舛添要一研究所

1、はじめに

今月の月刊 精神分析は、政治資金の不適切な使い方が問題化、都民と都議会・マスコミに追及され2016年06月15日辞職表面した前東京都知事(舛添要一)をテーマに取り上げます。

巷では既に参議院選挙と次期都知事選挙に関心が移っており、もう前都知事の疑惑追求など「どうでもいい」状態になっていてマスコミも無責任だなと感じるのですが、政治も半ばエンターテイメント化していて表舞台から降りた人の事など「誰も見向きもしない」となってしまうのが哀しいところです。

過去、月刊 精神分析では、今まで存命中の方を取り上げる事はあまり無かったのですが、舛添要一氏の生い立ちが大変興味深く分析の対象として価値あるものと思えました。どうぞお楽しみ下さい。

ご意見ご感想は、

lacan.fukuoka@gmail.com

でお待ちしています。

2016年平成28年09月30日

月刊 精神分析 編集部A

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2、対処関係でみる「本能」と「情緒」

精神分析学で精神発達論を勉強すると「本能」とか「情緒」とかいう文言が出てくる。

私は、舛添要一前都知事のマスコミや議会の質問者への受け答えを見ていて「あぁ、そりゃ違法ではないけど、そんな釈明の仕方をしたら、ますます、マスコミや議会・都民は納得できなくて、辞職に追い込まれるのに」「東京大学でて国際政治学者になってもその辺は欠損しているのね」と感じました。

舛添要一さんには、日本国の首都・東京のトップとして備わっているべき「情緒」が欠けている。

・・「情緒」と言う言葉。みなさんはどういうふうに使われますか?病名では情緒障害。文例的には「この子は情緒豊かだ」などと使います。

今風に言えば「その場の空気を感じ取る力」「KY」「空気読めよ」に近い使い方ですね。

非常にパワフルで秀才で、頭がよく弁も立つ人と言う評判の舛添要一さんがなぜ「KY」なのか?なぜ、舛添要一さんは空気が読めなかったのか?考察したいと思います。

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3、舛添要一表向きのプロフィール

img02.jpg舛添要一の生い立ち

出生:1948年〈昭和23年〉11月29日福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)

父・彌次郎、舛添家は江戸時代から続く庄屋の家系。
若松で石炭商(現在のガソリンスタンドのような存在)を営んでいた父は、行き詰まって福岡県八幡市(現:北九市八幡東区)で八百屋に転じたものの商いは厳しく、要一が小学2年の時に近くの材木店の火災で類焼して以降は酒に溺れ、要一が中2の時死亡。
自宅兼八百屋の現住所:北九州市八幡東区祝町2-4-9(ビューティサロン二葉:前)
戦前の昭和05年の若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補したこともあった(次点で落選)

母・ユキノ(母は長野県駒ケ根市の小池家の出身)

舛添要一は長男として生まれた。4人の姉がいる。実父の死後、一家は長女らの働きで食扶持を繋いだ。

幼稚園に通う。この頃から既に「漢字」を学習。
八幡市立祝町小学校(現:北九州市立祝町小学校)
八幡市立大蔵中学校(現:北九州市立大蔵中学校)を経て
福岡県立八幡高等学校では陸上部の短距離選手としてインターハイにも出場した。
東京大学へ進学し、教養課程では佐藤誠三郎のゼミに所属。法学部では政治学科に進学し、1971年6月に卒業した。

日本の国際政治学者、政治家である。

参議院議員(2期)、参議院自由民主党政策審議会長、厚生労働大臣(第8・9・10代)、新党改革代表(第2代)などを歴任した。

東京都知事(第19代)。株式会社舛添政治経済研究所所長、一般社団法人地域経済総合研究所評議員。

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4、舛添要一の青春の地

img06.jpgYoutubeの動画で舛添要一氏が生まれ育った町(北九州市八幡東区)の取材をしていたテレビ番組をみつけた。私が住む福岡県福岡市からだと60km余りの道のりで、Google地図上は国道3号線を利用して2時間で移動可能と表示される。

img03.jpg八幡については詳しくは別頁で語るので置いといて、取材映像から舛添要一氏生誕の地を探してみる。八幡東区で、バスが通っている大通りと小川の間の土地。取材映像にはボカシが入っていたのだが、特徴的な看板を掲げている店の前の土地。・・手がかりはこれくらいだが、見当をつけた場所をGoogleストリートビューで散策してみると意外と簡単にみつかった。目印にした店は北九州市八幡東区祝町2-4-9(ビューティサロン二葉)であった。上の写真の右手に映っている店舗が「ビューティサロン二葉」。取材を受けていた近所に住む人の話では、舛添家は今は歩道になっている土地で八百屋を営んでいたそうだ。板櫃川(いたびつがわ)と通りに挟まれた土地で「豪雨の日はどこに避難したんだろうか?」と心配になる。両親と兄弟5人がここに?と思わせる場所である。ただ、当時の八幡は官営八幡製鐵所のおかげで大変賑わっていたらしい。所謂、炭鉱の町であった筑豊(飯塚、田川、直方)で産出される石炭をエネルギー源として製鉄に明け暮れる地域。そう「鉄は国家なり」と言う言葉があった。文芸作品を目をやると、まさしく「青春の門」。青春の門は、炭鉱町に生まれた主人公「伊吹信介」が亡き父の姿をモデル化し上京し早稲田大学に通うという設定で、なんとなく舛添要一氏とカブらなくもない。

近くの三条橘交差点の袂の橋から眺めると、写真の中央が「ビューティサロン二葉」である。橋の下を流れるのが板櫃川(いたびつがわ)。
img04.jpg

Google地図の表示は下記の様になります。

img05.jpg

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5、神童・要一 介護・要一

<舛添要一 誕生から青春期年表>

1948年〈昭和23年〉11月29日 0歳 福岡県八幡市祝町
1949年〈昭和24年〉11月29日 1歳
1950年〈昭和25年〉11月29日 2歳
1951年〈昭和26年〉11月29日 3歳
1952年〈昭和27年〉11月29日 4歳
1953年〈昭和28年〉11月29日 5歳
1954年〈昭和29年〉11月29日 6歳 幼稚園(既に漢字の勉強)
1955年〈昭和30年〉11月29日 7歳 八幡市立祝町小学校1年
1956年〈昭和31年〉11月29日 8歳 八幡市立祝町小学校2年
1957年〈昭和32年〉11月29日 9歳 八幡市立祝町小学校3年
1958年〈昭和33年〉11月29日 10歳 八幡市立祝町小学校4年
1959年〈昭和34年〉11月29日 11歳 八幡市立祝町小学校5年
1960年〈昭和35年〉11月29日 12歳 八幡市立祝町小学校6年
1961年〈昭和36年〉11月29日 13歳 八幡市立大蔵中学校1年
1962年〈昭和37年〉11月29日 14歳 八幡市立大蔵中学校2年
父が亡くなる(経済状況の悪化)
1963年〈昭和38年〉11月29日 15歳 北九州市立大蔵中学校3年
1964年〈昭和39年〉11月29日 16歳 福岡県立八幡高等学校1年
1965年〈昭和40年〉11月29日 17歳 福岡県立八幡高等学校2年
1966年〈昭和41年〉11月29日 18歳 福岡県立八幡高等学校3年

何本か舛添都知事の幼少・青春時代、地元(北九州市八幡東区))を取材したテレビの取材の動画をチェックした。連日あの様な報道がなされれば・・案の定、地元の反応は芳(かんば)しくない。

舛添要一氏の「原点」 地元取材

「現代の肖像」

「アエラ」1990年6月5日号のノンフィクションコーナー「現代の肖像」では、舛添氏を特集している。この記事の中で、筆者でノンフィクションライターの吉田司氏は、東大進学まで北九州市の八幡で育った舛添氏の小中高校時代の友人の証言として、「舛添は八百屋の息子だよ。(中略)他人の土間先借りて野菜をパラパラッと並べたようなヤサイヤだった。貧乏? あいつが子供の頃、ポケットから金出して何か買ったの見たことないね」と書いている。さらに、舛添氏の姉も、「バラック小屋で勉強部屋もないような家でしたからね。教科書代もない。妹や要一は、夜遅くまで野菜のリヤカー引いて」と貧しい生活ぶりを率直に明かしていた。そして、舛添氏自身がこんな言葉を残している。「八幡なんて、なんにもない町だ。鉄クズだけだ。そこで何か生み出すってったら、ココだ、頭使うしかなかったんだ。俺はそれやったもん、一生懸命」タレント学者としてテレビで人気者になり、政治家、そして東京都知事になった舛添氏の「セコイ」金銭感覚は、幼少年期を通じて「なんにもない」状態を生き抜いた知恵の賜物、と解釈できなくもない

頭を使ってのし上がった舛添要一氏。頭の中は知識が詰め込まれてのであるが、その精神構造に情緒が育つことは無かったのである。

舛添氏の地元民は語る(北九州市八幡東区)

舛添要一は4人の姉がいる5人兄弟の末っ子。

おかあさんはいっつも赤ちゃん背負うてね。旦那さんが掃除したところにね。野菜並べてね。そらぁ働き者だった。お父さんもお母さんも。だからあんな(優秀な)人ができるのは当たり前と思っとった。幼稚園で普通の子と同じ遊びをせんでね。小さい時から(頭の良さは)出るよ。・(当時の舛添一家を知る近所のおばぁちゃんの語り)

北九州市八幡東区では(舛添氏は)町の英雄。中二でお父さんが亡くなってから家が傾き、「何で自分だけが金で困るのか」と嘆いていたと言う。

中学校2年の時、実父を亡くしてから、金にまつわるエピソードが多くなる。

舛添は(同級生が)汲み取り式のトイレに落とした金を拾ってやって、川で洗っていたのを覚えてますよ。

チラシの裏紙をノート代わりに使用。単英単語の練習して真っ黒になったらすてていた。その様子をみて震え上がりましたよ(俺にはできない)。

もうなして(どうして)?あんな人じゃなかったのに。

(八幡)高校始まって以来の秀才。青果店を営む働き者の両親。

中二でお父さんが亡くなってね。(高校の)部活は陸上部。短距離でインターハイへ出場。部活が終わって帰宅・風呂。それから毎日3時間勉強していた。高校1年の時に「東京大学法学部を受験したい」って。先生が「10年か20年に一人の逸材」って言ってた。天才ではなく努力の人。

当時、八幡市は八幡製鐵所の企業城下町となっていて、高級住宅に住み女中さんがお世話する、製鉄所の幹部がハイヤーで通勤していた。

舛添君は「(八幡)製鉄所の幹部に追いつき追い抜く」って言っていた。野心と上昇志向の人。高校の時、全校集会で校長先生が「舛添くんが九州でただ一人の奨学金をもらいました」発表したのを覚えてる。

舛添氏の選挙遊説の演説から

親父が(青果の)セリに行く時に、幼稚園だったんですけど、「来い」って一緒にセリに来ていたんです。昔、みかん箱って全部木で作ってました。それで親父が(みかんを)セリ落とすとですね。幼稚園だったけど、一生懸命漢字の勉強をしてたんで、父が「お前書け」ってから、チョークでね箱に「舛」って書いてたのをよく覚えてて、「この子頭いいな」って仲買の人にたちに褒められたのが、それからこれを機会に東大を目指してやろうと・・先生になったら奨学金を返さなくてよいって知ってますか?

