小林和彦 統合失調症 タイトル画像

1、はじめに

img02.jpgこんにちは、月刊精神分析編集部Aです。

今号は「統合失調症」がテーマです。

精神病・・・

以前「ブラックジャックによろしく」をテーマに統合失調症を語った事がある。
http://agency-inc.com/blackjack/

今回、統合失調症を患った本人が自分自身の闘病記を綴った本を入手した。

「ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 小林和彦」である。

統合失調症は2002年以前は精神分裂病と呼ばれており、常人では理解しづらい文脈の文章や単語の羅列を並べるといった事が特徴の精神病であって、統合失調症を患った人が闘病記を執筆するなんてありえない筈で、小林和彦さんの執筆した本は稀有な存在なのである。

衝撃的な内容であるので、今号の月刊 精神分析でとりあげる事にした。

自分で本サイトを読み返して気分が悪くなるのでテーマとして取り上げた事をちょっと後悔しました。決して楽しい気持ちにならないし、発病した当人はもとより、周りの人々の気持ちを考え想像するだけでブルーになります。以下、気分が停滞気味の方は読まない方がいいかもしれません。

平成27年05月31日

月刊 精神分析編集部A

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2、小林和彦さんとは

小林さんは1962年昭和37年02月27日生まれで、現在53歳。ほぼ私と同世代、私が昭和38年の早生まれなので、ちょうど一個上の先輩にあたる。

よって、小林さんと私は、生きてきた時代背景がほぼ一緒なので文中に登場する政治経済や世間を騒がせた事件を同じタイミングで体験してきた事になる。

私自身「ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記」を読みすすめていくと自分の生きてきた時代を回想する事となったのである。

小林和彦さんを紹介する。

小林和彦(こばやしこずひこ)

1962(昭和37)年02月27日、横浜鶴見区生れ。
父は有名企業の会社員。
横浜市立豊岡小学校に入学。
横浜市立鴨居小学校に転校。
1974年、横浜市立城郷中学校入学。
中学校2年の時、米国ミネソタ州へホームステイ。
1977年、横浜県立横浜翠嵐高校へ入学。「天文同好会」に参加。
1980年、早稲田大学商学部に入学。「早稲田大学アニメーション同好会」に参加。
1982年、早稲田大学アニメーション同好会会長に就任。

1984年、大学卒業後にアニメーション制作会社「亜細亜堂」に入社(契約)し、アニメーター、演出家として「タッチ」「ドラえもん」「日本昔ばなし」などの作品に携わる。
ノルマとして月700枚の動画作成。「カッくんカフェ」「魔法の天使クリィーミーマミ」「うる星やつら」など。
1984年07月18日正社員(演出家)となる。
「魔法の妖精ペルシャ」
仕事上で壁スランプにぶち当たる。
「ドラえもん」「ロボタン」「クリィーミーマミ・カーテンコール」「日本昔はなし」「魔法のスターマジカルエミ」

1985年12月13日母死亡(享年50歳)1983年08月に癌を摘出。
生まれて初めて父の涙を見る。自身は嗚咽が止まらなかった。

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 P.51

僕はそれまで「現実」というものを疑ったことは一度もなかった。母のいない世界というのは受け入れ難いものだったが、それでもそんな厳しい現実を僕を受け入れた。しかし、年が明け、執拗に襲ってくる厳しい現実に打ちのめされ、「現実」に対する僕の見方は少しずつ変わっていったのである。

