宇野常寛 リトルピープルの時代 タイトル画像

1、はじめに

月刊 精神分析では、私自身が興味をもった対象を精神分析的的視点から考察し、サイト上で論旨を展開し、興味深く「精神分析的世界観」を世の中に啓蒙していく事を趣旨としています。

今月のテーマは「宇野常寛 リトル・ピープルの時代」です。

月刊精神分析シリーズでは2013年07月号で宮崎駿監督の「風立ちぬ(映画)」を取り上げた時に、一度、宇野常寛さんの語りを取り上げた。今号で、今一度、宇野さんの精神分析的語りを取り上げる。

何の予備知識もない人の為に解説すると・・・

宇野常寛とは、若手評論家(1978年生まれの35歳)で仮面ライダーからAKB48までサブカルチャーから世相を批評する面白い視点を持っている評論家です。2013年4月から、ニッポン放送の深夜放送のオールナイトニッポン0(ZERO)金曜日のパーソナリティを担当。「リトル・ピープルの時代」は宇野常寛の著書で、発行日は2011年07月30日。

以下、ある書評より引用。

現代社会における「父的なるもの」の変化を、主としてサブカルチャーの領域に現れている物語的な想像力の変遷を追うことで証明したものである。その変化を一口で言えば「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ」ということになる。

ある日(2013年04月05日)、営業をしながらラジオを流していると聞きなれない声が聞こえてきた。私は奇しくも宇野常寛さんの記念すべき第一回目のオールナイトニッポン0(ZERO)にリアルに遭遇したのだ。若干声を上ずらせながら不慣れな番組進行を行う宇野氏が初々しく印象に残っている。

彼は批評家としてサブカルチャー(特撮、アニメ、アイドルなどのオタク文化)を通して、物事を批評する。私の中でオタク評論家と言えば宅八郎を代表とする、異型と言ったら失礼だが、世の常識からずれた考えを披露し顰蹙(ひんしゅく)を買い物議を醸す、ネガティブな印象を思い起こさせる人(今風に言えば炎上マーケティング問題芸人:タレント)を連想していたし、そもそも評論家という職業自体、無責任に時事ネタを取り上げ批評ではなく他者を批判する人と言うイメージをもっており、あまりよい印象をもってなかった。

ところが、「キャッチフレーズは自民党からAKB48まで」「AKB48と仮面ライダーの専門家」を自称する宇野常寛さんの口をついてでる「言葉」は説得力がありオタク的(レア感の演出)で心理学的で精神分析的であり大変興味深い。

今月の月刊精神分析は「宇野常寛 リトル・ピープルの時代」を通して「精神分析」を考察します。「リトル・ピープルの時代」は500頁を超える大作なので、全てを網羅して語ることはできないので掴み程度になりますが、興味を持っていただければ幸いです。

2014年 平成26年02月28日 月刊 精神分析 編集部A

感想のメールは lacan.fukuoka@gmail.com までお願いします

なお本サイトは、

ラカン精神科学研究所、およびシニフィアン研究所に監修して頂いています。

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2、変化するラジオ環境

今から35年前、BCL(短波ラジオ視聴)ブームの最中、私は地元のKBCラジオ、RKBラジオはもとより、遠くOBCラジオ大阪のサタディバチョン、鶴瓶・新野のぬかるみの世界を福岡の地で聴いていた。当時はもちろんインターネット環境などないので、ラジオパーソナルティとリスナーとのやり取りはもっぱら郵便(はがきや封書)であった。

現在のネットワーク環境の発達はすさまじく、ラジオから流れるリスナーの発言に対して、ほぼリアルタイムで「ツイッター」や「電子メール」でレスポンス(反響)が届く。

更に、個人情報の扱いの厳格化から、ペンネームはラジオネームとなり、はがき職人は、放送作家予備軍となっている(マジか?)。ラジオを流しているとよくきく投稿者の名前(ラジオネーム)を聴く。一部のリスナーは、リアルタイムで番組に参加するサポーターの様な立場に変化しているように感じる。