舛添要一の姉(長女)の娘(姪)の発言

7年間の介護は大ウソ。母は「こういう時期が遅かれ早かれくるだろう」って言ってました。頭はいいんだけど、人間付き合いができない。総理大臣になりたいって言ってるけど。

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6、グレイト週刊文春(スプリング・センテンス)

最近の週刊 文春のスクープ一覧

フジ"新ニュースの顔"ショーン・マクアードル川上氏に学歴詐称疑惑
野球賭博で無期失格 元巨人軍投手・笠原将生が"懺悔告白"
清原和博、覚せい剤所持容疑で逮捕
乙武氏妻が「謝罪の理由」を初告白
"保育園ヤジ議員"菅原一秀議員が国会休んで愛人とハワイ旅行
神戸連続児童殺傷事件の元少年Aを直撃取材
宮崎衆議院議員(当時)の不倫
SMAPの存続条件を事務所首脳が実名告白
甘利経産大臣(当時)の金銭授受問題
ベッキー、ゲスの極みボーカルと不倫騒動
林横浜市長がヘアメイク代を税金で支出
能年玲奈母が独占告白「引退、洗脳報道はウソです」
神木隆之介が"驚異のくびれ"佐野ひなことペアルックデート!
ダレノガレ密着デート「寝かせないから」のお相手
横田滋さん・早紀江さん夫妻と孫娘のウンギョンさんとの面会写真を初公開!
谷亮子、自民党から参院選に出馬へ
ジャニーズA.B.C-Z橋本良亮が泥酔美女と自宅マンションに消えた!

「よくもまぁこれだけスクープが並ぶな」と感心するくらいスクープ連発の週刊文春。発行部数(698,834)。ライバルの週刊新潮を抑え日本一。テレビのバラエティや大手新聞社に先んじてスクープ連発。昔「三流週刊誌」と言う言葉があったが、ある識者の言葉を借りれば「週刊文春は一流週刊誌」で「文春に書かれたらその記事は信憑性が高く、まず信用して間違いない」・・文春編集部の「記事の内容には自信を持っている」という発言には真実味がある。と言う事・・・・らしい。週刊誌と言えば学生時代に週刊プレイボーイを購入していた位でキヨスクで週刊誌を購入する習慣がなかった私でさえ、最近のスクープ連発の文春には凄みを感じます。現実に文春の記事が無ければ、今頃、乙武洋匡さんは参議院選挙に立候補して遊説カー上の人となっていた筈。が、リアル乙武さんは離婚の危機に苛まれている。週刊文春で人生を左右された人になってしまった。

昔、芸能スクープレポーターに梨本勝(2010年08月21日没)さんと言う人がいた。当時のギャグに「梨本に言いつけるぞ!」と言うのがあったが、さながら今の御時世では「文春にリークするぞ!」と言い換えられるのかもしれない。

今回、舛添要一さんは文春の記事によって政治生命を絶たれたのであった。
以下、週刊 文春の舛添要一ネタ一覧。

2016年5月5日・12日GW特大号
都知事が公用車で温泉地別荘通い

2016年5月19日号<独走第2弾>
血税タカリの履歴
●正月家族で温泉宿 37万円 ●自著100冊買上げ 10万円 ●美術品等 900万円 ●湯河原別荘近くの回転寿司 5万円 ●自宅近所ピザ屋 20万円 ●3000円床屋は子供の分も領収書

2016年5月26日号<独走第3弾>
都知事選中に政党交付金を自分の資金管理団体に
「汚れた都知事選」四百万ネコババ

2016年6月02日号<独走第4弾>
カネと女「爆弾証言」

2016年6月09日号<独走第5弾>
「母介護の大ウソと骨肉の銭ゲバ闘争」

2016年6月16日号<独走第6弾>
新疑惑!公用車でN響年末第九コンサートに夫婦で!

2016年6月23日号<独走第7弾>
女性社長最後のブレーン激白100分「出版社社長」の正体

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7、無双 「おときた駿」議員にききたい。

ブロガー議員として有名な、「おときた駿」での集中審議での追求

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東京都民のみならず、日本中の注目を集めて行なわれた東京都議会集中審議(2016年06月13日)に於いて、若いのに舛添東京都知事と局長相手に「黒塗り出張経費明細書」「ロンドン市長の出張経費の使い方の比較」「曲ない不一致」「Y.MASUZOEヤフーオークションID削除問題」東京都の局長クラスの発言に「庁内不一致」と指摘する、などなど印象に残る追求を行ったのが 「おときた駿」都議会議員。

だいたい、Y.MASUZOEのIDを使ってのヤフーでの商品のなりすまし注文についても、なんで、パスワードを知らない人が舛添知事になりすましてY.MASUZOEのIDを使用して注文ができるのか?まったく意味不明。話の途中で、ヤフーからAmazonに話が変わってしまうし、結局「いい加減な金遣いしているから、誰が、いつ、どうやって注文したかもわからなくて、問題が起こってやましい事があるから、あわててY.MASUZOEのID消しちゃったんでしょ」と思われるよな。結局、美術品や娘の制服(ラルフローレン)までヤフーオークションで落札していたらしい。ここまでくると、誰も味方にはなりたがらない。

精神分析とは無関係なのだが、書き留めておきたい。今回の舛添要一都知事の辞職は、舛添要一氏自身の公私混同が招いたものだから当然の帰結なのだが、ちょっと待てよ。もし、週刊文春のスクープがなければ未だ舛添要一都知事は週末ごとの湯河原町の別荘への公用車通いを続けていたのではないか?

本当なら、特権を持つ舛添要一都知事の任ではなかったのか?

チェック機能としての都議会は機能しているのだろうか?都議会の集中審議でクレバーに都知事を追い詰めていた東京都北区選出の「おときた駿」議員にききたい。「都議会のチェック機能は正常ですか?ならば、なぜ都議会は都知事の公私混同を告発できなかったのでしょうか?週刊文春にスクープされる前に」と。

上記の記事を書いて、舛添東京都知事の辞職の後、今度は、東京都議会議員団のリオオリンピック視察問題が出てきた。この件も「おときた駿」都議のブログに詳しい。まったく、これでどの顔下げて投票に行って下さいと言えるのか?

都議会議員たちのリオ五輪視察は、やっぱり遊びだったことが判明

「批判されたし、選挙が怖いので行くのやめます!」

2016年6月24日 18:21 ? 都議会の話 ? オリンピック・パラリンピック, 政治とカネ, 政界の不祥事, 海外視察
こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。
私のブログ記事でも大きな反響があった都議会議員の「大量リオ視察」について、
昨晩~今朝にかけて中止という報道が先行して流れておりました。
これが本当なら極端すぎる。自ら今までの視察はすべて、「物味遊山でした」と認めるようなもの。議長・副議長くらいは行くべきだと思いますが、やっぱり遊びだったのか。

>都議会、リオ視察中止へ 総経費1億円前後、世論に配慮 https://t.co/eFuGHZw5QG
? おときた駿(東京都議会議員 /北区選出) (@otokita) 2016年6月24日

こんなつぶやきをしたら速攻でネットニュースにもなったわけですが、
その後に議会運営委員長(自民党)の事務方から当会派幹事長の上田都議宛に連絡が入り、
あれよあれよというまに「白紙撤回(派遣人数ゼロ!)」が正式に決定されました。
正規の議会運営理事会・委員会すら開かれることなく、
議論の余地のない唐突で強引な「中止決定」です。
呆れてものが言えないとはこのことです...!(怒)
この人たちは本当に、何を考えているんでしょうか?
(目先の選挙のことだろうけど、後述)
念のため言っておきますと、私は視察計画の見直し自体には大賛成です。
儀礼的な意味も含めて、次期開催都市の議員が現地に行くことには意味があると思う反面、
28人という数字の根拠を誰も説明できませんし、大会派の大物議員を始めとして
「行きたかったから(都民の税金で)」
この計画が作られたことは、辞退枠を山分けした事実からも明らかです。
メディア報道や世論がなければ、何ら気にすることなく旅立っていたことでしょう。
世論を受け止めて自らの過ちを認め、必要最小限な人数を検討する。
場合によっては議員は議長・副議長のみに止め、残りは実務家に枠を与える。
そして、これまでと今後の海外視察のあり方自体も検証していく。
こういった議論が本来、いま都議会がやるべきことのはずです。