1986年04月、思いを寄せるKさん(会社の同僚)にふられる。
この頃から誇大妄想癖が現れる。
1996年07月19日、おニャン子クラブコンサート(横浜スタジアム)
1996年07月20日、おニャン子アニメの企画書を書き始める。かつてない精神昂揚状態を経験。
1986年07月25日、発症。
人は幻覚だ妄想だというが、僕にとっては「誕生の瞬間の恐怖」をもう一度味わった。
ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 P.104-149
1986年07月26日、妹と共に北海道へ父と合流。
1986年07月27日、「幻覚妄想状態」に陥り、父が呼んだパトカーで市立釧路総合病院(当時、父が釧路に赴任)の精神神経科に即入院、以降四ヶ月入院生活を送る。主治医は森田医師。
1986年11月20日、退院。
北里大学病院
1986年12月20日、「亜細亜堂」職場に復帰。
「いやいやえん」
1987年03月中旬、ひどい欝状態を経験。フーテン生活を五ヶ月送る。
1987年07月08月、同人誌作りに没頭。
1987年09月、再度、「亜細亜堂」に復帰。
きまぐれオレンジ☆ロード
燃える!お兄さん
1988年、自信喪失。
1988年04月20日、「亜細亜堂」正式退社。
1988年05月17日、浦和から柏崎へ。
1988年05月、美夜ちゃん結婚。
1988年08月01日、父と居酒屋を開店。
1988年11月23日、亜細亜堂の望月氏とGさん(後藤真砂子)の結婚式へ。
1988年12月、父と口論の後、家出。車で北海道、釧路へ。森田先生と再会。
先生は「仕事ができるなら妄想しても構わないよ」と言った。
1989年10月04日、父の母死亡(享年90歳)
1989年10月17日、刈羽郡総合病院の精神神経科へ再入院
1989年12月04日、退院
1991年04月06日、再度東京へ。稲城代病院へ入院
1991年08月、退院、柏崎厚生病院へ入院
1991年10月、退院。
1992年、病名が「統合失調症」となる。
2002年父死亡(享年68歳)。
2006年05月、「東郷室長賞-好きぞ触れニヤ-」自費出版(文芸社)。
編集部*東郷室長賞(とうごうしつちょうしょう=統合失調症)
2011年11月01日、新潮文庫より出版。
以後も、発症のために数回の入退院を繰り返す。
現在、新潟県柏崎市内のグループホームで暮らしながら、精神科のデイケアを受ける日々。

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3、身近にいるいる統合失調症?

米国における一年間の発症者数は10万人当たり1000人とされる。・・1%。つまり、100人の人がいれば、1年にひとり統合失調症と言われる人が現れる計算になる。これって長いスパンで考えると10年では100人から10人の発症者が出る計算になるわけで、「あぁ君も発症したの」って感じの数字である事がわかる。

私はある時期、夜勤を終え、早朝、JR博多駅(新幹線の停車駅)からひと駅の24時間営業のスーパーで食材を買うのが日課となっていた。

そのスーパーの周辺には「ん?」と思わせる人々がいた。

駅前のローターリー前の決まった場所(定位置)で何かブツブツ言いながらポーズをとっているおじさんがいた。更に店内に入ると、まるで喜劇男優の様な身のこなしでレジの商品台に腰掛けレジ打ちの店員さんに大声で話しかけている人がいる。私が「あんた何してんの?」と視線を送ると、さっと身を翻して逃げた。レジの店員さんは「あの人ちょっとおかしいので気にしないで下さい」と言い放った。更に更に・・たまに駅前で大声(他者・社会への不平不満?)を出しながら歩いている変なおじさんがいる。

この文章を読んでいる貴方の周辺にもたまに「ん?」と思わせる人々がいる筈。

これが、他人に危害を加えたり、器物を破損する様な事をやらかすと警察に通報され保護される対象になるわけで、ギリギリ社会適合している境界で生きている人達と言えるだろう。

・・・境界性(ボーダーライン)人格障害

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4、私の中の心の病

熱心な新興宗教の信者であった祖母や両親に囲まれて育った私は、何かと世間一般とちょっとずれた生活を送っていた。小学生の私には学校の先生以外に、会ったこともない宗教指導者の「先生」がいた(存在した)し、世の法律で縛られる以外に「宗教上の戒律」が課せられた。まぁ大昔で、一般庶民が農耕と家族の団欒と村の鎮守の神様だけの世界観の中で成長できたのなら問題無かったのだろうが、私の子ども時代は、日本の高度成長期からバブル経済への移行期で、元祖現代っ子の私はテレビやラジオが垂れ流すエンターテインメントから新世間という情報から多様な価値観を吸収し成長したのである。

宗教絶対主義の祖母を頂点とするヒラルキーの中で育った私と、多様な価値観が発生する成長期の日本社会で成長する私と・・常に私はダブルスタンダードの中でバランスをとりながら微妙な精神的バランスをとりながら生活してきた。

結果、私はどうなったかと言うと、本当の私の構築が不完全になってしまった。私の主体の存在が希薄になった為、長年、心の奥底深くに沈めてきた複雑な感情が時として私の意にお構いなしに表象化し私を苦しめる事になったのだ。