今回、取り上げた宇野常寛さん自身もTBSラジオの深夜番組『深夜の馬鹿力(伊集院光)』のヘビーリスナーであった事を告白している。

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3、宇野常寛(うのつねひろ)さんの事

失礼ながらオールナイトニッポン0で宇野常寛さんを知るまで、私はまったく彼の存在を知らなかった。私は現在50歳であるために、アイドルとしてのAKBは既に興味の対象外、私たちの世代のアイドルと言えば松田聖子、中森明菜、小泉今日子、河合奈保子・・・所謂、TBSザ・ベストテン(黒柳徹子・久米宏)世代である。

更にサブカル(サブカルチャー)に視点を移すと、ウルトラマンも仮面ライダーもリアルタイムで初期シリーズをみた世代。アニメは高校時代の、宇宙戦艦ヤマト、うる星やつら、かろうじてガンダムにカスっている程度。エバンゲリオンは知らない。平成に入ってからの私は25歳を超え、バブル経済を背景とした生活・・興味の対象は日々のマンション購入支払い所得税控除、パソコンやインターネットで激変する仕事環境についていくのがやっとで、リアルな生活の維持に翻弄され、サブカル文化は子供時代に置き忘れていた

宇野常寛さん世代は、終わりなき日常が終わった時代・・・バブル崩壊(平成03年:1991年)、阪神淡路大震災・オウム真理教:地下鉄サリン事件(平成07年:1995年)・・所謂、失われた20年を生きた・・失われた世代(うしなわれたせだい)、ロストジェネレーション (Lost Generation)で、物心がついた多感な時からずっと不況の平成を生きることを強いられた人達である。

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4、登場人物

宇野常寛近影

宇野常寛(うのつねひろ)
日本の評論家。
企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。
批評誌『PLANETS』編集長。

1978(S.53)年 青森県八戸市中居林の自衛官の子として生まれる。
函館ラ・サール高等学校を卒業後、浪人生活を経て、立命館大学文学部へ進学。
2002(H.14)年 友人らとともにウェブサイト「惑星開発委員会」を立ち上げ。
2005(H.17)年 12月にミニコミ誌『PLANETS』を発刊。
2008(H.20)年 7月に単行本『ゼロ年代の想像力』を上梓。同書は2009年の大学読書人大賞で第三位となった。
2011(H.23)年 4月から東京大学教養学部で自治会自主ゼミ「現代文化論」を担当。
2013(H.25)年 4月よりニッポン放送オールナイトニッポン0(ZERO)金曜日のメインパーソナリティを務めている。
著書紹介:
ゼロ年代の想像力(早川書房、2008年7月)
原子爆弾とジョーカーなき世界(メディアファクトリー、2013年6月21日)

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惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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真道満喜近影

真道満喜(しんどうまき)
精神分析家。シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)主宰。1954年和歌山県生まれ
2011年10月より埼玉県在住。二女の母。
奈良教育大学卒業するも、教師にならず、営業職に就く。結婚、義母の介護。
物心ついた時から生きる意味を問いかけ、38歳の時、精神分析に出会う。
精神分析により、自己を知ることで、生きる意味を見出せると確信し、惟能創理氏に師事する。
女であることの素晴らしさと重要性を痛感し、自らも精神分析家(インテグレーター)となる。
自らの体験と「オールOK子育て法」を引っさげ、女たちよ賢明であれと全国を行脚するべく奮闘中。
連絡先:signifiant1@gmail.com

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登張豊実近影

登張豊実(とばりとよみ)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。

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5、宇野常寛さんの精神分析(心理学)的語り

ビデオテープやDVDが視聴できる環境(レンタルビデオ・DVD)が整っているせいか、おそらく彼がこの世に誕生する以前に放送された作品から、彼がリアルタイムで楽しんだ作品群まで非常に多くの作品を網羅している。それは評論家として当然の事なのかもしれないが、彼の守備範囲の広さに舌を巻く。

