沖縄戦による晩発性心的症候群 タイトル画像

1、はじめに

こころの病というと「PTSD」「トラウマ」「鬱(ウツ)」などの単語がすぐ思い浮かぶ。

先日、深夜、仕事場で流していたNHKラジオの番組からまさに精神分析的語りが聴こえてきた。大変興味を引いたので、今回の月刊 精神分析のテーマとして取り上げる事にした。

ネットで情報を収集すると、私が聴いた番組は「ラジオ深夜便 戦争・平和インタビュー(8月13日(火)~17日(土)それぞれ午前1時台・5日連続放送)」の8月14日深夜に放送された分のアンコール放送で、「沖縄戦 癒やせぬ心の傷 戦後初の沖縄戦トラウマ調査」精神科医:蟻塚亮二(ありつかりょうじ)さんのインタビューを再放送したものであった。

確認の後、該当の番組を帰宅して再度聴きたかったのだが、そう都合よく音声データが存在しなかった。Youtubeで検索すると、別の公演会の開催を取材した動画を見つけた。蟻塚医師の語りはほぼ重なる内容だったので、下稿にて紹介する。

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2、登場人物

蟻塚亮二

蟻塚 亮二(ありづかりょうじ)
1947(昭和22)年福井県生まれ。
高校時代は水泳の東京五輪強化選手だった。
弘前大医学部卒。
青森県弘前市の病院に勤務し、精神鑑定、労災認定の仕事にも多く携わる。
30代で大腸がんとうつ病を発症。
50代で2度目のうつ病発症を機に2004年に沖縄へ。
沖縄協同病院心療内科部長を務める中で、沖縄戦の高齢者たちのPTSDの問題を報告し、注目を集める。
2013年4月から福島県相馬市のメンタルクリニックなごみ所長。
日本精神障害者リハビリテーション学会理事
欧州ストレストラウマ解離学会員
著書:「うつ病を体験した精神科医の処方せん」
「統合失調症とのつきあい方」(いずれも大月書店)
「誤解だらけのうつ治療」(集英社)

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惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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迎意愛近影

迎意愛(むかいあい)
精神分析家。シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)主宰。1954年和歌山県生まれ
2011年10月より埼玉県在住。二女の母。
奈良教育大学卒業するも、教師にならず、営業職に就く。結婚、義母の介護。
物心ついた時から生きる意味を問いかけ、38歳の時、精神分析に出会う。
精神分析により、自己を知ることで、生きる意味を見出せると確信し、惟能創理氏に師事する。
女であることの素晴らしさと重要性を痛感し、自らも精神分析家(インテグレーター)となる。
自らの体験と「オールOK子育て法」を引っさげ、女たちよ賢明であれと全国を行脚するべく奮闘中。
連絡先:signifiant1@gmail.com

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安情共恵近影

安朋一実(やすともかずみ)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。

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3、沖縄戦の心の傷 PTSD(テキスト)

私が見つけた動画のタイトルとURLは以下の通り。

沖縄戦の心の傷 PTSD / 蟻塚亮二医師
http://www.youtube.com/watch?v=Ml3cP78lrTM

参考:68年経っても残る沖縄戦の傷 晩発性PTSDに苦しむ人々
http://www.youtube.com/watch?v=sd14vEhKTPs

Youtubeの動画は著作権の関連でいつ削除されるかわからないし、場合によってはアップロードしたIDそのものが消されてしまうかもしれないので以下にテキストで再録する。

テキスト

戦後置き去りにされた心のケアの問題を社会全体で考えようと、医師やジャーナリストの呼びかけで市民講座が開かれました。

市民公開講座

沖縄戦のこころの傷を追って

主催:沖縄戦・精神保健研究会 2011年11月5日(土)

1960年代の調査では、沖縄の精神障害者の有病率は本土の二倍。
しかし、医者の数が戦前の三分の一にまで減ってしまった沖縄で、精神医学は後回しにされた経緯も報告されました。

語り:お母さんが機関銃で射殺され、一晩中お母さんの背中にくくられ泥水の中で泣いていた。5歳の時のこの記憶が70歳になっても切り取ったように覚えている。蟻塚医師は診療内科を訪れる高齢者の不眠症や鬱(うつ)などの裏に沖縄戦が潜んでいるケースが多い事を報告。

80代の女性で足の裏に灼熱感(しゃくねつかん)があってつらいって。この方は14歳の時にお母さんと一緒に死体の上を走って逃げて、死体を踏んだ感覚というのが蘇ってきて、足が痛くなると、死体の上を歩いたからだと言うようにして自分を責めた・・・と。

