宇多田ヒカル 藤圭子 タイトル画像

1、はじめに

毎月の事ながら、月刊 精神分析のテーマを決める事に大きな労力を費やす。自分の興味関心のあるものを通して「精神分析」を啓蒙する事を趣旨としているのだが、時に精神分析的語りは残酷であり、自分自身の逃げ道を失ってしまうが故、その書き出しに至るまでの成り行きが私自身にとっても時として辛い事になるのだ。

今回は、宇多田ヒカルさんと藤圭子さんをテーマに取り上げる。

先に藤圭子さんが亡くなった時の世間の反応は、あの有名人で芸能界を席巻した天才歌姫の宇多田ヒカルの実母の藤圭子さんが・・まさかの飛び降り自殺?!と言ったものだった。

藤圭子さん、男性同居マンションから...

「圭子の夢は夜ひらく」などで一世を風靡(ふうび)した歌手の藤圭子(ふじ・けいこ)さん(本名・阿部純子=あべ・じゅんこ)が22日、東京・新宿のマンション13階から転落し、死亡した。62歳だった。警視庁は飛び降り自殺とみて調べている。通夜、葬儀の日程は未定。歌手宇多田ヒカル(30)の母親としても知られる藤さんの突然の死に芸能界に衝撃が広がった。

新宿署によると、藤さんはマンションの13階にある知人の30代男性宅に6年前から同居。この部屋のベランダから飛び降りたとみられる。手すりの高さは115センチあり、足元にはクーラーボックスがあった。踏み台にしたかは不明。手すりの外側に片方のスリッパが引っかかり、もう片方は転落した現場近くにあった。

当然の事ながら、マスコミは生前の藤圭子さんの数奇な運命を語り、自殺の原因の詮索をする。そして、あまりに重なり合う宇多田ヒカルと藤圭子さん。

今月の月刊 精神分析は「宇多田ヒカルと藤圭子にみる世代間連鎖」をテーマとして取り上げます。

2013年 平成25年09月30日 月刊 精神分析 編集部A

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2、登場人物

竹山 澄子(たけやますみこ)
( - 2010年11月04日享年80)
三味線瞽女として旅回りの生活を送る。
藤圭子(本名:宇多田純子)の母。宇多田ヒカル(本名:宇多田光)の母方の祖母。
瞽女(ごぜ)とは、「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する女性の盲人芸能者。近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線、ときには胡弓(こきゅう)を弾き唄い、門付(かどづけ)巡業を主として生業とした旅芸人である。

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藤圭子

藤 圭子(ふじけいこ)
(1951年7月5日 - 2013年8月22日享年62)
日本の演歌歌手。
本名、宇多田 純子(うただ じゅんこ)。
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。
1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡する。
夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な歌(『怨』)を、伸びやかかつ深々と歌い上げた。
前夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は音楽家の宇多田ヒカル。元夫は演歌歌手の前川清。

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宇多田ヒカル

宇多田 ヒカル(うただひかる)
(1983年1月19日 - )
日本の女性シンガーソングライター。
本名、宇多田 光(うただ ひかる)。
愛称はヒッキー(Hikki)
アメリカ合衆国ニューヨーク州出身で、デビュー当時はアメリカと日本の二重国籍だったとされるが、その後については公式の発表はない。
2000年頃の日本のR&Bブームに大きな影響を与えた。
日本史上最も多くの売り上げを記録した『First Love』を筆頭に、オリジナルアルバム歴代売上の上位トップ2を独占している。
2002年9月6日、写真家で映画監督の紀里谷和明と結婚。
2007年3月3日、仕事などお互いの生活のすれ違いを理由に紀里谷和明と3月2日に離婚したことを、U3MUSIC公式サイトの日記「Message from Utada Hikaru」にて報告した。

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惟能創理(いのうそうり)
日本初のインテグレーター(精神分析家)
編集部Aのスーパーバイザー 。

1951(S.26)年 埼玉県熊谷市に生まれる
1992(H.04)年 大沢精神科学研究所設立
1992(H.04)年 道越羅漢(みちおらかん)となのる
2008(H.20)年 LAKAN精神科学研究所に名称を改める
2008(H.20)年 惟能創理(いのうそうり)に改名する
著書紹介:
月刊精神分析 2009年01月号 運命は名前で決まる
月刊精神分析 2010年01月号 心的遺伝子論 産み分け法

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迎意愛近影

迎意愛(むかいあい)
精神分析家。シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)主宰。1954年和歌山県生まれ
2011年10月より埼玉県在住。二女の母。
奈良教育大学卒業するも、教師にならず、営業職に就く。結婚、義母の介護。
物心ついた時から生きる意味を問いかけ、38歳の時、精神分析に出会う。
精神分析により、自己を知ることで、生きる意味を見出せると確信し、惟能創理氏に師事する。
女であることの素晴らしさと重要性を痛感し、自らも精神分析家(インテグレーター)となる。
自らの体験と「オールOK子育て法」を引っさげ、女たちよ賢明であれと全国を行脚するべく奮闘中。
連絡先:signifiant1@gmail.com

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安情共恵近影

安朋一実(やすともかずみ)
精神分析家。ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市)主宰。1958(S.33)年4月22日生まれ。
出身:滋賀県大津市。二女の母。
神戸親和女子大学児童教育学科(兵庫県神戸市)卒業。
会社勤務の後、結婚し専業主婦になる。
二女の子育てに悩み惟能創理先生の精神分析治療を受ける。
インテグレーター(精神分析家)養成講座を受講の後、独立開業。
現在、新進気鋭の分析家として、引きこもり不登校の子供を持つ母親を全力で支援している。
同研究所は「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」の支援団体として登録。
メルマガ発行:子育てメールマガジン 育児法 引きこもり 家庭内暴力 非行 不登校
連絡先:lacan.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所福岡支所
1963(S.38)年3月12日生まれ
出身:福岡県福岡市。
コンピューター会社のシステムエンジニア。食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営、飲食店の営業職、旅客運送乗務員を経た後、月刊精神分析編集部。

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3、DNAの継承

宇多田ファミリー宇多田ヒカルが日本でデビューしブレークした1999年平成11年を思い出してみる。

1999年20世紀末・・私たちの世代はノストラダムスの大予言によって20世紀末に人類は大いなる厄災に見舞われると刷り込まれ「何かとんでもない事が起こるのでは?」と不安感を募らせていた。・・・のだが実際には何も起こらなかったし、世間を騒がせたオウム真理教は1995年に地下鉄サリン事件を起こし2000年にアレフとして再編される途。1999年の記憶に残る事件を取りあげると「栃木リンチ殺人事件」「光市母子殺害事件」「東芝クレーマー事件」「下関通り魔殺人事件」「安室奈美恵実母殺害事件」「池袋通り魔殺人事件」・・流行りものは「だんご3兄弟」。音楽シーンは、1998年に絶頂期を迎えたCDバブルが崩壊し、日本の音楽CDの生産金額が大幅に減少する(CDだけでなくレコードやカセットなども含めた総合計で5700億円を割ることとなった。前年と比較して音楽ソフトの生産金額が減少するのは、1984年以来15年ぶり)。そんな中、宇多田ヒカルの初アルバム『First Love』が700万枚を超す記録的セールスになりその後、900万枚を超える(CDアルバム売り上げ歴代第1位)。