本号でとりあげる「リトル・ピープルの時代」の中も記述もそうだが、オールナイトニッポン0での発言の随所に心理学や精神分析の基礎的な概念を用いた言葉が散りばめられる。
例えば、最近の放送(2014年2月8日)から宇野氏の発言を引用するとこうだ。

あるリスナーからメールが届いた「友人が急に就活を始めて、ちょっと前まではアニメと特撮の話しかしなかった友人が、急にツイッターに企業研究の件をつぶやいたりして、すごくウザイです。どうしたらいいでしょうか?」との事。宇野常寛さんの出前のメールに対する感想は以下の通り「これはね、貴方が友人に対してイラついているのは、あなた自身の心(不安)の投影なんです。実は、貴方自身が就活に対して抱いている感情を友人の行動に投影させてイラついているんです。大事なのは貴方がそんな周りの反応、正確には周りに投影する貴方自身の不安に負けない事が大切です。」

投影とは「自分の心の状態や思考パターンを人やモノに映し出すこと」です。心理学を少しでもかじったことのある方なら「投影」という言葉は聞いたことがある筈。心の防衛機制と称される心のメカニズムを解説した用語の一つが「投影」です。

参考:宇野さんだけでなく、オードリーの若林さんも「心理学的解釈」や「心のひだひだのいじり」をラジオパーソナリティとして番組中で語る事が多々ある。

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6、宇野常寛のリトル・ピープルの時代(前段)

前述した通り「リトル・ピープルの時代」はサブカル的視点で「村上春樹」「仮面ライダー」「ウルトラマン」「バットマン」「AKB48」を取り上げ、時代を読み解く批評本となっている。

50歳の私は初期の「ウルトラマン」「仮面ライダー」をリアルで鑑賞した世代なのだが、文芸作品に興味のない私は「村上春樹」の作品を一冊も読んだ事がなく、「第一章の村上春樹という特異点」から読むのが苦痛だった。

なんとなく言わんとするところは想像し理解できるのだが、いかんせん、作品を読んでいないので辛すぎた。蛇足だが、私の記憶違いでなければ、逃亡中の市橋達也君(リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の加害者:現在服役中)が「海辺のカフカ」を読んで感想を逃亡記に書いていたと思う。

「仮面ライダー」「ウルトラマン」の初期作品群は真剣に拝聴していたので、その部分はサブカルを通して訴えたい事は理解できた。

本当にリアルに確かめるには、数々のサブカル作品を視聴しなければ確信には至らないのだが、著者と同じように数あるサブカル作品群を視聴しているひとは日本にどれくらいいるのだろうか?「リトル・ピープルの時代」の最終頁は509であり、小林よしのりさんの戦争論と同じくらいのボリューム分厚さを誇る。

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7、宇野常寛のリトル・ピープルの時代(読まねばなるまい)

私は高校時代から理数コースを選択し理系の単科大学に通った。つまり根っからの理系人間であった。そんな私が「精神分析」を切り口にした読み物を毎月発行する様になったのも不思議な成り行きである。私はそもそも文学とか心理学とかまったく興味がなく、大学で文学部や心理学部に進学する人達は近い将来、大学を卒業した時点で、文学者や心理学者になるわけでもないだろうし。何を目標に生きている人達なのか不思議に思っていたくらいだ(苦笑)。

そんな私であるから、宇野常寛さんがオールナイトニッポン0の中で真面目な話をする時に、リトル・ピープルや「壁と卵」を比喩として用いられても何の事かさっぱりわからない。「これはツリかもしれないと思いながら「リトル・ピープルの時代」をAmazonで購入してしまった。彼の批評活動の基礎的なところなのでそこを曖昧にはできなかったのだ。

