。ライター、アイドル評論家、映画評論家、クラブDJ、ラジオDJとしても活動。一番好きな映画はアポカリプト。
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コンバットREC:映像コレクター。TBSラジオの『コカコーラCM特集』『JAC特集』『週刊漫画ゴラク特集』に登場。



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5、桐島、部活やめるってよ(映画) 作品概要

<社会現象化した「桐島・・」>

高校の男子生徒が突然、部活を辞めたことから校内に広がる動揺や波紋を繊細に描写。日本アカデミー賞最優秀作品賞などに輝いた秀作青春映画。神木隆之介、橋本愛らが好演。

丸の内ルーブルを筆頭とした日本全国132スクリーンで公開され(以降全国順次公開)、初日は新宿バルト9で舞台挨拶が行われた。公開後は口コミにより話題となり、8か月にわたりロングラン上映された。

第34回ヨコハマ映画祭作品賞および監督賞をはじめ、第67回毎日映画コンクールで日本映画優秀賞および監督賞、第36回日本アカデミー賞では最優秀作品賞を含む3部門で最優秀賞を受賞したほか、出演者も多くの新人俳優賞に輝いている。

ちなみに8月に封切られた邦画が日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞したのは1990年(第14回)の『少年時代』以来、22年ぶりであった。

2012年8月11日に日本公開。登場人物名を各章のタイトルにしたオムニバス形式だった原作を、曜日を章立てて、視点を変えて1つのエピソードを何度も描き、時間軸を再構築して構成するスタイルにした。

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6、桐島、部活やめるってよ 心に痛い映画

8か月にわたりロングラン上映となったのは、「桐島・・」を劇場で観た観客が、「桐島観るべし」言う口コミを広げたため。日本人の誰もが経験する高校生活を思い出し、映画に登場する高校生に感情移入し・・「あぁ自分は高校の時はどうだっただろうか?」「大学の時はどうだっただろうか?」「新社員時代はどうだっただろうか?」と自分の心を省みたのだ。

あなたは、「桐島、部活やめるってよ」を観ましたか?

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7、登場人物

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物語は、松籟第一高校のある日の「金曜日」から始まる。

<映画部>-------------------------------------

○前田涼也(まえだ りょうや)- 神木隆之介img03.jpg
映画部部長。「君よ拭け、僕の熱い涙を」映画顧問作成のシナリオで映画コンクール(映画甲子園)一次予選通過。次作で映画部顧問教師に反抗し、自分自身のオリジナルシナリオ「生徒会・オブ・ザ・デッド」で宇宙ゾンビが登場する学園映画を撮ろうとする。「映画秘宝」愛読者。運動音痴。バドミントン部の東原かすみの中学校時代の同級生。高校入学からかすみと疎遠となり会話もない。偶然、塚本晋也監督作品:「鉄男」上映館でかすみよ一緒になる。かすみにほのかな恋心を抱くが、教室でかすみと竜汰がいちゃついているのに遭遇してしまう。

「先生はロメロ観たことありますか?ジョージ・A・ロメロ。ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」

○武文(たけふみ)- 前野朋哉img02.jpg
「おまたぁ」で登場。映画部部長の前田涼也を監督としたい、一緒に映画作成に励む。映画部顧問教師にオリジナルのシナリオでの作品作成の中止を告げられた前田涼也に「お前は、絶対に引いちゃダメだ」と支援する。地味で目立たない真面目な生徒。

「サッカーで何点とっても無意味、Jリーグ行くんだたら別だけど」

<バドミントン部>-------------------------------------

○東原かすみ(ひがしはら かすみ)- 橋本愛img04.jpg
女子部ループのメンバー。前田涼也とは中学校時代の同級生。グループ内で前田涼也への嘲笑には同調しない。偶然、塚本晋也監督作品:「鉄男」上映館で前田涼也と一緒になるシーンがあものの、実は、周りに内緒で帰宅部の竜汰と交際を開始していた。


○宮部 実果(みやべ みか)- 清水くるみimg05.jpg
女子部ループのメンバー。家庭内で問題を(WOWOWでスピンアウト作品有り)抱えている。同調圧力により帰宅部の梨紗&沙奈と行動を共にしている。が、実は冷めている。義姉(県でベスト4に進出した)が事故死。バレー部の小泉風助を気にしている。

「すごい頑張ってたんだよね、小泉君。すごいなって思ってたんだ。小さいのに、サブなのにね桐島くんの・・・でも結局負けるんだよな。どんなに頑張っても・・・何のために頑張ってるんだろうね 羨ましい沙奈とか、なんにも考えてなくて」

<野球部>-------------------------------------

○野球部キャプテン- 高橋周平img21.jpg
3年生だが、引退せず試合と練習に励む。元野球部の菊池宏樹の復帰を願っている。練習に来ない菊池宏樹から「3年のキャプテンは何故引退しないんですか?」と聞かれ「ドラフトまではね」と応えるが・・・劇場の観客は失笑するシーンとなっている。

<バレー部>-------------------------------------

○桐島- 劇中本人の登場シーンはなし

男子バレーボール部キャプテン。突然、登校してこなくなり、学校中に「桐島が部活を辞めるらしい」という噂が広がり各方面に波紋を広げる。

○久保孝介(くぼこうすけ)- 鈴木伸之img13.jpgニックネーム:ゴリラ。バレー部副キャプテン。キャプテンの桐島が登校しない事により、活躍を期待されている筈のバレー部は試合にも敗退し、困惑してしまう。