世紀末に登場した圧倒的歌姫が宇多田ヒカルであったし、更に宇多田ヒカルがあの藤圭子の娘である事がマスコミを通して喧伝されるに至り、宇多田ヒカルの歌唱力の裏付けもなされる事となった。

あの藤圭子と言う「あの」とは何か?時代は丁度30年遡った1969年:昭和44年。藤圭子デビューの年。私は小学校に入学する直前。東京オリンピック(1964年)から数年が経過しやっと一般家庭にカラーテレビが普及しだした時代。

ちなみに私の実家にカラーテレビがやってきたのが忘れもしない1971年(昭和46年)4月2日。私が小学生の時。カラー化する前の白黒テレビの中でドスの効いた声で「新宿」だの「暗い」だの「人生」だのネガティブワードを発する藤圭子は所謂アイドルとか歌い手とか明的で軽いものではなく、子ども(当時)の私からみるとどことなく異世界への扉の前に立っている巫女(みこ)さんのようだった。彼女が歌う姿は「宗教儀式」をしているような風景に感じられた。当時の私はテレビの前で正座をして異界からの使者・藤圭子を食い入るように見ていたのだ。

1969年9月に発売された藤圭子「新宿の女」。「新宿の女」が収録され、タイトルにもなったファースト・アルバム『新宿の女/"演歌の星"藤圭子のすべて』は、オリコン・アルバムチャートの1位を独走した(20週連続1位)。なお、オリコンがアルバムチャートを集計し、発表し始めたのは1970年からであった。有名な「十五 十六 十七と私の人生 暗かった 過去はどんなに 暗くとも夢は夜ひらく」と言う歌詞の「圭子の夢は夜ひらく」の発売は1970年4月25日。

宇多田ヒカルが平成を代表する歌姫なら、藤圭子は昭和を代表する歌姫で、その存在は母子二代にわたって日本の音楽シーンを席巻した超稀なケースなのである。

宇多田ヒカルがデビューした1999年はネット接続機能を標準搭載したパソコンOS(Microsoft社のWindows95)が既発。更に数年が経過しており、当時社宅住まいでテレビを持たなかった私は木造アパートの二階でネット接続したパソコンの画面上で宇多田ヒカルの顔写真をみて「(母親の藤圭子さんと)そっくりやん」と心の中で叫んだ。声も顔もなるほど、あの藤圭子の娘なら納得・・・と時代を超えた二代目の歌姫を承認したのであった。

以下は昔の私の英語日記の記述

しかし、宇都宮市での2年の生活は、本当に楽しい生活ではありませんでした。

But I had not been happy in Utsunomiya city for 2 years.

それは、私が人生の目標を持ってなかったからだと思います。
I guess I did not have my goal in my life at that time.

私は、一人でラジオの宇多田ヒカルの歌を聞いていた。
I remember. I listened to the Utada hikaru's songs on the radio alone.

私は、仕事をやめて、故郷に帰ることを決断した。
I had decided to go back my hometown after quit my job.

宇多田ヒカルの場合は作詞作曲もこなす。そのシンガーソングライターの宇多田ヒカルが表現者として発する歌は、とても二十歳のそれとは思えないほど早熟で、なにか物悲しく、何かで満たされない欠乏感を抱えた四十路の私の心に響いたのだ。

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4、カーボンコピー人生

昔、まだ複写機が世に存在しなかった頃、手元に控えの書類を残したい時の手段は・・そうカーボンコピーだった。

カーボンコピー (Carbon Copy) はカーボン紙によって複写された文書のこと。CCと略称する。正本と副本とする二枚の書類の間にカーボン紙を挟み、ボールペンあるいはタイプライターで文書を作成すると、正副二通の文書が同時に作成できる。コピー機やプリンターが発達する前は複写を作る方法の主流であった。

カーボン紙(カーボンし)とは、書類の間に挟み複写を行うために用いる感圧紙である。略して「カーボン」ということもある。筆圧が感圧紙を通じて下の紙に伝わり、感圧紙が裏写りする仕組み。

感圧紙自体は、すすや蝋、油などを混ぜて耐久性のある紙に染みこませて作られる。このため一般的な製品の外見は黒色。PPC複写機(コピー機)が無かった時代には、官公庁などの事務仕事には重要な文房具であったが、印刷時にカーボンインキを塗布できるカーボン印刷用紙や書類を汚さずに複写ができるノーカーボン紙が発明されると需要は減少した。

宇多田ヒカルの人生はまるで藤圭子のそれを重ねてカーボンコピーしたかの如きなのだ。ネット上から二人の養育史や芸能史、結婚離婚等のライフサイクルを拾い上げてエクセルに反映させてみると、まるで母親である藤圭子のそれを30年スライドしたかの様な人生を送っている。

年表を作成したので参考にして欲しい。

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5、藤圭子と宇多田ヒカルの共通点

「藤圭子の死」によって色々なメディアから藤圭子周辺、宇多田ヒカル周辺の情報が出て来た。もちろん、音楽業界ライターや芸能記者も読者が興味を引く話題を提供している。

共通点

1、容姿と声帯の酷似

Googleで検索するとYoutubu動画や画像が沢山ヒットする。あなたも息を飲んでご覧下さい。

2、歌手として、音楽家としての大成功

藤圭子の時代はレコード、宇多田ヒカルの時代はCD。メディア(記録媒体)は異なっても世の中に与えた衝撃(インパクト)はすざまじく、代替可能なものは存在しない。

3、結婚と離婚を経験

藤圭子
1971年(20歳)前川清(歌手)と結婚。
1972年(21歳)離婚。

宇多田ヒカル
2002年(20歳)紀里谷和明(映像作家)と結婚。
2007年(24歳)離婚。

4、突然の引退と休業宣言

藤圭子
1979年(28歳)引退を突然表明し、アメリカ合衆国に渡る。
宇多田ヒカル
2010年(27歳)8月9日、同日付の自身のブログで年内をもってアーティスト活動を無期限休止することを発表した。

「来年から、しばらくの間は派手な『アーティスト活動』を止めて、『人間活動』に専念しようと思います」と宣言し、「2年になるか、5年になるか、わからないけど、一回り大きくなって帰ってくるから。少し時間をください」とファンに呼びかけ、同年秋には新曲も含めたシングルコレクションを発売することを明らかにした。「人間活動」について、「50歳くらいになったとき、マネージャーなしじゃ何もできない痛いおばさんにはなりたくなかった」「できればボランティアとか人と関わることようなことを外国でやりたい」「おばあちゃんになるまで生きたい。そのときは日本にいたい」と語った。

今振り返ると、この時点で、母(藤圭子)と娘(宇多田ヒカル)の関係も疎遠になっていた。

藤圭子さんは、2007年に夫の宇多田照實氏と正式離婚。数年前から飛び降り自殺の現場となったマンションに住んでいた模様。

2010年に人間活動を宣言するに至る宇多田ヒカルさんの心の中を察してみよう。

アーティストとしては大成功するものの母親と同様に結婚離婚を経験、20歳で卵巣腫瘍(良性)を経験(精神分析的な解釈では自身に女性性に否定を表す)。年を重ねるごとに重症化していく藤圭子さんの心の病を知っていながら何もする事ができない娘(後述)。意識的か無意識的にかはわからないが、宇多田ヒカルさん自身の心の中で母である藤圭子の生き様を再生しているかの様な自身のそれと向き合う為にしなければ行為としての「人間活動宣言」があったのではないか?

