月刊 精神分析

1、はじめに

月刊 精神分析 読者のみなさん、こんにちは。編集部Aです。

桜前線が北上中です。皆様がお住まいの地域の桜はいかがでしょうか?

さて、今回の月刊精神分析のテーマは「パニック障害」です。

平成24年03月08日ネットのニュースで以下の報道がありました。

-------------------------------------------------------------引用始まり。

1年4カ月休養の大江裕 「パニック障害」だった

体調不良のため約1年4カ月休養していた演歌歌手の大江裕(22)が7日、都内で開いた復帰会見で「パニック障害」だったことを明かした。

10年11月19日の公演中に突然過呼吸などの症状に襲われて休養。「公演で歌っている時に心臓がドキドキして過呼吸になって病院に行った」と振り返った。昨年はリハビリを兼ねて師匠の北島三郎(75)の付き人として2カ月間、名古屋、大阪での公演に帯同。現在も通院中だが、復帰が決まり「ウキウキしている。初心に帰って頑張ります」と声を張った。28日にシングル「ふる里はいま...」が発売される。

-------------------------------------------------------------引用終わり。

ある日、突然、絶望的な不安感が沸々と溢れだし、発汗、動悸、呼吸困難や過呼吸等に見舞われ、ひどい時には救急車の出動を要請する事すらあります。病院に担ぎ込まれて各種検査をしても特に異常は見当たらない。医師も首を傾げるばかり、患者は症状の再発を恐れ、外出困難から自宅に引きこもったり、うつ病にかかる事すらあります。

米国の統計では人口の約3%が羅患しているそうです。

実は、私自身も軽いパニック障害を経験した事があります。パニック障害とは何か?今月の月刊 精神分析のはじまりはじまり。

平成24年03月31日 月刊 精神分析 編集部A

なお、本サイトの監修をシニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意愛先生と。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)の安朋一実先生にお願いしました。

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2、登場人物プロフィール

惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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迎意愛近影

迎意愛(むかいあい)
精神分析家。シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)主宰。1954年和歌山県生まれ
連絡先:signifiant1@gmail.com




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安情共恵近影

安朋一実(やすともかずみ)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。
宗教色の強い家庭に生まれ育つ。
二十代の頃、原因不明の疾病に苦しむが転地療法にて完治した経験から、心の作用に興味を持つ。
ひょんな切っ掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。

現在「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーとインテグレーター養成講座を受けている。

性格分析:自己分析、コンピューターのSE(システムエンジニア)をしてきただけあって、緻密な作業ができるA型(血液型)人間である。自分の部屋はちらかっていても許されるのだが、漫画本の1巻から・・はきちんと順番通り並んでいないと気が済まない。物事は手順を考えて、1から順番に進めていく。よって「適当にやってみて駄目でした」という事は出来ない人で、やるからには成果が出ないとかっこ悪いと感じ、失敗を恐れるタイプである。
連絡先:lacan.fukuoka@gmail.com

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3、パニック障害(私の場合)

私、月刊 精神分析 編集部Aが自己事例を下に列記します。病院に行くほどではなかったのですが、発作がおきた時の気分は最悪です。

気分的な拘束での発症

以前、交際していた彼女と一緒にいた時。何気ない会話の流れから、将来、結婚したら云々の話になった。ライフスタイルの話になった時に急に何とも言えない不安感が込み上げてきた。奥歯が虫歯になってズキズキ痛み出す直前の逃れられない痛みに対する不安感と言うのか・・自分でも何故だかわからない。そのうち呼吸まで苦しくなって。こんな様(ざま)を彼女に見せられないと思い、私は急に席を立った。「ごめん、ちょっと気分悪いから帰る」と言う言葉を残し・・・帰宅途中、目についたコンビニエンスストアに寄りアイスキャンディーを買ったのを覚えている。それは、今から思えば私自身が不安感から気を逸そうとした行為だったのだと思う。彼女から後を追う様にメールが来た「どうしたの?普通じゃないわね」と・・。自分でも自分の状況をうまく説明できず一言「ごめん」とだけ返信した。