しかし...批判を浴びたからいきなり「ゼロ」にするって、一体どういうことでしょうか?
私自身は都議会の海外視察に行ったことはありませんが、これでは自分たちの海外視察は
もともと「遊びだった」と自ら認めるようなものですし、実際にそうだったんでしょう。
都議会の海外視察は、毎年行われています。いくつかの報道にある通り、
昨年はラグビーワールドカップを見にロンドンに11名の都議が行ってますし、
概ね毎年10名~15名程度が、その時折に必要だと思われる国に視察に訪れています。
だったら今後、これらの海外視察もすべて中止にするべきです。
だって自ら、「議会の視察は無駄でした」って認めたんですから。
ちなみにこの昨秋のラグビーワールドカップ視察の調査報告書は、
半年以上経った今でも完成・提出されていません。これが都議会海外視察の実態です。
こうした海外視察の本質をなんら議論せず、
とりあえず目先の視察だけ
「費用が高騰し、世論の理解が得られないから」
と中止にするようでは、単なる責任逃れのパフォーマンスです。
しかもこれほど拙速に、正式な理事会・委員会すら開かずに決めたあたり、
よほど参院選挙(と翌年の都議会議員選挙)における悪影響を気にしたのでしょう。

こうした批判をかわすためか、都議会自民党は素早く
「視察自体は必要なので、今回は自費で議員を派遣する」
という発表を打ち出しました。
この危機対応の素早さは流石だとある種の感心はしますけど、
だったら今後の視察もすべてそうすれば良いと思います。
あと上記の本文の中で、「中止するに至りました」って他人事のように書いてありますが、
実質的にその主導権を持っているのは都議会自民党なんですけどね!
しかも理由を「経費高騰」の一言に押しとどめて、
増員や辞退枠の山分けといった批判の多いプロセスについては、なんら釈明なし。
舛添前知事にあれほど求めた「説明責任」は、一体どこにいったのでしょうか...?

(画像は先日放送されたゴゴスマより)
自民党だけでなく、辞退枠を山分けした民進党・民進党都議団(旧維新の一部)にも、
同じくこの点については説明責任があると思います。経費が高騰するなんて、
4月の時点では明らかにわかっていたことですから。
「やめたら終わり」が済まされるなら、
舛添前知事の最後の去り際を批判することはできません。


舛添知事の高額海外出張経費を激しく糾弾する一方で、
自分たちは増員や辞退枠の山分けをしてまで、リオ五輪大名出張を企画する。
批判を浴びれば選挙を恐れて手のひらを返して、誰一人(議長すら!)行かないと白紙撤回する。
この一連のプロセスは稚拙極まりないもので、
都民の批判を免れることはできないと思います。
私自身、このような組織の一員であることが本当に不甲斐ないです。
今回、これでこの問題を終わらせてしまっては、
腐敗しきった都議会の体質を変えることはできません。
私の所属会派「かがやけTokyo」は、まず今後の海外視察のあり方について、
改善要望書を議会運営委員長宛に提出したところです。

都議団による「リオ五輪視察中止」決定に対する見解について
http://your-party-tokyo.jp/activity/673/
なお熟慮の末に4月の時点で辞退をした私たちですが、
1月の予算案の段階では6200万円という予算組み立てや内訳について把握できておらず、
その時点で問題提起をしていれば、もっと早くに改善することができたかもしれません。
これはわれわれ自身の不徳の致すところとして、
大いに反省しなければならないと思っています。誠に申し訳ありませんでした。
今後は議会運営費についても、厳しくチェックの目を光らせていかねばなりません。
そして、一部の報道に「全会一致で白紙撤回が決まった」と流れていますが、
私どもかがやけTokyoは、この拙速な結論にも意思決定プロセスにも反対しています。
(選挙がなければ、それこそあと1週間くらい検討して委員会を開いたはずですから)
こうした誤報が起きてしまうように、一連の議論や意思決定が
ほとんど「非公開」で行われる都議会の情報隠蔽体質に、
私はすべての問題の根幹があるのではないかと睨んでいます。
このような都議会の体質を改めるために、
私は今後も情報発信を続け、中から声を上げていきたいと思います。
ぜひ皆さまからも、引き続き厳しい目でご意見をいただければ幸いです。
それでは、また明日。

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8、舛添要一の養育環境 団塊の世代

1948年(昭和23年)11月29日 - 福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)で生まれる。・・・と言う事は、舛添要一氏は終戦の僅か3年後に誕生した事になる。

団塊の世代

団塊の世代(だんかいのせだい)とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代。第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気を経験している。

もろ団塊の世代の舛添要一君である。

舛添都知事辞職 森田・千葉県知事「団塊同士で飲もう」

毎日新聞2016年6月17日 東京朝刊 舛添知事の辞職について千葉県の森田健作知事は16日、「やむを得ないが残念という思いもある」と語った。舛添氏にメールを送ったところ同日早朝に「ありがとう」と折り返しの電話があり、「同じ団塊の世代。冷たいビールを飲みたくなったら一杯やろう」とねぎらったという。後任について「五輪に向け都民、国、我々隣県もうまくまとめられる人がいい」と話した。埼玉県の上田清司知事は「理論と世の中の常識は違う。はき違えたのかなという印象」と評した。

先頃亡くなった鳩山邦夫元総務大臣(1948年昭和23年09月13日)も団塊の世代で、舛添要一氏と同学年。舛添氏も鳩山氏も超有名な秀才で、高校時代の全国模試では常に2番か3番を争っていたとか、当然の様に東京大学では机を並べ講義を聴いていたとか。

日本では団塊の世代。アメリカではベビーブーマーと言う。この世代の人達は、頭数が多く「常に競争、競争で大変だった」と言う話をきく。

残念ながら、団塊の世代にもそろそろ落日の時が迫っている様だ。

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9、舛添要一を生んだ八幡(現:北九州市)

img29.jpg舛添要一さんが生まれた「八幡」とはどのような街であったのだろうか?福岡市出身の私からすると、古賀市、宗像市のまだ向こう、遠賀川の先の工業地帯と言うイメージなのだが・・改めてネット上の情報を精査しながら考察してみる。

現在、京都府八幡市(やわたし)と言う自治体が存在するらしいが、舛添要一さんが生まれた「八幡」は福岡県北九州市八幡(現在は、八幡西区・八幡東区に分割)と呼ばれる地域だ。

img09.jpg上の写真は「八幡丸物」前を通る西鉄ライオンズ優勝パレード(1956年)舛添要一8歳の時。

因みに福岡県北九州市は私が生れた1963年(昭和38年)に門司市、小倉市、戸畑市、八幡市および若松市の5市が合併して誕生した。五大都市以外では初の政令指定都市。だから北九州市としての歴史は僅か50余年しかない。

八幡が歴史に出てくると言えば、そう誰もがみんな知っている、教科書に乗っている「官営八幡製鐵所」である。img08.jpg

新日鉄住金のサイトにはこうある「八幡製鉄所は、明治34年(1901年)官営製鉄所として操業開始以来、一貫して日本鉄鋼業界のリーダーとしての役割を果たしてきました。・・」と。

明治政府の殖産興業のスローガンの元、20世紀の日本国家の威信をかけて重工業の担い手として産声をあげたのが官営八幡製鉄所であり、それから50年。大戦を経て、焼け野原になった日本の再興の使命を帯びて、八幡に産声をあげたのが「舛添要一」その人であったのだ。

(右のグラフは北九州市のwikiから引用したグラフ。青色の福岡市の人口は順調に増えていっているものの、黄色と赤の北九州市の人口は5市合併後頭打ちで、むしろ、バブル崩壊後は、ジリ貧で100万人を割り込んでいるのが実情)
img10.jpg

旧・八幡市の人口を調べてみた。ネット上にある古いデータだと。・・・

明治22年(1889年)12月31日調現住人口
57,465 鹿児島市
55,063 長崎市
53,014 福岡市
52,833 熊本市
40,212 那覇

日本で最初の国勢調査の実施された大正9年(1920年)10月1日の現在人口では、
176,534 長崎市
103,180 鹿児島市
100,235 八幡市
95,381 福岡市
87,022 佐世保市

・・いきなり、1920年(大正9年)に八幡市単独で福岡市を抜いて九州圏内ベスト3の自治体としてランクインしている。この時、後に合併する自治体の人口は・・八幡市 100,235。門司市 72,111。若松市 49,336。小倉市 33,954。戸畑村 33,824。合わせて29万弱。ほぼ30万人の商圏が出来上がっていたのである。当時の福岡市の人口が約10万としても約3倍の人口が現在の北九州市圏にあって八幡はその核であった。今から100年前は北九州圏の方が福岡市圏よりよっぽど都会だったのだ。

舛添要一君が上京、1967年(昭和42年)するまで過ごした八幡市(1963年以降:北九州市に合併)は、決して偏狭な街ではなかったし、むしろ日本国が国策として形成した先進の工業地帯で、当時、その絶頂期にあったのだ。

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北九州市のサイトから

しかし、産業の繁栄は、一方で激しい公害をもたらしました。1960年代「ばい煙の空」と呼ばれた北九州地域の大気汚染は国内最悪を記録、洞海湾は工場廃水により「死の海」と化しました。この公害に対し、対策を求めて最初に立ち上がったのは、子どもの健康を心配した母親たちでした。住民運動やマスメディアの報道が公害に対する社会の問題意識を高め、企業や行政の公害対策強化を促したのです。市民、企業、行政の一体となった取り組みにより、環境は急速に改善され、1980年代には、環境再生を果たした奇跡のまちとして国内外に紹介されるようになりました。

確かに私が学んだ小学校の先生が語る北九州市はおどろおどろしいもので「洞海湾はヘドロの海。北九州の小学生に絵を描かせても青空を描く生徒はおらんとよ」と師が語っているのを覚えている。

映画の場面でイメージすると、人が多くて、雑然としていて、ごちゃごちゃで、カオスなブレードランナーの雑踏を思い浮かべればいい。近未来ではなくパラレルワールドって感じ。

