自殺 末井昭 タイトル画像

1、はじめに

月刊 精神分析では、私自身が興味をもった対象を精神分析的的視点から考察し、サイト上で論旨を展開し、より深く「精神分析的視点」を世の中に啓蒙していく事を趣旨としています。

新年あけましておめでとうございます。読者の皆様におかれましては、希望の2014年を迎えられた事と思います。

・・・と挨拶文を掲載するのが常套(じょうとう)なのでしょうが、2014年の第一号のテーマが「自殺」です。

「自殺」をテーマにすると、アクセス数が極端に少なくなるのは承知の上なのですが、世間の普通のメディアを取り上げないテーマをわざわざ取り上げる事に「意味」を見出してしまいます。^^

私自身も中年と呼ばれる年齢に達して、更年期障害の現れなのでしょうか?何をするのも面倒になり、生きる事へのポテンシャルの低下を感じ始めている昨今です。これからの自分は、世の中に貢献するよりも世の中の負担になっていく人間なのではなかろうか?(自分の存在意義への疑問)、ガンにかかって苦しんで死ぬのではなかろうか?(病気・健康上の不安)、年金は大した額貰えそうもないし、今現在支給される予定額をみても既に生活保護を受ける方がマシではないか?と思える額だし(経済的不安)、これから先、生き続ける喜びと不安を天秤にかけた時にどうなんだろうと、「漫然たる不安」を抱えながら生活しているわけです。

余計な事を考えずに忙しく生活するのが一番と思いながらも、若かりし頃に抱いていた「夢」や「希望」は、中年期に差し掛かると、「あきらめ」と「打算」に変容していくのだなぁと実感する昨今です。

Googleで「自殺」に関して検索してみると・・・

主要国、10万人当たりの自殺率

統計上(多い順)日本(21.7)、フィンランド(18.8)、フランス(17.0)、スウェーデン(13.2)、ドイツ(9.9)、アメリカ(12.35)、オランダ(8.8)、スペイン(7.6)、イギリス(11.8)、イタリア(6.3)となっている。(カッコ内は別資料の参考値)

不思議な事に、経済的に豊かであったり、社会保障(年金や医療)がしっかりしていたり、先進国と呼ばれる国々が並ぶ。

私が「精神分析」という世界を知り、最初に興味深く読んだ本に「ライフサイクルの心理学」と言う本があった。当時、百貨店で販売の仕事をしていた私は、社員食堂の片隅で今まで自分が考えもしなかった事が書いてある同著を貪るようにして読んだ。

衝撃的な記述を今でも忘れない「人は種の保存と言う生き物として使命は45歳までに終わっている。生き物としての寿命は45歳なのである。」と・・・当時私は45歳に近づきつつあったので、はてさてこれはどうしたものかと悩んだ記憶がある。

「生き物としてのお前はもう死んでる」・・漫画『北斗の拳』の中の主人公「ケンシロウ」のセリフではないが・・・それでは、45歳以上に年齢を重ねている私達中年は「何を生きればいいのか?」・・・今号の月刊 精神分析は「自殺」をテーマに考察します。

2014年 平成26年01月31日 月刊 精神分析 編集部A

感想のメールは lacan.fukuoka@gmail.com までお願いします

なお本サイトは、

ラカン精神科学研究所、およびシニフィアン研究所に監修して頂いています。

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2、きっかけ「自殺」NHKラジオ(ラジオ深夜便)

NHKラジオ(ラジオ深夜便)を聴いていると、ないとガイド・松田哲夫さん「私のおすすめブックス」の2014年1月20日放送分で「自殺」末井昭(すえいあきら:朝日出版社) が紹介されていた。

私は末井昭さんと言う人物を全く存じ上げていなかったのだが、どうやら、出版界において元「白夜書房」でパチンコ雑誌というジャンルを開拓したり、業界では知る人ぞ知る名物編集者で今はフリーで執筆活動をされているらしい。

私は早速、Amazonで同著を取り寄せ一気に読んだ。

さすが編集者らしく、幾多の視点で自殺や自殺者や世間サマを考察されていて面白かった。面白かったと言うと不謹慎だが、編集者の末井さんが取り上げる「自殺」は、自殺さえもエンターテインメントにしてるようで、末井さんの力量(優しさ、人間力)を感じた。

