少年A神戸連続児童殺傷事件 タイトル画像

1、はじめに

月刊 精神分析では、先月号と先々月号と先々々月号で「少年A神戸連続児童殺傷事件」を取り上げた。

少年A神戸連続児童殺傷事件

1997年5月27日早朝、神戸市須磨区の神戸市立友が丘中学校正門に、切断された男児の頭部が放置されているのを通行人が発見し、警察に通報。5月24日から行方不明となっていた近隣マンションに住む11歳の男児のものとわかった。耳まで切り裂かれた被害者の口には、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」名の犯行声明文が挟まれており、その残虐さと特異さからマスメディアを通じて全国に報道された。

ジャーナリストや少年Aの両親の謝罪本、被害者の土師淳君の父親の土師守さんの本をソースに事件を読み解いてきた。

元少年Aが著した「絶歌」を読んでみても肝心な「関東医療少年院」での矯正教育の記述がすっぽり抜け落ちていて、少年法と少年院の有用性を論じる事もできない。

事件から18年が経過した今、唐突に事件の加害者本人が事件の事を語った本を出版するなんて驚きの展開である。

更に更に9月には、元少年Aのサイトまで解説・公開された。

今号では少年Aが影響を受けたであろう「ゾディアック事件」をソースに事件を読み解いてみる。

ご意見ご感想は
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でお待ちしています。

2015年平成27年09月30日

月刊 精神分析 編集部A

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2、ゾディアック事件(米国)とは?

アメリカで起こった連続殺人事件で、犯人が地元の新聞社に送りつけた手紙で「これはゾディアックからの手紙だ(This is the Zodiac speaking.)」と自称した事から、殺人犯=ゾディアック、事件名がゾディアック事件と呼ばれる様になった。

以下、ウィキペディアからの引用。

ゾディアック事件

ゾディアック事件(ゾディアックじけん、英: Zodiac Killer)は、アメリカ国内で有名な未解決事件のひとつにゾディアック事件といわれる事件がある。1966年から1974年にかけて複数の男女が白人の男に襲われ、猟奇的な方法で6人が殺害された事件だ。この事件を世間に印象付けた理由はゾディアック自身が犯行後に警察を挑発し嘲笑するような電話や自分の本名が書かれていると主張する暗号文をマスコミに送り付けるなどし、世間に大きく扱われるように、犯人自身がその犯行をプロデュースしていた点だ。

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3、町山智浩の映画塾!「ゾディアック」<予習編>

映画評論家の町山智浩さんがゾディアックを語っているので参考にして下さい。

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4、ZODIAC (2007) trailer

以下は英語版のゾディアック(2007年)の劇場予告編であるが、事件の特異性をよく描写していると思われる。

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5、町山智浩の映画塾!「ゾディアック」<復習編>

映画評論家の町山智浩さんがゾディアックを語っているので参考にして下さい。

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6、絶歌に綴られた「ゾディアック」

元少年Aの著作「絶歌」に土師淳君を殺害した後、淳君の頭部を神戸市立友が丘中学校の校門に晒しに行く前に、自宅二階の自室で犯行声明文を作成する様子が以下の様に描写されている。

絶歌 P.94

夜風が僕を擽った。僕は笑った。ベッドから抜け出し電気をつけると、ベッド下の収納引き出しの裏から、一連の犯行すべてに使用した手袋を取り出した。手袋を嵌め、押入れの衣装ケースから新品の画用紙と赤と黒の油性マーカーを取り出し、学習机の上に置いた。一枚目の画用紙に、アメリカの連続殺人鬼ゾディアックの声明文を真似てメッセージを書いた。筆跡を隠しつつ、何か特徴を持たせようと、文字の形をわざと書張らせた。この字体が思いのほか功を奏し、「赤く角張った文字」は僕の事件を象徴するヴィジュアルのひとつとなった。末尾には「学校殺死の酒鬼薔薇」と書き、その横に、ナチスの鉤十字とゾディアックのシンボルマークを組み合わせた風車のようなシンボルマークを描いた。一枚目の画用紙を四つ折りにし、それをもう一枚の画用紙で包み、表の紙にも「酒鬼薔薇聖斗」と書いてシンボルマークを添えた。