狭いビジネスホテルでの発症

当時、私は物販業をしており出張で全国のビジネスホテルに宿泊していた。確か新潟の中心部のビジネスホテルに宿泊した時の話。朝、起床して服を着替えていると、またもや突然、何とも言えない不安感が込み上げてきた。出張中なので当然私は狭いビジネスホテルに一人。早朝だった為に、助けを呼ぼうと、ドアを開けてもそこは廊下で誰もいない。余計不安感が込み上げてくる。今から出勤だと言うのにフロントに電話したら、救急車を呼ばれて・・仕事ではなくなってしまって・・更に多くの人に迷惑がかかって・・そんなこんなとネガティブな事ばかり浮かび余計苦しくなってくる。部屋に備え付けの電話の受話器を上げるものの・・フロントに電話はかけられず、ネクタイを外しカッターシャツのボタンを外してベットに横になって安静にしていたら、暫くして発作は収まった。その日は予定の仕事をこなす事ができた。

高速(拘束)バスでの発症

夜行高速バスで移動中の事。夜行バスを利用した経験がある方はわかると思いますが、夜行バスは深夜零時以降は消灯となり就寝モードになります。そして、座席や通路は狭く窮屈でまさに拘束状態となります。さて、何も出来ないので早々に就寝してしまおうと思った矢先、私の座席の斜め前の人が何やら携帯電話を操作しています。今、流行りの携帯ブログと言う奴でしょうか?盛んに液晶画面を見ながらキー操作をしています。本人はブランケットで覆って光が漏れない様にしているつもりでしょうが、斜め後ろの私の視界に座席と座席の間を通って液晶画面の光が届いてしまいます。どうしても、暗闇で揺れる光が気になります。そのうち段々イライラして来て、例の不安感が込み上げてきました。こんな窮屈な動きがとれない高速(拘束)バスの中で他人に文句を言うのも気が引けます。過呼吸気味になりながら、「どうしよう、どうしよう」と思っている内に疲れて寝てしまいました。あのような状況で、何か気持ち的に切れる何かが起こった時に他人をまきこむような傷害事件が発生するのではないかと思いました・・我が事ながら。

歯医者や散髪

子供の頃は、歯医者や散髪が大嫌でした。だって長時間、同じ姿勢を強いられるますから。もぞもぞしようものなら常に大人から常に「じっとしていなさい」って怒られるような気がします。動きたいのに動けない。私にとって歯医者や散髪に行く時は今でもなんとなく不安感が漂います。

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4、過換気症候群:照示 顕子先生の場合

宮城県宮城郡で、セラピールーム燦燦(さんさん)を主催されているインテグレーターの照示顕子先生が以前開設された「心と体の悩み相談」のサイトの「過換気症候群」から引用します。

照示顕子先生も軽いパニック障害の症状があらわれた事があった様です。

-------------------------------------------------------------引用始まり。

20歳あたりだと思います。胸が苦しいというか、呼吸が苦しいと言う感じだったと思います。

初めに行った病院から大学病院に紹介されました。その時、思いだしました。小学生の頃、たしか予防接種の前の問診「心臓弁膜症かもしれない」と言われた事。その時も確か、検査した筈だったけど。また「ショック!!!」でした。

大学病院で検査をし、医師から告げられたのは、「過換気症候群です。発作が起きたら、何か袋を口にあてて呼吸をしてください。」という事でした。

どういう事でこうなるのかもわからずに不安なまま帰って来たように思います。その症状になる時はどういう時かとか、何故そうなるのかとかわからないまま数年が過ぎました。時々そうなっては、自分の手を口にあてて呼吸をして治まるのを待っていました。何もわからないまま「いつ起きるかもしれない」という思いを持ち続けてしまいました。医師に「紙袋をあてて」と言われましたが、何故かそんな気になれませんでした。