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3、末井昭(すえいあきら)さんの事

末井さんは岡山県出身で、1948年生まれ。私が1963年生まれであるから、丁度15歳上で、現在、65歳でめでたく現在の年金受給開始年齢まで生き延びられた方である。

末井さん自身が著書「自殺」の中でしたためる彼の人生は、岡山の超田舎で生まれ、結核にかかった実母は末井さんが幼少時に隣家の若い男と一緒にダイナマイト自殺。末井さんも疫痢(えきり:赤痢の重症型)に罹った経験がある。勉強ができたので進学でき、都会にでてくるものの工場勤務に嫌気がさし、デザイナーを目指す、その後、キャバレーの看板書きからスタートし出版社の編集者となる。高度成長期の日本の中でバリバリ仕事をこなし、高収入を得、先物取引で大損、バブル崩壊で、投機目的のマンションは購入時の半値に、大きな借金を抱えるものの、開き直り、金融機関と裁判の後に負債の殆どをチャラに。長きに渡って連れ添った奥さんを捨て、ダブル不倫の後、不倫相手と同棲。更に別の不倫相手は自殺を繰り返し障害者に・・・。・・・とバブルの経済下の日本の勤め人の煩悩をすべて抱えた様な生き様である。もし私がプライベートで末井さんと接点があったとしても、とても尊敬できる人とは思えないし、あまり仲良くなれなかっただろうと思う。

しかし・・・、私自身も中年と言う年齢に差し掛かり、どうしようもない世の中(世間サマ)とか、生きる事自体の大変さとかを、自分が肌感覚で理解できるようになると、戦争中に食べる事に困窮した経験をした人とか、バブル経済下で金に翻弄された人とか、平成不況の中で働きたくても働けない人とか、働いても働いても貧困から抜け出せない人達とか、全てその時代その時代を生きてきた人達に畏敬の念を持つようになった。年を取るとはそういう事なのだと最近頓(とみ)に感じる。

ちなみに末井昭さんご自身はその著書「自殺」の「まえがき」の中で「僕はこれまで自殺しようと思った事は一度もありません。」と語っている。

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4、登場人物

末井昭

末井昭(すえいあきら)

1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。「ウィークエンドスーパー」「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社。現在はフリーで編集、執筆活動を行う。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』『絶対毎日スエイ日記』『パチンコからはじまる○×△な話』などがある。平成歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。

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惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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真道満喜近影

真道満喜(しんどうまき)
精神分析家。シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)主宰。1954年和歌山県生まれ
2011年10月より埼玉県在住。二女の母。
奈良教育大学卒業するも、教師にならず、営業職に就く。結婚、義母の介護。
物心ついた時から生きる意味を問いかけ、38歳の時、精神分析に出会う。
精神分析により、自己を知ることで、生きる意味を見出せると確信し、惟能創理氏に師事する。
女であることの素晴らしさと重要性を痛感し、自らも精神分析家(インテグレーター)となる。
自らの体験と「オールOK子育て法」を引っさげ、女たちよ賢明であれと全国を行脚するべく奮闘中。
連絡先:signifiant1@gmail.com

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登張豊実近影

登張豊実(とばりとよみ)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。

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5、日本の自殺の現状(付録)

平成25年の自殺者 27195人 減少傾向が続く 警察庁 速報値

2014年1月16日 読売新聞

昨年の自殺者数(速報値)は2万7195人だったことが16日、警察庁のまとめでわかった。前年に比べて663人(2・4%)少なく、4年連続の減少となった。

男性が1万8727人で68・9%を占めた。都道府県別では、東京都が2825人で最も多く、鳥取県が130人で最も少なかった。自殺者は1998年に初めて3万人を超え、2003年には過去最悪の3万4427人に上った。10年からは毎年、減少を続け、12年に15年ぶりに3万人を下回った。

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6、末井昭さん著書「自殺」の内容

あまり書くとネタバレになるし、この本はAmazonのユーザーレビューを読んで購読した気になって欲しくはない。是非、一冊を読んで欲しい。

あぁなるほどなと思った一説を引用しておきます。

P.59 世間サマと自殺

・・・という箇所に、なるほどと思いました。「深海魚」とは、社会からバッシングされ、世間という大海の底に深く潜って、あまり動かずひっそりと生きなければいけないことを、著者が比喩として使っている言葉です。