狭いビジネスホテルんの一室で、ギュウギュウ詰めの深夜高速バスの車内で、何かの拍子に急に胸の奥底不覚から不安感が込み上げてくる。呼吸が荒くなり冷や汗が吹き出す。体に変調が現れたのを周囲に察知されては困ると思うとより一層不安感が込み上げてくる。服を脱ぎ捨て素っ裸になり絶叫したい衝動にかられる。

軽いパニック症候群と診断される私の中の心の病である。

精神分析を学ぶ過程で、自分の無意識(コンプレックス:複合観念体)を意識化する事によって、私の心の病が表象化する事は少なくなっていった。

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5、発狂した小林和彦さん

「ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 小林和彦」を読み返しながらこの文章を書いている。精神分析的には養育史や母子関係に重きをおいて心の成長過程をみていくのだが、小林和彦さんの記述をみるかぎり、何の問題もなく子ども時代を過ごしたかの様に読める。結果、進学校から早稲田大学入学。アニメサークルに入り、アニメ作成会社に就職。有名大学から当時、サブカル文化が勃興していた時期であり、末は手塚か宮崎かと羨ましい経歴である。

1996年07月25日、発狂のシーンを引用する。

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 P.116

胸がどきどきして、とてもカバンを持って歩く体力はにことを悟り、カバンの中身を時刻表の上にぶちまけた。現金や通帳や、大事なものはたくさんあったが、僕はそういったものには目もくれず、プラパズルと美夜ちゃんファンクラブの会員証の入った名刺入れの二つをデニーズの巾着袋に入れ、立ち上がった。立ち上がると、世界が変わってしまった。空はオレンジ色になり、建物や地面はあやふやで、手や足がそれらを通り抜けてしまうのではと感じ、すべてのものが自分への脅威となった。

文庫本の解説を岩波明という精神科医が寄稿されている。岩波先生によると、小林和彦さんの病名は「統合失調感情障害」があてはまるという。

私は精神科医でもないし、直接小林和彦さんと対話したわけでもないので、あくまで推測の域を脱するものではないが以下に論じる。

精神疾患に関してよく言われる事なのであるが、生真面目な人ほど危ないと言われる件である。「あぁアンタは長生きするよ」と言われるシチエーションは、鈍感な感受性が薄い人に対して投げられる言動である。

小林和彦さんの文章は「よくこんな細かい事まで覚えているな」と感じさせるもので、細かく繊細。小林さんは真面目なのである。

そこへ、母の死亡、失恋、仕事上のストレスが重なれば、普通の人間でも心が壊れていく。

生卵を想像していただきたい。ヨネックス「パワークッション」の上に落としても割れない丈夫な生卵だが、さすがに側面からの衝撃が波状的に加わると割れてしまう。じわりじわりと白身と黄身が流れだす。

現実界と想像界の境界が曖昧になってくる。自分の周囲の事物全てがメッセージを発している様に思い、自分にとっての意味つける。そう妄想である。常人が聞けば、そんな事になる筈がないと思える事を、真顔で語る。

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6、心の病との付き合い方

一旦、精神病を発症するとなかなか完治が難しいといわれる。小林和彦さんの場合も入退院を繰り返し、通院しながら、薬を飲みながら、グループホームで生活していると言う。
現在の小林和彦さんの収入は障害者年金(2級)のみ。

発症して30年弱生き続けた小林和彦さんは本の中で以下の様に述べている。

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 P.351

精神病はできれば治したい。しかし治せないとしたら、それでもどう生きていくべきかは真剣に考えなければならないだろう。「自分を大事にして生きる」ことも「全体を意識しながら生きる」こともどちらも大事だ、両者のバランスをとることは、何も統合失調症患者に限った話ではなく、自分の普遍的な生き方だと思う。僕が気をつけなければならないのは、関係妄想を引き起こして、自分と社会との垣根を曖昧にしてしまうことだ。言い換えると、僕が直面している社会、世界というものが、リアルなものなのかアイディアルなものなのか、を見極めなければならない、ということだ。「現実と妄想の相克」こそが、僕が一番乗り越えるべきテーマなのかもしれない。・・・でも、本当に越えてはいけない一線を越えて、何とか人格までは破壊されずに生還できた人間として、その先に見えた世界を克明に書き記すことは、僕の責務であるような気がする。精神科医や専門家でも、病気のリアルな体験はしていないだろうし、一般の人達にとっても参考になるはずだ。

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7、精神障害者の使命

小林和彦さんは文中で「精神障害者の使命」として3点を上げておられる。

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 P.355

1、自殺しないこと。2、他者を傷つけないこと。3、どうしてもダメだといきづまったらすみやかに精神科に入院すること。

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8、小林さん自身が考察する精神病とは?