○小泉風助(こいずみふうた)- 太賀img14.jpg
桐島のサブとして桐島の穴(ポジション的にはリベロ)を埋めようと奮闘するが力不足は否めず久保から叱責される。

<帰宅部(男子)>-------------------------------------

○菊池宏樹(きくち ひろき)- 東出昌大img08.jpg
桐島の親友。野球部休部中(幽霊部員状態)。男前で運動も勉強もできるものの目標を失っている。桐島と一緒の塾(秀栄進学院)に通っている。桐島の部活終了時間まで、帰宅部3人でバスケに興じている(時間つぶし)。沙奈と交際中であるが、キスシーンからは沙奈への熱量を感じない。公園で独り黙々と素振りをするキャプテンにしっぽを巻く。

「結局、出来る奴は何でもできるし、出来ない奴は何にも出来ないだけの話だろ」

○寺島竜汰(てらしまりゅうた) - 落合モトキimg07.jpg
パーマ野郎。周りに内緒でバドミントン部の東原かすみと交際を開始。




○友弘(ともひろ) - 浅香航大img06.jpg
屋上でフルートの練習をする沢島亜矢をみてセックスを語る。童貞でまだセックスに幻想を抱いている。

「部活オンリーの童貞と、セックスしまくりの帰宅部だったらどっちがいい?」
「なんで俺たちバスケやってんの?」

<帰宅部(女子)>-------------------------------------

○飯田梨紗(いいだりさ) - 山本美月img09.jpg
女子部ループのメンバー。登校してこなかった桐島の彼女。桐島と連絡が取れない状態になり、困惑する。

「別に、眼中に無かったんじゃない」


○野崎沙奈(のざきさな) - 松岡茉優img10.jpg
女子部ループのメンバー。菊池宏樹と交際中。ひたむきな努力をバカにするスレた性格。ラストの屋上シーンでかすみからビンタをくらう。沢島亜矢の菊池宏樹への恋心を察知し牽制する。

「いや、実果ってさぁ、2年になってクラス分かれてからちょっと変わったっていうかさぁ、そう思わない?」

<吹奏学部>-------------------------------------

○沢島亜矢(さわじま あや)- 大後寿々花img12.jpg
吹奏学部の部長。ク帰宅部の菊池宏樹に恋心をいだき、バスケットに興じる菊池宏樹をみることができる屋上でサックスの練習をするが、宏樹を交際中の沙奈にキスシーンを見せつけられる。クラスでは菊池宏樹の後ろの席に座っている。大人しい印象だが、部活では部員をまとめている。

「今日で最後だから、部長の私がふらふらしてちゃいけないの、ごめんなさい」

○詩織(しおり)- 藤井武美img11.jpg
先輩の沢島亜矢を慕っている。フルート担当。

「前から思ってたんですけど、演奏している部長みていたら、好きになる男子、いっぱいいすよ 寒くなってきたー、冬っすね」

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8、語り部

○町山智浩:批評家

宏樹は、スポーツやってても社会にでたら何にもならない・・に気付いちゃった。かすみちゃんは、あの男と絶対別れるから♪。「桐島」は能動的映画。空白を埋める映画。クラスヒラルキーだけで付き合ってるって嫌な感じ。この女4人は自分自身を生きてないじゃん。高校時代は山登りクラブにいたから体育会ヒエラルキーの中では最下層だった。好きな事をやってる前田くんは強者。梨紗はIT社長と結婚して子ども抱えて離婚するってパターンだよ。沙奈とキスする時の宏樹の投げやり感すごいよね。何にも疑問持ってない人達はずっとあのままだよね。特にオレバブル期だったから。オレの同期の連中は銀行、保険、広告代理店とか今頃あいつら会社つぶれてるよ。オレは勝ったよ。かすみはヤナ女でさ、前田君は騙されたんだよ。映画秘宝の読者はこういうダークな感じのある女優が好きなんだよ。欠けてるモノがある人は、それを作る必要があるんだよね。・・・埋めるわざがみつからないっていうか・・。今、働いてる人のどれだけの人が「楽しい」と思って生きてると思う?

○宇多丸(ライムスター)ラッパー

「おまたぁ」の彼が言う事は正しいですよね。スポーツやってても社会にでたら何にもならない。最後に宏樹が気づいたらまずい、奴はニーチェの超人になる。巣鴨中学校・高等学校、早稲田大学法学部卒業したオレ。中学入学当初はサッカー部に入部するも退部。それ以降は帰宅部だったが・・ドラフトまでは・・と野球やってるキャプテンは最強。竜汰が何かつくりますか?オレ、久保にムカついてるんですよー。中学の時大学生と付き合っているって言う女っていますよねー。沙奈と宏樹の気のない恋愛の痛ましさを描いてますよね。鉄男のドリルペニスは報われないリビドーを象徴。クライマックスのシーンでミサンガした竜汰の手が食いちぎられてアップになるシーンは泣ける。巣鴨プリズンを渡り歩くにはそういうところに神経使わないと生き残れなかったんですよぉ。自分がやってる事が、好きな事に一瞬繋がるような気がすること・・そこにかけているんですよねぇ。