世間サマは良識のある善良な人を歓迎しますが、真の人間を嫌うのです。真の人間とは、人間らしく生きることを望み、人としてどう生きたらいいのかを問い直し、その答えを求めようとする人です。

では、なぜ世間サマは真の人間を忌み嫌うのか。それは、自分たちが信じているものが、脆くも崩れ去ってしまうからです。

真の人間から見れば、世間なんて映画のセットの書き割りがハリボテのようなただの見せかけです。世間サマが価値としているものは、ただの「存在のうわべ」です。そんなものに価値なんかありません。

世間になんの疑いもなく順応し、生きていくことになんの苦痛も感じない人は、自殺なんて考えないでしょう。

しかし、世間にどうしても収まることができず、その軋轢で自殺を考えている人は、世間に背を向けて生きていればいいのでないかと思います。それが自由ということです。自由とは輝かしいものではなく、孤独で厳しいものですが、真の人間として生きる喜びがあるはずです。

僕は真の人間になったのかどうかはわかりませんが、世間サマの束縛から逃れたことによって、少なくとも何十年か先の退職金のことを考える人よりは自由になり、母親の心中のことも平気で話せるようになりました。そして、無念な思いで自殺した人たちに対して、少しは悼む心を持てるようになったのではないかと思います。(世間サマと自殺より引用)

各章紹介:地震と自殺/母の自殺/いじめと自殺/世間サマと自殺/観光気分で被災地巡礼/残された者/抗議の自殺/眠れない夜/お金と自殺/二人のホームレス/秋田県の憂鬱/樹海探索/うつと自殺/慈しみの眼差し/聖書との出会い/緩慢な自殺/病気と自殺/迷っている人へ

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7、千石イエス(本名:千石剛賢)さんの事

本書「自殺」の聖書との出会いの章に千石イエス(本名:千石剛賢)さん(呼称:おっちゃん)の事がでている。

イエスの方舟事件

イエスの方舟事件(イエスのはこぶねじけん)とは、日本で1979年 - 1980年に発生した信仰集団「イエスの方舟」がマスコミによってバッシングされた事件である。

「千石イエス」や「イエスの方舟事件」を記憶している人達は、すでに中年の域に達している筈。当時「ウィークエンダー」なる週末の報道バラエティ番組で盛んに取り上げられていたのを覚えている。

事の発端は、「若い娘がそそのかされ。いかがわしい宗教団体に絡み取られて、家に戻ってこない」と親がマスコミに訴え社会問題となった。現実には、家庭や親子関係に問題があり居場所がなかった娘が、千石イエス氏の言葉に癒され、聖書研究会であったイエスの箱舟に居ついてしまったのが真相。事実、訴えられた千石氏は不起訴となっている。

千石イエス氏は2001年12月に亡くなるのだが、末井氏も千石氏の聖書の話に惹(ひ)かれ、東京から博多へ通い、イエスの箱舟の日曜集会にときどき参加したと言う。

現在、イエスの箱舟は福岡・中洲(歓楽街)でシオンの娘というクラブを経営しつつ、聖書の研究活動を続けている。

この章は、「自殺」とは関係ないのだが、人生の悲運から「自殺」を考えた千石氏が聖書と巡り合う事によって、信仰者として活動し、その結果、末井氏も千石氏の説法によって癒されていった旨が記されている。私はこの部分は「現在の末井氏のアイディンティにかかわる部分なのだな」と了解した。^^

ある記事からの引用

私が「イエスの方舟」を訪ねたいと考えたのは、二十年前に親を否定した娘たちが、いまでも共同生活を営んでいると聞いたからである。

家族のあり方――。私が知りたいと思っていたのはそのことだ。私は以前から親子の関係、すなわち親との価値観のズレに苦しむ子どもの閉塞感に興味があった。多発する少年犯罪によって、最近ようやく声高に叫ばれるようになってきた「父親不在」「家族の崩壊」という批判の声。実は「普通の家庭」こそ危険であると私は自分自身の経験から感じていたが、私の呈した疑問に誰一人同意する人はなく、長い間それは愛に飢えた娘の遠吠えとしかとらえられなかったのである。