5、特異な家庭環境と養育史

藤圭子さんは、幼少の頃、瞽女(盲目の三味線奏者)である母と一緒に東北・北海道を周る旅芸人一家の娘として生まれ育った。学業は優秀であったものの経済的理由から高校進学は断念。17歳の時に『さっぽろ雪まつり』のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。18歳で「新宿の女」でデビュー。20歳で結婚。21歳で離婚。28歳で引退渡米。31歳で再婚。32歳で宇多田ヒカルを出産。

宇多田ヒカルさんは、アメリカ合衆国で誕生。5歳の頃、母親である藤圭子さんが心の病を発病。父親である宇多田照實氏と母親である藤圭子さんは結婚離婚を7回繰り返したと言う。ネットの情報を拾うと、宇多田ヒカルさんは心の病を抱えた母:藤圭子さんに翻弄された生活を送ったらしい。経済的には恵まれていたかもしれないが、子どもは親が展開する生活環境の中で生きていかなければならず、精神基盤を構築する子ども時代をそういう環境で生きていかなければならなかった宇多田ヒカルさんの精神構造は堅牢なものであろうか?藤圭子さんがなくなった時に発した宇多田ヒカルさんのコメントを以下に紹介する。

8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。

様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。

誤解されることの多い彼女でしたが... とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。

25年8月26日

宇多田ヒカル

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6、藤圭子は心の病にかかっていた。

前頁での宇多田ヒカルさんのコメント

幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。彼女は「現実」と「妄想」の区別が曖昧になっており、自身の感情やコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。


・・・を元にすると、藤圭子さんは、宇多田ヒカルが幼い頃から進行性の精神の病にかかっていて、周りの家族は何もできず悩んでいたとの告白と受け取れる。

ネットで報道される藤圭子さんは数年で5億使っただの、賭博に大金を投じているだの、JFK国際空港で麻薬がらみで大金を没収されただの、元夫の宇多田氏と7回も結婚離婚を繰り返しただの・・いわゆる元一世風靡した有名人の引退後の奇行報道の対象者であった。特に藤圭子さんの場合、実の娘がジャンルが異なるとは言え、音楽家として成功をおさめていただけに余計に注目を集めてしまった。

しかし、今となれば「あぁやっぱり藤圭子さんも心の病によって世間から奇行と受け取られる行為をせざるをおえない状況に追い込まれていたのだな」と納得できる。

藤圭子さんの元夫の宇多田照實氏の別のコメントによると、藤圭子さんが心の病にかかったのは宇多田ヒカルさんが5歳の時であると言う。

家族の目からみて心の病による異常行動を認知したのが宇多田ヒカルさんが5歳の時なら、発病は当事者の藤圭子さんが37歳の時と言う事になる。ある精神科医は産後鬱が引き金では?とコメントしていた。

私の勝手な想像と解釈を以下に述べる。

精神分析的視点で人をみる時に重要視するのが、その人の養育史である。どんな家族構成で、母からどの様に養育されたか?幼年時にどの様にして「自我」を形成したかが大切な要素となる。

精神分析的子育てを語る時に推奨されるのが「オールOK子育て法」である。

『オールOK子育て法』とは、子どもの要求を全てOKし、待った無しに子どもから言われた通りにすぐ動く対応法、世話行動をいう。子どもの健全な自我の育成、主体性の獲得を目的とする。サイト:オールOK子育て法 http://mama.lacan-msl.com/

藤圭子さんの誕生は昭和26年。1951年である。世の中の状況は、第1回NHK紅白歌合戦放送、以後恒例化。日本国との平和条約・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約締結。プロレスの力道山デビュー。ラジオ東京(現:TBSラジオ)が開局。終戦が1945年であるから、前後の混乱を脱しやっと生活に落ち着きがでてきて、後の大衆が熱狂するプロレスの芽がでたり、国民的行事の紅白歌合戦の第一回目の放送がなされたりしている。力道山の活躍を一般大衆が目にするのは「街頭テレビ」であり、一般家庭に白テレビが普及するのはもっと後の話で、人々に歌や踊りや演奏を披露して各地を移動する仕事が成立する時代背景があった。

藤圭子さんの場合、幼年期は盲目の母(瞽女)と一緒に、東北や北海道を拠点に活動した旅芸人一家の娘であった。旅芸人一家ときいて具体的にどんな生活をしている人なのだろうか?と想像力を働かせても具体的なイメージは湧いてこない。が、寒さ厳しい北日本を幼い娘が目が見えない母親と一緒に移動しながら生活するのである。藤圭子さんは世話をされるよりもむしろ「母の面倒をみた娘」であった筈だ。ラカンの精神発達論にでてくる精神の発達や自我の形成とはかけ離れた環境で育った事は容易に想像できる。更に利発な子どもであったにも関わらず経済的理由から高校進学もせず(できず)。17歳でスカウトされ18歳で「新宿の女」いきなりのスターダムである。東北地方の旅芸人の娘がいきなり「新宿の女」でブレーク。シンデレラガールと言えば聞こえはいいが、その後、20歳で歌手の前川清と結婚21歳、で離婚とくれば、あぁ危ないなと思わせる。

その後の、藤圭子さんは1979年突然28歳で芸能界引退・渡米する。藤圭子さんにとって「芸能界引退・渡米」とは如何なる意味があったのだろうか?歌で生活してきた藤圭子さんが芸能界を引退するという事は、藤圭子をやめて阿部純子に戻る事を意味する。しかし、いくら「私はもう藤圭子ではなくて阿部純子です」と主張してみても、日本にいる限り、彼女は阿部純子ではなく元演歌歌手の藤圭子なのである。よって、彼女は藤圭子を殺す為に、芸能界を引退し、日本も脱し渡米したのである。

普通に考えて欲しい。母に世話をされる事が当然の「子ども時代」を持たなかった女の子がいきなり二十歳前で不幸な女を売り物にして芸能界でスターダムにのし上がる。一見華やかな世界であるが、魑魅魍魎が跋扈する芸能界。高額の収入があった藤圭子の周りにはよからぬ大人達の利権争奪合戦が繰り広げられた筈だ。金を出している時はニコニコしているが、金を出し渋ると手のひらをかえず大人達。果たしてそんな環境で、豊かな対人関係を築いていけるだろうか?藤圭子は「どうせアンタも金目当てなんでしょ!」と人に対する不信感を募らせた筈だ。「一人の人間である阿部純子」を理解承認し暖かく包み込んだ人が当時の彼女の周りに何人いただろうか?