中学生の頭でも、指紋がつかないように手袋をする知識があり、筆跡をごまかす術知っていて、ご丁寧にアメリカの殺人鬼ゾディアックを模倣して「犯行声明文」を作成し携行する様子が綴られている。

あぁ少年Aは世間を騒がす事で、透明なボクを、世間の誰もが知っている日本版連続殺人鬼(ゾディアックの模倣)にしようとした明確な意思が感じられる。

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7、ウルトラマンと仮面ライダーとゾディアック

自分(現在52歳:昭和38年生まれ)が小学校の頃の憧れは誰だろう?元祖仮面ライダーの本郷猛(ほんごうたけし)に扮した藤岡弘さんは長らく男らしさの象徴であったし、勿論、ウルトラマンシリーズもウルトラマンレオ位までは毎週見ていた記憶がある。小学校高学年位になれば、仮面ライダーやウルトラマンに変身できない事は周知の事実となり、中学生になる頃には性と自我が目覚め、リアルで面倒な家族関係や学校関係を認知する様になり、自分より(人生)経験豊富な深夜放送のパーソナリティに語りに興味が以降していった様なきがする。私の世代は人としての成長期が日本経済の成長期と重なり、就職時(1985年)は正にバブル経済真っ只中で学校と塾と家と家が関わっていた宗教活動の四次元高速惰性生活を送っていた様に思う。偏差値偏重、つめこみ教育と言うネガティブ要素もあるにはあったが・・・。

元少年A(現在33歳:昭和57年生まれ)の場合はどうだろう。少年Aが小学校6年生の頃はどうだろう。1994年04月(11歳)。調べてみるとウルトラマンシリーズは、1981年の『ウルトラマン80』で第3期ウルトラシリーズが終了。仮面ライダーは1987年のブラックと次作のRXが終了しTVシリーズは放送されていない。少年Aが生きた時代は特撮ヒーロー不在であったのだ。

少年Aのヒーローとは誰だったのだろうか?

答えは、少年Aの著書「絶歌」にあった。

絶歌 P.27

ダウンタウンは関西の子供たちにとってはヒーローだった。「ダウンタウンのごっつええ感じ」が放送された翌日には、みんなで彼らのコントのキャラを真似して盛り上がった。 他の同級生たちがどう見ていたのかは知らないが、僕がダウンタウンに強く惹きつけられたのは、松本人志の破壊的で厭世(えんせい)的な「笑い」の底流にある、人間誰しも抱える根源的な「生の哀しみ」を、子供ながらにうっすら感じ取っていたからではないかと思う。にっちもさっちもいかない状況に追い詰められた人間が「もう笑うしかない」と開き直るように、顔を真っ赤にして、半ばヤケっぱちのようにギャグを連射する松本人志の姿は、どこか無理があって痛々しかった。彼のコントを見て爆笑したあとに、なぜかいつも途方もない虚しさを感じた。

ダウンタウンがヒーローであった筈なのに、なぜに少年Aはゾディアックを模倣してシリアルキラーにならなければならなかったのか?

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8、ゾディアックと酒鬼薔薇聖斗

<共通点>

1、無差別殺人を実行。
2、犯行声明文の作成(殺害現場や遺体に殺害のアピールをする)。
3、シンボルマークを保有。
4、犯行声明文を地元の新聞社に送りつける
  サンフランシスコ・クロニクル
  神戸新聞社
  私の地元の福岡市なら西日本新聞社(福岡日日新聞社+九州日報社)になっていただろう。
5、秘密の暴露をしながら、メディアに自分の存在を通知する。
  血のついたタクシードライバーのシャツを犯行声明文に添付(ゾディアック)。
  前回の犯行声明文の詳細を綴る(本人しか知りえない秘密の暴露)。

<相違点>

1、ゾディアックは暗号文を作成。別件であるが、宮崎勤(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人・既に死刑執行済)はパズルマニアであった。