ところが、「イエスの方舟」の主宰者である千石剛賢は、二十年以上前にすでに日本の家族を「幻想の家族」と呼んだのであった。そして彼の提示した価値観に魅了された娘たちが、彼の元に身を寄せて共同生活を始めたのである。

これに対して、騙された娘を取り戻そうと親たちがメディアを巻き込んでキャンペーンを張った。「イエスの方舟」は得体の知れない「オカルト教団」であり、千石は若い女性を誘拐し、監禁状態においていると報じられた。それによって彼らは漂流生活を強いられたが、結局、この事件は犯罪性がないと結論づけられた。そして、彼らは博多に落ち着くことになる。言ってみれば、これは娘には親とは別の人生があることを世に認めさせた初めてのケースである。

加えて「イエスの方舟」が注目に値するのは、今世紀末に登場した新興宗教や生活共同体――オウム真理教、統一教会、ヤマギシ会などは、その内情のひどさが社会によって暴かれるか、あるいは破綻していったにもかかわらず、「イエスの方舟」は今日まで博多に存在しているということだ。

上記の「家族論」は精神分析の家族観とも合致する。血縁者としての親子関係があっても、親になれない親の存在、母を母と呼べない子どもの存在。虐待やDV、ネグレスト(育児拒否)など、既に家族関係は崩壊している。それは既に「幻想の家族」である。

血縁者で家族関係が構築できず、裏社会に入っていった人達は「幻想の家族」というより「仮想家族」をつくる。それは「親分」「子分」「兄弟分」・・と言った言葉に象徴される。

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8、精神分析的「自殺」死の欲動:タナトス

あるネット上の記事に面白い記述をみつけた。「自殺するのは人間だけだ、動物は自殺しない。」また、別の記事にはこう記述してある「動物には本能がある。本能とは、動物が、生まれつき持っている性質・能力であり、生存と生殖の二つである」と。

なるほど!

では、人間も動物の一種であり、本能を持っている筈である。にも関わらず、「生存本能」とは真逆の「自殺行為」をなぜ行うのか?その答えは、人間は動物が持っていない「精神」を持ったからである。・・・と。

本能の「生殖」についての余談であるが、Yohoo質問箱に「なぜ人間には発情期がないの?」と言うトピックがあげられていた。上記の質問は、犬や猫は春先に交尾するのに、人間は年がら年中セックスしているのは変なのでは?と言う疑問(人間は生殖本能が狂った動物なのでは?)。答えはこうである。「発情期を妊娠可能な時期と置き換えると、女性の生理は月1回(28日ごと)なので、年に12回の発情期があると言える。特に本能が狂っているわけではない」。

以下引用

発情期=排卵期 と解釈すればヒトは一般的には28日ごとです。ヒトは排卵期でなくても交尾する珍しい動物ですね。チンパンジーは36日ごと、ニホンザルは27日ごと、ブタは21日ごと、ウマも21日ごと、ウシは20日ごと、ヒツジは16日ごと、モルモットは16日ごと、マウスは5日ごと。イヌは年2回、パンダは年に1回の数日間だけです。ネコは「交尾排卵」と言って「排卵期」がありません。光周期の影響を受ける季節性で、昼間の時間が長くなり始めることをきっかけとして1月頃に始まり秋の終わり頃までの間に何度か発情期を繰り返します。ただ、お家で飼われているネコは電灯のせいで光周期の影響がなく、年中いつでも発情可能なものもいます。

話を「生存本能」に戻します。

ただ、動物と同様の生存方法を保っていれば問題はなかったのですが、人は動物と違い、植物を栽培し、食物の安定供給や備蓄、加工を考え出したり、社会的役割分担や、社会規範や制度の構築を行ったり、動物が持たなかった文化や生活の方法を持つようになりました。動物が持っていた「生存」と「生殖」の本能だけでは役不足で、その本能の中に「精神」という別の機能が誕生しました。

以下引用

精神で本能の代役を務めているのが、自我です。つまり自我というのは心の一部ですが、「これが私」という意識や認識、行動の主体でもあります。私たちは、この自我によって、「こういうときには、こうしよう」、「そういうときには、こうすればよい」という、(本能に似た)生きる為の方向性を保っています。いずれにしても、今風に云うなら本能と精神がコラボレート(共に働く)したことが、(本能のみで生きる)他の動物たちとの大きな違い、と云えるわけです。