セラピー(精神分析)を受け、少しずつ自分が見えてきました。すると、実際に起きそうな時、「私は大丈夫、大丈夫落ち着いて」と自分に言い聞かせるようになりました。以前は、発作が起こると、それこそ、それでパニックでしたが、自分で自分の対処法が解れば安心です。何故、起きるの?もなんとなく理解できるようになってきました。

自分の心の中を振り返ってみます。自分自身を信頼できず、自分をコントロールできなくなってしまいそう!これからどうなって行くんだろう?不安!他者に要求された事、自分にはもうできないのに言えない!このような感じだったと思います。

不安定な、いいしれない恐怖が自分を追い込んでしまったのです。

自分のありのままを受け入れる事。自分が何を欲しているのか、どうしたいと思っているのかをよく見つめてみる事。自分の心の声に耳を傾けてみる事。を心に入れて、自分を見つめなおしてみます。安心できる場所、安心できる時間、安心できる人と出会えた事で少しずつ自分が変わって来れたのだと思います。

-------------------------------------------------------------引用終わり。

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5、パニック障害の正体

ウィキペディアから一部引用します。

-------------------------------------------------------------引用始まり。

パニック障害(パニックしょうがい)は、強い不安感を主な症状とする精神疾患のひとつ。パニック・ディスオーダー(panic disorder)とも呼ばれ、panic disorder からPDと略記される場合もある。従来、不安神経症と呼ばれていた疾患の一部である(不安神経症の方が広い疾患概念であり、不安神経症と呼ばれていたものの全てがパニック障害には当たらない)。かつては全般性不安障害とともに不安神経症と呼ばれていたが、1980年に米国精神医学会が提出したDSM-IIIで診断分類の1つに認められ、1992年には世界保健機関(WHO)の国際疾病分類(ICD-10)によって独立した病名として登録された。最近は心の病と考えるより、脳機能障害として扱われるようになっている。

-------------------------------------------------------------引用終わり。

・・と、解説されていますが、精神分析の世界では、パニック障害はコンプレックス(複合観念体):無意識が悪さをしているものと捉えます。

もしパニック障害が、本当にセロトニン(神経伝達物物質)の不足による脳機能障害ならば、薬を医師に処方してもらい、投与すれば完治する筈ですが・・そんなに簡単な話ではありません。付録:パニック障害にかかった芸能人の事例を見てもらってもわかりますが、皆さんお仕事に差し障りがあるのにもかかわらず、発病から症状好転まで数年を要しています。

精神分析の世界では、心の病を扱う時、必ずと言っていい程、その人のコンプレックス(複合観念体):無意識に着目します。

私の考察をここで述べます。

私に場合、パニック障害が起こる時は必ず、狭い室内や社内であったり、窮屈な座席や椅子でじっとしていなけらばならない状況でした。

惟能創理先生のセラピー(精神分析)を受ける様になって解けた謎があります。それは、なぜ私は時々不意に「パニック障害の発作」がでるのか?どうしたら発作が出ない様になるのか?・・・という疑問です。

精神分析(セラピー)では、必ず自分の養育史や幼い頃の家族関係や生活環境にスポットを当てます。数カ月、惟能創理先生のセラピーを受けて私自身が以下の事を理解しました。

私が育った環境=実家は、強権的な父方の祖母に支配された家でした。祖母は自分の言動の大義名分(後ろ盾)として当時流行った新興宗教の教えや教義を利用しました。更に、自分の支配下にある家族は総て宗教団体に入信させ、あたかも自分はカリスマ教祖の様にやりたい放題にふるまい、家族には従順な信徒になる様に強制したのです。

今、考えても日本が戦争に負け、価値観が大きく揺らいだ時代でしたので、民衆(死語?)は、軍国主義にとってかわる強烈な思想を求めたのだと思います。20世紀末に起こったオウム真理教の一連の事件はその徒花(あだばな) だったのではないでしょうか?