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僕が教わった教科書にはベルト工業地帯なる記述があり、北九州市は工業地帯で華々しい地域と言うイメージがあったのだが、その実、バブル経済崩壊以前から陰りが見え始めていた。北九州の自民党の代議士の山本幸三さんのサイトをみると以下の記述があった。

第31話:北九州検証 ~重厚長大型の北九州市とサービス型の福岡市~

北九州市では製造業のなかでも鉄鋼、化学などの素材型産業一辺倒であるために、ほかの工業地帯で加工組立や生活関連型の工業が発達しているときに、その産業の幅を広げようとする時代の波に取り残されたのである。北九州市は今日の経済のソフト化・サービス化といった構造変化に対応しきれなかったばかりでなく、中心産業である工業のなかでさえ発展する分野に乗り切れなかったといえる。

僕からみた北九州市-。福岡市の小学生(高学年)は社会科学習の一環として、北九州工業地帯の見学がカリキュラムにあった。バスにクラスごとに分乗し朝から移動するのだから、遠足とはまた違ったミニ修学旅行気分であった。多分、見学したのは1973年頃なので、舛添くんは東京大学法学部で助手をしていた頃。今でも記憶に残るのは東芝の電球工場(2012年閉鎖)の見学。僕は「一日の生産量は?」などと質問する生意気なガキだったのだが、工場の騒音がすごくて説明してくれた女子工員の声がよく聞き取れなかった。あの時、隣にいた高田紀一君は40過ぎで、肝硬変で亡くなってしまった。僕より成績もよくてドッジボールは凄いボールを投げていたのに。娘さんが一人おられると風のうわさできいたが・・。あと、明治製菓の工場(2003年閉鎖)もなんとなく記憶にある。あとでっかい赤い橋を渡った。もちろんその橋は若戸大橋(1962年開通時は東洋一の規模を誇った)。子ども心に「北九州ってすげー」「でっかくって、おおきくて、うるさくて、色々つくってるんだ」と興奮した。40年経った今でも覚えている。在りし日の工業都市・北九州市を。

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単に人口推移だけをながめてみても、5市合併(1963年)以降の人口の伸びは止まり、バブル崩壊の1989年以降は確実に減り続け、現在は100万も維持できず市提供の最新データでは95万8千人となっている。で、福岡市は・・1979年(昭和54年)福岡市の人口が北九州市を抜き九州最大となり、昨今は、神戸市の人口も上回り政令市の中で5位(150万8千人)となった(1位:横浜市。2位:大阪市。3位:名古屋市。4位:札幌市)。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる舛添は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

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10、舛添要一ファミリー正妻・愛人・子どもは5人

表沙汰になった舛添要一(67歳)の女性遍歴

3回の結婚歴(自身のステップアップの為に女性を選択?)

3人の妻と2人の愛人。認知した子どもが3人(養育費の支払いが発生)

最初の妻
img14.jpg最初の結婚は1978年。相手はフランス人の一般女性。数年後離婚。
舛添要一氏ヨーロッパ留学中に出会い。帰国後結婚(東京大学で助教授)。
財産分与:150万円位?

二番目の妻(片山さつき・旧姓:朝長・・現職の参議院議員)

片山さつき

○生年月日:1959年5月9日○出身地:埼玉県さいたま市○最終学歴:東京大学法学部○離婚歴が1度ある。大蔵省在職中の1986年、東京大学助教授(当時)の舛添要一と見合い結婚したが、1989年に離婚。1990年、片山龍太郎と再婚。○職業:参議院議員(自民党所属)○既婚者で、1990年から実業家の片山龍太郎氏が配偶者。

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1986年に2度目の結婚をするが約3年で離婚(1989年)。
結婚式にはテレビ中継を入れた?
相手は現職の国会議員。不倫やDVが原因で離婚。
財産分与:150万円? 慰謝料:200万円?

<2度目の妻と別れる際に2人の愛人との不倫関係が発覚>

元愛人Aさん舛添要一氏の子ども:長男28歳)

元愛人Aさんの母親談:国会議員を辞めたら収入が大幅に減るからと、障害のある息子への養育費(22万円/月:現在も支払中)の大幅値切り交渉裁判を起こされた。司法の場で舛添要一氏の要求は退けられたものの。舛添要一氏からの謝罪の言葉はなし。

元愛人Aさんの父親談:結局、娘とは結婚することはありませんでしたが、それはまだしも、その後のフォローがない。普通だったら「息子は元気ですか?」くらい声をかけるものでしょ?男としてどうかと思います。

元愛人Bさん舛添要一氏の子ども:長女28歳、次女21歳)
(二人分で毎月16万~20万円の養育費:子どもが20歳まで)

1991年テレビのインタビューにこたえて・・殺し文句は「あなたみたいな方が奥さんだったら素晴らしい事でしょう。・・と、みんなに大体言うんですよ。私は気に入った方には」(これまで何人くらいの方におっしゃったんです?)「さぁそれはあんまり記憶にないんじゃないでしょうか?」当時42歳。今よりエネルギッシュな舛添要一氏はプレイボーイぶりを笑いながら豪語していました。

三番目の妻(現在の妻)

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舛添知事の奥さん

○名前:舛添雅美(ますぞえ まさみ)○生年月日:1964年1月6日(51歳)○出身地:神奈川県湯河原町○血液型:O型○趣味:乗馬、読書○学歴:聖心女子大学文学部卒業○職業:主婦、団体役員 1989年に美術館学芸員として働きながら、東大教授だった舛添氏の私設秘書を務め、その縁で結婚した。

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1996年現在の妻・正美夫人と結婚。現在は、舛添政治経済研究所の代表取締役に就任されていて、早朝からのマスコミの取材に対して「やましい事は何もありません!ちゃんと取材なさってから来て下さい!」とプッツンされていた。まぁ、合法なんでしょうけど、正月から家族で温泉施設に宿泊、飲み食いして、全額政治資金で支払いされたら、都民・国民からみると、不適切な政治家とその家族と言う視線を向けざるを得ない。それにしても、朝からスッピンの不機嫌そうな顔を全国放送されて、代表取締役って大変な役回りだなと可哀想になってしまいます。

で、二人の子ども(次男・三女)を設け今に至る。

三女:舛添果連(2000年生れ:慶應義塾高等部1年生)
次男:舛添龍之介(2003年生れ:慶應義塾中等部1年生)

舛添果連ちゃんと舛添龍之介くんがいじめにあってないか?心配。ネット上では果連ちゃんが着ていたラルフ・ローレンのブレザーは問題のY.MASUZOEのIDでYahooオークションにて落札されたものと断定されていて・・二人とも一生「あの、疑惑都知事の舛添の娘だ息子だ」と後ろ指さされそう。なにせ、税金で家族旅行したっと疑惑をかけられたままの辞職なのだから、子ども達もいい迷惑である。舛添果連とか舛添龍之介とかどこにでもある氏名ではないから、今後、何かある度に、あの舛添の娘、あの舛添の息子的目線を浴びるのかと思うと、ある意味子供達も被害者なのでは?と思ってしまう。

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合計。3人の妻、2人の愛人。5人の子ども(男子2人、女子3人)

精力絶倫ですな。

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11、舛添要一介護体験のうそ

「私の政治活動の原点は母の介護体験です」と舛添要一さんが声を大にしてアピールしているシーンをみかけた。Amazonにも「これでもか」と言うくらい、舛添要一執筆の介護本が並んでいる。

ウィキペディアの舛添要一氏の記述

2000年に実母が死去するまでの数年間は、介護のため週末は郷里の北九州市で過ごすことが多く、仕事の重点も関西にシフトさせていた。晩年認知症(痴呆症)であったこの母の介護体験記『痴呆症の母を守って家庭崩壊』を『婦人公論』に連載。母の介護問題を巡る困難や親族との軋轢などを赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。この体験以来、福祉や介護問題を始めとした厚生行政への働きかけや問題提起を活発に行っている。介護体験は自ら政治の世界に足を踏み入れるきっかけの一つとなり、後の厚生労働大臣就任へとつながっていった。

ところが、舛添要一氏の介護体験は大嘘で、すべて売名行為であると断じている人がいる。舛添要一氏の姪(実母の長女の娘)にあたる人の告発である。週刊文春のタイトルは以下の通り。

週刊文春

2016年6月09日号<独走第5弾>「母介護の大ウソと骨肉の銭ゲバ闘争」

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舛添要一さんの実母(舛添ユキノ)が90歳代で家の段差で躓いたのをきっかけに痴呆が始まった。ユキノさんは、舛添要一さんの11歳年上の長女夫婦と30年以上も同居しており、実母の介護は長女夫婦によってなされたのである。

ところが、世間は、舛添要一にいいように欺かれた。前出の姪の話を以下にまとめる。

1997年頃テレビ番組「サンディープロジェクト」の取材スタッフと舛添要一御一行が突然、実母(ユキノ)さんが入所している介護施設にやって来て、舛添要一が車椅子を押しているシーンの撮影をした。取材スタッフが姉に「今回の取材映像を放送してもいいですか?」と問うても「いや困ります」と言う返答。

すると、姉夫婦に舛添要一から強迫まがいの手紙が来たという。この手紙は現存しているとの事。

姉を損害賠償で訴えると強迫

舛添要一への暴行傷害:2000万円
舛添要一の妻に与えた精神的苦痛:1000万円
母ユキノに対する苦痛・病状悪化:1000万円
総介護費用200万円の4分の1の介護費用50万円を支払え

という内容だったと言う。

当然、週刊文春は、長女の娘(舛添要一からみると姪)による訴えの裏付け取材をしている。舛添要一は、長女とその夫(舛添要一からみると義兄)を著書の中で女帝とドーベルマンと評しているが・・・