※他の動物の本能は育ちませんが、代役である自我の「私」は成長につれて、どんどんと広がりを持つようになります。つまり「私」→「私の家族」→「私の地域」→「私の社会(学校・職場)」→「私の国家」ですね。そうやって人間たちは、自分たちの生きる場所として、文化や社会を築いてきた、と云えます。もちろん・・社会が発展するということは、それだけ自然界が(さらに)遠のくという意味でもある・・・なんとも皮肉な話ですよね。(^-^;

以下引用

人間の本能 精神分析学の欲動論

さて、上記の事を踏まえて頂いたうえで、話を本筋に戻しましょう。いくら本能が壊れてしまった、自我が本能の代役とはいっても、やはり人間にも本能はあります。しかしフロイドは前述したような本質的な違いがある為に、人間の本能を欲動(よくどう)と呼び、他の動物の本能と区別することにしました。彼の発見した、他の動物の本能と、人間の本能(欲動)の決定的に異なる点は、次の部分です。まず、動物の本能には、生存と生殖という二つの働きがあります。フロイドは、人間にも「それはある」として、その二つを自己保存欲動と、性の欲動(性の衝動とも云う)と呼ぶことにしました。

では、その決定的な違いとは何でしょう。冒頭にも書きましたが、動物の本能にある生存と生殖は「生きる」、「子孫を残す」と、どちらも『生(生きる)』ことに関して同一方向性を持つ、とてもシンプルな構造です。  

しかし、人間の欲動は同じ『生きる』でも、自己保存欲動は、あくまでも現実原則(たとえ不快であっても外界の現実に従おうとすること)に従い、一方の性の欲動は、あくまでも快楽原則(ひたすら快を求め、不快を排除する)に従う、と云う正反対な対立した関係の欲動を持つ、いささか複雑な構造なのです。

つまり、他の動物たちは、ただ生きるという方向性しかありませんが、精神を宿してしまった人間は、「生きる」ことに関しても、まったく正反対な性質の欲動(本能)を持ってしまったわけで、それが他の動物の本能と、人間の欲動の決定的な違いと云えます。

そしてさらに、フロイドは考え方を進め、そこに攻撃本能を加えます。攻撃本能は通常、単独ではなく、正常に働くときには、性の欲動とペアとなって、私たちの日常行動として現れます。フロイドは「欲動には攻撃性もあり、その攻撃性によって目的を果たすことは、いささかも異常なことではない」と云います。自己保存欲動(現実原則)が保守で『静』なら、性の欲動(快楽原則)は革新で『動』の性質と云えます。

たしかに、「負けまい」 「生き残るぞ」という攻撃的な勢いもないと、物事(欲求)の達成は難しいですからね。ただし、この攻撃本能が単独で暴走した場合には、「生きるため」というより単なる破壊行為ですので、何らかの心の問題か、精神疾患を疑うことになります。たしかに、人間の行動を見ていると、いつも建設的、利益的ではないですよね。「なんで、そんなことするの?」と、他人の目には破壊としか思えないことが、しばしば起こるのは、この攻撃本能のしわざ(暴走)と云うわけです。(^^:

さて、フロイドは、この攻撃本能を加えて、人間の欲動を、以下のように定義づけます。まず、攻撃本能は性欲動と結びついて「生きよう」とするエネルギーとなる反面、破壊・衝動的な死に至ろう・・『無・無機』の状態に戻ろう・・・とするエネルギーが多くみられること。通常ペアとなって動く性の欲動が、感覚的満足も含め対象に近づこうとする接触の欲望(衝動)であるのに対し、攻撃本能は、対象に反発し、ときにはそれを破壊しようとする衝動であることから、もともと両者は相容れない(対立する関係)であると位置づけ、攻撃本能を死の欲動(死の衝動)と呼ぶことにしました。

そして、自己保存欲動と、性の欲動は、対立関係にあっても結局は『生(生きる)』という方向性に向かっている。なので、この二つの欲動を生の欲動とし、生の欲動(エロス) VS 死の欲動(タナトス) と定義づけすることで、両者の対立関係を明確に分けたわけです。