実家は家族関係と言うより、教祖様にお使いする信徒関係が優先していました。そんな環境で育った私ですから、日々何らかのストレスを感じていました。

多くの信者が狭い木造の家に集い、すし詰め状態の中で正座し、ロウソクと線香と汗と蚊取り線香の匂いがまざった様な部屋の中での集会。幼い私はそんな人々の中で一信徒として、じっとしていました。少学生低学年の子供がそんな状態を好む筈がありません。

本当は「こんなところでお経なんか唱えたくない」「足が痛い」「何時間もずっと正座をするのは嫌だ」「外で遊びたい」「テレビがみたい」「絵を書きたい」と思った筈、言いたかった筈です。

ところが、実家は宗教をするのが前提の家。父は言いました「イヤなら出ていきなさい」と(さすが予科練に行った世代は違います)。生活力のない幼い子供が家を出ていける筈もなく、親の顔色を伺いながら、自分の感情を押し殺し「よいこ」のふりをするしかありません。父の時代は戦争を背景とした軍国全体主義、私の時代は敗戦により突然始まった得体のしれないエセ民主主義の中で跋扈しだした新興宗教支配下で生きのびるしかありませんでした。

こうして、私の中で表(意識)に出せなかった「イヤな感情や痛い思い」が複合観念体(コンプレックス)となり私の無意識領域に形成されて行きました。

「いつか自分が経済的に自立したらこんな家出て行ってやろう」・・私は、まるで金正日独裁下の北朝鮮の民の様に表面上は演技し従順を装いながらも、時が来たら「脱北」しようと虎視眈々とその機会をうかがっていたのでした。

その後、成人した私は無事独立を果たすのですが、私が知らない内に、私の無意識領域に押し込めたコンプレックス(複合観念体)が時々悪さをする様になったのです。何かしら窮屈な圧迫感を感じる状況に身を置くとコンプレックスのスイッチが入り、幼少の頃の「イヤな感情や痛い思い」が沸々と「不安感」として込み上げ来ます。これが私のパニック障害の正体です。

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6、パニック障害の直し方

私の場合は、長年、自分の無意識領域に積み重ねたコンプレックス(複合観念体)の存在がパニック障害の発作が起こる原因だとわかりました。

では、コンプレックス(複合観念体)を解消するにはどうしたらようのでしょうか?このコンプレックス(複合観念体):無意識の解消・・・は、精神分析の世界では無意識の書き換えと言います。

イメージ的には丁度、パソコンの文書データを上書きして訂正(更新)する様な感じです。

惟能創理先生のセラピー(精神分析)という対話療法によって、私は自分の無意識を知ることができました。その無意識を書き換えるには「言語化」と言う手法を用います。

私はもう宗教を強制されない。
私は自由だ。
私は拘束されない。
私は自分が思ったところへ自分の意思で行ける。
私はもう我慢しない。

自分の言葉で、無意識を書き換えて行きます。無意識を意識化して書き換えれば、もうパニック障害が起こる事はありません。

事実、私は以前の様に沸々と湧いてくる不安感を感じません。

なぜなら、私は自由で誰に何の宗教を強制される事もない。それを自分の言葉で言語化し、自分の無意識領域のコンプレックスを書き換え・・解消したからです。

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7、無意識の存在に目覚めた私

精神分析の世界に興味を持つと、避けて通れないのが「無意識」である。なにせ、精神分析学の創始者「ジークムント・フロイト」による20世紀最大の発見が無意識と言われているのだ。

参考)20世紀の4大発見
アインシュタイン 相対性理論の発見
ダーウィン 進化論
レーニン 共産主義国家
フロイト 潜在意識の証明・・だそうです。

言われて納得したのが、クルマやバイク、自転車の運転について。世間では、あれほど「安全運転」の4文字が流布しているのにもかかわらず、「事故」が無くならないのはなぜか?普通に考えて、その都度、考えて(意識して)、ハンドルを切ったり、ブレーキをふんだり、バイクの車体をバンクさせたりしていますか?自動車学校でも、二輪教習所でも「考えなくても(意識しなくても)スムーズにアクセル&ブレーキ操作ができるようになりましょう」と指導しています。=つまり無意識で運転できる様になるくらい(体がひとりでに動くようになるくらい)ドライビング(ライディング)技術を習得しましょうと言っています。