○コンバットREC:映像コレクター

高校は共学。僕は「桐島」をみていて苦しくて苦しくて・・。全部が自分の弱いところを突きつけられている様になって・・。一学期が終わって二学期になって周りとの人間関係をながめて自分に「エリマキトカゲ感」をかんじた。それから何か違うと思いながら3年間過ごした。映画部をみて「こう生きるべきだった」と後悔して苦しかった。屋上シーンのカタルシスにはだいぶん救われた。全編どこを切っても地獄。吹奏楽部の部長が部活に戻ったのは勝利。オレにとってのロッキー。美大の映像専攻に行って、好きな映画が「ロッキー」と「ダーティーハリー」って言った時のバカにされようときたら無かったですよ。かすみちゃんを悪くいわないでぇ。オレが高校3年間どう生きりゃよかったのかなぁっと考えちゃったんですよ。オレ子どもの頃転校が多かったので、人間関係を過敏に意識する子どもになっちゃてて、藤子不二雄Aの「少年時代」って言う漫画を小学校5年生の時に読んだ時の事を思い出したりして、その高校版が出てきたなと思いました。オレ、また自分が日和るんじゃないかと思ったりするんですよ。オレ独りまたエリマキトカゲになっちゃうんじゃないかと・・・。町山さんはかすみちゃんみたいな子とスルーしてきて人生損しちゃったんじゃないですか?

○古川耕:放送作家

学校が嫌いだったのを思い出した。協調圧力とか。前田くんと吹奏楽部部長の彼女は、ちょっと学校の世界の外側にいて、時間スケールも他者とはちょっと違うのかなと思いました。文具視点でいくと、前田くんが絵コンテを書いている時の筆記用具は「プラチナ、プレスマン」というシャーペンを使用しているんじゃないか?父との連携?

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9、町山智浩さんの映画塾での語り

映画塾での町山智浩さんの語りが素晴らしい

予習編:https://www.youtube.com/watch?v=apVn7rLNakE
復習編:https://www.youtube.com/watch?v=2ltNFGvLN8Y

『桐島、部活やめるってよ』いかがでしたでしょうか?桐島、最後まで出て来ませんでした。

屋上から飛び降りる男子生徒が出てきますけども、一瞬。脚本には桐島とは書いてないんですね。桐島と分かる人は最後まで出て来ません。

これは先ほど言いましたですね、ナッシュビルというロバート・アルトマンが監督の映画も同じでしてね、ずっと大統領候補、共和党でも民主党でもない第3党から出てきた大統領候補がずっと街宣車で演説をし続けてですね、彼の応援演説会が行われるということで、そこでいろんな登場人物全員が、いろんなカントリー歌手 とかマネージャーとかが最後に集合するという話なんですけども、それも大統領候補が出てこないんでね、最後まで。
ただ出てこない大統領候補を中心に話が回っていくという映画がナッシュビルでした。ナッシュビルの大統領候補っていうのは何を象徴しているのかって言うとアメリカの理想とかですね、そういったものを象徴しているんですね。

街 宣車での演説っていうのは、アメリカの歴史とか理想についてですね、すごく社会学的にですね評論した内容になっているんですよ。ところがナッシュビルってい う物語自体に出てくるカントリー歌手とかマネージャーっていうのはそういったアメリカのことを政治的には何も考えていないと。

ただ実は、話の根底にあるのは、アメリカって言う国の歴史と政治と人々なんだよっていうのを大統領候補がいないということで逆に表現するというやり方がナッシュビルでした。はい。

『桐島、部活やめるってよ』も桐島がいないことで、逆にですね桐島とは何なのかと考えるという構造になっているんですね。で、この登場しない桐島っていう人は何なのかっていうことに関して、吉田監督はですね、インタビューで「天皇みたいな感じ」ってインタビューで言ってるんですけども、天皇陛下って言うものはですね、日本っていう国の象徴であって中心であるわけですね。
でも、 彼自身は何もしてはいけないんですね、憲法上はね、憲政上は。それに近いんですね。桐島っていう人は登場しないし、なにもしないんですけども、中心に存在するんですね。で、この場合何の象徴かというと、高校生活、高校生とか青春のみんなの理想とする生き方の象徴として登場するんですね。

つまりですね、桐島っていう、そのスポーツ万能でもって、みんなから好かれて、女の子からもモテて、かっこよくて、勉強もできてっていうですねスパーヒーローとしての高校生、高校生のあるべき姿っていうか、高校生が理想して夢見るものが桐島なわけで、まぁ象徴なんですね、高校とか青春の。それを中心にみんな生きているんですけども、高校生活を。

それが突然いなくなってしまうと。

で、これを吉田監督が言うように天皇に置き換えるとどうなるかって言う と、突然天皇が存在しなくなって、日本人がパニックに陥るというのに近いですね。それで、中心となるものがなくなったんで、高校生たちが皆、パニックに陥るという話が、今回の「桐島」なんですけども、ただ天皇というようなことを言っているようにですね、これは高校生活についてだけの話じゃないんですね。

で、原作の方は青春時代の高校生活そのものを非常にビビットに切り取ったものとして書かれてはいるんですけども、吉田監督はこれを高校生活を通してもっと大きなものを描こうとして、もっと普遍的なもの、サラリーマンであるとか、会社の営業マンで、すごくバリバリと頑張ってて、みんなその人を目標にしている人が、突然行方不明になってしまったと、会社を辞めてしまったと、 それでみんなが目標を失ったり基準となるものを失って、中心となるものを失って、考え方の基盤とか基軸になるものを失った時にどうなるのかという話として 読み替えることもできる、そういう風に作り変えることもできるのが、この映画なんですね。