実母:ユキノさんが入所していた介護施設の理事長(舛添要一の高校の先輩にあたる)は、ユキノさんの介護は、長女夫婦さんが献身的にされていました。もし何かしらの問題があったら周りの目もあるので、すぐ私に報告が上がってきます。舛添要一氏の著書に「母のおむつをかえる時」と言うのがあるが・・に対して理事長は「いや、おむつの交換は職員がしますから、舛添要一がおむつをかえる事はありません。おむつをかえる時なんて嘘ですよ。

八幡の舛添家の町内の方は「舛添さんの母さん(ユキノ)さんと同居されていた義兄さんは、町内会の会長もされていた方で、公園の雑草取りも気がついたら率先してされる様な方で、実際、私も義理の母のユキノさんをおぶっている処を何回もみています。舛添要一さん?殆ど見なかったですね。たまに姿をみてもカメラマンが同行しているところしか見た事がないですね。

・・・舛添要一さんが実母の介護をしたというのは大嘘という記述のオンパレード。まぁ、ここまで辛辣な報道をされて舛添要一サイドからなんの反論もないのだから、おやおや舛添さんは「親の介護」を売り物にして、政界進出して、まんまと厚生労働大臣になっちゃうし、自由民主党を除名になって、新党改革経由で、タイミングよく猪瀬都知事が辞職した後の東京都知事の座を射止めたのでした。

ところが、週刊文春さんに公私混同をすっぱ抜かれて、ヤメ検の「マムシの善三」の厳しい第三者の目で評価してもらっても「違法ではないが不適切」だと判定されて、やっぱり不適切な都知事と議会からも認定され、頼みの公明からも三行半を突きつけられ、自由民主党からも見放され、敢え無く「辞職表明(2016/06/15)」となりました。

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12、湯河原町が一番大事

公明党の松葉多美子議員(杉並区選出)の追求

img20.jpg2016年06月13日東京都議会集中審議にて、公明党の松葉多美子議員(杉並区選出)の質問によって、しどろもどろになって行く。

危機管理の甘さ、責任感の欠如の追求

05月30日20:23 小笠原の母島、23区で震度4の地震が発生 直後湯河原へ向かう
07月03日04:13 都内に大雨警報発令 解除がないまま湯河原へ向かう
07月03日深夜  洪水警報発令
09月09日~11日 北関東を中心に線状降水帯が発生
09月10日    鬼怒川が決壊 甚大な災害 都内一部に避難勧告発 被害発生
        こんな状況でも舛添知事は湯河原へ向かう

04月に2度の震度7が襲った熊本地震の報告はアメリカにおられた知事にも届いている筈。にも関わらず、帰国した翌日、その次の日も舛添都知事は登庁しなかった。

予算特別委員会、本会議代表質問、一般質問でも、東北大震災の被災地を訪問する事を要請したのにも関わらず、この2年間、舛添都知事は一度も被災地を訪問しなかった。「時間がなかった」と舛添知事は逃げの答弁をしていたのだが、知事は毎週、湯河原の別荘へ公用車で通っていた。舛添要一知事は復興五輪、2020年東京オリンピック、パラリンピックを語る資格は有りません。舛添要一知事は辞職すべきです。終わります。

img27.jpg上のこの表情の舛添要一氏が一番厳しい表情をしている。まるで、恐いママに手厳しく叱られた少年のような表情をしている。自由民主党には「後ろ足で砂をかける」ようなヤメ方をした舛添要一氏の一番強固な支持政党であった筈の公明党からの三行半。結果、辞職さざるを得なくなった。

舛添要一さんの奥さんは湯河原町出身らしい。そんなに嫁さんの出身地が好きなら湯川町の町長になればよかったのに。住所的には「神奈川県足柄下郡湯河原町」。なんでも舛添要一さんは都議会で「湯河原町は奥多摩より近い」と発言して顰蹙(ひんしゅく)をかったという。まぁ、都民感情としてはそうだろう。なにか奥多摩をバカにした様な発言である。

img28.jpg東京都庁:東京都新宿区西新宿2丁目8-1
泰山会 :東京都世田谷区代田3-48-1(舛添政治経済研究所)
湯河原町:神奈川県足柄下神奈川県足柄下郡湯河原町宮上 MIPE 湯河原別荘

Google地図で約100Km 渋滞無しで3時間10分

湯河原町は住所的には神奈川だが、川越えたらそこは静岡県熱海市でした。毎週毎週よくぞ通われました。舛添要一さんはすごい。

松葉多美子議員

4月に、二度にわたって震度7の大地震を襲いました、熊本地震の報告は、アメリカにいらっしゃった知事の耳にも、入っていたはずです。海外出張から帰国された知事は、帰国当日も、その翌日も、都庁には......来て、いらっしゃらなかった、ということであります。日本の首都、東京の知事として、あまりにも責任感がないと、私は断じておきたいと思います。知事、覚えていらっしゃいますでしょうか。3月の、予算特別委員会で、私は、知事に、福島の訪問を、要請をいたしました。公明党は、一昨年、2014年12月の本会議代表質問、そして昨年の2015年12月、本会議一般質問に、おきましても東日本大震災の被災地である福島県・宮城県・岩手県、被災地に知事は訪問すべきであると、そのように代表質問一般質問でも、訴えをさせていただきました。そして、今年の3月に、私は改めて知事にお伺いをいたしました。この2年間、知事は1回も東日本大震災の被災地の訪問をされていらっしゃいませんでした。私はそのことを厳しく知事に問わせていただきました。その時に知事はこうおっしゃったんです。「知事に、就任以来、なかなか時間が取れずに参ることができませんでした」もう一回申し上げます。「知事に、就任以来、なかなか時間が取れずに参ることができませんでした」と、そのように、答弁を、されました。しかし、その後、わかりました。知事は、その間、湯河原の別荘に49回、しかも公用車で行っていたではないですか。私は、大変に驚きました。憤りました。許せないと思いました。知事は、時間が取れなかったのではなくて、最初から、行く気がなかったのだと、私は思いました。東日本大震災からの復興の姿を、世界中の人々に見ていただくオリンピックであります。「復興五輪」と位置づけた2020年であります。舛添知事は、復興五輪を語る資格はありません!復興五輪を語る資格がないということが、2020年のオリンピック・パラリンピックを語る資格はないということであります。舛添知事は、辞職すべきです。終わります。

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13、お正月の家族旅行は政治活動

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日本共産党の曽根はじめ議員(北区選出)の追求

img21.jpg2016年06月13日東京都議会集中審議にて、日本共産党の曽根はじめ議員(北区選出)は、千葉県の「龍宮城スパホテル三日月」の領収書・・舛添都知事の政治団体:グローバルネットワーク研究会の政治資金の使い方の追求だ。

2013年01月03日237,755円を「会議費用」で計上。
2014年01月02日133,345円を「会議費用」で計上。

グローバルネットワーク研究会宛ての徴収書。各マスコミの取材によると、「龍宮城スパホテル三日月」の領収書の宛名は、チェックイン時の申請と違う宛名の領収書を発行する時は「手書きの領収書」になる事が判明。

・・と言う事は、家族旅行が、急遽政治会議になったのではなく、最初から家族旅行なんだけど、政治活動としての経費にする事を前提に、チェックインの時に領収書の宛名を「グローバルネットワーク研究会」にしたと言う事。政治資金規正法の虚偽記載で違法行為で終了。しっかりしてくれよマムシの善三。

「2年連続でスパホテルに家族旅行で来て、いかがわしい元出版社社長と重大な政治判断をする面談をしたから、会議費で領収書きってもらいました」って(笑)。そんなに政治資金が余っているなら、返還しろよ。政党助成金減らせよ。ここでも改革すべき役所の予算の単年度決算体質(予算は使いきらないといけない)に政治家が毒されている。いかに吸い上げた税金を使って自分がいい思いをするか?しか考えてない舛添氏の思考が読み取れる。よくぞ新党改革なんてアンマッチな党名考えついたね。

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14、舛添知事はどうやったら辞めていただけるんですか?

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Youtubeにも舛添要一問題関連の動画が多数アップされた。中でも衝撃的だったのが、2016年6月10日(金)舛添要一東京都知事定例会見の動画。各社の記者達が、都知事の疑惑に対して矢継ぎ早に質問を浴びせる。

中でも印象に残ったのは「舛添都知事はどうやったら辞めていただけるんですか?」 と言う質問だ。現職の都知事に向かって・・この質問の直後、舛添都知事の目が泳ぎ、一瞬、気が抜けた様な表情が見て取れた。上の写真は、動画のスクリーンショット。緊迫した記者会見場で、どうやって定例記者会見を乗り切ろうか?と明晰な頭をフル回転して挑んでいる最中「舛添都知事はどうやったら辞めていただけるんですか?」 と唐突な質問。一部の記者からは失笑も漏れた。東京オリンピックのマークが舛添都知事の角みたいにみえるし。

以下、記者と舛添都知事のやり取り。

(5:40)
記者:ですが、やってきた事があべこべじゃないですか?

舛添:ですから、そこをしっかり反省してですね。例えですよ、都知事になる前の国会議員時代の政治資金の問題であってもですね、それは沢山ご批判をあびております、そこは真摯に反省をしています。それから公用車の使い方の問題であるとか、海外出張の問題とかも批判を受けております、それは都知事になってからです これも厳粛に受け止めております だけど、あの、都市の整備とか観光振興であるとか社会保障であるとかそういう政策の面ではしっかりとやってきましたから 是非お許しを頂いてですね もう一度 しっかりと 仕事をしたいと 仕事をさせていただくチャンスを頂きたいと 今の私の気持ちです
(6:30)
記者 その声は都民の方を含めて まぁ あの政治資金の疑惑も入ってます国民の人達は理解を得られると思いますか、この言葉で

舛添:私は伏してお願いしたいのが今の気持ちです

記者 もう1点、あのぉ都民が今、一番知りたい事。興味のある事。関心のある事だと思うんですけど、「舛添都知事はどうやったら辞めていただけるんですか?