いづれも強烈な自己顕示欲を印象づける。

いくらメディアに自己アピールしても、それは飽くまで殺人者としての自分であって、それ以外の自分は世間からなんの注目を集める事もない「透明なボク」に過ぎない。それでも、「殺人」と言う最低最悪の手段に訴えなければならない精神状態が既に「病理」であると言わなければならない。

「人殺しが楽しくてたまらない自分」でなければ、「自分」が保てないのである。

自我が脆弱である。

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9、日本経済の勃興と衰退と少年A

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やはり如実にバックグラウンドが違うのだなと納得する。ちなみに日本経済の成長率の推移グラフの資料に目を通すと。

経済成長率
1956年から1973年度:平均9.1% 私(10歳)少年A(00歳)
1974年から1990年度:平均4.2% 私(27歳)少年A(07歳)
1991年から2013年度:平均0.9% 私(50歳)少年A(30歳)

私の場合、少年期は高度成長期、成人時はバブル経済期で、経済的には恵まれた世代であったと言える。少年Aの場合は小学生に入学した時点でバブル崩壊、以来、「失われた10年」、もはや「失われた20年」を生きた世代といえる。
事実、1989年のバブル経済の最盛期に小学校に入学。小学校6年生の1995年01月に阪神淡路大震災を経験。1995年の03月に地下鉄サリン事件を経験している。

事実、少年Aの著書「絶歌」の中でA自身が次の様に語っている。

絶歌 P.100

蒼白き時代 僕が人生で最も過酷で鮮烈な季節を生きた「90年代」とは、一言で言ってしまえば「身体性欠如」の時代だ。僕は典型的なナインティーズ・キッズだった。1991年、僕が小学3年時にバブル崩壊し、「失われた10年」が始まった。 バブルが崩壊したといっても、好景気の余韻は色濃く残っており、自分や自分の周囲の者たちの生活が眼に見えて逼迫する事はなかった。だが、物質的利益を最優先させる競争社会の在り方に疑問を持ち、お金や物があっても幸せを感じられない人は確実に増えていった。それを裏付けるように新興宗教がブームになり、自己啓発本が飛ぶように売れた。 1995年、僕は小学06年時に阪神淡路大震災を経験した。僕が住んでいた地域は大きな被害は免れたが、被害がひどかった長田区や東灘区に住んでいた父親の同胞たちの家は倒壊し、父親の兄-アル中でありながら腕のいい大工であった伯父-が中心となって、彼らは自分たちで公園にプレハブ小屋を建てて共同生活を営んでいた。出来合いのプレハブ小屋には、驚いたことにちゃんと電気や水道まで通っていた、このような異常時における島人(しまんちゅ)たちの結束力には眼を瞠(みは)るものがある。 父親に連れられ、彼らが住んでいた地区を訪ねた時の光景は今でも脳裏に焼き付いて離れない。 原爆投下もかくあろうと思われる黒焦げの瓦礫の山。ゴジラが暴れたあとのようにグシャグシャに潰れた家々や横倒しになった高速道路。この世の終わりのような光景に、僕は足が竦み、しばらく言葉を失い身動きが取れなかった。皆が必死に築き上げ、守ってきた生活が、こんなにもあっけなく崩れ去ってしまうものなのか・・・。 それからわずか二ヶ月後、東京の地下鉄駅構内で地下鉄サリン事件が発生した。ラッシュ時の地下鉄を狙い、複数の路線に猛毒神経ガス「サリン」をばら撒いて乗客たちを無差別に殺傷した世界初の化学兵器テロ。終末思想を唱える教祖「麻原彰晃」の言葉に突き動かされたカルト教団・オウム真理教の犯行だった。 僕はこのふたつの大惨事をリアルタイムで見てきた。体内に巨大な虚無がインストールされ、後の僕の思考スタイルにはかりしれない影響を与えた。 大勢の命があっけなく奪われていく。死んだ者は数字になるだけ。 何のために生きるのか? 何のために存在しているのか? バブル崩壊後、「物質的利益」一辺倒だったそれまでの価値観の体系が大きく揺らぎ始めていたところへ、「震災」「サリン」と、世紀の二大カタストロフィーのワン・ツーパンチを喰らい、人々の心は「物質的なもの」から「精神的なもの」へとますます加速度的に移行していった。 それは、深く病んだ「蒼白き時代」だった。