フロイドが、この死の欲動を定義つげるまでには、紆余曲折があったようです。そしてこの定義がフロイドの手を離れたあとも、学者たちの意見は様々に分かれたまま現在に至っています。しかしそれをここで書き並べでしまうと、またややこしく、大変なことになってしまうので省略致します。(^^: ただ、一点だけ付記しておきますと、ある恐怖体験をすると、自分では嫌だと思いながら、それを反復して思い出してしまうことや、心身には良くないと思いつつも、どうしてもやめられないこと、が人間にはありますよね。

そうしたことをフロイドは、死に向かうエネルギーとして「死の欲動」と呼んだわけです。たとえば、自分から死を選んでしまうことも、この死の欲動の仕業(しわざ)なのでしょうね。そして、無気力な状態や、拒食症などで食べ物を受け付けない状態なども、『緩やか(ゆるやか)な自殺』と云われ、この死の欲動が(生のエネルギーよりも強く)働いてしまっている状態と云えると思います。

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9、自殺回避のために

自殺と言う単語をキーにして、頭の中で情報を検索してみる。記憶に新しい人から・・・先の月刊 精神分析で取り上げた「藤圭子さん(宇多田ヒカルの母)」演芸番組『大正テレビ寄席』の牧伸二さん、フォーク・クルセダーズ元メンバー加藤和彦元さん、アイドルの清水由貴子さんなど。元アイドルの沖田浩之・・列記していると気分が因隠滅滅(いんいんめつめつ)としてくる。

活躍されていた頃、羨望のまなざしで見ていたのを思い出すと余計に悲しくなる。

「あぁ面倒、なんでこんな苦しい思いをしなければならないのか?」生きる事が嫌になる瞬間があります。ひょっとしたら一般の人より、社会的に好奇の眼差しで見られる芸能人、政治家、スポーツ選手の方が、好調不調の落差に耐えられない時があるのかもしれません。

先に引用した通り、人には生存の本能や生殖の「本能」とは別に「精神」を獲得しました。人の精神の中には、生の欲動(エロス)と死の欲動(タナトス)が存在します。

昔、ケネディ(第35代アメリカ合衆国)大統領に関する本を読んでいた時に「人は希望があればなんとかやっていける。希望を失った時にすべてが終わるのだ。」と書いてあったのを記憶しています。

「この坂を上りきればゴールがみえる」そんな状況、その瞬間、人は力を発揮し頑張れるのだと思います。それが「希望」であり「目標」です。「目標」があれば、そこへ向かって、生の欲動(エロス)が沸々と湧いてきそうです。死の欲動(タナトス)なんて構ってられません。

種の保存を本能とした生殖本能を駆使する人生の時(45歳)は私の場合、とうに過ぎ去っています。では、何に「生きる意味」を見いだせばよいのでしょうか?

例えばこういうのはどうでしょうか?開催が決まっている2020年の東京オリンピックに貢献する事を目標とする。夏季オリンピックは世界的なイベントで、今や国策や国威発動の為に積極活用するのが当たり前の国際イベントが、今から6年後に日本の東京で開催される事が決まっています。これを放っておくのは勿体ないと思います。この機会を積極活用して、自分の人生や生活が楽しくなるように利用すれば自殺なんて考えている暇はありません。^^

当然、全世界からお客様がお見えになるので、丁重に「お・も・て・な・し」をしなくてはなりません(笑)。よって、英語学習にトライするのはどうでしょうか?今や、インターネットの時代。英会話教室に通わなくても教材はネットに溢れています。

これで、2020年までの生きる楽しみは確保できます。

あくまで上記は一例ですが、自分が楽しみ事にできる「目標」を獲得できれば自殺防止の有力な回路になると思います。

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10、まとめ

今号の月刊精神分析はいかがでしたでしょうか?

末井昭さんの著書「自殺」を切り口に、生の欲動(エロス)と死の欲動(タナトス)まで話を膨らませてみました。

多分、「自殺」をテーマにしてた本が飛ぶように売れる筈はないのですが、末井さんの本は面白いので是非読んでみて下さい。私は1993年に出版された「完全自殺マニュアル」の事を少し思い出しました。

毎月、精神分析家のセラピーを受ける事によって、自分の心の状態を客観的にみてもらって、自分の「生きる意味」を確認し、欲動的な生活を送り、自殺なんて考える暇がない状態で毎日を過ごせればいいなぁと思っています。

2014年平成26年01月31日 月刊 精神分析 編集部A

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11、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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