人間阿部純子は芸能人藤圭子と日本社会におさらばし渡米したのである。もし、藤圭子さん自身がこの時、自分で自分の精神の病に気が付いて治癒の為に渡米したなら、自己転地療法を施したとも言えるのだが、彼女の場合はそうはならなかった。藤圭子は阿部純子として再生できなかったし、むしろ、再生の物語は、実の娘:宇多田ヒカルによって「藤圭子の再生」として綴られる事になったのである。不幸な事に藤圭子は今で言う「統合失調症」にかかってしまう。

「現実」と「妄想」の区別が曖昧・・・そう、既刊の月刊 精神分析でも

2013年04月号で取り上げた「ブラックジャックによろしく 精神科編 佐藤秀峯」で考察した「統合失調症」・・・昔で言う精神分裂病の事である。

http://agency-inc.com/blackjack/

藤圭子さんの元夫の宇多田照實氏の別のコメントによると、藤圭子さんが心の病にかかったのは宇多田ヒカルさんが5歳の時であると言う。・・が、周りの家族が心の病である事を認知したのが、当事者の藤圭子さんが37歳の時。

あるきっかけがあって統合失調症という心の病が表出し家族の認知がされたのが、藤圭子さんが37歳の時であり、そうなるに及んだ原因となる事がらは、それ以前にあった筈である。

できる事なら、藤圭子さん自身から自身の養育史や家庭環境をお聞きしたいし、芸能界で苦労された事、結婚、妊娠、出産、育児の事、元夫の宇多田照實氏との関係。娘である宇多田ヒカルさんとの関係。直接聞きたいのだが、すべては叶わぬ事となってしまった。

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7、世代間連鎖

ネット上で、宇多田ヒカル自身が自分の養育史を語っている動画をみつけた。HNKのトップランナー(1997年4月4日-2011年3月26日)だ。

宇多田ヒカルさんが登場した(第331回 2006年6月18日)時の司会者は4代目:山本太郎(後の参議院議員)さん・本上まなみさん(2005年4月10日-2008年3月22日)。

この時、宇多田ヒカルさんは23歳(今から7年前)。

このHNKのトップランナーの動画の中で、宇多田ヒカルさんが自身の子どもの時の生活環境を語るシーンがある。噂にはきいていたが、自身の口から語られるのを目の当たりにすると結構ショックだ。

23歳の宇多田ヒカルさんがNHKのトップランナーで語った自身の養育環境とは・・。

物心がつく年齢になるに従って、友人の家庭環境と自分のそれが少々ノーマルでないと感じ始めたという。まず両親の職業が音楽関係というのは特異な環境であることを認識し、更に、その二人の関係も安定したものではなく結婚と離婚を7回繰り返した夫婦のもとで育った

うちちょっと変だなと思ってました。簡単に言っちゃえば、職業柄一応、親が芸能人とかで、家にいる時間が不規則とか、地方回りであんまり家にいないとか、色々、そういう生活的な事もあたけど、もう、何が起こるか全くわからなかったですね。母(藤圭子)がおもいっきり、あんたTHE芸能人やなみたいな、アーティスト肌の人で、常識にまたくとらわれない、予測のつかない人で、急になんか学校から帰ったら「光、明日からニューヨークに引っ越すわよ」みたいな。「え!?え!?・・あの、うん、わかった。」「荷物まとめなさい」「わかった」でしくしく泣かきながら荷物まとめて次の日ニューヨークにいくとか。また2、3年経って「明日東京帰るわよ。」って言われて。東京にまた引っ越してとか。「お友達にお別れ言いたいよぉ」「後から手紙書きなさい」・・とか。そういう感じだったです。

心の準備なしですか。

そう、あぁ最近、家の中が険悪って思ったら。「もう二度と会えないよお父さんと」って言われて。「え?」ってなって。離婚しちゃったなんて、そんなんばっかりでしたね。

そんなんばっかって。

だって、この人だち(宇多田ヒカルの両親)5、6回結婚と離婚繰り返しているんですよ。わけわかんないです。


逆に羨ましいですけどね。その情熱と・・・

うん。そうおもうんですけど。なんかちっちゃい頃、泣きながらお父さんとお別れとかして、わーんて学校で作ったパイプ(粘土の奴)とかあげて、これもってってて言って。あーもう会えないんだと思ったのに、なんか一か月後位に気が付いたらお父さんが家に住んでるんですよ。

気が付いたらって・・・

あれぇって思うと、私たちまた結婚したのって言われて。

あらーみたいな事が多かったですね。

家族みなさん音楽にたずさわっておられますよね。

実際、なるのかなと思っていたのは科学者とか、作家、漫画家とかになりたいと・・なるのかなと思っていたんですね。と思ってたんですけど、気が付いたらミュージシャンになってましたね。

親が前の日の深夜からスタジオにいるんで、学校が終わったら直スタジオに行って、どんちゃか・どんちゃか音出している中で、スピーカーの下のソファに寝転んで宿題やったり、寝たり、ご飯食べたり、そんな生活も変だなと思ったましたし。

スタジオ代稼ぐ為に車売ったりする親みてて、安定した生活とか何が大切なんだろうって思って。お金大丈夫かなと思ったりして。私、絶対、こんなミュージシャンとかなりたくないと思っていたんです。

上記の宇多田ヒカルさんの語りを素直に受け入れ「なぜ、藤圭子さんが実の娘に安心・安定した養育環境を提供できなかったのか?」と言えば、ずばり、母である藤圭子さんの養育環境自体が旅芸人一家で北日本を巡業する日々であったからだ。つまり、時代が進み、ニューヨークと東京と言う国際的スケールで巡業する様になっただけで、やっている事は藤圭子さんんが幼かった頃の巡業暮らしをスケールを大きくして再演しているだけの事。

また、経済的な不安定さも同一である。ある日、映画のロケ先で藤圭子さんはもらったジャムパンを手にして涙したと言う。藤圭子さんは「幼い頃は旅芸人一家は経済的に恵まれておらずジャムパンが食べたくても食べたいと言い出せなかった」という。音楽スタジオの使用料を工面する為に車を売ると言うが、もし、舞台がアメリカなら、移動手段の車を手放す事は生活事態に大きな不便をもたらす事になる。

なぜ、母である藤圭子さんが宇多田ヒカルさんにその様に接する事ができたのか?答えは簡単だ、藤圭子さん自身が無意識:コンプレックス(複合観念体)として上記の生活スタイルを体に染み込ませてしまっているから、それを実の娘(宇多田ヒカル)に強いる事ができたのである。

知らず知らずに子どもに対して、自らの幼少期の体験をしいる・・・無意識のなせる業である。

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8、宇多田ヒカル無意識の語り

求愛

絶対的安定と安心(母)を求めて止まない彼女がそこにいる。

もっともベーシックな衝動だけに、その叫びは多くの人の琴線を刺激する。

Automatic -(1998年12月9日)

七回目のベルで受話器を取った君
名前を言わなくても声ですぐ分かってくれる
唇から自然とこぼれ落ちるメロディー
でも言葉を失った瞬間が 一番幸せ

嫌なことがあった日も
君に会うと全部フッ飛んじゃうよ
君に会えない my rainy days
声を聞けば自動的に sun will shine

It's automatic
側にいるだけで その 目に見つめられるだけで
ドキドキ止まらない Noとは言えない
I just can't help

※It's automatic
抱きしめられると 君とParadiseにいるみたい
キラキラまぶしくて 目をつぶるとすぐ
I feel so good It's automatic