ビッグ・ブラザー(偉大な兄弟とも、英語: Big Brother)とは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する架空の人物。

事の発端はジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する「モノ」らしい。

「1984年」は1948年に執筆された。つまり、予測できない未来を描いた作品であった。「1984年」は当時のソ連のスターリズムを思わせる全体主義の中、すべての人が管理されて生活している近未来社会を警告したSF小説なのだ。

で、2009年5月27日に発売された村上春樹の『1Q84』に登場するのが「リトル・ピープル」だ。

さて、この本のタイトルは、オーソン・ウェルズのSF小説「1984年」をもじったものだ。「1Q84」は何かを警告しているのだろうか。「1984年」に出てきた指導者ビッグ・ブラザーと対比するように、今作ではリトル・ピープルなるものが登場する。それは、ある女子高生が小説の中に託した想像の産物であったはずだった。しかし、彼女はリトル・ピープルが実在するという。

想像の産物ではよくわからない。ネットで検索していると上手に解説している一節をみつけた。以下に引用する。

本書は、現代社会における「父的なるもの」の変化を、主としてサブカルチャーの領域に現れている物語的な想像力の変遷を追うことで証明したものである。その変化を一口で言えば、「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ」ということになる。  かなり大部な本、というより、饒舌(じょうぜつ)な本という印象を与える。ただし、抜群におもしろいのでその饒舌は苦にならない。

*壁と卵

 冒頭で、村上春樹が2009年2月のエルサレム賞受賞時に発したスピーチへの違和感が記される。固い壁があって、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、自分は、正しい/正しくないとは関係なしに、断固として卵の側につく、と語ったあのスピーチである。「壁」というのは、何らかの抑圧的な社会システム、「卵」はそれに反抗する者たちのイメージであろう。

 だが、と宇野常寛は疑問を提起する。村上春樹がもともと抵抗してきたのは、壁と卵とを截然(せつぜん)と区切り、自分は卵の側だと無邪気に信じこむ想像力の欠如だったはずではないか、と。ここで「壁」と「父的なるもの」は同じことを指している。

 宇野によれば、かつては、もっと厳密に言えば1968年までは、「壁」はオーウェルが『1984年』で描いた「ビッグ・ブラザー」のようなものであった。それは、外部の超越的な水準から人々を抑圧する疑似人格的なものであり、イデオロギーとしては「大きな物語」、組織としては「国家」に対応していた。

 だがビッグ・ブラザーは、日本で言えば95年のオウム真理教事件までの間に、世界で言えば01年の9・11テロまでの間に、解体してしまう。それ以降は、社会はビッグ・ブラザー的な外部をもたない、貨幣と情報のグローバルなネットワークによって成るシステムであり、誰もそこから逃れることはできない。

 このとき個人は、それぞれ独断的に自分なりの善、自分が好む「小さな物語」を選ぶしかない。つまり、誰もが「小さな父」になるしかない。その小さな父の別名が「リトル・ピープル」である。したがって、父(壁)に対して卵として外から対抗することは、もはや問題となりえない。いかにして、多くのリトル・ピープルが共存しうるかが課題である。

つまり宇野さんは、村上春樹を軸として、世の中の変化を説いている(権威的な抑圧的な社会システムは壊死し、既に、貨幣と情報のグローバルネットワーク社会に変化)。今を生きている人は否応なしにこの『リトル・ピープルの時代』を生きているのだと訴えているのだ。

精神分析の世界では父とは子どもに村の掟を伝えるもの。子どもの社会性を養なうものと説く。つまり、ビッグ・ブラザーこそかつての父であった・・が、今や、権威的な父は壊死した。「父性の復権(中公新書)」が説く「父性」の喪失が叫ばれて久しい・・。『リトル・ピープルの時代』の父性はどこに?