舛添:まぁそれは、今は都議会をやっていますから、都民の代表の都議会のみなさんとしっかり議論をしているところなんで、その中で、議論の過程を重視するって事が一番大事では都議会のみなさまが・・・

(回答を遮って)

(7:10)
記者:ですけど、議論になってないですよね。長時間、時間を使って。

舛添:いや、そう言ったご批判があるのは、わかりますけれども、私は一生懸命やっておりますし、そして、月曜日に集中審議をやりますから、まだ議会は終わってないんですよ。まだ、今からやります。ですからご理解頂きたいと思います。

(7:34)
記者:なんか毎回先延ばし、ごめんなさいね。毎回先延ばしにされている様に気がするんですけど、それは僕の個人的な勘違いですかね?何か事があると、第三者にて言って、結果がでると今度は都議会でって言って、いつ回答は得られるんですか?

舛添:私は都議会でもしっかり回答してますし、この場でもこうして、みなさまのご質問に対して真摯にお応えしているつもりですので、私はそういう想いで皆さん方に対しても、もちろん都議会に対しても対応していきたいと思っています。

https://www.youtube.com/watch?v=6VIy7wJ6wps

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15、舛添要一東京都知事、最後のお願い

舛添要一都知事から最後のお願い

政治資金流用問題を巡り、自民党を除く8会派から、不信任決議案を議会運営委員会に提出された東京都の舛添要一知事が、議会に対して最後のお願いを申し出た。14日夕、議運委理事会に自らの足で出向いて直談判。09月まで続投したい意向を語り、議会に協力を求めた。舛添氏は涙ながらに約10分間、議運理事会に訴えた「最後のお願い」の要旨は以下の通り。 昨日の総務委員会の最後に発言したように、都政に混乱を招いて不徳の致すところです。不信任が出れば解散か辞任をするかで、どちらも選挙になる。ちょうどリオ五輪・パラリンピックの時期で国益にマイナスであります。知事として混乱を避けなければいけない。私利私欲で知事をやっているわけではない。  (鼻水声で、声を詰まらせ涙し、ハンカチで目を拭う) 子どものことを言うのはなんですが、高1の娘と中1の息子がいます。毎朝、テレビに追いかけられ、泣きながら帰って来る。妻にもカメラを回して「やめてください」とガーガーと叫んでいる映像ばかり流して「変な女」と報じられます。週刊誌やワイドショーは基本的人権を考えてもくれない。子どもも殺害予告をされている。1カ月前も今も、子どもを守るために、すぐにでも辞めたいけど、都政を混乱させないようにやってきた。マスコミに真実と違うことを言われても、訂正もしてくれない。人格的に辱められ、失う物は何もない。 皆さんにお話しするのは最後になるかもしれないけど、公益を守りたい。都の名誉を守りたい。子どもを守るためには今でも辞めたいんです。ただ、都を守るために時間を頂きたい。都知事選には50億円かかる(前回は約46億円)。2度やれば100億円かかる。ここまで耐えてきたのはリオで東京が笑いものになってしまわないようにです。(09月の)第03回定例会に身を託します。

舛添要一東京都知事の涙の訴えであったが、議会が要求する問いに対しては「政治家の信義」を盾に明確な答弁をぜず、自らが都政を混乱させておきながら、「公益」を矢面に引き出しても説得力は薄く、全会一致で不信任案提出の回避はできなかった。ここに命運は尽きたのであった。

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16、舛添要一という人間

舛添要一氏曰く「クズ鉄しか無い八幡」を後にして、東京大出身の国際政治学者の肩書で、フランス人や、大蔵省の役人だった片山さつき氏と結婚するものの、愛人を2人、子どもを3人認知し、三人目の奥さんとの間に更に二人の子どもをもうける。

郷里の痴呆症の実母まで利用して「介護本」を書き、厚生労働大臣まで上りつめ、利用価値がなくなると自由民主党も離党して除名処分、猪瀬都知事の辞任のタイミングを上手に利用し、自由民主党東京都連と公明党を丸め込み「東京都知事」に当選するものの、週刊文春に公私混同をスクープされ、敢え無く辞任。

何でも利用できるものは最大限に利用し、合法的に使える金は潤沢に使いまくる。ファーストクラスにスイートルーム、美術品に、公用車に、別荘、家族旅行に自著まで購入。

今まで抑えに抑えてきた欲望を一気に発散するかの様なありさま。

よっぽど、幼少期の養育環境に問題があるのでは?と先入観を持ちつつネット検索をしてみるのだが、既に幼稚園の頃から漢字を学習し、高校でロシア語を勉強していたという上昇志向。晩年は落ちぶれた舛添氏の実父だが、帝国憲法下で市会議員に立候補をした事もあるとの事。舛添要一氏の上昇志向は父親譲りなのかもしれない。

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舛添要一氏は、中二で実父を亡くしてからは、長女夫婦が家計を支え、子どもが多かった舛添家は貧困化。日々、ガツガツ勉強し、奨学金を得て、その奨学金を返還しないですむ教員への道を歩んだ舛添要一氏に培われたのは「金への執着」であろう。

上昇志向と、金への執着。少年時代の劣等感やコンプレックスをバネにして成功者となれば、世間からは羨望の眼差しが注がれる筈が、舛添要一氏の場合、彼への評価は厳しい。

ある予算は、自分の為に使いまくる。合法かもしれないが、世間からみれば、合法なら何をやってもいいのか?不適切と言う目で見られる。この世間からの眼差しを感じ取る能力・空気を読む能力が舛添要一氏には欠けている。

高校時代の部活は陸上部で短距離走・・なるほど、他者との連携や、チームプレイは要求されない競技だ。舛添要一さんの世代の人は、先に亡くなった元総務大臣、鳩山邦夫氏と舛添要一氏が旺文社全国学力コンクールで常に1位2位を争っていたと言う。

舛添要一氏は「かならず見返してやる!」と心に誓ったに違いない。金と地位と女と権力を握る事によって・・・。その欲望はみたされたのだが、その先の思いは彼の中になかった。だから、そこまでの人間、そこから先が無かった舛添要一は、世間からのバッシングによって表舞台から引きずり降ろされたのである。

img38.jpgみんなが知っている偉人で「野口英世」と言う人がいる。少年時代の不慮の事故が元で「いじめ」にあう。貧しい家だったが、野口英世は努力して医者になり、研究者となる。黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年5月21日、ガーナのアクラで51歳で死去した。

実は、野口英世も、周囲の人達に暴言をはいたり、キレやすい人で、金遣いも荒く、研究者としては高評価でも、人としては?がつく人であったらしい。野口英世は、51歳で亡くなって、週刊文春にDVをスクープされなかったので1000円札のデザインにもなっているが、教科書で偉人扱いされなければ、果たして国民的好感度を与えるに相応しい人かどうか怪しい。

そういう意味においては、舛添要一さんも貧しさをバネに勉学に励み、それなりの成功をおさめた人物ではあるが、現在の情報化社会、ネット社会で週刊誌スッパ抜き評価が跋扈する時代の東京都知事の器ではなかったのである。

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17、東大生、元東大生と言うカテゴリー

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被害女性、調書で「服をはぎ取られ尻や背をたたかれた。許せない」...東大生わいせつ初公判

スポーツ報知 7月6日(水)7時4分配信

東京都豊島区のマンションの部屋で大学生の女性(当時21歳)を全裸にし、胸を触るなどしたとして強制わいせつと暴行の罪に問われた東大工学部4年・松見謙佑被告(22)の初公判が5日、東京地裁(島田一裁判官)で開かれた。松見被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。

検察側の冒頭陳述によると、松見被告らは女性を泥酔させわいせつ行為をする目的で今年春頃「東大誕生日研究会」というサークルを設立。05月11日午前 0~01時ごろ、都内の友人宅で同大大学院生の松本昂樹被告(23)=同罪で起訴=らと共謀の上、女性を全裸にし、またがってキスし、熱いカップラーメンの 麺を女性の胸元に落とすなどした。

女性は調書で「服をはぎ取られ、尻や背中をたたかれた。やったことが最低で許せない」としている。逮捕時は否認していたが、初公判で松見被告は「自分勝手な行動で被害者の方を傷つけたことを深く反省しています」と謝罪した。

松見謙佑は、普段は目立たないが、責任感が強く、サークル内では責任にある立場にいるのだが、酒が入るとすぐ女に触りたがるとか、酒乱のけがあったと言う。金融関係の内定を受けていて、こんな事にならなければ来春からは胸をはって社会人の第一歩を踏み出していた筈なのに・・相当、母(異性)へのコンプレックスと攻撃性を内在していて典型マザコンと分析できる。

こんな事件が表沙汰になってしまって・松見謙佑・藤田智之・河本泰知・松本昂樹・生嶋一生に、金と時間をかけて手塩にかけて育てたご両親は涙目か茫然自失かのどちらかだろう。

いくら学力が高くても、人間力が養われていなかったサンプルとして持ってこいの事例である。

わいせつ行為をする目的で「東大誕生日研究会」を設立した東大生の松見謙佑。

公金を私的流用する目的で「東京都知事」就任した元東大生の舛添要一

併記して見事になんの違和感もない文脈である。どちらも、学力が高くても、うまく社会適合できず、人の道を踏み外した輩として社会的に制裁を受ける事となった。

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18、舛添要一の失敗・ダモクレスの剣

img41.jpg上の写真は「ビートたけしのTVタックル」出演時のもの。

父親譲りの上昇志向と持って生まれた頭のよさ、そしてもちろん本人の努力を持ってして、名門八幡高校から東京大学へ進学。舛添要一氏は高校時代、真顔で「総理大臣になりたい」と同級生に語ったと言う。九州でただ一人の奨学金をもらい、返還しなくてもよいように教員免許を取得する。その後、国際政治学者として、各種テレビ番組に出演して知名度をあげる。実家の母に痴呆が出たとすると、TV局の取材クルーを引きつれ、30年実母と同居した姉夫婦の意向は無視して、肉親を誹謗する介護本を出版する。結果、介護の舛添と言う情報操作は成功し、自由民主党時代は厚生労働大臣に就任。自由民主党が落ち目になるとあっさり離党が除名され、猪瀬都知事が金で失敗したとみると、タイミングよく東京都知事に立候補・当選。

img24.jpg舛添要一氏には、2020オリンピックを控えた東京の最高権力者になって公金を自由に使いたいと言う欲望が最優先であったので、政治資金規正法のありよう(ザル)を最大限に活用し、私的な金遣いに走った。美術館の視察に行っても、被災地や、保育所、介護施設への視察は一回もない。政治活動の原点は「介護」じゃなかったの?いつから「介護」より「美術鑑賞」へ変節されたのか?