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10、語られない関東医療少年院時代

元少年Aの手記が出版されてから、各方面に衝撃が走った。家庭裁判所の審判により少年Aが送致された関東医療少年院の関係者も例外ではない。

関東医療少年院時代の様子は「少年A 矯正2500日 全記録(文春文庫)草薙厚子」に詳しいのだが、ここで腑に落ちないことがある。

元少年Aの著書「絶歌」にはなぜか少年Aの医療少年院時代の記述がただの一行もないのである。

絶歌の第一部の終了は1997年10月20日の関東医療少年院(府中)への送致(入院)で終了。
絶歌の第二部の開始は2004年03月10日の関東医療少年院の退院から始まっている。

よって、絶歌には少年Aの医療少年院時代を自ら語った文章は存在しない。

世間の人々の最大の関心事は少年Aの事件の背景にあった「性的サディズム」の矯正は成功したのか?もし矯正できてなかった場合、元少年の再犯の恐れは?

私が想像するに、少年A自身が医療少年院時代の出来事に少なからずコンプレックスを感じているからどうしても記述できないのではないか?

そこはかとなく推測できるのは、「絶歌」の以下の記述である。

絶歌 P.247

状況は悪化する一方だった。日雇い労働を転々としても埒があかない。今のままでは一生この犬小屋発豚箱行きの負のスパイラルからは抜け出せない。 ちゃんとした仕事に就くために使える自分の武器は、少年院で習得した溶接着技術しかなかった。ひとりで生きる道を選び、サポートチームの元を去ったあの日、「溶接関係の仕事にだけは絶対に就くまい」と心に決めていた。「少年院で取った資格」の恩恵を受けるのはプライドが許さなかった。それdと自分の力で居場所を作ったことにはならないと思ったからだ。でももうそんな悠長なことを言っていられる場合じゃなかった。資金も底をつき、追い詰められた僕は肚を括った。使える武器は何でも使って、正真正銘の社会人にならなければ、野垂れ死ぬのは時間の問題だった。背に腹は代えられない。一泊二千五百円の簡易宿泊所に寝泊まりしながら、そこを拠点に溶接工募集の求人に片っ端から応募し、人生で二度目の就職試験に専念した。

元少年Aは「プライドが許さない」と言う。医療少年院で取得した資格は使いたくないと思わせるほど、医療少年院時代の生活は彼の自我に添わないものだったのだろうか?

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11、神戸児童連続殺傷事件 手記はなぜ

NNNドキュメント"元少年A"へ「~神戸児童連続殺傷事件 手記はなぜ~」の音声のテキストをおこした。以下に記述する。

元少年Aの突然の出版に関係者は驚きを隠せません。

杉本研士 ウィキペディアから

杉本 研士(すぎもと けんじ、1939年 - )は、日本の小説家・精神科医。長野県生まれ。信州大学医学部卒。法務省矯正局の矯正医官として、府中刑務所、医療少年院に勤務する。関東医療少年院院長などを歴任した。神戸連続児童殺傷事件の容疑者の診療にもあたった。日本ペンクラブ会員。1977年、『蔦の翳り』で第78回芥川賞候補。

元少年Aが6年半過ごした関東医療少年院の院長。

少年Aの育て直しに取り組んだ杉本医師

「本当にあぁああぁ、馬鹿な事したなぁ。乱暴だったなぁ・・とにもかくにも人を傷つけちゃっているのは許せない事ですよね。本当に気の毒な事をしましたよね被害者の方々には。」

幼い子どもを狙った連続殺人。少年Aは関東の医療少年院に送られ、犯行の背景にあった性的サディズムの治療と矯正教育を受けました。母親との関係も要因に挙げられていたため女性の精神科医が母親役となり、擬似家族による育て直しが行われます。15歳から21歳までの6年半、社会から隔絶された少年院で対人関係などを学びました。