あいまいな態度がまだ不安にさせるから
こんなにほれてることは もう少し秘密にしておくよ

やさしさがつらかった日も
いつも本当のことを言ってくれた
ひとりじゃ泣けない rainy days
指輪をさわれば ほらね sun will shine

It's automatic
側にいるだけで 体中が熱くなってくる
ハラハラ隠せない 息さえ出来ない
I just can't help

It's automatic
アクセスしてみると 映るcomputer screenの中
チカチカしてる文字 手をあててみると
I feel so warm

It's automatic
側にいるだけで 愛しいなんて思わない
ただ必要なだけ 淋しいからじゃない
I just need you

First Love - (1999年4月28日)

最後のキスはタバコの flavor がした
ニガくてせつない香り

明日の今頃には あなたはどこにいるんだろう
誰を思ってるんだろう

You are always gonna be my love
いつか誰かとまた恋に落ちても
I'll remember to love
You taught me how
You are always gonna be the one
今はまだ悲しい love song
新しい歌 歌えるまで

立ち止まる時間が動き出そうとしてる
忘れたくないことばかり wou

明日の今頃には わたしはきっと泣いてる
あなたを思ってるんだろう yeah yeah yeah

You will always be inside my heart
いつもあなただけの場所があるから
I hope that I have a place in your heart too
Now and forever you are still the one
今はまだ悲しい love song
新しい歌 うたえるまで

You are always gonna be my love
いつか誰かとまた恋に落ちても
I'll remember to love
You taught me how
You are always gonna be the one
まだ悲しい love song

Now and forever Fu...

- (2002年3月20日)

どんな時だって
たった一人で
運命忘れて
生きてきたのに
突然の光の中、目が覚める
真夜中に

静かに出口に立って
暗闇に光を撃て

今時約束なんて不安にさせるだけかな
願いを口にしたいだけさ
家族にも紹介するよ
きっとうまくいくよ

どんな時だって
ずっと二人で
どんな時だって
側にいるから
君という光が私を見つける
真夜中に

うるさい通りに入って
運命の仮面をとれ

先読みのし過ぎなんて意味の無いことは止めて
今日はおいしい物を食べようよ
未来はずっと先だよ
僕にも分からない

完成させないで
もっと良くして
ワンシーンずつ撮って
いけばいいから
君という光が私のシナリオ
映し出す

もっと話そうよ
目前の明日の事も
テレビ消して
私の事だけを見ていてよ

どんなに良くったって
信じきれないね
そんな時だって
側にいるから
君という光が私を見つける
真夜中に

もっと話そうよ
目前の明日の事も
テレビ消して
私の事だけを見ていてよ

COLORS -(2003年1月29日)

ミラーが映し出す幻を気にしながら
いつの間にか速度上げてるのさ

どこへ行ってもいいと言われると
半端な願望には標識も全部灰色だ

炎の揺らめき 今宵も夢を描く
あなたの筆先 渇いていませんか

青い空が見えぬなら青い傘広げて
いいじゃないか キャンバスは君のもの
白い旗はあきらめた時にだけかざすの
今は真っ赤に 誘う闘牛士のように

カラーも色褪せる蛍光灯の下
白黒のチェスボードの上で君に出会った

僕らは一時 迷いながら寄り添って
あれから一月 憶えていますか

オレンジ色の夕日を隣で見てるだけで
よかったのにな 口は災いの元
黒い服は死者に祈る時にだけ着るの
わざと真っ赤に残したルージュの痕

もう自分には夢の無い絵しか描けないと言うなら
塗り潰してよ キャンバスを何度でも
白い旗はあきらめた時にだけかざすの
今の私はあなたの知らない色

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9、精神的DNAの継承(心的遺伝子論)

精神的遺伝子論というのがある。
http://lacan-msl.com/book2/

肉体的遺伝子情報は二重らせん構造をもつDNA(デオキシリボース核酸)によって親から子へ伝えられる。昨今、犯罪加害者の鑑定に利用されるので、DNAを言う言葉は既に一般化している。

身体的特徴や容姿、声は科学的にみるとDNAによって伝えられるという理屈から、親と子は似ていて当然という根拠になっている。

・・・ところがである、容姿や体つきが似ているだけではなく、その生き様までもそっくりな人がいる。今回、月刊精神分析で取り上げた「阿部純子(誕生時の名前)」さんと「宇多田光(誕生時の名前)」さん。・・・私を含めた多くの人がテレビ画面の向こう側やパソコンディスプレイの向こう側の人ではあるが、その存在と酷似した二人の生き様を知っている。

養育環境や職業選択、配偶者選択まで・・・今、この時点で、宇多田ヒカルさんは妊娠出産と言う局面を迎えてはいなが、なんのインパクトもなければ、なんらかの表現を職業とするアーティストと再婚し、女の子を出産する可能性が高い。

ただ、宇多田ヒカルさんの場合、成人時に卵巣腫瘍で片方の卵巣を摘出している(女性性の否定)をしているので可能性としては半々かもしれない。

古来日本文化の中で「親の因果が子に報い」「因果応報」「親の代の祟り」「宿命」など、親子関係にまつわる関係性が宗教的文脈や家風の継承場面で語られる事が多かった様に思う。

精神分析は科学であって、宗教ではない。

今号の月刊精神分析を一読された読者の方は、きっとご自身の親子関係はどうであったか?思い出し考えられたに違いない。親の姿を「いやだいやだ」と否定しながら育った筈なのに、気が付けば今度は自分が人の親になり子ども時代に嫌悪した親と同じ語りを今度は自分の子どもにしている事に気が付く(人生シナリオの再演)。その事に気が付く事もなしに子どもを虐待し続けている親が沢山いるときく。

今、あなたがすべきことは、あなたの心の奥底深くに沈めた母(父)と同様の無意識:コンプレックス(複合観念体)と向かい合う事。

あなたの代で止めどなく再演される「負の人生劇場」を終演させる事ではないだろうか?

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10、おわりに

今号の月刊精神分析はいかがでしたでしょうか?