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 P.210

薬は脳の機能を正常にするためのものである。ということは、精神医学では、少なくとも僕のように化学療法のみを施される患者にとっては、精神病は脳の病ととらえているのだろうか。僕の幻覚や幻聴や妄想が現実ではないのなら、脳が誤った情報を受け取っていたと判断してもいい。しかし、それら現実でないという証拠を、僕はまだ見つけられていない。脳が誤動作したのなら、誤ったのは脳ではなく、脳というコンピューターに「心」が施したプログラムの仕方ではないのか。僕は体制や教育が施す今のシステムにそぐわない独自のプログラムを脳に施してしまったのだ。それは従来の共同幻想たる現実とちょっとばかり差異がある。僕の幻覚、妄想と彼らが判断する、僕だけの現実だ。もし、今後、僕の心が、僕の脳に、人とは違うプログラムを施してしまったら、それを矯正するのではなく、うまく人と折り合いをつけて、入院せずに暮らしていきたい。暴力をふるったり、人に迷惑をかけたりさえしなければできるはずだ。それができれば狂人にはならず、成功者になれるかもしれない。しかし実際には、心悸亢進、不安の発作等の、生命を脅かす激しい「壊廃(かいはい)」を味わうことになるので、薬か入院に頼らざるを得ないだろう。壊廃=発狂に陥るらずに、脳のプログラムの変換をすることは不可能なのだろうか。これが今後の僕の人生の最大課題だ。

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9、精神障害者として生きていく

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記 P.213

「アポイトメントはとってないが、森田先生に会わせてください。新潟から会いに来たんです」と看護婦に告げ、病棟で患者達と一緒に「笑っていいとも!」見ながら待つこと十数分、昼休み中の森田先生が会ってくれた。僕はアニメを辞めて板前をやっていること、何をするにしても自分はアウトサイダーであり、これからもそうであり続けるだろう、等と話した。「幻覚、幻聴はないが、妄想をしてしまうのは僕の性格であり、これは一生治らないんじゃないかと思っている」と言うと、先生は少し考えてから「仕事ができるなら妄想しても構わないよ」と言った。そう言われたときはさほどでもなかったが、後になって、この言葉が重大な意味を持っていることに気づいた。

小林さんの結論は「要は妄想しても仕事ができれば・・社会適合できるんでしょ」と言う事だ。

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10、精神分析的統合失調症の考察

精神分析に関わっていると、頻繁に「意味」を問われる。人は意味を生きていると説かれる。動物は本能を生きている。本能が壊れた人は文化(言葉)を生み出し、意味を持った言葉を生きていると・・・。

小林さん自身も著書の中で綴っているが「僕の心が、僕の脳に、人とは違うプログラムを施してしまったら」と小林さんなりに精神病を意味付けしている。

私も初めて「精神分析」と言う世界を知った時に「無意識」と言うものに向き合った。人が意識できない無意識(コンプレックス:複合観念体)を心の奥底深くに眠らせているのだと・・。それって、コンピューターのプログラムと一緒では?と思った。

小林さんは「脳のプログラムの変換をすることは不可能なのだろうか」と問う。

精神分析の世界では、対話によって無意識を書き換える事が可能である(対話療法)と解く。

実際に、幼少時の虐待の心の傷(トラウマ)によってコンプレックスを抱えた人達が、対話療法によって、症状を解消、軽減している症例は沢山ある。

果たして小林さんの精神統合失調症を治療する事は可能なのだろうか?

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11、おわりに

今月の月刊精神分析はいかがでしたでしょうか?