少年Aの育て直しに取り組んだ杉本医師は、手記を読み「ある一面」を強く思い出しました。

元関東医療少年院院長 杉本研士医師

「本当にあぁああぁ、馬鹿な事したなぁ。乱暴だったなぁ・・と言う事ですよねぇ。モノを書くと。書くと言うのは他と違って強力な力を持っている。ところが彼(元少年A)は、そのまた不器用だからのめり込み過ぎた。そこをね。ちゃんとまず詩を書いてみるとか、小説を書いてみるとか、なんか新人賞に投稿してみるとか、それでダメだったら、あぁまだダメだなぁなんて言ってやり直すとか、そう言う柔らかさがちょっとないねぇ。ある意味不器用じゃないかねぇ。少年院時代からそういうところは・・・僕らはそういうところに注目していました。」

以下は番組中で朗読された「絶歌」の一部の朗読。

<少年Aが文章を書き始めた理由>

この本を書く以外に、罪を背負って生きられる居場所を僕はとうとう見つける事ができませんでした。自分の言葉で自分の想いを語りたい。僕にはこの本を書く以外にもう自分の性を掴み取る手段がありませんでした。僕は今頃になって生きることを愛してしまいました。

医療少年院でAの育て直しをした元医院長。

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元関東医療少年院院長 杉本研士医師

<君に伝えたい事>

出版への批判が巻き起こる今だからこそ、あえて伝えたい想いがあります。事件から18年、君は32歳になった。医療少年院長だった私は、完全な浪人になった。ただ、伝えたい事がある。初めの頃、「早く吊るしてもらってすべてを終わらせてほしい。」と叫ぶようにしていた君が、「今、僕は生きる事を愛してしまいました。」と表現している。君の言う病気の呪縛から解放されつつあるからこそ出来た事で、孤独の中、よく頑張ったと私は評価したい。しかし、君はご遺族がのっていた梯子を蹴り飛ばしてしまった。自分が苦しんでいるからといって他人に苦痛を与えることは許されることではない。今、目の前にある自分のしたい事、しなけらばならない事、これを長いあいだ積みあげる事の中から答えが発酵してくるものではないだろうか。自重と幸運を祈ります。杉本研士

当然であるが、杉本元少年院院長は、元少年Aとして出版表現活動をする事よりも、被害者遺族の心情を慮る事が優先であると説いている。なぜ、遺族に毎年謝罪の手紙を送りながら、なぜ遺族に無断で出版に走ったのか?「生きることを愛してしまったから」では説明不足であり「謎」である。

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12、たかじんのそこまで言って委員会NP 昭和・平成 重大事件の謎SP

「たかじんのそこまで言って委員会NP 昭和・平成 重大事件の謎SP」の音声のテキストをおこした。以下に記述する。

以下ナレーション

「心の闇」と言う言葉が取り沙汰された平成9年の神戸連続児童殺傷事件。
先日、週刊ポストが当時14歳だった加害男性のものだとする実名と顔写真を掲載。

ついにホームページを開設し自ら情報発信を始めた酒鬼薔薇聖斗。彼はもはや過去の人ではない・・などとし、現在33歳という男性の近況やホームーページの内容などを報告している。

加害男性は今年6月に元少年Aの名前で「絶歌」と題する手記を発表しているが、週刊ポストの飯田昌宏編集長は「現在のAは33歳。少年法によって守られる必要があった18年前とは違う。彼の氏名を含めたあらゆる言動は公衆の正当な関心の対象であり論評材料になると考えた」とのコメントを出している。

これに対しネットでは、「当然だ」「やりすぎた」と賛否が分かれているようだが・・・

CASE FILE
神戸連続児童殺傷事件

平成9年、当時中学3年だった少年が児童を含む5人を襲い男児と女児を殺害。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、新聞社に犯行声明を送りつけた。

猟奇的な犯行を当時14歳の少年が犯した事に日本中が震撼。

逮捕後、少年は家庭裁判所の決定で医療少年院送致となった。

この事件に関する顔写真掲載については、逮捕当時から論争が起きており、新潮社が発行していた写真週刊誌「FORCUS」には、修正を加えていない顔写真が、週刊新潮には目の部分を隠した顔写真が掲載された。