あの藤圭子さんがまさかの投身自殺という報を受けて急に作成する事になりました。

色々ネット上で調べれば調べるほど、見事な心的遺伝子論に沿った母娘の生き様を顧みる事になり、心の中で「マジか」と呟きながら構成していく事となりました。

10年前、一人暮しにはやけに広く感じていた・・栃木県宇都宮市の社宅(木造アパートの借り上げ)の片隅でラジオから流れてきた宇多田ヒカルさん情感あふれる歌声に耳をそばだてた理由がわかった様な気がしました。

故・藤圭子さんの冥福を心からお祈りします。

2013年平成25年09月30日 月刊 精神分析 編集部A

ご意見ご感想はlacan.fukuoka@gmail.comまでお願いします。

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付録:宇多田ヒカルは帝王切開で生まれた。

偶然、Youtubeで藤圭子が出演している動画を発見した。今、この時点でまだ残っているかどうかわからないが「追悼 藤圭子さん 懐かしい、歌とトーク♪1998年平成10年11月05日放映・録画」である。

藤圭子47歳、宇多田ヒカル15歳(デビュー)の年に放映録画された番組のダイジェストである。

共演者は、黛じゅん、池内ゆかり、徳久広司、Kayo Mayo

番組内で死産で初めての赤ちゃんを失い、離婚した女性(その後、再婚し一女の母となる)のお便りの紹介した後。

黛じゅん:だって(藤圭子さんに)お子さんがいるなんて信じられないもん。私だってデビューの頃から彼女を知っていますけど・・・。

藤圭子さんの発言

(胸に)突き刺さってきますね。やっぱり特にね。最初の子どもって生まれるとき不安って言うっかね。元気な子が生まれるかどうかってあるですけど、それ以前に、自分がもう怖くてしょうがないんです。お腹がこんな大きくなっちゃってもうどうしていいか本当わからない。私もそれであの、またまた今、話をきいてて、思い出しちゃったんですけど。私の時も陣痛もなくって。出産もすごい誘発剤してもぜんぜんダメで「危ないかもしれない」っていわれて、それでもうギリギリだから帝王切開。「このままだと両方(母子)危ないから」って帝王切開になったんですけど。で、ギリギリのところで帝王切開して、自分麻酔かけられているからもうわかんないんですよ。意識がなくて、ただ、あの主人が傍にいてくれたから。もうその顔みただけで安心して、そのまま麻酔きいちゃって。で、無事に生まれて。

(赤ちゃん:宇多田ヒカルの)元気な顔みてたんだけど、結局、元気になって後で話をきいたら、生まれた時もぜんぜん紫で、もう全然産声なくって、それでもうピンピンたたいたりして、なんかして、やってたら、しばらくして、「ギャー」って凄い突然声あげたんだって話を後からきいて。「あぁ本当によかったな」と思って。

だからね、そういう体験をやっぱりしてるから。それがねぇ、死産だったらねぇ。本当にねぇどんなにかねぇ。そうなったらと思うとね。でも、今ね、幸せになてるって言うからね。それはもう逆にね、そういう事がね、あぁ「あん時、頑張ってよかったね」「あん時、頑張ったから今がある」って「あん時、耐えて頑張ったから今があるよね」って言えるよね。それで、立ち直る機会に歌があったって素晴らしですよねぇ。


精神分析的に上記の藤圭子さんの語りを分析すると以下の様に解釈できる。「子育ては母のまなざしの再生」と言う。

つまり、藤圭子さんは胎児である宇多田ヒカルさんをずっとお腹に抱えていたかった。つまり喪失したくなかったのである。パンパンになった自らのお腹の中にずっといて欲しかったのである。これは一世代遡って考証すると、藤圭子さんの母(竹山澄子さん)と藤圭子さんの関係性を再生しているものと解釈できる。

それだけ、藤圭子さんは三味線瞽女である母にづっと抱きかかえられたかった存在だったのである。今なってはそれを検証する術はないのだが、藤圭子さんの無意識:コンプレックス(複合観念体)は、分娩の時を迎えても宇多田ヒカルさんを自分のお腹の中から喪失する事を拒んだ。

後年、竹山澄子(2010年11月04日享年80)さんと藤圭子(2013年8月22日享年62)さんは共に絶縁状態のまま世を去るのだが、愛憎表裏一体というように、絶縁状態になる程、求愛しあったとも言えるのだ。

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付録:宇多田ヒカル 人間活動とDJ始めた深いワケ

女性自身 8月27日(火)0時0分配信

8月22日午前7時ごろ、藤圭子さん(享年62)が西新宿にある28階建て高層マンションの、30代後半の男性と同居していた13階から飛び降り自殺を図った。遺体は痩せ細り、右側頭部は陥没していたという。

東京・新宿署を出た遺体は、元夫の宇多田照實氏(65)が乗った車でそのまま都内の斎場へと向かった。だが、藤さんのひとり娘、宇多田ヒカル(30)の姿はそこにはなかったーー。

近年は、昔からの知人らとも音信不通になっていたという藤さん。06年3月、彼女は米ニューヨークJFK空港で約5千万円の現金を差し押さえられていた ことが発覚する。帰国した彼女は、数年ぶりにテレビ局のインタビューに応じ、「5年間で世界中を旅した。5億円使った」と明かすと同時に、「原因不明です けど、この20年間、吐きまくりの人生です。だいたい1日に5~6回、週に3日は吐いてます。今もそうです」と苦しみを語っていた。

孤独のなかで、精神的にも肉体的にも追い詰められていった藤さん。そんな彼女に、もう一度手を差し伸べようとしたのは、娘のヒカルだった。

「ヒカルは3年前に"人間活動"と称して、いっさいの芸能活動を休止しています。実は、この行動は母親のためにヒカルさんがとった行動にほかなりませんで した。ヒカルさんは、母とうまくいかない原因が、自分が得たお金にあるのではないかと気にかけていました。歌手としてではなく、娘としてなら、藤さんとま た向き合うことができるはず、そう考えたのでしょう」(音楽関係者)

芸能活動を休止してまで、母親の身を案じはじめたヒカル。音信不通になったままの藤さんへの思いは、募るばかりだった。藤さんの全盛期時代に一緒に仕事をしたレコードディレクターの榎本襄氏は、ヒカルの気持ちをこう代弁する。

「休業してからも、やっぱり彼女は母親のことを気にかけていたんでしょうね。今年の春から月1度、インターFMで『KUMA POWER HOUR』のDJをはじめました。そこには、『自分の声を発信していれば、母親に届くかもしれない』、またリスナーから藤さんの情報がもたらされるかもし れないという思いもあったことでしょう」

去年7月、藤さんの誕生日に、ヒカルはツイッターでこうつぶやいている。

《『面影平野』歌うカーチャン、すごくかっこ良くて美しい》

一時代を築いたシンガーがほかの誰より憧れたのは、自分を歌手へと導いてくれた母だった。

娘の切なる願いは、音信不通となった母に最後まで届くことはなかった。母娘にとって、あまりにも悲痛すぎる結末だったーー。

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付録:宇多田ヒカルさんの発言でメディアが考えるべき「精神の病」の問題

水島宏明 法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター

2013年8月31日 16時49分

藤圭子さんが自ら命を絶った。その出来事については、今もテレビのワイドショーや週刊誌などで「自殺の裏側」「隠された真実」などと称する記事が垂れ流されている。

藤圭子さんの自殺をめぐるテレビ報道の問題点については、前回の原稿で記した。

ここでは、その後に出た娘の宇多田ヒカルさんのコメントとそれをめぐる報道について書いてみたい。

宇多田ヒカルさんはブログに載せたコメントで、自分の母親が「精神障害」を持っていたことや家族として悩まされてきたことを告白している。 

「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。 幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。」

同じブログには藤圭子さんの元夫で、ヒカルさんの父親の宇多田照實さんもコメントを載せている。

「出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした。僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました。 この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が 見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、ま た迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました。とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を 受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。結果、本人が拒絶し続けた治療が 成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます。 直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました。 そのような環境の中、光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、「元気?」という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした。」