その間、まわりに少なからず舛添要一知事へ助言をする人もいたのだが、すべて無視。むしろ意見をする人を「うるさ方」として疎んじた。「裸の王様」舛添要一の誕生である。

自分ではない他者。客観的に鏡の様に自分を映して見せてくれる-鏡のような存在-カウンセラーやセラピスト、アドバイザーの言う事に耳を傾けていれば、このような事態は回避できていた筈だ。

舛添要一氏は「ダモクレスの剣」の譬えをご存知ではなかったようだ・・。

ダモクレスの剣

ある日、ダモクレスがシチリアの僭主・ディオニュシオスの権力と栄光を羨み、追従の言葉を述べた。すると後日、ダモクレスは僭主から豪華な宴の招待を受けた。宴は贅を極めたものであったが、その豪華な席からダモクレスがふと頭上を見上げると、天井から今にも切れそうな細い糸(馬の尾の毛)で、剣が吊るされていた。僭主・ディオニュシオスは、ダモクレスの羨んでいる僭主という立場が、いかに命の危険をともなうものであるかを示したのである。この故事から、ヨーロッパ文化圏で「ダモクレスの剣」は、常に戦々恐々としている状況、あるいはそのような状況をもたらすものの譬えに用いられるようになった。

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19、東京都議会の不思議 帰ってきたヒトラー

今回の事件では、舛添要一東京都知事の金の問題に終始し、舛添要一氏が辞任する事で、一件落着となり、世間の興味は既に参議院選挙や、次の東京都知事の候補者選びに向かっている。

私は思う。民主主義とはまだまだ発達する過程にあって、未熟な不完全なからくりなのだ・・と。だから、まだまだ多くの人が汗を流し育てて行かなければならないのだ・・・。

今回、東京都民は、舛添要一と言う金欲上昇志向の人間にそのポストを奪われ、政治資金規正法の脆弱な部分を突かれ「合法だが不適切」な金の遣い方を許してしまった。

img31.jpg心ある人の週刊文春へのリークで、2年超えで辞めさせる事ができてよかったと思うが、本来行政の行き過ぎや不適切な有様を監視・監督するのは議会の役目で、今回、舛添要一東京都政の与党の自由民主党や公明党は、あんな輩を都知事に推した責任があるわけで、このままでは無責任なのではないだろうか?

前回の東京都知事選挙(2014年平成26年02月08日)では舛添要一(公明党都本部、自民党都連 推薦・新党改革 支援)。宇都宮健児(共産党、社民党、緑の党、新社会党 推薦)。・・と、政党の代理戦争状態であり、安倍総理、山口那津男代表も国政の責任者がしっかり応援していたではないか。

集中審議で公明党の都議の追求を受ける都知事の表情をみていると明らかに困惑している表情がみてとれた。自由民主党の議員の追求は「ぬるい」とネット上でも酷評されていたが、公明党は舛添与党であるのにも関わらず、手厳しく明確に「辞任要求」をした。
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ネット上に公明党の日野市議会議員の窪田知子さんを応援する舛添雅美夫人の文章(多分:選挙パンフレットの添え書き)が掲載されていた。『舛添政治経済研究所 代表 舛添雅美 知子さんと私達夫婦は長年、家族ぐるみのお付き合いです。母の介護、子育て、夫の選挙と目まぐるしい日々の中で心の支えになっていただきました。人のために苦労をいとわない知子さんが、これまでの経験を政治の世界に活かしていかれることに、私たちは大賛成です。今日本は様々な問題を抱えています。「くぼた知子」さんの活躍を大いに期待します。』と。
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さてさて、舛添要一氏が辞任した後も、舛添家と窪田家の「長年の家族ぐるみのお付き合い」は継続されているのであろうか?政治家家族と政党支持母体の信者一家としてではない人と人の関係が継続しているのなら、それは「絆」と思いたいが、そうでないなら「長年の家族ぐるみのお付き合い」は、単なる政治業界の利害関係だったんでしょ?と世間はみてしまう。

まぁ、政治というものは「公」と言うところに関わっていくのが前提なのだが、今回の舛添劇場をみていると、舛添要一氏は公明党の固い組織票を利用し、公明党は、テレビメディアを通して作られた舛添人気を利用し、政治業界の利益の我田引水の為に相互利用しただけではないか。

プライベートで家族ぐるみの付き合いもあったのに、スキャンダルが表沙汰になったら、手のひら返しで切り捨てる。そういう公明党の独善的な動きは、共産党ティックで気持ち悪い。そう、舛添要一氏の困惑した表情は「仲間の裏切り」を突きつけられたからに他ならない。

「公明党の支持者」と言う言葉があるが、個々の支持者には、候補者を選ぶ権限(選択権)はない、ある日突然、各々の選挙区の候補者が「党」から提示され、宗教活動の一環として選挙支援活動が展開される。所謂、民主的な開かれた場で多数決によって候補者が決められる団体ではない。本来、宗教団体は教祖様を頂点とするヒラルキー体制なので、民主主義的システムはなじまない団体なのだ。

ちなみに公明党の党首(今は、山口那津男君)は、誰かと党首選挙で争ってその任に着いているのではない。それどころか公明党は結党以来50有余年、初代の「原島宏治」から現在の「山口那津男」に至るまで、だれ一人として民主的な公開選挙で選出されていない。どういった経緯で選任されたのか?ベールに覆われており「開かれた政党」というのは少々口はばったく感じる。

公明党代表

党首選出選挙については公明党規約第20条で規定されているが、結党以来、複数の候補者による党首選挙が行われておらず、無投票での党首選出が続いている。

党首でさえこの様なのだから、末端の支持者(信者・会員)によって、支持された人が議員になっているのではなく、どこからか?だれかからか?指名された候補を末端の支持者(信者・会員)が宗教活動の一環として支持している・・いや、選択権がない事に着目すれば「支持させられた」のだ。

「公明党の支持者」はいない。「公明党の候補者を支持させられている者」が正しい表現だ。

舛添要一を支持させた公明党は、舛添要一を支持させられた者に対して「恥をかかせてすみません」と謝ったのか?いくら宗教活動の一環としての政治運動でも、結果に責任は生じないのか?知らんぷりはまったくの主体の欠如で、やりっぱなし感が拭えない。国政では大臣の失態に任命権者の責任を問うているではないか?

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同様の文脈を大阪都構想の住民投票の時にも感じた。構図的には維新VS日本共産党を含む既存政党の戦いで、この日本共産党を含むと言う点がすごい。絶対に手を結ばない筈の自由民主党と日本共産党が手に握って(なりふり構わない)の賛否投票だ。

投票結果をみて驚いた。自由民主党の支持者でも、かなりの割り合いで「賛成」に票が流れていた。門外漢の私は「本当に難しい判断を迫られる政治課題で、みなさん、まじめに大阪の未来を考えて清き一票を投じたのね」と感じた。ところがだ、公明党支持者の投票行動をみて驚いた、支持団体は表向き自主投票としながらも、選挙結果はなんと公明支持者の殆ど90%が「反対票」を投じていたのだ。如何に「自主が嘘っぱち」か一目瞭然。なんと不真面目な・・主体性の欠如。自分達の未来を決める投票なのに、宗教活動の一環として投票するとなると、上意下達でみんなで「反対」ですか?そこに何の御利益が生じるのでしょうか?「自分にだけ福運があればいいのか?」「もっと真面目にやれ!」と言いたい。そう言う面においては、公明党は独善的な日本共産党と同じ「イデオロギー優先の党」で、共産党との違いは、国政レベルで自由民主党と手を握れるだけの柔軟さ、悪く言えばいい加減さがあるか否かの差に過ぎない。img36.jpg

宗教組織のあり方は、こういう政治判断をする時の装置としては、甚だそぐわない。なにか北朝鮮人民共和国の全体主義を彷彿させて気持ち悪い。

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昨日、映画「帰ってきたヒトラー」を劇場で鑑賞した。一見、主体性のあるように見える現在のドイツ国民が、帰ってきたヒトラーに丸め込まれていく様子が描写されていた。

ある日突然、世の中の価値観が転換するとき、昨日まで「戦争反対」の旗をふっていた民衆が、手のひらかえしをして「日の丸」をふるのではないか?

「あなた達は、何に魂をぬかれたんですか?」と肩を揺すりたくなる衝動にかられた。

「帰ってきたヒトラー」オススメです!。

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大阪都構想の住民投票、創価学会は「自主投票」

【大阪都構想】

大阪都構想の是非を問う住民投票について、公明党の支持母体である創価学会が、自主投票とする方針を公明大阪府本部に伝えていたことが27日、公明関係者への取材で分かった。公明は住民投票実施に賛成へと方針転換する一方、都構想自体には反対の姿勢を示しているが、住民投票で学会票が一定程度、賛成に回る可能性がある。

公明関係者によると、26日に大阪市内で開かれた学会と公明府本部の幹部会合で自主投票の方針が伝えられたという。学会関係者は「過去の住民投票でも自主投票だった。党の議員を支持する選挙とは違うため、縛れない」としている。

公明は昨年末、学会の意向などを受けて住民投票実施に賛成する方針に転換。一方で、住民投票では反対運動を展開する意向を示していた。府本部幹部は「都構想に反対していく方針に変わりはない」としているが、学会関係者は「反対運動に協力することも難しいだろう」と話している。

都構想をめぐっては、公明の方針転換により、今月13日の法定協議会で協定書(設計図)が決定。今後、大阪府市両議会の2月定例会での議決を経て、5月17日に住民投票が行われる見込みとなっている。

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20、舛添要一の実父:舛添弥次郎と親韓政治

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舛添要一の水の飲み方が「朝鮮飲み」であると言う指摘を多くみかけた。舛添要一氏は、韓国文化に精通した人なのだろうか?