「残忍な事件で少年法の保護の範囲を超えている。」と掲載の理由を説明した新潮社に対して神戸弁護士会は、「少年が起こした犯罪に関しては本人が特定できる報道を禁じる」とする少年法61条を理由に販売中止を申し入れ、大手書店やコンビニエンスストアなども異例の販売取りやめを決定した。

また当時、犯行声明で自身を「透明なボク」と表現し、「ボクは殺しが愉快でたまらない。」と綴り、「人の死を理解するためには、人を殺さなければならない」と供述した少年Aの「心の闇」が指摘されたが、その後も「人を殺してみたかった」と未成年が起こす殺人事件は後を絶たず、平成12年05月、愛知県豊川市で高校三年の男子生徒が民家に侵入し、包丁で主婦を殺害。平成20年06月、奈良県大和郡山市の住宅で12歳の長男が、就寝中の父親を斧とサバイバルナイフで襲って殺害。平成26年07月、長崎県佐世保市で高校1年の女子生徒が同級生の女性生徒を工具で殴り、紐で首を絞めて殺害。そして、同じ年の12月名古屋大学の19歳の女子学生が自宅アパートで77歳の女性の頭を斧で殴り、マフラーで首を絞めるなどして殺害。女子学生は「幼い頃から人を殺してみたかった」と供述し、高校時代に同級生の男子生徒に劇薬のタリウムを飲ませた疑いがある事も発覚。彼女のものと思われるツイッターには事件をほのめかす「ついにやった」「名大出身の死刑囚ってまだいないんだよな」などの書き込みがあり。「神戸児童連続殺傷事件」など過去の重大事件への強い関心をしめす内容もみられ、去年の7月07日には「○○君(*少年Aの本名)、32歳の誕生日おめでとう」というメッセージまで投稿されていた。ファン?

後の多くの少年事件にも大きな影響を与えた現在33歳の元少年Aは、今年になって手記「絶歌」を発表し、ネット上に「存在の耐えられない透明さ」と題するサイトを作成。先月には出版社や新聞社宛に、2万3千字に及ぶ手紙を送りつけ、週刊文春、週刊新潮、女性セブンが、この手紙を取り上げた。その内容の大半は、絶歌を出すきっかけとなった、一時は大尊敬していたという某出版社社長への「恨み節」で、出版後、世間からの非難が殺到すると、態度を豹変させ、靴についた泥を拭うように僕との接点を「汚点」とみなして否定しました。などと綴られていたと言う。

強烈な自己顕示欲で世間を逆恨みする元少年A。その「心の闇」が解明されない限り、この事件も未解決と言えるかもしれない。

番組中で高岡達之さんが興味深い発言をされていたので以下に取り上げる。

高岡達之(読売テレビ解説委員)

大阪府警キャップ、NNNマニラ支局長、神戸支局長を経て、現在「かんさい情報ネットten!」のニュース解説。神戸連続児童殺傷事件では取材キャップを担当。

以下、高岡達之さんの発言

高岡達之(読売テレビ解説委員)

「私はなんでもかんでも(少年Aの実名報道に関して)、公表しろとは思いません。思いませんけれども、三宅さんの意見に趣旨としては非常に賛成です。で、今回、「別名を出すより今回も本名を出すべき」という花田さんの意見に非常に頷くところがあります。