その女性は戦後は教員を務めた内原さん。生きのびた事に罪悪感を感じ、平和運動に奔走しますが、足の痛みで10年あまり寝たきりになりました。

「足が痛くて痛くてたまらないから。それ我慢している私は。そして涙がボロボロでてくるですね。私は戦争の時に人間としてたってはいけないこをやった」という思いがあります。亡くなった母親にしがみついて泣いている赤ちゃんがいるのに、この赤ちゃんを救わなかったです。私たち。

蟻塚医師は患者同士で戦争体験を共有するセッションを開いています。不眠症をかかえるこの日の患者さん達は、みな10歳前後で戦争を体験。断片的な記憶だからと、戦争についてあまり語らなかった世代です。

だいたいあれじゃないですか。もう、戦争のこと思い出すのは年を取ってから・・。

年を取ってから思い出すようになった?眠れなってから?

ちょっと年を取ってゆとりが出てから眠れなくなった様な気がしますね。

幼児期の戦争体験が晩年に現れるメカニズムを蟻塚医師はこう説明します。

つまり必死で仕事や家庭を支える時期には片隅に追いやられていたものが、老後ゆとりのでてきた心の中で暴れだす。その不安の正体が戦争体験とは気づかない例が多いのです。
また大人はつらい体験を言語化する事で徐々に記憶のファイルに移していきますが、言語化できない子ども達は、正体不明のストレスとして抱え込んでしまう。だから断片的でも言葉にする試みは大事だと言います。

記憶しすぎて眠れないって事だけど、記憶が収まるところに収まっていくと、すーーと消えていく。ウソみたいに。病院に来なくなりますよ。

内原さんは、蟻塚先生と話すうちにずいぶん楽になったと言います。

あぁ生きていてよかったという気持ちに今はなっています。本当にこれはもう先生のおかげ。ですね。あの、どうすれば事故死する事ができるかばかり考えていた。色々試しも・・・
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死ぬこと考えとった?

死ぬこと考えとった。先生に会ったころはね。

しかしよ先生、おしゃべりしようと思ってもキライです。しようと思っても辛い時はできない。胸がしめつけられるようになって。急に(気持ちが)ワジワジすることもあってね。

(編集部:注* 動画をみているとよくわかるのだが、内原さんは、蟻塚先生の間に信頼関係:ラポールが築かれている様子がよくわかります。たぶん、内原さんと蟻塚先生の間の信頼関係の構築には相応の時間がかかって、お互いに気持ちが通じる様になって、無意識:コンプレックスの言語化がなされたものと推測できます)

(編集部:注*ラポール (rapport) とは臨床心理学の用語で、セラピストとクライエントとの間の心的状態を表す。)

今、睡眠剤飲んでますけど、これもなんだか効かない気がしますね。

一番言葉が少なかった前川さん。6年生の時に本島南部のこの家から更に南を目指して家族で逃げました。目の前で母と叔母、6歳の妹が爆死しました。

妹さんは腹をやられてはらわたみんな出ていた。即死。遺体もそのまま逃げた。年を取るにつれて戦争を思い出す。(母が)死ぬ時にはおかゆも何もあげないで死なせたと思うと大変残念に思う。

残った男ばかりの家族の炊事係をひきうけながら必死で働いた前川さんは酪農で成功し農業委員も務めました。そして去年、念願の家族の墓も完成。そんなほっとしたところで、想像もしない心の病に襲われたのです。

神経質なのかな。あまり悪い事は考えず、いいこと考えながら眠るといいよと言うけど、性格だから。

ようやくゆっくりできる筈の晩年期に現れる戦争PTSD、不眠症や鬱(ウツ)の治療だけではなくこの世代が抱えている戦争トラウマを社会全体で理解することが解決の早道だと蟻塚医師は考えます。

あぁそう言えば、うちのおばぁちゃんもとか、向かいのおじいちゃんもそうだとか、同じ症状をもっている人は沖縄中にいっぱいおられるだろうと思う。戦争犠牲者でしょうが。
個人の原因ではなくて、戦争によるもんだとかわると救われる人がもっと増えると思う。

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4、精神分析的語り

動画の中には、沖縄戦や福島原発事故の政治責任的な話もでてくるのだが、本稿とはカテゴリーが異なるので取り扱わない。

語り部である蟻塚亮二医師は精神科医であるので心理学や精神分析的知識を駆使して患者さんの治療にあたられている。今回、蟻塚医師は、沖縄戦の被害者が、不幸にして幼少の頃経験した悲惨な戦争体験から晩発性PTSDを発症してしまうケースを解説されている。