つまり、日頃の車の運転は殆ど「無意識」でなされていると言っていいでしょう。目から入って来る視覚情報から、車の速度を感じ、車の傾きや、カーブを曲がる時の遠心力を体で感じ、その都度アクセル&ブレーキの操作をしている筈です。その都度、スピードメーターをみていますか?誰もそんな運転をしていませんよね。

しかしながら、現実には、曲がり角の死角(影)から人や自転車が横断してくると、はねてしまう恐れがあるので、ここは危険予測と言う(意識)で、ブレーキを踏んで減速(徐行)して交差点に進入するわけです。

したがって、車の運転は「無意識」&「意識」の絶妙なコンビネーションで行われているのです。

以上の様な事から、私はもっと交通事故防止活動においても無意識の研究を盛んにした方がいいと思うのですが、残念ながら、無意識(精神)の構造は個々の養育史や家庭環境、家族関係に大きく左右されるので、結局のところ、個人の精神分析(セラピー)で探求せざるを得ないのが現状です。

こんな身近なところにも無意識は存在しているのです。

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8、まとめ

以上、今回は「パニック障害」にスポットをあてて、わかりやすく「無意識」「コンプレックス(複合観念体)」の話をしたつもりです。過去、私自身が軽い「パニック障害」の発作を経験していましたので私の経験を元に書かさせて頂きました。

こういうふうにサイトで「まとめ」を書くと簡単な様ですが、基本、人間は自分にとって都合の悪いものは見ない様になっています(目を背ける)ので、幼少の頃の嫌な(忘れてしまいたい様な)記憶を思い起こし、自分が意識しない、しかしながら確実に存在する「無意識」を分析し、それを書き換えていく作業は時間もかかりますし、心的にも労力がかかるものです。

しかし、子供時代、自分が生きていこうとする時に、両親や周囲の人に認めてもらいたい、見捨てないでもらいたいと言う一心で家庭環境に左右され、とても意識上に置いておけない感情を無意識領域に押し込んで形成されたコンプレックス(複合観念体)に自分の人生を左右されたくはありません。日常生活に支障を来す様な心の病に苛まれるのも嫌です。

多分、何かしら「理由のわからないイライラ感」は無意識の仕業であるし、もし、それに起因して日常生活に支障がある様な「心的病」にかかっているのならば、無意識を意識化される事をオススメします。

ここで厄介なのは「無意識」は意識できないから「無意識」なのであって、自分で自分の無意識を簡単に意識できない事が精神分析療法による心の病の治療の最大の難しさだと思います。

自分の意識下の深い無意識領域に押し込めてしまったコンプレックス(複合観念体)を分析し、それをもとに自分の有り様を解明していく・・それは、まるで考古学の発掘作業のようだと形容した人もいます。

今回は「パニック障害」を切り口に精神分析(セラピー)の有用性をさりげなく語ってみました。では、また来月お会いしましょう。

ご感想はこちらにlacan.fukuoka@gmail.com

興味ある方は、下記の精神分析家ネットワークからお近くのインテグレーター(精神分析家)に問い合わせをしてみて下さい。

平成24年03月31日 月刊 精神分析 編集部A

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付録:パニック障害にかかった芸能人

はじめに」でも紹介しましたが、この「パニック障害」と言う病気は芸能人が羅患した為に長期療養が必要になり、その報道によって一般に認知されたと言う経緯があります。
私の記憶にあるだけでも・・・・(敬称略)

アン・ルイス

記者会見で自ら「パニック症候群」であることを打ち明け、暫く父親の母国アメリカに在住していたが、2005年11月23日にセルフカバーアルバム「REBIRTH」を発売と同時に音楽活動を再開させた。
2009年3月、フジテレビ系の番組『独占!金曜日の告白SP』に出演。実に10数年ぶりのテレビ番組出演となり、近状を語るほか活動休止となったときの思いを語った。この番組内で「現在もパニック障害の影響で人前で歌うライブができない」「(在住するという意味で)日本に行くことはもうないと思う」と告白した。


ikko

2010年5月4日放送「カスペ!」(フジテレビ系列)において、パニック障害であることを告白している。独立をした30代頃、プレッシャーから発症した。一旦は治ったが、再発していると語る。他の疾病と併発していてひどい症状になることもあるが、本人は病気と共生していくしかないと述べた。