韓国の飲酒マナーとしての朝鮮飲み

儒教色の強い韓国では目上の者の前で酒を飲むのは良くないことだとされる。しかし、3回勧められても飲まないのも礼儀に欠けるとされそこでこの飲み方を行う。この飲み方は美味しんぼ以外にも韓国文化を紹介するサイトや韓国旅行誌などでも紹介されていて、また韓国ドラマでも行われているため、文化として実在するものだと言える。

NEWS ポスト セブンから引用 舛添要一都知事の訪韓の成果がこれだ!

ソウル出張で韓国学校増設用地の斡旋を決めた

2016.04.05 16:00

「都民より外国を優先するのか!」──東京都民の都知事に対する怒りの声が鳴り止まない。東京都は3月16日、新宿区矢来町にある都立市ヶ谷商業高校の跡地6100平方メートルの土地を、在日韓国人への教育を行なう東京韓国学校の増設用地として来年4月から貸し出す方針であることを発表した。

JR市ヶ谷駅からほど近いこの都心の一等地は、来年3月まで校舎を改築中の区立小学校が仮校舎として利用しており、その後の用途が未定となっていた。

一方でこの地域ではマンションの新築が相次ぎ、保育所が不足したことから「待機児童重点整備地域」に指定されていた。そのため新宿区が都に対し、保育所整備地域として借用できないかと申し入れをしていただけに、「韓国人学校を作る」という突然の発表に周辺住民は驚きを隠せない。跡地のそばに事務所を構える大山とも子・都議会議員(日本共産党)はいう。

「韓国人学校が手狭なのは知っていますし、韓国人学校だからダメだというつもりはありません。ただ、保育所を作るよう要請してきたのに突然この話が持ち上がってきたわけで、説明がなければ納得できません。新宿区内には国有地もたくさんあるのに、なぜ都がこの土地を貸し出さなければならないのでしょうか」

都庁には批判などのメールが4400件、電話も1000件以上殺到した。そんななか、舛添要一・都知事は3月18日の会見で、新宿区からの要請は「聞いていない」とした上で、こう述べた。

「東京都とソウル市は姉妹都市なので、お互いに協力するのは非常に良いこと。ソウルで日本人学校を作るときに、ソウル市は全面的に協力してくれた。姉妹都市なので、お互い恩返しでやっていくと。いろいろな声があるのは当たり前で、これは政策の判断ですから、私の判断でやって、これから細かく詰めていく」

舛添氏の判断に大きな影響を与えたのが、2014年7月、"都市外交"を掲げて舛添氏が訪韓した際に行なわれた朴槿恵大統領との会談である。慰安婦問題などで冷え込んでいた日韓関係を改善させると意気込んでいた舛添氏は、このとき朴大統領から韓国人学校の整備について支援を要請されると、その場で「全力を挙げてやる」と約束したという。舛添氏からすると、その約束を果たすときが来たというわけだ。

待機児童問題が政治課題になっている最中に、ずいぶん思い切った事をされる方だなぁと思っていたのだが・・・。

舛添要一都知事問題をチェックしていて、興味深い事実を見つけた。舛添要一都知事の説明態度があんなだったので、案の定ネット上で「舛添要一は韓国帰化人」だとバッシングされていたのだが、その元ネタが「ハングル文字でルビがふられた選挙チラシ」であった。

舛添要一の実父:舛添弥次郎

舛添要一氏の実父(舛添弥次郎)が1930年昭和05年05月に立憲民政党(後の日本自由党のルーツの一つ)陣営から福岡県若松市議会議員選挙に立候補(結果、次点で落選)した時の広報チラシにハングルの名前を併記していた。当時、舛添弥次郎は若松で石炭商(現在のガソリンスタンドのような存在)を営んでいた。

おやおや親韓かい?と思えるトピックスであるが、1930年当時の日本国は、戦前の富国強兵の大日本帝国憲法の時代の話である。そう、まだ世の中には自由民主党も日本社会党も存在しなかった。

戦後の民主教育を受けた私には「一瞬、ん?」と思う事実を発見した。実は、1930年当時、在日朝鮮人にも選挙権が与えられていた!。更に、被選挙権も与えられており、実際に在日朝鮮人でありながら大日本帝国憲法下で国会議員になった朝鮮人(朴春琴)もいたのだ。

朴春琴

慶尚南道出身。密陽漢文書塾・日語学校で学び1906年に訪日。土木作業員から手配師となって、清水組や佐藤工業・飛島組・熊谷組などの仕事を請け負った。(中略)衆議院議員としては、日本政府の朝鮮人差別を追及するなど民族的利益のためにも活動したが、現代の韓国では売国奴(親日派)とみなされている。

当時の福岡県若松市は官営八幡製鐵所(1901年02月操業)の企業城下町状態で経済的には潤っていた筈だ。

韓国併合以降「韓国併合」および「日本統治時代の朝鮮」

1910年の韓国併合以降、渡航する朝鮮人は急増し、内務省警保局統計によれば1920年に約3万人、1930年には約30万人の朝鮮人が在留していた。併合当初に移入した朝鮮人は土建現場・鉱山・工場などにおける下層労働者で、単身者が多くを占める出稼ぎの形態をとっていたが、次第に家族を呼び寄せたり家庭を持つなどして、日本に生活の拠点を置き、永住化もしくは半永住化を志向する人々が増えた。。河宗文によれば、「日本政府は朝鮮人の渡航を抑制したり受容したりしながら、朝鮮人労働者を日本資本の差別的構造の中に編入させて行った」とする。当時、日本での朝鮮人の生活は劣悪なもので川辺や湿地帯に集落を造り、賃金も日本人の約半分であったとされる。然しながら当時の朝鮮人の朝鮮国内の賃金と比較すると破格の高収入だった。

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と言うことは、韓国からの出稼ぎ労働者にも選挙権を与えていた事実があるとなると、日本国は意外とまじめに、大東亜共栄圏 五族共和を考えていて「やる気のある朝鮮人は日本で働いて下さい。朝鮮国内より稼げるし、選挙権も被選挙権ももらえますよ。」を実践していた事になる。

舛添弥次郎氏は福岡県若松市会議員に立候補し、八幡製鉄所で下層労働者として働く朝鮮人の支持を得ようと、自身の選挙ビラにハングル文字のルビをふったのである。舛添要一氏は東大出の国際政治学者と言う肩書きをお持ちだが、実父の弥次郎氏も、1930年の日本国において、日本人はもとより、在日朝鮮人にも支持を訴える国際派であり「そう言う時代」の日本国を生きたのである。

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21、政務活動費(政活費)の不自然な支出の野々村竜太郎氏

こちらも政治と金で問題になった政治家。

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野々村被告が判決日未明にブログ更新

神戸新聞NEXT 7月6日(水)0時45分配信

野々村被告が判決日未明にブログ更新

野々村竜太郎被告

政務活動費(政活費)の不自然な支出をめぐる事件で、詐欺などの罪に問われている元兵庫県議、野々村竜太郎被告(49)が6日未明、報道機関などに対して「裁判所出頭等妨害自粛等のお願い」とする文章を自身のブログに投稿した。同日午後2時半から、神戸地裁で判決公判が予定されている。同被告は「精神的に不安定」を理由に欠席した昨年11月の初公判前にもブログを更新し、取材の自粛を求めている。同被告はブログで「私、野々村竜太郎に対する接触や撮影、取材等は既に固くお断り申し上げております」と強調。判決後のコメントや会見の予定はないと告知している。さらに「本日、裁判を受ける義務を果たすために、無事に出廷し帰宅するためにも、押し掛け出廷や帰宅の妨げをされませんように」とし、取材を受けた場合、110番通報する可能性を示した。起訴状によると、野々村被告は架空の日帰り出張費などを計上し、政活費約913万円をだまし取ったとされる。検察は懲役3年を求刑している。

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22、おわりに

今月の月刊 精神分析はいかがでしたでしょうか?時の人「舛添要一」氏の養育史から考察してみました。

そのうち「俺みたいになるな!シクジリ東京都知事舛添要一」でマスコミ復帰される事と存じます。

今の様な時代は、舛添要一氏のアンテナでは対応できなかったと言う結論に達しました。

資産も資金もない、田舎から東京にでてきた一匹狼である舛添要一がでかい組織で頭を取る為には、箔をつける女と結婚し、愛人をもうけ、実の母をダシにつかった売名行為で知名度を上げ、愚衆を味方につけ、都知事になるしかなかったのである。

彼の支持基盤は愚衆なだけに、週刊誌報道で、ネガティブイメージが流布されると、あっという間に梯子を外され権力の座を追われる事となった。

今頃、自室に籠もり、どうやって政党にとりいって、新たな自分のポジションを奪取するかを考えているに違いない。不適切な政治資金の使い方をして、都知事を追われた舛添要一氏がどうやって表舞台に復帰するのか?お手並み拝見である。

しかし、不適切な政治資金の使い方をしている議員は他にも沢山いる筈で、運悪く?、週刊文春に狙われた人のスキャンダルがまたすぐ紙面を賑わすのだろう。

我々が標榜している民主主義とは、そういう危うさを抱えている事を忘れてはならない。例え時代がどうなろうと、世間が変わろうと、自分自身が生き抜くだけの「自我」を育てる事に邁進したい。

では、また来月お会いしましょう。

ご意見ご感想は、

lacan.fukuoka@gmail.com

でお待ちしています。

2016年平成28年09月30日

月刊 精神分析 編集部A

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23、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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