ここからは私の主観です。

東西の冷戦の終結。日本の政治の世界でも55年体制の終焉。規制緩和が声高に叫ばれ、世の中の枠組みが変わってきました。

以前なら少々の能力の差があっても、それなりに大学に行って、それなりの会社に勤務して、それなりの家庭を築いて、それなりの幸福感を獲得できていました。当時、そういう社会の有り様は、一億総中流と呼ばれました。

一億総中流(いちおくそうちゅうりゅう)とは、1970年代の日本の人口約1億人にかけて、日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える「意識」を指す。日本より中流意識が高い国にはスペイン・アメリカ合衆国・カナダなどがあるが、いずれも国民の数が約1億人ではないため、「一億総中流」という語は日本の場合にのみ使用される。国民総中流(こくみんそうちゅうりゅう)ともいう。

ところが、今の日本社会はどうでしょう。四年生の大学を出ても正社員になるのは簡単な話ではありません。仕方なく収入を得るには「非正規雇用者」と言う立場を選択しなけらばならない場合もあります。

そうなると、収入は安定せず、所謂生活設計そのものが成り立ちません。従って、未婚率の上昇、晩婚化、出生率の低下、少子高齢化は加速されます。

読者の身の回りの地域の親睦会や各種団体の有り様をみても、敬老会化は著しいのではないでしょうか?

さて、そんな中での「リトル・ピープルの時代」です。

確かに、パソコン上のネット銀行をオペレーションで、瞬時に金は動きます。情報は、言語の壁さえ超えれば、ネットワーク上を駆け巡ります。

今後、ひょっとしたら3Dプリンターの性能や普及度によっては、物質も伝送されてしまいます。映画『ザ・フライ』(The Fly:1986年)の物質伝送装置の様に。

巨大な権威の象徴である「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ」世の中の仕組みは大きくかわりました。

誰でも否応なくネットワークの一員となり、自分の主体のもと情報を受信し発信できるようになりました。

ところが、新たな主役であるリトル・ピープル(小さな父)の有り様はどうでしょうか?仕組みであるネットワーク発達したのにも関わらず、リトル・ピープルは主として父としての振る舞いができているでしょうか?ひょっとしたらネットワークの中での漂流が始まっているのでないでしょうか?

他者から与えられたキャラで振舞い、他者との関係性が途切れた途端に「本当の自分探し」が始まる。ここで問われるのは各々の精神性(自我同一性の確立)なのではないでしょうか?

宇野常寛さんもよく以下のような発言をされます。

新しき酒は新しき革袋に盛れ

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8、宇野常寛さんの謎 父親編

評論家:宇野常寛さんのウィキペディアをみてひっかかった事がある。

「惑星開発委員会」は1年程でメンバーの卒業などの事情で一旦解散。出版関連会社で会社員生活を送りながら「第二次惑星開発委員会」を立ち上げ、2005年12月にミニコミ誌『PLANETS』を発刊。自衛官だった父親の名前を借りて宇野常寛という筆名を名乗る。第二次惑星開発委員会においてもハンドルネームを「善良な市民」もしくは「市民」と名乗り、中曽根康弘の顔画像アイコンも使用した。

・・・と言う事は、宇野常寛さんは「父の名」であり、宇野常寛さんは存在しない事になる。

精神分析の世界では、名前を重要視する。名前は名前を付けた人の欲望の現れ:象徴だからだ。ある人は言った「評論家:宇野常寛さんは父に飲み込まれた人だ」と。

私は、宇野さんの語りに耳を傾けた。彼はたまに奥さんに話はするものの、家族の話はまったくと言っていいほどでてこない。彼自身の養育環境を語る事はなかった。・・たまに父親の仕事の関係で転校が多かった件がでてくるくらいだ。