以前、月刊 精神分析で取り上げた「ブラックジャックによろしく」と言う漫画は、あくまで、漫画家である佐藤 秀峰(さとう しゅうほう)さんが構成し、作り上げた漫画作品であるが、今回取り上げた小林和彦さんの闘病記は自身が体験した闘病記を文章化したものである。

http://agency-inc.com/blackjack/

私自身が、小林さんの文章を読んで、同じ時代を生きてきた人間として、あぁそうそう1989年当時はそんな事があったなぁと懐かしく感じながら読んだりもした。

さすがに、発病に至る前後の記述は「ん?なんでそう言う意味付けをするのか?」と不可解な記述も多いのだが、要は、小林さんが常人と違うセンサー(脳の中のプログラム)を備えるに至ったのだと理解するしかないのだが、もっと踏み込むと、なぜ?小林さんが脳にそのようなプログラムをしてしまったのか?その理由:意味が病気の原因だと理解できる。

小林さんは享年50歳で(1985年12月13日、死因は癌)実母を亡くされたとの事。できれば、母子関係や幼少期の養育環境を知りたいのだが、そうもいかない。

ご意見ご感想は
lacan.fukuoka@gmail.com
までお願いします。

2015年平成27年05月31日

月刊精神分析 編集部A

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12、付録 亜細亜堂の不祥事

小林和彦さんは、早稲田大学アニメーション同好会の先輩である望月智充(もちづき ともみ)さんを追って亜細亜堂(アニメーション作成会社)に入社する。望月氏は2009年に同社を退社。小林和彦さんの「ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記」は、亜細亜堂に入社した後に疾病するので、著書の中の舞台は早稲田大学か亜細亜堂か病院となっている。本サイトを作成するにあたって亜細亜堂に関しても情報収集をしたのだが、望月氏が退社した後に脱税事件を起こしていた。

本来、夢を売る仕事として、アニメーターや声優は若者の憧れの職業として取り上げられる事が多いのだが、実際の彼らの労働環境は劣悪である事が語られる。所謂、会社はブラック企業。

亜細亜堂の不祥事

2010年(平成22年)5月13日、法人税法違反(脱税)の罪で、亜細亜堂関連会社「ダップインターナショナル」と、同社の小林治が在宅起訴された。起訴状では外注費を水増し計上など虚偽の申告をして法人税約4800万円を脱税したとされる。2010年(平成22年)8月にさいたま地方裁判所にて、ダップ社に罰金1,500万、代表取締役小林治に懲役1年執行猶予3年の判決が下り、その後確定した。ダップ社は2010年(平成22年)8月31日の株主総会で会社清算を決定し、清算人に小林治と亜細亜堂代表取締役の岡村雅裕が就任した。

小林治氏は1945年生まれなので、今年70歳。夢を持って業界に視線を送っている若者が劣悪な環境で働かされているなか、70歳の経営者はダミー会社を使って脱税である。疾病するほど頑張って仕事をしていた小林和彦さんは古巣の不祥事をどう考えているのだろうか?

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13、付録 毎日新聞の紹介記事

ひと:小林和彦さん 闘病記を出版した統合失調症患者
2012(平成24)年01月23日(月)
毎日新聞

「政府が自分を監視し、命を狙っている。」

荒唐無稽(むけい)な幻覚だが、本人には真剣に命の危険を感じる恐怖だった。

24歳のときに発症した統合失調症の闘病記『ボクには世界がこう見えていた』
を新潮文庫から出版した。

四半世紀に及ぶ経過を患者本人がつづる貴重な記録でもある。

発症当時はアニメ制作会社員だった。アイドルグループ「おニャン子クラブ」のアニメ企画を思いつき、それが世界を変えられると妄想し始めた。

とっぴな発想や被害妄想にめまぐるしく襲われる様子が、淡々とつづられている。

1988年ごろから書きためていた日記を基に、2006年に病名をもじった『東郷室長賞』を自費出版した。

周囲は患者の行動を理解できず怖いと感じるかもしれないが、「本人はつらくて、しんどい思いをしていることを 知ってほしい。」との思いからだ。

読んだ友人でアニメ監督の望月智充さん(53)が「出版する価値があるか検討してほしい。」と新潮社に郵送。描写に説得力があり多くの人が読む価値ありと評価された。専門家にも「精神医学的にも貴重な記録」と認められた。

現在は新潟県柏崎市のグループホームで、同じような病を持つ10人と助け合い、慰め合いながら暮らす。

精神障害に苦しむ人には、治療を受け、薬を服用すれば病気は改善することを伝えたいという。

そしてもう1つ訴えたい。「病気を苦にした自殺だけはとどまってほしい。」

【小林多美子】

【略歴】小林和彦(こばやし・かずひこ)さん 
横浜市出身。早稲田大卒。1986年から入退院を繰り返す。
グループホーム近くの海辺での散歩や釣りが今の楽しみ。
49歳。

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14、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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