大江裕

2012年3月7日、シングル『ふる里はいま...』のリリースを兼ねた復帰会見を行い、パニック障害を発症していたことを告白した。


大場久美子

1999年から、母の死が引き金となり約8年間、パニック障害を煩っていたことを、2008年1月18日に放送されたフジテレビの『金曜日の告白』にて初めて公に告白した。その後、重い病気や障害で煩っている人達が新たに彼女のファンになったり、又、他のテレビ番組のインタビューでそれが放送されると、放送後、彼女の公式ブログ「大場久美子のエトセトラ」では、重い病気や障害を煩っている人達の書き込みが非常に多くなるという現象が起きている。


長嶋一茂

2002年から2年間に渡ってNHKのインタビュー番組『わたしはあきらめない!』の聞き手役も務めた。パニック障害を経験したとして同番組にゲスト出演した田中美里に対し、自身も1996年以来同病の経験があり、プロ野球選手として活躍していたころバッターボックスに立てなくなったこと、また現在(放送当時)も同病に悩まされることがあることを告白。同病についてのエピソードは、以降に出演した『たけしの本当は怖い家庭の医学』や『オーラの泉』などでも紹介されている。


円広志

パニック障害を発症するも、現在は症状は安定している。仕事が多忙になる中、原因不明の不安感や目眩を度々起こすが「疲労」と自己判断。症状が悪化するにつれても、生来の病院嫌いが災いして症状が悪化。高速道路での走行中に走行速度に恐怖し暴れる、会話が出来ない、何事にも悲観的になり涙が止まらない等の不調を起こすが、スタッフに抱えられてTVや舞台に立ち、見た目はそつなく仕事をこなし、不調の憂さを深酒で紛らわしていた。後にテレビ局を出て事務所へ戻る途中に歩行不能となり、駐輪してある自転車の列に突っ込みパニックに陥ってそのまま入院。「パニック障害」と診断され、数年間抑鬱といった精神疾患による闘病生活を余儀なくされ、暫くふさぎこんでしまう。治療により快方に向かい通常の生活に戻ったが、予期不安は抱えたままで、対外的な体裁を考えてパニック障害を隠していた。しかしながら不調時の説明や誤解の釈明をする煩わしさから、周囲に理解してもらうため自分の病状を公にし、NHK教育テレなどの健康・福祉番組で体験談を語る機会も多い。


高木美保

1998年11月、パニック障害の治療を兼ねて、栃木県那須塩原市に移住した。タレント活動を行いながら農業を営み、農業体験をまとめたエッセー集も執筆している。


田中美里

2000年の終わり頃にパニック障害を起こし、3ヶ月ほど芸能活動を休止し療養していた。現在でもトーク番組などに出演した折に、自らパニック障害を克服した体験談を語ることがある。


堂本剛

2003年5月の「Dome F Concert」の途中体調不良で倒れたことをきっかけにして、同月、ジャニーズオフィシャル携帯サイト「Johnny's web」にて、自ら過去6年に及ぶ過換気症候群(過呼吸症候群、パニック障害)との闘病中であることを告白した。しかしそれまでにも、2002年の1stソロアルバム『ROSSO E AZZURRO』収録の自作曲『Panic Disorder(和訳すると「パニック障害」)』や、著書『ぼくの靴音』の内容からも、パニック障害の発症を告白しているという向きがあった。なお、その後の記者会見でも「6年前(1997年頃)から病気と闘っている」と発言。


中川家剛

一時期、パニック障害を患い仕事を休んでいたが、現在は復帰している。


比企理恵

父親の病気や、子宮ガンやパニック障害に苦しみ、6年間で400近い神社を巡った本人の経験談をもとにした『比企理恵の神社でヒーリング』(実業之日本社)を出版。

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Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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