こういった典型的な作品の例としては、刑務所を舞台にした 映画で「ショーシャンクの空に」というですね映画があったんですけども、じゃあ刑務所に入ってない人にとってはは何の関係もないのかっていうとそうじゃないと、あれは、刑務所って言うものを世の中とか、人生とか色んな物に置き換えて考えて見たほうがいいんですね。

つまり我々っていうのは刑務所にいるようなものじゃないかと、完全に自由じゃないと、やらなければならないこととかいろんなしがらみの中で生きているじゃないかと。

その中でどうやって自分って言うものを見出して行くのかと言う事なんだと。そういう風に読み替えてみるべきなんですね。

で、「ショーシャンクの空に」の中では主人公はですね、自分の独房の中に穴を掘ってそこから脱出するわけですけども、じゃあそれを実際の人生の中で一体どうやったらいいのかと、自分自身のその穴を掘るっていうことは普通の人、刑務所に入っていない人にとって一体何なのかを考えるように作られてるわけですね。

で、ある人にとってはすごく音楽をやること、サラリーマンをやりながら音楽をやることだったり、絵を描く事だったり色んな自己実現ですね、自分自身になる方法、自分に戻る方法とは何なのか?それと同じように考えてみるとですね、高校の生活の象徴であり、中心であり、その目標であった桐島がいなくなることでパニックに全員陥るんですけども、もっともパニックに陥るのは、宏樹くんという男の子なんですね。

彼 はすでに高校生活に意味を見いだせなくなってきていると。高校生活だけじゃなくって自分の人生にも意味がよく見えなくなって、なんのために生きるのかがよくわからなくなってるんですね。最初に進路の志望の書類を渡されるところから始まるように、彼自身が完全に人生の目的、意味を見失っているというところから始まっていきます。


野球とかできるんですけど、じゃあ上手く野球をやってたとしても、それが自分にとって一体、何なのか、よくわからなくなっている。で、彼女もいますけども、彼女との恋愛も別に楽しくないんですね。まあヤな女だからっていう問題もあり ますけども。あの、沙奈っていう女が、ほんとむかつく女なんですけども、あれは演技が上手いだけですけど。

他に友弘っていう童貞の男が出てきて「セックスできたらいいなー」とか言ってるんですね。
彼は童貞だから、セックスとか恋愛とかにすごく幻想を抱いてるんですけども、宏樹は「恋愛とかセックスとかやってみたけどもあんまり面白くなかったよ」って感じなんですね。
つまんなそーにキスするシーンがいいですね。ほんとになんだかつまんねーなって感じがよく現れているわけですけども。
友弘のいうセリフは、友弘って自分で変な感じがしますけど、すごく意味があってですね「あーセックスできたらいいな、それが出来たら最高だよ」っていうんですけども、つまり彼はそれが達成されていないから、まだ実現していないから、そこに人生の意味みたいなものを見出そうとしているんですね。それが最高の人生の意味なんだと。「恋愛とかセックスとかが1番意味があることなんだ」と言う風に思っているんですけども、

宏樹にしてみれば「もうそれ も意味が無いこと」に気づいてるんですよ。勉強についてもそうで、彼は勉強もできるらしいんですね、はっきりと出てこないですけど。原作にはもちろんはっき り書いてありますけども。勉強していい大学に行って、いい会社に入って、給料沢山もらって、お金をもらって、いい嫁さんもらったところで、一体それが何なのかと、 それ自体に意味がわからなくなってしまっているわけですよ。そんなことして一体なんの意味があるんだという感じになってきているのが宏樹くんで、この宏樹くんていうのは実は、先程も言いましたけども、「実存主義」って言葉をしらないで、実は「実存主義」の入り口に立ち、もう向かっている状態なんですね。

人間の生きる意味とは、世の中の意味とは一体何なのかと、どうももう意味は無いんじゃないかという状況に入ってきているという話なんですね、今回は。だからなんでもできる人だから俺達には関係ないってことではなくて、「実は全てのことに意味は無いんだよ」ということをはっきりとさせるために、宏樹を主人公にしているだけなんですね。

この話っていうのは、実は「実存主義」の教科書的な本がありましてですね、サルトルの「嘔吐「という小説があります。1938年に書かれたものですけども、それに宏樹くんは非常に似ているんですね。

「嘔吐」という小説はですね、1人の哲学者がある日突然吐き気を催すんですね。それはどうしてかって言うと、「自分が生きている意味」がわからなくなってしまうんですね。人間っていうのは特別な存在であると思っていたら、別に特別な存在ではなくて、そこにある石ころと同じで全く意味が無いんだということに気がついたんですね。
存在すること自体に意味が無いと気がついたんですね。で、気持ち悪くなっちゃったと、吐き気がしてきたという話が嘔吐という話です。

ではどうしてそういった話が書かれたかっていうと、人間は生まれてくるということに意味があると思っていたんですね、特にヨーロッパの人たち、キリスト教圏の人たち、アラブのイスラム教とかの人たちとか、イスラエルとかのユダヤ教の人たちはみな「神様に人間は作られた」と思っていましたから。

つまり、神様は人間を自分に似せて作ったという風に書いたんですね、聖書にね。
ってことは、「人間は神様が何かをするための目的によって作られたものである、意味のある存在だ」と思ってたわけですよ。例えば今、椅子に座っています。椅子って いうのは人が座るために作られているじゃないですか。それと同じように人間も、何か神様の目的のために作られているんだとずっと信じていたんですね、その何千年も。