それは、報道として失格な事を言いますが、私は、この事件の現場にいたので、神戸の殆どの事件記者が集まって、ご遺族がきいたらたまらない遺体の遺棄状況を見ました。もう怒りで満ちました。この野郎!て言う声が聞こえた位です。そうやって史上空前と言ってもいい位の記者が2キロ四方に投入されました。住民たまったもんじゃなかったと思います。今思えば。で、警察も、実は、少年事件に関して、今、もう、皆様慣れてしまっていると思いますが、もう、後でこれ位の事件を引き起こす位に衝撃的でした。だから僕はこいつを許さない。で、2キロ四方に、想像して下さい。一ヶ月間、1.5メートル置きに警察官が立っているんです、何十台の警察車両が家の周りにいるんです。そういう事件でした。だから私は緊急事態として公表すべきだと思いました。それは、極めて重大な社会不安を起こしていたからです。で、勿論、親御さんが何れ位責任があるかもわからない。で、その後の事も、わからなかった。だけれども、今、地域の方々、日本中の方々にとって、この人物でしたと知らせる事は意味があるんだろうと思いましたが、それは、今、私はご批判を浴びても仕方ないです。今でも、この会社の社員です。色んな議論をしました。上司から「出すな」と言う事は一言もありませんでした。上司も悩んでくれたし、同僚も悩んでくれた。私は色んな意見をみんなできいて、その時は方を遵守しました。出しませんでした。だけども、今、今回、彼が、出てきてます。私は、その後、彼が成してきた事、彼自身の更生は結構です。だけれども、彼がやった事がどれだけ我が国に影響を与えたかと思う時に、私は彼を許さない。

じゃ、なんでそこで彼を守ったんですか?(他者の問い)

それは、一つはですね。やっぱり、その時は、我々も非常に未体験な部分がありました。で、一年後に、アメリカで同じような事件が起きて、アメリカのメディアはアーカンソーでした。あの銃を乱射して名前を全部報道したんです。

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辛坊治郎(司会者)のコメント

って言うか、日本は少年法第61条で、本人が誰かわかる報道をしてはいけないって書いてあるんだけど、こう言う規定を持ってメディアが遵守、守っている国は日本だけ、日本以外はほぼありません。少なくとも重大事件を起こせば、少年でも全部出すんです、別にアーカンソー関係ないです。出すんです。一番びっくりしたのは、私がニューヨークに住んでいる時に、少年がNYセントラルパークの中で殺人事件を起こした。少年の名前は当然でるだろうな。びっくりしたのは母親と未成年の子供ですよ弟、妹の写真も全部ニューヨークタイムスにでました。だから、本人の家庭環境も含めて報道する価値があるとあの名門のニューヨークタイムスでも思う、だから少年だからと言って一律に規制している国は日本以外にはないと言う事。少年法61条は極めて特殊な規定なんだと言う事を知っておかれていいと思います。

私はアメリカの大学で最初に著作権法を勉強した時に、出版社の人が来た時に、何をやっても構わないけど、子どもの裸と、犯罪者本人が手記を出版する事だけはアメリカのタブーだと、一番最初の著作権法で教わりました。今、サムの息子法って言う法律がありましてね。憲法上出す事を禁止はできないんだけど、出した場合は印税に関してはご遺族に入れましょうと言う事になっていて、実際には出さないですね。そう言う意味においても、今回の「絶歌」の出版に関しても世界的に特殊なケースだと。

更に、続く、高岡達之のコメント

高岡達之(読売テレビ解説委員)

私ね、少年法、やっぱり時代に合わせて変えていくべきだと思っております。思っておりますが、片や一方でね、三宅さんがおっしゃる様に大人になったら立ち直るんだからと 途中で彼を晒し者にする事はやっぱりいかんと、言う意見をお持ちの方がおられるは事実だと思います。ただ、私は一つ、ご遺族にお会いしたから申し上げると言う事ではなくて、非常に心から思うのは彼は、田嶋先生は「形の上では事件は精算されている」とお書きですが、彼は更生の機会は与えられましたが、償いはしてませんのでね。

そうなのだ、元少年Aは、少年であった為に「刑事責任」を問われなかった。ただ家庭裁判所の審判によって関東医療少年院に送致されただけなのだ。少年Aの両親に対しては事件被害遺族から民事損害賠償裁判が起こされたものの、賠償金の支払いには事件の著作の印税が当てられたときく。