たまにでてくる宇野さんの奥さんの話はこんな感じだ。

僕たち夫婦はお互いの仕事には干渉しないですねぇ。一緒にいる時間を楽しく過ごそうって言う感じですかねぇ。

宇野さんのポリシーと言えばその通りなのだが、例えば、同じオールナイトニッポンのパーソナリティーのダイノジ大谷ノブ彦さんは、スナックを経営する実母を自分の番組に出演させたり、実父や実の弟、妻、息子の話まででてくる。

私の知る限り、宇野さんが実父や実母の話をする事は殆どなかった。辛(かろ)うじて自衛官の父を語る少ないエピソードは以下の通り。

世の中が左翼的な雰囲気に包まれている中で、父の職業が自衛官である事を告げると、その瞬間、まわりの空気が変わることが嫌だった。

極端な例えをすると、自分の父親が田母神俊雄(たもがみとしお)だと紹介した時の周囲の反応を想像すればよい。

評論家:宇野常寛さんと評論家:宇野常寛さんの実父の宇野常寛さんの関係はどの様なものなのだろうか?ずっと気にしていたのだが、謎解きは「リトル・ピープルの時代」の「あとがき」にあった。ネタバレになるので詳細は伏せる。

あとがきの一部を以下に引用する。

通読すれば明らかなように、本書は「父」というものについて考えた一冊だ。震災のような巨大な暴力を前に物書きがなすべきことはひとつで、その思考の限りを文章にぶつけることだ。チャリティや被災地支援をその文学的正当性に用いることは、自らその文学的敗北を認めるようなものだ。

従って、私のこの行為はごく個人的に、父への感情に決着をつけるためのものだ。言い換えればあの報道を目にしたとき、私は本書がその為に書かれていたことに気づかされたのだ。亡き宇野常寛がなすべきことを、今や宇野常寛である私が代行するのだ。

父が生きていれば本書で展開した私の分析と主張に微塵も納得しないだろうし、むしろ厳しく批判するだろうと思う。しかし、私はそれで構わない。春樹が物語内で成し得たような「和解」は、私には必要ないだろう。

私たちは誰もが、小さな「父」である。そして誰もが歴史という物語の保証を与えられないにもかかわらず不可解に決定者として機能してしまう存在だ。しかし、私はそのとこを不幸だとは思わない。これからも引き受けていこうと思う。

そして、自分で驚いているのだが、私は今、近いうちに子どもが欲しいと思っている。

2011年6月末日 宇野常寛

『リトル・ピープルの時代』は宇野氏自身の父の語りに他ならない。

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9、宇野常寛さんの謎 母親編

私は、宇野常寛さん自身の母の語りを知らない。精神分析の世界では、母との関係性が重要視される。特に、子ども時代の養育環境は、精神発達に大きな影響を及ぼす・・としている。

宇野さんが公の場で母の語りをしないのはなぜか?宇野さん自身が何かしらのコンプレックス(無意識:複合観念体)を抱えているのかもしれない。

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10、頑張れ宇野常寛さん

ある日のオールナイトニッポン0(ZERO)の宇野さんはすごく咳をしてい体調が悪そうだった。彼は、子ども時代に喘息(ぜんそく)を患った事があるらしい。

弱気になっているせいか、当日の放送の宇野さんの語りはいつもと違った。

僕には組織もないし、有力な大学がバックについているわけでもありません。敵も多いし、リスナーのみなさんの支持だけが頼りです。

・・と。私は、素直に心情を吐露する宇野さんに寄り添いたいと思った。各メディアに出演する彼は時として激しいバッシングを浴びる。言われなき批判や嫉妬もある筈だ。新しい世代の評論家として精力的に活動する宇野さんを応援したいと思う。

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11、最近の話題:いわもとQ

宇野常寛さん行きつけのそば屋:いわもとQがオールナイトニッポン0(ZERO)で話題である。先ごろ、「いわもとQ」を運営する岩本浩治社長(株式会社ライトスタッフ)にインタビューを敢行したとの事で番組でも盛り上がっていた。

岩本浩治社長はセブンイレブンの社員から経営コンサルタントを経てそば屋:いわもとQを開業。その理念は・・。詳しくは宇野さんのインタビュー記事をご覧ください。

http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar469005?ref=twbind_140226_01

http://iwamotoq.co.jp/

現在の店舗展開は高田馬場店、歌舞伎町店、池袋店、神保町店の4店舗。

私は福岡在住ですので、上京の折には是非「いわもとQ」を味わってみたいと思っているのですが、いつの事になるやら。^^

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12、おわりに

今号の月刊精神分析はいかがでしたでしょうか?