ところがですね近代っていう時代に入ってですね、科学とか論理というものがあたり前になってきた時に、聖書とか宗教とかって言うものはどうも人間が作った話しらしい、つくり話らしいということがわかってきて、神様とはどうもいないらしいということになってきたんですね。

ましてや人間を作ったということはありえないと、進化論的にもね。そうなるとどうなるかというと、「じゃあ人間っていうのはそのへんの石ころとかと同じで、意味が無いんじゃないのと、たまたまいるだけなんじゃないの」ということになってくるわけですよ。

つまり、人間の意味って、本質とも言いますけど、人間には本質があるとずっと思ってきたんですね。それはギリシャ神話のギリシャ哲学の頃からずっと信じられてきたんですよ。キリスト教の前から人間には本質があると。
それを実現することが生きる意味なんだと、世の中の意味なんだと、世の中には本質があると、世の中には何か神様の目的があって世の中が作られてるんだ、世界が作られているんだと思っていたら、そうじゃないと、そんなものなにもないんだという事に事実に、近代っていうのは気がついてしまったんですね、人々は。

じゃあ俺たちどうやって生きたらいいか、世の中何の意味もないんだったらどうすりゃいいのか。これが「宏樹的状態」のわけです。「実存主義」っていうものの始まりなんですね。

それでですね、ずっと「ナッシュビル」とか、「桐島」とか、桐島を待っててこないとか、ナッシュビルで大統領候補を待っててこないっていう話は、『ゴドーを待ちながら』という戯曲があるんですね、お芝居がね。で、これはベケットという人が1950年代に書いたものですけども、これはゴドーっていう人を待っている二人の男が出てきてですね、ずーっと待っているんですよお芝居の中で、 で違う人が来たりするんですけど、結局その目的としているゴドーっていう人は来ないんですね。で、来ないまま終わっちゃうんですけども、そのお芝居は。
で、一体これは何を意味しているかというと、一般的な解釈としては、ゴドーは「ゴッド」なんだと言われているんですね。つまり人間っていうのは、みんな来もしない、来るわけもない「神」っていうのを待ち続けて生きていると、それ自体絶対に来ないかもしれない神様を待っているということが、人間が生きているっていう状況なんだということを言っているんですね。

じゃあどうするかって言うことは、まぁそこから自分で考えるわけですけども。それが「ゴドーを待ちながら」という戯曲で、桐島っていうのはそのゴドーにあたる、来るわけもない、絶対最後まで現れない、神みたいな世界の中心、世界の意味、世界に意味を与えているものなんだということなんです。

で、1番の問題はですね、人間は何故神っていうことを考えるようになったかというとですね、どうせ死んでしまうからですね。死んでしまって完全に無になってしまうんだと、何も残らないし、
何もその後に残らないんだと思ったら、人間っていうのは「なんのために生きているのか」わからなくなってしまうんですね。
死で全て終わってしまうんだったら、どうして生きていったらいいかわからない。目的がわからなくなるんですよ。そこで神とかそういったものを創造したわけですけども、人間は目的を与えるために。人生とか生き方とかこの世の意味に。

ところが、その部分が否定されてしまった場合にどうなるか。
これはね、実果ちゃんっていう女の子が、この『桐島』の中で言ってるんですけども、「どうせ私たちは負けてしまうのに、どうせ負けるってわかっているのに何で頑張っているのかしら。」っていうセリフが出てきますけども、あれはまさに人生そのものですね。どうせどんなに頑張ったって、どんなに金持ちになったって、どうせ死ぬんですよね。

で、「何もかも消えてなくなるんだったら、何のために生きてるんだろう」ってことにも聞こえてきてくるんですね。宏樹くんっていうのはそこまで、おそらくは考えてしまっているか、考えることを象徴しているんですね。

つまり「金持ちになって、大金持ちになって、すごく最高な暮らしをして、じゃあそれに何の意味があるのか、どうせ死んじゃうじゃないか」ってとこまで考えさせる映画なんですね。
この学校っていうのはヒエラルキーがあって、ピラミッド型のカースト制度があって、こう制度があるわけですね、一種のシステムが。社会と同じように、社会にも実際にシステムがあるわけですよ、貧しいとか、貧しくないとか、幸せとか、幸せじゃないっていう形で。

でもそれにどうして意味があるの?どうせ死んじゃうじゃん。
で、そのシステム自体も作り物じゃないか、それ自体にも意味が無いよと、いうところまで行ってしまいますよね。この「意味ないんじゃないか」っていう考え方っていうのは、「ニヒリズム」といいますよね。「なんにも意味ない」っていう考え方ですよね。

で、その中で全然気が付かないのは「パーマ」ですよね。この「パーマ」は全然気が付かないですよね。そのシステムの中でパッパラパーで生きているわけですよね。友弘っていうのも気がついていないわけですよね。友弘は馬鹿ですからね、童貞でね。

ところがその中でですね、宏樹は気付いてしまったと、そのシステムって言うものは虚構なんだと、フィクションなんだ、幻想なんだっていうことに気がついてしまったんですね。