今回の「絶歌」の出版は事件被害遺族の両諾なしに行われており、事実、殺された土師淳君の父親の土師守さんは「絶歌」の出版中止と回収を求めている。

物事には順番がある。まず、成人となった元少年Aは、事件被害者遺族に対して、遺族が納得のいく謝罪をすべきであろう。

それなくして、非常に稀有な立ち位置にいる元事件加害者少年A君が、その立ち位置のまま表現活動を開始する事は、法律違反ではないかもしれないが、現在の日本社会は受け容れられないのだ。少年Aだった、元少年A氏には「禊(みそぎ)」が必要なのだ。

禊(みそぎ)ウィキペディア

1、神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。類似した水垢離(みずごり)と呼ばれるものがある。用例は万葉集より「君により言の繁きを 故郷の明日香の河に禊しにゆく」 (巻4-626)

1、に示した意味が転じて、現代ではスキャンダルのある政治家が、選挙を勝ち抜くことによって政治責任に区切りをつけたとする場合に「禊は済ませた」という。有権者が公知のスキャンダルを知った上で選出した以上、政敵やジャーナリズムなどによる政治責任追及に対して「選挙区の民意」という抗弁材料を得ることになる。ただし刑事責任の免責を意味するものではない。

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13、少年の精神発達について

普通、少年が思春期を迎える時期になると、自己同一性(じこどういつせい、セルフ・アイデンティティ、英: self identity)を獲得する。

父でもない、母でもない、我とは何者か?と言う問いを自分自身に内在化するのである。
親子関係が良好な場合、子は父を範として成長していき、やがて、父に代わって母を獲得しようとする無意識の心の葛藤が発生する。それを心理学の世界では有名な「エディプスコンプレックス」と称したりするのだが・・。

少年Aの場合、母よりも祖母に愛情(何をしても受け入れてくれる)を感じ、父を模範するでもなく、ホラーの世界や、連続殺人犯(シリアルキラー)を自分のモデルとしてしまった。

有名になった少年Aの犯行声明文のフレーズの多くは、当時のコミックや映画などサブカル文化から引用し切り張り(コラージュ)したものだった事からも推察できる。

元少年Aがインターネット上に開設したサイトの名前も相変わらず「存在の耐えられない透明さ(sonzainotaerarenaitomeisa)」。犯行声明文で自称した「透明なボク」から自己肯定できず、「存在の耐えられない-」に変容し、未だに自己の存在を自己肯定できずにいるところに元少年Aの苦悩がみてとれる。

6年半にも及ぶ「矯正教育」を持ってしても、少年A自身の自我に自己肯定感を育てる事はできなかったのであろうか?

医療少年院を退院して後の10年と言う時間も、少年Aを過ぎ去った過去として、過ちをおこした「東慎一郎」と「決別」「投企」し、新しい自分を生きる事はできなかったのだろうか?

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14、少年Aとは何者なのか?(この号のおわりに)

ここ数ヶ月、元少年Aの著作「絶歌」の出版に絡んで月刊 精神分析シリーズを発行し続けた。事件の被害者、加害者側、ジャーナリストが出版した著作も多く、各々の視点から少年犯罪を考察していてどれも興味深かった。

テレビやラジオ、インターネットなど各メディアからもたらされる情報も、少年Aを浮き彫りにしていく上で更に興味深かった。

犯行当時14歳の中学生だった少年Aも、今や33歳(7月7日が彼の誕生日である)の元少年Aとなった。

2004/3/10に関東医療少年院を22歳で退院してから、実に10年の時が経過した後の絶歌発表(初版発行:2015/6/28)となった。マスコミが騒ぎ出し(月刊 精神分析でもテーマとして取り上げ)論表や考察がされる中、元少年Aはサイトを開設し、有料メルマガ(ブロマガ)『元少年Aの"Q&少年A"』(購読料:月800円)の配信を開始(2015/10/12)した。

こうしている間にも、事態は刻一刻と動いているのである。

ご意見ご感想は
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平成27年09月30日

月刊 精神分析 編集部A

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15、Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク



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 精神分析(セラピー)を受け、インテグレーター(精神分析家)を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に実際にインテグレーターとして活動しています。  夏には、那須で恒例の「分析サミット」が開かれ、症例報告・研究などの研修会も行っています。  私たちインテグレーターを紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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