オールナイトニッポン0(ZERO)担当の評論家:宇野常寛の著書で「リトル・ピープルの時代」から精神分析を語ってみました。

精神分析的な語りは非常に琴線に響くものがあり面白いです。よかったらオールナイトニッポン0(ZERO)金曜深夜3:00から聴いてみて下さい。

2014年平成26年02月28日 月刊 精神分析 編集部A

ご意見ご感想はlacan.fukuoka@gmail.comまでお願いします。

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13、付録 書評:斉藤環

小さな物語に依存「拡張現実の時代」

本書は『ゼロ年代の想像力』で華々しいデビューを飾った若手批評家の三年ぶりの書き下ろし評論集である。テーマは再び「想像力」だ。議論の構えは大きい。震災後の現状をふまえ、宇野はまず村上春樹を参照する。ビッグ・ブラザーが体現していた「大きな物語」が失効し、人々は目先の「小さな物語」に依存しようとする。

『1Q84』で村上が描いた「リトル・ピープル」こそは、意図も顔も持たずに非人格的な悪をもたらす「システム」の象徴だ。今必要なのは、制御不能におちいった「原発」のような巨大システムに対する想像力なのだ。

しかし宇野は、村上作品に頻出する、男性主人公の自己実現のコストを母なる女性に支払わせるというレイプ・ファンタジィ的な構造を批判する。その構造に潜むナルシシズムが、リトル・ピープルの悪を隠蔽(いんぺい)してしまうからだ。

ここに至って、本書の中核をなす二つのテーゼが示される。

「私たちは誰もが『小さな父(リトル・ピープル)』である」、そして「リトル・ピープルとは仮面ライダーである」と。あなたがこの唐突な断定に失笑したとしても、すでに著者の思うつぼである。なぜなら彼はこう書いている。「冗談のように聞こえない批評には何の力もない」と。

かくして、本書の白眉(はくび)は第2章、平成仮面ライダーの分析である。かくも異様な虚構世界が子供たちの人気を博していたという事実を、あなたは知っていただろうか。たとえば『仮面ライダー電王』の主人公は、敵であるはずの四体のモンスターを自らに憑依(ひょうい)させ、四つの人格を切り替えながら敵と戦うヒーローなのだ。

仮面ライダーの「変身」を、〈いま、ここ〉を多重化する身ぶりと読み替えた宇野は、現代を仮想現実ならぬ「拡張現実の時代」とみなす。大筋で異論はないが、しかし一点だけ。

現実を多重化するレイヤーの中にすら、例えば「ナショナリズム」は回帰する。大きな物語は終焉(しゅうえん)せず、矮小(わいしょう)化されて反復されるだろう。宇野の奔放な想像力は、たとえば同じく文学的想像力をナショナリズムの解毒に用いるスピヴァクの『ナショナリズムと想像力』などで補完される必要があろう。

本書のあとがきは必読だ。宇野の筆名の由来がはじめて明かされる。なぜ彼が「リトル・ピープル」にこだわるのか、その理由の一端がわかるだろう。かくも私的なモメントに根ざした言葉ゆえ、彼の言葉は信頼に値する。その深きライダー愛に敬意を表しつつ、本稿の〆(しめ)はやはり、仮面ライダー電王の「あのセリフ」の引用で。

信じてるけどいいよね? 答えは聞いてない!

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14、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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