すべての人が不安になる、土台となっている桐島がいなくなったことでね。ところがこの中で全くブレない人達がいるんですね。桐島がいなくなっても関係ないっていう人が3人出てきます。ここがポイントですね。「野球部のキャプテン」ですね、1人は。野球部のキャプテンはこう言いますよね。「何でいつまでも引退しないの」って聞かれて、「いや、ドラフトが来るまではね。ドラフトが来るまでは頑張るよ。」この時劇場の中では笑い声が起きたらしいんですけど、来るわけねえだろ、馬鹿じゃねのって。でもそこは笑うとこじゃないって監督が言ってますね。

つまりこのキャプテンっていうのは、来るわけもないドラフトっていうのを待ち続けて、それのために生きているんですね。これは「神を信じている人」ですね、いわばね。来るわけもない神様を信じている人ですね。彼は「信仰者」ですね、一種のね。キャプテンは信仰者を象徴してるんですよ。絶対に来ないものを、来るわけのないものを信じて、それで生きていける人ですね。キャプテンは信仰者です。

ぶれない人がキャプテンの他に2人いましてですね、1人が「吹奏楽部の亜矢ちゃん」ていう女の子ですね。で、もう1人は「映画部の前田くん」なわけですよ。
この二人何故ブレないか、これは非常にわかりやすいですね。

彼らはやりたいものが見つかっているからですよ。何をやりたいかがわかっているからですよ。宏樹はやりたいものを見失った人なんですよ。やりたいことが見つかっている人は別にブレないんですよね。社会のシステム、高校ではこの高校のカースト制度とかね、金儲けであるとか、出世であるとか、学歴であるとか、そういっ たものは関係ないんですね、好きなものが見つかっている人には、やるべきことがわかっている人には。別にそんなフィクションとか関係ないんですね、システムとか嘘っぱちなことは関係ないんですね。これものすごいわかりやすいですね。

で、この二人、亜矢ちゃんと前田くんはふたりとも失恋しますね。ところがその失恋した想いっていうものをそれぞれの打ち込んでいる芸術に「昇華」させていきますね。

亜矢ちゃんは「ローエングリン」っていう曲を吹奏楽部で吹くんですけども、あれは結婚式のテーマなんですね。そこも非常に象徴的ですけども。で、それが会心の出来で、失恋することによって彼女はですね、ひとつ悲しい気持ちとかそういったものをですね、「芸術に昇華」させたんですね。

前田くんも全く一緒で、かすみちゃんにフラれっていうか、まあフラれるってなにも前田くんも亜矢ちゃんも二人とも告白もしていないんですけども、勝手に失恋するんですが、その気持ちをですね前田くんは「ゾンビ映画」の中で、自己実現していくという形ですね。

で、かすみちゃんへの想いをかすみちゃんを食い殺すというシーンに昇華させるんですけども、これはその前に彼が観ていた映画で『鉄男』、塚本晋也監督の『鉄男』っていう映画の中で、ドリルを付けた男がですね女の子をそれで殺すっていうシーンが、最初に出てきますけども、それとつながってくるんですね。かすみちゃんを食い殺すっていうところは。

「コンプレックスとかそういったものを芸術になるということはこういうことなんだ」と非常にわかりやすく描かれてますよね。

そこでですね宏樹くん、生きる意味を見失ってしまった宏樹くんと、前田くんが屋上で出会うんですけども、宏樹がですね、「カメラを触らせてくれないか」と言うんですね。で、どうしてかっていうと、つまり俺は生きる意味が全然わからなくって辛いのに、なんでこの前田っていう男はカメラを持ってこんなに楽しそうにしてるんだろうなと、このカメラに特別な力があるんじゃないかっていう感じで、不思議そうにカメラを触るんですね。あれが面白いんですね。ここに魔法があるんじゃないかと思うんですね、宏樹くんは生きる意味の。

で、そこでそのカメラでもって、持ってですね前田くんにインタビューをするんですね。あのインタビューは実はふざけているようで、本当のことを聞いていますね。つまり「何で映画とってるの?」「映画監督になりたいの?」「女優と結婚したいの?」「アカデミー賞が欲しいの?」って聞きますよね。あれは何を聞いてるのかというと、結果はどうなの? と、君たちが求めている結果は?目的は?目標は?意味は?って聞いてるんですね、前田くんに。

そしたら前田くんは照れながらですね「いやー、映画撮っていると、好きな映画とつながっているような気がして」としか答えないんですね。あれは、意味とか、結果とか、目標とか考えたことなくて、俺好きでやってるんだけど。って言ってるんですね。

その後ですね、前田くんの持ったカメラのフレームの中でですね、宏樹くんがものすごく悲しそうな顔をするんですね、夕日に照らされた宏樹くんの顔が悲しそうになるんですね。このシーンについてですね吉田監督ははっきりとこう言ってます、「あれは大逆転の瞬間」だと。あれは「大逆転」なんだと。どういうことかって言うと、宏樹くんは全てにおいて完璧で勝利者だったんですね。なんでも出来た。ただたった一つ持っていなかった。それは「意味」だったんですね、目的だったんですね。 で、それで前田くんはですね、意味とか関係ないし、やりたいことがあるからやってるんだしと答えるところで、前田は勝ったんですね。
全てを持っている宏樹に前田は勝ったんですよ。勝った瞬間ですね、あれね。好きなことやってるやつは勝ちなんですよ。それで上手くいかなくたって別にいいんだもん、好きなことやってるんだから。それで上手くいかなきゃ、なんか結果がなきゃ、なんか意味がなきゃと思っているから、勝ち負けって言うことがそこに出てくるんですね。