根っこに横たわっていた「精神」の問題。

自殺という行為の直接の原因は分からないが、娘として、元夫として、藤圭子さんの精神状態の不安定さに苦悩してきたことが伝わってくる。

精神障害者を抱えた家族としての本心の吐露だろう。このことは、たまたま芸能人の家族に起きたというだけで精神障害者を身内に持った家族に共通する普遍的な問題だと私には感じられる。

ところがだ。

メディアは、こうした精神障害者を抱える家族の問題を詳しく報道しない。
特に週刊誌やネットメディアは、その後、藤圭子さんの実兄が宇多田照實さんを「血を分けた兄である私が、妹の遺体にも会えない」と非難するという"愛憎劇"を中心に報じている。

芸能人家族の内側を探る、読み物として面白いゴシップだからだろうか。そこにはジャーナリズム精神は見られない。

精神病に関しては、偏見や誤解、無知が今も根強い。

殺人事件の加害者として逮捕された人間が精神病患者である可能性がある場合、どこまで通院歴などについて報道するのか。実名で報道するのか 匿名で報道するのか、ということは報道機関が毎回毎回、頭を悩まされる問題だ。明らかな精神錯乱というケースもあれば、2001年の大阪・附属池田小学校 での無差別殺傷事件のように「詐病」であることが後になってから判明したケースもあり、判断は簡単ではない。そのつど慎重な判断が求められる。「通院歴」 の有無が犯行に関係ないのにニュースでその事実を伝えてしまうと差別や偏見を助長する可能性があり、最悪の場合、精神障害だから人を殺した、というふうに 単純に受け取られかねない。

「宇多田ヒカルさんの手記、とても他人事とは思えません」。
藤圭子さんの自殺報道の続報である宇多田ヒカルさんの手記のニュースを見て、2人の若者が私にメールをくれた。
子どもという立場で精神障害者の親と向き合っている人たちだ。
1人は父親が精神障害というケース。もう1人は母親が精神障害を持つケースだ。他にもテレビのディレクター時代に取材で知り合った人の中に、家族に精神障害者を抱える人は何人かいる。
50代の父親が精神障害を抱える娘のケースは、患者である父親は躁鬱病でときおり攻撃的になって家族にDVを振るう。
父親は毎日のようにかつての友人や知人に長い電話をかける。同じ話が多く、しかも、現実味のないほどの大金が動く空想的な仕事の話をする。 根気よく聞き役に徹していても、いきなり怒鳴り出したり、時に暴力的になったりするので、友人は1人減り、2人減り、今ではつきあう人間もほとんどいな い。当然ながら仕事も失ってしまった。いきおい、彼のストレスの発散口は家族に向かう。時々、家の中で物を壊し、激高して妻を殴る。妻と年頃の娘は暴力に おびえ、妻は離婚して新しい生活に踏み出すかどうか数年間、悩み続けている。妻は大手企業の管理職で生活力があるため、離婚しても生活には困らないが、離 婚すれば夫がとたんに路頭に迷ってしまうため踏み切れない。
宇多田ヒカルさんのケース同様に精神障害を抱える40代の母親を持った息子のケース。
精神状態が不安定でときおり息子を口汚く罵る。統合失調症による被害妄想がひどく、ありえない話で罵倒されて、息子はひどく傷つきながら、 日々、母親に激しい変調がないか顔色をみて暮らしている。それでも家の外には病状をひた隠しにしている。家族は、患者本人の言動による攻撃を直接受けるた め、激しく疲弊する。他方で、精神障害に対する偏見が強いため、悩みを家族以外の人に打ち明けられずに苦悶するケースは多い。
しかも、患者本人が病気であることを自覚している場合ならまだ良い。精神科医の治療を受け続けているのであればまだ・・・。
だが、上記の2つの事例では、一度は精神科に通院したり、入院したりしたものの、その後、本人が「自分は病気ではない」と治療を拒んでいた。そうなるともう地獄だ。
私自身にも精神障害の長い友人がいた。昔から話に大きなところがある少し変わったところがある人間だった。妄想のような話で毎日のように職 場に「おい、ヒマか?」と電話をかけてきたり、毎週のように「元気か?」と職場にやってきたりと、「ちょっと変だな」と感じた時にはかなり病が進行してい た。話している途中で急に怒鳴り出したり、ビール瓶を振り回して殴りかかってきたり・・・。あまりにも頻繁に巻き込まれてしまうので、こちらの仕事にも支 障が出始めて携帯電話の番号を変えるなどして意識的に交遊を絶つしかなかった。
はたしてどうすれば良かったのだろうと、今も自問しているが、精神障害の最大の悲劇は、このように周囲も最終的には人間関係を切らざるえないケースが少なくないことだと思う。
宇多田ヒカルさん父子のブログを読む限り、藤圭子さんもそういう状態だったらしい。ただ、藤圭子さんがどんなに周囲との人間関係を壊してし まっても、芸能人、有名人ということで、この病気であることは外には隠さねばならず、家族としての苦労は並大抵ではなかっただろうと想像する。
こういう状態であったと分かったなら、本人の死後にメディアが行うべき仕事は"愛憎劇"を報じることではない。
精神障害者を抱える家族の悩みを表に出し、共有し、その負担を少しでも軽くする社会の仕組みを作る報道をすることだ。
残念ながら、そうした方向に全然進んでいないのはどうしたわけだろう。
精神障害者の苦悩など知りたくない、そうしたテーマは暗い話で難しい。番組を作っても見てはもらえない、書いたって読んでもらえない、というような判断が先に立ってしまうのだろう。
日々、目先のことばかりに追われる現在の報道現場では、精神障害を持つ患者や抱える家族の苦悩を取材したことがない記者やディレクターが圧 倒的に多い。たとえば、統合失調症という病気について、どんな症状なのか、治療法はどうなのか、強制入院などの仕組みはどうなっているのか、などを勉強し ている記者やデスクはテレビにも新聞にも週刊誌にもネットにも、ごくごく少ないというのはまぎれもない事実だろう。
知らないものは世間話とあまり変わらないレベルでしか問題を意識し、報道することができない。
時に、一般の人と同じような偏見や誤解に満ちた、ゴシップ的な報道をしてしまう。
そんな報道姿勢だから、テレビは信頼を失ってしまうのだ。
あるいは、そうした問題に慎重な新聞は、ほとんど表面的なわずかな出来事しか報じない。
テレビは、その気になれば、精神障害を持つ人を抱えている家族の日常的な苦悩をリアルに伝えることができるはずだ。
彼らがどんなことに悩んでいるのか。
藤圭子さんの場合ー
周囲がどんなに病気だと感じていても本人が病気であることを否定し、精神科の治療を受けることを拒んだ時にどんな方法があったのか。
精神をめぐる医療・保健システムのどこに問題があるのか。
その問題に切り込む報道が本当は必要とされているはずだ。
たとえば、精神障害者を家族に抱える人たちによる、公益社団法人・全国精神保健福祉会連合会(みんなねっと)という団体がある。
ここのホームページには、家族会としてのアンケート調査の結果が掲示されている。