動画中の「大人はつらい体験を言語化する事で徐々に記憶のファイルに移していきますが、言語化できない子ども達は、正体不明のストレスとして抱え込んでしまう。」・・・と表現されている部分:これが精神分析の世界では無意識:コンプレックス(複合観念体)とよばれるものだ。


動画中の「必死で仕事や家庭を支える時期には片隅に追いやられていたものが、老後ゆとりのでてきた心の中で暴れだす。」・・・の「心の中で暴れだす」の部分が、所謂、心の病の発症の事。

「老後ゆとりのできた」と言う部分はタイミング(きっかけ)を表しています。このタイミング(きっかけ)は動画中は「老後のゆとりができた」となっていますが、世の心の病が発症するタイミングは千差万別で、卒業、結婚、転勤転地、離婚、昇進、人間関係の躓(つまず)き、何かのトラブルが発生した時・・などなど、きっかけとなるものは沢山考えられます。

そして、その病の発症の仕方、表出の仕方が心的なものであった場合、不眠症であったり、うつ病と呼ばれたりします。別途、表出の仕方が身体的なものであった場合、ストレス性胃潰瘍や・・今回の場合の例は、足の裏の灼熱感だったりするわけです。

動画中の「大人はつらい体験を言語化する事で徐々に記憶のファイルに移していき・・」の言語化と言う作業が精神分析という治療行為であり、別名セラピーと呼ばれるものです。

言い替えると、子ども時代に言語化できずに意識下に押し込めてしまった無意識:コンプレックス(複合観念体)が心の病の原因であると定義し、精神分析家(セラピスト)が被治療者(クライエント)に施すのが精神分析療法(セラピー)です。

したがって、精神分析で心の病を治すと言う行為は、クライエントが知らず知らずに意識下に抱え込んだ無意識:コンプレックス(複合観念体)を対話療法によって言語化し、意識化する治療方法と言う事です。

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5、知らず知らずの精神分析

上記の動画に登場されている心療内科の患者さん達は精神分析(セラピー)によって足の灼熱感が消えたとか、不眠症が治ってよく眠れる様になったとは思っていないかもしれないが、現実には蟻塚精神科医が話療法を施し症状が改善する事によって「ずいぶん楽になった」「あぁ生きていてよかった」と実感しているのである。

私も「精神分析(セラピー)」の存在を知った時に、対話するだけで心の病が治療できたり、ストレス性の病気が治ると言う話は胡散臭(うさんくさ)く思っていたのだが、沢山の症例を見聞きし、この様に、現役の精神科医と心療内科のクライエントさん達の症例動画をみるにつけ、改めて無意識:コンプレックス(複合観念体)の怖さを認識し、精神分析(セラピー)の有用性を再認識した。

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6、考察

今回、たまたまラジオ番組で取り上げていた沖縄戦の被害者である人々に発生している晩発性PTSDについての語りが、大変、精神分析的であったので、月刊 精神分析のテーマとして取り上げた。

番組の締めのナレーションはこうだった「ゆっくりできる筈の晩年期に現れる戦争PTSD、不眠症や鬱(ウツ)の治療だけではなくこの世代が抱えている戦争トラウマを社会全体で理解することが解決の早道だと蟻塚医師は考えます」・・・と。

つまり、言い替えると蟻塚医師はPTSD、不眠症や鬱(ウツ)等の心の病の解決には、トラウマ:無意識:コンプレックス(複合観念体)を理解する事が早道だと考えられていると言替える事ができる。

最近、私が注目しているのは「オードリー (お笑いコンビ)」の若林正恭さん。深夜ラジオ番組のオールナイトニッポンでの彼の語りにはしばしば心理学の視点を用いた語りが登場する。機会があれば若林正恭さんの事も本誌で取り上げたいと思っています。

参考本:社会人大学人見知り学部 卒業見込 (ダ・ヴィンチブックス) 若林正恭 (著)

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7、おわりに

今月の月刊 精神分析いかがでしたでしょうか?幼少期の沖縄戦のトラウマ:コンプレックス:無意識(複合観念体)によって晩発性の心の病を発症するケースを例に精神分析を解説してみました。

月刊 精神分析の発行を開始して丸5年(5周年)を迎える事になりました。発刊当初の頃のナンバーを読み返すと少々稚拙(ちせつ)だったなと恥ずかしくなります。が、毎号毎号、世間で巻き起こる事件や、事故、流行りものを精神分析的視点で観察し、誌面で考察する事を常としてきました。

5年前に比べると、世の中の数多(あまた)の出来事を心理学や精神分析学的な切り口で考察する試みが増えているように思います。

ではまた、来月お会いしましょう。

2013年平成25年10月31日 月刊 精神分析 編集部A

ご意見ご感想はlacan.fukuoka@gmail.comまでお願いします。

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Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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