でももう好きなことやってるんだから、その段階で勝ってるわけですよ、前田は。だから宏樹くんは泣きそうになるんですよ。「かっこいいね」って言われて、あの時宏樹くんがはっきりと言葉で返すんだったら、「俺なんかかっこよくないよ。ほんとにかっこいいのは前田、お前だよ」っていうことでしょうね。「だって、お前やりたいこと好きにやってんじゃん、お前の勝ちだよ!」ってことだと思いますよ。

お前のほうがかっこいいよ!と、で、その後宏樹くんは学校を出てですね、まだしつこく桐島に電話をしようとしますね、携帯で。桐島から電話がかかってくるんですね。あれは神からのお呼びみたいなシーンですけども。その電話を取らないで、話さないでですね、携帯の蓋を閉じるんですね。なぜかって言うと、彼の目には一生懸命野球をやっている仲間が見えるんですね。桐島っていうのは意味の誘惑ですよ。

桐島っていうのは、どうやって生きていくの?意味あんの?目標は?みたいなね中心にあるもの、基軸みたいなもの、そういったものですよね。それに蓋を閉じちゃったんですね、最後宏樹くんは。

あのあと、本当に野球をやるのかどうかはわからないまま映画は終わってますけども、そっから先はみんながそれぞれ考えるということですね。

さっき、好きな事をやってればいいと言う話をしたんですけど、先ほど言ったサルトルの「嘔吐」のラストはですね。実はすごく人間には意味はないんだと言って悩んで、悩んで、悩んで、もうどこに行っていいのかわからなくなった主人公が最後に見い出すのはモノを書く事なんですよ。

モノを書いてみんなに読ませると、モノを書いて読ませたいと思うんですね。その時初めて、あぁ良かったオレは生きていこうって主人公は思うんですね。これまったく、その「桐島」に出てくるあの、吹奏楽部の亜矢ちゃんと映画部の前田くんと同じ結論ですね。

意味とかいいよ、取り敢えずオレはやるべき事とやると、何か形にしてみんなに伝えると。自分というものを残すと。つまりこれは何かと言うと、自己実現すると言う事ですね。自分の中にある自分自身を実現する、自分自身になるという事ですね。芸術と言うのは自己実現っていうのはそういう意味だったですね。

「ショーシャンクの空に」で、その主人公がその自分の独房に穴をほって向こう側に突き抜けるっていうのもそういう話なんですね。つまり自分自身の中にある、自分自身の一番深いところ、自分自身の本当のやりたい本質っていうのはない、だから一番好きな事をやればいい、逆に言うとですね。すれば、この牢獄のような人生から突き抜けて向こう側に行けるんじゃないかと、向こう側っていうと自分自身に辿り着くって事ですね。

実はすべての物語っていうのは、自分自身に辿り着くまでの話なんですね。哲学にしても小説にしても、全ての物語は自分自身にかえっていく、自分自身が見えなくなっちゃった、自分自身がわからない、自分自身にかえれ、と話ですね。それをさがすんだという話になっていくと。

で、この「桐島」っていうのは青春の物語にして、それを非常にリアルに作り物っぽくなくですね非常に残酷なまでにリアルに描きながら徹底的にリアルに描くと現実ですから普遍的な学校生活を超えた人生みたいな物に突き抜けていくんだという事がよくわかるかとと思います。はい。

で、ラストシーンのですね、野球に行くかどうかと言う部分に関してもナレーションを入れてませんね、これ、ちゃちな映画だと宏樹くんの気持ちを入れちゃわけですよ。ここに。絶対ナレーション入れたでしょ。「オレには前田みたいに打ち込める物があるんだろうか?」とか「オレにとっては野球なんだろうか」とかね。そういう事を入れたかもしれないですね。「桐島はオレにとって何だったんだろうか」とかナレーションを入れたかもしれませんね。それやってませんね。これはすごいと思いますよ。で、この原作小説は逆に登場人物達の独白・・心の声だけで出来ているんです。ね、それを今回映画化した時に心の声は一切きかせないと、これ原作と逆の事をやっているんです。これは本当にすごい事をしていると思いますね。

でですねぇ、この映画が哀しいシーンがあったんですよ。哀しいのは普通の人達は前田くんが教室に戻ったら、あのぉかすみちゃんが、あのぉパーマ野郎となんかイチャイチャしているところを見てしまうと言うところが一番哀しいシーンって言う人が一番多いと思いますけど、僕が悲しかったのはですね。ゾンビ映画を前田くんが撮っている時にですねぇ、吹奏楽部の女の子の亜矢ちゃんがですねぇ「それ遊びですか?」って言うんですねぇ。「いやそうじゃないんだけど」って前田くんは言うんですけど、どう聞いても遊びにしかきこえないよと・・これはですね僕も人生の中で何度も言われました。はい、本当にねぇ、こうやって僕はゾンビ映画の話をしたり、ゾンビ映画を観たりそういう雑誌を作ったりする中でですねぇ、もう色々な人にですねぇ「楽しそうにやってていいねぇ」「あそんでんの?」色んな人って言うかカミさんとか娘とかですねぇ妹とか色んな人達に怪獣とかねぇブルース・リーとか楽しそうでいいね。遊んでんの?いいねって言われました。あの同級生とかね。遊んでんの?遊んでんじゃないんだけど、仕事とも言い切れないし非常に難しいとこがあるわけですけれども、あそこで前田くんがはっきり反論できないところが、まるで自分をみるよぷでしたけれども・・でもね、遊びと仕事が一緒になっているんだから一番いいじゃねぇーかって気もしますよ。これは最高なんじゃないかって、これ勝ってねぇーかって気が非常にするわけで。前田勝ち。映画秘宝勝ちって気が非常にして。ただ映画秘宝をはたき落とした奴が友弘ってヤツなんですねぇ。友弘ってどうしようもないですね、童貞で映画秘宝たたきおとして。友弘いい加減にしなさい。ってことで「桐島、部活やめるってよ」でした。また、映画塾でお会いしましょう。