●居宅、つまり、入院していない患者の場合に、「本人が1か月以上、治療を中断したことがあるか」という質問への回答―
「ある」74.5%
「ない」25.5%
●「本人の病状の悪化により危機的状況になった際、家族としてどのような苦労や心配があったか」という質問への回答―
(複数回答)
「本人がいつ問題を起こすかという恐怖心が強くなった」64.8%
「家族自身の精神状態・体調に不調が生じた」58.7%
「仕事を休んで対応しなければならない」47.3%
「家族が身の危険を感じることが増えた」30.9% 
など。
●「治療の中断や病状が悪化したときに必要なこと」という質問への回答ー
(複数回答)
「精神保健・医療・福祉の専門職が訪問して本人に働きかけてくれること」66.1%
「どのように対応したらよいか24時間相談できること」57.0%  
などとなっている。
それだけ「訪問してくれる医療・保健サービス」への期待が高く、現状では不足しているということだろう。
全国精神保健福祉会連合会がホームページで家族を支援するシステムが必要だ、として具体例に挙げているのが、イギリスのバーミンガムで行われている「メリデン・ファミリーワーク」だ。
ときおり、専門スタッフが精神障害者を抱える家族を訪問し、家族全員に話を聞いてサポート方法をアドバイスする仕組みだという。イギリスで は病気の再発率を下げた、という。私自身は取材したことがないので、このシステムそのものの評価はできないが、少なくとも日本でも検討してみる価値はある だろう。テレビも新聞も報道すべきことはこうしたシステムに関する紹介ではないのか。
藤圭子さんの自殺で浮かび上がった「精神障害者」と「その家族」の問題。
芸能人一家の人間関係がどうであったのか、などということにとらわれるべきではない。
"愛憎劇"などというが、精神障害がある人たちの周りの人間関係が「切れる」ことは、ある意味、当たり前のように起きていることなのだ。
そんな個々人がどうした、という話よりも、どういうケアがあるべきだったのか、という社会的な問題としてとらえるべきだろう。
藤圭子さんの場合にイギリスのような「訪問してくれる医療・保健サービス」があったなら事態はどうなっていただろうか。
宇多田ヒカルさんの後ろには無数の同じような患者家族がいるのだ。
手記を甘いBGM付きのナレーションで読み上げて、スタジオで「宇多田さん、つらかったのですね」と表面的に同情するだけなら、そんな放送はジャーナリズムなどではない。
メディアがやるべきことはほかにある。

水島宏明
法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター
1957年生まれ。東大卒。札幌テレビで生活保護の矛盾を突くドキュメンタリー 『母さんが死んだ』や准看護婦制度の問題点を問う『天使の矛盾』を制作。ロン
ドン、ベルリン特派員を歴任。日本テレビで「NNNドキュメント」ディレク ターと「ズームイン!」解説キャスターを兼務。『ネットカフェ難民』の名づけ 親として貧困問題や環境・原子力のドキュメンタリーを制作。芸術選奨・文部科 学大臣賞受賞。2012年から法政大学社会学部教授。

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付録:竹山澄子さん死亡報道(2010年11月)

歌手宇多田ヒカル(27)の祖母で、藤圭子(59)の母親の竹山澄子(たけやま・すみこ)さんが2010年11月04日午後5時30分、 肝臓がんのため都内の病院で亡くなった。80歳。藤の幼少期には流しで全国を一緒に回った。

20年ほど前に金銭トラブルが生じて以降、藤とは絶縁状態で、病床で「娘と孫に会いたい」と寂しがっていたという。

娘の藤と絶縁したまま、孫の宇多田とは歌手になってから一度も会えずに、無念の最期となった。
澄子さんは3~4年前に肝臓がんを告知され、入退院を繰り返していた。
がんは全身に転移し、最近は声が出なくなっていたという。
歌手で長男の藤三郎(60)によると、20日ほど前に体調を崩して都内の病院に入院。
三郎や澄子さんの妹らが見守る中、眠るように亡くなった。

病床では藤と宇多田に「一目だけでも会いたい」と願い、がんによる激痛と闘ってきた。
関係者によると、20年近く前に藤が「稼ぎを食いものにされた」と澄子さんと絶縁。
以降、一度も会うことはなく、藤は周囲に「二度と会いたくない」と話していた。

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付録:一度は引退した藤圭子 改名して芸能界復帰

<1981年7月>

藤圭子が「歌うことに疲れました。二度と芸能界には戻りません」と引退公演で涙を流し、渡米したのは79年12月。しかし、81年7月に帰国し、"圭似子"と改名して芸能界復帰を宣言した。

藤(当時28)が引退を宣言したのは79年10月17日。記者会見で藤は「やめる理由はあくまでも私の内面の問題」と説明して、「まったく歌をやめま す。間違ってもカムバックすることはありません」と決意を語った。前川清との離婚スキャンダル以降、人気が下降気味だったとはいえ、年収は5000万円以 上。不可解な引退宣言に、阪神の小林繁投手との熱愛、事務所とのトラブルなどさまざまな噂が流れた。

同年12月、引退公演を終えた藤はハワイ大学留学を経て、ニューヨークへと旅立った。歌手時代に稼いだ銀行預金の金利だけで月に60万円以上の収入があったという藤は、3000万円余りを持って渡米したとされ、ニューヨークで悠々自適の生活を送っていた。

ところが、81年7月に突然の復帰報道が流れる。藤の熱烈なファンだった実業家が新たに事務所を立ち上げ、藤を再デビューさせるというのだ。81年7月 29日に帰国した藤は会見で「広い世界を見て自分なりに充実した人生を送りました。でも、何度も何度も(復帰を)説得されて」と語った。引退時の涙は嘘 か? との質問には「嘘でも何でもないし、2年間たてば世の中動いてますし」とかわした。

事務所は否定したのだが、藤には借金の噂もあった。米国でバカラ賭博にはまり、1億円の借金を負ったというのだ。金銭目的の復帰ではとの問いには「お金に100%困らないといったら嘘になりますけど、お金が目的でカムバックするのではありません」とコメントした。

復帰では芸名を"圭似子"と改名。その理由を聞かれて、「私は名前にこだわっていません」と回答。結局、本心は明らかにならないまま会見は約1時間で終了した。

2億円ともいわれる資金をつぎ込み、新事務所は藤の売り出しにかかった。自身の復帰を題材とした10月スタートのドラマ「新・海峡物語」(テレビ朝日) では主演とともに、主題歌「螢火」も歌った。しかし、ドラマは低視聴率で打ち切りになり、曲のセールスも伸びなかった。実業家出身の事務所社長の手腕を疑 問視する声も出た。

そして翌82年1月、藤の同棲が発覚する。相手はニューヨーク時代に知り合ったという宇多田照實氏。これで事務所との関係が悪化し、藤側から契約解除を 通告した。さらに相互に損害賠償を請求する泥仕合となった。その後、裁判では藤側に1800万の違約金支払いが命じられるなど不利な判決も下された。

一方、宇多田氏とは82年に結婚、翌年、ニューヨークで長女・光を出産するが、直後に離婚するなど再婚、離婚を繰り返した。ニューヨークで共に暮らした娘は98年、宇多田ヒカルとして日本でデビューした。

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付録:年表&家系図

年表.pdf
img05.jpg
著作権の関係で、家系図外しておきます。

img04.gif

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Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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