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10、精神分析的語り

人は心の病にかかり、カウンセリングやセラピーを受けて初めて、自分の心と客観的に対峙する。

今まで良かれと思って、親や先生や親戚や世間が良いとする生き方、是とする生活を心がけて生活してきたのに、精神的に破綻をきたし初めて今までの生活・人生を省みる。

何故、何のために?・・と。

「桐島、部活やめるってよ」は、高校生活を舞台として、この「何のために?」に対峙した菊池宏樹くんと級友達を通して「テーマ」を彫りさげる。町山さんの言葉を借りれば「実存主義」「神不在」(実存主義的無神論の創始者はニーチェ「神は死んだ」~サルトル)に目覚めた人達はどう生きたらよいか?結局人はいつか死んじゃうのに、神なんかいないのに、人が生きている意味はなに?・・「実存は本質に先立つ(意味よりもまず存在している事が大事なんだ)」と。

野坂昭如さんのお酒のCMのコピーCM

ソ、ソ、ソクラテスかプラトンかニ、ニ、ニーチェかサルトルかみーんな悩んで大きくなった.(大きいわ 大物よ)俺もお前も大物だ!(そおよ大物よー)

哲学の世界では「ニーチェ」も「サルトル」も過去(歴史上)の人である。

精神分析の世界ではID(identification)自己同一性(エリク・エリクソン)・・青年期の発達課題としてとらえる。

自己同一性

エリクソンによる正確な定義は様々に存在しているが、アイデンティティ獲得の正反対の状態として、役割拡散や排除性が挙げられている。アイデンティティが正常に発達した場合に獲得される人間の根本的な性質としてエリクソンは「忠誠性」を挙げている。この忠誠性は様々な社会的価値やイデオロギーに自分の能力を捧げたりする事の出来る性質である。これが正常に獲得されないと、自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごしたり、逆に熱狂的なイデオロギーに傾いてしまうと考えられている。

「桐島・・」の劇中では、野球部のキャプテンはドラフトまでは野球に、映画部の前田君は顧問の先生のシナリオではなく自らのオリジナルシナリオ:宇宙ゾンビが登場する作品「生徒会・オブ・ザ・デッド」に、吹奏楽部の沢島亜矢部長は予選会にむけての練習に忠誠性を持っていると言っていいだろう(因みに国語辞典で忠誠の意味を調べると「まごころをもって尽くすこと」とある)。

アイデンティティを獲得する方法には内的作用と外的作用の2つがあります。

内的作用は主観的な体験で、幼児期から現在まで時間的に連続性や一貫性の感じられる存在。それこそ生まれてからの話で、母との関わりでどういった自我を形成してきたか?基本的信頼(ベーシックトラスト)を形成してきたか?等が挙げられます。父から父性:社会的規範を学んだか?など。

外的作用は他者や社会的集団の中で自己が位置づけられるか?これは学校生活や、社会活動をしていく中で自分の立場を獲得していくと言う事。

精神分析的視点で「桐島・・」を鑑賞すると、映画に登場するキャラ一人一人を「この人はどの様な両親のもとに生まれ、どの様な養育史を抱いているのか?」と想像してしまうのですが、劇中では登場人物達の親ネットワークについて語られる事は殆ど無く、前田くん愛用の8ミリカメラは父親から譲り受けたという件くらいでしょうか?

生き方論を戦わせる時に「自己実現」という言葉は便利な言葉なのだが、全ての人が「自己実現すればいいんだね」とすんなり納得できる程、人の心・精神は簡単な構造ではない。

自己・・自我そのものが非常に脆弱であったり、そもそも自分の心の構造の自我の核に自分と言う主体がいなかったり、人の心・精神構造は非常に厄介なものである。

「桐島・・」の中でも高校生活でのスクールカーストの中での面倒な協調圧力や、コミュニティと関わる事の難しさや煩わしさが描かれるが、そう言った問題は学生生活でも、社会人生活でも、結婚生活でも親子関係でも、延々と続くのである。

日々の生活に「哲学的な意味」を求めなくても、ある日突然、危機的な喪失感に苛まれ、呆然と立ちすくむ瞬間は、長い人生に何度でも訪れるのだ。

その度に人は「ID」を問い「意味」を生きるのだ。

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11、おわりに

今月の月刊 精神分析はいかがでしたでしょうか?

皆さんが忘れかけてたであろう「桐島、部活やめるってよ」を取り上げて、人の心の危なさをやんわり眺めてみました。

「桐島、部活やめるってよ」の中で一番嫌われ役の野崎沙奈(のざきさな)を演じている松岡茉優さんが、ただいま上映中の「ちはやふる-下の句-」で、主役:広瀬すずの敵役を演じています。いけずな京女役らしいですが、宇多丸さんは大絶賛。近日私も鑑賞する予定で楽しみしています。

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でお待ちしています。

2016年平成28年06月30日

月刊 精神分析 編集部A

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12、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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